某巨大オークションサイトで、タカラヅカを検索してみましょう。
 ジャンルは、

オークション > チケット、金券 > 興行チケット > パフォーミングアート > ミュージカル > 宝塚

 です。
 ええ、「宝塚」ってカテゴリがあらかじめ、ちゃんとあるのよ。

 そこを見れば、ヅカのチケットはもとより、グッズだのいろーんなものが出てきます。

 わたしはときおり、ここをチェックします。
 びんぼーなので、安いチケットはないか、お買い得なものはないかと眺めてみるのですわ。

 カテゴリが「宝塚」なので、ヅカ以外のものは基本的に存在しません。
 だって、出品者が自分で「宝塚」というカテゴリを選んで出品するわけだからね。
 畑違いのモノは、ありません。あっても売れないから、意味ないし。

 だからその出品物は、目を引いた。

 ワタルくんのあの恥ずかしいポスター写真が反乱するなかで、ぽつんとひとつ、みょうちくりんなものが、ある。

 その画像に載っている商品はどっから見ても、「写真」でできていない。
 イラストだ。
 しかも、マンガ絵だ。

 しかも、うすっぺらい本だ。
 マンガ絵のついた、うすっぺらい本。

 わたしにはひとめでわかる。

 同人誌だ。

 宝塚カテゴリで、同人誌?!

 ちょっと待ってくれ、それは勘弁してよ。と、ヅカ同人誌を出したことのある身では震えてしまう。
 だが、その写りの悪い画像を見て、直感的に、わかるのだ。
 わかって、しまうのだ。

 あれって、サンジくんじゃん。

 はい。
 『ONE-PIECE』の、色男コック、サンジ。

 ななななんで、宝塚のオークションに、サンジの同人誌がっ?!

 その出品物を個別に見てみると、ほんとに、ふつーに、ただの、同人誌でした。ワンピの。ゾロサン本。
 ヅカとは、なんの関係もない。

 なのに何故か、カテゴリは「パフォーミングアート > ミュージカル > 宝塚」。

 なに考えてんだ出品者?!
 と思って履歴を確認して、納得。

 その人は同人誌の売買ばかりをしている人でした。
 されど1回だけ、ヅカのチケットを出品していました。貸切公演だし、本人の興味とは関係なく手に入ったチケットじゃないかな?
 そのたった1回の出品物を「宝塚」カテゴリで出したがために、次に同人誌を出品するときにカテゴリを戻すのを忘れた模様。
 同人誌は同人誌で、ちゃんとカテゴリは別にあるのに……。

 あー…………。

 最初に見つけてから、すでに1週間経過してるんですが、まだカテゴリ直ってません。
 いまだ、ゾロサン本は「宝塚」の中をぐるぐる回っています。

 つか、売れねーよ、そんな……。

 なまじ『ONE-PIECE』だからなあ。
 ヅカしか知らない善良なおばさまやおばーさまが、「あら、これは息子(孫)が好きなマンガの本だわ」とかまちがって見ちゃうかもしれないじゃんかぁ。
 ゾロサンだよ、やほひだよ。

 なにより、そんなカタチでさらされているサークルさんに心から同情。つーか、こえぇ。
 心底、こわいよ。ジャンルのまったくちがう、シャレの通じなさそうな大人のもとで自分の同人誌がさらされるなんて状況を考えたら。
 売った同人誌が、どんな扱いを受けるかなんて、作り手には計り知れないことだからなあ。ぶるぶる。

 
 この日記サイトに「映画批評」というカテゴリができたわけだが、これって、ふつーの映画好きにはまったく使えないシステムなのでは……?
 だってこれ、「過去に発売された映画ソフト」についてしか、言及できないんですけど?
 今現在公開されている映画は、検索できない。
 映画は映画館で見るものでしょう?
 家でビデオを見て、「映画批評」ってそんなバカな……。
 しかも、昔書いた映画の感想を、後付けで「映画批評」カテゴリに直すこともできない。つまり、わたしはこのカテゴリは使えないってことですわねえ。
 まあ、いいけど。

 つーことで、変なカテゴリにとらわれることなく、映画の感想です。
 今年になってよーやく2本目。そりゃ、ビデオでなら何本か見てるけど、それは「映画を見た」うちには数えてないから、ここでも書かない。

 『ニューオーリンズ・トライアル』。監督ゲイリー・フレダー、出演ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマン、ジョン・キューザック、レイチェル・ワイズ。

 アクションよりも心理サスペンス、派手な力業より緻密なプロットが好きなわたしは、「よくわかんないけど、法廷サスペンスなんだよね?」くらいの予備知識で見に行きました。

 銃社会アメリカ。訴訟社会アメリカ。
 アメリカでないとありえない物語。

 ニューオーリンズで銃の乱射事件が起こった。犯人は2桁ものなんの罪もない人々を殺し、自殺。
 そして2年後、1被害者の妻が、自殺した犯人ではなく、その犯人に銃を売った銃製造会社を訴えた。それは銃社会への宣戦布告。全米が注目する中、裁判がスタートする。
 ふつーの法廷サスペンスとチガウのは、組織の暗躍。
 銃会社はこのテの裁判で一度も負けたことがない。てゆーか、負けてはならない。一度でも負ければ、全米で同じよーな訴訟が起こることがわかっているからだ。
 絶対に負けないために、彼らは共同でひとつの組織に資金援助をしている。それがフィッチ@ジーン・ハックマン率いる陪審コンサルタント・チームだ。
 裁判は、陪審員たちが決める。だから銃メーカー側は自分たちに有利な陪審員をピックアップしなければならない。盗聴、盗撮、なんでもござれ、陪審候補者の私生活を金と技術力にあかせて調べつくし、「勝てる」布陣を敷く。手段は選ばないし、そこには倫理も道徳もない。ただ、「勝つ」ことだけが目的。彼らは冷徹なプロだ。
 法廷で弁護士が戦う、それ以前の水面下の戦い。
 陪審員の心情を、どう動かすか。どう操るか。
 フィッチたちの仕事は完璧なはずだったのに、原告被告両陣営に「陪審員、売ります」という怪文書が届けられた。何者かが陪審員たちを操り、自在に判決を動かそうとしている。
 陪審員のひとりニック@ジョン・キューザックとその相棒マーリー@レイチェル・ワイズは、他の陪審員たちを操り、原告被告どちらか、自分たちに金を出した方に勝たせると言うのだ。裁判の判決を金で売ると。
 銃メーカー側フィッチ、原告側の庶民派弁護士ローア@ダスティン・ホフマン、そして謎の仕掛け人ニック&マーリーの三つ巴の戦いが進行する。

 陪審員制度というものを、あまりよく知らないので。
 陪審裁判というと、『はみだしっ子』を思い出すぐらいかなあ。
 最初のウチは、それほどたのしんで見ていたわけじゃない。「知ってて当然」という感じで進められる「前提」を知らずに見ているわけだから、アタマを整理するのに必死。
 されど。

 途中から、めちゃくちゃおもしろくなった。

 戦う理由はなに?

 なんのために、戦うの?
 お金? 名誉?

 彼と彼女が戦う理由。
 それがわかったときには、声をあげそうになった。

 とくに、彼が戦う理由。

 すぐそこに、いたのに。腕を伸ばせば、届くところ。
 なのに、なにもできなかった。
 救えなかった。
 ただ、見ているだけだった。

 や、そんなの、当たり前だけど。
 彼がなにもできなかったことを、責める者なんていない。
 だけど彼は、ゆるせないんだ。
 なにもできなかった自分が。

 あの日、戦うことができなかった自分が、ゆるせない。

 だから彼は、戦うんだ。
 気の遠くなるよーな時間をかけて。努力して、積み重ねて。
 巨大な敵に、ちっぽけな自分の力で。

 なにが正しいのか、いけないことなのか。
 正義も道徳も揺らぐなか、物語はすばらしいカタルシスを紡ぐ。

 気持ちいい。
 ものすげえ、気持ちいい物語だよ。
 映画を見て、物語を見て、こんなに気持ちいいのはひさしぶりだ。

 人間を、信じたくなる。
 生きていることが、うれしくなる。
 他人を、信じたくなる。
 こころを、ひらきたくなる。

 あきらめちゃダメだ、わたしたちは、わかりあうことだってきっと、できるはずだ。
 そう思わせてくれる。

 ジーン・ハックマンの存在感。うおー、敵役はこうでなきゃだわ。
 ダスティン・ホフマンの存在感の薄さ……えーと、こんな人だっけ? 名俳優共演が話題だったはずだが、こちらはあまりにも目立たないというか……。
 ジョン・キューザックは得体が知れなくていい感じ。感情移入しにくい演技が、最後までかき回してくれる。(『眠りの森』とか『空から降る一億の星』のキムタクは、本来こうあるべきだったんだよなあ)
 レイチェル・ワイズの意志のきらめきのある瞳、思わず見とれるわー。

