会いたい。@王家に捧ぐ歌
2005年2月11日 タカラヅカ さて、1週間ぶりだぞ、星組中日公演『王家に捧ぐ歌』。
本日は4列目サブセン。感情移入度がチガウので、前方席は大好きです。
サバキで11列目をGETしたkineさんが、「みらんくんに目線もらった♪」とよろこんでいるにも関わらず、わたしは誰の目線もいただけませんでした。
唯一、目線をもらえたのは。
「鳩ちゃんだったわ」
と言ったら、kineさんに大ウケされちゃいましたよ。ふっ。
鳩withアモナスロ@3度目の銅鑼のシーンにて、アモナスロがずーっと目の前なんだもんよ。アモちゃんはイッちゃってるから、もちろん客席なんか見ない。
彼の手の中の鳩ちゃんだけが、ずーっと同じ角度で、わたしを見ている。
うおーっ、鳩ちゃんと目ェ合ってるよオレ!! うろたえ。
鳩ちゃん、瞳つぶらだよ! 顔の両側に、微妙に目飛び出てるよ。かわいい、けど、じっと見てるとやっぱキモいかも……。
てゆーかわたし、鳩見てる場合じゃないから!!
なにやってんでしょうねえ。せっかくの最後の前方席で、鳩ちゃんと見つめ合わなくても。
『王家』のすごいところは、「作品に力がある」ことだと思う。
何度観ても、おもしろい。何度観ても、感動する。
心が動くところは毎回変わる。毎回、なにかしら発見がある。
ああ、ほんとうに、この作品が好きだ。
出会えて良かった。好きで良かった。
作品語りは昔飽きるほどしたから、置くとして。
今回の再演を観ながら、わたしが痛烈に欲していたのは、「ウバルド」じゃない。わたしが愛したウバルドはもういないけど、中日ウバルドもアレはアレでアリだと思っている。再演に似合った男だと思っている。
だから、ウバルドのことはいいんだ。
わたしがどーしよもなく恋しかったのは、サウフェ@すずみんだ。
うおー。
わたしほんとに、サウフェ好きだったんだ……。
いちばん萌えたキャラだって、そーいやここでも書いてたよなあ。
サウフェが好き。
あの弱くてやさしい男。
凶器を握った羊。
狂気におびえる復讐鬼。
サウフェに会いたい。
弱く優しい青年が、憎しみに壊れていく姿。
テロリストとなって破滅する姿。
いつも、おびえた目をしている。
剣を握ってさえ。
なにかあったとき、彼の顔に浮かぶのは「かなしみ」だ。怒りではない。
理不尽な暴力にも差別にも、彼はまず悲しむ。大地に膝をつく。
そして、半べそをかきながら、おびえた目で剣を握る。
ふるえる手。牙を持たない草食動物。だからこそ。
傷ついた羊はやがて、狂気をやどす。
まだ彼が無垢だったころ。
憎しみも復讐も知らなかったころ。
豊かな自然に恵まれたエチオピアの王都で、彼はきっと幸福に過ごしていたのだろう。
王女のアイーダ姫を愛しながらも、ただ遠くから見つめるだけで満足していたんだろう。
ウバルド王子に仕えているわけだから、とーぜん姫とも接点がある。気さくな姫君は、身分を超えてやさしい笑顔や言葉をくれただろう。それだけで、彼は満足していたはずだ。
なんでウバルドの家臣はカマンテとサウフェだったんだろうね。
カマンテは、ウバルドのお気に入りだったと思う。ウバルドの荒い性質と通じるモノがあるから。ウバルドより、ずっとクールだけど。
でもサウフェは? このやさしい泣き虫男を、ウバルドのよーな男が側に置くなんて、おかしな話。
おかしいからこそ……萌えるわ(笑)。
だってウバルド、サウフェのことなにかと気遣ってたよねえ? なにしろすぐヘタレるから。
泣き出しそうなところを、ウバちゃんに肩叩いてもらったりさ。王子に気遣わせるなんて、サウフェ何者?って感じよ(笑)。
サウフェはたぶんあたりまえに、「弱いモノ」認定で、ウバルドの懐にいたんだと思う。ウバにーちゃん蛮人だけど(王子なのに……)、兄貴肌っていうか、舎弟はオレが守る、だからお前ら黙ってオレについてこい! な人だから。
いっそ幼なじみ説希望。
ガキのころから一緒に遊んでいたなら、ヘタレだろーとなんだろーと、兄貴肌のウバにーちゃんは「身内」と認識するでしょう。サウフェも、乱暴なことは苦手だけど、王子にくっついていくでしょう。
あの3人、やっぱ子どものころからの親友+主従ってのがいいなあ。トシはサウフェがいちばん下ね。
カマンテは寡黙に激しく「王子ラヴ」で、王子の敵は俺の敵!な迷いのない人生を送る男。
サウフェがあこがれ、淡い恋心を抱いているのはアイーダ姫@少し年上希望。ウバルドのことは「敬愛する兄」認識。ウバルドはサウフェを、長男が末っ子をかわいがるハートでかわいがっているが、カマンテはけっこー辛辣、次男が年の近い弟をいじる感じで、平気で小突いたり突き放したり。まあどっちにしろ、愛されてます。
祖国が侵略され、彼らの平和と幸福は地に落ち。
ウバルドは激しい狂気へ突き進み、カマンテは黙してそれに従う。ウバルドの行くところへ、そこがどこであろうとついていく覚悟。
サウフェは、あくまでもサウフェ自身の狂気に飲まれていく。やさしくナイーヴな彼は、ふつーの人以上に傷ついたんだろう。踏みにじられる祖国を見て。
……いや、その。わたしは、サウフェ自身がエジプト兵に辱められたんだと思ってるけど。ぶっちゃけ、※※されたんじゃないの、と(思わず伏せる・笑)。
んな目にあったら、そりゃ人生変わるわ、性格変わるわ。恋する姫の前で、復讐を口にするわ。
サウフェのヘタレ具合と屈折ぶりが、わたしのハートを鷲掴み状態だった。
ウバルドにもめろめろに恋していたし、エチオピア・トリオはひとりずつキャラが立ちまくっていて、見ていてたのしかった。
大真面目に、ウバルド×サウフェで物語考えたなあ。カマンテ×ウバルドでもあり、何故かラダメス×サウフェだった(こらこら、暴走しすぎだ、わたしの妄想)。
だもんで、中日のサウフェ役がしゅんくんだと知ったときは、うろたえたね。
サウフェ@しゅんくんだと? それって犯罪じゃん!! と。いやその、わたしの中では、サウフェってのはエジプト兵に※※されちゃう役だから。しゅんくんみたいな美少年じゃ、やばいってソレ、シャレになんないっ。ロリショタの世界突入じゃん。まずいよ。
…………おいしいキャスティングだわ…………。
なんて 期待 心配をしていただけに。
びっくりだった。
中日のサウフェを見て。
サウフェじゃない。
サウフェじゃなくてもいいよ、アレ。
カマンテでもいいし、ウバルドでもいい。そんなサウフェだった。
ソレって、サウフェの意味ないんじゃ……? しょぼん。
続く
本日は4列目サブセン。感情移入度がチガウので、前方席は大好きです。
サバキで11列目をGETしたkineさんが、「みらんくんに目線もらった♪」とよろこんでいるにも関わらず、わたしは誰の目線もいただけませんでした。
唯一、目線をもらえたのは。
「鳩ちゃんだったわ」
と言ったら、kineさんに大ウケされちゃいましたよ。ふっ。
鳩withアモナスロ@3度目の銅鑼のシーンにて、アモナスロがずーっと目の前なんだもんよ。アモちゃんはイッちゃってるから、もちろん客席なんか見ない。
彼の手の中の鳩ちゃんだけが、ずーっと同じ角度で、わたしを見ている。
うおーっ、鳩ちゃんと目ェ合ってるよオレ!! うろたえ。
鳩ちゃん、瞳つぶらだよ! 顔の両側に、微妙に目飛び出てるよ。かわいい、けど、じっと見てるとやっぱキモいかも……。
てゆーかわたし、鳩見てる場合じゃないから!!
なにやってんでしょうねえ。せっかくの最後の前方席で、鳩ちゃんと見つめ合わなくても。
『王家』のすごいところは、「作品に力がある」ことだと思う。
何度観ても、おもしろい。何度観ても、感動する。
心が動くところは毎回変わる。毎回、なにかしら発見がある。
ああ、ほんとうに、この作品が好きだ。
出会えて良かった。好きで良かった。
作品語りは昔飽きるほどしたから、置くとして。
今回の再演を観ながら、わたしが痛烈に欲していたのは、「ウバルド」じゃない。わたしが愛したウバルドはもういないけど、中日ウバルドもアレはアレでアリだと思っている。再演に似合った男だと思っている。
だから、ウバルドのことはいいんだ。
わたしがどーしよもなく恋しかったのは、サウフェ@すずみんだ。
うおー。
わたしほんとに、サウフェ好きだったんだ……。
いちばん萌えたキャラだって、そーいやここでも書いてたよなあ。
サウフェが好き。
あの弱くてやさしい男。
凶器を握った羊。
狂気におびえる復讐鬼。
サウフェに会いたい。
弱く優しい青年が、憎しみに壊れていく姿。
テロリストとなって破滅する姿。
いつも、おびえた目をしている。
剣を握ってさえ。
なにかあったとき、彼の顔に浮かぶのは「かなしみ」だ。怒りではない。
理不尽な暴力にも差別にも、彼はまず悲しむ。大地に膝をつく。
そして、半べそをかきながら、おびえた目で剣を握る。
ふるえる手。牙を持たない草食動物。だからこそ。
傷ついた羊はやがて、狂気をやどす。
まだ彼が無垢だったころ。
憎しみも復讐も知らなかったころ。
豊かな自然に恵まれたエチオピアの王都で、彼はきっと幸福に過ごしていたのだろう。
王女のアイーダ姫を愛しながらも、ただ遠くから見つめるだけで満足していたんだろう。
ウバルド王子に仕えているわけだから、とーぜん姫とも接点がある。気さくな姫君は、身分を超えてやさしい笑顔や言葉をくれただろう。それだけで、彼は満足していたはずだ。
なんでウバルドの家臣はカマンテとサウフェだったんだろうね。
カマンテは、ウバルドのお気に入りだったと思う。ウバルドの荒い性質と通じるモノがあるから。ウバルドより、ずっとクールだけど。
でもサウフェは? このやさしい泣き虫男を、ウバルドのよーな男が側に置くなんて、おかしな話。
おかしいからこそ……萌えるわ(笑)。
だってウバルド、サウフェのことなにかと気遣ってたよねえ? なにしろすぐヘタレるから。
泣き出しそうなところを、ウバちゃんに肩叩いてもらったりさ。王子に気遣わせるなんて、サウフェ何者?って感じよ(笑)。
サウフェはたぶんあたりまえに、「弱いモノ」認定で、ウバルドの懐にいたんだと思う。ウバにーちゃん蛮人だけど(王子なのに……)、兄貴肌っていうか、舎弟はオレが守る、だからお前ら黙ってオレについてこい! な人だから。
いっそ幼なじみ説希望。
ガキのころから一緒に遊んでいたなら、ヘタレだろーとなんだろーと、兄貴肌のウバにーちゃんは「身内」と認識するでしょう。サウフェも、乱暴なことは苦手だけど、王子にくっついていくでしょう。
あの3人、やっぱ子どものころからの親友+主従ってのがいいなあ。トシはサウフェがいちばん下ね。
カマンテは寡黙に激しく「王子ラヴ」で、王子の敵は俺の敵!な迷いのない人生を送る男。
サウフェがあこがれ、淡い恋心を抱いているのはアイーダ姫@少し年上希望。ウバルドのことは「敬愛する兄」認識。ウバルドはサウフェを、長男が末っ子をかわいがるハートでかわいがっているが、カマンテはけっこー辛辣、次男が年の近い弟をいじる感じで、平気で小突いたり突き放したり。まあどっちにしろ、愛されてます。
祖国が侵略され、彼らの平和と幸福は地に落ち。
ウバルドは激しい狂気へ突き進み、カマンテは黙してそれに従う。ウバルドの行くところへ、そこがどこであろうとついていく覚悟。
サウフェは、あくまでもサウフェ自身の狂気に飲まれていく。やさしくナイーヴな彼は、ふつーの人以上に傷ついたんだろう。踏みにじられる祖国を見て。
……いや、その。わたしは、サウフェ自身がエジプト兵に辱められたんだと思ってるけど。ぶっちゃけ、※※されたんじゃないの、と(思わず伏せる・笑)。
んな目にあったら、そりゃ人生変わるわ、性格変わるわ。恋する姫の前で、復讐を口にするわ。
サウフェのヘタレ具合と屈折ぶりが、わたしのハートを鷲掴み状態だった。
ウバルドにもめろめろに恋していたし、エチオピア・トリオはひとりずつキャラが立ちまくっていて、見ていてたのしかった。
大真面目に、ウバルド×サウフェで物語考えたなあ。カマンテ×ウバルドでもあり、何故かラダメス×サウフェだった(こらこら、暴走しすぎだ、わたしの妄想)。
だもんで、中日のサウフェ役がしゅんくんだと知ったときは、うろたえたね。
サウフェ@しゅんくんだと? それって犯罪じゃん!! と。いやその、わたしの中では、サウフェってのはエジプト兵に※※されちゃう役だから。しゅんくんみたいな美少年じゃ、やばいってソレ、シャレになんないっ。ロリショタの世界突入じゃん。まずいよ。
…………おいしいキャスティングだわ…………。
なんて
びっくりだった。
中日のサウフェを見て。
サウフェじゃない。
サウフェじゃなくてもいいよ、アレ。
カマンテでもいいし、ウバルドでもいい。そんなサウフェだった。
ソレって、サウフェの意味ないんじゃ……? しょぼん。
続く
はぢめての男。−腐女子注意報?−
2005年2月10日 タカラヅカ 生まれてはじめて、タカラヅカ・ジャンルでホモパロを書こうとしたとき。
相方のかねすきさんに訊ねました。
「男役の胸は、どうすればいいの? なくていいのよね?」
かねすきさんは、答えてくれました。
「男役は、舞台の上では男なんだから、なくていいのでは?」
そう。
書きたいのは、作品パロ。
たとえて言うなら、『新選組!』の近藤と芹沢のやほひが書きたいのであって、それらを演じている香取慎吾と佐藤浩市のやほひが書きたいわけじゃない。
香取慎吾と佐藤浩市がどうこうではなく、『新選組!』という物語の中で生きる、近藤と芹沢に萌えたんだ。
ただの例題ですよ、べつにわたし、『新選組!』でなにも書いてないです。
タカラヅカの二次創作だって、同じハートだ。
わたしが愛するのは、舞台の上。「物語」の中。
舞台の上で「男」である以上、パロを書くなら「男」としてでしょう。
脱いでもそりゃ、男のカラダであるべきでしょう。
かねすきさんと確認し合って、その昔、わたしはヅカパロの道へ踏み出した。
はじめて書いたヅカの二次創作。
もちろん、やほひだ。
わたしゃヲタク女ですから! やほひは文化!! やほひは醍醐味!!
つーことでやってやるぜ、ホモパロだー、やほひだー。カップリングものだ〜〜。
作品は、『Crossroad』。
不器用な、バカで愛すべき男たちの物語。
アルフォンソ × デュシャン でした。
二次創作したくなるくらい、大好きな物語、大好きなキャラ。
未だにわたしは、アルフォンソがめちゃくちゃ好き。タカラヅカ作品全部合わせて、いちばん好きなキャラクタなんじゃなかろーか。
少女のよーに、ときめくのよ。
こんな男の子に、恋をしたかった。
そして、デュシャン。
最悪な色男。人間の持つ弱い面、悪い面ばかり持ち合わせながら、それでもきらきらと魅力的な、どーしよーもないバカ男。
女に生まれてよかったと思うのよ。こんな男にときめくのは、女である特権だから。
こんな男を、愛したい。共に堕ちていきたい。
とてつもなく大好きな男たちが、女そっちのけで愛憎している物語だ、『Crossroad』って。
そりゃーもー、ホモパロ書くしかないでしょう!!(笑)
つーことで、たのしく書ききって。
わたしがどれほどこの作品を好きか、アルを好きでデュシャンを好きか、ありったけの思いをぶちまけて。
ふー、堪能したわ。
と、スポーツのあとのよーに、さっぱりした気持ちで、バウホールに行った。
演目は『FREEDOM』、たしか初日だった。
ごめん、ホモにしてごめん、受にしてごめんっ!!
罪悪感とゆーか妙な気恥ずかしさとゆーかで、まともに舞台を観られなかった。
自分でもびっくりだー。
そして次に、全国ツアーを観に行った。
演目はたしか、『うたかたの恋』。
なんの気恥ずかしさもなかった。
わたしはふつーに舞台を楽しんだ。
何故だ。
何故、こうまで反応がチガウ?
相方のかねすきさんに訊ねました。
「どうして樹里ちゃんのことは罪悪感と気恥ずかしさで正視できないのに、たかこのことは平気なのかしら?」
かねすきさんは、答えてくれました。
「樹里さんの場合は、ノンケの男をホモにしてパロを書いたから、後ろめたいんですよ。反対にたかこさんの場合は、もともとホモの人をホモにしてパロを書いたから、平気なんです」
そう。
男としての樹里ちゃんって、どっから見てもノンケだよね? ホモに見えないよね?
だからあんなに、気恥ずかしかったんだ……。
そして、男としてのたかこは、ふつーに男もイケるクチに見える……あわあわ。
この差は大きいなー。
そして樹里ちゃん。
あんなにノンケで健康的な青年なのに、役によってはホモにもなるもんなー。すばらしいや。
わたしの大好きなノンケ男。
きっと一生忘れない、はぢめての男@ヅカパロ。
樹里ちゃんの退団発表は、寝耳に水です。
そりゃねーよ、シニョール!! って感じ(意味不明)。
めそ。
☆
追記。
ホモパロ書いたのは、昔の話です。
今はやってません。
人間誰しも、なにかしら人に言えない過去があるものなのさ、ふっ。
でもってチェリさん。
ケロちゃんにはもちろん罪悪感なんぞありませんでしたとも!
モノが『血と砂』のフアンですよ? あの男を総受にしてなにが悪い、てゆーか総受だよね? 誰が見てもそうだよね? 世界の常識だから、照れも臆しもせず! フンガーッ!!
……でもソレも過去だから!
人間誰しも、なにかしら人に言えない過去があるものなのさ、ふっ。
相方のかねすきさんに訊ねました。
「男役の胸は、どうすればいいの? なくていいのよね?」
かねすきさんは、答えてくれました。
「男役は、舞台の上では男なんだから、なくていいのでは?」
そう。
書きたいのは、作品パロ。
たとえて言うなら、『新選組!』の近藤と芹沢のやほひが書きたいのであって、それらを演じている香取慎吾と佐藤浩市のやほひが書きたいわけじゃない。
香取慎吾と佐藤浩市がどうこうではなく、『新選組!』という物語の中で生きる、近藤と芹沢に萌えたんだ。
ただの例題ですよ、べつにわたし、『新選組!』でなにも書いてないです。
タカラヅカの二次創作だって、同じハートだ。
わたしが愛するのは、舞台の上。「物語」の中。
舞台の上で「男」である以上、パロを書くなら「男」としてでしょう。
脱いでもそりゃ、男のカラダであるべきでしょう。
かねすきさんと確認し合って、その昔、わたしはヅカパロの道へ踏み出した。
はじめて書いたヅカの二次創作。
もちろん、やほひだ。
わたしゃヲタク女ですから! やほひは文化!! やほひは醍醐味!!
つーことでやってやるぜ、ホモパロだー、やほひだー。カップリングものだ〜〜。
作品は、『Crossroad』。
不器用な、バカで愛すべき男たちの物語。
アルフォンソ × デュシャン でした。
二次創作したくなるくらい、大好きな物語、大好きなキャラ。
未だにわたしは、アルフォンソがめちゃくちゃ好き。タカラヅカ作品全部合わせて、いちばん好きなキャラクタなんじゃなかろーか。
少女のよーに、ときめくのよ。
こんな男の子に、恋をしたかった。
そして、デュシャン。
最悪な色男。人間の持つ弱い面、悪い面ばかり持ち合わせながら、それでもきらきらと魅力的な、どーしよーもないバカ男。
女に生まれてよかったと思うのよ。こんな男にときめくのは、女である特権だから。
こんな男を、愛したい。共に堕ちていきたい。
とてつもなく大好きな男たちが、女そっちのけで愛憎している物語だ、『Crossroad』って。
そりゃーもー、ホモパロ書くしかないでしょう!!(笑)
つーことで、たのしく書ききって。
わたしがどれほどこの作品を好きか、アルを好きでデュシャンを好きか、ありったけの思いをぶちまけて。
ふー、堪能したわ。
と、スポーツのあとのよーに、さっぱりした気持ちで、バウホールに行った。
演目は『FREEDOM』、たしか初日だった。
ごめん、ホモにしてごめん、受にしてごめんっ!!
罪悪感とゆーか妙な気恥ずかしさとゆーかで、まともに舞台を観られなかった。
自分でもびっくりだー。
そして次に、全国ツアーを観に行った。
演目はたしか、『うたかたの恋』。
なんの気恥ずかしさもなかった。
わたしはふつーに舞台を楽しんだ。
何故だ。
何故、こうまで反応がチガウ?
相方のかねすきさんに訊ねました。
「どうして樹里ちゃんのことは罪悪感と気恥ずかしさで正視できないのに、たかこのことは平気なのかしら?」
かねすきさんは、答えてくれました。
「樹里さんの場合は、ノンケの男をホモにしてパロを書いたから、後ろめたいんですよ。反対にたかこさんの場合は、もともとホモの人をホモにしてパロを書いたから、平気なんです」
そう。
男としての樹里ちゃんって、どっから見てもノンケだよね? ホモに見えないよね?
だからあんなに、気恥ずかしかったんだ……。
そして、男としてのたかこは、ふつーに男もイケるクチに見える……あわあわ。
この差は大きいなー。
そして樹里ちゃん。
あんなにノンケで健康的な青年なのに、役によってはホモにもなるもんなー。すばらしいや。
わたしの大好きなノンケ男。
きっと一生忘れない、はぢめての男@ヅカパロ。
樹里ちゃんの退団発表は、寝耳に水です。
そりゃねーよ、シニョール!! って感じ(意味不明)。
めそ。
☆
追記。
ホモパロ書いたのは、昔の話です。
今はやってません。
人間誰しも、なにかしら人に言えない過去があるものなのさ、ふっ。
でもってチェリさん。
ケロちゃんにはもちろん罪悪感なんぞありませんでしたとも!
モノが『血と砂』のフアンですよ? あの男を総受にしてなにが悪い、てゆーか総受だよね? 誰が見てもそうだよね? 世界の常識だから、照れも臆しもせず! フンガーッ!!
……でもソレも過去だから!
人間誰しも、なにかしら人に言えない過去があるものなのさ、ふっ。
フジコちゃんを探せ!@エリザベート
2005年2月9日 タカラヅカ 月組ビューポイントのひとつ、フジコちゃん。
今回の『エリザベート』でおどろいた配役のひとつが、
「フジコちゃんが、黒天使じゃないっ!」
でしたもの。
ダンサー・フジコ。鋭角なアゴを持つフジコ。悪役顔のフジコ。
絶対黒天使だと思ったのに!!
男たちの間で、誰よりも男らしく、がしがし踊ってくれると思ったのに!!
女官だなんて! つまんな〜〜いっ。
「ダンサー=黒天使」が配役的にふつーの感覚なので、いろんな人から「えっ、フジコ女官なの?」と驚きの声を聞く。
ええ、女官なんですよ、びっくりでしょー?
そしてわたしは、もちろんフジコちゃんウォッチング。
あのしがない女官ダンスをしているフジコちゃんを鑑賞。ああ、あの刺さりそうなアゴ、好みだわ……。うっとり。
なにしろ初日なんで、誰がどこになにで出ているかなんて、まったくわかってません。
だもんで、おどろいたさ。
マダム・ヴォルフのコレクション。
フジコちゃん、ここにいますか!!
フジコちゃんのカオを好きだが、いつもあまりうまく探せないでいるチェリさん、女官のフジコちゃんはわからなくても、娼婦のフジコちゃんは何故か見つけている。
コレクションのひとりだった、とだけ言えば、
「ひょっとして、タチアナですか」
と、返してくる。なんだ、わかってんじゃん。
そうです、ダイナマイトなタチアナです(笑)。
すごいよー。
エロいよー。てか、こわいよー。
マダム・ヴォルフ@えりりんの下に、あんな娼婦たちがいるのかと思うと、こわいですねえ。普段どんな会話してんだ……ぶるぶる。
美しすぎるマデレーネ@あいちゃんに鼻血吹きつつ(だって下手1列目にいたんだもん、バスタブが目の前だもん、立ち上がられたときゃあ、お尻やら太腿やらを下からのぞき込むことになって、エロ爆弾炸裂!)、あとはひたすらフジコちゃん見てました。
あー・うー、マダム・ヴォルフのことはあまり聞かないでください……タチアナ見てたら、見てるヒマなかったんだよ……みんな必ずマダム・ヴォルフのこと聞くけどさー。
タチアナさんてば、エロいのよーっ。
椅子に坐って、脚の間の床に男を坐らせて、いちゃくらしてんのよーっ。男のカオが下腹部にくるんですよ?! いいんですかソレ?!
タチアナさんのすばらしさはなんといっても、顔だけ見てたら男なことですよね。
あのオトコマエな顔で、尖ったアゴで、エロい衣装着て男をはべらし、たらしこんでるのよ。
わーん、すてき〜〜っ。
ハァハァ。
2部のスペインの美女も素敵でしたよ、強そうで。
ところで、「タチアナ」って役には、なにかあるんすか?
デイジーちゃんとそのお友だち(共に月エリザ未見)に、「フジコちゃんはマダム・ヴォルフのコレクションのひとり」と言ったら、
「タチアナですか?」
と返された。
たしかにタチアナだけど……どうして?
「そりゃタチアナでしょうよ。ねえ?」
てな会話に続いてしまったが、なにかあるの? 「ダイナマイト」だから?? 歌詞だけでなく、そーゆー意味での振付や役どころがあったのか、ひょっとして?
今回の『エリザベート』でおどろいた配役のひとつが、
「フジコちゃんが、黒天使じゃないっ!」
でしたもの。
ダンサー・フジコ。鋭角なアゴを持つフジコ。悪役顔のフジコ。
絶対黒天使だと思ったのに!!
男たちの間で、誰よりも男らしく、がしがし踊ってくれると思ったのに!!
女官だなんて! つまんな〜〜いっ。
「ダンサー=黒天使」が配役的にふつーの感覚なので、いろんな人から「えっ、フジコ女官なの?」と驚きの声を聞く。
ええ、女官なんですよ、びっくりでしょー?
そしてわたしは、もちろんフジコちゃんウォッチング。
あのしがない女官ダンスをしているフジコちゃんを鑑賞。ああ、あの刺さりそうなアゴ、好みだわ……。うっとり。
なにしろ初日なんで、誰がどこになにで出ているかなんて、まったくわかってません。
だもんで、おどろいたさ。
マダム・ヴォルフのコレクション。
フジコちゃん、ここにいますか!!
フジコちゃんのカオを好きだが、いつもあまりうまく探せないでいるチェリさん、女官のフジコちゃんはわからなくても、娼婦のフジコちゃんは何故か見つけている。
コレクションのひとりだった、とだけ言えば、
「ひょっとして、タチアナですか」
と、返してくる。なんだ、わかってんじゃん。
そうです、ダイナマイトなタチアナです(笑)。
すごいよー。
エロいよー。てか、こわいよー。
マダム・ヴォルフ@えりりんの下に、あんな娼婦たちがいるのかと思うと、こわいですねえ。普段どんな会話してんだ……ぶるぶる。
美しすぎるマデレーネ@あいちゃんに鼻血吹きつつ(だって下手1列目にいたんだもん、バスタブが目の前だもん、立ち上がられたときゃあ、お尻やら太腿やらを下からのぞき込むことになって、エロ爆弾炸裂!)、あとはひたすらフジコちゃん見てました。
あー・うー、マダム・ヴォルフのことはあまり聞かないでください……タチアナ見てたら、見てるヒマなかったんだよ……みんな必ずマダム・ヴォルフのこと聞くけどさー。
タチアナさんてば、エロいのよーっ。
椅子に坐って、脚の間の床に男を坐らせて、いちゃくらしてんのよーっ。男のカオが下腹部にくるんですよ?! いいんですかソレ?!
タチアナさんのすばらしさはなんといっても、顔だけ見てたら男なことですよね。
あのオトコマエな顔で、尖ったアゴで、エロい衣装着て男をはべらし、たらしこんでるのよ。
わーん、すてき〜〜っ。
ハァハァ。
2部のスペインの美女も素敵でしたよ、強そうで。
ところで、「タチアナ」って役には、なにかあるんすか?
