今さらですが、『オグリ! ~小栗判官物語より~』の話。

 これ以上ないほどの、「壮一帆」の正しい使い方。

 壮くんは「タカラヅカ・スタァ」の中でもちょっと変わったキャラクタを持つ。使い方を誤ると、彼の魅力は激減してしまうのだ。
 雪組時代はそのために悪目立ちしたり芝居の空気を壊したり、いろいろあった。
 それが花組に戻ってきてから、彼の個性と組……というか、組のカラーを決める当時のトップスター、オサ様と相性が良かったこともあり、すんなりと馴染んだ。
 空気の合った花組で、イキイキと「壮一帆」をやっているえりたん。脂がのった今、彼とこれまた相性のいい演出家、キムシンの書き下ろし作品で主演。

 人が「時」と出会い、「人」と出会う。
 その気持ちよさに浸った。

 今このとき、この人がこの人と出会うことで創り上げられる、奇跡。

 壮一帆という特異なキャラクタを、キムシンが絶妙の活かし方をしている。

 トウコちゃん主演の『花吹雪恋吹雪』を観たときみたいだ。
 よくぞこの人でこの作品を作った!! と、体温がぐはーっと上がる感じ。

 
 もともとわたしはキムシンファンで、彼の作品が大好きだ。また、壮くん単体が好きだし、キムシン作品の壮くんも好きだった。つーことで、公演が決まったときからわくわくしっぱなしだったけれど、ここまで正しく「壮一帆!」な作品に仕上げてくるとは(笑)。

 原作はカケラも存じません。説教節ってなんだ?レベル。てゆーか「説教節」ってふつーに「え、キムシンの作風?」って思っちゃうよ?(笑) 作品中で自分の主義主張を叫んで、観ている人に説教たれる勢いな、キムシン作品を揶揄しているの?って。

 京都・二条の大納言様のおぼっちゃまである小栗@壮くんは、文武両道以上にとにかく美貌のお貴族サマ。その美貌でなにをしても許される。嫁を72人使い捨てしても、ヘビと契ってもなんでもアリ、OK、OK、壮くんならアリだ! ……ちがう、壮くんじゃなくてオグリさんオグリさん(笑)。
 しかしまあ、さすがにやりすぎで外聞悪いっつーんで東国へ追放される。でも、ぜんぜん平気。追放された先でも美男子な親衛隊をはべらしてお山の大将としてのさばりまくり。人生ちょろい。
 互いの顔も知らないままのネット交際……もとい、文通で愛をはぐくんだ照手姫@すみかちゃんとラヴラヴ・ゴールインしたはいいが、照手ちゃんの家族の猛反発を喰らう。
 人生いつでもちょろかったオグリだが、ついに年貢の収め時。照手パパたちの奸計により、親衛隊ともども毒殺されてしまう。……て、ヲイ、主人公死んじゃったよ? 残りの時間どーするんだ??

 荒唐無稽なんでもありーのの音楽劇。
 舞台中央にずーっと鎮座している巨大な馬の首。
 この首がもお、無駄にリアルで(笑)。てゆーか、泣くし。
 泣くのかよ?!(笑)
 頭の上に、壮くん乗るし。いやその、縮尺いくらなんでも変だからっ!(笑)
 馬とオグリのすごさを語るからくり絵本というかおもちゃ?のすばらしさ。ああ、昔あったよなこーゆーの。
 優美な曲線の仏掌。
 仏様も閻魔様も目玉オバケも貞子もなんでもアリ!!

 常識なんて狭い枠組みは取っ払って、力尽くな異世界に酔う。

 それはまさに、「壮一帆」で。

 観たかった「壮一帆」がそこにいた。

 そして、なにしろ主人公途中で死んじゃうので(笑)、タイトルロールのオグリが唯一無二の主人公なのはたしかだけれど、実はヒロイン照手姫も、十分ピンで張ってる主人公なのだわ。
 途中から、「あれ、この話って主人公どっちだっけ?」てくらい、ののすみが主人公として場を支配する。

 次々と降りかかる苦難を、美しい心で誠実に務めて乗り越えていく、由緒正しい日本人好みのヒロイン、照手。
 彼女のけなげさに落涙必至。

 巨大怪獣オグリ@壮くんがどっかんどっかんミニチュアの街を壊しまくって、そのオグリの暴れている街の中、合成だと丸わかりの巨大オグリを背景に、老舗旅館の下働き照手@ののすみが緻密でリアルな演技をしている感じ。
 巨大怪獣オグリはこの下働きの娘と見つめ合い、ラヴラヴ・デュエットを繰り広げるのよ。

 それはひとつの、異種格闘戦。だけどそれぞれがたしかな「世界」を持っているから、「異次元」ぶりは同じで、わたしたちとは別の次元で確実なフィクションを創り上げている。
 壮くんもののすみも、ぶっとんでいることは同じ。

 彼らが作り出す「本気のファンタジー」が、心地よくてならない。

 
 理屈はともかく、「壮一帆」というイキモノが好きな人には堪えられないオモシロさ。
 観た人の口から口へ、「オグリすげえ! えりたんすげえ!!(笑)」と伝わっていく、その強さ。
 喋らずにはいられない作品って、実は滅多にないよ? 見終わってから「誰かに話したい、誰かと共有したい」とじたばたするパワーを持つ作品なんて。誰彼構わず「いいから観て! 観てくんなきゃ話せなくてつまんないっ」と、感動の共有を求め、強要しちゃうほどの強さって。

 わたしは初日から数日観劇できなかったんだけど、あちこちから「早く観て!!」とせっつかれた(笑)。「この興奮をアナタにも!」てなもんで。

 仲間内で総見するべきだったね、『さすらいの果てに』や『忘れ雪』のときのように。
 みんなで一緒に観て、みんなで悶絶するべきだった。

 
 壮くんはわたしにとってなくてはならない癒しの君。
 あったかくほんのり包んで癒してくれるのではなく、闇とか絶望とか哀しみとか寂寥とか、抱え込んでいるいろんなものをかこーんっとぶっ飛ばしてくれる(ベースボールなユニフォームを着た壮一帆がホームランをかっとばしている図をアメコミ調の絵柄で想像してください)、そーゆー癒し方。
 巨大怪獣がミニチュアの作り物の街を踏みつぶしていく、あのノリで、全部まるっとぶっ壊す。
 あまりにトンデモな方法で来るので、抱えていた闇も忘れて爆笑したり、アタマの上で星がちかちか舞ったりするんだ。

 壮くんのそーゆーところが全編に渡って全開で、ゲラゲラ笑いながらも、泣けて仕方なかった。

 常識の枠なんかぶっとばして、壮一帆が君臨する。
 ぺかーっとか、てかーっとか、擬音付きの光を発して。

 ちょっと不自然な、でもわかりやすくまぶしいその光で、彼はわたしを救ってくれるんだ。
 なにから救うのかもわかんないけど、とにかく救ってくれるんだ。

 いやあもお、とにかくたのしかったよ、『オグリ!』。
 タニちゃんの千秋楽映像をスカステで見て、「退団は本当のことなんだなあ」とぼんやり思う。

 シューマッハのかわいい末っ子は、輝度はそのままになんだかずいぶん面変わりして、すっかり大人になって卒業していくんだな。

                   ☆
 
 快晴の予報と裏腹、適度に雲多し、さわやかになんかちと肌寒いよーな中、はるばる行って来ました、飛鳥へ。

 ええ、まっつグッズを求めてですよ。

 劇団が朱雀と青龍という、謎のチョイスによるグッズしか売ってくれなかったので、無視された玄武グッズを買いたくてあちこち探し回っておりました。

 ヒョンゴ@まっつは、玄武の神器の守り主ですから!
 今年の元旦からずーーっと、玄武グッズを探していたんですよ、あたしゃ。

 今の日本で四神といえば、奈良のキトラ古墳ですよね。
 キトラ古墳関連の場所に行けば、玄武グッズがあるにちがいないっ。
 つーことで、別に考古学に興味あるわけでもないのに、飛鳥資料館の『キトラ古墳壁画・青龍と白虎特別公開』へ行って来ました。

 あー……飛鳥に行ったのは、確実に十何年ぶりっすよ……。わたし以外の家族はしょっちゅう行ってるし、歴史ヲタクの弟は、「飛鳥には年3回以上、歴史的見解や資料が新しく出るたびに行くのが当たり前だろう!」と言い切ってますけどね……。ふつーは一生に1回行けばいい方なんぢゃないの? わたしはすでに5回以上は確実に行ってるから、珍しい方の人間だと思うんだけど。

 飛鳥は若い頃の記憶にあるとおり、やたらめったら広かったっす……歩いて回れる距離ぢゃねええ。
 しかし、諸般の事情により、歩いたっす……飛鳥駅から資料館まで……途中で鬼のせっちんだの亀石だの見ながら、ひたすら田舎道を歩き続けたっす……。つ、つかれた……っ。

 しかしさすが飛鳥は四神フィーチャーされててたのしいっすな。あちこちに当たり前に玄武があります。四神って意外に日常で目にすることがある……わりに、いつも玄武だけは迫害されているもんなんだが、飛鳥では平等! 玄武もちゃんとある!

 橋の欄干にも、ふつーに玄武。
 あちこちの看板、装飾にも玄武。
 ファンシーないちごそふとくりーむショップのパステルな壁にも、玄武。

 いいなあ、飛鳥(笑)。

 つーことで、念願のグッズ購入。

 4つそろっているととてもかっこいいんだが、微妙な大きさだし、どこに使うんだコレ、なピンバッチ、ひとつ800円。四神そろえると3200円。とりあえず玄武のみ購入。

 ピンバッチは小さめの500円のものもあったが、そっちはデザインがイマイチ。使い道がなくても、800円の方がいい。

 チャチさがゴールドメッキとともにまぶしいストラップ、380円。

 あと造形はいいんだが使い道がなくて悩んだ玄武スタンプ500円……。このペーパーレスな時代に、今さらスタンプは使わないよな……。はっ、まっつにファンレター書けばいいのか?!(書きません。こんなイタいファンがいることを、本人に知られたくないっす)

 固くて固くて「どーやって使うんだコレ」「洗濯できんのか?」と疑問しかなかったハンカチ、と同柄の手触りはいいが、やはり使うにはどうよコレ、な手ぬぐい(手ぬぐいはなー、持って歩けないじゃん?)。420円と735円だっけかな。

 公式グッズショップにあったのは以上ナリ。
 あとは図録とか書籍関連。

 玄武とは関係ないけど、キトラ古墳ならではの十二支の獣頭人身像の、自分の干支のストラップを買いました。いやあ、コレすげえかわいいっすよ。もともとの壁画デザインが秀逸で。
 去年のキトラ古墳の壁画公開ではこの獣頭人身像の展示をやっていて、入館時にもらうパンフレットその他もろもろセット(手提げ袋に入れて配布している)に入っていた新聞には、「どこのゲームキャラ(悪役)?!」な彼らのイラストが載っていて大ウケしたもんだ。(わたし以外の家族は奈良の正倉院展と飛鳥のキトラ古墳壁画公開には毎年行っている……去年もパンフレットを見せられた)

 今年のキトラ古墳壁画の本物展示は、青龍と白虎。玄武は資料のみ。
 四神にしろその周囲の獣頭人身像にしろ、いいデザインだよなあ。現代でもOKなセンスだと思うわ。

 歩き過ぎてくたくたになったけど、念願の玄武グッズが手に入ってほくほくナリ。
 さっそく身につけようと思っているが。

 家に帰って改めて開いた入館時にもらったパンフレット群。その中に『太王四神記 Ver.II』のでかいカラー広告があってぎゃふんでしわ。
 そ、そっか、四神か……四神だもんな……四神なんだよ……。
 キトラ古墳ファンが「ほほお、韓国の四神モノかあ」と興味を持つ、かもしれない、ので、ここに広告がんばっちゃうのは、まちがいではない。
 現に『太王四神記』→キトラ古墳と、逆矢印でやってきているわたしもいるわけだし。

 しかし。
 まっつはすでに闘牛士のアルバロであって、ヒョンゴ村長ではない。ヅカの『太王四神記』といえば、今は星組だ。

 ……今ごろ玄武グッズをよろこんで身につけていると、英真なおきファン認定ってことよね……。
 
 ま、まっつまっつまっつっ!
 そーいやまだ、他キャストの感想を書いていない気がする、『哀しみのコルドバ』

 キャラ立てがはっきりしていて、それぞれが(「タカラヅカ」であるゆえのゆがみはあるにしろ)正しく機能しているので、みんな見ていて気持ちがイイのだけど。

 唯一、ヒロインのエバ@彩音ちゃんには、引っかかってます。

 大人っぽいのは最初だけで、あとはいつもの「妹キャラ」の彩音ちゃんだしなあ。
 これは黒蜥蜴@『明智小五郎の事件簿』のときもそうだったけど。
 どんどんかわいく幼くなるのは、演出家指示なのか彼女の芸風なのか。

 その大人っぽい最初の場面でも、大人っぽいゆえに引っかかる部分がある。
 エリオ@まとぶんと再会し、スウィート・セブンティーンのころの思い出話をはじめるのですよ。そのときの、
「教会の裏で……ふふふっ」
 というエバの笑い方に、すごくヤラシイものを感じます。
 よりによって録音だから、演じ方がずっと変わらないんだよね。ナマの演技ならそのときどきにちがっていただろうけど、初日以前に吹き込んだ台詞じゃ、いつ聞いても同じ。
 この台詞にこの笑いがつながることが、けっこうイヤだったりします。下卑な印象を受けてしまって。
 実際にエバという女性が下品で卑しく、過去の性体験を思い出し笑いと共に語るよーな性格である、という設定で、それを表現するためにあえてやっているなら仕方ないと思うけど、ただ単にタカラヅカで、彩音ちゃんにそんな笑い方して欲しくないなという、わたし個人のドリームゆえのことなんですがね。
 んなことしなくても、「下卑な女性」の表現方法はあると思うし。てゆーか別に、エバをそこまでいやらしい女に描かなくてもいいじゃないか。ああほんとになんであの台詞にあんな笑い方するんだろう。

 いつもの少女演技の彩音ちゃんなら、同じ台詞のあとに思い出し笑いしてくれても、こんなにイヤラシクないだろうになあ。

 エバの印象がまとまらなくって。
 未亡人でパトロンのいる女性として、一貫してくれていたら良かったんだけど。
 エリオと愛し合うことで、失われた時間を取り戻したこと、エリオの前では17歳のときのように無邪気にふるまえるんだ、ということは、「単純に別人になる」ことではナイと思うんだな。現在があった上での、「エリオだけに見せるエバの素顔」なわけで……ううむ。

 まあ、愛人のロメロ氏@ゆーひのことを、エリオに婚約者がいる段階では「リカルド」と名前で呼び、エリオのキモチが自分に向かっているとわかるなり「ロメロさん」と名字にさん付けする、計算高い女だからな、エバ(笑)。

 愛人にオトコが出来るなり、突然「ロメロさん」と超他人行儀な呼びかけされた日にゃあ、そりゃロメロさんもビンタの一発喰らわすでしょうよ。
 呼び方をいきなり変えるのは、ひどいと思うよ。冷水浴びせられるよーなもんじゃん?

