彼に似ている彼。@第95期宝塚音楽学校文化祭
2009年2月21日 タカラヅカ まっつのそっくりさんがいたんですが。
『第95期宝塚音楽学校文化祭』初日初回観劇。
毎晩暴れん坊猫と戦っているため慢性的に寝不足で、ボケたアタマと重い瞼に喝を入れつつ日舞、ヴォーカル・コンサートを乗り切り、正塚、役名表記なんとかしろ!とニガワラ半分で芝居を乗り切り、たどりついたダンス・コンサート。
まっつがいる? なんか若くてぴっちぴちのまつださんがいますよ?
いやその、最初から気になってはいたんだけど、歌ではあまり出番なかったし、芝居はそもそも出てないしで、「ふーん」ぐらいの気分でいたんだけど。
ダンスではセンター寄りか少人数口でがっつり出まくってますよ、あの顔で。あの顔ってそりゃまっつ顔って意味ですよ。
どどどどうしよう、ドキドキする!(笑)
若いまっつがいて、キラキラ笑顔で踊っている姿を見ると、なんかすごく混乱します。ときめきます。
なんで似てると思うんだろう?
輪郭? でもって顔のパーツの位置? 耳は確実に似ている(笑)。小柄で華奢な体格、スタイルは良い……というほどでもない。これからの補正に期待かな。でもきれーだと思うよ、うん。
これで、鼻が大きければ完璧なのに。
鼻は大きくないです、このそっくりさん。ふつー。わたし的にはソコが惜しいっ(笑)。
わたしの主観でしかないので、別の人から見たら「どこがまっつ? ぜんぜん似てないし!」てなもんかもしれんが、わたしには似て見えたのよ!!
ただでさえダンス場面は団体戦で誰が誰だかわからないのに、まっつガン見で終わってしまった。
いつもいつも、まずまっつが出ているかどうかを探してしまう。んで、見つけたら視点固定。オペラグラス不要超前方席にて、ひたすら彼だけを見つめる。
あああ、他に誰も見てない、見ている暇がなかったっ。
今までの文化祭で、いちばん誰が誰だかわかんないままで終わった文化祭かも。
でも、まっつな彼と出会えたので、なんの悔いもナシ。
あの子、芸名なんていうんだろう?(文化祭プログラムには本名しか載っていない)
口上いつだろう?(行く気かいっ?)
てゆーかなんで芝居、彼が出ていない回しかチケット持ってないのよー。
音校の文化祭は、日舞・歌・ダンスは全員出演するけれど、唯一芝居だけはグループ制で、12時開演チームと16時開演チームがあり、どちらかにしか出演しないの。
第1部の日舞と歌で興味を持った生徒さんの多くが、わたしの観た回の芝居には出演しなかった……。まっつ似の彼も、そのひとり。
あきらめきれなくて、サバキ待ちしたんですが、とーぜんだが文化祭チケットが手に入るはずもなく。
わーん、演技している、声を出している彼が見たかったよお。入団したって新人なんて役がつかない限り演技も見られない、声も聞けないんだからさー。んで、若くして辞める子だって多いんだから、下手したら舞台上で個別認識できないまま終わっちゃうかもしれないんだからさー。
唯一の確実な機会である文化祭で、芝居が観たかった……。
しょぼん。
いやあ、いつにないときめきですわ。
まっつに似てる、というのは単に「贔屓に似ている」というだけでなく、好みの顔であるということだから。
わたしがまっつを好きになったのは、まず、顔ありきだから。
好みの顔のかわいこちゃんが、すげー気持ちのいいキラキラ笑顔で、びしばし踊ってるんだよー。ときめくじゃないかあ。
ダンサーなんだ? あのポジションにいるってことは。バレリーナなのかな、特にバレエでよく踊っていたような。
わたしはダンスの巧いヘタはよくわかってないんだが、踊る姿にもまっつを重ねてしまったので、好みの動きをしてくれてるんだと思うよ。
なんかすげーおぼこいなーと思ったら、中卒ですよ、プロフィール。つーとまだ17歳、誕生日来てなかったら16歳ですがなヲイ。
まっつなのにそんなに若くていいの?!(ちがいます)
えー、他の文化祭感想はまたいずれ。
てゆーかやっぱ、2回とも観たいよね、文化祭って。今まで2回観られたことってないから、どの子の芝居を観ることが出来るかは、まったくの「運」でしかない。
芝居を観ることが出来た子には、けっこー肩入れしちゃうんだよなー、個別認識できるようになるから。
『第95期宝塚音楽学校文化祭』初日初回観劇。
毎晩暴れん坊猫と戦っているため慢性的に寝不足で、ボケたアタマと重い瞼に喝を入れつつ日舞、ヴォーカル・コンサートを乗り切り、正塚、役名表記なんとかしろ!とニガワラ半分で芝居を乗り切り、たどりついたダンス・コンサート。
まっつがいる? なんか若くてぴっちぴちのまつださんがいますよ?
いやその、最初から気になってはいたんだけど、歌ではあまり出番なかったし、芝居はそもそも出てないしで、「ふーん」ぐらいの気分でいたんだけど。
ダンスではセンター寄りか少人数口でがっつり出まくってますよ、あの顔で。あの顔ってそりゃまっつ顔って意味ですよ。
どどどどうしよう、ドキドキする!(笑)
若いまっつがいて、キラキラ笑顔で踊っている姿を見ると、なんかすごく混乱します。ときめきます。
なんで似てると思うんだろう?
輪郭? でもって顔のパーツの位置? 耳は確実に似ている(笑)。小柄で華奢な体格、スタイルは良い……というほどでもない。これからの補正に期待かな。でもきれーだと思うよ、うん。
これで、鼻が大きければ完璧なのに。
鼻は大きくないです、このそっくりさん。ふつー。わたし的にはソコが惜しいっ(笑)。
わたしの主観でしかないので、別の人から見たら「どこがまっつ? ぜんぜん似てないし!」てなもんかもしれんが、わたしには似て見えたのよ!!
ただでさえダンス場面は団体戦で誰が誰だかわからないのに、まっつガン見で終わってしまった。
いつもいつも、まずまっつが出ているかどうかを探してしまう。んで、見つけたら視点固定。オペラグラス不要超前方席にて、ひたすら彼だけを見つめる。
あああ、他に誰も見てない、見ている暇がなかったっ。
今までの文化祭で、いちばん誰が誰だかわかんないままで終わった文化祭かも。
でも、まっつな彼と出会えたので、なんの悔いもナシ。
あの子、芸名なんていうんだろう?(文化祭プログラムには本名しか載っていない)
口上いつだろう?(行く気かいっ?)
てゆーかなんで芝居、彼が出ていない回しかチケット持ってないのよー。
音校の文化祭は、日舞・歌・ダンスは全員出演するけれど、唯一芝居だけはグループ制で、12時開演チームと16時開演チームがあり、どちらかにしか出演しないの。
第1部の日舞と歌で興味を持った生徒さんの多くが、わたしの観た回の芝居には出演しなかった……。まっつ似の彼も、そのひとり。
あきらめきれなくて、サバキ待ちしたんですが、とーぜんだが文化祭チケットが手に入るはずもなく。
わーん、演技している、声を出している彼が見たかったよお。入団したって新人なんて役がつかない限り演技も見られない、声も聞けないんだからさー。んで、若くして辞める子だって多いんだから、下手したら舞台上で個別認識できないまま終わっちゃうかもしれないんだからさー。
唯一の確実な機会である文化祭で、芝居が観たかった……。
しょぼん。
いやあ、いつにないときめきですわ。
まっつに似てる、というのは単に「贔屓に似ている」というだけでなく、好みの顔であるということだから。
わたしがまっつを好きになったのは、まず、顔ありきだから。
好みの顔のかわいこちゃんが、すげー気持ちのいいキラキラ笑顔で、びしばし踊ってるんだよー。ときめくじゃないかあ。
ダンサーなんだ? あのポジションにいるってことは。バレリーナなのかな、特にバレエでよく踊っていたような。
わたしはダンスの巧いヘタはよくわかってないんだが、踊る姿にもまっつを重ねてしまったので、好みの動きをしてくれてるんだと思うよ。
なんかすげーおぼこいなーと思ったら、中卒ですよ、プロフィール。つーとまだ17歳、誕生日来てなかったら16歳ですがなヲイ。
まっつなのにそんなに若くていいの?!(ちがいます)
えー、他の文化祭感想はまたいずれ。
てゆーかやっぱ、2回とも観たいよね、文化祭って。今まで2回観られたことってないから、どの子の芝居を観ることが出来るかは、まったくの「運」でしかない。
芝居を観ることが出来た子には、けっこー肩入れしちゃうんだよなー、個別認識できるようになるから。
彼女の最期の微笑みが、見えるようだ。@My dear New Orleans
2009年2月22日 タカラヅカ ほんとうのルルは、どこにいたのか。
本心を隠して生きるルル@あすかは、『My dear New Orleans』作中ではほとんど、真実の姿を見せていない、と思う。
台詞にあるように、ルル自身がもうほんとうの自分を見失っているのだとは思う。そうしなければ生きてこられなかったから。
ルルを愛する3人の男たち、ジョイ@トウコ、アンダーソン@しいちゃん、レニー@れおんは、実のところどこまでルルを見ていたんだろう?
「本当のルルを知っているのは俺だけだ」と、3人とも思っているらしいけどねー。
とりあえず、レニーは絶対わかってない(笑)。
ルルを通り過ぎてきた男たちと同じで、彼女の微笑みに「自分にとって都合のいいルル」を見ているに過ぎない。
それでも「実の姉弟である」という事実が彼の自信につながり、ルルの本心がどこにあるとしても深く考えず、安心していられた。
恋人も夫も別れればただの他人だけど、姉弟は他人には絶対にならないから。ルルは永久にレニーの「愛する人」でいられる。
その驕り、油断が、ジョイの出現で揺れ動き、本能的にやばいものを感じた彼は暴走して失敗する。
ジョイ登場でうろたえるってことは、自分が見ていたルルが「真実のルル」でないことを、無意識には感じていたんだろうな。
アンダーソンはひょっとしたら、「わかることができた」人かもしれない。
何故なら彼は、ルルが心を閉ざして生きていることを知っていた。気づいていた。
知っている、ということは、その奥の真実を知ることだって、できたかもしれないんだが……彼は、それを、しなかった。
ルルはおそらく、アンダーソンも幾多の男たちと同じただのパトロンだと思っていただろう。彼女が見せる表の顔を彼女のすべてだと思い、支配しているつもりだろうと。
だがアンダーソンはちがった。
ルル自身がもう見失っている、彼女の真実の存在に気づいていた。
だけど、それがアンダーソンの限界。
知りながら、それを得ようとはしなかった。
たぶん、アンダーソンはもう若くないんだ。年齢ではなく、魂が。
富や地位を得ている彼は、そこまでですでに若さを失っている。なりふり構わず愛のために奔走したり絶叫したりしない。もう、守りに入ってしまっている。
「欲しい」と思うのは、エネルギーだ。前へ出る分、打たれて傷つくかもしれない行為だ。
アンダーソンはもう、そーゆーことをする「青さ」を持っていなかった。
だから彼は最初から言うんだ。「そばにいろ、だが愛はいらない」。
現時点では。
この後彼がどう変わるかまではわからないが。
そして、ジョイは。
……ほんとーのところ、ジョイもルルの真実の顔を知ることが出来たのかは、怪しいと思っている。
こいつもレニーと同じで、「どんな男に抱かれたって、ルルの心は俺だけのモノだ」と思っているんぢゃないかと思う(笑)。
レニーだけでなく、これまでのルルの男たちの中にも、同じように思っていた男たちはいくらでもいたんじゃないかと思う。
だけどジョイが他の誰ともチガウのは、ほんとうに彼はルルの素の顔を知っていた、ということだ。……「10年前」に。
10年前、少女だったルルは白人の男に乱暴されかけ、ジョイに助けられた。恐慌とその中での一縷の救い、という本能剥き出しになっていただろう生の顔をジョイにさらしている。
見たことあったから知っていただけで、ソレなしで現在のルルと出会っていても、ジョイには真実のルルにたどり着かなかったと思うよ。だってジョイ、あまりに青臭い、ふつーにダメな男だもの。
ジョイはヒーローじゃない。
貧しさゆえに引き離されると泣いている子どもたちに、言葉と小銭をやることぐらいしかできない。殺された仲間のために歌うことしかできない。
無力な、ふつーの若い男。
そう、若さ。魂の、若さ。
アンダーソンが持たないモノを、ジョイは持っている。
愛の前に無防備に、傷つこうが失おうがお構いなしに突っ込んでいける。
だからルルは、彼を愛したんだと思う。
このままジョイと一緒にいれば、ルルは「失った自分」を取り戻せたのかもしれないね。
ジョイを愛する心ゆえに、彼女は戻りたかった自分に、戻れたのかもしれない。
だってジョイの瞳に映るルルは、ルルが汚れる前の純真なルルなんだから。
ほんとうのルルは、どこにいたのか。
別れの前、それを隠してジョイと戯れるルル。
「Sweet Black Bird」を歌ってとせがみ、あるはずのない未来に微笑む。
なにも知らないジョイは、恋人の睦言に相好を崩すばかりで。
愛と夢と、幸せな未来を疑いもせず「約束」をするジョイに、ルルが言う。
「あなたが好きよ、ジョイ」
それまでの「ニューオリンズ1美しいクレオール女」のルルではなく、ひとりの、少女の顔になる。
「愛している」ではなくて、「好きよ」。
10代の少女が口にする、告白の言葉のように。
ルルから、「真実」がこぼれ落ちる。あふれ出す。
その唐突さに、ジョイは一瞬ぽかんとして、すぐに微笑む。……ええいこのバカ男、わかってないだろナニも!