デイジーちゃんとそのお友だち(共に月エリザ未見)に、「フジコちゃんはマダム・ヴォルフのコレクションのひとり」と言ったら、
「タチアナですか?」
と返された。
たしかにタチアナだけど……どうして?
「そりゃタチアナでしょうよ。ねえ?」
てな会話に続いてしまったが、なにかあるの? 「ダイナマイト」だから?? 歌詞だけでなく、そーゆー意味での振付や役どころがあったのか、ひょっとして?
美しくあれ。@エリザベート
2005年2月8日 タカラヅカ ゆうひくんが好きだ。
風花舞サヨナラバウ公演『LAST STEP』で一目惚れして以来。
ゆうひくんの好きなところはいろいろあるけれど、なんといっても「一目惚れ」、つまり外見が好きなんだよな。
美しいから。
そのことを、再確認させられたのが、今回の『エリザベート』。
ごちゃごちゃ言う気はない。
美しいから、それでいい。
わたしは美しいものを見たいのだから。
悲劇の皇太子ルドルフを演じる第一条件は、「美しいこと」だと思っている。
史実がどうだったとか、他の舞台ではどうだったとかは関係ない。
タカラヅカ版のルドルフは、美しくなくてはならない。そーでなければ、存在意義が崩壊する。ヅカでやる意味がない。
多少歌がアレでも演技がありゃりゃでも、なにをさておき美しくなければならないんだ。
それが、タカラヅカ版『エリザベート』における、ルドルフの意味だと思っている。
BL……ボーイズラブ的な自己愛によって。
BLにおいて、多くの場合、読者は受に感情移入する。受は男性でありながら受け身で、愛を精神的・肉体的に受ける者、つまり女性の特質を持つ。
つまり、読者の女性にとって、受とは自分自身でありながらも、恋愛可能な「異性」である。
この距離感がいいんだと思う。
自分自身を愛しながら、同時に「理想の恋人」を愛す。女でありながら男である。
「受の**ちゃんが好き」と思うのは、ほんとーに第三者としてその「**ちゃん」を好きなんだよ。それでありながら、その**ちゃんの物語を読んでいるときは、「**ちゃん」と読者自身がシンクロする。
BLの醍醐味さね。
そして、タカラヅカ版のルドルフ。
彼はこのBLの受と同じ位置にあると思う。
観客との距離感と同一化において。
物語において主人公は視点であり、観客自身である。だもんでいろいろ不満があったり、理解できるところやできないところがでてくる。『エリザベート』は女が主人公、女(観客)はヒロインに厳しいので、「あたしならあんなことしない!」とか思ったりもする。
ルドルフはヒロインの息子であり、ヒロインのもうひとつの姿である。
ヒロインに対しては厳しく批判的だったりする観客も、ルドルフには視線が優しくなる。
何故か。
彼が、「異性」だからだ。
ストレートに「観客自身」となるヒロインの位置とはちがい、ルドルフは「ヒロインの息子」というワンクッションがある。
観客自身の姿だけど、観客自身ではない。
同じだけど、同じじゃない。
BLの受と同じ。もうひとりのわたしだけど、わたしが恋愛してもいい「異性」である。
自己愛と恋愛が、ひとりの人物でまかなえる存在。
だからこそBLの受は美しくなければならないし(かわいい、でもいいが、とにかく美的価値が必要)、ルドルフは美しくなければならない。
観客の自己愛を満たすために。
四の五理由をつけず、とにかく「かわいそう」と思わせるためには、美しさが必要なのよ。
それが自己愛の一種なんだってことは気づかせず、無責任に「第三者として」眺めさせるためにも。
美しいことが、第一条件。
そーゆー意味で、わたしはひたすら、今回のルドルフに期待していた。
「美しさ」ってのは個人感覚だから、趣味によって変動する価値観なのよね。人間ひとりずつチガウわけだから。
わたしにとっては、ゆうひくんのビジュアルはとてつもなく好みで、そんな彼が「美しくなくてはならない」ルドルフ役をやるというので、心からよろこんだ。
学年的にはありえないから。ルドルフっちゅーのはふつー、もっと若い、青い男の子が演じるべき役だから。
学年がどうあれ、実年齢がどうあれ、ゆうひくんの持ち味はルドルフに合っている。
なによりまず「美しく」、「陰」の魅力を持ち、「破滅」していく「色気」がある。
ゆうひくんの持つ得難い魅力のひとつに、「ゆっくりと壊れていく、アンティーク硝子のお城のよーな色気」がある、と思う。
暗い輝きを放つどこか歪んだ美しい城。はかなく鋭利で、鈍い華美さがあって、それがゆっくりと、壊れていく。闇を含んだ黄昏の色気。
それはべつに、彼が努力で得たものじゃないでしょう。持って生まれたんだよね。それを美しく見せるための努力はしているし、技術も得たのだろうけど、根本は「天分」、持ち味ってやつ。
きらきらした太陽オーラはないけれど、物憂い月の魅力を持つ男。
その持ち味まんまで勝負できる役、ルドルフ。
ただひたすらに。
その美しさを堪能しました。
ええ、そのために取った最前列ですからっ。
トートとルドルフの「闇が広がる」は銀橋の下手からセンターまでしかないんすから! 下手最前列は必須ポイントですよ!!
目の前にルドルフ殿下がいて、くらくらでしたともっ。
意外にガタイがよくて「男」としても素敵なトート閣下が、軍服の殿下を翻弄しちゃうわけですよ。抱きしめちゃうわけですよ。
最後のキスも、したまんまセリ下がりじゃなくて、カオ上げやがるし。トート閣下鬼畜。愛がないわっ(誉め言葉)。
「あの位置から、そこまで見えたんですか」
と、チェリさんにいわれちゃったけど、ええ、なにがなんでも見ますわよ、そのために来たんだからあたしゃ(笑)。
誰より先に観たかった、月組『エリザベート』。
あさこシシィを見たかったのよ。さえトートを見たかったのよ。
そして。
ゆーひルドルフを見たかったの。
きっとこれからどんどんよくなっていくんだと思うよ。
ひとりずつが。
そして組全体が。
初日はなにしろ、握り拳なだけで、クオリティは論外だから(笑)。
そしてルドルフも。
これからどんどん、色気をぶっちぎっていってくれることでしょう。
「ゆうひちゃん、ちゃんとトートのこと愛してましたね」
と、チェリさんは笑って言うし。
ははは。
「人を愛する演技ができない」我らがゆーひくん。誰も愛せないまま、とまどった瞳をしているところも好きよ。
トート閣下にはいちおー愛情が見える(爆裂的に愛してはいない・笑)ので、今後に期待。
美しく、エロく、退廃的に。
わたしを一目惚れさせた「不機嫌な女神」に乾杯。
風花舞サヨナラバウ公演『LAST STEP』で一目惚れして以来。
ゆうひくんの好きなところはいろいろあるけれど、なんといっても「一目惚れ」、つまり外見が好きなんだよな。
美しいから。
そのことを、再確認させられたのが、今回の『エリザベート』。
ごちゃごちゃ言う気はない。
美しいから、それでいい。
わたしは美しいものを見たいのだから。
悲劇の皇太子ルドルフを演じる第一条件は、「美しいこと」だと思っている。
史実がどうだったとか、他の舞台ではどうだったとかは関係ない。
タカラヅカ版のルドルフは、美しくなくてはならない。そーでなければ、存在意義が崩壊する。ヅカでやる意味がない。
多少歌がアレでも演技がありゃりゃでも、なにをさておき美しくなければならないんだ。
それが、タカラヅカ版『エリザベート』における、ルドルフの意味だと思っている。
BL……ボーイズラブ的な自己愛によって。
BLにおいて、多くの場合、読者は受に感情移入する。受は男性でありながら受け身で、愛を精神的・肉体的に受ける者、つまり女性の特質を持つ。
つまり、読者の女性にとって、受とは自分自身でありながらも、恋愛可能な「異性」である。
この距離感がいいんだと思う。
自分自身を愛しながら、同時に「理想の恋人」を愛す。女でありながら男である。
「受の**ちゃんが好き」と思うのは、ほんとーに第三者としてその「**ちゃん」を好きなんだよ。それでありながら、その**ちゃんの物語を読んでいるときは、「**ちゃん」と読者自身がシンクロする。
BLの醍醐味さね。
そして、タカラヅカ版のルドルフ。
彼はこのBLの受と同じ位置にあると思う。
観客との距離感と同一化において。
物語において主人公は視点であり、観客自身である。だもんでいろいろ不満があったり、理解できるところやできないところがでてくる。『エリザベート』は女が主人公、女(観客)はヒロインに厳しいので、「あたしならあんなことしない!」とか思ったりもする。
ルドルフはヒロインの息子であり、ヒロインのもうひとつの姿である。
ヒロインに対しては厳しく批判的だったりする観客も、ルドルフには視線が優しくなる。
何故か。
彼が、「異性」だからだ。
ストレートに「観客自身」となるヒロインの位置とはちがい、ルドルフは「ヒロインの息子」というワンクッションがある。
観客自身の姿だけど、観客自身ではない。
同じだけど、同じじゃない。
BLの受と同じ。もうひとりのわたしだけど、わたしが恋愛してもいい「異性」である。
自己愛と恋愛が、ひとりの人物でまかなえる存在。
だからこそBLの受は美しくなければならないし(かわいい、でもいいが、とにかく美的価値が必要)、ルドルフは美しくなければならない。
観客の自己愛を満たすために。
四の五理由をつけず、とにかく「かわいそう」と思わせるためには、美しさが必要なのよ。
それが自己愛の一種なんだってことは気づかせず、無責任に「第三者として」眺めさせるためにも。
美しいことが、第一条件。
そーゆー意味で、わたしはひたすら、今回のルドルフに期待していた。
「美しさ」ってのは個人感覚だから、趣味によって変動する価値観なのよね。人間ひとりずつチガウわけだから。
わたしにとっては、ゆうひくんのビジュアルはとてつもなく好みで、そんな彼が「美しくなくてはならない」ルドルフ役をやるというので、心からよろこんだ。
学年的にはありえないから。ルドルフっちゅーのはふつー、もっと若い、青い男の子が演じるべき役だから。
学年がどうあれ、実年齢がどうあれ、ゆうひくんの持ち味はルドルフに合っている。
なによりまず「美しく」、「陰」の魅力を持ち、「破滅」していく「色気」がある。
ゆうひくんの持つ得難い魅力のひとつに、「ゆっくりと壊れていく、アンティーク硝子のお城のよーな色気」がある、と思う。
暗い輝きを放つどこか歪んだ美しい城。はかなく鋭利で、鈍い華美さがあって、それがゆっくりと、壊れていく。闇を含んだ黄昏の色気。
それはべつに、彼が努力で得たものじゃないでしょう。持って生まれたんだよね。それを美しく見せるための努力はしているし、技術も得たのだろうけど、根本は「天分」、持ち味ってやつ。
きらきらした太陽オーラはないけれど、物憂い月の魅力を持つ男。
その持ち味まんまで勝負できる役、ルドルフ。
ただひたすらに。
その美しさを堪能しました。
ええ、そのために取った最前列ですからっ。
トートとルドルフの「闇が広がる」は銀橋の下手からセンターまでしかないんすから! 下手最前列は必須ポイントですよ!!
目の前にルドルフ殿下がいて、くらくらでしたともっ。
意外にガタイがよくて「男」としても素敵なトート閣下が、軍服の殿下を翻弄しちゃうわけですよ。抱きしめちゃうわけですよ。
最後のキスも、したまんまセリ下がりじゃなくて、カオ上げやがるし。トート閣下鬼畜。愛がないわっ(誉め言葉)。
「あの位置から、そこまで見えたんですか」
と、チェリさんにいわれちゃったけど、ええ、なにがなんでも見ますわよ、そのために来たんだからあたしゃ(笑)。
誰より先に観たかった、月組『エリザベート』。
あさこシシィを見たかったのよ。さえトートを見たかったのよ。
そして。
ゆーひルドルフを見たかったの。
きっとこれからどんどんよくなっていくんだと思うよ。
ひとりずつが。
そして組全体が。
初日はなにしろ、握り拳なだけで、クオリティは論外だから(笑)。
そしてルドルフも。
これからどんどん、色気をぶっちぎっていってくれることでしょう。
「ゆうひちゃん、ちゃんとトートのこと愛してましたね」
と、チェリさんは笑って言うし。
ははは。
「人を愛する演技ができない」我らがゆーひくん。誰も愛せないまま、とまどった瞳をしているところも好きよ。
トート閣下にはいちおー愛情が見える(爆裂的に愛してはいない・笑)ので、今後に期待。
美しく、エロく、退廃的に。
わたしを一目惚れさせた「不機嫌な女神」に乾杯。
主人公の相手役。@くらわんか
2005年2月7日 タカラヅカ 思いがけず幸福感に酔った、みわっち主演『くらわんか』。
値段で選んでの観劇なので(ヲイ)、日付もキャスティングもぜんぜん選んでいないため、ついにみつると一花ちゃんを一度も見ることができなかったことに心を残しつつ。
貧乏神の貧ちゃんのこと。
わたしが見たビンちゃんは、朝夏まなとと祐澄しゅんのふたり。
えー、その、はっきりいって、美形とは言えない顔立ちのふたりでした。
まなとくんはファニーフェイス。
ビンちゃんは似合っていたが、若旦那はかなり微妙だった。
てゆーかまなとくんて、田畑智子に似てるよね……それって微妙だよね……(笑)。
それでもわたしは好きな顔だけど。
祐澄しゅんくんは、ビンちゃんの扮装も、それほど似合っているとは思えなかった。
フェイスラインのせいかな。
まだふたりとも若いから、これからきっときれいになるんだと思う。
思うけど。
今はまだ、ルックスもお勉強中って感じだ。
だが。
ルックスがどうあれ、ビンちゃんはかわいいのだ。
貧乏神の貧ちゃんは、おそらくきっと、誰が演じても魅力的な役なんだ。
誰もがまず美形度UPして見える髪型。
長髪でぼさぼさなのが、アニメ的なかっこよさになる。
なにしろ他は青天だからねー。
ひとりだけアニメキャラがいたら、そりゃかっこいいよ。
気の弱い、少年風の持ち味の役なので、「男役」の声や立ち居振る舞いができあがってなくてもできる。
主人公と対比する立場と言動。
立ち位置の際立ち方が、わかりやすい魅力になる。
主人公の八五郎が、悪人系ダメ男なので、対するビンちゃんは善人系ダメ男になる。
そう。
ビンちゃんのキャラはずばり、愛くるしい小犬のつぶらな瞳にくらり☆系だ。
捨て犬に「くぅ〜ん」とかなしい声で泣かれ、ついつい抱き上げてしまう、あの感じ。
某金貸しCMのチワワのよーな。
女の子が見て「かわいいっ」と身もだえする、あの感じだよ。
ダーリンとしてときめきはしないけど、そばにおいてかわいがってあげたくなる、愛らしさ。
ヅカの主人公には「ダーリンとしてのときめき」が必要だけど、それは準主役には必須条件じゃない。
「主人公」としての縛りの外にある、「女性の好みの男」の、ひとつの姿がビンちゃんだと思うんだ。
『くらわんか』はとても難しい作品だ。
他はともかく、主役は。
ひとり芝居でもいいくらいに、八五郎役は大変。
ヅカの主役素敵的さをなにひとつ持たない最低男(しかも女の子が嫌いな青天姿)で、ヅカ的主人公を演じなければならないのだから。
八五郎を演じるのははてしなく難しい。
ふつーに「演劇」として成り立つレベルも難しいのに、なおかつ「二枚目」にしなければならないのだから、すげーハードルだ。
が。
準主役のビンちゃんは、「演劇」としてぎりぎり成り立つレベルの芝居さえできれば、あとは魅力を底上げしてくれるキャラなんだ。
つーことで、感心しました、谷先生に。
なんだよ、魅力的なキャラも描けるんじゃん。
いつも人格破綻者しか描かないから、ふつーの人間は描けないのかと思っていたよ@皆殺し作品。
座付き作者たるもの、こーゆー仕事をしなければならないと思う。
まだまだ勉強中の荒削りな若手の魅力を、底上げするキャラクタ。
「ビンちゃんかわいー。演じてた子、なんていう子かしら。要チェックだわ!」
と思わせる力。
ビンちゃんが青天だったり、ゼウス様だったりしないだけでも、センスがいいわ!!
「彼のために登場人物全員殉死する」ほどの超絶魅力的な悲劇のヒーロー、にさえこだわらなければ、まともなものも描ける作家なんだな、谷正純。
そしてやっぱり、男が男に惚れるとゆー、恥ずかしい持ち味は健在なんだな、谷正純。
どうかこの調子で、ビンちゃんのよーな魅力的な準主役の男を描いてくれ。
2番手の役は、重要なんだから。
主役の相手役として!!(断言)
腐女子観点でなくても、2番手役が魅力的なら、作品のクオリティが派手に上昇するからさ。
親友でも恋敵でも悪役でも。
主役の相手役として!!(断言)
そこに腐女子が萌えられる要素が加われば、最強だ。
少年ジャンプが最強なよーにな。
んじゃよろしく!!(誰に?)
値段で選んでの観劇なので(ヲイ)、日付もキャスティングもぜんぜん選んでいないため、ついにみつると一花ちゃんを一度も見ることができなかったことに心を残しつつ。
貧乏神の貧ちゃんのこと。
わたしが見たビンちゃんは、朝夏まなとと祐澄しゅんのふたり。
えー、その、はっきりいって、美形とは言えない顔立ちのふたりでした。
まなとくんはファニーフェイス。
ビンちゃんは似合っていたが、若旦那はかなり微妙だった。
てゆーかまなとくんて、田畑智子に似てるよね……それって微妙だよね……(笑)。
それでもわたしは好きな顔だけど。
祐澄しゅんくんは、ビンちゃんの扮装も、それほど似合っているとは思えなかった。
フェイスラインのせいかな。
まだふたりとも若いから、これからきっときれいになるんだと思う。
思うけど。
今はまだ、ルックスもお勉強中って感じだ。
だが。
ルックスがどうあれ、ビンちゃんはかわいいのだ。
貧乏神の貧ちゃんは、おそらくきっと、誰が演じても魅力的な役なんだ。
誰もがまず美形度UPして見える髪型。
長髪でぼさぼさなのが、アニメ的なかっこよさになる。
なにしろ他は青天だからねー。
ひとりだけアニメキャラがいたら、そりゃかっこいいよ。
気の弱い、少年風の持ち味の役なので、「男役」の声や立ち居振る舞いができあがってなくてもできる。
主人公と対比する立場と言動。
立ち位置の際立ち方が、わかりやすい魅力になる。
主人公の八五郎が、悪人系ダメ男なので、対するビンちゃんは善人系ダメ男になる。
そう。
ビンちゃんのキャラはずばり、愛くるしい小犬のつぶらな瞳にくらり☆系だ。
捨て犬に「くぅ〜ん」とかなしい声で泣かれ、ついつい抱き上げてしまう、あの感じ。
某金貸しCMのチワワのよーな。
女の子が見て「かわいいっ」と身もだえする、あの感じだよ。
ダーリンとしてときめきはしないけど、そばにおいてかわいがってあげたくなる、愛らしさ。
ヅカの主人公には「ダーリンとしてのときめき」が必要だけど、それは準主役には必須条件じゃない。
「主人公」としての縛りの外にある、「女性の好みの男」の、ひとつの姿がビンちゃんだと思うんだ。
『くらわんか』はとても難しい作品だ。
他はともかく、主役は。
ひとり芝居でもいいくらいに、八五郎役は大変。
ヅカの主役素敵的さをなにひとつ持たない最低男(しかも女の子が嫌いな青天姿)で、ヅカ的主人公を演じなければならないのだから。
八五郎を演じるのははてしなく難しい。
ふつーに「演劇」として成り立つレベルも難しいのに、なおかつ「二枚目」にしなければならないのだから、すげーハードルだ。
が。
準主役のビンちゃんは、「演劇」としてぎりぎり成り立つレベルの芝居さえできれば、あとは魅力を底上げしてくれるキャラなんだ。
つーことで、感心しました、谷先生に。
なんだよ、魅力的なキャラも描けるんじゃん。
いつも人格破綻者しか描かないから、ふつーの人間は描けないのかと思っていたよ@皆殺し作品。
座付き作者たるもの、こーゆー仕事をしなければならないと思う。
まだまだ勉強中の荒削りな若手の魅力を、底上げするキャラクタ。
「ビンちゃんかわいー。演じてた子、なんていう子かしら。要チェックだわ!」
と思わせる力。
ビンちゃんが青天だったり、ゼウス様だったりしないだけでも、センスがいいわ!!
「彼のために登場人物全員殉死する」ほどの超絶魅力的な悲劇のヒーロー、にさえこだわらなければ、まともなものも描ける作家なんだな、谷正純。
そしてやっぱり、男が男に惚れるとゆー、恥ずかしい持ち味は健在なんだな、谷正純。
どうかこの調子で、ビンちゃんのよーな魅力的な準主役の男を描いてくれ。
2番手の役は、重要なんだから。
主役の相手役として!!(断言)
腐女子観点でなくても、2番手役が魅力的なら、作品のクオリティが派手に上昇するからさ。
親友でも恋敵でも悪役でも。
主役の相手役として!!(断言)
そこに腐女子が萌えられる要素が加われば、最強だ。
少年ジャンプが最強なよーにな。
んじゃよろしく!!(誰に?)
彼こそが、天使かもしれない。@くらわんか
2005年2月6日 タカラヅカ うろたえるほど、大泣きしました。
花組バウホール公演『くらわんか』、愛音羽麗主演。
らんとむバージョンを観に行き、あまりにおもしろかったので、是が非でもみわっちバージョンも観たくなった。
なまけもので嘘つきでろくでなしの「あんけらそ(阿呆の最上級、という意味らしい)」八五郎と、彼を取り巻く人々の物語。
みんなとびきりバカで、ろくでもない連中ばかり。やることなすこと非生産的。ありえねーくらい、のーみそにシワのない人々が、怒鳴り合いながらも笑って生きている物語。
なにしろらんとむバージョン観て、八五郎の鬼畜ぶりに心が奮えたから!!
盗賊一味の親分ですかい?
下町のアイドルですかい?
登場人物全員「八五郎LOVE」、常識も法律も関係ない、八五郎さえいればそれでヨシ! な世界観。
ここまで愛され切っていて、その愛をいいことに傍若無人な最悪男、他にいたか?
……谷正純作品の主人公って大抵そうなんだけど。主人公は登場人物すべてから愛されて、彼のためにみんなばったばった死んでいく話をえんえん書き続けていたよねえ。全世界から愛されている、そのくせ「孤独な」ヒーローを書くのが谷のライフワーク。
主人公マンセーがお約束の谷正純。
にしても、コレは愉快だ、八五郎。素敵に専制君主、世界の中心。こんなに鬼畜なのに、さわやかに二枚目ぶってるところが、じつにいい。
らんとむは総攻の王様キャラになっていたけど、みわっちならその持ち味からして、同じキャラを演じても総受の女王様キャラになってるんじゃないかしらっ。
わくわくっ。
……期待したほど、受受してはいませんでしたよ。八五郎ってのが攻度高いキャラだからさ。ちっ。 ちっ、てアンタ……。
でもらんとむ八五郎のよーな総攻鬼畜には見えませんでした。
あんなふーな「強い」男の持ち味はないから。
みわっち八五郎に感じたのは、「愛らしさ」だ。
みわっちだから、というわけではないのかもしれない。
なにしろわたしは、この作品を見るのが2回目だ。キャスティングはちがうけど、顔の区別もつかないよーな下級生ばかりの芝居、同じ演目だということの方が強い。
わたしはもともと「笑い」の才能が欠如しており、笑いのツボが大変狭い。逆ツボも多く持ち合わせている。
わざとらしいバカや低脳さ、ひとを傷つけたり騙したりして笑いを取るのは逆ツボ。ひとがひどいめに遭う姿を笑うことはできない。
だから最初に観たときはあちこち引いてもいた。八五郎とその子分たちの低脳ぶりと、悪辣さに。
常識で考えてありえないバカさは、「笑いを取ることだけが目的」で、底が見えて嫌だし、真面目に生きている商人たちから食べ物を騙し取るなど、「人を傷つけて笑いを取る」ことに生理的に許せないものを感じていた。
なにしろ、どんな話で、どんなふーに展開するのか知らないからね。
うわ、ひどいことするなあ。そしてそのひどいことを、笑うんだ……「善いこと」なんだ……ひでえ……。
と、あちこちで素に戻り、「仕方ないか、八五郎は鬼畜なんだし」と、笑うことで納得していた。総攻の鬼畜男は、気に入った美少年を力尽くでモノにしたり金でしばったりといろいろひどいことしても、お約束だもんな。現実にそんな奴いたら許せないけど、BLはファンタジーだからアリよね。……そんなハートさ。
だけど、今回は観るのが2回目。
そーゆー話だとわかったうえで観ている。
だから気にならなかった。
最初に観たときに「ひどい。真面目に働いているふつうの人を騙して、笑うなんて! 人として許せない!」てな逆鱗に触れた部分も、「そーゆー世界観」だとファンタジー・フィルター発動、許容OK。
すると。
うろたえるほど、大泣きしました。
みわっちだからかどうかは、わからない。
らんとむでも、2回目に観たら同じようにハマっていたかもしれない。
わたしに必要だったのは、「そーゆー世界観」だという認識だったわけだから。
泣いた。
『くらわんか』の世界すべて、登場人物すべて、彼らの性格、生き方、人生哲学すべてが、愛しくて愛しくて。
2幕後半はノンストップでだだ泣きしてましたよ。
八五郎が、好きだ。
この男が愛されているのがわかる。
どんなに怠け者でバカな「あんけらそ」であったとしても、この男がたくさんの人から愛され、世界の中心にいるのかがわかる。
救いだからだ。
このややこしい人間社会で。
過酷で汚くてつらい「生きる」という現実で。
いろんなものに足を取られて泥の中で倒れてもがくことすらあきらめたくなる、そんな毎日のなかで。
八五郎は、救いだ。
一条の光だ。
彼は、「怒らない」の。
どれほどとんでもないことになっても、なにが起こっても。罵られても、叱られても。
この世のすべてに、笑って応える。
愛しくてしょうがない、そんなふうに。
いいこともわるいことも。
この世の森羅万象すべてを、愛している。
その度量の広さで受け止め、濾過してくれる。
彼がよくあるタイプの善人なら、こんなに心を揺さぶらなかった。
彼は彼が気持ちいいように勝手に生きているだけなの。ナチュラルなのよ。
ひとを救おうとか世界を救おうとかぜんぜん考えず、自分の目線で生きている。そりゃ作中で人助けもするけどソレ、あくまでも自分のためだし。気の向くままやっているだけだし。
わがままで自分勝手な小悪党なのに。
彼は、ひとを救うんだ。
善人でないからこその、説得力で。
彼が小悪党でよかったよ。
善人だったらとてもそばには寄れない。自分の卑小さや猥雑さが恥ずかしくて。
こんちくしょうな「あんけらそ」だから、気軽に笑って隣にいて、怒鳴りつけたりできるんだ。
彼のいるところは、とても居心地がいいんだ。
なにもかも赦し、愛してしまう彼は、わたしの卑小さも猥雑さも、きっと笑って認めてくれるだろう。
足元を見て丸まった背中を、明るくどやしつけてくれるだろう。
なくしてしまった愛しいモノに、思いがけず再会できた。
そんな感じだ。
八五郎が愛しくてならない。
この男が好きだ。
そして、彼が彼として存在する、この「世界」が好きだ。
攻とか受とか、腐女子ハートぶっ飛ばして(笑)、惹きつけられた。
わーん、たのしかった。
心がふるえて、動いて、だからこそあったかくなって、しあわせでしあわせで、泣きすぎて頭が痛くなったよ(笑)。
いい男だ、八五郎。
愛らしくて、かっこよくて……。
はっ。
これはやはり、魅惑のみわっちにオトされちゃったのかしら、わたしっ?!
花組バウホール公演『くらわんか』、愛音羽麗主演。
らんとむバージョンを観に行き、あまりにおもしろかったので、是が非でもみわっちバージョンも観たくなった。
なまけもので嘘つきでろくでなしの「あんけらそ(阿呆の最上級、という意味らしい)」八五郎と、彼を取り巻く人々の物語。
みんなとびきりバカで、ろくでもない連中ばかり。やることなすこと非生産的。ありえねーくらい、のーみそにシワのない人々が、怒鳴り合いながらも笑って生きている物語。
なにしろらんとむバージョン観て、八五郎の鬼畜ぶりに心が奮えたから!!
盗賊一味の親分ですかい?
下町のアイドルですかい?
登場人物全員「八五郎LOVE」、常識も法律も関係ない、八五郎さえいればそれでヨシ! な世界観。
ここまで愛され切っていて、その愛をいいことに傍若無人な最悪男、他にいたか?
