雪組新人公演『ベルサイユのばら−オスカル編−』を観て思った。
 主役がオスカルなのはわかる。だが、準主役って?
 アンドレが準主役なのも、たしかだとは思う。だが、新公の扱いから客観的に考えて、アンドレひとりが準主役だとは思えない。

 アンドレとアラン、W2番手だよね?

 新人公演限定の話ね。

 第1幕において、アンドレは「いらない」存在として位置づけられている。プロローグに出たっきり、2幕になるまで出てこない。
 第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけ。このふたつの出来事は独立しており、より時間を掛けて描かれているのが「衛兵隊」の方だ。そして「衛兵隊」の中心となるのがアラン。
 1幕の「2番手」はまちがいなくアランだ。

 2幕になって、よーやくアンドレが登場する。オスカルがひとりでがんばって掌握した衛兵隊で、なんにもしなかったアンドレがえらそーに踊っている(笑)。
 そんななにもしないでオイシイとこ取りしている男が、「オスカルが俺のモノにならないなら、殺してやる」と決意するものすごい展開。
 ことの是非はともかく、第2幕ではアンドレが2番手。いきなり彼の露出が増えているから。

 1幕と2幕で、2番手役がチガウのね。
 それはそれで面白い試みだ。

 アンドレは名場面のある「名の通った」役だからちゃんとオイシイし、アランは「破綻していない」キャラだからやりがいがある。どちらも、オスカルを愛する男たち。
 いいバランスだと思うよ。

 
 最初に演目が発表になったとき、本公演には絶望したけれど、新人公演にだけは期待した。

「新公オスカルとアンドレって、かなめとオヅキだよね?」

 かなめ&オヅキで「今宵一夜」、見たい〜見たい〜見たい〜(笑)。

 と、仲間内で盛り上がっていた。

 でも実際にキャスティングが発表されると、かなめくんはアンドレで。オヅキはアランで。ちと拍子抜けした。

 つってもすぐに納得したけれど。
 最近のかなめくんを見ていて。

 この子に、オスカルやらせちゃダメだ。

 せっかくの恵まれた資質が、このままでは無駄になる。
 ただのなよっとしたきれいな男役、として小さくまとまってしまう。
 今、女役なんかやっている場合ではない。内股で歩いたりシナを作って坐ったりする「植爺オスカル」なんかやらせちゃいけない。
 かなめくんは、「男らしさ」の勉強をしなければ。
 包容力とか、たくましさとか。強引さとか、荒々しさとか。

 新公を見終わったあと、いろんな人から聞かれたんですが。
「で、かなめくんは壮化してた?」
 ……みんなの関心事はソレなの? かなめくんが、どんどん壮くんに似てくる件について。薄く、軽くなってくる件について。

 これ以上壮化しないためにも、かなめくんには今、がんばって欲しいのよ〜〜。

 だから、彼がオスカル役でなかったことには、納得した。純粋にオヅキ×かなめのラヴシーンが見たかったので、それだけは残念だったが。

 実際のところ、凰稀かなめという人は、すばらしい素質を持っていると思う。
 2幕部分である衛兵隊訓練シーンに、いきなり彼が混ざっていた……そのときの、あでやかさときたら。
 息をのんだ。
 他が全部セピア色なのに、彼ひとり原色だよ。彼ひとりが、色を持っているよ。
 美しい。
 華やか。
 美はすべてを凌駕する。
 アンドレっつーのはどーしよーもない破綻男なんだが、そんなことは誤魔化されてしまう。
 この美しい人を眺めていられるだけで、いい。そう思えてしまう。

 すげえよ凰稀かなめ。
 こんなに、美しいなんて。

 軍服が似合う。マントが似合う。
 真ん中に立つことが、あたりまえに見える。
 美しいってすごいや。

 ……実力はどうなんですかね。わたしにはわかりません。美貌ですべて帳消しになってしまうんで、判断できないんですよ(類似・星組名物綺華れい)。
 ただ、友人たちからの質問、「かなめくんは壮化してた?」に対しての返答なら出来ます。

 YES。まだまだ、壮くんです。

 壮くんだってさ、組替えしてきた当初は、そりゃー輝いていたんだよ。『Over The Moon』のときとかさ、群舞の中にいる壮くんを見て、その華やかさに息をのんだものさ。
 今はすっかり雪に馴染んで、地味になってるけどさ……ゲフンゲフン。ヘタレ好きのわたしとしては、きらきら華やかだったころの壮くんより、自爆気味の今の方が愛しいんだが……ゲフンゲフン。

 壮くんは壮くんひとりでいいので、かなめくんは独自の魅力を開花させて欲しい。
 これほどの美しさを持っているのだから。
 ここに「大きさ」が加われば、無敵だと思うよ、ほんと。

 
 主役であるところのオスカル@コマちゃんに関しては、語る言葉をわたしは持たない。
 あんまし見てないんだ〜〜。よそ見ばっかししてたからさ〜〜。
 本役のコム姫よりは正しいオスカルだったんじゃないかな。温度があったからさ。ふつーに。
 ただビジュアルのキツさは今後の課題なんだろうな。スポーツ報知3/2の巨大新公舞台写真、マジで「あー、ベルナールとロザリーのシーンかぁ」と思ったもの。次の瞬間、「新公にハマコ出てないよ? てことはコレ、オスカル?!」とおどろいたさ……。
 本公演の方がコマちゃんオトコマエだから、オスカルのカツラや衣装が似合ってなかったんだね。

 ロザリー@かおりは、うまかった。外見の健康的さは相変わらずだけど、的確に「可憐な少女」を演じている。安定している、てのは強みだよなあ。
 演出のせいもあるし、オスカルに温度があったせいもあるだろうけど、ロザリーというキャラが人格崩壊まではしてなかった。本公演の方はえらいことになってるのに、新公ではそれほど変じゃない。
 「若さ」と「温度」で、多少妙なところも押し通せてしまうってことか。

 そーいやジャルジェ将軍とその奥方が、お人形のような美形カップルで、ツボったなあ(笑)。
 そらくんとリサちゃんかよ。美男美女がこんな役なんだー。ほんとに役ないよなあ、『ベルばら』。

 美形といえば、さすが新公、衛兵隊の美形度がすげー下がっていた(笑)。うわー、丸い〜〜。みんなむちむちしてる〜(笑)。
 今回研7生たちはもう出演してないんだもんねえ。そのぶん下級生たちががんばっているわけで……うわー。
 そんななか、メルキオール@せしるの美貌だけが、浮き上がっていた。
 冗談みたいに美しいねえ、せしる……。あの小さな後ろアタマとか、完璧だよねえ。これで美貌に釣り合う実力があれば言うことないのに……いやその、がんばってましたとも。ええ。

 この公演から娘役に転向した純矢ちとせちゃんは、おねーさまズのひとり。台詞はひとつかふたつあったかな程度。
 本公演でもドレス着て踊ってるけど、ほんとに違和感ない。ふつーにきれいな娘役さんだ。目でかいー。カエル顔がとなみちゃん系? 台詞なくてもアツく小芝居していたので、お芝居好きな娘役さんとしてがんばってほしい。

 
 客席には、本役さんたちがずらり着席。
 わたしは相変わらず、まちかさんを見ていました(笑)。横顔きれいだよね、とか、他の人に言って同意を得られなかったりな(笑)。もうこうして、現役ジェンヌのまちかさんを客席で見かけられるのは、最後なのか……そう思うとしょぼんな気持ち。
 わたしの席からいちばん近いのが壮くんで、いちばん見やすいのがまちかで、やっぱり水くんは遠くてろくに眺めることも出来なかった……そんな客席ウォッチング。


 それは、史上最良の『ベルばら』でした。

 雪組新人公演『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 植爺によって汚染された『ベルばら』が、大胆にメスを入れられ、腐った部分を切り落とし別の物語にと作りかえられていました。

 演出は、鈴木圭。ええ、あの伝説の『ファントム』新公の演出家です。

 いつだったか、わたしは書きました。
 第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけだと。
 そして、この「出来事」に関係していないから、「アンドレ」は無意味だと。

 鈴木演出では、まさしく「出来事」のみにしぼって構成されていました。

 まず、長すぎるプロローグを、小公子ソロ→アンドレ@かなめ登場→オスカル@コマ登場→幕が閉まり、その間オスカル、アンドレ、ロザリー@かおりで銀橋渡り、と短く終わらせる。
 幕が開くと、そこはいきなり「衛兵隊」。
 「俺たちゃまぬけな衛兵隊」とまるまるした男の子たちが歌っている。
 ええっ? いきなり「衛兵隊」? あいようこおねえさまの、きょうふしーんは?!!(新公にあいようこさんは出ません)

 衛兵隊に初出勤したオスカル。彼らとの対立、アラン@ヲヅキとの一騎打ちと、現在の彼女が抱える問題を浮き彫りにする。

 幕が閉じると、銀橋にロザリー登場。「ヲトメの祈り」と可憐に歌い、本舞台はジャルジェ家の居間に。ロザリー、歌うまいー。すげー。
 居間には、やたらと横に体格のいいベルナール@宙輝れいかがいて、演説をぶつ。
 どーやらロザリーを好きらしいベルナールだが、告白はうまくいかない。ジャルジェ家のみなさんがわいわい登場してしまったんだ。

 他愛ない話に興じるジャルジェ家の人々。「ライバルがいるから、夜も眠れないわ!」と嘆くルルー。違和感なくかわいいぞルルー。「ライバルって誰?」と言うおねーさま方。ルルーは言う。「ロザリーよ!」−−幕。
 幕?
 えええっ?! 「ロザリー?」「小間使いじゃないの」とか、「オスカルお姉ちゃまの日記を見ちゃったの」とかの話はさくっとCUT?!!

 幕というか、正確には「廊下を表す大道具の仕切」が出てきたわけだけど。
 ソレが閉まったので、そこはジャルジェ家の廊下になる。

 そこでオスカルが、ロザリーにベルナールからの縁談を話す。ロザリー大ショック。
 オスカルの軍服を抱きしめ、かなしく「ヲトメの祈り」を歌う。
 そして彼女は、決意する。「わたしはパリに参ります!」−−ベルナールと結婚することを。

 えええっ?! ロザリーの妄想シーンは?! あのクソ長い意味のない脳内妄想爆裂シーンは?! なに食わぬ顔でCUT?!

 舞台はまたしても、衛兵隊。
 兵士たちの家族がやってきて食料もらったりなんだり大騒ぎ。あのクソうるさいだけの無神経女ルイーズ@愛原実花が、うるさくない。かわいい女になってるぞ? 声もでかいし無神経テイストは同じだが、亭主に惚れていることがわかって、なんだかかわいいのだ。
 そこへやってきたオスカルが、反発するアランに想いを語って聞かせ、兵士たちの前で「子守歌」を披露する。
 こーしてオスカル隊長は、無事衛兵隊を掌握することができました。

 ここで閉まる、幕。
 幕前に現れるのは、小公子@れのと、ばらの少年少女たち。
 彼らはあったりまえの顔で歌い出す。「嵐は嵐は花を散らせていく。今日も散るのか薔薇ひとつ〜♪」……アレ?
 ええっとソレ、チガウ歌だよね? 今回の雪組『オスカル編』にはその歌ないよね?
 本公演にない歌来ますか! しかもここでちゃんと違和感のない説明が入る。今まで出番のなかったアンドレのこと。彼の立場や想い、そして「目が見えなくなっている」ことも。

 幕が開くとそこは、衛兵隊の訓練中。
 つまり、第2幕だ。

 ええっ? 第2幕? つーと1幕では、アンドレ出番ナシ?

 ……なんて、潔い。
 第1幕の「出来事」は、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」と「ロザリー嫁に行く」だけ。
 ほんっとーに、このふたつ以外のシーンは、CUTされていた。

 アンドレの妄想も、もちろんペガちゃん登場もない。
 いなくていい人と、なくていいシーンだもんな。ははは。

 1幕ってほんと、いらなかったんだよなー。ほとんどなー。ははは。

 その代わり、第2幕はほぼ忠実に再現されていた。
 衛兵隊の訓練シーン、ブイエ将軍登場、反発するオスカル、ジャルジェ将軍登場でオスカルをビンタ、「ジェローデルと結婚しろ」、アンドレモノローグ、毒殺未遂、ジェローデル@谷みずせの「身を引きましょう」出番これだけかいっ、「パリ進駐なんてあぶないわ」ジャルジェ家の人々がぎゃーぎゃー、ロザリー夜這い、でもあんまし変じゃないぞ、若さゆえの勢いって感じだロザリー、「今宵一夜」、ロザリーとベルナール夫妻の寒い会話、アンドレ戦死ときて、バスティーユ。

 
 そして、なにがすごいかって、終わり方。

 バスティーユで終わる、『ベルサイユのばら』なんて、はじめて観た。

「隊長、見てください。バスティーユに、白旗がぁあああっ!!」
 叫ぶアラン。
「ついに落ちたか。……フランス、万歳」
 で、オスカル死去。
 「バスティーユが落ちたぞぉ」の叫び声の中、ロザリーの悲鳴が響き渡り、兵士たちが敬礼する。

 幕。

 ……これで、幕。

 歴史巨編?

 なんか、すごいいいもん観たよーな気がする?

 これだからタカラヅカって、と嘲笑される「ガラスの馬車」が、出てこないのよ!!

 「歴史の歯車の中では無にも等しい」オスカルが、それでも人の世で人の子として、懸命に生きた。
 そんなオスカルの人生に、ガラスの馬車なんか出てこない。オスカルはそんな「逃げ」は必要としていない。彼女はなにも、後悔などしていないのだから。
 あのガラスの馬車が最悪なのは、「所詮女子ども」って笑われるセンスなのもそうだけど、オスカルの人格と人生を否定しているからなのよ。
 「ふたりは可哀想に死んでしまったけれど、天国でしあわせになりました」って意味でしょ?
 オスカルは「可哀想」なんかじゃない。彼女は自分の人生を自分の意志で生きた。そして、満足して死んだ。なにも後悔していないし、他人から憐れまれるなど笑止千万。
 「死んでしまった」から「可哀想」って、なんなのその幼児以下の感覚。
 何故彼女が「フランス万歳」と言って死んでいったのか、まったく理解していない人間のやりそうなことだ。

 自分の意志で自分の信じるもののために戦い、未来を勝ち取って、静かに微笑んで死んでいった戦士の背後で、勝利の雄叫びがあがっている。
 そこで、幕。

 美しい終わり方じゃないか。

 観たかった、『ベルサイユのばら』のラストシーンだ。

 やっぱ鈴木演出はよいなあ。
 明日から、コレでやってくんないかなあ。
 そしたら1時間半で済むから、2部はショーにできるのに。

 同時上演するショーは、『ドリーム・キングダム』がいいなあ。
 トドの役を、水くんにして。
 薔薇@コム姫で、薔薇収集家@水……うっとり。
 「ばら」つながりで、観客も安心して観られるじゃん。ホモすぎてまずい、ということも、芝居の方がオスカルで「男装の麗人」だから、アタマの固いおばちゃんたちも、「ああ、ショーも男装の麗人役なのね」って誤解してくれるよー。

 史上最良の『ベルばら』。
 そりゃ、まだ変なところはいくらでもある。でもそれは、植爺が生きている以上仕方ない部分だ。現在の段階で、最良の結果を叩き出してくれた。
 キャストの力量は、本公演にかなうまでもないとして。あくまでも、「脚本」「構成」のみの話な。
 こんなにすばらしいものを観てしまっては、本編がますます観られなくなる……。


 ヲヅキ万歳!!

 雪組新人公演『ベルサイユのばら−オスカル編−』、緒月遠麻目当てで行ってきました。
 予備知識なく行ったんで、開演して半分を過ぎるくらいまで、演出家が誰か考えることもしてなかったっす。

 観ている最中に、思ったね。
 この演出、鈴木圭だよね? ぜってー鈴木圭だ。鈴木圭にちがいない!!

 最後の出演者の挨拶で、「演出の鈴木先生」と言うのを聞き、やっぱり鈴木圭だ、と納得した(笑)。

 なんでかっつーたら、もお。

 史上最良の『ベルばら』でした。

 演出が。
 あのぶっ壊れた話を、よくぞここまで整理したな、という。
 もちろん、まだおかしなところはあるけれど、そこは植爺本編が変で、そのまま使わなくてはならないという足枷があったせいでしょう。悪いのは植爺だ。
 鈴木演出のすばらしさはまた、欄を改めて語るとして。先に叫んでおきたいこと。

 
 アラン@ヲヅキ最高!!

