本日は、花組観劇。席は3列目1番。下手花道の真横。

 ……いちばんときめいたのが、芝居の最初の、専科3人+組長のシーンだっての、どうよ?
 汝鳥伶さまにめろめろだった、ての、どうよ?

 いやあ、我ながらおどろきました。
 あさこじゃないの? あさこがいるのよ?! なのにわたし、あさこじゃないのねっ?
 あさこはスルーして、おじさま4人組に心臓がばくばくしていました……。なんて豪華な顔ぶれなの。手を伸ばせば触れそうなところに、素敵なおやぢが4人……っ!
 ああとくに、汝鳥伶さま……!!

 そっか、あさこはスルーか……(いちばん驚いている事実)。

          ☆

 WHITEちゃんも来ているはずなので探したけれど、見あたらない。
 変だな、友会で当たった2階席で観ているはずなのに。
 休憩時間にキャトレに行くと、WHITEちゃんがいた。

「チケット、さばいちゃった」

 WHITEちゃんは笑顔。「だから今日は観てないの」と。

 さばいただとう?
 ひどい、花組はその程度なのね!(その程度だろう)

「だってあたし、今日6時からドラマシティだし」

 11時公演をさばく理由になってないっつの。ナマ吹越満の方が大事か〜(笑)。

 一緒にランチだけして、帰りました。

          ☆

 さて。
 茶の間のチャンネル権を握っている父が、2階で電話中。
 わたしと弟と母の3人は、ここぞとばかりに『安楽椅子探偵5』のビデオ鑑賞。めざせ懸賞金50万円!!(笑)

 半分ほど見たころに、父が電話を終えて降りてきた。

「今、ビデオ見てるから」
 父に構っている暇などない。

 ……以前にも、こんなことがあった。
 わたしと弟と母と3人で、『リング』のビデオを見ていたんだ。そのときは父も一緒で、茶の間のチャンネル権を持つ父に「ビデオ見てもいい?」と断り、「いいよ、今なにも見たいモノがないから」という父の許可を得て、上映会をしていたんだ。

 なのに、父は途中で「妨害工作」に出た。

 こわがりの彼は、途中でこわくなったらしい。だが、「ビデオを見てもいい」と許可してしまった都合上、どうすることもできない。
 見たくないのに、ビデオが流れている場合、どうすればいいか、を、父は実行した。

 用事もないのに、テレビの前を何度も行き来する。
 今する必要のない片付けモノを、大きな音をたててはじめる。
 関係ない話をひとりで喋り出し、相槌を求める。
 すぐそばにある台所で、水を出したりなんだりで音をたてる(水音ってのは、やたら響く)。
「そーいや見たいテレビがあったな……」とひとりごとを言いながら、音をたてて新聞を広げる。
 とにかく動き回り、画面と音声をかき消そうとする。

 わたしたちはもちろん、非難した。
「うるさい」
「邪魔」
「どっか行け」

 『リング』のときは、ほんとーに見たくなかったのだろう。夜遅い時間だったのに、彼はサンダル履きでどこかへ出て行ってしまった。

 アレと同じことが、ふたたび起こった。

 父は、妨害工作に出た。
 上記のことを、またしてもはじめたのだ。

 今回は、自分だけ仲間はずれにされたのがくやしかったらしい。

「うるさい」
「邪魔」
「どっか行け」

 さんざん邪魔をし、そしてその結果邪険にされ、いじける父に、今回はわたしたちが折れた。
 弟の部屋に移動して、つづきを鑑賞。やれやれ。我が家では家族でビデオを見るのも一苦労さ。父は絶対チャンネル権を譲らないもの。(そして彼には、そもそも「フィクション」をたのしむ能力がない)

 母は「看護婦よ! 看護婦が怪しいわ!」と鼻息荒くわめいているが……どうよ?
 わたしと弟は、まだ犯人を特定するには至らず。……つーか、過去一度も自力で「エレガントな回答」にたどりついてないんだわ。

 50万円……欲しいけどな(笑)。

 
 なんか、親ふたりが人間関係でばたばたしている。

 父は少し前から、彼の属する組織(とーってもささやかなグループ。蛙の住む井戸のよーなもん)の人事でモメていた。
 タカラヅカでいうならば、父はそこの2番手らしい。性格的にトップスターにはなれないし、なる気もないので、機嫌良く2番手でおいしいとこ取りをしていた。だが、このたびトップスターが専科入りし、トップ・オブ・トップスになるそうな。現在のトップがいなくなるわけだから、次のトップが必要だ。
 そこで起こる、もめごと。
 父はトップになる気はない。それくらいなら退団すると言う。他のトップ候補は、トップになりたがっている人がひとりで、あとはみんな嫌がっている。じゃあその、やりたがっている人がやればいいじゃん、というとそうはいかず、その人には人望がないという。
 それでなんか、毎日電話が鳴りまくり、ばたばたしてやがる。
 最近になって少し落ち着いたかな。結局父は2番手からも降りて、「相談役」になるという。それって「専科」ってこと?

 父がちょっと落ち着いてきたかなと思ったら、次は母だ。
 ある雑誌が、母の師匠の特集を組むという。そしてそこに、「5人の弟子が**先生を語る」という企画があるらしい。
 その雑誌社から、母に原稿依頼が来た。母は師匠の数多い弟子たちの中から、世間的な評価として「5人」に選ばれたらしい。
 ……さあ、そこで起こるもめごと。
 誰が選ばれて、誰が選ばれていないか。「わたしこそが先生の愛弟子なのに! あの人が選ばれて、どうしてわたしが選ばれないの?!」
 鳴りまくる電話。派閥がどうの、誰の面子がどうのと、漏れ聞くだけでも、うんざりする。

 人間、いくつになっても人間関係でもめるよね……。

 CANちゃんからは、「トド様理事就任おめでう! ……おめでとうって言っていいのよね?」というメール。出張していたから、情報にちと時差があったそうな。
 さあ? めでたいんでしょうか。わたしにはよくわかりません。とりあえず、ずーっとファンはしてますが。
 同い年の彼が、どんなカタチであれがんばってくれていれば、それが励みになるというもの。
 ……そーいやタカコも同い年だけどな。彼は年々若返ってるから、ちっとも同い年って気がしないわ。

 あ、ぜんぜん関係ないけど、思い出した。
 我が家には何年も前から、タカちゃんの載っている卒業アルバムがあります。何故か(学校チガウのに・笑)。
 歯並びは多少矯正したかもしれないけど、彼女が整形していないことは断言できます。今とおんなじ顔してるよー。

 
「自由席です」
 と言われ、「は?」と思った。
 というのもわたし、この映画館は全席指定なんだと思っていたのよ。オープンからこっち、当たり前に利用してきたけれど、指定がなかったことなんて、ただの一度もなかったから。
 はじめての「自由席」。存在すら知らなかったよ、そのシステム。

 映画館に入って、納得した。

 わたしを含め、「4人」しかいなかったのことよ、お客。
 ははは。
 そりゃ、座席指定する意味ねーや。

 これなら『トゥー・ウィークス・ノーティス』を見たあとこっそりこちらのシアターに紛れ込んでても、バレなかったなと思ってみたり。いや、不正はしませんけれど。

 台湾映画『ダブル・ビジョン』。
 監督・脚本チェン・クォフー、出演レオン・カーファイ、デビッド・モース、レネ・リュウ。

 わたし、すっかりホラー映画ファンですかね。「こわい映画」と聞くといそいそ出かけているような気が。
 といって、ほんとうに「こわい」(おもしろい、という意味)映画にはあまりお目にかかっておりませんなあ(笑)。

 台湾映画を見るのははじめてで、過去に見たいくつかの中国映画、香港映画、韓国映画で、「あたし、中国系苦手」と思っていたんで、今回も苦手だという先入観がありました。
 ところがどっこい。
 この映画は、わたしの「苦手意識」にはまったく引っかかりませんでした。
 つーか、中国系とは思えない。ふつーに洋画だわ。ハリウッド映画でも違和感ない作り。「台湾映画」ってことで、損してないか? アメリカ産ならもっと売れているだろうに……。

 と思うくらいに、ふつうにたのしんできました。

 大都会台北市で、謎の猟奇殺人事件が起こる。真夏のオフィスビルで、会社社長が「凍死」。焦げひとつない部屋で、議員の愛人が「焼死」。教会の中でアメリカ人神父が「生きながら腸を抜き取られる」。
 連続猟奇殺人事件として、台湾警察はFBIに協力を要請した。
 FBI捜査官のデビット・モースと、「英語堪能」ということで彼の相棒にされた、暗い過去のあるやさぐれ台湾警察刑事レオン・カーファイ。ふたりは「出会いは最悪、しかし次第に惹かれ合い……」というお約束を踏襲して捜査をする。
 これらの事件には、道教と、あるカルト宗教集団がかかわっているらしい……。

 科学では説明できない猟奇殺人事件。道教の「5つの地獄」を元にした「見立て殺人」ですよ。そして文化と立ち位置の異なる「ふたりの男」の「友情もの」ですよ。主人公の台湾刑事は「暗い過去」があって「家庭崩壊」しているんですよ。警察でも「孤立」しているんですよ。でも、ハンサムな警部が「友だち」で彼を「特別にいつも見守っている」んですよ。
 ……いろんな意味で、たのしかったっすよ。

 なんか、真面目に作られた作品だなあ、と思った。
 テーマの重さとか、作品へのアプローチや演出などが、とにかく「真面目」。もうちょっと軽薄な方が売れるかもな、ってくらい、片意地張って真面目にホラーして、真面目にドラマしてる。
 でもその真面目さが、好印象。

 どーして『ボイス』なんてお笑いホラーが売れて、この映画はわたしをいれてたった4人なんだ?
 資本力のちがいって、せつないね。『ボイス』の宣伝費はものすごかったもんね……。あんな映画だったのにね……。それでも映画館は女子高生たちでいっぱいだったもんね。
 そして『ダブル・ビジョン』は水曜日の夕方に、たった4人だよ、客数。せちがらい世の中だよね……。

 今回つくづく「漢字っていいなあ」と再認識しました。
 「道教」って、いいぞ。ロマンだわ。古い漢字を見ていると、ぞくぞくします。
 ……クーロンっぽくて(笑)。
 ええ、わたしのフェイバリットなゲームソフト、クソゲーと名高い『クーロンズ・ゲート』の香りがするんですよ。
 それで勝手に盛り上がってました。ストーリーとも世界観とも別のところで。
 クーロンっぽい雰囲気が部分的にあった、というのはわたしだけのツボですから。一般の人には意味ないでしょう。
 漢字が乱数的に配置された文字盤なんか、ただそれだけでぞくぞくするくらい、「すき」と思えるんだもの(笑)。

 それにしても、「神秘的な美少女」というのは「白いワンピース」を着なければならないんですかね。地球のルールですかね。
 わたしの友人のオレンジは、「白いワンピースの少女萌え」という病気を持っていて、コレを語り出すと止まらないヤツなんだが。
 ……『ダブル・ビジョン』の白ワンピ少女について、意見を聞きたいところだ……。オレンジが映画を映画館で見るはずもないが。ついでにこわがりだから、たとえ自宅のテレビででも、ホラー映画を見るはずがないが。