……谷正純作品の主人公って大抵そうなんだけど。主人公は登場人物すべてから愛されて、彼のためにみんなばったばった死んでいく話をえんえん書き続けていたよねえ。全世界から愛されている、そのくせ「孤独な」ヒーローを書くのが谷のライフワーク。
主人公マンセーがお約束の谷正純。
にしても、コレは愉快だ、八五郎。素敵に専制君主、世界の中心。こんなに鬼畜なのに、さわやかに二枚目ぶってるところが、じつにいい。
らんとむは総攻の王様キャラになっていたけど、みわっちならその持ち味からして、同じキャラを演じても総受の女王様キャラになってるんじゃないかしらっ。
わくわくっ。
……期待したほど、受受してはいませんでしたよ。八五郎ってのが攻度高いキャラだからさ。ちっ。 ちっ、てアンタ……。
でもらんとむ八五郎のよーな総攻鬼畜には見えませんでした。
あんなふーな「強い」男の持ち味はないから。
みわっち八五郎に感じたのは、「愛らしさ」だ。
みわっちだから、というわけではないのかもしれない。
なにしろわたしは、この作品を見るのが2回目だ。キャスティングはちがうけど、顔の区別もつかないよーな下級生ばかりの芝居、同じ演目だということの方が強い。
わたしはもともと「笑い」の才能が欠如しており、笑いのツボが大変狭い。逆ツボも多く持ち合わせている。
わざとらしいバカや低脳さ、ひとを傷つけたり騙したりして笑いを取るのは逆ツボ。ひとがひどいめに遭う姿を笑うことはできない。
だから最初に観たときはあちこち引いてもいた。八五郎とその子分たちの低脳ぶりと、悪辣さに。
常識で考えてありえないバカさは、「笑いを取ることだけが目的」で、底が見えて嫌だし、真面目に生きている商人たちから食べ物を騙し取るなど、「人を傷つけて笑いを取る」ことに生理的に許せないものを感じていた。
なにしろ、どんな話で、どんなふーに展開するのか知らないからね。
うわ、ひどいことするなあ。そしてそのひどいことを、笑うんだ……「善いこと」なんだ……ひでえ……。
と、あちこちで素に戻り、「仕方ないか、八五郎は鬼畜なんだし」と、笑うことで納得していた。総攻の鬼畜男は、気に入った美少年を力尽くでモノにしたり金でしばったりといろいろひどいことしても、お約束だもんな。現実にそんな奴いたら許せないけど、BLはファンタジーだからアリよね。……そんなハートさ。
だけど、今回は観るのが2回目。
そーゆー話だとわかったうえで観ている。
だから気にならなかった。
最初に観たときに「ひどい。真面目に働いているふつうの人を騙して、笑うなんて! 人として許せない!」てな逆鱗に触れた部分も、「そーゆー世界観」だとファンタジー・フィルター発動、許容OK。
すると。
うろたえるほど、大泣きしました。
みわっちだからかどうかは、わからない。
らんとむでも、2回目に観たら同じようにハマっていたかもしれない。
わたしに必要だったのは、「そーゆー世界観」だという認識だったわけだから。
泣いた。
『くらわんか』の世界すべて、登場人物すべて、彼らの性格、生き方、人生哲学すべてが、愛しくて愛しくて。
2幕後半はノンストップでだだ泣きしてましたよ。
八五郎が、好きだ。
この男が愛されているのがわかる。
どんなに怠け者でバカな「あんけらそ」であったとしても、この男がたくさんの人から愛され、世界の中心にいるのかがわかる。
救いだからだ。
このややこしい人間社会で。
過酷で汚くてつらい「生きる」という現実で。
いろんなものに足を取られて泥の中で倒れてもがくことすらあきらめたくなる、そんな毎日のなかで。
八五郎は、救いだ。
一条の光だ。
彼は、「怒らない」の。
どれほどとんでもないことになっても、なにが起こっても。罵られても、叱られても。
この世のすべてに、笑って応える。
愛しくてしょうがない、そんなふうに。
いいこともわるいことも。
この世の森羅万象すべてを、愛している。
その度量の広さで受け止め、濾過してくれる。
彼がよくあるタイプの善人なら、こんなに心を揺さぶらなかった。
彼は彼が気持ちいいように勝手に生きているだけなの。ナチュラルなのよ。
ひとを救おうとか世界を救おうとかぜんぜん考えず、自分の目線で生きている。そりゃ作中で人助けもするけどソレ、あくまでも自分のためだし。気の向くままやっているだけだし。
わがままで自分勝手な小悪党なのに。
彼は、ひとを救うんだ。
善人でないからこその、説得力で。
彼が小悪党でよかったよ。
善人だったらとてもそばには寄れない。自分の卑小さや猥雑さが恥ずかしくて。
こんちくしょうな「あんけらそ」だから、気軽に笑って隣にいて、怒鳴りつけたりできるんだ。
彼のいるところは、とても居心地がいいんだ。
なにもかも赦し、愛してしまう彼は、わたしの卑小さも猥雑さも、きっと笑って認めてくれるだろう。
足元を見て丸まった背中を、明るくどやしつけてくれるだろう。
なくしてしまった愛しいモノに、思いがけず再会できた。
そんな感じだ。
八五郎が愛しくてならない。
この男が好きだ。
そして、彼が彼として存在する、この「世界」が好きだ。
攻とか受とか、腐女子ハートぶっ飛ばして(笑)、惹きつけられた。
わーん、たのしかった。
心がふるえて、動いて、だからこそあったかくなって、しあわせでしあわせで、泣きすぎて頭が痛くなったよ(笑)。
いい男だ、八五郎。
愛らしくて、かっこよくて……。
はっ。
これはやはり、魅惑のみわっちにオトされちゃったのかしら、わたしっ?!
だらだら。はふー。@エリザベート
2005年2月5日 タカラヅカ 舞台の上も、客席も、ものすげー緊張感に満ちていた、月組公演『エリザベート』。
タカラヅカはいいとこだなあ、と思うよ。
ファンで埋まった劇場は、「娘の発表会を見守る父兄ハート」なんだもの。
さえちゃん、歌えるのかしら。あさこ、女になれるのかしら。……がんばるさえちゃん。がんばるあさちゃん、に、ファンは涙と拍手を惜しみません。
そーゆー世界であるところのタカラヅカが、大好きだー。
この殺伐とした現代に、「結果より、努力。結果より、心」の空間があってもいいじゃないか。
……もちろん、そればっかでもこまるんだけどな(どっちやねん)。
さて、とにかく初日はその熱気ゆえに冷静な判断はできない、ことを先に断った上で、だらだら感想いってみよー。
とりあえずトートがシシィを愛していることがよくわかり、彼女の言動にいちいち傷つくトート閣下は、大変美味でした。うまうま。
そーよねー、繊細さこそがさえちゃんの武器よね。センシティヴ・トート閣下か、いいじゃんソレも。
反対に、あさこシシィは、その野性味あふれるところが魅力かと。
ひとりで十分強くたくましく生きていけそうな、なよなよしてないしぶりっこもしていない、等身大の女性としてアリだと思う。
そりゃこんな女だったら、宮廷で人形になれ、なんて言われも反発するだろーよ……。
フランツ@ガイチは……ええっと。
フランツってのは難しい役なんだなと痛感した。
個人的に、いちばんダメダメだったのが皇帝陛下。
絵に描いた餅っちゅーか、まさに「宮廷の人形」状態。
妻のことも愛してないし、息子のことも愛していないよーに見えた……。歌はすばらしかったんだけどなー。
フランツを演じるうえで必要なのは、歌唱力よりも気品よりも美貌よりも、愛がだだ漏れに見えまくる演技なんじゃないかと。
愛が見えないままで演じられると、きつい役だったんだ……忘れてたよー(某組の某フランツが、愛が見えなくてつらかった記憶を思い出してしまったらしいよ、こあらさんてば)。
ルキーニ@きりやんは、とても堅実に狂言回し。うまいんだけど、あまり視界に入ってこない。
ゾフィー@ちずさんは納得の歌声。されど役としてどうなんだろ? ちずさんらしさはまだ感じられず。「ゾフィー」っていう型のまんまみたいだ。
うまい人なだけに、見事に型をコピーしちゃうのかしら。
ひそかに期待していたツェップス@越リュウの、あの枯れっぷりはなんなんですか。
花組のちはる兄貴があまり艶っぽかったので、それを期待していたのよ。
越リュウ、登場当初からじじいやん……。
フェロモンおやぢで登場してくれなきゃいやーん。眼鏡がエロさ跳ね上げてます、な知的紳士でなきゃいやーん。
エルマーあたり食ってるよね? と思わせるエロさを備えててくれなきゃいやーん(笑)。
そのエルマー@さららんですが。
なんか最近わたし、さららん見ると笑いがこみ上げてくるせいもあり、やたらツボりました。
なんなの、ひとりだけその濃さは。
現代劇の中でひとりだけ時代劇やっているよーな、周囲を顧みない濃い〜〜演技。
しかも、オレって超絶イケてるっ、苦悩するオレ様ってセクスィ〜〜っ!! と陶酔しちゃってる感じがまた、すばらしい!
いいぞさららん、そーゆー芸風はじつに好みだ!
ヅカの男役はクサくてなんぼよー、がんばれー。ま、あまり自爆しない程度にな(笑)。
でもってエルマーを含むハンガリー青年団なんですけど。
エルマー@さららん、ジュラ@めおちゃんでしょ、あれえ? シュテファン役って、誰だ? わたしの知らない男役だわ。
1列目ですよ。下手だから、ハンガリー青年団はいつも目の前ですよ。
なのにマジで、わかんなかった。
シュテファン役、誰か知らないけど、かっこいー(はぁと)。
若手男役かなあ。顔のわからない男役、あのへんの番手で誰がいたっけか。
あのへんの番手といえば、そーいやほっくん、なんの役してるのかな。たしかさっき舞踏会のシーンにいたけど。まさか出番あれだけじゃないだろうし、なにやってんだろ? 舞踏会の客だったってことは、黒天使じゃないわけだし。
え?
………………え?
ほっくん??
シュテファン@ほっくんなんですかっ?!!
素でかっこいいと思ってしまった……ぐはぁ。
で、でも、かっこいいよね?
チェリさんkineさんに同意を求めたけど、言葉を濁されてしまったよ。
「髪型が、いつもとちがいましたね」って。
髪型か? 髪型のせいで、あんなにかっこよく見えたの??
なんにせよ、たのむほっくん、美しくなってくれ。
君に必要なのは美貌と華だけだ。世界の平和のために、美しくなってくれ。
ヴィンディッシュ嬢@たまこも、期待を裏切らないせつない姿。ごついエリザベートに対峙する姿のはかなさがいいねえ。
リヒテンシュタイン@るいるいの、美しいこと。
彼女は若いきゃぴきゃぴ娘より、こーゆー大人の女の方がいい味出すよね。アニメ声も抑えられるし。
さて。
文字数もあんましないので、そろそろエロキャラ語りいっときましょー。
まず、マデレーネ@あいちゃん!!
バスタブから立ち上がる瞬間、あたしゃ鼻血吹くかと思いましたよ。
エロいのなんのって!
あの水色のチュチュの下、水色のパンツと、水色の網タイツ履いてやがるんですよ、あのお嬢さんってばっ。
なんつーかね、下半身そのまま見せられているよーで、焦った。
パンツがタイツと同系色なのがイカンのかしらね。ぶっちゃけノーパンに見えて、びびった。
顔が無表情きわまりなく、なんの情感もないだけに、カラダのエロさがちぐはぐでね……そこがまた。たまらん。ハァハァ。
今までいちばん美しいあいちゃんが、そこに。
黒天使のときも、そのアンドロイドめいた美貌が冴え渡ってるのよ。まさに美少年って感じ。
トート閣下と思い切り絡んでくれねーかな……めちゃくちゃ耽美だと思うんですけど。
そして最後に、わたし的この公演最大の目玉、ルドルフ@ゆーひ!!
ゆひルドのためにこまで燃えたといっても過言ではないぞ、さえゆひをこの目で見るんだっ、という飽くなき情熱! この欲望っ。
わたしにさえことゆーひの「闇が広がる」を見せろ〜〜っ、がるがる。
なにがなんでも最前列チケ取るぞ、「闇が広がる」をかぶりつきで見るぞっ、鼻息ッ!
てな期待をこめた、耽美配役。
ルドルフ@ゆーひ。
……しかしもう文字数がないや。またいずれっ。
タカラヅカはいいとこだなあ、と思うよ。
ファンで埋まった劇場は、「娘の発表会を見守る父兄ハート」なんだもの。
さえちゃん、歌えるのかしら。あさこ、女になれるのかしら。……がんばるさえちゃん。がんばるあさちゃん、に、ファンは涙と拍手を惜しみません。
そーゆー世界であるところのタカラヅカが、大好きだー。
この殺伐とした現代に、「結果より、努力。結果より、心」の空間があってもいいじゃないか。
……もちろん、そればっかでもこまるんだけどな(どっちやねん)。
さて、とにかく初日はその熱気ゆえに冷静な判断はできない、ことを先に断った上で、だらだら感想いってみよー。
とりあえずトートがシシィを愛していることがよくわかり、彼女の言動にいちいち傷つくトート閣下は、大変美味でした。うまうま。
そーよねー、繊細さこそがさえちゃんの武器よね。センシティヴ・トート閣下か、いいじゃんソレも。
反対に、あさこシシィは、その野性味あふれるところが魅力かと。
ひとりで十分強くたくましく生きていけそうな、なよなよしてないしぶりっこもしていない、等身大の女性としてアリだと思う。
そりゃこんな女だったら、宮廷で人形になれ、なんて言われも反発するだろーよ……。
フランツ@ガイチは……ええっと。
フランツってのは難しい役なんだなと痛感した。
個人的に、いちばんダメダメだったのが皇帝陛下。
絵に描いた餅っちゅーか、まさに「宮廷の人形」状態。
妻のことも愛してないし、息子のことも愛していないよーに見えた……。歌はすばらしかったんだけどなー。
フランツを演じるうえで必要なのは、歌唱力よりも気品よりも美貌よりも、愛がだだ漏れに見えまくる演技なんじゃないかと。
愛が見えないままで演じられると、きつい役だったんだ……忘れてたよー(某組の某フランツが、愛が見えなくてつらかった記憶を思い出してしまったらしいよ、こあらさんてば)。
ルキーニ@きりやんは、とても堅実に狂言回し。うまいんだけど、あまり視界に入ってこない。
ゾフィー@ちずさんは納得の歌声。されど役としてどうなんだろ? ちずさんらしさはまだ感じられず。「ゾフィー」っていう型のまんまみたいだ。
うまい人なだけに、見事に型をコピーしちゃうのかしら。
ひそかに期待していたツェップス@越リュウの、あの枯れっぷりはなんなんですか。
花組のちはる兄貴があまり艶っぽかったので、それを期待していたのよ。
越リュウ、登場当初からじじいやん……。
フェロモンおやぢで登場してくれなきゃいやーん。眼鏡がエロさ跳ね上げてます、な知的紳士でなきゃいやーん。
エルマーあたり食ってるよね? と思わせるエロさを備えててくれなきゃいやーん(笑)。
そのエルマー@さららんですが。
なんか最近わたし、さららん見ると笑いがこみ上げてくるせいもあり、やたらツボりました。
なんなの、ひとりだけその濃さは。
現代劇の中でひとりだけ時代劇やっているよーな、周囲を顧みない濃い〜〜演技。
しかも、オレって超絶イケてるっ、苦悩するオレ様ってセクスィ〜〜っ!! と陶酔しちゃってる感じがまた、すばらしい!
いいぞさららん、そーゆー芸風はじつに好みだ!
ヅカの男役はクサくてなんぼよー、がんばれー。ま、あまり自爆しない程度にな(笑)。
でもってエルマーを含むハンガリー青年団なんですけど。
エルマー@さららん、ジュラ@めおちゃんでしょ、あれえ? シュテファン役って、誰だ? わたしの知らない男役だわ。
1列目ですよ。下手だから、ハンガリー青年団はいつも目の前ですよ。
なのにマジで、わかんなかった。
シュテファン役、誰か知らないけど、かっこいー(はぁと)。
若手男役かなあ。顔のわからない男役、あのへんの番手で誰がいたっけか。
あのへんの番手といえば、そーいやほっくん、なんの役してるのかな。たしかさっき舞踏会のシーンにいたけど。まさか出番あれだけじゃないだろうし、なにやってんだろ? 舞踏会の客だったってことは、黒天使じゃないわけだし。
え?
………………え?
ほっくん??
シュテファン@ほっくんなんですかっ?!!
素でかっこいいと思ってしまった……ぐはぁ。
で、でも、かっこいいよね?
チェリさんkineさんに同意を求めたけど、言葉を濁されてしまったよ。
「髪型が、いつもとちがいましたね」って。
髪型か? 髪型のせいで、あんなにかっこよく見えたの??
なんにせよ、たのむほっくん、美しくなってくれ。
君に必要なのは美貌と華だけだ。世界の平和のために、美しくなってくれ。
ヴィンディッシュ嬢@たまこも、期待を裏切らないせつない姿。ごついエリザベートに対峙する姿のはかなさがいいねえ。
リヒテンシュタイン@るいるいの、美しいこと。
彼女は若いきゃぴきゃぴ娘より、こーゆー大人の女の方がいい味出すよね。アニメ声も抑えられるし。
さて。
文字数もあんましないので、そろそろエロキャラ語りいっときましょー。
まず、マデレーネ@あいちゃん!!
バスタブから立ち上がる瞬間、あたしゃ鼻血吹くかと思いましたよ。
エロいのなんのって!
あの水色のチュチュの下、水色のパンツと、水色の網タイツ履いてやがるんですよ、あのお嬢さんってばっ。
なんつーかね、下半身そのまま見せられているよーで、焦った。
パンツがタイツと同系色なのがイカンのかしらね。ぶっちゃけノーパンに見えて、びびった。
顔が無表情きわまりなく、なんの情感もないだけに、カラダのエロさがちぐはぐでね……そこがまた。たまらん。ハァハァ。
今までいちばん美しいあいちゃんが、そこに。
黒天使のときも、そのアンドロイドめいた美貌が冴え渡ってるのよ。まさに美少年って感じ。
トート閣下と思い切り絡んでくれねーかな……めちゃくちゃ耽美だと思うんですけど。
そして最後に、わたし的この公演最大の目玉、ルドルフ@ゆーひ!!
ゆひルドのためにこまで燃えたといっても過言ではないぞ、さえゆひをこの目で見るんだっ、という飽くなき情熱! この欲望っ。
わたしにさえことゆーひの「闇が広がる」を見せろ〜〜っ、がるがる。
なにがなんでも最前列チケ取るぞ、「闇が広がる」をかぶりつきで見るぞっ、鼻息ッ!
てな期待をこめた、耽美配役。
ルドルフ@ゆーひ。
……しかしもう文字数がないや。またいずれっ。
ある意味スポーツ観戦。麗しのかの君にきゃーきゃー。@エリザベート
2005年2月4日 タカラヅカ きゃー・きゃー・きゃー。
緑野、回っております。
くるくる回っております。
月組公演『エリザベート』初日。
幕間からすでにわたしゃ、きゃーきゃー騒いでました。
終演後も黄色い声を張り上げてました。
仲間内で。
チェリさんとkineさん相手に。
きゃー・きゃー・きゃー。
さえちゃん、素敵っっ!!
たぶんわたしは、1年分のチケット運を使い果たしたと思います。
何故かこの日、わたしは最前列にいました。
いつもの下手タケノコ。
ええ、「闇が広がる」をかじりつきで見られる席@花組『エリザ』で実証済みですわ!
ほほほ、タケノコとはいえいちばん中寄り、隣の席はすでに1万円のSS席、しかも「1列目」とは名ばかりの2列目、なのにわたしの席は7500円で最前列なのよー、こっちの方がずーっといいもんねー(宙組でSS1列目に坐ってろくに見えなかったことを、まだ根に持っているらしいよ)。
千秋楽よりなにより、いちばん観たかった、月『エリザ』初日!!
それを自力で手に入れられる最高峰の席で観られるなんて。
きゃっほう。
あ、のちになってさえちゃんの退団発表があったので、千秋楽も絶対行きたい日になりましたけど、最初の段階では、初日が最重要だった、わたし的に。
絵の中から出てくる少女シシィ@あさこを、誰よりも先に見るというのが、なによりの希望だったのよ(笑)。
最前列で、どきどきの初日。
出し物は歌劇団あげてのキワモノ『エリザベート』。
たのしみでたのしみでしょーがなかったってば。
すばらしかったです。
わたしはときめきっぱなしでした。
どーしよーってくらい、どきどきした。
だってだって、トート@さえちゃんが、あまりに美しいんだもの!!
さえちゃんだから、美しいことは予想していた。つか、期待していた。
でも期待以上。
ほんとにきれい……。
腰まである長い髪、無垢な表情。闇に歪んでいよーと、無垢なのよ。不器用な男の子。
さらにポイントは、トート様がけっこーでかくてごついことかしらねっ。鼻息。
銀橋歩かれちゃうと、目と鼻の先なわけですよ。
そのカラダが、「血肉を持った存在」として、鼻先を歩いていくわけですよ。
この世のモノとは思えないキレイキレイなだけの中性フェアリーさんだと、ここまでときめかなかった。
ちゃんと「男の肉体」を持ちながら、あれほどまでに美しく、無垢であること。
それにときめいたの。
めろめろ〜〜。
やっぱさ、こちとら女だからさ、「あのたくましい胸に抱きしめられたい」とかゆーキモチはあるわけよ。恋愛モード、ヲトメモードにはね。
あまりに華奢でオンナオンナした男には、そーゆーキモチになれないじゃない。
トートという役は中性でもいい役だとは思うけど、ちゃんと「男のカラダ」があってももちろんいいと思うのよ。
どこかに「男」を感じさせるからこそ、よりその存在と、彼の恋の禁忌が際立つというか。
さえちゃんの中性的な魅力と美しさ、それと相反するよーな男っぽいガタイ、が、たまりません。
ハァハァ。
ビジュアルがあまりに好みなので、あとは全部吹っ飛びました(笑)。
歌も台詞も、いつ消えてしまうかとハラハラするよーな、あのかすれ声がいいんですよ(笑)。
もちろん、歌がうまいなんてカケラも思わないし、時折苦笑しつつ観てたけどさ。
さえちゃん的にすっげーうまくなってたから、それ以上は言うまい。
努力と覚悟が見えるから、それでいいの〜〜。
さて。
もうひとりの主役、エリザベート@あさこさんですが。
えー、最初の「絵の中から出てくるシーン」。
わたしゃめーっちゃ素で、
あれ? 15歳のシシィ役って、子役だっけ?
と思った。
あさこ本人だとは、思わなかった。
えええっ?!
かっ、かわいいんですけどっ?!
うろたえ。
ネタ公演だと思ってたのに。
劇団の捨て身のギャグだと思ってたのに。
マジだったんだ……。
少なくとも、あさこは。
ネタでもギャグでもなく、あさちゃんは本気で挑んでました。娘役の集大成ともいえる、エリザベート役に。
スカーレットやって、オカマのゴジラでしかなかった、あのあさこが。
ここまで、エリザベートを演じてのけるなんて。
ちゃんと女になってました。
少女時代はかわいいし、フランツに恋したのも、フランツ本人にではなく「夢の王子様が喋ってる〜〜ぽわわん」って感じでひとの話聞いてね〜〜! なところも、チャーミングだった。
ちゃんと女に見える。……それだけでおどろきなんだから、すごいキャスティングだよ、ほんと。
そりゃまあ、正直「美しい」かどうかは、わたしにはよくわからなかったけど。
だって「美しい」「美貌の皇后」というには、ごつすぎて……ゲフンゲフン。
肩幅旦那より広いし、ウエストはまちがいなく息子(成人後)よりたくましいし。
「美しい」かどうかはわからなくても、「きれい」で、「かわいい」のはたしかよ。
だってエリザベートは、いつも抜き身の剣のように、追いつめられた真剣さが輝いているんだもの。
わたしが初日を好きなのは、こーゆーことがあるからだ。
格別の空気。
張りつめた緊張感。
舞台の上と客席が一体となる時間。
観客は、あさこの一挙手一投足を固唾をのんで見守っていたよ。
あさこもまた、痛々しいまでの悲壮感を漂わせて、それでも活き活きと舞台の上にいたよ。
できるわけない。
ありえない。
とてつもないハードルを目の前に積まれて、それでも壁に爪立てて歯を食いしばって、乗り越える。
すげえ。
人間って、こんなことができてしまうもんなの?
だって、あれだけのハードルだよ? ふつー無理だって、絶対!!
不可能を、自分の力で可能にする、その精神力。
肉体の鍛錬も、精神力あってこそ。
作品の重み、役割の重み、あらゆるプレッシャー、それらを全部受け止め、背負い、ここにいる。
逃げ出さずに、戦っている。
その姿に。
感動した。
技術じゃない。主役ふたりは歌も決してうまくないし(「私だけに」のクライマックス、あさこシシィに変なトコで息継ぎされて椅子から落ちそーになった・笑)、舞台として『エリザベート』という作品としてどうなのかは、初日のあの空気ではまったくわからない。
ただ、そんなもん棚上げしていい空間だった。
高校球児に拍手を送る観客のよーなもんさ。
よくやった! たった1回限りの試合。負けたらソコで終わりのトーナメント、あとのない崖っぷち、よくぞ戦い抜いた!!
見守る者と戦う者の、あの空気、あの空間。
それゆえにトートにときめき、シシィにエールを送ったよ。
緑野、回っております。
くるくる回っております。
月組公演『エリザベート』初日。
幕間からすでにわたしゃ、きゃーきゃー騒いでました。
終演後も黄色い声を張り上げてました。
仲間内で。
チェリさんとkineさん相手に。
きゃー・きゃー・きゃー。
さえちゃん、素敵っっ!!
たぶんわたしは、1年分のチケット運を使い果たしたと思います。
何故かこの日、わたしは最前列にいました。
いつもの下手タケノコ。
ええ、「闇が広がる」をかじりつきで見られる席@花組『エリザ』で実証済みですわ!
ほほほ、タケノコとはいえいちばん中寄り、隣の席はすでに1万円のSS席、しかも「1列目」とは名ばかりの2列目、なのにわたしの席は7500円で最前列なのよー、こっちの方がずーっといいもんねー(宙組でSS1列目に坐ってろくに見えなかったことを、まだ根に持っているらしいよ)。
千秋楽よりなにより、いちばん観たかった、月『エリザ』初日!!
それを自力で手に入れられる最高峰の席で観られるなんて。
きゃっほう。
あ、のちになってさえちゃんの退団発表があったので、千秋楽も絶対行きたい日になりましたけど、最初の段階では、初日が最重要だった、わたし的に。
絵の中から出てくる少女シシィ@あさこを、誰よりも先に見るというのが、なによりの希望だったのよ(笑)。
最前列で、どきどきの初日。
出し物は歌劇団あげてのキワモノ『エリザベート』。
たのしみでたのしみでしょーがなかったってば。
すばらしかったです。
わたしはときめきっぱなしでした。
どーしよーってくらい、どきどきした。
だってだって、トート@さえちゃんが、あまりに美しいんだもの!!
さえちゃんだから、美しいことは予想していた。つか、期待していた。
でも期待以上。
ほんとにきれい……。
腰まである長い髪、無垢な表情。闇に歪んでいよーと、無垢なのよ。不器用な男の子。
さらにポイントは、トート様がけっこーでかくてごついことかしらねっ。鼻息。
銀橋歩かれちゃうと、目と鼻の先なわけですよ。
そのカラダが、「血肉を持った存在」として、鼻先を歩いていくわけですよ。
この世のモノとは思えないキレイキレイなだけの中性フェアリーさんだと、ここまでときめかなかった。
ちゃんと「男の肉体」を持ちながら、あれほどまでに美しく、無垢であること。
それにときめいたの。
めろめろ〜〜。
やっぱさ、こちとら女だからさ、「あのたくましい胸に抱きしめられたい」とかゆーキモチはあるわけよ。恋愛モード、ヲトメモードにはね。
あまりに華奢でオンナオンナした男には、そーゆーキモチになれないじゃない。
トートという役は中性でもいい役だとは思うけど、ちゃんと「男のカラダ」があってももちろんいいと思うのよ。
どこかに「男」を感じさせるからこそ、よりその存在と、彼の恋の禁忌が際立つというか。
さえちゃんの中性的な魅力と美しさ、それと相反するよーな男っぽいガタイ、が、たまりません。
ハァハァ。
ビジュアルがあまりに好みなので、あとは全部吹っ飛びました(笑)。
歌も台詞も、いつ消えてしまうかとハラハラするよーな、あのかすれ声がいいんですよ(笑)。
もちろん、歌がうまいなんてカケラも思わないし、時折苦笑しつつ観てたけどさ。
さえちゃん的にすっげーうまくなってたから、それ以上は言うまい。
努力と覚悟が見えるから、それでいいの〜〜。
さて。
もうひとりの主役、エリザベート@あさこさんですが。
えー、最初の「絵の中から出てくるシーン」。
わたしゃめーっちゃ素で、
あれ? 15歳のシシィ役って、子役だっけ?
