シュミット役が誰なのかは、チェックしていなかった。

 開演前にプログラムを開いてやったことは、『ロジェ』の「あずりんの出番を探す」ことだ。……正塚ですから! あずりん、どこにいるかわかんないって絶対! という危機感から、ソレだけをした。
 退団者に優しくない正塚晴彦。あずりんごとき無名の下級生に、出番もライトも台詞も、与えてくれるわけがない。ライトの当たらない暗がりとか、帽子を目深にかぶって顔見えませんなモブから、自力で探さなきゃ!

 役のついていないあずりんなので、探すのは名前の束。ひとりずつ行間を空けてある配役にはまったく目をやらなかった。この役の少ない芝居で、わざわざ役がついている人ってのは、配役だの出番だのチェックしなくても、舞台で顔見ればわかる。

 だから芝居の最初の場にすでに出てくる、シュミットさんが誰なのかは未確認のままだった。

 スクリーン越しのシルエットで惨劇を表現、主人公ロジェ@水くんの家族の仇・シュミットは、名前ばかりがやたら連呼される。

 誰がどの役をやっているか知らないから、消去法だ。
 あ、ナガさん出てきた。じゃ、チガウや。
 にわにわ出てきた。じゃ、チガウや。

 まさか、ちぎ? と思ったけれど、ちぎくんも出てきた。だから、チガウ。

 名前だけは繰り返されるけれど、本人が登場しないシュミットさん。
 役回りからなんとなくヲヅキだろうなと察しは付けているけれど、消去法で確信となる。もう他にできる人いないや。

 ロジェがどう考えても30代。シュミットはそれより20は確実に上。つか、ナチスでそれなりの立場のある人だったわけだから、へたすりゃ30くらい上かも。

 ヲヅキ、じじい役?
 出来んことはないだろうが、そんなヲヅキを見たいかというと……うーん。

 それにしても、出てこない。
 いい加減、出てこないとヤバくね?ってくらい経っても、出てこない。
 アルバイトもしてなかったと思うんだが……見かけなかった。

 『ロシアン・ブルー』のときも、ヲヅキがなかなか出てこなくて不安になったが、アレをはるかに超えている。芝居最初のシルエットは、最初過ぎてそこにシュミット本人がいるかどうかまで判別していないし。
 せめてオープニングに出してやるとかすりゃ、いいのに。いやその、今回のオープニングは見事にみんな帽子姿でモブな人たちは顔見えなかったんだけど。

 いらん心配をいろいろしながら、舞台ではさあついに、ご都合主義満載(しっ!)に、ロジェは宿敵シュミットにたどり着いた!!

 診療所から出てくるジャケットなしのスーツ男。個人経営のもぐりの医者ならネクタイ締めてる必要はないだろうに、きっちり背広ネクタイ。しかもベスト付き。
 よかった、よーやくヲツキ登場だ、とその顔を見た途端。

 ヲヅキが、美形だ。

 どーんっ、と、後ろアタマをはたかれました。
 ななななんなのあの美しいヒゲ男はっ?!
 年齢の高い役であることもあり、ヲヅキはヒゲ付きでした。や、これも予想していた、水しぇんの父親くらいの年齢の役なら、ヒゲないとまずいっしょー。
 ヒゲは想定内。だから別に、そこに驚いたワケじゃない。

 ヒゲは口髭だけじゃなく、潔くぐるりとアゴ一周。大人だし、また、なかなかにワイルドかつ、ダンディ。

 悪役、宿敵、のはずなのに。

 なんかとっても、たおやかで、儚げ。
 ぶっちゃけ、すげー受くさかった……(笑)。

 あ、あれ?
 ヲヅキだよね? あれってどっから見ても完璧にヲヅキだよね?
 ヲヅキでおっさん(あるいは初老)役なのに、美しいってナニ?! ぜんぜん現役じゃんあの人、現に美少女ナース@みみちゃんが惚れ込んでるっぽいし。

 てゆーか。

 その美しく、儚げなヲヅキさんを見るなり、わたしはすーーっと納得しました。腑に落ちました。

 シュミットって、ヒロインだったんだ。

 どーりでなー。
 ロジェ、名前呼び過ぎ。夢中過ぎ。
 もう一度会いたくて、探してたんだ。いろんな意味で。

 でもって悪辣非道の冷血漢であるはずのシュミットさん、めっちゃいい人だし。
 ますます上がる、ヒロイン度。

 撃とうとして撃てないロジェ、抵抗しないシュミット。
 なんかもお、恋に落ちるしかないよーなシチュエーション。

 しかもシュミットさん、ロジェの大事な家族@まやさんをてきぱき手当てして、命救っちゃったりするし。
 なんかすげー胸キュンなエピソード目白押しですよ?! これで憎が愛に変わっても、誰も文句言わないんじゃ?!みたいな。

 
 まあ、冗談はさておき。

 シュミット@ヲヅキが、ものごっつー美形でびびりました。
 ヲヅキは雰囲気でいい男になれることは太鼓判だけど、ほんとに顔だけで美形かというと、ええっと、ちょっといろいろ丸すぎるかなと個人的には思っていたんだ。
 それが今回、ヒゲが引き締め効果を発動しているのか、なんの遜色なく美形で。
 あの枯れた儚げな風情といい、漂ういい人オーラといい、好みど真ん中だ。

 うろたえるほど出番はないが、それでもとても大きな、重要な役だ。
 いい男だわ。

 
 芝居の最後、解脱したロジェは何故か街のみなさんに見送られて旅立っていく。
 その中にヲヅキもいるわけなんだが。

 ……ヒゲがないっ。うきゃー。
 なんでヒゲなし? あそこ別人? いいじゃん、シュミット先生が見送ったって。

 「ファンの人たちに、ヒゲのないヲヅキを見せてあげよう」という、演出家の配慮? ……いらんっ、そんな気配りはいらんのだっ、それなら前半、ヒゲ無しでタンゴのひとつも踊らせろ~~。

 
 ともかく。芝居のヲヅキがめちゃ美形でしたよ、ということで。

 初日のわたしの某所でのつぶやきに対し、「オヅキどーでした?」とだけコメントしてきた、ヲヅキファンのチェリさんへ(笑)。
 正塚芝居だと、静止画が綺麗だからいいよね。
 『ラスト プレイ』のプログラムが、表紙デザインからして格好良かったので、今回の『ロジェ』にも期待していた。(演出家のセンスがアレだと、被写体ジェンヌがどんだけ美人でも、愉快なことになったりしますよ>『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』)

 いつもの立ち姿切り抜き写真ではなく、ドラマの一場面のような表紙だった。

 廃墟ビルのよーなところに立つロジェ@水しぇんと、それを少し離れて見つめるレア@みなこ。
 表紙と裏表紙が1枚の絵になっているところが、ニクい。カッコイイ。

 普段プログラムは買わないんだが、何故か雪組は買うことが多い。……ひとえに、水くんのビジュアル目当てだ。彼の顔が好きなの。
 特に今回は、最後の大劇場公演、中日でのお披露目公演時にそうしたように、記念の意味でも購入した。
 どーせ中身は読まないんだが、持っていたいから。

 
 サヨナラ公演である、ということは、わかっているようで、わかっていなかった。
 アタマが鈍化して、ちゃんと考えられない感じ。
 この舞台に、ゆみこやハマコはいないんだな、とぼんやり思う。

 あずりんの出番をチェックしなければ、と座席でプログラムをめくり、めんどーなので活字はその場で読まないにしろ、写真だけは全部順番に眺めて。

 がつんとキたのは、1枚の写真だ。

 HPの公演案内になっている写真。
 ロジェとレアが並んで歩いている姿。ぱっと見、「手つないでる?」って感じだけど、よく見るとつないでない、アレ。

 写真自体はHPとかで見たことあったけれど、それは小さく不鮮明だった。
 A4版でどーんっと掲載されているのを見て、知っている写真なのに、衝撃を受けた。

 まっすぐ前を見て歩くふたり。
 その、強い強い眼差し。
 小さな画像ではわからなかった、伝わらなかった、研ぎ澄まされた緊張感。削ぎ落とされた歩む道。

 これは芝居の中の扮装写真だけど、水くんとみなこちゃんにまんま重なって見えた。
 その美しさ。潔さ。

 ああ、行ってしまうんだ。
 ふたりとも。

 水しぇんはその務めを果たし、みなこちゃんはまだ若いのに、それでも水しぇんについて、揺るがない眼差しで、ふたりとも行ってしまうんだ。

 一気に、泣けた。

 まだ幕上がってません、人もまばらな客席で、プログラム開いてボロボロ泣いた。

 水しぇんとみなこちゃんが、あの強い眼差しのまま歩いてきて、わたしの前を通り過ぎていく、気がした。
 わたしには、彼らを止めることは出来ない。
 彼らには、彼らの道がある。だから目の前を通り過ぎる彼らに気づき、足を止めて「あ」と手を伸ばすだけで、それ以上はナニも出来ない。
 わたしが手を伸ばしたことも気づかず、気づく必要もなく、ふたりは去っていく。

 そんな感じ。そんな思いが、一気に押し寄せてきた。
 退団公演だって、知ってるのにね。わかってて来たのにね。
 今さら、「行ってしまうんだ」とか、ナニ言ってんだわたし。

 
 『ロジェ』は、隅から隅まで正塚らしい作品で。
 ライトが物理的に暗くて、見るからに低予算制作で、でも『虞美人』や『TRAFALGAR』のように、「お金無かったんだね……」としょんぼりしたりせずに済む、チープシック(笑)な画面で。
 またしてもブエノスアイレスで、タンゴで。

 とりあえず、水くんがとてもかっこいい。
 男役として、美しい。

 作品的には文句もツッコミもかなりあるんだが、それでもこれは「水夏希」のために書き下ろされた作品だとわかる。
 復讐のためだけに生きる男が主人公でありながら、漂う生真面目さ、魂の健康さ。
 そうか、水夏希にアテ書きすると、復讐モノもこうなるんだ。
 それが愉快であり、ちょっと残念でもあり。

 根っこはベニートやアレンなんだな。
 レイでもネロでもなくて。

 でも、そのベニートやアレンな持ち味の人が、レイやネロを演じることが出来た……出来る、その役者としての寛さを、正塚せんせは買ってくれていたのかな、と、勝手に思った。

 役はないけれど、タンゴなどを象徴的に使い、『マリポーサの花』よりは観やすい作品になっていると思う。『マリポサ』は少人数でただ会話するだけの場面、多すぎたよ。大劇場で上演したのは失敗だったと、今でも思っている。……が、わたしは『マリポーサの花』が好きだ(笑)。
 『ロジェ』より『マリポサ』を好きだと思うけれど、『ロジェ』もこれから好きになるから無問題。正塚せんせとは基本気が合うので、いろんなものを勝手に読みとって楽しめるのですよ。

 泣いても笑っても、コレが最後なら。
 まっすぐ、見つめよう。プログラムのロジェとレアみたいに。

 愛しい人たちの、進む道を。 
 で、まさかのヲヅキの美貌に驚き、それとは別に、ちぎくんの、正統派の美しさに感心する。

 『ロジェ』でのちぎくんの役は、殺し屋クラウス。
 えー、イッちゃってる系の人です。

 ちぎくん、痩せた?!

 と、まずそこから。
 もともと彼はふつーに細く美しい男役だったので、そこからさらに痩せるとは思ってなくて、頬の削げっぷりに驚いた。

 その鋭角さを増した美貌で、危険な男を演じる。……のは、記号として大変麗しいです。目の栄養です。
 そしてこのクラウスさん、冷酷な殺し屋なんだけど、クール……というよりは、うるさいキャラなので、型として演じやすい分大変なんだろうなと思った。

 ちぎくんには「本質的な狂気」は感じない。
 だからこそ、この物語とこのキャラクタには、ちぎくんの「演技としての狂気」が似合うのだろう。
 復讐モノという触れ込みだが、主演者のキャラクタゆえか、とても健全な物語、若者の成長譚になっている。この物語に、不健康な本物の狂気は必要ない。
 健康的な、安心できる、「イッちゃった殺し屋」がイイ。

 笑うところなのかちょっと悩むくらいの、わかりやすい狂気キャラで良かった。
 素直に、ちぎくんの美貌を堪能っす。
 

 この公演で退団するあずりんがどこに出ているのか、彼の顔のファンであるわたしは真面目にチェックしていたんだが、なにしろ正塚芝居なのできっと完璧モブ扱い、ライトももらえず闇に溶けているかもしれないと覚悟はしていた。

 ので、思ったよりはいい扱いだったんだと思う。
 タンゴも踊っていたし、群衆での立ち位置が真ん中寄りで、うまいこと主役のライトの外側にもぐり込んでたりしたし。

 文句を言うと罰が当たる、こんだけ役のない公演で、いちおー見せ場らしきものを与えてもらっているのだから。

 が。

 台詞、ナシですか……。

 総モブ扱いで、台詞はなかった、と思う。わたしが見逃していただけかもしれんが……って、台詞のある人自体、ほんと少ない芝居でな。

 ダンスだけならショーでもいいわけで、「男役」として声を出す、台詞を言うのは、タカラヅカの芝居の方でしかできないことで、最後の公演でその機会を与えられないと、もう彼の男役人生で男として台詞を言う、声を出す芝居をする機会は……っ。
 新公があるのが救いだが。それはわかってるんだが、新公は東西合わせて2回だけで。あああ。

 あずりんはなんだか、やわらかく、なっていたような気がした。
 ラインとか、表情とか。
 はじけるよーなエネルギッシュな青年ではなく、余白分までナニかしらキメようとしていたあの感じではなく、今あるものをゆったり愉しんでいるように見えた。
 台詞がナイので、モブとして出てきたり、踊ったりしているところを見ての印象なんだが。

 ああ、ほんとに辞めちゃうんだな、と思った。

 
 一方、そらくんはとてもそらくんなままだった。
 彼に関しては、モブに紛れて見つけられないかも、なんて心配は一切ナイ。そらくんはどこにいてもわかる。

 えー、刑事役と、モブと、両方やってるんだよね?
 彼のように目立つ人は、最初から最後まで万遍なく、役としてと、あちこちのモブと、両方出ていると混乱する。
 刑事さん、いつからタンゴダンサーに?!(笑)

 刑事はふつーにアクティブで賢そうに見えるし、タンゴダンサーはエロカッコイイ。芝居ができる人ではなかったが、佇まいの美しさは貴重。
 この美貌を、美しいダンスを、雪組は、タカラヅカは、失ってしまうのか……しょぼん。

 求められる美しさを、格好良さを、ダンスで見せつけてくれることに拍手。
 うん、もっともっと見せて。ブエノスアイレスでは名も無きモブのはずのキミが素敵すぎてびびるよ。

 
 役や台詞の有無はともかく、がおりくんは印象的だしかっこいいし、どーしたこったいれのくんが「かわいい」ではなくかっこよかった。なんかすごく大人の顔してた……やっぱあの顔好みだ……。

 そして、芝居が終わったあとに、あれ、わたしキング見てないわ、と気づく。
 ……どこにいました、あの人?

