kineさんの「冬休み自由研究」がうらやましい緑野です。
 あ、解説しますと、お友だちのkineさんが、『花舞う長安』『ドルチェ・ヴィータ!』の二次創作サイトを公開したんですね。期間限定らしいけど、まだ今のトコ読めるみたいなんで、興味のある人は左の「日記ブックマーク」のkineさんさんちへGO!

 いいなあ、公開できるテキストがあって。
 別サイトで公開、というと、なんか特別っぽくていいし。
 この日記とちがってページごとのカウント取れるし。
 たのしそうだー。
 わたしもなんかやってみたくなるわ。

 しかし、いつの間に書きためていたんだ……しかもあんな、楊国忠への愛にあふれた話。よりによって楊国忠……そんなニーズのなさそうなキャラを……(笑)。

 kineさんの『私的 楊国忠物語』、わたしはとても萌えでした。
 こーゆースピリットのお話はたいへん好みです。
 やっぱりバカはいいよねっ。バカですれちがって、空回って、せつなくていいよね。
 こーゆー男を愛したい、と心から思う。
 こーゆー男が愛する女、としてのヒロインちゃんも素敵です。
 ただ、バカなわたしにはヒロインの名前が読めませんでした……。kineさん、ふりがなプリーズ。

 『悟桐雨』もせつないおはなしですが、kineさん、アピールが足りないわ。表書きしておくべきよ。「ワタル×かのちか」と。
 ワタさんと、かのちかちゃん!! しかもなさってますがな。
 画を想像するだけで萌えますが。……はっ、そーゆー萌え方は不謹慎ですか?
 残された男と女。残された痛み。そーゆーキーワードに萌える方にはおいしいお話です。

 『ドルチェ・ヴィータ!』パロの『遠い国の絵本』は、わたしに最初に読ませてくれたんだよー(自慢。そうよね、kineさん?)。
 きっと誰もが自分だけの『ドルチェ・ヴィータ!』を胸に持っているからこそ、他人の心の中にこっそり一足だけ入ったよーな、そんなときめきのある物語。
 この物語を軸に、ちがう物語さえ見えてきそうな。
 そしてこれもまぎれもなく『ドルチェ・ヴィータ!』なのだと思う。美しくていびつで、ちりりと痛い物語。

 しかし……わたしが読ませてもらったときは、このお話、邦題がついてませんでした……。
 『Un libro straniero』って……これだけだったんだよ……イタリア語わかんないわたしは、辞書サイトに行って自力で訳したよ(笑)。もちろん直訳だから、『遠い国の絵本』にはならなかったってば(笑)。

 ケロしいの『水平線眺めて』は、くるくる回っちゃうくらい萌えです、萌え!!
 せつないのは、「別れ」がいつもどこかにあるから。
 現実にも、おとぎばなしにさえ。

 そうそう、ケロしいといえば。
 
 はなはなマロンさんにご指摘いただきましたが、ええ、わたし正確にはゆひケロです。「人間できてない青い攻@将来的にいい男になりそう×包容力受@流され受ともいう」が萌えです。
 そのオトナな「包容力受」がじつは、「覇道を宿命付けられた英雄受@まだ道の途中」に忠誠を誓っている「包容力攻@幼なじみの騎士」だったりすると、さらに萌えなわけです。ややこしいですね(笑)。
 でも語呂がいいのでつい「ケロゆひ」と表記してしまいました。いかんいかん。

 それと同じで、「ケロしい」とばかり表記してますが、実際は「お日様攻@包容力受」で「しいケロ」が正しいです。
 語呂がいいもんでつい、学年順になってしまった。

 わたしの好むパターンを分析しますと、
【攻】
・相手を多く愛している。
・人間ができていない。

 というのがデフォルトのようです。
 ふたりのキャラのうち、未熟なモノが攻になる法則があるようです。

 だってホモなんていばら道にあえて踏み込むには、「オトナの分別」があってはならんと思うしな。
 未熟なヤツがラヴ・パワーでボーダーラインをぶっちぎることによって、はじまる関係。オトナな方がそれに対し「仕方ないな(溜息)」で受けて立つことによって成立する関係というか。

 ケロ騎士とトウコ王子は、王子の方が「仕方ないな(溜息)」になっていないので、ケロ騎士の独り相撲です。それでもケロ騎士は幸福そうなので無問題。

 と。
 ありゃ? kineさんのサイトの話してたのに、腐女子カップリング話になってしまった。つーとタイトルに注意報つけねばならんな。

 あ、kineさんの小説はホモではなく、健全だと思いますんで、安心して読みに行ってください。……たぶん、腐女子系ではない、はず。……ねえ?(誰かに同意を求めてみる。反論を求めているよーな気もする)

      
 そして今日のテレビは『大化改新』、蘇我入鹿@渡部篤郎ですか……。
 渡部篤郎っちゅーと、こーゆー役ばっかですな。やっぱナニか、美しく滅ぼしたい男ってことですか? 篤郎くんは顔はアレですが、なんといっても色男ですから!!
 しかし今回のコスプレはかなり微妙だったし、ドラマ自体もかなり微妙でしたな。

 
 さて、今日はいそいそとバーゲンに行ってきました。じつは昨日も行ってたなんてことは置いておいて(笑)。

 とあるショップで、店員のおねーさん(かわいこちゃん)に薦められるままにいろいろ試着しておったのですよ。
 かわいい女の子の嬌声をあびながら服を着るのはたのしいじゃないですか。向こうは商売だから、持ち上げてくれるわけですよ。褒めちぎってくれるわけですよ。
 オトナのたのしみ方はやはり、「ただのリップサービスよね」と認識しつつも、いい気分を味わうこと、ですよ。ああ、かわいこちゃんにきゃーきゃー言われるのって、気持ちいいぜっ、と。

 そのかわいこちゃんが、

「お客様には絶対コレ、似合うと思うんです! ぜひ着てみてくださいっ」

 と、鼻息荒く薦めてくれるチュニックがあったので、内心「コレはちと……」と思いつつも、試着してみたのですよ。

 そのお店のフィッティングルームには鏡がなく、自分ひとりではどんな姿になっているかわからないんだな。
 ルームから出て、店内中央の鏡の前に立たなければ、全身が見えないのだ。店の他のスタッフにも客にも、なにを試着したか、どんな姿になっているか、さらしものになるのさ。

「素敵ですよ! 思った通り、すっごく似合ってます!!」

 かわいこちゃんは気前よく褒めてくれる。
 キミの笑顔はうれしいさ。素敵と言われれば頬もゆるむさ。

 しかし。

 明るい店内の大きな鏡の中に、派手こいチュニックを着た女が立っている。
 それを見てわたしが思ったことは。

 すずみん……。

 いや、わたしがすずみんに似ているとか、そんなおこがましいことは考えてないっすよ!!
 そーじゃなくて、わたしが着ているチュニックが、なんかものすごーくすずみんっぽかったのだわ。
 すずみんならコレ、あったりまえに着てそう。そう思っちゃったのだわ。
 さあみんな、想像してくれ。すずみんがふつーに着ていそうなチュニックだ。どうだ、微妙だろう(笑)。
 そして、それを着て立っているこのわたしだ。どうだ、すげー微妙だろう(笑)。

 かわいこちゃんは褒めちぎってくれるけど……。

「コレ、どこに着ていけばいいんですか……?」

 わたしは、途方に暮れる。

「大丈夫、普段から着ればいいんですよ」

 こんな服を普段から着ているのは、タカラジェンヌくらいでしょう?!
 少なくともコレを着てムラを歩く勇気はないぞ。どう見たって「ジェンヌもどきを気取っているイタイおばさん」になるっ。

 買いませんでしたとも、もちろん!!
 わたし、すずみんじゃないし!!
 あっでも、すずみんにプレゼントしたいよーな服だったなー。すずみんはきっと似合うぞー。

 さんざんいろいろ試着したが、結局買ったのは1着だけ。
 水に沈んだ街@ドルチェ・ヴィータ!のイメージのあるプリントの、トップス。
 一目惚れでした。他にナニを薦められても、絶対コレを買う!!
 でも、薦められるままにいろいろ着せ替えごっこしてたのしませてもらいました。ありがとー、かわいい店員さん。
 思いがけず、すずみんのことを考えたりもしたし(笑)。

 てか、あやうくすずみんコスをするところだった。←ナニかチガウ。
 すずみんコスは、サトリちゃんの専売特許なのにね。←たぶん、もっとチガウ。

        
 BSの『スサノオ』、見逃しました……。
 とゆーのも、わたしにとって本日のテレビの目玉は明智光秀@渡部篤郎だったんだもんよ!!(笑) 新春時代劇の『国盗り物語』録画しなきゃ!! ……しか、考えてなかった……げふっ。

 司馬遼太郎の『国盗り物語』は大好きでした。高校生のときだっけかな、読んだの。てゆーかわたし、司馬遼は高校とき読んだ(すげーハマって読みあさった)だけで、それ以来一度も読み返してないんだがな……。
 後半の信長パートは、信長主役といいつつ、光秀が主役だった記憶があるんだが……さて、ドラマはどんなもんぢゃろ(まだ見てない)。

 
 正月2日間は、家族行動で明け暮れました。
 元旦早々、18きっぷで琵琶湖一周してきましたよ……。寒かった……凍るかと思った……。
 鉄道マニアの父が、どーしても電車乗りたいって言うんだもんよ。JRだけでは飽きたらず、近江鉄道に乗りたいとか言うんだもんよ。
 「電車に乗る」ために、わざわざ滋賀県の多賀大社へ。
 手段と目的の逆転。手段のために目的を決めるのだ。

 琵琶湖一周しただけでは飽きたらず、そのうえさらに京都の伏見稲荷大社へ。

 大阪−滋賀−京都と、たった1日で、移動距離はすごいっすよ。

 それにしても、夜の伏見稲荷はすばらしい!!
 テーマパークのアトラクション感覚で、たのしんできました。
 美しいのなんのって。
 闇と光、闇と聖のコントラストが感動的。
 異世界体験できるよ。絶対おすすめ!! 京都観光することがあれば、晴明神社とか行ってないで(偏った人間関係がバレる発言・笑)、伏見稲荷に行くべきだ。

 ただ、うっかりハイヒールを履いていたので、ひどい目に遭いましたが……。
 伏見稲荷に行くときは、歩きやすい靴で行きましょう。スニーカーとかハイキングシューズとか。なにしろだから。

 そして今日は、母方一族の新年会。
 …………疲れた。

          ☆

 と、ふつーの日記のふりしたあとで、タカラヅカ欲望語りをこんなところでしておこう。

 抱腹絶倒の迷作『天の鼓』千秋楽を観たあと、わたしはkineさんとランチしながらくっちゃべってました。

 そのときに、『天の鼓』の妄想配役話になったのだわ。
 きっかけは、主人公とヒロインに愛が見えないということから。

 『天の鼓』をお笑い路線から救うには、とにかく主人公とヒロインがラヴラヴになればいいんじゃないか?
 時代考証や設定のアレさとか言葉遣いのアレさとか、視点の乱れやクライマックスのアレさ具合とか、それはもうどうしようもないことだからこの際見なかったふりをするとして。
 とりあえず、主人公とヒロインがラヴラヴなら! ふたりが愛し合っていることが、観客にわかれば! ……それならなんとなく、煙にまけるんじゃないか、タカラヅカ的に?

「脚本に書き込まれていなくても、どんなに薄っぺらでも、放っておいてもラヴラヴに見える人たちが、虹人と照葉をやればいいんじゃないすかね?」
「……たとえば、ワタ×檀とか?」

 …………星組トップコンビ、湖月わたる氏と、檀れい嬢。
 このふたりが、虹人と照葉なら。

「ラヴい」
「放っておいてもラヴラヴ!!」

 出会った瞬間から、ラヴラヴ!
 理屈も理由もいらない。だってラヴラヴ。

「一目惚れされて当然ですよ、檀ちゃんなら!」
「ワタさんならヘタレて泣いても、ぜんぜんOK!」
「どーして恋に落ちたかカケラも説明されてなかった『長安』でも愛し合っていることが一目瞭然だったふたりですよ」
「ワタさんなら無駄に強くて立ち回りで大暴れしても説得力!」

 ふたりしてこの思いつきに大ウケ。
 さらに妄想配役はすすむ。

「んじゃ帝は……トウコさん?」
「2番手だし当然トウコちゃん。安禄山につづいて黒い役。てゆーか」
「安禄山よりハマる……」

 傲慢冷酷鬼畜皇帝。
 キレて叫ぶわ歌うわ高笑いするわ。

「うわ……トウコさんで見たい。鼓を前に力を失っていくところ」

 アイデンティティの崩壊から、魂の再生へ。
 トウコが演じたらえらいことになるぞ。

 なんせトウコちゃんの持ち味はくどい・熱い・エロいだからな(笑)。

「んじゃ、3番手の樹役は……」

 鼓の名家の跡取りでありながら、才能で親友・虹人に劣り、婚約者までその虹人に寝取られるあわれな善人、努力の人、薄幸の貴公子・樹は。

 なにしろ妄想配役。
 そしてここにいるのは、しい担ですから!

