裏事情は、裏でとどめておいてくれ。@Samourai
2012年3月2日 タカラヅカ 前日欄で『Samourai』の、構成のいびつさについて書いた。
原作は関係ない、あくまでも舞台『Samourai』において。
わたしは「物語」をいちばん大切に考えるので、「役者の面子」とか「この役者を立てなければならない裏事情」とかのために、物語がぶっ壊されるのが好きじゃない。
百害あって一利なしの冒頭部分、息子の嫁がタカラジェンヌだった!という、客からすりゃどーでもいいことを大上段に教えてくれる箇所を、生理的に受け入れられないのは、そのこともあるんだ。
副組長であるゆめみちゃんに、役と出番と台詞を付けなければならなかった。劇団推しの若手スター咲ちゃんに、役と出番と台詞を付けなければならなかった。
そーゆー、物語とは無関係な事情で、物語的に害悪にしかならない場面が加えられているのが、嫌なんだ。
ゆめみちゃんを大事にするのも、咲ちゃんをいついかなるときも特別扱いしなければならないのも、別にいいんだ。それが悪いと言っているわけじゃない。
わたしは古いタイプのヅカヲタなので、ピラミッドや学年を守って生徒を大事に扱う配役は好きだ。副組長や新進スターは大事にするべきだ。
ただ、やるなら、もっとうまくやれ。
こんな、「裏事情です、仕方ないんです」と丸見えの方法でやるな。
本編中の彼らの役に、もっと厚みや見せ場を作れば済むことだ。不要な場面、不要な二役をさせる必要はない。
咲ちゃんなんか、いい役のはずなのに、ちっとも書き込まれてないんだもの。
新聞記者ガスパール@咲ちゃんは、姉のブランシェ@リサリサとの関係とかで、もっと泣かせることもできたろうに。おねーちゃん死んでるのに、なんのコメントもなしかい、ガスパール。
そして、1幕前半の日本パートの不要な長さ。
ここも、坂本竜馬という有名人を出したいという、どーでもいい理由で成り立っていると思うんだが、それに加えて。
ヲヅキ氏に、役と出番と台詞を付けなければならなかった、てのも理由のひとつなのかなと。
本役はフルーランス少尉の方だと思う。で、こっちの役は2幕がメイン。この公演の3番手をそんな扱いは出来ない、つーんで二役にして1幕にも出番を作ったんだろう。
3番手なら二役するのは不思議のない扱いだとは思う。
でもさ、二役するなら、主でない方の役は、ゆめみちゃんや咲ちゃんと同じくらいの比重であるべきだよ。
なのにそうしなかったのは、ひとえに「裏事情」だよなあ。
3番手だから、というだけの理由。物語的に必要だから、ではない。むしろ物語にとってはマイナス。本筋以外に場面をさいて、本筋が中途半端に終了しているんだから。
また、それだけ大きな役をひとりの役者がやると観客が混乱する。「この人、竜馬だったよね? なんで竜馬がパリにいるの?」と。
ちらりと出て喋って二度と出てこなかった人じゃないんだから、観客もおぼえてるよ。
また、ヲヅキは、二役に向かない役者だ。
演技力の問題じゃない。
彼は、存在が、派手なんだ。
タカラヅカでいうところの華がある、とはまた別だが、舞台として派手な人だ。一度出てきたら観客の目に留まる。記憶に残る。だから、二役が出来ない。
『H2$』でも痛感したよ……髪型や衣装を替えたって、同じ人だってわかる、同じ人にしか見えない、「物語」的に混乱する。あれ、室長さん、実は会長さんだったってオチなの?!と、わけわからなくなった人続出したよね。
ヲヅキさんは谷せんせのお気に入りの役者のひとりだろうし、宙組へ華々しく組替えすることが決まっているしで、スターらしい扱いが必要だったんだろうけどさー。
それは「物語」と無関係だから!! 物語壊してまでやることじゃないから!
