進歩は望めるんだろうか?@仮面の男
2011年10月9日 タカラヅカ 『仮面の男』の演出が、正式に変更されるそうだ。
「歌劇」2011年10月号の「夢・万華鏡」において、小林公一氏が「多くのお客様から厳しいご意見を頂いた」ので「東京公演では場面を変更する」と明言。
ムラ公演から東宝公演での変更は今までもいくらでもあったが、それはあくまでもブラッシュアップの意味であり、「劇団の正式発表のもと、苦情により変更する」わけじゃない。
前代未聞、空前絶後。
わたしは初日に『仮面の男』を観劇し、
> たぶんこんな公演、最初で最後、二度とない。
> 宝塚歌劇団の名にかけて、二度と繰り返してはならない(笑)。
と書いた。まさかほんとに最初で最後、東宝にも行かない公演になるとはなー。
あの劇団に変更を余儀なくさせたほどの問題作だったんだな。すげえなヲイ。
歴史が今動いたって感じだな。
たかだか四半世紀に満たないヅカヲタ歴だけど、公式に変更が発表されるなんて、はじめてのことだもの。
もっともわたしは、『仮面の男』について、あまり語っていない。
「これはミュージカルでも芝居でもない、遊園地のアトラクションだ」と言ったのみで。
いちばんの問題はソレで、それが解決しない限りナニを言っても無駄っちゅーかそもそも話の次元がチガウ、ということで、物語自体には触れなかった。
遊園地のアトラクション相手に、ストーリーが!とかキャラクタが!とか語るのも馬鹿馬鹿しい。ライドに乗って人形がくるくる回っているのを眺めているのと同じノリなんだもの、演劇と同じ土俵で語れるかっつーの。
そう、食べられないものを「料理」とうそぶいてテーブルに並べるのと、「まずい料理」はチガウ。
『仮面の男』はそもそも食べ物じゃないから「ふざけんな」と言っているのであって、味の話はしていない。
だが演出変更される、という事実に期待よりも不安しか感じないので、味についても語っておこうと思う。
こだまっちのトンデモ演出を除いた、物語の本筋部分。
トンデモ演出にかまけておざなりになっているから、本筋の描き方が多少アレでもスルーして来たが、それにしたってひどいぞ。
まず、主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係。
時間経過や出来事の描写ができていない上、ふたりの心の交流が描かれていないために、ラウルという恋人を殺された直後にルイーズは心変わり、あっさりフィリップになびいているように見える。
ナニこの尻軽ヒロイン。
次に、ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻。
ダルタニアンは恋人コンスタンスの仇を取るために、あえて権力側に留まり、犬となっている。ここまではまあ、いいとしよう。真犯人さえ捕まえれば改心していい人になる余地はあるし、復讐の鬼となった自覚はあるのだから。
そうまで盛大に苦悩していながら、ダルタニアンの目の前で実行犯は証拠のペンダントを平気で胸からぶら下げていたのに、何年も何年もまーーったく気付いていなかったというまぬけさは、彼の男ぶりを著しく下げているが、それもまあいい。
いちばんの問題は、真犯人がわかったあとの、彼の変心だ。
国王ルイが暴君であること、平気で人殺しをしていることは、今まで見て見ぬふり。ダルタニアンにとって他人が殺されるのはどーでもいいことだった。
が、恋人のコンスタンスを殺したのがルイだとわかった。その途端、「悪い王だから」という理由でルイを王座から追い落とし、同じ顔のフィリップを国王にする。
フィリップはほんの数時間だけルイと入れ替わっていた。この入れ替わりにアホウなダルタニアンは気付いてなかったくせに、立ち聞きで真実を知り「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」と恥ずかしいことを言って観客を失笑させているが、まあそれもいいとして。
ルイとフィリップが入れ替わっていたのは、ほんの数時間。フィリップがどんな人間であるか、ダルタニアンは知らない。
なのに、ルイが恋人の仇だから、という理由だけで社会的に抹殺、国を治める人間をフィリップにする。
フィリップが、ルイ以上の異常者だったらどうするよ??