と思った。
あさこ本人だとは、思わなかった。
えええっ?!
かっ、かわいいんですけどっ?!
うろたえ。
ネタ公演だと思ってたのに。
劇団の捨て身のギャグだと思ってたのに。
マジだったんだ……。
少なくとも、あさこは。
ネタでもギャグでもなく、あさちゃんは本気で挑んでました。娘役の集大成ともいえる、エリザベート役に。
スカーレットやって、オカマのゴジラでしかなかった、あのあさこが。
ここまで、エリザベートを演じてのけるなんて。
ちゃんと女になってました。
少女時代はかわいいし、フランツに恋したのも、フランツ本人にではなく「夢の王子様が喋ってる〜〜ぽわわん」って感じでひとの話聞いてね〜〜! なところも、チャーミングだった。
ちゃんと女に見える。……それだけでおどろきなんだから、すごいキャスティングだよ、ほんと。
そりゃまあ、正直「美しい」かどうかは、わたしにはよくわからなかったけど。
だって「美しい」「美貌の皇后」というには、ごつすぎて……ゲフンゲフン。
肩幅旦那より広いし、ウエストはまちがいなく息子(成人後)よりたくましいし。
「美しい」かどうかはわからなくても、「きれい」で、「かわいい」のはたしかよ。
だってエリザベートは、いつも抜き身の剣のように、追いつめられた真剣さが輝いているんだもの。
わたしが初日を好きなのは、こーゆーことがあるからだ。
格別の空気。
張りつめた緊張感。
舞台の上と客席が一体となる時間。
観客は、あさこの一挙手一投足を固唾をのんで見守っていたよ。
あさこもまた、痛々しいまでの悲壮感を漂わせて、それでも活き活きと舞台の上にいたよ。
できるわけない。
ありえない。
とてつもないハードルを目の前に積まれて、それでも壁に爪立てて歯を食いしばって、乗り越える。
すげえ。
人間って、こんなことができてしまうもんなの?
だって、あれだけのハードルだよ? ふつー無理だって、絶対!!
不可能を、自分の力で可能にする、その精神力。
肉体の鍛錬も、精神力あってこそ。
作品の重み、役割の重み、あらゆるプレッシャー、それらを全部受け止め、背負い、ここにいる。
逃げ出さずに、戦っている。
その姿に。
感動した。
技術じゃない。主役ふたりは歌も決してうまくないし(「私だけに」のクライマックス、あさこシシィに変なトコで息継ぎされて椅子から落ちそーになった・笑)、舞台として『エリザベート』という作品としてどうなのかは、初日のあの空気ではまったくわからない。
ただ、そんなもん棚上げしていい空間だった。
高校球児に拍手を送る観客のよーなもんさ。
よくやった! たった1回限りの試合。負けたらソコで終わりのトーナメント、あとのない崖っぷち、よくぞ戦い抜いた!!
見守る者と戦う者の、あの空気、あの空間。
それゆえにトートにときめき、シシィにエールを送ったよ。
色は秘密。@王家に捧ぐ歌
2005年2月3日 タカラヅカ あ、そーだ。
恒例のパンツ・チェックしてきました。
いや、わたし的に、前方席に坐ったときは娘役のパンチラを堪能するというテーマがありまして。
中日、『王家に捧ぐ歌』。
わたしの自慢は、
「トウコちゃんのパンツ見たっ!」
ですよ。
なんで自慢かとゆーと、
「ええっ?! トウコちゃんはきれーにスカートさばいてて、ぜんぜん見せてくれなかったよ? なのに見えたの?!」
と、トウコファンのBe-Puちゃんがくやしがったからですよ。
ふふふ、わたしは見たもんねー。
フィナーレの脚線美トウコ姫のぱんつ。
反対に、まったくもって値打ちがないのが、ウメちゃんのパンツ。
「ウメちゃん、パンツ見せすぎ」
「ありがたみないよね、アレは」
「あんなに威勢よくばっさばっさスカート振られてもなー……パンツはこう、ちらっちらっと見えるか見えないかだからいいのであって、まんま見せられてもなー」
娘たちのパンツの話題に花が咲く帰り道@飲酒中。
恒例のパンツ・チェックしてきました。
いや、わたし的に、前方席に坐ったときは娘役のパンチラを堪能するというテーマがありまして。
中日、『王家に捧ぐ歌』。
わたしの自慢は、
「トウコちゃんのパンツ見たっ!」
ですよ。
なんで自慢かとゆーと、
「ええっ?! トウコちゃんはきれーにスカートさばいてて、ぜんぜん見せてくれなかったよ? なのに見えたの?!」
と、トウコファンのBe-Puちゃんがくやしがったからですよ。
ふふふ、わたしは見たもんねー。
フィナーレの脚線美トウコ姫のぱんつ。
反対に、まったくもって値打ちがないのが、ウメちゃんのパンツ。
「ウメちゃん、パンツ見せすぎ」
「ありがたみないよね、アレは」
「あんなに威勢よくばっさばっさスカート振られてもなー……パンツはこう、ちらっちらっと見えるか見えないかだからいいのであって、まんま見せられてもなー」
娘たちのパンツの話題に花が咲く帰り道@飲酒中。
……が、いない世界。@王家に捧ぐ歌
2005年2月3日 タカラヅカ 中日『王家に捧ぐ歌』の感想つづき。
ケロファンのわたしが言うのもなんですが。
ウバルドがうるさくないと、ここまで「3人の物語」なんだ、この話!!(笑)
ウバルド@まとぶんは、ふつーに熱演してました。なにが足りないわけでもなく、手堅く。
不思議だったのは、ウバルドを含むエチオピア野郎トリオの、キャラがぜんぜん立っていなかったこと。
ムラ初日を観たときすでに、エチ野郎トリオはすっげーキャラ立ってて、立ち見のいちばん後ろから見たにもかかわらず、萌えたんだけど。
中日のトリオも、まとぶ、ゆかり、しゅん、と、「うわっ、適材適所、見てみてえ」と思わせるナイスなキャスティングなのに。
ここまでキャラが立ってないってのは、どういうこと?
オペラなしで見た16列目昼公演も、舞台が目の前だ3列目で見た夜公演も、等しくキャラクタが混沌としていた。
いつも3人で出てきて、3人ではける。これでキャラが立たないと、「3人でひとり」勘定になってしまう……。
印象としては、カマンテが3人いる。
てゆーか、ウバルドがいない。
いや、きっとこれがふつうなんだ。
本来のウバルドは、これくらいの濃さなんだ。ケロがやりすぎていただけで。
ウバルドは出過ぎず、うるさくなく、物語はラダメスとアイーダ、アムネリスの3人を中心に進む。きっとこれが、本来の姿なんだろう。
エチ野郎共が薄くなった分、不思議と濃いのがエジプト青年コンビ。
ケペル@嶺恵斗、メレルカ@みらんのキャラは、アレはいったいなんなんだ(笑)。
「で、おかっちのケペルはどうだったんですか」
とチェリさんに聞かれ、わたしはどう答えたもんか、と首をひねった。
「おおむね、本公演と同じです。ケペルはまっすぐで激しくて……でも。なんかところどころ、みょーに邪悪なんですけど」
そう説明した途端、チェリさんは腹を抱えて爆笑した。
「さすがおかっち!!」
と。
エジプトコンビもまた、本公演のキャラを踏襲しようとしているのだとは思う。役替わりキャラを見回しても、別キャラを仕立てている人がいないので、演出家の方針なのかもしれない。
てゆーかケペルとメレルカって、役者個人の色をそのまま映す役だよねえ?
ケペルがまっすぐすぎる善良な男だったのは、アレはまんましいちゃんのキャラ。
中日の恵斗くんも、心の動き等しいちゃんと同じよーに作っていると思う。
だから、生き方を変えたラダメスにショックを受けるのも、裏切りに激昂するのも、本公演と同じ。
されど。
嶺恵斗の場合、彼の持ち味である「邪悪さ」があちこちで透けて見えているから!!(笑)
なんか、同じなのに同じに見えないのよーっ(笑)。
なまじ同じよーに作っているだけに、どんどんかけ離れてきている感じが、笑えるというか愛しいというか。
みらんくんも「黒さ」をふつーに持ち合わせているので、若さと熱さのなかにちらちらと「黒さ」をにじませるのが素敵。
「黒い」ということは、「ニヒル」だったり「翳り」だったりして、男前度をアップさせる要因だからね。
本公演時のエジプトコンビは、陰と陽でいえば「陽」の役者が演じていたのに、中日ではそろって「陰」。
同じ役作りでもちがって見える、この微妙さ加減がツボです。
さて。
「アイーダ@トウコがすっごくかわいく見える……大劇の最初の方はオカマだったのに」
と、本音でつぶやいたら、
「なんだと?」
と血相を変えたトウコファンのBe-Puちゃんに、往復ビンタ×3されました。
あうっあうっあうっ。
えー、殴るふりをされたら、殴られるふりをする。
往復ビンタ×3の場合は、首を左右に振り続ける。
これは全国共通ですよね?
Be-Puちゃんにはよく殴られるんですけど。「このっこのっこのっ」と往復ビンタのふりをする彼女のもとで、「きゃーきゃーきゃー」と殴られるふりをするのが日常と化しています。
ちなみに、ふたりの身長差はすごいです。ちっこいのがでっかいのをがんばって殴ってます。
思わずどつき漫才をしてしまうくらいに、トウコちゃんがかわいいのだ。
お化粧もレベルが上がり、仕草や話し方も完全に女の子。
一度会得したモノは、ブランクがあろうと錆び付かないんすね。王家東宝楽のクオリティをそのまま中日にスライドしてますよ、この人。
たしかこの人、この間までエロオヤヂ役やってませんでしたか?
人妻押し倒して「へっへっへっ」とか笑っていた男が、可憐な美少女になってやがるよ……すげえや。
アムネリス@檀ちゃん、ラダメス@ワタルもまた納得のクオリティで。
素直に『王家に捧ぐ歌』をたのしむことができた。
わたしはこのひとたちの物語が好き。
ラダメス、アイーダ、アムネリス、それぞれの人生が好き。
もう一度会えたこと、それがうれしくてうれしくて、最初の涙を通り越したあとは、笑えて仕方なかった。
うれしい笑いなの。
幸福の笑いなの。
あかしが目について目について、反射的に笑ってしまう、なんてことじゃないのよ。ほんとよ。
うれしくて、たのしくて、Be-Puちゃんもモリナ姉さんもわたしも、みんなにこにこしてる。
観に行ってよかった。
ケロファンのわたしが言うのもなんですが。
ウバルドがうるさくないと、ここまで「3人の物語」なんだ、この話!!(笑)
ウバルド@まとぶんは、ふつーに熱演してました。なにが足りないわけでもなく、手堅く。
不思議だったのは、ウバルドを含むエチオピア野郎トリオの、キャラがぜんぜん立っていなかったこと。
ムラ初日を観たときすでに、エチ野郎トリオはすっげーキャラ立ってて、立ち見のいちばん後ろから見たにもかかわらず、萌えたんだけど。
中日のトリオも、まとぶ、ゆかり、しゅん、と、「うわっ、適材適所、見てみてえ」と思わせるナイスなキャスティングなのに。
ここまでキャラが立ってないってのは、どういうこと?
オペラなしで見た16列目昼公演も、舞台が目の前だ3列目で見た夜公演も、等しくキャラクタが混沌としていた。
いつも3人で出てきて、3人ではける。これでキャラが立たないと、「3人でひとり」勘定になってしまう……。
印象としては、カマンテが3人いる。
てゆーか、ウバルドがいない。
いや、きっとこれがふつうなんだ。
本来のウバルドは、これくらいの濃さなんだ。ケロがやりすぎていただけで。
ウバルドは出過ぎず、うるさくなく、物語はラダメスとアイーダ、アムネリスの3人を中心に進む。きっとこれが、本来の姿なんだろう。
エチ野郎共が薄くなった分、不思議と濃いのがエジプト青年コンビ。
ケペル@嶺恵斗、メレルカ@みらんのキャラは、アレはいったいなんなんだ(笑)。
「で、おかっちのケペルはどうだったんですか」
とチェリさんに聞かれ、わたしはどう答えたもんか、と首をひねった。
「おおむね、本公演と同じです。ケペルはまっすぐで激しくて……でも。なんかところどころ、みょーに邪悪なんですけど」
そう説明した途端、チェリさんは腹を抱えて爆笑した。
「さすがおかっち!!」
と。
エジプトコンビもまた、本公演のキャラを踏襲しようとしているのだとは思う。役替わりキャラを見回しても、別キャラを仕立てている人がいないので、演出家の方針なのかもしれない。
てゆーかケペルとメレルカって、役者個人の色をそのまま映す役だよねえ?
ケペルがまっすぐすぎる善良な男だったのは、アレはまんましいちゃんのキャラ。
中日の恵斗くんも、心の動き等しいちゃんと同じよーに作っていると思う。
だから、生き方を変えたラダメスにショックを受けるのも、裏切りに激昂するのも、本公演と同じ。
されど。
嶺恵斗の場合、彼の持ち味である「邪悪さ」があちこちで透けて見えているから!!(笑)
なんか、同じなのに同じに見えないのよーっ(笑)。
なまじ同じよーに作っているだけに、どんどんかけ離れてきている感じが、笑えるというか愛しいというか。
みらんくんも「黒さ」をふつーに持ち合わせているので、若さと熱さのなかにちらちらと「黒さ」をにじませるのが素敵。
「黒い」ということは、「ニヒル」だったり「翳り」だったりして、男前度をアップさせる要因だからね。
本公演時のエジプトコンビは、陰と陽でいえば「陽」の役者が演じていたのに、中日ではそろって「陰」。
同じ役作りでもちがって見える、この微妙さ加減がツボです。
さて。
「アイーダ@トウコがすっごくかわいく見える……大劇の最初の方はオカマだったのに」
と、本音でつぶやいたら、
「なんだと?」
と血相を変えたトウコファンのBe-Puちゃんに、往復ビンタ×3されました。
あうっあうっあうっ。
えー、殴るふりをされたら、殴られるふりをする。
往復ビンタ×3の場合は、首を左右に振り続ける。
これは全国共通ですよね?
Be-Puちゃんにはよく殴られるんですけど。「このっこのっこのっ」と往復ビンタのふりをする彼女のもとで、「きゃーきゃーきゃー」と殴られるふりをするのが日常と化しています。
ちなみに、ふたりの身長差はすごいです。ちっこいのがでっかいのをがんばって殴ってます。
思わずどつき漫才をしてしまうくらいに、トウコちゃんがかわいいのだ。
お化粧もレベルが上がり、仕草や話し方も完全に女の子。
一度会得したモノは、ブランクがあろうと錆び付かないんすね。王家東宝楽のクオリティをそのまま中日にスライドしてますよ、この人。
たしかこの人、この間までエロオヤヂ役やってませんでしたか?
人妻押し倒して「へっへっへっ」とか笑っていた男が、可憐な美少女になってやがるよ……すげえや。
アムネリス@檀ちゃん、ラダメス@ワタルもまた納得のクオリティで。
素直に『王家に捧ぐ歌』をたのしむことができた。
わたしはこのひとたちの物語が好き。
ラダメス、アイーダ、アムネリス、それぞれの人生が好き。
もう一度会えたこと、それがうれしくてうれしくて、最初の涙を通り越したあとは、笑えて仕方なかった。
うれしい笑いなの。
幸福の笑いなの。
あかしが目について目について、反射的に笑ってしまう、なんてことじゃないのよ。ほんとよ。
うれしくて、たのしくて、Be-Puちゃんもモリナ姉さんもわたしも、みんなにこにこしてる。
観に行ってよかった。
彼のいない世界。@王家に捧ぐ歌
2005年2月3日 タカラヅカ まず、彼がいない。
そのことが違和感だった。
星組中日公演『王家に捧ぐ歌』。
オープニングがはじまり、耳慣れた台詞、耳慣れた音楽が流れるだけで、涙がだーだー出た。
理屈じゃない。
わたしが生きている証拠だと思う。
役替わりがどうとか、変更がどうとかじゃなくて、ただたんに、「過ぎ去った時の流れ」に巻き込まれて、溺れただけだ。
あの日あのとき、わたしはしあわせだった。
たしかなのは、それだけだ。
わたしは、生きるせつなさや痛さを愛している。それがなきゃ、「こころ」のある「人間」なんて不経済な生物をやっている価値がないと思っている。
わたしは過去がなつかしい。
過去が愛しい。
うしなわれた、にどとかえらないものを、あいして、なつかしんで、こころのいたみをだきしめているのがすきだ。
だから、涙。
生きる醍醐味。
大切なもの、しあわせな時間があったからこそ感じる、今のかなしさ。
それを幸福だと思う。
だから、人知れずだーだー泣きました。
そうさ、あたしゃ泣きに来たんだ。いっぱい泣いて、摩擦されて、魂をまるくしていくんだから。
『王家に捧ぐ歌』は、大好きな作品でした。
わたしの愛した人が、出演している作品でした。
当たり役だと思った。ずーっと好きでいた人に、今さらこんなにめろめろに恋し直すなんて、とうろたえるほどのオチっぷりでした。
その人は、もういません。
1年半前、この作品を大劇場で、東宝で観ていたときは、こんな未来がやってくるなんて夢にも思わず、幸福の絶頂にいました。
わたしは16列目に坐っていたので、当然のようにオペラグラスを使っていたのだけど、冒頭のラダメスとアイーダが船に乗って出てくるところを見た瞬間に、敗北宣言。
オペラグラス使用はやめました。
痛いから。
この「作品」にもう一度出会えた。
そのことが、そのことだけがすでにものすごく痛いから、せっかくだからその痛みに集中しようと思った。
だってさあ、もったいないじゃん? ふつーに生きていてたら、誰のことも好きじゃなかったら、味わえない痛みなんだよ?
貪欲なわたしは、自分の心の動きを味わい尽くしたくて、「作品全体」を見ることに決めた。誰がどこに出ているとか、どんなことをしているとか、気にするのはまた次にしよう。
こんにちは、『王家』。また会えたね。
うれしいよ。大好きだよ。
……そう。
大好きなんだわ。
彼がいたから、彼があまりに素敵だったから、拍車がかかっていたけど、たとえ彼が出演していなくても、好きな作品だったんだ。
最初はたしかに「彼がいない」ことにだーだー泣いていたのに、途中から、作品自体にだーだー泣いていた。
好きなんだってば。
作品が、キャラが好きなの。
たのしいんだもん。わくわくするんだもん。どきどきするんだもん。
彼はいない。
だけど、わたしは生きていく。
彼がいた、彼の愛した世界を、これからも愛していく。
単純ですから、わたし!
いつでもHAPPY LIFE。
たのしかったよ、中日版『王家に捧ぐ歌』。
宝塚大劇場ってほんと、どでかい劇場なんだよね。よそへ行くと、それがよくわかる。
中日劇場も十分大きな劇場だと思うけど、それでも「小さい」もの。
うわー、舞台せまっ。
こんなにせまいところで、『王家』がやれるんかいな。
って感じ、するもんなあ。
ハコに関してのいちばん大きな違いは、銀橋がないことと、幅が狭いこと。
それでも、あの壁画と階段のあるセットは作られていたし、銀橋芝居もうまく本舞台や上下の短い花道を使ってまとめていた。
わたしがはじめて観た地方公演は、福岡の『ベルサイユのばら』で、そのとき「銀橋がないと、こーゆーことになるんだ」とがっかりした記憶がある。
本舞台の端から1メートルくらいを「銀橋」に見立てて、そこは一切使わない。
芝居は全部、舞台の奥の方でやり、銀橋を使うときは舞台の端を歩く。
舞台はあと1メートルも客席に近いところまであるのに、わざと使わない。だってそこは、「銀橋」設定だから。ふだんの芝居、つまり上演時間のほとんどは、舞台全部を使わない。
遠い遠い舞台。
前方席チケットなんか取れるはずもなかった、なんのツテもスキルもない若かったわたしとツレは、いちばん後ろの席からその遠い舞台を必死に眺めていた。
どうしてもその記憶があるもんだから。
銀橋芝居の多かった『王家』をどうするのか、興味深かった。
『王家』は、あの『ベルばら』みたいに、なんとかのひとつおぼえ的舞台の使い方は、してなかった。
銀橋のシーンは、舞台前方のタイトロープを銀橋に見立てる定番のやり方だけでなく、舞台中央を縦に使ったりして工夫されていた。
中日版を最初に観た人は、どこが本来の銀橋シーンなのか、全部はわからないかも?
作品構成でいちばん大きな変化は、凱旋シーンの変更。
不評の限りを尽くしたあの凱旋シーンが、別物になってますよ!!
暗転のなか、「凱旋だーっ」の声が響き、あの音楽が流れ出したときは、「げっ、このシーンカットになってねえのかよ」とげんなりしたんだけど。
暗闇の中、ライトに照らされ浮かび上がるひとりの男。
ええっ、メレルカ@みらんくんっ?!
メレルカのダンスソロからはじまりやがりますよ、凱旋シーン!
しかも生髪ですよ。あのみょーーなかぶりものナシっすよ。
うわわわ、かっこいー!
兵士たちの総踊りに、ラダメス@ワタル登場。たしか脚をケガしてたはずだが(なんで脚に変更されたんだろう……そんなとこだと、一歩まちがうとお尻を刺されたように見えちゃうんだけど……)、そんな設定どこにもなく、元気に踊ってくれる。
振り付けは微妙な感じがしないでもないが、元の凱旋シーンに比べれば百倍マシだ。やったー!
ファラオのブランコがなかったとか、地下牢の入口が小人サイズでワタさんがアタマぶつけたよーに見えたとか(笑)、フィナーレの5人歌&ダンスがまとぶんソロになっていて、あまりに長くて場が持たなかったとか(5人で歌い継ぐシーンをひとりで、じゃあそりゃ自爆するわなあ。『エリザベート』でトートたちが昇天した後出てきたフランツが主題歌を2番までひとりで歌うくらい無謀だ←もちろん1番だけです)、かぶりものワタさんと脚線美トウコがちゃんが絡むとか(ケロとハイタッチしてきゃぴきゃぴしていたシーンな……そうか、第二の男がいないと、まっとーに旦那と絡むんだ。←いや、チガウから!)、他にも小さな変更はいろいろありました。
内容的にいちばん印象がちがったのは、「主役3人だけの物語」に見えたこと。ムラより東宝より、ラダメスとアイーダ、アムネリスのラヴストーリーとして際立って見えた。小劇場らしく、キャラをしぼってきたな、って感じ。
なんでかなー、と思って。
愕然。
ウバルドが、恋敵じゃないからだ。
続く〜〜。
そのことが違和感だった。
星組中日公演『王家に捧ぐ歌』。
オープニングがはじまり、耳慣れた台詞、耳慣れた音楽が流れるだけで、涙がだーだー出た。
理屈じゃない。
わたしが生きている証拠だと思う。
役替わりがどうとか、変更がどうとかじゃなくて、ただたんに、「過ぎ去った時の流れ」に巻き込まれて、溺れただけだ。
あの日あのとき、わたしはしあわせだった。
たしかなのは、それだけだ。
わたしは、生きるせつなさや痛さを愛している。それがなきゃ、「こころ」のある「人間」なんて不経済な生物をやっている価値がないと思っている。
わたしは過去がなつかしい。
過去が愛しい。
うしなわれた、にどとかえらないものを、あいして、なつかしんで、こころのいたみをだきしめているのがすきだ。
だから、涙。
生きる醍醐味。
大切なもの、しあわせな時間があったからこそ感じる、今のかなしさ。
それを幸福だと思う。
だから、人知れずだーだー泣きました。
そうさ、あたしゃ泣きに来たんだ。いっぱい泣いて、摩擦されて、魂をまるくしていくんだから。
『王家に捧ぐ歌』は、大好きな作品でした。
わたしの愛した人が、出演している作品でした。
当たり役だと思った。ずーっと好きでいた人に、今さらこんなにめろめろに恋し直すなんて、とうろたえるほどのオチっぷりでした。
その人は、もういません。
1年半前、この作品を大劇場で、東宝で観ていたときは、こんな未来がやってくるなんて夢にも思わず、幸福の絶頂にいました。
わたしは16列目に坐っていたので、当然のようにオペラグラスを使っていたのだけど、冒頭のラダメスとアイーダが船に乗って出てくるところを見た瞬間に、敗北宣言。
オペラグラス使用はやめました。
痛いから。
この「作品」にもう一度出会えた。
そのことが、そのことだけがすでにものすごく痛いから、せっかくだからその痛みに集中しようと思った。
だってさあ、もったいないじゃん? ふつーに生きていてたら、誰のことも好きじゃなかったら、味わえない痛みなんだよ?
貪欲なわたしは、自分の心の動きを味わい尽くしたくて、「作品全体」を見ることに決めた。誰がどこに出ているとか、どんなことをしているとか、気にするのはまた次にしよう。
こんにちは、『王家』。また会えたね。
うれしいよ。大好きだよ。
……そう。
大好きなんだわ。
彼がいたから、彼があまりに素敵だったから、拍車がかかっていたけど、たとえ彼が出演していなくても、好きな作品だったんだ。
最初はたしかに「彼がいない」ことにだーだー泣いていたのに、途中から、作品自体にだーだー泣いていた。
好きなんだってば。
作品が、キャラが好きなの。
たのしいんだもん。わくわくするんだもん。どきどきするんだもん。
彼はいない。
だけど、わたしは生きていく。
彼がいた、彼の愛した世界を、これからも愛していく。
単純ですから、わたし!
いつでもHAPPY LIFE。
たのしかったよ、中日版『王家に捧ぐ歌』。
宝塚大劇場ってほんと、どでかい劇場なんだよね。よそへ行くと、それがよくわかる。
中日劇場も十分大きな劇場だと思うけど、それでも「小さい」もの。
うわー、舞台せまっ。
こんなにせまいところで、『王家』がやれるんかいな。
って感じ、するもんなあ。
ハコに関してのいちばん大きな違いは、銀橋がないことと、幅が狭いこと。
それでも、あの壁画と階段のあるセットは作られていたし、銀橋芝居もうまく本舞台や上下の短い花道を使ってまとめていた。
わたしがはじめて観た地方公演は、福岡の『ベルサイユのばら』で、そのとき「銀橋がないと、こーゆーことになるんだ」とがっかりした記憶がある。
本舞台の端から1メートルくらいを「銀橋」に見立てて、そこは一切使わない。
芝居は全部、舞台の奥の方でやり、銀橋を使うときは舞台の端を歩く。
舞台はあと1メートルも客席に近いところまであるのに、わざと使わない。だってそこは、「銀橋」設定だから。ふだんの芝居、つまり上演時間のほとんどは、舞台全部を使わない。
遠い遠い舞台。
前方席チケットなんか取れるはずもなかった、なんのツテもスキルもない若かったわたしとツレは、いちばん後ろの席からその遠い舞台を必死に眺めていた。
どうしてもその記憶があるもんだから。
銀橋芝居の多かった『王家』をどうするのか、興味深かった。
『王家』は、あの『ベルばら』みたいに、なんとかのひとつおぼえ的舞台の使い方は、してなかった。
銀橋のシーンは、舞台前方のタイトロープを銀橋に見立てる定番のやり方だけでなく、舞台中央を縦に使ったりして工夫されていた。
中日版を最初に観た人は、どこが本来の銀橋シーンなのか、全部はわからないかも?
作品構成でいちばん大きな変化は、凱旋シーンの変更。
不評の限りを尽くしたあの凱旋シーンが、別物になってますよ!!
暗転のなか、「凱旋だーっ」の声が響き、あの音楽が流れ出したときは、「げっ、このシーンカットになってねえのかよ」とげんなりしたんだけど。
暗闇の中、ライトに照らされ浮かび上がるひとりの男。
ええっ、メレルカ@みらんくんっ?!
メレルカのダンスソロからはじまりやがりますよ、凱旋シーン!
しかも生髪ですよ。あのみょーーなかぶりものナシっすよ。
うわわわ、かっこいー!
兵士たちの総踊りに、ラダメス@ワタル登場。たしか脚をケガしてたはずだが(なんで脚に変更されたんだろう……そんなとこだと、一歩まちがうとお尻を刺されたように見えちゃうんだけど……)、そんな設定どこにもなく、元気に踊ってくれる。
振り付けは微妙な感じがしないでもないが、元の凱旋シーンに比べれば百倍マシだ。やったー!
