暗い舞台こそ、光は輝く。@雪組新公
2003年9月9日 タカラヅカ 雪組新人公演『Romance de Paris』観劇。
配役発表までは、期待していたんだよ。
いづるん主役、いづるん主役、1回ぐらいは頼むよ、劇団! キムにはまだ来年があるじゃないか、いづるんに1回ぐらい主役をさせてやってくれえええ。
…………配役発表で、ヘコみました。
結局、キムか……。
いづるんはなに、樹里ちゃんの役? あれ、チガウ。
んじゃ、カシゲか。あれ、チガウ。
ええっ、どこよいづるん!!
……いっぽくんの、役?
ここまで落ちるの? 劇団はいづるんをその程度にしか思ってないってことよね。しょぼん。
ところが、本公演を観て、希望ができた。
だっていっぽくんの役って、本来なら樹里ちゃんがやっていそうな、2番手格の役じゃん!
いっぽくんのディディエに失望した瞬間から、希望は新公になった。
いづるんなら、いっぽくんよりうまいに決まってる!(失礼)
痛感したのは、「正塚芝居」であるということだった。
某理事長だの古狸作家だのの作品とちがい、正塚作品は「地味」であり「ナチュラル」である。
主役登場、ジャ・ジャーン!! なんていう手法を取らない。主役だけ不自然な超絶豪華な衣装を着ていたりしない。
群衆が歩き回るなかに、主役たちもまざる。もちろん、周囲と同じレベルの服装しかしない。
「スター」とは、群衆のなかであっても、同じ服であっても、光り輝かなければならない存在なのだ。
理事長作品ではわからない、その生徒自身が持つ「華」がむきだしになる。
それが、正塚作品なんだ。
いづるん……。
演技は、いっぽくんよりうまいよ。ディディエという書き込み不足で半端な役を、それでもよく演じていたよ。心の動きが見えて、納得できる人物像になっているよ。
だけどね。
君は……「スター」では、ないんだね……。
思い知らされた。
群衆シーンになると、いづるんはどこにいるのか、わからなくなる。ちゃんとライトはあたっているのに。
いっぽくんを思う。たしかに、彼はへたっぴだ。花組にいたときから、「あちゃー」な下手さだ。だが、彼には「華」がある。群衆のなかで、「あそこにスターがいる」とわからせる光がある。輝きがある。
そっか……いづるんが新公主役できない意味が、よーっくわかったよ……かなしいけど。
いづるんは光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。その魅力を大切に、耽美キャラのままでいてくれ。男役を惑わせる、妖しい男役でいてくれ。
その、本来の「華」がむきだしになる正塚芝居。
主役ふたりの「華」の、あでやかなこと!
舞台が暗かろうが、地味だろうが、群衆のなかだろうが、関係ナシ。そこが中心、彼らが主役、彼らがスター。
底上げナシの「華」が開花しているのが見える。
同じ役に見えません。
つーか、同じ作品に見えないっていうか。
なんなんだろう、この力強さは。
キムもとなみも、「タカラヅカ」だと思った。スター中心のピラミッドの頂点に立つ力。劇団員全員でそのピラミッドを作り、維持し、もてはやす、その特殊な世界の図式を、キムととなみのふたりに改めて気づかされたというか。
やっぱタカラヅカっちゅーのは、スターあってのもんなんだよなあ。実力より華だよなあ。しかも、キムととなみも実力もあるからなあ。
このふたりの時代になるときが、たのしみだ。素直にそう思えたよ。
わたしは本役のコム姫が、正塚の美学を正しく表現しているとは思えない。あんなもんぢゃねえ、と思っている。
だが、新公のキムはさらに、別モノだ。
それでも最初は、正塚らしく演じようとしていたように見えた。だからなんとなく、おさまりが悪い。無理をしている感じ。
ところが、途中からどんどん彼は変化していく。
抑えていた「華」があふれ出てくる感じ。
ラストまで行くと、もー開き直りか?
別モン上等! かかってきな! 状態。
正塚が描きたかった「ヴァンサン」という男はどこにもいない、「タカラヅカのスター、キム」がそこにいた。
ラストの銀橋の歌はどうだ、観客まで味方につけて、今までと温度のチガウ拍手のなかで「新しいヴァンサン」として爽快に笑ってやがったぞ?!
1時間半の芝居の中で、キャラクターがここまで変化するなんて……えらいもん見たなー。
となみちゃんはひたすら、美しい。まさしく王女様。威厳がありすぎる気はするが、市井の小娘にしか見えないよりはるかにマシさ。
正真正銘の姫役者なんだなと思う。最近のヅカでは希少な存在。保護せよ保護。
凛とした風情が、感情移入を加速させる。わたしたちが「見たい」と思えるよーなお姫様だから。
とにかく、「立っているだけでお姫様」に見える、ってのは、得難い才能だよ。
……主役ふたりに関しては、明日から本公演に立っていてくれても、わたしはぜんぜんかまわないぞ……。(小さな声)
だってコム姫は光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。影より光、月より太陽のキムとは持ち味逆じゃん。だから好きなのにさー。
つーかもともと、真ん中に立つタイプでは……ゲフンゲフン。
ところで、ひじりんってのは、なんであの位置にいるんですかねえ。
前回の新公でも、そのへたっぴさにおどろかせてもらったんだけど、今回もまた、ひとり群を抜いて下手なんですが。
華があるようでもなく、とりたてて美しいわけでもなく……何故あの役なの?
スタイルはいいけどさー。それだけであれほどの扱いが続いている、というのはわたしには理解不能。
小天狗くらまちゃんはかわいいなあ、元気だなあ。きりやんとアサコを足して2で割ったよーな男の子顔に、さわやかな華。目がいくわー。
舞咲りんちゃん、WHITEちゃんとふたりでひそかにファンしてるんだけど、ほんと横顔に特徴ありすぎ(笑)。正面からと横からの、ビジュアルのギャップにいつも息をのむ。
あとはひたすら、真波そらくんの美しさに見とれていました。
うおー、なんて美しいんだー。
台詞がねーから、演技力はぜんぜんわかんないけど、それにしたってかっこいいぞーっ。
目の保養だ、寿命が延びるぞー。
「チケットを譲ってくれたキムファンのココちゃんに、感想を言う約束してるんだけど……どう言えばいいのか、わからないよ」
と、キティちゃんはわめく。
「ふつーに言えばいいじゃない。キムちゃん、よかったよ、って」
「だって、ココちゃんはコムのファンでもあるのよっ?! コムを悪く言わずに、キムを誉めるなんてできないわ! キムの方がよかった、としか言えないのに!」
「……だから、コムのことはなにも言わず、キムを誉めればいいんだってば」
「だから、そんなことできないって! キムの方がよかったんだから!」
比較系でしか、感想って言えないものだっけ? そりゃわたしも、比較してモノを語るけどさー。
大体、「いい」「悪い」は好きずきだから。どちらの方が、と言ってもそれは、あくまでも個人の主観の問題。コム姫の方がよくて、キムなんか最悪!な人たちもたくさんいるんだろーから、相手を傷つける目的でなく「自分の意見」として言う分にはべつに、いいんじゃないかと思うが……。
さて、キティちゃんは無事にココちゃんに感想を伝えられたのかしら。
配役発表までは、期待していたんだよ。
いづるん主役、いづるん主役、1回ぐらいは頼むよ、劇団! キムにはまだ来年があるじゃないか、いづるんに1回ぐらい主役をさせてやってくれえええ。
…………配役発表で、ヘコみました。
結局、キムか……。
いづるんはなに、樹里ちゃんの役? あれ、チガウ。
んじゃ、カシゲか。あれ、チガウ。
ええっ、どこよいづるん!!
……いっぽくんの、役?
ここまで落ちるの? 劇団はいづるんをその程度にしか思ってないってことよね。しょぼん。
ところが、本公演を観て、希望ができた。
だっていっぽくんの役って、本来なら樹里ちゃんがやっていそうな、2番手格の役じゃん!
いっぽくんのディディエに失望した瞬間から、希望は新公になった。
いづるんなら、いっぽくんよりうまいに決まってる!(失礼)
痛感したのは、「正塚芝居」であるということだった。
某理事長だの古狸作家だのの作品とちがい、正塚作品は「地味」であり「ナチュラル」である。
主役登場、ジャ・ジャーン!! なんていう手法を取らない。主役だけ不自然な超絶豪華な衣装を着ていたりしない。
群衆が歩き回るなかに、主役たちもまざる。もちろん、周囲と同じレベルの服装しかしない。
「スター」とは、群衆のなかであっても、同じ服であっても、光り輝かなければならない存在なのだ。
理事長作品ではわからない、その生徒自身が持つ「華」がむきだしになる。
それが、正塚作品なんだ。
いづるん……。
演技は、いっぽくんよりうまいよ。ディディエという書き込み不足で半端な役を、それでもよく演じていたよ。心の動きが見えて、納得できる人物像になっているよ。
だけどね。
君は……「スター」では、ないんだね……。
思い知らされた。
群衆シーンになると、いづるんはどこにいるのか、わからなくなる。ちゃんとライトはあたっているのに。
いっぽくんを思う。たしかに、彼はへたっぴだ。花組にいたときから、「あちゃー」な下手さだ。だが、彼には「華」がある。群衆のなかで、「あそこにスターがいる」とわからせる光がある。輝きがある。
そっか……いづるんが新公主役できない意味が、よーっくわかったよ……かなしいけど。
いづるんは光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。その魅力を大切に、耽美キャラのままでいてくれ。男役を惑わせる、妖しい男役でいてくれ。
その、本来の「華」がむきだしになる正塚芝居。
主役ふたりの「華」の、あでやかなこと!
