耐えられないことは、人それぞれだから。@仮面の男
2011年9月13日 タカラヅカ んで、考えたのよ。
なんでわたし、平気なんだろう、って。
こだまっち作『仮面の男』。
「二度と繰り返してはならない過ちだ」と言い切れるくらいヒドイ作品なのに。
リピート観劇平気だし、面白いと思うし、楽しいと思っているし。
たびたび例に出しているけれど、植爺の「呪いのドングリ」……『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』なんか、観ることも出来なかったのね。
初見の1回はキャストへの愛で観られるけど、2回目以降はごめん、どんだけ出演者を好きでも苦痛すぎる、と思った。
わたしの脳みその問題だろう。
わたしは植爺の「間違った言葉」が耐えられないらしい。
文法がどうこうではなく、人間の生理とか常識とか論理とかが間違いまくったモノ。
いくらアタマを空っぽにして、台詞じゃない、人間の言葉じゃない、日本語じゃない、あれはただの「音」、ジェンヌさんが出している美しい「音」なのよ、と思おうとしても、ダメだった。
わたしのアタマは勝手に言葉を言葉として認識し、「この言葉にこの言葉を返すのはおかしい」とか「こんなことを言うのは人としておかしい」とか、いちいちいちいち気になって、引っかかって、心が悲鳴を上げ続けた。
どう考えても人としておかしい、狂ったことを言っているのに、「これこそが正義、すばらしい、愛愛愛」とやられると、耐えられない。
噛み合わない会話もダメだ。ひとりずつが意味のわからないことを熱弁し、キャッチボールがまったく成り立っていないのに進んでいく電波会話が、耐えられない。
植爺作品はこれらの要素が多く含まれているんだが、なかでも『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』はそれのみで出来上がっているといっても過言ではないレベルのものすげー作品だった。
それゆえにわたしはどこにも逃げ場がなく、この作品を観ること自体出来なかった。
一方、こだまっちの『仮面の男』は。
この作品のもっとも間違っているところは言葉の問題じゃない。
最悪だと思う、監獄の場面。
囚人たちへの拷問や処刑をお笑いにしている。
また、ただお笑いにする、愉快なパフォーマンスにするにしても、センスが悪すぎて笑えないし、見た目もよくない。
これは「拷問や処刑をお笑いにする」ことの是非や、するにしても「センス悪すぎ」であることが問題なのであって、「この言葉にこの言葉を返すのはおかしい」とか「こんなことを言うのは人としておかしい」とかでは、ナイんだ。
「拷問や処刑をお笑いにしている」のだから、何故ここでこの言葉を? とか、人としてこれってないんじゃない? は、その前提の中では「正しい」から、わたしの脳みそは悲鳴を上げない。「間違ったこと」を描いているのだから、間違った会話が展開されて当然。
「正義」「美談」として交わされる会話が電波である植爺とは、立っている次元が違う。
人間ボーリングにしろ唇ベッドにしろ「悪趣味」と銘打ってやっている。
ロジックは間違っていない。
そもそも最初からそんな場面をやるな、という、まったく違う次元の間違いをしているだけで。
『H2$』パロにしろ影絵にしろ「最初からやるな」であって、そこだけ取り出してみて言葉が成り立っていないわけじゃないんだ。
わたしが耐えられないモノは「間違った言葉」「間違ったロジック」。
ルールと情を混同する考え方。(例・「愛があればナニをしてもいい」……よくねーよ)
植爺は人間なんだと思う。
だから彼とは気が合わない。
こだまっちは宇宙人なんだと思う。
だからコノヒトの考えていることはわからない。
人間のことは「嫌い」とか「ぷんぷん」とか思えるけど、宇宙人にはただただ「近寄りたくない」。
人間の作ったモノはそれゆえに許せないことがあるけれど、宇宙人の作ったモノは理解できないので思考が働かない。
てことで、『仮面の男』はリピートできるんだなああ。
いや、所詮芝居部分だって脚本書いてるのこだまっちだから、意味わかんないことが多分にあるんだけど、なにしろ芝居部分が少なすぎて目立たないの(笑)。
まともに1時間半芝居やってたら、耐えられない部分も出てくるんだろうけど、今は何しろ芝居は95分中40分くらいしかナイわけだからねええ。
今のとこ平気。
だからわたしにとっては、『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』よりはずーーっとずーーっとマシな作品。
よかった、『仮面の男』で。よかった、こだまっちで。
って、「最悪」とはナニかで考えて、こっちがマシだからって、喜ぶ基準が間違っている。でもそれがタカラヅカ。
つーことで『仮面の男』はふつーに通っている。
わたしにとって、耐えられるモノと耐えられないモノ、それだけのこと。きっとそれは、人それぞれだろう。
だけど。
『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』は許されても、『仮面の男』は許されちゃいけないとは、変わらずに思っているよ。
