映画を見たり、ゲームをやったり、忙しい今日このごろ。『SIREN2』発売までに『流行り神』を全部終わらせるつもりが、どーにもノれなくて断念。
 ねえ、『流行り神』ってアレどうなの? 「小説」とか「物語」とかいう観点でプレイすると、ものごっつーストレス溜まるんですが。
 ホラーとかオカルトとか好きでない人が頭の中だけで作った物語、って感じ……。システムとかいい感じなだけに、テキストも下手でないだけに、全編に漂う「鈍くささ」や「カンチガイ」がもどかしくて……。
 アタマのいい人が、アタマの良さのせいで大失敗してるっていうか。
 もったいないなー。おもしろくなる要素はちゃんとあるのに、ただのクソゲーですか……。

 とゆーひとりごとは置いておいて。

 それでもまだ、星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』の話。

 『ベルばら』は祭りなので、祭り部分のみをたのしんだ。
 すなわち、役替わりだ。
 オスカル中心に観劇。それ以外はあんまり見てない。

 意識をシャットアウトしないとつらいんだもの。
 原作への冒涜のつぎはぎ台詞だとか破壊された日本語だとか無神経きわまりない音(言葉以下)の数々を脳みそに入れたくないもので。
 できるだけ無我の境地で、僧侶のように澄み切った心で、耳に入る「日本語に似た音」に意味を考えないよーに努力した。禅僧のような気合いですわ。

 オスカルを見て、アンドレを見て、ベルナールを見て、ジェローデルを見て、余力があったらアントワネットとかロザリーとか、衛兵隊だとか村人だとか貴族たちだとかを見て。

 ゆかりちゃんの美しさに心を洗われ、その扱いの悪さに腹が立ちそうになるのをぐっとこらえ、みらんの色男ぶりに心ときめき、その扱いの悪さに腹が立ちそうになるのをぐっとこらえ。

 自分の視線の行き先に、現星組での贔屓順を思い知った。

 もともと好きなしいちゃんやトウコちゃんたちをのぞくと、わたしがいちばんよく注目しているのは、みらんくんのよーです。

 放っておくと、見てるよー。
 気を抜くと、見てるよー。
 意識していないとき、自然と彼をさがして眺めているよー。

 なんか彼、どんどんいい男になるよね。
 クドイ色男。

 舞台で「善人オーラ」を出していないのが、好みのよーです。

 若い子にありがちだけど、モブをやっているときとかに「善人オーラ」を出している人がわりといる。
 なんでそんなもんを出しているかというと、「素がそのまま出ている」から。
 若くてあんましモノ考えてなくて、それゆえに「まだ汚れてません」てな意味の「善人オーラ」を出している。
 演技じゃないからソレ。「無知」ってだけだから。
 背景役であったとしても、舞台人である以上、「無知」をそのまま放出しているのはどうかと思う。
 ……まあ、かわいいっちゃかわいいけど。

 みらんのいいところは、まだ若造の域にいながら、ソレがない。
 そんなもんはとっくの昔に卒業している。
 舞台の上に相応しい「色」をまとって、そこにいる。

 それが、わたしの目を奪うんだ。

 あーゆー、「自分の仕事」をわきまえ、きちっとこなしている子は、いいねえ。見ていて気持ちがいい。
 脇を支える役者としての基礎をきちんと持ちながらも、スターとしての計算も身に付いていそうなところが、素敵。
 ケロちゃんのポジを継ぐのはこの子だよなあ、と思う。

 kineさんと話していたんだけど、みらんくんの芸幅の広さは、武器だよねえ。

 白い善良なおぼっちゃまもできる。
 さわやかな二枚目もできる。
 黒いスパイスな役もできる。
 ぐだぐたの悪党もできる。
 若者も、大人の男もできる。

 ……できないのは、耽美キャラぐらい?(ごめん・笑)

 これからの大真みらんを、心からたのしみにしている。
 「歌劇」でイタさ全開の「えと文」を書いているよーだが、性格が多少アレでも才能ある舞台人なんだから問題ナシ(笑)。

 
 みらんを好きなのは、べつにいいんだ。
 自分的に、納得できる。

 そのう、わたし的にかなりびっくりだったことが、もうひとつ。

 大劇場の隅っこからぼーっと肉眼でモブを眺めていて、「あっ、あの子かっこいー。好みだわ」と思ってあわててオペラグラスでのぞいたとき。

 それがあかしだったときの衝撃ときたら。

 あかし?!
 あかしですとっ?!

 なにかの間違いだと思ってみても。

 また別の日に、「あっ、あの子かっこいー。好みだわ」と思ってあわててオペラグラスでのぞいて。

 またしてもあかしだったときの衝撃ときたら。

 あかしなの。
 あかしなのよーっ。

 何度も何度も、えんえんえんえん、あかしなの。

 あかしが、わたしの目を奪うの。

 どうしよう。

 
 何故にこのよーに取り乱しているかというと。
 星のあかしといえば、雪のまちかめぐると同等だったんですよ、わたし的に。

 見るつもりもないのに、目に入る。
 ぶっちゃけ、見たくなくても、目につく。

 見ないように、視界に入れないように気を遣わなければならないキャラ(キャラ?)だったんだ。

 念のために言っておくが、嫌いなわけではない。
 わたしは苦手な人は目に入らないので、記憶にも残らないから、日記に書くことすらない。
 ただ、「見たい」という能動的な意識で見ている人と、「他にもっと見たい人がいる」状態なのに、目に飛び込んできて視界を奪ってしまうキャラとはチガウってことだ。
 他の人が見たいのに、つい目についてしまうから、意識して見ないようにしているの。

 ……雪のまちかもそうだけど、どっちかっちゅーと「好き」の変形であることが多い。
 でなきゃわざわざ視界に入ってこない。

 それはわかっている。
 もともと好きだよ、あかしくん。

 でもな、わたしの「色男センサー」からははずれていてな。
 他に見たい人がいるのに、目について目について、もうっ、わたしの視界に入らないでよーっ。……てな感じだったのよ、長い間。

 だって、利助なのよ?

 『巖流』で、あまりの色気のなさに腐女子ドリームをさまたげていた、小うるさいガキ。
 『花のいそぎ』の腐女子ロマンを確実に削いでいた、色気のカケラもないガキ。

 耽美とか退廃とか色気とかから、もっとも遠いところにいる、健康的な体力小僧。
 野球部とか体操部にいそうだ……。バスケとかサッカーとか剣道じゃないの。
 だから、好意はあっても、それだけだったのに。

 見たくないのに、目に入る。
     ↓
 かっこいい、と思って注目する。

 に、なってしまったんですけど、どうしよう?!

 どっちにしろ、「目に入る」「見ている」ことには変わりないんだけど。
 意味が180度ちがいます。
 どうしようどうしよう。

 なまじ、今まで「利助め!」と思ってきただけに。
 今さらそんないい男になられても、こまる。

 あかしめ。あかしったら。利助のくせに、そんなにかっこいいなんて、なにごとなの?!

 今まで「利助」扱いだったので、とまどってます。
 利助ってのはすなわち、「ポチ」と同意語ですよ。雑種の子犬です。丈夫だけど、きれいでもないし、アタマだってそんなによくない。そーゆー犬のイメージ。や、たしかにポチはポチで好きだったけど。
 ポチだと思ってそーゆーかわいがり方していた雑種犬が、ある日突然、かっこいー人間の騎士に変身して現れたてな衝撃です。
 どうしよう。かっこいい……どきどきどき。

 最初から「二枚目路線」だと思っていたら、ここまで衝撃受けない。
 ポチが二枚目になったから、あたふたしているの。
 泣き虫ちびっこだった年下の幼なじみが、たくましいイケメンになって帰ってきたよーなおどろきと、ときめき。
 ドンクサ眼鏡くんが、眼鏡を取ったら実は美形だったよーなおどろきと、ときめき。
 意識の落差が大きいだけに、大変です。事件です。

 
 つーことで今、あかしくん好きです。
 ときめいてます。

 ときめいている自分に、とまどっています(笑)。


 宙組友会全滅にめげる。たかちゃんを見守ってほんの18年。最後を見送ることはできるのでしょーか……。溜息。

 ……はともかくとして、星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』千秋楽の話。

 ああ、星組だなあ。

 千秋楽の、みょーにアツい空気を感じて思う。

 誰も退団しない、1度も幕が下りないままに挨拶になる、最近じゃめずらしい「ふつーの」千秋楽。
 なのに、星組ってばアツいの。
 カテコはとーぜん、スタンディングだし。
 パレード再度あるし。
 てゆーか、観客、立ったままだし。

 カーテンコールもスタンディングも、正式な、本来の意味でのものじゃないのよ。
 舞台が素晴らしくて感動のあまり、というのが本来の意味だとすれば、本日のスタンディングは絶対チガウ。
 だって『ベルばら』だよ? 感動のあまりスタンディングして拍手するのなんて、某汐美真帆さんぐらいのもんぢゃないの?(自虐的なネタ)

 なんかねー、祭り好きだから立ったって感じがしたのよ。

 だって『ベルばら』だし。ファンだってストレス堪りまくりだよねえ。
 こんなうんざりする作品、ヅカファンであればあるほどディープになればなるほどつらい演目に、1ヶ月半も通った人たちが、こんな作品こんな脚本こんな演出にめげずにぐれずに健気に一途に演技し続けた舞台人たちに対し、心からの拍手をしたくなる気持ちはわかるよねえ。
 なんか拍手やスタンディングの雰囲気がねー、「かんどー」でもなく「お約束」でもなく、なんか「発散型」?って感じに思えたの。(そりゃ、「お約束」がまったくないとは言わないが)

 『ベルばら』は、最低最悪の演目だ。
 あれほど毎日大入り満席であったとしても、千秋楽に当日券が売り切れないという事実で、ファンにとって最悪な演目であったことがわかる。
 客席はところどころ赤い。
 団体客や一般客が入らず、ディープなファンがほとんどを占める日だからだ。
 門の前は、サバキの嵐。保険で多く押さえた人たちが、余らせたチケットを鈴なりになってさばいていた……少しは売れたんだろうか。
 当日券が売り切れていないため、2階最後列はずらりと赤い。A席B席ともに、席種最後列、LRなどの最端も人が少ない。
 どんなに悪い席でも、あるいは当日に並んででも千秋楽が観たい! と思う人が極端に少ない演目だったんだよな。
 リピート前提のファンにとって、魅力のない演目であった証。

 贔屓を人質にとられているファンは、どれほど苦痛であっても劇場にお金と時間を使って通わなければならない。
 そして、どんなに最悪な作品であっても、生徒たちが真摯に演じている姿を見ると、それでも感動してしまうし、たのしんでしまう。
 苦痛と快感が同時に存在するジレンマ。
 人間は一定値の苦痛を超えると、それに対して痛覚がマヒし、快楽であるという錯覚すら起こす。
 早い話が、開き直り。
 『ベルばら』は、祭りだ。
 苦痛や嫌悪はスルーして、たのしむことだけに努めよう。

 とゆー、抱え込んでいたジレンマ、錯覚だと知りつつも快楽だけに注目し、苦痛から目を背けていた不自然さ、ストレスが、最後の最後に爆発したというか。

 祭りだー!!

 って感じ。

 スタンディングしたまま、銀橋のパレードって、なにソレ。ふつーパレードはじまったら坐るだろ。一度立ってもあわてて着席するだろ。だって後ろの人が見えないじゃん。
 アツいなあ。

 ことの是非はともかく。
 なんかわたしは、ひたすらなつかしくて。

 ああ、星組だなあ。
 そうそう、星組ってこうだよ。
 千秋楽ってこーゆー温度だよ。

 ……つい先日までこのアツさは「わたしの組の平熱」であり、星組は「わたしの組」だったんだ。

 好きだよ、このアツさ。
 誇りだった。おしゃれでも洗練されてもいない、泥臭い灼熱感。
 一歩引いてクールぶってる人、オシャレぶってる人からすれば「ぷっ」てな土着感だけど。
 それが、誇りだったんだ。

 半裸に原色の飾りをつけて、「オラオラオラ〜〜!」と炎を囲んで踊り狂う人たちのイメージ。
 足首までのドレスに宝石を身にまとった人々が優雅に集う、ささやき声しかしない舞踏会ではなくて。
 カーニバル! な感じが、大好きだった。
 ほんとうに、誇りだったんだよ。

 ……過去形で話しているのが、かなしい。淋しい。

 つい先日までわたし、星担だったんだよなあ。
 そしてつい先日、氷点下の寒さのある、花組千秋楽を体験したところだからさー。
 なんか、いろいろとかなしくて。

 星組の星組らしい暑苦しさを、なつかしく思うのだ。感じるのだ。
 そんな自分がまた、少し淋しいんだ。

 うん、淋しいなんて変だよね。思い上がりだよね。
 贔屓組が移るということは、「好きでなくなる」ということじゃない。
 好きな組が増えるということだ。

 ケロが星組に来るまで、わたし、星組ほとんど観たことなかったじゃん。いちばん縁のない組だったじゃん。
 それが、いちばん好きな組になって。

 今、星組にケロはいないし、わたしのホームは別の組に移ってしまったけれど、それで星組を好きでなくなったわけじゃない。
 星組は好き。
 ずっと好き。

 星組の、星組らしさが好き。

 それをつくづく、思い知った。
 星組千秋楽。

 
 『2001』を観たときに思った。
 オスカル……そんなにフェルゼンを好きなら、押し倒しちゃえよ。君なら、絶対勝てるって!

 『2001』の、ミズカル。あまりにオカマで、嘘くさい女っぷりで、そう思ったんだ。
 フェルゼンを好きなら、ヤッちゃえよ。力尽くでモノにしちまえ。お人形のようなたかこフェルゼンなんか、ちょろいって。

 あれから5年。
 同じことを、思った。

 オスカル……そんなにフェルゼンを好きなら、押し倒しちゃえよ。君なら、絶対勝てるって!

 ミズカルではございません。
 ユヒカル、君は何故にそれほど男らしい?

 ゆーひくんが、男にしか見えません。
 いつものゆーひくんです。若干声は高めだけど、それだけ。

 ゆーひくん……オスカルが女だって、知ってる?