「しいちゃんで見たい……」
「いや、ハマりますよ、しいちゃん!」
「だよねえっ?!」


 だってほら、樹は虹人より年上だし! 兄貴分なんだし! 小僧っ子にできる役じゃないし!
 薄幸の貴公子@しいちゃん萌え。
 ヘタレるしいちゃん。這いつくばって泣くしいちゃん。罪と裏切りに手を染めても「いい人」だと観客の同情を得られるしいちゃん……。
 うっとり。

 萌えだわ……樹@しいちゃんって。
 と、わたしがトリップしているところに。

 kineさんがにやりと笑って言うの。

「博雅は、ケロさんで見たいでしょ?」

 帝の家臣、源博雅。ヘタレ男だが、帝のことを愛し、命懸けの諫言をする男。
 帝がトウコなら……トウコならば。

 見たいっ。博雅@ケロっ!!

 わたしの萌えの具現。「姫と下僕」!!
 貴人とその家臣。
 冷血皇帝とその忠臣。

 トウコのそばに片時も離れず侍るケロ。
 トウコに命令されるケロ。
 トウコの機嫌ひとつに右往左往するケロ。
 トウコに、愛ゆえに逆らうケロ!!

 見たい〜〜っ、わたしに帝@トウコ、博雅@ケロを見せろ〜〜っっ。

 理性を失うほどに、萌えた。
 想像だけで、萌えた。

「星組版『天の鼓』、すごい見たいですよね」
「見たいよー見たいよー。すげーハマるよー」

 ありえないけど。
 ほんとうに、もう、実現できないけれど。

 
 ケロを語るとき、すべて「過去形」でしか語れないのだと気づいたのが、2004年9月2日以降。
 「こんな役が見たかった」「この役が見たかった」……なにもかも、過去形。
 未来を失うんだ。
 もう永久に。

 夢見ることさえ、失うんだ。

  
 それでもわたし、くじけず萌えつづけるけど。
 負けないけど。
 現実なんかに。

 つーことで。

 『天の鼓』星組版が見たいっす! 心から、見てみたいっす!!
 無邪気な天才青年、恋をして、その恋ゆえにフタをしていた心の淵をのぞき、悲劇へと向かうワタさんが見たいっす。
 父に捨てられた孤独な美女、同じ孤独を持つ男を愛する姫君檀ちゃんが見たいっす。
 冷酷傲慢専制君主、磨き上げられた硝子のよーな魂の持ち主、激しくて繊細な帝トウコちゃんが見たいっす。
 嫉妬と愛と裏切りと良心と、善良であるがゆえ、ヘタレて泣くしいちゃんが見たいっす。
 ああ、そして。
 帝への敬愛一途、ほんとうの強さを秘めたヘタレ男、忠臣ケロが見たいっす!!

 妄想配役で萌えられるんだから、『天の鼓』はけっこー名作なのかもしれない、という事実にうろたえつつ(笑)。

       
 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。


 
 とゆーことで、最初からいっときましょう。

 源博雅@そのか × 帝@ゆみこでよろしく!!

 花組ドラマシティ公演『天の鼓』の話です。

 博雅@そのかは、ヘタレ男。
 唯我独尊・帝@ゆみこのイヌ。臣下とゆーより、ほんとにイヌ程度の扱いだなありゃ。
 ぺこぺこ平身低頭、及び腰、逃げ腰、いいとこナシ。ヘタレ道をつっぱしる博雅。

 だがしかし。

 道を違える帝を前にして、ヘタレ博雅は命を賭しての諫言をするのさ。
 平伏しながら、畏れ入りながら、それでも引かない。

 注目すべきは、そこに、愛があること。

 ワンマン暴君を、ただ諫めているだけじゃないの。
 正義感だとか、楽人としての信念とかじゃなく。
 帝のことを、ほんとーに思って、言っていることがわかるのね。

 愛が見える。
 悲しみが見える。

 敬愛する人が、道を違えてしまうこと。
 その過ちは、きっと最後は自分自身を傷つける。それがわかっていてなお、がんとして過ちを認めようとしない、頑なな自尊心にしばられた帝。

 それらすべてを、博雅は悲しんでいる。

 愛が見える。
 博雅が、帝を愛していることが、それゆえに逆らうのだということが、見える。

 そのか……いい男だ……。

 虹人に恋して振られて、そして己れの過ちから虹人を永久に失って、傷つききった帝を、なぐさめるのは博雅だ。

 やはり世の中愛ですから。
 愛が必要ですよ。

 
 と、ゆーのもですね。

 この物語の主人公とヒロインには、まったく愛が見えないのですよ。

 もともと壊れた脚本なんで、なんで虹人と照葉が恋に落ちたのかはなんですが。
 それでも愛し合っている演技さえしてくれれば、なんとでもなるもんなんだが。

 さすが寿美礼ちゃんとふーちゃん、愛がまったく見えません(笑)。

 伊吹@あすかちゃんが虹人を好きなことも、樹@まっつが照葉と虹人に想いを寄せていることもわかるのだけど、肝心の虹人と照葉は、誰のことも愛していない(笑)。
 せっかくのラヴシーンもとても「手順」的だし、ラストの寄り添うふたりよりも、帝と北斗の方がほっこり愛が見えるってそりゃなんなんですか。
 てゆーか、視線を交わす虹人と帝の方が愛があるって、なんなんですか。
 虹人と照葉って……。

 まあ、主人公とヒロインに愛がないのがまた、この物語のトンデモ度を上げてるんだよなあ。
 愛し合ってないもんだから、照葉が帝の前に乱入して鼓の命乞いをしたときとか、爆笑しそうになるんだよなあ。あまりにとんちんかんな行動としか、思えなくて。
 愛ゆえの暴走、ではなく、捨て身のギャグに見えるんだもんよ……。

 
 話はむちゃくちゃ、設定もむちゃくちゃ。
 主人公とヒロインは愛し合ってないし、人格ないしでもー大変! なトンデモ作ではありますが。

 断言できる。

 ものすげー、美しい作品です。

 目にやさしい、耳にやさしい。
 舞台美術も衣装も舞も、みんなみんな美しい。

 帝@ゆみこを乗せたまま高速移動する高台セットなんか、拍手したくなりますわよ。ちょこんと乗ってるゆみこがプリチーで。

 そしてなにより、音楽が素晴らしい。

 美しい音楽に、オサ・ゆみこ・まっつ・あすかという、歌唱力の確かな主要キャスト。
 陶酔できます。

 
 千秋楽はスタンディングになりました。
 それほど劇場内のテンションが高いわけでもなかったんだが。
 でもなんか自然にスタンディングになってたなー。
 星組『ドルチェ・ヴィータ!』の熱気と比べちゃイカンのかしら(笑)。アレに比べたら、なんと淡々とした空間だったか、花組ドラマシティ。

 挨拶のとき、カーテンコールのとき、寿美礼ちゃんが隣のゆみこちゃんとにこにこ視線を交わしていたのが印象深いっす。いつもゆみこちゃん側を向いて笑ってる。
 あとは、退団する子たちの肩を抱いていたり。

 
 なんかものすげー、たのしかった。この公演。

 他に思ったことをちと羅列してみると。

・幕開き、植え込みの奥にチビ樹の丸まってるお尻が見えちゃうと、けっこう微妙。
・朝忠@はっちさんは、存在自体がいやらしい。
・朝忠@はっちさんは、じつは虹人に手をつけていたんじゃないかと思ったり。
・てゆーかあの「居残り稽古」、めちゃやらしくないですか?
・照葉の失踪した父の「ただひとりの愛した人」ってのは、朝忠@はっちさんのことじゃないの?
・樹@まっつの薄幸っぷりがあまりにツボ。誰かいい攻をあてがってやってください。
・伊吹@あすかちゃん、うますぎ。『Crossroad』を思い出した。

 あ、あと、1列目で観たとき、ドライアイスが目の高さで迫ってきて、こわかった(笑)。ドラマシティ、舞台低いから。
 すごい眺めだよアレ……。

 
 青年館に行くつもりはなかったんだが、どうしよう、行きたいかもしれない……(笑)。
 たのしかったんだもんよ……。

        
 日付に関係なく書きたいことを書き続けて、ついに12月31日。
 親の家で紅白もちらりと見ました。
 ええ、「フニクリフニクラ」聞きましたよ(笑)。星組公演のことを語って、弟に嫌がられましたよ(笑)。
 最近弟とろくに喋ってなかったんで、今日は紅白をBGMに片手で猫を撫でながら、ふたり仲良く「ファミ通」読みました。「えっ、まだそんなとこ?!」って、弟にあきれられたよ……プレイしてるヒマがないんだってば、『ドラクエ』。

 ちなみにゼロ時を回ってからいつもの神社へ、いつものよーに弟とふたりで初詣に行ったんだけど、わたしまたしても「大大吉」引きました。2年前と同じだな。数字見た瞬間、デジャヴにおそわれた(笑)。

 さよなら怒濤の2004年。

 
 ……は、置いておいて。
 ヅカの話に戻しましょう(戻すことなんかい)。

 
 東京でケロ三昧な日々を送っていたとき。

「このあとケロファンの大半は、そのかみらんくんに流れるらしいよ」
「えっ、そんなまた、いばら道な(笑)」

 とゆー会話を聞いて、ツボに入った。

 そのかかみらんくんかー。わかるわかるー。
 そしてまた、いばら道ってのも、わかる(笑)。

 世の中にはさー、もっときらきらしいアイドルで美形で、劇団やたくさんの一般人に愛される路線なジェンヌがいっぱいいるのにさ、よりによって微妙な位置にいる、そのかやみらんくんって(笑)。

 でも、そーゆー人に惚れる体質だからこそ、ケロに惚れたんだよなあ。

 
 そしてわたしは、ケロ祭りのすぐあとに、そのいばら道なそのかを見に行きました。

 花組ドラマシティ公演『天の鼓』

 ええわたし、東宝星楽のあとえっちらおっちら9時間かけて、東京から大阪まで青春18きっぷで帰ってきたんですが。
 その翌日には、懲りもせずにドラマシティにいました。

 傷心INGのうえ夢覚めやらず、な状態だったんだけど。
 チケットはうっかり押さえてあったし。

 なんせ最前列センター。

 ……この公演はやたらチケ運よくてね……星組はいつも全滅なのに……電話があっさりつながっちゃうんだもん、一般発売。1列目センターからふつーに売ってるんだね、ドラマシティ。

 なまじ席がよすぎるもんだから、「『ドルチェ・ヴィータ!』に浸っていたいから、観に行くのやめるわ」って気になれなくてなー。運のないわたしのことだから、この機会を逃したら二度とオサ様を最前列で見ることなんか、ないかもしんないし。

 つーことで老体にむち打って大阪・梅田のドラマシティに足を踏み入れますと。

 テレビに、ケロちゃんがいた。

 はうっ。

 いきなりですかいっ。

 ドラマシティのロビーでは、大運動会DVDの宣伝番組がエンドレスで流れていたのだわ。
 よりによってわたしがたどりついたときに、ケロちゃんがカメラに向かって喋っていたのだよ。
 髪の毛にふたつゴムをつけた、あのはてしなく**な姿で。

 ……どーしたもんかなー……ファンが見ても微妙だよケロちゃん、その姿……。

 かなしいやら、おかしいやら。

 
 ま、なんにせよ『天の鼓』。
 やっぱりこの話、ものすげー、おもしろいっす(笑)。

 抱腹絶倒。
 握った拳がふるふるしちゃう愉快さ。

 続けて千秋楽も観に行ったんですよ。や、なんせチケット取れてたもんだから。
 リピートかければかけるほど、愉快さが加速しますよ。
 kineさんとふたり、ツボに入ってきゃーきゃー語り合っちゃいましたよ。

 ストーリーのアラについては先に語ったんで、それ以外の「愉快なこと」を語りましょう。

 
 まず、言わせてください。
 
 「男役・彩吹真央は、女と恋愛させるより男と絡めたい」というのが、全世界の共通認識と思っていいってことですか?


 このフレーズ、書くの3回目です。
 3回目なんだよ、ゆみこちゃん!!(笑)

 初主演作『月の燈影』、単独初主演作『NAKED CITY』、それから大劇の『La Esperanza』と一貫して、メインテーマが女との恋愛以外、絡む相手はいつも男という男を演じてきたゆみこちゃん。
 祝ドラマシティ初2番手『天の鼓』でも、男を愛する役ですか!!(笑)

 どの演出家もきまってゆみこにそーゆー役を与えるっちゅーのはだ、やはりそれが常識なんだな? ゆみこには女より男と恋愛させておけってことだな?

