復活宣言。博多でいろいろ萌えたらしい(笑)。
2005年8月11日 タカラヅカここんとこのスケジュール
緑野の行動 ◆世間の出来事
8月11日(木) 青春18きっぷで9時間かけて東京へ。
◆月組集合日 さららん退団発表。
12日(金) コミケ1日目一般参加。
13日(土) コミケ2日目友人のサークルチケットで入場。
星組夜公演観劇。ドリーさんちの花火パーティにもぐりこむ(笑)。
14日(日) 星組昼夜公演とも観劇。入りからお見送りまで。
そのあと、HOTEL DOLLYで打ち上げ。
◆星組東宝千秋楽。
15日(月) kineさんとふたりで青春18きっぷの旅。大阪まで9時間。
◆雪組梅芸友会入力日。
16日(火) 家族行動。奈良県吉野山へ。
18日(木) ◆雪組梅芸抽選結果発表。とーぜん全滅。わーんわーん。
19日(金) 友人オレンジと買い物。博多への交通チケット購入(前日ですがな……)。
◆月組新公主要配役発表。
20日(土) kineさんと一緒に旅立つ。花組博多座公演観劇。はなはなさん、ココナッツさん、かーこさんとお茶。その後はなはなさん、ココナッツさんとごはん。萌え萌え萌えー。
◆月組公演発売日。旅行中だからチケ取りできないよーっ、わーん。
21日(日) 花組博多座公演昼夜観劇。ココナッツさんと束の間の逢瀬。
◆星組DC発売日。
23日(火) 宙組昼公演、新公観劇。
◆宙組新人公演
はなはなマロンさんが約束を守ってくれそーなので(笑)、緑野も日記復活します。
リアルタイムにミニパソに書いていた分(もう話題がかなり古いけどさ)のUPから、ぼちぼち現在へ向けて進む予定。話題が古すぎるのでUPできないのもぽろぽろあるけど(博多初日を観た直後に書いたそのかLOVEな日記なんて、もう今さらUPできねーよ……)。
今回の博多で、えんえんえんえん萌え語りしてねー。
はなはなさんがレオン×リュドヴィーク×レオン(とても腐女子なカップリング表記)書いてくれたら、わたしもリュドヴィークとクリフォードでなんか書くってことになっちゃったのだわ。
はなはなさん、べつにわたし、コルベット×レオンでもかまわないわよ?(笑)
もちろん、リュドも書いてくれなきゃイヤンだけど。
(はなはなさんのブログで、連載がはじまってますよ、みなさん!)
腐女子友との語らいの時間を持てたおかげで、文章を書く意欲が戻ってきました。
いや、文章というより、ヲタクハート充填完了!というか。
ケガレ会話のわからないピュアなココナッツさんの前で、えんえんえんえん身も蓋もない会話を繰り広げてごめんなさい。
あ、kineさんはいいんですよ、腐女子じゃないのはわかってますが、ヲタク話OKだから、もーぜんぜん気にしないっ。何度「深い溝」とわたしたちの間に線を引かれたって、ぜんぜん気にしないわっ。
「リュドとクリフォードって、どっちが受だと思う?」
と、真面目に聞いてごめんよー。
「私に聞かれても……」
と困惑を顕わにしつつも、
「クリフォードはあまりにヘタレすぎるからなー。あんな男にナニかできるわけないよなー」
と続いたわたしの言葉に、
「だから、そーゆーことなんじゃないの?(ニヒルな笑み)」
と答えを返したkineさん。
ちゃんと会話についてきてくれてるのよー、ふふふ。
kineさんも、まっつクリには、オサリュドを押し倒す甲斐性はないと思ってるのよねっ。そりゃそーよねっ。ヘタレすぎかわいすぎるよね、まっつ。
んで博多から帰宅してすぐに、とりあえず書いてみました。リュドヴィークとクリフォードで。他愛ないSS。
んー? あんまし萌えな話になってないよーな……。
それに、書いてるうちに確定したよ。
わたし、クリフォード×リュドヴィークだ……。
クリ攻かよ……なんであんな尻尾の垂れたヘタレ犬が攻できるの……小首傾げて泣きそうな目で世界を見てるかわいこちゃんなのに。
たんにわたし、攻キャラ好きなんですよ。萌えなキャラは攻になってしまうのだ……。
まっつクリフォードは萌えですから!!
あのヘタレ具合がジャストミートです。
ゆみこクリフォードよりさらに頼りなく、かわいこちゃんなのがツボです。一人称「僕」ですよ。ゆみこは「俺」って言ってることもあったよね(「ル・サンク」確認)。ちゃんと「隊長」してたよね。でもまっつは「隊長」でもないし、マスオさん状態で伯母様にいじられてるところと、砂漠で遭難して蛇に弄ばれてるとこしかないんですよ?!(笑)
耳と尻尾の垂れた血統書付きのわんこ。kineさんに「Victorの犬」って言われて納得。あの蓄音機をのぞきんこんで小首を傾げている可憐なわんこですよ。
(今検索して知った。Victorの犬は、蓄音機から聞こえる亡き主人の声に聴き入る姿なんだって。泣ける。でもまっつクリフォードってますますそんな感じ)
とまあ、博多座の話にたどりつく前、東京の話から順に書いていきます。
コミケの話も書きたいしなー。
『長崎』と『シバ魂』の話も。檀ちゃんの美しさも。
……星東宝公演でいろいろ開眼したことも。
『シバ魂』って、レークとオーキッドの恋物語だよなっ?! なっみんな!!
kineさんには冷たい反応でばっさりやられたけどな(笑)。賛同意見がまったくなかったよ、神様。
クリフォード×リュドヴィークのSSは、日記の内容が博多に追いついたらUPすると思うんで、はなはなさん、あなたも連載よろしくね。レオンとリュドの物語!!
緑野の行動 ◆世間の出来事
8月11日(木) 青春18きっぷで9時間かけて東京へ。
◆月組集合日 さららん退団発表。
12日(金) コミケ1日目一般参加。
13日(土) コミケ2日目友人のサークルチケットで入場。
星組夜公演観劇。ドリーさんちの花火パーティにもぐりこむ(笑)。
14日(日) 星組昼夜公演とも観劇。入りからお見送りまで。
そのあと、HOTEL DOLLYで打ち上げ。
◆星組東宝千秋楽。
15日(月) kineさんとふたりで青春18きっぷの旅。大阪まで9時間。
◆雪組梅芸友会入力日。
16日(火) 家族行動。奈良県吉野山へ。
18日(木) ◆雪組梅芸抽選結果発表。とーぜん全滅。わーんわーん。
19日(金) 友人オレンジと買い物。博多への交通チケット購入(前日ですがな……)。
◆月組新公主要配役発表。
20日(土) kineさんと一緒に旅立つ。花組博多座公演観劇。はなはなさん、ココナッツさん、かーこさんとお茶。その後はなはなさん、ココナッツさんとごはん。萌え萌え萌えー。
◆月組公演発売日。旅行中だからチケ取りできないよーっ、わーん。
21日(日) 花組博多座公演昼夜観劇。ココナッツさんと束の間の逢瀬。
◆星組DC発売日。
23日(火) 宙組昼公演、新公観劇。
◆宙組新人公演
はなはなマロンさんが約束を守ってくれそーなので(笑)、緑野も日記復活します。
リアルタイムにミニパソに書いていた分(もう話題がかなり古いけどさ)のUPから、ぼちぼち現在へ向けて進む予定。話題が古すぎるのでUPできないのもぽろぽろあるけど(博多初日を観た直後に書いたそのかLOVEな日記なんて、もう今さらUPできねーよ……)。
今回の博多で、えんえんえんえん萌え語りしてねー。
はなはなさんがレオン×リュドヴィーク×レオン(とても腐女子なカップリング表記)書いてくれたら、わたしもリュドヴィークとクリフォードでなんか書くってことになっちゃったのだわ。
はなはなさん、べつにわたし、コルベット×レオンでもかまわないわよ?(笑)
もちろん、リュドも書いてくれなきゃイヤンだけど。
(はなはなさんのブログで、連載がはじまってますよ、みなさん!)
腐女子友との語らいの時間を持てたおかげで、文章を書く意欲が戻ってきました。
いや、文章というより、ヲタクハート充填完了!というか。
ケガレ会話のわからないピュアなココナッツさんの前で、えんえんえんえん身も蓋もない会話を繰り広げてごめんなさい。
あ、kineさんはいいんですよ、腐女子じゃないのはわかってますが、ヲタク話OKだから、もーぜんぜん気にしないっ。何度「深い溝」とわたしたちの間に線を引かれたって、ぜんぜん気にしないわっ。
「リュドとクリフォードって、どっちが受だと思う?」
と、真面目に聞いてごめんよー。
「私に聞かれても……」
と困惑を顕わにしつつも、
「クリフォードはあまりにヘタレすぎるからなー。あんな男にナニかできるわけないよなー」
と続いたわたしの言葉に、
「だから、そーゆーことなんじゃないの?(ニヒルな笑み)」
と答えを返したkineさん。
ちゃんと会話についてきてくれてるのよー、ふふふ。
kineさんも、まっつクリには、オサリュドを押し倒す甲斐性はないと思ってるのよねっ。そりゃそーよねっ。
んで博多から帰宅してすぐに、とりあえず書いてみました。リュドヴィークとクリフォードで。他愛ないSS。
んー? あんまし萌えな話になってないよーな……。
それに、書いてるうちに確定したよ。
わたし、クリフォード×リュドヴィークだ……。
クリ攻かよ……なんであんな尻尾の垂れたヘタレ犬が攻できるの……小首傾げて泣きそうな目で世界を見てるかわいこちゃんなのに。
たんにわたし、攻キャラ好きなんですよ。萌えなキャラは攻になってしまうのだ……。
まっつクリフォードは萌えですから!!
あのヘタレ具合がジャストミートです。
ゆみこクリフォードよりさらに頼りなく、かわいこちゃんなのがツボです。一人称「僕」ですよ。ゆみこは「俺」って言ってることもあったよね(「ル・サンク」確認)。ちゃんと「隊長」してたよね。でもまっつは「隊長」でもないし、マスオさん状態で伯母様にいじられてるところと、砂漠で遭難して蛇に弄ばれてるとこしかないんですよ?!(笑)
耳と尻尾の垂れた血統書付きのわんこ。kineさんに「Victorの犬」って言われて納得。あの蓄音機をのぞきんこんで小首を傾げている可憐なわんこですよ。
(今検索して知った。Victorの犬は、蓄音機から聞こえる亡き主人の声に聴き入る姿なんだって。泣ける。でもまっつクリフォードってますますそんな感じ)
とまあ、博多座の話にたどりつく前、東京の話から順に書いていきます。
コミケの話も書きたいしなー。
『長崎』と『シバ魂』の話も。檀ちゃんの美しさも。
……星東宝公演でいろいろ開眼したことも。
『シバ魂』って、レークとオーキッドの恋物語だよなっ?! なっみんな!!
kineさんには冷たい反応でばっさりやられたけどな(笑)。賛同意見がまったくなかったよ、神様。
クリフォード×リュドヴィークのSSは、日記の内容が博多に追いついたらUPすると思うんで、はなはなさん、あなたも連載よろしくね。レオンとリュドの物語!!
微妙なセンスと彼の役割。@ネオ・ヴォヤージュ
2005年8月9日 タカラヅカ 三木章雄せんせーは、ガイチが嫌いなのかな。
それとも、劇団の意志なのかな。
それが気になった、宙組公演『ネオ・ヴォヤージュ』。
なまじ、その前にわたしは樹里ちゃんの退団公演『エンター・ザ・レビュー』を観ている。
Wトップ?! てくらい、出ずっぱりの樹里ちゃんを知っている。
歌い、踊り、場の中心となり、また組のトップスターとがっぷりふたつに組んで、最後はエトワールまでやって幕を下ろした。
それが目に焼き付いているから。
ガイチの扱いに、目が点になった。
ただの3番手扱い……退団者仕様はとくにナシ? エトワールのみ?
わたしはプログラムは買わない人間だけど、劇場にある出演者名の載ったチラシはもらう。
それでショーの部分を確認すると、一目瞭然。
ガイチが主役のシーンはない。
ないんだよ……びっくりしたよ……。
園加ですら、博多座で一場面もらってるのに(チガウ)。
コウちゃんやナオちゃんだって、退団公演は主役の場面があったよねえ。
樹里ちゃんは特別なんだとしても……いくらなんでも……。
せめてラストのたかちゃんとの男同士のデュエットダンスは、ガイチで見たかったよ……タニが悪いわけではなくて。
ちょっとしょぼん。
ま、それはともかく、ピアニスト@タニちゃんを翻弄する白髪のガイチは美形だったなと、チラシを確認すると。
ピアノ魔 初風緑
ピアノ魔って……。
初日終演後、いつもの店でkineさんとふたり、盛大に肩を落としたさ。
そして、
「よかったよね、サテュロスで!」
「ディアボロでよかった!!」
オギー神!! と、こんなところでまた盛り上がったよ、ありがとう三木章雄。
役名ひとつにしても、作家のセンスって出るよね。
全体的に、センスの微妙さが際立った作品だった。
いちばん微妙だったのが、やはり名は体を表すかな、ピアノ魔@ガイチの出る、ピアニスト@タニちゃんを主人公とするやたら長いシーン。
いろんな幻だかが現れ、ピアニストを翻弄するわけなんだが。
舞台には、とてものんきなおもちゃっぽいちゃちいピアノと、愉快な音符が輝いている。
トホホな背景と、美しいけど健康的なピアニストと、毒を持っているつもりらしーその他のキャスト。
なんだかとてもミスマッチ。
ええと、コンセプトは耽美系だよね。ガイチとその周辺も、ダークに決めている。
でも、なにしろタニちゃんなので太陽きらきらしてるし、ちっとも深刻にならない。
出てくる幻たちも微妙。
なにより、セットのちゃちさとダサさは致命的。
なにがしたいんだ、コレ……。
やってることは、『ドリーム・キングダム』の3つめのシーンとなにもかも同じなんだけど。コンセプトも展開も。
あれ?
『ドリキン』の3つめのシーンって、三木せんせじゃん。
同じ作家が同じことをやって、ここまでセンスの厚さがチガウってことは。
『ドリキン』は舞台美術担当の横尾忠則の功績かよ!
三木章雄単体だと、こんなにダサいの……?
作家自身による劣化コピーを見せつけられ、さらにトホホな気分になりました。
「ハロウィン」のシーンも、反応に困った。
美術はハロウィンらしい毒を感じさせる。わたしはそもそも「大人の演じるわざとらしい子ども」が苦手なんだが、それもまた使い方次第で印象は変わる。
徹底的にかわいい子どものシーンにしてしまうなら、苦手感は薄れる。
あるいは、「大人が無理して演じる子ども」という歪みを逆手に取った毒のあるシーンならばOK。
しかしこの「ハロウィン」のシーンは、そのどちらでもなく、実に中途半端だった。
無邪気なシーンにするには、美術はブラックだし、登場する唯一の大人・パンプキンマン@タニの役割はダークだ。
じゃあかわいいふりしてブラックなシーンかというと、なにしろタニちゃんなんで、毒を出そうとして空回りしている。
なんなんだこりゃ、ととまどっているうちに終了してしまった……。
タップのシーンだとか、明るい元気なシーンは素直に楽しめる。
オーソドックスなシーンも。
若手を売る気がまったくないと危惧していた宙組だけど、はじめてあひくんが銀橋を渡ったり、そのとき一瞬だけど本舞台でともちんがセンターだったりと、宙組らしくない場面もあって微笑ましかった。
まあ大抵はすっしーやはっちゃんやまりえったがセンター脇を固めていて若手スターはそれより外側とか、トップと若手スター数人というシーンにしっかり副組長がまざっていたり、という宙組らしい風景に満ちあふれているけど。
たかはなのデュエットダンスが少なくてびっくりだったり、そもそも絡みが少ない? わー、なんか新鮮、でも落ち着かないかも?(笑) な、発見があったり。
全体としては、ふつーにたのしいショーなんじゃないでしょーか(棒読みテイスト)。
芝居が重いんで、これくらい薄い方が、バランス的にいい。たぶん。
わたしが「センスが微妙」だと思った部分はすべて、タニちゃんの使い方にあるんだと思うので、どんなタニちゃんでもOK!な人には、きっともっとたのしい作品だと思う。
思ったことは、三木せんせは「あて書き」をしないんだな、ということ。
この作品がわたし的に相当微妙なのは、お色気担当・耽美担当が大和悠河だということに尽きる。
トップスターは白い貴公子、2番手は黒い個性的な役。
という、従来のヅカの立ち位置に合わせた骨組みで作品を書き、それを上から順に当てはめたのね。
だから、毒を持った美青年の役がタニだったり、魔に翻弄される美青年の役がタニだったり、トップスターと男同士で踊る役がタニだったりするんだわ。
タニちゃんがお色気担当、耽美担当か……すげえなあ。
わたしがイマイチのれなかったわけだ……。いや、タニが悪いわけではなくて。
わたし的に。
お色気担当と耽美担当がガイチでは何故いけなかったんだろう……。
それとも、劇団の意志なのかな。
それが気になった、宙組公演『ネオ・ヴォヤージュ』。
なまじ、その前にわたしは樹里ちゃんの退団公演『エンター・ザ・レビュー』を観ている。
Wトップ?! てくらい、出ずっぱりの樹里ちゃんを知っている。
歌い、踊り、場の中心となり、また組のトップスターとがっぷりふたつに組んで、最後はエトワールまでやって幕を下ろした。
それが目に焼き付いているから。
ガイチの扱いに、目が点になった。
ただの3番手扱い……退団者仕様はとくにナシ? エトワールのみ?
わたしはプログラムは買わない人間だけど、劇場にある出演者名の載ったチラシはもらう。
それでショーの部分を確認すると、一目瞭然。
ガイチが主役のシーンはない。
ないんだよ……びっくりしたよ……。
園加ですら、博多座で一場面もらってるのに(チガウ)。
コウちゃんやナオちゃんだって、退団公演は主役の場面があったよねえ。
樹里ちゃんは特別なんだとしても……いくらなんでも……。
せめてラストのたかちゃんとの男同士のデュエットダンスは、ガイチで見たかったよ……タニが悪いわけではなくて。
ちょっとしょぼん。
ま、それはともかく、ピアニスト@タニちゃんを翻弄する白髪のガイチは美形だったなと、チラシを確認すると。
ピアノ魔 初風緑
ピアノ魔って……。
初日終演後、いつもの店でkineさんとふたり、盛大に肩を落としたさ。
そして、
「よかったよね、サテュロスで!」
「ディアボロでよかった!!」
オギー神!! と、こんなところでまた盛り上がったよ、ありがとう三木章雄。
役名ひとつにしても、作家のセンスって出るよね。
全体的に、センスの微妙さが際立った作品だった。
いちばん微妙だったのが、やはり名は体を表すかな、ピアノ魔@ガイチの出る、ピアニスト@タニちゃんを主人公とするやたら長いシーン。
いろんな幻だかが現れ、ピアニストを翻弄するわけなんだが。
舞台には、とてものんきなおもちゃっぽいちゃちいピアノと、愉快な音符が輝いている。
トホホな背景と、美しいけど健康的なピアニストと、毒を持っているつもりらしーその他のキャスト。
なんだかとてもミスマッチ。
ええと、コンセプトは耽美系だよね。ガイチとその周辺も、ダークに決めている。
でも、なにしろタニちゃんなので太陽きらきらしてるし、ちっとも深刻にならない。
出てくる幻たちも微妙。
なにより、セットのちゃちさとダサさは致命的。
なにがしたいんだ、コレ……。
やってることは、『ドリーム・キングダム』の3つめのシーンとなにもかも同じなんだけど。コンセプトも展開も。
あれ?
『ドリキン』の3つめのシーンって、三木せんせじゃん。
同じ作家が同じことをやって、ここまでセンスの厚さがチガウってことは。
『ドリキン』は舞台美術担当の横尾忠則の功績かよ!
三木章雄単体だと、こんなにダサいの……?
