えー、そろそろ腐女子な話、いっといていいですか?(誰に聞く?)

 『JAZZYな妖精たち』において。

 ウォルター@きりやん総受でよろしく。

 まあ基本はミック@さららん×ウォルター? それから、ここもひとつやっときましょう、ティモシー@ゆーひ×ウォルター。それから、まあなんだ、たしなみとしてオサリバン@のぞみ×ウォルターもいっときましょー。

 でもわたしの一押しカップリングは、パトリック@あさこ×ウォルターだなっ。

 白スーツを嫌味なく着こなしちゃうパトリックと、黒尽くめのウォルター。
 パトリックの王子様ぶりと、ウォルターの屈折ぶりが実にいい。
 苦労のせいか、ウォルターの方が若いのに、見た目がおっさんくさいのもツボですよ。
 パトリックのすがすがしい若さはいいよねえ。彼のナニがいいって、偽善者めいているところですよ。この男、自分が正しいと思ったら、どんな冷酷なことだってしますよ(笑)。

 パトさんならそーだね、ウォルターを改心させるにはまず彼に言うことをきかせなきゃ、自分が絶対優位に立たなきゃ、つーことで、拉致監禁して、無理矢理やっちゃうのもアリでしょう。
 罪悪感なんてないですよ。いつだってパトくんは正しいんですから。
 やることやって、「仕方ないんだ。こうでもしなきゃ、お前は俺の話を聞こうともしないだろ?」とか言うんですよ。
 仕方ないですますのかてめえ?! と、観客は突っ込むけれど、当のウォルターは突っ込みません。だって彼、子どものころからパトリックの心酔者だもん。パトくんがまちがっていることには気づかず、「こんなことをしても無駄だ。オレは今さら変われない」とか、パトくんの言い分を真っ向から受け止めて返答するの。
 割れ鍋に綴じ蓋、まあ、お似合いってこと?

 
 その点、ミック×ウォルターには愛がある。
 東宝前楽のさららんは、なんかやたらと微笑するミックになってました。慈愛の微笑みを浮かべるミック。どどどどーしたんだミック。
 ウォルターへの愛はデフォルトで、さらに一段高いところへ突き抜けちゃった感じ。
 ミックの愛を受け止めれば、ウォルターはきっとしあわせになれるでしょう。
 ……でも、ウォルターがほんとーに愛しているのは、偽善者のパトリックだったりするから始末に負えないんだな。

 
 ティモシー×ウォルターは、ひたすらウォルターが可哀想かも。
 だってティモシー、絶対遊びだよね。深く考えず、おもしろがって手を出して、ウォルターが傷つこうが悩もうがお構いなし。
 そして、いざとなったら、ウォルターを売ることも、するだろう。
 最低男だと知りながら、それでもティモシーの天真な魅力に振り回される根暗ウォルター。
 これはこれで、好みだわ(笑)。

 
 オサリバン×ウォルターは説明いらないよね。
 悪ののぞみちゃんは、実にいい仕事をしますなあ。イマジネーションが広がるよね、彼を見ていると。
 いろんなパターンで、いろんなバージョンで、ウォルターを追いつめ、また絡んでくれそうです。ふふふ。

 
 あと個人的に、パトリック×リチャード@龍真咲 があれば愉快だなと思います。

 お気楽なパトリックの選挙事務所のなかで、唯一深刻芝居をおっぱじめるリチャードくん。
 自分の利益を守るために、パトリックを裏切る青年。そしてそれを、パトリックに許可される青年。
 あのリチャードくんの苦悩っぷりと、対するパトリックの慈愛っぷりが裏を感じさせていいですな。
 ナニかあったんぢゃないの、お前ら。……と、思えるあたりが美味です。

 
 と、改めて考えてみて、わたし、パトリックのことかなり好きなんだなとゆーことに気づき、おどろいてます。
 だってわたし、ナチュラルにパトリック総攻だと思ってるし。そしてわたし、攻キャラスキーだし。
 あさちゃんのあの白い美しさが、けっこーツボっているよーです。

 まあそして、ぜんぜん関係ないけど、妄想として、某有名楽団だかなんだかに所属して世界を回っているタンゴダンサー、カルロス@オサがニューヨークに興行にやってきて、若き政治家パトリックと出会っちゃったりする物語もアリだと思ってますよ(笑)。


 東宝のチケットも持たずに飛び乗った夜行バス。前楽だけでも観られればいいや。観られるよね?

 ジャジー、不人気だし。

 人気公演なら、こんなあやふやなことしない。なにがなんでもチケットを押さえてから上京する。でもま、ジャジーだし。大丈夫、なんとかなるよ。

 なった。
 劇場前に到着してすぐに、サバキGET。
 サバキGETに協力してくれたリエさん、ありがとー。

 寒い中早朝から当日券に並んでいるkineさんを残し、わたしはリエさんとあったかいところに移動しちゃった(ごめんよぅ)。

  
 まあそんなこんなで、無事に東宝『JAZZYな妖精たち』を観劇してきました。

 変更があることは聞いていた。
 でもそれがどーゆーことになっているのかは、自分で観てみなきゃわかんない。
 『JAZZYな妖精たち』のいちばんの失敗は妖精を出したことだから、妖精が消えてなくなってない以上、どうあがいたって失敗作だろーし(笑顔)。
 その失敗作が改稿されてどうなっているのか、たのしみだわー。

 冒頭に子どもたちのシーンが付け加えられ、パトリック@あさこがその冒頭の子どもたち=幼なじみの移民たちの話を怒濤の説明台詞で初登場時に解説し、ラストシーンが途中でぶった切られていた。
 他にも、細々した説明台詞が増えていた。

 ははははは、おもしれー。

 改稿の方向性としては、まちがってない。
 幼なじみの少年たちが移民先のアメリカで成長し、心ならずもすれちがってしまう。だけど妖精たちの存在をキーワードに、彼らの心がまたひとつになる。
 とゆーストーリーラインを明確にするために、彼ら5人の関係を説明する方向に改稿するのは正しい。
 でもラストのぶった切りはひどいもんだし、根本的な解決には至っていない。

 今回の改稿で、思い出したのは同じく谷正純作の『バッカスと呼ばれた男』だ。

 これもひどい失敗作でねえ(笑)。
 地位も名誉も王妃の愛も捨て、流浪のシャンソニエとなった男が老三銃士と手を組み大活躍し、フランスとドイツの戦争を終わらせてしまう、という景気のいい話だったんだが。
 なんとも構成の悪い、それゆえに散漫でぶっ壊れているばたばたとした話だったのだわ。

 それが、東宝では改稿され、シャンソニエと王妃の関係と、何故彼が王妃と宮廷を捨てたのかが説明されるよーになったんだわ。

 なんだよ、よくなってるじゃん。それでもまだ、壊れてるけどさー。

 散漫で壊れているいちばんの理由は、老三銃士がいらないってことだったのね。
 王妃との関係、そしてバッカスの聖戦。物語の本筋はこれだけなのに、そこに無意味な老三銃士が加わり、なんの役にも立たないのに多大な出番を費やしごちゃごちゃやっていたの。
 不必要なキャラクタが出張っているから、物語が壊れた。

 なにかに似てない?
 『JAZZYな妖精たち』観たとき、あたしゃこの『バッカスと呼ばれた男』を彷彿としたよ。

 『バッカス…』の売りのひとつが、老三銃士たちだったのね。彼らが笑いを取り、日替わりのアドリブで作品の見せ場を作っていた。
 『JAZZYな妖精たち』の売りのひとつが、妖精たちよね。彼らが笑いを取り、テーマソングを歌う。

 でもソレ、いらないから。

 『バッカス…』はさらにこのあと、地方公演版で改稿されたの。
 そこでは、老三銃士が、いなくなっていた。
 爆笑したよ、追いかけていった広島の劇場で。
 あれほど作品の売りだったのに、さくっといなくなってる。そして、不要なキャラクタに物語を壊されていないので、物語が正しく機能している。

 なんだよ谷、やればできんじゃん。
 てゆーか、最初からやれよ。
 なにが必要で、なにがいらないか、物語を作るときに整理しろよー。

 と、思いましたもん。

 谷せんせは改稿するタイプの作家だから。
 昔から、ムラ→東宝で改稿はお約束だった。
 そして、2回の改稿ではまだ、完成には行きつかない。3回目でよーやく、「作品」になる。

 中日公演が『JAZZYな妖精たち』だったら、妖精はいなくなっていたな、こりゃ。

 移民の少年たちだけの話になってたよ、きっと。
 役の水増しのために、不要な役を作って作品を壊す。本拠地以外の劇場では、役の水増しをしなくてすむからな。まっとーにストーリーラインを追う役だけで、作品を書ける。

 谷せんせらしい改稿ぶりに、なんか笑えて仕方なかった。

 
 改稿が中途半端なのは、ひとえに時間がないせいだろう。
 ラストシーンは、ムラ版は壊れていたが、東宝版ではただの「ぶった切り」になっていた。

 唐突にシャノン@かなみが死んで、死んでるっつーのに「みんな踊ってくれ」でキャラ総出演で「ジャジーじゃじー♪」と超のーてんきなバカ踊りをして終わる、というわけのわからなさが、シャノンが死ぬ前に話を全部ぶった切って終わり、になっていた。
 古い野菜の処分方法みたい。
 買ってきたキャベツ、端っこだけ傷んでるの。だから、その傷んでる部分だけ切り取って、捨ててしまいましょう。そうしたらほら、きれいな丸いカタチではなくなったけど、不自然に端が欠けているけれど、とりあえず食べられるキャベツになったわ。
 そーゆー手法ですな、コレ。

 とどのつまりが、失敗作(笑)。

 やっぱ改稿するには時間がなかったね。あと1回、本拠地以外の劇場での上演が必要だね。秋の全ツを『JAZZYな妖精たち』にすればいいよ(笑顔)。そしたらきっと、この作品の完成系が観られるでしょう。

 今のままだと、主役が誰かわからない。
 なにしろ、パトリックを主役とするための最大の見せ場は、不治の病のシャノンとのシーン。
 シャノンが彼の腕の中で死ぬから、彼が主役たり得るのよ。

 なのに、その前で話がぶった切られてしまうから。
 シャノンとのシーンがなくなると、その前にある話の山場は、ウォルター@きりやんの改心だ。
 ウォルターはパトリックゆえに改心するのではなく、移民メンバー勢揃いで説得することによってだ。つまりコレは、パトリック主役の山場ではない。

 ここで話が終わると、主役がウォルターになってしまいますがな。

 いいのか、ソレで?
 や、わたしはいいけどさ(笑)。

 でもやっぱ、まずいだろ。
 またきりやんがうまいから。ウォルターの心の動きが、揺れや機微が、いちいち精細に伝わってくるから。
 物語が動くのがウォルターで、パトリックはそれを見ているだけだから、どうしてもここで主役の逆転が起きてしまう。

 改稿の方向はまちがっていない。
 でも、やっぱ今のままでは失敗作。

 さあ、ここはやっぱ、次の全ツだな。
 谷せんせ、『JAZZYな妖精たち』完成版を見せてくださいよ。

 所詮植田芝居の『ベルばら』を改稿するより、価値があると思うぞ(笑)。


 10月に入ったころから、なにかにつけて言っていた。

「あれから1年、経つんだねえ……」

 あれから。
 去年のケロ祭りから。

 10月のうちは、「『ドルチェ・ヴィータ!』ムラ公演から、1年だねえ」。
 11月になれば、「ケロちゃんのディナーショーから、1年だねえ」。
 12月になれば、「『ドルチェ・ヴィータ!』東宝公演から、1年だねえ」。

 ケロ祭りを基準に、ものを考える。時を測る。
 あれは特別の空間だった。時間だった。

  
 あれから1年。
 ヘタレなわたしは、しばらく冬の東宝には近寄りたくなかったの。
 クリスマスなんて、とんでもない。銀のサンタをやっていたかの人を思い出すぢゃないか(笑)。そーいや、ケロサンタが登場した日もわたし、貧血起こしてシャンテの喫茶店で坐り込んでたっけ。なんとか血糖値上げて、よたよた劇場前に来たら、銀のサンタが現れたんだった。
 冬の夜の東宝前は鬼門。1年前を思い出すから。
 感情が高ぶりすぎて貧血起こし、そのたび倒れていたヘタレ過ぎな自分ごと、思い出すのがこわい。
 や、その、それでまた感情メーターがMAX越えて、倒れたらシャレならん。いい大人が自己を律せないなんてただの恥です。

 だから、冬の東宝には近づかない。
 千秋楽なんか、絶対ダメ。
 袴姿と白い衣装の人たちなんて、見ちゃダメだよ。

 
 そう思って、びびっていたのだけど。

 月組東宝千秋楽。
 さららんとうーさんの退団日。

 わたしは、日比谷にいた。
 東宝前の道で、白い服の人たちと一緒に、彼らを見送った。

 
 二重写しになる記憶。
 1年前と、今。

 思い出してしまう、いや、思い出に翻弄されてしまうことがこわかったのだけど。

 そんなことはなく、穏やかに退団者を見送ることが出来た。

 楽を見なかったことが大きいと思う。
 千秋楽のチケットなんか当然手に入るはずもないから、わたしとkineさんとジュンタさん、それからサトリちゃんの4人は終演時刻より前からシャンテ前で場所取りしていた。
 千秋楽の舞台と客席の熱狂と、大階段を降りて挨拶をする、退団者の姿をこの目にしていないままだから、たぶん楽を観られた場合よりずっと冷静でいられたはず。

 わたしが知っているのは、舞台のアツいままのさららんで。
 袴姿ではなく、ヅカならではの派手派手衣装のさららんで。

 その印象のまま出待ちをして。

 実際に、袴姿で現れたさららんを見ても、イメージがうまく結べなかった。

 だって、聞いてないもん。
 さららんの退団挨拶なんか。
 締めを見ていないまま、こうやって最後のパレードを見ても、現実味がないというか。

「あれは、さららんじゃない」

 そう言ってしまうくらいに、イメージが結べない。

 わたしの知ってるさららんは、熱くてひたすら暑苦しくて、暴走していて自爆していて、きれいなカオを歪めて慟哭芝居をする人で。
 高温ゆえのわけのわかんねー演説をする人で。

 なのに、そこにいるさららんは、きれいで。
 温度なんて関係なく、ただ透きとおるようにきれいで。

 暴走山岳機関車さららんぢゃない。
 いやその、さららんは同じ暴走車でも、車でなく列車、特急とかではなく機関車、平地ではなく山岳っつーイメージで。

 それなのに、目の前のさららんは、突き抜けた退団者オーラに包まれていて。
 わたしの知っているさららんじゃない。結びつかない。
 でもこれはたしかにさららんで。

 ああ、辞めるんだなあ。
 と、思った。

 あれから1年。
 またこうして、好きな人が去っていくんだなあ。と。

 
 千秋楽を観ず、お見送りだけでよかったのかもしれない。
 こうして、ひとつずつ段階を踏んで、1年前の祭りを正しく消化していこう。

 タカラヅカは別れを前提としたファンタジー。
 すべての人と、いつか別れることを知った上で、愛するところ。
 別れのつらさを知ってなお、愛することをやめないでいるところ。
 