「トドコムでなにか作ったら、みんなそろって耽美ホモを作っちゃいました、と同じことですかね」

 と、kineさんも明解なお答え。
 『ドリーム・キングダム』と同じよね。この素材ならこの料理がいちばん、てなもんで、トドコムなら耽美ホモ、ゆみこには男を絡める。
 演出家も正直ね。

 
 今回なんといってもすばらしいのは、帝@ゆみこちゃんです。

 主人公の虹人@オサにしろヒロイン照葉@ふーちゃんにしろ人格がないので、たとえ変人奇人であろーとキャラクタがはっきりしている帝@ゆみこが映えるのですわ。

 帝は強引冷血鬼畜な絶対君主。
 不思議の国ニッポンの王者。
 口癖は「おもしろいぞ虹人!!」。←おもしろいのはアンタだから! という観客のツッコミを待っているとしか思えない潔さ。

 虹人に惚れて、ストーカーと化したあげく逆ギレして殺人命令まで出してしまうという素敵ぶり。

 圧倒的な歌唱力で、歌う歌う。
 かっこいいのなんの。

 オレが王様! オレがいちばん!
 オレの自尊心を傷つけるもの、存在を危うくするものは許さない!!

 思い通りになってあたりまえ。
 世界よ、ひざまずけ。
 オレがこの世の主。

 ところがどっこい、生まれてはじめて、他人に拒絶された。
 天の鼓を持つ男・虹人。
 はじめて受けた傷、はじめてのハートブレイク。

 ゆるさないゆるせない、絶対にあの男をひざまずかせる。

 世界でいちばん、えらいのだから。
 帝なのだから。
 それがアイデンティティなのだから。

 だけど天の鼓は鳴らない。
 楽の神に愛されたのは虹人で、帝ではない。

 認めない。
 そんな事実は認めない。
 なにかも滅ぼして、壊して、めちゃくちゃにして……そして、そんな事実自体なかったことにする。それが権力。神の意志をも曲げる力。

 この力強い暴走キャラを、ゆみこちゃんが実に豊かに演じている。
 物語もテーマもキャラクタも、なにもかもめちゃくちゃ(笑)なんだけど、それでもキャストの力量がこのぶっ壊れた話をパワーにまかせて盛り上げているのだわ。

 
 帝がとても愉快に暴君ですばらしいうえに、その家臣の源博雅@そのかがまた、爽快にいい仕事をしているのだ。

 ああ、そのか……!! いい男だー。

 と、よーやく冒頭のそのかの話にリンクできたところで、続く。

       
 サトリちゃんと嘆いていたこと。

「わたしたちがこれほどケロしい萌えと騒ぎ立て、日記に書き連ねまくっているというのに、何故賛同者が現れないのか?」

 東宝版『ドルチェ・ヴィータ!』は、ワタさんとのラヴがなくなっていたかわりに、しいちゃんとラヴりまくってたじゃないですか、我がセクシー・ヒーロー・ケロちゃんてば!!

 毎日毎公演、セーラー・ケロとしいは、ふたりでバカップルしてたじゃないですか。いちゃつきまくってたじゃないですか。
 そしてそれを、わたしたちはこーやって世界中の人が目にすることができるブログで報告しつづけていたじゃないですか。

 なのに。

 「ケロしい」で検索してくる人がひとりもいないって、どういうことっ?!(泣)

 オサアサとかケロトウコ、ケロゆうひならいくらでも来るんですよ。うちに来たってなにも求めるものはないだろーに、それでも毎日誰かしらやって来ますよ。

 だけど、ただの一度も「ケロしい」はないのっ。

 てゆーか、しいちゃんで検索してくる人がゼロなんですけど……。

 しいちゃんの名前と、「妄想」とか「小説」とか「二次創作」とかで検索してくる剛毅な人は何故いないの?

「アレがしいちゃんじゃなく、トウコちゃんかゆうひちゃんなら、みんな大騒ぎしてますよ……」

 ケロと手をつないで笑いあうのが、トウコorゆうひなら。
 ケロと「つかまえてごらんなさぁい♪」「こいつぅ♪」な追いかけっこをするのが、トウコorゆうひなら。
 ケロと抱きあって背中に回した手をわきわき動かしたりするのが、トウコorゆうひなら。
 毎日毎公演、アドリブでいちゃつきまくっているのが、トウコorゆうひなら。

 みんな、萌えまくって大騒ぎしてるよねえっ?

 しいちゃんだから?
 しいちゃんだからみんな、スルーなの?
 目にも入ってないの?
 あんなにいちゃついてたのに。

 しいちゃんは、そんなにダメですかっ?!(泣)

 
 …………ダメな気持ちはわかるけどな…………(笑)。

        
 前の欄からの続きっす!

 ケロをとりまくキャラクタ(あくまで「キャラクタ」だからね)のなかで、ゆうひとトウコのちがいは、ケロが退団するとなると「一緒に退団しそう」と思わせるのがゆうひで、「関係なくこれからもがんばりそう」なのがトウコだ。
 実際、9月2日の報を受けてゆうひファンは「うちのご贔屓もやめちゃうんじゃ?!」とうろたえたらしいが、トウコファンでそんなことを思う人はなかっただろう。
 ゆうひとトウコのキャラの差、ケロとの関係の差は、とても愉快だ。

 ケロがいようといまいと、トウコの人生は変わらない。
 下僕をひとり失ったところで、英雄の歩む輝かしくも苦難に満ちた道程になんの変化もないんだ。

 物語としてのトウコ王子はあくまでも主役、ケロ騎士は脇役のひとりだ。
 覇道を行く彼と、それを支える彼。
 ふたりの役割は、きれいに分担されていた。

 ケロの星組への異動が決まったとき、誰もが思ったことだろう、「トウコちゃんを支えるのね」−−劇団もファンも、ケロの力を認識していた。

 もちろんわたしは痛いまでのケロファンなので、ケロちゃんが真ん中でトップスターやっててくれても、ぜんぜんよかったけどな。
 今からでも、やってくれてぜんぜんかまわないんですけど。通いますともさ。

 でもまあ、世間の認識としては、ケロは別格スターであり、脇の人だったろうよ。

 トップスターになったトウコの横には、ケロがいる。雪組時代から漠然と、されどあたりまえに、思っていたよ。
 新人公演がそうであったように。
 伝説の新公、雪組『エリザベート』トート@トウコ、フランツ@ケロ−−あの姿なんか見ちゃうとな。「ああ、未来はこーゆー布陣なんだな」って思うだろうさ。

 ケロちゃんだって、うれしそーにたのしそーに、真ん中に立つトウコを見つめていたじゃん。

 そりゃトウコだって、その気になるだろーさ。
 自分を支えてくれる親友としてのケロを、期待するだろーよ。

 能力は高く、王の器であるにもかかわらず、その道は苦難困難のオンパレード、がんばれトウコ王子!!

 てなふーに、ここまでやってきて。

 
 まさか、ケロが先にいなくなるなんて。

 
 トウコを支え、共に行くか、あるいは見送る人だと思っていたよ。
 それくらいの覚悟をして、トウコの横にいるんだと思っていた。

 見送られるより、見送る方がつらいもの。
 それをわかったうえで、あえて「見送る」ことを選ぶ人だと思っていた。

 あれほど長々と恥ずかしげもなく愛していたのに、最後の最後でトウコちゃんを置いていくのは、ものすげー裏切りだと思う。
 トウコ王子とケロ騎士として。
 王子の苦難に満ちた覇道はまだ途中。
 なのになのに、ケロ騎士は王子を置いていくの?

 まったく。最後の最後に、王子を裏切るか。置き去りにするか。それって、すげー萌えだ(笑)。

 えー、「キャラクタ」としての話なんで、現実とは分けて考えてね。裏切り云々を生のケロトウで考えないでね。独立した大人が、自分の人生を自分で決めることに裏切りもなにもありませんて。
 ただ。
 「物語」としては完璧だよ、汐美さん。このピリオドの打ち方は、すばらしいっす(笑)。
 ケロとトウコで物語を書くなら、かなりドラマチックだよ、この展開。近藤が土方を置いて先に死ぬのがポイント高い@新選組!のと同じですよ!! 

 最高に萌えです、ケロ×トウコ。
 どんなに途中がたのしくても、ラストがプーなら気持ちがしぼむものですが、このラストはすばらしいです。

 盟友を失い、王子は心に傷を抱えたまま、それでも覇道を進むのですよ。
 キルヒアイスを失ったラインハルトみたいなもんですな。いや、ケロトウで観たいけどな、『銀英伝』(笑)。
 アンドレを失ってなお、オスカルは戦場に立つのですよ。

 トウコちゃんは、痛々しい方が萌えます。
 
 
 ……なーんてことを、漠然と感じた千秋楽でした。
 いやほんと、萌えはどうあれ、いい千秋楽でした。
 ケロちゃんが、トウコちゃんが、他のすべての人たちが、みなしあわせであれ、心やすらかであれと願っていますとも。

 
 ここまで語ったあとで言うのもなんですが。
 じつはわたし、ケロゆひな人です(笑)。

           
 今年はコミケにも行かず、ケロちゃん楽を他のすべてに優先しました。
 そして帰阪してからは、『天の鼓』に通ってみたり。楽はkineさんと一緒でした。おもしろすぎるぞ、『天の鼓』ー!!

 というのは、またいずれ書くとして。

 今はまだ、星組の話(しつこい)。

 
 真面目な話はいい加減疲れてきたので、わたしらしー腐った話をひとつ。

 ケロちゃんのタカラヅカ生活最後の作品『ドルチェ・ヴィータ!』は、とどのつまりケロ×トウで終わったよね? 溜息。

 えー、はじめに言っておきますと、わたしはいわゆる妄想系に興味も知識もありません。
 わたしはヲタクなんですよ。
 アニメやマンガを見て二次創作をたのしんでいた種族です。

 アニメを見て、そこに出てくる男キャラふたりに萌えたとしても、そのキャラに声をあてている声優さんふたりがデキているとか考えることは絶対ありえません。
 演じている人とキャラはまったくの別物です。
 女性が声をあてている少年キャラを「女」だと思うこともありません。そのアニメで男なんだから、演じているのが女でも、そのキャラは男。

 そのハートのまま、ヅカを観ています。

 だから男役は、「男」です。
 三人称は「彼」です。
 舞台でのキャラクタを素直に男だと思ってたのしんでいるし、芸名のジェンヌさんたちも「キャラクタ」だと思っています。
 彼女たちの存在・言動のすべてを、「キャラクタ」であり、「フィクション」だと思っているわけです。
 生身の、本名での彼女たちをどうこう思っているわけではありません。

 アニメのなかのキャラクタを愛でる気持ちで、ジェンヌを愛でています。萌えています。
 ヲタクですから! 二次元萌えしてなんぼ! 実際の姿を知りようもない(つーか知りたくないっす)手の届かない世界の人たちのことは二次元と同じ! 萌えるわぁ。

 
 と、ここまで前置きをしたうえで。

 ケロとトウコの物語に萌えです。

 もともと、「姫と下僕」っちゅーのは萌えでした。
 オスカルとアンドレね。
 貴人とそれに仕える忠僕。
 ふたりの関係がはてしなく身分違いなのも萌えだし、対等に近いのもまた萌え。とりあえずこの「身分違いモノ」は萌えシチュなわけだ。

 ケロとトウコはこの萌えシチュをまんま具現してくれていた、たいへんオイシイふたりだった。
 それこそ、「トウコの足の爪を切るケロが見たい」と言って仲間内で盛り上がっちゃうくらいには、「姫と下僕」萌えしてました。

 姫というか。
 トウコちゃんは、英雄キャラだと思うのね。
 歴史ファンタジーRPGの主役っていうか。
 由緒ある国の王子様として生まれ、育ったけど、悪の力によって国が滅ぼされ、王子ひとりがなんとか落ち延びた。
 なにもかも失った彼は、悪に支配された大陸をただひとり彷徨い、苦難を極めながらも力を付け、奪われた王座の奪還を目指す。世界から闇を払拭し、幸福な光を取り戻すために。

 ケロはトウコ王子の乳兄弟(笑)の騎士。王子が王子として栄華の中にあったときから、彼のそばに親友としていちばんの臣下として在った。
 しかし国が滅ぼされたときには、ケロ騎士は他国にいたので、トウコ王子のそばにはいなかった。
 王子はたったひとりで戦うことになる。

 ケロ騎士がトウコ王子のもとによーやく舞い戻ったときには、王子のもとにはそれなりの仲間が集っており、身ひとつで放り出されたときよりはかなり安定していた。
 ケロもパーティの一員となり、王子一行の冒険の旅は続く。

 騎士だの魔道士だのシーフだのいろんなジョブの仲間たちがいるパーティのなかで、それでもやはりケロ騎士は特別の立場だった。流離いの騎士トウコの王子時代を知る、たったひとりの男として。
 トウコのもっとも近い場所にいる、相棒として。

 わたしは、トウコちゃんはトップになるに相応しいキャラクタだと思っている。
 能力も、性格も。
 世の中向き不向きがあるけど、トウコちゃんは真ん中向きの人だと思っている。
 生まれ持った「華」ではなく、「実力」の部分で、真ん中が相応しい人だと思う。「真ん中に立つ力」を、自分の意志と努力で引き寄せる人っていうか。

 覇道をすすむべき人。
 傷つきながらも、まっすぐな道をすすむ人。

 そーゆー人を愛し、支える男として、ケロに萌える。脇キャラ好きー。補佐役萌えー。

 実際、下級生時代、トウコが雪の御曹司だったときから、その横で「トウコLOVE」と目をハート型にしていたケロが好きだった。同期に萌えてないで、あんたも若手スターのひとりなんだから、ちっとは自覚した言動を取れ! とじれじれしていたのも事実だが(笑)。

 月組に組替えになって、よーやくトウコを卒業したかと思っていたんだが、星組で一緒になったらまた元の木阿弥。
 そんなにトウコが好きか……がっくり。『王家に捧ぐ歌』『巖流』を観て、大地に膝をついてうなだれたよ。雪組にいたころと変わってねえ。
 でも、そーゆーケロちゃんが好きだった(笑)。公私混同、好きな人を舞台でも恥ずかしげもなく愛し抜く。
 『巖流』の青年館楽、トウコに抱きしめられて泣き出しちゃう、そーゆーケロがトホホで大好きだった。

 あくまでも、イニシアチヴはトウコのもと。
 だって、トウコを愛しているのがケロだから。トウコを必要としているがケロだから。

 主君なしに、騎士はありえない。
 仕える対象があってこそ、騎士は騎士たりえるのだ。

 
 とまあ、そーゆー萌えはあったさ。ケロとトウコに関して。
 それにしたって、あの千秋楽。

 最後の白スーツの男、橋の上のディアボロに手をさしのべちゃイカンだろ。銀橋でのかけ声が「トウコ!!」ってそんな……汐美真帆が舞台の上で口にした最後の台詞が「トウコ」ってのは、どうなのよ?