ファラオのブランコがなかったとか、地下牢の入口が小人サイズでワタさんがアタマぶつけたよーに見えたとか(笑)、フィナーレの5人歌&ダンスがまとぶんソロになっていて、あまりに長くて場が持たなかったとか(5人で歌い継ぐシーンをひとりで、じゃあそりゃ自爆するわなあ。『エリザベート』でトートたちが昇天した後出てきたフランツが主題歌を2番までひとりで歌うくらい無謀だ←もちろん1番だけです)、かぶりものワタさんと脚線美トウコがちゃんが絡むとか(ケロとハイタッチしてきゃぴきゃぴしていたシーンな……そうか、第二の男がいないと、まっとーに旦那と絡むんだ。←いや、チガウから!)、他にも小さな変更はいろいろありました。
内容的にいちばん印象がちがったのは、「主役3人だけの物語」に見えたこと。ムラより東宝より、ラダメスとアイーダ、アムネリスのラヴストーリーとして際立って見えた。小劇場らしく、キャラをしぼってきたな、って感じ。
なんでかなー、と思って。
愕然。
ウバルドが、恋敵じゃないからだ。
続く〜〜。
わたしを名古屋へ連れてって。
2005年2月2日 タカラヅカ この日記を書いているのは、実は2月4日です。
2月4日は月組『エリザベート』の初日で、チェリさんとkineさんと一緒だったんだけど。
「中日行ったのに、なんで『あぐり』なんですか!!」
と、チェリさんに叱られてしまったのですよ。
中日『王家』を観に行くと宣言した日の夜の日記が、『あぐり』の話なのはどういうことなのよ、と。
「そりゃ、日付が追いついてないせいですよ」
と、kineさんは冷静な分析。
そーです、日付が追いついてないのよ。
わたしの日記はまだ1月なんだもん。
でもまー、待ってくれている人がいるなら、先に感想書いておくかー、という気になりましたんで、日付とばして先に観劇感想書きます。
つーことでこの日、星組中日公演初日の日から、日記スタート。
えっ、初日ですか? 行ってませんよ。(にっこり)
観劇に至るまでの話を、まずこっちの日付欄に書いておこうかなと(笑)。「日記」らしく。
観ようかどうしようか迷っていたし、たんにモチベーションが下がっていたせいでチケ取りしそこなっていたし、名古屋は東京より遠いし、といろいろ後ろ向きだったんだけど。
チャリティーコンサートで檀ちゃんとワタルくんの『王家』の歌を聴いて、やっぱりもう一度観たいという気持ちになった。
名古屋は東京より遠いですよ、わたし的に。
なじみのない土地だから。
ひとりでは行きたくないところだ。
檀ちゃんの退団発表ゆえに、星担仲間たちが初日に行くと息巻いていたので、それに便乗しちゃえ、と。
チケット持ってないけど、行けばなんとかなるだろー。
わたしは初日が好き。
予備知識ナシで観るのが好きだから。
どーせ行くなら、初日に行こう。楽とちがってチケットは入手しやすいわけだし。
と、思っていたのだけど。
kineさんもサトリちゃんも、結局初日行かないって言うし。
ええっ、名古屋なんて遠いところ、わたしひとりで行きたくないよー、さみしいじゃん!!
つーことで結局、行きませんでした、初日。
友だちと一緒でなきゃヤダ! なんてバカくさいですねー。本気で行きたきゃどこでもひとりでとっとと行っているわたしですが、まあ、モチベーションがね……ごにょごにょ。
つーことで、もうひとりの星担……というか、現在ワタルくん以外のジェンヌにも宝塚歌劇というジャンルにもいっさい興味のない潔いモリナ姉さんに連絡。
「席、悪くてもいいなら1枚ありますけど、行きますか?」
なんでもいいっすよ、一緒に観られるなら。
それが初日の翌日、2月3日でした。
チケットの席番なんかろくに聞かずに「一緒に行く!」と言ったわたしですが。
譲ってもらったチケットは、3列目サブセン、センター側でした……。
モリナねーさんは「センター信者」なんで、センターブロック以外はカス席なんだよね。
3列目サブセンと最後列センターなら、後者を「良席」と判断する。
「どうせ双眼鏡使いますから、後ろの方がいいです」
とのこと。
舞台全体も、他の役者も見ない。ただひとりだけをオペラグラスで追い続けるために、センター席が必要なのだ。
わたしは脇役のジェンヌさんの表情ひとつひとつも見たいから、端でもなんでも前方席は大好きさ。後ろだと主要人物しか細かく見られないもん。
間際まで知らなかったけど、Be-Puちゃんも一緒らしい。
わーい、友だちと3人で日帰り小旅行だー。うれしー。
一緒に近鉄特急アーバンライナーのチケット買いに行って、駅で待ち合わせして、さあ出発!!
ひさしぶりだぞ名古屋!
ひさしぶりだぞ中日劇場!
水くんのムジャヒドを見に行った以来か。←水ファン発言。
1公演分しかチケットを持ってなかったのでサバキでもう1公演GETして、さあ観劇だ!
あ、サバキ情報書いておきます。
はっきり言って、サバキあります(笑)。席もそこそこ。現にモリナ姉さんは9列目サブセンをさばいた。本人は最後列のセンターブロックを買いなおしていた。
場所は劇場階のエレベータを降りたところ。ええ、チケット売場の真横っすよ。劇場からはお目こぼしを受けているみたい(ありがたや)。
束でさばいている人もちらほらいるし、値引きもあった。
だもんで、良席以外を余らせている人は早めに行ってさばいた方が安全かも。ぎりぎりだとさばけないぞ。てゆーか、さばき目的で手ぶらで来る人が少ない。無理もないが。みんなあらかじめ押さえて来るよねえ、旅先だもん。地元のお客さんたちはそもそもそんな制度があることを知らないだろうし。
モリナさんもBe-Puちゃんも、観劇以外興味なし!
駅と劇場以外どこにも行かないし、食事にすら行かない。ごはんはロビーでコンビニおにぎりだ。
わたしとWHITEちゃん(大抵わたしと一緒に行動していた友人)は、わりといろんなとこうろうろするコンビだったので、この行動の差にちょっと面食らう(笑)。
どっぷり観劇だけの1日。
帰りは新幹線利用のモリナさんと別れ、わたしとBe-Puちゃんはアーバンライナー。
最終の数本前のアーバンライナーは空いていて、わたしとBe-Puちゃんは喋り通しだった。
テンション高いぞ。
だって、座席に着くなり、まだ発車してないっちゅーに、ふたりで乾杯したもの。
わたしは普段、酒を飲まない人間なんだが。
つい、アルコールで乾杯。
「トウコちゃんのかわいさに、乾杯!!」
……そーなんだ。
まず、ソレだ。
めちゃくちゃかわいいんだよ、アイーダ@トウコ!! うきゃ〜〜。
とゆーところで、翌3日の欄で感想書きます(笑)。
しかし、月『エリザ』の感想も書きたいしなー。いつ書けるんだ、明日(5日)は『くらわんか』観に行くっていうのに。
あっ、もずえさん、トート@さえちゃんは、めちゃくちゃ素敵でしたっ!!
先に書いておく!
惚れ直したっ。うきゃ〜〜。
月『エリザ』、たのしすぎ。くるくる踊りそうになったよー。実際、帰り道で少々踊っていたかもしれん……。
2月4日は月組『エリザベート』の初日で、チェリさんとkineさんと一緒だったんだけど。
「中日行ったのに、なんで『あぐり』なんですか!!」
と、チェリさんに叱られてしまったのですよ。
中日『王家』を観に行くと宣言した日の夜の日記が、『あぐり』の話なのはどういうことなのよ、と。
「そりゃ、日付が追いついてないせいですよ」
と、kineさんは冷静な分析。
そーです、日付が追いついてないのよ。
わたしの日記はまだ1月なんだもん。
でもまー、待ってくれている人がいるなら、先に感想書いておくかー、という気になりましたんで、日付とばして先に観劇感想書きます。
つーことでこの日、星組中日公演初日の日から、日記スタート。
えっ、初日ですか? 行ってませんよ。(にっこり)
観劇に至るまでの話を、まずこっちの日付欄に書いておこうかなと(笑)。「日記」らしく。
観ようかどうしようか迷っていたし、たんにモチベーションが下がっていたせいでチケ取りしそこなっていたし、名古屋は東京より遠いし、といろいろ後ろ向きだったんだけど。
チャリティーコンサートで檀ちゃんとワタルくんの『王家』の歌を聴いて、やっぱりもう一度観たいという気持ちになった。
名古屋は東京より遠いですよ、わたし的に。
なじみのない土地だから。
ひとりでは行きたくないところだ。
檀ちゃんの退団発表ゆえに、星担仲間たちが初日に行くと息巻いていたので、それに便乗しちゃえ、と。
チケット持ってないけど、行けばなんとかなるだろー。
わたしは初日が好き。
予備知識ナシで観るのが好きだから。
どーせ行くなら、初日に行こう。楽とちがってチケットは入手しやすいわけだし。
と、思っていたのだけど。
kineさんもサトリちゃんも、結局初日行かないって言うし。
ええっ、名古屋なんて遠いところ、わたしひとりで行きたくないよー、さみしいじゃん!!
つーことで結局、行きませんでした、初日。
友だちと一緒でなきゃヤダ! なんてバカくさいですねー。本気で行きたきゃどこでもひとりでとっとと行っているわたしですが、まあ、モチベーションがね……ごにょごにょ。
つーことで、もうひとりの星担……というか、現在ワタルくん以外のジェンヌにも宝塚歌劇というジャンルにもいっさい興味のない潔いモリナ姉さんに連絡。
「席、悪くてもいいなら1枚ありますけど、行きますか?」
なんでもいいっすよ、一緒に観られるなら。
それが初日の翌日、2月3日でした。
チケットの席番なんかろくに聞かずに「一緒に行く!」と言ったわたしですが。
譲ってもらったチケットは、3列目サブセン、センター側でした……。
モリナねーさんは「センター信者」なんで、センターブロック以外はカス席なんだよね。
3列目サブセンと最後列センターなら、後者を「良席」と判断する。
「どうせ双眼鏡使いますから、後ろの方がいいです」
とのこと。
舞台全体も、他の役者も見ない。ただひとりだけをオペラグラスで追い続けるために、センター席が必要なのだ。
わたしは脇役のジェンヌさんの表情ひとつひとつも見たいから、端でもなんでも前方席は大好きさ。後ろだと主要人物しか細かく見られないもん。
間際まで知らなかったけど、Be-Puちゃんも一緒らしい。
わーい、友だちと3人で日帰り小旅行だー。うれしー。
一緒に近鉄特急アーバンライナーのチケット買いに行って、駅で待ち合わせして、さあ出発!!
ひさしぶりだぞ名古屋!
ひさしぶりだぞ中日劇場!
水くんのムジャヒドを見に行った以来か。←水ファン発言。
1公演分しかチケットを持ってなかったのでサバキでもう1公演GETして、さあ観劇だ!
あ、サバキ情報書いておきます。
はっきり言って、サバキあります(笑)。席もそこそこ。現にモリナ姉さんは9列目サブセンをさばいた。本人は最後列のセンターブロックを買いなおしていた。
場所は劇場階のエレベータを降りたところ。ええ、チケット売場の真横っすよ。劇場からはお目こぼしを受けているみたい(ありがたや)。
束でさばいている人もちらほらいるし、値引きもあった。
だもんで、良席以外を余らせている人は早めに行ってさばいた方が安全かも。ぎりぎりだとさばけないぞ。てゆーか、さばき目的で手ぶらで来る人が少ない。無理もないが。みんなあらかじめ押さえて来るよねえ、旅先だもん。地元のお客さんたちはそもそもそんな制度があることを知らないだろうし。
モリナさんもBe-Puちゃんも、観劇以外興味なし!
駅と劇場以外どこにも行かないし、食事にすら行かない。ごはんはロビーでコンビニおにぎりだ。
わたしとWHITEちゃん(大抵わたしと一緒に行動していた友人)は、わりといろんなとこうろうろするコンビだったので、この行動の差にちょっと面食らう(笑)。
どっぷり観劇だけの1日。
帰りは新幹線利用のモリナさんと別れ、わたしとBe-Puちゃんはアーバンライナー。
最終の数本前のアーバンライナーは空いていて、わたしとBe-Puちゃんは喋り通しだった。
テンション高いぞ。
だって、座席に着くなり、まだ発車してないっちゅーに、ふたりで乾杯したもの。
わたしは普段、酒を飲まない人間なんだが。
つい、アルコールで乾杯。
「トウコちゃんのかわいさに、乾杯!!」
……そーなんだ。
まず、ソレだ。
めちゃくちゃかわいいんだよ、アイーダ@トウコ!! うきゃ〜〜。
とゆーところで、翌3日の欄で感想書きます(笑)。
しかし、月『エリザ』の感想も書きたいしなー。いつ書けるんだ、明日(5日)は『くらわんか』観に行くっていうのに。
あっ、もずえさん、トート@さえちゃんは、めちゃくちゃ素敵でしたっ!!
先に書いておく!
惚れ直したっ。うきゃ〜〜。
月『エリザ』、たのしすぎ。くるくる踊りそうになったよー。実際、帰り道で少々踊っていたかもしれん……。
1列目の現実。@レヴュー伝説
2005年1月27日 タカラヅカ えー、逸翁デーはわたし、大枚はたいて、SS席にいました。
大枚ってのはそりゃもちろん、1万円ですよ。大金ですよ、わたしにとって。
逸翁デーは苦手なので、この催しの日を選んだわけではなくて、たんに掲示板でGETしたのが、たまたま逸翁デーだったのだわ。……わたしゃ、ゲストが誰かも知らなかったよ……。
年が明けてからこっち、後方席で慎ましく観劇していたので知らなかったっす。
銀橋が、遠い!!
目の当たりにして、びっくりした。
思わず休憩時間に、銀橋を撫でにいってしまったよ。あまりに遠いので。
A席でのんびり観劇していたときは、気づかなかったんだ。どのみち舞台も銀橋も遠いから、多少の変化は実感できない。
しかし1列目に坐って、なにが起こったのかが、ようやくわかった。
1列目なのに、最前列じゃない!!
そりゃ知ってたけど。
0列ができたってことは。
銀橋のカーブがゆるやかになったってことは。
でもあたしゃのーみそ少ないから、自分がその立場になってみないと、わからなかったよ。
こんなに銀橋が遠くなっているなんて。
そして1列目が、舞台の見えない席だなんて。
……0列目は、あとから無理矢理つくった席です。今までなかった場所に、作った席なんです。
0列目と1列目は、段差ナシなんですよ!!
オーマイガッ!! 前が見えねーよ!!
1万円の価値ないよ、1列目!
お約束だけど、わたしの前の席の人、他の人より座高高いよ! 0列目に坐っているのになんでそんなに、しょっちゅう首をふらふら動かすの? わたしの視界を奪うのが目的?!
……てな、ちと哀しい観劇でした。ははは。
1列目のSS席に坐るくらいなら、おとなしくいつものタケノコ1列目に坐ってます。その方がよっぽど値打ちあるわー。
でもさ、そのわたしの大好きなタケノコ席の銀橋の遠さは、泣けてくるほどよ……。
今までタケノコ1列に坐ったときは、銀橋が目の前、足で蹴れそうなところにあったのに。銀橋を通るスターさんは、手を伸ばせば触れそうだったのに。
今じゃ、座席ひとつ分は意味のない空間がひろがってます……。
遠い……遠すぎる……。
タケノコ1列目は、前に座席がないだけで、気分としては2列目だな。
劇団は値上げをしたい一心で、最前列をセンターとサブの0列目だけにし、その後ろの1列目を全滅させ、タケノコ1列目を2列目にまで価値を落としたのね。
客のことはなにも考えてないんやな……溜息。
それでもまあ、腐っても1列目。
舞台は近いんで、目線はいろいろGETできます。
今回、いちばん目線の大安売りをしてくれたのは、タニちゃんでした……てゆーか、キタよ、ウインクがっ。
キザりまくったガイ様が、目線絨毯爆撃して、ノリノリで通ってゆかれました。
…………すまん…………ウインク来るなり、爆笑しそうになって、あわてて口押さえた…………。
どこに行くんだ、タニちゃん。
かわいい顔でキザりまくって、口元ゆがめたひょっとこ顔で、どこにいってしまうんだ……かわいいぢゃないかっ。ハァハァ。
しかし、どんなに目線もらっても、ウインクいただけても、タニちゃんにはドキドキしないのだ……。わし、ガキに興味ないけん。
アイドルよりおっさんが好きなんや。因果な好みじゃのう。
と、よくわかんねー方言で喋ってしまうくらい、もったいないことですが、ほんとにタニちゃんはサービス満点でした。
ありがとータニちゃん。
でもわたし的には。
タニちゃんのウインクよりも、取り乱してしまうことが。
どうしよう、暁郷にウインクされちゃったよーっ。
どどどうしよう。どきどきどき。
暁郷ですよ、暁郷。
あのGOですよ!!
しかもオカマのミンキーモモ@ロケット姿ですよ!!
あの顔であの体格で、あの衣装着てカツラかぶって、仁王立ちしてるんですよ。いや、本人は気取ってポーズ取ってるのかもしれないが、客観的にいってソレ、仁王立ちだから! ケンカ売ってるから! てなあのおそろしーGOちゃんがですよ。
ばちこーん☆ とウインク、トバしてくれたんですよ。
はうッ!! てなもんでわたし、胸押さえて椅子に沈みましたよ。
はぁはぁ……寿命縮まったかも……。
そりゃね、ロケットがはじまるときからずーっと、単独でGOだけ見てましたけどね。
タニちゃんが真ん中でなにかやってるけど一切浮気せず、視線はGO一筋!! 周囲の客席とひとりだけ顔の向きがちがっても気にしない! わたしはGOを見る!!
てなふーに、腹くくってGOを見つめていたんですが。
まさか、ウインクくれるとはな……いい漢だな、GO。
ガキに興味のないこのわたし、迷わずGOですわ!!
えっ、GOの学年ですか? 知ってますよもちろん。文化祭だって観に行ったんですから。
でもGOはわたしのなかで「おやぢ」認定ですから。
ロケットでミンキーモモやって脚上げてても、おやぢ。
このままどうか、わたし好みのおやぢに育ってくださいよ。いや、まかりまちがって路線に乗ってくれてもぜんぜんいいけど!
あと、くみちょの髪に飾ってあるのは、花ではなくて鳥でした。
最初に見たとき、「げっ、薔薇の蕾を髪に飾ってる。蕾ってのがまたイタイな」と思ってたんだけど。
小鳥さんか……ははは。遠い目。
思うんだけど、クシダ@まやさんとヨンヨンだっけヤンヤンだっけおぼえてねーや@くみちょの役って、いらないよねえ?
あのふたりが狂言回ししても、誰もうれしくないやん。宙組の現在にも未来にも、貢献しないやん。
どうせなら、あひくんとともちんに、スパン燕尾でも着せて狂言回しやらせろよー。新公主演経験者なら、あれぐらいできるって。で、ふつーにショーの場面にも参加させて。
そうでもしないと、次代のスターのこと、観客は知らないままだよー。
まやさんとくみちょが美少年・美少女つれて歩いても、所詮子どもは子どもだし。ちゃんと二枚目男役育てなきゃダメだよー。
逸翁デーという催しは、好きではないです、はい。
逸翁のスライド上映も勘弁して欲しいし、OGの下手なお喋りも苦手です。
とくに今回のゲストの方は、お喋りが下手で聞いていてつらかった……。主語と目的語が正しく機能しない、話しているウチに論点が迷子になる、主観だけの話をえんえんするのは勘弁してくれ……。
歌はいいんだけどな。そのお喋りが下手な方も、歌になると俄然かっこよかった。おばーさまなんだけど。
そしてなにより、逸翁賛歌が苦手。
はじめて聞いたときは、どこの宗教?? 教祖様を讃える歌? と、怖じ気づいたもんだったよ。
組子のみなさん、楽譜を見ながら歌うのでろくに顔見えないしな。
不思議と、水くんがいちばん顔を上げて歌っていた。
救いは、カナメさんの歌。
耳が洗われるよーでした。
大枚ってのはそりゃもちろん、1万円ですよ。大金ですよ、わたしにとって。
逸翁デーは苦手なので、この催しの日を選んだわけではなくて、たんに掲示板でGETしたのが、たまたま逸翁デーだったのだわ。……わたしゃ、ゲストが誰かも知らなかったよ……。
年が明けてからこっち、後方席で慎ましく観劇していたので知らなかったっす。
銀橋が、遠い!!
目の当たりにして、びっくりした。
思わず休憩時間に、銀橋を撫でにいってしまったよ。あまりに遠いので。
A席でのんびり観劇していたときは、気づかなかったんだ。どのみち舞台も銀橋も遠いから、多少の変化は実感できない。
しかし1列目に坐って、なにが起こったのかが、ようやくわかった。
1列目なのに、最前列じゃない!!
そりゃ知ってたけど。
0列ができたってことは。
銀橋のカーブがゆるやかになったってことは。
でもあたしゃのーみそ少ないから、自分がその立場になってみないと、わからなかったよ。
こんなに銀橋が遠くなっているなんて。
そして1列目が、舞台の見えない席だなんて。
……0列目は、あとから無理矢理つくった席です。今までなかった場所に、作った席なんです。
0列目と1列目は、段差ナシなんですよ!!
オーマイガッ!! 前が見えねーよ!!
1万円の価値ないよ、1列目!
お約束だけど、わたしの前の席の人、他の人より座高高いよ! 0列目に坐っているのになんでそんなに、しょっちゅう首をふらふら動かすの? わたしの視界を奪うのが目的?!
……てな、ちと哀しい観劇でした。ははは。
1列目のSS席に坐るくらいなら、おとなしくいつものタケノコ1列目に坐ってます。その方がよっぽど値打ちあるわー。
でもさ、そのわたしの大好きなタケノコ席の銀橋の遠さは、泣けてくるほどよ……。
今までタケノコ1列に坐ったときは、銀橋が目の前、足で蹴れそうなところにあったのに。銀橋を通るスターさんは、手を伸ばせば触れそうだったのに。
今じゃ、座席ひとつ分は意味のない空間がひろがってます……。
遠い……遠すぎる……。
タケノコ1列目は、前に座席がないだけで、気分としては2列目だな。
劇団は値上げをしたい一心で、最前列をセンターとサブの0列目だけにし、その後ろの1列目を全滅させ、タケノコ1列目を2列目にまで価値を落としたのね。
客のことはなにも考えてないんやな……溜息。
それでもまあ、腐っても1列目。
舞台は近いんで、目線はいろいろGETできます。
今回、いちばん目線の大安売りをしてくれたのは、タニちゃんでした……てゆーか、キタよ、ウインクがっ。
キザりまくったガイ様が、目線絨毯爆撃して、ノリノリで通ってゆかれました。
…………すまん…………ウインク来るなり、爆笑しそうになって、あわてて口押さえた…………。
どこに行くんだ、タニちゃん。
かわいい顔でキザりまくって、口元ゆがめたひょっとこ顔で、どこにいってしまうんだ……かわいいぢゃないかっ。ハァハァ。
しかし、どんなに目線もらっても、ウインクいただけても、タニちゃんにはドキドキしないのだ……。わし、ガキに興味ないけん。
アイドルよりおっさんが好きなんや。因果な好みじゃのう。
と、よくわかんねー方言で喋ってしまうくらい、もったいないことですが、ほんとにタニちゃんはサービス満点でした。
ありがとータニちゃん。
でもわたし的には。
タニちゃんのウインクよりも、取り乱してしまうことが。
どうしよう、暁郷にウインクされちゃったよーっ。
どどどうしよう。どきどきどき。
暁郷ですよ、暁郷。
あのGOですよ!!
しかもオカマのミンキーモモ@ロケット姿ですよ!!
あの顔であの体格で、あの衣装着てカツラかぶって、仁王立ちしてるんですよ。いや、本人は気取ってポーズ取ってるのかもしれないが、客観的にいってソレ、仁王立ちだから! ケンカ売ってるから! てなあのおそろしーGOちゃんがですよ。
ばちこーん☆ とウインク、トバしてくれたんですよ。
はうッ!! てなもんでわたし、胸押さえて椅子に沈みましたよ。
はぁはぁ……寿命縮まったかも……。
そりゃね、ロケットがはじまるときからずーっと、単独でGOだけ見てましたけどね。
タニちゃんが真ん中でなにかやってるけど一切浮気せず、視線はGO一筋!! 周囲の客席とひとりだけ顔の向きがちがっても気にしない! わたしはGOを見る!!
てなふーに、腹くくってGOを見つめていたんですが。
まさか、ウインクくれるとはな……いい漢だな、GO。
ガキに興味のないこのわたし、迷わずGOですわ!!
えっ、GOの学年ですか? 知ってますよもちろん。文化祭だって観に行ったんですから。
でもGOはわたしのなかで「おやぢ」認定ですから。
ロケットでミンキーモモやって脚上げてても、おやぢ。
このままどうか、わたし好みのおやぢに育ってくださいよ。いや、まかりまちがって路線に乗ってくれてもぜんぜんいいけど!
あと、くみちょの髪に飾ってあるのは、花ではなくて鳥でした。
最初に見たとき、「げっ、薔薇の蕾を髪に飾ってる。蕾ってのがまたイタイな」と思ってたんだけど。
小鳥さんか……ははは。遠い目。
思うんだけど、クシダ@まやさんとヨンヨンだっけヤンヤンだっけおぼえてねーや@くみちょの役って、いらないよねえ?
あのふたりが狂言回ししても、誰もうれしくないやん。宙組の現在にも未来にも、貢献しないやん。
どうせなら、あひくんとともちんに、スパン燕尾でも着せて狂言回しやらせろよー。新公主演経験者なら、あれぐらいできるって。で、ふつーにショーの場面にも参加させて。
そうでもしないと、次代のスターのこと、観客は知らないままだよー。
まやさんとくみちょが美少年・美少女つれて歩いても、所詮子どもは子どもだし。ちゃんと二枚目男役育てなきゃダメだよー。
逸翁デーという催しは、好きではないです、はい。
逸翁のスライド上映も勘弁して欲しいし、OGの下手なお喋りも苦手です。
とくに今回のゲストの方は、お喋りが下手で聞いていてつらかった……。主語と目的語が正しく機能しない、話しているウチに論点が迷子になる、主観だけの話をえんえんするのは勘弁してくれ……。
歌はいいんだけどな。そのお喋りが下手な方も、歌になると俄然かっこよかった。おばーさまなんだけど。
そしてなにより、逸翁賛歌が苦手。
はじめて聞いたときは、どこの宗教?? 教祖様を讃える歌? と、怖じ気づいたもんだったよ。
組子のみなさん、楽譜を見ながら歌うのでろくに顔見えないしな。
不思議と、水くんがいちばん顔を上げて歌っていた。
救いは、カナメさんの歌。
耳が洗われるよーでした。
インプリンティング美的感覚。@レヴュー伝説
2005年1月26日 タカラヅカ わたしは、じじい好きです。
ガキとじじいなら、断然じじいにときめきます。
それは、わたしがじーちゃん子だということに端を発している気がします。
わたしは祖父母と一緒に暮らしていたので、生まれたときから身近にじじいがいたのですよ。
でもって、うちのおじーちゃん。
みんなが認める美老人だったのですよ!!
渋い系のじーさまじゃございません。
「かわいい系」です。
近所でも病院でも、アイドルさ。
「かわいいおじいちゃん!!」
って。
見知らぬ人に声を掛けられるほどの、かわいらしさ。
外見の話です。
うちのじーちゃんは、無口で偏屈だったので、性格はまったくかわいくなかった。
だから純然たる「外見」のみで、世間様から「かわいい!」と評判。
そもそもうちのじーちゃんは昔から、顔以外に取り柄のない人だった。
金もないし、甲斐性もない。堪え性のない、ひねくれ者。無口で温厚だが、そりゃつまり、非社交的な暗い奴だったわけだな。
ただ、顔だけはよかった。
以前、古いモノクロ写真を見てわたしは素で言ったことがある。
「この女の人、誰?」
写真に写っているのは、黒いスーツを着た知的な眼鏡美人。女教師、って風情。
「なに言ってるの、それ、おじーちゃんの若いころでしょうが」
はいー?
ここここれ、おじーちゃん?! てかコレ男かよっ?!
確かにパンツスーツ着てるけどっ。華奢な美人さんにしか見えませんぞ?!