 故意か偶然の産物か、けっこうエバって「それはどうよ」な描き方をされている。
 彼女自身が主役になる場面がないため、他人の目を通したり、個々の出来事の中でしかキャラクタが表現できないし。
 さらに、重要なエリオとの再会場面がえんえん録音テープの再生で、ナマの演技が出来ないときてる。
 演技の幅の狭い彩音ちゃんには、いろいろいろいろ大変な役だと思うよ。

 それでも。
 いろいろとアレな部分のある女なのに、健気さで泣かせるのは、やっぱエバ@彩音ちゃんすげえと思う。

 コルドバまでエリオをストーキングしてきたエバの、立て板に水の「恥ずかしい告白」、アレ好きだー。
 ツンからデレに流れ落ちる瞬間、なわけでしょ。
 だからこそエバにはもっとツンツンしていてほしかったんだが(笑)、それでも、婚約者のいる男に、自分から言い寄らずにはいられない彼女が、愛しくてならない。

 また、最後の舞台の前、教会で愛と未来を語るエリオの腕の中で泣き出すエバも、すごくいじらしい。
 幸福の絶頂で、それでもなにかしら胸騒ぎを感じていたりするのだろうけど、それでも目の前の恋人の言葉を信じ、彼が与える言葉を、愛をあるがまま受け取って。

 健気とかいじらしいとか、彩音ちゃんはこーゆーのハマるよなー。

 悲劇の予感に胸をざわめかせながらも、ふたりの美しさに毎回ダダ泣きさせてもらいました。

 ラストシーン、絶命する直前のエリオくんが見る幻のエバの張り付いた笑顔がコワイことは、まあ、ご愛敬でしょう(笑)。

 
 2番手娘役、エリオに捨てられてしまう婚約者アンフェリータ@一花。
 本来「大人のエバ」に対照的なキャラクタということで、年若い少女ってことになってるんだろう。や、この辺お約束。

 一花がもお、可愛すぎ。
 のびのび育った現代っ子で、ドラマティックな恋に憧れる、ちょっとKYな発言もする女の子。
 エリオとはラヴラヴな恋人同士というより、兄妹みたい。実際、そんな関係からスタートして、父のアントン@はっちさんの仲立ちで婚約に至ったんだろうなと推察させるキャラ立て。
 まっすぐな女の子だから、彼女の嘆きがかなしいし、感情移入して一緒にうるうるできる。
 一方的に裏切られてなお、エリオのために助言する強さと優しさ。ほんっとにいい子で、ブレないでグレないで、かわいくて仕方ない。

 一花はほんと、いい娘役だなあ。

 
 男役だ、というだけでうれしいビセント@みわさん。

 ……こんな基本的なことがうれしい、ってどうなの。みわさんは男役なのにー!!(初見時はまだ『ME AND MY GIRL』配役は発表になってません)

 彼から漂う、クラシカルな雰囲気がたまりません。
 ねっとりしてるの、存在そのものが。
 終始テンション高くて、濃くて、「みわさんを見たわ(笑)」というキモチにさせてくれる。

 相手役のメリッサ@きらりがまた、そのクラシカルさと濃ゆさに、負けていない。つか、ついて行っている。
 ふたりして、別世界へGO! ふたりだけの世界へGO!

 それくらいの勢いがあってこそ、「もうひとりのエリオ」として道先案内人たり得るのですよ。

 
 フェリーペ@めおくんの、軍服姿の美しさ。
 「透明人間」が芸風だった彼、最近はもうそんなことはまったく過去のこととして、別の売りを持って華麗に花開いてますな。
 
 美しくて誠実で寛大でかっこいい青年……の、はずなのに。

 胡散臭いのは何故?(笑)

 や、ソコがいいんです彼は。
 たしかにいいこと言ってるし、それに嘘も間違いもないんだけど、わかってるんだけど、それでもなんか胡散臭くて、笑える。(誉めてます)
 その、ただきれいなだけ、二枚目なだけで終わらないところ、笑えてしまえるほどの男ぶりこそが、彼の魅力だと思う。

 いやあ、ほんといいよなー、フェリーペ大尉(笑)。←(笑)がつくところがイイのっ!

 
 まあ、そんなこんな。
 『哀しみのコルドバ』は「エリオ」という男の物語である。

 彼の恋の物語だが、恋愛モノのわりに、ヒロインの比重が低い。

 物語はいちおー三人称で描かれているが、概ね主人公であるエリオの視点で固定されている。
 必要に応じて彼以外の者の場面も存在するが、それらは展開の説明場面でしかない。

 にもかかわらず、いきなりエリオの婚約者アンフェリータ@いちかの一人称場面が長々と挿入されたり、構成的には明らかな間違いもある。
 三人称一視点で書いてるんだからさ、いきなり関係ない人の一人称を、そこだけ入れるのやめようよ……(笑)。

 まあこれは、アルバロ@まっつがエリオの決闘の介添人をしているのと同じ「タカラヅカであるゆえの事情」によるいびつさなので、言っても仕方ないんだろう。
 だが、「仕方ない」ゆがみなら、ゆがみが目立たないように他でバランス取ればいいのに、ゆがみが剥き出しになってるから引っかかる。柴田せんせって繊細な部分と杜撰な部分の差が大きいよなー。

 バランスを取るのは、簡単だ。

 脇役の婚約者に一人称カマさせるヒマがあるなら、ヒロインにも同じだけ一人称カマさせろ、と。
 そーすりゃゆがみも目立たないのに……。

 この物語では、実はヒロインのエバの目線というのはほとんど描かれていないのね。彼女がどう思い、どう行動するのかは、エリオの目を通してしか描かれていない。
 エバ自身の場面はナイの。アンフェリータにはあるのに(笑)。

 エリオの物語である、ゆえにエバはエリオを通してしか描かれない、というなら、アンフェリータに一場面歌わせちゃいかんわ。
 「タカラヅカ的事情」ゆえに、初演時にアンフェリータに1曲歌わせなきゃならなかったなら、エバにも歌わせりゃ良かったんだよ、作劇的に。

 恋愛モノなのに、ヒロインの「軽さ」はどーしたもんか。

 アンフェリータの場面をバッサリ短くして(本当ならなくしてもイイ)、その分エバの葛藤をメインに、そのパトロンであるロメロ@ゆーひと絡む場面作れば良かったのに。

 アンフェリータのひまわりの歌が好きとかいい場面とか、うおお一花かわいい健気で切ない~~!! てな感想とは別に、あくまでも、物語のバランスとして。

 「一人称場面がない」ということではアンフェリータ以下の扱いである、ヒロインのエバ。
 ピンで立つことはなく、彼女の歌やダンスはみんな相手役あってのもの。

 その上このヒロインは、決定的な部分で「物語の外側」に置かれている。

 肝心の部分、物語の核になる秘密とそれに対するエリオの行動を、彼女はまったく知らないままなんだ。

 彼女に知らせないために死を選ぶことが「エリオ」という男であり、「エリオの物語」である『哀しみのコルドバ』のカタルシスなわけだが。
 構造上仕方ないことはわかっているし、ナニも知らない彼女の哀れさもまた、この作品の重要なパーツのひとつだとわかっているが。

 ヒロインが、主人公「エリオ」という男の真の姿を知らないまま、つーのは、寂しい話だよな。
 いちばん知って欲しい姿なのにな。あの激しい愛だからこそ。知ることが出来ないゆえに激しさの表れであるわけだが……って、ニワトリと卵なみのループになるな。

 エバにもふつーに比重を掛けられているなら、死を決意したあとのエリオと対比するカタチで、しあわせ絶頂のエバのソロとか入れられるんだけどな。彼女が無邪気に未来を信じているからこそ、悲劇が際立つわけだし。

 だけどこれはほんっとーに、「エリオ」の物語で。

 エリオの「決断」と「その最期」に焦点を合わせた作劇である以上、その2点において蚊帳の外に置かれたヒロインよりも、すべてを知り得た人たちに興味が湧く。

 騙されて守られている人の哀しさもイイが、騙すことで守ろうとする人々の悲しい強さに、なお惹かれるんだ。

 あのきーきーうるさい母親たちもどんだけつらかったかと思うし、中でもエリオの母@京さんなんか生き地獄だろうよ、これから。
 それを支えるエリオ妹@れみちゃんも、二度とあんな無邪気な下町少女には戻れないんじゃないかと思う。

 エリオの一方的な恋敵、とはいえ、個人的な関係性の薄いフェリーペ@めおくんはまあ、いいとして。
 

 「エリオの共犯者」となったロメロ氏。
 静かにエリオを見守った……その生き様を「見届けた」大人の男は、これからエバをどう守って生きていくのか。

 エバの愛をめぐってエリオと決闘までしようとした彼は、図らずもエバに対して「秘密」を持つことになった。
 彼女とその初恋の相手エリオの、出生の秘密。覆せない事実。
 エリオがその生命と共に事実を葬り去り、ロメロはエリオの隠蔽工作に荷担した。事実をなかったこととして、完璧に消去すること。

 ロメロもまた、罪にその手を汚した。
 エリオにすべての罪を着せ、死出の旅を見送った。それがエリオの望みだとしても、罪は罪。 

 エバを愛しているなら、彼女を地獄に突き落とす真実は隠し通さなければならない。
 その上で、恋人を事故で失ったと悲嘆にくれている彼女を慰め、支えなければならない。
 共犯者エリオのためにも。

 
 ……て、すごい萌えなんですけど。

 「エバを守る」という1点に置いて、エバのために生命をかけて戦おうとした男たちは、手を結ぶのですよ。なんの打ち合わせもないまま、共犯者となるのですよ。

 アンフェリータ以下の描き方しかする気のないヒロインなら、いっそエバの比重もっと下げて、ロメロをクローズアップすりゃいいのに、とも思いますよ(笑)。
 や、エリオの目を通すことでエバのこともちゃんと描いてあるのはわかってるけど、アンフェリータとのバランス的におかしいことも事実だし。
 それならいっそ……と。
 わたしにエバの魅力がいまいちわかっていないのも、大きいと思うが。


 んで、ふつーはロメロ氏だけで十分だと思うけど。
 さらにもうひとり、「真実」を知りながら口を閉ざす男がいる。

 エリオの同僚であり、友人であったアルバロ@まっつ。
 彼はエバになんの思い入れもないので、ただエリオへの友情ゆえに秘密を守るわけだな。
 ロメロ氏ほどちゃんと描かれていない……とゆーか、ぶっちゃけなんにも描いてもらっていない脇役ゆえに、妄想イロイロ、好きに動かせるのでそーゆー意味では彼もすげえたのしいです。

 腐ったバージョンをすでに1本考えてあるんだけど、そこでのアルバロさんはクールなS男です(笑)。普段はわざとチャラ男ぶってるけど、本質はシリアスな人で、けっこードロドロしてます。
 真実を知り、打ちのめされているエリオくんを、さらに追いつめ、ついでにちょっくら手も出してしまう人です。
 そこに、大人のロメロさんが絡んできて……と。
 エバを中心に向かい合うエリオとロメロ、エリオを中心に対角に立つロメロとアルバロ。ねっとり濃くエロい心情を、ねとねと描きたいわー。
 ヒマさえあれば同人誌でも作りたい勢いで(笑)。ロメロ氏目線版とアルバロ目線版、2本立てて1冊ね。とにかくエリオくん受でヨロシク。

 
 まあ妄想は置くとして。
 罪だと知った男の苦悩と決断、そしてそんな男を見届けた人々に、萌えまくりっす。
 えー、下世話な話で申し訳ないですが。
 
 8年前、18歳と17歳だったという、エリオくん@まとぶとエバちゃん@彩音。
 当時のふたりは、どこまで進んでいたのでしょうか。

 ぶっちゃけ、ヤッてたかどうかです。

 ……なんか緑野こあらさんってそんな話ばっかしてる気がするけど、世のキヨラカな方々は気にならないのかしら、気にするこあらさんがオカシイのかしら、たしかにこあらさんって腐った思考のすけべさんだけど。

 それともそんなこといちいち考えるまでもなく、答えは明白、「誰が見たってそうじゃん」だから、なにも言わないのかなあ?

 世の中的にどうかは知らないけれど、わたしの偏った視界には、あのふたりはデキあがってたんだろうなと映ります。

 はじめての恋、はじめてのキス、と言ってますが、はぢめてはソレだけじゃないだろう、それ以上もしているだろう、と。

 というのも、26歳と25歳で再会したときは、ヤッてないだろうと思うからです。
 や、単に、物理的に時間がなさそうだから。

 出生の秘密を知ったエリオの嘆きの深さ、苦悩の大きさは、ただ「愛する人と結ばれない」ということだけでなく、「人間としての禁忌を犯した」こともあると思うのですよ。
 実の妹と契ってしまった罪。……ただの三角関係で別れる、とかのレベルじゃない。地獄行き決定ですよ、宗教観もわたしたちとチガウわけだし。生きていても、そして死んだあとも、苦しみ続けること必至。

 だからこそ、ふたりの母親は秘密を明かすことができなかった。
 子どもたちに地獄を味わせたくなくて。8年前、彼女たちが気づいたときには、もう子どもたちはデキあがっていたんだろうね。

 だからこそ、エリオは死ぬしかなかった。
 自殺は大罪だけど、愛する人を守るためにはそれしかなかった。
 なんの問題もなく愛し合い、薔薇色の未来が待っていたのに、仕事中の事故で亡くなってしまったのだから、どーしよーもない、不幸だったね可哀想だね、で済むように。ただの「不幸」で終わらせるために。「地獄」にしないために。
 他の理由では別れることにエバが納得しない、いつか彼女の耳に真実が届くかもしれない。そのためには、エリオがすべて背負うしかなかった。最愛の女性であり、妹でもある人の罪も。

 あとはエリオが命がけで守った秘密を、誰もエバに知らせないように、みんなで守っていくしかない。エリオを犬死にさせないために。

 とゆーことで、8年前にデキあがっていた派です。(派?)

 いったんデキていたなら、現在もすぐヤッちゃっても同じこと、雨に濡れたのならそのままプールに飛び込んでも同じことじゃん、とは思いません。

 すでに関係アリのふたり、だけど再会してからは、プラトニックつーのが、萌えなのです。

 10代のころはサカっててくれてもイイですが、いろいろあって半端に大人になっている今は、そんなすぐにベッドインしちゃ嫌ですよ。ジャスティンとイヴェット@『薔薇に降る雨』とは逆でなきゃ。

 エバはどーか知りませんが、とりあえずエリオは真面目で誠実な青年だと思うので、自分の婚約者のことや、エバのパトロンのことを思えば、いくら再会して盛り上がったからって、すぐさまどうこうしていないと思う。
 ロメロ@ゆーひに対峙できるのも、アントン@はっちさんに正面切って事情を話すことが出来るのも、エバとの関係がプラトニックだから、ということもあると思う。
 大人だからこそ、肉欲ではないところで求め合っているのだということが、意味を持つ。

 もっとも、パッショネイトなおふたりさんですから、コルドバで再会したあと、ロメロの襲撃を受けなかったら、「想い出の教会裏で……ふふふ♪」となだれ込んでいたかもしれませんが。
 物理的にそーゆー時間を取れなかったので、とりあえず関係は清いまま。だから結果的に、「どの面下げて」な要求も、かろうじて堂々と出来る。

 そーやって現在はプラトニック。
 本気で将来を考えていたから、むやみにサカりはしない。

 エリオを突き落とすのは、8年前のこと。
 無邪気に永遠を信じていた、終わらぬ愛を信じていたからこそ、互いにはじめて抱き合った……その、うつくしくきよらかな想いが、神聖な行為が、許されざる大罪として、今のエリオを打ちのめす。

 無邪気できれいだったころの、いちばん美しい出来事が、年数を重ねてキズだのヨゴレだのを抱えた今の自分の、必死にかき集めた美しいものを、粉々に砕け散らせる。

 その皮肉さ。
 その残酷さ。

 
 まとぶさんはなんつっても悲劇の似合う男なので、エリオとして最高にわたしを萌えさせてくれます(笑)。さすがドMという、トップスターに稀有なスキルを持った人だわ!