舞台が暗かろうが、地味だろうが、群衆のなかだろうが、関係ナシ。そこが中心、彼らが主役、彼らがスター。
底上げナシの「華」が開花しているのが見える。
同じ役に見えません。
つーか、同じ作品に見えないっていうか。
なんなんだろう、この力強さは。
キムもとなみも、「タカラヅカ」だと思った。スター中心のピラミッドの頂点に立つ力。劇団員全員でそのピラミッドを作り、維持し、もてはやす、その特殊な世界の図式を、キムととなみのふたりに改めて気づかされたというか。
やっぱタカラヅカっちゅーのは、スターあってのもんなんだよなあ。実力より華だよなあ。しかも、キムととなみも実力もあるからなあ。
このふたりの時代になるときが、たのしみだ。素直にそう思えたよ。
わたしは本役のコム姫が、正塚の美学を正しく表現しているとは思えない。あんなもんぢゃねえ、と思っている。
だが、新公のキムはさらに、別モノだ。
それでも最初は、正塚らしく演じようとしていたように見えた。だからなんとなく、おさまりが悪い。無理をしている感じ。
ところが、途中からどんどん彼は変化していく。
抑えていた「華」があふれ出てくる感じ。
ラストまで行くと、もー開き直りか?
別モン上等! かかってきな! 状態。
正塚が描きたかった「ヴァンサン」という男はどこにもいない、「タカラヅカのスター、キム」がそこにいた。
ラストの銀橋の歌はどうだ、観客まで味方につけて、今までと温度のチガウ拍手のなかで「新しいヴァンサン」として爽快に笑ってやがったぞ?!
1時間半の芝居の中で、キャラクターがここまで変化するなんて……えらいもん見たなー。
となみちゃんはひたすら、美しい。まさしく王女様。威厳がありすぎる気はするが、市井の小娘にしか見えないよりはるかにマシさ。
正真正銘の姫役者なんだなと思う。最近のヅカでは希少な存在。保護せよ保護。
凛とした風情が、感情移入を加速させる。わたしたちが「見たい」と思えるよーなお姫様だから。
とにかく、「立っているだけでお姫様」に見える、ってのは、得難い才能だよ。
……主役ふたりに関しては、明日から本公演に立っていてくれても、わたしはぜんぜんかまわないぞ……。(小さな声)
だってコム姫は光より影、太陽より月の魅力を持つ男役。影より光、月より太陽のキムとは持ち味逆じゃん。だから好きなのにさー。
つーかもともと、真ん中に立つタイプでは……ゲフンゲフン。
ところで、ひじりんってのは、なんであの位置にいるんですかねえ。
前回の新公でも、そのへたっぴさにおどろかせてもらったんだけど、今回もまた、ひとり群を抜いて下手なんですが。
華があるようでもなく、とりたてて美しいわけでもなく……何故あの役なの?
スタイルはいいけどさー。それだけであれほどの扱いが続いている、というのはわたしには理解不能。
小天狗くらまちゃんはかわいいなあ、元気だなあ。きりやんとアサコを足して2で割ったよーな男の子顔に、さわやかな華。目がいくわー。
舞咲りんちゃん、WHITEちゃんとふたりでひそかにファンしてるんだけど、ほんと横顔に特徴ありすぎ(笑)。正面からと横からの、ビジュアルのギャップにいつも息をのむ。
あとはひたすら、真波そらくんの美しさに見とれていました。
うおー、なんて美しいんだー。
台詞がねーから、演技力はぜんぜんわかんないけど、それにしたってかっこいいぞーっ。
目の保養だ、寿命が延びるぞー。
「チケットを譲ってくれたキムファンのココちゃんに、感想を言う約束してるんだけど……どう言えばいいのか、わからないよ」
と、キティちゃんはわめく。
「ふつーに言えばいいじゃない。キムちゃん、よかったよ、って」
「だって、ココちゃんはコムのファンでもあるのよっ?! コムを悪く言わずに、キムを誉めるなんてできないわ! キムの方がよかった、としか言えないのに!」
「……だから、コムのことはなにも言わず、キムを誉めればいいんだってば」
「だから、そんなことできないって! キムの方がよかったんだから!」
比較系でしか、感想って言えないものだっけ? そりゃわたしも、比較してモノを語るけどさー。
大体、「いい」「悪い」は好きずきだから。どちらの方が、と言ってもそれは、あくまでも個人の主観の問題。コム姫の方がよくて、キムなんか最悪!な人たちもたくさんいるんだろーから、相手を傷つける目的でなく「自分の意見」として言う分にはべつに、いいんじゃないかと思うが……。
さて、キティちゃんは無事にココちゃんに感想を伝えられたのかしら。
9月6日、夜。
1通のメールが、携帯に届いた。
うわ、なつかし。
イシちゃんからだ。もう何年会ってないかな、イシちゃん。会う約束のたびに、彼女の都合が悪くてドタキャンになっちゃって、そのままなんとなーく縁遠くなって、しかもそのうち結婚しちゃって、もーぜんぜん会うこともなくなった相手。
どーしたんだろ、イシちゃん。メールもらうのだって、「結婚しました」報告の1行メール以来だぞ。
なつかしさによろこんで、メール本文を携帯の画面に出す。
〈タイトル〉
こんばんは
〈本文〉
遅くに失礼しま
す。実は今、ス
ノオちゃんが交
通事故に遭い、
****病院に
……わたしの携帯は、文字が大きい。買ったときのままで、小さい文字に設定し直したりしていないせいだ。
画面に、これだけの文章が表示された。
交通事故?!
スノオちゃんが?!!
イシちゃんもスノオちゃんも、学生時代の同じクラスの友だちだ。
スノオちゃんに最後に会ったのは、去年のわたしの誕生日、ミヨの結婚式だ〈イシちゃんはミヨの結婚式も前日ドタキャンだった。わたしはイシちゃんの代わりに急遽受付をやった〉。
画面をスクロールするのが、こわかった。
スノオちゃんが交通事故に遭い、****病院に……その次は、なに?
まさかこれ、訃報?
がくがくぶるぶる。
めちゃ恐怖しながら、スクロールボタンを押す。
入院しています
。腎臓破裂でし
ぱらくかかりそ
うです。
今のところ、手
術はしなくてよ
……腎臓破裂?!! 破裂してるんですか、内臓が!!
えーと、スノオちゃんは車に乗る人だったよね。交通事故って、ぶつけられたの、ぶつけたの? 同乗者は? まさか家族とか、なんか大変なことになってるんじゃあ?
咄嗟に、いろいろこわい考えが頭を走る。
で、でも、生きてるんだ。
訃報じゃない、スノオちゃん、生きてるんだ。大ケガみたいだけど、とりあえず生きてる。
どきどきする自分をなだめる。
まだ心臓ばくばくしたまま、さらに画面をスクロールさせる。
さそうだとのこ
とです。
お時間があれば
ベッドから動け
なくてヒマをも
てあましている
……あれ? 首を傾げる。
腎臓破裂、だけど今のとこ手術はしなくてもよさそう、まではわかる。
しかし、ヒマをもてあましている?
さらにスクロール。
スノオちゃんの
携帯に、励まし
のメールをお願
いします。
−イシ子より−
……ヒマをもてあましているスノオちゃんの携帯に、励ましのメールを??
って、スノオちゃん、めちゃくちゃ元気なんかいっ。
がっくし。
不安に震えたぶん、反動が大きい。
わたしは速攻スノオちゃんにメールをした。
スノオちゃんからは、
“あらま、なんかすっかりゆーめーじんね。今さっきミヨにもメールもらって返信したところっす。……(以下、私信は略)”
とゆー、とてものんきな返信がきた。
事故に遭ってから3日目、今は点滴もはずれて、元気にやっているらしい。
へなへな。安心して、気が抜ける。
つーかイシちゃん。
アンタのメールの書き方が、いちばん悪いよっ。
どーして「スノオちゃんがヒマをもてあましているので、メールをお願いします。スノオちゃんは今、交通事故で入院しています」という書き方をしてくれないのー?!
