なにしろ、「運命」の恋なので。
 初日から号泣している『My dear New Orleans』、散漫なところ、浅いところは脳内補完しております。

 特に人種差別と「アイーダの信念」あたりは、いくらなんでもとってつけた感が強く、うすっぺらいので歌だけ聴いてスルーしています。
 恋愛にかまけて仲間を見捨ててるっぽいジョイの男ぶりが下がるしさ、あのへんで。
 大人の演じる幼児が苦手だという個人的都合もあり、すぐに孤児を出す景子タンの手法(ex.『堕天使の涙』)に引く部分もあるんだがまあ、少しでも役を多くしようという努力の表れなら仕方ないのかなあと思ってみたりなんだり。

 てゆーかもー、メロドラマに終始してくれていいよ。

 ジョイ@トウコの「青春の我が町を振り返る物語」として、一点集中して観ているから。

 脳内では少年少女時代も、トウコとあすかだから(笑)。
 子役のミッキーやキトリに含みがあるわけではなく。

 ジョイとルル@あすかの「運命」の恋にだけオペラグラスを合わせて観ていると、十分ドラマティック。

 ええ、ぶっちゃけ大劇場でやる話ぢゃないってだけなんですけどね。
 少人数でバウでやるべき内容であり、演出なんですがね。

 主人公とその恋人の、繊細な心の変化やすれ違い、会話によるやりとりを楽しみ、直接描かれていない行間を読むもので、2500人劇場で役者の顔も見えない状態で、一見さんや団体客相手にやるべき内容じゃない。
 大劇場用にとってつけた部分がみんな、上滑りしている印象。
 バウで少人数でやっているなら、アンダーソン@しいちゃんとレニー@れおんは、役をふたつに分ける必要はなく、リチャード@『HOLLYWOOD LOVER』ひとりで事が足りたんだ。
 『ハリラバ』の焼き直しだから仕方ないっちゃ仕方ないんだが、料理の仕方をあちこちミスっているなと。

 てなことは置くとして、とにかく、メロドラマ上等。

 出会いのときからずっと心をつないで、10年後の再会に至るわけだから、その後の展開も納得なのよ。
 ジョイがルルをストーカーするのも、変じゃないの。ルルだってわかってるの。パーティ会場で別れてハイおしまい、でないことは。
 心を閉ざしているルルは、なにかにつれ壁を作るふりをするけれど、ふりでしかない。
 ルルの部屋で「Sweet Black Bird」をジョイが歌ったその日から、ふたりは恋人同士としてつきあってるんだよね。あまりに演出不足でわかりにくいけど。
 ルルの部屋からジョイが出勤していくとか、あたりまえにあるわけだよね。
 レニーが嫉妬して邪魔をしてくるくらいには、ちゃんとつきあっていたんだよね。

 少年時代の出会いが子役だから「運命」の恋を印象づけにくいわ、再会後の「恋人同士」としてのジョイとルルを描いてくれないわで、景子タン演出のままだとジョイが独り相撲の残念な人になってますよ、どうしましょう。
 10年も前に一度会っただけ、ちょっと喋っただけの女の子がすげー美人になっていたからストーカーして家まで押しかけ、ラヴソング歌って口説いて、でもとくにナニもしていないうちからつきまとっていることが周囲にばれて、見せしめに職を閉ざされ仲間に迷惑を掛けている男、になってますがな。
 しかも肝心の彼女には、衆人のもと「アンタなんか相手にするわけないじゃない」と切り捨てられて。なんかすげー恥ずかしい男に成り下がってますけど?!