 直接的な台詞はないので、彼らの関係がどのようなものか、8年前・現在含めていつどこでどーしたかはわからないけれど、わたしは勝手にこう思って萌えてます。
 『哀しみのコルドバ』のアルバロ@まっつの役について、勝手にいろいろ考える、続き。

 脚本に描かれていることから、アルバロ像を考えると、大きく分けてふたつのパターンが導き出される。
 

その1.エリオLOVEなアルバロさん。

 エリオ@まとぶを熱愛し、それゆえに彼の周囲をうろちょろしている人。
 エリオの前ではふつーに同僚の顔だが、彼がいないところでは絶賛しまくり。エリオを誉める人がいるとうれしい。

 エリオに対しての野心もあるから、ビセント@みわっちが邪魔。こいつさえいなけりゃオレがエリオの親友になれる、てなもんでビセントの不倫をアントン@はっちさんに密告。騒ぎを大きくしてエリオの耳にも入れ、真面目なエリオがビセントと決裂するよーにし向ける。
 ビセントのラヴシーンを目撃したのは、本人が「見た」と言っているから、アルバロなのよ。最初に騒ぎ出したのはアルバロなのよ。ビセント自身に忠告すれば済むことなのに、アントンに報告し、ぺぺ@めぐむに知らせ、アンフェリータ@いちかにも教える。そこまで言いふらして大事にしたあとで、さも大事だと言わんばかりにエリオに言いに来るって、すげえよ。
 アルバロがビセントを良く思っていない……あるいはどーでもいいと思っているのは、よくわかるよな。
 ビセントの決闘を心配する仲間たちの間で、深刻な話題をチャラけたお笑いで終了させているし。

 ビセントがいなくなり、チームでの自分のポジションも上がるし、エリオの親友にもなれるし一石二鳥の完全勝利。
 と思っていたら、今度はエリオが女とのごたごたでチームを辞めるという。ちょっと待て、それじゃオレの苦労は?!
 若手たちと一緒になって「そりゃないよエリオ!」とやるけれど、責めることはせずにすぐさま「オレだけはお前の味方だ」って言いに行ったんだろう。
 だからエリオの決闘に立ち合うことになった。

 そしてエリオの事情をたったひとり知ることになり、もちろんエリオの希望通り誰にも秘密は漏らさずにいる。
 エリオを愛するがゆえに、アルバロの心中もいろいろ複雑なはず。それでも頭を切り換えて舞台に臨み……エリオの死を目の当たりにして号泣するところでエンド。

 エリオの覚悟をアルバロがどこまで察していたのか。
 エリオの決心を遂げさせてやりたいと思ったか、これからの人生を友人として支えることを望んでいたのにあんなカタチで裏切られてしまったのか。
 このへんはいくらでも展開できるが、大筋としては、「エリオLOVE」なアルバロ。
 友愛でも心酔でも、ずばり恋愛でもイイ(笑)。

 ほんとに脚本から考えると、アルバロの言動はそーゆーことになるよなー。冒頭の「エリオ万歳ソング」からラストの「這いつくばって慟哭」まで一貫して。

 
その2.エリオアンチのアルバロさん。

 愛と憎しみは裏表。愛の反対語は憎しみではなく無関心。
 エリオが最後、自ら死を選ぶかもしれない……のに、それを止めることが出来た唯一の男が、アルバロである。
 だが彼は、止めなかった。
 それって……。

 エリオの出生の秘密判明愁嘆に居合わせた者たちの中で、誰がエリオを止めることが出来た?
 家族たちは当事者で精神的にいっぱいいっぱい、ロメロ@ゆーひとその甥フェリーペ@めおはエリオがその後どうしようが口を出せる立場じゃない。
 ロメロはそれでも、わざわざ闘牛場の控え室にまで来て、エリオに言葉を掛けている。彼は十分紳士的だし、やれる範囲のことをしている。

 エリオが選ぶ結末を、予感することができた人……その中で直接、「バカなことは考えるな」と止めることが出来たのは、アルバロだけだった。言葉だけではなく、実力行使だってできた。

 ビセントのときは迷わずアントンに報告したくせに、このときのアルバロはナニもしない。
 エリオが「誰にも言うな」と言ったことは関係ない、出生の秘密には触れずに、「エリオが自殺するかもしれないから、闘牛には出すな」とアントンに言えば、それで済んだはず。

 だがアルバロはそうしなかった。
 黙って、エリオの好きにさせた。

 …………これが故意に、だとしたら?

 エリオを見殺しにする。それこそが、アルバロの望みだったとしたら?

 「その1」で書いた「エリオ大好き」な部分が全部、本心の裏返しになる。

 「エリオ万歳ソング」を歌って、エリオに憧れる人々を鷹揚と眺めるのも、実は彼を憎んでいるから。心の中に鬼を棲まわせ、表面では微笑む。憎しみが深いからこそ誉め称える。本心でないからこそ、なんでも言える。

 エリオの親友ビセントを陥れ、エリオの傍から消し去る。エリオを精神的に孤立させる。
 相談できる親友がすぐそばにいれば、エリオもパトロン持ちの女と三角関係にならなかったかもしれない。

 仲間たちからも糾弾され、後ろ盾も婚約者も失ったひとりぼっちのエリオに近づき、決闘の介添えを申し出る。
 彼の最期を、見届けるために。

 決闘で死ぬことはなかったけれど、出生の秘密を知り絶望したエリオが死を決意したことを察しつつも、口を出さない。
 自らの手は汚さず、敵が自滅するのを待つ。

 ……憎む相手のことは、なんでも知っているから。万歳ソングを歌うくらい、エリオのことばかり見つめて、知り尽くしているから。
 エリオなら、こうするだろう。ビセントのときも、エバ@彩音に対してどう恋するかも、そして秘密を知ってしまったこのときも、エリオがどうするか、アルバロにはすべてわかる。
 恋人より家族より、この世の誰よりエリオを見つめ続けてきたのだから。憎しみを持って。

 すべては、エリオのために。
 エリオを、憎むがゆえに。

 その死に膝を折り慟哭しながら……ライトの当たらない、陰になってしまい誰にも見えないあのラストシーン、最後の最後に唇の端をわずかに上げて、嗤っているかも、しれない。

 ねえ?
 脚本から考えると、アルバロの言動はそーゆーことにだって、なるよなー。冒頭の「エリオ万歳ソング」からラストの「這いつくばって慟哭」まで一貫して。

 もちろん、憎しみゆえに全部やって来たけど、最後の最後、実際にエリオを失ってはじめて「憎んでいたんじゃない、実は愛していたんだ」と気づき、号泣しているのでもかまいません(笑)。
 また、憎しみの理由がコンプレックスだとか、人間の人間ゆえの汚いドロドロしたもので、最後はそんな自分の醜さに号泣しているのであっても、かまいません(笑)。

 
 いやあ、たのしいなあ、アルバロさん。
 なんかいろいろこねくり回してほざいていますがよーするに。

 這いつくばって慟哭するラストシーンのアルバロさんが好きだ。

 ということに尽きます、はい。

 全ツ再々演『哀しみのコルドバ』のアルバロ@まっつ。

 舞台暗いし、ライトあたらないし、所詮背景的な扱いで、そのつもりで見ないとどれがアルバロかもわかんないよーな状態なんで、ファン以外見ていないと思うけど。
 ファンだからこそ、シルエットだけで「あれってまっつだよね?」と見分けてガン見して、その嘆きの深さにびびるわけですよ。お笑い担当のチャラ男、とはかけ離れた「まっつっぷり」に(笑)。や、「オレってモテモテ☆」とポーズ決めてるより、こっちの方が似合ってますから(笑)。

 苦痛に歪んだ顔が好み過ぎます。
 身をふたつに折って、大の男が地面に這いつくばって慟哭するんですよ? どんだけの哀しみですかソレ?
 あんな嘆き方をする男だからこそ、普段とのギャップについていろいろいろいろ妄想しちゃいますよ。

 ラストシーンのアルバロさんを見るためだけに、最前列坐りたいなあ(笑)。
 センターのちょい下手寄り。下手に振りすぎると顔が見えなくなりそうだから、やっぱセンターでないとなあ。
 ライトが当たらないから、後方席だと光が届かなくて顔が見えにくいの。演出意図としては這いつくばるシルエットさえ見えればいいんであって(背景だから・笑)、顔や表情はどーでもいいんですよ。や、エリオ@まとぶんの物語で、主人公が絶命するドラマティック場面なんだから、それを盛り上げる背景としてはソレでいいのよ。美しい演出だと思いますよ。
 ただわたしはまっつファンなので、まっつ渾身の泣き演技を見たいのよ。
 舞台の光源が視界に届くあたりの座席で、まっつの表情が闇に沈んでしまわない位置で、その演技を、顔を、ガン見したいのー。
 舞台奥でやられていたらまったく見えなかっただろうけど、ありがたいことにいちばん手前でやってくれてるしね。

 あ、まっつがどれかわからない人のために、見つけ方。
 ロメロ@ゆーひさんの最終ポジション(上手から歩いて登場するよね、彼)の斜め前にいます、まっつ。
 ゆーひさんガン見しているみなさま、彼の足元に這いつくばっている男がまっつです(笑)。
 後方からオペラで見る場合、ゆーひくんとまっつをひとつのフレームに収めることが可能だった。
 ゆーひさんにはライト当たってるけど、まっつにはナイ。

 
 まっつの演技には物足りないところがあるにしろ(ヲイ)、「アルバロ」という役自体は相当好みです。
 まっつよりも、もっと暑苦しい、スタンドプレイ好きな人が演じた方が栄えただろうなと思う。

 今回の公演では、まっつが最初の「エリオ万歳ソング」歌ってるじゃないですか。
 アレをアルバロが歌っているのだと考えれば、ますます愉快なことになるわけですよ。

 エリオがどんだけすごいかを語り、周りの者たちが追従する様を上から目線で受け止める。自分こそが語り部、エリオの理解者のように。なにもかもいちばん知っているかのように。
 まっつ的スカシきった顔で「ふふふ、エリオはこんなにすごいんだぞ」「そうか、みんなそんなにエリオが好きか、よしよし」とやってるのが、「アルバロ」ならば、とんでもなく興味深いです。

 ……同じ職場の仲間に対して、ですよ。普段はふつーにタメ口きいてる相手のことを、本人いないとこでは「オレのエリオってすげえだろ」と自慢しまくってるって、どーゆーことですか。

 
 とゆーことで、アルバロさん像を考える。

 闘牛士だけど花形ではまったくなく、パーティで紹介されるときも形容詞はナシ(笑)。でも、パーティに呼んでもらえる立場ではあるらしい。
 女に手が早い軽薄なプレイボーイ設定、らしい。
 チームの若手たちからは「兄貴」と呼ばれ、まさに兄貴風を吹かしてはいい気になっている。
 なにしろ赤い水玉のブラウス着て踊っちゃうよーな、愉快にピエロポジだ。や、あの衣装はアルバロの責任じゃないかもしんないけど、「アントン・チームのその他大勢の真ん中」つーだけで「真ん中はやっぱ赤だよね」ってだけのことだとは思うけど、それにしてもすごくトホホなセンスだし。

 そんなどーしよーもない感じの男なのに。
 エリオが闘牛士を辞めると言い出したときには糾弾側に立ち、立ってはいるが、裏切られたショックを表しているだけで、他の者たちとは違い直接的にエリオを責めることはせず、決闘の介添人をして出生の秘密と大愁嘆場に居合わせ、最後は膝を折って号泣。 
 
 まっつがどうこうとは切り離しても、アルバロさんの役回りは実に愉快だ。

 脚本上にあることだけ取り出しても、浮かび上がってくる「アルバロ」像は。

 「エリオを愛してる場合」と、逆に「憎んでいる場合」が考えられる(笑)。

 
 文字数が半端だから、翌日欄へ続く。
 アルバロ@まっつは、知っていたのだろうか。

 エリオ@まとぶんの決意を。
 つまり、エバ@あやねちゃんと兄妹だと知ったエリオが、最後の舞台で死を選ぶことを。

 エリオの出生の秘密がわかる場面にて、その場にいる「部外者」はアルバロだけだ。
 エリオ一家とエバ母@ちあきさん、エバのパトロンであり彼女を巡る決闘相手のロメロ@ゆーひと、その甥フェリーペ@めおくん。フェリーペはエリオの捨てた婚約者アンフェリータ@いちかに惚れているという事情もある。
 そんな濃いぃ人間関係の中、アルバロひとりしがらみナシ。エリオの同僚ってだけ。

 ひとりだけ部外者で、いきなりあの騒動ですよ?
 アルバロが真のチャラ男なら、絶対逃げ出してますって。

 友だちに「告白のつきそい」を頼まれてついて行った校舎裏、ふつーに「好きです、つきあってください」で済むと思っていたら、母だの妹だの乱入してきて「オマエたちは実の兄妹~~!」とか「実は腹違いの~~」とか、他人のお家事情全開で慟哭されたら、泣いて逃げ出しますよあたしなら。ごめんなさい勘弁してくださいそんな濃ゆい世界に巻き込まないでください、聞かされても困ります背負い切れません。

 なのにアルバロ、その場にとどまって、全部聞いてるし。受け入れてるし。

 そもそもなんでアルバロが、エリオの決闘の立会人になったのか。
 下手したら、死を看取る相手なわけでしょ? 半端な人には頼めない。チーム・アントンはどの規模の団体なのかわかんないけど、人手不足だよな、明らかに。
 ビセント@みわっちが去り、ここでエリオがいなくなったら、もう正闘牛士はアルバロしかいないという(笑)。てゆーか、3人しかいないのか? あとは剣係とか見習いとかだよねえ?
 最初のパーティで正闘牛士として招待・紹介されたのが3人だけだったので、あとわいのわいのと何人もいるメンバーは、見習いかと思ったけど、実はらいらいやしゅん様も正式なマタドールなのか? プロとしてデビュー済で、アリーナにひとりで立っているのか?
 アルバロに光の衣装を着せていたマリオ@鳳くんは、剣係であって闘牛士ではないよね。正闘牛士はそんなことしないだろーから。だからマリオと同等あたりの男たちはみんな、アントンの弟子ではあっても闘牛士ではないはず。そりゃ彼らも衣装着て舞台には出るけど、主役じゃない。
 なんにせよ、同じ職場で立会人をしてくれるのが、アルバロしかいなかったのか?

 このへんの関係が明記されていないので(笑)、「他にいなかったから仕方ない」と消去法でアルバロなのではなく、たくさんいる中からあえてアルバロだった、としても。

 どっちから申し込んだんですか、エリオとアルバロ。
 エリオが「立会人になってくれ」とアルバロに頼んだの? それともアルバロが自発的にエリオに名乗り出たの?

