いや、面白かったです、東宝版『仮面の男』

 三銃士の非道さに思わず爆笑。
 そしてもうひとつ、爆笑した部分があります。

 行く予定はなかったのに、東宝初日へ行ったのは、演出変更されるというので。
 つっても過大な期待はなく、「これ以上ひどくなりませんように」という後ろ向きなキモチを抱えての観劇でした。
 ムラの新人公演みたいな「臭いものに蓋」「お為ごかし」で「ふう、やれやれ。うるさいから変更してやったぜ、感謝しろよな」な出来かもしれないじゃないですか。なにしろ宝塚歌劇団のすることですから(笑)。

 たしかにいろいろ変更されていました。

 変更のほとんどは「マジに人道的・倫理的クレームが多かったんだろう」と思わせる部分の削除と、フィリップについての解説追記、でした。

 主人公はフィリップだから、まず彼について追記されたのは正しい。
 その追記がことごとく台詞による解説で、冗長かつ地味、どこの植爺芝居だ状態だとしても。

 まあ細かいことはいずれ語るとして。
 この作品の「物語」部分での問題点は3つ、と以前書いた。

・主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係
・ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻
・三銃士のフィリップに対する利己的さ

 これが改善されない限り、結局は同じことだと。

 フィリップについて加筆されたので、「フィリップとルイーズの関係」は少しマシになってるのかな?
 ふたりの心情についての説明台詞が増えていたけど。
 言葉にしなくても、あの程度のことはキムみみがきちんと演技で表現していたので、それをわざわざ台詞で言うことへの無粋さを感じたんだけど、「わかりやすさ」という点ではあった方がいいのか。

 しかし、フィリップとルイーズが共に逃げて影絵なんかしているあの場面ってさ、ふたりが出会ってから、数時間後のことなんだよ、知ってた?
 ルイーズがルイを殺そうとして寝室へ行き、秘密を打ち明けられた、その夜のことだから。
 ラウルのためにルイを殺そうとしていたルイーズが、たった数時間後に、フィリップへ「あなたのそばにいたい」と言うわけですよ。
 ここの改善はされてないんですが、いいんですか。

 いやあ、加筆されたのがフィリップについて少々、なだけだからさー。
 観ながらあちこち笑いツボ直撃して、困った……。
 そのひとつであった、三銃士については前日欄で語った。

 もうひとつの爆笑ポイントは、ダルタニアン。

 前述の通り、ダルタニアンはひどいことになっている。

1.恋人のコンスタンスの復讐のため、あえて非道な国王ルイに仕えている。

 コンスはアンヌ王妃の命令で秘密任務に就いていた。それで殺されたのだから、王室関係のナニかがあったためだろう。だから近衛銃士隊隊長として、王家のそばにあることが必要だった、らしい。
 でもそのために、国王ルイがどんな悪政を行っていても、見て見ぬふり。「血のつながりよりも、主従のつながりを尊ぶのが剣に生きる者の義務だ」とキレイゴトをぬかしている。

2.コンスタンスが殺されてから何年経ったか不明だが、その間ナニも捜査できずに、ぼーっとしていたらしい。

 王室関係のごたごたで殺された、とわかっているだろうに……実行犯が目の前で証拠のペンダントを日常的にぶら下げて生きているのに、まったく気付かず何年も何年も。
 どんだけぼんくら。

3.ルイとフィリップは性格がまったく違う。なのにふたりが入れ替わったことに気付いていなかった。ちなみに、ふたりの入れ替えは、ダルタニアンの目の前で行われている。

 よーやく入れ替わりに気付いたのは、自分の力ではなく、フィリップとルイーズの会話を盗み聞きして。
 三銃士が一大ページェントに混ざって大騒ぎしていたことにも気付かず、すっかり騙されていたくせに、「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」と大見得。

4.三銃士とフィリップを追いつめるためにサン・マルグリット島へ行ったのに、コンスタンス殺しの真犯人がルイだとわかり、コロリと心変わり。

 えーと、もしもここでルーヴォアのペンダントに気付かなかったら、昔の仲間の三銃士とルイーズを殺し、フィリップに鉄の仮面を付けて牢獄へ送ってたんですかね、ダルタニアン。ひどいよねダルタニアン。
 同じ職場で働いているルーヴォアのペンダントに、今ごろ気付くとか、しかも、「行きがけの駄賃で殺した侍女からペンダントを奪った、えっへん」とかゆー男の言葉をまるっと信じるダルタニアン。それも、見るからに「口から出まかせ、命乞いのために言いました」的な、「オレは殺したくなかったのに、陛下に命令されて仕方なくやったんだ」を信じるダルタニアン。
 今までルイの悪政をスルーし続け、彼が誰を殺そうと平気だったくせに、ルイがコンスタンス殺しの犯人だとわかるなり「あなたは人民を助けず、反対に命を奪っている。我々が命を懸けてお仕えする、真の国王ではない」と豹変。オマエガイウナ、オマエがっ。人殺しを見てみぬ振りしてきたんだから、オマエも同罪だっつーの。

5.フィリップがどんな人物かまったくわかっていないのに、国を彼に任せると言う。本当に自分の都合しかアタマになく、国も他の人々のことも、どーでもいいらしい。

 ダルタニアンはフィリップを個人的にまったく知らない。なにしろルイとフィリップがすり替えられて数時間後に、このサン・マルグリット島でルイを捕縛しているわけだからなー。アンヌ王太后のお誕生会からラストシーンまで、一晩のことだからなー。


 という、ムラ版の歪みが、ダルタニアンに関しては一切フォローなしでした。
 フィリップとルイーズは説明台詞がやたら増えていたし、サンマールだってまともな人になっていた。三銃士もさらにヒドイ人たちになっていたが、それでも加筆されていた。
 2番手のはずのダルタニアンは、絶賛放置プレイ。

 ダルタニアンは変な人で、ムラ版でもほんとにおかしくて、やってることはまぬけ一直線なのにいつもひとりだけドシリアスで、ちぎくん大変だなあ、と、コマくんとは違う意味で声援していたんだ。
 三銃士も変な人たちだけど、彼らはコメディパートもあるからまだ変でも仕方ないかと思えるけど、ダルタニアンは徹頭徹尾シリアスなだけに、逃げ場もなく変なんだよなあ……。

 サン・マルグリット島でフィリップと剣を交えるところ、ムラでも2種類くらい台詞なかった? 途中で変わったのかな? 「こんなに瓜二つだとは」とか「このダルタニアンは誤魔化せないぞ(大切なことだから2回言いました?)」とか言っていたのが、海馬に残ってるんだが。
 フィリップをフィリップとして、まともに顔を合わせました、と言いたいがゆえの台詞かなー、って場面。

 そーやって、ムラでも「あれ、ここ台詞変わった?(首傾げ)」な部分。変わったところで、ダルタニアンが変なことは救いようもない事実だから、無意味な変更だなあ、ぐらいのキモチでスルーしていたので、よくおぼえていない、あの部分。

 東宝で更に、変更されていたんだ。
 その台詞ってのが。

「もう二度と騙されないぞ!」

 爆笑。
 まさかこう来るとは思ってなくて、油断していただけに、肩が震えた。懸命にこらえたんだが、小さく声が出てしまったかもしれない。

 騙されてたって、認めたんだ!!(笑)
 今までさんざんアホやりまくって空回りして恥ずかしいことになってるのに、「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」とかあさってなこと言って強がってたくせに!!
 やっぱ、騙されてた自覚はあったんだ。
 ついでにゆーとダルタニアン、今も君、騙されてると思うよ? 真犯人がルイだっていうの、ルーヴォアの苦し紛れの言葉だけなんだよ? 裏付けなんにもナイんだよ? まだ騙されてるかもよ?(笑)

 どこまで騙されやすいんだダルタニアン。
 きっとこれからも、いろんな人に騙されるんだろう、ダルタニアン。

 ダルタんかわいいよダルタん!!
 ムラ版よりさらに、まぬけさアップ!!

 もうアホすぎて愛しい。
 『仮面の男』東宝初日に行ってきました。

 語りたいことは多々あれど、とりあえず、爆笑したことを書きます。

 三銃士、ひでえ!!

 あまりのことに、声を殺すのに必死でした。
 さすが宝塚歌劇団、変更してなおものすごいことにするのか! ナイス!(笑)

 えーと、まず、ムラ版三銃士の酷さについて、おさらいしておきます。

 三銃士はフィリップを「道具」として扱っている。
 彼らの目的はルイの暗殺であり、フランスのこともフィリップのこともどーでもいーと思っている。
 だからフィリップを牢獄から救出し、その恩を売って無理矢理命令。
 泣いて嫌がるフィリップを、ルイの替え玉として王宮へ送り込む。
 ばれたらフィリップが殺されることは必至、なのに「ばれたらそのときだ(いい笑顔)」という冷酷さ。

 これは、三銃士がフィリップをどう思っているか、まったく描かれていないために起こったこと。
 アトスの弟がルイに殺された、アトスは復讐を誓う、復讐のためにフィリップを救出、ルイとフィリップを入れ替える……これだけの出来事しか描かれていない。
 描かれたことだけを見れば、フィリップは三銃士の「道具」でしかない。使い捨て上等!!

 さすがに、あの「道具」っぷりはひどい、三銃士悪役過ぎ。
 それに、監獄暮らしで宮廷マナーはおろか一般常識だってアヤシイ男の子を王様とすげ替えるなんて、絶対無理。

 そのことに制作側がよーやく気付いたのか、三銃士によるフィリップへの紳士教育場面があると、スカステニュースで稽古場映像が流れた。
 じゃあ、東宝版では三銃士とフィリップの間に信頼とか友情とかが芽生えるのかと思ったんだ。


 で、東宝初日。

 三銃士絡みの変更は、仮面の男=フィリップを脱獄させたあとに、彼をルイの替え玉として様々な教育を施すこと、1ヶ月後のアンヌ王太后のお誕生会で入れ替えを決行すると宣言していること。
 それと、クラゲのシーンがなくなったこと。
 この2点。無銭飲食も『H2$』パロもそのまま。

 いちばん大きな変更は、なんといってもフィリップの教育。スカステで流れた、あの場面ですな。

 ……すごいよ?
 この段階でわたしは、かなりクチの端がむずむずしていた。おかしくて。

 いい意味での笑いではなく、笑顔でペガサスに乗るオスカル@コム姫を見たときの笑いだ。も、笑うしかないよね、このあさってぶりは、という。

 わざわざ新しく、三銃士とフィリップの場面をひとつ作っているの。
 音楽はフィリップのサーベルダンスのときの曲を使い回し、演出も似せてある。「三銃士とフィリップ」の場面ってことで、呼応させているんだと思う。そーゆー演出はうまいと思う。
 しかし。

 三銃士とフィリップの「関係」は、なんら変化がなかったんだ。

 フィリップを牢獄から救出し、鉄の仮面を取ってやった三銃士。
 泣いて怯えるフィリップに、一方的に「1ヶ月後に作戦決行するから、あれをやれ、これをやれ」と上から命令。「ルイと入れ替わって国王になれ」……だからフィリップはそんなこと望んでないのに、助けてやった恩を着せて強制。

 うっわー……。

 描かねばならない、いちばん大切なことはマナーや剣を教えることではなく、「三銃士とフィリップの信頼関係」だ。
 おびえるフィリップに、上から命令して押さえつけるのでは意味がない。
 「無理だ」と言わせるだけでなく、フィリップ自身が「ルイを、フランスをなんとかしたい。でもボクには無理だ」と言わせ、「そんなことはない、我々が協力しよう」と三銃士がいろいろ教えるならいい。
 フィリップの意志は一切ナシ。そこにあるのは、三銃士の思惑だけ。
 で、その直後に例のアラミスの「笑顔で恫喝」場面が続く。

 ムラのときと、一切変わってない……三銃士ひでえ。アラミスひでえ(笑)。

 いやむしろ、おびえるフィリップに、大の男が3人がかりで恫喝する部分が加わり、さらにヒドイことになってる。

 ナニこれ、笑える。
 アトスなんか厳しい顔と声で剣なんか向けちゃって、ナニ、仇の兄だから容赦なし? 「お前なんか殺してもいいんだぞ、生かしてやるだけでも感謝しろ」的な?


 それから、ルイーズがルイ暗殺にやって来たときも、地味にツボりました。
 三銃士、ひでえ!! と。

 ルイーズにもなにも教えてなかったんだ、三銃士。
 フィリップ救出までなら、危険だからルイーズを巻き込みたくない、ってナイショにしているのはアリかもしれんが、その後丸ひと月、のどかにフィリップの教育していた時間も、ルイーズは蚊帳の外。
 おかげでルイーズがフィリップ殺して死んでたかもしんないという。ひでええ。


 そして、わたしが爆笑を抑えるのに苦労したのが、正体がばれてルイーズとふたりでフィリップが逃げる場面。

「不思議だわ。フィリップ、あなたなんだか楽しそう。命を狙われているというのに……」
「はじめてなんだ。こんなに外を自由に走り回ることが。自由に息をして、風を光をこの頬に感じる。
 ボクは今、生まれはじめて『生きてる』って感じるんだ」

 ……ええ、ムラのときとまったく同じ台詞、やりとりです。
 でもさ、これをこのまま東宝でやられちゃうと。

 ちょ……っ、三銃士、あんたたち丸1ヶ月間、フィリップをどんな扱いしてたのよ?!!(笑)

 鉄の仮面と監獄と、同じだとフィリップが思うほどの扱いだったのか!!
 三銃士ひでえええ!!

 ムラ版では、王太后のお誕生会がいつかの明言がなかったため、脱獄即国王入れ替えのようだった。
 だから、フィリップが「はじめて自由を感じた」と言っても「昨日まで鉄仮面で牢獄だったもんね」と思えるんだけど。
 自由になってから1ヶ月経っているのに、「命を狙われている」のに、それでも「自由でうれしい」と言わしめるほど、三銃士との生活は、辛かったんだ……!!

 どんだけフィリップのこといたぶり続けたの、三銃士。
 仇と同じ顔した男ってことで、ヒドイことさんざんしたのね、アトス。
 おかげでフィリップ、ちょっとコワレてるよ? なにかっちゃーぽろぽろ泣いてますがな。
 いや、フィリップは健気度が上がり、可哀想度が上がり、じつに萌えなキャラになってるんですが(笑)。

 「君や三銃士まで巻き込んでいる……ボクはこの世に生まれてこなければよかったのかもしれない」って、三銃士に言われ続けたのね、「お前は存在自体迷惑なんだから、命がけで償え」とか。
 うっわー、鬼畜ー。


 と、思えるくらい、三銃士とフィリップの「心の交流」については描かれていませんでした。
 ムラ版よりひどくなるとは思わなかったぞ、マジで(笑)。
 三銃士が酷すぎて、いっそ笑える。

 わたしにアトス×フィリップでなにか腐った話を書けと言ってくれているのかと思ったわ、このすげー展開。

 アトスはきっと、最後の場面まで、フィリップのことは「ただの道具。仇の兄だから、使い捨ててかまわない」と思っていたのね。
 そーやってさんざんヒドイ扱いをしてきたのに、天使なフィリップは「ルイーズと三銃士の命だけは助けて欲しい」と、自分を犠牲にして言う。そこではじめてアトスは心が動いたんだわ、彼の「フィリップ……」という台詞は、それを表しているんだわ。

 と、ストーリーが脳内を駆けめぐりました。


 おもしろいなあ、『仮面の男』。
 ムラ版『仮面の男』、演出に関する感想の続き……こまった、東宝初日までに書き終わらない。
 いやあ、すげえだらだら書いてるからなあ。二度と読み返せないくらい、いつもにも増してまとまりのない文章だ。自覚はあるが、このまま行く(笑)。

 こだまっちの紹介がヘタなせいで、ルイーズ@みみは未亡人で、若い男の子ラウル@翔とつきあっていて、その上ルイ@キムにも見初められる男好きのする女と誤解される可能性がある。
 わたしは、トップ娘役の演じるヒロインだし、かわいいみみちゃんのキャラクタもわかっているから、「ルイーズは清純な少女」てな思い込みで見ているから、それ以外の見方は想像してなかったけど、とにかく「未亡人」という単語はずーっと引っかかっていて。
 ヅカ初見の団体さんとか、ミレディ@ヒメの歌を全部聞き取って正しく理解したんだろうか。


 次は三銃士登場場面。
 悪名高き『H2$』パロディ。

 著作権的にセーフなのかどうかは知らない。ただ、「著作権の関係でDVDが発売されず、本公演でもなく、本拠地でもない外の劇場で3週間だけ上演した作品を観た人しかわからない」演出に、今回したのは演出家の浅慮さの表れだと思う。
 パロディというのは、元ネタを知っていることが前提だ。知らない人が多いネタを嬉々として使うのはどうよ。

 パロディ自体は、わたしは別に悪いと思っていない。
 質のいいパロディが劇中に使われているのは、観客を「にやり」とさせる効果がある。知識を共有するものだけが持つ悦というか。ああこれは**という作品の**をパロってるんだな、憎いことするじゃないか、的な。

 しかしこの『H2$』パロはあまりに安易なお笑いとして、『H2$』の表層だけを借りてきたに過ぎない。替え歌レベルっていうか。
 ぶっちゃけ、「本の声」=アトス@まっつが登場したらウケるんじゃないの~? ってだけの、思いつきで作ったんじゃないの?
 なんかすごーく安く「うわ、いいソレ、ウケる~~!」って、ひとりで手を叩いて喜んで、ただの一発ネタにしか過ぎないモノを、マジに描いてしまった気がする……。
 実際、「本の声」=アトスが登場する瞬間、あそこが「パロディ」としての効果がいちばん大きく、その一瞬だけは笑えたと思う。意外な展開だったので。……もちろん、元ネタを知る人だけが。

 そのあとえんえん続く『H2$』は冗長。メモの話とか、『H2$』本編でもスベっていたというか日本人面白くないよソレ、だったのに、伝票に焼き直して使っていて、さらに日本人ぽかーん、だし。
 最初の一瞬、ネタひとつだけで終わっていればまだよかったのに、場面ひとつまるまる『H2$』だから、しつこいのなんのって。
 パロディだけで長めの一場面を使い切った本公演作品ってナニかあった? 過去に例がないのは「斬新」とか「誰も思いつかなかった素晴らしいアイディア」なのではなく、「誰だってそれくらい思いつくけど、不要だから・間違っているから、過去に誰もしなかった」というだけのことだ。

 元ネタを知るものだけが「にやり」とする、次元じゃない。だってえんえん一場面だもの。そんな下品な使い方に「知識の悦」なんか湧き上がるもんか。むしろ逆効果。辟易するってば。

 ましてや、三銃士が無銭飲食をし、最後は居直り強盗のように剣を抜いて暴力で決着をつけようとするなんて、ありえない。
 どこの無法者だよ。

 てゆーかさ、この3人、誰?

