月組全国ツアー『ジャワの踊り子』、感想その2。

 劇場である、ひこね市文化プラザはとてもきれいなところでした。
 広い……そして、なにもない……。
 まさか、喫茶室さえないとは知らず、わたしとWHITEちゃんは空腹にくらくらしながら、広大な空間を見つめて溜息をつきました。
 ごはん食べたくても、周囲にもなにもないよ……。

 また、客席の空きっぷりも、なかなかすてきでした。
 2階席は、10人くらいしかいなかったんじゃあ……? 自分の席から2階席を見上げ、わたしたちは心から「2階席を買わなくて良かった」と思いました。……さみしすぎるよ、あの人口密度で観劇するのは……。
 2階席は安いので、チケ取りに出遅れたわたしたちは当初、2階席でチープに観劇するつもりだったんだよね。わしらびんぼーじゃけん。
 でも、1階席で観られて良かった……譲ってくれた人ありがとう!! おかげで堪能しました。

 
 腐女子のみなさん、『ジャワの踊り子』は愉快ですよ。

 すてきなホモ話です(笑)。

 主人公のアディナン@さえちゃんは、美貌が取り柄の善良なおバカさんです。彼のきらきらした笑顔には、誰もがハートをずきゅんと打ち抜かれます。
 自称独立運動家のアディナンを追う男、オランダの手先悪役タムロン@ゆうひ。
 いつも鋭い目つきで睨みを利かすタムロンは、ほんとは実直な男なのです。両親なきあと、妹とふたりがんばって生きてきた、「法律には従うべき」な四角四面のよきおにーちゃんなのです。
 タムロンは近々結婚の決まったかわいい妹のためにも、仕事で手柄をたてなきゃなりません。おたずねもののアディナンを捕まえてご褒美もらっちゃうぞ!てなもんです。
 しかし。
 なんてこったい。
 タムロンは、アディナンにfall in loveしちゃうのです!! まあ大変!!

 おたずねものアディナンが恋人のアルヴィア@くらりんとラヴラヴ生活しているふたりっきりの島にタムロンは乗り込み、アディナンと決闘します。
 でも運がいいのか悪いのか、島を嵐直撃、決闘中にタムロンは崖から落ちてしまいます。それを救ったのが、アディナン。
 何故ワシを助けるんだ。ワシは敵なのに。混乱するタムロン。……ええ、タムロンったらゆーひくんなのに、一人称「ワシ」だったりするのよねー、浮いてるのよねー、顔は青年なのにねー、言葉遣いだけおっさんなのよねー。

 混乱してるのは、タムロンだけじゃない。
 のーみその中「わたし。それから、わたしのダーリン(はぁと)」な女の子・アルヴィアも大混乱。せっかく南の島でふたりっきりでラヴラヴいちゃいちゃ生活してたってのに、なんなのよこの邪魔者はっ。怒。アタシとダーリンのしあわせの邪魔するヤツなんか天誅よっ、殺してやるわっ!! てなもんで、短剣握ってケガ人のタムロンに斬りかかります。
「ちょっと待て、話せばわかる!」
「うるさいっ、殺してやるーっ、きぃ〜〜っっ!!」
 てなふーに、もつれているタムロンとアルヴィアのもとへ。

「ただいまー、魚採ってきたから、3人でごはん食べよー♪」

 おつむにお花を咲かせたアディナンが、のほほーんと笑いながら帰ってきます。

 いやあ、このときのアディナン@さえちゃんはすばらしいです!
 生きるの死ぬの、殺すの殺さないのとやっている男と女のもとへ、バカ丸出しの天使の笑顔での登場ですよ。しかも、手には嘘くさい作り物の魚ですよ。

 もー、いちばんのツボです。
 ここ、笑うとこだよね? 爆笑ポイントだよね?
 わたしは息をのむあまり、呼吸困難になりました。

 ああ、さえちゃん……。
 わたし、さえちゃんのこーゆーとこ、好きだなあ。
 計算してできることじゃない、天性のものだよね。
 ここまでバカなのに、ムカつかず、愛しくなるんだから。

 タムロンを殺そうとしたアルヴィアを張り倒し、アディナンはタムロンを守ります。はい。
 たぶんそのあとで、3人で魚食べたんでしょうね……。
 大人の男タムロン、苦労人タムロン、号泣します……。

 さて。
 それからです。
 タムロン、アディナンのことしか考えられません。
 寝ても覚めてもアディナン。ああ、あの天使の笑顔が忘れられない……。
 刑事の仕事、やめよっかな……。
 すっかり恋の奴隷、ただの腑抜けと化したタムロンのもとへ、妹とその親友が発破かけにきます。
 はっ。忘れてた。妹の嫁入り支度してやんなきゃいけなかったんだっ! マジで忘れていたようです。タムちゃんぼーぜん。
 だって、アディナンのことしか考えてなかったんだもん。
 鬼上司@越リュウも、「アディナンを捕まえなかったら、お前が銃殺だ」とかひどいこと言うし。
 
 気分はすっかりロミオとジュリエット。
 タムちゃんとアディナンは敵同士。どんなに愛しても、結ばれない存在(いや、その前に片想いだってば)。
 ひとりで盛り上がるタムロンは、ひとりで盛大に苦悩します。
 アディナンを愛してる! でも、アディナンを逮捕しなければならない! ああワシはどうすればいいんだっっ。

 彼の苦悩は、インドネシア独立の日に、悲劇的な結末を迎えます。

 オランダの支配、というあらがいがたい前提のもとに、愛する人を追いつめたタムロン。
 しかし土壇場で、「やっぱりだめだマイハニー、愛する君を撃つなんてできない!!」とやったのに。
 アディナン、死んじゃうし。
 しかも、もうインドネシアは独立決定、アディナンが死ぬ必要なんかなかったし。
 思いっきり犬死にだし。
 ソレに荷担したのは、タムロンだし。
 オランダの手先だったタムロンの未来も、立ち消えたし。

 すべては終わった……。

 愛する男が息絶える瞬間を待たず、タムロンもまた己のこめかみを銃で撃ち抜いて果てた……。

 ああああ、追いかけ心中かよ、タムロン……。

 
 とまあ、ものすっげー愉快痛快な物語です、『ジャワの踊り子』。
 抱腹絶倒、たのしすぎ。
 出演者を好きなら、観て損はありません。

 バカ攻、空回り受が好きなわたしは、アディナン×タムロンってことで!(笑)
 ツボにジャストミートしてます、このカップリング。
 タムロンの爆裂片想いがいい感じです。
 なまじ1幕でクールでニヒルな大人の男をやっているだけに、2幕目のコワレっぷりがおかしいやら愛しいやら。

 わたしはゆーひくんもさえちゃんも好きなんで、たのしくてたのしくてしょーがなかったっす。
 ああ、いいなあ……こいつらでやほひ小説書きたいなあ……(笑)。
 エロエロな越リュウ警視総監もからめて、ねっとりと(笑)。

 こんなにたのしめるとは、正直思ってなかったので、うれしい誤算。
 なんかチケット余ってるらしいし(彦根も人口密度低かったわ……1階席も後ろの方ときたら……)、興味のある人はぜひ観に行ってみてください。

 まだ語りたいので、またいずれ〜〜。

          
 とりあえず、爆笑して帰ってきました、月組全国ツアー『ジャワの踊り子』

 捨てる神あれば拾う神あり、残り物には福がある。チケ取りに出遅れて、スルー決定していた月全ツ、3列目センター席が転がり込んできました。ええっ、3列目? 行くよ行くよ、そんな良席で観られるなら!
 目指すは彦根、名前は聞いたことあっても、行ったことない土地。よくわかんないままに、電車を乗り継いで旅立ちました。……遠かった(笑)。

 いつものよーに、なんの予備知識もナシ。どこの国のいつの時代の話かも知らなかったよ。再演だとは聞いていたけど、何年前の作品かも知らないし。
 先入観を持つのがキライなので、いつも意識的にシャットアウトしてるの。
 自分の目で観て帰ってきてはじめて、公式HPのあらすじを読んだわ。……半世紀も前の作品なの……? 道理で……。

 
 とりあえず、笑えます。
 シリアスなラブロマンスで悲劇らしいですが、21世紀の現代人が観れば、確実に笑えると思います。わたしはあちこちツボに入って、笑いをこらえるのに必死でした。

 舞台は少し前のインドネシア。ちょいとおつむがライト風味だけど、美しく善良な青年アディナン@さえちゃんは、王宮お抱えの踊り子さん。でもその正体は、自称独立運動組織のリーダー。
 「自称」でもなんでも、とりあえずは独立運動家ってことになっているので、彼は警察に目をつけられている。インドネシア人なのにオランダの手先となって働いているタムロン@ゆうひが、アディナンを逮捕しようと必死になってるしねえ。集会に出たアディナンはタムロンに追いかけられて、もう王宮に帰れなくなっちゃった。ので、恋人のアルヴィア@くらりんとふたりで逃避行。誰もいないふたりきりの島でラヴラヴ三昧。……えーと、独立運動はどうしたの? ま、「自称」だからいいのか。
 ふたりの愛の巣、は、タムロンに襲撃されて崩壊。仕方なくもとの国に戻ったアディナンとアルヴィア。行くアテがなかったのか、ふたりはどうやらおめおめとアルヴィアの実家を頼った模様。しかしアルヴィアの母親はアディナンみたいなごくつぶしを娘の夫とは認めずアディナンだけを放り出し、あわれふたりは離ればなれ。
 「自称」独立運動家のアディナンがなにをしているのかはさっぱりわからないが、アルヴィア恋しさに彼女の家の周りをうろうろしていたのだけは事実。アディナンを逮捕しようと警察側がいろいろ画策していたし、また、うかつもののアルヴィアがアディナンの居場所を刑事にぺらぺら喋っちゃったりなんだりしたんだけど、どーやらそれもどーってことなかったらしくきれいにスルーされていた。「自称」独立運動はどうしたんだろうねえ?
 結局アディナンが女の尻を追いかけているうちに、他の人たちが独立を勝ち取ってしまった。やったー、インドネシア万歳!な最中、周囲を見る余裕のないアディナンは、愛する妻アルヴィアを悪徳オランダ人警視総監@越リュウから取り返すために大活躍。って、たんに力尽くで奪って逃げただけなんだけど。正面切って女を奪って逃げても、そりゃ負けるよね、ということで、あわれアディナンとアルヴィアは射殺されてしまいました。
 とことん、「愛だけ」に生きた男、アディナン……。独立運動はただのいいわけっていうか、「自称」でしかないよね……なにひとつしてないし、役にも立ってないもんね……。

 
 主役がここまでバカでいいの?(笑)

 やることなすことバカすぎて、ものすげーツボでした。
 いい。中途半端に小賢しいより、これくらい澄み渡ってバカだと、かえって愛しい。

 主役のアディナンは、終始一貫、おつむの上にお花が咲いていました。考えることは苦手みたいだけど、そのぶん善良で、天使のように微笑みます。恋人を見つめる目は、幸福にあふれています。癒し系です。
 たぶん、この時代の若者たちの「ファッション」なんでしょう、「独立運動」っていうのは。
 ちょっとかっこつけたい年頃の若者は、とりあえず「独立を!」と言ってみるのです。
 本気でなにかしようとはしてないし、できるわけもないけどとりあえず、「政府に反発するオレってイケてる」ってなもんでしょうか。
 思春期の中学生が、わざと悪ぶってみせる感じ? 「オレはそのへんの平凡な奴らとはとチガウんだ」みたいな?
 つーことで、アディナンや彼の仲間たちは、ファッションとして独立運動をしているようです。なんちゃって活動家、「自称」止まりっすね。
 彼らは「集会」をして自己満足に浸っています。具体的に国のためになにかした、ということもないみたいです。あ、女の子を助けて感謝され、その女の子とつきあうよーになったりはしたみたい。役得ね。
 大それたコトはなにもしてなくても、不良少年は補導されますから、警察には追われます。そーやってアディナンとタムロン刑事が追いかけっこしているうちに、時代は変わり、なんとインドネシアは独立しちゃいました。アディナンはもちろん、歴史にはなんの関与もしていません、ただのファッションで独立がどーの言ってただけだから。彼にそんなアタマも甲斐性もありませんから。彼がうっかり殺されちゃったのは、三角関係のもつれでだから。

 アディナンの恋人、アルヴィアって女の子も、彼に似合いののーみその少ない女の子でした。
 なにしろ彼女のアタマの中は、「わたし。それから、わたしのダーリン(はぁと)」だけでできあがっています。
 自称独立運動家のアディナンがなにを語ろうと、アルヴィアのアタマの中には「わたし。それから、わたしのダーリン(はぁと)」しかないので、終始一貫ぴんくなことしか考えられなかったよーです。政治犯の疑いで弟がリストラされたことさえ、彼女には笑い事、「だってわたしのダーリンには関係ないもーん」だそうです。いやはや、あっぱれ。

 アディナンとアルヴィアは、最強のカップルでした……。
 ふたりそろってお花畑。
「つかまえてごらんなさ〜い」
「あはは」
「うふふ」
「こいつぅ」
「いやあん」
 エンドレス。

 いい。すっげーいいよ、お前ら。めちゃくちゃ愉快だ。
 こいつらを見て、割れ鍋に綴じ蓋という言葉が浮かんだ。

 じつに愉快な物語だった。
 独立運動がどーのと言いながら、主人公がかっこよくなにかをするシーンは皆無。「リーダー」だと台詞にあるだけ。
 彼はただ美しい衣装で踊り、仲間を盾にして逃げ、恋人といちゃいちゃする。
 そしてなにもしないまま、個人的なことで殺されて終わる。
 時代背景もなにも解説はなく、インドネシアを支配しているオランダ人がどれだけ圧政をしているかとかも、描写はない。個人的にいばりちらしている警視総監がひとり出てくるだけ。そのくせ台詞でだけ「独立を」と連呼する。
 ここまで、主人公をかっこわるくお膳立てした物語ってのは、狙ってやっているとしか思えない。
 脚本がめちゃくちゃだという以前の問題なので、かえって愉快、笑えて仕方なかった。
 てか、マジでおもしろいって。
 一見の価値アリ。

 主人公役の人が狡猾なイメージのある人だとか、賢そうな人だとかえってきついかも。
 でも、天然系の人がやる分にはいい。観ていてとてもおおらかな気分になれる。
 素直に、「かわいい」と思った。

 文字数足りないので、つづく(笑)。

       
 さぁて、雪組新公だ!
 と、はりきってムラ入り。

 その、新公がはじまる前のことだ。
 いつもにこにこかわいいココちゃんが言う。

「この間、スカイステージで交通安全キャンペーンを見たんですよ」

 ああ、そーいやココちゃん、スカステ契約したんだってね。うらやましいぞっ。
 ケロが出ている交通安全キャンペーン、見てくれたんだー。ケロちゃんに興味なんかないだろーに、こうやって報告してくれるってのは、わたしのためだよね、ありがとう。

 ココちゃんは話を続ける。

「そしたら、それに緑野さんが映ってて……」

 ……はい?