 そんな重要な役を頼むような、間柄だったのか。

 エリオは信頼厚い人なので、彼の「トクベツ」になりたがる男たちは大勢いるんだろうけど、なにしろ「闘牛より仲間より、恋が大事、女が大事」と言ってのけて、仲間たちからつるし上げ食らっていた直後だ。
 このタイミングでエリオの味方になるのって……。

 知らなかったなあ、アルバロってエリオの親友だったんだ?(やっぱり消去法なんぢゃ……?笑)
 エリオとアルバロが、どっちが年上なのか、先輩なのかも、作中からはわかりません。お互いタメ口だよね。
 同期で同じ組、しかし片方トップスターで片方脇の職人とか、そんな感じ? 親友というほどべたべたしてないけど、同期だからいざというときは助け合う、みたいな? みんな退団していき、今は同期ふたりだけだよ、みたいな?

 とにもかくにも、実はエリオとアルバロが親友だった、つーことだとして。
 最初の疑問にたどりつくわけだ。

 アルバロは、知っていたのだろうか。
 エリオが、最後の舞台で死を選ぶことを。

 知る、とまで明確な思いはなくても、予感はあったんじゃないだろうか。
 エリオがなにかしら決着をつけるつもりだろう、と。

 だからこそ、光の衣装を身につけて現れたエリオと、無言で頷き合っているのだろう、と。

 エリオの秘密を知ってしまったという点では、ロメロとフェリーペも同じだが、彼らはエリオのことをよく知らない。今回知り合ったばかりの他人だ。
 同じ釜の飯を食ってきたアルバロとはチガウ。

 友人の秘密を知り、彼がなんらかの決着を……最悪の場合は死を選ぶだろうことを受け止めた上で、覚悟した上で、見守る、ってのは。

 担っているモノはものすげー重さと濃さなのに、あくまでもメインフレームに入らないところにいるからこそ、注目すると、たのしい。

 や、ほんとのとこがどうなのかは、なにしろ脇役ゆえに本編中で言及されていないので、観ているモノが勝手に妄想していいわけですよ。フリーダムですよ。

 エリオの決心に気づいていなかったとしていろんな展開をシミュレーションするのも、気づいていたとして心情をロールプレイングするのも、いちいちたのしすぎます。

 気づいてなかったら、いきなり自殺されてショック受けるだろうねえ。どーして気づかなかったのか、事情を知るただひとりの人間だった自分を責めるだろうねえ。
 気づいていたら、どれほどの痛みを持って最後の舞台を見守ったのか。なにを超えてなにをひきずって、受け入れたのか。純にも腐にも想像の翼がはばたいて、帰ってこられません(笑)。
 たーのーしーいー。

 アルバロさん主役で小説書けます、こんだけおいしい設定だと。
 『哀しみのコルドバ』という、同じタイトル、同じ出来事を使って。
 ただ、演じているのがまっつだから、あまりわかりやすく腐ってくれないっつーか、せいぜいキスシーン入れられるかどうか、てな軽い腐り具合になりそうだ。ちぇっ。まっつってあまり腐女子的にオイシイ人ではないと思うのですよ、そっち方面での色気やゆるさに欠けるってゆーかね。
 ……てのは、ただのひとりごとですから、深く考えないように。アルバロ×エリオ、とか、ただのひとりごとですから、深く考えないように。あー、やっぱ攻キャラが好きだなー。と、いかんいかん、ひとりごとが長いぞオレ。

 主人公がやたら盛り上がって大騒ぎで大変(笑)な場面で、台詞もないアルバロをガン見しているのがたのしいです。
 一旦背中向けて、だけどまた振り返って。表情もそんなに変わらないんだけど、顔芸とゆーよーなわかりやすい派手なことはしていないんだけど、たしかに感情が見える、相変わらず地味に堅実に仕事をしている様が、すげえツボです(笑)。



 どうしても気になるのは、アルバロ@まっつのことです。

 ふつーに観ていたら別にどーってことのない役で、どーってことのない人なんだけど、なにしろこちとらまっつファンで。まっつ中心の視界になっているわけで。

 アルバロはストーリーには絡まないけど、いや、絡まないからこそ、妙なスタンスでストーリーに……というか、主人公に関わっています。
 いっそまったく関わってなければそーゆーもんだと思うのに、アルバロが主人公サイドを向いている……ために、彼に着目すると「それでいったいどーなってるの?」と疑問がわいてきます。

 『哀しみのコルドバ』はわかりやすい話で、主人公たち主要キャラも、彼らを取り巻く脇の人たちも、言動がとてもクリアで澱みがない。
 どーしてこの人がここでこんなことを言うのか、するのか、観ていてストレスがないの。うんうん、そうだよね、ああ思ったからこうしたんだよね、といちいち納得できる。(ヅカでは超絶貴重。激レア)

 そのわかりやすい人たちの中で、アルバロは「作者がちゃんと描写する気がない」脇のその他大勢でありながら、「主人公の出生の秘密、物語のクライマックスに立ち合う」という、唯一無二の、「変な位置にいるキャラクタ」だ。

 とゆーことで、アルバロさんが気になります。

 短編小説としてきちんと収めるのなら、プロット時にアルバロは「その他の名前のある脇役」欄に分類し、決して意味のある場面には登場させない。
 登場人物の役割が絞りきれないと、物語が散漫になり、盛り上がりに欠けるためだ。
 エリオ@まとぶんの出生の秘密がわかる場面には、脇役など立ち合わせてはならない。
 決闘の立会人が必要だというなら、第2グループの主要キャラ、ビセント@みわっちを1日早くコルドバへ到着させて、彼を立会人にすればいい。
 ビセントは先にエリオとまったく同じ状況で決闘をしているのだから、彼が立会人をする方が、物語がはるかに盛り上がる。

 しかし、80人もの出演者にできるだけ役と出番を作らなければならない宝塚歌劇なので、物語としてのクオリティを犠牲にしても、他の人に出番を作らなければならない。
 そのシステム上の欠陥ゆえに、ビセントではなくアルバロが立会人をしているのだろう。
 今回は全ツでそれほどの数の出演者はいないが、もとが大劇場用作品だったわけだし。演出はそのままだろうし。

 タカラヅカのシステムを今さらどーこー言っても仕方ないので、設定的にまちがっている……とまでいかないが、最善ではまったくなくても、とにかくここはアルバロの出番となった。

 この整然とした物語の中、システム上のゆがみで配置されたアルバロの、キャラクタのどっちつかずさが、気になる(笑)。

 ゆがみ部分なんだから、役者のフリースペースだと思うんだけどなー。
 まっつはそーゆー「空白」を埋める演技は得意ではなさそうだ。経験不足もあるだろうけど。(設定が壊れていることが気になるくらいの、ちゃんとした役やったことあんましないよなあ。壊れていないちゃんとした役なら、バウとかでやったことあっても)

 まっつがどーゆーつもりで役作りして、どう演技しているのか、ほんとのところはわからない。
 が、とりあえず、わたしには。

 アルバロの女好きは、ただのポーズに見える。

 や、キライぢゃないだろうがな(笑)。
 でも、ことさら女好きをアピールするのは、すごく嘘くせー。モテモテぶるのも、嘘くせー。

 もちろんソレは、まっつの芸風に合っていないせいもある。まっつがやると、いたたまれないよーなみょーな空気になるし。
 わたしは初見時で吹き出したけど、とりあえず2回目以降は笑わなかった。でも、周囲の人はまっつがキザってるとほんとに笑うんだもんよ。吹き出すんだもんよ。
 二枚目ぶって笑われるって、どうなのよまっつ、男役スターのひとりとして。や、路線様だけがスタァぢゃない、まっつももちろんスターカテゴリの人でしょお?

 まっつの芸風に「モテモテのチャラ男」ってのが合っていない。それも理由のひとつだが……若手闘牛士たちとの場面でのアルバロと、エリオに対するときのアルバロが、あまりに別人過ぎて。
 場面場面で別人、つーのは、どっちちかが「演技」だと思えるでしょう?

 で、どちらが真実の顔かというと、やはりこの物語の核心に触れている部分で見せている顔でしょう。

 つまり。

 エリオの決闘に立ち会い、はからずもその出生の秘密(と、一家の愁嘆場)を知ってしまう。
 そのあとのエリオの最後の舞台、その死を目の当たりにしての号泣。

 ここで見せるドシリアスな骨太な男の姿こそが、本来のアルバロなんぢゃねーの?

 もちろんソレは、まっつの芸風に合っているせいもある。
 友情に厚い、真面目で真っ当な男って、ソレどこの相沢くん(笑)。まっつの得意分野。
 誠実な男の方が演じやすいんだろう、チャラ男より。

 相沢くん寄りになってはいるが、文官の相沢くんと違って闘牛士だから、しっかり骨太なんだよね。ずっと男らしい。
 エリオ一家が泣くわわめくわもー大変、な状態になっているとき、黙ってそれを見つめているアルバロのオトコマエなこと。

 それがそのあとに、闘牛士として「光の衣装」を身につける、あのストイックな横顔につながるんだよな。

 
 アルバロの二面性を考えると、仕方なかったんだろうなと思う。

 同じ事務所に所属するタレントでさ、同世代に天才がいて、才能だけでなく性格も良くて、ひとりの人間として自分では到底叶わない……となったら、身の振り方考えるじゃん?
 別の事務所に移籍して、天才くんとはぶつからないですむところで生きるか、同じ場所にいるなら、別のキャラ立てを狙うか。
 アルバロは、エリオとかぶらないキャラを演じるしかなかったんだなあ。
 エリオが真面目で誠実、女にも慎重だから、軽薄で自慢しぃの女好きを装う。エリオに負けていてもキニシナイ、だってチャラ男だもん。……そんなポーズを、取り続けるしか。

 なにかあればすぐエリオに頼りに行くとか(ビセントの不倫現場を目撃したのはアルバロだよな、台詞からして)、エリオがアントン・チームから出て行く(結果、闘牛士を辞める?)となったときのショック具合からして、アルバロがエリオを好きだったのは間違いないだろう。
 エリオを失う、いなくなってしまう、てなときになってよーやく、もとの真面目で誠実な、強い顔になって決闘に立ち合う。もうチャラぶる必要はないから。
 

 ……と。
 アルバロはゆがみ部分にいるキャラクタだから、存在自体「え、そんな人いたっけ?」ってくらい無視しても、『哀しみのコルドバ』という作品は成立しているが、彼に着目して作品を眺めると、それはそれですげーおもしろいんですが。
 いくらでも、別の物語が見えてくるから。
 『哀しみのコルドバ』は、再演初日を2回観た。
 1回は、大劇場初日。まだヅカファン初心者で、地道にスキル上げをしているころで、「トップさんの退団公演の初日」をはじめて観る、つーんで興奮していた記憶がある。……思ってたよりぜんぜんふつーの「初日」で、拍子抜けした(笑)。ヤンさんはクールだし。今のようにスカステはないし(WOWOWはあったが、毎日ニュース流しているわけじゃない)ネットは発達していないし、挨拶やカーテンコールもイベント的な意識はなかったと思う。

 次に、劇場飛天の初日を観た。
 あの年、阪神大震災が起こり、宝塚大劇場は閉鎖された。上演中だったヤンさんの退団公演は途中で打ち切られ、ゆりちゃんの月組公演はまるっと全部なくなった。
 新聞に書かれた「関西芸能界、壊滅」の文字は忘れられない。

 本当なら、もう一度観る予定だった。はじめて一緒に観に行く友だちと3人で並んで観るはずだったんだ、楽前に。
 それが、叶わなくなった。チケットは払い戻し。

 そのあと、中断された退団公演を急遽飛天で上演する、つーんで、またあわてて梅田のプレイガイドに発売日に並びに行った。

 運良くチケットを取ることが出来、1回だけ、初日に観た。
 公演が終わり、主演のヤンさんがマイクの前に立ち、挨拶をはじめた。ムラ初日「こんなもん?」と思った、どーってことのない挨拶をしたあのヤンさんが……「つらかったです」と言葉をしぼりだし、泣き出した。

 あのころはまだ、よくわかっていなかった。退団公演の重要さ。トップスターの背負うものの大きさ。
 流す涙の重さ。

 あれから10年以上。
 劇場飛天はころころ名前を変え、設備のみ古くなって現在に至る。

 その同じ劇場で、再び『哀しみのコルドバ』を観る。同じ花組公演として。

 開演アナウンス前に流れ出した音楽に、あれ? 今から『Red Hot Sea』がはじまるの? と思った(笑)。
 なるほど、『Red Hot Sea II』の曲が差し替えになったとか言っていたのはこのためか。同じ曲なんだね。

 10年以上前に観たっきりだから、細部まではおぼえていない。ストーリーと主要キャラ、そして有名すぎる主題歌。なにより、ふたつの初日の、異なった緊迫感を強くおぼえている。
 兄妹オチと母親のウザさ、三重唱×2のドラマティックさと、突然空気を変えて歌い出すひまわり娘@純名のすばらしい歌唱力とKYさ(笑)、ストーカーみたいにここぞってとこになにかと現れ、見守る系のイイ台詞を言うリカちゃんを見て「嘘くせー」とつっこんだこと……(笑)。いやその、天下のシブキジュン様ですから、んなおとなしいイイ人なわけがないっつーかえーっと……ゲフンゲフン。

 そして、衝撃的なラストシーン。

 今回の全ツ梅芸初見時、再演の頃ですら幼児以下だよな、という年齢の制服姿の女の子が私の隣の席で母親らしい女性と一緒に観ていたが、芝居が終わって客電が点いたとき、その女の子はひとこと、「びっくりした……」とつぶやき、ハンカチを出して涙をぬぐっていた。

 うん。びっくりするよね、あれは。
 

 花形闘牛士エリオ@まとぶんは、8年前突然姿を消した恋人エバ@あやねに再会した。彼女は母親の急な再婚で生まれ故郷コルドバをあとにするしかなかったのだ。なんか無茶な理由だなヲイ……そう、無茶なんだよママンは。なにしろわざとだし……というのはあとでわかること。
 ママンの画策はさておき、もともとラヴラヴだったふたりは、再会するなり昔以上にラヴラヴ絶好調になったが、ちょっと待て、エリオにはアンフェリータ@いちかという婚約者が、エバにはロメロ@ゆーひというパトロンがいる身。愛は暴走特急、ふたりはしがらみを清算し、ふたりで生きようとするが……。

 主役のカラーは、ここまで物語を変えるのだなと痛感。
 ヤンさん主演のときと、なんかぜんぜん違うんですけど、話(笑)。

 エリオが、アツい。

 なんかもー、クドくてアツくて、かわいい男がいますよ(笑)。
 どんだけグランなエリオなのかわかんないけど、とりあえず彼が仲間たちから慕われているのは、闘牛士としての実力の他に、人柄ゆえだということがわかった。

 いい奴だ、エリオ。かわいい奴だ、エリオ。
 ついでに若いぞエリオ。現代の26歳はまだ若者であって、「大人」ではない。平気でモラトリアムやってられる年齢だ。15年前の26歳は「大人」だったけど。初演の頃はさらに上の感覚だったかもしれないし。時代がチガウんだから、きっとこれでいいんだろう。
 まだまだ青い、コドモなエリオ。だからこそ、恋にすべてを懸けられる。
 彼の若さがまぶしく、せつない。

 わたしが年を取ったせいかもしれないし、今現在ヅカにディープにハマっていて、花組ファンであるからかもしれない。

 再演を大劇場で観たときより、今回のエリオに感情移入した。

 冷静沈着な大人なエリオより、若くて一途で激情なエリオに。

 ああ、このエリオならあの決断もわかるよ、と。なんかすごくすとんと納得した。

 エバを苦しめないために、なにもかもひとりで背負って死ぬしかないと、「いや、ちょっと待て早まるな、他に方法はあるだろう、あるはずだ、考えようじゃないか……ってヲイ、人の話を聞け!」な暴走エリオなら納得ですよ。
 若さゆえのアツさ、無謀さがもお、キラキラして切なくて。

