強く、かっこよく。@太王四神記 Ver.II
2009年6月29日 タカラヅカ さて、『太王四神記 Ver.II』だらだら感想行きます。
花組版で客電消えたら上手セリをオペラでガン見、の癖が付いている(笑)ため、ヒョンゴがせり上がってこないことにまずびっくり。
ヒョンゴはいないが、ナレーションはヒョンゴ@組長。カーテンをスクリーンにして、朝鮮半島地図が映し出され、物語の解説がスタート。
阿沸蘭寺、とか、火天会、とか。漢字で書かれてます。それらがナレーションの「あぶるらんざ」とか「ふぁちょんかい」だとわかるかどうかは謎。
スクリーンが透けるとそこは、秘密組織火天会の秘密基地阿沸蘭寺。夜露四苦。
じじいプルキル@すずみんが世界征服の野望を語り、幼いキハ@誰だっけ、プログラム買ってないからわからん、が捕らえられていて、彼女がどこぞの国の姫だとか朱雀の守り主だとか台詞で説明しつつ、「記憶を封じてやる~~」と肩へ烙印。
最初のこの場面でもう「チュシンの夜」から10年経っているらしい。記憶を封じたキハを天地神堂の巫女へしようとしているわけだ。
サリャン@ともみんは最初からキハびいき。やさしい人らしい、と伏線。あ、姫抱っこ付きなので、やはりサリャンはナニ気にともみんアテ書きかも?(笑)
この朱雀の守り主だの封印だの烙印だのの説明過程にて、わかりやすくキハの超能力爆発、じじいプルキルは青年プルキルへ変身。
ヒゲ無しプルキルが拝めるのはここだけ。あ、眉は二股になってません。
プルキルもノリノリで悪役振付だが、彼のお取り巻きコーラストリオ@毬乃・梅園・花愛がこわすぎ。(誉めてます)
プルキルよりこわいっつーか、目に付く……。
そして顔の見えない火天会下っ端@アクロバット・ダンサーズ。
すげえなヲイ、と思っていたら、あとでチラ見したプログラムによるとここは、星組きってのダンサー・身体能力の高い人たちをまるっと投入している。
顔が見えないのに、豪華な顔ぶれですよ。能力優先になると顔を出せないという不思議(笑)。
高句麗宮廷では、現在の王@組長が死期を悟り、次代の王を選定しようとしている。
天地神堂の大神官@柚長が託宣を……歌うのか? 柚長にあの歌を歌わせる気かイケコ?! と思っていたら、彼女は解説するだけで、歌はコロちゃんだった(笑)。
神懸かりコロちゃんがまたこわいこわい。(誉めてます)
花組版でツッコミどころだった、「タムドク@まとぶん、ホゲ@ゆーひが生まれた日、すでにキハは姫花だった」という謎の年齢設定。
すでに姫花……ってことは、タムドクとキハって、キハの方が10歳くらい年上? いや、もっと上か? なにしろ姫花だし! まとぶはともかく、ゆーひより彩音が10歳以上年上って……?!(白目)
が、星組版ではその辺が誤魔化されている。
少女である子役キハに対し、プルキルが「チュシンの王は今10歳」とゆー話をするのみなので、ふたりの年の差はわからない。漠然と「同じくらいかな」と思わせる。
この天地神堂の次期王託宣場面でも、巫女になるために連れてこられた少女キハと、ヤン王(まだ王じゃないけど)@一樹さんに連れてこられた少年タムドク@ちゃきが一瞬出会うのだが、どちらも子役ということで余計に「同じくらいの年かな」と思わせる。
うんうん、「まとぶとゆーひが生まれたときに、彩音はすでに姫花だった」というのは衝撃的過ぎるというか、原作はどうあれタカラヅカではマイナスでしかないことなので、星組版では改訂されていてうれしい。
タムドクがチュシンの夜に生まれ、神様が「タムドクこそがチュシンの王」だと言った……と、ここですでに周知の事実となる。
少年は、思い宿命を背負うことになるんだ。
運命の直中へ足を踏み入れた少年の儚い背中に、逞しい青年となったタムドク@れおんの背中が重なる。
せり上がりで時を止めて登場ですよ。
トップスター登場。なかなかどーして長かった、登場まで(笑)。
引きが長かった分、満場の拍手で迎えられて。
タムドク様が銀橋で彼のテーマソングを歌う後ろ、本舞台ではヤン王が少年タムドクに「アホのふりをしろ」と言い聞かせているんだが。
えーと?
「チュシンの王であることはナイショ」だった花組版なら、アホのふりをするのもわかるが、「神に選ばれたチュシンの王」だと宣言された星組版では、んな必要はないのでは? むしろ、「神様が選んだのにアホってどーゆーこと? 神様が間違えた?」→パターン1「神様はもう信じられない、宗教革命だー!」→「国がめちゃくちゃ」、パターン2「神様は絶対だ、だから間違っているのはアホのタムドク、タムドクを殺して賢い王様を神様に選び直してもらおう」→「タムドク終了」とかになっちゃわないか?
神様に選ばれたんだから、それに相応しく立派な王子様として振る舞わないと。国が乱れるもとじゃん?
で、実際、タムドクがアホのふりをしているために、国は乱れるのだ。
タムドクは王宮で大切に大切に過保護に育ち、ライバルのホゲ@かなめは戦争に出かけたりして実績を上げる。
タムドクがふつーに優秀で戦争もできます強いです、非の打ち所はございませんな王子様だとすべての人が知っていたら、ホゲを王に、という声もヨン家の局地的私欲で終わったろうに。
変なことするよなー。
タムドクが王宮で隠されるよーにして育ったのは、どっから見ても強そうだから、隠すしかなかったのではなかろーか。
いくら「アホでよわよわです」と噂を流しても、姿を見れば「あの体育会系筋肉むちむち男子が虚弱体質? 女以下の腕っ節?」と噂が嘘と丸わかりになってしまう。
だからタムドクはヒミツの花園の王子様。男たちの目に触れさせるわけにはいかないのだ、限られた女性兵士のみに守られて隠されていたのだ。
で、タムドク側近の、女ばかりの近衛隊。
カクダン@まりも、かっけー!!
てか、マジ、強そうだ。
女戦士、という感じ。男装の麗人とかでは、まったくない。骨太で硬質、かつ、肉の厚みがリアルな女性ソルジャー。対戦格闘ゲームにいそうだ。
正直、男役のりせ@花組カクダンより、はるかに強そう……(笑)。
このカクダンの強さと体格の良さに反し、他の近衛兵たちは、ちょっと残念だった。
ふつーの女の子たちだ……イケメンぢゃない……。
小柄だし、強そうでもストイックでもない……。
こんなかわいらしい女の子たち相手に、ナニをやっていたんだ、タムドク?
タムドクはふつーに強そうで王様ちっくで傲慢な快活さがあるので、近衛隊の女の子たちは戦闘訓練だけでない部分でも、なにかしら勉強相手、練習相手だったのではないかと邪推(笑)。
でも、カクダンではないな、相手(笑)。他の4人のうちの誰か、あるいは4人とも?
でもって、コ将軍@あかし、かっけー!!
コ将軍はナニ気に儲け役。めぐむもかっこよかったが、あかしもまたいい男だ。顔の大きさがリアル男性っぽい。
かっこいい役がいっぱい、かっこいい人たちがいっぱい登場するのが『太王四神記』という作品のわくわくするところ。
続く~~。
花組版で客電消えたら上手セリをオペラでガン見、の癖が付いている(笑)ため、ヒョンゴがせり上がってこないことにまずびっくり。
ヒョンゴはいないが、ナレーションはヒョンゴ@組長。カーテンをスクリーンにして、朝鮮半島地図が映し出され、物語の解説がスタート。
阿沸蘭寺、とか、火天会、とか。漢字で書かれてます。それらがナレーションの「あぶるらんざ」とか「ふぁちょんかい」だとわかるかどうかは謎。
スクリーンが透けるとそこは、秘密組織火天会の秘密基地阿沸蘭寺。夜露四苦。
じじいプルキル@すずみんが世界征服の野望を語り、幼いキハ@誰だっけ、プログラム買ってないからわからん、が捕らえられていて、彼女がどこぞの国の姫だとか朱雀の守り主だとか台詞で説明しつつ、「記憶を封じてやる~~」と肩へ烙印。
最初のこの場面でもう「チュシンの夜」から10年経っているらしい。記憶を封じたキハを天地神堂の巫女へしようとしているわけだ。
サリャン@ともみんは最初からキハびいき。やさしい人らしい、と伏線。あ、姫抱っこ付きなので、やはりサリャンはナニ気にともみんアテ書きかも?(笑)
この朱雀の守り主だの封印だの烙印だのの説明過程にて、わかりやすくキハの超能力爆発、じじいプルキルは青年プルキルへ変身。
ヒゲ無しプルキルが拝めるのはここだけ。あ、眉は二股になってません。
プルキルもノリノリで悪役振付だが、彼のお取り巻きコーラストリオ@毬乃・梅園・花愛がこわすぎ。(誉めてます)
プルキルよりこわいっつーか、目に付く……。
そして顔の見えない火天会下っ端@アクロバット・ダンサーズ。
すげえなヲイ、と思っていたら、あとでチラ見したプログラムによるとここは、星組きってのダンサー・身体能力の高い人たちをまるっと投入している。
顔が見えないのに、豪華な顔ぶれですよ。能力優先になると顔を出せないという不思議(笑)。
高句麗宮廷では、現在の王@組長が死期を悟り、次代の王を選定しようとしている。
天地神堂の大神官@柚長が託宣を……歌うのか? 柚長にあの歌を歌わせる気かイケコ?! と思っていたら、彼女は解説するだけで、歌はコロちゃんだった(笑)。
神懸かりコロちゃんがまたこわいこわい。(誉めてます)
花組版でツッコミどころだった、「タムドク@まとぶん、ホゲ@ゆーひが生まれた日、すでにキハは姫花だった」という謎の年齢設定。
すでに姫花……ってことは、タムドクとキハって、キハの方が10歳くらい年上? いや、もっと上か? なにしろ姫花だし! まとぶはともかく、ゆーひより彩音が10歳以上年上って……?!(白目)
が、星組版ではその辺が誤魔化されている。
少女である子役キハに対し、プルキルが「チュシンの王は今10歳」とゆー話をするのみなので、ふたりの年の差はわからない。漠然と「同じくらいかな」と思わせる。
この天地神堂の次期王託宣場面でも、巫女になるために連れてこられた少女キハと、ヤン王(まだ王じゃないけど)@一樹さんに連れてこられた少年タムドク@ちゃきが一瞬出会うのだが、どちらも子役ということで余計に「同じくらいの年かな」と思わせる。
うんうん、「まとぶとゆーひが生まれたときに、彩音はすでに姫花だった」というのは衝撃的過ぎるというか、原作はどうあれタカラヅカではマイナスでしかないことなので、星組版では改訂されていてうれしい。
タムドクがチュシンの夜に生まれ、神様が「タムドクこそがチュシンの王」だと言った……と、ここですでに周知の事実となる。
少年は、思い宿命を背負うことになるんだ。
運命の直中へ足を踏み入れた少年の儚い背中に、逞しい青年となったタムドク@れおんの背中が重なる。
せり上がりで時を止めて登場ですよ。
トップスター登場。なかなかどーして長かった、登場まで(笑)。
引きが長かった分、満場の拍手で迎えられて。
タムドク様が銀橋で彼のテーマソングを歌う後ろ、本舞台ではヤン王が少年タムドクに「アホのふりをしろ」と言い聞かせているんだが。
えーと?
「チュシンの王であることはナイショ」だった花組版なら、アホのふりをするのもわかるが、「神に選ばれたチュシンの王」だと宣言された星組版では、んな必要はないのでは? むしろ、「神様が選んだのにアホってどーゆーこと? 神様が間違えた?」→パターン1「神様はもう信じられない、宗教革命だー!」→「国がめちゃくちゃ」、パターン2「神様は絶対だ、だから間違っているのはアホのタムドク、タムドクを殺して賢い王様を神様に選び直してもらおう」→「タムドク終了」とかになっちゃわないか?
神様に選ばれたんだから、それに相応しく立派な王子様として振る舞わないと。国が乱れるもとじゃん?
で、実際、タムドクがアホのふりをしているために、国は乱れるのだ。
タムドクは王宮で大切に大切に過保護に育ち、ライバルのホゲ@かなめは戦争に出かけたりして実績を上げる。
タムドクがふつーに優秀で戦争もできます強いです、非の打ち所はございませんな王子様だとすべての人が知っていたら、ホゲを王に、という声もヨン家の局地的私欲で終わったろうに。
変なことするよなー。
タムドクが王宮で隠されるよーにして育ったのは、どっから見ても強そうだから、隠すしかなかったのではなかろーか。
いくら「アホでよわよわです」と噂を流しても、姿を見れば「あの体育会系筋肉むちむち男子が虚弱体質? 女以下の腕っ節?」と噂が嘘と丸わかりになってしまう。
だからタムドクはヒミツの花園の王子様。男たちの目に触れさせるわけにはいかないのだ、限られた女性兵士のみに守られて隠されていたのだ。
で、タムドク側近の、女ばかりの近衛隊。
カクダン@まりも、かっけー!!
てか、マジ、強そうだ。
女戦士、という感じ。男装の麗人とかでは、まったくない。骨太で硬質、かつ、肉の厚みがリアルな女性ソルジャー。対戦格闘ゲームにいそうだ。
正直、男役のりせ@花組カクダンより、はるかに強そう……(笑)。
このカクダンの強さと体格の良さに反し、他の近衛兵たちは、ちょっと残念だった。
ふつーの女の子たちだ……イケメンぢゃない……。
小柄だし、強そうでもストイックでもない……。
こんなかわいらしい女の子たち相手に、ナニをやっていたんだ、タムドク?
タムドクはふつーに強そうで王様ちっくで傲慢な快活さがあるので、近衛隊の女の子たちは戦闘訓練だけでない部分でも、なにかしら勉強相手、練習相手だったのではないかと邪推(笑)。
でも、カクダンではないな、相手(笑)。他の4人のうちの誰か、あるいは4人とも?
でもって、コ将軍@あかし、かっけー!!
コ将軍はナニ気に儲け役。めぐむもかっこよかったが、あかしもまたいい男だ。顔の大きさがリアル男性っぽい。
かっこいい役がいっぱい、かっこいい人たちがいっぱい登場するのが『太王四神記』という作品のわくわくするところ。
続く~~。
大劇場の真ん中で、「世界征服」を歌う。@太王四神記 Ver.II
2009年6月28日 タカラヅカ 『太王四神記 Ver.II』。
役者の芝居については、善し悪しというよりは、単なる好みの話になる。技術の裏付けがある以上、あとは好みかどうかってだけ。
そう、これはわたし一個人の好みの問題でしかないんだが。
星組版プルキルを、壮一帆で観たかった。
すずみんは好きなスターであり、彼への愛情は自分的に大いにあるつもりだ。壮くんのことも大好きだが、すずみんだって大好きだ。好きな人たちを比べてどちらかを落としたいわけでは、まったくない。
役者への好悪とは別のところ、単純に「作品」として、「役」として、今回は首をひねった。
すずみんが、任を果たしていない、と。
涼紫央の実力には、昔から信頼を置いている。
彼を最初に観たのは新公主演のときで「地味だけどうまい」と思った。が、当時のわたしは星組をほとんど観ていないのでそれだけに留まる。
わたしが星組ファンになったのはワタルくんがトップになってからなので、すずみんを注目するようになったのは、『王家に捧ぐ歌』のサウフェ役だ。
エチオピアのテロリスト・トリオの中で、台詞は少ないながらも明確なキャラ立てだった。彼の見せる狂気がじつに好みだった。
以降、彼の「男役」としての美しさを愛でてきた。
若いやんちゃなころを経て、大人の男として成熟してきた近年の充実した姿に、いつもなんの疑問もなく「すずみんならやってくれる」と安心しきっていた。
柄違いでは、と思えるような役や立場でも、彼はいつだって期待に違わぬ成果を返してくれてきたんだ。
しかし……そうか、できないことも、あったんだな……。
すずみんがプルキルだとわかったときから、わくわくしていた。衣装はすずみんらしく新調でさらに豪華になるだろうし(涼さんのお衣装が特別製なのはいつものこと。わかった上で楽しむのが彼の愛で方のひとつ・笑)、カツラやアクセサリーにも凝りまくり、ステキな悪役ぶりを見せてくれるだろうと。
花組『太王四神記』にあった冒頭の神話からチュシンの夜の場面が、星組『太王四神記 Ver.II』には、なかった。
組長ナレーションで朝鮮半島の地図がカーテンに映り、時代背景の説明のあと、本舞台にじじいプルキル@すずみん登場、「世界征服ソング」ソロをぶちかます。「悪役自己紹介ソング」かな。
えーっと、プルキルって2番手役だっけ? と思わせる演出。
細部に渡って手直しされた『Ver.II』は、ホゲ@テルの比重を微妙に落とし、タムドク@れおんを大いに上げ、プルキルのことも上げてある。
花組版より扱いの上がっているプルキルは、すずみんへの期待と信頼の表れだろう。路線スターとしてではなく、別格スターとして組と舞台を支える新生星組の3番手格への。
この演出変更に、強く肯いたさ、「そうよ、すずみんならそれくらいの重責を任せたくなる演出家の気持ちはわかるわ」と。
が。
その歌声を聴いて、びっくりした。
あ、あれ?
ここは一気に場を掌握する、オープニングのキモになるところよね?
空気を動かし、2500人の観客の心を舞台に釘付けにするソロよね?
足りていない。
演出に、プルキルという役に、すずみんが届いていない。
オペラグラスで見れば、凝りまくった姿といつものように活き活きと舞台に立っているすずみんを見ることが出来る。
しかし、それはすずみん単体で見た場合だ。
『太王四神記 Ver.II』という繊細さに欠ける分、大掛かりなハッタリ作品では、すずみんのプルキルは作品に、周囲に、埋没していた。
そういえばすずみんって、ハッタリ系の役者ではなかったな、と今さら思う。
役者として、演技力を問うならば、すずみんの方が壮くんより上だろう。すずみんで見てみたいと思う繊細な表現を必要とする役を、壮くんで見てみたいとはまず思わない。
しかし……2500人劇場のセンターでハッタリをカマす、という点に置いては、壮くんに軍配が上がる。
壮一帆はなー、巨大な馬の生首の上で啖呵切ってサマになるという、役者の中でもめずらしい資質を持つ男だからなー。彼よりハッタリ力が少ないからって、仕方ないことなんだけどさー。
それとも、番手付きの人と、別格の人の差なんだろうか。
わたしはすずみんが路線スターで将来トップスタァになってもぜんぜんOKと過去に言っていた人間だが、いつの間にかそーゆーことを思わなくなっていた。
このブログにも、「すずみんのトップ、アリじゃん」的なことを書いてきたと思うが、それって2005年あたり? 彼の徹底した「タカラヅカ・スタァ」ぶりやヅカへの愛情、こだわり、舞台での自覚を持った存在感などから、「この人の作るものを見てみたい」と思わせた。
それがいつの間にか、トップどうこうとは思わなくなっていた。それよりも、ただ彼がすばらしい舞台を見せてくれることだけに、きゃーきゃー言うようになっていた。
それは彼の持ち味が、芸風が、落ち着くところへ落ち着いてきたためだろうか。(そしてわたしの嗜好として、トップ路線様より、そこから微妙に逸れたあたりに強く惹かれる。わたしがますますすずみん好きになったのは、そのへんが関係している……?)
幕開きに「悪役」として登場し、2500人劇場を一瞬で掌握しひれ伏させるのは、「タカラヅカのトップスター」としての資質を必要とする仕事だ。問答無用ですべての人を惹きつけ、世界の中心が自分であると表現する力。
それが、すずみんプルキルには欠けていた。
それは彼が、「真ん中向きではない」ということ、今の立場の表れであるだけなんだろうか。
プルキルの最初の歌でまず愕然としたが、べつに下手だとかいうんじゃない。
歌唱力の話じゃない。
『太王四神記 Ver.II』という作品でこの衣装でこの舞台でこの役で歌う歌声ではなかった……ということだ。
オペラで彼をガン見すれば、こだわりきったビジュアルと作り込んだ演技の、たしかにステキなプルキルがいるんだが……。
しかし……。
オペラをはずして俯瞰したときに、チョ・ジュド@みきちぐに、悪役度とハッタリで負けているというのは……正直、意外すぎた。
プルキルが弱いと、ただの「人間」だと物語度が下がるなぁ。
荒唐無稽な部分を彼が担っているのに。
また、タムドクが良い意味で大味で悩まないタイプなので、それに負けない大味さがプルキルにも求められている。主役に合わせた世界観が展開されるわけだから。
色鉛筆でスケッチブックに細かい写実的な絵を描くより、ペンキとハケで大胆に塗った、100m先からでもなんの絵かわかる宣伝イラストを描かねばならないんだ。
なにしろ初日だから、まだバランスが取れていないのかもしれない。
これから先、すずみんプルキルはどんどんカリスマ性を増していくのだろう。
求められている場を、役を、理解して、変わっていくだろう。すずみんってそーゆー人じゃん。いつだって期待に応える仕事をしてくれる人じゃん。
と期待して、初日のダメダメっぷりを記しておく。
次に観に行くのがたのしみだ。
役者の芝居については、善し悪しというよりは、単なる好みの話になる。技術の裏付けがある以上、あとは好みかどうかってだけ。
そう、これはわたし一個人の好みの問題でしかないんだが。
星組版プルキルを、壮一帆で観たかった。
すずみんは好きなスターであり、彼への愛情は自分的に大いにあるつもりだ。壮くんのことも大好きだが、すずみんだって大好きだ。好きな人たちを比べてどちらかを落としたいわけでは、まったくない。
役者への好悪とは別のところ、単純に「作品」として、「役」として、今回は首をひねった。
すずみんが、任を果たしていない、と。
涼紫央の実力には、昔から信頼を置いている。
彼を最初に観たのは新公主演のときで「地味だけどうまい」と思った。が、当時のわたしは星組をほとんど観ていないのでそれだけに留まる。
わたしが星組ファンになったのはワタルくんがトップになってからなので、すずみんを注目するようになったのは、『王家に捧ぐ歌』のサウフェ役だ。
エチオピアのテロリスト・トリオの中で、台詞は少ないながらも明確なキャラ立てだった。彼の見せる狂気がじつに好みだった。
以降、彼の「男役」としての美しさを愛でてきた。
若いやんちゃなころを経て、大人の男として成熟してきた近年の充実した姿に、いつもなんの疑問もなく「すずみんならやってくれる」と安心しきっていた。
柄違いでは、と思えるような役や立場でも、彼はいつだって期待に違わぬ成果を返してくれてきたんだ。
しかし……そうか、できないことも、あったんだな……。
すずみんがプルキルだとわかったときから、わくわくしていた。衣装はすずみんらしく新調でさらに豪華になるだろうし(涼さんのお衣装が特別製なのはいつものこと。わかった上で楽しむのが彼の愛で方のひとつ・笑)、カツラやアクセサリーにも凝りまくり、ステキな悪役ぶりを見せてくれるだろうと。
花組『太王四神記』にあった冒頭の神話からチュシンの夜の場面が、星組『太王四神記 Ver.II』には、なかった。
組長ナレーションで朝鮮半島の地図がカーテンに映り、時代背景の説明のあと、本舞台にじじいプルキル@すずみん登場、「世界征服ソング」ソロをぶちかます。「悪役自己紹介ソング」かな。
えーっと、プルキルって2番手役だっけ? と思わせる演出。
細部に渡って手直しされた『Ver.II』は、ホゲ@テルの比重を微妙に落とし、タムドク@れおんを大いに上げ、プルキルのことも上げてある。
花組版より扱いの上がっているプルキルは、すずみんへの期待と信頼の表れだろう。路線スターとしてではなく、別格スターとして組と舞台を支える新生星組の3番手格への。
この演出変更に、強く肯いたさ、「そうよ、すずみんならそれくらいの重責を任せたくなる演出家の気持ちはわかるわ」と。
が。
その歌声を聴いて、びっくりした。
あ、あれ?
ここは一気に場を掌握する、オープニングのキモになるところよね?
空気を動かし、2500人の観客の心を舞台に釘付けにするソロよね?
足りていない。
演出に、プルキルという役に、すずみんが届いていない。
オペラグラスで見れば、凝りまくった姿といつものように活き活きと舞台に立っているすずみんを見ることが出来る。
しかし、それはすずみん単体で見た場合だ。
『太王四神記 Ver.II』という繊細さに欠ける分、大掛かりなハッタリ作品では、すずみんのプルキルは作品に、周囲に、埋没していた。
そういえばすずみんって、ハッタリ系の役者ではなかったな、と今さら思う。
役者として、演技力を問うならば、すずみんの方が壮くんより上だろう。すずみんで見てみたいと思う繊細な表現を必要とする役を、壮くんで見てみたいとはまず思わない。
しかし……2500人劇場のセンターでハッタリをカマす、という点に置いては、壮くんに軍配が上がる。
壮一帆はなー、巨大な馬の生首の上で啖呵切ってサマになるという、役者の中でもめずらしい資質を持つ男だからなー。彼よりハッタリ力が少ないからって、仕方ないことなんだけどさー。
それとも、番手付きの人と、別格の人の差なんだろうか。
わたしはすずみんが路線スターで将来トップスタァになってもぜんぜんOKと過去に言っていた人間だが、いつの間にかそーゆーことを思わなくなっていた。
このブログにも、「すずみんのトップ、アリじゃん」的なことを書いてきたと思うが、それって2005年あたり? 彼の徹底した「タカラヅカ・スタァ」ぶりやヅカへの愛情、こだわり、舞台での自覚を持った存在感などから、「この人の作るものを見てみたい」と思わせた。
それがいつの間にか、トップどうこうとは思わなくなっていた。それよりも、ただ彼がすばらしい舞台を見せてくれることだけに、きゃーきゃー言うようになっていた。
それは彼の持ち味が、芸風が、落ち着くところへ落ち着いてきたためだろうか。(そしてわたしの嗜好として、トップ路線様より、そこから微妙に逸れたあたりに強く惹かれる。わたしがますますすずみん好きになったのは、そのへんが関係している……?)
