WATARUくんに守られて。
←安心の、強く広い輝き、「WATARUペンライト」
 背景はウチの猫。
 

「月組は、初日から行くんですよね?」
 と聞かれ、
「2週目まで行かないよー」
 と答えたところ、なんだかおどろかれてしまいました。

「緑野さんは、初日に行くんじゃないんですか?」

 基本初日ですが、さすがに元旦はその限りぢゃないっす。
 昨年の『ベルばら』も初日は行ってないし、一昨年の『ステラマリス』に至っては、なかなかムラに足を踏み入れなかったよなぁ。
 イベント好きなので、元旦初日とイベントが重なっていた90周年『飛翔無限』は初日に駆けつけてたけどさ。

 今回はほら、天敵植爺作品だからさー。ショーも三木だし、食指が動くとは言い難い。
 ゆーひくんとそのかには会いたいのだが……観劇回数年間100回以内を目指す身としては、贔屓組以外の観劇は減らさなきゃ。ねえっ?!(言い聞かせている)

 さて元旦、ヅカにも行かずナニをしていたかとゆーと。

 近くにはいたんだ。大劇場が見えるくらいの位置。

 家族で阪急の「第34回 元旦 日の出ハイキング」とやらに参加していたんだわー。
 宝塚の目の前の山、中山中腹から初日の出を拝む、というイベント。
 阪急電鉄情報紙「TOKK」1/1号(蘭乃はなちゃんが表紙のやつ)に載ってるのを見て、母がものすげー盛り上がって参加決定。

 朝6時に中山寺集合で、何百人だかの参加者が黙々と山を登るのさ。

 世界は当然真っ暗。山道にはろくな明かりがない。
 「懐中電灯を必ずご持参ください」と募集要項に赤字で注意書きしてある。
 つっても懐中電灯なんて普段使わないもの、咄嗟に出てこない。どこかにはあったと思うけど、どこだったかな。てゆーか電池大丈夫?

 懐中電灯を探してどたばたするよりも。
 考えるまでもなくわたしは、星前楽でもらったペンライトを持っていきました。

 ボタン電池使用なので、乾電池使用のふつーの懐中電灯よりはるかに軽く、そのうえ発光部分が12cmもあるという優れもの。
 闇夜に灯すと、明るいのなんの。

「もしはぐれても、遠くから一発で発見してもらえるな」
 と、一緒にハイキング参加の弟の感想。
 他にいないもんな、こんな光を放つモノを持った人って。

 すべてにおいて優れているが、ひとつ難点があるとすれば。

 WATARUとゆー文字が浮かび上がっていることですかね(笑)。

 まぁ、光を灯して「安全に渡る」という意味の商品だと思ってもらえるかも?

 青白い光で足下を照らしながら、夜を歩く。朝陽を目指して。
 WATARUくんに、守られて。

 そして朝、7時10分。
 2007年の夜明けが訪れた。

 わたしは、日の出を見るのがはじめてだ。ごみごみした平地の下町育ちなもんでな。山も海も縁がない。日の出が見られるところになんか行ったことがない。
 東の空がすっかり明るくまぶしいオレンジ色になっていたから、「もうお日さま出てるんじゃないの? ガスや雲で見えていないだけで」と思っていたら。
 そんなもんじゃないんだね。太陽って。

 生駒の山の端から、光が輝いた。
 まさに、光。
 目を突く光線。
 他のなにとも間違えようがない。

 正視できないほどの光を発し、太陽が昇る。

 これが、日の出か。これが、太陽か。
 空がとっくにオレンジ色だから、もう陽が出ているんじゃ、なんて考えるのは無知もいいとこ。
 オレンジどころじゃないんだ。本物の光は。

 WATARUくんライトは、本物の太陽にその役割を受け渡した。もう自分で歩けるよ。

 
 中山寺で初詣し、母と別れて弟とふたりで清荒神へ。去年nanaタンと行ったから、2年連続だ。

 清荒神に向かったのが、ちょうどムラで鏡割りをやっている時刻。
「宝塚にも行こうよー、鏡割り見て行こうよー。春野寿美礼サマと桜乃彩音ちゃんだよー」
 と主張したんだが、弟には「却下」のひとことで片づけられた。わーん、隣の駅なのにぃ。初詣1日乗り放題切符利用中だから、いくらでも乗り降りできるのにー。
 弟はわたしに強制的に連れて行かれた『愛するには短すぎる』公演時に、たまたま客席にやって来ていた寿美礼サマ(素顔)を見て「トップスター? アレが? すげえおばさんぢゃねえ?」発言をした愚か者だ。つきあってくれるはずもないか。
 つーことで姉は物わかりよくあきらめたのだが。

 あとで、鏡割りにまっつも来ていたと知り、弟に当たることになった。(「まっつも来てたのよーっ、新年早々まっつを見られたのにーっ」「知るかよ」とゆー、大人げない会話を繰り広げる)

 そんな、めでたい1年のはじまり。


 今年の感想、今年のウチに……とはいかないようだ。

 今のところ、まだ書いていないものは、と。

・『湖月わたるラストディ』
・『MIND TRAVELLER』楽
・まっつまっつまっつ
・『維新回天・竜馬伝!』新公

 えーと。他になんかあったっけ?

 テキストだけは未整理のまま、いろいろPCやミニパソの中に眠っている。
 コム姫と『タランテラ!』についてなんか、どれほど書いたか。今となってはここにUPすることはない(つか、できない)ものばかりだが。
 コム姫退団と『タランテラ!』楽に向けてかなり平静を欠いており、熱にうなされたよーな文章を書き殴っていた……。
 その結果、ここを更新する気力がなくなったんだよなー。
 や、いちおー、「人様に見せられる」ところまで推敲した文章でないと、UPできないもんよ……。今でも毎日ずーっと、頭の中を『タランテラ!』の曲が回っている。

 同じ意味で、『湖月わたるラストディ』に関してももういいか、という気がしている。
 ワタルくん退団において、いろいろいろいろ書き殴りはしたんだが、とにかくヘコんでいるときの文章なので、支離滅裂かつ暗い。今さらあんなテキストを発掘して改稿する意味もないだろう。

 罪のない『MIND TRAVELLER』や需要のないまっつ話をしている方がいい。

 今、この欄を書いているのは2007年になってからだけど、部分的なテキストはリアルタイムに書いてあり、それをUPするにあたって加筆訂正しているわけなので、ちゃんと年内に書いてはあるんですよ。

 去年の大晦日は、nanaタンとふたりで宝塚ホテルで開催された『「ベルサイユのばら」2006カウントダウンスペシャル』に行ってたんだよなぁ。
 ゆーひくんと水くんとまーちゃん、そーいや壮くんもいたっけ。大好きな彼らと一緒に新年を迎えたんだった。
 2006年が、こんな怒濤の年になるとは思わずに。

 2007年が、豊かな年になりますように。
 祈るばかりだ。


 今さらだが、『愛するには短すぎる』の話。

 や、ずっと書くつもりだったのよ。てゆーかテキストはすでにあったのよ。書くことがありすぎて、UPできなかっただけで。
 

 わたしたちどりーず内で意見がまっぷたつに分かれたことがある。
 それが、フレッド@ワタルとバーバラ@となみは、ヤッているかいないか。

 ……すみませんねえ、そんな話で。
 でもわたしたちは、某SNSでそんなことを大真面目に議論しておりました(笑)。
 
 ヤッていない派は、もちろんkineさん、それからnanaタンとジュンタン。
 ヤッている派は、チェリさん、サトリちゃん、ドリーさん。

 わたしはもちろん、ヤッている派でした(笑)。

 それぞれとてもアツく持論を語り、それぞれ説得力があるので、ログをまるっと披露したいくらいなんだが(笑)、それは自重するとして自分の意見だけ書きますと。

 わたしがバーバラなら、「追いかけっこ」で一晩過ごすのは絶対に嫌だから、です。

 他人事として、物語を眺めていたんじゃないのよ。
 バーバラになって、フレッドに恋をしていたのよ。だから当然、立ち位置がバーバラになる。「わたしがバーバラなら」と考える。
 美しくも自立した大人の女性バーバラになり、幼なじみの初恋の人フレッドと再会し、恋をする。場所は豪華客船。フレッドは背が高くてハンサムでとびきりやさしい大富豪。……なんてすばらしいシチュエーション、ヲトメの永遠の夢。
 感情移入してヒロインになれる、極上の時間。
 ぶっ壊れ、不快過ぎて酔えない作品がめちゃくちゃ多いなか、奇跡のような美しい物語。

 わたしはごくあたりまえに、わたし視点で考えた。
 ヒロインはわたしだから。
 わたしがいちばんときめく物語として。

 つーことで、はい、フレッドとバーバラはヤッている派です。
 プラトニックにこそときめく場合もあるが、この物語ではチガウ。フレッドの胸で、せつない涙を流したいですよ、あたしゃ。

 ただ、「ヤッた」のはいつか、というと、最後の夜よりは3日目の夜、が濃厚かな。
 どりーずのみんなとは最初、「最後の夜(追いかけっこして「めくるめく♪」と歌っていたとこ)にヤッたかどうか」を議論していたのだけど、仲間うちでいちばんあとに観劇したドリーさんが唱えた「3日目の夜」説を支持したいわ、わたし。

1日目 避難訓練、ウェルカムパーティ
2日目 盗難発覚、昼食会、金銭トラブル解決、仮装パーティ
3日目 自殺騒ぎ、宝石投げ目撃、鑑定
4日目 ゾウさん体操、盗難事件解決、追い掛けっこ
5日目 下船

 と、ドリーさんがまとめてくれた時間経過と出来事一覧表(無断借用)を眺めつつ、説明。

 3日目の夜、というと、フレッドとバーバラが「言葉なんかいらない」状態で見つめ合っていた、あのあと、ということですな。
 同じ部屋で船長やらブランドンやらが宝石鑑定をしているっつーのに、そんなことにおかまいなく「ふたりの世界」を作り上げていた、あの日ですよ。
 ブランドン@まやさんの名台詞、「奇怪な、どうしてあそこだけ明るいのか」のあと。

 邪魔をしそうなブランドンを、アンソニー@トウコが「新しい任務」を与えることで遠ざけているしね。
 アンソニーはアレ、わかってやってるよな。

 言葉も不要で見つめ合い、互いの肌に触れているふたり。
 アンソニーの機転でふたりっきりになったあと、そのままなだれ込んでると思う。

 だからこそ翌日のゾウさん体操→盗難事件解決もフレッドとバーバラは一緒にいるのが自然だし、その後ふたりっきりになって「なにか言って」と意味深な大人の会話をはじめる、と。

 正塚作品は、ありがたいことに主役がきちんと恋愛している場合、「どこでヤッ……いい加減表現を変えよう、どこで結ばれたか」がはっきりとわかる。
 『La Esperanza』新公だと動物園で主役ふたりが「ひとりじゃダメだ」と話し合い、抱き合うようにして去っていくあと。(新公限定。本公演は主役たちが恋愛してなかったので除外)
 『Crossroad』も、別れを決意したふたりが抱き合うようにして去っていくあと。(あ、『La Esperanza』とまったく同じ演出だ)

 ただ思いを通じ合わせたとかいうだけでなく、そのあとからふたりの雰囲気が変わるんだよね。肌の温度が変わるというか。
 ことさらべたべたさせたり、いやらしいことをさせるわけじゃないのに、「あ、このふたり、昨日とはチガウ」と思わせる。
 『Crossroad』は少女の片想いで、男の方は自分の気持ちを理解するに至っていないままの「一夜」だからさらに切なかった……。『Crossroad』も『La Esperanza』新公も、ヒロインはどっちもあすかだ……あすかちゃんはほんと、正塚お気に入りのヒロイン女優だよなぁ、と横道。

 『愛するには短すぎる』もまた、同じように「翌日」のふたりの触感でわかる。
 ああそうか昨夜、ふたりはたしかめあったのだと。

 それでいてなお、歌ってだの手を見せてだの追いかけっこだのをやっているのよ。
 ヤるヤラないは、ゴールではなく通過点でしかない。「おぼえておきたいから」と手を取るのと同じ意味でしかない。
 愛し合うふたりにとって、いちいち大袈裟に描く必要もないあたりまえの時間だから、んなシーンはさくっととばしてある。
 なにひとつ行為に言及されていないにもかかわらず、それを感じることのできる脚本と演技の「艶」にどきどきする。

 バーバラになって、フレッドに恋をする。
 リアルに、ほんとうに、彼女と自分を重ね合わせて。

 せつなさに、涙を流す。

 
 ……てな感じだったんですが、どうですかね?

 チェリさんは「ケロファンはヤッている派」だというデータを提示している。ケロちゃんを好きなるタイプの女は、こーゆーシチュエーションで「プラトニックはありえない」と感じるらしい。ケロファン仲間にひとりひとりリサーチしていたぞ(笑)。
 越リュウファンにも是非リサーチしたいわ。越リュウを好きになるタイプなら以下略。

 「プラトニック派」のジュンタンは当時、kineさんに会ったときにこの話題を切り出そうとして、「フレッドとアンソニーはやったのか?なんだけどさ」と真顔で言い、kineさんにあっさり「アンソニーじゃないから」と返されたという逸話を持つ。
 ははは、フレッドとアンソニーなら、なにもモレタニア号でヤラなくても、ロンドンででもどこでもデキたしなっ(笑)。

 どりーずの論争に巻き込まれたハイディさんは、後日こう語った。
「サトリさんとはわたし、あの日が初対面だったんです……はじめまして、とお互い挨拶して、その次の台詞が、『で、フレッドとバーバラはヤッてると思います?』だったんで、おどろきました」
 災難だなハイディさん……(笑)。初対面、しかも挨拶の次の台詞からエロトークさせられるとは……。

 主役ふたりの恋愛関係において、これだけアツく語り合える物語って、素敵だ。
 ほんとうに、大好きだよ、『愛するには短すぎる』。

 極上の恋物語。


 2006年のタカラヅカ納めは、『ヘイズ・コード』でした。
 よい作品にすばらしい出演者。しあわせな観劇納め。

 そして観劇後はnanaタンとえんえんヅカ語り。
 えーと、7時間? ランチを食べに入った店を「おなかすいた」から出て、隣の店に入り直し、晩ごはんを食べたという……。
 nanaタンの解説のもと、『彩吹真央パーソナルブック』を閲覧し、つづけてnanaタン購入済みの若手本『NEW GENERATION』をふたりで読み切りました。……これだけじっくり読んだらもう、買う必要はないなってくらい。
 ヅカ納めに喋りに喋りきった7時間。さすがに満足だわ、と思って帰宅したら。
 デイジーちゃんからTEL、「寿美礼サマのVISAの新CM」の話題で盛り上がる。そのまま長電話ええっと2時間以上?