 ……15年前はわたしも若かったので。ヤンさんはひたすら大人に見えたし、エリオとエバは十分「大人の恋」に見えたのですよ。

 それが今や、正反対。
 エリオの恋は、無謀な若者の恋。若いからこそありえる、若さゆえの特権である、その暴走っぷりを若くないモノが愛でる物語として受け取った。ああ、時の流れって容赦ないわね。

 失われた時は、みな愛しい。当時は石ころでも、15年後に眺めりゃ宝石、ソレが青春。
 エリオの若さが愛しい。

 エバを抱きしめて「家を建てよう」とか、ありえない未来を語るエリオにダダ泣きっす。
 ♪もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう。大きな窓と小さなドアと、部屋には古い暖炉があるのよ。真赤なバラと白いパンジー、子犬の横にはあなた♪
 なんて夢見るヲトメなんだ、エリオ。

 すべての想いを飲み込んで、ラストシーンになる。
 大劇場で観たラスト、盆は回るわセリは上がるわで大スベクタルだった記憶があるし、飛天で観たときも違和感ない演出だった気がしたんだが。
 全ツで毎回会場チガウから、盆もセリも使わない方針なんだよな。

 セリの上で絶命するはずのエリオは、床で終了。

 それでも、そのラストが衝撃的なのはまちがいなく。
 はじめて観た高校生の女の子が、「びっくりした」とつぶやくのは当然だ。

 エリオが正しいかどうかではなく、彼がそうまでして守ろうとした真実が、そしてその行為が、エバを傷つけないことを、追いつめないことを、祈るばかり。

 
 震災の年、たくさんの人の願いゆえに、劇場を移して上演された、ヤンさんの『哀しみのコルドバ』。
 今このトシになって改めて、もう一度、あのままの舞台を、ナマで観てみたいと思う。
 若くない今のわたしには、どんな風に映るのだろう。

 この作品を、好きだと思うからこそ。
 ゆーひさんのこうげきに、まっつはたじろいだ。
 だがしかし、まっつはまけなかった。
 かてないことはわかっているが、まけずにほほえんだ。

 ゆーひさんのこうげきはつづく。
 まっつはまけない。まっつはほほえむ。
 ほほえみまっつ。がんばるまっつ。まけないまっつ。
 まけない……けど、たいへんだ。
 たいへんだったら、たいへんだ。

 
 ある日の梅芸メインホール。
 フィナーレのパレードたけなわ。
 銀橋がそこにあるつもり、で舞台手前端に1列に並んだタカラヅカ・スターたち。
 ヅカと言えば、羽、羽、羽。
 全国ツアーだ、一見さん大喜びの羽はお約束だ。
 みんな羽付けてるけど、真ん中から1、2、3の羽は特に大きい。

 その大きな羽根を付けた人の「隣」にいる人が、大きな羽根と戦っていた。

 大きな羽根を付けた大きなゆーひさん。隣に立つ、小さな羽根を付けた小さなまっつ。
 ゆーひさんの大きな羽根が一房、まっつの顔に当たりそうになっていた。

 他の部分の羽は、大丈夫なの。まっつの背負う小さな羽が前に来ていて、ゆーひさんの羽はまっつの後ろになっているので、誰にも当たらない。

 されど狭い舞台のこと、整列するとぎゅうぎゅうで、どーしても隣の人と羽同士が重なることになる。
 同じ大きさの羽ならいいんだが、まっつの場合、隣の人が羽もカラダも大きくて……よりによって顔の高さの羽が、飛び出して来てるのだわ。

 あっ、羽が顔に当たる……! てとこで、まっつは必死になって顔を傾け、ビンタされるのを逃れる。
 顔を傾けたまま、それでも笑顔まっつ。

 羽が当たる?! よけるまっつ。
 羽が首筋こちょこちょ?! よけるまっつ。

 それでも笑顔。
 真正面向いて、笑顔笑顔。

 …………もお。
 もおっ、もおっ、もおっ。

 客席で、悶え狂いました。

 かわいいっ。
 かわいすぎるぞまっつ!!

 ゆーひさんはそりゃーもーきれいな笑顔で客席に笑いかけていて、その横でまっつが人知れず戦っていることには気づいてないの。
 気づいてないよな? 気づいてて羽こちょこちょしてるんだったら、余計萌えるぞ(笑)。

 まっつの「本気モード」の全開笑顔と、その顔で!ゆーひさんの羽との戦いっぷりがもー、地団駄踏んで転げ回りたいくらいかわいかったっ。

 大羽の人の横なんか、立ち慣れてないもんな、まっつ。全ツで毎回会場チガウから、車間距離難しいよな、まっつ。

 いやあ、ええもん見ました。ありがとう、ゆーひさん。ありがとう、まっつ。

 
 結局のところ、まっつは芝居でゆーひくんと絡むことがないまま終わった。
 ゆーひくんは花組に長くはいないだろうと予想はしていたけれど、その間にまっつと絡むところが見たいと……一応、たぶん、せっかくだから、思っていたのだけど、結局は叶わなかった。

 ゆーひくんには思い入れがありすぎて、「好き」のひとことでは済まない(笑)。
 そんな人が花組にやってきて、わたしの現在のご贔屓と同じ舞台に立っているなんて、いろいろいろいろ思うところがありすぎて(笑)。

 今回のNOWONでもそうだったが、ゆーひくんとまっつが隣同士に坐っている、とゆーだけで、「どうしよう」って気分になる。
 や、だってさ。元カレの弟で、実は浮気相手だったりする人が、今カレと並んで「あ、今同じ職場なんだ」とか言って家に現れたら、平静ではいられないでしょう?!(イタい喩えはやめなさい)

 こうして、舞台で隣同士に並んでいるのを見て、しかも「これが最後なんだ」とか思うと、さらにさらに感慨深くて。

 ゆーひくんとまっつがふたりでいて会話がなくなって、しーんとしているとことか、見てみたいなあ。(ナニその偏った妄想)
 で、とりあえずそのかの話題をしてみるふたり。
 ……なんか、ふたりの共通の話題ってソレくらいしか思いつかない……(笑)。
  
 ゆーひくんの隣のまっつ、も感慨深いが、ゆーひくんの前に立つまっつも、興味深い図だ。

 梅芸公演では、全ツ恒例の「ご当地ジェンヌ紹介」があり、カーテンコールの幕が上がると、トップスターまとぶさんと大阪出身者が一歩前に出ている。

 まっつはもちろん、ゆーひさんの前だ。

 ゆーひくんの前に立つまっつ。
 小さなまっつの後ろに、大きなゆーひくん。

 名前を呼ばれたまっつは、シャンシャンを持ったまま両手を上げて「グリコ」のポーズ。
 それでも後ろのゆーひくんが見えなくなることはない(笑)。

 あああ。
 もう2度と見られない光景。
 ゆーひくんは、花組からいなくなる。
 さみしいよお。
 
 元カレの弟と今カレの、どこかいたたまれない並びを、もっともっと見ていたかった。(まだそのイタい喩えを使うか)

 
 まっつといえば、アドリブで大きな男と絡む場合が多い気がしているのだが、今回も大男とばかり絡んでいた。

 大男……めぐむさんです、ええ。

 『哀しみのコルドバ』稽古場映像ではだいもんと絡んでいた場面で、「あれはフェイクだったの?」てくらい、だいもんには近づかず、めぐむ氏とばかり絡んでます。

 最初に見たとき、小さなまっつが、大きなめぐむを回していて、おどろきました。

 ダンスで男の腕の中で女の子をくるくるターンさせる振りがあるでしょ? 片手は高く頭の上で女の子の手を握り、てやつ。
 アレを、めぐむ相手にやってた。
 大きなめぐむを、小さなまっつがリードしてくるくる回していた。

 手、届いたんだ。(素朴な感嘆)

 めぐむくんの頭の上の手を、まっつさんが握ってるわけですから。

 あとは、めぐむさんと恋人同士のように見つめ合って手を握り合ってうっとりしていたり?(そのあとすぐに、キモッて感じに振り払う)
 手を取り合ってターンしようとして、失敗してぶつかったり。(失敗するなよ……)

 めぐむといちゃこらしたあと、時間があればしゅん様に絡みに行く、と。(時間がなければめぐむだけで終わる)

 同じくらいの体格の男たちには興味ないようで、でかい男にばかり攻め込むアルバロ@まっつさん……。

 『Red Hot Sea II』の、カモメ場面での、愉快な「海へ行こうぜ」トリオの体格差がえらいことになっていて、たのしかったっす。
 大きなゆーひくんに、大きなまぁくん。そして、ひとり明らかにミニマムなまっつ。(でも声はいちばん低い)

 ゆーひくんとの体格差が好きです。くすくす。ああ、かわいい。(盲目)

 
 ところでこのパソコン、なんで「ゆーひさ」まで打つと、「ゆーひさんにキス」って予測変換するの?! なんの願望?!(願望なのか?)
 ナっマ着っ替え! ナっマ着っ替え!!

 自分が闘牛士モノを見るとどうなるか、どう反応するかを、忘れていた。
 や、今ごろよーやく『哀しみのコルドバ』『Red Hot SeaII』を観劇。
 でもって『哀しみのコルドバ』は、スペイン、闘牛士モノ。

 わたしにとって闘牛士とは、フアン・ガルラード@ケロである。

 スペイン物もマタドール物もヅカの定番中の定番なので、所有権主張もおかしい。
 それがわかっていてなお、わたしにとってのエル・マタドールはフアンであり、彼と共に闘牛士姿で踊っていた美貌の弟プルミタス・ガルラード@ゆーひの記憶が消えることはない。
 ドンニャ・ソル@みえちゃんの硬質かつ恍惚としたモノローグ、血と砂のダンス。
 あまりに濃く激しい、兄と弟の愛憎物語。バウ初日のいろいろいと行き過ぎたイヤラシサ。(すみれコードに引っかかったのか、翌日からエロ過ぎたゆーひくんの拷問シーンと、兄と弟の和解ラヴラヴ場面が短縮されていた・笑)
 ヅカファン人生において、あれほどハマった公演はない。

 でもって。
 あまりにも彼らにハマり過ぎたゆえに同人誌出すことになって、パロディ書くために、闘牛関連書籍を読みあさった(笑)。
 マタドール列伝、闘牛のあれこれ、スペインの生活……そのあたりの知識を、突貫工事で詰め込んだ。勉強ダイキライなくせに、ホモパロ書くためならエンヤコラ(笑)。所詮一夜漬けなんで、パロ書き終えた途端アタマの少ないメモリから消去されちゃったけど。

 で。

 闘牛士の、いちばんの萌えポイントは、マタドール衣装の着付けであると、わたしの中で位置づけられた。
 細かい知識が抜け落ちても、萌えネタは残っているという。

 マタドールのあの「光の衣装」ってねえ、ひとりでは、着られないんだよ?
 助手の手で着せられるの。
 でもってこれは、神聖な儀式なの。生命を懸けた戦いに赴くための精神集中の場なのよ。俗と聖を分かつ行為なの。

 ガラベエトオ@のぞみくんの腕の中で、フアンが美しく飾り立てられる様をねっとり描く、ことに萌えた……んだ、わたし。


 それらのことを、走馬燈のようにざざーーっと思い出しました。

 アルバロ@まっつの光の衣装ナマ着替えを見て。

 う・わー。
 わー。
 わー。

 見たかったモノが、ここに!

 闘牛士アルバロさんは、後輩のマリオ@鳳くん(だよな?)の手を借りて、光の衣装を身にまといまっつ。
 あの長い帯を腰に巻くところからスタート。

 なんと、まっつが自分でくるくる回ってます。
 助手が回ってやれよ……(笑)と、思いつつ、自分で回った方が早いもんな。
 そして、金糸も美しい上着を着せられ、最後にカポーテを腕に掛ける。

 用意の出来たまっつは中央の祭壇へ赴き、十字を切る。

 すげー即席で略式ではあるが、闘牛士の準備場面をまっつが表現している。

 アルバロさんは愉快なチャラ男くん設定なんだが、友人であり花形スターで憧れ(笑)のヒトでもあった兄弟弟子(どっちが兄なのかわからん)エリオ@まとぶんの裏切りとその出生の秘密を知ったあとなので、人格変わってます。
 エリオのあれこれがあったあとは、ぜんぜんチャラ男ぢゃないんだな。すげーシリアスな男になってます。

 そのシリアスまっつが、端正に闘牛士の儀式をしているわけですよ。
 闘牛士と言えばケロで『血と砂』で心臓ハクハクして冷静でいられないっ、のわたしとしてはもー、どうしようかと。

 
 初日観劇をあきらめた身なので、すでに予備知識はてんこ盛り、まっつがどんなでどんなことになっているかは詳細報告をいただいておりました。
 それでも、ただの知識と実際に目にするのは、まったくチガウわけで。

 知っていたのに、まっつが女の子を両手にはべらして現れたときは、吹き出しました。

 わかっていてなお、何故こんなにおかしいんだ。ほんとにぶはっとやっちゃって、周囲を気にした(笑)。

 予習完璧でコレだもんなあ、なんの予備知識もなく観ていたら、腹の皮がよじれて大変だったかもしれん……。

 
 『Red Hot SeaII』の、「子どもの名前はペドロがいい……がくり」場面のチンピラ@まっつは、スカートめくりはしませんでした。
 や、これも予備知識で、先に見ていたNOWONでまっつ本人が言ってたの。壮くんはスカートめくりするのに自分は……って。

 ええ。
 同じ役なのに、壮くんのチンピラくんはとっても「やんちゃ」な感じで、まっつは「ヤヴァイ」感じでした。
 あー、ほんとに悪いチンピラさんなんだわ……ペドロ母@彩音ちゃんへの絡み方が、スカートめくりなんて子どものイタズラじみたことではなく、やばい感じでイヤラシイっす……。
 まとぶさんへケンカをふっかけるのも、ムカついたからとかだけじゃなく、本気で彩音ちゃんを拉致しようとしているっぽい。

 草野せんせい、この演出変更って、まっつへのアテ書きなんですか……(笑)。

 久々に見たまっつのキスシーンが、乱暴系ってどうなの。

 嫌がる女の子を暴力で無理矢理チューしよーとしてまつ。うわわわ、まっつ悪いー、ひどいー(笑)。

 最初、彩音ちゃんにキスしようとして、したのか寸前でできなかったのか角度的にわからなくて、彼女から離れるなり唇をぬぐうから、噛みつかれたのかよヲイ?! と、アセりました。まっつさん、すみれコード、すみれコード!!
 や、そーぢゃなく、口笛を吹く演技だったの、SEがズレてたからピンと来なかったけど!(笑) がんばれスタッフさん。

 
 全ツなのでスタッフさんが大変なのは仕方ない。
 が、昼公演では海馬が3匹しかいなかった。

 全ツにヒポキャンパスを連れて行くかどうか、わたし的にはチェックポイントのひとつですから。
 チョンパで華やかな中詰めラテンメドレーがはじまったとき、「おおっ、海馬も健在だ」とよろこんだのに……あれえ? 3匹しかいない。本公演は4匹だったのに、ツアーには全部連れて行けないのか?
 と思っていたら、まとあやの真珠デュエットでよーやく4匹目がこっそり出てきた(笑)。安定悪いのか、ぶわんぶわん揺れていて、見ていてコワイ。倒れたらどうなるんだろ?
 で、そーやって出てきたはいいけど、電飾が点かない。暗いままなら、いっそ3匹で良かったのに……と生ぬるく見守っていたら、途中から点いた。がんばった、海馬。がんばった、スタッフさん。
 