 たしかにキングも成長著しいとは言えない子だけれど、ヴィンセント役はせめて、キングとかせしるでやるべきだったのではないかと。
 これだけ役が少ない芝居で、メインどころに一目でわかるうまくない子がまざっていると、すごく目立つ……。実力かビジュアルか、どちらかがとても秀でているなら下級生抜擢もアリだけど、それ以前に悪目立ちさせるのは誰のためにもならないような。
 咲奈くんも新公でなら浮かないんだ。十分「うまいね」と言える子なんだ。でも、水しぇんと同等の芝居ができるわけないやん……彼の年輪をなんだと思っているの。ヴィンセントが悪目立ちしているのは、役者がというより、劇団の采配のせい。

 新人を鍛えるだけが目的なら、もっと役の多い芝居を書くべきですよ。メインどころはキャリアと実力のある人で固めて、それ以外の美味しいところで世界観を壊さずに活躍させてやろうよ。
 ……鍛えることが目的ではないことが、ショーの階段降りを見てわかったけどさー。そっか、もうすでにスター確定だから、実力学年関係なく、メインに絡む役やってんだー。昔のタニちゃんみたいに。

 咲奈くんのことは、劇団がこうする、ともう決めている……のなら、それが決まりならばそれでもいいから、彼が立場に相応しい実力とビジュアルを急激に備えてくれることを心から祈る。
 しかし実力を備えるために「新公主演独占」とか「バウ(WS)主演独占」とかゆーのは逆効果、むしろ専科さんとかの柄違いの役や、脇の辛抱役、かわいいだけで済まない役を適度に振るべきだと思うんだが、劇団は逆効果なことしかしないからなあ。
 と、未来まで勝手に考えて不安になるのは行き過ぎか。
 咲奈くんは歌唱力があり、ハートのあるお芝居をする子なので、彼の未来に期待するキモチはあるのですが、ただもう、劇団が育て方を間違えないでくれよという老婆心。
 『ロジェ』にて、地味におどろいたのが、杏奈ちゃんだ。

 美貌だけれど芝居は壊滅、わたしはその卓越した個性と破壊力に敬意を持って、ルーシーちゃんと呼んでいる、彼女。なんでルーシーかは何度も語ったので割愛。
 そのルーシーちゃんが、たくさん喋ってる。
 この役の少ない、主要人物以外台詞のない極端な芝居で、よりによってルーシーちゃんがたくさん喋っている。脇役の台詞量を円グラフにしたら、ルーシーちゃんがすごい割合を占めているんじゃないかってくらい、喋っている。
 ……何故……っ?!

 いやその、最初は「すごい、ルーシーちゃんなんか芝居がうまくなってる! 変じゃないわ」と思ったんだけど、なにしろ台詞が多いもんで、どんどんいつもの棒読みになっていって、最後はいつものルーシーちゃんに(笑)。
 あああ、変わってなかった……最初の方はかなりお稽古つけてもらってたんだわ……でも台詞が長いから保たなかったんだ……。

 そこはもう、期待を裏切らないルーシーちゃんに拍手!ってなもんなんだけど、よりによって何故彼女がこんな長台詞の役を? 大人の女が必要なら、ゆめみ姉さんでいいじゃんよー。
 で、ブエノスアイレスの通行人が杏奈ちゃんで良くね?

 見た目は完璧なんだけどなあ、杏奈ちゃん。真面目でヒステリックなエリート官僚、美貌が映えてかっこいい。……喋るといつものルーシーちゃん(笑)。

 
 女性キャラの出番が少ない……以前に、女いなくても良くね?な芝居。
 そんななか、ナニ気にモニーク@きゃびぃが美味しいなと。
 ……ええ、思い出すのはやはり『銀の狼』。あんときもきゃびぃ、いい役だったなと。正塚好みの娘役なのかな。

 きゃぴぃなあ、いい女になったよなあ。喪服の揃えた膝、落ち着いた喋り方、が、みょーにツボった。哀しみを堪え平静に話す姿に、知性を感じる。

 クリスティーヌ@圭子女史もまた、品のあるマダムで。正塚だから歌はなく、役としてわずか2場面に出るだけなんだけど、彼女の落ち着きと覚悟のキメ方が格好良く、娘のモニークとふたりして、「親子」だってことがよくわかる。

 いい家庭だったんだな。
 この奥さんと、この娘だよ。思慮深く謙虚で、そして潔い。
 このふたりを、守りたかったんだよな、ゲルハルト@にわさん……。

 
 レア@みなこちゃんの次に比重の高い女性キャラは、マリア@みみちゃんになるのかな。
 ……あの程度の出番で、次、になる、正塚せんせ女性キャラに興味なさ過ぎ。

 かわいくて深刻系の、リアルな芝居。
 メイド役のあゆちゃんがぽーんと浮かんでいるのと対照的。

 『マリポーサの花』のとき、素敵に棒読みテイストだったけど、あれはそーゆー演技だったのか、それともそこからうまくなったのか。
 や、『マリポサ』以降のバウヒロとか、ふつーにうまいと思って見ていたけれど。同じ演出家の作品で、鮮明さがぜんぜんチガウから。
 
 年若いきれいな女の子が、一途に慕っているからこそ、シュミット@ヲヅキの格も上がるよなと。
 キャラクタの価値を決めるのは地位でも財産でもなく、何行にも渡る台詞や華美な衣装(植爺価値)でもなく、「愛の在処」だよなあ。
 多くを語らなくても、真摯に生きている人から愛情と尊敬を抱かれている、その事実だけでキャラクタの格は上がる。

 「先生を撃たないで」もいいけれど、実はその後の「急患だから」と設備の整った病院の手配に爆走していくところが好き(笑)。

 
 さて、主人公ロジェひとりの物語である、この公演。
 出会う女性たちもみんな、彼の復讐の近辺にいる人たちなんだよね。
 復讐以外考えられないロジェは、それ以外のところでは誰にも出会っていないようだ。

 元ナチスSSのゲルハルト。顔を変え、ナチス時代のカネで実業家として成功、悠々自適の生活を送り、武器の密輸なんかもやっている悪人。
 戦犯組織を追うインターポールの刑事ロジェの憎むべき敵のひとり。

 ……なんだけど、ゲルハルトの死後、妻子に対しみょーに優しい。

 家族の仇を追うロジェは、それに関係している戦犯組織をすげー情熱で調べている。彼が家族を失ったのも戦争の混乱ゆえ、ナチス大嫌い!ってことか。
 端から見るとその情熱がいびつで、友人の刑事リオン@キムは「ユダヤ人でもないのに、そこまでナチス狩りに燃えるなんて?」と首を傾げる。

 だからゲルハルトの死後、喪服姿で事情を語るクリスティーヌとモニークの話をじっと聞いているロジェがこわかった。
 クリスとモニークに罪はない、でも戦犯組織を悪と情熱を持って憎んでいるロジェだから、死んだからといって元ナチス将校のゲルハルトを悼むキモチなんかないだろう、その妻子に対しても優しい気持ちは持てないだろう。
 尋問をリオンに任せて沈黙しているロジェのキモチを想像しては、暗い気持ちになっていたんだが。

 ロジェはゲルハルトに、なんの興味もなかった。
 拍子抜けするくらい。
 舞台の最初から、すげー勢いでゲルハルトを追いつめる話をしていたのに。
 ゲルハルトが憎むべき戦犯だとか、その罪で得た私財ゆえに妻子はのうのうと暮らしていたんだとか、そんなことはまるっと忘れている。

 仇であるシュミットの情報だけが大切で、あとはどーでもいー。だからクリスとモニークにも、「突然夫・父を亡くした気の毒な女性たち」として接する。「君たちが幸せに生きることが、亡くなったお父さんの望みだよ」なんて言っちゃう。ヲイヲイ、憎んでいた戦犯の望みだの幸せだのを叶えてどうするよ?

 ロジェは戦犯組織を追っているけれど、ほんとのところどーでもいいんだよね。
 シュミットがナチス関連の男だからナチスを憎んでいるだけで、もしシュミットが麻薬密売マフィア関連の男だったりしたら、麻薬だのマフィアだのを憎んでたんじゃね? で、ほんとのとこ、麻薬もマフィアもどーでもいい。シュミットにしか興味はない。

 それまでさんざん戦犯組織を悪として情熱を持って追っておきながら、シュミットの情報を得られた途端、態度ががらりと変わる。「戦犯? ナチス? なにソレ?」
 正直、キモチワルイです(笑)。
 クリスとモニークに、優しい態度で接するロジェが。今までの彼の言動からすれば、彼女たちに罪はないことがわかっていても、個人的な憎しみやこだわりが捨てきれずに垣間見えることになるだろーに。
 どーでもいいと思っているから、いきなり優しくなるなんて、すげー嫌な優しさだ。

 まあそれこそが、ロジェが24年前から成長してないゆえのゆがみなんだろうけど。
 
 唯一女の子に優しくしている場面がキモチワルイなんて、ひどいわ、演出家(笑)。
 『ロジェ』にて、ロジェ@水に絡むのが何故レア@みなこであるかの、勝手な考察。
 絡む、としか表記できないような、恋愛以前の微妙な関係なのは、なんなのか。
 

 ロジェは24年前から、成長していない。
 30過ぎてなお、幼い少年のメンタリティしか持たない。

 家族を殺された、それゆえに犯人シュミット@ヲヅキへの復讐以外は考えられない。

 ……ので。
 自分の狭い視野でしか、幼い思考でしか、モノを見られない、人を見られない。

 戦犯組織を追う調査員のレアに、勝手にシンパシーを感じて自分の事情を話す。
 レアがユダヤ人だから、迫害を受けた両親の復讐のために差別を受ける自分自身のために、元ナチスの連中を追っているのだと、決めつけている。

 たしかにレアも「感情は否定しない」と言った。
 彼女が危険なエージェントをやっているのは、ユダヤ人だからだろう。そうでなければ、若い女の子がナチスに興味を持ち、命懸けで闘ったりしないだろう。

 でもレアは、復讐者ではないんだ。

 組織に身を投じたきっかけが、自分がユダヤ人であり、迫害を受けた両親の心の傷を見て育ったことであったとしても、それは復讐心からではない。
 傷ついた人を目の当たりにして、傷つけた人間が逃げのびて「なにもなかったこと」にしている、この現状を「変だ」と言って、なにもなかったことにしないために逃げた者たちを追っているだけで。
 そこに感情はあるだろうけれど、それだけじゃない。
 彼女は私怨を義憤へ昇華している。

 「復讐」という言葉を使わないレアに、ロジェは簡単に「復讐か」と言い切る。決めつける。
 
 この、決めつけるロジェがなあ。
 すごくなさけないというか狭量というか、子どもなんだよなあ。

 オマエと一緒にするな。思わずツッコミ入れたくなる(笑)。

 現にロジェは自分の復讐しか興味がなく、ネタさえ仕入れたらあとは戦犯組織なんかどーでもよくなっている。戦犯組織を追うことを使命としているレアからすりゃ、「私の仕事を愚弄しないで」てなもんだと思うが。
 レアが人生と命を懸けて追っている戦犯組織を「どーでもいい」としておいて、レアに「復讐者同士のシンパシー」を感じるってのは、ひどい無神経さだ。相手が大切にしているモノを尊重できず、自分の大切なモノだけを押し付けるってのは。

 それでもレアには、ロジェを完全に否定はできないんだろう。「復讐か」と言われて否定しないように、義憤に昇華しているとはいえ、そこに私怨がないとは言い切れないから、潔白でない以上否定もできない。
 だからこそ、ロジェに惹かれるのかもな。と、思ったり。

 ロジェのいびつさは、レアにとって「ダークサイドに落ちた自分自身」じゃないか?
 こうはなりたくない、と思っている、間違った姿。自分も一歩間違ったら、ああなっていたかもしれない姿。
 自分の中にもあるだろう、ゆがんだ心。
 ダークサイド、こうはなりたくない……てのは、ある意味魅力があるもので。しかもそれが、めっちゃ男前で自分好みの男性だったりしたら、そりゃ惹かれるわなあ(笑)。
 
 レアがロジェに惹かれたのは、なにはともあれ絶対ビジュアルゆえだと思う(笑)。
 だってロジェ、すっげーハンサムだもん、いい男だもん。どんな鉄の女だってまずアンテナ立つって。
 んで、好みのいい男の前ではちょっとオシャレしてみたり、好感度アップな仕草や声色をしてみたり、なんつーんだ、女子の本能がまず動く。
 そしたら向こうは、似たような境遇を抱えていて。なんかシンパシー感じてくれてるようで。
 これって運命?! ……とよろこんでみたものの、実はそのいい男、とんでもないガキんちょだった、と。
 思っていたような大人のいい男ではなかったけれど、一旦好意を持ったあとでは引くに引けないし。思っていたのとちがっても、キライにはなれないし。

 子どもなだけで、根は善人。
 興味のない相手には優しくなれるように、ニュートラルな状態では善良。デフォルトいい人。
 ただそこに自分の利害が絡むと、自分優先になってしまうのは、子どもだから。社会ルールは後天的におぼえる知識、誰も彼に大人になるための教育をしなかった。自分と家族しかいない世界で生きるロジェは、対人関係を築けない。
 それでまあ、あんなことに。

 復讐に走るロジェは、レアにとって無視できない、放っておけない男だったろう。彼が美男子でなく恋愛対象でなくても、とりあえず、自身のダークサイドであれば、気になったろう。
 一歩間違えれば、嫌悪の対象かもな。「見たくない」「否定したい」モノを見せつける相手だから。
 でも幸か不幸かロジェは美男子で、どっちに振れてもおかしくない針は恋愛へ傾いた。

 ロジェとレアはひとつの事象の裏と表。だから対で描かれるのはわかる。
 そして、それゆえに恋(レア側のみ)がはじまるのも。

 ただ、問題は。

 この対での描かれ方だと、ロジェがかっこよくないです。

 狭い視野で復讐の虜になっている者と、広い視野で世界貢献している者。
 同じ傷を持ちながら、この対比では前者に分が悪い。

 あのー、正塚せんせ。
 ロジェとレア、逆にしても良かったんじゃ?
 狭量に復讐に囚われているレアに出会い、彼女の心を開かせようとするロジェ。同じ傷を持つからこそ、彼女の病みっぶりがわかるし、また痛々しくて、手を差し伸べずにいられない……そして、ロジェの昇華したはずの復讐心、心の奥の闇も動きだし、それとも葛藤する……てな。

 それならもちろん、レアが仇を殺せないのは、ロジェと出会い、彼を愛したから、ってことになる。復讐という檻から、ロジェによって解き放たれたから。
 って、ふーに、物語を展開させることが出来る。

 今のままの、24年前から成長していない子どものロジェ、を主人公にするなら、彼と対比するレアという存在は、出さない方が良かったんじゃあ……。
 きちんと傷を受け止めて、「大人」になったレアがいるんじゃ、「子ども」のままのロジェがなさけない……。

 レアがロジェに惹かれる気持ちはわかるけれど、今のロジェではレアを本当に理解することはできないね。
 だから、恋愛に発展しなかった。

 ほんとに、なんでヒロインがレアなんだろう? 分析しても、レアがヒロイン……主人公の恋愛相手となり得ないぞっと(笑)。
 わざとそうしているのか、気づかずにやってしまったのか。
 ハリーに聞いてみたいっす(笑)。
「もうヒロインはシュミットってことでいいよ」

 と、わたしが言うと、kineさんは冷静に言った。

「え、バシュレじゃないんですか」

 いやーっ、バシュレはいやーっ。

「でも、ロジェはバシュレの命のために復讐をあきらめるんだよね」

 まやさんヒロインはナシっ。どんだけロジェが愛しているのがバシュレただひとりであったとしても! 
 ヒロインはヲヅキでっ!!