ほんとにさあ。
すべては、やるなら、もっとうまくやれ。
こんな、「裏事情です、仕方ないんです」と丸見えの方法でやるな。
ってとだわー。
まあ、谷先生の価値観が、「いい役とは、豪華衣装を着て何行もの台詞を喋ること」である以上、仕方ないことか。
一生改善されないんだろうなあ。
わたしなら、前田光子のくだりは全カット、日本場面もなし、オープニングのショー場面を「日本での正名」「日本人としての正名」につなげる演出にまで膨らませ、すぐにパリからスタートさせるわ。
竜馬は正名@キムとマリー@みみちゃんの会話の中に出てくるだけ、その場面に舞台奥とかにイメージで登場、もちろんヲヅキではなく別の人が演じる。
日本場面の「フリーじゃ」の歌は良かったのでカットはもったいない気もするけど、パリにてもっと魅力的な歌と場面を作ればいい。
光子さえ出さなければ、正名とマリーが涙ながらに「命ありがとう」を歌って幕、でもいいんだ。ふたりが結ばれ、これからもパリでがんばって生きるんだ、と観客が勝手に想像するから。史実なんて関係ない。想像するのは勝手だ。
余計場面をカットして出来た時間で、正名とマリーの恋愛、正名と渡会@ちぎの友情を描く。ついでに、レオン@せしるをなんとかする(笑)。
レオンが、つまんない悪役でなあ……。
大劇場より長い2時間もある芝居で、大劇場の半分の人数で濃く物語を展開できるのに、悪役が名無し顔なしってのがなあ。
貴族であることを鼻に掛けた差別主義者、卑怯者で冷酷、というレオン。とにかくいついかなるときも、ただただ最悪。「悪役」と書いた札を首から掛けているかのような悪役というだけの悪役。
美貌のせしるが、美しい衣装を着ているから眼福、つーだけの役っすよ……。
谷せんせ的には、「豪華衣装だからいい役」なのかなー。
何故かレオンは正名と縁があり、なにかっちゃー正名の前に現れ、最後は正名の宿敵みたいになる。
なのに、彼らにドラマはナニもない。
レオンにとっての正名は「下等生物」という札のついたイキモノでしかなく、顔も名前もない。正名にとってのレオンも「最低男」という札に過ぎない。
双方が「個人」と戦っていない、別のナニかでもOKな状態で戦ってるもんで、観ていてちっとも盛り上がらない。
正名はまだ、虐げられている方なんでレオン個人に対し恨みも持てるけど、レオンからすりゃ正名は道ばたの石扱いだもんよ。つまずいた、ムカつくー、てなレベル。
レオンの方に、ちゃんとドラマを作ってくれ。
突然母親とか盲目の妹とか出てきて「レオンにも、がんばる理由があったんだ」とかゆーのじゃないよ? そんなのさらに最悪だから(笑)。←谷だとやりそうで笑えない。
レオンが、正名を正名個人として憎むこと。
貴族以外は全部ゴミ、という価値観のもとで見下しているんじゃなく。
正名の才覚に嫉妬するとか、なにがなんでも正名を否定しないとアイデンティティが崩壊するとか、正名個人と関係性を作ってくれ。
無関係な宿敵しか出てこない戦争モノって、つまらない……。
大きく場面を取らなくても、本来の脚本の中にエッセンスを加えるだけで出来るのになあ。
高笑いして去って行くだけじゃなくて、ふと正名を見つめ、見つめ合ったのち、わざとらしく高笑いするとか。
それこそ、「下等な日本人ごときが、何故こうも気になるのか」と自問するベタな台詞ひとつ、本来の出番の間に入れるだけでいい。
それ以上くどくど書かなくても、「あ、この人ほんとは、正名のこと認めてんじゃん」と観客に気づかせればヨシ。
なにかっちゃあ縁があって、正名の前に障害として現れるんだから、あとはせしるが自分で演じてくれるよー。個人として能力は認めてるけど、日本人への差別意識は変わらない、てな複雑な芝居を、熱量を持って。
谷せんせ的には、「主役を憎む悪役は、2番手の役」という思い込みがあって、せしるには振れなかったのかな。
