初日を観たとき、ハイディさん夫妻とkineさんとメシを食いながら、わたしは言いました。

「龍星はいい受だけど、攻が舞台にいないんだよね。それでも萌えが存在するのは、攻は客席にいる『このわたし』と思えるからかな」

 龍星@トウコ受。わたし@観客攻。

 や、本気でそう思ったんで、口にしたんですが。

 またしても、友人たちが一斉に不穏などよめきをあげました。

 ……なんでだろう……わたしは、それほど奇異な意見を言っているつもりはないんだが。わたしのよーな凡庸な人間が考えることなんか、世のほとんどの人が考えている、と思って口にするんだが。

「そんなことを考えるのは緑野さんだけ」

 と言われると、しょんぼりです。
 こーやってブログに書いても、賛同者なんかちっとも現れないしな、いつも。

 いやいや、賛同者がなくても、聞いてくれる人たちがいるのはありがたいですとも。
 友人たちは、わたしの「萌え」に賛同してはくれませんが、とりあえず否定はしないので。笑ったり脱力したりしながらも、受け入れてくれるので、わたしは恵まれていますとも。

 まあなんにせよ、星組DC公演『龍星』の話。

 初日に観たときは、とにかくもー、トウコちゃんに圧倒されて帰りました。
 他の人たちもがんばってはいたけど、トウコのひとり勝ち状態というか、誰も彼女のいる場所に到達していない印象。
 主役的ではない主人公を、実力で真ん中に据え、劇場を自分のオーラで埋め尽くしていた。
 トウコから、ナニカ出てるのが見えたよ。
 この人は「真ん中」に置くとコレをやるよね。「場」を自分の「気」で満たす。空気を自在に操る。
 「助演」しているときは感じない。「主演」のときだけ発散するオーラ。
 「真ん中」に立つべき人だなあと思う。素直に。
 ……ハコの大きさ云々はわかりませんがね。2500人収容の大劇場で、同じようにオーラを放てるかどうかは、まだ観てないんでわかりませんが。
 バウも青年館も余裕でOKだった。DCも大丈夫。と、段階を踏んで「真ん中」オーラ実証。さて、次に大きなハコはどこで、それはいつかな。

 初日の「トウコひとり勝ち」状態を目にしたあとでは、「萌えだけど、攻がいない」としか思えなかったのよ。
 だって、誰も龍星と同じ地球に立ってないんだもん。わたしは設定資料だけ見て萌える性癖はないの。「物語」にしか「作品」にしか萌えない。

 たったひとりで、ひとりぼっちで凄絶な姿をさらし、客席をすすり泣きで埋めてしまう龍星。
 彼に萌えるとしたら、カプではなく単体。
 攻はいないのに、ひとりで受。

 そんなのアリ?
 受単体なのに萌えなんて、ふつーは萌えが鈍るよね。

 いやいや、攻はいますとも。
 ずばり「観客」が攻視点でしょう!!

 あまりに哀れな、痛々しい龍星を見て「あたしが守ってあげたい!」とか、「泣いていいのよ!」とか、「名前なんか関係ない、あなたを愛してる!」とか、思ってるでしょう、観客のみなさん!
 それが、「攻視点」ですよ。

 龍星の妃砂浬@みなみちゃんもまた、見事に攻視点で龍星を愛していたでしょう?
 消えてしまいそうな背中を見て、守ってあげたくなるわけですよ。
 守られたいとか甘やかされたいとかじゃないの。「わたしが」彼になにかしてあげたい。彼の盾になりたい、やすらぎになりたい。「わたしに」ではない。
 能動的な愛の衝動。
 それが、攻ってことですよ。

 わたしだけじゃないでしょ?
 他にもみんな、攻になって龍星を見つめていたでしょ? ね、みなさん?!

 
 とまあ、思わず冒頭からイタい語りをしてしまいましたが。
 今回は「萌えカプ」についての話(笑)。

 『龍星』でいちばんわかりやすいのは、主従カプだ。秘密を抱える孤高の皇帝龍星と、その忠臣飛雪@あかしは、「設定」だけなら萌えだろー。脚本だけ読んでも萌えかな。
 でも、実際に舞台で見るとちっとも萌えない。
 ほら、アレだ。『花恋吹雪』の五右衛門と才蔵が設定と脚本だけなら萌えだったのに、実際の舞台ではちっとも萌えなかったのと同じだな。
 『花恋吹雪』のときに、歯がみしたもの。「才蔵に色気があれば、どんなに萌えただろう! なんであんなにただの『余裕のない優等生』なのよーっ!」と。
 今回の『龍星』を見て、「頼むよ、忠臣には色気のある人を使ってくれよ。才蔵の二の舞だよ」と思っていたんだが。

 2回目以降の観劇では、あかしくん、成長してましたっ!!

 あ、あれ? あかしなのに、かっこいいぞ!!(失礼な)

 設定的には「クールな片腕」であったはずの飛雪が、初日は体育会系の暑苦しい男の子だったのよね。
 「冷静」とか言われると首を傾げてしまうよーな、そぐわないキャラクタ。
 服装は真っ黒でがんばってるけどさー。李宰相の死体持ち上げるのもうまくできずに、死体のはずの宰相に「協力」してもらってようよう持ち上げていたし、なんかこー、トホホなクールキャラだなー。

 だったのに。

 飛雪が、かっこいいですよ、奥さん!!(誰)

 ちゃんと「クール」になってますよ。孤高の龍星の腹心たり得る風格がありますよ。

 あかしだって先入観がなければ、十分萌えられます。(失礼な)

 顔が大きいのも、本物の男性っぽくていいよね。日本人男性は五等身が基本だもんね。
 骨太な容姿は、ストイックな風情を身につけられれば武器になりますよ。

 初日も、暑苦しい小物感はあったものの、龍星への愛は強く伝わっていたので、それが日を重ねるにつれ役割通りの「クール」キャラになっていってくれると、さらに際立ちます。

 静かに熱く、皇帝を愛する忠臣。
 身分をわきまえ、光を支える影であることを信条とする男。

 いい感じにできあがっていて、うれしかった。
 この役が万が一ケロなら、きっと別の物語になってしまっただろうから、あかしぐらいの抑え方が正しいんだと思う。ここでケロを思い出すあたり、あたしもアレだが。
 でも、ケロがこの役をやったら、えらいことになってたよねえ? ウバルドが「失恋逆ギレ男」になったよーなもんで、飛雪もストーリー曲げるとこまで暴走しちゃうよねえ?(笑)

 
 飛雪がいい男になってくれていたので、「観客攻」とか言わなくてもすむようになりました。

 素直に飛雪×龍星で萌えておきます。
 あ、もちろんプラトニックですよ。
 主従カプはプラトニック推奨。惚れている方(家臣)がぎりぎりまで自分を律するのだー。据え膳にも手を出さないのだー。
 いっそできあがっちゃった方が受姫を救えるのに、堅物な攻家臣は手を出さないの。カラダのつながりがあった方が、孤独な夜に抱きしめてくれる腕があった方が、受姫はやすらげるのに……堅物家臣にはソレがわからないのよーっ。自分が触れてはならない人だ、と思い込んで悶々としているの。
 萌え。


 第46回『宝塚舞踊会』に行ってきました。

 えっ、今年も? 去年が人生最初で最後じゃなかったの?
 ……ええ、わたしもそう思っていましたよ。

 でもさ。ゆーひくんが出るんじゃ、観に行くしかないでしょう?

 まあ今年は、去年ほどがんばらず、そこそこの席でお安く観ました。

 去年の経験から、「1階S席センターから下手がオイシイ」とわかっていたので、下手をゲッチュ。花道が近くてたのしかった。

 今年の舞踊会の印象は、地味でした。

 出演者云々じゃなく、プログラム自体が。構成全体が。
 ほんとに「発表会」って感じ。
 去年、「発表会だと思ってたけど、ちがった。日本物ショーの方が近いや」と思ったのを、覆してくれました。

 帰宅してから去年のプログラムを本棚から引っ張り出したところ、表紙にでかでかと「宝塚歌劇90周年記念」と書いてあるから、去年が特別公演だったのかも。
 内容も3部構成で、凝っていたもんなー。

 ところが今年は「第*部」とかはなく、演目がひとつずつ独立して並んでいるだけ。
 うわー、テンションがチガウ……。

 
 日舞になんの興味も知識もないわたしには、少々つらい公演でした。
 なにしろわたしゃとことん俗な人間なんで、エンタメ以外ついてゆけないのよ……高尚なモノは理解できなくて。
 去年がたのしかったから、今年もたのしいと思い込んでいたよ……そうか、舞踊会ってこーゆーノリなんだ……。

 
 ま、それはともかく。

 劇団もそーゆーとこをわかっているのか、いわゆる「スター」の出ている場面だけは「エンタメ」系の演目でした。

 休憩を挟む前半(1幕2幕の区切りがないので、こーゆー呼び方をするしかない)のトリ、ゆみこちゃんとみわっちと大伴さんの「越後獅子」。

 タップダンスがありました。

 またしても!
 今年はタップの年なんですか、歌劇団。何連続タップダンス観てるんだろー(笑)。

 角兵衛獅子の被り物つきで登場した3人、ひとりずつお着替えをし、一枚歯の高下駄を鳴らして踊ります。うわー、日舞タップだー。
 てゆーか、一枚歯の高下駄って……うっかり踏み損なったら捻挫必至。えらいことやらせるなあ。見ててドキドキ。
 でも、かわいくてたのしいシーン。

 ええ、ゆみこちゃんとみわっち。ふたりで手をつないでタップ踊っちゃいますよ!!
 プリチー!!
 客席からは、笑いが。
 その微笑ましさにね。

 そして次は、新体操のリボン演技。3人揃って幅広の布をくるくる回します。
 いやアレ、すげー大変だろ。細いリボン回すのでもすげー腕力いるだろーに、あんなに太い布を……。女性向きの振付じゃないんだよな。大変だよな、男役。

 ひさびさに見るゆみこちゃんの青天。やっぱいなせだわ。
 角兵衛獅子の被り物も似合ってたし(笑)。
 きゅっと引き締めた口元、そしてチャームポイントのほっぺのえくぼがデフォルト状態。かわいーかわいー。

 でもさ。
 ゆみこでなにがいちばんハァハァしたかって。

 生着替えですよ、生着替え!!

 舞台の上で客席に背中を向けて、衣装替えをするのね。ゆみこだけ、2回も(他のふたりは1回だけ)。
 裃姿のおじさんに介添えさせて。

 その姿がね、なんかもー、すごく「きゃ〜〜!!」なのよ!(笑)

 うわー、ちょこんと坐ってるー。やだー、着替えさせられてるー。下駄履かせてもらってるー。
 全部全部、受動態。ゆみこ自身はなにもせず、坐っているだけ。おじさんがその足元にかしづき、すべてを整える。
 や、ゆみこに限らず誰だってそうなんだけど。そーゆーもんなんだろーけど。

 相手がゆみこだと、萌えました(笑)。

 
 もう1組の「スター」は後半の、ゆうひ、らんとむ、ほっくんの「独楽」。
 ゆみこたちがエンタメ系で来たから、ゆうひたちは二枚目路線で来るかと思いきや、さらに愉快系になっとりました。

 てゆーか、台詞付き。
 日舞発表会で、男役の台詞を聞けるとは思わなかった……ゆーひくんの台詞からはじまるんだもんよ。

 独楽売りダンスなんで、口上付きでわざとらしい独楽の小道具を使ってみたりと、あちこちで笑いが起こっていた。
 青天ではなく、バンダナみたいな帽子。時代劇の露天商がかぶっているよーな。
 こちらも生着替え有り(笑)。でもそれほど萌えず。

 わたし的ポイントは、ゆーひくんの口角が上がっていたこと。

 なんか、やさしい表情になってるね、ゆーひくん。
 口角が上がっていることなんか、以前はそうそうなかったから、なんだか新鮮でした。
 学年順だからなんだろーけど、この面子でもセンターだしね。「スター」だしね。
 いろんなことが新鮮。

 
 自分的にちょっとびっくりだったのは、月組下級生よりも、花組下級生の方が見分けがついてしまうこと。
 ……あたしはいったい、いつから花担に……?

 そしてなんといっても、マギーの「スター」っぷりの良さにもおどろいたな(笑)。
 ゆみこ組とゆーひ組がお笑い系だったので、純然たる二枚目系シーンを踊ったのはマギーなのよ。5人口なんだけど、センター、マギー。ひとりだけ登場して、他の4人はあとから出てくる趣向。
 すげー。

 
 フィナーレは、お着替えの間に合う出番の人たちは全員緑の袴姿。

 ここでのゆーひ組がまた、すごかった。
 ……「桃太郎」やるんだもん……。とことんまで、コメディ担当らしい。プログラムには彼らトリオのこと「次代を期待されている二枚目の三人」と紹介されてるんだけどな……お笑い担当ですかそうですか。

 ほっくんが犬で、とむがサルで、ゆーひが雉。……鳴きます、3匹とも。

 鳴くんだもんよ……それぞれのナマモノになって。まさか舞踊会で、雉の鳴き真似してくれるとはな、ゆーひくん……。

 いちばんノリノリで腰を振っていたのが、ほっくん。えーとキミ、おもしろいけどやりすぎてないか? 笑いを取りすぎているよーな……や、でもそのたのしそーな姿が素敵。

 
 「スター」の扱いがここまでお笑いで統一されると、つくづく「去年は特別だったんだな」と思った。
 そして。

 去年でよかったな。と、思った。

 端正だった。去年のゆーひくんのシーンは。ドシリアスだった。真っ向勝負だった。

 ケロとゆーひの並びを見ることが出来た、最後の場面があの端正なシーンでよかったと、端正なフィナーレでよかったと、心から思った。

 今年の愉快な演出が悪いわけじゃないよ。とってもたのしかったし、あのやわらかい表情を見ることが出来たのはうれしい。
 ただ。

 去年は、あの舞踊会は特別だったんだ。
 わたしにとって。

 そのわたしにとっての特別が、さらに愛しいモノになった気がしたんだ。

 
 ま、なんにせよもう、今度こそ最後の舞踊会だ。いくらなんでも、もうゆーひくんは出ないだろうし。

「まっつが出たら、どうするんですか? 観るでしょ? そのまつで踊られたりしたら、どーするんですか?」
 nanakoさんは、悪魔のささやき。

 うわーん。まっつが出るなら、観に行っちゃうよぅ。


 まっつで寄宿舎物や英国少年物が見たいっっ。

 ……えー、昨日に引き続きまっつさんの話です。

 最近、まっつファンの方からメールもらえてうれしいです。だもんでさらに機嫌良くまっつの話です。
 今日もらったメールで、上記の意見がありまして。イイ、イイっすよ、イコさん! まっつで寄宿舎モノ、英国少年モノ!!
 うわ、想像すると鼻血もんだわ……。血圧上がるわ……。

 まっつはカオが老けてるので(笑)おっさん役もふつーにできる人ですが、芸風は「少年」アリですから。バーナードくん@NAKED CITYは超かわいかった。
 やっぱ小柄なのと華奢なのは、低年齢役もOKですよね。トウコちゃんがあの体格ゆえに、芸風がエロおやぢなのに反し、少年役を得意としたよーに。あのハマコ氏でさえ、一時期少年役ばっかやってたくらいだし。

 少女マンガ原作の英国少年モノ、まっつ主役でバウでやってくんないかなー、いつか。

 いや、主役でなくてもイイ。ソレ系の話に出られるなら(笑)。舞台がヨーロッパでなくてもいいや。
 たとえば、『1999年の夏休み』とか(笑)。原作(萩尾望都『トーマの心臓』)ではなくあくまでも、映画の方ね。無国籍でシュールな、だけどまちがいなく「寄宿舎モノ」である美しい世界。
 悠(薫)@みわっち、和彦@そのか、直人@まっつ、則夫@みつるかりせ。まぁくんでもいいな。
 直人→和彦で、キスシーン有りだよね?(笑) まっつ→そのかで片想い、寝顔に一方的キスって、萌えません? もちろん、叶わぬ想いですよ(最重要。叶ってはイカン・笑)。
 みわっちは男の子らしい悠と、繊細な美少年薫の両方で2度オイシイし。
 モテモテ和彦は、ワイルドにそのか。がきんちょ則夫は、若手のかわいこちゃんで。
 直人の影の薄さとか報われなさとか、すっげー萌えるなあ、まっつだと……。

 
 なんて、20年近くも昔の映画の話をしてないで。

 今現在の映画で、「この映画のこの役を、まっつで見たいっ!!」と思ったのは。

 ……怒らないでくださいね。

 『チャーリーとチョコレート工場』のウンパ・ルンパ!!