そしてルルはすぐに、身を翻すんだ。またいつものルルに戻って、とりつくろうんだ。
今、心が開いた。
ずっとずっと、閉ざしていた、隠していた心が。
ルル本人の意識とも別に、勝手にあふれ出した。
だからルルは、逃げるしかない。
ここにいたら、このままジョイといたら、ルルはもう仮面をつけることができなくなる。本当の自分に戻ってしまう。
別れの言葉なんか、言えるはずがない。
そんなことをしたら……!!
パニックを起こす少女のように、レニーに言付けだけ頼んで去っていく切なさ。
取り乱す姉を見て、呆然とするレニー。
そして。
るんるんしあわせいっぱいでニヤけているジョイ。
……レニーが思わず嘘をついてしまうのも、気持ちはわかる(笑)。
ルルの真実も、その苦悩も慟哭も知らず、このボケ男がっ。と、思い切り傷つけてヨシ。
ただし、ルルに捨てられたと放心しながらも、その愛が揺らぎないことを知ったならば、ルルの本心をちゃんと伝えるべきだったと思う。
それをしなかったのは、レニーの歪み。いや、そーゆーキャラクタだし。
ほんとのとこ、ジョイは「真実のルル」を理解なんかしてなかったと思う。
理解していたら、別れを隠して必死に笑うルルに気づいたろうし、突然少女の表情になって告白する姿に疑問を持ったろう。
それでも、ルルが愛したのはジョイなんだ。
彼女が心を開き、真実の姿に戻ることが出来るのは、ジョイの前でだけなんだ。
ジョイでなければ、ダメだった。
家族でもお金持ちのパトロンでも、神様でもダメだった。
ルルを救うことが出来たのは、ジョイだけだった。
ルルは幸福だったと思う。
「Sweet Black Bird」を聴きながら、生きてきて良かったと、心から魂から微笑んでいたのだと思う。
失ったはずの、真実の顔で。
本心を隠して生きるルル@あすかは、『My dear New Orleans』作中ではほとんど、真実の姿を見せていない、と思う。
台詞にあるように、ルル自身がもうほんとうの自分を見失っているのだとは思う。そうしなければ生きてこられなかったから。
ルルを愛する3人の男たち、ジョイ@トウコ、アンダーソン@しいちゃん、レニー@れおんは、実のところどこまでルルを見ていたんだろう?
「本当のルルを知っているのは俺だけだ」と、3人とも思っているらしいけどねー。
とりあえず、レニーは絶対わかってない(笑)。
ルルを通り過ぎてきた男たちと同じで、彼女の微笑みに「自分にとって都合のいいルル」を見ているに過ぎない。
それでも「実の姉弟である」という事実が彼の自信につながり、ルルの本心がどこにあるとしても深く考えず、安心していられた。
恋人も夫も別れればただの他人だけど、姉弟は他人には絶対にならないから。ルルは永久にレニーの「愛する人」でいられる。
その驕り、油断が、ジョイの出現で揺れ動き、本能的にやばいものを感じた彼は暴走して失敗する。
ジョイ登場でうろたえるってことは、自分が見ていたルルが「真実のルル」でないことを、無意識には感じていたんだろうな。
アンダーソンはひょっとしたら、「わかることができた」人かもしれない。
何故なら彼は、ルルが心を閉ざして生きていることを知っていた。気づいていた。
知っている、ということは、その奥の真実を知ることだって、できたかもしれないんだが……彼は、それを、しなかった。
ルルはおそらく、アンダーソンも幾多の男たちと同じただのパトロンだと思っていただろう。彼女が見せる表の顔を彼女のすべてだと思い、支配しているつもりだろうと。
だがアンダーソンはちがった。
ルル自身がもう見失っている、彼女の真実の存在に気づいていた。
だけど、それがアンダーソンの限界。
知りながら、それを得ようとはしなかった。
たぶん、アンダーソンはもう若くないんだ。年齢ではなく、魂が。
富や地位を得ている彼は、そこまでですでに若さを失っている。なりふり構わず愛のために奔走したり絶叫したりしない。もう、守りに入ってしまっている。
「欲しい」と思うのは、エネルギーだ。前へ出る分、打たれて傷つくかもしれない行為だ。
アンダーソンはもう、そーゆーことをする「青さ」を持っていなかった。
だから彼は最初から言うんだ。「そばにいろ、だが愛はいらない」。
現時点では。
この後彼がどう変わるかまではわからないが。
そして、ジョイは。
……ほんとーのところ、ジョイもルルの真実の顔を知ることが出来たのかは、怪しいと思っている。
こいつもレニーと同じで、「どんな男に抱かれたって、ルルの心は俺だけのモノだ」と思っているんぢゃないかと思う(笑)。
レニーだけでなく、これまでのルルの男たちの中にも、同じように思っていた男たちはいくらでもいたんじゃないかと思う。
だけどジョイが他の誰ともチガウのは、ほんとうに彼はルルの素の顔を知っていた、ということだ。……「10年前」に。
10年前、少女だったルルは白人の男に乱暴されかけ、ジョイに助けられた。恐慌とその中での一縷の救い、という本能剥き出しになっていただろう生の顔をジョイにさらしている。
見たことあったから知っていただけで、ソレなしで現在のルルと出会っていても、ジョイには真実のルルにたどり着かなかったと思うよ。だってジョイ、あまりに青臭い、ふつーにダメな男だもの。
ジョイはヒーローじゃない。
貧しさゆえに引き離されると泣いている子どもたちに、言葉と小銭をやることぐらいしかできない。殺された仲間のために歌うことしかできない。
無力な、ふつーの若い男。
そう、若さ。魂の、若さ。
アンダーソンが持たないモノを、ジョイは持っている。
愛の前に無防備に、傷つこうが失おうがお構いなしに突っ込んでいける。
だからルルは、彼を愛したんだと思う。
このままジョイと一緒にいれば、ルルは「失った自分」を取り戻せたのかもしれないね。
ジョイを愛する心ゆえに、彼女は戻りたかった自分に、戻れたのかもしれない。
だってジョイの瞳に映るルルは、ルルが汚れる前の純真なルルなんだから。
ほんとうのルルは、どこにいたのか。
別れの前、それを隠してジョイと戯れるルル。
「Sweet Black Bird」を歌ってとせがみ、あるはずのない未来に微笑む。
なにも知らないジョイは、恋人の睦言に相好を崩すばかりで。
愛と夢と、幸せな未来を疑いもせず「約束」をするジョイに、ルルが言う。
「あなたが好きよ、ジョイ」
それまでの「ニューオリンズ1美しいクレオール女」のルルではなく、ひとりの、少女の顔になる。
「愛している」ではなくて、「好きよ」。
10代の少女が口にする、告白の言葉のように。
ルルから、「真実」がこぼれ落ちる。あふれ出す。
その唐突さに、ジョイは一瞬ぽかんとして、すぐに微笑む。……ええいこのバカ男、わかってないだろナニも!
そしてルルはすぐに、身を翻すんだ。またいつものルルに戻って、とりつくろうんだ。
今、心が開いた。
ずっとずっと、閉ざしていた、隠していた心が。
ルル本人の意識とも別に、勝手にあふれ出した。
だからルルは、逃げるしかない。
ここにいたら、このままジョイといたら、ルルはもう仮面をつけることができなくなる。本当の自分に戻ってしまう。
別れの言葉なんか、言えるはずがない。
そんなことをしたら……!!
パニックを起こす少女のように、レニーに言付けだけ頼んで去っていく切なさ。
取り乱す姉を見て、呆然とするレニー。
そして。
るんるんしあわせいっぱいでニヤけているジョイ。
……レニーが思わず嘘をついてしまうのも、気持ちはわかる(笑)。
ルルの真実も、その苦悩も慟哭も知らず、このボケ男がっ。と、思い切り傷つけてヨシ。
ただし、ルルに捨てられたと放心しながらも、その愛が揺らぎないことを知ったならば、ルルの本心をちゃんと伝えるべきだったと思う。
それをしなかったのは、レニーの歪み。いや、そーゆーキャラクタだし。
ほんとのとこ、ジョイは「真実のルル」を理解なんかしてなかったと思う。
理解していたら、別れを隠して必死に笑うルルに気づいたろうし、突然少女の表情になって告白する姿に疑問を持ったろう。
それでも、ルルが愛したのはジョイなんだ。
彼女が心を開き、真実の姿に戻ることが出来るのは、ジョイの前でだけなんだ。
ジョイでなければ、ダメだった。
家族でもお金持ちのパトロンでも、神様でもダメだった。
ルルを救うことが出来たのは、ジョイだけだった。
ルルは幸福だったと思う。
「Sweet Black Bird」を聴きながら、生きてきて良かったと、心から魂から微笑んでいたのだと思う。
失ったはずの、真実の顔で。
ここがわたしの還る場所。@My dear New Orleans
2009年2月23日 タカラヅカ 『My dear New Orleans』は、ジョイ@トウコの物語であるので。
彼が故郷、ニューオリンズに帰って来るところからはじまり、また旅立つところで終わるのは正しいと思っている。
設定だのジョイに対する台詞だのが、いちいち「安蘭けい」とリンクしているから、泣けてしょうがない。
音楽の神の申し子であることとか、今いる場所を出て、大きな世界にその音楽を響かせよう云々とか。
世界が、彼を必要としている。
安蘭けいは、「宝塚歌劇」という小さな世界だけでなく、もっと大きな舞台でその才能を発揮するべきときが来たのだ、と。
安蘭けいが宝塚歌劇を愛していることは言うまでもないが、決断のときが来たのだ、と。
あまりにわかりやすくリンクし過ぎていて、「な、泣いてなんかないんだからねっ、別にアンタの脚本がすごいわけぢゃなくて、トウコちゃんの歌がすごいだけなんだからっ!!」と、ツンデレ・プレイしたくなるくらい、「こんだけ『さあ泣け』とやられて泣くのはくやしいな(笑)」ってくらい、泣ける。
ええ、泣いてますよ、初日なんかもー泣きすぎて消耗しましたよ!!(笑)
回数を重ねると、わかりやすすぎる部分にはあまり泣かなくなったけれど、かわりにドラマ部分、ジョイとルル@あすかの恋愛部分でがーがー泣くよーになったし。
こんだけみっちり「恋愛」してくれるトウあす、見たかったんだよほんと!