谷せんせの英雄譚では、敵も味方もみんな主人公を愛して死んでいかなければならないので、敵という憎悪が深くなる位置には、2版手を置かなきゃならないらしいから。
へんなしがらみや裏事情で、もともと得意でもない作劇がさらに破綻する、不自由な人だな(笑)。
それでも、彼のパッションのある悲劇モノは好きだったりするんだが。
原作は関係ない、あくまでも舞台『Samourai』において。
わたしは「物語」をいちばん大切に考えるので、「役者の面子」とか「この役者を立てなければならない裏事情」とかのために、物語がぶっ壊されるのが好きじゃない。
百害あって一利なしの冒頭部分、息子の嫁がタカラジェンヌだった!という、客からすりゃどーでもいいことを大上段に教えてくれる箇所を、生理的に受け入れられないのは、そのこともあるんだ。
副組長であるゆめみちゃんに、役と出番と台詞を付けなければならなかった。劇団推しの若手スター咲ちゃんに、役と出番と台詞を付けなければならなかった。
そーゆー、物語とは無関係な事情で、物語的に害悪にしかならない場面が加えられているのが、嫌なんだ。
ゆめみちゃんを大事にするのも、咲ちゃんをいついかなるときも特別扱いしなければならないのも、別にいいんだ。それが悪いと言っているわけじゃない。
わたしは古いタイプのヅカヲタなので、ピラミッドや学年を守って生徒を大事に扱う配役は好きだ。副組長や新進スターは大事にするべきだ。
ただ、やるなら、もっとうまくやれ。
こんな、「裏事情です、仕方ないんです」と丸見えの方法でやるな。
本編中の彼らの役に、もっと厚みや見せ場を作れば済むことだ。不要な場面、不要な二役をさせる必要はない。
咲ちゃんなんか、いい役のはずなのに、ちっとも書き込まれてないんだもの。
新聞記者ガスパール@咲ちゃんは、姉のブランシェ@リサリサとの関係とかで、もっと泣かせることもできたろうに。おねーちゃん死んでるのに、なんのコメントもなしかい、ガスパール。
そして、1幕前半の日本パートの不要な長さ。
ここも、坂本竜馬という有名人を出したいという、どーでもいい理由で成り立っていると思うんだが、それに加えて。
ヲヅキ氏に、役と出番と台詞を付けなければならなかった、てのも理由のひとつなのかなと。
本役はフルーランス少尉の方だと思う。で、こっちの役は2幕がメイン。この公演の3番手をそんな扱いは出来ない、つーんで二役にして1幕にも出番を作ったんだろう。
3番手なら二役するのは不思議のない扱いだとは思う。
でもさ、二役するなら、主でない方の役は、ゆめみちゃんや咲ちゃんと同じくらいの比重であるべきだよ。
なのにそうしなかったのは、ひとえに「裏事情」だよなあ。
3番手だから、というだけの理由。物語的に必要だから、ではない。むしろ物語にとってはマイナス。本筋以外に場面をさいて、本筋が中途半端に終了しているんだから。
また、それだけ大きな役をひとりの役者がやると観客が混乱する。「この人、竜馬だったよね? なんで竜馬がパリにいるの?」と。
ちらりと出て喋って二度と出てこなかった人じゃないんだから、観客もおぼえてるよ。
また、ヲヅキは、二役に向かない役者だ。
演技力の問題じゃない。
彼は、存在が、派手なんだ。
タカラヅカでいうところの華がある、とはまた別だが、舞台として派手な人だ。一度出てきたら観客の目に留まる。記憶に残る。だから、二役が出来ない。
『H2$』でも痛感したよ……髪型や衣装を替えたって、同じ人だってわかる、同じ人にしか見えない、「物語」的に混乱する。あれ、室長さん、実は会長さんだったってオチなの?!と、わけわからなくなった人続出したよね。
ヲヅキさんは谷せんせのお気に入りの役者のひとりだろうし、宙組へ華々しく組替えすることが決まっているしで、スターらしい扱いが必要だったんだろうけどさー。
それは「物語」と無関係だから!! 物語壊してまでやることじゃないから!