幕開きに「悪役」として登場し、2500人劇場を一瞬で掌握しひれ伏させるのは、「タカラヅカのトップスター」としての資質を必要とする仕事だ。問答無用ですべての人を惹きつけ、世界の中心が自分であると表現する力。
それが、すずみんプルキルには欠けていた。
それは彼が、「真ん中向きではない」ということ、今の立場の表れであるだけなんだろうか。
プルキルの最初の歌でまず愕然としたが、べつに下手だとかいうんじゃない。
歌唱力の話じゃない。
『太王四神記 Ver.II』という作品でこの衣装でこの舞台でこの役で歌う歌声ではなかった……ということだ。
オペラで彼をガン見すれば、こだわりきったビジュアルと作り込んだ演技の、たしかにステキなプルキルがいるんだが……。
しかし……。
オペラをはずして俯瞰したときに、チョ・ジュド@みきちぐに、悪役度とハッタリで負けているというのは……正直、意外すぎた。
プルキルが弱いと、ただの「人間」だと物語度が下がるなぁ。
荒唐無稽な部分を彼が担っているのに。
また、タムドクが良い意味で大味で悩まないタイプなので、それに負けない大味さがプルキルにも求められている。主役に合わせた世界観が展開されるわけだから。
色鉛筆でスケッチブックに細かい写実的な絵を描くより、ペンキとハケで大胆に塗った、100m先からでもなんの絵かわかる宣伝イラストを描かねばならないんだ。
なにしろ初日だから、まだバランスが取れていないのかもしれない。
これから先、すずみんプルキルはどんどんカリスマ性を増していくのだろう。
求められている場を、役を、理解して、変わっていくだろう。すずみんってそーゆー人じゃん。いつだって期待に応える仕事をしてくれる人じゃん。
と期待して、初日のダメダメっぷりを記しておく。
次に観に行くのがたのしみだ。
獅子と彼の王国。@太王四神記 Ver.II
2009年6月27日 タカラヅカ 新生星組お披露目公演『太王四神記 Ver.II』。
タムドク@れおんくんの英雄ぶりが心地良い。
彼は良くも悪くも獅子だ。
「アホの子のふりをしろ」とヤン王@一樹さんは言うんだが、べつにアホには見えない。頭脳派とか知性派に見えるというわけではないが(笑)、王様にふさわしい大らかな格を持っているように見える。
ふつーにいい王様になりそうな、頼もしい王子様だ。
で、これはわたしの個人的な好みなんだが、れおんは、根が鬼畜な方が萌える。
『Kean』のプリンスもそうだし、『龍星』の霧影のときもそうなんだが。
彼は傲慢かつ高貴な役をやると、いい感じにSキャラになる。(ショーヴラン@『スカーレット・ピンパーネル』は違いますよ、高貴でもSでもない・笑)
んで、すでに仲間内で「れおんタムドクの経験有無について」が話題になるほど、タムどんは大人だった。
まとぶタムタムはまちがいなく未経験、キハがはじめての相手だけど、れおんタムどんはすでに済ませてそうだ。相手は誰だ、近衛隊の中にいるのか? で、コ将軍@あかしに「練習相手はもういい」とわざわざ女の子たちが遠ざけられるくだりもあるわけだし、「殿下、お遊びはほどほどに」って意味かよヲイ?! と、ツッコミ甲斐のある展開。
近衛隊の中にお相手がいるとして、将軍にバレて遠ざけられたのに、「ちぇっ、これで女っ気ナシだ」と言うだけにとどまるあたりが、ただの遊び、愛はカケラもない感じで良いですなっ。萌えだ萌え(笑)。
悩んでいても「王者の憂鬱」って感じだし。
魂の強さ、真の王っぷりが揺るがずにあるもんで、悩もうが逡巡しようが「本気じゃないよね、答えは最初からあるよね」って感じがして、キャラクタにブレがない。
その分一本調子に見えているかもしれないが……。
繊細さに欠け、大味。
でもそれゆえに、「新たなる王の旅立ち」に、相応しいキャラクタだ。
まとぶんのタムドクとはまったくチガウ、別人なタムドク。
どっちもアリでしょう。
タムドクは「トップスター」として、とても気を配った演出をされていた。
しかし、ヒロインのキハ@ねねちゃんはそれほど配慮されていたとは思えない……。
わたしは植爺作品は嫌いだし、その演出も鼻につくことが多いんだが、それでも「大衆演劇」の見せ方をわかった人だなと思っている。
主要人物が登場する際の、ファンファーレやテーマソング、声だけ先に聞こえ「誰だ?!」とやってから登場、とか、実にわかりやすい。
植爺は安易に同じ演出を乱発するからうざくなっているけれど、効果的に挿入するなら、意味のある演出だと思う。
という、わっかりやすい演出方法もあるとわかっているだけに。
キハの初登場場面は、変更するべきだと思う。
と、花組版のときから思っていたが、今回はさらにそう思った。
花組版はプロローグでトップ娘役は派手に立ち回りを演じ、ついでに赤ん坊殺しというショッキングなアクションもしている。その場面や演出の是非は置くとして、顔見せは済ませている。
キハとしてはじめて登場するのはポンファ通りの人混みの中。「ヒロイン」としての特別な演出はナシ。
プロローグで登場済みだから、顔の見分けのつく人や、トップ娘役ぐらいならわかる程度のライトな人に、「ああ、ヒロイン登場だ」とかろうじてわかるレベルの演出、だと思う。
しかし今回は、神話部分がない。あるのは子役が演じている少女時代のみ。
あの子役の女の子と、下手したらそのへん男役より大きなモデル体型の美人さんが同一人物だと、わかる人は観客の何割だろうか。
しかもこのときのキハの衣装が……。
よく見るときれいな衣装で良い生地を使っているのかもしれないが、デザイン的には民衆とかけ離れたものではなく、色も地味。
トップ歴が長く、ふたりの男役トップスターの相手役を務めるベテランのあやねちゃんでも「もっと衣装考えてあげてほしい」と思ったのに、今回がお披露目、キャリア真っ白のねねちゃんには、衣装の底上げも必要だと思う。
登場前に銀橋歩かせてみるとか、祈祷に来た巫女なんだから、派手派手なトランス用衣装にするとか、それこそ「誰だ?!」……ババァーン(効果音)で、キハ登場! ぐらいやっても、良かったと思うよ。ヒョンゴやスジニより地味な登場って、ヒロインとしてどうなの……。
原作や初演と同じにする必要はなく、あくまでも今回の『太王四神記 Ver.II』のキハ像を作り上げればいい、と思っているけれど、初日のキハはなんだかよくわからなかった。
キハというより、ふつーの女の子だった気がする。
たぶんキハというキャラクタは、一般的な「娘役」スキルの中にはない役なんだろう。
引き出しの中にないから、自分で1から作らなければならない。
今は模索中かな。
抜群のスタイルが麗しい。これからどう変わっていくのか注目。
花組版を教訓に、星組版ではあちこち手直しが入っている。
そのひとつが、「ホゲよりタムドクをかっこよく、目立つように」すること。
タムドクが前座で、そのあとに主役のホゲがかっこよく登場し、客席から割れんばかりの拍手をもらう、という困った演出だった花組。
今回もそうなるのかと思っていたら、しっかり修正されていた。
タムドクはかっこよく単独でせり上がり登場。もちろん拍手は彼ひとりへ向けられる。
遅れて「遠征から凱旋してきた」という触れ込みで登場するホゲは、他部族の息子たちと一緒の登場で……拍手が、起こらなかった。
星組組子として、2番手として、ケガからの復帰公演初登場として、いろんな意味で拍手したくてたまらなかったのに、できなかった。
そのヒマがなかった。
わたしだけでなく、たぶん他の観客たちもだろう。
いかにもな、「ババァーン」という登場ではなかったために、拍手することができなかったんだ。
登場だけで拍手するのは、演劇として間違っているのだろう。拍手とは感動したからするもので、出てきただけ、まだなにもしていないときにするもんじゃない。
ヅカ初心者が「ねえ、どうしてスターが出てきたら拍手するの? しなきゃいけないの?」と聞いてくるくらい、ふつーではないことなんだろう。
でもここタカラヅカだし! ふつーでなくても間違ってても、スターが登場したら拍手したいし。
とくに、組替え後初登場だとか、トップお披露目初登場だとか、節目なときには歓迎の意を表したいじゃないか。
なのにホゲ@かなめくんには、拍手ができなかった。そのあとに、やはりお披露目のキハ@ねねちゃんにできなかったように。
そんなことができないよーな演出になってるんだもんよ。
まあ、ホゲに関しては、初日はまさかこんな拍手のしづらい演出で出てくるとは誰も思ってなかったから入れられなかっただけで、その後無事に拍手で迎えてもらっているのかもしれんが。
ホゲ登場に拍手を得られる演出にすることは、簡単だ。彼の登場時に数秒、溜めを作るだけでいい。だがイケコは、今回それをしなかった。……花組ではやっていたくせに。
ホゲの比重を下げた、というよりは、タムドクを意識的に上げた結果だと思うが。
そのホゲ@かなめくんは。
か、軽い……(笑)。
前半の屈託のない青年時代がもー、軽いですよこの人。軽薄なプレイボーイ。
鳴海先生、こんなとこでナニやってんですか?(笑)
ふつーにイマドキなイケメン青年なホゲちゃまに、びっくり。
いや、これはこれでアリでしょう。タムどんが骨太な英雄タイプだから、その親友は軟派野郎ってわけですね、アニメやマンガのコンビ物のお約束ですね!
4番手からいきなり2番手。
背負うモノが大きすぎて大変だと思うが、がんばってくれかなめくん。
登場に拍手がなかった分、銀橋ソロのあとにものすごい拍手が起こっていた。
この3人で、新しい星組がはじまるんだ。
映りがきれいでアニメ的で、わくわくする。
タムドク@れおんくんの英雄ぶりが心地良い。
彼は良くも悪くも獅子だ。
「アホの子のふりをしろ」とヤン王@一樹さんは言うんだが、べつにアホには見えない。頭脳派とか知性派に見えるというわけではないが(笑)、王様にふさわしい大らかな格を持っているように見える。
ふつーにいい王様になりそうな、頼もしい王子様だ。
で、これはわたしの個人的な好みなんだが、れおんは、根が鬼畜な方が萌える。
『Kean』のプリンスもそうだし、『龍星』の霧影のときもそうなんだが。
彼は傲慢かつ高貴な役をやると、いい感じにSキャラになる。(ショーヴラン@『スカーレット・ピンパーネル』は違いますよ、高貴でもSでもない・笑)
んで、すでに仲間内で「れおんタムドクの経験有無について」が話題になるほど、タムどんは大人だった。
まとぶタムタムはまちがいなく未経験、キハがはじめての相手だけど、れおんタムどんはすでに済ませてそうだ。相手は誰だ、近衛隊の中にいるのか? で、コ将軍@あかしに「練習相手はもういい」とわざわざ女の子たちが遠ざけられるくだりもあるわけだし、「殿下、お遊びはほどほどに」って意味かよヲイ?! と、ツッコミ甲斐のある展開。
近衛隊の中にお相手がいるとして、将軍にバレて遠ざけられたのに、「ちぇっ、これで女っ気ナシだ」と言うだけにとどまるあたりが、ただの遊び、愛はカケラもない感じで良いですなっ。萌えだ萌え(笑)。
悩んでいても「王者の憂鬱」って感じだし。
魂の強さ、真の王っぷりが揺るがずにあるもんで、悩もうが逡巡しようが「本気じゃないよね、答えは最初からあるよね」って感じがして、キャラクタにブレがない。
その分一本調子に見えているかもしれないが……。
繊細さに欠け、大味。
でもそれゆえに、「新たなる王の旅立ち」に、相応しいキャラクタだ。
まとぶんのタムドクとはまったくチガウ、別人なタムドク。
どっちもアリでしょう。
タムドクは「トップスター」として、とても気を配った演出をされていた。
しかし、ヒロインのキハ@ねねちゃんはそれほど配慮されていたとは思えない……。
わたしは植爺作品は嫌いだし、その演出も鼻につくことが多いんだが、それでも「大衆演劇」の見せ方をわかった人だなと思っている。
主要人物が登場する際の、ファンファーレやテーマソング、声だけ先に聞こえ「誰だ?!」とやってから登場、とか、実にわかりやすい。
植爺は安易に同じ演出を乱発するからうざくなっているけれど、効果的に挿入するなら、意味のある演出だと思う。
という、わっかりやすい演出方法もあるとわかっているだけに。
キハの初登場場面は、変更するべきだと思う。
と、花組版のときから思っていたが、今回はさらにそう思った。
花組版はプロローグでトップ娘役は派手に立ち回りを演じ、ついでに赤ん坊殺しというショッキングなアクションもしている。その場面や演出の是非は置くとして、顔見せは済ませている。
キハとしてはじめて登場するのはポンファ通りの人混みの中。「ヒロイン」としての特別な演出はナシ。
プロローグで登場済みだから、顔の見分けのつく人や、トップ娘役ぐらいならわかる程度のライトな人に、「ああ、ヒロイン登場だ」とかろうじてわかるレベルの演出、だと思う。
しかし今回は、神話部分がない。あるのは子役が演じている少女時代のみ。
あの子役の女の子と、下手したらそのへん男役より大きなモデル体型の美人さんが同一人物だと、わかる人は観客の何割だろうか。
しかもこのときのキハの衣装が……。
よく見るときれいな衣装で良い生地を使っているのかもしれないが、デザイン的には民衆とかけ離れたものではなく、色も地味。
トップ歴が長く、ふたりの男役トップスターの相手役を務めるベテランのあやねちゃんでも「もっと衣装考えてあげてほしい」と思ったのに、今回がお披露目、キャリア真っ白のねねちゃんには、衣装の底上げも必要だと思う。
登場前に銀橋歩かせてみるとか、祈祷に来た巫女なんだから、派手派手なトランス用衣装にするとか、それこそ「誰だ?!」……ババァーン(効果音)で、キハ登場! ぐらいやっても、良かったと思うよ。ヒョンゴやスジニより地味な登場って、ヒロインとしてどうなの……。
原作や初演と同じにする必要はなく、あくまでも今回の『太王四神記 Ver.II』のキハ像を作り上げればいい、と思っているけれど、初日のキハはなんだかよくわからなかった。
キハというより、ふつーの女の子だった気がする。
たぶんキハというキャラクタは、一般的な「娘役」スキルの中にはない役なんだろう。
引き出しの中にないから、自分で1から作らなければならない。
今は模索中かな。
抜群のスタイルが麗しい。これからどう変わっていくのか注目。
花組版を教訓に、星組版ではあちこち手直しが入っている。
そのひとつが、「ホゲよりタムドクをかっこよく、目立つように」すること。
タムドクが前座で、そのあとに主役のホゲがかっこよく登場し、客席から割れんばかりの拍手をもらう、という困った演出だった花組。
今回もそうなるのかと思っていたら、しっかり修正されていた。
タムドクはかっこよく単独でせり上がり登場。もちろん拍手は彼ひとりへ向けられる。
遅れて「遠征から凱旋してきた」という触れ込みで登場するホゲは、他部族の息子たちと一緒の登場で……拍手が、起こらなかった。
星組組子として、2番手として、ケガからの復帰公演初登場として、いろんな意味で拍手したくてたまらなかったのに、できなかった。
そのヒマがなかった。
わたしだけでなく、たぶん他の観客たちもだろう。
いかにもな、「ババァーン」という登場ではなかったために、拍手することができなかったんだ。
登場だけで拍手するのは、演劇として間違っているのだろう。拍手とは感動したからするもので、出てきただけ、まだなにもしていないときにするもんじゃない。
ヅカ初心者が「ねえ、どうしてスターが出てきたら拍手するの? しなきゃいけないの?」と聞いてくるくらい、ふつーではないことなんだろう。
でもここタカラヅカだし! ふつーでなくても間違ってても、スターが登場したら拍手したいし。
とくに、組替え後初登場だとか、トップお披露目初登場だとか、節目なときには歓迎の意を表したいじゃないか。
なのにホゲ@かなめくんには、拍手ができなかった。そのあとに、やはりお披露目のキハ@ねねちゃんにできなかったように。
そんなことができないよーな演出になってるんだもんよ。
まあ、ホゲに関しては、初日はまさかこんな拍手のしづらい演出で出てくるとは誰も思ってなかったから入れられなかっただけで、その後無事に拍手で迎えてもらっているのかもしれんが。
ホゲ登場に拍手を得られる演出にすることは、簡単だ。彼の登場時に数秒、溜めを作るだけでいい。だがイケコは、今回それをしなかった。……花組ではやっていたくせに。
ホゲの比重を下げた、というよりは、タムドクを意識的に上げた結果だと思うが。
そのホゲ@かなめくんは。
か、軽い……(笑)。
前半の屈託のない青年時代がもー、軽いですよこの人。軽薄なプレイボーイ。
鳴海先生、こんなとこでナニやってんですか?(笑)
ふつーにイマドキなイケメン青年なホゲちゃまに、びっくり。
いや、これはこれでアリでしょう。タムどんが骨太な英雄タイプだから、その親友は軟派野郎ってわけですね、アニメやマンガのコンビ物のお約束ですね!
4番手からいきなり2番手。
背負うモノが大きすぎて大変だと思うが、がんばってくれかなめくん。
登場に拍手がなかった分、銀橋ソロのあとにものすごい拍手が起こっていた。
この3人で、新しい星組がはじまるんだ。
映りがきれいでアニメ的で、わくわくする。
獅子の羽根は大きく開く。@太王四神記 Ver.II
2009年6月26日 タカラヅカ れおんくん、ねねちゃん、トップスターお披露目初日、おめでとう。
新生星組スタートだ。
そして、かなめくん、復帰おめでとう。
ちょっともー、どきどきしちゃったよ、塀から飛び降りる演出あるんだもん。不自然なほどのクッション付きだったけど(笑)。
新生星組お披露目公演『太王四神記 Ver.II』初日へ行ってきました。
『Ver.II』です。続編でも新作でもなく、『Ver.II』。
花組の『太王四神記』に、ちょっくら手直しをして、展開をなめらかにした感じ。
ぶっちゃけ、『Ver.1.5』って感じ。『2』まで行ってないよーな。バグ取りだけして、急遽発売したソフトって感じ……ゲフンゲフン。
変更点は大きいのから細かいのまでいろいろあったが、わたし的にいちばんツボった変更点は。
「キハが生むのはオマエの子だ……俺は指一本触れていない」
ですね!!(笑)
ヤラせてもらえなかったのか、ホゲ!!
……表現が下品ですみません。
でもでも、すっげーツボった。ウケた。
そう、婚約発表パーティで、ホゲ@かなめとキハ@ねねには、キスシーンがなかったのよ!!
あれ? 花組版ではあったよね? ホゲ@ゆーひの冷たいキスが萌えポイントのひとつだったはず。
なのになんで? キスしなかったぞ?? それともわたし、よそ見していた?
と、思っていたら。
死の間際に、この台詞!!
ヤラせてもらえなかったのか、ホゲ。
キハの寝室には、鍵が掛けられていたんだな。
ガウン姿でいそいそ寝室へ行ったのに、鍵が掛かっていてがーん、扉の前で「開けておくれ♪」と歌うホゲが脳裏をよぎった。
こんなところでアテ書きしてるのか、イケコ!
ゆーひくんのホゲは、やることやってると思う。
冷たい目をして偽りの婚約者にくちづけ、人形のようなカラダを抱くんだろう。
それこそが萌えだ。
しかし、かなめくんのホゲはキハに手を出さない。キハに拒むことが出来ないとわかっていても、強引に奪ったりしない。
妄執に取り憑かれているとしても、根はやさしい青年だ。
タムドク@れおんの恋人を抱くことはできなかったんだろう。
イケコの手直しは的確で、ほんとにアレンジ力はある人なんだと思った。
骨組みは同じなので、「間違っている」ところはそのままなんだが(タムドクが王位を放棄してキハと逃げちゃったり、ヤン王の言動がめちゃくちゃだったり、ヤン王殺人事件追求がうやむやめちゃくちゃだったり)、大筋を変えないところで細かく改稿してなめらかにしてある。
なんつっても、タムドクが、アホの子ぢゃなかった。
……まとぶが不憫に思えるほど、脚本変わってます。
まず、神話時代と無駄な2役がなく、タムドク一本になっているのでわかりやすい。
タムドクの初登場場面がカッコイイ。
王となる宿命を背負わされた少年タムドクにオーバーラップするカタチで、大人のタムドク登場。
「その女の子たちは私の練習相手だ」という、わけのわかんない登場ではない。
女の子たち相手に武術の稽古をしているよわっちい王子様ではなく、すでにカクダン@まりもちゃんたちよりはるかに強くなっており、女の子たちが5人がかりでかかっても、タムドクには敵わなくなっている。
で、これってかなり大きな変更だと思うんだが、「チュシンの夜に生まれた」というのは秘密ではない。
タムドクが10歳のとき、前王@組長が次期王を選定するときに、周知のこととなっている。このときから、「タムドクはチュシンの王」と天地神堂の託宣アリ。
タムドクはヤン王@一樹さんの次の王だと決まっている。
タムドクとホゲの関係がより自然な友人同士になっている。
タムドクは託宣で「王になれ」と言われており、ホゲは母親や周囲の期待で「王になれ」と言われている。双方「別に王にならなくていいんだけどなー」と思いつつ、「周囲がそう言ってるから、どーしたもんか」と思っている。
立場が同じであり、かつ、ホゲはタムドクが世間で言われるアホでないとわかっているらしい。本音でつきあっているようだ。ふたりともチュシンの夜に生まれた、と彼らも観客もみーんな知っているので、「チュシンの星の元に♪」の歌が嘘くさくない。
秘密じゃないから、王宮の書庫でキハと出会ったときに、「チュシンの夜に生まれた」と話しても変じゃない。みんな知ってることだもの。
チュシンの夜に生まれ、神様も父王も自分に次の王になれと言ってるけど、同じチュシンの夜に生まれたホゲが王になるべきじゃないかと悩んでいる、のは、タムドクのまともさ表しているよな。
また、タムドクとキハは、子どものころに出会っている。
書庫が初対面じゃない。「あのときの……」ということで、親近感を持って話している。
「じしゅれん?」と舌っ足らずに首を傾げる無知な少年時代もないし、母親が命がけで守った秘密(山の中でこっそり出産したりしなかったら、死なずにすんだんじゃないの、タムドクママ)、父王が生涯懸けて守ろうとした秘密を、会って数分の見知らぬ女にぺらぺら喋る、父王のもとに会って数分の見知らぬ女を連れて行くということもない。
タムドクがアホの子じゃない。
ふつーに大人だ。
書庫に忍んできていたキハに「特技を見せてくれたら、ナイショにしてあげるよ」と言うところも、王子らしい、上から目線だ。
なにも考えてない無邪気さでねだっている風じゃない。
で、タムドクさいてーポイントの大きなひとつである、2幕最初のコムル村。
「チュシンの王タムドク様に、身も心も捧げます」と平身するコムル村の人々に「や、そんなことより自分の恋の方が大事」とぬかす、仰天場面。
チュシンの王として覚醒し、幕。……だったあの1幕の終わり方はなんだったの? 国より世界より、女のことかよ?! と、観客の目を点にしたあのアホ場面が、変更されていた。
神話が冒頭ではなく、この2幕のコムル村場面に「伝承歌舞」として挿入されており、ファヌンとカジン、セオの物語の中にキハの姿をフラッシュバックして、物思いに耽る。
「チュシンの王」としての務めを否定するのではなく、「今は疲れているから」と断ってコムルの民から離れ、そこではじめてキハを想う歌を歌う。
タムドクがさいてーぢゃない。
おかしなところはそりゃあるが、少なくとも、直せるところは直してある。
ちなみに、ホゲの初登場シーンより、タムドク初登場シーンの方が、ちゃんと目立って格好良くしてある。タムドクがただのアホで、ホゲがやたらかっこよくしてあった花組版とチガウ。
イケコGJ。
GJだし、れおんと新生星組のために、『Ver.II』がブラッシュアップしてあることがうれしいし、よろこばしい。
が。
……オレ、花担だからちょっと寂しい(笑)。まとぶんのタムドクにも、これくらいちゃんとアホにならない脚本を書いてあげてほしかったよ。
花組版が先にあったから、失敗した部分を手直しできたんだろうけどさ。
や、まとぶんのタムドクは、脚本のアレさをカバーするアツさや誠実なまっすぐパワーがあったからいいんだけどさ。ソレとは別に、こーゆー描き方もアリだよなと。
ともあれ、新しい時代のスタートだ。
みなに幸あれ。
他の変更点、感想は翌日欄へ続く。
新生星組スタートだ。
そして、かなめくん、復帰おめでとう。
ちょっともー、どきどきしちゃったよ、塀から飛び降りる演出あるんだもん。不自然なほどのクッション付きだったけど(笑)。
新生星組お披露目公演『太王四神記 Ver.II』初日へ行ってきました。
『Ver.II』です。続編でも新作でもなく、『Ver.II』。
花組の『太王四神記』に、ちょっくら手直しをして、展開をなめらかにした感じ。
ぶっちゃけ、『Ver.1.5』って感じ。『2』まで行ってないよーな。バグ取りだけして、急遽発売したソフトって感じ……ゲフンゲフン。
変更点は大きいのから細かいのまでいろいろあったが、わたし的にいちばんツボった変更点は。
「キハが生むのはオマエの子だ……俺は指一本触れていない」
ですね!!(笑)
ヤラせてもらえなかったのか、ホゲ!!
……表現が下品ですみません。
でもでも、すっげーツボった。ウケた。
そう、婚約発表パーティで、ホゲ@かなめとキハ@ねねには、キスシーンがなかったのよ!!
あれ? 花組版ではあったよね? ホゲ@ゆーひの冷たいキスが萌えポイントのひとつだったはず。
なのになんで? キスしなかったぞ?? それともわたし、よそ見していた?
と、思っていたら。
死の間際に、この台詞!!
ヤラせてもらえなかったのか、ホゲ。
キハの寝室には、鍵が掛けられていたんだな。
ガウン姿でいそいそ寝室へ行ったのに、鍵が掛かっていてがーん、扉の前で「開けておくれ♪」と歌うホゲが脳裏をよぎった。
こんなところでアテ書きしてるのか、イケコ!