 たのしく深く見ていたのだけど、あのラストはどうなのかしらねえ。
 わたしは思わず「をい」と突っ込んじゃったけど。世間的にはアレ、「感動のラストシーン」なのかしら。
 わたし的には「膝カックン」された感じだったんだけど……。

 あ、カップリングは警部×主人公で! 警部の片想いねー。
 誰にも心を開かなかった主人公が、FBI捜査官と仲良くなっていくのを、きっと警部はやきもき見守っていたことでしょう。釘を刺したりもしていたしな、警部(笑)。

 
 「様」付けで呼んでしまう俳優のひとり、ヒュー・グラント。
 わたしたちの世代ならば、彼を「英国の貴公子」と認識しているはず。そんなタイトルの写真集も出ていたし。
 昔は「貴公子」、今はシワくちゃなおじさん。
 だけどヒュー様は、それでもやっぱりチャーミング。
 ってことで、ヒュー様の『トゥー・ウィークス・ノーティス』を見てきました。

 監督・脚本マーク・ローレンス、出演ヒュー・グラント、サンドラ・ブロック。

 正義に生きるお堅い弁護士のサンドラ・ブロックは、いつも身を挺して大企業と戦ってきた。なのに、彼女をスカウトしてきたのが、大企業の御曹司ヒュー・グラント。企業の犬になるなんて!と憤慨もしたけれど、故郷コニーアイランドの公民館の取り壊しをやめることと、会社の慈善事業関係を任せてもらう条件で、顧問弁護士を引き受ける。
 優秀な彼女はその腕を遺憾なく発揮し……てはいたけれど。なまじ彼女が優秀なために、ボスのヒューはべったり依存。着ていく服の相談から離婚調停まで、生活のすべてにサンドラがいなくてはやっていけない始末。
 ついにキレたサンドラは、「2週間後に辞める」と言い渡した……。

 「別れ」が決まってから、恋に気づく男女のラブ・ストーリー。

 いやあ、ヒュー様もサンドラ・ブロックもかわいいこと。どちらもきつい美形顔の役者なのに、キュートに見えるよ。
 ロマンティックよりも、愉快な面の方が強いロマンスだなー。笑いがいっぱい。
 つーか、ヤケ食いで下痢をして、トイレに担ぎ込まれるヒロインってどうよ(笑)。しかも、恋の相手に荷物運び(姫抱っこにあらず)されるときた。
 びんぼーな一般人が大富豪と恋愛、なわけだけど、この力任せな笑いの部分がプラスの作用を持ってるんだよね。「共感」がないと、観客は「嫉妬」に走る。ハンサムで優しい王子様と恋愛するヒロインに「反感」を持つ。……それじゃダメ。「共感」させるにはなにが必要か。
 ヒロインのリアリティ。それに尽きる。
 この物語のヒロインは、その家庭から描くことで、ちゃんと姿が見える。この両親に育てられ、この信念を持って生きているのだから、そりゃ不器用だろう(笑)、と。いつも全力疾走できりきり舞いして貧乏くじを引いている姿に、共感できるってもん。
 まー、多少力業すぎる気がしないでもないが。大味なのはアメリカ映画の特徴みたいなもんだし。

 恋愛映画として、たのしんで見ました。
 どきどきして、せつなくって、てのを味わいたくて行くのよ。ちゃんとそれを味わえたからいいわ。
 ただ、書き込みが甘いっっ、とは思ったぞ。もっともっと、せつなく盛り上げることができただろう、クライマックス。ラストが弱いんだよ〜〜。
 男の方の心理も描いてくれよ。どんでん返しのためにわざと伏せたのかもしれないが、そこは伏せるよりもあざとく書き込んだ方がいいよー。

 クライマックスの爽快感は、『ブリジット・ジョーンズの日記』の方があったな。

 それにしても、ヒュー様がプリチーだわ……。
 サンドラ・ブロックが脱がないかわり、ヒュー様の脱ぎっぷりがよくて笑える。なんでアンタそんなに太股だのふくらはぎだの剥き出しにしてんの?(笑)
 これほど短パン(トランクス含む)の似合う40男ってどうよ?(笑)
 ヒュー様のすばらしさは、体毛の少なさにもあるわねえ。太股がきれいなのはいいことだ。そしてなにより、胸毛のないつるつる胸! さすがだ貴公子!!

 強い女と優柔不断男の恋。
 時代を表しているってことなのかしら。
 女は強くて自立した(でも不器用な)ヒロインに共感し、男はやさしくて自分でなにも決められないけど世間的には勝者のダーリンキャラに共感するのか? 
 アタシもあんなふーに、ハンサムでやさしい男を尻に引き、でもつらいときは癒されたい、ってか。
 オレもあんなふーに、知的美人に叱られたり甘やかされたりしてえ、ってか。
 恋のドリームも時代によって変わるわね。
 ……「王子様幻想」は普遍だけどさ。

 あ、この映画は最後まで座席に坐っていましょう。
 クレジットが全部流れたあとで、写真が一枚見られるよ。ふたりの出会うきっかけとなった、コニーアイランド開発計画の、結果が。

 ぜんぜん関係ないんだけど、わたしゃ「コニーアイランド」と聞くと「ぷっ」と笑ってしまうんですよ。ええ、『ホップ・スコッチ』以来ね。
 どうしてもあの駄作と、なんの脈絡もなく意味もなく、そして存在意義すらなかった迷シーン「コニーアイランド」とルーシーが忘れられなくてね。
 どうしてくれるんだ、太田哲則。  

 
 アニメの『ベルばら』を数話一気に見ました。
 ほら今、BSで放送してるから。
 アレをDVDに焼こうと思ってね。全40話だから、10話で1枚のRにすることにしたの。先週で10話溜まったから、いらないところを削り落として、改めてRにダビング。

 わたし、このアニメ版『ベルばら』のサントラCD持ってるの。
 もともとは「LP」だったのを、何年か前に「限定発売」と銘打って「CD化」してたんだよね。通販ONLYだってちらしに書いてあったけど、ほんとかな。
 わたしはLP時代もファンだったので、CDも迷わず注文しましたとも。

 サントラCDには、不思議な挿入歌も何曲か入ってて、とても香ばしかったですわよ。
 今咄嗟に出てこないんですが。アニメのCDなんて、さすがにこのトシになるとどこかへしまいこんでいて、日記のために引っ張り出してくることが不可能なのよ……。
 たしか、フランス人ですか?みたいな舌っ足らずな歌手が歌ってたなあ。アニメ中にこの歌が流れることがなかったのも、そりゃうなずけるわ、てな出来の歌だった。

 愉快だったのは、インスト曲には声優の語りが入っていたこと。
 アントワネットとか、オスカルとか。
 アニメの音を使っているわけじゃなくて、たぶんCDのための別録音だと思う。アニメでは存在しない語りだったから。

 と、ゆーのも。

 アニメの『ベルばら』を見た人は知ってるだろうけど、アレ、原作とは相当ちがってたよね?
 オスカルの解釈が微妙にちがってたし、それゆえにアンドレも別の人になっていた。ま、いちばん別人だったのはアランだけど。
 原作ファンとしては、あちこち「はぁ?」と首を傾げていたもんさ。
 原作の名台詞もことごとく無視されていたし。
 アニメはアニメとして、好きなんだけどね。アンドレの死に方(笑)以外は、「別物」として好意を持っている。

 サントラは、たぶんアニメ制作前に作られていると思う。
 アニメがあんなことになるとは、誰も思っていなかったときに作られたはず(途中で監督が替わるなんて、誰が思うよ?)。
 だから、原作に忠実なの。

 オスカルの、原作の台詞があるんだよー。

 オスカルがアンドレに愛を告白するシーン。
「わたしの存在など巨大な歴史の歯車の前には……以下略」
「千の誓いがいるか、万の誓いが欲しいか……以下略」
 が、田島令子と志垣太郎の声で入ってるのですよー。

 アニメにはなかったあのシーンが。

 ……CD聴きたくなってきたなー。探すか……。

 アニメ『ベルばら』を見てDVDのスイッチを切った途端、テレビでただいまやたら放送中の『聖闘士星矢』のDVDのCMなんか見ちゃった日には、「ギャフン!!」って感じですが(笑)。

 

台風の行方。

2003年6月9日 家族
 朝、母はいそいそと旅立ちました。

 長年の夢であった、縄文杉に会いに、屋久島へ向かったのです。

 この旅行が決まってからというもの、母はなにをやっても上の空、うざいイキモノと成り果てていた。
 わたしの部屋に鼻息荒くやってきて、「空港までの交通機関の、時刻表を調べて!」とか、「屋久島のバスの時刻表が欲しい」とか、「登山記録とかあったら探して」とか、「こことここの地図が欲しい」とか、好き放題わたしをこき使った。
 インターネットは便利だし、パソコンは魔法のハコだけどな、ママ、それを使うのは人間、すなわちわたしなのよ。
 あーっ、めんどくせー。
 わたしは、わたしが行くんでもない旅行のために、いろいろ調べまわりましたよ。
 つーかなんで、ママの友だちの分まで時刻表調べなきゃなんないの。大人なんだから、空港で待ち合わせりゃすむだろーに。「どうやって空港まで行けばいいのかわからない」なんて友だち、つきあい方考えようよ……。

 そうやって、我が家の台風は旅立ちました。
 これで数日間は、静かです。

 が。

 昼過ぎに、携帯に電話が。

「今、鹿児島。天候不良で、屋久島行きの飛行機が欠航なの!!」

 母からの悲鳴電話です。

「どうしたらいいのか、わからない。旅行社の電話番号調べて!」

 ……旅行に行くのに、ツアーの旅行社の連絡先も持ち合わせてなかったんかい……。
 ぎゃーすかわめく母のために、パソコンを立ち上げて、旅行社を調べて電話番号を教える。