 あれから1年。
 遠くてなつかしい、そして愛しい記憶。

 汐美真帆というファンタジーを愛し、彼が創るものを一瞬たりとも見逃したくなくて、暴走しまくっていた。
 大好きだよケロちゃん。
 記憶は大切に両手で包んで、胸の奥にしまってある。

 あれから1年、と言い続けて。
 思い出すだけで泣けてくる、このせつなくてあたたかい気持ちがわたしのなかに加わったことは、大きな財産だ。

 人生の節目節目に、きっと何度でも思い出すんだろう。

 夜の日比谷、道を埋めた白い服の人々。
 楽を見終わったあと、危惧していた通り倒れてしまったわたしは閉場したあとも劇場で休ませてもらっていた。(時効だから、言ってもいいだろー・笑)
 劇場の4階ロビーから眺めた、下の道には人があふれていた。
 白い服が、花のようで。

 人生2度目の車椅子で救護室に運ばれ、あわや救急車を呼ばれるところで、人生2度目の救急車は嫌だ、と気力で踏みとどまり、仲間の助けを借りてよたよたと劇場をあとにした。

 人混みのいちばん後ろから、kineさんの肩を支えにケロちゃんを待った。

 あの夜と、白い服と、報道のライトと、瞬き続けるフラッシュの光と影と。

 ケロちゃんの袴姿の美しさと、見送る人たちのあたたかさと。
 そして、それをこの目で見送れること、そのために受けたたくさんのひとたちの厚意とやさしさと。

 それらのことがすべて、わたしの宝物になっている。

 きっと何度も思い出す。
 記憶はただ、あたたかくて。
 別れのかなしさは薄れ、ただ、愛しさだけが残る。
 ありがとう。
 ケロちゃんに、ありがとう。
 そして、仲間たちにありがとう。
 みんな、やさしかった。たくさんのひとたちの無償の厚意で、わたしはたくさん救われた。

 へこたれて泣いているわたしを、たくさんの手が助け起こしてくれた。
 わたしが泣いていたから、思いやってくれたの。やさしくしてくれたの。
 わたしが泣いてなかったら、きっとみんな、ただの通りすがりの人だった。
 泣いてよかった。かなしんでよかった。くるしんでよかった。
 そのおかげで、たくさんのやさしさを知れた。

 それは、わたしの宝物。
 かなしさやくるしさは薄れ、愛しさだけが残っている。

 それを再確認するために。
 咀嚼し、血肉にするために。

 わたしはまた、冬の東宝にやってきたの。
 去っていく人を、見送りに来たの。

 大好きだよ。

 
 クリスマスは、HOTEL DOLLYで。

 えーとそもそも、なんでそうなったんだっけ?
 最初は、kineさんが「さららんのお見送りに行く」って言い出したんだっけ? そしたらドリーさんが「我が家でクリスマスパーティしましょ」って言い出したんだっけ? でもって、韓国公演経験者のサトリちゃんの実演付き韓国ベルばら話を見る会(聞く、ぢゃないあたり・笑)になって?
 でもって、花組ムラ公演で会ったときのドリーさんの第一声が、挨拶でもなく、なんの説明もなく、「来るよね?」の一言だったりしたっけ?

 なんか、気がついたらわたしも、

「行くっ。わたしも行くから、仲間に入れて〜〜!!」

 と、じたばたしていた。

 クリスマスに東宝に行く予定なんかなかったのに。
 もうしばらく、冬の白い人たちの群れには、近づきたくなかったのに。

 ほら、あれから1年じゃん?
 ヘタレなわたしは、「さららんは見送りたいけど、精神的に無理そうだったら、kineさんたちより一足先にドリーさんち行っていい?」なんて泣き言を、こっそりドリーさんにこぼしていたよ(笑)。
 ケロちゃんのときと同じシチュエーションを経験する、覚悟ができてなくてなー。

 でもやっぱり、思い出の日は、みんなで騒いでいた方がいいんだよな。
 ひとりで引きこもってじめじめするより、いいよな。

 つーことで、開き直っての東京、HOTEL DOLLYでのクリスマスパーティに参加しました。

 サトリちゃんの韓国公演話に即してか、ドリーさんの手料理は韓国料理ですよ! わーいわーいわーい。大変うまかったっす。
 乾杯は、さららんに。
 そして、さららんの『ベルばら』新公映像なんぞを見て、その退団を惜しむ。

 と、そんな感じの夜だったはずなのに。

 何故、まっつ尽くしの夜に?!

 
 クリスマスは、スカステでの『ファントム』のファーストラン日だった。
 わたしたちは、ドリーさんちで宴会しながら『ファントム』を見ることになった。

 実というと、わたしは花組『ファントム』再演に相当ヘコんでいた。
 だってアレ、駄作だし。悪趣味だし。壊れてるし。
 第一、役がないし。

 てゆーか、まっつの役がないよう!! と、あちこちでヘコんでくだを巻いていたんだわ。
 従者その5とか劇団員その8とかをやらされるだけのまっつなんて、さみしいよう。

 そしたら、みんながなぐさめてくれたの。
 まっつに合う役を考えてくれたの。

 その最高峰が。

 若き日のキャリエール。

 宙組ではっちゃんがやっていた、あの善人面したさいてー男。諸悪の根元。ほにゃっとしたおぼっちゃんで、ヘタレで、苦悩するダメ男。
 「どうして君は僕を愛してくれるの?」という間抜け台詞が素敵なお茶目さん。

 わわわ。見たい。見たいぞソレ。
 じたばたするくらい、見たいっ。

 まっつがオサ様の父親だなんて、すばらしいじゃないの。そうかエリック、父の若いころにそっくりなんだなってことで、説得力があるぞ。

 でも、はっちゃんが若キャリと二役だったオーベロンは、見たくない……まっつがやると羞恥プレイ。……いや、それならなおさら見たいかも……(どっちやねん)。

 でもでも、きっと若キャリなんてちゃんとした役は回ってこないわ。まっつはもっと、ささやかな役なのよ。そうにちがいないわ。
 と、わたしはまた悲観してぶーたれる。

 するとみんなは、さらに他の役を考えてくれたの。

 小エリック!!

 これなら歌もあるし、まっつの儚げな風情にぴったり! 小柄だから子役でもぜんぜんOK!

 ……みんな、ほんとのとこおもしろがってるだけぢゃないの? と、ちらりと思いつつ。
 小エリック@まっつを想像してみる。
 「ランランラン」と歌うまっつ。水面をのぞき込んで、わっと尻餅をつくまっつ。短パンがいいですね。ハイソックスなんかも萌えですね。
 でもってキャリエール@ゆみこ(みんななんの疑問もなくゆみこ配役していた)に仮面をつけられるまっつ。
 「マリア様!」と絶唱するまっつ。
 ボーイソプラノのまっつ。

 子役がまっつで、青年役がオサ様なら説得力!

 ……でもやっぱ、目眩しかしないぞソレ。

 そしたらみんなは、さらに別の役を考えてくれたの。

 ベラドーヴァ!!

 「どうして君は僕を愛してくれるの?」と聞かれて、突然歌い出す謎の女! 騙されて捨てられて、狂ってしまう薄幸のひと。その幸薄さがまっつにぴったり!!

 天使の歌声のまっつ!! エリックの寝室には、まっつの肖像画!! 大丈夫、彩音ちゃんに似ていなくもない!
 そうかエリック、母親似だったんだな! 母親@まっつによく似た息子@オサ。

 
 ……みんな、大爆笑してますよ。

 その調子のまま、スカステの『ファントム』を見ちゃったわけですよ。

 2幕になって、キャリエールの回想シーンになるなり。

 大爆笑。

 若キャリ@はっちゃんが出るたび、小エリック@たっちん、ベラドーヴァ@いづみちゃんが出るたび。
 みんなまっつ。
 どいつもこいつもまっつ。
 父も母も子どももまっつ! まっつまっつまっつ!!

 
 いやその。
 エリックが仮面を取るシーンとか、みんな真剣に声ひとつなく見入ってたり、したんですがね。
 部分的に、まっつネタで大いに盛り上がってしまいました。

 
 そんでもって。
 そのあとは、ドリーさんの映像資産から、花組のビデオをいろいろと見せてもらって。
 わたしがまっつファンになったの最近だから、昔のまっつをぜんぜん知らないから、昔の映像からまっつを探すことになったの。

 ちょっと前の、花組がNHKに出ていたときのとか。『エンタの神様』とか。
 もちろんまっつは群舞の端、隅の隅にいる人だから、ろくに映ることはない。
 その小さな姿、しかも常に動いている状態のなかから、まっつを探し出す。

 サトリちゃんが、いちばんうまかった。

「あっ、これまっつだ」
「今の、まっつじゃないですか」
 と、次々にまっつを見つけていく。

 すばらしいよ、サトリちゃん!! 「ウォーリーをさがせ」状態なのに、よくもそんなに見つけられるね! わたしより早いってばよ!

 まっつはまっつ。
 何年前だろうと、立ち位置がどこだろうと、ぜんぜん変わってない。
 相変わらず、こまったよーなカオをして踊っている。

 あとは、『琥珀色の雨にぬれて』の新公ビデオを見せてもらって。

 そーだよ『琥珀』新公。わたしがまっつを最初に認識したのが、コレだったんだもん。「未涼亜希って誰?」って首を傾げたのが、コレだったんだもん。

 わーい、まっつだー。
 ジゴロでダンサーで超色男役のまっつだー(笑)。

 なんかいたたまれなくて、テレビの前でころんころん転がってしまった。や、その、そのころにはすでに、部屋には布団が敷き詰めてあったからさ。布団の上で、ころころ転がってしまった。
 みんなお風呂入ったりチケットの分配してたり(笑)で、誰もテレビの前にはいなかったしなっ。見てたの、わたしだけだしなっ。

 
 あれから1年。
 わたしはやっぱり、タカラヅカが好き。
 そして、友だちと一緒にいる。
 そのことが、とてもしあわせ。


 クリスマスイヴ。
 某ロビーのカウンターで、わたしは用紙に記入するのに必死になっていた。

 そこへ現れた誠さん。「なにしてんですか」と。
 わたしはあわただしく言う。「その、鍵を落としちゃって」……届けを書くのに必死さ。

「また落としたんですか?!」

 わああぁん、また、とか言われちゃったよ!!

 ええ、さっきまで一緒だったサトリちゃんにも言われました。「緑野さん、よく落とし物しません? たしか前は、財布落としてなかったですか」と。
 落としましたとも。ちょうど1年くらい前ですかね。東京でしたね。

「んじゃ、出待ち行って来ますんで」
 と、誠さんは消えていった。はいはい、みんなダーリンに会っておいで。イヴだもんなっ。

 ダーリンもいないし、出待ちする甲斐性もないわたしは、かなしくひとりで帰ります。鍵、見つかんないし。
 劇場内のカウンターで、「鍵の落とし物ありました。ロビーの方の案内所で預かっています」と言われたので、喜び勇んで行ったのに。
 わたしのじゃなかったよ。しょぼん。

 クリスマスイヴに鍵を落とすうっかりさんは、わたしだけではないことだけが救い?
 某劇場の11時公演で鍵を落とした人、ロビーのカウンターに届いてますよ。
 でもって、わたしのカエルのキーチェーン付き鍵束、誰か知りません? 某劇場に落ちてなかったですか?

 わたしはこれから、夜行バスです。
 めざすは東京。さららんのお見送り。……チケット持ってないけど。前楽だけでも観られますよーに!

 あ。
 素顔化粧で大階段で整列して歌うまっつは、大変まっつでした。薄いなあ。幸薄そうだなあ。不健康そうだなあ。
 てゆーか、両側を舞台化粧の人で挟むのはやめよーよ。まっつがさらに薄いよ(笑)。
 予習・本番って感じで11時15時と続けて観ました、某劇場の「えっ、まっつの出番ってこれだけ??」公演に関しては、またいずれ。

 それにしても、まっつには、「可憐」とか「儚げ」とかゆー形容が似合うなあ。好きだなあ、そーゆー辛気くさいとこ。(はぁと)


 たかちゃんがいちばんきれいに見えたのって、いつだっけ。
 なにしろたかちゃん、お化粧いつも微妙だったからなあ(現在も含む)。

 たかちゃんのお化粧が変わったなと思ったのは、96年の『アリスの招待状』ぐらいからだ。
 そして、この美しさはなにごとっ?! と思ったのが、同年の『晴れた日に永遠が見える』。
 あー、つまり、お化粧名人・高嶺ふぶきと共演しているときだな(笑)。

 『晴れた日…』は最初、観劇予定はなかったんだ。バウだし、チケット持ってないし。
 でも、うっかりキャトレで和央ようかのスチールを見てしまった。
「ええっ? すげーきれい! 生で見てみたい!!」
 わたしと友人のクリスティーナさんは、色めき立った。なまじ、『アリスの招待状』でマイケル@たかこにハマったあとだ。

 サバキ待ちしたなー(笑)。
「エドワード@たかこを生で見る!」が目的。
 なんとか並びで2枚GETしたのが、下手の2列目いちばん端。
 そして、エドワードの出番のほとんどは、上手端。

「遠い。和央ようかが遠いっ」

 目的はたかこだったのに! 目的の人が対角線上にしか立たないってどーゆーことっ?!(笑)

 めちゃくちゃ遠かったけれど、それでも目的だった「美しいたかこ」を見られて満足した。
 『晴れた日…』はベースが現代物で、部分的に時代物になる。スーツ芝居がほとんどであるなか、たかちゃんてばレースひらひら時代物シーンの登場人物。
 そのギャップが素敵だった。
 地味なスーツ芝居に突然降臨するエドワード@たかこ。ふわふわのロングヘア、ひらひらフリフリお衣装。ありえないほど大仰な台詞ともったいつけた演技。エドワードの口癖、「ボクの小鳥ちゃん」はしばらくわたしたちの間で流行ったわ(笑)。
 フィナーレで、スーツ姿の人々の中、ひとりで時代衣装着てロン毛で「王子様の微笑」を浮かべながら手を振っていた姿もツボ。

 とにかく、このあたりのたかちゃんは美しかった。

 わたしは当時、「ヅカ友を増やそう!」キャンペーン中だった。クリスティーナさんは職場友だちで、毎日職場でえんえんヅカ話に興じていたんだが、彼女が転勤の末退職してしまったんだな。
 ヅカ話ができる友だちが欲しい! FCにも入ってない一般ファンがヅカ友を増やす方法といえばただひとつ、友人をヅカにハメるしかない!