 ウォンカ氏@ジョニー・デップのチョコレート工場で働く小人さんたち。全員同じ顔、しかもおやぢ顔、無表情でこわい顔、男も女も同じ顔。その怪しいおやぢの小人集団が、歌うわ踊るわ、突然ミュージカルをおっぱじめる。

 わたしゃ映画を見ながら、「ああ、アレが全部まっつなら、至福のトキだわ……」とうっとりしておりました。

 ウォンカ氏が寿美礼サマで、その下僕小人が全員まっつだったりしたら、萌えくるってるわ……(笑)。

 ……ああ、やっぱりわたしの「まっつ観」って、どっかゆがんでいるよーな……。

 いやいや、まっつの素晴らしいところは「英国紳士がハマるところ」ですよ。
 気品があるのね。貴族とかセレブとか知識人とかに違和感なくなりきれるところ。
 そして、ギャングのボスもふつーにハマりそーなところ(笑)。下っ端もできるけど、えらそーな役も合う。
 医者だとか弁護士だとか教授だとか、マッドサイエンティストだとか宇宙飛行士だとかパティシエだとか殺し屋だとか「職業人」が似合うよね。制服コスプレなんでもこいというか。
 ただし、アイドルとかロック・ミュージシャンだとかダンサーだとか、とにかく花形な役は似合わないよーな……。フリフリ宮廷服やカツラも、きっと羞恥プレイ系……。
 クラシカルだから、太田芝居なんか似合いそうだ。いや、太田芝居はわたしゃ嫌いだが。

 
 と、とりとめもなくまっつ語りしてしまいましたが。

 オサコンの話のつづきをしましょー。

 わたしゃ舞台をたのしむだけのファンなんで、ジェンヌさんの素の顔や性格なんぞ知りません。お茶会にも行かないし、入り出待ちもしない。機関誌も読んでないし、トーク番組も見てません。
 舞台の上から見えるものが、すべてです。

 今回、オサコン通算何回観たんだっけな。大した数じゃない。5回だけかな。うわ、たった5回だ(今、改めて数えた。マジ少ない。チケ運に見放されていたせい)。

 そのたった5回のオサコンで、2部のMCのときのまっつを見て「他人事だと思ってるな」と感じました。

 MCがはじまると、まっつはすっかり傍観者。他の人のお話を聞く側になっちゃってる。
 みわっちとか、自分から話題に入っていくのにねー。自分から食いついていくのにねー。
 自分はここでは台詞も役割もない、てな感じで機嫌良くファンの顔して真ん中を眺めている。
 下級生ならそれでもいいけど、あーたみわっちの次じゃん。そこまで受け身になってなくてもいいんじゃあ……?
 だから、突然話題を振られると、あわてる。
 思いもしないところで名前を出されるたびに、ものすげー素の声が出る。

 それが、おかしいやらかわいいやら。

 千秋楽の、あれは2部のMCだっけ?
 まっつときほちゃんが歌う「NELLA FANTASIA」を、舞台袖でなにかしながらそのかが一緒になって歌っている、とオサ様がばらした。しかも歌詞はかなりでたらめで(笑)。
 ここでまっつ、またしても傍観者モードで、話しているオサ様とネタにされているそのかを眺めていたのね。
 そのかはほんとに素晴らしい「いじられキャラ」で、オサ様はなにかっちゅーとそのかをいじるし、観客もソレを期待してそのかがなにかするたび、オサ様がそのかに視線を向けるたびに過剰反応して笑っていた。いや、すごいよそのか。オトコマエなダンサー姿と、素のギャップが大きすぎ。
 とまあ、このときもまたしてもそのかだった。が。
 話がいきなりまっつの方にとんできた。
「まっつとデュエットすれば?」
 てなふーに。

 ええ。
 舞台袖でひとり機嫌良く「ねらふぁんたじあ〜〜♪」と歌っているそのか。

 きほちゃんパートを歌っているよーですよ。

 や、そりゃ、女の子なら自然にきほちゃんパートを歌うでしょうよ、女の子なら。
 でも、そのかって女の子だっけ? 素朴な疑問。性別確かめたことないんで、わたしは存じません。

 そのかは男役だから、男女デュオ曲をデュエット、と言えば相手は女の子であるべきでしょう。しかし、彼が女の子パートを歌っているなら、そりゃとーぜんデュエットする相手は男、男パートを歌っているのは、まっつです。

 だから突然、話がまっつにとんできたわけ。

 傍観者モードだったまっつ、突然話を振られて、めっちゃ素に。

「え? あたし?」

 と、マイクで声を上げた。
 律儀にマイク通して、なに素で答えてんだよ……(笑)。男役としてでもなく、ネタとしてでもなく、まんまですか、未涼さん。

 なんかその「え? あたし?」とゆー、どんくさい女の子なアルト声がこれまたハート直撃のかわいさでした……ハァハァ。

 まっつラヴ。

 
 つーことで、まっつラヴな人からのメール募集中です(笑)。


 えー、昨日月組大劇行ってきました。
 そのときに、いそいそとキャトレへ行ったわけですよ。ムラもキャトレもひさしぶりだから。

 目的は、オサコンの舞台写真です。

 写真はキリがないから買うことはしないよーにしているのだけど、店頭で見るのは好き。
 どんな写真かしら、素敵だといいなっ。わくわく。

 本日のツレ、nanakoさんから「オサコン写真、ほとんど残ってなかったよ」とは聞いていた。
 電車が遅れまくったせいで(電車、停まりまくり。それで30分弱overはあんまりだぞ阪急)、nanakoさんをずいぶん待たせてしまったんだな。ひとり待つ間にnanakoさんはキャトレ物色済み。

 そうかー、あんまし残ってないのかー。でもとりあえず、見るだけ見てみる〜。

 と、舞台写真コーナーへ行くと。

 たしかに、花組コーナーはスカスカになっていた。
 長田くんの写真が数種類ある周辺がアンバランスに空いており、ここに他のオサコン写真が並んでいたんだろーなー、と思わせた。

 その、スカスカのオサコン写真コーナーに。

 まっつの写真だけがあった。

 えーと。
 オサちゃんの写真は、きっとけっこーな種類と数が発売されたんだよね。そして、そのなかで2種類だけかな、残ってたの。
 コンサートメンバーのグループ写真系は完売、1枚もない。
 あと個人で発売されたのは、みわっちとまっつとそのか。
 ……えーっと。

 
 どーしてまっつだけ残ってるの?

 
 しかも2種類とも。

 まっつだけがっ。しかもたっぷりとっ。
 そのかはどこ? みわっちは?!

「緑野さん、まっつ残ってるよ、買わなきゃ」

 横でnanakoさんが言う。
 いやその、わたし、写真は買わないヒトで……買わない……か、かわ……な……。

 買いました。2枚とも。

 黒燕尾はともかく、超似合ってねえ、と泣いていた2部のエセ昭和時代アイドルみたいなストライプ・ジャケットの写真も、買いましたとも!!

 わあぁぁぁあん。
 写真はキリがないうえ、高いから買いたくなかったのにー。グッズ買うより舞台のチケット買いたいヒトなのにー。

 あんなにあんなに、まっつだけ売れ残ってたら、買うしかないじゃんよぅ。

 その足で「宝塚アン」にも行ったんですがね……。みわっちとまっつは売ってても、そのかはありませんでした。

 おそるべし、そのか。
 今上昇気流だよね。

 
 いや、まっつ写真を買ったことに後悔はありませんよ。
 エセアイドル写真はともかく、黒燕尾のタップシーン写真は超かっくいーっす!!
 さっそくパソ前に飾りました。
 ……写真飾るのなんか、ケロちゃんのミカエル大公以来だよ。

 
 さて。
 せっかくだから、オサコンまっつの話いってみよー。

 今さら言うのもなんですが、わたしは、まっつが好きです。
 すんごい愛でております。ぽっ(赤面)。

 まっつのなにが好きって、あの泣いてるみたいな笑顔です。
 不幸そうで、不器用そうで、たまりません。

 そのまっつが、オサコン千秋楽、ボロボロに泣いてました。

 笑い顔が泣き顔に見える男が泣くと、どーなるか。

 固まるんです。

 他のメンバーが感極まって泣いているなか、まっつはカオが硬直してました。
 怒ってるよーなドシリアスなカオで、固まってるんです。

 それが、彼の泣き顔でした。

「なんか嫌なことでもあった? なに怒ってるの?」
 てなカオで、男泣きに泣いてるんですよ、まつださんったら!!

 不機嫌そうな固まった表情のまま、必死に涙をぬぐってました。

 泣き顔まで不器用なんかい!!

 ……ハートに矢が突き刺さりました。マジで。

 歌声のすばらしさは言うまでもないにしろ、他のことだってふつーになんでもできる人じゃないですか、まっつって。舞台人として破綻のない人でしょ。や、投げキスは下手ですけどね。
 技術的には器用なのに、なんでこー、笑顔とか投げキスとかウインクとかそーゆーもののタイミングとか、「スター」としての必要事項、できる人には最初から備わっているものが、この人には難題として立ちふさがっているのだろーか。
 クールといえば聞こえはいいけど、なんか足りていないというか欠けているというか、寂しいというか。てゆーかわたしゃ彼をクールだと思ったことは一度もないけど。どっちかっつーとアツい人だと思うけど。なのにそう見えないのはやはり、自己表現が足りていないんだろーなと思うんだけど。
 そのもどかしさが、愛しい。

 1部の医者役でも上級生のみわっちをさしおいてリーダー格をやっているのは、キャラが老けているせいだと思う。
 そのかは変なこだわり医者、みわっちは無邪気なかわいい医者、だったよね。そしてまっつは、いかめしい真面目くさった医者。
 目の下のシワのせいか、トシより学年より「大人」キャラに見えてしまう分(そんな人、他にもいたよな……)、時折見える「少年」っぽさにドキドキする。

 それこそ、カオを硬直させたままベソかいてる姿とか。

 
 『H2$』の歌で「♪なんの役にも立たない奴ら」のところで、オサ様に肩を抱かれるのはいつものとーりなんだけど。
 楽はなんか、密着度が高くて。
 オサ様が、愛のあふれる仕草と表情で、まっつの頭を自分の顔の方に寄せ、少しの間そのままにする。
 そのときの、まっつのたよりなげな顔がたまりません。
 されるがままにオサ様の肩に頭乗せて。泣きそうな、こまったよーな、あのVictorの犬みたいな顔で。

 い、いいなあ、オサ様。
 まっつにあんなカオさせるなんて、オサ様がうらやましい……。
 だってまっつ、されるがままだし。主導権はオサ様だし。もっとかわいがって、もっともっとなさけないカオさせてくれてもいいのに(想像がさりげなく鬼畜)。

 
 それから、ひそかにいちばん好きだったのは、「OSA IN POP=COOL GUY」のTシャツ+ジャケット姿。
 華奢!!
 中性的で妖しくて、美しくて、なんだよ、んな路線もイケんじゃん、マジ知らなかったってば!な魅力とエロさが曲線描いて広がってました。
 このシーンはオサ様もごっつー美味なので、まっつとどっちを見てハァハァしていいやら、とまどいました迷いました……昇天。

 まっつを見て「美しい」と思ったのは、生まれてはじめてです……(重ね重ね失礼な発言。いや、素顔は美人だと思ってるけど)。

 えっと、お茶会に行けば、まっつのCOOLGUYの写真、売ってるんだろーか……(写真は買わないと言ったその口で)。

 てなふーに、今とってもまっつがMyブームです……。写真を飾ってるのがイケナイのか? 今もパソの前に飾ってある黒燕尾まっつの視線がわたしを串刺しにしてるのよー、きゃー。

 すんごい愛でております……ぽっ(赤面)。


 もういいかげんにしろよ、星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その9。

 わたしはこの全ツ版を観て、『ベルばら』に絶望しました。
 来年の大劇版を観に行く勇気が持てませんでした。
 そーいや『2001』のときも、「これ以上嫌いにならないために、観るのはやめよう」って思って、観劇予定減らしたんだった。

 作品は大嫌い。

 だけど。

 すずみんとしいちゃんのおかげで、来年もまた観てみようかという気になった。

 ラヴラヴバカップル全開のオスカルとアンドレ。

 余裕なくとんがってるオスカルをアンドレがからかい、つまずいたオスカルをアンドレが支える。意識し合っている少年少女そのままに背を向けるオスカル。
 そして、おいかけっこ。

 この一連のバカップルシーンを、トウコアンドレと、特出オスカルがやるの?!

 み、見てえ。

 こころから、見てえよそんなの!!

 トウコアンドレだよ? 絶対胡散臭いに決まってる。
 なにやってもどこかエロくて胡散臭いトウコが、「はっはっは」てな笑いでアンドレをやって、オスカルからかうのかと思うと、ヨダレが出るわ。

 しかも、どのオスカルももれなくでかいし。あっ、禁句を!