 そのあとどうなったのか、気になったのでメールを打ったが、返事はナシ。

 夕方、オレンジとまたしても長電話をしていたら、携帯が鳴った。

「今、モノレールを降りたところ! もうじき家に着くわ」

 母は、大阪に戻ってきていた。
 結局飛行機は飛ばず、ツアーは中止になったらしい。

「鹿児島空港から一歩も外に出てないわ。4時間くらいいたかしら。ラーメン食べたわ」

 こうして、我が家の台風は無事帰宅し、明日旅行社とどう対決するかを練っている。

 またしばらく、うるさそうだ……。

          ☆

 ところでわれらがトド様は、どこまでお行きになるのかしらねえ。
 トド様の専科行きが発表になったとき、

「わたしが死ぬのが先か、トド様が退団するのが先か」

 と思ったもんだったけど。
 マジ、笑い話ではなくなったってことかしらね。

 今のトド様からは想像つかないだろーけど、あの人は昔ね、「やんちゃな男役」だったのよ? 悪ガキだったのよ? そこが魅力だったのよ。

 ペーちゃんとふたり、ささやかにヅカファンをしていたあのころからは、想像もつかない今日このごろ。

 
 猫が帰ってきません。

 洗濯日和だったので、親の家の庭で洗濯物を干していたんですが。

 ……と書くと、庭に出た猫が、そのままどこかへ逃げ出したみたいだな。

 そうじゃなくて、洗濯をするために親の家に行こうとしたら、猫が「どこに行くんだ、オレも連れて行け」とうるさいので、連れて行ったのね。
 親の家に。

 そしたらそこに、居着いてしまったの。

 いつもなら、すぐに「やっぱり家に帰りたい」と言い出すのに。
 のんきにゴロゴロしているから、猫を親の家に置き去りにして、わたしひとり自宅へ帰ったの。うちの両親は猫のことを溺愛していて、置いていった方がよろこぶから。猫を親の家に連れて行くのは、ささやかな親孝行の意味もあるっちゅーか。
 そうやっていつもなら、猫が家に帰りたがったら、母親がわたしの家まで運んでくるから、置いていっても問題なしなのね。
 しかし今日は。
 もう夜だってのに、まだ帰ってこないぞ、猫。
 さっきビールを取りにやってきた父が「猫は機嫌良くウチにいる。帰りたいとは言わない」とうれしそーに報告していった。
 ……わたしが迎えに行くまで、帰らないつもりか、あの猫。

 あ、「父がビールを取りに」ってのは、わたしの家を両親が「倉庫」として利用しているせいです。もともと3人で暮らしていた家に、今はわたしひとりで住んでいるため、部屋が余ってるのね。んで、彼らは自分の家に置ききれないモノを、わたしの家で保管しているのよ。
 わたし、ビールなんか飲まないのに! 酒屋さんは、わざわざわたしの家に配達に来るのよ、わたしの親の指示で。瓶ビールをケース買いしている独身女の家、ってどうよ?!

          ☆

 今日よーやく、『逆転裁判』が終わった。

 「トノサマン事件」の途中で放りだしていたのを、数日前から再開、よーやくよおおおおやく、終了しました。

 ……やっぱりわたし、笑えない……。

 たしかにね、第3話ですか、最後の事件はオタク女的にたのしい展開ですけどね。ナルホド×ミツルギを読みたいとか思うけどね。
 でもやっぱり、基本的にダメだよ、この世界観!!

 キチガイばっかり!!

 気持ち悪いよー、登場人物の考え方全部。
 出来事と、それに対する反応、言葉、なにもかも気持ち悪い。

 ミステリとしては、超低レベル。
 事件とトリックと犯人は、誰にでもわかる。
 そのせいなの?
 真相に、わざとたどりつけないように、出てくる人間たちがみんなキチガイ。
 証拠があってもそれを無視する。……無視しなければ、そこで事件解決なのに。ぜんぜん関係ない方向へ、話をねじ曲げる。その繰り返し。つーか、全部がソレ。

 このゲームの「推理」とは、事件の真相を推理することではなく、出てくるキチガイたちの、気のちがった行動を予測すること。
 なんせキチガイなので、常識は通用しない。冷静にゲーム制作者の意図を読み、あえて真相から遠ざかるようにキチガイたちの次の言動をミスリードしていかなければならない。

 ああ、つかれた。

 わたし、アタマ固いのよ。どうしても「常識」で考えてしまうから、「犯人はこいつなのに」「証拠はコレなのに」って、いちいち思ってしまうから、ストレスがたまる。
 わざとバカな答えをさがしつづけるのが、こんなに苦痛だなんて。

 どーして『逆転裁判』の世界に入りそびれたのかしら。

 わたし、ファンタジーは好きなのに。
 ファンタジーってのは、すなわち「嘘」の世界。
 なにも異世界や未来だけがファンタジーじゃない。現代が舞台でも、ファンタジーは存在する。
 「嘘」がすみずみまで、きちんと構築されていれば、それは「ファンタジー」だ。

 『逆転裁判』も、その点きちんとした「ファンタジー」だ。
 「嘘」で構築された世界だ。
 べつのルールを持つ、ちゃんとした「別の世界」だ。

 わかってるけど、だめだったんだよなあ。
 これはもう、好みの問題だろう。
 わたしの逆ツボだったってことか。しょぼん。

 同じよーに、バカ・ミステリ・ゲームといえば、『YAKATA』を思い出す。
 綾辻行人監修の、とんでもない作品。

 孤島にある館で起きた、密室殺人事件。犯人は館の中の誰か。記憶喪失の主人公は、真犯人を見つけることができるのかッ?!

 てなゲーム。

 今でも、「最悪なオチの密室殺人事件」として、弟と笑い話にしているゲームだ。
 ほんとにものすごいトリックなんだよ。密室殺人モノとしては、最強じゃないかな?

 ミステリとしては最悪だけど、このゲームはほんと、大ウケした。爆笑して、たのしめた。

 『YAKATA』がOKなのに、どーして『逆転裁判』はダメだったんかいな?

 どーでもいいが、『逆転裁判』をやっていたら、『はみだしっ子』が読みたくなってしまった……。リッチーの裁判のくだりを。
 しかし、実際に本を開くと、のーみそのシワが減っているせいか疲れているせいか、読み通すことができずにまた本棚に戻してしまった。
 やれやれ。
 
 
 ふと隣を見ると、デイジーちゃんが服を脱いでいた。いきなり、セクシーなタンクトップ姿。

「な、なにやってんの?!」
 わたしがびびって訊ねると、彼女はとても当たり前に。
「え? だって、暑くて」
 と、返してきた。

 あつい……?
 さっきから空調の風が当たって、寒いんですけど。わたし、わざわざカーディガン出して着込んだんですけど。

「えっ、暑くないですか? 11時公演も暑くて暑くて、わたし、ずっと脱いでましたよ」
「それはアナタのテンションのせいじゃあ……?」
「ぐっ」

 TCA公演、千秋楽の休憩中の会話です。
 わたしは5日観劇、デイジーちゃんは6日の11時観劇。そして15時の楽は、ふたり一緒に観劇です。
 現在「オサ命」のデイジーちゃんは、第1部の『最後のダンス』ですでに息も絶え絶え。そりゃ体温も上がっているだろうよ……。

「だって2部は、ブラック・ジャック先生じゃないですか! 体温上がっても仕方ないですよーっ、先に脱いで、準備しておこうかな、って」

 とわめきつつも、わたしが突っ込んだせいか、また上着を着直していた。……いいのに、脱いだままでも。

 今回、わたしとデイジーちゃんは2階2列目ドセンターで並んで観劇。隣にいると、彼女の天井知らずのテンションに引きずられる(笑)。

 昨日は構成の感想を書いたので、今日は純粋にミーハー・モードの感想。

 たのしかった。

 素直にキャラ萌え、ジェンヌ萌え。
 やっぱりいちばん好きなのはブラック・ジャック先生@オサですな(笑)。ああ、なんていいキャラなのー。
 クールというより投げやりな態度が、素敵。人の話を聞いちゃいねえ、勝手にひとりでなにかしているところも、大好き。
 そして、ブラック・ジャックの影@まっつ! なんてプリチーなの。動作のひとつひとつがきれいで愉快。
 今回はブラック・ジャック先生、自分の影であるまっつを捕まえて、えんえんえんえん、お遊び。……いや、遊んでるのはわかるよ……わかるけど……やってるのが寿美礼ちゃんだから、なんつーんですかその、やたらエロいというか、えーと、「大人のお医者さんごっこ」に見えて、ヤバかったんですが。
 まっつを強引にそばに寄せ、聴診器をあちこちに当てている姿が……い、いちばんの収穫かと……(何故かどもる)。

 花組の10年のシーンは、見事にブラック・ジャック先生とその影しか見ていませんでした。
 テレビカメラが入ってたからさ、真ん中はきっとカメラが撮ってくれると思って。だから、あさことかゆみことからんとむとかを見るのは、潔くあきらめた。それより今は、先生とその影を見るのよ!

 いちばん笑えたのは、やっぱり星組かなー。お笑いパートの先頭バッターだから、よけいに笑いが新鮮よね。
 フランツ@ケロにめろめろだ(笑)。
 あと、お笑いがうまいなと思うのは、なんと言ってもトウコちゃん。ひとりでボケツッコミをこなすのだが、マジでうまい。この人でなきゃ「シュワッチ! ピコーンピコーン、あっ、3分経った、いただきます!」は成り立たなかったろうと思う。

 月組はリカちゃんのひとり舞台っぽいから、リカへのもともとの好感度で、観る人によって笑いの深さが変化していそう。
 でもいいんだっ、プガチョフ@ゆーひが見られたから!! 笑うことなんか忘れて、ひたすらゆーひくんを見ていた(笑)。わーん、美しいよー。プガチョフ〜〜。
 あと、えみくらちゃんがかわいい。酔っぱらいぶりがベリキュート!

 雪組はそれほど笑いは大きくない。構成はよくできてるのに。これは演じている人たちの個性かなあ。えらくさらっとしている。

 バトラー@トド様を見て思ったことは、
「昔一発だけ当てた演歌歌手とかって、その唯一無二の曲だけで、どさ廻りで生涯食べていけるらしいねえ……」
 なんてことだった。
 トド様、きっとこのバトラー役だけで一生やっていけるよね。これから先なにがあっても、ヅカに残っていてもいなくても、このバトラー役のどさ廻りディナー・ショーとかで、生きていけそう。(失礼な言いぐさですか?)
 当たり役を持つ、ってのは、それくらいすごいことだよな。
 つってもわたし、バトラーって好きじゃないので、どーでもいいんですが。
 トド様の真の当たり役はルキーニ(総攻)とラヴィック(総受)だと思っているから。この両極端の役を当たり役にしてしまうほどのキャラクターだってことが、わたしがトド様を好きな理由のひとつ。
 この公演の大トリがラヴィック@トド様だったのが、うれしかったよ。きっと彼は、一生涯、この歌を歌い続けるんだろうな。人間、そんな出会いはそうそうないから、とても幸運なことだと思う。

 「宝塚大劇場10年の軌跡」だから、やたらと当時のことを思い出していたよ。
 ワタルの歌う『風になりたい』を聴きながら、マリコの歌声を思い出し、さらに、マリコの物まねが得意だったキティちゃん(音大・声楽科卒)の、鼻にかかった不思議な音程の歌声を思い出し……。
 カシゲの歌う『今始まりの刻』を聴きながら、あー、いっちゃんの歌声は素晴らしかったなあとか、植田の曲はどれも無意味に壮大なイントロだよなあとか、このときの2番手は高嶺くんではなくて何故か古代さんだったなあ、とか、なつかしく思い出した。ああ、わたしがちはる兄貴に惚れたのが、この公演だった……不良貴族の役、かっこよかったさ……。
 『グランドホテル』というと何故か、天海のレズ女役が浮かぶし、『ランベス・ウォーク』を聴けば天海じゃなくて名古屋で観たのんちゃんの方が印象強いなあ、樹里ちゃんを最初に個別認識したのはアレだったなとか、そもそも初演のときのご先祖様たちのなかにいた、まだ研2だかなんだかの轟の濃い〜顔の印象とか……ランダムに浮かんでくるよー。

 そーいや昨日一緒に観た殿さんは、「コウちゃんがひとりで銀橋で歌った歌、なに?」と必死だったな。
 あれは『風のシャムロック』、谷村新司・作詞作曲の名曲だよ。作品は『エールの残照』、谷の唯一の佳作だよ。
「『エール』ビデオで観たけど、あんな曲なかったよ、あたしはじめて聴いた」
 いや、主題歌だし、ばんばん歌ってたから、絶対聴いてるって。
 ただ、天海がソロで歌っているときより、コーラスのときの方が歌詞がよくわかったけど。
「そっか、天海が歌ってたから、別の曲に聞こえたんだ!」
 ……ファイナルアンサー?