 緑野、笑顔のままで聞き返します。

 ケロちゃん出演の交通安全キャンペーン、なんだから、映ってるのはケロちゃんよね?

「ええ、だからそのイベントのニュースに、緑野さんも映ってましたよ」

   
 なんですとっ?!!

 ムンクの叫び。

 わたしがあまりに驚愕したからでしょう、ココちゃんはあわててつづけます。

「と言っても、後ろ姿です。顔は映ってませんって!」

 ココちゃんは必死です。

「後ろ姿だけですから! 帽子かぶってて、茶色っぽい上着着てて……」

 と、その日のわたしの服装を克明に描写してくれます。

 そんな、完璧にわたしだとわかる映り方をしていたのかよ……後ろ姿だけで……。
 さらにヘコむわたし。がっくり。

 
 静かにファンをしていたいです……テレビに映るなんて絶対イヤです……めそめそめそ。だって腐女子なんだもん……。

          ☆

 とまあ、観る前から関係ないことでダメージを受けていたけど、とにもかくにも、雪組新人公演『スサノオ』
 日付はチガウが、20日の日記のつづきだぞっと。

 初舞台生50人の加わった新公は、通常の本公演より人数が多いので、やっぱり人口密度高し(笑)。
 でもさ、これぐらいの人数が上限だと思ったよ。つか、『スサノオ』本公演、人数多すぎ。新公ぐらいの人数でいいと思った……。

 主人公スサノオ@キムくん中心で見てしまったので、あまり他を語る言葉を持たないんだが……。

 下級生チェックのできない新公って、ちとつまんないよ……。
 ヅカって、作品より人を見るところじゃん! わたしは萌え〜な下級生を発掘したい人なのにさー。
 みんな大和の民で、見分けつかねー……。とほほ。
 ショーで気になっている「薄幸そうな男役」の名前を知りたかったのに……この作品じゃわかんねーよー(笑)。
 純矢ちとせくんも、区別がついたのは4場の天上界でやっとだよ……ってソレ、最後の場じゃん!!

 しかしその大和の民の中で、真波そらくん、目立ちまくり(笑)。
 ソロのある役だったから、そこで一度顔をまともに見てしまうと、あとはどこにいても目の中に飛び込んでくる。
 あああ、美形はいいなあ。いつ目に飛び込んできてくれてもいいよ……だってきれいなんだもん……その大きな瞳が好きよー。

 月読@かなめくんは奇妙なお化粧。目の周りに、まるでピエロのような隈取りつき。それが不思議な味になっている。
 狂言回しとしての特異感が際立つ。姿の美しさと相まって、人形めいて見えた。
 舞台の上、物語との距離感がけっこう興味深かったんだけど、それゆえにスサノオの死に慟哭するところが違和感あったな。

 アマテラス@となみちゃんは、堂々たる女神ぶり。
 あんまりまんまるでびっくりしたけど(笑)。なんか、『スターウォーズ』に出られそうだなと思ってしまった。
 3場の「偽物アマテラス」での、見事な偽物っぷりが素敵。出てきた瞬間わかるよー、偽物だって。すっげー邪悪。姿は同じでも魂別物だってわかりすぎ。愉快だった。

 イナダヒメ@シナちゃんは……ごめん、シナちゃん本人はほとんど見られなかった……スサノオ@キムを映すモノとして、見た。
 スサノオの演技を通して、見た。
 この子で良かった。そう思ったんだよ。

 どーなることかといちばん不安興味津々だった、アオセトナ@きたろうくん。
 ビジュアル、ものすっげー、がんばってた。がんばってたよー。ものすごーく、がんばってた。努力は買う。努力はな……。
 しかし……そう、アレだ、月組で、ほっくんがものすっげーがんばって、リカちゃん本役の耽美キャラを演じている、あのつらさが漂っていた……(笑)。
 なんかもー、でかくて押し出しよくて、健康的なアオセトナだった……(笑)。
 出番の前半部分、本役の水しぇんが、どんなにいい人ぶっていてもすっげー嘘くさいのに対し、きたろうくんだと、「本当にいい人」に見えた。
 それは、となみちゃんの「偽物アマテラス」があからさまに怪しいのと好対照で、このふたりはコンビでいい味出してると思った。てか、こーゆー演出なんだよな、きっと。
 公演が終わって客が一斉に帰るときに、わたしの後ろを歩いていた女の子ふたり連れが、
「それにしてもオヅキ、すごかったねえ。あの、アマテラスの正体がばれたときのオヅキさあ、見た瞬間アフロ犬?!って思っちゃったよー」
「アフロ犬! ソレだ!!」
 と、大ウケしながら会話していたのが、忘れられません。
 アフロ犬か……なるほどなー。わたしは、ポンポンかぶってるのかと思っちゃったよ……(笑)。ポンポンってほら、チアガールの持ってるアレな。
 努力とやる気にあふれる大男、きたろうくん。これからもがんばってくれ。

 アメノウズメ@茜ちゃんは……なんか、ボンバーだった……(笑)。
 本役のキムくんはアニメの萌えキャラみたいなんだけど、茜ちゃんだとイケイケのおねーちゃんみたい……。プロポーション良すぎるからなー(笑)。ちょっと生々しいくらい、肉感的な美女だ(オカマだけど)。

 イナダヒメの姉たちのなかで、美声を聴かせてくれた麻樹ゆめみちゃんがよかった。
 てか、ゆめみちゃん、本公演でもこれぐらい歌ってくれよー。わたしこの子の声、すげー好きなの。

 太鼓部隊もかっこよかったよ。
 いい音を聴かせてくれた。
 出演者挨拶のあとと、カーテンコールのとき、太鼓部隊はまた軽快に聴かせてくれるのよ。それがもー、かっこよくてさー。
 作品の盛り上がりに、彼らは確実に貢献しているぞ。

 とにかく、たのしい公演だった。
 気持ちよく昂揚した。
 わくわく・わくわくっ。
 この空間にいることが、うれしくてしょうがなかった。

 そしてつくづく思ったことは、わたしはこの作品が好きなんだってコト。
 文句は山ほどあるが(笑)、やっぱりキムシン作品はわたしと波長が合うのよー。
 観れば観るほど、キャラクタを好きになるの。

 わたし、コムちゃんの演じるスサノオ、大好きなの。
 そっちはそっちでまた、ちゃんと語りたいわ。彼の慟哭と迷いがツボなの。
 まーちゃん演じるイナダヒメが大好きなの。ガイチが演じるアマテラスが大好きなの。
 キムシンはそりゃいろいろ欠点あるけどさ、キャラクタを魅力的に描くことに関しては、すげー実力ある人だと思うよ。
 主役を魅力的に描く、ってのは、ものすっげーむずかしいことなんだもん。(物語のキャラクタは通常だと、脇役の方がかっこよくしやすいの。オイシイとこどりさせられるから)

 好きな作品だからこそ、別キャストバージョンを見られて良かった。

   
 とにもかくにも、雪組新人公演『スサノオ』

 すっげえ良かった。

 感動した。
 素直に。

 はじめのうちは、せっかく新公だからいろんな人を見ようと思ってきょろきょろしていたんだけど、途中から腹を据えた。

 スサノオを見よう。

 タイトルロール、主人公スサノオ。
 彼だけを見よう。

 もちろんそれはわたしが、スサノオを演じるキムくんのファンだということもある。
 しかし、それ以上にこの作品における、「主人公の重さ」は格別だということに、気づいたせいもあった。

 わたし、本公演は3回観たんだよね。
 1回目はテーマばかり叫び続けるキムシンの恥ずかしさに身もだえし、2回目は構成について考えて観た。
 そして3回目で「主人公」というものについて考えた。

 他の作品はどうあれ、この『スサノオ』という作品は、正しくタイトルロール、主役が主役の物語だ。
 ひとり芝居でもいいくらいに、主役にかかる負担が大きい。
 主役の出来云々で、ストレートに作品の質が左右される。

 本来宝塚歌劇は団体芸であり、トップスターを中心に構成されるとはいえ、「作品より人重視」で、観客は勝手に自分のご贔屓を見ていれば良かった。だからこそ、多少作品がアレでも、ファンは劇場に通った。

 しかしこの『スサノオ』という作品は、ほんっとーに、主人公ひとりを中心にすすむ。
 主人公を見ずに、他の役をやっている自分のご贔屓さんを見ていると、物語から取り残される。
 ストーリーにはついていけても、主人公の内面についていけなくなる。ストーリーよりテーマを中心に進む物語だからだ。

 3回目の観劇で「おいおい、それってヅカとしてどうよ」と思いつつもスサノオひとりに焦点を当てて全編を観、達観した。
 この作品は、主人公を見なければどーしよーもないのだ、と。

 だから、新公でもスサノオだけを見た。

 いかなる場合も、彼だけを追った。

 視点固定の三人称小説を読むみたいに。
 わたしは、スサノオ@キムだけを追った。

 そして、彼と共に悩み、泣き、立ち上がり、絶望し、狂気の果てに希望を得た。

 気持ちよかった。
 舞台を観ている1時間半、わたしは別の人生を追体験していた。

 スサノオという、愛すべき若者とともにあった。

 
 最初、彼は少年だった。
 うちのめされた少年。
 大切な人に拒絶された、行き場のない男の子。
 拒絶されたのは何故? 彼が愚かだから。
 己れが愚かであるがゆえに愛する人を失ったという、その事実に、今、胸から血を流し続けている男の子。

 少年スサノオと、その姉アマテラスは「男と女」について争った。
 男と女?
 姉と弟の口論は、そのまま「彼と彼女」のことに、わたしには思えた。

 弟は、愛する姉に必要として欲しかった。男の方が尊い、と主張することで、女である姉に尊い自分を必要として欲しかった。
 だが姉は拒絶した。
 そのことに、弟は逆上する。「男をいらない女など、男の方でも願い下げだ!」……おれをいらないというあなたなんか、いらない!
 逆上し、暴力をふるったところで、女の愛は得られないのに。
 幼い彼は、彼女の心を得たくて暴れることしかできなかった。

 そして彼女は、かなしく傷ついたまま、姿を隠した。
 残されたのは男……いや、少年。幼い魂。
 己れの愚かさで、大切な人を失ってしまった、慟哭するひとりの若者。

 スサノオは荒ぶる神。「力」という才能を持って生まれた存在。
 でも、その力ゆえに彼は、愛する姉を失った。ふるさとも追われた。
 存在意義を否定され、すべてを失い、迷い続ける彼の前に現れたひとりの少女、イナダヒメ。
 やみくもに「力」を否定していた……つまり、自分の存在を否定していたスサノオに、イナダヒメは答えの方向を指し示す。

