ヒョンゴ@まっつは、タムドク@まとぶに絶対服従。ナニをされても、ただ従う。傷つけられても裏切られても、タムドクがすることはすべて、うれしい。

 と、どんどん視界がまちがった方向へ行っております、こあらった視点のまっつまっつ『太王四神記』
 だってタムドクってどう考えてもおかしいんだもん。おかしな人のまちがった行動に、うれしそーにしっぽ振って従っているまっつを見る以上、自分の中で整理をつける必要がある。
 忠誠を誓った、だからそれ以上の是非は考えない。……ヒョンゴはそーゆー人なんだと割り切るしかない。

 タムドクにか、あるいはヒョンゴにもう少しでも色気があれば、通常の主従萌えにも発展できたんだろうけど、残念ながらそんな楽しい色気は皆無だ、あいつら(笑)。

 さて、仮の王様になったタムドク。
 なにをしでかすかわからないタムタムは、今度は自分で神器探しをすると言い出した。
 ヒョンゴももう驚かない。言い出した瞬間だけびっくりしても、すぐに受け入れる。……だってつい今さっき、やらなくてもいい死刑を受けて、死んでみせたんだもんよ。ナニをされても驚くもんか。

 語り部のクール・ビューティまっつはナリを潜め、もっぱら「愉快なおっさん」ヒョンゴです。
 愉快なおっさんだから、とーぜん色気より、食い気。

「腹が減っては戦が出来ぬ」……格言めいた言い回しでも、結局ただの食い気ですから。ヒョンゴ先生別に、戦闘員じゃないわけだし。
 眉を寄せて、やたらイイ声で食い気を語るヒョンゴ先生がかわいい。
 ちゃっかり色気づいてるチュムチ@まぁくんを、すげー他人事の顔で笑うのも、変なキャラクタだよな、ヒョンゴ先生。
 いや、ここで「いいねえ、若い者は」てな感じで笑っているヒョンゴ先生はいいんだけど、あとで別の反応取るからさー。 
 
 ヒョンゴに「兵法を教えてくれ」とタムドクが言う、のが好きだ。

 よーく考えると、変なんだけど。
 コムル村ってナニ?! につながるんだけど。
 コムル村村長って、手相占いが出来て、兵法を教えることが出来るもんなの?
 タムドクはなんの疑問もなく「教えてくれ」って言ってるけど、ヒョンゴは村長なだけで、学者でもなんでもないんですけど?

 変なんだけど、好きだ。
 ふつーに「兵法を教えてくれ」「心して」になるのが。

 わー、ヒョンゴ先生、博識なんだー。軍師なんだー。かっこいー。きゃー。

 ヒョンゴ先生はなんかもー機嫌良くてねえ。誰かなにか言うたびににこにこ好々爺。
 コ将軍@めぐむ登場あれこれでも、やっぱりにこにこご機嫌さん。

 こんだけ笑ってるまっつ見るのも貴重かもしれないから、役とか作品とか関係なく、がっつり見ておくべきだなと思う(笑)。
 

 でもって、鎧。

 鎧姿のヒョンゴ見て、マジでうれしかったっ。

 ずっと、ずっとね、ヒョンゴの衣装はかなしかったの。わたし的に「かっこいい」と思える、「好き」と思える衣装がなくてね。
 一本モノなんだよ? ショーないんだよ? ずっとアレな衣装ばっかじゃかなしすぎる……と肩を落としているところだったから。

 黒尽くめの鎧姿を見て、一気にテンション上がった。

 まっつかっこいー!! きゃーー!!

 黒髪ロン毛に黒尽くめ。腰に剣。あああ、正統派にかっこいいわああ。……杖持ってるけど。

 で、相変わらずご機嫌さんなヒョンゴ先生は、増えた仲間たちの間でにっこにこしていて、フッケ将軍@まりんが登場してまたにっこにこしている。
 ……せっかくかっこいい鎧姿なのに……(笑)。 
 
 で、口に出して言うことは、「炊事係は来たのか?」……どんだけ食べることばかり考えてるんだ、このおっさん。
 ……せっかくかっこいい鎧姿なのに……(笑)。

 前のターンでチュムチが恋人タルビ@すみ花を語るときは、たのしそーに笑っていたヒョンゴだけど、ここでヒョンミョン@だいもんが初登場したタルビに鼻の下を伸ばしていると、思い切り絡むんだよね。
 その前後、ずーーっとご機嫌好々爺なだけに、一瞬の豹変がコワイ。他人事の顔して笑っていた人が、この一瞬だけ牙を剥くの。
 タルビを「可愛いじゃん」と言ったヒョンミョンに、スジニ@みわっちと共に足蹴りしたりピンタしたり、反応すごいよ。

 若者が恋するのはいいけど、コムル村の者はダメなのか? 単にヒョンミョンだからダメなのか?
 なんにせよ、この「別の反応」ぶりが、ヒョンゴ先生をさらに変な人にしている気がする……。

 タムドクもかっこいい鎧姿で登場、さあみんなでカンミ城だ!!
 ……で、進軍する彼らを乗せて盆が回るんだが、このときの歩き方っつーか、背中が好きだなー。
 なんかかわいいの(笑)。

 新調のお衣装で着飾って、音楽に乗っての堂々の進軍……なのに、この軍隊が、ものごっつ弱そうに見えるのは、どーしたもんかと(笑)。

 で、たどり着いたカンミ城。
 ヒョンゴはちゃっかりチョロ@めおくんにお手紙書いていたらしい。いろいろお仕事してるんだなー。

 でもヒョンゴの手紙は直接的すぎたらしい。
 やっぱ手紙っつーのは、「時候の挨拶にはじまり、チョロ閣下、そしてご家族様への尊敬、そして西百済への忠誠を滲ませながら、やんわりと」用件を告げる、くらいの回りくどさは必要かと。

 あまりにも単刀直入に「青龍の神器くれ」と書いたもんだから、チョロ様が「カンミ城もなめられたものよのう」とコブシ回して立ち上がり、槍を回して大活躍だよ。

 戦闘になったら、杖を持ったヒョンゴ先生はどうやって戦うんだろう、と思っていたら、ヒョンゴは、戦わなかった。
 逃げ回ってるだけ。
 素敵なのは、敵が登場したときに、あったりまえにスジニの背中にかばわれちゃってること。
 ヒョンゴが逃げ込んでいるわけではなく、スジニが自然と腕を広げて、後ろにいるヒョンゴを守ってるのね。
 かっこいいなあ、スジニ。緊迫した空気のとき、自然に他者をかばえる子なんだね。……かばわれてるのが大の男だっつーのが、情けなさ過ぎるだけで(笑)。

 杖持ってただ走り回るヒョンゴに大ウケ。やーん、素敵に役立たず~~。

 なのに、いざというときは、何故か舞台中央にいる。
 チョロの胸から青龍の神器を取り出す、ってときに、チョロの真横にいるし、神器を取り出せたときも、そばにはべっている。

 ええ、今回のまっつは、なにかと倒れている人の横にはべっているイメージ(笑)。
 カクダン@りせの横にはべっていたヒョンゴ先生は、チョロの横にもはべっていますとも。

 続く。
 こあらった目線のまっつまっつ、事実と違おうがどうしようが、とにかく記憶と思い込みによって書く、『太王四神記』まっつ語りその5。

 さて、2幕はじまりも、ヒョンゴ@まっつから。
 「愉快なおっさん」ではなく、ちゃんと「語り部まっつ」になってます。

 1幕ほぼずーっと水戸黄門ルックで通したヒョンゴ先生ですが、ここでまた初心に返ってコムル村制服のずるずるローブ姿。
 ただし、ヘアバンド着用。

 何故ここで、ここでだけヘアバンドしているのかわからないっす。他の場面ではヒョンゴを含め、誰も付けていないわけだから。

 2000年待ち望んだチュシンの王登場に、テンション上がってるせい? 意気込みを表しているの?
 つまりアレはヘアバンドではなく、ハチマキなのか? 「タムドク命」とか書いてある類の?

 最初、他のコムルの人たちも全員ヘアバンドしてるって、気づいてなかった。ヒョンゴしか見ていなかったから。

 クールに厳かに語るヒョンゴは美しく、彼が跪いて「身も心も捧げます」とゆーのがいいっすね。いろんな意味でいいっすね!!
 もっとも、そうまでしてるっつーに、肝心の彼の王タムドク@まとぶんは人の話聞いてねえけどな。王の宿命より義務より、女のことが大事と寝言言ってるけどな。

 どんだけアホ王であっても、彼がチュシンの王ならば仕えるのがコムルの使命。タムドクが勝手にひとりで苦悩モードに入っているのを咎めるでなく、心配するスジニ@みわっちを制したりして、クール全開です。

 忠臣萌えってのは、たしかにある萌えである。ヒョンゴの場合、もともとタムドクを好きだったっぽいので、好きな人が王様で良かったね、つーことで、王様の賢愚は問うまでもないんだろう。

 コムル村が謎なのは終始一貫、見終わってもなにひとつわかんないままだが、王宮だか神殿だかで要人全員集合で「神の裁きを!」とかやってるところに乱入できるくらい、外的な立場が認められていたのか。
「我こそはコムル村の村長」って名乗りを上げたら、地位も身分もある方々全員が畏まっちゃうよーな、そんな高貴な立場なの?
 「玄武の神器の守り主」って言ってるけど、そんなの誰も見たことないだろうに、「コムル村」「神器」って世の中に浸透した常識で、このキーワードを出されたら、水戸のご老公一行に印籠を出された悪代官たちのよーに、固まっちゃうわけ?

 悪代官よろしく「ええい者ども、斬り捨てい!」と叫ぶチョ・ジュド@ふみかの怒鳴り声を制して、ヒョンゴが「待て!!」と前に出るわけだからねー。
 印籠でなければ、悪代官の手下共は誰が出てきても気にせず斬り捨てるだろうに。

 とまあ、コムル村も神器も世間的な立場はさっぱりわからんが、とにかく水戸黄門の印籠的使い方なわけで。
 せっかく水戸黄門なのに、ヒョンゴはローブ姿で水戸黄門衣装ではないし(笑)、主人公の危機を救いに名乗り出るわりに、かっこよくない。
 
 眉は八の字。
 なんかすごーく困った様子で、懇願めいた名乗りを上げているんだな。
 もっとばばーんと上から目線で宣言してもいいんじゃないの、「この方こそチュシンの王」って。
 ……やっぱ王様には人格がアレだっていう弱みがあるから、堂々と宣言できないのかしら?(笑) 責任放棄して女と逃げたあとの登場だし?
  
 ヒョンゴはタムドクを王として認め、敬ってはいるんだけど、彼のことを信じてはいないんだろうなあ。や、タムドクの言動というか、なにをしでかすかを。
 現にタムドクは勝手に「カウリ剣の儀式を受ける」とか言い出すし。
 ヤン王暗殺なんてタムドクまったく無関係なんだから、カウリ剣の儀式なんかやる必要ない。その裁きの場で、殺害現場にいたキハ@彩音が「ヤン王は自害された」と言っているんだから、なおさら。
 それでも無意味に「やる」と言い出すよーな、わけわかんない王様、タムドク。
 振り回されるヒョンゴ大変。

 ここのおろおろぶりは素敵です。忠義を捧げちゃったんだから、王様がどれだけアホで人騒がせでも仕方ない。愛してしまったら、欠点すら受け入れるもの。タムドクがナニをしても、しでかしても、ヒョンゴがタムドクを嫌うことはないし、見捨てることもない。

 目の前であっさり殺されたタムドクにスジニが悲鳴あげてすがりついたように、タムドクの行動は誰かを傷つける。その直後生き返って喜ばせたとしても、死んだ、と思わせた、その心のキズは本物で、タムタムに分別があればつけずに済んだキズなんだ。
 そーゆーどーしよーもない、善良なだけを言い訳にしたアホの子だが、それでもタムドクこそがチュシンの王。2000年待ち続けた、ヒョンゴの王なんだ。

 タムタムの浅はかな行動にうろたえて、動かなくなった姿にうなだれる。
 こんなとこで村民の希望である王に死なれたら、しかも村長の目の前でむざむざ死なれたら、ヒョンゴもそのまま殉死するしかないわけだけど。
 なにをされても、受け入れる。どんなひどいことをされても、裏切られても。
 身も心も、捧げたわけだから。

 うろたえるだけで、タムドクの暴挙を止めることはない、無力な村長。彼の忠誠ぶりは、まちがっている気がしないでもないが(真の忠臣なら、主の愚を諫めろよ)、ヒョンゴはそーゆー人なんだろう。
 絶対忠誠。盲目忠誠。……小池がいろいろまちがっているだけで、まとぶさんもみすずさんもそこまで考えていないと思うが、舞台だけ見ているとそーゆーまちがった世界が花開いていて素敵(笑)。

 だから眉を八の字にしてうろたえるだけのヒョンゴ先生を堪能するの。
 その直後の「生きている!」で大喜びの「愉快なおっさん」化しているヒョンゴ先生も堪能するの。

 でもってこの場面。
 タムドクの危機に「待て!」とヒョンゴ先生が飛び出してきたときに、ホゲ@ゆーひがすげー怪訝な顔をしているのが、ひそかなツボです。

 ホゲ様、はじめて見る・聞く顔してないでよ、アナタこのおじさんに前に会ってるんだってば。
 テジャ城で「あなたこそ、チュシンの王」って言っていたおじさんだってば。アナタ、わざわざぎょっとして振り返ってたじゃん。

 ……ヒョンゴをおぼえていないのは、彼があのとき愉快な水戸黄門ルックだったから?

 おぼえているけれど、ここで飛び出してきて演説カマすとは思ってなかったの?
 それとも、あれはただの愉快なおっさんでしかなく、コムル村の村長(なんかえらいらしい?)とは思ってなかったの?

 ホゲにとってのキハが、タムドクにとってのヒョンゴなのよ?(笑)
 ……そう思えば「オレ側の守り主は美女で良かった」てなもんかしらね、ホゲ様?
 で、でも、ヒョンゴだってほんとは美人だもん! ちょっと顔の締まりのないときが多いだけで!!

 タムドク側の守り主は、タムドクのことがダイスキだよ? ホゲ側の守り主と違ってね……と、タムドクVSホゲで、しかもホゲ目線で「タムドクが持っていて、ホゲが持っていないモノ」をいろいろ考えてたのしいのも事実。ホゲ様好きだ(笑)。

 続く。
 まっつのテンションが高いと、何故にあんなにおもしろいんだろう。

 ヒョンゴ@まっつは基本テンション高め。スジニ@みわっちに振り回されてきーきー言ってたり(声は低いが)、悪のりヒョンミョン@だいもんと一緒になってきゃーきゃーやってたり(声は低いが)、とにかくいつもはしゃぎ回ってうるさいキャラだ。

 高句麗一武道大会を観覧しているときも、大口開けて笑ったり野次っていたり、大忙し。

 テンション高い役だなー、ヒョンゴ先生。
 テンション高い役だなー、まっつ。

 そして、まっつがハイテンションにくるくる騒いでると、みょーにおかしい。肩がふるふる震える系の、くすぐったさがある。

 不思議だなあ。
 まあたんに、わたしがまっつ好きで、まっつに過剰反応してるだけなんだろうなあ。
『太王四神記』まっつ語り。1記事3000文字予定なのに、まっつ語りだと文字数越えしている現実……こまったもんだ。
 

 それまでは野次馬としてはしゃいでいたヒョンゴ先生、スジニが男装して大会に混ざっちゃった以降は、パニクっちゃって大変ですよ。「あぶない、うわー、きゃー」てなもんで、マイク入ってないのをいいことに、騒ぐ騒ぐ。
 スジニが絡むとおっさんネジとんじゃうみたいなー。大変だなー。

 で、そーやって大騒ぎしているときに、玄武の神器発動。
 さすがにスジニのことを忘れ、使命に意識を戻します。

 光るのはいいけど、誰に反応したのかまではわからないんだね、玄武の神器。下手側ではプルキル@壮くんが光る朱雀の神器を見て「ホゲ@ゆーひがチュシンの王」って勘違いしてるし。プルキルはホゲをチュシンの王でないとわかった上で利用してるんだと思ってたけど、どうも買いかぶりだったらしい(笑)。なんもわかってないのか。てな話はどーでもいい、今はヒョンゴ先生の話。

 神器は光って、すぐにまた沈黙。よくわからん仕組みだ。王様の憤りが沈静したとも思えないのに。
 光が消えたらまたヒョンゴ的にはそれどころじゃなくなる。タムタムとスジニが会場で晒し者になってますがな。
 彼らが黒軍のふりをして大会に紛れ込んだのは、ホゲがズルをしていたのを止めるためだったんだが……そしてホゲの不正が白昼に晒されたんだが、そのことはスルーされて話は別の方向へ転がり出す。

 仲間のタムタムがタムドク王子だったとわかったヒョンゴたち。舞台中央でもつれている人を注視したあと、ヒョンゴとヒョンミョンは「おさらい」をしている様子。ふたりで「あれがどーしてこれがどーなったからこうなんだよね」と確認しあっている。
 で、「そっかあ、そーゆーことかー!」とめでたく納得。
 脚本で描いてもらえないもんだから、舞台隅っこで「タムタムが王子様だった!」に対するリアクションを小芝居しているのよ。がんばれ。

 そして、戻ってきたスジニを急かしつつ、ぽかーん展開でかけおちするタムドクを追って?上手へ消える。
 
 えーと、それで。
 タムドクは女の子とかけおちした……よな? 王位を投げ出して。
 なんでコムル村の人々は、タムドクを探していたんだろう?