 とゆーことで、ヅカ未見の一般人をやたらとムラへ連れて行っていた。
 職場の知人程度の人も引っ張っていった。……迷惑なヤツだったと、今は思う。しかし当時はマジだった。

 『仮面のロマネスク』『嵐が丘』『真夜中のゴースト』……97年の雪組作品には、いろんな人を連れて行ったわ。
 わたしはいちおートドファンだったし、トドロキは素顔が美しいので一般人に「美人でしょ?」と写真を見せやすかった。「こんな美人が男役をやっているのよ。タカラヅカって一度見てみない?」と、誘いやすかったのだわ。

 そーやって連れて行った一般人が。

 みーんなそろってたかこに堕ちていくのはなにごとっ?!

 トドのカオは、みんな一発で覚えるらしい。声にも特徴あるし。最初に「アレがトドロキよ」と教えればなんとかなる。
 ひとりだけでも顔の見分けがつき、かつ覚えていられれば、ヅカ初観劇としては上出来だよね。
「トドロキさんはわかる。……ところで、あの人は誰?」
 みんな、そろってそう言う。
 ああ、あの背の高い人? あれは和央ようか。
「ねえ、さっき髪をかきあげながら踊っていた人は誰?」
 だから、ソレが和央ようか。
「さっきトドロキさんの左側にいた人は誰?」
 だから、ソレが和央ようかだってば。

 なんでみんな、たかこのことしか聞かないの?!

 わたしの友人たちだけじゃない。
 大劇場をあとにするときの、人々のざわめきに耳を澄ませば聞こえてくる。
「あの髪の長い人、かっこいい」
「あの人だけ見分けついた」
「和央ようかっていうのね」
「たかこって、あんなにかっこよかったっけ?」
 当時の雪組で、長い髪をかきあげながら踊っていたのは、たかこだけ。
 「髪をかきあげていた人」という表現がやたら耳についたよ。ジェンヌの名前も知らないよーな人たちが、観劇後にまず口にするのがたかこのことだったんだよ。

 風が来ている。
 たかこに向かって、吹いている。
 それを肌で感じたころだった。

 『嵐が丘』の発売日、三番街プレイガイドに並んだとき、震撼したなあ。
 ポスターが、ひとり写りだ! って。『嵐が丘』ってタイトルなら、ヒロインが写っていそうなもんじゃないか。なのに、ひとりだったからさ。すげえやすげえや、と、ひとりで興奮したおぼえあり(笑)。
 当時のバウのちらしは貴重品でなあ。並んだ人がひとり1枚ずつしかもらえなかったんだよ。もちろん、完売しないよーな作品は、発売当日なら手に入ったけど、ふつーは発売座席数しか印刷してなかったんじゃないかってなレア度だった。一般人にはな。
 たかちゃんファンのわたしは、並び協力してくれた友だち(もちろん非ヅカファン。……ヅカ友ほとんどいなかったからさー)から、その貴重なちらしを回収し、大事に持って帰ったよ(笑)。

 『嵐が丘』は何回観たんだったっけな。千秋楽まで行ったよなあ。
 「役に入り込むんで」と、たかちゃんはカーテンコールのときまで笑顔ナシだった。
 目を見開いたまま壮絶な最期を遂げ、フィナーレなしでそのまま挨拶。たかちゃんはずっとこわい顔のままだった。『晴れた日…』のときとは、好対照。
 その不器用さも、好きだった。

 『嵐が丘』は脚本に物言いたいこともいろいろあるが、キャストは好評だったよね。ヅカ初見の人たちにも誉めてもらえて、気分よかった。
 とくにたかちゃん。初心者へのウケの良さといったら、もう。

 高嶺くんがいたころ、たかちゃんのお化粧は最高峰に美しかったからなあ(笑)。
 それが宙組に行って数作も保たずに、もとの微妙な化粧になり、途中でちょっと持ち直し、よくなったり悪くなったりを繰り返して現在に至る。

 あと、わたしはたかちゃんのパーソナルカレンダー、第一弾のときからずーっと、一度も欠かすことなく買っているけど、たかちゃんって、カレンダー撮影のとき必ず、最高峰に顔が丸いんだよね(笑)。
 まあ、最近はトシの加減でそれほどでもなくなってきたけどさー。最初のうちは、もお(笑)。よりによっていちばん丸々したときの写真を、1年見なければならない、つーのはねー。あと写真も、毎年理解に苦しむセンスだったし。
 そーゆーどんくさい持ち味も、好きだったなー。

 最近でいちばん美しかったのは、文句なしで『BOXMAN』のとき。
 ありゃーひさしぶりに、「ビジュアル系」としてのたかこを堪能した。

 『ファントム』や『炎にくちづけを』は正直微妙だと思っている。お化粧はね。
 でもたかちゃん、カオはともかく、姿の美しさは群を抜いてるから!
 仮面でカオが半分見えなくても、ズタ袋みたいな衣装を着ていても、それでも、和央ようかは美しいから。

 いつだって、その美しさを信じている。
 その美しさを、必要としている。

 わたしも。
 そして、タカラヅカも。
 たかちゃんに会いたいよ。


 12月21日、和央ようかライブショー『W-WING-』公演で事故が起こった。
 主演の和央ようかがフライング中に落下、骨盤骨折で全治1カ月と診断され、公演は全中止となった。

 わたしが観た翌日の公演だ。

 原因や劇団の対応についてどうこう言うつもりはない。わたしは関係者でも目撃者でもなく、まったくの門外漢だから言葉はない。

 ただ、かなしい。やるせない。

 たかちゃんの身体が心配だし、受けた痛みや、心労を思うだけで泣けてくる。
 今後のことだって、心配だ。

 ずっとずっと、見てきた子だから。
 まだほんの下級生時代から、好き嫌い以前に見ていた、知っていた人だから。
 ジェンヌ人生の最後の花道で、こんなことになってしまったことが、ショックで。

 あんまりだ。
 ひどいよ。

 かなしくて、やるせなくて。

 誰が、なにが悪いとかいうんじゃなくて。
 ただかなしい。

 
 『W-WING-』という公演は、決していい作品じゃない。
 わたしはあちこちドン引きしたし、フライングという文化自体にも引き気味だった。
 出演者のクオリティではなく、作品のクオリティとしては、かなりアレだと思う。
 でもさ、そーゆーことだけで量れないものだから。

 主演のたかちゃんが、たのしそうだった。
 カラダ大丈夫か? と思えるほど、体当たりでがんばっていた。
 裏事情なんか知りようもないから、どこからが仕事でどこまでが本人の意志や希望だったのかなんてわからないけど、少なくともたかちゃんは「自分がやりたかったことだ」と公言し、このライブに取り組んでいた。
 悪趣味で目眩がする演出やネタも、たかちゃんがやりたかったことなら仕方ないと思う。その笑顔を見るためだけに、この公演があってもいいと思う。
 たかちゃんが、この公演を大切にしていることは、伝わってきた。ダイレクトに。

 花ちゃんが、たのしそうだった。
 自分も退団するくせに、それを忘れたかのように、「ただの脇役」となって踊っていた。まぶしい笑顔で。
 全霊をあげて、たかちゃんを「送り出して」いた。

 出演している下級生たちが、たのしそうだった。
 それぞれが自分の役割を果たしつつ、真ん中のたかちゃんを盛り上げていた。
 惜しみなく舞台を創り上げていた。

 舞台が熱を持っていた。
 出演者たちが、意志を持ってこの空間を存在させていることがわかる。
 消えてしまうもの、あとには残らない、今この瞬間共有することでのみ存在するものを、全力で創り上げていた。

 そして。

 観客たちも。

 同じ衣装を着て同じペンライトを持って、立ち上がって踊っていたFCの人たちが、たのしそうだった。
 わたしの席からは彼女たちがよく見えたので、「立ったり坐ったり踊ったり、音頭取ったり統制かけたり大変だなー」と思いつつ、自分は坐ったまままったり眺めていたのだけど。
 脇目もふらず前だけを見て、この場の共有に参加している姿。

 わたしの後ろの席の人は、最初から最後までうるさかった。
 鳴り物を持ち込んで大騒ぎしていた。舞台に向かって掛け声もかけるし、他の観客の扇動にも余念がなかった。
「たかちゃんが、みんなに立って欲しいって言ってるの」
 と解説し、自分がずっと立ち上がって騒いでいることへの言い訳と、周囲の者にも自分と同じように立って踊ることを暗に強要していた。
 この人の後ろの席でなくてよかった、と、心から思った(笑)。ずっと立たれてたら、なにも見えないもんなあ。
 遠方から来ているらしく、新幹線の時間を気にしていた。
「こんな姿、子どもには見せられないわ」
 と言っているだけあって、けっこう年配の女性だった。

 うるさかったけれど、不快ではなかった。
 わたしは彼女と同じたのしみ方はできないけれど、彼女がたのしそうにしていることは微笑ましかった。
 や、彼女の後ろの席だったらそうは思えなかったかもしれないけど、アタマの後ろでメガホン使われてるぐらいならまだ、許容範囲(笑)。だってコレ、そーゆーことが許されている公演だから。

 たのしそうだから、いい。

 たくさんの愛があふれている空間だから。
 観客たちがそれぞれのスタンスで今をたのしんでいるから。

 わたしは着席したままだったけれど、ずっと手拍子と拍手はしていたし、あちこち笑い転げてもいたし。

 わたしの前の席は白髪のおばあさまたちで、もちろんずっと着席したままだった。この人たちに、立ち上がってあのちゃちなアイドルみたいな振付で踊れなんてゆーの、酷すぎるよな、といった感じの、「都会の真ん中の劇場におでかけ」してきた、おめかしした老婦人たちだよ。
 そのおばあさまたちが、ショーも後半になると、着席したままとはいえ、一緒に振付に参加しはじめるの。
 おそるおそる、といった感じで「W!」「I!」「N!」「G!」をやりはじめるの。
 すごいよねええ。
 白髪の老婦人が、「I!」で右手を挙げるんだぜえ?

 みんなが、たのしんでいた。

 ひとつの空間を、共有していた。
 愛を叫んでいた。
 

 歓声が聞こえる。
 よろこびの声。愛の声。
 
 それをおぼえているから。

 かなしい。やるせない。

 愛があった。
 舞台に、客席に。
 だからこそ。

 出演者たちは、どんな思いでいただろう。
 そして、観客は。

 たかちゃんと、あの公演を愛していたすべての人たちの、心を思うと痛い。

 たのしそうだった花ちゃん。たのしそうだった下級生たち。
 同じ衣装を着たFCの人たち。
 おそるおそる右手を挙げていた、白髪の老婦人。
 後ろで大騒ぎしていた「子どもには見せられない姿」の人。

 みんな、どうしてる?
 大丈夫?

 心があることがわかっているから。愛しい空間だったから。
 断ち切られたことが、せつない。

 
 いちばん苦しんでいるだろうたかちゃんが心配。たかちゃんを思うとせつなくて苦しい。

 でも、それとは別に。

 たかちゃんと、たかちゃんと共にあったあの空間を愛し、共有していたものすべてにも、せつなくてやるせなくて、苦しいんだ。

 なにがどうじゃなく、ただ、かなしいよ。

 
 たかちゃんが、早くよくなりますように。
 そして、彼女にとってもっともよい未来を彼女の意志で選択できますように。

 そして。

 たかちゃんを愛し、たかちゃんに関わり、たかちゃんの事故によって傷を受けたすべての人たちに、どうか癒しを。

 愛ゆえの痛みに、どうか救いを。


 『W-WING-』を観ておどろいたことのひとつは、「あっ、アリスちゃんだ、かわいー」と思ってよく見たら、

 それが、お花様だったこと。

 我が目を疑ったよ。

 だってね。
 脇にいるんだよ。
 他の下級生たちにまじって、同じよーな衣装着て、ただの「出演者」になって、隅っこで踊ってるの。

 なにをやってるんだ、花總まり!!

 12年もトップスターの座に君臨した、前代未聞、史上に残るタカラジェンヌが、なんでただの脇役やってるの?!

 
 たかちゃんに続き花ちゃんも退団を発表したとき、このライブショーは「ふたりの」サヨナラ記念公演になるんだと思った。
 正直、他の娘役(男役でも可・笑)と組んだたかちゃんが見てみたかったので、最後のライブショーが「ふたりの」ショーになってしまうことは残念な気もした。(つってもわたし、所詮たか花ファンなので、ふたりががっぷり組んでタカラヅカらしいものを見せてくれると、それだけで泣けてきちゃう人なんだけどね)
 「ふたりの」ではなく、たかちゃんひとりの公演が見たかった……たしかに、そう思いはした。したよ。しかし。

 花ちゃんが出演しているのに、たかちゃんひとりが「サヨナラ」なショーを見ることになるなんて、夢にも思わなかったよ。

 『W-WING-』の主役は、あくまでも和央ようかひとりだった。
 主演・和央ようかと、他の出演者たち。
 花ちゃんは、他の出演者でしかなかった。
 そりゃ、場面によってはヒロイン扱いもされている。でもそれは、その場面限定だ。公演のヒロインじゃない。
 たとえるなら、オサコン『I got music』の彩音ちゃんみたいなもん。1部のヒロインはたしかに彩音ちゃんで、オサダくんの相手役としてデュエットダンスしちゃうけど、『I got music』の主役はあくまでも春野寿美礼ただひとりだ。桜乃彩音を主役だとは誰も思わない。
 そんな扱いだったんだ、『W-WING-』のお花様。

 
 わたしは、花總まりが好きだ。
 彼女の「娘役」としての力に惚れている。
 タカラヅカという幻想空間で、正しく夢を見せてくれる力。
 その類い希なスタイルもそうだし、きめ細やかな演技もそうだ。
 彼女の「美しさ」が、説得力になるんだ。これほどの女を惚れさせる男、として、主人公の価値を上げるから。
 タカラヅカは男役中心。だからこそ、娘役は「いい女」でなくてはならない。つまらない女を愛する男は、かっこよくは見えないのだから。

 だからこそわたしは、花ちゃんの退団を惜しんでいた。
 まだまだ、タカラヅカにして欲しかった。

 タカラヅカは世代交代することに意味のある劇団だ。
 トップスターは惜しまれて退団し、次のスターにその場所を譲る。水は流れるからいつも清く、花は散るから美しい。
 花ちゃん自身がどれほどすばらしい娘役でも、いつかはトップスターの座は降りなければならない。次の世代に譲らなければならない。
 それならば、世代交代を必要としないポジションで、その魅力を発揮して欲しかった。

 花總まり主演公演が観たかったの。

 今、タカラヅカは公演する劇場が増えている。本家の大劇場やバウホール以外のハコがたくさんある。
 ならばそれらの劇場で、観たかった、娘役が主人公の作品を。

 人間の半分は、女性だ。
 とーぜん、物語の半分だって、女性が主人公だろう。
 「主人公は男でなければならない」という縛りのあるタカラヅカは、この世の物語の半分を切り捨てているんだ。
 世の中には、おもしろい物語がたくさんあるのに。
 女性主人公のすばらしい作品を上演できない、上演するにあたってわざわざ主役を男に替え、つまらないくだらない壊れたしょーもない話にしてしまう、のが今のタカラヅカ。
 もったいないよソレ。まちがってるよソレ。

 可能性を広げようよ。
 今、21世紀だよ?