 
 『ロジェ』の主人公ロジェが24年間追い求めていた、「あの顔は忘れない」相手ですよ。シュミットさんは今あんだけ枯れたハンサムなわけだし、若い頃もきっと二枚目だったんですよ。
 べつにシュミットがハンサムだからどうってわけじゃないが、見た目はいいに越したことないし。
 で、24年間ずーーっと思い続けてきて。
 いざ再会してみれば、悪魔のような男、ではなくて、ものすげーまともにいい人で。
 しかも、ずーっとずーっと苦しんできていて。……ロジェの家族のこと以前にナチスの戦犯なんじゃん、収容所勤務の軍医ってふつーにエリート軍人だったんじゃん、そっちのことはいいのかよ、てなことはまあ、置いておいて。

 彼は忘れていなかった。
 ロジェに対して犯した罪を。

 これでシュミットが忘れていたら、ロジェの片思い。
 だけど、シュミットもまた苦しんでいた。24年間、ずっと。

 ロジェの苦しみを共有できるのは、世界でただひとり、シュミットだけじゃね?

 もちろん、意味合いはチガウんだけど。
 でもあの不幸な事件で傷つき、24年間苦しみ続けてきた、その闇の深さだけは同じ。

 気づいちゃったんじゃないの、ロジェ。「二度と顔を見せるな」と背を向けて。
 シュミットこそが、世界でただひとりのファム・ファタルだと。

 ここで殺せば、ロジェはひとりになる。同じ闇を持った者はいなくなる。リオン@キムは「全部はわからないけど、想像できる」と言う。もちろんそれでいいんだけど、同じ体験をしなければわかりあえないわけじゃない、同じじゃないからこそ人は愛し合い求め合うのだけれど、それでも。

 シュミットは、ロジェの鏡だ。

 贖罪から、弱い人たちを助け続けたシュミット、断罪から、悪い人たちを捕らえ続けたロジェ。
 ひとつの事象の、裏と表だ。

 レア@みなこちゃんもそうだけど、ここでもロジェと対になるキャラクタがいるんだな。
 同じ事件の傷、苦しみを起点に、向かい合うのがロジェとシュミット。
 

 ……それでもシュミットを殺すことが出来れば、完結はしたんだと思う。ロジェの長い長い復讐の旅は。
 だけど彼は撃てなかった。殺さなかった。

 両想いのまま、ふたりとも生き残っちゃったよ?(笑)

 ふたりの苦しみはイコールのまま、天秤が釣り合ったまま、生き残ってしまった。
 しかも、だ。
 シュミット先生はあのままもぐりの医者を続けられるはずもなく、しかるべき機関の管理下に置かれるだろう。彼自身戦犯であるわけだが、最後に囚人の命を救ったわけだし、これから戦犯逃亡組織の情報源としての価値もあるだろうし、刑務所送りとゆーよりは、働かされそうじゃないですか、それなりのところで。
 それが贖罪になるというなら、彼はきっと誠意を込めて働くと思いますよ、みんなのために。

 で。
 ロジェはきっと、インターポールはやめてないと思う。
 続けるかどうかわからない、と言っていたけれど、もともと彼は善良で健康な真面目人間。そして、子ども。
 リオン相手に「血が騒ぐだろ」と言っていたように、もともと好きなんだよね、「正義の味方」。

 これからはくびきをはなれ、真っ向から悪人退治が出来る。
 そーなると、だ。
 戦犯組織を追っていた実績からして、これからもスキルを活かせる仕事をするわけだろ。

 シュミットと、顔合わせますよ、絶対。

 それこそ、組織から口封じに狙われるシュミットの護衛をすることになったりとか(笑)。
 ロジェの公私混同の暴走は報告されず(されてたら、罪に問われるだろう、あんなにさばさば旅立てないだろう)、「なかったこと」になっているなら余計に、シュミット係に任命されそうだ。ブエノスアイレスまで行って、彼を捕らえた功労者だもん。

 同じ苦しみをわかりあえる、24年間想い続けた相手と、一蓮托生、命預けます関係。
 いやあ、愉快ですな。
 
 つーことで、色気のなさ過ぎるレアとの関係や、愛の少ないリオンとの関係より、ヒロインはシュミットでええやん。ねえ?(笑)
 レア@みなこが正しく復讐している人ならば、リオン@キムは正しく正義の味方をやっている人。

 『ロジェ』にて、復讐に生きる主人公ロジェ@水が関わる、いちおー、愛情関係にある人たち、レアとリオン。

 私怨を義憤に昇華し、感情におぼれることなく人生と向き合っているのがレア。
 私怨のまま泥沼なロジェと対照的な存在。

 そして。

 私怨に発展せず、真っ当に育ったのがリオン。

 リオンもまた、幼少時に事件に巻き込まれている。幼い頃妹が誘拐されたそうな。たぶん戦後のどさくさで、そんなことがあったんだろうな。
 だけど妹は無事に救出されている。それゆえにリオンは、自分も刑事を目指した。
 誘拐のターゲットになる・家ではなく屋敷と言っていた、こともあり、リオンくんも富豪の出らしい。ロジェと同じく。

 リオンもまた、ロジェになるかもしれない、要因はあった。
 もしも妹が殺されていたら。リオンも、復讐に生きる男になっていたかもしれない。

 シュミット@ヲヅキに襲われたにしろ、家族が無事で、警察がとっとと犯人を捕まえていたら。
 ロジェだってふつーに正義の味方に憧れて、今頃熱血刑事やっていたかもしれない。

 ロジェが善良で生真面目な雰囲気を漂わせているのと、リオンがとてもふつーに善良で健全そうなのは、対になっているからなんだろうなと思う。
 似た者同士じゃね、キミら?
 何事もなく出会っていたら、ふつーに親友やってたんじゃ? ……どっちも熱血で、コンビ組んだらウザそうだが(笑)。

 リオンはふつーの青年だから、ふつーにロジェに興味を持ち、好意を持っている。
 目に映る生真面目な部分と、不自然な情熱で戦犯組織を追う姿に、疑問を持っている。勝手にロジェの経歴調べたりして、そしてそれを本人に告げたりして、リオンはほんとロジェ好きなんだなと。勝手に調べたことを本人に告げるのは、好意の証だよなー、やましいことがあれば黙ってるよなー。

 で。
 リオンのいいところは、他人に嫌われることを想定していないことだよな。

 このおぼっちゃま刑事ってば、人から好かれて当たり前なんですよ(笑)。
 ロジェに対しても、実に屈託ナイ。
 好意を持たれて当たり前、心を開かれて当たり前、そうでないから首を傾げている状態……なんだな、ロジェの過去を調べてそれを本人にしれっと言ったりしてるあたり。

 リオンのそーゆーところは、たしかにキムくんアテ書きというか、彼のイメージに合ってるなと(笑)。
 手を振り払われても気にせず、何度でも手を差し伸べる。

 そして、ただ真っ直ぐに、信じている。
 ひとは、わかりあえると。

 同じ体験をしなくても、同じ傷を共有しなくても、人は理解し合える。
 ロジェの心の傷が全部わかるわけじゃないけれど、想像することができる。
 そんなことをごく当たり前に、説明とか解説とか以前に、魂で、知っている。

 なんて健全でまっすぐで、そして、強いのだろう。

 まだ「子ども」であるロジェには、リオンの強さがウザいのだと思う。健全さがまぶしいのだと思う。
 本当なら、ロジェもまたそうだったかもしれないだけに。自分のあるべき本来の姿を、横できらきら見せつけられるのはつらいだろう。

 ロジェはまだ、リオンの手を取れるほど成熟していない。
 いつか彼が「大人」になって、自分とはチガウ他人の心を想像できるようになったときに、はじめて手を取り合うことが出来るだろう。
 

 ロジェとリオンはひとつの事象の裏と表。だから対で描かれるのはわかる。
 でも、傷のないまま成長したリオンは、ドラマがない分どーしても、薄くなる。
 ロジェの相棒が彼だと、どちらにもいい作用がナイような……。

 わざとそうしているのか、気づかずにやってしまったのか。
 ハリーに聞いてみたいっす(笑)。

 ブエノスアイレスに旅立つリオンが、なんかとーとつに明るい歌を歌って銀橋を渡っていく姿に、いろんな意味で「大変だな……」と思う。
 こんだけドラマのない役を与えられ、魂の健全さだけで芝居して、2番手だから次期トップスターだからと唐突にストーリーと無関係に、さわやかに銀橋1曲て、大変だな、キム……。


 ともあれ。
 ロジェがリオンを愛する(笑)ようになるのは、これからだ。
 リオン、君は間違ってない。その健全さも、強さも。ロジェが後ろめたさや弱さゆえ、君から目をそらしても、力尽くで振り向かせてやってくれぃ。
 で、とどのつまりさ。

 『ロジェ』におけるいちばんの悪役、第一級戦犯は、バシュレ@まやさんだよね?

 主人公のロジェ@水くんは、成長していない。
 24年前の痛ましい事件をきっかけに、心を閉ざし、いびつなまま時間だけを過ごした。
 カラダは大人になったけれど、心は幼児のまま。「自分」と「家族」しか存在しない精神世界で生きている。
 世界には「他人」がいて、いろんな価値観があり、譲り合ったり許し合ったりして生きているということが、わかっていない。

 家族を殺された年齢のまま、精神の成長が止まってしまい、そのときの復讐心だけで生きている。

 ……ってコレ、どう考えても悪いのは本人じゃなく、そばにいた大人だよね?

 バシュレは幼いロジェに復讐心を植え付け、それ以外の感情や興味を持たせないように育てたんだ。

 他人とわかりあうことも、愛し合うことも、なにも教えず。
 ただ、憎めと。
 殺せと。

 …………震撼するんですが。
 哀しみのどん底にいる子どもに、憎しみと殺意だけを植え付ける大人って。

 しかも、家族を一度に失い、ひとりぼっちになってしまった子に、「心配するな、俺が育ててやる」って、それって「俺の言うことを聞かないと、誰もオマエを育ててやらないぞ」っていう、脅迫じゃん?

 食べ物欲しさに殺人を犯したシュミット@ヲヅキの罪はたしかに罪だけど、ロジェに対して犯した最大の罪は、この『ロジェ』という物語のいちばんの悪人は、バシュレでしょ?

 ロジェが壊れてしまったのは、ひとえに、バシュレの責任だ。

 ひとりぼっちになったそのときに、少年の深層心理に刷り込んだんだ、「俺の言うことを聞け、俺に従え、それ以外にオマエの生きる道はない」と。
 目の前で家族を殺された少年は、抱きしめてくれた大人の腕にすがり、すっかり洗脳された。
 自分を守り、導くのはこの人だけだと。

 そしてロジェは、バシュレの思惑通り、誰にも心を開かず生きた。
 復讐のためだけに、友だちも作らず恋もせず。バシュレだけを家族として、愛し。

 えーと。
 バシュレって、ロジェの家の使用人だったんだよね?
 なのに、ロジェの親代わりになった。……そして、彼が外で働いている、あるいは働いていた、というイメージがない。
 24年後なのでもうトシだから、ってのはあるけど、ナニしてたんだ?というと、「ロジェを親代わりに育てた」「犯人のシュミットを追っていた」ということぐらいしか、物語中から想像できない。

 バシュレの目的って、ロジェの家の財産だったんじゃないの?

 ロジェの家族が殺され、財産を管理できる者が誰もいなくなった。
 それをいいことに、「親代わり」と名乗りを上げ、働かずにお大尽生活。豪勢な屋敷で、メイドとかに家事をやらせて、自分は悠々自適。
 殺人犯を捜してはいたかもしれないけど、それがナニ? 24年間も掛かるようなことだったんですか? ロジェはまだ子どもだから仕方ないとして、大の男が軍資金は山ほどあったのに、探せなかったの?