 『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』オスカル役替わりコンプ、最後のひとりは我らがゆーひくん。『ベルばら』に懸ける金も時間も惜しいので、観劇はオスカル各1回ずつ、ゆーひくんの場合は本日千秋楽を観劇。
 だからもう彼は、すでに10日間ほどオスカルを演じてきたわけです。
 10日もやってきて、コレか……。

 美貌だがクールで男らしいコムカル、正統派の男装の麗人カシカル、いたいけな少年テイスト・キリカル、キャリアウーマン・ミズカルときて、トリを飾るユヒカルは、ホモの美青年でした。

 ははははは。
 ツボ入った。
 入りましたよ。
 オスカルが男だー。ついでに、ホモだー(笑)。

 ゆうひくんの演技力について、以前からかなりやばいものを感じていたんだけど、このオスカル役でよーっくわかった。ゆーひくんやっぱり、演技はそうとうアレだったんだね(笑)。
 持ち味だけでやってしまえる役ならボロは出ないし、長年やってきたこともあり男役としてならなんとかなる。『長い春』のフローレンスのよーな「イメージ誇大系」のわざとらしい女役も、なんとかなる。
 しかし、「女だけど男の格好をして、男社会で働き、そのへんの男より男らしいけれど、実はものすごく女らしい女」@植爺作オスカル、という、ややこしい役は、引き出しにないんだ。表現できないんだ。

 フローレンスのときのように、曲線を強調した姿でもないし、女言葉でもない。軍服にマント、言葉も所作も大仰。それで「女だけど男」「男だけど女」を表現できる技術は、ゆーひくんにはなかった。

 そこにいるのは、いつもの「男役・大空祐飛」だった。男装の麗人オスカルぢゃない。
 オスカルという名の、男の人。フェルゼンという男に道ならぬ恋をして、「男同士だから……」とその恋を封印し、幼なじみのアンドレという男に「ホモでもいいじゃないか、愛はすべての隔たりを超えられる」ということを教わり、彼と結ばれる……。

 すげー。
 男同士の恋愛モノだー。

 ユヒカルってば、体格よすぎ。女ぢゃないってアレ(笑)。
 ワタルゼン相手でも、「攻か。攻なのかオマエ(笑)」って感じだし。
 ワタルゼンの貞操の心配しちゃったわー。なにしろベルサイユのフェルゼン邸はメルシー伯爵が簡単に忍び込めるくらい、警備はカスカスでしょ? ユヒカルがその気になれば簡単に夜這いできちゃうよ?
 まあねえ、突然現れたユヒカルにベッドに押し倒され、驚愕の表情を浮かべるワタルゼンつーのも、見てみたい気はするけどさー。あー、悲鳴とかも聞いてみたいですねえ。ワタルゼンいい人だから、友だちのユヒカルを本気で殴れなくて、躊躇しているウチに押さえ込まれちゃうのね。そしたらもー、ユヒカル強いし、そのまま禁断の世界へまっしぐらね。
 『ベルサイユの薔薇−オスカルとフェルゼン編−』……薔薇、が漢字なのがポイントね。

 ワタルゼンでもアレなのに、トウドレが相手だと、もお。
 トウドレ、可憐です!
 どーしよー、もー。
 トウドレ、芸風はおやぢなんだげど、姿がめちゃくちゃ可憐でさ。なんせ隣に立つユヒカルがゴツいから。
 うわー、相乗効果。トウドレの小ささ、華奢さが強調されてる。ユヒカルのでかさ骨格の力強さ、なにより肩幅の広さが強調されてるよ。

 オスカル役替わり全部見てきて、いや、平成元年から生で『ベルばら』体験してきて、はじめて、「今宵一夜」で吹き出した。

 縮尺まちがってます!
 オスカルでかいよオスカル!

 「今宵一夜」の場面、オスカルとアンドレは決して立って並ばない。ものすげー気を遣って、オスカルは坐っているか膝立ちするかになっている。
 それで、今まではなんとか誤魔化されてきた。でかいな、と思ったのはカシカルのみで、それもカシカルが女らしかったので帳消しになった。
 しかし。

 ゆーひほどでかいと、誤魔化しきれない。

 身長だけの問題じゃない。骨格だとか、姿全体で、でかいんだ。

 坐っていてさえ、でかいことがわかる。また、わざとらしい女坐りとかしちゃうもんだから、「女の仕草をわざとしている男」ってことで、違和感の分さらにでかく見える。

 そのでかいオスカルが、小さくて可憐なアンドレに、わけわかんない台詞@植爺クオリティをがなりたてながらしがみついた日にゃあ。

 すげーおもしろかった、「今宵一夜」。

 笑えたー。

 ホモのラヴシーンめいていて、素敵。
 だもんで、翌日の「戦闘が終わったら、結婚式だ」の台詞に、ウェディングドレスを着るのはどっち? と、ナチュラルに思っちゃった。

 ドレスなあ。やっぱトウドレが着るのかな。似合うだろうな。

 つーことで『ベルサイユの薔薇−オスカルとアンドレ編−』……薔薇、が漢字なのがポイントね。

 あと、「オスカル・ストッパー」のベルナールが、取り乱すオスカルを抱き留めるところ。

 ゆーひくん、脚なげー! と、しみじみ思いました。

 だってしいちゃん、胴を抱き留めるはずが、お尻抱いてるよ。脚が長い分、胴の位置が高いから、ふつーに抱きしめたらお尻を抱いちゃうのね。
 尻ぢゃいかん、と思い直すのか、角度を変えるときに改めて胴に腕を回してみたり、しいちゃんもがんばってる(笑)。

 バスティーユはふつーにかっこいいし。
 オスカルがかっこいい、のではなく、大空祐飛がかっこいい。ふつーに、男役として。

 ああ……いいなあ、ユヒカル。

 ゆーひくんの技術じゃあ、植田芝居もオスカルも無理だったのねー。そーゆーとこも、愛しいわ。

 温度が低いのも、うまく見えない一端なんだろうな。高温な人は、多少難があっても、発熱することで誤魔化しちゃうから。
 ゆーひくん、やっぱり基礎舞台温度、低い……(コムちゃんほどクールでもない)。

 それもあってか、やっぱり人を愛する演技、下手だね(笑)。
 持ち味が低温だと、難しいよねええ。

 いいのよ。ゆーひくんは、ゆーひくんだけの魅力があるんだから。
 演技は相性だ。
 下手でも大根でも、相性さえよければ感情移入して見られる。わたしはゆーひくんとは相性がいいので、「ひょっとして、ゆーひくんの演技力って相当やばいんじゃ?」とか思いつつも、ぜんぜん平気で見てこられた。
 ぶっちゃけ、あの美しい姿を見ているだけで、気持ちいいので、その他のことは無問題だったりするんだ(笑)。

 植田芝居とオスカルがダメなだけで、月組では浮いてないんだから、「男役・大空祐飛」としての演技はできるんだから、ぜんぜん平気だよね?

 千秋楽の挨拶で、ワタさんがゆーひくんのことを「儚げなオスカル」とかなんとか言っていたけど、女じゃなく、男として「儚げ」って意味だよな? 悩めるホモ美青年だからだよな?(笑) ルドルフ@エリザベートが「儚げ」なのと同じ意味だよな?

 男にしか見えない、罰ゲームでもやらされているよーなオスカル姿が、愛しかったです。

 
 そして、最後のお楽しみの「小雨降る径」は……やっぱり感想は肩幅すげーなー。だったりする(笑)。

 ガイジン美女みたいな体格だ。迫力。
 きれいだけれど、硬質。そして、色気、なし。
 男役やってるときの方が色っぽいよなー。

 そんでもって、なんつっても、胸の谷間。

 男役やってても、谷間だとか丘だとか見せてくれる気前のイイゆーひくんだもんな。女役ならそりゃ見せてくれるよなっ。

 きりやんとゆーひは胸アリで、コム、かしげ、水はナシか……月組と雪組の差が、こんなところに。

 
 『ベルばら』は祭りだ。
 オスカル役替わりフルコンプ、完遂。


 しい担サトリちゃんが沈黙していたので、びびってなにも書けなかったんですが、先日彼女とミナミでデートしたおりに謎が解消。安心して書くことが出来ます。

 『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』のベルナール役、立樹遥氏について。

 しいちゃん、すげーかっこいいよねっ?!

 最初に観たときに、瞠目したんですが。
 えっ?えっ? なになに、しいちゃんてばかっこいーっ!!
 やーん、このベルナール好き〜〜。

 わたしは大喜びしたし、kineさんも同意見だったのだけど。しい担のサトリちゃんがなにも言わない。ピュアファンと一般ファンの間には感じ方に差があるし、ピュアファンにしかわからない地雷があるかもしれない。
 下手に騒ぐのもナニかな、と、他のことを先に書いていたの。

 なーんだ、サトリちゃんもベルナール素敵って思ってたんじゃん。ファンほど筆が重くなることってあるよね。

 つーことで、安心して書きます。
 しいちゃんベルナールのかっこよさについて。

 1幕はほとんど出番なし。オープニングで別人として踊ってるぐらいのもん。
 ベルナールとしては、2幕のジェローデルの回想で初登場。

 回想で登場かよっ?! ジェロさんとベルナくんの関係はっ?! ……親密だよねこのふたり、という話はまあ置くとして。

 初登場からして、アツいアツい。
 その前の場面が「今宵一夜」だったのに、それを吹き飛ばす高温度。オスカルの身を案じ、妻のロザリー@ウメと口論。
 ここでなにが素敵かって、言葉の上では言い争っているのに、ロザリーへの愛が見えること。
 台詞云々じゃないんだよね。
 大きなベルナールが、痛々しいほど華奢なロザリーを、守るようにして話す。口論であってもだ。
 ウメちゃんは「男役転向」を希望されるほど長身かつ凛々しい娘役だけど、その彼女がとても小さく儚く見える。もちろんそれは、彼女自身の演技もあるけど。
 しいちゃんの演技の相乗効果、てのもあると思うんだ。
 ベルナールが、ほんとーにロザリーを「自分がこの腕で守るべきもの」として、愛に満ちた基本タンスでいるから。
 あの「大事大事」「目に入れても痛くない」系の演技されたら、そりゃ彼の腕の中の女子は、儚く可憐に見えますよーっ。
 てゆーか、ロザリーうらやましー。わたしもあんなふーにあやされてみたいっす。

 次にシャトレ夫妻が登場するのは、あの「バスティーユ」だし。
 ナチュラルにテンション高い(笑)。

 ここでのベルナールの役目ははっきり言って、「オスカル・ストッパー」。
 橋の上で無惨に撃たれるアンドレのもとへ、駆け寄ろうとするオスカルを、抱き留める。

 いやあ、しいちゃんガタイいいから! 説得力あるのな。この大男に抱き留められたら、そりゃ「取り乱した乙女☆」オスカルも、動けませんて。
 その「大きな」感じもツボ。オスカルが暴れても、びくともしない感じがいいの。
 もちろんベルナール自身も、すげーつらそうだしね。
 オスカルを放したあと、ロザリーのもとへ吸い寄せられるよーに行くのも、いい。

 バスティーユのダンスは、もちろんかっこいーし。
 衣装似合ってるよね。ダークカラーの丈の長いジャケット。あー、なんか、オトコマエなしいちゃん、ひさしぶりに見る気がする……(全ツのことはすでに記憶から遠ざかっている模様)。

 あとねあとね、オスカルが死んだあとの慟哭も好きよ。
 天を仰いで、顔ぐしゃぐしゃにして男泣きに泣いてる。
 泣いてるしいちゃん、好きだなあ……。くどくて暑苦しくてツボ。

 ……って、ここまでがジェローデルの回想つーのがね……ジェロつん、どこでナニを見て、ナニを聞いたんだ……。

 ところで最後の牢獄シーン、しいちゃんどんどんやりすぎて来てないか?
 王妃に対しての台詞、語尾伸ばしすぎ、震わせすぎ(笑)。
 1箇所ならアリだと思うけど、「お覚悟を」的台詞を喋るたびにやられると、笑う(笑うのか)。
 ただ、その「やりすぎ感」こそがしいちゃんらしいので、わたしはOKなんだけど。

 
 でもって最初に観たときにおどろいたんだけど……。

 しいちゃんって、組内3番手なんだ。

 フィナーレの、大階段黒燕尾の位置がね。扇形になるところ、トウコちゃんの横、なんだわ。上手側がトウコ、隣がしいちゃん。ふたりだけ。

 そりゃね、現星組には大人の事情があって、涼氏と柚希氏の順列を明確に出来ない、ことはわかってますよ。
 そのあおりをくってしいちゃんの立場が上がっていることは、わかってます。暫定処置なんだろーな、ということは。

 にしても、『ベルばら』ですよ。
 組の事情なんか関係ない、一般人がたくさん観に来るビッグタイトルで、3番手位置。

 それって、すごいよなあ。

 パレードの立ち位置も、そーゆー扱いだし。

 暫定処置でもなんでも、うれしーぞー。
 ベルナールという、初心者にもわかりやすい役をやって、フィナーレやパレードでいい位置をもらっている。きらきらした笑顔で踊っている。
 ……ああ、たくさんの人が、しいちゃんを見てくれますように。
 たくさんの人がしいちゃんに気づいて、しいちゃんの魅力を理解し、しいちゃんをおぼえてくれますように。
「あのきらきらした大きな人、また見たいわね」
 とか、思ってくれないかなあ。
 ベルナール役の人、6月にバウホールで主演するんですよー。なんだか気になりませんか〜〜?
 と、宣伝したいハァト。……たぶんコレ、「ウチの子自慢」だな……「ウチの子、すごいんですよ、奥様ちょっと見てくださいな」てな。

 いやはや。
 薔薇タンはともかく(ともかく?)、フィナーレのしいちゃん好き。かっこいー。
 ついでに、パレードのしいちゃんも好き。かっこいいかっこいいかっこいい。
 わたし、丈の長いジャケットのしいちゃん、相当好きみたい。

 
 たのしみの少ない、『ベルばら』だからこそ、がんばってたのしまなきゃ。
 あとは東宝まで、しいドレと柚ドレ、そしてトウカルを観に行くぞっと。

 
 でもって、最後にちょっとひとりごと的に、ベルナールさんの話。

 最後の牢獄に、フェルゼンを招き入れたのはベルナールだよね。
 メルシー伯爵を面会させるのを表向きに、その従者とかなんとかかこつけて、フェルゼンも中へ入れた。
 フェルゼンは、この段階で本気でアントワネットを逃がす気でいる。
 逃走ルートの確保や資金の調達もできているんだろう。処刑の前夜にそりゃ無理だろ! というツッコミは置くとして、だ。たとえ他の誰もが「計画はすでに失敗」だと思っていても、フェルゼンひとりは本気で助け出す気でアントワネットのもとに行っている。なにしろ本人が、そう言ってるんだし。
 アントワネットが断ったのは結果論でしかない。

 ロザリーは、アントワネットが死を選ぶことを知っていただろう。
 だが、ベルナールは?

 ベルナールもおそらく、わかっていた。アントワネットが王妃として最期を迎えることを選ぶのも、また、今さら助けに来たってもう遅い、救出計画なんかとっくの昔に失敗してるってことも。
 わかっていない、アントワネットを救えるはずだと本気で信じていたのは、フェルゼンひとりだろうよ。

 それでも。

 ベルナールは、心のどこかで信じていたんじゃないだろうか。
 アントワネットを救えることを。

 連行するために牢獄へ戻ってきたとき、アントワネットがいなくなっていることを、願っていたんじゃないだろうか。
 フェルゼンがアントワネットを連れて逃げることを。そんな未来があることを。
 信じたかったんじゃないのか。

 ありえない、無理だ、とわかっていながら。

 心のどこかで。

 だけどやはり、アントワネットはそこにいて。処刑のときを待っていて。
 王妃として死ぬ、その潔さを敬い、これでいいんだと納得していながら。
 それでも……。

 そーゆー「迷い」や「ロマンチスト」的な部分があってこその、ベルナールだと思うのよ。
 ロザリーほどの割り切りはなくてな。ウェットで、そのくせアツくて。

 そーゆースタンスあってこその、最後の台詞「カペー未亡人!!」があるのだと、わたしは勝手に思っている。

 
 すみません、いきなり一発目からホモ語りしちゃいましたが。
 『想夫恋』はふつーにラヴロマンスですよ、男女の。
 知家@ほっくんと小督@あいちゃんの物語で合ってます。
 美しい画面で繰り広げられる、美男美女の、儚い恋の物語っす。

 こだまっちの「萌え」の追及姿勢が、とてもわたし好みです。
 『天の鼓』で書きたかったんだろーけど、構成力のなさのせいでブレてしまって書けなかったテーマを『龍星』で書き直し、さらにこの『想夫恋』で抽出して書き直している、とゆー感じかしら。
 好きなテーマなので、こうやって何度も何度もアプローチを変えて書いてくれるとうれしい。
 嫌いな人には「同じ話ばっかり焼き直すな!」ということになるんだろうけど(笑)。

 
 ところで、北翔海莉の新しい魅力開花ってことでいいですかね?

