団歌って、初舞台生が歌うアレじゃん!!

 95期生お披露目口上を観て、今さらながらのおどろき(笑)。

 いやその、つい先日タカラヅカを卒業された立樹遥様がね、ムラ最後のお茶会で歌っておられましたのよ。
「団歌ってゆーのがあるんですよ、みなさんご存じないでしょ?」と、わざわざ断って。
 ええ、たしかに断りを入れてましたよ、しい様。「みんな知らないよね~~」って感じに。

 初舞台生が毎回歌う曲なら、知ってるってふつう。

 前置きされての歌唱だったのに、聞き覚えどころか「歌えるわコレ」てくらい既知の曲だったのは、イベントその他で使う曲だったからだ。なんのイベントかわからなくてももトップクラスの人たちが歌っているのを見た記憶があるから。
 だから「団歌」を聴いたのは、おぼえているのは、TCAなどのイベントもので聴いたためだろうと思った。しいちゃんの「みんな知らないよね?」っていう、特別な物言いといい。

 しかし、初舞台生が毎年1ヶ月以上毎日毎回歌い続けている曲なら、いつ、なんのかわからないイベントより、初舞台生公演で耳に馴染んでいたんだろうな。
 てゆーかしいちゃん、団歌の説明をするならまずその話をするべきじゃないのか?
「団歌っていうのがあるんですよ、初舞台生が口上のあと袴姿で全員で歌うのが、その団歌です」
 って。
 しいちゃん、初舞台生にはまったく触れなかったぞ?
 
 
 ともかく。

 しいちゃんがムラの最後のお茶会で歌ったのは、初舞台生の歌ですよ。
 79期生のしいちゃんが伴奏もなくアカペラで歌った歌を、95期生が袴姿で合唱していますよ。しいちゃんが別れの餞に歌った歌を、スタートの希望の歌として、初舞台生が歌っていますよ。

 タカラヅカってやっぱ、すごいところだよね。

 袴姿で「我が宝塚 栄えある歴史ここにあり」と歌うところからスタートして、同じ姿で卒業していく。
 そうやって95年続いてきた。
 そりゃほんとのとこ、キレイゴトだけではないいろんなことがあるんだろうけど、「清く正しく美しく」あるべき姿をわたしたちに見せて、端正に去っていく。

 感謝の言葉と共に。

 つい先日、同じ袴姿で旅立っていった人たちを思いつつ、同じ姿ではじまる若者たちの姿に感傷的になってますよ(笑)。
 あのひとたちが卒業した年に、新たに舞台を踏む若者たち、彼らのタカラヅカ人生が豊かなものであることを望む。

 
 ……95期生の初舞台お披露目公演であるのだから、初日を観てみたかった。
 何期生であるかではなく、ヅカファンとしてイベント好きとして、初舞台生の初日が好きなんだ。
 彼女たちの緊張を感じ息を飲み、まるで親のよーに見守り、拍手する。

 でも今年は初日、観に行けなかったからなー。しょぼん。

 どーせ初日に行けないならば、と、愛希れいかちゃんの口上の日をチョイス。
 ええ、文化祭のとき吠えていた、まっつ似の彼です。

 文化祭の演劇はWキャストなので、わたしは彼が芝居をして声を出しているところを観ていないのだ。
 スカステで文化祭の放送があるからそれに期待していたんだが……れいかちゃん、映ってねえ。
 芝居は出演者全員に台詞と見せ場がなにかしらあるもんなんだが、れいかちゃんの喋るところはカットされていた……。顔もまともに映らない……。

 そりゃま、彼はダンサーらしいので、そのあとのバレエでがんがん映っていたけれど、そーぢゃなくて、「タカラヅカ男役」としての姿が見たかったんだってば。文化祭のダンスはまだ「タカラヅカ」になってない、ただダンスをうまく踊る場だからさ。
  いちばん「タカラヅカ男役」な姿を確認できるのは、芝居なんだよ。
 そこで映してもらえないってことは……。

 ひょっとしたら、と思ったら、思った通り。

 口上の声は、女の子まんまでした……。

 男役娘役以前に、ふつーの女の子だろコレ(笑)。

 なにしろ小柄で華奢で、芸名も女の子っぽいし、娘役への転向も視野に入れているんだろうか? 顔だって、まっつっぽいってことはめっちゃかわいいってことだしな。娘役もアリだよな。

 新公で役はつくんだろうか……男役として動いて喋っているところを見たいんだが、その機会はいつ訪れるだろう。下級生のほとんどは、なかなかそんな機会に恵まれないもんだからなー。

 
 文化祭の放送で改めて、芝居の輝月ゆうまくんに、ときめいた(笑)。
 ナマ見てないのに! 所詮映像でしかないのに! うわ、この子かっこええ、と思ったわ。
 あの肩から背中、すげー好みです。ナマで見たかったよ、芝居。コメディだから、映像では空気感がわかりにくいんだよなー。
 
 わたしが見た芝居の主役だった、ひろ香祐くん。なにしろ顔立ちが個性的で、どこにいてもわかる人なんだが、芝居では彼の似顔絵が使われており、それに合わせてすげー表情して見せたんだよね、彼。
 そこまで顔崩しますか!って、とことんものすごい変顔をして見せたんだ。もちろん客席は大爆笑。
 わたしも笑ったけれど、内心首を傾げていた。ジェンヌがこんな顔するべきだろうか、お笑い芸人じゃないのに? と。
 そして、Wキャストのもうひとりの主役は、首席の美少年・礼真琴くん。あの美形くんも、こんな変顔をして笑いを取るんだろうか?

 スカステの放送は、わたしが観た日ではなく、翌日の収録だった。
 そしたら、その似顔絵場面にて、ひろ香くんは変顔をしなくなっていた。ふつーにすごむだけだった。
 ……やっぱり、やりすぎだったんだ、あの変顔。夢のフェアリーがするべき表情じゃなかったもんな(笑)。

 しかし、同じ役の礼真琴くんなんか、似顔絵自体違ったんですけど、ソレってどうなの? 真琴くんはそれほど容赦ないイラストではなかったよ? ひろ香くんの立場は?!(笑)

 真琴くんはハンサムだし、首席なだけあって文武両道武芸百般なんだろーけど(表現チガウ)、ふつーになにもかも持っているせいか、わたしにはあまり区別がついていません。

 お披露目口上にロケット、真琴くんはよくわかんないのに、ひろ香くんは、どこにいてもわかる。ひとめでわかる。
 これは、武器かもなあ。

 文化祭でも、そしてスカステ放送でもステキで目を引いたゆうまくんも、ちゃんと探せます。でかいし(笑)。

 あとはなんつっても柚香光くんですな、すげー美貌。目立ちまくり。
 文化祭で目を引いた男の子たち、今回は見分けられる子がけっこーいてうれしい。麗奈ゆうくんは顔でわかる、凰津りさくんはデコでわかる(笑)。水美舞斗くんと月城かなとくんがわたし的に間違えやすい……月城くんは芝居がけっこううまかったので記憶に残っている。

 ロケットは衣装も瑞々しくてかわいい。90周年の90期が気の毒すぎたので(アタマに90円玉)心配したが、ちゃんとかわいい衣装でよかった。

 しかし口上のときの並びはなんだアレ? 身長順になっていないから、でこぼこしまくりで見苦しい。なにか横槍でも入ったの? 身長順に直してほしいなあ。ダメなのかなあ。
 スカステで、全国ツアーの稽古場映像見ました。
 芝居でだいもんに抱きつくまっつに反応し、ショーにてまとぶさんと戦っているまっつにびっくりしました。

 や、抱きつくというか肩を抱き寄せてなんかひそひそやってるんですけど。めぐむが横にいるのに、彼をわざわざ通り越してだいもんを選んで密着しているあたりがイイですな(笑)。
 まっつとだいもんというとヒョンゴとヒョンミョンですが、まっつの表情が、若い。
 あー……お師匠様はほんとにおっさん演技だったんだなあ、と改めて思ってみたり。

 まとぶと戦っている場面は、「子どもの名前はペドロがいい……がくり」の場面ですよね。セリ下がりはどーするんだろうね。
 ペドロ父@まとぶんをうっかり殺しちゃう男がまっつなわけですね。あらびっくり。
 なんつーか、弱そうなちっちゃなチンピラだなあ(笑)。や、ここのまっつ、さおたさんと戦っているときからずっとかっこいいから、うれしいのだけど。

 予備知識入れたくない人なんで、通常お稽古映像は見ないんですが、やっぱ贔屓が出ていると見ちゃうねえ。

 とゆーわけで、全ツのいちばんの関心事は、まっつはスカートめくりをするのかどうかです。

 壮くんは彩音ちゃんのスカートめくってましたが、まつださんも同じことをするんでしょうか?
 初日を観る方々、チェックよろしくです。

 わたしはびんぼーゆえ遠征はできません……交通費分で大阪で回数観る~~。
 トウコちゃんで燃え尽きているので、財布もだが精神・体力的にもやばいので、毎週遠征は自重しまつ……。

 しかし、ゆーひくんのかっこよさは半端ナイな……うおおお、かっこいー。
 男役のみわさんがうれしい~~。(芝居。ショーはまた妖精さんだった……)
 芝居はまっつ出番なさそー(笑)。『愛と死のアラビア』の稽古場映像みたいだった。たぶんソコしか映すとこナイんだろうな的というか。ははは。
 まっつが見られれば、出演してくれてりゃ、ソレでいいし、正直『ベルばら』ぢゃないだけで、うれしい。

 はっ。
 思い出してしまった。
 忘れようとしているのに。
 忘れろ忘れろ、次の花組公演は大介ショー1時間1本ものよおおお。(現実逃避中)
 本公演で『ベルサイユのばら』をやる以上、特出or役替わりアリだよね?

 特出か役替わりのなかった『ベルばら』ってありましたかね? 平成以降、記憶にないんですが。
 全国ツアーの『外伝』シリーズは役替わりはなかったけれど、中日劇場ではお約束のオスカル役替わりがあったわけだし。

 1ヶ月の短期公演で、役替わりアリで、『ベルばら』なら、チケ難になるよね?

 たとえ、『ベルばら』史上最凶と言われる『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』であったとしても。

 前売り即日完売しなくてもいいから、とにかくふつーに座席券は売れて、立見チケットが発売になるよね?

 や、わたしはなにしろびんぼーなので。
 8000円で1時間の公演を観るのは「コストパフォーマンス悪いな」と思っちゃうけど、2500円ならぜんぜんOK!
 朝が弱いので、11時開演の日もゆっくり朝寝して、昼過ぎにムラへ着けば済むのは助かるっちゃー助かるわけだし。

 頼みますよ、立見でリピートできますように!
 10回観ても、『巴里祭』1回より安い。
 『巴里祭』だってショーは1時間、次の花組公演も1時間。なのに10回も観られるなんて、お得だわ~~。

 はい。

 盛大に、現実逃避しております、次回花組大劇場公演演目(笑)。

2009/04/28

宝塚ロマン
『外伝ベルサイユのばら -アンドレ編-』   
原作/池田理代子  外伝原案/池田理代子  脚本・演出/植田紳爾

2008年、全国ツアーにおいて上演した『外伝ベルサイユのばら』3部作は、原作者・池田理代子氏が宝塚歌劇のために特別に書き下ろしたストーリーのもと、従来とは視点を変えた『ベルサイユのばら』の世界を構築し、好評を博しました。また本年2月には、同じく外伝として、アンドレ・グランディエに焦点を当てた『外伝ベルサイユのばら -アンドレ編-』を宙組により中日劇場で上演。フランス革命の動乱に翻弄されながらも、オスカル一筋にその人生を捧げ、数奇な運命の苦難を乗り越え生きたアンドレの人生を描き出しました。宝塚歌劇を代表する演目の一つである『ベルサイユのばら』。宝塚歌劇95周年を記念して、数あるバージョンの中から最新作の“アンドレ編”を、真飛聖を中心とした花組のために新たな場面も加えながら、更にブラッシュアップしてご覧頂きます。

スパークリング・ショー
『EXCITER!!』

作・演出/藤井大介

刺激、熱狂、興奮をもたらす者“EXCITER”。ありふれた人生も、ちょっとした刺激、スパイスでバラ色に輝く。“音の革命”“美の革命”“男の革命”・・・。愛と夢を現代社会に送り届ける宝塚こそ“EXCITER”であるという軸の上に、究極に格好良い場面で構成された現代的でエネルギッシュなショー作品。


 贔屓組公演はフタ桁通うのが前提なので、演目がナニかは死活問題ですよ(笑)。
 まあ、いっそあきらめがつくというか、立見で通えるならいいかな。

 特出ナシならオスカルは組内若手の役替わりだよね。まぁくんとかめおくんとか、でかい華々しい人で見てみたいですな。(今、手が勝手に「まぁくんとかめぐ」と打っていた。「めぐ」? 「めぐむ」と打つつもりだったのかわたしの無意識よ?!)
 頼むからみわっちはやめてくれ。男役のみわさんを見せてくれ。

 
 他組演目は、なにを見ても「うらやましい」としか思えません(笑)。
 いいなー、よその組。
 わたしの苦手な演出家作品であっても、日本物でもなんでも、とにかくうらやましいわ~~。隣の芝生は青い~~(笑)。

 気になるのはトド様主演DCなんですが、よりによってわたしの鬼門演出家作品。『ベルばら』よりはうらやましいが、それにしても公平+酒井はナイだろお、と肩を落としていたりする。
 酒井せんせはショーだけやってて下さいよ……物語書く能力ないんだからさ……。

 作品としておもしろそうだなと思うのは、月組の正塚芝居かな。
 雪組のサイトーくんもうらやましいなー(笑)。

 
 という、「2009年 宝塚歌劇公演ラインアップ」、小出しに小出しに、6回目の発表。(だよな?)
 2008年が3ヶ月ごとの季刊発表だったから、今年もそうかと思ったら、さらにひどい。
 もう5月になろうというのに、まだ今年の公演がわからないなんて(11月の宙組)。
 去年8月、11月に2回、そして今年2月に2回、で、今回の4月。このまちまちのわけわからん発表の仕方はなんなんだ。
 タカラヅカに勢いと潤いを感じたころは、年に2回、きれーに半年ごとに計画を打ち出すことが出来た……はず。

 そんなに危ないのか、歌劇団? ……と、不安になるぞヲイ。

 
 歌劇団も危ないかもしれないけど、わたしの懐も危ないです。

 DVDレコーダが寿命来てるっぽいです。
 買い換えるとなると……あああ、マジで金がないーーっ!!(切実な悲鳴)

 今日はレコーダをなだめすかしながら、弟と協力してモンスター狩ってました。わびしいっすね。
 安蘭けいの魅力はナニかを考える。

 退団公演を通して見て、改めて。

 舞台人・役者・エンターティナーとしての高い実力とプロ意識。それと同時に、プロ意識の欠如した、アマチュア感覚。が、魅力なのかもな、と思った。

 や、矛盾してますよ。
 高いプロ意識と、その欠如って。

 千秋楽の入りで、オープンカーにサングラスでふんぞり返り、お花のアーチ前で演出過剰に投げキッス。
 これはまちがいなく、エンターティナーとしての行動。

 ファンは「最後にひとめ」トウコちゃんに会いたくて何時間も待っているのに、車の中に坐り込んでいる、しかもサングラスで顔を隠しているなんて、「アマチュア的距離感をヨシとするタカラジェンヌ」の通常行動ではない。
 人混みの後ろにいた友人は、車の中のトウコちゃんは見えなかったと言っていた。前列の人しか見えないんじゃ、オープンカーの意味ないじゃん。

 きれいな素顔を見せて、オープンカーの高い位置に坐ってにこにこ手を振って登場、がふつーだよね。

 だけどトウコちゃんは、それをしなかった。
 わざと「イベント」として「演出」してみせた。

 千秋楽の楽屋入りも、「ステージ」と考えてのことだろう。
 そのエンターティナーとしての意識は素晴らしいと思う。

 が。
 肝心の舞台では、役を離れて「退団が寂しいトウコちゃん」として泣きっぱなし。千秋楽に限らず、ムラでも後半からは崩れまくっていたし。
 「プロ」ならば、舞台の上では完璧に役を演じ、本心を見せないものではないのか?

