日常が打ち切られる瞬間。@Samourai
2012年3月31日 タカラヅカ どの番組で見たんだっけ。
下級生男子たちが、斬られて「うわあぁ~~」って死んでいく姿を必死に自主練していて、自分も昔はそうだったと胸熱、てなことをキムくんが語っていた。
うんうん、男の子たちは大変だね。
兵士役で出てきては斬られ、出てきては撃たれ、何度も死んでは何度も出てくる。
そうやって、リアルかつカッコイイ斬られ方や、主演さんを格好良く見せる死に方をおぼえ、成長していくんだね。
だけど。
男たちよりもすごいのは、女たちだ。
谷正純本領発揮、皆殺し上等!の『Samourai』。
男たちは、所詮芝居なの。
だって、何度も出てきて死ななきゃならないからね。
斬られても「うわあぁ~~、やられた~~」って痛がって、袖にはけていく。
撃たれても「うわあぁ~~、撃たれた~~」って袖へはけていく。
で、また次の瞬間別の兵士の顔して出てくる。
死んでないやん。
なんで斬られた人がみんな、等しく歩いて袖に引っ込むのよ。いかにも「斬られた芝居」でしかないやん。
つーことで、男たちに関しては、斬られようが撃たれようが「所詮芝居」と割り切って見られる。
問題は、女たち。
女たちは何度も別人の振りをして出てきてその都度「うわあぁ~~、やられた~~」ってやる必要がない。
彼女たちはパリの女たちってことで、個別に描かれていないモブレベルとはいえ、人生一度限りだ。つまり、一度死ねばそれでいい。
何度も別人になって出てこなくていいので、撃たれたら最後、いちいち袖にはけなくてもその場で死ねる。
撃たれた。
倒れて死ぬ。
……この当たり前のことを、やる。
女の子たちほぼ全員が。
きついよ?
なんども「うわあぁ~~、やられた~~」って死んでいく男たちなんか、へでもないわ。
問題は女の子たちだよ。
死に方、リアルすぎ。
戦って死ぬんじゃない、市街戦を怖がって逃げ惑っている、そのときに撃ち殺される。
生きて、逃げ延びようとしていた若く健康な娘が、銃声と共にがくんと崩れ落ちる。
次々に、女の子たちが、死んでいく。生きるための一歩を遮られ、ぶち切られて、倒れる。
そのあとは、動かない。
イキモノじゃない。
ただの、モノになる。
また、射殺した兵士たちがご丁寧に、彼女たちの死体を銃床で小突いて確かめるんだ。本当に死んでいるのかを。
さっきまで生きて走っていた娘が、ただのモノとなって、ごとりと転がる。
きついって。
みんな、死に方うますぎ。てゆーか、絶対どんどんうまくなってる。
撃たれ方、倒れ方がリアルすぎて、見ていて息が止まる。ひっ、て思う。
袖にはける必要がないから、死体としていつまでも転がっている。
レティシア@杏奈ちゃんとか、いちおードラマらしきものを最初の方で描いてもらっていたキャラクタもいる。
彼女たちも、ただのモノとして皆殺しになる。
クライマックスでは主要キャラたちが袖にはけることなく死んで、死体をその場に残すけど、一応彼らはそれなりに見せ場をもらっている。ノエル@にわにわとか、まさかのいい役。
女の子たちは、「今死にますよ、ドラマチックですよ!」という演出もなく、ただモノとして、モブとして皆殺しになる。
だからきつい。
見せ場もらって死ぬのは、いかにも「芝居」、「ファンタジー」として別チャンネルで楽しめる。死なないで~~とか、可哀想~~とかで泣く行為もまた、「エンタメの楽しみ」だからね。
そういった演出なく殺されていく女の子たちこそが、トラウマレベルでキツイっす。
いやあ、『エヴァンゲリオン』のどれだったかの映画を思い出した。ネルフが襲撃されて職員が皆殺しになるやつ。
モブの皆様の殺され方がリアル過ぎて嫌だった。
名もなきただのモブが無力に殺されるときに、おびえやかなしみを表すのは勘弁してよ。皆殺しにするモブなら、がんがん戦って死にましたとかにしてよ。
いちばんきつかったのが、死体だらけの廊下を、女性職員が泣きながら男性職員の死体をひきずって歩いているところ。もう男は死んでるんだし、周り中死体だらけで放置されてるんだし、そのままにして自分だけでも逃げればいいのに。彼女は泣きながら、男の死体を引っ張っている。女の力では、男を持ち上げられず、引っ張ってもろくに動いてくれない。そんなことをしてもなんにもならない、男は生き返らない。だけど女は、男を見捨てて逃げられずにいたんだ。
