版権モノは大変だ。@麗しのサブリナ
2010年8月6日 タカラヅカ ここまで、著作権についてうるさく言われる公演があったろうか。
『麗しのサブリナ』は、スカイステージにて、前代未聞の放送制限されまくっている。
今まで『エリザベート』など「3分以上の放映ができない」とかいう制限はあった。そのため通常15分放送していた「ステージ・インフォメーション」が3分の縮小版だったりはした。
だが、タカラヅカニュースではふつーに放送された。本編3分間であったとしても、フィナーレや挨拶も付けて、ふつうの分数、ふつうの回数。
それが『麗しのサブリナ』は、ありえない制限。
名だたる海外ミュージカル以上の制限を付けまくるほどお高いお高い『麗しのサブリナ』様だ、きっと公演本編にも制約が山ほどあったんだろう。
台詞を変えてはならないとか、場面順を変えてはならないとか、理不尽な制約を突きつけられ、仕方なかった部分も沢山あるんだと思う。
思う、けどさ。
もう少しなんとかならなかったのかねえ。
……スカステへの文句ではなく、中村A演出についてです、ええ(笑)。
『麗しのサブリナ』は、とてもかわいい物語だ。
わたしは好きだ。
きゅんと切なくて、じんわり泣ける素敵な物語。
でもさ、全体的な平坦さ、盛り上がらなさと、つなぎの悪さ……よーするに、わかりにくさはどうなの、と思う。
わかりにくいのよ、全体的に。
それで盛り上がりにくいのよ。
なにしろ初っぱなから、ライナス@まとぶんがラヴソングを歌うし。
物語と無関係なオープニングでなら、ナニを歌ってくれても構わない。それこそ植爺の『ベルばら』みたいに、本編と無関係のドレスきらきら壮大ソングでも。
だけど『麗しのサブリナ』は、オープニングなし、いきなり本編だ。
ストーリーテラー@みわっちが人物紹介をする中、ライナスがラヴソングを歌い出す。
現在進行形の歌だ。今現在、恋人がいる歌だ。
何故、この歌……?!(白目)
ライナスの設定は、堅物で女に興味なしの仕事人間だ。妻も恋人も愛人もいない。
なのに何故、「登場人物紹介」で「ラヴソング」なんだ。どんなキャラかわかんなくなるだろーが。
そして、サブリナ@蘭ちゃんとの出会い。
……使用人の娘だからもちろん知ってはいるけれど、彼女を気に掛けるきっかけとなる事件。
それが、「締め切ったガレージでたかだか車1台のエンジンを吹かすことで一酸化炭素中毒で死のうとする」サブリナを、そうとは知らず助けてしまうコトなんだが、ここでなんで一言「死ぬ気か?!」とか「扉を開けておかないと死ぬぞ」って言ってくんないのかなー。
自殺未遂、を台詞で印象づけて欲しいんだが、そのものズバリを言ってはいけないという原作の縛りがあったのか?
そしてなにかと苦しい「くすりと笑える会話で、とーとつに暗転」。
洋画によくある手法だけど、ここでは成功しているとは思えない……。オシャレな会話がテンポ良く展開され、ここぞってなときにぶった切るから「くすっ」とできるわけで、もったりした演出とのっそりした暗転では、観客が置き去りにされまつ……。
それなら会話途中で暗転させず、その後のオチまで芝居を続けてしまえばいいのに。
フェアチャイルド@はっちさんの「まだ好きです」はいいとしても、デイヴィッド@壮くんとライナスの「女にいくら掛かったか」は空回りが半端ナイっす……。
第一、その「オシャレな会話」ってのが、現代語ではないっつーか、なめらかに感じられないんですが、あちこち。
もう少し、「今」わかりやすい表現があるだろうと。
原作の台詞を変えてはいけないせいなのかもしれんが。
んで、暗転がのっそりしたイメージなんだが、とにかく場面場面のつなぎが悪い。
ひとつの場面が終わると、しばらくぼーっとした時間がある。盆が回るのを待たされたり、えんえん暗転だったり。
ストーリーテラー@みわっちがいるんだが、彼は途中から「ウォーリーを探せ!」的にモブに混ざっている妖精さんになり、ストーリーを語ってくれなくなる。
時間と場面転換稼ぎの暗転や装置移動させてるときに、語り部さんを使えばいいのにー。あらすじを言わなくてもイイから、前場面と次とをつないでくれるだけでいいのに。
カーテンの有無と立ち話で話を進める植爺も大概だが、すべての場面ごとに数秒必ずぼーっと待たされるのは、起動の遅いPCやロード時間の長いゲームみたいで、興醒めするんだよなあ。
それとも場面ごとに数秒黒画面やなにもない画面を入れる、とか、契約条項に入ってるのかしら。
で、実は物語が平坦になっているいちばんの理由は、主人公の考えていることがわからないことにある(笑)。
サブリナの気持ちが揺れ動いているのはよくわかる。