 タカラヅカの観客の大半は女性だ。
 女性がフィクションをたのしむのに、女性が主人公で恋愛したり冒険したりすることのなにが不思議なんだ?
 テレビドラマを見てよ、女性向けドラマの主人公は大抵女性だってば。ロマンス小説でも少女マンガでも、そうでしょ?
 女が主人公の方が、女のよろこぶ物語を構築しやすいんだってば。

 もちろん、タカラヅカは男役あってのものだ。ファンは通常男役を観に来る。主役が娘役で興行として成り立つのか、という問題がある。
 そりゃ、娘役主演で彼女しか出番がなくて彼女しかいいとこのない舞台なら、集客はできないでしょー。
 でもふつうに「芝居」なら、主役の女性ひとりしか出番がないなんてこと、ありえないでしょ?

 主役である女性は「視点」だから。
 観客は主役を通して、彼女を取り巻く「男たち」を見るから。
 ヒロインひとりに、彼女に関わる男たちが複数。タイプも立場も違うが、魅力的な男たち。彼女を愛していたり、敵だったり、対等な友人だったり。
 視点がヒロインひとりに固定されるからこそ、彼女を取り巻く「男たち」の魅力も存分に表現することが出来る。

 ふたりの男の間で揺れ動く女、という物語で、わざわざ男のひとりを主人公にする不自然さ。
 これじゃ、主人公の男ひとりしか魅力的に描けないじゃん。揺れ動く女はずるい女にしかならないじゃん。
 女を主人公にすれば、主人公=観客だから揺れ動いてもヨシ。その理由として、男ふたりを徹底的に魅力的に描ける。どっちの男を選んでもおかしくないほどに。

 花總まりを主人公に、売り出し中のかっこいー男役を複数同等の扱いでガンガン露出させれば、興行として成り立つと思う。
 原作なら、世の中にいくらでもある。恋愛モノなんて、女性主役の方が多いんだから。

 タカラヅカの新しい可能性。
 それが、花總まりだと思っていたんだ。

 なのに。
 その花總まりは辞めてしまう。
 男振りを上げて見せてくれるいい女が、辞めてしまう。

 しかも、彼女の出演する最後のライブショーが、この『W-WING-』だ。
 主役は同じく退団するたかちゃん。花ちゃんは、脇役。
 主役が見たいと思える人なのに。主役をやれるだけの能力のある人だと思えるのに。
 最後のショー作品で、なんで脇役なんかやってるんだよう。

 そりゃこれは、たかちゃんのサヨナラライブで、たかちゃんが主役で当然なんだけど。たかちゃん主役でうれしいのも事実だけど。

 でもさ。
 ピンスポもない隅っこで、ジャージ着て下級生たちにまじって笑って踊っている花ちゃんを見ると、泣けてくるんだ。

 アンタだって退団するんじゃん。これが最後なんじゃん。なのになんで、そんなとこでひとを送っているのよ?!

 自分だって、送られる側なのに。
 史上に残るスターなのに。
 なのに、なのに、脇役としてスターを「送る」立場にいるの。

 でもそれが、花ちゃんの選んだことなんだよね。

 主役として立つことでも、主役として送られることでもなくて。
 あくまでも、脇役として、寄り添うものとして存在すること。

 「タカラヅカの娘役」として存在すること。

 90年続いてきた「宝塚歌劇」の「娘役」というファンタジーであること。
 それが、花總まりなんだ。

 その他大勢のなかで、これ以上ない愛とよろこびに充ちた笑顔で踊る彼女に、涙が出た。

 タカラヅカを、好きなんだね。
 わたしも、大好きだよ。


 のんきに周回遅れで観劇感想文を書いているわたしは、本日はタカコンに行ってました。
 たかちゃんの登場シーンから大爆笑して腹がよじれ(笑ってるの、わたしと誠さんだけだったよーな? 他の人たちは「きゃー♪」とか言っていたよーな?)、さいとー全開の演出にドン引きしそーになりつつも、必死で持ち直し、それでもとってもたのしんでドラマシティをあとにしたのに。

 待っていたのは、怒濤の人事発表。

 
 混乱。

 いやその、いろいろと。
 劇団の考えてること、よくわかんにゃい。

 疑問は残るし、突っ込みたいことはいろいろあるけど。
 よろこんだことだけ、書いておこう。
 
 
 ひとつめ。

 雪組万歳。

 す、すんません。
 景子タンの新作『堕天使の涙』と、オギーの新作ショー『タランテラ!』に、目眩がするほどよろこびを噛みしめています。

 コム水で、堕天使!! コム水でオギー!!

 タイトルと解説読むだけで、同人誌でも作りたいよーなすばらしさです。
 コム水コム水〜〜。うきゃー。

 オギーが水くんをどんなふーに使うのか、それがたのしみでたのしみでなりません。

 
 ふたつめ。

 かしちゃん&るいるい、トップおめでとう。

 わずか2日前、18日にデイジーちゃんと長電話してました。
 そのときにわたし、

「かしげを活かす道は、宙組のトップの他はない」

 と言ってしまい、宙担のデイジーちゃんにものすげー反発くらったんですね。

 や、たんにわたし、かっしーのことだけ考えてたんです。
 人事におけるさまざまなしがらみや軋轢は置いておいて、ただ貴城けいというキャラクタをいちばん活かせる方法とは? とゆー話をしていたの。

 かしちゃんは雪組にいてはダメだ。
 コム姫がトップである以上、持ち味の相性のよくないふたりが隣同士でいては、魅力を相殺してしまう。
 かしちゃんは、もっと早くに組替えするべきだったと思う。

 とゆーわたし持論から、かっしー救出計画をひねり出すと。

 宙組トップになっちゃうんだ。

 理由1 現2番手で、いちばん背が高い。
   2 王子様キャラ。
   3 白い。
   4 薄い(いや、髪の毛のことじゃなくって!)。

 宙トップのカラーは、「薄くてアクがなくてコスプレの似合う白い王子様」だよね?
 実際のたかちゃんは濃いキャラもできる人だったけど、彼があえて表面に出しているものは、上記キャラだったからさ。

 白い、薄いタイプは、2番手ではダメなのよー。埋没しちゃう。2番手は黒い役ができなきゃ。かしちゃん、黒い役できないから。じつは役幅狭い人だから。なにやっても「いい人」になっちゃうから。
 おいしい2番手、をかっしーに求めるのは無謀。
 それよりも、彼は「トップスター」になってこそ魅力が発揮できる人だと思っている。

 トップスターに求められるのは「貴公子」「白いヒーロー」だもん。

 かしちゃんなら演技しなくても、地のままで「王子様」になれるもん。「いい人」になれるもん。

 たかちゃんのあとにかっしーなら、いちばん問題なく収まるよなー。
 宙の無色透明さとコスプレと王子様の組、つーのを引き継げるし。
 下級生ジャンボ軍団だって、解散せずにすむかもしれないし。

 と。
 ゆーたのが、2日前。

 ほんとーになるなんて、夢にも思ってませんてば。

 第一、2番手がタニじゃダメだろ。
 それじゃ雪組にいたときと変わらない。トップと2番手のカラーがかぶっちゃうよう。
 わたしは「貴城けいというキャラクタをいちばん活かせる方法」として宙トップしかねえ、と思ったけど、それは2番手をタニちゃんと認識しての意見じゃないよー。

 タニちゃんも、かしげと同じで黒い役とか2番手キャラが似合わない人。
 「真ん中」しかできない人。
 わたしがタニファンなら、「大和悠河というキャラクタをいちばん活かせる方法」として、「宙組トップ」を挙げたよ。
 かっしーのときと「理由」は同じ。あ、「理由1 現2番手で2番目に背が高い」と書き換えてね。

 こんな、持ち味のかぶるふたりを並べて使う気なのか、劇団?
 いや、「宙組」ならソレでいいのかな。薄くて白くて、ヅカをはじめて見る人たちにはアクがない分拒絶反応が出ない? それが狙いなのか?

 でもさー集客できるの、かしげで。(失礼な言いっぷり)
 わたしはかしファン10年やってますが、ほんとに人気ないですよあの人。
 そりゃ、トップにして、初心者に見せる組というプロデュースを徹底して一般客を動員すれば、ちゃんと人気出る人だとは思ってるけど。(ディープなヅカファン向きの人じゃないっすよ、彼。それなら今までにブレイクしてますって)

 て、言ってるそばから大劇お披露目作品、石田の日本物だし……。劇団は、宙組潰す気だろうか。んな誰も求めてない演目やるなよ……。

 それに、「かしげ宙トップ説」は雑談として語っただけだったのに、宙組命っっ!!のデイジーちゃんには大反発くらったし。
 デイジーちゃんはわたしの友人のなかでももっともエキセントリックな人だけど、彼女に限らず「組ファン」てのは、多かれ少なかれそーゆー深さで組を愛しているのだろうから。
 デイジーちゃんは現に、すでに組替えでやってきた人たちさえ、未だ「宙組の一員」とは認めていない口ぶり。落下傘トップなんか、絶対受け付けないだろー。

 実際、人事が発表されるなり、ものすげーこわいメール届いたし……すぐにソレを反省したメールも来たけど(素直で純粋な人なんすよ、彼女)。
 でもわたし、びびって返信できませんでした。ヘタレ。

 デイジーちゃん、元気出して。
 かしちゃんがトップでも、君の好きな宙組は宙組でありつづけるよ。大丈夫、組子たちが一丸となって支えてくれるよ。
 と、こんなとこで言ってみる。

 しかし、かしげ・タニ、って、萌えないなー。
 てゆーか、「非童貞だがここ10年くらいご無沙汰」と「童貞」って感じだよな、トップと2番手……いいのかソレで。

 あ、あひつんとともちなら萌えるー(笑)。かっしーに絡んでほしいわん。

 るいるいは、素直にうれしい。
 三拍子揃った華やかな娘役トップスター誕生だ〜〜。

 疑問も不安も山積みだが、それでもかしちゃん&るいるい宙トップは、わたしはうれしい。
 これでかしちゃんが、正しく「貴城けい」として魅力を発揮してくれるといいな。

 
  
 人事への疑問、劇団への疑問があるのはいつものこと。
 あすかちゃんはどーなるのかとか、トウコちゃんはこのまま自分の組で待っていればいいんだよね? とか、いろいろ。

 でも、ほんとのとこ。
 今回の人事+ラインナップ発表でいちばん気になったのは、まっつのことだったりするから、どーしよーもない。溜息。


 達観の位置にまでたどりついた、和央ようかライブショー『W-WING-』の話、その3。

 ああっ、今、プログラムの上を猫が通ったっ!!
 たかちゃんの美麗写真につられて買ったプログラムを、PCの脇に広げていたの。
 そこを猫が踏んだの。
 ひどいっ、プログラムがボコボコ!!
 汚さないように、すっげー気を遣って持って帰って、透明カバーまでかけてるのにーっ。

 ……くそーっ。

 
 えー、猫はともかく、『W-WING-』の話。

 お笑いコントショーだった1幕が終わり、わたしは2幕に望みをかけていた。
 たのむさいとー&たかこ! まともなこともやってくれ!!

 お笑いショーの合間合間に、まともなシーンもあったから、やればできるはずなんだ。1幕の終わりもコントではなく、ふつーだったんだから。

 そーやってはじまった第2幕。
 冒頭の女子高生@下級生たち全員(男役含む)とポストマン@たかこがどーゆー意味なのか、いまいちわかんないんだけど、それでも『ドリフの大爆笑』よりはヅカ風味になっていたのでほっとした。

 実際のところ、2幕はふつーにヅカしている部分が多かった。

 ショーの1場面のように。
 クラブで歌う花ちゃん、ダンディなスーツ+ロングコートのたかちゃんなど。
 肩もあらわな花ちゃんに、たかこが自分のコートを掛けてあげるの。たかこのコートだから、花ちゃんには大きいのね。足首までのロングドレス状態。
 それが、萌え(笑)。
 いいなあ……。

 タカラヅカであること。
 それが、とてつもなくうれしい。

 いつものよーに踊る、たかちゃんと花ちゃんを見ていると、涙が出てくる。
 得がたいふたりだ。
 得がたい美しさだ。
 大好きだ。

 たかちゃんの「宝塚ソングメドレー」がなつかしくてうれしくて、盛大に泣いたよ。

 まさか、『Crossroad』を歌ってくれるとは思わなかった。

 大劇作品じゃないからさ。2番手のころの歌だし。相手役がお花様でない、数少ない作品だし。
 アルフォンソ、大好きだった。たかちゃん、大好きだー。

 ほんとにやめちゃうの? ほんとに?
 ここまで極めていて、愛されていて、それでもほんとにやめちゃうの?

 辞めるのは、仕方ないのだろう。
 わかってる。
 わかってはいるけど、さびしい。かなしい。
 時は流れる。不変のものなどない。それがかなしい。

 たかちゃんの主演作メドレー、どれも思い出たっぷりだ。みんな大好きだ。ああ、『ベルばら』すら、好きだと言えるよ。たかちゃんが歌う限り。
 当時の思い出が、よみがえってくるから。
 記憶ごと時間ごと、愛しい。

 
 と、すっかりヅカハートになっていたから。

 またとーとつにフライングされて、爆笑した。

 ぴゅーんて飛ばれると、笑っちゃうんだよ。どーしても、慣れなくて。
 タカラヅカでは、フライングってないじゃん。つまり、必要ないから、ないんだよね。
 んな必要ないものを、わざわざうれしそーにやってるたかちゃんを見ると、おかしいやらかわいいやら、トホホなやら。
 ゴテゴテつけない、とてもシンプルにヒモだけで飛ぶフライングで。
 すげー! と思うけれど、こわい、とも思う。その労力に拍手。労力にね。わたしにはない価値観だけど、否定したいとは思わない。だからただ、拍手。

 ジャージ姿でSMAPを熱唱したり、1幕の衣装に戻って「W!」「I!」「N!」「G!」とやったり。
 見れば、劇場の前半分は総立ちだ。
 まあなあ、前の人が立ったら、自分も立たなきゃ見えないもんなあ。

 わたしは真ん中通路より後ろの2列目センターという、最良席で。
 なにが最良って、坐ったままで、舞台が見えるの。
 梅芸友の会席だから、FCとは無関係だし。客席降りのたかちゃんは目の前通るし。
 悠々と坐っていられたの、たぶん、わたしたちの席周辺だけだったと思うよ。
 わたしの前の席はおばあさまの団体さんぽくて、とても立って踊るよーな人たちじゃなかったし。
 わたしの後ろの席はすでにFCの浸食を受けていて、最初から鳴り物入りで立ち上がって騒いでいたし。
 通路より前の席だったら、立たないと舞台が見えないけど、通路の真後ろの2列だけは、坐ったままマイペースにショーをたのしめたのだわ。

 たくさん引いたけど、それでもたのしかった。
 いっぱい笑った。

 予備知識がなかったからドン引きしちゃったけど、わかっていたらもう大丈夫。次は最初から開き直ってたのしむわ。
 参加するわ。
 こーゆー場合、引いたら引いた者の負けだもの。
 参加しなきゃ。
 立ち上がって踊るわよ。「W!」「I!」「N!」「G!」だって、やってやるわよ。

 今回は、坐ったまま、いろんなことにノリ損ねたりしてるけど(笑)。
 後ろの席のFCの人が「立って! たかちゃん本人が立って欲しいって言ってるのよ!!」と扇動してたり、「アンコール、あっそーれ、アンコール!」って、いつの時代のノリだソレは?! という合いの手ぶりに苦笑したり、いろいろだけど!!
 繰り返されるアンコールが、実は演出のウチで、終わったときに時計を見たらふつーに終演予定時刻だったりして、肩すかしをくらったりしたけど!!