 さすがに、喉切れるかと思った……(笑)。

 タカラヅカの今年すべての公演が終了したってことで、どりーずの面々が決算報告をしている。で、わたしもやってみよーかと思ったが、相変わらずきちんと観劇記録をつけていないし半券も完璧には保存していないので、はっきりしたことはわからない。
 仲間たちは組や演目別に「何回観た」って一覧表を書いているっつーのに……わたしにはできそーにない。大体面倒くさいし(ヲイ)。

 手元にある半券をざーっと数えてみたところ、130枚ほどだった。

 えーと。
 2006年当初の目標は、観劇回数をフタ桁に抑えるだったよーな?
 半年経ったあたりで、目標を下方修正、2005年の観劇回数(120回)を超えないにしたよーな?

 増えてますがな。がっくり。

 なんでこんなことになってしまったんだろう……。退団ラッシュが悪いんだ……そうさ、悪いのはわたしぢゃない……。

 来年こそは、観劇回数を抑えよう。

 2007年の目標、観劇回数100回以内。

 ええっと、1年で100回というと、ひと月に8回くらいにすればいいんじゃん?
 ひと月に8回? ぜんぜん簡単なことぢゃん!! 誰にでもふつーにできることぢゃん。
 やだわーわたし、なんでこんな当たり前のことができなかったんだろう。

 ひと月30日あるうち、観劇する日を8日間だけにすればいいんじゃない。
 30のうちの8よ? ぜんぜん簡単なことぢゃん!! 誰にでもふつーにできることぢゃん。
 やだわーわたし、なんでこんな当たり前のことが以下略。

 1年は52週だから大体1週間に2回の観劇にすればいいんじゃない。
 7のうちの2よ? ぜんぜん簡単なことぢゃん!! 誰にでもふつーにできることぢゃん。
 やだわーわたし、なんでこんな当たり前のことが以下略。

 …………できるよな? できるよな、これくらいのこと?!

 なんか改めて数字にすると、130回超えってことは「週に2回以上観てたんだ」とか、「ひと月に10回以上観てたんだ」とか、「30日のうち10日は観てるんだ」とか、「1年の3分の1は観劇してるんだ」とか、ショックな現実が襲ってくる。
 や、なにも1日1公演ってわけじゃなく、複数公演観ていたりするので、日にち計算はおかしいんだけど……。

 いくらなんでも観すぎだろ。落ち着け自分。金の有り余った有閑マダムだっつーならともかく、びんぼー人のくせにこんな生活はまちがっている。

 来年こそは反省し、ひと月8回を死守するのだ。


 まず、「千秋楽」とアドリブについて私見を書く。

 大野拓史作品『フェット・アンペリアル』千秋楽がものすげえことになっていた。
 5分に1回アドリブ? 爆笑コント、本編との間違い探しになっていて本末転倒、元の話がわからなくなった。作品への緊張感がしょっちゅうぶった切られた。
 千秋楽のお遊びは、複数回生で観る場合にはたのしいし、実際観ていたときは大笑いしてウケまくっていたのだけれど、あとになって複雑な気持ちになった。
 だって『フェット・アンペリアル』はDVD発売がない。千秋楽1回きりの映像が、スカステで放送されるのみ。
 本来の『フェット・アンペリアル』はデータ化されず、「リピート観劇したファンのための番外編」である千秋楽のみが残った。

 じゃあ、本来の『フェット・アンペリアル』は? もう二度と正しい姿では見られないの? せっかくスカステ放送があったのに?

 好きだったんだよ、『フェット…』。「作品」を愛し「保存版」として大切にしたい場合には「番外編」になってしまった楽映像1本きり、つーのはつらい……。
 販売DVDがある場合は、「作品」をストイックに残した中日録画のソフトがあるわけだから、べつに楽でどれだけめちゃくちゃにしてくれても、2種類の映像が残るのでぜんぜんいいんだが。
 残す映像が1回きりのときは、楽だからといって遊びすぎずに「作品」を追求して欲しいな。

 と、前振りをしているのは、もちろん『ヘイズ・コード』のためだ。

 販売DVDはドラマシティ録画なんですか? ふつーにカメラが入っていたと聞いてますが。
 だとしたら、演出変更版が発売されるわけで、トウコの声も演出も完璧なバージョンはスカステ放送の青年館楽のみになる。……そのたった1本が、一発ギャグ命、本編がわからなくなるほどのリピータ向けお遊び尽くしになっていたら、つらいわ。
 きちんと「作品」を残して欲しい……や、もちろん適度なお遊びなら、せっかくの千秋楽だから入れてくれていいんだけど。『フェット…』の二の舞だけは勘弁してね、大野先生。

 や、販売DVDが青年館で撮り直した、トウコの声と演出が元に戻っているものなら、青年館楽にどれだけめちゃくちゃやってくれてもいいのよ。2本映像が残るなら、片方はなにをしたってかまわない。
 1本きりのときだけは、「作品」を守って欲しい……「作品」がよいときは。(『天使の季節』のよーなどーでもいい駄作なら、撮影が1回きりでもなにやってもいい。いやむしろがんばれ出演者、元の作品なんかわからなくなるまで壊してしまえ。その方がマシなものが映像に残る!)

 『ヘイズ・コード』は、素敵な作品だから。
 残して欲しい。映像に。
 映像は映像でしかなく、ライヴ命ライヴ中心であることが正しいとわかっているけれど。それでも、貪欲に思うよ。

 ……てのが、まことにわがままな、「千秋楽」とアドリブについての私見です。
 繰り返すけれど、適度なお遊びなら歓迎なのよ。元の作品がわからなくなるようなお遊び合戦は勘弁、と言っているだけで。

 舞台は舞台がいちばん大切で、映像を気にして舞台の変化を縛るなんて馬鹿げていると思うけどね。

 
 つーことで、『ヘイズ・コード』ドラマシティ千秋楽。

 同じ大野作品でしかも罪のないゴチャゴチャコメディである『ヘイズ・コード』楽は、どれほどえらいことになるかと、 期待半分 危惧していたんだが。
 やっぱ『フェット・アンペリアル』はやりすぎだったんだよな。『ヘイズ・コード』はそんなことにはならず、みんな節度を保って芝居してました。演出変更になったままで遊ぶのは不謹慎だとか思ったのかしら。青年館楽はぐたぐたになるのかな?

 カメラの入らないドラマシティ千秋楽は、ナニをやってくれてもよかったんだけどなぁ(笑)。

 トウコちゃんの声は、かなりよくなってました。
 中日頃に観たときとは、音も抑揚もちがっている。中日のレイモンドはほんとにクールだった……(笑)。
 
 大きなアドリブはレイモンド@トウコが、ミルドレット@コトコトを追い払うために犬がいるふりをするところ。
 いつもは布だけで犬を表現していたけれど、今回は犬のパペット付き。布を取るとレイモンドの手にまぬけな顔の犬パペット……すましたままのレイ様とのギャップが素晴らしい。

 それくらいで、あとは台詞がささやかに変わっていたくらい? わたしは記憶力ないんでもうおぼえてないけど。

 そうそう、ヘンリー@すずみんの日替わりの鼻歌、この日はアイーダの信念@『王家に捧ぐ歌』でした。しかも、長い。
 長々とちゃんと女の子の声で歌うアイーダちゃんに、拍手が起こる。
 そこに愛があるのがいいよね。なにも言わなくても、トウコの持ち歌をチョイスすることで、気持ちが伝わる。

 
 最後の挨拶で、トウコが必死に涙をこらえながら話している後ろで、みんな泣いてるし。しいちゃんとか、顔はにこやかに笑っているのに、涙がこぼれてるし。

 愛されてるね。
 信頼が感じられる、その熱量とブレのないベクトルが、濃密な舞台を作り上げた。

 そう、トウコはここで泣くべきじゃない。主役であり作品の看板を背負う身だから泣いちゃダメだ。きちんと挨拶をしなければならない。タカラヅカはあたたかいところで、「仕事」や「責任」を忘れ素の顔で泣き出す姿に拍手を送ったりするけれど。
 「プロ」であるトウコには、踏ん張って欲しい。馴れ合って欲しくない。
 決壊しそうな涙腺と戦いながら、それでも挨拶を終えたトウコに、力一杯拍手をした。
 まだ、終わってないからね。青年館があるから。まだ、完璧版じゃないから。
 泣くのは青年館楽まで取っておいて。

 なんだかわたし、トウコには他の誰にも求めないものを求めてしまうわ。
 そして、信じている。
 トウコなら、応えてくれると。

 これほど尊敬し、信頼している役者は他にない。
 あああ、トウコちゃん好きだー。

 『ヘイズ・コード』は、すばらしい作品だった。
 アクシデントも含め、感動させてくれる舞台だった。

 観られて、よかった……。

 青年館も行きたかったよ。


 底力を見せるのは、アクシデントのときだろうさ。
 そしてソレは、どさくさまぎれの力ではなく、蓄積した技術や経験が能力として発揮されるということ。

 演出変更された『ヘイズ・コード』を観て思った。

 トウコちゃんが声帯を傷め、歌えなくなっている。話す声自体がどえらいことになっている。
 そのために演出が変更になっている。ソロはすべてカット、なくせない歌は、録音された曲や別の人が歌う声にあわせて、口パクしている。

 そう聞いて、純粋に訝しんだ。
 トウコちゃんが心配、ショック、とかそーゆーことは置いておいて、ただ初日を観た者として、一観客として、
「ろくに声のでない人を主役にして、演出変更したからって、舞台が成り立つの? なにをどう変更すれば成り立つの?」
 と、首をかしげたんだ。

 そして実際に観に行って。

 トウコちゃんの「声」におどろき、口パクにおどろき、演出変更におどろき、なによりも、舞台がちゃんと成り立っていることに、おどろいた。

 思うように抑揚のつけられない、ざらざらしたレイモンド@トウコの声は、たしかにもどかしかった。ここはこうしたいわけじゃないだろう。初日はもっと抑揚があった、感情が込められていた……なのに「声を出す」ことが精一杯の一本調子のかすれた喋り。
 でも、それだけだ。
 初見ならソレも気づかないかもしれない。そーゆー抑揚のない話し方をするクールなキャラクタ、で通るんじゃないか。
 口パクはさすがに変だし、とくにリビィ@あすかとのデュエットで、別人の声に口パクしているのは違和感があったことはたしかだけれど、それでいてなお、物語として舞台として、致命的な問題にはならず、ちゃーんと進んでいくのがすごい。

 わかっていた。
 トウコは、歌だけの人じゃない。
 役者としての力を、きちんと持つ人だ。たとえ歌部分全部カットでストレートプレイになっていたとしても、観客をたのしませるだけの演技をしてくれる人だと安心していた。
 演技だけでなく、場を支配する力を持つ人だ。その他大勢の脇役ではなく、「真ん中」に立つべき能力を持つ人。
 空気を動かし、どこが真ん中であるかを知らしめる人。たまたま持って生まれただけの「神様のお手柄」でしかない、与えられただけのものではなく、後天的に自分の力で得た、実力で輝く人。

 その力を、信じていた。
 だから、わかっていた。
 この窮地を、トウコが乗り越えることを。

 絶対的信頼のもと、
「ろくに声のでない人を主役にして、演出変更したからって、舞台が成り立つの? なにをどう変更すれば成り立つの?」
 と、思っていた。
 さあて、どんなことになっているの? どんな変更なの? ありえるの、そんなこと?
 トウコと星組を信頼してなきゃ、思わないさ。

 そのうえで。

 想像を超えたトウコの声のひどさと、それでもちゃーんと『ヘイズ・コード』という作品を完結させてしまうトウコと星組の底力に、想像をまるっと超えられてしまった。

 すげえ。
 こいつら、すげえや。

 演出変更になったあとからこの公演を観た人が、口をそろえて言う。
「口パク以外は、どこが変更になっているのかわからなかった」
 歌が少ないなとは思う、コーラスになっているところがひょっとしたらトウコのソロだったのかなと予想する……ぐらいで、「トウコの声が出ない」という先入観がなければ思わなかっただろう程度のきしみ。

 突然の演出変更について行き作品を作り上げた出演者もすごいし、違和感ない変更を施した演出家もすごい。
 演出家が大野先生でよかった〜〜!! 実力のある、若く順応力のある人でよかった。

 わたしはとにかく記憶力がろくにないので、細かい変更点なぞ、気づきもしませんさ。
 口パクだとか、存在自体なかったことになっているソロに少々気づくだけで。
 ここまで違和感なく作り上げてくれた『ヘイズ・コード』に惜しみない拍手を。

 
 とゆーのはさらにさらに、置いておいて。
 やっぱり完璧版を観たかった。
 歌いまくりのトウコの美声に酔いしれたかった。
 観客とはわがままで貪欲なものなのさ。

 一朝一夕に治るものではないと思いつつ、また、絶対に無理して欲しくない、これからの舞台人生活に響くようなことにならないよう完治させて欲しいと思いつつ。

 ドラマシティ千秋楽までに、治ってくれないかなぁ……と、はかない期待を抱いていた。
 や、無理だろうと思ってたし、無理して欲しくないと思っていたんだけど!!