が、いくらタイトルロールがサブリナでも、ここは男役至上主義のタカラヅカ、ライナスがどう考えているかが重要なポイントのはずなんだが。
女に興味ナシの堅物のはずが、ラヴソングを歌って登場したところからすでに相当アレなんだが、その後も彼は実にわかりにくい。
彼がいつサブリナを愛したのか、表現する場がナイんだ。
サブリナ中心で心情が盛り上がって歌、とか、幻想のダンス場面、とかにはなるけど、ライナスの心情中心ではない。
愛し合っているんだけど、すれ違っている、という図式にならない。ライナスがわかりにくすぎて。
ふつーここでライナスの心情吐露の歌とか入れるべきだろう!てとこで、のったり暗転、ふつーここで主人公たちの気持ちを盛り上げるだろう!てとこで、のったり暗転。
おーい。
板挟みになっているサブリナとライナス、それぞれの苦しい胸の内を歌にするとか、できるだろうに。
サブリナはともかく、ライナスこそは「騙す立場」である以上、苦悩させておいた方が、それを全部ひっくり返す展開が生きるだろうに。
ライナスは言動不一致、やることがころころ変わるんだが、そうなるまでの気持ちがわかりにくいので盛り上がらない。
うん、きっと相当きつい原作縛りがあるんだな。
映画と舞台、ストレートプレイとミュージカル、表現方法がチガウんだってことを、アタマの固い原作サイドが認めてくれなかったのね。
それでこんな「映画なら良かったかもしんないけど、舞台でこれはどうよ」な演出がてんこ盛りなんだわ。
悪いのは著作権とか版権とかそっちの方なのよね、中村せんせ?
『麗しのサブリナ』は、スカイステージにて、前代未聞の放送制限されまくっている。
今まで『エリザベート』など「3分以上の放映ができない」とかいう制限はあった。そのため通常15分放送していた「ステージ・インフォメーション」が3分の縮小版だったりはした。
だが、タカラヅカニュースではふつーに放送された。本編3分間であったとしても、フィナーレや挨拶も付けて、ふつうの分数、ふつうの回数。
それが『麗しのサブリナ』は、ありえない制限。
花組公演『麗しのサブリナ』稽古場、舞台ダイジェスト映像放送予定↑スカイステージ公式HPより
●宝塚大劇場公演 稽古場映像
7月29日(木)「タカラヅカニュース」22:00放送回のみ
●宝塚大劇場公演 初日映像
7月31日(土)、8月1日(日)「タカラヅカニュース総集編」で、全ての放送回
●宝塚大劇場公演 新人公演映像
8月19日(木)「タカラヅカニュース」22:00放送回のみ
●宝塚大劇場公演 千秋楽映像
8月31日(火)「タカラヅカニュース」 12:00放送回、22:00放送回の2回
名だたる海外ミュージカル以上の制限を付けまくるほどお高いお高い『麗しのサブリナ』様だ、きっと公演本編にも制約が山ほどあったんだろう。
台詞を変えてはならないとか、場面順を変えてはならないとか、理不尽な制約を突きつけられ、仕方なかった部分も沢山あるんだと思う。
思う、けどさ。
もう少しなんとかならなかったのかねえ。
……スカステへの文句ではなく、中村A演出についてです、ええ(笑)。
『麗しのサブリナ』は、とてもかわいい物語だ。
わたしは好きだ。
きゅんと切なくて、じんわり泣ける素敵な物語。
でもさ、全体的な平坦さ、盛り上がらなさと、つなぎの悪さ……よーするに、わかりにくさはどうなの、と思う。
わかりにくいのよ、全体的に。
それで盛り上がりにくいのよ。
なにしろ初っぱなから、ライナス@まとぶんがラヴソングを歌うし。
物語と無関係なオープニングでなら、ナニを歌ってくれても構わない。それこそ植爺の『ベルばら』みたいに、本編と無関係のドレスきらきら壮大ソングでも。
だけど『麗しのサブリナ』は、オープニングなし、いきなり本編だ。
ストーリーテラー@みわっちが人物紹介をする中、ライナスがラヴソングを歌い出す。
現在進行形の歌だ。今現在、恋人がいる歌だ。
何故、この歌……?!(白目)
ライナスの設定は、堅物で女に興味なしの仕事人間だ。妻も恋人も愛人もいない。
なのに何故、「登場人物紹介」で「ラヴソング」なんだ。どんなキャラかわかんなくなるだろーが。
そして、サブリナ@蘭ちゃんとの出会い。
……使用人の娘だからもちろん知ってはいるけれど、彼女を気に掛けるきっかけとなる事件。
それが、「締め切ったガレージでたかだか車1台のエンジンを吹かすことで一酸化炭素中毒で死のうとする」サブリナを、そうとは知らず助けてしまうコトなんだが、ここでなんで一言「死ぬ気か?!」とか「扉を開けておかないと死ぬぞ」って言ってくんないのかなー。
自殺未遂、を台詞で印象づけて欲しいんだが、そのものズバリを言ってはいけないという原作の縛りがあったのか?