 主人公の知家をひとことで言うと、ストイックですよ。
 熱血しないアンドレというか。(隆房がオスカルですから)
 あー、キルヒアイスに近いか。(とゆーと、隆房がラインハルト?)
 オスカルに毒盛ったりレイプしよーとしたりしない、真の意味で影に生きるアンドレ。

 こーゆー大人の「耐える男」を演じるほっくんが、新鮮です。
 なにしろこの間見たのは「白い血だから白血病! ミャハ☆」の妖精王子だし。
 いい感じにオトコマエですよ、ほっくん。
 正直、笛はもう少しなんとかしてほしいですが(笑)。

 
 あいちゃんは、納得の姫っぷり。
 「姫君」という記号しかないよーな女の子の役だが、それを観客の期待通りに演じてくれて気持ちいい。
 正直、お琴はもう少しなんとかしてほしいですが(笑)。

 
 ストイックな大人の男と、美しい姫君が「時代」という縛りの中で恋をした。
 ドラマティックに悲劇で、華やかで、実にイイです。
 脚本の心理展開に甘い面があるので、「どーしてそーなるの?」を観客が埋めなければならないんだけど、許容範囲ではないかと。
 わたしはちと、じれったいですが。

 
 知家と小督、そして隆房の3人を徹底的に描写するべきだったよなあ。
 そーでないと、隆房の死後、知家と小督がすれ違い続ける(知家が小督を拒み続ける)のがわかりにくくなる。弱くなる。
 隆房を2番手役にすることはできなかったのか?
 なんのために帝をもりえにしたのかわからん。

 隆房@みりおは、その華と容姿のかわいらしさを発揮し、よくつとめていたけれど。
 でもまだやっぱり、2番手役にはいろいろ「足りない」感が残る。
 隆房役がもりえちゃんなら、またちがったモノが見られたんだろうな。

 
 純粋に「作品」として見た場合、知家、小督、隆房の役の「格」を再考して欲しいと思うし、隆房を正しく2番手役とするなら、新人よりも、キャリアのあるもりえで見たかったと思う。
 もちろん、みりおくんがこれからの人であり、この重責を経てさらにスキルアップしイイ役者になっていくんだってことは、わかっているよ。
 今のみりおくんと、今の彼が演じている隆房が魅力的なこともね。
 ただ、「作品」的に不思議でさ。
 なんで帝の比重を変に上げて、ストーリーを弱くしちゃってるんだろう、と。

 こだまっちが、もりえに萌えなかったと、ただそれだけのことなのかと、勘ぐっちゃうよ……?

 
 あともうひとつ。
 キャスティングの謎……というと語弊があるが、首を傾げていることがある。

 すみません。
 最初に謝っておきます。
 彩央寿音くんと、そのファンの人、ごめんなさい。
 今の『想夫恋』をパーフェクトに好きな人にも、ごめんなさい。

 わたし、他のナニより、狭霧@彩央寿音が「力不足」だと思いました。
 学年や、今までのキャリアからは妥当な結果であり、よくやっていると思う。本人がものすげーがんばっているのもわかる。
 だけど。
 純粋に「客」の立場として、あの狭霧役はねえだろと思う。

 ほんとにコレは、キャリアの問題なんだと思うよ。彩央寿音くんに含むところはナニもない。
 学年で、できるできないってあるよね。

 狭霧は、主人公知家@ほっくんの「影」なんだから、少なくともほっくんと同等か、それに近い力を持った人がやるべきだった。
 この間までバウで公演していた『不滅の恋人たちへ』でいうところのアルフレッド・デジュネー@チャルさんの役どころだよ?
 『不滅の恋人たちへ』のチャルさんは、主人公ミュッセ@タニの「影」として変だったけど、今回の『想夫恋』の場合は、逆の意味で変だよ。
 タニちゃんの「影」なら、タニちゃんに近い立場や実力の人がやるべき。あの布陣でいうなら、あひくんが演じるべき役だった。……なのにチャルさんが演じ、舞台を別の地平へひとりで飛ばしていた。
 そのチャルさんがやっていたよーな役を、まだ研4だか5になるんだかの若者が演じるのは、無理があるよな、『想夫恋』。
 『不滅…』はベテラン過ぎて変だったし、『想夫恋』は初心者すぎて変。
 何故にこんなキャスティング。

 『想夫恋』のキャストを見回してみて、狭霧役がいちばん適任なのはのぞみちゃんだと思う。
 実力的にも学年的にも、濃さも芸風も(笑)、合っていただろうに。
 ヒゲのおっさんやってる場合じゃないし、ピンクのミニスカァトで踊っている場合でもないって! カーテンコールで目を線にして「好々爺」って感じに笑ってる場合でもないって(笑)。

 狭霧役がぴしりと締まったなら、もっともっといい作品になるのになー。惜しいなー。

 ……勝手なことをほざいてごめんよぅ。
 狭霧という大役を得た彩央寿音くんが、重みのあるめっさいい男に成長してくれることを、心待ちにしている。

 
 美しくて萌えで、よいラヴロマンスだと思うだけに。
 あちこちもどかしいのだ。

 ……あのやる気のなさげなポスターも、なんとかしてほしいよ、ほんと。
 やる気のなさげ、てのはキャストじゃなく、演出家な。もっと凝れたはずなのに、それを放棄した感じがしてさー。


 キムタク様映画の制作発表のおかげで、ウチのよーな辺境にも「檀れい」で検索がやたら来てます。
 しかし、その検索がほぼ100%、2005-01-07の「檀れい様の太股話」にたどりついているんですが。……さめざめ。

 
 さて、本日は月組バウ『想夫恋』初日に行って来ました。

 いつものよーに予備知識なし。知っているのは、ポスターがものすごいことと、演出家がこだまっちだということ。

 いやはや。
 あのポスターで、なにを思えというの。なにを想像し、なにを感じろと?

 ポスターのおかげで思考ストップしておりましたが。
 実際に観てみて。
 まず、断言しましょう。

 とても、美しい舞台です。

 あのポスターなのに。美しさと対極にあるのに。なのになのに、じつは美しい作品なのですよ。

 えーと。
 最初に、カップリング明記しておきますか。

 ほっくん × みりお でした。

 ……どーしよーかと思った。
 この作品のヒロイン、ひょっとしてみりお? えとえと、2番手もみりお? えとえと、もりえちゃんは?

 こだまっちの萌えは、わかりやすい。ヲタク女の思考回路として、とてもわかりやすいんだわ。
 もりえには萌えなかったのね……。

 ついでに、ソルーナさん × ほっくんでしたよ……こちらもどうしようどうしよう、絵面がアレなんでうろたえた(笑)。

 
 物語の説明をしておきましょー。

 藤原隆季@ソルーナさんは、妻を亡くしたばかりで、寂しかった。ちょーどそのとき、笛の芸と身を売っていた少年が、複数の男に乱暴されているのを見つけ、助けた。天涯孤独で行くあてのない少年を、隆季は家に連れ帰り、妻の代わりにかわいがることにした。
 それが、知家@ほっくんだ。
 隆季にはすでに息子、隆房@みりおがいたんだがな。息子と大して歳の変わらない男の子を愛人にするなんて、なかなか非道だよな。まあ、時代的に許されてるんだろうけど。
 つっても、表向きには妻でも愛人でもなく「養子」だ。隆房の義兄だ。知家は、「自分は所詮愛人」と分をわきまえ、勉強もスポーツも、なんでも隆房に遠慮して、一歩下がった人生を送る。
 隆房は、貴族のぼんぼんらしく天真爛漫に育ち、知家にも非常になついている。ふたりはカストルとポルックスのように心を許しあって成人したわけだ。

 いくら兄弟同然に育ったとはいえ、知家は所詮隆季の愛人。藤原家を継げるはずもなく。
 嫁取りをして家督を継ぐのは、年下の隆房だ。
 隆房は、都一の美女で琴の名手、小督@あいあいと結婚することになった。なにしろ政略結婚だから、実際に嫁取りする段にならなきゃ顔も知らない。
 宴の日にそれぞれがそれぞれに一目惚れし、隆房→小督→知家、そしてさらに、知家→小督という関係になった。知家と小督は両思いだが、なにしろ小督の結婚相手は隆房と決まっている。絶望的な三角関係だ。
 しかし、この三角関係が実はややこしい。
 知家と小督は両思い、だと思うじゃん。小督という美女を、兄弟で取り合うのかと思うじゃん。

 実は、チガウのだ。

 隆房が平清盛@立さんの陰謀により、謀殺されることになった。
 生死の狭間で、真実がわかる。
 えーと、主人公の知家、君がほんとに愛してるのは、隆房だね? 小督に惹かれたのは、彼女が隆房の妻になる女だからだね?
 隆房、君が小督に惹かれたのは、知家が彼女に惹かれていることを知っていたからだね?

 1幕最後は、えらいことになってます。

 知家と隆房が、ドラマティック・ラヴを繰り広げています。

 そして、知家の腕の中で隆房が事切れ、小督はよそで拉致られて、幕。

 
 ……な、なんか、ものすごいもの見たよーな?(首傾げ)

 1幕が終わって、考える。

 それで、ポスターに出ていたもりえちゃん、なにしてた?

 出番、なかったなー……。

 
 真のヒロイン、隆房は、あわれにも1幕で死んでしまった。
 じゃあ2幕はどうなるのかというと。

 主人公・知家は、隆房のためだけに生きていた。

 隆房が「小督を頼む」と言い残したから、小督を見守る人生。
 隆房はもう、舞台には現れないけれど、すべてが彼の遺言で動いていく。

 知家は小督を愛さない。少なくとも、血肉を持った生身の男の愛ではない。高貴なものを捧げ守る感じ?
 そりゃーなー、小督の存在は、「隆房との絆」を表す最後のサンクチュアリなんだもの。

 小督は生身の女だから、知家に「愛してるのよ、あなたはどうなの?」と詰め寄りもするのだけど、知家は指一本触れない。
 究極のプラトニックラヴだということにして、知家は小督を遠ざける。

 あきらめた小督は、高倉天皇@もりえと結ばれる。……が、政変いろいろで、結局天皇は夭逝し、小督は出家することに。

 ラストは、隆房の墓の前。
 桜散る美しい春の終わり、知家は尼になった小督に、人生すべてを清算してすっきりする。
 小督を愛し見守ること、それが隆房への愛の証。
 小督とのことを清算することで、よーやく知家は隆房との約束を果たしたのだ。

 知家はずっと、自分を抑え、なにもかもあきらめて生きてきた。隆季に拾われ、彼の庇護の元で長らえた命だ。欲しいモノを欲しいと言わず、一歩下がり続けた人生だった。
 隆季や、彼の息子の隆房の顔色をうかがい、生きてきた。もしも彼が、思いのままに生きていたら、どうなっていたのか。
 
 隆季の愛人であるという負い目がなかったら。
 素直に隆房を愛していると言えたなら。
 ……すべては、過ぎたことだ。

 そうやってすべてが終わり、ゼロになったときに、彼は「彼自身の影」に人生の応報を受けることになる……。

 
 という、物語でした。

 壮大でかなしい、知家という男の愛の放浪。
 『天の鼓』『龍星』ときて、さらに萌えツボを整理してきたな、という感じ。

 こーゆー物語だから。

 もりえちゃんの役は、いてもいなくてもあんまし関係なかったっす。

 ポスターに出てるのにね……。そんな扱いなんだ……。こだまっち……。

 ポスターとは、まったく別の物語でした。
 美しさも、内容も。
 知家@ほっくんと、小督@あいあいと、隆房@みりおの物語だった。

 薄墨の桜をイメージとする、暗く美しい画面。
 やるせない「人の業」を描いた作品。
 さいとーくんもそうだけど、ヲタクは脇キャラを複数描くのに血道を上げるよね。この『想夫恋』も、たくさんの脇キャラの「業」を盛り込んである。
 帝@もりえも、そのなかのひとり。……なかのひとり、でしかないんだよなあ。

 もりえちゃん以外は、お化粧姿もきれいだった。(すまん、もりえちゃんに含みはないんだが、その、どーしてもな……もちろん、演技はよかったんだけどな)
 とくにあいあい。きれーだよー、よかったよー。ポスター見たときは、どーなることかと。
 ほっくんも、オトコマエ。顔の色以外は。……なんであんなものすごい色なんだ……死人のように白いぞ……。

 知家@ほっくんを見ていて、誰かに似てる誰かに似てる、と喉につかえた小骨のようだったんだけど。

 途中で、気づいた。
 松岡昌宏に似てるんだ。や、その、わたしの印象では。

 プログラム(買ってない)の稽古場写真とか、ほっくんマジでかっこいー。
 表情の使い方をおぼえたんだなあ。
 きっとこれからもっともっと、かっこよくなるよね。
 たのしみだ。

 
 祝・まっつエンカレ出演。

 出演者発表に、小躍りしてます。
 まっつだまっつだ、まっつの歌が聴ける〜〜。

 しかも、めぐむも一緒ぢゃないですか。きゃ〜〜。

 問題は、チケットです。
 ……手に入るのか……?

 5公演、全部行きたいんだけどなあ。
 そんな人、きっといっぱいいるよね。

 がんばります!!


