恥ずかしい欠点。@あさきゆめみしII
2007年7月25日 タカラヅカ 『あさきゆめみしII』がつらかったのは、もちろん駄作だったからだが、なによりやはり笑えないことが大きかったと思う。
駄作は駄作でも、とりあえず爆笑することができるものはある。
植爺作『ベルサイユのばら』とかな。壮一帆主演の方の『さすらいの果てに』とかな(キム主演のはチガウ)。
複数回観れば、その壊れっぷりが不快で腹が立つだけになるだろうが、最初の1回はそのくだらなさとかバカっぷりに腹を抱えて笑うことが出来る。
数分に1回の割合でツッコミを入れつつ、茶化して眺めることが出来る。
ところが『あさきゆめみしII』には、ソレがない。
ただ、不快なだけだ。
『あさきゆめみしII』がどうダメなのか、もう論理立てて語る気にもならない。
それ以前の問題だ。
できるだけ作品そのままで、「ここをこうすればマシになる」とか考えるの大好きだけど、それすら考えたくない。
1から作り直せ。そのひとことだ。
すべてがダメダメなんだが、それにしてもひとつ、どーにもこーにも見過ごせないほど恥ずかしい欠点がある。
他のダメな点は「そもそも物語を書けないのに、書いた」ために、構成やキャラクタがめちゃくちゃ、「物語」にすらなっていない、という素人丸出しの欠陥ゆえのものだ。
だが、それとは別の、たとえ素人が作ったにせよ、どんなにめちゃくちゃであるにせよ、「コレをやると、すごく恥ずかしい」ことをやっているんだ。
それが、某作品にインスパイアされたのが丸わかりで、安易に設定その他をパクッて、大失敗しているということ。
某作品というのが『エリザベート』であることは、言うまでもないよな。
マンガの『あさきゆめみし』とミュージカル『エリザベート』はなんの関係もない。
なのに、まったく別の作品を勝手にミックスさせて、そして大失敗をしている。
草野オリジナル・キャラクタ刻の霊は、『エリザベート』のトートのパクリだし、場面や台詞にも『エリザベート』を彷彿とさせるものがちりばめられている。
パクリ、という言葉を安易に使いたくはない。
この世の創作物すべて、真の意味でのオリジナルなんつーものは、ほとんど存在しない。
みななにしから、影響を受けて創り上げられている。
「似ている」ぐらいでパクリとは言わない。言ってはならない。
元ネタがなにかわかることはあっても、それが別作品で別の意義で機能しているなら、それはパクリではない。
想像のきっかけとなっただけだ。
……ただ、元ネタが誰にでも容易にわかる程度にしか料理できなかったとしたら、パクリではないが創作者として「格好悪い」と思うだけのこと。
だが、草野の場合は。
元ネタがなにか丸わかりなうえに、無意味にコピーしている。
別の意義で別作品を作るのではなく、安易に「コレいいから、いただき☆」程度の安い感覚で、そのまま使っている。
元ネタと、今の作品が合っているかいないか、ソレが必要かどうかすら考えず。ただ使いたかったから使った。
それは、インスパイアではなく、パクリだろう。
や、草野の本心なんぞ知らないが、そう思える程度の恥ずかしいパクリっぷりなんだわ。
安易に人気作品をパクッてみました。
国と時代とキャラ名がチガウから、パクリぢゃないよ、平気だよ。
泣き虫でなにもできないダメっ子が、日常の中でのささやかな冒険や、仲間たちとの友情によって成長する物語、があったとする。
ソレをアニメ化するにあたって、オリジナル要素を入れることにした。
未来から犬型ロボットがタイムマシンでやってきて、ダメっ子に不思議な道具を与えて手助けする。
だって、現代日本の日常の物語だもん、ドラマ性に欠けるしぃ、長い原作を2時間のアニメスペシャルにまとめるなんてそもそも無理だしぃ、脚色は必要だってば。
パクリぢゃないよ、だって犬型ロボットだもん。
……犬型ロボットを出さなければ、描けない物語なのかソレは? ダメっ子が日常の中で経験する挫折や克服、友情は、ドラマにならないのか?