わたしが生まれたときから、おじーちゃんはすでに「おじーちゃん」だったので、若いころなんぞ想像したこともなかったけど。
彼はほんとーに、美形だったよーです。
「ぼくのおじいちゃんのかお」という単語でイメージ検索してください。
同名の絵本の表紙を見ることができます。
この俳優さんが、うちのおじーちゃんにそっくり!(笑)
わたしはこの俳優さんを存じ上げないのですが、この絵本を書店で見かけたときは、衝動買いしましたね。「うわっ、うちのじーちゃんだ!」と。
ただし、うちのじーちゃんはこの人よりもはるかにアゴが出ています(笑)。
絵本購入当時、まだ存命だった祖父に「似てるでしょ?」と見せたところ、彼はちらりと見ただけで、
「ワシには髪の毛がある」
とひとこと言いました。
そーいや、絵本のおじーさんは、見事にハゲてるわ……うちのじーちゃんは髪の毛ふさふさだった。
でも、髪があろーがなかろーが、そんなもん「じじい」というカテゴリにおいてなんの重きも持たないとわたしは思っていたので、祖父のツッコミが意外でした。
そうか……男にとって、髪のあるなしは、じじいになってなお重要なアイデンティティだったのね。
うちのじーちゃんは細面で小顔の色白、髪も眉も濃く、目は大きくぱっちり二重、細く尖ったアゴの持ち主でした。おまけに小柄で華奢ときたもんだ。
90歳を過ぎてなお、お目々はぱっちりぬいぐるみのよーでしたよ。
「おじーちゃんに似れば、アンタも美人だったろうにね」
と、いろんな人から溜息をつかれながら、わたしは生きてきましたよ!!
ええわたしゃ、カケラもじーちゃんに似てないもんよ。
わたしは、おじーちゃんの最初の奥さんにそっくりです。若くして亡くなったそうなので、遺影でしか知らないけど、あまりにそっくりで泣けてくる……でかい丸い顔、細い目……平安時代なら美人だったかもしれない容姿……めそめそ。
まあ、そんなこんなで。
わたしはじーちゃん子で、じーちゃんと猫と一緒に、仲良く暮らしておりました。
そう、そして。
ここでよーやく、宙組公演『レヴュー伝説』の話になるのだ。
しみじみ思ったの。
わたし、水くんの「受け口」が好きだなあ、と。
【こあらさんの豆知識!】
うけ‐ぐち【受(け)口】
1 物を受け入れるためにあけてある口。受け入れ口。「電球の―」
2 《「うけくち」とも》下あごが上あごより前に出ている口。
「受」についているナニカだとか、「受」についてのナニカだとかではありません!!
−Yahoo!辞書 まんまコピペ!!(一部加筆!)−
水くんの口元見てると、なんだか触りたくなる……。
とゆーのもさー。
水くんてば、うちのおじーちゃんに似ている!!
特に横顔が。
てゆーか、口元からアゴが。
てゆーか。
三日月なところが!
MyじじLOVEな緑野の、ハートを直撃する造作。
そうか、切れ長の細い目が好きなのはわたし個人の好みだけど、長い顔と尖ったアゴに惹かれるのは、じーちゃんLOVEだからなんだわ。
口元が歪んだ人が好きなのも、うちのじーちゃんの受け口が好きだった発展系?
三つ子の魂百までも。
生まれて最初に出会った美形が、うちのじじいだった緑野の深層心理には、かなり根強くインプリンティングされているようです。
水くんを見ると、ときめきます……ぽわわーん。
『レヴュー伝説』は愉快なショーだけど、わたし的には不満。
何故ならば、明るく愉快でロマンティックで、健康的なショーだから。
エロくないんだもの、カケラも!!
つまんねーよ。
どきどきさせてくれよー。
スポーツチームの演舞のよーに健康的なもんだから、色気が必殺技の水くんの魅力がかなり控えめになっている。
ショーと役のコンセプトを理解しすぎているのか、水くんてば、どこを取っても満面の笑顔! 歯、見せすぎだよ、にーさん……。
対照的なのが、タニちゃん。
この子はなにをどうまちがったのか、キザりまくっている。
対の位置で踊っていても、水くんはにっこにこの笑顔、タニちゃんはにこりともしないしかめっ面。
えーと。
あの、君たち、まちがってます。困惑。
タニちゃんはせっかくのアイドル的持ち味を自分で殺し、似合わない「色気ポーズ」を取るのに必死。
水くんはせっかくのセクシー持ち味を自分で殺し、似合わない「アイドルポーズ」を取るのに夢中。
なんでこんなことになってるの……?
もったいない。
ただただ、もったいないす。
既成概念をコワして新しい魅力を、という意気込みはわかるが、それとは別に柔軟性が必要だから。
持ち味を否定して、全部が全部「新しい魅力開発」に挑んでも、スベるから。持ち味を否定する、ってのは、それまでの自分自身の否定でしょう? ベースは「自分自身」のまま、そこに新しい価値を付加していくべきよ。
……頼むよ、タニちゃん。キミは、キミのままでいいんだよ……自分で壊さないでくれよー。
はっ。水くん語りのつもりが、結局はタニちゃんなのかっ。
ガキとじじいなら、断然じじいにときめきます。
それは、わたしがじーちゃん子だということに端を発している気がします。
わたしは祖父母と一緒に暮らしていたので、生まれたときから身近にじじいがいたのですよ。
でもって、うちのおじーちゃん。
みんなが認める美老人だったのですよ!!
渋い系のじーさまじゃございません。
「かわいい系」です。
近所でも病院でも、アイドルさ。
「かわいいおじいちゃん!!」
って。
見知らぬ人に声を掛けられるほどの、かわいらしさ。
外見の話です。
うちのじーちゃんは、無口で偏屈だったので、性格はまったくかわいくなかった。
だから純然たる「外見」のみで、世間様から「かわいい!」と評判。
そもそもうちのじーちゃんは昔から、顔以外に取り柄のない人だった。
金もないし、甲斐性もない。堪え性のない、ひねくれ者。無口で温厚だが、そりゃつまり、非社交的な暗い奴だったわけだな。
ただ、顔だけはよかった。
以前、古いモノクロ写真を見てわたしは素で言ったことがある。
「この女の人、誰?」
写真に写っているのは、黒いスーツを着た知的な眼鏡美人。女教師、って風情。
「なに言ってるの、それ、おじーちゃんの若いころでしょうが」
はいー?
ここここれ、おじーちゃん?! てかコレ男かよっ?!
確かにパンツスーツ着てるけどっ。華奢な美人さんにしか見えませんぞ?!
わたしが生まれたときから、おじーちゃんはすでに「おじーちゃん」だったので、若いころなんぞ想像したこともなかったけど。
彼はほんとーに、美形だったよーです。
「ぼくのおじいちゃんのかお」という単語でイメージ検索してください。
同名の絵本の表紙を見ることができます。
この俳優さんが、うちのおじーちゃんにそっくり!(笑)
わたしはこの俳優さんを存じ上げないのですが、この絵本を書店で見かけたときは、衝動買いしましたね。「うわっ、うちのじーちゃんだ!」と。
ただし、うちのじーちゃんはこの人よりもはるかにアゴが出ています(笑)。
絵本購入当時、まだ存命だった祖父に「似てるでしょ?」と見せたところ、彼はちらりと見ただけで、
「ワシには髪の毛がある」
とひとこと言いました。
そーいや、絵本のおじーさんは、見事にハゲてるわ……うちのじーちゃんは髪の毛ふさふさだった。
でも、髪があろーがなかろーが、そんなもん「じじい」というカテゴリにおいてなんの重きも持たないとわたしは思っていたので、祖父のツッコミが意外でした。
そうか……男にとって、髪のあるなしは、じじいになってなお重要なアイデンティティだったのね。
うちのじーちゃんは細面で小顔の色白、髪も眉も濃く、目は大きくぱっちり二重、細く尖ったアゴの持ち主でした。おまけに小柄で華奢ときたもんだ。
90歳を過ぎてなお、お目々はぱっちりぬいぐるみのよーでしたよ。
「おじーちゃんに似れば、アンタも美人だったろうにね」
と、いろんな人から溜息をつかれながら、わたしは生きてきましたよ!!
ええわたしゃ、カケラもじーちゃんに似てないもんよ。
わたしは、おじーちゃんの最初の奥さんにそっくりです。若くして亡くなったそうなので、遺影でしか知らないけど、あまりにそっくりで泣けてくる……でかい丸い顔、細い目……平安時代なら美人だったかもしれない容姿……めそめそ。
まあ、そんなこんなで。
わたしはじーちゃん子で、じーちゃんと猫と一緒に、仲良く暮らしておりました。
そう、そして。
ここでよーやく、宙組公演『レヴュー伝説』の話になるのだ。
しみじみ思ったの。
わたし、水くんの「受け口」が好きだなあ、と。
【こあらさんの豆知識!】
うけ‐ぐち【受(け)口】
1 物を受け入れるためにあけてある口。受け入れ口。「電球の―」
2 《「うけくち」とも》下あごが上あごより前に出ている口。
「受」についているナニカだとか、「受」についてのナニカだとかではありません!!
−Yahoo!辞書 まんまコピペ!!(一部加筆!)−
水くんの口元見てると、なんだか触りたくなる……。
とゆーのもさー。
水くんてば、うちのおじーちゃんに似ている!!
特に横顔が。
てゆーか、口元からアゴが。
てゆーか。
三日月なところが!
MyじじLOVEな緑野の、ハートを直撃する造作。
そうか、切れ長の細い目が好きなのはわたし個人の好みだけど、長い顔と尖ったアゴに惹かれるのは、じーちゃんLOVEだからなんだわ。
口元が歪んだ人が好きなのも、うちのじーちゃんの受け口が好きだった発展系?
三つ子の魂百までも。
生まれて最初に出会った美形が、うちのじじいだった緑野の深層心理には、かなり根強くインプリンティングされているようです。
水くんを見ると、ときめきます……ぽわわーん。
『レヴュー伝説』は愉快なショーだけど、わたし的には不満。
何故ならば、明るく愉快でロマンティックで、健康的なショーだから。
エロくないんだもの、カケラも!!
つまんねーよ。
どきどきさせてくれよー。
スポーツチームの演舞のよーに健康的なもんだから、色気が必殺技の水くんの魅力がかなり控えめになっている。
ショーと役のコンセプトを理解しすぎているのか、水くんてば、どこを取っても満面の笑顔! 歯、見せすぎだよ、にーさん……。
対照的なのが、タニちゃん。
この子はなにをどうまちがったのか、キザりまくっている。
対の位置で踊っていても、水くんはにっこにこの笑顔、タニちゃんはにこりともしないしかめっ面。
えーと。
あの、君たち、まちがってます。困惑。
タニちゃんはせっかくのアイドル的持ち味を自分で殺し、似合わない「色気ポーズ」を取るのに必死。
水くんはせっかくのセクシー持ち味を自分で殺し、似合わない「アイドルポーズ」を取るのに夢中。
なんでこんなことになってるの……?
もったいない。
ただただ、もったいないす。
既成概念をコワして新しい魅力を、という意気込みはわかるが、それとは別に柔軟性が必要だから。
持ち味を否定して、全部が全部「新しい魅力開発」に挑んでも、スベるから。持ち味を否定する、ってのは、それまでの自分自身の否定でしょう? ベースは「自分自身」のまま、そこに新しい価値を付加していくべきよ。
……頼むよ、タニちゃん。キミは、キミのままでいいんだよ……自分で壊さないでくれよー。
はっ。水くん語りのつもりが、結局はタニちゃんなのかっ。
がんばれ女の子。@ホテル ステラマリス
2005年1月25日 タカラヅカ チェリさんは言いました。
「水くん、まりえったさんより色気が少なくなってましたね」
真顔ですよ!
真顔で言いますか、まりえったより下だと!!
逸翁デーとやらの大劇場、芝居が終わったあとの幕間休憩のときの会話ですよ。
芝居ですよ、芝居。
通常のまりえったならともかく、今回の芝居のまりえったは、じじい役ですがな!
そのじじいよりも、色気が少ないと?!!
……がっくり。
否定できないあたり……ううう。
われらが水しぇんの固有スキルは言わずもがな色気ですよ。
彼の必殺技が、色気なんですよ。
なのにその固有スキル、必殺技が、じじい以下だとなっ。
あああ水くん……水くん、水くん、水くん……。(取り乱し、ただ名を呼び続けるの図)
んじゃまた『ホテル ステラマリス』の話をしよう。
えっ、水くんの話? なんですかソレ。今からするのは、お花様の話です。
だって宙組と言えばお花様でしょう? にっこり。
『ホテル ステラマリス』は、冗長かつ退屈なお話。いろいろまちがった作品なので、こればかりはどうしようもない。
最初に観たときわたしは、「いつになったらオープニングが終わって、本編がはじまるんだろう?」と首を傾げていたもの、中盤を過ぎるまで。
組子たちがいつも舞台上にたくさんいて、いつもなにかしらがちゃがちゃやっていて、それだけでわたしとしてはたのしい。
七帆くんの顔はやはり好みなので眺めているとしあわせだし、いりすと暁郷を、珍獣を愛でるハートで眺めたおすのもたのしい。早霧や和などの美形で眼福にひたるもよし。目についてしょーがないカチャと真木薫、すずはるき(なぜかひらがな愛用)もハズせないよねえ。ああ、右京さんは癒し系だわ、いてくれるだけでいいの。みんながペアで踊っているなか、ひとりさみしいはっちゃんとか、ツボだわー。てゆーかメイド・コスのいづみちゃんは信じられないくらいかわいいんですけど、どうなのよ?! とかな。
ホテル従業員たちをぼーっと眺めているだけの時間が過ぎていく。
そうなんだよね。
この作品が退屈なのは、視点が存在しないせいもあるんだよね。
誰を中心に物語を見ればいいのか、誰に感情移入すればいいのかわからない。
ウィリアムやステイシーやアレンや、いろんなキャラクタは舞台に出ているのだけど、彼らの描き方が、モブの従業員たちと同じテンションなんだわ。
「プランB!」とか言って、みんなでわいわい踊っている、同じ重さと熱さしかないの。
ウィリアムが主役らしいことはわかるけど、こんな彼には感情移入できそうにない。
真ん中はいつもウィリアム、というだけの「ショー」だよなあ。
ストーリーは感じられない。
だから「物語」だと思って観ていると、退屈してしまう。
しかもこのウィリアム、「設定」と「言動」が一致していないためにさらに感情移入不可能になっている。
ステイシーに気があるの? えっ、ラヴラヴの恋人アリソン? でもやっぱりステイシーにいい顔してる……なにこいつ??
そんなよくわかんねーウィリアム以外のキャラは、名前のある人たちから名もなき従業員まで、みーんな同じテンションの描き方。
これで、どんな物語を紡ごうというんだ。盛り上がらないってば。
まるで、ピントのずれたホームムービーを観ている感じ。
ピンぼけだから、なにをやっているのか、今ひとつよくわからない。
そうそして、このボケたスクリーンのピントが、一気に合う瞬間がある。
輪郭のうすぼんやりしていた白っぽいスクリーンで、一気に画面が鮮明になり、色が輝き出す。
素人のホームムービーが、まっとーに「物語」として機能しはじめる。
それが、お花様の力だ。
ステイシーが倒れ、泣き出すところ。
今まで誰もが等しく脇役、モブシーンの連続でしかなかったのに、そこではじめて「ステイシーの物語」がはじまるんだ。
誰が主役かわからない、ピントのボケた物語で、「そうか、この子に感情移入すればいいんだ」とわかる。
てゆーか、もう。
ステイシーが主役なんだとわかれば、そっからあとはたのしいぞ。
傷ついて、思わず弱音・本音吐露して泣き出して、すがって泣いて、抱きついて泣いて。
だけど男は、やさしいばかりで。
彼女が求めるものは返してくれなくて。
でもこのやさしさは、求めるものにつながっているかも? と思っていたら、「婚約者登場」だ。
失恋のショックと独り相撲のみじめさと、なにもかも目の前で壊れ落ちていく絶望とで、ボロボロになって銀橋で独唱だ。
気持ちいい……。
「物語」ってのは、これくらい感情移入させて、気持ちを揺さぶってくれなきゃだわ。
その他大勢がえんえん歌って踊っているだけじゃ、たのしめないわ。
この冗長な物語を、実力で「恋愛物語」にしてしまう、お花様はすごい人だ。
ステイシーっていうのは、リアルにかわいい子だよね。
真面目で融通が利かなくて、仕事はできるけど生きることは不器用で。
父親にも幼なじみで婚約者のアレンにも、仕事中は完璧に「仕事用の顔」しか見せないんだよね。
なれ合いは一切なし。潔いというか、律儀過ぎる。
ウィリアムに惹かれているのもわかるのに、「ですます調」を一切くずさず、距離を置いたまま。せっかく朝の浜辺でふたりっきり、愛称で呼ぶことにしたってのに、それでもまだ「ですます調」、しかも次の場面ではまた役職で呼んでいるし。
なんでそー、不器用かな。
有能なホテルウーマンなのに。
そんな彼女が、アレンとふたりきりのときは豹変。
甘えを含んだ若い女の子らしい喋り方。
これが地だとすれば、「コンシェルジュ」としての彼女はどれほど無理をしているのだろう。
もちろん、ホテルウーマンは彼女の天職であり、夢のための努力は苦労ではない。律儀なまでの規律正しさと真面目さは、彼女らしさの表れだろう。
ふだんの幼さやかわいらしさと、ちとローテンションだが完璧なワーキングウーマンぶりと。
この二面性は、ものすげえ萌えなんですが。
かわいいよな、ステイシー。
このかわいい女の子が、ウィリアムなんぞに振られてボロボロになって泣くのよー。もー。たまんないわー。
目眩起こして倒れるくらい身も心もボロボロなのに、その原因であるアリソンに「ようこそステラマリスへ」って挨拶するのよー。
その不器用な強さが好き。
このときのステイシーの姿は、最後のアリソンのキスと関連していると思う。
強く、美しい女たち。
頭を上げ、背筋を伸ばして生きる女たち。
『ホテル ステラマリス』の物語がはじまるのは、ステイシーが物語の中心に出てきたときからだ。
散漫な空気を、一点絞り込む、吸引する、お花様の力。
やはり、花總まりは、すばらしい役者だと思う。
好き嫌いを超えて、観ている者を自分の側へ引き込む力を持つ。
うーむ。
「水くん、まりえったさんより色気が少なくなってましたね」
真顔ですよ!
真顔で言いますか、まりえったより下だと!!
逸翁デーとやらの大劇場、芝居が終わったあとの幕間休憩のときの会話ですよ。
芝居ですよ、芝居。
通常のまりえったならともかく、今回の芝居のまりえったは、じじい役ですがな!
そのじじいよりも、色気が少ないと?!!
……がっくり。
否定できないあたり……ううう。
われらが水しぇんの固有スキルは言わずもがな色気ですよ。
彼の必殺技が、色気なんですよ。
なのにその固有スキル、必殺技が、じじい以下だとなっ。
あああ水くん……水くん、水くん、水くん……。(取り乱し、ただ名を呼び続けるの図)
んじゃまた『ホテル ステラマリス』の話をしよう。
えっ、水くんの話? なんですかソレ。今からするのは、お花様の話です。
だって宙組と言えばお花様でしょう? にっこり。
『ホテル ステラマリス』は、冗長かつ退屈なお話。いろいろまちがった作品なので、こればかりはどうしようもない。
最初に観たときわたしは、「いつになったらオープニングが終わって、本編がはじまるんだろう?」と首を傾げていたもの、中盤を過ぎるまで。
組子たちがいつも舞台上にたくさんいて、いつもなにかしらがちゃがちゃやっていて、それだけでわたしとしてはたのしい。
七帆くんの顔はやはり好みなので眺めているとしあわせだし、いりすと暁郷を、珍獣を愛でるハートで眺めたおすのもたのしい。早霧や和などの美形で眼福にひたるもよし。目についてしょーがないカチャと真木薫、すずはるき(なぜかひらがな愛用)もハズせないよねえ。ああ、右京さんは癒し系だわ、いてくれるだけでいいの。みんながペアで踊っているなか、ひとりさみしいはっちゃんとか、ツボだわー。てゆーかメイド・コスのいづみちゃんは信じられないくらいかわいいんですけど、どうなのよ?! とかな。
ホテル従業員たちをぼーっと眺めているだけの時間が過ぎていく。
そうなんだよね。
この作品が退屈なのは、視点が存在しないせいもあるんだよね。
誰を中心に物語を見ればいいのか、誰に感情移入すればいいのかわからない。
ウィリアムやステイシーやアレンや、いろんなキャラクタは舞台に出ているのだけど、彼らの描き方が、モブの従業員たちと同じテンションなんだわ。
「プランB!」とか言って、みんなでわいわい踊っている、同じ重さと熱さしかないの。
ウィリアムが主役らしいことはわかるけど、こんな彼には感情移入できそうにない。
真ん中はいつもウィリアム、というだけの「ショー」だよなあ。
ストーリーは感じられない。
だから「物語」だと思って観ていると、退屈してしまう。
しかもこのウィリアム、「設定」と「言動」が一致していないためにさらに感情移入不可能になっている。
ステイシーに気があるの? えっ、ラヴラヴの恋人アリソン? でもやっぱりステイシーにいい顔してる……なにこいつ??
そんなよくわかんねーウィリアム以外のキャラは、名前のある人たちから名もなき従業員まで、みーんな同じテンションの描き方。
これで、どんな物語を紡ごうというんだ。盛り上がらないってば。
まるで、ピントのずれたホームムービーを観ている感じ。
ピンぼけだから、なにをやっているのか、今ひとつよくわからない。
そうそして、このボケたスクリーンのピントが、一気に合う瞬間がある。
輪郭のうすぼんやりしていた白っぽいスクリーンで、一気に画面が鮮明になり、色が輝き出す。
素人のホームムービーが、まっとーに「物語」として機能しはじめる。
それが、お花様の力だ。
ステイシーが倒れ、泣き出すところ。
今まで誰もが等しく脇役、モブシーンの連続でしかなかったのに、そこではじめて「ステイシーの物語」がはじまるんだ。
誰が主役かわからない、ピントのボケた物語で、「そうか、この子に感情移入すればいいんだ」とわかる。
てゆーか、もう。
ステイシーが主役なんだとわかれば、そっからあとはたのしいぞ。
傷ついて、思わず弱音・本音吐露して泣き出して、すがって泣いて、抱きついて泣いて。
だけど男は、やさしいばかりで。
彼女が求めるものは返してくれなくて。
でもこのやさしさは、求めるものにつながっているかも? と思っていたら、「婚約者登場」だ。
失恋のショックと独り相撲のみじめさと、なにもかも目の前で壊れ落ちていく絶望とで、ボロボロになって銀橋で独唱だ。
気持ちいい……。
「物語」ってのは、これくらい感情移入させて、気持ちを揺さぶってくれなきゃだわ。
その他大勢がえんえん歌って踊っているだけじゃ、たのしめないわ。
この冗長な物語を、実力で「恋愛物語」にしてしまう、お花様はすごい人だ。
ステイシーっていうのは、リアルにかわいい子だよね。
真面目で融通が利かなくて、仕事はできるけど生きることは不器用で。
父親にも幼なじみで婚約者のアレンにも、仕事中は完璧に「仕事用の顔」しか見せないんだよね。
なれ合いは一切なし。潔いというか、律儀過ぎる。
ウィリアムに惹かれているのもわかるのに、「ですます調」を一切くずさず、距離を置いたまま。せっかく朝の浜辺でふたりっきり、愛称で呼ぶことにしたってのに、それでもまだ「ですます調」、しかも次の場面ではまた役職で呼んでいるし。
なんでそー、不器用かな。
有能なホテルウーマンなのに。
そんな彼女が、アレンとふたりきりのときは豹変。
甘えを含んだ若い女の子らしい喋り方。
これが地だとすれば、「コンシェルジュ」としての彼女はどれほど無理をしているのだろう。
もちろん、ホテルウーマンは彼女の天職であり、夢のための努力は苦労ではない。律儀なまでの規律正しさと真面目さは、彼女らしさの表れだろう。
ふだんの幼さやかわいらしさと、ちとローテンションだが完璧なワーキングウーマンぶりと。
この二面性は、ものすげえ萌えなんですが。
かわいいよな、ステイシー。
このかわいい女の子が、ウィリアムなんぞに振られてボロボロになって泣くのよー。もー。たまんないわー。
目眩起こして倒れるくらい身も心もボロボロなのに、その原因であるアリソンに「ようこそステラマリスへ」って挨拶するのよー。
その不器用な強さが好き。
このときのステイシーの姿は、最後のアリソンのキスと関連していると思う。
強く、美しい女たち。
頭を上げ、背筋を伸ばして生きる女たち。
『ホテル ステラマリス』の物語がはじまるのは、ステイシーが物語の中心に出てきたときからだ。
散漫な空気を、一点絞り込む、吸引する、お花様の力。
やはり、花總まりは、すばらしい役者だと思う。
好き嫌いを超えて、観ている者を自分の側へ引き込む力を持つ。
うーむ。
罪の王国は、罪ゆえに。@タカラヅカ・ドリーム・キングダム
2005年1月23日 タカラヅカ みなさん、ご存じですか?
もう『ドルチェ・ヴィータ!』はやっていないんですよ。
そんなことを改めて、考えてしまう東宝宝塚劇場。
無人のロビー、細長い窓から見下ろした正面道路、空間を埋め尽くす人の群れ。
白。
白い人たちが、リボンのように波を作ってひろがっている。
夜のはずなのに、明るくて。
そりゃーもー、ぽかーんと明るくてね。
あれは、いつのこと?
「星楽から、まだ1ヶ月経ってないって、知ってましたか?」
って、言われるまで気づかなかったよ。
なんだか長い夢を見ているみたいで。
『ドルチェ・ヴィータ!』がもうやっていないなんて。
この世界のどこにも、あの美しい悪夢が存在していないなんて。
そんな絶望が、あるだろうか。
もうあの青い世界には行けないの?
あの美しい人たちには、二度と会えないの?
理不尽な寂寥にかりたてられるよ。
どこかへ走り出したくなる。
どこへ行ったって、もう二度と会えないのにね。
「嘘みたいだなあ。もう『ドルチェ・ヴィータ!』は観られないんだー」
と、つぶやきながら、観に行ったのは雪組公演。
雪組に罪はない。
むしろ、罪作りは星組の方。
星組の裏番組でなければ、わたしはもっと雪組に通っていた。
星東宝に通うために、他のすべてを犠牲にしていたので、雪ムラに通う余裕がまったくなかったのよー。
大好きだったのに、『夢王国』。
『タカラヅカ・ドリーム・キングダム』は、ほんとにツボ直撃の作品だった。
耽美ホモ3連発、とゆー露骨さも愉快だが、そこまでうっかりかっとばしてしまった、「タカラヅカの可能性」を表していて、感動する。
女だけで演じる、世界でもまれな劇団。
その特色ゆえの「可能性」だと思うのよ。「耽美」は。
少なくとも日本では、タカラヅカ以上に「耽美」を表現できる実写媒体はないと思っている。
なにしろ日本人の男は、スタイル悪いからなぁ。8等身以上の男を捜すのは無謀だもんよー。顔だけきれいでも意味ナシ。全身像を見たら興醒めしちゃうもんよー。
女性は通常、男より顔が小さいから、小顔で長身の女性が肩パッド入れて体型補正して「男」になった場合の方が、楽に8等身になれるんだよね。
女性が演じる「男役」、現実ではありえないスタイルと美貌、そのうえで表現する「耽美」。
それは、醍醐味ってやつでしょう。
可能性、追及しちゃってください。
3つのパート、真ん中の齋藤くん演出パートがそこまで「耽美」かと言われるとちとこまるが、アレはアレでアリだと思っている。
アニメ的にデフォルメされた「耽美」のひとつでしょう。
日本刀持ってあばれる美青年だの、真っ黒戦隊登場だの。
他のパートが重いだけだから、笑わせてくれる齋藤くんパートは重宝してるよ。
必殺ネコ耳(犬だけど)に笑い、カマだのロリータだのナースだのに笑い、なによりやはり、ブラックかしげを筆頭に迫り上がってくる特撮ヒーローものの宿敵、悪の幹部軍団登場っ!! には、手を叩いて笑いたくなるもの。
『ホテル ステラマリス』が好きなのと同じで、舞台の上のどこを見たらいいかわからない、目がいくつあっても足りない、役をいっぱい割り振られた人海戦術が小気味いい。
「美」の話をしているわけだから、ついでにかっしーの話をしておこう。
今回かしげ、いいよねっ。
美しい。
てゆーか。
美貌が無駄になっていないかしげを、はじめて見た。
えーと、わたしがかっしー眺めてもう何年経つ? 雪エリザ新公からだから、10年近く?
それで、はじめてかよ……。
ほんまにいつもいつも無駄に美しいだけの男だったもんなー。
今回は、黒かしげも白かしげも、全部いい仕事してるよね。
特出してからこっち、1作ごと確実に、かしげは進化している。
…………遅いよ。
なんで今ごろになって……新公卒業するあたりで、自分の必殺技ぐらい見極めて、磨いておけよ。
かっしーの取り柄は、なんつったってそりゃ美しいことでしょ?