もっとも、芝居が物理的に遠すぎて、大劇場の舞台最奥で会話劇をやるなと、心から思ってますがねー。基本が『HOLLYWOOD LOVER』の焼き直しなんで、バウと同じ手法で作られているため、芝居をしている場所が遠いのなんのって。
景子せんせー、大劇場は2500席あるっす。500席のバウホールと同じセットを使って芝居させるのやめて下さい。
キモになる場面が全部、普段なら使わないだろう奥のセットの上、だもんよ。『エリザベート』のミルクの場面だって、カフェの中は芝居には使わず、外に出てきて歌い踊ってるじゃん? いちばん大きなセリの中は芝居……特に会話劇をするには遠すぎるんだよ。
繊細な表情の変化や、台詞の行間を読む演出ならば、いっそ銀橋の上でやってもいいくらいだ。それが無理でも、ふつーに本舞台前面を使えばいいのに。景子たんは大劇場の広さを知らないのかもしれない。まあ、景子たんに限らず、ヅカの演出家ってそーゆーもんかもしれんが。
今回わたしはチケットまったく持ってないんで。えんえんB席と立見の交互、いちばん前でも27列目R番というものすごさ(笑)。や、平日でも立見が出ていてありがたいっすが。
いやあ、「芝居」が遠いですね。
公演内容によっては、立見でも当日Bでもそれほど「遠い」とは思わないんだ。「大劇場」用に演出された作品なら、全体を見回せてたのしいことだってある。しかし今回は……景子せんせ、絶対「大劇場」だってこと、忘れてる(笑)。
トウコとあすかがふたりして、すげー密度で「大劇場」という空間と戦っている。演出家がしなかった分、出演者が箱の大きさを理解して、濃密な空気で空間を埋めているよ。すげえ。
とまあ、「安蘭けい物語」で「メロドラマ」なのはいい。トウコ退団とリンクさせて泣かされるのも退団公演の醍醐味だと割り切って楽しむし、トウあすの「役者」同士の真剣勝負に酔いしれるのも楽しい。
そーやって楽しんでいるのに、ジョイとルルの別れからラストまでの間、テンションが上がり下がりするのが残念でならない。
おさまりが悪く感じられるのは、「付け足し」めいた後日談が何度も続くからだと思う。
まあそこが景子せんせクオリティ、「最後の余計な解説がなければ名作なのに!」と、作品ごとに言われ続けているよーに、自分の作品を自分で「解説」しちゃうんだよね、観客に委ねずに。
「**(主人公)の生き方はすばらしかった」とか「ふたりの愛はすばらしい」とか、わざわざ解説役の登場人物が出てきて語らないと納得できないのは、純粋に創作者として「なんで?」と思うよ。
仲間の死→ゴスペルの流れは中詰めだからそのあとに解説じみた話(なんでNY行きを決めたのか、語る語る)が続くのはまあいいとして。
ジョイとルルの濃密な芝居空間のあと、回想のラストとなる「Sweet Black Bird」完全版ソロで、まさに舞台は「最高潮!」な盛り上がりを見せる。ここで幕、でもおかしくないほどの。
が、その直後に、その盛り上がりを全部打ち消すよーに、水を差すよーに、アルバート@すずみんと空気読めないカップル@ペニーとせあらが解説しまくる。
景子せんせ作品お定まりの、付け足し解説。「ジョイは素晴らしい」「ふたりの愛は素晴らしい」と言葉によって完結させてしまうのは、いらんやろと、心から思う。
「Sweet Black Bird」独唱から、歌い終わるジョイの周囲にひとり、またひとりとなつかしい顔ぶれが集まりはじめ、ひとりずつと目線をかわしながら「My dear New Orleans」を歌い出し、最後は登場人物全員で合唱、よく見ると隅っこにラジオのマイクもあるし、スタッフらしい男たちもまざっている、と。
「My dear New Orleans」終了時に、コレが回想ではなく現在の物語で、ニューオリンズに来た目的であったチャリティーコンサートだったと、司会者@どいちゃんの喋りでわかる、でいいじゃん。
再会の挨拶は歌のあとで。ジョー@真風に「大きくなったな」とかはここでいいじゃん。ペニーたちの「主人公賞賛」もここのみに留めて。
無粋な「作者自身の解説」で、テンションを折らないで欲しいわん。
「Sweet Black Bird」から一気に盛り上げて、その興奮冷めやらぬうちに、レニー@れおん登場まで持っていってほしい。
まあ、中詰めのゴスペルと、テーマ曲であるはずの「My dear New Orleans」の曲調が似ていて、盛り上がりが相殺されていることは残念でならないが。なんでまったくチガウ曲にできなかったんだ?
初見時にルルが再登場しないことに(死んだにしろ、幻想で登場するのがヅカの定番なのに)おどろきもしたが、なまじ生身の演技を見せないことで彼女の最期を、その最高の笑顔を観客の想像に委ねたこと、それを想像できるほどにルルという女性をあすかが演じきっていることと、ジョイ@トウコのラストシーンの演技に懸けていることがわかるので、それもアリかと思った。
ルルの愛がジョイに伝わり、すべてが肯定されたときに、扉が開き、仲間たちがジョイを呼びに来る、このタイミング。
これこそが、この作品のテーマなんだなと。
「My dear New Orleans」という歌にある通り、愛も夢も友情もなにもかもここにあるんだなと。
ルルとのメロドラマだけがジョイの人生ではなく、それすら内包して、もっと大きなものがジョイにはある。それはルルを軽んじているのではなく、ルルがいたからこそ、手に入れられた「大きさ」で。豊かさで。
なにもかも受け止め、肯定し、大人の男の顔で……少年でも青二才でもなく……微笑むジョイの顔が、素敵で。幸福で。そして何故か、切なくて。
幸福な痛みを胸に残したまま、幕が下りる。
どーのこうの言ったところで、わたしは、この物語が好きだ。
ジョイが好きで、ルルが好き。
彼が故郷、ニューオリンズに帰って来るところからはじまり、また旅立つところで終わるのは正しいと思っている。
設定だのジョイに対する台詞だのが、いちいち「安蘭けい」とリンクしているから、泣けてしょうがない。
音楽の神の申し子であることとか、今いる場所を出て、大きな世界にその音楽を響かせよう云々とか。
世界が、彼を必要としている。
安蘭けいは、「宝塚歌劇」という小さな世界だけでなく、もっと大きな舞台でその才能を発揮するべきときが来たのだ、と。
安蘭けいが宝塚歌劇を愛していることは言うまでもないが、決断のときが来たのだ、と。
あまりにわかりやすくリンクし過ぎていて、「な、泣いてなんかないんだからねっ、別にアンタの脚本がすごいわけぢゃなくて、トウコちゃんの歌がすごいだけなんだからっ!!」と、ツンデレ・プレイしたくなるくらい、「こんだけ『さあ泣け』とやられて泣くのはくやしいな(笑)」ってくらい、泣ける。
ええ、泣いてますよ、初日なんかもー泣きすぎて消耗しましたよ!!(笑)
回数を重ねると、わかりやすすぎる部分にはあまり泣かなくなったけれど、かわりにドラマ部分、ジョイとルル@あすかの恋愛部分でがーがー泣くよーになったし。
こんだけみっちり「恋愛」してくれるトウあす、見たかったんだよほんと!
もっとも、芝居が物理的に遠すぎて、大劇場の舞台最奥で会話劇をやるなと、心から思ってますがねー。基本が『HOLLYWOOD LOVER』の焼き直しなんで、バウと同じ手法で作られているため、芝居をしている場所が遠いのなんのって。
景子せんせー、大劇場は2500席あるっす。500席のバウホールと同じセットを使って芝居させるのやめて下さい。
キモになる場面が全部、普段なら使わないだろう奥のセットの上、だもんよ。『エリザベート』のミルクの場面だって、カフェの中は芝居には使わず、外に出てきて歌い踊ってるじゃん? いちばん大きなセリの中は芝居……特に会話劇をするには遠すぎるんだよ。
繊細な表情の変化や、台詞の行間を読む演出ならば、いっそ銀橋の上でやってもいいくらいだ。それが無理でも、ふつーに本舞台前面を使えばいいのに。景子たんは大劇場の広さを知らないのかもしれない。まあ、景子たんに限らず、ヅカの演出家ってそーゆーもんかもしれんが。
今回わたしはチケットまったく持ってないんで。えんえんB席と立見の交互、いちばん前でも27列目R番というものすごさ(笑)。や、平日でも立見が出ていてありがたいっすが。
いやあ、「芝居」が遠いですね。
公演内容によっては、立見でも当日Bでもそれほど「遠い」とは思わないんだ。「大劇場」用に演出された作品なら、全体を見回せてたのしいことだってある。しかし今回は……景子せんせ、絶対「大劇場」だってこと、忘れてる(笑)。
トウコとあすかがふたりして、すげー密度で「大劇場」という空間と戦っている。演出家がしなかった分、出演者が箱の大きさを理解して、濃密な空気で空間を埋めているよ。すげえ。
とまあ、「安蘭けい物語」で「メロドラマ」なのはいい。トウコ退団とリンクさせて泣かされるのも退団公演の醍醐味だと割り切って楽しむし、トウあすの「役者」同士の真剣勝負に酔いしれるのも楽しい。
そーやって楽しんでいるのに、ジョイとルルの別れからラストまでの間、テンションが上がり下がりするのが残念でならない。
おさまりが悪く感じられるのは、「付け足し」めいた後日談が何度も続くからだと思う。
まあそこが景子せんせクオリティ、「最後の余計な解説がなければ名作なのに!」と、作品ごとに言われ続けているよーに、自分の作品を自分で「解説」しちゃうんだよね、観客に委ねずに。
「**(主人公)の生き方はすばらしかった」とか「ふたりの愛はすばらしい」とか、わざわざ解説役の登場人物が出てきて語らないと納得できないのは、純粋に創作者として「なんで?」と思うよ。
仲間の死→ゴスペルの流れは中詰めだからそのあとに解説じみた話(なんでNY行きを決めたのか、語る語る)が続くのはまあいいとして。
ジョイとルルの濃密な芝居空間のあと、回想のラストとなる「Sweet Black Bird」完全版ソロで、まさに舞台は「最高潮!」な盛り上がりを見せる。ここで幕、でもおかしくないほどの。
が、その直後に、その盛り上がりを全部打ち消すよーに、水を差すよーに、アルバート@すずみんと空気読めないカップル@ペニーとせあらが解説しまくる。
景子せんせ作品お定まりの、付け足し解説。「ジョイは素晴らしい」「ふたりの愛は素晴らしい」と言葉によって完結させてしまうのは、いらんやろと、心から思う。
「Sweet Black Bird」独唱から、歌い終わるジョイの周囲にひとり、またひとりとなつかしい顔ぶれが集まりはじめ、ひとりずつと目線をかわしながら「My dear New Orleans」を歌い出し、最後は登場人物全員で合唱、よく見ると隅っこにラジオのマイクもあるし、スタッフらしい男たちもまざっている、と。
「My dear New Orleans」終了時に、コレが回想ではなく現在の物語で、ニューオリンズに来た目的であったチャリティーコンサートだったと、司会者@どいちゃんの喋りでわかる、でいいじゃん。
再会の挨拶は歌のあとで。ジョー@真風に「大きくなったな」とかはここでいいじゃん。ペニーたちの「主人公賞賛」もここのみに留めて。
無粋な「作者自身の解説」で、テンションを折らないで欲しいわん。
「Sweet Black Bird」から一気に盛り上げて、その興奮冷めやらぬうちに、レニー@れおん登場まで持っていってほしい。
まあ、中詰めのゴスペルと、テーマ曲であるはずの「My dear New Orleans」の曲調が似ていて、盛り上がりが相殺されていることは残念でならないが。なんでまったくチガウ曲にできなかったんだ?