ゆーひくんのホゲは、やることやってると思う。
冷たい目をして偽りの婚約者にくちづけ、人形のようなカラダを抱くんだろう。
それこそが萌えだ。
しかし、かなめくんのホゲはキハに手を出さない。キハに拒むことが出来ないとわかっていても、強引に奪ったりしない。
妄執に取り憑かれているとしても、根はやさしい青年だ。
タムドク@れおんの恋人を抱くことはできなかったんだろう。
イケコの手直しは的確で、ほんとにアレンジ力はある人なんだと思った。
骨組みは同じなので、「間違っている」ところはそのままなんだが(タムドクが王位を放棄してキハと逃げちゃったり、ヤン王の言動がめちゃくちゃだったり、ヤン王殺人事件追求がうやむやめちゃくちゃだったり)、大筋を変えないところで細かく改稿してなめらかにしてある。
なんつっても、タムドクが、アホの子ぢゃなかった。
……まとぶが不憫に思えるほど、脚本変わってます。
まず、神話時代と無駄な2役がなく、タムドク一本になっているのでわかりやすい。
タムドクの初登場場面がカッコイイ。
王となる宿命を背負わされた少年タムドクにオーバーラップするカタチで、大人のタムドク登場。
「その女の子たちは私の練習相手だ」という、わけのわかんない登場ではない。
女の子たち相手に武術の稽古をしているよわっちい王子様ではなく、すでにカクダン@まりもちゃんたちよりはるかに強くなっており、女の子たちが5人がかりでかかっても、タムドクには敵わなくなっている。
で、これってかなり大きな変更だと思うんだが、「チュシンの夜に生まれた」というのは秘密ではない。
タムドクが10歳のとき、前王@組長が次期王を選定するときに、周知のこととなっている。このときから、「タムドクはチュシンの王」と天地神堂の託宣アリ。
タムドクはヤン王@一樹さんの次の王だと決まっている。
タムドクとホゲの関係がより自然な友人同士になっている。
タムドクは託宣で「王になれ」と言われており、ホゲは母親や周囲の期待で「王になれ」と言われている。双方「別に王にならなくていいんだけどなー」と思いつつ、「周囲がそう言ってるから、どーしたもんか」と思っている。
立場が同じであり、かつ、ホゲはタムドクが世間で言われるアホでないとわかっているらしい。本音でつきあっているようだ。ふたりともチュシンの夜に生まれた、と彼らも観客もみーんな知っているので、「チュシンの星の元に♪」の歌が嘘くさくない。
秘密じゃないから、王宮の書庫でキハと出会ったときに、「チュシンの夜に生まれた」と話しても変じゃない。みんな知ってることだもの。
チュシンの夜に生まれ、神様も父王も自分に次の王になれと言ってるけど、同じチュシンの夜に生まれたホゲが王になるべきじゃないかと悩んでいる、のは、タムドクのまともさ表しているよな。
また、タムドクとキハは、子どものころに出会っている。
書庫が初対面じゃない。「あのときの……」ということで、親近感を持って話している。
「じしゅれん?」と舌っ足らずに首を傾げる無知な少年時代もないし、母親が命がけで守った秘密(山の中でこっそり出産したりしなかったら、死なずにすんだんじゃないの、タムドクママ)、父王が生涯懸けて守ろうとした秘密を、会って数分の見知らぬ女にぺらぺら喋る、父王のもとに会って数分の見知らぬ女を連れて行くということもない。
タムドクがアホの子じゃない。
ふつーに大人だ。
書庫に忍んできていたキハに「特技を見せてくれたら、ナイショにしてあげるよ」と言うところも、王子らしい、上から目線だ。
なにも考えてない無邪気さでねだっている風じゃない。
で、タムドクさいてーポイントの大きなひとつである、2幕最初のコムル村。
「チュシンの王タムドク様に、身も心も捧げます」と平身するコムル村の人々に「や、そんなことより自分の恋の方が大事」とぬかす、仰天場面。
チュシンの王として覚醒し、幕。……だったあの1幕の終わり方はなんだったの? 国より世界より、女のことかよ?! と、観客の目を点にしたあのアホ場面が、変更されていた。
神話が冒頭ではなく、この2幕のコムル村場面に「伝承歌舞」として挿入されており、ファヌンとカジン、セオの物語の中にキハの姿をフラッシュバックして、物思いに耽る。
「チュシンの王」としての務めを否定するのではなく、「今は疲れているから」と断ってコムルの民から離れ、そこではじめてキハを想う歌を歌う。
タムドクがさいてーぢゃない。
おかしなところはそりゃあるが、少なくとも、直せるところは直してある。
ちなみに、ホゲの初登場シーンより、タムドク初登場シーンの方が、ちゃんと目立って格好良くしてある。タムドクがただのアホで、ホゲがやたらかっこよくしてあった花組版とチガウ。
イケコGJ。
GJだし、れおんと新生星組のために、『Ver.II』がブラッシュアップしてあることがうれしいし、よろこばしい。
が。
……オレ、花担だからちょっと寂しい(笑)。まとぶんのタムドクにも、これくらいちゃんとアホにならない脚本を書いてあげてほしかったよ。
花組版が先にあったから、失敗した部分を手直しできたんだろうけどさ。
や、まとぶんのタムドクは、脚本のアレさをカバーするアツさや誠実なまっすぐパワーがあったからいいんだけどさ。ソレとは別に、こーゆー描き方もアリだよなと。
ともあれ、新しい時代のスタートだ。
みなに幸あれ。
他の変更点、感想は翌日欄へ続く。
おめでとう。
初日から会えるんだ。
よかった。
ケガとか病気とか、休まなければ、治療しなければ、どうにもならないものはある。
だけど人間、それだけではなくて。
舞台人は、舞台の上がもっとも輝ける場所。もっとも求められる場所。
舞台に立って、ライトを浴びて、そしてたくさんの拍手をあびてくれ。
かなめくんを必要としている人たちの、かなめくんに会えてうれしいと思う人たちの、心からの拍手をあびてくれ。
カラダの傷を治すことはできないけれど、せめてココロにナニか届けたい。
それがプラスアルファの力になると信じて、めいっぱい拍手するから。よろこびを空気に伝えようとするから。
や、それしかできないけど。
トップお披露目のれおんくんとねねちゃんも、代役大変だっただろうともみんとしーらんも、星組のみんなも、いっぱいいっぱい、拍手をあびてくれ。
てか、拍手を送らせてくれ。
「次は星初日だね」
月新公の日に集まった仲間たちは、そう言って手を振った。ケロファン仲間、今の贔屓はちがっても、星は古巣。新トップお披露目初日だもの、示し合わさなくてもやっぱり集まるよね。
「ちなみに、6月26日がなんの日かわかりますよね?」
「わかるよ、まっつの誕生日」
元ケロファンで、今まっつ。偶然嗜好がかぶってる。や、横で元ケロファンで、今ヲヅキの人はぽかーんと聞いていたけど(笑)。
「誕生会しましょーね」
まっつはお稽古中かな。勝手にお祝いしまっつ。
新生星組のスタートと、かなめくんの快気祝いと、まっつの誕生日と。
祝杯の言葉が長くなるわけだな。
でもそれは、しあわせなことだ。
2009/06/25
宝塚大劇場星組公演『太王四神記Ver.II』休演予定者の復帰について
2009年6月26日(金)に初日を迎えます宝塚大劇場 星組公演『太王四神記 Ver.II』につきまして、怪我の為、当面の間休演させていただく旨のご案内しておりました星組の凰稀かなめでございますが、回復が順調に進み、担当医師からの許可も出たために同公演の初日より復帰させていただく運びとなりましたのでお知らせ致します。
尚、フィナーレの一部場面のみ、当面の間は休演(代役はなし)させていただきます。
皆様にはご心配をおかけしましたこと心からお詫び申し上げますとともに、引き続きご支援賜りますようお願い申し上げます。
初日から会えるんだ。
よかった。
ケガとか病気とか、休まなければ、治療しなければ、どうにもならないものはある。
だけど人間、それだけではなくて。
舞台人は、舞台の上がもっとも輝ける場所。もっとも求められる場所。
舞台に立って、ライトを浴びて、そしてたくさんの拍手をあびてくれ。
かなめくんを必要としている人たちの、かなめくんに会えてうれしいと思う人たちの、心からの拍手をあびてくれ。
カラダの傷を治すことはできないけれど、せめてココロにナニか届けたい。
それがプラスアルファの力になると信じて、めいっぱい拍手するから。よろこびを空気に伝えようとするから。
や、それしかできないけど。
トップお披露目のれおんくんとねねちゃんも、代役大変だっただろうともみんとしーらんも、星組のみんなも、いっぱいいっぱい、拍手をあびてくれ。
てか、拍手を送らせてくれ。
「次は星初日だね」
月新公の日に集まった仲間たちは、そう言って手を振った。ケロファン仲間、今の贔屓はちがっても、星は古巣。新トップお披露目初日だもの、示し合わさなくてもやっぱり集まるよね。
「ちなみに、6月26日がなんの日かわかりますよね?」
「わかるよ、まっつの誕生日」
元ケロファンで、今まっつ。偶然嗜好がかぶってる。や、横で元ケロファンで、今ヲヅキの人はぽかーんと聞いていたけど(笑)。
「誕生会しましょーね」
まっつはお稽古中かな。勝手にお祝いしまっつ。
新生星組のスタートと、かなめくんの快気祝いと、まっつの誕生日と。
祝杯の言葉が長くなるわけだな。
でもそれは、しあわせなことだ。
もふもふ棺桶。@Red Hot Sea II
2009年6月24日 タカラヅカ で。
棺桶は、なくてはならないのか。
全ツ『Red Hot Sea II』のいちばんの感想は、実はコレかもしれない(笑)。
まとぶんが事切れ、あやねちゃんの「いや~~!!(絶叫)」のあと、舞台前端を、棺桶を持った人たちが歩く。
えーと。
棺桶は、必要なのか?
黒服の人たちがうなだれて歩いていれば、どんな人にだってなにがあったのかわかると思うんだが。これで葬列を想像しない人には、チガウ文化の人だろうから、黒い棺桶見せたってわかなんいと思うし。
セリがないために舞台転換の時間稼ぎとして、音楽変えて黒服の人々+棺桶を歩かせているのはわかるが、大劇まんまの方がよかったなあ。
あやねちゃんの悲鳴と暗転、重々しい音楽と舞台奥を踊りながら歩く黒衣の人々……とゆーのが、シュールで好きだった。
あ、もちろん、飛ぶ棺桶は不要(笑)。
妖精さん@みわっちのダンスソロは、嘆きのダンスなので技術云々は無問題。
小さな妖精さんを、大きなゆーひさんが後ろから抱きしめるのがいいなあ。
そして物語は復活・再生・希望へ。
踊る風のみなさんがさわやかにきれい。まっつもポジションが変わっていて、めおくんとふたりしてまとぶさんに絡む部分がある。……て、めおまつってカラダの大きさの違いがすげえ(笑)。
ペドロ@ひめかちゃんはかわいいんだけど……子役ではなく、いつものひめかちゃんなんだよなあ。ののすみって偉大。
あやねちゃんの微笑みが好き。あやねちゃんはいろいろいろいろできないことのある娘役さんだが、包容力にかけては、並ぶモノがないくらい強い娘役だと思う。
よわっちい役やかわいこぶった役より、どーんと構えて、男をその胸であやすくらいの役の方が、魅力が生きると思うんだな。
そして、そんなあやねちゃんを愛しそうに見つめるまとぶんがまた、いい男で。
しあわせになれ。
心から思う。
父を知らずに育つペドロ、女手ひとつで育てるペドロママ。そして、彼らを見守るペドロ父。彼らの生きる世界に満ちた、この光。この海、この空。
この舞台。
このまぶしい人々。
幸福な光に満ちた物語が終わり、オープニングで駆けていったペドロも家に帰る。
しかし、レゲエな王子が無駄に美形だ(笑)。
フィナーレのデニム祭りがなくなってしまったため、釣り人のおっさんふたりが何故あのファッションなのかわからなくなっているという……。
そして妖精さんは回を追うごとにかわいくなる。あちこちに入っていた「あはっ」とか「くふっ」とか、きゅぴる~んな声と相俟ってもお……みわさんすげえよ。
おさかなゆーひさんの通り道がわかっていても、この人あっちゅー間にあっけなく通り過ぎるので、甲斐ナイですよ。「この席、ゆーひくんだよね、ね」な通路際にいても、暗いウチにすーっと通り過ぎちゃって残像も残らない(笑)。
タイミングが合った人だけタッチして、決して無理はせずスピーディ。いやあ、そのサラッサラなとこがいいんです。
フィナーレはずいぶん面変わりしたというか、ふつーになったというか。
てゆーか誰か、『Red Hot Sea II』でもふもふ襟巻き付きスーツの意味を教えて下さい。
見ている人が「暑っ」と思うから、「Red Hot」?
黒塗りに襟巻き。南の国で防寒対策?
なにか深遠な意味があるんでしょーか。わたしゃ単に、草野、趣味悪っ。と思っただけですが。
デニム・アイドル5人組で歌ってエトワール代わりだった大劇とちがい、今度はふつーに多人数エトワール風。曲を歌い継いで歌手が階段を下りる。
ヅカップは好きだったから、なくなっているのは寂しい。でもメンバーいないから仕方ないか。
ふつーの大階段パレードは、全ツにはことさら必要かもしれないし。タカラヅカのスタンダードを見てもらう必要があるもの。
定番な階段降りなっていたためか、エトワール・トリオに続いてまっつはひとり降りになってた。声がクリアに聞こえてうれしい。
それと、まとぶんを大階段下で組子全員で迎え、羽根扇を波のように揺らしていた演出も、なくなっていた。あくまでもふつー。定番になっているから、そんな変則場面はナシ。
もうお披露目ではなく、まとぶんは押しも押されぬ花組トップスターだから、なくていいってことなんだろうか。
一旦終わると見せかけてテープがばさっと落ちてきて、まださらにフィナーレが続く、という演出は、一応、残っていた。
大劇ではゴールデン・テープが滝のように音を立てて落ちて来て、団体さんの多い日とかは歓声があがってたりして、初見さんにわかりやすいキャッチーさがあった。
これって全ツ向きの仕掛けじゃね? 団体さんがよろこぶってことは、地方の劇場の、はじめてヅカを見る人たちにもウケるんじゃね?
……たしかに『Red Hot Sea II』でも同じタイミングでテープが落ちてくるんだけど、舞台の前ではなく、最奥で落ちるだけなのでインパクトなし。
なんかすげーチープなものになっていて、客席も無反応だった……。
地方巡業でやるのは難しいのかもしんないけど、なんか残念な出来。
衣装は謎だが、「いかにもタカラヅカ」な羽根背負ったクラシカルなフィナーレだから、全ツ的にはコレでいいってことか。
……他にも「いかにもタカラヅカ」って衣装は五万とあるはずなので、やっぱり草野せんせに聞いてみたい。
何故、もふもふなのか。
何故、棺桶なのか。
まあそんなこんな(笑)。
棺桶は、なくてはならないのか。
全ツ『Red Hot Sea II』のいちばんの感想は、実はコレかもしれない(笑)。
まとぶんが事切れ、あやねちゃんの「いや~~!!(絶叫)」のあと、舞台前端を、棺桶を持った人たちが歩く。
えーと。
棺桶は、必要なのか?
黒服の人たちがうなだれて歩いていれば、どんな人にだってなにがあったのかわかると思うんだが。これで葬列を想像しない人には、チガウ文化の人だろうから、黒い棺桶見せたってわかなんいと思うし。
セリがないために舞台転換の時間稼ぎとして、音楽変えて黒服の人々+棺桶を歩かせているのはわかるが、大劇まんまの方がよかったなあ。
あやねちゃんの悲鳴と暗転、重々しい音楽と舞台奥を踊りながら歩く黒衣の人々……とゆーのが、シュールで好きだった。
あ、もちろん、飛ぶ棺桶は不要(笑)。
妖精さん@みわっちのダンスソロは、嘆きのダンスなので技術云々は無問題。
小さな妖精さんを、大きなゆーひさんが後ろから抱きしめるのがいいなあ。
そして物語は復活・再生・希望へ。
踊る風のみなさんがさわやかにきれい。まっつもポジションが変わっていて、めおくんとふたりしてまとぶさんに絡む部分がある。……て、めおまつってカラダの大きさの違いがすげえ(笑)。
ペドロ@ひめかちゃんはかわいいんだけど……子役ではなく、いつものひめかちゃんなんだよなあ。ののすみって偉大。
あやねちゃんの微笑みが好き。あやねちゃんはいろいろいろいろできないことのある娘役さんだが、包容力にかけては、並ぶモノがないくらい強い娘役だと思う。
よわっちい役やかわいこぶった役より、どーんと構えて、男をその胸であやすくらいの役の方が、魅力が生きると思うんだな。
そして、そんなあやねちゃんを愛しそうに見つめるまとぶんがまた、いい男で。
しあわせになれ。
心から思う。
父を知らずに育つペドロ、女手ひとつで育てるペドロママ。そして、彼らを見守るペドロ父。彼らの生きる世界に満ちた、この光。この海、この空。
この舞台。
このまぶしい人々。
幸福な光に満ちた物語が終わり、オープニングで駆けていったペドロも家に帰る。
しかし、レゲエな王子が無駄に美形だ(笑)。
フィナーレのデニム祭りがなくなってしまったため、釣り人のおっさんふたりが何故あのファッションなのかわからなくなっているという……。
そして妖精さんは回を追うごとにかわいくなる。あちこちに入っていた「あはっ」とか「くふっ」とか、きゅぴる~んな声と相俟ってもお……みわさんすげえよ。
おさかなゆーひさんの通り道がわかっていても、この人あっちゅー間にあっけなく通り過ぎるので、甲斐ナイですよ。「この席、ゆーひくんだよね、ね」な通路際にいても、暗いウチにすーっと通り過ぎちゃって残像も残らない(笑)。
タイミングが合った人だけタッチして、決して無理はせずスピーディ。いやあ、そのサラッサラなとこがいいんです。
フィナーレはずいぶん面変わりしたというか、ふつーになったというか。
てゆーか誰か、『Red Hot Sea II』でもふもふ襟巻き付きスーツの意味を教えて下さい。
見ている人が「暑っ」と思うから、「Red Hot」?
黒塗りに襟巻き。南の国で防寒対策?
なにか深遠な意味があるんでしょーか。わたしゃ単に、草野、趣味悪っ。と思っただけですが。
デニム・アイドル5人組で歌ってエトワール代わりだった大劇とちがい、今度はふつーに多人数エトワール風。曲を歌い継いで歌手が階段を下りる。
ヅカップは好きだったから、なくなっているのは寂しい。でもメンバーいないから仕方ないか。
ふつーの大階段パレードは、全ツにはことさら必要かもしれないし。タカラヅカのスタンダードを見てもらう必要があるもの。
定番な階段降りなっていたためか、エトワール・トリオに続いてまっつはひとり降りになってた。声がクリアに聞こえてうれしい。
それと、まとぶんを大階段下で組子全員で迎え、羽根扇を波のように揺らしていた演出も、なくなっていた。あくまでもふつー。定番になっているから、そんな変則場面はナシ。
もうお披露目ではなく、まとぶんは押しも押されぬ花組トップスターだから、なくていいってことなんだろうか。
一旦終わると見せかけてテープがばさっと落ちてきて、まださらにフィナーレが続く、という演出は、一応、残っていた。
大劇ではゴールデン・テープが滝のように音を立てて落ちて来て、団体さんの多い日とかは歓声があがってたりして、初見さんにわかりやすいキャッチーさがあった。
これって全ツ向きの仕掛けじゃね? 団体さんがよろこぶってことは、地方の劇場の、はじめてヅカを見る人たちにもウケるんじゃね?
……たしかに『Red Hot Sea II』でも同じタイミングでテープが落ちてくるんだけど、舞台の前ではなく、最奥で落ちるだけなのでインパクトなし。
なんかすげーチープなものになっていて、客席も無反応だった……。
地方巡業でやるのは難しいのかもしんないけど、なんか残念な出来。
衣装は謎だが、「いかにもタカラヅカ」な羽根背負ったクラシカルなフィナーレだから、全ツ的にはコレでいいってことか。
……他にも「いかにもタカラヅカ」って衣装は五万とあるはずなので、やっぱり草野せんせに聞いてみたい。
何故、もふもふなのか。
何故、棺桶なのか。
まあそんなこんな(笑)。
ポスター欲しい。@宝塚巴里祭2009
2009年6月23日 タカラヅカ 『宝塚巴里祭2009』チケット届きました!!
チラシ1枚入ってねぇよ、ホテル阪急インターナショナル!!
なんつー素っ気なさだ……。
チケットと、HPの地図を載せただけのモノクロコピーの案内文が1枚入っているだけ。
チケットも一色刷の超地味っつーか、経費かかってないの丸わかりなもの。パレスの方はフルカラー印刷写真入りだっつーに、本家阪急ホテルの宝塚イベントに対する扱いって、ぞんざいだよなと、今回に限らず思う。
つーことで久しぶりにHHIのHPへ行くと、いつの間にやらこんなお知らせがあった。
あー、来た来た、ポスターの抱き合わせ販売!!
DSのポスターと言えば、抱き合わせ販売だよな。
このルールを知らなくて、手に入れられなかったポスターが何枚もあったよ……昔はネットとかなかったもん。どーやってポスター手に入れればいいのか、マジでわかんなかった。
抱き合わせがある、とわかったあとでも、食事と抱き合わせだと敷居が高い。
その昔、仕事の打ち合わせがHHIであり、寿美礼サマのDSポスター付きメニューを注文したくて、さすがに言い出せず、お茶だけ飲んでたっけ……うおお、あんときやっぱ注文すればよかった、仕事の担当氏にニガワラされるだけで済んだのに、どーせ向こうの経費だったのに!!
と、今でもくやしい思い出がある(笑)。
ポスターのためにホテルでひとりメシする勇気はなくて、結局手に入らなかった……あんときはお菓子との抱き合わせはなかったんだっけ? 気づいてなかっただけ?
てゆーか、こーゆーイベントやってるなら、チケット送付時に宣伝チラシ1枚くらい入れるべきなんじゃね?
ほんとに力入ってないよなー。
ヅカは放っておいても売れるとかゆー認識なんだろうか?(まっつでも??)←ヲイ。
さて、友人諸姉。
誰か梅田でランチ・デートしません?
HHIで(笑)。←結局、ひとりメシは嫌らしい。
それが無理なら、お菓子買うかなー。わたしが食べられるお菓子ならいいんだけど。(チョコレートは見るのは好きだが、食べたいとも美味しいとも特に思ったことがない……ナッツ系も苦手、と、好き嫌いありまくるからなー)
チラシ1枚入ってねぇよ、ホテル阪急インターナショナル!!
なんつー素っ気なさだ……。
チケットと、HPの地図を載せただけのモノクロコピーの案内文が1枚入っているだけ。
チケットも一色刷の超地味っつーか、経費かかってないの丸わかりなもの。パレスの方はフルカラー印刷写真入りだっつーに、本家阪急ホテルの宝塚イベントに対する扱いって、ぞんざいだよなと、今回に限らず思う。
つーことで久しぶりにHHIのHPへ行くと、いつの間にやらこんなお知らせがあった。
宝塚巴里祭2009ディナーショー開催記念ポスタープレゼントイベント内容
宝塚巴里祭のディナーショー開催を
記念してポスタープレゼントを実施いたします!
期間中各レストランで対象メニューを
ご注文のお客様にディナーショーポスターをプレゼントいたします。
【開催期間】
2009年6月15日(月)~7月14日(火)迄
【開催店舗】
カフェレストラン「ナイト&デイ」 11:00~15:00
・ランチブッフェ 平日¥2,200 土日祝¥2,800
ティーラウンジ「パルテール」
月~金9:00~20:30土日祝9:00~19:00
・アフターヌーンティセット ¥2,656
テイクアウトコーナー 9:00~21:00
・キュートセレクション ¥2,100
表示の価格は税金サービス料を含んだ料金です。
ご精算の際ポスター希望を係りにお申し付けください。
□■□■ ディナーショー宿泊プラン ■□■□
ディナーショーご参加のお客様に限り、
特別料金にてご案内しております。
スーペリアツインルーム
1室1名様利用:21,000円
1室2名様利用:14,250円
表示の価格は1泊1名様、朝食付き・税金・
サービス料を含んだ料金です。
(ショーチケット代金は含まれておりません)
お部屋の空き状況等のお問い合わせは
06-6377-2100 まで
□■□■□■□■□■□■□
ディナーショー宿泊プランをご利用のお客様にもプレゼントいたします。
あー、来た来た、ポスターの抱き合わせ販売!!
DSのポスターと言えば、抱き合わせ販売だよな。
このルールを知らなくて、手に入れられなかったポスターが何枚もあったよ……昔はネットとかなかったもん。どーやってポスター手に入れればいいのか、マジでわかんなかった。
抱き合わせがある、とわかったあとでも、食事と抱き合わせだと敷居が高い。
その昔、仕事の打ち合わせがHHIであり、寿美礼サマのDSポスター付きメニューを注文したくて、さすがに言い出せず、お茶だけ飲んでたっけ……うおお、あんときやっぱ注文すればよかった、仕事の担当氏にニガワラされるだけで済んだのに、どーせ向こうの経費だったのに!!
と、今でもくやしい思い出がある(笑)。
ポスターのためにホテルでひとりメシする勇気はなくて、結局手に入らなかった……あんときはお菓子との抱き合わせはなかったんだっけ? 気づいてなかっただけ?
てゆーか、こーゆーイベントやってるなら、チケット送付時に宣伝チラシ1枚くらい入れるべきなんじゃね?
ほんとに力入ってないよなー。
ヅカは放っておいても売れるとかゆー認識なんだろうか?(まっつでも??)←ヲイ。
さて、友人諸姉。
誰か梅田でランチ・デートしません?
HHIで(笑)。←結局、ひとりメシは嫌らしい。
それが無理なら、お菓子買うかなー。わたしが食べられるお菓子ならいいんだけど。(チョコレートは見るのは好きだが、食べたいとも美味しいとも特に思ったことがない……ナッツ系も苦手、と、好き嫌いありまくるからなー)
少年とチンピラと。@Red Hot Sea II
2009年6月22日 タカラヅカ おーぞらゆーひさん。78期、研18。
みすずあきさん。84期、研12。
その差、6期。6年。
小学校に入学した子が、卒業するほどの期間。まっつが新入学おめでとうランドセル背負って給食袋ぶらさげているときに、ゆーひさんはセーラー服着てたりするわけだ。
実年齢は6つも離れていないことは知っているけど、タカラヅカは学年重視、ジェンヌはフェアリー、年齢などなく学年があるのみ。
ゆーひさんとまっつは、6年違い。
6年って、けっこー大きな差だと思うんだけど……。
「少年」役が苦手なのは、どちらの人ですか?
全ツ『Red Hot Sea II』の名場面「引き潮」において。
ゆーひさん研18、まっつ研12、だいもん研7……このメンバーでそれぞれが若々しい初恋を演じているわけだが。
……研7のだいもんに、初々しさ、少年らしさで勝てないのは仕方ない。しかしっ。
研18のゆーひさんに、初々しさ、少年らしさで勝てないのはどーゆーことっ?! ぶっちゃけ負けてますがなっ!
いやその。
まっつさんも、すごーくがんばってます。まっつさん的に相当がんばって若ぶってます。実際、かわいいです。でも。
……波打ち際でうふふあははこいつぅ♪と戯れる少年少女、つーのには、そぐわない人だと思います……いろいろと。
ゆーひくんといちかちゃんカップルの叙情性がすごいです。台詞はひとつもないけれど、彼らの物語が見えます。
いちかの、青空の下が相応しい白さだけれど、決して透明でも幻でもない存在感が、ゆーひさんの現実離れした美しさをこちら側へ引きつけ、このふたりが現実の存在だと教えてくれます。
だいもんののびやかな少年らしさと、姫花ちゃんのアンドロイドっぽい美しさは、ジュブナイルのかほり。
まっつの全開の笑顔と少年ぶりっこと、ゆゆちゃんの意外な大人っぽさ。
ほんとにゆゆちゃんは大人の女性が無邪気に笑っている感じで。そしてまっつががんばって年齢下げているので、ちょっとよくわかんないカップルになっているよーな気が、しました。
まっつ、もう少し無理のない年齢にしてもよかったかも……。ゆーひさんカップルより年少にしなければならないという縛りがあったのかもしれないが、向こうの相手役がいちかである以上そのへんはもう勝てないとあきらめて、「少年ではないけれど、大人でもない」あたりを狙った方が良かったのでは……?
