卵は割れ、新しい時代が誕生する。
2007年7月16日 タカラヅカ 今、宙組公演を観て思うこと。
動き出している。
忙しくて『A/L』の感想が途中で終わってしまっていた。や、ほんとはまだ書きたいことがあったんだけど。書きかけのテキストもあるっちゃーあるんだけど。
さすがに、時期を逸したので書けない(笑)。いやはや、こんな調子で、『舞姫』の感想の続きはいつ書けるんだー。(まだ書くのか)
だもんで、書いていないけれど『A/L』のときから感じていたこと。
宙組は、変わりはじめている。
トップスターが変われば組カラーが変わり、いろいろ変化するものだということは、経験上わかっている。
今までトップ交代を何度も見てきたのだから、ソレなら知っている。
でも今の宙組の「変化」はちがうんだ、そーゆーのと。
たか花時代、良くも悪くも宙組は安定していた。
和央ようかと花總まりという、絶対的な力のもと、美しいピラミッドが形成されていた。
わたしはたか花ファンだし、彼らの作り出す圧倒的な世界を愛していた。
「タカラヅカ」という、特殊な夢の世界、嘘の世界を作り上げる力。
たかちゃんも花ちゃんも単体でも美しい人たちだったが、ふたりで組むことによって追従を許さないハイクオリティな「乙女の夢」を作り上げてくれた。
そしてその美しすぎる世界は、他のどの組ともちがうシステムによって支えられていた。
組子の「動く背景」化だ。
余計な色を排除することによって、統一感のある、行き届いた美を形成する。
手法としてはアリだし、理にかなったことかもしれない。
だがそれによって宙組は、独特のカラーのある組となった。
ビジュアルだけの特化、長身者を揃えることで「男役」「タカラヅカスター」としてのスキルを持たなくても「背が高い」というのみで男役に見える仕組み。
真ん中を盛り立てるため、際立たせるためにある「背景」だから、個々の魅力や能力はできるだけ薄く、コーラスにのみ実力を発揮する。
それは、「タカラヅカ」として、ある意味究極のカタチかもしれない。
トップスターと動く背景。真ん中のみが圧倒的魅力を持ち、背景は真ん中の邪魔にならないよう薄くぼやけてなにも見えない。
そのコントラスト、相乗効果で主役たちはより美しく、魅力的に見える。
そしてたか花時代の宙組は、安定した舞台クオリティと人気を博していた。
停滞と安定。
たか花時代の宙組は、いわば鎖国状態だった。
それを悪いと言っているわけじゃない。
鎖国のおかげで独自の文化が栄え、功績となった。それも十分アリだと思っているし、たか花と彼らの時代も好きだった。
けれど、組としての宙組の時間は止まったままだった。
それが。
かしげという、新しい風が吹いた。
鎖国していた宙組が開国し、新しい呼吸をはじめた。
幕末の風雲児坂本竜馬は新しい時代を見届けることなく去っていったけれど、彼が起こした風は、確実に組を変えた。
「動く背景」たちが、「人間」として「舞台人」として、目覚めはじめた。
かしげの時代になってから、宙組組子の「タカラヅカ・スキル」の低さに驚いた。
たか花時代は、真ん中のできあがった人たちしか見えなかったから、気づかなかった。だが開国後はライトが全体的に当たるよーになったので、それまで見えなかったモノまで見えてきた。
組替えしてきたらんとむとみっちゃんもまた、確立した男役芸を持っているだけに、組子とのスキルの差があからさまになる。ちょうど、月組に組替えした元宙のあひくんが、誰より恵まれた男役資質を持ちながら、舞台で「きれいなおねーさん」にしか見えない事実に愕然としたように。
こんなことになっていたのか、宙組。
だけど若者たちは、「低スキル」のままではいなかった。
磨きはじめた。前進しはじめた。
ひとりひとりがたのしそうに、舞台で息づいている。
輝きはじめている。
新しい時代がやってきた。
タニちゃんの『A/L』を観ながら、感嘆した。
意欲を持って、なにかしら成し遂げようと前を見て足踏みする若者たち。
技術は足りていないし、実際足踏みであってほとんど前進してないんだけど、彼らはもう、「背景」ではない。
舞台人として、前へ進もうとしている。
その姿に、胸が熱くなる。
わくわくする。
たか花の、鎖国することで得られた絢爛たる時代もすばらしかったが、この新しい時代もまた、期待に満ちたすばらしいものじゃないか。
時代の急激な変化は、組より組子より、ヅカファンを息切れさせているのかもしれない。
今回の公演、『バレンシアの熱い花』大劇場初日の空席の多さは驚愕だった。
トップスターお披露目初日だ、完売で当然、人気スターならチケ難になって大騒ぎするよーな「特別な日」だ。
わたしは2階席だったんだが、A席がセンターブロックとサブセンターしか埋まっていない状況だった。サブセンも端や後ろは空いていたし。サイドブロックは前の数列にしか人がいない……。B席も端は空いているし。
ふつーの公演程度の入り? トップお披露目初日に?