 イナダヒメ自身、「暴力」によって傷ついた存在だ。それでもなお、彼女は立ち上がり、泥の中から光るものを見つけ出す。闇の中に希望を見つける。

 イナダヒメの指し示す方向に、スサノオは光を見る。
 ただ自分を否定してうずくまっていた少年は、新たに一歩を踏み出す。

 そのとき彼は、「男」の顔になる。

 ヤマタノオロチの森へ足を踏み入れたとき、スサノオはすでに「男」の顔になっていた。

 オペラグラス、キムくん固定だったわたしは、おどろいた。
 顔がチガウ……。
 あのかわいらしい美少年じゃ、ない。
 大人の男だ……。

 そっから先のスサノオの迷いも慟哭も狂気も、まちがいなく「主人公」である「青年」のものだった。
 モラトリアムの少年が、幼い迷いを露呈しているのではなかった。

 これほど大人びたキムくんを見たのは、はじめてだ。中日のディディエ役のときなんか、大人の男のはずなのに、子どもに見えたのにな。

 イナダヒメと共にオロチを退治に行く、と決めるまでのシーン、あそこにスサノオというキャラクタのいちばん大きな変化を持ってくるとは思わなかった。
 少年から、男へ。
 エンタメの快感、カタルシス。

 アマテラス@となみちゃんが、本役のガイチ以上に「女」としての姿と存在感を持っていたことも関係しているかもしれない。
 姉への愛は、少年ゆえの愛。自己愛や母性なるものへの依存心を隠した愛。だからこそアマテラスはスサノオを突き放したのだろうと思える、そんな幼い愛。
 そうやって行き場を失ったスサノオが、イナダヒメ@シナちゃんと出会い、「居場所」を見つけた。
 自己否定から、肯定へ。
 よかったね、スサノオ。イナダヒメと出会えてよかったね。救われたね。……そう、心から思える。
 だからこそ、スサノオは変わる。少年から、男へ。
 姉の愛を求めて暴れていた幼い愛から、大切なものを守る男の愛へ。

 すでに「男」の顔をするよーになったスサノオだから、そのあとのシーンはひたすらかっこよく、またドラマティックだ。本役コムちゃんのセンシティヴな少年の迷いもそりゃ魅力的だが、キムくんの自我に目覚めた若者の迷いもまた魅力的さ。
 力強く、スサノオは物語を駆け抜けていく。

 
 本公演とはまったく別のスサノオだった。
 その、圧倒的な魅力。
 彼が空気を動かしているのがわかった。
 正しくタイトルロールだ。彼が主役だ。物語の中心だ。

 いやあ、すごかったよ。
 出演者の挨拶は終わったのに、拍手が鳴りやまない。
 まさかのカーテンコール。
 気持ちのいい新人公演だった。
 新公の感想によくある、出演者みんなががんばっていたから気持ちいい、じゃなく、ほんとーに、「舞台」として、「商業演劇」として、快感だった。

 たのしかったよ。心から。

     
 
 『街』が終わったので、とーぜん次のゲームがプレイしたくなる。

「ねーねー、『九怨』買ってよー、『九怨』〜」

 わたしはいつものよーに弟にねだる。
 ゲームを買うのは弟の役目。わたしは借りてプレイするだけの人間。

「『九怨』はまだ高い。5000円もする」
「いいじゃん、買ってよー」
「『静岡4』の発売日も近づいてるなあ」
「『静岡』! そーだ、『静岡4』もやらなきゃ。今から『九怨』をプレイしたら、ちょーど『静岡4』の発売日に間に合うぞっ。『九怨』が終わったころに『静岡4』の発売日になるぞ」
「『4』の前に、『3』だろ……」
「はっ、そーか。まだ『静岡3』やってなかったっけ。んじゃ、『静岡3』買ってよー」
「『3』の前に、マリア編だろ……」
「あ。……そうか、忘れてた」

 『静岡』こと、『サイレントヒル2』。
 わたしまだ、エンディング2つしか見てないのだわ。『1』は全エンディング網羅したのに。

「そーゆーアンタは、どーなったのよ、『静岡2』。たしか、自殺ENDしか見てなかったよね?」

 わたしはそれでも、主人公が生還するエンディングと、自殺ENDの両方を見ていたが、弟は自殺ENDだけで投げ出していたはず。

「だから今、病院だよ……」

 彼は今、再度『静岡2』に挑戦中らしい。「サイレントヒルに辿り着くまでに寝そうになった」とか、「アパートがつらかった」とか言いながら、その次のMAPである「病院」にたどりついたらしい。

「病院? ……病院というと、消化器で姉を煙に巻いて、その隙に走り抜けるんだっけ」
「…………ソレ、『SIREN』」
「トイレに隠れるんだよね? 鏡の向こうとこちらで、クリーチャーが“ジョキジョキィ〜♪”って追っかけてくるから」
「…………ソレ、『クロックタワー3』」

 うわーんっ、わかんないよおっ、「病院」が舞台のホラーゲームありすぎ。記憶が混乱しまくってる。

「『静岡2』の病院って……なにするんだっけ?」

 わたしがマジに思い出せなくて訊ねると、弟はにやりと笑って答えた。

「トイレの窓からホースを垂らすんだ」
「…………ソレ、『SIREN』やん」

「鉄パイプで看護婦を殴り殺すんだ」
「ソレ、『静岡1』?」

「医者と求導師がたのしそーに歓談している……」
「ソレ、『SIREN』」

 だめだ。
 『静岡2』の病院がどんなとこだったか、さっぱり思い出せない。
 弟もわざと、他のゲームの病院の話をするし。

「わたしが『静岡2』の病院でおぼえてることって言ったら、マリアがどっかの病室で寝てたことぐらいだよ……」
「そのマリアに会いに行かなきゃなんないんだろ、マリアエンディング見たかったら」
「そう。マリアを大切にしなきゃなんないの」
「チェーンソーで斬っちゃったよ」
「だめじゃん」

「地下にミイラがいるのは……『SIREN』だっけか」
「消化器の使い方はよくわかんないなあ、おねーちゃんは傘で倒しちゃったから」
「だからおねーちゃんは消化器で煙に巻くんだってば! 戦わなくてもいいの。タイミングが難しいの、早すぎても殺されるし、遅すぎても効き目ないし。……傘では犬と戦ったよ。中庭で」
「脳波測定器はダストシュートに」
「落とす順番をまちがえないこと」
「缶ジュースもダストシュートな」
「缶ジュース!! 缶ジュースである必要なし!」
「脳波測定器も、脳波測定器である必要なかったさ」
「重ければそれでいいなんて……そんなアバウトな……」
「魚は0で天秤は2」
「うおおお、アバウトなんじゃー、そんな謎アバウトすぎなんじゃーっ」

 いろんなゲームの話がごっちゃになって、なにがなんやら。

 
 それでも、とりあえず。

 『静岡3』以降がやりたいです、『九怨』がやりたいです。
 弟よ、早く買ってくれ。

 あ。その前に「マリア編」か。(また忘れていた)

       
 わたしは毎日夢を見るし、そこにタカラジェンヌが登場することもめずらしくはない。
 今朝の夢には、ゆみこちゃんが登場した。
 かっこいー男の子だった。
 殺人事件が起こり、彼が探偵役として事件を捜査し、推理するミステリドラマだった。(どんな夢だ・笑)

          ☆ 

 ところでわたし、『街』に窪塚くんが出演していたことを、知らなかったのです……。

 弟とふたりして、「窪塚洋介のそっくりさん」って呼んでた彼が、まさか本人だったなんて……。
 言い訳をさせてもらうと、芸名がちがうもんだから、気づかなかったのよー。のよーのよー……。

 わたしが知っていたことと言えば、牛と馬の俳優さんが、『真珠夫人』でトミコを相手にヤりまくっていたことぐらいです。
 リアルタイムで『真珠夫人』を見ていて、「あっ、牛と馬の人だっ」と思ったぐらい……でも、牛と馬の人の芸名を知らなかったので、本人かどうかの確認はできず。

 
 今日、チュンソフトの公式HPに行って、はじめて知りました……。

 やっぱり、『真珠夫人』の彼は、牛と馬の人だった……。
 そして、あの「そっくりさん」に至っては、窪塚洋介、ってモロ書いてあるし。インタビューまであるし。

 知らなかったの、わたしたち姉弟だけか……がっくり。

 
 てか、窪塚くんファンの娘さんたち、『街』のソフト買いまくって、ムーブメントを起こして、『街2』制作を促す力になってよー。たのむよー。窪塚くんが出演してるのが有名な話だっていうならさー。
 今さら遅いのか……がっくり。

 
 牛と馬の俳優さんのHPも見ました。

 本気で男前や……。
 弟とふたり、

「うわっ、かっこいー」
「マジ美形」

 と、感心しきり。

 あんなに美男子なのに、役によっては別人になるんだねえ。役者ってすごいねえ。

 よし、決めた。『恋人はスナイパー(映画版)』を見に行こう。牛と馬の彼が出ているらしいから(笑)。絶対ヤクザ役だよね(笑)

       
 まだ、『街』の話をしてみる。
 作品語りもしたいっちゃーしたいんだが、例の「青ムシ抄」のおかげで萎えた気分がまだ復活しないので、もっと軽い話。

 えーと、とりあえず。

 ガイ×桂馬でお願いします。

 軽い話=腐女子語りなんかい、わたし(笑)。

 
 数年ぶりのプレイで、なにに萌えたかって、不良(?)少年ガイと彼を更正させようとする少年係の刑事、桂馬の関係ですわ。
 なんでこいつら、毎日チャット・デートして、いちゃついてんの? 愛を確かめあってんの?
 かわす会話のひとつひとつがラヴくて、うろたえたわ(笑)。

 とりあえずガイは、確信犯(誤用の意味で使ってます・笑)だよねえ。
 べつに不良少年する必要はないけど、彼が不登校児である以上桂馬が構ってくるもんだから、わざと、不登校やってるよね? 手のひらの上で、桂馬のこと転がしてるよねえ?

 桂馬は桂馬で、ガイに遊ばれているらしいことはわかっていながらも、「ボクは少年係の刑事でせう」ってことで、大義名分の元ガイにプライベートな時間まで費やしてるよねえ。
 ただ桂馬は、ガイの真意には気づいていない。天然ちゃんだから。
 いやあ、いい加減気づけよ、ガイはアンタのこと狙ってるって。オトす気満々で、アンタを振り回してるんだって!

 エンディングまでしっかりガイ×桂馬の物語だったんで、かえってびびったよ。
 エピローグの後日談で、わざわざガイ再登場ですか……そうですか……。

 
 そーいや、かつての『街』では、2のシナリオを募集してたよなあ。
 『街』に出てくるどのキャラクタでもいいから、ストーリー書いてヨシ、みたいなこと言ってたよなあ。牛と馬の「謎の2日間のシナリオ募集」とは別に。

 ああ、今ならわたし、ガイ主人公でBL書けるわ! 少年係の刑事に惚れて、彼をオトすために策略を巡らせるちょいとヒネた電脳系高校生。
 BLなんて評価の対象外だろーことを予想の上で、おもしろがってチュンソフトに送ったのに! 今まだかつてのシナリオ募集が有効だったなら!(笑)

 ああ、そして。
 どーしてわたしはこういつも、BLだのやほひだのを考えるときは、ナチュラルに攻視点で考えるかなあ……。攻視点はニーズが少ないっちゅーに……。
 BLを読むのは女性だから、受視点でないと感情移入が難しいっていうよね、一般的に。そして世の中のBLの大半は受視点で、人気があるのもこだわりがあるのも受キャラだよね。だからまんだらけの同人誌は「受別」になってるんだよね。
 わかってるけどわたし、攻キャラが好きだー(笑)。自分的にこだわるのも、攻キャラの方だわ。
 ……とことん少数派……。むー。

 
 まあ、『街』なんていう、超絶マイナーソフトでやほひネタ考えてるあたりで、マイナー人生を刻みつけてるわねー。

 超絶マイナーソフトといえば、『YAKATA』でもやほひ萌えしまくったんだが……わたしにこいつらでBL書かせろと心の底から思ったな(笑)。

 まずプレイした人がほとんどいないよーなゲームでは、萌え語りすらものがなしいものがあるよなー……。

 
 とりあえず、『街』ではガイ×桂馬ってことで!!(笑)

          ☆

 そうそう、今日は花バウのチケット発売日だった。
 覚え書きとして、記しておくわ。

 並びの人数は、カシゲのバウと同じくらいでした。

 って、どうなのかしらねえ……カシゲと比べてもねえ……微妙ねえ(笑)。

         
 PS版『街』が終わりました。
 エンディングフルコンプしました。

 
 『街』はすばらしいゲームです。
 わたしのフェイバリット・ゲームのひとつです。

 しかし。

 しかし……つらかった……。

 青ムシのシナリオがっっ。

 そう、思い出したよ。
 SS版の『街』、自力でチャート作ってすっげー情熱でプレイしてたのに、エンディングコンプしなかった理由。

 おまけシナリオの「青ムシ抄」がくだらなさすぎて、それ以上プレイする気にならなかったんだ。

 そーだった、思い出したよ……。
 記憶から、あえて抹消していた。
 あれほど、読むのが苦痛以外のなにものでもない文章が、この世に存在していたことを。

 
 8人の主人公たちのエンディングまでは、順調に進んだんだが、それ以降、やる気が失せてしまい、苦労した。

 同時にプレイしていた弟も、まったく同じところで止まっていた。

「青ムシが最悪で、これ以上プレイする気にならない……」

 弟よ。まったく同じだ。

「思い出したよ、サターンのときも、青ムシ抄を途中で読むのやめて、それっきりになってたんだ……」

 弟よ。まったく同じだ。

 これほどプレイヤーを辟易させるシナリオを、わざわざ「おまけ」として追記しなくてよかったのに。

 確実に、作品のクオリティを下げてるよ。

 
 てゆーかさ、この「青ムシ抄」ってシナリオ、商業ベースに載せていいもんなの?
 まるきし、ただの同人誌レベルじゃん。
 わざとそうしているのかもしれないが、レベル低すぎて読むに耐えない。