 素敵です。
 かっこいーっす。
 ドキドキドキ。

 最初はわたし、新公らしくいろんな人を見ようときょろきょろしてました。
 されど。

 途中から、気づいた。開き直った。

 ヲヅキを見ていられれば、それだけでしあわせなんだ。

 アラン初登場の「VSオスカル」あたりはまだ、わたしの視界も広かったんだけど。次の「妹めろめろアラン」あたりから、オペラグラスはアラン固定。他の人は視界に存在しません。

 妹めろめろアラン、めちゃくちゃかわいーのー。
 あの武骨な大男がよ? その前のシーンで、ものすげーおっかなくオスカルに噛みついていた獰猛な大型獣がよ?
 本気で妹をかわいがってるの。
 ディアンヌ@大月さゆちゃんの来るのが遅い、ってやきもきしているところ、それが行きすぎて「すねている」状態になるのね。かわいー。
 そしてよーやく現れたディアンヌに対し怒鳴るのも、「心配していた」のがよくわかり……わーん、この大男、好き〜〜。

 アラン@ヲヅキのことをひとことで表現するならば、誠実な男です。

 気の荒い大男ではあるけれど、彼はとても誠実。それが、台詞ではない、喋っていないときの表情のひとつひとつに現れているの。

 アランの登場シーンは大抵話の中心がオスカルなので、彼はいつもオスカルを注目している。
 彼自身に動きのある「子守歌」シーンなどは、反感や苛立ちから自覚と行動に至るまでの表情の変化があざやかだし、それ以外は真剣そのものの表情でオスカルを見つめている。
 その真剣さには下心がない。原作では、アランはオスカルに恋愛感情を持っているけれど、ヲヅキにそれは感じられない。奥底にはあるのかもしれんが、そんな「ヨコシマ」なものよりも、人間としての「誠実さ」が強く出ている。
 オスカルが口にする「正しい」意見を、ブイエ将軍に逆らうときのやりとりを、アランはいつもひどく重く、真摯に見つめている。そう、彼は「重い」。軽くないんだ。気は荒いのだろーし、心の沸点も低いんだろうけれど、いったん腹を決めたあとはひどく慎重だ。
 他の兵士たちが簡単にわめき剣を抜いてオスカルをかばおうとしているときも、アランだけは動かない。まず言葉で意志を表現し、そのうえで最後の最後に剣を抜き、先に口にした「言葉」に対する決意と行動を示す。これだけのアクションに、ブレがない。終始真剣で、軽はずみではない、覚悟のある行動をとる男として存在する。
 で、いったん剣を抜いたあとの恫喝っぷりは、登場当初に見せた「気の荒さ」まんまだから……うまい。
 かっこいい。
 かっこいいよーっ、ヲヅキ〜〜っ!!

 ハンサムではない。美形だとは、とても言えない。
 だけど、まちがいなく彼は、「女が惚れる男」だ。
 男は顔ぢゃねえ。を、実践する男。

 この強い男が、歯を食いしばって慟哭するラストシーンには感動したよ。
 オスカルが撃たれ、彼女が死んでしまうことを理解しながらも、「軍人としてのオスカル」を尊重するからこそ安易に駆け寄ったり泣いたりせず、自分の持ち場で「バスティーユに白旗が」の台詞を言う。
 覚悟しているのがわかる。オスカルを失うこと。それでも、毅然と立ち続け、己れの使命を果たす。

 敬礼しながら、何度も歯を食いしばろうとして、それでもこみ上げてくるものを抑えきれずに嗚咽する姿に、泣けるんですが。

 ええ。
 アラン@ヲヅキ見ていたら、幕が下りちゃったんですよ。

 んで。
 あれ? と、思った。
 いつもの紗幕ではなく、緞帳ってやつで。
 しかも、舞台に誰もいない。

 あれええ?
 死んでるオスカルだけを残して紗幕が下り、そこに星座の動画が映されて、「オスカ〜ル、オスカ〜〜ル(黄泉の声)」でガラスの馬車、でしょ?

 オスカルいない?
 本物の幕?!

 オスカル戦死、「バスティーユが落ちたぞぉ」の叫び声の中、ロザリーの悲鳴で幕ですか!!

 すげー。

 てっきりこのあと、お笑いシーンがあるものだと思って、油断していた。
 感動シーンで終わっちゃったよ……鈴木演出ときたら、これだからっ!!(喜)

 油断していたから。

 ごめん、マジでオスカル、見てません……。

 オスカルに限らず、他の誰も。
 終演後にnanaタンといつものよーにごはんして、いろいろ喋り倒していたんだけど、話が合わないってば!

「で、あのときコマちゃんが……」
「ごめん、見てない。ヲヅキ見てたから」
「かなめくんが……」
「ごめん、見てない。ヲヅキ見てたから」

 そのかわり、ヲヅキがどーしてたか、なにしてたかなら、いくらでも語れるんだけどねええ。

 ほんとーに同じものを見ていたのか? とゆーくらい、わたしの知らないことばっかでしたよ……だってコマちゃんなら、スカステ様がしっかり撮影してくれるはずだもん。あんまし映してもらえない人を見ておくしかないじゃないかー。

 
 あああ。
 それにしても、ヲヅキ……。なんであんなに素敵なの……。
 今思い出しても、ドキドキするわー。


 第92期音楽学校文化祭の話を、おぼえているうちに書いておきたかったんだが、こまったなー、もうろくにおぼえてないよ……。
 第1部の感想は、先に走り書きとは言えテキストにしてあったんで、それをもとにして少しはおぼえていられたんだけど。
 第2部以降はさっぱりおぼえていない……。

 プログラム、もう少し親切にしてくれよ……。
 芝居にしても、役名だけ見ても誰がどの役だったかわかんねーよ。ダンスに至ってはもう、なにがなんやら。

 ただ今年は『花の道』イベントがあったので、なんとなく親近感がわいた。
 文化祭を観に行くときに、「ああ、あのときのあの子たちを見るんだなあ」と思った。
 つっても、『花の道』イベントでおぼえていることと言えば、このとんでもない状態でプレッシャーをものともせずにソロを歌いきった子と、水くんに似た子がいたなー、ぐらいのことしかないんだけどね。

 
 文化祭を見てきて思うのは、「わたしが好きなのは、タカラヅカなんだな」ということ。

 「日舞」「楽器演奏」「歌」「芝居」「ダンス」とあるなかで、わたしの記憶に残るのは、「歌」と「芝居」のみだ。他はあまり、わたしの気持ちを動かさない。

 それは何故かを考えたんだ。

 わたしが好きなのは「タカラヅカ」。現実にはありえないかっこいー男役がいて、現実にはありえないかわいい娘役がいるところ。

 文化祭の出し物って、本公演ほど「性別差」がないんだわ。

 「日舞」「楽器演奏」には、性別差がない。基本的に。袴姿で「清く正しく美しく」舞い、演奏する。ピアノ演奏は性別によって衣装はちがうけど、ただ真面目に演奏しているだけで、「男役ならではの弾き方」などをしているわけではない。
 「ダンス」もまた、性別関係ないものが多い。全員同じ衣装でガシガシ踊っていたり、男役が女性としてバレエを踊っていたりする。
 培ってきた「技術」を発表する場なんだろう。

 「歌」と「芝居」のみが、性別がくっきりと分かれる。
 男役は男役らしく、娘役は娘役らしく歌い、演技する。
 だからわたしは、このふたつが好きで、より強く印象に残るのだろう。

 わたしが好きなのは「タカラヅカ」だから。見たいのは、「タカラヅカ」だから。
 よそのカンパニーの発表会を観に来ているわけではないから。
 

 性別差がはっきり分かれる「歌」と「芝居」において、娘役と男役の成熟度のちがいを思い知る。

 娘役は、文化祭ですでにある程度「カタチ」になっている人が多い。そりゃまあ、もとが女だからな。

 『花の道』であれほど朗々とした歌声を披露した少年も、いざ「男役の声」で「クラシック・ヴォーカル」として男性の歌を歌うとなると、こんなに大変なことになるのか、と改めて思った。
 そりゃ、うまいよ。うまいけど。
 正しい音階で歌えるだけじゃダメなんだな。「男役」って大変だ。

 芝居にしても、男役さんたちはもー、大変。
 甲高い声、丸いお尻、ふくふくほっぺ、それでも衣装を着て、「男」の芝居をしなければならない。

 今回の芝居、「キスシーン」アリだったんだよなー。
 しかも「うるさい女の口を、キスでふさぐ」系のヤツ。

 た、大変やなー。
 ちょっと、ぼーぜんとしてしまった。

 女の子にしか見えない、芝居もちとアレな丸い少年が、がんばって悪ぶって、恋人役の大人っぽい女性にチューしてました。

 練習したんやろなー。ふたりで、えんえん。
 タイミングとか角度とか。それでもなんつーかこー、微妙すぎて。

 見ていて、恥ずかしかった(笑)。

 娘役さんたちは、いいんだ。みんなそれなりにカタチになってるし、うまい人たちもいっぱい。
 男たちが、ビミョー。
 歌も芝居も、さあ大変。

 日舞とかダンスとかは、まだ「男役らしくない」とかが目立たないから、素直にたのしめる(笑)。

 引っかかりが出来る、「歌」と「芝居」こそが、わたし的には記憶に残るんだけど。

 
 娘さんで目につく人がいたんで、意識するともなく注目していると、その公演最後の挨拶が彼女でした。とくにきれいっつーわけではないんだが、すっきりした首の線と姿勢が目に残る感じ。
 お芝居はふつーにうまかったな。

 そうそう、芝居のヒロイン、『BourbonStreet Blues』のヒロインと同じ衣装(てゆーか、舞台自体が同……ゲフンゲフン)だったんだけど、ふつーにかわいかった。ああ、ヒロインがヒロイン衣装着てる〜〜、みたいな。
 正塚芝居はホモ上等なうえ、百合歓迎って感じで、今回とても好みでした。ヒロインとその女友だちのやりとりとか、好きだわ(笑)。

 娘役でいちばん歌がうまいのは、クラシック・ヴォーカルでソロを歌った娘さんなんだろうなあ。
 ただわたしは、あまり好みではなかったようで、ぼーっと聴いてました。それよか、首席の娘さんの歌声の方が好みだった気がする……。うーん、それよりもコーラスの方が好きだったのかな?
 冒頭日舞の首席さんのソロと、コーラスのみなさんによる「清く正しく美しく」、すげー胸に迫るものがあったんですが。

 なにより「顔」で目についた男役が、ふたり。

 前述の冒頭日舞のコーラスにいた男の子。
 なんなの、あの濃さ。……えーと、「きれい」って言うべきなのかな。わたしの偏った私感によれば、天海祐希と壮一帆を足して2で割ったよーな顔。派手。長身で、たぶん美形。たぶん、つーのはだ、顔立ちよりナニより、「なんであんなに目に飛び込んで来るんだ」というとまどいが先に立ったため。
 次におどろいたのは、文化祭の舞台なのに、水夏希がいたこと。
 みみみ水くん? なにやってんですか、こんなとこで?!
 『花の道』のときに、似ている子がいるのはわかっていたけど。ここまで似ていると、「ものまね大会」とか「そっくりショー」とか見ている気分になる。
 まあなあ、花ちゃんのそっくりさんがあれほどうようよ劇団にいるわけだから、水くんのそっくりさんが入団してもかまわないのか。
 若くて、背の高い水夏希……これから、どーゆー風に成長するんだろう?

 「顔」が目立ったふたりだから、あとはなにをしていても、どこにいても目立つ目立つ。最初から最後まで、ずーっとわたしの視界の中にいた(笑)。ふたりとも、芝居も出演していたしな(どちらもオヤジ役)。
 ただ、第1部後半は、前日欄の通り某細目くんに持って行かれちゃったんだけど。

 
 今回はなんといっても、芝居が楽しかったからなあ。
 もう一度観たかったよー。せっかくだから、もうひとつのキャスティングでも。
 キスシーンのあるあの役は、1組の方でもあんなに「いやん」な恥ずかしさに充ちているのかしら。そのカノジョはあんなに大人びた……つか、若々しさのない役だったのかしら。
 主役ロベールくんの親友くんは、1組でもあんなに行きすぎたホモなのかしら。1組で演じていたのは、たぶん『花の道』ソロの少年だよねえ? 彼だとどんなふーになったのかなあ。
 含蓄と遊び心のある作品だったから、ただ純粋に、もう一度たのしみたかったよ。

 
 にしても。
 もっとちゃんと、メモしておけばよかったなー。
 記憶が風化するのが早すぎる……老化してるんだなぁ……しみじみ。しくしく。


 第92期音楽学校文化祭の日は、彼らの初舞台公演チケットの発売日で、その前日には芸名と口上日程が発表されていた。……からといって、なんの意味もない。
 文化祭は芸名ではなく本名で出演するからだ。誰が誰だかわかりゃしねえ。わたしは彼女たちの個人情報なんぞに興味はなく、「舞台人」としてしか考える気がないので、「本名なんぞ知らなくていいから、芸名を教えてくれ」と思う。
 そして、本名でしかない女の子たちだと、こーゆーところで感想を書きにくい。毎年、名前を出さないようにしか感想を書いてないしな。本名の、「ふつーの女の子」たちの名前を列記するのは、「タカラヅカ」という「夢の世界」にそぐわない気がしてなー。
 つーことで今回もまた、名前は出さずにてきとーな感想いってみよー。

 
 このブログをはじめたばかりのころ、わたしは一度だけ「すみれ売り」を見学に行った。ちょーど無職になったところでヒマだったんだ。こんなにヒマなのは今だけだろうから、この際イベントごとはなんでも参加しちゃえ、という気分で。(まさかそれからずっとそのヒマ状態が続くとも思わずにな……)
 そーやって音校生時代からなんとなく見ていると愛着も湧くが、いきなり文化祭だけを見ても、ぴんと来ない。わたしのよーな一般人は、文化祭をリピートできるわけでもないし。1回限りの観劇じゃ、個人識別なんて難しい。
 いきなり文化祭だけを観に行った去年と一昨年は、とくに誰かが鮮明に印象に残り続ける、ということはなかったよ。

 されど今年は、劇団で音校生参加のイベントがあった。
 『花の道』なんちゃらかんちゃらというヤツ。イベント自体は「客をナメてんのか?」とゆーよーなひどいものだったが、部分的にはたのしめた。
 それに、音校生たちも参加していたんだな。

 『花の道』と言えば、サトリちゃんだ。
 わたしとサトリちゃんはふたりして「麻実れい様すてき〜〜!!」と意気投合、みょーに盛り上がっていた。

 そのサトリちゃんが言うんだ。
「大劇場公演観劇の日が、たまたま『すみれ売り』の日だったんですよ。そのときに、いいな、と思う子がいて……」
 ええ? どれどれ、どの子?
 『花の道』イベントでは、小林大先生様の指揮で歌うために、気の毒な音校生たちが狭い大階段にみっちり整列させられている。
 サトリちゃんが言うところの「あの子」は、わたしにはよくわからなかった。該当の場所にいる子を見ても、立見位置からじゃ遠すぎてよくわかんない。

 だもんで、そのとき見た顔も聞いた名前も、わたしはきれーに忘却した。

 
 そして、文化祭を観て。その日のうちに、仲間内前提の某所で感想を書き散らした。そっちでは、音校生たちの実名出して。

 そのあとで会ったサトリちゃんに言われたんだ。

「ねー? **さん、よかったでしょー?!!」

 そうか、**さん。
 『花の道』のときサトリちゃんが言っていた子だ!
 あのときは、ぜんぜんなんとも思わなかった。遠目で見ても、それほどきれいとか好みとか思わなかったし。
 名前も聞いていたのに、そんなのすっかり忘れていたよ。

 サトリちゃんオススメの子だってわかっていたら、もっとちゃんと、最初から注目していただろう。のーみそのシワの少ないわたしは、友人の言葉なんかきれーに忘れて観劇したんだ。

 最初から気になっていたわけじゃない。ネット全盛期のこの世の中だ、音校入学前の芸歴が取り沙汰されていたりするんで、開演前にプログラムを見て「ああ、あの芸歴をとやかく言われている子が、この子か」ぐらいの認識。
 実際に幕が上がってしまえば、そんなことはどーでもよくなる。てゆーか、忘れる、わたしのアタマぢゃ(笑)。

