雪組公演『スサノオ』語りその2っす。

 「物語」として見た場合、ストーリーの構築を放棄するほどテーマばかりを叫んだ恥ずかしい作りなので、大失敗作。

 でもこれは舞台作品なので、「物語」以外の部分も大いにあるわけなので。
 今度はそっちの話。

 ストーリー性の薄さや、叫び続けるテーマには耳をふさぎ、感覚だけでたのしむ場合、これがけっこーたのしめるんだなー。

 とりあえず、派手だ。
 「大作」の風格を持った作品。
 キムシンらしい画面構成と群衆の使い方を堪能できる。

 なにより主人公スサノオ。
 かっこいいしねー。

 太鼓を使った効果と音楽も、かっこいいぞー。生の舞台の醍醐味だ。

 手練れな感じなんだよね。
 大袈裟な空間を、軽々と作っている。
 大劇場作家なんだなと思う。
 大きな、大袈裟なハコが似合う作家なんだ。
 それは得難い才能だと思う。
 大きなモノを創るのは、ある意味、小さなモノを創るより難しいことだから。

 派手な舞台を観る、という意味では、ちゃんと楽しめるんだ。

 登場人物の衣装は白一色で、主人公さえ3着ほどしか着替えないんだが、そんなことは関係なく「大作感」を味わえるよ。
 全体を覆う「白」という色の重み、そして効果的に使われる「赤」のあざやかさ。

 「苦悩する野性的な美少年」という記号。
 「妖艶な美青年悪役」という記号。
 タカラヅカならではのツボを押さえたキャラもうまい。

 全体としてみると壊れてるけど、1場面ごとを切り取ってみれば、なかなかツボなシーンや台詞もある。
 
      
 だから心底、「物語」としてのぶっ壊れ方が惜しいと思う。
 これだけ「見せる」力を持っていながら、自己陶酔に流れ、ぶちこわしにしているなんて。
 彼がどーゆー「訴えたいこと」を持って作品を創ってくれてもかまわないから、「壊す」ことだけはしないでほしかった。

 「物語」以外の部分を語るうえでも、やはりそこがネックになってくるよなー。

 というのも。
 ストーリーがなく、物語に「動き」がないせいで、画面にも動きがなくなってるのね。
 部分部分はきれいな画面を作っているのに、それがずーーっと静止したままなんだよ。
 あきるよ。
 もったいない。

 あまりにストーリーが動かないので違和感を持ったんだがこの芝居、4場しかないの?
 ひとつのシーンがえんえんえんえん続くわけだ。
 水は流れないと腐るんだよ。
 せっかく配置した群衆たちの存在が、重くやぼったく見えてくる。
 てゆーか人数明らかに多すぎだろう(笑)。もっと絞って板に載せてくれよー。
 北京の民やエジプト兵はもう少し人数いてもいいかな、と思ったくらいだが、今回は明らかに多すぎ。多けりゃいいってもんぢゃねーよー。しかも全員真っ白だから、あそこまで多くなくても視覚的に問題ないだろうに。

 いろいろ気になることはあるが、それを含めてもわたしはあと何回か観に行く予定。
 キムシン好きだし(笑)。
 今回の作品は恥ずかしすぎだと思っているが、それ以外の部分をたのしむ気満々だ。

 とりあえず、アオセトナ@水しぇん!!

 かっこいー。
 わーん、かっこいいよー、かっこいいよー。
 美しいわエロいわ……ああ、わたしの見たかった水夏希がここに!!
 この水くんのためだけでも、劇場に通えるわー。

 それから超絶ツボだった、アメノウズメ@キムくん。

 女役かと思っていたし、実際姿も男向けアニメの萌え萌え中国娘系キャラ。
 なのに、声はしっかり男声。……オカマなんだ……。外股になってしまうたびに「あン☆」て感じにかわいこちゃんポーズをとって誤魔化す。
 オカマでも両性でも女でもかまわん。
 わたし、このキャラ好き。
 毒の固まりのよーな顔。コケティッシュな小悪魔娘。
 うっわー、超好み〜〜。ずっと眺めていたい〜〜。
 わたしの見たかった音月桂がここに!

 スサノオ@コムちゃんも、そりゃー美しゅうございました。
 華奢な身体でワイルド系。
 どこぞのロックミュージシャンのよーな姿。
 アニメから抜け出てきたような美少年。
 背徳と倒錯が似合う人ですから、姉のアマテラスとの愛憎をもっとエロく追求してくれたらさらに好みだったわ……。

 イナダヒメ@まーちゃんは、すがすがしくていいなあ。なよなよしてない、自分の足で立つ女の子。

 月読@いっぽくんが収穫だ。かっこいー。きれー。
 見違えるほど、「スター」らしくなっていた。ひとりであの広い舞台に立って負けないんだよ。びっくりした。
 顔がますますたかこに似てきた気もする(笑)。
 押し出しはよくなったから、あとはやっぱり演技力かなあ。スサノオを看取る場面とか、やっぱしいまいちだぁ。がんばれー。

 意外すぎたのが、アシナヅチ@ハマコ。

 ハマコだとは思えなかった!

 だって、うるさくないんだよ?!
 ハマコなのに、慟哭芝居なのに、うるさくないんだよ?!


 えーとアレ、ハマコだよね? 演技うまいし、声も滑舌もいいし、歌うまいし……ええとアレ、ハマコだよね?
 いちいち、確認してしまう。
 ハマコはうまいよ。なにやってもうまい人だわさ。それは知ってるよ。

 でも、ハマコだよ?

 ハマコは、うるさくてナンボでしょう?

 場の空気なんか無視して、どこでも自分ひとりがスポットライトをあびてしまう舞台荒らしでしょう?

 ハマコなのになんで、うるさくないのっ?!

 驚愕。

 今回のハマコは、ちゃんとした「役者」でした。
 自分の役割を知り、場を壊すことなく的確な演技をしていました。
 ひとが善すぎて他人から利用されたあげく死んでいく男。人を信じたがゆえに滅ぶ自分の愚かさを知った上でなお、娘のイナダヒメに「人を信じろ」と言い残して死ぬ男。
 泣かせてくれます。
 
 そうかハマコ……舞台荒らし以外もできたんだ……知らなかったよ……。
 ハマコの舞台荒らしっぷりも、わたしはちょいと好きだったので、複雑な思いですわ……。

 主要キャラクタ以外はみんな同一の扱い北京の民状態なので、立ち見だったわたしには誰が誰やらさっぱりわからず。
 いづるんとか、そのあたりの子たちを探すだけで精一杯。

 ただ。
 探さなくても目に飛び込んで来る人はいたよ。

 ええ、まちかめぐる。
 この人だけは、なにがあっても見分けがつくのだわ……。
 あの広大な劇場の端からでも、群衆の中でも。
 舞台役者としては強みだよなー。

    
 さて、次はショーの感想を翌日欄で。

        
 前日まですっかり忘れてたんだけど、それでも行ってきました、雪組初日。
 そっか、もうそんな時期なのか……マジ忘れてた……。WHITEちゃんにメールもらって思い出したわ。

 いつものごとく、予備知識はなにもナシ。立ち見券買って、いつもの場所で機嫌良く観劇。

 まずミュージカル『スサノオ−創国の魁ー』

 姉弟ゲンカが元で、アマテラスオオミカミ@ガイチが天の岩戸に隠れ、大和の国から光が消えてしまった。
 太陽が隠れてしまった大和の民は、生活していくために仕方なくヤマタノオロチに生贄を差し出して長らえている。今年の生贄はイナダヒメ@まーちゃんだ。生贄になることを拒み、大和の民から追われていたイナダヒメを助けた男がスサノオ@コムちゃん。アマテラスが隠れてしまった元凶、姉とケンカをした弟だ。
 後悔と自己否定でいっぱいのスサノオは、イナダヒメを助けたのはいいが、ヤマタノオロチ退治には消極的。それでもふたりは、オロチの棲む森へ向かう。
 そこではなんと、先にオロチの生贄となり、死んだはずのイナダヒメの姉たちが生きていた! 森の統治者アオセトナ@水くんに守られていたのだ。アオセトナとは何者か。そして、ヤマタノオロチ退治はどうなる? でもってアマテラスは天の岩戸から出てくるのか? てな話……のはず。

  
 えー、わたしは本来、キムシン作品が好きです。
 なかなかツボに合うんだわ。
 だから期待していたの。キムシンの新作に。

   
 キムシン最新作『スサノオ』。
 ひとことで言うと、ものすげえ恥ずかしい作品でした。

 あっちゃー。
 やっちゃったよー。うわー。恥ずぅ。

 観ていて、恥ずかしさに身悶えしちゃったよ。

   
 モノを創る人間には、なにかしら「叫びたいこと」がある。
 「表現したいこと」がある。
 このひとことを叫びたいがためだけに、この作品を書く。……てなことが、たしかにある。

 それはわかってる。知ってるよ。
 でもな。

 エンタメ作品のクリエイターならば、自分自身の「叫び」よりも、「エンタメ作品」を優先せねばならんのだ。
 魅力的なキャラ、起承転結のあるストーリー、盛り上がるクライマックス、みんなが納得するラストシーン。
 それをやったうえではじめて、「叫び」を組み込むことが許される。

 エンタメ力と、テーマ性のバランス。
 これが大切。

 エンタメであることを忘れ、作者自身の叫びばかりが大きくなる。
 ……クリエイターに、ものすっげーありがちなこと。
 とくに、エンタメ作家としてある程度成功し、名声を得てしまった作家が陥りやすい。

 「大衆文化」だからたくさんの人に知られることになり、そこでちょっと「テーマ性」をちらつかせたらその部分を特に評価された。
 「テーマ性」ってのはダイレクトにその作家の「人間性」に触れてくる。つまり、テーマ部分を誉められるってのは、作家本人の人格を誉められるよーなもん。
 テーマ部分を誉められたもんだから、作家はどんどん暴走する。自分の叫びが正しいことを盲信し、自分が叫ぶことにこそ意義があると信じて盲進する。
 それは俗に、カンチガイと言う。
 そもそも「大衆文化」だから、たくさんの人が見てくれたわけだ。はじめから作家個人の「叫び」だけを重要視する「純文学畑」だったら、あんなにたくさんの人は見てくれていなかった。
 なのに、カンチガイした作家はどんどん「純文学」に傾倒する。
 いやあの、「エンタメ」だから評価されたんであって、アンタが「純文学作家」なら誰も振り向きもしないよ? てなカンチガイ道を自信満々に暴走する。

 エンタメ作家でありながら、エンタメを否定する。
 大衆をバカにし、高尚な自分に酔う。

 …………そんなクリエイターを、何人見てきただろう…………。

 最初はものすごーくおもしろくて、そのなかにもちらりと光るテーマがあって、とても気持ちのいい作品を創ってたのに。
 売れてきたら、なにをカンチガイしたのか、社会派を気取って自己満足なだけのつまらない作品しか創らなくなった……。
 あー、いるよなー、たくさん。

 娯楽作品を書くからこそ価値のある作家なのに。
 最初から芸術・純文学作家としてなら、まったく振り向かれもしないのに。
 カンチガイして、マスターベーション大安売り。

 
 という、クリエイターの陥りやすい罠。
 「陥りやすい」ことで、「ありがち」だからこそ、そんなありふれたコースに足を踏み入れる作家の姿は、わたしにはとてもかっこわるく、恥ずかしく映る。

 は、恥ずかしい……。

 身の置きどころがなく、恥ずかしい。

 やっぱ、自分に引き寄せて考えちゃうからかな。
 自分があんなふうになったらいちばんいやだ、と思い、知らないうちにああなってしまうかも、という危惧を持っている姿だから。

 同類嫌悪かもしれん。
 だがとにかく、わたしにはものすげー恥ずかしかった。

     
 キムシン最新作『スサノオ』。

     
 はっきり言って、ストーリーありません!
 ただただ、作者がテーマを叫んでいるだけです!!


 恥ずかしい……。
 誰か、止めてやれなかったのか。

   
 ストーリーを作ることは、難しい。
 だが、テーマを叫ぶことは、易しい。

 経験を積み、実績をあげ、名声を得て何故、簡単な方に流れるんだよ、キムシン。
 テーマを叫ぶのはいい。
 だが、それを表現するためのストーリーを作ろうよ。作ってくれよ。
 テーマを叫ぶついでにストーリーがあるんじゃないよ。ストーリーのなかに、テーマがあるんだよ。

 1行の台詞を言わせるために、5万行の物語を書くんじゃないか。
 それがエンタメだろう?