初見時にルルが再登場しないことに(死んだにしろ、幻想で登場するのがヅカの定番なのに)おどろきもしたが、なまじ生身の演技を見せないことで彼女の最期を、その最高の笑顔を観客の想像に委ねたこと、それを想像できるほどにルルという女性をあすかが演じきっていることと、ジョイ@トウコのラストシーンの演技に懸けていることがわかるので、それもアリかと思った。
ルルの愛がジョイに伝わり、すべてが肯定されたときに、扉が開き、仲間たちがジョイを呼びに来る、このタイミング。
これこそが、この作品のテーマなんだなと。
「My dear New Orleans」という歌にある通り、愛も夢も友情もなにもかもここにあるんだなと。
ルルとのメロドラマだけがジョイの人生ではなく、それすら内包して、もっと大きなものがジョイにはある。それはルルを軽んじているのではなく、ルルがいたからこそ、手に入れられた「大きさ」で。豊かさで。
なにもかも受け止め、肯定し、大人の男の顔で……少年でも青二才でもなく……微笑むジョイの顔が、素敵で。幸福で。そして何故か、切なくて。
幸福な痛みを胸に残したまま、幕が下りる。
どーのこうの言ったところで、わたしは、この物語が好きだ。
ジョイが好きで、ルルが好き。
ワイルドさんとめがねっこ。@新人公演『My dear New Orleans』
2009年2月24日 タカラヅカ 初日を観たときに、思った。
コレ、新公どうすんだ??
トウコが男役スキル総動員して、歌唱力でねじ伏せて、スター力で支えている作品なんだけど、これの新公ってどうなっちゃうの?
新公主演って、真風だよね?? 88期卒業しちゃって、長の89期ですらない、研3の坊やがやるんだよね??
心から、心配しました。新人公演『My dear New Orleans』。
いやまあ、ともかく。
無事、終わってよかったね。
あの比重の高い役を、出ずっぱりで歌いまくり、そのくせ静で受け身でじっくりしっとりな難しい役を、よく最後まで演じきったね、真風くん。
演じたというか、とりあえず台詞言って段取りこなしていただけのよーな気もするが、それすらよくがんばったねと。
劇団はスターを求めている。
それはディープなファンにだけ支持されるコアなスターではなく、対メディア、対一般にも「わかりやすい」スターなんだな、と、真風を見て思った。
タカラヅカの男役、という枠で語りやすい素質。長身、男子らしい体格、切れ長の瞳に高い鼻、長い顔。この子を「スター」にしたいんだ。
明確な希望のもと、育てようとしているのがわかる。たしかに、大型スターになりそうな素質を持った子だ。
……劇団が早期抜擢する子が、ことごとく人気が出ない、とゆー現状を、この子で打破できることを祈る。うん。
とりあえず、がんばっていたよ。すごーくがんばってた。
しかし。
芝居ではルル@まりもちゃんに完璧に食われ、彼女のひとり芝居にうなずくだけの人形になっていたような。
そして。
レニー@みやるりと、ゲイブ@しーらんが、最初からフルスロットルなので、ジョイは吹き飛ばされていた印象。
つか、しーらんが爆走するのは予想の範囲内だが、みやるりもすげー気合い入ってた。
本公演だけでいっぱいいっぱいのわたしは、相変わらず予備知識ナシ、新公配役なんか、知るはずもなく。
ミッキーがしいちゃんの役だとか、ねねちゃんが柚長の役だとか、事前にどっかから間違った知識を入れていて、思い込んだまま見ていたので余計こんがらがったままだった(笑)。
ミッキーがふつーにすずみんの役で登場して、「そうか、アンダーソンとアルバートって出番かぶんないし、どっちも白人だから、2役OKなんだ」とか素直に思ったしな。アルバート@ミッキー鼻息荒いなー、その分アンダーソンががちがちで精彩に欠けるな、なんか別人みたいとか、先入観っておそろしい(笑)。←気づけよ。
ねねちゃんはルル母だと信じ切っていたので、シスター・サラはぜんぜん見ていない。←気づけよ。
とまあ、「ほんとに観たのかオマエ」的とんちんかんさではあるが、まあそれはともかく。
今回、思いがけないところでときめいた。
少年ジョイ、なんかいい男ぢゃなかったすか??
油断していたから、いきなりがつんと来て、びびった。
本公演の印象があるもんで、少年ジョイってのは「子役」だと思っていたんだ。幼児じゃなくて、少年。演じている人が「子役」だと思って若ぶっている、幼くしている感じ。
そんなもんだろうと、考えるまでもなく思っていたので。
少年ジョイが、「男」でおどろいた。
ふつーに、若い男だった。
少年ではあるけど、子どもではなく、ちゃんといろいろ大人になっていそうな。
しかも、ワイルド系。
無骨な不良少年っていうか。
少女ルルをかばって、キッと前を見据えるまなざしの強さ。
誰コレ。
こんなに大人っぽい演技する子、いたっけ? や、わたしもう星組には暗いので下級生ぜんぜんわかんないんだけど。
少年ジョイは横顔ばっかのイメージ。真正面からはあまり顔を見られない。だから新公でも、横顔しかおぼえてない。
厚めの唇と濃いぃ顔立ちしかわからず。
わたしには不良少年萌えとゆーのがあるので、このワルっぽい若者が、女の子をかばって彼女のために歌ったりするのは、ときめきです(笑)。
到底歌なんか歌うタイプに見えないところがまた、素敵。
このワイルド少年が大人になって、あのへなちょこな……失礼、あの真風ジョイになるのは、ちょい不思議な感じ。
演技というかキャラがつながっていないので、よくないことなのかな?
でもでも、大人ジョイより少年ジョイの方が魅力的に見えたよ、わたしには。
観劇後に、配役を確認した。
夏樹れいくんでした。ええ、あの顔の濃いぃ下級生。真風より下、まだ研2。
夏樹くんだったの?! ぜんっぜん、わかってなかった。
夏樹くんの役は、いちおー事前にチェックしていた。というか、本役が麻尋だったので、おぼえてたんだ。
本公演の感想でもいずれ書くつもりだが、またしてもまひろしゅんくんはグループ芝居で敗北してるっぽい。『スカーレット・ピンパーネル』のときと同じ。
「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーで、マーティン役って、キャラを付けにくいんだよな。谷間的というか、空気というか。
そのしゅんくんの役を、新公ではどうするのか……『スカピン』新公のスカピン団がダメダメだったんで、今回も新公には別に期待していなかったんだが。
マーティンは、めがねっこになっていた。
最初から、「舞台に岩井くん@『舞姫』がいる!」とウケてはいたんだ。
いかにもダメっこな丸眼鏡。
アレ誰だ、とオペラでよく見ると、たしかに夏樹くんっぽくて。そのあと台詞や立ち位置で、アレがまひろの役だと確認。
……あの美人な夏樹くんが、すべてを捨てて三枚目やってる?! と、その役作りの思い切りの良さに感心していた。
うまいかヘタかまではわかんないけど、小道具に頼ってのこととはいえ、キャラの差別化が出来ているのはえらいなと。
丸眼鏡のヘタレくん、のび太くんポジってのは、わかりやすくていいよー。眉を思い切りよく八の字にしてたり、にかっと笑っていたり、かわいいー。
マーティン役だけだと、ふつーに思い込んでいた。
2役だったのか! マーティンだけだと思い込んでいたから、少年ジョイの顔を見てもわかんなかったよ!
(2役じゃない人をそう思い込んで個別認識できなくなったり、2役の人をそうじゃないと思い込んで個別認識できなくなったり、なんか今回ダメダメ過ぎですよ、こあらった)
少年ジョイ役との差別化、同じ役者だとわからないようにする意味もあったんだな、あの眼鏡。
そして、少年ジョイという二枚目役があるから、本役では思い切り三枚目でいられた、つーのもあるのかもな。
なんにせよ、うれしい発見、拾いモノをした気分。
マーティン役ではちゃんとキャラ立ててきて、少年ジョイ役では「子役」にならず(男役スキルのない下級生は、子役ならできるのでそちらに流れやすい)、「男役」であったことがうれしい。
コレ、新公どうすんだ??
トウコが男役スキル総動員して、歌唱力でねじ伏せて、スター力で支えている作品なんだけど、これの新公ってどうなっちゃうの?
新公主演って、真風だよね?? 88期卒業しちゃって、長の89期ですらない、研3の坊やがやるんだよね??
心から、心配しました。新人公演『My dear New Orleans』。
いやまあ、ともかく。
無事、終わってよかったね。
あの比重の高い役を、出ずっぱりで歌いまくり、そのくせ静で受け身でじっくりしっとりな難しい役を、よく最後まで演じきったね、真風くん。
演じたというか、とりあえず台詞言って段取りこなしていただけのよーな気もするが、それすらよくがんばったねと。
劇団はスターを求めている。
それはディープなファンにだけ支持されるコアなスターではなく、対メディア、対一般にも「わかりやすい」スターなんだな、と、真風を見て思った。
タカラヅカの男役、という枠で語りやすい素質。長身、男子らしい体格、切れ長の瞳に高い鼻、長い顔。この子を「スター」にしたいんだ。
明確な希望のもと、育てようとしているのがわかる。たしかに、大型スターになりそうな素質を持った子だ。
……劇団が早期抜擢する子が、ことごとく人気が出ない、とゆー現状を、この子で打破できることを祈る。うん。
とりあえず、がんばっていたよ。すごーくがんばってた。
しかし。
芝居ではルル@まりもちゃんに完璧に食われ、彼女のひとり芝居にうなずくだけの人形になっていたような。
そして。
レニー@みやるりと、ゲイブ@しーらんが、最初からフルスロットルなので、ジョイは吹き飛ばされていた印象。
つか、しーらんが爆走するのは予想の範囲内だが、みやるりもすげー気合い入ってた。
本公演だけでいっぱいいっぱいのわたしは、相変わらず予備知識ナシ、新公配役なんか、知るはずもなく。
ミッキーがしいちゃんの役だとか、ねねちゃんが柚長の役だとか、事前にどっかから間違った知識を入れていて、思い込んだまま見ていたので余計こんがらがったままだった(笑)。
ミッキーがふつーにすずみんの役で登場して、「そうか、アンダーソンとアルバートって出番かぶんないし、どっちも白人だから、2役OKなんだ」とか素直に思ったしな。アルバート@ミッキー鼻息荒いなー、その分アンダーソンががちがちで精彩に欠けるな、なんか別人みたいとか、先入観っておそろしい(笑)。←気づけよ。
ねねちゃんはルル母だと信じ切っていたので、シスター・サラはぜんぜん見ていない。←気づけよ。
とまあ、「ほんとに観たのかオマエ」的とんちんかんさではあるが、まあそれはともかく。
今回、思いがけないところでときめいた。
少年ジョイ、なんかいい男ぢゃなかったすか??
油断していたから、いきなりがつんと来て、びびった。
本公演の印象があるもんで、少年ジョイってのは「子役」だと思っていたんだ。幼児じゃなくて、少年。演じている人が「子役」だと思って若ぶっている、幼くしている感じ。
そんなもんだろうと、考えるまでもなく思っていたので。
少年ジョイが、「男」でおどろいた。
ふつーに、若い男だった。
少年ではあるけど、子どもではなく、ちゃんといろいろ大人になっていそうな。
しかも、ワイルド系。
無骨な不良少年っていうか。
少女ルルをかばって、キッと前を見据えるまなざしの強さ。
誰コレ。
こんなに大人っぽい演技する子、いたっけ? や、わたしもう星組には暗いので下級生ぜんぜんわかんないんだけど。
少年ジョイは横顔ばっかのイメージ。真正面からはあまり顔を見られない。だから新公でも、横顔しかおぼえてない。
厚めの唇と濃いぃ顔立ちしかわからず。
わたしには不良少年萌えとゆーのがあるので、このワルっぽい若者が、女の子をかばって彼女のために歌ったりするのは、ときめきです(笑)。
到底歌なんか歌うタイプに見えないところがまた、素敵。
このワイルド少年が大人になって、あのへなちょこな……失礼、あの真風ジョイになるのは、ちょい不思議な感じ。
演技というかキャラがつながっていないので、よくないことなのかな?
