まだ、雪組公演の話をしている(笑)。
 

 『スサノオ』を観ていて思い出すのが、藤田和日郎の『うしおととら』の一説。

 理不尽なことに怒る心、他の者を、命をかけて思いやる心。
 科学や理屈では成し得ない、限界を打ち破る力は、そんな心の中にあるのかもしれない。

 他人のために怒り、自分が傷つくのも顧みず戦う少年たちを見て、絶望していた老科学者が言う台詞ね。えーと、25巻、意訳済みなんでもとの台詞ままじゃないよ。

 
 ふぢたかづひろは説教臭い作風の人で、自分大好き自分の作品大好きという気持ちが、その作品たちからあふれかえっている。自分で自分の作品にうっとりし、「この台詞を言う主人公かっこいー(はぁと)」と、酔いまくっているのがわかる。
 だからもー、テーマの絶叫も声高いのなんのって。そこまでしなくてもいいだろうに、と引いてしまうくらい、うるさい。
 キムシンに通じるところが多分にあるよなあ。いや、クリエイターなんて多かれ少なかれそうで、むしろ自己陶酔が激しいイタい人ほどおもしろいものを書いたりする。ふつーの人は理性とか羞恥心とかあるから、あんまりあからさまに「オレはオレが好き!」「オレってば非凡!」とは叫ばないからな。

 ちなみにわたし、ふぢたかづひろ先生、大好きです(笑)。

 同じ自己陶酔型でも、藤田作品はテーマを叫ぶためにえんえんえんえんストーリーがあり、ここぞというところで叫んでいる。だからあれだけうるさい作風でもゆるされてるんだよね。
 キムシンの最近の作品のなかで、『スサノオ』のみが突出して恥ずかしいのは、ストーリー性に著しく欠けるから。
 『スサノオ』がもっとストーリー性に富み、起伏あるエピソードと派手で説得力あるクライマックスがあれば、同じテーマを叫んでくれて、ぜんぜんよかったのに。説教臭い作風も作者のテーマ語りがうざい作品も、世の中にはいっぱいあり、かつ、受け入れられているんだからさ。

 
 『タカラヅカ・グローリー!』である意味いちばん話題騒然だったのは、水くんの生腹だった。
 ショートパンツ姿で生腹を見せているにもかかわらず、それでも男にしか見えないってのは、どういうことですか。
「それでも、ヘソは見えないんですよね」
 と、かねすきさんが言うので、わたしがとてもナチュラルに、
「男だからじゃない?」
 と返したら、かねすき嬢はさらにすごいことをのたまいました。

「やっぱり男はヘソ見せちゃいけないんですか? ウイークポイントだから? ボーイズラブでもヘソってなめられたりなんだりしてますもんね」

 何故そこでBL。グレートだ、かねすきさん。そうか、ヘソは性感帯だから見せちゃイカンのか。
 いや、そうじゃなくて、わたしが言ったのは、「男と女はヘソの位置がチガウ。水くんは男だからヘソが見えないんだろう」という意味だったんだが。
 なんにせよ、チラリズムの生腹はたのしかったです。かわいこちゃんな水くんはかわいいのか気持ち悪いのか際どいところだけど、わたしの目にはチャーミングにしか映らなかったし。ファンの欲目。

 『タカラヅカ・グローリー!』は、真ん中の長い部分がひたすらたるくて退屈で勘弁してくれって感じなんだけど、それ以外はたのしいので、好きなショーです。「タカラヅカ」連呼の寒い歌にも、耐性あるし(笑)。
 とくにゴスペルは、ものすごく好き。涙が出る。圭子女史の独唱はいいなあ。ドラマチックヴォイスだよなあ。気を抜くとハマコがこれまた絶唱していて、苦笑しちゃうんだけど。
 90人ラインダンスも好きよー。あんなにたくさん人がいるのに、よりによってまちかめぐるを見つけてしまう自分の目にあきれつつ、やはりハマコを見て苦笑し、彼の右手の幸薄そうな男役を眺め、その他の美人さんたちをぼんやり鑑賞、眼福眼福。

 千秋楽の醍醐味、退団者の挨拶はロマン。
 それがなんであれ、どういうカタチであれ、別れの最後の言葉が「ありがとう」である、この儀式がとても好き。みんなみんな、この世でいちばん美しい言葉を残し、去っていく。
 ありがとうございました……感謝の言葉。シンプルでありふれていて、そしてもっとも美しい言葉。

 それにしても、ちー坊にかずみ姉さんという、『凍てついた明日』の主要メンバーがまたいなくなるんだね。『凍てついた明日』はわたしのいちばん好きな作品であるだけに、その出演メンバーが去るたびに格別の寂寥感があるの。

 カーテンコールのとき、コムちゃんがちー坊に胸のマイクを貸してあげていました。
 …………期待したのに。
 前回の千秋楽でもコムちゃん、退団者に胸マイクを貸してあげていたけど。そのときは、退団者がコム姫の胸に顔を接近させまくって、マイクを使っていたのよ。あそこにマイクがあることを知らなかったら、胸に顔を埋めているよーに見えるのよ。
 期待したのに。
 小さなコム姫の胸に顔をうずめる、でかいちー坊の図。

 なのに。
 コム姫は、マイクを胸からはずして、ちー坊に貸してあげてた……。

 ちぇっ(笑)。
 
    
 わたしが、真の意味で彼の絶望に気づいたのは、彼がわたしの前から消えたときだ。
 それまでも、彼の絶望の深さは知っていたつもりだった。彼の孤独を知っていたつもりだった。
 だけど、ほんとうの意味で気づいたのは、彼がいなくなったあとだ。

 わたしが目覚めたとき、彼はすでに姿を消していた。
 わたしのそばにいたのは、彼の兄だと名乗る男だけだった。わたしはその男に尋ねた。「彼はどこ?」
 わたしは、彼の死を予感していた。彼がここにいないのは、彼が死んだからに違いない。
 しかし、その男は否定した。
「スサノオは生きている」
 生きている?
 嘘だ、と思った。
 反射的に、本能で。

 そのときに、彼の絶望を知った。孤独を知った。

 彼に、行くあてはない。
 彼はこの世界に、どこにも居場所がない。

 彼はどこへも行けない。
 姿が見えない、が、そのまま死につながるくらい、彼にはもう居場所がない。

 裏切られて、傷つけられて。否定されて、見捨てられて。
 
 彼がいったい、どこへ行けるというの?
 ここ……わたしのいるここ以外の、どこへ。

 わたしは、彼の居場所だ。
 彼がいてもいい唯一の場所だ。

 彼がわたしのそばにいない。
 彼はもう、この世にいない。
 彼は絶望のなかで、誰にもどこにも受け入れられることなく、逝ってしまった。
 その事実に気づいた。

 ひどいよ。
 そんなの、ひどい。
 なんて絶望。なんて孤独。

 彼の兄だという男は、わたしに使命を課す。彼の望みだからと。
 わたしがその男に従うのは、言葉を信じたからではない。「スサノオは生きている」と言えば、彼に会いたさでわたしが動くと思っているのか。わたしなど騙すのはたやすいと?
 あなどられていること、真実を偽られていることに、静かな怒りがわく。

 端正な横顔ににじむ悲しみ。あなたも、彼の死を悼んでいるんでしょう?
 なのに言うのね、「スサノオは生きている」と。
 そんな嘘は、彼を貶めるだけだ。
 彼の孤独を深くするだけだ。

 彼に行くあてなんかない。

 それがあれば、彼は暴力に溺れなかった。

 わたしは騙されたふりをして、彼の兄と共に旅立った。
 彼の兄に渡された笛は、わたしの手のひらの上でわずかに浮いていた。そしてまるで鳥の羽のように、ゆっくりとわたしの手に降りた。なにかを確かめるように。
 わたしはそれを抱きしめる。わけもなく涙が出た。
 いいのよ。あなたは、ここにいていいの。そのために、わたしがここにいるの。
 この笛を残して、彼は消えた。最愛の姉の隠る天の岩戸の前で、わたしにこの笛を吹くようにと彼は言い残し消えた。……どこへ消えた? どこにも行くあてのない、ひとりぼっちの彼。
 彼の願いを叶えたくて、彼の姉に会ってみたくて、わたしは旅立った。
 八百万の神々が集う天上界で、わたしの吹く笛の音は、彼の愛する人に届くでしょう。彼の声は、わたしを通じて響きわたるでしょう。
 わたしが彼の居場所だから。なにも持たない彼が唯一得ていたのが、わたしだから。
 なにも持たないわたしが唯一、彼を得ていたように。

 もうどこにもいないあなた。
 わたしがあなたの声。
 わたしがあなたの涙。
 
 わたしが、あなたの力。

          ☆

 イナダヒメ@まーちゃんが好きだなあ。
 少年のりりしさを持った少女。
 姿が可憐なだけに、清冽な言動が際立つの。
 この少女に出会って、スサノオが成長するのが、わかる。
 魅力的な主人公とヒロインを造形し、役者にあてがきできるってのは、すごいことだよなあ。
 主人公とヒロインが結ばれてハッピーエンドという、真っ当な終わり方をする作品なのに、せっかくのラストが作者が力つきたのか不鮮明になっていることが、とても残念。
 テーマばかり叫び、ストーリー性を軽んじたツケが回ってきた感じ。
 本来、テーマを叫ぶのはクライマックスであるべき。
 それまでは問題提起にとどめ、あくまでも「動き」、ストーリーで物語をすすめる。
 そしてクライマックスで最高潮に大きな出来事があり、物語と主人公の気持ちが動き、そこでテーマを叫ぶ。主人公のそれまで出会ってきたこと、その行動などから、叫ぶテーマに説得力が生まれ、感動となる。
 『スサノオ』はなー、最初から最後までテーマばかり叫んで、ストーリー性に乏しいから説得力に欠けるんだよなー。もったいないよなー。キャラも場面場面の演出もいいのになー。
 ただひたすら、作者の勇み足が恥ずかしい。
 好きなだけに、もったいないわ。
 テーマばかり叫びすぎて、いちばんおいしいはずのクライマックスで力つきているなんて。魅力的な主人公とヒロインが結ばれるシーンが、あんなに唐突にのーてんきにしか描かれないなんて。
 改稿を求む。
 心から、求む。
 いつかどこかで(他の劇団でも興行でもいい)、進化した姿を見たい。
 それくらい、歯がゆいわ。「作品」が。

     
 やっぱりもう一度観たかったので、行ってきました、雪組公演『スサノオ』『タカラヅカ・グローリー!!』。ちなみに千秋楽。びんぼーなので立ち見です。昨日半分はがしてしまった足の爪も、元気です(笑)。でも大事をとって、ぺたんこ靴で足をいたわりながら観ましょう。ぎりぎりまでソファーに坐っていましょう。と、いつものことだけど、場所取り争いには参加せず。
 立ち見はいつも楽勝なので、タカをくくっていたら、なんかものすげー人口密度でした。あ、あれ? なんでこんなに混んでるの? 3重はあたりまえ、センター近くは4重ですか。TCA並みに混んでました。……まあ、いいんだけど。どーせわたし、いつも人垣のいちばん後ろ、壁にもたれて観るから、前に何人いても同じだしな。
 ただ、いつものテレビカメラ横の壁は取れなかったので、ミキサー室の下にいました。……これがなかなか愉快。
 ミキサー室のモニターが見えるのよー。
 オケピと左右の舞台袖、そしてコーラス室がずっと映っている。舞台袖でスタンバイしている人たちや、うろうろしている人たちが見える(芝居は白づくめなんで、誰が誰だか。翁と媼だけはわかったけど)。

 そして、『スサノオ』のラストシーン。
 みんなで愉快に歌い踊るシーンで、コーラス室にふたり登場。

 ……ええ、コーラス室が見えるとわかったときから、期待していました。ラストシーンで陰コーラスをしているふたりの男のことを。

 アオセトナ@みずしぇんと、アシナヅチ@ハマコ!!
 舞台上では一度も顔を合わせないまま死んでいくこのふたりの男が、仲良く陰コーラスしている様を、期待していたんですが。

 ……ふたりとも、ガウン姿でした……。

 そ、それもそうか……とっくに出番済んでるんだもんな。いつまでも扮装したままのわけないよな……。

 しかも、マイクが邪魔で、顔見えないし。
 どっちが水くんで、どっちがハマコなの?