作家自身による劣化コピーを見せつけられ、さらにトホホな気分になりました。
「ハロウィン」のシーンも、反応に困った。
美術はハロウィンらしい毒を感じさせる。わたしはそもそも「大人の演じるわざとらしい子ども」が苦手なんだが、それもまた使い方次第で印象は変わる。
徹底的にかわいい子どものシーンにしてしまうなら、苦手感は薄れる。
あるいは、「大人が無理して演じる子ども」という歪みを逆手に取った毒のあるシーンならばOK。
しかしこの「ハロウィン」のシーンは、そのどちらでもなく、実に中途半端だった。
無邪気なシーンにするには、美術はブラックだし、登場する唯一の大人・パンプキンマン@タニの役割はダークだ。
じゃあかわいいふりしてブラックなシーンかというと、なにしろタニちゃんなんで、毒を出そうとして空回りしている。
なんなんだこりゃ、ととまどっているうちに終了してしまった……。
タップのシーンだとか、明るい元気なシーンは素直に楽しめる。
オーソドックスなシーンも。
若手を売る気がまったくないと危惧していた宙組だけど、はじめてあひくんが銀橋を渡ったり、そのとき一瞬だけど本舞台でともちんがセンターだったりと、宙組らしくない場面もあって微笑ましかった。
まあ大抵はすっしーやはっちゃんやまりえったがセンター脇を固めていて若手スターはそれより外側とか、トップと若手スター数人というシーンにしっかり副組長がまざっていたり、という宙組らしい風景に満ちあふれているけど。
たかはなのデュエットダンスが少なくてびっくりだったり、そもそも絡みが少ない? わー、なんか新鮮、でも落ち着かないかも?(笑) な、発見があったり。
全体としては、ふつーにたのしいショーなんじゃないでしょーか(棒読みテイスト)。
芝居が重いんで、これくらい薄い方が、バランス的にいい。たぶん。
わたしが「センスが微妙」だと思った部分はすべて、タニちゃんの使い方にあるんだと思うので、どんなタニちゃんでもOK!な人には、きっともっとたのしい作品だと思う。
思ったことは、三木せんせは「あて書き」をしないんだな、ということ。
この作品がわたし的に相当微妙なのは、お色気担当・耽美担当が大和悠河だということに尽きる。
トップスターは白い貴公子、2番手は黒い個性的な役。
という、従来のヅカの立ち位置に合わせた骨組みで作品を書き、それを上から順に当てはめたのね。
だから、毒を持った美青年の役がタニだったり、魔に翻弄される美青年の役がタニだったり、トップスターと男同士で踊る役がタニだったりするんだわ。
タニちゃんがお色気担当、耽美担当か……すげえなあ。
わたしがイマイチのれなかったわけだ……。いや、タニが悪いわけではなくて。
わたし的に。
お色気担当と耽美担当がガイチでは何故いけなかったんだろう……。
体温の上がる作品。@炎にくちづけを
2005年8月8日 タカラヅカ 宙組公演『炎にくちづけを』、わたしが観たのは初日1回だけ。
星組を中心に、関西で行われる全公演全組観ているわけわたしは、ついうっかり星の温度と濃度を基準にしてしまいがちだ。星はタカラヅカのラテン組だからなあ。とにかくやたらとテンション高いとこで。
舞台が熱いとファンも熱くなるのか。
ワタさんファンが熱いのは周知のことだと思うし(開演アナウンスで拍手しつづけるFCを他に知らない)、トウコちゃんファンもこれまたものすっげーアツいんだなー(コンサート会場系のアツさとノリは、特異なほどだ)。
相乗効果なんだろーな。熱い人が作る熱い舞台を好きな熱い人たちが集まって、舞台と客席でどんどん体温を上げていくんだろー。
だから他組を観ると、その温度の差に愕然とする。
えっ、スタンディングするの? こんなに温度低いのに?? とか、びびることはしょっちゅー。
もちろん、高温だからよい、低温だから悪い、というわけじゃない。高温暴走して盛大な内輪受けのマスタベ舞台になる場合だってあるわけだから。
客観的なクオリティの話ではなく、要は好き嫌い、嗜好の問題でしかない。
わたしはたんに、高温な方が好みなんだ。もちろん、すべての場合においてそれだけが好みってわけじゃないけど。
星の温度を基準にすると、他組はみんな低温になってしまう(笑)。それが悪いわけじゃなくて、温度の差に生理的におどろくのね。
宙組は総じて温度の高くない組だ。
いつもさわやかな風が吹いている。
それが心地いい組。
なのに。
今回の『炎にくちづけを』を観て、おどろいた。
温度が上がっていく。
いつもの宙組じゃない。
どこまで行くの?
舞台も、そして観客も。
体温が上昇する。
この濃度はどうだ。
発熱し、やたら濃いものがうねりをあげている。
そーゆー舞台だった。
あーもー、やたらヘヴィで疲れる作品でね。
役者もあれだけのテンションを必要とするわけだから相当キツイだろーけど、観客もしんどいよ。
すげーおもしろいし、好きだけど、リピートはきついなあ。
と、初日に観たときは思った。率直に。
贔屓でもいれば別だけど、誰もいないんじゃー、何度も観るのは精神的につらいよなあ。重すぎるもんよー。
ショーがおもしろければまた別だが(笑)、まあその、むにゃむにゃ。
なのに。
気がつくと、うずうずしている。
あの芝居が、観たい。
あの奔流のなかで、号泣したい。
ふつーに生きていたらまず感じない、ありえないほどの精神の波を味わいたい。
予備知識もない舞台背景も知らない、プログラムも機関誌も買ってないから解説もなにも知らない、そんな無知丸出しであの巨大な劇場のいちばん後ろ、立ち見位置から観たという、そんな人間をも奔流に巻き込む力を持った作品。
発熱している。
舞台が、キャストが。
そして、観客が。
そんな空間に身を置くことのできる快感。
身を……心をゆだねることのできる快感。
それは、得難いことだよ。
だからこそ、必要だ。
あの舞台、あの作品。
温度の低いさわやかな宙組が、あそこまでの温度とテンションで演じきった歌いきった作品。
クールな方がかっこいい、とされるこの現代で、体温を上げてたのしみたい。
熱い物語を。
星組を中心に、関西で行われる全公演全組観ているわけわたしは、ついうっかり星の温度と濃度を基準にしてしまいがちだ。星はタカラヅカのラテン組だからなあ。とにかくやたらとテンション高いとこで。
舞台が熱いとファンも熱くなるのか。
ワタさんファンが熱いのは周知のことだと思うし(開演アナウンスで拍手しつづけるFCを他に知らない)、トウコちゃんファンもこれまたものすっげーアツいんだなー(コンサート会場系のアツさとノリは、特異なほどだ)。
相乗効果なんだろーな。熱い人が作る熱い舞台を好きな熱い人たちが集まって、舞台と客席でどんどん体温を上げていくんだろー。
だから他組を観ると、その温度の差に愕然とする。
えっ、スタンディングするの? こんなに温度低いのに?? とか、びびることはしょっちゅー。
もちろん、高温だからよい、低温だから悪い、というわけじゃない。高温暴走して盛大な内輪受けのマスタベ舞台になる場合だってあるわけだから。
客観的なクオリティの話ではなく、要は好き嫌い、嗜好の問題でしかない。
わたしはたんに、高温な方が好みなんだ。もちろん、すべての場合においてそれだけが好みってわけじゃないけど。
星の温度を基準にすると、他組はみんな低温になってしまう(笑)。それが悪いわけじゃなくて、温度の差に生理的におどろくのね。
宙組は総じて温度の高くない組だ。
いつもさわやかな風が吹いている。
それが心地いい組。
なのに。
今回の『炎にくちづけを』を観て、おどろいた。
温度が上がっていく。
いつもの宙組じゃない。
どこまで行くの?
舞台も、そして観客も。
体温が上昇する。
この濃度はどうだ。
発熱し、やたら濃いものがうねりをあげている。
そーゆー舞台だった。
あーもー、やたらヘヴィで疲れる作品でね。
役者もあれだけのテンションを必要とするわけだから相当キツイだろーけど、観客もしんどいよ。
すげーおもしろいし、好きだけど、リピートはきついなあ。
と、初日に観たときは思った。率直に。
贔屓でもいれば別だけど、誰もいないんじゃー、何度も観るのは精神的につらいよなあ。重すぎるもんよー。
ショーがおもしろければまた別だが(笑)、まあその、むにゃむにゃ。
なのに。
気がつくと、うずうずしている。
あの芝居が、観たい。
あの奔流のなかで、号泣したい。
ふつーに生きていたらまず感じない、ありえないほどの精神の波を味わいたい。
予備知識もない舞台背景も知らない、プログラムも機関誌も買ってないから解説もなにも知らない、そんな無知丸出しであの巨大な劇場のいちばん後ろ、立ち見位置から観たという、そんな人間をも奔流に巻き込む力を持った作品。
発熱している。
舞台が、キャストが。
そして、観客が。
そんな空間に身を置くことのできる快感。
身を……心をゆだねることのできる快感。
それは、得難いことだよ。
だからこそ、必要だ。
あの舞台、あの作品。
温度の低いさわやかな宙組が、あそこまでの温度とテンションで演じきった歌いきった作品。
クールな方がかっこいい、とされるこの現代で、体温を上げてたのしみたい。
熱い物語を。
日記を3日も放置した訳。
2005年8月6日 タカラヅカ またしても書きかけの日記が消えてしまったために、書き直す気にも、新しい日記を書く気にもなれずにいた。溜息。
画面開いたまま、たかだか5時間電話していただけで、消えやがって……なんて根性のないパソコンかしら。
書いていた内容は、「和央ようかの美しさについて」でした。
ははは。
画面開いたまま、たかだか5時間電話していただけで、消えやがって……なんて根性のないパソコンかしら。
書いていた内容は、「和央ようかの美しさについて」でした。
ははは。
今、救いの鐘が鳴りひびく。@炎にくちづけを
2005年8月5日 タカラヅカ キムシン全開!!
宙組公演『炎にくちづけを』初日観劇。
いつものことですが、予備知識一切なし。舞台設定も主役の名前も時代背景もなにも知らない。
わたしゃオペラなんて生まれてから一度も観たことないよ。世界史の知識も薄い、文化レベルの低い人間っす(笑)。
ただ、今目の前にあるものだけがすべて。
キムシンを嫌いな人は、絶対観るのをやめましょう。精神衛生上悪いだけです。
いやあ、完璧にキムシンだったよ。
良くも悪くも。
そして、わたしは。
好きです。たのしみました。
ありがたいことに今日は立ち見が出ていた。
うう、いったいいつぶりだ、初日を立ち見で観られるなんて。最近の公演は座席が売り切れてくれないから、立ち見が出ないんだもん。金がかかっていけねぇ。
立ち見のときのいつものポジションで、マイペースに観劇。
吟遊詩人のマンリーコ@たかちゃんは女官のレオノーラ@花ちゃんと恋に落ちた。しかしレオノーラには猛烈横恋慕男ルーナ伯爵@ガイチがいた。
このルーナ伯爵は大変筋が一本通った人物で、徹頭徹尾傲慢自分勝手唯我独尊卑怯卑劣な、素敵なお貴族様。惚れた女をレイプしよーとしたり、恋敵にタイマンで負けると数を頼んで勝ち誇ったり、修道院を襲ったりとやってることは原始人的。でも素敵なお貴族様。
現代の感覚で言えば、ルーナ伯爵は警察か病院に相談した方がいい人格だが、なにしろ昔のことですから。敬虔なキリスト教徒たちが「正義」を決めている。「キリスト教徒以外はカス! ゴミ! 殺せ!!」な世界観。ルーナ伯爵ももちろん「正義」。
その「正義」の犠牲になったのが、異教徒のジプシーたち。マンリーコの祖母は、ルーナ伯爵の父に魔女の烙印を押され火あぶりになった。マンリーコの母アズチューナ@ヒロさんは、息子に復讐を誓わせるが……。
まず感嘆するのは、舞台の美しさ。
どこのシーンを取っても、1枚の絵のように美しい。
限られた予算でも、ここまで美しい舞台を作れるんだ。
キムシンってセンスいいよねー。
そして、主要人物の美しさ。
マンリーコ@たかちゃんのうさんくさいまでの美しさは、どうですか。
オーレリアン様再び。
最初の豪華すぎる服装の吟遊詩人もキラキラ王子様だし、後半のプラチナブロンドのロン毛姿は、後光が差してますよ。
お花様が美しいのは言うまでもないが、悪役ルーナ伯爵@ガイチも、ゴージャスに端正です。
そして、ジプシー・イケメン隊!!
タニちゃんを筆頭に、これでもかっ、と旬な若手美形で固めてある。どいつもこいつも、すげーかっこいー。
奥様、どの子がお好みですか? な揃え方。
あー、わたしはやっぱ七帆くんが好みです。それからいりすが好きです。七十万歳。
このジプシーたちが、オイシイ役でね。
魅力的に活き活きと、「若さ」を表現している。
……だからこそ、最期が衝撃的なんだが。
舞台はとにかく美しい。
美しい装置と美しい照明、音楽。美しい衣装を着た、美しい人たち。
だけどそこで展開される物語は。
残酷。
キムシンの「群衆」芝居はさらに力を増している。
彼の書く物語において、群衆はいつも「正義と言う名の悪」だ。
北京の民、エジプト兵、大和の民、そして今回の「キリスト教徒」。
集団という「暴力」で、みんなと同じ、自分だけじゃない、という実体のない「正義」と「自己正当化」で、大義名分のもと弱者を叩く名もなき者たち……それが今回は、大昔のキリスト教。
「自分は正しい」と信じる人たち(集団)の醜さを、これでもかと表現している。
その表現の方法が、容赦ない。
残酷。
それに尽きる。
21世紀を生きるわたしたちの目から見れば悪くもなんともない、魅力的な人たちが、「悪」の烙印を押されて虐殺される。
しかもそれを、神の名のもと、兵士はともかく修道女たちまでもが歓喜の瞳で見守る。異教徒が殺されるとみんな大喜び。恍惚の表情で大合唱。
うわー、やってるなあ、キムシン。
既存の宗教団体の名前を使っているし(今と感覚がチガウ大昔が舞台だし、そもそもフィクションだから問題ないはずだが)、またこんな、拒絶反応が激しそうなことを……と、ある意味感心したわ(笑)。
だがそれすら、美しいんだ。
目を背けたくなるよーな残酷シーンすら。
それがさらに痛い。
ストーリー部分があまりに端折りすぎていて「あらすじ?」的な展開になっているのが気になった。
ので、オペラファンのkineさんに聞いてみたところ。
「原作もそうですから」
という答えが返った。
そ、そうなのか。原作も、ストーリーが動く部分、説明として必要な部分は端折って、ラヴストーリーと復讐劇を主軸にしているらしい。
原作がそうだとしても、そんなところまで真似しなくてもいいんだけど……ま、いいか(笑)。
細かいツッコミどころはいろいろあっても、キムシン作品にはそれを全部吹っ飛ばす力がある。
すなわち。
爆発的なクライマックスだ。
それまでの些末なことを全部忘れさせる、激しい渦の中に観客を巻き込んでしまう。
たたみかけるよーに盛り上がり、その絶頂で爆発させ、怒濤のカタルシスへ持ち込む。
エンタメの醍醐味。
この巨大な劇場で、これだけの濃度のカタルシスを演出するか。
ふつーに日常を生きているだけじゃまず味わえない、真下に急降下するよーな感覚。
フィクションのたのしさが、そこにある。
『王家に捧ぐ歌』がそうだったけど、個人の恋愛を「人類規模の愛」にまで昇華するの、キムシン好きだよね(笑)。
エンタメ的にそれは大いにアリだ。
主役のマンリーコは、いかにもたかちゃんらしいきれいでイマイチなに考えてんのかわかんない、いつものクラゲテイストな美形なんだが、ヒロイン・レオノーラ@お花様のキャラの立ちっぷりがすごいよ。
後半、彼女の独白ソロがあるんだが、そこまでは彼女、ただのどーでもいーお姫様キャラなんだよね。
宿命の恋に身を任せるのはいいが、あんましモノ考えてなさそーだな、という。
しかしその独白でわかる。
彼女が、どういう人間なのか。
何故、マンリーコを愛したのか。
何故、こんな生き方を……死に方をするのか。
すべてが、わかる。
歌う彼女の後ろに、大きな影が広がる。
目の前にいる彼女の強さと美しさ、そしてその影の存在感。
レオノーラがまっすぐにその生き方を貫くからこそ、「個人の恋愛」でしかなかったふたりの愛が、最期に白い翼にまで到達する。
ラストシーンは、美しいよ。
やるせない物語の、毒に充ちた最期を、壮大に昇華する。
救いと、癒しと。
宗教画のようだ。
揺さぶられつづけた心が悲鳴を上げて、ただ泣き続けるしかないよーな。
そんなラストシーン。
……いや、ここでたかはなのラヴラヴ・デュエットダンスだったらどうしよう、と内心うろたえたけどな(笑)。
よかったよ、キムシンで。
宙組公演『炎にくちづけを』初日観劇。
いつものことですが、予備知識一切なし。舞台設定も主役の名前も時代背景もなにも知らない。
わたしゃオペラなんて生まれてから一度も観たことないよ。世界史の知識も薄い、文化レベルの低い人間っす(笑)。
ただ、今目の前にあるものだけがすべて。
キムシンを嫌いな人は、絶対観るのをやめましょう。精神衛生上悪いだけです。
いやあ、完璧にキムシンだったよ。
良くも悪くも。
そして、わたしは。
好きです。たのしみました。
ありがたいことに今日は立ち見が出ていた。
うう、いったいいつぶりだ、初日を立ち見で観られるなんて。最近の公演は座席が売り切れてくれないから、立ち見が出ないんだもん。金がかかっていけねぇ。
立ち見のときのいつものポジションで、マイペースに観劇。
吟遊詩人のマンリーコ@たかちゃんは女官のレオノーラ@花ちゃんと恋に落ちた。しかしレオノーラには猛烈横恋慕男ルーナ伯爵@ガイチがいた。
このルーナ伯爵は大変筋が一本通った人物で、徹頭徹尾傲慢自分勝手唯我独尊卑怯卑劣な、素敵なお貴族様。惚れた女をレイプしよーとしたり、恋敵にタイマンで負けると数を頼んで勝ち誇ったり、修道院を襲ったりとやってることは原始人的。でも素敵なお貴族様。
現代の感覚で言えば、ルーナ伯爵は警察か病院に相談した方がいい人格だが、なにしろ昔のことですから。敬虔なキリスト教徒たちが「正義」を決めている。「キリスト教徒以外はカス! ゴミ! 殺せ!!」な世界観。ルーナ伯爵ももちろん「正義」。
その「正義」の犠牲になったのが、異教徒のジプシーたち。マンリーコの祖母は、ルーナ伯爵の父に魔女の烙印を押され火あぶりになった。マンリーコの母アズチューナ@ヒロさんは、息子に復讐を誓わせるが……。
まず感嘆するのは、舞台の美しさ。
どこのシーンを取っても、1枚の絵のように美しい。
限られた予算でも、ここまで美しい舞台を作れるんだ。
キムシンってセンスいいよねー。
そして、主要人物の美しさ。
マンリーコ@たかちゃんのうさんくさいまでの美しさは、どうですか。
オーレリアン様再び。
最初の豪華すぎる服装の吟遊詩人もキラキラ王子様だし、後半のプラチナブロンドのロン毛姿は、後光が差してますよ。
お花様が美しいのは言うまでもないが、悪役ルーナ伯爵@ガイチも、ゴージャスに端正です。
そして、ジプシー・イケメン隊!!
タニちゃんを筆頭に、これでもかっ、と旬な若手美形で固めてある。どいつもこいつも、すげーかっこいー。
奥様、どの子がお好みですか? な揃え方。
あー、わたしはやっぱ七帆くんが好みです。それからいりすが好きです。七十万歳。
このジプシーたちが、オイシイ役でね。
魅力的に活き活きと、「若さ」を表現している。
……だからこそ、最期が衝撃的なんだが。
舞台はとにかく美しい。
美しい装置と美しい照明、音楽。美しい衣装を着た、美しい人たち。
だけどそこで展開される物語は。
残酷。
キムシンの「群衆」芝居はさらに力を増している。
彼の書く物語において、群衆はいつも「正義と言う名の悪」だ。
北京の民、エジプト兵、大和の民、そして今回の「キリスト教徒」。
集団という「暴力」で、みんなと同じ、自分だけじゃない、という実体のない「正義」と「自己正当化」で、大義名分のもと弱者を叩く名もなき者たち……それが今回は、大昔のキリスト教。
「自分は正しい」と信じる人たち(集団)の醜さを、これでもかと表現している。
その表現の方法が、容赦ない。
残酷。
それに尽きる。
21世紀を生きるわたしたちの目から見れば悪くもなんともない、魅力的な人たちが、「悪」の烙印を押されて虐殺される。
しかもそれを、神の名のもと、兵士はともかく修道女たちまでもが歓喜の瞳で見守る。異教徒が殺されるとみんな大喜び。恍惚の表情で大合唱。
うわー、やってるなあ、キムシン。
既存の宗教団体の名前を使っているし(今と感覚がチガウ大昔が舞台だし、そもそもフィクションだから問題ないはずだが)、またこんな、拒絶反応が激しそうなことを……と、ある意味感心したわ(笑)。
だがそれすら、美しいんだ。
目を背けたくなるよーな残酷シーンすら。
それがさらに痛い。
ストーリー部分があまりに端折りすぎていて「あらすじ?」的な展開になっているのが気になった。
ので、オペラファンのkineさんに聞いてみたところ。
「原作もそうですから」
という答えが返った。
そ、そうなのか。原作も、ストーリーが動く部分、説明として必要な部分は端折って、ラヴストーリーと復讐劇を主軸にしているらしい。
原作がそうだとしても、そんなところまで真似しなくてもいいんだけど……ま、いいか(笑)。
細かいツッコミどころはいろいろあっても、キムシン作品にはそれを全部吹っ飛ばす力がある。
すなわち。
爆発的なクライマックスだ。
それまでの些末なことを全部忘れさせる、激しい渦の中に観客を巻き込んでしまう。
たたみかけるよーに盛り上がり、その絶頂で爆発させ、怒濤のカタルシスへ持ち込む。
エンタメの醍醐味。
この巨大な劇場で、これだけの濃度のカタルシスを演出するか。
ふつーに日常を生きているだけじゃまず味わえない、真下に急降下するよーな感覚。
フィクションのたのしさが、そこにある。
『王家に捧ぐ歌』がそうだったけど、個人の恋愛を「人類規模の愛」にまで昇華するの、キムシン好きだよね(笑)。
エンタメ的にそれは大いにアリだ。
主役のマンリーコは、いかにもたかちゃんらしいきれいでイマイチなに考えてんのかわかんない、いつものクラゲテイストな美形なんだが、ヒロイン・レオノーラ@お花様のキャラの立ちっぷりがすごいよ。
後半、彼女の独白ソロがあるんだが、そこまでは彼女、ただのどーでもいーお姫様キャラなんだよね。
宿命の恋に身を任せるのはいいが、あんましモノ考えてなさそーだな、という。
しかしその独白でわかる。
彼女が、どういう人間なのか。
何故、マンリーコを愛したのか。
何故、こんな生き方を……死に方をするのか。
すべてが、わかる。
歌う彼女の後ろに、大きな影が広がる。
目の前にいる彼女の強さと美しさ、そしてその影の存在感。
レオノーラがまっすぐにその生き方を貫くからこそ、「個人の恋愛」でしかなかったふたりの愛が、最期に白い翼にまで到達する。
ラストシーンは、美しいよ。
やるせない物語の、毒に充ちた最期を、壮大に昇華する。
救いと、癒しと。
宗教画のようだ。
揺さぶられつづけた心が悲鳴を上げて、ただ泣き続けるしかないよーな。
そんなラストシーン。
……いや、ここでたかはなのラヴラヴ・デュエットダンスだったらどうしよう、と内心うろたえたけどな(笑)。
よかったよ、キムシンで。
美しい物語と、美しい人たち。@マラケシュ・紅の墓標
2005年8月4日 タカラヅカ 博多座『マラケシュ−紅の墓標−』の話、その3。
感動の4列目ドセンターにて観劇。
当日券に並んだところ、1枚だけこんな良席が降ってわいたのね。んで、同行者のnanakoさんとジャンケンして(笑)、わたしがお芝居、nanakoさんがショーをこの席で観ることになった。
もともとわたしたちが持っていたチケットは9列目サブセンだったので、こちらもなかなかだったんだが、当日券並んでよかったよ。(張り切りすぎていたわたしたちの他、ぜんぜん人が並ばなくてかえってどきどきした・笑)
博多座は3列目までがオケピ用の可動席。4列目からが固定席なのね。
おかげで、3列目と4列目の座席の間がひろいこと!!