 トウコアンドレの方がでかいことなんて、まったくないわけでしょ? キリオスカル、コムオスカルだってトウコより小さいわけじゃないし。
 小さくてもオトコマエなアンドレが、でかいヲトメなオスカルといちゃつくのか……ノミの夫婦萌えー。

 
 てことで、わたしを絶望から掬い上げてくれたのが、すずみんオスカルとしいアンドレでした。
 このカップル、かわいくていいよ。ほんと。

 
 となみちゃんアントワネットは、さすがの美しさ。姫役者だなあ。
 気品というモノは持って生まれた才能だから、それを正しく開花させてくれる姿はうれしい。
 かなしいかな、喋り方が植爺歌舞伎まんまで棒読みテイスト。植爺はこれをいいと思ってるんだろうな。つーか、これが「王様の喋り方」だと思ってるんだろう。
 ルイ16世@みらんくんも、やっぱり歌舞伎棒読み喋りだったもの。「王様(女王様)」は下々のような喋り方はしちゃいかんのだわ。

 フェルゼン@わたさんは、期待通りのアツさ(笑)。
 フェルゼンでも歌舞伎でも、「お人形」にならないのがこの人の持ち味。

 最後の牢獄シーンの盛り上げ方とか、ワタさんはほんと、「正しいトップスター」だよね。
 どんな駄作も失敗作も、その熱演で力尽くでカタルシスまで持って行っちゃうもの。
 彼のアツさに惑乱されて、わけわかんないうちに「なんかいいもん見たかも?」と、誤魔化されてしまう。

 そんな彼についていく美少女となみも、可能性を感じさせてくれてうれしい。

 これからがたのしみなふたりだ。

 
 さて、星組名物のゆかりくんが美しすぎる問題について。

 いつでもどこでも、無意味に美しい綺華れい。
 今回ベルナールという役がついているけれど、出番は最後の数分だけなので、あとはずーっといろんなとこでアルバイト。
 いろんなところにコスプレゆかり。なんせ幕開きからマッシュルームゆかり。不適に美しい小公子。てか、さすがにそのカオとアゴで小公子は無理だろキャスティング。
 ゆかりくん探しでも、十分たのしいです。

 ベルナールは、黒髪ゆかり。黒髪ですよ。ねえちょっと奥さん、漆黒ですよ。バカっぽいトリコロールのたすきかけてますけど、黒髪美形なんですよ奥さん!!
 彼が出てくるなり、牢獄シーンにカトレアの花が飛び交ったんですが、目の錯覚ですか?
 ぜひ彼には、黒い騎士コスプレしてほしーです。黒尽くめでマントと仮面ですよ。ハァハァ。
 嫁のロザリー@コトコトがまた可憐でいいんですよ。うおー、萌える並びだなあ。

 ロベスピエール@みらんで、その片腕時代のベルナール@ゆかり、とかも見たいなあ。溜息。

 あっ。
 いちばんいいのは、サン・ジュスト@ゆかりくん!!
 オスカルがたじろぐほどの美青年。……わー……。もちろんロベスピエール@みらんで。

 みらんくんは、アルバイトの方が断然いいです。ルイ16世はことさら阿呆に描かれてますしね、植爺版だと。
 みらゆかの並びはそれだけで、なんかしあわせですもん、星担的に。

 
 新作シーンの「仮面舞踏会」、わたしは好きですよ。
 この地味すぎるしょぼい作品の中で、場面に意味があって派手な唯一のシーンだもん。
 とくに、みんなが仮面を取るところが好き。

 なんか、とんでもない面子がそろってますよ。

 小公子たちの下級生ぞろりのあとの、くみちょを含めた上級生ぞろりぶりが、なんか笑えるのだわ。大仰で。

 
 それにしても、星組って女役の層が厚いよね、と思うのは、モモカさんが令嬢ポジだってこと。
 他組だったらあの人、迷わず失神&悶絶夫人ポジですよ。
 なのに星組には適役女役がいくらでもいるもんだから(今回は男役も混じってるし)、モモカさんが「令嬢」をやってたりするんですよ。
 令嬢……令嬢かー。いいなあ。

 
 モブの男の子たちのなかに、ひとり気になる子がいたんだけど、名前がわからなかった。
 その子が誰なのかわかったのは観終わったあと、kineさんと話しているときだ。

 kineさんの買ったプログラムを見せてもらっても、誰かわからない。
 たぶん下級生……だけど、「ご当地ジェンヌ」として紹介された中にはいない。

 消去法でいくと「一輝慎」なんだけど、プログラムの写真見ても「チガウ」としか思えない。

「だってさあ、輪郭がチガウもん。もっとすっきりしてたよ」

 写真の一輝慎くんは、丸い。ふっくらとした頬をしている。

「あ、一輝慎くん、この写真よりずっとすっきりしてますよ。若い子はすぐカオ変わるし、プログラムの写真古いままだし」
「口がでかいの。カエル系っていうか」
「一輝慎くん、口開くとでかいよ」

「あ、じゃソレだ」

 そう思って次の公演、ちゃんと見てみれば、たしかにわたしが気になった若者は一輝慎くんでした。

 決め手はでかい口。……口でかい人好きなんよ……。

 最初に見たとき、芝居で好みのカオだなあ、と思って、ショーでなんとなく見ていたらウインクされた。……オペラ越しに(笑)。
 わたし、やる気ある子好きだからさ……つたないなりにも、必死になってキザってアピールしている姿にヨワイの。
 あのウインクにはヤラレたわ……。

 と、気になる下級生もひとり増えたことだし、全ツを観に行った甲斐もあるというものだ〜。

 ショーの話はまた後日。(……て、いつだろう)


 ついに明日、月組を観に行くことになりました。

 いやその、自分的にちっとも決着ついてないんですがね。オサコン語りはまだ途中だし(途中なんですよっ。まだ書いてないことがあるの。まっつとかまっつとかまっつとか! か、書かない方がいいのかな、まっつ萌え〜萌え〜萌え〜なんて、うわごとみたいな内容になる予定の文章)、宙楽の話もしてないし、そもそも『炎にくちづけを』の話もしてないし(レオノーラ@花ちゃん大好き!!)、日生『Ernest in Love』だって観たんですよ! 樹里ちゃ〜〜ん!
 それから、もうすでに時間と記憶の彼方のほっくん『BourbonStreet Blues』! 感想書いてないことを誰にも突っ込まれなかったと書いたのは間違い、ハイディさんにはつっこまれていたことが判明。ごめんよ、ハイディさん。ほっくんの話もしたいよー。
 てゆーかわたしに『龍星』のトウコがどれだけすばらしいかを語らせてくれ〜〜!! という衝動もふつふつと煮えたぎっているし。kineさんのおかげで超良席で観ましたのよ、初日。

 と、書く予定のことが団子状態で、わたしの小さなのーみそはオーバーワーク、メモリ不足でフリーズ寸前なんですが。

 ツレがみつかったので、月組行ってきます。や、このままじゃマジで月組見逃しそーなんで。ひとりだといつまでたっても観に行かない気がするので、誘ってくれるありがたい人と一緒に、さくっと観てきます。
 あさこちゃんお披露目だもんなっ、やっぱちゃんと観なきゃなっ。サバキはどれくらいあるのかな。やっぱ無難に当日券かな。

 つーことで、早いこと片付けなきゃな……ええ、星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話ですよ。今回で8回目。

 てゆーか、今までの7日分もの感想、読んでくれる人はどれくらいいたんだろーか……。うじうじ長々書きすぎたよな。反省。

 よーやく、キャストの話。

 なんといってもわたし的いちばんのトピックスは、すずみんオスカルでした。

 すずみんがオスカル! 絶対見なきゃ!!
 てなもんで。

 きっとマントをこまめにひるがえす、かっこいーオスカルなんだろうなと思っていた。

 ところがどっこい。

 正直、おどろいた。
 想像していたオスカル像とはちがいすぎて。

 すずみんオスカルは、とことんヲトメだった。

 なんじゃこりゃ。
 恋するヲトメ? すっげーなよなよしてる。女っぽい。てゆーか、女の子っぽい。
 子どもっぽいんだよな。
 青い理想を語って、現実が見えていない。
 真面目で余裕のない、肩をとんがらせた学級委員長みたい。

 「オスカル」とすればこりゃ、NGぢゃないのか……?
 いやしかし、植爺の描くオスカルはどれも女くさいしな。メスっぽいというか。植爺脚本がメス全開だから、そうなっても仕方ないのか。

 オスカル単体で見た瞬間に、首をひねっていた。

 そこへ。

 もうひとつのわたし的トピックス、しいちゃんアンドレが加わる。

 アンドレ、笑ってます。のーてんきなまでに、笑顔がまぶしいです。歯がきらりと光る、一昔前の少女マンガかアイドルかってノリです。

 え、えーと、原作でいうところの、1巻あたりのアンドレ? 作者も読者も彼を「ただの脇役」と考えていて、まともな顔すら描かれていなかったころの、なーんも考えていなさそうな、お気楽アンドレ?
 包容力とかひかえめとか男らしいとかは、後半、主人公がアントワネットからオスカルに変更されたあとについてきた形容であって、最初のアンドレはただの脇役、無責任なことを言ってオスカルに怒られる(そーやって物語を説明する)だけのキャラだったよね?

 と、思ってしまうくらい、アンドレは屈託なく明るいのですよ。

 原作後半の深刻なアンドレのイメージがあると、ギャップにおどろくくらい。

 さて、この陽気な歯を見せて笑うアンドレと、女子高生のよーなオスカルが揃って、なにをするかというと。

「こいつぅ」
 オデコを指でこつん。
「んもぅ、なによお」
 甘え声で、怒ったふり。
「ははは」
「待ちなさいよ、こいつぅ」
 そしてふたりで、追いかけっこ。
 周囲は点描と花畑。
 
 ……いや、してませんけど。んな台詞もシーンもないが。
 こんな感じです、こいつら。

 天下無敵のバカップル。

 かわいいです。すっげかわいいです。『キャンディ・キャンディ』世代にはたまりません。「ターザンそばかす」とか言ってキャンディをからかうテリィと、それにいちいち大袈裟に反応して追っかけ回すキャンディのノリです。

 いいのか、アンドレとオスカルがコレで?!

 いいです。わたし的にはぜんぜんアリです。

 人格破壊されて、「わたしって可哀想」「悪いのは全部他人」としか言わないフェルゼンとアントワネットより、はるかにいいです。

 癒しキャラですよ、マジで。

 このしあわせそーにじゃれ合うふたりを見ていると、「今宵一夜」がないのも仕方ないか……と思えてくる。
 だって、この白い歯きらりんのアンドレが、両想いの恋人オスカルちゃんを毒殺しよーとするはずないよなー。

 ふたりの体格差もいいんだ。しいちゃんでかいよ。すずみんがすっぽりだよ。うおー、オスカル可憐だ。アンドレかっくいー。

 思わぬところで少女マンガハート炸裂。

 ふたりの出番は数分なのになー(笑)。
 それだけで、あれほどまでにラヴラヴオーラを出せるなんてすごい。

 てゆーかしいちゃん……演技してる?
 あの明るさもやさしさも少女マンガぶりも、しいちゃんまんまな気がする……(笑)。

 
 このふたりがみょーに活き活きしているのは、喋り方のせいもある。
 たとえばアントワネット@となみちゃんは、気の毒なほど植田歌舞伎まんまの喋り方だ。『花供養』のときと同じ。
 植爺が張り切って稽古つけて、自分の思うままの喋り方を強要したんだろう。棒読みで、感情がのりにくい。となみちゃんのせいじゃなく、植爺がやらせてるだけだろありゃ。
 フェルゼン@ワタさんも植爺歌舞伎の喋り方をしてはいるが、となみちゃんほどガチガチでもない。キャリアのある彼はちゃんと、あのみょーな喋り方も自分のモノにしている(『2001』のたかちゃんはもっと歌舞伎だった)。

 植爺はアントワネットとフェルゼンにはこだわって芝居を押しつけたけど、脇役にまでは自分で稽古をつけなかったんじゃないか?
 と、思ってしまうくらい、オスカルとアンドレは植爺歌舞伎の喋り方を無視してふつーにいちゃいちゃしている。
 ……いいよね。
 よかったよね。
 植爺がアントワネット組に夢中で。てゆーか、主役がアントワネット組で。
 そのおかげで、オスカル組はけっこー自由があったんじゃないかと。
 出番は短いし、まともな見せ場もないけど、そのかわりにこーゆー役作りがOKなら、それはそれでよかったかな。ああ、「よかった探し」。

 まだ続くのか。


 偏頭痛発症。鎮痛剤飲んだけど、まだ効いてこない。

 原因はわかってる。

 博多座『ドルチェ・ヴィータ!』の放送を見て、つづけてDVDのムラ版『ドルチェ・ヴィータ!』を見た。(あ、博多座版は『花舞う長安』から見た。その前の『NowOn』も見た。いったい何時間テレビの前にいたんだ……)

 博多座『ドルチェ・ヴィータ!』の冒頭部分ですでに、血の気が引く感覚があった。
 今も指先の感覚が鈍い。ミスタイプしまくってる。

 なんだか今夜は、眠れそうにない。


 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その7。

 さーて、今までの『ベルばら』を超えた史上最悪の全ツ版『ベルばら』のまとめをしておこう。

・『ベルばら』に必要不可欠なシーンの欠如。
・不要どころか害悪なシーンがかなりのパーセンテージを占める構成の悪さ。
・ストーリーがつながっていない。物語として成立していない。
・ヒロインの人格破壊。

 他にもセンスの悪さや日本語の間違い、原作への不理解やキャラの破綻、舞台効果の下手さや古さなど、枚挙にいとまがないが、それは植爺クオリティなので、ここでは触れない。
 そーゆーのは植爺の全作品共通項だから、ここでは今回のダイジェスト版『ベルばら』の話にしぼる。

 わたしは、今回のダイジェスト版を最低だと思う。
 『ベルばら』のダイジェスト版なんてわかりやすいモノを、どーしてここまでまちがった作りにできるんだ。
 わたしの理解の範囲を超える植爺。

 
 わたしはいつも、今あるものを使って、どーやったら修正ができるかを考える。
 だから、今回の『ベルサイユのばら』にしても、今現在ある植爺作『ベルばら』をなんとかマシにできねーかという観点で書いている。

 1から別人が作り直した方がマシになるというのは全世界の共通認識だと思うけど、あえてそれはせずに、植爺作を尊重して作り直すと前日欄のよーな構成になるわけね。ちゃんと植爺ご自慢のネタ、ステファン人形だとか「アン・ドゥ・トロワ」だとか「行け行けフェルゼン」だとか、わたし個人はいらねーと思うモノも入れてるでしょ?