 そうやって、なんにも先入観の残っていないまま、観て。

 顔でなく「舞台人」としていちばん印象に残ったのが、そのサトリちゃんオススメの子だった。

 まず目につくのが、「笑顔」。
 ただ笑っているだけでなく、「わかった」笑顔なの。
 素顔はともかく、化粧顔はべつに美形ではない。線目。輪郭もあか抜けていない。
 だがこの線目男、アピールしまくるのだ。目を線にして笑いまくるのだ。
 客席にいて、確実に「目線」が来るの。「アナタを見ていますよ」てな笑顔が来るのよ。
 わたしは水くん似の某さんを眺めていたかったのに、気がつくとこの線目くんをガン見している。だってだって、向こうがわたしを見ているんだもん! わたしに微笑みかけてくるんだもん! おばさん、視線はずせなくなっちゃったよぉー!
 ……カンチガイでもなんでも、「釣られる」のはたのしいですよほんと。

 第1部はこの線目くんに持って行かれました。
 ポピュラー・ヴォーカルでちらりとソロがあったんだが、声がいちばん好みだった。他のお上手な人たちよりも、いちばん好きな声だったのよ。びっくりした。

 お芝居がどうなのか、台詞の声がどうなのかを知りたかったけれど、残念ながらこの線目くんは、わたしの観た回の芝居担当組ではありませんでした。あーあ。

 第3部のダンスでは、それほど見せ場はなかったかな。他の子に目移りしている間に終わってしまったよーな(笑)。

 第1部の「ヴォーカル」が、「舞台人」スキルをいちばん発揮できる演目だと思う。
 第2部の芝居や第3部のダンスは、純粋な「技術」の方に重点が置かれている気がして。まず下手っぴじゃ話にならんだろー、というか。とくにダンスなんか、個人技ではなく団体技であるせいもあるかな。スターひとりが踊ってあとはバックダンサー、とかではないからさ。抜け駆けナシ、調和が第一というか。
 でも第1部はソロやデュエットが基本、少人数で舞台に立つ。たったひとりで空間を埋めなければならなかったりするから。
 歌の技術はともかく(それほどものすげー差が出るもんでもない。下手な子はソロもらえてないし)、「自己アピールの仕方」には顕著に差が出る。
 所作や姿勢、「舞台」との関わり方に、本人の意識が出るのな。

 それでいちばん目がいったのが、サトリちゃんオススメの線目くんだったのだわ。
 あくまでも、わたしにはね。

 あとで調べたところ、この線目くんの初舞台口上初日は、4月4日11時です。……観に行けるかなあ?

 他の感想は、翌日欄に。


 第92期宝塚音楽学校文化祭、第2部の芝居『A MONOLOGUE』の話の続き。
 
 文化祭の感想というより、ただの芝居の感想。てゆーか、ただの萌え話(笑)。

 自分勝手な主人公ロベールくんと、そんなロベールくんにベタ惚れの親友くんについての話っす。

 
 結局のところ、ロベールくんは恋人と心中してしまうのだけど。ロベールくんの作戦と、王様たちの陰謀でごたごたしたあげくにね。いや、ほんとーに心中したのか、フェイクだったのか、明確な答えは出されていないのだけど、まあ世間的には「心中した」ことになる。

 ロベール死後の、親友くんだよ、ものすげーのは。
 ひとり1シーン基本のモノローグ芝居だから、親友くんが最後にもう一度出てくるとは思ってなかった。
 あれ、まだ出てくるんだー、と、思ってたら。

 親友くん、すでにトップテンション!!

「何故、ロベールを救うことができなかったんだあぁぁあ! そこまで追いつめられていたなんてぇぇえ! いや、追いつめられていたことぐらい、察していたはずなのに、僕はなにもできなかったああぁぁあ!!」
 てな意味のことをひとりでわめいて、慟哭してます。

 慟哭。
 まさに。

 それまでの芝居のカラーもムードも関係なく、親友くんひとりでものすげー嘆きっぷり。

 そ、そうか。
 そんなに好きだったのか、ロベールのこと。
 あんなにひどく罵られたのに、それでも彼を愛してたんだ。生きていて欲しかったんだ。

 その嘆きがあまりに激しすぎて、またしてもわたしはツボ直撃、笑いをかみ殺すのに必死。

 潔いまでにホモだな、君!(笑)

 すばらしいよ、そこまであの自分勝手な男を愛せるなんて! 君のことなんか、カケラも思い出しもせず、自分のことばっか考えていた男だったのに。

 
 なんつーかねー、この芝居、水コムで観たいよ(笑)。

 ロベールくん@コム姫、親友くん@水くん。

 ロベールって、マジでコム姫向きだから! 誰もが愛さずにいられない美貌の貴公子で、マイペースで自分のしたいことしか結果として絶対やらなくて。
 平民娘を愛しているのも本当だろうが、どーにもこーにも自分勝手というか、とどのつまり「ソレ、ほんとーに相手を愛してるの?」てな感じなとことか。でもそれがまかり通ってしまう雰囲気というか、キャラというか、魅力というか。

 そして、親友くんは絶対水くん。あの暑苦しさ(笑)。真面目さ(笑)。そしてなにより、ロベールへの片想いっぷり(笑)。
 コム姫に「君は不実な人間だ」と罵られて、マジでうろたえてほしい。「君に感謝されたい」と超自分本位な悩みを真面目に正当化してほしい。コム姫を救えなかったと、号泣してほしい。

 見たいよー、見たいよー。
 水コム〜〜。てゆーか、水くんの爆裂片想い〜〜(わたしは片想いスキー)。

 
 正塚のいいホモ芝居を観たわ、ひさしぶりに。昔の正塚は、これくらいのホモ濃度はデフォルトだったのにさー。最近はどうも薄くなってつまんなかったのよねー。

 でも、この芝居でここまでたのしめたのには、脚本だけてなく、やっぱり役者の問題もあったとは思うよ。
 役者……92期の生徒たち。

 登場人物24人全員に名前がついていて、プログラムには役柄の説明がなにもないので、芝居中に名前を呼ばれるキャラクタ以外は、誰が演じている、なんて名前のキャラなのかわかりません。
 しかも、この配役表が謎でね。
 主役がいちばん上、という書き方をしていないの。
 芝居は1組と2組に分かれ、1組が12時公演、2組が16時公演に出演。それぞれ同じ芝居をやる。
 配役表はなんと、1組の出演者の名前のあいうえお順なの。
 1組はいいよ、「あいうえお順か」ってまだわかるから。
 2組は、1組の人の「あいうえお順」に並べられた「役名」順になってるの。
 なんじゃそりゃ。
 わけわかんねー。

 つーことで、芝居で名前を呼ばれたキャラ以外は名前がわからず、役の大きさ重要さで判断することも出来ず、演じていた生徒の名前もわからない。

 親友くんの役名は、なんていうんだろうねえ?
 ロベールくん、一度も彼の名を呼んであげないもんだから、わからずじまいだったよ(笑)。

 2組で親友くんを演じた男の子。
 正直演技はまだまだだし、化粧顔も体型もそれほどきれいだとは思えなかったんだけど。

 しかし。
 顔ぐちゃぐちゃにしてマジ泣きしながらの慟哭芝居、空気無視のトップテンションは、大変愉快だった。
 いやあ、その自爆上等の全力疾走はすばらしい。
 小器用に小さくまとまったりせず、そのまま爆走してくれ。そつなく格好悪くなく、8分目の力なんかで勝負することをおぼえないでくれ。
 かっこわるくていいから、鼻水垂らしながら慟哭してくれていいから、誠実な演技をしてくれ。
 その芸風を、大切にして欲しい。

 その体当たりっぷりがあったからこそ、この「文化祭用芝居」でしかない実験作品に、こうまで萌えられたのだから。


 萌えはどこに転がっているかわからない。

 音楽学校文化祭で萌えました。
 
 雪組『ベルばら』感想の途中だけど、いい加減忘れそうなので、ここいらで第92期宝塚音楽学校文化祭の話を書いておこう。いやその、テキスト自体は観終わってすぐに書いてあったんだけど、UPするタイミングを失っていてねぇ……。

 でもって、まずは萌えの話。

 あー、ガキンチョに萌えたわけではありません。かん高い声の、本名まんまの女の子たちが演じる男役未満に萌えることはまぁないです。微笑ましく見つめるのみで。
 芝居だ芝居、萌えたのは。作品。

 正塚晴彦作・演出『A MONOLOGUE』。

 ひさしぶりに、正塚のいいホモを観たよ。
 物語の舞台は、どっかの劇団の稽古場。中世貴族の悲恋モノ芝居のオーディションを受けるために、若者たちがあーだこーだやっている。
 どっかで見たよーなハナシ。劇中劇のストーリーも、劇中劇について話し合う劇団員というハナシも。
 89期文化祭の正塚芝居もこんなじゃなかった? 自分たちが演じる芝居について、劇団員たちが話し合う、つーの。
 今回チガウのは、劇団員と劇中劇の人々が同じなことかな。89期のときはチガウ人たちがやっていたよね。
 つまり、時代物の人たちがドラマティックに大仰な物語を展開しているかたわらで、現代人の男の子や女の子たちがその物語について語っている。このふたつのパートが完璧に分かれていた。
 今回は、語る現代人も、劇中劇の時代物のキャラも同じ人たちが演じている。いかにもな正塚喋りの現代の男女が、ひとたび役になりきるとクラシックな「台詞」を喋る時代物のキャラクタとなる。そのギャップをたのしめ、てか。

 演じている生徒たちのことは、今は置くとして。

 たのしかったのは、この劇中劇。
 主人公のロベールくんは、大貴族のボンボン。すべてに恵まれ、すべてを備えた好青年らしい。
 彼をめぐって国家規模(笑)の陰謀が企てられる。
 当事者にとっては大変だし、たしかにまあ、国王自ら立案執行している陰謀だから国家規模なんだけど、やっていることはかなりセコい。
 ロベールくんちがお金持ちなんで、びんぼーな王様がそのお金を横取りしようとしたんだな。
 ロベールくんにラヴラヴな恋人がいることを知っていながらお姫様との結婚を迫り、「断ったら領地没収だ」てなことに持ち込むつもり、と。
 そのことがわかるだけにロベールくんは憤慨。やり方が汚いじゃないか!
 ロベールくんの両親はもちろん「お姫様と結婚しなさい」と言うし、身分違いの恋人は自ら身を引こうとするし。
 追いつめられたロベールくんは、ある作戦を思いつく。題して「ロミオとジュリエット大作戦」。うまくいけば家も王家の対面も守り、恋人とちゃっかり新生活できる!!
 しかし、そんなロベールくんの作戦すら、王様たちはお見通しで……。

 というストーリーラインにおいて。
 愉快だったのは、ロベールくんの親友。
 こいつがもー、爆走ロベールLOVE男でね。
 愉快だった。ものすげー愉快だった。

 なにしろ文化祭作品なので、24人の出演者全員に見せ場を!趣旨で作られている。
 主人公ロベールとその恋人以外のキャラは、ひとり1回の出番が基本。1回出てきて自分の立場や気持ちを独り言のよーに話し、次に自分が取るべきアクションについて語る。そうすることによって、物語が進んでいくのね。この人がこうする、それを受けたこの人がこうした、そしてそれによって次の人がこうした、と。モノローグによってハナシが展開していくの。
 親友くんのモノローグ、アツいアツい。ロベール相手に話しているときもそのラヴっぷりがすごかったが、ひとりになって独白しはじめると、もう……!!
 頭の中、ロベールのことだけなの(笑)。

 ロベールが取るべき最良の方法は、平民の娘との恋をあきらめ姫君と結婚すること。
 でも親友くんは、ロベールが恋をあきらめれないことを知っている。
 だから言うんだ。
「姫君の夫となっても、恋人を変わらずに愛してそばに置いておくだけの度量はあるだろう?」
 てなことを。
 恋人のことは愛人にしちゃえばいいじゃん。ソレでなに食わぬ顔で姫君と結婚しちゃえ。それがいちばんだよ。
 それに対し、真面目なロベールくんはぶち切れる。

「君から、そんな不実な言葉を聞こうとは!!」

 不実って、そんな。
 親友くんは、誰を裏切り誰を傷つけようと、ロベールくんのことだけを考えたからこそ、そう言ったのに。それを「不実」と言い切りますか。
 怒りと軽蔑をぶつけられ、親友くんオロオロ。

 わたしこの、「不実」のひとことに萌え狂いました(笑)。
 愛ゆえになにも見えなくなっていた親友くんの、いちばん痛いトコを突いてきたわけだから。
 親友くんの人格否定にまで至る、容赦ない罵倒だよ。

 愛するロベールにそこまで言われ、親友くんはうろたえながら、それでも必死になって、そっぽを向くロベールに取りすがる。
「どうか、早まったことだけはしないでくれ」と。

 早まったこと……思いあまって、平民娘と駆け落ちとか、心中とか。王様への反抗とか。
 なにをどう言われようと、親友くんが心配するのはただひたすら、ロベールくんのことだけなんだ。

 さて、モノローグ芝居なんでこのあとロベールくんが退場、親友くんのモノローグになる。
 ひとりでロベールくんのことを心配し、ひとりであーだこーだ言い続けるわけだな。

 このひとりごとが、またツボ。

 ロベールにとっていちばんいいのは、姫君と結婚すること。
 でも、平民娘と別れられないと言うなら、姫君と結婚して平民娘は愛人にするしかない。
 それが大人の判断。
 「不実」だと罵られたとしても、これがロベールを守る方法。

 だが。
 そこまで「大人の判断」をしていながら、たとえロベールに憎まれても軽蔑されても、彼を守りたいと思っているはずの、親友くんだったが。

「平民娘との愛を貫け、と言って、君に感謝されたいという欲望に負けそうになる」

 なんてことを、苦悩しながら口走るんだよこの男!!

 ちょっと待て。
 「愛を貫け」と言ってやりたい、まではわかる。だが、そう言うことによって「ロベールに感謝されたい」という欲望って、なんだそりゃ??!

 ロベールに愛されたいのか。
 彼によく思って欲しいのか。
 平民娘との真実の愛とか、ロベール自身の気持ちとかとは関係なく。

 親友くん自身が、ただ、ロベールに愛されたいだけなのか。

 ……こ、このホモめっっ!!(笑)

 大真面目に、時代物らしい大仰な言い回しで、なにをやってるんだよ正塚晴彦! 

 この段階ですでに、わたしは内心腹を抱えて笑っていた。
 なんなんだ、この男たち。おもしろすぎるぞ。

 親友くんの一方通行な愛と、そんな彼を見向きもしないで自分の事情だけに手いっぱい、不幸に酔っているロベールの狭量ぶりが、もお、ツボでツボで。

 長くなったので、ここでいったん切る。翌日欄へ続く。


 わたしは断言できる。

 彼が最期に見たものは、ペガちゃんにまたがるオスカルだ。

 役替わりコンプリートめざしてムラ通いしてます、雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』アンドレ3人目は水くんです。
 星『ベルばら』は立見とB席でしか観なかったくせに(東宝含む)、雪『ベルばら』はSだのAだので観ています。だってだって、オサ様や水くんは、ちゃんと見たいんだもん(はぁと)。
 つーことで今回はリッチにS席、最前列です。いつもの下手端!