や、そんな長い場面ではなく、みなさんが皆殺しにされる場面のほんとの一部、数秒の場面。殺される人々の中に、そういう女がいた。死体だらけの廊下を、泣きながら男の遺体を引っ張っている女がいた。襲撃者たちはとにかく生きて動いている者を区別なく殺していくので、そうやって男の遺体を引っ張っている女のことも、簡単に殺して前へ進んでいった。
モブにドラマはいらない。そんな、ひとりだけ生き残って男の遺体を引っ張っている女、なんて。それだけでドラマが浮かぶじゃん。その男は恋人だったのか、夫だったのか。第一次の襲撃のとき、身を挺して女をかばって死んだのか。だからその場の者みんな死に絶えているのに、女ひとり生き残ったのか。男は女を守りたかったのに、女はひとりで逃げず、男の遺体と共に逃げようとその場に留まり……結局、殺されたのか。
そんな、殺される人々のドラマが、数秒の断末魔ですばーーって脳裏に浮かぶような殺戮場面は、嫌ですよう。
トラウマになりますよう。
『Samourai』の女たちの最期は、トラウマレベル……(笑)。
レティシアはまだ、最期に愛する男の名を呼んで、人生完成させた感があるので、まだいい。
問題は、ブランシェ@リサリサ。
彼女はめーーっちゃ訳あり気に登場する。
いや、所詮脇で、物語の本筋にないキャラだとわかるから、訳あり気な描き方自体はあれでいい。
人生いろいろ背負い、昇華した大人の女だ。
酒場の女主人で、差別されていた日本人にも情をかける。その手のさしのべ方が、よくあるお人好しとか肝っ玉母さんとか人情家タイプではなく、ぶっきらぼうでアンニュイな、突き放したような優しさなんだ。
いい女、としか言いようがない。
心に傷をたくさん抱えて、一種の諦観をまといながらも浮き世を軽蔑していない女。
リサリサがまた、うまいんだ。
出番も台詞もろくにないけど、短い場面だけで「この女のドラマを知りたい」と思わせるキャラに作ってくれている。
彼女の弟のガスパールが、ニュートラルな感覚の好青年で。
この男が弟である、ことが納得できるいい女なんだ、ブランシェ。
このブランシェもまた、市民兵として銃を取る。
『Samourai』の主要キャラ以外の皆さんは、登場場面だけなにかしら書き込みがあるんだけど、そのあとはモブ扱い。キャラの人格もキャラ同士のつながりもなかったことになっているのか演出家が忘れているのか、なんにも描かれていないんだな。
だからブランシェも、訳ありに登場したわりに、あっさりただのモブとして殺される。
でも、この殺され方がさー。
まず先に、彼女の店の女の子が横で撃たれるんだわ。それでブランシェは「あ」って感じでその子を見て、助け起こそうとして、そのまま自身も撃たれる。
その一連の流れが、すごく自然で。
……きつい。
先に長々と語った、『エヴァ』の女を思い出したよ。
ただ歩いていて、出会い頭に敵と鉢合わせして、銃を構えるまでもなく撃たれる、てまでなら、許容範囲。戦おうとした兵士が殺されるなら。兵士ってのは記号だから。
でも、親しい者が撃たれて意識するまでもなくそちらへ気持ちが行っているとき、つまり兵士ではなく生身の人間として反応しているときに、横から撃ち殺されるってのは。
友人や家族がつまずいてうずくまったら、そっち向くじゃん。「大丈夫?」って言うじゃん。そーゆー日常の、ごく当たり前のことをしているだけのにときに。
ブランシェは、彼女自身のドラマや人生を、わたしに想像させる女性だっただけに。
その無残な最期が、きつかった……。
人生の悔いだとか、反対に愛だとか、語ったり歌ったりしてスポットライト浴びて「がくり」と息絶えてくれたら、泣きはしてもトラウマにはならないよ。だって芝居だもん、エンタメだもん。
しかし、この死に方は……。
女の子たちはそうやってめちゃくちゃリアルに、見ているこっちの息が止まりそうなくらいの痛々しい、恐ろしい死に方をする。
そして、死体はそのまま。
ただのモノとして転がっている。
死体の海となった市街を、さらさちゃんが歌いながら歩く。
心の壊れてしまった、空白な表情。
パリが花の都だったときに、女の子たちで踊り、歌った歌を。
そのさらさちゃんも、射殺される。
一発の銃声で、彼女は崩れ落ちる。
彼女の足下に転がっていた死体の一部に、なる。