 コムル村の使命は玄武の神器を守ることと、チュシンの王を探すこと。
 せっかく神器が光り、王の手がかりがあったわけだから、ヒョンゴ先生が今すべきことは駆け落ちしたお友だちの捜索より、チュシンの王探しぢゃないの?
 チュシンの星の夜に生まれたとされているヨン・ホゲが戦っているときに、神器が光ったんだから、まず彼のことを調べるべきでは?
 それともタムドクは、「誰にも言ってはならない」「母親は秘密を守るために山中でお産をして早世した」という、ものすごい秘密を、出会ったばかりのヒョンゴたちにぺらぺら喋っていたんだろうか。

 てゆーか、この時点のヒョンゴは、「コムル村の使命」のことなんか忘れきっているように見える。
 タムドク様の一大事! しか考えていないような。
 2000年も使命大事で過ごしてきた隠れ里の村長として、失格ですよコレ……。

 タムドクがどうこうではなく、コムル村の面子は「玄武の神器が光った理由を確かめるため」に「高句麗一武道会主要メンバーであるホゲやタムドクが向かったテジャ城へ向かう」ことにしなければおかしい。
 唯一スジニだけは、使命そっちのけでタムドクのためって言っていてイイから。ヒョンゴはまず使命のこと考えてくれなくちゃ。
 上手端でわいわいやっているときの台詞を変えるだけでいいのに、イケコってほんとに……溜息。

 まあそれはともかく、「テジャ城へ」のナンバーは盛り上がるカッコイイ場面なので、隅っことはいえ参加してくれていてウレシイ。

 そのどたばた感のまま、銀橋を走るタムタムの仲間たち。

 元気に走っていく若者たちと違い、お疲れモードの年長者……パソン姐さん@いちかと、ヒョンゴ先生。
 一緒にいるわりに、今回まっつ×いちか少ないんだよなあ。
 このせわしない銀橋でのみ、まっつ×いちか。息の上がっているパソンを、ヒョンゴが気遣っている風。や、ヒョンゴも若者たちに置いてかれてるんだけど(笑)。
 カクダン@りせたち近衛隊を見つけたあとヒョンゴ先生はすげー勢いで走り出すから、ほんとのとこそれほどバテてなかったのかもしれない。
 てゆーか今回まっつ、やたら銀橋走ってるイメージ……(笑)。

 そして、倒れている人の横にはべっているイメージ……(笑)。
 息も絶え絶えカクダンの横で、一緒になって苦しそうな顔をしている。眉は八の字、とってもヘタレなまっつらしい表情。
 カクダンの死にも、すげー悲痛にうなだれる。
 別にカクダンのこと個人的に知らなかっただろうけど、それでも近衛隊のみなさんと同じ濃度で悲しんでます。

 そこからあとは、怒濤のクライマックス。
 チュモ神剣発動、みなさん「うわあああ」で、それから立ち直る前に、ヒョンゴの杖が光る。

「チュシンの王の中で、激しい怒りと悲しみがせめぎ合うと、玄武の神器は光り、宙を舞う……」

 ほんとに一瞬杖が浮いたようで、ヒョンゴはひきずられる動作をするんだが。

 「宙を舞う、っていうんだから、ほんとに舞えばいいのに(笑)」……ワイヤーとかでぴゅーんてまっつが飛べば、可愛いだろうに、と言った人がいて、想像して笑ったさ。
 小さなまっつがぴゅーんて飛ぶのは、たしかに愉快な画面だな。ティンカーベルとかそーゆーノリで。(まっつをどんだけ小さいと思って……)
  
 舞う妖精まっつ……うっとり。(だけど衣装は水戸黄門)

 まあ冗談はともかく。

 はじめは呆然としていたヒョンゴの顔が、徐々に変わるんだ。
 力強い、意志のある顔に。

 物語の中で「愉快なおっさん」でしかなかったヒョンゴ先生が、冒頭の「語り部」の顔になる。
 使命と向き合い、宿命と対峙する。

 誇りと歓喜を込めて、宣言する。

「あなたこそ、チュシンの王!」


 響く声。
 声に、光がある。

 その声に反応して、振り向くホゲ。
 彼がもっとも欲していた言葉、欲していた声は、彼以外の者に向けられた。

 ホゲを突き落とす光を発するのが、ヒョンゴだということが、すげー萌えです(笑)。
 まっつに「光」を感じることがあろうとは……良くも悪くも地味……ゲフンゲフン、その、いぶし銀が魅力な人だと思っているだけに、「光」の存在にびびります。まあソレが「声」ってのが、まっつらしいんだけど(笑)。

 ようやくめぐりあった運命の人、チュシンの王タムドク様しか見えません! て勢いで、ヒョンゴはタムドクだけを見つめて歌う。
 その顔に、静かな笑みが広がっていく。深い、魂に根ざした到達した者の表情。……ライト当たらないから、見えなくなっちゃうんだけどね。

 ヒョンゴの語りではじまった物語は、彼の台詞を最後に幕を閉じる。や、歌で終わるわけだが、台詞としてはヒョンゴの「あなたこそ、チュシンの王」が最後なんだよね。

 タムドクがチュシンの王として目覚めるまでが第1幕……それはつまり、ヒョンゴが、チュシンの王と出会うまでという意味でもある。

 重い役目だ。
 どのクジが当たるかなんて、手相でわかるんだろうか?

 お金持ちになる相が出ている、とかならともかく、どのクジが、なんて、宝くじの当たり番号とか万馬券を当てるよーなもんでしょ? 手相でソレは無理があるんぢゃないかと思ってみたり。
 と、『太王四神記』まっつ語りその3。

 聞いた話によると、「どのクジが当たるか」と聞いてくる客に、ヒョンゴ先生は「黒を買えと薦めている」そうだ。そのココロは「赤が勝つに決まってるから、絶対はずれるクジを買わせて、がっぽり儲ける」……ヒョンゴ先生、悪。それを真顔で説明したというまっつ、悪。(お茶会で言ってたって?笑)
 そこまで考えてなくっても、クジを売っている人と、どのクジが当たるかをアドバイスする人が「仲間」だと、それは詐欺でしかないと思うんですが。
 やってることは犯罪だが、それをちっとも悪びていない主人公サイドの仲間たちが、ステキすぎます(笑)。ノリはすでに悪玉トリオ@『ヤッターマン』ぢゃん……。

 なにはともあれ、武道クジ場面は好き。
 大好き。

「武道大会~~♪」とポーズを決めて歌い踊るまっつが、かっこよすぎる。杖を剣に見立てる動作が美しいし、歌声がまた美しい。
 オレ、実力のある男に惚れてんだなあ、と、改めて思ったよ。いやその、姿は水戸黄門なんだけどさ。それでももお、かっこよくてかっこよくて、惚れ惚れしてるんだよ。あうう。

 さて、物語は舞台中央から上手で進んでいるようですが、わたしの視線は下手固定です。
 ヒョンゴ先生の手相占いは、下手端で絶賛開業中。町の人たちがずらずら並んで順番待ちしてます。大繁盛だよ、大丈夫かボヤッキー。ムラ楽は列の人たちが全員野菜を手にしていたんだが、アレはなんだったんだ?

 そしてここでのお楽しみは、なんといっても町の女@じゅりあ。
 やたら押し出しのいい(ついでに体格もイイ・笑)彼女が、すごい勢いでヒョンゴ先生に迫りまくります。
 ヒョンゴ先生大変。
 かわしたり逃げ出したり、威嚇したり。
 クジを両手に追ってきたり、大切な神器を触ろうと手を伸ばしてきたり、とにかく油断がならない(笑)。

 まっつとじゅりあの攻防戦を眺めているだけで、終わってしまう。
 てゆーかまっつ、がんばれ。いつもたじたじになってますがな(笑)。

 わたしとしては、色っぽい系のエピソードを期待したいんだけど、ただのお笑い系みたいなんだよな、じゅりあ×まっつ。(まっつの名前が右?!)
 ヒョンゴラヴな女が突撃している、つーのがイイのに、この突撃ねーさんは手にクジを持っているので、どうやらあくまでも勝負運について突撃しているらしい……?
 実際問題じゅりあちゃんに本気で迫られたら、まっつごときぺろりと喰われて尻に敷かれそーですから。ここでヒョンゴに女が出来ちゃうと話が変わってくるので、色気ナシで通してもらうしかないのか。

 いつ見たんだっけか、そのときのじゅりあちゃんの目的は玄武の神器で、杖の端に触ろうと虎視眈々、まっつはソレをさせじとガードしている。や、このパターンは何度か見ていたんだけど、その日のまっつは、隙多すぎ、鈍すぎ。
 いつもなら触られる前に杖を動かしてガードしていたのに、がんがん触られてるの。杖の端をじゅりあちゃんに握られちゃって、あわてて振り払っている。
 まっつ、鈍い……っ!(笑)
 猫に猫じゃらしを見せるなり前足アタックかけられて、「ちょっと離してよ!」になっている人間のようだ。

 とまあ、まっつVSじゅりあを見ているだけで精一杯、えーと舞台中央では主役様が登場しているんだっけ。
 じゅりあに押されて他の人の背中にぶつかったりしつつ、ヒョンゴ先生が真ん中付近に来てくれたとき、よーやく視界に物語本来の場面が入ってきます。
 パソン姐さん@いちかの華麗な登場は、ヒョンゴも群衆の中で見とれてくれているので、一緒に眺められて良かったっす。

 田舎モノたちの乱闘で、どさくさにまぎれてスジニ@みわっちも活躍しそーになるので、ヒョンゴ先生大忙し。それまで「なんの騒ぎ?」と遅れて加わったのに、スジニに絡む男がいると気づくなり電光石火、引きはがしに行くもんよ。
 「ていっ」て感じに杖で男を威嚇、間に入って「しっしっ」と追いやって。……スジニが感謝するより「ちぇっ」て感じなのがまた、子育ては切ないなあ、お父さん(笑)。

 タムタム@まとぶのことは一目で気に入ったっぽい。自己紹介の「タム……タム……」を真面目に聞き、「タムタムかぁ!」では一緒に大ウケ。
 たしか最初の段階でいちおー杖をかざして反応チェックしていたとは思うが、もちろん杖は反応しないし、あとはふつーに気に入ってるんだよね。(だから、チュシンの王が憤らないとダメなんだってば、村長、言い伝えおぼえてる?)

 でもさここ、ナニ気に運命の分かれ道。
 ヒョンゴが下手端でじゅりあに絡まれていたとき、スジニはタムタムをナンパしてたわけだよ。
 もしもヒョンゴがそれを見ていたら……ヒョンゴはタムタムを大嫌い・危険人物認識だったはず!!

 ウチの可愛いスジニに手を出すなんて!(ナンパしたのはスジニです)いかがわしい店へ酒を飲みに行くなんて!(誘ったのはスジニです)
 あの女ったらしの助平野郎、絶対悪人だっ!!
 ……と、ヒョンゴ先生は思い込んでいたに、違いありません。

 タムタムがかっこよく田舎モノたちを倒してしまう現場しか見てないから、最初から好意を持つことになったけどね。

 いやあ、ヒョンゴがアンチ・タムタムだった場合、物語はどう変わっていったでしょうねええ。武道大会にはクジを売っている立場上、勝敗を確かめに行くだろうけど、そこで神器が発動しても誰が王なのかはわからないわけだし、タムタムと仲良くなってなければテジャ城へは行ってないわけだし。

 ヒョンゴの過保護が原因で、何年かはチュシンの王登場が遅れるのでは?

 イケコがどこまで考えて演出してるのか知らないが、スジニがタムタムをナンパするところに、ヒョンゴがいなくて良かったね、と(笑)。

 まあとにかく、一目でタムタムを気に入ったヒョンゴ。
 すかさずヒョンミョンはクジを山ほど売りつけて、スジニはさらに一緒に売りに行こうと誘う。……客を販売側に巻き込むのは変なんだが……。

 ここで彼らがタムタムと仲良しになった、それから先も一緒に行動している、てのが展開怒濤過ぎてわかりにくいのが残念。

 その直後の武道大会でも上手端で一緒に観覧しているんだが、とにかくホゲ様@ゆーひくんを中心とした武道大会が派手過ぎて、主役のハズのタムタムにあまりスポットが当たらないよーな……。
 タムタムがタムドク王子だとわかったときも、ヒョンゴたちの反応はモブ扱いでちゃんと描いてもらえないため、彼らがなし崩しにテジャ城へ現れ、「身も心も捧げます」でカウリ剣で「タムドク様~~!!(スジニ絶叫)」への流れが観客的にぽかーんになるっちゅーか。いつの間にそんなことにっつーか。
 そのくせ、そのあとはホゲ側とタムドク側がいちいちターン制で井戸端会議やるし。そこで同じことえんえん繰り返すより、出会いに時間と場を割くべきだったと思うよ……。

 とまあ、完全モブ扱いになっていた武道大会のタムタム・チーム。あれって本舞台端ではなく銀橋の上手側とかでやるべきだったよなあ。ふつーに真ん中見てたら、主人公が出ていることにすら気づかない演出って……。
 パソン姐さんの槍の話とか、重要なんだからさ。それでタムタムが義憤に駆られて大会に乱入、「チュシンの王が憤る」わけなんだから。

 続く。
 『太王四神記』のまっつまっつ。
 他人のことは知らん、あくまでもわたしの限られた視線の先のヒョンゴ@まっつ語りその2。

 ポンファ通りの皆様方。小芝居満載で下級生ウォッチングが楽しいに違いない……けれど、ほとんど見られないのがくやしい。
 ヒョンミョン@だいもんのソロが終われば、銀橋にスジニ@みわっちと彼女を追いかけるヒョンゴが登場するので、そっちガン見だもんよ。

 スジニが絡むといつもあわあわ可愛すぎるヒョンゴ先生。
 長いスカートたくし上げて走る姿が、ヘムレンさん@『楽しいムーミン一家』。

 ヒョンゴが着ている服はコムル村の制服?らしく、村人は全員同じ服を着ている。白のローブでスカートっつーわけじゃないんだが、スカートのワンピースっぽくてわたしはあまり好きじゃない(笑)。

 ヒョンミョンはいったいいくつの設定なのか、ヒョンゴとタメ口。やっているのがだいもんだから、ヘタすりゃ少年に見えるんだが、平村民時代のヒョンゴを知っていて、村長になったことを上から目線で語れるキャラクタらしい。
 ヒョンミョンは最後まで謎だ……。

 一旦下手袖に引っ込んだヒョンゴとスジニは、白いローブを脱いで……ふたりともとっても微妙な姿で現れる。
 スジニはちっともかわいくない衣装だし、ヒョンゴに至っては、水戸黄門……。イケコがサイトーならこんな衣装は着せないだろうと哀しくなった一瞬(笑)。せめてスジニには、萌え衣装着せようよ……。

 こっから先はもー、ヒョンゴがかわいすぎるので、他を見ることが出来ない。
 トラジ@さあやたち美女が華やかに歌い踊る様に、一瞬だけ、鼻の下を伸ばす。ほんと、一瞬だけ。
 すぐに、「スジニの教育上よくない!」と思い直すっぽい(笑)。スジニが好奇心丸出しで目を輝かせているので、お師匠様、我に返っちゃうのね。
 スジニがいないときだと、どーなってんですかね、あの人。
 たとえば夜、スジニが寝入ったあととかに、ヒョンミョンに誘われて花街に繰り出したりしてるんでしょーか?

 ヒョンゴさんが女に興味あるのかどうかを示す、貴重な場面なんだよな、この「一瞬だけ、鼻の下を伸ばす」ところ(笑)。どうやらふつーに女は好きみたいだ。使命感の方が強いから、それどころではないと思っているだけで。よかったよかった。

 でもってここでのスジニとのやりとりは、公演が進むにつれて派手になっていく(笑)。
「ここじゃアタシ、男の子になるよ!」のスジニの台詞に、おたつきすぎだから、ヒョンゴ師匠。ヒモを引っ張ると両手両足がしゃかしゃか動く人形みたい。
 そのくせ、「チラシを配ってこい」の台詞は、心配性のお師匠らしくもなく、悪乗りして追いやっているし。ええ、あとになればなるほどコメディちっくに、大仰に「しっしっ」てな風情(笑)。ヒョンミョンも尻馬に乗ってるし。

 てゆーかさー。
 ヒョンゴとスジニのスキンシップが、どんどん増えていくんですが、なんなんですかアレ。
 ムラ初日から楽まで、週2くらいで万遍なく見てきたんだが、それから間とんで東宝楽前と楽見たわけだが、どんどんあの人たち触れあうっつーかお互いに触るよーになっていってんですが。
 肩とか腕とか、ふつーに触れてるのね。初日界隈では別に触ってなかったところで、あたりまえの顔してボディタッチ有りになっていってねえ……別に意識してる風でもないあたりがさらに親密っつーか……いちゃついてるよーにしか見えません。
 ヒョンゴとスジニがっつーか、ぶっちゃけ、まっつとみわっちが仲良しなんだな、つー感じで意味もなくスキンシップしてるのがもー……どうしてくれよう。ハァハァ。

 ところで玄武の神器だけど、コムル村は代々ソレを守ってきたのはいいけど、ほんとのとこ神器が神器らしい働きをしたところを見たモノは、ひとりもいないんだよね?
 なにしろ2000年間、ファヌン様以来「チュシンの王」は現れていないっていう話の流れだよね?
 くそ真面目に神器の守り主やってるけど、ほんとのとこ歴代村長の誰ひとり、神器発動時を知らない。
 「チュシンの王が憤るとき、その神器が目覚める」としたり顔で語ってはいても、信憑性はない。なんせ、誰も見たことないんだから。
 さらに1幕終わりで、チュシンの王発見の手がかりとして「玄武の神器は光り、宙を舞う」とヒョンゴが語っている。
 つまり、真の王が現れたら、放っておいてもわかるわけで。光って飛ぶんですよ? それでわからんわけないじゃん。
 なのにヒョンゴ先生、このポンファ通りで「チュシンの夜に生まれた」ヨン・ホゲ@ゆーひを見かけたとき、ガスの点検でもするかのように杖をかざしているんですが。
 や、かざしてわかるもんでもないでしょう。んなことしなくても、王が現れたら勝手に光るって言い伝えなんだし。それに、平時ではダメなんでしょ、王様が怒ってくれないと。
 ホゲ様今、女の子にちやほやされて、ご機嫌だから。そんなときに調べても意味ないっす。ヒョンゴ先生、言い伝えちゃんとわかってる?