薄いだけの男はもう卒業だ! 髪が薄いのは仕方ないが、持ち味だけはも少し濃くしろー。
がんばれかっしー。と言い続けて、もう10年目ですか。やれやれ。
でもさ。
芝居の方で、デニス@かしげがフィンセント@コム姫に髪の毛をいじられて遊ばれちゃうところ。
かっしーてば、コム姫にキスでもしているよーな接近ぶりだった。
わざと、アヴなくして見せているんだと思う。ホモっぽく盛り上げて、観客を「きゃあ♪」と言わせようとしているんだと思う。
しなくていいから、そんなことは!!
かっしーはホモネタ禁止!
わたしゃかっしーをそんなふーに育てたおぼえはありません!!
かっしーはおバカな ちゃなくて、純粋なままいてください。
安易なホモはいらんから!
キミはソレ、向いてないから!!
ノンケ男が無自覚に深みにはまっていく方が、よほど萌えだよ、かっしーのキャラ的には。
つーことで、へんな意味で濃くならないでね、かっしー。
美を堪能できる『ドリーム・キングダム』。
星組の裏番組でさえなければ……そして、星組公演で赤貧まっしぐらになっていなければ、もっともっと、観たかったよ。
もう『ドルチェ・ヴィータ!』はやっていないんですよ。
そんなことを改めて、考えてしまう東宝宝塚劇場。
無人のロビー、細長い窓から見下ろした正面道路、空間を埋め尽くす人の群れ。
白。
白い人たちが、リボンのように波を作ってひろがっている。
夜のはずなのに、明るくて。
そりゃーもー、ぽかーんと明るくてね。
あれは、いつのこと?
「星楽から、まだ1ヶ月経ってないって、知ってましたか?」
って、言われるまで気づかなかったよ。
なんだか長い夢を見ているみたいで。
『ドルチェ・ヴィータ!』がもうやっていないなんて。
この世界のどこにも、あの美しい悪夢が存在していないなんて。
そんな絶望が、あるだろうか。
もうあの青い世界には行けないの?
あの美しい人たちには、二度と会えないの?
理不尽な寂寥にかりたてられるよ。
どこかへ走り出したくなる。
どこへ行ったって、もう二度と会えないのにね。
「嘘みたいだなあ。もう『ドルチェ・ヴィータ!』は観られないんだー」
と、つぶやきながら、観に行ったのは雪組公演。
雪組に罪はない。
むしろ、罪作りは星組の方。
星組の裏番組でなければ、わたしはもっと雪組に通っていた。
星東宝に通うために、他のすべてを犠牲にしていたので、雪ムラに通う余裕がまったくなかったのよー。
大好きだったのに、『夢王国』。
『タカラヅカ・ドリーム・キングダム』は、ほんとにツボ直撃の作品だった。
耽美ホモ3連発、とゆー露骨さも愉快だが、そこまでうっかりかっとばしてしまった、「タカラヅカの可能性」を表していて、感動する。
女だけで演じる、世界でもまれな劇団。
その特色ゆえの「可能性」だと思うのよ。「耽美」は。
少なくとも日本では、タカラヅカ以上に「耽美」を表現できる実写媒体はないと思っている。
なにしろ日本人の男は、スタイル悪いからなぁ。8等身以上の男を捜すのは無謀だもんよー。顔だけきれいでも意味ナシ。全身像を見たら興醒めしちゃうもんよー。
女性は通常、男より顔が小さいから、小顔で長身の女性が肩パッド入れて体型補正して「男」になった場合の方が、楽に8等身になれるんだよね。
女性が演じる「男役」、現実ではありえないスタイルと美貌、そのうえで表現する「耽美」。
それは、醍醐味ってやつでしょう。
可能性、追及しちゃってください。
3つのパート、真ん中の齋藤くん演出パートがそこまで「耽美」かと言われるとちとこまるが、アレはアレでアリだと思っている。
アニメ的にデフォルメされた「耽美」のひとつでしょう。
日本刀持ってあばれる美青年だの、真っ黒戦隊登場だの。
他のパートが重いだけだから、笑わせてくれる齋藤くんパートは重宝してるよ。
必殺ネコ耳(犬だけど)に笑い、カマだのロリータだのナースだのに笑い、なによりやはり、ブラックかしげを筆頭に迫り上がってくる特撮ヒーローものの宿敵、悪の幹部軍団登場っ!! には、手を叩いて笑いたくなるもの。
『ホテル ステラマリス』が好きなのと同じで、舞台の上のどこを見たらいいかわからない、目がいくつあっても足りない、役をいっぱい割り振られた人海戦術が小気味いい。
「美」の話をしているわけだから、ついでにかっしーの話をしておこう。
今回かしげ、いいよねっ。
美しい。
てゆーか。
美貌が無駄になっていないかしげを、はじめて見た。
えーと、わたしがかっしー眺めてもう何年経つ? 雪エリザ新公からだから、10年近く?
それで、はじめてかよ……。
ほんまにいつもいつも無駄に美しいだけの男だったもんなー。
今回は、黒かしげも白かしげも、全部いい仕事してるよね。
特出してからこっち、1作ごと確実に、かしげは進化している。
…………遅いよ。
なんで今ごろになって……新公卒業するあたりで、自分の必殺技ぐらい見極めて、磨いておけよ。
かっしーの取り柄は、なんつったってそりゃ美しいことでしょ?
薄いだけの男はもう卒業だ! 髪が薄いのは仕方ないが、持ち味だけはも少し濃くしろー。
がんばれかっしー。と言い続けて、もう10年目ですか。やれやれ。
でもさ。
芝居の方で、デニス@かしげがフィンセント@コム姫に髪の毛をいじられて遊ばれちゃうところ。
かっしーてば、コム姫にキスでもしているよーな接近ぶりだった。
わざと、アヴなくして見せているんだと思う。ホモっぽく盛り上げて、観客を「きゃあ♪」と言わせようとしているんだと思う。
しなくていいから、そんなことは!!
かっしーはホモネタ禁止!
わたしゃかっしーをそんなふーに育てたおぼえはありません!!
かっしーは
安易なホモはいらんから!
キミはソレ、向いてないから!!
ノンケ男が無自覚に深みにはまっていく方が、よほど萌えだよ、かっしーのキャラ的には。
つーことで、へんな意味で濃くならないでね、かっしー。
美を堪能できる『ドリーム・キングダム』。
星組の裏番組でさえなければ……そして、星組公演で赤貧まっしぐらになっていなければ、もっともっと、観たかったよ。
天使のいる陽だまり。@タック
2005年1月22日 タカラヅカ アニメを想像してくれ。
主人公たちは街の不良少年グループだ。ちょっとワルでワイルド。
グループのなかで、いちばんの美形少年。女嫌いで気は荒いが、じつは繊細でハートフルな愛すべき男の子。いつも楽器を持ち歩いている。
アリでしょ? そーゆーキャラって、あるよねえ?
それが、しいちゃんでした。
立樹遥外部出演ミュージカル『タック』。
ふつー外部出演っちゅーと、「女」役じゃないですか。
女の子が男役をするのは宝塚歌劇ならでは。他の舞台では、男の役は男の人が演じる。だから男役の外部出演は微妙。宝塚に在団している貴重な時間を、女の役なんかで消費して欲しくない。女優は女である限りいつでもできるんだから。
しいちゃんの役は、「男みたいな女の子の役」だと聞いていた。
だからヅカの男役が演じても大丈夫、みたいな言い方。
それでもやっぱり、割り切れないものが残る。男役のしいちゃんが見たいよ。
つーことで、『タック』初日観劇。わたしとkineさんとサトリちゃん。
しいちゃんの役は、たしかに「男みたいな女の子」だった。
でもさー。
ふつー「男みたいな女の子」ってのは、女だってことをみんな知ってるけど、わざと男ぶって見せたりしている女の子、だよねえ?
ウクレレ@しいちゃんは、男の子でした。
だって仲間の男たち、全員彼女を男だと思ってるんだよ?!
えええ?!
その「世界」で「男」ってことは、どんなにほんとーは女っていう設定があるにしろ「男役」だよねえ?
しかもかっこいいんですけどっ。
ウクレレ少年、めちゃかっこいー。
「『ガンバの大冒険』でいうところの、イカサマのポジションですよ」と、チェリさんに解説したら、すごく話の通りがよかったぞ(笑)。
つまりはそーゆー役だ。
本物の男の人たちの間で、素顔で、なんでそんなに男前なんだ、立樹遥。
周り、男優だよ? 素顔だよ? なのにしいちゃんがいちばんハンサムでした(笑)。体格も負けてないしな(笑)。やっぱ背高い〜。
そして、こんなに踊りまくっている立樹遥を、はじめて見た。
なんだよー、踊れるんじゃん、しいちゃん。
べつに今まで、踊れない人だとは特に思ったことなかったけどさ。踊れる人だとも思ったことなかったから。
てゆーか所詮タカラヅカなダンスしか見たことなかったしなー。
しいちゃんは男の役なので、男たちとほぼ同じダンスをガシガシ踊ってました。
もちろん、男性の筋力でしかできないアクロバティックなダンスは無理ですが、それ以外の振り付けはほぼ同じ。
男言葉に乱暴な話し方、低い声。
くすんだ服、汚した顔。
ひねくれた、ぎらぎらした瞳。
かっこいいんですけどっ。
ど、どーしたんだ立樹遥。
立樹遥なのにかっこいいぞっ?!
うろたえ。
そしてそして、どんなにすさんだ少年の役をやっていても、きらきらしているのよ、しいちゃんの瞳は!!(笑)
すごい。なんでひとりだけそんなにきらきらしてるのよー。目になんか入れてるのー?(笑)
サトリちゃんのおかげで4列目センターにいたわたしとkineさんのもとには、目線来まくり。ぐわっ、し、心臓がっ。
心臓に悪いよ、しいちゃん。かっこよすぎっ。ハァハァ。
なんかふとね、思っちゃったよ。
こんなにかっこいいのに、きれいなのに、どーしてヅカの舞台では、この何分の一の魅力しか発揮していないんだ、この人は。
もったいない……。
もっともっと、たくさんの人に見て欲しい。
この立樹遥を、見て欲しい。
この立樹遥を見たら、見直す人、惚れ直す人、続出だろうに。
でもしいちゃんファン以外、見に来ないよね……しょぼん。
ウクレレくんがあまりに魅力的な男の子(ほんとは女の子)だから、この子がこれからどんな大人になるのか、知りたくてしょーがないよ。
てゆーかあの仲間たち、ウクレレがほんとは女だって知ったら、どんなリアクション取るかな。
恋が生まれるとしたら、どの男とだろう? と、ヲトメハートがうずきますわ(笑)。
さて。物語は自体はどーってことのないファンタジー。
古き良き時代のアメリカ、裏町の不良少年たちの前に、タック@坂元健児という男が現れた。
トラウマがもとで喋れなくなってしまった少女ミュー@堀内敬子を中心に、生きることに精一杯の貧しく荒んだ少年たちは、タックと出会ったことで、心を開いていくわけだ。
どーせオレたちなんか、とすねて、ひがんで、あきらめていた少年たちは、誠実でなにごとにも一生懸命なタックの姿に失っていた夢を取り戻すのね。
ストーリーは単純なので、あとはひたすらダンスと歌、キャラクタの魅力だけに集中できる作りになっている。
ミューのために、タックが賭けボクシングに手を染める、というストーリーラインからわかるよーに、かなりアクティブなビジュアルの物語だ。動くぞ、ほんとに。汗が飛び散ります系。
単純で普遍的なテーマを、激しい動きでたたみかけるよーに表現するので、いったんその渦に巻き込まれると一緒に翻弄されてしまうので、ものすごーく消耗する。
集中して、出演者と一緒になって、くたくたになって観るのが醍醐味かと(笑)。
エンタメの基本、見終わったあとに「生きることはつらいけど、でも、わたしもまたがんばって生きていこう」と思わせること。
それをちゃんと体現してくれる作品。
なにかしら、背中をぽんっと押してくれる作品。
見終わったあとに、隣の席のkineさんが、
「私もやりなおせるかなぁ」
とつぶやいた。
なんだよ、泣かせること言うなよ。
やりなおせるに決まってるじゃんか。
人生いつだって握り拳だ。
と、ひとごとなら言っちゃうけどな。
自分はいつも停滞前線。てへ。
マジにいい作品なんで、機会を作れるよーならぜひ観てくださいよ〜。
残念ながらわたし好みの「毒」はないので、萌えないけどな。
ストレートな陽だまり作品。
あるのは「天使の翼」、「闇」や「棘」はない。
……あまりに饒舌にテーマをまくしたてるので、ちと赤面する感はあるが、こーゆー「正しい」作品は好きだ。
前へすすめ、翼を持たない天使たち。
主人公たちは街の不良少年グループだ。ちょっとワルでワイルド。
グループのなかで、いちばんの美形少年。女嫌いで気は荒いが、じつは繊細でハートフルな愛すべき男の子。いつも楽器を持ち歩いている。
アリでしょ? そーゆーキャラって、あるよねえ?
それが、しいちゃんでした。
立樹遥外部出演ミュージカル『タック』。
ふつー外部出演っちゅーと、「女」役じゃないですか。
女の子が男役をするのは宝塚歌劇ならでは。他の舞台では、男の役は男の人が演じる。だから男役の外部出演は微妙。宝塚に在団している貴重な時間を、女の役なんかで消費して欲しくない。女優は女である限りいつでもできるんだから。
しいちゃんの役は、「男みたいな女の子の役」だと聞いていた。
だからヅカの男役が演じても大丈夫、みたいな言い方。
それでもやっぱり、割り切れないものが残る。男役のしいちゃんが見たいよ。
つーことで、『タック』初日観劇。わたしとkineさんとサトリちゃん。
しいちゃんの役は、たしかに「男みたいな女の子」だった。
でもさー。
ふつー「男みたいな女の子」ってのは、女だってことをみんな知ってるけど、わざと男ぶって見せたりしている女の子、だよねえ?
ウクレレ@しいちゃんは、男の子でした。
だって仲間の男たち、全員彼女を男だと思ってるんだよ?!
えええ?!
その「世界」で「男」ってことは、どんなにほんとーは女っていう設定があるにしろ「男役」だよねえ?
しかもかっこいいんですけどっ。
ウクレレ少年、めちゃかっこいー。
「『ガンバの大冒険』でいうところの、イカサマのポジションですよ」と、チェリさんに解説したら、すごく話の通りがよかったぞ(笑)。
つまりはそーゆー役だ。
本物の男の人たちの間で、素顔で、なんでそんなに男前なんだ、立樹遥。
周り、男優だよ? 素顔だよ? なのにしいちゃんがいちばんハンサムでした(笑)。体格も負けてないしな(笑)。やっぱ背高い〜。
そして、こんなに踊りまくっている立樹遥を、はじめて見た。
なんだよー、踊れるんじゃん、しいちゃん。
べつに今まで、踊れない人だとは特に思ったことなかったけどさ。踊れる人だとも思ったことなかったから。
てゆーか所詮タカラヅカなダンスしか見たことなかったしなー。
しいちゃんは男の役なので、男たちとほぼ同じダンスをガシガシ踊ってました。
もちろん、男性の筋力でしかできないアクロバティックなダンスは無理ですが、それ以外の振り付けはほぼ同じ。
男言葉に乱暴な話し方、低い声。
くすんだ服、汚した顔。
ひねくれた、ぎらぎらした瞳。
かっこいいんですけどっ。
ど、どーしたんだ立樹遥。
立樹遥なのにかっこいいぞっ?!
うろたえ。
そしてそして、どんなにすさんだ少年の役をやっていても、きらきらしているのよ、しいちゃんの瞳は!!(笑)
すごい。なんでひとりだけそんなにきらきらしてるのよー。目になんか入れてるのー?(笑)
サトリちゃんのおかげで4列目センターにいたわたしとkineさんのもとには、目線来まくり。ぐわっ、し、心臓がっ。
心臓に悪いよ、しいちゃん。かっこよすぎっ。ハァハァ。
なんかふとね、思っちゃったよ。
こんなにかっこいいのに、きれいなのに、どーしてヅカの舞台では、この何分の一の魅力しか発揮していないんだ、この人は。
もったいない……。
もっともっと、たくさんの人に見て欲しい。
この立樹遥を、見て欲しい。
この立樹遥を見たら、見直す人、惚れ直す人、続出だろうに。
でもしいちゃんファン以外、見に来ないよね……しょぼん。
ウクレレくんがあまりに魅力的な男の子(ほんとは女の子)だから、この子がこれからどんな大人になるのか、知りたくてしょーがないよ。
てゆーかあの仲間たち、ウクレレがほんとは女だって知ったら、どんなリアクション取るかな。
恋が生まれるとしたら、どの男とだろう? と、ヲトメハートがうずきますわ(笑)。
さて。物語は自体はどーってことのないファンタジー。
古き良き時代のアメリカ、裏町の不良少年たちの前に、タック@坂元健児という男が現れた。
トラウマがもとで喋れなくなってしまった少女ミュー@堀内敬子を中心に、生きることに精一杯の貧しく荒んだ少年たちは、タックと出会ったことで、心を開いていくわけだ。
どーせオレたちなんか、とすねて、ひがんで、あきらめていた少年たちは、誠実でなにごとにも一生懸命なタックの姿に失っていた夢を取り戻すのね。
ストーリーは単純なので、あとはひたすらダンスと歌、キャラクタの魅力だけに集中できる作りになっている。
ミューのために、タックが賭けボクシングに手を染める、というストーリーラインからわかるよーに、かなりアクティブなビジュアルの物語だ。動くぞ、ほんとに。汗が飛び散ります系。
単純で普遍的なテーマを、激しい動きでたたみかけるよーに表現するので、いったんその渦に巻き込まれると一緒に翻弄されてしまうので、ものすごーく消耗する。
集中して、出演者と一緒になって、くたくたになって観るのが醍醐味かと(笑)。
エンタメの基本、見終わったあとに「生きることはつらいけど、でも、わたしもまたがんばって生きていこう」と思わせること。
それをちゃんと体現してくれる作品。
なにかしら、背中をぽんっと押してくれる作品。
見終わったあとに、隣の席のkineさんが、
「私もやりなおせるかなぁ」
とつぶやいた。
なんだよ、泣かせること言うなよ。
やりなおせるに決まってるじゃんか。
人生いつだって握り拳だ。
と、ひとごとなら言っちゃうけどな。
自分はいつも停滞前線。てへ。
マジにいい作品なんで、機会を作れるよーならぜひ観てくださいよ〜。
残念ながらわたし好みの「毒」はないので、萌えないけどな。
ストレートな陽だまり作品。
あるのは「天使の翼」、「闇」や「棘」はない。
……あまりに饒舌にテーマをまくしたてるので、ちと赤面する感はあるが、こーゆー「正しい」作品は好きだ。
前へすすめ、翼を持たない天使たち。
モブを見るのがたのしいぞ。わたしは主役も好きだけど。@ホテル ステラマリス
2005年1月21日 タカラヅカ わたしの欠点は、短い文章を書けないことである。
要点だけまとめられないのよねえ。こまったわねえ。
つーことで、まだまだ『ホテル ステラマリス』の話。
物語はべつに、まちがってない。
ただ、「いいかげんな作り」だから、「つまらない」「盛り上がらない」「退屈」「冗長」「主人公が不誠実」という印象を与えるだけで。
いいかげんに端折られてしまった部分をきちんと描き、あちこち整理すれば、ちゃんといい話になると思うんだけどなー。やれやれ。
ずいぶんな文字数をかけて、文句ばかり書いてきたけど、ここでひとつ、断言させてくれ。
わたしは、この作品が好きだ。
ええ、好きなんですよー。ほほほ。
だって、たのしいもん。
『デパートメント・ストア』が好きだったのと同じ理由。
キャラクタがごちゃごちゃ出まくってて、それぞれ舞台の上で「人生」しているのは、見ていてたのしい。だから大好き。
わたしはニュートラルに「タカラヅカ」ってもんを愛していると、自分では思っている。
だから、タカラジェンヌたちが舞台でたのしそーに創意工夫して、「存在」しているのを見るのが、うれしくてしょーがない。
『ステラマリス』の従業員たちってば、なんてたのしそうなの。
それぞれ「自分の役」があって、ひとりずつなにかしらやっている。
目がいくつあっても足りないよー。
誰を見ればいいの? メイドのひとりひとり、ボーイのひとりひとりを見ているだけで、たのしいんですけど。
宙組下級生ファンのデイジーちゃんが、すごい勢いでリピートかけてるのがわかる。
コレ、組ファンにはたのしいわ。
画面の隅々まで、おいしいんだもの。
役者たちが「背景」でしかなかった某中国物芝居を数ヶ月見続けた後遺症かしらねー。
役者たち全員が活き活きと「存在」しているこの芝居が、泣けるほど愛しいわ。
…………あくまでも、「宙組全体」を眺めた場合の話よ。
組子の顔の区別もつかない、1回ふつーに芝居を観るだけの人からしたら、退屈な作品だってことは、たしかよ。
さて、最後に主人公の話。
ウィリアム@たかこって、ほんとうはいい男だと思う。
肝心の場面が何故か省略されていて、描かれていないので、不誠実な二股男に成り下がってるけど、たぶんふつーに「善い男」だと思う。
彼の誠実さが現れているのが、何故か社長@まやさん相手なんだよね。
ふつー、ヒロイン相手に発揮しないか、そーゆー一面は。
石頭社長と本音で口論するウィリアムは、いい奴だ。それまでただのひょうひょうとしたにーちゃんだったのが、信じるに値する男だということが、ここでわかる。
外野からホテルの経営に口を出してへらへらしていた「大学教授」ではなく、「経営者」として、本気で叫ぶシーン。
ホテルのことも、従業員のことも、そしてその未来をも、全部見据えた上で、義務と責任を覚悟している男。
このシーンを見て、ヒロインが本格的に彼に恋をする、とかだと、わかりやすいのになあ。
何故か、このウィリアムの人格を顕著にしているシーンをのぞき見ているのは、ヒロイン・ステイシーではなく、アレン@水くんなんだよなー(笑)。
ウィリアムの「本気」を目の当たりにしたら、そりゃ見直すって。つーか、惚れるって。
現にアレンは、「私はアナタを信じます」ってすかさず告ってますがな。
アレンをオトしてどーするよ、ウィリアム。つーか、正塚。
ヒロインが恋に落ちるべきシーンで、恋敵の男をオトしてどーする。
やっぱ正塚の作劇は変だよな(笑)。
ステイシー@お花様とウィリアムの恋は、きっかけらしいきっかけを観客に見せないまま、あくまでも「自然に」浸透していくわけだ。
そこにこだわりたかった気持ちはわかるが、なにしろ作品がいいかげんな作りだから、表現が足りてないのな。やれやれ。
ウィリアムが愛すべき青年である以上、「不実な二股男」にしか見えない展開はまちがってる。
わたしたちの目に映る「ウィリアム」は、いい男である。
だけど「作品全体」として見ていると、ひどい男。
これが混乱のもとなんだよなー。
他のなにをまちがっていてもいいから、主人公の人格だけ正してくれよー。
いい男なら、全体の行動もいい男にしてくれよー。
今のままじゃウィリアムは、作者のアタマの中にだけ「いい男」として存在しているよ。
見ているモノには、わかんないよ。
主人公の行動に辻褄が合えば、それだけで作品の辻褄も合うのになー。
ウィリアムの恋愛面は変だけど、それ以外はふつうにいい男なので、たかこファンのわたしは見ていてたのしめる。
ほんとに、恋愛話全部カットしてくんないかなー。
いいじゃん、ステイシーの片想いで。ウィリアムはホテル再建だけ考えてるビジネスマンで。
彼の恋愛話があまりに中途半端だから、脳内変換するしかないじゃん。
すなわち、もともとウィリアムは、女を愛せない男だったが、その現実から逃れるためにアリソンにプロポーズしていた。とかゆー設定を、捻出するしかなくなるわけだよ(笑)。
ウィリアムの狙いは、アリソンではなくその父親@ハゲタカファイナンスの社長だった、とか。すでに社長の愛人だった、とか。
でも「ステラマリス」に来て、うっかりステイシーパパ@まやさんと恋に落ちたとか、おやぢ好きのウィリアム的にはぜんぜん好みじゃないからスルーしていたアレン@水しぇんがウィリアムにオチて、めろめろになっていたとか。
海洋学者@すっしーも同類で、「同じゲイ同士、一緒に食事でもどうだね!」とか、口説いてくるし。いや、いくらおやぢ好きとはいえ、オレにも選ぶ権利はあるから! とウィリアムくんは必死に逃げていたなあ、とか。
パパに惚れたから、その娘のステイシーにも好意的だったんだわ、とか。
アリソンへの不実さを、そんなふーに想像力で補ってみたりするしかないよなー。ははは。
まあ絵ヅラ的にいちばん好みなのは、もちろんウィリアム×アレンですが。
よーするに、ウィリアムのあの微妙なナチュラル・クラゲ・テイスト(てきとーに命名)が、けっこー好きだったりするのよ、わたし。
クラゲっぽいのは、たかこの持ち味っつー気もするけどな……。
なんにせよ、見ていてたのしいから好きよ、『ホテル ステラマリス』。
要点だけまとめられないのよねえ。こまったわねえ。
つーことで、まだまだ『ホテル ステラマリス』の話。
物語はべつに、まちがってない。
ただ、「いいかげんな作り」だから、「つまらない」「盛り上がらない」「退屈」「冗長」「主人公が不誠実」という印象を与えるだけで。
いいかげんに端折られてしまった部分をきちんと描き、あちこち整理すれば、ちゃんといい話になると思うんだけどなー。やれやれ。
ずいぶんな文字数をかけて、文句ばかり書いてきたけど、ここでひとつ、断言させてくれ。
わたしは、この作品が好きだ。
ええ、好きなんですよー。ほほほ。
だって、たのしいもん。
『デパートメント・ストア』が好きだったのと同じ理由。
キャラクタがごちゃごちゃ出まくってて、それぞれ舞台の上で「人生」しているのは、見ていてたのしい。だから大好き。
わたしはニュートラルに「タカラヅカ」ってもんを愛していると、自分では思っている。
だから、タカラジェンヌたちが舞台でたのしそーに創意工夫して、「存在」しているのを見るのが、うれしくてしょーがない。
『ステラマリス』の従業員たちってば、なんてたのしそうなの。
それぞれ「自分の役」があって、ひとりずつなにかしらやっている。
目がいくつあっても足りないよー。
誰を見ればいいの? メイドのひとりひとり、ボーイのひとりひとりを見ているだけで、たのしいんですけど。
宙組下級生ファンのデイジーちゃんが、すごい勢いでリピートかけてるのがわかる。
コレ、組ファンにはたのしいわ。
画面の隅々まで、おいしいんだもの。
役者たちが「背景」でしかなかった某中国物芝居を数ヶ月見続けた後遺症かしらねー。
役者たち全員が活き活きと「存在」しているこの芝居が、泣けるほど愛しいわ。
…………あくまでも、「宙組全体」を眺めた場合の話よ。
組子の顔の区別もつかない、1回ふつーに芝居を観るだけの人からしたら、退屈な作品だってことは、たしかよ。
さて、最後に主人公の話。
ウィリアム@たかこって、ほんとうはいい男だと思う。
肝心の場面が何故か省略されていて、描かれていないので、不誠実な二股男に成り下がってるけど、たぶんふつーに「善い男」だと思う。
彼の誠実さが現れているのが、何故か社長@まやさん相手なんだよね。
ふつー、ヒロイン相手に発揮しないか、そーゆー一面は。
石頭社長と本音で口論するウィリアムは、いい奴だ。それまでただのひょうひょうとしたにーちゃんだったのが、信じるに値する男だということが、ここでわかる。
外野からホテルの経営に口を出してへらへらしていた「大学教授」ではなく、「経営者」として、本気で叫ぶシーン。
ホテルのことも、従業員のことも、そしてその未来をも、全部見据えた上で、義務と責任を覚悟している男。
このシーンを見て、ヒロインが本格的に彼に恋をする、とかだと、わかりやすいのになあ。
何故か、このウィリアムの人格を顕著にしているシーンをのぞき見ているのは、ヒロイン・ステイシーではなく、アレン@水くんなんだよなー(笑)。
ウィリアムの「本気」を目の当たりにしたら、そりゃ見直すって。つーか、惚れるって。
現にアレンは、「私はアナタを信じます」ってすかさず告ってますがな。
アレンをオトしてどーするよ、ウィリアム。つーか、正塚。
ヒロインが恋に落ちるべきシーンで、恋敵の男をオトしてどーする。
やっぱ正塚の作劇は変だよな(笑)。
ステイシー@お花様とウィリアムの恋は、きっかけらしいきっかけを観客に見せないまま、あくまでも「自然に」浸透していくわけだ。
そこにこだわりたかった気持ちはわかるが、なにしろ作品がいいかげんな作りだから、表現が足りてないのな。やれやれ。
ウィリアムが愛すべき青年である以上、「不実な二股男」にしか見えない展開はまちがってる。
わたしたちの目に映る「ウィリアム」は、いい男である。
だけど「作品全体」として見ていると、ひどい男。
これが混乱のもとなんだよなー。
他のなにをまちがっていてもいいから、主人公の人格だけ正してくれよー。
いい男なら、全体の行動もいい男にしてくれよー。
今のままじゃウィリアムは、作者のアタマの中にだけ「いい男」として存在しているよ。
見ているモノには、わかんないよ。
主人公の行動に辻褄が合えば、それだけで作品の辻褄も合うのになー。
ウィリアムの恋愛面は変だけど、それ以外はふつうにいい男なので、たかこファンのわたしは見ていてたのしめる。
ほんとに、恋愛話全部カットしてくんないかなー。
いいじゃん、ステイシーの片想いで。ウィリアムはホテル再建だけ考えてるビジネスマンで。
彼の恋愛話があまりに中途半端だから、脳内変換するしかないじゃん。
すなわち、もともとウィリアムは、女を愛せない男だったが、その現実から逃れるためにアリソンにプロポーズしていた。とかゆー設定を、捻出するしかなくなるわけだよ(笑)。
ウィリアムの狙いは、アリソンではなくその父親@ハゲタカファイナンスの社長だった、とか。すでに社長の愛人だった、とか。
でも「ステラマリス」に来て、うっかりステイシーパパ@まやさんと恋に落ちたとか、おやぢ好きのウィリアム的にはぜんぜん好みじゃないからスルーしていたアレン@水しぇんがウィリアムにオチて、めろめろになっていたとか。
海洋学者@すっしーも同類で、「同じゲイ同士、一緒に食事でもどうだね!」とか、口説いてくるし。いや、いくらおやぢ好きとはいえ、オレにも選ぶ権利はあるから! とウィリアムくんは必死に逃げていたなあ、とか。
パパに惚れたから、その娘のステイシーにも好意的だったんだわ、とか。
アリソンへの不実さを、そんなふーに想像力で補ってみたりするしかないよなー。ははは。
まあ絵ヅラ的にいちばん好みなのは、もちろんウィリアム×アレンですが。
よーするに、ウィリアムのあの微妙なナチュラル・クラゲ・テイスト(てきとーに命名)が、けっこー好きだったりするのよ、わたし。
クラゲっぽいのは、たかこの持ち味っつー気もするけどな……。
なんにせよ、見ていてたのしいから好きよ、『ホテル ステラマリス』。
不実な男。@ホテル ステラマリス
2005年1月21日 タカラヅカ 『ホテル ステラマリス』の話。
『デパメン』の焼き直しに近い話だっつーことは、もう置いておくとして。
『デパメン』の「落ちぶれたデパート再建」が「精神論」で終わって、観客は全員「ヲイヲイ」と突っ込んだことだと思う。精神論でお客が増えるかっつーの。誠心誠意「夢の空間」を作るべく努力したって、それがそのまま営業成績になるわけないでしょう。
『ステラマリス』の「落ちぶれたホテル再建」が「ワークシェアリング」で終わったことも、観客は「ヲイヲイ」と突っ込むよ。それじゃ「現状維持」はできても、借金は減らないでしょう?? なにもプラスになってないじゃないすか。ジリ貧が先延ばしになった、つーだけで。
正塚氏の事業計画はよくわからん。
まあ『ステラマリス』は結局、金満企業がホテルを売却することになったから、現実的な流れとしては正しいけどな。
ホテル再建モノとして観るならまだ、マシなんだ。「精神論」でお客がウハウハやってくるよーになった、というオチではないので。敵の戦闘機を竹槍で落とせ! 強い信念があればできる!でハッピーエンドにされてもこまるからさ。
伏線もオチもなんのヒネリもないので、予定調和っちゅーかご都合主義まんまで、おもしろみがない分、破綻もない。
青く輝く海、をウリにして、これからホテルは繁盛するんでしょうよ。
だから問題は、「恋愛部分」なんだよなー。
なんでウィリアム@たかこは、アリソン@かなみんを捨てて、ステイシー@花ちゃんを選ばなければならなかったの?