皆殺しの谷、本領発揮。
…………発揮しすぎ。
下級生男子たちが、斬られて「うわあぁ~~」って死んでいく姿を必死に自主練していて、自分も昔はそうだったと胸熱、てなことをキムくんが語っていた。
うんうん、男の子たちは大変だね。
兵士役で出てきては斬られ、出てきては撃たれ、何度も死んでは何度も出てくる。
そうやって、リアルかつカッコイイ斬られ方や、主演さんを格好良く見せる死に方をおぼえ、成長していくんだね。
だけど。
男たちよりもすごいのは、女たちだ。
谷正純本領発揮、皆殺し上等!の『Samourai』。
男たちは、所詮芝居なの。
だって、何度も出てきて死ななきゃならないからね。
斬られても「うわあぁ~~、やられた~~」って痛がって、袖にはけていく。
撃たれても「うわあぁ~~、撃たれた~~」って袖へはけていく。
で、また次の瞬間別の兵士の顔して出てくる。
死んでないやん。
なんで斬られた人がみんな、等しく歩いて袖に引っ込むのよ。いかにも「斬られた芝居」でしかないやん。
つーことで、男たちに関しては、斬られようが撃たれようが「所詮芝居」と割り切って見られる。
問題は、女たち。
女たちは何度も別人の振りをして出てきてその都度「うわあぁ~~、やられた~~」ってやる必要がない。
彼女たちはパリの女たちってことで、個別に描かれていないモブレベルとはいえ、人生一度限りだ。つまり、一度死ねばそれでいい。
何度も別人になって出てこなくていいので、撃たれたら最後、いちいち袖にはけなくてもその場で死ねる。
撃たれた。
倒れて死ぬ。
……この当たり前のことを、やる。
女の子たちほぼ全員が。
きついよ?
なんども「うわあぁ~~、やられた~~」って死んでいく男たちなんか、へでもないわ。
問題は女の子たちだよ。
死に方、リアルすぎ。
戦って死ぬんじゃない、市街戦を怖がって逃げ惑っている、そのときに撃ち殺される。
生きて、逃げ延びようとしていた若く健康な娘が、銃声と共にがくんと崩れ落ちる。
次々に、女の子たちが、死んでいく。生きるための一歩を遮られ、ぶち切られて、倒れる。
そのあとは、動かない。
イキモノじゃない。
ただの、モノになる。
また、射殺した兵士たちがご丁寧に、彼女たちの死体を銃床で小突いて確かめるんだ。本当に死んでいるのかを。
さっきまで生きて走っていた娘が、ただのモノとなって、ごとりと転がる。
きついって。
みんな、死に方うますぎ。てゆーか、絶対どんどんうまくなってる。
撃たれ方、倒れ方がリアルすぎて、見ていて息が止まる。ひっ、て思う。
袖にはける必要がないから、死体としていつまでも転がっている。
レティシア@杏奈ちゃんとか、いちおードラマらしきものを最初の方で描いてもらっていたキャラクタもいる。
彼女たちも、ただのモノとして皆殺しになる。
クライマックスでは主要キャラたちが袖にはけることなく死んで、死体をその場に残すけど、一応彼らはそれなりに見せ場をもらっている。ノエル@にわにわとか、まさかのいい役。
女の子たちは、「今死にますよ、ドラマチックですよ!」という演出もなく、ただモノとして、モブとして皆殺しになる。
だからきつい。
見せ場もらって死ぬのは、いかにも「芝居」、「ファンタジー」として別チャンネルで楽しめる。死なないで~~とか、可哀想~~とかで泣く行為もまた、「エンタメの楽しみ」だからね。
そういった演出なく殺されていく女の子たちこそが、トラウマレベルでキツイっす。
いやあ、『エヴァンゲリオン』のどれだったかの映画を思い出した。ネルフが襲撃されて職員が皆殺しになるやつ。
モブの皆様の殺され方がリアル過ぎて嫌だった。
名もなきただのモブが無力に殺されるときに、おびえやかなしみを表すのは勘弁してよ。皆殺しにするモブなら、がんがん戦って死にましたとかにしてよ。
いちばんきつかったのが、死体だらけの廊下を、女性職員が泣きながら男性職員の死体をひきずって歩いているところ。もう男は死んでるんだし、周り中死体だらけで放置されてるんだし、そのままにして自分だけでも逃げればいいのに。彼女は泣きながら、男の死体を引っ張っている。女の力では、男を持ち上げられず、引っ張ってもろくに動いてくれない。そんなことをしてもなんにもならない、男は生き返らない。だけど女は、男を見捨てて逃げられずにいたんだ。
