集約され、凝縮される。@霧矢大夢サヨナラショー
2012年3月5日 タカラヅカ トップコンビって、美しいものだ。
そう、改めて思う。
人間をやっていて、どれくらいの人が、タカラヅカのトップコンビほどの結びつきを体験するのだろうか。
恋人とか夫婦ではない、家族でもない、しかし、人生を左右する、強い強いつながりを持つ。
ひとつの運命を、共有する。
そこにある緊張感。
無から有を作り出す葛藤。
自分ひとりではないゆえの甘えや依存もあるだろうが、それを超えて共に前へ進む覚悟と努力。
人間が作り出す、もっとも美しいもののひとつを見せてくれる。それが、タカラヅカのトップコンビの関係性ではないだろうか。
と、思ったんだ。
霧矢大夢サヨナラショーを観て。
『ジプシー男爵』冒頭のデュエットダンスからはじまり、本拠地お披露目公演だった『スカーレット・ピンパーネル』の決してヒロインが聴くことのなかったラブソング「目の前の君」を彼女の前で歌う……きりやんとまりもちゃんの「トップコンビ」としての姿に盛大に揺さぶられた。
きりやんとまりもは見合いもナシの政略結婚というか、トップになるに当たって劇団から組み合わせられたコンビだ。
まりもちゃんはきりやんには縦にも横にも大きすぎるし、タカラヅカは男役ありきの世界なのだから、きりやんに似合う娘役さんは他にもっといたのかもしれない、と思わないでもない組み合わせだった。
いや、最初から、きりやんは娘役を選ばない芸風の人だと思っていたし、実力のあるまりもちゃんが相手役だと安心クオリティな舞台を期待できると、諸手を挙げて賛成していたけれども。
実際、フタを開けてみると、きりまりはお似合いのカップルだった。
微笑ましいとかうっとりするとかいうより、「良い」トップコンビ。
似合いである、と誰もが言うが、疑似恋愛系の色気はない……よな。
もともとセクシー系の男役さんではなかったが、きりやさんはまりもちゃんと組むことで、さらに色気がなくなった気がする。
体育会系のふたりというか、アスリートのようなコンビだった。ふたりが得意としたデュエットダンスは、夢の世界にうっとりするのではなく、競技ダンスに感心するような感じだった。
向かい合ってめろめろするとか、寄り添い合ってラヴラヴするとかじゃなく、共に前を向きひとつの目標に向かって疾走するイメージ。
それは、心地よい。
いわゆる「タカラヅカ」らしいトップコンビではないのだけど、きりまりの関係性もまた「タカラヅカ」であり、「タカラヅカ」でしかあり得ないものだと思う。
タカラヅカは個人人気だとか演目だとかだけでなく、スターたちの「関係性」に萌えるエンタメだと思う。
ジェンヌはみな芸名という人格を持ち、2.5次元の存在……フェアリーとして生きる。
タカラヅカが100年近く続いて来られたのは、団員を生徒と呼び未熟な時代から成長を見守り、組制度があり、スターシステムがあり、新陳代謝があるためだと思う。
その人個人の資質だけではない。そこにたどり着くまでの過程や周囲のジェンヌたちとのつながりをなくして、人気には結びつかない。
舞台上だけでない、「タカラジェンヌ」という生き方そのもの、存在そのものが、ファンの夢なんだ。
以前の新専科や、落下傘人事がファンから嫌われるのは、そこに関係性がないためだ。あるいは、関係性を一旦ぶち切られるためだ。
タカラヅカには組制度があり、そのとき限りの演目をそのとき限りのメンバーで演じて終わりではない、いくつもの公演を同じメンバーで培っていくこと自体を楽しむものだ。
トップコンビは、その「関係性」が特に大きく目に見える。だから相性の良さが大切だし、ファンの多くもそこに言及する。
きりまりは「タカラヅカ」的なコンビではなかっただろう。
だけど、ふたりの関係性は「タカラヅカ」というもののすばらしさを、しっかりと見せてくれたと思う。
どれほどの絆だろう。
トップスターという重責を、共に背負い、戦い抜くのって。
きりやんには、まりもだったんだなあ。
きりやんの横で黙々と戦い続ける、強い女の子。
まりもがほんとうに強い女の子だったかではなく、強くあろうとし、きりやんに寄っかかることをせず、自分を律し、凛と戦い続けたであろうことが、重要。
そう思わせてくれることが、重要。
そりゃタカラヅカだから、トップスターの腕の中にすっぽり守られて、寄り添っている姿にこそ萌える、そーゆー娘役もアリだけど。