もちろん、世の中そーゆー恋愛はあるよ。
ひとは心変わりする生き物さ。浮気は文化だそうだしな。
でも、「世の中、そーゆーこともあるじゃん」で、物語は成り立たないでしょう?
そんなことしたら、「物語」の意味がなくなるじゃん。
貧しい主人公がなんの脈絡もなく道端で大金拾って億万長者、ハッピーエンド。「世の中、そーゆーこともあるじゃん」
なんの取り柄もない女の子の前に、白馬に乗った王子様が突然たまたま現れ彼女に一目惚れ、ハッピーエンド。「世の中、そーゆーこともあるじゃん」
てなふーに、なんでも「アリ」になってしまうよ。
スタート地点とゴール地点が同じでも、その途中経過をどう書くか、が「物語」ってもんでしょう?
なんの取り柄もない女の子、の前にどーして王子様が現れたのか。ふたりがどんなふーに惹かれ合い、想いを伝え合ったか。どんな障害があり、それを乗り越えていくのか。
そこを書くのが醍醐味でしょう。
ウィリアムには、アリソンという恋人がいた。
金のためでも名誉のためでもなく、ふつーに恋愛しているラヴラヴなハニーちゃんだ。
彼女との結婚のために、仕事で一山当てたくて、「ステラマリス」に来た。
そこで何故、他の女に惚れる?
いくらなんでもそんな男、不実過ぎるだろう。
夫のいるマリー・アントワネットがフェルゼンと不倫して許されるのは、彼女が「愛のない政略結婚」を強いられた女だからだ。「道具」としての人生を強いられた女だからだ。
彼女がルイ16世とラヴラヴ恋愛結婚で、夫に愛をささやいたその次の瞬間フェルゼンに愛を打ち明けていたら、読者は許してないって。
そんなのただの「二股」じゃん。
もちろん、同時にふたりの人間を愛してしまった主人公の葛藤を描く物語は、アリだ。
主人公がどちらを選ぶのか、読者も観客も、はらはらどきどきして見守るさ。
しかしこの『ステラマリス』は、そーゆー話じゃないだろう? ウィリアムは、そーゆー恋愛をしていないだろう?
ラヴラヴな恋人を捨てて、他の女を取る、そーゆー男として描くのならば、それようの描き方があるはずだ。
よっぽど彼の中で「なにか」なくてはならない。
それを性根を入れて表現するつもりがないならば、そんなややこしい男を主人公にするべきではない。
ウィリアムの内面をくどくど描く気がないならば、彼の恋愛事情の方を単純化するしかない。
アリソンとは、他に目的があってつきあってた。社長の椅子が欲しかっただけだ。しかしステイシーに出会い、真実の愛に目覚めた、てなふーに。
正塚氏が、べたべたなラヴロマンスを嫌いだということはわかる。
ナチュラルに、流れのまま人の心が動いていくことや、惹かれていくことに重きを置いているんだろうさ。
わざとらしい事件や、空々しいロマンチックな展開は嫌なんだろうさ。
真のドラマは、そんな韓国ドラマか昼メロみたいなジェットコースター的展開にはなく、みんなが取るに足らないと思い込んでいる「日常」こそにある。そう言いたいんだろうさ。
それでもいいよ。
アリだと思うよ。
でもそれならばこそ、その「日常」のなかでの心の動きを、丁寧に表現しようよ。
必要なエピソードはきちんと消化しようよ。
逃げないでさ。
たのしいミュージカル、として歌って踊ってしているわりに、この物語には「肝心なシーン」が抜け落ちている。
ウィリアムが、心変わりを自覚するシーン。
そこには葛藤がなくてはならない。
それまでの生き方を捨て、愛していたはずの女性を傷つける決意。
アリソンを傷つけることが平気な男では、ないはずだから。
ウィリアムが、アリソンに別れを告げるシーン。
悪いのは一方的にウィリアムである。きれいになんかいかないだろう、きっとひどいシーンになる。
ふたりがきちんと向かい合い、話し合ったからこそ、最後の「ステイシーにキスをするアリソン」にたどりつくはずだ。
他にも必要なエピソードはいろいろあるが、これだけは絶対になければならないはず。
そうでないと、ウィリアムという男はあまりに不実すぎる。
とくになにも悩まずに心変わりをし、アリソンには「態度でわかるだろ、オレもうお前の他に好きな女ができたんだ」という曖昧さで、面と向かって罵られないようにする。
もちろんステイシーにも、自分からはなにも言わない。「態度でわかれよ、言質とられるのヤなんだよ、損だから」ってか。
いちばん描くのが大変そーなシーンを描かずに、てきとーにたのしく歌って踊って終わる。
物語のクライマックスは、あくまでも「ホテル再建」のことだけで、ウィリアムの「恋愛」についてはなにもない。
ナチュラル志向、というより、逃げているだけな気がする。
きちんと描くのが、めんどーだから。
とりあえず、たか花だから、なんとかなるだろー。
そんな感じ?
ウィリアムの恋愛をきちんと逃げずに描く気がないのなら、はじめから描かなければよかったのに。
描きたかったのは「ホテル再建」だけ。
今の「宝塚歌劇」に対しての皮肉を言わせたかっただけ。
それだけなんでしょ?
不実なのは、ウィリアムとゆーより、正塚自身だな、こりゃ。
『デパメン』の焼き直しに近い話だっつーことは、もう置いておくとして。
『デパメン』の「落ちぶれたデパート再建」が「精神論」で終わって、観客は全員「ヲイヲイ」と突っ込んだことだと思う。精神論でお客が増えるかっつーの。誠心誠意「夢の空間」を作るべく努力したって、それがそのまま営業成績になるわけないでしょう。
『ステラマリス』の「落ちぶれたホテル再建」が「ワークシェアリング」で終わったことも、観客は「ヲイヲイ」と突っ込むよ。それじゃ「現状維持」はできても、借金は減らないでしょう?? なにもプラスになってないじゃないすか。ジリ貧が先延ばしになった、つーだけで。
正塚氏の事業計画はよくわからん。
まあ『ステラマリス』は結局、金満企業がホテルを売却することになったから、現実的な流れとしては正しいけどな。
ホテル再建モノとして観るならまだ、マシなんだ。「精神論」でお客がウハウハやってくるよーになった、というオチではないので。敵の戦闘機を竹槍で落とせ! 強い信念があればできる!でハッピーエンドにされてもこまるからさ。
伏線もオチもなんのヒネリもないので、予定調和っちゅーかご都合主義まんまで、おもしろみがない分、破綻もない。
青く輝く海、をウリにして、これからホテルは繁盛するんでしょうよ。
だから問題は、「恋愛部分」なんだよなー。
なんでウィリアム@たかこは、アリソン@かなみんを捨てて、ステイシー@花ちゃんを選ばなければならなかったの?
もちろん、世の中そーゆー恋愛はあるよ。
ひとは心変わりする生き物さ。浮気は文化だそうだしな。
でも、「世の中、そーゆーこともあるじゃん」で、物語は成り立たないでしょう?
そんなことしたら、「物語」の意味がなくなるじゃん。
貧しい主人公がなんの脈絡もなく道端で大金拾って億万長者、ハッピーエンド。「世の中、そーゆーこともあるじゃん」
なんの取り柄もない女の子の前に、白馬に乗った王子様が突然たまたま現れ彼女に一目惚れ、ハッピーエンド。「世の中、そーゆーこともあるじゃん」
てなふーに、なんでも「アリ」になってしまうよ。
スタート地点とゴール地点が同じでも、その途中経過をどう書くか、が「物語」ってもんでしょう?
なんの取り柄もない女の子、の前にどーして王子様が現れたのか。ふたりがどんなふーに惹かれ合い、想いを伝え合ったか。どんな障害があり、それを乗り越えていくのか。
そこを書くのが醍醐味でしょう。
ウィリアムには、アリソンという恋人がいた。
金のためでも名誉のためでもなく、ふつーに恋愛しているラヴラヴなハニーちゃんだ。
彼女との結婚のために、仕事で一山当てたくて、「ステラマリス」に来た。
そこで何故、他の女に惚れる?
いくらなんでもそんな男、不実過ぎるだろう。
夫のいるマリー・アントワネットがフェルゼンと不倫して許されるのは、彼女が「愛のない政略結婚」を強いられた女だからだ。「道具」としての人生を強いられた女だからだ。
彼女がルイ16世とラヴラヴ恋愛結婚で、夫に愛をささやいたその次の瞬間フェルゼンに愛を打ち明けていたら、読者は許してないって。
そんなのただの「二股」じゃん。
もちろん、同時にふたりの人間を愛してしまった主人公の葛藤を描く物語は、アリだ。
主人公がどちらを選ぶのか、読者も観客も、はらはらどきどきして見守るさ。
しかしこの『ステラマリス』は、そーゆー話じゃないだろう? ウィリアムは、そーゆー恋愛をしていないだろう?
ラヴラヴな恋人を捨てて、他の女を取る、そーゆー男として描くのならば、それようの描き方があるはずだ。
よっぽど彼の中で「なにか」なくてはならない。
それを性根を入れて表現するつもりがないならば、そんなややこしい男を主人公にするべきではない。
ウィリアムの内面をくどくど描く気がないならば、彼の恋愛事情の方を単純化するしかない。
アリソンとは、他に目的があってつきあってた。社長の椅子が欲しかっただけだ。しかしステイシーに出会い、真実の愛に目覚めた、てなふーに。
正塚氏が、べたべたなラヴロマンスを嫌いだということはわかる。
ナチュラルに、流れのまま人の心が動いていくことや、惹かれていくことに重きを置いているんだろうさ。
わざとらしい事件や、空々しいロマンチックな展開は嫌なんだろうさ。
真のドラマは、そんな韓国ドラマか昼メロみたいなジェットコースター的展開にはなく、みんなが取るに足らないと思い込んでいる「日常」こそにある。そう言いたいんだろうさ。
それでもいいよ。
アリだと思うよ。
でもそれならばこそ、その「日常」のなかでの心の動きを、丁寧に表現しようよ。
必要なエピソードはきちんと消化しようよ。
逃げないでさ。
たのしいミュージカル、として歌って踊ってしているわりに、この物語には「肝心なシーン」が抜け落ちている。
ウィリアムが、心変わりを自覚するシーン。
そこには葛藤がなくてはならない。
それまでの生き方を捨て、愛していたはずの女性を傷つける決意。
アリソンを傷つけることが平気な男では、ないはずだから。
ウィリアムが、アリソンに別れを告げるシーン。
悪いのは一方的にウィリアムである。きれいになんかいかないだろう、きっとひどいシーンになる。
ふたりがきちんと向かい合い、話し合ったからこそ、最後の「ステイシーにキスをするアリソン」にたどりつくはずだ。
他にも必要なエピソードはいろいろあるが、これだけは絶対になければならないはず。
そうでないと、ウィリアムという男はあまりに不実すぎる。
とくになにも悩まずに心変わりをし、アリソンには「態度でわかるだろ、オレもうお前の他に好きな女ができたんだ」という曖昧さで、面と向かって罵られないようにする。
もちろんステイシーにも、自分からはなにも言わない。「態度でわかれよ、言質とられるのヤなんだよ、損だから」ってか。
いちばん描くのが大変そーなシーンを描かずに、てきとーにたのしく歌って踊って終わる。
物語のクライマックスは、あくまでも「ホテル再建」のことだけで、ウィリアムの「恋愛」についてはなにもない。
ナチュラル志向、というより、逃げているだけな気がする。
きちんと描くのが、めんどーだから。
とりあえず、たか花だから、なんとかなるだろー。
そんな感じ?
ウィリアムの恋愛をきちんと逃げずに描く気がないのなら、はじめから描かなければよかったのに。
描きたかったのは「ホテル再建」だけ。
今の「宝塚歌劇」に対しての皮肉を言わせたかっただけ。
それだけなんでしょ?
不実なのは、ウィリアムとゆーより、正塚自身だな、こりゃ。
デパートとホテルと遊園地と歌劇団。@ホテル ステラマリス
2005年1月20日 タカラヅカ 18日は、キティちゃんと宙公演観劇デートでした。
つーことでいそいそムラへ行ったわけですよ。
でもって1階席のドアの前で、キティちゃんに会ったわけですよ。
そしたらキティちゃん、言うわけですよ。
「あれ? 今日、緑野と一緒だっけ?」
ひーどーいー。
一緒にチケット買ったんじゃない、「一緒に観に行こうね」って!!
それを忘れる? 忘れるのっ?!
アナタあたしのこと愛してないわねっ!!
「終わったら、お茶つきあうから!」
と、めずらしく自分から言うキティちゃん。彼女はいつも「今日必要な分」しか現金を持ち歩かないので「お茶するとかごはんするとかは、前もって言ってよ? でないとお金持ってないからね!」な生き方をしている人です。
お金がないわけじゃなく、現金を持っていると、全部使ってしまうからあえて持たないようにしてるんだって。ちなみに彼女はわたしより年上ですが。……小学生みたいやぞ、ソレ。
「ねえ、そんならついでに新公も観ようよー。デイジーちゃんとは新公の前に待ち合わせしてるし。デイジーちゃんにも会っていきなよー」
と誘ったら、
「あと1000円しかないから無理」
と、断られた。
「貸したげるよ?」
「借りたら、返さなきゃいけないから嫌」
えーと。
キティちゃんは結局誘いを振り切り、お茶だけして帰ってしまいました。
そのことをデイジーちゃんに言うと、
「1000円あれば観れましたよ」
と、話は価格破壊の方へ。
ええ。たぶん、1000円でも観られたと思う。昨今見ないほどの、ものすごいサバキの山だったから。
観たい人は、みんな無事に観られたんじゃないかな、今回の新公。
ま、新公の話はもういいとして。
そんなこんなで2回目の宙組観劇。
正塚晴彦作『ホテル ステラマリス』。
この芝居を観ていちばん思い出したのは、『デパートメント・ストア』だ。
焼き直し、とまでは言わないが、同じ話だよね?
なにしろテーマが同じだから。
デパートorホテル再建、という意味じゃないよ。
それはコンセプトが同じ、つーだけ。
デパートorホテルを、「タカラヅカ」と替えてOKなところ。
現実を忘れ、ここにいる間だけ夢を見ることができる場所。
伝統と現実の対比。
理想と現実、伝統と現実、それでも「夢を見る場所」を守ろうとする人々。
あくまでも、夢を見る場所を「作る側」の話。
テーマはコレでしょ?
べつにデパートでもホテルでも遊園地でもあるいはどこかの歌劇団でも、なんでもいいんだよね。このテーマを表現できるなら。
でもデパートはやっちゃったし、遊園地もこの間使った。
だからホテル。
作品のコンセプトは『デパメン』と同じ「おちぶれた伝統ある商業施設の再建」、そしてプロットは『デパメン』とまったく同じ。シーンや曲、台詞まで似ているのは、わざとなのか無意識なのか。
正塚氏は今のタカラヅカによほどなにか、言いたいことがあるのかねえ。
同じテーマの話を同じコンセプトで、ショーと芝居で2度も書くなんて。
同じテーマを書くのが悪いわけじゃない。
書いていいさ、もちろん。
何度だって。
死ぬまで同じことを書き続けたっていい。
ただ、それならコンセプトは変えろ。
とゆーだけのことで(にっこり)。
『ステラマリス』の失敗ひとつは、そこにもあるよなー。
セルフ・コピーはスベると悲惨。
前作を超えなくちゃ、書き直す意味がないっちゅーの。
なまじ、『デパメン』はショーだった。
ショーを芝居に焼き直したわけだから、いろいろ不都合が出る。
まんま同じタイトルなら問題ない部分も、「別作品」と謳ったからには手を加えなければならない。
ので、めんどーが生じる。
『ステラマリス』は、とても冗長で間延びした話だった。
わたしはいったいいつ、本編がはじまるんだろう? と首を傾げていたよ。
いつまでたってもプロローグにしか見えなくて。
よーやくプロローグのショー部分が終わって、本編がはじまったと思ったのは、ウィリアム@たかこが正体をばらしたあたりだ。
ちょっと待て、それってはじまってから何十分後だよ。
ストーリーが動き出した、と思ったのは、ホテル閉鎖が決まってからだ。
ちょっと待て、それってはじまってから何十分後だよ。てゆーかソレ、ほとんど終わりの方じゃあ?
原作がショー作品だから、こんなことになってるのか……?
もちろん正塚氏が、新しい作風を模索している、というのもあるかと思う。
ストレートプレイでもいいじゃん? みたいなストーリー重視系から、ショーに近いよーなミュージカル系に作風を変えたいのかもしれねーよ。
にしても、あまりにもコレ、習作っぽいぞ。
ただの下書きでしょ? 練習でしょ?
完成品じゃないよね……?
ダンスと歌ですすめるならば、そこに大きなストーリーが必要だった。
ストーリーがあまり動かない部分ばかりを、ダンスと歌でだらだら続けるもんだから、ただ冗長になる。
ふつーに芝居でやったら数分で終わるのに、歌って踊るから何倍もかかるんだよね。
最初の「再建のためのアイディア」だけで、何回同じこと言って踊ってた?
しかもこのときは、「ただのアイディア」でしかなく、ホテル買収のことも、ウィリアムの立場も伏せられている。だからせっかくの長い長いダンスシーンも、「ストーリー以外の出来事」でしかない。
せっかくミュージカルなんだから、ストーリーが劇的に変化する部分こそを、ダンスや歌で盛り上げるべきなのでは?
ホテル閉鎖にしろ、主役ふたりの恋愛にしろ、ストーリーが変化する場面は淡々と進み、変化の乏しいところやサブエピソードが長々とミュージカルとして盛り上げられているよね。
そりゃ、退屈な作品になるわ。
なんか基本的なところで、組み立てをまちがっている気がする。
作品全体の構成がね。
それをひっくるめて言うと、「下書き」とか「習作」ってことなんだけど。とても完成した作品だとは思えないっていう。
正塚作品は総じていつも「似ている」けど、今回ほど「焼き直し」と思ったことはなかった。
シーンや表現方法が似ているのは、「作風」としてアリだと思っている。
植田作品がカーテン前でえんえん芝居することや、主要人物が登場するときに音楽が鳴ったり、「誰だ? 出てこい」とみんなで探したりするのと同じ。
正塚作品の群衆の使い方や、合唱は「作風」。何度同じ表現をしてもそれはアリだと思う。
しかし、テーマもコンセプトもプロットも同じ、つーのはなあ。
曲や台詞まで同じライン、つーのはなあ。
そのうえ「下書き」にしか見えない低レベルっぷりとはなあ。
どーしたんだ、正塚晴彦。
つーことでいそいそムラへ行ったわけですよ。
でもって1階席のドアの前で、キティちゃんに会ったわけですよ。
そしたらキティちゃん、言うわけですよ。
「あれ? 今日、緑野と一緒だっけ?」
ひーどーいー。
一緒にチケット買ったんじゃない、「一緒に観に行こうね」って!!
それを忘れる? 忘れるのっ?!
アナタあたしのこと愛してないわねっ!!
「終わったら、お茶つきあうから!」
と、めずらしく自分から言うキティちゃん。彼女はいつも「今日必要な分」しか現金を持ち歩かないので「お茶するとかごはんするとかは、前もって言ってよ? でないとお金持ってないからね!」な生き方をしている人です。
お金がないわけじゃなく、現金を持っていると、全部使ってしまうからあえて持たないようにしてるんだって。ちなみに彼女はわたしより年上ですが。……小学生みたいやぞ、ソレ。
「ねえ、そんならついでに新公も観ようよー。デイジーちゃんとは新公の前に待ち合わせしてるし。デイジーちゃんにも会っていきなよー」
と誘ったら、
「あと1000円しかないから無理」
と、断られた。
「貸したげるよ?」
「借りたら、返さなきゃいけないから嫌」
えーと。
キティちゃんは結局誘いを振り切り、お茶だけして帰ってしまいました。
そのことをデイジーちゃんに言うと、
「1000円あれば観れましたよ」
と、話は価格破壊の方へ。
ええ。たぶん、1000円でも観られたと思う。昨今見ないほどの、ものすごいサバキの山だったから。
観たい人は、みんな無事に観られたんじゃないかな、今回の新公。
ま、新公の話はもういいとして。
そんなこんなで2回目の宙組観劇。
正塚晴彦作『ホテル ステラマリス』。
この芝居を観ていちばん思い出したのは、『デパートメント・ストア』だ。
焼き直し、とまでは言わないが、同じ話だよね?
なにしろテーマが同じだから。
デパートorホテル再建、という意味じゃないよ。
それはコンセプトが同じ、つーだけ。
デパートorホテルを、「タカラヅカ」と替えてOKなところ。
現実を忘れ、ここにいる間だけ夢を見ることができる場所。
伝統と現実の対比。
理想と現実、伝統と現実、それでも「夢を見る場所」を守ろうとする人々。
あくまでも、夢を見る場所を「作る側」の話。
テーマはコレでしょ?
べつにデパートでもホテルでも遊園地でもあるいはどこかの歌劇団でも、なんでもいいんだよね。このテーマを表現できるなら。
でもデパートはやっちゃったし、遊園地もこの間使った。
だからホテル。
作品のコンセプトは『デパメン』と同じ「おちぶれた伝統ある商業施設の再建」、そしてプロットは『デパメン』とまったく同じ。シーンや曲、台詞まで似ているのは、わざとなのか無意識なのか。
正塚氏は今のタカラヅカによほどなにか、言いたいことがあるのかねえ。
同じテーマの話を同じコンセプトで、ショーと芝居で2度も書くなんて。
同じテーマを書くのが悪いわけじゃない。
書いていいさ、もちろん。
何度だって。
死ぬまで同じことを書き続けたっていい。
ただ、それならコンセプトは変えろ。
とゆーだけのことで(にっこり)。
『ステラマリス』の失敗ひとつは、そこにもあるよなー。
セルフ・コピーはスベると悲惨。
前作を超えなくちゃ、書き直す意味がないっちゅーの。
なまじ、『デパメン』はショーだった。
ショーを芝居に焼き直したわけだから、いろいろ不都合が出る。
まんま同じタイトルなら問題ない部分も、「別作品」と謳ったからには手を加えなければならない。
ので、めんどーが生じる。
『ステラマリス』は、とても冗長で間延びした話だった。
わたしはいったいいつ、本編がはじまるんだろう? と首を傾げていたよ。
いつまでたってもプロローグにしか見えなくて。
よーやくプロローグのショー部分が終わって、本編がはじまったと思ったのは、ウィリアム@たかこが正体をばらしたあたりだ。
ちょっと待て、それってはじまってから何十分後だよ。
ストーリーが動き出した、と思ったのは、ホテル閉鎖が決まってからだ。
ちょっと待て、それってはじまってから何十分後だよ。てゆーかソレ、ほとんど終わりの方じゃあ?
原作がショー作品だから、こんなことになってるのか……?
もちろん正塚氏が、新しい作風を模索している、というのもあるかと思う。
ストレートプレイでもいいじゃん? みたいなストーリー重視系から、ショーに近いよーなミュージカル系に作風を変えたいのかもしれねーよ。
にしても、あまりにもコレ、習作っぽいぞ。
ただの下書きでしょ? 練習でしょ?
完成品じゃないよね……?
ダンスと歌ですすめるならば、そこに大きなストーリーが必要だった。
ストーリーがあまり動かない部分ばかりを、ダンスと歌でだらだら続けるもんだから、ただ冗長になる。
ふつーに芝居でやったら数分で終わるのに、歌って踊るから何倍もかかるんだよね。
最初の「再建のためのアイディア」だけで、何回同じこと言って踊ってた?
しかもこのときは、「ただのアイディア」でしかなく、ホテル買収のことも、ウィリアムの立場も伏せられている。だからせっかくの長い長いダンスシーンも、「ストーリー以外の出来事」でしかない。
せっかくミュージカルなんだから、ストーリーが劇的に変化する部分こそを、ダンスや歌で盛り上げるべきなのでは?
ホテル閉鎖にしろ、主役ふたりの恋愛にしろ、ストーリーが変化する場面は淡々と進み、変化の乏しいところやサブエピソードが長々とミュージカルとして盛り上げられているよね。
そりゃ、退屈な作品になるわ。
なんか基本的なところで、組み立てをまちがっている気がする。
作品全体の構成がね。
それをひっくるめて言うと、「下書き」とか「習作」ってことなんだけど。とても完成した作品だとは思えないっていう。
正塚作品は総じていつも「似ている」けど、今回ほど「焼き直し」と思ったことはなかった。
シーンや表現方法が似ているのは、「作風」としてアリだと思っている。
植田作品がカーテン前でえんえん芝居することや、主要人物が登場するときに音楽が鳴ったり、「誰だ? 出てこい」とみんなで探したりするのと同じ。
正塚作品の群衆の使い方や、合唱は「作風」。何度同じ表現をしてもそれはアリだと思う。
しかし、テーマもコンセプトもプロットも同じ、つーのはなあ。
曲や台詞まで同じライン、つーのはなあ。
そのうえ「下書き」にしか見えない低レベルっぷりとはなあ。
どーしたんだ、正塚晴彦。