  
 1時間半の芝居の中で、ストーリーの動きはほとんどナシ。主人公たちがテーマを語り合うだけの、ひとつの場面がえんえんえんえん続く。
 あらすじを書こうとして、途方に暮れたもんな。
 ナリス様とヴァレリウスが向かい合って「おお」だの「お美しい」だの会話してるだけで文庫本1冊終わってしまう、かの大河小説を見ているかのようだった。

 キムシンが鼻息荒く掲げているテーマについては、今のところつっこむ気はなし。今はそれ以前の段階で顎が落ちたからさ。

 テーマを台詞で会話するだけで、ストーリーがないなんて……。

 ちゃんとエピソードを絡ませて、物語を作って、そのなかでどーして表現しないのか。
 台詞の応酬だけじゃ、せっかく鼻息荒く唱えているすばらしいらしーテーマも、なに言ってんだかわかんねーよ。登場人物がなにをしたいのか、なにをやってんのか、さっぱりわかんねーよ。
 よくわかんねーけど、なんか妙なことで悩んでいるスサノオと、なにがしたいのかわかんねーけどお色気むんむんのアオセトナと、分裂症かな言動意味不明のアマテラスが、とりあえずきれーでかっこよくてコスプレすてきで、太鼓どんどんで大人数でパワー炸裂で、とりあえずエンドマーク、てなことになってますがな。えらいこっちゃ。

 とまあ、「物語」として見た場合はコレ、大失敗作だと思うのよね。わたしは。

 2時間半の1本モノなら、まだなんとかなったのかもな。
 時間があればもっとエピソードを作っていたと思う。
 1時間半でやるにはテーマが多すぎた。致命的な欠陥。

 「物語」として見た場合の話よ。
 それ以外の話を、翌日欄で続けます。

         

RPG『SIREN』。

2004年4月1日 ゲーム
「『九怨』がやりたいよー、やりたいよー、買ってよー」

 本日発売の新作ホラーゲームがやりたいわたしは、いつものよーに弟にねだる。
 平安時代を舞台としたホラー『九怨』はビジュアルを見る限り、とてもよさそーな感じだ。

 しかし弟は、にべもない。

「『街』が終わるまではダメ」

 そう。
 わたしたちは今、サウンドノベル『街』をプレイ中。エンディングコンプに向けて鋭意努力中。
 まあなあ、『街』は一気にやっちゃわないとわけわかんなくなるもんなあ。

「それにしても『九怨』、舞台が平安だってだけで、ゲーム内容ははてしなく『バイオハザード』に近いらしいからなあ」
「それって……ホラーっていうより、アクション?」
「アクションでしょうねえ」
「あたし、できるかな?」

 わたしはへっぽこゲーマー。アクションゲームは大の苦手。
 一瞬たじろいだが、ここで引き下がってはイカン! 弟の金でゲームがしたいんだー!

「でも、『SIREN』をクリアしたあたしに、こわいものなんかないわっっ」

 握り拳で断言っ!

「たしかに。『SIREN』をクリアしたんだから、自信持っていいはずだ(笑)」

 弟も納得。

「『SIREN』はえげつないからなあ。未だに、アレをクリアしたって言ったら、尊敬の目で見られるよ」
 と、弟。
 彼の周囲の人たちは、誰ひとりクリアできていないらしい。てゆーか、最初の志村のマップで脱落している人多数、そもそも最初の竹内のマップで脱落組さえ多数。

 そう、あの激むずアクションゲーム。
 ホラーだなんて大嘘、ただのアクションゲーだっつの。操作に忙しすぎて、こわがってるヒマなんかあるもんか。

「『静岡』が『クーロンズゲート』に似てる、とかいうのはわかる。『クロックタワー3』が『エコーナイト』に似ているとか。でも、『SIREN』の似ているモノときたら……」
「『メタルギア ソリッド』に、『街』」
「ソレ、ホラーゲームちゃうやん!!」

 ほんとに、ひどいゲームだったよ、『SIREN』……。

 わたしが『SIREN』をクリアできたのは、ゲームの腕ではなく、忍耐力ゆえにだった……。
 死んでも死んでも死んでも(×100)、しつこく再プレイしつづける根気。それだけだ。
 発売から丸1ヶ月、100時間ほどプレイしつづけたからな……。ふふふ。遠い目。

「『SIREN』がいちばんおもしろかったときって、屍人の巣のあたりかなあ」
「ああ、あれはわくわくしたねえ」
「今までてんでばらばらだった主人公たちが、ついにひとつのところに集まって……」
「これからクライマックス!という期待感に満ちていたねえ」
「竹内がいちばんかっこよく見えた瞬間だったねえ」
「そうねえ、それがまさか、あんなことになるとはねえ」

「てゆーか、せっかくみんな集まったんだから、みんなでなにかするのかと思ったよ」

 だよねえ。
 あいつら、パーティ組んだら最強だったんじゃないの?
 ひとりずつキャラが立ってる分、スキルもちがうわけだしさ。

「せっかくあんなにたくさん主人公いてさ、なにも皆殺しにしなくても」
「公式に生き残ったのひとりだけだもんなあ。てか、あいつらでロープレ作れねえ?」

 RPG版『SIREN』。
 ストーリーラインは同じ。
 『ロマサガ』シリーズみたいに好きなキャラを主人公に選んでプレイ開始。物語の中で、他のキャラにも出会えるわけだ。

 前衛で宮田だの恭也だのがばこぼこ打撃系武器で戦い、後衛で竹内だの名前忘れたケバ女だの拳銃組が戦い、美耶子は回復魔法、牧野は補助魔法なんかどうだ。
 狭いところは春海でなきゃ通れないとか、遠くのターゲットを志村で落とさなきゃならないとか。
 途中の謎を、それぞれのキャラが得意分野で解いていくとか。医学知識は宮田とか、芸能関係はケバ女とか。オタク関係は依子とか。

「んで、戦闘に勝つたび、勝利のポーズで画面がぐるりと回り、経験値が入る」
「レベルアップして」
「新しい武器や装備品を拾ったり」

 マルチエンディングのRPG。

 話は盛り上がり、広がっていく。

 しかし。

「ところで、知子はどーするよ?」
「ジャージ娘?」

 えーと。

「……使えねえ」
「……使えねえ」

 小さいキャラというなら、春海で足りるしなー。
 理沙と知子は、出てきてもすぐ別れて屍人になっちゃうパターンかな。ひでぇ。

   
 まあ、とにかく。

 『九怨』がやりたいわ、弟よ。
 早く買ってきてくれえ。(自分の財布を開ける気、まったくナシ)

          
 1日ずれてるけど、30日に『BOXMAN』を観てきました。2回目の観劇ね。

 思ったんだが、ケビンってさ、恋に壊れる男なんじゃないか?

 恋したあととそれ以前の彼は、別人なんですけど……。

 ケビンってほら、かっこいー男じゃない。ハンサムでちょいと謎めいていて。それなりに社交的だけど、どっか底が見えないとこがあるというか。会社にこんな男がいたら、女子社員は噂の種にしていそうだな……高嶺の花として。
 話しかければ相手もしてくれるし、お酒にもつきあってくれそーだが、それ以上を求めたらぴしゃっと線を引かれるというか。いい男よねー、カノジョいるのかなぁ、そりゃいるでしょうよ、と噂するだけで遠巻きにしているしかないっちゅーか。
 怒らせたらこわそうだし、穏和そうに見えてどこか冷たい雰囲気あるし。
 ……そんな男だったのに、ケビン。

 ドリーと両想いになったあとのにやけっぷりはなんですか!!(笑)

 恋愛は本来、彼のテリトリーにはないのでしょう。
 ドリーを愛していること自体、気づくのが遅すぎ。チャンプが悪人だとわかり、こんな男とドリーを結婚させるわけにはいかない!と思ったのに、まだ気づかない。相手が悪人だから結婚反対なんじゃなくて、ドリーが他の男と結婚するのが嫌なんだって、どーして気づかないかな。
 ドリー本人にそこをつっこまれて、「そうか、相手云々じゃないんだ、俺がドリーを愛してるんだ」と気づいたときも、なんとゆーかまだるっこしい感じだったし。
 自分のテリトリー外の事態に気づき、「どーしたもんか」と困惑している。恋をしている自分、というものを、もてあましているような。

 なのに、いざ両想いになったら。

 突然笑顔満面、いちゃいちゃ開始、ピンクの花びら飛び散らせ、ラヴラヴエンドレス。

 うわ、ケビンが壊れた。

 人格、別モノになってますがな? いいのかソレ。

 ふたりが両想いになると同時に芝居も終わりで、ふたりのダンスがそのままフィナーレに突入なわけだから、仕方ないのかもしれない。
 あそこまでケビンが壊れるのは、フィナーレとしてのファンサービスなんだとわかってはいる。
 いるが……あそこまで彼をめろめろにする必要はあったのか、正塚せんせー?

 ケビンが壊れた。
 と、思う。
 それまでの彼と、ドリーといちゃいちゃ歌い踊る彼はあまりに別人。

 ああ、だけど。
 だけどわたし、あの壊れたケビン、すげー好き!(笑)

 あのクールな男が、とろけそーにしあわせな顔でカノジョといちゃいちゃしまくってるのって、見ていてすっげーツボなんですが。
 乙女心がきゅんきゅんします(笑)。
 世界中のすべてに冷たい男なのに、彼ったらわたしにだけはめろめろなのー、わたしにだけは超やさしいのー。
 という、ときめきですわ。
 彼のこんな顔を見れるのは、わたしだけなのよー!という。
 少女マンガの定番ですわ。
「世界中を敵に回しても、俺はお前だけを守る」
 てな男に、ヲトメがころりと落ちるよーなもんですわ。
 誰にでもやさしい男にやさしくされてもときめかないが、いつも冷たい男にやさしくされたらときめくよーなもん。それこそ、不良だと言われている男の子が、捨て猫にエサをやっているところを見て恋に落ちるよーなノリで(笑)。

 個人的にわたし、「ケビンの片膝に坐るドリー」に死ぬほど萌えたんですがっ!!
 うわ〜〜んっ、いいないいな、あんなのいいなー。
 ケビンが長身の二枚目だからこそできる技。
 あの広い胸と長い脚で、女の子を守るよーに坐らせちゃうのねー。
 ああ……久しく忘れていたときめきだわ……そーよわたし、女の子だったんだわー。てな(笑)。

              
 素直に、恋愛ドラマを見るノリで、たのしみました、『箱男』。

 画面がおしゃれで、主人公が少女マンガそのままのハンサムで、ヒロインに感情移入できて、と。

 正塚氏の脚本でうまいなと思うのは、台詞の少なさなんだよね。
 台詞で解説しないこと。
 日常会話にしか聞こえない、登場人物同士でのみ通じている短い台詞の応酬で、背景を浮かび上がらせる。

 今回、いちばん感心したのが、ドリーの「恐怖症」。
 ドリーは頭ごなしに怒鳴られるのがダメ。身体がすくんでなにもできなくなる。ただ苦手なだけじゃなく、精神的な疾患にまで至っている。彼女が意気地なしだから、というわけではなく、たぶんきっと……トラウマなんだろう。子どものころに、精神を深く傷つけられることがあったんだろう。
 それについての説明はなにもない。
 だから観客は、それに対して想像するのみ。
 彼女が父不在の家庭で孤軍奮闘していることからして、父親が原因なんじゃないかと思う。本来気の強い彼女が、あそこまで震え上がるのはたぶん、「大人の男性」に「上から」怒鳴りつけられることによって起こるんじゃないかと。「上から」ってのは、背の高さじゃなくて、「立場」ね。
 絶対に逆らえない相手から、一方的に罵られ命令され否定されること。……幼いころに、相当深い傷を受けたんじゃないか?