 矛盾している。

 プロの舞台人ならば、エンターティナーを目指すならば、自分の個人的感情を見せるべきではない。

 トウコちゃんは自己プロデュースをたのしげにやっているわりに、自分でめためたになっている。そして、そんな自分を許している。
 ひでー話だなと思う。
 思うが。

 そのアンバランスさが、たまらない魅力なのだろう。

 目が離せない。放っておけない。
 それは「淡々と自分の仕事をクールにこなす、いつも完璧に同じ姿しか見せない人」より、ファンを熱狂的に虜にするんだと思う。

 もちろん、トウコちゃんの場合は、「高い実力」に裏打ちされている。
 なんにもできないダメ子ちゃんが個人的感情でめろめろになっていたら目も当てられないが、トウコの場合はどんだけ本人がめためたになっていよーと、それでも高水準なわけで。
 こんだけテンション高い舞台で、こんだけ求心力にあふれ、こんだけの歌を聴かせてくれているなら、本人がびーびー泣いていても、文句は出ないだろうという。

 そして「タカラヅカ」は、ジェンヌ自身のそーゆーアマチュア感覚を愛でる場所でもある。
 安蘭けいは、とてつもなく「タカラジェンヌ」だと思う。

 エンターティナーでありながら、「タカラジェンヌ」なんだ。
 

 てことで、そのトウコちゃんのラストディ。東京まで遠征して、中継を見てきました。
 
 『My dear New Orleans』
 他でもないこの芝居こそ、スクリーン向けだと思う。
 大劇場の最奥のセリ上で繰り広げられる会話劇は、あまりに遠かった。

 テレビと同じように役者をアップにして表現する必要がある。演出家は稽古場ですぐ近くで見ているから、きっと最後まで気づかなかったんだろうけどね。

 ジョイ@トウコと、ルル@あすかの演技の濃密な応酬を、大スクリーンで見てみたかったんだ。

 わたしが見たのは『安蘭けい ザ・ラストディ』だったので、もちろんトウコ中心の画面だ。それでもトウコのみを映し続けるのではなく、いろんな人、とくに退団者のことは気を使って抜いていたと思う。

 てゆーか、大スクリーンに、ポン引き@みきちぐがドアップになったことに、まずウケた。

 そっかあ、退団者ぢゃなくてもアップになるんだよなあ。このサイズでみきちぐを見ることがあろうとはなあ……。
 あと、モモカさんのアップとか……。
 組長アップの多さはもお、なにも言うことなし……。

 濃い演技の人をビッグサイズで見ると、その濃さがより際立つっつーか……あかしとかペニーとかえらいこっちゃ。

 細かいフラストレーションは言い出したら切りがないが、「自分のオペラグラスではない」ことを理解して見ているのでかまわないんだが……四重唱でアンダーソン@しいちゃんがまったく映らないってのは、どーゆーこと?!
 アンダーソン氏の唯一の心情吐露場面なのよ? 餞別感アリアリの銀橋ソロとはちがい、物語上での情報が詰まった歌なのよ?
 まさかここで、ジョイとルルの無言ダンスのみを映し、アンダーソンさんの歌声がBGMになるとは……ソロでは抜いてもらえると思ってたよ……。

 『ア ビヤント』では、みなさんの泣き顔堪能フレームというか。
 トウコちゃんが泣きに入るのはわかっているが、れおんがなー(笑)。テンパっちゃってさあ大変。がんばれ次期トップ!!

 千秋楽アドリブとして、銀橋の「アランです」が「宝塚歌劇バージョン」になっていたし(パリの下町のアラン少年は、宝塚音楽学校に入って、トップスターになったそうですよ!)、せり上がり登場の「レビューの華」美女@トウコさんは、アタマの上に「77」の文字を付けていたし!!
 映画館でも大ウケです。
 真っ白なひこにゃん(額に「瞳」の文字、黒紋付きに緑の袴!)も手渡されたし。うわー、かわいい~~。

 仕方ないとわかっているが、しいすずのラスト・ハグは映らず。……劇場にいないと、脇は見られないよなあ。

 あと、ジザベル@あすかをめぐっての三角関係場面では、トウコとしいちゃん(+ベニー)のいるセットが揺れまくっていてんなことを気にしている場合ではないのに、気になって仕方なかった……(笑)。
 わたしだけではなかったらしく、あとで友人たちとそのことで盛り上がっちゃったよ……気になるよねえ、あれは……。
 ナマで見ていたら気にならない・気づかないことなのにね。中継の醍醐味か。

 黒燕尾トウコのキメ顔の後ろに、ものすげー顔の組長が映り込んでいることも、醍醐味よね。
 
 
 初日スキーなわたしとしては、サヨナラショー初日であったムラ前楽で、なんの予備知識もないまま「妖しいまでに美しいグラパン」(笑)を見られて良かったと思う。
 たとえカメラが映していなくても、舞台全体がどうなっていたか、ナマで観たことがある、のは心穏やかだ。

 前楽にはなかったもの……水色の星形のペンライトの光を見ながら、ほんとうに美しいところだ、と思う。
 いろんなお約束、伝統に守られて、縛られて、情熱と愛情で続いてきた歌劇団。

 
 人数が多いからか、退団者挨拶はみんな短く端的で。
 そして、学年が上がるにつれて長くなっていく感じが年功序列絶対のヅカらしくてイイ(笑)。

 トウコちゃんは最後のご挨拶でも、エンターティナーであろうとする意識と、アマチュア感覚なところがモロに出ていて、せめぎ合っていて、トホホでもあり、愛しくもあった。
 あんなにめためたに崩れているくせに、カーテンコールで「トウコさん、アイシテル」と叫べと仕切るのよ? 大泣きしている本人が、それでもいつものスカシた声色で。

 中継会場で叫ぶ勇気はなかったが、叫ばなかっただけで、声に出して言いました、「トウコさん、アイシテル」。

 是非ではなく、「安蘭けい」というとてつもないストームに巻き込まれるしかないんだ。
 彼は「タカラヅカ」。とんでもなく「タカラヅカ」。

 今、「タカラヅカ」のトップスターが退団する。

 歴史が大きく動いた。
 動いて、しまった。

 中継会場から1時間以上掛けて、また東宝へ取って返し、出のパレードを人混みの後ろから見た。
 見守った。

 ものすごい数の人。
 拍手とフラッシュの光が、退団者の歩みと共に移動する。

 トウコちゃんは出でもやっぱり、トウコちゃんらしくパフォーマンスしていたみたいだね。わたしの位置からでは、歩いている途中までの、しかも顔から上しか見えなかったんだけど。
 

 すべてが終わったあと、友人たちと歩きながら話した。

「ひとつの時代が終わったね」

 ……それでも、タカラヅカはこれからも続き、スターたちは続いていくのだけれど。

 でも、たしかに、ひとつの時代が終わったと思う。
 その寂寥の深さを、ひしひしと感じている。
 できることなら時間を止めて……と、言うけれど。

 時間を止めることは、出来る。

 鳴りやまない拍手によって。

 通常ならすぐに次の場面に移るはずのラストシーンで、鳴りやまない拍手が時を止める。
 それはほんの数秒だけど、地球をも止める勢いで。

 
 トウコちゃんたちを見送りに、東宝行ってきました。
 チケット? あるわけないぢゃないですか。

 西新井ってどこ? てな立場です。はじめて聞く地名っす。
 同じ日本なんで、行けばなんとかなると地図も持たずに上京。迷わず一発で行けた自分に拍手(笑)。てゆーか駅からけっこー遠かったぞヲイ。
 西宮ガーデンズみたいなとこでした。郊外の上に、駅からはなれたところにあとから無理矢理でかいショッピングゾーン作りました系。
 西宮ガーデンズの方が、でかくて遠い。『ソロモンの指輪』見に行ったとき、その遠さにびびったもんだ(しかも映画館のファースト上映のため、ショッピングゾーンが営業前で通行できないところだらけ、迷宮になっていた)。が、西宮は陸橋を造って強引に「駅から直結」にしてある。
 西新井さんはそれほど大きくないため、駅から見えない。そして直結通路も造ってないので、自力でふつーの道を歩いて建物探して行かなければならない。
 ……あくまでも、地元民のためのショッピングセンターでした。
 東宝から徒歩も含めて1時間強。

 
 いつもの夜行バスで早朝に東京に着き、そっから入り待ちしました。

 巨大な白い生花で作られたアーチが運ばれ、劇場入口前で完成されるさまを、ぼーっと眺めてた。
 薔薇や百合で作られたアーチで、男の人たち5~6人で運んでいた。その周囲に付き添う人たちもいて、すげー大がかり。
 目の前を通るときに、花の……たぶん百合の香りがした。

 ムラでは蘭のアーチだったなあ、今回は蘭はないんだ……と思ったら、アーチを正位置に設置してから、蘭でさらに飾りはじめた。そうか、蘭の花は重いからあとから付けるんだ。

 昨日今日の花相場は、いったいどれほど動いたんだろう、と感嘆する豪華さ。

「なにがすごいって、あのアーチを通るのはたったひとり、ってことだよね」
 と、仲間たちと頷き合う。

 生花のアーチを使うイベントは、たしかにこの金満国日本にはいくらでもあるだろう。
 しかし、たったひとりが1回通る、ただそのためだけに作られる場合は、いったいどれほどあるだろうか。

 夢の国の集大成となる夢のイベントだから。
 そのためにすべてがあるから。

 夢の時間のために、それを彩る人たちも駆けつける。

 えーと、わたしが見ただけで、さららん、ケロ、ナルセ、オサ様、みどりちゃん、ゆりちゃん、さえちゃん? ドリーさんは檀ちゃんも見たって言ってたけど、わたしは見落としたみたい(のちにお花渡しを映像で見るわけだが、入りの姿は見落とした)。

 ケロが現れたときは、来ることはわかっていても、今まで見たどのときより近かったので、そして昔と変わっていなかったので、言葉にならず。
 コメントなし。
 なにも言えない。ケロちゃんが楽屋口へ消えたあとも、わたしは硬直していた。……ケロちゃんはずっと特別、Myダーリン。

 オサ様は退団者の入りにちょっとかぶってしまったため、あわてて隠れた(笑)。が、ギャラリー含め「オサさんキタ!!」とざわついていたので、隠れるのをあきらめて、会釈しながら入っていった。
 その姿がすげーかわいい。

 ムラでは当日抽選に参戦していたため(そして結局ハズれた)見られなかった退団者の入りを、東宝楽でようやく見られた。

 真っ白な人たちに見守られる中を歩く、真っ白な人たちを。

 みんな帝国側から現れて、楽屋口を通り過ぎて、いったん反対側まで歩いて、沿道のみんなに顔を見せてくれた。
 ありがとうありがとう。
 きれいな笑顔をありがとう。

 みんなすごくきれい。
 彼らのカラダの周囲に、なにか一枚チガウ膜があって、周囲から浮き上がっているの。

 あすかちゃんはすごくすっきりしていた。
 髪の毛を一筋の乱れもなくぴったりとまとめ上げて……研一の女の子みたいにすっきりした姿だった。
 妖精みたいにかろやかなの。

 しいちゃん登場に、心拍数乱れた(笑)。
 しいちゃんはいつもの笑顔で……でも、真っ白な姿で。
 ジャケットはなく、ブラウス姿。こちらもすっきり。
 ほんとうにお別れなんだ、と思う。

 トウコちゃんは……(笑)。

 オープンカーでの登場なんだけど、姿が見えない。
 ふつーオープンカーって、群衆向けというか、人混みの後ろからでも見えるように座席の上?に坐って、ボンネット位置よりも上にカラダを出すもんだよね?
 なのにトウコちゃん、座席に深く坐って、カラダを出さないの。

 サングラスを掛けて、ふんぞり返っている。

 ええ。
 これぞ、「スター!!」な風情で。

 コレをやりたくて、オープンカーなのか!!(笑)

 安蘭けいは、「エンターティナー」である。
 サヨナラショーでグラパン@『スカーレット・ピンパーネル』をやって観客を泣き笑いさせる人である。
 最後の楽屋入りも、イベントとしてセルフプロデュースするんだ。

 ふんぞり返る口元が、微妙に笑ってるの。
 こーゆーこと、やりたくて仕方ないんだね(笑)。

 車を降りて、これまた「スタァなオレ様」パフォーマンス。
 黄色い歓声を浴びることを、楽しんでいる。

 そして、彼のためだけに作られた真っ白なアーチをくぐって、劇場へ消えていく。
 中では組子たちが待ち構えているんだろう、わたしたちの位置からは見えないが、ガードやギャラリーが激しく反応していた。

 
 そーやってはじまった、長い長い1日。
 わたしの友人たちは、劇場内、東京それぞれの中継会場と分かれて見送りをするので、一旦解散。

 わたしは前述の西新井の東宝シネコンにて、大スクリーンでトウコちゃんたちの最後の舞台を見納めました。

 千秋楽に限らず、一度は映画館スクリーンでヅカを見てみたい人なので、どんな風に映るのかは興味津々。
 映画『ソロモンの指輪』のような意志のある作りではなく、ただの記録映像だとわかっているが、単に大きなスクリーンで、アップで見たいの。

 あの人たちの顔を、表情を。

 スクリーンでしかなく、そこに彼らはいないのに、一緒に拍手して堪能しました。

 届くわけないのに、ショーストップとなる場面では、祈りつづけた。
 拍手よ、続け。
 時間を止め続けろ、と。

 鳴りやまない拍手によって進行が止まっている間、スクリーンはトウコちゃんのアップを映し続ける。

 涙の光る、せつない表情を、スクリーンいっぱいに。

 時よ、止まれ。
 いや、止まり続けろ。

 今、止まっているのだから、できるのだから。
 止まり続けろ。

 時間は止まり、あのひとの頬を流れる涙だけが、唯一の時間となるんだ。
 体育祭の組対抗戦は、学年問わず組ごととなる。つーことで、2年1組のまっつくんとみつるくんは、1年1組の子たちと応援合戦でペアを組むことになった。
 体育祭かったるいなー、とか言ってたの、最初の練習で集まったときに吹っ飛んだ。
 なんせ、「よろしくお願いします」と現れたのが、れみちゃんとねねちゃん。

「かわいいじゃん」「ちょお、マジかわいいって!」
 肘でつつき合う男たち。いきなりテンション上がってます。

 まっつくんの相手役が、れみちゃん。みつるくんの相手役が、ねねちゃん。どっちもぴかぴかの美少女だ。

 一方、そうやって応援合戦限定でペアを組むことになったかわいこちゃんたちの方は。

 れみちゃんは相手役となるまっつくんのことを「図書館で偶然出会う系のクールかっこいい人」と、一方的に想像していたそうな。
 で、実際まっつさんってどんな人かしら、と思っていたら、応援合戦以来れみちゃんを「僕のかわいこちゃん」だと認識しているまっつくんが、デートに誘ってきた。
「最近手相占いにハマってるから、よかったら見てあげるよ」と。

 手相って……ヲイ、女の子を誘うにはイイ手だよな、堂々と手も握れるし?
 ふつーならここから恋が芽生えたりするんだが。

 いそいそ出かけたれみちゃんを迎えたのは、クールなまっつくんと……そのカノジョ、いちかちゃん。

 カノジョつきかよ?!(白目)

 3人模様の絶体絶命?
 いやその、まっつくんはなにしろクール・キャラなので。
 才色兼備のカノジョ・いちかちゃんの前でふつーに「応援合戦のとき、お互いの相手役があんまりかわいいんでみつると盛り上がってさー」てなことを言うし。
 れみちゃんがまっつくんへ質問すると、当たり前の顔でまっつくんではなくいちかちゃんが答えるし。

 ナニこの愉快な空間?(白目)

 学園ドラマに恋と友情と三角関係はお約束だ、さあどうなるまっつくん? ちなみにそのころみつるくんがどーなってるのかも知りたいぞ?!


               ☆
 
 えー、イタイ喩え話からスタートして恐縮ですが、『Brilliant Dreams#46「未涼亜希」~personal~』の感想です。はい。ひっそりと、更新しているのがわかりにくところで(笑)。

 ゲストはいちかちゃんとれみちゃん。
 美女ふたりをはべらして、まっつ両手に花ね! と思えないのがすごい。
 れみちゃんの、まつださんち訪問、みたい。新婚さんですらない、ふつーに既婚何年の先輩夫婦宅へ、職場の新人が遊びに行きました、って感じ。

 まっつの番組で、答えるのはまっつであるべきところを、いちかちゃんがまっつ寄りで相槌打っていたり、代わりに答えていたりするのが、もお(笑)。そしてそれを誰も不思議に思っていないところが、そーゆー力関係なんだなと。

 しかしれみちゃんには、頭が下がります。
 彼女のイメージする「まっつさん」があまりにも、ファンが想像する「まっつさん」まんまで。
 なにしろ、「クールで知的」「本が似合う人」ですよ? 「休日はひとりドライブして海の見えるカフェで本を読む」「夕暮れの図書館で本を選んでいるときに(あっ、と本を落とす仕草)出会うような」ですよ? ナニそのファン寄りな妄想(笑) 
 男役を男性として語るそのスタンスもステキです。

 そして、それに対するまっつも、ファンが期待するまんまのまっつで。
 なにしろ、「愛車は赤のアルファロメオ」「趣味はドライブ」だとか「最近買ったモノは、イタリアでわざわざ飲み比べて選んだエスプレッソマシン」「モノにはこだわる」「イタリアが好き」「良く聴く音楽はジャズ」……。

 クールで知的で派手なイタリア車を乗り回し、こだわり抜いたモノしか認めず手元に置かず、ジャズを聴く男……って。

 どこのトレンディドラマの当て馬男?!