 ミズドレに関しては、なんの心配もなかった。オサドレに対して 期待 危惧していたようなダメダメっぷりなど、カケラもない。
 水くんの芸風に、アンドレ役は合っている。てゆーかこの人、コムちゃんのこと愛しているのはデフォだよね? や、変な意味ぢゃなく(笑)。
 だからなんの心配もなく、ただ、「水コム! 水コム!」と拳を振り上げ、純粋にたのしむために行ったんだ。

 そーして、気づかされてしまった。

 わたしはこれで雪『ベルばら』は3回目だ。
 最初に見たときは、大爆笑だった。
 腹がよじれるほど笑った。それだけで、終わってしまった。
 2度目に見たときは、1回目のように笑えず、ムカついたり退屈だったりとあちこちつらくなっていたけれど、オサドレがダメダメ過ぎて笑えたので、なんとか場がもった。

 しかし3回目のミズドレは……。

 つ、つらい。
 作品が、つらいっ。

 笑えなくなったらコレ、つらいよおおぉ。
 生理的嫌悪に満ち満ちてるよぉ。
 壊れてる壊れてる壊れてる。その壊れ方が、気持ち悪いよぉ。

 ミズドレにはなんの不満もない。正しくアツく、素敵なアンドレだ。
 とくに突っ込むところがないだけに、作品のつらさの方が大きくなってしまった。……って、それってどうなの?(泣)

 いろんなところでアタマを空っぽにし、不快な壊れた日本語を、耳には入れても意味は考えないようにし、ただ眺めてたのしむようにつとめた。
 最前列でもたのしめない作品って、ある意味すげえ……。

 つーことで、お笑いマジックの切れた雪『ベルばら』に辟易しつつ。

 ミズドレを堪能。
 

 ワタドレのときは、作品自体に爆笑していて気づかなかった。オサドレのときは、オサドレ自身に爆笑していて気づかなかった。
 ミズドレになってはじめてわたし、気づいたの。思い至ったの。

 あのクソ恥ずかしいクレーンペガサスって、アンドレの妄想なんだよね?

 実際にオスカルがあんなことになっているわけでもなく、肖像画にそう描かれているわけでもなく。
 よせばいいのにアンドレが勝手に脳内妄想で盛り上がってるんだよね。

 ……なんであんなみょーちくりんなものを妄想するんだアンドレ!!
 悪趣味にもほどがある!!

 いつもついうっかり、ペガちゃんが出てくるとそっちを見ちゃうんだけど。
 今回は水くんが目の前を通って下手セリに消えていくから、ペガちゃん無視でミズドレだけを見ていたの。

 そしたらミズドレ、すげーうれしそうでねええぇ。
 うっとりしてやがってねぇ。

 下手セリに消えていくのが、わたしの真横なわけですよ。1mあるかないかの距離なわけですよ。
 セリに乗っちゃうと本人は静止するから、ずーっと同じ表情のまま、固まっているわけですよ。

 水くん、目がカマボコ状態。

 なんなのその表情!!
 イッちゃってる! イッちゃってるよーっ!!(笑)

 そう。
 彼は、夢を見ているのです。
 愛するオスカルがペガサスに乗り、宙を駆けていく様を。
 彼の脳内にあるもの、それが、わたしたちが今目にし、ブリザードな気分を味わされている、「クレーンペガちゃん」なのです。

 ミズドレ、趣味悪すぎるから! 夢見過ぎだから!
 アンタの愛してるコムカルは、そーゆー人ぢゃないから。アンタが勝手に脳内で誇張しちゃってるだけだから。落ち着いてよちょっとぉーっ!

 ……と、胸ぐら掴んでわめきたくなりました(笑)。

 
 そう。
 「夢見過ぎ」。
 この言葉は、ミズドレのためにある言葉です。

 なにしろわたしの席は、隅っこなので。みんなが大嫌いなタケノコ席なので。
 真横から舞台を見るので、センターからは見えにくいものもよく見えちゃったりします。

 「毒殺」騒ぎのとき。
 愛をわめきながらアンドレは、オスカルを抱きしめます。「動かないで聞いてくれ」と言って、抱きしめ、次にくるりと向きを変え、最後にすがりつくよーに膝を折ります。
 オスカルの、腹のあたりに顔を押しつけます。あまりのことにぼーぜんとしたオスカルが、「それで、どーしよーというのだ?」と言うまで、腹だか腰だかを抱いて、顔を押しつけています。

 このとき、オスカルが正面を向いているため、アンドレは観客席に背中を向けているのですが。

 横からだと、アンドレの顔もよく見えるのだわ。

 ミズドレは、陶然とした顔で、コムカルの腹に顔を押しつけてます。

 う、わー……うっとりしてるよー……やべーよー……。

 なんか夢見てるよこの人……。

 万事この調子でねえ。
 ミズドレ、ナチュラルにヤバい人っぽい(笑)。
 まあ、こーゆー役作りなら、「俺のモノにならないなら殺してやる」なストーカー思考も納得だけど。

 温度が高いのも、コムカルを大好きでたまらないのもわかるから、ちょっと「アタマが夢見てる人」でもぜんぜんOK。つか、あんだけかっこよかったら、彼は正義ですよ(笑)。
 ビジュアル最高。わーん、素敵。
 たとえ、ときどき目がカマボコになっていても(笑)、素敵。

 ミズドレの脳内のコムカルは、「ペガサスに乗っているのがデフォ」なんですよ。いやいや、「天使の羽根」ぐらい、すでに生えてるかもなー。
 そんな幸福な彼ですから。

 撃たれまくった最後に「オスカル……」とうれしそーに笑って手を差しのべるその先には、まちがいなくオスカルがいたはず。
 それも、現実のクールでオトコマエなオスカルではなくて。

 ペガちゃんにまたがった、まちがったドリーム全開のオスカル様が!!

 
 もしも、最期の瞬間のミズドレの脳内を眺めることが出来たら……植爺も真っ青な、ベッタベタの「昭和」なドリーミー・コムカルが見られたことでしょう。

 
 ……と。
 作品に辟易しつつも、水くんの芸風にはたのしく妄想させていただきました。
 ありがとう水夏希。
 大好き。

 
 
 でもね。水くんは、アランの方が100倍いい男だわ。


 春野寿美礼は、ほんとーにダメな人だなあ。と思う。

 雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』特別出演アンドレ役を見て。

 
 他に書きたいこと、書くべきことが溜まっているが、明日(新公日のことだな)ミズドレを観に行ってしまうんで、先にオサドレの話を書いておく。
 カシドレは千秋楽を観劇予定。『ベルばら』なんぞ最低回数に抑えたいので、役替わりは1回しか観ない。楽を取っちゃったから、かしちゃん見るのは我慢我慢。
 ……そーいやアサドレだけチケ取りするの忘れてたんだけど、見られるのかしら。

 
 今回の『ベルばら』祭りにおいて、いちばん注目したことが、なにを隠そうこのオサ様アンドレだ。最初に発表されたときから、「絶対見る」と決めていた。『ベルばら』に絶望し、しばらくムラに近寄らなくなったとしても、新公とオサドレだけは見ようと決めていた。
 もちろんそれは、わたしがオサファンだっつーのもある。ある、が。

 これほどおもしろい組み合わせがあるか? ……ネタとして。

 オスカルは、クールいちばんのコム姫だ。ひとを愛する演技は苦手。……とゆーか、そもそもそんな演技をする気があるのかどうかすら、よくわからないひょうひょうとした人。
 それに対するアンドレが、ナルシスト自分うっとりのオサ様だよ?
 これほどやばい芸風のふたりが「今宵一夜」やるの?

 90周年大運動会のとき、賞を取ったのはふたりなのに、コム姫はひとりでとっとと表彰されてしまった。他の人たちはみんな、ふたりそろって表彰台に上がっていたのに。置き去りにされたのは、寿美礼ちゃん。……同期なのに、この揃わなさはナニ?(笑)なふたり。
 ナチュラルに息が合わなさそうなマイペースな色男ふたりで、世紀の恋人たちをやりますか。
 ……劇団、ほんとなにも考えてないな(笑)。

 組み合わせを聞くだけで「ぜってー観てぇ(笑)」と思わせる、無謀なキャスティング。
 チケ取りするときも、「友会入力、他の日付は全部B席でいいから、オサドレの日だけはSSで!」と言い(自分も友人たちもみんなはずれました)、一般発売日は「チェリさん、一緒にオサドレ観ようねっ」と騒ぎ……(土壇場で、「やっぱオサ様より水くんが前で観たい」とミズドレ最前列を買う)。
 ちょっと空回りましたが(笑)、最初からすげー気合い入れてチケ取りに臨みましたよ。

 ああ、そして。

 
 期待を裏切らない、ダメっぷり!!

 
「オサドレはどうでしたか?」
 という質問に、胸を張って答えられる。

「アンドレのコスプレをした“春野寿美礼”が、たのしそーに朗々と歌っていたわ」

 わはははは。

 アレ、アンドレぢゃないです。
 アレは、「春野寿美礼」です。

 寿美礼ちゃん、演技する気、ないだろ(笑)。
 イベントだもんな。TCAと同じだよな。

 オサ様、なんかこー、たのしそうでねえ。
 特出はじめてで、お客様扱いで、軍服でマントで、すっげーたのしそう。
 てか、笑いすぎだから。
 アンドレがんなにニタニタしてんぢゃないわよぅ。

 そこにいるのは、「春野寿美礼」。アンドレぢゃない。
 星『ベルばら』に出た各組2番手さんたちは、それぞれ工夫して、個性を出して、本気で役替わりに取り組んでいたのに。オスカルになりきろうとしていたのに。
 雪『ベルばら』特出アンドレ、トップバッターのワタさんだって、フェルゼンより向いてるとはいえ、真面目に役に取り組んでいたのに。
 ……オサ様と来たら……。

 オサ様がハナからアンドレやっていない横で。コム姫がまた、オサドレに合わす気なんかさらっさらなく、「まちがったオスカル像」のままマイペースに快走しているし。

 なんなんですか、この『ベルばら』。

 脚本もひどいうえに、主役ふたりがさらにバラバラ。
 どこへ行くんだ、『ベルサイユのばら』。

 面白すぎる。

 「愛」も「温度」もない「今宵一夜」に爆笑し、双方見つめあうことのほとんどない「ガラスの馬車」に爆笑しました。

 そしてすばらしいのが、フィナーレ。
 性別不詳の美しい生き物コム姫と、特出トップスターが絡んで踊る大階段ダンスで。

 コム姫とオサ様が、互いに関係なく自在に踊っていた姿に、心奮えました。

 オサ様は、「オレ様No.1、オレ様トップスター」って感じだし、コム姫は、「我関知せず」って感じだし。

 すごーい。相手役じゃないんだー。
 トップスターがふたり、なんだー。

 変だなあ、ワタさんのときはちゃんと、相手役だったのになー。ふたりで踊ってるよーに見えたのになー。

 
 ほんとにねぇ。
 オサちゃんってほんと、ダメだよなあ。
 なんでそう、ナルシー一直線なんだろう。演技しようよ。合わせようよ。オスカルが主役で、アンドレはその相手役なんだからさ。

 でもさ。

 わたし、星『ベルばら』のキリカル見たときに、「『ベルばら』って、歌のうまさはあまり関係ないんだな。それよりも、はったりを利かせられるかの方が意味が大きいんだ」と思ったんだ。
 ワタさんの歌も、きりやんの歌も、それほど差がないよーに思えてしまったから。きりやんはこーゆー大仰な歌より、ミュージカルナンバーの方がうまいよな、とか。

 それ、撤回する。

 オサ様の歌聴いて、「歌のうまさ、関係ある!」って思った。
 てゆーか、すごかった。

 響き渡る、美声。

 う・わー。
 『ベルばら』ソングなのに。大仰で古くさくてハッタリ命の曲なのに。

 オサ様が歌うと、こんなに心地いいの?!

 銀橋を歩きながらたのしそーに朗々と歌う、それはまちがいなく「アンドレ」ではなく、ただの「春野寿美礼」で。
 この人、ここにナニしに来てんだろう、とアタマを抱えたくなるくらい、場をぶち壊していて。

 なのに。
 ああなのに。

 なのに、素敵すぎる。

 アンドレとは関係ない、「春野寿美礼」の笑顔に、めちゃくちゃ癒される。

 
 春野寿美礼は、ほんとーにダメな人だなあ。と思う。

 でも。
 それと同時に。
 それ以上に。

 ほんとーに、どうしようもなく、魅力的な人だなあ。と思う。

 ああ、もお。
 大好きだ。


 アンドレ出番ナシ、存在価値疑問な今回の『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 まさかここまでひどいことになっているとは思わないから、わたしもkineさんもいそいそ観に行きましたよ、我らが湖月わたる出演日。

 脚本がどうあれ、演出がどうあれ。

 アンドレ@ワタさんは、すばらしい。

 そーいやワタさん、つい数日前まで星組でフェルゼンやってたんだねええ。星『ベルばら』ではわたし、イベントである特出オスカル見るのに必死で、フェルゼンってほんとろくに見てなくて。
 わたしのなかでは、あまり「フェルゼン」というキャラのイメージがついていないの、ワタさんに。や、なにしろあんま見てないから。
 見ていなくても、そこにいてくれるとうれしい、安心感のある人だから。油断していられるというか。

 だもんでワタさんが「アンドレ」としてそこにいるのは、とってもナチュラル。
 それ以外の姿を思い出せないくらいに。

 わたしは、ワタドレを見るのははじめて。
 『2001』のときの役替わりは見ていない。だってアレ東宝だけだったしな。当時のわたしは、星組にもっとも馴染みがなく、馴染みのない組の役替わりを観に東宝まではとても行けなかったのよ。それに、もし観に行く機会があったとしても、アンドレ役を選べたなら、ワタさんより樹里ちゃんを選んでいただろうし。
 ワタさんがアンドレが似合うことなんか、最初からわかっていたからあんまし興味なかったんだよなあ。
 で、もちろんビデオも見てないしな。ナマで観られなかったら、それでおしまい。

 そーゆーわけで、はじめてのワタドレ。
 しかも、相手がコムカル。

 期待しないわけがないぢゃないですかっ。
 ワタコム、ワタコム!! 大好物ですよ、わたし!!
 ワクテカしながら席について、そして。

 
 コムカルの、あまりのオトコマエさに泣く……。

 
 コムカル、男いらんやん……アンドレいらんやん……。

 そりゃ脚本も悪いよ。悪いけどさー。
 外見は完璧な「オスカル」なのに、中身はふつーの「オトコマエなにーちゃん」だぞありゃ。ロザリー相手のときとか、どこが女なんだ。

 コム姫は、トップになってキャラ変わったと思う。それ以前は外見に相応しい美少年キャラだったし、押し出しの弱さとかたよりなさがあったんだけど。
 トップスターとして君臨して数年、んな弱い芸風持ってないって。外見に騙されがちだけど、この人すげー強ぇよ。オトコマエだよ。小柄で華奢なだけに、体格いい人がオトコマエなことよりすげぇよ。

 『月夜歌聲』で「アンドレとオスカル」とほぼ変わらない役を演じたはずのふたり。
 あのときはねえ、すごい似合いのふたりだと思って見てたんだけどねえ。いやその、あの作品にはいろいろ言いたいことがあってね、しいちゃんのダメっぷり(笑)とか、ワタさんの歌のものすごさとか、京劇長すぎだろとか、いやそれ以前にどっかで見たまんまの話をなんとかしろとかな……。
 ワタコムの並びは大好きだったけど、あのときはコム姫が「男装の麗人」ではなく「ふつーに女の人」だったんで、わたしの腐女子ハートはあまりときめかず、1回観て残りのチケットはさばいちゃったんだわ。

 『月夜歌聲』のときは、「女の人」だったのよ、コム姫。男として育てられていても、ふつーに女の人。
 そして、ワタさんを愛していることもわかった(笑)。

 ところが、どーしたこったい。

 本家本元の「アンドレとオスカル」をやって、コム姫が「女の人」にも、「ワタさんを愛している」よーにも見えないのは、どーゆーことですか?!

 ワタさんは専科時代より確実にうまくなっている。あらゆる意味で。年輪を重ねることによって、さらにいい男になっている。
 そのワタさんをしても、コム姫を「女」にできないっつーたらアンタ……。
 問題は、絶対コム姫の方だろう(笑)。

 ま、そんなとんでもない男らしいオスカルを相手に。

 ワタドレは、それでも包容力を発揮していた。

 ……必要とされていないのに。コムカル、ひとりで生きていけるのに。
 そんなヤツ相手に、さらに上を行く温度と包容力。
 ワタドレすげえ! すげえよ!!(笑)

 コムカルの温度がどれだけ低かろうと、そんなもん関係なくワタドレは加熱する。

 鉄でも石でも、抱きしめていれば熱が移るんだよ。相手の温度を変えることができるんだよ。
 ワタさんに、それを見せてもらった。

 すばらしーのは、「毒殺」シーン。
 ワタドレ、熱い熱い。
 そのヒートウェーブに巻き込まれて、クールコムカルが翻弄されているのが、素直に心地よい。

 なにしろ「毒殺」だからねえ。人として間違ってる、暴走しているシーンだからねえ。
 これを「変態ストーカー男の所行」にしないために、どう演技するか。アンドレ役の技量が問われるところさ。

 ワタドレはその圧倒的な「熱」でたたみかけた。
 コムカルは、その「熱」に素でおどろいているように見えた。平熱の低い人が、いきなり熱風かけられて目をぱちくりしている感じ。

 ワタさんの場合、なんといってもあの体格がすばらしいんだよなあ。
 彼の芸風を確立する、恵まれた体格。

 あの長身で、力任せに抱きしめられるんだよ?