 ああ、思いがけずたのしかった。

 
 ちなみに今日の産経新聞の1面コラムに、日本の陪審員制度導入について載っていた。(ちょーど『ニューオーリンズ・トライアル』を見に行くつもりでいたので、よい偶然、興味深く読んださ)
 ……日本人向きのシステムぢゃねーよ、絶対。

 
 スパークヒップスから、メールが来た。
 タイトルは、「スパークヒップス メールマガジン」。

 んなもん、登録した覚えはないが(笑)、以前チケットをサイトから予約したために送られてきたのだろう。
 とにかく宣伝下手で情報を流しそこないまくっている会社だから、こうやって情報を送ってくれるのはありがたい。登録したおぼえがなくても、メルマガ送ってくれてありがとう、てなもんだ。

 しかし。

 しかし、だ。
 相変わらずへぼすぎるよ、スパークヒップス。

 送られてきたメルマガには、「宛先」にこのメルマガを送った相手すべての名前が「本名で」記載されています……。ご丁寧に、50音順で。

 あのー……。
 これって、ネット初心者が陥るミスですか……?
 てか、おとーさん用のメール入門本にさえ、書いてあると思うんだけど。CCとBCCの使い方って。

 おもしろいなあ、スパークヒップス。
 いちいちはずさないというか、やることなすことどっかヘボくて、誘い受しすぎ(笑)。

 とりあえず、CMしときます。

 スパークヒップスの「宣伝下手過ぎで誰も観に行けなかった幻の公演」である『人魚姫』がビデオ発売されます。予約特典アリ。
 興味のある人は、HPを見に行ってくれ。

 いやあ、まさかビデオ発売されるとは思わなかったから、ストーリー全部ネタバレで吠えまくっちゃったね、わたし(笑)。
 ここで覚えている限り書き留めておかないと、もう二度と会えないと思ったから。
 2003年12月3日〜5日の日記は、どうしたものか。3日間とも、ログは途中から消失してるしねえ。溜息。

 なんにせよ、『人魚姫』にもう一度会えるのがうれしい。
 過去の作品も是非、ビデオ化して欲しいもんだ。

 そして、あのヘボいメルマガが、CCとBCCの使い方をいつ覚えてくれるのかが、とてもたのしみです(笑)。
 帰ってきて、日記サイトがどうなったのか、見てみれば。

 過去ログ、消えてるよ……。

 こまったもんだわ、リニューアル。
 文字数の関係だろうね。長文はラストが途中でぶった切られている。

 いちおー、オチには気を遣って書いてきたのに、そのオチの部分が消失かあ。がっくり。

 んじゃ、消えた部分だけ書き足せないかと思ったけれど、過去の日付には挿入できないのね。現在の日付なら複数書くことができても。

 まあ、過去は所詮過去。
 今さら過去日記を読む人もいないだろーから、消えてても支障はないんだが。
 半端に切れてるのが問題かなあ。いっそ全部消した方がいいのか。
 やれやれ。

 とりあえず、過去日記の消え具合を確認しがてら、去年分のテーマ分けをしてみた。
 映画の感想ばっか書いてるよーな気がしたが、ちゃんとわたし、ヅカの話してんじゃん!
 1年の3分の1はヅカ日記だった。
 そして映画、去年だけで70本以上見てるんだね……。よく見たもんだ。5日に1本の計算だな。

 今年はぜんぜんダメだねー。映画、ちっとも見てないわ。
 もう少しあたたかくなったら、いつもの映画館に通うことにしよう。

 ポスペの調子は最悪のまま。
 メールは届いたり、届かなかったり。

 かめたさん、そのうち冬コミの本送るから、待っててね。

 

家族サービス。

2004年2月2日 家族
 旅から戻ったその日に、母に襲撃される。

「買い物に行きましょう!!」

 箕面の某巨大ショッピングゾーンへ。

 そう、今日は雨の月曜日。
 月曜日はほぼ皆勤で山へ行く母は、予定が流れてしまってヒマらしい。

 えーっとわたし、今朝夜行バスで帰阪したところで……疲れてるんだけど……まあいいか……。

 「美しい空」という意味の某巨大ショッピングゾーンは、自然を満喫できる作り。
 つまり、冬は寒いし、雨の日は濡れる。

 雨の月曜日にわざわざ行く物好きは、そうそういないよね……。
 客はあまり来ないと踏んでのことでしょう、店を開けながら棚卸ししているとこもあったよ……。わたしも弟も販売店勤務だったから、なまあたたかく見守ってしまう。

 山の専門店に母を放り込み、おつきのわたしと弟は、ふたりでウインドウショッピング。
 買う買わないは別にして、ファッション雑貨を見てまわるのは大好き。女に生まれたたのしみのひとつ。
 ……弟と一緒でも、ちっともたのしくないがな……。

 わざわざわたしと弟がついていったのは、晩メシを母にたかるためだ。
 ママのお財布で、小洒落たイタリアン・レストランでお食事〜〜。たまにはいいよね、親子で外食も、ってことで。うまうま。
 わたしはともかく、いつも母に冷たい弟が一緒なので、そのことでも母は舞い上がっている様子。はいはい、わたしがいなきゃ弟が母とふたりで出かけるはずがないもんね。そりゃ、わたしが疲労していよーがどーしよーが、連れ出すよね。

 これもママサービスの一環。
 おつきあい、おつきあい。

 そうやってよーやく帰宅すれば、今度はひとりのけものにされた父がすねていた……。

 はー、どっこい。

 
「トウコちゃんのおヒゲを観に行こう!」

 ってことで、1泊2日の東京。
 どーせ観に行くなら千秋楽よね、ってことで、千秋楽観劇。

 宙組公演『白昼の稲妻』『テンプテーション!』

 作品については、語る気ナシ。大劇版を語ったのでもうおなかいっぱい。
 なんつーかもー、眠い芝居です……。
 ショーはふつーです……。

 目的はなんといっても、トウコちゃん。
 おヒゲの侯爵ランブルーズ。
 トウコちゃんが、おヒゲ。
 あのトウコちゃんが、ヒゲの悪役!!

 世間様で騒がれ、危惧されているほど、心配はしていませんでした。
 だってトウコちゃんってもともと、立役系の人だと思っていたので。黒い役、濃い役、オヤジ役のできる人。
 下級生のころは、そうだったよ?
 小柄なのと美貌が災いして、いつのころからか少年専科になり、星組に行ってからは総受役者として開花しちゃったけど。
 もともとオヤジくさい人じゃん。雪組で下級生やってたころは、くどくてうまい、脇のオヤジを演じられるタイプの人だったよ?
 わたしが最初にトウコちゃんに注目したのはなんといってもその、濃い顔。「松村雄基に似てる……」だったし、友人のBe-Puちゃんがトウコちゃんに注目したきっかけは「てっぺいちゃんに似てる……」だったんだから。(注・てっぺいちゃん、つーのは、カールスモーキー石井氏のことです)

 ああ、トウコちゃん。
 あなたほど遍歴を重ねた人はめずらしいよね……。
 松村雄基だのカールスモーキー石井だのという、くどくて男っぽい顔のおっさんだったのに、ちょっと目を離した隙に美少年専科になり、よーやく本来の立役がつくくらいの学年になったと思ったら星組に組替えになって、総受姫になっちゃって……。
 体格と芸風がマッチしていなかったための回り道よね。
 体格は少年、しかし芸風はこってり大人の男。若かったからくどい顔立ちや芸風は封印して、少年役ばかり割り振られる。少年役でハマったファンたちは、もちろん彼女に少年役を求める。
 年齢を重ね、よーやく大人の男を割り振られる学年になったというのに、ファンも劇団も「少年役者」のイメージを引きずりつづける。トウコ=美少年。もしくは、繊細な青年。
 ……そもそも、オヤジ系の人だったのに。攻男だったのに。アイドル系の「華」を持ち合わせていないのも当然よ、だってオヤジ系役者だったんだから。なのに、後付けでいろいろ変わっていっちゃって……。
 年月と経験は、彼女を立派な美青年(少年)役者、総受姫に育て上げた。

 それがよかったのか、わるかったのか。

 わたしは大昔の、攻でオヤジなトウコちゃんも好きだったからさ。
 今の可憐な受姫ぶりも愛してはいるけれど、ちと複雑だったりもする。

 それをしみじみと感じさせる、ヒゲ侯爵ぶりだったんだわ。

 いやあ、濃い。

 薄い芸風の宙組の皆さんの間で、ランブルーズ@トウコはひとりで、濃い。
 ビジュアルOK、かっこよくも美しいエロオヤジぶり。ええ、ええ、昔取った杵柄よね、そもそもはこーゆー芸風の人だったわね。雪組にはチャルさんという、濃くてかっこいいエロオヤジの大先輩がいたものね。

 そして、そのうえで見える歳月。

 ランブルーズ侯爵。
 アンタ、悪役でしょう? 冷酷なスケベオヤジよね?