 手前の黒いガウンの人は、男前に両腕を組んだまま歌ってました。腕組みしたままかよー、男らしいなあ(笑)。
 奥の黄緑のガウンの人は、ノリノリで踊りまくってました。

 黒が水くんで、黄緑がハマコかな。ふたりのイメージから想像して。
 逆だったら、ちょっとこわいな(笑)。

 ショーのときも、モニター視聴は大変愉快でした。コーラスするときって、けっこうものすごい格好してたりするんだ(笑)。
 左袖のカメラの横には鏡があるのか、百面相している子とかもいた……あれは誰だろう……。
 モニターで顔がわかったのは、茜ちゃんだけだったわん。

 とまあ、立ち見でも値段分以上にたのしんでます(笑)。

          
 そして今回、初志貫徹、芝居ではスサノオ@コムちゃんだけを見ました。
 誰がどうしようと、なにが起ころうと、オペラグラスはスサノオ固定。……まあ多少はアオセトナ@みずしぇんに浮気はしましたが、今までで最大級に、スサノオだけを見つめていました。

 スサノオ@コムちゃんは、熱演でした。
 彼の後ろに、炎が見える。強く激しく、そして痛々しい少年。

 わたしは、この少年が好きなんです。
 彼の痛々しさが、せつないんです。
 イナダヒメの台詞にあるように、「打ち捨てられて満たされずにいる愛の仮の姿」である猛々しさが、なんつーかこー、胸をきゅーんとしめつけるんですわ。
 現代物でいえば、乱暴者で通っている不良少年の、魂の孤独にきゅんとなる感じっすかね。

 スサノオの幼さは、他人事じゃない。
 誰だって、生まれて最初に出会う社会で、愛を求める。「生まれてきてよかったんだよ」「ここにいていいんだよ」そんな言葉を求めている。無意識に。
 求めているけど、ただ求めているだけで、なにをしたらいいのか、わからないまま幼い彼は、途方に暮れている。無条件にいつも自分を肯定してほしい相手だった姉には、否定されてしまったし。故郷も追われたし。
 愛して欲しかった。必要だと言って欲しかった。……それだけ、だったのに。

 彼は、居場所を失った。

 どこにも行くあてのない少年は、同じように行くあてのない少女イナダヒメと出会った。

 スサノオがイナダヒメによって変わっていくのが、ツボなの。
 自責と自暴に満ちている少年が、その存在を肯定され、必要とされ、悩みながら傷つきながら、成長していくのが。

 
 ところでわたし、スサノオが真の意味で愛していたのは、アシナヅチ@ハマコだと思っているんですが(笑)。

 彼はまず、アシナヅチに惚れるんだよね。
 アシナヅチの亡骸を抱きしめ、その胸に顔を埋める姿に萌え(笑)。

 愛したのは、アシナヅチ。
 だからこそ、その娘イナダヒメに興味を持った。
 イナダヒメがただの大和の娘その1なら、目にも入ってないって。生贄であったとしても、スルーしていたでしょう。なんせ彼、絶望していて他のことまで考える余裕がなかったから。
 死の間際、スサノオが月読にアシナヅチのことを言うのも、彼を愛していたためよ。アシナヅチを救うことはできなかった、だけどその娘だけは死なせたくないと。

 きっかけはアシナヅチ、でもそのあとでスサノオはちゃんと、イナダヒメ自身を見、彼女に惹かれていくんだけどね。
 それでも、最初の恋は、アシナヅチ(笑)。

 アシナヅチがあそこで死ななかったら、生きて一緒にいたら、別の物語になってたなあ。
 イナダヒメの新しいお母さんは、スサノオだったかも(笑)。
 アシナヅチとスサノオの、ラヴラヴ新婚家庭。……濃いなー……。スサノオ、神様だから、子どもくらい産める気がするし。……濃いなー……。

 
 まあ、妄想はともかく(笑)。
 イナダヒメというキャラクタのポイントは、あのアシナヅチの娘、ってことでしょう。
 あの人格者に育てられた娘だからこそっての、大きいと思う。
 彼女自身、誇りを持って言うよね。「わたし、お父様の娘なんだ」って。
 自分を見失っているスサノオと対照的に、イナダヒメは自分に誇りを持っている。父親への誇り。敬愛する人物に愛されていたという自覚、その人に恥じない自分でいたいという自負が、彼女の輝きをゆるがないものにする。
 同じように行くあてがないはずの少年と少女は、こんなにもチガウ。

 自分自身の力で輝くイナダヒメは、どれほどまぶしく映っただろう、スサノオの目に。
 アマテラスに否定されたスサノオ。アシナヅチに肯定されたイナダヒメ。
 愛する人に拒絶された少年と、愛する人に愛され守られた少女。

 スサノオがイナダヒメに惹かれ、イナダヒメがスサノオに惹かれたのも、わかる。
 物語の最後、スサノオがイナダヒメに「私にはあなたが必要だ」と告げたのが、心底わかる。感情移入できる。
 よかったね。そう思うんだ。
 出会えてよかったね。
 手を取り合うことができてよかったね。
 欠けたピースとピースが合うみたいに、出会えてよかったね。ひとりでは欠けたまま、さみしいまま。だからこそ、出会えてよかったね。
 しあわせになれ。かなしんだぶん、くるしんだぶん。しあわせになれ。

 ……心から、思うんだ。

 いやあ、アシナヅチの嫁になってなくてよかったね、スサノオ。……なんてな(笑)。

        
 今、目の前に「爪」がある。

 大きさは、2mm×8mmほど。
 わたしの足の、ひとさしゆびの爪だ。

 いやあ、びっくりしたよ。
「痛っ」
 と思って、足を見たら、ひとさしゆびの爪が半分、はがれていた。

 そうだねえ、爪が剥がれたら、血が出るよねえ……。

 もともとひとさしゆびの爪って、5mmくらいしかなかったのよ。わたしの足の指、みんな爪小さくて。それが2mmほど剥けちゃいましたー。
 びっくり。
 
 でもあと3mmは残ってるから、大丈夫。ちと流血してるけど。

 あんまりきれいに剥がれたんで、なんとなく感動。
 剥がれた爪をそのまま捨てずに、眺めている。
 けっこうカーブが深いな、とか、ものすげー固いんだな、とか。
 わたし、指の爪もまめに切っている人間なので、単純にまとまった大きさの「爪」というものがめずらしいだけなのかもしれない(笑)。

 つーことで今、足の指がむずがゆ痛いです……。血がコワイ人間なんで、触りたくないし(笑)。

         
 またしても、感想書くのすっかり忘れてた。いつ見たんだっけ。公開すぐに見たはずなんだが……日付忘れた。

 なんか大作大作だと耳うるさく宣伝されている『コールドマウンテン』

 宙組『ファントム』の梅田の並びに参加した人なら、つい見たくなっちゃってるんじゃないかしら。
 並んでる間中、阪急百貨店の動く看板を見せられていたわけだから。
 わたしとキティちゃんは、なんとなーく『コールドマウンテン』の看板を見ながら、「見てみたいわねえ」って喋ってたよ。
 監督・脚本アンソニー・ミンゲラ、出演ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガー。

 
 舞台はアメリカ、南北戦争。しかもヒロイン、エイダは南部のお嬢様ときた。嫌というほど(ほんとにもう嫌だ。二度と再演して欲しくない)『風共』を観せられてきたヅカファンとしては、連想するなという方が無理。まあともかく、そのお嬢様エイダ@ニコール・キッドマンと、村の青年インマン@ジュード・ロウは恋に落ちるなり、戦争によって引き離されてしまう。CMで謳っている通り、たった一度キスしただけだ。
 勝っていればなんの問題もなかったんだろうけど、知っての通り南部は敗北するわけよね。敗色の濃い軍隊は悲惨。エイダに会うために、愛のために、インマンは軍を脱走する。
 敗色の濃い南部の人たちの生活も悲惨。なにもできないお嬢様だったエイダは、ルビー@レニー・ゼルウィガーの助けを借りて、逞しく成長し、愛するインマンを待ち続ける。
 ふたりの愛はどうなるのか? てな。

 
 どーしても某植田理事長のまちがった日本語の台詞が脳内をかすめていくんだけど、それをのぞいていちばん気になったのは。

 なんでこの役が、ニコール・キッドマンなんだろう?? ということだった。

 えーと、当時のアメリカの未婚女性の年齢っつーのは、いくつぐらいが平均だったんでしょう。
 たとえば日本では、いくら未婚でも、30過ぎて振り袖は着ないよね? 着てもいいけど、ちと恥ずかしいよね?

 物語の中のエイダお嬢様がいくつなのかは、知らない。
 しかし、彼女の着ているドレスも身につけている小物も、なんかものすっげー若いデザインに見えた。
 それこそ、嫁入り前の箱入り娘が着て納得の衣装。実際エイダお嬢様は、嫁入り前の箱入り娘だ。
 しかしニコール・キッドマンって……もう30を気前よく過ぎてるよねえ? たしか、わたしと同い年だったと記憶しているんだが。
 30代半ばで、ぴちぴち世間知らず娘役ですか……。
 それともエイダお嬢様は、やもめのパパの世話をして婚期を逃したオールドミス? 21世紀の現代なら、30代半ばで独身はめずらしくないけど、あの時代でそれって、かなり風当たりきつかったんじゃあ……?
 でも、作中にはまったく、「この行き遅れめ」という表現はなかったよね。あるのはただ、「美しい適齢期のお嬢様」という扱いのみ。

 30代半ばは適齢期で、日本でいう振り袖みたいな若いドレスを着ていても、いい時代だったのか……?

 たしかに、ニコールはとても若い演技をしていた。ぴちぴちの10代の娘さんのように、恥じらったり微笑んだりしていた。
 しかし。

 しかし、30代だし。
 10代には見えないよ。
 いや、エイダの設定年齢は知らないけどさ。時代背景から推察して、少なくとも30代半ばじゃないだろう。

 なんでニコール・キッドマンなんだろう。
 もっと若い女優でもよかったのでは?

 その方が、より「純愛」に見えたと思うんだけど……。

 
 「純愛」と「反戦」の二本立て映画なので、落ち着きはあまりよくない。残酷シーンはけっこうリアルだが、恋愛部分はかなりおとぎ話的、というバランスの悪さ。
 そしていちばんおもしろい部分が、世間知らずのお嬢様が、したたかな相方(女友だち)と共にたくましく地に足をつけて「生活」していくところにあるというのも、「純愛」「反戦」という二大テーマから微妙にはずれているんだよなー。
 恋愛ぬきにして、「反戦」と「女の成長」ものにした方がよかったんじゃないかと思う。
 それくらい、肝心の「恋愛」部分はおとぎ話的なお手軽さで誤魔化されていた。

 てか主役のはずのインマン@ジュード・ロウ、いらないし。

 「反戦」だけなら、エイダお嬢様の村の姿だけで十分表現できるよー。
 そこで成長するエイダの姿を丁寧に描けば、インマンは名前だけの存在でいい。「戦争に行っている恋人がいる」という設定で、実際に顔も出ないし、登場もしない。イメージだけの存在。
 エイダの手紙形式でナレーション入れて、愛する人へ語りかけながら、過酷な現実と戦い、成長していく様を描くの。恋人への愛が、彼女を支えているんだな、って感じで。

 ルビーの台詞にあるように、戦争を起こしたのは男たち。そして男たちが降らせた雨にぬれるのは、女たちも同じ。
 戦争という現実の中で、エイダをいちばん変えたのは恋人のインマンではなく、親友のルビーなんだもの。その時点ですでに、インマンがいらないってことよねえ。
 本来、恋人の役目だよね、ルビーの役目は。
 ヒロインを支え、甘えをぶっとばし、ともに成長する。
 もちろん、同性の友人がその役割を担うのは、小気味よくていいけど。彼女の存在があざやかで力強いだけに、インマンの設定の薄さが致命傷となる。

 ラストシーンも同じでいいよ。
 ただ、最後までインマンは出なくていい。
 村のバカ野郎どもとエイダ&ルビーが勇気と機知で戦い、勝利、そして一気に数年後、エイダ未亡人はインマンの忘れ形見を育てている、でいいよ。
 ああ、インマンは生きて帰ったんだな、でも戦傷がもとで死んじゃったんだ、戦争は残酷だな、でいいじゃん。

 
 と、思うくらいには、エイダとインマンの恋愛は、薄かったです。

 
 いや、きれいなんだけどな、ニコール・キッドマン。かっこいいんだけどな、ジュード・ロウ。
 美男美女の純愛、という設定はいいんだが、中身を伴わない話でした。

 
 とにかく、いちばんたのしかったのは、エイダとルビーの関係だ。
 男前なルビーと、彼女との出会いによって強くなっていくエイダが、見ていて気持ちよかった。ああルビー、すてきー。

       
 漢字と、それに加えてひらがなで名前を書く。
 必ず。

 初対面の方へのメールでは、必ず。
  
 ひらがなをそえるのは、ひらがなのやわらかさが好きなこともあるけど、ほぼ100%名前の読みをまちがえられるせいでもある。
 まちがえられないように、正しい読み方を、わざわざひらがなで書いておくわけだ。