安易に別の人気作品の主役キャラをパクる恥ずかしさ。
作品の本質とはまったく無関係に。
原作すらゆがめて。
起承転結、時系列に出来事を並べることすらできないことも驚愕だが、他作品の主役キャラをパクってきてミックスさせる厚顔さにアゴが落ちる。
『ベルサイユのばら』という長大な原作を2時間半にまとめるために、「時間の妖精」というオリジナルキャラを作って、トート閣下と『エリザベート』もどきの場面を作らないだけ、植爺はマシなのかもしれん……。
モノを作れない、ことも恥ずかしいが、作れないうえにてきとーに他作品からパクる、というのは、もっと恥ずかしいことだ。
「盗作」ではないよ。
『あさきゆめみしII』と『エリザベート』、この程度の類似点では「盗作」にはならない。だってもともと原作『あさきゆめみし』と『エリザベート』は別の作品だから。
だけど、恥ずかしい。
草野が手を加えた部分、彼のオリジナル部分が。
原作にないものをわざわざパクって付け加えるなんて、ふつーの感性なら思いつかない。原作をただ舞台化すればいいだけなのに。
ただ舞台化、する能力がないから、よそからパクる。強引な合体で、原作が壊れても関係なし。
すげえや。
創作者としての、品性の問題。
悪気はないんだろうな、草野せんせ。
善良そうなおじさんだもんなー。
駄作は駄作でも、とりあえず爆笑することができるものはある。
植爺作『ベルサイユのばら』とかな。壮一帆主演の方の『さすらいの果てに』とかな(キム主演のはチガウ)。
複数回観れば、その壊れっぷりが不快で腹が立つだけになるだろうが、最初の1回はそのくだらなさとかバカっぷりに腹を抱えて笑うことが出来る。
数分に1回の割合でツッコミを入れつつ、茶化して眺めることが出来る。
ところが『あさきゆめみしII』には、ソレがない。
ただ、不快なだけだ。
『あさきゆめみしII』がどうダメなのか、もう論理立てて語る気にもならない。
それ以前の問題だ。
できるだけ作品そのままで、「ここをこうすればマシになる」とか考えるの大好きだけど、それすら考えたくない。
1から作り直せ。そのひとことだ。
すべてがダメダメなんだが、それにしてもひとつ、どーにもこーにも見過ごせないほど恥ずかしい欠点がある。
他のダメな点は「そもそも物語を書けないのに、書いた」ために、構成やキャラクタがめちゃくちゃ、「物語」にすらなっていない、という素人丸出しの欠陥ゆえのものだ。
だが、それとは別の、たとえ素人が作ったにせよ、どんなにめちゃくちゃであるにせよ、「コレをやると、すごく恥ずかしい」ことをやっているんだ。
それが、某作品にインスパイアされたのが丸わかりで、安易に設定その他をパクッて、大失敗しているということ。
某作品というのが『エリザベート』であることは、言うまでもないよな。
マンガの『あさきゆめみし』とミュージカル『エリザベート』はなんの関係もない。
なのに、まったく別の作品を勝手にミックスさせて、そして大失敗をしている。
草野オリジナル・キャラクタ刻の霊は、『エリザベート』のトートのパクリだし、場面や台詞にも『エリザベート』を彷彿とさせるものがちりばめられている。
パクリ、という言葉を安易に使いたくはない。
この世の創作物すべて、真の意味でのオリジナルなんつーものは、ほとんど存在しない。
みななにしから、影響を受けて創り上げられている。
「似ている」ぐらいでパクリとは言わない。言ってはならない。
元ネタがなにかわかることはあっても、それが別作品で別の意義で機能しているなら、それはパクリではない。
想像のきっかけとなっただけだ。
……ただ、元ネタが誰にでも容易にわかる程度にしか料理できなかったとしたら、パクリではないが創作者として「格好悪い」と思うだけのこと。
だが、草野の場合は。
元ネタがなにか丸わかりなうえに、無意味にコピーしている。
別の意義で別作品を作るのではなく、安易に「コレいいから、いただき☆」程度の安い感覚で、そのまま使っている。
元ネタと、今の作品が合っているかいないか、ソレが必要かどうかすら考えず。ただ使いたかったから使った。
それは、インスパイアではなく、パクリだろう。
や、草野の本心なんぞ知らないが、そう思える程度の恥ずかしいパクリっぷりなんだわ。
安易に人気作品をパクッてみました。
国と時代とキャラ名がチガウから、パクリぢゃないよ、平気だよ。
泣き虫でなにもできないダメっ子が、日常の中でのささやかな冒険や、仲間たちとの友情によって成長する物語、があったとする。
ソレをアニメ化するにあたって、オリジナル要素を入れることにした。
未来から犬型ロボットがタイムマシンでやってきて、ダメっ子に不思議な道具を与えて手助けする。
だって、現代日本の日常の物語だもん、ドラマ性に欠けるしぃ、長い原作を2時間のアニメスペシャルにまとめるなんてそもそも無理だしぃ、脚色は必要だってば。
パクリぢゃないよ、だって犬型ロボットだもん。
……犬型ロボットを出さなければ、描けない物語なのかソレは? ダメっ子が日常の中で経験する挫折や克服、友情は、ドラマにならないのか?
安易に別の人気作品の主役キャラをパクる恥ずかしさ。
作品の本質とはまったく無関係に。
原作すらゆがめて。
起承転結、時系列に出来事を並べることすらできないことも驚愕だが、他作品の主役キャラをパクってきてミックスさせる厚顔さにアゴが落ちる。
『ベルサイユのばら』という長大な原作を2時間半にまとめるために、「時間の妖精」というオリジナルキャラを作って、トート閣下と『エリザベート』もどきの場面を作らないだけ、植爺はマシなのかもしれん……。
モノを作れない、ことも恥ずかしいが、作れないうえにてきとーに他作品からパクる、というのは、もっと恥ずかしいことだ。
「盗作」ではないよ。
『あさきゆめみしII』と『エリザベート』、この程度の類似点では「盗作」にはならない。だってもともと原作『あさきゆめみし』と『エリザベート』は別の作品だから。
だけど、恥ずかしい。
草野が手を加えた部分、彼のオリジナル部分が。
原作にないものをわざわざパクって付け加えるなんて、ふつーの感性なら思いつかない。原作をただ舞台化すればいいだけなのに。
ただ舞台化、する能力がないから、よそからパクる。強引な合体で、原作が壊れても関係なし。
すげえや。
創作者としての、品性の問題。
悪気はないんだろうな、草野せんせ。
善良そうなおじさんだもんなー。