 バシュレが本気で探していたら、シュミットはもっと早く見つかったんじゃないかと思う。
 戦犯組織が彼を匿っていたとしても、それはあとになってからでしょう? 収容所から逃げ出したシュミットは、たかが食べ物を盗むためにロジェの屋敷に押し入った……つまり、最初のウチは組織なんて無関係なただの逃亡者だった。
 犯人の顔だってわかってるんだし、ロジェの財産を使って人を雇い、すぐに捕まえれば良かったんだ。ロジェは自分の財産をそういう使い方したって、嫌とは言わなかったろうし。相手はお金のない、みじめな逃亡者だよ? 遠くまでは行けないだろうから、しばらくはそのへんにいただろうし。
 だけどバシュレは、そうはしなかった。

 バシュレは、カネが欲しかった。
 豪華な屋敷で、遊んで暮らしたかった。
 だから犯人を捜すことはしなかった。そして、幼いロジェに復讐心を植え付け、煽り続け、他の誰にも心を開かないようにし向けた。
 犯人を捕まえて、心の決着がついてしまったら、困る。ロジェが大人になり、友だちや恋人や、広い世界を得てしまったら、困る。
 赤の他の人の自分が、ロジェの財産を食いつぶせなくなる。

 そしてバシュレは、ロジェに「憎め、殺せ」と唱え続けた。
 「儂以外は信じるな、愛するな」と。

 …………こわい。
 こわいよー。

 演じているのがまやさんだから、コミカルに笑い事で済んでるけど、ロジェの子どもっぷりを見ると、おかしいんだよ。
 家族を殺され、無一文で施設に送られたとか、親戚をたらい回しにされ悲惨な仕打ちを受けたとか、継続的に心を閉ざすようなことがあったならともかく、金銭的に不自由のないおぼっちゃま育ちで、愛情を注いで育ててくれた人がいるっぽいのに、その環境で復讐しか考えない男に何故なるのか。
 育てた大人が、復讐しろと言ったからでしょう? 実際、作品中でバシュレはそう言っている。ロジェの父は恩人だから、それを殺したシュミットに復讐するのだと。
 や、バシュレが復讐するのはかまわない。大人だから、自分の意志と責任で好きにやってくれ。
 だが、何故幼いロジェまで復讐鬼にする必要がある? 分別のある大人なら、自分が復讐鬼でも、子どもにだけはそんな面を見せないようにすると思うんだが。
 ロジェ自身が復讐すると言い張っても、「そんなことを言うな。オマエが幸せに生きることこそが、亡くなった家族の望みだ」と言ってやるのが愛情だろう。

 つまりバシュレは、ロジェに愛情は持っていなかった、ということだ。
 持っていたとしても、ロジェ自身の幸福よりも他の目的……財産でも復讐心でもいい……の方が大事だった。ロジェの人格や人生を破壊しても構わないと思っていた。

 …………こわい。
 こわいよー。

 バシュレは、ヴィンセント@咲奈くんにも「オマエを拾ってやったのは儂だ。だから嫌なキモチぐらい我慢しろ」と言う。
 そーゆー考え方の人なんだ。
 ロジェのことは育ててやる。育ててやるんだから、見返りはもらって当然。

 繰り返すけど、罪なくお笑いになってるのは、まやさんだから。
 でも、ふつーに考えるとバシュレって相当やばい。こわい。

 彼に洗脳され、彼以外愛せないロジェ……って、うおお、まやさんがまやさんでさえなければ、ヒロさんとかソルさんとか、あああいっそハマコなら(もういません)、どんだけ萌えか!! バシュレ=ヒロイン説でオールオッケーなのに!!

 バシュレの設定の気持ち悪さは、どうなの?
 わざとそうしているのか、気づかずにやってしまったのか。
 ハリーに聞いてみたいっす(笑)。
 舞台本編がはじまる前に、あらかじめ緞帳が上がる。
 何分前、と決まっているのかどうかは知らない。考えたことがないので。
 でも、開演時間より前に、緞帳が上がり、その作品の世界観を見せるセットやカーテン、吊りモノがお目見えするよね。大劇場では、たくさんの人が写真を撮ったりしている。

 『ロック・オン!』も、そうやってまず、緞帳が上がった。

 きらきらの背景に、「Rock on!」の吊りモノ。RにはLが重ねてあり、二重の意味がそこにあることを示した、公演ロゴ。

 まずそこで、感動した。

 ああ、タカラヅカだわ!
 タカラヅカっていいわ! きらきらだわ、わくわくだわ。

 と、いうのもだ。
 その前の芝居『ロジェ』ときたら。
 前もって緞帳が上がるのは同じなんだが、上がったあとに見せられるのがネズミ色の壁だったんだわ……(笑)。

 ナニもない、ただの壁。タイトルロゴもないし、飾りもない。
 きれいでもないし、わくわくもしない。
 ちっともタカラヅカじゃない。

 こんなキタナイ色の壁を見せるくらいなら、緞帳上げなくていいのに、と思った(笑)。
 物語の中で背景として使われる壁はネズミ色でいいけれど、それだけをわざわざ見せてくれなくていいから!
 こんなもんを見せてテンション下げるくらいなら、緞帳のままの方がよっぽどタカラヅカっぽいから!

 実際、なんでわざわざ緞帳上げるのかわからない。
 開幕と同時に、でいいじゃん。
 タイトルロゴを見せる意味で、『ベルサイユのばら』とか『太王四神記』とか、あらかじめ緞帳が上がっているのはなんの疑問もないんだが。
 ただのハリボテの壁がどーんと置いてある……きれいでもなんでもないセットを見せるのは、何故なんだろう。

 タイトルロゴでも、つり下げときゃいいのに。
 そしたらネズミ色(土色というべき?)の壁だけでも変じゃないのに。

 緞帳が大仰に上がって、キタナイ色の無地の壁だけがどーんと大きな舞台にフタをしている状態を何分も見せられて、なんかしみじみしましたのよ。

 正塚……。と。

 そして、ショー『ロック・オン!』のきらきらロゴ入り承前を見たときに、必要以上に驚き、感動したの。
 ああ、これぞタカラヅカ!と。

 
 もっとも。
 天下の正塚晴彦ともあろう者が、「ロジェ」なんて身もフタもなく書かれた吊りモノを許すよーな人だったら、驚きますけどね。(どっちやねん!)←所詮、ハリー好き。
 泣きっぱなしで、消耗した。

 星組梅田芸術劇場公演『ロミオとジュリエット』初日観劇。

 シェイクスピアの有名すぎる物語。
 反目し合う、モンタギュー家とキャピュレット家、敵同士の家に生まれながら、愛し合うロミオとジュリエット、その悲劇。

 物語は知っている。
 ちなみに、水くん主演の『ロミオとジュリエット’99』も観劇している。

 だが、その有名すぎる原作を元にした今回のミュージカル自体は、知らない。動画サイトでいくらでも鑑賞可能だそうだが、見ていない。芝居にしろ映画にしろ、小さな画面の映像で見るのは苦手だ。芝居は舞台で、映画は映画館で、実際に観るのでないと、わたしの少ないのーみそにはうまく入らないようなので。

 なんの予備知識もないまま、観る。
 だが、潤色・演出が小池先生なので、全幅の信頼を置いている。
 きっと美しく、スベクタルで、タカラヅカらしいモノになっているだろうと。

 実際、美しかった。
 モンタギュー家とキャピュレット家の争いを、歌とダンスで表現したオープニングから、その美しさ、格好良さに引き込まれた。
 まあその、いちばん最初に水トートが登場したことに、心底驚いたが(笑)。
 あれ、トート@『エリザベート』ぢゃなく、水トート(限定)だよね? わかっててやってるよね?! ……てのは、置いておいて。

 音楽、セット、衣装、ダンス、なにもかもカッコイイ。
 大公@水輝りょおの正しい使い方!

 危険な美青年たち、ティボルト@かなめ、ベンヴォーリオ@すずみん、マーキューシオ@ベニー。

 あまりにカッコイイから、忘れてた。

 彼らが10代の少年であり、これが子どもたちの物語であることを。

 ……そーだった。
 『ロミオとジュリエット』ってそもそも、そーゆー話だった。
 知っていたのに、わかっていなかった。
 若さゆえにあんなことになっちゃう話だった。

 タカラヅカって基本、大人が主人公だから。主要人物が30代とか、戦争とか不倫とか人妻とかがあったりまえに出てくる世界観。 
 もうすっかりソレで慣れきっていたから、中高生の子どもたちが主役の物語だってこと、わかっていたのにぴんと来ていなかった。

 ので、そのカッコイイ人々があまりにコドモであることに、驚く(笑)。
 彼らが言ってること、マジに中学生レベルなのよー。

 そ、そうか。そーゆー話だった。
 すずみさんまでもが、10代の少年なのでびびる。わかっていても、びびる(笑)。

 ロミオ@れおんくんはもお、きらっきらの美少年。
 純粋で天使のような男の子。
 「奥手のロミオ」「恋に恋してるのか」……聞いていて眩暈のするよーな単語が飛び交う。や、男子同士でナニそのじょしちゅうがくせえみたいな会話。

 ジュリエット@ねねちゃんがぴかぴかの美少女なのは違和感ないんだけど、男たちの「10代」ぶりはいろいろと……(笑)。

 でも、そーゆー世界観なんだとアタマに叩き込んで。アタマを切り換えて。
 実際目に映る彼らはみんな、美しい少年たちなのだから。

 美しいビジュアルと音楽に酔っていた、ただ、あるがまま。

 パリス@ミッキー最高だ(笑)、ジュリエット母@コロちゃん色っぺー、仮面舞踏会キターーッ! 女の子たちの衣装可愛すぎる!!(ハァハァ)
 どいちゃんのバトントワラー、うますぎる! すごすぎる! 物語の進行止める勢い、つか、みんな本筋観ないでどいちゃんに釘付けですよあの場面!(拍手でわかる、みんなどいちゃん見てた・笑)

 ところが、だ。
 恋に落ちたロミオとジュリエット、あの有名なバルコニーの場面。
 ああ何故アナタはロミオなの……形を変える不実な月に誓うなどおやめなさい、てなあの場面ですよ、教養のないわたしでもてきとーに台詞を並べられるような。

 あそこから、ダダ泣き。

 別に悲しいことなぞ、一切ありませんが。

 ジュリエットの乳母@れみちゃん、めちゃうまい。微妙に着ぶくれて、かつ巨乳を作ってコミカル演技。
 セット前でまるまるソロ1曲あるんだね。
 彼女のソロでも泣きっぱなし。

 1幕の最後、愛し合うふたりの結婚式、ここでも幕が下りるまで泣き通し。

 
 青春のきらめきが、愛しくて。
 ロミオとジュリエット、ふたりの恋が愛しくて。

 純粋さ、愛情、無償の想い、それってこんなに愛しいモノなのか。切ないモノなのか。
 ロミオとジュリエットもだし、彼らの恋を成就させようと力を振り絞る、乳母やロレンス神父@くみちょーにも、泣けて仕方なかった。

 うつくしいものを見た、それだけで、こんなに泣けるモノなのか。

 
 2幕はリセットして観ていたんだけど、やっぱり途中から泣きっぱなし(笑)。
 
 案の定やり過ぎちゃってるベニーの死にっぷりには別に泣けないんだが(笑)、ひとり残されるすずみさんの嘆きのソロには泣かされた。
 幼さに驚いた、中学生男子たち。仲良し幼なじみ3人組。なのに、ベンヴォーリオひとり、残されたんだね。失うのはつらいね、残されるのはつらすぎるね。

 誰もが愛ゆえに傷つく。
 娘を殴って、ついでに妻に愛されていなかったことまで暴露されて、ヘコんでるジュリエット父@ヒロさん、ロミオとジュリエットのために画策する神父、おそろしい計画のはずなのに、なんの躊躇もなくきらきらと実行するジュリエット。
 神父の手紙より先に、ジュリエットの死をわざわざロミオに伝えるベンヴォーリオ。
 ただ、愛ゆえに。

 たしかに、憎しみはあふれている。
 「生まれたときから敵がいた」と歌う少年たち、そんな状況がまかり通る狂気。
 それでも。

 憎しみは群衆芝居や歌とダンスのみで、物語部分にあるのは、結局は、「愛」。
 主要人物がなにかするのは全部全部、「愛」が動機なの。

 立場や考え方がチガウから、行き違ったり理解されなかったり、間違っていたりしても。
 でも間違いなく全員が「愛」ゆえに行動している。

 「憎しみ」を歌うところからはじまった物語、「憎しみ」を舞台にした物語、なのに、そこには、「愛」しかないの。

 間違っていようがどうしようが、誰もがただ「愛」しかないの。

 象徴的な存在、死@真風と愛@礼くんが踊るように。

 眠るジュリエットを、そうとは知らず後を追うために毒をあおるロミオ、死んだロミオを眠っているだけだと信じ、幸福の絶頂の歌を笑顔で歌うジュリエット。

 ほんとうに死んでしまったロミオとジュリエット、ロミオのアタマを抱くように愛しそうに触って、泣き崩れるベンヴォーリオ。
 ふたりを失ってはじめて、憎しみを捨て、手を取り合うモンタギュー家とキャピュレット家の人々。

 「愛」しかない人々は、ただもお美しくて、愛しくて、泣き続けた。
 愚かだけど純粋で、そのなかでもロミオとジュリエットは、とびきりの純粋さで、青春のきらめきに満ちていて。痛さに満ちていて。

 なんて美しく、愛しい物語だろう。

 わたしも泣きすぎかなー、と思ったが、隣の席の人(知らない人・笑)も同じ濃度で1幕からダダ泣きしていたので、そーゆー作品なんだなと思った(笑)。

 この作品、好き。
 愛しいから、好き。
 それだけ。

 それだけで、十分。
 君は、柚希礼音を見たか?

 てな書き出しで、話したくなるよーな、そんな公演でした、『ロミオとジュリエット』

 プログラムの表紙写真からして、すごい。
 カラコンまで入れて、二次元的に整えられたビジュアル。

 美しい。

 『ロミオとジュリエット』って、まず、ナニがなんでも美しくないといけない物語だと、思ってるんですよ。
 ストーリー展開もそうだけど、ナニより台詞がこっ恥ずかし過ぎるじゃないですか。日本人の感覚にはナイだろうって思考回路。わたしだけかもしれんが、ついていけないのだわ、シェイクスピアならではの美しく曲がりくねった台詞の群れ。

 その昔、『ロミオとジュリエット’99』を観たときに、しみじみ思ったんだ。
 主演の水くんは美しいが、彼くらい若くて美しくても、かなりギリギリだなと。
 外部の、5頭身がデフォルトの日本人男性俳優とかでは、とても見られないなと。
 タカラヅカで、若手の美形男役が演じてギリギリの、とんでもなく高度なファンタジー構築を必要とされる物語だなと。

 ビジュアルで、「異世界」を作りきった上でないと、こっ恥ずかしくて見ていられない。ゲームやアニメという二次元世界なら平気だけど、三次元では無理。「おおロミオ、アナタはどうしてロミオなの?」とか、こんなレベルの台詞のオンパレード、ギャグにしかならんわ。
 外国人が演じて、台詞が字幕なら平気。洋画はファンタジーだから。ディカプリオの『ロミオ+ジュリエット』がOKなように。

 なのでわたしが『ロミオとジュリエット』という作品に期待するモノは、ナニを差し置いても「美しさ」だ。
 そしてその「美しさ」ってのは、わたしが見て美しいと思うかどうか、なんだ、所詮。
 現代日本でのほほーんと生きる無教養なおばさんが見て、美しいとかかっこいいとか素敵とか思えるかどうか。

 つまり、どんだけ美形の外国人様が演じていたとしても、男たちがタイツ姿では、夢は見られないんだ。
 ヅカであっても、タイツにブルマだのエリマキだので、時代考証だの古典だのに則って上演されたら、ついていけない自信がある。
 どんだけ「正しい」姿であっても、無教養なわたしが見て「美しい」と思えないんじゃ、それだけで魅力を感じられない。
 
 現代の感覚で、美しいこと。
 そのとんでもない美しさで異世界を構築し、そこでならどんな荒唐無稽なことが起こっても大丈夫!とまで、してくれないと。

 今回、元のミュージカルは知らないが、男たちがタイツ姿で歌い踊る古典的な『ロミオとジュリエット』ではなく、衣装もふつーなロック・ミュージカルだと聞いていた。
 実際、目にするポスターのれおんとねねちゃんも、もこもこ衣装+タイツ姿のいわゆる『ロミジュリ』ではないし。

 どうやら、現代感覚で「美しい」らしい。
 それなら期待できる。
 たとえ鳴り物入りの海外ミュージカル様でも、衣装がタイツだったらわたしはなんの期待もしていなかった(笑)。

 それが、開演前に友人に見せてもらったプログラムの表紙写真ですでに、感嘆するほど美しい。
 わたしはれおんくんの顔立ちは、実は好みではないのだが(ハルノスミレとかミズナツキが好みですから)、それにしたって最近の彼は美しい。

 ビジュアルが洗練されていることもそうだが、トップスターになってから放出される、彼の「王者感」が好きなんだ。
 真ん中で君臨することを宿命づけられた者だけが持つ、輝き。傲慢で大味で屈託なくて、そのまぶしい光で弱者なんぞ駆逐してしまう、一種の傍迷惑さ。正しい者が持つ、危険さ。
 それらが、若く美しい王者から発せられるとたまりません。
 トップになってからのれおんくんは、素敵過ぎて好み過ぎて、困ります。

 ハードなテイストで美しい写真を見せられ、そして幕が上がるとこれまたハードなテイストでめっちゃかっこいいオープニング。
 観ているこちらのテンションも上がりまくり、うおおかっけーっ、この舞台かっけー!!