 つーことで、ドラマシティ千秋楽の話。

 長くなったんで、ふたつに分けるね。

翌日欄へ続く。


 どんな事情があるにせよ、集合日退団はヘビィだ……。

 華城季帆
 澪乃せいら
     2006年12月26日付で退団

 退団、ということを受け止める以前に、「えっ、それじゃあもう会えないの?!」ということに、愕然とした。
 お別れを惜しむとか、最後の舞台に心を馳せるとか、そーゆーこともなく。
 もう、会えない。
 てゆーか、タカラヅカが特殊な場所であるからこそ、彼女たちは、もう「存在」しないのだという現実が、痛い。

 同じ芸名で、なにかしら芸能活動をするとしても、「タカラヅカ」という特殊な世界観での彼女たちではない。まったく別カテゴリの存在となる。
 もう、この世のどこにも「いない」のだ。「存在しない」のだ。かしろきほも、みおのせいらも。
 そんな馬鹿な。

 愕然、呆然ですよ。

 ……事情があったのだろうと思う。なにかよほどのことがない限り、こんな去り方はしないだろう。
 それはわかるけれど、一ファンとしては、退団発表後せめてなにかしら出演したうえで退団して欲しかった。その芸名でタカラヅカで生きてきた「責任」を果たして欲しかった。

 残念だ。
 持ち味はチガウものの、お姫様ドレスの似合うかわいい若手娘役スターがふたりも、本日付けでいなくなってしまったなんて。

 大きな喪失感に、過去の彼女たちの舞台姿がぐるぐる回り続ける。

               ☆ 

 『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』の配役が発表された。

 明智@オサ様、黒蜥蜴@彩音。

 無理とは知りつつ、一縷の望みを託していたんだが、やっぱり無理だよなー。
 オサ様は黒蜥蜴を演じるに相応しいキャラクタだと思っていたので、是非ハマリ役を演じる姿を見たかったんだわ。

 それに、『MIND TRAVELLER』ドラマシティの前代未聞のガラガラっぷりを目の当たりにして、まとぶをプッシュするには「オサ様の相手役」をするのがいちばん確実だと思った。
 オサ様を愛し、憎み、また翻弄される役なら、オサ様ファンにも愛されるだろうし。花組のファン分布パーセンテージはかなり極端なことになっているから、オサ様ファンを味方につけるしか勝機はないんだし。
 まとぶを本気で売りたいなら、料金のバカ高いドラマシティで小池のダメダメオリジナルをやらせるより、本公演でオサ様とがっぷり組ませること、以上の手段はない。

 トップスターのオサ様が今さら女役(しかもヒール)ができないというなら、まとぶに蜥蜴役をやらせるのがいろんな意味で最良だろうと思った。

 とはいえ。

 無理は無理だとあきらめていたし、そのうえで、彩音ちゃんの黒蜥蜴もたのしみなのだ。

 きほちゃんはどうあがいても、母性だとか包容力だとかを出せない人だった。他の技術はとても高い人だったのに。
 反対に彩音ちゃんは、母性と包容力がある。他の技術力が高いとは、とても言えない人なのに。

 トップ娘役候補として歩いてきたきほちゃんは去り、彩音ちゃんはトップ娘役としてこれからもここで戦わなければならない。
 母性と包容力という大きな武器を持ち、彩音ちゃんはこれからどう成長していくのか。
 黒蜥蜴という難役をどう演じるのか。
 たのしみだ。

 寿美礼ちゃんの明智小五郎役は、純粋にわくわくする。
 だってさー、なんかすごーくイヤらしくイヤなヤツになりそうで。インテリゆえの嫌味さというか。「春野寿美礼」のあの爬虫類っぽいナルシーさを、わかりやすく発散できるなとか。
 もってまわった台詞回しとか、クドすぎる歌い方とか、寿美礼様ならではの明智が見たいわー。天知茂を超えるのだ!(笑)

 また、演出家がキムシンだということも、たのしみのひとつ。
 さあて、次はなにをやらかしてくれるんだろう(笑)。

 
 ビジュアル面でも役割でも、いちばん不安なのは少年探偵団浮浪児とやらなんだけど……わたし、大人が演じる無理矢理な幼児が超苦手だからなー。ヤな感じでなければいいなー。

 でもって、書生ってどんな服装かなー。
 やっぱ着物に袴? わくわく。
 クラシカルなスーツ? わくわく。
 それともいっそ学ラン?! わくわくわくっ。
 まっつなら、どれもOKだ! 儚げだといいなあ。うっとり。
 ただし、ザンギリ頭は勘弁。


わたしの海馬グッズ。
 みんなに見せびらかしている「竜」の絵のついたMY携帯。
(一緒に写っている画面クリーナーは、Victorの犬、ニッパー。まっつに似ているので、わたしたちの間で「まっつ」と呼ばれている儚げでプリティな犬)
 

 この竜は転写シールで、nanaタンの九州みやげ。
 何故、竜なのか。

 坂本竜馬@かしちゃんにちなんで! ……というわけではなく。(や、ソレでもいいが、「天に還る竜の図」はかなしすぎる)

 これは干支シールなの。
 竜ではなく、辰。

 辰ノオトシゴ……つまり、海馬なんですよ!!

「はい、海馬グッズを探している緑野さんへ」
 と、nanaタンに笑顔でプレゼントしていただきました。

 ええわたし、タツノオシゴ・グッズを探して、あちこち渡り歩いたけれど、見事になかったんですよ。存在しないの、そんな微妙なもの!
 ひどーい、「海馬の帝王」ファンには、グッズが必要ないというの?!

 そんなわたしに、タツ・グッズ。なるほど、タツノオトシゴはなくてもタツならアリか。それにタツの方がなんかかっこいいしなっ。よりによってタツノオトシゴを身につけているより、一般人への言い訳ができるし。
 もちろん、「どうして竜?」と人に聞かれた場合、「辰年なの」と答える予定。辰年が今年いくつなのか知らないけど、実年齢より若く申告してやる〜〜ふふふ。
 あとはまっつだよなー。海馬にはまっつが乗ってなきゃ。
 このタツのシールに、小さな男の子のシールを探して来て、貼ったらどうだろう? チャーリー・ブラウンでもなんでもいいから、とにかく人間の男の子のシール。「海馬に乗った征服者」だから、やっぱ背中に乗るよーに貼るべきだよな。

「ソレぢゃ、『日本昔ばなし』だから!」

 −−速攻つっこまれました、はい。

 
 リチャード@まっつの舞台写真も無事購入、来年のスケジュール帳に入れたし、携帯には金の海馬が輝いているし。
 身の回りがまっつまっつでしあわせです。
 

 25日は、サトリちゃん、チェリさんと一緒。
 夜道を歩きながら言った。

「明日は、26日だね」

 2004年12月26日。わたしたちは、東京にいた。あれから2年経つ。


 12月24日。コム姫卒業の日。

 わたしは大阪梅田の、『朝海ひかるザ・ラストディ』中継会場へ行った。
 海馬祭りをやっていた茶屋町梅田芸術劇場ですよ、ええ。海馬祭りは地下のドラマシティ、中継はメインホールでだけども。この界隈にはすごい密度で通っている気がする……。

 コムちゃんの入りにかしちゃんが来ていたとか、現地のジュンタンから速報を受けつつ、ひとりで大阪。や、会場に行けば友だちには会えたんだけど。気分はひとりぼっち。どりーずのみんながいないんだもん。
 梅芸はライヴのみを念頭に置いた劇場であり、映像を見るには適していないことに、席に着いてから気づく。「映像なんだから、どこで見ても同じ。前方センター席なんて、かえって見にくいかも?」と思っていたが、大間違い。
 スクリーン、小さっ。しかも、えらく奥まってる。後方席や2階席だと、かなり遠かったり小さかったりするんじゃないの、コレ……? 映画館感覚で席を選んでいたら、後悔したかも。や、わたしは譲っていただいた席なんで選ぶもナニもないし、結果としてすげー良いお席だったわけじゃが。

 『堕天使の涙』は、素直に映像をたのしんだ。芝居はストーリー中心に映してくれるとわかっていたので、ある意味安心し、大スクリーンに映し出されるコム姫たちの、繊細な表情の動きなどを堪能。

 そーいやわたし、映像で『堕天使』を見るのははじめてだと気づく。
 『タランテラ!』のDVDは買っていたけれど、なにしろ『タランテラ!』単体が目当てだったから、芝居の方は見てなかったっすよ。だからDVDとどうチガウかはわからない。

 わたしの懸念は、『タランテラ!』のみだ。
 映像では、『タランテラ!』はわからない。どうあがいも伝わらない。
 わかっていても、見届けずにはいられなかった。

 東宝で『タランテラ!』を見たときに、納得はした。わたしにはこの作品を見切ることはできない。だから100も0も同じだ。永遠に届かないのだから、もう二度と観ることがなくても同じだろう。
 だがそれも、今現在『タランテラ!』が存在しているという前提の上でだ。

 「映像」の限界は知っている。
 それゆえ、中継を見ることにこだわったのは、確認でしかない。
 記憶の確認。
 想いの確認。
 コム姫がコム姫として存在すること。
 まーちゃんがまーちゃんとして存在すること。
 この素晴らしいキャストがあってこそ、『タランテラ!』が息づいているのだということ。

 たとえわたしが二度と『タランテラ!』を観られなくても。
 『タランテラ!』がある、今も上演されているということが、救いだった。

 あのうつくしい世界が、存在していること。

 それが、救いだったんだよ。

 中継映像は、DVDよりコムちゃん中心になっていた。といってもDVDのAnother Angle(コム姫ピン取りオンリー)ではなく。

 たしかにある。
 存在している。
 触れることはできなくても、そこにいてくれる。

 いてくれるだけでいいのに。

 舞台は、消える芸術だ。
 そのとき一瞬しか存在しない。
 だからこそ、魅力的な世界だ。

 いつかわたしが死ぬことと同じよーに、いずれ確実に消えてしまう。自然の摂理から解き放たれることなんかない。
 それがわかっていてなお、思う。願う。祈る。

 そこにいて。存在していて。

 「タカラヅカ」の、美しい虚構のままいて。

 『タランテラ!』とコム姫の境などなく。
 『タランテラ!』とまーちゃんの境などなく。

 消えないで。存在していて。

 手が届かなくていいから。わたしなんかが理解も近寄りもできないところにいてくれていいから。
 いてくれるだけでいいから。

 幕が下りるまで、見守った。
 『タランテラ!』が終わる。
 タカラヅカでしか表現できない、コムまーでしか表現できない、コムまーをもっとも強く鮮明に描き出した、あのうつくしいせかいが、消える。
 そのことを、かなしんだ。

 
 サヨナラショーは、とても他人行儀だった。わたしにとっては。
 気持ちが『タランテラ!』で燃え尽きてしまい、あとはムラで観たときの郷愁や衝撃を遠くから再確認している感じ。
 にしてもやっぱ、コム姫らしく特異なサヨナラショーだよな(笑)。同時退団の相手役と触れ合わない、ラストシーンは定番の「組子に囲まれて幕」ぢゃない、つーのは。
 コレを臆面もなく演出したオギーも、そして板に乗っているコム姫もすげえ。

 公演部分が終わってからだ。中継が中継としての意義や効力を発揮するのは。
 退団者挨拶は、人物をアップで映すことのできる映像の利点だよなー。

 緞帳を使って退団者の「乙女」写真を映すのは、やはり映像好きのオギーならではの演出だったんだね。宙組ではなかったもの。
 また、コム姫登場時のオケ演奏も、オギーのこだわり?

 退団者たちの挨拶をスクリーンいっぱいのアップで見守る。
 劇場の隅からオペラグラスで見るよりはるかにアップ。自宅の小さなテレビで見るよりはるかに大きく。
 しあわせであれ、と思う。
 10代のころに自分で選んだ夢と、決別をする人たち。卒業する人たち。ここ、にいた年数も過ごしてきた濃度も、ひとりひとりがチガウにしろ。一様に、前へ進むことを決めた人たち。
 「終わる」こと「別れる」ことは寂しくても、その選択が正しいことを信じて。
 しあわせであれ。

 まーちゃんはでろでろにかわいらしく。最後になって、コム姫への愛をのろけてくれるのが、うれしくてならない。
 コム姫はまーちゃんが想うほどまーちゃんを愛してはいなかったように見えたけれど、まーちゃんにはきっとそんなこと関係ないんだよなー。
 「愛」は名詞ではなく動詞である。相手を好きで、好きでいること自体を「幸福」と思える……まーちゃんがそういう人であることが、泣けるほどうれしくて、わたしは幸福を感じるんだ。
 コムちゃんへの愛と感謝を、幸福な笑い声と共に語るまーちゃんが愛しい。
 相手から返されるものが多かろうと少なかろうと、「愛」する者には関係ない。「愛」している、そのことがすでに幸福だから。
 彼女の陽だまりのようなあたたかさと、懐の深さに癒される。ダイスキだ。

 コム姫は最後までコム姫で。
 正式の挨拶は短く。え? これで終わり? だったんだが。
 正念場はそのあとだよな。繰り返され続けるアンコールで、なにか喋らなきゃいけないことがわかっているんだから、そっちへ取っておいたって感じ? 合理的だな、姫。
 コム節炸裂。あの飄々としたみょーーな喋りで、場を泣き笑いさせる。ああ、まったくもー。
 退団者全員にひとことずつ喋らせたりと、気配りを見せて場を仕切りながらも。
 隣のまーちゃんを、振り返りもしねえ。
 まーちゃんは何度も何度も、うれしそうにコム姫を振り返るのに、完全無視。視線を返してもらえないまーちゃんは、それでも笑顔のまま視線を戻す。……あああ。最後の最後まで、コムまーだ。あまりにらしくて、苦笑してしまう。

 好きだよ。
 そーゆーとこも含めて。

 コム姫がコム姫らしく、まーちゃんがまーちゃんらしくある、そしてそのことをあったりまえに受け止め、赦す、この世界を、美しいと思う。

 卒業おめでとう。
 それから、ありがとう。こんなに、好きだと思わせてくれて。好きという、豊かさをわたしの心に満たしてくれて。


 12月23日、21時30分過ぎ。
 わたしは、23日大阪駅桜橋口(23:20)発→24日東京駅八重洲口(7:36)着の夜行バスをキャンセルした。

 チケットさえ手に入れば、夜行バスに飛び乗って東京へ行く予定だった。24日の朝に日比谷にいるはずだった。
 や、東宝楽チケなんておこがましいことは考えてません。中継の東京会場チケットですよ。
 水くん組替え後、雪組チケ運壊滅記録更新中のこのわたし、当然中継すら入手できずにおりました。
 それでもあきらめきれず、「コム姫を見送りに行くの」と、アテなんかなにもないくせに、交通手段だけは先に押さえておりました。
 たかちゃんのお見送りのとき、「帰りのバスに間に合わないかも!」と青ざめた経験を生かし、帰りのバスは夜遅いバスを手配し、車中2泊日帰り敢行する気満々でしたさ。
 しかし。
 東京会場チケットは、手に入らず。
 いろいろな要因が重なり、運が悪かったんだよな。(多くは語らぬ……遠い目)