 なのにどーして、そんなに瞳うるうるしてるのっ?!(笑)

 悪巧みしていても、うるうる。
 冷酷なときでも、うるうる。
 余裕かましているときでも、うるうる。

 なんでそんなに、瞳揺らしまくるの?

 受ですか。
 ヒゲでもオヤジでも、やっぱりアナタ、総受なんですか。

 ああ、トウコちゃん……。
 どこまでもハズさない人だ……。

 水くんの役にスライドしたもんだから、あまりの歌の少なさにおどろいた。
 そっか、水くんがやってた役だもん、歌は少ないよねえ。それでも、その少ない歌で椅子から転げ落ちそうになっていたわけだけど。
 せっかくトウコちゃんなんだから、もっと歌ってほしかったよ。芝居のプロローグとかさ、「なんでそこで歌わないのっ?!」と歯がみしたもんよ。……水くんの場合、歌わなくてほっとしたのに……(水しぇんは歌わない方が、より男前・笑)。

 ショーでも、やはり異彩を放ってたなあ……。
 小さいのも、スタイルの悪さがキビシイのも、わかっていたことだからどーでもいいんだが、それ以外でもあそこまで「異分子」なのはびっくり。

 濃い……。

 ひとりだけ、濃いわ……。

 千秋楽のご挨拶で、組長さんがトウコのことを紹介したとき、たかこがそりゃーもーうれしそーにトウコを振り返って笑っていたのが、印象深いです。

 なつかしいよなあ。
 『嵐が丘』以来なのか、このふたりがトップと2番手なのって。
 あれから何年経ってんだ……?
 なのにまだ、たかこはトップやってて、トウコはトップになれてないんだ……。なんか、人生山あり谷ありだよなあ。

 『嵐が丘』……いろいろ文句はあったが、それでも好きだったよ、あの作品。
 痛いものを含んだ、きつい芝居だった。
 たかこが入り込んでいて、激しく熱いヒースクリフだったよ……カーテンコールのときまで、眼をぎらぎらさせて笑顔ひとつない、こわい姿だった。
 狂言回しのゆみこちゃんの実力と美貌に脱帽し、トウコの出番の少なさに肩を落とし、そーいやたしか、坂本九氏の娘さんのエラの立派さに愕然としたっけな。

 たかちゃん……あのころの熱さは、どこいっちゃったのかなあ……遠い目。

 とまあ、とてもたのしみましたわ、宙組公演。
 いろんな意味で。

 
「生桔平を観に行こう!」

 ということで、椎名桔平主演の舞台を観てきました。パルコ劇場で上演されていた『ベント』

 そもそもの原動力は、

「トウコちゃんのおヒゲを観に行こう!」

 だったもんで、「どーせ東京行くなら、ついでになにか観るべ」「なにかって、なにやってんだ? なんか観たいものあるか?」と見回したところ、

「そうだ、桔平がある!!」

 でした。

 わたしもWHITEちゃんも、桔平ファンですから!
 テレビ俳優を生で見られる機会は、そうそうないですから。

 ナマ桔平なら、べつになんでもよかったわけで。
 芝居の内容なんか、二の次でした。ほんと。
 予備知識はほとんどなし。

 スポーツ新聞愛読者なので、制作発表インタビューを目にしたくらいっす。

 そこで、桔平がホモの役だと知りました。
 ええ、それだけです。
 ホモ役だから観に行こうと思ったわけじゃないのよ、桔平だから観に行こうと思ったら、ホモだったのよ。
 それだけなのよ。

「スカート穿こうかと思ったんだけど、思いとどまったわ。はっ、そーだアタシ、むだ毛処理してないんだった、すね毛剃ってないから、スカートはダメだわっ、と思って、ズボンにしたの」

 と、WHITEちゃん。
 お互い忙しくて、同じバスに乗って旅立ったのに、会話したのは東京に着いてから。
 いや、寒いんだから、ズボンでいいじゃん。むだ毛はどうかと思うが。

 チケットを手に入れ損ねていたので、当日券に並びに行ったよ。
 ……たぶん、下手に前売り買うよりいい席が手に入った。

 1930年代のナチス政権下。強制収容所に送られたのは、ユダヤ人だけじゃない。同性愛者もまた、収容所送りだった。しかも、扱いはユダヤ人より下。
 そんな「究極の状況」において芽生える、男たちの「究極の愛」の物語。

 作・マーティン・シャーマン、演出・鈴木勝秀、出演・椎名桔平、遠藤憲一、高岡蒼佑、篠井英介。

 とりあえず、思ったことは。

 篠井英介サマ、すてき〜〜っっ。

 篠井さんは、オカマバーのマドンナ役と、ナチス将校の2役でした。
 これがもお、両方ともすごいのよ。うっひゃー、って感じ。

 オカマ役のときは、これまた違和感なくゴージャスで美しいし、ナチス将校ときたら、生唾もんのクールビューティ(笑)。
 さすがですわねえ。

 桔平ですか?
 桔平は……。
 桔平でした。
 テレビで見るまんま。

 ああ、かっこいー……。

 でも、舞台俳優としては、どうかしら。
 わたし的には、微妙。

 作品の問題かなあ。
 なんつーかあまり、感情移入できなかったってゆーか。

 会話のテンポや言葉遣いに、いちいちズレみたいな、もどかしいものを感じたわ。
 もっと盛り上げられそーなもんなのに。
 舞台をやたら「広く」感じてしまった。

 たんにわたしが、うまく世界に入れなかっただけなのかもしれん。

 人間であることを否定され、虐げられ、意味もなく虐待され虐殺される収容所の人々。
 ただただ残虐な、ナチスたち。
 触れあうことも見つめ合うことも許されないというのに、マックス@椎名桔平とホルスト@遠藤憲一は愛し合う。
 どれだけ人間性を否定されても、極限の中でも、人間は愛し合うことができる……。

 ストーリーは、悪くない。
 マックスのいーかげん男ぶりと、彼の恋人ルディ@高岡蒼佑の可憐少年ぶり、そしてホルストの真摯さはいいコントラストとなって、効果を上げている。
 ヤクザでちんぴらで軽薄なマックスが、真の愛……自分自身の真の姿を認め受け止めるまで、というストーリーラインもいい。
 彼の弱さとずるさ、そしてたどりつく強さは、感動的だ。

 しかし。
 いまいち、ノれなかったんだ……。

 かゆいところに手が届かないむずがゆさで、終始してしまった。
 テンポかなあ。
 会話が……とくに桔平がダメだったよーな気がする……。大味……。

 あ、あくまでも、わたしは。
 世間様の評価は知りません。

 もっとねちこい演出だったら、またちがっていたかもな。
 とてもさばさばしてたからなあ。

 とはいえ、きっぺーはかっこよかったっす。
 髪がふつーにあるときも違和感なかったし、2幕目の坊主頭もセクシーでした。
 金髪の坊主頭。剃ってるわけじゃなくて、超ショートヘアですな。
 わたしは思わず、

「ゾロのコスプレしてくれ……」

 と、思いました。
 腹巻きして、日本刀持ってくれえ。
 よかった、これからリアル・ゾロはきっぺーのイメージでいられるわ。押尾っちのイメージ@クニミツの政を払拭できるわ。

 桔平もそれなりに脱いでました。
 なんせ、ゲイたちの物語ですから。肉体美は必然。
 マックスとホルストは、舞台正面を向いたまま、互いに触ることも見ることもないまま「互いの声だけで」セックスするんですが、ふたりともいいカラダしてますよ。
 つーか桔平、乳首ちっちぇえ(笑)。
 遠藤さんが大きすぎるのか? 彼の乳首は乳輪がやたら黒くて大きかった。
 それに対してきっぺーちゃんの乳首は小さくて色が薄かったです……って、なにを見ているんだ(笑)。つーか、見るだろ、エロシーンなんだから。
「俺の指を感じるか」
「ああ、感じる」
「舌」
「ああ……」
 とかいう、ヴァーチャルセックスで、ちゃんとイくとこまで演じてくれます。役者はすごいな。

 それにしても、ほんとーに男しか出てこない舞台で、出てくる男、全部ホモでした……。

 オカマバーのショータイムでは、思わず口が開きました。
 みなさん、すばらしい脱ぎっぷりです……。
 まさか、生ケツとか見られるとは思ってなかったからさー……はー、そーゆー舞台でしたか……。

 男優さんたち、むだ毛処理は完璧です。
 篠井さんをはじめ、太股もすねもつるつる。
 もちろん、ケツもつるつるさー。
 ブーメランパンツもヒモパンツも、なんでもこい! Tバックもまぶしい筋肉美。尻にはちゃんと筋肉のくぼみがありますぜ、と。

 見終わったあとに、思わず言っちゃったもんな。

「WHITEちゃんアンタ、負けてるよ……」

 すね毛処理では、オカマさんたちの勝ち〜〜。

 
 『牡丹と薔薇』ですが。

 主題歌、日本語だったんですね……!!
 知らなかった。

 外国語だと、信じ切ってたよ。
 「アヴェ マリア」だと信じ切ってたんだもんよ。
 「ああ なみだ」と歌っていたとは……!