そしてなにかと苦しい「くすりと笑える会話で、とーとつに暗転」。
洋画によくある手法だけど、ここでは成功しているとは思えない……。オシャレな会話がテンポ良く展開され、ここぞってなときにぶった切るから「くすっ」とできるわけで、もったりした演出とのっそりした暗転では、観客が置き去りにされまつ……。
それなら会話途中で暗転させず、その後のオチまで芝居を続けてしまえばいいのに。
フェアチャイルド@はっちさんの「まだ好きです」はいいとしても、デイヴィッド@壮くんとライナスの「女にいくら掛かったか」は空回りが半端ナイっす……。
第一、その「オシャレな会話」ってのが、現代語ではないっつーか、なめらかに感じられないんですが、あちこち。
もう少し、「今」わかりやすい表現があるだろうと。
原作の台詞を変えてはいけないせいなのかもしれんが。
んで、暗転がのっそりしたイメージなんだが、とにかく場面場面のつなぎが悪い。
ひとつの場面が終わると、しばらくぼーっとした時間がある。盆が回るのを待たされたり、えんえん暗転だったり。
ストーリーテラー@みわっちがいるんだが、彼は途中から「ウォーリーを探せ!」的にモブに混ざっている妖精さんになり、ストーリーを語ってくれなくなる。
時間と場面転換稼ぎの暗転や装置移動させてるときに、語り部さんを使えばいいのにー。あらすじを言わなくてもイイから、前場面と次とをつないでくれるだけでいいのに。
カーテンの有無と立ち話で話を進める植爺も大概だが、すべての場面ごとに数秒必ずぼーっと待たされるのは、起動の遅いPCやロード時間の長いゲームみたいで、興醒めするんだよなあ。
それとも場面ごとに数秒黒画面やなにもない画面を入れる、とか、契約条項に入ってるのかしら。
で、実は物語が平坦になっているいちばんの理由は、主人公の考えていることがわからないことにある(笑)。
サブリナの気持ちが揺れ動いているのはよくわかる。
が、いくらタイトルロールがサブリナでも、ここは男役至上主義のタカラヅカ、ライナスがどう考えているかが重要なポイントのはずなんだが。
女に興味ナシの堅物のはずが、ラヴソングを歌って登場したところからすでに相当アレなんだが、その後も彼は実にわかりにくい。
彼がいつサブリナを愛したのか、表現する場がナイんだ。
サブリナ中心で心情が盛り上がって歌、とか、幻想のダンス場面、とかにはなるけど、ライナスの心情中心ではない。
愛し合っているんだけど、すれ違っている、という図式にならない。ライナスがわかりにくすぎて。
ふつーここでライナスの心情吐露の歌とか入れるべきだろう!てとこで、のったり暗転、ふつーここで主人公たちの気持ちを盛り上げるだろう!てとこで、のったり暗転。
おーい。
板挟みになっているサブリナとライナス、それぞれの苦しい胸の内を歌にするとか、できるだろうに。
サブリナはともかく、ライナスこそは「騙す立場」である以上、苦悩させておいた方が、それを全部ひっくり返す展開が生きるだろうに。
ライナスは言動不一致、やることがころころ変わるんだが、そうなるまでの気持ちがわかりにくいので盛り上がらない。
うん、きっと相当きつい原作縛りがあるんだな。
映画と舞台、ストレートプレイとミュージカル、表現方法がチガウんだってことを、アタマの固い原作サイドが認めてくれなかったのね。
それでこんな「映画なら良かったかもしんないけど、舞台でこれはどうよ」な演出がてんこ盛りなんだわ。
悪いのは著作権とか版権とかそっちの方なのよね、中村せんせ?