恋文。

2007年7月27日 タカラヅカ
 自分でもバカだなー、と思うけど。

 自分の書いた『マラケシュ』感想を一気読みして、大泣きした。

 や、文章の出来云々ではなく、自分の感想を記したモノを読み返すことで当時の記憶がありありと甦ったのな。

 リュドヴィーク@オサの孤独な微笑みが浮かんできて。
 泣く、ことより、微笑む、ことの方がかなしい姿なのだと教えてくれた。

 リュドヴィークが好きだった。
 匂い立つ美しさと、凄絶な孤独。

 なにも欲していない、そのままの姿で満ち足り、完全体であるようでいて……明らかに飢え、欠け、ゆがんでいる。

 その哀しさ。美しさ。

 「アテ書き」として役者の本質を引きずり出す荻田浩一の容赦のなさ。

 DVD等記録された映像では補完しきれない多彩さ。リュドヴィークはそのたび別人で、作品のカラーは変化した。変化し続けた。

 最後に見たのが博多座だったので、その印象がもっとも強い。
 よりリュドヴィークの孤独が際立っていた「群像劇」版の『マラケシュ』。リュドヴィークを取り巻く4人の女とひとりの少年。リュドヴィークの影と、リュドヴィークを追い続けた者。
 より耽美に、より荒涼と、赤い砂漠が広がる。

 ギュンター@みわっちを殺すときのリュドが、こわかった。
 ナイフを構え、嗤う。
 嗤う。

 ……タカラヅカのヒーローが決してしてはならない表情。殺人を悦楽とする顔。
 なにかがぷつんと切れ、なにかがむきだしなった……そんな嗤い。

 それほどのゆがみ。それほどの孤独。

 オリガ@ふーちゃんが、イヴェット@きほちゃんが、ソフィア@彩音ちゃんが、アマン@ゆまちゃんが、レオン@ゆみこが、指をさす。なにもない、舞台の奧。砂漠の果て。
 蛇@としこさんが踊り、クリフォード@まっつが残る。リュドヴィークの消えた舞台。砂漠の果て。

 リュドヴィークが、好きだった。
 彼の孤独、彼のゆがみごと、好きだった。

 彼の生きる、世界ごと好きだった。

 もう二度と会えない。
 甦る記憶は、新たな喪失の記憶となる。

 思い出し、甦り、また失う。
 失うことがわかっていてなお、思い出す。

 彼を想うことはそのまま、もう会えないという事実の確認だ。

 自分でもバカだなー、と思うけど。

 彼を想って泣くことすら、愛しいんだ。

 いつまでも、彼を想い、泣き続けたい。
 
 
 ……ついでに。
 自分の過去日記読み返すことで。
 わたしがどれだけまっつ好きだったか、改めて思い知らされたりな。
 なにまっつのこと、どさくさにまぎれてイロイロ語ってんだこのヒト?!(まっつファンだと、今のような意味で自覚してないのに!!)


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