 そしてさらに。

 歌っている人、男の人だったんですか!
 知らなかった。

 ソプラノだから、女性が歌っているんだとばかり思い込んでた。
 名前見たら、たしかに男性名だ……。
 てか、「男性でありながら、ソプラノの声域を持つ、世界でも珍しいソプラニスタ」ってそんな、知りませんでしたわ。

 それらを言ったらWHITEちゃんに、

「知らなかったの?」

 と、あきれられちゃいましたさ。

 ビデオに録ってみているから、オープニングはいつも早送りしてたんだもん。
 またしても、医者からコンタクト禁止令が出た。
 コンタクトレンズを入れられない、ということは、視界が悪い状態で生きるということ。眼鏡はコンタクトほど視力の矯正ができないからねえ。

 つーことで、洋画は見られないな、邦画だ邦画。字幕を読まずに済む邦画を見るべ。
 なににしようか。

 てことで、『ジョゼと虎と魚たち』。
 監督・犬童一心、出演・妻夫木聡、池脇千鶴。

 公開からもうずいぶん経ったし、そろそろ空いているころだろうと思って出かけたんだけど、甘かったよ。

 なんですか、この満員具合は。
 上演1時間も前に行ったのに、手に入った整理券はかなり後ろの番号。そして実際、わたしの少し後に来た人たちは「お立ち見になりますが、よろしいですか?」だった。
 はじまって見れば、もちろん満席、立ち見ぎっしりの盛況ぶり。映画館内、空気薄っ。
 終わったあとも、次回の上演を待つ人(座席列だけでなく、立ち見列も)、でロビーはいっぱい。

 梅田だからかな? いつも自転車で行くあの映画館なら、ここまで混むことはないんだろうな、田舎だから。

 てゆーか、若者しかいないよ、映画館。
 おばさん、肩身狭いわ。こーゆー映画は、若者のモノなんだろーなー、とも思うよ。
 でもおばさんも、昔は若者だったから、こーゆー映画が好きなのさ。

 ひとことで言うなら、恋の物語。

 一昔前のフォークソングみたいな。
 若いふたりが出会って恋に落ちて、若さゆえに恋におぼれ、若さゆえに傷ついて別れる。
 振り返ると、その傷跡さえもが愛しいような、恥ずかしくてもどかしい、あたたかくてやさしい、せつない記憶。

 ふつーの大学生・恒夫@妻夫木聡が出会った脚の不自由な少女ジョゼ@池脇千鶴。
 古い感覚の老婆に育てられたジョゼは、現実社会を知らない。だっておばーちゃん、「足が不自由な孫」は「外聞が悪いから世間に知られてはいけない」と思いこみ、家に閉じこめて育てたんだもの。福祉制度も知らないしね。
 とーぜんジョゼは学校にも行っていない。おばーちゃんがゴミ捨て場から拾ってくる本だけが、彼女の知識の泉。教科書もエロ本も主婦マンガも、純文学も同じように読み、吸収する柔軟な知性を持つジョゼ。
 そんなジョゼに、恒夫は「外の世界」を教える。
 光の届かない海の底にいたジョゼに、美しい地球を見せる。教える。
 太陽を、空を、波を、砂浜を。
 そして、恋を。セックスを。
 幸福を。
 生きる、ということを。
 そして。

 そして、別れを。

 ジョゼはエキセントリックだし、身体障害者というネタを使ってはいるけれど、そこにあるのはふつーの恋物語。
 たぶん、この世の誰もがあたりまえに経験するだろう、出会いと別れ。
 だからこんなに、痛い。
 せつない。

 誰もが、「永遠」が存在しないことを知っている。
 ……知っている、よね?
 でもさ、若いうちはソレ、意識にのぼってこないんだよね。目の前の現実がめまぐるしくて、活気に満ちているから。
 永遠なんかないよ。
 あなたはいつか彼を愛さなくなる、ぼくもまた、いつかあなたを愛さなくなる……サガンの小説にあるように。
 だけど今、つないだ手が永遠であるって、信じたい。信じたいんだ。

 渇望が、破片になってきらきら光る。

 恒夫は漠然と有限であることを感じながら、ジョゼは事実として覚悟しながら。

 明日には存在しないかもしれない束の間のしあわせが、いくつかの言葉をあえて飲み込んだうえでの微笑みが、波のように寄せては返し、きらめいて消える。

「ぼくが、逃げたからだ」−−これが、最後の台詞。
 こんな台詞で終わる、美しくせつない物語。

 ハッピーエンドでしょ? このラスト。
 わたしはそう思っているよ。
 
 ああ、まちかめぐる……。

 昨日の日記、思い切り途中でぶった切れています。
 てか、ほんとに3000字しか書けなくなったんだ。前はなんやかんやで3600字までOKだったのに。

 で、同じ日付で続けて日記書けるとか、どっかで見た気がするんだが、どうすればいいのかわからぬ。
 なんせ、「いろいろカスタマイズできるようになりました。でも、ホームページ作成に詳しくない方にはできません。あしからず」というサイトだからなあ。わたしなんかは、詳しくないし、詳しくなる気もないから自分でHPを作らず日記サイトを利用しているんだが。

 いつかもっと、使いやすくなるのかなあ、ここ。

 んで、昨日のつづき。
 いやべつに、つづけて載せなきゃいかんほどミのあることは書いてないんだが、いちおー(笑)。

          ☆

 ああ……。
 瞼を閉じるとそこに、まちかめぐる……。

 いちばん美しいシーン、よりすぐりの美形たちの役に、まちかめぐる……。

 最後に観た、わたしの生『パッサージュ』。
 想い出は、陽気な王様と、白い光のまちかめぐる。

 ああ……。

 
          ☆

 って、これだけかい。

 
 ふと思いついて、『パッサージュ』のビデオを見た。

 歌が聴きたくてな。
 最近アタマの中を回っている歌ときたら、「牡丹と薔薇はぁどちらがきれい〜〜♪」だったり、「逃げて、逃げて♪」「追って、追って♪」だったりするから、あまりに不毛でな。

 最後に生『パッサージュ』を観たのは博多版だったので、どうしてもその印象が強い。
 大劇版と博多版は『パッサージュ1』と『パッサージュ2』と区別していいくらい、別物だった。
 『夜明けの天使たち』といい、オギーは同じ世界観の別物を作るのうまいよね。

 全部観たかったけど時間がなかったので、「玻璃の街角・地獄」を中心に観た。
 これがほんと、大劇版と博多版は別物でねえ。
 構成的には変化ナシのシーンなのよ。他の場面なんかはまったく別の物語や音楽になっていたりしたのに、ここは同じ。
 同じなのに、別物。

 玻璃(パリ)の夜、闇の中。
 繊細さが美しい青年がひとり、うつしよから迷い込んでくる。
 そこは世紀末のサーカス小屋。ブランコの上で、片翼の少女がかなしい声で歌っている。

 囚われの少女と、迷い込んだ青年。
 のばした手と手が触れ合うことなく、少女は闇の向こうに消える。

 片目のサーカス団長は鞭を鳴らし、ナイフ使いたちが光を集めた刃をもてあそび、人形のような女たちが踊る。道化の少年と少女が漂う。
 いつしか青年は影のような男たちに囲まれ、サーカス小屋は地獄の王の宮廷となる。
 氷めいた美貌の地獄の王のもと、堕天使たちが踊る。

 そこへ、あの片翼の少女が現れた。白かったはずの翼は漆黒に染まり、闇の少女として堕天使と踊る。
 迷い込んだ青年もまた、黒い衣装で堕天使に翻弄され、踊る。彼の手を取る堕天使は、少女の魔性を浮かべた美少年。
 そしてついに、地獄の王が青年をとらえた。抱擁のあと、青年はすべてを受け入れ、闇の少女と婚礼を挙げる。