 パロディをやること、が目的になってしまっていて、作品にとって必要なことが無視されている。
 三銃士というものへの説明がない。
 「早わかり世界史」で、この舞台の背景説明をしていればともかく、水戸黄門とかやってなんの解説もないまま、観客がまったく知らない3人組が出てきてえんえん知らない作品のパロディをやり、客席の置き去り感半端ナイ。
 『三銃士』という物語を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? 『H2$』を知らない人は、この舞台を観てはいけないのか? ……そのレベルの不親切さ。
 ひとつでも大概なのに、同時にふたつの作品を「知っていて当たり前」という前提で持ち出してくる大衆向け作品ってどうよ? どんだけ観客を選ぶのよ?

 三銃士がナニモノで、そこへ現れたロシュフォール@せしるという男が何者で三銃士とどういう関係で、さらに鳴り物入りで表れたダルタニアン@ちぎという男が何者で三銃士とどういう関係なのか。
 基本的なところを一切描いていない。

 やはり「早わかり世界史」を全カットして、「在りし日の三銃士」をやるべきだったよなあ。
 画面的にも派手になったと思うんだ。
 別にモリエール@咲ちゃんが出てきていいよ。
 重厚なオープニングのあと、モリエールが「マダ~ム&ムッシュ♪」と出てきて「『仮面の男』をより楽しんでいただくために、登場人物の紹介をしましょう」と、空気無視したお気楽さを展開してくれていいよ。
 本編と関係あることをやるならば。突然のお笑いテイストでも空気ぶち壊しでも、最低限、セーフだ。

 カーテンが再度開くとそこに、アンヌ王妃@ミトさんを壇上に、ルーヴォア@ひろみ、ミレディ、ロシュフォールたちがぞろりと並び、貴族の男女とか侍従とか侍女とかも並んで華やかに、その中にはもちろんコンスタンス@あゆっちもいて。
 その前、本舞台いっぱい使って銃士隊が勢揃いし、中央に三銃士とダルタニアンがセリ上がってくる。
 で、4人で剣を合わせ、キメ台詞を日本語で言う。フランス語で言ってもいい、ただその前かあとにか、必ず日本語で言う。まず「伝える」こと、それがいちばん大切なの。
 かっこいーダンスを踊る人々で観客に楽しませておいて、花道あたりにいるモリエールが三銃士とダルタニアンの説明をする。
 今より少し前の時代なんですよ、と。
 その解説の流れからルイ@キムが登場し、よーやく現代、ルイの悪趣味場面へつなぐ。

 そうすれば、観客は『H2$』パロにとまどうだけで済み、「三銃士って誰? ダルタニアンって誰??」とならないで済む。
 ラストのサン・マルグリット島での大階段を使った立ち回りにも呼応するのにな、「あの人たちと戦うのか!」的に。
 ラストシーンの「久しぶりにやるか」で剣を合わせる三銃士とダルタニアン、「久しぶりに」って、あんたたち今までそんなのやってないやん! 今がはじめてなのに、久しぶりもナニもないやん! と観客がツッコミ入れることもなくなるのに。

 三銃士の説明のなさも問題だが、ここでもうひとつ問題なのが、キーパーソンであるラウルの描き方。


 てことで、またいつかの日にち欄へ続く。
 明日は東宝初日だっ。
 再演『カナリア』、初日行ってきました。

 つーことで、感想メモ。

 全体的に、主役が、ヴィム@えりたんだった。

 初演はアジャーニが主役だったからさー。
 オープニングからラストシーンまで、みろりんの比重が半端なく高かった。
 でも、今回は壮くんを中心にわずかだが書き直してある……感じ。
 反対に、初演はなんであんなことになっていたんだろう?
 や、もちろん演じている役者のキャリアや格も大きく関係しているが。マサツカは基本比重は大きくいじらない、大幅な書き直しはしたりしない人だし。
 今回は、主役はヴィムだ。えりたんが自在に暴れている。

 悪魔学校校長パシャ@まりん、カナリアを飼うホームレス・ティアロッサミ@いちか。
 初演ではパシャがシビさん、ティアロッサミがマヤさんだった。
 今回は男役のまりんがパシャで、娘役のいちかがティアロッサミ……ってことは、役の性別が変わっているんだな、と思ったら。

 まりんが、女役だった。

 ……ちなみにまりん氏、公演の長なので、挨拶もします。こわいです(笑)。

 んじゃティアロッサミはどうなってるんだ??
 ティアロッサミは女性になっていた……と、思う。が、あまりわからない……というか、変化がない。
 一人称「儂」で、男言葉。服装もホームレスなのでボロなだけ。顔もあまりよく見えない。初演まんまな印象。
 「じいさん……(あ、チガウか)、ばあさん」と呼びかけがある程度にしか、性別には触れられない。

 ラストシーンで、天界の者として登場するときにはじめて、女性だったことがわかる程度の、わざとだろう、中性的な描き方。
 というか、ラルゥ@『スカウト』がそうだったように、マサツカはいちかを「娘役」だとは思っていないのかもしれない。「役者」だと思っている。だから、性別を気にしていないというか。ラルゥも性別不明な悪魔だったよなあ。そのくせ、「女」として現れるときはめちゃくちゃ「女」だったよなあ。

 ティアロッサミは性別はどっちでもいいよな、男でも女でも。
 しかしパシャは、女でないとまずいな(笑)。まりんが男のまま演じたら、ホモ親爺になってしまう……だから熟女なのは正しい。

 役の比重をいじることがほとんどナイ、マサツカ。
 比重ではなく、役者の個性と力量まかせなところはあるよな。マヤさんの役をほぼそのまま再演で演じたみわっちが、「所詮、専科さんの役」を「男役3番手の役」に演じきってしまった『メランコリック・ジゴロ』のように。

 まぁくんがヴァンサン役。
 初演では4番手のゆみこが演じていた。しどころのない役で、5番手のらんとむの役の方がおいしんじゃ……?なんて感じの役だった。
 何故こんな配役? 『ファントム』で役替わりフィリップ役をやらせたくらい、まぁくんを今売り出したいのなら、初演であさこの演じたウカをやらせるべきだろう。ウカはなにかとオイシイ役だ。この役をやればまぁくんの株も上がりそうなもの。なのに、何故ヴァンサン。
 他の演出家ならともかく、あのマサツカが自作をまぁくんのために書き直すとは思えない……。

 思った通り、役の比重は変わっていなかった。
 3番手はウカ、ヴァンサンは4番手か5番手かぐらいの役。しかも、ヴァンサンの相棒ディディエ@めぐむの比重が微妙に上がっているため、ヴァンサンとディディエは2個イチくらいの扱いだった。
 めぐむと2個イチって、今さらそんな扱い……。
 めぐむはマサツカのお気に入りだっつーことがあるにしても、コレはナイんじゃないか。

 たしかにみわっちはマヤさんの役を「スター!」な役に演じ変えてしまったけど。
 まぁくんに、当時のゆみこの役で、自力で3番手になれというのは酷な話だ。

 そして、ウカ@マイティー。
 実力者だということは知っているし、顔は好みだし、新公では期待して眺めている子なんだが……いきなり3番手は、荷が重かった印象。
 まだ外見が出来上がってないんだ。すらりとしたあさこのイメージがあるから余計に、スタイルの残念さが際立つ……。
 歌も芝居も、新公ではうまいと思うけど、この場で「いかにも新人公演」だと、なかなかつらい……。
 いっそ、きらりがやればよかったのに、と思ってしまった……。別にウカが女でも問題ないだろーしさー。
 悪魔学校には女はいないそうだから、小悪魔の女の子たちも、実はきっと男の子なんだろうし。←

 マイティー比では、よくやっていたし、きっとこれからもっと良くなっていくんだと思う。

 ヴィムにくっついてる小悪魔たち。
 これを本当に新公学年のお子ちゃまたちにやらせることで、「悪魔学校入学前の子ども」感を出したかったんだと思う、マサツカ的には。
 たしかにほんとに子どもたちで、がちゃがちゃ可愛かった。
 しかし、その他小悪魔きらりの達者さと、リーダー・ウカの経験値の足りなさの格差は、せっかくの「お子ちゃまがやることで出す、お子ちゃまさ」効果に混乱を招いていると思う。

 ウカがまぁくんだったら、ふつーにかっこよかったろうなあ。
 まぁくんは等身大の前髪のある(重要)青年を演じて、原点に戻ってみるべきだと思うのに。
 背伸びしているフィリップだとか、変な人のジャスティン@『コード・ヒーロー』とかじゃなく。

 あと、個人的にすごく驚いたのは、よっちが、マサツカ役者だったこと。

 小悪党のディジョン@よっち。初演らんとむ。ほらあの、犬になる人。

 らんとむが演じているときよりも、すごくど真ん中に「マサツカ喋り」。
 あの独特のイントネーション。
 うわ、ここまで「マサツカ!」って芝居している人、久々に見た(笑)。
 まっつがバロット@再演『メランコリック・ジゴロ』でやっていたなあ。再々演のみつるは違った。
 マサツカがよっちを気に入るわけだ、こりゃいいもん見たー。

 よっちは、すごくイイよっちだった。
 このよっちを見るだけでも、『カナリア』に行く価値がある!!

 あと、アイリス@さあやが、やっぱうまい。群を抜いてうまい。少ない出番、短い台詞でも「おっ」と思う。
 相棒のポリーヌ@乙羽映見ちゃんがうまくないだけに、違和感あるほどうまい。乙羽ちゃんは研2の抜擢だから、学年のわりにはよくやっているのだと思う。

 ラブロー@みわっちは、堅実にいい仕事をしている。……けど、この役だと予定調和っていうか、みわっちの引き出しの中にある感じで、役不足な気がする。
 みわっちはもっと、不安定な……いったいどうするんだこんな役?!の方がいいなあ。
 そんな「??」な役を、ひょいと自分のモノにしてしまうみわさんが見たい。

 ヴィノッシュ@仙名さんは、うまいしかわいいんだけど……あとは、華、かなあ。
 さあや的職人風味を感じる……。わたしは彼女をもっと真ん中で見てみたいクチなので、もっともっと華やかさが欲しい。
 初演のあすかは、ほんとに華やかだったんだなあ。愛嬌のカタマリだったんだなあ。

 ところで、このふたりのもうひとつの役、ジュールとサリーの悪態シーンがカットで寂しかったっす。
 黒いみわっちが見たかったのに!!(笑)

 文字数ナイや、みりおんとか、またいずれ。

 最後にひとつだけ叫ぶ。

 タソ×めぐむ、って誰得?!

 タソの腕の中でめろめろになるめぐむ……。砂を吐くかと思いました……いや、あの人数の中で、タソとめぐむをロックオンしていたわたしが言うのもなんですが(笑)。
 わたしは、『カナリア』を名作だと思ってない。
 当時はどっちかっちゅーと「正塚にしてはつまんない、どーでもいい作品」認識だった。
 「まあ仕方ないよね、ほんとはテロリストの話だったのに、時節柄まずいと全ボツくらい、タイトルだけそのままで、全編あわてて書き直したんだもの。付け焼き刃の突貫工事でとりあえず書いた作品だから、このレベルでも仕方ないよね。ボツくらったっていう、ポスターイメージのカナリアを飼うテロリストの話が観たかったなあ」……って、友人たちと話してたなあ。
 あれがもう、10年前かあ。時が経つのは早いなあ。

 わたしの中では評価低いし、当時一緒に観劇していた友人たちの間でも似たよーな温度だったんだか、いつの間に『カナリア』は名作ってことになっていたんだろう?
 ヒロイン・アジャーニはたしかに演じ甲斐のある役だとは思うけど、主人公のはずのヴィムはチャーリーに合っていたとも思えないし、作品全体を見れば焦点の甘い散漫な話なんだけどなあ。

 友人がチャー様ファンだったんだが、役も作品も、喜んでなかったしな。主演だからうれしいってだけで、それ以外はノーコメント、ヘタに話すと愚痴になる、みたいな。
 そりゃあな、ヒロインこそが主役と言われちゃう作品、喜べるわけないか。チャー様は前回の主演バウも痛々しいコメディで、ファンは「今度こそ、アテ書きシリアスの二枚目のチャー様が見られる!」と期待していただろうに。正塚、空気読もうよ、2作連続コメディはファンが可哀想だよ。

 てな思い出語りからはじめてみる、なにしろ年寄りですから。いつも過去ばかり語りたがるものじゃよ、よぼよぼ。

 そう、わたしが「壮一帆」を最初に知ったのが、そのチャー様ファンの友人の言葉からだった。
 チャー様ファンが苦渋の思いを抱いていた『あさきゆめみし』。2番手とは名前ばかり、扱い的に刻の霊@オサが2番手じゃないの、劇団は下克上したいんじゃないの、と勘ぐっているときに、新人公演でらんとむがその刻の霊役だった。
 新公の役付きでわかることってあるよね。劇団が「将来のトップスター」と大事に育てている子が今さら4番手の役なんかやるわけないじゃん。ああ、やっぱり刻の霊が2番手役なんだ……頭の中将はそれ以下の役なんだ……。
 それを思い知らされた新公。わたしは観ていないのだが、その新公を観に行ったチャー様ファンが、語った。
「チャーちゃんの役をやった子、ぜんっぜん知らない子なんだけど、チャーちゃんそっくりだったの! 目が大きくて、キラキラしてて、きれいなんだけどものすごくヘタ。そんなとこまでチャーちゃんそっくり!」
 チャー様ファンのBE-PUちゃん……ファンだけど容赦ない評価だったよなあ(笑)。

 わたしが壮くんの名前を聞いた最初が、この「チャーちゃんそっくりの、きれいなだけでへたくそな子」(笑)。

 実際に舞台で壮くんを認識したのは『マノン』でしたよ。あのあさこちゃん総受芝居の、空回りホモのミゲル役な(笑)。終演後に「(MVPは)ミゲルだなっ」「ミゲル!!(爆笑)」てな会話をまた別の友人とかわしながら花の道を歩いたもんだった……。鮮烈なデビューだったよ、ソウカズホ。

 でもって、そのBE-PUちゃんの車でよくムラから家まで送ってもらっていたんだが、BGMで流れる花組『エンカレッジコンサート』のCDで、みんな気持ちいい歌ウマさん揃いなのに、ひとりだけものすげー音痴な歌声が混ざっていて、「だ、誰これ?!」と驚いて聞くと、「ああ、それがソウカズホ(笑)」って言われたなー。「そんなとこも、チャーちゃんそっくりでしょ」「そうだね……」って、ああなつかしいなあ。

 あれから10年。
 まさか『カナリア』を、壮くんで観る日が来ようとは。

 えりたんのファーストインプレッションは、「チャーちゃんそっくり」だったんだよなあ。

 だけど、えりたんとチャー様は、芸風がまったくチガウ。
 いや、えりたんの今の芸風が確立したのは、花組に戻ってきてからだけども。

 再演初日にいそいそ観に行ったわけだが、『カナリア』という作品に関しては、初演も再演の今回も、評価は変わらない。
 別に、名作ではないよなあ。もう少しなんとかならんかったんかい、という気がしてならない。いや、悪くないよ? その後いろいろ劣化していくマサツカ芝居を思えば、このころはまだ良かったんだなあ、とか今にして思うよ(笑)。
 でも別に、鳴り物入りで再演するほど名作じゃない。

 そしてキャストも、初演の濃さというかスター勢揃いな豪華さに比べ、今回の再演はいろいろ大変というか残念なところもあるなあ、と思う。

 しかし、だ。

 ヴィムという役に、ソウカズホは合っている。

 チャー様のときに感じた違和感、「なんでチャー様にこの役なんだろう。もっと他に、彼の魅力を出す役があるだろうに」ともどかしく、もったいなく感じた、あの違和感が、ナイ。