それでも、これほど設定年齢の若いまっつを見ることはそうそうないだろうからと、ガン見してました(笑)。
そっかぁ、考えてみるとゆーひ、まっつ、だいもんって、それぞれ4つ違いなのか……バランスはいいはずなのに、なあ。(ジェンヌはフェアリーです、年齢はありません)
しあわせそうな妊婦@あやねちゃんと、彼女になつく妖精さん@みわっち。
銀橋がないせいか、みわっちが妖精さんオンリーでないせいか、妖精さんの比重が下がって見えた。
大劇で見ていたときは、もっと妖精さんの気持ちがダイレクトに伝わってきたんだけど。彩音ちゃんのこと好きなんだな、でも妖精さんの姿は彼女には見えないし、プレゼントした貝も置き去りにされるしで、彼女への愛情分悲しみや不満がわきあがったんだな、と。
自分を振った相手のことを恨めしく思い、「なんだよ、あんな子、不幸になればいいのに」と、心のどこかで思った……その通りに、相手に不幸が訪れ、彼女の夫が殺された。
本気じゃないし、ちらりと思っただけで、本当に不幸になれと願ったわけでもないし、実際に手を下したわけでもない。
妖精さんが悪いわけではまったくない。だけど。
心に闇を持ったのは、ほんとうで。
その闇ゆえに、彼女が不幸になったのだとしたら……。
葬列を見送る妖精さんの嘆きが痛々しく、だからこそ、そんな彼を抱きしめに現れる風のゆーひくんが救いになった。
それが、今回はさらっと流れた印象。妖精さんの物語ではなく、あくまでも彩音ちゃんや、その夫まとぶんの物語に見えた。……妖精さん、いなくても問題なし、ぐらいに。
彩音ちゃんに絡む男@まっつの野獣っぽさは、なんなんだろ。
貴族とか医者とかが似合うまっつだけど、彼がチンピラを演じるとすごく下卑な男になる。
大劇でまとぶんの首を絞めて哄笑する男を演じていたときも、その笑いがすごく下卑で厭ったらしくておどろいた。
今回の役も下品、という以上に卑しく、凶暴な感じ。
壮くんが持っていた可愛げのようなものが無い。
なんかすごく露骨に……生々しく「厭」なものを感じる。
うわ、この男、厭だ。
踊っているときはその厭さが薄まり、ふつーにかっこいいんだけど。
ダンスから芝居へ移行するなり、また「厭」度がぐーんと上がる(笑)。
わたしは暴力的なものが大の苦手で、テレビドラマとかでも暴力団絡みとか、不幸や破壊の臭いのするものがすごく苦手。一般人が友だち同士で殴り合いのケンカ、とかならいいんだけど、下卑な男たちが暴力で弱者をいたぶる系はほんとダメなの。取り立て屋とか、立ち退き系のいやがらせをする人とか、ドラマでよく出てくるあーゆーの。
この縄使いまっつに感じる「厭」さは、そーゆー厭さ。うわ、こっち系になるのか、まっつって。
まっつ、ステキ。
……どっちやねん。
て、自分でツッコミますが。
こんだけ「厭」なモノを見せつけられると、吊り橋効果抜群ですわ。その「厭」さから、目が離せない(笑)。
そっかぁ、まっつってこっち系になるんだ、それならいっそ、こーゆー役を芝居でやってほしいなあ。
とことん悪で、そして、安っぽいの。「ほんとはいい人」でもなくて、「裏社会でそれなりの地位」もなくて、ほんとにただのチンピラ。悪意と暴力だけの人。
古い話で恐縮だが、浅倉@『仮面ライダー龍騎』とかを見てみたいなぁと思う。
(放送当時、仮面ライダー王蛇@浅倉が変身する悪役ライダー役のシャンゼリオンな彼が、成瀬こうきに似ていると思っていたので、そっからの連想だと思われます。今、いきなり思ったんだわ。てゆーか、『仮面ライダー龍騎』のヅカ妄想キャスティングしたらたのしそーだ・笑)
で、話戻って、まとぶんを殺してしまったあとのまっつ。
それまでの下卑た凶悪男から一転して、よわよわヘタレになってあわくって逃げ出していく……のが、違和感。
この男なら、殺人くらいでびびらんでしょう。舌打ち程度で身を翻していいんじゃないの?
思わぬ殺人でいきなりヘタレになるのは、演出家のセンスの問題かと思う。
壮くんのチンピラならば、殺人のあとあわくって逃げ出してOKだけど、まっつのチンピラはそうじゃないでしょう。壮くんにはスカートめくりをさせて、まっつにはもっと直接的な暴力をふるわせておきながら、何故最後だけ同じ演出にするかな。
それとも、演出家意図よりもはるかにまっつが悪になっちゃってるから、ラストが合わなくなっているのか。まさかまっつがこんだけ厭な男になるって、ファンでも思ってなかったし?
しかし、ラストが変だから、もっと全般に悪を押さえるか、ラストの演技を変えるかするべきだと思ったさ……。
それとも二重人格で、彩音ちゃんに絡んでいるのはハイド氏で、最後でジキル博士に戻ったの?
まっつを語ると長くなるなあ。半端に続く。
みすずあきさん。84期、研12。
その差、6期。6年。
小学校に入学した子が、卒業するほどの期間。まっつが新入学おめでとうランドセル背負って給食袋ぶらさげているときに、ゆーひさんはセーラー服着てたりするわけだ。
実年齢は6つも離れていないことは知っているけど、タカラヅカは学年重視、ジェンヌはフェアリー、年齢などなく学年があるのみ。
ゆーひさんとまっつは、6年違い。
6年って、けっこー大きな差だと思うんだけど……。
「少年」役が苦手なのは、どちらの人ですか?
全ツ『Red Hot Sea II』の名場面「引き潮」において。
ゆーひさん研18、まっつ研12、だいもん研7……このメンバーでそれぞれが若々しい初恋を演じているわけだが。
……研7のだいもんに、初々しさ、少年らしさで勝てないのは仕方ない。しかしっ。
研18のゆーひさんに、初々しさ、少年らしさで勝てないのはどーゆーことっ?! ぶっちゃけ負けてますがなっ!
いやその。
まっつさんも、すごーくがんばってます。まっつさん的に相当がんばって若ぶってます。実際、かわいいです。でも。
……波打ち際でうふふあははこいつぅ♪と戯れる少年少女、つーのには、そぐわない人だと思います……いろいろと。
ゆーひくんといちかちゃんカップルの叙情性がすごいです。台詞はひとつもないけれど、彼らの物語が見えます。
いちかの、青空の下が相応しい白さだけれど、決して透明でも幻でもない存在感が、ゆーひさんの現実離れした美しさをこちら側へ引きつけ、このふたりが現実の存在だと教えてくれます。
だいもんののびやかな少年らしさと、姫花ちゃんのアンドロイドっぽい美しさは、ジュブナイルのかほり。
まっつの全開の笑顔と少年ぶりっこと、ゆゆちゃんの意外な大人っぽさ。
ほんとにゆゆちゃんは大人の女性が無邪気に笑っている感じで。そしてまっつががんばって年齢下げているので、ちょっとよくわかんないカップルになっているよーな気が、しました。
まっつ、もう少し無理のない年齢にしてもよかったかも……。ゆーひさんカップルより年少にしなければならないという縛りがあったのかもしれないが、向こうの相手役がいちかである以上そのへんはもう勝てないとあきらめて、「少年ではないけれど、大人でもない」あたりを狙った方が良かったのでは……?
それでも、これほど設定年齢の若いまっつを見ることはそうそうないだろうからと、ガン見してました(笑)。
そっかぁ、考えてみるとゆーひ、まっつ、だいもんって、それぞれ4つ違いなのか……バランスはいいはずなのに、なあ。(ジェンヌはフェアリーです、年齢はありません)
しあわせそうな妊婦@あやねちゃんと、彼女になつく妖精さん@みわっち。
銀橋がないせいか、みわっちが妖精さんオンリーでないせいか、妖精さんの比重が下がって見えた。
大劇で見ていたときは、もっと妖精さんの気持ちがダイレクトに伝わってきたんだけど。彩音ちゃんのこと好きなんだな、でも妖精さんの姿は彼女には見えないし、プレゼントした貝も置き去りにされるしで、彼女への愛情分悲しみや不満がわきあがったんだな、と。
自分を振った相手のことを恨めしく思い、「なんだよ、あんな子、不幸になればいいのに」と、心のどこかで思った……その通りに、相手に不幸が訪れ、彼女の夫が殺された。
本気じゃないし、ちらりと思っただけで、本当に不幸になれと願ったわけでもないし、実際に手を下したわけでもない。
妖精さんが悪いわけではまったくない。だけど。
心に闇を持ったのは、ほんとうで。
その闇ゆえに、彼女が不幸になったのだとしたら……。
葬列を見送る妖精さんの嘆きが痛々しく、だからこそ、そんな彼を抱きしめに現れる風のゆーひくんが救いになった。
それが、今回はさらっと流れた印象。妖精さんの物語ではなく、あくまでも彩音ちゃんや、その夫まとぶんの物語に見えた。……妖精さん、いなくても問題なし、ぐらいに。
彩音ちゃんに絡む男@まっつの野獣っぽさは、なんなんだろ。
貴族とか医者とかが似合うまっつだけど、彼がチンピラを演じるとすごく下卑な男になる。
大劇でまとぶんの首を絞めて哄笑する男を演じていたときも、その笑いがすごく下卑で厭ったらしくておどろいた。
今回の役も下品、という以上に卑しく、凶暴な感じ。
壮くんが持っていた可愛げのようなものが無い。
なんかすごく露骨に……生々しく「厭」なものを感じる。
うわ、この男、厭だ。
踊っているときはその厭さが薄まり、ふつーにかっこいいんだけど。
ダンスから芝居へ移行するなり、また「厭」度がぐーんと上がる(笑)。
わたしは暴力的なものが大の苦手で、テレビドラマとかでも暴力団絡みとか、不幸や破壊の臭いのするものがすごく苦手。一般人が友だち同士で殴り合いのケンカ、とかならいいんだけど、下卑な男たちが暴力で弱者をいたぶる系はほんとダメなの。取り立て屋とか、立ち退き系のいやがらせをする人とか、ドラマでよく出てくるあーゆーの。
この縄使いまっつに感じる「厭」さは、そーゆー厭さ。うわ、こっち系になるのか、まっつって。
まっつ、ステキ。
……どっちやねん。
て、自分でツッコミますが。
こんだけ「厭」なモノを見せつけられると、吊り橋効果抜群ですわ。その「厭」さから、目が離せない(笑)。
そっかぁ、まっつってこっち系になるんだ、それならいっそ、こーゆー役を芝居でやってほしいなあ。
とことん悪で、そして、安っぽいの。「ほんとはいい人」でもなくて、「裏社会でそれなりの地位」もなくて、ほんとにただのチンピラ。悪意と暴力だけの人。
古い話で恐縮だが、浅倉@『仮面ライダー龍騎』とかを見てみたいなぁと思う。
(放送当時、仮面ライダー王蛇@浅倉が変身する悪役ライダー役のシャンゼリオンな彼が、成瀬こうきに似ていると思っていたので、そっからの連想だと思われます。今、いきなり思ったんだわ。てゆーか、『仮面ライダー龍騎』のヅカ妄想キャスティングしたらたのしそーだ・笑)
で、話戻って、まとぶんを殺してしまったあとのまっつ。
それまでの下卑た凶悪男から一転して、よわよわヘタレになってあわくって逃げ出していく……のが、違和感。
この男なら、殺人くらいでびびらんでしょう。舌打ち程度で身を翻していいんじゃないの?
思わぬ殺人でいきなりヘタレになるのは、演出家のセンスの問題かと思う。
壮くんのチンピラならば、殺人のあとあわくって逃げ出してOKだけど、まっつのチンピラはそうじゃないでしょう。壮くんにはスカートめくりをさせて、まっつにはもっと直接的な暴力をふるわせておきながら、何故最後だけ同じ演出にするかな。
それとも、演出家意図よりもはるかにまっつが悪になっちゃってるから、ラストが合わなくなっているのか。まさかまっつがこんだけ厭な男になるって、ファンでも思ってなかったし?
しかし、ラストが変だから、もっと全般に悪を押さえるか、ラストの演技を変えるかするべきだと思ったさ……。
それとも二重人格で、彩音ちゃんに絡んでいるのはハイド氏で、最後でジキル博士に戻ったの?
まっつを語ると長くなるなあ。半端に続く。
結局25回。(18+2+5)@Red Hot Sea II
2009年6月21日 タカラヅカ 文句言いつつ、結局好きなんだよなあ。
とゆーことで、『Red Hot Sea II』について、つらつらと。
妖精さん@みわっちは変わらず。……が、みわっちは壮くんのパートにまざっているので、大忙し。
そうまでしてみわさんに妖精さんをさせたかったんだな、JFK。
人の使い方っつーか流れが鈍くさいオープニングの歌い継ぎはそのまま。おさかなまっつは出てきてワンフレーズ歌って、出てきた場所へ引っ込む。……変。
25回観てはじめて、まとぶんの歌う主題歌の歌詞のある部分が「悲しみではない」なのかもしれないと思った。(いろいろと聴き取れていないらしい)
海へ行こうぜトリオの身長バランスが変わっている。長身のゆーひくんとまぁくん、そしてひとりちびっこのまっつ。そして、このいちばんのちびっこが、いちばんおっさん臭い。
3人の白スーツ姿がきれいだ。
……て、曲がチガウ。
『哀しみのコルドバ』の冒頭で流れた曲は、同公演のショーでは使えない。ただそれだけの理由で、カモメさんたちの音楽が変わっている。
同じ場面、同じ?振付で、曲だけチガウのって、すげー違和感。
わたしは劇団発売のDVDはほとんど購入しないし、カットや曲の差し替えがあったらまず絶対買わない(記憶の方が大事。別の曲で上書きされたくない)のでよくわからないが、こんな感じなんだろうか。観ているモノと、聴いているモノがチガウって……。
ゆーひくんを中心としたこのカモメから波の場面は大好きだから、もう一度観られるのはいいんだけれど、「曲だけ差し替え」するくらいなら、全ツオリジナル場面を1から作ってもいいだろうと思う。
てゆーか、ふつーはそうしないか?
やっぱ草野せんせが手抜きをしているよーに思える……。
白スーツまっつは、コントをしていたとは思えないくらい端正に踊るので(登場時の歌はコントだよな・笑)、長めの黒髪と白スーツのコントラストを楽しむ。
ゆーひくんの歌声を好きだと思う。曲調と、あのこもってしわがれた感じの声が合う。
カモメ@いちか。つばさをもった、おんなのこ。
その白い翼の少女が、白スーツゆーひの腕の中にあるのが好き。つかず、はなれず、舞い上がり、舞い降りて。
波の男、壮くんパートはめおくんなんだー。つか、だいもんが目に飛び込んでくる……。
幽霊船はセリ上がりナシ。大劇よりなお暗い舞台で、シルエットでまっつを見つける。腕組みした、あのえらそーな姿(笑)。
歌はまっつとちあきさんだけになっていた……が、コーラスは録音? ふたりのデュオとソロはいいんだが、それ以外の声が聞こえるところは、音のバランスが気になった。
しかし、いい声だ。
まとぶんとまっつが、顔だけでなんかやりとりしている……。
ちあきさんと男女パート逆転するキメポーズは、まっつが全開で顔芸していて、らしくなくて、笑える。
なにをしても、しれっとしているまっつ(笑)。
まとぶんのアドリブはいつも微妙だと思う。本公演でも思ってたけど。
全ツでは「幽霊さん**からついてきたの?」……**に前回の公演地名が入る。……あのー、地方の一般のお客さんは、このカンパニーが前回どこで興行しているかなんて知らないし、興味もないと思うんだが。で、知らないとぜんぜんなに言ってるのかわからないし、笑えもしないと思うんだが……。
コーヒールンバは、3人だった水玉ブラウスの男たちが、ふたりになっていた。壮くんが抜けただけ。
中詰め、海馬の宮殿の祭り、まっつの衣装の色が変わっていた。
白の手ビレ尾ビレスーツなのは同じだけど、中のフリルシャツが濃いピンク。デコバンドの羽も濃いピンク。
幽霊船のシャツと同じ色ですよ。
黄色より絶対こっちの方がイイ。引き締め色の方が、まっつに合ってる。
途中ちらりとある、花組が誇る美女たちのダルマが圧巻。いちか、れみ、きらり、もうひとりは姫花だっけ? 4人並ぶともお、眼福。
まっつパートは変わらずまっつ、みつるパートはだいもん。てゆーかだいもん、残像が見えるくらい、あちこちにいる気がする?
でもって壮くんパートにめおくんが入っているので、部分的にみわまつよりめおくんが上になっていたり(笑)。
真珠のソロはみわっち。……えーと、壮くんと同じ衣装? ……別でもよかったのになあ。
くどくどに目線トバしまくって、ウインクキメてキザるみわさんがツボ。いい場面だこれ(笑)。
全ツ名物の、人数少ないけど上級生も混ざった豪華な面子のロケット。
今回はまさかのまぁくんがいます。すげえ脚。細っ、長っ。
しかしせっかくのまぁくんのおみ足よりも、隣でアピりまくっているみちるタンに目が行く件。
でもってだいもん、ここにもいるのか。ロケットがオカマちゃんだと、「立派になったね」と思うモノだ。うん、だいもんくんも立派だ。
全ツのお約束、トップスターの客席降り。
「花組の真飛聖でございます」と自己紹介付きなのはイイ。わかりやすくてイイ。
今回チケ取りがんばらなかったのであきらめていたが、My楽の昼公演でまさかの「まとぶんお触り席」GET(笑)、握手してもらえてうれしい。
とにかくたくさんの人にサービスしまくるまとぶさんがステキ。
名場面である「引き潮」は、ゆーひ×いちか、まっつ×ゆゆ、だいもん×姫花の3つのカップル。
ここでもゆーひ×いちか、この黄金バランス・カップル。てゆーか、ここにもだいもんいるのか。ついさっきロケットで脚出してなかったか?
「引き潮」は、難しい場面だと思う。
演じている人たちのこととは別に、「記録に残す」ことが。
なにもない広い舞台を、3組のカップルが縦横無尽に走り回る。
ひと組のカップルに焦点を合わせて記録することはできるだろうけど、なにしろ走り回っているのでひとつのフレームに収まりにくい。動きを追うだけでかなりカメラを振り回すことになるし、そんな撮り方をしてこの場面の魅力が伝わるとも思えない。
3組のカップルが織りなす物語が、波のように一瞬形を作っては消えていく繰り返しなので、全体を追いつつ個々にも注目する必要がある。
全体を映すには画面ががらんとしていて絵としてはつまらないし、個を映すとなんのことやらわからなくなる。
人間の目は不思議だ。同時にいろんなモノを視、複数の情報を同時に処理している。
劇場で、ナマで観ることでしか伝わらない場面だと思う。
オペラでまっつだけを追ったこともあるけれど、そうすると、好きな人を見ていられてたのしいのだけど、「引き潮」という場面を楽しむことが出来なくなる。個を見るだけではダメなんだ、と他のどんな作品より痛感した場面だ。
それはこの場面の主役であるゆーひくんでも同じこと。主役だから比重は高いが、彼ひとり見ていてもダメなんだ。
主役ひとりだけ見ていて成り立たない場面ってのは、「映像」でその魅力を伝えにくいと思う。
と、どーせDVD購入する気もないくせに、気を回して気を揉んでみる(笑)。
半端に続く。
とゆーことで、『Red Hot Sea II』について、つらつらと。
妖精さん@みわっちは変わらず。……が、みわっちは壮くんのパートにまざっているので、大忙し。
そうまでしてみわさんに妖精さんをさせたかったんだな、JFK。
人の使い方っつーか流れが鈍くさいオープニングの歌い継ぎはそのまま。おさかなまっつは出てきてワンフレーズ歌って、出てきた場所へ引っ込む。……変。
25回観てはじめて、まとぶんの歌う主題歌の歌詞のある部分が「悲しみではない」なのかもしれないと思った。(いろいろと聴き取れていないらしい)
海へ行こうぜトリオの身長バランスが変わっている。長身のゆーひくんとまぁくん、そしてひとりちびっこのまっつ。そして、このいちばんのちびっこが、いちばんおっさん臭い。
3人の白スーツ姿がきれいだ。
……て、曲がチガウ。
『哀しみのコルドバ』の冒頭で流れた曲は、同公演のショーでは使えない。ただそれだけの理由で、カモメさんたちの音楽が変わっている。
同じ場面、同じ?振付で、曲だけチガウのって、すげー違和感。
わたしは劇団発売のDVDはほとんど購入しないし、カットや曲の差し替えがあったらまず絶対買わない(記憶の方が大事。別の曲で上書きされたくない)のでよくわからないが、こんな感じなんだろうか。観ているモノと、聴いているモノがチガウって……。
ゆーひくんを中心としたこのカモメから波の場面は大好きだから、もう一度観られるのはいいんだけれど、「曲だけ差し替え」するくらいなら、全ツオリジナル場面を1から作ってもいいだろうと思う。
てゆーか、ふつーはそうしないか?
やっぱ草野せんせが手抜きをしているよーに思える……。
白スーツまっつは、コントをしていたとは思えないくらい端正に踊るので(登場時の歌はコントだよな・笑)、長めの黒髪と白スーツのコントラストを楽しむ。
ゆーひくんの歌声を好きだと思う。曲調と、あのこもってしわがれた感じの声が合う。
カモメ@いちか。つばさをもった、おんなのこ。
その白い翼の少女が、白スーツゆーひの腕の中にあるのが好き。つかず、はなれず、舞い上がり、舞い降りて。
波の男、壮くんパートはめおくんなんだー。つか、だいもんが目に飛び込んでくる……。
幽霊船はセリ上がりナシ。大劇よりなお暗い舞台で、シルエットでまっつを見つける。腕組みした、あのえらそーな姿(笑)。
歌はまっつとちあきさんだけになっていた……が、コーラスは録音? ふたりのデュオとソロはいいんだが、それ以外の声が聞こえるところは、音のバランスが気になった。
しかし、いい声だ。
まとぶんとまっつが、顔だけでなんかやりとりしている……。
ちあきさんと男女パート逆転するキメポーズは、まっつが全開で顔芸していて、らしくなくて、笑える。
なにをしても、しれっとしているまっつ(笑)。
まとぶんのアドリブはいつも微妙だと思う。本公演でも思ってたけど。
全ツでは「幽霊さん**からついてきたの?」……**に前回の公演地名が入る。……あのー、地方の一般のお客さんは、このカンパニーが前回どこで興行しているかなんて知らないし、興味もないと思うんだが。で、知らないとぜんぜんなに言ってるのかわからないし、笑えもしないと思うんだが……。
コーヒールンバは、3人だった水玉ブラウスの男たちが、ふたりになっていた。壮くんが抜けただけ。
中詰め、海馬の宮殿の祭り、まっつの衣装の色が変わっていた。
白の手ビレ尾ビレスーツなのは同じだけど、中のフリルシャツが濃いピンク。デコバンドの羽も濃いピンク。
幽霊船のシャツと同じ色ですよ。
黄色より絶対こっちの方がイイ。引き締め色の方が、まっつに合ってる。
途中ちらりとある、花組が誇る美女たちのダルマが圧巻。いちか、れみ、きらり、もうひとりは姫花だっけ? 4人並ぶともお、眼福。
まっつパートは変わらずまっつ、みつるパートはだいもん。てゆーかだいもん、残像が見えるくらい、あちこちにいる気がする?
でもって壮くんパートにめおくんが入っているので、部分的にみわまつよりめおくんが上になっていたり(笑)。
真珠のソロはみわっち。……えーと、壮くんと同じ衣装? ……別でもよかったのになあ。
くどくどに目線トバしまくって、ウインクキメてキザるみわさんがツボ。いい場面だこれ(笑)。
全ツ名物の、人数少ないけど上級生も混ざった豪華な面子のロケット。
今回はまさかのまぁくんがいます。すげえ脚。細っ、長っ。
しかしせっかくのまぁくんのおみ足よりも、隣でアピりまくっているみちるタンに目が行く件。
でもってだいもん、ここにもいるのか。ロケットがオカマちゃんだと、「立派になったね」と思うモノだ。うん、だいもんくんも立派だ。
全ツのお約束、トップスターの客席降り。
「花組の真飛聖でございます」と自己紹介付きなのはイイ。わかりやすくてイイ。
今回チケ取りがんばらなかったのであきらめていたが、My楽の昼公演でまさかの「まとぶんお触り席」GET(笑)、握手してもらえてうれしい。
とにかくたくさんの人にサービスしまくるまとぶさんがステキ。
名場面である「引き潮」は、ゆーひ×いちか、まっつ×ゆゆ、だいもん×姫花の3つのカップル。
ここでもゆーひ×いちか、この黄金バランス・カップル。てゆーか、ここにもだいもんいるのか。ついさっきロケットで脚出してなかったか?
「引き潮」は、難しい場面だと思う。
演じている人たちのこととは別に、「記録に残す」ことが。
なにもない広い舞台を、3組のカップルが縦横無尽に走り回る。
ひと組のカップルに焦点を合わせて記録することはできるだろうけど、なにしろ走り回っているのでひとつのフレームに収まりにくい。動きを追うだけでかなりカメラを振り回すことになるし、そんな撮り方をしてこの場面の魅力が伝わるとも思えない。
3組のカップルが織りなす物語が、波のように一瞬形を作っては消えていく繰り返しなので、全体を追いつつ個々にも注目する必要がある。
全体を映すには画面ががらんとしていて絵としてはつまらないし、個を映すとなんのことやらわからなくなる。
人間の目は不思議だ。同時にいろんなモノを視、複数の情報を同時に処理している。
劇場で、ナマで観ることでしか伝わらない場面だと思う。
オペラでまっつだけを追ったこともあるけれど、そうすると、好きな人を見ていられてたのしいのだけど、「引き潮」という場面を楽しむことが出来なくなる。個を見るだけではダメなんだ、と他のどんな作品より痛感した場面だ。
それはこの場面の主役であるゆーひくんでも同じこと。主役だから比重は高いが、彼ひとり見ていてもダメなんだ。
主役ひとりだけ見ていて成り立たない場面ってのは、「映像」でその魅力を伝えにくいと思う。
と、どーせDVD購入する気もないくせに、気を回して気を揉んでみる(笑)。
半端に続く。
結局のとこ、たのしいんだよね。@Red Hot Sea II
2009年6月20日 タカラヅカ 今さらだが、よーやく『Red Hot Sea II』の感想。月『エリザベート』をだらだら書きすぎて、花全ツが後回しになったという(笑)。
『Red Hot Sea II』は、本公演時の『Red Hot Sea 無印』とほとんど変わっていない。
トップスターまとぶんが客席いじりをする場面がひとつ、地方巡業専用にできただけ。
その「変わらなさ」に、「これってもともと地方公演用だったのか?」という疑問を感じ、客席で首を傾げた。
それは演出が変わっていない、場面や出演者が変わっていない、というだけではなくて。
装置・演出を基本的に変えないで、地方公演が出来る大劇場公演ショー作品って、どうよ? という意味。
最初から、全国ツアーを想定して作ったのか?