わたしもnanakoさんも縦に長い人種なので、いつもは膝が前の席に当たってつらかったりするんだが、この席は悠々自適だった。
またここに坐りたい……心底、坐りたい……。(無理だろ……)
思いがけない良席での新作『マラケシュ』観劇。
それだけで、わたしのテンションは上がりきっていた。
たとえ、隣の席のおねーさんが一切拍手をしないこわい人であったとしても、反対側の隣のおばーさまが芝居の間半分以上船を漕いでいても、そして幕が下りたあと号泣しているわたしを異様なモノを見る目で見ていたとしても、いいんだっ。
わたしは、『マラケシュ』を観に、はるばる博多まで行ったんだ。
そーやって、幕が上がった『マラケシュ』。
最初にぶったまげたこと。
ギュンターが耽美キャラだ。
最初に出てくるのがギュンター@みわっち。
服装はらんとむのときと同じ。黒スーツに謎のストールという、国籍不明な格好。
手には、紅い薔薇。
美しいんですけど。
耽美なんですけど、ギュンター。
ギュンターって、そんなキャラだっけ??
らんとむがやっていたときは、半分お笑いキャラじゃなかった?(語弊のある表現)
ギュンターの位置づけが変わっている。
彼は耽美で、神秘的な男。
大劇・東宝版の不思議青年イズメルのカラーをも内包する。
どこか歪んだ目で紅い薔薇を愛でながら、彼はイズメルの歌を歌う。
博多座版にイズメルはいない。存在しない。
なのに、彼の歌は健在。
あの神秘的な水先案内人の歌は、イズメルの歌じゃなくて、みわっちの持ち歌だったんかい。
みわっちあて書きだったんだ……役が変わっても、歌うのはみわっちなんだ。すげえなソレ。
みわっちは歌はあまり得意じゃない人だけど、そんなことはどーでもいー。これからはじまる「世界」へとわたしたちを案内するために、彼の歌声は必須なんだ。
紅い薔薇を手にする彼は、ここでその「色」をわたしたちに刻みつける。
紅。
血の色。
紅い薔薇を愛でる彼は、中盤で「紅」をその手にする。プロローグで持っていた薔薇のように。
パリの回想シーンにて。
イヴェットに殺された男のそばに駆け寄ったギュンターは、そこで「紅」を手にする。
手のひらを汚した、紅。
彼が壊れたのは、そのとき。
汚れたのは、彼自身。
紅に染まったのは、彼自身。
薔薇を愛した男ギュンターが、真に愛していたのは、自分自身じゃないのか?
美しい薔薇とは、美しい自分自身のこと。
彼は汚された。
紅に。
あの女に。あの男に。
血の罪は、血で贖え。
ギュンターはイヴェットを自殺に追い込み、リュドヴィークを刺し殺した。
彼の妄執を彩るものは、金の薔薇じゃない。
あざやかな血の紅。
『マラケシュ』はそもそも「美しい」物語であると思っている。「耽美」な物語であると思っている。
だからこそ、ギュンターが耽美になってくれたのはうれしい。
彼が博多座版のイヴェットごときを愛していないのもまた、小気味いい。
イヴェットごとき、と書いてしまったが、この役は難しいんだと再確認した。
イヴェット@きほちゃんは、なにが足りないんだろー?
美しいし、スタイル抜群だし、歌もうまい。もともと好きな子だから、イヴェット役が彼女だとわかったときはうれしかった。新公のイヴェットも素敵だった。
新公で、リュドヴィーク@まぁくんと金の薔薇を手に向かい合い、「本当の贈り物だったら」と歌ったとき、舞台の色が変わったのをおぼえている。ふたりの若い愛がぎゅいーんと盛り上がり、切ない光を放っていた。
なのに、今回はソレがなかった。
見えるのはリュド@オサの光だけで、きほちゃんはくすんでいた。
そんな同等の光を放てない女に恋するリュドが、とても寂しい人に見えた。
まあ、オサ様は相手に合わせて演技する人じゃないと思うんで(笑)、彼が勝手に暴走しているのが悪いってのも、あると思うよ。
自分の演技についてこれない人のことは、置き去り。
今回はイヴェットもレオンも、見事に置き去りにされていた。
あすかちゃんと樹里ちゃんは、すごかったなあ。と、しみじみ思う。
さて、レオン@ゆみこちゃん。
この男は、どーしたもんでしょーか。
大幅に改稿したゆえに、レオンというキャラの意味が微妙にズレてるというか、やばくなっている気がした。
大劇・東宝版でのレオンは、「平凡な幸福」を持ちながらもそれに不満を感じ、「非凡な未来」を夢見ていた。
平凡な幸福をバカにし、捨てることを厭わなかったのに、最後はその「平凡な幸福」にすがろうとして裏切られ、殺されることになる。
平凡な幸福、てのはすなわち、「ふつーに食べていける仕事」「愛する家族」「愛する恋人」「信頼する友人」を持っているってことね。
それらを嫌って出て行こうとしたのに失敗し、逃げまどう彼は結局のところ「仲間」にすがろうとする。
が、そのときにはすでに、持っていたはずの「平凡な幸福」は意味を失っており、彼は仲間に殺される。
博多座版では、レオンははじめからなにも持ってないの。
唯一あるのは「ふつーに食べていける仕事」だけ。「家族」も「恋人」も「友人」も、なにもない。
対人関係最悪。すべての人をバカにして、悪意を持っている。
こんな男が「大きな仕事」に失敗して殺されても当然もというか。
自分を殺そうとするアリ@そのかに、「仲間だろ?」と問いかけるのが、すげー無意味。もともと仲間ちゃうやん、あんたら。
ベルベル人と白人のハーフである、という設定も薄くなり、彼の魂の漂泊に結びつかない。
「仲間」に殺され、どちらの天国にも行けない、とつぶやいて息絶えるシーンが、とても唐突に見えた。それゆえに、ラストのノマドとしてのダンスもつながりが見えなくて首を傾げた。
レオンがあそこまで心の壊れた男であるのは、どーゆー意図なんだろう。
彼が愛すべき悪党でなくなってしまうと、いろいろ破綻してくるんだけどなあ。物理的な計算式ではなく、心のつながりが。
なくなった母親役はあきらめるとしても、ちゃんと存在している役の、アリとの関係を全部Cutされているのは、痛いな。アリと最低限の心の交流がないと、彼に殺される意味がない。
てゆーか。
レオンが誰も愛していないのは、演出家の意図なんですか。それともゆみこちゃんの意志なんですか。
腑に落ちないんだよな。
感動の4列目ドセンターにて観劇。
当日券に並んだところ、1枚だけこんな良席が降ってわいたのね。んで、同行者のnanakoさんとジャンケンして(笑)、わたしがお芝居、nanakoさんがショーをこの席で観ることになった。
もともとわたしたちが持っていたチケットは9列目サブセンだったので、こちらもなかなかだったんだが、当日券並んでよかったよ。(張り切りすぎていたわたしたちの他、ぜんぜん人が並ばなくてかえってどきどきした・笑)
博多座は3列目までがオケピ用の可動席。4列目からが固定席なのね。
おかげで、3列目と4列目の座席の間がひろいこと!!
わたしもnanakoさんも縦に長い人種なので、いつもは膝が前の席に当たってつらかったりするんだが、この席は悠々自適だった。
またここに坐りたい……心底、坐りたい……。(無理だろ……)
思いがけない良席での新作『マラケシュ』観劇。
それだけで、わたしのテンションは上がりきっていた。
たとえ、隣の席のおねーさんが一切拍手をしないこわい人であったとしても、反対側の隣のおばーさまが芝居の間半分以上船を漕いでいても、そして幕が下りたあと号泣しているわたしを異様なモノを見る目で見ていたとしても、いいんだっ。
わたしは、『マラケシュ』を観に、はるばる博多まで行ったんだ。
そーやって、幕が上がった『マラケシュ』。
最初にぶったまげたこと。
ギュンターが耽美キャラだ。
最初に出てくるのがギュンター@みわっち。
服装はらんとむのときと同じ。黒スーツに謎のストールという、国籍不明な格好。
手には、紅い薔薇。
美しいんですけど。
耽美なんですけど、ギュンター。
ギュンターって、そんなキャラだっけ??
らんとむがやっていたときは、半分お笑いキャラじゃなかった?(語弊のある表現)
ギュンターの位置づけが変わっている。
彼は耽美で、神秘的な男。
大劇・東宝版の不思議青年イズメルのカラーをも内包する。
どこか歪んだ目で紅い薔薇を愛でながら、彼はイズメルの歌を歌う。
博多座版にイズメルはいない。存在しない。
なのに、彼の歌は健在。
あの神秘的な水先案内人の歌は、イズメルの歌じゃなくて、みわっちの持ち歌だったんかい。
みわっちあて書きだったんだ……役が変わっても、歌うのはみわっちなんだ。すげえなソレ。
みわっちは歌はあまり得意じゃない人だけど、そんなことはどーでもいー。これからはじまる「世界」へとわたしたちを案内するために、彼の歌声は必須なんだ。
紅い薔薇を手にする彼は、ここでその「色」をわたしたちに刻みつける。
紅。
血の色。
紅い薔薇を愛でる彼は、中盤で「紅」をその手にする。プロローグで持っていた薔薇のように。
パリの回想シーンにて。
イヴェットに殺された男のそばに駆け寄ったギュンターは、そこで「紅」を手にする。
手のひらを汚した、紅。
彼が壊れたのは、そのとき。
汚れたのは、彼自身。
紅に染まったのは、彼自身。
薔薇を愛した男ギュンターが、真に愛していたのは、自分自身じゃないのか?
美しい薔薇とは、美しい自分自身のこと。
彼は汚された。
紅に。
あの女に。あの男に。
血の罪は、血で贖え。
ギュンターはイヴェットを自殺に追い込み、リュドヴィークを刺し殺した。
彼の妄執を彩るものは、金の薔薇じゃない。
あざやかな血の紅。
『マラケシュ』はそもそも「美しい」物語であると思っている。「耽美」な物語であると思っている。
だからこそ、ギュンターが耽美になってくれたのはうれしい。
彼が博多座版のイヴェットごときを愛していないのもまた、小気味いい。
イヴェットごとき、と書いてしまったが、この役は難しいんだと再確認した。
イヴェット@きほちゃんは、なにが足りないんだろー?
美しいし、スタイル抜群だし、歌もうまい。もともと好きな子だから、イヴェット役が彼女だとわかったときはうれしかった。新公のイヴェットも素敵だった。
新公で、リュドヴィーク@まぁくんと金の薔薇を手に向かい合い、「本当の贈り物だったら」と歌ったとき、舞台の色が変わったのをおぼえている。ふたりの若い愛がぎゅいーんと盛り上がり、切ない光を放っていた。
なのに、今回はソレがなかった。
見えるのはリュド@オサの光だけで、きほちゃんはくすんでいた。
そんな同等の光を放てない女に恋するリュドが、とても寂しい人に見えた。
まあ、オサ様は相手に合わせて演技する人じゃないと思うんで(笑)、彼が勝手に暴走しているのが悪いってのも、あると思うよ。
自分の演技についてこれない人のことは、置き去り。
今回はイヴェットもレオンも、見事に置き去りにされていた。
あすかちゃんと樹里ちゃんは、すごかったなあ。と、しみじみ思う。
さて、レオン@ゆみこちゃん。
この男は、どーしたもんでしょーか。
大幅に改稿したゆえに、レオンというキャラの意味が微妙にズレてるというか、やばくなっている気がした。
大劇・東宝版でのレオンは、「平凡な幸福」を持ちながらもそれに不満を感じ、「非凡な未来」を夢見ていた。
平凡な幸福をバカにし、捨てることを厭わなかったのに、最後はその「平凡な幸福」にすがろうとして裏切られ、殺されることになる。
平凡な幸福、てのはすなわち、「ふつーに食べていける仕事」「愛する家族」「愛する恋人」「信頼する友人」を持っているってことね。
それらを嫌って出て行こうとしたのに失敗し、逃げまどう彼は結局のところ「仲間」にすがろうとする。
が、そのときにはすでに、持っていたはずの「平凡な幸福」は意味を失っており、彼は仲間に殺される。
博多座版では、レオンははじめからなにも持ってないの。
唯一あるのは「ふつーに食べていける仕事」だけ。「家族」も「恋人」も「友人」も、なにもない。
対人関係最悪。すべての人をバカにして、悪意を持っている。
こんな男が「大きな仕事」に失敗して殺されても当然もというか。
自分を殺そうとするアリ@そのかに、「仲間だろ?」と問いかけるのが、すげー無意味。もともと仲間ちゃうやん、あんたら。
ベルベル人と白人のハーフである、という設定も薄くなり、彼の魂の漂泊に結びつかない。
「仲間」に殺され、どちらの天国にも行けない、とつぶやいて息絶えるシーンが、とても唐突に見えた。それゆえに、ラストのノマドとしてのダンスもつながりが見えなくて首を傾げた。
レオンがあそこまで心の壊れた男であるのは、どーゆー意図なんだろう。
彼が愛すべき悪党でなくなってしまうと、いろいろ破綻してくるんだけどなあ。物理的な計算式ではなく、心のつながりが。
なくなった母親役はあきらめるとしても、ちゃんと存在している役の、アリとの関係を全部Cutされているのは、痛いな。アリと最低限の心の交流がないと、彼に殺される意味がない。
てゆーか。
レオンが誰も愛していないのは、演出家の意図なんですか。それともゆみこちゃんの意志なんですか。
腑に落ちないんだよな。
嗤うリュドヴィーク。@マラケシュ・紅の墓標
2005年8月3日 タカラヅカ 昨日からの続き。
だからこそ、これは夢かもしれないと思った。
リュドヴィーク@オサの見ている夢。
夢の奥津城、マラケシュにて。
愛した女がいた。パリで。金の薔薇を贈った。彼女の罪をかぶって逃げた。
気の置けない仲間がいた。顔を合わせれば憎まれ口ばかりだが、互いを認め合っていた。
それらすべてを、抱きしめあえる女。
だけど、リュドが抱いている女には「顔」がない。幻の女。
行方不明の夫を捜しにマラケシュまで来た? はじめから、こんな女はいない。なにもかも、リュドが作り上げた幻。
それはすべて、リュドの見ている夢。
リュドが欲しかったもの。
リュドが得られないもの。
そして。
リュドの作り上げた幻は、彼が見ている夢は、醒めるときが来た。
ナイフを持った男、ギュンター。
薔薇に憑かれた男はリュドを刺す。
己れの腹に残ったナイフを引き抜く。血に汚れた刃物。
リュドはゆっくりとその凶器を握り直す。
これは凶器か。これは狂気か。
リュドはギュンターを見つめる。ナイフを構え。
そして、わらう。
おびえる男を前にして、ナイフを構えて嗤う。
嗤いながら、ギュンターを刺す。
刺し殺す。
嗤う。わらうんだ。
何故。
ひとりぼっちのリュドヴィーク。
こんなたくさんの人がいるのに、みんなあなたに関わっていたり、また愛していたりもするのに、あなたと同じ世界にいる者はひとりもいない。
たしかにここにいるのに、あなたの手は誰にも触れられない。あなたの声は誰にも届かない。
東宝版では、リュドヴィークはたくさんの人を愛していた。
同じ地平で戦い合うよーな、隙を見せた方がそこから奈落へ落ちるよーな、とてつもないテンションと濃度で愛し合ったイヴェット@あすか。
無防備な笑顔を見せ、憎まれ口を叩きながらも愛し合っていた、レオン@樹里ちゃん。
主役級の人たちが、ちゃんとリュドヴィークと同じ世界にいた。対等な能力で並び立っていた。
それが、博多座版にはなかった。
リュドだけが別次元にいて、誰ともふれあうことがなかった。
なにもかもが夢。彼が見ていた夢。
そんな、とてつもない舞台だった。
砂色の群衆劇の中、リュドだけに他の色がある。
彼だけは、そこに重なった別の世界で生きているから。
出来映えとしてどうなのかはわからないが、わたしは萌えたよ。リュドヴィークの孤独感に。
誰にも届かない想いに。
わらいながら人を殺す姿に、戦慄した。
だからこそ、これは夢かもしれないと思った。
リュドヴィーク@オサの見ている夢。
夢の奥津城、マラケシュにて。
愛した女がいた。パリで。金の薔薇を贈った。彼女の罪をかぶって逃げた。
気の置けない仲間がいた。顔を合わせれば憎まれ口ばかりだが、互いを認め合っていた。
それらすべてを、抱きしめあえる女。
だけど、リュドが抱いている女には「顔」がない。幻の女。
行方不明の夫を捜しにマラケシュまで来た? はじめから、こんな女はいない。なにもかも、リュドが作り上げた幻。
それはすべて、リュドの見ている夢。
リュドが欲しかったもの。
リュドが得られないもの。
そして。
リュドの作り上げた幻は、彼が見ている夢は、醒めるときが来た。
ナイフを持った男、ギュンター。
薔薇に憑かれた男はリュドを刺す。
己れの腹に残ったナイフを引き抜く。血に汚れた刃物。
リュドはゆっくりとその凶器を握り直す。
これは凶器か。これは狂気か。
リュドはギュンターを見つめる。ナイフを構え。
そして、わらう。
おびえる男を前にして、ナイフを構えて嗤う。
嗤いながら、ギュンターを刺す。
刺し殺す。
嗤う。わらうんだ。
何故。
ひとりぼっちのリュドヴィーク。
こんなたくさんの人がいるのに、みんなあなたに関わっていたり、また愛していたりもするのに、あなたと同じ世界にいる者はひとりもいない。
たしかにここにいるのに、あなたの手は誰にも触れられない。あなたの声は誰にも届かない。
東宝版では、リュドヴィークはたくさんの人を愛していた。
同じ地平で戦い合うよーな、隙を見せた方がそこから奈落へ落ちるよーな、とてつもないテンションと濃度で愛し合ったイヴェット@あすか。
無防備な笑顔を見せ、憎まれ口を叩きながらも愛し合っていた、レオン@樹里ちゃん。
主役級の人たちが、ちゃんとリュドヴィークと同じ世界にいた。対等な能力で並び立っていた。
それが、博多座版にはなかった。
リュドだけが別次元にいて、誰ともふれあうことがなかった。
なにもかもが夢。彼が見ていた夢。
そんな、とてつもない舞台だった。
砂色の群衆劇の中、リュドだけに他の色がある。
彼だけは、そこに重なった別の世界で生きているから。
出来映えとしてどうなのかはわからないが、わたしは萌えたよ。リュドヴィークの孤独感に。
誰にも届かない想いに。
わらいながら人を殺す姿に、戦慄した。
彼の視る夢。@マラケシュ・紅の墓標
2005年8月2日 タカラヅカ これはすべて、夢だろうか。
なにもかも、彼が見ている夢かもしれない。
そう思った。博多座公演『マラケシュ−紅の墓標−』初日。
予想通り、別ものだった。まったくもって。
プロローグがつき、たたみかけるよーに情報が雪崩れ出す。
まず、ギュンター@みわっち。紅い薔薇を持った黒い男。際立つ美貌、まがまがしさ。
おちぶれた女優イヴェット@きほとその付き人ソニア@シビさん。
測量隊として旅立つクリフォード@まっつと、彼を見送る妻オリガ@ふーちゃん。
全員が立場と設定をがなりたて、目的地を目指す。
彼らが向かう先。
最果ての地、マラケシュ。
そして、ベドウィンたちの歌になる。
とにかく、この情報量の多さはなんなんだ。序盤の数分で、基礎知識を全部詰め込んである。
「わかりにくい」と言われたこの物語を、オギーなりに「わかりやすく」しようとした結果だろう。
はたしてこれは、正しいのか?