 大阪会場のチケットだけは、ハイディさんのおかげで手に入っていた。
 中継をあきらめ、生コム姫を東宝前でお見送りするためだけに、東京へ行くか。
 選択肢として、ソレはある。大いに、ある。
 だけど。

 わたしは、『タランテラ!』を取った。

 たとえ中継でも「作品」が、「公演」が見たかった。

 舞台人「朝海ひかる」の創り出すものを見届けることを、選んだ。

 中継でしかなくてもな。

 自分で選んだ。
 だから、ソレでいい。
 ソレでいいはずなんだが。

 ぎりぎりまで、バスをキャンセルできなかった。

 このバスに飛び乗れば、明日の朝、コムちゃんの入りを見られる。そのままいれば、出も見られる。そうするべきではないのか。中継なんか、所詮中継じゃないか。1年後だかにスカステで放映されるものと同じだろう。それよりも、自分の目でコムちゃんを遠くからでもちらりと見る方がいいんじゃないのか。
 そうは思っても、わたしが愛するのは「舞台人・朝海ひかる」であり、『タランテラ!』なんだ。入り出待ちもしない、お茶会にも行かない、「舞台」でだけジェンヌと宝塚歌劇を愛でてきたわたしは、「舞台」を捨てて「歩いているだけの個人」を取ることができない。
 両方を取るには、運かお金が必要だったが、わたしには両方なかった。今回は掲示板運もなかったしな。

 ぎりぎりまで、チケット譲渡掲示板を眺めていた。もし今、チケットを譲ってもらえる口約束だけでも取れたら、バスに乗ろう。日帰りだから身ひとつでいい。防寒対策だけして、旅立とう。
 ……そーやって優柔不断にぐるぐるしつづけて、夜9時半過ぎ。
 バスの発車まで2時間を切ってから、ついにキャンセルした。

 わたしは、『タランテラ!』を見る。
 『タランテラ!』を取った。
 そーゆーことなんだ。

 タランテラ@コム姫を、見届ける。


 凍えながら、当日券に並んだ。

 雪組東宝公演『タランテラ!』
 チケ運ナシなわたしには、東宝のチケットなんてまず手に入らないし、札ビラを切る財力もない。
 つーことで、とりあえず体力勝負。
 ひとりで並ぶ平日の日比谷。

 並んでいる時間を利用して、ブログの更新をしようなんて考えてたんだけど、甘かったね!
 パソコン持って行ってたって、凍えて指が動かない。
 ブランケット(旅行荷物の大半をこいつが占めてくれたさ……ああ大荷物)にくるまり、カイロを握りしめていたって、指は動かないっ。
 いやあ、過酷だった……(笑)。

 それでも、観たかったんだよ、『タランテラ!』。
 それでも、会いたかったんだよ、タランテラ@コム姫。

 結局東宝では2回観ただけに終わった。2階のてっぺんと、1階のいちばん後ろ。ほんとにわたし、水くんの出る公演のチケットは手に入らないのよ……このジンクスはいつまで続くんだヲイ。

 
 心の整理を付けるために、ここへ来た。

 
 千秋楽を観られるはずもない。大阪在住のわたしが、チケットもないのに何度も東京へ通えるはずもない。
 これが、最後だ。
 わたしはもう、『タランテラ!』をナマで観られない。

 ソレを、思い知るために行った。

 何回観たって満足できない、多彩すぎる舞台。
 たった2回でわたしは、ナニを見れば、どこを見ればいいんだろう?
 そりゃ、コム姫を見ているよ。まーちゃんを見ているよ。この作品を最後に天へ還ってしまう愛しい天使たちを、必死で見つめていたさ。

 それとは別の次元で。

 『タランテラ!』という世界を愛するものとして、なにを選び、なにを捨てればいいのか。

 東宝ではもちろん、舞台はさらに深化していた。
 ムラであれほど危ぶんでいたハマコの高音がクリアになり、今回は度外視していたキムの歌声に、熱と勢いを感じた。
 コム姫の人間離れ度はさらにどえらいことになり、「奇跡が“あたりまえ”に舞台にいる」てな風情だ。
 そして、そんななかでも変わらない壮くんに癒され、やっぱり高音になるとあちこちやばいアミたんに苦笑し、気を抜くと水くんをぜんっぜん見ない自分@水ファンだってば、に、愕然とする。
 「作品」主体に観ると、水くんが視界に入らないんだもん……意識して見るよーにしないと、黒燕尾場面まで一度もピンで見ない、とゆー可能性大いにあり@だからあたしは水ファンなんだってば。

 キャストの誰が好き、という前提をぶっ飛ばしてくれるんだよなあ、『タランテラ!』。
 まず、「作品」ありき。
 そりゃ、そもそものキャストへの好意は前提だけれども。好意の濃淡、順位を無意味にするんだよなあ。

 水くんラヴなはずのわたしが、水くんを見ていられないほどに。

 
 『タランテラ!』が好き。

 初日は情報量の多さと型破りさについてゆくだけで大変だったけれど、繰り返し観ることで毒に侵され、中毒化した。

 もう戻れない。この毒を知るまでの自分には。

 『タランテラ!』を観ることができる最後の日、最後の回。

 わたしはわかった。
 唐突に。

 何回観たって、何十回何百回、毎日観続けることができたって、わたしが『タランテラ!』を見切る(=見極める・納得しきる・咀嚼しきる)ことはできないんだ。

 わたしが、考え、感じ、人と出会いふれあい、毎日なにかしら得てなにかしら失い生きている人間である以上、『タランテラ!』を見切ることはできない。
 観るたびにチガウことを感じ、チガウことに気づき、チガウことに涙する。
 わたしが生身の人間である限り、無理だ。わたしが一定のまま一切なにも変化しない存在でない以上、無理なことなんだ。

 見切ることはできない。
 満足することはない。

 そうわかったときに、すこんと納得した。
 不可能を不可能と知り、心が軽くなった。

 それは、絶望かもしれない。

 わたしにとって最後の『タランテラ!』の幕が下りたあと、しばらく動けなかった。
 劇場のすみっこ席で、自力入手できた唯一の席、自分の限界だった席で、泣き続けた。
 多少の涙ならまず使わないのに、このときはハンカチを出して顔を埋めて号泣した。係の人に追い出される直前まで、泣き続けた。
 や、たんに動けなくて。すぐに立ったら絶対また倒れるし。

 わかってしまったから。
 心は軽くて、澄んでいて。
 そして、絶望している。

 麻痺してしまったような、透明な気持ち。

 ああ、そうか。
 毒だ。
 タランテラの毒はわたしのなかに入り、わたしを侵し、わたしの一部になったんだ。
 中毒が行き過ぎ、わたし自身が毒になったんだな。

 あー、そうか……なるほどなー。

 かわいた、澄み渡った心で、そう思った。

 
 整理をつけるために、東宝へ行った。
 そして、そこへたどり着いた。

 わたしの『タランテラ!』。

 もう、戻れないんだ。 
 とても幸福で、そして、かなしかった。

 
 
 −−−−その、数時間後に。

 白衣を着て、海馬に乗っていたりするもんだから、人生って素晴らしい。
 (2006-12-07「海馬に乗った征服者、リアルバージョン。@MIND TRAVELLER」参照・笑)


 前日欄で、壮くんの話がちらりと出てしまったので、そこから引っ張ってみる。

 あれは、『MIND TRAVELLER』青年館千秋楽の日。
 楽を観終わったわたしは、出待ちもせずにとっとと青年館をあとにした。いやあ、ついに一度も入り出待ちしなかったしお茶会もスルーなので、ナマまっつは一度も見ていませんよ。公演自体は通ったけどな〜〜。まっつしか見てなかったけどな〜〜。
 DC楽では、退団するりりかちゃんのギャラリーはしちゃったけど(袴姿ですよ、りりかちゃん! ファンの人で花道作られてました)、りりかちゃん見送れただけで満足して、まっつの出は待たずに帰ったなー。

 で、青年館楽。早々に移動して、なにをしていたかというと。

 「壮一帆を愛でる会」フレンズのパクちゃんと、壮一帆について、語り合ってました。

 素晴らしきかな、壮一帆。
 わたしたちの胸を熱くする素敵キャラクタ、壮一帆。
 わたしの携帯、「そう」と打てばまず真っ先に「壮」という字が出るんだけどどうよソレ、どれだけその字を使ってるんだヲイ!てな。

 『タランテラ!』の、壮くんの銀橋シーンの破壊力は素晴らしいです。
 あそこを語るだけで、いくらでもしあわせに過ごせてしまう。

 壮くんの銀橋でナニが素敵かってさ。

 「♪待っている♪」と歌うときのリズムが、必ずもれなくまちがいなく、ズレていることですかねっ!!(笑顔)

 壮くんはそりゃ音程も声質もよくはないが、いちばん致命的なのはリズム感ぢゃなかろーか。
 メロディアスな曲ならともかく、リズムで歌いきる系の曲は、いろいろいろいろ大変かと。

 しかもほら、「♪待っている♪」のトコは、客席アピールしなきゃなんないじゃん、ポーズ決めて。
 で、そっちに気が行っているため、歌は遅れてしまう、と。

 あああ、その鈍くささ、そしてそんなことにまったく気づいていないところが、萌え。

 いいのよいいのよ、壮くんはソウでなきゃ。
 空気を読んで小さくまとまらなくていいの。ズレてよーが浮いていよーが、キャラクタのまま突っ走って。

 銀橋ソングのあの微妙なリズム感。
 もだえるほどスキ(笑)。

 てなことを、パクちゃんと幸福に語り合いました。ああ、しあわせ。
 いやその、『MIND TRAVELLER』のことも、前日発売だった『タランテラ!』実況CDのことも(あたしゃ東宝キャトレでわざわざ買って、その日のうちにドリーさんちでオーディオ借りて聴きましたよ)、雪組のこともコム姫のことも、えんえん語りましたけれども。

 でも、壮くんを力一杯語れる相手がいることは、とてもうれしい。
 ピュア壮くんファンとはチガウ観点で愛でているのかもしれないが、彼の空気読まないナルシス芝居だとか、リーマン持ち味だとか、微妙感漂う芸風だとかを、同じ温度で愛でられる相手は貴重。

 
 で、時は流れて翌週、『ヘイズ・コード』初日。
 この日は『タランテラ!』DVD発売日でもあったので、わたしはいそいそキャトレへ買いに行きましたとも。
 キャトレ店頭にはもうDVDの仮パッケージがなく(本来仮パッケージを持ってレジへ行く)、「本日発売!」とポップのつけられたコーナーが空っぽになっていたさ。パッケージ返却が間に合わないくらいの売れ行きらしい。
 迷わずカウンターへ直行し、「『タランテラ!』のDVD下さい!!」と言ったあとで、あれ? ふつーは芝居のタイトルを言うべきか? と思ったんだが、如何せん芝居のタイトルが思い出せなかった。(年寄りなので、ど忘れがひどい)
 キャトレのおねーさんもあうんの呼吸で、「はい、『タランテラ!』のDVD、こちらでよろしいですね!!」と商品を差し出してくれたわ。客の言葉をそのまま返す(客の表現が多少アレでも、意思の疎通さえ確実であれば、いちいち訂正して客に恥をかかせない)のは接客の基本っす!
 だからコレは、『タランテラ!』のDVD!! 『堕天使の涙/タランテラ!』のDVDではないっす!(笑)

 そーやって購入したDVD。
 その日は親の家に帰っていたので、自分ちに帰るのを待ちきれず母のPCを借りてひとりで見た。
 最初は床に置いていたノーパソを、途中からは膝の上で抱くよーにして眺めた。

 とーちゃんはテレビでどーでもいいバラエティ番組を見ているし、弟はDSやってるし、母はなにかしらがさごそやっている、そんなうるさすぎる茶の間で。
 ひとり、泣きながら『タランテラ!』を見ていた。

 そして。

「気持ち悪いな、にたにたして」

 弟が、ツッコミを入れてきた。

 はい?
 わたしのこと?
 えーと、ついさっきまでべそかいてたはずなんですが。
 わたし、わらってた?

 弟が突っ込んできたのは、もちろん壮くんの銀橋シーンを見ていたときでした。

 わたしは相当やにさがって、うれしそーな顔をしていたようです。

 そうか……他人から指摘されるほど、壮くんに癒されているのか……。

 しかし『タランテラ!』DVD。
 映像で見るとすごいね!
 なにがすごいって、壮一帆が2番手に見える!