 つーことで、「ヒョンゴ先生の、チュシン王探し大作戦・ホゲ様を怒らせてみよう!!」の巻希望。

 スジニの台詞からして、コムル村の使命なわけでしょ、王様探し。そのためにヒョンゴたちは都会へやって来ているわけでしょ?
 チュシンの夜に生まれたホゲ様が候補No.1なわけだから、真面目に仕事するなら、彼が王かどうかを確かめなきゃ!
 つーことで、インチキ占い師としてホゲ様に絡むヒョンゴ先生とその一味(笑)の物語で、わたしならスピンオフ1本すぐに作れますことよ? ほほほ。

 てな話は置いておいて、スジニにチラシ配りを押し付けたヒョンゴは、下手端でインチキ手相占いスタート。すぐに客がずらずら現れるので、チラシ配りの必要性はないよーな。
 せっかくお客は列を作って待っているのに、ヒョンゴがちゃんと相手をするのはひとりだけ、すぐにスジニを気にして舞台中央へ行ってしまう。
 スジニがキハ@彩音ちゃんにデジャヴを感じている様を、なにかしら不安な様子で眺めている……が、すぐに「噂だ噂だ」の民衆の歌に巻き込まれてしまう。

 とりあえずこの「翻弄されているまっつ」がかわいい。あ、ヒョンゴだヒョンゴ(笑)。
 コーラスの中でひときわ響く低音を聴き分けるのも、またたのしい。

 承前の「語り部ヒョンゴ」とのカラーの差、てゆーかコメディアンぶりが、この役の魅力なんだろう。

 続く。
 んで、今さらですが『太王四神記』です。
 んで、今さらですが、ヒョンゴ@まっつです。

 毎公演必ず書いてる、こあらった目線の見どころまっつ。
 今回も書くつもりで、『太王四神記』箇条書きのときも、まっつのことは割愛してたんだーっ。
 つってももお、あんまり昔のことなんで海馬にあんまし残ってないんだけど、どーせ映像には残らないんだから、せめて文字にして残しておくしかないんだーっ。

 公演中にリアルタイムで書きたかったよ……なんでこう時間がないんだろう……。

 
 『太王四神記』第1幕。
 とにかくしょっぱなからヒョンゴ@まっつが登場する。
 上手花道のセリ。初日はびっくりした。とにかくびっくりした。
 観客って、はじまったら条件反射で拍手するじゃん? 幕が開いて、最初にせり上がってくるから、それが誰かもわからず条件反射で拍手して、その一瞬あとに「まっつ?!」と驚く空気が愉快だった、初日。
 まっつだと思わず拍手はじめちゃった、でもま、まっつでも拍手してもかまわないっちゃーかまわないよね、ととりあえずキリのいいところまで拍手してみました、な雰囲気(笑)。

「私は高句麗の隠れ里、コムル村の村長ヒョンゴ」
 まず自己紹介からはじまる。
 ここから、すべてがはじまる。
 まっつの姿から、声から。

 白いローブ姿に、魔法使いのような杖。
 淡々と朗々と、滑舌良く正確に発せられる言葉の数々。

 ナレーションに徹した姿で、スタンドプレイはしない。表情は変わらず、そこにいるからといって彼を見る必要などなく、本舞台で展開される物語を見ろと、その静かさで示す。
 ……が、まっつガン見基本なので、本舞台はあまり見たことがない(笑)。もちろん見ているけれど、センター芝居のみで、モブの子たちが誰でナニをしているかまでは、残念ながら見られなかった。

 ただの解説である最初は無表情なんだが、語りが盛り上がるにつれ、ヒョンゴ村長も少しずつ変わりはじめる。
 彼はどうも最初から熊族セオ@みわっち寄りで、虎族カジン@彩音ちゃんに対しては終始クール。耳で声だけ聴いているとふつーのナレーションでしかないが、ヒョンゴ自身を見ていると、ファヌン@まとぶとセオに感情移入して語ってるの。彼らが幸せなときはやわらかく、彼らの苦難には苦しげに表情を変えている。
 我が子を殺される母親セオの悲劇には、ヒョンゴ村長もすげー嘆きっぷりです、ほとんど誰も見てくれてないだろーに(笑)。
 赤ん坊の死と黒朱雀誕生の効果音が終了すると、次の解説をしなければならないので、取り乱した村長は一瞬で立ち直る。緊迫した場に相応しい様子で黒朱雀の説明。
 ここでのささやかのツボは、ファヌン様の「白虎、風を起こせ、青龍、雲を集め、玄武、雨を降らせ」の歌に合わせ、ヒョンゴ村長が目線を変えるところ。「白虎」「青龍」「玄武」の呼びかけで、本舞台では四神(-1)のみなさんがそれぞれ自分の名で肯いているんだが、それに合わせてヒョンゴ村長もまた目線……顔の向きを変えているのね。
 「三度目の銅鑼」@『王家に捧ぐ歌』の振付みたいで、ちょっとわくわく(笑)。

 人知れず(笑)盛り上がっているヒョンゴ村長。
 最高峰はもちろん、「ファヌン様は天の弓を射た!!」ですな。アクション付きです。

 この公演で、まっつはなによりその「声」の良さを広く知らしめたと思う。
 耳触りのいい、聴きやすい声。情報量の多さをモノともせず、わかりやすく解説し続ける。

 このナレーションに徹しているところも、実はまっつの演技的には変化があった。
 語る声の明瞭さはそのままに、公演が進むにつれて演技が大きくなり、東宝でまたリセットされていたらしいが、やはり東宝楽には大きくなっていた。地味に「物語」に参加しているんだなー。
 まったくの客観、第三者目線ではなく、セオ寄りに語っていたりと、ちゃんと「ヒョンゴ村長」なんだよね、ただの感情も役もないナレーターではなく。

 
 神話時代の話が終わり、彼の語りはチュシンの日の出来事に移る。
 2000年の時が経ち、チュシンの星が輝く夜がやって来る。舞台上にはナレーションのヒョンゴと、彼の語りの中の少年ヒョンゴ@イブちゃんが同時に存在する。
 ヒョンゴもまた、物語の中のキャラクタなんだな。
 ここではもう、「コムル村のヒョンゴ村長」になっている。声だけの存在ではなく、現実にもう生きている人間として、舞台中央に現れ、感情や意志を表現している。

 物語の主人公タムドクはまだ無く、彼の登場以前を彩るエピソード、キャラクタの数々。
 タムドク登場に向けて力が一点に凝縮していく様を歌に乗せてたたみかける、プルキル@壮くんとヒョンゴの歌が大好きだ。

 少年ヒョンゴが赤ん坊を見つけたときのやりとり、ヒョンゴに台詞はないけれど、いちいち少年ヒョンゴと同調した表情してるんだよね。
 前村長に「オマエが息の根を止めるのだ」と言われたとき、少年ヒョンゴは真剣な面持ちで肯定するけれど、ヒョンゴは真剣を通り越して苦しげな表情をする。
 あくまでこれは回想シーンであり、語っているヒョンゴにとっては「はじめて会った赤ん坊」のことではなく、手塩に掛けて育てた弟子スジニ@みわっちを殺す話、なんだ。
 少年のまっすぐな瞳と、ヒョンゴの苦悩が切ない。

 だけど彼の最大の「仕事」である「声」に揺るぎはなく、あくまでもここは「当時の話」をしているだけで現在のヒョンゴの愛と苦悩を表現する場ではないってことで、冷静な解説は続くんだな。
 スジニと名を付けた、と語るあたりに苦みを残すだけで、やりすぎることなく「仕事」に徹する。

 でもって、この怒濤のオープニングの終結……実は「すげー難しいんぢゃねーの?」と思っているのは、ココなんだが。
 すべての説明すべき出来事が終わり、本編がはじまる、つーところ。
 ヒョンゴ村長の語りから、現在進行形の物語への移行を、どうしたもんか。

 たとえばルキーニ@『エリザベート』は狂言回しとして物語のあちこちに登場するけれど、ヒョンゴはそうじゃない。彼が語り部としてナレーションするのはぶっちゃけ最初のコレだけで、あとはふつーに物語の登場人物なんだもん。
 彼の「解説」部分と「物語」はけっこー乖離してるんだな。

 それを、どうつなぐか。

 ……つながっていないというか、演出あんまし成功していない、気がしている、わたしは。
 すげーブツ切り感。

 だって、「解説」パートの最後が「私はスジニを背負ってコムル村に帰りました」だもん。帰ったんだ、帰ったから終わりなんだ、ほー(笑)。

 どうしようもないっていうか、「帰った」から「終わり」という「えーと、ソレは……」てな投げだし感というか、そしてヒョンゴの語りがすげーしみじみと寂しそうな感じがツボ(笑)。

 ちなみにこの「帰りました」でヒョンゴはスカートの裾を持ち上げて階段を上り(この仕草もツボだ・笑)、コムル村御一行様と合流する。で、合流してしまうと、B席からは見えない。イケコ、2階席のことも考えて演出しようよ……(笑)。

 東宝では地味に演出が変更になっており、ヒョンゴはコムル村御一行様には合流せず、階段途中止まって暗転を迎えるので2階席からも最後まで見えた。スポットももらっているし。ありがとイケコ。

 続く。
 ブラック・ジャックの影@まっつ……って、改めて見るとアレ、相当恥ずかしいね★

 今さらですが、『Brilliant Dreams#45「未涼亜希」~stage~』感想の続き。
 「未涼亜希の舞台で印象に残っている役や台詞は?」で、ブラック・ジャックの影@『TCA2003』の映像も流れました。

 う・わー……。

 考えてみればわたし、映像で見るのはじめてなんだわ。生で2回観てるんだけど、その後映像は見ていなかった。あんときゃ「どうせ映像には全部残るはずがないから」って、BJ先生と影をガン見してたんだ。
 で、そーやって他を一切見ずガン見していたくせに、そのときはわたしべつに、まっつファンぢゃなかったし。ただ無邪気に笑っていられた。

 華麗にまっつ落ちした今、改めてブラック・ジャックの影役を見て。

 なんなの、アレ?! と、うろたえた(笑)。

 ナルシス全開のブラック・ジャック@オサ様の、影。だからもちろん、影もナルシス全開。

 うっとりするまっつ。うふんいやんなまっつ。

 しかも、BJ先生がSなため、影はどっぷりMです。
 先生に攻められ、弄ばれ、儚げな顔であはんあはんしてらっさいまっつ。

 おもしろすぎるだろコレ。

 まっつなのに、ナニやってんの?! まっつのくせに?! てゆーか、この人、変!!(笑)

 トップ様相手にクネりまくる新公学年男役……。
 あのころはまっつのことよく知らなかったから、「花組若手のおもしろい人」認識だったよなあ。
 オサ様のDS行った人が、オサ様の素晴らしさの他に必ず、「まっつがおもしろい」と言っていたこともあり、なんかまっつの印象がまちがった方向へ行っていた気がする。

 あのころは無邪気に大爆笑できたけど、いや、実は今になって改めて見て、さらに大爆笑したけど、それだけぢゃなくて、なんかもうもう、みょーに恥ずかしい。地団駄踏んで転げ回りたい系の恥ずかしさ。きゃーきゃーきゃー。

 あー、まっつ好きだー。(結局ソレか)

 や、「未涼亜希の舞台で印象に残っている役や台詞は?」で最初に来たのは「バロット@『メランコリック・ジゴロ』」で、次が「ジオラモ@『アデュー・マルセイユ』」です。
 正塚、小池とまっつに縁深い演出家作品で、さもありなんっつーか、まっつも肯いている感じ。

 その次が、BJの影。
 当時の想い出を語ったあと、「まさかコレがこんな番組で出てくるとは、思いませんでした」の、最後の「思いませんでした」とカメラ目線でくっと眉を上げるまっつの真意は、なんなんでせう?
 なんか含みあんのか、この役? 身内人気とか?(同期の組織票があったとか、そーゆー裏を思わず想像した・笑)

 あともうひとつ、「リチャード@『MIND TRAVELLER』」もあったので、ええ、危惧していたいろんなトンデモ場面が流れておりました。
 まっつ自身「海馬の帝王、リチャード・モリス(笑)ですね」って、小さく吹き出してるし。あー、自分で笑うあたりがいいっすねー。そのあと切り替えて、すげー真面目に語っていたけど。

 ほんと、ふつーの二枚目役が「印象に残っている役や台詞」にひとつもない人やなー(笑)。

 
★未涼亜希の舞台で印象に残っている歌やダンスは?

 『Red Hot Sea』『エンカレッジコンサート』『I got music』。
 直近の公演は強いよなー。活躍してたしなー。

「で、『太王四神記』は何回観るんですか? 40回?」
 と、友人に真顔で言われ、びびって訂正した。
 どっから40回?! んなに観るわけないでしょ、公演数も減ってるのに。ふつーに週2で観るとして10回くらいだよ。
「だって『愛と死のアラビア』を20回観たんでしょ? アレを20回観られるなら、『太王四神記』なら40回かなって」

 ヲイ。
 わたしは、『愛と死のアラビア』のために20回観たんぢゃない。
 幽霊船の歌手@『Red Hot Sea』のために、20回観たのよっ。『アラビア』だけだったらそんなに観てないわっ。

 と、めいっぱい訂正したくらい、幽霊船まっつはダイスキです。

 『エンカレ』は全3日間5公演コンプしたしなー。短期間とはいえ、ひとつの公演全部観たのははじめてだ(笑)。

 オサコンは、わたしがまっつオチした、記念公演(笑)。
 アレがなかったら、わたしの人生変わってたんだなあ……。そして、わたしがまさにまっつオチした場面は、DVDカットになっているという……(笑)。
 だからもちろん、こーゆー番組でも映像が流れることはナイ、と。
 ああ、運命……。

 
★未涼亜希自身の想い出に残っている舞台

 すべて新人公演。
 ルイ@『琥珀色の雨にぬれて』、柳生宗矩@『野風の笛』、カルロス@『La Esperanza』。

 ファンでもなかったくせに、全部ナマで観てます。正直、観ていた当時に、まっつの良さはよくわかってなかった……(笑)。
 『琥珀…』はらんとむだし、『野風』はそのかだし、『La Esperanza』はあすかちゃんだし。や、わたし的視界の真ん中にいたのが。

 柳生宗矩役を語るまっつが、小首を傾げる様が、むちゃくちゃかわいいです。(話している内容も聞いてやれ)

 やっぱ思い入れという点では、自分が「主演」したものになると思うの、人として。
 なのに、初新公主演作『天使の季節』を上げないところに、まっつらしさを感じてウケます。
 
 
★未涼亜希に今後やってほしい役は?

 沖田総司@『星影の人』、ファントム@『ファントム』。

 えー、下級生はふつー「やってみたい役」に「どんな役でも」系のことを書きます。「自分から意見を言うなんておこがましい、いただく役はなんでもうれしいです」という意味なんだと思うけど。
 しかし、どこぞの未涼亜希さんは、最初から「沖田総司」と書き続けてましたね……(笑)。いつだったか『おとめ』の遍歴を調べたときにウケたぞ。

 まっつで沖田はいい加減、年齢・学年的にアレかなーと思うけど、まあ、水しぇんがあの年齢・学年でやったから大丈夫か。
 にしても、沖田総司はやっていいけど、『星影の人』は観たくない……沖田主役で世の中に物語は五万とあるんだから、あんな作品は誰が主演でも勘弁してほしい。
 沖田主役でなくても、いつかまっつが沖田を演じられるといいね、と思う。

 で、まっつの沖田というと、グラフの同期紹介で土方@そのかとコスプレしてたね。
 そしてそれと前後してそのかも『おとめ』のやりたい役に「土方歳三」と書くよーになったよね。

 でもって、『ファントム』。
 まっつでエリックが見たいかとゆーと、わたしはべつになんとも思わないが(中村B演出はもういい)、エリック@まっつというと、思い出すのは人から聞いたそのかのお茶会。
 「『ファントム』でやってみたい役は?」と聞かれたそのかが、「エリックがまっつで、私がキャリエール」と答えた、という話。
 いや、聞いたのは君がやりたい役であって、まっつのことは聞いてないから! という(笑)。

 思わず園松に想いを馳せる(笑)。

 
 そして最後に。

★未涼亜希が、これからやってみたい役

 「本気の恋愛モノ」だそうです。
 コメディではなく、シリアスな三角関係モノ。

 あああ。
 そうだよなあ。恋愛している役って、脇だとほんと回ってこないからなあ。ラヴシーンなんかしたことないもんなあ。

 恋愛してるまっつが見たいっす。
 ラヴシーンしてるまっつが見たいっす。
 
 まっつが例に挙げたのが、『あかねさす紫の花』。
 いやあ、どんだけ日本物やりたいねん。
 沖田総司に中大兄や大海人だもんよー。

 
 投稿数って、どれくらいあったのかなあ。
 BJの影が入っていたのは、自分的にびっくりだった。いや、わたしはコレで投稿するつもりだったけど。なんだわたし、多数派だったんだ、と喜びました。

 や、実は投稿してないんだけどね★ なにかもっと凝った答えを!とやってるうちに、〆切過ぎちゃって。
 あはは、前言に偽りアリですわ。

 次回ナニかまっつへの投稿があるときは必ず!!(あるのか次回?)
 マヤさんは好きだが、過剰なまでの重用・多用には疑問を持っている。

 今回の作品でも、彼が2役やる意味がわからない。
 彼は体型にも声にも特徴があるので、ヅカ初心者にも判別がつきやすい。スタイル命の若者ばかりの舞台で、ひとり小柄で横幅もそれなりにあり、年配者であるわけだから、それだけで目立つんだ。
 そんな目立つ、初心者でも区別のつくよーな人が、重要な役をふたつやると、混乱が生じる。
 ディープなヅカファンなら「2役で、あれは別の人を演じている」とわかるが、ヅカどころか舞台演劇を見慣れない人には、咄嗟にわからないだろう。
 こんなに初心者向けで大衆向けの作品でありながら、初心者やヅカファン以外を無視した配役をすることに、強い疑問を持っている。

  
 てなわけで、新人公演『ZORRO 仮面のメサイア』では、問題のマヤさんの役を、ちゃんと別の人が演じていたのでウレシイ。
 役が多いわけでもない芝居で、他にいないならともかく役者は何十人もいるのに、作品壊してまで主要人物が2役やる必要ないもの。

 マヤさんの役は、インディアン長老@香音有希くん、マヤさん本領発揮のコメディアンパパ@詩風翠……って、ハウル?!!