 しかし。

 どんなにひらがなで、正しい読みを書いても、最後の署名がひらがなであっても、実際に会うときに相手は必ず、まちがった読み方で、わたしの名を呼ぶ。

 ははは、100%。
 例外なし。

 FCにも入っていない、なんのコネもない一般ヅカファンであるわたしは、ネットの掲示板を介してチケットのやりとりをよくするのだけど。
 そこで出会う方々は、今のところ100%、わたしの名前をまちがっておぼています。

 たとえメール上では正しく表記してくれたとしても(わたしがひらがなで名前を書くもんで、相手もひらがなで書いてくれたりする)、いざ会ってみると。

 ……まちがってます。泣。

 
 思えば子どものころから、正しく読んでもらえなかったな……。
 そしてウチの親が、名前をまちがえられても訂正しない人たちだったので、わたしも訂正しないまま育った。どっちでもいいじゃん、わかれば。……そんな感じ。

 親しくつきあう人たちだけが、わたしの名前を正しく発音してくれている。
 親しくない人は、まちがった音のまま。

 いずれ親しくなれば、周囲の人がわたしをどう呼んでいるか耳に入るだろうから、まちがっておぼえていた人たちも、自然と正しい呼び方になっていく。

 だから、大人になった今も、わたしは名前の訂正をいちいちしない。
 しないけど、自分からメールなどで名乗るときは、できるだけ正しく呼んでもらえるように、漢字とひらがなを併記する。
 

 そして、100%のまちがえられ率に、感心しているわけだ。

 
 わたしの名前、と書いたが、正確には名前ではなく、名字だ。
 名字だから、初対面の人に呼ばれたときに「まちがい」がわかるの。初対面だからこそ、名字で呼ぶわけだから。

 例としてあげるなら、

 「中島なつみ」という名を、メールでいちいち、

 中島なつみ(なかしま・なつみ)

 と書いているよーなもん。
 わざわざ( )で、読みをそえている。
 にも関わらず、実際に会うと、

「なかじまさん」

 と、呼ばれてしまうよーなもん。

 山崎やえ(やまさき・やえ)

 と書いたのに、実際に会うと、

「やまざきさん」

 と、呼ばれてしまうよーなもんだ。

 ちゃんとひらがなで書いたのに。わたしの名字は、濁点つかないのに。清音なのに。

 これはやはり、漢字の方が「強い」ってことなのかな。
 いくらひらがなをそえても、一度でも漢字を見ると、その漢字の一般的な読みの方をインプットしてしまう。

 ……厄年のとき、大枚(わたしにとって・笑)はたいて祈祷してもらったのに、お坊さんが読み上げたわたしの名字は、やはりまちがっていた……ちゃんとふりがなふったのに(てゆーか、ふりがなの欄がわざわざ設けてあったのに)、意味ナシ。まちがった名字で祈祷されても、御利益ない気が……。ねえ、門戸厄神さん(笑)。
 受験だろうが、面接だろうが、人生節目だろうが、どんなときでも必ず、名字はまちがえられたまま。

 漢字のインパクトは大きい。

 声に出して正しい名字を名乗っても、一度漢字を見た人は必ず、まちがった読み方で返してくる。
 

 まちがえられ率、100%。
 こうなるともう、かえってたのしみだ。

 どこまで記録更新できるかな。
 ちゃんと正しい読みを書いているにもかかわらず、まちがった読みでしか、わたしの名を呼んでくれない方々と出会う記録。

 漢字のある国に生まれてよかったと思っているよ。
 「音」だけがすべてじゃないなんて、愉快だもの。

       
 エロワードを書くと、男性陣の検索に引っかかるから、できるだけ避けていたんだが……。

 先日、Be-Puちゃんとふたりして、ある話題で盛り上がった。
 ずばり、「胸の大きさ」についてだ。

 わたしもBe-Puちゃんも、胸は大きくない。……小さい、とは書きたくないぞ(笑)。

 わたしとBe-Puちゃんは、体格がものすげーチガウ。ほんのアタマひとつ分ほど。彼女はわたしを「でかい女」と呼ぶし、わたしは笑顔で彼女のアタマを撫でる。
 一緒にショッピングに行ったときなんか、ワゴンセールのブラウスを、デザインより値段よりまず、わたしが袖の長さをチェックしはじめたのを見て、爆笑しやがった。
「ワタシ、袖の長さなんて気にしたことない! どんなものでもふつーに合うもん!」
 だそーだ。悪かったな、あたしゃなによりまず、袖の長さなんだよ。合う服が極端に少なくてな。
 結局そのときは、わたしがしぶしぶ買うのをあきらめたブラウスを、彼女が嬉々として購入した。……くそーっ、わたしが人並みの体格の女なら……っ。

 てなふうに、体格がちがいすぎるもんで、身体的なことについての話題はほとんどないままつきあっていた。あまりに共通項がないから、無意味なんだもの。

 しかしっ。
 共通項があった。

 わたしたちは、共に胸が大きくなかった。

 話、合うわ合うわ。
 胸が大きくないために遭遇したいろんな経験が、実感を持って発せられる。理解し合える。

 ああ。
 友情の深まるひととき(笑)。

 
 話題は貧乳経験談から、「わたしが出会った巨乳の女たち」になる。巨乳列伝。

 そのなかでいちばんの発見は。

「巨乳の人ってさ、カラダ洗うとき、胸を持ち上げてその下を洗うんだよ!!」

 ということだった。

 ああっ。
 ソレ知ってる。わたしも目撃した。
 巨乳友のダイコと一緒にお風呂に入ったとき、並んでカラダを洗っていたら、ダイコはすっげーあったりまえにハンドボールのよーな乳を持ち上げて、その下を洗っていたよ。その間もずーっと、ふつーにお喋りしながら。
 まだ若かったわたしは、「そ、そうなんだ……」と思って眺めたなあ……あまりに自然に持ち上げるもんだから、日常なんだなってことに、納得しつつもびっくりしつつ。いや、考えてみたら、そんなの当然なんだけど。陰になっている部分は、そーやって洗うしかないけど。それにしても。

「びっくりしたよね……」
「うん。『持ち上げる』っていう概念がなかったからさ……すっげーあったりまえに持ち上げられて、衝撃だった」
「つかわたしら、持ち上げる必要、ないし……」
「ははは。片手で隅々までぴかぴかさー」

 ひとはみな、自分を中心に考える。
 自分が持っているものは知っているが、持たないものには、想像が及ばない。
 Be-Puちゃんが、でか女のわたしが服を買うときにどうしているか知らなかったよーに、わたしもJIS規格より少々小柄なBe-Puちゃんの苦労を知らない。

 そして貧乳女は、巨乳女の日常を知らない。

 彼女たちには、わたしらが想像もつかない苦労があるのだ。
 それこそ、カラダを洗うのに持ち上げなければならないように。

 ええ、この日記は、胸の大きな女性を貶める意図でなど書いておりません。
 いわば、異文化コミュニケーション、出会うまで知らなかった異文化に対しての考察だったのです。
 決して届かない憧憬をこめて、わたしたちは語っておりました。

 
「胸の大きさ、というものを意識したのは、アレがはじめてだった気がする……」

 Be-Puちゃんは遠い目をして言う。

「母親と一緒に温泉に行ったとき、母親が胸を持ち上げて、その下を洗っていたのよ……ショックだった……そうか、そうなのか、って」

 Be-Puちゃんの出会ってきた女たちの中で、いちばんの巨乳は、彼女のママンだという。

「なんであの母の娘なのに、ワタシは貧乳なの……?」

 
 それならわたしも、告白しましょう。
 思春期のころ、わたしも母の胸を見て思ったよ。

 ああわたしは大人になっても、胸は大きくならないんだ、と絶望した。……母の胸の大きさを見て。

 Be-Puちゃん、豪快に大爆笑。

 
 巨乳母から生まれた貧乳娘と、貧乳母から生まれた貧乳娘は、こーして友情を深めたのでした。

         
 ミヤビンスキーさん(女性・妙齢)に、はたかれた。
 テレビに出られるんじゃねーか? てくらい、見事な張り手だった。

「この口か? そんな失礼なことをいうのは、この口かっっ?!!」

 きゃ〜〜っ、きゃ〜〜っ、ごめんなさ〜〜いっ。

 
 そう、わたしたちは女ばかりで午後のお茶をたのしんでいた。主婦がいるから、あくまでも「昼下がり」限定だ。お昼ごはんと晩ごはんの支度までの間にティータイム。
 話題はさまざま。
 そのなかには、
「親戚づきあいって、ほんとに大変よねえ」
 というのもあった。

「よくわかんないんたけど、親戚のひとりが、アタシのことをえんえん文句言うのよ」
 と、ミヤビンスキー。
「最初はぜんぜん他のことで怒って、ウチの父に愚痴を言っていたはずなのに、愚痴っているうちに、『そういえばお宅のミヤビンスキーちゃん、前にアタシにひどいこと言ったわ』って、突然矛先がアタシに向いたの」
 あー、思い出し怒りか。よくあるね、それは。
「でも、アタシがなにを言ったのかは、教えてくれないの。理由は教えず、ただ罵る。あんまりすごいんで、その人との電話を切った途端父が、『ミヤビンスキーおまえ、いったいなにをやったんだ?!』と詰め寄ってきたよ」
 しかしどう考えても、そこまで罵られなきゃいかんほどの失言をしたおぼえはない。もししたとしたら、それはきっとものの道理もわかっていないくらい、子どものころだろう。

 あー、大変だね、それは〜〜。
 ミヤビンスキーは常識的な人なんで、たしかに大人になってからなら、それほど罵られなきゃいかんほどの失言を目上の人にはしないだろう。社交辞令とか礼儀とか、きちんとしてる人だもん。
 いつ、どんなことを言ったのか、一切教えずに、ただの罵るってのが、また……。
 求めているのは誠意とか謝罪でなく、ただのストレス発散用のサンドバッグなんじゃあ? って感じだねえ。

「まあ、ひとの感じ方はそれぞれだからね。アタシにとってなんでもないことでも、その人には耐えられないようなことがあって、それを知らずにアタシが言ってしまったのかもしれない」

 大人なミヤビンスキーはそう言う。
 それを聞いて、わたしたちもうんうんと頷く。そーだね、地雷は人によってチガウからねー。うっかり踏んでしまったら、お互いに不幸だよね。

 
 てな話を、したとこだったんだ。

「ええいっ、アンタはなにを聞いてたんだっ。さっきその話をしただろう。あんたにとってなんでもないひとことでも、アタシには地雷なんだよーっ」

 ぽかぽかぽか。あうあうあう。
 梅田の雑踏での、どつき漫才。

 そう、主婦と解散した後、独身女ふたりだけになったわたしとミヤビンスキーは、ふたりで買い物をしようということになっていた。
 にわかソーイング趣味に眼覚めたわたしは、阪急百貨店のクラフト・コーナーへ、ミヤビンスキーは、その下のフロアでやっている靴のバーゲンへ。それぞれ相手につきあって一緒に行きましょう、という運びだった。

 わたしが口にした、「地雷なひとこと」とは。

「靴のバーゲンに行きたいの。いろんなサイズがあるらしいって聞いたから」
 てなことを言ったミヤビンちゃんに、めーっちゃ素で、

 「そうね。足が大きいから、大変よね」

 と、言ってしまったのだ。

 いや、そーでした、地雷中の地雷でした。

「ぬわんだとぉーっ?!」

 という、雄叫びと同時に、張り手が側頭部に炸裂してました。そう、彼女は手と口が同時に出る人なのです(笑)。

 そして、あとはマンガのよーな連続ポカポカ攻撃へ。

「アンタにとって『背が高い』が言っちゃいけないことなのと同じで、アタシにとって『足がでかい』は言っちゃいけないことなのよーっ」

 きゃ〜〜っ。きゃ〜〜っ、ごめんなさ〜〜いっ。

 しばらく大騒ぎしたあとで、

「コントはこのへんでやめよう」
「そーね、やめよう」

 と、ふつーに肩並べて買い物に出発しましたが。

 他の誰より、激しくボケとツッコミのアクション・リアクションを要求されるのが、ミヤビンスキーだ……ぜいぜい。
 何故、大阪の地下街でコントまがいのどつきあいを……いいトシをして……(笑)。

 
 ミヤビンスキーはねえ、身長が165cmしかないのに、足が25cm以上あるのよーっ。

 わたしがカラダがでかいせいで、服を買うのに苦労するよーに、ミヤビンちゃんは靴を買うのに苦労しているのよ。
 女性用の靴はふつう、24.5cmまでなんだよね。それ以上のサイズは、別カテゴリ。通常の棚ではなく、ラージサイズ(美しくも「モデルサイズ」とかいう名前がつけられている)コーナーにちょこんとまとめられているんだ。小さな靴屋では、そんなコーナーがはじめからなかったりするんだ。
 わたしは、カラダはでかいが、幸いなことに足は人並みな大きさなので、大して苦労はしない。ミヤビンスキー、がんばれ。