 壮くんにアテ書きするとデイヴィッド@『麗しのサブリナ』や劉邦@『虞美人』になっちゃうんだろうけど、壮くんの持つもうひとつの魅力、すなわちドS系美形を満たす役なんだ、ヴィムって。

 や、コメディなんだけどね。まぬけな役なんだけどね。
 だけど、ヒロインを不幸にするのが目的の悪魔で、基本は無表情にクールに決めているわけだから。
 そのSっぽい雰囲気と、どこかまぬけなチャーミングさが、えりたんの二面的な魅力を表しているなと。

 このみょーな魅力はなんだろう、ヴィム。
 このみょーな魅力はなんだろう、ソウカズホ。

 壮くんのハマリ役と言われた猛獣使い@『エンター・ザ・レビュー』。(ただし、ダンスはかなり踊れてなかったんだけど。でも、ハマリ役・笑)
 あのSでクールで悪な美形っぷりを見られるんだ、今回。
 シリアスパートは真面目にかっこいいんだ。

 うっかり教会に連れ込まれ、祈りの言葉を聞いて苦悶するヴィム。なにしろ悪魔だから、教会は天敵。
 ベンチの上で「ぱたん」と力尽きている姿のおかしさ。
 お尻治療のデイヴィッドのおかしさに通じるものがある。お尻を腫れ上がらせて、なお二枚目でいられるのは、宝塚歌劇団広しとはいえ、ソウカズホの他にはない。
 そーゆー彼の魅力満載だ。

 てゆーか、この教会ベンチのヴィム、ズボンの裾がまくれあがっちゃって、ナマ脛ちら見せ、ごちそうさまです(笑)。

 えりたんが、えりたんのまま、自由に暴れている。

 うわ、どうしよう、楽しい。

 作品がどうとか、初演と比べてどうとか、そーゆーことではなく。

 壮くんを見るのが、楽しい。
 だから、『カナリア』自体が楽しい。

 役が多くて、いろんなところまで楽しめることも、確か。
 だから、壮くん以外も楽しい。

 いやあ、おもしろいよ、『カナリア』。
 ムラ版『仮面の男』の演出中心の感想、続き。

 ルイ@キムの悪趣味場面、続いて登場するのは、下品なクチビルソファー。
 初日に張り切って前方席にいたわたしは、舞台を見上げるよーな目線になっていただけに、下唇のタラコぶりに、びびった。

 2階席からならここまで思わないが、下からだと角度的にもすごいよ、下唇の突き出し方。
 大昔にあった『飛べ!孫悟空』という人形劇の三蔵法師のクチビルを思い出した……ニンニキニキニキ。

 そして。
 そして、ごめんよ。
 やはり、キムを思った。
 分厚いクチビルと受け口はキムくんのチャームポイントだと思っているが、それを揶揄するかのよーなクチビルソファー登場に、「演出家はどういう意図でコレを出したのだろう」と混乱した。
 ただのエロアイテム? 他のスターさんならここまで思わなくても、なにしろキムだから、首を傾げる。

 ソファーの上でのエロダンスは、わたしは別にかまわない。
 モロにアレなダンスだけど、タカラヅカ的に今までもあったレベルだと思うし。
 だからあとは、クチビルソファーとの兼ね合いだなあ。下品さが一気に上がるからなあ。

 ルイがソファーで勝者@あゆみとエロエロしていると、周囲にキャスター付きドレスの夜の淑女たちが現れる。こだまっち、キャスター好きだなああ。

 キャスターで制限された動きが非人間的で、効果としては面白いと思う。
 女性の人権なんてなかった時代、偏った美への固執とその道具っぷりを表現するにはアリかもしれん。

 ここの淑女たちが、キャスターでケガをしないか心配しちゃうのは、ただの老婆心か。
 ドレスは衣装ではなく、セットだよな。キャスターのついた衝立みたいなもん。その衝立の後ろに立ち、キャスターを滑らせて衝立と同時に動き、音楽に乗って踊る。
 キャスターでうっかり、自分の足を轢いたりしないかな。スピードもブレーキも、足で床を踏むことで調節しているのだろうし。

 不自由なキャスタードレスを脱ぎ捨てた淑女たちは下着姿になり、クチビルソファーでルイと戯れる。
 赤いソファーと白い下着のコントラストはきれい。


 さて。
 そうしているうちに、背景のただのベニヤ板に、電飾が輝く。
 黄色いランプが点き、矢印が浮かび上がる。

 その矢印の下に、ルイーズ@みみが登場。「可憐な乙女」ポーズを付けたまま静止。

 何故矢印(笑)。
 ヒロインが悪役に見初められる場面なわけだが、とても斬新です。

 こーゆーノリの舞台だから、わたしは別に矢印自体はどーでもいー。新公で削られていたから、世の中的には不評なんでしょうけれど。

 ルイーズをルイが見初めることに、なんのドラマもエピソードも用意する気はなかったってこと、それはそれで潔い。
 ルイは所詮脇役だから、そんなところに時間を使う気はない、てのなら。
 問題は、脇役だからエピソードを端折ったのではなく、主役だろうと万事エピソードは端折られ、ストーリー自体がほとんどなかったってこと(笑)。
 矢印とヒロインの登場方法自体は別に、これでもいいよ。問題はそこじゃないから。溜息。

「美しい。あの娘は誰だ」と、ルイは下着女たちを放り出して言う。

 すると背景のただの板から、真っ赤なクチビルが山ほど登場する。
 背景は「早わかり世界史」で使ったびんぼくさい板。窓がいくつかある。その窓から、つやつやした塩化ビニル製って感じのクチビル・パペットが顔を出す。
 このクチビル・パペットがお喋りをする様子で「説明ソング」を歌い出すんだが……謎のアニメ声。

 いやあ、初日はナニ言ってんだか、まったく聞き取れなくて閉口した。
 ひとりが作ったアニメ声で歌うならまだしも、コーラスでしょ? ナニ言ってんだかさーーっぱりわかんない。

 すごいのは、公演が進むにつれコーラスの精度が上がり、無理をしたアニメ声のコーラスなのに歌詞がはっきり聞こえるよーになったこと。……ジェンヌってつくづくすごい。

 説明ソングが「聞き取れない」ってのがもお、演出家の不誠実さを表しているよね。
 キャストのせいじゃないもん、回転数を変えたレコードみたいな、無理なアニメ声でわざわざ歌わせてるんだもの。

 で、ミレディ@ヒメが登場するんだが、彼女の説明も「ヘタだなあ」と思う。
 「陸軍大臣ルーヴォアの一味」とクチビル・パペットに紹介されるんだけど、この段階で「陸軍大臣ルーヴォア」が登場していない。順番的におかしいんだよね、知らない人の名前を出されても……。
 こんなささやかなところにも、物語の組み立てがヘタなんだってことが表れている。

 背景のただの板に映される、ヒメのドアップ映像はいいと思う。
 ただし、意味がわからないけどな。

 「ル・サンク」を読んではじめて、映像の彼女の動きが他の淑女たちとリンクしていることがわかった。
 息を吸う仕草で淑女たちが吸い込まれるよーに現れ、息を吹くとその淑女たちは吹き飛ばされるそーだ。

 こだまっち、やっぱし大劇場の大きさを理解してないんじゃないか?
 バウサイズでなら本舞台の映像と花道を同時に観られるかもしれないが、大劇場だとこのふたつはものすごーく離れた場所なので、同時には見られないし、関連づけにくいよ?

 映像とは無関係に、噂話をする淑女たちがばたばた現れたり引っ込んだりしている、と思って観ていた。

 んでわたし、ここの「ルイーズの説明ソング」の歌詞が嫌い。

 名前を言うのはいい。
 だが、父と母の話はいらんやろ。

 ふつうに台詞で言うならいい。
 でも歌だ、コーラスだ。そして、こだまっちの悪い癖、「はじめて出てくる耳慣れない単語を、わざわざ歌にする」。
 台詞で言ったあとに歌にするなら耳に入りやすいけど、いきなり歌だから、聞き取りにくい、理解しにくい。先ほどのルーヴォアもそうだけどな。
 ルイーズのフルネームも歌だから、純粋に聞き取りにくいし、名前と姓がわかりにくい。
 士官、とか、パリ高等法院もこうして文字で見れば瞭然だし、台詞として聞くなら意味もわかるが、歌の中で突然脈絡もなく出てくると聞き取れない。

 この歌の中でいちばんはっきり聞こえるのは、ルイーズの名前よりもなによりも、未亡人、というフレーズ。

「あの娘は誰だ」
「彼女の名はルイーズ……(聞き取れない)……未亡人」

 ルイーズが、未亡人だと思える。

 なんでこんなわけのわからないことを?
 大体、「父は士官で、母はパリ高等法院監督官の未亡人」ってナニ? 日本語でお願いします。
 父は士官じゃないの? なのに母の夫は監督官なの? まったく解説になってない。
 その上、「未亡人」と間違った知識を観客に与える。

 観客に「伝える」キモチが感じられない。
 舞台は観客あってのもの、お金を出して観に来てくれる人がいるからこそ、舞台を作れるのだということが、わかっていない。
 いろんなところから、誠意のなさと、自己満足ばかりが伝わってくる。

 こだまっちは「悪趣味パフォーマンス」を責められているけど、そういう大きなところだけじゃなく、いろんなところにも根っこを同じにする、自己愛ゆえの他者への誠意と想像力のなさがある。
 それらが全部合わさって、ここまで不評を呼んだのだろうと思うよ。

 続く。
 ムラ版『仮面の男』の演出中心の感想、続き。

 「人間ボウリング」って言うけど、これボウリングちゃうやん!!
 という基本事項から引っかかっている、「人間ボウリング」場面。

 ボウリングと銘打つなら、ちゃんとボウリングやれ、とわたしは思う。

 で、さらにわからないんだ。
 ボールを投げる前から、どのピンが倒れ、どのピンが残るのかわかっている。
 なのに、何故、ピンが倒れまいと抵抗するの?
 答えは巨大メガホン@朝風くんが発表した瞬間にわかっている。それなら即座にボールがピンを倒してしまえばいい。
 なのに、発表からあとが、長いのなんのって。
 ボール係@あすレオがゆっくりコースを決め、ピンの淑女たちは倒されまいと腕まくりし、ボールとピンでやるのやられるのと力比べ、根比べがはじまる。

 わたし、「人間ボウリング」でいちばん嫌いなの、ここだ。

 こだまっちは笑わせたいんだと思う。ボウリングピンの被り物をした淑女たちが滑稽な動作で「倒されまい」とあがくところを。

 おもしろくない。

 悪趣味以前に、まーったく面白くない。笑えない。
 だって答えは出ている。淑女に、相撲取りのようにボールをいなそうと「どすこーい!」とかやられても、「……で?」としか思えない。や、もちろん、ドレス姿の娘役に「どすこーい!」とさせるセンスにも辟易だけどな。

 常識で考えてもさ、おかしいじゃん?
 倒される淑女はもう決まっている。ルイ@キムのお眼鏡にはかなわなかった。なのに抵抗して、力尽くでボールを避けようとするのは、王様への反逆じゃないの? 力尽くで倒されまいと逆らうことに、なんの意味があるの? 「あの淑女は力持ちだ、すばらしい」とルイにアピール? ルイは怪力女が好きなの?

 ピンとボールが長々と立ち回りをするから、余計になにをやっているのかわからないんだ、ここ。
 ピン並びました、ルイの答えが出ました、その次の瞬間ボールが動き、周りのピンは全部倒れ、勝者だけが残りました、ならわかる。実際のボウリングは投げたあとすぐにピンは倒れるから、見た目的にもボウリングに近くなる。

 ボールを投げたあとが長すぎて、ピンがピンに見えず、ふつうに人間女性がひどい扱いを受けている、そしてそれを笑わせようとしている感が強くなり、嫌悪感が上がる。
 ショーでよくあるスロットマシンマシン場面、コインの代わりにキラキラ衣装の女の子たちがきゃーっと現れる定番演出、あんな感じで個はなく楽しく演出するならいい。誰も「女の子をコイン代わり、賞金代わりに扱うなんて、非人道的演出だわ!」とは言わない。
 コイン役の女の子が、コインとして扱われることを嫌がり、抵抗し、逃げたり抗ったりする様を長々と描き、ついには無理矢理機械の中へ突き落とす、そしてそれを「笑いなさい」と強要する演出だったら、スロットマシンも非難されたと思うけどね。

 アイディア自体が悪いのではなく、センスの問題だと思うよ。
 こだまっちは人として「嫌悪」や「禁忌」の感覚がズレているのではないかなあ?

 「人間ボウリング」の空気読めない感のすごさは、これが、2セットある、というこだ。
 1回だけでも、わたしがこんだけ長々「変じゃね?」と書けるくらい間違っていて、冗長でつまらなくて場が冷えて客が引いているのに、同じことをさらに時間を掛けてもう1回繰り返すのだわ。
 そして、2回目に入る前に盆が回り、淑女たちが用意している様をえんえん見せる。
 ボール係や侍従@りんきらたちの嘆きの歌はいいんだけどね。

 ところで巨大メガホンがいちいちフランス語で叫ぶのがわからない。
 ただでさえ「叫ぶ」ために言葉が聞き取りにくい。そして、これから起こる場面の説明、最初のひと声だからこそわかりやすくする必要があると思うのに。
 観客のことを考えず、演出家の自己満足に過ぎないだけの場面だと、そんなことにも現れていて、あきれる。

 この場面についても、繰り返すが、美しければ無問題なんだ。
 豪華で美しく、目に楽しいのなら。
 でも実際は、がらーんとしたなにもない舞台に、ぽつんぽつんと人がいるだけのびんぼーくさい画面。
 盆がまるまる全部見えるくらい、舞台上になにもない場面なんだよ。いやあ、心冷えるってば。これが太陽王の宮廷かと思うと。
 びんぼーだったんだねえ、ルイ14世。お城も玉座もなにも持ってなかったんだあ、ははは。


 長すぎるボウリング場面の次は、勝者@あゆみとルイのエロダンスだ。
 トップスターのエロ場面はタカラヅカ的に正しい。ファンサービスだと思う。
 だからそれはいい。

 だが問題は、その周囲で踊る紳士淑女たちだ。

 ここが……。
 初見から、相当やばいと思った。

 紳士は普通の貴族男たち。美しく着飾った人たちで、優雅に踊る。
 問題は、そのパートナーの淑女たち。
 キャスター付きの台だか椅子だかに坐った上でドレスを着ているため、とてもいびつな姿になっている。

 椅子に坐ったままダンスをしている、のではない。
 演じているジェンヌ的にはそうだけど、見えているモノは違う。
 「ふつうの人間が坐っている状態」が、「立っている状態」の女性、に見える。
 こだまっちはもちろん、そう見せたかったんだろう。ドレスを工夫して、坐った淑女たちが立って踊っているかのように見えるよう演出している。

 わざわざ工夫して、苦労して、いびつな姿を作っている。

 こだまっちの悪趣味演出に関して、いろんな人がいろんな場面で非難の声をあげていると思うが、わたしが耳にした中でも特に、このキャスター椅子の淑女に関しての「悲鳴」は深刻だった。非難じゃない。悲鳴だ。耳と目をふさぎ「やめてー!」と叫ぶレベルだ。
 生理的な拒絶反応から、身障者関連まで、本気でこの場面だけは許せないと声を聞く。
 これだけ「人間」を傷つける演出を、平気でしてしまうのもすごい。

 キャスターを使ってのダンスが悪いワケじゃない。要は使い方だ。
 アイディア自体が悪いのではなく、センスの問題だと思うよ。
 こだまっちは人として「嫌悪」や「禁忌」の感覚がズレているのではないかなあ?

