親を殺した犯人を、許せるかどうか。

 『太王四神記』には、妊婦と出産がてんこ盛りだが、「殺される親」もてんこ盛りなんだよなー。妙な話だよまったく。

 描かれ方に問題ありまくりだと思うし、イケコ脚本はわたしの理解の範疇にないのでスルーするとして、ポイントのみを考える。

 主人公タムドク@まとぶんと、準主役ヨン・ホゲ@ゆーひ。
 ふたりの男たちは共に、愛する人に、親を殺された。

 ホゲの母は親友タムドクに殺され、タムドクの父は恋人キハ@彩音ちゃんに殺された。
 真実はどうあれ、事実としてあるのはこの事柄。

 その結果として、ホゲはタムドクを許すことが出来ず自滅し、タムドクはキハを許してハッピーエンドだ。

 ほんとうのところキハはヤン王@星原先輩を殺してはいないんだけど、たとえ親殺しの犯人であったとしても、タムドクはキハを許している。
 ほんとうのところタムドクはホゲ母@じゅりあを殺していない、彼女の罪を公にすることなく自殺させたことは、彼女と彼女の家族の地位と名誉を守る行為であったわけだし、そんなことはホゲだってわかっていそーなもんだが、ホゲはタムドクを許さない。

 罪を許すか、どうか。

 いい悪いではなく、同じ事柄に対する反応の差がふたりの男の性格の違いであり、魅力だと思う。

 相手を愛しているがゆえに、その罪を不問にする。それほど愛していたのか。憎しみや恨みを超えるほどの大きな愛、寛大な性格。
 相手を愛しているがゆえに、その罪を決して許さない。愛するがゆえに、憎しみや恨みは深くなり、心の闇は広がる。
 どちらが優れているとか愛が深いとかいうことではなくて。
 愛の大きさが同じであったとしても、性格の違いからまったく逆のベクトルに向かうことが、おもしろいなと。

 傷ついたときに「都合のいい言葉」を与えてくれた美女キハに対して、依存的に恋をする、という展開まで、ふたりの男の立場は同じだ。
 チガウのは、与えられた「都合のいい言葉」がタムドクに対してはキハ自身の言葉であり、ホゲに対してはプルキル@壮くんの策略でしかなかったということ。
 ホゲが破滅に向かったのはプルキルという悪意の存在があったためで、それがなけりゃただのケンカや誤解で済んだんだろう。

 いくらでも話し合う余地はあったのに、タムドクとホゲは互いの歩み寄りをしない。
 タムドクは無知で鈍感な子どもなので「親友を失った」と自己完結して、「言い訳をしない」ことで責任逃れをしている。言い訳をしに行けよ、なじられても殴られても、ホゲを愛しているなら、彼の苦悩を和らげるために会いに行けよ、と思うがな。
 言い訳をする(誤解を解く)、というのは自分のためだけではなく、相手のためにもなることだと、理解しない。自分ひとりが悪者になればいいと思っている。憎まれることで罰を得ているつもりかもしれないが、憎むことになる相手のことは考えない。憎むことだって、つらいのに。
 タムタムのアホさは置くとして、親友を殴りに行けなかったホゲにも、歪みがあった。
 タムドクに裏切られた、母を殺されたと思うホゲは、ストレートにタムドクに対して怒りを発散できなかった。
 キハ(=プルキル)によって、「野心」を植え付けられてしまったから。

 母を殺されたといっても、冷静に考えればそれは乗り越えられないことではなかった。
 むしろ、タムドクのもとにひざまづき、母の罪の許しを請わなければならない立場だ。

 それでもホゲは、そうしなかった。
 「ホゲこそがチュシンの王」だと吹き込まれることで、自分にとって楽な方へ流れてしまった。
 「心をさらけ出して話し合う」ことより、「なにも話さず憎む」方が楽なんだよね。
 タムドクが親友のもとに駆けつけて許しを請うことをせず、「言い訳しない、親友を失った」と楽な方に自己完結したように。