 ハウルくんといえば、小柄で儚げな美少年ぢゃないですか。
 押し出しが強いというわけでもない、野に咲くすみれのやうなヒナギクのやうな少年が、いきなりあの超喋りまくり踊りまくりコメディアンを?!

 どーすんだこりゃ、と思っていたら。

 マヤさんの役は、さゆちゃんだった。

 さゆちゃんはそもそも、一原さんの役だ。つまり、コメディアンパパの奥さんで、お笑い一直線のパパに振り回される役。ツッコミですらなく、ただあたふたするだけ。
 このコメディアンパパと、そのなにもしない奥さんの役が、キャラが入れ替わっていた。

 …………やっぱりさあ、『ZORRO 仮面のメサイア』という作品で、主役以外でオイシイ役って、メンドーサでもガルシアでもなく、このコメディアン役なんだよねええ。
 専科さんばかりがオイシイ作品を作るのはどうかと思うよ、演出家の先生方。創作者だから、自分が苦労して生み出したものを、巧い人に演じて欲しいのはわかるけどさー。名前も知らない孫みたいな年の子より、長年つきあってきた気心しれた大人にやってほしいのもわかるけどさー。

 オイシイ役、である専科さんの役を新公で演じても、たしかにオイシイけど、路線としてのスキル上げにはあまりつながらないから、スター育成の意味でも専科さん重用過多はどうかと思う。

 とりあえず、その「オイシイ役」を悠々演じるさゆちゃんは、すごかった。
 新公ヒロ、バウヒロ、DCヒロ、本公演含むいろんな公演での準ヒロインと総ナメしてきたキャリアが光っている。キャリアだけでいえば、もう新公卒業していてもおかしくないもんねえ。
 なんかひとりだけ上級生が出演しているような、安定した貫禄だった。

 そのパワフルで空気読めない人の言うこと聞かない、しかし愛らしい奥様に、振り回されぶっ飛ばされている可憐な婿養子が、ハウルくんだった(笑)。

 わ、わかる。この役なら、わかるよハウルくん(笑)。

 婿養子だという説明はどこにもなかったが、メイドの報告する相手が奥様だったりすることから、この家の主人が奥様の方だとわかる。

 とんでもなくはた迷惑な奥様なんだが、押し出しよくチャーミングだし、気弱な旦那が奥様に惚れていることも、よくわかるんだ(笑)。
 てゆーかこのカップル、イイ。
 突撃奥様@さゆちゃん、儚げ婿養子@ハウル。
 さゆちゃんのパワフルっぷり、周囲見えないぶりが、突撃娘ロリータとDNAの濃さを感じさせる。
 ロリータ、ママ似だったんだ!!
 このママ、若かったら間違いなくコスプレしてゾロの追っかけしてるよ!!(笑)

 ただし、この場合のロリータは知性も理性もありそうな(ついでになにか裏がありそうな・笑)新公のみなこロリータではなく、考え足らずで爆走している本公演のとなみちゃんロリータね。

 さゆちゃんがとなみちゃんのママなんて、ヅカのスターシステム上ありえないが、ちょっと「夢の競演」として見てみたいわ。
 この母にしてこの娘あり!! と思わせてくれるだろう(笑)。

 また、「愛がすべて」のタカラヅカだもん、そんな人騒がせ突撃奥様に、婿養子が振り回されへとへとになりつつ惚れきっている様子は、微笑ましくて絶対素敵。

 そしてこの、婿養子@ハウルくん。

 かわいすぎて、どうしようかと。
 
 あの線の細い美貌で、へろへろへにゃへにゃといかにも儚げに弱々しく、マラカス持って踊ってるの。

 ええ、ここだけちゃんとマヤさんの役割を果たしている。
 マヤさんが踊っているあのみょ~~なダンスを、ハウルくんが婿養子の薄幸さ全開に、しかしたのしそうに踊っているのよ。
 うおおお、かわいいぃ~~。

 思わぬところでときめいた。
 強く活き活きしているさゆちゃんと、彼女の尻に引かれている儚げなハウルくん(笑)。
 お似合いのカップルでした。

 
 あと目に付いたのが、ガルシアの部下その2@煌羽レオ。……て、研1(4月から研2)かよ?!
 文化祭では日舞とダンスで目立っていたけれど、演劇は見ていない(文化祭の演劇は全員がWキャスト)ので知らなかった……芝居、好きなんだ。
 すっげー勢いで演じてた。台詞なんかろくにないんだけど、顔芸ハンパないよ。
 もっとこの子の芝居が見てみたいな。

 美形でウケたのが、神父@透真かずき。役としてはおっさんか老人なんだろうけど(ロリータ父と同年代か、それ以上?)、本役でもそらくんが美貌だけで演じている。
 新公でも美形くんで、年齢設定がどうあれこの役は正義のヒーローに助けられる、美貌の姫君ポジションだと判明。
 僧服を美しくストイックに着こなし、緊縛プレイに萌えさせることが条件てか?(笑)
 透真くんは今回、みっちゃんにもタニちゃんにも似ていた……気がする。

 ブラック・エルク@れのくんは、美貌のインディアン。派手な被り物に負けない美貌が素敵。


 で、最後になったが、ベルナルド@帆風成海くんと、夜の稲妻@ミミちゃん同期カップル。
 えーと。
 ミミちゃんはきれいに演じていました。ひとめでチャーミングなインディアン娘って、目を引くなー。
 
 帆風くんが、うまいのかどうかは、正直よくわかりませんでした。

 台詞なしで演じきる役は、ある意味オイシイ、重要な役なんだが。
 それは、ベテランがやるからオイシクて重要なんであって、抜擢下級生がやっても大変なだけなんじゃないかと。

 男役10年と言われるように、「男役」という型が出来上がるまでには、物理的な経験と時間が必要だ。
 着こなしや立ち居振る舞いもそうだが、スターとして主要キャラを演じるようになるためには「声」も必要。女の子声で女の子の喋り方ではダメなんだ。

 新公という貴重な実践の場で、「声」「台詞」を禁じられた役は、スキル上げという点ではあまり役に立っていないのでは?
 もちろん、台詞なしで表現するスキルはつくかもしれんが、ソレ、新公でなくても役ついてなくても、モブでもできるし。マイク通して声を出す、てのはほんと貴重な経験になるはずなのに。

 せっかく抜擢なのに、この役だとうまいのかどうかもわかんない。縦にも横にも大きいなあ、とか、がんばってるなあ、がんばれ~、とか、ゾロ@がおりくんといろいろ違いすぎで「影」になっていない気がする、とか、それくらいだもんなあ。
 あ、夜の稲妻と仲良さそうなのはわかった。ぺたっとした感じ(わかりにくい表現)。ヅカですから、カップルに愛があるのは、そしてそれが傍目にわかることは、良いことです。

 
 代替わりして最初の、研6までしか出演していない新人公演。
 脇を締める達者な88期が抜けたわりに、しっかりと芝居をやっていたと思う。89期が真ん中経験者・脇を含めしっかりしているのがうれしいっす。
 猫が原因で父がアタマを割って流血、病院送りになりました。これで犠牲者はふたりめ。最初は母がアタマをかじられ流血、家具その他に血を振りまき大騒ぎでした。
 ……なんでこう暴れん坊なんだ、猫。我が家ではすでに「猫」ではなく「ケダモノ」「猛獣」認識です(笑)。
「ウチのケダモノはどうしてる?」
「さっきまでさんざん暴れてたけど、今は疲れて椅子で寝てるよ」
 とか、そんな会話が日々されています。
「あの猛獣、今日はナニを壊したの?」
「今日の被害はねえ……」
 被害報告は毎日、毎回(笑)。
 カラダはちっこくてめっさスリムなんだけどねえ……骨と筋肉のみで構成された、ドーベルマンみたいなカラダ付きしてんだよねえ……軍用犬みたいな体躯の猫って嫌だ……(笑)。
 

 まあそれはさておき、花全ツ集合日だっつーことで、配役出ました。

 いやあ、贔屓の退団がナイとわかっている集合日ってイイねっ!

 路線スターのファンはこーゆー気持ちを味わっているのかぁ。路線ファンになったことない(笑)から、ぴんときてなかったけど。
 先に出演する公演スケジュールが発表されているから、今回の集合日では全ツだから本公演だからにかかわらず、退団は絶対にナイ。ああ、なんて安心感。
 いっつもいっつも、集合日のたびにおびえまくっていたからなー。いやあ、のびのび。らくらく。

 で。
 アルバロって、どんな役ですか?

 『哀しみのコルドバ』は、ヤンさんサヨナラ公演を観ているんだけど、この役記憶にないわー。
 全ツはお試し人事の実践場でもあるから、劇団が意志を持って配役するからなあ。
 前回の全ツで出番が減らされていたこともあり、劇団がまっつをどうしたいのかよくわかるというか露骨というか。
 ふつーは組をふたつに割っての少人数公演だと役付きが上がるもんなんだが、全ツのたび落ちるまっつ……。ショー『Red Hot SeaII』でも、本公演のときより出番が減っている可能性アリですな。
 ショーの配役は初日までわかんないんだっけ。
 初日や楽を観る予定はもともとないので(なんで大阪はじまりぢゃないの?!)、まっつメイトからの報告待ちになるなー。心臓に悪いなヲイ(笑)。

 大阪ともうひとつ、地方の会場で観に行く予定っす。
 単にソコしかチケット当たらなかった、友会その他。ええ、初日市川とか、入力したのにはずれたんだもん。大阪梅芸だって、「当たりすぎたら嫌だな」と思っていたのに(笑)、全滅したんだっけ。
 まっつの出る公演チケットにあぶれ続けるのは、相変わらずです。
 梅芸は宝塚友の会じゃなく、梅芸のネット会員抽選で1公演だけ微妙な席が当たってるんだったかな。チケット自力発券だからいつどこが当たっているのか、すでにおぼえていないという。
 まあ、前回の全ツも梅田はチケ余り気味だったので、今回もソレを期待しているんですが……。
 あとははじめての会場へ、公演追っかけて行くので、それをたのしみにしていよう。

 
 壮くんの『オグリ! ~小栗判官物語より~』も、たのしみだー。
 無知なので原作は知らないが、壮くんでキムシンで、つーだけでわくわく。ポスターの派手さにもわくわく。
 こちらもチケット持ってないんだが、サバキはあるよね? ね?

 
 今、携帯アプリで『ロマンシングサガ』をプレイしてるんですが、もちろん、主役の名前は「まっつ」です。
 ストーリーが決まっていてキャラクタが出来上がっていて声優フルボイスが常識の現代では、「主人公に好きな名前を付ける」系のRPGって少なくなってるのかな? 最近RPGやってないからよく知らんけど。
 一昔前は、ゲームをジェンヌの名前でプレイするのは基本だったんだがなあ。
 『FF7』の主人公は当時雪組若手スターだった某たかこさんだったり(笑)。他のキャラも全部雪組で埋めたわ。
 あと、いろんなゲームの主人公に「ケロ」って付けてプレイしていたなー。『てくてくエンジェル』(万歩計のキャラ育成ゲーム)で、わたしがあまりにも歩かなかったから、「ケロは いなくなった・・・」ってゲームオーバー・メッセージを見たときはショックだったなあ。ごめんよごめんよケロ、心を入れ替えて毎日歩くよ!! と誓ってみたり。

 最近そーゆーのまったくなかったんで。
 なつかしゲームを携帯で、てなときになって、「そうだ、主人公に『まっつ』ってつけられるじゃん!」と思い立った。
 うわー。
 「まっつ」だ。
 主人公まっつだよー。
 いちいち、「やあ、まっつ」とか話しかけられるよー、姫君から「まっつさま ならば きっと てがらを おたてになると しんじていましたわ」とか言われちゃいますよ、きゃー。なんか、きゃー(笑)。

 『ロマサガ』はわたしが生まれてはじめてプレイしたRPGで、「ロープレってすごい、なにもかも自分で決めて自分でその世界を生きるんだ!」と、激しく誤解した(笑)。
 ええ、誤解。
 その後、『FF』『ドラクエ』等、なにもかもあらかじめ決められていて、自分ではナニもできない、ストーリーを追体験するだけのモノが「RPG」であると知り、ショックを受けた。

 『ロマサガ』はフリーシナリオ。誰をどう育て、どんな武器を装備させどんな技を覚えさせ、どんな土地へ行き誰と出会いナニをするか、ナニをしないかすべて自己責任。
 プレイ開始後数分でバカ強い敵にパーティ瞬殺されることなんか、あったりまえ。弱い敵から順番に出てきたりしない。危機回避も自己責任。あたしゃファーストプレイがグレイだったんで、開始数分で恐竜に瞬殺されてぼーぜんだったよ、生まれてはじめてのRPG。

 さて、ウチのまっつは、都会の盗賊でぴっちぴちのハタチです(笑)。
 幼なじみの女の子が奴隷商人にハーレムに売られてしまったので、助けるために女装します。女装したまっつは、そのへんの女の子よりよっぽど美人なので、男たちも鼻の下を伸ばしてデレデレ、簡単に男子禁制のハーレムに潜入できちゃうのです。
 ……が。
 たしかそーゆー流れのイベントのはずが、ウチのまっつはつい、地下水道で「聖杯」をGETするのに燃えてしまって、必死になって戦闘を繰り返しておりました(女装中)。
 無事聖杯も手に入れたし、さあ女の子を助けに行くぞ……と思ったら。
 女の子、もう母親のとこに戻ってるし。
 地下で戦闘にハマってる間に、イベント終了しちゃった?!! 『ロマサガ』フリーシナリオだから、イベントは時間経過(戦闘回数)により勝手に終了しちゃうし!

 まっつが女装していたのは、女の子を助けるためなのよ?
 なのに、女の子も助けない、ハーレムにも潜入しない、で終わってしまうと。
 ただ女装したかっただけの人になってしまう!!