耐えられるとか、そーゆー次元ではなくて、だってコレ、そもそも芝居ぢゃないもん(笑)。
なんでわたし、平気なんだろう、って。
こだまっち作『仮面の男』。
「二度と繰り返してはならない過ちだ」と言い切れるくらいヒドイ作品なのに。
リピート観劇平気だし、面白いと思うし、楽しいと思っているし。
たびたび例に出しているけれど、植爺の「呪いのドングリ」……『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』なんか、観ることも出来なかったのね。
初見の1回はキャストへの愛で観られるけど、2回目以降はごめん、どんだけ出演者を好きでも苦痛すぎる、と思った。
わたしの脳みその問題だろう。
わたしは植爺の「間違った言葉」が耐えられないらしい。
文法がどうこうではなく、人間の生理とか常識とか論理とかが間違いまくったモノ。
いくらアタマを空っぽにして、台詞じゃない、人間の言葉じゃない、日本語じゃない、あれはただの「音」、ジェンヌさんが出している美しい「音」なのよ、と思おうとしても、ダメだった。
わたしのアタマは勝手に言葉を言葉として認識し、「この言葉にこの言葉を返すのはおかしい」とか「こんなことを言うのは人としておかしい」とか、いちいちいちいち気になって、引っかかって、心が悲鳴を上げ続けた。
どう考えても人としておかしい、狂ったことを言っているのに、「これこそが正義、すばらしい、愛愛愛」とやられると、耐えられない。
噛み合わない会話もダメだ。ひとりずつが意味のわからないことを熱弁し、キャッチボールがまったく成り立っていないのに進んでいく電波会話が、耐えられない。
植爺作品はこれらの要素が多く含まれているんだが、なかでも『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』はそれのみで出来上がっているといっても過言ではないレベルのものすげー作品だった。
それゆえにわたしはどこにも逃げ場がなく、この作品を観ること自体出来なかった。
一方、こだまっちの『仮面の男』は。
この作品のもっとも間違っているところは言葉の問題じゃない。
最悪だと思う、監獄の場面。
囚人たちへの拷問や処刑をお笑いにしている。
また、ただお笑いにする、愉快なパフォーマンスにするにしても、センスが悪すぎて笑えないし、見た目もよくない。
これは「拷問や処刑をお笑いにする」ことの是非や、するにしても「センス悪すぎ」であることが問題なのであって、「この言葉にこの言葉を返すのはおかしい」とか「こんなことを言うのは人としておかしい」とかでは、ナイんだ。
「拷問や処刑をお笑いにしている」のだから、何故ここでこの言葉を? とか、人としてこれってないんじゃない? は、その前提の中では「正しい」から、わたしの脳みそは悲鳴を上げない。「間違ったこと」を描いているのだから、間違った会話が展開されて当然。
「正義」「美談」として交わされる会話が電波である植爺とは、立っている次元が違う。
人間ボーリングにしろ唇ベッドにしろ「悪趣味」と銘打ってやっている。
ロジックは間違っていない。
そもそも最初からそんな場面をやるな、という、まったく違う次元の間違いをしているだけで。
『H2$』パロにしろ影絵にしろ「最初からやるな」であって、そこだけ取り出してみて言葉が成り立っていないわけじゃないんだ。
わたしが耐えられないモノは「間違った言葉」「間違ったロジック」。
ルールと情を混同する考え方。(例・「愛があればナニをしてもいい」……よくねーよ)
植爺は人間なんだと思う。
だから彼とは気が合わない。
こだまっちは宇宙人なんだと思う。
だからコノヒトの考えていることはわからない。
人間のことは「嫌い」とか「ぷんぷん」とか思えるけど、宇宙人にはただただ「近寄りたくない」。
人間の作ったモノはそれゆえに許せないことがあるけれど、宇宙人の作ったモノは理解できないので思考が働かない。
てことで、『仮面の男』はリピートできるんだなああ。
いや、所詮芝居部分だって脚本書いてるのこだまっちだから、意味わかんないことが多分にあるんだけど、なにしろ芝居部分が少なすぎて目立たないの(笑)。
まともに1時間半芝居やってたら、耐えられない部分も出てくるんだろうけど、今は何しろ芝居は95分中40分くらいしかナイわけだからねええ。
今のとこ平気。
だからわたしにとっては、『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』よりはずーーっとずーーっとマシな作品。
よかった、『仮面の男』で。よかった、こだまっちで。
って、「最悪」とはナニかで考えて、こっちがマシだからって、喜ぶ基準が間違っている。でもそれがタカラヅカ。
つーことで『仮面の男』はふつーに通っている。
わたしにとって、耐えられるモノと耐えられないモノ、それだけのこと。きっとそれは、人それぞれだろう。
だけど。
『外伝ベルサイユのばら-アンドレ編-』は許されても、『仮面の男』は許されちゃいけないとは、変わらずに思っているよ。
耐えられるとか、そーゆー次元ではなくて、だってコレ、そもそも芝居ぢゃないもん(笑)。