 この場面が禁忌に触れない人でも、単に「ドレスの娘役がガニ股で椅子を滑らせて踊るのは興醒め」とは思うだろうし。

 何故こんな、誰も喜ばないことをするんだろう。


 続く。
 『仮面の男』のムラ版、演出を中心とした感想、その2。
 まずは「早わかり世界史」の否定から。

 わかりにくくする「早わかり世界史」なんてものは、なんの存在意義もない。
 この場面が存在する理由は、ただ「こだまっちが、ウケ狙いをした」というだけ。

 繰り返す。
 このウケ狙いが成功しているならいい。しかし盛大にすべっている。
 内容的に不要で、「ウケる」ためにやったことが、観客に喜ばれるどころか「不快」と受け取られている。百害あって一利なし。バカじゃねーの。

 「早わかり世界史」がいけないわけじゃない。
 別に、やってもかまわない。本筋と関係ないものが全部ダメなわけじゃない。

 笑いを取りに行ってもいい。
 ギャグのセンスが良く、ヅカヲタも一般客も気持ちよく笑えるものなら、「『仮面の男』はシリアス芝居なのよ、笑いなんていらないわ!」と言っているわけじゃないんだ。
 サムくて不快なだけの笑えないギャグを、えんえん時間をかけてやっているから、「不要」と言われるんだ。

 さらに言うなら、笑えない、サムいギャグであってもいい。
 この場面がめちゃくちゃ美しいとかかっこいいとか、ヅカヲタも一見さんも口ぽかーんで見とれ、その美しさだけで「なんかいいもん見た?」と誤解するような舞台美術や演出ならば。
 ギャグは笑えないけど、かっこよかったからいいや、と思わせてくれるならば。
 ストーリー的に不要でもすべっていても、美しいは正義、かっこいいは正義。
 たとえば舞台美術が『タカラヅカ・ドリーム・キングダム』のPart3「夢の城」ばりの豪華さ荘厳さなら、多少演出がどうあっても底上げされたし、豪華なセットを見ているだけでも値打ちがあったろう。横尾忠則の感性とNTT協賛の潤沢な予算をここぞとばかりにつぎ込んだ、近年例を見ないくらいの豪華セットだった、あのレベルなら。

 しかし「早わかり世界史」はそうじゃない。
 びんぼーくさい板1枚のセット。そこをほんの数名の生徒が盆に乗って出てくるだけ。脚本演出のサムさくだらなさを救いきれない……どころか、とほほ感を増している。
 広い空間、大劇場という大きな舞台を持て余している。こだまっちは意気揚々とこんなショボイ演出しかできない、ということが露見した場面でもある。

 心から「不要」だと思う、この場面。


 場が冷え冷えとしたところでようやくルイ14世@キム登場。
 オープニングに登場していた男と同一人物なのか、説明は一切なし。

 ところで、「朕は国家なり」って台詞、わたしは嫌いなんだが、こだまっち的萌え台詞なんだろうな。
 ルイ14世の有名な台詞だから使うのは仕方ない……とは思えないんだ。

 だって『龍星』のサブタイトルもコレだ。
 トウコ主演『龍星』-闇を裂き天翔けよ。朕は、皇帝なり-
 タイトルだけでなく、劇中の台詞でも言わせている。
 『龍星』はこだまっちの唯一の感動作。盗作だとも言われているけれど、わたし的にはこれは「盗作」判定ではない。ただ、こだまっちがナニから影響を受けているか丸わかりで、作品の本質と関係ないところで無駄なパクリをしているので(必要ない部分で元ネタの台詞をまんま使っていたりな)、「バカだな」と思うのみ。
 『龍星』はこだまっち個人の作品ではなく、半分トウコちゃん作らしいね、トウコもこだまっち本人も言っていた(笑)。『仮面の男』もトウコに演出して欲しかったわ。

 わたしは単純に音として「ちん」という一人称が好きじゃない。これは好みの問題だから、世の中の人は「ちん」と言われると「カッコイイ! 絶対君主っぽい!」と思うのかもしれない。
 わたしの感覚では、君主っぽい一人称は「よ」かなー。でもふつーに「わたし」や「わし」の方が好みだ。
 わたしの感覚はさほどズレてないのかなと思う理由は、タカラヅカにしろマンガやアニメにしろ、「美形君主」で観客や読者視聴者に好意を持って欲しいキャラクタは決して「ちん」という一人称を使わない。「私」やせいぜい「余」という言葉を使う。もしも世間の人々が「ちん」を大好きならちんちん言わせていると思うのに、そうじゃないから、やっぱ世の中的に萎え一人称なんじゃないの?

 こだまっちは単に、男役に「ちん」と言わせたいだけじゃないのかと勘ぐるわ(笑)。
 なんでこんな言葉に萌えるんだろう。宇宙人の考えることはよくわからない。

 てゆーか、『三銃士』という物語でもっとも有名なキメ台詞「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」をわざわざフランス語で言わせ、決して日本語で言わせないのだから、ルイ14世のキメ台詞もフランス語にすればいいじゃない。
 やっぱ「ちん」が好きなんだとしか……(笑)。

 ここからルイの悪趣味場面になる。
 最終的にルイは天罰が下り、彼が不幸になってハッピーエンドである以上、観客が彼に同情せずに済むように、とことん嫌な奴であると描かねばならない。
 しかし、それがボウリングである意味は??

 アイディアが悪いわけじゃない、と思う。
 描くテーマが「ルイの悪趣味」で、「人間をボウリングにして遊ぶ」のは確かに悪趣味以外のナニモノでもないので、間違ってない。
 問題は、描き方だな。「早わかり世界史」が悪いのではなく、描き方・センスが悪い、のと同じ。

 人間ボウリングのいちばんの欠点は、「わかりにくいのに、長い」ことだと思った。

 宮廷場面なのに装飾もないだだっぴろいだけの舞台に、ドレスの淑女たち。
 太陽王の玉座は折りたたみ簡易椅子。

 「早わかり世界史」と同じなんだ。
 広い空間、大劇場という大きな舞台を持て余している。
 同じことをやってもバウホールならもっと様になったと思う。広大な大劇場の舞台は、たった10人の淑女ごとき飲み込んでしまい、ガラガラで寂しい画面となる。

 その寂しいショボイ画面で、やっていることが「人間ボウリング」。
 これがものごっつー、わかりにくい。

 わたしのアタマが堅すぎるのかな。ボウリングってさ、ボールを投げてピンを倒すじゃん? 投げてみるまでどのピンが倒れるかわからない。
 だから、ルイがボールを投げて、残った淑女とつきあう、ならナニをしているのか一目瞭然、女性をそんな風に扱い、そんなどーでもいい運任せの方法で選ぶなんてひどいわ、と思えるんだけど。
 実際にルイが投げなくてもいいよ、王様だから。ルイの命令でボール係が投げる、でもいい。実際に「ボウリング」をするのなら。

 だけどそうではなく、淑女たちは登場した瞬間に選別される。ルイが番号を侍従@りんきらに伝え、伝言ゲームで巨大メガホン@朝風くんが番号を読み上げ、その番号以外の淑女を、わざわざボール係@あすレオが倒していく。

 ボウリングである意味ないじゃん。

 ボウリングしてないし。
 ぽかーん。ナニヤッテルンダロウ、アレハ……。

 意味わかんない。


 続く。
 どこが変更になるか知らないが、とりあえずムラ版『仮面の男』について、演出を中心に感じたことを記録しておく。

 『仮面の男』の主人公は、鉄の仮面を付けて牢獄に幽閉されていたフィリップ王子@キムだと思う。
 だからオープニング、巨大な仮面をバックに、セリ上がりから歌い出す青年はフィリップ。深刻かつ迷いのある表情は、ルイ/フィリップどちらとも言えない……が、物語の中盤以降からは、冒頭の青年がフィリップに他ならないことが観客にもわかる。でもそれは演出で答えを出しているのではなく、演じているキムによってだ。彼が実に丁寧に「フィリップ」というキャラクタを形成しているがゆえ。

 まずフィリップ、そして彼の存在ゆえに恋人を殺されたふたり、ダルダニアン@ちぎとルイーズ@みみが登場し、3人の歌になる。
 「仮面の男」によって運命を狂わされる人々。

 続いて闇の騎士たちによるダークテイストのダンスが加わる。
 闇の騎士たちの中央に三銃士、アトス@まっつ、ポルトス@ヲヅキ、アラミス@きんぐがいる。
 三銃士もまた「仮面」の象徴である闇の騎士たちに翻弄されるような振付がある。
 同時に、三銃士+闇の騎士のセリ上がりは、中盤の劇中劇「一大ページェント」のセリ上がりと呼応している。
 「一大ページェント」では三銃士が闇の騎士の扮装をし、「仮面の男」を入れ替えるわけだ。

 「仮面」に捕らわれるフィリップ、でシーン終了する、このオープニングはいい。
 ミステリアスで美しく、興味をかき立てるイントロだと思う。

 もっと活劇的、大衆劇的にするなら、ルーヴォア@ひろみたち悪役や、サンマール@コマたち銃士隊、被害者となるラウル@翔など、役のある人々全員出しての総踊りにすることも可能だった。
 その方が画面は派手になる。
 が、少ない人数であくまでもフィリップの周囲の闇に焦点を置いた、ストイックなプロローグ。

 ……ほんとに、このままで行ってくれればねえ。

 こだまっちが暗く重苦しいストイックなプロローグをあえて作ったのは、次の「早わかり世界史」をやりたいがため。

 感覚が逆なの。
 シリアスなプロローグや物語のスパイスとして愉快な「早わかり世界史」を入れたのではなく、「ワタシが考えた素晴らしい演出の『早わかり世界史』」を際立たせるために、「シリアスなプロローグ」を前に置いた。
 だってその「シリアスなプロローグ」はあくまでもタカラヅカ、今までのタカラヅカでいくらでもあったものだから。そんなふつーなものはどーでもよくて、才気あふれる「早わかり世界史」こそこだまっちが「観て欲しかったモノ」。

 ここが「タカラヅカ」で、観客が「タカラヅカ」を観に来ているのだということが、こだまっちには理解できていないらしい。
 こだまっちの「すばらしいアイディア、斬新な演出」を観たくてお金を出している人はほとんどいない、「タカラヅカ」でなければ誰もアンタになんか興味ないんだよ、ということがわかっていない。


 さて、その「早わかり世界史」。『仮面の男』の時代背景を、モリエール@咲ちゃんが自分の一座を使って説明するという趣向。
 べつに、背景説明自体はあってもかまわない。要は書き方だ。
 こだまっちの「時代説明」は、まったくもって説明になっていない。観客が知りたいのは同時期の日本が江戸時代だったか鎌倉時代だったかではなく、舞台となっているフランスのことだ。
 日本では江戸時代だったとわかったからといって、これからはじまる物語の理解になんの足しになるのか。突然出てくる「元三銃士ってナニ?」「ダルタニアンとどういう関係?」等々、物語上の解説にはまったくなっていない。

 「解説」と銘打ちながらその役目を果たしていない、まったく無関係な水戸黄門を出したのはただのウケ狙いだ。
 このウケ狙いが成功しているならいい。しかし盛大にすべっている。
 内容的に不要で、「ウケる」ためにやったことが、観客に喜ばれるどころか「不快」と受け取られている。百害あって一利なし。バカじゃねーの。

 もっとも水戸黄門というギャグはヅカファンには不評でも、タカラヅカに馴染みのない団体客等、一見さんにはそれなりにウケていたようだ。それなりに、でしかないが。
 ではこの「早わかり世界史」とやらは、まったくの団体客向け、タカラヅカなんか見たこともない一見さんのためにやっているんだろうか?

 次に出てくるのが「フランスだから」とルイ16世とマリー・アントワネット。「この劇場のみなさんがいちばんよくご存じの」と。
 えーと。
 さっきの水戸黄門で、ヅカファンを敵に回したよね? 「ヅカファンなんかいらねー、団体客や一見さんさえ喜べばいい」って言ったよね? 退団者のしゅうくんにこの水戸黄門をやらせたことでも、ヅカファンにケンカ売ったよね? 組子を愛し見守るタカラヅカの伝統を鼻で笑ったよね?
 でもそのタカラヅカを見たことのない団体客は、『ベルばら』のパロディを理解できるのか?

 ルイ16世にしろアントワネットにしろ、台詞も歌も『ベルサイユのばら』を熟知してること、を前提にしてある。
 フランス史になんの興味も知識もない人は、名前くらいは知っていたとしても、アントワネットがいつの時代の人かも知らない。「早わかり世界史」と銘打って出てくるのだから、アントワネットがこの『仮面の男』の時代の人だち思ってもおかしくない。
 なんの予備知識もない一見さんを混乱させるだけの演出。
 かといって、ヅカファン向きでもない。水戸黄門でファンは切り捨てられたあとだし、こんなギャグはタカラヅカ的ではない。

 つまり、一見さん向きですらなく、ヅカファン向きでもない、ただやってみただけ、のウケ狙いだ。
 このウケ狙いが成功しているならいい。しかし盛大にすべっている。
 内容的に不要で、「ウケる」ためにやったことが、観客に喜ばれるどころか「不快」と受け取られている。百害あって一利なし。バカじゃねーの。

 アントワネット登場で、「時代」的にわけわかんなくなっているところへ、次がジャンヌ・ダルク。
 MCのモリエールがナレーターばりの明瞭かつぜつならともかく、わたしの耳ごときでは1回で一言一句完璧に拾えない。はたして、演劇を見慣れていない、タカラヅカの男役発声を聞きなれていない一見さんたちは、どこまでモリエールの台詞を聞き分け、その内容を理解しているのだろうか。
 アントワネットとジャンヌ・ダルク、そしてルイ13世の時代が別であることを理解できるのだろうか。
 水戸黄門の時代から何十年か未来の話をされ、次に何百年か過去の話をされ、それからまた水戸黄門に戻ったんだって、わかるんだろうか?
 てゆーかジャンヌ・ダルクとか、おじーちゃんおばーちゃん知ってるの? 小学生は知ってるの?
 わたしには、この行きつ戻りつする「早わかり」がまったく理解できない。ヅカヲタだからアントワネットもジャンヌ・ダルクも知ってるけど、「フランス有名人紹介コーナー」ではなく、「早わかり世界史」と銘打っている以上、わけがわからない。
 だってちっとも「早わかり」じゃない。素直に「ルイ14世の時代はこんなですよ」と言えば済むことなのに、わざわざいらんことをしてわかりにくくしている。

 だからこの場面は全否定する。

 続く。
 こだまっちの自己顕示欲による、悪趣味パフォーマンス発表会に成り下がり、物語として機能していない『仮面の男』

 これを最低限の変更で、最低限の物語の筋を通すには、どうすればいいか。
 よくあるじゃん、マッチ棒パズル。「下図のマッチ棒で作られた四角形を、三角形に変更してください。ただし、マッチ棒を動かしていいのは2本だけです」みたいな?
 できるだけ少ない変更で、別のモノを作る。うーん、せめて3本動かせたらこうできるのに、2本だけかあ、難しいなあ、みたいな?

 今の『仮面の男』のストーリー部分の大きな問題点は3つ。

・主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係
・ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻
・三銃士のフィリップに対する利己的さ

 他にも問題は山ほどあるが、今は無視する。あくまでも、いちばん大きな問題点のみに焦点を当てる。
 原作とか映画とか関係なく、あくまでも今の『仮面の男』の流れを正すことのみを考える。

 この3つの問題を、ふたつの場面を追加することで、解消する。


1.三銃士とフィリップの交流

 カーテン前の短い時間でもいい。三銃士が「仮面の男」フィリップに触れる場面を作る。

 なにしろあのルイの双子の兄弟だ、どれほどひどい男かと思うだろう。何年も仮面を付けて投獄されていたんだ、その経験が人格にも影響を与えているだろうし、どんなまぬけな臆病者か、ひねくれた粗暴者かと思うじゃないか。
 それが、助け出されたフィリップは、ものすごく素直で優しくて、物事に感謝し三銃士を尊敬し、誰が見ても「ええ子や……」とほろりとするよーな男の子だった。
 ああ、この子が王だったらいいのに。フィリップが王ならば、きっとたくさんの人が幸せになれる。
 そう思わせてくれないと、ルイとフィリップを入れ替える意味がない。

 短い時間で、カーテン前で表現可能だと思うよ。
 脱獄のドタバタのあと、アトスの「次に鉄の仮面をかぶるのは……!」の台詞のあと。
 アトスが本舞台に戻り、反対側からフィリップとポルトスとアラミスが登場。
 フィリップは仮面ナシなのも外に出たのもはじめてで、おどおどきょろきょろしている。
 アトスはルイを憎んでいるので、最初フィリップへの目線はキツイ。「本当にルイに瓜二つだ」と、台詞でもわかりやすく観客にトップスターのひとり2役を説明。
 そのルイと同じ顔でフィリップは、助けられた感謝を告げ、ルイのことを悪く言う三銃士に対し「弟を責めないでやってほしい。国を守るために仕方なくやったことなんだろう」と言う。こんな仕打ちをされてなお誰も憎んでいない、フィリップの天使っぷりをアピール。
「でも、心配なんだ。牢獄で囚人たちの話をいろいろ耳にした。弟は良い政治をしているんだろうか。なにが誤解や行き違いがあって、行き過ぎた政治をしているんじゃないか?」……囚われの身でありながらも、国のことを心配している、彼こそが王に相応しい人物であることをアピール。
 最初は厳しい目つきだったアトスもだんだんやわらいでゆき、「それならば君がルイに代わって王になり、このフランスを治めるんだ」とつなぐ。
 思ってもみない展開に驚くフィリップ、宮廷のことも帝王学もなにも知らないと言うフィリップに、三銃士が「任せろ」と言う……フィリップの紳士教育を描く時間はないだろうから、「これから三銃士とフィリップの蜜月があった」と想像させるだけでいい。
 カーテン前の数分の場面で、なんとかなるだろう、三銃士とフィリップ。

 フィリップが怯えて逃げ出そうとし、アラミスに笑顔で恫喝される、今の演出ではなく。
 フィリップの性質の良さに惚れ込んだ三銃士が「君こそが王に」と言い出し、フィリップが怯える→アラミスが「自分の運命を受け止める云々」という話をする→フィリップの銀橋の歌、という流れに。


2.ルイと入れ替わったフィリップの生活

 ここは腹を決めて1場面ちゃんと作る。
 ルイーズに正体を明かしたその次あたり。ダルタニアンはふたりの会話を盗み聞きしていないってことで。
 王となったフィリップは、今までルイがめちゃくちゃやっていたことを全部正していく。
 驚きおののく臣下たち。それまでの場面で「ルイの悪趣味」として使われていたいろんな人たちが、そのときの姿で登場するが、フィリップは全部否定。人間ボウリングもやらないし、淑女選びもしない、それよりも会議をしよう、見直したい政策がいろいろある……と言い出す。
 ここで否定するために、悪趣味場面があったんだ、と思わせる。こだまっちパフォーマンスの数々に、意味を持たせるんだ。ストーリーと関連づけるんだ。
 国王が双子であることを知るのはほんのわずかな人々、真実を知る悪者たちだけが「まさか……!」と思い、画面の隅であわてふためく。
 それを見てダルタニアンが、ルイに双子の兄弟がいることを知る。
 しかし、フィリップの王ぶりはなかなに好ましい。ルイーズもダルタニアンも、フィリップに惹かれていく。
 かなりたくさんの人たちを使った、にぎやかな場面にすることができるだろう。