 そんな、自分ではどうしようもない傷をかかえて、それでも病気の母を抱えてがんばって男社会で戦う彼女。
 そんな彼女に対して、ケビンがものすげーふつーに、さりげなく、やさしい。

 ケビンがいい人だという「説明」はないけれど、ドリーに対する言動でわかるんだよね。一見クールな彼が、実はやさしい男だということが。
 すくみあがるドリーに対して、無神経な男ならさらに怒鳴り散らしていると思う。そーゆー男は世の中多い。
 これだから女はダメだとか、怒鳴られるのがこわいなんて甘えているからだとか。病気のせいにするな、単にやる気がないだけだとか。
 いくらでも責めることはできるのに、ケビンはそんなふうには受け取らない。
 ドリーが震えているのは彼女が甘ったれているからでもヘタレているからでもなく、どーしよーもない部分でのことなんだと理解し、咄嗟に手をさしのべている。
 また、ドリーのミスゆえに怒り狂う社長を前にして、「立っているだけでもやっと」てな感じのドリーを、ケビンはあったりまえってな感じに、支えている。彼女の腕に、手を置いてるんだよね。社長が怒鳴っている間、ずーっと。

 そりゃ、ドリーはケビンに恋するでしょう。
 自分がいっぱいいっぱいで、どん底で立ち上がることもできないでいるときに、恋人でもないただの同僚が、矢面に立って自分を守ってくれてるんだよ? 支えてくれてるんだよ?
 声高に主張するわけでなく、すごーくさりげなく。クールな顔で、なんでもないよーに。

 惚れるって。
 その手に、すがりつくって。

 その手に支えられて、トラウマを乗り越え、怒鳴り散らす社長に反対にくってかかりもするって。

 ……恋愛ドラマとして、とてもたのしかったのよ。
 ドリーに感情移入しまくりだったよ。
 だからこそ、あのクールなケビンが最後、ドリーとラヴラヴいちゃいちゃで壊れきってるのがまた、愛しい(笑)。

 ああ、ヲトメ心。
 腐女子ハートはちょっとよそへ置き去りにして、女に生まれた醍醐味を堪能しました。

 もちろん、ケビンに「いい男」があらわれてくれても、ときめいたとは思いますが(笑)。受かな、攻かな、ケビン。相手次第だよね?

               
 すみません……未だに『ソニックX』の話です。

 あああ、こんなに『ソニックX』を引きずるとは思わなかったわ。『BOXMAN』の話したいのにー。

 わたしはなんの情報もなく、ただテレビを見ているだけの人間なんで、ほんとのとこは知らないんだけど、『ソニックX』は本来何クール放送予定だったの?
 疑問に思ってしまうくらい、ラストの1クールは「別物」だったからさー。
 本当は3クール、39話で終わる予定だったのが、1クール伸びたのかな、と。
 38話で物語は終わり、39話で、51話と52話をやるつもりだったんじゃないかな。

 というのも39話が、あまりにも脈絡のない番外編だったんだよな。
 まるまる1本使って新キャラ3人(ゲームでは登場していても、アニメでは初登場)を出しておきながら、彼らが2度と出てこないってどうよ?
 40話以降も、どーもおまけっぽいというか、番外編にしか思えない軽い話ばっかりだったし。
 そして最終回までの4本は、クリスが暴走してえらいことになってたし(笑)。あそこまで何度も長々と「回想シーン」ばかり使って、「時間に余裕あるんだなあ……てゆーか、コンテ切りまちがえた?」な作りになっていたのはどうよ。(それでもラスト4話は愉快だったが)

 最終回(52話)が秀逸だっただけに惜しいけど、本当の意味での『ソニックX』は3クールまで、つまり38話までだと思うのよ。そして真の39話は、51話と52話をくっつけたものだと思う。50話くらいからは回想シーンがめちゃ長いから、本来は1話分の話を長くしたんだと思うよ。

 もちろん、わたしはキャラと世界のファンだから、番外編である39話以降のファンサービス的な軽いお遊びの話が見られたのは、うれしいんだけどね。
 39話なんてマジ吹き出したし。ナックルズの「南の島でちょっと大胆な水着」にはときめいたわ(笑)。
 ソニックバトルのあこぎさ(笑)にもときめいたし、サムとソニックが日常的にあったりまえにデートしている現実にもときめいたわ。
 しかし……「作品」として見たら、……全39話で終わってた方が、全体としてのクオリティは上だったなあ。
 それが残念。

 もともとこのアニメ、日本市場をターゲットには作られていないんだと思う。
 ターゲットはずばりアメリカでしょう。
 舞台も画面も、日本向きには作っていない。
 ソニックというキャラクタの設定もね。日本人が感情移入できるタイプの主人公じゃない。
 国名が台詞で出ることはなかったけど、どっから見てもアメリカが舞台の生活が丁寧に描かれている。大統領はアメリカ大統領だし、彼がいるところはホワイトハウスでしょう。
 そして、クリスの家の執事タナカの故郷は日本でしょう。見事に国名は出なかったけど。神経質なほど、実在の国名も地名も使ってなかったけど。
 
 アメリカが視聴ターゲットだからか?
 あちこちに、日本向けならありえないことがあった。

 日本の低学年向けアニメで、ここまで「大人ばかり」出てくる作品って、ありえないのでは?

 ソニックと彼の友人たちはみんな、たしかに子どもだ。クリスにしろ他の子たちにしろ、みんな小学生だ(アメリカらしく、人種はばらばら)。
 でもそれ以外のキャラは見事に「大人」ばかり。

 日本のアニメに慣れているわたしは、あちこちでおどろいた。
 たとえ軍人でも、政府の要職にある人でも、プロとしてマスコミなど各世界で活躍していたとしても、アニメキャラである以上、みんな「若いはず」と勝手に思ってたのね。
 たとえば、27歳とか。ぎりぎり20代があたりまえだと思ってた。

 亡き父の意志を受けてジャーナリストとしてがんばっている美人レポーター、絵で見る分には落ち着いた大人の女性だけど、なんせ子ども向けアニメだから、きっと22歳くらいだろーなー。
 ええっ、32歳?! うそっ。

 大統領補佐官の美女、大人の女性なのはわかるけど、子ども向けアニメだからきっと若いんだろーなー。29歳とか?
 えええっ、38歳っ?!

 汚職がばれて首になった、元大統領補佐官、だめだめ男だけど恋人がいる(いた。過去形。補佐官を首になったときに捨てられた?)らしいし、きっとまだ若い設定なんだろーなー。30歳くらい?
 えええっ、42歳ぃ?!

 キャラクタの年齢が、いちいち「リアル」なの。
 実際にそこで働いていそうな年齢。

 いや、あたりまえのことなんだけど、日本のアニメではありえないから。
 過去を山ほど持つ軍人が、20代だったりするのが日本だから。10代で警官などの特殊職業だったり、地位や名誉を得ていたりするから。子どもに近い年齢に、わざわざしてあるもんだから。

 日本アニメの常識で見ていたから、あちこちおどろいたよ(笑)。

 そっかー、アメリカでは大人は大人として描いていいんだー。嘘くさい年齢の若者たちが要職についていたりしないんだー。

 そして、大人のわたしは、同世代の大人があったりまえにいっぱい出てくるのがまた、ツボだった。

 とりあえず眼鏡男萌えのわたしは、スチュワート先生萌え。
 政府のエージェントなんだよね。ソニックたちの動向を探るために、クリスの小学校の教師として赴任。コードネーム「ティーチャー」。
 彼のうさんくささとヘタレぶり、コードネーム「ディレクター」のときの徹底した二枚目ぶりが素敵。

 ソニックバトルで、このスチュワートせんせーと、スピード野郎サムが対決だったのが、これまたツボで。
 このふたりの並びはいいよなあ。
 サムはいちおー警官? ハイウェイ特別高速隊Sチームのリーダー、バツイチの28歳。のーみそまで筋肉というか、走ることしか考えていない暑苦しいバカ男……黙っていればハンサムなのにね……トップ女優を姉に持つんだから。
 ソニックへの潔い片想いぶりが、漢らしくて素晴らしかった。のーみそが軽すぎて、人間の言葉が通じないよーな気もするが(笑)、こーゆーバカ男は好き。
 てゆーか、この男がバツイチってのはいいのか。日本アニメとしてなら、そんな設定はいらんけど、アメリカ向けならOKなんかよ。笑い話として離婚歴が語られてたぞ。びっくりした。

 せんせーとスピード野郎で、もっと絡みがあればおいしかったんだが……(笑)。あ、せんせー受で。

 諜報局女性エージェント・トパーズと、ルージュの「女の友情」も好きだった。トパーズかわいい……受だよね、この女。ルージュがばりばりの攻女だからなー。
 素直に相手を「好きだ」と言えない、意地っ張りの大人の女ふたりの関係が、たのしい。ここはちと百合萌え(笑)。

 いちばん物足りなかったのが、作品中最悪のヘタレ男、元大統領補佐官ジェロームの描き方。
 3クール目まではよかったのに……4クール目では忘れられていただろ……存在……。すげーどーでもいい扱いに落ちていた。
 どんどん壊れ、落ちぶれていく彼が、立ち直るところまで描いて欲しかったよ。本筋とは関係ない部分で。

 あ、ツボといえば、トップ女優のクリスの母が撮影中の映画が、あたりまえに『ベルサイユのばら』だったのもツボに入った。台詞もほぼまんまだよ、いいのかアレ(笑)。

 あー、たのしかったなあ、『ソニックX』……。
 まだ書きたいことあるけど、文字数がない……。

           
「ぼくに、なにか言いたいことがあるんじゃないの?」
「言いたいことがあるのは、お前じゃないのか」

 ふたりだけの夜。
 運命から逃れるように、ふたりで手を握り合って逃げてきた。

「どうしてぼくと一緒に来たの?」

 少年は男を見つめているけれど、男は少年を見ない。ふたりで囲むように坐った、焚き火だけを見つめている。

「帰らなくていいの?」

 振り返らない横顔に、少年は問う。

「……帰ってもいいのか?」
 
 男は、炎を見つめたまま言った。

「ずるいよ、そんな言い方。
 じゃ、ぼくが帰らないでって言ったら、ずっとここにいてくれるの?」

「お前がそれを望むなら」

 男がはじめて、顔を上げた。少年をまっすぐに見つめ返して。

          ☆

 さて、引き続きアニメ『ソニックX』の話。

 完全無欠のクール・ヒーロー、ソニック。
 このほとんど神の域にいるよーな肉体的にも精神的にも強すぎるキャラが、さらにすばらしいのは。

 なんの取り柄もない、ふつーの男の子クリスに、ぞっこん惚れていることだ。

       
 はい、前回真面目に作品語りしたので、今回は腐女子語りです。

 『ソニックX』ってさ、ソニックとクリスのラヴストーリーだったよね?

         
 第1話から、めちゃくちゃ感動的にドラマチックにA boy meets a boyをやってくれたけど……ラスト4話はアレなんですか。クリス暴走、どえらいことになってましたがな。

 ラヴストーリーとして秀逸なのは、「運命の出会い」でお互い出会った瞬間に一目惚れし、時間の経過と共に「想いを深め合い」、これで終わり、と思わせたあとに「どかんと一発」ぶちかまし、さらに「愛が深いエンディング」を迎えるという、一連の流れ。

 ソニックとクリスは、「別世界」の人間である。
 事故によって、本来重なるはずのない世界が重なり、出会うはずのないふたりが出会ってしまった。

 クリスはずっと恐れている。
 ソニックと別れる日が来ることを。

 このアニメのとりあえずのストーリーは、ソニックたちがカオスエメラルドを集め、元いた世界へ戻ること、だった。
 目的の達成が近づくたび、よろこびにわく仲間たちの中でクリス少年ひとりが、胸に痛みを抱く。
 ソニックがもっとも幸福になるとき、それは自分との永遠の別れを意味するのだと。

 クリスはソニックがいないと生きていけない。
 だけどソニックは、クリスがいなくても生きていける。
 ソニックは困難を軽々と乗り越えて、元の世界へ帰ってしまう。会えなくなればそれで終わりだ。ソニックはきっと、クリスのことなんてすぐに忘れてしまう。
 だって、ソニックを必要としているのはクリスの方だけだから。
 ソニックは誰も必要としていないから。強すぎる男だから。

 ……とゆー、クリスの悲しみが、絶望が、じつに気持ちいい(笑)。

 片想いはいいねえ。
 失われることがわかっている美しいものを、手のひらで懸命に抱えている、そーゆーせつなさ。
 クリスの立ち位置が、非常に好みだ。

 クリス視点でいくと、「絶対に叶わない恋」なんだけど。
 なんせ物語は三人称だ、クリスの知らない部分も視聴者は見ることができる。

 ソニック、クリスにべた惚れしてんじゃん(笑)。

 しかしソニックはあまりに英雄で超人で、そのうえクールでわかりにくい男なので。
 クリス、両想いだってコトに最後まで気づかない!!