 「笑い」とはセンスなんだなとしみじみ思う。

 わたしにはもともと笑いの才能が欠けているので、余計にそうかもしれないが、下劣さをユーモアだと思っているものには、笑いではなく怒りがわく。
 肉体的あるいは精神的に障害を持った人がおかしな言動をとったとして、それを笑うことなんかできない。
 弱い人を、強い人が一方的に殴りつけるのを、笑うことなんかできない。
 だれかが不幸になっていくさまを、笑うことなんかできない。

 「青ムシ抄」はギャグ小説だ。
 だが、そのギャグはことごとく、わたしの逆鱗にふれる。
 わたしが下劣だと思い、嫌悪を持つものばかりが下品な文章で描かれている。

 同じネタでも、もっとセンス良くまとめることはできるのに。
 たぶん、わざとなんだろう。故意に下品に愚劣に作られているのだろうとは思う。

 そして、わざとだろうと思うだけに、なおかなしい。
 必要だったのか。こんなものまでもが。

 
 読後感、最悪……。

 主人公8人をプレイし終わったあとで、感想を書いておけばよかった。
 あのときは、感動したのよ。
 サターン版をプレイ済みとはいえ、あれはもう何年の前のことで、プレステ版の再プレイは新鮮で、感動もひとしおだったのよ。
 泣けたさ。
 ギャグ炸裂だった美子シナリオでも泣いたし、スタッフロールの映像見てまた泣いたさ。

 なのに……。

 
 『街』制作者のばかぁ。
 「青ムシ抄」なんかいらなかったよぉ。号泣。

   

時代の徒花。

2004年4月15日 ゲーム
 時代の徒花だと思うもの。

 『クーロンズ・ゲート』のJPEGダンジョン。

 JPEGって……?!
 『クーロンズ・ゲート』発売当時はわたし、JPEGって言われてもなんのことかわかっていなかった。ので、ただの名前として「ふーん」とスルーしていた。
 しかし数年後、パソコンをいじるよーになってふつーにJPEGという単語を口にするようになり、改めておどろいた。
 あのゲーム、JPEGだったの?! 静止画を使ったアニメーションだったの?

 ポリゴンじゃないんだ……だからあんな、妙ちくりんな世界に……。ある意味、味のある画面に……。

 もしも、あの時代以外に『クーロンズ・ゲート』が制作されていたら、あったりまえにポリゴンで作られていたんだろうなと思う。

 
 時代の徒花だと思うもの。

 『街』の実写の静止画。

 アニメでなくイラストでなく、実際の背景と人間による画像の妙。
 実写であることのファンタジー。

 実写だから敬遠されて、壊滅的に売れなかった、という現実は置くとして。

 もしも、あの時代以外に『街』が制作されていたら、あったりまえに全編ムービーで作られていたんだろうなと思う。

 
 時代に咲いた徒花。
 はかなく消えゆくものたち。

 でも、それゆえに輝くモノはある。

 『クーロンズ・ゲート』が、ポリゴンで完璧に作られた小器用にきらきらしたゲームじゃなくてよかった!
 『街』がムービーだの声だのでできあがった選択肢付きのテレビドラマみたいなゲームじゃなくてよかった!

 
 なんでもかんでも、最新鋭の技術を駆使して作ればいいってもんじゃない。
 デジタルにはデジタルのよさがあるし、アナログにはアナログのよさがある。
 2Dのときはあんなに魅力的だったゲームが、続編で3D化されて魅力が地に落ちた、なんてことがいくらでもある。
 
 とりあえず。
 ゲーム好きの緑野姉弟は、あるニュースに震撼した。

「『ファイアーエンブレム』の新作、キューブで出るんだって!!」

 ゲームキューブで?
 なんでっ?
 アドバンスでいいじゃん! 何故、今さらキューブ?!

「どーする……? フルポリゴンとかになってたら……」
「『オウガ』の悪夢再びっ?! 『幻水』の悪夢再びっ?! 『FE』を気持ち悪いマネキンにして、誰がよろこぶよ? ファンは何十年、あのドット絵の世界を愛してるんだろー?!」

 アドバンス版の『FE』の出来が素晴らしいだけに、プラットホーム変更は不安しか募らない。
 愛するゲームタイトルが、売れないハードの客寄せパンダとして身を汚していくのを、哀しく見つめるのみ……。
 
 
 実際のところ、マネキンが動くゲームを競って作り続けているゲーム会社の人たちは、どう思ってるんだろう。
 なんでもかんでもポリゴンでリアルにすればいいってもんでもないだろうに。
 人物がリアルでいいのは、ホラーゲームぐらいだと思うんだけど。
 実在の人物に近づける技術力はすごいと思うけど、すごいだけで、感動しないんだけどなあ。
 それよりも、「異世界」を創り上げてくれた方が、ずっと感動する。
 なんのためのフィクションであり、さらにゲームであるのかわかんないよーな、「ゲームじゃなくて映画つくりたいだけなんじゃないの?」てな制作態度の作品は興ざめなんだけどな。「マンガ家になりたかったけど、右向きの顔が描けないんで、小説書いてまーす」みたいな小説家が笑止なのと同じで。
 「異世界」を創り上げるならば、キャラを本物の人間そっくりに作る、ことよりこだわる部分がいくらでもあるだろうに。

 
 てゆーか、男たちはマネキンポリゴン娘に萌えるのか?

「ねーねー、『零』はどーですか、『零−紅い蝶−』はっ。アレって萌えゲーなんじゃないですか? 制作側はソレ狙って、あんな気持ち悪いレズ双子美少女を前面に押し出したわけでしょ?」
 と、ゲームに詳しい知人・ライス氏に聞いてみた。
 ライス氏曰く。

「『零』? ぜんぜんダメ。売れるわけないでしょ、萌えろったって無理、マネキンなんかじゃ抜けねえよ」

 ……えーっと……抜ける抜けないまで、べつに聞いてないんですが……。

「あ、でも俺の会社にひとりいたな、ポリゴンでも抜けるっていうヤツが。そいつが言うにはね……」

 いやあの、ポリゴンで抜ける嗜好の人の詳細を聞きたいわけでもないです……。

  
 男向けのギャルゲーが、21世紀になってなお、アニメ絵を貫いていることが、答えなんでしょうかね。

 じゃあなんで、ゲーム業界はあの気持ち悪いポリゴン美少女を追求しているんだろう……それが技術革新というものなのか……。

 
       
 業界の事情なんか、さーっぱりわからないが。
 わたしは、2D時代のゲーム画面、好きだなあ……『ドラクエ』も2Dの方が絶対味があったのに……あのポリゴン画面、キモ……。

 時代は流れ、わたしは取り残されるのだろう。

 
 時代の徒花。
 愛すべき、朽ち果てた文化よ。

    
 わたしが以前買った「ビッグイシュー」に、メグ・ライアンのインタビューが載っていたので。
 見ることに決めていました、『イン・ザ・カット』
 監督・脚本ジェーン・カンピオン、出演メグ・ライアン、マーク・ラファロ、ケヴィン・ベーコン。

 大学講師フラニー@メグ・ライアンの住居のそばで、猟奇殺人事件が起きた。フラニーはその事件の聞き込みにやってきた刑事マロイ@マーク・ラファロに惹かれるが、彼への不信感もぬぐえない。フラニーが目撃した犯人と、マロイは同じタトゥをしているのだ……。

 えーと。
 とりあえず、メグ・ライアンがメグ・ライアンらしくありません。それが彼女の目的だったんだろうけど。とりあえず、ラブコメの女王らしからぬ役であり、演技です。

 しかしなあ。
 どーなんだろうなあ、コレ。

 監督が男性なら、「またまた男が勝手に都合のいい女を描いてるよ」で済むんだが……監督、女性なんだよね。
 女が描いて、コレか……。

 というのも、物足りなかったのだわ。
 すごーく。

 描いてあるのは、「女の性」。
 過激なセックス描写、オナニーシーン、猟奇殺人、血と暴力。

 しかし、生ぬるい。
 女の赤裸々な性ってのは、欲望ってのは、こんなもんか? チガウだろ?
 もっとどろどろしてていいと思うんだけどなあ。
 すげえ半端なので、男が想像して描いたえっちな女、みたいだ。

 フラニーがマロイに興味を持ったのって、「バーで女にしゃぶらせるような男」だからでしょ?
 そこをもっと、突き詰めて描いてほしかったなあ。エロい男に惹かれる、お堅い女教師。いいじゃん! それを女性の感性で描ききってくれたら、気持ちのいい作品になったと思うんだ。
 彼に対する不安と疑いと、それでもいったんついた官能の火は消せないわ的な内面を、じーっくりねーっとり容赦なく、描いてほしかった。

 でも結果は、フラニーにまったく感情移入できないまま終わった……。

 
 惜しいなぁ。
 同じプロットで、わたしならもっとこうするのに、が山ほどあった。
 心理描写することで、補完したいことばかり積もったので、小説向きの題材なのかもな。あ、原作が小説だってのは置いておいて。

 とりあえず、事件サスペンスと女の性モノ、両方やろうとしたのがまずかったのかも?
 どっちかにしておけば、まだなんとかなったのかもなー。しかし、事件モノとするには、メリハリに欠けるから、やっぱ女モノに焦点絞って、事件はスパイス程度にしておくべきだったのでは?
 ……まあ、わたしがたんに、ねっとりした女の性モノを見たかっただけかもしれんが(笑)。

 
 あ、映像はきれいだった。
 最初から最後まで、「赤」の使い方がいい。
 花の赤、服の赤、血の赤。
 ヒロインはわりと地味めの色ばかり着ているんだが、最後によーやく「赤いドレス」を着るのさ……そしてそのドレスは、もうひとつの赤に濡れるのさ……。
 この色の使い方は、好き。

 あと、最後の最後に流れる歌も。
 ブラックでイイ(笑)。
    
   
「あ、そーだ、帰ったらママのデジカメのデータを移しておかなきゃなあ」

 『ゼブラーマン』を見たあと、わたしはWHITEちゃんとふたりでごはんを食べていました。

「この間の『春の交通安全イベント』で、ママのデジカメ借りたのよ。だから、わたしが撮った分の写真は、パソコンに移しておかなきゃ。ママがデータを全部消すぞっと息巻いてたから」

 なんでも、デジカメのメモリーカードがもういっぱいで撮れないそうだ。わたしが撮った写真なんてほんのわずかだから、残りは全部母が使ったわけだ。128MBのカードが満タンになるくらい、なにを撮影したのやら。
 ちなみに母は、データの移動のさせ方も消し方もわからないので、全部わたしにやらせている。
 めんどーだなー、帰ってから、母のPCいじってやらなきゃなんないのかー。

「え、ケロちゃんのイベント、写真撮ったの?」
「撮ったよー。つっても性能悪いデジカメだから、大したモノは撮れてないけどさー。撮るだけはいーっぱい撮った」

 イベントの開催時間は1時間ほど。ケロたちタカラジェンヌの出番はそのうち10分程度。
 されど、残りの50分間もずーっと、舞台上にいてくれたからねえ。写真は撮り放題さ。

「その、わたしの撮ってきたケロの写真を見てもさ、ママは『あら、タカラヅカの人ね。……ふーん』としか言わなかったのよ。なのに、水くんの新聞の写真を見たときは『まあっ、なんてきれい!』ってベタ誉めさ。……正直者め」

 ケロちゃんのイベントのあった日の夕刊に、水しぇんの特集記事が載っていたのよ。1面使ってでかでかと。その写真の美しいこと! わたしと男の趣味が同じデイジーちゃんが速攻、待ち受け画像にして送ってくれたわ(新聞、わざわざ買いに走ったらしい)。わたしの携帯電話の今の待ち受け画像は、美しい水しぇんよ。
 その新聞を見て感嘆の声をあげる母に思わず、「ねーっ、めっちゃかっこいいでしょ!!」と、わたしも力一杯賛同したけどさ。

 ママ。
 ケロのことは「ふーん」で、水くんのことは「きれいっ。この人なんて名前? 今、劇場に行ったらこの人が見られるの?」なのね。
 すごい差ね。
 正直ね。

「……ケロちゃんだって、きれいでしょ?」

 WHITEちゃんは、首を傾げて言う。わたしの母の反応が解せなかった模様。

「アタシ、ケロちゃんにはすごく『きれいな人』ってイメージしかないんだけど……」

 いい人だ、WHITEちゃん。
 ええ、わたしだってケロちゃんは端正な人だと思ってるけどさ。
 ただあの人、見るたびに顔がチガウからさ……。

「屋外イベントだったからさ。舞台からは逆光だったの。まぶしかったんだと思うよ。ケロちゃん、目が開いてなかったのよ。それじゃ、きれいな顔で写真撮れないよ、わたしなんかのカメラと腕じゃ」

 ケロが「ふーん」程度にしか映っていなかったのは、そのせいよ。
 屋内でお花を配っていたときは、ちゃんときれいだったもん。
 ……そっちの写真を見ても、母は「ふーん」としか言わなかったけど……そ、それは、わたしのカメラの腕が悪いせいよっ。

「今度その写真、見せてよ」

 と、WHITEちゃん。

「アタシ、一度素顔のカノチカも見てみたいからさ」

 え。
 固まるわたし。

 カノチカの写真?