 こだまっちはダルタニアンを悪役として描き、クライマックスで「実は正義の人なんだよ!」とどんでん返しをしたいらしい。ただし、もれなく失敗している。
 今の『仮面の男』にて、自分に都合のいいときはルイの悪政をスルーしていたくせに、ルイが仇だとわかるなり「悪政を行ったから」とルイを糾弾するダルタニアンはあまりに卑怯だ。ダルタニアンの見せ場のはずが「どの口が言うんだ」とあきれかえってしまう。てゆーか、フィリップと初対面なのに、彼が悪政を行わない保証なんかどこにもナイだけに、ルイを廃する理由にもならないっつーの。
 だから、この場面を挿入し、偽物のルイに気づきながらも黙っているダルタニアンをミステリアスに、なにを考えているかわからないように演出する。
 最後の最後、どんでん返しで「気付いてて黙っていたのは、フィリップの方が正しい王だと認めていたからなんだ!」とあとから思い返して納得させる。

 ルイと同じ顔だけど、ルイとはチガウ。ルイの悪趣味をひとつずつ否定していく様を間近で見ることで、ルイーズはいちいち驚く。そして、ひとつフィリップがなにかするたびに、彼はルイーズに頷きかける。ルイの間違いを正すことが自分の使命、また弟のしでかしたことへの償いなのだと。
 最初は頷きかけられるたびに背中を向けたりしていたルイーズが、徐々にフィリップに、舞台の中央に近付いていき、最後は彼の手を取るところまでいく。
 実際に歩み寄る、手を取る、というわかりやすい行動で、彼女の心が動いていく様を表現。……なにしろこの1場面しかナイので、わかりやすさ第一(笑)。

 この場面の最後に、花道あたりを使って、フィリップの善政のために権力が弱まりつつあるルーヴォアが「あれは偽物だ! 実は陛下には双子の兄が……」とダルタニアンに打ち明け、ミレディが「本物の陛下は三銃士の家に囚われている」と告げ、ダルタニアンが飲んだくれている三銃士のもとを襲撃する場面へつなげる。


 大きな場面ひとつと、カーテン前ひとつ。
 これだけで3つの問題点は解消できる。
 これを入れるために、本筋とは関係ないこだまっちのパフォーマンスをひとつ削るか、短縮すればいい。それ以外の本編はそのまま再利用。
 とってもエコロジー、労力少なく『仮面の男』を救済する方法だと思うんだが。
 時間さえあれば、もっともっと変更したい部分はあるけれど、正直山ほどあるけれど、とりあえず、最低限の変更で、「物語」を救う方法。
 批判相次ぐ『仮面の男』、まず新人公演にて演出が変更された。
 新公のお遊びやフリースペースを超えたガチな「修正」っぷりに、新公演出家云々よりも、劇団の意志を感じた。
 何故なら新公で変更された部分が、いわゆる「苦情が多いであろう場面」にのみ集中していたためだ。
 そしてその変更の仕方が、変更というよりは「修正」、間違った部分を上から修正液で消しました、というだけのものだった。
 先月まで放送されていたNHKの『おひさま』という朝ドラで、終戦後の小学校にて、教科書の文章を墨で塗りつぶすシーンがあったんだが、ソレを思い出した。間違っている箇所を上から塗りつぶす。でも、教科書自体はそのまま。子どもたちは墨で塗りつぶされて文章のつながりも筋も、なにがなんだかわからない教科書を、とりあえず使い続ける。

 間違ったところを塗りつぶして見えなくしたからといって、その本が「正しいモノ」になるはずがない。
 新しく本自体、別のモノを用意しなきゃ。
 塗りつぶしだらけのものを「商品」として売るなんて、ありえない。

 また、こだまっちの自己顕示欲による「本筋と無関係なパフォーマンス」は、たしかに間違った悪趣味なものなんだが、これこそが『仮面の男』の中心だ。
 こだまっちは芝居もミュージカルも、宝塚歌劇も作る気はなく、「自分のアイディア発表会」だと思って『仮面の男』を製作した。
 その前提が間違っていることは言うまでもないが、現実問題、そうやって作られた『仮面の男』が目の前にある。
 だから、こだまっちの「自分のアイディア発表会」部分のいちばん尖った派手な部分のみを「修正」すると、残ったものは芝居でもミュージカルでも宝塚歌劇でもない、ただの「アイディア発表会」の残骸だ。

 新人公演は修正液で塗りつぶされただけの、ひどいものだった。
 派手な部分、もっとも力を入れて演出された部分を「とりあえず、怒られないようにお茶を濁した」だけで、本質の改善はされていない。
 地味で退屈だった。
 本公演の悪趣味さは唾棄すべきものだったとしても、臭い物にフタをして「努力しました」とうそぶくサマは誠意がない。
 まあソレが宝塚歌劇団と言えばそうなんだけど。

 それでも絶対に非を認めない劇団が間違いに気づき、「修正」しようと腰を上げた、そのことのみを評価した。
 「修正」だけで「変更」しないことに肩を落としたけどなー。


 そしてついに、東宝では演出が「変更」されると発表された。
 先日配役が新たに発表され、消えた役や新しい役があり、「修正」ではなく本当に「変更」する気なのだとわかった。

 そのことは、心から評価したいと思う。
 前代未聞のことを、よく踏み切ってくれたと。

 しかし。

 ごめん、期待より、不安しかない(笑)。

 単に苦情の多かった場面を別のどーでもいい毒にも薬にもならない場面に差し替えるだけなんじゃないのー? と。
 『仮面の男』を救うには、本格的な外科手術が必要。外側だけ繕っても無理。

 こだまっちが芝居でもミュージカルでも宝塚歌劇でもなく、「アイディア発表会」だと思って作ったんだ。
 これを芝居に、ミュージカルに、宝塚歌劇にするためには、「物語」を追加するしかない。

 10月9日欄(http://koala.diarynote.jp/201110110222366312/)で、物語部分の歪みについて書いた。

・主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係
・ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻
・三銃士のフィリップに対する利己的さ

 この大きな3つの間違いは、「物語」が少なすぎるせいで起こった。
 本来ストーリーを描いていてしかるべき部分で、こだまっちがアイディア発表会をやっていたため、時間がなくて全部削られた。
 いらんパフォーマンスを削り、きちんと主軸たる物語を描く。芝居としてミュージカルとして宝塚歌劇として、当たり前のことをやる。

 「早わかり世界史」なんてやってるヒマがあったら、今回の物語の前知識として必要な、三銃士とダルタニアンの説明をする。当時の日本がどうだったかより、実際の物語の舞台説明をしろ。
 主人公はフィリップだ、人間ボウリングなんぞやっているヒマがあったら、彼の背景だの人となりを表現しろ。
 三銃士は無銭飲食しなくても、権力と縁を切り、おかげでおちぶれた生活をしていることは表現できるだろう。というか、『H2$』パロをやっているヒマがあったらアトスとラウルの兄弟愛を描け。

 足りないのは、「人と人との関係性」だ。

 フィリップとルイーズが心を通わせるために、時間やエピソードが必要。
 「仇と同じ顔」のフィリップにルイーズが惹かれていく、それをきちんと場面を作って表現するべきだ。
 ダルタニアンの悪に整合性を付けるために、時間やエピソードが必要。
 ルイの暴君ぶりを本当は苦く思っていること、フィリップの人間性を認めていること、それらのことが最終的に、ルイを廃してフィリップを王座につけるラストにたどり着かせる。
 三銃士がフィリップを道具扱いしないだけの、フィリップと過ごす時間やエピソードが必要。
 三銃士はフィリップをどう思っているのか、王に相応しい人物だと思うからルイと入れ替えるのか、それとも単に殺しても惜しくないから偽物として人身御供にしたのか、きちんと描くべき。

 些末なことには目をつぶり、最低限コレだけあれば、まだ救われるのに、と思う。
 わたしがもしもたった1週間のお稽古期間で『仮面の男』を「変更」するとしたら、優先順位をつけてまず、2つの場面を新しく挿入する。

 全編作り直したいとか、他にも他にももっと変更を!と思うけれど、そうではなく、これからすぐにでもできる、極力変更に伴う労力を抑えて、今の『仮面の男』を救う方法。
 まず、ふたつの場面を挿入。
 それだけやってみて、まだ変更する時間があるなら、さらに別の場面を……と付け加えて行くにしろ、まず最低限の変更を考えてみた。

 ってことで、続く。
 わたしは、音月桂の主役が見たかったんだ、と、最近とみに思う。

 キムくんのことは昔からその実力を買っていたけれど、それにしても彼が主役を張ったときの能力はすごいなと。
 駄作を引き上げる力。バラバラな断片でしかないものを、力技でひとつにまとめ、見せてしまう力。

 出番も見せ方もなにもない、脇役だと能力を発揮できない。
 ほんの端役で勝手にソレをやったら、ただの舞台荒らしだ。
 ある程度の真ん中の役でないと。

 また、ガチガチにまとまった、フリースペースのない役だと、主役だとしてもそれ以上ヘタに広げられない。
 勝手にソレをやったら、ただの空気読まない人だ。

 主役か、それに近い比重の役で、役者の個性や表現力にゆだねられている作品において、音月桂は彼独自の魅力を発揮する。
 脚本にあるだけのモノではない、もっと深い、大きいモノを作りはじめる。

 たとえば、新人公演『スサノオ』。
 本公演とはまったく違った、キムの『スサノオ』という物語がそこにあった。

 たとえば、ぶっ壊れ作品『さすらいの果てに』。
 もうひとりの人が先に同じ役、同じ作品をやっていたときは、全編大爆笑のおバカ作品でしかなかったのに、キムが演じるとふつーにアリなレベルの作品に立て直された。

 たとえば、いろいろなオギー作品。
 キムがその個性のままに野蛮な毒を全開に、いろんなキャラクタを表現し、物語を多面的に盛り上げていた。

 そして彼がトップスターになって。
 『ロミオとジュリエット』『黒い瞳』『H2$』……そして、『仮面の男』と、キムはその「真ん中の演技力」を自在に見せつけている。
 『ロミジュリ』と『黒い瞳』は作品もキャラクタも良いのだけど、それにしたってキムくんが演じることでさらにその役の内面が膨らみ、わたしの想像力を刺激した。
 『H2$』も『仮面の男』も作品もキャラクタもまーーったく好きじゃないけれど、キムくんだから作品を置いておいて、彼単体では愛すべきキャラを見せてくれている。

 わたしにもっと、主役の音月桂を。
 彼が創る物語を、キャラクタを見たいんだ。

 作品自体のデキはともかくとして、『ベルばら』や『花供養』や『やらずの雨』みたいなガチガチに縛りのあるキャラクタじゃダメ。
 構成的にもぶつ切りっちゅーか結構荒い作りで、その空白部分をキムが埋め、膨らませることのできる作品で、根っこに流れるテイストがわたし好みだったらいいなあ、と。

 で。
 来年の雪組のラインアップが発表された。
2011/10/11

2012年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<3月~5月・雪組『ドン・カルロス』『Shining Rhythm!』>


10月11日(火)、2012年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚大劇場、東京宝塚劇場の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。

雪組
■主演・・・(雪組)音月 桂、舞羽美海

グランド・ロマンス
『ドン・カルロス』
~シラー作「スペインの太子 ドン・カルロス」より~
脚本・演出/木村信司

16世紀のスペインを舞台に、スペイン王子ドン・カルロスと王子を愛する女官レオノールとの恋を軸に、かつてドン・カルロスの婚約者で今ではドン・カルロスの父親フェリペ2世と結婚したイサベルをめぐる父子の思い、フランドル(オランダ)の解放を訴える友人とドン・カルロスとの駆け引きなどが、ドラマティックに展開する作品です。愛と政治をめぐる葛藤を通して、一人の青年が成長する姿を描き出します。

グランド・レビュー
『Shining Rhythm!』
作・演出/中村一徳

「光」「影」「ときめき」「喜び」、そして「情熱」「躍動」をテーマに、パワフルかつ幻想的に織り成す、ダンシング・ショー。雪組のショースター、ダンサー、シンガーたちが、心弾むリズムに乗せて、輝く舞台をお届けします。

 キムシン、キターーー!!

 構成的に穴だらけ、でもアテ書きでキャラのハマリっぷり半端ねえ、キャストにいろいろ丸投げで魅力全開底上げさせるさせる作家が来ましたよ!

 キムシン・オペラは大好物です。
 どれももれなく泣けます。

 そして、キムシン作品のキムは大好き。
 『スサノオ』本公演のヲカマちゃんはともかくとして(笑)、新公のスサノオ。新公の演出もキムシン自身だもんね。
 加えて、わたしの大のお気に入り作品『君を愛してる』のフィラント!! ああフィラント。今思いだしても心震える、大好きだ。やっぱりいちばん好きかも……! ロミオもニコライも好き過ぎるんだけど、フィラントも甲乙付けがたい。

 またしてもキムシンでキムくんが見られるなんて。わーいわーい。
 ああいっそ、『炎にくちづけを』レベルのモノが観たい。
 あんだけ衝撃的なモノはそうそうナイからなー(笑)。
 初日に満員の大劇場で人混みの後ろから立ち見して、その衝撃にしばらくぼーぜんとしてたもんなー。友人のkineさんと「すげーもん観た」と頷き合い……。

 キムシンは『炎にくちづけを』が最高濃度で、あとは薄くなる一方。つまんない。
 あれくらい濃ゆいキムシンが観たいよー観たいよー観たいよー。

 でもって、お願いキムシン。
 甲斐正人先生と組んでください。

 キムシン・オペラには甲斐せんせの音楽が必要なんだってば!!
 長谷川せんせの曲はきれいだけど退屈なのよー、地味なのよー。
 『虞美人』や『バラの国の王子』だって、甲斐せんせの曲ならもっと違っていただろうに……。

 もう甲斐せんせとは組まないのかなあ。『鳳凰伝』も『王家に捧ぐ歌』も『スサノオ』も『炎にくちづけを』も『暁のローマ』も『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴』も、甲斐せんせだからこそのパンチのある音楽だったのにー。
 歴史に残る珍曲(笑)だって、甲斐せんせならではだったのに。

 カムバック、黄金コンビ。


 ショーの中村Bには特にナニも……。
 どーせいつもの中村B。

 だけど、「上から順番、1、2、3」の中村Bなら、まっつを3番手扱いしてくれるのかなあ。
 サイトーくんはまっつが(暫定であろうとも)3番手だって知らなかったみたいだし……(笑)。


 同時に星組さんの3月公演が発表された。すずみんバウとれおんくんのコンサート、どちらも楽しみっす。
 わたしの中でスズキケイ株が暴落しているので、バウの演出がまたしてもスズキくんだっつーだけが不満かな(笑)。
 素朴な疑問なんだが、世の中の人ってどれくらいフランス語がわかるの?

 無知無教養なわたしは、フランス語なんてちんぷんかんぷん。英語すらよくわかってないし、この通り日本語だって相当自己流、雰囲気で通しているアヤシイ人だ。

 だから、『仮面の男』でフランス語が出てくるたびにちんぷんかんぷん。
 まず音として聞き取れないから、なにを言っているかわからない。
 それがフランス語だとも初見では判断つかないから、「今なんて言ったんだろう?」「日本語だよね? なんで聞き取れなかったのかな?」「うーん、でも、ナニかカタカナ語だった気がする? でもなんで突然カタカナ語?」「ひょっとしたらフランス語かな?」「だとしても、なんでフランス語? ここ、日本なのに?」てなもんですよ。

 や、わたしもメルシーとかトレビアンとかボンニュイとかアムールとかはわかります。
 でも「Un Pour Tous,Tous Pour Un」はわからなかった。だってさっきまで「Howto succeed」って歌って、「みんなBrother」って歌ってるから、耳というか心が勝手に「カタカナ語は英語」という心構えになっていたし。
 巨大メガホンが叫んでいる言葉もわかんなかったし、Mon dieuすらわかんないし、ましてや、Joyeux Anniversaireなんか、マジ一度も聞き取れなかった。文字で見れば「あにばーさりー?」とわかるけど、発音が「ジョワイユーザニヴェルセール」ぢゃ、なんのことかまーったくわからん。

 わたしが無教養で恥ずかしいだけなのかもしんないけど、世の中の人はみんなこれくらいのフランス語は日本語と同じくらいに聞き取れて意味がわかって、日常会話で使ったりしているの?
 たとえば10歳の小学生も70歳のご婦人も、初見で「ジョワイユーザニヴェルセール」って聞き取れて「お誕生日おめでとうって言ってるのね」ってわかるもんなの? 前後のつながりから想像するのではなく、音として聞き取って、意味が日本語と同じくらい理解できているの?