 や、ほんと、誰か別の人、作り直してよ……植爺に『ベルばら』を汚され続けるの嫌だよ……。

 
 植爺の『ベルばら』は、大嫌い。
 まちがいだらけで、気持ち悪い。植爺の人間性がそのまま出ている狂った価値観世界観女性観が、大嫌い。

 だけど。

 植爺の『ベルサイユのばら』には、力がある。
 それはたしかなんだ。

 前日欄でわたしが「必要不可欠」としてあげた4つのシーン。
 それらはみな、正しいとかまちがっているとか、そーゆーことは度外視して力のある場面だ。

 エンタメなんてものは、ハッタリだと思う。
 多少まちがっていよーが、タルかろーが、要所要所にどかんと一発、最後に一発、力一杯カマせばそれでオールOKだ。

 今回のダイジェスト版は、ひどい出来だと思う。最低最悪だと思う。

 だけど、最後の「牢獄から断頭台」のシーンのすばらしさとは、別問題なんだ。

 もちろん、言いたいことは山ほどある。牢獄のアントワネットの台詞のおかしさだとか、使われているエピソードに物言いたい気持ちはいくらでもある。
 だけどそれらを吹き飛ばす感動がある。

 紗カーテン越しに毅然と断頭台の階段を上るアントワネット、その前舞台で絶叫するフェルゼン、このカタルシスはすごい。
 素直に、すごいと思う。

 この最悪な全ツ版ですら、善良な観客は最後の牢獄から断頭台ですすり泣く(まあ、善良な人々は舞台上で主要人物が死ねば泣くし、わかりやすく可哀想でも泣くけど)。
 ラストシーンに唯一、「力のあるシーン」を持ってきたためだよ。

 ちゃんと、いいものもあるんだ。植爺『ベルばら』にだって。
 

 「バスティーユ」にしてもそうだ。このシーンにもおかしいところや勘弁してくれなところは山ほどあるが、それらを全部吹っ飛ばしてくれるんだ。絶大なハッタリで。

 派手なハッタリで観客を騙す力。
 『ベルばら』にはそれがある。
 わたしは植爺は大嫌いだし、植爺作『ベルばら』も大嫌いだけど、「断頭台」「バスティーユ」のすばらしさは認めている。それと、さらにさらに言いたいことだらけで口があうあうしちゃうけど、「今宵一夜」もな。それよりもさらに言いたいことだらけでマイナス面多すぎだけど、ハッタリという点では「女王なのですから!」もな。

 だからこそ、せっかくの「力のある」シーンを使わずに、駄シーンばかりを無駄に使ってつぎはぎしたダイジェスト版をなさけなく思う。

 植爺が創作者として終わってるのは周知のこととしても、それでもまだ過去作品に「力のある」場面が残っている。その「過去の遺産」を巧く使うことで、現在作品を創る能力が枯渇していたとしてもなんとか取り繕うことはできる。

 ダイジェスト版なんか、「必要不可欠」な4つのシーンをただ並べてあとは全部ナレーションでつないだって、勝てるのに。
 そのハッタリ力で。
 観客の感情を盛り上げることのできるシーンを使うことによって、「なんかいいもん観た気がする」と思わせることができるのに。

 それすらできない植爺のダメぶりと、それを正すことができない劇団のダメぶりに絶望するばかり。

 
 このブログをはじめてから、ちゃんと『ベルサイユのばら』を書いたことがなかったので、つい長くなった。

 全ツ初日を観て、来年のタカラヅカに絶望したもんなー。
 久米田康治にネタにして欲しいほどですよ! やってくんないかなー、ヅカファンの絶望。

 あまりの不快感に、「来年はムラは封印して映画館にでも通うかなー」と思ったほどだ。

 されど。

 なにしろわたしは、骨の髄までヅカファンで。
 絶望の中、不幸のどん底にもしあわせを見つける小市民。

 作品は大嫌いだけど、出演者は好き。
 役替わりだらけで、その大好きな出演者をいろんな組み合わせで観ることが出来る。
 そのことだけを救いにしよーと思います。

 んじゃ次はよーやく、キャストの話。

 続く〜〜。


 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その6。

 いつまで続くんだ、この連載。
 いーかげんフィニッシュしたいもんだ。

 
 あ、全ツのダイジェスト版のタイトルは『ベルサイユのばら』とあるだけで、「フェルゼンとアントワネット編」とは表記していないそうなので、わたしもそれに従いました。

 しかし、それはさらにまずいやろ! と思うんだが。

 「〜〜編」と書かず、まるで『ベルばら』集大成のよーなふりで、韓国へ持っていくの?
 やめようよ、恥ずかしいから。

 これを『ベルばら』だと思われたら、嫌だ……せめて「フェルゼン編」とぐらい書こうよ。「フェルゼン編」がひどいのね、ほんとうの『ベルばら』はきっとすばらしいのね、と好意的に解釈してもらえるかもしんないじゃん〜〜。
 オスカルが「死にました」で終わって笑われるよーなモノが、『ベルばら』なわけないじゃん!

 なに考えてるんだろう……。溜息。

 
 さて、「フェルゼンとアントワネット編」でさえないと思う、この全ツ。
 だって、アントワネット出番なさ過ぎ。

 「マリー・アントワネット生誕250周年記念」ってなんなんだろ? そもそもなんでそんなもん記念しなきゃなんないのかわかんないんだけど。
 それを掲げて作ったのが、コレ。

 グスタフ3世から「免罪符」をもらって、責任逃れのアテを得てからフランスにやってきたフェルゼンくん。
 大仰にやってきたわりに、ただの役立たずで、「今ごろなにしに来たの?」感いっぱいですが。

 今日たった今から処刑されます、というアントワネットは、すでに別人になってます。

 たしか彼女は、「政略結婚させられたあたしって可哀想。フェルゼンと別れなければならないあたしって可哀想。慰めてくれないオスカル最低、あんたなんか人間じゃないわ!」と、愚痴たれて被害者ぶって逆ギレして他人傷つけて退場した、だけだよね?

 アントワネットに関しては、最低女であることしか描かれていない。

 なのに、牢獄のシーンで彼女は唐突に聖人になっている。

 なんだそりゃ。
 現状への愚痴しか言わずに、「政略結婚だもん、不倫しても当然」「可哀想なんだもん、他人なんか傷つけて当然」となにもかも正当化して「王妃」という立場にふんぞり返っていた女が、突然「我がフランス」だの「子どもたちを見捨てられない」だの言われても、わけわかりません。

 フェルゼンは終始一貫ただのバカだけど、アントワネットは人格変わりすぎ。

 何故彼女がそう思うに至ったかを描かないと、「物語」として成り立たない。

 ダイジェスト版だから、というのは言い訳にならない。
 「オスカルは死にました」に匹敵するひどさだ。
 逆ギレして罵って退場、という最悪な人格を披露した直後の登場がコレで、そのまま「さようなら!」で断頭台の露と消えるなんて。ありえないから!

 ギャグですか。

 
 ねえ、どのへんが「マリー・アントワネット生誕250周年記念」なんですか?
 アントワネット、オスカル以下の描き方ですがな。
 死ぬシーンがあっただけ。彼女の「人生」はオスカルより描かれてないっすよ。

 
 この作品がまちがいまくり、そもそも「物語」として成立していないことは何度も述べた。

 では、どーすりゃ良かったのか。

 んなもん、簡単ですよ。

 『ベルサイユのばら』というタイトルで、90分ダイジェストの作り方なんか、ひとつしかないっすよ。

 まず、必要なシーンをピックアップする。

 フェルゼンとアントワネット中心だから、「牢獄と断頭台」シーン。これは必須。
 それからアントワネット最大の見せ場「フランスの女王なのですから」シーン。
 そして、『ベルばら』の最大の見せ場「今宵一夜」、最大の盛り上がりシーン「バスティーユ」、これも必須。

 そして、この「必要不可欠」な4つの他に「必要」なシーンとして、フェルゼンとアントワネットの関係を説明する「夜のデート」を入れる。

 全部で5つ。
 これらのシーンを最大限再現することを、念頭に置く。

 この必要場面を描くだけでたぶん、90分のほとんどは費やされるだろう。
 残った時間で、「ストーリー解説」をする。

 時間があるなら、今回書き下ろしの「仮面舞踏会」を入れていい。ただし、あとの「夜のデート」の台詞はちゃんと「お忍びではない」と変更して(笑)。

 1・フェルゼン登場〜お人形を持ってアントワネットをしのぶ独唱〜彼の回想で物語がはじまる。

 2・仮面舞踏会〜フェルゼンとアントワネットの出会い。
     ↓
   フェルゼンとアントワネットのデュエット。〜恋のとまどいを歌う〜ヒロインはアントワネットなんだから、オスカルとデュエットするのは間違い。

 3・夜のデート〜フェルゼンとアントワネットの立場・関係説明。

 4・宮廷のスケッチ〜オスカルとブイエ将軍等のやりとり〜アンドレとオスカル〜あくまでもフェルゼンの回想ということで、彼自身がナレーションをしながら、フランスの現状説明と他キャラ説明。

 5・別れの決意〜前景の宮廷のスケッチで、自分の存在がアントワネットとフランスの害になっていることに気づき、フェルゼンはひとり苦悩する。
     ↓
   歌いたければ、新曲「アン・ドゥ・トロワ」を歌え。

 6・フェルゼンとアントワネットの別れ〜アントワネット逆ギレしない。
     ↓
   フェルゼンとオスカル〜続けてフェルゼンとアンドレ。

 7・今宵一夜〜強引に両想いGO!

 8・バスティーユ〜フェルゼンのナレーションでつなぎつつ、大急ぎでアンドレ死んで、総踊りだ、「バスティーユに白旗が〜〜!!」

 9・ベルサイユの危機〜アントワネットが女王として母として自覚する〜決め台詞GO!

 10・行け行けフェルゼン〜革命の報を受けた、と台詞でさっさと言っちゃって、フェルゼンはフランスを目指す! 歌っていいから!

 11・牢獄〜メルシー伯登場〜ステファン人形のフォロー。
     ↓
   物語は徹頭徹尾フェルゼンの回想。だからここで、冒頭とリンクすること。

 必要な5つのシーンを描くことが最優先だから、時間がなければ他のシーンは削ってヨシ。ナレーションでいいんだ。ダイジェスト版なんだから。

 「『ベルばら』というタイトルを堪能できること」「原作を知らなくてもふつーに筋がわかること」「キャラクタの人格が破壊されないこと」だけを追及すればヨシ。

 なんのために冒頭でフェルゼンが回想してるの? ステファン人形持って歌ってるの? 全部彼のナレーションでつないでいいんだってば。
 それでも「バスティーユ」と「断頭台」があれば勝てるから。

 そう。
 ここまでクサしておいてなんだが、『ベルサイユのばら』には、パワーがあるのだ。

 続く〜。


 萌え。

 トウコちゃんDC『龍星』初日、行ってきました。

 つい先日までわたし、どーしてもこの作品のタイトルがおぼえられなくて、苦労してました。
 すっげー素で「今度の『巖流』さあ……」とか言って、「がんりゅう? なに?」と周囲に冷たく突っ込まれてました。
 すんません。どーしてもわたしのなかで『巖流』は特別で……口が勝手にその単語を言ってしまうのよ。「りゅう」しか合ってないのに。

 児玉明子演出『龍星』。
 龍星、龍星、もうまちがえません。

 一度観劇した以上、間違えようがありません。

 タイトルロール。「龍星」ってのは、主人公の名前。そして、作品のキーワード。

 トウコちゃん主演作だっつーんで、わたしは早くからひとりでくるくる回ってました。期待しすぎて、わくわくしすぎて、盛大に空回ってました。
「落ち着け、わたし。演出はあのこだまっちなんだぞ」
 と、自重の言葉を投げかけつつも、どーも盛り上がりすぎていたようです。
 早くからチケットを押さえすぎて、自爆してみたりな。

 こんなにがんばりすぎて、駄作だったらどーしよー。つまんないだけならまだいいけど、嫌悪感で観られないよーな作品だったら、押さえたこのチケットたちはどーすりゃいいんだろー。
 だってだって、こだまっちだよ? 『天の鼓』ならいいけど、『なんとかの星』みたいだったら、どーすんのよあたし?!
 でもでも、トウコちゃんだし! トウコならどんな駄作でも力技でカタルシスまで持っていってくれるだろーし。
 ああでも、駄作だったら……。
 と、天国と地獄を言ったり来たりしてました(笑)。

 んで、初日。
 阪神タイガースの優勝で、うっかり阪神百貨店バーゲン初日に足を踏み入れ、オバチャンパワーのものすごさに満員電車のよーな店内で押されまくってくるくる回り、レジのあまりの混みっぶりに何も買えず、すごすごとドラマシティに向かったヘタレハートのわたしを待っていたのは。

 
 萌え。

 でした。

 
 細かい話は追々するとして。

 まず、これだけは言っておく。

 あなたは、安蘭けいに、なにを求めますか?

 安蘭けいという「キャラクタ」に、なにを求めるか。
 安蘭けいのなにに萌えるか。

 よーするに、コレに尽きると思う。

 トウコちゃんに、「かっこいー二枚目」だとか「包容力あふれるヒーロー」だとか「真っ白な貴公子」だとかを求めている人には、この『龍星』という作品は向かない。
 いわゆる、主役らしいもの。ヅカの王子様みたいなもの。そーゆーものにしかときめかない人には、向いてない。

 トウコの、なにに萌えるか。

 孤独の底で、絶望に哄笑する姿。

 幸福なんかない。あるのは永遠の孤独と絶望。
 狂気と紙一重の栄光。

 すべてを操りながら、孤独の底にいたディアボロ@ドルチェ・ヴィータ!が、ときおり慟哭するより痛い瞳でわらっていたように。

 トウコの、痛々しい魅力が爆発している。

 追いつめられ、傷つきつづける姿。苦悩し、心から流れる血がだくだくと足元に湖を作っているのに、それでも立ち続ける姿。
 大きな瞳が涙に濡れ、切なく輝き、それでもなお冷酷にふるまう姿。

 ラストシーンの救いのなさは、秀逸。

 なにしろこだまっちだし(笑)、ずっとずっと覚悟して観ていたさ。どこでどう腰が砕けるような無茶をしてくれるかわかんないからな。

 ここまでやって、いったいどう終わらせる気だろう?
 と思っていたら。

 やってくれたよ。

 いちばん救いのない終わり方をした。

 救いがないのは、主人公・龍星@トウコにとって。

 龍星を絶望のどん底にたたき落として終わった。
 それが、すごい。

 下手なハッピーエンドで終わらせない。
 龍星を、ダークヒーローとして確立させて終わった。

 その、容赦のなさ。

 1幕の終盤からずーっとずーっと、龍星は痛々しくてならない。
 2番手の霧影@れおんが、正しく「ヒーロー」なのと対比して、正しく「光」なのと対峙して、龍星の「汚れ方」は無惨なほどだ。
 龍星は、正しくない。ほんとうなら彼は「悪」であり、「ヒーロー」霧影の物語の敵役として登場し、討たれて終わり、だろう。
 それが、「悪」である龍星を主役に、彼が慟哭しながら汚れていく様を、孤独へ落ちていく様を描く。
 彼の痛々しさ、あわれさに胸が痛む。つか、熱くなる。

 そう。
 トウコに、なにを求めるか。
 トウコの、なにに萌えるか。

 ぶっちゃけ。

 傷だらけのトウコに萌えーーっ!!

 て、ことだ。

 
 傷つきながら、痛みに泣きながら、それでも立ち続ける、戦い続けるトウコに萌える人なら、ツボど真ん中だ。
 トウコを泣かせたい、泣き顔ハァハァ、トウコは傷ついてナンボだ! と思う人には、たまりませんよ!! 鼻息!