「……ない。カノチカ、写真撮ってない」
「ええっ? だって、ケロだけじゃなくて、カノチカもいたんでしょ、イベント」
「いた。いたけど、写真は撮ってない。カノチカも、ことことも」
「1時間もあったんでしょ? 写真撮り放題だったんでしょ?」
「そうよ、1時間もあったし、写真は撮り放題だったわ。デジカメだからフィルムを気にせず、シャッター切りまくったわよ! でもあたし、ケロしか撮ってないもん!!

 ケロファンですから! それ以外はOUT of 眼中!

「素顔のカノチカ、見たかったな……」

 遠い目でつぶやかないでください、WHITEちゃん。
 ケロちゃんの写真でよかったら、いくらでも見せるからさー。
 うちのママが「ふーん」としか言わなかった程度の写りだけど!

 
 帰宅してから、言われたとおり母のデジカメをいじりました。
 「データがいっぱいで、もう写真が撮れない!」と、うるさいので。
 128MBもナニを撮ったんだ……と思いつつ、容量をチェックすると。
 ……半分も空きがあります。

「ママ、ぜんぜんいっぱいになってないよ? なんで写真が撮れないの?」
「撮れないはずよ。だってもう、100枚以上撮ってるんだから」
「撮れなかったの? 確認した?」
「してないわ。でも、撮れないはずなんだってば。100枚以上撮ってるんだから」
「100枚撮ってるのがなんだっつのよ。まだ半分は空いてるんだから、あと100枚は余裕で撮れるわよ」
「どうして? 128枚しか撮れないはずでしょ?

 ママ……。

 128MBってのは、「128枚撮り」という意味じゃないのよおっっ。

「知らないわよ、そんなこと! 『128』って書いてあるから、128枚しか撮れないと思うじゃない!」

 いつもの口癖、「私は悪くない」を叫び出すので、それ以上の会話を放棄する。
 データをPCに移しカード自体は空っぽにして、母に渡す。はいどうぞ、いくらでも撮影して下さい。

 ああ、1日の最後にどーんと消耗したわ……。

        
 いちばんおどろいたのは、鈴木京香の胸の谷間かもしれない……。

 哀川翔アニキ主演映画『ゼブラーマン』鑑賞。

 いやあ、ヒット作はいいねえ、今ごろでも映画館で見られるんだから。
 封切館で終了し、2番館で終了し、今は場末の3番館あたりでレイトショーです。それでもまだ、上映してるよ。

 監督・三池崇史、脚本・宮藤官九郎、出演・哀川翔、鈴木京香、渡部篤郎。

 いつものよーに、予備知識ナシで見に行きました。
 アニキ主演100本めの記念作だということと、ヒーローものだということと、クドカン脚本ぐらいしか知らなかったっす。他の出演者も知らなかった。そっか、ヒロインは鈴木京香かー。篤郎、出てたんだー。

 
 ひとこと。
 渡部篤郎ファンには、見る価値アリ。

 
 かっ、かっこいー。
 篤郎、かっこいーよー。あの制服姿!!
 篤郎のコスプレ見るだけでも、500円の価値アリですよ!(500円で見た)
 防衛庁ですよ。特殊機密部の指揮官ですよ。軍服萌えの人にはオイシイっすよ。
 篤郎は顔ではなくスタイル美形だから、コスプレ似合うんだよねえ。
 キャラも、ダーク面に落ちていない真山@ケイゾクって感じで、けだるそーなやる気なさそーなツッコミ男で、見ててたのしい。

 
 あとはなんといっても、鈴木京香のおっぱいだな……。

 
 冴えない小学校教師・新市@哀川翔の秘密の趣味は、子どものころあこがれた特撮ヒーロー「ゼブラーマン」の衣装を作ること。そうやってお手製のコスチュームを着て、こっそり外に出たところ、まさかの怪人と遭遇。そのまま戦闘に。
 新市の住む街では、おかしなことが立て続けに起こっていた。防衛庁がひそかに調査を行っているくらい、ほんとーにやばい状況だったんだ。
 そう、宇宙人の魔の手がのびていたんだ……。

 
 変身ヒーローものだとは聞いていたけど、宇宙人モノだとは知らなかったから。
 おどろいたよ。
 謎の宇宙人が出てきてくれて。
 それなりにこわかったし(笑)。
 閉鎖された体育館とか、なんとなく『SIREN』っぽいし(笑)。

 
 いや、コメディ映画なんだけど!
 よく笑いました。
 とほほな笑いがいっぱい。
 たぶん、わたしぐらいの世代がいちばんたのしめる映画じゃないかな。新市と同世代だから。
 そのあたりの年代ネタがいっぱいさ。

 漢たちのアイドル哀川翔の、記念すべき100本目が変身ヒーローって、どうよ、と思ったけれど、実際に見て納得した。
 なるほど、たしかにコレは、「漢たちのアイドル映画」だと。

 男ってさあ、バカな生き物だよねえ。
 いくつになっても「少年ジャンプ」をたのしめる精神年齢なんだもの。
 現実主義の女という生き物からすりゃ、笑えるよーなガキっぽさ。
 哀川翔の映画なんて、大人の男向けに作られた「少年ジャンプ」でしょ? 剥き出しの男の夢や欲望が子どもくさ過ぎて、大人の女が見ても、ちっともおもしろくない。(腐女子萌えは置いておいてな・笑)
 任侠映画も変身ヒーローも、等しく「男の夢」なんだ。
 女が、青年実業家にプロポーズされる夢を見るか、アイドルスタァにプロポーズされる夢を見るかのちがいっしょ。根っこは同じ。
 女の「いつか王子様が願望」、男の「オレだってヒーロー願望」。
 そーゆー根元部類に位置する願望を具現化した映画。
 だから『ゼブラーマン』なんだ。漢たちのアイドル、哀川翔なんだ。
 
 哀川翔は、あくまでも漢たちのアイドル。男たちにだけ愛されている男(アイドル歌手だった大昔はともかく、Vシネ俳優になったあとはな)。
 だから彼の主演する作品は、あくまでも男たちのためだけにあった。
 そーやって、99本だ。
 そして100本目に、「老若男女向け」の映画を作った。このスタンスに、拍手。
 いいぞ、哀川翔。それは正しい戦略だ。
 変身ヒーローものだ、おとーさんが子どもとおかーさんを連れて映画館に行けるぞー。息子とふたりで「ゼブラーマンごっこ」なんかできちゃうぞー。
 おとーさんひとりのものだった、アイドル哀川翔を、家族でたのしめちゃうぞ!

 それは、正しいことだと思うの。

 男の夢が詰まった映画だったよ、『ゼブラーマン』。
 漢たちのアイドル映画らしい映画だったよ。
 男の夢炸裂で、それが、微笑ましい映画だったよ。

 
 とゆーことで(とゆーことで?)、鈴木京香のおっぱいの話。

 新市の勤める小学校へ転入してきた車椅子の少年・晋平@安河内ナオキの母親・可奈@鈴木京香。ちなみに母子家庭。
 特撮ヒーロー「ゼブラーマン」のファンだということで、新市と晋平は年齢や立場の差を超えて親友となる。
 親友だから、家にも遊びに行く。
 晋平の家には、美人の母親・可奈がいる。可奈は看護師。白衣の天使。
 ヒーローにあこがれる新市は、ゼブラーマンである自分を助けるゼブラナースを夢に見る……。

 そのゼブラナースが、可奈@鈴木京香なんだよな……。

 パツ金に、ボディコンに太股見せ、ワンピの胸にはダイヤ型の窓が開き、そこから谷間がくっきり。

 ちょっと待て鈴木京香。
 あんた、ナニやってんのっ?!
 そーゆーことをしていい女優ですか?!
 グラビアアイドルじゃなく、気品系美女のあーたがっ。「未亡人がハマる女優No.1」のあーたがっ。(同一首位・石田ゆり子)

 てゆーか。
 わたしと同い年で、その衣装着ちゃいますか……。
 チャレンジャーだな。
 いくら美女だからって、このトシで……。

 他のすべてを忘れさせるくらい、強烈な印象だったよ、ゼブラナース。
 鈴木京香のちちが見たい人は、映画館へGo! ……あっ、もうじきDVD発売されるか。

 
 たのしい映画でした、『ゼブラーマン』。いや、いろんな意味で。

   
 さて、昨年音楽学校の文化祭に行き、初舞台生チェックのたのしさにハマったわたしは、今年もまた同じコースを歩む気まんまんでした。

 よーし、とりあえず、文化祭で気になった子のチェックしちゃうぞーっ。
 全員同じおかっぱ姿だった89期生の初舞台で、純矢ちとせくんの見分けは早々についたくらいだから、生の髪型で口上をする今回は楽勝だぜ!
 と、思ってたんだが……。

 なんか今年は、負け犬気分……。

 だめだわ、2回観ても、誰が誰だかわかんない……。

 そりゃまあ、良席で観てないせいもあるだろうけどさ。
 それにしても、わかんないわ。
 最初の口上のときに、「美貌の男役」、と文化祭の日記で評していた子をかろうじて見分けられるだけ。
 プログラムを買ってないのもまずいのかなあ。芸名もよくわかってないしなあ。

 文化祭のとき「アイドル」と評していた子や、「顔が好み」と言っていた子……ねえ、あなたたちどこにいるのー? わたし、ぜんぜんわかんないよう。めそ。

 今年はあきらめるか……。
 負け犬だわ……。

 
 ところでちとせくん、芝居では太鼓部隊だったのね。プログラム買ってないから、知らなかったよ。
 下手の上から2番目、だよね?
 最近よーやく「ちとせくん」という呼び方になれてきた……ほら、最初に見初めたのが文化祭だったから、なんて呼べばいいのかわかんないまま、「せーこちゃん」と呼んでたからなあ、わたしの中で(笑)。
 文化祭のプログラムには、芸名も併せて載せて欲しいっす。

 
 芸名がわからない、と言えば。

 ちょっと気になる子がいるんですが。
 芝居の方では存在も認識できないけど、ショーでやたら気になるの。

 なんかものすごーく幸薄そうな顔の男役。
 笑っていてもどこか不幸そうっていうか、吹けば飛びそうっていうか。

 えーと、あのやたら長い「第5章 ゴールデン・デイズ」でみんながぞろりと並んだとき、上手のいちばん端にいる、黄色い衣装の男の子。
 あの位置だから、下級生だと思うんだけど。

 わたしの好きな顔だから、右京くん系っていうか。
 シンプルな顔の子。
 誰か名前わかったら教えて下さい、雪組くわしい人!

  
 前方席で観劇すれば、もっとちゃんと判別つくかなぁ。今のとこ、びんぼー席でしか観てないからな(笑)。 てゆーかプログラム買えよ、ってか。

   
 雪組公演『スサノオ』2回目。

 
 早いもんだねえ、もう1週間経つのか。
 欲に負けて、ふらふらと大劇場へ。
 いや、金がないからA席なんだけどな。
 それでももう一度、冷静になって観てみたくて。

 
 というのも、キムシン。
 ええ、初日に観たときは、キムシンが恥ずかしくて、それでわたしのアタマはストップしていたからさ。
 エンタメであることを忘れ、身の程を顧みず、自分の主義主張を声高にキャラクタに叫ばせることが目的となってしまった、恥ずかしいカンチガイ作品。
 クリエイターが陥りやすい罠。つーか、ありがちすぎてすっげーかっこわるい失敗。

 ひとごとながらそれが恥ずかしくて恥ずかしくて、冷静に舞台をたのしめなかった。

 だから2回目の今回は、「そーゆーもんなんだ」ということを踏まえた上で、そちらに意識を取られすぎないよう注意して観た。

 ……えーと……。
 あきらめていたから、あの身の置きどころのない恥ずかしさは軽減されたけれど、やっぱりコレ、どうかなあ……。

 あれほど恥ずかしくテーマを叫び続けていたくせに、ラストのオチは曖昧なんだよね。
 それならいっそ、全部台詞で叫ばせときゃいいのに。なんで肝心な部分だけ煙に巻いているの?
 観客へ疑問や余韻を残しているというよりは、「あ、力尽きたんだな」という、作者の限界を感じてしまった。
 途中がどうあれ、ラストをびしりと締めてくれたら、だまされるのになー。

 
 この作品、何年かあとでも別のカンパニーででもいいから、書き直さないかな。
 現在の社会情勢に対しての作者の叫びがうるさすぎるのをなんとかして、台詞のあるあらすじでしかない今の脚本を根本から練り直し、もう一度、「完成版」を見せてくれないかなぁ。

 と思うほどにはやはり、魅力があると思うのよ。
 ただの駄作なら、手を加えて再び、なんて思わない。

 勢いに乗っているクリエイターが、その才能と傲りのままに書ききった作品ってのは、たとえ粗があろうと失敗作だろうと、他の地味な佳作にはない「華」がある。
 作者の自己愛の強さや陶酔っぷりが、魅力になることってのが、あるのよー。
 ふつーの人は、そーゆー恥ずかしい部分は隠すもんだから。日常を平穏無事に生きるために。
 でもクリエイターたるもの、そーゆー恥ずかしい部分をさも自慢そーに垂れ流すのもヨシ!! その感覚のとんでもなさが、力になっているんだから!