 恥ずかしい奴だ……とことん、恥ずかしい奴だ……(笑)。
 そのあとのスパニッシュで、「千秋楽」の「ラク」というかけ声をかけてくれたので、ケロが舞台で発した最後の台詞が「トウコ」になることはなかったわけだけど……意味のある台詞としては、やっぱり「トウコ」なんだよなあ。
 出たな必殺技・公私混同。
 舞台に役者として立っているくせに、プライベートのかけ声してんぢゃねーよ。てゆーか、トウコをどう泣かせるかだけ考えてやってただろ。トウコちゃんぼろ泣きじゃん。抱きしめてんぢゃねーよ、オイシイ奴だなまったく。

 もちろんファンもそれをのぞんでいるんだから、いいんだけどね。
 ケロがどーやってトウコを泣かせるか。どんなふーにふたりがラヴラヴか。見せつけて欲しくて、期待してるんだから、いいんだけどね。

 ケロ×トウコって、ある意味公認だもんなあ。
 スカステだってケロトウ推奨だもんなあ。ケロ特集の最後が『厳流』でしかもふたりの抱擁、ケロ感涙の青年館楽に、「ケロが横顔しか見せないラヴトーク爆発」のトウコ&ケロ対談ってのはなんなのよ(笑)。

 
 そう。
 ここまで……ここまで「愛・一直線」で「姫と下僕」で劇団もファンも公認だったっちゅーのに。

 ケロ騎士は、トウコ王子を置いていくんだ。
 裏切るんだ。

続く〜〜っ。

           
 そしてまだ、星組東宝千秋楽の話をしている(笑)。

 
 ケロの出待ちをして。
 人垣の後ろを一緒に歩いて、車に乗るまでを見届けて。

 他の人も見送りたかったけれど、なにしろわたしの体調がアレだったので断念。みっこさんを見送った段階で手近のお店に移動した。またしてもkineさんとサトリちゃんはわたしの巻き添え。ふたりは最初からわたしの面倒を見る覚悟を決めてここにいてくれたのだと思う。

 ごめんね。ワタさんやしいちゃんを見送りたかっただろうに。
 それから、ありがとう。あなたたちがいてくれて、とても力づけられた。救われた。

 
 祭りの最後は、ドリーさんちでケロ関連映像尽くし。チェリさん持参のスタ小部ビデオでケロの歴史をたどる。

 うわー、江上さんだー、ひさしぶり。
 えーと、「江上さん」は、「えがみ」です。「こうがみ」ではありません(笑)。名前を発音してもらっている映像が公的に流出してないもんだから、いろんなとこでいろんな発音で呼ばれてるよ。日本語ってむずかしいよね。
 あのさわやかな日本兵、カーキ色の軍服を着た若い男の子。出番はろくになくて、めぐみちゃん(同期)とデュエットダンスを踊ったあとは、さっさと死んでいたよーな。ひどい話だったよな、『大上海』。

 なにしろ脇役人生たどった人だから、公式映像にはちらりちらりとしか映ってなくて。みんなでケロちゃん探し。まちかめぐるなんか探してないってばっ(笑)。
 雪組時代の映像には、もれなくまちかめぐるがついてくる……。

 9月2日からはじまったこの祭りの〆は、はからずしも『血と砂』だった。
 意図してこのプログラムを選んだわけじゃない。
 偶然、勝手に、なりゆきで、ビデオが流れてしまった。

 
 汐美真帆の役で、いちばん好きな役は?

 答えはひとつ。
 フアン・ガルラード。

 汐美真帆の出演作で、いちばん好きな作品は?

 答えはひとつ。
 『血と砂』。

 わたしにとって、『血と砂』とフアンは特別だ。絶対特別だ。完璧に特別だ。

 これほど萌えたことはない。
 一度観て、見終わった瞬間から「もう一度みたいっ」と胸の鼓動がおさまらなかった。観劇日を指折り数えて待ちかねた。
 サンタクロースを信じてベッドに入るイヴの夜の子どもみたいな、無条件のときめき。

 作品的には、壊れまくってるんだけどね。
 日本語もめちゃくちゃだし、辻褄も合ってないし、計算式もなにもあったもんじゃない、ものすげーアタマの悪い作品なのに。
 萌えだけはあった。

 わたしがケロを好きなことはデフォルト、不動のことなので、『血と砂』上演当時はプルミタス@ゆうひに恋していた(笑)。「ケロよりゆうひの方が好きかも」と口走るくらいに(笑)ゆーひくんにめろめろだった。
 や、だって、ケロがわたしのダーリンなのは、周知の事実だし!
 わたしが「緑野さんちのこあらさん」なのと同じくらいの事実だし。「じつはわたし、ドイツ人だったのよ!」と言ったところで、わたしを「緑野さんちのこあらさん」だと知っている人なら「はいはい、またなんか変なことほざいてるよ(薄笑)」ってスルーするだけのことでしょ?
 なにを言ったところで、なにに萌えて盛り上がっていたって、わたしのいちばんがケロなのは変わりようがないから、安心してゆうひくんにきゃあきゃあ言っていたよ。
 ケロに萌えるだけでなく、ケロの相方に萌えるのは、それくらい魅力的な相方を持つケロの株が上がるって気もしていたし。
 とにかく複雑怪奇に、萌え狂っていた。

 『血と砂』が魅力的なのは、すべてが「いっぱいいっぱい」だった、てのもあると思う。

 あれほど、余裕のない汐美真帆を見たことがない。

 9月2日以降のケロちゃんも、忙しすぎて大変そうだったけど。
 それとは別の追いつめられ方だったよなあ、『血と砂』は。

 ほんとうに、ぎりぎりのところで戦った結果が、あの舞台であり、作品であったのだと思う。
 フアン・ガルラードだったのだと思う。

 あのぎりぎり感が、さらに凄味を加えていた。

 美しかった。
 葉を透かして見える、葉脈みたいに。
 硝子の破片が切り取る、プリズムみたいに。

 追いつめられて、余計なモノ全部削ぎ取られて、ぎりぎりそこに「ただ、在った」その美しさ。

 
 『血と砂』は、いちばんの萌え作品。
 出演者も観客も、燃えまくり一種異様な空気をまとって爆走した作品。

 わたしもチェリさんもドリーさんも、フアン・ガルラードがいちばんな人なんだよね。

 ケロファンとひとことに言っても、たぶんこの「いちばん好きな役」がちがう人とは、感性が合わないと思う。
 他にいくらでも魅力的な役はある。
 もっと余裕のある、本人もたのしそうに演じていた役だとか、客観的に見てもかっこいい役だとか、わかりやすくとっつきやすい役だとか、いくらでもあるんだよ。
 そんななかで、この追いつめられた、切なく痛い男を選んで愛するってのは……きっと、感性が近いんだと思うよ。

 フアンを愛しているわたしたち3人がそろったのは、偶然じゃないね。

 
 ひさしぶりに見るフアン・ガルラードはとても美しく、そしてなによりセクシーだった。
 ほんとにいやらしー男だ……顔に、「犯してくれ」って書いてあるよな。
 てなことを、真夜中モードのわたし(夜になるとわりと自然にエロワードOKになります、わたし。普段は淑女なんですが)は勝手に口走っており、他のふたりに嫌がられていたのもまあ、ご愛敬(笑)。

 祭りにつきあってくれていたワタ担kineさん、しい担サトリちゃんは話についてこられるはずもなく、次々脱落していった。ごめんね、ケロ担だけで暴走しちゃって。

 
 祭りの終わりは、白々と。
 疲れ切って自由解散。
 ありがとうみんな。
 ほんと、お世話になりました。
 楽園だったよ、HOTEL DOLLY。

 忘れられない日々だった。

 
 何年か、何十年かして。
 すっかりばーさんになったわたしは、ぜんぜん関係ない人生のある一瞬に、思い出すんじゃないかと思う。

 『ドルチェ・ヴィータ!』を。
 あの美しい世界を。
 見つめていたわたしたちの、あの熱さを。

 フラッシュバックする。
 白昼夢のように。

 きっと。

 
 何十年かあとに見る、あるいは来世に見る、なつかしい夢を、今、魂に刻んでいたのだと思う。

 
 まだ、星組東宝千秋楽の話をしている(笑)。
 

 東宝楽は、最後の最後だっていうのに、やっぱりムラ楽ほどの熱も濃さもなく終わった。
 ほんとうに本拠地、宝塚村ってのは特異空間なんだと思った。宝塚が東京でもなく大阪でもなく、あの田舎町にぽつんとある意味がわかった気がした。
 開かれた都会には存在し得ない、隔離された場所だからこその力があるんだろう。

 ムラ楽を経験できてよかったなと思う。
 『ドルチェ・ヴィータ!』とディアボロは、やはりムラ楽が最高峰だった。

 あれほどの熱はないものの、東宝楽はやはり千秋楽、最後の最後の公演は特別のものだ。
 ケロちゃんは、ずーっと笑っていた。
 セーラーKがにっこにこなのはいいとして、コーザノストラまで歯を見せつづけてるのってどうよ?
 ……しあわせなら、それでいいんだけどさ。

 そうそう、念願の姫抱っこも見られたしな。

 ずーっとずーっと期待したまま、おあずけをくっていた銀橋、ワタ×ケロの姫抱っこ。
 ありがとうワタさん、きっと最後の最後まで取っておいてくれたんだね。ムラ楽でやってくれた方がうれしかったけど(笑)。なにしろ東宝ではセレブ@ワタルと航海士@ケロのラヴはなかったことにされていたから。

 にしても。
 千秋楽って、すごいよなあ。
 黒燕尾の男が、黒燕尾の男をお姫様抱っこする、って、ものすげー画面だよ? ありえないよ?
 こんなことをやってOKなのが、千秋楽なんだなあ……そりゃまあ、相手がケロちゃんだから、ってこともあるんだろうけどさ。

 ありがとうワタさん。オトコマエ。
 ワタさんだからこそ。

 このひとのもとで、そしてこの組で、ひとつになって作品を創り上げ、卒業していくのは、しあわせなことだと思う。

 
 わたし、ケロがいなくなったら、そのあとどうしよう? って思っていたのね。
 気の多いわたしには大好きな人がいっぱいいるけど、かといってケロと比べられる人もいなけりゃ、「じゃあ次はこの人」って人もいないのよ。
 わたしはキャラ萌え作品萌えが主体のヲタクだから、そのとき公演している萌えキャラにきゃあきゃあ言うだけで、ダーリンたりえる人はいないんだもの。

 どーしたもんかな。
 タカラヅカはずっと好きだけど……ダーリンもいないし、好きな組もなくなっちゃうわけか。
 ソレは寂しいなあ。
 水しぇん……ゆうひくん……オサちゃん……そりゃ大好きだけど、でも、ケロの位置とはぜんぜん別のところで好きな人たちだし。トド様なんかすでに「うちのおとーさん」的好きさだし(「長生きしてね、おとーさん」てゆー感じ。愛しているが、すでに恋ではない・笑)。

 たったひとりのダーリンを心に刻んでいるからこそ、いくらでも他の人を好きになれるんじゃん。「萌え〜〜っ!!」って叫べんじゃん。本命がいなけりゃ、浮気も成立しないでしょ?
 ダーリンのいる組が、「自分の組」じゃん。ダーリンが創る舞台が「うちの公演」じゃん。
 ホームポジション、基本となる場所。どうせ全組全公演観るけどさ、基本は「ダーリンのいる組をいちばんたくさん観る」でしょ?