 いやその、昔あったドラマでは大抵、ヒロインに横恋慕してくるのがこのテの「完璧なイケメン」で。
 すべてを持ち合わせているんだが、恋を手に入れることは出来ず、ヒロインはこの「都合の良すぎる男」を振って問題山積みの主人公を選ぶのよ。オスカルがジェローデルを振ってアンドレを選ぶように。

 人間の魅力にはギャップが必要で、「図書館行かないし(笑)、行くならマンガ喫茶」とまっつさんは「くだけたオレ」アピールして見せるけど、そんな些細な主張は大意を翻すに至らず。
 彼の言うことはいちいち「期待を裏切らない」(れみちゃん発言)わけで。

 「クールかっこいいまっつさん」は、どうもそのまんまっぽいですな。で、本人も「イケてるオレ」を自覚しているっぽい(笑)。

 
 30分番組の中で、いちばんツボったのは、TCAでれみちゃんと組むときの、まっつとみつるの会話。
「かわいいよね、かわいいよね」
 と、お互いの相手役に大喜びしていた、つー話。

 どこの男子学生の会話?!

 まっつとみつるが、ふつーに男子目線の会話をしていることにツボ直撃(笑)。男役って、やっぱ男になるんだー。
 みつるが男子なのはイメージ的に違和感ないんだが、まっつも同レベルで女の子を「ボクのかわいこちゃん」呼びして会話しているのかと思うと、萌えますな。
 かわいこちゃんっすよ? 「MY GIRL」呼びっすよ?

 まっつの「かわいこちゃん」のれみちゃんは花組にフリーの状態でやってきたけど、みつるのねねちゃんは星組にお嫁入りだもんなあ。いやあ、みつるくんのはかない恋に、ちょっとときめいています(笑)。

 にしても、いちかは品のある美女だし、れみちゃんはかわいい美少女だし。いちかちゃんはまっつ寄りだし、れみちゃんはファン寄りだし。
 バランスの取れている構図でございました。

 
 『スカステ・トークDream Time』とこの『ブリドリ』と、3ヶ月連続まっつ番組があり、しあわせだった。
 次にまっつ番組があるのはいつになるやら……さみしいなあ。『スカステ・トーク』は5ヶ月に1度で花組が最後だもんなあ。なかなか回ってこない……しょぼん。
 いやまあその、まっつのトークがおもしろいとは、ぶっちゃけぜんぜん思ってないんだが……この人がMCやっても意味ナイんぢゃ……とか思ってるけど、けどっ、いいのよまっつが見られればソレで!!
 まっつまっつまっつ。
 ヴィクトール・オーランジュ男爵@らんとむが、かわいいです。

 この男好き。

 最初は主人公ジャスティン@タニちゃんに目が行くの。あ、この人好き、かっこいい、って。
 で、次にジャスティンの横にいる変な人に、どんどん惹かれていくの。気になっていくの。

 や、変だよ、らんとむさん、なんか。

 お貴族サマってことで、オーランジュさんはなにかしらツンとしている。
 佇まいが、他の人とチガウ。

 マンガに出てくるカンチガイ貴族みたい?
 イヤミとかドロンパとか、そっち系の気取り具合?(例が古すぎる)

 ナチュラルに変で、ついでに年齢不詳。

 オーランジュさん、いくつなの?
 その変に落ち着ききった気取り具合が、すげーおっさん臭いんですが。

 演じているのがらんとむだから、見た目的にもわからない……(笑)。若いのか、おっさんなのか。

 多分脚本だけ読めばジャスティンと同世代かなと思うんだと、思う。
 でも演じている姿を見ると、さっぱりわからない。

 佇まいが変だから、彼がどんな人なのか、つまり、いい人なのかそうでないのかが、わかりにくい。
 年齢はわからないわ、主人公に対してどういう立ち位置なのかわからないわ、とにかくいちいち見ている側がつまずくキャラクタだ。

 しかし。
 その「つまずく」感じが、どんどん癖になるのだわ。

 てゆーか。
 男爵×ジャスティン萌え。

 オーランジュさん、ジャスティンのこと好きだよね。
 もー、笑っちゃうくらい、好きだよね?(笑)

 らんとむがこんなにストレートにタニちゃんを好きな役って、はじめて見る。
 それがもお、くすぐったくてかわいくて、たまらない。

 オーランジュさん的には、好青年ジャスティンに「人生のパートナーに」と申し込まれ、「え、これってプロポーズ?」とときめいて、いろいろ逡巡しながら(笑)も「末永くお願いします(ポッ)」と応えたら、「ボク、アメリカ行くから、あとヨロシク!!」と笑顔で言われ、「えええっ、そんなバカな?!」になったんだよねえ。
 それでも「キミだから任せられるんだ」的なこと言われて「そーなんだ」と男の都合のいい愛の言葉を鵜呑みにして、「アナタが帰るまで、家はワタシが立派に守って見せます!」てな貞淑な妻ぶりを見せる、と。

 ジャスティン、悪い男!!(笑)

 オーランジュ、簡単な男!!(笑)

 ……て、多少語弊はあるかもしれないけど、いつもいつもジャスティンに振り回され、彼に影響され、変わっていくオーランジュさんがツボ過ぎます。

 気がついたらなんかすごくアクティヴで、なんかすごく熱血しちゃってるし?

 ジャスティンの恋人ヘレン@まちゃみはすっぱり別れられたから新しい人生スタートだけど、男爵はいわば「待っていてくれ。毎月愛の証にこの花を送るよ」と言われたよーもんで、下手すりゃ一生しばられるなと。
 ジャスティンの方はそんなこと、すぐ忘れちゃいそうなのに(笑)。

 
 ジャスティンに体よくいろーなことを押し付けられ、背負わされてハイ終了。
 これから大変だな、オーランジュ男爵。
 貴族だけど、興信所社長。

 あの変に気取った姿と、あの愉快な社員たちと、これからもいろんな事件を解決していってほしい。
 スピンオフ希望です、正塚先生。
 そこには是非、あのかわいそーなフェイドアウト男、グザヴィエ@ともちんも出してあげてください。
「ともちって、アレだけなの?」

 『薔薇に降る雨』を見終わってのわたしの第一声は、コレでした。

 いやその、いちおーこれでも悠未ひろさんダイスキなわけで。宙組観劇時は彼をぼーっと見ていることも多いわけで。
 悪役(笑)として彼が登場したときは、わくわくしておりました。

 悪役、悪役、ともちが悪役(笑)。←いちいち笑う。
 イヴェット@ウメに惚れきっていることがわかる、ウザい大男。やーん、たのしー。

 と、思っていただけに。

 まさか、出番がアレだけとは思わなかった。

 再度登場するはずだと、わくわく待ち構えていたのに。
 アレだけ? アレだけなの、正塚?!!

 たしかにね、ともちの出番最後となった場面で、彼の表情にライトが残って暗転するときに、いやな予感はしたのよ。
 もしもこの先も彼の出番や物語があるなら、もっとしゃきしゃき場面が変わったんじゃないかって。
 なにかもの言いたげに終わるもんだから、「ひょっとして」とは思ったよ。思ったけど……ほんとーにアレで終わりかいっ。

 かわいそうなともち……てゆーかええっと役名なんだっけ、グザヴィエ氏。

 イヴェットが社交界デビューしたときから目をつけ……もとい、恋をして、彼女を手に入れようと虎視眈々していた人。
 おま、7年も掛けてこんな手段しかなかったんかい、というツッコミが頭をよぎる、ステキな人。
 好きなら好きで、ふつーにアタックするなりできんかったんかい、どんだけモテない男認定なんだ? とか。
 独身で青年実業家なんでしょ? ルックスだって良い設定なんでしょ? チガウの? 相手が貴族でも正攻法で申し込める立場なんじゃないの? 7年もあるなら。

 グザヴィエ氏にはもお、ツッコミどころだらけで。
 いやあ、好きだなあ(笑)。

 イヴェットを前に浮かれているところとか、かわいーじゃないですか。かっこつけて優位に立って、でも澄ました顔の後ろでしっぽがものすげー勢いで振られていて、わかったわかったうれしいのね、わかったからちっとは落ち着け、みたいな。

 ウメちゃんに横恋慕ともち、は大好物です。『A/L』はきゃーきゃーだったなあ(笑)。

 最初、さわやかに若ぶってあちこちで踊っていたから、「ともち、役と出番はあるのか」と危惧しましたよ。なにしろ正塚だし、前回見たのが悪名高き(笑)『マリポーサの花』だし。
 だからわかりやすく「悪役」として登場したときは、「こう来たか!」と膝を打って大喜び。
 ……そして、「アレだけ?!」な出番でフェイドアウトして、しょぼん(笑)。

 いや、あのなさけないフェイドアウトがまた、萌えっちゃー萌えですけどね。

 グザヴィエ氏にはぜひこれからも、「イヤなヤツ」として登場して欲しいですわ、オーランジュ男爵@らんとむのライバルとして!(笑)

 
 正塚は役者の好みがはっきりしているよね。

 彼がバカキャラ十を好きなのは、よーっくわかった。

 でかい図体のバカ男@十。
 ジャスティン@タニちゃんに「バカ!」と怒鳴られる役。

 なんでいきなりジャスティンがキレて「バカ」を連発するのか、唐突すぎてぽかーんなんだが、なにしろ十はバカキャラだから「バカ」と言われなくてはならないんだろう、正塚的に。てゆーか、そうとしか思えない。演出の意味がわからなくて。

 路線なのは七だし、七はこの公演で退団だし、十よりは七にいい役が来るのは当然だと思っていたんだが、そーだった正塚だった、十の方を重用して当然なのか。

 べつにタニちゃんに「バカ!」と罵られるなさけない七帆くんを見たかったわけではないが、いりすくんの方がちゃんとした「役」を与えられていることにちょっとおどろきました。

 七帆くんはほんとに「役としての出番アレだけ? この公演で退団なんだよ、正塚ソレわかってる?!」とびびるよーな役で。
 いや、正塚だから、それでも気を遣って最大限に出番と役を与えてアレなのかもしれないが。

 にしても、出てきた瞬間、「うわ、美しい男が出てきた、きっと主要人物なんだわ」と思わせるからすごいよな、七帆くん。
 ……大して主要人物でなかったりして、かなしいけど。でも、その美貌が端正なスーツ姿に栄えていたわ。

 伯爵家の会計士@七帆くんのわたし的ツボは、そろえた膝です。
 お屋敷のソファーに坐る彼は、両膝をちょこんと揃えて坐っているの。それがめっさプリティ~~。

 ちらりとだけ、七十並びもあるしね。

 
 正塚のお気に入りといえば、イヴェット父@すっしーだけど。
 コレって、マヤさんの役ぢゃないのかなあ……。
 役柄といい、表現といい、ものすごくマヤさんっぽい。

 同じコメディキャラでも『ステラマリス』のときのマクファーソン先生は別にマヤさんの影を感じなかったが(マヤさん別の役で出てたし)、今回のパパは「1作に1役未沙のえる」的役に思えた。
 マヤさんが雪組に出ていなければ、この役はマヤさんだったんじゃないの?

 すっしーが演じているんだから、マヤさんみたいな表現じゃなく、べつのことをして欲しかった……てゆーかコメディにする必要性を感じないんだが、そもそも。

 正塚いちばんのお気に入り役者の芸風を真似られるから、すっしーのことも気に入ってるのかと勘ぐってしまう……。
 や、わたしのうがちすぎだと思うが。

 
 全体的に『ホテル ステラマリス』に似ていると思った。
 カラーが薄く、派手な場面もなく、淡々と進み、ストーリーの軸とは無関係に「たのしげなミュージカル」風に仕上げているあたり。衣装も出てくるしさー。
 『ステラマリス』は正塚的には実験的な作品だったと思うけど、今となっては見慣れてしまった感があり、「今さらコレやる?」という肩すかしな面はある。

 そしてまた、『愛するには短すぎる』にも似ている。
 『愛短』のアナザーエンディング・バージョンみたい。
 最後に船が出てきたときに、「船キターーッ!」と思ったよ(笑)。

 相変わらず役が少なすぎてコロスばっかりで、「正塚、大劇場向かない……」な作品だと思う。(でも、『マリポーサの花』より100倍マシ。や、『マリポサ』好きだけど・笑)

 「ともち、アレだけ?!」も含め、粗はいろいろあるんだが、それでも好きよ、この作品。
 『薔薇に降る雨』、ジャスティン@タニは、イヴェット@ウメとあれこれさんざんもつれて絡んでいるのに、ヘレン@まちゃみにプロポーズする。

 たしかに行為だけ見りゃひどい男なんだが……わたしはソレこそが萌えだ。
 三角関係萌えとか、そーゆーことではなくて。

 ジャスティンの中では、それがふつーのことだと納得できるからだ。

 これは、大人になったジャスティンの一人称の物語である。
 彼には現在の彼の生活があり、そのうえで初恋のイヴェットにとらわれている。

 もしもイヴに再会しなければ、ジャスティンはなんの疑問もなくヘレンと結婚し、幸せな家庭を築いただろう。
 タカラヅカは「宿命の恋」命の世界観だから、ドラマティックなヒロインとの恋を中途半端にしたまま、平凡な女と結婚して平凡に暮らすなんて「幸せ」じゃない、そんなの「偽り」だ、ってなもんだけど。
 べつに偽りでも半端でもない、ふつーに「幸せ」だと思う。

 このスタンスだからこそ、イヴと再会しても「恋人はヘレン」なんだよ。
 イヴと一夜だけ燃え上がり、彼女のために奔走しても、彼女との未来は考えていない。

 ジャスティンにとってイヴは「青春の象徴」だった。
 絶頂で摘み取られた恋は傷となり、ジャスティンを歪めた。
 イヴを失った7年前、彼は夢まで失っている。それまでの彼が持っていたものを、自分で否定し、手放してしまった。
 今、イヴと再会し、彼女の窮状を救うことで、ジャスティンは「止まっていた時計の針」を動かすようになった。

 魂の再生。

 7年前、少年の日に受けた傷を今修復し、やり直そうとしているんだ。
 それは別に、イヴとやり直すということではなくて。

 歪んでしまった人生を正し、新たに歩み出そうとしたとき、ジャスティンが伴侶として思い浮かべるのはあたりまえにヘレンだった。

 イヴと再会し、半端なままだった恋を精算して。
 少年の日に止まったままだった「ジャスティン」を、ジャスティン自身が赦し、未来へ解き放ったんだ。
 そーして現在の彼が歩き出すには、現在の彼の恋人が横にいてしかるべきでしょう。

 少年時代の夢の地図を、わくわくと語る姿が愛しい。
 安定した暮らしを捨てて、もう一度夢を追うってさ。

 ジャスティンの行動には、筋が通っているの。
 イヴと再会したからって、イコール、ヘレンにさよならする男じゃない、今現在の大人のジャスティンが好き。

 初恋にココロ取られ足を取られ、ちょっと傾倒しすぎではあったけど(ついでにえっちまで一発やっちゃってるけど)、彼のスタンスは変わっていない。

 いや、変わっていないところが、彼が変わってしまった……大人になってしまった、ということなんだ。

 少年時代のジャスティンなら、「初恋の人と再会した」だけで全部捨てて走り出す。
 ここで走り出せない段階で、イヴェットとの未来はない。
 彼はもう、変わってしまった。

 イヴェットを失ったときが、ジャスティンの最初の変化。そして、イヴェットと再会し、過去を清算したときが、2度目の変化。
 どちらも、人生が変わっている。
 
 
 さて、わたしがジャスティンを好きなのは、ヘレンを好きだということも大きい。

 いつもしつこく書いているけど、そのキャラクタの格を決めるのは、「どんな相手を愛しているか」が大きいんだよね。
 つまんねーヤツを愛していたとしたら、その程度の人間だってこと。つまんねー、にはいろんな意味があるけどね。

 ジャスティンがつきあっている女が、つまらない女だったとしたら、ジャスティンはその程度の男。
 わずかな出番で「ナニこの女。こんな女、捨てられてとーぜん、ジャスティン早くイヴとくっついて!」と思わせるような嫌な女だったら、そもそも「なんでこんな女とつきあってるの?」になる。
 一方的に惚れられ、つきまとわれているとしたって、そんな状態を許す男だってことになる。