 や、実際には龍星、泣きません。
 彼は強い男です。強すぎる男です。
 だからこそ、かなしい男なの。

 弱ければ、ヘタレならば、もっと楽になれたのに。
 強いから、有能だから、茨の道を傷つきながら進むしかなかった。

 その姿に萌えられる人向き。

 
 客席で観ていて、この男を守ってあげたい! 抱きしめてあげたい! と、身悶えするよーなキャラクタです。

 
 さすが、ヲタク・キャラ萌えのこだまっち。
 トウコにこの被虐キャラをやらせますか。
 他の誰でも成り立たない。トウコならではの魅力。

 この男を、泣かせたい。

 守ってあげたい、と、同じ気持ちでそう思っちゃうよーな、矛盾が矛盾でなくひとつの心に湧き上がる。

 いやあ、いい仕事してますよ、こだまっち(笑)。

 
 トウコの傷ついた瞳にときめく人は、すぐにドラマシティへ行ってください。
 せつなくてせつなくて、抱きしめたい人がそこにいますよ。


 絶好調で『ベルばら』語りの最中ですが。

 今日はわたしの誕生日です。
 誕生日というと毎年、「タカラヅカ・デスクトップカレンダー」ネタですよ、はい。
 このソフトを購入し、インストールしていると、誕生日にスターからのメッセージを閲覧できるわけですよ。

 今年のカレンダーはさらに使いにくく、つまらなくなっているので、ほとんど存在を忘却していたんだが。

 Subject: スターからお誕生日メッセージ
宝塚デスクトップカレンダー2005

お誕生日メッセージが届いています。
PCでご覧になる場合はCD-ROMを挿入して下さい。

携帯電話でご欄になる場合はログイン画面にお進み下さい。


 というメールが届いた。
 CD-ROMがなきゃダメなの?! なんのためのインストールなのよ。

 文句言いつつ、CD-ROMをPCに入れて、スタート。
 「はっぴーばーすでー」と英語で書かれた画面がはじまった。

 が。

 それだけだ。

 肝心の「スターからのメッセージ」は出ない。
 今年もエラーですか。今年も見られないんですか。

 仕方なく、FAQを見たりしたけど、問い合わせるしかなさそうだ。
 ああ、めんどーだなー、と思いつつ、「お問い合わせ」画面を出す。

 そこに、問い合わせる際に、以下のことを記入しろとあった。

・ 製品の名称
・ OS名及びバージョン
・モニタの表示設定(解像度と表示色数)
・ コンピューターのメーカー、及び型番(商品名)
・ CPUスペック(商品名及び、何MHz)
・ 掲載RAM容量(メモリ、何MB)
・ OSのインストールされているハードディスクの空き容量(何MB)
・ CD-ROMドライブ型番(商品名)、スペック(何倍速か、CD-RW対応、DVD対応等)
・ ディスプレイカード型番(商品名)
・ サウンドボード型番(商品名)
・ 他に掲載しているボード(商品名)
・Webブラウザの名称、及びバージョン
 
ご連絡先 (数字、アルファベットは半角でご入力ください)
・ 住所
・ 氏名
・ 電話番号
・ FAX番号
・ Eメールアドレス


 なんじゃこりゃ。

 PCのことだから、使用機種について記入しなければならないのはわかるが……これだけ書けと言われて、ヅカファンの多くを占めるであろーキカイにヨワイオバサンたちが、まともに問い合わせできるのか?

 しかも、「お問い合わせに関しては、メールにてご回答させていただきます。」とことわっておきながら、住所からFAX番号まで書かせるの?
 個人情報についていろいろ言われる時代に、ここまでこちらの情報を開示しないと、質問ひとつにも答えてもらえないの?

 あまりのめんどーさに、断念しました。
 わしゃ、キカイにヨワイオバサンじゃけん。

 つーことで今年もスターからのメッセージは見られませんでした。
 はあ、やれやれ。
 使えねーよなー、「デスクトップカレンダー」。

          ☆

 晃さんから、「カエル尽くし」のバースデープレゼントをいただきましたー。
 きゃー。

 カエルだカエルだー。
 かわいー。うれしー。

 「HOME」掲載のプロフィール他も、地味に更新してるんですよ。気づいてもらえてうれしい(笑)。
 ええ、「ダーリン」と言えばケロちゃんです。それは変わりません。その前提の上で、いろんな人にきゃーきゃー言ってますが。

 ありがとうございました、晃さん。
 大切に使わせていただきます。ペアですねっ(笑)。

 とりあえずハンカチの方は、さっそく明日トウコちゃんDC初日に持っていって、友だちに自慢します♪

          ☆

 お祝いメールをくださった方々、ありがとーございました。
 あたたかい言葉に頭が下がります。

 そして、今nanakoさんとこ(http://7ch.jugem.cc/?day=20050929)見に行ったら、おお、本文中にわたしのことまで書いてあるー! 感動。

 ええ、わたしとnanakoさん、誕生日一緒なんですよー。

 nanakoさん、ありがとー。
 そして誕生日おめでとー。

 
 ひとつトシをとり、わたしも少しは落ち着いた大人に……な、なれると、いい、な……。ゴニョゴニョ。


 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その5。

 グスタフ3世って、気持ち悪いよね?

 スウェーデン宮廷のシーン。
 お誕生祝いにかこつけてやってきたフェルゼンに、国王グスタフ3世は終始笑顔で応対する。
 好々爺、という風情で、「なにか不自由はないか?」と幽閉されているフェルゼンを気遣う台詞を言う。
 どうやらフェルゼンは国王のお気に入りらしい。
 だが。
 この国王、ものすごいのよ。
 フェルゼンが罪を犯し、屋敷に幽閉されて不自由な生活をしていることを知った上で、

「そなたがいつなにか言ってくるかと、たのしみにしていた(笑)」

 とか言うの!!

 たのしみなんかい!!

 フェルゼンを幽閉するよう命令したの、グスタフ3世なんだ。それでフェルゼンが「つらいよ。助けて王様」って泣きついてくるのを、今か今かとたのしみにしていたんだ。

 ものすごーく慈愛深そうに、さも自分は善人みたいな顔して。
 相手を傷つけて、痛みに耐えかねて身を投げ出すのを待ちかねていたんだ。わくわくと。

 き、きもちわるいっ。

 いや、そーゆーのもアリだと思うよ。そういう性癖の人がいたっていいさ。さんざん拷問しておいて、相手に「いっそ殺して!」と言わせるのが快感♪みたいな性癖も、アリだろうよ。
 だがそれは、そーゆー歪んだ人格である、という描き方をした場合だ。

 グスタフ3世が気持ち悪いのは、どーやら植爺が、本気で彼を人格者だと思って描いていそうなこと。

 変態ぢゃん、この男……。
 なのにこの変態が、人格者として描かれる世界観って。

 主人公のフェルゼンが気持ち悪い自己愛者だから、周囲もそんな人ばかりになるのは仕方ないっちゃー仕方ないが。

 そしてこの狂った主従が、狂った会話を繰り広げるのよ……このスウェーデン宮廷シーンって。

 
 フェルゼンがえらそーに言っていることは、「情」の話なのね。
 愛する人を助けたいとかなんとか言うのは。

 もちろん、「情」は大切だ。
 わたしだって、そう思っているさ。

 でも、そこは国を治める統治者との会話シーン。
 国を治めるとゆーのは、「情」ではなく「法」なんだよな。
 「情」に流されていては、国は成り立たない。

 だからこのシーンで、フェルゼンがどれほど泣きを入れても、国王ならばがんとしてそれを許してはならんのだ。
 グスタフ3世自身がどれほどフェルゼンに同情し、彼の力になってやりたいと思っても、拒絶しなければならない。畜生、人の上に立つモノはつらいぜ!てなもんで。

 それを振り切って旅立ってこそ、フェルゼンの覚悟が際立つというモノ。
 国王を敵に回し、祖国を捨ててまで愛に生きるか、フェルゼンよ!てなもんで。

 ところが。

 グスタフ3世、許すし。それだけじゃなく、けしかけるし。

 生まれてはじめて「フェルゼン編」を観たときは、椅子から転げ落ちるかと思ったよ。

 国王が行けって言った?! ええっ?! よその国の王妃をかっさらってこいと?

 戦争が起こるよ?

 震撼した。
 こんなバカなことがあっていいの? あたしがスウェーデン国民なら、泣いてるよ。こんな阿呆な原因で戦争が起こったら。

 植爺は、コレをかっこいいと思っているんだろうか。
 おかしいから。
 いくらなんでもコレは、変すぎるから!

 スウェーデンには、キ*ガイしかいないの?!

 なんという無責任。思いつきだけの言動。そのときだけ、自分だけはスカッとするかもしれないけど、それによって起こる事象の責任を、どうやって取るつもりだグスタフ3世。

 国王のお墨付きをもらって行動するフェルゼンは、いわば「責任逃れ」できるよーになった。
 もしもフランスで逮捕されても、「グスタフ3世の命令です」と言えばいい。
 自分は安全。

 ねえ、これのどこがかっこいいの?
 「愛のために命も惜しくない」てのがかっこいいんじゃなかったの?
 敬愛する君主や、愛する祖国を捨ててまで愛を貫くのがかっこいいんじゃなかったの?

 全部全部、台無し。

 
 最初にダイジェスト版のキャスティング表が出たときに、なによりもこの「グスタフ3世」の名前があったことにヘコんだ。
 もともと『ベルばら』において「フェルゼン」ってのは、大筋に絡まない脇役だ。主役の相手役でしかない。
 その脇役を無理矢理主役に捏造するために、いろいろ小細工をしなければならないわけだ。
 どんな脚色をしてもいいが、最低限、「フェルゼン」の存在意義を壊してはいけないだろう。

 なのに植爺は、「フェルゼン」という男を、粉々になるまで壊しきるんだ。

 べつに「愛」ても「欲」でもなんでもいいけど、それを主人公本人の意志と力で行わないと、物語としての意義自体が崩壊する。
 上位のモノの意志や命令、庇護の元で行うんじゃ、主人公の意味がないんだよ。

 「スウェーデン宮廷」のシーンは、いちばん存在してはならないシーンなんだよ。

 なんで植爺は、主人公をこんなにかっこわるくしちゃうんだろう……そして、ここまでかっこわるくしておきながら「かっこいいだろう!」と悦に入っていられるんだろう。

 わかんないよ。
 純粋に、わからない。

 
 さて。
 国王様のお墨付きで、「やったー、これでなにをしても平気だ! だって王様の命令だもーん♪」とご機嫌でスウェーデンをあとにしたフェルゼンくん。

 今までの「フェルゼン編」で爆笑を呼んだ「行け行けフェルゼン」の歌の代わりに、客席降り。
 あー、よかった。あの歌がなくて。

 
 さらによかったことは、「平和なフランス田舎町」のシーンがなかったこと。
 以前の「フェルゼン編」では、ここまでかっこつけて大仰に「行け行けフェルゼン♪」とやって飛び出した直後に、「フランス革命? もう終わっちゃったよー? 今ごろなに言ってんの、変な人」と言われるギャグ落ちがあったのね。
 戦う気満々で甲冑つけて出て行ったら、もうとっくに戦は終わってて、「なにしに来たの?」と平和な人々にプッと笑われる男、てな、だから植爺、主人公を無意味にかっこわるくするのはやめろって(以下略)。というべきシーンが、ダイジェスト版ではなかった。ほっ。

 しかし、役立たずなのは同じ。

 ルイ16世は処刑され、アントワネットも死刑が決定。
 そのアントワネット処刑の日に、よーやくたどりつくフェルゼン。……役立たず。ものすっげー、役立たず。
 それも、ちゃんとした脱出計画があるよーに見えないあたり、もお……。だから植爺、主人公を無意味にかっこわるくするのはやめろって(以下略)。

 アントワネットはよーやく登場ですよ。ひどいよなー。

 続く〜〜。


 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その4。

 あちこちまちがいまくっていて、5分に1回ツッコミが入る内容なので、いちいちおぼえていられない。メモ取りながら見ているわけじゃないので、忘れちゃうんだよなあ。なにしろ変なのがニュートラルだから。多すぎて数えられないし、おぼえていられない。

 2回目の観劇のとき、「貴族」っていう単語の数を数えようとしたんだけど、途中うっかり意識がとんじゃって(笑)、数え切れなかった。10回以上は出てきたと思うんだが。惜しいなぁ。でももう、何回見ても起きていられる自信はないので、再挑戦は断念。

 植爺の脚本は失敗だらけだけど、その原因のひとつに「推敲していない」ってのがあるんじゃないだろうか。

 ふつー、文章を書いたら人に見せる前に読み直すよね。
 誤字脱字とか、文法上の間違いだとか、文章としての辻褄に誤りはないかとか、自分でまずチェックするよね。まちがったままだと、自分が恥ずかしいから。

 でも植爺作品には、あからさまな「推敲していたら間違えないよね?」的なミスが山ほどある。

 前述の、「身分を明かした状態で参加していた仮面舞踏会」のことを、あとのシーンで「お忍びで行った仮面舞踏会」と言っていることや、フェルゼンの妹を勝手に姉に直したのに台詞はそのままだったりする、ケアレスミス。
 それとか、アントワネットがオスカルに対して「あなたは11歳のときから守ってくれて云々」と言わせてみたり。(オスカルがアントワネットを守る任務についたのは、アントワネットが結婚のためフランスに来てから。つまり、14歳のとき)

 推敲していたら、しないで済む程度のしょーもないミスだ。

 あと、無駄な説明台詞の多さも、推敲したら気づくよな。
 いちばんわかりやすい例が、「11歳のときから云々」って、まったく同じ文章をコピペしたみたいに、2度も使ってること。しかも、2回目はアントワネットが言うわけだから、使用法まちがってるし。
 わたしが思わず数を数えてしまった「貴族」という言葉も、説明台詞として繰り返しまくってるので耳障りでしょうがなかった。

 説明台詞なんてものは、1回使うだけでもかっこわるいのに、2回以上えんえんえんえん意味もなく繰り替えし続けていると、ただのバカに見えるよ……。

 文章のまちがいの他に、構成の失敗まで言い出したらキリがないから、それには今は触れずにおくけど。

 植爺、推敲すればいいのに。
 きっと、勢いだけで書いて、2度と読み返してないんだろうな。
 読み返したら、まちがいに気づくはずだもの。誰か植爺に教えてあげてよ。「ひとに見せる前に、一度読み返すといいですよ」って。

 
 さて。
 いつもいつも「悪いのは全部他人。可哀想なのはいつも自分」なフェルゼンくん。

 オスカルがアントワネットを裏切って死んだ、と聞いても、「可哀想。まだ若いのに」しか言えない男。

 なんでそうなるかなあ。
 この台詞の前に「バスティーユで?!」と一言つけるとか、「まだ若いのに」という一言を削るかすれば、植爺がどんなに原作を読んだことなくて推敲すらしていなくても、あとは役者ががんばって辻褄の合う演技をしてくれるだろうに。
 「バスティーユで?!」とそこに言及した一言加われば、「どんなに苦しかったろう」とか言ってるのが、アントワネットを裏切るに至ったオスカルの気持ちを思いやっているよーに聞こえるし、それがないままでもせめて、「まだ若いのに」という余計な一言がなければ、やはり「苦しかったろう」がオスカルの気持ちを言っているよーに聞こえる。
 最後に「まだ若いのに」とつけてしまうことで、フェルゼンがただ「オスカルが死んでしまった」ことだけを嘆いているよーになってしまう。