 そうやって、ふたりで行ったバーゲン会場。
 派手に広告出しているわりに規模は小さく、お目当てのモデルサイズの靴も、ほんの少ししかなかった。
「緑野は好きに見て回ってて」
 と、ミヤビンスキーが言うので、わたしはひとりで他のコーナーを見て回っていた。靴だけでなく、他のファッション雑貨のバーゲンもやっていたから。
 一通り見て、ミヤビンスキーがいるモデルサイズ・コーナーへ行くと。
「もういいわ。買いたいの、ないし」
 というミヤビンスキーは、そこはかとなく不機嫌。

「ものすごく不愉快だったわ。広告のわりにしょぼくてがっかりしながら、それでもなにかないかと思って真面目に探してみてたら。
 後ろを通る女たちが、口をそろえて言うのよ。
『なにコレ、おっき〜〜い』
『こんなの、誰が履くのー?』
『きっと男の人用だよ』
 …………むっくぅわ〜〜っ、アタシが男に見えるのかっ? ああ?! 悪かったわね、足がでかくて!」

 どうどう。落ち着け落ち着け(笑)。
 あたしだって、ブティックで男性用すすめられたことあるよー。女性用がことごとく袖が短くてな……わたしゃ、さりげなく手が長いんじゃ……胴も長いけどな……。

  
「あー、若い娘さんたちは、きれーでいいのう」
「まったくのう。若い娘さんたちが着る服は、みんなきれーでいいのう」
「しかしばばあにはちと、ついていけん服も多いのう」
「あー、アレとかアレとか、誰が着るんじゃろうのう」
「舞踏会とかかの」
「それって某港で開催される……?」
「げふんげふん」

 いいかげんわたしらも、トシ相応の格好しなきゃダメだよなあ、と言いつつ、年齢不詳ファッションの独身女ふたりでウインドウショッピングに明け暮れました。
 もちろんなにをしていても、どつき漫才、コントは必須。ミヤビンスキーくんは、そういう人。

        
 人生は、謎に満ちている。

 部屋の中に、聞き慣れない音楽が響いた。
 なんだろう、知っている曲だ。

 携帯電話の着メロ。
 電話の相手は、待ち人のBe-Puちゃんだった。え、今から家を出るの? ……えーと、今ごろはわたしの家に着いてなきゃいけなかったんじゃ……? まあ、いいや。クリスティーナさんには少し待ってもらおう。

 電話で話しながらも、頭の隅でさっき聞いた着メロを反芻していた。
 えーと、なんだっけ、あの曲。

 家まで迎えに来てくれたBe-Puちゃんの車の助手席で、思い至りました。

「そーだ、『エスパー魔美』の“テレポテーション”だっ」

 アニメ『エスパー魔美』の主題歌。
 どーりで知ってるわけだ。

 ただ問題は。

「なんで『エスパー魔美』??」

 ハンドルを握るBe-Puちゃんも、悲鳴のよーに言う。
 なんででしょう?
 なんだってわたしは、Be-Puちゃんからの着メロを、わざわざ『エスパー魔美』にしていたんでしょう。

 おぼえてない。
 ぜんっぜん、おぼえてない。

 携帯電話をトイレに流してクラッシュ、全メモリ消失のBe-Puちゃんは、ずいぶん長い期間、だれにも電話ができなかったらしい。つまり、わたしの携帯に電話をしてくることも、まったくなかった(自宅にはかかってきたけど)。
 ほんとにひさしぶりだったんだよね、Be-Puちゃんから携帯に電話が入ったの。
 だから、Be-Puちゃん専用の着メロをなにに設定していたかなんて、すっかり忘却の彼方。

 『エスパー魔美』だったんだ……。
 何故。

「名前がかぶってるとかならまだしも……ぜんぜんかぶってないじゃない」
 と、Be-Puちゃん。
 はい、まったくその通りです。

「あたしゃ、どんな曲かも知らないよ。そんなマンガ、見たことないし」
 と、Be-Puちゃん。
 あなたが好きだから設定した、というわけではないわけですねー。

 わたしはいったい何故、あなたの着メロを『エスパー魔美』にしたんでしょうねえ。
 さーっぱりわかりません。

 
 人生は、謎に満ちている。

 クリスティーナさんは、悲鳴を上げた。

「アタシが朝海ひかるを好き? なにそれ。ありえない」

 ええっ?!
 だってあなた、昔わたしにそう言ったじゃない。
 『君に恋してラビリンス』のとき、「花組でみーさん(ガイチのこと)の次に好きなのが、この朝海ひかるって子なの。見てやってね」って。
 そのあとにあったTCAで、トド様と踊っている謎の女装男役のことも、「あれは朝海ひかる」ってわたしに教えてくれたじゃない。宙組誕生のときも、なにかとコムちゃんのこと話していたじゃない。ここんとこヅカなんてまったく観に行ってないのに、コムちゃんのお披露目公演だけは観に行っていたじゃない。

 会話とシチュエーションをひとつひとつ再現しても、クリスティーナさんは完全否定。

「そんな会話をしたおぼえはない」

 えええ?
 会話自体、存在しないって?
 けっこうな数の話なんですけど?

「アタシが朝海ひかるを好きだったことなんて、アタシの人生でただの一度も存在しない。絶対にあり得ない」

 そ、そうなのか……。
 てゆーか、そこまで否定しなくても……。

 まあ、ただの一度も興味すら持ったことのない人の名前を挙げられて、「あなたこの人のこと、好きなんだよね」と言われたら、びっくりして否定するだろうけど。
 クリスティーナさんの否定の仕方はそんな感じだった。最初はわたしの言葉さえ理解できていないふうだったし。それくらい、なんの脈絡もない話だったんだろう。

 
 ひとと記憶のマジック。
 人生は、謎に満ちている。

 
 てか、たんにわたしがカンチガイしていることが多いってだけか。

              
 GWに入って、いろんな人にメールを出しました。
 普段、筆無精こいてまったく連絡していない人たちにです。

「住所を貸して。懸賞に応募したいの」

 きっかけとなる用件はコレです。
 某ショップの宝塚歌劇貸切ご招待チケットの懸賞に応募するために、協力者が欲しかったの。わたしとわたしの家族全員の名前では、すでに応募済み。そして、くじ運のまったくない我がファミリーの名前で当選するとはとても思えない。
 となれば、友に頼るしかないっ。
 ヅカに興味のない友だちに連絡だっ。
 ヅカ好きであっても、普段はそれほど観劇していない友だちに連絡だっ。ディープなヅカファン友だちはきっと、自分ですでに応募しているだろうから。

 あんまりひさしぶりだから、メルアド紛失している友人もぼろぼろ。
 ポスペがクラッシュして、アドレス無くしたままだったんだよな……。がっくり。

 それでもなんとか連絡を取った友人たち。
 きっかけはたしかに、私欲がらみ。
 しかし。

 せっかくメールするんだもん。
 みんなどうしてるの、元気なの、会いたいわ、お喋りしたいわ。

 きっかけがなけりゃ、普段はわざわざ会うことのない人たちだからこそ。
 ここぞとばかり、お誘いだ。

「GWはいかがお過ごしですか? もしお暇なら、緑野とお茶でもいかがですか」

 たくさん出したのに、デートOKの返事が来たのはひとりだけ。
 懸賞のために住所を貸してください、については、みんな快諾してくれてるんだけど、会ってお喋りしましょ、には社交辞令しか返ってこない。

 振られ率、高し!! あたし、ぜんぜんモテない?!

 ヘコみつつも、メールの返信に明け暮れる。住所使わせてくれてありがとう、もし当たったら、ご招待はペアだから、一緒にヅカに行きませんか、などなど。

 
 しかし、日が経つにつれ、徐々に色よい返事がやってくるよーになった。
 みんな、即答できるほどヒマじゃなかったってことよね。うう、ごめん、わたしひとりヒマ人で。

 次々と舞い込む、「会いましょうよ、たのしみだわ」の返事。
 わーいわーい。

 そして、セッティングのためのメール送信に明け暮れる。
 ひとりずつとデートは日数的に不可能だから、みんなで一緒に会いましょう。プチ同窓会しましょう。あなたは何日がいい? あなたは? それなら何日にどこそこはいかがですか?

 普段幹事とかやらないもんだから、たまにやると手際悪いよな、わたし……。

 
 とゆーことで、なんとなく多忙なGWにごきげんなのです。
 日本中のひとたちがたのしそうにしている大型連休だもの、やっぱりひとりでは過ごしたくないよね。
 予定が欲しいよね。

 
 猫は今、傍迷惑な抜け毛の季節。
 身をすり寄せられても、「うわっ、毛がつくから寄らないで」と避けずにはいられない季節。

 だからこそ、より人恋しい季節なのですわ。(そんな理屈……)

        
 ああ、至福のとき。
 雪組公演『スサノオ』、4回目を観てきました。
 本日は、1列目下手。
 ……ふふふ。
 ふふふふふ。

 ああ、水しぇん!!

 何故ですか、今日なんかあったんですか。
 目線、きまくり。

 1列目の下手ブロックに坐るのは、決してめずらしいことじゃない。ひとつの公演に1回くらいは、運が良ければ坐れる。
 所詮タケノコとはいえ、最前列は最前列。スターさんたちが触れそうな場所を歩いていく。
 しかし。
 目線はほとんど、来ない。
 真下だからかな。あんまり見てくれないの。フィナーレのときぐらい? 目線くれるのって。
 それが通常だったから、そのことはなーんにも期待せずに、ただ、「水くん間近」ってことだけにわくわくして出かけた。

 なのに。
 ああ、なのに。

 水しぇん、なんで毎銀橋ごとに目線くれるの?
 笑顔大安売り。
 ああ、アオセトナ様。ああ、パーフェクト・ガイ様。毎回毎回、銀橋に出てくるたび、わたしをまなざしで射殺してしまわれるのよーっ。うきゃー。

 水くんだけじゃなく、他のみなさまも、何故か目線山盛りでした。
 どどどどーして? 今まで、こんなに見てもらったことないよ? 雪組で目線くれる人って、壮くんぐらいだったのに。
 1列目の端っこの人にも、目線あげましょう運動でもあるのか、組内で?

 下手はわたし的に大変おいしい位置でした。
 キムくんは大抵下手だしな!(壮くんファンは反対に上手を狙いましょう) 水くんもフィナーレ以外は下手が多いし。
 もー、ぽやぽやととろけっぱなしでした。

 あー……。
 『スサノオ』は主役を見なければいけない芝居なのに。主役の視線で世界を見てはじめて、カタルシスを味わえる作品なのに。

 やっぱこの芝居、2階から観る方がいいよ。
 いちばんたのしかったのって、2階S席ドセンターで観たときだわ。

 今日は最前列だからきっと今までいちばん「作品」をたのしめる、と思っていたのだけど、ちがった。

 なまじ最前列だと、大和の民に浮気しまくりで、スサノオを見ている時間がものすげー少ないよ……。
 だって、後方席からだと、大和の民の区別つかないんだもん。さすがに最前列だと、「あ、この子がこんなところに」と発見があるもんで、ついそっちばっか見ちゃう。

 あああ、今日でラストにしようと思ってたんだけど、やっぱあと1回増やそうかなぁ。
 2階席から、ちゃんとスサノオだけを見たい……。コムちゃんが見たい……いやその、アオセトナ様が出ているときは、蛇様ばっか見ちゃうんだけど、それ以外はスサノオが見たいのよ。

 煩悩は尽きず。

 そーいやGW中はキャンペーンやってるのよね。
 チケット発売時にそんな話はなかったから、偶然今日のこの回のチケットを買っていたわ。
 先に発表してくれていれば、キムくんがプレゼント抽選会に出る日を買ったのに……。
 1列目下手は、抽選会があるときはものすげーオイシイのに〜〜。
 目の前だよ。目の前。
 近すぎて、当選番号を読み上げる前から、「あ、大きさがチガウから、わたしの券じゃないや」とかわかっちゃう(笑)。チケットの半券で抽選するから、大きさや色がいろいろなんだよねー。で、それが見えちゃうんだよねー。
 萩の月、欲しかったな……。

 しかし、入場者全員プレゼント。
 アレ、なんすか。
 わたしてっきり、ポストカードがもらえるものだと思ってたの(要項、よく読めよ)。
 だから、印刷のメッセージカードだけ、っていうのにちょっとびっくり。
 白黒の安っぽい印刷のメッセージカードより、きれーなカラー印刷のポストカードが欲しかったな……。
 「90th」と描かれた微妙な液晶画面クリーナーよりもさー。
 舞台写真を使った、オリジナルのポスカをエサにぶらさげてくれたら、しっぽ振って劇場行くのになー(笑)。