 でも、ヘレンはふつうにいい娘だった。
 自立していて、母親思いで。
 そして、聡明な女性だった。

 突然アメリカへ行くと言い出したジャスティンに、ヘレンが異を唱えるのは当然のことだし、また、別れを切り出すのも当然だと思える。

 ふたりの場面が好きだわ。
 タニちゃんがすごくかっこいい。

 悪いのはまちがいなく、ジャスティンなの。ヘレンはなにも悪くない。
 ジャスティンは浮気をしたのでもなく、心変わりしたのでもなく、本人が変わったの。
 傷つき歪んでいた人生を、修正したの。

 わくわくと将来のビジョンを語り、そのテンションにヘレンがついてこないとわかったときの、とまどった顔。
 アクセル踏んだ途端、横からブレーキ引かれてびっくり。
 言われるまで気づかなかった現実に、水を差され、とまどい、なんとか咀嚼しようとする……一連の感情の流れがイイ。

 ……ジャスティンとヘレンのくだりで、ものすげー好きなのは、ジャスティンが妥協しようとするところ。

 ふつう、主人公である大人の男が、あきらめていた少年時代の夢を再び追うことに決めた! てなったら、そのままGO!GO!じゃん? 物語的に。
 事件があって、それが一件落着して、それゆえに主人公は昔の夢を取り戻した。さああとは旅立ちというエンディングを迎えるだけ!! ……な展開なのに、ジャスティンはその夢を妥協しようとする。

 アメリカについていくことは出来ない、とヘレンに言われたから、外国へ行かないで、この場所で夢を追う方法もあるんじゃないかな、と現実的な妥協をする。
 あ、すごい。あのテンションで盛り上がっていながら、ヘレンを失いたくないために、夢の方を部分的にあきらめるんだ。

 リアルにはあることだけど、物語内では例を見ない展開(笑)。
 このみょーなリアリティに、ぞくぞくする(笑)。

 そして賢いヘレンは、ジャスティンが変わってしまったことに、気づいた。
 だから彼女は別れを切り出す。
 せっかくジャスティンがアメリカ行きは考え直すと言っても、それにすがりつかない。

 アメリカ行きはただの記号でしかない。
 ジャスティン自身が変わってしまったから、場所がどこであれもう、ふたりはきっとうまくいかない。

 7年前イヴをジャスティンは、それまでの自分を否定して魂の彷徨中。ヘレンが出会ったのはそんなジャスティンで、彼女が愛したのはそんなジャスティンだった。
 イヴを失う前の自信満々に夢を語るきらきら少年ジャスティンにだったら、恋していなかったんじゃないかな。
 
 こーゆー場合、男の方が鈍感なのも世の常で。
 自分自身が「変わってしまった」……少年時代のジャスティンではないけれど、くすぶっていた7年間を経て、「ジャスティンVer.3」になったことの重大さを、ジャスティンはわかっていない。

 OSが勝手に新バージョンになっちゃって、今まで使っていたソフトや周辺機器はどうなるのよ? たしかにこのまま使えるとは書いてあるけど、なんか細かいとこで不具合出るんですけど? ソフトも新OS対応版に買い換えるべき?
 ……そんな感じ?

 Ver.2を愛していたヘレンは3なジャスティンと別れる。
 誰が悪いわけでもない。「変わってしまった」んだもの。そして、それに合わせて「変われない」んだもの。

 こういう、誠実で聡明な「ふつう」の女の子とふつうに建設的なつきあいをしていたジャスティンだからこそ、いい男だと思える。
 生涯懸けた夢ですら、恋人のために妥協を考える(そしてあとできっと後悔する・笑)、そーゆー男だからときめく(笑)。

 
 心の動きがいちいちリアルだから、人生が見えるから、ジャスティンの物語を楽しむことが出来る。
 萌えることができる。

 ヘレンにプロポーズするジャスティン、そしてヘレンに振られるジャスティンが、すごく好き。
 回想シーンだから許される「甘さ」があると思う。

 大人になってしまうと、若いころ……イタさ爆発のハタチ前後の頃が愛しくてならない。
 当時がどうであれ、現在から振り返って見るにあたり、想い出は美化され、イタかったこともみんなみんな微笑ましく思えたりする。

 『薔薇に降る雨』の、ジャスティン@タニちゃんとイヴェット@ウメちゃんの出会いとその急激な恋が、「回想シーン」であるということ。

 現在から振り返っているわけだから、それは「真実」ではない。真実に近いかもしれないけれど、絶対脚色入ってる(笑)。ジャスティンのモノローグが入っているように。

 かわいくて、ダイスキですよ、ふたりの恋。

 避暑地の10代の恋。
 昨日の続きが今日で、今日の続きは明日だと無意識に信じている若者と少女。

 ジャスティンの見た目のかっこよさと「遊んでいない」感じがイイの。
 ふつーこれだけイケメンなら、女の子が放っておかないじゃん? ちやほやされて軟派になっていそうなもの。
 それが、「車ヲタク」という設定で硬派なんだってことがわかる。ヲタクというと言葉は悪いが、好きなことがあって明確な夢を持っていて、それに一途な若者なんだよね。
 だからきっと、モテはしても女の子を食いまくるよーなヤツではないんだ。イヴェットへの態度で、女の子の扱いを知っていることはわかるよね。純情可憐なボウヤくんではなく、ふつーに女の子とつきあったことはあるけど、今は車(夢)の方が大事、みたいな。

 不自由はしていない、大して興味がないから自分から積極的に行くことがなかっただけ。
 ……そんな男の子が、砂が水を吸い込むようにイヴェットに惹かれて。

 このまま今日が明日へつながり、ふつーにずーっと続いていくなら、ありきたりなカップルで終わったのかもしれない。
 ふつーに1年つきあって年間イベント全部こなして、プロポーズして、って。ジャスティンはふつうの感覚を持った男の子だと思うから。

 だけど、そうはいかなかった。
 はじまったばかりで恋がいちばん盛り上がっているときに、他者の横槍で断ち切られてしまったんだ、ふたりの関係が。

 ふつーの感覚を持った、ぬるいラヴカップルでしかなかったジャスティンが、情熱的な暴走野郎に変わることに、ときめく。

 どっかのパーティに潜入し、見つけたイヴェットにキスの雨を降らせ、かけおちを持ちかけるような、やたらエンジン掛かった男に。

 いやあ、この強引な、キスの雨がすげー好きでね~~。正塚キャラでこれはめずらしくないか? がっつかないのがポリシー、やせ我慢してナンボ、でしょ、ふつーは。

 わたしは小心なので(笑)、急に恋人が会ってくれなくなったら「嫌われたのかも」って思う。
 だからこの場合も、イヴがジャスティンを嫌になった可能性だってあるじゃん? と、つい思ってしまうのね。嫌ってのは、個人的なことだけではなく、家柄とかいろんなことを考えて「会わない方がお互いのため」と思っているんじゃ、と。
 だとしたらいきなり消えたことが思いやりかもしんないのに、それをぶち壊してストーカーみたいなことして、しかも強引にチューって……下手したら、通報されるよ?! と、心配しておりました。

 だからイヴが「会えてうれしいっ!」と全身で表現してくれたことに、すげーよろこんだ。ほっとした。
 よかったっ、ジャスティン、ストーカーぢゃないっ!(笑)
 囚われのお姫様を救いに来た王子様だ。ストーカーとは天地の差。

 そして、思うんだ。
 恋人が目の前から消えて、「嫌われたんだ」とか「このまま終わった方がいいんだ」とか一切思わずに、「彼女もボクを待っている、助けに行かなきゃ!」となんの躊躇もなく思えること、それが、若さなんだ。イタさとも言う(笑)。
 自分に対してマイナスな出来事が起こり、「自分にナニか落ち度が」とはかけらも思わず、「誰かが妨害してるんだっ」と思い込む精神構造。
 トシ取ってから振り返ると恥ずかしくてアタマ抱えるけれど、そのときはそれがデフォ。自分中心、自分しか見えない。

 世界は自分中心に回っているから、平気で無謀なかけおちを持ちかける。

 武器は、自分の夢でもある自作した車。自分自身にも将来にも自信しかないから、いくらでも傲慢になれる。
 愛する少女を悪漢から助け出し、自分の作った車で世界に認められ、永遠に幸せになる。
 そんな未来を考えるまでもなく信じている。

 イヴェットがかけおちに同意しないなんて夢にも思わないから、言いたいことだけ言って「怪しまれるから、もう行って」と突き放す。

 ジャスティンの視界の狭さ、自己中心的なところが、ダイスキ。

 それが、「若さ」だから。
 今現在の自分勝手さではなく、あくまでも、「大人のジャスティンが、回想している」少年時代のジャスティンだから。

 ……イヴェットは現れず、かけおちはジャスティンの独りよがりに終わる。

 彼は生まれてはじめて、挫折を知る。

 自分で車を作っちゃうくらい、なんでもできる男だったのにね。
 求めれば叶う、それが人生だと信じ切っていた……そんな黄金時代の終幕。

 なんでもできる自分、の象徴だった、自作した車も手放して。
 それまでのレーゾンデートル叩き壊されて、はじめて自己を模索することになるんだろう。

 そーやって、断ち切られた恋、断ち切られた夢を抱えて。
 社会に出てそれなりに泳ぎ方をおぼえて。

 それでもまだ、「自分」がなんであるのか、なにがしたいのかはわからないまま、とりあえず生きていて。

 もともと優秀な人だから、若くして会社興して切り盛りして、見た目は順風満帆なんだけど。
 それは少年時代の、確固たるものを持っていたときは、ちがっていて。

 「今」の位置から、「愚かで、愛しい青春時代」を回想する。
 だからこそ、それはとびきり甘いし、また、とびきり痛い。

 痛さすら、愛しさになる。

 ……まあ、ジャスティンは若いころの自分も全肯定してそーだけどね(笑)。自分のイタさより、「哀しい過去」に酔っていそうというか。その辺が正塚の「男視点のロマンチシズム」(女性から見ると「けっ」てなことがままある・笑)と、タニちゃんの「大和悠河」的持ち味がステキにマッチしている気がする(笑)。

 正直意外なほど、ハリーとタニちゃんって、融合するのかも?
 今ちょうど、スカステで『Practical Joke』がリピート放映されているね。
 作品的に「正塚せんせ、どーしたの?」的投げやりな作りで、クオリティが高くないことは承知しているが、好きなんだ。
 マミさん主演ドラマシティ公演、幕が開くまで2番手はタニちゃんだと疑いもしなかった。が、実際観ればわかる、2番手はきりやん。正塚せんせのフリーダムさに驚いた1作。今でいうなら、トウコちゃん主演DCでれおんが出演しているのに、すずみんが2番手している感じ? 番手逆転させての配役にびっくり。

 番手のことはともかく、この作品のキャラクタが好きだった。マミさんのかっこよさは言うまでもなく、きりやんのことが身震いするほど好きで(笑)。ちなみにわたしのご贔屓も出演していたんだが、彼は正塚好みの役者ではないらしく、またしても扱いはよくない。

 今改めてスカステで見て。
 やっぱり、好きだと思う。

 番手逆転されていたタニちゃんは、2番手役ではなかったが、いい役だった。
 難しい字は読めない、顔だけのおバカタレント。
 アタマが悪いだけでなく、やってることもなかなかにバカなんだけど……でも、いい役なんだ。
 わたしは大好きだ。
 相手役のかのちかちゃんとのやりとりの、リアルさ。
 バカだから相手を傷つけてしまう、すれ違ってしまう、その痛さ。傷つけたとわかったときの、バカ男の反応。
 ひとつひとつに嘘がなくて、愛しくて、かわいくて、大好きだ。

 正塚せんせの描く、大和悠河。
 『ホテル ステラマリス』でもそうだったけれど、バカでかわいくて、魅力的な青年だった。

 とゆーことで、タニちゃんの最後の公演となる、『薔薇に降る雨』を観てきた。
 正塚晴彦作。彼がタニちゃんのために書き下ろす物語は、そして男の姿は、どんなカタチになるのだろうかと期待を込めて。

 えーと。
 最初に、ひとこと。

 ジャスティン@タニちゃん、好きだ。

 ええ。
 彼が登場して、最初のひとことを話した段階で、ぞくぞくキました(笑)。
 うわ、この男の人、好き。

 てゆーか最初の一声で、「正塚芝居だ(笑)」と、ウケましたがね(笑)。
 タニちゃんなのに、正塚芝居なの。すげー大真面目に正塚台詞喋ってんのよ。

 『ワルフザケ』でも『ステラマリス』でもない。お笑いキャラ扱いだったそれらの役とはちがい、今回は主役。二枚目。あのタニちゃんが真っ向から正塚芝居してる。……そのことに、ウケる。
 そして、好きだと思う。
 正塚喋りをしているタニちゃんが、すげーかっこいい。

 時代かがった変な大仰さがなく、現代物だからって若ぶった少年の喋り方ではなく。
 抑えた、ナチュラルな大人の男の物言い。仕草。

 …………もっと早く、正塚芝居で主役をするタニちゃんを観てみたかったよ。こんなにステキなんだ。

 物語は、興信所社長のジャスティン@タニちゃんが、政略結婚させられるっつーんで荒れている貴族令嬢イヴェット@ウメちゃんと偶然再会する。ふたりは以前ラヴラヴの恋人同士でかけおちの約束をしていたのに、身分違いだっつーんで引き裂かれたんだ。
 さらに偶然、ジャスティンの興信所に「イヴェットの家が破産したのは、ナニか裏がある。調べてくれ」と依頼が入ったこともあり、ジャスティンは真実を求めて力を尽くす。
 で、その間に焼けぼっくいに火が点くわけだ……。

 えーと。

 どのへんが、『薔薇に降る雨』?

 正塚らしくもなく、美しい詩的なタイトルで感心していたのに。
 正塚っつーと大抵てきとーな英語タイトルだもん。
 景子せんせもそうだけど、芝居に英語タイトル付けるのは、わたしは好きじゃない。
 「逃げ」に思えるから。日本語のタイトルよりも、イメージが曖昧な表音文字の方が楽だもの、付ける側にとって。日本語だともっと研ぎ澄まし、計算しつくさなくてはならないところを、英語だとてきとーなとこで手を打てる。そーゆーズルさを感じるから、好きじゃないんだな。
 んで、英語でなければ、ハードボイルド系のどうとでも取れる単語ならべましたタイトル。タイトルだけ決めて、内容はあとからいくらでも変えられる……こちらもすごく、逃げを感じる。いかにもあとから辻褄を合わせる、やっつけ仕事めいていて。
 正塚タイトルで好きなのは、文章になったヤツ。描きたいテーマがあって、それゆえに作ったように思えるから。

 この『薔薇に降る雨』は、文章系でしかもとてもロマンティックな美しさがある。
 タイトルだけで、情景が想像できるって、コピー的にも強いよね。

 そして、しっとりとした大人のラヴロマンスを想像させる、美しいポスター。額に納められたタニちゃんの写真。
 ああ、悲恋ものなんだな。タニちゃん演じる主人公は、きっと死んでしまうんだ。今は亡き恋人を、美しいヒロインはずっとずっと愛し続けるんだ……。

 とまあ、そんなこんな。
 予備知識ナシなので、勝手に思い込んでいただけなんだが。

 コメディだとは、思わなかった。

 ……つか、コメディだよな……なんでコメディなんだ……?

 主人公ジャスティン@タニちゃんとその恋人イヴェット@ウメちゃんの物語自体は、べつにコメディじゃない。ふつーにまともな、ラヴストーリーだ。
 大人になったジャスティンの仕事絡みの話や展開は、まったくもってのいつもの正塚。
 ……コメディにする必要、ないじゃん。
 ふつーにいつもの正塚で、いつもよりラヴ多めで、それでいいじゃん。
 なんでわざわざコメディなの? 笑わせる必要のないところで、わざと滑稽なことをさせて、わざと笑わせるの?

 タイトルだけ先に決めてあって、中身は別物なのかな、正塚せんせ? また?