 引いてるところは引いてるけど、たのしいのも本当だから!

 なにやってたって、たかちゃんはかっこいーし、大汗かいて必死になって歌って踊って、ついでに飛んでるたかちゃんが、愛しいから!

 トホホなとこも含めて。
 大好き。

 泣きながら、笑う。
 ずっとずっと、手拍子して拍手して。もー、手が痛いよー。

 
 次は千秋楽。
 そのために、冬コミだってあきらめた。
 たか花ファンのチェリさんと一緒だから、最初から気合い入れて臨むぞ。
 早めにチェリさんに会って、振付の練習しなきゃ。楽が初見のチェリさんが、ちゃんとノれるよーに踊れるよーに。
 そして、並んで開場と同時に劇場に入り、ロッカーにコートや鞄を入れて、身軽になるの。立って踊るんだから、基本よね!!

 やる気満々で、そんなシミュレーションまでしたよ。

 
 たのしかったの。

「ポスターの大嘘つき。あんな耽美なポスター作っておいて、お笑いコントライブかよ!!」
 とゆー、ツッコミを心に溜めつつも、劇場にいたさいとーくんに、

「たのしかったです(はぁと)」

 と、言って、握手してもらったよん。
 さいとーくん、トシとともにどんどんヤバい感じになるね。いやその、外見が。ヲタク度が上がっているとゆーかそのゲフンゲフン。

 
 もう一度会える。
 そう信じていたから。
 この作品に、このライブに、このたかちゃんに。

 文句も苦言も、未来を信じているから。
 好きだから。

 
 飛ぶつもりでいたんだ。
 一緒に。

 
 たくさん笑って、じつは人知れずたくさん引いて(笑)、そしてたくさん泣いて、それでもやっぱりやっぱり、とってもたのしんだよ。
 おかげで、終演後、ものごっつー疲れていた。

 いろんな意味で、すげーショーだった。


 とんでもねーノリではじまった、和央ようかライブショー『W-WING-』

 エセアイドル路線は、本物のエセアイドルHANACHANGの登場で本格化する。

 HANACHANG、かわいー!!

 お花様ファンにはたまりません!(笑) 演出がさいとーくんだから、絶対あるだろうとは思っていたけど、やっぱりあったか、アイドルHANACHANG!!

 わたしは花ちゃん大好きだし、じょしこうせえ役でもじょしちゅうがくせえ役でもぜんぜん問題なし! だと思っているんだけど。
 アイドルHANACHANGも大好きで、見られてよかった! とは思うけど。

 それと同じ勢いで、引いてもいます。

 吉本系の笑いには、ツボがなくてな……。
 え? 吉本じゃないの? 変な格好させて、それを笑うっていうのは。

 花ちゃんはフェアリーだから、エセアイドルも似合うよ。似合っちゃうとこがすごいよ。
 でも、それと同じだけ、「ここまで捨て身にならなくても……」というかなしい気持ちにもなるんだ。

 そこへ、巨大アイドルTAKACHANG登場。
 HANACHANGと同じ格好で、マイク操作で声をキンキンに甲高くしたたかちゃん登場。(腹話術みたいな声@HANACHANG談)

 そしてふたりのエセアイドルは、そのままコントをはじめる。

 たしかに、おもしろい。
 客席も爆笑している。
 わたしも力一杯笑った。

 が。

 ドン引きしている自分も、たしかにいるんだ。

 
 お次に現れるのは、ヨン様もどきだ。

 運動会のときにあまりの悪趣味さにドン引きした、あのままの姿。

 正直、なにがおもしろいのかわからない。
 フライングも爆笑したし、アイドルノリもTAKACHANGも、引きつつそれでも笑ったけれど、ヨン様もどきはなにがおもしろいのか、さっぱりわからなかった。
 かっこよくないし、きれいでもない。
 一発芸としてすぐに引っ込むならまだ理解の範疇だったんだが。

 長いよ、ヨン様!

 このコントはいつまでつづくんだろう、と遠い目をした。

 てゆーかわたし、コントを観に来たつもりはなかったからさ。
 あまりに笑えないコントが続くと、途方に暮れる。

 眼鏡にロングコートのたかこは、萌えだ。
 そうさ、たかこの男役人生に、めがねっこがないことが悔やまれる。
 今からでもいい、キザな眼鏡男を演じてくれ!!
 と、ありもしない妄想を心に描きながら、この長いコントを乗り越えた。

 
 そうこうしているうちに、アニメ&ヲタク全開メドレーになった。

 ……なんでこんなことに。

 タイムボカンなんて、今の若い子は知ってるのか?? どーしてよりによってタイムボカン?? ん? ヤッターマンか?
 わたしですら記憶の彼方でしかない超古いアニメのキャラクタがあったりまえのカオで登場してきて、おどろいた。やらされてる下級生、元ネタ知らんやろーに……。

 続いて、ヲタクならではの特撮&萌えキャラコスプレシーン。これもみんな下級生たちな。
 戦隊モノのトホホ感には打ちのめされたが、魔女っこモノには萌えた(笑)。

 なにがやりたいのかさっぱりわからんが、メイドコス魔女っこたち、かわええ〜〜!!

 でもさっ、メイド服があまりにぺらっぺらの安物でさっ。ソレが不満だいっ。
 学園祭の出し物のために裏地で作ったよーな、ひどい衣装でさ。今どきコミケにもいないよ、あんなひどいコス。
 萌えキャラ出すならさ、ちゃんと衣装もがんばってよ。メイド服ならいくらでもストックがあるでしょ? 予算がないの丸見えの素人服じゃ、萎えるよ。

 せっかく美少女たちなのにさ……ぶつぶつ。

 と、ちがったとこに不満を感じていると、よーやく真打ち登場、ルパン三世@たかこ。

 真っ赤なジャケット、派手派手ネクタイ、そして謎のヅラ。

 あー……ケロちゃんも歌ったなあ、この歌……なんでジェンヌは、この歌好きなんだろう。ベタベタで恥ずかしい歌詞なのに……。たしか、一般公募で選ばれた歌詞なんだよね? 「男には自分の世界がある。喩えるなら、空を駆ける一筋の流れ星♪」とか、演歌並みのセンスなのに。

 ルパンがたかこなら、とーぜん不二子ちゃんが花ちゃん。……が、がんばれ花ちゃん、色気だ色気!

 でも、お花様の太ももに拳銃てのは、萌えです(笑)。
 深いスリットのドレス、太もも丈のシーム入りストッキングに、拳銃挟むんですよ! 花ちゃんの太もも! 拳銃!! きゃー!

 ニュースサイトで写真を見たとき、ただの一発芸だと思ったのね。ルパン三世。
 TCAとかでやっちゃうよーな、1回限り、一瞬だからおかしい、みたいな。

 長いよ、ルパン三世!!

 いつまでやるんだよ?
 たかこ、いつまでヅラかぶってんの?!!

 ルパンってさあ、ヅラなくてもやれるよねえ? 壮くんがいつもやってる髪型でOKじゃん。……暴言?

 たかちゃんは、ヅラだとわかる、宴会の余興のよーな変なヅラをかぶってルパンやってるの。
 客席降りもあるの。
 目の前を、ルパンが通っていったわ。モミアゲがものすげーことになっていて、「ソレはすでにモミアゲではないだろう」というものになっていたわ。

 
 このライブショーは、いったいなんなんだろう。

 爆笑ではじまり、ドン引きしつつもさらに笑う。
 コントでつなぐお笑いショー。

 最初にノリ損ねたわたしは、ずーっととまどっていた。
 おかしいし、たのしいけど、それと同時に引いている。
 その状態がずっとつづいたの。

 必要なのは、精神力と忍耐力。
 そして、出演者への愛。

 そう。

 わたしはたかちゃんが好きで、どれだけ趣味に合わなくてもドン引きしよーとも、愛ゆえに乗り越える覚悟があった。
 寒いモノが胸を走るたびに、自分を叱咤し、前向きに受け止めようと努力した。
 引くなわたし! たのしめ! たのしむんだ!! これは、たのしいんだっ。

 そう。
 たかちゃんが、たのしそーに笑っている。
 それだけで、いいじゃないか。

 どれだけ悪趣味な格好と演出でも、たかちゃんはかっこいいんだから。

 
 変なヅラかぶったままの、ルパン三世がかっこよく見えたら、末期症状だ。

 たかちゃんかっこいー! 素敵ー!

 たしかに引いた。わたしの趣味からいちばん遠いところにある世界観で、貫かれた演出だった。
 だけど、それすら、どーでもよくなった。

 たのしんだよ。
 ほんとに。

 続く〜〜。


 和央ようかライブショー『W-WING-』の話をしようと思う。

 わたしが観劇した翌日に起きた、事故についての思いはまた別欄で語るとして、あくまでも、ひとつの作品をたのしんだ感想を書きたいと思う。
 たかちゃんファンとして。
 たかちゃんの愛した作品を観、そこにいる時間をたのしんだものとして。
 正直な記憶を残しておきたいと思う。
 

 わたしは予備知識を好まないので、いつも通りこのライブショー『W-WING-』についてなにも知らなかった。
 たかちゃんと花ちゃんの他で、見分けがつく出演者がちぎくんひとりだということ、演出がさいとーくんだということ。
 その程度の知識だ。

 ただ、タカコン初日に受け取ったkineさんからのメールに、某ニュースサイトのURLが書いてあった。
 そこでは、たかちゃんが、ルパン三世のコスプレをしている写真が掲載されていた。

「ケロさんDSがサイトーくんじゃなくて良かったと心底思いました。」

 というkineさんのコメントに、心からうなずいた。同意した。

 ケロちゃんもねえ、最後のDSでルパン三世やったのよ。それも、ケロちゃんが「やりたい」と言った唯一の曲ってのが、よりにもよってルパンだったのよ。
 もしDSの演出家がさいとーくんだった場合、ヅラかぶってコスプレしていたかもしれないってこと?! ぶるぶるぶる。
 DSの演出家がオギーでよかったっ!! 心の叫び。
 オギーだから、とてもオシャレにルパンを使っていたわ。阿呆なヅラや笑止な衣装は使わなかったわ。

 と、思うくらいにはとほほな姿が写っていたのよ、ルパンコスプレ@たかこ!!

 なにをやってるんだ、たかこ×さいとー。
 運動会の悪夢再び?!
 天然×ヲタクで好きにやらせると、とんでもないものを作ってしまうってことか?
 あ、この×は、受攻とは関係ないですよ。素直に「かける」と読んでください。乗算のことっす。

 初日にサバキでもあさりに行こうかと思ってたんだけど、病院に行くことになっちゃったんで叶わず。
 初日好きなもんで、ソレをはずしてしまったら、あとはもーいつでもいいや、と、もともとチケットを持っていた日まで待つことにした。
 nanakoさんと「一緒に行こうねっ」と約束していた公演だったんだが、彼女が来られなくなってしまい、誠さんに来てもらった。
 いやあ、ありがとねー、誠つぁん。一緒に観る人がいて、何倍もたのしめたよー。

 と、ゆーのも。

 
 和央ようかライブショー『W-WING-』がはじまるなり。

 わたしと誠さんは、身をよじって笑い悶えたのよ。

 だって、だってっ。

 飛ぶんだよ?!

 変な格好したたかちゃんが、ぴゅーんて飛ぶのっ!!

 そーいやフライングするとかなんとか、どっかで聞きかじったかもしれないけど、スポーツ新聞の写真で見たよーな気がしたけど、そんなの、すっかり抜け落ちてたし。

 飛ぶとは思ってなかったから。

 しかも、あんな格好で。

 真っ白な王子様衣装は別にいい。
 問題は、みょうちくりんな白い布をアタマの上というかカラダの上につけていたこと。
 一反もめんというか、マントというか。凧というか。
 たこ焼きを焼くとき、型からタネがはみだしたみたいというか。プラモデルを作るときに、枠からパーツを切り離す、その枠というか。
 変な喩えしか出てこない。
 とにかく、いらないもの。何故あるのかわからないもの。
 それが、たかちゃんのアタマやカラダの上にひらひらしていて、それごと、不自然に飛び回っていた。

 えーと。
 なんだったんですか、あの白い布は。
 フライング装置を使うために、必要なのかと思った。『ファントム』や『長崎しぐれ坂』の愛の小舟の運転席みたいに、あると変だし邪魔だけど、ないと動かないから仕方ないの、誰も突っ込まずにスルーしてください、なものかと思った。
 でも、2幕でもたかちゃんはフライングするんだけど、そのときはんな変な布はついてなかったから、「装置として必要」なわけではなかったらしい。
 「必要だからかっこわるいけどあえてつけていた説」がまちがいなら。

 あの布は、なんだったんですか?

 あのわけわかんねーかっこわるい布のために、わたしの狭い笑いツボが直撃された。
 たかちゃんが飛んでる、だけでもおかしいのに、変な布をひらひらさせているのでさらにさらにおかしくて、腹が痛くなるほど笑った。

 ありがたいことに、わたしひとりでなく、誠さんも大爆笑してたんだよなー。
 ふたりで折り重なるよーにして、ひぃひぃ笑った。

 えー、フライングってのは、なんのためにやるもんなんですかね?
 わたしには、あまりその良さがわからなくて。
 笑えるけど。……笑わせるために、カラダ張ってギャグやってるとも思えないし。
 アレってかっこいいの?
 もちろん、サーカスの人とか、アクロバットを専門職としている人たちのフライングは芸として仕事としてたのしめるけど、素人が飛ぶのはなんのためかよくわからない……。
 「すげー」とは思うけど、それと同じだけ笑えて仕方ないのだわ……笑わせたくてやっているんじゃなさそうなのがまた、笑えてこまるというか。

 なにはともあれ、最初から大爆笑。
 周囲もきゃーきゃー言ってるから、ふつーの公演よりは笑いをかみ殺すのがゆるくても大丈夫だったかな。

 たかちゃんの登場シーンで笑いこけてしまい、「かっこいー」とか「素敵」とかゆー感覚に乗り遅れてしまったので、そのあと、ライブのノリに慣れるまでに、精神力が必要だった。
 前方席はお揃いの服を着たFC軍団が総立ちできゃーきゃーやってるけど、身をふたつに折って爆笑していたため、立つきっかけを見失っちゃったしなー。
 おかしくて笑えるんだけど、引いてしまう。……そーゆー感覚。
 だってわたし、笑いに来たんじゃないもん!!
 笑いたくないのに、爆笑させられたら、引くよお。

 最初のノリから立ち直ってないっつーのに、アイドル系振付ダンス、さあみんなで踊ろうゼ!! に突入。

 ど、どうしよう。
 あたし、ここにいていいのか??