時系列順に書いてくれたってのはわかるけど、携帯メールにそれは酷だよー。泣。
とゆーことで、本日はスノオちゃんのお見舞い。前もってアポもとってある。
日曜日をはずしたのは、わざと。
日曜日はきっと、他に見舞客があるだろうから。一度にたくさんの人に来られるより、誰も来なくて寂しい日に来てくれた方がうれしい、と、入院時に父が言っていたので。
身内以外の見舞いはひさしぶりなので、ネットで見舞いのマナーを調べ、手みやげや見舞金の相場と常識などを頭にたたき込んでからさあ出発。
結婚式もそうだけど、マナー事って時代や自分の年齢によって微妙に変化するからさー。以前通りのことが今の「ふつう」かどうか、いちいち調べる癖がついた(笑)。
そして。
ほんとに元気だったよ、スノオちゃん。わたしが行ったときには、ベッドをソファ代わりに坐ってお茶をしていた。
広い個室で、悠々自適。つーか、ふつー病院は携帯電話禁止だろ。個室ってことで、大目に見てもらっているそうな。
病室に入って、最初に目に飛び込んできたのが、大きなツードアの冷蔵庫と、その上の「化粧品一式」。
入院患者なのに、「化粧品一式」。収入のほとんどを「衣」に費やす、おしゃれ命のスノオちゃんならではだ。
途中、ご両親も現れたんだが、お父様は巨大な布団袋持参だった。
布団袋?
「だって、病院の布団、いまいちなんだもん」
ってアンタ、自宅から布団運ばせたんかい。よく見れば、枕はすでに病院のモノではなく、微妙な曲線を持つ快眠枕だった。自宅から搬入済みだったらしい。
自宅近所を歩いているときに、車にぶつけられたそうだ。
ミラーをぶつけられた横腹は痛かったが、血が出たわけでもなく、意識もあったので救急車が恥ずかしかったと言う。病院で診察を受けたときに「腎臓破裂してますねえ」と言われ、心底驚いたそうな。救急車を拒否して、自力で病院に行かなくてよかったね(そうするつもりだったらしい)。
「どうせ全額向こう持ちだし、それさえどうせ保険だし、退院まで個室でいいかな、って」
とのこと。
元気だし、暴れない限り痛みも大してないそうだが、とにかく腎臓が治るまで迂闊に動いてはいけない、ということで入院させられているらしい。病室内なら、ふつーに歩いているそうだし。
まったくもっていつものスノオちゃん。
ほっとした。
ほっとした、ので。
いやあ、喋りまくったよお。
なまじ、個室だからさー。
「この間の会社の友だちなんか、4時間喋っていったよ」
という話を聞いていたもんでな。
ははは、わたしは3時間半ほど喋り込んでいました。
喫茶店でダベってるのと同じだ。
お茶とお菓子で、えんえんお喋り、途中写メールしてみたりと、若い娘さんのよーな30女ふたり。
あ、もちろん、イシちゃんからの「こわいメール」も本人に見せたさ。このメールを読んで、どれだけわたしが震え上がったかを訴えたさ。スノオちゃんはけたけた笑っていた。
*お見舞いのマナー*
患者さんを疲れさせてはいけません。15分から20分ほどで、病室を出ましょう。
あー、たのしかったー。
帰宅してから、お礼と様子伺いのメールを出すと、速効返事が来る。
とてもたのしんでくれたようだ。テンション高い。
そのメールの最後には、
“ヤマダも見舞いに来てくれるって言うし。ここで懐かしの同窓会しましょうや。”
と書いてあった。
ここ、って……病室で同窓会かー。
ほんとに元気だな、スノオちゃん。
1通のメールが、携帯に届いた。
うわ、なつかし。
イシちゃんからだ。もう何年会ってないかな、イシちゃん。会う約束のたびに、彼女の都合が悪くてドタキャンになっちゃって、そのままなんとなーく縁遠くなって、しかもそのうち結婚しちゃって、もーぜんぜん会うこともなくなった相手。
どーしたんだろ、イシちゃん。メールもらうのだって、「結婚しました」報告の1行メール以来だぞ。
なつかしさによろこんで、メール本文を携帯の画面に出す。
〈タイトル〉
こんばんは
〈本文〉
遅くに失礼しま
す。実は今、ス
ノオちゃんが交
通事故に遭い、
****病院に
……わたしの携帯は、文字が大きい。買ったときのままで、小さい文字に設定し直したりしていないせいだ。
画面に、これだけの文章が表示された。
交通事故?!
スノオちゃんが?!!
イシちゃんもスノオちゃんも、学生時代の同じクラスの友だちだ。
スノオちゃんに最後に会ったのは、去年のわたしの誕生日、ミヨの結婚式だ〈イシちゃんはミヨの結婚式も前日ドタキャンだった。わたしはイシちゃんの代わりに急遽受付をやった〉。
画面をスクロールするのが、こわかった。
スノオちゃんが交通事故に遭い、****病院に……その次は、なに?
まさかこれ、訃報?
がくがくぶるぶる。
めちゃ恐怖しながら、スクロールボタンを押す。
入院しています
。腎臓破裂でし
ぱらくかかりそ
うです。
今のところ、手
術はしなくてよ
……腎臓破裂?!! 破裂してるんですか、内臓が!!
えーと、スノオちゃんは車に乗る人だったよね。交通事故って、ぶつけられたの、ぶつけたの? 同乗者は? まさか家族とか、なんか大変なことになってるんじゃあ?
咄嗟に、いろいろこわい考えが頭を走る。
で、でも、生きてるんだ。
訃報じゃない、スノオちゃん、生きてるんだ。大ケガみたいだけど、とりあえず生きてる。
どきどきする自分をなだめる。
まだ心臓ばくばくしたまま、さらに画面をスクロールさせる。
さそうだとのこ
とです。
お時間があれば
ベッドから動け
なくてヒマをも
てあましている
……あれ? 首を傾げる。
腎臓破裂、だけど今のとこ手術はしなくてもよさそう、まではわかる。
しかし、ヒマをもてあましている?
さらにスクロール。
スノオちゃんの
携帯に、励まし
のメールをお願
いします。
−イシ子より−
……ヒマをもてあましているスノオちゃんの携帯に、励ましのメールを??
って、スノオちゃん、めちゃくちゃ元気なんかいっ。
がっくし。
不安に震えたぶん、反動が大きい。
わたしは速攻スノオちゃんにメールをした。
スノオちゃんからは、
“あらま、なんかすっかりゆーめーじんね。今さっきミヨにもメールもらって返信したところっす。……(以下、私信は略)”
とゆー、とてものんきな返信がきた。
事故に遭ってから3日目、今は点滴もはずれて、元気にやっているらしい。
へなへな。安心して、気が抜ける。
つーかイシちゃん。
アンタのメールの書き方が、いちばん悪いよっ。
どーして「スノオちゃんがヒマをもてあましているので、メールをお願いします。スノオちゃんは今、交通事故で入院しています」という書き方をしてくれないのー?!
時系列順に書いてくれたってのはわかるけど、携帯メールにそれは酷だよー。泣。
とゆーことで、本日はスノオちゃんのお見舞い。前もってアポもとってある。
日曜日をはずしたのは、わざと。
日曜日はきっと、他に見舞客があるだろうから。一度にたくさんの人に来られるより、誰も来なくて寂しい日に来てくれた方がうれしい、と、入院時に父が言っていたので。
身内以外の見舞いはひさしぶりなので、ネットで見舞いのマナーを調べ、手みやげや見舞金の相場と常識などを頭にたたき込んでからさあ出発。
結婚式もそうだけど、マナー事って時代や自分の年齢によって微妙に変化するからさー。以前通りのことが今の「ふつう」かどうか、いちいち調べる癖がついた(笑)。
そして。
ほんとに元気だったよ、スノオちゃん。わたしが行ったときには、ベッドをソファ代わりに坐ってお茶をしていた。
広い個室で、悠々自適。つーか、ふつー病院は携帯電話禁止だろ。個室ってことで、大目に見てもらっているそうな。
病室に入って、最初に目に飛び込んできたのが、大きなツードアの冷蔵庫と、その上の「化粧品一式」。
入院患者なのに、「化粧品一式」。収入のほとんどを「衣」に費やす、おしゃれ命のスノオちゃんならではだ。
途中、ご両親も現れたんだが、お父様は巨大な布団袋持参だった。
布団袋?