 てことで、この『スサノオ』を叩き台にした、まっとーなエンタメ作品を望む。
 せめて『王家』ぐらいには、ストーリーのあるものを作ってくれ。

 
 キムシン、演出はうまいもんなあ。
 好きなんだけどなあ。

 北京の民もそうだったけど、今回の大和の民も、「観客との一体化」がツボなのよ。

 顔のない民衆、同じ服を着て同じ髪型をした名もなき民衆は、みんな無責任で、卑怯だ。
 「名もなき民衆」であることへの、傲り。
 どーせあたしは一般人だしぃ。
 だって、みんなもやってるしぃ。
 個人ではなく、姿のない「みんな」というくくりだから、いつも高みから見下ろしていられる。安全なところで、文句や批判だけを口にして、気楽でいられる。
 弱くて善良であるという、免罪符を掲げて。

 『鳳凰伝』にしろ『スサノオ』にしろ、「民衆」は同じスタンスで描かれているよね。
 北京の民も、大和の民も、「個」の区別を否定した姿で現れ、「群」として暴走する。

 そして彼らは舞台を飛び出し、観客席を走り回る。

 彼らは、わたしたちなのだ。

 わたしたち観客は、物語の中の「民」のひとりとしてその空間に存在している。

 だからこそ、「名前」のある主人公たちの苦悩が、生き様が、胸に突き刺さってくるんだ。

 
 とゆーのはねえ、うまいと思うのよ。ツボなのよ。

 『鳳凰伝』は主人公たちが暴走気質だったんで、民衆の痛さよりテーマがどうこうより、ストーリーのアップダウンで力尽くでハッピーエンドにダイビングした。辻褄が合っているとかいないとか、キャラクタ気*がいばっかじゃん、だとかさえ、その流れの激しさで全部押し流した感じ。エンタメとして、ソレはアリだ。
 しかし『スサノオ』は……。
 キムシンの基本スタンスは変わっていないのに、物語の構築力は退化してるよ……しょぼん。
 テーマを投げかけたのなら、最後まできちんと作ってくれ。表現してくれ。

 
 初日よりも冷静に観てしまったからでしょう。

 水くんの歌が、すっげーやばやばに聞こえた(笑)。

 いやあ、わたしったら正直者。
 “男の好みが同じ”デイジーちゃんが、「水くんの歌は、かなりアレですから」と口を濁すのに対し、
「えー? ぜんっぜん、気にならなかったよ! 水くんかっこいー」
 と自信満々に返してしたのに。(もちろんデイジーちゃんは「ええ、私は水くん好きだから、あの歌でもぜんぜん気にならないんですけど!」と断言。ああ、友よ・笑)

 やっだー、ほんとにアレだわ、水くんの歌!!

 初日はあまりに素敵な水しぇんにめろめろで、歌のアレさがまったく耳に届いていなかった模様(笑)。

 恥ずかしいのはわたしね。やーだー(笑)。

          ☆

 ところで本日は、旧・三番街プレイガイド、現・阪急ターミナルプラザではじめてのチケット発売がありました。

 すげえよ!
 スタッフのみなさん、めっちゃ礼儀正しい。言葉丁寧、物腰やわらか。

 はじめて、「客」として扱われたよ……。

 三番街プレイガイドでの発売日にチケットを購入しようとすると、「客」扱いはしてもらえなかったからな。
 命令形で怒鳴りつけられ、不機嫌な態度で応対され、「売ってやってるんだ、感謝しろ」という一貫した扱いをされていたからなー。
 それにすっかり慣れていたけど、そーだよ、最初にあそこのカウンターを利用したときは、頭ごなしに叱られてびっくりしたもんだった……店員が客を叱る……命令する……まだわたしも若かったから、「ごめんなさい」を繰り返し、縮こまりながらチケットを買ったなあ。なにも悪いことはしてなかったんだが。

 客扱いされないのがあたりまえだったから、この応対のちがいには心底おどろいた。

 アンシャン・レジームの終焉ですわ皆様っ。
 自由・平等・博愛。ああ、革命のベルが鳴る。
 わたしたちが人間扱いされる日がやってきましたわ皆様っ。

 ……ええ、そして。
 その丁寧で礼儀正しい親切なスタッフさんたちは、とーっても仕事が遅かったです……(笑)。

 旧プレイガイドの方々は、接客態度に問題有りすぎだったけど、客にいばりちらしても仕方ないのかと思わせる程度には、仕事が速かった……。

 一長一短?
 いやいや、いくら仕事ができても、あの態度は客商売の態度じゃねーよ。

 新スタッフも、仕事が速くなるのに比例して、過酷な発売日の労働に身も心も疲れ果て、いつしかあんなすさんだ対応をするようになっていくのかしら。

 動向を見守る。

 
 昨日、見知らぬ人たちと、人生を語った。

 
 ……いや、なんとなく。なりゆきで。
 わたしの人生ではなく、もっととりとめのないもの。
 今の社会とかこの国とか、ラブソングやドラマについて。
 
 わたしに話しかけてきたのは、そーゆーサークル活動をしている人たちらしい。
 わたしたちが普段なんとなく疑問を抱きつつもスルーしているよーなことを、改めて話し合いませんか、という趣旨のようだ。

 桜は盛りを過ぎ、枝が目立つようになっている。
 地面には花びら。
 時折舞う、天と地の花。

 わたしと彼らがそのまま地面に坐り込んで話していると、母娘連れが通りかかった。
 娘の方が、会話に加わる。彼女は、我が国の抱える借金の仕組みについて説明を受け、曖昧に笑っていた。国債って知ってる? お金というものがどういうものなのか知ってる?
 聞けば彼女、昨日が入学式の、ぴっかぴかの中学1年生だという。中学生活の最初の日から、ヘヴィな話題だね、と言ったらまた笑った。

 家の近所の公園で、何故わたしはいきなり哲学してるんだ?
 しかしわたしは、寒さに負けて哲学を途中放棄した。
 本気で討論するには薄着すぎ。
 だって、銀行に行くだけのつもりで、着の身着のままぶらりと家を出ただけだったんだもの。
 銀行に行って、軍資金を下ろすのよ。土曜日は『ファントム』の発売日だもん!! チケット代を下ろさなきゃ。
 

 人と話すのはたのしい。
 彼らのサークルに入ろうとは思わなかったけれど、彼らと話すのはたのしかったよ。
 ひさしぶりに、アタマを使って話をした気がする(ひさしぶりなんかい・笑)。

  
 うわーん、画像を貼りたかった。
 なんでこの商品、楽天にないのよー(笑)。
 (注・このサイトは楽天・Amazonなど限られたサイトで扱っている商品のみ画像を貼れます)

 わたしが自転車で毎週水曜日に通っている映画館は、複合型のシネコンで、そこには巨大ショッピングセンターだのレストラン街だのフィットネスクラブだのスパだの、現代人の欲望に応える施設がいろいろと混在している。
 だもんでわたしは毎週そこで、ウインドウ・ショッピングをする。
 買う買わないはそのとき次第だが、物欲と戦うのも快感のひとつ(笑)。

 そのときに必ずチェックするのが、ガチャガチャ・コーナー。
 なにが出るかわからない、おもちゃ入りのカプセル自販機を、わたしの生まれ育った地域では「ガチャガチャ」と呼んでいる。
 わたしはこのガチャガチャが好きでねー。
 なにか愉快なモノはないかと、いつもたのしみにしているの。

 そこのガチャガチャ・コーナーはけっこう充実していて、種類も多いし、新作も早い。わざわざ「新作コーナー」が分けられていて、わかりやすい。
 未だにハマっている「FROG STYLE」も大抵ここで買っているよ。

 いつものようにそこを流していたら、妙なものを見つけてしまった。
 いや、「誰が買うんだこんなもん」というよーな、妙なガチャガチャはいっぱいあるよ。よくあるよ。
 しかし、これは……。

 
 タイトルは、『オレの中学校 あすなろ編』
 今どきなにコレ?な、下手くそな「ヤンキー」のマンガ絵が描いてある。顔だけ。
 そして、肝心のブツは全6種類。

 「オレとカバン」「お気に入りの長ラン」「お気に入りのドカン」「オレの机とオレのイス」「ヒヨコ先生の机と出席簿」「ヒヨコ先生のイスと三角定規、分度器、コンパス、ホウキ、バケツ、雑巾」

 文字で羅列しても、わけわかんないと思うんで、この商品の公式HPを見てやってくれ。

 http://www.yujin-net.com/newitem/backnum/gacha/2003_09/orechu.htm

 “今大ブームの「学校もの」の決定版(?)がいよいよ登場!ついにあのなつかしの中学生時代がアイテム化!”……だそうだが。

 え、えーと?
 たしかに学校モノはブームになってるけど、それは普遍的な「昭和」のにおいのするモノのことであって。

 こんな局地的な文化に、なつかしさはあり得ません。

 てゆーか、このノリはなに?
 原作があるの? どっかの少年マンガ?
 でもどこにもなにも書いてないし、ざっとぐぐってみても、それらしきものは出なかったんですけど。

 オリジナルでこのノリなの?!

 ガチャガチャ売り場に、この商品見本が飾ってあったの。
 飾るというか、ただショーケースに投げ入れただけの状態。
 せっかくの「オレ」というキャラクタが、後ろ向きに陳列されていた。

 後ろ向き。

 写真でわかるよーに、「オレ」というキャラは、裸で白いパンツだけを身につけている、筋肉マッチョな剃り込みボーイだ。
 なんのプレイ中なんだ?てな、パンいちのくせに、ソックスとスニーカー着用のイカレぶりだ。

 こいつが、後ろ向き。
 後ろ姿。

 腰のくびれと、白いパンツが、生々しい……(笑)。

 はい、ツボに入りました。激しく。

 この商品の存在意義がよくわかんねー。
 フィギュア系ガチャガチャは数あれど、「オリジナルの裸の男」フィギュアを発売するその意図は?
 しかもマッチョな兄貴だよ?
 裸の男が、ソックスとスニーカーだけ履いて、通学カバン持ってるんだよ?

 マニアック過ぎ!!(笑)

 思わず、200円投入してハンドルを回していた。

 出ました、一発で、この「オレとカバン」が。

 実物を手にして、またしても笑いの発作が。

 この「オレ」くんは、可動式なんだわ。かなり細かくパーツに分かれていて、いろんなポーズが取れる。

 内股で、女の子立ちしてます、わたしの「オレ」くん。

 ものすげー安っぽい作りなんで、直らないの。外股にしようとしたら、脚自体取れた(笑)。
 どこぞのギャルゲーの立ち姿少女のよーな、可憐なポーズのまま固定されています。

 封入のリーフレットにはあたりまえの顔して、

“オレは長ランとドカンを着せて遊べます”
“オレはいろいろなポーズをとらせることができます”

 と、書いて、実際に服を着てポーズを取った写真(前述のHPの左下の写真)が載っています。

 着せ替えて遊ぶ?
 ポーズを取らせる?

 このマッチョ男で??

 
 この商品ひょっとして、世の中の兄貴たち向けですか……?

     
 なんで裸である必要があるの?
 ふつーに服付きでいいじゃん。服はなにも布製でなくていいんだから。人形と同じ素材で、着せ替え不可はじめから服着てるオレでいいじゃん。

 第一、学ランが上下別売りってなによソレ。
 長ランしか手に入らなかった場合、ワンピースのよーに着ろと?
 萌えキャラのよーに、あしをむきだしにしたまま?
 ラヴラヴバカップルが、ひとつのパジャマをふたりで着ているノリで?