 はい、さくっとリセット、イチからやり直しました。
 今度はちゃんとハーレムに潜入して女の子を助けたわ!(笑)

 まっつは今、順調に経験値を上げながら、冒険中です。
 しかし、サルーイン(ラスボス)を倒すのはいつのことやら。
 タカラヅカである以上、やっぱビジュアルってのは重要である。。
 そして、こと下級生で美しい子というのは、貴重である。

 経験を積めばみな美しくなるものなので、その経験の浅い下級生時代、新人公演で「美しさ」を発揮するのは、芝居や歌の技術と同じように難しいことなのだろう。
 なにしろ下級生は、太い。
 若い娘さんは肌に張りがある分、ぷくぷくしている。
 オフではみんなスマートなスタイル良しさんたちだとわかっているが、舞台の上はスマート程度じゃ太って見えてしまう。ジェンヌは大変。

 すらりと痩せていて、スタイルが良くて、舞台の上で美しい顔立ちの男役、つーのはほんと、稀少なのだなと思ってみたり。
 脇で「あ、あの子きれい」と思ってみても、実際その子に役が付いて、たくさんの台詞や場面を与えられても「きれい」でいられるかは、また別問題だし。動いたらきれいでなくなる場合だってある。

 
 「きれい」は才能。持って生まれただけでなく、磨くことで光るもの。
 「きれい」ってだけですごい。
 「きれい」が技術である以上、新人公演で「きれい」であることは、すばらしい(笑)。

 て、前置きで。

 ホセ@キングが、美形だった。

 ホセ役って、美形悪役だったのか!!
 本役はハマコさんなので、そんなことカケラも考えなかったが(失礼)、キングときたら、笑えるほど「美形」に作ってました(笑)。←笑うのか。

 ストレート・ロン毛に前髪一筋垂らして、アニメかゲームのキャラみたいっす。黒髪が黒い服に栄えて、いかにも美形悪役風っす。

 いやあ、とにかく「美しく」あることで勝負懸けてるのは、見ていて気持ちいいね。だってここタカラヅカだし! なにはどうあれ、なにができようとできなかろうと、とにかくただひたすら「美しく」。
 ハマコと違ってラスボスというより、最後の崩壊っつーかへタレぶりがまた小物感満載なんだけど、美しいからそれだけでいいや(笑)的ステキ・キャラ。
 総督と「美形」としての役割が、本公演と新公では入れ替わっていた感じ。

 
 でもって。
 わたし的に今回の新公で、もっとも美しかったのは、実はガルシア@まなはるです(笑)。

 ほっぺたぷくぷく真ん丸顔の男たちの中、ふつーに小顔できれいなフェイスライン。長い手足、細いカラダ。
 役作りできっついメイクして、反り返った変な立ち方しているけど、顔もスタイルも美しいってばよ。

 てゆーかさ。
 ガルシアが、熊の体格でも、蟻の脳みそでもなかった。

 背は男役として、雪組として、十分な高さがあるけど、なにしろ細いので熊というほどのキャラではない。
 そしてなにより、本役ほど、アホキャラには見えなかった。

「まなはるは蟻の脳みそぢゃなかった! ヲヅキは蟻だったのに!!」
 新公観劇後、ヲヅキファンのチェリさんの嘆きが(笑)。
「ヲヅキがあんなにバカなのは、脚本のせいではなく、ヲヅキのせいなの?」と。
 いや、脚本に「蟻の脳みそ」とあるんだから、本当にバカに見えるヲヅキは正しいんだよ。
 正しいけど、ここはタカラヅカだから「かっこいいヲヅキが見たい……」と肩を落とすファンの言い分ももっともで。

 バカだけど脳みそが足りないのではなく、脳みそまで筋肉の、体育会系バカである新公ガルシアは、「え、アレ誰?!」ってくらいには、かっこよかった。

 かっこいい、けれどそれは別に、まなはるがかっこつけててアホな役をアホに演じていない、というわけじゃない。
 彼はとことんやっている(笑)。
 もとが今風の美形くんなのに、描き過ぎてすごい顔になっているお化粧、行き過ぎた表情、渾身のギャグ芝居と「蟻の脳みそのガルシア」をすげー鼻息で演じている。
 ヅカらしい美しい役ではないが、ガルシアは儲け役だ。そんな役がついたことがうれしいんだろうな。やる気があふれていて、ちょっと恥ずかしいというか、微笑ましい。

 『凍てついた明日』のときも思ったけれど、まなはるは下級生ながら「男役」なんだよなあ。「少年役」「子役」ではなく、タカラヅカの舞台の適齢期である年代の男役を作ろうとしている。
 ぷくぷくした男役未満の少年役ばかり目に付く下級生たちの中で、彼の早熟ぶりは貴重だと思う。
 美形でスタイル良しで、演技もアグレッシヴ。とっとと新公主演させて、もっと鼻息荒くさせてやってくれ、と思うよ。

 ……渾身のバカ男芝居が、「脳みそまで筋肉」止まりで「蟻の脳みそ」にならないのはソレ、持ち味の違いもあるが、演じているまなはるの鼻息の荒さも関係していると思う。
 アスリートのようにいい汗かいてるんですよ、あの人。あまりに本気で体当たりだからしかもそれすら楽しそうだから、そのがんばりが見えてしまっている分、思考力や知性があるように見える。
 経験を積めば、もっとバカに見える、ヌキの演技も出来るだろうけど……「蟻の脳みそ」を完璧に演じるスキルよりは、他のスキル磨く方が今後役立つだろうから、今のキャラでいいんじゃないかな(笑)。

 
 さて、文字数なくなってきたので。
 美形語り、最後はもちろん、キッキング・ベア@あずりんです。

 えー、よーするに「インディアン・チームのその他大勢」です。みんなと一緒に出てきて喋る人たちの後ろに立っていて、みんなと一緒に退場する、そーゆー役。

 …………台詞喋って、演技しているあずりんが見たい…………。
 彼の声とか喋り方とか、歌とか、できるのかどうかすら、よくわかんねーよ、今のままじゃ。

 が、しかし。
 台詞はなくてもライト当たらなくても、胸にマイクすら付いてないときがあっても、とりあえずあずりんは、イケメンです。
 
 あああ、かーっこいぃ。
 見た目がちゃんと「男役」で、クド過ぎる全身演技やってるので、モブ扱いでも見ていて楽しい。
 インディアンとメキシコ人やってるときは、とにかくクドいっす。そして、スペイン人やってるときは澄ましているので、ギャップが素敵。

 ベルナルドが死んだあとのワタン・タンカとかもー、濃いぃ濃いぃ。目がギラギラしてる。
 土臭い汗臭い男だ。感情が激しく、荒い。でも態度はいつも一歩下がったまま、立場をわきまえている感じ。いかにもインディアン。きっと、命の臭いがする男なんだろうな。

 あずりんは学年からいっても「若い男の子」であるんだけど、わたしが彼を好きなのは、最初から「かわいいけど、子どもだから対象外だわ」って思わないこと。
 わたしの年齢はさておき(笑)、「レンアイしてOKな年齢の青年」と思える。
 タカラヅカは夢の世界なので、旬な男たちを愛でたい。旬ってのは、自分にとっての「レンアイ可能な年齢」(笑)。そしてこれはジェンヌ個人の学年でも年齢でもなく、舞台の上での見た目やイメージの年齢ね。
 トウコちゃんやゆーひくんが今研いくつで、実年齢いくつであっても関係なく、舞台で旬な青年であるように。
 わたしはショタの気がまったくないから、子どもにはときめかない。どんなにかわいくても美少年でも、大人になってくれなきゃ、「旬」と思えない。
 そーゆー意味であずりんは、スカフェのぴっちぴちに若い男の子であったころからすでに、「対象外の子ども」ではなく、「旬な男」だった。
 最初から、「子ども」ではなく「男」だったから、ときめいたんだな。

 
 若い子はどうしてもぷくぷくで女の子っぽい。
 男役であること、男役として美しいこと、は才能であり技術であるので、若者ばかりの新公では余計に、「きれい」であること、「きれい」を作れる子に注目してしまう。

 ……まあ、所詮は好みの話でしかないけどな(笑)。
 がおりくん、新公主演おめでとー!

 新人公演『ZORRO 仮面のメサイア』観劇。

 長年ひとりっこ政策だった雪組が、毎回新公主演者がチガウなんて、なんかとっても感慨深いっす。
 新公主演したからといってトップ路線にならなくてはならない、路線からはずれたら即退団しなければならない、という風潮が薄れつつある今、できるだけたくさんの子たちに、とりあえず真ん中経験させるのは大賛成。
 トップの素質のある子は、なにも5回も6回も新公主演して、7回も8回もバウ主演しなくても、ちゃんとトップになれるから。それだけのものを神様から授かって生まれてきているから、ひとりっこ政策は無意味だと思う。

 がおりくんは確実な実力を持ち、ビジュアルの端正さもあり、特に穴はない、あるとすればそりゃーもー、ただ、その、かなという、男の子。
 『君を愛してる』新公でキムの役を演じ、華とかムードで持っていくところを技術で、力尽くで支えきった姿が忘れられない(笑)。
 なまじ技術があるもんだから、下手をすると縁の下の力持ちになってしまいそーなところで、新公主演という華々しい経験ができて、心からよかったと思う。脇を何度演じるより、1回真ん中に立つことで、華スキルを何倍も磨けたはずだもの。

 タカラヅカらしい、と評されるこの『ZORRO 仮面のメサイア』は、新公という観点でも良いのかもしれない。
 「勢い」で突っ走ることが可能だからだ。

 タカラヅカらしい、穴とハッタリに満ちた作品。
 ガチガチに作り込まれたモノではなく、あちこちゆるゆる、されど見た目は派手。
 若者たちが勢いに任せて演じてしまうことが、可能。

 大変なのは、小物使い。マントだの剣だの、立ち回りだの。
 そーゆー部分が大変とはいえ、正塚芝居みたいな役者の根本に関わる部分が大変ってわけじゃないもの。

 がおりくんは小物使いに四苦八苦しながらも、堂々と演じきった。

 踊れる、てのは強いね。
 最初のゾロがゾロゾロ場面でも、真ん中の彼は安心して見ていられた。
 歌える、てのは強いね。
 銀橋その他のソロを、安心して聴いていられた。

 もっともがおりくんは歌ウマ認識のため、「もっと歌えるんぢゃ?」と高いハードルで見ちゃったけどね。

 やることが多すぎて大変!という感じではあった。
 一旦抜いた剣はなかなか鞘に収まらないし、花瓶はひっくり返すし。
 観ている方も彼の「やらなければならないこと」を一緒に指折り数えている感じで、あまり落ち着いて「芝居」まで観られなかった気がする(笑)。

 
 次期トップ娘役であり、2回目の新公ヒロイン、ロリータ@みなこちゃんは……1回目と同じく、となみちゃんのコピー。
 ……器用なのも真面目なのもわかったから、別のモノを、みなこちゃん自身の役作りを見たかったっす……。

 台詞回しや声がとなみちゃんそっくりなのに、賢そうに見えるのが、個性と言えば個性か。

 民衆を扇動するところも、政治的プランがあってやっているように見えた。もっとも彼女が革命のリーダーには思えないから、なにかしら背後に組織があって、組織の思惑でアジテーターを務めている感じ。

 なまじ知性があるよーに見えるから、自殺行為の扇動を浅慮にやっているように見えないんだよね。
 神父処刑に反対するにしろ、あそこで演説カマして、ロリータはナニがしたいのか。
 武装した兵に囲まれた状態で民衆を煽るってことは、暴動を起こすことが目的? 今まさに銃を持った兵隊に、素人の民衆に素手で立ち向かえと。
 ……ものすごい惨劇が待っている気がして、その行為には恐怖しか感じない。
 それとも、軍隊は暴徒と化した民衆にも一切発砲せず、ただ黙って殺されるか、あるいは逃げ出すとでも思っているのか。
 ロリータの行為は、めちゃくちゃすぎる。
 彼女がアホだと一目でわかれば、まあ、「ナニも考えてないんだな」で済むが(済ませちゃいかんが、谷作品だし)、理性も知性もありそうな女性があえてそれをするとなれば、そこに理由を考えてしまうでしょ?
 ここで暴動を起こしても軍隊が味方に付くよう根回し済だとか、あるいは彼女こそがスペイン側の回し者で、簡単にアジに乗って反抗する民衆を皆殺しにするのが目的とか。

 ロリータは浮世離れした善良なお嬢さん、でなくてはならず、とにもかくにもぶっとんでいなくてはならない、真っ当に地に足が着いていてはならないのだと、改めて思った。
 どれだけアホで迷惑で、一歩間違えれば大惨事死者何十人か何百人か、てゆーかベルナルドが殺されたのはぶっちゃけこの子のせいだよね、とかを、全部不問にするアホかわいさがないといけないんだ。

 とゆーことで、となみちゃんの芝居を丸コピするのは正しいのかもしれないが、ただなぞっているだけでは脚本の粗がまんま出てしまう。壊れた部分を力尽くでねじ伏せるのがトップスターの仕事、となみ姫はそのへん天分でクリアしちゃってる人なので、みなこちゃんもがんばって欲しい。

 
 メンドーサ@りんきらは……なによりまず、ビジュアルかなー。
 とくになにができないとかいうんじゃないけど、タカラヅカってやっぱり外見が必要なんだと、しみじみ思った。
 ぶっちゃけ痩せてくれれば、印象もずいぶんチガウだろうに……絶対外見で損してるよ……。

 てゆーか、メンドーサ大佐が、悪役だ。

 すっげー憎々しい。同情ナシで「うわっ、嫌なヤツ!!」と出てくるたびに思えた。
 新公なので主役に圧倒的なヒーロー・オーラがあるというわけでは残念ながらないため、悪役をグレーにせず真っ黒にしたのは、バランスとしていい感じ。
 メンドーサがわかりやすく悪役なので、それだけで主役のヒーロー度が上がる感じ。

 
 オリバレス総督@咲奈くんは……なによりまず、ビジュアルかなー。
 とくになにができないとかいうんじゃないけど、タカラヅカってやっぱり外見が必要なんだと、しみじみ思った。
 
 と、コピペして使ってみる。
 総督役って、かなめくんが美貌だけで持っていってたんだなあ。きれいな衣装を着て美貌を披露する、以外には、なんつーかこう、しどころのない役だなと。だって、キャラ的には専科さんでもいいくらいだもんねえ。専科さんならしどころなくても存在感で見せちゃうし。

 咲奈くんはスタイルが良いので、お顔のまんまるぷくぷくさが残念でならない。若いから仕方ないのかな。もともときれいな子のはずなのに、お化粧の問題かなあ。
 そして、彼の武器である歌はないわ、舞踏会ダンスくらいしかわかりやすく踊る場もないわ、前回のような少年役ではなく大人の男の役で、魅力を出しにくかったのだとは思うが、いろいろ残念だった。

 とはいえ、学年を考えれば、十分及第点。まだ研2……4月からやっと研3だもんな。
 少年役でなく、大人の男に真っ向から挑戦している姿は気持ちいい。

 記憶力に著しく欠けるので、おぼえていることはほんと少ないんですが。

 カメラをもらった彩吹さんが、ものごっつうれしそうだったのは、よくおぼえています。

 彩吹真央お茶会『風の錦絵/ZORRO 仮面のメサイア』にて、最後にあるじゃないですか、お茶会出席者からジェンヌへのプレゼント。
 そのプレゼントが、『フレンドパーク』でゆみこちゃんが希望し、たわしになったあのカメラだったんですよ。
 くわしい型番とかわかんないけど、同じものだったらしい。

 AQUA5として出演した数々のテレビ番組の話もしていたので。
 お茶会会場には、例のたわしも登場していて。
 ゆみこちゃん、みんなに見せるためにわざわざ持ってきてくれたの。で、持ってきただけで、ファンにプレゼントとかはしないの(笑)。大事に玄関に飾ってあるんだって。

 そのたわしの話だって、していただけに。
 お茶会のゆみこちゃんのいる演壇に、たわしはずーっとちょこんと飾られていたわけで。

 たわしではないカメラの登場に、ゆみこちゃんのテンション上がりまくり!!

 ……ほんっとーに、欲しかったんやなー……。

 「やったぜパパ、明日はホームランだ!」ってくらいの、見ている方がおどろくような喜びっぷりでした。つか、マジ、子どもみたい。
 いやあ、あんなによろこんでもらえるなら、贈った甲斐がありましたね、みなさん(笑)。

 
 オフの質問は、質問用紙の入った箱からゆみこちゃんが自分で引く、という、タニちゃん形式。答えられない質問を引いてしまったら抹殺してヨシと前置きの上で、基本引いたモノには答えていたが、「あ、これダブリだ」とかつぶやきながら用紙を排除したりもしていた。
 タニちゃんのお茶会だと、公演もメディア関係もオフも全部タニちゃんが自分で抽選して読み上げるから、話が前後左右東西南北上下過去未来とびまくって答える方も聞く方もなかなか大変だが(タニちゃんすげえよ)、「オフのみ」とカテゴリ分けされていると、ランダム形式もけっこーイイかもしれない。
 ナニが出てくるかわからない、自分で引き、それに答えるかどうか、質問の理解度とかいろいろ、本人のナマな部分を垣間見られる。
 司会が入らない分、よりぐたぐたになりますがね(笑)。

 
 歌はもちろん、「風の盆恋歌」。
 着流しで演歌です。違和感なし。

 ところで、このお茶会ではピンマイク使用で、ハンドマイクは基本使用してなかったの。
 ゆみこちゃん登場時に手に持っていただけかな。
 あの大きなマイクがあると、どうしても顔の一部が隠れるから、胸に付けたピンマイクで進行していたの。
 わたしが知る限り、タニちゃんぐらいかな、ピンマイク使用って。

 たぶん、ハンドマイクの方が、ジェンヌさん本人にいいんだと思う。
 音響的なことではなく、手の、やり場が。

 両手が空いてしまうと、こまるんだろうなと思う。
 手にはかなり表情があり、口でなにか言うより性質を現すのに雄弁だったりするし。
 主役として語ることだけでも気を遣うだろうに、手の表情まで気を遣うのは、ジェンヌさん本人はしんどいと思う。
 それよりもマイクがあれば、両手でそれを握っていればいいわけで、話すことだけに集中できる。

 手持ち無沙汰にならない、緊張も思考もマイクを両手で握っている方が安定する。や、自分が人前でナニか喋る場合、マイクを手で持てるのとナイのじゃ、ぜんぜんチガウって、手の置き場・表情、姿勢その他。
 だからこれだけマイク関係が発達した現代でも、トーク番組だの貸切公演の司会だの、モロモロの場でハンドマイクを使い続けるのだろう、と、わたしは勝手に思っている。

 観客の立場で言えば、無粋な大きなマイクより、顔が障害物なしで見えるピンマイクの方が100倍イイ。

 それまでピンマイクで喋っていたゆみこちゃんも、いざ歌のプレゼントとなると、ハンドマイクを持って、立ち上がって歌い出した。

 そう、この「歌う」ときだって、ハンドマイクがないと音響以外の部分でやりにくいんだろうと思う。
 棒立ちして歌うわけにはいかないから、手の振りが必要になる。
 たとえ片手であっても、マイクを持っていたら、必要ないけど。空いた方の手は自然に垂らしておくだけで格好が付くから。

 ハンドマイクの方が楽だし、トーク時にはマイクを握る、という癖がついているのはわかるが。

 歌が終わったあとも、ゆみこは、マイクを離さなかった。

 胸にマイクがあるのだから、大きなマイクを口元に持ってきて話す必要はまったくないのに、本人ナニも気づかず無意識のまま、マイク握ってえんえんえんえん話し続けた(笑)。
 せっかく「顔がよく見えるように」とピンマイクだったのに(笑)。

 マイク離さないなー、このまま最後までマイク握ってるのかなー、と思っていたら、最後の最後でようやく司会者が口を挟むことができ、マイクを置くように指示していた。
 でももう最後だし(笑)。