 
 ああ、それにしても、たのしかった……。
 油断すると視界に入ってくるまちかめぐるを避けながら、下級生チェックしつつ、水くんをうっとり眺める。
 ショーではハマコの破壊力も健在。うわー、響くわ……目が合うわ……いかん、何故かわたし、ハマコのハマコらしいところを見ると、笑いの発作が起こるの。笑っちゃダメよ、わたし! 
 自重しているにもかかわらず、水くんが出てくるときと、ハマコが出てくるときは、顔がにやけてしまうの。笑ってしまうの。……はっ。わたしの中では、水くんとハマコが同格っ?!(ツッコミ待ち)

 あまりにしあわせだったため、劇場を出てすぐに会ったひとに、語ってしまった……今、わたしがどんなにしあわせかを。水くんにめろめろかを。

 すみません。
 なんでわたし、あの人に語ってしまったんだろう。

 友だちの同僚さんに、一方的に語ってしまいました……。

 うわあああ、あとで正気に返って、自分の舞い上がりっぷりに赤面。
 友だちに語るならわかる。100歩譲って、知人になら、まだ。
 しかし今日語ってしまった人は、知人ですらないよ……。
 劇場内で働いている友人のワゴンさんに会いに行ったら、彼女はちょうど席を外していた。親切な同僚さんが、「すぐに戻ってきますから、ここで待っているといいですよ」と言ってくれたのよ。
 で、待たせてもらっている間に…………わーん、語っちゃったよ、知らない人相手に。たまたま劇場が職場だってだけで、「歌劇のことはよくわからないんです」という、ふつーの販売員さんに。
 盛大に引いていたと思う……同僚さん。
 すみませんすみません。反省。しょぼん。

 結局、ワゴンさんとはあまり話せず(仕事中だから当然だ)、わたしはこそこそと逃げ帰った。

 
 ラストがよくなかったが(思い出すと羞恥)、それでもやっぱり、水くんのまなざしや微笑みを反芻すれば、たちまち頬の筋肉がゆるみだす。
 ああ、なんであんなに、目線くれたんだろう。
 もちろん、わたしだけが特別なんて思わないから、あのへん一帯に目線とばしまくってたってことよね。
 目線絨毯爆撃って感じ〜〜。
 うわーい。
 
 
 ……べつに、わたしがなにか変だったってわけじゃ、ないよねえ?
 相当にやけきった顔で、坐っていたとは思うけど。
 舞台の人は、観客の顔なんか見てないよねえ?
 絨毯爆撃のおかげで、わたしもおこぼれをもらえたのよね。ああ、ラッキーだったわ。
 
 もう1回、行こうかなあ……。

         
 いかん。日記に書くのをすっかり忘れていた。いつ見たんだっけか……2週間くらい前かな?
 毎日なにかしら書くことがあって(『愛しき人よ』の感想だけで4日も使ってるし・笑)、映画の感想が溜まっていく……。

 美男美女を見たくて、行ってきました、『ディボース・ショウ』
 監督・脚本ジョエル・コーエン、製作・脚本イーサン・コーエン、出演ジョージ・クルーニー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。

 マイルズ・マッシー@ジョージ・クルーニーは、ロサンゼルスで活躍する離婚訴訟専門の弁護士。『離婚弁護士』っちゅーと今放映中の天海祐希のドラマと同じだが、立場は180度チガウ。人情なんぞどこにもなく、情け容赦なく依頼人の利益「だけ」を守って戦う苛烈な人。負け知らずで人生退屈♪なくらい、天上天下唯我独尊。
 そんな彼の前に立ちふさがったのが、美貌の結婚詐欺師マリリン@キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。彼女は財産目当てで億万長者と結婚し、離婚によって多額の慰謝料をせしめるとゆー、根気と計画力のある「はした金に用はないわ」なゴージャスな悪女。
 結婚前に、離婚を含めたいろーんな権利を謳った「婚前契約書」がかわされる世界での、一筋縄ではいかない美男美女の欲と愛の一騎打ち。騙し騙され、ふたりの進む未来はall or nothing !

 
 いやー……キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、美しい……。溜息。
 ジョージ・クルーニー、うさんくせえ(笑)。このテのハンサムは、存在自体がうさんくさい。でもなんか、いいなあ。
 そう、阿部寛が本気の二枚目役をやっているより、上田次郎@トリックをやっている方がしっくりくるような。そんな良さ(笑)。

 たのしく笑って見ました。
 騙し騙され、で、どんどん話が転がっていくので、難しいことは考えず、変に理屈はこねず、ただふつーに眺めていました。
 まあわたし、笑いのツボが人より少ないんで、笑えない部分もいろいろありましたが。
 
 しかしわたしはウエットな日本人なんで、もう少し、ハートがあるといいな、とは思いました。
 ストーリー優先、笑い優先なんで、感情移入できるキャラクタがいなくて。
 やっぱ世の中、愛だよな。愛を描いてくれー。ほんの少しでイイから。ラヴコメの体裁を持っているわりに、愛がゲーム感覚以上には感じられなかった。今のままでイイから、あとほんの少し、まともに愛を……!
 と思うのはわたしの趣味でしかないのかしらん。

 息を止めて一気に走り抜ける系のコメディとして、この映画はとてもたのしかったけれど。
 萌え、という観点で言えば、天海祐希の『離婚弁護士』の方が100倍萌えるわ。

    
 とりあえず、美男美女を堪能。ふぅ〜。

         
 まだやるか、しつこくつづく、『愛しき人よ』感想その4。

 さて、いい加減キャストについての感想いきましょう。

 フェチ齋藤により、軍服だのチャイナドレスだの、いろいろ萌え〜なコスチュームに身を固めた美男美女が乱舞するこの舞台。

 わたしの胸を直撃した色男は、よりによって

 オリバー・ヒッツフェルト@ソルーナさんでした……。

 目がっ、目が合ったのよっ、ソルーナさんと!
 一瞬だけど!
 たしかにあの方は、舞台の上からわたしを見たのよ〜〜!!

 と、錯覚でもなんでも、目が合ったと思った瞬間、ハートを撃ち抜かれました……。
 うわーん、ソルーナさんかっこよすぎー。
 ナチスの将校、冷酷無比な鬼畜美中年。
 あの軍服がっ、ロングコートがっ。
 はぁっはぁっ。

 もともとオヤジ好き大人の男性が好きなわたしは、専科のおじさまたちが大好きなのですが、ソルーナさんにここまでときめいたのは、はじめてです。
 うおおおお、くぅわぁっこい〜〜。
 ケツの青い小僧どもには出せん色気だよなっ。

 
 物語の構造上、「ナチス側の話は全削除が妥当」だと思っていますが、ソレはソレとして、やっぱりナチスのみなさんはかっこよかったっす。

 ケビン・ヒルデブラント@さららんの美しいこと!!
 うわー、SSの軍服似合い過ぎだよー。きれー、かっこいー、すてき〜〜。
 さららんは美貌の男役だと認識してはおりますが、それ以上にわたしはさららん演じるヘタレ男が好きなのです。さららんの泣きの演技が好き。萌え。さららんは泣かせてなんぼの男。やっぱ齋藤せんせはわかってらっしゃるのでしょーか。さららん、またしても盛大にヘタレて、盛大に泣いてたね……ふふふ。
 
 主人公とまったく絡まないどーでもいい役だったのが、心から惜しいです。
 ケビンの物語を書きたいなら、ケビン主人公で別に書くべきだったね。それくらい、別の話だった。

 
 イチ押しの龍真咲くんは、なんともキュートなバカキャラ。
 どーでもいい役なのに、目立ってたねえ。きらきらしてたねえ。

 わたしの友人、キティちゃんはとてもニュートラルな感性を持った人。
 わたしがこの通りヲタクの腐女子で理屈っぽ過ぎるので、キティちゃんの「ふつーの感覚」というものを、わたしは普段からとても神妙に聞くことにしている。
 なんせキティちゃんは正しいタカラヅカファン。作品の善し悪しなんか興味ナシ、ご贔屓が出ていれば名作、出ていなければ駄作、谷正純作品を「泣けるから」と愛し、植田紳爾作品でもクライマックスは涙する。
 彼女が好きな生徒さんは、「男役スター」。
 路線のきらきらした人ばかりが好き。脇役に惚れることはありえないし、娘役にも興味がない。彼女のファン歴は、「ずんこ→りか→オサ」だ。真ん中に立つ人が好き。
 たぶん、歌劇団が念頭に置いている「ファン」の姿に近いと思う。

 その彼女が、1幕目が終わるなり、わたしに言った。

「あのピンクのスーツの男役、なんて名前?」

 そうきますか、キティちゃん。
 ほんとに、王道を行くきらきらした生徒さんが好きだねえ(笑)。

 
 ミシェル・バルデス@のぞみちゃんは、ここ数年、加速ついて「いい男」になってるよなあ。
 ミシェルはなんともまー、しどころがないっちゅーか人格がないっていうか、ひどい描かれ方をした役なんだが。
 いちおー、「二枚目」で「いい人」なんだよね? 和実からの手紙を隠匿しちゃったのも、ジョセフィーヌへの愛ゆえってことで、彼の「白い二枚目ぶり」に傷はつかないんだよね?
 しかし、わたしはずーっと、勘ぐっていたよ。いったいいつ、ミシェルは善人の顔をかなぐり捨てて、変質者だとか腹黒すぎる悪人とかになるんだろう?って。
 まさか、最後まで「白い二枚目」だとは……。
 のぞみちゃんが演じているんだから、絶対アクの強い男だと思ってたよ……。
 わたしがのぞみちゃんに求めている色男ぶりは、どーやらマニアック路線であるらしい……。

 
 凜麗河@みっぽーちゃんが、美しい。
 るいるいと並ぶと、「うわ、ちっちぇえ(笑)」と思うんだけど、その小ささも美しい(笑)。
 硬質な美女ぶりがいいよなー。

 この芝居、女同士のキスシーンが多いんだが(齋藤くん、トバしてるなぁ)、美しくてエロくて眼福ですわん。
 そこに愛がなさそうなところも萌え(笑)。

 
 川島芳子@るいるいは、ものすげー、のひとこと。
 舞台より映画より、アニメに出ていそうなキャラ。
 あんまりかっとんでいるからでしょうか、WHITEちゃんは彼女を「実在の人物」だとは気づかずに観ていたそうです。わたしも、イメージものすげーちがった(笑)。フィクションだからそんなのどーでもいいんだけど。
 怪演だよね、まったく。このるいちゃん観るだけでも、値打ちはあると思う。
 せっかくおもしろいキャラなのに、うまく使えていなくて残念。つくづく、齋藤くんに物語を作る才能が欠如していることが悔やまれるわ。ヲタク的観点はいいのに。

 
 川島がものすげーので、印象が薄くて仕方のないヒロイン、ジョセフィーヌ・ド・ハーグリーブ@あいちゃん。
 貴族出身のお嬢様なのが納得の、気品ある美しさ。そして、貫禄。
 ……若く見えないのは、彼女の課題でしょうか……。マダム役の方が似合う個性だよねえ……。
 スタイル良くて好きなんだけど。

 
 最後に、主役の遠藤和実@きりやん。
 病み上がりのせいか薬のせいか、顔がまるまるしていて、美貌はかなりマイナス。
 しかしそのぶん、自然に「大人の男」の外見だったと思う。輪郭が男の人っぽいっていうか。
 個人的に「小柄な受」が弱々しい乙女だと苦手なので、きりやんの骨太さは大変ツボでした。和実ってばたしかに背は低いけど、強そうな軍人なんだもーん。顔の輪郭もしっかり厚みがあるし、横幅もそれに似合うくらいあるし、存在感があっていいわ。
 彼の体調がいいのか悪いのかまでわたしは知りようがないけれど、ちと精彩に欠ける、アンニュイな和実が魅力的でした。
 つかわたし、きりやんは攻キャラとして大変愛しておるのですが……受きりやんもイケそうです、はい(笑)。
 やほひパロ書くなら、和実一人称で書きたいかなあ……。攻視点が好きなわたしとしては、めずらしく受萌えしてますわん。

 あー、なんかきりやんへの愛がふつふつとわきあがり、パーソナルブックを引っ張り出し、うっとり眺めなおしてしまいました。やっぱいいよなあ、この子。「愛すべき」キャラクタだと思う。舞台人・霧矢大夢に、心からエールを送る。健康第一、でも、あなたの舞台がずっと見ていたいっす。
 ちなみに、パーソナルブックでいちばん好きなポートは「無造作に女を抱き寄せている少年」ではなく、「鼻の穴くっきりの板前さん」だったりします……ははは。いや、女を抱いているポートもものすげー好きなんだけど……こんな男の子がいたら、マジ惚れるけど。ああでも、「きりやん」ならやっぱり、あの「板前さん」がいいのー。きゅーん。

 それにしても、遠藤和実と大門誠って、ナチュラルにBLに出てきそうな名前だなあ。そして名前だけで、受攻の判別もつくよなあ。(BLの受キャラって、なんであんなに女性名が多いんだろー)

         
 やっぱり変だよ、あのラスト。
 ……ってことで、『愛しき人よ』の感想その3。

 なにもしないヒロインなら、出さなくていいよ。

 だって和実@きりやんには、大門@めおちゃんがいるし。

 さて、腐女子語りいきます。

 大門×和実
 初見では大門くんのひとり上手ぶりに微苦笑してましたが、2回目の観劇時には、彼がものすっげーツボでした(笑)。

 この作品の中で、もっとも和実を愛してるのって、大門だよね?