 わ、わけわかんねー(笑)。
 
 パンいち+ソックスとスニーカー男をGETしたので、それで気が済みました。それ以上散財する気もなく撤退。

 今も「オレ」くんはパソコンの前にいます。
 マッチョだけどポーズは美少女系です。
 裸にスニーカーとソックスだけ、てのが、はてしなくイタイです。
 下手に触ると、全パーツ簡単にばらばらになります。触れると壊れる、硝子細工のよーな男です。
 カバンはすでに無くしました。

 
 さて、どーするべーかね、この人形。
 持ってたら、アヴない人だと誤解されそうだわ……。

  
 『バイオハザード』というゲームがある。
 前評判も宣伝もほとんどなく発売され、口コミで人気爆発、一世を風靡したゲームだ。
 その『バイオ』は、日本制作でありながら、舞台はアメリカであり、登場人物もアメリカ人だ。当然彼らは、英語を喋る。日本語は字幕が出るのみ。
 スタッフは語る。
「日本語吹き替え版も作ったんですよ。でも、日本語でやると、ダメなんです。危機に陥った仲間が『先に行け!』と言うからって、『じゃ、先に行くわ!』と言ってくるりと背を向けられてしまっては、身も蓋もない。英語でやりとりして、日本語字幕だから、多少やりとりや展開に無理があっても雰囲気で流せるんです」(記憶のみの記述っす)
 このコメントを読んで、爆笑した。
 英語だからOK、ってのある。わかる。
 あいつら言動強引で大雑把でつっこみどころ満載だもの。日本語でやってたらついていけなかったろうな。でも英語で会話されちゃうとなんか納得してしまう。字幕ってのはそもそも情報量が極端に少ないわけだから、大雑把でも気にならないし。

 
 この映画を見ながら、『バイオハザード』のことを、思い出していた。
 言葉というファンタジー。
 日本人って、自分に理解不能な言葉に、幻想持つよねえ。
 洋画にはそーゆー意味でのフィルターかかってること、わりとあるよねえ。字幕主義で、吹き替えは劣悪唾棄すべき存在とか、言う人は言うしねえ。生で英語を理解できるわけでもないのにさぁ。
 字幕で見ると、日本語で見るよりなんとなく、いい映画に見えたりするんだわ。
 少ない情報を、脳内で補完するせいでしょう。

 
 『ホテルビーナス』鑑賞。

 相変わらず、予備知識ナシ。
 この映画を見た理由は、
1・邦画らしい。
2・今週で終了。
3・映画館に着いたとき、ちょうどあと少しではじまる時間だった。
 ……ので、主演者さえ知りませんでした。

 草なぎ剛主演だったのか!!
 てゆーか、「なぎ」って漢字、出ないんだ! 今はじめて知った。

 しかも、全編韓国語だし!
 モノクロ映像だし!

 なにも知らないで見ると、けっこーびっくりするぞ!(笑)
 監督・タカハタ秀太、出演・草なぎ剛、中谷美紀。

 
 どこかの国のどこかの街。
 オカマのビーナス@市村正親が経営するホテルビーナスの住人たちは、みんな心に傷を持つ人たち。恋人を失ったチョナン@草なぎ剛、飲んだくれの元医者ドクター@香川照之、その妻ワイフ@中谷美紀、花屋を持つ夢を追うソーダ@チョ・ウンジ、捨て子で全身トゲいっぱいの少年ボウイ@イ・ジュンギは殺し屋希望、というよーに。
 そこにワケありの男ガイ@パク・ジョンウが、幼い娘サイ@コ・ドヒを連れて現れ、新しく住人になった。それをきっかけに、住人たちの事情が少しずつ変化をはじめ……。

 
 どこなのかよくわからない、異国情緒あふれる街並み。とりあえずアジアではないらしい。
 しかし、ホテルビーナスの住人たちは全員アジア人で、ついでに韓国語を話す。生活感のない、ちと浮世離れした人たち。
 彼らがやたらめったらオシャレできれーな映像の中で、悩んだり泣いたりハートウォーミングしたりする。
 過去を抱えて傷を抱えて、でもそれを克服して成長して、「やっぱり人間っていいな」という結論に達して終わったりする。
 とてつもなく「お約束」の物語。

 わたしは「お約束」好きなんで、たのしんで見ました。

 でも、いちばん盛り上がるクライマックスだとか、ビーナスばあさん(じいさん?)が「いいこと言ってますよ」なあたりは、しみじみ、「韓国語だから救われた」と思った。
 日本語だったら少々引くかもなー。
 あまりにも「お約束」まんまで。

 『バイオハザード』が、英語だから許されたように。

 
 「お約束」をたのしめる人には、いい映画だと思う。
 いちばん泣かせるシーンに子どもを使ってみたり、いちばん泣かせることを「台詞で表現」してみたり。
 ここまでやるかってくらい、「お約束」。
 あざといくらい、「お約束」。
 べったべたに、「お約束」。

 ああ、日本語映画でなくてよかった……!!
 字幕マジックでよかった……!!

 
 画面はエピローグ部分でカラーになるのだけど、ホテルビーナスは色がものすごくきれい。てゆーか、こんなにきれいなら、カラーで見たかったわ……てなくらい。

 
 たのしんで見たのはたしかなんだが、他のこともいろいろ考えたわ。
 『バイオハザード』もだけど、幻のドラマ『ランデヴー』のこと。
 ホテルビーナスのコンセプトが、なーんか『ランデヴー』とかぶるもんで(笑)。
 異国情緒つーか無国籍な、安ホテル。住んでいるのは心優しき異邦人たち。そこで出会った人のたちのハートウォーミング物語。
 ……テンプレ的な設定なんだろうな、きっと。
 設定が同じだから雰囲気も似ちゃうのかもな。
 そしてわたしは、『ランデヴー』が好き。

 『ホテルビーナス』もファンタジーだけど、同じファンタジーなら『ランデヴー』の方が好きだなあ。

   
 あ、でもこの映画って、韓国の人たちの目にはどう映るのかしらね。
 わたしたちには韓国語のうまい下手やリアリティはわからないから、素直に「字幕マジック」に酔っていられるけど。

 日本人が『キル・ビル』を見てなまあたたかーい気持ちになるような感じかしらね。

   
「江上さんに会いに行こう!」

 と、メールを出したのに、クリスティーナさんからはお断りされてしまった。用事があるんだってさ〜。残念。

 それにしても、クリスティーナさん。
「Be-Puちゃんに何度かメール出したんだけど、一度も返事が来ない」
 って、あなたまだそんなこと言ってたの? いったい何年間同じことを……。
 Be-Puちゃんとクリスティーナさん間の音信が回復する未来はあるのかしら。

   
 ということで、ひとりで行ってきました、春の全国交通安全運動

 いったいどういう催しなのか、具体的にはよくわからないけれど、とにかく生のケロちゃんが見られるぞっということで、いそいそと。
 
 人混みの後ろからでも見えるように、ヒールのある靴を履く。これでわたしの本日の身長は175cm超え。なにもこわいものはないわ、ふふふ。
 ヒールったってわたし、せいぜい5cmくらいのヒールの靴しか持ってないんだよなあ。わたしにとっては5cmでもハイヒールなんだけど、そーいや世の中的に5cmって、中ヒールっていうよなあ……一度、人混み用にハイヒールを買ってみようかなどと、道中つらつら考える。
 とゆーのもだ、会場の到着時刻がけっこうほどほどになりそうだったから。
 ケロちゃんのトークショーのときなんかは、何時間も前からはりきって並んだもんだったけど、今回はそこまでしてない。ものすごーい人混みだったらどうする? 街頭イベントだから男の人なんかもいるだろうし、175cm程度じゃ、よく見えないかも……? と、だんだん不安になったからだ。

 会場である阪急池田駅前に到着したのは、イベント開始20分前でした。
 
 
 席、埋まってないし。

 余裕でした。
 なんの苦労もなく、良席GET。ヒール履いてくる意味ナシ、混雑の危惧も意味ナシ……。

 そうよね……そんなもんよね……路線のスター様が出るイベントじゃないもんな。

 あ、誤解のないように言っておきますと、イベントがはじまるころにはちゃんと、座席は全部埋まりました! 立ち見だっていっぱいいたよ。
 駅前だったから、ふつーに通行人が足を止めていただけ、という可能性も、そりゃあるけどさ……。

 
 このイベントは、タイトル通りの趣旨で行われており、しかも、池田市主催の池田市のためのものでした。
 池田市のために! 池田市はすばらしい! 世界にはばたく池田市! と市長さんをはじめ、えらいひとたちがいろいろ演説をしてくださるので、池田市にまったく関係のないわたしはけっこー引いてました。
 池田市が、池田市民のためだけに開催したイベントなんだな……ごめんな、池田市に税金収めてないわたしがまぎれこんでいて。そんな気持ちになる。

 そして腐女子なわたしは、池田市長さんと池田警察署長さんの名前がそれぞれ耽美な女性名だった(もちろんふたりとも、いいトシのおじさんだ)ので、「名前だけだとBLの登場人物みたいだなあ」とぼーっと考えておりました。すまんなあ。

 まあ、なにはともあれ、ケロちゃんだ。

「宝塚歌劇団の文字通りのスター、星組のみなさんです!!」

 という、女性警官のナレーションのもとに紹介される「スター」な3人。
 ケロ、カノチカ、ことこと。
 3人とも袴姿です。すっきり美しいです。

 宝塚歌劇90周年に向こうを張って、90人の保育園児と共に交通安全イベント! だそうです、池田市。
 90人の幼児たちが、ケロちゃんたちと一緒に花文字作りに挑戦してました。

 
 それにしても、いい天気だった。
 あまりに天気が良すぎて、舞台上の彼らはさぞまぶしかったことでしょう。
 ケロちゃん、目がほとんど開いてませんでした……。
 線……。
 変だなあ、隣のチカちゃんもことことも、ちゃんと目があるのになあ。なんでケロちゃんだけ目がなくなってるのかなあ(笑)。

 おえらいさんたちの挨拶の間、ケロちゃんはずーっと壇上に立つ人を見つめて真面目に話を聞いており、チカちゃんとことことは話を聞くよりもふたりで幼児に視線をやってにこにこ笑っているのが、印象深かったです。
 性格出てる……(笑)。

 それにしても、カノチカちゃん。
 さすが、宝塚歌劇団が誇る巨乳娘役スター。
 着物姿なのに、ちちのでかさがわかるってのは、なんですか、そりゃ。
 着物を着ると、身体の曲線はあまり外には出なくなるもんだよね。でもチカちゃん、曲線がまんま出てるの。
 アニメの女の子みたいだ。着物の胸部分がぽーんとふくらんでいて、アンダー位置を袴できゅっと締めてあるから、そのまま『サクラ大戦』に出られる体型だった……。すげえ。
 そーいやわたしが彼女を最初に認識したのは、某巨大掲示板の書き込みでだったなぁ。「チカちゃんハァハァ」ってえんえん書いてあって、なんだそりゃ? と思ったら、「ロリ顔で巨乳」という、そのテの嗜好の男性にはたまらないキャラクタであるらしい、と解説があった。
 あれから早数年。
 生のカノチカちゃんをこんなに間近でずーっと眺めているのは、はじめてのこと。
 なるほどな……と、妙に納得したりして。
 いや、かわいかったよ、マジで。

 
 さて、星組のスターさんたちは、簡単な自己紹介と歌唱披露がありました。

 歌唱披露。
 ケロと、カノチカで……?
 が、がんばれことこと。歌劇団の威信は、君の肩に掛かっている! と手に汗握っちゃいましたね(笑)。

 しかも司会の女性警官さん、最初に紹介したときに、
「星組のみなさんにはのちほど歌唱披露していただきます。素晴らしい歌が聴けたらいいですね」
 とか言うし。

 聴けたら・いい?

 素晴らしい歌は聴けないと思うけど、万が一聴けたらラッキーですね♪ って意味かいっ?!
 と、つっこんじゃったよ(笑)。
 たぶん、なにかの言い間違えだと思う。プロの司会業の人じゃないから。
 しかし、失礼な言い間違え方だ。ツボに入ったじゃないか(笑)。

 歌は「すみれの花咲く頃」で、わたしの耳にはぜんぜん素晴らしくは聞こえませんでしたが……いいんだそんなこと、ケロちゃんの声が聴けたんだから、それで!!
 マイクも悪かったと思うしな。チカちゃんたちの女声と、ケロの男声のボリュームがいちいち変化するのよ。あ、ケロが強く聞こえた、と思ったら聞こえなくなって、また強く聞こえて……と。最悪な環境で歌ったんだよね、きっと。

 イベントのラストは、コンコースでのお花贈与でした。
 星組のスターのみなさんが、お花を1本ずつ手渡してくれるのさ〜〜。
 うきゃうきゃもらいに行きました!
 もちろん迷わず、ケロちゃんに突撃。

 やっぱり陽射しがきつすぎたせいね。屋内で見るケロちゃんは、ちゃーんと目が開いてたし、きれーな男役さんでした。

 ひとりずつきちんと目を見て、手渡してくれるの。
 わーいわーい。

 わたしもほんの1秒ほどの間、見つめてもらえました。

 しかし。
 ここでわたしは、失敗に気づく。

 人混み対策で、ヒール履いてきちまったじゃん!!

 せっかく見つめてくれたMyダーリンは、わたしよりはるかに小さかったっす……。泣。
 見上げられちゃったよ……めそめそ。
 ヲトメ心が……わたしのヲトメゴコロがっ。ダーリンより小柄でありたい……いや、それが無理でもせめて、同じ目線でいたいというヲトメゴコロがっ!!