や、そんな長い場面ではなく、みなさんが皆殺しにされる場面のほんとの一部、数秒の場面。殺される人々の中に、そういう女がいた。死体だらけの廊下を、泣きながら男の遺体を引っ張っている女がいた。襲撃者たちはとにかく生きて動いている者を区別なく殺していくので、そうやって男の遺体を引っ張っている女のことも、簡単に殺して前へ進んでいった。
モブにドラマはいらない。そんな、ひとりだけ生き残って男の遺体を引っ張っている女、なんて。それだけでドラマが浮かぶじゃん。その男は恋人だったのか、夫だったのか。第一次の襲撃のとき、身を挺して女をかばって死んだのか。だからその場の者みんな死に絶えているのに、女ひとり生き残ったのか。男は女を守りたかったのに、女はひとりで逃げず、男の遺体と共に逃げようとその場に留まり……結局、殺されたのか。
そんな、殺される人々のドラマが、数秒の断末魔ですばーーって脳裏に浮かぶような殺戮場面は、嫌ですよう。
トラウマになりますよう。
『Samourai』の女たちの最期は、トラウマレベル……(笑)。
レティシアはまだ、最期に愛する男の名を呼んで、人生完成させた感があるので、まだいい。
問題は、ブランシェ@リサリサ。
彼女はめーーっちゃ訳あり気に登場する。
いや、所詮脇で、物語の本筋にないキャラだとわかるから、訳あり気な描き方自体はあれでいい。
人生いろいろ背負い、昇華した大人の女だ。
酒場の女主人で、差別されていた日本人にも情をかける。その手のさしのべ方が、よくあるお人好しとか肝っ玉母さんとか人情家タイプではなく、ぶっきらぼうでアンニュイな、突き放したような優しさなんだ。
いい女、としか言いようがない。
心に傷をたくさん抱えて、一種の諦観をまといながらも浮き世を軽蔑していない女。
リサリサがまた、うまいんだ。
出番も台詞もろくにないけど、短い場面だけで「この女のドラマを知りたい」と思わせるキャラに作ってくれている。
彼女の弟のガスパールが、ニュートラルな感覚の好青年で。
この男が弟である、ことが納得できるいい女なんだ、ブランシェ。
このブランシェもまた、市民兵として銃を取る。
『Samourai』の主要キャラ以外の皆さんは、登場場面だけなにかしら書き込みがあるんだけど、そのあとはモブ扱い。キャラの人格もキャラ同士のつながりもなかったことになっているのか演出家が忘れているのか、なんにも描かれていないんだな。
だからブランシェも、訳ありに登場したわりに、あっさりただのモブとして殺される。
でも、この殺され方がさー。
まず先に、彼女の店の女の子が横で撃たれるんだわ。それでブランシェは「あ」って感じでその子を見て、助け起こそうとして、そのまま自身も撃たれる。
その一連の流れが、すごく自然で。
……きつい。
先に長々と語った、『エヴァ』の女を思い出したよ。
ただ歩いていて、出会い頭に敵と鉢合わせして、銃を構えるまでもなく撃たれる、てまでなら、許容範囲。戦おうとした兵士が殺されるなら。兵士ってのは記号だから。
でも、親しい者が撃たれて意識するまでもなくそちらへ気持ちが行っているとき、つまり兵士ではなく生身の人間として反応しているときに、横から撃ち殺されるってのは。
友人や家族がつまずいてうずくまったら、そっち向くじゃん。「大丈夫?」って言うじゃん。そーゆー日常の、ごく当たり前のことをしているだけのにときに。
ブランシェは、彼女自身のドラマや人生を、わたしに想像させる女性だっただけに。
その無残な最期が、きつかった……。
人生の悔いだとか、反対に愛だとか、語ったり歌ったりしてスポットライト浴びて「がくり」と息絶えてくれたら、泣きはしてもトラウマにはならないよ。だって芝居だもん、エンタメだもん。
しかし、この死に方は……。
女の子たちはそうやってめちゃくちゃリアルに、見ているこっちの息が止まりそうなくらいの痛々しい、恐ろしい死に方をする。
そして、死体はそのまま。
ただのモノとして転がっている。
死体の海となった市街を、さらさちゃんが歌いながら歩く。
心の壊れてしまった、空白な表情。
パリが花の都だったときに、女の子たちで踊り、歌った歌を。
そのさらさちゃんも、射殺される。
一発の銃声で、彼女は崩れ落ちる。
彼女の足下に転がっていた死体の一部に、なる。
皆殺しの谷、本領発揮。
…………発揮しすぎ。