 コム姫、つま先浮いてます!!

 きゃあ〜〜っっ、アイーダちゃん現象!!
 『王家』の銀橋ラヴシーンでなにが萌えだったかって、コレよコレ!
 ラダメスに抱きしめられたアイーダの、踵が宙を彷徨いつま先が浮くの。
 『キャンディ・キャンディ』世代にはたまらない萌え萌え萌え〜な胸キュン・シチュ。

 コムカルのつま先が浮き、「翻弄される」という言葉が相応しい激しさで振り回されるの。抱きしめられるの。
 コムカル、あれほど男らしく低温だったのに、素で呆然としているの。

 ……たまりません。
 こんな萌えシーンを見せてくれるとは。
 ワタドレすげえよ。すげーすげーすげー!
 オトコマエ過ぎてどーしよー、だったコムカルが、ふつーに女の子に見えるよ!

 湖月わたるってのは、得がたい人だよ。
 どんな女も、その大きさで懐の広さで、「女の子」にしてしまえる。

 そして女たちは、求めているからね。
 どんなに強い女だろーと、おばさんだろーと、百戦錬磨の男遊び女だろーと。
 自分を、その腕の中で「女の子」にしてしまえる男を。
 少女のころの自分に、いちばんきれいだった、頼りなくて儚かったころの自分に戻してくれる、そしてそれを「赦して」くれる男を。
 本能の部分で、求めているから。

 湖月わたるは、すばらしいんだ。

 相手役だけでなく、観ているものの「少女」まで引き出す力。

 コムカルがあまりにオトコマエであっただけに、それにまったく負けていない、負けたままではいないワタドレに、心から感動しました。
 ……これでコムカルにもっと色気があればどんなに……とか思うのは、もう詮無きこととしてあきらめましょう(笑)。

 
 そして。
 このとてつもない脚本と、とてつもなくオトコマエなコムカルと、ハートフルで包容力あふれるワタドレを観ていて。

 オサドレに不安が募っていくのですよ……。どんなアンドレとオスカルになるんだよ……。


 アンドレ役が特出であり、お稽古時間を取るのが難しいためだろう、彼の出番は極端ら減らされていた。
 主役の相手役の出番を減らす、ということが「作品」の屋台骨をどれほど揺るがすか−−わかりやすい失敗例が今回の『ベルサイユのばら−オスカル編−』だ。

 アンドレがぜんぜん出てこない、オスカルひとりでなんでも、なんとなくこなしてしまうもんだから、「オスカルとアンドレのラヴストーリー」としての意味が薄れてしまっているんだな。

 もちろん、悪いのは脚本だ。
 ここまでアンドレを無意味にしてしまうなんて、ありえない。

 しかし。

 脚本の壊れっぷりに拍車をかけているのは、まちがいなくコム姫だ。

 朝海ひかるの持ち味は「クール」だ。
 よくも悪くも低温。

 役がどうであれ、本人の気持ちがどうであれ、あくせくしているように見えないし、情熱があるようにも見えない。
 少年のような瑞々しい美貌と華奢な身体、中性的・女性的でありながらも、オトコマエな芸風。
 マイペースでクール、ドライな持ち味。

 それはコム姫の魅力である。

 ええ。魅力ですとも。わたしはそんなコムちゃんが大好きだ。

 されどこのコム姫のコム姫たる持ち味が、オスカルにはまったく合わない。

 
 もお、おかしくておかしくて。
 愉快で仕方がない。

 ただでさえぶっ壊れている笑える話を、コム姫が、華麗により強力にぶっ壊しているんだもの。

 
 オスカルという役には、温度と湿度が必要なんだ。ホットでウェットでなきゃイカンのだ。
 一見クールに軍服着て指揮官をやっていても、実はかなり頑固で熱情的で繊細な人だもんよ、オスカル隊長。
 悩んだり怒ったり泣いたり、なにもかもが激しい、ものすげー人間くさいキャラクタだ。
 だからこそ、貴族に生まれ育ちながら、現体制に疑問を持ち、革命に参加するようになるんだから。

 オスカルの人間的な葛藤が、時代を超え世代を超え、共感を生むんだ。
 彼女の持つ悩みや迷い、痛みや理想は、時代に関係なく誰もが持つ普遍的なものだからだ。
 仕事であれ恋愛であれ家庭問題であれ、いつも壁にぶつかりグダグダ悩み苦しみ、それでも自分の力で超えていく。
 だからオスカルは愛される。
 スーパーマンじゃないから。等身大の「人間」だから。

 なのに。

 コム姫オスカルってば、悩みなさ過ぎ。

 葛藤なんか、どこにもない。
 強い。ひたすら強い。
 超絶オトコマエ。

 余裕の微笑みを浮かべながら、障害を障害ともせず、ひらりと超えていく。

 ただでさえアンドレの出番が少なくて、存在価値が薄れているというのに。
 コム姫が強すぎる、クールすぎるから、ますますアンドレの立場がない。 

 このオスカルなら、無人島ででも、ひとりで生きていけるよ。
 誰かの手なんて、必要ないってば(笑)。

 
 恋愛面だけでなく、生き方においても迷いがまったくない。

 貴族に生まれながら革命に参加することになるって、ものすげー葛藤があるはずなんだがなー。
 登場からすでに、平民の衛兵隊員たちと共に生きる気満々だろ。衛兵隊転属を決めたところから話がはじまるわけだが、そのときにはもう、革命まで行っちゃう気だろ。カケラも迷ってないだろ(笑)。

 悩みも葛藤もなく、自分の生きたいように人生を軽やかに進む。
 そんなの、オスカルぢゃない(笑)。

 家族も必要じゃないし、男(恋人)もいらない。クールで余裕。
 そんなの、オスカルぢゃない(笑)。

 オスカルぢゃない。オスカルぢゃないよ?
 でも、どうせコレは植爺のめちゃくちゃ『ベルばら』だから。
 オスカルが「強い」という意味で別人でも、ぜんぜんOK。
 いやむしろ、痛快だ。

 男になんか頼らない。ナヨナヨしない。それどころか、自分に惚れているバカ男を利用してやる。
 「女のくせに」と難癖をつけるバカどもを冷笑、「あなたは女なのよ」押しつけてくる狭量女たちに上辺だけ笑顔。どちらもてきとーにあしらう。
 足枷でしかない家族や旧体制たる貴族社会を捨てて、自分に心酔しているイケメン兵士たちを引きつれ、第2の人生へGO!
 −−そんな、クールでふてぶてしいさまが、愉快で愉快で。

 
 コム姫がどういうつもりで演技しているのかなんて、知らないよ。
 ただ、わたしにはそう見えるんだってば(笑)。

 
 爆笑した。

 『ベルばら』というものを、しれっとぶち壊していくコム姫に。

 コム姫ソレ、チガウから! オスカルは、『ベルばら』は、そうじゃないから!!

 でもそんなところが、たまらなく好き。

 確信犯に見えてくるよ。
 植爺のアホウさ加減も作品のめちゃくちゃぶりも全部わかった上で、それに翻弄されているふりで、黙って従っているふりで、それらすべてを、飛び越えていくの。
 それこそ、あのバカバカしいペガちゃんに乗りながら悟りきったような、すがすがしい笑顔をしているように。

 いいなあ、コムカル。うっとり。

 
 だがもちろんソレは、コムカルが完璧に美しいという前提あってのことだ。

 コム姫演じるオスカルは、外見だけでいうなら、まさに完璧。これほど「オスカル」という記号に相応しい人がいるだろうか、という似合いっぷり。
 そこにいるだけで「あっ、オスカル様だ!」と思えてしまう、「男装の麗人オスカル」を表現している。軍服もマントも、フリフリブラウスもなんでもござれ、男の格好をして凛々しく、されど女性だということもわかり、かといって女々しくもない。この絶妙のバランス。

 この「完璧な外見」があるからこそ、あの「ソレ、オスカルぢゃないから!」な芸風が活きるんだ。
 植爺なんか絶対、外見で誤魔化されてるよ(笑)。コムカルが植爺らしさを全部ぶっ壊し、否定して存在していること、気づいてない(笑)。

 ものすごーく理不尽な校則があったとして、「こんな校則守るもんか。フン!」って逆らっても、なんにもならないでしょ?
 不良がいくら、「まちがっているのは学校だ。だから俺は従わないんだ」と言っても、なにも変わらないでしょう?
 それよりも、いい成績を取って教師たちに気に入られ、他の生徒たちの人望を集め、生徒会長になるなりして「理不尽な校則」を廃止するよう働きかける方が現実的でしょう?
 教師だって人の子、「反抗的な不良」の言うことには耳を貸さなくても、「素直で真面目な優等生」の言葉には耳を傾けるでしょう?

 コムカルの「外見」と「中身」のギャップに、そーゆーしたたかさを感じるの。

 植爺がよろこぶ「完璧なオスカル」の姿を作り上げ、そのくせ舞台の上では植爺の女性観と正反対の「自立したオスカル」を演じる。

 コムカルには、弱さがない。葛藤がない。
 ひとりで生きていける。
 誰よりも強い。

 「女であること」を強要する、あのアタマの悪い家族たちの前でわざとらしく甘えてみせ、ストーカーアンドレを色仕掛けでコマし、衛兵隊隊士たちの前ではニヒルに笑う。
 究極のシングル・ウーマン。

 かっこいい。

 かっこいいよ、コムカル!!

 どんなにオスカルとしてまちがっていても、話をぶち壊していても、大好きだ。
 気持ちよく、爆笑させてもらったよ。


 抱腹絶倒『ベルサイユのばら−オスカル編−』
 笑いポイントだけでできあがったよーなこの話、ロザリーがどえらいことになってはいたが。

 オスカルにも、問題大アリだ。

 わたしは基本的に、ビデオを見ない。よっぽどのことがないと、わざわざそんなもん見ないさ。舞台も映画もナマが命、自宅のちっちゃなテレビで見たいとは思っていない。
 だもんで、わたしが語る記憶ってのは、ナマで観たときのことばかりだ。ビデオで補完したりしていないので、きっとまちがいまくっていると思うよ。プログラムも買ってないしな。
 何年前のことであろと、当時の記憶のみだもの。

 特に『ベルばら』なんて。ナマで観るのも苦痛なのに、ビデオ見るわけないじゃん。

 つーことで、わたしはすでに風化した記憶をたどる。以前に観た『オスカル編』……えーとえーと、涼風主役で月組だったな。トウコたちの初舞台だっけ? アントワネットやフェルゼンが出なかったんだよな?
 ロザリーとディアンヌ、準ヒロインがふたりもいて混乱したよなー。
 たしか、カリンチョとネッシーと天海のアンドレ観たんだっけか。なつめさんは苦手だったのでスルー。
 ビジュアルがいちばんアレだと思っていたカリンチョさんのアンドレがいちばんよくておどろいたことと、天海のダメっぷり(笑)ぐらいしかおぼえてねー。
 まああとはなんといっても、巨大スクリーンに大爆笑したことぐらいで。

 十数年前に数回観ただけの記憶だ。ろくにおぼえてない。
 そのおぼつかない記憶をたどりながら、首を傾げる。

 『オスカル編』って、こんなだっけ?

 
 『オスカル編』であろうと、『オスカルとアンドレ編』であろうと、基本はオスカルとアンドレのラヴストーリーだと思っていたの。
 いちばんの見せ場がふたりの結ばれる「今宵一夜」である以上、ふたりの物語だと思っていたのよ。オスカルとアンドレ、どちらに重点が置かれるかで『**編』と名前が変化するだけで、基本は同じだと。

 今回の『オスカル編』を観て思った。
 たしかに、主人公はオスカルだ。それはいい。
 だが、あくまでも、「オスカル」のみなんだ。

 アンドレがいない。

 とゆーか。

 アンドレ、いらない。

 えーと?
 『ベルばら』って、そーゆー話だっけ? アンドレいなくてもストーリー成り立つもんだっけ?

 
 物語はいつものよーに、オスカルとアンドレの出会いからはじまる。
 オスカル7歳、アンドレ8歳。
 剣の稽古をする子ども時代のふたりが木の後ろで本役と入れ替わり、30代になった大人のふたりが現れる演出は健在。

 「ふたりの物語」である限り、「ふたりの出会い」から描かれるのは正しい。おねーさまたちの花摘みうぜぇよというのは置いておいて、オスカルとアンドレが出会うエピソードが冒頭に来るのは正しいんだ。

 子どものころに出会ったふたりは、こーして大人になった今も、いつも一緒にいる。
 それを表現するエピソードは正しく機能している。

 なのに。
 こっから先が、おかしい。

 アンドレが、いない。
 出てこない。

 オスカルはひとりで衛兵隊に乗り込み、大暴れする。
 ひとりで、ロザリーに結婚の世話を焼いたりする。
 ひとりで、衛兵隊隊士たちに子守歌を聴かせて心酔させる。

 1幕はテンポ最悪でいらないシーンばかりなんだが、いちおーここでの「出来事」としては、「オスカル隊長が衛兵隊を掌握する」だよな?
 そのつぎの「出来事」が、「ロザリー嫁に行く」だよな?

 物語の中心となる「出来事」、場面に、アンドレがいない。
 すべて、オスカルひとりでやり遂げる。

 もちろん、アンドレがなにかしなければならないというわけじゃない。
 オスカルひとりで行うのは正しい。
 ただ。

「さながらカストルとポルックスのように」とゆーほど、「いつも一緒」という設定だから、変なんだよ。

 女のオスカルが衛兵隊に赴任する、のは、みんなが大騒ぎしてうぜぇくらい大変なことだったはずだ。そーゆー大変なときだからこそ、オスカルを愛するアンドレは、影のように彼女の側にいなければならない。
 なにをするでなくても、ただ、いつも側にいる。それが本来のアンドレという男の愛し方だろう。
 オスカルも、自分ひとりでなんでもやってかまわないけれど、側にアンドレがいる、そのことが自分の力となっていたことに気づき、愛を自覚するに至るわけだろう。

 オスカル人生でいちばん大変なときに、そばにいないアンドレって、アンドレの意味あるのか?

 せっかく「ふたりの出会い」から描かれた物語は、「アンドレ不在」で、「オスカルひとり」の物語として進む。

 ひとりでなんの問題もなく生きているオスカルに対し、問題がすべて解決したところでのんきにアンドレが現れ、「ペガサス」がどーの「肖像画」がどーのとうわごとを並べ、意味のないクレーンペガちゃんのシーンになって1幕が終わるわけだ。

 そして2幕、オスカルがひとりでまとめあげた衛兵隊に、なーんにもしなかったアンドレがどこの貴族大将軍のよーな豪華な軍服とマント姿でまざって、えらそーにしている。
 はあ? アンタ誰?状態ですな。
 自分ではナニもしなかったのに、おいしいとこだけ取ってるの?

 そんな男に、「オスカルに縁談が! 俺のモノにならないなら殺してやる!」と言い出されても……。どこの電波ストーカー男の思考回路だよ。

 1幕にアンドレがいなかったこと、これがすべての悪因。
 2幕でのアンドレの行動が全部壊れてしまうんだ。
 

 とまあ、悪いのはまちがいなく脚本だよ。作劇の基本を知らない人が素人臭い失敗をしているだけのこと。

 でもなあ。

 コムちゃんのオスカルにも、問題アリなんだわ。

 と、冒頭のテーマにたどりついたところで、翌日欄につづく(笑)。


 えーと。
 またしても、書くこと、書きたいことが溜まってしまった。……『SIREN2』にハマっていたのが問題なのよねえ。

 忘れないために、書く予定の内容、箇条書き。

 
雪組『ベルサイユのばら−オスカル編−』
・コムカルの美しさ、クールさ、そして、「オスカル」としてのダメさ(笑)について。
・ワタドレ万歳。
・水アラン萌え。萌え〜萌え〜萌え〜。
・かしジェローデルかっこいー。かっこいーかっこいーきゃー。
・作品まちがってる。いやその、今さら言う必要もないくらい世の常識だけど。植爺最悪。
・まちかまちかまちか。
・オサドレのダメさ加減について(笑)。
・アラン×オスカル萌え〜。

第92期音楽学校文化祭
・正塚芝居萌え。
・水もどきの彼。その他モロモロ。

星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』
・トウカル万歳。万歳万歳万歳。うきゃー!!