 そしてソニックは、クリスが「片想い」だと悩んでいることも知っているくせに、そのことにはあまり興味がないときたもんだ。とことんマイペースでクールな男だから。オレが惚れてて、アイツもオレに惚れてんだから、それでいいじゃん、てな。
 愛されてる実感を持てないクリスが泣こうと悩もうと、ソニック様は関知せず。……ああ、鬼畜(笑)。

 いいなあ、ソニック。
 いいなあ、クリス。
 このふたりの関係は、心底ツボなのよー。
 ラヴラヴカップルなのに、救いのない痛さがいいのよー。

 そして、別れの日。
 別世界へと消えていくソニックの手を握り、クリスは走り出してしまう。
 彼を失う現実に、耐えられずに。

 ふたりだけの逃避行。

「どこへ行こう……? どこか、遠くへ……」

 運命が、ふたりを引き裂かない場所へ。
 クリスが、ソニックを失わずにすむ場所へ。

 ……そんなところ、あるはずない。
 わかっていてなお、クリスは走る。愛する人の手を握って。

 第51話「クリスの長い旅」は、えーらいこっちゃな話です。どこのBLですか、という話です。冒頭の会話は、シナリオまんまです。
 わざわざ長い回想シーン使って、出会いから想い出のひとつひとつを全部解説してくれます。この1本でも十分「ふたりの愛の軌跡」が堪能できます(笑)。

 壊れることがわかっている美しいモノ。
 失われることがわかっている楽園。
 別れることがわかっている愛しい人。

 この恋は叶わない。
 あるのは哀しい未来だけ。

 ひとりでぐるぐる苦悩しているクリスに、誰か教えてやれよ。
 ソニックは君にべた惚れだって。
 君の意識のないときに、どれだけ愛しそうに君を見ているか。君のために音速で駆けつけているか。君を特別扱いしているか。
 教えてやれよ。誰か……てゆーか、ソニック。お前が教えろ。ちゃんと愛してるって言ってやれー。
 別れることに淡々としているのも、揺るがないものがあるためだって、言葉にして言ってやれよー。
 ソニックが天才ゆえの自己完結ぶりで、クリスになにも教えてやらないから、両想いのラヴラヴカップルのにくせに盛大にすれ違って悲劇しちゃってるんだよ。もー。
 たのしすぎだ、お前ら。

 好みの極地であるBLがこんなとこに。
 わーん、ツボだよツボー。
 痛くてラヴい物語。

 そして第52話、最終回でさらに、この恋物語はすばらしい展開を見せる。

 クリスはソニックを失った。
 仕方のないことだ。ソニックがソニックであり、クリスがクリスである以上、ふたりは共に生きることができない。ソニックは自分の世界へ戻っていった。

 あれから6年。
 クリスは18歳の青年になった。

 彼はずっと、努力し続けている。

 もう一度、ソニックに会うために。

 彼のいる世界へ行くために、ふたつの世界を結ぶための研究をしているんだ。
 ソニックをソニックのまま愛するために。
 クリスは、クリスのできることを懸命にやる。

 クリス、すげーかっこいい青年に成長してます!(笑)
 そのうえ白衣姿ですよ! 科学者ですよ!

 そして、6年前のあの夜、ふたりの本当の「別れ」のシーンが回想されちゃうわけですよ。51話ではあえて描かれなかった部分が、ここで。
 小田和正(オフコース)のラヴソングをBGMに、これでもかとふたりの物語が語られていくよ……す、すごすぎ……。
 小田和正だよ? ラヴソングだよ? 本気か?!

♪君のために強くなる 僕にはもう何の迷いもない♪ ときたもんだよ。

 演出のうまさに息をのんだラストだった。
 実際びっくりした。
 画面に向かって声あげちゃったよ。

 ソニックがソニックらしくて、クリスがクリスらしくて、泣ける。

 ああ、いいもん見たよ……すげー好みのBLを見せていただけましたよ。

 ごちそうさま。

           
 アニメ『ソニックX』が終わった。

 この番組が1年も放映されていたのがちと驚き。てっきり半年程度だと思ってたからさー。
 内容的にも、真に盛り上がっていたのは3クールまでで、ラスト1クールはかなり蛇足っちゅーかお遊び的だったな。3クールできれいに終わっていた方がよかったかも。ファンサービスに徹したよーなラスト13話も、たのしいっちゃたのしかったが(笑)。

 ところでこのアニメ、人気あったんかいね?

 主人公ソニックは、あまりにも「ヒーロー」だ。そのことに、疑問をおぼえるんだ。

 主人公ソニック・ザ・ヘッジホッグ。世界最速のハリネズミ。クールに我が道を行く最強の男。とにかく強い。かっこいい。

 彼は「すべて」を持ち合わせている。
 強さも生きる意味も自由も。
 はじめから、なにもかも得ているんだ。標準装備。デフォルト。
 だから彼は、「成長」しない。「障害につまずく」こともない。「目的」もない。
 ソニックははじめからソニックで、なにが起ころうとソニックのままで、物語だけ進み、収束する。

 こんな「主人公」アリか?

 エンタメの「お約束」は「主人公の成長」だ。
 弱虫くんが勇気を出して生きることでもいい。万年補欠くんが試合に出て勝つことでもいい。出世だけを考えていたエリートくんが、真の愛に目覚めるのでもいい。
 主人公が精神的になにかを乗り越え、「変化する」ことで、物語のカタルシスが起こる。
 それが「お約束」。

 しかしソニックには、ソレがない。
 彼ははじめから強くて自由で英雄だ。宿敵エッグマンにも全戦全勝、敗北を知らない。
 強くてかっこいいヒーローが、いつもいつもあったりまえに勝ち続けているだけのこと。第1話も最終回も、ただただソニックが強くて勝っている。どこを取ってもそう。

 ソニックにとって「勝つ」ことは「あたりまえ」なので、彼にはなんの感慨もない。それなりの達成感はあっても感動はない。彼はじつにのびのびと戦い、勝利する。
 ふだんは冴えないドジ男で、いざとなったら仮面をかぶって無敵の戦士、というわけでもない。ソニックは普段からクールでかっこいい男だ。そして彼は、活躍を隠さない。彼にとって特別なことじゃないから、隠す必要がないんだ。だから彼の功績は全世界の知るところとなる。
 大統領から表彰され、すべての人々がソニックに感謝する。街を歩けば歓声の嵐、女の子がきゃーきゃー、彼の存在はムーブメントとなり、世界的な影響を引き起こす。彼の活躍を収めたDVDが発売されるわ、グッズはできるわ、コスプレするファンはいるわと、とどまるところを知らない人気。
 そんなことになってもソニックは、変わらない。クールな彼は肩をすくめて走り去るだけ。彼はなにものにも支配されない。正義も義務もなく、ただ自分の心の赴くままに生きる。

 ……って、この、あまりにも「ヒーロー」すぎる男が主人公であるアニメは、世間的に受け入れられたのだろうか?

 少なくとも、「日本人向き」のヒーローじゃないよなあああ。
 完全無欠なんだもんよ。隙がまったくないんだもんよ。
 テレビの前のチビッコたちは、こんな男に感情移入できるんだろうか。

 あこがれることはできても、感情移入は無理だろ。

 あこがれるにしたって、あまりにできすぎていて遠い存在だしなあ。

        
 ソニックを見ていて、「似てるな」と思ったのは、なにを隠そうスナフキンだ。そう、『ムーミン』に出てくる自由人。『昭和ムーミン』ではギターを抱いた渡り鳥、渋いおっさんだったが、『平成ムーミン』ではハモニカを吹く美少年だった、あのスナフキンだ。
 もちろん、ソニックの方が相当とんがっている。姿も性格も。
 ても、根本部分でとても似ていると思った。
 彼らはあまりにも、「自由」だ。
 なにものにも支配されない。
 場所も人も、彼らをつなぎとめることができない。
 彼らはつまり、なにものにも「執着しない」んだ。
 所有することに興味がないから、すべてのモノから自由であり、またすべてのモノを持っている。
 本質として孤独を好むけれど、他人に対して友好的でもある。
 すでに「完成形」であるので、変化も成長もしない。

 本来ソニックは、「脇役」であるべきキャラクタなんだ。スナフキンがそうであるように。ソニックのテーマカラーが「ブルー」であるように。
 物語の主人公とするなら、テーマカラー「レッド」のナックルズの方が相応しい。強くて暑苦しくて善良な、欠点はあるけどヒーロー体質の、愛すべきキャラ。こーゆー男が「努力して」「障害を乗り越えて」「成長して」最終的に勝利するのが、物語のお約束。

 なのに主人公はソニックで、ナックルズは彼のライバルなんだよなあ。ライバルったって、強いのははじめからソニックで、ナックルズは1度も勝てないんだけどなあ。

 天才を主人公にして、どーやって「物語」を成立させるんだ。
 天才の天才ゆえの悩みを描く、とかゆーもんでもないしな。ソニックなにも悩んでないし。誰にも負けないし、侵されないし。彼はほとんどもー「神」の域にいるキャラクタだ。

        
 だからこそ。
 わたしはこの物語が好きだった。

 感情移入なんてとんでもない、ほとんど「神」のヒーローのなかのヒーロー、英雄ソニックが、自由に走り抜ける様を見るのが。
 好きだった。

 『ソニックX』は、そーゆースタンスで作ってあった。

 ソニックは、ヒーロー。
 絶対ヒーロー。
 「すべて」を持った男。だからこそ「すべて」に執着しない男。
 あたりまえに走り、あたりまえに誰もできないことをやり、あたりまえに人々を救う。

 世界一のあの国の大統領がつぶやく。
「大統領になれば、みんなを救えると思った」
 だけど、現実はどうだ。机の前で書類と格闘するだけの日々。ほんとうの世界の危機には無力でしかなかった。
 元特殊工作員の老人が言う。
「軍人になったのは、みんなを救いたかったからだ」
 だけど、現実はどうだ。命令で動いて、人を殺しただけじゃないか。

「ヒーローになりたかった」

 ままならない現実を抱え、傷みを抱え、背を丸めて生きているすべての人たちの前を。

 ソニックが走る。

 誰にも真似できない速さで。
 あざやかに、かろやかに。

 わたしたちができなかったこと、やりたかったこと、あこがれたこと、逃げてしまったこと、見ないふりをしてしまったこと、あきらめてしまったことを、彼はあったりまえに簡単になんてこともなくやり遂げてしまう。
 とことんクールに。

 ヒーローになりたかった。
 強くなりたかった。
 唯一無二の存在になりたかった。
 やさしい人になりたかった。
 誰かを救える人になりたかった。

 そう。
 ソニックに、なりたかった。

 徹頭徹尾、ソニックを「ヒーロー」として描いてあるんだ、このアニメ。
 ソニックの強さが、感情移入なんかはじめから切り捨ててあるよーな潔いキャラ設定と物語作りのスタンスが、小気味いい。

 いいじゃん、こんなアニメがあったって。
 こんなエンタメがあったって。
 変化も成長もしないヤツが主人公だったって。
 たしかにソニックは完全無欠すぎるけど、とても魅力的な男だし。彼の仲間たちも魅力的なんだし。
 ソニックにあこがれて、彼の生き方に歓声をあげよう。

 ……と、わたしは思っているけど。

 ねえこのアニメ、世間的にはどうだったの?(笑)
 最近、弟とは『街』の話ばかりしている。
 弟がプレステ版を買ってきたからだ。
 よって姉弟して『街』プレイ中。
     

「難易度はなににしてる? HARDモードでないと見られないエンディングとかあるらしいよ」
「ええっ? NORMALじゃダメなわけ?」
「てゆーか、サターンのNORMALが、プレステのHARDのことらしい……」
「プレステってそこまであなどられてんの? サターンのNORMALがHARDって、そんなバカな……」

 『街』は緑野姉弟のフェイバリットなゲームのひとつ。その昔、セガサターンでプレイしたときに、そのクオリティの高さと深さに感嘆しましたことよ。
 すでにサターン版でクリアしているわけだから、今回の目的はエンディング・コンプリート。プレステ版はフローチャートがついたりと、サターン版よりも難易度が気前よく下がってますんで、ゲームをクリアする以外の目的もたのしめる。
 ふたりであーだこーだ言いながら、エンディング集めしています。

        
 ところで。

 「金曜日」のシナリオに出てくる銀行員の星子。ブランドものに身を包み、お色気で男たちを悩殺するセクシー美女。なんせ彼女は「昼は聖女、夜は娼婦」を地でいく二重生活者。昼間はお堅い銀行員、夜は魅惑のストリッパーときたもんだ。

 このお色気美女が、どーもどっかで見たことあるなあと思ってたら。

 そうか、たかこに似てるんだ!