 オスカルも浮かばれないよ……。こんなボケに「可哀想」とか言われちゃあ。

 それに、このときまで知らなかったけど、フェルゼンくんてばフランスを追放されてたんだって。
 自分から潔くかっこつけて、アンドレに説教までして出てきたってのに、実は追放だったんだって。
 ははは、立場ないやな。だから植爺、主人公を無意味にかっこわるくするのはやめろって(以下略)。
 で、追放されたことを一族郎党で恨んでいる。
 そして恥さらしだっつーんで、祖国スウェーデン内でもつるし上げくって、屋敷に幽閉されてるんだって。もちろんフェルゼン一族は、そのことを恨んでいる。
 ぐちぐちぐちぐち、恨み辛みの説明の長いこと。
 さすが「悪いのは全部他人。可哀想なのはいつも自分」だよなあ。姉弟そろって恨み節。だから植爺、主人公を無意味にかっこわるくするのはやめろって(以下略)。

 恨み節を繰り返す理由は、「けなげな主人公」の表現のつもりかしら。
 こんなにこんなに心ない世間に冷たい目で見られ、酷い仕打ちを受けている。でも彼は、美しい心を持ったままでした。てか?
 でもなー。それはほんとーに主人公がまちがってない場合のみ有効だから。
 主人公がまちがっている場合、正しいのはソレを責めている世間だから!
 繰り返せば繰り返すほど、主人公の立場がなくなっていくんだが。なにしろ説明が全部恨み節だもん。
「ボクは悪くないのに、世間の奴らはボクのことを泥棒扱いするんだ」
 って、盗んだお菓子を食べながら文句言ってる子どもみたい。

 まあ、屋敷に幽閉されてるのどうのというのは、たんに次の「スウェーデン宮廷」の場面をやりたかっただけだと思う。

 
 このダイジェスト版『ベルばら』のなかで、メルシー伯のお説教と双璧となる、いらない・まちがった・マイナス場面、スウェーデン宮廷シーン。

 今日はスウェーデン国王グスタフ3世のお誕生日。国家に名だたる恥さらし男として幽閉されていたフェルゼンくんも、王様のお誕生祝いという名目で王宮へやってくる。どさくさにまぎれてフランスへ行く気満々だ。
 しかし、フェルゼン家の謎の下僕デュガゾンは、ヨルゲン陸軍大臣のスパイで、フェルゼンくんの行動は筒抜け。
 大臣は説明台詞を駆使して、まぬけそーな兵隊たちに命令する。フェルゼンをフランスに行かせるなと。
 兵隊がなんでまぬけそーかと言うと、これまたアタマの悪い説明台詞を無駄に繰り返しまくるから。同じことを何人で、何回言えば気がすむんだろー……えーとコレ、何時間ある芝居だっけ。

 メルシー伯のシーンは、いらないシーンだとはいえ、メルシー伯自身はまちがっていなかった。フェルゼンがまちがっているだけで(いや、それがいちばんの問題なんだが)。

 しかし、スウェーデン宮廷シーンのどこがすごいかというと、グスタフ3世もフェルゼンも、ふたりそろってまちがいまくり、壊れまくりだということ!

 ふたりだけで会話するシーンで、ふたりとも常識通用しないこわい人なんだよ……宇宙人の会話だよ……。ぶるぶる。

 続く〜〜。


 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その3。

 想像を超えた大失敗作。

 ひとはここまで潔い失敗もできるんだ、と感動すらおぼえる衝撃作。
 細かい失敗は数えていたらきりがないほど満ちあふれているんだが、最大級の過ちは、「今宵一夜」と「バスティーユ」がないことだろう。

 植爺作の『ベルばら』なんて、ひどいもんである。最初から。壊れきってる。
 だけど、「作品」として「物語」として見たら笑止なほど壊れきっていても、1場面ごとには「エンタメ」として成立しているシーンがある。
 それがオスカルとアンドレが愛を誓う「今宵一夜」のシーンであり、アンドレが戦死し、オスカルが民衆と共に戦い、勝利を見届けて死ぬ「バスティーユ」だ。
 他のシーンなんかどーせつまらなかったり壊れていたり悪趣味だったりするだけだから、このふたつのシーンさえちゃんとやっておけば、言い訳になる。
 どれほど「作品」として「物語」として成立していなくても、このふたつのシーンでどかんと盛り上げておけば、観客は騙せるんだ。

 なのに、このダイジェスト版では、このふたつのシーンがない。

 いちばん盛り上がるシーンが、存在しない。

 はあ??

 放っておいても観客を騙せるいちばんオイシイ場面をやらずに、なにをやっているんだ?というと。

 メルシー伯がお説教し、フェルゼンが逆ギレするという、無用なだけでなく、はっきりとマイナスな場面
 絵的にも超地味。アクションも退屈。主人公は自己中でかっこわるい。やたらと長い。と、マイナスばかり。

 あと、今回書き下ろされた貴婦人たちの場面。
 フェルゼン派とオスカル派の貴婦人たちが「ざます・ざます♪」と歌い踊る。
 ……この場面自体は、悪くない。
 主人公たちがどういう人物で、どういう立ち位置なのかをモブキャラに解説させるのは作劇技術としてアリだと思っている。
 フェルゼン、オスカル共に貴婦人方のアイドルで親衛隊がいる、という設定を表現する意義は認めている。
 今までの「失神しそう」「悶絶しそう」と金切り声とオヤジギャグで笑わせる貴婦人たちのシーンよりは、ミュージカルになっているぶんずっといい。

 ただ、たった90分のダイジェスト版でやることか?

 メルシー伯もそうだし、この貴婦人たちにしても、たった90分でなんでわざわざやらなきゃならないんだ。メルシー伯に至っては、百害あって一利ナシだから!

 冒頭の「仮面舞踏会」のシーンで、フェルゼンとオスカルは「運命の出会い」をしている。
 スポットライトをあびて、恋の歌を個々にデュエットしてしまうんだ。
 このはじまり方では、ヒロインはオスカルだ。

 実際オスカルは、貴族社会とフランスの現状を嘆き、自分の生き方を模索している。ついでに、アンドレといちゃつき(笑)、フェルゼンに恋して失恋したりもしている。
 アントワネットが「政略結婚させられたあたしって可哀想。フェルゼンと別れなければならないあたしって可哀想。慰めて」しか今の段階で言ってないのに、オスカルは実にいろいろじたばたしている。

 そうやって、オスカルの方をより多く描いておきながら。

 フェルゼンがフランスをあとにした次のシーンでは。

「オスカルは、死にました」

 フェルゼンの屋敷にやってきたジェローデルがいきなり報告。
 ギャグ?
 すちゃらかな音楽かけて、みんなでずっこけるとこ?

 実際に、25日の客席からは笑いが起こっていたらしい。わたしゃ24日の2公演観ただけでギブアップ、翌日は観てないんだけどさ。

 そりゃー、笑うよなあ。吉本だよなあ。吉本にも失礼かなあ。

 オスカルの死が笑うとこになっちゃうあたり、失敗作の証明だよね。
 いっそわかりやすくていいよなー、ここまですげー失敗って。

 
 さて。ストーリー解説に戻ろう。
 フェルゼンがアンドレに説教カマしたあと。

 びんぼーくさい張りぼてのセットの前で、謎の下僕デュガゾンが「お嬢様」と呼びかける。
 出てきたのはシモーヌ、なんとフェルゼンの姉だ。
 姉? フェルゼンの姉?! え、えーと、フェルゼンが30代半ばだから、おねーちゃん40そこそこ? なのにお嬢様?! 結婚してないの? この時代の貴族の姫君が? んで、実家にいるの?!
 この段階ですでにブローを喰らっている。植爺、台詞直そうよ。もともとは「妹」だったから、フェルゼンの家にいても変じゃなかったけど、姉は変だってば。ありえないってば。
 デュガゾンはフェルゼンに来客があることを伝える。

 フェルゼン家にやってきた客、ジェローデルがフランスの現状を報告した。革命のため、アントワネットの命が風前の灯火だと。
 ここで、「オスカルは死にました」ね。

 これに対するフェルゼンの反応が謎。ノックアウトをくらうほどに。
「可哀想に。どんなに苦しかったろう。まだ若いのに」
 てなことを言う。

 もしもし?
 あなた、ひとの話ちゃんと聞いてました?

 オスカルは、アントワネットを裏切って革命に参加し、戦死したんだってば。

 死んだから可哀想なんじゃないの。
 己の信念のために、生き方を貫いた結果なの。
 オスカルを「可哀想」だと言っていいのは、そういう生き方を選ぶに至る彼女の苦悩や慟哭を思いやった場合のみ。
 そりゃ、若くして志半ばで果てたのは可哀想だけど。
 フェルゼンが言っているのは、「死んじゃったんだー、可哀想〜〜」ってだけでしょ?

 まず、オスカルがフランス王家を裏切ったことに驚けよ。

 そのうえで、オスカルの人格を信じ、彼女の選んだ生き方を認め、その死を悼め。

 しかしフェルゼンはそんなこと、まったくわかっちゃいない。
「そーいや、前に飼っていた子犬、どーしてる?」
「あの犬は、死にました」
「可哀想に」
 てな具合。あれほどアントワネットと王家に忠誠を誓っていた親友が、それらすべてを裏切って戦死したと聞いて、言うことが「まだ若いのに、可哀想」かよ。
 
 勘弁してくれよ、植爺……。ほんとーに『ベルサイユのばら』の原作、読んだことあるのか??

 ちなみに、フェルゼンとオスカルは同い年なんですがね。あ、ついでに、ルイ16世とアンドレも同い年ですよ。
 

 わたしはべつに、原作マンセーしてるわけではありません。
 原作は原作でしかなく、メディアミックスした以上、別物だと思っています。原作のコピーを作れと言っているのでないのです。
 原作を無視した植爺オリジナルな部分が、ことごとく壊れている事実を、あげているだけですよ。

 続く〜〜。


 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その2。

 語りたいことはいろいろあるが、まずはストーリー解説から。

 「悪いのは全部他人。可哀想なのはいつも自分」と思って生きているフェルゼンとアントワネット。最強の似たもの同士不倫カップルにも、ついに別れのときが。ええ、メルシー伯に叱られたフェルゼンは「ボクは悪くないけど、叱られたから言う通りにするよ」被害者意識満々でアントワネットに会いに行く。

 別れを告げるとき、フェルゼンはわざわざ軍服を着ていく。アントワネットが好きなんだって。
 コスプレですか。
 アントワネット、コスプレフェチやったんや……ふたりでそーゆープレイしてたんやな。

 だってフェルゼン、30過ぎてなお、留学生なんですよ。
 18のときからずっと、フランス留学中。ありえねえ(笑)。
 だから、軍服を着ていたとしても、本物の軍人ではありません。原作では、ちゃんと軍隊に配属されているんだがなー。植爺脚本では、ずーっと留学中。いつまでたっても留学生。

 いくらお貴族様でも、30過ぎて留学生ってのは尊敬されることなのか? 実質大したことはしてなくても、なにかしら地位や責任を得ている年齢なんじゃないのか?
 なのに、18のときから30過ぎてまで「社交界で磨きをかけるために」フランスで留学中……。18歳なら「留学生」でもいいけどさ……植爺、いくらなんでも酷すぎるよ……主人公をわざわざかっこわるくするのやめようよ……。

 別れを告げられたアントワネットは嘆きます。
 今までどんなにハッピーなときでも、いつも、このいつか来る別れに怯えていたと。
 ああ、そりゃ可哀想だなあ。つらかったろうなあ。と、思えるくらいには、ふたりはちゃんと別れてくれる。
 が。
 フェルゼンが去ったあとのアントワネットは、護衛のオスカルに逆恨みを爆発。突然の電波受信?!

「あたしはこんなに可哀想なのよ?! どーして慰めてくれないの?!!」
「でもねマリーちゃん、今、赤信号だから。ここ、横断歩道の上だから! 歩道まで歩いてよ、そしたらいくらでも慰めてあげるから!!」
「ひどい! オスカルちゃん、あなたには人間の血は流れてないのよ! だからそんなひどいことが言えるんだわ!! 同じ女ならわかるはずの痛みもわからないのね!」
「だから、赤信号なんだってば。お願い、歩道まで歩いてよーっ」

 アントワネットってさあ、「自分がなにより大事」なのね。自分が傷つくことは爪の先でも許せなくて大騒ぎするけど、他人を傷つけるのは平気。てゆーか、当然の権利? 「あたしがこんなに傷ついてるんだから」ってことで、関係ない人を傷つけることを正当化するの。

 どうしてここで、アントワネットをこんな電波女にしちゃうの? 彼女がこの別れを黙って耐え、それを見ていたオスカルに「おいたわしい」と言わせればいいじゃないの。
 そして、同じ女としてアントワネットをいたわってあげられない、軍人という立場のオスカルが、自分で自分を責める。自発的にね。そうすれば、植爺のやりたかった流れをちゃんと表現できる。
 なのにわざわざ、最悪の言動を取らせる。

 植爺脚本は、メルシー伯のこともそうだけど、「説教される」→「嘆く」→「動く」なんだよね。そうしないと、キャラを動かせないらしい。
 叱られなくても、人間は自分で考えて自分で感じて、自分で動けるんだが、植爺には理解できないらしい。
 愛する人を思いやるとか、他人を攻撃せずに耐えるとかはありえない。人に言われてから大騒ぎして従う。

 さて、最悪女アントワネットが、「世界でいちばん可哀想なのはこのわたし〜〜♪」と、さんざんひとを傷つけてまくってから退場したあと。

 オスカルとフェルゼンのツーショット。
 オスカルとゆー人は、軍服を着て男たちと同じように生きているらしいけど、かなりヲトメでコドモ。
 彼女の言動は「今の学校体制は横暴だわ!」と意気を上げる学級委員長(学年首席)みたいだ。そして教師たち(プロヴァンス伯とかそのへん)に「コドモは黙ってろ(冷笑)」と言われてる。
 青い理想を持ってはいるが、なんの効力もナシ。
 そして、フェルゼンくんにずっと片想い。いやその、もう30過ぎてるんですけどね。うっかり手を触ってしまって、真っ赤になって背を向けちゃう、みたいな。
 原作では、オスカルはフェルゼンにタメ口です。地位も身分も、そして人間としての格も、なんの遜色もない関係ですから。親友ですから。しかし男尊女卑の植爺にかかると、オスカルはフェルゼンの前でナヨナヨ女言葉に近い喋り方をします。ですます調です。格下の言動です。

 ついでに言うと、ジェローデルも、オスカルに対してタメ口をききます。原作では、ジェローデルはオスカルを敬愛し、絶対服従の敬語なんだが。プロポーズしてなお、敬語なんだが。そこが萌えなんだが。男尊女卑の植爺は、地位も身分も関係なく、ただ「女相手だから、へりくだる必要なし」と呼び捨てにしたり同等以上の口をきいたり、あまつさえ暴力をふるったりする。
 このダイジェスト版では、ジェローデルがオスカルに手をあげるシーンはないが、最悪のキャラ破壊だぞ、ジェローデル。紳士たる彼は、愛する女性に手をあげることなんかありえないのに。敬愛する姫君に膝をつくことをよろこびとするタイプの男なのに。「バカな女は殴って言うことをきかせろ」「女は黙って男に従うべき」なんて意識とはかけはなれたキャラなのに。植爺のせいで、ひどい男に成り下がっている。
 
 なんにせよ、ヲトメなオスカルのヲトメすぎる姿に、フェルゼンは大変気をよくして「やっぱ俺ってモテるじゃ〜ん」と好き放題言って旅立ちます。
 「モテる男の余裕」で、アンドレに「説教」してみたりな。ええ、ここでも説教です。メルシー伯がフェルゼンにしたみたいに。これでまた「説教される」→「嘆く」→「動く」が成立して、アンドレとオスカルの「今宵一夜」に続くわけ。

 ただし。

 「今宵一夜」、ありません。

 オスカルとアンドレが一緒に出るのはたった1シーン。数分。
 青い理想を語る学級委員に「肩の力を抜けよ」と言う幼なじみ。というポジ。
 つまずくオスカルに手を差しのべ、からかって退場するアンドレ、そしてそれを追いかけるオスカル。
 どこのバカップルですか?