「だって、病院の布団、いまいちなんだもん」
ってアンタ、自宅から布団運ばせたんかい。よく見れば、枕はすでに病院のモノではなく、微妙な曲線を持つ快眠枕だった。自宅から搬入済みだったらしい。
自宅近所を歩いているときに、車にぶつけられたそうだ。
ミラーをぶつけられた横腹は痛かったが、血が出たわけでもなく、意識もあったので救急車が恥ずかしかったと言う。病院で診察を受けたときに「腎臓破裂してますねえ」と言われ、心底驚いたそうな。救急車を拒否して、自力で病院に行かなくてよかったね(そうするつもりだったらしい)。
「どうせ全額向こう持ちだし、それさえどうせ保険だし、退院まで個室でいいかな、って」
とのこと。
元気だし、暴れない限り痛みも大してないそうだが、とにかく腎臓が治るまで迂闊に動いてはいけない、ということで入院させられているらしい。病室内なら、ふつーに歩いているそうだし。
まったくもっていつものスノオちゃん。
ほっとした。
ほっとした、ので。
いやあ、喋りまくったよお。
なまじ、個室だからさー。
「この間の会社の友だちなんか、4時間喋っていったよ」
という話を聞いていたもんでな。
ははは、わたしは3時間半ほど喋り込んでいました。
喫茶店でダベってるのと同じだ。
お茶とお菓子で、えんえんお喋り、途中写メールしてみたりと、若い娘さんのよーな30女ふたり。
あ、もちろん、イシちゃんからの「こわいメール」も本人に見せたさ。このメールを読んで、どれだけわたしが震え上がったかを訴えたさ。スノオちゃんはけたけた笑っていた。
*お見舞いのマナー*
患者さんを疲れさせてはいけません。15分から20分ほどで、病室を出ましょう。
あー、たのしかったー。
帰宅してから、お礼と様子伺いのメールを出すと、速効返事が来る。
とてもたのしんでくれたようだ。テンション高い。
そのメールの最後には、
“ヤマダも見舞いに来てくれるって言うし。ここで懐かしの同窓会しましょうや。”
と書いてあった。
ここ、って……病室で同窓会かー。
ほんとに元気だな、スノオちゃん。
告白は突然、求愛は強引。
2003年9月7日 タカラヅカ 突然現れたワタル王子が、ケロに向かって言いました。
「おれはお前に従う。おれはお前のしもべだ」
言い終わるなり、ワタル王子はケロに近づいてゆき、ふたりの影はひとつに重なりました。
……いや、その、ゲームの話です。
『MOTHER2』。
ええ、まだやってたんだよ。『1』と名前は同じままプレイしてたんで、主人公の少年がケロ、ガールフレンドがトウコ、眼鏡の知的でひ弱な親友がユウヒ、マッチョな親友がワタル。
無事にケロはユウヒと出会い、トウコを助け出し、どせいさんにも会って、世界を救うための冒険をつづけておりました。
そして、忘れていたころに4人目の仲間、ワタルが登場。なんと今回のワタルは王子様で、女の子にもモテモテでいちゃいちゃなナイスガイ(笑)。
このワタル王子登場のあたりで、長い間放置してありました。
が、先日ちょろりとつづきをやるかなと電源を入れたところ……。
ワタル王子ってば、いきなり冒頭に記したような台詞を吐いてくれました。
そして、ケロに近づき、重なりました。
……ええ、仲間になったんです。次の瞬間から、ケロの後ろに金魚のフンのよーに、トウコ、ユウヒ、ワタルの順で主人公たちがずらずら連なって歩いております。
すっかり油断してたからなあ。
登場するなり熱烈に告ってくれるとは思わなかったよ。
ケロ、モテモテ(笑)。熱愛者を3人はべらして、世界を救うのだ!
ワタル王子登場があまりにも強烈だったので、それだけでおなかいっぱいになって、またスイッチを切ってしまいました。
つづきをプレイするのはいつのことでしょう。つーか、終わるのか、コレ?
「おれはお前に従う。おれはお前のしもべだ」
言い終わるなり、ワタル王子はケロに近づいてゆき、ふたりの影はひとつに重なりました。
……いや、その、ゲームの話です。
『MOTHER2』。
ええ、まだやってたんだよ。『1』と名前は同じままプレイしてたんで、主人公の少年がケロ、ガールフレンドがトウコ、眼鏡の知的でひ弱な親友がユウヒ、マッチョな親友がワタル。
無事にケロはユウヒと出会い、トウコを助け出し、どせいさんにも会って、世界を救うための冒険をつづけておりました。
そして、忘れていたころに4人目の仲間、ワタルが登場。なんと今回のワタルは王子様で、女の子にもモテモテでいちゃいちゃなナイスガイ(笑)。
このワタル王子登場のあたりで、長い間放置してありました。
が、先日ちょろりとつづきをやるかなと電源を入れたところ……。
ワタル王子ってば、いきなり冒頭に記したような台詞を吐いてくれました。
そして、ケロに近づき、重なりました。
……ええ、仲間になったんです。次の瞬間から、ケロの後ろに金魚のフンのよーに、トウコ、ユウヒ、ワタルの順で主人公たちがずらずら連なって歩いております。
すっかり油断してたからなあ。
登場するなり熱烈に告ってくれるとは思わなかったよ。
ケロ、モテモテ(笑)。熱愛者を3人はべらして、世界を救うのだ!
ワタル王子登場があまりにも強烈だったので、それだけでおなかいっぱいになって、またスイッチを切ってしまいました。
つづきをプレイするのはいつのことでしょう。つーか、終わるのか、コレ?
アトラクションなら、どこから見てもOKってのは強みなのになあ。@呪怨2
2003年9月6日 映画 『呪怨2』を見ました。
監督・清水崇、出演・酒井法子、新山千春、堀江慶、市川由衣、葛山信吾。
前作が「物語」としてあんまりなデキだったため、かえって興味があった。
あの話を、続編ではどうするつもりなんだろう?
まさか、2作続けてアレなことをするはずないよね? いくらなんでも、そんなバカなことしないよね?
という、興味半分、へぼい作品見たいハート半分。
うわー。
感想をひとことで言うと。
「この監督は、映画を撮るより、お化け屋敷の監督をした方がいい」
『1』の感想で書いたことすべてが、まんま『2』の感想です。
あ、『1』の感想は今年の2月7日の日記ね。
シチュエーションだけで、ストーリーのない物語なんか、物語じゃない。
「映画」として成り立ってない。
お化け屋敷を作るべきだよ。この監督の作品なら、絶対こわいよー。ストーリーもいらないしさ。入場者をシーンごとにびっくりさせればいいんだから。
映画はもう、いいよ……。
今回もまた、いつもの自爆霊屋敷に関わった人たちが、全員呪われて死にました。おしまい。
ストーリー紹介はこれだけっす。
10数分に1回主人公が変わるので、ほんとーにただ、そのときの主人公が俊雄くんや伽耶子に追いかけられて死んでいくだけ。その繰り返し。
時系列をわざと乱して、どのエピソードがどのエピソードにつながる、という仕掛けをしている以外はなにもナシ。
なんせひとり10数分だから、主人公たちの人格も人生もなにも描かれず、ただきゃーきゃー叫んで恐怖に顔をゆがめて死んでいくのさ。
感情移入もなにもない。
『1』を見たときに、ストーリーがない「物語」がどれほどつまらないかを目の当たりにして驚いた。
たしかに目で見てこわいのに、心になにも届かないため、心では恐怖を感じなかった。そーゆーことってあるんだ、と、その体験に瞠目したさ。
繰り返される無限ループ。
シチュエーションだけを作り続ける情熱。
ストーリーを動かすキャラクターの出現を切望した。
だから『2』をどうするつもりなのか、確かめたかった。
1本は「シチュエーションだけ」でもいいかもしれない。だが、無限ループをシリーズ化しても意味がないだろう。
何故なら観客は「あきる」からだ。
現にわたしは、『1』の後半はすでにあきていた。
後ろから「わっ」と驚かされればたしかに驚くけど、何度もたてつづけに「わっ」とやられていたら、すぐにあきる。
人間ならわかりきったこと。
ではスタッフは、『2』をどうするつもりなのだろうか。『1』と同じと見せかけて、なにか仕掛けをして盛り上げるはずだ。観客の慣れを裏切る新鮮な驚きがあるはずだ。
と、思ってはいたんだよ。……その反面、まったく変わっていないんじゃないか、とあきらめながらも。
ええ、変わってなどいなかったさ。
無限ループ再び。
同じことを繰り返すのみ。
『1』よりグレードアップしているのは、後ろから「わっ」と驚かす、その声が大きくなったことぐらいかしらね。
『1』ではあまり姿を見せなかった(だからこわかった)伽耶子が大盤振る舞いで出まくりです! ……って、コレだけかよ、アップしたことって!! ほんとに「わっ」の声が大きくなった程度のことかよ。
「同じこと」を繰り返すのは、テクニックが必要だ。監督はたしかに才能のある人でしょう。でもそれは、「物語を作る」才能とは別のもののよーな気がするよ。
誰か他の、人間や物語を作るふつーの映画監督の、ホラー部分だけをこの清水氏が担当する、とかしたら、たのしいホラー映画が作られるんじゃないかな?