 せんどーさん目当てで行った、吉本新喜劇『金の卵ライブVol.2』の話、その2。

 前もってオーディション番組を見ていたので、他の出演者たちにもなんとなく馴染みがあった。
 あー、いたいた、そんな感じで見ることが出来たよ。

 群を抜いてうまい! と思ったのが、老人役の人。
 小劇団出身ということで、なんの違和感もなく彼の「舞台」を観ることが出来る。
 目が飛び出る特技、マジこわいんですけど(笑)。

 あと個人的に、メイド役の子が好きだなあ。
 しゃきしゃきした動きと喋りが快感。おとなしい演技も、はじけている演技も好み。
 てゆーか、足蹴りが好き。
 亭主役の人をドアの向こうへ押しやるときの足がね。なんかね。好き(笑)。

 
 わたしは誘われるままにこのライヴを観に来てしまったので、これがほんとのところどーゆーものかもわかってなかった。
 最後の挨拶を観て、「あれ? 今日初日かと思ってたけど、千秋楽だったのかな?」と思ったので、サトちゃんに聞いてみた。
「1回限り。いわば、新公ですよ」
 という返事。
 新公。
 そーだったのか!
 たった1回限りの舞台、そのためだけに練習してきたんだ。
 ……1回限りなのに、わたしみたいなのが最前列買えたの……? てっきり何回もあるから、チケット余ってるんだと思ってたよ……。

 客席もまさに「新公」って感じで。
 わたし、以前アマチュアの映画祭に行ったことあるんだけど、客席が見事に「関係者ばかり」だったのよね。その映画の関係者でなくても、演劇関係者とか業界の人とかばかりで。純粋に映画を見に来た一般人って、わたしの他にいるんだろうか……と焦った記憶が。客席、ガラガラだったし。いる人みんな、知り合い率高いようだし。
 今回の客席は、前売り状況からすればびっくりするくらいふつーに埋まっていたし、ふつーのお笑いファンも来ていたんだろうけど、やっぱ関係者率も高いようで。耳に入る話し声から推察して、「あー、ほんとに新公なんだー」って感じ。

 終演後の挨拶は、いかにも「新公」で、たのしいけれどわたし的にはちょっとNG(笑)。
 というのも、彼らの「必死さ」「余裕のなさ」がそのまま出てしまって、引いちゃったからだ。
 必死なのはわかる。
 余裕がないのもわかる。
 でもさ。
 君ら、プロなんだろ?
 プロとしてここにいるんだろ?
 たとえ終演後の「素の顔でご挨拶」だとしても、最低限の「演技」は必要だと思う。……わたしは。
 一部の出演者が、あまりに必死なので、わたしは「こわい」と思ってしまった。
 こんなにナーバスな人には、とても話しかけられない。ロビーで出演者が客を見送るのはお約束だけど、そこで客が出演者に声を掛けることも激励することもできるけど、こんな挨拶されちゃ、とてもできないよー。
 芸に対して、舞台に対して、真剣なのは素晴らしいと思う。
 でもそれは舞台だけにしてくれ。稽古場だけにしてくれ。客に対して、そのナーバスさを見せつけないでくれ。
 自分の居場所に固執するのは当然のことだけど、それを見ている者に押しつけないでよー。頼むよー。
 ちょっと引いた(笑)。

 でも、引きながらも、そーゆー「未成熟さ」を愛しいとも思うんだよ。
 がんばってくれ。
 心から思う。

 
 新公であるだけに、彼らを見守るのはたのしそうだ。
 こんなふうに「ふつーの小劇団の芝居」なら、お笑いが苦手なわたしでもたのしめる。
 ……そのうち、わたしの苦手なお笑いの地平へ羽ばたいていくのかな。

 でもきっと、「ライヴである」というのも大きいと思う。
 わたしは吉本が肌に合わないのだけど、それは多分に「テレビで見ている」せいもあると思う。
 ライヴを中継で見たって、ほんとうのよさはわからない。それは、どのジャンルでもそうだと思う。
 ベタベタの吉本も、生ならばたのしいのかもしれない。
 客席の空気とか、大きいもの。

 
 毛嫌いしていた吉本。
 されど、わたしの最初の吉本体験は、こーして幸福に終わった。

 
 ところでせんどーさん。
 吉本の公式プロフィール、ヅカ時代と、身長がずいぶんちがいますけど?
 4cmもサバよんでたんや……(笑)。


 せんどーさん目当てで行ってきました、吉本新喜劇『金の卵ライブVol.2』

 わたしはキタの人間なので、ミナミはとんとわかりません。
 映画好きなんで、映画館目当てにミナミをうろつくことはありますが、吉本関係の建物は全スルーしており、いざ自分が行くとなると、「どこにあるの?」状態でした……。
 グランド花月の目の前の映画館も、道具屋筋の映画館も、あたりまえに行ってるのになー。ついでに言うとジュンク堂にもふつーに行ってたんだけど。……グランド花月はまったく目に入ってなかった。興味がないって、こーゆーことなんだよなー……。

 ライヴはそのグランド花月の向かい、baseよしもとで行われました。
 バウホールよりも小さなハコですわ。
 居住性の良くない劇場なので、長時間はつらいだろうな。わたしは最前列だったんで前後に狭いことはなかったけど、左右は狭いし椅子が薄っぺらすぎてケツが痛いし……まあチケ代安いから仕方ないのか。

 なにしろ、カケラも予備知識がない。

 大阪人のたしなみというか刷り込みとして、小学生のころは土曜日に帰宅するとまず吉本新喜劇を見て、夕方になると「タカラヅカ花の指定席」を見ていたんだが。
 成長するに従って、「わたしはどうも、吉本とは肌が合わないらしい」ということがわかった。
 テレビに出てくる吉本らしき芸人さんたちのギャグが、笑えないどころかムカつく、という状態に。お笑い番組がかかっていると、チャンネルを替える、もしくはテレビを消す、というのが習慣になった。

 だから、せんどーさんが吉本のオーディションを受けると知ったとき、ショックだったなあ。
 ふつーのミュージカル女優とかになってくれたら、これからもせんどーさんの舞台を見ることが出来るのに。吉本ぢゃ、わたしもうせんどーさんを見られない! と。

 それでも、せんどーさんが気になって、テレビのオーディション番組を見た。
 夢を目指す若者たちの、真摯な姿には素直に感動した。泣けた。授業をする教官の言葉などには素直に聞き入った。
 しかし。
 ……オーディション合宿に出てくるプロの芸人さんたちの芸には、まったく笑えなかった。冷たい風しか吹かなかった。
 「笑うのを我慢したらごちそうが食べられる」という課題で、「笑って当然」というスタンスで披露される芸の、サムいことサムいこと。わたしはテレビの前でドン引きしていた。
 これで笑う人って、どんな人だ……? これをおもしろいと思える人でないと、たのしめないんだよな……?
 募るのは絶望感ばかり(笑)。

 自分ひとりではとても、この苦手感を突き破ってまで吉本体験をしようとは思わなかったよ。
 ありがとう、サトリちゃん。

 サトリちゃんに誘ってもらい、あわててチケぴでチケットを押さえ(発売日過ぎてたにもかかわらず、最前列GET・笑)、おっかなびっくり行ってきました。
 こんなにもこんなにも、予備知識ナシ、てゆーかマイナスイメージしかないこのわたしが。

 
 おもしろかった。

 ほんとに。
 吉本新喜劇だから、と構えてしまっていたけど、ぜんぜん、ふつーに、おもしろかったのだわ。

 まず、テレビで見る「よしもと」とずいぶんちがった。

 新人さんばかりの舞台だから? 登場するなり変なギャグだの持ち芸だのを披露してドン引きさせる趣向がなかった。
 ふつーに「お芝居」が進んでいくの。

 もちろん、そのお芝居の中にはギャグありコントありなんだけど。
 そんなのぜんぜんOK。てゆーか、小劇団の芝居のノリ。
 今まで観た小劇団系の芝居と、どこがチガウんだ? ギャグやテンポ命の会話でトントンつないでいく芝居はいくらでも観てきた。

 
 嵐の夜。
 老人と幼い孫が話している。
 裕福な家庭。老人が一代で築いた会社をひとり息子が継ぎ、さらに発展させた。とてもよくできた息子である。しかし、その息子の妻は……。
「こんな嵐の夜だった……」
 不安と緊張感のあるオープニング。
 暗転ののち、舞台は数年前にさかのぼる。老人に両親の話をねだっていた幼い孫が、まだ赤ん坊のころ。
 嵐の夜。
 若く美しい妻は、屋敷の執事と不倫し、共に主人を殺害しようと計画していた。
 主人は心臓が悪い。なにかっちゃー発作を起こして大騒ぎしている。ソコにつけ込んで殺してしまおうというわけだ。
 なにも知らない主人は妻にベタ惚れ。そろそろふたりめの子どもが欲しい、と言って、その準備のために新しくメイドを雇うことにした。嵐の夜だっちゅーに、求人広告を見たメイドがやって来、あっさり就職。
 そこへさらに、この嵐で道に迷ったカップルが宿を求めてやってきた。
 嵐ゆえの孤島となった屋敷で、主人と妻、主人の父親である老人、執事とメイド、飛び入りのカップルがそれぞれバタバタしているわけだ。幽霊騒動が起こったりなんだり。
 そこへ飛び込んでくる警官。「一家惨殺犯人が、この近くに逃げ込んでいるので注意してください」
 殺人犯は、男女ふたり組だという。
 迷い込んできたカップルが犯人だろうか……? と言っている側から、雇われたばかりのメイドが怪しい動き。亭主らしい男を屋敷に引き入れ、なにやら画策している。
 殺人計画を練る妻と執事、その悪だくみを立ち聞きしてしまい動揺するカップル、メイドとその亭主、と、嵐で閉ざされた屋敷の中は混戦模様。
 そしてついに……。

 
 我らがせんどーさんは、もちろん美しい妻役でした。
 立ち姿が美しい。フェミニンな服装にピンヒール。そして、思いきりのいい開襟(笑)。
 おー。さすがせんどーさん、胸の谷間はちゃんと披露してくれるんですね。せんどーさんの巨乳を愛でるのが好きだったので、ブラウスの胸元にはチェック入れちゃいましたよぅ。

 わざとらしい良妻ぶりが素敵。
 元タカラジェンヌ、という肩書きを汚さない役を与えてもらってるんだなあ、と思った。

 というのも、他の役と比べてやたらと「きれいな」役だったからだ。美女役だから、という意味ではなくて。
 他の女性たちはみんな、もっと「きれいでない」演技や立場を必要とされている。下品な物言いだったり、漫才芸だったり。
 でもせんどーさんだけが、「ゲスト出演の女優さん」って感じ。

 それは、最後の挨拶のときも感じた。
 他の出演者たちがテンポの善し悪しはともかく、みんな一丸となって喋りボケツッコミしているなか、せんどーさんだけがマイクを持ったまま、なにもせずに笑っていた。

 下品だったり、ひどい扱いを受けているせんどーさんを見たら、それはそれでショックだったと思うけど。
 それとは別に、「それでいいのか?」とか「せんどーさん、甘やかされてるなあ」とか思ってしまった。

 まあなあ。
 せんどーさんにはたぶん、集客力があるから。
 せんどーさんFCの人たちが、オリジナルうちわを手に客席にいたもの。
 こういう客がついている、名前を持っている人を、あえてムゲにはしないか。
 せっかくついている客を失望させ、足を途絶えさせるよーなことはしないよなあ、商売なら。

 変わっていないせんどーさんに安堵しつつも、焦燥も感じる。それでいいのか? と思う。
 仙堂花歩は、これからどこへ向かうのだろう?

 
 1日ズレてますが。まっつつながりで、先に書く(笑)。

 31日に、よしもとに行ってきました。
 大阪生まれの大阪育ち、されど吉本と阪神が嫌いなこのわたし、それでもサトリちゃんに誘われて、ひょいひょいついて行きましたのよ。
 目的は、よしもとデビューした我らがせんどーさんです。

 昼からミナミをうろついて、「とらや」で布の衝動買いしたりしながら(謎)、baseよしもとに辿り着いたのは、開演数分前でした。

 入口に列が出来ていたので並んでいたら、ガードマン服のおいちゃんが列の整理をしている。

「あんたら、チケットは? ある? あるならこっち」

 当日券の列らしいですな。
 もちろん前売りGET済みのわたしたちは、おいちゃんに言われるままに奥に進みました。
「はいコレ」
 と、列を捌きながらおいちゃんは、わたしとサトリちゃんに「アンケート」と書かれた紙を差し出しました。

 ああ、アンケートね、ライヴならふつーあるよね、「この公演をなにで知りましたか」とか「公演の感想をどうぞ」とか。

 大荷物を抱えたまま(買い物する予定なかったのになー)小さな劇場に入ったわたしたち、座席に落ち着いてからはじめて、その渡されたアンケート用紙をまともに見た。

 設問は、たった2つだけだった。

■あなたが「抱かれたい」と思うヨシモト芸人を一人だけ記入してください。

■あなたが「抱かれたくない」と思うヨシモト芸人を一人だけ記入してください。


 これだけかよっ?!
 あとはそれぞれに、「選んだ理由」欄があるだけ。

 ふつー「アンケート」ってさぁ……遠い目。

 こんなアホウなアンケート、答える気はさらさらなく。てゆーかそもそも知らん。テレビに出ていても、誰がヨシモトで誰がそうでないか、興味なかったらわかんないよ。

 アンケートのとんでもなさにサトリちゃんとふたりで笑っていたところ。
 サトリちゃんは言うのだ。

「アンケート、やったらどうなりますかね?」

 主格のない文章だが、なんのことかはわかる。

 タカラヅカで、このアンケートを取ったらどうなるか? という意味だ。

 「抱かれたい」男役。「抱かれたくない」男役。
 さあ、みんなどう答える?

 
 真面目に、考えてみた。

 
 そして、わたしが答えたのは。

 
「『抱かれたい男役』が、まっつでないことだけはたしかだ」

 好きだけどな、まっつ。
 今いちばん好きだけどな。

 でも、抱かれたくはないな……(笑)。

 でもって、わたしとサトちゃんが思わず固い握手をかわしてしまった、意見一致の「抱かれたい男役」は。

「麻実れい!」
「ターコさんならお願いしたい!!」


 えーと。
 すでに彼女は、「男役」ではないよーな……。
 わたしたちふたりとも、彼女の現役時代知らないし。女になってからしか、知らないんですが。
 それでもやっぱり、「抱かれたい」なら麻実れい(笑)。

 
 んじゃ、「抱かれたくない男役」は?

 しばし考える。
 そして。

「ジュンタン@爆裂タニぃファン、には悪いけど……タニちゃん?」

 おそるおそるわたしが言うと、サトリちゃんの目がきらめく。

「同志!!」
 再度、固くかわされる熱い握手。

 いやその。理由は「下手そうだから」。……ごめんよごめんよタニちゃん。

「バトン回してみたらどうですかね?」
 と、サトちゃん。

 設問たったふたつ? 抱かれたい男役と、抱かれたくない男役? その理由込みで?
 バトンは無理だよ、わたし友だち少ないから(笑)。

 
 OGのターコさんはともかく。
 現役で「抱かれたい男役」を選ぶなら、もちろん水くんです、わたしは。
 理由は、わたしが好きだから。愛がすべてですよ、ええ!!