でもでも、大人ジョイより少年ジョイの方が魅力的に見えたよ、わたしには。
観劇後に、配役を確認した。
夏樹れいくんでした。ええ、あの顔の濃いぃ下級生。真風より下、まだ研2。
夏樹くんだったの?! ぜんっぜん、わかってなかった。
夏樹くんの役は、いちおー事前にチェックしていた。というか、本役が麻尋だったので、おぼえてたんだ。
本公演の感想でもいずれ書くつもりだが、またしてもまひろしゅんくんはグループ芝居で敗北してるっぽい。『スカーレット・ピンパーネル』のときと同じ。
「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーで、マーティン役って、キャラを付けにくいんだよな。谷間的というか、空気というか。
そのしゅんくんの役を、新公ではどうするのか……『スカピン』新公のスカピン団がダメダメだったんで、今回も新公には別に期待していなかったんだが。
マーティンは、めがねっこになっていた。
最初から、「舞台に岩井くん@『舞姫』がいる!」とウケてはいたんだ。
いかにもダメっこな丸眼鏡。
アレ誰だ、とオペラでよく見ると、たしかに夏樹くんっぽくて。そのあと台詞や立ち位置で、アレがまひろの役だと確認。
……あの美人な夏樹くんが、すべてを捨てて三枚目やってる?! と、その役作りの思い切りの良さに感心していた。
うまいかヘタかまではわかんないけど、小道具に頼ってのこととはいえ、キャラの差別化が出来ているのはえらいなと。
丸眼鏡のヘタレくん、のび太くんポジってのは、わかりやすくていいよー。眉を思い切りよく八の字にしてたり、にかっと笑っていたり、かわいいー。
マーティン役だけだと、ふつーに思い込んでいた。
2役だったのか! マーティンだけだと思い込んでいたから、少年ジョイの顔を見てもわかんなかったよ!
(2役じゃない人をそう思い込んで個別認識できなくなったり、2役の人をそうじゃないと思い込んで個別認識できなくなったり、なんか今回ダメダメ過ぎですよ、こあらった)
少年ジョイ役との差別化、同じ役者だとわからないようにする意味もあったんだな、あの眼鏡。
そして、少年ジョイという二枚目役があるから、本役では思い切り三枚目でいられた、つーのもあるのかもな。
なんにせよ、うれしい発見、拾いモノをした気分。
マーティン役ではちゃんとキャラ立ててきて、少年ジョイ役では「子役」にならず(男役スキルのない下級生は、子役ならできるのでそちらに流れやすい)、「男役」であったことがうれしい。
難しい作品だよね。@新人公演『My dear New Orleans』
2009年2月25日 タカラヅカ やはり、前回の『スカーレット・ピンパーネル』新公は特別だったんだなあと思う。
観劇後の盛り上がりが、まったくチガウ。
作品の派手さもさることながら、スター誕生!な興奮は、客席をも席巻していた。
まあ、わたしとその周囲はスタァなペニーより、まひろのぶっとびぶりに興奮していたけれど(笑)。ペニーがおもしろい子なのは、星組をずっと観ていれば周知のことだから、今さら「無名の新人が……!」というおどろきには、仲間うちではならなかったんだな。
ペニーの躍進と、まひろの愉快な芸風の相乗効果で、そりゃーもー興奮する新公でしたよ、『スカピン』。
前回が特別で、それに比べるのは酷だとわかってるんだけど……見終わった後、仲間たちがヅカ的世間話ばっかして新公の感想が出ないというのは、星担以外にはあまり語るべきところがなかったのかなあ、と。わたしも含め、星組担当者不在だったからなあ。「kineさんがいたら、下級生の解説してもらえたのにね」と、わたしたちは前日東へ帰っていった星担友人をなつかしく語っておりました。
それにしても、役が少ないよなあ、と改めて思った新人公演『My dear New Orleans』。
本公演でそれぞれ役者の顔が見えるのは、演じている人たちが自力で存在感を放っているのであって、知らない下級生たちが演じると「役」ではなく「その他大勢の誰か」になるんだなと。もともとがバウ作品的作りだから、仕方ないのか、役の少なさは。
路線系な人たちが演じている「ストーリーヴィル・キッズ」が、ちょっと景子タンどーゆーことよ?ってくらい、しどころがなくて困るよな。
ゲイブ@しーらんはドラマとキャラクタがあるけれど、他の子たちときたら……。
本役が和くんであるところのバディ@まいけるも、「二枚目」という記号以外なにも見えなくて、難しい役だなと思った。ジョイの親友らしいが、親友らしい部分は特に描かれてないからな。ジョイはひとりで勝手に恋愛してるし、バディはひとりで勝手に軍へ入ることを決めている。
仲間なわりに、今後どうするか、互いに一切相談しない。……まあ、そういう自立した関係もアリだろうが、友情の在り方というより単に書き込み欠如なだけに見えるのが問題か。
まいけるが大人の男役をやって台詞言ってるの、はじめて見た、ってくらいなんだけど……うわー、難しいわこの役。会話の合いの手だけで終わってしまうのは、和くんだけの問題じゃないんだ。……て、新公と比べて言うのもなんだが。
まいけるのやさしげな佇まいは、いいんじゃないかと。ただ、なんかいつも笑っているよーな印象が残ったナリ。
表現できるモノは全部出すぜ、てなことになると、ジョイに対するときの愛情が一直線に出ていて、そーゆー記憶になったのかな。
あと、まいけるは冒頭にソロがあったので、和くんよりいい役になっていたよーな。て、同一人物なのか、あのソロ歌手とバディって? それとも2役扱い?
オリヴァー@れんたは、転げ回っていた。や、ほんとに転んでいるわけではないが、本役のあかしを踏襲し、前回の『スカピン』新公と同じように……って、ああもー、これもなあ。
「ストーリーヴィル・キッズ」ってキャラ立てがいちいち「スカピン団」とかぶるので困る。
目立つ役と言えば、新聞売り。いい加減芸名おぼえなきゃ、麻央侑希くん。「お孫さん」で通るから、名前がなかなか入ってこない。まいけるが「いとーさん」でだいもんが「大門」だったように、最初におぼえた呼び方が後を引くんだよな(笑)。
とりあえず、でかい(笑)。
新聞売りの少年で、子役的演技のわりに、とにかくでかい。目を引く。
麻央くんは、阪急ポスターのルールを崩してまで抜擢されたことからも、将来的にトップになることを期待されている子だと思うので、順調に育ってくれることを祈る。
そーいや、早乙女わかばちゃんがなにかと「かわいこちゃんポジ」にいるのがいい感じだ。
本公演も芝居・ショー共にナニ気に美少女必要なとこに使われてて、新公ではおしゃまな子役。少女ルルもやってるけど、子役の方がさらにかわいさ爆発的(笑)。
文化祭のときに「美貌重視の棒読み役?」と思った彼女、実はお芝居できるのか??
とにかく、鼻が好みなので、なにかと目に付く(笑)。
目に付く、というと、スカフェの女の子、美春あやかちゃんが目に付く。
こちらはとくに好みの顔ってわけでもないんだが、テレビで見ているとおぼえちゃうかなー。
入団時3番だっけ、優秀な子なんだよね。この役のない公演で、ソロがあってけっこう健闘中。娼婦として凄味はあるんだが、色気は課題かな。や、まだ若いからな。
レイラは本役の水輝涼と、体格からしてかぶっているよーな気がした。あのがっちり系の、丸みのある大きさっちゅーか……。
君は子役だとか若い役をやるより、このまま「男」スキルを磨いてくれー。
男役ではやはり、しーらんのアツさが群を抜いていて、そして意外なみやるりのやる気っぷりが、愉快だった。
主演の真風がいっぱいいっぱいな横で、上級生ふたりがフルスロットル。
個人的に、鼻息の荒いみやるり、というのが不思議な図に思えてね。本公演ではせっかく「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーなのに、すごく子どもっぽく演じていて、武器のひとつである「声」を活かしていないことがとても歯がゆかったんだが。
レニー役の新公では、なんかこの人、本気でセクスィ系を狙ってますよ! な感じが、ツボった(笑)。
そ、そうかみやるり、セクスィ系か。
男の色気でキますか。
テンション低めが芸風かと思っていたので、本気でキメキメな姿にちょっとびびりました(笑)。
厚めの唇が、やらしくてイイねっ。
鬱屈した感じが、美貌と低い声に合っていてイイねっ。
『ヘイズ・コード』のときからすげー急激に成長していってるよなあ、この子。
おもしろいから、また「大人」の、「能動的」な役を見たいんだが。すっとした二枚目じゃなく、戦闘意欲を放出できるタイプの役。その方がたのしいものを見せてくれそうだ。
最後に、ヒロインのルル@まりもちゃん。
君がいてくれて、良かった。
見事に実力で、真風と舞台を支えてくれた。
強く、堅実なルルだった。
ジョイ、アンダーソン共に、相手役がまだまだ足りていなかったので、芝居がかみあうところまでいってなくて、ひとり芝居風になっていたけれど、それでもまりもちゃんだから演じきってくれたんだと思う。
きっとみんな、東宝はさらに変わってるんだろうな。若者たちって成長著しいもんな。
観劇後の盛り上がりが、まったくチガウ。
作品の派手さもさることながら、スター誕生!な興奮は、客席をも席巻していた。
まあ、わたしとその周囲はスタァなペニーより、まひろのぶっとびぶりに興奮していたけれど(笑)。ペニーがおもしろい子なのは、星組をずっと観ていれば周知のことだから、今さら「無名の新人が……!」というおどろきには、仲間うちではならなかったんだな。
ペニーの躍進と、まひろの愉快な芸風の相乗効果で、そりゃーもー興奮する新公でしたよ、『スカピン』。
前回が特別で、それに比べるのは酷だとわかってるんだけど……見終わった後、仲間たちがヅカ的世間話ばっかして新公の感想が出ないというのは、星担以外にはあまり語るべきところがなかったのかなあ、と。わたしも含め、星組担当者不在だったからなあ。「kineさんがいたら、下級生の解説してもらえたのにね」と、わたしたちは前日東へ帰っていった星担友人をなつかしく語っておりました。
それにしても、役が少ないよなあ、と改めて思った新人公演『My dear New Orleans』。
本公演でそれぞれ役者の顔が見えるのは、演じている人たちが自力で存在感を放っているのであって、知らない下級生たちが演じると「役」ではなく「その他大勢の誰か」になるんだなと。もともとがバウ作品的作りだから、仕方ないのか、役の少なさは。
路線系な人たちが演じている「ストーリーヴィル・キッズ」が、ちょっと景子タンどーゆーことよ?ってくらい、しどころがなくて困るよな。
ゲイブ@しーらんはドラマとキャラクタがあるけれど、他の子たちときたら……。
本役が和くんであるところのバディ@まいけるも、「二枚目」という記号以外なにも見えなくて、難しい役だなと思った。ジョイの親友らしいが、親友らしい部分は特に描かれてないからな。ジョイはひとりで勝手に恋愛してるし、バディはひとりで勝手に軍へ入ることを決めている。
仲間なわりに、今後どうするか、互いに一切相談しない。……まあ、そういう自立した関係もアリだろうが、友情の在り方というより単に書き込み欠如なだけに見えるのが問題か。
まいけるが大人の男役をやって台詞言ってるの、はじめて見た、ってくらいなんだけど……うわー、難しいわこの役。会話の合いの手だけで終わってしまうのは、和くんだけの問題じゃないんだ。……て、新公と比べて言うのもなんだが。
まいけるのやさしげな佇まいは、いいんじゃないかと。ただ、なんかいつも笑っているよーな印象が残ったナリ。
表現できるモノは全部出すぜ、てなことになると、ジョイに対するときの愛情が一直線に出ていて、そーゆー記憶になったのかな。
あと、まいけるは冒頭にソロがあったので、和くんよりいい役になっていたよーな。て、同一人物なのか、あのソロ歌手とバディって? それとも2役扱い?
オリヴァー@れんたは、転げ回っていた。や、ほんとに転んでいるわけではないが、本役のあかしを踏襲し、前回の『スカピン』新公と同じように……って、ああもー、これもなあ。
「ストーリーヴィル・キッズ」ってキャラ立てがいちいち「スカピン団」とかぶるので困る。
目立つ役と言えば、新聞売り。いい加減芸名おぼえなきゃ、麻央侑希くん。「お孫さん」で通るから、名前がなかなか入ってこない。まいけるが「いとーさん」でだいもんが「大門」だったように、最初におぼえた呼び方が後を引くんだよな(笑)。
とりあえず、でかい(笑)。
新聞売りの少年で、子役的演技のわりに、とにかくでかい。目を引く。
麻央くんは、阪急ポスターのルールを崩してまで抜擢されたことからも、将来的にトップになることを期待されている子だと思うので、順調に育ってくれることを祈る。
そーいや、早乙女わかばちゃんがなにかと「かわいこちゃんポジ」にいるのがいい感じだ。
本公演も芝居・ショー共にナニ気に美少女必要なとこに使われてて、新公ではおしゃまな子役。少女ルルもやってるけど、子役の方がさらにかわいさ爆発的(笑)。
文化祭のときに「美貌重視の棒読み役?」と思った彼女、実はお芝居できるのか??