 で。

 一山超えたあとに登場する、主人公ロミオ@れおん。

 あ……あれ?

 水トートが妖しく不吉に踊り、暴力と抗争で激しい歌とダンスなオープニングな、ロック・ミュージカル、だよね。
 ダークでバイオレンスなはじまりで、実際目に映るモノすべてハードに格好良くてクールにアツいのに。

 登場したロミオくんは、真っ白なピュア天使でした。

 そう、『ロミオとジュリエット』ってのは、10代の子どもたちの物語だった。中学生くらいのメンタリティ。
 舞台でも映画でも大人が演じているから、忘れてた。ハードなオープニングゆえに、忘れてた。『ロミジュリ』ってそーゆー話。

 トップスターになってからのれおんは、強い、濃い男を演じてきていた。王者としての資質を最大限に発揮して。
 基本大人の男だからこそ、時折見せる少年性が魅力だった。
 トップになってからのれおんくんを大好きなわたしはことさら、そう思い込んで彼を見ていた。

 それが、どーしたこったい。
 ロミオ役は、「王者」ではない。
 わたしの大好きなれおんくんじゃない。

 若くして抜擢されてきた彼は、長い間「弟キャラ」「かわいこちゃんキャラ」をやって来た。それはれおんだからではなく、早期抜擢スターの宿命だ。大人の男を演じるのは技術が必要だから、それが足りないコドモには、技術不要、等身大の持ち味だけでできる役を与える。
 あー、そーいやれおんって、ついこの間まで弟キャラやってたっけ……かわいいだけの若者とかやってたっけ……。

 長い「下級生抜擢ゆえのコドモ役」時代を抜けて、せっかく大人の男になったのに、ここでまたコドモの役か……。

 と、鼻白んだのも事実。
 ロミオくんはほんとにかわいらしい、夢見るユメコちゃんなので。

 だがしかし。

 この「天使」役ってのは、すごいもんだね。
 純粋な少年役だからって、ほんとうにただ若いだけの「実年齢ゆえにそのままやってます」てな子がやっても、魅力にはつながらないんだ。
 少年期を過ぎ、大人になったあとで、あえて「少年」を演じる……それゆえの「力」があるんだ。

 柚希礼音の演じる、「少年」。

 ついこの間まで、少年役ばっかやっていたかもしれない。弟キャラだったかもしれない。
 だけどチガウ。
 若いから子役だったれおんくんとはチガウ。

 これは、「大人」の痛みを知った、それゆえに表現できる「少年」だ。

 柚希礼音は、「大人」になった。
 たしかに、一度大人になった。
 そして、大人になったら最後、もう子どもには戻れないんだ。
 
 戻れないモノが、技術でもって作り上げる、それが演技、それが芝居。
 子役タレントが子どもゆえのかわいらしさでお茶の間を席巻する、ソレとは違うんだ。

 ピュアなロミオは、母性本能をくすぐる。
 この「母性本能をくすぐる」ってのは、演技あってこそなんだ。子どもが子どもな仕草をしていても、そのまま可愛らしいだけで恋愛感情にはつながらない。
 大人の目線で一旦作り上げ、分解して再構築したからこそ、舞台上の「少年」は魅力を放つんだ。

 「少年」を演じているからこそ、れおんくんが今、「大人」なんだと痛感した。

 いい男になった、と。
 心から思う。

 あまりに長く少年時代ばかり見ていたから、大人になることがあるのかと危惧したこともあった。や、子どもたちに混ざってWSやってたとき(2006年あたり)なんか、マジで彼の将来を心配したぞ(笑)。
 そして確実に大人になり、男になり、その上で今、「少年」を演じる。

 君は、柚希礼音を見たか? 彼が演じるロミオは、一見の価値有りですよ。
 ビジュアルと中身の落差の激しさといったら、この人の右に出るモノはいないんじゃないでしょーか。

 はい、現タカラヅカにてビジュアルNo.1の呼び声も高い、凰稀かなめくんですよ。

 静止画の美しさはハンパねぇし、コスプレの似合いっぷりもとんでもない。
 舞台に登場した瞬間のインパクトは、そりゃーもー素晴らしいのひとことです。

 が。

 彼の舞台得点グラフときたら登場時がMAXで、あとは下がりまくるという、困った資質を持った人。

 動いて喋って歌うと、一気にヘタレるんだもの。

 技術の足りなさはどーしよーもないんだが、それに加えて性格というか持ち味がヘタレ系なんだねええ。優しいんだねええ。

 『ロミオとジュリエット』においての彼もまた、いつもと変わらぬかなめくんっぷりでした(笑)。

 ティボルト@かなめくんは、登場した瞬間その格好良さ、美しさで刮目させる。
 うおおかっけーっ、アレがティボルト、アレがこの舞台の2番手か!

 ……でも、物語が進むにつれ、このティボルトって、かなりアレじゃね?(笑)とわかりはじめる。

 いやぶっちゃけ、アテ書きでしょう!(笑)

 イケコのアテ書き能力半端ナイなあ。
 海外ミュージカルをタカラヅカ用に潤色する、その中に「キャラクタのアテ書き」も入っているんだ。初演『エリザベート』が当時の雪組にアテ書きされたように。(おかげで、ルキーニは3番手の役)

 一見ハードにカッコイイ、悪役属性のティボルトくん。ふつーに女はべらしてます、とか、実の叔母@コロちゃんと親密です、とかの、大人っぽいワルな美形。

 だがしかし。

 ティボルトくんは、大人じゃないし、ワルでもなかった。

「オレが不良になったのは、大人たちのせいだっ。オレは悪くないっ」

 てなことを本気でわめく、中2全開の恥ずかしい人でした。
 さらに、

「オレは15のときから、女を取っかえ引っかえしてきたんだぜ」

 とか言っちゃうよーな、カンチガイした恥ずかしい人でした。

 なんつーか……すげー恥ずかしいコドモだ……。
 女性経験の数を自慢だと思っているし、悪いのは全部大人だし、なにかあったときの反応がことごとくただの脊髄反射でのーみそ使ってないし。

 見た目だけかっこいい、ただのヘタレ男。
 ……このどーしよーもないティボルトくんを、かなめくんが、どんだけ魅力的に演じていることか。

 コレ、まさにかなめくんアテ書きでしょう。
 てゆーか、まさかのヨン・ホゲ再び。
 ゆーひくんのホゲ様と違って、キハに指一本振れられなかった、あのかわいそーなヘタレ男!

 ティボルトがどんどんヘタレていって、おかしくて可愛くて。

 いちばんカッコイイのはオープニングだよ……つーか、そこしかナイよ……あとはもお、キャラがわかるたびに「この人、アホ?」な感じが素敵過ぎる……(笑)。

 跡取りだから!とにんじんをぶら下げられて、ジュリエット父@ヒロさんに頭が上がらなかったり、ジュリエット@ねねちゃんをダイスキで彼女の婚約者パリス@ミッキーに必死にちまちま嫌がらせをしたり。
 やることがセコくて、めっちゃ可愛い。

 で、渾身のソロは「悪いのは大人だっ、オレは悪くなんかないんだっ。てかオレって可哀想じゃん、オレ万歳(うっとり)」だし。
 しかも、歌唱力はアレだし(笑)。

 従兄で幼なじみで親しいのに、家にも当たり前に出入りしているのに、愛していることを、当のジュリエットに、まったく気づいてもらってないし。

 三角関係にもなってないんだよねえ。
 ヒロインからまったくアウトオブ眼中(死語・笑)って、それだけでティボルトの男ぶりが相当下がっているとゆーか、独り相撲が悲しすぎる事態だと思います。
 彼が死んだときも、ジュリエットはろくに悲しんでくれないし。ロミオの心配しかしないし。……ほんっとに、どーでもいい扱いなんだねええ。ほろり。

 また、その死に方も悲しい。
 マーキューシオ@ベニーは刺されたあと盛大に喋って歌って親友に抱きしめられて時間掛けてドラマティックに死んでいくのに、ティボルトときたら、一瞬でご臨終。刺された、死んだ。え、もう死んだの?!
 彼にすがって泣く友だちはいない。とりまきの女の子たちが囲む程度。人望ナイんだねええ。ほろり。

 最初から最後まで、彼は悲しいピエロ。
 ひとりできーきー踊るのみ。
 誰からも愛されず、誰からも顧みられず。

 唯一叔母にだけは愛されていたようだけど、なにしろ不倫な関係、おおっぴらにはできないから、叔母さんも口をつぐむし。

 可哀想。
 ティボルト、可哀想~~。

 おバカでヘタレでカッコつけのどーしよーもないカオだけ男。
 ひとりでテンパってるけど、ロミオ@れおんにもジュリエットにも、てんで相手にされず。

 って、萌え過ぎる(笑)。

 かなめくんの魅力全開。
 ビジュアルとのギャップゆえ、胸キュン作用(笑)。

 あんだけ完璧に美しい男が、あんだけヘタレなのよ? で、自分がヘタレだとも気づかず、「ワイルドでワルなオレ」とか悦に入ってるのよ?
 素敵すぎるっ。

 キャラ勝ちだわ。

 えーと、かなめくんの歌はもお、大変です。声ひっくり返ったりゆらゆらしたり。
 また無駄に難しい歌だったりするし。
 でも、彼に歌唱力は求めていないので、無問題。キャラクタと相俟って、それもまた味になっている。

 そんな些細なこと(笑)よりも、かなめくんがアグレッシヴに役に向かい、舞台に立っていることに魅力を感じます。
 不思議な魅力だなあ、凰稀かなめ。

 れおんくん、かなめくん、ねねちゃん、この3人の並びがすごく好き。黄金のパワーバランス、魅惑のトライアングル。
 3人の並びが好きなこともあって、さらにさらに、かなめくんが素敵だ。

 楽しいよお、『ロミオとジュリエット』。
 咲奈くん、新公主演おめでとー。

 と、再度言いたくなった(笑)。
 と、ゆーのもだ。

 雪組新人公演『ロジェ』、プロローグの回想シーンが終わり、スクリーンが上がって、ロジェ@咲奈くんが登場する、その瞬間。

 カッコイイ。と、素直に思いました。

 あれえ? なんかマジ格好いいぞ?

 中卒研4の咲奈くんはまだハタチそこそこ。彼を「かわいい」と思うことはあっても、「カッコイイ」はなかった。
 それは仕方ない、男役は一朝一夕では出来ないんだ、人生未熟なコドモに、簡単にどーこーできるようなヤワな世界なら、こんなに夢中になってない。
 若すぎて足りていない、のは許容範囲、将来に期待を掛けるのでかまわない。
 が、やっぱり「男役」としての魅力を見せてくれるのに、越したことはない。
 前回までの新公や、今の本公演でのぷくぷくした「オンナノコ」な姿を残念には思っていた。

 それがどーしたことだ、新公は格好良かった。
 ぷくぷくしたオンナノコじゃない。男役だ。

 てゆーか、声がチガウ。

 本公演ではオンナノコな地声で喋ってるじゃん? 少年ぽさを出そうとして、あーゆーことになってるの?
 新公ロジェ役では、作った男役声でした。
 つか、水しぇんに似ている。

 『ソルフェリーノの夜明け』のときは、まったく感じなかったのに。
 『ロジェ』では、姿も声も喋り方も、水くんに似ている。

 すごく丁寧に、コピーしている。
 「水夏希」を。

 オープニングのダンスで。
 帽子アリのスーツのダンスで。
 ものすごく丁寧に動いている彼を、肩のラインひとつに気合い入れて「型」をなぞる彼を見て、泣きたくなったのですよ。

 「水夏希」が、受け継がれていく。
 水しぇんが完成させた男役芸を、こーやって全霊を挙げて受け継ぐ子がいる。血肉にしたいと貪欲にあがいている子がいる。

 水しぇんは卒業してしまうけれど、彼がこのタカラヅカに、この舞台の上にいたことは決してなくならない。
 そのことが、理屈ではなくビジュアルで、今目の前にあるモノで、ずどんと胸に迫ってきて。

 すごく、ありがとうなキモチだ。
 咲奈くんに。
 水しぇんに。
 そして、タカラヅカに。

 ああもお、タカラヅカっていいよな。こうして受け継がれていくんだ。終わりはないんだ。
 咲奈くんがすごく水しぇんに似ているとか、よく言うDNAとやらを受け継いでいるとか、そこまでは思わないんだけど。
 そうじゃなくても、そこまでじゃなくても、継がれていくモノはあるんだ。
 ひとである限り。
 ひととひとが、創っていくモノである限り。

 デュナン役のときは、咲奈くんは彼自身の力で突っ走った気がしている。コピーするとかなぞるとか以前、今の自分で脚本にあることをやれるだけやる、みたいな。
 課題をこなすことだけを考えましたっていうか。

 それが今回は、水しぇんをコピーする……本役さんの素晴らしさを再現する、ということにも焦点を合わせてきた気がした。
 等身大ではなく、ひとつ上の大人のビジュアルを目指したというか。