 そのたったひとりを失ったら、どーすればいいのかなあ。
 贔屓組ナシで、一歩離れてなんとなーく観劇するのかな。
 余生を送る老人みたいに。

 先のことまで、あまり考えていなかったけど。
 あらためて、思ったよ。

 ずっと、好きでいる。

 星組と、星組のみんな。
 たとえケロがいなくても、ワタさんが、わたしのトップさんだ。
 星組が、わたしの組だ。

 そりゃ、これから先、人事異動とかでどうなっていくのか知らないけど。
 今、この瞬間、思うことは。

 ずっと、好きでいる。

 2002年12月24日、組替え発表。
 その翌日、わたしとCANちゃんは話をしている(この日記で確認した)。
「これからは、星組ファンだね」

 贔屓ジェンヌの移動と共に、贔屓組も変わる。
 ケロのいる組がわたしの好きな組になる。ホームポジションになる。

 そして。
 ケロが最後にいた組だから、やっぱりわたしのホームポジションでいいんだ。

 ケロのいるいないにかかわらず、ずっと愛していこう。

 タカラヅカを、愛し続けるように。
 
 
 そう、心から思ったんだよ。
 ケロがいる、ケロを見送るこの千秋楽で。
 

 よい千秋楽でした。
 かのちかちゃんのかわいらしさ、みっこさんのかっこよさ。裏切らない美しさと清さを持って、卒業していく人たち。
 愛と感謝にあふれた世界。

 ケロちゃんの挨拶は見事にファン向けで、一見ふつーに「卒業」らしい言葉を並べながら、じつはこれまでのケロのやってきた役や歌ってきた歌で構成されていた。下手に生の言葉で喋って取り乱さないよーに自制した結果かなと思ってみたり(笑)。
 それにしても、ジェンヌの最後の言葉はいつも「ありがとうございました」なのに、ケロは「いってきます」で終わらせちゃった。変な人だ。
 正しい旋律を半音はずして突っ走る(笑)、ケロちゃんらしい最後なのかもしれない。とどのつまりわたしは、彼がなにを言い、なにをしでかし、なにをどうしたところでオールOK、すべてが正しく、すべていとしいのだ。

 
 最後のお見送りは、人混みの後ろから。
 FCに入っていないわたしに、ガードも会服もフェアウルパーティもない。楽屋を出て車に乗るまでのパレードがケロちゃんを見る最後。
 公演が終わった直後からとある場所で横になっていたせいで(苦笑)、お見送りの場所取りもできず、わたしの巻き添えをくったkineさんとサトリちゃんも人の輪の一番外側からしか眺めることができなかった。
 パレードがはじまる直前の人混みをビルの上から眺めたのだけど、すごかったよ。劇場前のあの広い道が、人で埋まっているの。
 とくにいちばん内側は白い人たちが線になっているのがわかる。
 これだけの人がひしめいているのに混乱もなく、整然としている。タカラヅカってすごいよな。

 自分の身長に自信のあるわたし(笑)は、直前まで地面になついており、ケロちゃんが現れた瞬間に立ち上がった。人垣の後ろからでも見えるもん。背が高くてろくな目にあってこなかったけど、このときばかりは感謝だ。
 歩くケロちゃんの速度にあわせて、人垣の後ろを一緒に移動した。

 平行線の想い。
 一緒に歩いた。

 これは区切りなんだろうけど、さよならだとは思っていない。
 わたしは彼を忘れないから。
 平行線っつーのはだ、絶対交わることがないかわり、離れることもないんだもんよ。

 わたしはこれからも、タカラヅカを愛していくから。
 星組を好きでいるから。
 ケロがいたときと、なにも変わらずに。

 ずっと、好きでいる。
 ずっとしあわせでいる。
 だけど。
 きっと、何度も思うんだろうな。

 ここにケロちゃんがいれば、いいのに。

 きっと何度も、何度も。
 わたしは今もタカラヅカが好きで、いつだってしあわせだけど。

 ここにケロがいてくれれば、もっともっとしあわせなのに。

 そう思うたびかなしくなって、でもやっぱり好きなまましあわせなまま、がんばって生きていくんだな。

 なんだかとても、かなしくすがすがしい気持ちだった。

 卒業って、そういうもんなんだなと思った。


 MARINE FROG  “いい風が吹いてきたよ”
 生息地 : 大海原
 性質 : 海より深い愛
 〜何かを始める人へ〜


 10月20日。ケロちゃんの誕生日。
 台風の最中、わたしは東急ハンズへ買い物に行った。

 ムラで行われる、ケロちゃんの誕生会に持参するプレゼントのためだ。
 プレゼント自体はとっくに用意していた。買いたかったのは、ラッピング用品だ。お店で包んでもらった姿よりも、やっぱり自分でかわいく包みたくなったんだ。
 お誕生会に行くかどうか、正直迷っていた。わたしはFCに入っていないし、また今後も入る気がない。舞台の上の「架空の存在」が好きなのであって、生身のジェンヌさんにあまり興味がなかった。
 だから公的なイベントなら大好きでも、FC主催のファンサービス的催しは敷居が高かった。お茶会に参加したことがないのも、そのためだ。
 誘ってくれたチェリさんが参加するならそれについていく。彼女が不参加なら、わたしも行かない。チェリさんはお子さんの体調次第で前日夜まで予定が確定しない、不参加の確率が高い、というものだった。それでもよかった。行きたくない、気もしていた。参加するかどうかを、全部まるっと彼女の都合にたくした。
 結局、参加ということになった。
 ぎりぎりまで予定が決まらなかったために、誕生日当日にラッピング用品を買いにいく、ということになったんだ。

 ずぶぬれになった。
 傘をさせないよーな大嵐のなか、東急ハンズの袋を抱きしめて帰宅した。

 ラッピングを凝るのは好きだった。かわいいテープやセロファンを使って、かわいく包む。既製品に興味はない。工作感覚でリボンをつけてみたり、マスコットを飾ってみたり。

 最後の仕上げに、集めていたフロッグスタイルをひとつ、リボンのアクセントとして固定した。
 MARINE FROGーー水兵さんの格好をしたカエルのキーチェーン。
 フロッグスタイルの新シリーズを見つけるととりあえず1回はハンドルを回してみるのだけど、こいつが一発で出たときは心臓に悪かった。12種類もあるカエルのうち、何故よりによってセーラーが出たの? しかも 〜何かを始める人へ〜 ? ケロのこと?
 なんかつらい。

 結局お誕生会は中止になった。台風のためだ。

 わたしがずぶぬれになって用意したプレゼントは行き場を失った。

 旅立つセーラーカエルをつけたプレゼントは、そのまま翌週末のお茶会に持っていったのだけど、結局渡さなかった。
 ムラお茶会でわたしは人生最大級の号泣っぷりで、プレゼントを手渡すことのできる握手に行きたくない、もう帰ると言ってチェリさんの手をわずらわせた。
 逃げ帰りたかったわたしは、わたしの痕跡を残したくなかった。お手紙を添えたプレゼントなんか渡したくなかった。セーラーカエル、旅立つカエルのついたプレゼントなんか、渡したくなかった。
 そのまま、持って帰った。
 二度と見たくなくて、手渡すための紙袋に入れたまま、押入に封印した。

 カエルごと、封印した。

 
 そして、12月26日。ああ、グレアムの誕生日だなあ(わかる人だけわかってくれ)。これからこの日はわたしにとって、グレアムの誕生日ってだけじゃなくなるんだなあ。ぼーっとそんなことを思っていた日に。

 思いがけず、セーラーカエルと再会した。

 入り待ちをしているときに、kineさんが「クリスマスプレゼント」と言って、手渡してくれた。
 MARINE FROGの、手のひらサイズのぬいぐるみ。
 彼女は言った。
「色が赤なのは惜しいけど、セーラーでカエルだし、ケロさんみたいでしょ。なにより性質のとこが」

 性質 : 海より深い愛

 …………うん、そうだね。
 いなくなってしまう人、じゃなくて、愛の人、なんだよね。

 ありがとう、kineさん。

 12月26日。
 午前公演も、千秋楽も、わたしはこの赤いセーラーカエルと一緒に観劇した。
 ずっと膝の上に置いて、手が空いているときは握りしめていた。

 ずっとずっと。

       
 千秋楽。

 さてわたしは、ケロとの別れを惜しんでいるんだろうか、それとも『ドルチェ・ヴィータ!』との別れを惜しんでいるんだろか。

 ケロと別れがたいだけなら、ケロだけを見ていればいい。オペラグラスで視界を切り取って、ひとりだけを見ていればいい。
 だけどわたしは。

 前日のコーナン貸切を観たとき、「わりといろんなところを見てるんですね」と晃さんに言われた。

 そうかわたし、ケロだけ見てるわけじゃないんだ。

 もしケロのことがなくても、わたしはやはりここにいて、こうやって別れを惜しんでいると思う。『ドルチェ・ヴィータ!』と。
 コーザノストラKと。

 わたしは。

 「今」が終わってしまうことが、たまらなくかなしかった。

 
 時は止まらない。
 終わりのないものなどない。

 わかっている。
 たまゆらだからこそ、わたしはこの世界を愛している。
 消えない花火は美しくなどないし、終わらない祭りに恍惚などない。

 わかっているけど。

 それでも、思っていた。
 願っていた。
 切望していた。

 時よ、止まれ。

 わたしは「今」が好きだった。

 舞台の上の美しい悪夢。
 妖艶なドルチェ・ヴィータ、かなしい瞳のディアボロ、毒のかたまりサテュロス、端正なコーザノストラ、そして、太陽の申し子トップスター。
 音楽のひとつひとつ、はじける光のひとつひとつをも、愛していた。

 見れば見るほど、好きになった。

 ケロはもちろん、トウコちゃん、檀ちゃん、ワタさん、しいちゃん……みんなみんな、好きになった。もともと好きだったのに、これ以上なんかないと思うのに、超えることなんかありえないと思うのに、それよりさらに好きになった。
 限界だと、ここが「すき」のてっぺんだと思っていたのに、それよりもさらに上があっておどろいた。
 まだもっと、好きになれるんだ。
 好きって感情には、まだ上があるんだ。可能性があるんだ。

 生きている限り、重ねた時間の数だけ「好き」になることがあるんだ。

 美しい世界、美しい人々。
 水の精に誘われた、青い世界。
 いたみとかなしみに満ちた、美しい悪夢。

 もう2度と行くことのできない、なつかしい場所。

 『ドルチェ・ヴィータ!』を形作るすべてに焦がれていた。愛していた。

 そして。
 『ドルチェ・ヴィータ!』に惹かれて集まったわたしたち。
 「祭り」と表して踊り狂うわたしたち。
 ねえ、kineさんに会ったのって、ムラ公演の初日なんだよ? 「ネタ大賞」の名を持つ唯一の天然つっこまれキャラ、真面目に冷静に理屈っぽく、まっすぐにとぼけた味わい深いキャラクタ。
 ドリーさんに会ったのって、ディナーショーの日なんだよ? 祭りはまず「外見」から、自分を律するためにも身だしなみを整え、ストイックささえ漂わせて「現実」に対峙する戦うお嬢さん。
 サトリちゃんに会ったのって、東宝初日なんだよ? マイペースにひょうひょうとした天然ピュアファン、数々の名言迷言をかっとばしつつ、自分のスタンスを崩すことなく爽快に明快にラビリンスを泳ぐ女の子。
 この子たちと出会ったのって、『ドルチェ・ヴィータ!』がはじまってからなんですが。「祭り」がなければ出会うことのなかった人たちなんですが。

 くじ運、チケット運のないわたしが、ムラも東宝も「チケット1枚も持ってない」とこの場所でわめいていたことから、はじまったおつきあい。ムラ、ディナーショー、そして東宝のチケット、それぞれ厚意と出会いを運んでくれた。
 わたしたちの共通意識は「今の星組を愛している」、それぞれ担当はちがうけれど、「今」、『ドルチェ・ヴィータ!』を愛していた。

 「好き」という、ただそれだけのエネルギーで、突っ走っていた。

 ケロのことも、他のジェンヌのことも、わたしたちのことも。
 なにもかもをひっくるめて「祭り」であり、『ドルチェ・ヴィータ!』だった。
 この混沌とした熱。

 「今」がいい。
 美しいケロ。極められた「男役」という姿。
 腕のライン、ひるがえるスーツのジャケット、せつなげな眉間のしわ、なにかを耐えるような背中。
 現実社会にはありえない、作り込まれた美しさ。
 素材だけではない、努力と鍛錬なしにはありえない、年輪なしにはありえない美しさ。

 ここまで作り上げて、極めて、捨ててしまうの?
 いずれ美しさは衰え、輝きは消えてしまうものだとしても、何故絶頂たる今、終わらせなければならないの?