荻田浩一新作ミュージカル『アルジャーノンに花束を』

 ゲームにハマったから忙しい、とか言いつつ、こんなに走り回っていたんだよなあ。
 並びにもマメに行ってるしさー。今日は実はらんとむバウの発売日で、白紙引いて泣きそうになってたしな……うわーん、まっつ〜〜。
 

 あと、タニちゃんはダメなのに、某氏はどうしてイイのか、ジュンタンの疑問にも、答える気でいたんだよ……ここで書くかどうかはともかく(笑)。

 そうこうしているうちに、ミズドレも観に行くし、新公もあるしなー。
 書いてるヒマあるのか、こんなに溜め込んで。


 笑いと脱力の『ベルサイユのばら−オスカル編−』、ロザリーの話の続き、その3。

 ベルナールと結婚しておきながら、「あんな男、一度も愛したことはないわ。わたしが愛しているのは、今でもオスカル様ただひとり」とオスカルに夜這いをかけたロザリー。

 やることやってすっきりして、何事もなかったかのように帰宅したその翌日。

 それでもわたしは、信じていた。
 今のままでは、ロザリーはひどすぎる。悪女もいいとこ、被害者ヅラした偽善者になってしまう。
 きっとこのあと、ロザリーがベルナールに言うんだわ。
「ゆうべ、オスカル様と話しました。これで少女のころの憧れに、きちんと終止符を打つことが出来ました。これからはあなたの妻として生きていきます」
 とかなんとか。
 常識で考えれば、「善人」という設定の第2ヒロインが、他人を平気で騙し、利用し、出し抜いてシレッとしたまま終わるなんてありえないもの。
 フォローがあるはずよ。たしかに人の道に外れることをしたかもしれないけれど、それを悔い、改め、新しい人生を進むっていうオチが用意されているはずだわ。常識から考えたってそうよ。ロザリーは「善人」設定なんだから。

 植爺に常識なんてものを求めたわたしが、バカだった。

 ベルナールとロザリー夫婦が会話をするシーンがあった。おお、ここできっと、ロザリーに対してのフォローが……。

「オスカルがパリに進駐するそーだ。今パリに来るのは危険だから、止めるように説得しなければ」
「オスカル様にはオスカル様の、深いお考えがあってのことです。止めたって絶対無理、無駄なことはしない方がいいわ」

 星組のベルナール@しいちゃん、ロザリー@ウメにゃんの夫婦会話がまんま展開されている……!!

 で、でも、星組Ver.とは意味がチガウよ?
 いくら同じ台詞でも、ロザリーはゆうべ、実際にオスカルに会って、今ベルナールが言っているのと同じことを本人に言ったのよ?
 オスカルの気持ちを洞察して語った星ロザリーとはちがい、雪ロザリーは本人の口から聞いたことをそのまま語っているだけ。

 もちろんそれはかまわない。洞察して語ろうと、本人の言葉をそのまま伝えようと、同じことを言っているのはたしか。
 しかし問題は。

 雪ロザリーは、それがオスカル当人の言葉だと言うことを隠匿した。

 えええっ?!
 なんで、自分の意見として語るの? ソレ、君の意見やなくてオスカルの意見やん! 本人から直接聞いたことを、何故隠す?

 ……言えないのか。
 ゆうべ、オスカルに会ったことは。
 浮気だから。
 夫を裏切ったわけだから。
 そしてソレを、悔いる気も改める気もないから、隠すんだ。

 これからも、夫を騙し続けるために。

 このときのまーちゃんがすごい。天使のようなキヨラカな微笑を浮かべて言うんだ。
「あの方の数奇な人生に相応しい最期があるとすれば」と。
 なにもかも見通し、知り尽くしているかのように。

 ゆうべ、密会していたくせに。
 その事実を完全に抹殺して、聡明さと慈愛ゆえひとの一生を見据えた聖母のよーな、美しくも感動的な言葉を並べ立てる。

 えーと。
 カンニングしておきながら、100点取って「当然のことですわ」と微笑むみたいな。
 本人から「止めても無駄」「これは運命」と聞かされていたから、それをそのまま言っただけなのに、さも自分が洞察したかのよーに語り、ひとから「すげー。ロザリーちゃんってアタマいいんだね」と言われるみたいな。

 卑劣。

 だけどその姿は、微笑みは、天使。

 
 何故。
 何故ロザリー、そんなことにっ?!!

 
 すごすぎるよ、植爺……。
 なに考えてこんなことにしたんだ。いや、知ってるよ、ナニも考えてないんだろ? 植爺だもんな。のーみそも感性も枯渇して半世紀は経ってるもんな……がっくり。

 星組Ver.であんなにかっこよかったベルナールは、まったく同じ台詞とシーンなのに、究極のバカ男に。

 アンタが尊敬の眼差しで見ているヨメは、浮気してんだよ……アンタを騙してるんだよ……今言ってることだって、浮気相手の受け売りだよ……それで感動しているアンタって……アンタって……。

 ベルナール@ハマコ、可哀想すぎる!!

 
 すまん。
 爆笑した。
 つか、笑うしか、ない。

 オスカルやアントワネットの「死に時」を予言した、星組Ver.の「死の天使ロザリー」も大概だけど。

 雪組版は、それをかるーく超えたね。

 「背徳の天使ロザリー」。

 
 夫を騙し続け、浮気相手の男のもとで夜を過ごしてきた女が、その浮気相手の「死に時」の話をするなんて、こわすぎる。

 オスカルとのデュエットダンスのあと、ロザリーはあまりにあっさり立ち去りすぎる。オスカルもさばさばしすぎている。
 これはやはり、あのデュエットダンスはつまり、そーゆーことだったんぢゃないかと思うんだ。
 植爺がどう考えているかは関係ない。あんなの、無視してよろしい。
 今あるものだけを分析していけば、そうとしか思えないんだ。

 明日死ぬかもしれない軍人の、自宅で過ごす最後の夜に現れた女。
 今生の別れかもしれない夜に、女は積年の想いを告げる。「愛しています」
 そこでデュエットダンスになったら、ふつーそれは、そういう意味だろ?
 恋の成就。愛の一夜。

 結ばれたからこそロザリーは、オスカルの愛を胸に抱いてあっさりと屋敷を後にする。

 オスカルは、ロザリーたち民衆の敵になることはないと約束してくれたけれど、ほんとうのところはわからない。
 オスカルは貴族で、ロザリーは平民側だ。
 どんなにオスカルが平民を守りたいと思っても、立場上そうできないことだって、あるだろう。

 これは、別れかもしれない。
 最初で最後の抱擁かもしれない。

 そう思って男の屋敷を後にした女が、その男の死期について語るとしたら。

 やはりこれは、アレじゃないのか?

「死によってしか結ばれない、そんな愛もある」by アンドレ@原作

 ロザリー、オスカルが自分のために死ぬと思ってる?!
 心中しよーってことになってる?!

 ロザリーの脳内で? それともオスカル、あんましアタマ使ってなさそうだから、うっかり雰囲気に流されてそれらしいこと言っちゃったとか??

 戦慄しました。
 あまりに、愉快すぎて。

 ぶっ飛びすぎてるよ、ロザリー。

 最後の最後まで、わたしの期待は裏切られ続けたわけだ。ロザリーが「善人」設定なら、こんなおそろしい女のままにしておくはずがない、という祈りは、届かなかったよ。

 ひどすぎる、ロザリーの扱い。
 おもしろすぎる、ロザリーの扱い。

 まさに、抱腹絶倒。腹がよじれるほど笑いました。

 
 それにしてもまーちゃん、大変だなあ……。


 抱腹絶倒捨て身のお笑い作品『ベルサイユのばら−オスカル編−』、ロザリーの話の続き。

 最大級の笑いは、2幕の夜這いをするロザリーだ。

 いつものオスカル様の私室、明日はパリ進駐、最後の夜。いつもならこれから「今宵一夜」がはじまるそのときに。

 姿は美女だが性格は男前なコムカル様が、異様な気配を感じて鋭く叫ぶのだ。
「怪しい奴! 何者だ出てこい!!」

 現れたのは、ベルナールに嫁いでそれっきりだったはずのロザリーだ!!
 1幕途中から出なくなっていたので、すっかり存在を忘れていたら、いきなり「曲者」扱いで登場。

 夜這いキタ−−−−!!

 なにしろ「曲者」ですよ。「怪しい奴」ですよ。
 妹同然にかわいがっていた女の子が里帰りしてきただけには、ありえない反応でしょ?

 どうやらロザリー、コムカルが身の危険を感じるほど、異様な気配を発していたらしい。
 やっぱナニか? ヤる気満々でカーテンの陰に隠れ、隙をうかがっていたのか? その気配を勘付かれてしまったのか? 気づかれなかったら、そのままコムカルが寝入るまでそこに隠れていたのか?

 ありえない。
 「曲者」として大仰に登場することもわからないし、そもそも何故今このタイミングで現れなければならないのかもわからない。

 笑わせるためとしか、思えない。

 曲者がロザリーだったこと、「今宵一夜」のはずなのに、アンドレではなくロザリーが現れたことにも、笑えて笑えて仕方なかった。

 ロザリーは怒濤の告白をする。
 パリは危険だから行くな、てなことを。
 そんなつまんねーことを言うために、「曲者」扱いされるように忍び込んだのか?

 なんでつまんねーことかというと、すでにその話題は「波状ギャグ」になっていたからだ。

 オスカル率いる衛兵隊がパリ進駐、と決まってから、出る人出る人全員が「そんな危険なところに!」と大騒ぎをするので、すでにその意見はギャグでしかない。
 同じこと、わかりきったことを繰り返すことによって笑わせるアレだな。

 ほんとうに「危険な任務に就くオスカル」という事象を表現したいなら、要所でガツンとやらなければいけない。
 次々登場する人々全員が同じことを言っていたのでは、「危険な任務」ではなく、「たんにオスカルが無能なんじゃないの?」という印象の方が強くなる。「信頼されていないんだな」ということで。

 だもんで、わざわざ屋敷に忍び込んでまで(なんで玄関からふつーに入ってこなかったんだろう……やはりよほどやましいことをたくらんで……ゲフンゲフン)やってきたロザリーが、そんなどーでもいいことを口走るのは、間抜けでしかない。
 「忍び込む」「隠れていた」「曲者! 出てこい!」という大仰さが前振りとしてあるだけに、さらに間抜け度アップ。

 いくら植爺がバカでも、ヅカでレズ話をやることはないだろうとタカをくくっていたわたしは、のんきに笑っていた。
 すげーなロザリー、夜這いしてまでこんなどーでもいいことをがなりたてるか。
 まあこーやって出番を増やし、「ロザリーはこんなにもオスカルのことを心配しているのですよ」というエピソードを入れたつもりなんだな。
 と、勝手に納得していたのですよ。

 だが、敵は植爺だ。
 最悪の予想の斜め上を行く謎の生命体。

 テンパッたロザリーは、本気で愛を告白しはじめた。

「好きです。愛しています!!」

 −−ちょーーっと待てっ!!
 告るか?!
 告っていいのかロザリー!!

 植爺はたぶん、「マンガを読めない」「コマを追えない」「ふきだしや枠の文章を理解できない」人だとわたしは思っている。
 だからきっと、原作も本当の意味では読んだことがないのだと思う。

 たしかに原作でもロザリーは同じ台詞を言っている。
 だがそれは、「ふきだし」でではない。モノローグだ。心の中だ。声に出しては言ってないんだってば!!

 てゆーか、言ったらソレ、すでにロザリーぢゃないだろう!!

 植爺……。
 マンガを読めないもんだから、ふきだしとモノローグの区別がついてないんだな……それでこんなとんでもないカンチガイを……。

 カンチガイだよな? 失敗だよな?
 まさか本気で、やってないよな? な? 人として、そこまでバカじゃないよな……?
 『ベルサイユのばら』を、「ロザリー」を、「オスカル」を、そこまで理解のカケラもしていなくて、なにもかもぶちこわしにして平気だなんて、そんなことはないよな? な?

 ………………。

 ロザリーというキャラクタが持つ、センシティヴな痛みを、「少女」という「失われるもの」だけが持つ、もっとも美しい儚いものを、ただのレズ話に貶めてしまうなんて。

 結婚し、夫がいて、毎日生活しているにもかかわらず、「愛しているのはあなただけ」と開き直って不倫する、ふつーの女、ふつーのおばさんの話に、貶めてしまうなんて。

 同性愛が悪いと言っているわけじゃない。
 もともとそういうスタンスで描かれているものなら、それでいいさ。
 だがロザリーは、そうぢゃないだろおおおぉぉぉ。

 だってだって、ロザリーはもう結婚しているんだよ?
 たとえ「オスカル様に振られた。やけくそよ、ええい、誰とでもかまわないわ、結婚してやるー!」でてきとーに結婚したのだとしても、あれから何年も経っているわけだろ?
 そんな女は最悪だから、きっかけはそうであったとしても、今ではちゃんと夫を愛しているのだと思っていた。
 フォローが入ると思っていた。
 ロザリーというキャラの人格を守るためにも。

 なのにロザリーは、ずーっとずーっと、夫を騙し続けていたらしい。
 愛してもいないのに、仕方なく結婚生活をしていたらしい。
 やけくそで一緒になった、あのときのままの気持ちだったらしい。

 ……最悪ですがな。
 そんないやらしい女、ロザリーぢゃない。

 あまりの展開に、腰を抜かしていたら。

 そんな人格破綻ロザリーを、オスカルはにっこり受け止め「うれしいよ」と、デュエットダンス。

 ええええええっ?!
 なんぢゃそりゃあああぁぁぁ!

 なに考えてんだ? なんなんだこの展開は?!
 マジレズやりますか植田よ?!

 そーやって長々といちゃくらしておいて。
 オスカル様はあっさり言うのだ。
「ありがとー。忘れないよ。じゃ、下男に送らせるから気をつけて帰ってね」
 なんなんだその、のーみそに花が咲いているよーなお気楽さは?!

 ロザリーも「はい(はぁと)」とみょーにすっきりした顔でとっとと帰っていくし。

 えーと。

 なにがしたかったんだ……?

 夫がいる身で他の人間に夜這いをかけて「夫なんか愛してないわ。あなたがメラニーと婚約したから、くやしくてチャールズのプロポーズを受けたのよ! 私が愛しているのはアシュレ、あなただけよ!!」てなノリでオスカルに告ったロザリーもひでー女だが、それをにっこり笑顔で受け入れて、そのくせとっとと追い払うオスカルも、大概だよな。

 夜這いしてまで愛を告白してきた女の気持ちを、どうやらこの男、カケラも本気にしていないようだ。

 えー、男だとか女だとか言う前に、「相手がどれくらい真剣にものを言っているか」ってのは、伝わるものだ。
 どんなに突拍子もないことでも、相手が涙ながらに本気で語っているのなら、ふつーの人間なら、本気で受け止めるものだろう。

 なのにこの男……オスカルは、まったくその気がなかった。へらへら笑って「うれしいよ」とスルーした。
 どうやらオスカルにとってロザリーってのは、どうでもいい存在だったらしい。
 彼女の真実の叫びは、オスカルには1ミリたりとも届かなかったのだ。なにしろはじめから、オスカルに聞く気がなかったから。

 ロザリーも人格破綻したひでー女だが、オスカルも負けてない。他人の気持ちなんかまったく理解できない、欠けた人間であるらしい。

 ロザリーを適当にあしらって追い返し、この男が次にしたことといえば。
 いそいそと上着を脱いで、アンドレを呼んだ。

 アンドレを口説くために、ロザリーを追い返したのか!!

 ひ、ひでー!!