 そーぢゃなくて、ほんとにジョイとルルはつきあってたんだってば。エロエロもいちゃいちゃもしてたんだってば。
 自然に息をするように、砂が水を吸い込むように、ふたりでいることが正しいことだったんだよ。

 なんでその場面を描かないのかな。
 心を閉ざしたままのルルがそれでもふと、ジョイに寄り添って真実の顔を見せそうになって、はっとして身を翻す、そんな関係であったとしても、たしかに「愛」によってふたりは共に過ごしていた。
 ルルがありのままの心を開かないのは、彼女の半生にもあるし、アンダーソンの愛人である現在の立場もある。
 そこが引っかかったまま、大人であるところのジョイとルルは愛を重ね、躰を重ね、ある意味ままごとのような時を過ごしていたのに。

 自分の立場とジョイを守るために、ルルがわざとジョイを突き放す。
 「カンチガイしないでよ」と嘯き、アンダーソンに口づけるルルと、それに傷つくジョイのせつなさが際立つんじゃないか。

 ラヴラヴな部分を描かず、いきなり突き放されてもなー。ぶつぶつ。

 恋人としてつきあっていたのに、いきなり拒絶されたもんだから、納得できないジョイは再度彼女に詰め寄り、今度こそ心を得る。
 心のままに生きることなんかできない、生まれてきて良かったと思えない……そんな傷つききった彼女に、未来を、希望を見せる。
 ふたりでやりなおすこと。
 囲われ者のままつきあうのではなく、ふたりだけで生きる未来を。希望を。

 と、持ち上げておいて、レニーのおイタによって全部おじゃん、弟の命と引き換えにルルはアンダーソンと共にサンフランシスコへ行くことになる。

 ルルの家族の描き方も問題ありまくり、ツッコミありまくりなんだけど、まあそれも置いておいて。

 重要なのはメロドラマだから。
 ふたりで手に手を取って愛の逃避行! と盛り上がったところで、女は愛以外の足枷で泣く泣く別れなければならない、というのがポイントですから。ソコへ持っていくための筋立て道具立てが多少変でも強引でも気にしていては負けだ!

 ジョイからしてみりゃ、

1・少年時代に出会った「運命」の恋
2・奇跡の再会
3・ラヴラヴ恋人時代
4・突然の拒絶!
5・拒絶したのは、彼女の心のキズゆえだった! 理由がわかって納得!
6・過去を乗り越えて、ふたりで愛の地平線! ←今ココ

 5章と6章の間で、レニーがバカやってルルがさらに足枷つけられちゃったことなんて、知りようもないから。
 将来を誓い合った恋人に、「さあ、一緒に行こう!」と未来予想図掲げてやってきて、まさか置き去りにされるとは、思ってないから。

 ジョイは最初から最後まで、一貫している。気持ちはまったく途切れていない。
 だから、出来事のひとつひとつに素直に揺れ動く。
 つれなくするルルに追いすがり、かき口説きもするし、騙されて置いていかれて、呆然ともする。

 ジョイの心の揺れ、そしてその恋を凝視する。
 世界の命運も国の未来も関わらない、たかが市井のひとりの男の恋、でしかない、小さな小さな物語。

 だけど。

 そこには、多くのものが、凝縮されている。

 人間の細胞の中に宇宙があるように、ありきたりなふつーの男の恋に、人生に、安蘭けいの、男役集大成がある。

 繊細で、リアルな表現。
 痛々しさ、切なさ、みじめさ。
 こぼれる愛と、よろこび。ついでに、エロ(笑)。

 見たかったトウコが、たしかにそこにある。

 ジョイを見つめ、ルルを愛し、ジョイの愛を受け止めて。
 彼の人生に、涙する。

 「生まれてきて、良かった」……ルルの最後の言葉に、人生の答えを得て、よろこびの声を上げる。

 なにひとつ、まちがってなんか、いなかった。

 寄り道、回り道に思えたことも。
 つまずきも、涙も、逡巡も。
 全部全部、肯定して。

 仲間たちのいる世界で、ジョイは微笑んで旅立っていくんだ。

 ダイスキだよ、ジョイ。そして、ジョイを息づかせてくれる、トウコちゃんがトウコちゃんであることすべてを、ダイスキだと思う。

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