 とまあ、疑問はあるにせよ。

 そして、ジャスティンくんの言動に対し、ツッコミはいろいろあるにしろ。

 ええ、いちばんのツッコミは。

 えっちのあとに「よかった?」と聞く男は最低だと思っているが、「大丈夫?」と聞く男は、その次にキライだ(笑)。

 や、自分的に「大丈夫?」は笑いツボなんだな。「こんな男ヤだ」って友だちと笑い話にする典型として。
 だからジャスティンくんがイヴェットちゃんとの一夜のあと、「大丈夫?」と言ったときは、吹き出しかけました。
 ……そりゃイヴェットは、「なにが?」と返すしかないよな。

 頼むよハリー。ここでウケさせないでくれ(笑)。

 とまあ、ツッコミはあるんだけど、それでも好きよ、ジャスティンくん。

 大和担のジュンタンに「ジャスティンのどこが好きなの」と聞かれ、胸を張って答えましたとも。

「ヘレン@まちゃみに、プロポーズするところ」

 イヴェットとアレしたりコレしたりして盛大にこんがらがっていながら、ふつーに恋人のヘレンにプロポーズするところです、わたしの萌えは!
 『Practical Joke』のデイビッドを好きなのと同じ。描かれているのは今ここの部分だけだけど、それだけで彼のキャラクタ、人生が見えるから。

 
 それぞれのキャラクタが、なんかみんな愛しいです、『薔薇雨』。
 男役を極めた人は、宝塚を卒業したからといって、男役を卒業する必要はないんだ。

 ということが、目からウロコでした。
 『月光のカンタータ』観劇。

 タカラヅカの特殊性はわかっている。だからこそタカラヅカを卒業するとき、特に男役との別れは「その人との今生の別れ」だと思って悲しむ。その人の人生も、あるいは芸能生活も続くことはわかっていても、「男役」としてのその人とはもう二度と会えない。それを悲しむ。
 
 もう会えない。
 そう思っていた。

 ……チガウんだ。
 たとえそれがなんであれ、ひとつの道を、型を極めた人は、それを捨てる必要なんかないんだ。

 タカラヅカを卒業したら、もう会えないと思っていたんだよ、立さん。

 男性のいる舞台で、ふつーに男性の役として成り立っている、男役・立ともみに感動した。

 立さんくらい極めた人は、外部でもふつーに男の人なんだ……。すげえ……。
 なにも知らない人が見たら、ふつーに声の個性的な男優さんだと思うんじゃね?

 記憶にあるままの立さんと再会できて、すげーうれしかった。
 そして、「タカラヅカ」を好きな身としては、タカラヅカを極めた人の芸がタカラヅカ以外でも魅力を発揮できるのだと思え、さらにうれしかった。

 
 主演は、椿火呂花ちゃん。あの美貌の男役、ゆうかちゃんですな。
 この人の「タカラヅカ」っぽさもすごい。卒業して何年になるんだ? このブログの最初のヅカ感想がゆうかちゃん主演のバウ『エイジ・オブ・イノセンス』だった気がするんだが。
 ヅカを卒業し、男役でなくなって数年経っているだろうに、現役ジェンヌと遜色ない美貌、スタイル。この人を早々に失ってしまったことが悔やまれる大輪の花っぷり。

 ……でも、ゆうかちゃんはふつーに「タカラヅカ男役」であり、男性と並ぶとふつーに「タカラヅカ男役」で、立さんに感じた「極めた人ってすごい!」という感動はない。
 たぶん、現役ジェンヌが外部出演して、男役として男優と競演してもこんな感じだろうな。
 ゆうかちゃんに対する感動は、「辞めて何年も経っているのに、現役みたい」なことであり、立さんとはチガウ。

 だからこそ、椿火呂花という舞台人は舞台人として成り立っているんだろう。
 ふつーに男優さんみたいになってしまっては、ゆうかちゃんとしては意味がない。今でも「タカラヅカ男役」であることが重要だと思う。
 ……それならなんで、タカラヅカでは駄目だったのか、てことになるけど……まあそのへんを考え出すと話が長くなるので割愛。

 ゆうかちゃんはとことん美しく……そして、椿火呂花の美しさだけで保っている舞台だったと思う。や、立さんはじめ、他の出演している人たちを否定するのではなく。
 ゆうかちゃんありき。ゆうかちゃんの美しさがなければそもそもこの舞台の企画すら存在しないだろう、って勢いで。

 作品はねえ……すごかったよ……予備知識なかったんだけど、その……作者って、かなり年輩の人なんだろうか? 80年代に「耽美小説」っていうジャンルが出来て、その後BLというジャンルに駆逐されるんだけど、その昭和の最後にあった文化を、今この現代にまんま見せられて、かなりびっくりした。コレを現代にやるってのは、作者は栗本薫かそれ以上の年代かな。
 それとも、ものすごーく若い人が、若いからこそ古いジャンルにハマって、闇雲に真似をしてみました、って感じなんだろうか?
 わたしも若くないので、歴史として(笑)JUNEのたどった流れを知っているんだが、そのJUNE初期の世界を21世紀にそのまんま再現されて、正直途方に暮れた。
 古い文化を否定するつもりはないけれど、古いまま持ってくるのではなく、現代の人が見るのだ、という意識でアレンジして欲しかったっす。
 それともあの時代を知らない若い人が見たら、新しいのかなあ。

 なんか「耽美」と謳ってある作品なんだが……その「耽美」ってのがさあ……。わたしの思う耽美とは、どうも趣がチガウようで。

 おフランスのお貴族サマの話なんだけど。
 お衣装きらきら、主役のアルベール様はオスカル様張りのくるくるロン毛だったりするんだけど。

 そのタカラヅカまんまなきらきらな人たちのいる、舞台がね。
 大道具っつーか背景に、薔薇の絵がいちいち描いてあるの。

 バルコニーらしきものとか、板に描いた絵でしかないんだけど、ただ白いバルコニーでいいじゃん、なものにすべて、いちいち薔薇の絵が描いてあるの。
 抽象的な、様式的な意味での花ではなくて。
 おフランスのお美しいお屋敷の壁には薔薇が絡まっているのです。柱には、薔薇が絡まっているのです。どうも、そーゆー意味らしい。
 薔薇薔薇薔薇。

 耽美=薔薇。
 
 しかも、ベニヤ板に描きました、とゆーチープな薔薇の大群……。

 男の人が少女マンガをカンチガイして「主人公の目に星をいっぱい描いて、後ろに花びら飛ばせばいいんだろ」と思っているよーな、昭和時代の少年マンガの美形悪役が薔薇を一輪くわえて登場するような、あーゆー使い方の薔薇です。
 いちいち薔薇の絡まった背景。

 あんなに安っぽい薔薇薔薇なら、いっそない方がどれだけ美しいだろう、と思いました。
 あんな微妙な書き割りセットなしで、照明とホリゾント、長椅子とかの必要最低限のモノだけで演出すればいいのに……。
 いやその、わたしと好みがチガウってだけのことです。薔薇がいっぱいで耽美なんだろう、きっと……。

 それともあれは薔薇ではなく、別の花なのかな。正視してはイケナイ気がして、できるだけ見ないようにしていたんだが。
 まあとにかく、手書きのお花が書き割りセットに無数に描いてありました。

 ストーリーもまた、その舞台センスに相応しいモノでした。こんだけゆうかちゃんが美しいのにな……。
 
 
 友だちが大喜びしていた、ゆうかちゃんの前の出演作品、闘牛士モノを観てみたかったなー。あっちはストーリーがあったみたいだし。

 
 いちばんステキだったのは、フィナーレです。
 オスカル様カツラより、地毛のゆうかちゃんがすげー美しかった。

 女役だった真丘氏にも、黒燕尾で踊ってほしかったなー。もちろんドレス姿も美しかったけれども。

 そして、なんといっても立さんの黒燕尾!!
 黒燕尾で踊る立さんを再び見られるなんて!!
 男優さんと遜色ない芸を持つ人だと思い、さらにこのフィナーレでやっぱタカラヅカ男役ってすごい! と思わせてくれるんだもの、立さんブラボー!
 

 ……や、とにかくみんな美しかった。
 それだけを心に刻んでおこう。
「しいちゃんはいつ、大人になったんだろう?」

 ……わたしがしいちゃんを好きだったのは、彼に「ゆがみ」があったからだ。

 ロケットボーイでただきらきらしていたときは、好意はあってもその若さや光を愛でているだけだった。

 それがアンリ役以降迷走し、真っ白だった光に微妙な光彩ができてからだ。

 永遠の青年であるしいちゃんには、若者が持つ無神経さがあった。
 自分が正しいと思うことを貫いて、他人を傷つけるような。そしてそれを当然とするような、若さゆえの無謀さと傲慢さ。

 太陽であるがゆえに、陰の生物を傷つけるような。

 そーゆーいびつさが、好きだった。

 わたしはショタの気がないので、「子ども」には興味がない。
 だけどわたしもたしかに昔は子どもだった。幼く、無謀で、傲慢だった。や、今も変わらずアホでカンチガイ者だが、ソレとはチガウ意味で。
 いつか失ってしまう「若さゆえの傲慢さ」を、その痛い姿まんまで持ち続けてくれる「永遠の青年」は、ノスタルジーを刺激する。

 痛い……というのは、「美しい」ということなんだな。

 核が剥き出しになった姿。それがどんだけ危険なことか、こわいことか、まったくわかっていない、美しさ。

 まぎれもなく太陽でありながら、現在の人でありながら、舞台の上でのしいちゃんは「なつかしい」人なんだ。

 いつかのわたしがはじめて恋した同い年の男の子のような、そーゆー痛さ、切なさを持っているわけだ。

 えー、そーゆー男の子だった立樹遥さん。

 変わらないと思っていた、しいちゃん。
 今は、チガウ。

 
 いつ、しいちゃんが大人になったのか。

 たぶんそれは、安蘭けい氏の影響が大きいと思う。
 でもって、湖月わたる氏の。
 
 
 人にはやっぱ、役割と立場があると思う。
 そこにいるからには、役割を果たさなくてはならない。
 役割を果たさずに、ただその立場にいたら、いつかそこは自分の居場所ではなくなってしまう。

 ワタさんという未曾有の「大きさ」を持ったトップスターは、その安定した腕の中で、多くの組子たちの立場を守っていたんだと思う。

 ワタさんという大きな男がいるから、トウコちゃんは彼に対峙する役だったりちょっかい掛けたりする役だったり恋人だったり(笑)、持ち味や役割分担して棲み分けていられた。

 それと同じように、しいちゃんもまた、「青年」でいられたんだと思う。

 タカラヅカらしい、きらきらした若者。太陽の男の子。

 たとえ大人の役をやっても、根っこは変わらず。魂の若さは曇らず。

 それが、ワタさん卒業と共にもトウコちゃんの代になって。

 世代交代したトウコちゃんの星組では、しいちゃんに求められる役割がちがっていた。
 トップスターの下にいる若い男の子(その中では年長の兄貴ポジ)ではなく、トップスターを支えられる、対等に対峙できる大人の男、だったんだよ。

 それこそ、トップスターの恋敵と、父親、両方を演じられる大人の男として。

 究極ですよ。
 通常、主要クラスの役をするスターたちのなかで、最上級生がトップスターだからね。
 でもって、そーゆー役は2番手が半分以上担うもんなんだけど、新しい星組はまだ2番手にそーゆー役割は担えなかったからね。

 歴代の、いろんな組の2番手さんたちは、時にはトップスターの父親くらいの年齢の役をする。
 トップってのは特別な人だから、それに対峙できる、それより大人の男の役を演じられるのは次のトップになるべき人ぐらいのもんなんだよ。
 ワタさん時代の2番手トウコちゃんがそうであったように。

 しいちゃんは2番手さんではないけれど、役の比重は2番手ではないけれど、役割的には2番手相応のものを負うことになった。

 ああ、これって。

 『凱旋門』の、アンリだ。

 きらきら真っ白しいちゃんが変わってしまった、あの役。

 どーにもこうにもできなくて、大変なことになっていたあの役。

 しいちゃんは、ワタさん卒業と共に、新しい星組できちんと自分の居場所を見つけていたと思う。役割を、果たしていたと思う。
 ただ代替わりしただけだったら、その役割に落ち着くまで時間が掛かったかもしれないけど、『ヘイズ・コード』があった。
 主役であるトップスター・トウコちゃんの声が出なくなるという、ものすげー非常事態があり、しいちゃんの立場は、求められる役割は一気に確定したと思う。

 それゆえに、あのカールトン監督@『ヘイズ・コード』があり、ジェラード・ペルー@『エル・アルコン』があるのだと思う。

 大人の男。
 トップスター演じる主人公と同じか、あるいはそれ以上に。

 対等か、あるいはそれを超えた人物として。

 
 役割がわかり、立場がわかったからって、すぐにそれが出来るはずもない。
 しいちゃんは長い間かけて、その準備をしていたんだろう。本人の意識のことではなくて、「舞台人」として、いつか「大人」になる経験値を少しずつ貯めていたんだろう。
 そしてトウコちゃん時代到来と共に、クラスチェンジした。

 今までとかけ離れているのではなく、あくまでも延長線上に。
 魂の輝きは、そのままに。

 
 大人になったしいちゃんは、それまで思ってもなかった「ときめき」を持って降臨した(笑)。

 もともと好きだったんだってば。
 ただ、「年下の男の子」「失った青春の記念碑」みたいな意味で萌えていた面があって。
 対等な「恋愛相手」だとは思ってなかったから。

 そのもともと好きだった「若い男の子」が、その好きだったところはそのままに、大人の男として、堂々恋愛対象として現れたりしたら。

 オチますがな。

 しいちゃんの持つまっすぐさや太陽具合、それでいてそれらだけではどーしよーもないゆがみやくすみ……諦観や、限界を知る姿が、世俗にまみれた大人なわたしからすりゃあ、たまらない魅力なのですよ。

 カールトンさん、ダイスキだった。
 ジェラード様、ダイスキだった。
 ときめきだ。
 今、地に足の着いた、リアルなときめきなんだ。

  
 『My dear New Orleans』の、ムッシュ・アンダーソンを見ていて思う。

 これはアンリ@『凱旋門』と同カテゴリのキャラクタだなと。キャラの性格とかがではなく、立ち位置。トップスターの恋敵で、彼からトップ娘役を金で奪う、トップよりも大人の紳士。2番手的役どころだが、2番手ではない。

 10年前演じきることの出来なかった役を、大人になったしいちゃんが今、美しく演じている。

 ワタさん卒業と共に「青年」を卒業したしいちゃん。
 トウコちゃん時代のために「大人」である姿を見せてくれたしいちゃん。

 トウコちゃんが卒業する今、その役割も終わる。

 大人の男、トップスターと対峙できる器を持つ立ち役。
 ヅカの男役としてひとつの到達点であるこの役割を終えたのだから、今彼は卒業の時なんだろう。

 しいちゃんは「永遠」で、「変わらない」と思っていた。

 彼が持つ「青春」の光は、わたしの求める「夢」の具現だった。
 永久に「夢」はそのままだと思っていた。

 だけど、そうじゃないんだね。
 成長して、役割を果たして、堂々と卒業していくんだ。

 最後のお茶会で「タカラヅカへの愛と誇り」を歌って。

 決して平坦ではなかった道を、たしかに歩ききって、その立場の責任を、務めを果たして、胸を張って。

 美しいと思うの、あの人を。

 無垢な光に満ちていた下級生時代とはチガウ、今の光をなお、美しいと思う。
「しいちゃんはいつ、大人になったんだろう?」

 ……『My dear New Orleans』観劇の帰り、nanaタンと話していた。

「しい様が、かっこよすぎる」と。

 「しいちゃん」というお子ちゃまな呼び方ではなく、崇拝を込めて「しい様」と呼んでしまうよーな、そーゆーかっこよさだ。

 いったいいつから、そんなことになったんだろう?
 しいちゃんはいつでもしいちゃん、太陽過ぎて安心過ぎて、危険な情事より「お友だちでいましょう」な健康優良児だったじゃないか。
 

 何度も語っていることだが、わたしとタカラジェンヌ立樹遥との出会いは、『ラヴィール』のロケットボーイからだ。

 しいちゃんはぴかぴかの若い男の子で、きらきらしていた。

 風はまさに彼に向かって吹いていたときで、次の公演『ノバ・ボサ・ノバ』では新公主演、本公演では「この役をやった人はトップになるのよ」と前夜祭でOGに言われるほどの、ドアボーイ役。
 次の『バッカスと呼ばれた男』では新公で美形悪役、本公演は抜擢されはじめた音月桂と共に王子様(領主の息子)役。
 さらに次の『凱旋門』で大役、トップスター・トドロキ様の恋敵、彼からトップ娘役を取る役だ。

 トップ路線の若手として、しいちゃんは快走していた。……最初は。

 わたし的に、しいちゃんのつまずきは、その大役『凱旋門』のアンリ役だと思っている。

 トップスターと渡り合い、彼からトップ娘役を奪う役。
 大人の男。……トド様より大人で、安定していて、ぐんちゃんがトド様を捨てて走る、そーゆー役。描き方によっては2番手が演じてもおかしくないよーな役どころ。(比重は低いので、もちろん2番手の役ではありえないが)

 ぜんっぜん、できてなかった。 

 無理に大人を演じようと背伸びして、お化粧変えて、いっぱいいっぱいになって空回っていた。

 トド様ともぐんちゃんとも演技が噛み合っているよーに見えず、しいちゃんだけすごく代役っぽかった。
 ……実際、ほんとはかしちゃんの役だったわけだから、代役っぽいのも力不足なのも仕方ないんだが……そして、かしちゃんもトド様たちと対等に渡り合えてなかったから、ほんと役が難しすぎただけなんだけど。