ほんとにダルタニアンには、他人なんか国なんかどーでもいいらしい。自分のためにルイの暴挙をスルー、自分のためにルイを追放、自分のために適性のまったくわからない男に国を任せる……そして、口ではいつもキレイゴト、ダルタニアン、卑劣すぎ。
3つ目は、三銃士のフィリップに対する利己的さ。
無銭飲食をしてお上に咎められると剣を抜いて暴力や殺人で片を付けようとした、登場シーンからして彼らが利己的な犯罪者気質であることはわかる。
だからある意味筋が通っているのかもしれないが、はっきりいって三銃士のフィリップへの態度は、ひどい。
国王の双子の兄弟だということで、仮面を付けられ幽閉されていた哀れなフィリップ。このフィリップを助け出したのは三銃士である。恩人である。だからって、その恩を笠に着て、したい放題。
アトスの弟の仇であるルイと同じ顔をしている、というだけで、ルイを陥れる道具としてフィリップを利用する。
ふつーに考えて、牢につながれていてろくな教育も受けていない青年を、いきなり王様と入れ替えられるわけがない。顔が同じでも気付かれるって。
だから三銃士の目的は「ルイの誘拐」でしかない。王座にいたんじゃ復讐できない、絵画を贋作とすり替えて盗むのと同じ。ルイを手元で嬲り殺すために、その場しのぎの偽物が必要だった。だから同じ顔をしたフィリップを使う。どーせすぐに偽物だとばれるだろーけど、そのころ三銃士はルイを連れて逃げているから無問題。
「顔が同じだから、王様にすり替われるって!」
と言うアラミスに対し、フィリップは至極当然のこと「そんなの無理だ!」と訴える。泣いて怯えるフィリップに、アラミスはいい笑顔で、
「失敗したら、それはそのときのことだ。(君が殺されるだけで、私たちは関係ないし☆)」
……ひでえええっ。アラミスひでえええ!!
アラミスとフィリップの会話シーンが「なんかいい話」「なんかいい場面」として描かれているのも、恐ろしい。ちっともいい話でもいい場面でもないよ、アラミスが言ってることって、フィリップを道具として利用して、その命なんかどーでもいい、って笑顔で語ってるんですけど?!
語っているのはアラミスだが、これが三銃士の総意なんだろう。ルイさえ暗殺できれば、フィリップもフランスもどーでもいいという。
どこまで可哀想なんだフィリップ……。
ずーーっと虐げられてきた彼は、感覚が麻痺して、そんな仕打ちをされてなお「これがボクの運命……」と思ってるんだよねええ。
「殺されるかもしれないのに、なんだか楽しそう」とルイーズに言われるくらい、酷い目に遭いまくって、正常な感覚がなくなってしまっているんだ。
物語部分がここまで破綻しているのは、どーでもいいこだまっちのスタンドプレイ場面を描くために、物語を描いていないため。
だから破綻していても、言及しなかった。
でも変更して不要だったどーでもいい場面がなくなっても、この物語の根幹部分の間違いが正されなければ、結局のところ「変更するだけ無駄」だったってことだよ?
そして、そうなりそうな悪寒がしているんだ(笑)。
「歌劇」2011年10月号の「夢・万華鏡」において、小林公一氏が「多くのお客様から厳しいご意見を頂いた」ので「東京公演では場面を変更する」と明言。
ムラ公演から東宝公演での変更は今までもいくらでもあったが、それはあくまでもブラッシュアップの意味であり、「劇団の正式発表のもと、苦情により変更する」わけじゃない。
前代未聞、空前絶後。
わたしは初日に『仮面の男』を観劇し、
> たぶんこんな公演、最初で最後、二度とない。
> 宝塚歌劇団の名にかけて、二度と繰り返してはならない(笑)。
と書いた。まさかほんとに最初で最後、東宝にも行かない公演になるとはなー。
あの劇団に変更を余儀なくさせたほどの問題作だったんだな。すげえなヲイ。
歴史が今動いたって感じだな。
たかだか四半世紀に満たないヅカヲタ歴だけど、公式に変更が発表されるなんて、はじめてのことだもの。
もっともわたしは、『仮面の男』について、あまり語っていない。
「これはミュージカルでも芝居でもない、遊園地のアトラクションだ」と言ったのみで。
いちばんの問題はソレで、それが解決しない限りナニを言っても無駄っちゅーかそもそも話の次元がチガウ、ということで、物語自体には触れなかった。
遊園地のアトラクション相手に、ストーリーが!とかキャラクタが!とか語るのも馬鹿馬鹿しい。ライドに乗って人形がくるくる回っているのを眺めているのと同じノリなんだもの、演劇と同じ土俵で語れるかっつーの。
そう、食べられないものを「料理」とうそぶいてテーブルに並べるのと、「まずい料理」はチガウ。
『仮面の男』はそもそも食べ物じゃないから「ふざけんな」と言っているのであって、味の話はしていない。
だが演出変更される、という事実に期待よりも不安しか感じないので、味についても語っておこうと思う。
こだまっちのトンデモ演出を除いた、物語の本筋部分。
トンデモ演出にかまけておざなりになっているから、本筋の描き方が多少アレでもスルーして来たが、それにしたってひどいぞ。