 それも、崇拝に近いラヴっぷりだよ。見返りを期待しない、究極の愛だよ。
 大の男が、和実のこと褒め称えて女神様みたいに愛しちゃってるよ。

 実際、遠藤和実くんは「ふつーである」というだけの人でしかなく、奇人変人の中にあってその「ふつーさ」が「誠実さ」とかに変換されているにすぎない。ポカもいろいろしているし、軍人としてもあまり優秀だとは思えない。
 だけど大門くんの目には、「大尉殿すげえ。大尉殿かっくいー」としか、映ってないんだよな……。
 瞳きらきらさせて、「大尉殿は素晴らしい方です!」とか宣言している大門くんを見ると、「落ち着けよ、お前」と思ってしまう。
 白い羊の中に、毛色のチガウ羊がいたら、それを「すげえ」と思ってしまうクチだろ、君。「ヒーローが乗るのは白馬。つまり、白馬に乗っているのはヒーロー」とか、ものすごーく短絡な思考回路してるだろ、君。
 物語を冷静に見ると、べつに遠藤大尉は大した男じゃないんだが(そりゃ演じてるのがきりやんだから、いい男だけどさ)、大門ひとり目にフィルターかかったまま爆裂LOVEしている。
 川島芳子@るいるいのように奇声を発したりしないから一見落ち着いて見えるけど、大門くんも相当暴走してるよなー。
 と、1回目の観劇のときは、微苦笑。
 めおちゃんときりやんの並びは、映りがよくてたのしいので、それだけで十分萌えさせていただきました。うまうま。

 2回目の観劇時は、最初から「大門×和実を堪能する」という確固たる目的があったもんでな。

 たのしいのなんのって(笑)。

 いいよー、大門。
 君のその半分妄想入ったよーな「大尉殿LOVE」っぷりが、じつに気持ちいい!!
 BLの軍人モノが好きな人には、おすすめ。
 さすがタカラヅカ、日本軍の軍服もかっこよく作ってある。(日本軍の軍服って、かっこわるいよねえ? 色もデザインも鈍くさいっちゅーか)
 めおちゃんが長身できりやんが小柄なのがまたヨシ。つーかふたりの身長差はけっこーすごい(笑)。
 でかくて体格のイイ部下と、小柄な上官が、軍服姿で踊っちゃったりする、ああタカラヅカは素敵なところ。

 大門は副官の鑑っていうかね、「耐える男」なんだよね。
 主役はあくまでも和実で、大門はその補佐に徹している。そーやって主役を活かすことに生き甲斐を感じている男ってのは、イイよね。
 そして耐える男大門、どれほど和実を愛していても、決して表には出さない。尊敬しているだとかお仕えするとか、忠誠心や友情の範囲のこっ恥ずかしい台詞は堂々と言うが、愛の告白は決してしない。

 一生、和実についていくつもりなんだもんね。

 たとえ日本が敗北し、戦犯にとわれることがあったとしても。
 軍人でなくなっても。
 和実の目が見えなくなっても。

 大門は、和実のそばにいる。
 彼のためだけに、生きていく。

 ラストシーン、満開の桜を見て和実は「変わらないもの」を想う。
 そこでわたしは、心の中で台詞を書き足しましたよ。

 いろんなことがあった。
 激動の時代だった。
 それでも変わらないのは、桜と、そして大門だけだ。

 盲目の和実と、そんな和実の世話を甲斐甲斐しくする大門。
 あー、一緒に暮らしてんだなー、こいつら。
 よかったな大門、すげーしあわせそうだ。

 という、じつに美しいシーンだっただけに。

 戦前戦中戦後、苦難つづきだった和実を支えたのは大門だったのに、突然、なーんにもしなかった女がのほほんと現れ、和実をかっさらっていく、というオチには納得できないものがありました(笑)。
 しかもこのシーン、『二人だけの戦場』にやたら似てるしなー。納得いかんなー(笑)。

 構成が壊れている作品だから、いちいち言っても仕方ないんだけど、2幕目は主人公とヒロインが実際に会うのがラストシーンだけなんだよー。すげー無理があるって。
 カップルを「会わさない」で恋愛モノとして盛り上げるのは、高等技術が必要。腕に覚えがあるならしてもいいけど、空回りする確率がとても高いんだってば。
 もちろん、この作品では盛大に空回ってます。
 観客が「主人公とヒロインの愛の成就」を前提として観ている(希望している)からごまかしが利いているだけ。
 善良な観客は、「主人公とヒロインがハッピーエンド」ってだけで、他のことは全部忘れて感動してくれるから、それに甘えているだけ。

 
 てゆーか。
 本当のところ、この作品のヒロインは、和実だから!

 齋藤くんの作品はいっつもそうよね。
 主人公の青年は、いつもヒロイン(笑)。
 複数の攻たちに愛されたり憎まれたりとっても大変♪な、可憐な受が主人公。
 ハーレムものなんだよね、彼の作品は。
 主人公と、彼を愛する者たち、という構図。

 同じ構図で作品を書き続けるのが谷正純だけど、谷せんせーの場合は主人公が攻で、彼を愛する理想の妻たる受が登場するんだよなー。(ただし、役者の個性で受攻属性は変化する)男ふたりの愛憎であっても、とても封建的で男尊女卑的なものがある。
 谷作品は、とても男性的なんだ。

 齋藤作品は女性的。
 主人公はいつも、繊細な受青年。
 受がちやほやされるBL。

 だもんで、ヒロイン和実の大河ラブロマンスとして考えた場合、ジョセフィーヌはダーリンとして弱いんだよなー。なんせ、なーんにもしてないからなー。もちろんそれは、作者が悪いんだけど。

 いいじゃん、大門で!
 フェルゼンに恋したオスカルは、ずっとそばにあったアンドレの愛に気づくんだよ。
 ずーっと外国にいたり、他の女に夢中だったフェルゼンが、フランス革命を無事に乗り越えて静かに暮らすオスカルのもとに、突然現れて「オスカル、ほんとーは君を愛していたんだ」と言われても、「ハァ?」てなもんでしょうが。
 じゃあ、ずっとそばでオスカルを支え続けたアンドレの立場は? てなもんでしょうが。
 だからいいじゃん、大門で。
 ジョセフィーヌは美しい想い出の人。
 和実のそばには、いつも大門が。

 
 大門と和実のラヴストーリーだと思えば、ほんとにたのしい作品ですよ〜(笑)。
 和実、女絡みでナニかあるときは必ず、大門を頼るしな。
 大門は寡黙に従うしな。
 いやあ、ツボをわきまえてますぜ。

 つーことで、腐女子のたしなみとして考えました。
 ラストシーン、同棲しているだろう大門と和実。このふたりは、デキているかそうでないか。
 ……もちろん、デキてなどおりません。
 それどころか、この期に及んでもまだ、和実は大門の気持ちを知らないのです。
 耐える男大門、それでも恋を口にせず。
 大尉殿のおそばにいられるなら、それだけで……(はぁと)、なんて、手ぬるいことを考えておったのです。
 しかしそこに、終わったはずの過去の女、ジョセフィーヌが!!
 大門、ピーンチ!
 その夜遅く、ひとり帰宅した和実に、待ちかまえていた大門はついに……!

 つづく。

  
 月組バウホール公演『愛しき人よ』感想その2。
 
 
 さて。
 ふつーになってしまった分、つまらなくなっているとはいえ、フェチの齋藤らしいこだわりは随所にあった。

 齋藤くんほんと、ナチス好きだね……。
 てゆーか、軍服コスプレ好きなんだよね……。

 この話さあ、はっきり言って、ナチス出す必要ないじゃん。

 ただの軍服萌えだよね、ナチス絡めたのって。あの軍服を美男美女に着せたかっただけでしょ? 意味もなく女性将校がいるあたり、齋藤くんの趣味全開だわー。

 舞台は1930年代のパリ、日本軍の青年将校、遠藤和実@きりやんは極秘任務中の事故で、ある男を死に至らしめてしまう。そして、うっかり知り合っちゃったその男の娘、ジョセフィーヌ@あいちゃんと愛し合うことに。でも、彼女の父親を殺したのは俺だし、このままでいいはずがない、てことで和実は真実をジョセフィーヌに告げる。混乱した彼女の前に、どーゆーわけだか昔の恋人ミシェル@のぞみちゃん登場。
 父親の仇だろーがなんだろーが、和実はジョセフィーヌを愛してる、ってことで、彼の次の任務先である上海だっけか満州だっけかに一緒に行こうとジョセフィーヌに事実上のプロポーズ。手ぬるいのは、コレを実際に会って言わずに手紙にしちゃったこと。求愛の手紙は、恋敵ミシェルが握りつぶしちゃって、ジョセフィーヌのもとには届かず。
 あわれ和実もジョセフィーヌも、失恋だと思い込んだまま、それぞれパリを後にした……。
 そして舞台は、上海だか満州だか、そのあたりに。プログラム買ってないんでよくわかんないけど、和実の新しい任務はあのラストエンペラー溥儀の護衛だった。
 そこでは、最高級にアタマのぶっ飛んだ男装の麗人、川島芳子@るいるいが手ぐすね引いて待っていた……。

 というストーリーなのに、どーしてナチスが必要あるよ?
 物語の軸は、和実とジョセフィーヌと、満州なんだよね。
 べつに、ナチスを出す必要ないし、そこの青年将校ケビン・ヒルデブラント@さららんなんてキャラは、不要。
 だってさ、あきれるくらい、ケビンと和実の物語は別物なんだもん。
 主人公の物語に一切絡まない準主役なんてもんは、物語の邪魔だから出さなくていいよ。プロットの段階で削られても仕方ない設定だわ。
 なにがなんでもケビンを出したかったのなら、和実の物語に絡めなくちゃダメだよ。
 ジョセフィーヌがポーランド人だとか、ケビンが彼女を愛しているだとか。
 あるいは、ケビンと和実の友情が本物で、破滅していくケビンを和実が本気で支えるだとかな。……和実は結局、ケビンのこと大して友だちだとは思ってないんでしょ? 破滅していく彼のために、なにひとつしてやってないしな。見殺しだしな。ただの仕事上の知人ってだけなら、それもふつう。もしもアレで親友なら、和実ってば薄情すぎ……。
 結局ケビンは物語の筋とは関係ないところで大騒ぎして、関係ないところで勝手に死んでいった。

 ナチス側のエピソードは全部不要。
 なのに無理矢理とってつけたのはすべて、齋藤くんの趣味だよね?
 彼が軍服萌えな人だからだよね?
 本来なら2番手は、恋敵のミシェルか、副官の大門あたりをやるべきなんじゃないの? それをわざわざ役の重さを変えてまで、不必要な役を捻出したのは、すべてただの趣味ってやつでしょう?