 見終わったあとも、なかなか席を立たず、デイジーちゃんとふたりして、余韻にひたっていました。

 ああ……たのしかったなああ。

 なんか、昔のビデオをいろいろ見返したくなっちゃったよ。

 
 気持ちよく笑ってきました、TCA。
 

 参加することに意義がある、苦労してチケ取りして、でも実際観てみると「なんでこんなもんのために、がんばったんだろ……」と虚しくなる。それがTCA。
 ……だったんだけど。

 いやあ、今年はたのしかったよー。

 テーマの選択が成功だったと思うよ。
 「宝塚大劇場10年の軌跡」。
 TCAを観に来るよーな、コアなファンがたのしめるテーマだ。行くぜ完全内輪受け。
 ほぼ全編パロディ状態だったので、「ファン向けの祭り」としての意義を正しく果たしていた。

 長く観てきた人間には、うれしいねえ。だって、10年間の思い出の曲を、思い出の人が歌ってくれるんだもの。
 そう、できる限り関係者をキャスティングしてくれるのよ。衣装付きだから、なつかしいのなんのって。
 もう当時のキャストは退団していないだろうって? ……いるのよ、それが。
 新人公演で、その役をやった子たちが。
 

 個人的に、もっとも感動したのは、ケロのフランツをふたたび観られたことです……。
 ケロー、ケロちゃあん。なつかしーよー。
 でも、路線でもない君がフランツを新公で演じたなんて、君のファン以外は知らないんじゃないかと、おばさんチト心配したよ……。
 

 そして。
 オープニングから「うっきゃ〜〜♪」だったのが、銀橋。
 ケロとゆーひが、並んでる〜〜。
 うれしーよー、ふたたびこの並びを観られるなんてー。
 ゆーひくん、笑ってるし。彼の笑顔を見るのは、何ヶ月ぶりだ? この間の月組公演、ほんとに笑わなかったからな……。
 しかもゆーひ、ウインクとばしてるし……ゆーひのウインク……超レア。なんでアンタ、そんなにご機嫌さんなの? オペラグラス越しにウインクを受け取り、びびったよ。

 
 今回、脚本がいいと感心しました。
 TCAで脚本がいい?!
 ……時代も変わったな。
 演出は藤井&齋藤。
 たしかに、時代も変わった。老人の演出する時代ではなくなったんだね。ハラショー。

 不在の宙組を除く4組が、それぞれ「組の10年間」を寸劇で見せる構成。
 これが、うまいんだわ。

 ・過去10年間の作品を使う。
 ・トップスターは通し役。
 ・上記のトップスターの役に、他の作品の役をからめる。
 ・他のキャストは、できるだけ当時の関係者(新公経験者)を使う。
 ・幹になるストーリーがパロディで、それに絡む小ネタもまた、パロディである。

 わたし、こーゆー、構成をがんばっている作品、好きなのよー(笑)。
 くだらないパロディを、一生懸命計算して作ってあるなんて、素敵だわ。

 いちばんうまいと思ったのが、雪組。次が花、月、星の順。おもしろかった順でもなくキャストの良かった順でもなくて、構成のうまい順ね。

 雪は「幹」になるストーリーが『ノバ・ボサ・ノバ』。ソール@コムとボーロ@シナちゃんの前に、次々といろんなキャラが現れる。サンドリーヌ@りら(by再会)、夫差@壮くんと西施@となみちゃん(by愛燃える)、坂本竜馬@いづるんと岩崎弥太郎@キム(by猛き黄金の国)、ジュリアン@ハマコ(byバッカスと呼ばれた男)、ヴァルモン@カシゲ(by仮面のロマネスク)。
 主役の前に、新公経験者を多く使ったキャラが現れ、絡むというのは、他の組も同じ。
 雪組がアタマひとつ抜きでていたのは、ストーリーまでもが本公演の流れをちゃんと汲んでいたということ。
 ソール@コムは泥棒で、べそかきサンドリーヌ@りらから「ネックレス」を盗む。観た人にはわかる、「あの」ネックレスだ。
 それを見ていた夫差@壮くんと西施@となみちゃんは、扮装は完璧に『愛燃える』なのに、台詞はしっかり『ノバ・ボサ・ノバ』。ルーア神父とシスター・マーマ。ふたりは芝居っけたっぷりに『愛燃える』の世界も披露。ソール@コムは、このふたりからもしっかり盗みをはたらく。
 つづいて出てくる連中からも、ソール@コムはなにかしら盗んでいく。朗々と喋り、朗々と歌う、テンション高くて傍迷惑な(笑)ジュリアン@ハマコからは、大きな帽子を盗む。
 この帽子をソール@コムがかぶるシーンは、どうやら『風共』のパロディ。バトラーからの贈り物を、スカーレットがいそいそかぶるシーンよね。
 そこへ出てきたヴァルモン@カシゲ。帽子をかぶったソール@コムを、恋人メルトゥイユ夫人だと思いこむ。ソール@コムは、メルトゥイユになりきって受け答え。
 ……女装アイドル、我らがコム姫に女役までやらせますか。なんてソツのない構成なの……?! コムとカシゲのラブシーンもどきを見せてくれるとは、やるな!
 ヴァルモン@カシゲからも、ソール@コムはちゃっかり盗みをはたらく。ヴァルモン@カシゲはそれに気づき、「強盗だー!」。他の面々も出てきて、『ノバ・ボサ・ノバ』の有名シーンを再現。
 そこからあくまでも『ノバ・ボサ・ノバ』で陽気に盛り上げ、フィナーレへ。

 他の組は、キャラを使って遊んでいるだけで、ストーリーまで本公演のパロディをしているわけじゃないのよ。
 ストーリーや有名シーンまできちんとパロにして、そのうえコム姫に女役までさせた雪組が、プロットはいちばん凝っていてうまかったよ。

 次は花組。「幹」はいちおー、『ブラック・ジャック』。でも、ストーリーはない。キャラだけ使ったお遊びね。
 ブラック・ジャック先生@オサのもとに、いろんなキャラたちが次々と相談に現れる、という設定。
 ストーリーはないけれど、キャラはそれぞれ味を活かした作り。新公経験者をうまく使っている。
 とくにルートヴィヒ@ゆみこが、ブラック・ジャック@オサを「美しい……」と机に押し倒すのなんか、うまいわー。オサに対しても、ルートヴィヒという役に対しても。
 ここまでなら他の組もそうだけど、花組はクライマックスを芝居仕立てに盛り上げてるんだよね。
 悩みを打ち明ける貞奴@ふーちゃんが「死にたい」ともらすと、ブラック・ジャック@オサってば、「死ねばいい!」と、トート閣下に早変わり!!
 秀逸なのは、ピノコ@あすか!! 彼女は突然ルキーニに変身。狂気を秘めた目で、あの「トート閣下からナイフをいただくシーン」を演じてくれるのだ。そして、貞奴@ふーちゃんを刺殺。「グランド・アモーレ!!」の台詞も健在。
 バックには「あの」昇天装置が現れ、トート閣下@オサと貞奴@ふーちゃんが、スモークの中を昇天していく……。
 この最後の盛り上がりの劇的さが素晴らしかった、花組。

 月組の「幹」は『ガイズ&ドールズ』。『グランドホテル』のホテルにやってきたらしい、スカイ@リカと酔っぱらいサラ@えみくら。ドアマン@きりやんに門前払いを受ける。
 ホテルには次々と過去作品のキャラたちが現れる。スカイ@リカたちには「部屋はない」のに、他の客はもみ手で通すってのはどういうことだ?! とおさまらないスカイ@リカが、彼らに勝負を挑む。
 あくまでも、キャラのお遊びに終始。
 しかも最後には究極の内輪受けをやってくれた。この前のシーンで、タニがひとりで「宙組に移動になりました」と挨拶をしているのだ。これが伏線。
 最後に登場キャラ総出で「ドリフ的混乱シーン」をやってみせたとき、……あれっ? どさくさにまぎれてタニが混ざってるぞっ?! 指摘されたタニが、泣きながら走り去る。……かっ、かわいいっ!(笑)
 この究極の内輪受けが、うまい。

 星組はもっと散漫。
 「幹」は『国境のない地図』。天才音楽家ヘルマン@ワタルのもとへ、他の人たちが歌を習いに来る、という設定。……ちゃんとセットには「宝塚音楽学校」のマークが輝いている(笑)。
 歌を習いに来たわりに、最後は「イントロクイズ」になっていたりと、かなり力業。
 構成自体はいちばんお粗末。
 

 だが、繰り返すが今のは、構成の話だ。プロットが複雑だからって、それがそのまま作品の善し悪しとイコールってわけじゃない。プラスαがあるのが、舞台だもんな。

 どの組も、すごく笑えたよー。
 

 専科のみなさんには、お笑いシーンなし。真面目に濃く、濃ぃい歌声を披露してもらった。

 唯一お笑いがあったのが、トド様。バトラー@トドに絡む、5人の2番手男役スカーレット。
 タニ、きりやん、あさこ、カシゲ、トウコ。
 ……ねえ、あさこ。この中で君だけが、「本役」だよね? あとはみんな、所詮「お祭りのお遊び」よね?
 なのに君がいちばんイケてないってのは、どうよ、どうなのよあさこ!(笑)
 こわかったよ、スカーレット@あさこ。ごついのなんのって。似合っていない度ではきりやんもいい勝負だったが、彼は見事に「成りきって」いた。表情がスカーレットそのものだったのだわ(こわかった)。
 タニちゃんはたんなるお笑い系の似合わなさ、カシゲとトウコはノープロ、美しかった。
 この強面のスカーレットを前に、バトラー@トド様たじたじ。笑いを振りまいてました。

 ワタ×コムの『ベルばら』はシリアス、とっても美しかったけど……それだけだったなー。他のシーンのインパクトが強すぎて、印象に残らない……。
 

 いやしかし、とってもたのしんだよー。今日は立ち見(場所取りする気なかったんで、開演1分前に入場、でも我が視界に障害物なし・笑)だったんだけど、とても有意義でした。