 あきらかに「できてない」役を見せられたあと、しいちゃんの歩いていたコースは、変わってしまった気がした。

 アンリ役でついた変な癖……それまでの「きらきらしいちゃん」にはなかったいびつさを持ったまま、『猛き黄金の国』があり、『愛燃える』があった。
 そして、『猛き黄金の国』ではキムが新公主演をし、彼の勢いがよくわかるよーになる。『愛燃える』から壮一帆が雪組に加わり、路線スターとして壮くんを押したい思惑が見えはじめる。

 キムは若すぎるため、今すぐ番手のあるスターに、という意志は感じられなく、「まず新公で地固め」という感じだった。
 だが、新公を卒業しようという学年の壮くんは、「かしげの次の番手」にしたい、バウ主演もさせたい、という風が強く感じられた。

 花組からやってきた壮くんは、「アンリを演じる前」のしいちゃんに、似た輝きと、涼やかさを持っていた。
 もちろんキャラも持ち味もチガウんだが、「雪組」として、番手スターに置きたいのはこーゆー子なんだな、と納得させるだけのカラーを持っていた。

 壮くんに押し出される形で、星組へ組替え。
 ふつー組替えしたら優遇されるもんなんだが、なんと組替え先では下級生の真飛聖の下に配置された。

 もう、路線ではない、と。
 宣告された。

 ……よく、辞めずにいてくれたと思う。
 大抵のジェンヌは「路線」と呼ばれたコースから外されると(外される気配があると)、退団してしまうものだから。

 下級生の壮くんに押し出され、下級生のまとぶんの下に置かれ、さらに下級生の柚希礼音に追い越され。

 立場が、立ち位置が変わっていく中で、しいちゃんの持ち味は、舞台上のキャラクタは、けっこー迷っていたと思う。

 本来のしいちゃんはきらきら太陽キャラだ。ぱーっと輝くお日さまだ。

 本来、いちばんその輝きで成長し、ファンも増やすべき時期に、身の丈に合わない役を全霊を挙げてやりすぎて、停滞してしまった。
 本来はお日さまなのに、月とか陰とかを求められ、本来は若者なのに大人を……おっさんを求められ、咀嚼できなくなってしまった。
 もともと器用な人ではないんだろう。
 できないならさらりとかわして、その役のときだけ身を潜めていればいいのに、本来の自分を見失うくらいがんばりすぎてしまった。

 もう、なにも知らなかった頃のきらきら青年には戻れない。それに、きらきら青年ポジには壮くんが入ってしまったし、さらに若いキラキラ少年ポジにはキムが入ってしまった。
 同じきらきら若者路線では、居場所がない。しいちゃんは、大人になるしかない。だけど。

 大人にならなければならないからって、簡単に大人になれるのか?

 たしかにもう、ロケットボーイやっていたときの無垢な輝きはないものの、本来の持ち味、魂のカタチってのは、あとから簡単にどうこうできるできるもんぢゃない。
 どっちつかずのまま、星組へやって来て。

 れおんくんと組まされることによって、必然的に「兄貴ポジション」を負わされることになる。
 きらきら若者だけど、年長さん。兄貴。

 太陽属性は変わらないから、悪役はできない。いい人役は得意。年長のきらきら笑顔のおにーさん、で落ち着き掛けたときに、汐美真帆退団、彼が担っていた「大人の二枚目系立ち役」という役目が、しいちゃんの肩に掛かる。

 や、だから、大人は苦手なんだって。しいちゃんはフェアリーだからトシ取らないし。彼は永遠の青年なのよ?

 最初のうちは試行錯誤……ってゆーか、ぶっちゃけ足りてなかったでしょう? 「立ち役」として。

 だけど、そのときの星組で、求められているのはこのポジション、この役割。
 雪組から異動になったとき、しいちゃんのいた場所に、しいちゃんが失った持ち味を持った子が入ったように。組に求められている役割を果たすことの出来るモノが、そのポジションを得られることは、周知の通り。

 素は美しい女性が老人の役をやるタカラヅカだから、大人が大人らしいわびしさを持たなくても許される。「大人」じゃないのに、大人の役をやり、「しいちゃんってやっぱ若いなあ」と、それでも愛されてはいた。

 しいちゃんの魅力のひとつは、「大人にならないこと」だった。

 いつまでも青年。いつまでも青春。いつまでも、太陽。

 ロケットボーイで彼に出会ったわたしは、「かわいい年下の男の子」として、しいちゃんはダイスキでずっと特別だけど、ある意味「恋愛対象」ではなかった。
 かっこいい~~、きゃ~~、と思いはしても、それはテレビのアイドルに対するような感覚で、大人のわたしがリアルに恋をする対象ではなかった。

 や、ジェンヌは架空の存在なので、リアルにどうこうっつーのも変だが。そのへんの揚げ足は取らないで。

 しいちゃんは変わらないのだと、わたしは思い込んでいた。
 
 これだけ立ち役を求められてなお、『フェット・アンペリアル』のウィリアムをそのまんま演じられてしまうような、永遠の青年なんだと思っていた。


 それが、どーしたこった。
 永遠の青年が、大人の男スキーなわたしの恋愛対象にはならなかったあのしいちゃんが、立樹遥が、今、大人の男だ。

 ダイスキ、で済んでいた、きらきら太陽の若者が、ときめき焦がれる対象である、大人の男になっている。

 太陽キャラであることは、ショーを見れば明らか。
 それでも、太陽でありながら、それだけではない魅力を得ている。

「しいちゃんはいつ、大人になったんだろう?」

 今、彼の卒業を前に、それを考える。
「で、カップリングは誰と誰なの?」
 久しぶりというか何年ぶりかに会った友人が、開口一番こう言った。

 あー……ほんとに、久しぶりなんだな、こーゆーの。
 ほんの数年前までみんな、わたしに会うたびこーゆーことを聞いてきていた。
 別にわたしの意見に同意する気なんかまったくなく、ただ興味本位で聞くの。そして「そんな風に思うの、こあらさんだけだわー、ありえなーい(笑)」と言うのをたのしんでるのよ。「こあらビジョン」とか勝手に名前を付けて、「ふつうの人とはチガウ、歪んだフィルター」と決めつけて。

「ああ、アレは主人公とそのライバルの、壮大な愛憎劇だったわ」とか。
 わたしはドラマ・ヲタクでもあるので、いろんなドラマをわたしなりにかみ砕いて解説するんだけど、それをみんな「こあらビジョン」と言って、「別物」として楽しんでるの。……別物じゃなーい、同じモノを見て同じモノを語ってるんだってば。

 「こあらさん、どれだけありえない、変なことを言い出すのかしら」と、期待して聞いてくる。
 いやあの、わたしは別にウケを取りたいわけでも、「わたしってこんなにヒトとチガウのよ、ふふふ」と言いたいわけでもなく、ただ、腐った話をしたいだけなんだがな。
 たぶん、ヲタク属性の女子となら、話は通じると思うんだけど。
 ヅカ友に腐った人がほとんどいないせいで、今では語ることもなくなってしまった……。

「カップリングは?」と聞かれて、なつかしさに胸がアツくなったよ。
 そうよ、そうなのよ、緑野こあらといえば、腐女子でしょうが。腐った話をしてナンボでしょうが。
 なのにもう、リアルでそんな話ができなくなっているのよ、友だちいなくて!!(笑)
 ブログでは腐女子注意報話やってるけど、リアルではしてませんから、わたしが大人になったわけではなく、単に話せる人がいなくて。オレ、友だち少ないしさ……。

 友人で唯一腐っているのは、某ゆみこファンなんだけど(本人は「腐ってないもん!」と言い続けているが)、彼女はゆみこ絡みでしか腐った思考をしないので、ふつーの腐った話ができないんだよなー。

 語っていいなら語るわよ?
 カップリング話するわよ?
 
 つーことで、某喫茶店で『My dear New Orleans』カップリング萌え話をしたんだけど、聞いて来た相手も他のツレも、「へー」「そんなこと考えてるんだ」となまあたたかい笑いを浮かべて感心するばかりで、同意せず。

 誰か同意してよ、わたしと一緒に盛り上がってよ?!

 あー、ヲタ友が欲しい……(笑)。タムドクが受か攻かで盛り上がれる花組ファンとか、どっかにいないですかね? べつにチョ・ジュド×ヨン・ガリョで盛り上がれる人でもいいっすけど。

 語りはしたけど、なまぬるく笑われて終わった、『My dear New Orleans』の腐った話。

 アルバート@すずみん×ジョイ@トウコ。

 ねえ、このカップリングは王道よね? 腐女子なら誰だって考えるわよね?
 真の少数派はライアン@みずきりょお×レニー@れおんとかよね?

 王道カプを語るのは、ちょい面はゆいとこがありますが。
 
              ☆

「ニューオリンズ1美しいクレオール? それってジョイさんのことですよね?(素)」

 アルバートはずっと、人知れずジョイを愛していた。てかもー、一目惚れだろ。有色人種差別が横行する中、彼はそんなもんまったくヘとも思わず乗り越え、混血のジョイくんにめろめろだ。ジョイ会いたさに店に通い詰め、常連客として店の人間におぼえられるほど、あからさまな傾倒ぶり。
 しかしシャイな彼は、ジョイ本人にはなにも言えずにいた。そしてまた、高嶺の花であるジョイは、自分目当てで店に来る客なんて星の数ほどいるので、いちいちおぼえてないし(笑)。

 いったんはあきらめて「もっとビッグになって迎えに来るんだ」と人知れず誓うアルバート。ニューヨークで根回しして、あとはお姫様を迎えるだけ、までしてからだよな、プロポーズは。
 ところがどっこい、帰路の途中で知った。ストリートヴィル閉鎖の話。
 それってつまり、高嶺の花だった姫君の家が没落したよーなもん?! 準備ができてないなんて言ってる場合じゃない。他の狼どもにかっさらわれる前にプロポーズしなくては!

 つーことで、大慌てでアルバート登場です、本編です。
 怒濤の口説き文句、怒濤のプロポーズ……もとい、NYデビューの話。
 初対面の男に口説かれて困惑しているジョイに「返事を聞くまでホテル取って待ってますから」と、ボディタッチ。やるときゃやる男だ、アルバート。

 最初は声も掛けられず、遠くから眺めているだけだった、僕のブラックバード。
 それがビジネス・パートナーとなり、ついには親友になる。
 回想シーンでは敬語だったのが、現在場面ではタメ口、しかもジョイの気持ちを代弁したり、いちいち親密ぶりを発揮。

 美しい妻を持った夫の自慢と不安がまんま表れてる気がしたんですが、現在場面のアルバート。
 ジョイの崇拝者エリック@ベニーにいちいち牽制掛けてるよね、アレ(笑)。ジョイを自慢しつつ、「彼のことはオレがいちばんよく知ってるから!」と。「オレたちの間には誰も入れないから!」と。

 アルバートとジョイのNY時代の話が、心から知りたいのですが(笑)。

 ルル@あすかを失い、傷心のまま旅立つわけですよ、ジョイ。
 アルバートに返事をしたときは、ルルも連れていくつもりだったわけだし。それがまさかのひとりぼっち。故郷を離れ、見知らぬ大都会で、戦いの日々。ああ果てしない夢を追い続け、ああいつの日か大空駆けめぐる。
 そんなジョイのそばに、アルバート。彼に惚れきってる王子様めいた美形紳士。

 ルルを想って酔いつぶれたジョイを部屋まで送り届け、その寝顔を見ながら小さく「Sweet Black Bird」を口ずさむアルバート。
 髪を撫で、涙のあとの残る頬をたどる指がせつなく震え、不意に彼は部屋を出る。
 その気配に目を覚ましたジョイが、肩に掛けられたアルバートの上着を抱きしめるように、静かに「Sweet Black Bird」の続きを歌う。
 届きそうで届かない、いちばん近くにいて重なることのないふたつの心。

 ……王道過ぎて気恥ずかしいほどの、ありがちなシチュエーション、ありがちなカップリング。

 敬語がタメ口に変わる瞬間とか知りたいんですが。
 どれほどの出来事を経て、ふたりの心が固く結びついていったのか。

 なにしろ芸能界モノですから、助平な音楽界重鎮じじいとか下心見え見え金持ちパトロン気取りのおっさんやマダム、トゥシューズに画鋲、礼拝に着ていく制服の色をわざと嘘教えたり、ありがち設定詰め込んで、いざサクセス・ストーリー。
 負けるなジョイ、そしてがんばれアルバート。

 ジョイはきっと一生独身だし?
 ルルを愛し続けるその心ごと、アルバートなら愛して包んで支えていくさ。

 ちょっと切ない、でもあまあまなラヴ・ストーリーになりますよ、ジョイとアルバート。
 ねえ?

 腐女子なら、誰だって考えるよねえ?

 ……つーことで、次回はライアン×レニーを語ります。(嘘です)
 今回の雪組公演、ショー『風の錦絵』はたのしかった。
 退屈しているヒマがないまま、テンション高いまま終わる。

 だけどわたし的に芝居『ZORRO 仮面のメサイア』に魅力を感じられなかったため、リピート意欲はあまりわき上がらなかった。

 『ZORRO 仮面のメサイア』は別に、悪くない。罪のない娯楽作品だと思う。が、どうにもつまらなくて、2回目からテンションが落ちた。1回目はいいんだ、1回目は……。コレもアリだろう、と思えるから。
 『愛と死のアラビア』とどっちがマシかというと……うーんうーん、どっちだろ? というレベル。

 つってもこれは、ヅカではありがちなことだ。嘆くほどの駄作だとは思っていない。薄くて軽くて整合性はなくて雰囲気だけで通して見た目だけ派手で、植爺作『ベルサイユのばら』から嫌悪感を取り除いたよーな作品。
 娯楽作品として初見のお客さんを喜ばせるのに適していると思う。 
 雪組は前回の公演が「初心者お断り」なトンデモ作品だったので(笑)、バランスは取れているのかもしれない。

 しかし2公演連続、「ショーは観たいけど芝居は……」な構成で、ショーが30分、つーのはすごいなヲイ(笑)。
 
 『ゾロ』は物語が粗だらけなので、リピートするとキャラに感情移入がしにくい。初見で気はついても流せていた疑問が、繰り返し観ることでどんどん大きくなり、キャラの言動やストーリー展開に納得できず、あちこち足を取られたり水を差されたりするので興醒めして困るんだよな。
 正塚やオギー作品は反対に観れば観るほどキャラに感情移入して、物語にどっぷりハマって行くんだけどなー。
 谷せんせもキライではないので(好き嫌いで言えば好きだ・笑)、作品によってはどんだけ粗があっても入り込めるので、『アラビア』も『ゾロ』もわたしとは相性が悪かったのか。……最近谷作品で好きだと思えるモノがあまりナイ気がするんだが……合わなくなってきちゃったのかなあ。わたしも変わっていってるわけだし。

 リピートしつつ、「感情移入できないなあ」と引いたキモチで眺めていたんだが。

 とりあえず、メンドーサ@ゆみこが光っていた。

 わたしはあまり、ゆみこちゃんから「光」を感じることはないんだ。
 スターにはいろんな持ち味があり、魅力がある。ひとりひとり顔が違うように、個性はみんなチガウ。

 ゆみこちゃんは太陽と月なら月の魅力、陰の魅力を持つ人で、明るすぎないところがイイと思っている。
 闇や狂気を演じることはできるが、毒を持たないという、稀少な持ち味。や、ふつー闇属性の人って毒があるからさ。

 今回のメンドーサ役は、悪役。
 ほんとにもうただ、「悪役」。
 いっそ世界征服でも企んでくれりゃー記号として突き抜けるんだが、それすらなく、「実はいい人なんです★」という安っぽいオチまで用意された、どーしよーもない悪役。

 最初はその記号としての「悪役」の「弱さ」が気になった。
 せっかくわかりやすい、安い悪役なのに、なんでこう「弱い」んだろう。もっとオイシイ役だろうに、埋没気味だ。

 某ゆみこ担の友人はいつものよーに「ディエゴ@水さんを愛しすぎている」と評していたが、わたしにはそんな風にも見えない。
 これは脚本が悪いんだが、ロリータ@となみちゃんを愛しているようにも見えないし、メンドーサっていったいナニがしたいのかなと。

 そんな感じだったんだが。
 3回目に観たときに、メンドーサ氏が発光しているのを見た。

 廃坑の牢獄でいちばんのわるもの@ハマコに撃たれたあとの、メンドーサ大佐。
 ホゲ様@『太王四神記』で言うところの、「もうオレは後戻りできないんだ~~!」の場面ですな。