 カメラはストーリーを忠実に追っているもんでさー。
 タランテラ@コム姫と対照的な位置にいるのが、囚われの男@壮だもん。
 タランテラの影@キムはタランテラと同等の出方をするし、役割がかぶるときは映らない。
 だもんで、コム側がドラマを展開する要所要所で、派手に壮中心のヌキが入る(笑)。
 すげえや壮一帆。映像だけでいえば2番手だ、準主役だ。

 そして、映像だとほんとに、ストーリー的に意味のない水くんは立場がない……。
 いやその、わたしは水ファンだが作品至上主義なんで、彼の扱いはアレでいいんだけどさ。かなしいのはかなしいけど。

 コム姫と対照的な意味での壮くん。

 うん。
 まったく相容れない、別の宇宙の生き物。

 そうであるからこそ、壮くんがこんなに愛しいんだ。
 わたしがコム姫とコム姫の持つ「世界」を愛しているからこそ、ソレを際だたせる「反するもの」が愛しい。

 影のない世界の光は、すでにソレは光ではないし、光のない世界の影は、すでにソレは影ではない。ソレが「ふつー」になってしまい、光でも影でもない。

 だから、コム姫がコム姫であることを際だたせるために、壮くんが必要なんだ。

 影がなければ光がないように。
 光がなければ影がないように。

 壮くんが、雪組にいてくれてよかった。
 コム姫を見送るひとりでいてくれて、よかった。

 心からそう思うよ。


 なにしろチケット手に入らなくて。
 通いたくても通えない、じれったい公演でございます、『ヘイズ・コード』
 サバキもろくに出てないんですよ。待ってる人ばっかで。……ほんとに、某海馬公演と比べてせつないやらなんやら……うおおおまっつ〜〜(落ち着け)。

 よーやく観ることができた2回目。
 幕間、nanaタンと落ち合うなり、

「しいちゃん、かっこいい〜〜っ!!」

 と、叫びました。

 しいちゃんですよ、しいちゃん。
 立樹遥。

 カールトン監督役。
 なにがどーってわけでもない、2番手ですらない役。
 特別個性やらオイシイ見せ場があるってわけでもない(そりゃ、スターとしての立ち位置は考慮されているが)、とくに「コレ!」ということのないふつーのキャラ。オイシイといえばヘンリー@すずみんの方がまだオイシイよな、という、ほんとにどーしよーもないような役。
 ああそれなのに。

 しいちゃんが、かっこいい。

 どうしちゃったんですか、あの人。
 なんかものごっつーキラキラしてるんですけど。
 大人数でいつもわいわいしているようなこの作品で、それでも「あっ、あそこにかっこいい人がいる!」と思わせるのは、なんなんですか。

 ろくな見せ場がなくても、ハートフルなキャラクタ、真面目に仕事をしている様が伝わってくるんですが。
 いやその、「いつものしいちゃん」であり、相変わらず演技しているようには見えないんですが……ゲフンゲフン、それでもとにかく、しいちゃんがかっこいい。

 レイモンド@トウコに対しての友情とか、すーっごくわかるし。や、今回レイモンドはカールトンのこと、ろくになんとも思ってない(笑)風なのがまた……結構リアルに男友だちって感じ。
 うん、必要以上に相手に関心がなかったりするのに、ちゃんとお互い気持ちがあるのがわかる、それがリアルに男友だち(笑)。腐女子的には萌えないけど、ほんとのとこ男同士ってそんなもんだよね、みたいな距離感。
 しかもこいつら、わざわざ名字で呼び合ってるしな。幼なじみのくせに。……てなところに萌えを探すことも作り出すこともできるけれど、今回はそこまでしなくてもいいや。しいちゃんには水輝涼がいるし(笑)、トウコにはあすかがいるんだから。
 しいちゃんとトウコちゃんで、腐女子萌えしたかったけどなー(笑)。

 
 で。
 しいちゃんにきゃーきゃー言ったあとは。

「すずみん、素敵〜〜っ!!」

 お気楽おぼっちゃまヘンリー@すずみん。
 出てきた瞬間キャラクタがわかる、妙な存在感と輝き。

 すずみんって華のある人だと思うよ。正統派の白い光でも華でもなくて、かなり色物入っちゃってる気もするが。
 たとえばリチャード@『MIND TRAVELLER』をすずみんが演じていたら、うさんくささも押し出しの良さも派手さも、素晴らしいことになっていただろうな、と思うのよ。まっつ、地味過ぎるんだもんよ……演技小さすぎるんだもんよ……。
 とにかく、この人が出てきた途端、場がぱぁっと明るくなる。
 重い空気も一瞬で軽くなる。
 壮くんのような「空気読めないゆえに、場を壊して登場する」わけではなく、役の上で「場を変えるべきだから変えている」のがわかる。(あ、壮くんの場合はそーゆー彼だから魅力なんですよ、はい。『2006-10-26 肯定の輝き。−壮一帆万歳−@タランテラ!』参照ヨロシク)
 空気を動かす力を持った人って、すごいよなあ。「スター」の必携能力。すずみさんは年々力を付けてきている。
 正しい能力を、正しく使うこと。仕事のできる人が、正しく仕事をしていること。
 それが、とても気持ちがいい。

 ヘンリーとリンダ@ひかちゃんのラヴコメが見たいなー。

 真面目一本のキャリアウーマン、見るからに男慣れしていない眼鏡っこリンダ女史を、気軽にそれこそなにも考えずに口説いたヘンリー。
 リンダは理性で否定しつつもヘンリーにぞっこんだし、ヘンリーはそんなのいまいちわかってないし本気でもない(でも機会があれば必ずコナをかけ続ける)し。
 リンダが本気だということに気づいたあとの、ヘンリーが見たい。見たい見たい見たいー。

 バウホールで、『ヘイズ・コード』スピンオフ作品上演してくださいよ、大野先生!!
 ヘンリー@すずみん主演で。
 レイモンド@トウコ(特別出演)、カールトン@しいちゃん(友情出演)で。ポスターに( )付きで正味5分の登場とかでいいから。スピンオフのお約束的ゲスト出演〜〜。
 あとは全キャスト登場、みんなでわいわい大騒ぎ!!

 ヒロインはリンダ@ひかちゃん、準ヒロはもちろんラレイン@みなみちゃんで!
 おねーちゃんは絶対出なきゃダメよ。それも、出まくって絡みまくらなきゃダメよ。あの姉弟ダイスキだ。かわい過ぎ。

 かわいい女の子たち総動員で、ヘンリーの「お気楽理事生活」を彩って。
 だからこそ、真面目リンダとの恋が栄えるってことで。

 すずみんには、男より女の子たちをはべらす方が絶対似合うもの。女の子たちの真ん中で、「スター」しているのが似合う。ああ、うっとり。

 ヘンリーのうさんくささと、その輝きが愛しくて。

 スタジオに閉じこめれられちゃって、ラレインにジャケットを貸して自分は寒そうに丸まるって寝ている姿、が超絶かわいくてダイスキ!なのはもう今さら語るまでもないこととしても。
 実は、ヘンリーでいちばん好きなシーンは、ラレインとエディ@ゆーほの熱々ラヴシーンを、所在なく眺めている姿、だったりする。

 ヘンリーは、ほんとにただ、「眺めて」いる。ちょっとニヤけたり、あきれたりはしているけれど。特にどうってこともなく、ただ眺めてるのな。
 ソレが、ツボ。

 レイモンドとカールトンの関係にしてもそうだけど、「リアル」なんだよね。温度や距離感が。

 あれだけラレインとヘンリーを仲良く接触させておきながら、必要以上にべたべたさせない。
 エディとひと目もかまわずラヴるラレインを見て、弟ヘンリーに嫉妬させることは簡単なんだ。「大好きなおねえちゃん」があんなことに……と苛々させることも、「浮気疑惑であれだけ人を振り回しておきながら、そのお気楽ラヴっぷりはなんだ」という腹立ちすらもない。
 ただあるがままに受け入れている。

 や、だって、家族だし。
 家族って、そんなもんだよね?
 いちいち大仰に「愛してるわ、わたしの家族!」とやらなくても、「さんざん振り回しちゃった」ことを詫びなくても、「今はしあわせ」である事実を確認するだけで、十分だよね。

 ラレイン×ヘンリーが大好きだー!!
 いいなあ、エロ一切無しでニュートラルに愛し合っている男女って。家族という、姉弟という気持ちよさ。
 や、現実的にはソレが当たり前なんだけど、フィクション界ではそうでもないからさ〜〜(笑)。

 「恋愛」以外の温度と距離感のよさが、「主役カップル以外総脇役状態」「ストーリー特になし」の、わいわいがやがやにぎやかすぎる、『ヘイズ・コード』という作品の魅力のひとつだろう。

 脇役ひとりひとりまでもが、みんなみんな魅力的。すげえや。

 
 あああ。しいちゃんかっこいー! すずみん素敵ー!


幻のラヴシーン。@ヘイズ・コード
「祐穂さとるって、コアラに似てるよね?」
http://www.hanakoala.com/main/top.htmlのハナコアラを見るたび、ゆーほを思い出します。
ゆーほの鼻が好きだ……。
「緑野さん、鼻フェチだから」と言われたさ……フェチってそんな。
 あー、まっつの鼻、触ってみてぇ。(変態発言はやめなさい)
 
            ☆
 
 ちょっとちょっとちょっと!!

 『ヘイズ・コード』ってば、演出変更されてるぢゃないですか!!
 トウコちゃんの不調ゆえの変更は、仕方ないと思っています。てゆーかよくあれだけうまくまとめたもんだ。トウコ&星組がんばれ!

 だからソレぢゃないの、ソレぢゃ!

 ジョニーとカールトンのラヴシーンがなくなってるって、どーゆーことですかっ?!!

 わたしが前日欄で書いた、

>ジョニーの腕の中で意識を失うカールトン、てなんですかその構図!!

 が、なくなってるんです。

 暴漢に襲われたカールトン監督@しいちゃんは、自分を助けるために大暴れするジョニー@水輝涼の身を案じて、ケガに苦しみながらも彼を制止するわけです。
 過剰な暴力は、ジョニーの将来に関わる、と。
 その思いに打たれ、ジョニーは拳を納めて悪漢@ますちんを解放。
 倒れているカールトンをジョニーが抱き起こし、その腕の中でカールトンが意識を失い暗転。

 ……えー、初日にアゴが落ちたシーンです。

 なんかこのふたりだけ、別世界で。
 『ヘイズ・コード』はかわいいコメディです。嘘っぽくも明るいムードで統一されており、悪役の悪だくみですら結局バカなオチで事件が解決します。
 そーゆー世界観の作品なのに、カールトン襲撃事件だけが、なんかドシリアス・ムードだったんですね。
 正確には、カールトンを抱きしめ、その名を呼ぶジョニーが。

 あれ? この話、そーゆー話だっけ? てゆーかジョニーってそんな重要なキャラクタだっけ?
 なんか、すげーバランス悪い突然のシリアス芝居。

 それまでの世界観をぶちこわす勢いで突然展開される、濃い〜〜ぃい、男ふたりの愛情シーン。

 アゴが落ちると共に、ツボって爆笑しました。
 すげえや水輝涼、2作連続ホモか! すげえや大野くん、1作品1ホモか!

 ……バランス悪かったから。ジョニーとカールトンの話だけ浮いていると、初日観て思ったから。

 CUTされているのは、仕方ない、と、思う……。
 思うけど。

 せっかくの目に愉快なホモシーンがなくなってるなんて!!
 残念だわ。
 ものごっつー残念だわ。

 あああ、これだから初日観劇ははずせないのよ……後日からの幻のシーンが生まれたりするから。

 「ジョニーに抱きしめられるカールトン」は、「『血と砂』のプルミタス@ゆーひの拷問シーン」みたいなもんだなっ。
 作者がたのしく演出したのはいいが、すみれコード的にまずいからつって、変更されてしまったアレと同じだなっ。

 『血と砂』初日はすごかったのよ、ゆーひの拷問シーン……エロいのなんのって。
 客席でうろたえたわ……。

 が、翌日からさくっと変更になり、時間も短く演出もライトになっていた。(それでもエロかったが)
 エロすぎてやばかったんだろーな、アレは。サイトーくんの趣味丸出しだったからなー。

 だが問題は。

 「幻のシーン」なんつーものを作られてしまうと、しかもソレがエロだのラヴだのゆーシーンだったりすると。

 初日を観て、ウホウホで報告した者の立場がないぢゃん?!

 「ゆーひの拷問シーンがものすごいことになってるから!」と事細かに報告したあとで、「……緑野が言ってたのとチガウよ? アレとかアレとかなかったし、時間も短かったよ? ソレって緑野の妄想?」ってことになっちゃうじゃん!!

「『ジョニーの腕の中で意識を失うカールトン』ってどっかのブログで読んだけど、そんなシーンあった?」
「ないない、あのブログ書いてる人、腐女子でアタマおかしいから、そんな妄想を見たって思い込んでるのよ」

 とかゆーことになっちゃうじゃん!!(泣)

 あったの。
 あったのよ、初日は!!

 大野拓史的に、「必要」だったのよ、ジョニー×カールトンが!(笑)
 だけど、作品的に「不要」だと幕が開いてからわかったために、変更になっちゃったの。

 ああ……こうしてまた、「幻」のシーンがタカラヅカの歴史に加わったのだった……。


 はりきって『ヘイズ・コード』初日を観に行ったのは、わたしとチェリさんとハイディさん。それから、待ち合わせて会ったことが一度もない、でもやたらと会う(笑)ユウさん。

 そんなわたしたちに、次週まで観劇おあずけのnanaタンが聞いてきたことは。

「予備知識入れたくないけど、ホモかどうかだけ教えて」

 …………nanaタン。
 なにを期待しての質問だ?

 nanaタン曰く。
 大野作品だから、女置き去りに男ふたりで愛憎している話だったらどうしよう! と思ったらしい。さすがゆみこ@『月の燈影』ファンは着眼点がチガウ。

「トウコちゃんお披露目での相手役が、あすかちゃんなのかしぃちゃんなのか、はたまたその他のヒトなのか」……という心配をしたそうな。『月の燈影』でのゆみこの相手役はらんとむだったからな(笑)。

 たしかに大野拓史といえばデコラティヴ・ホモを書く人だ。『更に狂はじ』だとか『月の燈影』だとか『睡れる月』だとか、耽美ホモ一直線!!な芸風。
 しかし。

 大丈夫、星組だから!(笑)

 大野くんの星組作品はホモとか耽美とかとはほど遠い、健康的な作品しかないから! 『花のいそぎ』とか『フェット・アンペリアル』とか、古き良き時代の少女マンガ的作品やってるから!
 ……なんで星だけいつも、こんなに健康作品ばっかなんやろ? あのきりやんに耽美やらせた作家なのに。

 にしてもnanaタン、トウコちゃんの相手役がしいちゃんってことはないよ(笑)。
 や、なんかしいちゃんとトウコちゃんって、カップリングとしては予想もつかないとゆーか。
 てゆーかこの作品、2番手いないし。

 主役のレイモンド@トウコ、リビィ@あすかがきちっと中心で、それ以外は、みんなそろって「いい役」って感じ。
 主役たちの恋愛以外の本筋はどこかへ行ってしまって、みんなでごちゃごちゃやってるだけで1本終わってしまう(笑)という作品なので、2番手不在。みんな等しく出番アリ。

 うーん、しいちゃんとトウコの腐った話っつーのも見てみたいけどなぁ、変に生々しくなりそうで、ソレはソレでたのしいかもしれん。『ベルばら』のアンドレとオスカルはナマの男女っぽくて素敵だったからなー。

 しかし、今回ソレはない。
 いくらホモ作品任せろの大野くんでも、トップコンビお披露目でホモはやらんやろ。
 トウコとあすかのラヴストーリーだから、みなさん安心してヨシ。

 
 しかし、やはりホモは有る。てか、カップリングできる。
 大野くんだもん、お約束だよね(笑)。

 カールトン監督@しいちゃんと、ジョニー@水輝涼。

 カールトン監督は、なんかやたらめったらかっこいい。「主役以外はその他大勢」という作りの作品でも、やっぱ目立つ。
 そりゃしいちゃんとかすずみんとか、みなみちゃんとかコトコトとかしゅんくんとか、スターさんにはそれなりの見せ場が用意されているけれど、そーゆーこととは別に、モブとしてみんなで踊っていても目立つよー。キャリアがいい感じで発揮できている。

 相変わらず「しいちゃん、演技してる?」って感じの「いかにも、しいちゃん」な人(笑)。
 さわやかで、アツくて、いい人で。
 スーツ姿がかっこいいんだコレが。

 元ガキ大将だそうで、ケンカ強いし。

 金で雇われた男たちにボコられるんだが、多人数による闇討ちなのに、しばらくは応戦しちゃうんだよねー。虹人@『天の鼓』くらいには強いって!(笑)
 真面目な監督さんだから、すぐにやられちゃうんだと思ってたら、いつまでたってもやられない。ええっ? いつまで戦ってるの? てゆーかあーた、強くない?