 愛を信じる心が、今、奇跡を呼ぶ。−−てなあおりのついた映画『コーリング』。
 監督トム・シャドヤック、出演ケビン・コスナー、スザンナ・トンプソン、キャシー・ベイツ。

 WHITEちゃんに誘われたの。
「試写会で1度見たんだけど、なんか、思ってたのとぜんぜんちがってたから。……もう一度見たいんだけど、緑野も一緒に見る?」
 思ってたのとチガウ、って、恋愛映画でしょ? ちらしを見てもそんな感じだけど?
「いや、たしかに恋愛なんだけど……」
 語尾不鮮明。
 つーことで、百聞は一見にしかず。自分で見てみましょう、もちろんレディースデーに。

 ……たしかに、思ってたのとは、ぜんぜんちがった。
 大違いだよ、まったく。

 てゆーか、こわかったんですけどっ(笑)。

 ケビン・コスナーとスザンナ・トンプソンはラヴラヴ夫婦。しかし、遠い国でスザンナが事故死してしまった。
 それ以来、ケビンの周囲で異変がつづく。臨死体験をした子どもや昏睡状態になった子どもが、面識のないはずのスザンナの伝言を口にしたり、自宅ではラップ現象が起こったり、人の気配がしたり、モノが一瞬で移動していたり。
 心霊現象フルコース! ケビンはこれを、亡き妻からのメッセージだと信じ、理解しようと奔走する。
 繰り返し残される、謎の記号。歪んだ十字架。虹。……周囲から狂人扱いされようと、ケビンは愛する妻のために爆走する!
 そしてついに、彼女の死んだ国まで駆けつけ、遺体を探そうとするが……。

 たしかに、恋愛映画だよ……まちがってはいないよ……しかし、正しくもないだろ……?

 ホラー映画じゃないのか、これ?
 亡き妻の幽霊、めちゃこわいんですけど?(笑)

 どう見ても「愛するがゆえのメッセージ」には見えなかった。
 死んだ妻が、生きている夫を「取り殺そう」としているよーにしか、見えなかったよ。

 おいおいケビン、このままじゃあんたマジ殺されるって! すでに社会的には死にかかってんじゃん、霊の存在を信じて奔走しているせいで。
 みんな俺の気のせいだ、死んだ妻のメッセージなんてありえない、人生やり直すんだ、と引っ越しを決意して荷造りをはじめたら、邪魔されたじゃん。それって……「逃がさないわよ、アタシを忘れて第二の人生なんか許さない、アナタもこっちへいらっしゃい……」て意味だろっ?! こ、こわっ。

 てなふーに。

 最後まで見ると、たしかに、いちおー、愛の物語で、感動的なオチに持っていくんだけど。
 いくらオチがアレでも、そこまでのアプローチがものすげえホラーなんですが……。
 ここまでホラーな演出しておいて、「愛の奇跡」か……。うーむ……。

 とってもどっちつかずな、消化不良な印象。

 それにしてもケビン・コスナー、トシ取ったね……。

          ☆

 今日はワゴンさんときんどーさんと、ランチバイキング。
 リーガ・グランド・ホテルのランチバイキングは、めちゃ安ですよ。
 税込み1200円。
 品揃えと味はそこそこ。値段分はたのしめます。
 そのあとは店を変えて、えんえんえんえん、お喋り。

 それからひとりで1時間半ほど時間を潰して、WHITEちゃんと映画に行ったわけですが。

 ひとりで三番街をうろついておったのですが、そこでかねてから探していたガチャガチャを見つけてしまいました。
 ガチャガチャ、とわたしたちは呼んでいますが、バンダイの商品名は「ガチャポン」ですかね。
 硬貨を入れてハンドルを回すと、カプセルに入ったおもちゃが出てくる子ども向けの自動販売機。
 それの、「フロッグ・スタイル」という商品を集めてるのよ。
 まあわたしは、コレクターとしては三流以下の身なので、見つけたら適度に買う、だけで、フルコンプなど目指しておりません。おかげで、4月発売の第1弾は、5種類しか持ってないし。
 今日見つけたのは、第2弾でした。
 第1弾、集めそこなっちゃったなあ。フルコンプは無理でも、欲しいのがまだいくつかあったのに。と思いつつ、硬貨を入れてハンドルを回す。
 出てきたカプセルを開け、商品と付属のリーフを取り出す。リーフには「次のシリーズは8月発売予定」とある。
 てことは、今ある第2弾も、2ヶ月の命?!
 ……そう思うとつい、がんばって買ってしまいました……バカ……。
 7種類GET。ダブりなし。いい仕事だ。
 なかでも、「ANGEL FROG」と「DEVIL FROG」をGETできたのがうれしい。それと、「PHONE FROG」。……ああ、かわいいー。

 ビッグ・ジュール用のテディベアも買ったしな(笑)。

 長くて価値のある1日。……かな?

 
 前々から欲しくて仕方のなかったモノが、ついに手に入りました。

 「服の形をした500mlペットボトルホルダー」というものをご存じっすか?
 ペットボトルホルダーが服の形をする意味なんてどこにもないけどなー。でもま、あるんだわ、そーゆー無意味なモノが。変なモノを創らせたら天下一品の通販ブランド、フェリシモのオリジナル商品だったはず。
 でも通販だけじゃなく、東急ハンズとか百貨店とかで、地味に売っているよ。梅田の三番街でも見かけたなー。

 なんせ服の形だから。
 デザインがいくらでも考えられるんでしょうかね。種類が限りなく多いのよ。

 その中でわたし、とても惹かれるモノを見つけたのだわ。

 男物のジャケット。黒地に白いストライプ。
 スーツの上部分らしい。襟元には白いシャツと黒いネクタイがのぞいている。

 こ、これって……某公演の某キャラの衣装にクリソツなんですが??

 つーかコレ、ビッグ・ジュールのスーツじゃん!
 なんでこんなとこにビッグ・ジュールのスーツがっ?!

 ……いやもちろん、そんなもんは他人のそら似……つーか、ただの偶然の産物、まったく関係ないことは知っています。トッド・オールダムというデザイナーの作品らしい。
 関係なくても、ビッグ・ジュールのスーツに似ているのだから、わたしはソレが欲しいぞ!

 しかし、その商品は「年間予約」という謎のシステムでしか販売していないのだった。
 1ヶ月に1個、ペットボトルホルダーが届く。それを12ヶ月契約しなくてはならないというのだ。
 なんだそりゃ? 12個もペットボトルホルダーを必要とする人間ってのは、どんな生活をしている人だ? ふつーに考えたらいないだろ、そんな奇特な人間。
 欲しいのはトッド・オールダム氏デザインのひとつだけ、残りの11個のデザインの大半は「……誰が使うの?」と首を傾げるよーなぶっ飛んだモノだった。
 とてもじゃないが、12個全部を買う気にはなれないよー。
 なんで1個だけ売ってくれないんだ……抱き合わせ商法かよ……。
 そのキテレツな販売方法にめげ、わたしは購入を断念した。

 しかしわたしは、あきらめなかった。
 

 敵はあの奇妙な販売方法である。契約した人の中には、わたしのように「3分の1くらいはかわいいと思うけど、残りはどーしよーもねーな」と思っている人もいるだろう。
 欲しいモノだけを手元に置き、いらない、と判断したデザインのモノを、処分しようとするのではないだろうか……。

 つーことで、ヤフオクを張りました。
 アラート登録して、網にかかるのを待つこと数ヶ月。

 そしてついに、ビッグ・ジュールは競売にかけられた!!(イヤンな響き・笑)

 競り落としましたとも。
 勝利しましたよ。
 手数料を含め、プロパーで買うより高くついたけど、ペットボトルホルダーを12個も無理矢理買わされることを思えば、安いもんだ。

 そしてソレが今日、我が家に届きましたのさー。

 か、かわいい……。
 500mlサイズのビッグ・ジュール……(なにか妄想しているらしい)。

 さて、あとはこのペットボトルホルダーに合った大きさの、クマのマスコットかなんかが欲しいですなっ。
 やっぱビッグ・ジュールにはリトル・ジュールが必要でしょう!
 誰か5cmくらいのクマのマスコット売ってるところ知りませんかー? キーチェーンでもバッチでもなんでいいや、加工して使うから。

 ああ、オタクなよろこび……。

 
 朝、新聞を開いたらトド様がカラーで「小林幸子」していた……。
 記事にも「小林幸子の紅白の衣装を思い起こさせる」って書いてあるし。
 まあ、インパクトのある衣装よね。芝居のプロローグ、鳳凰のシーン。
 

 さて、今日は2回目の花組観劇ですだー。
 わたしが見捨てかけた谷芝居、周囲で評判がいいのがちと鬱ですが、気持ちはわかる。寿美礼ちゃん単体で萌えるにはいい作品だからな。長く谷とトドを見てきた人間にはきついっすが。

 さて、長く谷とトドを見てきただけに、今回なまあたたかく観劇しながら、考えました。

 谷作品の主人公って、基本的には「攻」なんだよね。
 谷せんせの妄想の権化だから、主人公は良くも悪くも「男至上主義」、つまり攻。
 ただ、演じる人の持ち味で受になったりもする。

 アナジは、受だったよね。
 というか、総受だったよ、あの男。
 轟は攻が基本だと思っていたころだった(過去形かい)から、目からウロコだったなあ。
 基本カップリングは隼人×アナジ、そこへ乱入するクロバエ×アナジ。……あのころはトウコちゃん、ばりばりの攻様でしたな……遠い目。
 いつも同じ話しか書けない谷作品の中で、『アナジ』は相当出来のいい部類。トドが色気全開で、周りを攻男がびっちり固めているあたりが勝因か?
 トウコのかっこよさと、かしげの美しさに息をのんだものだった……。ビデオだとトウコのなにげにかっこいいところが映ってないのが不満。

 『アナジ』とまったく同じ話だったのに、主人公の属性が変わっていておどろいたのが、『春櫻賦』。
 どーしたこったい、龍山てばばりばりの攻様ですがなっ?!
 いや、おどろくには値しない。こちらこそが、谷作品の正しい主人公。
 2番手のタータンが受々しかったので、正しく主人公が攻になった模様。やっぱ2番手は受なんだよね、谷せんせ。
 谷作品らしく破綻しまくっていたので、この物語を「破綻なく理解する」には、数馬をホモにするしかなかった。つーか、ホモだろアレ。ふつーの人はどう思って見てたんだ?
 タータンのやっていた数馬という役が、女剣士なら物語は破綻しなかったよ。男で、ホモでもないというなら、つじつまが合わなさすぎる。わたしはオタクだから「そっかー、恋しちゃったんだもん、暴走しても仕方ないよねー」と理解したが。
 ちなみにわたし、トド×タータンというカップリングが大嫌いでねー。たのむからやめてくれ、と懇願する想いで見ていたので、ホモでもあまりうれしくなかったんだよなあ。
 今回の『野風の笛』を観ていて、やたら思い出すのがこの『春櫻賦』。そして、『春櫻賦』の方が演出が美しかった……谷らしいハッタリに満ちていたよ……谷せんせ、もーダメなのかな……。