 
 なにはともあれ。
 ケロちゃんに会えてうれしいっす。ハレルヤ。

 
 あれは何年前になるだろう。

 WHITEちゃんが「緑野、映画に行こう」と言った。
 当時わたしは「映画」というものを、あまり見ない人間だった。映画を見る、わざわざ見に、映画館まで行く、というのは、はてしなく面倒で非日常的で特別なことだった。……梅田で働いてたのにな。映画館、いっぱいあったのにな。

 そんなわたしがごくまれに映画を見るのは、大抵、ツレがいるときだった。
 ツレが見たがるから、それにつきあう。
 生理的にいやなタイトル以外は、なんでもつきあった。
 第一、「映画」というもの自体に興味がないため、タイトルを言われてもそれがどんな映画なのかさっぱりわからなかった。

 そんなわたしに、映画好きのWHITEちゃんは半ば強引に言う。
「映画に行こう」と。

 なにかしら説明はしてくれていたよーな気もするが、悪いがわたしは興味も知識もなにもなかった。だからいつも、まったくわけがわからないまま、WHITEちゃんにくっついて数ヶ月に一度くらい、映画館へ行っていた。
 自分がなにを見るのか、実際に映画館に行くまで知らないことなんか、あたりまえだった。
 わたしにとって「映画を見る」のは、「WHITEちゃんとデート」という意味しかなかった。WHITEちゃんと出かけるのが好きだから、彼女の好きな映画につきあう。そんな感じ。

 そのときも、わたしはわけがわからないまま、彼女にくっついて行っていた。
 当時のわたしは、「ミニシアター」というものを知らなかった。映画館ってのは、大きなものだと思い込んでいた。
 梅田のはずれ、一見ふつーのビルにしか見えない建物に連れて行かれ、ふつーのお店の中に入った。
 雑貨が売っているふつーのお店の中に、列ができていた。
 お店の奥にあるミニシアターの、列だった。

 こんなところに映画館が。
 てゆーかここ、ほんとに映画館??

 まったくわかっていないまま、列に並んだ。

 ところでわたし、なにを見るの?

 並んでいながら、なにを見るのかさえ知らなかった。
 WHITEちゃんはいつも前売り券を買ってくれていて、当日映画館でそれを渡してくれるのだ。
「緑野、1300円」
 と、代金と引き替えに。

 言われるままにお金を払って、はじめてわたしは、
「そうか、今日はこの映画を見るんだ」
 と、わかる。

 WHITEちゃんは映画好きで年間100本以上軽く見ている人。マニア属性の人なので、わたしなんか足元にも及ばない知識とこだわりがある人。
 その映画マニアが、「これは緑野が好きそう」と思うヤツだけをピックアップして、わたしを誘ってくれるのだ。
 わたしはなーんにもわかっていないまま、ただ、「WHITEちゃんがわたしと一緒に見たいと思ってくれたタイトルだから」という理由で、それをそのまま受け入れる。
 そーやって、いろんな映画と出会った。

 その日、生まれてはじめてのミニシアターの列に並びながら受け取った前売り券は、『Love Letter』。主演・中山美穂の横顔が美しい。

 それが、岩井俊二監督との出会いだった。
 えーと、『Love Letter』公開は1995年だから、10年近く前か。

 それからわたしは、WHITEちゃんとふたり、彼の作品を追いかけた。
 同じミニシアターで『Undo』と『打ち上げ花火』を見、『PICNIC』や『FRIED DRAGON FISH』を見に行った。

 ミニシアターがあたりまえだと思っていたから、『スワロウテイル』がロードショー公開だったことに、心底おどろいた。初日にいそいそ見に行ったら、ものすげー混みようで、これまた心底おどろいた。

 WHITEちゃんと一緒、あるいはオレンジと一緒。
 岩井俊二は、感性の合う友だちと一緒に。

 
 なんか、昔をつらつらと振り返ってしまったよ。

 10年前であっても、わたしは花やアリスの年齢ではないんだけどね。

 岩井俊二最新作、『花とアリス』鑑賞。出演・鈴木杏、蒼井優。

 ストーリーはあるような、ないような。
 いちおー、花@鈴木杏が好きな先輩を「記憶喪失」に仕立て上げてつきあい、彼女の親友のアリス@蒼井優がそれに事後協力、しかし問題の先輩はアリスの方が気になってきて……と、三角関係勃発? という話なんだけど。
 でもやっぱり、ストーリーはあるようなないような(笑)。

 それよりも、とりとめのない花とアリスのやりとりや日常、美しい画面をぼーっと眺めているだけ、というのが、この映画の醍醐味かと。

  
 いやあ、映画館がガキばっかでおどろいたよ(笑)。
 10代の若者しかいないのよ。
 おばさん、わたしだけかよ?

 そして、あちこちツボに入って吹き出してるのが、これまたわたしひとりなんですが。

 若者たち、おもしろくなかったの? たんにお行儀良すぎるだけ?

 わたしはもー、花とアリスがかわいくて、ふたりのなんてことのないやりとりとかがかわいくて、おかしくて、しあわせな笑いがいっぱいあったんですが。
 爆笑するんじゃなくて、「くすっ」とか、「ぷっ」とかの、クリティカルヒットが連続コンボでやってくる感じ。

 視聴対象年齢からはてしなくはずれたおばさんが、ひとりでウケている図、だったのかしらね……。

  
 この映画の制作背景だとか、前身だとか、興味ないんでまったく知りません。
 映画は映画として、単体で見ました。
 ふつーに1000円分たのしめて、しあわせしあわせ。

 
 そしてなんだかとても、ノスタルジック。
 映画のことなんかなにもわかってないまま、WHITEちゃんに連れられて行った、いろんな映画館。
 まったく未知、無知のまま、握りしめていた前売り券。
 あのころは「レディースデー」なんてなかったからさ。映画は高価な娯楽だったよ。前売りを買うのは必須さ。少しでも安く見るために。
 映画がおもしろくなかったときは、「ごめんね」と謝ってくれたけどWHITEちゃん、べつに君が謝る必要まったくないんだよ。たしかに、その映画を選んだのも誘ったのも君だけど、わたしはそんな君を信じてうなずいてたんだからさー。てゆーかわたし、たんにWHITEちゃんとお出かけがしたかっただけだからさ(笑)。映画がおもしろかったら儲けモノ、おもしろくなくてもご愛敬、ぜんぜん平気だったのにね。

 わたしが映画好きになったのは、まちがいなくWHITEちゃんの影響。あの人がいろいろ連れ回すもんだから、自分でも見るよーになっちゃったよ(笑)。
 ああお互い、トシとったね。
 あのころは若かったね。幼かったね。
 今も精神年齢は低いままだけどさ。

 
 そんなことを、漠然と思う。
 そんな効果のある映画。
 『花とアリス』。

  
 ……でもわたし、岩井俊二でいちばん好きなのは『スワロウテイル』で、いちばんこわいのは『PICNIC』、いちばんキライなのが『四月物語』なのよ(笑)。
 『四月物語』がダメで、『花とアリス』がOKなのはやはり、主演女優に原因アリかしらね(笑)。

  
  
 雪組公演初日に行ってきました話の続き。
 芝居は立ち見だった、と繰り返し書くのは、ショーは立ち見じゃなかったから。
 見知らぬ人が、欠席した友人の分だけどよかったら、と、チケットくれました。
 ので、ショーは2階S席センターです。
 ショーの客席降りは水くんが1列目に降りるだけだと聞いていたんで、そんなら2階席でもいっかー、下級生チェックできるしな、と。
 見知らぬ方、ありがとうありがとう。

   
 つーことで、ショー『タカラヅカ・グローリー!』。岡田敬二作。

 目玉は初舞台生ロケットと、90周年にちなんだ前人未踏の90人ロケット。

 幕が上がるなり、まずは初舞台生ロケットだよ。
 文化祭に行っていたこともあり、お気にの子を探そうとはするんだけど……わ、わからん。誰が誰やら。唯一わかるのは、顔に特徴のある愛原実花ちゃんだけ。あの顔は一度見たらおぼえるだろー。
 それにしても、あのかぶりものはいったいなんなんだ……。
 90周年だからって、「90」と書いた丸い札をアタマの上につけて踊るなんて……正気とは思えん……。どこの世界のセンスだ?

 初舞台生ロケットは好きだ。
 わたしがもうなくしてしまったなにかが、そこにあるから。
 単純に「若さ」のことじゃないよ。
 もっと目に見えないものだわさ。
 失ってしまった楽園を、遠くから憧憬しているせつなさと、今そこにいる彼らへの祝福と。

 センターの子が尻餅ついてたけど、あの瞬間の客席の空気ときたら!
 「あっ」っと驚愕に空気が動き、転んだ子が立ち上がり、踊り出すのを息を詰めて見守る。泣きそうな顔のあと、それでも笑顔でなにごともなかったかのように踊りつづけるのを確認するまで。
 客席は、その子を見守る。
 まるで、自分の娘を見守るように。
 転んだ子が「転んだ子」ではなく「ロケットの一員」としてとけ込んだときの、あの安堵感。
 客席の心が、ひとつなんだよ。
 みんなが、あたたかいものを共有している。
 それが、気持ちいいよ。
 よかったね。がんばれ。……あたたかいもので満たされた空気は、そこにいるわたしをもしあわせにする。

 そのあとに、大階段を使った華麗なプロローグになるわけだが……。

 あー……。
 ものすごいっす……歌が。
 「タカラヅカ」「タカラヅカ」と、自画自賛の嵐。これぞ伝統の恥ずかしさ。今どき幼児向けアニメソングでもここまでやらねえ、のまさに90年前のセンス。

 思わず気が遠くなるけれど、こんなもんで引いてたらヅカファンはやってられませんわな。
 打たれ強くあること。それが正しいタカラヅカファン。

 さて。
 今回わたしは、あることに気づきました。

 わたし……ひょっとしてものすげー水ファン?

 もちろん、水くんは好きだったよ。
 ずーっと好きだったさ、それこそ、みきさんの武道館から。

 しかし。
 なんか今回、水しぇんが舞台に現れるたびに、きゃーきゃーで盛り上がっているわたしがいるんですけどっ。
 水くんが現れるたびにわたし、手で口元押さえてるんだよね。
 なんか恥ずかしくて、うれしくて、じっとしていられなくて。
 ええっ、わたし実は、ものすげー水ファン?
 自覚してなかっただけ?!
 そーいやいつも日記には水くんかっこいー(はぁと)しか書いてない気がするけどっ。

 ああ……水くん、かっこいー。

 エロエロの水くんも好きだが、今回のショーではかわいい水くんも見られるのだ。
 どっちも素敵なのだ。わくわくするのだ。
 うきゃー。

 水くんが薬師丸ひろ子(この選曲は何故?)を歌いながら、銀橋でキザりまくるところなんか、1列目センターの人をこころからうらやんだねー!!
 あんなふーに目の前で水くんにキザられたら、わたし、落ちるよ。人生から落ちる。やばいとこまで行く!!
 ……と思うくらいだから、後ろから眺めているだけでいいのかな、わたしの人生のために。

 今回、WHITEちゃんが友会であの席をGETしているので、ショーが終わるなり彼女に「うらやましいぜ」メールを送りつけちゃったよ……。

 このショーのなかで、いちばん好きなのは中盤にあるゴスペル部分。

 ねえコレ、振付、謝珠栄だよね? プログラム買ってないから振付家の名前までわかんないんだけど、シーンがはじまるなり、「うわっ、謝珠栄キター!」と思った(笑)。

 かっこいいよー。
 圭子女史の熱唱と、ダンサー・コムを筆頭にした、「表現」のための硬派なダンスシーン。
 暗い躍動が力となり、闇を抜けて飛翔する。
 祈りに似た叫び。

   
 ショーになると、ハマコ@舞台荒らしも健在だしなっ。
 そうとも、ハマコはこうでなくちゃね!
 いつでもどこでも、我こそがトップスター! ここはわたしのリサイタル会場!って顔で歌ってくれなくちゃだわ。
 つくづくハマコには、大劇場が似合うと思う。小さなハコだとハマコに負けちゃうんだもんよ。

  
 90人ラインダンスは圧巻。
 ふだんおいそれと脚を出したりしないおねーさま方の太股も、この際だから堪能しておきましょう(笑)。

   
 2階席で良かったと、つくづく思いましたねー。
 今回の公演は、通常公演の倍近い人数なんだよねえ。
 舞台の上、人口密度高っ。
 みちっ。ぎっしりっ。

 2階からでないと、見えない人がいっぱいいるよ……。

 純矢ちとせくん。
 たぶん、2階席でないとわたし、君を発見できなかったと思うよ……。
 プロローグは最下手のいちばんうしろだし、フィナーレなんか下手花道に出るのは一瞬で、すぐに舞台の後ろに引っ込んじゃうし。うわ、列の後ろの後ろかよ、これじゃ見えねえ……。
 男役としてはまだまだかわいいばかりが目につくけど、女装するとやっぱ「あ、女装だ」と思えるくらいには男役になってるんだね。
 プログラム買ってないし、予備知識もないんでどこでなんの役で出てるのかまったく知らないで見てるもんでな。娘役やってるの見ておどろいたよー。

 なんにせよ、たのしいショーでした。
 ふつーのヅカ。ショーとしての構成、クオリティもふつーのヅカ。とくに佳作ってわけでもないでしょう。あのタカラヅカ賛歌のうすら寒い歌ひとつをとっても。
 でも、いいんだそんなこと。
 それでも、うれしいんだから。
 『タカラヅカ絢爛』に比べたら、このふつーさがすばらしくたのしめるのだわ。

   
 とゆーことで、初舞台生ロケットも含めて、「タカラヅカっていいなあ」と、再確認させてくれるショーでした。

       

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