 撃つ必要がないのにわざわざハマコがメンドーサを撃つのは、ただの「作者の都合による、消去法」であって、それ以上の意味はない。

・ディエゴとメンドーサを幼なじみにした。(これが無理ありまくりのアホ設定)
・メンドーサは悪役なので、死ななければならない。(大前提)
・悪役を懲らしめるのは正義の味方・主人公ディエゴの仕事。(大前提)
・でも、ディエゴに友だち殺しはさせられない。(大前提)

・ゆえに、メンドーサは別の人間に殺されなければならない。(消去法により、消極的に決定)

 という事情により、ハマコが脈絡なくメンドーサを撃ち、「もう助からない、時間の問題」な状態にし、正義のディエゴが「トドメを刺して楽にしてやる」という結果に落ち着いた。

 その、最後の悪あがき、「ディエゴがトドメを刺しても悪く見えない」ように、とにかくあがかなければならない、「演出家の都合が見えて大変」な場面にて。

 あがくメンドーサが、発光して見えた。

 作品のわけわかんなさ全部背負わされて、「それって変じゃない?」な部分をすべて「メンドーサはそーゆー人ってことで」「メンドーサが変だからってことで」と押し付けられて、主役と戦って死ぬならまだしも、物語的にちゃんと描く気もないてきとーな脇役に射殺されて終わる。
 その、彼が背負わされた「大変だな、ゆみこ……」といういろーんなことを全部、打ち消す光を、発していた。

 戦いがすべてだと言っていた男が、最期を悟った戦いで、彼ひとり光っているのが見えた。
 その光が、すべてを肯定していた。
 メンドーサという男を。
 彼の人生を。言動を。

 最期の戦いで発光する、そういう男だからこそ、今までの言動があったんだ。

 そう、すこんと納得させてくれた。
 そして、そんな風にしか生きられない……存在できなかった、メンドーサという男が、哀れだった。

 他の生き方があったのかどうかはわからない。可能性を探すのもおこがましい。
 彼は今、彼の生きていた道の集大成として、彼自身の力で輝いている。

 だからもうそれで、いいんだ。

 
 谷脚本のアレさを、その演技でねじ伏せてしまうなんて、すげえなあ、ゆみこ。
 そして、あの切ない、哀しい……されどまぎれもなく男らしい光を発することができるなんて、すげえなあ、ゆみこ。
 純粋に「真ん中」向きの光り方ではないんだが、いろんな魅力があってしかるべきタカラヅカなんだから、この光もまたたしかに、「スター」の輝きのひとつだと思う。

 メンドーサの演技が「前へ」出てきた分、ベルナルド@キムの最期の演技はおとなしめになっていると思う。初日に狂気全開でえーらいこっちゃだったキムくんは、ちゃんと「3番手」の演技になっていた。
 そして、このふたりの間に立ち、彼らの演技と渡り合うディエゴ@水くんは、下からがっつり支え、ふたりの最期の場面の輝きを前へ放つ役割をしている。
 主役級の男たち3人の、そーゆーバランス感覚もすばらしい。

 
 んで、最後に、つまらんことではあるが、気になること。
 『風の錦絵』のゆみこ&ミエコ先生場面「風の盆」で、ゆみこちゃんが「~風の盆♪」と歌うなり、舞台の盆が回り出すのが、ひそかなツボだ。初見ではツボ直撃して、どーしよーかと思った(笑)。

 『ゾロ』の、くだんのディエゴVSメンドーサの、感動場面にて。
「ゾロ……教えてくれ、オマエの正体を」
「その正体は……オマエが思っている男だ」
「やはりそうか」
 で、絶命するメンドーサ大佐。

 ついここで、

「やはりそうか……バスティアーンだな……(絶命)」

 とかだったら。

 誰っ?!

 って、その場にいるモノ全員凍り付いたのにな、と。
 メンドーサが誰を想定していたかなんて、誰にもわかんないし?

 ……パロディのネタ……てゆーか、ツッコミを考えずにはいられない、ステキ作品ってことで。
 『風の錦絵』『ZORRO 仮面のメサイア』千秋楽は、いろいろとサービス&お遊びがあり、たのしい公演でした。

 退団者にとっても大劇場最後なわけだけど、明日組替えになるかなめくんにとってはまさにこの日この公演が「雪組最後」なわけで。
 退団者にはまだ東宝があるってことで、まずはかなめくんへのお別れ度が高かった気がする。

 ショーでかなめくんにだけ、桜吹雪が舞ったり。芝居で水しぇんと余計に絡んだり。
 桜吹雪が落ちてきたときの、かなめくんのぱぁああっとした笑顔(笑い含む)が印象的だ。アレ、素の顔だよね?
 しれっとした顔でオリバレス総督@かなめとディエゴ@水しぇんが腕絡めて踊ってるのも、すごいたのしかったけど(笑)。

 本編終演後のカーテン前では、かなめくんの組替え挨拶を見たナガさんが「大きくなって……」と涙ぐんでるし。この挨拶で涙ぐむって、どんだけおぼっちゃんだったんだろう、と軽く不安になりつつも、微笑ましい(笑)。
 たしかにとてもしっかりと感謝の言葉やこれからの意欲を述べていて、「おお、テルがちゃんと喋ってる!」と感心もしたが。
 ……そっから先、なにか急に話を振られるたびに、「星組観に来てください」としか言わなくなったのは、やっぱテンパってたんだろうなあ。最初の挨拶で口にしたとき、客席にウケて大きな拍手をもらったのはたしかだが、そのあとそれしか言わないって、前半部分の「組長を感激させた、しっりした挨拶文」は全部吹っ飛んで、最後のフレーズしか彼の中に残ってなかったんだろうか?(笑)
 ナガさん、「やっぱり変わってない……」と内心思ったかも? いや、あのヘタレっぷりがかなめくんの魅力のひとつかと(笑)。
 

 千秋楽だからこそのサービスというかアドリブは、多分ピンク・ディエゴ様の場面に集約されるであろうと油断していたので、オープニングの仮面なしゾロがゾロゾロには、驚愕した。

 結局この公演4回観たのかな。新公入れると5回。1ヶ月公演でこの回数ですから、週1でムラ通いです。……今年の観劇回数が、去年の同時期回数を上回っているんでおとなしくしたいんだが……。

 んで、4回目ともなりゃ、オープニングでオペラは使いません。
 初日はわくわくオペラで観ていたけれど、どーせ覆面で顔見えないんだし、おとなしくダンスを眺めていようと。

 つーことで、オペラを使う気もなく大階段に登場した水くんをぼーっと眺めていて、その周囲にゾロがゾロゾロ現れて、彼らが本舞台へ降りてきた頃、別になにも考えずにオペラをのぞいた。

 ゆみこの顔が、そこにあった。

 はうっ?!
 思わず、オペラを外す。

 なんだ?
 なんか今、チガウもん見えたような?

 オープニングは覆面、という思い込みゆえに、アタマがついてゆかない。

 もともと回転が遅いのにその上加齢もありさらに鈍くなってるアタマが、目で見たモノと先入観との差異に警鐘を鳴らす。

 必要なのは、柔軟な思考。敏速な行動。
 「こうであるはずだ」という思い込みが、実際の情報を正しく咀嚼するまでにコンマ何秒か阻害した。

 いきなりゆみこのアップを見てしまい、びびったのなら、そのままオペラで周囲を確認するべきなのだ。なんでオペラ下げちゃうかな。
 あわてて再度、オペラを上げる。

 顔が見える。
 水しぇんもゆみこちゃんもキムくんも、みんなみんな、覆面なしだ~~!!

 素顔のゾロがゾロゾロ!!

 ぐわーーっとテンション上がった。
 てゆーかなんで客席騒がない? ヅカは静かに観劇がお約束だが、それにしたってここは「思わず歓声」の場面ぢゃないのか??
 星組なら大騒ぎだな……と思いつつも、「そーいや『エリザベート』のときも、水ハマの渾身の千秋楽アドリブだったのに、客席がしーんとしていてしょんぼりしたって水くん語ってたっけ」と思い出す。組ファンにもカラーってあるから。雪組は拍手も少なめ、歓声なんかもってのほか!の組だ、昔から。

 周囲の反応はともかく、遅ればせながら渇望してオペラに食らいつく。
 素顔のゾロがゾロゾロですよ、もーどこ見ていいかわかんないっ。みんなめっさかっこつけて、「オレってセクスィ」って顔して踊ってる!!

 ……やー、最初に爆弾来ちゃったなー(笑)。
 わたし的に、いちばん大きかったっす、千秋楽アドリブの中で。

 芝居の一場面まるまる、出演者全員でこーゆーことができる、やっていい、という自由さにも感動した。
 
 ピンク・ディエゴさんにももちろん、笑わせてもらったけれど……水しぇんのお笑いアドリブは、彼の生真面目さ、一生懸命さが伝わってくるので、腹を抱えて笑うというより、「水しぇんのこーゆーとこ好きだなあ」と思う方が強いっちゅーか……ごめんよ水くん、うがちすぎだよね。

 
 『ゾロ』の最初にどかんと来て、これ以上のびっくりはないだろうと思っていたら。

 となみちゃんサヨナラショーのレイチェル@キムで、さらにびっくりした(笑)。

 なんか祭りな感じの千秋楽だった。

 となみちゃんサヨナラショーは、ワンマンショーというより、組全体のお祭りみたい。
 となみちゃんはきれいで、神々しくもあり、とてつもなくキュートでもあり。

 そしてそこまで完璧に「娘役トップスター」「夢の世界の姫役者」姿を刻みつけておきながら、最後の最後、草履が脱げるあたり、すげえよ白羽ゆり、完璧だ。
 繰り返されるカーテンコールの、幕が下りる最後に奥へ戻ろうとして……草履が片方、舞台に残された。

 あの、「え?」という、出演者たちと、客席の空気。
 とくに水しぇんの顔(笑)。

 うおおお、かわいい~~っ!!

 ありがとうとなみちゃん。恥ずかしがるとなみちゃんもめっちゃかわいいし、水しぇんのかわいい顔も見られた。

 歓声と、拍手と。
 みんな臆せず立ち上がって、心からの拍手を送っていた。

 いい千秋楽だった。
 東宝もがんばってくれ。ちぎくんの総督も見たいよなあ。

「星組観に来てください」と繰り返すのみのかなめくんも、がんばってくれ、観に行くからね。

 
 えーと、あと、個人的に。
 谷みずせの挨拶が、しっかりとした男役声で感心したことと……ナガさんのお話中にあった、『さすらいの果てに』の役が、オーディションで勝ち取ったものだということに、おどろいた。
 そ、そうか……あの役、オーディションで選ばれたんだ……そうだったのか……。
 なにがどう、ぢゃないけど、谷やん好きだったよ。
「舞台でがっつり絡む、ゆみことキムが見たい」

 と、ゆみこファンの友人が、常々言っておりました。
 せっかくゆみこが雪組にやってきたのに、ゆみキムって芝居でまったく絡まない。ふたりともいい芝居する人たちだから、それでいて持ち味正反対だから、この人たちが本気で向き合ったところを見てみたい。

 『風の錦絵』『ZORRO 仮面のメサイア』千秋楽、となみちゃんのサヨナラショー。

「nanaタン、nanaタンの希望が叶ってるよ?!」

 思わず、友人に会うなり言っちゃいましたよ、まさかのゆみキム!

 相変わらずのチケット難民、当日券に並んで無事観劇できました、雪楽。その、雪楽1回限りのとなみちゃんサヨナラショー。
 はじまりは、『ベルサイユのばら』のアントワネット。

 わたしは『ベルばら』キライだし、いつだってもう二度と見たくないと思っているけれど、『ベルばら』曲のイントロが流れると、血が沸き立つのは何故だ。
 何故だ、って、答えはわかってる、ヅカファンだからだ。もうDNAに刻み込まれている感じ。どの曲であろうと『ベルばら』曲を聞くと「うおおお、タカラヅカだ~~っ」と思ってしまう。
 派手なんだよな、『ベルばら』。問答無用の求心力。
 良くも悪くも、「タカラヅカ」。功と罪を詰め込んだ大作。

 その「タカラヅカ」な曲が似合うとなみ姫は、まちがいなくタカラヅカ娘役トップスターだ。

 イントロののち幕が上がるとそこには、アタマに船を飾った、アントワネット@となみちゃんが!

 船。
 アタマに、船。
 史実であろうとなかろうと、ただ純粋にだから。アタマにお船載せてるなんて、人として。
 その「変」であるはずの飾りを付けて、それでなお、変だと思わせない、となみ姫の美貌に感服。

 タカラヅカは、夢の世界である。非日常である。
 わたしたちを問答無用で夢の世界へ、非日常へ連れて行ってくれる人こそが、「タカラヅカ・スター」である。

 となみちゃんはまちがいなく「タカラヅカ・スター」だ。

 サヨナラショーがはじまる前のナガさんのお話だったか、先にとなみちゃんが船をアタマに載せてサヨナラショーに出ることを報されてしまったので、インパクトは幾分そがれたが、それでも実際目にすると、すごい。
 星組『ベルばら』当時も見ていたけど、あれは公演の中で、オープニングのコテコテ祭りの中だったからなあ。
 誰もいないあの広い舞台にひとり立ち、銀橋渡ってOKの大輪の薔薇っぷりは、すげえのひとこと。

 となみちゃんが銀橋渡っているときに、本舞台では3組のデュエット。
 退団者+組替え者+退団同期+2番手。
 ゆり香さんが泣いてるのがよくわかる……てゆーか彼女はフィナーレでも大泣きしてたけど。感無量だなあ。

 ゆみこ、テルと出て、次は水しぇんひとりで銀橋……あああ、『カラマーゾフの兄弟』好きだー。やっぱ音楽は大事だよなあ。
 水となデュエットで、次がたしかとなみちゃんひとりで「私だけに」。

 アントワネットに、エリザベート。このふたつを演じられる姫役者。
 非日常っぷりが半端ナイ。

 その余韻にひたっているときに……さらに、とんでもない非日常が。
 
 銀橋に、アルガン様@ゆみこ登場だ~~!!

 アルガン様だ、アルガン様だ!! ミーチャ@水しぇんよりも、テンション上がった。アルガン様好き~~! まさかもう一度会えるなんて。
 アルガン様、ノリノリです。『君を愛してる』最後の結婚の歌。
 そうしているうちに、下手に……レイチェル@キム登場。

 キム~~!!(笑)
 ゆみこ、テル、水しぇんと出てまたゆみこで、キムなにしてんの? と思ってたら……。

 女装するために、スタンバッてたのか!!

 ワタさんサヨナラショーのとき、トウコちゃんがアイーダを演じるためにその他の場面に一切出なかったように……キム……。

 キムはかわいこちゃんですが、何故か女装が似合いません。演出家のおじさんたちがどう思おうと、わたしには「女装はやめとけ」な人に見えます。
 そのキムくんが、その女装の似合わなさ全開に、どすこいどすこいアルガン様に迫るからさあ大変。
 アルガン様逃げて~~!(笑)

 ああまさかの、ゆみキム。まさかのカップル。

 キム、ソプラノがんばれ。声量ナイけど、笑顔は満点で歌ってます。

 そーやって大笑いさせておいて。
 本舞台のカーテンが開くとそこに、『君を愛してる』のときの面々が。

 アルセスト@かなめ、セリメーヌ@さゆ、その他サーカス団のみんなが、あの衣装、あの姿で歌っている。笑っている。

 とんでもない色彩の、だけどとびきりかわいい衣装。愛と夢を真っ向からウザいくらい歌い上げた、あのかわいいしあわせな作品。
 レオン牧師@ハマコも満面の笑顔。ああ、クレアント@ヲヅキも、わざわざ髪型センターパーツにして若ぶってるよ~~……って、アレ?

 クレアントの嫁が、かおりちゃんぢゃない。

 ヲヅキがエスコートしてラヴラヴしてるのは、ゆめみ姐さん。な、何故?
 かおりちゃんを探すと、下手のもっと端の方にまざっていた。

 ……路線以外は学年順ですか……。
 ゆめみちゃんはとなみちゃん同期だし、真ん中で見送らせてあげたいのもたしかだが、しかし、舞台の再現している場面なんだから、ふつーに役の再現して欲しかったかも……。ゆめみちゃんは単体で舞台中央にいれば済むだけのことだし。なんでかおりちゃんをわざわざあんなところへ……。

 ちょっと鼻白んだが、みんなの満面の笑顔にそれどころじゃなくなる。

 この場面ってコトは、つまり。

 そう。

 ジョルジュ@水とマルキーズ@となみの、ハッピーウェディングだ!!