 無知なわたしは、ワケワカンナイ音が出るたびに苛々した(笑)。

 ここは日本だ、日本語で言え! と。

 日本はいろんな外来語が和製英語っちゅーか、日本語と同等になって使われている、柔軟な国だ。
 だから簡単なフランス語を日常会話として使うのはアリだろうと思う。
 でもさー。

 『仮面の男』に関しては、無意味に使われているとしか思えない。

 フランスっぽさを出す、という意味で使われているとは思えない。
 むしろ聞きたい。フランス語使えばフランスっぽいのか?
 フランス人が「釈迦に説法」と言い出すとほほ感とは別に、なんでもかんでもフランス語さえ使えばよし、という考え方はどうかと思う。

 舞台はナマモノだ。
 DVDや本のように「今わかんなかった、巻き戻して(戻って)もう一度」ができない。
 まず「わかりやすいこと」が必要。

 タカラヅカが大衆演劇である以上、客席にいる10歳の小学生にも70歳のご婦人にも同じように台詞の意味が伝わらなくてはならない。
 「なに言ってんのかわかんない。だって日本語じゃないから」という脚本を書く、というところからもお、信じられない。

 それがどうしても日本語では表現できない、フランス語の微妙なニュアンスと発音が物語のこの表現に必要なのだ!! という、確固たるこだわりがあるなら、仕方ない。
 そうでなければ、日本人向けの日本語作品なんだから日本語を使えと思う。

 わたしが言語コンプレックス(笑)を持つからだっつーよりも、ひとりの人間として、創作者としてのこだまっちに引っかかっているため、ここまで苛々するんだと思う。

 つまり、この意味のない(と、わたしが思う)フランス語使いはこだまっちの自己顕示欲に他ならないと、感じているからだ。

 演じている生徒たちよりも、宝塚歌劇だということよりも、物語よりも、ただひたすら「私の才能を見て! ほめて!」とまったく無関係な悪趣味パフォーマンスを繰り返す、それと同じところに発生した事象だと思うためだ。
 演じている生徒たちよりも、宝塚歌劇だということよりも、物語よりも、「フランス語を使う私ってかっこいー!」と悦に入っているこだまっち……というイメージがわくためだ。

 本当に物語に必要ならば、生まれてはじめて対面した母と息子の感動的な場面、フィリップ@キムが涙をこらえながら母に語る言葉を、「ジョワイユーザニヴェルセール」にはしないはずだ。
 観客のほとんどは、フランス語より日本語の方が、より多くの情報を得られる言語感覚の人間だからだ。

 脚本にある、無駄なフランス語にいちいちカチンと来ていたんだが、この場面のフランス語でどっかんと腹を立てたな(笑)。
 ふざけんな、と。

 表現を、創作をなめんな。
 こんなレベルの人間が、モノを創るな。

 と、思いました。
 自分がアタマ悪いもんだから、わたしならわたしが理解できるふつーの日本語でしか、「人に伝えたいこと」は発信しない。という観点で、わたしがわからない「音」を使うこだまっちに反感を持ちましたの。
 そうか、「伝えたい」と思ってないんだ。「えらい私をほめて」と言いたいだけで、物語を伝える気はないんだ。

 こんなのはわたしだけで、わたし以外の日本中の人は「こあら、恥ずかしい。この程度のフランス語も聞き取れなくてわからなくて、逆ギレしてる」と思うのかもしれません。
 でもわたし、わたしがフランス語ぺらぺらで日本語と同じように理解できていたとしても、こだまっちの無意味なフランス語連発には反感持ったと思うよ。だってここ、日本で、日本人相手に商売してるんだもん。 
 たとえば仕事で書く文章で、意味もなくフランス語を使ったら、それがわかる・わからない以前に「これはどうしてもフランス語でなくてはダメなの? 前後のつながりもないし、日本語で書いてはいけないの?」と上からチェックを入れられるし、「誰もがわかる言葉・表現」に書き直しをさせられると思う。だって、「人に読んでもらう」ことを前提に書くのだから。

 マンガに出てくる、洋行帰りとか帰国子女とか、片言カタカナ語をこれみよがしに使って悦に入るキャラみたい。そーゆーキャラはそーゆー部分を揶揄するためにあるわけだが、ソレをリアルでやるこだまっちってどんだけ空気読めないのかと。

 とりあえず、フィリップの台詞は日本語にしてくれ。
 そして、三銃士に日本語でキメ台詞を言わせてくれ。
 『仮面の男』の演出が、正式に変更されるそうだ。
 「歌劇」2011年10月号の「夢・万華鏡」において、小林公一氏が「多くのお客様から厳しいご意見を頂いた」ので「東京公演では場面を変更する」と明言。
 ムラ公演から東宝公演での変更は今までもいくらでもあったが、それはあくまでもブラッシュアップの意味であり、「劇団の正式発表のもと、苦情により変更する」わけじゃない。
 前代未聞、空前絶後。

 わたしは初日に『仮面の男』を観劇し、

> たぶんこんな公演、最初で最後、二度とない。
> 宝塚歌劇団の名にかけて、二度と繰り返してはならない(笑)。

 と書いた。まさかほんとに最初で最後、東宝にも行かない公演になるとはなー。
 あの劇団に変更を余儀なくさせたほどの問題作だったんだな。すげえなヲイ。
 歴史が今動いたって感じだな。
 たかだか四半世紀に満たないヅカヲタ歴だけど、公式に変更が発表されるなんて、はじめてのことだもの。

 もっともわたしは、『仮面の男』について、あまり語っていない。
 「これはミュージカルでも芝居でもない、遊園地のアトラクションだ」と言ったのみで。
 いちばんの問題はソレで、それが解決しない限りナニを言っても無駄っちゅーかそもそも話の次元がチガウ、ということで、物語自体には触れなかった。
 遊園地のアトラクション相手に、ストーリーが!とかキャラクタが!とか語るのも馬鹿馬鹿しい。ライドに乗って人形がくるくる回っているのを眺めているのと同じノリなんだもの、演劇と同じ土俵で語れるかっつーの。

 そう、食べられないものを「料理」とうそぶいてテーブルに並べるのと、「まずい料理」はチガウ。
 『仮面の男』はそもそも食べ物じゃないから「ふざけんな」と言っているのであって、味の話はしていない。

 だが演出変更される、という事実に期待よりも不安しか感じないので、味についても語っておこうと思う。


 こだまっちのトンデモ演出を除いた、物語の本筋部分。
 トンデモ演出にかまけておざなりになっているから、本筋の描き方が多少アレでもスルーして来たが、それにしたってひどいぞ。

 まず、主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係。
 時間経過や出来事の描写ができていない上、ふたりの心の交流が描かれていないために、ラウルという恋人を殺された直後にルイーズは心変わり、あっさりフィリップになびいているように見える。
 ナニこの尻軽ヒロイン。

 次に、ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻。
 ダルタニアンは恋人コンスタンスの仇を取るために、あえて権力側に留まり、犬となっている。ここまではまあ、いいとしよう。真犯人さえ捕まえれば改心していい人になる余地はあるし、復讐の鬼となった自覚はあるのだから。
 そうまで盛大に苦悩していながら、ダルタニアンの目の前で実行犯は証拠のペンダントを平気で胸からぶら下げていたのに、何年も何年もまーーったく気付いていなかったというまぬけさは、彼の男ぶりを著しく下げているが、それもまあいい。
 いちばんの問題は、真犯人がわかったあとの、彼の変心だ。
 国王ルイが暴君であること、平気で人殺しをしていることは、今まで見て見ぬふり。ダルタニアンにとって他人が殺されるのはどーでもいいことだった。
 が、恋人のコンスタンスを殺したのがルイだとわかった。その途端、「悪い王だから」という理由でルイを王座から追い落とし、同じ顔のフィリップを国王にする。
 フィリップはほんの数時間だけルイと入れ替わっていた。この入れ替わりにアホウなダルタニアンは気付いてなかったくせに、立ち聞きで真実を知り「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」と恥ずかしいことを言って観客を失笑させているが、まあそれもいいとして。
 ルイとフィリップが入れ替わっていたのは、ほんの数時間。フィリップがどんな人間であるか、ダルタニアンは知らない。
 なのに、ルイが恋人の仇だから、という理由だけで社会的に抹殺、国を治める人間をフィリップにする。
 フィリップが、ルイ以上の異常者だったらどうするよ??
 ほんとにダルタニアンには、他人なんか国なんかどーでもいいらしい。自分のためにルイの暴挙をスルー、自分のためにルイを追放、自分のために適性のまったくわからない男に国を任せる……そして、口ではいつもキレイゴト、ダルタニアン、卑劣すぎ。

 3つ目は、三銃士のフィリップに対する利己的さ。
 無銭飲食をしてお上に咎められると剣を抜いて暴力や殺人で片を付けようとした、登場シーンからして彼らが利己的な犯罪者気質であることはわかる。
 だからある意味筋が通っているのかもしれないが、はっきりいって三銃士のフィリップへの態度は、ひどい。
 国王の双子の兄弟だということで、仮面を付けられ幽閉されていた哀れなフィリップ。このフィリップを助け出したのは三銃士である。恩人である。だからって、その恩を笠に着て、したい放題。
 アトスの弟の仇であるルイと同じ顔をしている、というだけで、ルイを陥れる道具としてフィリップを利用する。
 ふつーに考えて、牢につながれていてろくな教育も受けていない青年を、いきなり王様と入れ替えられるわけがない。顔が同じでも気付かれるって。
 だから三銃士の目的は「ルイの誘拐」でしかない。王座にいたんじゃ復讐できない、絵画を贋作とすり替えて盗むのと同じ。ルイを手元で嬲り殺すために、その場しのぎの偽物が必要だった。だから同じ顔をしたフィリップを使う。どーせすぐに偽物だとばれるだろーけど、そのころ三銃士はルイを連れて逃げているから無問題。
「顔が同じだから、王様にすり替われるって!」
 と言うアラミスに対し、フィリップは至極当然のこと「そんなの無理だ!」と訴える。泣いて怯えるフィリップに、アラミスはいい笑顔で、
「失敗したら、それはそのときのことだ。(君が殺されるだけで、私たちは関係ないし☆)」
 ……ひでえええっ。アラミスひでえええ!!
 アラミスとフィリップの会話シーンが「なんかいい話」「なんかいい場面」として描かれているのも、恐ろしい。ちっともいい話でもいい場面でもないよ、アラミスが言ってることって、フィリップを道具として利用して、その命なんかどーでもいい、って笑顔で語ってるんですけど?!
 語っているのはアラミスだが、これが三銃士の総意なんだろう。ルイさえ暗殺できれば、フィリップもフランスもどーでもいいという。

 どこまで可哀想なんだフィリップ……。
 ずーーっと虐げられてきた彼は、感覚が麻痺して、そんな仕打ちをされてなお「これがボクの運命……」と思ってるんだよねええ。
 「殺されるかもしれないのに、なんだか楽しそう」とルイーズに言われるくらい、酷い目に遭いまくって、正常な感覚がなくなってしまっているんだ。


 物語部分がここまで破綻しているのは、どーでもいいこだまっちのスタンドプレイ場面を描くために、物語を描いていないため。
 だから破綻していても、言及しなかった。

 でも変更して不要だったどーでもいい場面がなくなっても、この物語の根幹部分の間違いが正されなければ、結局のところ「変更するだけ無駄」だったってことだよ?

 そして、そうなりそうな悪寒がしているんだ(笑)。
 爆笑しました。

 いやー……ここまで本気で笑ったのって、声上げたのって、いつ以来……記憶にない……それくらい、本気で笑った。悲鳴みたいに笑った。

 『インフィニティ』ポスター画像を見て。

 そのときわたしは親の家にいて、母とあれこれ取り込んでいて、猫2匹は二本足で立って前足と噛みつきでボクシング+プロレス中だし、父はひがみっぽい傍観者となってぐちぐちうざいことをゆーてるし、といろいろもつれていたんですが。
 ちゃららちゃらん、とヅカソングが鳴り、あらこの音はヅカ友からだわとろくに名前も見ずに電話に出ると、まっつメイトのぞふぃさんからで。

「まだ見てないの? まっつが……まっつが……(悶絶)」

 いや、今わたし親の家で……母、たしかパソコン点いてたよね? ちょっと貸して。
 母のPCがほんっとに動作遅くてさー。スリープから立ち上がるだけでもどんだけ時間かかるか。
 「遅い、遅すぎるっ」とひとのパソコン借りて文句を言い続けるわたし、「そんなこと言うけど……」と文句に文句を返す母、たぶんそんなやりとりが全部筒抜けなのに、黙って電話口で待ってくれているぞふぃさん。
 けっこーひどい状況で、それでも公式サイトへ行き、まっつバウの画像を見た。

 爆笑。

 母と父と猫2匹の前で、ヅカヲタ全開に、まっつヲタ全開に声を上げて笑い、ぞふぃさん相手にうきゃーうきゃー叫んでいた。

「リアルタイムで共有したかったのっ!!」
 と、親の家にいる(ついでになんか大変そう?な)ときに電話しちゃってごめんね、と言うぞふぃさんに、心から礼を言います、感謝っす!!

 共有できて良かったっ。叫ぶ。これは、叫ぶわーー!!

「あたしもー、ついて行きますっていうか、ついて行くしかないっていうか!!」
 まっつを好きすぎてつらい、というのが、ぞふぃさんの口癖(笑)なんだが、今回はそれにプラスしてうわごとみたいに繰り返してた。

 や、ほんとコレはすごいねっ。
 マジすごいねっ。

 こんな写真撮ったんだ、あのまっつが。
 あのクールで頑固で融通利かない人が、こんなことさせられて……。
 てゆーか、あの、ま っ つ に、こんなことさせたんだ。すげえよ稲葉。

 先行画像が出たとき、そのいわゆる「まっつらしくなささ」と、ダサさに軽く引いた(笑)。
 ノーブルな美しさ(と、地味さ)を持つまっつに、なにをやらしとんじゃい、と。まっつの魅力を表すのに、この画像はナイだろう、と。
 ダサいけど、それがまっつの写真である限り受け入れるし、まっつ自身は端正だったので、別に嫌でもなく、むしろそのダサさゆえに変な期待はあった。
 ぶっちゃけ、アレな方向に極めて欲しいと思った。

 先行画像がコレってことは、もうオシャレとか洗練とかは期待できない。
 ならば、半端に残念な物より、破壊力のある赤面系になってくれた方がなんぼかマシ。
 ポスターひとり写りはありえない。今までのポスター掲載人数を過去10年分ほど調べたが、ひとり写りはトップ候補のみ。劇団が期待していない生徒は質より量とばかりに多人数写りになる。
 だからまっつバウも数人写りだろう。今度タカスペに一緒に出る5人がバウのメインって意味だろうから、この5人でポスターに一緒に載るのかと思った。
 人数が多く載れば載るほど、デザイン的にオシャレにはなりにくい。むしろダサくなる。
 しかも、先行画像がアレ。あのテイストで、まっつコマきんぐあゆ翔が1枚のポスターに載る。
 ……想像するだけで、口の端がむずむずする。
 田舎ホストみたいな悪趣味な格好のコマきんぐ翔が、ちょーカッコつけて、元締めみたいなまっつを囲んで仁王立ち、みんなで一点睨んでます、とか。そこにひとりだけ場違いにメルヘンな格好のあゆっちがまざってたり、とか。
 ひと目見て「なんじゃこりゃあ!!」とか「昭和!」とか「ダサっ!」とか、「赤面!!」とか、そっち方面で期待していたんだ。

 ええ、そっちで爆笑する用意はできてましたのよ。絶対アレなポスターにちがいないって。

 現物は、想像のナナメ上を軽く行った。

 すっげえ。
 すげえよ。

 想像していたより、覚悟していたより、なお、変!!(笑)

 うっわー、おもしれええ。
 ありえねええ。

 なんか、いろんなものを壊しながら、未涼亜希・研14男役は「在る」んだな。
 1ファンの堅い思い込みなんか、どこを吹く風。
 今になってこんな、アホ全開な赤面路線をやってくれるとわ……っ。

 あー、えっと、上から3つ目の写真の「やらされてます感」「ちょっとテレがあります感」がまた、恥ずかしい仕上がりだ……(笑)。
 うわーうわーうわー。

 まっつの恐竜っぽい口元がことさら強調されてるとこも愉快だ。口閉じてると美人、開くとアレ……?なとこがまた、彼の魅力(笑)。

 しかしなんで1日早く出してくれないんだ。
 今日は家にいるのよ、昨日なら宙組初日観に行ってたのに! チラシ入手できたのに!!

「チラシよろしく!」
 と、東京在住ぞふぃさん。そっか、関西圏でないとバウのチラシは置いてないんだっけ?
 でもあーた、雪初日は行かない、だから会えないって言ってなかった? わたしが次東京行くのは初日(まだチケットも交通機関もナニも用意してナイ・笑)よ?
「初日、がんばって会いに行くから!」
 オレにじゃなく、まっつチラシにかい!(笑)

 いやともかく、今度一緒にこの赤面ポスターと記念撮影しようよ。ポーズまねっこして!!(笑)

 電話を切ったあとも、ひとりで「うわーうわーうわー」とうろたえまくり。
 父と母のドン引きした目がイタイ。でもキニシナイ!

 プロレス中の巨猫を1匹ひきはがして抱きしめて、狭い室内をぐるぐる。
「もういいから、帰りな」と母。今のわたしとは話にならないと思った模様。うん、もうなにも手につかない、まっつまっつまっつ(笑)。

 さいこーです、まっつポスター!!

 おもしろいー。笑えるー。恥ずかしいー。バカっぽいー。
 ここまで振り切ってくれると、いっそ楽しい!