とにかく、鼻が好みなので、なにかと目に付く(笑)。
目に付く、というと、スカフェの女の子、美春あやかちゃんが目に付く。
こちらはとくに好みの顔ってわけでもないんだが、テレビで見ているとおぼえちゃうかなー。
入団時3番だっけ、優秀な子なんだよね。この役のない公演で、ソロがあってけっこう健闘中。娼婦として凄味はあるんだが、色気は課題かな。や、まだ若いからな。
レイラは本役の水輝涼と、体格からしてかぶっているよーな気がした。あのがっちり系の、丸みのある大きさっちゅーか……。
君は子役だとか若い役をやるより、このまま「男」スキルを磨いてくれー。
男役ではやはり、しーらんのアツさが群を抜いていて、そして意外なみやるりのやる気っぷりが、愉快だった。
主演の真風がいっぱいいっぱいな横で、上級生ふたりがフルスロットル。
個人的に、鼻息の荒いみやるり、というのが不思議な図に思えてね。本公演ではせっかく「ストーリーヴィル・キッズ」のメンバーなのに、すごく子どもっぽく演じていて、武器のひとつである「声」を活かしていないことがとても歯がゆかったんだが。
レニー役の新公では、なんかこの人、本気でセクスィ系を狙ってますよ! な感じが、ツボった(笑)。
そ、そうかみやるり、セクスィ系か。
男の色気でキますか。
テンション低めが芸風かと思っていたので、本気でキメキメな姿にちょっとびびりました(笑)。
厚めの唇が、やらしくてイイねっ。
鬱屈した感じが、美貌と低い声に合っていてイイねっ。
『ヘイズ・コード』のときからすげー急激に成長していってるよなあ、この子。
おもしろいから、また「大人」の、「能動的」な役を見たいんだが。すっとした二枚目じゃなく、戦闘意欲を放出できるタイプの役。その方がたのしいものを見せてくれそうだ。
最後に、ヒロインのルル@まりもちゃん。
君がいてくれて、良かった。
見事に実力で、真風と舞台を支えてくれた。
強く、堅実なルルだった。
ジョイ、アンダーソン共に、相手役がまだまだ足りていなかったので、芝居がかみあうところまでいってなくて、ひとり芝居風になっていたけれど、それでもまりもちゃんだから演じきってくれたんだと思う。
きっとみんな、東宝はさらに変わってるんだろうな。若者たちって成長著しいもんな。
まずは第1部です。@第95期宝塚音楽学校文化祭
2009年2月26日 タカラヅカ さて、『第95期宝塚音楽学校文化祭』の感想をざーーっと。
2年連続で友会で、自分で当たりました、去年も今年も初日初回公演。友人たちに頼んでいた他公演ははずれているので、この回がいちばん当たりやすいのかなあと思ってみたり。初日の緊張好きだから、いいんだけど。
プログラムは「清く正しく美しく」1曲だけ日舞、予科生コーラス4曲、クラシック・ヴォーカル男役ソロ1曲、娘役ソロ1曲、タカラヅカ・メドレーでほぼ全員ワンフレーズだけでもソロあり、メドレーでソロがまるっと1曲あったのは男役ひとり、娘役ひとりのみ。ここまでが第1部。
毎年、「清く正しく美しく」ソロを歌う娘役さんがたのしみのひとつである。
これぞタカラヅカの娘役、という、澄んだ美しいソプラノで、清らかに歌い上げるわけだから。
これを聴くと、「タカラヅカっていいなあ。きれいだなあ」という気持ちになる。
今年もまた、きれいな娘役さんが美声を披露してくれた。
この彼女が今回の挨拶をする生徒さん、つまり成績4番の子ですな。
2列目センター通路脇だったりしたので、前方定位置に立っているコーラス隊の顔はかえってよく見えず、動き回る舞踊隊の方が見えたので、おとなしく日舞を眺める。
気になる顔立ちの子が何人かいる。……ひとりはまっつに似ているために気になるわけだが、あまり目立つわけでもない。
やっぱ濃い顔立ちの子の方が目にとまりやすい。
あと、柚長似の大人っぽい美形の娘役がいて、その徒っぽい姿に見ほれる。(曲は「清く正しく美しく」ですってば!)
なんか目に付く、目に入る顔立ちの長身の男役がいて、ものすごく美形というわけじゃないのに、どうしてだろう、と思っていたら、その子がクラシック・ヴォーカルの男役ソロだった。
ああそうか、「男役」として型ができあがっているんだなと思う。学生っぽい他の子に比べて、劇団下級生って感じだ。
この長身男役くんは、その直後のヅカメドレーでも初っぱなからデュオとして登場、一気に顔を覚えた。ええ、デュオのコンビの彼も特徴のあるオデコくんなので、よーーっくわかる。
長身くんとオデコくんはその他の場面でも、やたらいい位置にいたので優秀な人たちなのかな? それともたんにわたしの記憶に残っているだけ?
例年ならばもう少しヅカメドレーで目に付く人がいるもんなんだけど、今回はあまりこれということもなく。
日舞でわたしの目を引いた人が、歌ではあまり活躍していないため個別認識に至らないためだろう。
また、みんなふつーにきれーだってのも、印象が平板になるかな。去年とか、まずビジュアルでびっくりする子とかいたもんな。
毎年観劇しているだけに、構成の「お約束」みたいなものも見えてきて、メドレーのトリを飾る「ディーン」男役ソロ、の演出は「狙って」いることがわかる。
舞台いっぱいにキャスト全員で歌う前曲から、わらわらと人が舞台からはけていくと、舞台最奥に男がひとり佇んでいる。後ろ姿ですよ、背中ですよ。
曲は「ディーン」ですよ、ええ、とことんヅカ的二枚目曲です。
ここで、振り返りからはじまるわけですよ、歌唱が。
とことんヅカっぽく。
男役っぽく。
二枚目スターっぽく。
この演出には、ツボ直撃。これがヅカ舞台以前の文化祭であることや、やっているのが男役スキルの低い学生であること、それでもまぎれもなく「タカラヅカ」であることに、ウケる。
そうそう、ヅカはこうでなくっちゃ!みたいな(笑)。
そして、ここまで演出して、盛り上げて、振り返ったその男役が。
…………ごめん、ここでもまた、ウケた。
美形の多い95期で、たぶんほんとーにただ顔だけで判断すると、いちばんきっとええっと個性的な感じの彼です。
ヅカメドレー14曲で、男役ソロはたった1曲、ソロを歌えるのはたったひとり。
その特別なスターが、ええっと、なんつーんですか、みやたんに似ているのですよ。
風早優氏。
元雪組の個性派男役。
さあトップスター登場ですよ!てな演出で、背中からの振り返りで、そこにはみやたん。
でもってこのみやたんが、熱唱するわけですよ、「ディーン」を。
これまたクドく、ネツっぽく、身を振り絞るかのように。
うん。
男役のソロ曲は、全編通して2曲のみ。
クラシック・ヴォーカルはほんとうに歌のうまい人が、歌う場なんだろう。
そして、ヅカメドレー内のソロは、歌唱力も考慮されているにしろ、男役度の高さが関係している、んだろうなと。
ただ出てきて突っ立って歌う、のではなく、踊って歌うコンサートの中のプログラムとして、「演出」が加わっているわけだから。
クラシック・ヴォーカルの長身くんも男役度は高いと思うんだが、このみやたんくんのエグ味は、また格別。や、誉めてます。顔立ちなんて今後化粧でどーとでもなるんだから、この若さでこの芸風は将来有望ですよ(笑)。
みやたんショック冷めやらぬ間にフィナーレ。全員で「宝塚フォーエバー」。
一列ずつ入れ替わっていくキャストの中、オブリガートの娘役さんが、ずっと前列で歌い続けているのはオイシイなと。クラシック・ヴォーカルでソロを歌った娘さん。メドレーでは首席のハンサムくんとデュエットしていたりで、ヒロイン度の高い子なんだろーなー。
でもって続いて第2部演劇。
正塚晴彦作『エピソード』。
プログラムの正塚挨拶文に、「稽古場モノ」とある。
正直「またか」。
正塚、文化祭芝居で「稽古場モノ」以外書いたことあるの??
わたしが観た文化祭の正塚作品は全部、「稽古場モノ」なんですけど??
どっかの劇団の若手たち、という設定で、彼らが上演する芝居の稽古をしている。劇団員としての素の会話と、役になって喋るところと両方あるから学生たちの鍛錬にはいいのかもしれないが。
わたしは89期からずっと文化祭観ているわけだから今回で7回目、そのうち4回が正塚の「稽古場モノ」って、過半数ですがな、いくらなんでも多すぎないか? アリモノ使って版権に引っかかって?映像が残らなかった谷せんせ(93期)もどうかと思うし、自己満足なだけの太田せんせは観ていてつらかったし(91期)、それに比べれば正塚芝居は観客として楽しめるからいいのかなあ。オギー(90期)はもういないしなあ。
またか、と思いながらも、幕が上がる。少なくとも89期以降文化祭作品の焼き直しではないらしい。(去年の94期文化祭の正塚芝居は、92期芝居の焼き直しだった)
……舞台両端に並んだ椅子に出演者たちがずらりと坐り、演じる人だけが中央のステージ上に出る、という、これまたいつものパターン。これ、去年も観た、その前も観たー(笑)。
もうコレしかやる気ないのか、正塚? と、思いつつ芝居開始。
続く。
2年連続で友会で、自分で当たりました、去年も今年も初日初回公演。友人たちに頼んでいた他公演ははずれているので、この回がいちばん当たりやすいのかなあと思ってみたり。初日の緊張好きだから、いいんだけど。
プログラムは「清く正しく美しく」1曲だけ日舞、予科生コーラス4曲、クラシック・ヴォーカル男役ソロ1曲、娘役ソロ1曲、タカラヅカ・メドレーでほぼ全員ワンフレーズだけでもソロあり、メドレーでソロがまるっと1曲あったのは男役ひとり、娘役ひとりのみ。ここまでが第1部。
毎年、「清く正しく美しく」ソロを歌う娘役さんがたのしみのひとつである。
これぞタカラヅカの娘役、という、澄んだ美しいソプラノで、清らかに歌い上げるわけだから。
これを聴くと、「タカラヅカっていいなあ。きれいだなあ」という気持ちになる。
今年もまた、きれいな娘役さんが美声を披露してくれた。
この彼女が今回の挨拶をする生徒さん、つまり成績4番の子ですな。
2列目センター通路脇だったりしたので、前方定位置に立っているコーラス隊の顔はかえってよく見えず、動き回る舞踊隊の方が見えたので、おとなしく日舞を眺める。
気になる顔立ちの子が何人かいる。……ひとりはまっつに似ているために気になるわけだが、あまり目立つわけでもない。
やっぱ濃い顔立ちの子の方が目にとまりやすい。
あと、柚長似の大人っぽい美形の娘役がいて、その徒っぽい姿に見ほれる。(曲は「清く正しく美しく」ですってば!)
なんか目に付く、目に入る顔立ちの長身の男役がいて、ものすごく美形というわけじゃないのに、どうしてだろう、と思っていたら、その子がクラシック・ヴォーカルの男役ソロだった。
ああそうか、「男役」として型ができあがっているんだなと思う。学生っぽい他の子に比べて、劇団下級生って感じだ。
この長身男役くんは、その直後のヅカメドレーでも初っぱなからデュオとして登場、一気に顔を覚えた。ええ、デュオのコンビの彼も特徴のあるオデコくんなので、よーーっくわかる。
長身くんとオデコくんはその他の場面でも、やたらいい位置にいたので優秀な人たちなのかな? それともたんにわたしの記憶に残っているだけ?