「つかまえてごらんなさ〜い♪」
「こいつぅ」
「うふふ♪」
「あはは♪」

 とお花畑で鬼ごっこしているバカップルのノリです。……かわいいぞ(笑)。

 植爺脚本では、オスカルはもれなく女っぽいです。男装している意味があるのか疑問なほど、ナヨナヨしています。なにしろ、自分で考えることはできず、「説教される」→「嘆く」→「動く」の人ですから。

 オスカルに関しては、こんなバカップル状態を見せた上で、台詞ひとつで片付けられる。

「オスカルは、死にました」


 ……ギャグですか?

 続く〜〜。


「キミは昨日、ペットショップから子犬を盗もうとしただろう。名門の我が校の生徒にあるまじきことだ。二度としないと誓いなさい」
 と、先生はフェルゼンくんにお説教をしようとしました。
 するとフェルゼンくんは言い返します。
「先生は自分のことばかり言ってる! 学校の名誉とか、自分の立場とか! あの子犬の気持ちなんか考えてない! 子犬はボクのことが好きだから、ボクと一緒にいる方がしあわせなんだ!(偉そう)」
 逆ギレっつーやつです。
「いや、あのね、フェルゼンくん。子犬の気持ち以前に、泥棒は犯罪なんだよ? 悪いことをしたんだから、反省しないと」
「子犬はボクを好きなんだ!(偉そう)」
「いや、そんな話はしてないから。感情の話じゃなくて、道理の話をしているんだよ」
「好きなんだから、愛があるからボクは正しいんだ!(偉そう)」
「それじゃストーカーと同じだよ。好きでも、泥棒はいけないよ。それにキミは、子犬を飼えないだろう。公園の隅でこっそり飼えばいいなんて考えじゃ、子犬が可哀想だとは思わないのか。キミは自分さえしあわせならそれでいいのかい」
「だって、ボクと子犬は両想いなのに!(偉そう)」
「だから、そーゆー話はしてないから」

 
 てなアタマの悪い会話がえんえん繰り返される全国ツアー『ベルサイユのばら』の素敵さに、目眩がします。

 自己中で性格破綻者のフェルゼンは、「いつも自分だけが損をしている」と思い込んで生きてます。
 
 彼の思考回路には「自分が得をすること」しか存在してないんですが……まあ、精神的に問題のある人だから議論してもはじまりません。

 植爺作の『ベルばら』のフェルゼンっちゅーのは最初からこーゆー人なんで、今回がたまたまそうだというわけでもないし、演じている人のせいでもありません。
 悪いのは植爺です。

 さて、星組全国ツアー公演『ベルサイユのばら』。
 ショーとの2本立てなので、約90分のダイジェスト版です。

 いやあ、植爺ってのはすごい人だよ。
 わたしたちの「最悪の予想」の斜め上を行く人だよ。

「ダイジェストだからね、これ以上悪くはならないよね。過去の名場面をくっつけるだけで出来上がるもんね」
 と、思っていたところ。

 テキは植爺です。
 そんな「あたりまえのこと」はしません。

 名場面なんか使わないもんねっ。つまらないシーンと壊れたシーンだけで物語を作っちゃうもんねっ。

 てなもんです。

 物語は、「仮面舞踏会」からはじまります。
 フェルゼンは留学生。原作では、そつなく立ち回れる超かっこいー青年貴族としてチヤホヤされていたらしい。が、植爺版では「柔軟性に欠けるために新しい場所では巧く立ち回ることができず、孤立していた」ことになっている。
 主人公をわざわざかっこわるくして、なんの得があるんだろう……。
 そのひとりぼっちのフェルゼンに、アントワネットは「同病相憐れむ」で惹かれたそーな、植爺脚本。
 原作では、お忍びの仮面舞踏会だが植爺版では「みーんなアントワネットが誰か知ってる状態」。だからフェルゼンがアントワネットに声をかけたのは「不作法」。近衛兵のオスカルに一喝されることとなる。そんな仮面舞踏会に、なんでアントワネットが行っていたのか謎だが。
 運命の出会いをした「フェルゼンとオスカル」。あれ? オスカル?
 ふたりはスポットライトを浴びて「恋のとまどい」を歌う。えーと、アントワネットは? フェルゼンとアントワネットの物語なんだから、アントワネットが歌わなきゃおかしいでしょ、コレ?

 さて、気前よく時は流れ。
 18歳で出会った3人は30歳ほどになってます。
 びんぼーくさい張りぼてがわずかに置いてあるだけのなにもない空間で、アントワネットが長い長いひとり語りで、気持ちだとか立場だとかをえんえん説明します。
 そして、フェルゼンとデートです。立ったまま。……立ち話デートか……大変やな。
 「お忍びで行った仮面舞踏会」で出会ったとかゆーてますが、忍んでないから! みんなアントワネットが誰か知っていて、名乗りを上げながら退場したりしてたから!! 新しいシーンを付け加えたんだから、台詞直そうよ……。
 ふたりとも「愛」しかのーみそにないし、「自分はいつも損をしている」と思い込んでいるので、自分以外のすべてへの恨み辛みを吐き出しつつ、愛を語ります。
 「悪いのは全部他人。可哀想なのはいつも自分」と思って生きていられるのだから、幸福な人生だと思うけどなあ。

 オスカルとやけに初々しく丸い顔をした少年ジェローデルと、名門貴族たちのやりとりで、世情説明をしたあと。

 問題の、メルシー伯のお説教シーン。冒頭の先生とフェルゼンくんの会話ね。
 何故だ。何故このシーンがある? また無駄に長いし。
 物語の鉄則は、「主人公のかっこいいところを描く」だろう。「まちがった主人公が成長し、改心する」のがテーマでない限り。
 なのに、フェルゼンがどれだけ精神的に幼稚で自分勝手で傲慢で病んでいるかを見せつけるこのシーンが何故、膨大な時間をかけて存在しているんだ?
 植爺脚本の謎。なんでいつもいつも、「まちがったこと」を力説するんだろう。キムシンは「正しいこと」をさも「自分だけが知っている真理」みたいにがなりたてて顰蹙をかっているが(笑)、植爺は「ソレまちがってるから!」なことをさも正しそうに演説して悦に入るんだよね。
 メルシー伯が言っているのは、「あたりまえのこと」。なのにフェルゼンは、ソレに反発する。さも正しいのは自分だと言うように。ここで確実に主役としての価値を下げている。正しいことを言われて逆切れだもんよ……。
 フェルゼンのしていることは、「まちがっている」んだ。ここでのポイントは、「過ちでも、こうせずにはいられない」ということ。なのに植爺はそうしない。「主人公は絶対に正しい」という信条の人だからな。
 だからまちがっているフェルゼンが、「正しいのはボク」と言い張るから気持ち悪い。歪んだ地平。
 正しいフェルゼンは可哀想に、正しいのにまちがってないのに、いつも彼は正義で悪いのは他のすべてなのに、彼自身はまったく悪くないのに、つらい別れを強要される。

 悩むフェルゼンは「アン・ドゥ・トロワ」と歌い出す。
 ……すみません、爆笑しました。声殺すのに必死。肩が震える。
 だって、さ、「アン あなたのための道」「ドゥ 私のための道」「トロワ 二人のための道」「愛の三叉路」とか言って歌うのよ? いや、うろおぼえで書いてるんで、歌詞チガウと思うけど。
 3つとも、自分のための道ばっかやん!!(笑)
 ひとつぐらい、道理とか世間とか国とか責任とか考えろよ。
 おもしろすぎる。

 さて、それで別れを決意するフェルゼン。
 お説教されたから、従うてか。
 叱られないと、なにもできないんだな、フェルゼン。
 原作では、フェルゼンはアントワネットのつらい立場を知り、自分から戦場へ行ったりするんだがな。
 なんで、宮廷の人々の姿を見て、自分から身を引く、という流れにしないんだろう。愛する人が、自分のせいで悪し様に罵られているのに。それにはまったく平気で、「悪く言う方が悪いんだ」と自分はいつも正義。でも叱られたら退散。……ひでえ。

 続く〜。


 今日は星組全国ツアー『ベルサイユのばら』初日!

 もちろん行ってきましたよ、梅芸。昼・夜と2回観ました。

 『ベルばら』ですか? 最悪です。史上最低。今までのフェルゼン編もひどかったけど、ソレを超える駄作なんて、物理的に可能だったんだな! 人生って奥が深いな!(笑顔)
 出演者のがんばりだけが、救いです。各キャラはいい仕事してますよー。

 ま、その話はあとでゆっくりするとして。

 まずはその前段階。つーか、前振り? ぶっちゃけただの雑談です。

 
 ええ、今日はともちのせいで、いろいろ予定が狂いました。

 ともちといえば、宙組のジャンボさんのことです。はい。
 なんで星初日にともちんなのか。
 話せば長いことながら。

 まず、本日はかしげバウ発売日でもあります。
 わたしはかっしーファンですが、発売日に並びに行くのは正直迷ってました。前回の彼の主演バウ公演が売れ残りとさばきの嵐だった記憶が生々しいので。作品もひどかったしね。
 チェリさんのおかげで1回はチケットがあるので、わざわざ並びに行くこともないかと。……売れ残ってたり、掲示板で「譲る」の嵐だったりしたら、そこではじめてかしちゃんのために買うことにしよーか、とかな。
 そしたら、kineさんがかしげバウのために並ぶと言うてるぢゃありませんか。
 なんでkineさんがかしげ……? 首を傾げつつ、「kineさんが並ぶなら並ぼう」と思った。友だちに会えるなら、がんばる。

 前回の主演バウのときは、並びの人数も少なくてねえ。今回はさすがに多くなっているだろうとは思ったけど。
 わたしとkineさん、そしてこれまた何故か並びに参加していた星担仲間のサトリちゃん。3人揃って、はずれを引きました。
 ははは、買えなかったよ、かしげバウ。
 『アメパイ』のときは初日も楽も買えたのになー。長年ファンをやっているときほど運がなくなるという事実(笑)。オサコンもほんと運に見放されてたしなー。

 サトリちゃんは星全ツのために前日から大阪入りしており、「一度並んでみたかった」そう。
 東京モノの彼女の狙いは青年館だから、バウはほんとに「参加してみたかった」だけらしい。当たりを引いたらわたしやkineさんに譲ってくれるつもりだったのだろー。

 わたしの並び仲間は見事にひとりも来ていなかった。あれほど、大抵の発売日にいるのに。並びに行きさえすれば、誰かに会えるものなのに。
 わかっていたさ、かしちゃんのバウになんか並びに来るわけないよなっ。発売日すら知らなかったりするよなっ(泣)。『アメパイ』のときがそうだったしな。

 さて、そのkineさんなんだが。
 なんで朝7時半に梅田にいることができたか。彼女の自宅はものすっげー遠いのだ。んな時間には、まったくの不可能ではないにしろ、そう簡単には来られないもんなんだ。

「梅田に、ホテル取ってますから」

 はい〜〜?

「昨日の月初日、まさかひとりだとは思わなくて。どうせ遅くまで喋って、翌日梅芸に出てくるのなら、梅田で泊まった方が早いなと」

 す、すんません。
 初日行かなくって。サバキ待ち仲間が見つからなかったから。
 ヘタレてごめんよ、と言ったら、

「ヘタレて観なかったんじゃなくて、オサコンにハマりすぎてるせいでしょ」

 と寛大なお返事。
 そうなの。オサとまっつとそのかにハマりすぎてるせいなの……。オサコンが素敵すぎたせいなの……。
 ほろり。

 ソレはさておき、すげえなkineさん。星担の鑑。ふつーに自宅から通える距離なのに、わざわざ劇場の側に宿を取るなんて。

「月初日と、かしちゃんバウの並びと、星初日の3つがあったから、ホテル取ったんだってば」

 おお。かしバウもホテル代を出す理由のひとつになるんだ。ヅカファンの鑑。

 でも、はずれちゃったね……しょぼん。

 
 つーことで、突然できた、梅田の休憩所。しかもスカステ付き。
 わたしはkineさんのお部屋にお邪魔することにした。

 星組公演までは、まだ2時間弱ある。
 kineさんに淹れてもらったお茶を飲みながら、わたしは彼女の部屋でまったりとスカステを見ながらダベっていた。

 
 ええ。
 ここでやっと、ともちん。

 スカステでは、『傭兵ピエール』新人公演が放送されていた。

 お喋りするのがメインだから、テレビはBGM。本気で見てはいない。
 しかし。
 やっぱあちこちで、目に入る。

「かなみちゃんかわいー」
「和くんきれー」

 とか言いながらも、またお喋りに花を咲かせる。

 
 わたしは、ともちんを好きでも嫌いでもなかった。宙組の新公は『ベルばら2001』からずっと欠かさず見ていたが、ほっんとーになんの意識もなかった。
 てゆーか、彼のことはゴジラだと思っていた。
 カオは不自由だが、他に魅力のある人、と思っていた。わたしにわからないだけで。

 なのに。

 ああ、なのに。

 『Le Petit Jardin』以降、ともちがすげー男前に見えるのよ。

 それなら、「上級生になって、魅力が出たのね」とか思えるよね。
 わたしもそーゆーことだと思ってたの。

 なのに。

 ああ、なのに。

 昔の出演作品を見ても、かっこよく見えちゃうの!

 『傭兵ピエール』よ? あたし生で観てるわよ、この新公。ともちのシェフぶりだって見てるわよ。でもなんとも思わなかったわ。ゴジラとしか思ってなかった。
 七帆のカオが好き。ぐらいしか記憶に残ってないわよ。

 なのになのに。

 今さら、あのときなーんとも思わなかったピエール@ともちがかっこいいなんてッ!!
 どーゆーことよ?!