立ち見券が発売されていたのは謎だ。この空席は「一度完売したが、その後キャンセルがあった」ためのものではあり得ない。戻りチケはこんなカタチでは出ない。
一度も売り切れなかったのに、それでも立ち見券は出したんだ、劇団……。報道関係者は1階しか見ないからかな。
拍手の少なさ、カーテンコールの少なさにもおどろいた。もちろんスタオベもナシ。
トップお披露目初日とは思えない……。
芝居が終わったあとの幕間では、あまりのアレさにわたしもかなり絶望していたんだが、ショーはそんなことを吹き飛ばす勢いでたのしくて、「太陽」としてよみがえったタニちゃん王子に涙し、きゃーきゃーなキモチで拍手したり手拍子したりしていたんだけど。
ショーの明るさもたのしさも、客席のムードを変えるには至らないのか……?
これがスタート地点。
劇団がさんざん翻弄してきた、新しい組の開幕。
組としての力だとか、タカラヅカファンの関心だとかは、落ちているのかもしれない。
たか花が作り上げていたよーなクオリティはないのかもしれない。
組子たちの「タカラヅカ・スキル」の低さも、そりゃーもー、あちこち目につく。
客入りもきびしいのかもしれない。
新時代ゆえの混乱、低迷があるかもしれない。
でも、鎖国していたときにはない、輝きがある。
真ん中の限られた人たちだけではなく。
ひとりずつが呼吸している。それがわかる。
初日はたしかに、ヅカファンとしていろいろ驚愕する「お披露目初日」っぷりだった。
だが、スタート地点がそこであるからこそ、「これから」に期待する。
だって舞台の上の生徒たちは、客席のとまどいなんか関係なく、前へ向かって進もうとしているんだもの。
ドラマとしてアリでしょう。足りないことだらけだからこそ、そこからどんどん成長していき、最終的に栄誉を手にする、てのは。最初がきびしい状況であるからこそ、そこからどこまで行くのか、たのしみじゃないか。
それを期待できる「変化」が、舞台の上から感じられるんだもの。
動き出している。
変わりはじめている。
カラを付けたままのヒヨコが、あぶなっかしく……だけどたしかに立ち上がり、歩き出す様を見るときめき。
キラキラしてるよ。
わくわくするよ。
泣けてくるよ。
新しい時代は、はじまったばかりだ。
動き出している。
忙しくて『A/L』の感想が途中で終わってしまっていた。や、ほんとはまだ書きたいことがあったんだけど。書きかけのテキストもあるっちゃーあるんだけど。
さすがに、時期を逸したので書けない(笑)。いやはや、こんな調子で、『舞姫』の感想の続きはいつ書けるんだー。(まだ書くのか)
だもんで、書いていないけれど『A/L』のときから感じていたこと。
宙組は、変わりはじめている。
トップスターが変われば組カラーが変わり、いろいろ変化するものだということは、経験上わかっている。
今までトップ交代を何度も見てきたのだから、ソレなら知っている。
でも今の宙組の「変化」はちがうんだ、そーゆーのと。
たか花時代、良くも悪くも宙組は安定していた。
和央ようかと花總まりという、絶対的な力のもと、美しいピラミッドが形成されていた。
わたしはたか花ファンだし、彼らの作り出す圧倒的な世界を愛していた。
「タカラヅカ」という、特殊な夢の世界、嘘の世界を作り上げる力。
たかちゃんも花ちゃんも単体でも美しい人たちだったが、ふたりで組むことによって追従を許さないハイクオリティな「乙女の夢」を作り上げてくれた。
そしてその美しすぎる世界は、他のどの組ともちがうシステムによって支えられていた。
組子の「動く背景」化だ。
余計な色を排除することによって、統一感のある、行き届いた美を形成する。
手法としてはアリだし、理にかなったことかもしれない。
だがそれによって宙組は、独特のカラーのある組となった。
ビジュアルだけの特化、長身者を揃えることで「男役」「タカラヅカスター」としてのスキルを持たなくても「背が高い」というのみで男役に見える仕組み。
真ん中を盛り立てるため、際立たせるためにある「背景」だから、個々の魅力や能力はできるだけ薄く、コーラスにのみ実力を発揮する。
それは、「タカラヅカ」として、ある意味究極のカタチかもしれない。
トップスターと動く背景。真ん中のみが圧倒的魅力を持ち、背景は真ん中の邪魔にならないよう薄くぼやけてなにも見えない。
そのコントラスト、相乗効果で主役たちはより美しく、魅力的に見える。
そしてたか花時代の宙組は、安定した舞台クオリティと人気を博していた。
停滞と安定。
たか花時代の宙組は、いわば鎖国状態だった。
それを悪いと言っているわけじゃない。
鎖国のおかげで独自の文化が栄え、功績となった。それも十分アリだと思っているし、たか花と彼らの時代も好きだった。