初見の人はこれでついていけるのか? わかりやすくなっているのか? もう今さら初見の人の気持ちはわからないので、わたしには判断不能。
砂漠では、クリフォードたち測量隊があっちゅー間に全滅し、生き残ったのはオリガの叔母がお目付役としてクリフォードについてゆかせたセルゲイ@まめだけ。
クリフォードは、妻オリガに愛されていないことを察し、悩んでいた……ということを、砂漠で遭難する前に、わざわざハガキでオリガに送っている。
んなハガキと「測量隊壊滅」の知らせを同時に受け取ったオリガは、自分の気持ちを確かめるためにもマラケシュを目指す。
マラケシュでは、そこを支配するマフィアのドン・コルベット@はっちさんとその部下のリュドヴィーク@オサがパリから流れてここにたどり着いた話をしている。
と、ここまでが「説明」。えんえんえんえん、設定を説明されてしまう。
情報量が半端じゃない。
前半の展開も組み立ても、まったく別ものだ。
強まったのは、群衆劇の色。
同じ濃度とテンションで、複数のキャラと物語が同時進行する。
リュドヴィークはそのなかのひとりでしかない。
どーする気なんだ、と思っていたよ。このプロローグじゃ、誰が主役か、誰の物語のなのかわからないぞ、と。
コルベットの部下のレオン@ゆみこはマラケシュを出てパリへ行きたいと切望している。ここではないどこかへ行けば、満たされないなにかを得られると信じている。
すさんだ目をした男、レオン。己れの力を過信する彼は、新任の警察長官ジェラール@みつるをもモノともしない。バカにし、平気でカモる。
レオンは誰も愛していない。恋人のはずのファティマも、仲間であるはずのリュドヴィークもアリ@そのかも、そしてこの街も、すべてを否定し、ただ自分のことだけを考えている。
若き日のリュドヴィークが愛した白鳥、イヴェット。
だが、そこにいるイヴェットは影の薄いただの幼い美女。
実体を伴わない蜃気楼のような女に、リュドヴィークは恋をする。
現在のリュドヴィークに抱きつくオリガという女。リュドのなかに、失ってしまった過去という名の幸福を見る女。
リュドはオリガを抱きしめるが、彼女には「顔」がない。女の姿をしたこの世にはないものを、リュドは切なく抱きしめている。
際立つ群衆劇としての色。
そして。
リュドヴィークの孤独感。
群衆劇だから。最初、誰が主役かも判別できないほど淡々とすべてのキャラの物語が進むから。
同じテンションで展開されるひとりずつの物語の中、リュドヴィークひとりがちがう地球で生きていることが、見えてくる。
リュドヴィークにはなにもない。燃える恋をしたイヴェットという女も。過去を抱きしめることで未来を見せてくれたオリガという女も。最果ての街で吹き溜まる仲間であったレオンという男も。
誰も、リュドと同じ地平にいない。
なんてこったい。
春野寿美礼独走状態。
誰も、彼のいる場所に届いていない。
きほちゃんのイヴェットはひたすら「小物」だった。リュドヴィークが劇的に恋に落ちるようなものは、なにもなかった。
だけどリュドは恋に落ちる。イヴェットを見つめながらも、見つめ合いながらも、ふたりは同じ地平にいない。
ゆみこちゃんのレオンは、まさしく「いっぱいいっぱい」だった。計算しつくされた「手順」を見ているかのよう。
ゆみこちゃんは真面目な人だと思う。頑固で努力家で、プライドが高くて逃げることをしない人だ。
数式を解いて答えを出すことをできない人が、自分で計算できないかわりに問題集の解答を全部暗記してしまうような。
計算できないなら、できるところだけてきとーに欄を埋めてお茶を濁し、赤点を取るのが、まあふつーだろう。だって、解けないものは仕方ないもん。
でもゆみこちゃんは「できない」ことも「赤点を取る」ことも許さない。解けない数式なら、問題集を丸暗記してでも答えを書く。どんな数式も解答できるように、その何万倍もの数式を丸暗記する。
数式を見ただけですらすら答えを書ける人や、「わかんないもーん」と白紙解答をする人とは、まったくチガウ。
すごい「プロの意地」を見た。
ここで片頬をゆがめて笑う、この台詞のこのセンテンスで眉を動かす。そんなふうに、全部理詰めで計算しつくして、演じていた。一瞬の隙もなく、高密度で創り込んである。すげえ。
ゆみこちゃんの真面目さと舞台に対する誇りと誠実さには感動したが、なんせいっぱいいっぱいだった。手順を完璧にこなすことだけに全勢力を集中し、誰のことも見ていない、愛していない男になった。リュドもまた、そんなレオンをまったく愛していない。
「仲間」であり、「友だち」でもあり得た、並び立つはずの男が、同じ地平にいない。
オサちゃんと同じ場所に立ち、火花を散らすべき人たちが、誰もいなかった。
向かい合っていても、並んでいても、オサちゃんは切ないほど孤独だった。
誰もいないのに、壮絶に孤独なのに、それでもリュドヴィークはおだやかに微笑んでいた。わらいながら、過去の傷や罪、絶望を歌う。
だからこそ、これは夢かもしれないと思った。
リュドヴィーク@オサの見ている夢。
文字数足りないんで、続く。
なにもかも、彼が見ている夢かもしれない。
そう思った。博多座公演『マラケシュ−紅の墓標−』初日。
予想通り、別ものだった。まったくもって。
プロローグがつき、たたみかけるよーに情報が雪崩れ出す。
まず、ギュンター@みわっち。紅い薔薇を持った黒い男。際立つ美貌、まがまがしさ。
おちぶれた女優イヴェット@きほとその付き人ソニア@シビさん。
測量隊として旅立つクリフォード@まっつと、彼を見送る妻オリガ@ふーちゃん。
全員が立場と設定をがなりたて、目的地を目指す。
彼らが向かう先。
最果ての地、マラケシュ。
そして、ベドウィンたちの歌になる。
とにかく、この情報量の多さはなんなんだ。序盤の数分で、基礎知識を全部詰め込んである。
「わかりにくい」と言われたこの物語を、オギーなりに「わかりやすく」しようとした結果だろう。
はたしてこれは、正しいのか?
初見の人はこれでついていけるのか? わかりやすくなっているのか? もう今さら初見の人の気持ちはわからないので、わたしには判断不能。
砂漠では、クリフォードたち測量隊があっちゅー間に全滅し、生き残ったのはオリガの叔母がお目付役としてクリフォードについてゆかせたセルゲイ@まめだけ。
クリフォードは、妻オリガに愛されていないことを察し、悩んでいた……ということを、砂漠で遭難する前に、わざわざハガキでオリガに送っている。
んなハガキと「測量隊壊滅」の知らせを同時に受け取ったオリガは、自分の気持ちを確かめるためにもマラケシュを目指す。
マラケシュでは、そこを支配するマフィアのドン・コルベット@はっちさんとその部下のリュドヴィーク@オサがパリから流れてここにたどり着いた話をしている。
と、ここまでが「説明」。えんえんえんえん、設定を説明されてしまう。
情報量が半端じゃない。
前半の展開も組み立ても、まったく別ものだ。
強まったのは、群衆劇の色。
同じ濃度とテンションで、複数のキャラと物語が同時進行する。
リュドヴィークはそのなかのひとりでしかない。
どーする気なんだ、と思っていたよ。このプロローグじゃ、誰が主役か、誰の物語のなのかわからないぞ、と。
コルベットの部下のレオン@ゆみこはマラケシュを出てパリへ行きたいと切望している。ここではないどこかへ行けば、満たされないなにかを得られると信じている。
すさんだ目をした男、レオン。己れの力を過信する彼は、新任の警察長官ジェラール@みつるをもモノともしない。バカにし、平気でカモる。
レオンは誰も愛していない。恋人のはずのファティマも、仲間であるはずのリュドヴィークもアリ@そのかも、そしてこの街も、すべてを否定し、ただ自分のことだけを考えている。
若き日のリュドヴィークが愛した白鳥、イヴェット。
だが、そこにいるイヴェットは影の薄いただの幼い美女。
実体を伴わない蜃気楼のような女に、リュドヴィークは恋をする。
現在のリュドヴィークに抱きつくオリガという女。リュドのなかに、失ってしまった過去という名の幸福を見る女。
リュドはオリガを抱きしめるが、彼女には「顔」がない。女の姿をしたこの世にはないものを、リュドは切なく抱きしめている。
際立つ群衆劇としての色。
そして。
リュドヴィークの孤独感。
群衆劇だから。最初、誰が主役かも判別できないほど淡々とすべてのキャラの物語が進むから。
同じテンションで展開されるひとりずつの物語の中、リュドヴィークひとりがちがう地球で生きていることが、見えてくる。
リュドヴィークにはなにもない。燃える恋をしたイヴェットという女も。過去を抱きしめることで未来を見せてくれたオリガという女も。最果ての街で吹き溜まる仲間であったレオンという男も。
誰も、リュドと同じ地平にいない。
なんてこったい。
春野寿美礼独走状態。
誰も、彼のいる場所に届いていない。
きほちゃんのイヴェットはひたすら「小物」だった。リュドヴィークが劇的に恋に落ちるようなものは、なにもなかった。
だけどリュドは恋に落ちる。イヴェットを見つめながらも、見つめ合いながらも、ふたりは同じ地平にいない。
ゆみこちゃんのレオンは、まさしく「いっぱいいっぱい」だった。計算しつくされた「手順」を見ているかのよう。
ゆみこちゃんは真面目な人だと思う。頑固で努力家で、プライドが高くて逃げることをしない人だ。
数式を解いて答えを出すことをできない人が、自分で計算できないかわりに問題集の解答を全部暗記してしまうような。
計算できないなら、できるところだけてきとーに欄を埋めてお茶を濁し、赤点を取るのが、まあふつーだろう。だって、解けないものは仕方ないもん。
でもゆみこちゃんは「できない」ことも「赤点を取る」ことも許さない。解けない数式なら、問題集を丸暗記してでも答えを書く。どんな数式も解答できるように、その何万倍もの数式を丸暗記する。
数式を見ただけですらすら答えを書ける人や、「わかんないもーん」と白紙解答をする人とは、まったくチガウ。
すごい「プロの意地」を見た。
ここで片頬をゆがめて笑う、この台詞のこのセンテンスで眉を動かす。そんなふうに、全部理詰めで計算しつくして、演じていた。一瞬の隙もなく、高密度で創り込んである。すげえ。
ゆみこちゃんの真面目さと舞台に対する誇りと誠実さには感動したが、なんせいっぱいいっぱいだった。手順を完璧にこなすことだけに全勢力を集中し、誰のことも見ていない、愛していない男になった。リュドもまた、そんなレオンをまったく愛していない。
「仲間」であり、「友だち」でもあり得た、並び立つはずの男が、同じ地平にいない。
オサちゃんと同じ場所に立ち、火花を散らすべき人たちが、誰もいなかった。
向かい合っていても、並んでいても、オサちゃんは切ないほど孤独だった。
誰もいないのに、壮絶に孤独なのに、それでもリュドヴィークはおだやかに微笑んでいた。わらいながら、過去の傷や罪、絶望を歌う。
だからこそ、これは夢かもしれないと思った。
リュドヴィーク@オサの見ている夢。
文字数足りないんで、続く。
青春18きっぷの夏(笑)。
2005年8月1日 タカラヅカ 夏です。
博多座の季節です(笑)。
とゆーことで、今年も博多まで遠征することになっています。しかも2回。
まずは明日、初日に行きます。
そして博多座といえば、「青春18切符」ですよ。
ムーンライト九州に乗って、旅立ちます。
ただ、18切符で夜行に乗る場合、ちと不経済なんだよね。
24時間有効の切符を、最後の2時間ほどしか使わないってことになるから。
だから今年もまた、無理から日中もJRに乗ってきました。ええ、ちょっくらムラまで。
いつもは安い阪急しか使わないのに、べらぼーに高いJR様で往復しました。
ああ、年に一度のリッチな気分(笑)。
ほっくんバウに行ってきました。
前方席で観たかったなあ……後ろしかチケット残ってないもんよー。
ほっくんは友会はずれちゃったから、1枚も持ってなかったんだよね。一般前売りでとっとと買っておけばよかったわ。
最近どうも、良席運に見放されてるのよ……。
感想はまたいずれ、博多から帰ってから書きます。
さあっ、お風呂入って着替えて、出発だー。
友人のみなさま、初日に行く人いたら声かけてくださいませ。
博多座の季節です(笑)。
とゆーことで、今年も博多まで遠征することになっています。しかも2回。
まずは明日、初日に行きます。
そして博多座といえば、「青春18切符」ですよ。
ムーンライト九州に乗って、旅立ちます。
ただ、18切符で夜行に乗る場合、ちと不経済なんだよね。
24時間有効の切符を、最後の2時間ほどしか使わないってことになるから。
だから今年もまた、無理から日中もJRに乗ってきました。ええ、ちょっくらムラまで。
いつもは安い阪急しか使わないのに、べらぼーに高いJR様で往復しました。
ああ、年に一度のリッチな気分(笑)。
ほっくんバウに行ってきました。
前方席で観たかったなあ……後ろしかチケット残ってないもんよー。
ほっくんは友会はずれちゃったから、1枚も持ってなかったんだよね。一般前売りでとっとと買っておけばよかったわ。
最近どうも、良席運に見放されてるのよ……。
感想はまたいずれ、博多から帰ってから書きます。
さあっ、お風呂入って着替えて、出発だー。
友人のみなさま、初日に行く人いたら声かけてくださいませ。
わたしが迂闊なのは、今にはじまったことじゃないが。
あれは、『Ernest in Love』千秋楽の日。
千秋楽だと知らずに買い物目的で梅田に行って、「そうだ、ついでにアーネスト観ていこー」と思いつきで行動したばかりに、劇場で凍えた。
防寒対策してなかったのよ。
映画館とか劇場とかに行く場合、カーディガンとストールは絶対持っていく。背広のおやぢたちが温度管理してるんだと思うよ、女性にはつらい温度設定になってるもん、あーゆーとこ。
なのに、買い物のつもりだったから、キャミワンピにメッシュのストールだけだったのだわ……。生足にサンダルだし。
寒い。凍え死ぬかと思った。
で、凍えたまま梅田の街を歩き。
夏の空気で身体をあたためたのち、改めて買い物へ。
いちばんの目的のカタログを買って、金券屋を回っていちばん安い店で博多と東京へ行くための18切符を買って、さらに書店へ行って本を買い、ついふらふらとクリアランスセールをのぞき、また服を買って。
両手にショップ袋を下げながら、よたよたとヨドバシカメラへ。
今使ってる電動歯ブラシは電池式で、電池の消耗が早すぎてうざいので、充電式のものが欲しかったのよ。
予算と照らし合わせながら、てきとーなものを買い(どれがいいのか、さっぱりわからん)、さらに重くなった荷物を抱えながら、ふらふらとエスカレータに乗った。
すると。
ある階で、列が出来ていた。エスカレータのそばまで最後尾が来ていた。
なんの列だろ。
でもなんか、すげえヅカファンくさい。
直感(笑)。
そしてよく見ると、その列に並んでいる人たちは手に手に、同じちらしを持っていた。
あ。梅芸で配ってた、あさこちゃんの顔写真の載ったスカパー!の広告だ。
「スカパー!に入会しよう広告」なんて興味ないから、スルーしてたヤツ。
並んでいる人全員がそのちらしを持ち、それと交換でなにかもらっている……。
近くまで寄ってみると、小さな特設カウンタに「特製・瀬奈じゅんポストカードをプレゼント」とある。
えええっ?!
なにそれなにそれ。
あさちゃんのポスカ?! 欲しいに決まってるじゃん!!
ちらしがなきゃダメなの?
でもわたし、そんなもん持ってないよ……初日にもらったやつは家だし、リピート観劇したときはうざいからちらし類全部受け取らずにいたもん。同じものばっかもらっても仕方ないから。
次に梅田来るのはいつだろー。わかってたら、今日も劇場でちらしいっぱいもらってきたのに。
改めて日付を見ると、「7月25日まで」とある。
今日までかよ?!
そっか、今日千秋楽だ。初日から楽までの間のキャンペーンだったんだ。
初日から劇場行ってて、初日からちらしもらってたのに……。
ぜんぜん、気づいてなかった。
がっくり。
わたしが迂闊なのは、今にはじまったことじゃないが。
ちらしもちゃんと目を通そうね。今度から。
かなしく鞄を開けてみた。入ってないよね……もらってないもん……。
ん?
入ってた。
A4サイズの紙を折らずに入れられる鞄は限られているので、今日わたしが持っている鞄は、初日に持っていった鞄だった。
買う目的のカタログがA4サイズで、ショップの袋だと表紙が透けてしまうことがわかってるから、それを入れるためにわざと大きな鞄で来たんだった! ふつー買い物目的なら、身軽になるために小さなショルダーとかで来るのに。
入れたままだったよ、ちらし!!
映画のちらしとかと一緒に、そのまま入ってたよ。
よかったー。
わたしもいそいそ最後尾に並び、ポスカGet!!
あ、あさちゃんのスカパー!ちらしも、店のおにーさんに手渡さず、しっかり返してもらいました(笑)。だって1枚しかないんだもん! あさちゃんの笑顔写真載ってるわけだし(ただ、このちらしの写真は微妙。もっとハンサムなショットもあるだろうに)。
もらったポスカ、あさちゃんの表情がいいのー。セクスィー♪
あー、これなら同じモノを何枚かもらってもよかったなー。あさちゃんファンの友だちにプレゼントするのに。
前もって知ってたら、劇場でちらしいっぱいもらってきたのに。
はっ。
交換用のちらし、わたし、おにーさんに手渡してないから、手元に残ってるじゃん!!
素知らぬ顔して何度ももらうことができたじゃん! 最終日だから、おにーさんたちも在庫整理って感じで簡単ぷーにくれそーだったのに。
わたしが迂闊なのは、今にはじまったことじゃないが。
ずるっこすることすら、思いつくのは後の祭り状態。
あれは、『Ernest in Love』千秋楽の日。
千秋楽だと知らずに買い物目的で梅田に行って、「そうだ、ついでにアーネスト観ていこー」と思いつきで行動したばかりに、劇場で凍えた。
防寒対策してなかったのよ。
映画館とか劇場とかに行く場合、カーディガンとストールは絶対持っていく。背広のおやぢたちが温度管理してるんだと思うよ、女性にはつらい温度設定になってるもん、あーゆーとこ。
なのに、買い物のつもりだったから、キャミワンピにメッシュのストールだけだったのだわ……。生足にサンダルだし。
寒い。凍え死ぬかと思った。
で、凍えたまま梅田の街を歩き。
夏の空気で身体をあたためたのち、改めて買い物へ。
いちばんの目的のカタログを買って、金券屋を回っていちばん安い店で博多と東京へ行くための18切符を買って、さらに書店へ行って本を買い、ついふらふらとクリアランスセールをのぞき、また服を買って。
両手にショップ袋を下げながら、よたよたとヨドバシカメラへ。
今使ってる電動歯ブラシは電池式で、電池の消耗が早すぎてうざいので、充電式のものが欲しかったのよ。
予算と照らし合わせながら、てきとーなものを買い(どれがいいのか、さっぱりわからん)、さらに重くなった荷物を抱えながら、ふらふらとエスカレータに乗った。
すると。
ある階で、列が出来ていた。エスカレータのそばまで最後尾が来ていた。
なんの列だろ。
でもなんか、すげえヅカファンくさい。
直感(笑)。
そしてよく見ると、その列に並んでいる人たちは手に手に、同じちらしを持っていた。
あ。梅芸で配ってた、あさこちゃんの顔写真の載ったスカパー!の広告だ。
「スカパー!に入会しよう広告」なんて興味ないから、スルーしてたヤツ。
並んでいる人全員がそのちらしを持ち、それと交換でなにかもらっている……。
近くまで寄ってみると、小さな特設カウンタに「特製・瀬奈じゅんポストカードをプレゼント」とある。
えええっ?!
なにそれなにそれ。
あさちゃんのポスカ?! 欲しいに決まってるじゃん!!
ちらしがなきゃダメなの?
でもわたし、そんなもん持ってないよ……初日にもらったやつは家だし、リピート観劇したときはうざいからちらし類全部受け取らずにいたもん。同じものばっかもらっても仕方ないから。
次に梅田来るのはいつだろー。わかってたら、今日も劇場でちらしいっぱいもらってきたのに。
改めて日付を見ると、「7月25日まで」とある。
今日までかよ?!
そっか、今日千秋楽だ。初日から楽までの間のキャンペーンだったんだ。
初日から劇場行ってて、初日からちらしもらってたのに……。
ぜんぜん、気づいてなかった。
がっくり。
わたしが迂闊なのは、今にはじまったことじゃないが。
ちらしもちゃんと目を通そうね。今度から。
かなしく鞄を開けてみた。入ってないよね……もらってないもん……。
ん?
入ってた。
A4サイズの紙を折らずに入れられる鞄は限られているので、今日わたしが持っている鞄は、初日に持っていった鞄だった。
買う目的のカタログがA4サイズで、ショップの袋だと表紙が透けてしまうことがわかってるから、それを入れるためにわざと大きな鞄で来たんだった! ふつー買い物目的なら、身軽になるために小さなショルダーとかで来るのに。
入れたままだったよ、ちらし!!
映画のちらしとかと一緒に、そのまま入ってたよ。
よかったー。
わたしもいそいそ最後尾に並び、ポスカGet!!