 みんなに祝福され、登場したふたりの銀橋キス。最後のブーケ投げ、ブーケはサーカスの女の子@みなこの腕に。うわお。

 光。
 なんかもお、めちゃくちゃに、光。
 きらきらしている、輝いている。

 なんてところだろう、ここは。

 愛がなければ死んじゃうよ、と本気で歌っていいところ。直接的に、シンプルに。
 たのしいたのしいたのしい。

 舞台の上の美しい人たちは、みんなきらきらたのしそうに笑っている。カップルたちは肩を寄せ合い、微笑み合っている。
 合同結婚式ではないので、今回はアルセストとセリメーヌはふつーに私服でまざってる。肩を抱いて揺れている。
 愛がある。愛してる。そんなあったりまえでこっぱずかしいことをあったりまえに表現している。

 この日を最後に星組へ組替えになるかなめくんは、幕が下りる寸前、ヲヅキと微笑みをかわしていた。
 同期を見送るために女装して、お笑いに徹したキムはひたすら笑っている。

 水しぇんはとなみちゃんを姫抱っこして、みんなが祝福して。

 なにもかもが美しくてたのしくてしあわせで……泣けて仕方がない。

 ほんと、ダイスキだった、『君を愛してる』。最後にまた、この幸福感を味わえるなんて。
 ……『君愛』でいちばん好きなキャラはフィラント@キムだっのたで、フィラントがいないことは、けっこー残念なんですが……。

 まあ、あのレイチェルは、フィラントが余興で演じただけだと思ってますが。
 ジョルジュとマルキーズの結婚を祝うために、フィラントが悪ノリしてるんだよね? 巻き込まれたアルガン様大変(笑)。

 しんみりしっとり端正に、ではなく、しあわせなお祭りとして幕が下りる。
 全開の笑顔で、幕が下りる。

 しあわせだ。
 さあ、最後の戦いだ、ラスボスの本拠地だ。
 ……というのに、主役@まとぶ以外に誰も見せ場がない、つーのはどうなんだろ? ラスボス@えりたんにすら、見せ場がない……。

 演出的に力尽きた感ありすぎ(なかったのは、時間? 気力?)だが、まあとにかくわけわかんないまま終わる、『太王四神記』ラストシーン。

 神器が4つ揃った、と、守り主が1列に並んで神器を見せるところが好き。チョロ@めおくん、チュムチ@まぁくんと共に、ヒョンゴ@まっつが並んでいるのは、なんか愉快。
 他の人たちは体育会系の肉体派にーさんたちだけど、杖持ってる年長のおにーさんだけはチガウのよ、文化系なの~カラダに自信ナイのよ~、と、並びの違和感がいいの(笑)。

 しかしタムドク、勝手に「神器を渡す」とか言い出して……守り主に断れよ。(前もって断ってあったんだろうが、なんだかな)

 ここでも戦闘シーンになるわけだが、やはりヒョンゴは戦わず。一旦下手奥へ行ったあと、また中央へ戻ってくる。
 そこで彼の最後の台詞、「ファヌン様は弓で黒朱雀を射た。どうなさいます?」になる。

 冒頭の語り部まっつがクールに明瞭に、しかしひそかにシャウトしていた「ファヌン様は天の弓を射た!」と呼応する台詞。
 語り部のときとはちがい、今は愉快なヒョンゴであるわけだから、あわあわとしたヘタレっぽい物言い。
 困るよねえ、実際問題、仲間に弓兵いないし。ここでタムドクに「よし、では弓を持て」とか言われたら、軍師様困っちゃうよねえ。

 ない物を出せと言われるより、ある物をよこせを言われる方がマシ?
 ない弓を使うよりも、大切な神器を差し出すことになって、タムドク様のためならエンヤコラなヒョンゴ的には助かったのかな?

 チュシンの王となって世界を救うより、自分の女ひとり助ける方が大事、とのたまうタムドクに従って、守り主たちはおごそかに神器を差し出す。

 最初から最後までずっと持っていた杖だから、これを取り上げられてしまうのは、見ている方もけっこう残念だったりする。
 杖をセリの上に載せるあたりまでしか、まっつの顔はあまり見えない。
 その後のどっかーんはライト暗いし、みんなキハ@彩音ちゃんの方を向いてるしで。

 そして、まったくもって謎のまま、クレーン起動でハッピーエンド。
 なにもかも中途半端、投げ出したままなのになんで終幕なのかわかんないが、とにかく終わってしまうらしい。
 暗い中、背中しか見えなかったタムドク軍たちは、クレーンを見守って両側に一列に並ぶ。

 上手は女の子率が高く、チュムチとタルビ@すみ花カップルがいることもあって、華やかだ。ラヴラヴぶりが微笑ましい。
 一方、ヒョンゴのいる下手は……むさ苦しいな。
 おっさん率高い……。

 下手はみんなそれぞれ自分ひとりで納得して去っていくので、「最後のお楽しみ」がない。
 脚本にない部分でナニかしてくれたら、「誰と誰が仲良かったんだ」とか思えるかもしんないのに。

 照明の関係で後方からだとほんとシルエットしか見えないんだが、前方席なら表情までかろうじて見えるかな。
 ヒョンゴは、笑っている。
 リラックスした笑顔で、満足そうに笑っている。

 最後まで……下手袖へはけていく最後まで、笑顔のまま。

 こんだけ笑ってるまっつってのも、すごいよなあ。
 なんかすごい数のまっつ笑顔を見た気がする。

 
 本編でとにかく三の線だったもので。 
 フィナーレの黒尽くめ男たち群舞、玄武ファイターズですか、コレの破壊力がすごすぎて。

 ここはみんなみんなかっこいいし、特にゆーひくんのかっこよさはハンパないっちゅーかもー、こんだけかっこいい人が2番手で場を締められる花組のゼイタクさに感激していたんだけども。
 心からゆーひくんをかっこいいと思い、その姿をガン見したいと思っているのに……。

 まっつしか、見ていない。

 階段をぞろぞろ下りてくるところから、まっつロックオンですよ。
 無表情に、クールに、アンニュイに現れる姿を堪能ですよ。

 舞台に降りてきてからも、フォーメーションとか立ち位置とか、さっぱりわかりません。
 オペラでまっつひとり捉えているので、周囲のことがナニもわかりません。

 ただもお、阿呆のよーに、まっつ眺めてます。
 激しい、熱いダンスと、クールなまっつ。小柄で華奢で、「男役」として不利な体格であるにも関わらず、ひたすら鋭利に輝いて。

 かっこいい。

 まっつが格好良すぎて、他を見ている余裕がないっ。
 他のみんなもカッコイイことはわかっている。見たら絶対楽しい、うれしい。それがわかっていても、見られない。

 わたしはまっつから目線をもらったことはほぼナイと言えるけれど(客席釣りしないわけでもないらしいが、わたしはどんな前方席でまっつのみガン見していても、目線もらったことナイ)、それでもまっつの目線が真正面に来る位置に坐る場合はある。
 この玄武ファイターズで、舞台全面で踊るまっつが真正面に来る角度で、ええっとあれは3列目にいたときか、こっち見て踊られた日にゃ、昇天しかかりましたね……はうう、素敵過ぎる。

 場面自体がそうなんだけど、エロいんだもん。クールでドSなエロ気。近寄るものすべて斬り捨てそうな美しさ。

 クール・ビューティ。
 まっつを表す言葉のひとつであるけれど、改めてソレを噛みしめたわ。

 まっつを見て、まっつだけを見て終わる……ことはもう、宿命として、神器が光って宙を舞うくらいどうしようもない運命としてあきらめるとして。
 しかし、他の人も見たいと思うキモチも、本当で。

 なんで、まっつなんだろう。まっつさえいなかったら、ゆーひくんガン見してるのに! 玄武ファイターズゆーひを見ることが出来ないなんて、くやしすぎる!!
 みわっちが見たい、えりたんが見たい、でもって実はすごくマメが見たかったりするんだけど、うおお、なんで全部ひとりひとり見られないの?!

 や、回数は見てるんですが、「今日は誰を見よう」とか「どこを見よう」とか、思いはするのよ。多少はあちこち見るんだけど、結局はまっつ見ちゃうだけで。

 
 フィナーレの出番は1回だけなので、すごく寂しいっす。
 他の若者たちは2場面出てるのにさ。……つっても、あの若々しい青龍ディスコ(ディスコという名が相応しいよな?)に、まっつが混ざれるとも思ってません……み、みたかったきもするけどな……う、うん。

 
 パレードはヒョンゴ姿になって、スジニ@みわっちとふたり降り。
 2幕の軍師様衣装。ズボン+ブーツの上に長衣を合わせた姿。よかった、水戸黄門じゃなくて(笑)。
 歌う歌が何故か「ラッシャイラッシャイ」(笑)。
 みわまつコンビ好きなので、ふたりで登場がウレシイ。……ただ、ふたりの場合、下に降りると二手に分かれちゃって、一緒にはいられないんだよねえ。それは残念だ。

 まっつの両隣はプルキル@壮くんとヨン・ガリョ@組長。……濃い(笑)。
 ギラギラなふたりに挟まれて、可憐で薄いまっつが素敵。

 
 とまあ、今さらながらのこあらった目線のまっつ。
 なにしろポンコツ海馬のため「あれ、ここはこうだったかな?」と確認したくても、もう上演はしていないという……まちがっていても、まちがいっぱなしだな。まぁいいや。

 玄武グッズとか、コムル村制服まっつ人形とか作りたいんだが、素材がないんだよなあ。キューピーでも買ってきて、洋服作ろうかな。
 そんなこと言ってるうちに、すぐに全ツがやって来ますが……。

 いつもいつも、追い立てられて日々が過ぎる。助けてヒョンゴ先生。
 フッケ将軍@まりんが「タムドク様@まとぶんの嫁に、スジニ@みわっちを!」と言い出したときの、ヒョンゴ@まっつのとまどいは、……色気ねーよな。

 ムラで見たときより東宝の方が、さらに「愉快なおっさん」になってました。

 表情、動作がすべてコメディチック。
 フッケ将軍の台詞ひとつひとつにあわあわ。そして、黒朱雀云々を語るときは、眉を八の字にしたヘタレまっつ顔で。

 ここをシリアスに、重く演じる、という選択肢もあると思うが、どんどん軽くかわいくなるのは、そーゆー演出意図なんだろう。
 お笑いキャラ寄りのヒョンゴだから、スジニみたいなかわいい女の子を溺愛していても、色っぽい方向へ話が流れない。もう少し、色気を出してくれてもいいんだけどな(笑)。

 でもなーヒョンゴ。
 スジニの結婚話、アンタがぶち壊したんだよ?

 責任取れよ、男なら。
 
 と、外野的には思っちゃいますわ(笑)。

 フッケ将軍もさー、スジニに花嫁衣装着せるなら、タムタム相手じゃなく、ヒョンゴ相手にしちゃえば、なし崩しに思惑通りにできると思うんだけどなー。おっさん、詰めが甘いわ。ちっ。
 てゆーかフッケ将軍って、ヒョンゴのこと「自分寄り」だと思って、恋愛とかリアルタイムなことは対象外だと思ってるよね?
 失礼なっ、ヒョンゴはまだ現役よ、枯れてないわっ。たぶん。きっと。おそらく。……願わくば。
 だから「近所にひとりはいる世話焼き年配者」であるフッケ将軍、ヒョンゴにも春を(笑)。

 あ、でもここでみなさん、鎧ではなく私服になっているよね。
 ヒョンゴ先生は1幕の水戸黄門でもなく、コムル村の制服でもなく、さっぱりきれいな長衣姿。タムドク軍の軍師様っぽい衣装?
 この衣装は好き。イメージは大切よ、「軍師っぽい」姿はタムドク軍として対外的にも必要だから!(笑)
 
 
 てなことで、『太王四神記』まっつ語り。

 2幕は「タムドクのターン」「ホゲのターン」が決まっていて、ふたつがえんえん交互にやってくるというアレな作り。……イケコ、どーしちゃったんだ?

 次のタムドクのターンは、タムドク様不在のため、どさくさにまぎれて、ヒョンゴ0番。

 別に誰が真ん中でもいい、てゆーかみんなワンコーラスずつ順番に歌っていくよーな場面だから、ここでセンターでも意味ないんだが、それでも「うわ、誰でもいいからって、よりによってまっつだ!」とわかったときはテンション上がった(笑)。ありがとうイケコ。

 ターン制で平板な演出が続く中、ほんとどーでもいい場面なのに、実はけっこう好きだ。
 まっつが真剣な……ちょいヘタレ気味の沈痛な面持ちで美声で歌っている。

 それを眺める、幸福。

 んでホゲ@ゆーひのターン(サリャン@みつる死亡)になり、またすぐにタムドクのターン(タルビ@すみ花妊娠発覚)になる。
 ひとつ前の場面と同じ過ぎてどーってことのない場面だが、こちらは別に好きじゃない(笑)。
 ヒョンゴはただ出ているだけで、現れてすぐに引っ込んでしまう、モブ状態。
 そのモブなだけのヒョンゴさんガン見しているのも、どーかと思うが。

 
 そして、やたらかっこいいホゲ様進軍場面。
 そこへ現れるタムドク軍。

 タムドクと、彼の軍隊がずらりと並ぶこの場面は好き。なかでも実は、コ将軍@めぐむがすげー好きだったりする。彼がいることで、タムドク軍のアニメっぽさが増している気がする。

 はい、ここでもヒョンゴ先生はちっとも戦いません。杖持って走り回ってます。ヒョンミョン@だいもんも似たよーなもんだけどなー。

 なのに、いざというときは、何故か舞台中央にいる。
 チュムチ@まぁくんの白虎の神器発動!ってときに、倒れているチュムチの真横ではべっている。

 ええ、今回のまっつは、なにかと倒れている人の横にはべっているイメージ(笑)。
 カクダン@りせの横にはべっていたヒョンゴ先生は、チョロの横にもはべっているし、チュムチの横にもはべっていますとも。

 そして、さらに。

 火天会の矢に倒れたホゲ様。タムドクの腕の中で心の中のチェックリストに「レ」印打ちながら、言わなければならないことを順番に言って歌まで歌って昇天するホゲ様……の横に、何故かヒョンゴ先生、陣取ってます。

 息も絶え絶えホゲ様の横で、一緒になって苦しそうな顔をしている。眉は八の字、とってもヘタレなまっつらしい表情。てゆーのは、前に書いたテキストのコピペだったりするが、カクダンの最期より、シリアス度が高い。
 ホゲ様の死にも、すげー悲痛にうなだれる。
 別にホゲ様のこと個人的に知らなかっただろうけど、それでもホゲ様親衛隊のみなさんと同じ濃度で悲しんでます。ホゲ様命の親衛隊ナンバー1と2のイルス@マメ、チョク・ファン@しゅん様よりもベスト・ポジション確保して。

 ええ、今回のまっつは、なにかと倒れている人の横にはべっているイメージ(笑)。
 カクダン@りせの横にはべっていたヒョンゴ先生は、チョロの横にもはべっているし、チュムチの横にもはべっているし、ホゲ様の横にもはべっていますとも。

 この「気が付くといつもオイシイ位置にいる」のは、ヒョンゴ先生のキャラなの? なんの意図があってやっている演出なの、イケコ? あまりにいつも同じ位置にいるので、かえって変(笑)。
 単にタムドク軍での重鎮だっつーだけですか? 学年やポジション配慮?(笑)

 ホゲ様最期だから、もちろんホゲ様見たいし、ホゲ様命のふたり、イルスやチョク・ファンも見たいんだけど、それでもどーしてもヒョンゴ先生を見ている事実。

 
 そーいや先日、某ゆみこファンの友人が「ベルナルド@キムくんの最期をまともに見たことがない」って言っていた、『ZORRO 仮面のメサイア』において。
 一足先に死んで、舞台の上で動かないメンドーサ@ゆみこを見ているから。
「おなかが動いてるなー、と思いながら、ゆみこちゃん見てる」
 そう言ったあとで、「緑野さんだって、もしもまっつが舞台上で死んでる役だったら、まっつのおなか見るでしょ?!」と言い募った。主役たちの物語が、芝居自体のクライマックスが今まさに展開されているのに、それを見ないで動かない贔屓のおなかを眺めている歪さについて、決死の言い訳(笑)。

 もしも、なんていらん。
 舞台上で気絶しているバロット@『メランコリック・ジゴロ』のおなかを眺めていたさ!!

 経験済みだ、友よ。
 芝居のクライマックスそっちのけで、まっつのおなか眺めていたさ、オレだって!

 
 てなわけで、ファン心理ってやつぁ、どーしよーもねえな、と思いつつ、舞台にまっつがいればそこから視界は展開しないんだよ、どーしても。

 
 さあ、次で最後だまっつ語り、続く。

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