 どんなに監督が強くても所詮多勢に無勢。後ろから襲われて危機一髪! ……なところに、助けに飛び込んでくる男がひとり。

 カールトン監督ダイスキ新人俳優ジョニーだ。

 こちらは元「やんちゃ」だったそうで。悪人たちを千切っては投げ千切っては投げ。
 監督守るためならなんでもします!!

 元やんちゃ……不良青年が役者の道に目覚めて鋭意努力中、そんな彼の理解者がカールトン監督で。
 監督はぶっちゃけ誰にでもやさしいので、べつにジョニーだからやさしくしたわけじゃない。
 でもジョニーからしたら、やさしいカールトン監督はただひとりの人なわけで。

 どうしよう。ジョニーからピンクのハートが出てるよ!!(笑)

 ジョニーの腕の中で意識を失うカールトン、てなんですかその構図!!

 いろんな話がごちゃごちゃしている「全編モブ芝居」みたいな作品だけど、中でもジョニーとカールトンの話だけ浮いている気がする……。
 カラーがチガウというか。

 カールトン氏はたぶん、鈍いと思う。ニュートラルにやさしい人だから、他人の好意ややさしさもニュートラルに受け止めてしまう。
 だからジョニーの気持ちにも気づかない。
 自分がジョニーを「殺した」ことも、まったくの無自覚。

 「殺した」……ええ、彼のハートに矢が突き刺さったことなんか、気づきもしないでしょうよ(笑)。

 ジョニーは明確に生きているよーに見えるんだけどなあ(笑)。

 ジョニーの「リアル」さは、彼の体格にもある。痩せていない、むっちりとした体格の若い男、って……ホンモノくせぇ(笑)。

 にしてもさぁ、水輝涼、2作連続でホモ役?!

 や、ホモと限定しなくても、2作連続、男に惚れる男の役?!

 大野先生的に「役者・水輝涼」つーのは、ホモにしたくなる男なんだねえぇ。
 「よーし、男に惚れさせよう」とイマジネーションをかき立てる男なんだねえぇ。
 しかも無頼派、任侠系なんだねえぇ。

 すばらしい持ち味だ、水輝涼。

 まだ研5、頼もしい限り。

 だって、若くても攻なんだもん、いつだって。貴重ですよ、ヘタレだの受姫だのが蔓延するゆるい世の中において、きっぱり攻属性の男って。
 保護せよ保護、育てよ!

 ジョニー×カールトンで、おいしくいただけます。はい。

 ジョニーとミルドレット@コトコトの恋のさや当てが見たいですほんと。
 大丈夫、ミルディ相手なら余裕で勝てるよジョニー!
 ミルディに追いかけ回されて身も心も消耗している監督を癒すんだ、てゆーかどさくさに紛れてヤッちゃえ!!(笑)

 ジョニーにシリアスモードで告られて、これまたシリアスモードで悩む監督が見たい……。ほらなにしろこのふたりって『ヘイズ・コード』から微妙に浮いているよーな空気を醸し出すからさー。あの空気感で、真面目に恋愛してくれていいから(笑)。

 や、もちろんはじめのうちはじっと耐えているのよ、ジョニー。相手はノン気だからってことで、自分がゲイだってことは隠し恋愛感情も欲望もぐっと押し殺して生きている。
 監督と役者、尊敬と親愛でいいじゃないかと無理矢理納得させて。
 ところが。
 あのまっしぐらミニ爆弾娘ミルディが現れた。「ラル様ぁ♪」とハートマーク飛ばして監督を追いかけ回しはじめた。
 どうする?
 うやむやのうちに監督が、あんな娘に盗られてしまっていいのか?!
 監督も逃げ回ってるんだぞ? 困っているんだぞ?

 夜中にジョニーのアパートに「かくまってくれ」とやってきたカールトン氏。

 ふたりきりの夜。外は雨。濡れたカールトンをとりあえず着替えさせてそれから。
 それから。
 ……どうする?

 とか、いろいろいろいろ考えられて、すげーたのしいですよ『ヘイズ・コード』。
 ジョニー×カールトンだけに限らず、いろーんなキャラクタの「物語」で遊べそうだ、腐女子抜き(笑)でも。

 何回観てもたのしめること請け合いだ。


 現代の男は、背が低い。

 テレビでも映画(洋画含む)でも、背の低い男たちがあったりまえに闊歩している。同じ身長か、あるいは彼より大きな女たちとラブストーリーを演じている。

 背の高い王子様と、小さなお姫様の恋物語なんて、マンガやアニメの中だけだ。
 現実の人間が演じると、「男女の身長差」なんてほとんどない。

 もちろん、背の高い美男俳優もいるにはいる。だが「背が高い」ことがウリになるくらい、数が少ない。
 大多数のタレントは、背が低い。

 何故現代の男たちは、こうまで小さいのか。

 食生活の悪さだとか、子どもの頃から酒だの煙草だのやってるせいもあるんだろうけど(煙草を吸ったことがない中学生とか、存在するのか?)、ひとつには女の子のスタイルが良くなったせいだろう。相対的なものだ。高いか低いかを決めるのなんて。

 なにしろ日本人男性の平均身長は170cmだ。

 正確には171とコンマ以下くらいなのか? キリが悪いのでここでは170で通すが。

 170cmっていったら、「低い」よね?

 世の中の女の子たちの平均身長が163cmとか言われる時代だよ?
 女性ファッション誌の「体型別着こなし」とか見たら、「163cmのふつう体型のアナタ」「172cmの長身のアナタ」とか「158cmの小柄なアナタ」とかに分けられているこの現代。
 男が170ぽっちじゃ「低い」でしょう。
 だって女の子はヒールを履くもの。
 安定のいい6cmヒールを平均身長の女の子が履いたら、169cmになっちゃうよ。

 男と並ぶと、「身長おんなじ」になっちゃうよ。

 テレビに出てくる女の子は大抵スタイルがイイし、ヒールも履くから170cmくらいになっている。
 背がある程度高くないと、きれいなスタイルであることが難しい。身長170cmで八等身とか九等身とかっていくらでも聞くけれど、身長150cmで九等身とかって、顔の大きさどんなことになるんだ?って話。身長がないとキツイわな。
 一方、タレントだからって男はハイヒールを履かない。
 同じくらいの身長の男女で、ラブストーリーをする。

 テレビの中でなくても、町を歩けば電車に乗れば、男たちの小ささは嘆息もの。6cm程度のヒールを履いただけのわたしが、車両の中で「ひょっとしてあたし、今この中でいちばん背が高い?!」とびびる経験はいくらでもある。

 「平均」てのは中間的数値のことであって、世のほとんどの人が170cmなわけじゃない。180cm50人と160cm50人でも平均は170cmになるからな。
 170cmの人が100人、160cmが100人、180cmが100人いても、平均は170cm。
 てゆーことは、170cmと160cmの人が200人で「背が低い」人が3分の2、「背が高い」人は3分の1しかいないっちゅーことになる。
 これは現実としての正しい計算ではまったくないけど。数字の上ではこうなる。

 現代の男は、背が低いのだ、ほんとーに。

 だからこそ古い男尊女卑の精神を持ち、それでも女の夢の世界という相反する世界観を持つ「宝塚歌劇」では、「男役は背が高くないとダメ、娘役は小さくなくてはダメ」というすり込みがある。

 もちろんソレは、「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」に夢を抱く女の本能と、「男は強くあるべき、女はソレに従え」という男尊女卑精神の融合であるが。

 現実問題として男役は「背が高くないと、男に見えるように作れない」ということがある。技術がなくても背さえ高ければ男っぽく見える。後押しする力になる。

 だから、男役は娘役より大きい。
 それがタカラヅカの「あたりまえ」。
 現実社会がどうであろうと、タカラヅカだけは「男は長身、女は彼より小さい」を貫いてきた。
 嘘でも。
 かなり無理があっても。
 貫いてきたんだ。

 それが。

 『ヘイズ・コード』を観て、思った。

 あ、ふつーに男女身長差無しだ。

 ヘタすると、女の子の方が大きい?

 タカラヅカでは、およそ見ない構図。

 あすかちゃんはその卓越した娘役芸でちゃんと小さくなっているんだけど、それでもあちこちで大きい印象を受ける。
 彼女の素晴らしいプロポーションに感激する。

 トウコが、小さい。
 なにがどうじゃなく、ただたんに、物理的に身長が足りてない、というだけのことだ。

 「背の高い王子様と、彼より小さなお姫様の恋物語」がタカラヅカの存在価値、あるいは必要不可欠だと思って観ていたら、新生星組トップコンビの体格はゆるせないものになるだろう。
 わたしはそこまで思い込んでいたわけじゃないが、なにしろずーっとソレが「あたりまえ」であり「常識」であったので、トウコとあすかの並びに改めてショックを受けた。

 あ、ふつーに男女身長差無しだ。
 ヘタすると、女の子の方が大きい?

 そんなタカラヅカのトップコンビ、見たことなかったから。

 もちろん過去に長身の娘役と小柄な男役のトップコンビはいたけれど。それでもビジュアル的にここまで「身長差がない」ことを感じたことがなかったの。

 はじめびっくりして、そして。

 感じたのは、リアルさ。

 世の男たちは、小さい。
 ヒールを履いた女の子と同じくらいの身長で、あたりまえに恋をしている。腕を組んで歩いている。あちこちで人目もはばからずいちゃついている。

 どんなに小柄でも、トウコはちゃんと男に見える。
 洋画に出てくる色男。キザでうさんくさくて、クドい二枚目。男っぽいのに、かわいげもあり、ヲトメ心を刺激する。

 大きくないからこその、リアリティ。
 たしかに実感する、厚みを感じるナマの男。
 それはトウコの芸風でもある。
 質感やら体重やらを感じさせないフェアリーではなく、現実の生々しさを、ゆめゆめしい愛だ恋だのキラキラ舞台で展開する力。
 リアルでありながら、それでも夢を描く力。

 あすかちゃんのたしかな実力と相まって、ふたりの見せる「恋」は、絵空事ではないときめきを感じさせてくれる。

 そりゃわたしも、背の高い男は好きだ。現実でも180cm以上の男はそれだけでかっこよく見えるっつーもんさ。
 タカラヅカでも男女身長差があると萌える。男の腕に女の子がすっぽり入っちゃったりするのを見るの、ダイスキだ。

 でも、それだけが、すべてぢゃない。

 温度だとか濃さだとか息づかいだとか肉感だとか。
 リアルな部分での相性がいいカップルだ。トウコとあすか。

 おもしろい。
 こんなタカラヅカ・トップコンビって。

 たか花のよーに、ひたすら美しくトリップさせてくれるカップルも好きだけど、5組あるタカラヅカ全部が全部たか花である必要はない。

 「芝居好き」「物語好き」の血が騒ぐ(笑)。

 このふたりで、もっともっと「物語」が見たい。

 ひりつくような愛憎劇だとか、世界を溶かすようなメロメロドラマだとか。
 「男と女」が見たい。トウコとあすかで。

 
 現代の男は、背が低い。

 だから、トウコの背が低くても、なんの問題もないさ。
 要はその素材で、「どんなものを見せてくれるか」だ。


 『ヘイズ・コード』初日を観ている間に、来年のラインナップの追加発表があったようで。

 幕間にチェックしよーとしても、ついさっき発表になったばかりらしく公式は激重で開かない。チェリさんの携帯をみんなでのぞき込みながら、あわただしく演目と演出家を調べたさ。

 いちばんウケたのが星組の『エル・アルコン−鷹−』であることは、言うまでもない。

 見た途端、笑っちゃったよー。

 『エル・アルコン』で斎藤くん演出って!! そう来たか!!