 ……まっつ?
 もちろん、まっつがいちばん好きですとも。

 まつださんの場合、「抱かれたい男役」というよりも、「抱きた……ゲフンゲフン。

 
 せんどーさん目当ての「初よしもと」は、大変たのしかったです。
 やー、吉本嫌いなのにさー、マジでふつーにたのしかったよー。びっくり。
 その話はまた、欄を改めて。

 あ。
 アンケートは、思った通り2種類ありました。
 ふつーに「この公演をなにで知りましたか」とか「公演の感想をどうぞ」とかいう設問があるやつと。
 ただ、入口のおいちゃんが、わたしたちにはふつーの方を渡さなかったのよ。
 ヲイヲイ(笑)。


 水くんへの愛を語ったあとで、なんですが。

 実はミズカル観賞後、nanakoさんちでオサコンDVDの鑑賞会をやりました。
 元花組ファン、贔屓が卒業してからはオサが嫌いなので花組もろくに見なくなったBe-Puちゃんを巻き込んで(笑)。

 ごめんよBe-Puちゃん、現花担のわたしとnanakoさんに挟まれた段階で、あきらめてくれ! 花組とオサLOVEですよ、わたしたち!(笑)
 ついでに、わたしはまっつのことばっかひとりで喋ってるしなっ(笑)。

 おかげで、気の毒なBe-Puちゃんにとって「まっつ布教DAY」になってましたな。
 わたしがえんえんえんえん、DVD見ながらまっつの出番その他を解説するから。Be-Puちゃん、まっつのこと知らないし見分けついてなかったし、そもそも興味もないだろうに。

「緑野さんが好きなタイプってことは、私は好みじゃないってことよね」
 と、Be-Puちゃんは最初から断言。そうさ、わたしらいつでも好みは正反対(笑)。
 それでも帰るときには無理矢理、「まっつについての知識詰め込まれ済み」状態だったね……(笑)。

 とまあ、気持ちよくまっつ尽くしでした。

 
 ところで、まっつと言えば。

 龍真咲って、まっつに似てるよね。

 と、言って、友人たちから全否定されました。

 ちょっと待てみんな、よく聞いてくれ。
 芸風ぢゃないんだ、キャラぢゃないんだ、顔だ顔! 顔が似ているって言ってるんだ。

 わたしがそもそもまっつを好きになった最初の理由はであり、真咲を好きになった最初の理由もなんだよ。
 同類項の顔なんだよ。

 だから、

「華がチガウ」
「きらきら度がチガウ」
「ギラギラ度がチガウ」
「耽美度がチガウ」

 とか言わないで。そーゆー話してないから!(ちなみに、上記の例はすべて まさき>まっつ)

 輪郭、鼻、耳の位置、体格とか、すげー似てるってばよ。
 ふたりとも澄まし顔で並んでいたら、「姉妹?」ってくらいには似てるよぅ。
 舞台顔も似てるけど、素顔はさらに似てるってば。

 ただ、キャラアピールしたら別人になるだろうけど。
 持ち味、ちがいすぎるから。

 ……おかしいなあ。
 元の顔が同じで、共に小柄で華奢で、歌が得意なのに。
 どーしてこうまで芸風がチガウのか。
 その方が不思議で、興味深い。

 まっつ = 儚げ。ヘタレ。端正。
 まさき = 鬼畜。生意気。耽美。

 ……どっちも、ものすげー好みです。
 もともと顔が好きで、芸風が好みって、なんだそりゃ。正反対なのに、どっちもわたしの好みストライクですよ。

 まっつの薄さや、まさきの戦闘意欲にあふれた舞台姿が好きです。

 にしても。
 まっつさん、どーしてあんなに薄いかなあ……(笑)。
 顔、似てるのになー。真咲はあんなに戦闘意欲満々な舞台態度なのになー(笑)。真咲の舞台とみわっちの今の舞台、イメージかぶるわー。自分が色男だって自覚して、本気で客をオトシにかかってる、あの鼻息の荒さ。

 ま、わたしはまっつがまっつだから好きなんですけどね(笑)。
 あの能面のよーな顔も、微妙な笑顔も、スベっている投げチューも、みんなみんなまるっと愛しいです。

 東京在住まっつメイトから、まっつ東宝お茶会の話を聞き、遠い大阪の空でひとりまっつに想いを馳せています。
 そうか生まっつはそんなに美形なのか……わたしはファンになってから一度も生まっつを見たことがないからなー(笑)。

 まっつに飢えているので(笑)、次のらんとむバウに今からわくわくしています。
 ポスターのらんとむ、すげーかっこいいよねーっ。一人写りだ一人写りだ、すげー。
 わくわくっ。


 タカラジェンヌの魅力って、なんなんだろう。

 世の中半分男なのに、なんだってわざわざ女にハマるんだろう。

 
 ……と、しみじみ考えてしまいます。
 べつにビアンでもバイでもないのに、女にハマる、この摩訶不思議な感覚はなんなんでしょうねえ。

 とゆーのも。

 水夏希氏が大好きです。

 自分史上水夏希好きレベル、MAX値を記録してます。

 オロオロ。
 いきなり盛り上がった水先輩への愛に、うろたえています。

 なんでこーなったか。

 水夏希氏が、女であることを知ったからです。

 わたしは、水くんを「水夏希」という生物だと思っていたらしいのね。つきつめて考えたことがなかったから、気づかないままでいたけど。
 生身の女性だとは考えたことがなかったの。

 ところが、今回のオスカル役で、ふつーに女性なんだということを知り。

 ときめきました。

 やーん、あんなにきれーな女の人が、かっこいー男役やってるんだー♪ みたいな。

 なんだなんだそりゃ。
 女だからときめくのか。どーゆー心理展開だよ?!

 ……複雑ですねええ。なに考えてるんでしょうねええ。

 今まで、生の水くんを見ても、幸か不幸か女だって気づかなかったし。きれいだとも、思ってなかったし(暴言)。変な顔だなあ、でも好き〜〜、とか思ってたのよ。

 ところがどうだ。
 きれいな女性で、どっきどき☆ ですよ!!

 タカラヅカの男役にときめくのって、こーゆー感じかぁ。女性だってわかったうえで、それでも好きなんだなあ。
 考えてみりゃわたし、今まで「女性」認識のある人に惚れてないもんなあ。トドだとかケロだとか、「素顔はかわいい女の子なの」系にはハマってなかったからなあ。
 性別は関係なく、舞台の上の姿、現実とは関係ないところにあるファンタジーを愛していたので。素顔のジェンヌには基本的に興味ないし。

 それが、舞台の上で「女」を感じさせてくれたから、今、水くんにドキドキしているのですよ。やーん。

 
 とゆーことで、星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』、ミズカル話の続きです。

 きれーなおねーさんミズカルなので、トウドレだとかジェローデルだとかに愛されてたり、ベルナールに信頼されていたりするのも、とーぜんに見えます。年下の生意気系かわいこちゃんアランに惚れられてるのもあったりまえ。
 あー、個人的にわたし、アラン@れおんとミズカルで、「年下の男の子との恋愛ドラマ」が見たいなあ……『anego』みたいなやつ……。
 ミズカルのこと意識して意識して、いぢめちゃって、ついにキレて無理矢理キス! ての。れおんと水で見たいなあ……ハァハァ。

 トウドレは相変わらず胡散臭く(誉め言葉)、素敵にオヤジ臭いので(誉め言葉)、ほんとはオンナノコなミズカルのダーリンとして、ふつーにたのしく見られます。
 大昔の人が「究極の抱擁シーン」とか言って演出した古くさい「今宵一夜」シーンなんぞ、ミズカルとトウドレがもったいないです。
 はっきりいって、今のヲトメたちはあんな妙ちくりんな不自然なポーズにはときめきません。「型」として、「そーゆーもんなんだ」とあきらめて眺めているだけです。
 景子タンに演出させてくださいよ、ベッタベタなラヴシーンを。ヲトメたちが胸キュン(笑)する、見ていて恥ずかしいくらいのラヴシーンをやってくれるだろうに。
 せっかくトウドレが胡散臭くかっこよくて、ミズカルが可憐な乙女なのになー。

 わたしのオペラグラスはミズカル固定で、他を一切見ていないので、息絶えるトウドレの迫真の演技も見てないんですが、ミズカルの放心した顔とかが実に美味でねえ……。
 いいなあ、ミズカル……。

 
 「小雨降る径」は、襟足が少々長めのショートヘアでした。

 かわいいっ。

 かわいいかわいいかわいいっ。
 いいなあワタさん、あんなにチャーミングな女の子と踊れて!

「ドレス着てる方がカマッぽくない?」
 とか、nanakoさんだっけかが横で言っていたよーな気もするが、そんなこたぁーないっ。
 わたしの目には、めっさ美人なお嬢さんだよ、水くん!!

 そして、先週見たきりやんの姿が目に焼き付いている以上……胸のなさも、とても新鮮だ水夏希!!

 ははは、コムちゃん、かっしー、水くん……雪組美女トリオは、全員貧乳ですか。
 そーか、貧乳が雪クオリティか……。

 なまじ胸も背中も開いたドレスだからなあ。
 前も後ろも同じつーのがなあ。背中の方がたくましいぶん、豊かかもしれない……。

 にしてもわたし、水くんのドレス姿って、見るのきっとはじめてだ。

 水夏希を女だと知らなかったくらいなので、彼に胸があるかないかも、考えたことなかったし。
 鎖骨を見るのも、平らな胸元を見るのも、そして脚……ふくらはぎだの、太ももだのを見るのも。
 全部全部、はじめてだ。

 感動……。

 ええもん見た……。

 ありがとう水夏希。
 ありがとう特出。

 大好きだ、水夏希。

 
 そして、水くんをとびきりキュートに見せてくれる、男前なワタさんにも感謝。

 
 さて。
 女性・水夏希を好きだとさんざん書いたそのあとで。

 さらに、続きがある。

 わたしがミズカルを観に行った日、この日は偶然「逸翁デー」だったのだわ。
 知らなかったし。
 この日のチケットを買った理由は、「立ち見の出ている日をください」だったんだもの。第一希望の日は、「座席が売り切れていないので、立ち見は出ていません」って断られたんだもの。
 なんでもいいや、わたしとnanakoさんとBe-Puちゃんが一緒に観られる日で、立ち見が出ている日のチケット。
 ……そーゆー理由で買ったんだもの。

 わたし、逸翁デー苦手だし(笑)。
 当日行って、「げ。逸翁デーかよ」と辟易したクチですわ。

 ゲストのネッシーさんの歌とトークはたのしかったけど、そこに辿り着くまではつらかった……(笑)。

 救いは、「教祖様を讃える歌」を、水くんはたぶん暗譜して歌ってくれるだろうなってこと。
 いつだったかの雪組は、みんな楽譜見ながら歌っていて、2階席からはつむじしか見えなかったよなー。
 去年の宙組で、やっぱりみんな下を向いて歌っていたなか、水くんがいちばん顔を上げていたことが印象に残っているので。
 それを救いにする。

 教祖様の歌をどんな衣装で歌うのか、過去の例が記憶になかったので、ぼんやりと「フィナーレ衣装のままかなぁ」と思ってたんですけど。

 着替えるんですね!!

 娘役はドレス、男役は黒燕尾。

 
 華麗なるヒロイン、オスカル様は、黒燕尾姿でした。

 黒燕尾!!

 ついさっき、ドレス着て踊っていた美女が!
 金髪巻き毛の男装の麗人が!

 黒燕尾の美青年になってますよ!!

 ……男なんだ、水くん……。

 女役やってても、男に戻るんだ……。

 なんか、口あんぐり、でした。わたし的に。
 なんつーか、アレですね。
 ドレス着て愛だ恋だやっていた美貌のオーストリア皇妃が、サヨナラショーでいきなり黒燕尾着て踊っちゃってる、あの感じですね。
 あさこちゃんが男に戻っているより、なんか、びっくりした……。

 あ。ちなみに、華麗なるシッシーナ夫人@エンディも、黒燕尾でした(笑)。
 みんな、本来の性別(笑)に戻るのね。

 水くんはやっぱりずっと顔を上げて歌ってくれて。
 ソロありまくりだったトウコちゃんも、ずっと顔あげていたし、ワタさんはじめ舞台中央にいる人たちは、顔を上げている率が高かったな。
 そーさ、歌の内容がひどいんだから、みんな顔を見せておくれ。ジェンヌを長く見られる、というだけだもん、このイベントの意義って。
 ……「教祖様を讃える歌」は、やっぱり引くよー……。

 
 水夏希が女だ、とおどろいたこの公演は、黒燕尾の水夏希を眺めて幕を閉じる。
 そう、たとえお化粧が「女の子」のままであったとしても、「男役」として水くんはそこにいた。
 

 女の水夏希にときめいて。

 でもでもやっぱり、水くんは男役が最高だと確信し。

 女でありながら、さらに男としても超ナイスな「男役・水夏希」に、惚れ直したのでありますよ。


 水夏希が女だ。

 最初っから驚愕。
 星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』、オスカルは4人目、水くんだ。

 オープニング、マンガ絵が開いて登場するところからすでに、「女」。
 男装しているのに、軍服着ているのに、女性であることがひとめでわかる。

 どどどどーゆーことっ?!!

 
 この日はBe-Puちゃんとnanakoさんと一緒だったのだけど。
 休憩時間、Be-Puちゃんも驚きの声を上げていた。

「水くんが進化していた!!」

 なにしろわたしたちには、『2001』の記憶がある。ばばあにとって5年前なんてのは、「えっと、ソレって去年だっけ?」ぐらい、ついこの間のことだ。
 『ベルサイユのばら2001』で、いやっちゅーほどミズカルは見てたんだ。
 あの微妙すぎるオスカル。
 低い声にとがったアゴ、長すぎるカオ。不自然にクネクネした態度。
 どっから見ても、オカマ。
 そんなにフェルゼンが好きなら、押し倒せば? アンタなら余裕で勝てるって! と言いたいよーな男度の高い(だから不自然に女っぽい態度を取る)オスカルだった。なまじフェルゼンがお人形さんのよーなたかこだったからなー。
 あのダメダメっぷりが、記憶に新しいもんだから。

 おどろくよ。

「人って、成長するんだね。人間ってすごいね」
 ……Be-Puちゃんはひたすら、感心していた。

「アタシは長年、成長しない人のファンやってたからさー。ついに最後まで、演技も歌もダメダメなままだった……」
 そのダメさ加減も愛していたのだろう。すでに退団したご贔屓に想いを馳せつつ、その反動もあってか「成長している」水くんに感慨深い模様。
 まあ、歌の下手さでは、Be-Puちゃんのご贔屓とよく並び称されていたもんね、水くん……。

 
 なにはともあれ、水夏希。

 わたしは水くん大好きだけど、今まで彼が演技巧者だと思ったことはない。
 ふつーだと思っていた。
 役者なら、それくらいできて当然、というレベル。
 巧いといって目立つこともなければ、下手で場を壊すこともない。
 彼の演じるキャラクタに惚れ込むことは多々あるけれど、それはたんにわたしが彼を好きなだけだと思っていた。演技の相性がいいだけだと思い込んでいた。

 でも、ひょっとして。
 今の今まで、一度も考えたことがなかったけれど。

 水くんって、演技巧かったんだ……?

 登場した瞬間から、「オスカル」というややこしいキャラクタの「設定」が理解できるんですが。
 男装しているけど、女。軍服着ているけど、女。
 タカラヅカだから、他の全員が同じように男装した女状態なのに、それでもひとめでわかる。「あ、あの人女だ」。

 表情が、女性のものだった。
 男装の麗人とかじゃなくて、ふつーに女性。
 等身大の女性。
 女医さんが男性医師と同じユニフォーム着ているよーなもん。仕事だから同じモノを着ているんであって、「男装しているのよ!」という気合いはナシ。

 えーと、つまり。
 今まで「男の中の男。水アニキかっくいー!!」と思っていた「顔」は、演技だったわけですか?
 ふつーの、女性としての顔とは別物。
 今までわたしが見ていたモノは、全部全部、「演技によって作られたモノ」だったわけですか?!!