セリも盆も不要。大人数も不要。
大掛かりで豪華なセットも不要。
書き割りだけのチープなセット、平面的な視覚、紙芝居上等な構成。
「タカラヅカ」ならではの、豪華なショーではぜんぜんなかったんだなあ……おさかなだのデニムだのと、衣装の奇天烈さで誤魔化していたけど。
『無印』でちょっと凝ったセットといえば、ペドロの家と、空飛ぶ棺桶だったもんよ……ペドロの家がぽんぽん船である意味はなかったし、棺桶に至っては、空を飛ばせる意味がわからないし。
そんなことでしか、凝ったセットを使わなかった草野のセンスがマジでわからん。
その他でちょっと凝っていたのは灯台か。
下手端に大きな灯台が鎮座しており、ライトがぴんぴかしていたけど、あれって客席直撃ビームでまともに目に入ったら、その強烈さに視界に星が飛び、しばらく舞台が見られなくなる殺人光線だったんだけど。演出家がどんだけ客のことを考えていないか、思い知らされるセットだった。
あとは「幽霊船」やペドロ父@まとぶんとかでわずかにセリを使っただけ。舞台上下の感覚はないらしく、いつも平面だけ使用した平坦な作り。
もっと大劇場ならではの舞台装置を駆使して、大掛かりなセットであの大きな空間を縦横無尽に使って「Red Hot Sea」を表現してくれてもいいだろうに。タイトルは熱いけど、舞台の風通しはやたら良かったよなと。
カモメ、縄VS棒、と、長いスパンの場面がなんにもない舞台での群舞で、さらに引き潮というもっとなんにもない少人数場面があるので、メリハリを付けるためにも、なにかしら大掛かりなセットを使った場面があってしかるべきだよな。
と、思うけれど、全ツ使用を前提に作っていたなら、それは全部「仕方なかった」のかもしれない。
全ツではセリも盆も使用できないし、セットは書き割りだけだもの。
……だとしたら、全ツ仕様のモノを、本拠地でやるなと思うけどな。
地方巡業も大切だけど、まず本拠地でしょう? 本公演を充実させるべきでしょう? 終業後のアルバイトに体力温存すべく、本業の手を抜く社員@だって不景気だから仕方ない、みたいなもんじゃないですか。不景気だからってみんなが手を抜いた仕事してたら、会社がなくなっちゃうわよ?
たとえその後全ツに持っていくとわかっていても、大劇では力の限り大劇らしい大掛かりなものを作り、ソレが終わったあとに全ツ用に1から作り直すくらいの気合いが欲しいっす。
たんにめんどーだからやってないんぢゃあ……? と、勘ぐってしまうよ。(たとえば、オギーならソレ絶対やるよな、とか。フジイくんでも自作の描き直し・手直しはかなりやるよな、と)
草野に限らず、本拠地大劇場作品が軒並み「制作費削られたんです」系の、寂しい作りになってきていることは、否めないが。
制作費がふんだんにあるショーがどんだけ重厚になるか、『ドリーム・キングダム』とか観ればわかるけど、金のあるなしでしか計れないはずはないんだから、もう少しがんばって欲しいと思うっす。
ああそれにしても、世知辛い世の中だなあ。
い、いやいや、そんなことを言っていてもはじまらない。こんなときこそ、ポジティヴ・シンキング!
大劇場と印象の変わらないショーを全ツでやるなんて、すごいわ~~!
と、ゆーことですな。うん。
ほとんど変わり映えのしなかった『赤熱海2』だが、心からよかった! と思ったのは、舞台奥の階段の存在だ。
全ツ名物のささやかな階段。セリのない舞台の唯一の立体。
プロローグ、すでにおさかなさんたちがぴちぴち踊っているところに、あとからまとぶんひとり登場する。それは大劇場と同じ。
演出は同じだけど、全ツには舞台奥に階段がある。その段の上から、まとぶんは登場した。
まとぶんが見える……!
て、なんでそんな当たり前のことに感動しなきゃなんないんだ、てなもんだが、草野せんせは大劇場では気づかなかったらしい。
何十人も人がいる場所で、いちばん後ろから登場しても、センター以外からは見えない、ということを。
まとぶんが登場したときに、舞台にいるおさかなさんたちは真ん中を空けるので、センターに坐っている人なら「人混みの奥」のまとぶんが見えるけど、センター以外の人には真ん中を空けられたって結局舞台のおさかなさんたちにかぶってまとぶんが見えないのよ。ちょっと考えればわかる、ごく当たり前の出来事なんだが。
その当たり前のことを演出家が理解してないおかげで、まとぶんが登場したことに客席の何割かが気づかず、ときによっては「トップスターがはじめて登場した」のに「拍手がない」という状態が起こった。
いつの間にか現れた人が、いつの間にかおさかなさんたちの真ん中に来て踊っている……いつ出てきたんだろう、拍手し忘れた~~、みたいな感じ?
全ツでは台の上に登場するので、気づいてもらえないことも、忘れられることもない。「スターが登場しましたよ」とわかる。よかったね、まとぶん……。(大劇のアレは草野の演出ミスだっ)
とまあ、いろいろゆってますが、本公演で20回観て、愛着のある作品ではあるのですよ。
アタマの隅で文句垂れてる部分があり、それをこうやって文字にしてみたけれど、とどのつまり毎回楽しんで観ている。
作品としてどこうではなく、贔屓がステキだから全部許せる(はぁと)という、ヅカファンらしい観点で、この作品は好きです。
『Red Hot Sea II』は、本公演時の『Red Hot Sea 無印』とほとんど変わっていない。
トップスターまとぶんが客席いじりをする場面がひとつ、地方巡業専用にできただけ。
その「変わらなさ」に、「これってもともと地方公演用だったのか?」という疑問を感じ、客席で首を傾げた。
それは演出が変わっていない、場面や出演者が変わっていない、というだけではなくて。
装置・演出を基本的に変えないで、地方公演が出来る大劇場公演ショー作品って、どうよ? という意味。
最初から、全国ツアーを想定して作ったのか?
セリも盆も不要。大人数も不要。
大掛かりで豪華なセットも不要。
書き割りだけのチープなセット、平面的な視覚、紙芝居上等な構成。
「タカラヅカ」ならではの、豪華なショーではぜんぜんなかったんだなあ……おさかなだのデニムだのと、衣装の奇天烈さで誤魔化していたけど。
『無印』でちょっと凝ったセットといえば、ペドロの家と、空飛ぶ棺桶だったもんよ……ペドロの家がぽんぽん船である意味はなかったし、棺桶に至っては、空を飛ばせる意味がわからないし。
そんなことでしか、凝ったセットを使わなかった草野のセンスがマジでわからん。
その他でちょっと凝っていたのは灯台か。
下手端に大きな灯台が鎮座しており、ライトがぴんぴかしていたけど、あれって客席直撃ビームでまともに目に入ったら、その強烈さに視界に星が飛び、しばらく舞台が見られなくなる殺人光線だったんだけど。演出家がどんだけ客のことを考えていないか、思い知らされるセットだった。
あとは「幽霊船」やペドロ父@まとぶんとかでわずかにセリを使っただけ。舞台上下の感覚はないらしく、いつも平面だけ使用した平坦な作り。
もっと大劇場ならではの舞台装置を駆使して、大掛かりなセットであの大きな空間を縦横無尽に使って「Red Hot Sea」を表現してくれてもいいだろうに。タイトルは熱いけど、舞台の風通しはやたら良かったよなと。
カモメ、縄VS棒、と、長いスパンの場面がなんにもない舞台での群舞で、さらに引き潮というもっとなんにもない少人数場面があるので、メリハリを付けるためにも、なにかしら大掛かりなセットを使った場面があってしかるべきだよな。
と、思うけれど、全ツ使用を前提に作っていたなら、それは全部「仕方なかった」のかもしれない。
全ツではセリも盆も使用できないし、セットは書き割りだけだもの。
……だとしたら、全ツ仕様のモノを、本拠地でやるなと思うけどな。
地方巡業も大切だけど、まず本拠地でしょう? 本公演を充実させるべきでしょう? 終業後のアルバイトに体力温存すべく、本業の手を抜く社員@だって不景気だから仕方ない、みたいなもんじゃないですか。不景気だからってみんなが手を抜いた仕事してたら、会社がなくなっちゃうわよ?
たとえその後全ツに持っていくとわかっていても、大劇では力の限り大劇らしい大掛かりなものを作り、ソレが終わったあとに全ツ用に1から作り直すくらいの気合いが欲しいっす。
たんにめんどーだからやってないんぢゃあ……? と、勘ぐってしまうよ。(たとえば、オギーならソレ絶対やるよな、とか。フジイくんでも自作の描き直し・手直しはかなりやるよな、と)
草野に限らず、本拠地大劇場作品が軒並み「制作費削られたんです」系の、寂しい作りになってきていることは、否めないが。
制作費がふんだんにあるショーがどんだけ重厚になるか、『ドリーム・キングダム』とか観ればわかるけど、金のあるなしでしか計れないはずはないんだから、もう少しがんばって欲しいと思うっす。
ああそれにしても、世知辛い世の中だなあ。
い、いやいや、そんなことを言っていてもはじまらない。こんなときこそ、ポジティヴ・シンキング!
大劇場と印象の変わらないショーを全ツでやるなんて、すごいわ~~!
と、ゆーことですな。うん。
ほとんど変わり映えのしなかった『赤熱海2』だが、心からよかった! と思ったのは、舞台奥の階段の存在だ。
全ツ名物のささやかな階段。セリのない舞台の唯一の立体。
プロローグ、すでにおさかなさんたちがぴちぴち踊っているところに、あとからまとぶんひとり登場する。それは大劇場と同じ。
演出は同じだけど、全ツには舞台奥に階段がある。その段の上から、まとぶんは登場した。
まとぶんが見える……!
て、なんでそんな当たり前のことに感動しなきゃなんないんだ、てなもんだが、草野せんせは大劇場では気づかなかったらしい。
何十人も人がいる場所で、いちばん後ろから登場しても、センター以外からは見えない、ということを。
まとぶんが登場したときに、舞台にいるおさかなさんたちは真ん中を空けるので、センターに坐っている人なら「人混みの奥」のまとぶんが見えるけど、センター以外の人には真ん中を空けられたって結局舞台のおさかなさんたちにかぶってまとぶんが見えないのよ。ちょっと考えればわかる、ごく当たり前の出来事なんだが。
その当たり前のことを演出家が理解してないおかげで、まとぶんが登場したことに客席の何割かが気づかず、ときによっては「トップスターがはじめて登場した」のに「拍手がない」という状態が起こった。
いつの間にか現れた人が、いつの間にかおさかなさんたちの真ん中に来て踊っている……いつ出てきたんだろう、拍手し忘れた~~、みたいな感じ?
全ツでは台の上に登場するので、気づいてもらえないことも、忘れられることもない。「スターが登場しましたよ」とわかる。よかったね、まとぶん……。(大劇のアレは草野の演出ミスだっ)
とまあ、いろいろゆってますが、本公演で20回観て、愛着のある作品ではあるのですよ。
アタマの隅で文句垂れてる部分があり、それをこうやって文字にしてみたけれど、とどのつまり毎回楽しんで観ている。
作品としてどこうではなく、贔屓がステキだから全部許せる(はぁと)という、ヅカファンらしい観点で、この作品は好きです。
想い出は美しい…のかもしれない。@この恋は雲の涯まで
2009年6月19日 タカラヅカ ドラマ・ヲタクでもあるので、溜め込んだ今期のドラマビデオを消化するのに忙しいっす。
いつものことだが、HDDがあっちゅー間にいっぱいになっちゃって……見なきゃデータ消せないし。
「忙しい」のに、3クエスト連続で時間切れで失敗するし! 時間切れよ? 50分×3、無駄になったのよ?! 結局ひとりでは倒せず、弟とふたりして倒すはめに。……働いたのは弟ひとりで、わたしはキノコ集めばっかしてたんだけど。(未だ絶好調で『モンハン2G』やってます。どんだけへたっぴでもキニシナイ! ちまちまコツコツ努力するのがたのしいのよ!)
その録り溜めた番組の中のひとつ。
植爺作『この恋は雲の涯まで』を、まっつまっつな手作業(いやその、グッズ作りを……笑)しながら2時間半一気見した。
トンギャマ@たかこ、かっこええ!!
えー、92年の再演版なので、トップスターは杜けあき。2番手は一路真輝。
3番手が高嶺ふぶき、4番手あたりが海峡ひろき、轟悠、香寿たつき。娘トップが紫とも。
みゆさんはすでに別格寄りだった。そして前公演に続きトドより下級生のタータンの方が扱いが良く、トドを抜かしたかな?な感じもあった。でもま、そこまでクリアにはせず、どっちつかずな4番手ポジの方々(笑)。いつの時代もそんなこんな。
たかこは番手未満の、しかし「期待の若手」ポジだった。
新公では下級生ながら2~3番手役をし、「そのうち新公主演するだろう」と思われている。
でもそれはあくまでも、新公の話で。
大劇場本公演で、これほどの扱いを受けたのは、このときがはじめてじゃなかろうか。
群舞のセンターで、歌とダンスの場面をまるまるひとつ。
朗々としたソロを披露。
いやあ、瞠目したね、当時も。
ひょろっとした頼りない男の子、でしかなかったたかこちゃんが、まさかの男ぶり。
「あのかっこいい男は誰?!」
周囲のオペラが一斉に上がる、あの感覚。
……遙かな(笑)時間が経った今、こうしてビデオで見ても、やっぱ格好いいわ……。
今でこそわたしは植爺作品が大の苦手だが、ヅカヲタ生活の最初は、ふつーに好きだったのだわ。なにしろ『ベルばら』を機にヅカにハマった、ありがちな人なんだもん。
『この恋は雲の涯まで』も、大好きだった。
毎回だーだー大泣きして観ていた。
そもそもわたしは生来涙もろく、ナニを見てもガーガー泣くことが出来たので、ナニを見ても大抵感動していた。アニメでもマンガでもドラマでもニュースでも、15秒のテレビCMですら泣いてしまう安い人間だ。
植爺の『ベルばら』だって『紫禁城の落日』だって、とにかく泣いていた。
『この恋は…』は、義経@カリンチョが奥州では死なず、大陸に渡ってジンギスカンとなった、とゆー物語。
平泉にて、弁慶@泉つかさと義経影武者@カリンチョ2役が、華々しく死んでいくところで最初に大泣き。
義経のために戦う弁慶の格好良さ、その覚悟の深さと意志の強さ、そして影武者くんのあどけない少年ぶりのいじらしさ。
義経に言い寄って完膚無きまでに振られ、逆ギレして恨みの言葉を叩きつけたチャレンカ@リンゴさんが、それでもそんな義経のために殺人まで犯すところから、妹セトナ@純名の亡骸を抱いて「チャレンカはひとりになってしまった」と慟哭するところまで、泣きっぱなし。
チャレンカは迷惑な女だが、行動に嘘がない。まっすぐに飛び、砕けて、落ちた。そのブレのない生き方が、泣けて仕方なかった。
義経のために、我が身を贄として海神に捧げる静御前@とんちゃん。
死を覚悟した舞の美しさ、命をかけた愛を神に向けて宣言する、凛とした姿。
彼女が美しければ美しいほど、泣けてくる。
2回目からは、奴隷女カン@とんちゃんの啖呵場面も泣けた。
海に身を投げた静は命は助かったものの、奴隷として売られ、男たちのなぐさみものになっていた。
たおやかなお姫様だったのに、今では威勢良く啖呵を切る、頼りがいのある姉御。だけどその胸の奥にある荒涼……。
愛しい夫に再び会いたい、ただそれだけの思いで生き続けてきた……そんな静が、ついに義経と再会した。
奴隷に堕ちた静を目の当たりにし、義経はショックのあまり一度は背を向ける。静もまた、そのまま去ろうとする。
が、義経は静を呼び止める。どんな姿になっていても、愛する人には違いないと。
この、一度は背を向ける、のがツボだった。
いくら仕方なかったとはいえ、武将の妻が娼婦になっていたら、びびるって、男としては。
むしろ、躊躇しない方が嫌だ。「この男、流されてるだけで、現実を理解してないんじゃないの?」って感じで。
現実に傷ついてバックレかけて、でもやっぱり、と思い直すのが、妙にリアル(笑)。一旦手を離そうとするのが、いろんな傷についてきちんと受け止め、それでも愛を選んだ、という気がする。
だから、逃げかけた義経が「静行くな!」と泣きそうな声で叫んだときに、涙腺が決壊する。逃げようとする自身を叱りつけ、ソコに留まる男の方が、最初から逃げない男よりぐっと来たりするんだ。
その幸せの絶頂のあと、「カンは死にました!」で、奈落へどーんと落とされ、さらに泣く。
そうか静、許されても許されなくても、死ぬつもりだったんだああぁぁ、と。その哀しさに胸が締め付けられる。
でもって、「これよりジンギスカンと名乗る」と宣言する義経、「カンとは静の名前!」と絶妙のタイミングでモンゴル娘@みゆ紀タンが解説を入れるのが、「あなたこそチュシンの王!」な盛り上がりで、一気にカタルシスの涙へ!!
……いやあ、大好きだったなあ、『この恋…』。
いやその、当時でさえ「恋だ愛だでぎゃーぎゃーわめいて『この恋は雲の涯まで』とか宣言する男うざいな」と思ってはいたんだけどね(笑)。
モンゴル軍相手に「自分の恋がいちばん大事」とか宣言するのはよせ、それはあえて口に出さず、ただ「ジンギスカンと名を改める」「カンとは静の名前!」という流れでいいじゃないか。なにも言わないけど、静の死んだこの地で、その名を名乗って生きていくってのは、つまりはそーゆーことだよな、とわからせるのでいいじゃないかと。
公私混同する指導者のもとで戦争やるのは一兵士として絶対嫌だ、と、感動で泣きながらも冷めたツッコミをしていた、若き日のわたし。
今見ても、やっぱりおもしろいし、好きだと思う。
ツッコミどころと、「ここはこうした方がいいのに」もいろいろある。てゆーか結局のところ義経って、ナニもしてなくね? とか、根本的なトコで大いに突っ込んでしまうが(笑)、それでもこの「派手さ」と「タカラヅカっぽさ」「わかりやすさ」はいいなと思う。
植爺作品は良くも悪くも「タカラヅカ」だよなと思う。
ほんとに。
(でも『ベルばら』は嫌いだ。今の植爺作品も嫌いだ・笑)
いつものことだが、HDDがあっちゅー間にいっぱいになっちゃって……見なきゃデータ消せないし。
「忙しい」のに、3クエスト連続で時間切れで失敗するし! 時間切れよ? 50分×3、無駄になったのよ?! 結局ひとりでは倒せず、弟とふたりして倒すはめに。……働いたのは弟ひとりで、わたしはキノコ集めばっかしてたんだけど。(未だ絶好調で『モンハン2G』やってます。どんだけへたっぴでもキニシナイ! ちまちまコツコツ努力するのがたのしいのよ!)
その録り溜めた番組の中のひとつ。
植爺作『この恋は雲の涯まで』を、まっつまっつな手作業(いやその、グッズ作りを……笑)しながら2時間半一気見した。
トンギャマ@たかこ、かっこええ!!
えー、92年の再演版なので、トップスターは杜けあき。2番手は一路真輝。
3番手が高嶺ふぶき、4番手あたりが海峡ひろき、轟悠、香寿たつき。娘トップが紫とも。
みゆさんはすでに別格寄りだった。そして前公演に続きトドより下級生のタータンの方が扱いが良く、トドを抜かしたかな?な感じもあった。でもま、そこまでクリアにはせず、どっちつかずな4番手ポジの方々(笑)。いつの時代もそんなこんな。
たかこは番手未満の、しかし「期待の若手」ポジだった。
新公では下級生ながら2~3番手役をし、「そのうち新公主演するだろう」と思われている。
でもそれはあくまでも、新公の話で。
大劇場本公演で、これほどの扱いを受けたのは、このときがはじめてじゃなかろうか。
群舞のセンターで、歌とダンスの場面をまるまるひとつ。
朗々としたソロを披露。
いやあ、瞠目したね、当時も。
ひょろっとした頼りない男の子、でしかなかったたかこちゃんが、まさかの男ぶり。
「あのかっこいい男は誰?!」
周囲のオペラが一斉に上がる、あの感覚。
……遙かな(笑)時間が経った今、こうしてビデオで見ても、やっぱ格好いいわ……。
今でこそわたしは植爺作品が大の苦手だが、ヅカヲタ生活の最初は、ふつーに好きだったのだわ。なにしろ『ベルばら』を機にヅカにハマった、ありがちな人なんだもん。
『この恋は雲の涯まで』も、大好きだった。
毎回だーだー大泣きして観ていた。
そもそもわたしは生来涙もろく、ナニを見てもガーガー泣くことが出来たので、ナニを見ても大抵感動していた。アニメでもマンガでもドラマでもニュースでも、15秒のテレビCMですら泣いてしまう安い人間だ。
植爺の『ベルばら』だって『紫禁城の落日』だって、とにかく泣いていた。
『この恋は…』は、義経@カリンチョが奥州では死なず、大陸に渡ってジンギスカンとなった、とゆー物語。
平泉にて、弁慶@泉つかさと義経影武者@カリンチョ2役が、華々しく死んでいくところで最初に大泣き。
義経のために戦う弁慶の格好良さ、その覚悟の深さと意志の強さ、そして影武者くんのあどけない少年ぶりのいじらしさ。
義経に言い寄って完膚無きまでに振られ、逆ギレして恨みの言葉を叩きつけたチャレンカ@リンゴさんが、それでもそんな義経のために殺人まで犯すところから、妹セトナ@純名の亡骸を抱いて「チャレンカはひとりになってしまった」と慟哭するところまで、泣きっぱなし。
チャレンカは迷惑な女だが、行動に嘘がない。まっすぐに飛び、砕けて、落ちた。そのブレのない生き方が、泣けて仕方なかった。
義経のために、我が身を贄として海神に捧げる静御前@とんちゃん。
死を覚悟した舞の美しさ、命をかけた愛を神に向けて宣言する、凛とした姿。
彼女が美しければ美しいほど、泣けてくる。
2回目からは、奴隷女カン@とんちゃんの啖呵場面も泣けた。
海に身を投げた静は命は助かったものの、奴隷として売られ、男たちのなぐさみものになっていた。
たおやかなお姫様だったのに、今では威勢良く啖呵を切る、頼りがいのある姉御。だけどその胸の奥にある荒涼……。
愛しい夫に再び会いたい、ただそれだけの思いで生き続けてきた……そんな静が、ついに義経と再会した。
奴隷に堕ちた静を目の当たりにし、義経はショックのあまり一度は背を向ける。静もまた、そのまま去ろうとする。
が、義経は静を呼び止める。どんな姿になっていても、愛する人には違いないと。
この、一度は背を向ける、のがツボだった。
いくら仕方なかったとはいえ、武将の妻が娼婦になっていたら、びびるって、男としては。
むしろ、躊躇しない方が嫌だ。「この男、流されてるだけで、現実を理解してないんじゃないの?」って感じで。
現実に傷ついてバックレかけて、でもやっぱり、と思い直すのが、妙にリアル(笑)。一旦手を離そうとするのが、いろんな傷についてきちんと受け止め、それでも愛を選んだ、という気がする。
だから、逃げかけた義経が「静行くな!」と泣きそうな声で叫んだときに、涙腺が決壊する。逃げようとする自身を叱りつけ、ソコに留まる男の方が、最初から逃げない男よりぐっと来たりするんだ。
その幸せの絶頂のあと、「カンは死にました!」で、奈落へどーんと落とされ、さらに泣く。
そうか静、許されても許されなくても、死ぬつもりだったんだああぁぁ、と。その哀しさに胸が締め付けられる。
でもって、「これよりジンギスカンと名乗る」と宣言する義経、「カンとは静の名前!」と絶妙のタイミングでモンゴル娘@みゆ紀タンが解説を入れるのが、「あなたこそチュシンの王!」な盛り上がりで、一気にカタルシスの涙へ!!
……いやあ、大好きだったなあ、『この恋…』。
いやその、当時でさえ「恋だ愛だでぎゃーぎゃーわめいて『この恋は雲の涯まで』とか宣言する男うざいな」と思ってはいたんだけどね(笑)。
モンゴル軍相手に「自分の恋がいちばん大事」とか宣言するのはよせ、それはあえて口に出さず、ただ「ジンギスカンと名を改める」「カンとは静の名前!」という流れでいいじゃないか。なにも言わないけど、静の死んだこの地で、その名を名乗って生きていくってのは、つまりはそーゆーことだよな、とわからせるのでいいじゃないかと。
公私混同する指導者のもとで戦争やるのは一兵士として絶対嫌だ、と、感動で泣きながらも冷めたツッコミをしていた、若き日のわたし。
今見ても、やっぱりおもしろいし、好きだと思う。
ツッコミどころと、「ここはこうした方がいいのに」もいろいろある。てゆーか結局のところ義経って、ナニもしてなくね? とか、根本的なトコで大いに突っ込んでしまうが(笑)、それでもこの「派手さ」と「タカラヅカっぽさ」「わかりやすさ」はいいなと思う。
植爺作品は良くも悪くも「タカラヅカ」だよなと思う。
ほんとに。
(でも『ベルばら』は嫌いだ。今の植爺作品も嫌いだ・笑)
アイシテルヨ、アイシテル。@宝塚巴里祭2009
2009年6月18日 タカラヅカ わたしは、まっつという人を知りません。
まっつでなくても、ジェンヌは誰ひとり知らないけれど。
それにしても、ご贔屓でありながら、ほんとにまっつという人のことは、わかっていないと思う。
わたしが見ているのは舞台の上だけで、そこから受ける印象がすべてで。しかも、舞台の印象だってわたし自身の勝手なフィルターが掛かりまくっているわけで。
まっつ……というか、未涼亜希の「中の人」がどんな人なのかは、まったく想像がつきません。
と、いきなりこんなことを書いているのは。
『宝塚巴里祭2009』の千秋楽の最後の挨拶で、未涼さんは、泣くのでしょうか?