 そして、やっぱりうまいというか、技術のある子なんだと思う。
 コピーするとなると、ほんとにきっちりコピーしてるんだもの。
 いろんなところで、水しぇんの幻影を見る(笑)。うわ、よくぞこれだけコピーしたな、と。
 仕草や声色、表情の作り方。

 もちろん、コピーだけで終わらず、どんどん咲奈くん自身の色が出てくるんだけど、基本は水しぇんのロジェなの、いろんなところで型を崩さずがんばってるの。

 正塚芝居って大仰な台詞回しだとかゴテゴテした衣装とかで誤魔化しが利かない分、若手たちには敷居が高い。新人公演は軒並み大変なことになる。
 が、どうしてどうして、よくやっている。
 咲奈くんをはじめ、みんなうまい。

 ちゃんと基本な正塚芝居をやって……ちゃんと基本な水しぇんのロジェをやって……だけど、咲奈くんらしいロジェになる。
 
 脚本自体が「ロジェってただのコドモ?」な話なので、リアルに30過ぎの大人に見える水しぇんが演じるより、ぴちぴちに若い咲奈くんが演じた方が脚本の粗が目立たない……てのは、ある。
 ヅカ作品にありがちな、「作品が壊れていて、なんでそうなるのか本公演では納得できなかったが、新公では行動が変でも『若いから仕方ないね』で納得できる」を地でいくわけですが。

 それを踏まえても、一途で、ハートフルなロジェでした。

 誠実さとアツさが見えるんだが、それと同時にまろやかさもある。復讐をあきらめるくだりが、なめらか。
 自然に人を惹きつける力。ああ、このロジェって男、好きだな、と思える。

 
 タカラヅカにおける「サヨナラ公演仕様」な演出は、物語的には不要なことが多く、おかげで新公では白々しくなったりするもんなんだが。(例『ソルフェリーノの夜明け』新人公演で、退団しないホタテくんが脈絡なく「退団者の歌」を歌って旅立たなければならなかった)

 『ロジェ』もラストシーンがその物語的に不要な「サヨナラ公演仕様」で、旅立つロジェをキャスト全員で見送る、ロジェが銀橋からキャスト全員を見つめる演出があった。
 仕方ないけど、退団しない、人生これからの咲奈くんにソレをやられても萎えるなー、と思っていたんだが。

 なんと、演出が違った。

 たしかに旅立ちの歌でキャスト全員登場するんだが、ロジェひとりが旅立つのではなく、そのまま花道までいっぱいにずらりと並び、新公メンバー全員の、「未来へ」の歌となった。
 途切れることなく、そのまま終演挨拶になる。
 そのことによって、最後の歌が、新公キャスト全員のこの新公に懸ける意気込み、これからの舞台人人生に懸ける意志、みたいなものに昇華された。

 すごい。
 これってすごい、キモチイイ演出だ。
 一礼するキャストに、心から拍手を送った。

 
 新公の長を務めるがおりくんの挨拶は端正で過不足なく、そして咲奈くんの挨拶はエネルギッシュだった。テンパって泣き出すこともなく、きちんと仕事を果たした。

 成長してるんだなあ。若者ってすごいなあ。

 本公演のヴィンセント役は足りなさが目立つんだけど、新公でここまでやれる子なんだもんなあ、実力はあるんだよな。
 てゆーか、ふつーにこんだけうまいんだから、あとはこれから男ぶりを上げていくことだよな。
 かなり背伸び感のあるヴィンセント役をやり続けることで、咲奈くんはいろいろ吸収中なのかもしれない。
 ひとりっ子政策は反対、才能ある子だと思うからこそ、大切に育てて欲しいっす。
 年寄りなので、昔話をする。

 あれは『虹のナターシャ』新人公演。タカネくんがトップになり、新生雪組がスタート、『エリザベート』初演の成功・盛り上がりも記憶に新しいそのときに、まさかの大駄作。
 植爺の駄作は数あれど、終わってないなんて、物語とか作品とか以前の問題。創作者としての品性を疑う事態なんだが、理事長様はナニやっても許される。
 そんな怒濤の公演にて、新公ヒロインが研1の紺野まひるだった。……って、誰。

 まひるちゃんの82期は、タカラヅカのテレビ進出を狙った期で、tapが結成されてCDデビューしたり、シャンプーのCMにずらりと出たりとにぎやかだった。
 タカラヅカに一般客を引き入れようという試み、テレビのアイドルタレント的な扱いをしてみよう、という時期だった。

 その祭りの一環での、研1の新公ヒロイン抜擢。

 かなりの異例で話題になってしかるべき事態なのかもしれないが、まだネット普及率も低く、世の中的にヅカファン的に、どこまで大事件だったのかはわからない。
 わたしとしては、研1ヒロイン抜擢より、なんで江上さんが専科さんの役なのよおおっ、というショックの方が大きかった(笑)。いやその、江上さん、つーのはケロちゃんのことでね、前回の『エリザベート』新公でフランツを演じ、歌はともかく芝居は素晴らしく、惚れ惚れしていたところだっただけに、なんでこんなに急に扱いオトされるのか納得できないっちゅーか、ああうだうだ。
 それでも江上ファン……仲間うちでだけ、「江上さん」と勝手に呼んでいた……『大上海』の江上役のせい……見逃してなるものかと駆けつけた。『虹ナタ』新公。

 江上さんは専科さんの役でもすっごくうまくて、出番少なくて横顔しか客席に見せないよーな、そんな役でもじーんとさせてくれたんだけど! 仲間たちと「江上さんすげえ」って言い合っていたんだけど!
 それは置いておいて、新公ヒロインのまひるちゃん。

 ナターシャというのは、絶世の美少女だが、男の子みたいながさつな役。演技しているのかどうかもわかんない、等身大のオンナノコのままで演じられる役。
 まひるちゃんがうまいのかどうかは、さっぱりわからない。や、ヘタではないけれど、たまたまナタ公がハマっていただけで、他の役ができるのかはそれだけじゃまったくわからない。そーゆー出来映え。

 いちおー、成績は3番、娘役ではトップだった……かな。それなりに実力はあったんだと思う。
 でも、音楽学校で良い成績を取ることと、実際の舞台で成果を出すのはまた別問題。

 それでも、ひとつだけわかったこと。

 まひるちゃんは、かわいい。

 ビジュアル重視の期の中で、わざわざ抜擢されるのが納得の美少女だった。

 かわいいは正しい、かわいいは正義。
 動いて、喋っているだけでかわいくて、一気に注目された。

 いつもは現れないトドロキが、わざわざ新公観に来てたっけ。直後のバウ公演で、そのまひるちゃんがヒロインを演じることになると決まっていたので、新公に興味のないトド様も、さすがに足を運んでいた……そしてそのことがわざわざ「トドがまひる見に来てた!」と噂になるあたりもまた、いっそ愉快。

 まあそんな昔話を、年寄りの偏った記憶で語るのは、まひるちゃん以来14年ぶりに、「研1の新公ヒロイン」が誕生したためだ。
 偏った記憶……あくまでも、わたし個人の記憶に過ぎないので、どこまで正しいかは謎。

 しかし、新人公演『ロジェ』を観ながら、痛切に、思い出していた。

 まひるちゃんは、かわいかった。

 舞台人としての経験は皆無の研1生だったけれど、タカラヅカという狭い世界の美人ではなく、テレビに出ててもおかしくない美少女だった。
 経験がない分、もとからの可愛さで「絶世の美少女役」をやっていた。

 「かわいい」っていうのは、「きれい」っていうのは、たしかに、わかりやすい説得力だよなあ。
 これで実力皆無で動いて声を出したら目も当てられない、てな出来ならともかく、周囲に支えられながらでもふつーに新公レベルの仕事をこなしてみせたら、「かわいいは正義」で通るよなあ。

 
 とゆーことで、『ロジェ』ヒロインのレア@夢華さん。
 改めて舞台姿を認識し、首を傾げた。

 文化祭を観たときは、かわいかった気がする、んだが。
 好みのタイプではなかったのでスルーしていたが、それでもふつーにかわいい、ヒロインらしい人だった、と思ったんだ。カオ自体はおぼえてなかったにしろ。

 歌がうまいことも、芝居が出来ることも、文化祭でわかっていた。
 だから新公でも実力的なことは、危惧していない。きっとそこそこ役目を果たすだろうと。

 でもなあ。実力のある研1生なら、今までもいくらでもいたと思うの。男役は出来上がるまでに時間がかかるから研1抜擢主演は難しいとしても、娘役なら文化祭ですでに出来上がっている子だっている。
 首席入団してくる娘役なら、ある程度のことはできると思うんだ。
 せんどーさんでも、くまくまちゃんでも、アグレッシヴにヒロインやったろうなあ、入団早々、機会さえあれば。

 実力だけで言うならいろいろどーんと来い!な、せんどーさんやくまちゃんが出来なかった研1新公ヒロインだ、彼女たちとまひるちゃんの差は、研1にしてすでに出来上がっているビジュアルかなと。
 せんどーさんもくまちゃんも美人さんだけど、彼女たちが舞台上であか抜けて輝きだしたのはやっぱり、何年かしてからだし。(くまちゃんは最初からヒロイン路線じゃなかったかもしんないけどさー)

 テレビタレントみたいなビジュアルを最初から持っている、舞台人として美しく見せる技術がなくても、きれいな子だとわかる……舞台スキルがナイまま舞台に「ヒロイン」として載せるには、やはりソコにこだわりがあるのかなと。

 思っていただけに、夢華さんにまひるちゃんほど圧倒的なかわいさがなかったことが、残念だ。
 や、うまいんだけどね……ふつーに「新公学年」レベルの芝居とビジュアルを見せてくれたんだけど、ふつーに「新公学年」レベルなんだったら、なにもまひるちゃんと同じ「研1で新公ヒロイン」である意味がナイんじゃあ、と。
 ふつーに「そこそこいい役」で「え、あの子研1? うまいじゃん」と思わせた方が良くないか? せんどーさんやくまちゃんがそうやって少しずつ昇ってきたよーに。

 難しい正塚芝居で、浮かずによく演じていたと思う。
 本役よりもやわらかいというか、意志の在処がわかりにくいけれど、そーゆーキャラクタもアリでしょう。みなこちゃんほど強く演じる必要はないのだから。
 そしてなにより、歌は素晴らしい。固いままであれだけ歌えるんだから、キャリアを重ねればもっと聴かせてくれるよーになるだろう。

 ビジュアルもまた経験で補えるので、このまま経験を積めばどんどんあか抜けてきれいになると思う。
 でもせっかくの、まひるちゃん以来14年ぶりの大抜擢なんだから、ビジュアルにおいて、まひるちゃん並の感動を与えて欲しかったっす。残念。

 あ、でもビジュアルは好みによるところが大きいからなー。わたしの好みの顔立ちでなかった、つーだけのことかも。
 そして、アタマ悪く「好みの顔」の話をする(笑)。
 舞台人としてどうこう、技術がどうこう、を語る資格ナッシングな、実に偏った話。

 新人公演『ロジェ』において、とにかく、あずりんのカオを眺めていました。

 好きなカオですから。
 もう見られなくなってしまうのだから、これが見納めとばかりに、じっくりと。

 わたしの好きなカオのポイントは、なんつっても「鼻」です。高い、大きな鼻が好き。
 それゆえに、真正面より横顔フェチ。
 大きな鼻を堪能できる横顔が好き。

 男役ならカオは長めで、鼻も長めがいいです。でもってクチは大きく、唇がタラコ気味がいいです。受け口も好物です。

 つーことで、あずりんを失うのが痛手です。

 ヤコブ@あずりんは、もともとよくわかんない役。本役さんからして、キャラクタが見えにくいってゆーか、立ち位置がよくわかんないってゆーか。
 深く考えず、レアの同僚、ただの解説役、合いの手を入れる役、と開き直っていればいいのかなあ、正塚せんせ?

 あずりんはとても真面目に、思慮深い感じでヤコブを演じている、よーに見えました。
 個性が見えにくい分、なかなか難しい役だと思うんだけど。彼は台詞も自然で、このまま経験を積めばいい男になったろうと思うんだけど。なんで辞めちゃうのかなあ。しょんぼり。

 つーことで、あずりんが出ているところは彼をオペラグラスでピン撮り。

 
 そして、それと平行して好みの横顔探しをしていたところ……ヴィンセント@レオくんがとっても好みだということに、気づきました。

 潔いデコ出しヘアが良かったのかな? それともお化粧? 役?

 てゆーか彼、あんなカオだった?

 いちお、ずっと顔の見分けのつく下級生だったわけですよ、レオくん。だからなんか今さらな驚き。もともとあんなカオだった?
 なんか急に好みになっていて、びびった。

 そして。

 …………芝居、ヘタだね…………(笑)。
 いや、声か? 芝居がどうというより、声の問題? 地声のままで喋るのは演出家指示なの? 本役の咲奈くんもだし、レオくんもオンナノコのまま喋ってますが……。

 レオくんは以前の新公で、芝居好きな子なんだなと思った。すごい濃度で顔芸していたし。
 でもあんときは、台詞はほとんどなかったな……。喋るとこんなに大変なことになるのか。

 彼が喋るたびに「うわっ」と思ったんだが、顔が好みなのでがんばって欲しい……。

 
 れのくんを愛でるのはいつものことなんだが、今回はあまり琴線に触れず。
 とゆーのも、本公演で「なんかれのくん、かっこいい」と思ってしまったので、新公ではそれ以上にときめかなかったという(笑)。

 
 カウフマン@朝風くんは、なんか恥ずかしかった……。
 なんだろう、この気恥ずかしさは。朝風くんがあんな役やってるー、黒いー、きゃー自殺したー。

 ……たぶん、どんどん彼を好きになっているんだと思う。そのせいで、なんか「知ってる人」感覚で勝手に恥ずかしくなるんだ(笑)。

  
 で、なんか今回、央雅くんがめっさかっこよかったんですが。
 彼、フケてるよね?(誉め言葉)

 前回の新公でフケ役やってたけど、すごく大人なのはすでに芸風?
 タンゴがかっこいーよー。
 悪者もかっこいーよー。

 好みのカオ、の範疇ではナイんだが、その色男っぷりが予期していなかったところにずどんとキた。
 好みの顔ゆえにわくわくどきどきするのもいいけど、実力で振り向かせてくれるのはイイよなあ。

 
 んで、実はこの新公でいちばん衝撃だったのは。

 アイザック@月城くん!