 絶頂だからこそ摘み取るのだとわかっていても、痛みが尽きない。
 青い茎を手折ったときに、指についた染みが消えないように。
 芳しさじゃない、忘れられない刺激が突き刺さる。

 「今」がいい。
 美しいドルチェ・ヴィータ。女という美の具象。
 青い世界に、せつない音が響く。
 寄せて返す波のような、別れと喪失、ひとである根源、魂の奥底に楔を打ち込まれる陶酔と慟哭。
 こんなにせつない舞台は、他にない。
 うつくしくて、うつくして、うつくしくて。

 こんなに美しくて、たしかにここにあるのに、カタチに残ることはない。
 映像では意味がないし、賞を受けたこととも関係ない。

 終わり、消えてしまう。

 時よ、止まれ。
 無理だとわかっていても
 願わずにはいられない。

 祈らずには、いられない。

 今この瞬間が、永遠ならいいのに。

 舞台の充実はわたしたちのテンションをあげ、出会いはさらなる出会いを呼ぶ。
 晃さん、もずえさん、ハイディさん、駆け込むように出会いがはじまる。

 祭りだから。
 上がる熱はなにかを変えていく。確実な力として。

 愛しさと切なさで、涙が止まらない。
 ケロだけの問題だろうか。
 もちろんわたしはケロを見ている。大好きだ。千秋楽、特別の時間、空間。

 千秋楽の舞台の上を、そこでなにがあったかを表記することはできるだろう。あの空間にいたものなら。
 だけどきっと、同じものなんかどこにもないんだろう。
 ひとつの舞台を観ながらみんな、ひとりずつ別のものを観ている。
 ひとの数だけ目線があって感じ方があって、なにひとつ同じものなんかないんだ。
 なんて寂しいんだろう。
 同じ人を愛していても、同じものを観ていても、なにひとつ同じものはわかちあえないなんて。
 なんてすごいんだろう。
 同じ人たちを愛して同じ空間を分け合っていて、なにひとつ同じものを持たないはずなのに、それでも「好き」という気持ちだけがひとつになり、その場の熱と濃度を上げていくのって。

 誰の愛も誰の痛みも肩代わりできないし、完全に融合しあうことなんかないけれど、今、ひとつの光がここにある。

 時よ止まれ。
 渇望する。

 でも。
 わたしはなにひとつ失わない。

 時が過ぎて、幻の王国が消え、あのひとがいなくなっても。

 このうつくしい空間は、わたしのなかに生き続けるから。
 わたしはわたしを信じる。
 わたしはなにも失わない。

 なにひとつ無駄じゃない。
 『ドルチェ・ヴィータ!』、この熱、この空気。
 おぼえているから。魂に刻み込んだから。
 出会う前のわたしとは、別の分岐点にいるから。

 もう会えないのはつらいけど、かなしいけど、消えてないから。
 ずっとずっと、好きでいる。
 永遠なんかないけど、わたしは言うよ、「ずっと、愛してる」。
 ドルチェ・ヴィータが物陰でささやいたように。

 なんてことでしょう。

 本日の午後公演、ケロしいったら、急接近してたんですよ!
 セーラーですよ、セーラー!

 いつもの脚回しの前に、セーラーKとセーラーCがすごい勢いで顔を近づけたんですよ。

 おまいらそのままチューする気ですかっ?!

 うろたえましたともっ。
 実際寸止めで超接近したままふたりは仲良く笑い合ってたんですがね。

 わたしゃもー、ツボ直撃でひとりで肩をふるわせていました。

 この公演はすずみん貸切……ぢゃねえ、コーナン貸切で、座席は抽選でした。
 ムラのとき朝イチから張り切って並んで抽選して28列目を引いた(ヘコんだ……ものすげーヘコんだ)トラウマがあったんだが。

 5列目センター引きました……。

 ほぼ真センターっす。
 しかも前の席は空席でした。障害物ナシ。

 舞台のジェンヌと、目の高さがほぼ同じでした……さ、最前列よりよく見えるかも……っ。

 このものすごい席で、ケロしいがチュー寸止めですよっ?!

 神様、あなたはわたしになにをのぞんでいるのですか? ケロしいでこのままやほひ道を突き進めと?!←いや誰ものぞんでないから!

 そしてこの公演、わがケロしい同志サトリちゃんが3列目センターで観ているんですよ!
 サトリちゃん、わたしたちのためにケロしいがやってくれたわよーーっ!!

 
 なのに。

 休憩時間に会ったサトリちゃんは。
「ケロしい見損ないましたー!!」

 なにいっ?!

「うっかりあかし見てたら、ケロしいが見られなかったんですよ」

 なんですってえーぇっ?!

 あかしなんか見ている場合ですかっ。(あかしくんに含みはありません)

 なんてことでしょう!

 あのサトリちゃんが、ケロしいチュー寸止めを見損なうなんてっ。

 
 ドリーさんが、緑野は日記更新しないつもりだ、と書いていたので、無理から更新してみました(笑)。てへ。

 一度くらい、はずみでチューしてくれてもいいんだけどな、セーラーケロしい。かわいいじゃん? ほっぺにキスマークのついたセーラー。
 べつに、はずみのふりでもいいからさ。
    
        
 クリスマスなメールが飛び交うなか、緑野は旅立ちます。
 せっかくのイヴなのに、バスの中だよーん(笑)。

 あちこちにご心配をおかけしましたが、わたしを含め、仲間たちはみんななんとか楽を観ることができそうです。
 気遣ってくださった方々、応援&チケ入手を祈ってくださった方々、ほんとにありがとうございます。

 それから晃さん、重ね重ねありがとうございます。
 いくら感謝してもしたりません。
 

 かなしい祭りのはずなのに、うれしい出会いや、厚意をもらえて、とてもしあわせでした。

 ひとさまのやさしさが泣けるほどうれしいから、わたしももっともっとやさしい人間になりたいです。
 受けた恩を返したい。
 おおきな人間になりたいっす。いや、カラダだけは十分すぎるほどすでに大きなわたしですが。つーか小柄や華奢な人間になりたいですが。つーかそっちもかなり切実ですが(シェイプアップしろよわたし、そろそろやばいぞっと)。

 やさしくおおきな人間になり、そしてなおかつヲタクなままでありたいと思っています。うお、すでにまちがっている気が(笑)。

 これからもタカラヅカを愛し、ケロを愛し、人間と生きることとわたし自身を愛して(笑)、ヲタク道をすすみたいと思います。

「ヲタク道とは、競うモノではない。極めるモノなのだ」

 
 どうも情緒不安定なので、四の五言わずに旅立ちます!!
 みなさん、よろしく!!

    
 最後が近づいている。

 祭りのクライマックス。

 わたしは大阪で日常を生きながら、こなしながら、とまどっている。
 なにかするべきことがあるはずなんだが、見つからない。

 なにかをさがしていたはずなのに、そのなにかを見失って、途方に暮れている。

 それはことばのような気もするし、ものであるような気もする。

 焦燥感だけが、つのっていく。

 コノママジャイケナイ。

 呪文のように、そればかりが胸にある。

 わたしはなにをさがしているんだろう?
 なにをしたいんだろう?

 日常の仕事はしているんですが。
 やるべきことは、やっているんですが。

 そうじゃなくて、なにか。
 なにか、わたしは見落としている。
 だからこんなに落ち着かない。

 まちがってる。
 きっとわたし、なにかまちがってるんだ。
 そんな気がする。

 
 ただ、いえることは。

 まちがっていても、なにを見落としていても。
 わたしはきっと、幸福な人間だ。

 なんか今、世界中に感謝しているんですが。
 なにもかも愛しくてしょうがない。

 うれしくて、いとしくて、しあわせで、意味もなく泣けてくる。

 
 うーむ。
 こーゆー精神状態がすでに、まちがっている気もする。

 でもわたし、しあわせだよ。
 みんな、ありがとう。
 出会えてうれしい。
 すっごくうれしい。

 汐美真帆というひとも。

 彼ゆえに出会ったすべてのもの、すべての感情も。

 いとしくて、うれしくて、仕方がない。

 
 ま、そーゆーことで。

    
 たとえば近藤勇と土方歳三。
 先に死ぬのが近藤の方だってのは、はずせないポイントなのよ。

 近藤と土方だったら、土方の方がより相手を愛しているでしょ?

 土方は近藤ナシでの人生なんか考えちゃいないけど、近藤は土方がいなくてもきっとちゃんと自分の人生をまっとうする。

 太陽は地上のすべてをあまねく照らすけれど、月は太陽がないと輝けない。

 太陽を失った月は、ただの石ころになる。

 
 より相手を必要とし、愛している方が生き残る。
 愛する者を見送る。

 弱い人なら、共倒れになっちゃうけど、なまじ強いもんで、どんなにずたぼろになっていても、立ち続ける。

 ひとりぼっちになって。
 傷だけを抱きしめて。

 それでも、前へ進む。

 
 大河ドラマ『新選組!』の視聴率の低さには、ウケました。
 歴代最下位だって?
 そりゃそーだよ。
 あんなにおもしろい作品が、視聴率いいわけないじゃん!!(笑)
 世の中ってのは、そーゆーもんさ。

 『新選組!』の視聴率は、じつに爽快でした。

 
 で。
 なんの話かというと、べつに『新選組!』のことじゃなくて。

 星組ムラ楽の話

 今ごろかよ! 何故今になってムラ楽?! てなもんだが。
 今でなければ書けないこともあるのだ(笑)。

 
 ムラ楽は、幸福な異空間でした。

 ひとのこころっちゅーのは、波になって空気を動かすことができるもんなんだ。
 それを実感した。

 
 芝居の間はそれほどでもなかったんだが。
 ショーになってからはもう。

 濃度がちがってるのね。
 空気の。

 もしあの空間を満たしていた「ひとのこころ」をエネルギーに変換できるなら、日本中の一晩の明かりくらい灯せちゃったかもね。

 暗い夜に、光が灯るの。
 クリスマスツリーみたいに。
 ひとのこころで。

 
 演じている人たちもそうだし、観客のテンションもまた、ふつうじゃなかった。
 熱い熱い空間だった。

 心が入りすぎているからといって、すばらしい舞台になるとは限らない。
 なにしろ「作品よりも人」のタカラヅカですから。
 千秋楽のよーなお祭り時には、役や流れを無視して、「タカラジェンヌ本人」としてのアドリブやスタンドプレイがOKになっている。
 リピーターにしかわからないお遊びがあったりとかな。
 作品としての質が下がっても、役者も観客も、その「一体感」をのぞんでいる。

 だから本来なら、『ドルチェ・ヴィータ!』もほんとうの意味では質が下がっているはずだった。
 最後だとかお別れだとかいう、「情」の部分に流されて、「義」の部分は無視されていたはずなんだ。

 しかし。

 断言させてくれ。

 『ドルチェ・ヴィータ!』は、ムラ楽で最高峰を迎えた。

 個人的見解で悪いが。断言。

 
 何故か。

 ディアボロ@トウコが、役としての頂点を極めたからだ。

 
 『ドルチェ・ヴィータ!』の主役は、ディアボロである。

 もちろん、見方・感じ方は人の数だけあるから、そうでない場合もある。
 でも一般的に観て、主役はディアボロだろう。

 
 時の流れの外側で、たったひとりで「世界」を見つめている悪魔。
 手に入らないものを、憧憬と嫉妬と愛と憎しみを持って眺めている。

 彼は誰にも見えない。
 彼は、ひとりだ。
 彼は、孤独だ。
 彼の手は誰にも届かない。
 彼の想いは、誰にも届かない。

 彼は時の外側、世界の外側にいる。
 彼は変わらない。
 ただ、人間たちだけが変わり続ける。

 彼は、置き去りされる。永遠に。

 彼が見つめるのは、人間たちの物語。別れと喪失のメビウス。
 だが、それを見つめる彼こそが、別れと喪失を繰り返し続けている。

 だって彼はチガウから。
 わたしたちと、わたしたちの世界で生きることはできないから。

 彼がどれほど獲物をもてあそんでも、最後に置き去りになるのは、彼自身。

 
 とゆー、ディアボロというキャラが。

 役の枠を超えて、トウコ自身の別れと喪失にシンクロした。

 
 壮絶だった。
 ムラ楽のディアボロ、ものすごかったよ。
 つきぬけている、というか、なにか憑いていた。

 サテリコンのラスト。

 狂気。

 それがいちばん、近かった。

 明るい船上のシーンを経て、青の洞窟、愛を歌うセイレーン、魂が悲鳴をあげているような歌声。
 歌が途切れたあとの、からっぽの顔。

 フィナーレまでいくと、ディアボロよりはトウコの色が多く出てしまっているんだけど。

 青の洞窟までは、秀逸だった。

 最高峰だと思う。
 作品『ドルチェ・ヴィータ!』と、ディアボロ。

 
 ケロは、この子を残していくんだ。
 こんなにこんなにぼろぼろになっている、この子を残して、自分だけいってしまうんだ。

 いつだって、つらいのは残される方だよ。

 お葬式だって、生きている人間のためにやるんだからね。
 大仰な儀式やしきたりは、死んだ人のためじゃなくて、見送る人の心のためにやるんだから。
 こころの、ために。

 近藤勇が先に死に、土方歳三が生き残り、ひとりで戦い続けたように。

 ケロを見送るトウコが、壮絶だったよ。
 ケロとトウコなら、愛情の大きさはケロ>トウコで、いつだってケロの愛情過多(笑)だと思っていたけどな。
 でもトウコは、「残される者の痛み」をストレートに表現する人だ。そーゆー人だからこそ、ケロもあれほどまでに愛していたんだろうさ。