『呪怨2』を見てみたいと思っている人へ。
前もって『1』を見たりしなくていいです。前作のビデオシリーズもべつに、見なくていいでしょう。ストーリーはなかった、との証言があるので。
むしろ、なにも見ないで知らないで見るのがいちばん、たのしめると思います。
映画館に入ったとき、すでに映画がはじまっていても大丈夫。どっから見ても同じです。好きなところから見てヨシ。
それと。
酒井法子、最悪っす(笑)。
この女優をホラーに出してはいけない。リアリティもなんもあったもんじゃねえ。
テレビで等身大のかわいい女性を演じていてください。演技が必要な役は、やらせないでください(笑)。懇願。
監督・清水崇、出演・酒井法子、新山千春、堀江慶、市川由衣、葛山信吾。
前作が「物語」としてあんまりなデキだったため、かえって興味があった。
あの話を、続編ではどうするつもりなんだろう?
まさか、2作続けてアレなことをするはずないよね? いくらなんでも、そんなバカなことしないよね?
という、興味半分、へぼい作品見たいハート半分。
うわー。
感想をひとことで言うと。
「この監督は、映画を撮るより、お化け屋敷の監督をした方がいい」
『1』の感想で書いたことすべてが、まんま『2』の感想です。
あ、『1』の感想は今年の2月7日の日記ね。
シチュエーションだけで、ストーリーのない物語なんか、物語じゃない。
「映画」として成り立ってない。
お化け屋敷を作るべきだよ。この監督の作品なら、絶対こわいよー。ストーリーもいらないしさ。入場者をシーンごとにびっくりさせればいいんだから。
映画はもう、いいよ……。
今回もまた、いつもの自爆霊屋敷に関わった人たちが、全員呪われて死にました。おしまい。
ストーリー紹介はこれだけっす。
10数分に1回主人公が変わるので、ほんとーにただ、そのときの主人公が俊雄くんや伽耶子に追いかけられて死んでいくだけ。その繰り返し。
時系列をわざと乱して、どのエピソードがどのエピソードにつながる、という仕掛けをしている以外はなにもナシ。
なんせひとり10数分だから、主人公たちの人格も人生もなにも描かれず、ただきゃーきゃー叫んで恐怖に顔をゆがめて死んでいくのさ。
感情移入もなにもない。
『1』を見たときに、ストーリーがない「物語」がどれほどつまらないかを目の当たりにして驚いた。
たしかに目で見てこわいのに、心になにも届かないため、心では恐怖を感じなかった。そーゆーことってあるんだ、と、その体験に瞠目したさ。
繰り返される無限ループ。
シチュエーションだけを作り続ける情熱。
ストーリーを動かすキャラクターの出現を切望した。
だから『2』をどうするつもりなのか、確かめたかった。
1本は「シチュエーションだけ」でもいいかもしれない。だが、無限ループをシリーズ化しても意味がないだろう。
何故なら観客は「あきる」からだ。
現にわたしは、『1』の後半はすでにあきていた。
後ろから「わっ」と驚かされればたしかに驚くけど、何度もたてつづけに「わっ」とやられていたら、すぐにあきる。
人間ならわかりきったこと。
ではスタッフは、『2』をどうするつもりなのだろうか。『1』と同じと見せかけて、なにか仕掛けをして盛り上げるはずだ。観客の慣れを裏切る新鮮な驚きがあるはずだ。
と、思ってはいたんだよ。……その反面、まったく変わっていないんじゃないか、とあきらめながらも。
ええ、変わってなどいなかったさ。
無限ループ再び。
同じことを繰り返すのみ。
『1』よりグレードアップしているのは、後ろから「わっ」と驚かす、その声が大きくなったことぐらいかしらね。
『1』ではあまり姿を見せなかった(だからこわかった)伽耶子が大盤振る舞いで出まくりです! ……って、コレだけかよ、アップしたことって!! ほんとに「わっ」の声が大きくなった程度のことかよ。
「同じこと」を繰り返すのは、テクニックが必要だ。監督はたしかに才能のある人でしょう。でもそれは、「物語を作る」才能とは別のもののよーな気がするよ。
誰か他の、人間や物語を作るふつーの映画監督の、ホラー部分だけをこの清水氏が担当する、とかしたら、たのしいホラー映画が作られるんじゃないかな?
『呪怨2』を見てみたいと思っている人へ。
前もって『1』を見たりしなくていいです。前作のビデオシリーズもべつに、見なくていいでしょう。ストーリーはなかった、との証言があるので。
むしろ、なにも見ないで知らないで見るのがいちばん、たのしめると思います。
映画館に入ったとき、すでに映画がはじまっていても大丈夫。どっから見ても同じです。好きなところから見てヨシ。
それと。
酒井法子、最悪っす(笑)。
この女優をホラーに出してはいけない。リアリティもなんもあったもんじゃねえ。
テレビで等身大のかわいい女性を演じていてください。演技が必要な役は、やらせないでください(笑)。懇願。
『HERO』見てきたよ、けっこーツボだった(笑)。
明日は「1万人の第九」のレッスン初日だね、がんばってね。
てなメールをWHITEちゃんに送信したわずか数分後に自宅の電話が鳴った。
「『第九』のレッスンって、明日?!」
WHITEちゃんからだった。
明日だよ、9/4。ちゃんと前もってメールしてあったでしょ? ひみつ日記帰ってきてたから、読んでるはずだよね?
「たしかに読んだし、確認した。でも、9/4と明日がイコールでつながってなかった」
うなるWHITEちゃん。明日は明日で用事があったらしい。
でもなあ、老婆心から言うと、レッスンの初日は出ておいた方がいいと思うよ。わたしなんか、まずドイツ語さっぱりわかんねーから、発音から苦労したし。
「んじゃ緑野、あたしのかわりに試写会行く?」
WHITEちゃんの予定とは、試写会だったらしい。
タイトルも聞かずに、とりあえずOKする(笑)。映画ならなんでも見るぞー。
つーことで、急遽ピンチヒッターで試写会へ。
試写会場はわたしの家の近く。いつも行っている映画館の半分以下の距離。自転車で映画を見に行けるのって、楽でいいなあ。つーか、これくらいの距離に映画館があればいいのになあ。
『サハラに舞う羽根』、監督シェカール・カプール、出演ヒース・レジャー、ウェス・ベントリー、ケイト・ハドソン。
タイトルとチラシしか予備知識なし。
チラシを見てずっと、恋愛映画だと思っていた。
愛し合う恋人同士だろう若い男女が額を寄せ合うアップの下に、戦争らしきシーン。コピーは「この羽根に誓って、必ず君のもとへ。」ときたら、そう思っても仕方ないだろう。
きれいだからチラシは手に入れていたが、裏面の解説には一切目を通していなかった。
つーかわたし、チラシの解説なんか映画を見たあとぐらいしか読まないし(予備知識ナシで見るのが好きだから)。
うーん、これは……本国でも「恋愛映画」のふりをした予告や宣伝展開をしていたの?
それともまたしても、「恋愛映画ってことにしておかないと日本では売れないから、恋愛映画ってことにしておこうぜ」ってこと?
それくらい、男女の「恋愛」はどーでもいい位置づけでしたが?
1884年、イギリスは侵略戦争で元気いっぱい。主人公の若き将校ハリー@ヒース・レジャーはそのことに疑問を抱き、軍を除隊する。
戦争が正義であるこの時代、領地拡大侵略上等!を否定するハリーは親友や恋人から「臆病者」という意味の「白い羽根」を送りつけられる。
侵略戦争は嫌だ。でも、愛する者を救うためなら戦える。軍とも国とも無関係に、単身戦場であるアフリカへ渡ったハリーは、仲間たちの部隊を助けるために孤軍奮闘する。
男男男、とにかく男。
なんせ、戦争モノですから。
敵も味方も、男男男。
ひたすら、男しか出てこねえ。
男の面子と生き方と、男同士の友情の物語でした。
ふと周りを見ると、爆睡率高し。
そーいや「タイタニック以来の恋愛映画」と謳っていた、あの大嘘つき局地的歴史映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』もまさにこんな感じだったなあ。みなさん気持ちよさそうに爆睡。
そりゃそーよね、広告と本編が乖離してたら、つらいわなあ。
それにしても、『ギャング・オブ・ニューヨーク』と似てるなあ。
・恋愛至上主義のよーな広告(予告編を見たWHITEちゃんも、「恋愛映画だと思っていた」そうだ)。
・じつは男と男の物語。
・戦争シーンがメイン。殺し合いの描写に力入ってます。
・日本人にはあまり馴染みのない他国の歴史大作
・恋愛部分はおまけ。なくてもかまわない。
ヒロインのエスネ@ケイト・ハドソン(菅野美穂に似てる……めちゃくちゃ似てる……)は、極端な話、いなくてもかまわない役だった。
たとえば手紙だけとか、存在を匂わすだけでも十分だ。
主人公のハリーは、自分に「白い羽根」を送ってきた4人の親しい人間たちへ、そして自分自身へ勇気を示す必要があったわけだから、ヒロインは「白い羽根を送った4人のうちの1人」の意味しかないんだよね。
ヒロインが「4分の1」の重要さじゃあ、恋愛映画になるはずがないよ。
戦闘と戦友たちとの友情をここまで描くならば、ヒロインと恋愛は縮小してもかまわなかったのに。
下手にハリーとエスネの恋愛話を入れるより、「同じ女を愛してしまった」親友ジャック@ウェス・ペントリーとの話をもっと深めた方が良かったんじゃないのか?