 みんなで「W!」「I!」「N!」「G!」て、手振りするのよ。観客も一緒にやらないとマズい雰囲気なのよ。
 とっても簡単な、チープな振付。客席と一緒に踊ることが目的で、わざとダサ……いやいや、簡単な振付になっているんだ。

 えらいことになってんなあ。
 あのみょーなフライングといい、このみょーな振付といい、アイドルのコンサート風を狙ってるわけか??
 でもさあ、タカラジェンヌはアイドルじゃないし、ジャニーズでもない。得意分野がチガウから、表面だけ真似てもサム……ゲフンゲフン。

 このノリについて行けるかどうか。
 それが、すべてを分けると思う。

 続く!!


 花組千秋楽。
 『落陽のパレルモ』は、オサ様を見ていた。彼しか目に入らない。
 や、その、数カ所、別の人を見ていることもありましたが。隣のハイディさんに、「緑野さん、ライトつく前からオペラグラス構えてる(笑)」とか突っ込まれちゃうくらい、決まった箇所で別の人を見ていたけど。だってまつださん、出番限られてるし(誰を見ていたかすでに白状)。
 それ以外は、ヴィットリオ限定ですよわたしゃ。

 そのかわりというか。『ASIAN WINDS!』では、まっつ限定視線でした。

 今回わたしゃ、良席でしか観たことなかったですから! 回数が少ない分、いい席でしか観ていませんことよ、ほほほ。
 それゆえに。

 2階席で観たの、千秋楽がはじめてだったの。

 画面が新鮮!!
 てゆーか、まっつが探しやすい。

 最前列だの前方席だので観ていると、まっつがろくに見えないのよ。4人口にも入ってくれない人だから。その他大勢でしか踊ってくれないから。
 真ん前に来てくれりゃそりゃ近いけど、あの泣きそうな笑顔の目線もらいまくれるけど、ちょっと遠くなったり重なったりすると、まったく見えなくなるから!!

 2階席の方がおいしいじゃん、オペラピン取り前提だと!

 オサ様だの水くんだのゆーひくんだの、真ん中の人のファンやってきゃーきゃーしてたから、忘れてた。ケロだって、十分スター扱いされていたから、隠れてしまう位置なんか気にしなくてよかったもんな……。
 そうだ、脇の下級生は2階席の方がいいんだった……。

 見識を改め直し、オペラグラス、スタンバイ。
 まっつピン取り、浮気ナシ。

 まっつ〜まっつ〜まっつ〜。

 わたしは彼のビジュアルが好きなので、ただ眺めているだけで相当しあわせなよーです。
 なにか特別なことを思うでなく、感じるでなく、ただただ眺めて1時間終わっちゃいました。
 なんといっても、顔が好き。
 鼻が好きです、鼻。もし彼が、鼻筋の通った完璧な顔立ちをしていたら、絶対好きになってませんわ(笑)。
 細長い輪郭に、微妙な位置の耳が好き。
 コンパクトで華奢な体格も萌え。
 硬直したよーな無表情も好きだけど、泣いているよーな笑顔はいちばん好き。
 声も大好きだから、声を聴きたいと切実に思う(「声」は、その人に惚れるときの重要ファクター)。

 どんな人か知らないから、あくまでも舞台上の姿を眺めているだけの「好き」ですわん。
 それで幸福。

 
 ふーちゃんのサヨナラショーで、まっつに出番があったのが単純にうれしかった。
 姿をいつもより多く見られる。
 声を聴ける。
 歌があったし。ソロパートもあったし。
 よりによって『天使の季節』だったことはまあ、置いておいて(笑)。

 なんでカーテンコール、2回で打ち止めだったのかなあ。
 もっと眺めていたかったのになー。まっつは深刻な顔したままだったなー。寿美礼サマはご機嫌全開笑顔だったなー。

 
 まっつはまっつで、わたしの「しあわせの小さな妖精さん」なんだけど。
 今回、みわさんの「やる気!」に大分圧倒されました。

 なんつーか……みわさん最近、すごくないですか?
 ぎらぎらしてますよ、あの人。

 わたしののーみそは、「好きな人」しか網膜に映像を結ばないようで。
 苦手な人とかはぜんぜん、目に入らないのね。だからいつでもなにを見ても幸福。舞台には、好きな人や美しい人しかいない。
 本人が意識していなくても、ぶ*いくだとかのマイナスの認識でも、目に付くってことはどうやら、好意の範疇らしい。過去の事例を見ると。
 わたしは鈍いし往生際が悪いので、わたしの意識が追いつくより先に、まず本能が映像を目に映すようですね。

 そして今回、やたらめったらみわさんが目に付きます。

 さららんだとかキムだとか真咲だとか、好戦的な人が好みなんで、みわっちの戦闘意欲バリバリな感じがわたしの琴線に触れるようだ。

 まとぶが組替えでやってきて、いちばん変わったのって、みわっちじゃないかな?
 立ち位置的に影響の大きいゆみこやらんとむではなく。
 キャラのかぶるみわっちが。

 「迎え撃つぜ!」てな気合いの入りまくったみわさんが、素敵でねえ。
 目線絨毯爆撃、玉砕覚悟の特攻ですか? ってくらい、なりふり構わず暴走してる。
 いいなあ、ソレ。
 きれいきれいかわいこちゃん、そつなくスマートに美形キャラ、でいるときよりずっと好き。
 漂うがけっぷち感とか、ハングリー精神とか、ぞくぞくするわー(笑)。

 自分の美しさをちゃんと正しく使って、セクスィに一本釣りしているらしいんだけど、ケツに火が点いたよーなぎらぎら感が透けて見えてますよ! 下心の見えたジゴロみたいですよ! 血統書付き美犬の着ぐるみの下から、狼の鼻面が見えてますよ!
 てな感じが、実に美味です、みわさん。

 これだけ目に付くってのは、わたし好みのオーラを発しまくってるんだろうなあ(笑)。

 
 ところで、この千秋楽に。
 わたしはまっつメイトと初デートの約束をしていたんだ。
 リアルで会える、はじめてのまっつファン!! 待ち合わせはムラのキャトレのスチール売り場。まっつ写真を手に取れば、きっと待ち人が誰かわかるでしょう。るるる・ららら。……てなもんで。ドキドキわくわく。

 ……されど、その日。

 大雪で、待ち人来たらず。

 気の毒に、まっつメイトは渋滞ゆえに観劇することも出来ず、ムラの地を踏むこともなく東へ帰っていったのだよ……。
 涙涙涙。

 思い存分、まっつの話ができるはずだったのにーっ!!

 ……そのまっつメイトとは、のちに、月組東宝前楽を観に行ったときに会うことが叶ったのだけど。
 そのときはゆーひくんの話しかしなかったのよねえ(笑)。不思議よねえ。ゆーひくんてば、罪作り。ゆーひくんてば、素敵すぎ。

 つーことでリエさん、今度こそはまっつ話しましょーね。と、こんなところで言ってみる(笑)。


 花組千秋楽。
 いつだって、ポイントはオサ様だ。
 花組トップスター、春野寿美礼。この人が、どんな演技をするか。どんな気分でいるか。
 すべてはソレにかかっている。

 『落陽のパレルモ』にて、ヴィットリオ@オサに、愛はあるか? が最重要事項だよ。

 『パレルモ』は、ベッタベタのラブロマンスだ。主役ふたりが周囲を見ないぐらいぐちゃぐちゃに愛し合っていてこその物語だ。
 なのに、オサ様は相手役を愛していなかった。自分しか好きじゃなかった。そのことにわたしはヘコんでいた。
 似たもの夫婦っちゅーか、ふーちゃんもまた自分をいちばん愛するタイプの人だったんで、このふたりはもー、寒い寒い恋愛を舞台上で繰り広げてくれていた。

 千秋楽は、どうよ?
 最後ぐらい、愛を演じてくれるかしら?

 ひさしぶりに見るヴィットリオくんは、微妙に別人で。
 やたら若くて、にこにこ笑う陽気な人になってました。

 オサ様が毎回別人なのは、知ってるけど。
 うわー……こんなことになってますか。

 それまでわたしが見たどの回よりも、愛があった、と思う。
 それはたしか。

 でもわたしには、アンリエッタ@ふーちゃんへの愛情が上がっているというより、より自己愛が強くなった結果に見えた。

 アンリエッタを愛している自分を愛している、というか。
 少年ぽいのに、どこか老成しているというか。

 なんか、リュドヴィーク入ってるよーに見えたんですが。

 かなしいはずの場面で、穏やかに笑っていたり。
 自分が主人公で今現在物語の中心にいるというより、舞台の外側から、過去の自分を主人公にした物語を見つめているような。

 なにもかもわかったうえで、あきらめ、悟った上で、そこにいるような。

 だから、アンリエッタに対する熱が上がっているのも、愛情が感じられるのも、乾いた切なさに充ちている。
 老人が過去の傷を愛しく撫でているような感触。
 なにもかも、みななつかしい。みないとしい。
 そんな感じで、「世界」を見つめているような。

 ヴィットリオの痛々しさがあがっていたの。
 愛情云々は、その付属物に過ぎない気がした。

 
 なんつーか……不自由な人だなあ、オサ様。

 人を愛する、そんな人間として基本の演技をするだけで、こんなにややこしいことになるのか。
 てゆーか、そこまで演技できない、心のままにしか表現できないなら、なんで役者なんかやってるんだろう?

 オサ様のいびつさが、人間として役者として欠けた部分があまりにあからさまで、愛しくてならない。
 そう、愛しいんだ(笑)。

 春野寿美礼という人は、国を滅ぼすタイプの施政者だなあ、と思ったりもする。
 でも、彼と共に滅ぶのも悪くない、と思わせるタイプのカリスマなんだよなあ。

 この人についていけば安心だ、と思えるリーダーがいる。
 共に夢を見たい、力になりたい。
 この人は危なっかしいから、支えてあげたい、と思えるリーダーがいる。
 盛り立ててあげたい、真ん中に立たせてあげたい。

 そーゆーのとはちがって。

 この人、たぶん、まちがってるよなあ。
 このままついていったら、やばいよなあ。
 そうわかっているのに、止めたくない。
 どれだけまちがっていても、この人の見ているものを見てみたい。この人も求めるものがなんなのか、見届けたい。
 その結果、この人が滅びることになったとしても、それは仕方ないんじゃないのか? 自業自得だし。
 そして、この人を認めてついていった者たちが滅びるのも。仕方ないだろ。

 そーゆー魅力。

 「愛している」人が好きなわたしは、オサ様の人を愛せないところや、ナルシストで自己完結しているところがものすげー嫌なのよ。
 自分の女房ひとりしあわせにできないでいる男なんか最低っ! とか思うわけよ。政略結婚だったから、なんて言い訳にならないよ。そりゃわたしだって、よくできた女房だったとは言わないし、向こうもかなりアレだったから「自業自得の似たもの夫婦」それゆえの破局だと思ってるけどさ。
 でもでも、恋愛モノなのに相手役をまったく愛せないで、軍服を着た自分にうっとりしてるってのは、どうなのよ。なんて狭量な男なの。
 ほんとにまちがってる、こんな男。

 そして。

 わたしが、オサ様を好きでしょーがないのが、オサ様の人を愛せないところや、ナルシストで自己完結しているところなのよ! 自分の女房ひとりしあわせにできないで、軍服を着た自分にうっとりしてる、狭量なところなのよ!!
 そんなところが、愛しくて仕方ないの。

 腹が立つんだけど。苛々するんだけど。
 でもでも、そこが好きなの。

 カオ歪んでると思うし、トシとともにどんどん妙な変なクセがついてきちゃったと思ってるし、「素顔でVISAの看板に載るのはやめといた方がいいよ、マジで」とか思ってるけど、それでも好きなの。

 相手役のこと愛していない、自己愛の勝った演技見ていても、苛立つくせに愛しいの。

 オサ様が、笑っている。
 それだけで、うれしい。

 眉毛八の字で、目が線になっていて、「客観的に見て、この人ほんとにきれいか? 相当やばくねーか?」と首を傾げているわたしも、わたしの中に同時に存在するんだけど、それでもいいの!!

 春野寿美礼が笑っている。それだけで、わたしは幸福だ。

 なんか、泣けてきてね。
 寿美礼ちゃん見てると。
 あああ、わたしほんとにこの人好きだあぁぁあ。

 
 どんなにまちがっていてもいい。
 しあわせでいてください。


 花組千秋楽の話、その2。

 いろいろと、びびった千秋楽だった。
 わたしの知っている「千秋楽」とちがうことがたくさんあったんだ。
 

 本公演まではふつうだった。
 サヨナラショーも、まだふつーだったとは思う。……たぶん。
 ふーちゃんのワンマンショーではなく、路線男役取っかえ引っかえのバラエティショーだったので、みんな男たちを見るのに必死って感じで。(男たちが出ると、周囲のオペラグラスが一斉にあがる。ふーちゃんひとりになると、一斉に下がる。その繰り返し)
 空気に冷たいモノが混ざりだしたのが、サヨナラショー終盤。
 ふーちゃん以外の退団者たちの見せ場がほとんどない、とわかったあたりから、チリッとしたものが感じられた。

 それでもまだ、他の退団者に対してはあたたかい空気があった。
 いちばん盛り上がったのが、七星きらちゃんあたり。周囲のすすり泣きも絶好調。次の歌花さんもそのまま盛り上がり……。

 退団者の最後のひとりになって、空気はすっと冷めた。

 この温度差。
 潮が引くように、というのか。

 正直、びびった。
 相当びびった。

 わたしだって、ふーちゃんが得意なわけじゃない。ひさしぶりに遭遇した苦手ジェンヌだ。
 でも、苦手云々よりも、わたしは「タカラヅカ」が好き。家族みたいにあたたかく見守る世界観が好き。
 内輪受けでも学芸会でもかまわない。舞台上とひとつになって卒業を見送る雰囲気が好き。
 だからいつも、それまで存在や名前さえ知らなかった下級生の挨拶とかにも、ボロボロ泣くことができるんだよ。彼らの新しい人生に幸あれと心から祈ることができるんだよ。

 相手が誰であれ、卒業の雰囲気に酔って泣きながら見送る気満々で千秋楽に参加している人間だから。

 空気がすっと冷めていったことに、心底びびった。
 予想だにしない現実だった。

 なにがあろうと、あたたかい気持ちで見送るのがヅカの「卒業」じゃなかったの?
 そりゃ、人間だから内心いろいろあるときだって、あるかもしれないけどさ。

 雰囲気にびっくりして、わたしはすっげーおどおどしてふーちゃんを見送りました。
 や、わたしがおどつく必要はどこにもないんだが。

 この冷めた空気の中で、彼女がなにを言うのか。なにをするのか。
 いらぬ心配をしました。
 実際彼女は、いろいろつっこまれそうな言動をしたし。この空気の中で、わざわざソレを言うか! と、他人事ながらびくびくしたよ。

 が。

 ふーちゃんを見ていて、杞憂だとゆー気になった。

 客席がしんと引いているのに、それでもふーちゃんはものすっげーマイペースだった。
 天然な笑顔で、爛漫な物言いをしていた。

 なるほどなあ。こーゆー人なんだ。
 わたしは彼女のことはよく知らないし、そもそもあまりちゃんと見たことがない(すまん)のでなにもわからないんだけど、彼女のこの空気を読まないマイペースさをよしとするかそうでないかで、評価が分かれるんだろうな。

 ふーちゃんは、きれいな笑顔で挨拶をした。
 退団者がまとう澄み切ったオーラを発散して。

 客席の温度も劇場の空気も関係もなく。

 わたしがびびっておどつく必要は、どこにもない。ふーちゃんはそんなの、ぜんぜん気にしてない。

 わたしは所詮オサファンなので、彼がふーちゃんに冷たい態度を取ることで、彼の男としての度量のなさが露呈することの方がつらかったのよ。だから、オサ様がふーちゃんにどういう態度を取るかどんな目で見ているか、そっちの方がいつも気になるわけで。ふーちゃん本人を見ている余裕なんかなかったもんよ。
 千秋楽もまた、真ん中で笑っているふーちゃんがきれいな退団者オーラを放っていることだけ確かめたら、あとはオサ様見るのに必死だったよ。(いやその、まっつのことも見てますが)

 オサ様は、とてもご機嫌さんで。
 今までになくふーちゃんを見つめ、ニコニコしていて。

 ほっとした。
 ほっとした、けど……劇場の空気は、低いままだった。

 拍手に包まれて、幕が下りる。
 もちろん客電は点かない。拍手も鳴りやむことなく、すぐにもう一度幕が上がる。お約束のうちだな、1回目のカーテンコール。

 あれ?

