レストラン物語。@仮面の男
2011年9月8日 タカラヅカ ねえねえ、勤め先の近くにレストランがいくつかあるんだけど。
そのうちの1軒「植爺の店」はねえ、この道50年とかの超ベテラン……というと響きはいいけど、たんなる時代錯誤のおじいちゃんがやっている店で。
大昔、まだあんまりグルメとか言われてなかった頃に表彰されたことがあるとか。他に選択肢なかった時代の「おいしい」「すばらしい」がどんなもんかわかんないけど、とにかく名前だけはある店。
この店の料理が、まずいのなんのって! 昔評価された名物料理をアレンジして作った新作のドングリ料理なんて、「呪いのドングリ」と呼ばれるくらい、殺人的まずさなの!
よそにまずい店や料理があると、「それは『呪いのドングリ』よりまずいの?」と比較対照としてあげられるくらい、徹底的にまずいの。
でも、なにしろ名前だけは通っているから、未だにつぶれずにあるし、味もわからず名前だけで来店する人もいるみたい。
で、これまたよく「まずい」で引き合いに出される「こだまっちの店」ってのがあって。
よその店のレシピをそのまま「当店のオリジナルです」と出したり、もともと問題の多い店ではあったんだけど、ここのオーナーシェフがしばらく海外留学してたらしくて。
帰ってきて自信満々に新作メニューを発表したからこの間、食べに行ったわけよ。
これがもお、すごかった。
ナニが出てきたと思う?
たわしコロッケ!!
なんの冗談かと思うでしょ? たわしがお皿の上に載ってるの。キャベツの千切りなんか添えられて。
たしかに、たわしとコロッケって一見似ているというか、遠目にはよくわかんないっていうか、お皿に入れて出てこられたらぎょっとしたりおかしかったりはするでしょ?
それでシェフは鼻高々なの。「すごいアイディアでしょ? 誰も考えないでしょ?」って。メニュー表にそういう意味のシェフの言葉が添えられているの。「コロッケ=たわしの茶色い楕円形を、さびた鉄仮面に見立ててみました。この料理は『仮面の男』と題します!」とか。ご丁寧にもコロッケに、ソースで目鼻口が描いてあるし。
や、わたしは感心したりウケたりする前に、あまりの悪趣味さに絶句したんだけどね。
んで、メニュー表のシェフの言葉には、たわしコロッケに添えられたソースがどれだけ工夫してあるか手間を掛けて煮込んであるかとか書いてあるだけど、ちょっと待ってよ、たわしは、食べられないから!!
おいしいソースを掛けたって、そもそも食べ物じゃないから!! レストランで出していいものじゃないから!
シェフにそう伝えたかったんだけど、アンケートとか書くところがないのね、その店。
っていうか、「たわしは食べ物じゃありません。レストランのメニューで出してはいけません」って、なんで客が言わなきゃなんないの? そんなの、料理のデキとか味とか以前の問題でしょう?
わけわかんない。
ひとから「こだまっちの店、どうだった?」と聞かれて、わたしはとりあえず「すごいよー、ひどいよー」と返す。
「そんなにひどいの? 『呪いのドングリ』とどっちがひどい?」とか、その人が今まで食べた「ひどい」「まずい」と思うもの(個人差アリ)を例に出して「どっちがひどい?」とか、「**(過去にヒドイと思ったもの)よりひどいものがあるとは思えないわ」とか言うんだけど。
そういう問題じゃないから。
「呪いのドングリ」にしたって、他のまずい料理だって、とりあえず「料理」であって「食べられるもの」でしょう?
当然だよね、レストランの話だもの。レストランでは料理しか、食べられるものしか出ない。
こだまっちの「たわしコロッケ」は、そーゆー次元じゃない。
レストランなのに、食べ物以外をお皿に入れて出して、「斬新な料理です!」と悦に入ってる。
そりゃ、食べ物以外を出せば斬新に決まってるじゃん。お皿の上にテレビリモコンでも扇風機でも載せて出せば、ものすっごい斬新な料理ですよ、みんなぎょっとしますよ、でもソレ食べられないし、食べ物じゃないし。
ここがレストランだってことすら、わかんないシェフってナニ?
食べ物以外を料理だと言い張るシェフってナニ?