 ロザリーを追い返したあとでいそいそと服を脱ぐのが、もお。ヤる気満々って感じで、なおイヤンです(笑)。

 ……笑えた。
 てゆーか。
 笑うしかない。

 壊れきった人々の、壊れきった一夜の話に、ひたすら大ウケした。
 せっかくのワタドレとコムカルの「今宵一夜」だったのに。その前に笑いすぎて、気分を変えるのに苦労した。

 あー、コムカルのことを「男」呼ばわりしてますが。
 男ですよ、アレ。
 あんな無神経な奴、野郎認識で十分です(笑)。ロザリーに対しての態度、女性ならありえない。植爺がアタマの中で作った変な男です。

 
 さて。
 ここまでぶっとんだ、ぶっ壊れたロザリーというキャラクタ。
 オスカルに夜這いかけて、ラヴラヴいちゃいちゃしてから、夫のもとへ帰っていった不倫女。

 翌日がまた、すごいの。

 長くなりすぎたから、続く(笑)。


 「抱腹絶倒」という言葉が、これほどふさわしい舞台が他にあるだろうか。『ベルサイユのばら−オスカル編−』

 たしかに、あらかじめクレーン操作のペガサスが登場すると聞いていたので、「ああ、ついに開き直ってお笑い路線を目指すんだな、植爺」と悟ってはいた。誰もよろこばない、嘲り笑われるだけの演出を大枚はたいてするのが植田紳爾という人だ。そんなものに乗せられるコム姫に心から同情するが、「仕方ないことだ。いつかアンシャンレジームが終焉を迎えるときまで、植爺の横暴に耐えるしかないんだ」とあきらめていたさ。

 たしかに、噂のペガちゃんはすごかった。
 身も蓋もないクレーン車が夢の舞台の上に現れ、悪趣味きわまりないみょうちくりんな物体にまたがったコム姫が、満面の笑顔でやんごとなき方のように、下々の者たちに手を振っていた。
 そのシーンになにか意味があればまだ救いはあるが、もちろん、そこにはなんの意味もない。ただ、あきれ、笑うだけのシーンだ。
 クレーン車はクレーン車でしかない動きをし、これまた涙を誘うちゃちな翼がワイヤーで引っ張られてぱたぱたと羽ばたく真似事をする。
 たしかに笑えるが、それと同時にもの悲しくもなる、おそろしいシーンだった。

 この作品が「抱腹絶倒」なのは、このドアホウなクレーン車の登場のことではない。

 物語すべてが、お笑いなのだ。

 笑った。
 わたしとkineさんは、声を必死に殺しつつ、身をふたつに折って笑った。肩だの腕だのを叩き合いながら爆笑した。ひとりで耐えることなんか不可能だった。

 こんなおもしろいものを見て、笑わずにいられるものか。

 もー、腹筋鍛えられたよ。
 リピートしてたら、ウエスト細くなるんじゃないか?

 こんなに笑ったのって、壮くん主演の『お笑いの果てに』以来じゃないか?

 おもしろかった。
 理不尽だとか不快だとか嫌悪だとか、壊れているとかまちがっているとか、そーゆー段階じゃない。
 笑える。
 その一言に尽きる。

 笑いのツボはありすぎて、どこから説明していいのかわからん。
 だが、確実に言えるのは、ロザリーの扱いだろう。
 
 最初に「ロザリーがオスカルを慕っているというエピソードを入れる」という話を聞いたときに、嫌な気持ちはした。
 「女が軍服を着てなにが悪いの。男装の女性にあこがれてなにが悪いの」だかいう台詞を気持ち悪いバカ女にわざわざ言わせる感性の男が、「ロザリーがオスカルを慕う」ことをまともに表現できるはずがない。いやそもそも「理解」できるはずがない。
 きっと気持ち悪い、「男から見た一方的なレズ話」になる。

 それでもここはタカラヅカだから、AVにあるよーな、「男から見た一方的なレズ話」を露骨にやるはずがない。わけのわからない、「植爺、理解できなかったんだな」てな的外れなシーンが増えるだけだろう、と思っていたのよ。

 まさか、本気でレズをやるとは。

 植爺が理解できてないのはあたりまえだから仕方ないとして、できないならできないで、マジで百合話にするなよ。男だけがたのしいような偏ったレズ話を、女性客相手の舞台でやるなっつーの。溜息。

 なんにせよ、ロザリーのくだりは笑わせてもらった。

 まずご丁寧にベルナール@ハマコが1幕でも登場する。
 これがまた、ハマコあて書き?! というか、植爺、ハマコのこと好きだよね。というか、すばらしくもツボを押さえた、うるささ。

 どっから見ても「借り物です」というよーな、似合わない、無意味に豪華な衣装を着たベルナール。
 なんであんなちんちくりんな格好をしているんだろう……と思って見ていたら、怒濤の説明台詞。
 場の空気も読めず、自分の気分だけで突っ走る人間、としてベルナールを表現。これがまた、ハマコによく似合っていてねぇ。「演説癖」がある、という、素敵なキャラの立て方。
 ハマコがえんえん説明台詞をがなりたて、しかもソレを「つい癖が」てな言い訳で締めくくられちゃうと、それだけで笑いツボ直撃、わたしゃひぃひぃ笑ってました。

 わたし植爺大嫌いだけど、唯一、ハマコの使い方だけは好きだわ。
 ハマコがいちばんハマコらしく、その存在と魅力を発揮できる役をやらせるよね。
 もちろん、与えられた「役」を、ハマコが正しく表現しているからこそ、彼が植爺に気に入られているのだと思うけれど。
(コム姫お披露目作品はすごかったよなあ……ハマコの扱い。2番手だったよ……遠い目)

 その空気を読めない暑苦しい暴走男、ロザリー@まーちゃんを好きで、彼女にプロポーズをしに来たらしい。
 さあ、これから告白だっ! てなときに、お約束にタイミングを外されて。ロザリーに脈がないことなんか、観客には丸わかりだけれど、当のベルナールには伝わっていないことも、やはり丸わかりで。

 そーゆー「なさけなさ」もまた、なんともいえずハマコ。

 ロザリーに告白できなかったベルナール、彼女への告白をすっとばして、保護者であるオスカル@コム姫に話を持ち込んだらしい。
 ここで、「あの似合わないフリフリ服は、プロポーズのための勝負服だったのか!」とわかる。

 あのちんちくりんな格好が、勝負服!!
 プロポーズのために、必死になっておめかししてきたんだ。たぶん、借り衣装だよね。サイズ合ってなかったもの。
 そうまでして張り切ってきたのに、ロザリーにはあっさりスルーされて。
 それで、仕方なくオスカルに助力を求めに行ったんだ。

 かわいい。
 かわいいぞハマコ。
 つか、ベルナール。

 かわいくてかわいくて、おかしくて仕方がない。

 しかも。
 ロザリーはベルナールのことなんか、なーんとも思ってない。ま、当然だわな。まーちゃんとハマコじゃ、月とスッポンもいいとこだよ。おこがましいよ。見た目親子ぢゃん。(注意・だからわたし、ハマコ大好きですってば)
 なんとも思ってないけど、ふたりのキューピッド役を買って出た人間が、問題。
 オスカル様は、ロザリーの想い人だってば!

 愛する人から、「あいつはいいヤツだ。結婚しなよ」と言われてしまったら……!!
 ロザリー、大ショック!!

 叶わぬ恋とは知りながら、それでも大切に心に秘めていたのに。
 漢らしくてさばさばしていていつも低温、そして男らしい鈍感さに充ちたオスカル隊長は、ロザリーが取り乱してもまーったく察しない。
「突然のことで、びっくりしたんだな。はっはっはっ」
 ……鈍感にも程があるぞ、このバカ男!
 コム姫オスカルは、終始低温で男らしい。この鈍感さがもー、いるいる、いるよねっ、こーゆー男!! って感じでさー。んもー、じれったいっつーか、笑えるっていうか。

 オスカルに「お前のことなんか、なーんとも思ってないよーん」と言われたも同然のロザリー、ひとしきり「幻想のオスカル様(もどき含む)とせつないダンス」をやってのけたあと、健気に決心するのだ。

「オスカル様と結ばれないなら、男なんてどれでも同じ。オスカル様の言う通りに結婚します!!」

 −−ヲイヲイヲイ!!
 愛はないのか!
 愛してもないのに、自暴自棄になって結婚するのかよ?!
 ベルナールの立場は?!!

 笑った。
 腹をよじって笑った。

 ひでー。
 ひどすぎるよロザリー。
 ベルナールはそんなこととは知らず、心から喜ぶんだぜえ?

 あまりの展開に、笑うしかない。

 されど、わたしはまだ信じていたんだ。
 このままでは、ベルナールは悲惨すぎるしロザリーは人非人すぎる。
 きっと後半、バスティーユのどさくさでもいいから、ロザリーが独白するなり、ベルナールに告白するなりするんだわ。
「わたしは最初、あなたを愛していたから結婚したわけじゃありません。だけど、今のわたしはあなたの妻です。あなたと共に生きたいと思っています」
 とかなんとか。
 初恋の思い出、少女のころの憧れと、生身の女の愛はチガウ。今現実のロザリーは、ひとりの男としてベルナールを愛しているのだと、ちゃんと決着を見せてくれると思っていたのよ。
 でないとロザリー、ひどすぎるもんなー。ひとりの男の純情を、人生を、弄び踏みにじる悪女だよ。

 原作のロザリーとベルナールの恋を粉微塵にするひどい脚色だからこそ、フォローがあることを信じていたんだ。
 原作者が怒るだろ、これじゃ。

 なーのーにー。

 2幕に入り、「ロザリーの恋」はさらにとんでもないことになる。

 長くなったので、続く(笑)。


 現在プレイ中の『SIREN2』のヅカキャスティングを書きながら、2年ちょい前に発売された『SIREN』のことを、なつかしく思い出していた。
 2003年11月。
 『王家に捧ぐ歌』の成功も華々しく、新生星組に、そしてそこにいるケロに、無限の可能性を信じていたころ。誰かが欠けるなんてこと考えもせず、「次の作品はどんなだろ」「どんな役が似合うだろう」と夢ばかり見ていた。
 そのころのケロ友といえばチェリさんだけだったので、ふたりで「ケロにこんな役をやってほしい」とか「こんな衣装を着て、こんなシチュエーションで出てほしい」とか、よく話していたよ。
 そんなころだから当然、『SIREN』のキャスティングを妄想するのだって、星組でさ。ワタさんと檀ちゃんを中心にさ。
 ダークヒーロー宮田がワタさん。闇の聖女・八尾さんが檀ちゃん。多感な高校生主人公・恭也がトウコで、盲目のヒロイン(会話は命令形)の美耶子がウメちゃん、てなふーに。
 ケロはニヒル(笑)な大学教授・竹内だったなー。
 『SIREN』がヅカで上演されるはずもないが、キャラをあてはめてはたのしんでいた。

 『SIREN』を夢中でプレイしていたころ。
 あのころはまだ、ケロがいた。

 星組は代替わりしたばかりで、ワタさんも檀ちゃんもケロもしいちゃんも、組替えしてきたばかりで。
 みんなでがっしり肩を組んで、雄叫びあげながら前進しているような。
 そーゆー暑苦しくも頼もしい、「フロンティア」なパワーがあって。

 好きだったよ。
 あの昂揚感。
 はじまりの力。

 なにかのはずみで自分の昔の日記を目にして、妄想配役にケロの名前があると、せつない。
 あのころは、現在進行形で夢を見ていられたんだ。
 ありえないことはわかっているけど、勝手にキャスティングをしてはひとりでたのしめた。

 ワタさんがいて、檀ちゃんがいて、トウコちゃんがいて、ケロがいて、しいちゃんがいて、まとぶがいて、すずみんが、れおんが、かのちかが、恵斗くんが、せんどーさんが、ウメが。
 無邪気に、夢を見ていた。
 「今」のまま。

 『SIREN2』が発売になった。
 待ちに待った続編。
 やっぱり、ヅカでキャスティングを考える。
 ……そして、思い出す。『SIREN』のキャスティングを、2003年の星組で、わくわく考えていたこと。

 
 あのころが、もう、存在しないこと。

 
 時は流れるのだということ。
 祭りはいつか終わるのだということ。

 
 終わり、そしてはじまり、永遠に永遠に、回り続けるのだということ。

 
 あのころは、ケロがいた。
 そしてわたしは、幸福だった。
 今が不幸なわけではなくて、ただ、あのころはあのころのしあわせがあった。光があった。

 そしてそこには、絶対に、ワタルくんがいた。

 わたしはとくにワタさんファンではなかったと思うけれど、それを超えて、彼は不動の存在だった。
 太陽ってのは、そういうもんだろう。
 そこにあるのが前提だから、ふだんは顧みもしない。わたしは影を好み、あの人の影やこの人の影、自分の影を追いかけて、終わらない影踏み遊びをしている。
 光があるから。太陽があるから。
 だからわたしは安心して、太陽に背を向けて影を追って遊んだ。

 太陽がなくなったら、もう影踏みできないね。
 「もういいよ」を言ってもらえなくて、いつまでも数を数えつつけている鬼になったような気分だ。

 
 あのころは、ケロがいた。
 でも、「あのころ」が過ぎてしまってなお、太陽はわたしをしあわせにしてくれていたんだね。ずっと。あたりまえに。
 だから今、こんなに寂しい。

 覚悟はしていたつもりだったので、存外の喪失感におどろいている。

 2006年2月13日。湖月わたる、退団発表。

 ……ごめん、ちょっと泣いた。
 きっと、これからもっと泣く。


「オスカルお姉ちゃまのブログを見ちゃったの。AAいっぱいでえんえんフェルゼン萌え〜って意味のことばっか書いてあるの!」
「フェルゼン? あのスウェーデンの色事師? 不倫二股まかせろの?!」
「まああ、オスカルってばほんとに見る目がないわね!」
「あんな男に夢中になって、結婚もせずにフラフラしてるの?」

 なにがウザイって、毎日実家に集まって、うわさ話をするしか能のない小姑たちだ。
 30代独身子ナシ、キャリアウーマンのオスカルは、心からうんざりしていた。
 嫁に行った5人の姉たちは、毎日子連れで実家に集まってはくだらない時間を過ごしている。彼女たちの興味は噂と愚痴、自分の目に映る範囲の物事のみ。世界情勢も経済もなにも知らない。
 結婚もせず子どもも産まず、仕事ばかりをしているオスカルを理解できない彼女たちは、オスカルを憐れんでなにかと世話を焼く。
 日記を盗み読むのも精神状態や人間関係を邪推するのも、みんなみんな「オスカルのために」やっていること。自分の価値観のみを正義と信じる人たちと議論しても時間の無駄だ。オスカルはすでにあきらめている。

 小姑たちの価値観その1・「女は恋をし、男のことだけを考えていなければならない」→好きな男がいない女など、精神的・肉体的に欠陥があるにちがいない。可哀想だから、わたしたちがなんとかしてあげなければ!
 →「対策」好きな男はいる。が、決して結ばれない相手である。盗み読みされることを前提に、日記を書いておく。

 小姑たちの価値観その2・「女は結婚し、子どもを産まなければならない」→結婚もしない、子どもも産まない女など、精神的・肉体的に欠陥があるにちがいない。可哀想だから、わたしたちがなんとかしてあげなければ!
 →「対策」私ってこれでいいのかしら。いいえ、これでいいのよ! と、ことあるごとに「自問自答している」ポーズを見せつける。彼らの理解できる範囲で、理解できる悩み(もちろん嘘だが)を打ち明けてやる。

 とまあ、こんな生活を続けていたのだ。
 小姑たちがうるさいから、家ではオスカルはずっと猫をかぶって生きていた。わざとらしく内股で歩いてみせ、「お母様」「お姉様」とシナを作って甘えてみせたり、弾きたくもないバイオリンを女の子らしい仕草で弾いてみたり、日々努力を重ねてきた。

 本来のオスカルは、凛々しくクールで、ふてぶてしささえあるオトコマエな人間だ。
 噛みついてくる部下の男に、余裕の微笑みで対峙するくらい、性別を超えた強さを持っている。
 人生に迷いなんぞないし、自分のすべきこと、やりたいこともわかっている。

 もしも、ほんとうに「オスカル」という人間を理解しているのなら、彼女に「女なんだから」という価値観を押しつけはしなかっただろう。
 今の職場で、部下の荒くれ男たちを統率している姿を見れば、わかるはずだ。
 ニヒルな笑みを浮かべ、淡々とされど活き活きと指揮を執っている誰よりも頼もしい人物。それこそが、「オスカル」の真の姿だと。