という疑問があるためです。
公私混同がタカラヅカの魅力ひとつ。
「がんばっている」ことや「うれしい/さみしい」とかのナマの感情を、「舞台」で見せること、それを愛でることも、ヅカの醍醐味。
ふつーのプロなら、そんなの見せちゃいけませんけどね。
パン屋さんが泣きながらパン作っているところを買い物客に見せたら、パンは売れません。んなもん、こわくて買えるか。
店の経営者が客にお尻を見せて従業員に「ありがとう、私が今日までやってこれたのはみんなのおかげだ」と言っていたら、「そんなもんは閉店後にやれ、営業中にやるな」と思いますよ。
でも、それらをやっていいのがタカラヅカ。良くも悪くも、タカラヅカ。
新公・初バウ主演楽では主演の子は感極まって泣きながら、声を詰まらせながら終演後の挨拶をし、退団者のいる千秋楽ではみんな泣いてヨシ、むしろ悲しんでいない方が不自然、てなもんで。
公演を最後まで務めたら、最後の挨拶ではナマの感情を出していい。つか、出した方が「好感度アップ」な部分が大いにある。
初主演楽は、泣きながら挨拶がデフォでしょ? 昔は知らんが、近年はずっと。
泣かずに余裕で挨拶キメたのは、マギーぐらい?(大物)
だから初主演のまっつも、流れから行けば、「泣いて当然」なんですが。
通常公演でなくディナーショーだし、シャンソンばっかの巴里祭だし、で、そんな感極まる系の挨拶にならないわー、てのはあるかもしんないけど。
でもケロだってDS楽の挨拶では、大泣きしてハンカチ握りしめて出てきたし。DSだからどう、ってわけでもないだろう。
ふつーに「主演作品」として、「泣いて挨拶」はアリだと思うが。
「……泣かないんじゃない?」
「あー、やっぱそう思う?」
てな会話を、まっつメイトとしてしまいました。
まつださん、新公主演の挨拶でも、泣いてなかったっすよね……。
千秋楽で退団者を見送るときは顔固まったまま、涙だけこぼしてます。でも、自分の新公主演時は泣いてなかった。
そのまつあすトリオでの座談会でも、「まっつは泣かない子」という話をしているしなあ。
「他人のことでは泣くけど、自分のことでは泣かないイメージ」
……と、友人と頷き合う。
まっつがどんな人か、未涼さんの中の人がどんな人なのか、まったく知りませんけれど。
知らないだけに、想像の翼は広が……りもせず、とっとと失速。
「ふつーに淡々と挨拶して終わりそう」
「……カーテンコール少ないよ、それじゃあ」
でも、大泣きされて客席も号泣して、涙と拍手でカテコが終わらない! てのも、まっつのイメージぢゃない。
「お客さんイエーイ!」をやってノリノリでパッショネイトでフリーダムなあおり方をする、てのも、まっつのイメージぢゃない。
つか、そんなことされたらびびる(笑)。
実際のとこ、どうなんでしょうね?
や、この際、なんでもやってくれていいです。
大泣きでも、ノリノリでも、あっさり終了でも、なにがあってもついていく!
泣かれたら一緒に泣くし、「アイシテルヨー!」と叫ばれたら「アイシテルー!」と叫び返す!(どこのオサコンだ)
あっさり終了したら、「まっつらしいねー」で済ませる!(笑)
で、どうなんでしょうね?
全国5万人のまっつファンの意見が聞きたいっす。
まっつでなくても、ジェンヌは誰ひとり知らないけれど。
それにしても、ご贔屓でありながら、ほんとにまっつという人のことは、わかっていないと思う。
わたしが見ているのは舞台の上だけで、そこから受ける印象がすべてで。しかも、舞台の印象だってわたし自身の勝手なフィルターが掛かりまくっているわけで。
まっつ……というか、未涼亜希の「中の人」がどんな人なのかは、まったく想像がつきません。
と、いきなりこんなことを書いているのは。
『宝塚巴里祭2009』の千秋楽の最後の挨拶で、未涼さんは、泣くのでしょうか?
という疑問があるためです。
公私混同がタカラヅカの魅力ひとつ。
「がんばっている」ことや「うれしい/さみしい」とかのナマの感情を、「舞台」で見せること、それを愛でることも、ヅカの醍醐味。
ふつーのプロなら、そんなの見せちゃいけませんけどね。
パン屋さんが泣きながらパン作っているところを買い物客に見せたら、パンは売れません。んなもん、こわくて買えるか。
店の経営者が客にお尻を見せて従業員に「ありがとう、私が今日までやってこれたのはみんなのおかげだ」と言っていたら、「そんなもんは閉店後にやれ、営業中にやるな」と思いますよ。
でも、それらをやっていいのがタカラヅカ。良くも悪くも、タカラヅカ。
新公・初バウ主演楽では主演の子は感極まって泣きながら、声を詰まらせながら終演後の挨拶をし、退団者のいる千秋楽ではみんな泣いてヨシ、むしろ悲しんでいない方が不自然、てなもんで。
公演を最後まで務めたら、最後の挨拶ではナマの感情を出していい。つか、出した方が「好感度アップ」な部分が大いにある。
初主演楽は、泣きながら挨拶がデフォでしょ? 昔は知らんが、近年はずっと。
泣かずに余裕で挨拶キメたのは、マギーぐらい?(大物)
だから初主演のまっつも、流れから行けば、「泣いて当然」なんですが。
通常公演でなくディナーショーだし、シャンソンばっかの巴里祭だし、で、そんな感極まる系の挨拶にならないわー、てのはあるかもしんないけど。
でもケロだってDS楽の挨拶では、大泣きしてハンカチ握りしめて出てきたし。DSだからどう、ってわけでもないだろう。
ふつーに「主演作品」として、「泣いて挨拶」はアリだと思うが。
「……泣かないんじゃない?」
「あー、やっぱそう思う?」
てな会話を、まっつメイトとしてしまいました。
まつださん、新公主演の挨拶でも、泣いてなかったっすよね……。
千秋楽で退団者を見送るときは顔固まったまま、涙だけこぼしてます。でも、自分の新公主演時は泣いてなかった。
そのまつあすトリオでの座談会でも、「まっつは泣かない子」という話をしているしなあ。
「他人のことでは泣くけど、自分のことでは泣かないイメージ」
……と、友人と頷き合う。
まっつがどんな人か、未涼さんの中の人がどんな人なのか、まったく知りませんけれど。
知らないだけに、想像の翼は広が……りもせず、とっとと失速。
「ふつーに淡々と挨拶して終わりそう」
「……カーテンコール少ないよ、それじゃあ」
でも、大泣きされて客席も号泣して、涙と拍手でカテコが終わらない! てのも、まっつのイメージぢゃない。
「お客さんイエーイ!」をやってノリノリでパッショネイトでフリーダムなあおり方をする、てのも、まっつのイメージぢゃない。
つか、そんなことされたらびびる(笑)。
実際のとこ、どうなんでしょうね?
や、この際、なんでもやってくれていいです。
大泣きでも、ノリノリでも、あっさり終了でも、なにがあってもついていく!
泣かれたら一緒に泣くし、「アイシテルヨー!」と叫ばれたら「アイシテルー!」と叫び返す!(どこのオサコンだ)
あっさり終了したら、「まっつらしいねー」で済ませる!(笑)
で、どうなんでしょうね?
全国5万人のまっつファンの意見が聞きたいっす。
『宝塚巴里祭』と、スカステ・ニュース。
2009年6月17日 タカラヅカ うっかりしていたけれど、6月半ばってことは、『宝塚巴里祭2009』まで、1ヶ月を切ったということです。
……まだチケット送られて来ないんですが、無事に受理されているのだろーか……ホテルの人、振り込み期限は言っても、チケット発送日や、「この日までに送られて来なかったら事故が考えられるので問い合わせてください」とかは一切言わなかったぞ。
電話がつながっただけでテンパってたから、向こうが言うことをメモるだけで精一杯だったさ……。
1ヶ月切ったはいいが、どの程度情報は前もって得られるのだろうか、と近年の『宝塚巴里祭』のスカステ・ニュースのデータをあさってみた。
や、なにしろオレ、溜め込むタイプのヲタクだから、スカステ・ニュースほぼ全部保存してあるんだわ(笑)。
★2006年 あひくん 7/24・25
T News 「宝塚巴里祭2006囲み取材」あひくんと草野せんせ 2006/7/13
T News 「宝塚巴里祭2006対談」あひくんと草野せんせ 2006/7/20
T News 「宝塚巴里祭2006稽古場」 2006/7/24
T News 「宝塚巴里祭2006開催」 2006/7/26
★2007年 れおんくん 7/17・18 7/23・24
T News 「宝塚巴里祭2007囲み取材」れおん単独 2007/7/12
T News 「宝塚巴里祭2007インタビュー」れんた・キトリによるれおんインタビュー 2007/7/16
T News 「宝塚巴里祭2007稽古場」 2007/7/17
T News 「宝塚巴里祭2007開催」 2007/7/25
★2008年 ともちん 7/21・22 7/29・30
T News 「宝塚巴里祭2008制作発表」ともちんと岡田せんせ 2008/6/30
T News 「宝塚巴里祭2008稽古場」2008/7/22
T News 「宝塚巴里祭2008稽古場レポート」出演者全員 2008/7/22
T News 「宝塚巴里祭2008開催」 2008/7/31
こうして比べてみると、いろいろ見えてくるものがあるというか。
れおん巴里祭への、力の入れ方がすげえな、とか。
れおんくんの場合、他の出演者も組ファンに知名度や人気の高い子を揃えているし。「絶対に失敗は許されない」という面子で、単独記者会見開いてまでのバックアップ。
そして、あひくん……。
あひくんは、大阪で2回のみしか開催されてなかったのね……他の人の半分の場しか与えられていなかったのか……。(ちなみに、2002年以降東西合わせて4回開催が基本)
「囲み取材」「製作発表」とニュースのタイトルは違っているけれど、やっていることは同じ。劇団?に記者を集めて会見をしている。トップスターの退団発表とか、スポンサー付き大作製作発表のようにホテルの金屏風の前ではない、つーだけで。
とりあえず、3年連続製作発表があったってことは……今年もあるの?
まっつが、記者会見するの?
えええ?
なんかソレは、ぴんとこない……マジであるんだろうか。劇団は生徒に合わせて扱いは変えてくるので、今年はいきなりなかったりして?
なかったらヘコむなー。
そして、主演者か出演者全員か、とりあえずなにかしら意気込みを口にする場はある、ようだ。
まっつの場合はともちんパターンかな、じゅりあがインタビュアーで。
まっつひとりに喋ってもらいたい気はするが、みんなと一緒に一言ずつ、がいいのかもな。
たぶん、まっつと中村Bの対談とかだったら、サービス精神に欠ける淡々とした会話になっておもしろくな……ゲフンゲフン。
今年は例年より半月ほど開催が早いので、それを理由(会見やる時間ナイ、レポート収録する時間ナイなど)にニュースに出してもらえない、なんてことがナイことを祈ります。
例年通り、4回はニュースに取り上げてくれよぉ? 頼みますよ、歌劇団様。
……まだチケット送られて来ないんですが、無事に受理されているのだろーか……ホテルの人、振り込み期限は言っても、チケット発送日や、「この日までに送られて来なかったら事故が考えられるので問い合わせてください」とかは一切言わなかったぞ。
電話がつながっただけでテンパってたから、向こうが言うことをメモるだけで精一杯だったさ……。
1ヶ月切ったはいいが、どの程度情報は前もって得られるのだろうか、と近年の『宝塚巴里祭』のスカステ・ニュースのデータをあさってみた。
や、なにしろオレ、溜め込むタイプのヲタクだから、スカステ・ニュースほぼ全部保存してあるんだわ(笑)。
★2006年 あひくん 7/24・25
T News 「宝塚巴里祭2006囲み取材」あひくんと草野せんせ 2006/7/13
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★2007年 れおんくん 7/17・18 7/23・24
T News 「宝塚巴里祭2007囲み取材」れおん単独 2007/7/12
T News 「宝塚巴里祭2007インタビュー」れんた・キトリによるれおんインタビュー 2007/7/16
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★2008年 ともちん 7/21・22 7/29・30
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こうして比べてみると、いろいろ見えてくるものがあるというか。
れおん巴里祭への、力の入れ方がすげえな、とか。
れおんくんの場合、他の出演者も組ファンに知名度や人気の高い子を揃えているし。「絶対に失敗は許されない」という面子で、単独記者会見開いてまでのバックアップ。
そして、あひくん……。
あひくんは、大阪で2回のみしか開催されてなかったのね……他の人の半分の場しか与えられていなかったのか……。(ちなみに、2002年以降東西合わせて4回開催が基本)
「囲み取材」「製作発表」とニュースのタイトルは違っているけれど、やっていることは同じ。劇団?に記者を集めて会見をしている。トップスターの退団発表とか、スポンサー付き大作製作発表のようにホテルの金屏風の前ではない、つーだけで。
とりあえず、3年連続製作発表があったってことは……今年もあるの?
まっつが、記者会見するの?
えええ?
なんかソレは、ぴんとこない……マジであるんだろうか。劇団は生徒に合わせて扱いは変えてくるので、今年はいきなりなかったりして?
なかったらヘコむなー。
そして、主演者か出演者全員か、とりあえずなにかしら意気込みを口にする場はある、ようだ。
まっつの場合はともちんパターンかな、じゅりあがインタビュアーで。
まっつひとりに喋ってもらいたい気はするが、みんなと一緒に一言ずつ、がいいのかもな。
たぶん、まっつと中村Bの対談とかだったら、サービス精神に欠ける淡々とした会話になっておもしろくな……ゲフンゲフン。
今年は例年より半月ほど開催が早いので、それを理由(会見やる時間ナイ、レポート収録する時間ナイなど)にニュースに出してもらえない、なんてことがナイことを祈ります。
例年通り、4回はニュースに取り上げてくれよぉ? 頼みますよ、歌劇団様。
なんてこった・追い打ち。
2009年6月16日 タカラヅカ2009/06/16
雪組 退団者のお知らせ
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。
(雪組)
天勢いづる
森咲かぐや
愛輝ゆま
寿々音綾
冴輝ちはや
2009年10月18日(雪組東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団
2009/06/16
雪組 宝塚大劇場公演・東京宝塚劇場公演 休演者のお知らせ
雪組 宝塚大劇場公演・東京宝塚劇場公演『ロシアン・ブルー』『RIO DE BRAVO!!(リオ デ ブラボー)』の休演者をお知らせいたします。
雪組 飛鳥 裕
※体調不良の為、全日程休演いたします。
■休演期間
宝塚大劇場公演:2009年7月31日(金)~8月31日(月)千秋楽まで全日程
東京宝塚劇場公演:2009年9月18日(金)~10月18日(日)千秋楽まで全日程
2009/06/16
星組『太王四神記 Ver.II』 凰稀 かなめの休演について
『AQUA5 コンサート』及び、宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル『百年への道』を、怪我(左足小指骨折)の為に休演いたしました星組・凰稀かなめですが、6月26日(金)に初日を迎えます宝塚大劇場 星組公演『太王四神記 Ver.II』につきましても、当面の間休演させて頂きます。
同公演中での復帰を目指して引き続き治療を行ってまいりますので、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
尚、復帰時期につきましては改めて当ホームページでご案内させて頂きます。また、公演の代役については下記の通りです。
■代役について(太王四神記 Ver.II)
ヨン・ホゲ役 ・・・ 夢乃 聖夏(凰稀 かなめの代役)
サリャン役 ・・・ 壱城 あずさ(夢乃 聖夏の代役)
……なんなの、この3連発。
集合日だから覚悟はあるにしたって、退団者はいつだって「まさか」な出来事。
え、この人が今、辞めてしまうの? どうして? それを咀嚼する間もなく、ナガさん休演。
東宝まで全休ってことは、次の公演のお稽古開始まで休むってことで……4ヶ月もの休養が必要な状態と言うこと?
また次の公演は大劇場ではなく他のハコだから全員出演の縛りがないため「出る」と確約されているわけでもなく……。
「体調不良」って、どの程度のことなんだろう。
と、おろおろしていたらさらに。
かなめくん……。
「当面の間」休演ということは、全休は考えていないということで、「会える」可能性があるのは素直にうれしい。
かなめくんのホゲが見たい。
しかし、「当面の間」と発表したことが枷になって、無理したり、しないだろうか。
と、さらにおろおろ。
代役のともみん、しーらん、星の組子たち、みんなみんな一丸となって、すげえ舞台を見せてくれるんだろう。かなめくんの分もがんばって、新生星組のパワーを見せてくれるだろう。
わかっている、信頼している。
けど、その輝きを支える縁の下での苦労を想像して、勝手におろおろ。
「フェアリー」である彼らは、本当のところとても過酷な現実を生き、わたしたちに夢を見せてくれている。
卒業するフェアリーたち、お休みするフェアリーたち、さらに夢を作り続けるフェアリーたち、どうかそれぞれがそれぞれの場所で最良の時間を過ごせますように。
なんかもお、さみしいなあ。せつないなあ。
つーことで、気がつけば6月も半ば。
今日は大劇場で『百年への道』イベントが開催された、はず。友人が観劇したので、そのうちブログにレポをあげてくれるだろー、と他力本願。
思えば、大劇場で行われる全組網羅モノのイベントに参加しないのは、数年ぶりだ。えっと、いつ以来? このブログはじめてからはずーーっと参加していたような? 今世紀になってから皆勤だった?
や、たんに今回はチケット手に入らなくて。友会はずれたし、一般も取れなかったし。
それでも毎回、無理をしてでも参加していたけれど、今回はおとなしくしていようと思った。
だって、まっつ出ないし。
わたしがTCAとか必死にチケ取りする理由は、わたしの好きな人は、テレビに映らないという、切実な理由があったからだ。
DVDでも中継映像でもスカステ放送でもなんでもいいけど、とにかく、映してもらえない。そこにいるのに、フレームの外。
彼を見たかったら、なにがなんでもナマで見るしかない。
その切実な思いに背中を押され、チケ取りに奔走するのですよ。
たとえただのバックダンサーだろうと、大階段のデコレーションに並ぶだけであろうと、まっつが出演するなら万難を排して駆けつけるんだけどねえ……。
出ないんだったら、テレビ放送を待てばいいか。
と、気力と財布の中身のなさゆえに、指をくわえてお留守番です。
てな内容のテキストを電車の中で打っていたら、オサ様結婚のニュースが飛び込んできました。
あわてて公式サイトまで見に行ったよ……。
えーとえーと。
お、おめでとうございます。
祝福するキモチとは別に、混乱しているとゆーか、実はかなりショックだというか。
「ハルノスミレ」というヒトはわたしにとって「神」レベルの方なので、なんつーか、今さらながらオサ様って、実は人間だったんだというショックが……(笑)。
勝手に崇め奉っていただけなんで、勝手なこと言ってるだけなんですが。
ショックはショックとして、それはもおわたしの問題だから置いておいて(よっこらしょっと)、おめでとうございます。
時間は確実に流れているんだな。
そのことを目の当たりにした、という気がして、また地味にショックだったりします。
わたしのアタマのなかは、なんかもういつからかわかんないくらい、止まったままなのにな。
今日でゆーひくんもののすみも、花組からいなくなってしまうわけだし。
おめでたいけれど、ちょっと寂しい。
時間は止まらない。
みんなみんな、前へ進み続ける。
わたし、いつまで止まったまんまでいるんだろう?(ヒトとしてダメ過ぎる……)
今日は大劇場で『百年への道』イベントが開催された、はず。友人が観劇したので、そのうちブログにレポをあげてくれるだろー、と他力本願。
思えば、大劇場で行われる全組網羅モノのイベントに参加しないのは、数年ぶりだ。えっと、いつ以来? このブログはじめてからはずーーっと参加していたような? 今世紀になってから皆勤だった?
や、たんに今回はチケット手に入らなくて。友会はずれたし、一般も取れなかったし。
それでも毎回、無理をしてでも参加していたけれど、今回はおとなしくしていようと思った。
だって、まっつ出ないし。
わたしがTCAとか必死にチケ取りする理由は、わたしの好きな人は、テレビに映らないという、切実な理由があったからだ。
DVDでも中継映像でもスカステ放送でもなんでもいいけど、とにかく、映してもらえない。そこにいるのに、フレームの外。
彼を見たかったら、なにがなんでもナマで見るしかない。
その切実な思いに背中を押され、チケ取りに奔走するのですよ。
たとえただのバックダンサーだろうと、大階段のデコレーションに並ぶだけであろうと、まっつが出演するなら万難を排して駆けつけるんだけどねえ……。
出ないんだったら、テレビ放送を待てばいいか。
と、気力と財布の中身のなさゆえに、指をくわえてお留守番です。
てな内容のテキストを電車の中で打っていたら、オサ様結婚のニュースが飛び込んできました。
あわてて公式サイトまで見に行ったよ……。
えーとえーと。
お、おめでとうございます。
祝福するキモチとは別に、混乱しているとゆーか、実はかなりショックだというか。
「ハルノスミレ」というヒトはわたしにとって「神」レベルの方なので、なんつーか、今さらながらオサ様って、実は人間だったんだというショックが……(笑)。
勝手に崇め奉っていただけなんで、勝手なこと言ってるだけなんですが。
ショックはショックとして、それはもおわたしの問題だから置いておいて(よっこらしょっと)、おめでとうございます。
時間は確実に流れているんだな。
そのことを目の当たりにした、という気がして、また地味にショックだったりします。
わたしのアタマのなかは、なんかもういつからかわかんないくらい、止まったままなのにな。
今日でゆーひくんもののすみも、花組からいなくなってしまうわけだし。
おめでたいけれど、ちょっと寂しい。
時間は止まらない。
みんなみんな、前へ進み続ける。
わたし、いつまで止まったまんまでいるんだろう?(ヒトとしてダメ過ぎる……)
そして、妖精が舞い降りる。@宝塚巴里祭2009
2009年6月14日 タカラヅカ 前日欄からの長い長い前振りで恐縮ですが。
『宝塚巴里祭2009』の、ポスターの話です。
あきらめていただけに。
そして、おそらくは、最初で最後だろうだけに。(前述の考察から、劇団は路線様以外をポスターに載せる気はナイ)
その、「最初で最後のポスター」って、どうなるの? どんなふーになるの?
いやもちろん、過去の劇団基準がどうあれ、最後でなくていいし、そうあってほしいと思っているが、現在のキモチとして、それくらいの思い込みで。
芝居ぢゃないから、ストーリーがあるワケじゃない。巴里祭、という、よーするにディナーショー、「ショー」のポスターだよ? まっつが?!
芝居ならまだわかる気がするんだが……いきなり、ショーのポスターは敷居が高すぎるだろう。ショーの真ん中を務められる、何度も務めたことのある人でないと、静止画でショーのイメージを表現できないだろ。
そしてまた、過去の巴里祭ポスターを思い出してみる。劇団主催の公演ではなく、ホテルでのイベントなのでチラシが手に入っていないため、記憶に頼るしかないが……ええっと。
昔は複数写りだった。路線スターがどーんと複数出演していたりしたし。
でも近年は主演者のひとり写りが基本だ。
3年前のあひくんがえらくシックに……つか、地味になりすぎていたせいか、それ以降のれおんとともちんは「いかにもなタカラヅカ衣装でバアァァン!!」なポスターだったような。
(ハマコのと、さえちゃんのと、あひくんの巴里祭チラシは持ってます。ふつーDSのチラシは劇場には置いてないのだが、売れ行きの関係か、まさかのチラシが置いてあったのだわ……)
そしてまた、記憶にある限り巴里祭ポスターって、あまり凝っていない……スターの「見せ方」だけに頼った単純なものだった。
キラキラお衣装着て、ポーズ付けて立っている、だけで、「1枚絵」としてのデザイン・演出はされていないというか。
素人が「変身写真館」でスクリーンの前で撮影するアレとあんまし変わっていないというか。
単独のDSポスターなら、そのスター個人のイメージでデザインされるけど……巴里祭ってそのへんお金も意識も掛けられていないのが丸わかりってゆーか……ゲフンゲフン。
唯一がんばっていたのがあひくんのときだけど……がんばりすぎて「どこが巴里祭?」なものすごーくまちがった方向へ突っ走っていた。
でも。
……あの、まっつは、あひくん路線でいいです……地味なくらいでいいです……総スパンとかターバンとかフリルとか、なくていいです……。
ショーのポスターで地味はいかんだろーけど、興行的にどうこうというより、ただもおファンとして、メモリアルでスーベニールなキモチで、「まっつにいちばん似合うものにして」という、祈るよーなキモチでおったのですよ。
わたしだって、「未涼亜希」を使って「巴里祭らしい、派手でキラキラで集客の良くなるポスターを作れ」って言われたら、けっこー途方に暮れると思う。まっつの似合うモノと、劇団というかイベント主催側の求める図は、ちがっているもの。
わたしはファンだから、わたしが作れば、「まっつがもっともまっつらしく、格好良く見える」ものにすると思う。わたし個人のイメージでだが。そしてソレは、決して「ショーの真ん中でバアァァァン!!」なものではない。
『宝塚巴里祭』は巴里祭と銘打っているが、よーするに「タカラヅカのディナーショー」だ。スター個人のDSではなく、「宝塚歌劇団」のホテル宴会用出し物だ。一般人はタカラヅカ=『ベルばら』で、そのあたりものを期待するわけだから。だからNYでもリオでもなくパリなわけで。
まっつで「良くも悪くも、いかにもタカラヅカ!」な「ショーポスター」を作るとなると、なかなかどーして大変だってば。(芝居ならともかく……)
某組2番手ファンの友人が、その2番手さんの主演DCポスターを見て、その出来映えのアレさに悲鳴を上げていた。わたしも、たしかにこりゃひどいなと思ったし、友人と一緒になってネタとしてアレさについて盛り上がったりもした。
でもそれって、「未来がある」と思っているから言えることなんだよね。某2番手さんは過去にも主演ポスターが複数あるし、これからもふつーに主演があり、主演でなくても2番手なんだから大劇場公演ポスターに載り続ける、ということがわかっている。
最初で最後じゃない。その安心感があるから、ひとつくらいポスターがアレでも、笑い話だ。
しかし、まっつは……。
いやあ、気を揉みました。
わたしがじれじれしても仕方ないんだが。取り越し苦労をしてこそファン(笑)。
『宝塚巴里祭2009』ポスター第一報は、全ツ市川初日を観劇した友人からの写メールでした。
携帯画面だから、小さい。細部まではわからない。
それでも、全体像・雰囲気はわかる。
白燕尾+シルクハット!!
背景は青。補色は赤。
赤、白、青。……フランス国旗か(笑)。
その、わっかりやすいイメージに、吹いた。
そして、とりあえずほっとした。
出来がいいか悪いかまでわかんないけど、とりあえず、白燕尾でよかった。シルクハットでよかった。
燕尾+山高帽は、まっつの得意の衣装です!(笑)
総スパンギラギラとかフリルフリル埋もれますとか、ターバンとかキラキラヘアバンドにあちこちツンツンしたラメ付きヘアとかでなくて良かったっ。
や、似合う人はいいけど、ソレで負けない人はいいけど、まっつの場合それがどうなるか未知数過ぎる。
無難に、本人が似合うとわかっているもので攻めてくれたのは、ありがたい。
で。
その白燕尾紳士は、足を交差させ、腰にポイントを置き、ステッキを持ってポーズを決めています。
すごく、「巴里祭」らしい姿ではある。
姿ではあるが。
なんか、おかしい(笑)。
じわじわと、笑いがこみあげてくる。
それは、ニマニマとかニヤニヤという笑いで……よーするに、うれしいらしい。
携帯で画像拡大して、写真がぼやける寸前まで拡大して、上から下から何度も眺めた。
おおお、まっつだ。
まっつだわー……。
見るまでは、「失敗していたらどうしよう」と気を揉んでいたのに。
実際見て、わかった。
どんなポスターだろうと、まっつが写っている限り、「失敗」はナイのだ。
まっつだから、それで正解。それで成功。
わたしにとって。
理屈を山ほど並べても無駄。贔屓がポスターに載っている、それだけでもお、他のことは全部どーでもよくなった。
このポスターの出来がどうなのかなんて、さっぱりわかんない。判断できない。
まっつ好きだから、オールオッケーにしか見えない(笑)。
わたしがポスター実物を目にしたのは、全ツ梅田公演の日。
壁のポスター欄だけでなく、劇場にわざわざプレートを立てて、ポスターを飾っていた。
はじめて、「ふつーに貼ってある」ところを見た。
せ、正視できません。
なんか恥ずかしくて。じろじろ見られない。まじまじ眺められない。うわーうわーうわー。
「まっつ、お化粧濃い」「気合い入りすぎ」……友人たちの冷静なツッコミに、はじめて正気に返る。
たしかに。
まっつ、2500人劇場と同じ勢いでお化粧してる? 静止画相手にそこまでやんなくていいんだよ?