あ、あさちゃんのスカパー!ちらしも、店のおにーさんに手渡さず、しっかり返してもらいました(笑)。だって1枚しかないんだもん! あさちゃんの笑顔写真載ってるわけだし(ただ、このちらしの写真は微妙。もっとハンサムなショットもあるだろうに)。
もらったポスカ、あさちゃんの表情がいいのー。セクスィー♪
あー、これなら同じモノを何枚かもらってもよかったなー。あさちゃんファンの友だちにプレゼントするのに。
前もって知ってたら、劇場でちらしいっぱいもらってきたのに。
はっ。
交換用のちらし、わたし、おにーさんに手渡してないから、手元に残ってるじゃん!!
素知らぬ顔して何度ももらうことができたじゃん! 最終日だから、おにーさんたちも在庫整理って感じで簡単ぷーにくれそーだったのに。
わたしが迂闊なのは、今にはじまったことじゃないが。
ずるっこすることすら、思いつくのは後の祭り状態。
祭りだわっしょい。@『ベルサイユのばら』役替わり発表。
2005年7月28日 タカラヅカ いやあ、どえらいことになってますなあ。
宝塚歌劇団、なりふり構ってません。
必死です。
必死すぎて、笑える。
ほんっとーに、お金が欲しいんだ……。
いやはや。
『ベルばら』ってのは、万が一にもコケてはならない演目なんだな。
コケさせないためには、手段を選ばないんだ。
これほど大がかりな役替わりをするなら、作品なんか必要ないよ。
今やってる『長崎しぐれ坂』でも『霧のミラノ』でも、各組トップや2番手を1週間単位で役替わりさせれば、大入りになるだろーて。
そりゃ今までも『ベルばら』と言えば役替わりだったけれど、法則があったじゃん。トップ特出とか、2番手役替わりとか。
トップも2番手も入り乱れて特出役替わりってそんな。なりふり構ってないってことじゃん。
ここまで「作品」を貶める必要があるのか?
『ベルばら』は侮蔑されても仕方ない駄作だけど、今回の恥知らずなまでの役替わりは、宝塚歌劇団における「作品」の意味を徹底的に貶めてないか?
演出家は、クリエイターは、こんな辱めを受けて平気なのか?(感覚の摩耗した植爺ははじめから除外するとして)
タカラヅカはスターありき。
演出家なんて必要ありません。そーゆーことですか。
ええ、そーゆーことならおとなしく、スターを見に行きましょう。
「作品」なんて意味ナシ。
祭りだものね。
ところで。
わたし、『零−紅い蝶−』のプレイをしているところだったんですが。今日発売の新作をプレイするにあたり、『紅い蝶』の真のエンディング見ておかねば、と。ハード・モードで霊と戦っていたわけですよ。
んで、この役替わり発表のせいで、コントローラを膝に乗せたまま、先にメール打ったり日記書いたりしていたわけですよ。
変だな。
なんかさっきから、テレビの画面がちらちらするな。
と、思ったら。
『零−紅い蝶−』スクリーンセイバー発動。
うっきゃあ〜〜〜っっ!!
ファイルを開いた状態だから、平気だと思って油断していた。
『零』シリーズには、ものすんげースクリーンセイバーがあってね、一定時間放置すると、画面にものすげーものが映るのよ。
こ、こわい。
こわすぎ。
ゲーム画面が霧雨のように白黒画面になり、そこに子どもの幽霊のドアップが。
悪夢そのままに、映ったり消えたりしている……こーわーいー。
なにも知らずにはじめて見てしまったときは、夜中だっちゅーにマジで大声上げたもん。
あのときは「女の幽霊」だったな……長い髪の……。弟に言ったら、「ぼくが見たのは子どもの幽霊だった」って言うから、2種類あることはわかってたけど……見ちゃったよ、子どもの幽霊バージョン……。
放置したら、この一生見たくないよーなものが映る、って知ってたから、なにがなんでも手を止めないよーにしていたのに……。
心臓、ばくばく。寿命縮んだ。
『ベルばら』のせいだっ。
宝塚歌劇団、なりふり構ってません。
必死です。
必死すぎて、笑える。
ほんっとーに、お金が欲しいんだ……。
いやはや。
『ベルばら』ってのは、万が一にもコケてはならない演目なんだな。
コケさせないためには、手段を選ばないんだ。
これほど大がかりな役替わりをするなら、作品なんか必要ないよ。
今やってる『長崎しぐれ坂』でも『霧のミラノ』でも、各組トップや2番手を1週間単位で役替わりさせれば、大入りになるだろーて。
そりゃ今までも『ベルばら』と言えば役替わりだったけれど、法則があったじゃん。トップ特出とか、2番手役替わりとか。
トップも2番手も入り乱れて特出役替わりってそんな。なりふり構ってないってことじゃん。
ここまで「作品」を貶める必要があるのか?
『ベルばら』は侮蔑されても仕方ない駄作だけど、今回の恥知らずなまでの役替わりは、宝塚歌劇団における「作品」の意味を徹底的に貶めてないか?
演出家は、クリエイターは、こんな辱めを受けて平気なのか?(感覚の摩耗した植爺ははじめから除外するとして)
タカラヅカはスターありき。
演出家なんて必要ありません。そーゆーことですか。
ええ、そーゆーことならおとなしく、スターを見に行きましょう。
「作品」なんて意味ナシ。
祭りだものね。
ところで。
わたし、『零−紅い蝶−』のプレイをしているところだったんですが。今日発売の新作をプレイするにあたり、『紅い蝶』の真のエンディング見ておかねば、と。ハード・モードで霊と戦っていたわけですよ。
んで、この役替わり発表のせいで、コントローラを膝に乗せたまま、先にメール打ったり日記書いたりしていたわけですよ。
変だな。
なんかさっきから、テレビの画面がちらちらするな。
と、思ったら。
『零−紅い蝶−』スクリーンセイバー発動。
うっきゃあ〜〜〜っっ!!
ファイルを開いた状態だから、平気だと思って油断していた。
『零』シリーズには、ものすんげースクリーンセイバーがあってね、一定時間放置すると、画面にものすげーものが映るのよ。
こ、こわい。
こわすぎ。
ゲーム画面が霧雨のように白黒画面になり、そこに子どもの幽霊のドアップが。
悪夢そのままに、映ったり消えたりしている……こーわーいー。
なにも知らずにはじめて見てしまったときは、夜中だっちゅーにマジで大声上げたもん。
あのときは「女の幽霊」だったな……長い髪の……。弟に言ったら、「ぼくが見たのは子どもの幽霊だった」って言うから、2種類あることはわかってたけど……見ちゃったよ、子どもの幽霊バージョン……。
放置したら、この一生見たくないよーなものが映る、って知ってたから、なにがなんでも手を止めないよーにしていたのに……。
心臓、ばくばく。寿命縮んだ。
『ベルばら』のせいだっ。
そして、少年は死んだ。−腐女子注意報−@長崎しぐれ坂
2005年7月27日 タカラヅカ 最近アタマがますます腐女子化しているのは、コミケが近づいているせいでしょーか。えっ、いつもですか、そうですか。
しいちゃんのお茶会が近づいていたころ、ふと思いついてサトリちゃんにメールしました。
わたしは東のお茶会には参加しないけど、もし機会があったら聞いてみたいことがあって。
『長崎しぐれ坂』において、
「らしゃを拷問したのは、館岡さんなのか」
ってゆー疑問ですわ。
らしゃ@トウコは結果として、長崎奉行所の面々に責め殺されたことになるのよね。
やっぱ伊佐次を呼び出せとか言って責められたのかしらね。
手先になるなら命は助けてやる、と言われ、最後までうんと言わなかったから、責められ続けた。
伊佐次の名を呼びながら、責め苦に耐えるらしゃ、つーのは、なかなか萌えですが。
ぼらがケロだった場合のみ、ぼらの名前も呼んでよし(笑)。←いや、ありえないから!
らしゃを拷問するほどの熱意のある人って、あの奉行所には館岡さん@しいちゃんぐらいしかいないよね。
やっぱハチマキしてたすき掛けして、びしばしやってたのかしら。
でもって、がんばりすぎてる館岡さんのことを、佐藤さん@にしきさんあたりが諫めたのかしら。
「館岡さん、そりゃーちっとやりすぎじゃないかい。相手はまだ子どもなんだし」(飄々)
「放っておいてください」(目爛々)
でもって旗野@紫蘭さんとかは反感顕わにしたり。鈴木・石浜コンビはやっぱりコンニャクのよーにふにゃふにゃして。
「たしかにやりすぎだけど、俺らには止められないしなー」(ふにゃふにゃ)
んでもって、らしゃを逃がしたのは誰だろう。
佐藤さんあたりかなとも思うけど、案外彼は黙認してたのみで、実際に動いたのは若い鈴木・石浜コンビかもなー、とか。
小物ひとり責め殺したところで、なんの意味もない。そんなことで唐人屋敷の連中の怒りを買いたくもない。
てゆーか、明らかに後味悪いだろ。
若い子を騙して誘い出し、拷問するなんてのは。
使命感に燃えている館岡さんはともかくとして。
郷に入れば郷に従えの長崎奉行所の面々からすりゃ。
つーことで、機会があったらお茶会ででも質問して欲しかったのよ。
らしゃを責め殺したのは誰か。
ははは、質問はできなかったのね。いや、ぜんぜんいいですよ、サトリちゃんのお茶会報告、すげーたのしいから! わたしの腐った質問なんかなくても。
たしかに、しいちゃんもかわいくて、その姿が目に浮かぶよーだが。
わたしに言わせれば、サトリちゃんのピュアファンぶりも、すげーかわいいから!
愛があふれている文章って、いいよね。読んでて「かわいいー」と身もだえしちゃったよ。サトリちゃん、かわいすぎ。
あ、サトリちゃんのしいちゃんお茶会報告は、左のブックマークからどうぞ。
でもって。
ピュアファンのサトリちゃんには申し訳ないが。
腐女子なわたしは、もちろん考える。
館岡さんの属性を。
館岡さんって、どっから見ても受だよね?
わたし、しいちゃんは攻キャラとして愛しておるんですが、今回は受だなー、と。
おやぢスキーなわたしとしては、佐藤×館岡でひとつヨロシク! な気分です。
ぎゃんぎゃん吠える血の気の多い大型犬と、それを軽くいなす好々爺って感じ?
真面目すぎる館岡さんには、一度くらい大きくつまずく必要があると思うのですよ。
館岡さんは「少年」なんだと思う。
年齢のことじゃなくて。
魂に潔癖な「少年」を抱え込んでいて、それでうまく曲がることができず、あちこちにぶつかっている。
もちろん、それはそれでいいけれど。
彼がふつーの人なら。彼がただの町人で、正直さや真面目さだけで生きていける人ならよかったけど。
館岡さんは、役人で。きれいごとだけではやっていけない仕事と立場の人で。
「少年」のままでは、きっとつらすぎる。
「結局あのらしゃって子、死んだそうだよ。まだまだ母親が恋しい少年だったのに」
「なにが言いたいんですか」
「べつに。ただ、なんかねぇ、痛々しいと思ってね。それだけいろんなもん抱え込んで」
「年若いとはいえ、あの者は凶状持ちの……」
「いや、あの子じゃなくて、あんたがさ」
……てな、ベタベタ展開はアリかと。
大人な佐藤さんにつまずいて、周囲を見ることをおぼえるってのは、どうですか。佐藤さんなら笑いながら受け止めてくれると思いますよ。
かっこいーじゃん、佐藤さん。
館岡さんのなかの「少年」を愛し、それでいてその「少年」を殺す役目だって、きっと引き受けてくれるよ。損な役だと心得ながら。
きっと館岡さんのために、チャルメラだって吹いてくれるだろうね。当の館岡さんが嫌がっても(笑)。
おお、つくづくいいキャラだぞ、佐藤さん。
にしきさんに萌える日が来ようとは、自分でも思わなかったがな……。
しいちゃんのお茶会が近づいていたころ、ふと思いついてサトリちゃんにメールしました。
わたしは東のお茶会には参加しないけど、もし機会があったら聞いてみたいことがあって。
『長崎しぐれ坂』において、
「らしゃを拷問したのは、館岡さんなのか」
ってゆー疑問ですわ。
らしゃ@トウコは結果として、長崎奉行所の面々に責め殺されたことになるのよね。
やっぱ伊佐次を呼び出せとか言って責められたのかしらね。
手先になるなら命は助けてやる、と言われ、最後までうんと言わなかったから、責められ続けた。
伊佐次の名を呼びながら、責め苦に耐えるらしゃ、つーのは、なかなか萌えですが。
ぼらがケロだった場合のみ、ぼらの名前も呼んでよし(笑)。←いや、ありえないから!
らしゃを拷問するほどの熱意のある人って、あの奉行所には館岡さん@しいちゃんぐらいしかいないよね。
やっぱハチマキしてたすき掛けして、びしばしやってたのかしら。
でもって、がんばりすぎてる館岡さんのことを、佐藤さん@にしきさんあたりが諫めたのかしら。
「館岡さん、そりゃーちっとやりすぎじゃないかい。相手はまだ子どもなんだし」(飄々)
「放っておいてください」(目爛々)
でもって旗野@紫蘭さんとかは反感顕わにしたり。鈴木・石浜コンビはやっぱりコンニャクのよーにふにゃふにゃして。
「たしかにやりすぎだけど、俺らには止められないしなー」(ふにゃふにゃ)
んでもって、らしゃを逃がしたのは誰だろう。
佐藤さんあたりかなとも思うけど、案外彼は黙認してたのみで、実際に動いたのは若い鈴木・石浜コンビかもなー、とか。
小物ひとり責め殺したところで、なんの意味もない。そんなことで唐人屋敷の連中の怒りを買いたくもない。
てゆーか、明らかに後味悪いだろ。
若い子を騙して誘い出し、拷問するなんてのは。
使命感に燃えている館岡さんはともかくとして。
郷に入れば郷に従えの長崎奉行所の面々からすりゃ。
つーことで、機会があったらお茶会ででも質問して欲しかったのよ。
らしゃを責め殺したのは誰か。
ははは、質問はできなかったのね。いや、ぜんぜんいいですよ、サトリちゃんのお茶会報告、すげーたのしいから! わたしの腐った質問なんかなくても。
たしかに、しいちゃんもかわいくて、その姿が目に浮かぶよーだが。
わたしに言わせれば、サトリちゃんのピュアファンぶりも、すげーかわいいから!
愛があふれている文章って、いいよね。読んでて「かわいいー」と身もだえしちゃったよ。サトリちゃん、かわいすぎ。
あ、サトリちゃんのしいちゃんお茶会報告は、左のブックマークからどうぞ。
でもって。
ピュアファンのサトリちゃんには申し訳ないが。
腐女子なわたしは、もちろん考える。
館岡さんの属性を。
館岡さんって、どっから見ても受だよね?
わたし、しいちゃんは攻キャラとして愛しておるんですが、今回は受だなー、と。
おやぢスキーなわたしとしては、佐藤×館岡でひとつヨロシク! な気分です。
ぎゃんぎゃん吠える血の気の多い大型犬と、それを軽くいなす好々爺って感じ?
真面目すぎる館岡さんには、一度くらい大きくつまずく必要があると思うのですよ。
館岡さんは「少年」なんだと思う。
年齢のことじゃなくて。
魂に潔癖な「少年」を抱え込んでいて、それでうまく曲がることができず、あちこちにぶつかっている。
もちろん、それはそれでいいけれど。
彼がふつーの人なら。彼がただの町人で、正直さや真面目さだけで生きていける人ならよかったけど。
館岡さんは、役人で。きれいごとだけではやっていけない仕事と立場の人で。
「少年」のままでは、きっとつらすぎる。
「結局あのらしゃって子、死んだそうだよ。まだまだ母親が恋しい少年だったのに」
「なにが言いたいんですか」
「べつに。ただ、なんかねぇ、痛々しいと思ってね。それだけいろんなもん抱え込んで」
「年若いとはいえ、あの者は凶状持ちの……」
「いや、あの子じゃなくて、あんたがさ」
……てな、ベタベタ展開はアリかと。
大人な佐藤さんにつまずいて、周囲を見ることをおぼえるってのは、どうですか。佐藤さんなら笑いながら受け止めてくれると思いますよ。
かっこいーじゃん、佐藤さん。
館岡さんのなかの「少年」を愛し、それでいてその「少年」を殺す役目だって、きっと引き受けてくれるよ。損な役だと心得ながら。
きっと館岡さんのために、チャルメラだって吹いてくれるだろうね。当の館岡さんが嫌がっても(笑)。
おお、つくづくいいキャラだぞ、佐藤さん。
にしきさんに萌える日が来ようとは、自分でも思わなかったがな……。
彼と彼は、友だち。そして、兄弟。−腐女子注意報−@Ernest in Love
2005年7月26日 タカラヅカ もずえさんが最近、ヅカ日記をろくに書いてくれない……さみしい……。
と、つぶやいてみる。
さて、そのもずえさんも絶賛していた『Ernest in Love』の話。いや、もずえさんは腐女子話とは関係ありませんけども。
主要人物は4人、全員が個性的というか、変な人。
そのなかでいちばんまともなのは、実は主人公のアーネスト@あさこ。
変人さでいえば、セシリイ>>(越えられない壁)>>アルジャノン>グウェンドレン>アーネスト、だろう。
だからアーネストは下手に笑わせようなんて考えず、かわいい二枚目道を突っ走っていいと思うよ。変人さでは他にかなわないんだから。
かわいい、てのがポイント。
母性本能をくすぐるキャラクタとして、あさこちゃんはいい仕事をしていたと思う。
見た目の美しさも絶大だし。
すらっとした美青年なだけに、ヘタレなところがかわいくて仕方がない。
が。
わたしが惚れ込んだのは、アルジャノン@きりやんだ。
千秋楽、とにもかくにもアルジだけを見ていた。たとえ主役カップルが歌い踊っていよーと、後ろにただ立っているだけのアルジを見ていた。
アルジャノンは、バランスの難しい役だと思う。
なにしろこまったちゃんなので、やっていることは奇天烈傍迷惑。
アーネストが息抜きと自由のために「不良の弟」を作りだしていたのとはちがい、「女遊びをするため」にバンバリーという「不治の病の友人」を作りだしている。「不治の病」てのがまたひどいよね。命を軽く扱ってる。
真実の恋をし、結婚を考えているアーネストのことを、アルジは皮肉たっぷりに眺めている。
そして、アーネストの後見している「まだ18歳の、小さなセシリイ」に好奇心で近づく。わざわざ自分が「アーネスト」だと嘘をついて。
恋に落ちたあとも、深刻に悩むアーネストの横で食べ物に気を取られている。
軽薄でいい加減なトラブルメーカー。ギャグ担当。
たぶん、他の劇団なら、他の舞台なら、そのままでいいと思う。
いつも食べてばかり、という設定から、太ったにーちゃんがやってもいいくらいだ。
主役のアーネストとの対比が出るよーに、ひたすらお笑い担当で、軽薄な三枚目でいいと思う。
だが、ここはタカラヅカだ。
お笑い担当キャラだからといって、みっともなくていいわけじゃない。
アルジャノンは、男前だった。
お笑い担当であるにもかかわらず。
やってることは最低であるにもかかわらず。
ろくでもないことを言って、やっているくせに。
あちこちで、すっと潮が引くように美男子の顔になる。
お笑いキャラと、タカラヅカ的二枚目の、バランスが難しい役だ。
いかにも「運命の恋」みたいなドラマチック・メロディが流れ、「僕の人生には関係ない曲だと思っていたのに!」と三枚目キャラとして笑わせたその一瞬あとに、シリアスな美男子の顔になって、恋を歌ってしまうんだ。すげえよ。
いちばん最初の、寝ぐせつきのパジャマ姿で出てきたときのかわいらしさ、余裕ぶっこいてキュウリサンド食べながらチャチャ入れしている姿、そして、ラヴラヴデュエットを眺めるシニカルな顔。
ヤな奴なのに、魅力的。
こまったちゃんなのに、かっこいい。
生まれてはじめての真実の恋、なのに、相手に嫌われて事態最悪! なときに、「あ、マフィンがある」とあったりまえに食べはじめるどーしよーもなさ。
深刻なアーネストになじられながらも、テンション低くマイペースに食べ続けるのが、魅力だってのは、なんなんだ、アルジャノン。そーゆー奴だからなお素敵♪ と思えてしまうんだが。
二枚目と三枚目のさじ加減。
恋をしていることと、もともとのいーかげんな性格とのハーモニー。
そのギャップとバランスが、とてつもなく素敵なんですが。
やーん、かっこいー。
アルジャノン、大好き〜〜。
そのマイペースぶりが、性格の悪さが、すごく好き。
敵に回すと、こわそうだな。と、思えるあたり、黒いよね。
キュウリサンド頬張りながら、気にくわない奴を叩きつぶす話とかふつーにしそーだ。なんの罪悪感もなく。
なにしろお貴族様だし。いろんな「ええっ、それってひどいんじゃ?」なことを「当然の権利」だと思って生きてるだろうし。
だからなおさら、アルジ×アーネスト見たいなあ。と、思う(笑)。
だってアルジってさ、アーネストを泣かせても、おもしろがりはしても、悪いとは思わないよね。
友人を傷つけたくないとか、ふつーの感覚をしていたら、その友人の娘同然の大切な女の子をナンパしに行かないよね、ただの好奇心で。
友人がどう思おうが、自分の楽しみの方が大切なんだよな。
そんな奴だよ? 攻としては、いいキャラじゃないか?