 趣味と言えば、もうひとつ。

 和実の昔の恋人、一乃宮若菜お嬢様役がゆら姐さんだってのも、齋藤くんの趣味ですか?
 熟女に10代の少女のコスプレをさせて、ぶりっこ喋りをさせるのが、齋藤くんの萌え? 趣味?
 マニアックだな。
 そういった性癖を持たないわたしは、盛大に引きましたよ……。
 どーして10代の女の子の役を、わたしと同い年のゆら姐さんにやらせるんだ……ふつーに若い女の子に演じさせてはならなかったのか?
 ゆら姐さんは舞台では実年齢より上の役を演じることの多い女役さんだよ。その彼女に、何故10代……。
 あまりに意味のないキャスティングだから、これはつまり、齋藤くんの趣味全開ってことよね。
 さすがだ、フェチ齋藤……濃い……濃すぎる趣味だ……。

 
 あと、作品がみょーにエロいってのも、齋藤くんの特徴だよね。
 ストーリーがどうというより、パーツがエロいの。

 今回は、女たちがエロかった(笑)。
 川島芳子@るいるいがぶっ飛ばしてるからさー。

 チャイナドレスの美女ふたりのタンゴ、って、どうよソレ。

 タンゴって、男同士で踊ってもエロいけど、女同士もエロくていいねえ。わくわくするわ。
 川島芳子がナチュラルに両刀で、女コマシまくってるのが、男前でいいですなあ。
 あの傍迷惑な妖怪キャラ(高笑いはお約束)は、やはり齋藤くんの趣味なんですかね……。
 齋藤くんは、攻女好きだよねえ。強い女が、繊細な男をコマすのが彼の萌えなんだよね。
 それにしても川島芳子、強すぎるだろ、アクが……。(宇宙からの電波を受信しているにちがいない女だ)

 
 とまあ、齋藤色が薄れたとはいえ、やっぱり彼の趣味が反映された作品でしたな。

 物語は破綻しているので、わたしにはわからないことばかりです(笑)。
 どうしてそうなるのか、そこで何故そうなるのか、小一時間問いつめたいことばかり。
 それでもなんとなく軸の一本線だけは通っているので、かろうじて物語としての体裁は持っています。セーフ。

 主人公の和実は、なんつーかもー、すげー「ふつうの人」です。
 現代なら、エリートビジネスマンなんだろーな。
 会社の命令でフランスだの中国だの出張してんだろーな。
 裏切られたら傷つくし、仕事は途中で投げ出せないし、という、ごくふつーの感覚を持ったふつーの人なんだなー。

 彼のふつうっぷりはいいです。
 彼の片腕である大門少尉@めおちゃんが絶賛かますほど「素晴らしい人」だとはカケラも思えませんが、周囲の人間が奇人変人大集合なので、ふつうだ、というだけで和実がすごい人のように見えてきます。

 いいよなあ、人間やっぱり、ふつうがいちばんだよ。
 と、しみじみしてしまうわ。

 そして主人公がふつうなので、周囲の奇天烈さとストーリーのわけわからなさを乗り越えて、物語自体はわかりやすいハッピーエンドに着地します。
 よかったねえ、和実。ジョセフィーヌが君のもとへ戻ってきてくれて。

 ……とは、残念ながらわたしは思えなかったんだけどな(笑)。

 ジョセフィーヌが和実のもとへ戻るなら、なにもかも終わって平和な春、にやってきても遅いっちゅーの。
 裁判に間に合うよーに戻って来いよ。
 今まさに裁かれている遠藤和実大尉を救うために、登場しろよ、ジョセフィーヌ。
 彼がいちばん大変なときはひとりにしておいて、おいしいとこだけ取りに来るなよー。
 事情があってあのタイミングが精一杯だったとか、じつは裁判でも彼女は活躍していたとかの言い訳はナシよ。物語としてエンタメとして盛り上げるなら、あの登場の仕方はないだろ、と思うわけだ。
 裁判で和実を救い、それでも彼にはなにも告げずに去り、改めて、なにもかも終わった平和な春に会いに来ればよかったんだ。そうすれば、同じラストシーンでOKだよ。
 なにもしてない女が、ご都合主義まんまに現れて終わり、だなんて、作品の質をさらに下げてるよ。
 ハッピーエンドだからってことで、観客はすべて許しちゃうだろうけど、やっぱり変だよー。

 
 文字数足りないから、つづく。

 『かってに改蔵』というマンガがあります。
 現代社会を鋭く風刺した瞬間風速命のマンガで、たぶん、数年後に読んでも「なんのこっちゃ?」な時事ネタ・オタクネタにあふれた、ツッコミだけで成り立っているような、大変愉快なマンガです。

 その『かってに改蔵』の第273話(週刊少年サンデー13号掲載。コミックス収録はまだかな?)のテーマ。これこそが、われらが齋藤吉正へ捧げる言葉です。

 「そこまでやられたら、もうなにも言えません」

 さて、いい加減書いておかないと忘れるな、ということで、月組バウホール公演『愛しき人よ』の感想書いておきます。

 齋藤吉正という作家は、クリエイターとして欠けたところはありまくるが、それを全部吹っ飛ばすほどの「萌え」を描くことのできる人。

 わたしが生で彼の作品を最初に観たのは『花吹雪恋吹雪』だったんだが、そのときに目からウロコがぼろぼろ落ちた。

 作品としては、壊れまくっている。起承転結も構成もキャラ立ても、なにもかも破綻しまくっている。「物語」として、すでに機能していないほどのコワレ方。

 しかし『花恋吹雪』は、とてつもなくおもしろかった。

 そのときのわたしはまさに、

 「そこまでやられたら、もうなにも言えません」

 だった。

 あるのはただ、「萌え」のみ。
 彼が「かっこいい」と感じ、「萌え」だと思うものを、これでもかと詰め込んで創られた作品だった。
 辻褄もストーリーもなにもない。そこには純粋に「かっこいい」だけがあった。「萌え」だけがあった。

 次に観たのは、『血と砂』だった。
 これがまた、ものすごかった。
 『花恋吹雪』とどこがチガウの? ってくらい、同じ「萌え」と同じ「コワレ方」をした、とんでもない作品だった。

 
 これが中途半端に壊れていて、中途半端にかっこいいだけだったら、文句のひとつも言いたくなる。こことここがまちがってる、と指摘して、わたしならこうする、と長々吠えたてるだろう。
 されど、コワレ方も度を過ぎると、萌えの追求も度を過ぎると、もーなにも言えない。
 お手上げ。
 降参。

 「そこまでやられたら、もうなにも言えません」

 わたしが齋藤作品を愛している理由は、そこにある。
 両手を挙げて降参してしまうくらい、くそっ恥ずかしいコワレ方と萌えだけでできあがった作品なんて、そうそうあるもんじゃないからな。

 客席で身もだえして呼吸困難になるくらい、くそ恥ずかしいものを見せてくれ。
 萌え〜〜!! と誰彼構わず宣伝して回りたい衝動に駆られる作品を書いてくれ。

 たのむよ。
 わたしが齋藤くんを好きなのは、ひとえにそれゆえなんだからさ。

 ええ。
 多大なものは求めていません。
 破綻していないストーリーとか、正しく機能している伏線と展開とか、まちがっていない日本語とか、辻褄の合っているキャラの言動とか、そんなこと求めてないんだから!
 そんなもんはできてなくていいから、齋藤くんのリビドーそのまんまな作品を創ってくれ〜〜。

 そんなもんがいくら正しく作られていても、つまんなかったら、なんの意味もないんだからさ。

 
 と。
 心底思ったのが、齋藤せんせの最新作『愛しき人よ』だったのさ。

 齋藤作品なので、もちろんストーリーは破綻しています(笑)。
 でも、コワレ方がなまやさしい。
 多少手を加えれば、「壊れていない状態」にすることも可能なくらいのコワレ方。
 ……ええっ、齋藤作品なのに?!
 この程度のコワレ方ですんでるなんて、そんなバカな!
 ってくらい、ふつーレベルのコワレ方です。
 そのへんにいくらでも転がっている程度の駄作ぶり。

 『花恋吹雪』も『血と砂』も、作品が壊れているのは誰にだってわかったろうけど、どこをどう手を加えればどうなるっていうレベルのコワレ方じゃなかったからなー。
 もう手がつけられないくらいのコワレ方でした、アレは。
 ぎりぎりのバランスで立っているだけで、羽1枚落ちてきただけで倒れる、ってくらいの、崩壊寸前の建物みたいなもん。この建物を修繕して使うよりは、叩き壊して1から作り直した方が早い、というレベルのコワレ方だった。

 だがこの崩壊寸前の建物は、とてつもなく魅力的だったんだ。
 だから、どんなに壊れていても、手を触れることなく眺めていたいものだった。

 なのに、『愛しき人よ』は、ふつーレベルの駄作。いくらでも手を加えて、修繕することが可能。
 そしてそのかわり、「萌え」ははてしなくレベルダウンした。

 萌えがあるからこそ、どんなに壊れていてもかまわなかったのに……その萌えが薄くなったら、ただの駄作、つーことで終わっちゃうじゃん。
 つまんねー。
 齋藤くん以外の作家が書いても同じ、みたいなもの、つまんないよー。
 齋藤くんは齋藤くんだけが書けるものを書いてくれよー。
 めそめそ。

 
 とまあ、齋藤ファン的にはいろいろかなしい作品でしたが。
 ふつーの人には、ふつーにたのしい作品だったのかもしれません。
 谷正純作品で号泣できる、植田紳爾作品で泣いたり笑ったりふつーにたのしむことのできる我が友キティちゃんは、『愛しき人よ』をちゃんとたのしんでましたから。ラストは涙ぐんだそうだから。

 ふつーの人が支持する作品なら、それでよかったのかな。
 齋藤くんも、こうやって「ふつーの作家」になっていくのかな。
 だとしたらさみしいな。
 わたしはやはり、

 「そこまでやられたら、もうなにも言えません」な、天下無敵のオタク作家でいてほしかったのよ……。

 
 という前置きの上で、感想を書こうと思ったら、あら、もう文字数がないわ。
 翌日欄に続く。

    

PS2の秘密。

2004年4月26日 ゲーム
 『サイレントヒル2』をやろうと思って、ソフトケースから、ディスクを取り出した。
 PS2にセットする。
 テレビの画面を切り替え、コントローラを握って、ディスクの読み込みを待つ。

 画面に映ったのは……『クーロンズ・ゲート』だった……。

 マジ、びびったって!!
 『静岡2』をたしかにセットしたのに、何故『クーロンズ・ゲート』がはじまるのっ?!

 あわててPS2のEJECTボタンを押した。
 トレイが出てくる。
 入っているのは、『静岡2』だ。まちがいない。

 何故……っ?!

 驚愕のまま、ディスクを取り出す。

 あれ?

 …………2枚、重なってました…………。

 てゆーかわたし、『クーロンズ・ゲート』のディスクをPS2に入れっぱなしにしてたんだわ……。
 それを忘れて、上から『静岡2』を入れちゃったんだわ。

 2枚重ねて入るんだ、PS2。知らなかった……。

 
 そして、21世紀になってなお、気が向くと『クーロンズ・ゲート』をちょいちょいプレイしているという、わたしの日常がいちばんの問題なのか……?

        
 朝のミステリ。

 眠っているわたしの耳に、玄関ドアの開く音がした。
 どうやら、誰か家に入ってきたらしい。

 もちろんドアは施錠してある。
 合い鍵を持っているのは家族だけなので、たぶん家族の誰かだ。

 時計を見れば、ちょうど緑野家の朝のラッシュ時刻だった。
 ひきこもり人生をしているわたしとちがい、緑野家本宅の家族たちはみな職業がある。彼らは毎朝、熾烈なトイレ争奪戦を繰り広げる。

 どうやら、争奪戦に敗れた者が1名、わたしの家にトイレを借りに来たようだ。
 気配からして、母だろう。さっきまでわたしのベッドで寝ていた猫が、いそいそと階下へ降りていった。猫の鳴き声と、母の声が聞こえてくる。

 答えが推理できたので、わたしはまた夢の中へ戻った。ねむねむ。

 だが、それからほんの1時間ほどあと。
 再び、玄関ドアが開く音がした。

 何故だ?
 時間からいって、トイレは関係ない。
 ドアは開いたが、人が入ってきた気配はない。

 朝のミステリ。
 何故、わたしの家のドアは、2回開けられたのか?

 
 起床したわたしは、親の家に行って、聞いてみた。
 今朝、わたしの家に来なかった? しかも、2回。

「だってまた、出てこないんだもの」

 やはり、母がトイレ争奪戦に負けて、わたしの家のトイレを使いに来たらしい。
 また、というのは、彼女が敗北する相手がいつも決まっているためだ。
 そう、ウチの弟は、トイレが長い。ヤツに先に入られると、十数分占拠されてしまうのだ。

「そしたらねー、アンタの猫がやってきて、トイレのドアの前でしきりに鳴くのよー。仕方ないからドアを開けてやったら、中に入ってきて、ごろんとおなかを上にしてひっくり返るのよ。撫でろって言うのよー」

 はい、ウチの猫はそーゆー猫です。
 ひとがトイレ入ってたら、一緒に入ってきて、撫でろだのかまえだのとうるさいよ。洋式便器に坐っているわたしの膝や肩の上に乗ってきたりな。

「仕方ないから、手を伸ばして、撫でたわよ」

 猫は気持ちよさそーに撫でられていたらしい。
 トイレの床の上で。
 今まさに用を足している母の片手で。

「やりにくかったわ……」

 どっちが?
 いや、答えなくていい。

「それで、アタシがトイレから出て、家に帰ろうとしたら、猫がついてくるのよ。アタシと一緒に行きたいって言うの。でも、飼い主の許可なく連れて行ったらまずいわよねえ? アンタが起きてきて、猫がいなくなってたら、アンタ、びっくりするわよね?」

 ここで、謎は解けました。

 つまりママ、あなた、連れて行ったのね? わたしの猫を。わたしに無断で。

「だって、一緒に行きたいって猫が言うんだもの!」

 飼い主に無断で連れ出したらまずいってわかっていながら、それでも連れ出したのね?