巴里祭は舞台化粧ポスターだもんねえ。そりゃ、いつもと同じように化粧するか。
通常の、ポスターサイズ。この大きさで、まっつを見られる日が来ようとは……。
じーん。
や、ちっこいとか足が短く見えるとか、そんなことはどーでもいいんだっ。
なんかもー、ひたすらかわいいっ。
かわいいかわいいかわいい(笑)。←笑うのか。
コロボックルとかウンパルンパみたいじゃね?
まっつ妖精さん(はぁと)。
いかん、チラシ眺めてにまにましてたら、どんどんアタマが沸いてきた。
欲目でもなんでも、好きだと思えるポスターでよかった。
『宝塚巴里祭2009』の、ポスターの話です。
あきらめていただけに。
そして、おそらくは、最初で最後だろうだけに。(前述の考察から、劇団は路線様以外をポスターに載せる気はナイ)
その、「最初で最後のポスター」って、どうなるの? どんなふーになるの?
いやもちろん、過去の劇団基準がどうあれ、最後でなくていいし、そうあってほしいと思っているが、現在のキモチとして、それくらいの思い込みで。
芝居ぢゃないから、ストーリーがあるワケじゃない。巴里祭、という、よーするにディナーショー、「ショー」のポスターだよ? まっつが?!
芝居ならまだわかる気がするんだが……いきなり、ショーのポスターは敷居が高すぎるだろう。ショーの真ん中を務められる、何度も務めたことのある人でないと、静止画でショーのイメージを表現できないだろ。
そしてまた、過去の巴里祭ポスターを思い出してみる。劇団主催の公演ではなく、ホテルでのイベントなのでチラシが手に入っていないため、記憶に頼るしかないが……ええっと。
昔は複数写りだった。路線スターがどーんと複数出演していたりしたし。
でも近年は主演者のひとり写りが基本だ。
3年前のあひくんがえらくシックに……つか、地味になりすぎていたせいか、それ以降のれおんとともちんは「いかにもなタカラヅカ衣装でバアァァン!!」なポスターだったような。
(ハマコのと、さえちゃんのと、あひくんの巴里祭チラシは持ってます。ふつーDSのチラシは劇場には置いてないのだが、売れ行きの関係か、まさかのチラシが置いてあったのだわ……)
そしてまた、記憶にある限り巴里祭ポスターって、あまり凝っていない……スターの「見せ方」だけに頼った単純なものだった。
キラキラお衣装着て、ポーズ付けて立っている、だけで、「1枚絵」としてのデザイン・演出はされていないというか。
素人が「変身写真館」でスクリーンの前で撮影するアレとあんまし変わっていないというか。
単独のDSポスターなら、そのスター個人のイメージでデザインされるけど……巴里祭ってそのへんお金も意識も掛けられていないのが丸わかりってゆーか……ゲフンゲフン。
唯一がんばっていたのがあひくんのときだけど……がんばりすぎて「どこが巴里祭?」なものすごーくまちがった方向へ突っ走っていた。
でも。
……あの、まっつは、あひくん路線でいいです……地味なくらいでいいです……総スパンとかターバンとかフリルとか、なくていいです……。
ショーのポスターで地味はいかんだろーけど、興行的にどうこうというより、ただもおファンとして、メモリアルでスーベニールなキモチで、「まっつにいちばん似合うものにして」という、祈るよーなキモチでおったのですよ。
わたしだって、「未涼亜希」を使って「巴里祭らしい、派手でキラキラで集客の良くなるポスターを作れ」って言われたら、けっこー途方に暮れると思う。まっつの似合うモノと、劇団というかイベント主催側の求める図は、ちがっているもの。
わたしはファンだから、わたしが作れば、「まっつがもっともまっつらしく、格好良く見える」ものにすると思う。わたし個人のイメージでだが。そしてソレは、決して「ショーの真ん中でバアァァァン!!」なものではない。
『宝塚巴里祭』は巴里祭と銘打っているが、よーするに「タカラヅカのディナーショー」だ。スター個人のDSではなく、「宝塚歌劇団」のホテル宴会用出し物だ。一般人はタカラヅカ=『ベルばら』で、そのあたりものを期待するわけだから。だからNYでもリオでもなくパリなわけで。
まっつで「良くも悪くも、いかにもタカラヅカ!」な「ショーポスター」を作るとなると、なかなかどーして大変だってば。(芝居ならともかく……)
某組2番手ファンの友人が、その2番手さんの主演DCポスターを見て、その出来映えのアレさに悲鳴を上げていた。わたしも、たしかにこりゃひどいなと思ったし、友人と一緒になってネタとしてアレさについて盛り上がったりもした。
でもそれって、「未来がある」と思っているから言えることなんだよね。某2番手さんは過去にも主演ポスターが複数あるし、これからもふつーに主演があり、主演でなくても2番手なんだから大劇場公演ポスターに載り続ける、ということがわかっている。
最初で最後じゃない。その安心感があるから、ひとつくらいポスターがアレでも、笑い話だ。
しかし、まっつは……。
いやあ、気を揉みました。
わたしがじれじれしても仕方ないんだが。取り越し苦労をしてこそファン(笑)。
『宝塚巴里祭2009』ポスター第一報は、全ツ市川初日を観劇した友人からの写メールでした。
携帯画面だから、小さい。細部まではわからない。
それでも、全体像・雰囲気はわかる。
白燕尾+シルクハット!!
背景は青。補色は赤。
赤、白、青。……フランス国旗か(笑)。
その、わっかりやすいイメージに、吹いた。
そして、とりあえずほっとした。
出来がいいか悪いかまでわかんないけど、とりあえず、白燕尾でよかった。シルクハットでよかった。
燕尾+山高帽は、まっつの得意の衣装です!(笑)
総スパンギラギラとかフリルフリル埋もれますとか、ターバンとかキラキラヘアバンドにあちこちツンツンしたラメ付きヘアとかでなくて良かったっ。
や、似合う人はいいけど、ソレで負けない人はいいけど、まっつの場合それがどうなるか未知数過ぎる。
無難に、本人が似合うとわかっているもので攻めてくれたのは、ありがたい。
で。
その白燕尾紳士は、足を交差させ、腰にポイントを置き、ステッキを持ってポーズを決めています。
すごく、「巴里祭」らしい姿ではある。
姿ではあるが。
なんか、おかしい(笑)。
じわじわと、笑いがこみあげてくる。
それは、ニマニマとかニヤニヤという笑いで……よーするに、うれしいらしい。
携帯で画像拡大して、写真がぼやける寸前まで拡大して、上から下から何度も眺めた。
おおお、まっつだ。
まっつだわー……。
見るまでは、「失敗していたらどうしよう」と気を揉んでいたのに。
実際見て、わかった。
どんなポスターだろうと、まっつが写っている限り、「失敗」はナイのだ。
まっつだから、それで正解。それで成功。
わたしにとって。
理屈を山ほど並べても無駄。贔屓がポスターに載っている、それだけでもお、他のことは全部どーでもよくなった。
このポスターの出来がどうなのかなんて、さっぱりわかんない。判断できない。
まっつ好きだから、オールオッケーにしか見えない(笑)。
わたしがポスター実物を目にしたのは、全ツ梅田公演の日。
壁のポスター欄だけでなく、劇場にわざわざプレートを立てて、ポスターを飾っていた。
はじめて、「ふつーに貼ってある」ところを見た。
せ、正視できません。
なんか恥ずかしくて。じろじろ見られない。まじまじ眺められない。うわーうわーうわー。
「まっつ、お化粧濃い」「気合い入りすぎ」……友人たちの冷静なツッコミに、はじめて正気に返る。
たしかに。
まっつ、2500人劇場と同じ勢いでお化粧してる? 静止画相手にそこまでやんなくていいんだよ?
巴里祭は舞台化粧ポスターだもんねえ。そりゃ、いつもと同じように化粧するか。
通常の、ポスターサイズ。この大きさで、まっつを見られる日が来ようとは……。
じーん。
や、ちっこいとか足が短く見えるとか、そんなことはどーでもいいんだっ。
なんかもー、ひたすらかわいいっ。
かわいいかわいいかわいい(笑)。←笑うのか。
コロボックルとかウンパルンパみたいじゃね?
まっつ妖精さん(はぁと)。
いかん、チラシ眺めてにまにましてたら、どんどんアタマが沸いてきた。
欲目でもなんでも、好きだと思えるポスターでよかった。
ポスター掲載基準と、厚い壁。
2009年6月13日 タカラヅカ 昔、ヅカにはまったばかりのころ、ご贔屓はふつーにポスターの隅っこに載っていた。
大劇場ポスターは「トップスターと2番手のもの」というイメージだったので別次元だったが、バウホールポスターならば、新公学年のご贔屓も載っていた。
そして3番手になると同時に、大劇場ポスターにも載るようになった。
次のご贔屓も、Wとはいえバウ主演したし、バウ2番手としてもポスターに載っていた。また、新公主演してない脇要員のわりに、どさくさにまぎれて大劇場ポスターに載ったりもしていた。
そんなわけで、「ポスター掲載」については、かなり鈍感になっていたと思う。
好きになる人はみんなふつーに、時期が来ればポスターに載っていたので。
タカラジェンヌ数百人のうち、ポスターに載ることができる人は、ほんのひと握りだということが、わかっていなかった。
今のご贔屓にオチてはじめて、まともに考えるようになったんだ。
時期が来れば順番に載せてもらえるわけじゃない、と。……そんな当たり前のことに。
劇団のポスターに関する考え方も時代によってまちまちで、バウポスターなら昔はわりと複数の人が掲載されていた。主演とヒロインから3番手くらいまでずらずらっと、大きさはちがうものの詰め込まれていたり。バウの3番手って、組内では何番手よ? 番手以前の若手だったりもしたよ。
それが最近では、掲載人数はかなり絞られることになった。基本は主演者とヒロイン、場合によっては2番手までが載る。主演者へ劇団が期待をかけている場合は、ひとり写り。
(この、「ひとり写り」に関しては、以前真面目に語っている→http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-661.html)
バウ出演2番手ならふつーに掲載されていた時代からヅカファンやっていたので、この最近のポスター基準を実感したのは、今の贔屓にオチた以降だ。
場合によっては2番手まで掲載。……この「場合」というのは、その2番手が「路線スター」である場合だ。新公主演してるとかではなく、劇団が路線と考えているかどうか。積極的に売りたいと思っているかどうか。
前述のデータに引き継ぐカタチとして、現在までたどってみると、
★2007年
『Hallelujah GO!GO!』れおん、ウメ
『ノン ノン シュガー!!』キム
『NEVER SLEEP』らんとむ、まちゃみ
『大坂侍』きりやん
『舞姫』みわっち、ののすみ
『THE SECOND LIFE』みっちゃん、たっちん
『HOLLYWOOD LOVER』ゆーひ、あいちゃん
★2008年
『ブエノスアイレスの風』れおん
★2009年
『忘れ雪』キム、みみ、かなめ
『逆転裁判』らんとむ、まちゃみ
『二人の貴公子』まさき、みりお
『オグリ!』壮、ののすみ
『フィフティ・フィフティ』みつる、めお
前回データと同じ、ワークショップやコンサートなどは除外、純粋にバウ公演のみ。
近年ほんとに掲載人数は減り、ふたりまでが定員になってるっぽい。だからこそ、定員越えとなる3人目の掲載は「路線」のみになる。
ポスターに載せることで、ファン以外の人間にも顔と名前を売りたい生徒のみ。阪急・阪神沿線に貼りまくられるわけだから、一般人(が興味を持つとも思えないが)の目にも触れることが前提。
2002年以降のバウ公演ポスターに掲載された2番手は、みな一度はWSであってもバウ主演をしている。当人の名前で主役としてポスターが作られた人たちばかり。
劇団は、ちゃんと線引きをしている。バウで公演2番手としてポスターに載るかどうか……そんなところでも、トップ路線とその他を区別している。厚い壁があるわけだな、そこには。
で、最初の話に戻る。
昔は劇団期待の路線でなくてもある程度の生徒ならポスターに混ざることができていたので、ぴんときていなかった。とりあえずバウで2番手すれば、ポスターには載る。作品によって主演ひとり写りだとかカップルのみとか、運はあるにしても、チャンスはある。
漠然とそんな感覚でいたので。
バウで2番手しても、我がご贔屓がポスターに載ることはありえないんだ。と、気づいたとき、とても残念だった。
路線云々を置いておいて、とりあえず、「ポスター用の顔をしたご贔屓」を見てみたかったんだ。
公演ポスターという、「ファン以外の人」が目にする「宝塚歌劇団の宣伝媒体」で、どんな姿でどんな化粧でどんな表情をするのか。バウだから芝居の役として演じるのだろうけど、舞台と写真はチガウから、どう表現するのか。
ただファンとして、贔屓の「知らない顔」を見てみたかったんだ。
それが、ありえないのだと気づき……しょんぼりしていたら。
いきなり、「2番手としてチラ写り」を飛び越して、「ひとり写り主演ポスター」とゆー話になった。
なんて長い前振り。
よーするに、現在のご贔屓、まっつの『宝塚巴里祭2009』ポスターの話をしたいだけなのだ。
で、前振りが長すぎるために、本題は翌日欄へ続く(笑)。
大劇場ポスターは「トップスターと2番手のもの」というイメージだったので別次元だったが、バウホールポスターならば、新公学年のご贔屓も載っていた。
そして3番手になると同時に、大劇場ポスターにも載るようになった。
次のご贔屓も、Wとはいえバウ主演したし、バウ2番手としてもポスターに載っていた。また、新公主演してない脇要員のわりに、どさくさにまぎれて大劇場ポスターに載ったりもしていた。
そんなわけで、「ポスター掲載」については、かなり鈍感になっていたと思う。
好きになる人はみんなふつーに、時期が来ればポスターに載っていたので。
タカラジェンヌ数百人のうち、ポスターに載ることができる人は、ほんのひと握りだということが、わかっていなかった。
今のご贔屓にオチてはじめて、まともに考えるようになったんだ。
時期が来れば順番に載せてもらえるわけじゃない、と。……そんな当たり前のことに。
劇団のポスターに関する考え方も時代によってまちまちで、バウポスターなら昔はわりと複数の人が掲載されていた。主演とヒロインから3番手くらいまでずらずらっと、大きさはちがうものの詰め込まれていたり。バウの3番手って、組内では何番手よ? 番手以前の若手だったりもしたよ。
それが最近では、掲載人数はかなり絞られることになった。基本は主演者とヒロイン、場合によっては2番手までが載る。主演者へ劇団が期待をかけている場合は、ひとり写り。
(この、「ひとり写り」に関しては、以前真面目に語っている→http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-661.html)
バウ出演2番手ならふつーに掲載されていた時代からヅカファンやっていたので、この最近のポスター基準を実感したのは、今の贔屓にオチた以降だ。
場合によっては2番手まで掲載。……この「場合」というのは、その2番手が「路線スター」である場合だ。新公主演してるとかではなく、劇団が路線と考えているかどうか。積極的に売りたいと思っているかどうか。
前述のデータに引き継ぐカタチとして、現在までたどってみると、
★2007年
『Hallelujah GO!GO!』れおん、ウメ
『ノン ノン シュガー!!』キム
『NEVER SLEEP』らんとむ、まちゃみ
『大坂侍』きりやん
『舞姫』みわっち、ののすみ
『THE SECOND LIFE』みっちゃん、たっちん
『HOLLYWOOD LOVER』ゆーひ、あいちゃん
★2008年
『ブエノスアイレスの風』れおん
★2009年
『忘れ雪』キム、みみ、かなめ
『逆転裁判』らんとむ、まちゃみ
『二人の貴公子』まさき、みりお
『オグリ!』壮、ののすみ
『フィフティ・フィフティ』みつる、めお
前回データと同じ、ワークショップやコンサートなどは除外、純粋にバウ公演のみ。
近年ほんとに掲載人数は減り、ふたりまでが定員になってるっぽい。だからこそ、定員越えとなる3人目の掲載は「路線」のみになる。
ポスターに載せることで、ファン以外の人間にも顔と名前を売りたい生徒のみ。阪急・阪神沿線に貼りまくられるわけだから、一般人(が興味を持つとも思えないが)の目にも触れることが前提。
2002年以降のバウ公演ポスターに掲載された2番手は、みな一度はWSであってもバウ主演をしている。当人の名前で主役としてポスターが作られた人たちばかり。
劇団は、ちゃんと線引きをしている。バウで公演2番手としてポスターに載るかどうか……そんなところでも、トップ路線とその他を区別している。厚い壁があるわけだな、そこには。
で、最初の話に戻る。
昔は劇団期待の路線でなくてもある程度の生徒ならポスターに混ざることができていたので、ぴんときていなかった。とりあえずバウで2番手すれば、ポスターには載る。作品によって主演ひとり写りだとかカップルのみとか、運はあるにしても、チャンスはある。
漠然とそんな感覚でいたので。
バウで2番手しても、我がご贔屓がポスターに載ることはありえないんだ。と、気づいたとき、とても残念だった。
路線云々を置いておいて、とりあえず、「ポスター用の顔をしたご贔屓」を見てみたかったんだ。
公演ポスターという、「ファン以外の人」が目にする「宝塚歌劇団の宣伝媒体」で、どんな姿でどんな化粧でどんな表情をするのか。バウだから芝居の役として演じるのだろうけど、舞台と写真はチガウから、どう表現するのか。
ただファンとして、贔屓の「知らない顔」を見てみたかったんだ。
それが、ありえないのだと気づき……しょんぼりしていたら。
いきなり、「2番手としてチラ写り」を飛び越して、「ひとり写り主演ポスター」とゆー話になった。
なんて長い前振り。
よーするに、現在のご贔屓、まっつの『宝塚巴里祭2009』ポスターの話をしたいだけなのだ。
で、前振りが長すぎるために、本題は翌日欄へ続く(笑)。
エリザベートと共に生きた人々。@新人公演『エリザベート』
2009年6月12日 タカラヅカ 月組新人公演『エリザベート』感想続き。
新公は抜粋『エリザベート』だから、ここぞ!という派手なシーンがさくっと削られていて拍子抜けになる。……仕方ないんだけど。
とくにプロローグと最終弁論、エリザベートと共に生きた人々の証言がまるっとカットされているんだよな。なのにルキーニは台詞で彼らに話しかけるのよ。ルキーニの、話しかける台詞はカットになってないの。……だから余計、カーテンが開いて誰もいないと、かくっとなるわ(笑)。
んでもって、そんなエリザベートと共に生きた人々、キャストについて思ったことを、おぼえている範囲で流し書き~~。
ルドルフ@煌月爽矢くんは、うまかったっす。とくに、あとになるほどなめらかになっていった。
『SAUDADE』のときは主要キャラとの実力差が歴然としていて大変だったけど、新公でなら気にならないね。学年からすれば、十分及第点かと。
しかし……丸い。
雪のりんきら、花の鳳くん、そして月の煌月くん、と路線系若手で実力そこそこ、しかしまるまる、とイメージの似た子が出てきたなあ。や、わたしの周囲だけかもしんないけど、「なんかかぶる……」と。ここに次の公演から星の麻央くんも入ってくるだろうか……?
若いときはみんなぷくぷく健康的なもんで、これからどう男らしいラインに絞っていくかが課題だよね。
子ルドルフ@千海華蘭くん、うまくてかわいかった。おお、ちゃんと歌えている~~。お目目キラキラ。
しかし彼、これで何役続けて子役やってるんだ? 前回は本公も新公も子役だったような……あれ、新公は子役ぢゃなかった(妻がいたよーな)? でも子役っぽい印象が……。
少年役がうまいことはわかったから、大人の役が見てみたいっす。
革命家トリオが大人だ。
てゆーかエルマー@鳳月杏くんがちゃんと青年……そして後半はおっさんに見えた。ヒゲ似合うじゃん。タッパがあってかっこいー。
シュテファン@星輝つばさくん、若いうちは「なんか引っかかる……なんで引っかかるんだろう」と首を傾げていたが、おっさんになってからわかった。
……顔が、好みだ……。
ヒゲになってから、ソレがわかった。ヒゲ有りになることで、より顕著になったらしい(笑)。
ジュラ@珠城りょうくんが、頬骨から上だけ、そのかに見える……彼も好みの顔だ……。てゆーか彼、まだ研2? それでカゲソロまでやってるの?
でもって3人ともでかい。統一感あっていいなあ。
グリュンネ伯爵@美翔くん、かっこいい。良い感じに枯れたおっさんぶり。なんか彼、どんどんオトコマエになっていくなあ。
ラウシャー大司教@輝城みつるくんが、あのマッシュルームヘアにも負けず、かわいかったよーな。歌もいいな。
密告者ふたり@海桐くんと瑞羽くん。壮くん似の海桐くんと、りせ似の瑞羽くんがふたり並んで登場していることに、なんかツボる。密告者ではなく、アルバイトのカフェの男でヒゲなしで並んでいるときが、特に。
瑞羽くんが喋って歌って演技してるの、はじめて見る、くらいの感覚だわ……。
しかし瑞羽くん……太った……? 頬のラインにびっくり……せっかくの美形くんが……っ。
マデレーネ@うらもえ……おおお、ちゃんと美少女だ! 舞台では化けるよなほんと。踊ってるとほんとにきれいだ。
黒天使@まんちゃんはクールでかっこいー。ときどきふっと、さおたさんっぽく見えた気がした……のは、花組『エリザベート』のイメージをわたしが引きずっているせいかもしれない。顔は別に似てないはずだしな。
わたしは彼の、クチビルが好きかもしんない……(笑)。
ヘレネ@蘭はながかわいすぎるっ。
最初にすっころぶところ、わたしの隣の席の人は本気で声出して笑ってた。見事だ。
他にも主要キャラで特に下手とか思う人はなく、みんな作品を壊さずうまく務めていたと思う。
しかし、前回の月組『エリザベート』からたった4年なんだよね。新公出演者もかぶっているわけで。
こんなに早く、しかも役が多いわけでもない作品をもう一度やってしまうのは、新人育成にはあまり利点がない気がする……。
いっそ1幕2幕フルタイムで上演しちゃえばいいのになー。Wキャスト有りで、できるだけ多くの子にチャンスを与えて。
だってまだ4年だよ……。そのへん考慮して、役や出番を増やしてあげたいよ。
新公学年だから、カチャが出演するのかどうか、座席に置いてあるプログラムを見るまでわかんなかった。
トップ就任したあとでも、学年が若い子は新公にも出演していたもの。その他大勢のモブにまざって。
カチャもそれがあるかもしんないと思った。彼女はトップスターでも月組組子でもないわけだから、月組の新公に出るのはおかしいけど、なにしろ前例がないことなので、出ても出なくても変じゃない。
カチャは、出てなかった。
本公演だけでも大変だろうから、それでいいんだと思う。
てゆーか、カチャがもし出ていたら、男女どっちで出たんだろう?
と、ありもしなかったことに思いを馳せてみる(笑)。
新公は抜粋『エリザベート』だから、ここぞ!という派手なシーンがさくっと削られていて拍子抜けになる。……仕方ないんだけど。
とくにプロローグと最終弁論、エリザベートと共に生きた人々の証言がまるっとカットされているんだよな。なのにルキーニは台詞で彼らに話しかけるのよ。ルキーニの、話しかける台詞はカットになってないの。……だから余計、カーテンが開いて誰もいないと、かくっとなるわ(笑)。
んでもって、そんなエリザベートと共に生きた人々、キャストについて思ったことを、おぼえている範囲で流し書き~~。
ルドルフ@煌月爽矢くんは、うまかったっす。とくに、あとになるほどなめらかになっていった。
『SAUDADE』のときは主要キャラとの実力差が歴然としていて大変だったけど、新公でなら気にならないね。学年からすれば、十分及第点かと。
しかし……丸い。
雪のりんきら、花の鳳くん、そして月の煌月くん、と路線系若手で実力そこそこ、しかしまるまる、とイメージの似た子が出てきたなあ。や、わたしの周囲だけかもしんないけど、「なんかかぶる……」と。ここに次の公演から星の麻央くんも入ってくるだろうか……?
若いときはみんなぷくぷく健康的なもんで、これからどう男らしいラインに絞っていくかが課題だよね。
子ルドルフ@千海華蘭くん、うまくてかわいかった。おお、ちゃんと歌えている~~。お目目キラキラ。
しかし彼、これで何役続けて子役やってるんだ? 前回は本公も新公も子役だったような……あれ、新公は子役ぢゃなかった(妻がいたよーな)? でも子役っぽい印象が……。
少年役がうまいことはわかったから、大人の役が見てみたいっす。
革命家トリオが大人だ。
てゆーかエルマー@鳳月杏くんがちゃんと青年……そして後半はおっさんに見えた。ヒゲ似合うじゃん。タッパがあってかっこいー。
シュテファン@星輝つばさくん、若いうちは「なんか引っかかる……なんで引っかかるんだろう」と首を傾げていたが、おっさんになってからわかった。
……顔が、好みだ……。
ヒゲになってから、ソレがわかった。ヒゲ有りになることで、より顕著になったらしい(笑)。
ジュラ@珠城りょうくんが、頬骨から上だけ、そのかに見える……彼も好みの顔だ……。てゆーか彼、まだ研2? それでカゲソロまでやってるの?
でもって3人ともでかい。統一感あっていいなあ。
グリュンネ伯爵@美翔くん、かっこいい。良い感じに枯れたおっさんぶり。なんか彼、どんどんオトコマエになっていくなあ。
ラウシャー大司教@輝城みつるくんが、あのマッシュルームヘアにも負けず、かわいかったよーな。歌もいいな。
密告者ふたり@海桐くんと瑞羽くん。壮くん似の海桐くんと、りせ似の瑞羽くんがふたり並んで登場していることに、なんかツボる。密告者ではなく、アルバイトのカフェの男でヒゲなしで並んでいるときが、特に。
瑞羽くんが喋って歌って演技してるの、はじめて見る、くらいの感覚だわ……。
しかし瑞羽くん……太った……? 頬のラインにびっくり……せっかくの美形くんが……っ。
マデレーネ@うらもえ……おおお、ちゃんと美少女だ! 舞台では化けるよなほんと。踊ってるとほんとにきれいだ。
黒天使@まんちゃんはクールでかっこいー。ときどきふっと、さおたさんっぽく見えた気がした……のは、花組『エリザベート』のイメージをわたしが引きずっているせいかもしれない。顔は別に似てないはずだしな。
わたしは彼の、クチビルが好きかもしんない……(笑)。
ヘレネ@蘭はながかわいすぎるっ。
最初にすっころぶところ、わたしの隣の席の人は本気で声出して笑ってた。見事だ。
他にも主要キャラで特に下手とか思う人はなく、みんな作品を壊さずうまく務めていたと思う。
しかし、前回の月組『エリザベート』からたった4年なんだよね。新公出演者もかぶっているわけで。
こんなに早く、しかも役が多いわけでもない作品をもう一度やってしまうのは、新人育成にはあまり利点がない気がする……。
いっそ1幕2幕フルタイムで上演しちゃえばいいのになー。Wキャスト有りで、できるだけ多くの子にチャンスを与えて。
だってまだ4年だよ……。そのへん考慮して、役や出番を増やしてあげたいよ。
新公学年だから、カチャが出演するのかどうか、座席に置いてあるプログラムを見るまでわかんなかった。
トップ就任したあとでも、学年が若い子は新公にも出演していたもの。その他大勢のモブにまざって。
カチャもそれがあるかもしんないと思った。彼女はトップスターでも月組組子でもないわけだから、月組の新公に出るのはおかしいけど、なにしろ前例がないことなので、出ても出なくても変じゃない。
カチャは、出てなかった。
本公演だけでも大変だろうから、それでいいんだと思う。
てゆーか、カチャがもし出ていたら、男女どっちで出たんだろう?