自分がたのしけりゃヨシ! で、アーネスト押し倒して、やることやって、「なんで泣くんだよ。君だって楽しんだじゃないか」と、寝ぐせの髪をかきながら、キュウリサンド食べつつ言って欲しいわ。
アーネストにどれだけなじられよーと、嫌われよーと、おかまいなし。なにも喉を通らない彼の目の前で、えんえん食べ続けてほしーわ。
「縁を切る? どーやって? だって僕たち、兄弟じゃないか、アーネスト兄さん」
とか、とくに熱意も思い入れもないまま、言って欲しいわ……ああ、鬼畜。うっとり。
そして、真面目に泣いて、真面目に悩み、それでもアルジを嫌いになれない哀れなアーネストが見たい……かわいーよ、すげーかわいいよ……。
いやはや、思いがけず腐女子的にもたのしかったよ、『Ernest in Love』。
と、つぶやいてみる。
さて、そのもずえさんも絶賛していた『Ernest in Love』の話。いや、もずえさんは腐女子話とは関係ありませんけども。
主要人物は4人、全員が個性的というか、変な人。
そのなかでいちばんまともなのは、実は主人公のアーネスト@あさこ。
変人さでいえば、セシリイ>>(越えられない壁)>>アルジャノン>グウェンドレン>アーネスト、だろう。
だからアーネストは下手に笑わせようなんて考えず、かわいい二枚目道を突っ走っていいと思うよ。変人さでは他にかなわないんだから。
かわいい、てのがポイント。
母性本能をくすぐるキャラクタとして、あさこちゃんはいい仕事をしていたと思う。
見た目の美しさも絶大だし。
すらっとした美青年なだけに、ヘタレなところがかわいくて仕方がない。
が。
わたしが惚れ込んだのは、アルジャノン@きりやんだ。
千秋楽、とにもかくにもアルジだけを見ていた。たとえ主役カップルが歌い踊っていよーと、後ろにただ立っているだけのアルジを見ていた。
アルジャノンは、バランスの難しい役だと思う。
なにしろこまったちゃんなので、やっていることは奇天烈傍迷惑。
アーネストが息抜きと自由のために「不良の弟」を作りだしていたのとはちがい、「女遊びをするため」にバンバリーという「不治の病の友人」を作りだしている。「不治の病」てのがまたひどいよね。命を軽く扱ってる。
真実の恋をし、結婚を考えているアーネストのことを、アルジは皮肉たっぷりに眺めている。
そして、アーネストの後見している「まだ18歳の、小さなセシリイ」に好奇心で近づく。わざわざ自分が「アーネスト」だと嘘をついて。
恋に落ちたあとも、深刻に悩むアーネストの横で食べ物に気を取られている。
軽薄でいい加減なトラブルメーカー。ギャグ担当。
たぶん、他の劇団なら、他の舞台なら、そのままでいいと思う。
いつも食べてばかり、という設定から、太ったにーちゃんがやってもいいくらいだ。
主役のアーネストとの対比が出るよーに、ひたすらお笑い担当で、軽薄な三枚目でいいと思う。
だが、ここはタカラヅカだ。
お笑い担当キャラだからといって、みっともなくていいわけじゃない。
アルジャノンは、男前だった。
お笑い担当であるにもかかわらず。
やってることは最低であるにもかかわらず。
ろくでもないことを言って、やっているくせに。
あちこちで、すっと潮が引くように美男子の顔になる。
お笑いキャラと、タカラヅカ的二枚目の、バランスが難しい役だ。
いかにも「運命の恋」みたいなドラマチック・メロディが流れ、「僕の人生には関係ない曲だと思っていたのに!」と三枚目キャラとして笑わせたその一瞬あとに、シリアスな美男子の顔になって、恋を歌ってしまうんだ。すげえよ。
いちばん最初の、寝ぐせつきのパジャマ姿で出てきたときのかわいらしさ、余裕ぶっこいてキュウリサンド食べながらチャチャ入れしている姿、そして、ラヴラヴデュエットを眺めるシニカルな顔。
ヤな奴なのに、魅力的。
こまったちゃんなのに、かっこいい。
生まれてはじめての真実の恋、なのに、相手に嫌われて事態最悪! なときに、「あ、マフィンがある」とあったりまえに食べはじめるどーしよーもなさ。
深刻なアーネストになじられながらも、テンション低くマイペースに食べ続けるのが、魅力だってのは、なんなんだ、アルジャノン。そーゆー奴だからなお素敵♪ と思えてしまうんだが。
二枚目と三枚目のさじ加減。
恋をしていることと、もともとのいーかげんな性格とのハーモニー。
そのギャップとバランスが、とてつもなく素敵なんですが。
やーん、かっこいー。
アルジャノン、大好き〜〜。
そのマイペースぶりが、性格の悪さが、すごく好き。
敵に回すと、こわそうだな。と、思えるあたり、黒いよね。
キュウリサンド頬張りながら、気にくわない奴を叩きつぶす話とかふつーにしそーだ。なんの罪悪感もなく。
なにしろお貴族様だし。いろんな「ええっ、それってひどいんじゃ?」なことを「当然の権利」だと思って生きてるだろうし。
だからなおさら、アルジ×アーネスト見たいなあ。と、思う(笑)。
だってアルジってさ、アーネストを泣かせても、おもしろがりはしても、悪いとは思わないよね。
友人を傷つけたくないとか、ふつーの感覚をしていたら、その友人の娘同然の大切な女の子をナンパしに行かないよね、ただの好奇心で。
友人がどう思おうが、自分の楽しみの方が大切なんだよな。
そんな奴だよ? 攻としては、いいキャラじゃないか?
自分がたのしけりゃヨシ! で、アーネスト押し倒して、やることやって、「なんで泣くんだよ。君だって楽しんだじゃないか」と、寝ぐせの髪をかきながら、キュウリサンド食べつつ言って欲しいわ。
アーネストにどれだけなじられよーと、嫌われよーと、おかまいなし。なにも喉を通らない彼の目の前で、えんえん食べ続けてほしーわ。
「縁を切る? どーやって? だって僕たち、兄弟じゃないか、アーネスト兄さん」
とか、とくに熱意も思い入れもないまま、言って欲しいわ……ああ、鬼畜。うっとり。
そして、真面目に泣いて、真面目に悩み、それでもアルジを嫌いになれない哀れなアーネストが見たい……かわいーよ、すげーかわいいよ……。
いやはや、思いがけず腐女子的にもたのしかったよ、『Ernest in Love』。
幸福感と、切なさと。@Ernest in Love
2005年7月25日 タカラヅカ 梅芸会員先行オサコン、取れませんでした……。
しょぼん。
せっかく朝から起きたことだし、と(いつも遅くまで寝てるのがばれる発言)お買い物に行くことにした。
ええ、コミケカタログを買いに!!
前回買い忘れたので、今回は肝に命じてますよ。
で、せっかく梅田に来たんだし、そーだ『Ernest in Love』観よう、と思って駅の書店で開演時間を確かめると。
千秋楽じゃないですか、今日。
時間もぎりぎり、駅から走ったよ。
いつもチケット事情のいい公演なんで、行けば観られるとわかっていた。……が、ものすごかったよ、需要と供給のギャップ。
サバキが禁止になった昨今、あれほどものすげーさばきの嵐を見たのは、ひさしぶりだ……。
そして客引きの情熱もすごかったなー……みんな必死だー。
ふらりと劇場に行って、チケットを選んで買って、気軽に観られる、てのは、いいもんですよ。
そのうえ、とても上質な作品だし。
あんなにチケット余ってるなら、そのへんにたむろしている若者たちとかにも観て欲しかったなー。価格破壊が進んでたんで、映画くらいの値段でB席なら観られただろうし。
だまされたと思って、一度観てみてよ。ヅカだから、ミュージカルだからって、毛嫌いしないでさ。
マジ、おもしろいから!
と。わたしに勇気と根性があったら、客引きでもしたいくらいだったわ。
空席のまま終わらせるのは、心から惜しいもの。
大好きだ、『Ernest in Love』。
わたしはほんと、キムシン作品好きだなー。
エンタメ性とヲタク性の、正しき融合。
基本的にセンスいいんだよね、彼は。イタタな面も多分に持ち合わせているが、才能あるクリエイターが性格悪くてもどっかまちがっていても、そんなの別に構わないし。つか、そのカンチガイ・テイストをなまあたたく眺めるのも、醍醐味のウチだと思ってるし。
やはり、センスの問題は大きいな。
キムシンのうるさすぎる自己主張も、バリバリの演歌(本人はお洒落で新しいつもり)で演芸場以下のダサいセットと演出(本人はお洒落で新しいつもり)でやられたら、きっとスルーできなかったと思う。
お洒落な美人が性格悪いのは許せても、向上心も見えないぶさいくが性格悪いのは許せないもんなー(笑)。
センスが良くて、エンタメとしておもしろいものを、ヲタクのハートもゲットしながら巨大劇場向けに作る。
これは、得難い才能だと思う。
キムシン、いい仕事してるよなー。
てなことをわたしが言ったとき、誰だっけかが言った。
「海外の作品をまんまこちらの舞台に持ってきただけだから、あんまり演出家が誰とか関係ないんじゃない?」
わたしは元の作品を知りません。
だから、どこまでが元のままで、どこからがキムシンのオリジナルなのかはわからない。
けど。
これだけは、言える。
海外ミュージカルを翻案した作品であったとしても、演出家の手腕によって出来映えは左右する。
わかりやすい例を出してみた。
「じゃあ、『ファントム』は?」
「……そうか、キムシン、センスいいよね」
友人、前言撤回。素直かつ明晰な返事。
同じよーに海外の出来のいい作品を翻案したとしても、演出家にセンスがないと、ダメダメ作品にしかならないから(笑)。
つか、ただ移すだけじゃないだろ。タカラヅカという特殊な劇団で上演する以上、演出家の力量は大きく関わっているはずだ。
でないと、『エリザベート』の小池修一郎があそこまで名声を得ているはずがない。
原作付き作品を書く演出家のことを軽く見る風潮がヅカファンにはあると思うけど、オリジナルを書く才能と原作をアレンジする才能は別物で、どちらがより価値があるとかゆーもんじゃないから。
作詞作曲して自分で歌っちゃう人がいて、作詞や作曲のプロがいる、それと同じことだから。歌うところまで自分でやらないただの作曲家は、シンガーソングライターより価値が低い、というのと同じくらい、意味のない話だ。
まあわたしはそれでも、オリジナルでおもしろいもの書く人の方が好きだけど(と言ったら論旨が破綻するか・笑)。
とりあえず、原作ものである『Ernest in Love』は、おもしろい。
センスが良くて、たのしく幸福になれる物語だ。
他愛ないストーリーと少ない登場人物、そこに笑いと愛と感動を詰め込んである。
物語は正しく進み、伏線は小気味よく作用し、期待通りの大団円へと辿り着く。
とくにわたし、伏線がいちいち正しく機能しているのが好き。気持ちいい。
1幕で蒔かれた種はちゃんと2幕で回収される。
それこそ、アーネストのついていた嘘が、すべて真実だったように。
千秋楽ではアーネスト@あさこ、よーやくキュウリ・サンドを食べることに成功していた。
アルジ@きりやんが油断しているうちに、ささっと口へ。
あー、もー、かわいー。
それからさらに、マフィンも食べていたぞ、アーネスト。
食べていたというか……食べさせられたというか。
マフィンと人生を語るへっぽこコンビ、アーネストとアルジャノン。下手にハケるその寸前に、アルジがアーネストの口にマフィンを押し込んだ。
アーネスト、フガフググ。
まん丸に開いた口と目がおかしいやら、かわいいやら。
そんな乱暴に突っ込んじゃだめだよ、アルジ。やさしくしなきゃ。
残念ながらわたしは、「家族が欲しかった」と歌うアーネストにはあまり心が動きません。
なんでだろ。
なにやっても彼がかわいくて、それどころじゃないせいかしら。
それよりも、グウェンドレン@かなみちゃんとのラヴラヴ・デュエットとかの方が目頭が熱くなる。
愛を愛ゆえに愛のただ中で溺れているバカップルぶりに、なんか幸福感と切なさを刺激される模様。
観ることが出来てよかったよ。
あの鳥かごのよーな温室のオーケストラ、かわいくてお洒落なセット、馬鹿でかいハンドバッグ(笑)、牛とヒツジ、ぱたぱた自動で絨毯がセットされる階段、なにもかも、この目で実際に見られてよかった。
繰り返されるカーテンコール、あたたかい、たのしい時。
これで最後なんだね、もう会えないんだね。
このキャストに。
アーネストに、アルジャノンに、グウェンドレンに、セシリイに。
……コミケカタログを買いに行かなかったら、見逃しているところだったよ……。
しょぼん。
せっかく朝から起きたことだし、と(いつも遅くまで寝てるのがばれる発言)お買い物に行くことにした。
ええ、コミケカタログを買いに!!
前回買い忘れたので、今回は肝に命じてますよ。
で、せっかく梅田に来たんだし、そーだ『Ernest in Love』観よう、と思って駅の書店で開演時間を確かめると。
千秋楽じゃないですか、今日。
時間もぎりぎり、駅から走ったよ。
いつもチケット事情のいい公演なんで、行けば観られるとわかっていた。……が、ものすごかったよ、需要と供給のギャップ。
サバキが禁止になった昨今、あれほどものすげーさばきの嵐を見たのは、ひさしぶりだ……。
そして客引きの情熱もすごかったなー……みんな必死だー。
ふらりと劇場に行って、チケットを選んで買って、気軽に観られる、てのは、いいもんですよ。
そのうえ、とても上質な作品だし。
あんなにチケット余ってるなら、そのへんにたむろしている若者たちとかにも観て欲しかったなー。価格破壊が進んでたんで、映画くらいの値段でB席なら観られただろうし。
だまされたと思って、一度観てみてよ。ヅカだから、ミュージカルだからって、毛嫌いしないでさ。
マジ、おもしろいから!
と。わたしに勇気と根性があったら、客引きでもしたいくらいだったわ。
空席のまま終わらせるのは、心から惜しいもの。
大好きだ、『Ernest in Love』。
わたしはほんと、キムシン作品好きだなー。
エンタメ性とヲタク性の、正しき融合。
基本的にセンスいいんだよね、彼は。イタタな面も多分に持ち合わせているが、才能あるクリエイターが性格悪くてもどっかまちがっていても、そんなの別に構わないし。つか、そのカンチガイ・テイストをなまあたたく眺めるのも、醍醐味のウチだと思ってるし。
やはり、センスの問題は大きいな。
キムシンのうるさすぎる自己主張も、バリバリの演歌(本人はお洒落で新しいつもり)で演芸場以下のダサいセットと演出(本人はお洒落で新しいつもり)でやられたら、きっとスルーできなかったと思う。
お洒落な美人が性格悪いのは許せても、向上心も見えないぶさいくが性格悪いのは許せないもんなー(笑)。
センスが良くて、エンタメとしておもしろいものを、ヲタクのハートもゲットしながら巨大劇場向けに作る。
これは、得難い才能だと思う。
キムシン、いい仕事してるよなー。
てなことをわたしが言ったとき、誰だっけかが言った。
「海外の作品をまんまこちらの舞台に持ってきただけだから、あんまり演出家が誰とか関係ないんじゃない?」
わたしは元の作品を知りません。
だから、どこまでが元のままで、どこからがキムシンのオリジナルなのかはわからない。
けど。
これだけは、言える。
海外ミュージカルを翻案した作品であったとしても、演出家の手腕によって出来映えは左右する。
わかりやすい例を出してみた。
「じゃあ、『ファントム』は?」
「……そうか、キムシン、センスいいよね」
友人、前言撤回。素直かつ明晰な返事。
同じよーに海外の出来のいい作品を翻案したとしても、演出家にセンスがないと、ダメダメ作品にしかならないから(笑)。
つか、ただ移すだけじゃないだろ。タカラヅカという特殊な劇団で上演する以上、演出家の力量は大きく関わっているはずだ。
でないと、『エリザベート』の小池修一郎があそこまで名声を得ているはずがない。
原作付き作品を書く演出家のことを軽く見る風潮がヅカファンにはあると思うけど、オリジナルを書く才能と原作をアレンジする才能は別物で、どちらがより価値があるとかゆーもんじゃないから。
作詞作曲して自分で歌っちゃう人がいて、作詞や作曲のプロがいる、それと同じことだから。歌うところまで自分でやらないただの作曲家は、シンガーソングライターより価値が低い、というのと同じくらい、意味のない話だ。
まあわたしはそれでも、オリジナルでおもしろいもの書く人の方が好きだけど(と言ったら論旨が破綻するか・笑)。
とりあえず、原作ものである『Ernest in Love』は、おもしろい。
センスが良くて、たのしく幸福になれる物語だ。
他愛ないストーリーと少ない登場人物、そこに笑いと愛と感動を詰め込んである。
物語は正しく進み、伏線は小気味よく作用し、期待通りの大団円へと辿り着く。
とくにわたし、伏線がいちいち正しく機能しているのが好き。気持ちいい。
1幕で蒔かれた種はちゃんと2幕で回収される。
それこそ、アーネストのついていた嘘が、すべて真実だったように。
千秋楽ではアーネスト@あさこ、よーやくキュウリ・サンドを食べることに成功していた。
アルジ@きりやんが油断しているうちに、ささっと口へ。
あー、もー、かわいー。
それからさらに、マフィンも食べていたぞ、アーネスト。
食べていたというか……食べさせられたというか。
マフィンと人生を語るへっぽこコンビ、アーネストとアルジャノン。下手にハケるその寸前に、アルジがアーネストの口にマフィンを押し込んだ。
アーネスト、フガフググ。
まん丸に開いた口と目がおかしいやら、かわいいやら。
そんな乱暴に突っ込んじゃだめだよ、アルジ。やさしくしなきゃ。
残念ながらわたしは、「家族が欲しかった」と歌うアーネストにはあまり心が動きません。
なんでだろ。
なにやっても彼がかわいくて、それどころじゃないせいかしら。
それよりも、グウェンドレン@かなみちゃんとのラヴラヴ・デュエットとかの方が目頭が熱くなる。
愛を愛ゆえに愛のただ中で溺れているバカップルぶりに、なんか幸福感と切なさを刺激される模様。
観ることが出来てよかったよ。
あの鳥かごのよーな温室のオーケストラ、かわいくてお洒落なセット、馬鹿でかいハンドバッグ(笑)、牛とヒツジ、ぱたぱた自動で絨毯がセットされる階段、なにもかも、この目で実際に見られてよかった。
繰り返されるカーテンコール、あたたかい、たのしい時。
これで最後なんだね、もう会えないんだね。
このキャストに。
アーネストに、アルジャノンに、グウェンドレンに、セシリイに。
……コミケカタログを買いに行かなかったら、見逃しているところだったよ……。
男の子。女の子。@BourbonStreet Blues
2005年7月24日 タカラヅカ 『BourbonStreet Blues』は、キャラものだと思うの。
ストーリー云々じゃないんだよね、ほんとのとこ。
主人公ジェフ@さららんのキャラクタに「かわいい〜〜!」と叫べれば、それでいいの。
アニメとかコミックとかと同じカテゴリ。
辻褄とか常識とか作劇の基本とか、そーゆーのは二の次。キャラクタが活きていればそれでヨシ。
もともとヅカ作品は「ストーリーもの」よりは「キャラもの」であるわけなんだが、そのなかでも特に『BourbonStreet Blues』はその色が濃い。
それくらい、他はさておきジェフのキャラだけで保ってる話なんだもんなあ。
つまりは、他が弱いってことだけど。
わたしはもともと、ジェフのようなキャラクタは好き。
あたりまえに他人に優しい、というキャラが好き。
物語の主人公って、自分に優しく他人に冷酷残酷無神経なのが定番だから。
たとえば『長崎しぐれ坂』とか、『花舞う長安』とか、『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』とか、『飛鳥夕映え』とか、『さすらいの果てに』とか、『それても船は行く』とか、『天の鼓』とか、『青い鳥を捜して』とか、『花供養』とか、『ジャワの踊り子』とか、『送られなかった手紙』とか、『天使の季節』とか。
途中で思い出すのがめんどーになったからやめるけど(笑)、みんな主人公は利己的で他人に残酷で無神経だよねえ。
そして基本的に、「利己的で他人に残酷で無神経 で は な い」として描かれてるよね(笑)。
言動はひどいもんなのにね。
ジェフは「やさしい」かわりに、「バカ」としても描かれている。
そしてこれは役者の持ち味なのか、「やさしい」よりも、「バカ」の方が目に余ってないか?
それがちと惜しい。
「やさしい」≧「バカ」になれば、男役としてさらにかっこいい役になったろうに。
ジェフは、演じ方を変えれば別人になる可能性のある役だと思った。
思春期の中学生にするか、純粋な大人の男にするか。いくらでも幅を作れそう。
さららんは中学生の男の子だったけど、他の人が演じればどうなるかな。
もっと上の学年の人がやれば。
リカちゃんが演じるジェフと、コム姫が演じるジェフと、ワタさんの演じるジェフは、みんな別人だろーなあ。見てみたいなあ(笑)。
セクスィーな大人の男のジェフ。クールなジェフ。アツいハートのジェフ。
あくまでも「大人」のジェフ。
タカラヅカの観客は「子ども」を観に来ているのではなく、「大人の男」を観に来ているわけだからなー。
女性が子役をやるのは、他の劇団でもあるもん。「大人の男」を演じるからこその、タカラヅカ。
さららんジェフは、そりゃーもー、かわいかったよ。大好きさ。
でもやっぱり疑問は残る。
さららんに。
そして、正塚に。
『BourbonStreet Blues』という大人っぽいタイトルの物語が、「中学生日記」になったのは、本意なのか? と。
キャラものだから、「ジェフかわいー。さららんかわいー」だけで、十分だとは思うけども。
さて、あとは女の子の話。
シンシア@れみちゃん、すげーかわいい。
わたしは相変わらず予備知識ナシで観に行っていたので、ヒロインが誰か、知らなかった。
シンシア登場以前の群舞で「あっ、あの子かわいー。華があるわー」と思った子がヒロインで、納得した。なるほど、あのいちばんスタイルが良くてかわいい子がヒロインだったのか! と。
そして、見事なまでの、正塚ヒロイン(笑)。
あの喋り方、演技、なにもかも「正調正塚節」だわ。すげー。
新人の若いヒロインには徹底して「正塚節」で喋らせるよね。ヅカ喋りは一切禁止ですか?