 青池保子作のピカレスクロマン、『エル・アルコン』。野望に燃える黒髪美形が主人公。彼は、悪。目的のために手段を選ばず、彼を愛する者・憎む者問わず踏みにじり裏切り、権力を手にしていく。
 選ばれたる者の孤独と恍惚を胸に、自らの意志で修羅の道を進む彼は、たしかに悪なのだが、とてつもなく魅力的な人物。
 自身の傷も痛みも凛として耐えうる強い強い男であるがゆえに、そんな彼が少年のような純粋さで海と船を愛する様が切ない。「エル・アルコン」とはその悪の主人公自身でもあり、また彼が愛し誇りとしていた戦艦の名でもある。
 『エル・アルコン』の前身である『七つの海七つの空』に、彼は「敵役」として登場する。『七海空』の主人公は、冤罪で父を失った金髪巻き毛の大学生。復讐のため海賊になり、女装したり女の子を助けたりしながら(笑)正義の聖戦、父の敵である『エル・アルコン』の主人公にたどりつく。

 とゆー話を幕間にチェリさんたちにしつつ。
 わたしは首を傾げる。

 あれ?
 『七海空』の方の主人公、名前なんだっけ?
 こっちの方が先の話なのに、読んだのも当然先で、印象も強いのに、なのになのに、主役の名前が出てこない。
 『七海空』の悪役で、『エル・アルコン』の主人公の名前なら言えるのに。

 ティリアン・パーシモン。

 フルネームがすらりと出てくる。
 なのに何故、もうひとりの主人公は思い出せないのか。てな話をすると、

「キャプテン・レッド」

 kineさんはすらりと答えたさ。さすが同い年、さすがヲタク(笑)。
「仕方ないよ、ティリアンの方がどうしても印象が強いから」とかなんとか。
 わたしも、「ドリアン・レッド・グローリア伯爵」まで思い出したら、キャプテン・レッドに記憶が結びついたんだけどねー。

 もちろんkineさんも、青池保子大大代表作『エロイカより愛を込めて』の主人公、ドリアン・レッド・グローリア伯爵が『七海空』のキャプテン・レッドの子孫で、エーベルバッハ少佐がティリアンの子孫だっちゅー話は確認するまでもなく知っているだろう。伯爵と少佐が最初に出会ったとき「先祖同士が仲が悪かったのかな」というネタが出ている(笑)。
 伯爵がこだわっている名画「紫を着る男」がティリアンの肖像画だっちゅーこともな。
(確認してないけど、コレはみんな常識だよね?)

 星担kineさんはもちろん『ヘイズ・コード』観劇のためにはるばる大阪入り。そしてわたしも、kineさん会いたさに梅田に行く。サバキ出てないから、わたしは『ヘイズ』2日目観られなかったわ。
 で、そのkineさんと、

「『エル・アルコン』がサイトーくん!!」

 ということで、説明不要で盛り上がる。 

 『七海空』にしろ『エル・アルコン』にしろ、サイトーくんの芸風まんまの作品だからな。てゆーか、ここでこーやって「サイトーくん、青池保子ファンなんだ」とわかったら、反対に「今までの作品ってみんな、『七海空』や『エル・アルコン』から影響受けてんぢゃないの?」って勘ぐってしまいそうだ(笑)。
 パクリとは言わないけど、元ネタのネタにはなってんぢゃねー?的な。
 それくらい、サイトーが『エル・アルコン』演出ってのは、すこんとハマってしまう夢の顔合わせなんだ。

 しかしサイトーくん、ほんとにもうネタがないんだなぁ……今までも自作の焼き直しばかりだったけれど、ネタ元かと思えるよーな『エル・アルコン』まで引っ張り出して来たとなると、ほんとにもうすっからかんなんぢゃないだろうか……。

 てゆーか、宝塚歌劇団、齋藤吉正に大劇場公演任せるなんて、ギャンブラーだな。

 わたしが経営者なら、こわくてできない……(笑)。
 劇団は今年の『Young Bloods!! 』をまったく観ていないか、観ても判断・評価……以前に理解できなかったのかもな。

 『ヤンブラ』でなくても、彼の過去のバウ作品を観ても、ヤヴァイのはわかりきっているだろうに。
 2時間で30人程度のキャストでも話をまとめられないのに、たった1時間半で80人以上使って、話を作れるのか? ……こわすぎ。

 それにしてもトウコちゃん、こだまっちに続き、サイトーくんって、すげーや。
 やっぱナニ、トウコちゃんって彼らの教育係なの?(笑) 『龍星』のときみたく、トウコちゃんが演出までやるのかなー(注・言い過ぎです)。

 なんにせよ、トウコちゃんの演じるティリアンが、心から楽しみです。
 龍星に続き、タイトルロールだよねっ。わくわくっ。
 多少?作品がぶっこわれていても、トウコならそれ以上の「ナニか」を見せてくれると信じている。
 それが、役者・安蘭けいのすごさ。純粋に役者としての力量を期待させてくれる存在って、貴重だわ。

 いやその、作品やキャラがかなり『龍星』とカブりそーだ、という危惧はあるが。

 
「キャプテン・レッドは誰がやるんだろー、しいちゃんがいいなっ」
 と、素直に無邪気に言うと、「無理でしょ」と速攻返されましたが。

 だってれおんがレッドだと、ますます『龍星』まんまに……ゲフンゲフン。
 や、その、イメージがね……。

 しいちゃんで見たいなー、レッド。パトリックをすずみんで。みんな女装するのー、うっとり。
 

 と、夢をふくらませつつ。

 花組の演目に、じつは心かき乱されている。
 オサ様オサ様オサ様〜〜。どうしようどうしよう。めそ。


 みなみちゃんになりたい。

 緑野こあら、心の叫び。

 みなみちゃんになって、ゆーほを夫にして、すずみんを弟に持つの。(役名で言いましょう)

 星組ドラマシティ公演『ヘイズ・コード』初日。

 トウコちゃん、トップお披露目おめでとう!!

 なにがなんでも初日に観に行きたくて、初日以外ありえなくて、相当じたばたしました。結局前々日に掲示板でGET。執念だわ(笑)。
 おめでとうが言いたかったの。
 トウコちゃんに。あすかちゃんに。
 お披露目初日に、劇場に駆けつけたかったの。

 ドラマシティは超満員、これがあの「海馬」がどーたらやっていたサムい劇場と同じハコかと愕然とするくらいだよ(自虐発言)。

 そんでもって『ヘイズ・コード』。
 期待される新人演出家No.1の座は堅いだろう、とゆー大野作品。
 ハズレがない、たとえナニかあったとしても最低限、美しくて嫌味のないものを作ってくれるという安心感。平均点の高い作家はいいなあ。

 相変わらず予備知識ナシ、トウコ&あすか+しいちゃん以外の出演者も知らずに席に着く。

 舞台は映画の倫理を厳しく追及されていた時代のハリウッド、新作映画『シークレット・オブ・ハンター』を撮影中のスタジオ。
 「ルールを守れ。ルールこそ神」と振りかざすのはPCA職員のレイ様(笑)こと、レイモンド@トウコ。彼が「3秒以上のキスはルール違反」と斬り捨てるもので、撮影がすすまない。女優リビィ@あすかは猛反発。ところかまわずふたりは丁々発止。
 さてこのルール、「ヘイズ・コード」とやらを遵守しているかを管理する組織PCA(映画製作倫理規定管理局)。実は政治絡みの組織なんだ。根っこは純粋な規定なんだけど、運営する上で政治や金が絡むのは世の必定。レイモンドは政治家一族に生まれ、演劇と家業(笑)の間で板挟み、兄のエドワード@ゆーほが共和党推薦で市長選に出馬するっつーんで、同じ共和党の息のかかったPCAで働くよーになったそうな。
 んでエドワードを支援する政治家サミュエル@ソルーナさん。この人はなにか思わせぶりに企んでいたよーだが途中でどこかへ行ってしまった。あ、あれ? 政治絡みの話はどこへ行ったんだ大野せんせ?
 サミュエルパパはただの親バカになり、娘ミルドレット@コトコトとレイモンドをくっつけるためだけに、『シークレット・オブ・ハンター』を制作中止にしようと悪だくみ。レイモンドとリビィがいい感じになっちゃってるもんだからさ。「映画がなくなれば、ふたりの接点もなくなる!」……そんなあさはかな……ゲフンゲフン。
 で、サミュエルパパってば、監督のカールトン@しいちゃんをボコったり、カンチガイ女優@エレナを他社に引き抜かせてみたり、「ヘイズ・コード」を楯にとってみたりと、セコい手、使いまくり。
 我らのレイモンドは、悪の魔の手から、清廉潔白な兄とみんなの大事な映画と、リビィとの恋を守り抜けるのか?! がんばれレイ様!!

 えーと。
 ストーリーは、あんまりナイです。あ、言っちゃった……。

 悪役のサミュエルが迷走しているので、ストーリーもカオスに乗り上げてます。
 『フェット・アンペリアル』でブランメル将軍がナニやってんだかわかんなくてぐちゃぐちゃになってしまった、あのノリ。……大野くん、また同じ失敗を……(笑)。

 されど、本筋ってなんだっけ? わかんないけど、たのしいからいいや!(いい笑顔)てな話なんですよ、『ヘイズ・コード』!!(笑)

 登場人物多すぎ。
 全員バックボーン持って、画面のあちこちでなにかしらやってるの。
 みんなみんなあまりに濃すぎて、その個人芸見ているだけで、ストーリーなんかどーでもよくなる。
 ヲタク満開にいろいろ書き込み過ぎてかえって混乱しているくせに、ストーリーとしては余白だらけで、そこを出演者の力で埋めていく作りになっている。
 トウコとあすかなら、きっと魅力的な色で埋めてくれるだろう。
 今日は初日で、進行させるのに精一杯って感じだったけど、回数を重ねるにつれ進化するぞこりゃ。ってゆーか、どこまで濃くなるのか、考えるだけでこわい(笑)。

 つーか、組ファンならたのし過ぎるよコレ。
 キャラがたまんない!!

 祐穂さとるファンは、劇場へGO!!

 ゆーほが、ゆーほが、ゆーほが! オイシイ。オイシイぞゆーほ!!(鼻息)

 美女を転がし、ネクタイをゆるめる色男ゆーほに、客席で身もだえました。

 ……あれ? あんまし需要ナイですか? ゆーほのエロシーンに大喜びする人って、わたし以外にいない?

 それから、ヘンリー@すずみん!! 陽気で軽薄、おつむも少々軽めの超おぼっちゃま!! すずみんのいちばん得意な役!!(笑) ラケット持って女の子はべらして登場するのがたまりません。
 またすずみん、こんな役か!(笑)

 そしてこのサワヤカぼっちゃまってば、姉ラレイン@みなみに頭が上がらないの! イニシアチブが、完全におねーちゃんにあるの。
 みなみちゃんは相変わらず(笑)、強気にぶっとんだ美女で、弟をぶんぶん振り回す。
 撮影所の一室に閉じこめられてしまったレイモンド&リビィと、ヘンリー&ラレイン。スポットライトは主役カップルであるレイモンドとリビィにあたって、ヘンリーたちは背景扱い。……なんだけど。
 この背景しているところで、ヘンリーは眠ってしまったラレインにジャケットを脱いでかけてやる。で、自分はシャツとベスト姿でさむそーに丸まってるの。

 かわいい。
 かわいいかわいいかわいいっ。

 ヘンリーかわいいよおっ。

 こんな弟欲しいよおっ。

 夫エドワードの浮気を疑っていたラレイン、後半で誤解だったとわかり、エドワードとえんえんラブシーンするわけなんだが。

 ゆーほさとる、ゆーほさとる人生で、最大級のキスの数なんじゃないか?

 ゆーほとみなみで、えんえんえんえんキスしまくり。ドラマティックに盛り上がりまくり。

 ちょっともー、たまりませんわよぉーっ。

 みなみちゃん、うらやましー!! あんな夫とあんな弟、わたしも欲しいよおーっ。

 
 わたしのオンナノコ的萌えはゆーほとすずみんでしたが、腐女子萌えは、水輝涼×立樹遥で!(笑)(役名で言いましょう)

 
 と、脇の話ばかり書いてしまいましたが。

 レイモンド@トウコは、マジかっこいいっす。
 かっこよくて、そのくせかわいげもあって、目が離せない。口でなんと言おうとも、彼がリビィに惹かれているのがわかるのね。その裏腹さがたのしい。わくわくする。
 ラストの「あんなにキスの回数、増やすんじゃなかった」とかゆー台詞が、ヲトメ心直撃です。
 嫉妬する男がかわいいなんて。
 その瞬間、リビィになって、レイモンドに愛される感覚を味わえました。はぁ。めろめろ。

 リビィ@あすかちゃんが、かわいい。
 またしても女優役なんだが、今までのどの女優役ともちがう、かわいい等身大の女の子。表情のひとつひとつ、仕草のひとつひとつが超キュート。
 トウコと並ぶとやっぱりデカいんだが、そんなことはどーでもいいんだっ、このカップルが好き。

 そしてアツい、トウコファンと星組ファン。

 フィナーレが終わり、一旦幕が下りるなり。
 スタンディングするんだもの。

 フィナーレのあと幕が下りるのはお約束。そのあとまた上がって、出演者が挨拶する。それが暗黙のルール。
 なのにみんな、幕が下りるなり総立ちだもん。

 立つの、早いって!!(笑)

 幕が上がり、舞台に一列に並んだ出演者は予想していなかったろう。カーテンコールでスタンディングはあるだろうと予想してはいても、まさか挨拶前から総立ちなんて。
 トウコちゃんが。
 あの、舞台ではつとめて余裕ぶっこいてるトウコちゃんが、うるっときていた。

 みんな立つのが早すぎるから、座長の柚長が挨拶するときに「みなさま、お坐り下さい」と仕切るハメになったぞっと(笑)。

 台詞を何度も噛んで、大変だったトウコちゃん。初日からできあがりのイイ人なのに、今日はボロボロだった。
 ほんとに、特別な日だったんだ。
 ほんとに、待ちに待った、特別の日なんだ。

 おめでとう、トウコちゃん。
 10年前、「すぐにトップでもいけるのに」と思った実力者、長い長い道のりの果てにたどり着いたね。
 そのぶんたくさん、いろんなトウコちゃんを見られてよかった。
 そしてこれから、「真ん中」に立つトウコを見ることができる。
 それがうれしい。

 新生星組へのエールがいっぱい詰まった(次回大劇場公演のパロディネタ満載!)作品でプレお披露目。大野くんの愛もいっぱいだ。

 よい幕開きだった。

 どうか、よい旅を。


「バカだこいつ(笑)」 

 と思ったのは。

 入りのときのちぎと、『維新回天・竜馬伝!』の七帆。

 や、バカにしているわけではなくて。
 なんつーかもー、愛しくてな。

 
 宙組公演千秋楽の朝。

 最後の大劇場の楽屋入りをするかっしーのために、宙組組子たちが集まった。
 それぞれアタマにかっしーの顔のお面をつけて、白い服を着て「あいらぶ・かしさん♪」と歌う。

 王子様のよーな姿に飾り立てられたかっしーの、白いはっぴ?の背中にあった「宙組三代目」の文字に、朝から泣いた。
 たとえ「おとめ」に載らなくたって、かしちゃんは宙組トップスターだ。なにがどうあろうと、今ココにいる人たちの記憶には残るんだ。