 海馬教授のファンですから……海馬の状態は気になりますよ……(笑)。

 
 ショーはほんと見慣れたいつもの『Red Hot Sea』で。
 あー、20回観た作品をさらにまた観るのかー、と思いつつ、まぁいいか、と。

 ボリュームのある黒髪オールバックを無造作にかき上げながら踊るまっつがかっこいいっす。ハァハァ。

 細かい感想はまた後日。
あの悪魔は、今ごろどうしているのだろう。海の底で。
          トウコちゃんを眺める猫のトーコの図。→

 いちばん、を決めるのは難しいし、そもそも意味のあることとも思えない。
 だけど、卒業、という大きな区切りを迎え、振り返る意味で「いちばん」を考えてみるのもアリだろう。

 てことで、わたしにとってのトウコちゃんの、いちばん好きな役を考えた。

 そりゃいろいろあるけれど……ぶっちぎりで「いちばん」だと思えるのは、ディアボロ@『ドルチェ・ヴィータ!』だ。

 トウコちゃんの魅力は、そりゃいろいろある。ブリリアントにいろんな輝きを持った人だ。
 「スター」として舞台の真ん中に立ち、劇場の空気を自在に操ることもそうだし、エンターテイナーとして緩急自在に笑わせたり沸かせたりすることもそうだろう。ずば抜けた歌唱力もそうだし、ただ歌うだけでなく、歌で芝居をする、ドラマを作ることもそうだ。
 美少年からエロおやぢまで演じきるところも、その芝居のきめ細やかさとリアリティ、温度と湿度、肉感のあるキャラクタ造形もそうだし、さわやかなお色気からすみれコードを心配してしまうよーなエロ満載なラヴシーンも得意だったりすることもそうだ。
 それらを踏まえた上で、あくまでもわたしが、いちばん心ときめくのが、トウコの、傷ついた瞳だ。

 壮絶な孤独や救いがたい痛み、そーゆーものに傷つききり、だけど倒れ伏して敗北するのではなく、ボロボロの姿でなお立ち続ける、戦い続ける姿。
 ソレがもー、わたしが安蘭けいという役者を好きで好きでしょーがない要因となっている。
 泣きわめくより悲しい瞳で、強がってみせられたりしたら、もお。もお。
 机をばんばん叩きながら「ソコがいいのよ~~っ!!」と叫びますよ。

 役者トウコに惚れ込んだ演出家オギーに、ディアボロ……「悪魔」と名付けられた役は、トウコのいろんな魅力が詰まっている、と思う。

 いろんなタイプの歌を相当数まとまった長さで聴かせ、耽美ありーのハードありーのの世界観、そして忘れちゃならないお笑いのお遊びアリで、トウコがアドリブで毎回自由にできる場面アリ。
 なによりも、孤独、絶望が全面に行き渡り、トウコの傷ついた瞳を堪能できる作り。

 「見たい」と思えるトウコちゃんを、まるっと詰め込んでぎゅっとエキスを濃縮した感じがたまりません。
 1時間で何作分も堪能できる(笑)。

 
 『ドルチェ・ヴィータ!』がトウコ的にも作品的にもいちばん好きだが、トウコちゃんの「傷ついた瞳」だけに特化して愉しむならば、『龍星』ですな。
 作品全体が同人誌っぽいので、「トウコ萌え」の女性同人作家がその妄想力でハァハァ描いたマンガ、みたいなハァトで愉しめます。
 龍星@トウコの痛々しさが半端ナイから。
 絶望に哄笑する姿にこちらも号泣ですよ。

 同じカテゴリに、ジェレミー@『凍てついた明日』も入りますな。
 「傷ついた瞳」を堪能できますぜ。
 ただこちらは作品自体を好きすぎるので、キャラとして役として突出して「好き」だとは思えないのが惜しい(笑)。
 
  
 好きな役はディアボロだけど、好きな「キャラクタ」だと、アンソニー@『愛するには短すぎる』だったりする。

 『愛短』は正塚おじさんがいつもの男目線の男の美学で描いた作品なんだが、アンソニーはタカラヅカではめずらしい温度感のキャラクタに仕上がっている。
 主人公の親友で恋敵だけどブラックにもダークにもディープにもならず、慟哭して愛と友情とで苦悩したりせず、かといって「身を引きましょう」といい人ぶったり「オレのことはいいからうまくやれよ」と間を取り持って偽善者ぶることもない。
 軽いのに、深さを感じさせるという、不思議で愉快な存在。

 トウコの芸達者ぶり、を堪能するキャラクタだと思う、アンソニーは。
 シリアスもお笑いもおふざけもOK、されどどんなときも二枚目の枠は壊さない。
 会話の妙、アドリブではなく役者同士の間で笑わせるって、すげー難しいはず。トウコちゃんは難なくクリアしてしまうけど。
 アンソニーって実はすごく難易度の高いキャラだと思う。職人技があってこそ成り立つというか。技術やセンスの足りない人が演じると、お笑い度や破天荒度ばかり上がることになって(わかりやすいところに頼るしかないからそーなるだろう)、ウザいだけだろーなと。

 アドリブ禁止、規定演技だけで笑わせる正塚芝居のしばりの中で、技術の高さを見せつけるトウコちゃんが好きだった。
 いやその、トウコちゃんのサービス精神たっぷりのアドリブお笑い場面も、好きは好きですけどね……。
 しばりがある方が、より研ぎ澄まされた演技をしてくれる気がする。

 
 痛々しい系の魅力として龍星を挙げたけれど、それによりアニメ的英雄像を付け加えたのがサイトーくん作品だと思う。
 五右衛門@『花吹雪恋吹雪』、小次郎@『厳流』、ティリアン@『エル・アルコン』。
 傷ついた瞳、「抱きしめてあげたい」「守ってあげたい」……それと同時に「させに泣かせたい」と思わせるトウコちゃんの萌え要素、ソレだけ特化ではなく、「カッコイイっ」とわくわくさせる英雄的魅力をミックスさせたのが、サイトー作品の魅力。
 かっこいいヒーロー度の高さと、繊細に崩れる萌え度の高さ、このふたつの落差が大きいがゆえに、カタルシスも大きい。
 うおおおかっけーーっ!と盛り上げて、あああ切ないーかわいそーと胸を締め付ける、コレですよ!!(笑)

 舞台人トウコのハッタリの良さ、ケレン味の豪快さ。それに、必殺技の「傷ついた瞳」を要所に加えることで、最強っすよ、まったく。

 
 ヒーローがハマる人だからこそ、マンドラン@『バッカスと呼ばれた男』とか、クロバエ@『アナジ』など、絵空事的英雄タイプ(すげーありがちで、ご都合主義・笑)も、好きだ。
 ヤン・パラフ@『プラハの春』になると、そのヒーローぶりに「傷ついた瞳」要素もプラスされるしな。
 谷正純作品のトウコもいいよねー。男役と舞台人としての基礎が出来ていて、なおかつ古典的な「見せ方」を知っている人でないと谷作品はハマらないからなー。
 

 ……て、好きな役を並べていくだけだといくら書いても足りなくなるから、系統として、「傷ついた瞳」を堪能できる役と、ハッタリの効いた英雄役、その両方を兼ね備えた英雄だけど傷ついてうるうるな役、これらに分類される役が好きかな。
 それらすべてを兼ね備えた役が、ディアボロだとわたしは思っている。

 いちばん好きな役は、ディアボロ。
 そして、いちばん好きなキャラクタは、アンソニー。

 作品まるまる「トウコ萌え」するなら『龍星』。
 作品まるまる感動するなら『凍てついた明日』。

 そんな感じ?
 新人公演『薔薇に降る雨』感想補足。てゆーか、前日欄の『薔薇な薔薇に降る雨』ネタは冗談ですから、念のため(笑)。
 フランシス@りくくんの美しさは本当ですが、グザヴィエ氏@澄輝くんをホモだと思ったわけではございません。や、ここでフランシス狙いをキメてくれるよーなキャラだったらかえってすごいと思うけど(ヲイ)、ふつーにすべてにおいてがんばっている男の子でした。
 宙担ジュンタンのコメントにも書いたが、

新公のグザヴィエ氏はべつにフランシスにどうこうでなく、「イヤラシク」することだけに力を入れているよーな気がしました。で、その結果フランシスに絡むトコも意味もなくイヤラシイ、と。
イヤラシク演技しているのではなく、悪役っぽく大人っぽくした結果、自爆していただけかもしれませんが。

 とゆーことを勝手にいじって薔薇な話をでっちあげただけっす。
 澄輝くん、あっきーっていうのね。んじゃ次からは愛称表記に切り替えまつ。

 わたし好みの顔の男の子は、光海舞人くんで合っているみたいです。ジュンタンに教えてもらったけど、ジャスティンの会社で踊っていたと思う。その前のコロスだったか、とにかく女の子と踊っているときに「おおっ、あの顔は!」と注目しました(笑)。

 
 新人公演だと話が変わってしまうことはよくあることで、正塚芝居はそれがさらに顕著である気がする。
 物語に派手さがない分、どんなカラーになるかが主要キャラたちの肩にかかっているような。

 ジャスティン@かいくんはひどく真面目な、木訥な青年でした。
 彼に対するふたりの女性、初恋のイヴェット@ちさきちゃんがどっしりとした落ち着きのある女性で、現在の恋人ヘレン@せーこちゃんがかわいらしい恋する少女であったこともあり、より「三角関係」になっていた気がする。
 男目線で描かれた男の身勝手さ全開の物語なので、このバランスは女性観客には共感を得にくいかなと。

 真面目で誠実な、そして地味目な青年の物語だと、展開に納得しにくいなぁ。
 正塚ドリームには、主役に「派手さ」が要求されるのだと改めて思った。
 衣装がキラキラじゃないから背景に沈みがちなのもたしかだけど、地味なストーリーを牽引する「華やかな男」でないと、説得力がなくなるんだ。
 正塚作品はそーゆーとこがすごく「タカラヅカ」的だ。

 ……いやその、わたしのご贔屓も正塚作品で新公主演していたので。キラキラ華やかな人ぢゃないのに、正塚作品の真ん中に立つ、という点でちょっと親近感というか、「大変だよな、うんうん」系のキモチで見てしまうというか(笑)。
 
 かいくんは長身のスタイル良しさんだと思うが、宙組では「ふつー」になってしまうのだろうか。身長173cmって、花組だったら長身カテゴリなのに、宙組では特に武器にならない、つーのがすごいよな。

 
 ……と、10日も前に書いて途中で終わっているテキスト、あとナニを書くつもりだったんだ自分?
「相変わらず美しい」
 金の力で伯爵家に入り込んできたグザヴィエ@澄輝は、自分の獲物に向かってそう言った。フランシス@蒼羽は、眉をひそめた。男を無視して部屋を出ようとし、呼び止められる。
 男はフランシスにプレゼントだとリボンのついた小箱を差し出した。
「私たちは兄弟になるんだ」
 グザヴィエは空々しい笑いを浮かべて言う。
 彼は伯爵家の負債を肩代わりすることを条件に、フランシスの姉イヴェット@愛花と婚約した。
 兄弟……この男が、兄?
 フランシスは慇懃に小箱を受け取り、立ち去った。
 グザヴィエからのプレゼントは豪華な腕時計だった。……身につけざるを得ない、のだろう。金で買われた獲物としては。いっそ指輪なら、突き返すことも出来るものを。
「少しずつ犯されていくみたいだ」
 フランシスは拒めない。伯爵家を守るために姉はこの政略結婚を受け入れるつもりでいるのだ。男の目的が美貌の弟の方だと知りながら、それでも家のために、彼女はただのお飾りとしての結婚を飲む覚悟なのだ。
 姉の決意と献身を前にして、フランシスになにが言えるだろう……。
 
 あきらめるしか、ないのか……。
 フランシスは唇を噛みしめた。

 
 その後。
 伯爵家の負債がなくなり、グザヴィエとイヴェットの結婚がナシになったとわかったとき、フランシスは「めでたい飲みたい♪」と大喜びで歌い踊りましたとさ。

      -完-


              ☆

 ……て話に思えて、びびりました、新人公演『薔薇に降る雨』
 なるほど、さすが「薔薇」な話だな。って、チガウか。

 とりあえず、フランシス@りくくんが、大層美しゅうございました。

 グザヴィエ氏の登場シーン、彼を見て、次にフランシスの美貌をオペラでぼーっと眺めていたら、そこへ「相変わらず美しい」というグザヴィエ氏の台詞が入って来たので、「うん、美しいよな」と素直に肯きました。

 てゆーか、姉と婚約したからって弟にプレゼントすることないよな。モノで釣ろうとする浅はかな男、って設定なんだろうけど、それにしてもなんかヤラしいじゃん、変に。
 や、本公演では、あり得ませんけど。いやその、みっちゃん相手にソレはないだろう、いくらなんでも。(失礼な。……ん? 失礼なのか?)