まず、主人公フィリップと、ヒロイン・ルイーズの関係。
時間経過や出来事の描写ができていない上、ふたりの心の交流が描かれていないために、ラウルという恋人を殺された直後にルイーズは心変わり、あっさりフィリップになびいているように見える。
ナニこの尻軽ヒロイン。
次に、ダルタニアンの復讐のいびつさによる、性格破綻。
ダルタニアンは恋人コンスタンスの仇を取るために、あえて権力側に留まり、犬となっている。ここまではまあ、いいとしよう。真犯人さえ捕まえれば改心していい人になる余地はあるし、復讐の鬼となった自覚はあるのだから。
そうまで盛大に苦悩していながら、ダルタニアンの目の前で実行犯は証拠のペンダントを平気で胸からぶら下げていたのに、何年も何年もまーーったく気付いていなかったというまぬけさは、彼の男ぶりを著しく下げているが、それもまあいい。
いちばんの問題は、真犯人がわかったあとの、彼の変心だ。
国王ルイが暴君であること、平気で人殺しをしていることは、今まで見て見ぬふり。ダルタニアンにとって他人が殺されるのはどーでもいいことだった。
が、恋人のコンスタンスを殺したのがルイだとわかった。その途端、「悪い王だから」という理由でルイを王座から追い落とし、同じ顔のフィリップを国王にする。
フィリップはほんの数時間だけルイと入れ替わっていた。この入れ替わりにアホウなダルタニアンは気付いてなかったくせに、立ち聞きで真実を知り「このダルタニアンの目は誤魔化せないぞ」と恥ずかしいことを言って観客を失笑させているが、まあそれもいいとして。
ルイとフィリップが入れ替わっていたのは、ほんの数時間。フィリップがどんな人間であるか、ダルタニアンは知らない。
なのに、ルイが恋人の仇だから、という理由だけで社会的に抹殺、国を治める人間をフィリップにする。
フィリップが、ルイ以上の異常者だったらどうするよ??
ほんとにダルタニアンには、他人なんか国なんかどーでもいいらしい。自分のためにルイの暴挙をスルー、自分のためにルイを追放、自分のために適性のまったくわからない男に国を任せる……そして、口ではいつもキレイゴト、ダルタニアン、卑劣すぎ。
3つ目は、三銃士のフィリップに対する利己的さ。
無銭飲食をしてお上に咎められると剣を抜いて暴力や殺人で片を付けようとした、登場シーンからして彼らが利己的な犯罪者気質であることはわかる。
だからある意味筋が通っているのかもしれないが、はっきりいって三銃士のフィリップへの態度は、ひどい。
国王の双子の兄弟だということで、仮面を付けられ幽閉されていた哀れなフィリップ。このフィリップを助け出したのは三銃士である。恩人である。だからって、その恩を笠に着て、したい放題。
アトスの弟の仇であるルイと同じ顔をしている、というだけで、ルイを陥れる道具としてフィリップを利用する。
ふつーに考えて、牢につながれていてろくな教育も受けていない青年を、いきなり王様と入れ替えられるわけがない。顔が同じでも気付かれるって。
だから三銃士の目的は「ルイの誘拐」でしかない。王座にいたんじゃ復讐できない、絵画を贋作とすり替えて盗むのと同じ。ルイを手元で嬲り殺すために、その場しのぎの偽物が必要だった。だから同じ顔をしたフィリップを使う。どーせすぐに偽物だとばれるだろーけど、そのころ三銃士はルイを連れて逃げているから無問題。
「顔が同じだから、王様にすり替われるって!」
と言うアラミスに対し、フィリップは至極当然のこと「そんなの無理だ!」と訴える。泣いて怯えるフィリップに、アラミスはいい笑顔で、
「失敗したら、それはそのときのことだ。(君が殺されるだけで、私たちは関係ないし☆)」
……ひでえええっ。アラミスひでえええ!!
アラミスとフィリップの会話シーンが「なんかいい話」「なんかいい場面」として描かれているのも、恐ろしい。ちっともいい話でもいい場面でもないよ、アラミスが言ってることって、フィリップを道具として利用して、その命なんかどーでもいい、って笑顔で語ってるんですけど?!
語っているのはアラミスだが、これが三銃士の総意なんだろう。ルイさえ暗殺できれば、フィリップもフランスもどーでもいいという。
どこまで可哀想なんだフィリップ……。
ずーーっと虐げられてきた彼は、感覚が麻痺して、そんな仕打ちをされてなお「これがボクの運命……」と思ってるんだよねええ。
「殺されるかもしれないのに、なんだか楽しそう」とルイーズに言われるくらい、酷い目に遭いまくって、正常な感覚がなくなってしまっているんだ。
物語部分がここまで破綻しているのは、どーでもいいこだまっちのスタンドプレイ場面を描くために、物語を描いていないため。
だから破綻していても、言及しなかった。
でも変更して不要だったどーでもいい場面がなくなっても、この物語の根幹部分の間違いが正されなければ、結局のところ「変更するだけ無駄」だったってことだよ?
そして、そうなりそうな悪寒がしているんだ(笑)。