例年ならばもう少しヅカメドレーで目に付く人がいるもんなんだけど、今回はあまりこれということもなく。
日舞でわたしの目を引いた人が、歌ではあまり活躍していないため個別認識に至らないためだろう。
また、みんなふつーにきれーだってのも、印象が平板になるかな。去年とか、まずビジュアルでびっくりする子とかいたもんな。
毎年観劇しているだけに、構成の「お約束」みたいなものも見えてきて、メドレーのトリを飾る「ディーン」男役ソロ、の演出は「狙って」いることがわかる。
舞台いっぱいにキャスト全員で歌う前曲から、わらわらと人が舞台からはけていくと、舞台最奥に男がひとり佇んでいる。後ろ姿ですよ、背中ですよ。
曲は「ディーン」ですよ、ええ、とことんヅカ的二枚目曲です。
ここで、振り返りからはじまるわけですよ、歌唱が。
とことんヅカっぽく。
男役っぽく。
二枚目スターっぽく。
この演出には、ツボ直撃。これがヅカ舞台以前の文化祭であることや、やっているのが男役スキルの低い学生であること、それでもまぎれもなく「タカラヅカ」であることに、ウケる。
そうそう、ヅカはこうでなくっちゃ!みたいな(笑)。
そして、ここまで演出して、盛り上げて、振り返ったその男役が。
…………ごめん、ここでもまた、ウケた。
美形の多い95期で、たぶんほんとーにただ顔だけで判断すると、いちばんきっとええっと個性的な感じの彼です。
ヅカメドレー14曲で、男役ソロはたった1曲、ソロを歌えるのはたったひとり。
その特別なスターが、ええっと、なんつーんですか、みやたんに似ているのですよ。
風早優氏。
元雪組の個性派男役。
さあトップスター登場ですよ!てな演出で、背中からの振り返りで、そこにはみやたん。
でもってこのみやたんが、熱唱するわけですよ、「ディーン」を。
これまたクドく、ネツっぽく、身を振り絞るかのように。
うん。
男役のソロ曲は、全編通して2曲のみ。
クラシック・ヴォーカルはほんとうに歌のうまい人が、歌う場なんだろう。
そして、ヅカメドレー内のソロは、歌唱力も考慮されているにしろ、男役度の高さが関係している、んだろうなと。
ただ出てきて突っ立って歌う、のではなく、踊って歌うコンサートの中のプログラムとして、「演出」が加わっているわけだから。
クラシック・ヴォーカルの長身くんも男役度は高いと思うんだが、このみやたんくんのエグ味は、また格別。や、誉めてます。顔立ちなんて今後化粧でどーとでもなるんだから、この若さでこの芸風は将来有望ですよ(笑)。
みやたんショック冷めやらぬ間にフィナーレ。全員で「宝塚フォーエバー」。
一列ずつ入れ替わっていくキャストの中、オブリガートの娘役さんが、ずっと前列で歌い続けているのはオイシイなと。クラシック・ヴォーカルでソロを歌った娘さん。メドレーでは首席のハンサムくんとデュエットしていたりで、ヒロイン度の高い子なんだろーなー。
でもって続いて第2部演劇。
正塚晴彦作『エピソード』。
プログラムの正塚挨拶文に、「稽古場モノ」とある。
正直「またか」。
正塚、文化祭芝居で「稽古場モノ」以外書いたことあるの??
わたしが観た文化祭の正塚作品は全部、「稽古場モノ」なんですけど??
どっかの劇団の若手たち、という設定で、彼らが上演する芝居の稽古をしている。劇団員としての素の会話と、役になって喋るところと両方あるから学生たちの鍛錬にはいいのかもしれないが。
わたしは89期からずっと文化祭観ているわけだから今回で7回目、そのうち4回が正塚の「稽古場モノ」って、過半数ですがな、いくらなんでも多すぎないか? アリモノ使って版権に引っかかって?映像が残らなかった谷せんせ(93期)もどうかと思うし、自己満足なだけの太田せんせは観ていてつらかったし(91期)、それに比べれば正塚芝居は観客として楽しめるからいいのかなあ。オギー(90期)はもういないしなあ。
またか、と思いながらも、幕が上がる。少なくとも89期以降文化祭作品の焼き直しではないらしい。(去年の94期文化祭の正塚芝居は、92期芝居の焼き直しだった)
……舞台両端に並んだ椅子に出演者たちがずらりと坐り、演じる人だけが中央のステージ上に出る、という、これまたいつものパターン。これ、去年も観た、その前も観たー(笑)。
もうコレしかやる気ないのか、正塚? と、思いつつ芝居開始。
続く。
えーとえーと。
ひとが風邪と花粉症で寝込んでいるときに、さらにくらくらする発表されてますな。
……これで全部? ヌケてないか?
なんかキャパオーバーで、まともに考えられない。
えーとえーと、ゆーひくん、ののすみ、宙組トップスターおめでとう。
栄転はめでたいことだとわかっているんだが、個人的に花担として、大好きなふたりが行ってしまうことに混乱しています。わーん、ふたりともほんとにダイスキだよ~~。
しかも宙組か……いや、宙組のみなさんがどうこうじゃなく、あまりに宙組人事は昨今落ち着かない様子なので、今回の落下傘人事もその一環てゆーかソレを助長しているとゆーか、複雑な面もあります。
らんとむ氏はトップの器だと疑っていないが、ごく個人的に、今回はまだ昇格しないだろうと思っていたので、ゆーひさんが行ってしまうことは予感があったんだが、決まってしまうと寂しさやらなんやらで、どーにもぐらぐらする、熱が上がりそうだ。
あー。ゆーひとののすみって、『銀ちゃんの恋』かあ。
お似合いだったなあ。このふたりのカップルがこれから見られるのは、うれしいよな。
トップおめでとうございます。
お披露目作品はなつかしの『大江山花伝』かよー! うわー、赤毛の鬼をゆーひくんがやるのか。悲劇のヒーローだから、持ち味に合ってるな。
主役より、2番手役の方が好きだった作品だわ……だれが渡辺綱をやるんだろう。
『Apasionado!! II』は、ええっと。……フジイくんだから、アテ書きしてくれるんだろう。
みつめおで、バウホール公演。
みつるくんとめおくんの同期コンビで、イシダ作品ってことは、『銀ちゃんの恋』かあ。
ヤスと橘、魅力的だったよねえ。
しかし、なんか花組がイシダ付いてる? ……イシダは宙組の半専属だったのに? ううう。
いやその、おもしろいものになるといいなあ。
でもって、ゆーひくんとみつめおが抜けた、花組『ME AND MY GIRL』。
ジョン卿@えりたん来る? 来る? わわわ、楽しみかもー。
AQUA5コンサートは、なんで東京だけ? しかもこれだけ?
チケット取れないっすよ……。
それから95周年イベント?
1回限り?
チケット取れないっすよ……。
なんだかなー、もー……。
のちのちゆっくり、うだうだ書きまつ。
アタマ痛いー、喉痛いー。
猫が走り回るー、猫パンチしてくるー。
ひとが風邪と花粉症で寝込んでいるときに、さらにくらくらする発表されてますな。
2009/02/27
次期宙組主演男役・娘役について
この度、次期宙組主演男役に大空 祐飛(花組)が、次期宙組主演娘役に野々 すみ花(花組)が決定しましたのでお知らせ致します。
2009/02/27
2009年 公演ラインアップ【博多座】<8月・宙組『大江山花伝』『Apasionado!! II』>
2月27日(金)、2009年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、博多座<8月・宙組>の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
宙組
■主演・・・(宙組)大空 祐飛、野々 すみ花
◆博多座:2009年8月3日(月)~8月25日(火)
王朝千一夜
『大江山花伝』
-燃えつきてこそ-
~木原敏江原作「大江山花伝」(小学館文庫)より~
脚色/柴田侑宏 演出/中村暁
ファナティック・ショー
『Apasionado(アパショナード)!! II』
作・演出/藤井大介
2009/02/27
2009年 公演ラインアップ【宝塚バウホール】<7月・花組『フィフティ・フィフティ』>
2月27日(金)、2009年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚バウホール<7月・花組>の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
花組
■主演・・・(花組)華形 ひかる、真野 すがた
◆宝塚バウホール:2009年7月9日(木)~7月20日(月)
バウ・プレイ
『フィフティ・フィフティ』
作・演出/石田昌也
2009/02/27
『AQUA5コンサート』
水 夏希をはじめとした雪組男役5名により2007年に結成されたユニット・AQUA5。
これまでの軌跡の集大成となるコンサートです。
『AQUA5コンサート』
構成・演出/未定
<開催会場・日時>
赤坂BLITZ
2009年6月 9日(火) 19時開演
2009年6月10日(水) 12時開演(※宝塚友の会優先公演)、16時開演
<主な出演者>
(雪組)水 夏希、彩吹 真央、音月 桂、彩那 音 (星組)凰稀 かなめ
※凰稀かなめは、4/14付で星組に異動予定
2009/02/27
宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル『百年への道』
2009年1月号で通巻1000号を迎えた雑誌「歌劇」の歩みを、宝塚歌劇95周年の歩みと重ねて、全組の主演男役を始め、OGを迎えた豪華キャストによりお送りするスペシャルイベントです。
宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル
『百年への道』
構成・演出/三木章雄
<開催会場・日時>
宝塚大劇場
2009年6月15日(月) 18時30分開演
<主な出演者>
(専科)春日野 八千代、轟 悠
(花組)真飛 聖
(月組)瀬奈 じゅん
(雪組)水 夏希
(星組)柚希 礼音
(宙組)大和 悠河 ほか
※OGの出演者については未定です。
……これで全部? ヌケてないか?
なんかキャパオーバーで、まともに考えられない。
えーとえーと、ゆーひくん、ののすみ、宙組トップスターおめでとう。
栄転はめでたいことだとわかっているんだが、個人的に花担として、大好きなふたりが行ってしまうことに混乱しています。わーん、ふたりともほんとにダイスキだよ~~。
しかも宙組か……いや、宙組のみなさんがどうこうじゃなく、あまりに宙組人事は昨今落ち着かない様子なので、今回の落下傘人事もその一環てゆーかソレを助長しているとゆーか、複雑な面もあります。
らんとむ氏はトップの器だと疑っていないが、ごく個人的に、今回はまだ昇格しないだろうと思っていたので、ゆーひさんが行ってしまうことは予感があったんだが、決まってしまうと寂しさやらなんやらで、どーにもぐらぐらする、熱が上がりそうだ。
あー。ゆーひとののすみって、『銀ちゃんの恋』かあ。
お似合いだったなあ。このふたりのカップルがこれから見られるのは、うれしいよな。
トップおめでとうございます。
お披露目作品はなつかしの『大江山花伝』かよー! うわー、赤毛の鬼をゆーひくんがやるのか。悲劇のヒーローだから、持ち味に合ってるな。
主役より、2番手役の方が好きだった作品だわ……だれが渡辺綱をやるんだろう。
『Apasionado!! II』は、ええっと。……フジイくんだから、アテ書きしてくれるんだろう。
みつめおで、バウホール公演。
みつるくんとめおくんの同期コンビで、イシダ作品ってことは、『銀ちゃんの恋』かあ。
ヤスと橘、魅力的だったよねえ。
しかし、なんか花組がイシダ付いてる? ……イシダは宙組の半専属だったのに? ううう。
いやその、おもしろいものになるといいなあ。
でもって、ゆーひくんとみつめおが抜けた、花組『ME AND MY GIRL』。
ジョン卿@えりたん来る? 来る? わわわ、楽しみかもー。
AQUA5コンサートは、なんで東京だけ? しかもこれだけ?
チケット取れないっすよ……。
それから95周年イベント?
1回限り?