 ここまで笑わせてくれてありがとう、稲葉せんせー。
 あとは本編に期待してます。
 宝塚歌劇100周年まであと907日!……という微妙なメッセージの書かれたカードをもらいました。907日って……ナニその半端すぎる数。
 宝塚歌劇100周年プレ企画「カウントダウンチケット」とやら。2012年11月17日にプレゼント抽選があるそうで……2012年て……今年の11月でもおぼえてる人少なそうなのに……。
 入口で手渡されたカードを見ながら、客席で失笑する人多し。劇団のやることは愉快だ。

 なにはともあれ、宙組公演『クラシコ・イタリアーノ』『NICE GUY!!』初日に行ってきました。

 どちらの作品もすげー退団公演仕様で、劇団にもいろいろあったんだろうなあと思いつつ、それでもゆーひさんを少しでも長く見ていられるなら良かったなと思います。
 前述の気の長すぎるカードだって、今年で終わる退団公演の初日に「来年抽選するからね」なんてもんを渡されたら寂しい思いをする人がいたと思うし。来年もいてくれるんだってことがわかっているから、来年の日付のカードも、気の長い話、で済む。

 しかしゆーひくんは前例を覆し続ける人だ。どこまで行くのか、楽しみでしょーがない。


 んで、『クラシコ・イタリアーノ』
 予備知識は極力入れてないんだが、景子タンでイタリアでアパレル界の話で、と、『シニョール ドン・ファン』がちらついて仕方なかった、観る前から。
 オープニングはまさに『シニョール ドン・ファン』、ゆーひくんの椅子がふつー過ぎてつまらないっ、とかそんなとこに気が行く。←『シニョ・ドン』ではハート形の派手な椅子がシンボルのひとつだった。
 女性のファッションショーだった『シニョ・ドン』に対し、『クラシコ・イタリアーノ』は男男男、スーツ祭。
 リカちゃんだと女祭、ゆーひだと男祭になるんだ! なるほど!

 現在のタカラヅカ1、腐女子需要のある男、おーぞらゆーひ、二次元の魅力全開。
 女不要の物語が、幕を開ける。

 てことで。

 すごかったっす。

 ヒロインは、汝鳥伶サマでした。

 さすが汝鳥サマ、『黎明の風』に続いて宙組大劇場公演でヒロインっすね!!
 物語の主軸がゆーひさんと汝鳥サマの愛憎と悔恨なの。んで、ふたりが和解したら幕が下りるの。なんつーシンプルさ。


 戦災孤児のサルヴァトーレ@ゆーひは、仕立て職人のアレッサンドロ親方@汝鳥サマに拾われる。居場所のなかったサルヴァトーレは、アレッサンドロのもとではじめて生きる意味を知った。ラヴラヴなふたりは毎日海辺でデート。共にひとつの道を歩んでいけるはずだった。
 しかし成長したサルヴァトーレはアレッサンドロと袂を分かつ。頑固一徹老職人のアレッサンドロと、多角的な展望を持つ若いサルヴァトーレでは、志へのアプローチが違ってしまっても仕方ないことだった。
 頑固っちゅーか心狭いアレッサンドロは、「よくもアタシを裏切ったわね、あんなに尽くしたのに! アタシのやり方以外は認めないわ、それをしないアンタは裏切り者よ!」と激怒、話し合いの余地もなくサルヴァトーレは彼の元を去るしかなかった。
 ナポリ仕立てのスーツを愛するキモチは同じであるはずなのに、すれ違ってしまったふたり。
 愛する人を傷つけてまで目指した道だ、サルヴァトーレはクールにビジネスで成功を収めていく。しかし彼の心は晴れない。彼が愛するのはアレッサンドロひとり。もう一生会えない、彼とのやさしい思い出は、いつも最後は「裏切り者!」と罵る彼の姿で終わるのだ……。
 本物のイタリア・スーツを世界に広めるため、アメリカ資本と提携することになったのだが、相手はなにしろアメリカさんだからさあ、情緒に欠けるっちゅーかね。職人の心意気やブランドの意義なんてものを認めやしない。大量生産! コスト削減! 拝金主義万歳!
 ここまで極端なポリシーを突きつけられてはじめて、サルヴァトーレは立ち止まる。俺の人生、コレで良かったのかと。
 さて、サルヴァトーレには妻のマリオ@みっちゃんという男がいた。アレッサンドロの元にいた兄弟弟子で、経緯すべてを知っている。まあ、アレだな、アレッサンドロと別れてボロボロのサルヴァトーレにつけ込んだのかもしんないけどな。空いた心の隙間にちゃっかり収まった「ナポリ育ちの頑固一徹職人」という、アレッサンドロに似た男だ。
 だがマリオもまた、サルヴァトーレとの生活に限界を感じていた。サルヴァトーレは何年経ってもアレッサンドロを忘れないし、このまま大量生産のアメリカ精神に染まるのなら、古いタイプの職人であるマリオは居場所がない。
 サルヴァトーレがいちばんつらいときに、彼を見捨てて笑顔で旅立っていくあたり、けっこーぴしりと報復してくれたんじゃないかな、マリオ。
 マリオとの破局と前後して、ひとりの男がサルヴァトーレに一目惚れ、猛烈にアタックをしていた。アメリカの映像業界人のレニー@かなめだ。学生時代の志を忘れ、なんとなくてきとーに生きていた彼は、サルヴァトーレに一喝されたことでフォーリンラブ、仕事そっちのけでサルヴァトーレに傾倒する。
 サルヴァトーレがアメリカさんとケンカ別れして取材対象ではなくなったのに、帰国を伸ばしてまで彼のために奔走する。
 レニーの献身により、アレッサンドロとサルヴァトーレに、和解が訪れる……。

 えーと、ミーナ@ののすみってゆー、どんくさい犬ころが1匹いたかな。サルヴァトーレを見ると小さなしっぽをぱたぱた振って必死になってあとを追いかけていたよ。サルヴァトーレはてきとーに犬のアタマを撫でながら、「犬か……なつかしいな、アレッサンドロとのデートでも犬を撫でたりしていたなー」と、過去の恋を思い出すばかりで、目の前のミーナ犬のことは、ちっとも見てなかった。
 アレッサンドロが亡くなり、ナポリで1からやり直すつもりのサルヴァトーレの前に、このミーナ犬がいて、すっころびながらもあとを必死になって追いかけてくるので、サルヴァトーレが「やれやれ、仕方ないから飼ってやろうかなあ?」とつぶやいたところで幕が下りた。

 ……こーゆー話でした、『クラシコ・イタリアーノ』。マジで。
 ゆーひさんの現在の妻(夫でもいいっすよ)がみっちゃん、でも破局。そこへ新しく現れて、すげー勢いでアプローチしているのがテル、でもゆーひの心は汝鳥さんのモノ。すみ花はその足元ですっころんでいる、という。

 すごい話でした。

 アテ書きって、すげえ。と、震撼しました。

 景子タンはあまりアテ書きせず、自分の好きなモノを好きに書く場合も多々あるんだが、これはアテ書きですよね。
 てゆーか、彼女のミューズであるところのゆーひさんへ、渾身のアテ書きをしたらホモばっかになったという、潔い話ですね?(笑顔)


 まあ、冗談はさておいて、楽しかったです。
 見た目にも美しかったし。

 おーぞらゆーひ最強。美は正義。と、思いました。
 『仮面の男』のアトス様@まっつのことで、書きのがしたことの拾い書き。
 今回恒例のまっつ語りをけっこう早い日程ではじめてしまった。初日の愉快な人から、どんどんシリアスで重い人になっていくあたり。
 そしたら公演が進むにつれ、彼の演技はシリアスからまたコメディ寄りに変わっていった。「あ、まだ書くのは早かったな」とアトス様語りは中断。千秋楽間際によーやく再開、という運び。

 それはいいんだけど、そーなると最初に書いてしまった部分は印象が変わってるんだよねー。
 つーことで、最初の登場場面あたりのアトス様のツボ語り。


 無銭飲食の是非はともかく、ここのアトス様は大変かわいらしい。
 「本の声」をことさら真面目に大仰に演じて見せ、胡散臭さ絶大に「君にはソレができるのだ!」とやったあと。
 ポルトス@ヲヅキが「食えるんだ!」と応えたときの、アトスの、ニカッとした笑顔。
 マンガみたいに笑うの。ちょうかわいい。
 薄い唇がにゅーっと横に伸びて、口角が上がる。
 らしくない笑い方ではあるので、わざとやってるんだろうけど、すげー可愛い。
 アトスって変な人……というのが、よくわかる(笑)。

 そして銀橋真ん中でポルトスを真ん中にもつれる三銃士。
 背の高いヲヅキが頭の上にかざした本を、小さなまっつが背伸びして取るのが、楽しすぎる。
 「よいしょ」とか掛け声かけて取りに行く。背伸びで取るときもあれば、ジャンプするときもある。
 アトス様、自分が小さくてかわいいってこと知ってるの? 見ている人に「かわいい」と思ってもらおーとして、そんなことしてる? 背伸びとかジャンプとか、小柄なことを逆手にとってるよね?? トウコ姫ばりのあざとい可愛いアピールだわ。(トウコちゃんのそーゆーとこ大好物でした・笑)
 銀橋に坐り込んで本を読む3人。
 本に夢中なアトス(ちょっと老眼風な読み方……アトスェ……)の注意を引こうとするポルトスの、容赦ない叩き。ほんとに背中をばんばんやってます、ヲヅキさん。んでまっつさんが本気で「ちょ、おま、なんだよ」って顔してその手を嫌がってます。
 ああ可愛い。

 んで「あの店だ!」とやったあと。
 三銃士は口笛を吹きながら銀橋を渡っていく。……んだけど、口笛が吹けているかは微妙。あんまし音しない……3人とも……。
 は、ともかく。

 口笛を吹くまっつの横顔萌え。

 クチビル突き出して、チューの形で銀橋を渡ってくれるわけですよ!! 横顔スキーとしては、そんな口の形を見せてくれるのがたまりませんて!

 ラウル@翔くんに彼女ルイーズ@みみちゃんを紹介されたときのアトス。
 ここがもお、すごく変わった。最初のうちは「びっくり」「とまどい」ぐらいの表現だったのに、後半はすごくコミカルに「近所のおばちゃん」風になってる。
 つまり「あのちっちゃなラウルくんがこんなに大きくなって。んまあ、いつの間にこんなに立派になったのかしら。おばちゃん、感激やわあ、よよよ(むせび泣き)」って感じ(笑)。
 シリアスに表現する時間も演出もしてもらっていない。制約だらけの中で兄弟愛を表現するには、いっそコミカルに大袈裟にするしかないという判断だろう。
 おかげでわかりやすくはなったけど……演技がわざとらしいしお笑い系だし、アトスさんがますますコメディな人に。

 ロシュフォール@せしるに詐欺を看破されたときのアトス様、おなかの前で手をわきわき。いたずらが見つかってしまう、とハラハラするコメディ演技です、はい。
 まっつさんは手の動きが美しい人。この「わきわき」した手もまた、あざやかです……(笑)。
 そのあとわざとロシュフォールの進路を遮り「どけ!」とやられ、「おー」とわざとらしい声を上げながら会釈する。このときの慇懃無礼な貴族的な礼の美しさと対照的。

 ダルタニアン@ちぎを見つめる表情も、一時あった深みは消えた。
 眼光鋭く暗い面持ちで凝視したりして、その奥のドラマを想像したりできていたのは、初日あけの少しの間だけ。
 すぐにもっと軽いものに変わった。なんというか、アトスはとても「出過ぎない」人だ。演技し過ぎて主要人物として名乗りを上げない。わりとすっきりさせてしまった。
 ちぇっ、つまんないの。バランス的にはこれが正しいんだろうけど、わたしはそんなの無視して暴走する芸風の人、好きだったりするからさー。まっつの「分をわきまえすぎる」ところは肩すかし。……その職人気質も好きだけど(笑)。


 あとこれは他意はないんだろうけど、いつもアラミス@きんぐ寄りに立っているのも、深読みできてたのしいなと。
 オープニングも、一大ページェントのせり上がりも、三銃士は均等に3人で並ぶのではなく、アトスはなんとなくアラミス寄りに立ち、ポルトスとの隙間が空いている。
 ポルトスに肩を抱かれると嫌がるのに、アラミスには自分から行ったりしているし。
 アトス氏が面食いで、アラミスみたいなきれーなにーちゃんなら接触してもいいけど、ポルトスみたいな暑苦しい男には近寄りたくないと思っている……のかもしれないし、反対にポルトスとはナニかあってあえて距離を置いているのかもしれない……?
 3人で並ぶところの位置に関しては、単にヲヅキさんがでかいから、腕が当たったりしないように大きく空けて立っているだけかもしんないし、ヲヅキさんが予想外の動きをしてぶつかってくるきらいがあるため、用心して空けているだけかもしれない。
 や、別に意味なんかナイことはわかってるけど、想像して楽しむのは自由だから(笑)。


 アトス様は美形の弟はいるわ固い友情で結ばれた三銃士はいるわ、元仲間で今は敵のダルタニアンはいるわ、仇のルイ@キムと、仇と瓜二つのフィリップ@キムはいるわで、設定のオイシサは半端ないんだが、いまひとつ盛り上がらない。
 すべては脚本のせい。ストーリー部分が極小で、いらんお遊びばかり続くから。人間関係が希薄で萌えに発展しない。
 もったいないよな、まったく。

 それでもアトス様は美しく、怜悧さとあたたかい抜けた部分を併せ持ち、愛すべきキャラクタになっている。

 デコ全開の髪型のおかげか、まっつの顔立ちの美しさも全開だしねええ。
 おでこから頬骨、眉から鼻筋の美しさったらナイよほんと。惚れ惚れ見つめてまっつ。
 突然の南国音楽とクラゲの映像に茫然としたあと、舞台の雰囲気は一気に変わる。
 暗闇の中にぽつんとライトが点り、剣が浮かび上がる。
 登場するのは白尽くめのフィリップ@キム。
 彼はサーベルをその場で転がし、床に円を描いてから、それを握る。
 サーベルを使った、静かなダンスがはじまる。

 なんて美しいシーン、美しいキムラさん……と、ぼーっと見とれていちゃいけません。サーベルダンスがはじまったら、上手をロックオン!

 上手の回転壁から、忍者みたいにばたん、とアトス様@まっつが登場します。
 いつもの……ってゆーか、ソレしかないのかもしれない、一張羅姿。ただし。
 ここで、着替えをする。

 三銃士の、黒いマント。

 なっま着替え! なっま着替え!!

 わざわざ見えるところで着替えるアトス様!!
 マントとロングベストが一体化したよーな、オープニングで着ていたアレ。
 背中に十字架、裏打ちは赤。

 客席に背中を向けて着替えるアトス様は、マントを着込んだあと、長い髪を手ですくって、マントの外に出す。この仕草が……っ!!
 いやはやごちそうさま。
 なんつーサービスっぶりだ。

 『仮面の男』のアトス様語り、ラスト。

 着替えを終えたアトス様は壁にぶら下げてある剣を2本取り、1本は上手袖から登場したアラミス@きんぐへ渡す。アラミスはもう着替え済み。
 剣を渡すときのアイコンタクト。戦いへ赴く男同士。

 同じように下手ではポルトス@ヲヅキが着替えをしているらしい。見たことがないのでよくわからないが、ポルトスもきっと彼らしく着替え、ファンの目を楽しませていることだろう。
 演出の都合上、アラミスはナマ着替えナシ。てゆーか別に舞台上で着替える必要はないので、これはファンサービス。ありがたい。

 三銃士としての正装に身を包んだ彼らは、中央のフィリップと合流、頭上高々と剣を合わせ、「三銃士」の決まり文句「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」を唱和する……フランス語で。
 わたしはちゃんと日本語で言って欲しかった派だ。せっかくの有名キメ台詞なのに。

 4人の背後は大階段。
 ダルタニアン@ちぎを中心に、ルイの手下たちが勢揃い。

 ここから長々と戦闘シーン、フェンシングです。
 サーベルが長くてかっこいいぞ。ぶっちゃけ、ちっちゃなまっつに不釣り合いなほど剣は長い(笑)。あんな長い物をあの身長でよく鞘から抜き差しできるよなー、と毎回思っていた。(失礼な)

 みんなそれぞれ立ち回りに忙しい。
 アトス様の敵は主にロシュフォール@せしる。大階段上で、スローモーションでの戦い。
 かっけーかっけーかっけー。
 ってことで、アトス様ばっか見ているので他がどうなっているのか、いまいち把握していない(笑)。
 位置的にはセンター。三銃士の真ん中だから。

 階段を降りて、アラミスと背中合わせになるのもいい。
 背中合わせ!は男のロマンだわねええ。

 んで、戦いながらわーっとはけていく。

 混戦の最中、ダルタニアンと一騎打ちになるのはポルトスだけど、もしもこれがアトスだったら、彼は最初から一切戦わないのかもなと思う。
 アトス氏は最初から最後まで、一貫してダルタニアンを信じている様子なので。


 ダルタニアンとロシュフォール、ルーヴォア@ひろみの戦いが決着したあと、再度舞台にみなさんがわーっと戻ってくる。
 アトス様はここで最後の登場。
 仲間の命乞いのために犠牲になるというフィリップのくだり。台詞もろくになく、傍観するのみ(笑)。

 愉快なのは、あっけなく心変わりしたダルタニアン。
 悪党ルイ@キムに剣を向けた彼は、ルイを捕らえる相手として、迷わずアトス指名。

 何故アトス。
 つまりダルタニアンには、説明不要で自分の命令に従ってくれる部下が銃士隊にはいないらしい。
 敵対していた元三銃士より、ふつーは部下に命令するよね? でも、国王を捕らえる、というとんでもないことを任せられるよーな信用できる部下は、いない。だから事情を飲み込んでいる元三銃士に託すしかなく、その中でもリーダーのアトスなわけだ。
 ダルタニアン、人望ナイんや……。サンマール@コマはダルタニアンのシンパらしいけど、なにしろ彼はナニかとアレな人だし? いざというときは頼れないらしいよ?