とまあ、テーマが絞り切れていない気がして、散漫な印象。
どうせ友情モノをやるなら、徹底してほしかったさ。
仲間たちのキャラが薄いよー。目立ってたのはキャスルトン@クリス・マーシャルぐらい? しかもその目立ち方が「ああ、こいつもうすぐ戦死するぞ」と見え見えな目立ち方……。いやわたし、この子の顔はすごく好きなんだけど。
もっとひとりずつのキャラを立てて、深く掘り下げてくれたら、彼らに軽蔑されたハリーの絶望や、それでも立ち上がってひとりで前へ進む姿に感動できたのになー。
準主役のジャックにしろ、ちっともかっこよく見えない。あれじゃ親友の不在につけ込んで女を盗む、ただのヤな男だよ……。
神に導かれハリーを守ると言い張るアフリカの戦士アブー@ジャイモン・ハンスゥは不思議な存在感。
ハリーの守護天使を自認、ですか、そーですか。
あまりに唐突だったので「……ホモ?」と首を傾げてしまいましたよ(笑)。
いちばん感動的かつ、純粋ですばらしい友情は、ハリーとアブーの間に存在しました。
わたしのよーな腐った人間には「……ホモ?」にしか見えないんですけど。
試写前のナレーションで「CGを一切使っていない、迫力の戦闘シーンが見物です」とあり、感慨深かったよ。
そっかー、ひと昔前までは、「CGを使っている」ことが「売り」になったのに、今は逆なんだ……。
いちばん高いのは、人件費だよね。
結局この映画は、「友情はすばらしい!」ってことで、幕を閉じました。「アメリカ万歳!」で終わった『ギャング・オブ・ニューヨーク』よりは一般性があると思う。
英国軍の軍服が好きな人とか、うら若きにーちゃんたちがいちゃいちゃしたり戦争したりしているのが好きな人には、目に楽しい映画かもしれん。
戦闘機びゅんびゅんより、こーゆー原始的な戦いの方が、わたしは見る分には興味深かった。なんせチャンパラですから。
主役のヒース・レジャーは、美しい英国紳士のときより、小汚いアフリカの男のときの方が、かっこよかったす。わたしには。
明日は「1万人の第九」のレッスン初日だね、がんばってね。
てなメールをWHITEちゃんに送信したわずか数分後に自宅の電話が鳴った。
「『第九』のレッスンって、明日?!」
WHITEちゃんからだった。
明日だよ、9/4。ちゃんと前もってメールしてあったでしょ? ひみつ日記帰ってきてたから、読んでるはずだよね?
「たしかに読んだし、確認した。でも、9/4と明日がイコールでつながってなかった」
うなるWHITEちゃん。明日は明日で用事があったらしい。
でもなあ、老婆心から言うと、レッスンの初日は出ておいた方がいいと思うよ。わたしなんか、まずドイツ語さっぱりわかんねーから、発音から苦労したし。
「んじゃ緑野、あたしのかわりに試写会行く?」
WHITEちゃんの予定とは、試写会だったらしい。
タイトルも聞かずに、とりあえずOKする(笑)。映画ならなんでも見るぞー。
つーことで、急遽ピンチヒッターで試写会へ。
試写会場はわたしの家の近く。いつも行っている映画館の半分以下の距離。自転車で映画を見に行けるのって、楽でいいなあ。つーか、これくらいの距離に映画館があればいいのになあ。
『サハラに舞う羽根』、監督シェカール・カプール、出演ヒース・レジャー、ウェス・ベントリー、ケイト・ハドソン。
タイトルとチラシしか予備知識なし。
チラシを見てずっと、恋愛映画だと思っていた。
愛し合う恋人同士だろう若い男女が額を寄せ合うアップの下に、戦争らしきシーン。コピーは「この羽根に誓って、必ず君のもとへ。」ときたら、そう思っても仕方ないだろう。
きれいだからチラシは手に入れていたが、裏面の解説には一切目を通していなかった。
つーかわたし、チラシの解説なんか映画を見たあとぐらいしか読まないし(予備知識ナシで見るのが好きだから)。
うーん、これは……本国でも「恋愛映画」のふりをした予告や宣伝展開をしていたの?
それともまたしても、「恋愛映画ってことにしておかないと日本では売れないから、恋愛映画ってことにしておこうぜ」ってこと?
それくらい、男女の「恋愛」はどーでもいい位置づけでしたが?
1884年、イギリスは侵略戦争で元気いっぱい。主人公の若き将校ハリー@ヒース・レジャーはそのことに疑問を抱き、軍を除隊する。
戦争が正義であるこの時代、領地拡大侵略上等!を否定するハリーは親友や恋人から「臆病者」という意味の「白い羽根」を送りつけられる。
侵略戦争は嫌だ。でも、愛する者を救うためなら戦える。軍とも国とも無関係に、単身戦場であるアフリカへ渡ったハリーは、仲間たちの部隊を助けるために孤軍奮闘する。
男男男、とにかく男。
なんせ、戦争モノですから。
敵も味方も、男男男。
ひたすら、男しか出てこねえ。
男の面子と生き方と、男同士の友情の物語でした。
ふと周りを見ると、爆睡率高し。
そーいや「タイタニック以来の恋愛映画」と謳っていた、あの大嘘つき局地的歴史映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』もまさにこんな感じだったなあ。みなさん気持ちよさそうに爆睡。
そりゃそーよね、広告と本編が乖離してたら、つらいわなあ。
それにしても、『ギャング・オブ・ニューヨーク』と似てるなあ。
・恋愛至上主義のよーな広告(予告編を見たWHITEちゃんも、「恋愛映画だと思っていた」そうだ)。
・じつは男と男の物語。
・戦争シーンがメイン。殺し合いの描写に力入ってます。
・日本人にはあまり馴染みのない他国の歴史大作
・恋愛部分はおまけ。なくてもかまわない。
ヒロインのエスネ@ケイト・ハドソン(菅野美穂に似てる……めちゃくちゃ似てる……)は、極端な話、いなくてもかまわない役だった。
たとえば手紙だけとか、存在を匂わすだけでも十分だ。
主人公のハリーは、自分に「白い羽根」を送ってきた4人の親しい人間たちへ、そして自分自身へ勇気を示す必要があったわけだから、ヒロインは「白い羽根を送った4人のうちの1人」の意味しかないんだよね。
ヒロインが「4分の1」の重要さじゃあ、恋愛映画になるはずがないよ。
戦闘と戦友たちとの友情をここまで描くならば、ヒロインと恋愛は縮小してもかまわなかったのに。
下手にハリーとエスネの恋愛話を入れるより、「同じ女を愛してしまった」親友ジャック@ウェス・ペントリーとの話をもっと深めた方が良かったんじゃないのか?