ほんとにさあ。
すべては、やるなら、もっとうまくやれ。
こんな、「裏事情です、仕方ないんです」と丸見えの方法でやるな。
ってとだわー。
まあ、谷先生の価値観が、「いい役とは、豪華衣装を着て何行もの台詞を喋ること」である以上、仕方ないことか。
一生改善されないんだろうなあ。
わたしなら、前田光子のくだりは全カット、日本場面もなし、オープニングのショー場面を「日本での正名」「日本人としての正名」につなげる演出にまで膨らませ、すぐにパリからスタートさせるわ。
竜馬は正名@キムとマリー@みみちゃんの会話の中に出てくるだけ、その場面に舞台奥とかにイメージで登場、もちろんヲヅキではなく別の人が演じる。
日本場面の「フリーじゃ」の歌は良かったのでカットはもったいない気もするけど、パリにてもっと魅力的な歌と場面を作ればいい。
光子さえ出さなければ、正名とマリーが涙ながらに「命ありがとう」を歌って幕、でもいいんだ。ふたりが結ばれ、これからもパリでがんばって生きるんだ、と観客が勝手に想像するから。史実なんて関係ない。想像するのは勝手だ。
余計場面をカットして出来た時間で、正名とマリーの恋愛、正名と渡会@ちぎの友情を描く。ついでに、レオン@せしるをなんとかする(笑)。
レオンが、つまんない悪役でなあ……。
大劇場より長い2時間もある芝居で、大劇場の半分の人数で濃く物語を展開できるのに、悪役が名無し顔なしってのがなあ。
貴族であることを鼻に掛けた差別主義者、卑怯者で冷酷、というレオン。とにかくいついかなるときも、ただただ最悪。「悪役」と書いた札を首から掛けているかのような悪役というだけの悪役。
美貌のせしるが、美しい衣装を着ているから眼福、つーだけの役っすよ……。
谷せんせ的には、「豪華衣装だからいい役」なのかなー。
何故かレオンは正名と縁があり、なにかっちゃー正名の前に現れ、最後は正名の宿敵みたいになる。
なのに、彼らにドラマはナニもない。
レオンにとっての正名は「下等生物」という札のついたイキモノでしかなく、顔も名前もない。正名にとってのレオンも「最低男」という札に過ぎない。
双方が「個人」と戦っていない、別のナニかでもOKな状態で戦ってるもんで、観ていてちっとも盛り上がらない。
正名はまだ、虐げられている方なんでレオン個人に対し恨みも持てるけど、レオンからすりゃ正名は道ばたの石扱いだもんよ。つまずいた、ムカつくー、てなレベル。
レオンの方に、ちゃんとドラマを作ってくれ。
突然母親とか盲目の妹とか出てきて「レオンにも、がんばる理由があったんだ」とかゆーのじゃないよ? そんなのさらに最悪だから(笑)。←谷だとやりそうで笑えない。
レオンが、正名を正名個人として憎むこと。
貴族以外は全部ゴミ、という価値観のもとで見下しているんじゃなく。
正名の才覚に嫉妬するとか、なにがなんでも正名を否定しないとアイデンティティが崩壊するとか、正名個人と関係性を作ってくれ。
無関係な宿敵しか出てこない戦争モノって、つまらない……。
大きく場面を取らなくても、本来の脚本の中にエッセンスを加えるだけで出来るのになあ。
高笑いして去って行くだけじゃなくて、ふと正名を見つめ、見つめ合ったのち、わざとらしく高笑いするとか。
それこそ、「下等な日本人ごときが、何故こうも気になるのか」と自問するベタな台詞ひとつ、本来の出番の間に入れるだけでいい。
それ以上くどくど書かなくても、「あ、この人ほんとは、正名のこと認めてんじゃん」と観客に気づかせればヨシ。
なにかっちゃあ縁があって、正名の前に障害として現れるんだから、あとはせしるが自分で演じてくれるよー。個人として能力は認めてるけど、日本人への差別意識は変わらない、てな複雑な芝居を、熱量を持って。
谷せんせ的には、「主役を憎む悪役は、2番手の役」という思い込みがあって、せしるには振れなかったのかな。
谷せんせの英雄譚では、敵も味方もみんな主人公を愛して死んでいかなければならないので、敵という憎悪が深くなる位置には、2版手を置かなきゃならないらしいから。
へんなしがらみや裏事情で、もともと得意でもない作劇がさらに破綻する、不自由な人だな(笑)。
それでも、彼のパッションのある悲劇モノは好きだったりするんだが。