 だが、固定概念に凝り固まった狭量な者たちは、なにも見ようとはしない。
 家族たちは口を揃えて「女には女のしあわせが」と言い、善意の皮をかぶった厚かましさでプライバシーを侵害し、自分の価値観のみを押しつける。
 それでもオスカルは、家族にそれなりの愛情を持っていたので、黙って耐え続けていた。
 なんとか耐えられる。だって私は、あの針のむしろのような家庭だけが人生のすべてじゃないもの。私には仕事がある。職場にいるときこそが、私の本当の人生だもの。
 今の職場だって、苦労の末にようやく得ることが出来たのだ。
 最初オスカルが配属されたのは、「家柄さえよければそれでヨシ」のお飾り職だった。きれいな制服を着て、にっこり笑ってさえいればいい、そんな仕事。
 それでも姉たちとちがい、外で仕事をしているというだけでうれしかったのだが……年を取るにつれ、そんなお飾り職ではなく、ほんとうの意味でのやりがいのある仕事をしたいと思うようになった。お人形さんのままでなんかいたくない……父や上司と揉めながら、ようやく現在の職場に転勤することが出来たのだ。
 私には、仕事がある。私を信じてくれている部下たちがいる。
 その想いがあるからこそ、あんなひどい家庭でも耐えていられたのだ。

 しかし。
 ついに、オスカルは決意をした。

 家を捨てることを。
 自分らしく生きることを。

 両親や姉たちの「女なんだから」というドリームを壊さないよう、あれほど日々耐え続けてきたというのに。
 職場だけを聖地として、心のバランスを取ってきたのに。

 それすら、踏みにじられたのだ。

 今のオスカルの職場は、「家柄さえよければヨシ」で無能な者が大きな顔をしていられるような、おきれいな囲いの中ではない。
 そこの社員たちは「いい家のお嬢さん」であるだけでオスカルを尊敬したり従ったりしない。
「女の命令なんか聞けるか」と主張する男たちを、実力でねじ伏せた。家柄でもなく性別でもなく、オスカル個人をチーフとして認めさせたのだ。もとが素直な彼らは、オスカルの持つ背景など関係なく、彼女を尊敬し、慕うようになった。
 オスカルは生まれてはじめて、のびのびと呼吸が出来るようになっていた。ありのままの自分でいられる場所を得たのだ。それを許してくれる仲間を得たのだ。

 部下たちの信頼を力に、オスカルは今日も職場でアホウ上司とやり合っていた。正しいのはオスカルだ。理論で負けそうになると上司は「女のくせに、生意気な」と負け犬の常套句を吐いた。論旨を曲げて、反則勝ちしようというのだ。
 逃がす気などないオスカルが、追撃しようとしたときに。
「上司に向かって、なんという口の利き方だ」
 突然オスカルの父親が現れ、わけのわからない仲裁をしたのだ。論理も常識もない、ただ娘を殴りつけて黙らせる、という最低最悪な方法で。

 なんで仕事でいちいち親が出てくるのよ、信じられない。いやありえないだろふつー。
 14歳で入社して以来勤続20年、30過ぎてなお親の監視付きの職場なんて。縁故就職なんかした私がバカだった。支店に転勤しよーがどうしようが、いちいち「家」だとか「親」だとかがまとわりつく。
 たしかに、オスカルの父もこの会社の幹部役員である。だからといって、畑違いの部署に乱入してきて、部下たちの前でオスカルを殴りつけて黙らせるというのは、度が過ぎている。この段階でオスカルは、「こいつ、マジでもうダメだ」と内心考えてはいた。
 それでも、それもまた「過保護が過ぎる親のアホウな愛」だと自分を納得させようとしてはいたのだ。
 
 だが、しかし。
 このアホウ父親ときたら、そのうえ縁談まで持ち出したのだ。
 今まさに、いちばん人生で輝いた充実のときを送っている娘に、それらを全部捨てて、彼女にとってもっとも苦痛な「固定概念」の中だけで生きろ、と命令したのだ。
 しかもその縁談のチョイスっぷりがひどい。オスカルが本社勤務だったころ部下だった男が相手だという。
 仕事において自分より下だった男と、結婚しろだ? しかも本社勤務のころって、「家柄さえよければソレでヨシ」な男ばっかだったんですけど? そこの仕事に疑問を感じて転勤した人間に、そこで疑問を感じずに生きているよーな男と結婚しろと?

 オスカルは絶望した。
 就職することを許してくれた父だけは、まだ自分を少しは理解してくれているのかもしれないと、はかない望みを持っていたのに。
 彼もまた、オスカルの本質などまったく顧みもせず、自分の正義のみを押しつけてくる人間だったのだ。

 どうしよう。
 私にはもう、帰る家がない。

 どうやって縁談を断ろうかとアタマを抱えているときに、もうひとつオスカルに難問が沸いて出た。
 幼なじみのアンドレから、突然愛を告白されたのだ。しかもこの男、告白の仕方がとんでもない。「俺のモノにならないから、殺してしまおうと思った」そうで、オスカルを毒殺しかけたのだ。思考がナチュラルにストーカー。
 アンドレはオスカルの家の使用人だ。身分違いっちゅーことで、ひとりでテンパっていたらしい。……身分云々より、まずは相手の気持ちだろう。好きでもない男に無理心中未遂されたんじゃ、オスカルもたまらない。
 今の部署に転勤になってから、オスカルはアンドレを遠ざけていた。他意はない。仕事がたのしくて仕方ないので、お目付役なんぞにうろうろされたくなかったのだ。しばらく顔を見ていないなと思ったら、いきなり毒殺かよ。
 アンドレだけは、オスカルにドレスを着ろだとか女は女らしくしろだとか言わなかったのに。それはオスカルの生き方を理解していたというより、たんに惚れていたからなにも言う気がなかったということか。

 オスカルは、決意した。
 家を捨てることを。
 それまでの自分の人生を捨て、新たにやり直すことを。

 折しも職場では、新規プロジェクトの件で現場と上層部が対立していた。オスカルの部下たちは、自分たちが利用されて切り捨てられることを予感して騒ぎ立てていた。
「私が直接指揮を執る」
 オスカルは、部下たちにそう宣言した。上層部側についたりしない。お前たちと心中する覚悟だと。
 オスカルの表情に、曇りはなかった。
 そう。オスカル個人に心酔しているこの部下たちの力を借りて、古き因習に充ちた「家」と「同族会社」とに決別するのだ。

 もうひとり、力を得たい相手がいた。部下、という立場ではなく、オスカルのためだけに手足となって骨身を惜しまず働く男手が必要だった。
 冷静に白羽の矢を立てたオスカルは、真夜中にその相手を自室に呼び出した。
 上着を脱ぎ、女らしい服装になる。わざとらしく、シナを作って坐ってみせる。わざとらしく、弱音なんか吐いてみる。……なにもかもわざとらしいし、心なんかこもってるはずもないが、なにしろ相手はオスカルにベタ惚れだ。そんなこと気づきゃしねえ。
 されど相手はあまりにヘタレで鈍感なので、オスカルがここまで腹をくくって色仕掛け(かなり低温)していても、踏み出してこない。
 面倒になったオスカルは、つい「HOW TO 色仕掛け」のルールを忘れて叫んでしまう。
「アンドレ、私を抱け!」
 ……身も蓋もないし、抱けもなにも、オスカルあんた低温なままんなこと言っても色気もなにもあったもんぢゃあ……てな投げやりさだったが、なにしろ相手は以下略、「俺は今日まで生きてきてよかった!」とかなんとか、感動して天に向かって吠えていたので、万事良好。

 
 こうしてオスカルは、「ジャルジェ家のオスカル」という鎖を断ち切るための賭に出た。
 誰にも邪魔されず、華々しく人生をリセットするために。

 翌日オスカルは、くだんのアホウ上司に辞表を叩きつけた。ただ辞めるだけではない、造反だ。部下たちはみな、オスカルについていくことを表明している。
 それまで堪り堪っていた鬱憤すべてを吐き出し、ついでにアホウ上司の顔を潰して溜飲を下げ、オスカルは晴れやかに笑った。

 しなやかでしたたかな、美しい獣。
 それが、家族も上司たちも、誰もはじめから見ようとしなかった「人間・オスカル」のほんとうの顔だった。


 彼女は、すばらしい女性だった。
 美しくやさしく奥ゆかしく、清楚でたおやか。非の打ち所のない女性だ。働き者で、どんなときも愚痴ひとつこぼさず、笑顔で家庭を支えている。
 一回りも年のちがう夫に尽くし、彼のやすらぎとなっている。
 似合いの夫婦だと、誰もが言った。夫が彼女に惚れきっているのは誰の目にもわかったし、彼女も幸福な微笑をたたえ、夫に寄り添っていた。
 彼女は完璧な女性であり、理想の妻であった。
 不穏な情勢の中、時代の最先端で働く夫にとって、家で彼を待っている彼女の存在だけが救いだった。帰宅した最初の瞬間に、彼を出迎えてくれる、彼女の笑顔。そう、結婚して何年経とうと、彼女は夫の顔を見るとうれしそうに微笑むのだ。夫の存在が、なによりの幸福だというように。
 そして彼女のその笑顔こそが、夫をなによりも幸福にしていた。

 だが、夫は知らない。
 彼女が彼と結婚した理由を。

 彼女には、ずっと想っている人がいた。
 独身時代の彼女は、ある貴族のお屋敷で小間使いをしていた。そのお屋敷の若様に恋をしていたのだ。はじめての恋だった。
 決して実ることはないからと心に秘め、側近くに仕えることだけをよろこびとしていた彼女に、当の若様が縁談の世話をしたのだ。
「妹のように思っているお前には、ぜひしあわせになって欲しい」
 残酷なやさしさ。
 密かに愛するその当人から、他の男へ嫁げと言われるなんて。それも、純然たる厚意ゆえに。
 彼女はひとり泣き、告げられぬ想いを胸の奥深くに沈め、その縁談を受けた。……愛する人が、わたしのために選んでくれた相手に嫁ごう。そう、決意して。

 夫は知らない。
 彼女が彼と結婚した理由を。
 彼女が誰を愛しているのかを。

 それでも彼女は完璧な女性であり、理想の妻であった。彼女を愛し、守ってくれる夫のために心から尽くし、笑顔で生きていた。

 だが。
 ある夜彼女は、夫に黙って家を出た。
 夫は一度眠るとなにが起こっても朝まで起きない。健康な男なのだ。心も、身体も。
 それゆえに彼女は、安心して同衾する粗末な寝台から降り、時間を掛けて身支度をした。いつも着ている質素な服ではなく、嫁入り前に初恋の人から贈られたドレスを着、髪を整え、ささやかではあったが心尽くしに着飾った。
 眠る夫を残し、家を出た。
 目指すのは、初恋の若様の屋敷。

 若様は軍人だった。
 このたび若様が、危険な場所に赴任することがわかったのだ。あの方が、戦死するかもしれない……その恐怖は、彼女を動かすのに十分だった。
 昔勤めていた屋敷だ、入ることはたやすい。彼女は誰にも見とがめられずに、若様の寝室に忍び入った。
 深夜だというのに若様は起きていた。進駐を明日に控え、眠れないでいたのだろうか。

 行かないでください。そんな危険なところに。
 そう懇願するだけのつもりだったのに。
 変わらない若様の笑顔を見ていると、彼女は心の蓋が開くのを止められなかった。
「好きです。愛しています」

 叶うことなどないとわかっていても。妹だと思われていても。

「バカだね。そんなことで思い悩んでいたの?」
 若様はにっこり笑って、彼女を抱き寄せた。

 
 まだ夜が明けないうちに、彼女は帰宅した。若様の屋敷の馬車で送られて。
 案の定、夫は眠ったままだ。
 彼女は静かにドレスを脱ぎ、髪を解いた。自分に触れた若様のぬくもりを反芻しながら。
 今日は夫には触れたくない。寝台には戻らず、そのまま普段の質素な服に着替えた。
 そして、音をたてないように家事をはじめる。
 働き者の彼女が、夜明け前から働き出すことなど、決してめずらしいことではないのだから。

 夫は知らない。
 その朝彼女が何故、いつもにも増して美しかったのか。

 
「若様が、戦地に赴任されるそうだ。我々夫婦は若様に恩がある。そんな危険なところへ行ってはならないと説得するべきだ」
 翌日、遅れて情報を得た夫が言う。
 彼女は静かに応えた。
「若様には、若様のお考えがあるのよ」
 信念のある方なのだから、説得など無意味だということを。たとえそれで若様が命果てたとしても、当人が選んだ生き方である限り、それ以上の最期はないのだと。
 おだやかに、しかし凛とした強さを持って語る彼女に、夫は言葉を詰まらせた。
 彼女は、聖母のように清らかな微笑みを浮かべていた。

 夫はそんな彼女にさらに心酔した。これほどの女性が他にいるだろうか。
 彼女は、すばらしい女性だった。
 美しくやさしく奥ゆかしく、清楚でたおやか。そして、誰にも真似できない強さと、誰にも到達できない深さを持っている。

 そう。
 夫は知らない。
 彼女の、聖母の微笑みの理由を。

 夫は知らないのだ。

 
 ごめんよ、ジュンタン……。
 ジュンタンの「抱かれたくない」男役、読んでて誰のことか速攻わかったよ……(笑)。そして「ごめん」なのは、わたし的にタニちゃんと彼が同じカテゴリだからだわ……(笑)。
 (http://diarynote.jp/d/73628/20060201.html)←ジュンタン@爆裂タニぃファンのブログ(はぁと)。

 えー、わたしの2006-01-30の日記、「まっつの場合。@……たい男役、……たくない男役。」についての後日談。とゆーか、追記?
 

 真面目にね、「抱かれたい・抱かれたくない男役バトン」かぁ、と考えたときに、「ダメだこりゃ」と思ったのよ。
 たとえばkineさんに回しても、絶対スルーされると思ったし、ドリーさんも無理だろうし、サトリちゃんとは今話しているからダメだし、あと思い浮かぶ面子も、ニガ笑いでスルーするかもなー、と思ったら、とてもバトンなんか回せませんでしたよ(笑)。

 もちろん、ジュンタンなら「反応」はあると思った。

 それこそ、「ちょっとお、誰が『下手そう』なんですっ?!」と、会うなり叫んでくれたよーに。
 前置きナシで叫ばれても、なんのことかわかったし(笑)。

 そして、ジュンタンの「抱かれたい男役」が誰かも、聞くまでもなくわかったしなー。
 そのうえ、「抱かれたくない男役」まで、わかっちゃったよ……(笑)。

 あとkineさんに、「バトン回しても、絶対スルーしたでしょ?」と聞いたら、「…………」と沈黙されてしまった。
 これまた正解。kineさんはあーゆーネタだと、絶対引くもん〜。
 沈黙ののち、バトンの意味について、論理的に解説を求められましたよ。そーゆーところも、とってもkineさん(はぁと)。

 
 わたしが知りたいな、興味深いなと思ったのは、「抱かれたい」「抱かれたくない」と同時に、「贔屓」と「嫌いな生徒」かな。
 はたして、「抱かれたい男役」と「贔屓」はイコールであるのか。
 「抱かれたくない男役」と「嫌いな生徒」はイコールであるのか。

 たとえばわたしは、えーと、どっちにしろイコールではない、と言えるのではないかと。

 わたしはものすげえ水ファンだと思ってますが、今いちばん萌えなのはまっつなので、「抱かれたい男役」=「贔屓」ではない。まっつには別に、抱かれたくないっす。

 また、タニちゃんのことは嫌ってないし、そりゃピュアファンとはいかないが、愛でている自覚があるので「抱かれたくない男役」=「嫌いな生徒」でもない。
 純粋に「下手そう」と思うから選んだだけで……ゲフンゲフン。

 ちなみに、ジュンタンが「下手そう」だから「抱かれたくない」と言っている某男役は、ぜんぜんOKっす。彼なら下手でもいいわ(笑)。
 ……と、なかなか複雑だよなあ(笑)。

 身内だけで盛り上がった「どのジェンヌに似ているか(顔の話ではなく、キャラや芸風。……にしても、イタイ話題・笑)」と同じく、自分を含めた「ひと」が、ジェンヌをどーゆーイメージで見ているかがわかって、興味深いなと。
 

 あー、わたしの場合、ジェンヌ個人よりも「役」で言った方が選びやすいわ。

 まっつの役で言うと、カルロス@新公La Esperanzaなら、抱かれたいっす。ぜひお願いしたいっす(笑)。


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