とまあ、テーマが絞り切れていない気がして、散漫な印象。
どうせ友情モノをやるなら、徹底してほしかったさ。
仲間たちのキャラが薄いよー。目立ってたのはキャスルトン@クリス・マーシャルぐらい? しかもその目立ち方が「ああ、こいつもうすぐ戦死するぞ」と見え見えな目立ち方……。いやわたし、この子の顔はすごく好きなんだけど。
もっとひとりずつのキャラを立てて、深く掘り下げてくれたら、彼らに軽蔑されたハリーの絶望や、それでも立ち上がってひとりで前へ進む姿に感動できたのになー。
準主役のジャックにしろ、ちっともかっこよく見えない。あれじゃ親友の不在につけ込んで女を盗む、ただのヤな男だよ……。
神に導かれハリーを守ると言い張るアフリカの戦士アブー@ジャイモン・ハンスゥは不思議な存在感。
ハリーの守護天使を自認、ですか、そーですか。
あまりに唐突だったので「……ホモ?」と首を傾げてしまいましたよ(笑)。
いちばん感動的かつ、純粋ですばらしい友情は、ハリーとアブーの間に存在しました。
わたしのよーな腐った人間には「……ホモ?」にしか見えないんですけど。
試写前のナレーションで「CGを一切使っていない、迫力の戦闘シーンが見物です」とあり、感慨深かったよ。
そっかー、ひと昔前までは、「CGを使っている」ことが「売り」になったのに、今は逆なんだ……。
いちばん高いのは、人件費だよね。
結局この映画は、「友情はすばらしい!」ってことで、幕を閉じました。「アメリカ万歳!」で終わった『ギャング・オブ・ニューヨーク』よりは一般性があると思う。
英国軍の軍服が好きな人とか、うら若きにーちゃんたちがいちゃいちゃしたり戦争したりしているのが好きな人には、目に楽しい映画かもしれん。
戦闘機びゅんびゅんより、こーゆー原始的な戦いの方が、わたしは見る分には興味深かった。なんせチャンパラですから。
主役のヒース・レジャーは、美しい英国紳士のときより、小汚いアフリカの男のときの方が、かっこよかったす。わたしには。
飛ぶー、回るー、滑空するー。@HERO
2003年9月4日 映画 『HERO』を見てきました。
監督チャン・イーモウ、出演ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン。
最初に『HERO』の予告編を見たのは、なんの試写会でだったかな? ふつーの映画館の予告よりずっと早くに目にした。周囲からもなんの情報もなく、とにかくそのものすげー映像に口が開いた状態。
これはもう、見るしかないなあ、と思った。
わたしは当たらなかったので試写会には行けなかったけれど、先に試写を見た友人知人たちから情報が入りはじめる。
これがもー、全員口をそろえて「駄作!」と叫ぶ。
唯一、WHITEちゃんだけが苦笑いとともに「所詮中国映画と思って見たら、それなりにたのしめるよ」と言っていた。
百聞は一見に如かず。
自分の目で見、心で味わいませう。
つーことで、残暑のなかいつもの映画館へ自転車をとばす。
映画は映画館で、芝居は劇場で。本はひとりで。自宅で小さな画面でビデオを見るのでは、その映画や芝居のほんとうの力はわからない。ひととおしゃべりしながらぱらぱらめくっても、その本のほんとうの力はわからない。
とくに、『HERO』みたいな映画は、映画館で見なきゃ絶対おもしろくないだろー、とわかりきっているので、自転車ぎこぎこ。
映画館でなきゃ絶対たのしめない、とはじめからわかっている、という前提からして駄作のかほりはしているよ。
でもそれは、悪いことではないと思うんだ。映画なんだから、映画館を前提に作られていてもいいじゃん、と思う。
たとえば、携帯電話の待ち受け画像のつもりで作った画像を、大きなモニターに映して「解像度が悪い!」と文句つけても仕方ないよーなものでね。
映画は映画館で上映されることを前提に作られているのだから、わたしは映画館へ行く。わたしもわたしの書いた仕事用の文章を、正しい状況で読んでから評価して欲しいからな。自分がして欲しいことは、ひとにもしてみるさ、できる範囲で。
てなことを、えんえん最初に書くのは、「誉める人がいない」映画を、わざわざお金を出して映画館に行って、「駄作! 金返せ!」と言う場合の布石だ。言い訳だ。
わたしは映画を正しく味わうための努力はしたわ。だから、文句を言ってもいいわよね? と(笑)。
ここまで言い訳しておいて、覚悟も決めて、見たのよ、『HERO』。
ストーリーは……ええと……あんまし、なかったよーな……。
王様と、王様を狙う刺客を退治した男が、向かい合ってお喋りするだけの話。
……それだけ、なんだよな。
ただ、男の語る物語が、一転二転する。
最初はAと言っていたのが、王に「それはおかしい。ほんとうはBだろう」とつっこまれ、「おしい。じつはB’です」ということになり、でもさらに真実はCだった、てなふーにころころ変わっていくの。
かなしいのは、真実が最後のCだけであるにもかかわらず、嘘八百のAやBやB’も全部、長い時間をかけて「映画」として作られてしまっていること。それを長々と見せられたあとで「てのは全部嘘」てのを何回もやられると、「じゃあ今までの時間はいったいナニ?!」と詐欺にあったよーな気分に。
見ながら『MISTY』(制作時は天海祐希主演、フタを開けてみたら豊川悦司主役、だけど現在発売されているDVDには「金城武主演」と印刷してある、みょーな映画。もちろん映画館で見たさ)みたいだなー、とか思ったよ。
ストーリーはほとんどない、もしくは単純、と言っていいだろう。
この映画を駄作と言う人は全員、ストーリーを責めている。
そりゃーまー、わかるさ。
しかし。
わたしはこの映画、たのしかったのだわ。
あららびっくり。
これだけ覚悟して見たのに、ぜんぜんOK、ふつーにたのしかったわ。
もちろん、覚悟して見たのがよかった、てのはあるだろうけれど。
でも、なんの予備知識もなく試写会で見ていても、わたしはけっこー好きだったと思うよ。
ツボがあるから。
わたし、「王者の孤独」というテーマが好きなのだわ。
『王家に捧ぐ歌』で、アムネリスが泣きながらでも、ラダメスを処刑するしかないこととかね。
数年前にヒットした壮大な中国映画があったよね? もータイトルも覚えてないが。中国皇帝と刺客の話。アレもツボだったのよね。
暗殺をおそれ、10年間、誰ひとり100歩以内に近づけたことはない、という孤高の王。
彼の心を理解した者は、100歩以内に入ってきた者は、ただひとり、彼を殺しにやってきた刺客だけだった……。
刺客はあえて剣をおさめ、王を殺さずに去る。
3年後、その刺客を討ち取ったという男が、王の前に現れる。男女の痴情のもつれを利用して刺客を討ち取ったという。
王は言う。あの崇高な刺客が、痴情のもつれごときで死ぬはずがない、と。
もしもあの刺客が死んだというなら、それは命を懸けて男に使命を託したはずだと。
使命……すなわち、王の暗殺を。
王様、それって……刺客が命がけで自分を愛しているはずだと言っているよーなもんですが?(笑)
ホモネタはおくとして、純粋に「王の孤独」がツボでした。
この世でただひとりの、魂の親友をその手で処刑しなければならない痛みと、それでも立ちつづける強さと誇りと責任と。
そして、暴力による支配から、平和のための力の集権へと変わっていくあたり、『王家…』のラストのようですな。
きれいごとにすぎなくても、わたしはこーゆー展開が好きです。
好きなタイプの物語が、美しい映像で展開していくのよ。そりゃー、たのしいでしょう。
映像は、ものすっげーことになってます。
美しさだけにこだわった、現実無視の潔い作り。
ストーリーは後付けで、とにかくこの映像を作りたかったんだな、というのがまるわかりの、愉快なほどのものすごさと美しさ。
あちこち、マジで吹き出しました。
壮大すぎるとお笑いになるという、見本がそこに。
今どきマンガでもここまではないよ、というバカバカしさを、本気でやっているあたり、笑いはときに感動の域に達します。
この映画を嫌いな人の気持ちも、バカにする人の気持ちもよくわかる。
すべてにおいて、やりすぎてるわ。
でも、嘘を嘘とわかってヅカで萌えることのできるわたしには、こーゆータイプの虚構はまったくもって問題ナシ、純粋にたのしかった。
あー、きれーだわー。
個人的には「赤」のシーンの情念が好きだなー。ツッコミどころは満載だが、いちばん人間の愚かさが出ていて、昼メロを美しく演出するとこーなる、みたいなスタンスが俗物のわたしにはウケた。ヒロインがいちばん妖艶で美しいのもこの「赤」じゃないか?