 1回目のカテコなのに、舞台上にはふーちゃんひとりしかいなかった。
 ふつー1回目のカテコは全員そのままいるよねえ? 退団者だけになるのは、何回目かのカテコででしょ?

 ふーちゃんが袖を振り返り、他の退団者たちを呼び、退団者たちだけで一礼。そこで幕。

 もちろん客電は点かないし、拍手もやまない。つっても、なんとも熱のない拍手だったけど。
 幕はすぐに上がった。
 今度は出演者全員が舞台上にそろっていた。
 一礼して幕。

 どの場合も中心はふーちゃん。
 退団するトップ娘役らしく。

 しかし。
 この、たった2回のカテコで、拍手はぴたりと鎮火したんだ。

 えええ??!

 わたしは、心底おどろいて、きょろきょろしちゃったよ。
 千秋楽だよ?
 ただの千秋楽でももっと何度もカテコはあるもんだし、退団者がいようものなら、拍手の熱が高まりスタオベになり、もっともっととカテコをねだるものなんじゃないの??

 あのお約束気分でしかないテンションの低い拍手と、お約束のうちのカテコだけで、終わり?
 そんなバカな。
 ありえない。

 客電が点き、寿美礼ちゃんのアナウンスも流れた。みんな立ち上がり、帰り出す。

 わたしは、隣のnanakoさんやハイディさんと共に、場の空気に乗り切れず「?」をとばしていた。

 なんでみんな、とまどわないの? 変じゃないの、コレ?

 わたしの知っている千秋楽とあまりにちがい、びびりまくった。
 えーとえーと、前回の『マラケシュ』ムラ楽は、こんなじゃなかったよねえ? あのときはこんなこと、なにも感じなかったよ? 「知ってるのとチガウ!」なんて、カケラも思わなかった。
 気持ちよく泣いた。あたたかい気持ちいっぱいで、見送った。

 
 生の舞台は、こんなにこわいんだ。
 観客の温度がダイレクトに伝わるんだ。

 だからこそ、舞台は魅力のある場所なんだろう。
 そこで生きることを許された舞台人たちは、特別の存在なのだろう。

 
 サヨナラパレードは、パスした。
 ごめん、とても見送れない。
 退団者のみなさんが、幸福でありますようにと、遠く祈るのみ。


日記予定。

2005年12月14日 タカラヅカ
 えーとえーと。
 書く予定のこと。

14日 花楽その2。短い文章が書けなくなっているわたしのことだから、この欄も前日の話題の続きだろう。
15日 花楽その3。同上。もしくは、まっつとかみわっちとか。
16日 あなたの微笑みだけで。@オサ様
17日 タカコン雑感。
18日 愛とよろこびの空間。@タカコン
19日 花總まりという生き方。@タカコン
21日 歓声が聞こえる。@事故について
22日 たかちゃんに会いたい。@私感・和央ようか
23日 予備日(笑)。どっかで話が長引いて、ずれ込むかも?
25日 まっつを探せ!@HOTEL DOLLYのクリスマス
26日 あれから1年と言い続けて。@月組東宝千秋楽
27日 彼が主役でいいのか?@JAZZYな妖精たち
28日 別の宇宙から来た人。@花の道
29日 微妙イベント。@花の道

 と。こんな感じ?
 最近、DiaryNoteで書くのが億劫になってきてるんで、ついつい溜まってしまった(笑)。

 えー、こあらったは元気にヅカヲタしてます。
 まっつへの愛も日々強まっています。まっつメイトも出来てしあわせです(笑)。
 ぼちぼち更新していきます〜〜。


 どこまで書いていいのやら。
 とまどいが、筆を重くさせる。

 花楽周辺は、検索が来まくっていたこともあり、こわくて書けなかったよ。
 嘘は書けないし、かといって中傷ととられそーなことを書きたいわけでもないし。

 わたしは初日や千秋楽というイベントが大好きだ。先入観ナシに作品をたのしみたいと思っているので、どっちかっつーと初日の方に重きを置いていたりするが、組や作品のファンだと千秋楽もぜひ参加したいと思う。
 「最後」を見届けたいと思う。

 千秋楽は初日とちがって手に入りにくいので、観られないときはさくっとあきらめている。仕方ないよ。
 でも。
 今回の花組公演は、なにがなんでも観たい! と思ったの。
 博多座千秋楽に。

 博多座で、我らがトップスター・オサ様は素敵にぶっ壊れていた。
 ナルシーで自己完結しているあの方が、観客に向かって愛を放出し、「愛し、愛されること」の幸福感にくにゃくにゃになって笑っていた。

 どーしたんだ春野寿美礼?!

 と、びびっているところに、オサコンだ。
 博多座のあとすぐにあったこのコンサートで、これまたオサ様は素敵にぶっ壊れていた。
 客席に向かって「アイシテルヨー!!」と叫ぶよーな、別の生き物になっていた。

 なにやってんですかオサ様?!
 なにがあったの?
 なんでそんな、別人になってるの??

 変わり続けるオサ様にくらくらして、目が離せなくて、なにがなんでも見届けたいと思った。
 次の公演も、そうなんだろうか。挨拶のときに「アイシテルヨー!」と叫ぶのだろうか。
 だからなにがなんでも、初日と千秋楽は観なければならないと思ったんだ。

 そして、花組公演『落陽のパレルモ』『ASIAN WINDS!』初日。

 オサ様は、いつものオサ様に戻っていた。
「軍服うれしー♪」としか言わない、自分にうっとりしているだけの自己完結ナルシスト。
 博多やオサコンは、夢だったのか??
 いやいや、千秋楽まで観てみなければわからない。千秋楽ならば、愛に壊れているオサ様がみられるかも。

 
 そーやって、千秋楽。
 はたしてオサ様は?

 
 オサ様は、オサ様でした。
 オサ様でしか、ありませんでした。

 博多やオサコンは、遠い夢幻だった。

 
 もちろん、わたしは自己中なオサ様も好きだ。ナルシスト上等、性格悪くてもコドモでも、そんなもん、彼の魅力を損なうものではない。悪い男にこそ魅力があったりするもんだ。
 だから、それは別にいいんだけど。

 ちょっと、かなしかったのも、事実。

 
 タカラヅカは、まずトップスターありきなんだなと、しみじみ思い知った。
 春野寿美礼が変われば、組が変わり、公演が変わる。そして、客席が変わる。
 博多座やオサコンの舞台、観客と、今回のムラ公演の舞台と観客は、まったく別物だった。

 わたしは花担ではなかったので(あれ? さり気に過去形??)、花組の千秋楽を観たことがあまりない。オサ様になってからは、『不滅の棘』『野風の笛』『天の鼓』『マラケシュ』『I got music』と、今回の『パレルモ』ぐらい?
 なんか、そのときによって舞台(と客席)の温度がばらばらなんですけど。

 たとえば『天の鼓』のとき。……あまりに温度が低くて、びっくりした。お約束のようにスタオベが起こっていたけれど、空気はなんとも淡々としていて……不思議でしょうがなかった。スタオベって、もっとこう、興奮して、感動を抑えきれなくてするものだと思っていたから。こんなに低温なのに、みんな冷静なのに、するの?(『不滅の棘』のとき、わたしとデイジーちゃんはいちばんに立ち上がってしまいましたっけ……興奮ゆえに)
 オサ様自身もとっても静かで……機嫌良くニコニコはしているけど、それ以上ではなくて。ゆみこちゃんとはしきりにアイコンタクトしてるけど、相手役には一瞥さえくれなくて。
 そ、そーゆーものなのか、と思っていたら。

 次の、『マラケシュ』ムラ楽はそんなことなくて。
 オサ様はふつーにホットで、客席もホットだった。
 サヨナラだった樹里ちゃんのカラーが強く出ていたのかもしれないが。
 舞台も客席も、あたたかかった。

 次の博多座、オサコンのとんでもないアツさは、どーかしていた、真夏の夜の夢、でもいいけど。

 樹里ちゃんを見送ったあのあたたかい千秋楽の、次のムラでの千秋楽。
 それが今回の『パレルモ』楽だ。

 今回の空気は、あまりにも……あまりにも……。

 
 わたしが観てきたなかで、もっとも冷めた千秋楽だった。

 劇場の空気はしんと引いているのに、オサ様はマイペースだった。
 にこにことご機嫌で笑っていた。
 退団者に向ける眼差しもあたたかかった。

 だからこそ、わたしはとまどった。
 寿美礼ちゃんは笑っていて、ちゃんと相手役にも気遣いらしいものを見せて、慈愛の眼差しを向けていたりするのに。
 それでいてなお、この温度なのか。

 正直、オサ様はもっと冷たい態度を取るんじゃないかと心配していたので、彼がふーちゃんにやさしいことが意外だったりもしたんだ。(ごめんよぅ)
 なんだオサ様、ちゃんと配偶者としての務め果たせるんじゃん。それならなんで今まで……ゲフンゲフン。

 そうやって、ふつうの夫婦のように、ふつうのトップコンビのようにしているのに。

 劇場の温度は、上がらなかった。

 もちろんそれは、ふーちゃん個人の問題も大きいのだけど。
 舞台と客席の空気や温度を、トップスターの力で変えられることを知ってしまったあとだから。
 やっぱり、オサ様にはがゆいものを感じてしまった。

 オサ様笑ってるけど、あたたかい眼差しをしているけど、ソレまだ、ぜんぜん本気じゃないよね?
 オサ様の本気の笑顔やあたたかさって、もっと別だよね?
 愛があふれているとき、オサ様は低温なんかじゃない。灼熱にはならなくても、十分な熱量を放つ。博多でもそうだし、とくにオサコンでは、そうだったよね?
 発する熱で、客席の温度をも上げたよね?

 今回のオサ様、ぜんぜん熱がないじゃないか。
 ご機嫌だけど、やさしげだけど、それだけじゃないか。

 それは……それって、どうなんだろう。
 相手役の、退団公演なのに。

 ……もちろん、いいんだよ。
 わたしはそれでも、オサ様好きだから。
 聖人君子でもない、博愛主義者でもない人だとわかっていて、好きなんだから。

 納得はしていても、やっぱりちょっと、とほほだった。わたしは。

 愛に壊れているオサ様が、見たかった。

 だから、千秋楽にこだわったんだ。楽なら、そんなオサ様が見られるかもしれないって。

 それとも、東宝楽なら、見られるのかな。
 でも東宝楽はわたしなんかには手が出ないし。

 冷めた空気の中でそれでもにこにこ笑っているオサ様は、いびつで、まちがっていて、なんだか放っておけない人で、苛立ったりあきれたりする気持ちと同じ深さで、愛しくもある、こまった人だ。


 『宝塚デスクトップカレンダー』の歴史。

 2004年版。トップスターからのメッセージ聞けず。使い込んだのちに破損。データ紛失。
 2005年版。トップスターからのメッセージ聞けず。使い込んだのちに破損。データ紛失。
 2006年版。インストール事故。たぶん、トップスターからのメッセージは聞けないだろう。

          ☆

 わたしは、『宝塚デスクトップカレンダー』(以下TDC)を愛用している。毎年。
 愛用、てのは、ほんとーに「使っている」ということだ。
 日々の日記や予定など、「おぼえておきたいこと」「忘れたくないこと」を書き込んでいるんだ。
 大切な「日記」だ。
 あとで振り返ったときに、「ああ、あの日はこんなことがあったんだ」「あのころは、こんなことを考えていたんだ」と、切なくも愛しく思える……そんな本気の愛用ぶりだ。

 なのに、TDCは1年持たない。

 日記だよ? 一生持っていたい、大切にしたいと思うものなのに。

 寿命、1年弱。

 
 そもそも、TDCのオマケである「トップスターからのお誕生日メッセージ」からして、ダメなんだ。
 聞けないの。
 謎のエラーで強制終了。
 おぼえている限り、2004年度版からすでに、そうだったよな?
 2005年もまた、聞けなかった。

 もちろん、わたしのPCがかなりガタがきているせいなんだろう。
 でも、ふつーにテレビやビデオなどの動画を見ることも出来るし、いろんなサイトのいろんな画像や動画をたのしむことが出来る、最低限の機能はあるよ。映画の予告編とかゲームのCMとか、日々ふつーにPCで見てるよ?
 なのに、TDCの動画だけは、見られないの。何故か。

 動画を見られないだけなら、あきらめもついたさ。
 しかし。

 2004年版は、データが破損した。
 一生残すつもりで書き込んでいた日記が、全部消えた。
 原因はわからない。

 それでもめげずに、2005年版を買った。
 やっぱり「トップスターからのお誕生日メッセージ」は見られなかった。原因は不明。
 改悪され、超絶使いにくいわ、意味ないわ、の信じられないスケジューラーだったけれど、それでもわたしは前向きに愛用していた。
 一生残すつもりで、日記を書き込んでいた。

 2005年版と同じだったら、使いにくいことこの上ないな、と思っていたけど。
 今年買った2006年版は、2004年版以前のタイプに戻っていた。
 ほんとうに不評だったんだな、2005年版。
 たった1年で、元通りかよ。
 発売元が「改悪」だと認めたんだね。2006年版では改めてくれて助かった。ほんとに、スケジューラーとして、またタカラヅカとして意味ナシだったからな、2005年版。

 つーことで、機嫌良く2006年版をインストールした。
 スケジューラーが立ち上がっていちばん最初に入力するのは、自分の誕生日。
 これで、2006年の9月29日には、トド様からのメッセージが聞けるのね……運がよければ。2年連続無理だったから、半分あきらめてるけど。
 次に、壁紙をインストールした。
 信じられないのは、インストール先を指定できないこと。
 スケジューラーはファイル指定できたのに、それ以外はできないの。問答無用でCドライブのProgram Filesに入る。
 Cドライブには入れたくない人なのに……。
 あとで移動させるか、ったくめんどーだな、と思いつつ、次にスクリーンセイバーをインストール。

 ここで、信じられないことが起こった。

 「インストールしますか?」→「はい」をクリック。
 とゆー、これだけしかユーザーが手を触れることのない簡単インストールで。

 エラーが出た。

 PCフリーズ。
 強制終了も効かない。リセットも無駄。

 コンセントを抜くしかなくなった。

 再起動しても、TDCが壊れたまま残っており、どーすることもできなくなっていた。

 いったい、どーゆーエラーなんだ。
 ものすげーややこしい・容量の多いデータだのをインストールしてたんじゃないよ? たかがスクリーンセイバーだよ?
 ネットから怪しいソフトをダウンロードしたんじゃないよ?
 正規品を正規ルートで買って、正しくインストールしただけだよ?
 ワンクリックで、あとはなにもしない、そんな簡単プー作業なんだよ?