 ゆみこちゃん、天然だなあ(笑)。
 

 とにかく時間がすごくゆったり流れていたようで。
 このお茶会、いつ終わるんだろう? と途中で思うくらいには、長かったです(笑)。
 長くなるのは、わたしはぜんぜんいい。その分、ジェンヌさんを見ていられるわけだから。
 疲れているだろうに、ファンのために長い時間を割いてくれる、それだけでうれしい。
 ただ、この田舎で閉会が遅くなると支障が出る人がけっこーいるんじゃないかと、他人事な心配をした。

 ええ、他人事。
 ところがなんと、他人事ぢゃなかった。

 ごはん食べる時間がない。

 お茶会開始は至極普通、7時半くらいからだった。
 7時半から8時開始くらいはふつー、だよね? いつもの場合、お茶会のあと仲間たちとごはん食べてから、帰路についていた。
 されど、ホテルを出られたのが10時過ぎじゃあ、なにも食べている時間がない。阪急一本で帰ろうと思ったら、10時半に店を出なきゃいけないのよ。阪急の終電はやたら早いし、乗り換えのツナギが悪くてホームでえんえん待たされるしで。
 JR利用で帰るつもりなら、それこそ大阪周辺は午前1時台までOKだけど、JRは高いからびんぼー人には使えないっすよ。

 空腹のまま、なんとか本日中に帰宅すると。

「なにも食べてない? ……て、なにも食べるものないぞ? 残り物集めて、ひとり鍋でもするか?」

 高級肉使用の母の誕生パーティはすでに終わり、ひとり茶の間にいた父に、そう言われた。や、あずけていた猫も引き取らなきゃいかんので、親の家には顔を出す必要があったのよ。
 
 嫌~~、寂しくひとり鍋は嫌~~、みんなしゃぶしゃぶだったのに、わたしだけひとり野菜鍋は嫌~~。

 自宅にもなにも食料の用意がなかったので。
 まっつオススメのやきそばUFOひとつ下げて、猫を肩に乗せて家に帰りました。

 しゃぶしゃぶは食べ損なったけど、後悔ナシ。
 ゆみこちゃん、かわいかったよー。ほわほわゆるゆる(笑)。
「谷先生のいちばんの失敗は、年表を作れないことだと思う」
 と、友人たちが言ってましたが。

 ええ、『ZORRO 仮面のメサイア』の謎についてです。
 物語の中に異人種間での哀しい争乱が何度かあるようなのですが、それらがいつ起こったのか、そのとき主人公たちがいくつで、どこでどうしていたのか、誰もわからないのです。

 観ている者にはわからない。
 では、演じている人ならわかるんじゃね?

 という期待もありました、彩吹真央お茶会『風の錦絵/ZORRO 仮面のメサイア』にて。

 Q.メンドーサ大佐はいくつですか?
 Q.メンドーサ大佐の両親がインディアンに殺されたのは、いくつの頃ですか?
 Q.幼なじみだという、ロリータやディエゴとの関係はどんな風でしたか?

 ネックは、「幼なじみ」。
 一緒に育ったならば、メンドーサの両親のことはロリータもディエゴも知っているはず。
 なのに彼らは、ナニも知らないようだ。
 そんな幼なじみアリ?

 また、事件を知りようもないほど幼い頃の、大昔のことだったというならば、それによってインディアンを憎んでいるメンドーサと、インディアンの血を引くディエゴが「幼なじみ」で仲良くしているのはおかしい。

 このへんの謎は、舞台で表現されていないだけで、じつはきちんと設定があるのかしら。

 と、思ったら。

 A.メンドーサは27歳。ディエゴも同じくらい、ロリータは少し下。
 A.メンドーサが思春期の頃、両親が殺された。
 A.幼なじみと言っても、それほど仲が良かったわけではない。

「……んじゃないかなと、水さんと話しています」

 公式設定ナシかよ?!!

 キャラクタの年齢は淀みなく答えていたので、公式設定かもしれませんが、それ以外は「……と、思います」「……じゃないかなと思っています」って……演出家はナニも考えてないのか。

 両親を殺されたことは、メンドーサの生き方・考え方を決める重要な事件だ。彼がいくつのときに起こったのかは、メンドーサというキャラを作った時点で設定しなければ、おかしい。年齢によって、受け止め方がチガウし、その後の人生の歪み方が変わるからな。
 わたしが作家ならまずそこから決めるよ。
 なのに、決まってないのか、谷正純。
 ただなんとなく、「メンドーサは悪役。でも、最後に『ほんとは悪い人ぢゃないんです』をやりたい。そうだ、インディアンに両親を殺されたことにしよう」って思いついただけ?

 また、主人公とヒロインと「幼なじみ」というのは、メンドーサだけでなく主人公たちのキャラクタや生い立ち・考え方を決める重要な事柄だ。敵味方に分かれる彼らがどんなつきあいをしていたかは、3人のキャラを作った時点で設定しなければ、おかしい。通常キャラクタとは単体では人格を表現できない、他者との関係、接し方で表現していくモノだ。
 わたしが作家ならまずそこから決めるよ。
 なのに、決まってないのか、谷正純。
 ただなんとなく、「幼なじみが敵同士ってなんか良くね? んじゃ悪役と主人公は幼なじみで、ヒロインを愛していたことにしよう」って思いついただけ?

 現在27歳のメンドーサくんが思春期の頃、両親は殺されたそうです。
 当然ディエゴくんのスペイン留学前だから、そのことを彼が知っていても不思議はない。てゆーかふつー知ってるだろ、世間の狭い時代の地方都市での出来事だ。大事件じゃん。
 別部族とはいえ、インディアンと馴れ合って暮らしている市長さん(ディエゴパパ)的には、見過ごせない政治的な出来事でもあるはず。
 でも、ディエゴもロリータも、誰も知らないわけですよ、「あんまり仲良くなかったから」……いや、10歳以上なら知らないはずないって!!

 おかしいんです、どー考えても。
 演じている人たちすら、わかんないんです。

 谷せんせ……。
 ナニも考えなさすぎや……。

 いやはや、タカラジェンヌは大変だな。

 植爺の『ベルばら』に比べれば、この程度の「謎」は謎のウチに入らないので、かまわないっちゃーかまわないんですがね。
 植爺作品を疑問を口にせず演じられるくらい、人間出来てなきゃジェンヌではいられないんだもんな。
 ああ、やっぱジェンヌってすげえよ……!!

 
 とまあ、謎は謎のまま終了したが、その他の話。

 谷せんせといえば、突然はじまるヒューマニズム。
 異人種に親を殺されたふたりの男が、やはり異人種の手によって命を落とす。
 死んだふたりの手を、ディエゴくんが重ね合わせるわけだが。

 そのときの、メンドーサくん(死人)の気持ち。

「ナニやってくれてんねん」

 ベルナルドは「きれいだ……」つって、なんかとっても完結して亡くなってますが、メンドーサくんはそうではありません。
 インディアンを憎み、なんの解放も昇華もないまま、ただ、殺されたんですよ。

 憎いインディアンに抱かれて、インディアンと手を重ねられたら、たまったもんぢゃない。

 いやあ、「彩吹真央は太陽」発言の次にウケました、「ナニやってくれてんねん」……メンドーサ大佐、渾身の大阪弁ツッコミ!!

 生きるのヘタクソ過ぎなメンドーサくんなので、生前はとてもじゃないが優秀なツッコミではなかった。空気読めないツッコミ方ばかりするから、上司の美形総督様にはウザがられていた模様。
 そんな彼が、死んではじめて、見事なツッコミを披露した!! や、もう死んでるけど!!

 この答えが聞けて、よかった。
 ゆみこちゃんって、まともな人だ、と安心した。

 ディエゴが、死んだメンドーサとベルナルドの手を重ねるのって、偽善的自己満足行為でしかないんだよね。や、初見ではうっかり泣いちゃったけど(笑)。
 なんの解決にもなっていないし、メンドーサはまったく救われていない。

 死んだメンドーサが、ディエゴのこの行為を受け入れ、「人間はみな同じなんだ、憎んですまんかった」とかなんとか思っていた、とゆみこちゃんが答えていたら、かなりがっかりしていたと思う。

 前日欄の日記で、ゆみこちゃんがアホっぽかったと書いたのは、ぽやぽやした話し方であって、話していること自体はすごくまともなんだよね。なにを言っているか、言おうとしているか、ちゃんとわかるし。文章組み立てて、主語述語ちゃんとして話せるし。
 その、ちゃんと話しているのに、話し方が甘えっ子風でやたらかわいかった、と。
 『マリポーサの花』お茶会のときより基本標準語で話しているので、時折飛び出してくる関西弁がすごく効いてる、というか(笑)。

 脚本の歪みを理解した上で、「でもタカラヅカには夢とか理想とか必要だから」てな意味のことを言い、ふたりの手を重ねるクライマックスを説明していた。
 うん。
 ディエゴは確かにまちがってるけど、揚げ足を取ったりせずに、彼が語るキレイゴトに感動の涙を流すのが、「タカラヅカ」には必要なんだ。
 ロジックがまちがっているだけで、スピリッツはまちがっていないのだから。


 まあ、細かいことは置いておいて。
 ここはひとつ。
 
 救われないままのメンドーサ大佐萌え。

 てことで(笑)。
「来週の土曜日、誕生パーティするから」
 と母に言われ、そのときになってはじめて、その日が母の誕生日だと気づいたわたし。てゆーか母、自分主催で自分の誕生パーティって……。
「ごめん、その日わたしいない」
「パーティは夜だから、早く帰って来なさいよ」
「昼間はいるけど、夜にいないの」
「父が懸賞で当てた肉でしゃぶしゃぶパーティやるのよ? 我が家では普段お目にかかれないよーな高級なお肉よ?」
「…………日にち替えてよ、パーティは別のメニューにして」
「肉はその日に届くように、日付指定してあるの。冷凍したら味が落ちるから、届いた日に食べなきゃ!」
 えーと、懸賞で当てたの、父なんだよね? でもすべて母が仕切っているわけか……母はナチュラルにジャイアニズムで生きてる人だしな。
「そう、こあらは28日いないの。ふーん。いいわよ、べつに。でもびんぼーな我が家ではあんなお肉、そうそう食べられないけどねえ……」
 て、母。
 誕生日忘れてたこと、根に持ってる?!

 てな会話のあった、問題の「来週の土曜日」こと、3月28日。もちろん朝から「今日がなんの日かわかってる? プレゼントは現金でいいわよ」と指を立てる母を振りきり、彩吹真央お茶会『風の錦絵/ZORRO 仮面のメサイア』に参加してきましたっ。

 えー、みなさんに質問です。

 「彩吹真央とは?」という質問に、アナタならどう答えますか?

 テーブル対抗のクイズで、あったんですよ。
 ゆみこさんがどう答えるかを当てる、という趣旨で、今旬なお笑いタレントとか鞄にいつも入っているモノとかいう質問を、解答用紙に前もって記入しておく。
 わたしたちにとって、ではなく、あくまでもその質問にゆみこちゃんがどう答えるか、をみんなで考えるわけだな。

 で、その中にあった。「彩吹真央とは?」

 わたしたちにとっての「彩吹真央」ではなく、ゆみこ氏が「彩吹真央」をどう思っているか。
 折しも昨日の日記で書いた「一般人でも好きな服と似合う服がチガウことぐらい、いくらでもあるように、本人が思っていることと他人が思っていることがチガウことだって、いくらでもある。」と、同じことですな。
 主観と客観の違い。

 これに対し、ゆみこ氏は答えた。

 「太陽」と。

 彩吹真央とは「太陽である」と、彩吹真央自身は思っている。

 …………いやあ、会場のざわめきと、ゆみこ氏のとまどいときたら!(笑)

「あ、あれ? 誰も書いてないの?!」

 「太陽」と回答したテーブルは、はたしてあったのでしょうか? 何十テーブルもある、すげー盛況なお茶会でしたが。

 ゆみこ主観だとゆみこは「太陽」なんだ。それは意外、つーか正直夢にも思ってなかったんで、勉強になりました(笑)。

 まあ、わたしをゆみこ茶に引っ張っていった友人(笑)が隣で「彩吹さんはわたしの太陽だもん」とつぶやいていたので、あながち間違いではないのだろう。
 間違いではないが……個人の太陽ではあっても、「彩吹真央とは」という大きな質問では、ちょっとチガウよーな気がします。
 そしてソレが、クイズの全問正解者ナシという結果や、「太陽」と答えたときの会場のざわめきにつながっているのではないのかと。

 
 まあそれはともかく。

 ゆみこちゃんのお茶会は、2回目の参加。
 最初に参加した『マリポーサの花』しか比べるモノがないんだけど、その初回参加時とずいぶん印象が違っていた。

 なんかすごく、かわいかったんですけど?

 『マリポサ』のときは、かわいいというよりは「男役のお茶会」であり、「上級生スターのお茶会」だった気がする。
 てらいのない関西弁に驚きはしたが、「真面目で頭のいい人なんだな」という感じだったんだが……。

 今回なんかすげえアホっぽかった。や、悪い意味ではなく。
 ぽやぽやしているというか、ボケボケしているというか。
 井上トロがお茶会やったらこんな感じ……?
(注・井上トロ氏は超かわいいアイドルで、某所で『トロ・ステーション』という情報番組のキャスターをやっています。ものごっつアホかわいいです。ダイスキです。万が一知らない人はググって下さい)

 ゆみこ氏、前回はハードボイルドっぽかったのかしら。すげーしっかりしたムードだったのに。
 今回はお茶会全体がもお、ゆるいです。

 見た目は粋に着流し姿で、イケメンなんですが。
 下級生男役のお茶会のよーな感じでした。声も高めで甘え声っぽくて。なんかすげー萌えキャラだなヲイ。

 印象の差に、ずいぶんとまどいました。

 ショー『風の錦絵』についてはもお、青天のことからはじまり、すげー熱っぽく語っていました。

 青天だけをネタに、あれだけ長々と情熱かけて語れる女性って、そうそういないんじゃないかしら。
 青天は「アタマが開いているから楽」なんですって。ここでゆみこちゃんが自分のアタマの、サイドの生え際あたりを両手で差して言うもんで、ゆみこちゃんのアタマの形の話かと思っちゃいました。
 そーではなくて、彼が指し示したかったのは脳天の月代部分だったのね。そこに髪がないから、涼しくてイイ、と。

 や、ゆみこちゃんは青天似合いすぎだから。
 お茶会プログラムにはスチール写真が1枚付いていて、席によって芝居の軍服姿とショーの青天と確率2分の1になってるのね。
 わたしは軍服で、隣の席の友人の青天がうらやましかったわ(笑)。

 幕開きのゴレンジャーには、特にキャラ配分はなさそう?
「ゆみこさん“は”どんな設定ですか」てな言い回しの質問があったと思うんだけど、もしもAQUA5全員でキャラを決めていたなら「待ってました」とばかりに語り出すと思う。でも、ここで「質問されてはじめて考えました」みたいに考え込みつつ、「二枚目を意識して演じている」という意味のことを言っていたと思う。
 水先輩は熱血色男で、ゆみこはクールな二枚目で、キムがお笑いもイケる系のくだけたハンサムでとか、キャラを作ってくれてもいいんだが。
 や、ショーだから、それぞれ勝手にかっこつけるだけでいいとは思ってるけど、欲を言えばってことで(笑)。

 松本先生の相手役をできるってことで、ほんとに喜んでいる様子や、ソーランが楽しそうなこと、とにかく日本物で活き活きしていることが、ぽやぽやゆるゆるした喋りで、伝わってきました。

 あー、かわいいイキモノだなこれは。つられて頬がゆるむというか(笑)。

 てことで、続く。

 んで、今さらですが、『Brilliant Dreams#45「未涼亜希」~stage~』の感想。

 初回放送を録画してすぐに見ましたとも、トウコちゃん前楽観ていつもの店でさんざんぐだぐだやって、もちろん終電なくて、日付変更線越えてから帰宅したし、翌日は早朝から出かけて楽の抽選に並ぶため、ろくに家にいる時間がなかったとしてもだ!
 睡眠時間その他もろもろよりも、まずまっつ!!

 はい、番組冒頭で、出演者自身が語る「オレの魅力」。
 ……自分で自分の魅力をどう思っているか、語らせるんだよね、この番組(笑)。

 スターさんならマスコミその他で魅力をわかりやすくキャッチフレーズ化されることがままあるけど、まっつのよーなポジションの人は客観的なコピーがあまりない。
 そしてまた、わたし自身まっつをどんな人か知らないので、まっつ本人が「自分の魅力」「自分のアピールポイント」をどう思っているのか、興味深かった。
 一般人でも好きな服と似合う服がチガウことぐらい、いくらでもあるように、本人が思っていることと他人が思っていることがチガウことだって、いくらでもある。
 まっつがジェンヌとして男役としてどこが好きとかこだわって演じていますとかではなく、そーゆー本人の気持ちとは別に、第三者から見た「魅力」を、当人がどう捉えているか。
 好きだった役とかやりたい役とかより、よっぽど、この最初の数分……つか、数十秒が、わたしにとって価値があったかも。

 まっつが自分の魅力として挙げたのは、「声」だった。

 男役として無理なく出せる声、聞きやすい、と人から言われる声。

 ピンポイント理解キターーーー!!