 
 どうしよう。

 舞台の上に、きれいな女の人がいる。
 美しい女優さんがいる。

 アレ誰?
 知らない人だー。

 
 すみません。
 わたし、ほんとに理解してなかったの。

 水夏希が女だということ。

 「水夏希」という生き物だと思い込んでいたから。
 後天的に「作られた」存在だと思ってなかったの。

 わたしが見ていた「水夏希」は、水くんが自分の力で創り上げたものだったんだ……イリュージョンだったんだ……。
 もともと「水夏希」という生き物だから、水くんらしく舞台に立っていて、いろんな役をやっているのは「あたりまえ」のことだと思っていた。
 それを「技術」だなんて思ってなかった。
 男が男に見えるの、とーぜんだし。
 男が男としてかっこいーの、とーぜんだし。
 演技が巧いとか下手とか考えたこともなかった。気にする必要もなかった。
 だって水くんだし。

 ……創ってたの?
 水くん、生まれたときから水夏希なんじゃなかったの?
 水夏希としてかっこいーのも、男らしいのも、みんなみんな、演技で創り上げたモノだったの?!

 マジ、知らなかった。
 天性のものじゃなく、技術だったんだ……。

 だからこそ、「男」としての演技をやめ、「女」になることができる。
 とても自然に。

 「男」を創り上げることに成功した技術と経験は、同じ計算式で「女」を創り上げることも可能なんだ。

 
 舞台にいるオスカルが、あまりに自然に「女性」なので、ただもうそのことだけにびっくりして、終わってしまった。

 天海祐希かと思った。
 ヅカの男役だったころの天海ではなく(当時の天海も見ていたけどさ)、今の、「いい女」「オトコマエなおねーさん」としてテレビで活躍している、女優の天海。
 今現在の天海がオスカルを演じたら、こんな感じかも。あくまでも「いい女」として、男社会でキャリアウーマンしているふつーの感覚を持った女性。

 スーツをビシリと着こなし、責任ある立場で働いているミズカル。「オンナはお茶くみだけしてればいいんだ」というブイエ部長と衝突しながらも、新プロジェクトの方針をめぐり、会社の存続を真面目に憂えている。
 女の敵はオンナ、ミズカルを快く思わないお局シッシーナ一派は口さがないが、同じくお局のモンゼット一派はとりあえず味方。化粧室と給湯室は噂話の花畑。「ミズカル女史が関連会社に左遷されるそうよ!」「しかも店舗勤務でしょ? アルバイトの女の子たちと同じように店頭に立つことになるのよ?」「それも自分で願い出たんだって!」「大変ザマス!」
 現在の業務に疑問を持ったミズカルは、末端にあたる現場での勤務を願い出たのだ。
 わたしは仕事に生きるの……そう言い聞かせるミズカルは、叶わぬ恋を胸に抱いていた。仕事上のライバルとして出会った男、ワタルゼン……最初から、ふつうの男と女として出会っていたら、ちがう未来があったかもしれない。だが、真面目で不器用なミズカルは、彼の前で「オンナ」の部分を決して見せなかった。対等なライバル、かつ友人としてつきあう以上、恋心は隠し通さなければならなかった。
 それに、ワタルゼンは社長夫人のトナミネットと途ならぬ恋に落ちていた。誰も幸福にならない恋。ミズカルも、ワタルゼンも、そしてトナミネットも。
 そしてもうひとり。ミズカルを密かに愛し、見守り続ける男がいた。ミズカルの幼なじみ、トウドレだ。ミズカルの不器用な生き方を受け止め、影のように支え続ける覚悟で、彼もまたミズカルと同じ部署への異動を願い出ていた……。

 とかゆー、ありがち現代物ドラマとして、ぜんぜん変じゃないキャラでした、ミズカル。

 変だなあ、コレってバリバリの植田歌舞伎なのになー。トナミネットはひとりで植田芝居やってるのになー。
 ミズカル、植田芝居に馴染みながらも独自のムードで「きれいなお姉さん」やってたぞ(笑)。

 なんか、すごいかわいい女性でした。
 ふつーに「働いている女性」っぽくて。だからこそ、障害にぶつかって、傷ついている姿が可哀想で。
 がんばれ。そう言ってあげたくなる。

 ……女だったんだ……水くん……。
 女になれるんだ、こんなにふつーに。

 ただもう、それだけにびっくりした。


 や、やべえよ、きりやん……!

 と、うろたえてしまいました。
 ひとりでふらりと観に行った星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』、オスカルは3人目、きりやんだ。

 美貌だがクールで男らしいコムカル、正統派の男装の麗人カシカル、ときて、キリカルは……。

 若かった。

 男役の声ではないし、アデレイドのときのような作り込まれた女優声でもない。
 素のきりやんの声に近い?
 少女のように見える。
 初々しくも、潔癖な言動。
 若い。大人の女じゃない。生々しさがない。少女ですらない……?

 少年に見える。

 それも、レトロな少女マンガの少年。美しい、現実感のないまっすぐな少年像。
 言うならば……萩尾望都とか竹宮恵子とかの描く少年。
 女性(少女ではナイ)と少年の中間のような、あるいは性など持たない、あやふやな、あやうい、されど美しい存在。

 うわー……。
 少女マンガの美少年できましたかー。やべー。

 なにがやばいって。
 トウコちゃんですよ。

 トウコちゃんは包容力が上がると、オヤジらしさも上がるんですよっ!

 トウドレ、オヤジ化してるっ!!(笑)

 アンドレとオスカル、えらい年の差カップルに見えるんですがっ。
 まずいっしょコレ。やばいっしょコレ。

 アンドレがロリコン(ショタコン?)です!!

 トウドレのオヤジ度が上がり、キリカルの幼さがより際立ち。
 犯罪っぽいです。

 なまじキリカル、体型が子どもっぽくてね……その……小さくて丸いもんだから。
 やばいなあ(笑)。

 トウドレがオヤジでうさんくさくて、素敵です(笑)。

 トウドレとキリカルが戯れていると、昭和時代の美少年マンガみたいで、うろたえます。
 『風木』かよ、よりによって『風木』なのか! と、アタマを抱えたい気分です(笑)。

 キリカルてば潔癖な少年のようだから、ブイエたちおやぢどもにいぢめられている姿が可哀想でね。
 トウドレを失ったあとも、痛々しいですよ。

 
 歌は、期待したほどでもなかった。
 というか、『ベルばら』ソングって、ハッタリで歌うもんだから、基本的な歌のうまさはあまり関係ないのかも。
 派手なんだもん曲がひたすら。
 地道にうまいより、スターオーラで押し切る方がいいのかもな。
 現にワタさんの歌、大して気にならないし(ここで例に出すか)。『2001』のときだって、よりによってあのさえちゃんと水くんがデュエットしても、ふつーに聴けたし(ここで例に出すか)。
 だから、きりやん単体でオスカルソングを歌っても、聴き惚れるとゆーよーなものでもなかった。それに、いつもの男役声でもなかったしなー、今回。

 ただ、トウドレとのデュエットはいい感じでした。
 
 
「小雨降る径」は、ガチで女役経験のあるきりやんだから、とくに発見はなく。
 ふつーに女役です。

 なにしろ、胸があるんですから。

 すげーよなー。
 あんなに胸の開いたドレスなのに、コムちゃんもかっしーも見事に胸が見えないんですよ。
 谷間もナニもない。ナニもないから、ナニも見えない。振付で気前よくのけぞっても、ふくらみらしきものも見えない。
 潔いまでに、ぺったんこ。
 なのにきりやんてば。

 谷間あるし!!
 ふつーに女性の体型してるし!!

 そして、そんなことにおどろくほど、他のふたりの体型がアレだったのかと、さらにおどろいちゃうし!(笑)

 セリ下がりのときの表情は、陶然とした色っぽい微笑でした。
 仏像がたまに、あんな表情するよね。神聖なはずなのに、みょーに色っぽいの。

          ☆ 

 ところで、劇場後方のスタッフ室。立ち見位置からモニター見えなくなっちゃった?
 舞台袖の映像とか、陰コーラス室の映像とか、見るのたのしみにしてたのにー。
 たまたま見えなかっただけだといいなあ。
 立ち見のときのおたのしみのひとつなのに。


 1週間ズレてますが、実は東宝花組公演観ました。新公の日に。
 組替え発表の翌日だから、らんとむ、そのか、あすかの姿を見るのがせつなかったっすよ。

 つってもわたし、所詮、ショーはまっつさんしか見てないんですけどね。他の人を見る余裕がなくてね。
 チケット持たずに旅立って、なんとか5列目GETしてね。
 まっつ目の前でね。
 あたしのためだけに微笑んでる? なんてカンチガイをしていられてね。幸福でしたわ。

 ショーはそんなだから、まっつ以外記憶にないんだけど。

 
 『落陽のパレルモ』がさあ。
 ラストに説明台詞がちょっくら加わって、少しマシになったとはいえ、やっぱり「パパの力でハッピーエンド」「世の中金次第」というテーマがせちがらい、「景子タン、ラスト失敗しちゃったね……」な作品であることは変わりなし。
 演説するのはパパでなくヴィットリオでなきゃイカンのよ、作劇的に……と、じれったさ満載。
 ヴィットリオ@オサ様はナルシス全開、変な癖全開、日本語が崩壊しつつあるし(なに言ってんのかわかんねー)、得意の歌もくどすぎてえらいことになってるしと愉快に暴走。いや、わたしは好きだからぜんぜんかまわないんだけど、世間的にやばくないか? と首を傾げつつ。

 
 わたしが惚れ込んだのは、ロドリーゴ@まとぶんだ。

 か……っ、かっこいー!!

 ムラ初日に見たときに、あまりのヘタレっぷりに目眩がした。星の御曹司をこんな使い方して! 返せ! 戻せ! と思った。役がひどいと思った。バカにしか見えねえ、と。
 それが、回を重ねるごとにいい男になっていっていた。
 ロドリーゴいいじゃん。いい役じゃん。まとぶ、かっこいー。
 と、思うようになっていたよ。
 いたけど。

 ここまで、かっこいいとはっ。

 ただの恋敵、貴族であるという事実にしがみついているだけの人、ぢゃない。

 信念が見える。

 彼の人生が見えるのね。
 何故彼がここにいて、この言葉を口にするのか。
 ゆるがないものがあって、立っていることがわかるひとりの男。

 貴族であること。
 それは、得をするのがあたりまえ、な人たちじゃないんだ。平民を見下すことでも、えらそーにすることでもない。
 ノブレス・オブリージュ、「高貴な者の義務」を負う者のことなんだ。

 矜持を持って生きているからこそ、それを負わずにすむ者たちと、区別をしている。
 差別ではない。区別。

 その信念の強さが、ロドリーゴをめちゃくちゃオトコマエにしている。

 貴族社会の落陽を眼前にするこの物語、ロドリーゴ主役で見てみたいっす。
 彼にとっての「落陽」は、愛した女性アンリエッタ@ふーちゃんの存在に象徴されている。
 信じていた世界が変わる、壊れる、それを目の当たりにしながら、理解できず苦悩しながら、それでも最後は毅然とそれらを受け入れる。

 ロドリーゴ、いい男だ……。まとぶ、かっこええ……。
 こんなにいい男だなんて、知らなかったよう。

 だからこそ、ヴィットリオと萌えたいですよぅ。
 ヴィットリオ×ロドリーゴでいいですから!

 ヴィットリオってほら、「母の復讐のために、大貴族の娘を騙して結婚する」のが目的の鬼畜色男でしょ?
 大貴族の娘、でなくてもいいじゃん。ロドリーゴ様は大貴族のぼんぼんよ、母を捨てた貴族の父にも似た身分の男よ? 復讐するために近づくのよ。
 軍隊で、部下としてロドリーゴの信任を得ていたヴィットリオ、実はそのつもりで近づいたんじゃないの? アンリエッタに反応したのは、ロドリーゴの「婚約者」だからだよね?

 村祭りのときに、アンリエッタを挟んで見つめ合うヴィットリオとロドリーゴが、すげー好きだ(笑)。
 あそこではいつも(いつもなのか)、「逃げてロドリーゴ! ヴィットリオの目的はアンタよぉー!」と思うもの。

 射殺されたニコラたち、その事件についての訊問のあと、ふたりきりになったときヴィットリオがロドリーゴに告げたりしてな。アンリエッタと契ったことを。
 もちろん、ロドリーゴを傷つけるだけが目的で。鬼畜ヴィットリオならそれぐらいしろ! てか、する! するよなオサ様。まとぶを追いつめたいよな! 美人はいたぶってナンボだよなっ!(役名で語りましょう、誤解を受けます)

 嫉妬に取り乱すロドリーゴ、それを見て冷ややかに悦に入るヴィットリオ。
 アンリエッタが正の意味で「ロドリーゴの時代」の「落陽」を表す存在ならば、ヴィットリオは負の意味で「落陽」を表す。
 ロドリーゴを追いつめ、破壊する者として。

 ……考えれば考えるほど好みだわ、ヴィットリオ×ロドリーゴ。マジでぞくぞくします(笑)。


 『不滅の恋人たちへ』を見終わるなり、チェリさんからメールが届いた。

Title タニ
Text どうでした?

 なんつー端的なメールだ。爆笑したってばよ。

 舞台が終わる時間を待ちかねてのメール。
 そんなに感想が気になったのか……人気者だ、タニちゃん。

 だけどわたしが返したメールはもちろん、

Text ともちがすっげぇかっこよかったっす(顔文字省略)

 ……タニの演技について、聞かないでください……。陶酔タニちゃんは愉快だけど、愉快すぎるので作品とも本人の意図とも乖離していて大変です。
 ただ、本気で彼が「発光」していて、その方がすごかったよ。
 あの薄暗い舞台で、タニちゃんひとり「発光」してるの。大根でもなんでも、あの光を放てるだけで真ん中に立つ意義のある人だ。

 
 それはともかく、ともち。

 なんであの人、あんなにかっこいいんだろう。
 1幕では役がなく、モブにまざってわさわさしているだけなんだけど。
 おおっ、今通ったぞかっくいー。あっ、やっと出たかっくいー。あ、もういなくなった。
 2幕では、えーといちおー主役の恋敵役? うさんくさいまでに「いい人」でね。
 白い歯が「キラッ」と光っていそうな人。
 かっこいーわやさしそーだわたまりません!!

 少ない出番のともちを心の灯台にして、この眠い芝居を乗り切りました(笑)。

 出演者はがんばってるよ。ただ、どーしても作品がね……ひでーよなこりゃ。
 いっそ開き直って笑いに行くなら、アリかもしれないけどなー。現にわたしの隣の人たち、潔く笑いまくってたしなー。

 良席だったもんで、チャルさんの目線来まくりでした。近くに「お客様」でもいたのかしら。なんでこっちばっかし見るのーっ?!
 カーテンコールでは、チャルさんから投げキッスがとんできて、のけぞりましたよあたしゃ。

 ともちともち。ともちを見るんだってば。チャルさん見ている場合ぢゃない!!