 その、「あいらぶ・かしさん」な人々の中。

 ちぎが、えらいことになっていた。

 新公挨拶で、唐突にかっしーの名前を出していたちぎ。かっしーを好きでいてくれることは、想像がついたけれど。

 かしげの顔写真だらけの服を着ていた。

 なんなのその服!! お手製? お手製なの? わざわざ写真拡大してアイロンプリントにして、白いシャツに転写したの?
 そこまでするか。
 そこまでやると、ただのバカですがなアンタ。
 見た途端爆笑したよ。

 そーまでして、かっしーに愛をアピールしたかったのね。

 
 とまあ、これだけでわたしは、ちぎサイコー!(笑)と思っていたんだけど。

 所詮花の道にいるわたしには、宙組生たちとかっしーのイベントをつぶさに見られるわけじゃない。
 楽屋口前は、かっしーFCの人だけがいることのできる聖域。そこにいた人から、あとで話を聞いたんだ。

 ねーねー、かしげだらけの服着てたのって、ちぎだよね? すごいよねアレ。

「そう、ちぎがソコまでやっているっていうのに、かしちゃんが“……”ってやったのは、ちぎの横にいた風莉じんになんですよ!」

 “……”ってゆーところで、ゼスチャー付き。
 頬を手で包み、撫でるよーな仕草。

 うわーっ、かっしー、んな真似してたのか!! てゆーか何故に風莉じん!!(笑)

 全身にお手製かしちゃんスマイルをまとい、愛してますっ!!と全霊をあげてアピる年下ワンこ、ちぎ@アイドル系美形。
 それをさくっと無視して他の男@not美形に色気を振りまく、鬼畜王子かしげ様。

 萌え。

 わたし、片想いダイスキですから! ツボですから!
 ちぎの一方通行ぶりが、ツボ直撃です!!(笑)

 ちぎの自爆っぷりと、かしげのスルーっぷりが、最高に萌えだ。

 そして、芝居本編で。
 いろーんな人たちが「あいらぶ竜馬」とやっていたけれど。その中でも、七帆がえらいことになっていた。

 いちばんお遊びし放題、野放しになるグラバー邸のシーンで。

 海援隊副長陸奥陽之助@七帆は、いつもの学ラン帯付き姿の上に、「坂本先生命」と書いたたすきをかけていた。

 手書きです。
 東急ハンズとかに売っている、宴会グッズのお花付きたすき。

 まあね、ソレだけならまだ「あーあ(笑)」ですんだのよ。
 問題は、後ろ姿。

 たすきの背面には、「大好き」と書いてあった。

 「大好き」……。

 わかるかな、このニュアンス。
 「坂本先生命」は、役の上でのお遊びというか、まだありえそうな書き方なのね。
 でも、「大好き」は……。

 えー、大の男が言いますか? 男同士で。「大好き」って。コレ、女のコの使う言葉だよね?

 「坂本先生命」で竜馬の写真を胸に飾り、ハートを散らせた「竜馬ハチマキ」をしていたって、陸奥陽之助のアドリブで済む。
 でも、背中の「大好き」は……海援隊副長陸奥陽之助ぢゃなく、七帆ひかる自身の言葉だろう!!(笑)

 ちぎの「かしさん大好きシャツ」と同じノリだろう!

 たすきもハチマキも笑いごとで済んでいたんだが、背中の「大好き」を見て、へたへたと崩れ落ちたい気持ちになった(笑)。

 バカだ……バカだこいつ……(笑)。

 で、全霊をあげてアピるどんくさくも若いニャンコ@七帆を、坂本先生は余裕でいじる。
 借金の担保にされたと憤る陽之助を、竜馬はにっこりとキスで黙らせる。や、ほっぺただけど。
 愛する坂本先生にチューされた陽之助くんは、幸福感にぼ〜〜っとしたまま、すすんで担保となりヲトメ歩きで去っていく。

 ムラ楽はスカステ全編放送がないと思って、好き勝手やってやがるな(笑)。星組の『長崎しぐれ坂』もホモネタで盛り上がったもんなー。(そしてスカステで全編放送される東宝楽はアドリブひかえめだった)

 ちぎの場合とちがい、七帆は芝居でのお遊びだから、あらかじめかしげとネタの仕込みをしてあったはずなので、チューしてもらったからといってソコに愛があるのかどうかはわからない。てゆーか、あしらわれている感じがいいですなー。
 坂本先生は高嶺の花だからねえぇ。すべての人が老若男女問わず彼にめろめろになるんだからねぇ。

 終演後にとある筋からタレコミが入ったのだが(笑)、七帆のあのたすきはほんとーに彼自身の「手書き」であるらしい……。

 
 ちぎの「かしさん大好きシャツ」と、七帆の「大好きたすき」。

 バカだ、こいつら(笑)。

 や、他にもみんな、とてもたのしく愛にあふれたアドリブとばしたり小物を使ったりしていたけれどね。
 でも、このふたりがバカさ加減では双璧かと。

 あんまりバカで……。

 最初に見たとき、泣けてきたよ。

 笑って、笑いながら、泣いた。

 ありがとね。
 かしちゃんを愛してくれて。
 バカに見えるほど、愛してくれて。愛を表現してくれて。

 ありがとう。

 ありがとう。


 過去にわたしは、1作トップぶんちゃんのサヨナラショーを観ている。エスプリホールでだけどな。
 星組作品の曲ばかりで構成された、雪組ファンには馴染みのないサヨナラショーだった。仕方ない、とはいえ、雪組で3公演(博多座のように1ヶ月もあった公演を入れれば4公演)一緒に過ごしたのに雪作品を潔いまでに排除した構成に、寂しいモノを感じた。
 また、同時退団するスター成瀬も、雪組での曲ではなく月組時代の曲を選んでいたこともあり、ほんとーにどこの組のショーかわからない状態だった。
 わたしがいたホールの空気も微妙だった。劇場内ではない映像を眺めるホールだから、空気はそのまま低いざわめきになる。
「この曲知ってる?」「知らない……」「コレも知らない……」
 ぶんちゃん個人ファンしかわからない曲が続き、客席のテンションが微妙になる。もちろん、基本はあたたかく、また涙涙で見送っているのだけど。

 ぶんちゃんのときの微妙な空気感をおぼえているから。てゆーかある意味トラウマ、忘れられないでいるから。

 1作トップが発表されたとき、そのことにも傷ついた。

 あの、微妙な空気。
 個人ファンはいいけれど、置き去りにされた組ファンの複雑の心境。
 知らない曲ばかりなのは仕方ない、それでも見送らなきゃ、盛り上がらなきゃ!と、馴染みのない曲に手拍子を送る姿。次こそは知ってる曲かな? ……また知らない曲だ、の連続。
 ちゃんと見送りたい、大切なわたしたちの組のトップさん! そう思っているのに、曲を知らないがゆえにさみしい気持ちになる。好きだからこそ、見せつけられる「知らない歴史」にかなしくなる。共有したいのに、どうすることもできない思い出に、苦しくなる。
 組替え先での1作トップ、という、気の毒な状況と相まって。

 かしげもまた、あーゆーサヨナラショーをするんだろうか。

 とゆー危惧があったので、前楽を観たときは選曲にとてもぴりぴりしていた、『貴城けいサヨナラショー』

 『コパカバーナ』ではじまったり、『ネオ・ヴォヤージュ』を入れたり、雪時代の曲でもわざわざ『ワンダーランド』のような新しい作品、しかも主題歌ではあまりに雪組臭が強い(ついこの前コムちゃんがサヨナラショーで使った)ので劇中曲を選ぶあたり、気を遣っているなと、しみじみ思った。
 3公演、雪組本公演に出演していたぶんちゃんが星組一色のサヨナラショーをしたんだ、1公演ぽっきりのかっしーがそうでもまったくおかしくはないのに。
 それでも、宙組の曲を使うんだね。
 かっしー、宙組が好きなんだね。

 そして、宙組の子たちが、応えてくれているね。

 かっしーのワンマンショーではなく、相手役のるいちゃん、同時退団者たち、そして組子全員が一丸となって取り組む、きちんとしたショー作品だった。
 すげー出番多いんですけどみんな。すげー踊ってるんですけどみんな。
 お稽古、大変だったろうなあ。よくぞここまで。

 いやその、『ワンダーランド』がよりにもよってアラビアのシーンだったものでオチをどうするつもりなんだ、と手に汗握ったんだが、どーしてくれよう(笑)。
 ええ、大嫌いな『ワンダーランド』。そしていちばん大嫌いなアラビアのシーン(笑)。なにが嫌いかって、あのくだらないオチがあるからよ。
 「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」と、仲間たち話した究極の二者択一、わたしは「『ワンダーランド』が駄作! だってアラビアがあるから! かしちゃんにあんなことをやらせるなんて、石田許すまじ!!」と答えていたもんだ。
 サヨナラショーでは衣装がきれいになっており、さらに、あの最悪なオチがなかった。
 すると、ものすごーくいいシーンになっている。あああ、やっぱりオチが悪かったんだよまったくもー! と、今さら再確認。
 でも、最初はオチがないなんてわからないからおびえたよ。「リピーターやコアなファンの存在を念頭に置かず、団体の一見さん向けに作られた大衆娯楽場面」、温泉旅館の余興のようなオチを見せられたときの、あの嫌な気持ちを、サヨナラショーでは味わいたくない!

 で、次のシーンがるいちゃんと同期による『ネオ・ヴォヤージュ』でしょ。
 「『ネオ・ヴォヤージュ』と『ワンダーランド』はどっちが駄作か」という、究極の二択を続けられて、ツボ直撃しました。やー、すげー。

 以降の雪組メドレー(本公演主題歌ナシ、主演公演曲という、ある意味地味な選択)は想定の範囲内だったので置くとして。

 『仮面のロマネスク』は、クリティカルだった。

 あの歌、あの台詞、あのシチュエーション。
 予備知識がないまま見せられて、そのまま撃沈した。しゃくりあげるほど泣いた。

 おぼえているさ、新人公演。
 かしちゃんは衣装を着て立っているだけでもいっぱいいっぱいだった。まだ長の学年でもないっつーのに、いきなりの大人の男で初主演。
 ゆきちゃんが演じてあんなにエロい役、エロい台詞が、ちーっともエロくならないことに感心したさ。
 ま、わたしはケロ目当てで客席にいたんだけどなー。ダンスニー@ケロは、本役より正しい役作りだったと今でも確信しているぞっと(トドのダンスニーは「変な人」、ケロのダンスニーは「いい人」だった)。

 あの、ちいさな男の子が。
 若くて幼くてなんにもできなかった子が。

 今、大人の男として、ここにいる。

 そうか、『仮面のロマネスク』か。かしるいで観てみたかった、コレ。
 雪組時代のかしげではない、宙組のかしげで観たい。……そう思えることがうれしい。かっしーはたしかに、変わったんだ。意味があったんだ。この組替えも。
 さよならはかなしくても、1作きりに納得なんかしていなくても、それでも無意味なことなんてなにひとつない。
 宙組に来て貴城けいは変わった。雪組時代より、さらにいい男になった。その事実がうれしい。

 サヨナラショーで泣きツボ直撃の魂シェイクシェ〜イク(何故かピート@めぐむ調)されたのは、『仮面のロマネスク』と、『コパカバーナ』関連全部。

 『コパ』はいかん。いかんちや。と、嘘っぱち土佐弁で降参してしまうくらい、勘弁してください状態。(幕末ミーハーなので、竜馬喋りでごっこ遊びくらい、学生時代さんざんやったさ)

 『コパ』はしあわせの記憶だから。

 かしちゃんお披露目おめでとー!と、夜行に乗って駆けつけた博多座初日。
 闇雲にわくわくしていたあの時間、あの日々。

 初日の幕が下りたあと、興奮冷めやらぬまま川下りの船に乗り、博多を堪能したっけ。ひとり旅のわたしに、地元の人たちはすげーやさしかった。
 船から見た夕焼け。
 ……知らないおじさんに、博多駅まで車で送ってもらったなぁ(笑)。みんないい人だった。

 出会う人出会う人、みんなやさしくていい人で。ヅカ関係の人も、まーったく関係ない通りすがりの人も。
 やさしい、たのしい旅の記憶は、『コパ』のたのしさ、かしちゃんのトップお披露目のよろこびとも融合して。
 ただただ幸福な記憶となる。

 帰りの夜行で、知り合ったばかりのかしファン(ブログに博多座初日行くと宣言していたため、ココを読んでくれている人に捕獲された。顔バレしてないハズなのに・笑)と、えんえん喋った。かしちゃんファンに会うのは長いヅカファン人生でもはぢめてのことだ。すっげーうれしくて、いっぱいいっぱいかしちゃんの話をした。
 信じていた未来。幸福。

 幸福の記憶が押し寄せてきて、痛い。

 痛くて痛くて泣く。

 『コパ』の中でも、「踊る阿呆」よりさらにさらに、るいちゃんの「さらばオクラホマ」ではじまる歌の方が、痛かった。
 はじまりの歌、新しい希望に満ちた歌だから。
 彼女の歌声に、新生宙組、かしるいに夢を見た時間がよみがえってくる。

 博多旅行が幸福であった分、今の現実が痛くて泣く。

 いや、今のかしるいが博多のころよりさらにさらに素敵になっているから。
 だから余計に泣く。

 で、ラストの「奇跡」でまた泣いて。「さだまさしかよっ」とツッコミつつも、こーゆーところで歌われるとすげーリンクして泣けるよなと。某趣味の悪い語らせすぎのショパンがどーのクラシックがどーのというショーの曲とえらいちがいだ。

 雪組メドレーがいちばん平静でいられた、というこの事実。
 それが、かっしーが成長し、今、この組のトップスターであるということなんだろう。
 宙組として宙組メンバーと共にあったかしコンの曲の方が、胸に迫ったしな。
 過去を振り返るより、現在が愛しい。
 そう思わせてくれるかっしーと、宙組の仲間たちが愛しい。

 まだまだ未整理だけど。すべて納得できたわけではないけれど。
 それでも、サヨナラショーを観られて良かったんだ。

 いいサヨナラショーだったよ。
 ありがとう。


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