けれど、組としての宙組の時間は止まったままだった。
それが。
かしげという、新しい風が吹いた。
鎖国していた宙組が開国し、新しい呼吸をはじめた。
幕末の風雲児坂本竜馬は新しい時代を見届けることなく去っていったけれど、彼が起こした風は、確実に組を変えた。
「動く背景」たちが、「人間」として「舞台人」として、目覚めはじめた。
かしげの時代になってから、宙組組子の「タカラヅカ・スキル」の低さに驚いた。
たか花時代は、真ん中のできあがった人たちしか見えなかったから、気づかなかった。だが開国後はライトが全体的に当たるよーになったので、それまで見えなかったモノまで見えてきた。
組替えしてきたらんとむとみっちゃんもまた、確立した男役芸を持っているだけに、組子とのスキルの差があからさまになる。ちょうど、月組に組替えした元宙のあひくんが、誰より恵まれた男役資質を持ちながら、舞台で「きれいなおねーさん」にしか見えない事実に愕然としたように。
こんなことになっていたのか、宙組。
だけど若者たちは、「低スキル」のままではいなかった。
磨きはじめた。前進しはじめた。
ひとりひとりがたのしそうに、舞台で息づいている。
輝きはじめている。
新しい時代がやってきた。
タニちゃんの『A/L』を観ながら、感嘆した。
意欲を持って、なにかしら成し遂げようと前を見て足踏みする若者たち。
技術は足りていないし、実際足踏みであってほとんど前進してないんだけど、彼らはもう、「背景」ではない。
舞台人として、前へ進もうとしている。
その姿に、胸が熱くなる。
わくわくする。
たか花の、鎖国することで得られた絢爛たる時代もすばらしかったが、この新しい時代もまた、期待に満ちたすばらしいものじゃないか。
時代の急激な変化は、組より組子より、ヅカファンを息切れさせているのかもしれない。
今回の公演、『バレンシアの熱い花』大劇場初日の空席の多さは驚愕だった。
トップスターお披露目初日だ、完売で当然、人気スターならチケ難になって大騒ぎするよーな「特別な日」だ。
わたしは2階席だったんだが、A席がセンターブロックとサブセンターしか埋まっていない状況だった。サブセンも端や後ろは空いていたし。サイドブロックは前の数列にしか人がいない……。B席も端は空いているし。
ふつーの公演程度の入り? トップお披露目初日に?
立ち見券が発売されていたのは謎だ。この空席は「一度完売したが、その後キャンセルがあった」ためのものではあり得ない。戻りチケはこんなカタチでは出ない。
一度も売り切れなかったのに、それでも立ち見券は出したんだ、劇団……。報道関係者は1階しか見ないからかな。
拍手の少なさ、カーテンコールの少なさにもおどろいた。もちろんスタオベもナシ。
トップお披露目初日とは思えない……。
芝居が終わったあとの幕間では、あまりのアレさにわたしもかなり絶望していたんだが、ショーはそんなことを吹き飛ばす勢いでたのしくて、「太陽」としてよみがえったタニちゃん王子に涙し、きゃーきゃーなキモチで拍手したり手拍子したりしていたんだけど。
ショーの明るさもたのしさも、客席のムードを変えるには至らないのか……?
これがスタート地点。
劇団がさんざん翻弄してきた、新しい組の開幕。
組としての力だとか、タカラヅカファンの関心だとかは、落ちているのかもしれない。
たか花が作り上げていたよーなクオリティはないのかもしれない。
組子たちの「タカラヅカ・スキル」の低さも、そりゃーもー、あちこち目につく。
客入りもきびしいのかもしれない。
新時代ゆえの混乱、低迷があるかもしれない。
でも、鎖国していたときにはない、輝きがある。
真ん中の限られた人たちだけではなく。
ひとりずつが呼吸している。それがわかる。
初日はたしかに、ヅカファンとしていろいろ驚愕する「お披露目初日」っぷりだった。
だが、スタート地点がそこであるからこそ、「これから」に期待する。
だって舞台の上の生徒たちは、客席のとまどいなんか関係なく、前へ向かって進もうとしているんだもの。
ドラマとしてアリでしょう。足りないことだらけだからこそ、そこからどんどん成長していき、最終的に栄誉を手にする、てのは。最初がきびしい状況であるからこそ、そこからどこまで行くのか、たのしみじゃないか。
それを期待できる「変化」が、舞台の上から感じられるんだもの。
動き出している。
変わりはじめている。
カラを付けたままのヒヨコが、あぶなっかしく……だけどたしかに立ち上がり、歩き出す様を見るときめき。
キラキラしてるよ。
わくわくするよ。
泣けてくるよ。
新しい時代は、はじまったばかりだ。