 ……てなシーン。記憶だけで書いてるので、作者の意図やら他の観客の観点との差異なんぞ知りません。

 お耽美爆発な、妖しく美しい物語。
 迷い込んだ青年@ぶんちゃんのたおやかな美しさ。匂い立つ、とはこーゆーことを言うのでしょう。う・わー、この男泣かせてみてえ、と大抵の腐女子が思うだろう受男のオーラを漂わせての登場(笑)。
 そして、片翼の少女@まひるちゃんの、可憐な美しさ。「もがれた翼の少女」を演じて絵になる清らかな美貌はすばらしい。闇に堕ちたあとの無邪気な邪悪っぷりもな。
 片目のサーカス団長@萬ケイ様ってのは、正気ですか、全年齢対象にしていていいんですか、年齢制限つけないとやばいでしょう!というハマり具合。エロ美中年を演じさせて、この人の右に出る人はいません(チャルさんはまた別のエロ美中年No.1・笑)。
 他の方々も雰囲気にぴったり合ってますが、とくに道化師美少年@キムの笑顔の奥の毒がたまりません。

 それから、『パッサージュ』の主役だと信じて疑わない、堕天使@コム姫。清らかな天使であろうと、真っ黒な堕天使であろうと、このひとの「重力のない存在感」はすごい。
 天使がいる。
 その事実だけが、そこにある。
 片翼の少女@まひるちゃんと踊る堕天使@コム姫は、魔的に美しいです。

 泣かせてやりたい男No.1(笑)迷い込んだ青年@ぶんちゃんと踊るのは、魔性の美少年堕天使@いづるん。誘い受をやったら天下一品、悪魔ですかあんた、堕天使ですかそうですか、のいづるん! ぶんちゃんを誘惑するその妖しさ、いやらしさ。すみれコードぶっちぎりのエロエロ全開。

 そして、地獄の王の名にふさわしい、トドロキ御大。
 どこのビジュアル系の方ですか、というよーな派手こい美形ぶり。彫刻が動いて歌ってます、てな完璧な美貌。
 美少年堕天使たちをかしずかせ、闇に君臨する美貌の君主。
 この鋭角的な美貌の王が、たおやかな美青年を抱擁するさまがもー、「ええっ、マジっすか?!」という耽美っぷり。
 てか、チューするんだと思ったよ。してもいいのに(ヲイ)。
 あの美少年に誘惑され、とどめにこの美貌の王に抱きしめられたら、ノーマルな青年もそりゃ堕ちるわな、と納得させるビジュアル。

 物語自体は、大劇も博多も同じ。
 キャスティングは少々ちがったのものの(コム姫やまひるちゃんは博多版には出ていなかった)、ストーリーラインは同じなのよ。メインどころのキャスティングは同じだったわけだし。
 ちがったのは。

 地獄の王、はしゃぎすぎ。

 博多版の地獄の王は、やたら陽気でした……。

 大劇版の王様は、冷たいのを通り越して凍り付いたよーなお方でしたが、博多版の王様はハイテンションに大騒ぎする方でした。
 いや、それはそれで、狂気を感じさせてくれて、いいんだけど……ただ、びっくりしたのよ。
 王様@トド様なんか、うれしそーじゃない? 青年@ぶんちゃんを手に入れることがそんなにうれしーの? 愛? ラヴゆえなのね?
 と、微笑ましかったっす。
 ……地獄の王が微笑ましいって、どうなのよソレ……というツッコミは置いておいて。

 博多版の「陽気な王様」のイメージが強すぎてな……。
 ビデオで大劇版の「氷の美貌王」を改めてみると、……いかん、「ぷっ」なんて笑いたくなってしまう! いかんいかんいかん!! 美貌のトド様に向かって「ぷっ(笑)」なんて、ダメよわたし!
 それにしても美しい……。美しいのに、なまあたたかい笑いが……。

 出かける時間が来たので、そこでビデオを切って立ち上がった。
 が、アタマの中は引き続き『パッサージュ』。
 ビデオで幾度となく見ている大劇版と、最後にナマで観た博多版がわたしのアタマの中でせめぎ合う。

 作品のテーマ部分である、「硝子の空の記憶」のシーン。
 男と死にゆく女が踊り、痛みに充ちた男女の睦み合いの場面が終わり、傷ついた青年@トド様が硝子のかけらを拾う。
 硝子のかけらの向こうにひろがる、いつか見た世界。
 無垢な少女@まひるちゃんが踊り、天使@コム姫が舞う。
 波が打ち寄せ、白い光が集まる。

 この作品中、もっとも美しいシーン。

 美しく、清らかで……そしてかなしい、場面。

 自分の重みに耐えかねて堕ちる水滴の、一瞬のきらめき。
 壊れること、汚れることを前提とした、はかない美しさ。

 夢が美しければ美しいほど、夢がしあわせであればあるほど、眼覚めたとき、それを失ったときの悲しみは深い。慟哭は深い。
 そのことを知っているからこそ、「夢」だとわかっているこの場面は、残酷なほど美しい。痛いほど、幸福。

 このもっとも美しいシーンに登場するのは、雪組きっての美青年たち。
 顔立ちはもちろん、スタイルの良さも重視。
 そりゃそーさ、美しくなければ説得力に欠けるもの! ここはいちばんの踏ん張りどころだ、美形勢揃いだ、行け行け雪組、美を表現するのだ!!

 ああ、大劇版の「白い光」たちは美しかったわ……カシゲを筆頭に、若手の美形をこれでもかと並べていたわ。
 ここを美しくしないでどこを美しくするのよ!てな場面だもんなあ。わたしが演出家でも、魂懸けて美形を投入するよ。

 そして、忘れられない博多版。
 雪組若手美形の何割かはバウホール公演中。半分の人数で演じられた、博多版『パッサージュ』。

 いちばんの美形たちが踊る「白い光」という役の中に。

 まちかめぐる氏がいたのが、忘れられません……。

 ああ……。
 瞼を閉じるとそこに、まちかめぐる……。

 いちばん美しいシーン、よりすぐりの美形たちの役に、まちかめぐ…
 またしても、弟とふたりで『ガンダム』の話。
 そもそもは『ドラグナー』の話してたんだけど、そっから『ガンダム』に移行。

「そーいや『SEED』見てないなあ」
「あー、わたしも見てないよ。でも友だちが言うには、『W』以下だってことだし。あのぶっこわれてた『W』以下なら、推して知るべし?」
「それでも見るよ。友だちからDVDもらったし、見なかったら今後こまると思うし」
「こまるって、ゲームかい」
「どーせ『スパロポ』や『Gジェネ』に出てくるんだろうからさあ。いちおー見ておかないと」
「そんな理由……」
「『V』とか『X』とか、あたりまえにゲームに出てくるから、わけわかんないままやってるけど……『X』ってどんな話だった?」
「最初から最後まで見たはずだけど、ストーリーは一切覚えてない。顔と名前のちがうアムロとシャアが出てたことと、『エヴァ』の直後だったからアヤナミのパクリみたいなヒロインがいたこと、終始一貫つまらなかったことだけ、覚えてる」
「でも『ガンダム』シリーズには、なにかとシャアみたいな人は出てるだろ」
「お約束なんだよねえ。そーいや『W』に出てたシャアみたいな人は、男装の麗人の恋人っていうか相方がいたけどさあ、このふたりが並ぶとものすごーく百合くさかったんだよねえ」
「なんだそりゃ」
「男と、男装した女のカップルだよ? ふたりとも軍服に男言葉だよ? なのに通常の男女カップルにも、ホモにも見えず、ひたすら百合くさかった……何故だろう……」

 てな会話をえんえん、ふたりで入ったうどん屋でしてたわけです。
 弟は基本的にアニメもマンガも興味ない人ですが、『ガンダム』だけは別格な、「あの世代に子どもだった男」のひとりです。ガンプラを夢中で作っていたガキのひとりさ。
 そして職場がパソコン売り場だったりするから、スタッフと客にオタクが多い。……ので、本人がオタクでなくても、知識だけは外側からインプットされている。

 わたしは正真正銘のオタクなので、アニメもマンガもゲームもなんでも来い!だけどな。まあ、年寄りなので新しいジャンルはわからないが。
 いっそ弟もオタクなら、話題の幅も広がるのに、惜しいな……と、思う。(ついでに、弟から「このオタクめ」となまあたたかい眼で見られることもなくなるだろーに)

 ああ、そして。
 オタクじゃないくせに半端に知識だけある弟は、大真面目に言うのさ。

「見てないからよく知らないけど、『W』ってヤヨイ系みたいな絵だろ? アレって狙ってるのか?」

 ヤ、ヤヨイ系……。

 弟よ、ソレ、やおい系のこと?