 とゆーことに、気づいた。

 美女美少女が出まくるこのゲーム中、いちばんのお色気キャラ。
 よりによってそんなキャラクタが、たかこ似ですか……。
 清く正しく美しい、タカラジェンヌの男役トップスターに似てなくてもいいだろーに。

 そーいやたかちゃん、男の人に人気のある男役のひとりだったねええ。
 男好きするタイプなのかしら……。わしゃ男じゃないからわからんわ……。

         
 似てるといえば、もうひとり。

 わたしが『街』をプレイしているところに、母がやってきた。
 わたしの隣の部屋に置いてあるコピー機を使用中、ヒマだったらしい。コピー機が何百枚という印刷をしている間、母は手持ち無沙汰にわたしの部屋にやってきて、ベッドで寝ている猫をいじりだした。
 母に構う気のないわたしは、とーぜん無視してゲームを続ける。

 猫をいじりながら、母は言うのだ。

「ねえ、この画面にいる男の子、なんか似てない?」

 …………あなたもそう思いますか、ママン。
 プレイしながら、似てるよなあ、としきりに感じていたんですが。

 コードネーム「金曜日」。
 この子、うちの弟に似てる……。

 弟本人は、わたしと母の意見を却下してましたが。

       
 賛否両論、つーか、否定意見の方が多いかな、の、『マスター・アンド・コマンダー』 を見てきました。
 監督・脚本ピーター・ウィアー、出演ラッセル・クロウ、ポール・ベタニー。

 19世紀はじめ、イギリスはフランスと戦争中。英国海軍の漢たちは、艦長ラッキー・ジャック@ラッセル・クロウのもと軍艦サプライズ号で元気に戦争している。
 彼らの今回のターゲットは、フランスのアケロン号。こいつは最新鋭軍艦で、性能面ではサプライズ号をはるかに上回っているし、奇襲をかけてきたりと艦長の腕もなかなからしい。派手に大負けしたまま本国に逃げ帰るなんてとんでもない。ジャック艦長は再戦を挑むぞっと。

          
 いつものよーに、予備知識ナシ。
 映画館でやたらと流れ続けていた、あのクソ長い予告編しか知らない。
 そして、あの予告編は大嘘すぎるってことで、問題になっている、ということぐらいしか、知らずに見に行った。

 ので、わたしはこの映画に対しての「正しい見方」など知りようもありません。原作があることさえ知らなかったさ。
 わたしには、わたしの感想だけがすべてです。

 ははははは。

 断言しときます。

 腐女子は見ろ。

 いやあ、おもしろかったっすよ。
 膝叩いて笑えますぜー。

 艦長と軍医のラヴラヴっぷりが!!

 なんなの、こいつら。
 かわいすぎる。
 てゆーかコレ、19世紀の軍人萌えで描かれたBL? BLの医者モノとか社長モノとかと同一に語っていいレベルだよね?

 すべてにおいて、BLの「お約束」をハズさないキャラだてとエピソードと展開に、ひとり身もだえしながら見ました。

 幸運のジャックとふたつ名で呼ばれる統率力あふれる艦長様と、ゴッドハンドの持ち主の軍医様。このふたりは戦場でそれぞれの仕事をばりばり完璧にこなしちゃうかっくいー漢たち。
 そしてふたりは親友で、平時には「ふたりっきりで」「楽器演奏」なんかしちゃって愉しむの。
 そしてなにかっちゃー、「それは親友としての質問か? それとも艦長としての?」「親友としての質問だ」とかのラヴい会話を繰り広げておりますのよ。
 艦長様が弱いところや迷うところを見せるのは、軍医様とふたりっきりのときだけなのよ。そして、艦長様に対して忌憚ない意見をずけずけ言えるのは軍医様だけなの。信頼し合っているからこそ、ときに言葉が過ぎちゃって、とげとげしい雰囲気になっちゃったりもするのよ。
 艦長職はつらい立場、任務遂行のためにはあえて部下を見殺しにだってする。なのに、いざ軍医様が大ケガしたときには、前言撤回して彼を助けるためだけに進路を変えてみたりしちゃうのよ。うわ艦長ソレ、思い切り公私混同やん!とか即ツッコミ入れちゃったよ(笑)。
 どこまでもどこまでも、「お約束」のBLカップル。

                  
 たしかに予告編は大嘘だったねえ。
 アレに騙されて見に行った善良なふつーの人には、いろいろお怒りな作品かもしんないなあ。

 人間ドラマに割く時間はあまりなく、ただえんえん、わいわいどんどん戦闘シーン。
 なんかやったらめったらこだわっていそうな画面。

 わたし、なんの知識もない人間なんですけど、この映画がすごーくがんばっている部分って、「再現」してることなんじゃないのかしら。
 当時の生活とか、意識とか、戦闘とか。
 
 知識はなくても時代物はそれだけでわくわくするので、「お貴族様」系はいいなあ、と素直にたのしめましたわ。
 軍艦に子どもたちがいるのって、彼らが「お貴族様」だからなのよねえ。でもってあったりまえに「士官」になるべき試練を受けていくんだわ……そーゆー「意識のちがい」とか、見ていてたのしい。

 あ、でもわたし、いちおー子どものころに青池保子を読んでたからなあ。予備知識なしで座席に坐って帆船が出てきてネルソン提督とかの名前が出てきて、「ああ、あの時代かぁ」と納得しちゃうのは一応、ささやかなりとも知識があったうちに入るのか?

       
 しかし、もう少しわかりやすく盛り上げることもできただろうになあ、とは思う。BL以外の意味で。
 艦長と軍医と士官候補生美少年以外のキャラ、薄すぎ。もったいない。これじゃ、わーわー戦争してるだけで終始してるよーなもんじゃん。
 ……戦闘シーンを描くのがテーマだと言われちゃったらそれまでだけどさー。
 戦闘シーンはアレでいいからもう少し、キャラを整理して見せ場作るだけで、さらにエンタメ的に盛り上げることは可能だったと思うよ。
 それをしないでひたすらやりたいこと(ネルソン時代の海軍の再現ね)ばっかやってる気がする……。ああ、男の作る映画って……。

 ああなんにせよ、たのしい映画でした。
 コスプレ時代軍人職業上官部下BL……うっとり……。

 てゆーか軍医、かわいよー、かっこいいよー。
 眼鏡っこだしな!(ポイント大幅UP・笑)。

          
 画面の美しさに惹かれて、見に行きました『ドッグヴィル』
 監督・脚本ラース・フォン・トリアー、出演ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー。

 黒い床に白い線を引いただけのセット。『ガラスの仮面』のマヤのひとり舞台を思い出すわ。ここが玄関、ここが階段。マヤがひとつひとつパントマイムで説明するだけで、「世界」が浮かび上がってくるあの不思議。
 それをまさか、映画でやるなんて。

 美しいと思うの。
 黒い床と白い線だけの世界。
 ここがトムの家、隣は集会所で、向かいはジンジャーさんのお店。……てなことが、全部床に白線で書いてある。
 壁も建物もなにもない。あるのは最低限の家具と、人間だけ。

 この不安な美しさに惹かれた。

 予備知識はない。どーゆー映画なのか、なんのことなのやら。なんにもわからないまま、見に行った。

 こ、こわかったんですけど……っ!!

 ホラーじゃないです。オギー系です。痛くてこわくてかなしいのです。

 山の中の小さな村ドッグヴィルに謎の女グレース@ニコール・キッドマンが逃げ込んでくる。どうやらギャングに追われているらしい。ドッグヴィルに匿われることになった彼女は、閉鎖的な村の人々のもとで懸命に生活しようとするが……。

 前半はけっこー眠いです。
 謎の女グレースと、善良な村人たちの生活。
 村人たちはそれぞれ癖が強いけど、ふつーに善良な、どこにでもいそうな人々。毎日働き、糧を得、自分を愛したいと思っている・愛している、ふつーの人。
 そして、ギャングに追われているといってもグレースもまた、悪人には見えず、ひたすら美しく、善良に思えた。
 「私はこれまで傲慢な生き方をしてきたわ。だから謙虚になることを学ばなければならないの」……登場してすぐのこの台詞で、あー、いい子なんだなー、と思った。
 みんな悪人ではなく、ふつーにいい人たち。どこにでもありそうな生活、いそうな人たち。

 それが。

 変貌しはじめる。

 邪悪に。
 善良な平凡な人々の持つ「牙」が、徐々に明らかになっていく。

 閉鎖されているからこそ顕著だった安定した世界。絶妙だったパワーバランス。そこへ迷い込んだ異邦人。
 「善良なる人々」が持つ「暗黒面」がすべて、その異邦人へ向けられる。
 はじめは「新しい友人」「共に暮らす仲間」として迎えられただけに、壊れていく力関係が残酷。

 セットのない、床に線が引かれただけの空間。隣の家も外を歩いている人も、全部あけすけ、全部丸見え。
 小さな小さな村、村人にプライバシーなんてものはない。なにかも知られている、監視されている。
 壁がないからこそわき上がる、閉塞感と緊張感が秀逸。

 小さな村を舞台にしているけれどコレ、他の場所が舞台でもぜんぜんあったりまえにあり得る話だよね。

 親しみやすいところでいくと、「教室」。

 小学校でも中学校でもいいよ。
 ひとつの教室を舞台にしても、同じ物語を構築可能。

 はじめはみんな「仲間」だった。対等なクラスメイトだった。
 でも、そのうち、パワーバランスが変化する。
 たとえば、ひとりの親が破産して多額の借金をしていることがクラス中に知られてしまった。たとえば、ひとりの子が万引きするのを見られてしまった。
 とにかくなにかしら「きっかけ」があった。
 「大義名分」があった。
 あいつは人より劣っている。あいつには悪い部分がある。
 それを「理由」にしてたったひとりを、いじめる。全員で。とてもたのしく。あたりまえに。日常的に。
 だってあの子は、そうされても仕方ないもの。あたしたちだって、したくてしてるわけじゃないわ。
 掲げるのは大義。行為の正当化。その世界を共有する全員で行う正義。
 いじめられている子も、だんだん感覚がマヒしてくる。だって、自分以外の全員から「お前は悪だ。悪だから制裁されているだけだ」と毎日言い続けられてるんだ。判断基準は狂い、自分が受けている仕打ちを「当然の報い」と受け止めるようになる。

 そーゆー物語。
 やろうと思えばどこでも、起こそうと思えばどこでも起こすことができる、起こりかねない物語。

 実際、グレースに対する仕打ちの残酷さは、ものすごかった……。村人全員の「奴隷」。
 足枷と首輪をつけられ、毎日女たちは酷使し、男たちはレイプする。
 両腕でようやく持ち上げることができる錘をつけられ、足を引きずって歩く。重すぎて、ふつうに歩けないんだよね。首には、ベルのついた首輪。少しでも動けば大きな音が耳元で鳴る。しかも、いつも首を曲げていないといけない形。……こんな、人間としての尊厳を踏みにじられた姿で労働させられ、犯される。

 物語のラスト、「審判の日」は想像通りの終わり方をするのだけど、それが「想像通り」っていうのがまた、痛いんだよな。

 ここまで邪悪さ残虐さを披露した村人たちを、被害者のグレースが「赦して」しまうことを、わたしは「傲慢だ」と思った。
 「彼らは、善良で弱い人たちなの」と言ってしまうヒロインに、腹が立ったさ。
 床に線を引くだけで表現された村、ドッグヴィル。すべてを神の目線で俯瞰することができる閉鎖空間。
 罪を犯すのは人間、偽善に酔うのは人間。

 罪と罰と、赦すことと糾弾することと。

 なにが正しいのかなんてわたしは知らないし、それは人の数だけ答えがあっていいものだと思っているけれど。

 けれどわたしは、傲慢だと感じたんだよ、グレース。

 罪は罪だよ。
 人を裁くことは、自分をも裁くことだよ。
 人を殴ったら、自分の手だって傷つくんだよ。
 自分の手が痛くなるのは嫌だから、殴るのはやめておこうって、そういうことだろ?
 赦すってのは、そういうことだろ?
 「善良で弱い人たち」って見下して、完全無欠の被害者でいるってことだろう?