混同されるとヤなの。
「呪いのドングリ」他、まずい料理と、こだまっちの料理の「味」を比べて欲しくない。
味の問題じゃない、掛かっているソースが実はけっこう凝っていておいしいとか、「呪いのドングリ」の殺人的まずさに比べたらぜんぜんマシじゃんとか、そーゆー比較じゃない。
どんなにまずくても「料理」と「たわし」は同じ土俵で「味」を比べるものではない、ということ。
そもそもたわしを客に出すレストランなんて、存在してはならないんだってこと。
こだまっちの店のスタッフは、すごくいい人たちなの。
「たわしだって時間を掛けて煮込んだら、食べられるようになるかも!」とか徹夜で煮込んでみたり、誠心誠意笑顔で丁寧な接客をしたり、見ていて泣けてくるくらい、必死にこだまっちシェフのフォローをしているの。
でも、誰だって無理だよ。だって、たわしなんだもん。
「じゃあ、こあらったちゃんは、たわしコロッケにショックを受けて、怒って、もう二度とその店には行ってないの?」
……ううん、そーでもない。
とりあえず、イケメン花形スイーツ係さんとか、ウェイトレスのかわいこちゃんとか、彼らの接客目当てに行ってる。たわしは食べられないけど、ソースはまだおいしいし。添え物のキャベツだけ、ソレで食べてる。
あまり出番ナイんだけど、渋いホール係氏の顔を拝みに通うってゆーか。
バカでしょ? ええ、ええ、わかってますとも。
恋するヲトメはバカなのよー。
悪いのはシェフだけで、スタッフは悪くないんだもん。むしろ、実力と誠意のあるプロが揃ってるんだもん。彼らには会いたいんだもん。
でもさー。
たわしコロッケだと最初から「コレ料理チガウし。食べ物じゃないし」って割り切れるのね。
死ぬほどまずい「呪いのドングリ」よりまだ、カラダには安全。アレは食べると気分悪くなる。たわしは最初から食べないで済む(笑)。
だからわたしは、「呪いのドングリ」が看板メニューだったときは、「植爺の店」には近寄ってない。そのころ、わたしの愛しのホール係氏は植爺の店で働いてたんだけど。夜になると「ダイスケの店」に看板が変わるから、そのころにだけ立ち寄っていた。
「呪いのドングリ」は近寄ることも出来なかったけど、「たわしコロッケ」は注文し続けることが出来る。わたしにとっては、「呪いのドングリ」の方が正視に耐えない。
だけどそれは、あくまでもわたしの好みの問題。
混同はしないで欲しい。
個人の好みによって、「まずい」も「それほどでもない」もいろいろある。ある人にとって耐えられないほどまずくても、ある人には美味かもしれない。
しかしコレは、そーゆー次元の話じゃないんだ。
「まずい料理」と「そもそも料理ではない」とは、まったく別。
たわしを料理だと言って出すレストランは、間違ってる。
これだけは、確か。
そして。
みんなもどうか、その目で確かめて欲しい。
「まずい料理」と「料理ではないもの」を。
混同せずに、シェフの間違いを指摘して欲しい。
二度とこんな過ちが、繰り返されないために。
児玉明子作『仮面の男』っていうのは、そういう作品だ。
そのうちの1軒「植爺の店」はねえ、この道50年とかの超ベテラン……というと響きはいいけど、たんなる時代錯誤のおじいちゃんがやっている店で。
大昔、まだあんまりグルメとか言われてなかった頃に表彰されたことがあるとか。他に選択肢なかった時代の「おいしい」「すばらしい」がどんなもんかわかんないけど、とにかく名前だけはある店。
この店の料理が、まずいのなんのって! 昔評価された名物料理をアレンジして作った新作のドングリ料理なんて、「呪いのドングリ」と呼ばれるくらい、殺人的まずさなの!
よそにまずい店や料理があると、「それは『呪いのドングリ』よりまずいの?」と比較対照としてあげられるくらい、徹底的にまずいの。
でも、なにしろ名前だけは通っているから、未だにつぶれずにあるし、味もわからず名前だけで来店する人もいるみたい。
で、これまたよく「まずい」で引き合いに出される「こだまっちの店」ってのがあって。
よその店のレシピをそのまま「当店のオリジナルです」と出したり、もともと問題の多い店ではあったんだけど、ここのオーナーシェフがしばらく海外留学してたらしくて。
帰ってきて自信満々に新作メニューを発表したからこの間、食べに行ったわけよ。
これがもお、すごかった。
ナニが出てきたと思う?
たわしコロッケ!!
なんの冗談かと思うでしょ? たわしがお皿の上に載ってるの。キャベツの千切りなんか添えられて。
たしかに、たわしとコロッケって一見似ているというか、遠目にはよくわかんないっていうか、お皿に入れて出てこられたらぎょっとしたりおかしかったりはするでしょ?
それでシェフは鼻高々なの。「すごいアイディアでしょ? 誰も考えないでしょ?」って。メニュー表にそういう意味のシェフの言葉が添えられているの。「コロッケ=たわしの茶色い楕円形を、さびた鉄仮面に見立ててみました。この料理は『仮面の男』と題します!」とか。ご丁寧にもコロッケに、ソースで目鼻口が描いてあるし。
や、わたしは感心したりウケたりする前に、あまりの悪趣味さに絶句したんだけどね。
んで、メニュー表のシェフの言葉には、たわしコロッケに添えられたソースがどれだけ工夫してあるか手間を掛けて煮込んであるかとか書いてあるだけど、ちょっと待ってよ、たわしは、食べられないから!!