 
 ディアボロが、実体を持って立った。
 それまでは、向こうの世界にいたのに。二次元というか、あくまでも舞台の上。架空の世界。

 だけどあのとき、ディアボロは、わたしたちと同じ地球にいた。

 彼の悲しみと狂気が、世界を貫いた。
 彼の悲鳴が、わたしたちを貫いた。

 
 この瞬間のために、オギーはこの作品を書いたのかもしれない。
 ディアボロという役を書いたのかもしれない。

 
 ディアボロが泣くから。
 哄笑しながら、魂がきしんでいるから。

 わたしたちは、「残される者」として、あの幸福な渦の中にいることができた。

 『ドルチェ・ヴィータ!』、主人公はディアボロ。
 さみしがりやの、小柄な悪魔。

 そう、まさしく主人公。
 だって彼は、わたしたちだから。

 こんなに愛して、手をさしのべて、でも触れないまま関与できないまま、ただ舞台の外から眺めていることしかできなくて、本人の意志と人生を見守ることしかできなくて、ただ愛して。愛して。

 失うことがはじめからわかっているのに、すべては幻であり、一夜の夢であることがわかっているのに、それでも愛して。

 別れと喪失に号泣している、わたしたち。

 シンクロニシティー、ありえない一体感。
 すべてのことがらが力を持ち意志を持ち、目覚める。
 ひとつになるベクトル、うねりをあげる視線の先。

 枠を超えた刹那。
 たまゆらの永遠。

 
 だから。

 断言させてくれ。

 『ドルチェ・ヴィータ!』は、ムラ楽で最高峰を迎えた。

       
 花組ドラマシティ公演『天の鼓』感想の続き。

 ストーリーは見事にバカ路線。
 5分に1回「ヲイヲイ」とツッコミ入れつつ、なまあたたかく笑って眺めるべし。
 おもしろいといえば、おもしろいよ。つか、笑える。

 そう、音楽祭がはじまってからがまた、めちゃくちゃおもしろいんだよなー。笑えるぞー。

 たぶん、この芝居を観たすべての人が、他のナニを忘れてもコレだけはおぼえているだろう、ゼウス様@オサ登場。

 平安モノ、日本物なのに、ああなのに突然のゼウス様。

 ゼウス様を見るだけでも、この公演を観る価値があります。
 師走の忙しいときではありますが、ぜひ一度劇場へ足をお運び下さい。

 と、つい宣伝してしまうよ(笑)。

 ゼウス様はねー、ゼウス様という姿の微妙っぷりもいいんだけど、あの場面、あのタイミングで、あの姿でッ!!という、複合ワザでの笑いなのよ。
 すごいぞー。

 ネタバレになってはせっかくの渾身のギャグがスベってしまうんで、あえて語りません。
 ぜひ劇場で、その目でたしかめてください、みなさまがた。

 ポスター写真のオサ様の横に、『舞夢』のゼウス様の写真を並べてください。ゼウス様はポスターじゃなくて、舞台の写真にしてよ。その方が破壊力あるから。
 このふたつの姿が、「ひとつの世界」に存在するという、すばらしさ。
 タカラヅカはいいところだ(笑)。

 
 まあ、冗談はさておき。

 真面目に語ると、この『天の鼓』という作品は、ギャグではないらしいのだよ。
 しかも、愛だの才能だの生きる意味だの、いろーんな重いテーマが盛り込まれた作品なのだよ。
 いや、マジな話。

 作者は、そのつもりなんだと思う。……たぶん。

 
 作者の狙いが盛大に失敗しているのは、すべてにおいて浅いからだと思う。

 時代考証が甘く、リアリティのカケラもない世界。
 穴だらけの設定。
 キャラクタの人格破壊。
 ご都合主義。

 とゆー、表の部分の失敗も、ひたすら「浅い」がゆえに起こったことばかりだ。

 とくにいちばんイタイ失敗は、「天の鼓(←虹人の持ってる鼓ね)」の位置関係だと思う。
 コレをうまく活かすこと、数学的に物語に埋め込み、計算された働きをさせられなかったことは、イタイ。
 算数苦手なんだろーな、こだまっち(笑)。

 あとは、視点のブレ。

 クライマックスの「視点」が何故突然帝になってるんだ(笑)。
 誰が主役だよ? 誰の物語だよ?
 一人称小説読んでたのに、いきなり別の人の一人称になってたら、おどろくわ。

 で、せっかくのクライマックスが、それまで悪役だった人の視点になってて、肝心の主役は、観客の知らないところで、悟りを開いちゃってるし。

 ヲイヲイ。
 クライマックスで「変化」するのは、主人公だってば。脇役じゃないって。主人公の物語の起承転結の「転」は描かずに、事後承諾で、脇役の「転」を描くのは何故。

 物語を書くうえで、こんがらがっちゃったのね。
 それで視点がブレて、こんなことに。
 論理的思考に基づいて書かれていないんだなー。
 浅いわ。

 でもそれはべつに、かまわない。
 どれだけ「中学生がノートに書いたマンガ」みたいな話でも、おもしろければそれでヨシだ。
 中学生の知識で構築した世界が「浅く」てもいいよ。
 下手に知識や常識にしばられないぶん、荒唐無稽におもしろいものを作れたりするからな。

 表部分の浅さはいい。
 世の中それでも、おもしろい作品がいくらでもある。

 問題は、物語の芯となる「精神」の部分までもが「浅い」ことだ。

 レーゾンデートルを探す虹人の、心のなんと浅いことか。
 天の鼓も、照葉への愛も、それまでの人生への思いも、なにもかもが、浅く、薄っぺらい。

 テーマを追及する態度や、ひとの心、なにもかも、絵に描いた餅状態。
 そこに慟哭はないし、闇もなければ光もない。

 
 惜しいのは、「上っ面だけ」はあるのよ。慟哭も闇も愛も。
 慟哭と闇と愛。つまりは萌えってこと。
 萌えとなり得る器はあるんだけど、中身がないの。

 だから、惜しい。
 もしも作品の内面が深ければ、物語がどんなに浅くて破綻していても、萌えな作品になったと思う。

 天才ゆえに苦悩する美青年。音楽の神に愛された、アマデウス。
 天才だから愛されるのか、音楽を捨てた自分に価値はないのか。
 レーゾンデートルの迷路。

 親友を愛し、またその才能にひそかに嫉妬する男。せめて音楽とはちがうところでささやかな幸福を得ようと恋をしたら、その恋人さえもが親友を愛してしまう。
 愛と嫉妬に揺れるまま、ついに彼は、親友に罠を仕掛ける……。

 生まれつきなにもかも持つ王者。すべてを意のままにしてきた王が、たったひとつ手に入れられないモノがあった。
 天才青年に拒絶された王は、権力を尽くして青年を追いつめる。彼を破滅させることで、王はほんとうに欲しいモノを手にすることができるのか。

 設定だけなら、こころから萌えなんだけど。
 たとえストーリーがめちゃくちゃで、突然ゼウス様だし、帝の前に一般人・照葉乱入して「鼓の命乞い」だし、その横で婚約者の樹は死刑宣告されてるし、とクライマックスですら爆笑ツボを欠かさない珍作品であったとしても、萌えさえあれば、無問題なのに。(例・『花恋吹雪』)

 どーして萌えないかな。

 自分のことしか考えられません!な天然無邪気天才美形様@オサだし、天上天下唯我独尊、世界よ我が前に跪け!な帝様@ゆみこだし、薄幸もここまで来ればすでに才能?! 真面目実直勤勉サラブレッド音楽家@まっつなのよ!!

 萌え設定と萌え役者が、雁首そろえてんのよ?!

 どーして萌えないかな。

 
 わかってます。
 答えはとっくに出てます。語ってます。

 浅いから。

 痛みもかなしみもくるしみも、きたないものもおぞましいものも、なにひとつほんとうに知らない人が、「こんなのって萌えよね♪」てな感じに鼻歌まじりで書いたモノには、萌えられません。

 や、ほんとに鼻歌まじりで書いたとは思ってないけど。
 つまりそれくらい、浅いんだわ。薄っぺらいんだわ。

 例に出して悪いけど、同じヲタク作家なら齋藤くんは、「萌え〜〜っ!!」って鼻血出しながら書いてると思うよ。
 書いてるものは同じくらいバカ丸出しに壊れてるけど、鼻歌まじりと鼻血吹いて、では、こめられているものの濃さがチガウよ。
 同じくらいあさはかなら、せめて鼻血吹いて倒れるよーなものを書いてくれよ。

 つーことで、笑えるけど萌えられません。

 
 でもこの「笑える」ってのはエンタメとしての強みだから、リピートするとたのしいかもしれない。

 とりあえずゆみこちゃんはすばらしいしなっ。

 主演3人のファンなんで、わたしはまだ観に行く予定です。

         
 とりあえず、笑っておくか。 ……という感想です、花組ドラマシティ公演『天の鼓』

 案の定モリナ姉さんはつきあってくれず、オサちゃんファンのキティちゃんを誘って観劇、5列目ドセンター。

 キティちゃんはヅカファンらしいヅカファン。つまり、作品の善し悪しを理解する気もなく、「ご贔屓が出演してさえいれば名作!」クライマックスは(植田作品でさえ)涙する、という人。

 わたしより先に観劇済みの、そのキティちゃんが言っていた。

「緑野、まだ観てなかったの? 作品、微妙よ」

 ええっ?! オサ主演作を悪く言うキティちゃんなんか、はじめて見たぞ?!

「終演後に6列目をさばいている人がいて、ふつうならそんな席をさばいてたら、すぐ売れるでしょ? でもぜんぜん売れないから、そのさばいていた人がアタシに『そんなに作品悪いんですか?』って聞いてきたのよ。で、アタシはこう答えたわ。『きれいでしたよ』って。
 だって、他に言い様がなかったもの」
 そう言うキティちゃんは、わたしと5列目で観ちゃったから、自分の持っているチケットは全部さばくそうだ。もう観たくないって。

 あのキティちゃんにさえ、見捨てられる作品?!
 それはかえって、一見の価値アリだよなっ(笑)。

 
 ははははは。
 とりあえず、笑っておきます。いろんな意味で。

 かの児玉明子作『天の鼓』。
 おもしろいか、おもしろくないかでいえば、おもしろいっす。

 この作品をひとことで言うならば、捨て身の誘い受作品!ってとこかな。

 いやあもー、ツッコミありまくり!! 5分に1回ツッコミ! って感じ(笑)。ツッコミの間に話があるよーな。

 それがおもしろいといえば、おもしろい(笑)。

 感じたことは、こだまっちは、企画というか、最初の発想は悪くないんだと思う。たとえ「こーゆーのって、萌えよね〜〜」とヅカファンだのヲタク女だのが仲間内で喋っている妄想配役の域を出ないとしてもだ。
 ただその発想を、「商業作品レベルまで、正しく組み立てて作品にする」ことが、できていないだけで。

 作品が壊れていよーと、辻褄があっていなかろーと、爆発的な「萌え」があれば、それはそれでアリだとわたしは思っている。正しく構成されただけのつまらない作品より、欠点ありまくりの萌える作品の方が好きだから。

 そう、理屈をふっとばすくらいの「萌え」があれば、よかったのよ。

 つくづく、思った。

 こだまっち、詰めが甘いっ!!

 設定だけは萌え。シチュエーションや言動にも萌えがある。
 しかし、どーにも萌えられない浅さが全編にある。

 
 虹人@オサは「鼓と共に拾われた」という、なんとも微妙な生い立ちを持つ青年。そこが田舎の村だということを、長い間観ていて気づけなかったくらい、雅な服装の彼らは、やはり田舎の村だってことを忘れてしまうくらい典雅に鼓を生活の中心にしていた。
 鼓が巧ければ、神! みたいな世界。田舎の村なんだけど。農業従事者はいないらしく、都の公達みたいな格好の若者たちが、みんなそろって鼓を習っている。
 捨て子の虹人は、鼓が巧いっつーことで、なんとかコミュニティで立場を得ているらしい。みんな口々にそう言う。まあ、鼓が世界の中心、みたいな異世界ファンタジーだからそーゆー価値観もアリか。

 虹人はある夜、もののけにしか見えない姫君と出会った。田舎の村だから、とーぜん夜は真っ暗、人っ子ひとりいないはず。そこにどこからともなく響き渡る笛の音、ぼーっと現れる、顔を隠した女。えーとコレ、妖怪譚だっけ?
 もののけの姫君と出会った男は大抵そうであるよーに、虹人も恋に落ちてしまった。

 さて、虹人には親友の樹@まっつがいる。鼓の師匠の息子で、なんとも幸薄そうな真面目そーな青年。鼓の才能では虹人にかなわない、かなしい「努力・誠実・地味」とコンボの決まった報われない人。
 ひたすら地味な彼にも、かなりとーとつだが恋バナがあった。田舎の村だっつーのに、都に婚約者がいるというのだ。顔も知らない名前だけの相手かと思いきや、ちゃんと会ってデートもしている、恋愛結婚らしい。都とこの田舎の地理関係とか当時の交通手段とか、いろんなことに疑問がわくが、まあそれもおいておいて。
 樹の婚約者・照葉@ふーちゃんこそが、虹人が恋に落ちたあのもののけ姫だったのだ!
 てゆーか人間の姫が何故あんな時間にあんな場所に?! 侍女とふたりで笛吹きながら真夜中の旅?! あ、ありえねー!! と、虹人とともにわたしも盛大にショックを受けました。

 愛した人は、親友の花嫁。
 この事実を知った虹人、やることが早いです。さっそく夜這いかけてGO! 照葉はよろめき女、「なりませぬ、なりませぬ……いや〜ん♪」てなもんで受け入れ態勢OK、なかなかいいカップルだお前ら。人の道に外れるとか、裏切りはよくないとか、罪悪感とか、いろーんな感覚を持ち合わせていないところがヨシ!