 …………そう感じてしまうわたし自身に、わたしは、痛みを感じるんだ。
 わたしもまぎれもなく、「罪人」であるのだという自覚が、胸を貫くから。

 慈悲は素晴らしい。
 赦すことは素晴らしい。
 暴力は悪だし、殺人は悪だ。
 それは誰もが謳う真理。ひとのみち。

 だけど「裁き」はあるんだ。

 という、こわくて痛くて、せつない映画だった。
 画面の美しさと、ニコール・キッドマンの美しさ。
 かなりオギー系。ヅカ以外のオギー芝居好きにはおすすめです。

     
 あと、作者が『サイレントヒル』にも影響を受けた、と語っているのが個人的にツボです(笑)。なるほど、『静岡』ファンかよ……わかるわ、このダークさ。

「『静岡』は、ヘボゲーだし、日本じゃぜんぜん売れてないけど、クリエイターとかでアレを好きだという人は多いからなあ」
 と、弟は言う。
 たしかに、モノを創る人間の琴線に触れる世界観だよな、アレは。

               
 スクリーンで歌い踊る春野寿美礼を見た。見てしまった……。

 ええ、VISAの新CMが流れたんですよ……よりによって、ナビオTOHOプレックスのシアター1で見ちゃったんですよ……スクリーン巨大ですよ……。

 CMの新バージョンが放映されてることは、知ってたよ。でもまだ見たことなかったんだよね。
 まさか、最初に見るのが巨大スクリーンとは……。
 しかしVISAグループ、よりによって映画館でアレを流さなくてもいいだろうに。一般人は引くよ、絶対。
 ファンでも引くのに。

 それでも。

 身の置きどころもなく恥ずかしいモノを見せられたっちゅーのに。
 やっぱり春野寿美礼はいいなあ、と思う、1ファンなのでありました。

          ☆

 春野寿美礼はともかく。

 『ペイチェック 消された記憶』を見てきました。
 監督ジョン・ウー、出演ベン・アフレック、ユマ・サーマン。

 天才エンジニアのマイケル@ベン・アフレックは記憶を失った。
 とゆーのも、商売のうち。彼は自分の関わった極秘仕事の記憶を消して、報酬(ペイチェック)を得ている、ある意味身売りしてるよなコイツ、という男。
 しかし今回はどうもおかしい。億万長者になれるはずだったのに、彼に残されたのは19個のガラクタだけ。しかも、FBIには追いかけ回されるわ、殺し屋たちには狙われるわ、もう大変。
 彼が「報酬」を受け取るために「消した記憶」にはなにがあったのか。過去の彼が、現在の彼に送ったメッセージ、19個のガラクタはなにを意味しているのか。


 えー、主人公のマイケルは、コンピュータ・エンジニアです。「技術者」です。

 技術者に必要なこと。

 まず、体力。
 ムキムキのマッチョであることが好ましい。
 次に、戦闘力。
 格闘技の達人であることが必要。
 さらに、運転技術。
 カーチェイスで複数の車をぶっちぎれる腕前は標準装備。

 マイケルの恋人、レイチェルは博士、「植物学者」です。

 学者に必要なこと。

 まず、体力。
 脂肪など一切ない、実用的な筋肉を備えること。
 次に、戦闘力。
 屈強な男たちを蹴り一発でぶっとばせることが必要。
 さらに、運転技術。
 実験用機械をリモコンひとつで操作、何十人もの敵を一掃する腕前は標準装備。

 ……とまあ、ものすっげー説得力あふれる技術者と学者のカップルが大暴れしてました。

 フィリップ・K・ディック原作の近未来映画らしいんだけど、「近未来」だとはまったく思えなかった。どっから見ても現代じゃん……街並みも服装もセンスも。記憶を操作できるのがふつーになっているみたいだが、それくらいか、現代とチガウ部分って。
 あとは、十分現代で通用するよー。

 記憶を任意に消去できるのはいいが、何故かその記憶が全部「三人称」なのが気になってしょーがなかった(笑)。
 マイケルの見てきた世界、経験した記憶をモニタに映しながら「ここは消去するね」とかやってるんだけど、そこには全部マイケルが映ってるの。
 マイケルの記憶なら、彼の目線であるべきでしょ? なんで神の視点でマイケルが映ってるの? マイケルひとりしかいない部屋のシーンとかで、彼が映ってるのよ? 変だよー。

 とゆーことを皮切りに、あちこちツッコミ満載(笑)。

 それでもたのしく見ました。
 謎の19個のアイテムが、どう使われるのか、パズルを見ている感覚で。
 ひとつずつはただのガラクタなのに、そのシーンそのシチュエーションにぴたりとハマって役に立つんだよね。
 失われた3年分の記憶を逆からたどっていく展開は、お約束がいっぱいでとてもスリリング。

 ストーリーの流れを愉しむものなので、細かいことにはこだわるべきじゃないんだろう。
 ええ、ツッコミなんて入れちゃだめなのよー。入れたくて入れたくてうずうずしちゃうけど!(笑)

 できれば主役はもっと、「技術者」に見える人が、「技術者らしい戦い方」をして欲しかったわ。
 あんな分厚い体格のアタマわるそーな体育会系にーちゃん(失礼)がコンピュータ・エンジニアっつーのもねえ……ばりばり肉弾戦して、棒術で戦っちゃったりするし。
 いやわたし、ベンくん好きなんだけどね(笑)。

 「失うことがわかっている記憶」のなかで恋をする、という設定はとても好みなのでそのあたりに期待したんたけど、とにかくはてしなく体育会系の物語だったので、恋愛とか精神的なことは一切描かれてなかった。ひたすらアクションと謎解きに終始した娯楽作品。
 伏線きれいにひろって、気持ちよくフィニッシュしてくれたんで、数々のツッコミを心に秘めつつもたのしく映画館をあとにすることができたから、それでいいや。

   
 いかりや長介氏のことをけっこー真面目に悲しんでいたというのに。
 そのうえ、イワエモン氏(大昔にお会いしたことがあった……って、挨拶した程度だけど)の訃報まで目にし、べそべそやっているところへ、かめたさんからのメールが来た。

    
 かめたさんは、わたしのこの日記を「ホーム」にしているとゆーのです。びっくりだ。
 つまり、ブラウザを立ち上げると問答無用で、このページが開くのだそうです。

 そしてその日。かめたさんのパソコンを、かめたさん以外の人がいじったのだった。

 パソコンのメンテナンスをしに来たおじさんが、かめたさんのパソコンでネットに接続したわけです。
 そーすると。

 ええ、わたしのこの日記が開いてしまうのですよ。

 そしてわたしの日記は、腐女子以外には不穏当なタイトルがよく、でかでかとつけられております。

 かめたさん、メール読んで吹き出しちゃったよー。
 すまんねえ、変なタイトルばっかつけてて。あなたの評判が落ちていないことを祈るわ(笑)。

 泣いてたのに、そのまんま笑っちゃった。
 ありがとうありがとう。

 かなしいことも、ほっこりすることも、みんな人とのつながりが伝えてくれる。
 
   
 わたしは朝起きると、食事のあとに必ず新聞を読む。
 まず、スポーツ新聞。裏の芸能欄と、事件欄のみ。
 次にふつーの新聞。1面の見出しに目を通し、社説にあたるのかしらね、1面の下方定位置の鼻息の荒いコラムを読む。このコラムがけっこー好き。鼻息の荒さが(笑)。
 そのあとは、後ろから。事件欄を読んで、どんどん前へと紙面をくっていく。
 30分くらいかな。新聞を読んでいる時間は。
 アタマが悪いので、読んでもよくわかっていないことや、すぐに忘れてしまうことばかりだが。

 本日の目的は、昨日のリカちゃんの退団記事。
 スポーツ新聞ではほぼ100%、タカラヅカスターの退団は写真付きで掲載される。

 あー、リカちゃん……本名と年齢までばっちり書かれてるよ……「退団」したんだなあ。
 宝塚歌劇団の生徒である間は、年齢も本名も公開されないけど、退団すると容赦なく書かれちゃうんだよねえ。

 だけど記事自体はとても小さなモノだった。

 スポーツ新聞は、いかりや長介さんの記事で持ちきりさ……。

 リカちゃんの退団パレードが流れないかな、と思って流していたワイドショーも、長さんの話題で持ちきり。

    
 泣きましたともさ。長さんの追悼番組で。

 訃報自体は、最初の速報で知っていたけれど。
 あらためて追悼番組見ちゃうと、ショックもひとしおさ……。

 大好きだったよ、和久さん@踊る大捜査線。
 織田裕二のコンサートで、ゲスト出演してくれたね。元ミュージシャンの腕を披露してくれた、あの粋な姿が忘れられません。

 『あなたの隣に誰かいる』の最終回、もうまともに喋れなくなっていた、だけどその誠実な演技に涙したさ。
 罪も責任も覚悟の上で、聖剣で魔物にとどめを刺すところも。
 奥さんの幽霊と、うなずきあうところも。
 この作品の真の主人公は、彼だったんだと思えた。
 とりかえせない過ちを、けっして癒えることない傷みを背負った老人が、自分の力で償いをする物語。魂の救済の物語。

 老人好きの緑野のツボを直撃。

 美形キャリア刑事@柏原崇が、草間@いかりや長介を本気で愛していたのも、ポイント高いです。
 草間の語る幽霊だの化物だのという話を信じて、武装した警官隊を出動させちゃうんですよ。
 そして、さらりと言うんですよ。「僕は、貴方を信じただけです」と。
 うきゃー、すげえ。

 大好きだったよ、長さん。
 じじい好きのわたしにしてみれば、これからがよりおいしくなる人だったのに。
 惜しいです。心から。

 どうか、安らかに。

 
 キティちゃんとデート。
 場所はもちろんムラ。星組公演観劇。

 相も変わらず、

「緑野ちゃんアンタ、太ったんじゃない?」
「失礼ね」
「だってなんか、胸がでかくなってるよーな」
「ふふふ、おNEWブラの効力よ。これから夏にかけて、下着の補正力がモノをいう季節だからね」
「あー、そーねー。アンタ、夏はとんでもない格好よくしてるもんね」
「アンタに言われたくないわ」

 とゆー、「仲、悪い?」てな会話を会うなり繰り広げていました。

 ところでキティちゃん、あなたたしか、リカちゃんファンよねえ?
 なんでこんなところにいるの? ファンはみんな、リカちゃんの中継見に行ってるもんなんじゃないの?

「忘れてたから」

 ……やっぱりあなた、大してファンじゃなかったのね。
 有言実行のCANちゃんは昨日は東宝で前楽、今日は大阪でライヴ中継を観に行ってるよ。全部自力で駆けずり回って。

「忘れてたのは、ライヴチケットの発売日よ。電話するの忘れてたんだもん」

 ネットに「譲ります」があんなに出てたのになー。値引きもしてたのになー。
 まあいいけど。
 キティちゃんの腰が重いのはいつものことさ。


 さて、星組公演。

 この日記に、お芝居の『1914/愛』の感想をえんえんえんえん書いているにもかかわらず、ショー『タカラヅカ絢爛』(作・草野旦)の感想がまったくないことに関して、以前ツッコミメールをもらいました。

 その答えは、語らぬが華ってことです。

 『1914/愛』のことはツボで大好きなのに、この公演にリピートする気力がわかない理由のひとつは、

 『タカラヅカ絢爛』キライ

だからです。

 その昔、芝居『ブラック・ジャック』(作・正塚晴彦)を観て「大好き! もう一度観たいわ!!」と思い、そのあとのショー『火の鳥』(作・草野旦)を観て「大嫌い。もう二度と観に来るもんか」と思ったように。
 『CAN-CAN』(脚色・谷正純)を観て「大好き! もう一度観たいわ!!」と思い、そのあとのショー『マンハッタン不夜城』(作・草野旦)を観て「大嫌い。もう二度と観に来るもんか」と思ったように。

 ショーがたのしければ、芝居がヘボでもたのしい気持ちで劇場を出られるんだが、あとから上演される作品が好みから著しくはずれていると、たのしさ半減。

 草野先生ってさー、なんであんな、感動的に悪趣味な衣装を創造できるんだろうなあ。色のセンスとか、凡人には真似できないよねえ。いや、常識を持って生きる人は、真似しなくていい世界だけど。
 あと、幼児番組の「歌のおねえさん」とかが好きなのかもな。『火の鳥』なんかそのノリだったしな。
 いいトシした大人の女が、わざとらしい裏声で、幼児語で喋るの。アレに萌える男なのかもしれない。
 『タカラヅカ絢爛』でも、ホットパンツに同色のタイツを穿かされ、裏声で幼児のように喋る「妖精」を見てとてもせつない気持ちになった。そして彼らは、幼児番組のよーに縄跳びをしたりするのさ……。
 これのどこが「タカラヅカ」なんだろう。どのへんが「絢爛」なんだろう……。
 胸に吹く風の冷たさはなに……?