 てことでご指名受けたアトス様。
 なんか命令されて動く下っ端みたいですが。ほんとに瞬時に迷いなく、名前呼ばれただけでなにをすべきか理解している。……すげえな。

 でもダルタニアン、この人選ってどうなのよ?
 というのもだ。
 アトス様は、ルイに吹っ飛ばされそうになっている。
 アトス、非力……。
 アトスVSルイはこれまでもあったけれど、素手で剣を持ったルイに対峙し、ルイから剣を奪って言うことを聞かせたり、していたけれど、純然たる腕力勝負になると、ルイ以下なんだ、アトス……。
 ひとりでは暴れるルイを抑えきれず、必死になってポルトスを呼ぶアトス。
 ポルトスとふたりがかりでルイを押さえ込み、仮面を付けることに成功。

 剣を使えば無敵だけど、乗馬も泳ぎも任せろ!だけど、非力で、わがまま王様ごときにも負けちゃうアトス。
 ナニその萌え設定。
 剣の腕ゆえに銃士隊で活躍してきたけど、腕力は弱いから、男たちに簡単に組み伏せられちゃったり、強引に自由を奪われて「離せ!」とか言ったりしちゃうタイプなわけだ。
 まあ、あの華奢さからは想像つくけど、こんなBL的テンプレ設定の美青年ってすげえなヲイ(笑)。

 ダルタニアンは終始えらそーなままなので、アトスとダルタニアンの力関係は謎なままでした。原作ではアトスが大人でダルタニアンが少年のところからスタートだから、ふたりは対等ではないっていうか、アトスの方が立場が上、のイメージあったからなー。
 長年のつきあいで、もう年の差も立場も関係なくなっているにしろ、基本的な立ち位置は変わらないと思うんだが、そのへんはまったくわからなかった。

 なんにせよ、改心したダルタニアンにアトスはにっこり、「信じていた」。
 初日直後あたりはもっと重々しかった台詞だけど、後半からはふつーににこやか。
 アトスさんは「俺は脇役であって、主役じゃないし」と、とってもわきまえた芝居になっていった気がする。シリアス全開にしちゃうと中心人物になっちゃうよなあ、ラウル@翔くんの件がアトスにはあるわけだから。

 ラストは晴れ晴れとした「ひとりはみんなのために」。
 剣を三銃士+ダルタニアンで合わすわけだけど、位置がうれしい。アトスは上手端。
 かざすのが右腕ということもあり、向かって右端に立つアトスだけが、障害物ナシで顔が見えるの。きゃっほう。

 このキメポーズのままライトが落ち、盆が回っていく。
 ライトが落ちると、まっつの顔立ちの美しさがまたしてもよくわかりますよ。ええ、陰影がアニメ的ですから。……ってことで、見えなくなるまで見送ります。盆より先に光がなくなって見えなくなる感じかな。

 2007年から、実に丸5年続いた黒髪歴に終止符を打った公演、そして役。
 アトス様は美しい人です、ええ。

 ……もっとちゃんと、ドラマを描いてくれればなああ。
 『仮面の男』、アトス様@まっつ語りの続き。

 ダルタニアン@ちぎに隠れ家?へ踏み込まれた三銃士。
 なーんも考えてないポルトス@ヲヅキはご機嫌でダルタニアンに話しかける。
 だけどアトスは「やべー」ってことが、わかっている。ので、そーゆー反応。

 幕が開いた当初はアトス様はけっこーコメディ寄りのキャラクタだったと思う。その直後にどんどんシリアス化していった。
 ので、ここもシリアスにダルタニアンの名をつぶやいていたりした。
 が、公演が進むにつれアトス様、またギャグ寄りになっていってねー。
 ブラット部長@『H2$』的なノリノリ感のある緩さというか。コメディだって割り切っちゃってるみたいね、中の人。
 だからここの「ダルタニアン……」という台詞も、後半からはギャグっぽくなってる。高めのなさけない声を出し、なさけなーい顔でマンガちっくに逃げていく。
 アトス様逃げ足早いです、銃士隊に触れさせもせず、先頭切って逃げていきます。


 アトスの役作りというか、キャラクタは初日開けしばらくあたりがいちばん好みだった。
 ラウルの手紙でぽろぽろ涙こぼしていたりした頃。
 シリアスで、暗くて。あちこち酷薄で。
 ダルタニアンを見つめる目とか、仲間たちと過ごしているときのちょっとした表情が、シリアス基本だった。
 だからあちこち痛々しかった。別の物語観ているみたいに、アトスは深刻キャラだった。
 だからギャグ場面との乖離っぷりもひどかった。でも別にかまわないそんなの。こだまっちのアホアホ場面に合わせるより、本筋のシリアス芝居を貫く方がイイと思っていた。

 でも結局は、アホアホ場面に相応しい、ゆるいキャラに落ち着いたみたいだ、アトス。
 ルイに対するこわさは変わらないけど、そこって客席から見えない部分なんだよね。
 客席に背を向けていたり、衝立で見えなかったり。
 客に見えないところはドシリアスで押し通し、そうでないところはゆるく演じているあたり、確信犯かもな……(笑)。


 ダルタニアンに踏み込まれ、逃げ出した三銃士。
 彼らは馬に乗って「サン・マルグリット島」へ向かっている。
 何故そんなところに行くのか、「俺の計画に失敗はない」というアトス様に聞いてみたいです……島になんか逃げ込んだら袋のネズミじゃん。

 それはともかく、この馬の場面。

 アトス様が、超カッコイイ。

 美しいです。
 髪がきらきらして、ライトの当たり具合でまっつの顔立ちの凹凸が絵画のようで。
 まっつってほんと骨格がきれいなの、顔立ち。
 アニメみたい、二次元みたいな陰影になる。

 そして、3人の中でアトス様の騎乗姿がいちばん端正。
 馬に対しての上体の角度がきれい。うまい。すごく疾走している感がある。

 アラミス@きんぐは走っているというより優雅に歩いているような体勢。ポルトスは酔っぱらっているのでぐだぐだ。
 だもんでほんと、アトスきれー。

 …………こんだけカッコイイ場面の直後なだけに。
 次の場面がねええ(笑)。

 初日に観たときは、本気でアゴが落ちた。
 ここまで無意味な悪ふざけをする必要がどこにあるのかと。
 そして、「まっつ、絶対怒ってるなこれは(笑)」と、芝居に対してとても真面目で融通が利かないであろうかの人が、ドリフばりのくだらないギャグをやらされてぴきぴき来ているだろう稽古場を想像した。

 が、すぐに慣れた。
 1回目はナニがなんだかだったけど、翌日にはOK、楽しんでいた。

 だってさ。

 好きなタカラジェンヌが泳ぐ姿を見られることなんて、ありえないよ?

 ジェンヌはフェアリーですから!
 男役は2次元の存在ですから! 水着になんてなりませんことよ。なったとしても海水パンツですよ? 女性じゃないです、男役ですから、アニメやマンガのキャラと同じですから。
 水着姿が存在しないわけだから、泳ぐ姿なんて想定外。ありえません、存在しません。
 タカラジェンヌとはそういうもの。

 ああなのに。

 ご贔屓の、クロール姿を拝めるなんて。

 100年近い歴史を持つ宝塚歌劇団。そして、ファンの数はのべ何十万人とかに上るのかもしれない……その中で、ご贔屓が泳ぐ姿を見られた人は、いったいどれほどあるだろう……。
 レア。
 めーーっちゃ、レアケース。
 アリエナイ出来事。
 堪能するしかないでしょう!!(笑)

 そしてまた。

 まっつのクロールが、無駄に端正(笑)。

 手のかきの美しさ、ばた足の美しさ。
 「クロール」の泳ぎ方ビデオのお手本みたいな正確さ。

 こ、この人、こんなところまで端正って……ダンスがぴしっぴしっと端正なのは知ってるけど……そうか、ダンスと同じなんだ、手の動き足の動き、身体能力、表現力。
 笑う。笑わずにはいられない。

 そもそも、あの小さな舟に3人でちょこんと乗っている様からして、おかしい。
 アラミスとちがって、アトスは酔っぱらいポルトスに同情的ではないっちゅーか、「やれやれ」って感じだよねー。んで、ポルトスが吐きそうになると、「あっち、あっち」とか、自分の迷惑にならないように追い払うし……リーダーひでえよ(笑)。

 海に落ちたあとの、アトス様の台詞でナニ気に好きなのが「俺は痛いことが大の苦手なんだ」ってやつ。
 初日はアトスがどこにいるのか探すだけで台詞まで聞いてなかったが、翌日この台詞聞いてツボった。
 くだらない、ほんとくだらないの。三銃士がそんなはずないやん! ましてやアトスが……。
 だけど、まっつが大真面目にこの台詞を言って、本気で美しいクロールを披露していると思うと、ニヤニヤが止まらない……っ。

 足に取りすがるポルトスを蹴り捨てるのもまた……。
 蹴ることより、まっつの足にすがりつく……という図だけで萌え。

 ああ、美しい贔屓を持って、幸せだなあ。にやにや。


 てことで、あと1回続く!
 それでも、拍手は起こるんだ。

 雪組公演千秋楽。
 あれほど不評の嵐だった『仮面の男』、なかでも特に「ありゃないわ」と言われていた場面でも。
 演出にでも作品にでもなく、出演者に。今ここで、誠実に舞台を作っている雪組生、オーケストラ、スタッフの人たちに。

 水戸黄門@しゅうくんが盆に乗ってはけていくところ、人間ミラーボール@かおりちゃん登場、ルーヴォア@ひろみちゃんのラスト……普段ならナイところに、これでもかと熱い拍手が入る。入れる隙間なんかナイ演出や流れでも、とにかく入れる。
 卒業していく彼らに、賞賛と感謝を。

 『仮面の男』はもともとコメディだから(シリアスのはずなのに……)、千秋楽はお遊びいっぱい、やりっぱなしのしたい放題になるかと思いきや、そんなこともなくふつーにシンプルに終わった。……本編がもう、手が付けられない感はあるもんね……。
 ただみんな芝居部分は熱演だった(芝居作品のはずなのに……)。てゆーかフィリップ@キム泣きすぎ(笑)。

 アドリブがあったのは、『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』の方。
 アリスのドタバタ場面でシナトラ@ひろみが「すみれの花咲く頃」を歌ったもんだから、拍手が大変なことに。司会者@ちぎが「シナトラさんの歌が聴きたい人は……」とか言い出すもんだから、さらに拍手止まらない。
 てっきり、「続き歌って欲しい?」→ 拍手! →「じゃあどうぞ!」→ひろみ、歌う、の流れだと思った。
 止まらない拍手の中、ちぎが必死になって喋っていた。「聴きたい人は東京公演で!」……そういうオチか。わかりにくい(笑)。ちぎも焦ったろうなら、自分の台詞で観客誤解してる、今歌うと思ってさらに拍手大きくなってる、早く否定しなきゃ! でも拍手鳴りやまないから言っても聞こえない?! ……ちぎたかわいいよちぎた。
 焦るちぎ、シナトラになりきって、かっこつけて目をすがめたままなりゆきを見守る(手を出せない)ひろみが愉快だった。

 ヒメは相変わらず大暴れ。
 アドリブは前楽の方が面白かった。「指揮の佐々木せんせー、あたし、可愛い?」とヒメが聞く。まさか指揮者に聞くとは思わなかった。でも他のせんせならともかく、ラブイチローならなんかやってくれるかなとオケ席を見ていたら、ラブイチローは特にリアクションを返さず……かわりに、暗~い残念な音楽が流れた。
 ちょ……オケの人たちまで共犯……ちゅーか、打ち合わせ済み? このアドリブのためにわざわざこの音楽練習したの?(笑)
 残念な音楽を聴いてちぎがすかさず「はい、可愛いい、そうです!」と嘘くさいまとめ。ヒメが「嘘だー。絶対嘘だー」といつまでも引きずる。
 ナニこれ可愛い。
 指揮者とオケの人たちまで一緒になって参加してて、雪組最高! と思った(笑)。

 千秋楽もラブイチローは本領発揮、オープニングは指揮せずに腕を振り上げ、客席参加(笑)。彼の手拍子に煽動されて、手拍子スタートしたような。ナニやってんだ指揮者(笑)。
 『H2$』から引き続き雪組だもんねー。『ロミオとジュリエット』もそうだったもんねー。なんか雪組続きだねー。

 DREAM5も最後のキメ台詞が「東京公演で待ってるぜ☆」だったり、やたらと「東宝も観に来てね!」だったような……(笑)。

 ショーはどんどんヒートアップしていった。
 後半はあちこち拍手すごくてショーストップ状態。
 舞台の上のキムくん他が、鳴りやまない拍手に棒立ちする瞬間、てのを愛しく見つめた。
 そんな何分もあるストップじゃないけど、ほんのわずかな間でも、通常のタイミングとはチガウ、拍手だけが支配する時間が、何回かあった。
 いつもなら次の瞬間別場面のために動く、と決まっているところで、拍手が鳴りやまないためハケることもできず最後のポーズのまま動けないでいる……そんな彼らが肩で息をしながら茫然と客席を見回す。
 ショーストップに喜ぶより、ほんとに思考停止したように客席を見るキムくんが愛しかった。千秋楽だから拍手すごいかも、とか下心ナシにとにかく全力で演じて、それゆえ止まらない拍手に茫然としている感じ。

 手拍子がけっこー変則的(裏打ちだったり、1・2・3・チャチャ!、だったり)なので、これをぴったりキメながら、さらに退団者には拍手送ったりと、客席の参加っぷりもすげえよ。
 (某トリオの銀橋にだけ拍手がナイのもまた、すごい……)


 退団者の3人、ひろみ、かおり、しゅうは、雪組の中枢を担う人々。
 この公演、なにかと彼らの思い出を友人たちと語っていた。楽が近付くにつれ、ほんとにいろんな会話の端々に思い出がこぼれる。

 長く、見てきたなああ。
 ひろみちゃんは月組時代から。チーム『血と砂』のひとりだもんよ。2001年から丸10年だよ。『血と砂』はわたしのヅカヲタ人生最強の狂乱作、特別な特別な作品。そこに出演していた人たちはみんな特別、みんな愛しい。
 『シニョール ドン・ファン』新公や『エリザベート』新公を思い出していた。好きだったよなと。
 技術が際立つ人ではなかったので、できないことやできない役もいろいろあったけれど、役にハマったときの魅力はまた格別という確かに「フェアリー」属性の人だった。
 最近芝居ではヒゲ男の役ばかりだったけど、それがまた新しい魅力、こっち系もハマるんだってことを見せてくれた。いわゆる二枚目はショーで見せてくれていたし……全ツ『ロック・オン!』の紳士の館で、男役修行中の下級生たちの中、ひろみの仕事っぷりにどんだけ感動したか……!
 そんなことをつらつら思う。

 大階段のいちばん上のいちばん端からスタートしたと語るかおりちゃん。トップを狙える器を持ったスターさんだからこそ、いろんなことがあったろうな。
 なにしろ『ホップ スコッチ』からだもんなー……研2でバウヒロ。あの子誰、すごいかわいい、歌うまい! だったもんなあ。まあその、『ホップ スコッチ』でいちばん印象に残ったっちゅーか全部持っていったのはルーシーちゃんだけども(笑)。
 その後もバウヒロやって直後の新公ヒロイン立て続けにやってと、トップへの道を快進撃してたもんなあ。突然別の子が抜擢され、その子が娘2や新公バウDCとヒロイン独占したので一気に風向きが変わったけど。そしてそこまで独占していたその子も、あるときから別の子にその座を明け渡したけど。……って、ほんとうに娘役ってわからない。
 なにかほんの少し風向きが違っていれば、トップになっていただろう大輪の花。

 しゅうくんの「男役」としての芝居声を聞ける最後の機会が「水戸黄門」というのが、くやしくてならない。
 彼はもっと男前なの、色男なの。なのに作ったコメディ声で老人として喋る、それが彼の男役10年の集大成、最後の役なの? こだまっちめ……! 本人は、あの茶屋のばばあを嬉々としてやった人だから、きっとどんな役でも誠心誠意やりがいをもって演じているんだろうけど。1観客としては口惜しいっす。
 『Young Bloods!!』のパパ役でなんかうまい人がいるじゃん、てゆーかまだ研5なの? と思ったのが最初か。
 『はじめて愛した』のクロード役でときめき、『ロミジュリ』の大公様ではピークっちゅーかもーどーしよーってな萌えを与えてくれた。そのあとなだけに……大公様がいなくなったら、ベン様はどーなるのよこれから!的な。

 尽きない思い出をたどりながら、彼らの最後の挨拶を聞いた。
 拍手とすすり泣きに満ちた、きらきらした空間。

 よい千秋楽でした。

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