「そりゃ、好きなんですよ」

 kineさんはあっさり言う。

 好き? ともちを好き? だってだってわたし、何年もともちのことはゴジラだと……!
 つか、わたしの好きなタイプのカオじゃないわ。

「トシを取って、好みが広がったんですってば。いいことじゃないですか」

 えええぇ。そんなぁ。

「なんでそんなに嫌なんですか、ともちんを好きだと認めることが」

 だってなんか、なんか……くやしい。
 ともちの魅力を、今まで気づけなかった自分が。
 うわぁあん、ともち、かっこいーよー。

 気がつくとなんか、スカステを見入ってしまう。
 ともち主演の『傭兵ピエール』。ともちはかっこいいし、かなみちゃんはかわいいし。ああ、なんか見ていてたのしーぞ。

 
 そう。
 ついうっかり、ともちに見入ってしまっていて。

 あれ?
 そろそろ出発しないと。星組はじまっちゃうよ?

 kineさんとふたりして、ホテルを出て。

 気がついたこと。
 トイレを済ませておくんだった。劇場のトイレは混んでいるから。
 公演は12時から。昼ごはん、食べてないじゃん、あたしら! 食事を済ませてから観る予定だったのに。4時半公演も観るから、時間ないのに。

「ともちんのせいで、なにもできなかったね」

 うわぁああん。ともちのせいで、予定狂いまくり!
 彼が魅力的だから悪いのよ!

 オサちゃんが魅力的すぎて、月初日に行けなかった女の、新たな言い訳。
 ……好きな人がいっぱいで、しあわせな人生だなあ。


 欲張りすぎているんだよな、と、今ちょっと反省している。

 わたしは本能のおもむくままに生きているので、観たい舞台は観たいっ!と西に東に走り回っている。
 それに関して悔いはない。金はまーったく残ってないが、宵越しの金を持たない人生もアリだろう。

 反省しているのは、「わたしのアタマの混乱」についてだ。

 いつもわたしはきゃーきゃーヅカの公演を追いかけているが、特に8月からがひどい。
 3週間で博多3回往復、東京1回往復、ってなんですかソレ! 大阪でよかった、日本の真ん中ばんざい、東京も九州も遠すぎないわ……って、そんなことぢゃないから!!
 そして落ち着く間もなくオサコンだし。オサコン追いかけて、東京にも行くし。

 欲望のおもむくままに右往左往して、ソレであたし、なにやってんの?

 わたしの「中」で、「作品」を消化しきれてないじゃない。

 
 わたしは今現在ものすっげー寿美礼ちゃん大好きっこなんだが、これは作品の力が大きい。ご贔屓不在なわたしはそのときどきの萌え作品と萌えキャラに入れ込むからだ(いや、ケロがいたときからそうだったが。ご贔屓よりも、作品優先)。
 『マラケシュ』とリュドヴィークにハマりまくり、そのアシでオサコンの春野寿美礼にハマりまくった。
 それはいい。いいんだけど。

 その反動が、他作品に来ている。

 ちなみにわたし、宙組『炎にくちづけを』7回観てるんですが。週1の割合で、観ているんですよ。これって、贔屓組に匹敵する回数です、わたし的に。

 なのに、宙組の話、ぜんぜんしてないですよ。
 感想も、作品語りもぜーんぜん、してません。

 理由はひとつ。

 そんな余裕が、どこにもない。

 わたし的に。
 わたしの、こころ的に。

 博多座『マラケシュ』初日の3日後が、宙組『炎に…』の初日だった。
 『炎に…』は大好きですよ。『王家』や『スサノオ』ぐらい、本格的に語りたいですよ。
 でもそれができなかった。
 わたしは『マラケシュ』とリュドヴィークでいっぱいいっぱいで、『炎に…』どころぢゃなかったんですってば。きちんと向き合わないで『マラケシュ』の間に受け止めるには、『炎に…』は「重すぎた」んですってば。
 だから、『炎に…』のことは「重い」とか「兄弟萌え」とかぐらいしか、書けなかった。

 それが、くやしい。

 『マラケシュ』とかぶってなかったら、わたしはもっともっと、『炎に…』の世界をたのしめたはずなのに!!

 わたしはちっちゃな人間なので、キャパが少ないのよ! いや、図体はひとよりでかいが、心狭いのよーっ、そのうえ古いからメモリも少ないのよーっ。
 『マラケシュ』でいっぱいになっちゃったから、他のことまで気が回らなかったのよーっ。

 ええ、いちばんいい例が、ほっくん主演の『BourbonStreet Blues』ですよ。
 『マラケシュ』初日前日に観てるんだよね。

 感想書くの、忘れてるし。

 観たのにここで感想書いてないと、周囲から「アレは書かないんですか」とか言われるもんなんだけど、ほっくんバウに関してはまったく言われなかったこともあり、本気で忘れてたよ……うう、ごめんよほっくん。わたしの記憶容量が少ないために……。
 今年の若手バウ、全主演作品フルコンプしたんだけどなー、わたし。いちばんたくさん観たのが宙組(笑)。でも、いちばんアツく語ってしまったのは、ぢつは雪組かもしれない(笑)。
 その総括的な話もしたかったのに。

 
 欲望に忠実に生きていたら、本来味わえるはずの感動も、薄くしか味わえなくなっていた。

 それを、反省した。

 一昨日まで東京にいたわけだけど、そのときはまだわたし、月初日観るつもりだったの。ドリーさんにも「サバキ探しに行く」と言っていたの。
 でも、オサコン楽を観たあとの夜行バスの中で、考えた。

 今月組観に行ったって、宙組の二の舞じゃないのか?
 たとえ『ジャジー♪』が超ツボな名作だったとしても、わたしは上の空なんぢゃないか?
 それは、もったいないだろう。
 わたしは貪欲だから、いつだって「作品」を骨までしゃぶり尽くしたいのに!

 反省。

 オサコンを消化しきるまで、他公演は観ない。
 混乱しないために。
 ほんとーに、その作品をたのしむために。

 
 大劇初日を観ないひさしぶりの日。
 まったりとオサコンの感想でも書くことにしよう。

 
 ただ。
 
 …………。
 
 

 明日は星全ツ初日なんだよなっ。

 え? 行きますよ、そりゃ!
 わたし星担だもん!! しいちゃんのアンドレ見なきゃ!!(スポニチのしいちゃんインタビュー、いいカオしてたよー、しいちゃん素敵!)
 「グスタフ3世が出るのに、バスティーユの場面がないってなにごとっ?! 植爺センス皆無!」とか怒りながらも(笑)、観に行きますよ!

 いやその、『ベルばら』は感性が鈍っているときに観たからどーなるってもんでもないわけだし。つか、「作品」というより、ただのイベントだし。お祭りだし。
 ゴニョゴニョ。

 
 明日は明日の風が吹く。
 「反省」を現実に結びつけることなく、たのしんできます。

 タカラヅカ大好き。

 
 オサコンから帰ってきました。
 幸福感でいっぱいっす。
 しばらくは、この気持ちだけで生きていけそう……。

 なんかテンションあがりすぎて、帰りは夜行バスだったんですが、一睡もできず。
 明け方からひとり、なんかずーっと泣いてました(怪しいヤツ)。
 今も油断すると泣ける……。

 ところで明日、月初日ですよね? ちがった?
 わたしゃチケット持ってないし、なんか売り切れてるし、初日に行ってここでいろいろ真っ先に書くのが好きな人間だが、「なんか無理ぽ」な気持ちっす。
 誰か行く? 「チケット持ってないけど、サバキ目的で行く」というお仲間がいたら、わたしも行きます〜。観られなかったときに、お茶だけして帰れるように(笑)。手ぶらでいってなにも観られないで帰るには、微妙に遠いし、救いがたいくらい田舎なんだもん、宝塚村。梅田なら、観られなくてもお買い物したりできるけどさー。
 ツレ募集。友だちに会えるなら、ムラはぜんぜん遠くない。
 誰もいなかったら、月初日はスルーします……今回チケ取り一切してないから、いつかまた、機会があるときに観ることにする。ごめんよゆーひくん……君に会えるのはいつの日だろう……。

 宙楽やオサコンの感想はまたいずれ。


 タカラヅカの魅力ってなんだろう。
 たくさんあるけれど、そのなかのひとつに、永遠の「学園祭前夜」ってのがあると思う。

 押井守の代表作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に象徴的に取り上げられている、このモチーフ。

 学園祭当日より、その準備に奔走しているときの方が、たのしいんだよね。
 仲間たちと一緒になって、笑って騒いでケンカして、ひとつの目的と時間を共有し、「青春」という花畑にいる。
 学園祭を成功させたからといって、お金が儲かるわけでなし、受験に有利になるでなし、べつになんの利潤もないんだけど。
 それでもモラトリアムの学生たちは、全身全霊をあげて「なんの得にもならないこと」に時間と労力を費やす。
 いや、得にならないからこそ、無意味だからこそ、一途に。

 いつか、終わってしまう祭り。
 現実が残酷な口を開けて待っている、その間際での夢。

「今がいちばんいい時だよね。このまま時が止まってしまえばいいのに」

 そんなせつないのぞみの、一瞬のきらめき。

 「学園祭前夜」−−誰もが失ってしまった、宝物。

 
 タカラヅカって、そーゆーとこだなあ、と。
 彼女たちがプロの舞台人であり、歌劇団が企業であり利潤追求を第一にしていることとかとは、まったく別にね。

 宝塚は夢を見せる劇団です、とかよく言うけど。
 その「夢」っていうのは、なにも舞台の上だけのことじゃないと思うの。女が演じる虚構の美青年が、ありえないドラマティックでロマンティックな恋愛模様をデコラティヴに歌い踊るから「夢」なわけじゃない。
 タカラジェンヌが見せる「役」以外の顔もまた、「夢」だと思うんだ。

 春野寿美礼コンサート『I got music』東京千秋楽。

 舞台上で、春野寿美礼はボロボロ泣いていた。

 共演者たちひとりひとりにメッセージをのべ、礼を言い、オーケストラや指揮者、スタッフにまで、ひとつひとつ礼を言っては泣いていた。

 ふつーの商売なら、ありえないから。
 デパートの店員が、客に尻を向けて「この企画が成功したのは、盛り立ててくれたスタッフのおかげです、ありがとう」と泣き出したら、客は怒るだろう。
 そんなことは、閉店後にやれ。客は商品を買いに来ただけだ。店側の都合なんか関係ない。
 てなもん。
 んな役者のプライベートを、金を取ったステージでやるな。客に尻を向けて仲間を持ち上げるな。内輪受けも甚だしい。カンチガイも甚だしい。

 だけどソレが、タカラヅカ。
 そんな「内輪受け」な姿を見せてしまうことも、舞台のうち。

 わたしたちが欲しいのは、ただの「商品」じゃないから。
 「夢」だから。

 ひととひとがつながりあって、感謝して、努力して、心のいちばんきれいな部分で、ある意味幼くてつたない部分で、ありったけの力をふりしぼる、そーゆーところも含めて「夢」だから。

 寿美礼ちゃんが泣きながら仲間に感謝する姿に、観客ももらい泣きして拍手するから。

 タカラヅカの魅力のひとつは、永遠の「学園祭前夜」であること。

 プロだから、お金をもらっているのだから、ということとは別に、学園祭のために必死になる学生たちのような真摯さで、舞台に臨むタカラジェンヌの姿をも、理解し、愛でる。

 わたしたちがもう失ってしまったものを、持ち続ける彼女たちに、遠い羨望と切なさを抱きながら。

 
 大阪・梅芸の千秋楽が押しに押したから、東京・人見でのラストステージも、そりゃー押すだろうなとは思っていたけど。60分は確実に延びてたよね。DVDの収録時間がどうなるのか、気になるところだ(笑)。

 それまでも、純粋に寿美礼ちゃんの歌声だけで泣けたりはしていたんだけど、この人見楽では、歌声だけでなくその「学園祭前夜」な彼らのきらめきが見えて、さらに涙腺を直撃した。

 1部のスネアドラム、個人に続きメンバー全員での演奏を成功させたあと、感極まったように寿美礼ちゃんが、隣のまっつとみわっちの肩を抱く姿。
 真ん中のオサちゃんからはじまって、メンバーが次々と隣の人の肩を抱き寄せ、全員でのスクラムに。

 ショーストップは、何回あっただろうね。
 拍手が爆発するかのよーに響き渡り、ホールをふるわせる。

 彼らの一体感と達成感、努力と情熱、信頼と感動に、観客も反応する。
 だってさあ、観ているわたしたちも、応援してるんだもんな。舞台から「与えられている」だけでなく、もっと能動的に、観客も舞台上の彼らに感情移入して「関与している」んだもの。
 彼らの発するモノへの反応も大きいよ。

 2部のMCでは、『H2$』の小道具本が、メンバーたちからの手作りアルバムになっていた。ほら、学生がよくやる「卒業サイン帳」みたいなノリで。
 うれしがって中身をカメラにさらそうとするオサに、メンバーたちから悲鳴が上がっていた。
 オサちゃん個人への、ほんっとーに個人的なメッセージ・アルバムなんだね。だから、客に見せられたら恥ずかしくて悲鳴あげちゃうよーなプライベートなモノを、舞台に持ち込むなよ(笑)とは思うんだけど。
 それがヅカクオリティ。彼らのそーゆー公私混同したアマチュア感が愛しい。

 そのアルバムには、ケガで休演したきらりちゃんからのメッセージもあるんだって。
 そうか、そうだよな。きらりちゃんだって仲間だ。このすばらしい舞台を創り上げた一員だ。
 そう思えること、そしてきらりちゃんのことを、ちゃんとマイクで話すオサにも、うれしくて涙が出る。

 ふつーに生きていて、いったいどれくらいあるだろうね、仲間を抱きしめてよろこびの涙を流すことって。
 一方的に抱きしめるのではなく抱かれるのではなく、抱きあい、肩を叩き合うのって。
 それほどの昂揚を、感動を、味わえることって、どれくらいあるのかなあ?
 そこに行くためにはまず、自分を含めた仲間たち全員がとことんまで追いつめられ、ギリギリのところで踏ん張って、戦わなきゃな。戦い抜かなきゃな。
 そこまで行って、それを超えてこその、涙なんだよな。
 だからこその、よろこびなんだよな。

 それを味わえる彼らに、拍手を。
 感動の涙を流す彼らを見て、感動できるわたしたちに、拍手を。

 ヒトはこんなに愛しいイキモノだ。

 
 鳴りやまない拍手に、春野寿美礼は言う。

「満足だよ。次に進むよ」

 そうか、次か。
 わたしなんかが逆立ちしても得られないモノを手にしておいて、それは彼にとってひとつのステップでしかなくて、さらに次があるものなんだ。

 なんて贅沢なんだろう。
 なんて……特別な人なんだろう。

 春野寿美礼。
 感嘆の思いで、刮目する。

 このひとを知りたい。このひとを見届けたい。
 心から。

 わたしは春野寿美礼にはなれないけれど、春野寿美礼を愛する人にはなれる。
 だから、わたしはわたしでいいんだ。
 わたしはわたしのまま、この人についていこう。

 そう思った。


< 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 >

 

日記内を検索