 ねえちょっとナニ彼、めちゃくちゃうまくね?! まだ研2だよね?!
 前回もすごくナチュラルにおっさん役をやっていたけれど、今回もまたふつーに大人ですよ。

 で、本役とはチガウ手触りのキャラクタ。
 軽くない、土着の臭いのある男。

 なんかいろんな意味で驚いて、彼をオペラでピン撮りしていたら、なんか、オペラ越しに目があった気がして、息が詰まった……(笑)。
 カンチガイでもなんでも、あのでかい目で見つめられるとびびるわー。

 これから彼は、どう育つんだろう。
 なんかすげーたのしみっす。

 
 と、とにかく好み語り。好みの顔と、芸風と。
 リオン@がおりくんがうまかったのは、言うまでもない。
 新人公演『ロジェ』において、見事な安定っぷり。

 キムの役をやるのは何回目?
 わたしの記憶にあるだけで3回目なんだが、中でいちばんイイ感じで……そしてちょっと、残念だったと思う。

 がおりくんは、キムくんと持ち味がチガウ。
 『君を愛してる』のときはアウェイ感ばりばりに苦戦していた。『ソルフェリーノの夜明け』は、キムくん自身がアウェイ感、がおりくんの方がニュートラルに勝負している気がした。

 そして今回のリオンは、そのキャラや立ち位置ががおりくんにも合っているし、なんというか、彼の中で自然に咀嚼し、形作っているように見えた。
 だからとても安心して見られるし、キャラクタ造形も安定していた。

 が。
 ……リオンってあんなに、安定して堅実に、一歩後ろの型にはまってしまっていいものなの?
 一歩前へ出て、あえて型からはみ出してみせるぐらいの気がないと、埋もれてしまう役ではないかな。

 がおりくんのリオンはとてもうまくて、リアルなキャラクタだったんだけど、それゆえに危惧した。そんな風にまとまってしまうことに。

 しどころのない、地味な役だからこそ、意識して前へ出ないと、脇役になってしまうっす……。

 がおりくん、本役のタンゴの男の方がずっとキラキラしてた。押し出しよかった。
 リオンが「キラキラしてなくていい、押し出し良くなくていい」役だとしても、そこにまとまっちゃったらダメだと思うんだ。完全な脇の役ならともかく、2番手役で次期トップスターの役だ。キラキラして押し出しよくやって問題ないはず。復讐に生きるロジェ@咲奈くんとの対比を出すためにも。

 がおりくんの実力と堅実な芸風を愛でるからこその、老婆心。
 
 
 シュミット@りんきらは、やっぱりうまい。そして、期待した通り、ヒゲのおっさんは似合っている。カラダの厚みも合わせて、かっこいい。

 そうか、やっぱりかっこいいんだ……と思ってその直後の、全員集合で旅立ちソング熱唱時、ヒゲ無しの姿を見て肩を落とす。ぷくぷくちゃん……ヒゲがないと、ビジュアルがつらい……。

 りんきらはもう、痩せる意志はないのかなあ。顔立ちはきれいなんだから、痩せれば役の幅も広がるだろうに。
 もちろん太っていても役者はできるけれど、ここはタカラヅカで、太ったおじさんの役だけでなく、ショーも演じなければならないところなんだがなあ。

 
 バシュレ@ホタテくんもまた、回数を重ねるごとにうまくなっていくなあ。
 最初に彼を認識したのは『忘れ雪』で、あのときは一緒に観劇した友人があーたん(なつかしい……)と混同するくらい横に大きな子だったわけだが。
 今はけっこういい感じで落ち着いてきた気がする。
 ロジェとバシュレの体型の差、頭身の差が本役さんっぽくて、年配の男性だとわかるのもイイ。
 顔立ちのクラシカルさも、いい男ぶりだと思うの。

 歌は大変だったような……幕開きのソロ、あれって歌というより台詞になっていた? そーゆー演出?

 若くておっさんができる、ってのは将来有望だと思うので、男ぶりを磨いていってほしーなー。

 
 クラウス@彩凪くんは、期待通りでかくてきれいで眼福ですな。
 存在が派手なので、派手な役をやってくれるとハマリが良くて、見ていて楽しい。
 狂気というよりは、ただの暴力的な人、だったけれど、それはソレでアリかと。

 せっかくの美貌の人なので、いちどきちんとお芝居を見てみたいっす。こんなどたばたした出番の役ではなく、通しでキャラクタのある役を。
 あまり繊細ではない芸風に見えるんだけど、派手な人なので大味でもイケルと思うんだよなあ。

 
 マキシム@透真くん、キャラクタのある役が付いてるの、はじめて見た。
 てゆーか透真くんの場合、見るたびにカオが違っている気がする。喋って演技している透真くんを見て、しみじみと「こんなカオだっけ……?」と思いました。

 本役さんのよーな、間で笑わせるのではなく、もっとわかりやすくコメディっぽくすることで笑わせていた。それは正しい。正塚こだわりの笑い場面は、別に新公でがんばるところじゃない(笑)。

 わかりやすくコメディにすることで、目立つキャラになっていたような。リオンが地味な分、オイシク前へ出ていたよーな。また、笑わせキャラな分、技術のなさが目立たない……いや別に、ヘタではなかったけども。
 かなり役に助けられていた印象。
 しかし今までろくに役がついてないわけだし、はじめてのキャラある役でこれだけ出来たら及第点かな。

 
 ポポリーノ@まなはるくんは、いきなりおっさん役でしたな……ゲルハルト。
 普通にうまくて、ヒゲも似合っていておっさんで。
 おっさんができるのはたしかに有望なんだが、まなはるには今おっさんに逸れてしまわず、もっと真ん中寄りで見てみたいんだが……彼はどこへ行くのかなあ。

 大澄くんは、なんかどこにいても目に入る……のは今回に限ったことではないが、今回さらに瞠目したのは、彼の場合、シルエットでもわかるということだ。
 暗いライトを浴びて浮かび上がったときに、シルエットで判別付くよ彼……あの耳はいいよね……(笑)。

 
 娘役に語るべき役がない、のは前回に続いてどうなのよ、と演出家に物申したいところです。

 クリスティーヌ@さらさちゃんが、きれいで落ち着いていて、いい女でした。
 抑えた物言いが、言葉にしない部分の感情を、ドラマを想像させて、イイ感じ。

 その娘モニーク@花瑛ちほちゃんも、かわいかったし、うまかった。まだ研2なのかー、違和感なくお芝居してたぞ。
 わたしはちほちゃんのカオはおぼえていなかったのだけど、横顔が独特なので「あ、ロジェ(子役)の子だ」とわかった(笑)。正面顔と横顔のギャップは、その昔、若き日のヒメ(キティお嬢様、と呼んでいた頃)を思い出す……。

 カミーラ@みみちゃん、大人の女もかっこいー。美人はいいね。
 でも、ヒステリー起こす演技はけっこう難しいのかなあ。なめらかではなく、ところどころ軋んだ気がする。

 マリア@あゆちゃんはかわいいけど……本役のマイペースなメイドさんの方がよりかわいいな。
 地味というかシリアスで堅実な役より、アイドル系の役が似合うんだなー。みみちゃんと反対に。

 
 雪組って芝居うまいなと思うのは、間と会話テンポが難しい正塚芝居をこなしている子たちが多いこと。
 
 シュミットの診療所前の通行人の女たち、千風カレン、此花いの莉、雛月乙葉、みんなすげーうまいんですが。雛月サンはタンゴダンサーもかっこよかったし。てゆーかカレンちゃんってまだ新公学年だったんだねえ。
 嘘さ! 嘘さ!!
 善悪が両岸にまっぷたつに分けられてるなんて
 嘘さ! 嘘なんだ!!
 嘘さ! 嘘さ! 嘘さ!

 ここは善だけの岸だと 信じ切れるなら楽さ!
 善い岸に住んで適当な時には 善なんか眠らせときゃね

 嘘さ!
 ボクがここにいるってだけさ!

 
 ……いつも同じ出典でアレですが、なにしろわたしの根っこにあるものは変わらないので。
 『ロミオとジュリエット』を観て、これまた痛烈に『はみだしっ子』を思い出していました。
 いがみ合う子どもたち。理由もないまま、対岸の子どもたちを憎んで。何故ならそれは、大人たちがはじめたことだから。大人の争いが子どもたちに広がり、今では原因もわからないまま、ただ相手を憎み、暴力に訴える。
 攻撃されて、思わず防戦したはみだしっ子たち……どちらの岸にも行き着くことは出来なくて、そんなもんくそくらえで。

 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の方が古くからあるもので、それを観てずっとあとに創られた作品を思い出すのはチガウと言う人もあるかもしれないが、古い作品に対してどうこうではなく、あくまでも、2010年初演の宝塚歌劇『ロミオとジュリエット』を観て、子どもの頃に読んだ『はみだしっ子』を思い出したということ。

 有名すぎる『ロミジュリ』については、意識するまでもなく知識として知っている。
 でも教養のないわたしは、それをきちんと咀嚼することないままこのトシになった。
 改めて出会う『ロミジュリ』で、登場人物があまりに「子ども」であることにおどろいた。知識としてロミオとジュリエットの年齢を知っていても、それがどういうことなのか理解してはいなかった。

 子どもの感性、子どもの考え方。子どもの理屈。
 そこにあるのは中2病全開の、とても痛く恥ずかしいモノ。
 うっわー、天下の『ロミジュリ』って、こーゆー話なのか。映画でもチラ見するバレエだのミュージカルでもイイ年した大人が演じているから、気づいてなかった。

 そして、あまりに「子ども」であるがゆえに、すでに大人であるわたしからすれば、痛々しくて、切ないものだった。
 生まれたときから「敵」のいる世界……そんな世界に生まれてしまった彼らを不憫に思う。
 それを当たり前とし、憎しみと暴力を空気として呼吸し、それでもそのなかで愛し希望し、笑って生きる。
 「男はみんな王になりたい」……いちばんになりたいと、無邪気に夢見る男の子たち。自分の可能性を信じ、未来になんの疑いもない、まっすぐな瞳。
 そんなものが、愛しくて切なくて、泣けて仕方がない。

 ロミオは所詮モンタギュー家の一員であり、よそ者だったはみだしっ子たちとはチガウ。グレアムたちも対岸の連中に石を投げたし、対岸に住んでいる女の子との交流もあったけれど、結局そこまで人々の争いに関与しない、しなくても済む。
 ロミオとグレアムたちが会っていたら、それはそれで悲しい会話が展開されただろうなあ。

 結束のための掟、結束のための敵。
 モンタギューとキャピュレット、互いを憎むのは個々にナニかあるからではない。すでにそんな次元は過ぎた。
 共通の敵がある限り、安心して同胞としてまとまっていられる。個は消失し、あるのは実態のない集団のみ。
 「沢山のお豆がありましたが、つぶされて粉になり、練られて一つのかたまりになっちゃったって話」……アンジーの要約の仕方が的確すぎて泣ける(笑)。

 そんなひとつのかたまりの中にいた、練られていたけれどまだなんとか原形を保っていた、ひとつのお豆の物語。
 もともと両家の争いを快く思っていなかったロミオ@れおん。そんな彼だから、とても素直にジュリエット@ねねちゃんと恋をした。

 ロミオは片方の岸の住人だったから、死まで描かれたんだなと、当たり前のことに思い至る。

 『はみだしっ子』では、いつも答えまでは描かれない。
 ふたつの岸の争い、理由もわからないままそれでも憎み合う子どもたちが、そのあとどうなるのかは描かれない。
 歪みや哀しみは提示されるけれど、それによってはみだしっ子たちは傷つくけれど、答えはない。
 それは彼らがはみだしっ子であり、どこの組織にも属さない、属せない者だからだ。

 根を下ろす大地を持たないまま彷徨い続け、それゆえに「よそ者」として「外から」人間や集団を見る。
 それが『はみだしっ子』であり、そんな彼らが「家」と「親」……大地に根を下ろしたときに、『はみだしっ子』は終わったんだなと思う。クリスマスローズが花を咲かせるように。彼らはもう、はみだしっ子ではないから。

 てな、舞台と関係あるよでナイことを考えつつ。

 考えさせてくれるから、『ロミオとジュリエット』ってのはすごい作品だと思った。
 ロミオ@れおん、ベンヴォーリオ@すずみん、マーキューシオ@ベニー。

 『ロミオとジュリエット』のキャピュレット側の幼なじみのこの3人が、美しい絆で結ばれた親友同士だとは、思っていない。
 友情を語るには、彼らはあまりに幼いためだ。

 子どもの頃の友だちなんて、自分で選んだというよりは、偶然そこにいたという方が正しい。
 家が近所だとか、同じクラスだとか、席が隣だとか。
 現実距離の近さで友だちになり、距離が離れれば別れる。

 価値観とか興味とか笑いのツボとか、大人なら重視する点を一切無視で、「そこにいたから」友だちになる。

 そうやって、自分も他人もよくわかっていないまま一緒に過ごして、成長するに従って「違い」を理解していく。
 自分とチガウ考え方をする他人を受け入れることや、自分にとっての好悪がどこにあるのかを学んでいく。
 ぶつかりながら車間距離を学び、あま噛みしあいながらケンカの仕方を学ぶ。

 距離が友情とイコールだから、いつも一緒にいるし、同じコトをする。
 カラダが近くにあればそれだけで納得、心の場所には鈍感。

 だから、ベンヴォーリオとマーキューシオは、ロミオひとりがちがっていることに、気づいていない。
 モンタギューとキャピュレット、ふたつの家の争いが続くなか、それを当たり前として楽しく騒いでいるベンヴォーリオたちと違い、ロミオは争いを憂いている。
 ベンヴォーリオたちはロミオを理解していないし、ロミオもだからといって深刻に嘆いてもいない。

 まだ、わかってないんだ。
 自分たちにあるのが「距離」という名のつながりだけで、「真の友情」ではないことを。

 ロミオがジュリエット@ねねちゃんを愛したのも、彼が最初からベンヴォーリオたちとは別の感覚を持った少年だったから。
 仮面舞踏会でジュリエットと出会ったのがベンヴォーリオやマーキューシオなら、ジュリエットがどんなに美しくても「敵の女」としか思わないだろう。

 だから、ロミオがジュリエットを選んだとわかると、「親友」のはずの彼らは激高する。ロミオならそれもありえる、とは思わない。
 彼らは「近くにいる=自分と同じ立場にいる=自分と同じ」という考えで、自分を愛している延長で友人を愛しているだけ。
 自分の理解の範囲外のことをされると、拒絶反応が起こる。

 ロミオの理解者がロレンス神父@くみちょしかいない、のが、彼に親友がいなかった証拠。
 ひとはひとりずつチガウのだ、ということを理解できる大人は、ロレンス神父だけだったんだな。
 ベンヴォーリオもマーキューシオも、悪い子たちではなかったけれど、子どもすぎて話にならなかった。