 『バッカスと呼ばれた男』のジュリアンは、やっぱり攻だよねえ?
 つーかタータンってなんで、トド相手だとあんなに受くさいの? かわいい女の子のタータンが透けて見えるよーな。タータンの持ち味は攻だと思ってるのに、受っぽくやられると苦手だよー。……つーか、受っぽいタータンって、カマっぽいやうな……。(『凱旋門』ではちゃんと攻になってくれてほっとした)
 『バッカス…』では、マンドランの爆裂片想いぶりに抱腹絶倒だったので、タータンのことはどーでもいいんですが。それでもやはり、トド×タータンはデフォルトみたいで、このカップリングが苦手な者にはつらかったな。
 ジュリアンは攻だと思ってるけど、マンドランも攻だと思うの。マンドランの悲劇はそこにある。ノンケの男に惚れたホモ、ぐらい悲劇よね。ジュリアンは両刀だけど、マンドランのことを自分と同じ攻だってことで、恋愛対象とはまったく考えてないもの。がんばれマンドラン、攻同士だががんばってジュリアンをモノにしろ(笑)。
 つーかこの物語、そもそもジュリアンがリクヴィール候国を救おうと思い立った理由が、美青年ラズロに一目惚れしたせいでしょ? ラズロが不細工だったら、助けに行ってないだろこの助平。……と、わたしは理解しておりました。でもラズロには女の恋人がいたから、ジュリアンは恋を心に秘め、「この世に残らぬ愛」を貫くのよね。
 リクヴィール候国を目指す旅の中で、一夜くらいアヤマチがあったかもしれないと思う、汚れたわたし(笑)。ジュリアン×ラズロって美しいカップルだわ。トド×コム……。

 
 谷作品の基本は、男らしい攻の主人公と、彼にべた惚れの2番手受男。受は攻を愛しまくっているが、攻はそれほど受を愛していない(ひでえ)。
 男ふたりの愛憎の方が、力を入れて描かれるから、女の存在は無意味。
 てゆーかさ、谷せんせ。
 2番手男役の役を、ヒロインにすればいいんじゃないの?
 そうすれば、破綻せずに物語を書けるよー。
 谷作品が破綻する理由のひとつは、ヒロインの設定ミスってのがあるんだよね。
 だって、主人公をいちばん愛しているのは2番手男役で、このふたりを中心に物語が進むのに、そこに無理矢理ヒロインをねじこむから、破綻するのよ。ヒロインははっきりいっていらない役だもの。いらない役を中心にしようと画策するから、こわれる。
 まずいつも通り、主人公と、彼を愛する2番手男役の話を書き、できあがったあとで、2番手男役の役を性別を女にしてふたりのラブストーリーにするのよ。そして娘役トップに演じさせる。
 ほーら、そうすれば破綻ない物語のできあがりだー。

 『野風の笛』も、ヒロインが主水なら問題ないじゃん。
 男として育てられた女武者で、忠輝のためだけに生きる忍の人。忠輝の影武者もつとめるし、最後は自害だってしちゃうぞ。
 途中で忠輝に「女としてのしあわせを選べ」と、家老職辞退をすすめられるが、きっぱり拒否。男として、忠輝に仕え、死ぬことを選ぶ。
 いろは姫に割く時間を、忠輝と主水の恋愛(主従だし、主水は男として世間的に通しているので、決して結ばれることはない)を描く時間にあてれば、ああら、わかりやすくせつない恋愛巨編のできあがりだ。
 『春櫻賦』のとき、「数馬を女剣士にして、ぐんちゃんにやらせろよ、そしたら破綻ない物語になるのに」と思ったのと同じですな。
 ただし、『野風の笛』主水女バージョンは、ふーちゃんで見たくはありません。寿美礼ちゃんが主水でなきゃいやだー(笑)。ついでに、やっばり寿美礼ちゃんは男装の麗人より男のままがいいー(笑)。

 破綻ない作品、という観点で言えば。
 どーせ谷せんせ、ホモしか恋愛を描けないんだから、ホモを描いたあとで、受を女にスライドすればいいのよ。
 と、思います。

 ただ。
 わたしは谷作品のヒロイン設定まちがえまくりの、主人公と2番手男役のホモホモした話が大好きなので、破綻していてもこのままでいいかな、とも思います。
 ……そこが、わたしが谷ファンである、理由でもあるわけだからなー。

 
 ま、なにはともあれ、『野風の笛』。
 駄作だが、トド様と寿美礼ちゃんのカップルぶりを堪能するにはいい作品。ふたりのデュエットは聴き応えアリ。つーかトド様あんたやっぱり喉仏あるんじゃ……? その地の底から響く声は、染色体にYがあるんじゃありませんか?って感じっす。
 いや、なにはともあれ、寿美礼ちゃんが素敵。これほど血糊の似合う美男もめずらしい。エロール様につづいてまたしても白い服に真っ赤な血!! エロエロ(笑)。

 
 ショーではやたらと橘梨矢くんが目に付きました。濃い……。こんな子だっけ?
 博多座の『パッサージュ』でピエロやってたときと別人。たしかにあのときも、かわいい中に毒のある子だったけど。

 そして、そのかの太股ですな……やはり。脚が長いっす。しかも肉感的っす。顔はオヤジなのに(笑)。
 

 ところで。
 トド様のクリアファイル(お顔がどーんとアップだ!)を買ってしまいました。
 ……何故。
 恥ずかしくて使えもしないものを何故買うのだ、わたし!
 ……やはり、ファンだからですか……? ファンってこういうことですか?

 寿美礼ちゃんのクリアファイル(お顔がどーんとアップだ!)を買うのは恥ずかしくないのに、トド様だとみょーに恥ずかしかったよ……何故。


踊る母。

2003年5月31日 家族
 ちょうどそのとき、母がわたしの部屋の隣にある、風呂を使っていました。

 そのとき、ってのは、夜9時ぐらい。
 わたしは『ぼくの魔法使い』を見るために、テレビをつけていました。
 画面に映っているのは、ナイターです。阪神×巨人戦。こん畜生が終わらない限り、ドラマははじまりません。
 まだ8回裏だよ、いつになったら終わるんだ……。

 わたしは野球が嫌いです。
 野球というスポーツに含むところはありません。ナイター中継を憎んでいるだけです。
 いや、放送延長さえなければ、ゆるします。はじめから中継枠を3時間とか4時間とか取っておいて、それより早く終わったら、過去の名場面とかをえんえん流していればいいのよ。そうしたら、他人に迷惑をかけないのに。
 わたしが野球を嫌いなのは、わたしに迷惑をかけるからです。
 迷惑なモノを嫌いなのは、中庸な人間としてふつーのことだと思っています。

 とまあ、大嫌いな野球中継を、苦々しくかけていたわけさ。パソコンの方の画面で他のビデオを見たり、DVDのダビングをしたりしながらな。
 そしたら、叫び声とともに母が現れたのよ。

「阪神はどうなってるっ?!」

 まだ2対4で負けてるよ。でもまだノーアウトだな。あれ、満塁になった。あれ、抜けたよ、ヒットだ、てことは1点入ったじゃん?

「ちがうわっ、ランナーいるから、同点よっ!!」

 母、吠える。
 ほんとだ、4対4になった。
 母はひとりで次のバッターの解説をしている。知らねーよ、んなもん。
 あ、打った。

「やったーっ、逆転だーーーっっ!!」

 母、踊る。
 わわわ、やめてよ、部屋が揺れる。本棚がぎしぎしスイングしてるよー。ひー。

 てゆーか、ママ。
 ぱんつ、はいてください。

 すっぽんぽんで娘の部屋に着て、ナイター見て踊らないでよ……。

「だって、こんないいところでテレビから目を離せないわっ」

 母は虎キチです。
 タイガースと共に生きてます。
 ああ、うざい……。

 野球はこーやって、わたしに迷惑をかけるのです……。

 
 猫が痩せている。

 毛並みの色が変わり、アメリカンショートヘアというよりぞうきん色になったうちの猫。
 最近、ひどく痩せてきました。
 まるまるしていたおなかが、ぺっちゃんこ。

 何故……?

 今日体重を量ったら、3.5kgしかなかった。
 前は4kgあったのに。

 一緒にいた母は「たった0.5kgじゃない」と言うけれど、通常体重の8分の1が減ってるんだよ? わたしらでいうなら、7kgくらい一気に痩せてる計算だよ?

 食欲は旺盛だし、機嫌も悪くない。今も膝に乗っている。
 ……どこか悪いのかな?
 しかし病院に行くとなると、大騒ぎだしな……。我が家には車がないのだよー。

 さて、猫の体重を量るためには、ついでに人間の体重も量ることになります。
 まず猫を抱いて体重計に乗り、次に猫ナシで乗る。

「あんた、そんなに体重あるの?」

 わたしは猫の体重の話をしたかったのに、母の関心はソコですよ。

「あたしはあんたより体重少ないわ。ほら、見て」

 わたしの次に体重計に乗って、自慢顔。
 あのな……。わたしとアンタと、身長いくつちがうと思ってんのよ。

「あたしってスマートだわー」

 だから、猫の話をしたいんですけど?
 ママとは会話にならないっす。
 ……いつものことだけど。

 
 ここは世界の果て。
 わたしの存在は小さい。

 わたしはそれを知っている。

 ここは世界の一部。
 わたしは世界とつながっている。

 わたしはそれを知っている。

 広大なネット社会で、この日記の存在など無にも等しい。わたしがここでなにかを言ったところで、地球は変わらず回り続ける。
 だけど、ここがいちおーネットの一部である以上、リアル界の日記帳とはちがい、誰が見るかもわからないパブリックな場所であることも、知っている。

 それがむずかしいところだよなあ。

 映画のネタバレって、どこまで書いていいのよ?