 は、恥ずかしい……! その半端なまちがいっぷりが……っ。
 聞いててすげー恥ずかしいよ!
 でも訂正するのも恥ずかしいし、このままスルーしよう、そうしよう。

 

父のセクハラ。

2004年1月25日 家族
 うちの父は、うちの猫にめろめろ。
 されど、うちの猫は父が嫌い。

 今日もまた、父はいやがる猫を抱きしめては猫パンチをくらっていた。
 キックではない。パンチだ。
 前足で叩くのだ。
 右利きらしい。猫のパンチは、いつも右前足。

 猫の気持ちもわかる。
 脂ぎったおっさんに抱きしめられたら、そりゃ嫌だろう。うちの猫はオスだしな。

「パパ、それってセクハラだよ」

 と、つねづね言っているんだが、改める気はまったくないらしい。

 猫は、外出するときは必ずわたしの肩に乗る。
 肩に乗せて、親の家に行くと、まず父がよろこんで寄ってくる。目尻を下げて、猫の名前を猫なで声で連呼する。

 だから猫は、わたしの肩の上。
 だから父は、わたしの肩のすぐそばに顔を寄せる。

「パパ、おなか。おなか当たってる!!」

 なにがいやかって、あーた。
 父の腹が、わたしの背中に当たるんですよ!! 腹が出てるもんだから、他の部分が触れなくても、腹だけは当たってしまうのよ!
 想像してみてよ、あなたの「父親」の腹が背中に当たる感触を!!

 うっきゃ〜〜っ。
 気持ち悪い〜〜っっ!

 しかし父はわたしの悲鳴なんぞ無視して、猫なで声で猫を呼びつづける。

 耳元で連発される、ちゅっ、ちゅっ、という音。

 なにがいやかって、あーた。
 父のチューの音が、わたしの耳元でするんですよ!! 

 想像してみてよ、あなたの「父親」のチューを!!

 おぞぞぞぞっ。 鳥肌。

 もちろん猫も心底嫌がって、必死の形相で顔を背けています。わたしの肩の上で、不自由そうに身をよじっています。

「パパ、それってセクハラだよ」

 愛に夢中な姿は、こうも滑稽に映るのです。溜息。

 

一家団欒。

2004年1月24日 家族
 父は人の話を聞かない。

「明日、氷点下だってよ」
「えー。はるばるムラに行くときに限ってどーしてそんな気温になるのよー」
 てな会話を母とわたしがしていると、
「宝塚か! もうずいぶん宝塚には行ってないな。あの川の見えるレストランはまだあるか?」
 などと、横にいた父が会話に加わってくる。
 そして、ひとしきりひとりで喋ったあと、お約束のよーに、

「で、明日、こあらは家にいるんだな?」

 と、ボケてくれる。

「明日はその宝塚に出かけるっちゅーとるやろーがっ」

 と、仕方がないのでお約束のツッコミを入れる。
 この場合の「お約束」とは、いわゆる「お笑い」のお約束ではない。

 「人の話を聞く気はないが、会話にまざりたがる」父との「お約束」ツッコミなのだ。

 父にもらったタダ券で、弟とふたりで『ラスト・サムライ』を見てきたときもそうだ。
 前日から、『ラスト・サムライ』を見に行く話をし、
「そうか、これから『ラスト・サムライ』を見に行くのか!」
 と言う父に見送られて、家を出たというのに。

「とにかくいろんな意味で、アメリカ的な映画だったよな」
「そこはほれ、『人魚姫』をハッピーエンドに作りかえちゃうお国柄ですから」
 てなふーに、『ラスト・サムライ』の感想を話していると、いつものよーに父が会話に混ざってくる。
「映画、見てきたのか。おもしろかったか」
「ツッコミどころは満載だけど、まあ、とりあえずたのしかったよねえ?」
「……うーん、まあ、おもしろかった、かな? ぼくはツッコミの方が多くてどうかと思うけど」
「日本が舞台なんだろう?」
「日本に似た別の国。西郷に似た人や大久保に似た人が出てるけど、あくまでも別の話」
「明治天皇も出てくるけど、明言は一切してないしね」
 てなふーに、さんざん3人で会話したあとで。

「で、今日はなにを見てきたんだ?」

 と、お約束。

「だから、『ラスト・サムライ』を見てきたと言うてるだろうっ!」

 と、お約束。

 そして、今日もまた。

 NHKのからくり人形の番組を、父が見ていた。
 緑野家の居間のテレビのチャンネル権は、父のモノである。民放を軽蔑している父は、基本的にNHKしか見ない。
 従って、緑野家の家族団らん時には、いつもNHKが流れている。

 からくり人形。
 不気味な笑顔を浮かべる古い人形たちを見て、『零』のことやホラーなことをいろいろ考えたし、もちろん『からくりサーカス』のことも考えたが、それとは別に、実体験に基づく記憶もよみがえった。

 なんかコレ、知ってるぞ。
 見たことある。
 たしか、弟の学園祭で見た。

 ヨーグルトを食べながらわたしがそう思っていると、隣で同じようにヨーグルトを食していた弟が、

「段返り人形か……これだけはどうしても作れなかったな」

 と、つぶやいている。

 そう。弟は大学のゼミで、江戸時代の玩具やからくり人形を作っていたのだ。(江戸時代のコスプレしてお伊勢参りしたりと、変なゼミだよ)

 テレビではちょうど、その「段返り人形」とやらが紹介されていた。
 子どもの姿をした小さな人形が、とてもリアルな動作ででんぐり返りしながら、段を下りていく。

「ほう、こんなものも作ってたのか」
 と、まざりたがりの父はすぐさま会話にくちばしを挟む。
「だから、コレは作れなかったんだってば。中に入れる水銀が手に入らなくてな」
「水銀ってたしか、取り扱うのに資格がいるのよね?」
 と、母も会話にまざってくる。
「そう。劇薬だからってことで、許可が下りなかったんだ。それでどうしても、作れないままに大学生活が終わった」
「水銀ってことは、液体を移動させることで、重心を移動させて動かすからくりってこと?」
 と、わたし。
「そう……だったんだけど」

 画面では、段返り人形の仕組みの話になっている。
 バネやギアなどは使われていない……ではどうやって動いているのか?! てな引き。

 なんと、水銀を使っているのです!!

 そこで父、お約束。

「ほほう、水銀かあ!!」

 今さっき、水銀の話したじゃん!! あんた聞いてたじゃん!

「水銀が移動することで、重心が変化するから、動くのか!」

 今さっき……以下略。

 人の話を聞く気はないが、いつも会話にまざりたくてうずうずしている父。
 そして、要領よく話をまとめることができないのに、父の茶々入れにいちいち反応して論点のずれた広大な物語を話し出す母。
 もちろん、母の語りの冒頭部分で、父は自分が言ったことなど忘れてまったく聞いていないので、母の長大な講釈はただ空間にだらだらと吐き出されるだけ。とてもうるさい。

 考えてみれば、似合いの夫婦だ……。

 しかし、わたしも弟も会話は会話として機能することをのぞんでいるので、彼らの意味のない茶々入れと長演説がはじまると、逃げ出すことにしている。

 人生は短すぎる。

 
 それにしても、寒いよ、宝塚……。
 大阪より確実に何度か気温低いよね。田舎だから、それも「味」ってもんなんだろうけど……凍えたわ……。

「往復2時間以上もかけて、たった1時間の催しのためにあんなところまで行くの?!」

 と、家族に驚愕されました。
 「そうよ、行くのよ!」と胸を張って答えたら、

「バカだ……」

 と、言われましたのことよ。
 ふんっ。

 いつ行っても、ステージトークのときのムラは寂しい限りです。
 宝塚ムラはもうすっかり夜中の雰囲気。人気もなければ、店も開いていない。シャッターの降りまくったロビーを歩く寂しさときたら。
「日時、まちがってないよね……?」
 と、毎回必ず、不安になります。

 世間で言うところの午後6時過ぎ。よその世界では「これからが盛り上がりだ!」てなもんですが、ムラは真夜中ムードですよ。

 行ってきました、花組ステージトーク
 そりゃ行くでしょ、生まっつが見られるんだから!
 最前列チケットGETして、張り切って出かけました、たった1時間の催しのために、はるばると!

 えーと。

 ふつーに、たのしかったです。

 …………。
 …………。
 …………あれ?