チケット取れないっすよ……。
なんだかなー、もー……。
のちのちゆっくり、うだうだ書きまつ。
アタマ痛いー、喉痛いー。
猫が走り回るー、猫パンチしてくるー。
正塚芝居は観客にやさしくない(笑)。@第95期宝塚音楽学校文化祭
2009年2月28日 タカラヅカ 『第95期宝塚音楽学校文化祭』、第2部は芝居、短編ストレートプレイ。
プログラムには、出演者23名の名前が、役名と共に列記されている。
最初にプログラムを開いたときに、「うわ、今年も酷いな」とは思った。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニー……名前だけ見ても男なのか女なのかもわからない。
ただの「音の羅列」が23個。
そんなもんが載っていても、誰がどんな役なのか、さっぱりわからない。
文化祭ってのはたしかに「勉強の披露の場」ではあるわけだけど、宝塚歌劇予備軍として、お金を取って一般観客を入れているんだけどなあ。そして宝塚歌劇が作品ではなく人を、スターを観に行くカンパニーである以上、「キャストを個別認識させる」ことは、必要だと思うんだけどなあ。
配役表ではただの音の羅列でも、実際に芝居を見てみると「ああ、この名前が主役だったのね」とわかる。
少なくとも、過去3回の正塚文化祭作品ではそうだった。
作中で主要な役は何度も名前を呼ばれるからな。
プログラムを見た段階で「酷いな」と苦笑いしたけれど、そこは「見てみるまでわかんないよな」と思っていたんだよ。
が。
予想を吹っ飛ばす勢いで、酷かった(笑)。
正塚、役名表記なんとかしろ!と、大きい字で書いておく(笑)。
芝居中で、役名で呼び合うことは、一度もなかった。。
23個の音の羅列は、ほんとーにただ羅列されているだけで、なんの意味もなかったの。
舞台で芝居をしている人たちが誰なのか、どの役なのか、主役が誰なのかすら、わかんないの。
いっそ、「役名無し」で、出演者名23人書いてあるだけでヨシって感じ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーって横文字名前なのに、舞台上で実際に呼ばれた名前はイワシミズさんだけなの!!
イワシミズトモコだっけ? 名前の方はちょっともう忘れちゃったけど、名字はたしかイワシミズだった。ひとりだけ日本人がいたってわけでなく、ふつーに登場人物のひとりだった……って、日本が舞台なの?!
舞台が日本で、登場人物みんな日本人なら、配役表の横文字名前はナニ?! 舞台上の人物が即興で演じた役の名前だから、というにしても、横文字文化の劇団の人がなんで日本人を突然演じるの? 脈絡無さ過ぎ。
物語中に存在しない、物語中は別の名前なら、最初から役名いらないじゃん? モチベーションの問題のみ?
主役というほどちゃんと主役がいるわけじゃない、なにしろ「稽古場モノ」なのでみんなでわいわいやっているだけなんだけど。
それにしても、ずっと舞台にはいるけど脇でがやがやしているだけの子と、センターでがんがん台詞言って芝居している子とは、チガウわけでしょ? 配役表でわかるようにしてくれないと、結局全部印象に残らなくなってしまう。
正塚は23人全部顔の見分けが付いているのかもしれないけど、初見ではわかんないってばよ……日舞やダンスをやる都合上、みんな髪型ほぼ一緒だし。
意味のない音ではなく、「役割」を表記してくれればいいのに。
犯人とかマスターとかウエイトレスとか。
役割は役じゃない、そんな既成概念に囚われてはろくな演技が出来ない、そんな型にはまった目線で観劇して欲しくない、とかゆーのかしら、正塚せんせ。
せんせのこだわりより、未来のスターたちと観客にやさしい作りにしてほしいわ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーとか、名前の後ろに(犯人)(マスター)とか付けるだけでいいのに。普段はシャイという名前の劇団員の役なんだけど、このシャイくんが稽古場で犯人の役をやっているんだなってわかるのに。
や、シャイくんは犯人役ではないけども。
配役表の表記がちがっていたらおぼえられただろう子たちもいたのに、ただの音の羅列でしかないため、「あの台詞を言った子、どの子かしら」程度の興味では個別認識に至らず。
舞台は、どこかの劇団の、稽古場。
ひとりずつセンターに出てなにかしら「エピソード」を話す、という趣向。
他愛ない日常の出来事を他人にわかりやすく、みんなの前で話すという訓練は、ふつーの会社でもやってるとこあるよねー。
劇団なので、ただ話すだけではなく、それを芝居として表現する、という課題に取り組んでいるらしい。
最初は女の子ひとりが「ある喫茶店での出来事」を語るんだけど、ひとりだとうまく表現できないっていうんで、友だちに語ることにすればいいんじゃない、と対面式でやったり、喫茶店らしい雰囲気を作ればもっと自然になるんじゃない、と他の人たちも参加して舞台を急遽喫茶店に見立てたり、と。
ひとりの語りだったはずが、いつの間にかそこは彼女が語っていた「ある喫茶店での出来事」そのままの芝居に発展し……。
喫茶店が舞台なので、人はたくさん舞台にいる。
ふつーの喫茶店の風景だったのに、そこに銃を持った銀行強盗が逃げ込んできて、警察をやり過ごすために従業員・客たち全員に「貸切パーティをしている演技をしろ」と脅す。
やって来た警官が「楽しそうなパーティですな」と間抜けたことを言っている間に、ナニも知らない新しい客が入ってきたり、辻褄が合わなくなったりでてんやわいや。
なにしろ文化祭なので、やはり娘役と男役では仕上がりに隔たりがある。娘役は成長の早い子ならある程度の体裁は整っているが、男役は学芸会。女の子まんまの声で喋り、女の子の男装の域を出ない。
そのため、男役で成長の遅い子は特に目立つなー。
警官のツッコミ役の子とか、レポーター女子にくっついてる男の子とか、台詞が多い分、女の子まんまなのはつらい。どっちもきれいな子だから、成長に期待。
オデコくんは芝居もまずまず。にしても、あのオデコは目立つ……(笑)。助かります、個別認識できて。
イワシミズさんも眼鏡っ子かわいかったし、ちっこい人質役の彼女もかわいかった。あの人質役はメドレーでソロ歌った娘役だよね?
最初に台詞言ってた女の子は、うまい、んだろうな? 難しい役だから、あまりものすごくうまいとは思えなかった……や、難しいよな絶対。ひとりで最初にセンターに立ち、えんえんひとり芝居って。
「清く…」のソロを歌ってた子? チガウかな、ふつーに美人さんなんでよくわかんない。
あと、マスター役の男の子がかっこよかった。
でもって、この話の主役ポジ?の、強盗犯、これがまた……。
続く。
プログラムには、出演者23名の名前が、役名と共に列記されている。
最初にプログラムを開いたときに、「うわ、今年も酷いな」とは思った。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニー……名前だけ見ても男なのか女なのかもわからない。
ただの「音の羅列」が23個。
そんなもんが載っていても、誰がどんな役なのか、さっぱりわからない。
文化祭ってのはたしかに「勉強の披露の場」ではあるわけだけど、宝塚歌劇予備軍として、お金を取って一般観客を入れているんだけどなあ。そして宝塚歌劇が作品ではなく人を、スターを観に行くカンパニーである以上、「キャストを個別認識させる」ことは、必要だと思うんだけどなあ。
配役表ではただの音の羅列でも、実際に芝居を見てみると「ああ、この名前が主役だったのね」とわかる。
少なくとも、過去3回の正塚文化祭作品ではそうだった。
作中で主要な役は何度も名前を呼ばれるからな。
プログラムを見た段階で「酷いな」と苦笑いしたけれど、そこは「見てみるまでわかんないよな」と思っていたんだよ。
が。
予想を吹っ飛ばす勢いで、酷かった(笑)。
正塚、役名表記なんとかしろ!と、大きい字で書いておく(笑)。
芝居中で、役名で呼び合うことは、一度もなかった。。
23個の音の羅列は、ほんとーにただ羅列されているだけで、なんの意味もなかったの。
舞台で芝居をしている人たちが誰なのか、どの役なのか、主役が誰なのかすら、わかんないの。
いっそ、「役名無し」で、出演者名23人書いてあるだけでヨシって感じ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーって横文字名前なのに、舞台上で実際に呼ばれた名前はイワシミズさんだけなの!!
イワシミズトモコだっけ? 名前の方はちょっともう忘れちゃったけど、名字はたしかイワシミズだった。ひとりだけ日本人がいたってわけでなく、ふつーに登場人物のひとりだった……って、日本が舞台なの?!
舞台が日本で、登場人物みんな日本人なら、配役表の横文字名前はナニ?! 舞台上の人物が即興で演じた役の名前だから、というにしても、横文字文化の劇団の人がなんで日本人を突然演じるの? 脈絡無さ過ぎ。
物語中に存在しない、物語中は別の名前なら、最初から役名いらないじゃん? モチベーションの問題のみ?
主役というほどちゃんと主役がいるわけじゃない、なにしろ「稽古場モノ」なのでみんなでわいわいやっているだけなんだけど。
それにしても、ずっと舞台にはいるけど脇でがやがやしているだけの子と、センターでがんがん台詞言って芝居している子とは、チガウわけでしょ? 配役表でわかるようにしてくれないと、結局全部印象に残らなくなってしまう。
正塚は23人全部顔の見分けが付いているのかもしれないけど、初見ではわかんないってばよ……日舞やダンスをやる都合上、みんな髪型ほぼ一緒だし。
意味のない音ではなく、「役割」を表記してくれればいいのに。
犯人とかマスターとかウエイトレスとか。
役割は役じゃない、そんな既成概念に囚われてはろくな演技が出来ない、そんな型にはまった目線で観劇して欲しくない、とかゆーのかしら、正塚せんせ。
せんせのこだわりより、未来のスターたちと観客にやさしい作りにしてほしいわ。
シャイ、テルテル、エニイ、レイニーとか、名前の後ろに(犯人)(マスター)とか付けるだけでいいのに。普段はシャイという名前の劇団員の役なんだけど、このシャイくんが稽古場で犯人の役をやっているんだなってわかるのに。
や、シャイくんは犯人役ではないけども。
配役表の表記がちがっていたらおぼえられただろう子たちもいたのに、ただの音の羅列でしかないため、「あの台詞を言った子、どの子かしら」程度の興味では個別認識に至らず。
舞台は、どこかの劇団の、稽古場。
ひとりずつセンターに出てなにかしら「エピソード」を話す、という趣向。
他愛ない日常の出来事を他人にわかりやすく、みんなの前で話すという訓練は、ふつーの会社でもやってるとこあるよねー。
劇団なので、ただ話すだけではなく、それを芝居として表現する、という課題に取り組んでいるらしい。
最初は女の子ひとりが「ある喫茶店での出来事」を語るんだけど、ひとりだとうまく表現できないっていうんで、友だちに語ることにすればいいんじゃない、と対面式でやったり、喫茶店らしい雰囲気を作ればもっと自然になるんじゃない、と他の人たちも参加して舞台を急遽喫茶店に見立てたり、と。
ひとりの語りだったはずが、いつの間にかそこは彼女が語っていた「ある喫茶店での出来事」そのままの芝居に発展し……。
喫茶店が舞台なので、人はたくさん舞台にいる。
ふつーの喫茶店の風景だったのに、そこに銃を持った銀行強盗が逃げ込んできて、警察をやり過ごすために従業員・客たち全員に「貸切パーティをしている演技をしろ」と脅す。
やって来た警官が「楽しそうなパーティですな」と間抜けたことを言っている間に、ナニも知らない新しい客が入ってきたり、辻褄が合わなくなったりでてんやわいや。
なにしろ文化祭なので、やはり娘役と男役では仕上がりに隔たりがある。娘役は成長の早い子ならある程度の体裁は整っているが、男役は学芸会。女の子まんまの声で喋り、女の子の男装の域を出ない。
そのため、男役で成長の遅い子は特に目立つなー。
警官のツッコミ役の子とか、レポーター女子にくっついてる男の子とか、台詞が多い分、女の子まんまなのはつらい。どっちもきれいな子だから、成長に期待。
オデコくんは芝居もまずまず。にしても、あのオデコは目立つ……(笑)。助かります、個別認識できて。
イワシミズさんも眼鏡っ子かわいかったし、ちっこい人質役の彼女もかわいかった。あの人質役はメドレーでソロ歌った娘役だよね?
最初に台詞言ってた女の子は、うまい、んだろうな? 難しい役だから、あまりものすごくうまいとは思えなかった……や、難しいよな絶対。ひとりで最初にセンターに立ち、えんえんひとり芝居って。
「清く…」のソロを歌ってた子? チガウかな、ふつーに美人さんなんでよくわかんない。
あと、マスター役の男の子がかっこよかった。
でもって、この話の主役ポジ?の、強盗犯、これがまた……。
続く。
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