 まさか、「声」と来るとは思ってなかった。
 もっと漠然とした、抽象的な答えになるのがふつうじゃないか、「魅力」なんて抽象的な、数字にならないモノは。

 それがめっさ具体的というか端的というか、「歌」ですらなく、「声」ですよ。

 楽しんでやっているところ、パワフルなこと、大きい(包容力)、タカラヅカらしさ、いろんな引き出しがある(役にあったエネルギーを出す、ギャップがある)、……ちょろっと数人分の『ブリドリ』の冒頭見てみたけど、ここまで端的な答えを言ってる人はいない(笑)。
 もっと「わかんない」と言って、もっと抽象的に、なんとでも取れる答えをしてもいいだろうに、大真面目に「声」だそうですよ。

 たぶん『太王四神記』でひたすら声を誉められてるんだと思う(笑)。今まさにそればっか言われてるってのも、あるかもしんない。(あの役の意義がほんと、ソレっきゃないからなー)

 まっつがどんな人か知らないが、性格出てるんだろうなあ。
 「あなたの魅力はなんですか」と聞かれ、「顔です」「脚の長さです」「学歴です」とかいう風に返す、そーゆー切り口だよね、「声」って答えの容赦ないシンプルさは(笑)。
 
 なんにせよ、まっつが自分の「声」を「魅力」……つまり、武器として考えているってのは、まさにそこに魅力を感じているわたしとしては、うれしい限り。
 武器であるってことは、これからもそこに注目して磨きを掛けるってことだよね?
 あの美声をさらにさらに特化させていくってことだよね? わくわく。

 
★未涼亜希の舞台を漢字一文字で表すと?また、その代表的な舞台は?

 はい、これはもちろん、「涼」キました。
 とーぜんですわな。

 そーいやわたし、愛用しているファイルにゆーひくんとまっつの素顔写真を並べて挟んであるわけなんだが(ちなみにゆーひくんが月組時代からずっと、このふたりを並べている)、先日それを見た友人が「ほんっとに体温低そーな人好きなのね」と感心していた。
 同じ『ブリドリ』でゆーひくんは「クールビューティ」という答えだったんだよな。当時の『ブリドリ』は漢字一文字ではなく形容詞だったので。

 ゆーひくんとまっつはもちろんぜんぜんチガウけれど、ふたり並べたファイルを愛用していたりすると、「クール(涼)」好きってことになるのかなー(笑)。

 でもって漢字一文字、さらに「誠」、誠実の誠です。
 役は相沢くん@『舞姫』。

 クールで誠実、というとまさに相沢くんか。
 まっつ自身は「相沢さん」ってさん付け……なんかとても他人行儀ってゆーか、外側から回顧している感じ。

★未涼亜希を花にたとえると何の花? また、その花からイメージする役、シーンは?

 「ゆり」で、舞台は『天の鼓』。

 鼓より軽い命、薄幸キャラの代名詞キターーッ!!

 まっつは「球根系の植物」って気はする。
 なんつーんだ、すっと細長いってゆーか(笑)。
 華やかさよりストイックさが大きい点で、百合だと思う……つーか、白百合だよな?
 色の指定がなかったんですけど?
 まっつが黄色やオレンジの大輪の百合だったり黒百合だったり、はたまた愉快な模様入りの陽気なカラフル百合だったりするのは、チガウ気がするんですけど?
 色指定しようよ、スカステ!!
 白無地ヨロシク!

 まっつは百合と聞いて「ありがたい」「華やか」「真っ白でキレイ」と言ってました……あー、「華やか」ですか……華やかで真っ白というとカサブランカ想像して語ってますね。
 たしかにまあ、百合と言えばカサブランカだろーけど、そして華やかな花だけど……「華やか」……まっつが……うーむ。
 テッポウユリぢゃないの、まっつ……?

 樹@『天の鼓』はダイスキだ。七転八倒しちゃうくらい好きだ。
 彼を主役に物語書けます、ええ。舞台は20年後くらいで、樹は素敵に黄昏れてるの。外見は今と変わらず(もともと老け顔だから・笑)、宮廷での立場だけ上がっていて、いちおー大人として社会人としてそこそこやってる人なのよ。でも、心のキズは癒えぬまま。そこへ、成長した北斗@オサ様が現れるわけだよ!!
 や、真面目に二次創作考えました、当時(笑)。

 
 あ、もうすぐ文字数切れだ、別の日欄へ続く。
 星組千秋楽の、最後の袴姿のパレードをガードの後ろからギャラリーしていたとき。
 きらきら笑顔のしいちゃんが現れたとき、隣でジュンタンがわっと泣き出した。名前を呼びながら泣いて……しかし、しいちゃんが車で行ってしまうと、「まだ東宝もあるしね!」と一気に泣きやみ、スイッチが切り替わった。

 しいちゃんのムラ最後のお茶会でも、号泣するわたしやnanaタン、そのテンションにおどろいてるkineさんの光景があった。
「そんなに別れが寂しいなら、東宝のお茶会も参加すればいいんですよ」と。

 東の人と、西の人間の、感覚の差はたしかに、ある。改めてそう思った。あ、ジュンタンもkineさんも東在住の人です、何故か毎週ムラにいるけど(笑)。

 東の人からすれば、ムラ公演は「一区切り」でしかなく、これから本拠地で最後の祭りがはじまる、という感覚なんだ。むしろムラはプロローグ、これから本番。

 いや、住んでいるところに関係なく、実質問題として、ムラ公演のあとに東宝公演があるのだから、東宝こそが最後である。ラストスパートである。間違いなく。

 だけど。
 実際がどうあれ、他人がどうあれ、生まれたときから「宝塚歌劇」が身近にある地域にいて、なし崩しにヅカを知りヅカにハマり、会にも入らず広く浅くぬるくヅカファンをやってきたわたしにとっては、「宝塚歌劇」は「宝塚大劇場」のことなんだ。
 東京宝塚劇場もあることは知ってるけど、知らない土地の知らない劇場なんだ。

 ムラ公演を卒業するときこそが、「別れ」なんだ。

 
「『太王四神記』って、まだやってたんだ」
 と、花組にご贔屓のいる西在住の人が、花東宝楽前に会でのイベントで東京に集まったときに、口にしたらしい。
 ムラではもう星組公演が終わり、雪組公演がはじまっている。ふたつも前に「終わった」公演が、東京でまだやっているなんて、実感としてわからない。そんなこと、忘れてた。と。
 その話を聞いて、「そりゃひどいな、贔屓組のことぐらい、おぼえていてよ」と、花担として言いはしたけれど、気持ちはわかる。

 西にいると、実際そんな感じだから。
 数年前、ヒト月ほど東京にいたんだが、ムラでとっくに「終わった」公演が今現在上演されていることが、感覚として不思議だった。
 田舎に旅行したとき、テレビ番組が周回遅れになっているのを発見したときのような。
 えー、今ごろやってるんだ、みたいな。退団公演でもなんでもない、ふつーの公演だっただけに、ムラで存分に見納めたモノを、まだ毎日観られる、てのは、アタマで理解していても、感覚としてついて行かなかった。(で、実際機嫌良く観に通ったけど・笑)

 ムラだけを観劇している地元ヅカファンと話すと、ふつーに「え、週末東京行くの? ナニしに?」「花組の東宝楽を観に」「ああ、花組、まだやってたんだ」とゆー流れになる。
 すべてのヅカファンが、日本中すべての劇場に同じ頻度で通うのがスタンダードでない以上、自分がいちばん良く通う劇場を中心に公演スケジュールを把握する感覚は、ふつーに存在する……と、思う。

 もちろん、すべての人の感覚を調べたわけではないから、わたしだけの特殊な感じ方かもしれない。

 わたしにとってのタカラヅカとは、「宝塚大劇場」のことであり、「ムラ」のことである。
 東宝のことも知っているし、観に行くけれど、あれは「よその家」。自分ち……「ホーム・グラウンド」ではない。

 ジェンヌが「自分ち」からいなくなってしまうときが、いちばん大きな祭りとなる。

 通い慣れた劇場。
 歌劇を観ることもなかった幼児の頃から、親や祖父母に連れられて通った宝塚の地。泊まった宝塚ホテル。
 親に連れられて、あるいは祖母に連れられて、ソレがなんだかもわからないまま観た、大昔の公演。
 わたしと母が観劇、父と祖父は大浴場、祖母と弟が動物園。観劇が終われば全員集合して改めて動物園や遊園地で過ごし、そしてレストランで食事して帰宅、あるいは宝塚ホテル宿泊。行き帰りは阪急電車。そんな休日を過ごしていた、想い出の場所。小林一三翁の提唱する行楽スタイルまんまで、ちょっと気恥ずかしいが、マジでそんな感じだったんだ。

 ムラは特別なんだ。どうしても。

 「コレが最後」と思うのがムラ楽だからこそ、ムラ公演に全力投球するし、千秋楽を観られるかどうかに賭けて、奔走する。

 気持ちの上で、ムラが最後。

 ……もちろん、東宝公演があること知っているから、遠征もするけれど。
 ほんとうの最後が東宝の楽だと知っているから、その日こそを特別だとわかっているけれど……。
 それでも、ムラを特別と思う、最後と思う気持ちとは、まったく別だ。

 
 しいちゃんの東宝お茶会に行く、という選択肢はあっても、素直にうなずけなかった。
 今まで東のお茶会に参加したことがあるのはケロの最後のお茶会のみだけれど、なんというか、「ちがった」んだよな。
 他の人は知らない、ただ、わたしの中だけで。
 そのちがいがこわいのかもしれない。

 
 わたしがこの「ムラ意識」を乗り越えて、東宝公演にムラと似た頻度で通うことが出来たのは、ケロ卒業祭りのときだけだ。
 たったひとりの「ご贔屓」退団でもない限り、何十年掛けて培ったムラ意識を破ることは出来ないのかもしれない。

 ケロもそうだし、たかちゃんやオサ様を見送るために東宝へ行き、もちろん心から最後の祭りを堪能したけれど、「ムラは特別」という意識はずっとあった。

 ハンパに見送り、もやもやを残すより、わたしのホームである宝塚大劇場で、魂込めて見送る方がいい。

 トウコちゃんを、しいちゃんを、あすかちゃんたち星組退団者のみんなを、見送るのは大劇場でと腹を決めて臨んだ。
 だからムラ茶会がしいちゃんに会える最後と号泣し、ムラ最終3日間はチケットなくてもムラにいた。

 これが、ナマで彼らを見られる最後、と、覚悟して。

 不思議な感覚だし、他の人がどうなのかは知らない。
 ただわたしには、「ムラ」は、「宝塚大劇場」はどこまでも「特別」なところだ。

 他のなににも、代えられない。
 変わらない。

 大昔に読んだオースン・スコット・カードの小説で、最初の方にもったいつけて出てくる詩があった。
 それがちっとも良いと思えない、陳腐な詩で。なんでこんな詩をありがたがってもったいつけてんだ? と、当時ハタチそこそこだったわたしは思ったもんだった。
 ところが、その分厚い本を読み進み、主人公と共に数多の冒険を、別れと涙を繰り返したあと、クライマックスで再びその詩と出会ったとき……涙が、止まらなかった。
 なんの想いもなく、素の状態で読めばただの陳腐な文字の連なりでしかないのだけど、物語を読んだあとでなら、その言葉たちにどれほどの意味があったのかがわかる。愛があるのかが、わかる。

 立樹遥お茶会『My dear New Orleans/ア ビヤント』、ムラ最後のお茶会で、しいちゃんがわたしたちへのプレゼントとして選んだ曲は、「宝塚歌劇団団歌」だった。

「団歌を歌います」
 と、しいちゃんが言ったとき、客席はぴよ?となった。ダンカってのが、どんな字を書くのか、咄嗟にわからなかった。どこの言語? たとえばドイツ語とかで、別の意味のある曲なのかとか?
「団歌があったんですよー、みなさんご存じないでしょ?(笑)」 
 みたいなノリで、もちろんそんな内輪な曲のカラオケが用意できるわけもなく、しいちゃんは「アカペラで歌います」と宣言して、マイクを持って立ち上がった。

 たしかに、知らないよ、団歌なんて。
 校歌とか社歌とかは、あくまでも身内のみで歌い継ぐもので、お客様に聴かせるものではない。

 が。

「宝塚 我が宝塚 清く正しく美しく♪」

 歌い出した曲はまぎれもなく……。

 知ってる。まちがいなく、知っている。てゆーか、歌える。

 すげー耳馴染みあるんですけど。TCAとかで歌いまくってるだろコレ。

 これって、団歌だったのか!!(白目)

 校歌とか社歌とかはふつー身内だけで……客に聴かせるものでは……なのにああなのに宝塚歌劇団、金を取って客に聴かせていたのか。さすがだよ歌劇団。

 タカラヅカに五万とある自画自賛ソングのひとつでした、団歌。
 まあね、たしかに団歌なら、自画自賛していてもおかしくないんだけどね……ソレをふつーに客に聴かせるからアレなわけで。

 タカラヅカのナニが嫌って、あの自画自賛ソングですよね。私はフェアリーだとか、フォーエバーだとか、人は夢見る懐かしの宝塚だとか、自分で言うな! 謙虚の美徳を知らんのか! てなもんで。
 ヅカにハマった当初、ドン引きしましたもん、自画自賛とか自慢とかする人は恥ずかしいって言われて育ったので、そんなことするのはかっこわるいと思っていたので、ヅカの手放しの自慢タレぶりにはあきれてました。
 ……今はもう慣れたので、なんとも思わないけどな。
 わたしはもうなんとも思わないし、耳慣れた分ノリノリで歌えるけれど、一般人には聴かせたくない、ドン引きされる、というくらいの分別はある……まあそんなこんな。

 と、長々語るくらい、ヅカの自画自賛ソングは痛いと思っている。
 ドン引きした初心だって、忘れてないさ。

 なのに。
 ああなのに。

 しいちゃんの歌う「痛い自画自賛ソング」で、ダダ泣きした。

 歌だけ抜き出して聴いたら、ドン引きするよ。なにも知らない一般人に「自分素晴らしい、自分栄光!」なんて歌ってる歌、しかも昭和歌謡モロなメロディで歌われたら、大笑いされるか、マジで気持ち悪がられるかだって。

 歌だけ、歌詞だけならほんと、どーしよーもないんだって。
 それはわかってる。
 でも。

 歌だけじゃない。歌詞だけじゃない。
 そこにたどりつくまでに、どれほどの想いがあり、どれほどの時間があり、どれほどの物語があったのか。
 それがあるからこそ、わかるからこそ、どんな歌詞であろうと、心を揺さぶるんだ。

 宝塚 我が宝塚。1番は歌えるけれど、さすがにその先は3番までと言われてもわかんない。わかんないけどまあよーするに、最初から最後まで自画自賛。ただソレだけの歌。
 
 だけど。
 タカラヅカを卒業するにあたって。
 なにかを最後の記念に歌うってときに、よりによってこの歌を選ぶ、ということ。
 他に想い出の歌でも、かっこいい歌でも、流行りの歌でも、選択肢は山ほどある。
 それでもしいちゃんは、この歌を選んだ。

 タカラヅカへの誇りを、タカラヅカへの愛を、歌った。

 自分が生きた場所を誇れる人。愛せる人。
 自分自身の生きてきた道を、人生を、決断を、胸を張って肯定できる人。

 それらがまるっと、この歌にこめられていると思った。

 自画自賛でアホみたいな歌詞、アホみたいな歌。
 だけど、この歌でダダ泣きできる自分で良かったと思う。

 タカラヅカを愛し、立樹遥を愛してやまないからこそ、涙が止まらない。

 最初はのりのりで手拍子していたけど、途中からはそれどころじゃない。ハンカチカオに押し付けて、嗚咽堪えるので必死だ(笑)。

 しいちゃんが好きだ、しいちゃんが好きだ。
 しいちゃんがしいちゃんとして、わたしの前に在ってくれた、タカラヅカが好きだ。

 こんな自画自賛ソングを臆面もなく公演で金を取って客に聴かせる厚顔な劇団だけど、そんなとこも全部ひっくめるて、ダイスキだ。

 好きだから、こんなアホな歌で、こんなにこんなに感動する。
 気持ちがなければ、記憶がなければ、経験がなければ、こんなことにはならない。
 昔読んだ小説のように。

 
 最後に劇団への、そしてそこで生きた「男役・立樹遥」への、誇りと愛を歌ったしいちゃん。

 「本日の主役」という、これまたおバカなタスキを掛けたまま、それでもその姿はとてつもなくかっこよかった。
 涙で曇ってにじみながら、ただもう美しくて、切なかった。

 
 わたしはあまりジェンヌのお茶会へは行かないのだけど。
 しいちゃんのお茶会は、行くことが出来て、ほんとーによかった。

 ありがとね、サトリちゃん。サトちゃんがいなかったら、一度もナマのしいちゃん会うことなく終わっていたよ。
 「宝塚歌劇団団歌」なんてものすごい歌で、号泣することもなかった(笑)。

 ありがとう。
 「タカラヅカ・レビュー・シネマ 雪組公演ショー『ソロモンの指輪』」が、愉快すぎる、とゆー話の続き。

 荻田浩一作品は多重構造、多面的、単一の答えなどなく、観た人が自由に感じていい作りとなっている。
 舞台のどこを観るかナニを観るかで、ひとりずつまったく別のモノを視ることになる。
 『レビュー・シネマ』は映像である以上、視点は固定される。観る人の数だけ目線があったはずの舞台『ソロモンの指輪』を、たったひとつの角度で視ることになるわけだ。

 荻田浩一の『ソロモンの指輪』という類い希な作品を素材とし、橋本直樹という映像作家が個人的な目線で切り取り、再構築したものが、『レビュー・シネマ』だ。

 わたしはわたしの目線で『ソロモンの指輪』を視てきたから、わたしでない「他人」の目で見た『レビュー・シネマ』が、ものすげー新鮮だった。
 販売DVDやスカステには、他人というか、「個人」は感じない。アレはただ「記録」してあるだけで、「作品」ではないからだ。
 それが今回は、明確な「他人の目」を感じた。