 それでなんで、PCがぐだぐだになるの?

 TDC自体をアンインストールしよーとしたが、そのあたり全部壊れているみたいで、どーにもならない。
 アンインストールできるところまでして、あとはひとつずつファイルを拾って削除した。
 日付で検索して、TDCインストール後の時刻のものを全部削除した。TDC関係だと思えるファイルは全部消去した。
 1回なにか削除するたび、念のためにPC再起動させて。今度こそ、うまく動いてくれよ、と。

 他にもっといい方法があるのかもしれんが、わたしゃPC音痴のおばさんだ。わかんねーよ。

 そーやってよーやく、PCがふつーに動くようになった。
 はあ、やれやれ。

 そのときに、気づいた。
 PCが立ち上がったときに、あの使えないTDC2005年版が自動的に立ち上がり、存在を主張するはずなのに……ない、ことに。

 2005年版が、ない。
 なくなってる!!

 そうか、TDC関連全部、アンインストールできるものはして、捨てられるものは全部捨てたから。

 2005年版も、捨てちゃったんだ!!

 一生残すつもりで書き込んでいた日記が、全部消えた。
 2004年版につづいて。

 
 ………………。

 
 使いにくい、意味のない、ひどいスケジューラーだった。
 それでも自分を奮い立たせ、使い続けてきたのに。
 1年分の記録が、消えちゃったよ……。

 
 全削除したわけだから、もう一度、おそるおそる2006年版TDCをインストールした。
 まず、スケジューラー。次に壁紙。最後にスクリーンセイバー。
 今度は全部ふつーにインストールできた。
 ……さっきのエラーはなんだったんだ。

 ん?

 スケジューラーをインストールしたとき、最初に出る画面は、「誕生日入力画面」だよな?
 なんで出ないの?

 わけがわからない。
 仕方なく、アンインストールして、最初からやり直した。

 それでも、誕生日入力画面は出なかった。

 
 ………………。

 
 そっか。
 お誕生日設定、できないのか。

 ははははは。
 2006年も、「トップスターからのお誕生日メッセージ」は聞けないこと決定か。

 
 TDCって、なにかあるんですかね?
 毎年毎年、見事にろくなことがないんですが。
 無事に機嫌良く使えたことがないんですが。

 もちろん、わたしのPCスキルがサル並みだから、つーのが大きいんでしょうが。
 それにしても、他のソフトはサル並みながらなんとか使って生きているのに、TDCだけはダメだっつーのは。

 向いてない、ってことですかね。
 TDCユーザーに。


 『宝塚デスクトップカレンダー』を、トップスター+1の数だけ出すの、やめてくださいよ。
 去年もそうだったけど、今年もまた、悩みまくりました。

 誰を買うか。

 パソカレは数種類買ってますとも。
 所詮紙だから、壁さえあればいくつでも貼ることが出来る。
 でもな、デスクトップカレンダーは、ひとつで十分なんだよ。わたし、PCひとつしか持ってないんだよ。

 3年前までのパターンで十分だったのに。
 3年前のTDCは、スタカレ、ステカレ、卓カレ全部収録してたよな? そっから好きな画像を毎月選ぶことが出来たよな? カレンダーはひとつ。でも、画像は紙媒体カレンダー全部収録(パソカレだけのぞく)。紙媒体なんか買わなくても、TDC1枚買うだけでことが足りた。
 トップ+1にしちゃったら、他のジェンヌのファンは買わなくなるじゃん? 売り上げ、落ちるでしょう? なんでこんなことを……。
 はっ。TDCに全部収録しちゃったら、紙媒体カレンダーが売れなくなったのか? それでわざと、収録しなくなったの? トップ+1の6人以外は存在しなくなったの?
 わけわからん。

 とりあえず、毎年買っているから、今年も買おうと思った。
 1枚だけ。

 問題は、どれを買うかだ。

 わたしは息の長いトドファンなので、トドを買うべきかとも思う。
 しかし、現在はとってもアツい寿美礼ちゃんファンでもある。
 コム姫だって特別だ。
 たかこのこともずーっと好きだし、第一今年発売されるカレンダーが最後なんだ。

 誰にすればいいの?!

 いっそ2番手も選択肢に挙げてくれればいいのに。
 トップ+1だけでなく、パソカレメンバー全員のTDCを出してくれよ。
 そしたら迷わず水くんの買ってるのに(笑)。いや、迷うか。ゆーひくんと。あああっ、結局迷いまくることになるっ。
 そりゃ、まっつのがありゃ、迷わずまっつを買ってますけども。……ありえないし。

 迷った。
 悩んだ。
 そして。

 物欲に、走った。

 ネットのHANKYU BOOKSでTDCを買えば、送料240円がかかるが、ノベルティのポスカがもらえるというのだ。
 それも、パソカレ写真をポスカにしたものだという。

 わたしはポスカ好きだ。
 だもんで、心が動いた。

 大体パソカレは、半端にでかいから不便なんだよな。昔のサイズの方が好きだったよ、愛蔵版って感じで。
 でかくて不便なこの写真が、ポスカサイズになってくれたら、うれしいかも。

 ポスカは1枚。
 パソカレのどの写真かはわからない。

 これはなかなかに、ギャンブルだ。
 パソカレに載っている写真の全部が全部、ポスカにしてほしいような、美麗かつお気に入りの写真ってわけじゃない。舞台写真とか、「何故にコレ?」なものもある。

 選べない以上、「ハズレの確率の低い」ものにしなくてはならない。
 パソカレを見比べる。
 どの写真が来てもいい人は、誰?

 
 結果。

 
 今年も、轟悠様に決定しました。

 
 だってなー。
 どの写真見ても美しいんだもんよー。

 トド様最近、変わったよね?
 不自然な「男役だから!」という片意地張ったところがなくなり、自在に「女であること」をたのしんでいるよーな写真になっている。
 もともと「美貌」という点では追従をゆるさない人だから、みょーちくりんな「男役だから!」というこだわりゆえに自爆した写真よりも、「美しい女性」として撮られている写真の方が自然でいい。
 若いころより、今の方が美しいと思うよ。
 年輪を重ねた美しさ。なにかを超えたうえでの、解き放たれた美しさ。

 
 そーして申し込んだトド様TDCが届きました。

 非売品ポスカは、7・8月分写真と同じものでした。きゃー、きれー。

 壁紙に、「轟悠スペシャルセレクション」なるものがあるのでインストールしてみたら、たしかにスペシャルだったし(笑)。
 わたしは機関誌を買ってないんでわかんないけど、雑誌に載っていたトド様写真が収録されてるのかな? インストールしたときに最初に表示される1枚がめちゃ美しいわ色っぺーはで、どきどきです(笑)。
 長らく「トート様にチューされそーなルドルフ@ゆーひくん」を壁紙にしていたんだが、トド様に変更しました。はい。

 でも、こーやってカレンダー画像以外のものも収録されているとなると、他の人のも気になるなあ。
 寿美礼ちゃんとかたかことか、どんな写真が入ってるのかなあ。

 ……あああ。
 だからだからっ、わたしの心の平穏のためにも、『宝塚デスクトップカレンダー』を、トップスター+1の数だけ出すの、やめてくださいよおぉ。


 ハマコを見なければ、雪組を見たという気がしない。

 ハマコを最初に認識したのは、いつだったろう。
 気がつくと彼は、子役専科として、そこにいた。
 立て続けに少年役ばかりをし、そのやけに濃い、力の入った演技が印象に残った。

 カオも芸風も、今と変わっていない。
 なのに彼は、「子役専科」だった。

 小柄である、というただそれだけの理由で。

 ……無理があるだろう、歌劇団。
 なんでハマコが子役なんだ。おやぢにしか見えないぞ!! と、当時は混乱しましたよ。
 研5にして、おやぢにしか見えない、つーのも気の毒だけどさ……。同期のしいちゃんがぴかぴかの美少年なだけに……。

 なんにせよ、ハマコはハマコだった。
 子役を卒業しても、なんら変わりはない。あの熱さ、あのクドさ。

 うれしそーに舞台に立つ姿。
 場の空気も自分の立ち位置も顧みず、全開で歌う姿。

 彼を嫌う人がいるのも、わかる。
 だってハマコはあまりにハマコで、全開すぎるんだもの。
 主役はコムちゃんだってば、アンタはただの脇の歌手!!てなときにも、まるでようこそ、未来優希の魅惑のステージへ!ってカオと声で朗々と歌ってるんだもんなあ。
 耽美なシーンも、その押し出しのよすぎる声と、昭和ムード歌謡めいた歌い方で台無し。
 ……と、苦情はよく耳にする。

 それらの意見もわかるんだ。納得できるんだ。

 でもわたしは、そんなハマコが好き。

 彼が歌い出した途端、場の空気が一掃されちゃうのが愉快。
 それが下手くそな歌声なら嫌だけど、昭和だろうが演歌だろうが、とにかく耳に心地よい豊かな歌声で。
 主役をくってやる! スタンドプレイ上等!として出しゃばっているなら嫌だけど、ちゃんと脇で脇らしく、されど「舞台に出られてうれしい! 歌うの大好き!」と満面の笑顔で。
 舞台人としてのプラスの意識ゆえに、舞台から浮いてしまうほどの全開パワーになっているから、彼の浮きっぷりがかわいい。

 そりゃーハマコが、水くんなみの「色男」、コム姫なみの「耽美キャラ」、かっしーなみの「美形」として扱われていたら、納得していなかったろうけど。ハマコはあくまでも「脇で支える人」「歌手」「おやじ役」としての扱いをされているじゃん。(ex.美少女役をやるあいようこは謎。歌手扱いをされているあいようこも謎)
 その扱いの中で、それでもなお爆発的な歌声を披露している。
 たのしそうに、うれしそうに。

 脇なのに、おやじなのに、そんなの関係なく。主役であろうとなかろうと、美形役であろうとなかろうと、たのしそうに、自分の仕事をしている。
 「お呼びじゃないんだよ!」と思う人がいるくらいの、とてつもないパワーで。

 
 ショー『ワンダーランド』は、どーしても好きになれない。
 つまらないし悪趣味だし、どーにもノれない。好みの問題ね。

 出演者はみんな好きよ。
 がんばっている彼らを見るのは好き。
 トランプ衣装はけっこー好きだし、インディアン娘まーちゃんがめっさかわいいとか、カウガールのミニスカ萌えとか、部分的には好きと思えるものもある。
 されど、嫌な部分が多すぎてな……。

 それでも、ハマコがいるから許せる。
 うんざりする演出のなか、ハマコが出てきて、そのうんざり感を吹き飛ばしてくれるのがいい。

 うんざりしている、あきれている、そんな後ろ向きでつまらない気持ちのわたしこそが悪いのだと、すこーんと後ろアタマを張り倒されるような。
 おおらかに、あっけらかんと。
 とびきりの笑顔と「いい声」で、「たのしい世界」へ連れて行ってくれる。

 ぶっちゃけ、ハマコが出てくると、笑えて仕方がない。

 うんざりしていたはずなのに、ハマコがぷわーっとした笑顔と大声で出てくると、身をよじって笑ってしまう。
 なんだか、幸福な気分になる。
 なんだか、いいものを見ているよーな気になる。

 後半の「栄光」のシーンですか、「グローリーグローリーハレルヤ♪」と歌いながらコム姫が登場し、次に水くんが登場し、彼らの衣装は基本形だけ同じでコム姫、水くんと衣装のきらきら飾りは減っていき、次のハマコに至ってはなにもきらきらしていないただの地味黒なだけの衣装になっているというのに。
 その、いちばんあとから現れる、いちばん地味な衣装のおじさんの歌声が、いちばんすごい。
 思いっきりの巻き舌で、ソウルフルにシャウト!!
 その音量。その場違いなノリ。
 オシャレに無難だった若い美形ふたりのあとの、美形度ではすこーんと落ちるはずのおじさんの、ありえないほどの音量とノリ。

 それがもう、あまりにハマコで。

 爆笑してしまう。

 あーもー、大好きだハマコ。
 つまんながっているわたしが悪いんだって、思い知らせてくれる。
 だってだって、こんなにたのしいのにね。たのしいんだってこと、体現してくれているものね。
 衣装にきらきらつけてもらえなくても、おじさん枠でも、脇でも、ハマコはこんなにご機嫌。音楽が好き、歌うことが好き。踊ることが好き。舞台が好き。それを、全身で表現しているのね。

 ノリノリのハマコを見ていると、しあわせになる。

 笑えて笑えて、仕方がない。
 しあわせで、満ち足りて、それが笑みになってこぼれるの。

 ここのシーンがいちばん好き。
 全ツでは、まーちゃんがパンツルックで参加、がしがし踊ってるし。それがまた、めーっちゃかっこいいし。

 それまでのローテンションが嘘のように、ここからだけは盛り上がる(笑)。
 あとはそのままフィナーレへなだれ込むから、結果として「なんかたのしかったよーな」錯覚に陥る(笑)。

 引き金を引くのはハマコ。
 力尽くで、彼の側へ連れて行ってしまう。

 
「ハマコの『ハレルヤ♪』を聴かなきゃなっ」
「そうよ、ハマコを聴かなきゃ!」


 と、それを合い言葉として、ショーを観る励みにしてしまうほどに。

 曇った空気を吹き飛ばすハマコの歌声と存在を、必要としている。
 ハマコを見なければ、雪組を見たという気がしないほどに。


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