 しかし新公のフランシスなら、アリだ。
 ぶっちゃけ姉よりも美し……ゲフンゲフン。てゆーか姉があまり美しく……ゲフンゲフン。

 
 正塚芝居はなにより新公が大変なことになる。
 派手な衣装や舞台がかった台詞で底上げできず、シンプルな着こなし力だとかナチュラルな演技力が必要になる。
 そして、主要人物だからといって特別な衣装は着せてもらえないので、自力で輝かないと、背景に埋没する。

 大変だよな、ほんと。

 その大変さを思えば、みんなよくやっていたかと。

 しかし正塚せんせ、この脚本やっぱタルいっす(笑)。
 盛り上がりに欠けるというか、本公演がどれだけ出演者の力で持っていたか、よくわかった。
 新公だと場が保たない、沈む。
 なんともとっかかりのない、目の覚めるような場面のない話だなと。

 初主演のジャスティン@かいくんはほんと、大汗かきながらがんばっていた。
 今まで特に意識したことなかったけど、なんかみっちゃんに似てるなあ……、顔。
 ふつうにうまかった、よね?
 挨拶が素晴らしかった。このままオペラでもはじまりそうな勢い(笑)。何度も何度も繰り返す感謝と感動の言葉。いい子だ。ほろり。

 男爵@いちくんは……いっそヒゲがあればいいのに、と思った。すごく専科さん風味っつーか。『ME AND MY GIRL』のジョン卿みたいだ。
 この役を「2番手役」として輝かせているのはらんとむのスター力なんだなと再確認。

 グザヴィエ@澄輝くん、えーと、本役と衣装同じだった? ちがっていたよーな気がするんだが。ヤラしかったが、イヴェットをどう思っているのかはよくわかんなかった。
 や、わたし的にはそこがたのしかったが(笑)。
 エロダンス男担当だったようだが、エロダンス女@れーれに釘付けになっていたので、そっちはよくわかんにゃい……。

 クリストフ@星吹くん、顔芸すごいなヲイ。イヴェットパパ@香翔くん、はじけてた……けど、コメディは難しいなぁ。

 今回、役名あるのかどーか知らないが、やたらいろんなとこに出ている光海舞人くんの顔が好みだと思った。や、今「おとめ」で確かめたんだが、多分この子だと思う。

 公爵夫人@百千さん、イヴェットママン@えりちゃん、うまいなー。

 ヘレン@せーこちゃんは、ラヴ度が高くて、びっくりした。
 本役さんはなんつーか、もっとヘレンとジャスティンの関係が「生活の一部」っぽいのに、新公では「恋愛中」に見えた。
 カフェの場面が「デート」って感じで……ジャスティンと会って話していることがうれしくて仕方ないっていうか……。
 主人公とわかりやすく恋愛しているため、彼女のヒロイン度が上がっているんだが、それは見ていてたのしいが、作品バランス的にはどうなんだろう。
 ジャスティンがより一層「不実な二股男」に見えるんだが……ヘレンがいじらしすぎるよーっ。

 せーこちゃんは「タカラヅカのヒロイン」にしては、キャラクタ的にちょっとチガウ部分があるんだが、とりあえず派手な人……目立つ人だと思う。それは、バウヒロイン経験者であるっていうキャリア面もあるんだろうが。
 真ん中向きではないかもしれないけど、この存在感を活かしていって欲しいと思ったナリ。

 ベロニカ@れーれは、ほんと、かわいいわ……。登場すると、素直に「あ、かわいい子がいる」と思える。それは大きな武器だよなあ。
 ロリっぽいのもまたヨシ(笑)。彼女が大胆なエロシーンを演じているもんで、おもわずがっつり食いついてしまった(笑)。

 イヴェット@ちさきちゃんは、ふつーにうまいと思う。でも、やっぱ「タカラヅカ」って大変だよなあ……大劇場でヒロイン張るってのは、難しいんだと思った。
 そしてやはり、水しぇんに似ていると思った……。口とか顎とか。

 
 個人的に、カフェのボーイにツボった。

 開演ぎりぎりまで友だちと喋ってたんで、キャストのチェックができないまま観劇したんだが、役ついてるんじゃん、研1生。
 えらそーなでかいボーイ@輝月ゆうま、ただ立っているだけの美形ボーイ@柚香光。
 輝月くんはすぐにいなくなるのに、レイくんはそのままずーっとただ突っ立っていることに、ウケる。美貌を正しく使っているわ(笑)。

 ひろ香祐くんはどこにいてもわかるし、またちゃっかり上級生群舞の末席にまざっていたりするのね。

 つーことで愛希れいかくんも探したんだが、ほとんど出てないな、彼。
 パーティ場面で1回ターンしただけではけていくカップルと、もう1回のパーティでいちばん後ろの隅にただいるだけの人……。最後の挨拶では泣いてた?
 顔が幼すぎて、まだ男役以前……。若い子はどんどん顔が変わるから、これからどう成長するのかまったり眺めていよう。
 
 研1が加わっているため、本公演より人数の多い新公だったような?
 いやあ、最後の挨拶時の人口密度の高いこと。
 舞台に人のいらない正塚作品だっつーのに。たとえにぎやかしであろうと、人数の必要な『太王四神記 Ver.II』とかの方が研1さん的にも観客的にもよかったのでは?と、思ってみたり。
 ユニットの人数って難しいんだな。
 と、宙組ショー『Amour それは・・・』を観て思った。

 スカステで前もってともちたちが、「6カラット」というユニットで活躍するとかなんとか、言っていたらしいことを、聞きかじっていた。予備知識ナシ観劇希望のわたしは番組自体見ていないが。

 それを聞いたときに、「6カラット? それって、ただの6人口のことなんぢゃないの?」と、いやな予感がした。
 6、という数に、不安を感じたんだ。だってAQUA5よりさらに人数多いわけだし、第一真ん中誰よ、学年順でともちなら、偶数ってのおかしいでしょう?

 6人のアイドル・ユニットぐらいこの世にはいくらでもあるが、ヅカには順列がありルールがあり、いろいろややこしい。外の芸能界のよーにユニットが成立するとも思えない。
 アイドル・ユニットではなく、ただのスクールメイツなんぢゃないの? と、おばさんは思った。スクールメイツってのは、大昔にあったスターの後ろで踊る個々に名前のないバックダンサーのチームね。

 ええ。
 ほんとにただの6人口で、しょんぼりした。
 ありゃただのスクールメイツだ……。

 AQUA5が「5人」で成り立っているのは、トップスターを中心としたユニットだからだ。5人以上、そこに誰も入らない。5人で完結している彼らは、たしかにひとつのユニットとして使うことが出来る。
 一方6カラットがスクールメイツでしかないのは、彼らの真ん中に別のスターが入り、そのスターの場面を盛り上げる脇役でしかないためだ。彼らだけでは場は成り立たないという……ソレってただの6人口……。
 でもって、若い子はいいけど、ともちが今さら88期生と一緒に6人口っつーのは、ええっと。

 ユニットとか言ってるけど、AQUA5のような活躍をするわけではない、今回のショー限定でそんな名前がついている、というのはわかっています。
 だからこそ余計に、「ただの6人口に名前付けるなよ」と思ったのです。6人組、としばってしまうと、かえって個々の活躍とか、作品のバラエティ度が下がる気がして。
 ふつーなら顔ぶれを替えて2人、3人と使うべき場面でも、「6カラットって言っちゃったから、6人で登場ね」とか、自分で自分の首を絞めている気がするんですが、岡田先生?

 ショー1作品限定でユニットを組むならば、3人組が限度かな。
 トップスター以外の脇(番手スターを含んでいたとしても、トップでない以上脇だよな)で構成されたユニットをオイシク使うための、最大人数。
 銀橋でも花道でもカーテン前でも、3人なら場は保つし、また「ただの大勢」にはならない。あくまでも「スターが3人」でいられる。
 大勢が登場している場面にも、3人ならプラスアルファとして投入できる。

 トップスターを含んでいるユニットなら、5人でも大丈夫。だっていつでもどこでも真ん中は決まっているから。そして、彼らだけでカーテン前ではない、本当の一場面まるまるもらえるから、人数多くても問題ない。
 ……脇のユニットでは、人数多いとただのバックダンサーかコーラスチームでしかないよ……。

 と、ユニット人数について、つらつら考えてしまいました、『Amour それは・・・』。

 上から1・2・3、そして6カラットという作りなので、必然的に3番手みっちゃんはオイシクなった気がする。トップと2番手は通常通りで、4以下が存在しないも同然(6人セット)だと、通常4番目や5番目に振られがちな役割も全部3番手がまかなうことになる。
 まあ、それもソレでアリかなとは思うが……。作品の幅が狭まってるよなー。

 6カラットのしばりで、さらに平板に散漫になっていたけど、よーするにもお……古い、よね、ね、この作品……。
 いや、きれいだよ? きれいだけど、そのきれいさも薄い水色とかがずーーっと続いて、いつか他の色や光があるのかなと思っているうちに終了、えええ、ほんとにコレだけで終わり?! と、びっくりした。

 あまりに平板、あまりに凡作。
 大劇場での新作ショーというより、どこかの市民ホールで全ツ再演ショーを観ているみたいだった。大劇場を使い切っていない。
 盛り上がるところはどこだ……なにを訴えたくてクリエイトしてるんだ、作者?
 その後全ツで使い回すことを念頭に置いて、規模を小さく紙芝居的にまとめているのか?

 サヨナラ公演だということも、わかりにくい。
 岡田せんせ、タニウメ退団公演だっておぼえてるのかなあ。

 や、前回の星組さんがやりすぎだったんデスヨ? フジイくんアレはやりすぎ、毎日サヨナラショーぢゃ観ている方も持たないって。
 だからって、ここまでどーでもいい作りにしなくてもいいじゃないか、岡田せんせ?!

 アテ書きが観たかった。
 最後だからこそ、キャストを愛し、ファン目線を理解し、「タニちゃんだからこそ」「タニウメだからこそ」の場面やシチュエーションを楽しみたかった。
 ……コレ、どの組で誰がやっても同じだよねえ……サヨナラ関係ない、通常公演でいいよねえ……。

 いやその、ファンの人には「これぞタニウメ」「これぞサヨナラ作品」になっているのかもしれないが。
 わたしはただの全組観るゆるいヅカファンでしかない外野だから、すごくとんちんかんなことを言っているのかもしれないが。

 らんとむとウメががっつり絡む、大人な場面が観たかったよおお。
 またしてもウメちゃんの場面、相手はみっちゃんですよ。もうソレは観たから、今回はらんとむにしてくださいよ。

 クラシカルなタニウメもいいけど、それ一辺倒でなく、現代的な部分も見せてくださいよ、このふたりほどソレが似合うトップコンビもいなかったんだから。

 七帆くんもアレだけですか……彼中心の場面をわざわざ作らなくても、十分オイシイものを演じられる実力のある美形くんなのに。

 退団公演がオリジナル書き下ろしショーなのにアテ書きとは思えない、ってのは、寂しいなあ。
 クリエイターだから、自分の作風優先もアリだと思っているけれど、タカラヅカである以上生徒をどう活かすかにも気を配ってほしいっす、岡田せんせ。

 
 それでも、初舞台生ロケットのあとに、ひとり歌うタニちゃんを見て泣いたがな。
 はじまる子たちと、卒業する人と。
 そのコントラストのあざやかさに。
 役が少なすぎる……のは正塚作品のデフォ。『マリポーサの花』に比べれば上出来とはいえ、『薔薇に降る雨』にどーしてこんなにも「役が少ないんぢゃね?」と思うのか、考えた。

 7年前と現在と、いわば舞台がふたつあるため、通し役が少ない。
 舞台がふたつあるから、それぞれに役を作ることは出来るが、ボーイやメイド、踊る街の人役が増えるだけで、物語に絡む役が上演時間に対して2分の1になっているんだ。
 物語に絡む役だって、現在パートにしか出ないからどーしても出番が少なく、書き込みも少ない。

 グザヴィエ@ともちんだって、7年前からイヴェット@ウメに目を付けていたってゆーなら、7年前から登場していればいいのに。
 ジャスティン@タニちゃんが潜入するパーティ場面を華やかに盛り上げて、現在に登場する人たちをみんなぶちこんでおく。
 取り巻きを連れたグザヴィエ、成り上がりモノを見下す貴族サマたち、イヴェットのパパとママン、お屋敷の会計士とその息子@七帆も正装してかちんこちんに混ざっている、と。
 オーランジュ男爵@らんとむが優雅に舞っていたり、歌ってくれてもヨシ(笑)。
 特に台詞があるでなく、ストーリーが展開するでなく、パーティ自体は背景でいいからさ。「キャラクタ」をつないでほしいの。

 さすがに庶民代表の下請け会社社長@いりすは混ざれないけどさ。

 1時間半の3分の1近い時間、主要キャラが出番なしっつーのはもったいないと思うのよ。
 『マリポサ』もそうだったけど、とにもかくにも「出番」なんだよ、とりあえず板の上に載せておけば、別にわざわざ台詞作ってあげなくても、ジェンヌは演技するんだから、小芝居でもなんでも作り込んでいくんだから。
 コロスや通行人ではなく、「役」として板の上にいれば、現在パートへとつながる演技を無言でしてくれるよ。

 ジャスティンがイヴェットを見つけてキスの雨を降らせて、駆け落ちを持ちかける。
 それを銀橋にして、本舞台では華やかなパーティ。現在パートの主要キャラ勢揃い。
 で、「早く戻らないと怪しまれる」とイヴがパーティ場面にたどり着いたところで紗幕が降りる。ジャスティンとは無縁の世界が紗幕の向こうで静止しているのを背景に、「イヴェットは来なかった」のモノローグでいいんじゃない?

 女の子を壁に押し付けてキスの雨、っての、萌えシチュだから壁がないのは残念だが(笑)、銀橋だったら客席に近いから、情熱のタニウメラヴシーンが目の前でごっくん、になるしさー。

 
 初見時に「ともちの出番、アレだけ?」と言いはしたが、別にグザヴィエ氏の出番的にはあれでしょうがないかなとは思っています。
 ジャスティンVSグザヴィエって話じゃないし。ジャスティンはイヴェットの結婚相手になるつもりはないんだから、グザヴィエは恋敵ですらない。

 しかし、七帆くんの出番の少なさっつーか、役の小ささは、惜しいと思うんだよなー。彼のタカラヅカ人生、男役人生、最後の役なんだよお? 番手的にはたしかにまだ下だから仕方ないとはいえ、新公主演してバウ主演もしたスターなんだよお?
 もったいないっす。

 これ以上「役」の数を増やすことができないなら、7年前にも出番を増やして、今ある役の描き方をプラスアルファしてくれればなと。

 唯一主要キャラで通し役なのは、フランシス@みっちゃん。
 フランシスは正直なとこ3番手の演じる比重のキャラではないと思う。みっちゃんには役不足。7年前も現在も、出てはいるけれど、だからどうってことのない描き方。7年前なんて、モブに近い扱いだし。

 この「モブに近い扱い」だからこそ、みっちゃんが演じている意味はあるのかもしれない。
 みっちゃんは、モブには混ざらないからだ。

 主要キャラだからといって特別扱いされない正塚作品、自力で輝かないとモブとの区別がつかない。
 もしも半端な人がやると、フランシスという役はモブに混ざってしまうと思う。避暑地で歌い踊る名もなき人と混ざってしまう。

 その点、みっちゃんは背景には絶対ならない、押し出しの強さと派手さがある。
 彼のスターとしての実力、キャリアに信頼があるから、あーゆーモブめいた扱いをされているんだろうな。
 自力で輝けない人だったら、もう少し演出面で気を遣われていると思う。
 あの集団お祭り騒ぎの中で再会するからこそ意味のあるふたり、を描く以上、弟だからって登場を特別扱いするわけにいかない。だからただの脇扱い、でもその存在感と男役としての佇まいの確立された姿で「おっ」と思わせ、「あ、あの人最初に出てた弟役の人だ」と観客に自発的に気づかせる。気づかせたからといって、ストーリーには絡まないから「弟と来ていたのね、ふーん」で終わらせる。

 同じ意味で、フランシスのガールフレンド、ベロニカ@アリスちゃんもいる。彼女もまた、なんの説明もないまま現在パートで再登場し、「あのとき弟くんと踊っていた女の子かぁ」と観客に気づかせるために、とにかくスター力のある子を配置しているよね。

 難しい仕事をさせられているわりに、役として美味しくないよなあ、フランシス。
 でも二枚目役だから、『Paradise Prince』よりいいと思う。『パラプリ』では「目立つ」役ではあったけれど、3番手スターのやるべき役ではないと思ったから。今みっちゃんが大劇場でやるべきなのは、絶対二枚目役だと思う。コメディやイモにーちゃんではなく、ふつーにハンサムな役。

 『パラプリ』では目立つ役だけどお笑い役で新人がやるならいいけど、3番手が今さらやるべき役じゃない、で、『薔薇雨』では二枚目だけど自力で目立たなくてはならない役で、役割的に3番手が今さらやるべき役じゃない……って、与えられた仕事は正反対なのに、3番手としてはどうよ、なところは共通って。

 2番手が主人公の親友をやっているのだから、3番手は敵を演じるのがいちばんオイシイんだがなあ。
 グザヴィエをみっちゃんがやれば良かったんじゃないのかな、それこそ7年前のパーティ場面描いて、イヴェットの美貌に瞠目してる姿を見せて。
 なにげに悪役のみっちゃんって見たことないよな。ファンがわかりやすく食いつく役じゃん、恋のためには遮断を選ばない悪役って。

「ダメだよ、みっちゃんに悪役はできるけど、ともちに弟役は出来ないから」

 わたしの提案は、友人にあっさり却下されました。
 あー……ともちのきらきら若ぶった16歳(推定)演技……そ、それは確かに羞恥プレ……ゲフンゲフン。
 正塚おじさんが描くところの、小悪魔受が、大層魅力的な件。

 トップと2番手に愛があるのは正塚作品の常だが、受に「小悪魔」要素が加わったときの破壊力はすごいよな。

 計算と無意識の絶妙なバランスにより、攻を翻弄する小悪魔受。そのかわいらしさと美貌で、押したり引いたり誘惑したりツンツンしたり。
 女性BL作家が描く分には「ふーん」で済むっちゅーか、わたし的には作者の計算面が感じられてかえって萎えるんだけど、そのつもりのない男性作家が「友情」だと信じてナチュラルボーンで描かれると、身もだえするわ(笑)。少年マンガとかに、ままあることなんだけど。

 『薔薇に降る雨』の、ジャスティン@タニちゃんの、小悪魔ぶりに乾杯☆

 オーランジュ男爵@らんとむってば、振り回されて、大変☆

 ジャスティンはどーゆーわけか、オーランジュ男爵を、口説いている。

 なんで男爵なのかは、わからない。描かれていないよな?
 ジャスティンの会社の出資者らしいが、なにをどーやって貴族の彼が、興信所……ぢゃなくて、調査会社?の、出資者になったんだ?
 ジャスティンは若すぎるし、また、会社自体も内容が地に足がついていないというか、起業当初に力を貸したくなるよーな種類のものでもないし。男爵がどこから関わっていたか知らないが、ビジネスとしての旨味より、ジャスティン個人への好意が先に立っているよーに見える。

 そのただの出資者に、「共同経営者になってくれ」と口説くわけだ。

 二の足を踏む男爵に対し、ジャスティンときたら。

 無防備に机に寝っ転がるのはよせ。

 ナニあのものすげー誘い受!!
 エロダンスの男@みーちゃんの比ぢゃないだろ、そのエロっぷり!!