 ひとりの映像作家が、オギーの『ソロモンの指輪』を素材に二次創作をしたんだと、思う(笑)。
 メディアミックスってのは、そーゆーもんだよな。オリジナルまんまを別手段にスライドするのではなく、別物を創り上げることだから。

 『ソロモンの指輪』に答えなんかないから、『レビュー・シネマ』が「正解」というわけじゃない。そこにどこまでオギー自身の、あるいは劇団の思惑が関与しているのかもわからない。
 ただ、構成の偏りから、単に、ひとりの映像作家が「こう感じた」ってだけで、感じたものを再構築して放出しただけなんだろうと思う。

 そしてそれは、ある意味、わたしが視たかったものを、見せてくれた。

 あるいは、わたしが感じていた『ソロモンの指輪』に近いものを見せてくれた。ので、違和感がなかった。

 ガスパール@水しぇんは主役ではあるけれど、狂言回しであり観客の視点であり、世界とわたしたちをつなぐ意味を持ち、影の主役は、テーマ部分を担うのはメルキオール@キムだという。
 ミストレス@となみ、バルタザール@ゆみこはその付属であるということ。

 タカラヅカの番手制度からすれば、あってはならないことだけど。
 これが正しく「タカラヅカ」ならば、切っても切ってもトップスターの出番を中心に画面を作り、娘役トップを長々延々映し続け、その場にいる出演者の番手が上のモノをとにかく映し続け、アップになる回数や長さは番手に従い、明瞭明確に配分しなければならない。
 トップ娘役と2番手男役のデュエットダンスが背景扱いで、3番手男役がずーーっとアップで映り続けるなんて、あってはならない。
 キムがずーーっとただひたすらアップだった場と、ゆみとなデュエットは別の場面だけど、まるまる1場面以上キムをアップで撮り続けたならば、ゆみこの見せ場である場は同じようにゆみこアップで1場面終わらせなければ、ヅカ的バランスは取れないでしょう。
 ヅカのお約束からすればありえないし、できないことを、外部の映像作家である、ということを言い訳に、やっちゃいましたよちょっと(笑)。

 ジャングルにて、ただひたすらキムを追い、キムをアップにし続ける。
 彼が発する毒を、全霊を挙げて追う。発散させる。

 どーしても、所詮わたしはヅカファンなので、「ここは獣美女たちをひとりずつなめるよーに映すところでしょう!」とか「大きなキリンから小さなシナちゃんへ変身するところを映さないでどうする!!」とか思っちゃうんだけど。
 それらを映すのが「ヅカ映像」で、そんなもんをさくっと無視してしまうのが、「映像作品」なんだ。

 一滴の水音、去っていくとなみちゃんの背中を追う水しぇんの、モノクロの静止画からはじまる、ひとつの「物語」。

 解放されるキムの毒、そして激しい寂寥。
 ハマコの狂気の哄笑を思わせる歌声。

 それらを背中に、背後に這わせて踊る、水夏希。

 彼の視界のそこかしこに映る、となみとゆみこ。

 カットインする、かなめの美貌。
 ……かなめくんはスパイス扱いだね、完璧に。出番のわりにほとんど映らない。

 オギーの『ソロモンの指輪』とは別物だと割り切った上で、この「映像作品」から見えるモノを紐解いていくのも、おもしろい。

 荒ぶる闇キムに焦点を合わせ、その狂気や哀しさ、孤独や絶望を味わい尽くすのもまた一興。
 それに対する水しぇんのしんしんとした悲哀もまた、心を揺さぶるわ。
 
 全体のテーマとして、主役や視点の切り取り方が独特だったこともそうだが。
 海の場面の表現がまた、圧巻。
 作品の中枢であり、起承転結の転、クライマックスであることを象徴する演出。
 体調悪いときに見たら、酔いそうだ(笑)。

 水くんと海の女たち、垣間見えるとなみと、キム。

 ここが、物語の中心。

 承前として、モノクロ画像で映った場面。
 揺れる揺れる、回る、翻弄する。
 波の中、海の中にいるように。

 今まさに、わたしたちこそが、海の中の指輪であるかのように。

 最後のスタッフロールもまた、この海の場面。
 この場面にはじまり、終わるんだ。

 
 所詮わたしは、ヅカファンなので。
 この作品に贔屓が出ていなくて、良かったのだと思う。
 もしも贔屓がこの作品に出ていたら、こんな「映像作品」を見てなお、自分の贔屓がどこに映っているか、どんなふうに映り込んでいるかに、気を取られたと思う。
 それはもお、ファンの性として(笑)。
 出演者を個別認識せずただの「素材」と割り切った作品でもなお、個別認識することに、労力を使ったと思う。

 ああでも、自分の贔屓組でこんなオギー作品が見たかったなあ。
 や、これまでの作品に不満があるわけでなく、これから。未来。

 オギー退団で、その未来が、夢が断ち切られたことが、かなしくてならない。

 
 『タカラヅカ・レビュー・シネマ』は第一弾と書いてあるのだから、これからも続けるのかもしれないが。
 ヅカを素材にして、ここまで「別作品」を作れるほどの、「素材」として深みのある作品が、今後どれほど出るのだろうか。
 単に歌っている人をアップにして、ストーリーを脚本通りに追って終わり、の、劇団販売映像となんら変わらないものしか、出来ないんじゃないか?

 堪能と羨望と危惧を抱いて、一旦筆を置く。
 つまりわたしは、「宝塚歌劇団公式の目線」に慣れていた、とゆーことなんだ。

 舞台はナマモノであり、消えていく芸術である。あとにはなにも残らない刹那の作品である。
 CSだのDVDだので記録された映像を見ることはできるが、それは舞台のほんの一部でしかない。完璧な姿で映像に残すことは、不可能だ。

 不可能だから、できる範囲で映像化されている。

 すべてを記録することはできないから、優先順位をつけて、できるところまでで線を引く。境界線より後ろは「考えない」。だって最初から無理なんだから、全部なんて。

 その優先順位とは。

 「スター」を映すこと。

 宝塚ビデオが発売された当初なんか、それがより顕著だ。
 他の人が喋っていても、歌っていても、ストーリーが進んでいても、んなことぁ関係なく、ただ、トップスターの「顔」のみを映し続ける。
 1万円以上も出して映像ソフトを買うのはトップスターのファンのみで、「作品」のファンなど存在しないと思っていたんだろう。まあそれも、あながち間違いじゃない。主役を嫌いで作品を好きになることは難しいからな。
 時代が下るに従って、「ストーリーがわからなくなるくらい、トップの顔だけを撮るのはおかしいかな」と、劇団も考え直したらしい。ビデオソフトが金になることがわかってからだ。公演を観たトップファンが記念に買う、だけではなく、公演が終わってから、公演を見ていない人も購入するのだと、気づいたのだろう。
 基本トップの顔を中心に撮ることは変わらないが、初見の人が見てストーリーがわかる程度には他の人も映すようになった。

 さらに専門チャンネルとなると、トップスターを映すのは重要だが、他に「できるだけ多くの出演者の顔を映す」という命題も出来た。
 1万円のソフトを買う人の多くは役の比重の高い主要スターのファンだろうが、スカステはそうではない。高額なソフトを買う気のない組ファンや、その組や公演に1円も出す気はない人だって、見るわけだ。スカステ放送はよりライトに、できるだけ多くの出演者を一瞬でも抜いて映す。モブが出来るだけ多く映るようにアングルに気を使う。
 ストーリー的に、「別にここで背景の6人口をひとりずつ映す必要はないだろ」ってときも、いちいち個別認識できる大きさで映し、名前テロップを出す。

 歌劇団にとっての「映像」は、「生徒の顔を映すモノ」なんだよなあ。
 そして、ファンもまたそれを求めているんだよなあ。誰がどれくらい映ったか、たとえ背景の映り込みでも、一瞬だけのアップでも、あればうれしいもの。

 それに慣れているため、NHK撮影の映像などであまりにも「ストーリー中心」の画面を見せられると、かえってびっくりしたりする。モブが一切映らない、歌っている人、台詞がある人しか顔が判別できない、と。
 そらそーだ、背景でしかない人たちまで、顔と名前がわかるようにはしないよな、ふつー。

 タカラヅカの映像とは、スター中心。
 他のすべてを差し置いても、とにかくスターの顔さえ映っていればヨシ。
 次に、ストーリーが理解できる、「あらすじ」が追える程度の構成でヨシ。

 映像作品としての表現や、テーマなどは、皆無。
 ファンが求めるモノはそんなところにないから、需要に合わせた供給をしてきた。

 ……それに、慣れきっていたんだなあ。
 映像作品「タカラヅカ・レビュー・シネマ 雪組公演ショー『ソロモンの指輪』」を見て、思い知った。

 DVDでもスカステでも、アレはただ「スター出演記録」ではあっても、「映像作品」ではなかったんだよなあ。

 いやあ、おもしろかった。

 すげー愉快だった。
 その、「タカラヅカ」では無い、様が。

 『タカラヅカ・レビュー・シネマ』は、「タカラヅカ」ではない。
 宝塚歌劇を素材として使用しているが、あれは「タカラヅカ」じゃない。

 別のモノだ。

 タカラヅカとは、スターだ。
 人を見に行くものなのだと、痛感した。

 『タカラヅカ・レビュー・シネマ』では、スターを個別認識し、スターの顔や姿、歌声を見せようという気はない。たしかに今歌っている人がアップになっていたりするが、それはその人を見せようとして映しているのではない。表現手段として映しているだけのことだ。

 『レビュー・シネマ』が第一に表現しようとしているのは、「テーマ」であり、「物語」だ。

 「映像」というツールを使い、「作品」を新たに創り上げているんだ。
 水くんがアップで映っていたとしてそれは、「水夏希」だからアップにしているのではなく、別に「表現したいこと」があるために、その「素材」としてアップにしているに過ぎない。ぶっちゃけそれが「水夏希」である必要もない。
 スター「水夏希」だから、アップにする劇団映像とは、まったく意味が違う。

 意図がまったくチガウのだから、同じ素材を使っていても、そこにある『レビュー・シネマ』は、通常のヅカ映像とはまったくチガウし、これはそもそも「タカラヅカ」ですらない。

 ……てソレ、おもしろすぎる。

 はじめて、「宝塚歌劇」を素材にしたメディア・ミックスを見た。
 別作品を見た。

 
 まさか放映期間延長されるとは思ってなかったから、忙しい最中がんばって西宮まで行ったよ。つか、ニシキタ行くならムラへ行くのと労力的にはほとんど変わらなかった。大阪人がわざわざ行くには不便過ぎる。
 朝1回こっきりの上演で、土日はチケット完売、平日も残りわずかとかいう状態だったもんな。そりゃ延長もされるか。
 1日1回上映でなければ、1日に数回続けて見たのにな。
 『ソロモンの指輪』だけリピートしたい、と劇場で思ったことを、映画館でも思うのだった(笑)。
 花組が好きだ、今の花組が好きだ。
 どうか変わらずに、今のままで。

 そう願った花組公演『太王四神記』も、ついに千秋楽。
 退団するりせ、マリアちゃんもそうだが、宙組に組替えするゆーひくんとののすみもまた、「花組からいなくなってしまう人」だ。
 今の花組は、これで最後。

 入りから出まで、フル参加して来ました、千秋楽。
 今回なんと、片道4000円バスにチャレンジだ、どんどんびんぼー生活極まってるぞ、がんばるもん、500円玉貯金(笑)。

 入りのマリアちゃんは会がスタンバイしているのと反対方向から入ってしまったので、ガードの後ろでギャラリーしていたわたしからは、よく見えず。でも拍手を浴びて、手を振っていたことだけはわかった。
 りせはくしゃくしゃの笑顔で、涙ぐみながら挨拶してた。ほんとにきれいな女の子で……今女役をやっている関係もあるのかもしれないが、男役というより、ほんとにきれーな女の子だった。

 他もみなさんとても美しくかっこよく入って行かれました。まとぶさん登場時のファンの人たちの歓声がすごかった。いいなー、たのしそーだなー。
 んで、まっつは宇宙人みたいだった。(ニット帽と大きなまん丸サングラス、アイテムに対し顔が小さすぎるもんだから、不思議な生命体に見えた・笑)

 さて、東宝で観る最初で最後の『太王四神記』。や、昼公演、千秋楽と続けて観たけど。(仲間うち全員、「Wヘッダ疲れるからやだ」って昼か楽か片方しか観てくんなかったぞ、花担のメンバーまで。や、わたしも遠征でなければ1日2回は遠慮したい演目ではあったが・笑)
 ひさしぶりの、『太王四神記』。

 いちばん身悶えしたのは、タムタム@まとぶの、ゲロ甘さ(笑)。

 言葉が悪くて申し訳ない。
 しかし、他になんと言おう、このもんのすげー甘ったるさ(笑)。

「ここはね、僕が生まれた場所なんだ」
 とかもー、でろでろにとろけきるくらい、甘いんだもの。やさしいとかうっとりとかラヴラヴとか、いろんなものが混ざり合ってとにかくもお、あまい。甘すぎてとろとろすぎて、座席で身悶えしたってばよ。
 タムタムすげえ。
 ゆんゆんのバカップル・オーラに感服。

 残念なのは、キハ@あやねちゃんのテンションが上がらないまま、タムタムのひとり相撲ってことかなー。
 他の女の子相手だと、どんなことになっていたんだろう。どんだけゲロ甘ラヴを見せられたのだろう……と思うと、ちょっと残念(笑)。
 あやねちゃんは表現できることが少ない娘役さんだからなあ。や、彼女の魅力は別のところにあるわけだから、それはそれで仕方ないんですが。

 脚本・演出的にタムドクというキャラクタには疑問しかないんですが、ただ唯一、真飛聖が演じているということだけで、成り立っている気がします。
 破綻もカオスも全部全部、まとぶんが力尽くで誤魔化している。まとぶの誠実さ、あたたかさでみんな持っていかれ、おかしいことに気づかせないでいてくれる。
 トップスターは大変だ。でもそれこそが、トップスターの仕事、トップスターの資質。

 あとはやはり、りせをロックオン。カクダンのときはともかく、男役としてモブにまざっている顔が、ときおり泣き顔っぽくも見える……けれどこれはりせ的にめずらしいことじゃない。
 真剣勝負な顔が、厳しくしかめた顔が、泣いているようにも見える。笑顔が泣き顔に見えたりもするように。
 ただの錯覚、わたしの思い込み。思い入れ。りせが泣いているわけじゃない。それはわたしもわかっている。
 わたしの気持ちが、映ってしまっているのかなあ。

 花組が好きだ、今の花組が好きだ。
 どうか変わらずに、今のままで。
 誰もいなくならないで、年も学年も重ねず、みんな若く美しく和気藹々ときらめいて。

 フィナーレの青龍ダンスで、どさくさにまぎれてめおくんがりせをリフトしていた。
 おおっ、めおくんオトコマエ!!
 女子に対してするよーなリフトではなく、男同士っぽいかっこいい持ち上げ方(笑)。

 今この場で思いついて咄嗟に出来るとは思っていないので、きっと練習したんだろうなと、思うことの方が、うれしたのしい(笑)。

 めおくんから言い出した、んだよね? りせから「ねーねー最後のとこでリフトして下さいよー」と言い出したとは思えないから、めおくんから「リフトしようか」と言い出した、と。いや、「リフトするから(断定)」の方が萌え? いやいっそ、「最後、抱き上げていい?」の方が?(いい加減にしなさい)

 なんにせよ、「リフトをする」と決定して、ふたりして「いくよ」「せーの」と練習したのかと思うと、たのしい。(そんな掛け声はジェンヌにはいらんのかもしれんが)
 それをみつるとかふみかとかが眺めてダメ出ししたり、拍手したりしてるの。リフトもどんなカタチ、入り方やポーズがいいか、真面目にみんなで協議しているの。
 なんてな。

 ……それともジェンヌって、打ち合わせなしでいきなりリフトできるもんなの?
 できるかもしれんが、練習したと思っていた方がたのしいから、そう思っておく。うん。人生Happy!

 そんでもってヒョンゴさん@まっつは、ムラよりなお一層、変なおぢさんになってました。
 あー……耽美からは、さらに遠ざかってましたね(笑)……きれいなのにね……。

 
 花組名物、組長のカミカミ挨拶を経て、組替えご挨拶をしっかり淀みなくするゆーひ、すみ花両名が頼もしく。
 ゆうひくんはすごいなあ。ほんとにこの人、どこまで行くんだろう。前人未踏の地を歩き続ける姿に、ただ拍手を送る。

 89期がまたひとり行ってしまう、マリアちゃんの思いのこもった端的な挨拶を聞き、そしてなんかやたら長くいろいろ喋るりせに、万感の思いを感じてみたり。

 見送る側もみんな泣いてるし、まっつも表情変わらないまま目元ぬぐってるし。

 終わってしまう。
 またひとつ、変わってしまう。

 
 小雨の中、袴姿で歩く彼らをFCのガードの後ろから見送った。
 わたしの目の前を通ったとき、マリアちゃんは涙を堪えているよーな表情で、笑顔ではなかった。うわわ。なんかもらい泣き。
 りせはきれいな笑顔。フラッシュ浴びて、きらきらきらきら笑っていた。

 入りで宇宙人だったまっつも、美人さんな素顔を見せて、会の人たちになにかしら挨拶をしていた。あー、まっつきれーだー。傘であんましよく見えないけど、ほんとに好きな顔だー。

 終わってしまった。
 またひとつ、終わりを迎えてしまった。

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