わたしは「正塚節」大好きなんで、シンシアのなにもかもがツボだった。
ヅカの娘役みたいなブリブリした喋り方を一切しない、ぶっきらぼうとも言える喋り方。
かーわーいーいー。
誰が出ているかも知らないまま観ていたので、紫水梗華ちゃんがばりばり踊っているのを見て、よろこんだ。
おおっ、フジコちゃんバウ組でしたかー。
役、ついてないのかなー。ずっとモブで踊ってるのかなー。
と、思っていたら。
ギャングのマダム役かいっ。……ぴったりだ(笑)。
納得の配役だわ。こわいわー。迫力だわー。
でもどーせなら、生前のギャング(名前忘れた)@嘉月さんと寄り添っているシーンが見たかった……迫力だろ? 嘉月絵理@すけべ中年ギャング仕様と、紫水梗華@好戦的セクシーワイルドねーちゃん、のカップルだぞ?
若いウチから、こんな役が似合ってしまうフジコちゃんの未来に乾杯!
ダンスシーンは、女の子たちの方がかっこよかった。
みっぽーちゃんとフジコちゃんががしがし踊っていると、なんて華やかなんでしょう。
あー、でもやっぱあたし、フジコちゃんのアゴが好きかも……。なにしてても、アゴに見とれてしまう……。
さて、後半日程の『BourbonStreet Blues』もたのしみだ。
☆
あ、そだ。
数日前の日記に、「かねすきさんのブログ」の話をしたからなのか、なんなのか。
「宝塚 かねすき」「かねすき」などの単語で検索している方が、ちらほらいらっしゃいました。
かねすきさんは、緑野ブログでのみの名前です。ご本人の名前ではありませんことよ。
だってねえ、わたし、リアル界の友人には内緒で日記書き出したんだもん。ずーっと秘密のはずだったんだもん。
次々バレちゃったけどさ。
かねすきさんにも、とーぜん内緒だったから。勝手に「かねすき」って名前をつけて、日記にも登場していただいてたのよ。
バレちゃったあとも、名前変えるのもナンだし。そのままですわよ。
てなわけで、たぶん、「かねすき」というHNで宝塚ブログをやってる人はいないんじゃないかな。いたとしても、それはわたしの「かねすきさん」じゃありません。
チェリさんは「み」さんのことだし、はなはなさんはRさんだし(あ、関係ないかな)、いろいろややこしいことをしています。
すんません。
ストーリー云々じゃないんだよね、ほんとのとこ。
主人公ジェフ@さららんのキャラクタに「かわいい〜〜!」と叫べれば、それでいいの。
アニメとかコミックとかと同じカテゴリ。
辻褄とか常識とか作劇の基本とか、そーゆーのは二の次。キャラクタが活きていればそれでヨシ。
もともとヅカ作品は「ストーリーもの」よりは「キャラもの」であるわけなんだが、そのなかでも特に『BourbonStreet Blues』はその色が濃い。
それくらい、他はさておきジェフのキャラだけで保ってる話なんだもんなあ。
つまりは、他が弱いってことだけど。
わたしはもともと、ジェフのようなキャラクタは好き。
あたりまえに他人に優しい、というキャラが好き。
物語の主人公って、自分に優しく他人に冷酷残酷無神経なのが定番だから。
たとえば『長崎しぐれ坂』とか、『花舞う長安』とか、『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』とか、『飛鳥夕映え』とか、『さすらいの果てに』とか、『それても船は行く』とか、『天の鼓』とか、『青い鳥を捜して』とか、『花供養』とか、『ジャワの踊り子』とか、『送られなかった手紙』とか、『天使の季節』とか。
途中で思い出すのがめんどーになったからやめるけど(笑)、みんな主人公は利己的で他人に残酷で無神経だよねえ。
そして基本的に、「利己的で他人に残酷で無神経 で は な い」として描かれてるよね(笑)。
言動はひどいもんなのにね。
ジェフは「やさしい」かわりに、「バカ」としても描かれている。
そしてこれは役者の持ち味なのか、「やさしい」よりも、「バカ」の方が目に余ってないか?
それがちと惜しい。
「やさしい」≧「バカ」になれば、男役としてさらにかっこいい役になったろうに。
ジェフは、演じ方を変えれば別人になる可能性のある役だと思った。
思春期の中学生にするか、純粋な大人の男にするか。いくらでも幅を作れそう。
さららんは中学生の男の子だったけど、他の人が演じればどうなるかな。
もっと上の学年の人がやれば。
リカちゃんが演じるジェフと、コム姫が演じるジェフと、ワタさんの演じるジェフは、みんな別人だろーなあ。見てみたいなあ(笑)。
セクスィーな大人の男のジェフ。クールなジェフ。アツいハートのジェフ。
あくまでも「大人」のジェフ。
タカラヅカの観客は「子ども」を観に来ているのではなく、「大人の男」を観に来ているわけだからなー。
女性が子役をやるのは、他の劇団でもあるもん。「大人の男」を演じるからこその、タカラヅカ。
さららんジェフは、そりゃーもー、かわいかったよ。大好きさ。
でもやっぱり疑問は残る。
さららんに。
そして、正塚に。
『BourbonStreet Blues』という大人っぽいタイトルの物語が、「中学生日記」になったのは、本意なのか? と。
キャラものだから、「ジェフかわいー。さららんかわいー」だけで、十分だとは思うけども。
さて、あとは女の子の話。
シンシア@れみちゃん、すげーかわいい。
わたしは相変わらず予備知識ナシで観に行っていたので、ヒロインが誰か、知らなかった。
シンシア登場以前の群舞で「あっ、あの子かわいー。華があるわー」と思った子がヒロインで、納得した。なるほど、あのいちばんスタイルが良くてかわいい子がヒロインだったのか! と。
そして、見事なまでの、正塚ヒロイン(笑)。
あの喋り方、演技、なにもかも「正調正塚節」だわ。すげー。
新人の若いヒロインには徹底して「正塚節」で喋らせるよね。ヅカ喋りは一切禁止ですか?
わたしは「正塚節」大好きなんで、シンシアのなにもかもがツボだった。
ヅカの娘役みたいなブリブリした喋り方を一切しない、ぶっきらぼうとも言える喋り方。
かーわーいーいー。
誰が出ているかも知らないまま観ていたので、紫水梗華ちゃんがばりばり踊っているのを見て、よろこんだ。
おおっ、フジコちゃんバウ組でしたかー。
役、ついてないのかなー。ずっとモブで踊ってるのかなー。
と、思っていたら。
ギャングのマダム役かいっ。……ぴったりだ(笑)。
納得の配役だわ。こわいわー。迫力だわー。
でもどーせなら、生前のギャング(名前忘れた)@嘉月さんと寄り添っているシーンが見たかった……迫力だろ? 嘉月絵理@すけべ中年ギャング仕様と、紫水梗華@好戦的セクシーワイルドねーちゃん、のカップルだぞ?
若いウチから、こんな役が似合ってしまうフジコちゃんの未来に乾杯!
ダンスシーンは、女の子たちの方がかっこよかった。
みっぽーちゃんとフジコちゃんががしがし踊っていると、なんて華やかなんでしょう。
あー、でもやっぱあたし、フジコちゃんのアゴが好きかも……。なにしてても、アゴに見とれてしまう……。
さて、後半日程の『BourbonStreet Blues』もたのしみだ。
☆
あ、そだ。
数日前の日記に、「かねすきさんのブログ」の話をしたからなのか、なんなのか。
「宝塚 かねすき」「かねすき」などの単語で検索している方が、ちらほらいらっしゃいました。
かねすきさんは、緑野ブログでのみの名前です。ご本人の名前ではありませんことよ。
だってねえ、わたし、リアル界の友人には内緒で日記書き出したんだもん。ずーっと秘密のはずだったんだもん。
次々バレちゃったけどさ。
かねすきさんにも、とーぜん内緒だったから。勝手に「かねすき」って名前をつけて、日記にも登場していただいてたのよ。
バレちゃったあとも、名前変えるのもナンだし。そのままですわよ。
てなわけで、たぶん、「かねすき」というHNで宝塚ブログをやってる人はいないんじゃないかな。いたとしても、それはわたしの「かねすきさん」じゃありません。
チェリさんは「み」さんのことだし、はなはなさんはRさんだし(あ、関係ないかな)、いろいろややこしいことをしています。
すんません。
彼と彼のコントラスト。@BourbonStreet Blues
2005年7月23日 タカラヅカ あれは、ドラマシティの『睡れる月』を観たあとだった。
もずえさんと、初対面のパクちゃんと、わたしの3人で乾杯をした。
そのときの、乾杯の音頭が。
「さららんエルマーに、乾杯!」
ちょっと待て。
わしらが観たのは『睡れる月』だってば。『睡れる月』にさららんエルマー出てないから!
「いいんじゃないですか、ちょうど3人だし」
「そうか、ハンガリーの革命家トリオねっ」
と、わたしとパクちゃんが言っていると、
「じゃ、あたしはツェップスで!」
もずえさんが真顔で言う。
ちょっと待て。
ツェップスはチガウから。革命家トリオのウチじゃないから。
「やだー、絶対ツェップス〜〜!!」
それじゃ4人になっちゃうじゃん。わたしら、3人しかいないのに。
3人だから、3人組にちなんで乾杯! という理由がつかなくなる。
でもそれは、すぐに解決した。
「じゃあ、そこの空いている席がめおちゃんジュラということで」
「あっ、透明人間なのね」
「さすがめおちゃん」
なんの説明も必要なく、革命家トリオでもっとも存在感のないめおちゃんジュラが、空席扱いとなった。
さららんエルマー、大好きだったよ……。
みんなみんな、アツいアツい彼を、熱すぎてどっかまちがったまま暴走している彼を、まったりと愛していたよ。
そしてそんなエルマーを顧みず、やはり勝手にかっこつけてるマイペースほっくんシュテファンと、すっかり引率の先生のようだった越リュウツェップスも大好きだった。
集合写真の撮影日に欠席し、アルバムでは別枠で顔だけ掲載、「あれ? あいつあんとき休んでたっけ?」「えー、おぼえてないー」とかクラスメイトに言われていそうな、そんな存在感のないめおちゃんジュラも、ツボでしたよ(笑)。
『BourbonStreet Blues』は、なんとももどかしい物語だ。
とくに1幕は、先が見えない。
はらはらドキドキ、先が見えないおもしろさ! というのではなく、「この話、どこへ行くんだろう、なにがしたいんだろう」という先の見えなさだ。
それはそのまま、主人公ジェフ@さららんの生き方とシンクロしている。
なにをしたいのか、なにができるのかわからない。あっちふらふら、こっちふらふら、なにも考えていない男の子なので、流されるまま。
そのジェフの流される目線まんまに物語も進む。
この冗長さは、ジェフの一人称では間が持たないってことだ。
「なにがしたいかわからない」と流されているだけの子の一人称じゃあ、焦点がぼやけるよ。
強力な楔が必要だったな。
ジェフがふらふらして「俺は悪くない」とか言ってる横で、きちんと自分の役割と意識を持っているキャラクタの物語を展開させるべきだったなと。
たぶんそれは、デイモン@めおちゃんの役目だ。
主人公ひとりじゃ弱い場合、ライバルを立たせる。そしてふたりのコントラストで物語を進める。
今はギャングに飼われているちんぴらでしかないが、いずれこの世界でのし上がってやる、と思ってメラメラしている男、とかゆー位置づけでライバルキャラを立たせる。
なにをすればいいのかわからない主人公と、自分の道を歩いているライバル。
そしてひょんなことから、なーんにも考えてない主人公が、ギャングのボスに気に入られてしまう。ライバル、ショ〜ック! 地道にやってきた俺がいつまでも使い走りで、なにも考えてないあいつがいきなり運転手?
嫉妬メラメラ、天才に対する努力する凡人の図。
ギャングの世界に入っても、やっぱり主人公は「俺、これでいいのかなー」とのんきに首を傾げているし。
ジェフの性格も立ち位置も物語の流れも、全部そのままでいいから、デイモンの比重を上げようよ。
ジェフに対し、不穏な気持ちを持っている存在が見え隠れするだけで、緊張感が高まるから。このままですむはずがない、とあちこちで思わせるだけで、のちの物語への「引き」になるから。
あのわけのわからないDJはいらないから。
ものすげー「とってつけた感」があるんだよな、DJ。
わたしもやったことあるよ、あーゆーの。書いた文章がどうにもしまらない、冗長になってしまったときに、本文と関係ない思わせぶりな文章を要所要所に置くの。思わせぶりな詩とか韻を踏んだ言葉とか。そーやって、中身が薄いのを誤魔化すのな。テクニックとして、重宝してるよ。
でも、『BourbonStreet Blues』に関しては、あまりにとってつけたのがわかりすぎて、失敗してるよ。
DJを使うくらいなら、デイモンをもっとちゃんと書き込めばよかったのに。
彼を「楔」として、物語を引き締めれば良かったのに。
2幕は物語が動いてるからいいけど、1幕はだらけすぎてるよー。
エピソードも展開もいいから、あとはただ要所で「ぴしっ」と締める存在があればよかったんだよなー。
もっとも。
デイモンがめおちゃんである以上、そーゆー役割は無理かなとも思う。
ああ……。
めおちゃんはどーして、あんなにちんぴらが似合わないのでしょう……。
金属ジャラジャラ系のそれらしい格好をしているのに、ものすごく浮いてる……らしくない……。
そして、「いい人」なのが、透けて見える。
めおちゃんに似合う役は、きれいでやさしい人の役なんだろうな。真面目な貴公子とか。
悪役をやるにしても、とにかく上品な役でないと。
あんなにきれいなのに。
美貌をちっとも活かせてない。
もったいないなー(持ち味がかしげとかぶるなー)。
ジェフを描く際、彼になにが出来てなにが出来ないのかを、もっと明確にしてくれればなお良かったのになとは思う。
「車のことなら負けない」らしいが、ソレが出てくるの、ラストの台詞でだから。ものすげー唐突。あとづけ設定みたい。
最初から、「腕っ節の強さは神」とか「車に関してはかなりヲタク」とか、エピソードに絡ませればいいのに。
腕っ節については、ケンカがきっかけになって物語が進んでいるけど、どれほど強いのかをわからせてほしかった。
とゆーのも、やっぱりケンカシーンがどんくさくて、強そうに見えないんだわ。ジェフもそうだが、相手もあまりにヘボそうで。
ジェフが強いのか、たんに相手がバカで弱いヤツばっかだったのか、判断に困るよ(笑)。
ものすごーくケンカが強くて、度胸もいい。ドライビング・テクニックも超A級。……というなら、not学歴の男社会ではかなり優位に立てるはずなんだが、そのへんは触れられてないし。
ジェフの特技と、それを重要に思っていない現状を、エピソードで本編に活かしたらもっとクリアになったのに。
とはいえ、ジェフというキャラクタの描き方は、あれでいいけどなー。
あの幼さは、アリだと思う。
シンシア@れみちゃんとの、かわいい恋人ぶりも。
わたしは好きよ。
キャラクタも、物語も。
だからこそ、冗長さがもったいなくて。
もずえさんと、初対面のパクちゃんと、わたしの3人で乾杯をした。
そのときの、乾杯の音頭が。
「さららんエルマーに、乾杯!」
ちょっと待て。
わしらが観たのは『睡れる月』だってば。『睡れる月』にさららんエルマー出てないから!
「いいんじゃないですか、ちょうど3人だし」
「そうか、ハンガリーの革命家トリオねっ」
と、わたしとパクちゃんが言っていると、
「じゃ、あたしはツェップスで!」
もずえさんが真顔で言う。
ちょっと待て。
ツェップスはチガウから。革命家トリオのウチじゃないから。
「やだー、絶対ツェップス〜〜!!」
それじゃ4人になっちゃうじゃん。わたしら、3人しかいないのに。
3人だから、3人組にちなんで乾杯! という理由がつかなくなる。
でもそれは、すぐに解決した。
「じゃあ、そこの空いている席がめおちゃんジュラということで」
「あっ、透明人間なのね」
「さすがめおちゃん」
なんの説明も必要なく、革命家トリオでもっとも存在感のないめおちゃんジュラが、空席扱いとなった。
さららんエルマー、大好きだったよ……。
みんなみんな、アツいアツい彼を、熱すぎてどっかまちがったまま暴走している彼を、まったりと愛していたよ。
そしてそんなエルマーを顧みず、やはり勝手にかっこつけてるマイペースほっくんシュテファンと、すっかり引率の先生のようだった越リュウツェップスも大好きだった。
集合写真の撮影日に欠席し、アルバムでは別枠で顔だけ掲載、「あれ? あいつあんとき休んでたっけ?」「えー、おぼえてないー」とかクラスメイトに言われていそうな、そんな存在感のないめおちゃんジュラも、ツボでしたよ(笑)。
『BourbonStreet Blues』は、なんとももどかしい物語だ。
とくに1幕は、先が見えない。
はらはらドキドキ、先が見えないおもしろさ! というのではなく、「この話、どこへ行くんだろう、なにがしたいんだろう」という先の見えなさだ。
それはそのまま、主人公ジェフ@さららんの生き方とシンクロしている。
なにをしたいのか、なにができるのかわからない。あっちふらふら、こっちふらふら、なにも考えていない男の子なので、流されるまま。
そのジェフの流される目線まんまに物語も進む。
この冗長さは、ジェフの一人称では間が持たないってことだ。
「なにがしたいかわからない」と流されているだけの子の一人称じゃあ、焦点がぼやけるよ。
強力な楔が必要だったな。
ジェフがふらふらして「俺は悪くない」とか言ってる横で、きちんと自分の役割と意識を持っているキャラクタの物語を展開させるべきだったなと。
たぶんそれは、デイモン@めおちゃんの役目だ。
主人公ひとりじゃ弱い場合、ライバルを立たせる。そしてふたりのコントラストで物語を進める。
今はギャングに飼われているちんぴらでしかないが、いずれこの世界でのし上がってやる、と思ってメラメラしている男、とかゆー位置づけでライバルキャラを立たせる。
なにをすればいいのかわからない主人公と、自分の道を歩いているライバル。
そしてひょんなことから、なーんにも考えてない主人公が、ギャングのボスに気に入られてしまう。ライバル、ショ〜ック! 地道にやってきた俺がいつまでも使い走りで、なにも考えてないあいつがいきなり運転手?
嫉妬メラメラ、天才に対する努力する凡人の図。
ギャングの世界に入っても、やっぱり主人公は「俺、これでいいのかなー」とのんきに首を傾げているし。
ジェフの性格も立ち位置も物語の流れも、全部そのままでいいから、デイモンの比重を上げようよ。
ジェフに対し、不穏な気持ちを持っている存在が見え隠れするだけで、緊張感が高まるから。このままですむはずがない、とあちこちで思わせるだけで、のちの物語への「引き」になるから。
あのわけのわからないDJはいらないから。
ものすげー「とってつけた感」があるんだよな、DJ。
わたしもやったことあるよ、あーゆーの。書いた文章がどうにもしまらない、冗長になってしまったときに、本文と関係ない思わせぶりな文章を要所要所に置くの。思わせぶりな詩とか韻を踏んだ言葉とか。そーやって、中身が薄いのを誤魔化すのな。テクニックとして、重宝してるよ。
でも、『BourbonStreet Blues』に関しては、あまりにとってつけたのがわかりすぎて、失敗してるよ。
DJを使うくらいなら、デイモンをもっとちゃんと書き込めばよかったのに。
彼を「楔」として、物語を引き締めれば良かったのに。
2幕は物語が動いてるからいいけど、1幕はだらけすぎてるよー。
エピソードも展開もいいから、あとはただ要所で「ぴしっ」と締める存在があればよかったんだよなー。
もっとも。
デイモンがめおちゃんである以上、そーゆー役割は無理かなとも思う。
ああ……。
めおちゃんはどーして、あんなにちんぴらが似合わないのでしょう……。
金属ジャラジャラ系のそれらしい格好をしているのに、ものすごく浮いてる……らしくない……。
そして、「いい人」なのが、透けて見える。
めおちゃんに似合う役は、きれいでやさしい人の役なんだろうな。真面目な貴公子とか。
悪役をやるにしても、とにかく上品な役でないと。
あんなにきれいなのに。
美貌をちっとも活かせてない。
もったいないなー(持ち味がかしげとかぶるなー)。
ジェフを描く際、彼になにが出来てなにが出来ないのかを、もっと明確にしてくれればなお良かったのになとは思う。
「車のことなら負けない」らしいが、ソレが出てくるの、ラストの台詞でだから。ものすげー唐突。あとづけ設定みたい。
最初から、「腕っ節の強さは神」とか「車に関してはかなりヲタク」とか、エピソードに絡ませればいいのに。
腕っ節については、ケンカがきっかけになって物語が進んでいるけど、どれほど強いのかをわからせてほしかった。
とゆーのも、やっぱりケンカシーンがどんくさくて、強そうに見えないんだわ。ジェフもそうだが、相手もあまりにヘボそうで。
ジェフが強いのか、たんに相手がバカで弱いヤツばっかだったのか、判断に困るよ(笑)。
ものすごーくケンカが強くて、度胸もいい。ドライビング・テクニックも超A級。……というなら、not学歴の男社会ではかなり優位に立てるはずなんだが、そのへんは触れられてないし。
ジェフの特技と、それを重要に思っていない現状を、エピソードで本編に活かしたらもっとクリアになったのに。
とはいえ、ジェフというキャラクタの描き方は、あれでいいけどなー。
あの幼さは、アリだと思う。
シンシア@れみちゃんとの、かわいい恋人ぶりも。
わたしは好きよ。
キャラクタも、物語も。
だからこそ、冗長さがもったいなくて。
続・カップリングの話。−腐女子注意報−@BourbonStreet Blues
2005年7月22日 タカラヅカ えええぇっ?!