 
 ともちがどんどんいい男に見えて、こまります……。

 
 ところでわたし。
 ナマのともち、見たことなかったの。
 えーと、舞台じゃない、素のともち。
 だって宙ファンじゃないし、べつにともちのファンでもなかったし。てゆーかそもそも入り出待ちしないし。

 それがついうっかり、楽屋出のともちを見てしまいまして。
 バウ楽屋から続く階段下の出待ち位置で、ファンの人たちから手紙を受け取っているところを、見てしまったの。

 出待ちしているわけじゃなかったから、わたしとnanakoさんはちょっと離れたところにいたんだけど。
 ともちが出てきた! とわかった瞬間、つい、そばまで行っちゃったよ。FCの人たちの後ろ、ギャラリーにまざっちゃった。

 ナマのともち見るの、はじめて。

 かわいい〜〜っっ。

 きれいな女性だよねえ。
 でかいけど、表情とかあでやかでやさしそうで。野郎には見えない。

 そーいや、わたしがまだともちをともちと認識する前、まだ彼にFCができていない、作っちゃいけない学年だったころ。なんのなりゆきか、ともちのところで新公のチケットを取ってもらったことがあった。
 わたしこの人知らないんだけど……受け取ったチケットには、その知らない人のやる役と、「がんばります」的な言葉が見るからにオンナノコな丸っこい文字で書いてある紙が入っていた。や、もちろんコピーだけど。
 その「がんばります」な言葉の最後には、これまたかわいらしい装飾付きの丸っこい文字で「ともちん」と書いてあった。
 へー、「ともちん」って言うんだこの人。知らない人だけど、せっかくチケット取ってもらったんだから、注目しよう。
 ……そして実際、新公を見て。
 そのあまりのでかさと顔のゴジラさに、目眩がしたんだった……手書き文字の「ともちん」なかわいらしさと、ギャップがすごすぎて。

 その、わたしはずっとともちのこと「ゴジラ」認識だったからさ……彼を美形だとは露ほどにも感じず……ゴニョゴニョ。

 しかし今、ナマのかわいらしーともちを見て、ファースト・インプレッション、「かわいい丸文字を書く、ともちん」というオンナノコのことを思い出したよ。
 最初に見たメッセージカードだけだったら、ものすげーかわいい若い女の子、だったんだよなあ。舞台見たらゴジラでおどろいたけど。
 丸文字ともちん → ゴジラ → かっこいいにーちゃん ……ときて今、かわいい丸文字で「ともちん」でもおかしくない、かわいい女性が目の前にいますよ!!

「かわいいっ。かわいいよねっ!!」
 興奮してわめくわたし。
 その横で。

「……(沈黙)……あー、声はかわいい」

 テンション低く、nanakoさん。

 なによその限定項。

「声だけじゃないでしょ、顔もかわいいってば」
「えーー?」(語尾下がる)

 同意は得られませんでした。
 それどころか、出された結論は。

「緑野さん、ともちファンだから」

 だから、かわいく見えてしまうと?

「そりゃ素敵だけど、かわいいっていうのはちょっとチガウんじゃあ……?」
 的なことを言われてしまいましたよ。

 えええっ?
 ともちかわいいよねっ? 美人だよねっ?
 ゴジラとか言ってたの、誰?

 千秋楽の出は、みんなきれーにお化粧して帽子も眼鏡もナシで挨拶していってくれたので、いろんな人たちを見ることが出来ました。
 あひくんの生アゴも堪能したし、七帆のぼ〜〜っとしたかわいこちゃんぶりも堪能したし、十の野郎ぶりも、和くんの濃さも堪能しました。

 そしてなによりタニちゃん。
 人間ぢゃない。
 美しすぎて、足が地に着かないよ……すげえや。


 『不滅の恋人たちへ』は、最悪。作者のマスタベ作品、作者だけが気持ちいい、美しい画面があるだけの熱帯魚の水槽のようなもの。
 と、前述した。
 そのことにまちがいはない。
 出演している生徒にも、そのファンにも同情したし、自分の好きな人がこの作品に出ていないことに胸をなで下ろしもした。

 しかし。

 ごめん、ある意味わたし、この作品の「存在価値」を認めているの。

 『不滅の恋人たちへ』って、たしかにどーしよーもない駄作だけど、主演ファンにはオイシイよね?

 この作品の主役ミュッセは、ほとんど一人芝居という出番の多さだ。出ずっぱりで、さらに衣装がすごい。豪華かつ美しい衣装をとっかえひっかえ、意味もなく着せ替え人形状態。台詞も多いし、歌もある。
 たとえ、「内容的に言えば真の主役はチャルさん」であったとしても、とりあえず出番が多いんだから、ファンはたのしいだろう。
 そして、なにより。

 ラヴシーンが多い。

 いろいろ取りそろえてます。
 愛を語り、愛に悩み、愛に壊れる。
 恋愛モノを見たい、というファンのニーズにぴったり。

 さらに。

 すみれコードぎりぎり?! な愛欲シーン有り!!

 いやその、タニちゃんがやるからお笑いになっちゃってるけど、ふつーはものすごくエロいシーンだからコレ!
 みんなが見たい、鼻息まじりに見たい、ものすごいシーンのはずなんですってば。

 ストーリーがなくても、ミュッセとその影のふたりしか登場人物いなくても(相手役のサンドすら、存在価値薄い……)、わけわかんなくても、どーしよーもない駄作でも、この「床をごろごろ愛欲シーン」があるだけで、お釣りが来ます!

 駄作上等、ファンなら通え!! ……という作品です。

 それは、「タカラヅカ的に正しい」と思うの。
 どれだけ正しくおもしろく作られた作品でも、ファンが「こんな**ちゃん、見たくない!」と思うよーなものは失敗だと思うように。

 『不滅の恋人たちへ』は駄作だと思っているよ。作劇的にダメだろコレ、と思っている。
 「タカラヅカ」でやるな。エンタメ書けない、同人誌を作りたいだけなら、ひとりでやれ。と思っている。
 だけど、それと同時に、「タカラヅカ」だからかろうじてOKとも思っているんだ。矛盾するようだけど。

 現に、タニちゃんファンは絶賛しているんじゃないの? わたしはよく知らないけど。
 わたしやわたしの周囲の友人たちには、タニちゃん演じるエロシーンは「童貞くんがすげーがんばってるなあ。経験豊富に見せようとして盛大に自爆してるなあ」てふうにしか見えないけど、ファンにはきっと、「タニちゃんてばなんてエロいの! ドキドキ! キャー!!(鼻息)」てなふーに見えてるんじゃないのかしら。ファンってそういうものでしょ?

 その「ドキドキ! キャー!!」だけで、ファンはお金を出せる公演だと思う。

 タニちゃんの演技が実際どうかはこの際問題ではないのよ。
 ファンがよろこぶものでさえあれば、いいんだもの。

 演技には相性がある。
 わたしはタニちゃんのキャラクタとその「光」を愛でているけれど、演技とは相性がよくないようで、彼の「大人の男」や「セクスィなラヴシーン」は心に響かず、どっちかっつーと笑いツボ直撃してしまうんだわ。
 おそらく演技の相性のいい人たちが彼のファンになっているのだろうから、わたしに響いてこなくても無問題。要はタニちゃんファンがよろこんでさえいればいい。
 ……うれしいよね? この作品、この愛欲シーン。

 だってさ。
 笑いの発作を必死にかみ殺しながらわたし、考えていたもの。タニちゃんだから笑えて仕方ないけど、これがともちだったら、わたし大喜びしているもの。

 とんでもない駄作だわ、太田め!
 と、文句を言いつつも。

 床をゴロゴロ転がってエロエロしているのがともちだったら、わたし、他の全部ゆるしてる(笑)。
 それだけでドキドキして、それだけを見に、リピートしていると思う(笑)。

 だから「正しい」作品。「タカラヅカ」として。

 
「ミュッセがともちだったら、きっとエロかったよー」
 と言ったら、友人たちから同意の声が返った。
 きっとあひくんでもそうだよね。
 そりゃま、「ともちが転がったら、バウ狭すぎ」とかいう声も上がったがな(笑)。

「ともち主演だったら、それだけで通える」
 と言ったら、それにも同意の声が返った。

 主演のファンが「通える」シーンがある、それなら成功。それなら正しい。
 わたしのあの人が主役だったら、と考えさせる、それなら成功、それなら正しい。

 同意の声に後押しされて、わたしはさらに言いましたともさ。

「まっつがミュッセだったら、よろこんで通うもん」

「……ええ〜〜?」(語尾下がる)

 ちょっと待てMyフレンズ。何故そこで疑問の声。

「まっつはないでしょ」
「まっつが床ゴロゴロ? 笑うでしょソレ」
「ビスクドールの美貌よ? 金髪だとか薔薇色の頬だとか台詞にあるのよ?」

 笑わないわよっ、似合うわよっ!!

 まっつはクラシカルだから、太田芝居が似合うって前にわたし書いたわよ。口跡はっきり声のいい人だから、太田の朗読劇は得意分野よ。シリアス芝居できる人なんだからっ。
 てゆーかまっつきれーだってばっ。そりゃタニちゃんみたいな美貌の妖精さんじゃないけど、そこまできれーじゃないけど、でもでも美形だってば、美形になれるってば。
 床ゴロゴロだってできるってば。てゆーか想像するだけでドキドキしますってば。

 なによーっ、みんなまっつのことお笑いキャラだと思ってる? ヘタレ男だと思ってる? ……いやその、否定はしないけど、つかわたしもそのよーな愛で方をしてきたけど……ゴニョゴニョ。

 でもとにかく、まっつならゆるす。この駄作『不滅の恋人たちへ』。
 どれだけ作品嫌いで作者のスタンスが嫌いで、「まちがいまくりだ、作劇!」と怒っていても。
 まっつが主役なら、すべて許して鼻息荒く通ってる!

 ……つまりは、そういうことだ。

 駄作上等、ファンなら通え!!
 主演ファンにだけは「名作」になり得る作品。

 よかったね、タニちゃんファン。きっと、たのしいよね?
 

 ただ。

 主演以外で贔屓がこの作品に出ていたら、怒り心頭だったと思う(笑)。
 出てないから、こーやって「所詮外野」としてのんきにしていられるけど。


 その昔、『誘惑』というテレビドラマがあった。
 原作は直木賞作家の連城三紀彦。わたしは原作ファンだったので、このドラマには文句がいろいろあった。
 とくに、キャスティング。
 ヒロインの人妻・篠ひろ子の浮気相手の若いイケメン役が、TMネットワークの宇都宮隆だったのよ。

 宇都宮さんは、シンガーであって、役者ではない。
 しかも、ドラマ初出演。
 超絶大根だった。
 日本語を話しているだけ。
 演技なんかとんでもない、台詞にすらなってねえ。

 なのに、篠ひろ子相手に恋愛するのよ。若いイケメンらしく、かっこよく口説くのよ。

 そのうえ、ベッドシーンまであるのよ。

 すげー、と、思った。
 宇都宮さん、なにもしてないの。
 ベッドにふたりで折り重なっていて、てきとーに動いているだけなの。
 そんな、見るからになにもしていない男を相手に。

 篠ひろ子、喘ぎまくり!!

 すげえや篠ひろ子!
 がんばれ篠ひろ子!
 マグロ男相手に、感じている演技、えんえんひとりでやってるの。

 女優ってすごい。
 ここまでやるんだ。てゆーか、やらされるんだ。
 やるしかないんだ。

 見ていて、痛々しかった。
 見ていて、切なかった。
 見ていて、いたたまれなかった。

 見ていて……爆笑した。

 
 ……そんなことを、思い出した。
 宙組バウホール公演『不滅の恋人たちへ』を観ながら。

 いやあ、この作品の見どころはなんといっても、主役のミュッセ@タニちゃんと、恋人役のサンド@るいるいのディープな愛欲シーンでねっ!

 ふたりで床をゴロゴロ転がって、愛欲に溺れるのよ。

 そこで思い出してしまったのが、宇都宮隆と篠ひろ子の『誘惑』。

 思わず手に汗握って応援してしまったもの。

 がんばれるいるい! 感じている演技をするんだ!
 男のテクニックなんぞ二の次、女の演技次第なんだから!!

 ……でもるいちゃん、篠ひろ子じゃないからなあ。てゆーかヅカだし、そこまで求められてもなあ。
 仕方ないよなあ。

 見ていて、痛々しかった。
 見ていて、切なかった。
 見ていて、いたたまれなかった。

 見ていて……爆笑した。

 いやその。
 声を殺すのに必死でした。
 すげえや。

 てゆーか太田、よくタニちゃんに、コレをやらせようと思ったな(笑)。
 その思いつきがすごいよ。
 あて書きする人なら、まずありえない。
 おもしろすぎだ。
 

 主演のミュッセ@タニちゃんは、ものすげー美しさでした。
 その美しさだけで、他のアレなこと全部誤魔化されてしまいそうなくらい、とんでもなく美しい。

 ほとんど一人芝居なので、タニちゃんがえんえんえんえん、ひとりで客席に向かってなにやら喋っているんだけど、なに言ってるのかよくわかんないや。
 美しい言葉たちが、耳の上をすべっていく。
 タニちゃんは「いつものセクスィ☆フェイス」。口を突き出して片眉上げて上目遣いする、いつものアレです。
 タニちゃんは演技の持ち合わせの少ない人なので、「セクスィ」というとコレ一本勝負。男役10年かけて会得した必殺技だ。
 コレだけで、2時間保たせた。……すげえ。

 タニちゃんの演技力は、まあ、なんだ、かなりアレだと思っている。
 わたしはね。演技なんて、好みの問題だから。

 10年掛けて「タニちゃん」と「サバティエ」の2種類を会得したんだ、あと10年掛ければもうひとつくらい演技の種類が増えるんじゃないかと期待しているよ。
 今回の役は、「サバティエ」で通していたね。大本はひとつだけど、バリエーションが増えているし、いい感じに仕上がっているのではないかしら。

 タニちゃんの魅力は、演技力ではないから。
 たとえ「太田ワールド」を表現しきれなくても、おぼえた台詞を口にしているだけであったとしても。
 ラヴシーンやエロシーンで観客が吹き出してしまったとしても。

 その美しさだけで、すべてをねじ伏せる。

 ただ美しいだけでは、ダメだと思う。
 美しいだけの人間なんか、いくらでもいるし、素顔がどうあれ舞台で絶世の美形になれる人たちだっている。

 タニちゃんが真ん中に立つ理由は、妖精であることだと思う。

 バウという閉鎖空間。
 最初から好意的な、中心に対してのベクトルを持った観客。
 たわごと芝居上等な太田作品。

 それらの要因すべてをひっくるめて、真ん中であり得る力。
 それはまちがいなく才能であり、適正の問題なんだ。

 小難しい理屈すべてをねじ伏せて、タニが光を放っている。
 それは「タカラヅカ」が持つ力であり、可能性だ。他のなににも代え難いものだ。

 だから、それでいいのだと思う。

 ……ごめん、わたしはあちこち吹き出していたけれど。
 てゆーか、わたしはそれでも必死にこらえていたけれど、わたしの隣の見知らぬ方々は、本気でラヴシーンのたびに爆笑していたけど(3列目どセンターだったのになあ)、それすら魅力だと思うよ。
 注目し、惹きつけられているのだから。