 既成事実も作ったし、あとはカタチだけだ。ただの捨て子の鼓のうまい人、ってだけじゃダメだ、地位と富が必要。
 だって照葉が言うんだ。
「樹とはお金のため、ママとふたり生活するために結婚するの。ママを路頭に迷わせることはできないから、あなたと結婚はできないわ」
 ってそんな、思いっきり金のためだけかいっ?! 虹人を拒む理由は「ママとの生活」? 樹のことはどーでもいいのね?

 まあ、わかりやすい理由だよな、「金」ってのは。だから虹人はやたら前向き。
「都へ行って音楽祭で優勝して、楽団に就職して安定したら、プロポーズだっ」
 あの、その音楽祭はそもそも樹が花嫁・照葉のために出ようとしていた音楽祭で……。

 親友・樹はもう、虹人のアタマの中ではなかったことにされている模様。潔し。
 照葉も虹人も、すばらしいよ……樹をコケにすることにおいては、抜群のコンビネーション。

 さて、虹人と樹が参加する音楽祭。
 これは、「めずらしい楽器コレクション」が趣味の帝@ゆみこの企てで、虹人の持つ「天の鼓」を奪っちゃえ! というのが本当の目的だった。
 この帝っつー人が、抱腹絶倒。アクティブでアグレッシブ。
 お気軽に宮廷を出て、田舎の村までお忍びで行っちゃったりとか、家臣みんなの前で踊っちゃったりとか、どこのバカボンボンだ?! てな風情。
 たかが田舎青年の鼓ひとつ手に入れるために、都を上げての大騒ぎ。いやー、気前のいい人です。
 祭りを楽しむことに労力を厭わない人らしく、わざわざ部下に虹人のストーカーさせたり、虹人の義理の妹@あすかをたきつけてみたり、樹に音楽祭でズルをするよーにそそのかしてみたり。
 やっていることのセコさがたまりません!!

 愛と裏切りと陰謀の渦巻く音楽祭。さあっ、虹人の明日はどっちだ?!!

 ……てゆーか、ひたすら樹が不憫です……いっそ笑えるくらい、不幸な男だ(笑)。

 ストーリーの展開がありえなくておもしろいので、つい語りすぎてしまった(笑)。

 つづく〜〜。

    
 他日の日記を書いてから、こっそりとこちらの続きを書く(笑)。
 『玄宗救済計画』の、完結編。

 本編の玄宗があまりにひどい男なので、せめてかっこよくできないかと、がんばってみた結果。

 いちばん簡単かつ効果的なのは、「玄宗の愚痴部分を、他の者に言わせる」という手法。

 玄宗の辛い胸の内を代弁する者。
 玄宗を気遣う者。

 高力士は本来、そーゆー役割であるべきだと思う。
 なのに何故か、「陛下の面前でございます!」とか「ひとりの女のために、この大唐国を滅ぼされるのでございますか!」とか、カッコイイ系の台詞ばかりを言う人になっている。
 宦官の長というより、玄宗のじいや的な位置づけで書かれているにもかかわらず、だ。
 やはりこれには、政治的なにおいがして嫌だな。星原センパイはそこまで気を遣わなければならない人なのか??

 まー、とにかく。
 高力士のキャラ立てが歪んでいる以上、「玄宗の胸の内の代弁者」というオイシイ役を高力士にさせる必要はない。

 つーことで。

 陳玄礼将軍の出番です。

 長々と書いてきたが、これが本音か、結論か!! だって緑野こあらはヲタクだもん!(笑)

 いつも玄宗のそばに控え、見守り、気遣い、彼のためだけに生きる。
 仕事仕事の日々、陳玄礼は思わず言ってしまう。

「それでは陛下には、あまりにも自由がないのでは……」
「いいや、それが皇帝の勤めだ」

 つらいだろーに、それでも玄宗はきっぱりと言うのだ。ああ我が君さいこーっ、一生お仕えします(玄礼、心の日記)。

「陛下はお疲れのご様子。やはり国使との謁見は後日になさった方がよろしいのでは?」
「謁見は国王たる者の勤めだ」

 ああっ、やっぱり陛下素敵! 並ぶ者ナシ、宇宙一っ(玄礼、心の日記)。

 
 ここまでいつもいつも、玄宗の身と心を思いやっている陳玄礼が、楊貴妃生贄論のときには言うわけさ。
「情を捨て、義を正されますように!」

 愛する者同士の最後の抱擁を、引き裂くのさ。

 それって、腐女子的にも萌えだけど、一般的にも盛り上がらないか?
 側近のキャラが魅力的な方が、皇帝の価値も上がるし、物語も盛り上がるよねえ。

 
 わずか数カ所台詞を変更するだけで、玄宗は男ぶりが上がっているし、陳玄礼のキャラも立つ。クライマックスの悲劇っぷりも上がる。

 すばらしいじゃないですか!(自画自賛)

        
 「必要最低限の改稿」で「玄宗の人格を矯正する」『玄宗救済計画』の続き。

 
 玄宗が「働いているらしい」シーンは、ふたつある。
 皇甫惟明が出てくるシーンと、安禄山がオウムを持ってくるシーン。

 ただしどちらももれなく愚痴をたれているし、仕事に対して意欲もなく、後者のシーンではミスまでしているというバカっぷり。
 これでは「仕事をしている」うちに入らない。

 皇甫惟明との会話では、結局話題は楊貴妃の美しさに流れていってしまい、「えっ、あの、政治の話はどーなったんですか?」で終わる。
 皇甫惟明と安禄山、ふたりの意見が対立するのはいいから、それをただバカ面して聞き、結局自分の意見はナニもなし、というのはあんまりだ。
 のんきに牡丹の話をする前に、政治の話のケリをつけろ。

Aくん「ぼくは机のぞうきんがけは、先にやった方がいいと思います!」
Bくん「それは古いやり方だよ。先に机を並べてから、一気にぞうきんがけした方が効率がいいんだ!」
先生「AくんもBくんも熱心だね。ふたりがいい子だってことは、先生、よーっくわかったよ。ふたりともがんばってお掃除してね」

 あの、それで? ぞうきんがけは先ですか? あとですか?

「ふたりの国に対する忠誠心には感謝している」
 という玄宗の台詞のあとに、ひとこと付け加えるんだ。ふたりの意見を吟味した上で、「玄宗自身が」判断を下す、という意味のことを。

 思慮深さと決断力、そして皇帝の権力を見せつけろ。
 言い争っていたふたりの将軍は「ははーっ」と頭を下げるのだ。

 雑談はそのあとで。牡丹でも母親でも、好きに語ってヨシ。

 さて、これで1回は「仕事をしている」シーンができた(笑)。
 問題はそのあと。
 せっかく仕事をしていても、愚痴をたれては全部ぶちこわしになる。

 主人公の立場を解説する、という手法に、「周囲の人間に喋らせる」というのがある。
 子ども向けマンガ雑誌に1頁ぐらい載っている「マンガの描き方/ストーリー編」の初歩に載っている手法だ。

李林甫「陛下、そろそろ次の職務の時間でございます」
玄宗「もうそんな時間か」
高力士「李林甫殿は仕事と時間のことしかおっしゃいませんな」
李林甫「それが私の勤めでございます」

 ここで、玄宗の「つらい立場」とやらを、誰か別のモノに説明させるのよ!

「それでは陛下には、あまりにも自由がないのでは……」

 それを受けて玄宗が、

「いいや、それが皇帝の勤めだ」

 と応えれば、「可哀想な皇帝陛下」のできあがり。「辛い立場なのにがんばっている人」のできあがり。

 楊貴妃は、そんな玄宗を黙って見つめるのだ。

 
 次の「お仕事しているかも」シーン。

 アラビアの国使への親書とやらを書いているとこね。
 この親書が、楊貴妃恋しさで「楊貴妃ラヴラヴ」な内容なのは、いい。
 有能な男が、恋に壊れていくっちゅー設定なんだから。
 先のシーンで「政治をちゃんとやっている皇帝」「自由時間すらなく仕事をがんばっている男」という要素を表現しているのだから、ここで呆けていてもかまわない。「あんなに有能な男が、こんなにラヴっちゃってるの?!」と思わせるエピソードとしてはヨシ。

 「不老長寿の薬」の話も、くだらねーエピソードだが、まああってもいい。
 ただ最悪なのは、そのあと。

玄宗「私は少し疲れている。国使との謁見は後日だ」
李林甫「しかし、不老長寿の薬“だけ”はいただいて、それはちょっと……」
玄宗「宰相は少しの時間も、私を休ませてはくれぬ」

 作者に「会話のセンスがない」と痛烈に思える箇所。
 玄宗の愚痴はいつものことだが、なかでもこの使い方は最悪。

 何故なら、玄宗はすでに仕事でミスをしていて、それによって観客の笑いを取っている。
 「私は疲れている」という台詞は、愚痴ではなく「笑いのオチ」として使われているわけだな。
 そこに「不老長寿の薬“だけ”はいただいて」という、さらに「笑い」のためのツッコミが入る。
 この流れで行けば、次も「笑い」で受けなければならない。ここは笑わせるシーン、観客を和ませるシーンなんだろう、という流れ。

 なのに。
 「笑い」のツッコミに対し、玄宗が返すのは。

「宰相は少しの時間も、私を休ませてはくれぬ」−−思いっきり、シリアスモードの愚痴!!

 観客は笑ってるんだよ? 
 「不老長寿の薬“だけ”はいただいて」って台詞に。「それは、ちょっと……」って台詞に。だって観客も、「そりゃーねーよな(笑)」って思ってるんだってば。

 なんでそこで、「ボクって可哀想」モードの愚痴なの??

 あまりに空気読めなさすぎ。

 玄宗のつらさや孤独さを表現したいんだろうけど、あまりにも下手すぎる。てゆーか、こんな流れで会話を書いて変だと思わないなんて、ほんとにセンスがないんだろう。とほほ。

 この会話の流れでいくなら、玄宗の応えは「笑いのオチ」にならなければならない。

李林甫「しかし、不老長寿の薬“だけ”はいただいて、それはちょっと……」
玄宗「………………(汗)」
オウム「皇帝陛下万歳!」
 −微妙な間−
玄宗「わかった、すぐに行く」

 とかな。せっかく「歌をうたう鳥」(喋るばかりでまったく歌ってないけどな)がいるんだから、もっと使おうよ。
 笑いのシーンは笑いのシーンとして、流れを考えて書く。

 その次に、誰か別の人間に言わせるんだ。

「陛下はお疲れのご様子。やはり国使との謁見は後日になさった方がよろしいのでは?」

 それを受けて玄宗が応える。

「謁見は国王たる者の勤めだ」

 ほんとーに疲れているよーに、でもけなげに。
 心配してくれる家臣の言葉を退けて、「わかった、すぐに行く」と李林甫に告げる。

 これで「楊貴妃にめろめろになりつつも、それでも皇帝としての勤めを忘れまいと努力する皇帝」のできあがりだ。

 このままカーテン前のシーンになり、そんな玄宗をずっと見ていた楊貴妃との、

「陛下となれば、どんなこともご自分の思いのままだと思っておりましたが……」
「なにもかも思いのまま……世の中に、そんな人間はおらぬ。私は朝から晩まで政りごとの一日だ」

 という会話にスムーズにつながるっしょ?

 仕事仕事で自由がない「可哀想な皇帝陛下」、国のことを考えて「辛い立場なのにがんばっている人」、「楊貴妃にめろめろになりつつも、それでも皇帝としての勤めを忘れまいと努力する皇帝」。

 だからこそ楊貴妃が、「仕事はやめて、夜のデートに行きましょ?」と誘うわけだ。まったく自由のない皇帝に、自由を贈りたくて。
 一本道をひたすら歩いてきた男は、子どものようによろこんで、仕事を投げ出し女へのめりこんでいくわけだ。

 
 さて。
 変更点は、これだけ。

 皇甫惟明と安禄山の言い争いに、皇帝として台詞ひとつ足して決着をつける。

 愚痴は言わず、心配する臣下に対して、
「それでは陛下には、あまりにも自由がないのでは……」
「いいや、それが皇帝の勤めだ」
 と、毅然と応える。

 笑いのシーンは、笑いとしてオチを付ける。

 責任転嫁台詞はなくす。

 台詞にして、ほんの数個。変更箇所はたった4つ、数行。

 これだけで、玄宗は救われると思うんだけど、どうよ?

       

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