 いや、今までもさんざん好き勝手書いてきたけどさ。それでもいちおー、どの場合もオチまでしっかり書くような真似は避けてきたのよ。
 わたしなんかが世間に影響力を持たないのは知っているけど、万が一にもここは、公の場なんだってことで。

 フランス映画『愛してる、愛してない…』。
 監督レティシア・コロンバニ、出演オドレイ・トトゥ。

 この映画のこと、どう語ればいいの?
 ネタバレせずには書けない映画だよーっ。

 機会があったら、映画館に行って、ポスターを見てください。
 タイトルが『愛してる、愛してない…』で、ヒロインが『アメリ』のオドレイ・トトゥ。赤をポイントにしたかわいいデザイン、ハートがキュートな、ほんとに女の子好みのかわいいポスターよ。
 わたしパンフレットもちらしも持ってないんで、ポスターに印刷されていたコピーをここに書けないのだけど、これがまた、なんともかわいいコピーなのよ。
 ああ、ガーリッシュでオシャレな恋愛映画なんだな、って。かわいくて、ほんのりせつないのかな、って。
 ちょっと見てみたくなること請け合いの、素敵なポスターよ。

 それだけの予備知識で見に行きましたのよ。わたし、恋愛映画大好きなんだもん。

 物語は、薔薇の花からはじまる。
 一面の、薔薇。
 一面の、赤。

 いろんな種類のいろんな色の薔薇。そこにいる、おしゃれでキュートな女の子、オドレイ・トトゥ。
 彼女は一生懸命、薔薇を選んでいる。花屋の中だ。
 恋人に贈るのよ。
 彼女のカレシはドクター。薔薇一輪、はふたりの思い出のアイテム。今日は彼の誕生日だから、思い出の花を贈るの。
 とにかく、オドレイがかわいい。この映画の、そしてオドレイのポイントとなる色が赤なのね。彼女はいつも赤いモノを着ているし、画面のそこかしこに赤が効果的に使われている。なんともオシャレな画面。
 オドレイは画学生。どうやら才能もあるらしく、将来有望。カレシともラブラブだし、毎日が赤いハート。
 問題があるとしたら、カレシが既婚者だということぐらい。奥さんとは離婚間近らしいけど……ほんとにそううまくいくのかな。
 ……案の定、奥さんの妊娠が発覚、カレシは離婚に消極的になった。オドレイとのデートをすっぽかしたり、旅行をすっぽかしたり……。
 それでもオドレイは一途にカレシを愛し続ける。一途に、一途に……。見ていてちょっと、こわいくらい。
 彼女の恋の行方は??

 ……映画の感想は、ひとことで言うと「こわっ」でした。
 なにがどうこわいかは、見た人にだけわかる。
 いやあ、マジ悲鳴あげる人がいたよ、映画館。びっくりした(笑)。

 ポスターも予告編も、とにかく映画の内容には触れていない。見てのお楽しみなんだよなあ。
 だからわたしもWHITEちゃんも、こんな話だとは思わずに、かわいいラブロマンスを見るつもりで行ったんだもん。

 『アメリ』のときはどーか知らんが、今回のオドレイは、友人だった光田さんという子に似ていておどろいた。(02年8月29日/9月2日参照・笑)
 顔が似てる気がする……ってつまり、光田さんはほんと美人だったのよね……そのうえ……なんか……似てるの、顔だけじゃない……? こ、こわっ。
 映画を見ながら、光田さんのことを思い出しまくりましたよ。そーゆーところも、こわかったなあ。

 なにはともあれ、おもしろかった。
 一見の価値あり。
 プロットが緻密で、映画ならではの仕掛けアリ。
 この話を小説にするのはむずかしいと思うよ。映像ならではのトリックがあるからね。

 ……光田さん、元気かなあ。

 
 ときおり、なにかスコン、と、胸の中に入ってくることがある。
 なにがどう、どこがどう、と説明はできないけれど、「入って」くる。

 スピッツの『愛のことば』がそれだ。
 なにがどうと説明できないが、この歌は、ダメなんだ。
 聴くと、泣く。
 なんでかわからない。
 好きな曲はいくらでもあるし、もっといい歌だっていくらでもあると思う。
 だが、この歌は特別だ。
 入ってくるんだ。

 それと同じ現象は、ときおり起こる。
 オギー作品とかに高確率で起こるな。
 入る。
 なにかが。
 説明できないままに、涙が出る。

 『めぐりあう時間たち』も、そーゆー映画だった。
 まいったねー、「入った」よ。涙が止まらない。

 監督スティーヴン・ダルドリー、出演メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマン。

 3つの時代、3人の女たちのある1日の物語。
 1923年、作家ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』を執筆中。その日の午後には姉とその子どもたちを迎えてパーティをする予定。
 1951年、ふつーの主婦ローラ・ブラウンは小説の『ダロウェイ夫人』を読んでいる。今日は夫の誕生日パーティをする予定だ。
 2001年、編集者のクラリッサは友人の詩人の受賞記念パーティをする予定。詩人は彼女に「ダロウェイ夫人」という渾名を付けていた……。

 3つの時代と3人のヒロインたちの人生が、穏やかに、でもどこか緊張して、流れていく。
 そう、緊張。
 ずーっと、なんだか、こわかった。

 物語の冒頭でひとりの女が自殺するのだけど、彼女の遺書がこの作品のカラーをわたしに突きつけたせいかもしれない。
 愛に満ちた遺書だった。
 愛と、感謝と、意志があった。
 痛かった。

 クライマックス近くでもうひとり、やはり自殺するのだけれど、その死に際しての言葉もまた、愛に満ちていた。
 愛と、感謝と、意志と。

 痛い……のかな。
 少しちがう気もする。

 ここがこうだから感動したとか、愛について考えさせられたとか、そーゆーことではない。

 わたしは、深い海の水面に浮かんでいるんだ。海がとてつもなく深いことを知りながら、わたしはあえて水面に浮かんでいる。
 波がわたしを揺らし、どこかへ運ぶ。
 わたしは目を閉じ、それに任せている。

 そーゆー感じだった。

 プロットが緻密な作品が好きなだけに、この映画は好きだぞ。そーゆー意味でも。
 ラストで解ける謎には、膝を打ったもの。そうか、それであれはああだったんだ……と。

 リピーター割引があるのが、わかる。
 この映画は、もう一度出会いたくなる映画だ。

 
 てなわけで、無事に散らかりきった我が家に帰宅しました。ああ、生きててよかった。この部屋を放置したままじゃ、死ぬに死ねない。
 と言っても、帰ってきたからといって掃除をするわけじゃないんだけどな……。

 帰って来るなり家庭内でいろいろあって、消耗しました。あー……。

 
 思えば、わたしがトウコに惚れ込んだのは、『凱旋門』のハイメ役だった……。
 恋人のユリアを見つめるまなざしに、くらくらきたんだったわ。
 わたしもユリアになって、ハイメに守られたい。……そう思ったんだ。いや、無理だけどな。
 ユリアを見つめるトウコ@ハイメのまなざしは、ひたすらやさしく、愛にあふれていたのだわ。こんな目でひとを見つめることのできる男って、好きだああ。たとえその目がわたしに向けられるのではないとしても。
 ひとを心から愛することのできる男は、好きだ。

 てなことを、思い出しました。
 『雨に唄えば』の3度目の観劇。

 トウコ@ドンがね、もー、すてきなのよー。うめ@キャシーを見つめる、あの瞳!!
 どれほど彼がキャシーを愛しているか、伝わってくるのよー。わーん。
 見ていてじたばたしたくなるくらい、素敵なのよ。

 初日の翌日に観たときは、いろいろ思うところもあったのだけど、時は流れ楽の前日ともなれば、舞台は別物。
 なんか、すっごくノリがよくなってますけど?(笑)
 トウコちゃんはやっぱり大スターって感じではないけれど、素敵度は大幅UP、見ているこちらはときめきっぱなし(笑)。
 脚本や演出はツボじゃないのだが、そんなことは横に置き、ミーハーに徹してたのしみました。
 きゃー、トウコちゃ〜〜んっっ。ラぁぁぁヴ!!

 さて、わたしとは入れ違いでWHITEちゃんも日生を初観劇。
 わたしとオレンジがくつろいでいるところへ、WHITEちゃんが日生劇場から帰ってきました。
 彼女は首をひねっています。

「ヒロインって、うめちゃんよね?」

 はあ? なにをそんな、初歩的なことを言ってんだ?

「だって緑野が、まとぶがヒロインだって言うから!!」

 はあああっ?!

「これがヒロインなの? この変な女がヒロイン?!ってあたし、混乱しまくったよ!」

 言ってない。
 まとぶんがヒロインだなんてわたし、言ってないよ!
 まとぶんが「女役」だって言ったんだよ!

 WHITEちゃんは、はっと憑き物の落ちたよーな顔をする。

「そ、そうよね……チガウよねええ?!」

 目に見えてほっとしている。
 「まとぶんが女役」と言ったのを、一足飛びに「ヒロイン」だと脳内変換したのね……。
 まとぶん@リナをヒロインだと信じて観たなら、あの舞台はそりゃーすっとんきょーなものに映ったろうなあ。
 ご愁傷様、WHITEちゃん(笑)。

 
 ひとり芝居『ゼルダ』。

 出演、月影瞳。作・演出、荻田浩一。

 このために、わざわざ東京まで遠征しました。
 場所が原宿ど真ん中。……この芝居の客だけ、あきらかに周囲から浮いている……(笑)。

 時代は1920年代。作家スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダ。
 狂乱の時代、狂乱の日々。時代の寵児としてもてはやされた若き作家とその妻のたどった人生を、ピアノの生演奏と美しくも不思議な映像を背景にして綴る、ひとり芝居。

 美しい田舎娘のゼルダは、小説家志望の美しい若者、スコットと出会い、恋に落ちる。
 ゼルダは貧乏を嫌悪するし、スコットもまた放蕩を愛する。結婚したふたりは、スコットの小説がもたらす莫大な収入を上回るほどの出費をつづけ、贅沢の限りを尽くし遊び暮らした。
 スコットの小説のモデルは、いつも彼とゼルダだ。スコットはゼルダを紙の世界に描きつづける。ゼルダもまた、それを踏まえた上で破天荒な生活をつづける。
 彼らにとって、毎日がバカ騒ぎ、毎日がパーティだった。
 だが、どんなパーティもいつまでもつづくことはない。いつしかふたりはすれちがい、心の溝を大きくしていく。
 精神の均衡を失っていくゼルダ。アルコール中毒になるスコット。
 黄金の20年代は終わり、大恐慌の時代がやってくる……。

 月影瞳、熱演。
 休憩なしのノンストップで2時間弱。
 絶頂期のゼルダから、発狂、そして死まで。

 この物語を、表面通りの「ゼルダの一生」として見た場合は、どうなんだろ。
 おもしろいのかしら。
 一緒に観に行ったオレンジは、大して感銘は受けなかったようだ。

 だがわたしは、感銘どころの騒ぎじゃなかった。
 ……こわかったよ。

 これ、今、わたしが観ていていいのか? と思った。

 本当にコレは、「ゼルダ」を描くのが目的だったのか?
 描いてあるのは、ゼルダひとりの狂気なのか?

 観ている途中から、わたしは舞台の上にもうひとりの影があることに気づいた。
 ひとり芝居だから、舞台にいるのはぐんちゃんだけなんだけど。

 スコット・フィッツジェラルド。
 ゼルダの夫・スコットが、舞台にいる気がした。

 ゼルダは乱れる。自堕落な生活。軽薄な日々。
 ゼルダは狂う。現実の自分と小説の中の自分。魂は引き裂かれ、悲鳴を上げる。

 それはすべて、スコット・フィッツジェラルドの姿ではないのか?

 オギーは、ゼルダを通してスコットを描きたかったんじゃないのか?
 スコットを主役とした作品なら、いくらでも世にあるだろうから、あえてゼルダに語らせたんじゃないのか?

 スコットは、自分が経験したものしか書けない小説家だった。
 だからこそ、すすんで小説のネタになる生き方をした。妻のゼルダにもそれを望んだ。ゼルダが実際に言った言葉、したことを小説に書き続けた。

 狂っていくゼルダ。
 それを小説にするスコット。

 ……何故?
 何故、そうまでして、書くの?
 書かなければならないの?