やほひ友のかねすきさんが、自分のブログでゆーてます。
「ロッシ×バレンチノでもいけるわよ」と。
バレンチノですか!!
作中でゴリラとか呼ばれてませんでした?
月バウ『BourbonStreet Blues』千秋楽行ってきました。
いやあ、今回のバウは、たいへんでした。チケットさばくのが。わかってたのよ、友会入力したら、絶対当たるだろうって。ダブったら悲惨なことになるって。さばくのは至難の業だって。
わかってても、あえて試練の道を突き進みました。
さららんへのご祝儀だと思って!! ついでに、正塚せんせーへのエールだと思って!!
最近わたしは、定価ではさばけないチケットを抱え込みがちだわ……。負け犬ハート。
なにはともあれ、千秋楽おめでとー。熱い舞台でした。
初日といい、わたしはさららんの アタマの悪そうな アツい挨拶をナマで聞くために行っているのよ。
新公のときにしみじみ思ったんだけど、彼の挨拶はライヴで聞かなきゃダメなのよ。あとで映像で見たり、文字で読んだりしちゃダメ。 んなことしたら引いちゃうって 劇場で熱気の中で聞かなきゃ意味ないの。
揚げ足を取られないよーに、差し障りのないことだけ言っておしまい、な優等生挨拶じゃなく、ほんとーに「自分の言葉」で話しているのが好き。
まっ、さららんは置いておいて(えっ、主役なのに?!)、冒頭の話題、ロッシ@龍真咲とバレンチノ@五十鈴ひかり。
わたしも、初日見たときに、一瞬だけ、ソレもアリかなと思った。一瞬だけね。
次に出てきたときに、「あり得ないわ」と思ったけど。
ギャングでコンビだったら、萌えそうなもんだけど、ダメよ萌えない。チガウのよ、わたし的に。
まだ同じギャグ・ギャング・コンビでも、『SLAPSTICK』の方が萌えたわ……(また古い話を)。
たぶんわたし的に、バレンチノよりロッシがネックだと思う。
ゴリラくんより、あのうさんくさいヒゲ・ダンディが萌えないのよ(笑)。キャラクタとしては大好きだけど。
真咲は、ロッシよりも、1幕に出てきたインターンの方が萌える。
初日の感想でも、ちらりと書いたが。
ジェフ@さららんに立場のちがいを思い知らす、罪なきセレブたちのひとり。役名はロバートであってる? プログラム買ってないからわからん。
わざとか? ってくらい、うさんくさいよな、ジャガーに乗るインターン。
雰囲気と話題についていけないジェフを気遣っているのか、あるいはいぢめているのか、肩抱くし。
ジェフが身の置きどころなさそーなのがまた、ツボ。
いいぞ、ロバート。その親切くさいえせフレンドリーな態度がたまらん。
なまじさわやかに美青年してるだけに……。
そーだなー、ジェラルド@えりりん×ジェフ@さららんにはいまいち萌えんが、ロバート×ジェフなら萌えるかも。
そのハートは、さららんをいぢめたいからだろう。
ジェラルドさんいい人だから、ジェフのこと愛して甘やかすだけで、王道のあまあまBLっぽくて、好みじゃないんだわ。
わたしはヘタレて泣いてる月船さららが好きなので、攻は鬼畜な方がいいの。
鬼畜セレブで手の早いロバートなら、攻として申し分ないわ。
んじゃ、そーゆーことで。(結論?)
まともな『BourbonStreet Blues』感想は、またいずれ。(←まともでない自覚はあるらしい)
やほひ友のかねすきさんが、自分のブログでゆーてます。
「ロッシ×バレンチノでもいけるわよ」と。
バレンチノですか!!
作中でゴリラとか呼ばれてませんでした?
月バウ『BourbonStreet Blues』千秋楽行ってきました。
いやあ、今回のバウは、たいへんでした。チケットさばくのが。わかってたのよ、友会入力したら、絶対当たるだろうって。ダブったら悲惨なことになるって。さばくのは至難の業だって。
わかってても、あえて試練の道を突き進みました。
さららんへのご祝儀だと思って!! ついでに、正塚せんせーへのエールだと思って!!
最近わたしは、定価ではさばけないチケットを抱え込みがちだわ……。負け犬ハート。
なにはともあれ、千秋楽おめでとー。熱い舞台でした。
初日といい、わたしはさららんの
新公のときにしみじみ思ったんだけど、彼の挨拶はライヴで聞かなきゃダメなのよ。あとで映像で見たり、文字で読んだりしちゃダメ。
揚げ足を取られないよーに、差し障りのないことだけ言っておしまい、な優等生挨拶じゃなく、ほんとーに「自分の言葉」で話しているのが好き。
まっ、さららんは置いておいて(えっ、主役なのに?!)、冒頭の話題、ロッシ@龍真咲とバレンチノ@五十鈴ひかり。
わたしも、初日見たときに、一瞬だけ、ソレもアリかなと思った。一瞬だけね。
次に出てきたときに、「あり得ないわ」と思ったけど。
ギャングでコンビだったら、萌えそうなもんだけど、ダメよ萌えない。チガウのよ、わたし的に。
まだ同じギャグ・ギャング・コンビでも、『SLAPSTICK』の方が萌えたわ……(また古い話を)。
たぶんわたし的に、バレンチノよりロッシがネックだと思う。
ゴリラくんより、あのうさんくさいヒゲ・ダンディが萌えないのよ(笑)。キャラクタとしては大好きだけど。
真咲は、ロッシよりも、1幕に出てきたインターンの方が萌える。
初日の感想でも、ちらりと書いたが。
ジェフ@さららんに立場のちがいを思い知らす、罪なきセレブたちのひとり。役名はロバートであってる? プログラム買ってないからわからん。
わざとか? ってくらい、うさんくさいよな、ジャガーに乗るインターン。
雰囲気と話題についていけないジェフを気遣っているのか、あるいはいぢめているのか、肩抱くし。
ジェフが身の置きどころなさそーなのがまた、ツボ。
いいぞ、ロバート。その親切くさいえせフレンドリーな態度がたまらん。
なまじさわやかに美青年してるだけに……。
そーだなー、ジェラルド@えりりん×ジェフ@さららんにはいまいち萌えんが、ロバート×ジェフなら萌えるかも。
そのハートは、さららんをいぢめたいからだろう。
ジェラルドさんいい人だから、ジェフのこと愛して甘やかすだけで、王道のあまあまBLっぽくて、好みじゃないんだわ。
わたしはヘタレて泣いてる月船さららが好きなので、攻は鬼畜な方がいいの。
鬼畜セレブで手の早いロバートなら、攻として申し分ないわ。
んじゃ、そーゆーことで。(結論?)
まともな『BourbonStreet Blues』感想は、またいずれ。(←まともでない自覚はあるらしい)
パソコン立ち上げたまま、本の整理をしていたら、パソがいつの間にかオチてた……。
たしかわたし、DVDのタイトルと、押し入れ、どこになにをしまったか、エクセルでメモりながらやってたんだけど……オチてるよ、影も形もないよ。
がっくり。
増え続けるヅカ関連書籍に埋もれながら、
「どうあがいても、収納スペースが足りない……努力とか工夫以前に、物理的に不可能だ……」
と、途方に暮れつつ、気分を変えるためにヲタクな話でもしよう。
ただいま上演中作品の、わたし的カップリング。
大劇の『霧のミラノ』は、ロレンツォ@コム姫×カールハインツ@かしげで。
いやあ、最近わたしのコム姫はめっきり攻キャラですな。昔は魔性の受だと思って愛でてたけど。コム姫受(作品パロっす)で同人誌作ったなあ(遠い目)。
トシくって受になる人が多い中、攻に成長する人はめずらしい。コム姫素敵。
反対に、かっしーにはもう、期待するのをやめてしまった気がする(笑)。受でいいよ、あんた。その方が世のためだ。
役によっては、ヘタレ攻とか懇願攻とか勢い攻とか(どれもろくなもんぢゃねーな)にはなれるんだけどねー。マジな役だと、マジな分だけ女々しくなる、かわいいヤツ(笑)。
ロレンツォに夢中なカール。相手にされなくても、食い下がって食らいついて、がんばって1回くらいはなだれこんでください。
それでも、いかなるときにもカールはお嬢さんぶってスカシててください。捕獲されて拒否権のないロレンツォに迫って、無理矢理やらせたくせに、「私は卑劣な人間にはなりたくない」とか言ってかっこつけててください。それなら萌えます(笑)。
水くんは今回、ホモカップリングはナシ。素直に女といちゃついててください。
『ワンダーランド』の「白鯨」は……。
カップリングを考えると、こわいことになってしまう……。
水とハマコとまちかで、どうしろと……や、やはりまちか受なんですか?(涙目)←いや、誰も聞いてないから!!
新人公演『霧のミラノ』では、本公演と逆転して、カールハインツ@オヅキ×ロレンツォ@かなめで。
GO! GO! オヅキ!!
あ、新公はもひとつカップリング、カールハインツ@オヅキ×クリスチャン@せしる。こちらは完璧せしるの片想いで(笑)。
ロレンツォを恋敵と認識し、目の敵にするへなちょこクリスチャン。きゃんきゃん吠えるだけの無能なかわいこちゃん。カールはカケラも相手にしてない。
え、アマンダちゃん? ありゃ恋に恋してるだけですよ。本命は少佐殿ですってば。
梅芸『Ernest in Love』では、アルジャノン@きりやん×アーネスト@あさこで。
弟攻の兄受。定番ですな(笑)。
てゆーかきりやん、マジかっこいーんですが。
なんかひさびさにきりやん萌えしてます。「大人」であるあたりが、たまりません。性格悪そうなところも、たまりません。
その大人で性格悪そうなところで、さくっと悪のりしてアーネストをやっちゃってください。ぜんぜん悪びれることなく、たのしんでくれるでしょう。
わたし的にきりやんは攻キャラなので、いつも攻として愛でています。昔、きりやん攻(作品パロっす)で同人誌作ったなあ(遠い目)。
反対にあさちゃんは受キャラとして、まったり見守ってます(笑)。性格よさそーなところも、大変おいしいです。
実は真面目なアーネスト、うっかりアルジに押し倒されて、盛大に悩んでください。
バウ『BourbonStreet Blues』は、正直ぜんぜん萌えないんですが、あえて言うならジェラルド@嘉月さん×ジェフ@さららんで。
嘉月さんはめっちゃいい仕事してるんだけど、さららんがなあ。惜しいなあ。
わたし、ショタ趣味ないから、子どもには萌えなくて……。
明日観に行くから、もうちょい大人びてくれているといいんだけど。
後半日程のほっくんに期待。萌えさせてくれよっ、脚本はおいしいんだからさ。
そして東宝の『長崎しぐれ坂』では、説明するのも虚しいが、卯之助@ワタル×伊佐次@トドで。
トド様は若いころ、ばりばりの攻キャラだった。それもやんちゃ攻というやつだ。それがトシを取るにつれ、受度が増してゆき、「このまま受キャラ定着か?」と危惧した頃に専科へ行き、「俺は攻キャラだ」と属性を自覚した。自覚は強いね、以来ちゃんと攻に戻ってきた。
……なのに、ここで受やっちゃいますか……しばらく攻ばっかやってたから、どーにもおさまりが悪いというか、むずがゆいというか……いや、いいんだけどね。
ワタさんは最近受っぽくなってるけど、ここは攻として踏ん張って。
バトラー@トド×アシュレ@ワタルには萌えたんだけど、伊佐次と卯之助はなあ、微妙だなあ。
『ソウル・オブ・シバ!』のレーク@ワタルって、受キャラだよね?
ただ、相手がなー。シバ@トドってのは、萌えないんだよなー。
やはりここは、オーキッド@トウコにがんばってもらうしかない? でも、オーキッドは受の方が萌えだなー。
いい攻がいないよなあ。スタン@しいちゃんはチガウしなー。
ああっ、ここにケロがいれば……!!(いれば、なんだったと言うんだ)
まあ、そんな感じで。
深くは考えないで、スルーよろしく。
たしかわたし、DVDのタイトルと、押し入れ、どこになにをしまったか、エクセルでメモりながらやってたんだけど……オチてるよ、影も形もないよ。
がっくり。
増え続けるヅカ関連書籍に埋もれながら、
「どうあがいても、収納スペースが足りない……努力とか工夫以前に、物理的に不可能だ……」
と、途方に暮れつつ、気分を変えるためにヲタクな話でもしよう。
ただいま上演中作品の、わたし的カップリング。
大劇の『霧のミラノ』は、ロレンツォ@コム姫×カールハインツ@かしげで。
いやあ、最近わたしのコム姫はめっきり攻キャラですな。昔は魔性の受だと思って愛でてたけど。コム姫受(作品パロっす)で同人誌作ったなあ(遠い目)。
トシくって受になる人が多い中、攻に成長する人はめずらしい。コム姫素敵。
反対に、かっしーにはもう、期待するのをやめてしまった気がする(笑)。受でいいよ、あんた。その方が世のためだ。
役によっては、ヘタレ攻とか懇願攻とか勢い攻とか(どれもろくなもんぢゃねーな)にはなれるんだけどねー。マジな役だと、マジな分だけ女々しくなる、かわいいヤツ(笑)。
ロレンツォに夢中なカール。相手にされなくても、食い下がって食らいついて、がんばって1回くらいはなだれこんでください。
それでも、いかなるときにもカールはお嬢さんぶってスカシててください。捕獲されて拒否権のないロレンツォに迫って、無理矢理やらせたくせに、「私は卑劣な人間にはなりたくない」とか言ってかっこつけててください。それなら萌えます(笑)。
水くんは今回、ホモカップリングはナシ。素直に女といちゃついててください。
『ワンダーランド』の「白鯨」は……。
カップリングを考えると、こわいことになってしまう……。
水とハマコとまちかで、どうしろと……や、やはりまちか受なんですか?(涙目)←いや、誰も聞いてないから!!
新人公演『霧のミラノ』では、本公演と逆転して、カールハインツ@オヅキ×ロレンツォ@かなめで。
GO! GO! オヅキ!!
あ、新公はもひとつカップリング、カールハインツ@オヅキ×クリスチャン@せしる。こちらは完璧せしるの片想いで(笑)。
ロレンツォを恋敵と認識し、目の敵にするへなちょこクリスチャン。きゃんきゃん吠えるだけの無能なかわいこちゃん。カールはカケラも相手にしてない。
え、アマンダちゃん? ありゃ恋に恋してるだけですよ。本命は少佐殿ですってば。
梅芸『Ernest in Love』では、アルジャノン@きりやん×アーネスト@あさこで。
弟攻の兄受。定番ですな(笑)。
てゆーかきりやん、マジかっこいーんですが。
なんかひさびさにきりやん萌えしてます。「大人」であるあたりが、たまりません。性格悪そうなところも、たまりません。
その大人で性格悪そうなところで、さくっと悪のりしてアーネストをやっちゃってください。ぜんぜん悪びれることなく、たのしんでくれるでしょう。
わたし的にきりやんは攻キャラなので、いつも攻として愛でています。昔、きりやん攻(作品パロっす)で同人誌作ったなあ(遠い目)。
反対にあさちゃんは受キャラとして、まったり見守ってます(笑)。性格よさそーなところも、大変おいしいです。
実は真面目なアーネスト、うっかりアルジに押し倒されて、盛大に悩んでください。
バウ『BourbonStreet Blues』は、正直ぜんぜん萌えないんですが、あえて言うならジェラルド@嘉月さん×ジェフ@さららんで。
嘉月さんはめっちゃいい仕事してるんだけど、さららんがなあ。惜しいなあ。
わたし、ショタ趣味ないから、子どもには萌えなくて……。
明日観に行くから、もうちょい大人びてくれているといいんだけど。
後半日程のほっくんに期待。萌えさせてくれよっ、脚本はおいしいんだからさ。
そして東宝の『長崎しぐれ坂』では、説明するのも虚しいが、卯之助@ワタル×伊佐次@トドで。
トド様は若いころ、ばりばりの攻キャラだった。それもやんちゃ攻というやつだ。それがトシを取るにつれ、受度が増してゆき、「このまま受キャラ定着か?」と危惧した頃に専科へ行き、「俺は攻キャラだ」と属性を自覚した。自覚は強いね、以来ちゃんと攻に戻ってきた。
……なのに、ここで受やっちゃいますか……しばらく攻ばっかやってたから、どーにもおさまりが悪いというか、むずがゆいというか……いや、いいんだけどね。
ワタさんは最近受っぽくなってるけど、ここは攻として踏ん張って。
バトラー@トド×アシュレ@ワタルには萌えたんだけど、伊佐次と卯之助はなあ、微妙だなあ。
『ソウル・オブ・シバ!』のレーク@ワタルって、受キャラだよね?
ただ、相手がなー。シバ@トドってのは、萌えないんだよなー。
やはりここは、オーキッド@トウコにがんばってもらうしかない? でも、オーキッドは受の方が萌えだなー。
いい攻がいないよなあ。スタン@しいちゃんはチガウしなー。
ああっ、ここにケロがいれば……!!(いれば、なんだったと言うんだ)
まあ、そんな感じで。
深くは考えないで、スルーよろしく。
安心したいの。@スパークヒップス。
2005年7月19日 タカラヅカ スパークヒップスのこと、どなたかご存じないですか?
少し前からHPが見られなくなってるんだけど、「たんにオチてるだけよね〜〜」と気にしないまま、時は流れ。
そろそろ復活してるだろ、と思って見に行ったら、やっぱり「ページを表示できません」のまま。
URLが変わったのかな、とググッてみても、ヒットするのは古い情報ばかり。
まさか、倒産したりなんだり、してないよね?
いつもとってもやばそう、と思いつつも、少しずつだがHPもまともになっていったし、くるみちゃんという専属タレントもいることだし、やる気だよね、大丈夫だよね、と見守っていたんだが。
わたしが知らないだけで、ちゃんとどこかにHPもあって(もしくは今たまたまオチているだけで)、活動してるんだよね?
なにか情報あったら教えてください。
少し前からHPが見られなくなってるんだけど、「たんにオチてるだけよね〜〜」と気にしないまま、時は流れ。
そろそろ復活してるだろ、と思って見に行ったら、やっぱり「ページを表示できません」のまま。
URLが変わったのかな、とググッてみても、ヒットするのは古い情報ばかり。
まさか、倒産したりなんだり、してないよね?
いつもとってもやばそう、と思いつつも、少しずつだがHPもまともになっていったし、くるみちゃんという専属タレントもいることだし、やる気だよね、大丈夫だよね、と見守っていたんだが。
わたしが知らないだけで、ちゃんとどこかにHPもあって(もしくは今たまたまオチているだけで)、活動してるんだよね?
なにか情報あったら教えてください。
去年の夏は、まだあの人がいた。@ケロ・シック
2005年7月18日 タカラヅカ ホームシック
《homesicknessから》故郷や家庭を懐かしみ、異常に恋しがる気持ち。郷愁。懐郷病。
シック【sick】
病気であること。
しっ‐く【疾苦】
1 病気で苦しむこと。病苦。
2 悩み苦しむこと。難儀。
Yahoo!辞書 から、まんまコピペ。
ケロちゃんのDVDは、ぜんぜん見ていません。
らすと・でー、だとか、てんだー・はーと、だとか、ひすとりー、だとか。
手元にはあります。
ありますとも。みんな、ありがとう。FCに入っていないわたしも、ちゃんと手にすることができました。
でも、ダメなんだ。
なんか、見られないんだ。
そんなもん見たら、泣いちゃうだろぉ?
また、日常生活に支障が出るだろぉ?
今現在、不意に「汐美真帆」関連のことを教えられたら、見せられたら、考えたら、感じたら、ボロボロに泣いちゃうって!!
今はとりあえず、あまり考えないよーにして、生きてます。
日常に萌えと幸福をさがして!生きてます。
ケロちゃん、しあわせでいてください。
それだけだ。
《homesicknessから》故郷や家庭を懐かしみ、異常に恋しがる気持ち。郷愁。懐郷病。
シック【sick】
病気であること。
しっ‐く【疾苦】
1 病気で苦しむこと。病苦。
2 悩み苦しむこと。難儀。
Yahoo!辞書 から、まんまコピペ。
ケロちゃんのDVDは、ぜんぜん見ていません。
らすと・でー、だとか、てんだー・はーと、だとか、ひすとりー、だとか。
手元にはあります。
ありますとも。みんな、ありがとう。FCに入っていないわたしも、ちゃんと手にすることができました。
でも、ダメなんだ。
なんか、見られないんだ。
そんなもん見たら、泣いちゃうだろぉ?
また、日常生活に支障が出るだろぉ?
今現在、不意に「汐美真帆」関連のことを教えられたら、見せられたら、考えたら、感じたら、ボロボロに泣いちゃうって!!
今はとりあえず、あまり考えないよーにして、生きてます。
日常に萌えと幸福をさがして!生きてます。
ケロちゃん、しあわせでいてください。
それだけだ。