おいしいソースを掛けたって、そもそも食べ物じゃないから!! レストランで出していいものじゃないから!
シェフにそう伝えたかったんだけど、アンケートとか書くところがないのね、その店。
っていうか、「たわしは食べ物じゃありません。レストランのメニューで出してはいけません」って、なんで客が言わなきゃなんないの? そんなの、料理のデキとか味とか以前の問題でしょう?
わけわかんない。
ひとから「こだまっちの店、どうだった?」と聞かれて、わたしはとりあえず「すごいよー、ひどいよー」と返す。
「そんなにひどいの? 『呪いのドングリ』とどっちがひどい?」とか、その人が今まで食べた「ひどい」「まずい」と思うもの(個人差アリ)を例に出して「どっちがひどい?」とか、「**(過去にヒドイと思ったもの)よりひどいものがあるとは思えないわ」とか言うんだけど。
そういう問題じゃないから。
「呪いのドングリ」にしたって、他のまずい料理だって、とりあえず「料理」であって「食べられるもの」でしょう?
当然だよね、レストランの話だもの。レストランでは料理しか、食べられるものしか出ない。
こだまっちの「たわしコロッケ」は、そーゆー次元じゃない。
レストランなのに、食べ物以外をお皿に入れて出して、「斬新な料理です!」と悦に入ってる。
そりゃ、食べ物以外を出せば斬新に決まってるじゃん。お皿の上にテレビリモコンでも扇風機でも載せて出せば、ものすっごい斬新な料理ですよ、みんなぎょっとしますよ、でもソレ食べられないし、食べ物じゃないし。
ここがレストランだってことすら、わかんないシェフってナニ?
食べ物以外を料理だと言い張るシェフってナニ?
混同されるとヤなの。
「呪いのドングリ」他、まずい料理と、こだまっちの料理の「味」を比べて欲しくない。
味の問題じゃない、掛かっているソースが実はけっこう凝っていておいしいとか、「呪いのドングリ」の殺人的まずさに比べたらぜんぜんマシじゃんとか、そーゆー比較じゃない。
どんなにまずくても「料理」と「たわし」は同じ土俵で「味」を比べるものではない、ということ。
そもそもたわしを客に出すレストランなんて、存在してはならないんだってこと。
こだまっちの店のスタッフは、すごくいい人たちなの。
「たわしだって時間を掛けて煮込んだら、食べられるようになるかも!」とか徹夜で煮込んでみたり、誠心誠意笑顔で丁寧な接客をしたり、見ていて泣けてくるくらい、必死にこだまっちシェフのフォローをしているの。
でも、誰だって無理だよ。だって、たわしなんだもん。
「じゃあ、こあらったちゃんは、たわしコロッケにショックを受けて、怒って、もう二度とその店には行ってないの?」
……ううん、そーでもない。
とりあえず、イケメン花形スイーツ係さんとか、ウェイトレスのかわいこちゃんとか、彼らの接客目当てに行ってる。たわしは食べられないけど、ソースはまだおいしいし。添え物のキャベツだけ、ソレで食べてる。
あまり出番ナイんだけど、渋いホール係氏の顔を拝みに通うってゆーか。
バカでしょ? ええ、ええ、わかってますとも。
恋するヲトメはバカなのよー。
悪いのはシェフだけで、スタッフは悪くないんだもん。むしろ、実力と誠意のあるプロが揃ってるんだもん。彼らには会いたいんだもん。
でもさー。
たわしコロッケだと最初から「コレ料理チガウし。食べ物じゃないし」って割り切れるのね。
死ぬほどまずい「呪いのドングリ」よりまだ、カラダには安全。アレは食べると気分悪くなる。たわしは最初から食べないで済む(笑)。
だからわたしは、「呪いのドングリ」が看板メニューだったときは、「植爺の店」には近寄ってない。そのころ、わたしの愛しのホール係氏は植爺の店で働いてたんだけど。夜になると「ダイスケの店」に看板が変わるから、そのころにだけ立ち寄っていた。
「呪いのドングリ」は近寄ることも出来なかったけど、「たわしコロッケ」は注文し続けることが出来る。わたしにとっては、「呪いのドングリ」の方が正視に耐えない。
だけどそれは、あくまでもわたしの好みの問題。
混同はしないで欲しい。
個人の好みによって、「まずい」も「それほどでもない」もいろいろある。ある人にとって耐えられないほどまずくても、ある人には美味かもしれない。
しかしコレは、そーゆー次元の話じゃないんだ。
「まずい料理」と「そもそも料理ではない」とは、まったく別。
たわしを料理だと言って出すレストランは、間違ってる。
これだけは、確か。
そして。
みんなもどうか、その目で確かめて欲しい。
「まずい料理」と「料理ではないもの」を。
混同せずに、シェフの間違いを指摘して欲しい。
二度とこんな過ちが、繰り返されないために。
児玉明子作『仮面の男』っていうのは、そういう作品だ。