 「他者と理解し合う」ということは、ほんとうに大変なことなんだ。
 そのためには「自分」をさらけ出さなければならない。
 隠していた部分、知られたくない部分も明るみに出し、粉々になるまでやりあわなければならない。
 「親殺し」という事柄を軸に、話し合うにはそこまでやらないと、未来はない。
 自己を破壊し、再構築しなければならない。
 子どもならともかく、すでに自我や羞恥心、矜持のある思春期以降にコレに耐えられるモノはそういないだろう。や、結局は乗り越えられるとは思うが、あえてやりたいとは思わないだろう。

 でもね。やるしかなかったんだよ。
 きっとひどい罵りあいになる。今まで隠していた劣等感やねたみそねみ、負の感情、闇の部分が全部明るみに出、羞恥ゆえに死にたくなるくらいの精神サンドバック、精神レイプ状態になるだろーけど、それでも、やるべきだったんだ。
 相手を、愛しているなら。
 これからも、親友でいたいと思うなら。

 それを乗り越えれば、きっとこれまで以上に絆は固くなる。強くなる。
「君が王なら僕は将軍になる」……言葉通りに、賢王と知将の治世は繁栄をもたらしただろう。

 だけど、できなかった。
 タムドクもホゲも、そこまで自分が辛い思いをする気はなかった。
 苦しんで愛を貫くより、楽に別れる方を選んだ。

 タムドクはもともとのアホさゆえに、ホゲはプルキルがいなければ、直接タムドクへ怒りを向けただろうから、絆を深める結果になる可能性もあったが、プルキルの讒言に乗ってしまった。
 結局ふたりとも楽な方に逃げただけ。

 そこから芋蔓式に悲劇ははじまる。

 因果は巡る、親友にした行いを、タムドクはそっくりそのまま恋人からされることになる。
 つまり、親を殺され、それに対しての言い訳や説明なしでバックレられる、という。
 真実をきちんと話してくれれば、タムドクの苦悩はなかったのに、キハはソレをしない。
 殺人という出来事の真偽よりも、知りたいのは心であるはず。ホゲがそうであったように。だけど、ホゲのときのタムドクと同じように、キハもなにも語らない。

 もしもここでタムドクのもとに、悪意で讒言するモノがいれば、タムドクの人生も歪んだだろう。
 なにしろバカだし、タムタム。

 しかし。
 そーゆー悪者を近づけない徳が、タムドクにあるんだな。彼はアホの子だが、無知であるがゆえの寛大さを持つので、なにも知らない子どもに保護者が同伴するように、また子どもたちが集まってくるように、タムドクの周囲は悪者の入る余地がなくなっていた。
 このへん、運とタイミングだよなー。しみじみ。

 そしてタムドクはまたしても、自分を木っ端みじんにして真実と向き合うことはなく、ただキハを「許す」。
 許すことで、「別れる」。
 憎むことすらしない。
 憎むのも根性のいることなんだが、それすらしないで、いちばん楽な「見なかったことにして許し、無関係になる」ことを選ぶ。
 ……成長してねえ! ホゲにしたのと同じことを、まだ繰り返すかこの男!(笑)

 それでもタムドクは生まれたときから運に恵まれているので、どれだけ彼がアホでも無責任でも、周囲がいい方へ運び、結果オーライでハッピーエンドになる。
 運が悪いホゲは自滅、死ぬことでしか救われないという悲惨な人生を送る。

 どちらがいいとか悪いとかではなく。
 単純に、おもしろいと思うの、ふたりの男の性格と、人生。

 自分の心を守るために、許す男タムドク。
 自分の心を守るために、憎む男ヨン・ホゲ。

 許すという愛情の深さ、憎むという愛情の強さ。

 自己愛の激しさと、愛ゆえの愚行。
 まちがった人間、好きだから。

 アホで無神経なタムドクも、歪んだホゲも、きちんと闇を見据えて描くのはたのしいと思う。魅力だと思う。
 ……イケコ脚本では、疑問符しかないけど(笑)。そこはスルーして。

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