 だから、切ない。

 ロレンス神父しか味方のいないロミオは、親友たちには理解されないと悟っていた。バレれば責められると覚悟していた。それくらい彼は、年齢相応の成長をしていた。
 だけどベンヴォーリオたちにとっては青天の霹靂、まさかの裏切り。
 
 ロミオが、自分たちと違わずなにもかも同じだと信じていた親友が、別のことを考えるなんて。自分たちが夢にも思わないことを考え、するなんて。

 当たり前のことに、傷つき、憤る。

 当たり前だと理解できないほど、幼い少年たちの姿に、泣けてくる。

 ゴールデンエイジの終わり?
 少年が少年でいられる時代の終焉。
 子どもはいつか大人になる。でもそれは個人差があり、ゆっくりと発育していく。
 なのにベンヴォーリオたちは、ロミオの裏切りという形で強引に成長を余儀なくされた。もっとゆるやかであっていいはずの時間の流れを、一気に早送りされたんだ。

 その痛み、きしみ。

 おつむのデキがより単純であったマーキューシオは、その早送りされる情報量を処理しきれずに、パンクする。
 もっと時間を掛けて、ロミオが自分とは別の人間であり、別の考えを持っていて、別の人生を送るのだと理解し、彼の考え方を自分はどう思うかどうしたいかを咀嚼し、解きほぐし、それでも彼とこれからどうつきあいたいかを突き詰めて、答えを出すモノだったのに。
 早回しされる映像のようにきりきりくるくる回って、マーキューシオは死ぬ。
 彼の命が早回しされたように、彼の心もさっさと答えにたどり着く。

 それでも、ロミオは友だちだ、と。

 両家の争い、それを是とする世界観、価値観はゆるがない、そこを突き詰めて考えている余裕はない、それでもなお出てきた答えは、ロミオを好きだということ。
 だから彼は、死の間際にロミオを肯定する。ロミオが選んだ生き方を、愛を貫けと言い残す。
 途中のことを全部全部吹っ飛ばして、いちばん大切なことだけ伝える。

 演じているのがベニーなので(笑)、この早回し人生と最期の独白が行き過ぎていて、なんか笑える感じになっていたりするんだが、マーキューシオ単体としては、ブレてないんだ。
 
 マーキューシオは勝手に人生早回しして終了したけれど、ベンヴォーリオはチガウ。
 いちばん哀れなのは、彼かとも思う。

 ロミオという親友を精神的に失い、マーキューシオという親友を物理的に失った。
 彼ひとり、残された。
 それでもベンヴォーリオは、生きなければならない。

 ロミオの裏切り、マーキューシオの死で、ベンヴォーリオも成長する。
 無垢で無神経だった少年時代を過ぎ去り、大人へと近づく。
 だから彼は、ジュリエットの死をロミオへ知らせようとする。……自分の行動が、親友を破滅させることになるとは知らず。

 
 ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオ。
 彼らがあまりに「少年」で、すっかり年老いたわたしなんかは、まぶしくてならない。
 切なくて、ならない。

 正しくなんかない。
 だけど懸命に生きる彼らの姿に、泣けて仕方がない。

 黄金のままでいられない、消え去ることがわかっている少年期の傲慢さと無神経さと無邪気さと、掛け値なしの情熱や愛情や誠実さが、キラキラ波のように輝いて、胸に刺さる。

 地味キャラスキーなので、とくにベンヴォーリオの立ち位置はツボすぎて。
 最後、テレビカメラには映らないんじゃないかな、って目立たなさでロミオの亡骸にすがって泣き崩れる姿に、こっちも号泣したってばよ。

 少年はいつか、大人になる。
 それが、こんなカタチでだなんて。
 仲良し3人組、ロミオ、ベンヴォーリオ、マーキューシオ。

 「少年」である彼らが、愛しくてならない。
 『ロミオとジュリエット』で名をあげたのは、死@真風くんと愛@礼くんだと思う。

 他キャストももちろん素晴らしかったが、彼らはすでに評価を得ている人たちだ。
 「新人」枠で注目を集めたのは、彼らだろう。

 礼くんは研2、新公他で抜擢はされているが、常識の範囲内の上げ方なので対外的に認識されるほどのものじゃなかった。
 それがこの愛役で、一気に知名度アップ。
 長い手足としなやかなダンス、光が差すような美貌と表現力。

 まだ男役として出来上がっていないからこその、人間ではない女性役のハマりっぷり。
 正しく「フェアリー」がそこにいる。

 男役としての彼は未知数だけど、ひとりの舞台人としての資質を見せつけてくれた。
 今後に期待。

 そしてその相方、死役の真風。
 もう研5になる彼は、ずーーっと抜擢続きで、「下級生だから仕方ない」「急な抜擢だから仕方ない」で済む段階を超え、そろそろ「結果出してくれてもいいんぢゃね?」「そろそろうまくなってくれてもいいんぢゃね、つか、なってくれなきゃ困るんぢゃね?」なところまで来ていた。
 ほんと、いつまで経ってもうまくならないなと(笑)。
 抜擢されても、機会を与えられても、投資に見合う結果は返してくれない子だなと。
 そんな印象だった。

 いやそのわたし、彼のビジュアルが好物ですから!
 初舞台の前から、音校文化祭以前、小林公平様の偉業を讃える『花の道 夢の道 永遠の道』の大階段合唱時から、目について仕方なかった水しぇん似のお顔。

 顔が好みであるだけに、もどかしいというか、じれったいというか。
 うまくなってくんねーかなあ。長身の水しぇんなんて、おいしすぎる資質だろうに。
 と、常々彼のへたっぴさと、それでも顔の好みっぷりとで、わたしの小鳩のような小さな胸は揺れ動いていたわけなんですよ(笑)。
 ええ、あれは『太王四神記 Ver.II』のフィナーレ、玄武ファイターのとき。
 黙って踊る真風は、大層かっこよかったのでございます。
 彼のダンスがうまいなんて、とくにというかまったく思わないのですが、黒尽くめで踊る真風が好み過ぎて……。当時の日記にも書いてますな。

 黙って踊る真風は好み。
 そうたしかに書いていた、そう思っていた。

 そしたらなんと、ここでほんっとーに、黙って踊るだけの真風がっ!!

 しかも、まさかのトートメイク、トートっぷり!

 わざとだよね?
 演出家が同じなんだから、わざとやらせてるよね?
 しかも役名も同じ「死」なんだから、わざとだよね?

 雪組再演『エリザベート』。
 タカラヅカでの『エリザベート』上演は5組一巡し、最初に戻ってきた。
 同じことを繰り返すだけでは意味がない、小池せんせはなにかしら、新しい『エリザベート』を模索していた……と、初日近辺は思った。

 ぶっちゃけ、トート@水は、キモかった(笑)。

 爬虫類を通り越して、ヘビまんまの外観、動き。
 表情から反応から、異質すぎて気色悪かった。

 水しぇんキモい! と叫びながら、わたしは拍手喝采していた。
 「水夏希」にしかできないトートだと思った。この気持ち悪いほど「死(=異質)」であるトートを造形できるのは、またできると演出家にGOサインを得られたのは、水しぇんだからだと思った。
 だからその気持ち悪さを堪能していたのに。

 評判が悪かったのかなあ、あまりにトバしすぎていて。
 せっかくの気持ち悪い化け物トート様は、回を追うごとにふつーの「二枚目」「人間の男」に近い、「いつものタカラヅカのトート」に近づいていった。

 えええ。
 いつものトートなら、なにも2巡目の雪組でやらなくていいじゃん。なんのための2巡目なの、同じコトを永遠に繰り返すため?
 「新しい『エリザベート』」を意欲的に作り上げていたはずなのに……こんな風に、小さくまとまらないと、保守的なヅカファンには認められないの? しょぼん。

 なーんて、勝手にいろいろ考えていました、当時。
 水トート初日のあの衝撃。そして、そこから「ふつー」になっていった変化と落胆。や、それでも水しぇんのトートは好きだったけれど。

 初日のぶっ飛ばしっぷりと、その後の変化を知っているだけに、考えちゃうんだ。
 イケコ、ほんとは初日のテイストでやりたかったんじゃないのかなって。
 ヅカファンが「キモ過ぎるトートはNG、美しいヒーローなトートを見せて!」と言うから路線変更したし、その後の月組再演『エリザベート』では人間くさい「ふつーの美形トート」に戻していた。
 だけど、クリエイターとしての小池せんせは、よりビジュアルの突き抜けた、禍々しいトートを創りたかったんじゃないのか? 
 ヒーローではない、観客が感情移入する必要のない、「異質」な存在。
 禍々しく美しく、エロくて不吉で、マイナスでしかない、救いのない存在。
 とことん、耽美なトート。

 女性だけで演じるタカラヅカでは、究極の美青年を形作ることが出来る。生身の男性には創れない美だ。
 だけどタカラヅカでは、タカラヅカであるゆえに、トートを完璧な「死」として描くことはできないんだ。だってトートはトップスター様の役だから。観客が恋をする相手役だから。
 二律背反、ジレンマ、なんてもどかしい。

 だからこその、主役ではないトート、獲物がエリザベートではない場合の、トート。
 『ロミオとジュリエット』で、よーやく自由に「死」を描くことができたんじゃないのか?

 これって、『エリザベート』のリベンジぢゃね?

 イケコ、水トート大好きだったんだな! だからもう一度、やりたかったんだな、横やりの入らないところで! トートが主役でなければ、縛りはなくなるもの!
 キミとシェイクハンド、わたしも大好きだったよ、水トート!! あの容赦なく「死」で、容赦なくキモチワルイところが!!(笑)

 てことで、クリエイターの試みとしての、真風トートの造形に注目しました。
 まったくチガウ別の作品で、役者もチガウし役もチガウのに、「死」という同じ役を創る、そのトリッキーな姿勢。
 『ダンバイン』と『エルガイム』にチャム・ファウが出ていたよーな感じだなっ。(こらこら)

 そして、演じる真風が美しかった。
 黙って踊っていると、こんなに素敵なんだ。
 好みの顔の男が、好みのダークな存在で、妖しい表情して、エロエロしてるんですよ。
 見ていて楽しい。

 『エリザベート』にて、トートはうっかりエリザベートを愛してしまったからあんなことになってしまったけれど、ターゲットを愛したりしなければ、トートはこれくらい事務的に確実に仕事をしているんだなと。
 死はロミオを気に入り、確かに愛しているけれど、それはエリザベートに対する愛ではなくて。だから確実に仕事をし、ロミオをその手におさめる。

 『ロミオとジュリエット』、これはエリザベートを愛さなかったトートの物語でもある、と思いました。
 んで、組をふたつに割った上演ってのは、意味のあることだなあと思った。
 梅芸&博多座『ロミオとジュリエット』
 大劇場ではなく、バウと梅芸とで組をふたつに割っているからこそのデキであり、キャスティングであるのだなと。

 タカラヅカには、番手制度がある。
 トップスターが頂点にいて、ピラミッド状に組子たちがいる。
 これはタカラヅカのシステムなので、これについてどうこう言う気はない。番手制度の縛りで適材適所に配役できず、残念なことになるのがタカラヅカだとしても、番手制度は必要なんだ。

 たとえ歌えなくても踊れなくても、トップスターは主役を演じる。娘役トップはヒロインを演じる。これは鉄板。

 ロミオ@れおん、ジュリエット@ねねちゃん、ティボルト@かなめくんはガチ、なにがあってもこのキャスティングで正しい。
 だって彼らが「タカラヅカ」だから。

 ねねちゃんのおウタがアレだとか、かなめくんのおウタもまたアレだとか、そんなこたぁーどーだっていいんだ。
 彼らは娘トップ・2番手だから、それらの役を演じる使命がある。それだけのこと。

 トップ周囲はそれでいい。
 しかし……それ以外のところでは、番手・学年順に縛られすぎると不自由なんだよなあ。
 上から順番に、得意分野や持ち味も無視して機械的に役を割り振るのは、勘弁して欲しいと思う。

 ので、今回の組をふたつに割っての公演は、そのあたりがうまく機能していたなと。

 つまり、歌える人が、歌のある役をやることが、できた。

 もしコレ、全員出席の大劇場公演だったら、キャピュレット夫人@柚長とか、パリス@ともみんだったかもしんないわけで。
 柚長は納得の美しさだろうけど、歌はなにしろええっともう大変!なことになるし、ともみんは正直見てみたいが(笑)、空回りっぷりに歌唱力の裏打ちがない分笑うに笑えない悲しいことに……。
 夫人@柚長だと乳母@れみちゃんとの見た目……つか、年齢の差もえらいことになるし。

 上級生はもちろん一芸のある人たちなので、ヴェローナ大公@みきちぐ、モンタギュー夫人@毬乃サンとかになっても、歌は聴かせてくれるだろうけど、水輝りょおや花愛さんという、中堅の歌ウマさんに出番がなくなってしまうし。

 この『ロミオとジュリエット』を観た今となっては、それはもったいないと思うんだ。
 だから、組をふたつに割っての公演でよかったなあ、と。
 出演者たち、バウ組のメンバーになにか含みがあるわけではまったくなく、ただ『ロミオとジュリエット』という作品の力と規模に対して、最良のカタチで当たることが出来たんだなと。

 ヅカの番手制度と、作品のクオリティと、なんとか折り合いをつけられるのが、別ハコ公演の強みだよな。
 もちろん、玉石混合物量勝負の大劇場本公演も大好きさ。実力だけで計れない魅力を持つのが、タカラヅカであり、タカラジェンヌ。
 スター勢揃いと縛りのきつさのある大劇場、セレクトしたキャストで興行できる別ハコ公演と、両方あるのがヅカの強み。
 1組80人で5組もあって、専用劇場を東西に持つ、100年近い歴史を持つ大カンパニーの強み。

 この多彩さが、ヅカの楽しみだよなー。

 つーことで、今回の『ロミジュリ』に出演している選抜メンバー、モンタギュー、キャピュレットの若者たちも、みんなかっこいーしさー。
 興行自体、ほどよいコンパクト具合だと思った。

 それでも「役」はほんと少ないんだけどね。
 大劇場でなく、梅芸や博多座ならぎりぎりアリだよなと。

 
( ……てなことを、観た直後ミニパソにとりとめなく書いていたんですよ、ええ。

 まさかそのあと、雪組で大劇場本公演をやることになるとは思わずにね。
 しかも、自分が関係することになるとは……。
 あ、自分がってのは、自分のご贔屓が、って意味ね。贔屓が出てるかどうかで、他人事度がチガウという、悲しきヅカヲタの性……。

 つか、感想を溜め込むと話題が古くなってややこしいな)

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