 コンセプト一発、ストーリーのあるショーは好きなんだが、これは両刃の剣だなあ、としみじみ思った。
 なんせカラーがひとつしかないから、好きなときはとことん好きになれるけど、ダメだったときは全滅だもんよ。
 わたしきっと、草野先生とは好みが合わないのだわ。
 てゆーか、ワタルに「妖精」をやらせるのはやめようよ……あんなでかくてごつくて男くさい男が「妖精」だと、夢がないよ……。生身の男にしか見えないっつーの。檀ちゃんとも「一夜の美しい夢」とゆーより、生々しくヤりまくって消えた行きずりの男に見えたんですが……いや、その方がなんぼか好みだわ……。
 まあ、ワタルくんに幼児語喋らせなかっただけでもヨシとするしかないのかな……。

 この「タカラヅカ的に美しいシーン皆無」のショーが、月組で続演だと知り、とてもかなしい気持ちになっています。
 それでも、さえちゃんが「妖精」なのは美しくていいと思うけど。てゆーか、そもそもさえちゃんを念頭に置いて作ったんじゃないのか草野?と、笑顔で胸ぐら掴みたい気持ちです(笑)。
 両性具有・あるいは無性の妖精さえちゃんと、妖精に恋してしまう幼い少女えみくら、ならば、いっそファンタジーでいいかもなー。ファミリーミュージカルっぽいコンセプトになっちゃうかもしんないけど。ピーターパンとか。ははは。
 ただ、野郎野郎したワタルと、大人の美女檀ちゃんでは、夢というより悪夢でした、わたしには。

 れおんくんの巨乳と、カノチチ……いや失礼、カノチカちゃんの巨乳を堪能するしかない作品でした。

 あー、美しいモノが見たいなー。
 洗練された淑女や、スマートな紳士が舞い踊るよーな。
 全編サイケな原色と蛍光色は、ノーサンキューっす。

 ドラマシティに行って、目を洗ってくるしかないか……。

 
 あまりに日記を書き込めない日が続いたんで、このことを書くつもりだったのを、ずっと忘れてた。このサイト、不安定だよなぁ。
 前に書いた日記はエラー出て全文消えちゃったし。

 郵便局のことで、質問。

 「自営業の人は、定休日には書留などの配達をしてもらえない」ということを、みなさんはご存じでしたか?

 わたしは知らなかったので、2日ほどじたばたしました。

 郵便局のHPで、書留等の追跡調査ができます。どこまで届いているか、配達があったかどうかが一般人にも見ることができます。

 そこで問題の郵便物は、「月曜日に配達したが、不在だった」「火曜日に再配達予定」とあった。

 月曜日、べつに不在でもなんでもなかった。でも、さすがに丸1日家を一度も空けなかったわけじゃないから、たまたま留守をしたタイミングで配達の人が来ちゃったんだろうと解釈した。
 ので、「再配達する」と明言されている火曜日に、1日家を空けず、ずーーっと待っていた。

 しかし、配達はなかった。

 5時まで待って郵便局に問い合わせの電話をした。

 そこからが、さあ大変。
 問い合わせにつぐ問い合わせ、すったもんだで5時間半。

 郵便物を手にすることができたのは、午後10時半でした。

 翌日、配達の人から改めて説明を受けた。

「自営業の人には、たとえ自宅と店舗が同一であっても、宛名が個人名であっても、定休日には配達しない。それが郵便局のルール。そもそも配達自体しないのだから、不在票も入れない」

 それは知らなかった。
 無知だったために、2日も無駄にしちゃったよ。

 でもHPではいちおー、「月曜日に配達した」とか「火曜日に再配達」って出てたからさ。
 そーゆールールがあるなら、そこにひとこと、「ただし、自宅で開業されている場合、定休日には配達を行いません」と書いておいてくれればいいのに。
 てゆーか、どこに書いてあるの?

「どこにも書いてません」

 へ?
 なんで書かないの?
 HPだけじゃなく、郵便局のお知らせとかポスターとか、いくらでも注意書きできるじゃん。

「利用者に知らせることはしていませんが、これが郵便局のルールです」

 どうして知らせないの?

「……(無言)……」

 自宅で開業している人間は、そこに住んでいるにもかかわらず、他の人より書留を配達してもらえる曜日が少ないわけでしょ? 不在票も入れてもらえないから、そーゆー郵便が最寄りの郵便局まで届いていることさえ知らないわけでしょ? 郵便局のサービスを受けることが、ふつーの人より少ないわけでしょ?
 そのこと、ちゃんと教えてくれないと、不便だよー。

「文句は、郵政省に言ってください」

 いやあの。
 「自宅で開業していると書留を配達してもらえない曜日がある」というルールはわかったよ。わたし個人としては、そのことに不満だけど、「ルール」なら仕方ないと納得するよ。世の中、そーゆーもんだからな。
 わたしが今、問題にしているのは、その「ルール」を何故、明示しないのかということさ。
 「ルール」なんでしょう? 「郵便局を利用する上での決まり事」なんでしょう?
 だったらソレ、最初に教えてくれなきゃ、守ることもできないじゃん。
 どうして教えてくれないの?

「利用者に教えることは、勘弁して下さい。それはできません」

 ええええっ?!
 「それがルールだ、我慢しろ」って言うのに、そんなルールがあることは「内緒」なの?

 あの、郵便局全体を変えろとは言わないよ? **郵便局の掲示板に、「お知らせ」ってポスターを貼ってくれるだけでもいいんだけど?

「無理です」

 明示できないルールか……。
 闇が深そうだな、郵便局。

 とりあえず、「知っている人だけが得をする裏情報」として、「自宅で開業している人は、定休日に郵便物を受け取りたい場合はその都度郵便局に電話して配達を頼め」だそうです。

 まあそもそも、インターネット上で「郵便追跡」ができるようになったから、わかったことなんだよね。
 つまり今までは、「変だな、今日あたり届くはずの郵便が来ないや」と不思議に思いつつもスルーしていたことだから。
 月曜日(定休日)に書留などの郵便がないことも、ただの偶然だと思っていて、ずっと知らなかったよ。
 そうか、配達自体してもらえてないんだ。お隣には配達しても、我が家はスルーされてたんだ。
 ネットのおかげで、知らなかったルールを知ることができたわけだ。

 そう。
 とりあえず、「利用者に教えることができない、利用者が不便な思いをするルール」があるって事実を知ることができて、よかったです。

  
 本日のトピック。
 正塚先生が、斜め後ろの席だった。生で見るとかっこよかった(笑)。

 ……って、トピックがコレなんかい、わたし。

 『BOXMAN−俺に破れない金庫などない−』ドラマシティ初日観劇。

 行く予定はなかったんだが、レンタルビデオの返却日だったこともありちょっくら梅田へ。……いや、もともとは水しぇんのお水汲み(……シャレ?)を眺めに行くつもりだったんだが……なつかしの堂島(昔、そのへんに生息していた)へ。
 でも、ドラマシティは自由経済が活発なので、安く観れてしまうんだもんよ……(隠語)。
 『箱男』を観ていたら、水しぇんには会いに行けませんでした。同じ時間に同じよーな場所でイベントをやるのはやめてほしいわ。

 なにはともあれ、『箱男』。
 いつものことだが、予備知識まったくナシ。たかはなラヴラヴもので2番手がいない、ことぐらいだ、知ってるのは。(はるひくんファンの人が「祝ドラマシティ2番手!」と大喜びしていたのを耳にしていた。そののち、「主役カップル以外は役らしい役がないんだって」と大落胆していたのを耳にしていた。合掌)

 なんにも知らなかったからさー。プログラムだってもちろん、買ってないしさー。

 はっちゃんが女役で、心底びっくらこいた。

 現代より少し前のどっかの国。金庫メーカーに勤めるケビン@たかこの仕事は、金庫破りのデモンストレーター。他社の金庫を鍵なしで開けて見せて、客の危機感を煽り、自社製品を売りつけるわけだ。そのセールスの相棒がドリー@お花様。ふたりは名コンビで営業成績トップを驀進。
 さてふたりは、開発中の新システム金庫の営業に出たのだが、功を焦ったドリーが設計図を持ち出し、それをうっかり盗まれてしまう。まさかの大ミス。
 しかも、盗まれた設計図と同じ商品が、ライバル社から発売されることがわかり……。

 たかこが、むちゃくちゃカッコいいです。

 うわー、どうしましょう。どういうことですか。
 たかこが、かっこいいです。めちゃくちゃかっこいいです。うわーん。うろたえ。

 わたしは息の長いたかこファンですが、最近の気の抜けたたかちゃんを見ていて、「ファンやめよーかなー」てな気持ちもなきにしもあらず、だったのに、ここにきてまた盛り上がってしまいました(笑)。
 たかちゃん、かっこいー。
 なんて素敵なの。美しいの。

 たかちゃんはほんと、姿の美しい人だよねええ。
 こんな美しい男が生息しているってだけで、感動だわ。
 ビジュアル系トップの名に恥じない美青年ですわ。

 たかこはなまじ姿が美しいから、お人形系の役をやると、ほんとにどーでもいいコンニャク男になっちゃうのよね。
 顔と人がいいだけの主役とかやると、毒にも薬にもならないのよね。

 多少毒やらスパイスやらがあった方が、ハマるんだと思う。
 ……昔のように、アクの強い立ち役には戻ってくれないにしても。

 適材適所というか、向き不向きというか。

 正塚晴彦には、中劇場がよく似合う。

 大劇場の約半分の大きさであるドラマシティが、正しく機能しているよ。
 『Romance de Paris』in中日のときにも、心から思ったよ。
 ハコのサイズと作品は、密接な関係があるんだと。

 この『BOXMAN』もまた、中劇場だからこそ気持ちよくまとまった作品だった。

 三人称で描かれた映画みたいな作品。
 誰かのモノローグだけで進むわけでなく、誰かひとりの心の奥底にどーんと踏み込んでじたばたするでなく。主役のケビンとヒロイン・ドリーを、「三人称」で淡々とカメラが追っていく。
 熱っぽくならない、踏み込み過ぎない。さらりとおしゃれに。
 シリアス過ぎない、コメディ過ぎない。さらりと粋に。
 ファンサービスも適度に盛り込みつつ、ムードで流していくおしゃれ系ドラマ。
 月曜9時某チャンネルで放送していいっすよ、みたいなノリ。

 ああ、たまにはこーゆー作品もいいよねえ。
 と、しみじみしましたわ。

 よかった、正塚せんせ、まだ壊れてないんだ……まともな作品も作れるんだ……。

 壊れていない物語と、正しい主役とヒロイン。
 主役はかっこよく、見せ場がいろいろあり、ヒロインは一生懸命。ふたりが恋を語る結末が最初から観客にはわかっているのに、肝心のふたりは無自覚にすれ違ったりなんだり。
 お約束だけど、それがたのしいんだ。

 まあ、ふたりがハッピーエンドを迎えるシーンもが淡々としているんで、わたしにはちと物足りないんだがな。もっと盛り上げればいいのに。せつなくできるのに。
 ……それをしないのが「美学」なのかしらね。