 とくに、語ることもつっこむこともないというか。

 まっつはあのまんまのまっつでした。
 舞台と同じ顔してるんだね……。
 好きな顔なので、間近で見られてうれしかったっす。

 きほちゃんが、マジかわいかった!! 顔ちっちぇー。

 やはり、素顔のジェンヌさんを見ると、男役より娘役にときめきますな。かわいいんだもん。生身の女の子として、きれいでかわいくて、「いいなあ」と心から思う。
 舞台では、男役にめろめろですけどね(笑)。

 しかし、きほちゃん。
 ラストの「ギスターブ、早く着替えて!」のアドリブをとばすために、その前のシーンを巻いてみたりと、新人とは思えない計算高さ……。度胸のある子だなあ。

 質問は前もって紙に書いて提出させられるんだけど(わたしは書いたことない)、まっつの「カツラ」についての質問を書いた人が何人かいたらしい。
「素敵なカツラでした」てなことを枕詞にし、カツラ決定の裏話を希望していた模様。

 素敵?
 ええっ?!

 耳を疑うわたし。

 だが、カツラへの質問者が複数だと知り、わたしはひとりで納得した。

 あのイケてねえカツラを、いったいどーゆー経緯で選んだのか教えてくれ−心の叫び!!

 ってことよね、My Sisters!
 みんなも、疑問だったってことよね?
 でも、「あの微妙なカツラは、なんだったんですか?」とは聞けないから、「素敵なカツラでしたね!で、どういったイメージであの髪型にされたんですか?」と、日本人らしく歯に衣着せて質問したんだよねっ?

 まっつはたのしそーに答えてくれました。

 キムタクがモデルだと。

 キムタクですか!!(思わず、大きく天を仰ぐ)

 話の途中からいやな予感はしてたけど、的中かいっ。
 そりゃ、キムタクはいいよ。髪切ってから男前が上がっているさ。
 しかし。
 キムタクがかっこよくても、似た髪型をしたまっつがかっこいいかどうかは、また別問題……。あー……。

 なにはともあれ。
 生まっつが見られただけでも しあわせです。はい。

 
「なんか、1日1時間、ママにパソコン教えてる気がする……」

 と言ったら弟、

「うひゃひゃひゃ」
 と笑いやがりました。

 笑うとこですか、ソレ?!
 
 
 猫には、霊が見える、って言うよね?

 実際、うちの猫もよく、どこでもない空間を見つめて静止していたりする。
 そこになにかいるのか、なにか気になるものがあるのか……。
 ただじいっと、虚空を見つめていたりする。

 今日もまた。
 ふと見ると、猫が……口を開けていた。

 うっすらと、口を開けたまま静止している。

 えーと。
 人間でも、口をうっすら開けたまま虚空を見つめている人って、こわいよねえ。指一本分くらい、なんとなく開いていると。

 猫も、3mmほど口を開けたままにしていると、こわいです。

 てゆーか。

 まぬけ。

 口、閉じろよお前。
 開いてること、忘れてるだろ。

 霊を怖がるメンタリティは持っていないので(ゴキブリの方がはるかにこわい)、虚空を見つめてかたまっている猫の姿は、わたしにはひたすら愉快なものに見える。

 
 日記は「新バージョン」とやらへ書いてます。

 HPについてのなんの知識も興味もない人間なので、いろいろ面倒ナリよ。

 色を変えたりなんだりはどーでもいいから、事故なく毎日書けるよーにしてくれよ……。

 追記。

 http://diary.note.ne.jp/d/22804

 新バージョン日記へのアドレス。
 花組新公行ってきました。

 考えてみりゃ、通常の新公より時間が短くて、同じ値段なのは損な気がする新公ですわ。しかも理事長様作の駄作だし。
 人気がないのはそのせいかなあ……そのせいであってほしいなあ……発売日に売り切れなかった新公なんて、近年ではありえなかったもんなあ。
 さばきもそれなりにありました。てか、WHITEちゃんもさばいてたしな。
 人気ないのかな、まっつ……がっくし。

 最初におどろいたのは、新公パンフレット。
 入場者全員に手渡される2色刷(何故か広告のみフルカラー)のリーフレットなんだが、こんなにぺらいのははじめて見た。
 いつもは3つ折りの、表紙あわせて5ページ構成(裏の1ページはまるまる広告)。
 しかし今回は二つ折りの表紙あわせて3ページ構成だった……なにコレ。経費削減? 1幕1場ものの芝居だから、いつものようにキャストを場面ごとに記す必要がないせいですか? それとも、今後はこのカタチになるの?
 にしても、しょぼい。
 いつもより少ない上演時間に、いつもより安っぽいパンフレット……かなしい。

 初日に『天使の季節』の駄作っぷりを堪能したときに、思ったさ。
 これは新公の方が見物だぞ、と。
 もちろん、未熟な若者たちで演じるドタコメは寒い風が吹くだろうけれど、なんといっても新公は1回限りだ。1回限りならなんでもアリ。やったもん勝ち、やり逃げOK。あとはどこまではじけられるかだ。んな駄作を毎日演じ続ける苦痛に比べれば、1回こっきりのやり逃げOKには十分「可能性」があるってもん。

 実際……おもしろかった。

 素直に笑いました。

 そのか。
 ああ、そのか。
 なんてすてきなの、そのかっち。
 前回の新公でもそのかLOVEしか書いてなかったよーな気もするが、今回もまたそのかちゃんにめろめろです。
 またしても老け役だったけど、相変わらずめちゃきれい。顔にシワを描いたりはしないのね? なんで? いや、きれいな君を見られておばさんうれしいけど、純粋に疑問だった。老人役なのに何故、顔は美青年のままなの? タカラヅカだから?
 「さ行」に「y」をつけた発音で話し続けるじーさま医者ぶりが、かわいいやらおかしいやら。相方の看護婦@一花ちゃんとの相性もばっちり。いちばん笑わせてくれたのがこのふたり。
 下手花道を乳母車で暴走していく様は、マジで観ているわたしの口から悲鳴あがったもんなあ。ありゃこわいって! だからその直後の「がらがらがっしゃん!!」という効果音のリアリティあふれること。
 わたしの席のすぐ近くまで、ぼろぼろ医者@そのかが通路を歩いてきてくれて、どっきどきですわ(笑)。

 わたしが新公を好きな理由のひとつは、作品の本来の姿が浮き彫りになるということ。
 どんな駄作でも、ヅカのスターさんたちは、そのスター力である程度観られるモノへ力業で変換するからな。
 その点新公は、キャストが未熟な分、作品を底上げできなくなる。つまり、駄作ははてしなく駄作になるってことだ。
 『天使の季節』はもちろん、どーしよーもない駄作。
 作品の壊れっぷりは前に語ったのでもう不問。
 しかし今回、改めて実感したのが、「主役不在」ということ。

 植田理事長の作品はどれもこれも、「主役」がいない。
 彼は「主役」を描くことができない、という致命的な欠点を持っている。
 主役を中心に物語を構成し、ころがしていくことができないんだよね。それでクリエイターやっていられるのが不思議でしょーがないが、世の中この程度の不条理はいくらでもあるから仕方ない。
 『天使の季節』もまた、「主役」が存在しない。
 物語を動かすのは主役以外の人々だ。いちばん「なにもしない」のが主役だ。

 それでも本公演は、主役のオサ様がそのスター力でなんとか場を盛り上げている。本来脇役でしかない、どーしよーもない端役を、「わたしがスター!!」と輝くことで力尽くでセンターに持ってきている。

 しかし、新公では。

 ……ごめんね、まっつ。
 わたしはまっつファンだし、まっつの新公主役を手を叩いてよろこんだひとりだが。

 まっつが主役だとは、思えなかったよ。

 その昔、トド様が演じた太郎@恋さわぎにしか、見えなかった。
 ただの脇役。主役たちがばたばたやっている合間合間にちょろりと出てきて、ヒロインとラヴラヴやって、また引っ込む。
 それだけの役。

 ああ、まっつ……カツラ、似合ってねえ……スタイル微妙……顔、かなり微妙……。
 どうして? あなたいつも、もっともっと色男じゃない!! 今回のショーなんか、ヨダレもんの色男っぷりで踊ってるじゃない!! なのになんで、主役のときにこんなにイケてないの?!