 こわかった。

 愛した女を壊してまで、それでも「作家」でありつづける男の姿が。

 舞台の上にあったもの。
 ゼルダを通して存在した、作家スコット・フィッツジェラルド。

 こわかったよ。
 わたし、これ、観てていいの?
 わたしが、観てていいの?

 わたしも、モノカキのハシクレなんですけど?

 こんなコワイモノ、観てていいのかよっ?!

 涙が止まらなくて、苦労した。
 ゼルダの狂気はスコットの狂気。そしてそれは、わたし自身の狂気でもあった。

 魂を壊してまで小説にしがみつき、表現しつづけ、書き続け、ついに魂の入れ物まで壊して、破滅した作家と、その妻。
 彼らはそれでも、幸福であったのだと思う。
 そこまで、書き続け、互いにしがみつき続けていたのだから。
 ……幸福だと思うのは、わたしもモノカキだからか? 作品のために破滅するなら、それもまた幸福だと思うからか?

 まったく。
 えらいものを観てしまった。
 『左眼の恋』ほどのわかりやすさや、とっつきやすさはないのだけど。
 痛さは……同じくらいだよ。

 ぐんちゃんはきれいでした。
 ただ、やっぱ老けたね。おでこのシワは健在。実年齢より上に見える。
 あと、まったくのヅカメイクなのにも、おどろいた。こんな小さなハコで何故、そこまでのメイクを??
 ぐんちゃんの芝居は苦手なときはとても苦手で、ムラの『凱旋門』のときなんか最悪だと思っていたんだけど、今回はよかったよ。あのリキみすぎてて気持ち悪いところが、なめらかになっていた。
 プログラムはぐんちゃんの写真集(笑)。ファンならば買え、って感じ。

 映像も不思議できれいでした。ええ、きれいでなきゃやってられない。
 つーのも、チケット代6500円は高すぎだろ。目を疑う値段だったのは、映像が高かったせいじゃないかと思うんで。
 ドレッサーの鏡がスクリーンになっているんだけど、これが不思議な鏡でね。鏡の下にカメラがあるらしく、静止画はふつうに映像としてスクリーンに映り、被写体が少しでも動くと、その部分だけが水面の波紋のように揺れるの。夢のようにきれいだよ。
 ……高いんだろうな、あの技術。

 鏡の映像が左右逆にならないせいか(カメラで撮影した映像だから)、もうひとつある大きい方のスクリーンの絵は、すべて裏表が逆になっていた。
 まるで、今いるここが「鏡の世界」であるように。

 24日の昼と、千秋楽である25日の2回観たんだけど。
 楽は客席が豪華だったよー。

 かよこちゃん。かよこちゃんがいたよー。きゃーっ、ラッキー。ぜんぜん変わってない!(当然か)
 星奈優里ちゃんも久々に見た。

 楽はWHITEちゃんと一緒だったんだけど。

「緑野がうれしそーにデブなおっさんと喋ってるから」
「デブはともかく……おっさん、って、オギー、わたしらより年下だよ……?」
「ええっ?!」

 ロビーでオギーを見つけ、突撃かましました。
 ファンです、大阪からきました、いつも作品を観ています、今回の作品もすごくよかったです……。
 咄嗟に言葉が選べなかったので、アタマの悪い言葉をえんえん並べ立てました。ははは。
 んでもって、サインGET。わーいわーい。オギーにサインもらっちゃったあ。大喜び。
 ……オギーには迷惑だったでしょう。星奈ちゃんと喋っていたのに、突撃かけられて(話が終わるのを待ちましたよ、いちおー)。だってオギー、後ずさりしていたよーな……で、わたしは彼が下がるぶん前に出るし。
 許してくれ、あんなこわい作品を観たあとで、気が高ぶっていたんだよー。

 その間WHITEちゃんは、後ろの方でなまあたたかく見守っているし。……君はオギーと喋りたくなかったのか? そっか、興味ないんだね。しょぼん。

 わたしはゼルダになりたいし、それ以上にスコットになりたいと思う。そんな、狂ったモノカキだよ。

 
 さて、花組公演『野風の笛』。

 同じ話、同じ主人公しか書けない谷せんせが何故、今まで演出家としてやってこられたか。
 それは、出演者がそのたびちがったから。
 谷せんせ自身はなんの工夫も変化もしていない。ただ演じる人間がチガウから、その役者自身の持ち味によって、「別の人」に見えていただけ。

 だが、轟はすでに、何回目だ?
 同じ役を演じるの。

 わたしが知っているだけでも、アナジ、龍山、ジュリアンときてるから、今回の忠輝で4回目だよ。
 さすがに、もう無理でしょう。

 トド様……今あなた、なんの役やってますか……? アナジですか、龍山ですか、ジュリアンですか?
 見分け、つきません……。涙。

 いつもの谷作品、いつもの轟。
 ああ、溜息。
 心は冷めるばかり。

 救いは寿美礼ちゃんです。

 わーん、おさちゃ〜〜ん。
 君がいてよかったよおお。

 トド様単独主役で、たとえば雪組で、この作品は観たくなかった。
 だってそれじゃあ、ほんとに今まで通り、過去作品の焼き直し、固有名詞を変えただけのものになっていたもの。
 花組で、寿美礼ちゃんがもうひとりの主役としてずっしり存在してくれていて、ほんとによかった。

 実際、寿美礼ちゃんはオイシイ役。
 谷作品は「英雄に女はいらねえ、男の愛があればいい」というポリシーに貫かれているので、いかなる場合もいちばんオイシイのは2番手男役なのよ。
 しかも今回は2番手ではなく、W主演だよ、そりゃオイシイよ。
 主人公である「英雄」に、谷のエゴがすべて詰まっているだけに、その親友役には「英雄の妻」としての妄想が込められているの。

 英雄の妻。
 ……いいですなあ。

 谷作品のすばらしい特徴、「女はいらない」。……ええ、いついかなるときも、女は添え物。女はただの道具。男の株を上げるためのアクセサリ。
 だから女はどーでもいい扱い。つーか、いなくてもいい役。
 今回も、見事でした。
 ふーちゃん……トップ娘役としてのお披露目公演なのに……。
 いなくてもいい役。
 気の毒にな……。

 ふーちゃんがいなくてもかまわないかわり、寿美礼ちゃんがしっかりトド様の妻の役をこなしていました。
 幼馴染みの仲良し夫婦で、妻は常に夫の3歩後ろを歩くが、いざというときは夫のケツを蹴り飛ばして檄を入れるくらいのことはする、肝の据わり方。いやはや妻の鑑。

 ところで作中で寿美礼ちゃんはふーちゃんを愛してたんですか?
 秘めた恋だか愛だかを歌っていたよーですが、あれってわたし、トドへの愛を秘めてるんだと思ってたんだけど?
 ふーちゃんを愛しているようには見えなかったんだが。つーか、ふーちゃんが彼に愛されるような魅力を持った女性に見えなかったことも大きいんだが。
 あー、寿美礼ちゃん、主であるトド様を愛してるのかー。そりゃあ、臣下の身で打ち明けられるわけがないよなあ。可哀想になあ。
 と、思って観てたんだけど。
 なのにトド様、寿美礼ちゃんに暇を出す、とか言っちゃって。ええっ、いくら寿美礼ちゃんのためだからって、トドを愛している寿美礼ちゃんに別れを言い渡すなんて酷だよー。
 しかもトド様、寿美礼ちゃんにふーちゃんと一緒になっていいぞ、てなことを言うし。
 こっ、このバカちん、ぜんっぜんわかってないじゃん。寿美礼ちゃんが好きなのはアンタであって、あの女じゃないっつーの。ふーちゃんのことは、アンタの女房だから複雑な想いを抱いていただけじゃん。ふーちゃんも寿美礼ちゃんの気持ちを知っているから、ふたりで意味深な会話をしたりしてただけじゃん。
 ……トド……なんてバカ丸出し男。寿美礼ちゃん、こんなバカ男に黙って惚れてないで、襲ってもいいよ……許すよ……。

 てなふーに観ていたんですが。
 わたし、なんかまちがってますか?

 今回の救いは、バカ男トド(世間的には英雄らしい。あちこちで男たちをコマすタラシ男)と、彼に一途に片想いしている寿美礼ちゃん(妻の鑑。美人薄命)という図が、美しくも愉快だったということですか。

 妻とか夫婦とかいっても、あくまでも寿美礼ちゃんの片想い。バカ男は気づいてないの。寿美礼ちゃんの愛と献身があるのは「あたりまえ」だと思ってやがる。
 ……ほんとに、嫌な男だわ、トド。
 ゆみこちゃんだとからんとむだとか、コマシまくってるしねー。そこまで手をつけまくるなら、寿美礼ちゃんにも手を出してやれよっ、と歯がみする想いですわ。

 えーと、わたし的には「トド×おさ」です。
 公演がはじまる前にかねすきさんは、「おさ攻トド受」って決めつけてたけど。そりゃ年取ってからのトド様は受道まっしぐらのていたらくだけど、今回は攻だと思うわよ?
 ……そのうち、寿美礼ちゃんに押し倒されてそーだけど……逆ギレ襲い受だな、あの寿美礼ちゃんは……。

 長く観てきたトドファンにはとほほなばかりだが、寿美礼ちゃんファンには、なかなかときめくところのある作品だ……とくに最期はな……。

 んでもって、『レヴュー誕生』とやらの方は。

 ベタでいいもん。
 わたしは、おさあさのキスシーンのためだけに、通いたいねっ(笑)。あと、すてきすぎる兄貴(笑)。

 目新しさもいやったらしさもないかわり、観たことも忘れそうな凡作だけど、とりあえず、おさあさのエロシーンだけは忘れないと思う。
 わたしはおさ攻の方が好みなんだけど、黒いあさこがかっこいいのでリバ可っす(笑)。

 ただ、あの巨大な白鳥はどうかと思うよ……。出てきた瞬間、場内から失笑が響いていたよ。

 トド様が出る公演ならば、初日か楽に行って、「あの」挨拶を聞かねばなりません。それが醍醐味ってもんです。
 ところ変わっても、トド様はトド様。
 他の人がみんなふつーに挨拶していても、トド様はいつものトド様節で、時候の挨拶を朗々と歌い上げられました。
 わたしが知る限り、トド様がまったくの「素」で挨拶をしたのは『華麗なる千拍子』の大劇場千秋楽1度きりですから(いつも通りに挨拶をするはずが、途中で泣き出してしまった……アンドロイドじゃなかったのかアンタ、とびっくりした)。新公主役時から、彼はずーっと「あの」挨拶で通してきた人だからね。
 あのバカみたいな(失礼)挨拶を聞きながら、「ああ、トド様だわ」としみじみしました。

 そして。
 そのトド様のバカみたいな(失礼)挨拶を聞きながら、彼の後ろで寿美礼ちゃんが素の顔で笑いまくっているのが、かわいかったのことよ。

 

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