 主役の「伝説の金庫破りBOXMAN」とゆー過去を持つ男ケビンが、なんとも不思議な味を持ち、この作品のカラーを決めている。
 なにを考えてんのかしらねえ、この男(笑)。
 いまひとつ人物像が見えてこないあたりが、かえって味になっていると思う。「過去を持つ男」なんだから、これでもいいんじゃないかと。たんに、たかこのなんじゃないかとも思うが……このわけのわからなさが、妄想をかきたてるわ。こーゆー穴だけらけのキャラクタは動かしやすいし、また脳内補完がたのしそうだ。
 観ている人の好みで、ダークにもホットにもなっていそう。わたしの見ているケビンと、あなたの見ているケビンは別物かもね(笑)。

 個人的に、FBIに訊問されているところのケビンがすごくツボ。
 たとえ誰かを殺すことになるとしても、同じことをする……という意味の会話のやりとりが。
 そう、「罪」は自覚していなくちゃダメなのよ。「罪」を「罪」だと、「悪」だとわかったうえで、それでもそれをやる、自分の責任のうえで。
 それでも生きていくことが、重要。
 ……えらくさらりと流されてるシーンなんだけどね(笑)。

 ドリー@お花様は……うまい。
 ほんとにこの人、いい仕事するよね。
 えーと、なんだっけか前のドラマシティの大駄作。超人フレデリックの出てくる……『奇跡の星』? タイトル忘れたわ、あの駄作のどーしよーもない役でさえ、お花様は懸命に演じきり、大根役者たかこをフォローしてたよね。
 なんてことのないシンプルな台詞のひとつひとつに、「うわ、この人うまい」と思わせてくれる。
 だてに“小学校に入学した子が小学校を卒業し、中学校を卒業し、高校生活もあと少し”なんて年月、トップスターの地位にいないよね。

 いい男過ぎるケビンの過去をいろいろ考えるのもたのしそうですが、とりあえず気になるのは、

 社長@まりえった と 技術者@まやさん は、どっちが受かってことですが。

 あ、いりすくんは攻希望。
 緑野家の夕飯には、デザートが欠かせない。
 季節のフルーツか、プリンやヨーグルトなどの「つるっと食べられる」お菓子が多い。

 本日のデザートは、プリンだった。

 しかし、本日のプリンは……。

「なんかコレ、すごくない?」
「すごい。いろんな意味ですごい」
「まず、よくもこんなプリン、作るよね。昭和中期の雰囲気?」
「次にすごいのは、よりによってコレを買ってくることだな」

 わたしと弟は、本日のプリンをネタに盛り上がる。

 そう、そのプリンは、よくスーパーで売っている「3個で1パック」の安物プリンだった。
 そのことはいい。緑野家はいつだって、自分たちのランクに応じた安い食べ物を機嫌良く食べている。
 スーパーで安いプリンを買うのは当たり前。
 ブランドなんぞ気にしません。
 ふつーに食べられれば、それでよいのです。

 そんなわたしたちでさえ、震撼させてしまう、本日のプリン。

 メーカーは知りません。
 チェックしなかった。
 見たことも聞いたこともない商品名と、パッケージ。

 そう、そのプリンをひとめ見て、わたしと弟は思いました。

 うっわー、まずそう。

 まるでショーケースの中のイミテーション。安物のプラスチック製のおもちゃにしか見えない。

 えーとコレ、食べ物だよね? 食べられるんだよね?
 と、不安になってしまうよーなプリン。

「ここまでまずそうな姿をしているのに、そのうえ正気か、このパッケージ」
「あー、ひどいねー、よりショボさを強調しているというか……プリン本体でも安っぽくてまずそうなのに、パッケージがソレに輪をかけて安っぽくてまずそうなのはナニ?」
「カラー印刷なのに何故、よりによってこんなまずそうなデザインにするんだ?」
「ショボいプリンやヨーグルトだと、3色印刷に子どもだましのイラスト、とかあるよねえ。でもコレはわざわざ写真使ってカラー印刷だから、ソレよりはお金かかってそうなのに……このショボさは……」
「プリンのカップひとつずつに印刷しないで、1パックの箱に印刷した方がよくないか?中のプリンが外から見えたら、まずそうなのが一目瞭然でやばいだろ」
「箱の印刷と、プリンのラベルの印刷は、どちらがコストかかるのかねえ」

 わたしたちは真剣に、「どんなパッケージにすれば、このまずそうなプリンの印象をよくすることができるか」を討論する。

「でもさ、箱だけおしゃれでおいしそうで、開けてみてこのプリンが出てきたら、消費者は怒るんじゃないか?」
「それもそうか。『詐欺だ!』と思うかもしんないなあ」
「今のパッケージなら、まずそうなのはひとめでわかるじゃん。プリンなんて何十種類も売っているのに、わざわざこんなまずそうな外観のプリンを買う客は、実際に食べてみてまずいからって怒らないだろ」
「たしかに。まずいことを予想して買うだろうから、文句はつけないだろうね」

 とまあ、見た目だけでさんざんに言っておりましたが。
 先に食事を終えた弟が、問題のプリンを食べようとしました。
 ……ラベルの品質が悪いので開けにくく、開封するだけで一苦労(笑)。
 ぷっちん機能付きカップなので、お皿に伏せて、カップ底のつまみを折ろうとするのだけど、プラスチックの品質が悪いので簡単には折れず、またしても一苦労(笑)。

「なんか、すごくかなしくなってきた……」

 こんなびんぼくさい食べ物にバカにされてる気がする。弟はそう言うのだ。
 がんばれ弟。

 苦労の末、よーやくプリンを試食した弟は。

「見たまんまの味……」

 と、言いました。
 つまり、まずいわけです。

「砂糖味そのまんま……昭和中期とか、モノのない時代なら、砂糖の味ってことで、よろこばれたかもな」

 たべながら弟は、パックの裏の表示を眺めている。

「いや、カラダに悪い成分とか入ってそうな気がして。昔は認可が下りてたかもしれないけど、21世紀の現代では使われてないよーなものが」

 見た目からしてまずそうで、カラダに悪そうで、びんぼくさくて、実際にとてもまずい、このプリン。

「誰が買うんだろう……」
「ふつーの人はまず、買わないよね? 安ければ買うか?」
「いや、安いといっても限度があるだろう。他商品と比べてわずかに安いぐらいじゃこんなまずそうなものは買わないだろうし、安すぎればかえって不安になるだろう」
「有名メーカーの商品が安ければ『ラッキー』と思って買うけど、こんないかにも怪しい、カラダに悪そうな商品がものすごーく安かったら、なんかこわいよねえ」

 語り続けるわたしたちの後ろで、こんなとんでもないプリンを買ってきた母は、

「アタシは知らないわ。なにも見ないで買ったんだもの! プリンはただプリンでしょう?こあらが大きいプリンを買ったら怒るから、小さいやつが3つ入ったのを買っただけじゃない。だって他には売ってなかったんだもの。あとはみんな大きくて……」

 と、誰も聞いていない言い訳を並べ続けている。
 母の口癖は「だって(反論)」と「恐れ入ったか!(自慢)」と「私は悪くない(転嫁)」なので、いちいち誰もマトモに取り合わない。
 世界一忙しい母は、買い物するときにも商品を確かめたり比べたり選んだりしないのだ。1秒が惜しい人だから。

 おかげで我が家には、不思議な食べ物がよく登場する。
 
 このモノがあふれた現代に、何故、よりによってソレを買ってくるかな、とゆーよーなモノが。

 わたしたちは、真剣に消費対象者についての考察をした。

「いかにも安っぽくて、まずそうで、子どもだまし……」
「駄菓子屋で売ってそうだよね」
「笑えるほどプリン。プリン以外のなにものでもない、言い訳のようにプリンでしかないデザイン」
「選ぶ権利があれば、まず買わない商品を、どう売るか」
「選ぶ権利のない客に売りつけるとか?」
「ソレだ!!」

 結論は出た。

「そーいや、給食についてるプリンってこんなだった」
「あと、お子様ランチについてるプリン」

 プリンである、というだけのプリン。
 言い訳のようなプリン。

 母が出してきたレシートには、業務用スーパーと店名が印字してあった。

 やっぱり業務用かい(笑)。

「ところで、ねーちゃんは食わんのか?」

 あら。喋るだけ喋ってて、食べるの忘れてた。
 品質が悪いためにわたしの力ではラベルを開けることができず、弟に開けてもらい、品質が悪いためにぷっちんできずにカップの端にスプーンつっこんで強引に皿に移し。
 食べましたともさ!! 人生は冒険だ!!

 まっ・ずー。

 いやあ、見た目通りのまずさ。看板に偽りナシ(笑)。
 砂糖甘くて、しかもそれを水で薄めたような味。昔、駄菓子屋で買った粉ジュースを水で溶いたときの味だわ。
 ちと郷愁に浸ってみたり。

「それにしても、すごい破壊力を持ったプリンだ」

 弟が呆然と言う。

「それまで、何の話をしていたか、忘れてしまったよ」

 うん、まったくだ。わたしらたしか、『街』の話をしていたはずなんだが……スコーンと抜けちゃったね……。

 
 書いた日記がことごとく消え、ちと書く気が失せていた数日(笑)。

 なんでこー、エラーばっか出るんだろう、このサイト。
 そして今日また、カウンターとんでるし。

 何回目だ?

 他の人の日記見たけど、べつにとんでないじゃん。
 なんでわたしの日記ばっかとぶの?
 エラー出て、書いたモノが消えちゃうのもわたしだけ?
 わたしが悪いのか、ひょっとして。

 
「やっぱドラゴンナイトはいいよねえ」
「ロマンだねえ」

 という会話を弟としたのはいつだったっけな。

 書くのをすっかり忘れていたが、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を見に行った。映画館にいる子どもが嫌いなので、ガキの見そうな映画は早々に見てしまおう運動の一環で。
 監督ピーター・ジャクソン、出演イライジャ・ウッド、ショーン・アスティン、ヴィゴ・モーテンセン。

 たのしかったです。
 映画であること、映像であることを心から愉しみました。

 ただ、こうやって3作全部見て思ったのは、「やっぱ物足りない」ってことでした。

 たしかに映像はすごいんだが、そのすごいことが第一条件で、それ以外のことはあとからついてきているのが、ちと寂しいっつーか。
 描かれていることは、「すごい映像」があってはじめて通じるというか、「すごい映像」ゆえに観客が勝手に脳内補完して盛り上がっているだけなんじゃないかというか。

 もっと奥まで表現することができたんじゃないかな。
 だけど、限界だったのかな。

 そんなことを、つらつら考えながら見ていました。

 たのしかったんだから、それ以上を求めるべきではないのかもしれん。
 見に行ってよかったっす。

 それにしても、この映画を見た日の弟との話題は、『ファイアーエンブレム』一色でした(笑)。

「やっぱドラゴンナイトはいいよねえ」
「ロマンだねえ」
「でもさあ、せっかくのドラゴンナイトが剣で戦うってのはどうよ」
「届かないよねえ、空中なのにねえ」
「いちいち地面に降りて戦ったらソレ、ドラゴンの意味ないじゃん」
「ドラゴンって結局、ただの移動手段で、戦闘はふつうの馬に乗ったナイトと同じなんだよなあ。アレ変だよな」
「ドラゴンを戦闘に使う醍醐味は、地上爆撃でしょ。空から地上を一方的に攻撃する。手槍攻撃ならわかるけど、ふつーの槍や剣は意味ないよねえ」
「『ロード・オブ・ザ・リング』ではちゃんと、空から攻撃してたよー」

 感想が短めなのは、日記が消えまくって、書くのが2回目になっているから。同じこと2回もつらつら長々書けない……。

 

お茶を丸ごと。

2004年3月15日 家族
 さて、機嫌良く使っているお茶挽き機。
 うちの母は、根本的なマチガイをしていました。

「これがあれば、ゴミ箱の中の茶殻も全部、もう一度飲むことができるのね」

 ママ……。

 すりおろすのは、挽くのは、新しいお茶っ葉です。
 すでにゴミとなった茶殻を挽くわけではありません。

 てか、常識でわかるだろう?
 ゴミ箱の中のモノを、食べたいか?

「だってアンタが、茶殻が出ない茶殻が出ないって言うから!」

 母の口癖は、「だって(反論)」「恐れ入ったか!(自慢)」「私は悪くない(転嫁)」なので、もちろん悪いのはわたしということで終わりました。

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