 真ん中に立つと、匂い立つような「地味さ」が際立ってた……しょぼん。
 主役に見えない……。

 それを裏付けるかのように、王様役のときは、うまかった。似合ってた。……しょぼん。

 演目の当たりがわるかった、ってことかしら。
 正当派二枚目の役で、大仰な悲劇とかだったら、印象ちがっていたかも。
 本来ただの脇役にしかすぎない、出番もなにもない役で、地味めの実力派まっつが主役張るのは、気の毒だった気がする。

 主役のいない芝居だから、その他大勢たちが、がんばってました。
 ヒロイン母@あすかちゃん、すてき。なんか余裕でうまい。新公とは思えないキャラクタ。
 女官トリオのエンジンのかかりっぷりに拍手。銀橋でのパフォーマンスと「撤収!」には笑ったわー。

 主役の「親友」@りせちゃんは、相変わらずのさわやかさん。この子、なにやっても全部同じなんだが、キャラクタ自体はけっこう好き。……しかしさすがに、いー加減「声」くらいはなんとかして欲しい……未だに女の子のまんまだもんなあ。
 主役の「仲間」@大門さん、違和感なく「ヅカの男役」でびっくりだ。まだ研一だっつーに、りせちゃんよりナチュラルに「男役」だ(笑)。
 だいもんさんは、わたしが唯一観に行くことができた音楽学校文化祭(03/02/23)の芝居の主役だった人。当時から違和感ない人だったが……なんとも「古き良き時代」のかほりのする人だわ……。このまま開花して欲しい。
 そして、本公演のプログラムを買ってないんで知らなかったんだが、この芸人ふたりの役って、「親友」と「仲間」なのね。ふたりともが「親友」じゃなくて、順列があるのね。……ひどい男だね、ギスターブ。トリオで芸人やってるくせに、片方が「親友」で片方はただの「仲間」なんだ(笑)。

 ヒロイン@きほちゃん、かわいかった。てゆーか、あのドレスってあんなにかわいかったんだ! 本役さんが着ているときには気づかなかったよ……ゲフンゲフン。
 まだ美しい表情が作れないみたいだけど、スタイルよかったからもういいや。出てくるだけでヒロインだってわかるし。
 なにより、歌。
 歌える人だったんですね。まっつとふたり、これでもかっ! と歌い上げまくる……。ちと声量ありすぎ? 耳が痛かったよーな(笑)。

 1回限り、てのはいいよね。
 コメディのときはほんとに、そう思うよ。
 明日からのことを考えなくていいから、思いついたギャグは全部詰め込めるもの。まさにライヴ感覚ですなあ。
 本公演ではもう笑えないわたしでも、ちゃんと笑えるもの(……同じモノをもう一度観て笑える保証はないが)。
 主役不在の芝居だからこそ、団体芸としてたのしみました。
 脇役ひとりひとりがなにかしらがんばっていて、どこを見ていたらいいのか、迷ったよ。

 
「ねえねえそれで結局、『烈火』のヒロインって誰よ?」
「……ニニアン、かなあ?」
「やっぱり? あたしはさあ、リンだと思ってたんだよね……リンがヒロインだって信じてプレイしてたわけよ。期待するじゃない、女ひとりに男ふたりが主役となれば、ラヴい話を! リンはどちらの男と恋に落ちるのかしら、ってわくわくしてたのにっ」
「あー……たしかに。女ひとりと男ふたりならふつー、そう思うよなあ」
「なのにリンってば、色気なさすぎるし。剣の腕のことしか考えてないし。てゆーかめちゃくちゃ強いし」
「強いかあ? ぼくはリンは使えなかったぞ、弱すぎて」
「強いよ。エリウッドより力が強くて速かったんだよ? 最前線に送っても、ひらりひらりと敵の攻撃かわして、必殺の一撃でヌッコロしまくってたよ」
「エリウッド強かったぞ? 力も強いし、防御力も高かったから最前線OKだったし」
「防御力はそこそこあったけど、最前線には向かなかったよ。うちのエリウッドはいつも後方で護衛つけられて、大切に守られてたもん。なかなかクラスチェンジできなかったから、レベル20のまま放置されててさ。女の子のリンが最前線にいるのに、男のエリウッドは後方でお姫様扱い」
「最強キャラは何気に光の魔導師だったな。とにかく魔力高くて、2回攻撃するから無敵」
「光の人は強かったねえ。レベルまだいくらかあるのに、パラメータはとっくにMAX振り切ってたよ。でも、それより強かったのは闇の魔導師」
「使ってねーよ、闇なんか」
「強いよー、闇の人。魔力と速さは光の人にかなわなかったけれどそこそこあったし、なにより防御力高いから、最前線にひとりで送り込んでぜんぜんOK。無傷で敵全員ヌッコロしまくる」
「ぼくはずっと、斧の人使ってたからなあ。あいつら最低。どんなに育てても、使いもんにならない。防御力シスター以下だし、攻撃当たらないし」
「なんでそんなキャラ育てるのよ。あんな地味で不細工な男たちを……」
「バーツは強かったなあ……」
「なつかしい名前を……」
「戦士系の使いにくさが不満だ、『烈火』」
「戦士なんか使ってないから知らない」
「なんで使わないんだ、ロマンだろう、戦士は。敵の攻撃をものともせず持ちこたえ、戦斧の一撃で敵を抹殺する」
「足が遅くて鈍重なキャラは嫌いなんだってば。おまけに戦士系って不細工ばっかだし」
「男を顔で選ぶな」
「選ぶよ。てか、足の速いキャラしか使わないもん。だから竜の人と赤と緑の人は重宝した」
「竜の人、弱くて使えなかった……。飛行系ユニットぜんぜん育ててなかったから、苦労したよ……」
「竜の人、強かったよ? 育てたらぐんぐん強くなった。あと、赤の人は身ぐるみ剥いで囮として利用したなあ」
「ひでえ」
「だって強いんだもの赤の人。手ぶらで最前線に送り込むと、敵がわらわら寄ってきて便利。で、その寄ってきた敵を他の育てたいキャラで殺していく。1MAPまるまる囮にしても、まったくの無傷なんだよ、赤の人。強すぎ」
「まあ、どのタイトルでも、赤と緑のナイトは強いけどさ。……あー、でもやっば最強はヘクトル?」
「ヘクトル。強いよねえ。強すぎてつまんなかった。ネルガル相手でもヘクトル、華麗に攻撃かわしてヌッコロしてたよ」
「……最終MAPは大変だったさ……みんな弱くてさ……」
「えー、うちのは強すぎてあっけなかったよう。全員レベル20ふりきってたし」
「クラスチェンジして?」
「クラスチェンジして。最終のいくつか前のMAPから育てるキャラがいなくなっちゃって、それまでスルーしてた脇キャラまで育てはじめたよ」
「どーゆープレイの仕方をしたんだ」
「生真面目だからねえ、あたしは。とにかく、主人公はヘクトル、リン、エリウッドの順番で強かったな。リンは女の子だけどヒロインというより立派にヒーローで……恋愛なんてありえねーくらい、漢らしい娘だった……。まあ、男たちふたり、エリウッドとヘクトルが愛し合ってるから、リンは恋愛しなくていいのか」
「男たちふたり……たしかに、愛しあってたなあ(苦笑)」

 同じゲームをして、盛り上がって喋ることはできても、弟には言えないことがいろいろある。

 「エリウッドとヘクトルが愛し合っていた」が最低ラインだわ、それ以上は言えないわ!!
 エリウッドとヘクトルに関しては、「友情」を「愛し合っていた」と言い換えるくらいのユーモアを含ませても大丈夫だと思うけど。

 レイヴァンとルセアまで行くと、もうとても腐女子以外には話題を振れない……。

 レイヴァンとルセアって、完璧BLだったよねえ?
 あまりにBLなんで萌える以前にびっくらこいたけど。
 ここまでやらんでもええやろうに……。
 幼なじみで主従で年上受で復讐ですれ違いで、そして最後はプロポーズだよ……。アゴ落ちた……。フルコースですかい……。

 『烈火』のキャラの「相性」って、いちばん上の人のことを、いちばん愛しているってことよね?
 エリウッドとヘクトルはお互いにお互いがいちばん上にきているから、しあわせ両想い。
 レイヴァンとルセアも、ジャファルとニノもそうよね。

 わたし的にツボだったのが、実直な赤の人ケントがいちばん愛しているのが主君のリン姫(姫という呼び方が似合わない娘だ……)で、彼の親友の緑の人セインがいちばん愛しているのが、そのケントだったりすること。
 セインは女好きで軽薄で、相性を見てもケントの他は女の名前しか並んでないのに……。
 並々ならぬ女たちの数を誇りながらも、セインがいちばん好きなのはケントなんだ……。そんでもって片想いなんだ……。ケントの実らぬ恋(主君に恋してもあきませんわな)を応援しちゃったりするんだ……。
 片想いが大好きなわたし的には、ラヴラヴ・カップルのヘクトル×エリウッドやレイヴァン×ルセアより、セイン×ケントに心惹かれましたわよ……。

 なんてことは、弟には言えないしなっ。
 くそー。
 なんで妹じゃないんだー、弟。

「妹だったとしても、オタクじゃなかったら意味ないよ?」

 と言ったのは、誰だっけ? オレンジさん?

 オタクの妹が欲しい(笑)。

 ヘクトルをケロ、エリウッドをトウコで観てみたいわ、とか言える、ヅカファン妹でもヨシ(笑)。

 

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