「緑野さん、コレを複数回観てるんですか」

 ……って、そーだよ、複数回観てるよ。
 観てますよ、仕方ないじゃん、うわああぁぁあん!!

 
 観劇した人たちがもれなく「聞きしにまさる駄作」と嘆息する『あさきゆめみしII』

 あまりに全員同じ言葉から感想を語るので、「誰かどっかで『お約束』にしているの?」って思うくらい、友人たちはみんな観劇後に「聞きしにまさる……」って言うのよ。
 人間の語彙を奪うってすごくね?

 1回観ただけで辟易、観劇することが時間と金の無駄に思える、驚異の大駄作。

 そんな最悪作を重ねて観ているんですよ、オサ様への愛ゆえに。
 オサ様じゃなかったら、オサ様が退団じゃなかったら、二度と観るもんかぁああ。号泣。

 
 今年の駄作ランキングNo.1を『パリの空よりも高く』と『バレンシアの熱い花』とこの『あさきゆめみしII』とで争っていると前に書いた。
 それは自分的に冷静になろう、客観的になろうと努力してのことだ。

 わたしは『あさきゆめみしII』がいちばん許せなかった。
 だが待てよ、それは私怨が入ってないか? 贔屓組の花組で、オサ様主演で、しかも退団まで間がないオサ様の貴重な1作がコレだってことで、作品以外の部分での憎しみゆえに、嫌悪感が大きくなっているだけじゃないのか?
 『パリの空よりも高く』だって『バレンシアの熱い花』だって、ひどい話じゃないか! ストーリーガタガタ、ヒロイン不要、起承転結崩壊、キャラクタ人格破壊の『パリ空』、主人公がバカか卑劣の二択か両方、逆ツボの偽善者とそれをマンセーする世界観、散漫で全部が中途半端、古くさい紙芝居の『バレンシア』。このふたつと比べて、『あさきII』はそんなにひどい話か?

 ひどいよ。

 初日を観たときは、わたしの私怨ゆえかもしれないと思ったさ。それくらい、怒りも絶望も深かったからな。
 でも、日が経つにつれ、観劇した友人たちが次々に「聞きしにまさる……」と言うのを聞いて、客観的に観ても、駄作なんじゃん!と、自信を持ちました……。

 自分の判断力を見失うくらい、混乱しましたことよ。

 とくにkineさんに同意を得て、よーやく納得しました。『あさきゆめみしII』を最悪だと思うあたしはまちがってない、私怨だけじゃない、と。

「だって『あさきゆめみしII』は、物語にすらなってないじゃないですか。『パリ空』と『バレンシア』は最低限、物語にはなっていたから、比べる次元からしてチガウ」

 その冷静さと賢さに定評のある友人の言葉に、霧が晴れる思いです。
 そして、冷静な友人は、感情的に「草野許すまじ!!」と叫ぶわたしとちがい、「いちばん悪いのは、この企画を通した人間」と指摘。

 他に比較するものがなく、なんでもありがたがられたモノのない時代に「おいしい料理」を作ることが出来た老料理人が、そのままの感覚でこのモノのあふれかえった現代に作った「まずい、時代遅れの料理」。

 料理をしたことのない、包丁すら握ったことのないふつーのおっさんが、「米って洗うんだっけ? 洗剤はどれ使えばいいんだ?」レベルの知識でてきとーに作った「料理とも言えない、そもそもコレ食べたら腹こわすだろ、な料理」

 どちらも金を出して高いレストランでわざわざ食べたくはないが、最低限、前者の料理はまずくても腹をこわさずにすむから、「料理」と呼んでいい。

 そして、米を洗剤で洗ったよーな料理を、レストランで客相手に出すことは許せないことなんだが、ここでいちばん悪いのは、料理に無知なおっさんではなく、そんなただのおっさんに商売用の料理をさせた店のオーナーだ。

 たしかに、草野は愚鈍だ。
 少しでもセンスがありゃあ、あそこまでひどいものは作らないだろう。

 だが、いちばんの問題は、無能な者に演出をさせたことだろう。

 たとえ草野が「やりたい」「自信がある」と言ったとしても、経営側がソレを止めるべきだったんだ。
「キミには才能がない。商売として成り立たないから、キミに任せることは出来ない」
 と、言い渡すべきだった。

 プロ用の厨房とすばらしい食材があったって、「米って洗うんだっけ? 洗剤はどれ使えばいいんだ?」レベルの人間がなにをしたって、それはそもそも「料理」にはならないのだから。
 レストランで客に喰わせていいものじゃないから。

 真に憎むべきは、演出家の草野ではなく、彼に無能ぶりを遺憾なく発揮させた劇団である。

 
 と、理解してなお、感情はおさまらない。
 「草野、許すまじ!!」握り拳で叫び続けるわー。くっそぉ、あたしのオサ様になんてことするのよ〜〜。

 
 わたしは心が狭い。
 わたしは愛が足りない。

 と、今回しみじみと思い知った。

 オサ様は大好きだし、花組の組子たちも好きだ。
 宝塚歌劇団自体を愛している。

 そして舞台上では、退団まで日がないオサ様が、見事な歌唱力と表現力で、このどーしよーもない駄作を牽引している。

 それだけで、何故わたしは納得できないのだろう。

 客席を埋め尽くした見知らぬオサ様ファンの人たちは、こんな作品なのにオサ様に酔い、オサ様に号泣しているじゃないか。
 それこそが正しいファンの姿であり、正しい人の姿ではないのか。

 オサ様の美しさや歌声に単体で酔うことはできても、次の瞬間作品のひどさに心が冷え、怒りがわく。
 その繰り返しで、ついに一度も作品中に泣くことができなかった。涙腺弱すぎ、なに観ても泣きます!なこのわたしが。

 心はしらじらと冷め、嫌悪感と戦うのに必死だった。

 わたしはこんなに、心が狭かったのか。や、ふつーより狭いだろうとは思っていたけれど、ここまで狭かったのか。
 わたしはこんなに、愛が足りなかったのか。基本多情で移り気、多くの人を「ダイスキ」だと思っている人間なんで、ひとりだけを一途に愛している人よりぜんぜん足りていないだろうと思っていたけれど、ここまで足りなかったのか。

 ちょっとショックだ。

 好きな人が充実した姿を見せてくれている。……それだけで他のすべてを忘れられるほどの、愛や度量を持たない人間なんだ。
 や、これまでもそうだったけど。かしちゃんを好きだと思っても、草野作『ザ・クラシック』を観たくなくてろくな回数劇場に行けなかったしな。わたしはそーゆー人間だけど。

 オサ様へのキモチはまた、他のジェンヌさんとはまったく違っているから、超えられるかと、自分を買いかぶっていた。
 わたしは所詮わたしでしかなかった。愛も寛容さも足りない、小さな人間だ。

 オサ様への想いと、作品への憎しみで心がまっぷたつ、苦しくて苦しくてたまらない。

 退団公演が『あさきゆめみしII』や『皇帝』レベルのものでないことを、祈るばかりだ。


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