 
 なにしろ一人芝居のよーなものだから。
 相手役のはずのサンド@るいちゃんですら、ろくに見せ場もない。

 るいちゃんはコケティッシュな魅力を持つ人だが、今回はそれの発揮のしどころがなくて、くすぶっている感じ。
 もったいなくも、じれったい。

 
 そして、他の人たちは。

 この公演の出演者が決定したとき、同情したさ。
 そのまま本公演ができそうな超豪華メンバー。新公主演経験者、スター候補者がずらりと並び、そのうえ芸達者な上級生もぞろりと通常のバウ公演ではありえない顔ぶれ。なのに本専科が3人も出演。最悪なのは、そこにチャルさんが含まれていること。

 宙組組子たちは、動く背景決定か。気の毒に。

 太田せんせは、上級生しか使わない。演技できる「大人」しか大切にしない。
 勉強中の若手なんか、台詞ひとつあれば御の字だろうよ。たとえ、スター候補生たちであったとしてもだ。

 主役はきっと、チャルさんだろうなあ。
 タニちゃん、主役の扱いしてもらえるといいなあ。

 ……そんなレベルの心配をしてしまう、それが太田作品。

 そしてほんとに、危惧通りだった。
 タニは出ずっぱり喋りっぱなしだけど狂言回し的な位置。真の主役はチャルさん。
 他の豪華すぎるスター候補生たちは、動く背景。

 いちばん気の毒なのは、あひくんか。
 いてもいなくてもいい役。……バウ主演した人なのに。

 2幕しか出番がないとはいえ、ともちはまだオイシイ。あくまでも「太田作品比」においてだが。

 
 わたしは「熱血爆走タニぃファン」のジュンタン@ものすげえ回数観劇済み、の幕間解説付きだったから。
「はい、七帆の見せ場」「はい、和の見せ場」「カチャの見せ場」など、初見の人間ではわかり得ない箇所もフォローできて、助かったっす。
「1幕でともちが『姉さん!』って言ってたの、伏線だよね?」
「ちがいます。ぜんぜん関係なし。台詞も出番もないから、勝手に台詞作ったんじゃない?」
 とか、先に教えてもらえてよかったわ、ほんと(笑)。
 ありがとジュンタン。


 わたしは太田作品はエンタメじゃないから嫌いだけど、その美しさは認めている。
 「うわごと」でしかない言葉遊びも含め、美しい。

 「太田ワールド」という言い方をする。
 太田哲則の作る、独特の舞台を指して。

 『不滅の恋人たちへ』は、その「太田ワールド」の集大成だ。
 ストーリーなどなく、ただ美しい人たちが美しい衣装を着て、真正面を向いて美しい言葉を喋り続ける。
 それは会話ではないし、芝居でもない。
 キャラクタは向かい合って話さず、客席に向けて言葉を流し続ける。

 わたしは「ふざけんな」と思う。
 好きなことを好きなだけ並べたてるだけなら、素人でもできる。
 上記のことを、「ストーリーの中で」「役者を使って演技をさせて」「起承転結クライマックス、観客をたのしませて」、そのうえでやれ。
 その3つを成立させるのが難しいし、創作者の腕の見せどころだろう。
 それを全部放棄して、「好きなことだけ」並べ立てて、「ほーら、美しいだろう」と言われてもな。

 ……とは思っているけれど。

 「太田ワールド」自体はアリだと思っているんだ。
 わたしが嫌いなだけでな(笑)。

 エンタメを否定し、自分の趣味だけを追及した作品も、あってもいいとは思っている。
 ヅカでやるな、生徒は動く背景じゃねえ、とか文句は山ほどあるけど、それは論旨がズレるので今は置いておく。

 太田作品は、アリだと思う。
 この前提で話を進めたいと思う。

 今回の『不滅の恋人たちへ』も、ひょっとしたらいい作品なのかもしれない。
 流れ続ける言葉の奔流も、実は意味深く、計算され尽くした完璧な造形で存在し、舞台の視覚的美しさと相俟って人生の深淵を語る究極の芸術作品であるのかもしれない。

 とゆー、「太田ワールド集大成」としての『不滅の恋人たちへ』という作品であったとして。

 えーと。
 主演がタニちゃんでいいんですか?

 
 太田作品はアリだと思う。
 創作形態のひとつとして、アリだとは思っている。

 だが、太田作品は、「人」を選ぶだろう。
 観客も選ぶかもしれないが、それ以上に役者を選ぶだろう。

 演技力のない人や、世界観に合わない人が演じたら、ぺらっぺらの薄ら寒いモノ、眠いだけのつまらないモノになってしまいますが。
 誰が演じても格好がつく、というタイプの作品ではないよね? むしろ、かなり間口が狭いよね?

 こんな、役者を選ぶタイプの芝居を、どーして平気でタカラヅカなんかで作り続けてるんだ、太田哲則。

 わたしがもし、太田せんせなら、絶対OK出さないけどなあ。
 背景役のモブキャラは仕方ないとして、主要4人くらいは演技のできる人か、「演技しなくても役にはまる人」で構成するよ。
 でないと、せっかくの作品がスベるもん。
 表現しきれないもん。
 自分の作品がかわいいなら、絶対そうする。

 だから、わかんないんだ。

 太田作品のよーなタイプの作品は、ヅカでもなけりゃ客は入らないだろう。
 高尚な芸術作品なんぞ、バカな観客は理解できませんから。
 ほんのごくわずかな「高尚な客」だけを相手にしていては、商業として成り立ちません。
 「出演者を見に来る」ヅカだから、話が「高尚すぎて」わけわかんなくても、客が入る。

 客入りのためにヅカでやってるのかな?
 外部では、お金にならないから?

 太田作品のよーなタイプの作品は、ヅカでもなけりゃ「美」を成立させにくいだろう。
 日本人男性は、ヅカの男役ほど美しくありませんから。5等身あたりまえ、足の長さはカラダの3分の1、顔がきれいだとしても女性よりは面積広いです、とかだからなー。金髪もフリルも似合いませんて。
 女性が演じる「男」だからこそ表現しうる、ファンタジーとしての「美」。

 「美」を追及するために、ヅカでやってるのかな?
 外部では、「太田ワールド」の「美」を表現できないから?

 そーゆー、「タカラヅカでなければならない」理由は考えられるけれど。

 それらを考慮したって、じゃあ下手な人が演じて、作品ぶち壊してもいいの? という疑問は残るよ。

 タカラヅカだよ?
 誰もが演技力を認められて主役をするわけじゃないんだよ? てゆーか、それ以外の魅力で真ん中に立つ世界だよ?
 いくら他に要因があろうと、ヅカでえんえん「太田ワールド」を展開しつづけるのは無謀じゃないのか? せっかくの「ワールド」が表現されず理解されず「駄作」認定で終わっちゃうよ?

 太田せんせほど、生徒の持ち味無視して自分の作品だけを書き続ける人なら、この現状は我慢できないと思うんだけど。

 書くのがたのしいだけで、できあがりは興味のない人なのかなあ。

「太田せんせは、自分の好きな言葉(バイロンとか)を、きれいな生徒たちが言ってくれるだけで満足なんですよ、きっと」
 と、誰だったかが言っていた通りなのかしら。
 きれいな人たちが、自分の書いたきれいな作品を演じている。自分の指示した通りの発音、話し方、動きで舞台に立っている、それだけで満足、しあわせ、てな人なのかしら。

 わかんないわー。

 
 というのも。

 太田作品にはもれなく、チャルさんが出演している。
 しかも、どの作品でも実は主役だよね? というウエイトでだ。

 つまり、太田せんせは、自分の作品を表現する役者として、チャルさんをいちばん認め必要としている、ということだ。
 チャルさんが「太田ワールドに必要不可欠」であるならば。
 あのキャラ、濃さ、演技の濃度を「スタンダード」と考えているならば。

 やっぱり、ほんとーはわかっているんじゃないかと思うんだ。
 他の生徒たち、演技力以外の魅力で主役をする生徒たちの「足りなさ」が。

 タカラヅカで、スターシステムがあるから仕方なく「スター」を主役にしているけれど。
 自分の作品を表現するのに、彼らでは納得できていないんじゃないのか?

 
 わたしは、太田作品が嫌いだよ。
 でも、ほんとーの意味での太田作品は、きっとわたし、あまり観ていないと思うんだ。
 真の意味で、「太田ワールド」を表現しきることのできる演技力、存在感を持った役者のみで構成された作品は、きっとほとんど観ていない。
 大抵、スベったつまらない作品ばかりだもの。

 一度、本物の太田作品を観てみたいと思うよ。

 
 もちろん。
 演技力が多少アレでも、スター力だけで誰でも魅力的に見える、かつおもしろい作品を書きやがれ、そーすりゃなんの問題もないんだよ! と、思ってますけどね(笑顔)。


 それは、究極の選択だ。

「石田作品を自腹で10回観るのと、太田作品を自腹で10回観るのとなら、どちらを選ぶ?」

 そう問うと、友人たちはうなり声をあげた。
「自腹? 自腹で10回……」

 拷問だ。

 物語・エンタメとしての体裁はあるが、無神経で下品な石田作品。
 美しくはあるが、美しいだけで、他になにもない太田作品。

 ……どっちがマシ?

 むかついて不愉快になる石田作品と、つまらなくて爆睡してしまう太田作品。

 ……どっちがマシ?

 
 わたしは大抵の作品を、自分の目で判断してリピート回数を決めている。世間の評は関係ない。
 佳作・駄作とわたし個人の好悪はべつのものだし、萌えはどこにあるかわからない(笑)からだ。
 できるだけ早いうちに観劇し、気に入った作品はリピートする。
 あとになって「もっと観たいのに、公演終了なんて!!」と悔やむことがないように、余裕のあるスケジュールにする。

 だが。
 この『不滅の恋人たちへ』に関しては、その限りではない。
 ハマるはずがないからだ。
 観る前から、自信を持って言える。

 太田作品、大嫌いだもん(笑)。

 だから最初から千秋楽1回きりの観劇予定だった。
 通常のわたしなら、ありえない。ラスト1回だよ? もしそれでハマったら、くやしくて眠れない(笑)。
 でも、太田作品だから安心。大丈夫、絶対ハマらないって。自信を持って、ラストの1回だけを観る。
 千秋楽なのも、べつに能動的な理由はない。手に入ったチケットがそれだけだったんだ。タニファンのジュンタンと一緒に観に行きたくて、入力した友会が当たった。自力で手に入れた分があれば、もうそれで十分。他にも何名かに誘っていただいたけど、全部お断りした。わたしより価値のある観客が他にいるだろうから。

 つーことで、千秋楽たった一度きりの観劇。
 さすがに楽近くになれば、風評が耳に入る。いい評判は、みごとにひとつもない。
 苦笑しつつ、実際に観劇して。

 我が判断に狂いなし。1回きりにしておいてよかった。

 ……いろんな人に、「1回観れば十分ですよ」と言われていたが、ほんとーにその通りだ(笑)。

 悪い意味ぶっちぎりでの、太田哲則集大成。

 
 あらすじ。
 第1幕。ミュッセ@タニとサンド@るいるいが出会った。
 第2幕。ミュッセとサンドが別れた。
 以上。

 ストーリーはこれだけ。
 んじゃ2時間なにやっているかというと、太田せんせが自分の好きな言葉を羅列している。

 ただただ羅列。
 文字の洪水、言葉の奔流。流れているだけで実体はない。

 そのまま本公演ができそうなほどの豪華なキャストは、動く背景。本公演ならせめてライトが当たって顔が見えるが、ここではそれすらない。暗いところでひたすら背景や効果として踊る。

 
 「作品」として、わたしはもちろん、こんなもの認めない(笑)。

 作者だけが気持ちいいマスタベ作品。
 起承転結もクライマックスもない、ただただ作者がうわごとを言い続けているだけ。好きなことをしているだけ。
 舞台はたしかに美しいが、それは作者が「うわごと」も含み「美しいモノ」に固執しているだけであって、物語として意味のある美しさじゃない。
 もともと太田作品はそういったきらいがあったが、今回はそれが全開、というか、ソレしかない。

 ただの自慰なら、ひとりでやってりゃいいのに。
 商業作品として、ひとさまに金取って見せてんぢゃねえよ(笑)。

 うっわー、生徒たち大変だなあ。
 てゆーか、これをリピートしなきゃなんないファンも大変だなあ。

 もちろん、これが別のカンパニーで上演されているなら、べつにかまわないと思う。作者が意図と計算でもって観客をたのしませたり、感動させたりするつもりのない、美しい言葉と美しい画面を眺めるだけのパフォーマンスがあってもいい。熱帯魚の水槽とか、風景写真とか、わたしは眺めていると飽きるし、2時間眺めていろと言われたら寝ちゃうだろうけど、そーゆーものを求めている人も場所もあるだろう。
 だがここはタカラヅカで。
 観客は演出家の自己満足を観にくるのではなく、タカラジェンヌを見に来るんだ。演出家の仕事は、観客の求めるモノを与えることだ。
 タカラヅカがエンタメである以上、いくら美しいからって、熱帯魚の水槽や風景写真を2時間見せられてもこまるんだよ。「物語」を見せてくれよ。

 わたしはタカラヅカをエンタメだと思っているので、それを無視している太田作品が嫌い。自己愛と自分の嗜好主張だけで成り立っているから嫌い。
 自己愛の強さと主義主張がうるさすぎることで嫌われる作家にキムシンがいるけれど、キムシン作品はエンタメだから好き。
 たとえばキムシン作品は、ヅカ以外のカンパニーで上演されたとしても客は入るだろう。
 冒頭で例に挙げた石田作品も、ヅカ以外のカンパニーで上演されたとしても客は入るだろう。(むしろ、石田作品はヅカ以外の方が向いていると思う)
 されど太田作品は、他のカンパニーで上演されたら客はろくに入らないだろう。だってストーリーもクライマックスもないもんな。ただきれいだっつーだけで。
 もちろん、そーゆーものを求めている非エンタメ主義の人にはありがたがられるだろうけど。
 商業というより、同人的なんだよなあ。客の目線、とゆーか、「他人の目線」を考えていない。あるのは「自分」だけ。

 「美しいモノを作る」「純粋に『美』だけにこだわった舞台を作る」というテーマの舞台なら、タカラヅカ以外にもあると思うんだけど。そりゃ、この日本ではヅカほど客は入らないかもしれないけど、そーゆーテーマの舞台は。
 エンタメ性を否定するなら、どこか他のカンパニーでやればいいのに。

 と、思うのも。
 純粋に、不思議なんだ。

 これほど「太田ワールド」として、自分の作品しか愛していないのにさ。

 この出演者レベルで、満足しているの?

 太田せんせはいつも自分が書きたいモノしか書かない。自分が好きなことしかしない。
 あて書きなんかするはずもないから、出演者が「太田ワールド」に合わせなくてはならない。
 実力がある人ならばそれも可能だが、そうでない場合や、持ち味が致命的に作品と乖離している場合は、悲惨なことになる。
 『送られなかった手紙』や今回の『不滅の恋人たちへ』はほんと、どえらいことになってますよ(笑)。
 それが不思議。
 そんなに「自分の作品」だけが大事なら、壮くんやタニちゃんに主演させちゃダメだろうに。
 それとも、太田の目的はほんっとーに、「水槽の熱帯魚」なのか? ただ見た目がきれいならいいの?

 純粋に、謎(笑)。


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