きりやんとまりもちゃんは、そーゆートップコンビではなかった。
戦友みたいなふたり。対等に肩を並べて戦える、そんな男と女。
勝手なイメージでしかないけれど、強い・かっこいい・男前なまりもちゃんを横に置き、デレデレすることなく自分の戦いを続けるきりやんがまた、かっこよかった。
そんなふたりだからこその、サヨナラショー。
ふたりだけのデュエットダンスからはじまる。ぴしっと場に漂う緊張感。
甘あまじゃない、デレデレじゃない。息をのむ感覚。
そこから展開し、ラブソングになる、達成感。
このふたりじゃなきゃダメだ。
他の誰かじゃダメ、君なんだ。
そう思えることの、カタルシス。
サヨナラショーの中に、ドラマが詰まっていた。
霧矢大夢というドラマ、そして、霧矢大夢と蒼乃夕妃、というドラマ。
泣いた。
泣かされたよ。
タカラヅカってすごい。
芸だけじゃない。人……ジェンヌというファンタジーあってのタカラヅカだ。
タカラヅカは退団公演で稼ぐという。退団公演にファンが詰めかけるのは、ジェンヌの関係性が濃く集約されていることもあるからだと思う。退団するジェンヌのファンでなくても、「タカラヅカ」というファンタジーを愛する人ならば、心地よく酔えるものがそこにあるから。
そして、今回のサヨナラショーには、そういう「退団公演」の核、「タカラヅカ」の根源みたいなものがこれでもかとぶち込まれていた。
きりやんの魅力を存分に見せてくれた。
まりもちゃんの魅力をも、存分に見せてくれた。
もりえくん他の退団者の魅力も。
彼らを送る、月組組子たちの魅力も。
彼ら個人の魅力、そして、彼らの関係性で、感動させてくれた。
ああこれこそが「タカラヅカ」だと。
さらに、霧矢大夢の月組から、龍真咲の月組へと託される、というドラマまであった。
トップコンビの関係性、退団者の関係性、それらを送り出す組子たちという関係性だけでも十分魅力的なのに、トップの引き継ぎという、タカラヅカの持つクライマックスをも使ってくれたよ。
いいサヨナラショーだった。
きりやんとまりもを、さらにさらに、好きになった。
月組を、タカラヅカを、さらにさらに、好きになった。
なにもかもが、愛おしい。
そう、改めて思う。
人間をやっていて、どれくらいの人が、タカラヅカのトップコンビほどの結びつきを体験するのだろうか。
恋人とか夫婦ではない、家族でもない、しかし、人生を左右する、強い強いつながりを持つ。
ひとつの運命を、共有する。
そこにある緊張感。
無から有を作り出す葛藤。
自分ひとりではないゆえの甘えや依存もあるだろうが、それを超えて共に前へ進む覚悟と努力。
人間が作り出す、もっとも美しいもののひとつを見せてくれる。それが、タカラヅカのトップコンビの関係性ではないだろうか。
と、思ったんだ。
霧矢大夢サヨナラショーを観て。
『ジプシー男爵』冒頭のデュエットダンスからはじまり、本拠地お披露目公演だった『スカーレット・ピンパーネル』の決してヒロインが聴くことのなかったラブソング「目の前の君」を彼女の前で歌う……きりやんとまりもちゃんの「トップコンビ」としての姿に盛大に揺さぶられた。
きりやんとまりもは見合いもナシの政略結婚というか、トップになるに当たって劇団から組み合わせられたコンビだ。
まりもちゃんはきりやんには縦にも横にも大きすぎるし、タカラヅカは男役ありきの世界なのだから、きりやんに似合う娘役さんは他にもっといたのかもしれない、と思わないでもない組み合わせだった。
いや、最初から、きりやんは娘役を選ばない芸風の人だと思っていたし、実力のあるまりもちゃんが相手役だと安心クオリティな舞台を期待できると、諸手を挙げて賛成していたけれども。
実際、フタを開けてみると、きりまりはお似合いのカップルだった。
微笑ましいとかうっとりするとかいうより、「良い」トップコンビ。
似合いである、と誰もが言うが、疑似恋愛系の色気はない……よな。
もともとセクシー系の男役さんではなかったが、きりやさんはまりもちゃんと組むことで、さらに色気がなくなった気がする。
体育会系のふたりというか、アスリートのようなコンビだった。ふたりが得意としたデュエットダンスは、夢の世界にうっとりするのではなく、競技ダンスに感心するような感じだった。