「だって、猫が行きたがるんだもの!」

 この誘拐犯め(笑)。

「拉致して帰ったのはいいけど、猫ったらすぐにアンタの家に帰りたいって言い出すんだもの。仕方なく、またアンタんちに猫だけ返しに行ったのよ」

 それが、2回目のドアの音ね。ドアが開いた音はしたけど、人が入ってくる気配はなかった。

 まったく、朝からなにやってんのよ、猫に振り回されて。

「猫ってば、ちょっと目を離した隙に、ウチの玄関口でおしっこしたのよ。サンダルがひとつ、被害に遭ったわ」

 母は言う。

「トイレを借りに行って、代わりに猫のトイレにされて。さんざんだわ……でもま、猫がおしっこしたのは、弟のサンダルだから別にいいんだけど」

 弟にトイレを占領されたがゆえに、すべてが起こった。
 そして、災難は弟に収束し、朝のミステリは終結する。ちゃんちゃん。

        
「『静岡2』の登場人物、キ*ガイばっかだよ……」

 現在『静岡2』プレイ中の弟は、溜息とともにそう言います。
 わたしは爆笑。

 だよね、だよね。
 『静岡2』の登場人物は、全員キ*ガイばっかだよねええ。

「言葉が通じるヤツが、ひとりもいない……全員電波発してやがる」

 唯一いるじゃん、人間の会話が成り立つキャラ。
 ほら、あのデブ。

「そう、唯一デブとだけは会話が通じた。……でもジェイムス、あのデブのことキライだし」

 そーなんだよねー、『静岡2』の主人公ジェイムス。彼は、ゲーム中で出会うデブ男エディーのことが大嫌い
 他のキャラには親切な言動を取るが、このデブ男に関しては冷淡のひとこと。

「なんせ、『まだいたのか』だし」

 エディーは、いかにも怪しい危険がいっぱいの街サイレントヒルで出会った、貴重な生きている人間、なのに。
 しかも、エディーは体調が悪く、トイレで嘔吐していた。
 ふつーなら、心配しないか? 気遣わないか? 手を貸そうとしないか?
 周りは化物ばっかなんだよ? 生きている人間に会えたら、同行を望むのがふつうだろう?
 だけどジェイムス、エディーのことは完全スルー態勢。
 こんなうっとーしーデブと一緒に行くなんてごめんだね。と、全身で表現している。

 体調の悪いエディーをそのまま放置し、ひとりでとっとといってしまうジェイムス。……冷淡。
 その後、あちこち回って、もう一度エディーのいた部屋にやってくると……。
 可哀想に、エディーはまだトイレで吐いている。うわ、ほんとに体調悪いんだ、大丈夫か? と、思うのがふつーだろーに。
 ジェイムスがエディーにかける、すばらしいお言葉。
 「まだいたのか」

 病気だから、動けないんだよ。助けろよ、お前。

 鬼畜な言葉をかけただけで、ジェイムスはやはりエディーを見捨ててひとりで出て行く。
 ひでえ。

「他の女キャラには、あんな態度取らないのに。デブ男にだけは、完璧に冷酷。よっぽどキライらしい」

 結果的にエディーも悪人なんだけど、この時点ではわかっていない。だからジェイムスがエディーに冷淡なのは、ひとえに彼の好みでしかないんだ。
 他の女キャラたちは、言葉が通じないくらいキ*ガイぞろいなのに、それでもジェイムスはやさしい態度で接している。

 最悪だな、ジェイムス。
 キ*ガイでも女にだけはいい顔をし、男相手だと「勝手に死ね」、という人格なんだ……。

「まだハリーの方がよかったよ……ハリーも人の話聞かない男だっだけど、とりあえずジェイムスほど狂ってなかった」

 ハリーは『静岡1』の主人公。
 娘のことしかアタマになくて、謎の女が「世界は今、危機に瀕している」とものすごーく大切なメッセージを告げているのに、「娘はどこだ」しか言わなかった暴走パパ。女とハリーの会話は最後までかみあっていなくて、でも双方真剣で、じつに笑えた。

 でもハリーもすげー色ボケ男だったよな?
 どっから見ても怪しすぎる看護婦のリサにめろめろで、彼女に対してだけは言動ちがってたよねえ?

「女に対してアホウすぎるのが、『静岡』の主人公の特色なのか……?」

 てゆーか、出てくるキャラクタ、全員もれなく「最悪」って、どうよ。
 感情移入もクソもねえ……。

「しかし、こうやって再プレイしてみるとつくづく、いやあなものばかり出してくるよ、『静岡2』。よくもこれだけ、生理的に不快なモノばかり表現してくれるよ」

 うん、それが『静岡』シリーズのすごいとこ。
 人間は、ここまで人間を不快にする映像を創れるんだよ。感動。
 あの世界観はすばらしい。

 これでストーリーがあれば……失礼、よければ、もっといいのにね。
 誠意のある内容なら、もっといいのにね。

 あの「異世界」を創る力は、心底賞賛しているのに。

 
「それにしても、マリア最悪」

 ブスでおばさんで攻撃的キ*ガイで服の趣味が悪くて自分勝手で性悪。……でも、ヒロイン。

 どこまでもすばらしい、『静岡2』。
 やんや、やんや。

    
 文字数が足りないっちゅーか、たんにわたしが短い文字数で文章を書けないせいっちゅーか。
 書きたいことばかりが溜まっていく……。

 今ごろだけど、雪組新公の日。
 1階席にいたわたしは、わくわくと本役さんの登場を見守った。
 コムちゃんや水しぇんを生で間近で見られて、しあわせしあわせ。あ、〜〜さんだ、〜〜ちゃんだ、と確認しながら眺める。なんせほら、本役さんたちの座席の前列に坐ってるもんでな。

 ふう、眼福だったわ。と、いったん自分の席に坐り直したあとで、「ああ、やっぱりもう一度だけ」と、後ろの席の本役さんたちを振り返って見てしまった。

 そしたら。
 目が合いました。
 ひとりの方と。
 ぱちっ、と。

 その方は、まちかめぐるさんでした……。

 うわ〜〜んっ、まちかさんと目が合っちゃったよーっ。わーんわーん、動揺。

 
 いついかなるときも、まちかめぐるの呪縛から逃れられない運命なのだわ……。

 
 まちか氏と目が合ってしまった衝撃で、二度と後ろを振り返ることはできませんでした……いや、なんとなく……。

          ☆

 月組バウホール公演『愛しき人よ』の感想をいったん書いたんだけど、消しました。
 なんか自分的に消化不良な文になったので。
 後日、書き直します。

 てゆーか、順番的にいえば、まず『ジャワの踊り子』の話の続きでしょう!

 抱腹絶倒、すばらしい『ジャワの踊り子』。爆笑必至、一生に一度は『ジャワの踊り子』。
 わたしは大変たのしみました。

 ストーリーはただのバカ話です。
 この作品については、どこが壊れてるとか作者が壊れてるとか、理屈めいたことは言いません。
 言う気力もないくらい、壊れきっているし、まちがっているし、くだらない話です。
 しかし。
 おもしろいのだ、そのバカさ加減、悪趣味加減が。
 おもしろいからゆるす(笑)。
 『牡丹と薔薇』がアリなんですから、『ジャワの踊り子』もアリです。つまりは、そーゆーレベルの話です。

 見どころ満載ですが、やはり説明しやすいのは、「誓いのハンケチーフ」でしょう。
 誓いのハンケチーフ……こうやって音として聞くだけでも、そのとんでもなさが匂ってきますね。
 ジャワでは、男から女にハンケチーフを贈ることが、愛の証なんだそーですよ。
 ラヴラヴ・バカップルのアディナン@さえちゃんとアルヴィア@くらりんも、この慣習に従うわけです。
 アディナンがアルヴィアに、ハンケチーフをプレゼント! まあうれしい! ふたりの愛は本物ね!
 愛し合うふたりは、歓喜のダンスを踊ります。
 問題のハンケチーフの端と端をくわえて、見つめ合ってくねくね踊るのです。
 1枚のハンケチーフを、ふたりでくわえるんですよ!!

 なんか今あたし、とんでもないものを見てるんじゃないだろうか……。
 と、途方に暮れた気分を味わえます。すばらしい。

 全編、このノリで進みます。
 腰砕けるよーな、とほほがいっぱい。

 でもそれがタカラヅカ。
 いっそ愉快です。

 独立運動がどーの言ってるわりになにもしないアディナンが、無人島でアルヴィアとふたり、魚を捕ってとてものんきに暮らしているところとかは、とほほパワー全開です。
 魚に注目。ここで笑わずにいられるかどうかで、心の美しさ純粋さが量れると思います。
 わたしはヨゴレた大人なので、吹き出してしまいました。

 なんにせよ、さえちゃんはなにをやってもOKです。
 かわいいバカ男アディナンは、さえちゃんの善良さやキュートさを遺憾なく発揮できるキャラだと思いました。

 爆笑するわたしをちりちりと苛む不安は、この役をオサがやるのかよ……ということでした。

 さえちゃんはいいよ、かわいい人だから! 善良な真っ白な笑顔が似合う人だから! こののーみそのない顔だけの男を、嫌味のないやさしい男として演じられる持ち味の人だから!
 でも、オサちゃんは……。

 注意。
 世間の風評とはなんの関係もなく、わたしは春野寿美礼サマを「鬼畜貴公子」と呼んでいます。彼が下級生のころから、どんなにきれーな汚れない笑顔をしていても、「絶対この人鬼畜」と思っていました。
 わたしが個人的に思っているだけです。なんの根拠もありません。ただの願望、とも言います。
 しかし、個人的に思っていることだからこそ、願望だからこそ、わたしにとっての春野寿美礼サマは完全無欠の鬼畜貴公子なの。わたしを夢中にさせる背徳の王子様なのよ〜〜。

 てことで。
 月組『ジャワの踊り子』を見ながら、ものすっげーたのしみながら、心の奥では戦々恐々でした。

 あの春野寿美礼サマが、誓いのハンケチーフ?!
 ハンケチーフくわえて、ふーちゃんと踊るの?!

 くらくら。
 か、勘弁してくれ……頼む……。

 アサコとなら許す! アサコちゃんとなら、誓いでも契りでもなんでもかわしてくれてかまわないよ! ハンケチーフくわえて腰振ってくれてぜんぜんかまわないよ!
 しかし、ふーちゃんとだろ……涙目……。

 そしてそして、わたしの鬼畜貴公子サマが、健康的な南の島で、作り物の笑っちゃうよーな嘘くさい魚握って、にかっと笑うわけ? のーみそ1gもありません!てな顔で?

 くらくら。
 か、勘弁してくれ……頼む……。

 さえちゃんでならぎりぎりゆるせても、オサちゃんだと許せないことがてんこ盛りだよ、『ジャワの踊り子』……。
 はたして、花組バージョンを観て、わたしはこんなにたのしむことができるだろうか……。いや、花組を観る予定はないんだけど。

 アディナンというキャラが似合うのは、カシゲとかタニちゃんだよー。
 まちがっても、オサやトウコという深刻系キャラはやっちゃいかんて。
 ……でもオサはやるんだね……溜息。

 
 とまあ、関係ないところで不安に苛まれながらも、月組バージョンはたのしく観ました。ええ。
 さえちゃんとゆーひのカップリングが好きなわたしには、ほんとーにカモネギな作品でした。
 『シニョール ドン・ファン』でスティーブ×セルジィオだったくらいだからな。カモネギ、カモネギ(笑)。オイシクいただきました、合掌。

 ゆーひくん、かっこええ。
 1幕はずーっとおんなじ顔して突っ立ってるだけなんだけどね。これがまた色男なんだわ。
 2幕はコワレてるし(笑)。

 そしてなんといっても、越リュウ。
 ああああ、越リュウ。
 黒塗り民族衣装軍団の中で、ひときわ目立つ白人姿。すらりとした長身、洋服、冷酷鬼畜悪役、そしてトドメの口ヒゲ。ヒゲフェチのわたしとWHITEちゃんは、悶絶寸前。
 くわっこい〜〜、越リュウさまぁぁあ。
 3列目効果がいちばん大きかったのは、まちがいなく越リュウだよぉ。フィナーレの野郎ダンスのとき、マイクなしの越リュウさまの生声の「ぅオラァ〜〜ッ!!」を聞いたときにゃ、わたしとWHITEちゃんはふたりそろって腰砕けてたよ……はぁはぁ、脊髄直下のフェロモン爆弾だよー。

 ああ……こんなにたのしくていいのか、『ジャワの踊り子』。自分でも意外だったよ……。
 まあ、一度きりだからたのしいのかもしれんが……コレに通うとなると、演出家を呪い殺したくなるのかもしれんが……とりあえず、1回観るぶんにはおすすめ!
 さあ、あなたも「誓いのハンケチーフ」をその目で観るのだ!!

     

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