と、ありもしなかったことに思いを馳せてみる(笑)。
よかった。
よかった、宙組、『ベルばら』ぢゃないっ。
前回のラインアップ発表で、花組が『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』だとわかり、まだ発表されていない宙組に望みを託した。
キモチは、「俺の屍を越えて行け」だ。
『ベルばら』って、みんな大嫌いぢゃないですか。宝塚歌劇団がある限り上演され続けられる、決してなくなることはない悪夢、天災じゃないですか。誰もが自分の贔屓の組には当たってほしくないと願う最悪作品じゃないですか。
いやその、「みんな」って言ったら言い過ぎかもしんない、世界中の人の嗜好を聞いたわけじゃないから。
でもわたしの周囲、とても狭い範囲ではありますが、わたしが知る限りの「みんな」は、嫌っています。
自組に当たったら嘆き悲しみ、他組に当たるとお悔やみの言葉をかける、そーゆー位置づけ。
わたしも今回、友人たちから同情や励ましの言葉をいただきました。
植爺と『ベルばら』は、天災である以上、絶対になくなることはなく、誰かが犠牲になる。これはもう、仕方ないこと。
それならせめて、被害は出来るだけ少ない方がいい。
人間として、そう思うのはふつうでしょう。
「不幸なのはわたしだけでいい、お願い、みんなは不幸にならないで」と、泣きながら顔を上げてつぶやく、そのノリです。
「オレの死を無駄にせず、この屍を超えて未来を掴んでくれ……(ばたり)」てなノリです。
これで宙組まで植爺だったら、救いがない。泣く人が増えるだけじゃないかっ、そんな世の中間違ってるよママン!!
てなキモチだったので(いろんな方面に失礼な物言い)、宙組が『ベルばら』でなくて、心から喜びました。
そしてさらに、最悪の事態におびえていただけに、この演目に小躍りしてまつ。
あああ、かっこいいゆーひくんが見られるんだー。
原作付きだし、20時間超えを2時間半にまとめるわけでもないし、ふつーに期待できそうぢゃないですか。(原作付きでないもの、原作があっても長すぎてほぼオリジナル化しないと無理なものに対しての、イケコへの不信感ときたら・笑)
わたしはほんとのところ、小池先生の作品は好きになれないことが多いのだけど、それでも「小池演出・新作の大作ミュージカル(有名原作付き)」となると、俄然楽しみに思えるので、やっぱ演出家としての小池せんせはすごいよなあ。
名前聞くだけで嫌悪と絶望で気が遠くなるほど苦手な演出家もいるわけだから、「こーゆーとこが好きになれないんだよな」てな部分を抱えていても、それを払拭するほどの美点を持つ演出家は貴重だ。
そして、その嘆き悲しんだ(笑)『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』、一部配役とポスターが出ました。
……宙組中日作品の再演だから、この配役になるのはわかっている。
問題は、こうやって発表してポスターまで出してしまったってことは、他組からの特出はナイってこと。
わたしの記憶にある限り、本公演で1幕モノの『ベルばら』をやったことはないので、特出してまで大騒ぎしなくてもいいか、てなもんなのかもしれない。
が、わたしの記憶にある限り、本公演で特出も役替わりもない『ベルばら』は観たことがないし、初演の宙中日でオスカルが役替わりだったので、今後発表があるのかなと思う。
宙中日の番手で当てはめると、3番手=フェルゼン、4・5番手役替わり=オスカルになると思うが……花組にまんま当てはまるとも思えないし。
や、今までの番手で持ち上がるとすれば、3番手みわっち、4番手まっつと続くことになるけど、まっつがそのまま持ち上がるとは、残念ながら思っていない。
てゆーか、その法則で行くと、まっつがオスカルになるから、ありえない(笑)。
みわさんのオスカルはもうおなかいっぱいなので、頼むから別の役がいいっす。や、オスカルがというより、女役がもういいっす。フェルゼンでもジェローデルでもベルナールでも、みわさんならさぞや濃くクラシカルに演じてくれますよ。
どうかどうか、男役オンリーでお願いしますだ。
めおみつバウ『フィフティ・フィフティ』の配役が発表になったけれど、……わ、わからん。ヒロインは誰?
て、その「ヒロインは誰?」と思えることに、花組の娘役豊作ぶりを思う。
きらりちゃんでもれみちゃんでもあまちゃきでも、みんなヒロイン即OK!だもんな。
研3の菜那くららちゃんだって、93期入団次席、娘役ではトップの期待の星じゃん、抜擢なのかもしれないし。
花盛りだなあ、花組。
もひとつ、『逆転裁判2』の配役発表。
ミツルギ@ともちんキターーッ!!
いやはや、まずミツルギが出ることから、トピックだった。七帆くんがあまりにハマリ役だったため、永久欠番かと思ってた。
ともちんに今になって二枚目役が回ってくること、しかもソレが内外から注目度の高いミツルギ役だということ、いろんな意味でテンション上がった。
や、大変だと思うけどね、あれだけのハマリ役の、あとを受けるのは。
でもうれしいな。2番手のともちんもうれしいし、らんとむと絡んでくれるのもうれしい。観たことなかったもんよ。
せーこちゃんがヒロインだとわかったときも、うれしかったんですけどね。せーこちゃんはヅカのヒロインにはちょっと線が太いんだけど、漢らんとむなら全部まるっと受け止めてくれそうだし!
『逆転裁判』は主要キャラにしか見せ場がなく、下級生は背景扱い、そして主要キャラだって結局は主役以外芝居というよりキャラ見せ程度で終わっていて、「人を観る」タカラヅカの趣旨からははずれているんだよね。
だから芝居として、下級生が活躍できるはずの小劇場公演としてはおいしくないのかもしれないけれど、話題作なことはたしかだから、ヅカファン以外の人にも注目されるチャンス。チガウ客層の中で舞台に立ち、さらにスキルアップしてくれることだろう。
てゆーかチケット取れるんだろーか……。
よかった、宙組、『ベルばら』ぢゃないっ。
2009/06/11
2009年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<11月~2010年2月予定・宙組『カサブランカ』>
6月11日(木)、2009年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、宝塚大劇場、東京宝塚劇場<11月~2010年2月予定・宙組>の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。
宙組
■主演・・・(宙組)大空 祐飛、野々 すみ花
NTT東日本・NTT西日本フレッツシアター
ミュージカル
『カサブランカ』
CASABLANCA and all related characters and elements are
trademarks of and (c)Turner Entertainment Co. (s09)
脚本・演出/小池修一郎
前回のラインアップ発表で、花組が『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』だとわかり、まだ発表されていない宙組に望みを託した。
キモチは、「俺の屍を越えて行け」だ。
『ベルばら』って、みんな大嫌いぢゃないですか。宝塚歌劇団がある限り上演され続けられる、決してなくなることはない悪夢、天災じゃないですか。誰もが自分の贔屓の組には当たってほしくないと願う最悪作品じゃないですか。
いやその、「みんな」って言ったら言い過ぎかもしんない、世界中の人の嗜好を聞いたわけじゃないから。
でもわたしの周囲、とても狭い範囲ではありますが、わたしが知る限りの「みんな」は、嫌っています。
自組に当たったら嘆き悲しみ、他組に当たるとお悔やみの言葉をかける、そーゆー位置づけ。
わたしも今回、友人たちから同情や励ましの言葉をいただきました。
植爺と『ベルばら』は、天災である以上、絶対になくなることはなく、誰かが犠牲になる。これはもう、仕方ないこと。
それならせめて、被害は出来るだけ少ない方がいい。
人間として、そう思うのはふつうでしょう。
「不幸なのはわたしだけでいい、お願い、みんなは不幸にならないで」と、泣きながら顔を上げてつぶやく、そのノリです。
「オレの死を無駄にせず、この屍を超えて未来を掴んでくれ……(ばたり)」てなノリです。
これで宙組まで植爺だったら、救いがない。泣く人が増えるだけじゃないかっ、そんな世の中間違ってるよママン!!
てなキモチだったので(いろんな方面に失礼な物言い)、宙組が『ベルばら』でなくて、心から喜びました。
そしてさらに、最悪の事態におびえていただけに、この演目に小躍りしてまつ。
あああ、かっこいいゆーひくんが見られるんだー。
原作付きだし、20時間超えを2時間半にまとめるわけでもないし、ふつーに期待できそうぢゃないですか。(原作付きでないもの、原作があっても長すぎてほぼオリジナル化しないと無理なものに対しての、イケコへの不信感ときたら・笑)
わたしはほんとのところ、小池先生の作品は好きになれないことが多いのだけど、それでも「小池演出・新作の大作ミュージカル(有名原作付き)」となると、俄然楽しみに思えるので、やっぱ演出家としての小池せんせはすごいよなあ。
名前聞くだけで嫌悪と絶望で気が遠くなるほど苦手な演出家もいるわけだから、「こーゆーとこが好きになれないんだよな」てな部分を抱えていても、それを払拭するほどの美点を持つ演出家は貴重だ。
そして、その嘆き悲しんだ(笑)『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』、一部配役とポスターが出ました。
アンドレ 真飛 聖
マリーズ 桜乃 彩音
アラン 壮 一帆
……宙組中日作品の再演だから、この配役になるのはわかっている。
問題は、こうやって発表してポスターまで出してしまったってことは、他組からの特出はナイってこと。
わたしの記憶にある限り、本公演で1幕モノの『ベルばら』をやったことはないので、特出してまで大騒ぎしなくてもいいか、てなもんなのかもしれない。
が、わたしの記憶にある限り、本公演で特出も役替わりもない『ベルばら』は観たことがないし、初演の宙中日でオスカルが役替わりだったので、今後発表があるのかなと思う。
宙中日の番手で当てはめると、3番手=フェルゼン、4・5番手役替わり=オスカルになると思うが……花組にまんま当てはまるとも思えないし。
や、今までの番手で持ち上がるとすれば、3番手みわっち、4番手まっつと続くことになるけど、まっつがそのまま持ち上がるとは、残念ながら思っていない。
てゆーか、その法則で行くと、まっつがオスカルになるから、ありえない(笑)。
みわさんのオスカルはもうおなかいっぱいなので、頼むから別の役がいいっす。や、オスカルがというより、女役がもういいっす。フェルゼンでもジェローデルでもベルナールでも、みわさんならさぞや濃くクラシカルに演じてくれますよ。
どうかどうか、男役オンリーでお願いしますだ。
めおみつバウ『フィフティ・フィフティ』の配役が発表になったけれど、……わ、わからん。ヒロインは誰?
て、その「ヒロインは誰?」と思えることに、花組の娘役豊作ぶりを思う。
きらりちゃんでもれみちゃんでもあまちゃきでも、みんなヒロイン即OK!だもんな。
研3の菜那くららちゃんだって、93期入団次席、娘役ではトップの期待の星じゃん、抜擢なのかもしれないし。
花盛りだなあ、花組。
もひとつ、『逆転裁判2』の配役発表。
ミツルギ@ともちんキターーッ!!
いやはや、まずミツルギが出ることから、トピックだった。七帆くんがあまりにハマリ役だったため、永久欠番かと思ってた。
ともちんに今になって二枚目役が回ってくること、しかもソレが内外から注目度の高いミツルギ役だということ、いろんな意味でテンション上がった。
や、大変だと思うけどね、あれだけのハマリ役の、あとを受けるのは。
でもうれしいな。2番手のともちんもうれしいし、らんとむと絡んでくれるのもうれしい。観たことなかったもんよ。
せーこちゃんがヒロインだとわかったときも、うれしかったんですけどね。せーこちゃんはヅカのヒロインにはちょっと線が太いんだけど、漢らんとむなら全部まるっと受け止めてくれそうだし!
『逆転裁判』は主要キャラにしか見せ場がなく、下級生は背景扱い、そして主要キャラだって結局は主役以外芝居というよりキャラ見せ程度で終わっていて、「人を観る」タカラヅカの趣旨からははずれているんだよね。
だから芝居として、下級生が活躍できるはずの小劇場公演としてはおいしくないのかもしれないけれど、話題作なことはたしかだから、ヅカファン以外の人にも注目されるチャンス。チガウ客層の中で舞台に立ち、さらにスキルアップしてくれることだろう。
てゆーかチケット取れるんだろーか……。
フランツとルキーニって。@新人公演『エリザベート』
2009年6月10日 タカラヅカ「フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
月組新人公演『エリザベート』観劇後、チェリさんが言った。
「似てないよ」
わたしは即座に否定。
でもってみりおくんの美しさやしずくちゃんの美しさの話になり、たのしくだらだら喋ったあと。
「で、フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
「だから、似てないってば」
チェリさん、わざわざ2回言いましたよこの人、ゆりやくんのことまっつ似だって。
わたしもわざわざ2回否定したけど(笑)。
フランツ@ゆりやくんは、べつにまっつには似ていない、と思う。わたしは少なくとも、一度も思ったことはない。「似てるなんて言われたら嫌だわ」というのではなく、たんに、ほんとーに、心から、一度も思ったことがないので、事実として「似てない」と言うだけで。
顔立ちも、芸風も、得意分野も、まっつにはまったくかすっていない。
だけどなんでチェリさんが「まっつに似てる」と思ったのか、……ちょっと考えれば、わかった。
終始、泣きそうな顔をしているからだ。
困った顔というか。笑っているのか泣いているのかわからない……でも泣き顔寄りがデフォルトというか。
わたしは、今回彼を見ながら堺雅人を思い出していた(笑)。堺さんは笑い顔寄りだけど。
ゆりやくんはパステルカラーのクリーム満載スイーツのよーなイメージ。キラキラした、あまいあまいハンサムな王子様。王子だけど王太子ではなく、王位継承とか政治とかには無縁な、愛されてやさしくやさしく世間知らずに育ったかわいこちゃん。
前回の新公では悪役をがんばっていたけど、ちっとも強く見えなかった。そんな彼が挑戦する大役、フランツ・ヨーゼフ。
あたたかくてやさしくて、そして終始泣き顔のヘタレで、ある意味フランツらしかった、の、かも。
貴族的な雰囲気とやさしさは持って生まれたモノだろうから、あとはそこに強さとかいろんなものを加えていけるといいね。……歌は、がんばれ(笑)。
本役のきりやんフランツの黒さ(笑)に「ソレ、フランツちゃうやん」的ツッコミを入れているもんで、ゆりやくんの「いかにもなフランツぶり」には、かえってウケた。
あー、『エリザベート』から連想するフランツの大雑把なイメージって、こんな感じ、と。特徴を捉えて似顔絵を描きましたってゆーか。それはソレで間違いじゃない。
てゆーか、「まっつに似てる」とか言われたら、これから意識しちゃうぢゃないか(笑)。
新公『エリザベート』の演出というか、短縮場面の処理の仕方って毎回違っているのは何故。毎回刷新しようとしているの?
でも、良くなっているとも思えないんですが……。
たしかに前の月新公『エリザ』の演出はひどかったよ。その失敗を踏まえて、次の雪新公では改編してたじゃん?
なのにまた戻しちゃうのって、なんで……? 雪新公の演出は良くなかったの?
プロローグ全カット、ルキーニ@宇月くんの銀橋の語りから、肖像画1枚出て来てシシィ@しずく登場。詩の朗読。……て、トートは?!
なんかもー、盛り上がらない、肩すかしのまま話が進んでいく。
毎回思うけど、「パパみたいに」を削ってもプロローグやればいいのに。舞台にふたりしかいない場面より、主要人物勢揃い場面作った方が舞台も客席も暖まるのに。出番が多い方が若手たちの成長にもいいだろうに。
空気が冷えたまま難曲「パパみたいに」に突入するのは、なかなか困難なんじゃないかと……。
でも、削ってはいけない絶対の場面なんだね。プロローグや最終答弁を削っても、「パパみたいに」は削ってはいけないんだ。……よくわかんねえ。
植爺の『ベルばら』で、フェルゼンとメルシー伯爵の会話を1場面まるまる、絶対削ってはいけないのと同じ?
雪新公のときの方が良かったなあ、と思うのはプロローグがただ「あった」というだけ、「みなさん出てきただけ」であってもあったということと、ルキーニの、客席登場。
今回も期待してたんだよ? ルキーニがカメラ持って客席から現れ、さんざん客席いじりしたあと、銀橋でピンスポ浴びて1曲フルで歌う、ての。
……なかった。
客席登場も、客席いじりも。
ふつーに下手花道から現れて、銀橋で台本通りの台詞言って、終わった。そのあとひとり「キッチュ」を歌ってはいたけど。
なんで演出変えたの? てゆーか、戻したの?
派手にする分にはいいじゃん。宇月くんならできたと思うし。
このへんは大人の事情かなぁと思う。
つまり、番手の問題。
雪新公では、主役がトートなのは当然だが、2番手役はルキーニだったんだよね。フランツは、3番手。
だからフランツの見せ場を削り、ルキーニを派手な演出にしてあった。
フランツ役は作品を支える脇の職人くんが演じ、ルキーニを路線スターが演じた。
だが今回の月新公は、フランツもルキーニも、ふつーに路線くんが演じている。番手をあからさまに逆転させるわけにもいかない。
2番手はフランツ、3番手がルキーニ。
番手の縛りがあるから、その方がいいとわかっていても、ルキーニばかりいい扱いできない。
……まあ、ルキーニが客席登場する必要はナイんだけどね、ほんとのとこ。飛び道具というか、そこまで下駄履かしたらそりゃ客席の目を一気に集められますよ的、役者の実力へのフォローだったのかもしんないが。
なんにせよ、ルキーニ@宇月くんは、良かった。
聞きやすい台詞、聴きやすい歌声。狂言回しとして過不足ナイ仕事ぶり。
てゆーか歌、うまくなってるよね? もとから歌えたけど、こんなにふつーにきれいに歌えるんだ。
「ルキーニって、やりやすい役なのかな」
と、観劇後にチェリさんが言っていたけれど、たしかにソレはあると思う。
本公演のルキーニを「良くない」という声は、どの公演に限らず耳にするけど、新公のルキーニは大抵「良かった」と言われる。
物語の外側から台詞で解説するルキーニは、ある程度の男役スキルのある子なら、演じやすいんだと思う。外へ向けて発散する役だから、アピールしやすいし。
また、舞台中央で演じられている物語自体が、あくまでも新公レベルのものなので、ひとりチガウ立ち位置にいることで、際立って見えるんだよな。
本公演レベルの物語を相手に、ルキーニを演じるのはそりゃ大変なんだろう。
とゆーことは、さすがに7回目の『エリザベート』で、ナマで新公観るのが4回目になると、気づいてくる。
わたしもずっと、新公ルキーニは絶賛してるし(……て、そうだ、初演雪はチガウか。でもアレはまた別ってことで)。
なんて理屈をこねてみても、でもやっぱり宇月くん良かったってば~~!
前回の新公では「みりおくんの次のスターって誰??」状態だったんだけど、今回で次代は宇月くんに新公主演して欲しくなりました。
来年には彼、新公主演できるかな。キモチ的には、次で主演してほしいんですが。みりおくんには脇へ回ってもらって。
や、みりおくんに限らず、新公は独占連続主演で卒業するのではなく、最後の回は長の期に脇で支えて欲しい派なので。みりおくんには悪役とか老け役とか、新公以外では当分出来そうにない役をやって、芸の幅を広げて欲しいし、若い主演の子にはのびのび演じて欲しいしで。
ダメかな?
月組新人公演『エリザベート』観劇後、チェリさんが言った。
「似てないよ」
わたしは即座に否定。
でもってみりおくんの美しさやしずくちゃんの美しさの話になり、たのしくだらだら喋ったあと。
「で、フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
「だから、似てないってば」
チェリさん、わざわざ2回言いましたよこの人、ゆりやくんのことまっつ似だって。
わたしもわざわざ2回否定したけど(笑)。
フランツ@ゆりやくんは、べつにまっつには似ていない、と思う。わたしは少なくとも、一度も思ったことはない。「似てるなんて言われたら嫌だわ」というのではなく、たんに、ほんとーに、心から、一度も思ったことがないので、事実として「似てない」と言うだけで。
顔立ちも、芸風も、得意分野も、まっつにはまったくかすっていない。
だけどなんでチェリさんが「まっつに似てる」と思ったのか、……ちょっと考えれば、わかった。
終始、泣きそうな顔をしているからだ。
困った顔というか。笑っているのか泣いているのかわからない……でも泣き顔寄りがデフォルトというか。
わたしは、今回彼を見ながら堺雅人を思い出していた(笑)。堺さんは笑い顔寄りだけど。
ゆりやくんはパステルカラーのクリーム満載スイーツのよーなイメージ。キラキラした、あまいあまいハンサムな王子様。王子だけど王太子ではなく、王位継承とか政治とかには無縁な、愛されてやさしくやさしく世間知らずに育ったかわいこちゃん。
前回の新公では悪役をがんばっていたけど、ちっとも強く見えなかった。そんな彼が挑戦する大役、フランツ・ヨーゼフ。
あたたかくてやさしくて、そして終始泣き顔のヘタレで、ある意味フランツらしかった、の、かも。
貴族的な雰囲気とやさしさは持って生まれたモノだろうから、あとはそこに強さとかいろんなものを加えていけるといいね。……歌は、がんばれ(笑)。
本役のきりやんフランツの黒さ(笑)に「ソレ、フランツちゃうやん」的ツッコミを入れているもんで、ゆりやくんの「いかにもなフランツぶり」には、かえってウケた。
あー、『エリザベート』から連想するフランツの大雑把なイメージって、こんな感じ、と。特徴を捉えて似顔絵を描きましたってゆーか。それはソレで間違いじゃない。
てゆーか、「まっつに似てる」とか言われたら、これから意識しちゃうぢゃないか(笑)。
新公『エリザベート』の演出というか、短縮場面の処理の仕方って毎回違っているのは何故。毎回刷新しようとしているの?
でも、良くなっているとも思えないんですが……。
たしかに前の月新公『エリザ』の演出はひどかったよ。その失敗を踏まえて、次の雪新公では改編してたじゃん?
なのにまた戻しちゃうのって、なんで……? 雪新公の演出は良くなかったの?
プロローグ全カット、ルキーニ@宇月くんの銀橋の語りから、肖像画1枚出て来てシシィ@しずく登場。詩の朗読。……て、トートは?!
なんかもー、盛り上がらない、肩すかしのまま話が進んでいく。
毎回思うけど、「パパみたいに」を削ってもプロローグやればいいのに。舞台にふたりしかいない場面より、主要人物勢揃い場面作った方が舞台も客席も暖まるのに。出番が多い方が若手たちの成長にもいいだろうに。
空気が冷えたまま難曲「パパみたいに」に突入するのは、なかなか困難なんじゃないかと……。
でも、削ってはいけない絶対の場面なんだね。プロローグや最終答弁を削っても、「パパみたいに」は削ってはいけないんだ。……よくわかんねえ。
植爺の『ベルばら』で、フェルゼンとメルシー伯爵の会話を1場面まるまる、絶対削ってはいけないのと同じ?
雪新公のときの方が良かったなあ、と思うのはプロローグがただ「あった」というだけ、「みなさん出てきただけ」であってもあったということと、ルキーニの、客席登場。
今回も期待してたんだよ? ルキーニがカメラ持って客席から現れ、さんざん客席いじりしたあと、銀橋でピンスポ浴びて1曲フルで歌う、ての。
……なかった。
客席登場も、客席いじりも。
ふつーに下手花道から現れて、銀橋で台本通りの台詞言って、終わった。そのあとひとり「キッチュ」を歌ってはいたけど。
なんで演出変えたの? てゆーか、戻したの?
派手にする分にはいいじゃん。宇月くんならできたと思うし。
このへんは大人の事情かなぁと思う。
つまり、番手の問題。
雪新公では、主役がトートなのは当然だが、2番手役はルキーニだったんだよね。フランツは、3番手。
だからフランツの見せ場を削り、ルキーニを派手な演出にしてあった。
フランツ役は作品を支える脇の職人くんが演じ、ルキーニを路線スターが演じた。
だが今回の月新公は、フランツもルキーニも、ふつーに路線くんが演じている。番手をあからさまに逆転させるわけにもいかない。
2番手はフランツ、3番手がルキーニ。
番手の縛りがあるから、その方がいいとわかっていても、ルキーニばかりいい扱いできない。
……まあ、ルキーニが客席登場する必要はナイんだけどね、ほんとのとこ。飛び道具というか、そこまで下駄履かしたらそりゃ客席の目を一気に集められますよ的、役者の実力へのフォローだったのかもしんないが。
なんにせよ、ルキーニ@宇月くんは、良かった。
聞きやすい台詞、聴きやすい歌声。狂言回しとして過不足ナイ仕事ぶり。
てゆーか歌、うまくなってるよね? もとから歌えたけど、こんなにふつーにきれいに歌えるんだ。
「ルキーニって、やりやすい役なのかな」
と、観劇後にチェリさんが言っていたけれど、たしかにソレはあると思う。
本公演のルキーニを「良くない」という声は、どの公演に限らず耳にするけど、新公のルキーニは大抵「良かった」と言われる。
物語の外側から台詞で解説するルキーニは、ある程度の男役スキルのある子なら、演じやすいんだと思う。外へ向けて発散する役だから、アピールしやすいし。
また、舞台中央で演じられている物語自体が、あくまでも新公レベルのものなので、ひとりチガウ立ち位置にいることで、際立って見えるんだよな。
本公演レベルの物語を相手に、ルキーニを演じるのはそりゃ大変なんだろう。
とゆーことは、さすがに7回目の『エリザベート』で、ナマで新公観るのが4回目になると、気づいてくる。
わたしもずっと、新公ルキーニは絶賛してるし(……て、そうだ、初演雪はチガウか。でもアレはまた別ってことで)。
なんて理屈をこねてみても、でもやっぱり宇月くん良かったってば~~!
前回の新公では「みりおくんの次のスターって誰??」状態だったんだけど、今回で次代は宇月くんに新公主演して欲しくなりました。
来年には彼、新公主演できるかな。キモチ的には、次で主演してほしいんですが。みりおくんには脇へ回ってもらって。
や、みりおくんに限らず、新公は独占連続主演で卒業するのではなく、最後の回は長の期に脇で支えて欲しい派なので。みりおくんには悪役とか老け役とか、新公以外では当分出来そうにない役をやって、芸の幅を広げて欲しいし、若い主演の子にはのびのび演じて欲しいしで。
ダメかな?