 エロダンスの男は「エロです」とわかってやっているので、罪がない。
 ジャスティンは、無自覚にやっているので、重罪だ。

 男爵に同情しますよ。
 あの美貌であんなことされて、しかも誘惑しているつもりもなく、無自覚でやってるなんて。
 やられる方の身にもなれ。

 男爵、人生誤っちゃったぢゃないか。

 ……男ふたりの友情シーン、なわけでしょ、アレ。
 友情でなんで、机に仰向けにならなきゃなんないんですか?
 正塚おじさん、素でアレやってるんだ?

 
 正塚の描く究極の小悪魔受は、アンソニー@トウコだと思う。
 『薔薇に降る雨』の元ネタのひとつだろう(笑)、『愛するには短すぎる』の主人公フレッド@ワタさんの親友。
 いやあ、フレッドの振り回されっぷりのすごかったこと。

 自分勝手に傍若無人に振る舞って、金をせびったり横恋慕したりしつつ、しれっと「一生養ってくれ」と言ってみたり。
 コレをなんの含みもなく描いているハリーは大丈夫か、と思ったもんだった(笑)。

 『愛短』は婚約者のある男が初恋の女性と再会して、短い恋に燃え上がるが、結局別れて元の人生……婚約者の元へ戻る話。
 『薔薇雨』は婚約者のある男が初恋の女性と再会して、短い恋に燃え上がるが、結局別れて元の人生……婚約者の元へ戻りかけるんだが、婚約者に三行半突きつけられて、最終的に初恋の女性と結ばれる話。

 『薔薇雨』は『愛短』のアナザーエンディング・バージョンっぽい。

 「もうひとつの」物語であり、「裏」物語的であるわけだから、主人公とその親友の役割も逆転しているのね。

 小悪魔な受が実直な攻を振り回す話なのは同じだが、主人公はチガウのね。

 そして、小悪魔受が主人公になると、物語自体彼に振り回されることになる、と(笑)。

 ジャスティンがひどいのは、共に婚約者がいながら、「一晩だけ」イヴェット@ウメを抱くことだ。
 再会し、キモチが盛り上がって自然に……ではなく、女の方は「やめて」と言っているのに、強引にそっちへ持っていってしまう。
 一生の想い出のために、ではなく、たんにがっついて、「やりたいからやる」でしかない(笑)。

 なんて本能的。
 なんて浅慮。

 そして結局のとこ、ジャスティンはイヴェットとのことを「一夜限り」だと思っている。
 その後彼女に会う予定はないんだ。
 彼女の不幸な身の上のために尽力するが、それは「イヴェットと結婚するために」現在の婚約者の悪事を暴いたわけではない。彼女が自由になればソレでいいわけで、「婚約者」に自分が取って代わりたいわけじゃない。

 その後パーティでイヴェットと踊ったのは、結果でしかないっつーか、招かれたから行っただけで、それがなけりゃほんとに2度と会ってないだろう。

 伯爵家を救ったことも、ジャスティンが男爵を代理人にして、自分は表に出なかった。影からイヴを救えれば、それで良かったんだろう。ええ、いかにも男の美学ですわね。
 だったらなんで、わざわざ1回だけ、関係したのかと。

 なにもせずに別れて、影から彼女を救い、ひとり去っていく男こそが、真のヒーローだろう。
 ヤリたいから、と強引にヤッちゃって、翌朝「大丈夫?」とか言ってんぢゃねえよ(笑)。

 ……その言動の不安定さが、まさに小悪魔。

 計算と、無意識と。
 やってることはけっこーひどいんだが、それもひっくるめて魅力になってしまうこと。
 それが、小悪魔受。

 
 イヴはそーやって1回ヤッちゃったけど。
 男爵はどうなんだろ。おあずけ?
 今回のドラマの中ではおあずけ食ってそーだが、今後の展開はわからない。

 あの調子で無自覚に誘いオーラ全開にされたら、しまいに男爵キレるね。
 強引に出る日が近い将来あるね。
 で、男爵は「大丈夫?」とは言わないの。彼が言うのは「すまない」だわ。断言(笑)。
 どんだけジャスティンが自業自得でも、男爵は自分を責めるのよ~~。

 後日を舞台にした二次創作ができましてよ、ほほほ。

 
 あー、ステキな小悪魔だよね、ジャスティン。
 
 イヴェットも大変だし、男爵も大変。
 えらい男に惚れちゃったね。

 でも、しあわせだと思うよ。

 いつも、ときめいていられる。

 油断すると、痛い目に遭うからね(笑)。
 フレッド@ワタルとバーバラ@となみは、ヤッているかいないか。

 正塚晴彦作『愛するには短すぎる』の主人公カップルです。
 わたしとその友人たち(どりーず)は、当時そんなことを真面目に語り合っていました。(参照http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-513.html

 5日間しかない船上の恋。フレッドには婚約者があり、バーバラとは身分違い。船旅が終われば、ふたりは別れることが前提。
 そんな最後の4日目の夜、「めくるめく……」と主題歌を歌ったあと、ふたりは結ばれたのではないかと、仲間内で論争になりました。
 フレッドとバーバラは「ヤッてないわ、ずっと追いかけっこしていたのよ」と主張する「プラトニック派」と、「愛し合うふたりが一緒にいてヤることヤラないなんてナンセンス!」と主張する「ヤッている派」。ちなみにわたしは「ヤッている派」でした。

 論争の果てに、「ヤッている派」の中に、「初夜は、4日目の夜ではなく、3日目の夜だったのではないか」説が浮上。
 わたしも最終的にはソレを支持、フレッドとバーバラは3日目の夜に結ばれたのだと力説。

 もちろん、作品内ではんなことに触れていないので、正式な答えはありませんでした。

 それが、今になって。
 思わぬところから、「答え」が出ました。

 上着に袖を通しながら男が、共に夜を過ごした女に言う。

「大丈夫?」


 このシチュエーション。
 今まさに宝塚大劇場で絶賛上演中の『薔薇に降る雨』で使われている場面です。

 どりーずで論争した仲間(笑)のチェリさんの指摘により発覚。

 ハリーイズム(造語)によると、はじめて結ばれたあとの男は、女にこう言うのがダンディズムらしいですよ!!(笑)

 『愛短』では直接的な描写がなかったため、「ふたりは結ばれたのか、否か」「それはいつか」で論争が起こったけど、『薔薇雨』ではそんな疑念が起こる余地もなく、直接的な表現が取られていますから。

 で、ヤッたあと男は、「大丈夫?」と言う(笑)。

 正塚、さいてー(笑)。

 この「大丈夫?」っての、すげー男子目線な萌え台詞なんだろうなあ。

 相手を気遣っているようで、実は「オレってすごい」って言ってるだけ。
 なんつーか、「自分に酔っている」感が強くて嫌です、そんな男。
 でも正塚は「うおお、かっけーっ!」とマジで思ってそうだ。だからこそ、何度も同じシチュエーションを書き続けるんだろうな(笑)。

 恥ずかしい正塚せんせのツボゆえに、『愛短』の答えが出ました。
 正塚的にはフレッドとバーバラは、4日目の夜に結ばれていたようです。

 つーことでみなさん、これからも正塚作品に「大丈夫?」が出てきたら、その男と女は結ばれているのですよ!!(笑)
 ひょっとしたら、他にもあるかもしれません、正塚作品。主役とヒロインが一緒にいて暗転、次の場面で主人公がヒロインに「大丈夫?」と言う作品が。
 もし心当たりがあったら、是非ご一報下さい。

 
 ……ちなみに、この法則を発見したチェリさんは、『薔薇雨』未見です(笑)。
 わたしが前の感想で“えっちのあとに「よかった?」と聞く男は最低だと思っているが、「大丈夫?」と聞く男は、その次にキライだ(笑)。”と書いていたためらしい。
 下世話な感想も書いてみるもんだ、思わぬところにつながっていく。

 がっついて暗転→「大丈夫?」なジャスティン@タニちゃんはステキです。(はぁと)
 『薔薇に降る雨』がなんかあれれに思えるのは、なにもかも都合良く、時間内に終わり過ぎているせいだと思う。

 ジャスティン@タニちゃんのキモチの整理とかその進退とか、設定や展開がリアルなわりに、決着のつき方がとんとん拍子過ぎてリアリティがない(笑)。
 ふつーならもう少し、前後にずれこんだりするもんだけど、1時間半で終了するお芝居だから、みんなするする決着しちゃうんだよね。

 とくに、初恋の相手イヴェット@ウメと再会し、彼女を政略結婚から救い、自由の身にした→でもジャスティンには婚約者がいるからイヴェットとくっつけない→婚約者ヘレン@まちゃみから別れを言い渡される→これでジャスティンは晴れて自由の身→イヴェット登場、ハッピーエンド、という流れが、ジャスティンに、都合良すぎてのがあるだろう(笑)。
 二股かけたあげく、キープ女が身を引いてくれて、本命とハッピーエンド、に見えるだろう。

 タイミング良すぎるのは物語だから仕方ないとして、わたしはかえってこの「タイミング良すぎる」ことに感心する。

 だってうまいじゃん。
 ご都合主義、と言い捨てるには、ちゃんと伏線張ってあるし、ピースが揃っている。

 「新天地にふたりで旅立とう!」と、男は言う。いつだって夢を見るのは男、無茶なのも男(笑)。言われた女は現実と照らし合わせて、結局男を捨てるんだ。
 7年前、駆け落ちを持ちかけられたイヴェットは結局母を……家族を選び、ジャスティンを切り捨てた。
 そして今、アメリカ行きを持ちかけられたヘレンは母を選び、ジャスティンを切り捨てた。

 イヴとヘレンは、同じシチュエーションで、同じ結論を出した。

 恋よりも、家族が大切。ヅカ的にはつまんない・間違った選択だけど、現実ではありがちなこと。

 7年前のイヴと現在のヘレンをわざわざ同じ展開で描きながら、さらに現在のイヴを描く。
 7年前、家族を選んだイヴだったが、現在の彼女はもう家族を選ぶ必要がない。一旦没落・崩壊の危機に瀕しただけに、貴族であることにこだわり過ぎていた父は変わり、母もまた強くなっている。そして、7年前はまだ少年に過ぎなかった弟が、きちんと育ち、家族を支えることができるだろう青年になっている。
 イヴは家族を卒業し、家族も過保護を卒業すべき時期に来ていた。

 家族のため、家のために人質として政略結婚を飲もうとした健気な娘が、自分の恋を、しあわせを追っていくことに、もう誰も反対しないだろう。
 しかも、彼らの危機を救ったのが当の娘の恋の相手であり、父たちの意識を変えるきっかけを作った人物でもあるのだから。

 7年前と同じシチュエーションでヘレンは去り、代わりにイヴェットが追ってくる。
 彼女が追ってこられたのは偶然でも成り行きでもなく、ジャスティン自身が尽力した結果。彼女を縛る鎖をひとつずつ解き放って、自由にした。
 自由になった彼女が、彼を追って現れたのは、たた、彼女の意志。

 イヴェットにとっては、7年前の駆け落ちの続きではない。あのときはジャスティンが彼女を待っていたし、愛されていることもわかっていた。
 でも、今は。
 ジャスティンに恋人がいることはわかっている。別れた、ということを聞いていたかまではわからないが、男の中で自分のことは「終わったこと」になっている可能性も高い。

 それでも、追っていった。

 ジャスティンに連れがいれば……恋人と一緒の旅立ちならば、なにも言わずひっそりと見送り、ひとりで帰るつもりだった。本人の台詞にある通り。
 ジャスティンがひとりだとわかったから……それだけにすべてを懸けて、船に乗ったんだ。
 今の彼女はもう、自分自身で、自分の人生を決める力があるから。

 ハッピーエンド、になるための布石は揃っていた。

 たしかにまあ、ヘレンにプロポーズしたのってつい数分前だよね?なジャスティンが、イヴェットを「薔薇」呼ばわりしてラヴソングでハッピーエンド、という展開の速さには、びっくりしますが(笑)。
 都合が良すぎる、という気はしますが。

 1時間半ぢゃなかったら、ジャスティンの心理面についてもうひとつ場面つくって、ラストにつなげられただろうにね。
 でも演じているのがタニちゃんだから、くどくど心理描写を入れるより、不親切なくらいかっこつけてるだけで進む方がイイと思う。

 正塚芝居の男目線のナルシシズムが、タニちゃんという現実離れした王子様と不思議に融合しているんだよなあ。
 リアルになりすぎると鼻につく部分を、タニちゃんがうまく「物語」にしてしまっているというか。

 ……なんにせよわたしは、「ハッピーエンド」が好きだ。

 男目線だとすぐ悲劇になるが(なんで男って成功の間際で死ぬ話とか大好きなんだろう?)、ふつーの女子であるわたしはいくつになっても「そしてふたりは幸せに暮らしました。めでたしめでたし」が好き。
 タニちゃんとウメちゃんの最後の物語が、「ハッピーエンド」でうれしい。

 ご都合主義でも二股でも、所詮「最後は旅立ち」でも(ドラマ最終回の黄金パターン、大抵誰か旅立つ)、とにかく「ハッピーエンド」でうれしかった。

 まあ、もっとも。

 初見時、「ともちの出番、アレだけ?」と言ったあとに、正塚過去作品との類似点や簡単に収束しまくりの物語についていろいろ語ったあと、つい。

「最後に正塚お得意の船が出て来て、都合良くハッピーエンドだったねー……はっ。これぞ、『渡りに船』?!」

 と、言ってしまいましたが。

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