向かい合ってめろめろするとか、寄り添い合ってラヴラヴするとかじゃなく、共に前を向きひとつの目標に向かって疾走するイメージ。
それは、心地よい。
いわゆる「タカラヅカ」らしいトップコンビではないのだけど、きりまりの関係性もまた「タカラヅカ」であり、「タカラヅカ」でしかあり得ないものだと思う。
タカラヅカは個人人気だとか演目だとかだけでなく、スターたちの「関係性」に萌えるエンタメだと思う。
ジェンヌはみな芸名という人格を持ち、2.5次元の存在……フェアリーとして生きる。
タカラヅカが100年近く続いて来られたのは、団員を生徒と呼び未熟な時代から成長を見守り、組制度があり、スターシステムがあり、新陳代謝があるためだと思う。
その人個人の資質だけではない。そこにたどり着くまでの過程や周囲のジェンヌたちとのつながりをなくして、人気には結びつかない。
舞台上だけでない、「タカラジェンヌ」という生き方そのもの、存在そのものが、ファンの夢なんだ。
以前の新専科や、落下傘人事がファンから嫌われるのは、そこに関係性がないためだ。あるいは、関係性を一旦ぶち切られるためだ。
タカラヅカには組制度があり、そのとき限りの演目をそのとき限りのメンバーで演じて終わりではない、いくつもの公演を同じメンバーで培っていくこと自体を楽しむものだ。
トップコンビは、その「関係性」が特に大きく目に見える。だから相性の良さが大切だし、ファンの多くもそこに言及する。
きりまりは「タカラヅカ」的なコンビではなかっただろう。
だけど、ふたりの関係性は「タカラヅカ」というもののすばらしさを、しっかりと見せてくれたと思う。
どれほどの絆だろう。
トップスターという重責を、共に背負い、戦い抜くのって。
きりやんには、まりもだったんだなあ。
きりやんの横で黙々と戦い続ける、強い女の子。
まりもがほんとうに強い女の子だったかではなく、強くあろうとし、きりやんに寄っかかることをせず、自分を律し、凛と戦い続けたであろうことが、重要。
そう思わせてくれることが、重要。
そりゃタカラヅカだから、トップスターの腕の中にすっぽり守られて、寄り添っている姿にこそ萌える、そーゆー娘役もアリだけど。
きりやんとまりもちゃんは、そーゆートップコンビではなかった。
戦友みたいなふたり。対等に肩を並べて戦える、そんな男と女。
勝手なイメージでしかないけれど、強い・かっこいい・男前なまりもちゃんを横に置き、デレデレすることなく自分の戦いを続けるきりやんがまた、かっこよかった。
そんなふたりだからこその、サヨナラショー。
ふたりだけのデュエットダンスからはじまる。ぴしっと場に漂う緊張感。
甘あまじゃない、デレデレじゃない。息をのむ感覚。
そこから展開し、ラブソングになる、達成感。
このふたりじゃなきゃダメだ。
他の誰かじゃダメ、君なんだ。
そう思えることの、カタルシス。
サヨナラショーの中に、ドラマが詰まっていた。
霧矢大夢というドラマ、そして、霧矢大夢と蒼乃夕妃、というドラマ。
泣いた。
泣かされたよ。
タカラヅカってすごい。
芸だけじゃない。人……ジェンヌというファンタジーあってのタカラヅカだ。
タカラヅカは退団公演で稼ぐという。退団公演にファンが詰めかけるのは、ジェンヌの関係性が濃く集約されていることもあるからだと思う。退団するジェンヌのファンでなくても、「タカラヅカ」というファンタジーを愛する人ならば、心地よく酔えるものがそこにあるから。
そして、今回のサヨナラショーには、そういう「退団公演」の核、「タカラヅカ」の根源みたいなものがこれでもかとぶち込まれていた。
きりやんの魅力を存分に見せてくれた。
まりもちゃんの魅力をも、存分に見せてくれた。
もりえくん他の退団者の魅力も。
彼らを送る、月組組子たちの魅力も。
彼ら個人の魅力、そして、彼らの関係性で、感動させてくれた。
ああこれこそが「タカラヅカ」だと。
さらに、霧矢大夢の月組から、龍真咲の月組へと託される、というドラマまであった。
トップコンビの関係性、退団者の関係性、それらを送り出す組子たちという関係性だけでも十分魅力的なのに、トップの引き継ぎという、タカラヅカの持つクライマックスをも使ってくれたよ。
いいサヨナラショーだった。
きりやんとまりもを、さらにさらに、好きになった。
月組を、タカラヅカを、さらにさらに、好きになった。
なにもかもが、愛おしい。