主役の無名(ウーミン)@ジェット・リー、たしかにみんなが言う通りのタカシ・オカムラだなー。彼がもっと男前なら、あるいはせめて岡村に似ていなければ、もう少し突発的な笑いの発作も少なくすんだかもしれないんだが。
飛雪(フェイシュエ)@マギー・チャンがあちこち「フケた常盤貴子」「少し若い浅野温子」に見えてしょーがなかった。わたしは吹き替えで見たんだけど、声が浅野温子に似ていて、余計に愉快だった。美人なのかおばさんなのか、とても微妙だが、それでもたしかに美しい。しかし、化粧は濃い(笑)。
トニー・レオンは言うまでもなくかっこいいし、王様役の人がまた色気のある男前で、いい感じ。
そして、これぞ中国映画、の人海戦術。いいなあ、こーでなきゃなー(笑)。
とにかく、意外なほどたのしかったのよ、『HERO』。
でもここまで評判が悪いと、大きな声で言えないなあ(笑)。
監督チャン・イーモウ、出演ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン。
最初に『HERO』の予告編を見たのは、なんの試写会でだったかな? ふつーの映画館の予告よりずっと早くに目にした。周囲からもなんの情報もなく、とにかくそのものすげー映像に口が開いた状態。
これはもう、見るしかないなあ、と思った。
わたしは当たらなかったので試写会には行けなかったけれど、先に試写を見た友人知人たちから情報が入りはじめる。
これがもー、全員口をそろえて「駄作!」と叫ぶ。
唯一、WHITEちゃんだけが苦笑いとともに「所詮中国映画と思って見たら、それなりにたのしめるよ」と言っていた。
百聞は一見に如かず。
自分の目で見、心で味わいませう。
つーことで、残暑のなかいつもの映画館へ自転車をとばす。
映画は映画館で、芝居は劇場で。本はひとりで。自宅で小さな画面でビデオを見るのでは、その映画や芝居のほんとうの力はわからない。ひととおしゃべりしながらぱらぱらめくっても、その本のほんとうの力はわからない。
とくに、『HERO』みたいな映画は、映画館で見なきゃ絶対おもしろくないだろー、とわかりきっているので、自転車ぎこぎこ。
映画館でなきゃ絶対たのしめない、とはじめからわかっている、という前提からして駄作のかほりはしているよ。
でもそれは、悪いことではないと思うんだ。映画なんだから、映画館を前提に作られていてもいいじゃん、と思う。
たとえば、携帯電話の待ち受け画像のつもりで作った画像を、大きなモニターに映して「解像度が悪い!」と文句つけても仕方ないよーなものでね。
映画は映画館で上映されることを前提に作られているのだから、わたしは映画館へ行く。わたしもわたしの書いた仕事用の文章を、正しい状況で読んでから評価して欲しいからな。自分がして欲しいことは、ひとにもしてみるさ、できる範囲で。
てなことを、えんえん最初に書くのは、「誉める人がいない」映画を、わざわざお金を出して映画館に行って、「駄作! 金返せ!」と言う場合の布石だ。言い訳だ。
わたしは映画を正しく味わうための努力はしたわ。だから、文句を言ってもいいわよね? と(笑)。
ここまで言い訳しておいて、覚悟も決めて、見たのよ、『HERO』。
ストーリーは……ええと……あんまし、なかったよーな……。
王様と、王様を狙う刺客を退治した男が、向かい合ってお喋りするだけの話。
……それだけ、なんだよな。
ただ、男の語る物語が、一転二転する。
最初はAと言っていたのが、王に「それはおかしい。ほんとうはBだろう」とつっこまれ、「おしい。じつはB’です」ということになり、でもさらに真実はCだった、てなふーにころころ変わっていくの。
かなしいのは、真実が最後のCだけであるにもかかわらず、嘘八百のAやBやB’も全部、長い時間をかけて「映画」として作られてしまっていること。それを長々と見せられたあとで「てのは全部嘘」てのを何回もやられると、「じゃあ今までの時間はいったいナニ?!」と詐欺にあったよーな気分に。
見ながら『MISTY』(制作時は天海祐希主演、フタを開けてみたら豊川悦司主役、だけど現在発売されているDVDには「金城武主演」と印刷してある、みょーな映画。もちろん映画館で見たさ)みたいだなー、とか思ったよ。
ストーリーはほとんどない、もしくは単純、と言っていいだろう。
この映画を駄作と言う人は全員、ストーリーを責めている。
そりゃーまー、わかるさ。
しかし。
わたしはこの映画、たのしかったのだわ。
あららびっくり。
これだけ覚悟して見たのに、ぜんぜんOK、ふつーにたのしかったわ。
もちろん、覚悟して見たのがよかった、てのはあるだろうけれど。
でも、なんの予備知識もなく試写会で見ていても、わたしはけっこー好きだったと思うよ。
ツボがあるから。
わたし、「王者の孤独」というテーマが好きなのだわ。
『王家に捧ぐ歌』で、アムネリスが泣きながらでも、ラダメスを処刑するしかないこととかね。
数年前にヒットした壮大な中国映画があったよね? もータイトルも覚えてないが。中国皇帝と刺客の話。アレもツボだったのよね。
暗殺をおそれ、10年間、誰ひとり100歩以内に近づけたことはない、という孤高の王。
彼の心を理解した者は、100歩以内に入ってきた者は、ただひとり、彼を殺しにやってきた刺客だけだった……。
刺客はあえて剣をおさめ、王を殺さずに去る。
3年後、その刺客を討ち取ったという男が、王の前に現れる。男女の痴情のもつれを利用して刺客を討ち取ったという。
王は言う。あの崇高な刺客が、痴情のもつれごときで死ぬはずがない、と。
もしもあの刺客が死んだというなら、それは命を懸けて男に使命を託したはずだと。
使命……すなわち、王の暗殺を。
王様、それって……刺客が命がけで自分を愛しているはずだと言っているよーなもんですが?(笑)
ホモネタはおくとして、純粋に「王の孤独」がツボでした。
この世でただひとりの、魂の親友をその手で処刑しなければならない痛みと、それでも立ちつづける強さと誇りと責任と。
そして、暴力による支配から、平和のための力の集権へと変わっていくあたり、『王家…』のラストのようですな。
きれいごとにすぎなくても、わたしはこーゆー展開が好きです。
好きなタイプの物語が、美しい映像で展開していくのよ。そりゃー、たのしいでしょう。
映像は、ものすっげーことになってます。
美しさだけにこだわった、現実無視の潔い作り。
ストーリーは後付けで、とにかくこの映像を作りたかったんだな、というのがまるわかりの、愉快なほどのものすごさと美しさ。
あちこち、マジで吹き出しました。
壮大すぎるとお笑いになるという、見本がそこに。
今どきマンガでもここまではないよ、というバカバカしさを、本気でやっているあたり、笑いはときに感動の域に達します。
この映画を嫌いな人の気持ちも、バカにする人の気持ちもよくわかる。
すべてにおいて、やりすぎてるわ。
でも、嘘を嘘とわかってヅカで萌えることのできるわたしには、こーゆータイプの虚構はまったくもって問題ナシ、純粋にたのしかった。
あー、きれーだわー。
個人的には「赤」のシーンの情念が好きだなー。ツッコミどころは満載だが、いちばん人間の愚かさが出ていて、昼メロを美しく演出するとこーなる、みたいなスタンスが俗物のわたしにはウケた。ヒロインがいちばん妖艶で美しいのもこの「赤」じゃないか?
主役の無名(ウーミン)@ジェット・リー、たしかにみんなが言う通りのタカシ・オカムラだなー。彼がもっと男前なら、あるいはせめて岡村に似ていなければ、もう少し突発的な笑いの発作も少なくすんだかもしれないんだが。
飛雪(フェイシュエ)@マギー・チャンがあちこち「フケた常盤貴子」「少し若い浅野温子」に見えてしょーがなかった。わたしは吹き替えで見たんだけど、声が浅野温子に似ていて、余計に愉快だった。美人なのかおばさんなのか、とても微妙だが、それでもたしかに美しい。しかし、化粧は濃い(笑)。
トニー・レオンは言うまでもなくかっこいいし、王様役の人がまた色気のある男前で、いい感じ。
そして、これぞ中国映画、の人海戦術。いいなあ、こーでなきゃなー(笑)。
とにかく、意外なほどたのしかったのよ、『HERO』。
でもここまで評判が悪いと、大きな声で言えないなあ(笑)。
それは恋。@バイオハザード CODE:Veronica
2003年9月3日 ゲーム「『ベロニカ』だけどさあ、いちばん美しいのってひょっとして、ウェスカーなんじゃないの?」
と、言ってみたら、
「たしかにな」
と、弟も同意した。
『バイオハザード CODE:Veronica』。
まず弟がクリアし、ついでわたしも無事クリアした。
『ベロニカ』をプレイしていちばんおどろいたことは、ヒロイン・クレアのかわいくなさだ。
どーしたんだクレア?
ヒロインなんだぞ?
プレイヤーの分身なんだぞ?
なんでそんなに、かわいくないんだ?
「クレアがおばさんに見える」
先にプレイした弟が、首を傾げてそう言ったんだ。
おばさん?
『バイオ』シリーズの中で最年少ヒロインをつかまえて、おばさんはないだろ。
そう思ってはみたものの。
たしかに……おばさんだわ、こりゃ。
「ジル(バイオハザード3)はきれいだったし、レベッカ(バイオハザード0)はかわいかったよね?」
「ああ、レベッカなんか、すごくかわいかった」
「なのになんで、クレアはこんなにぶさいくなの?」
「どこが女子大生なんだ、こんな老けた女子大生アリか」
髪型がイカンのか? いかにもおばさんめいた、真ん中分け。
「てゆーかさ、クレアってあんまし、制作者に愛されてない? ふつー、ヒロインはもっと気を遣ってかわいく描くよねえ? 髪の毛とか一本一本揺れていたりさー。なのにクレアの髪、べたっとしたまま、のりで貼ってあるみたいに一切揺れないよ」
「表情も乏しいしな」
「それに比べて、悲劇キャラのスティーブの美しいこと。彼はすごく気を遣って描かれてるよね」
「あとはまあ、アレクシアか。美女っていう設定だからな」
「美しい順番で行けば、ウェスカー、スティーブ、アレクシア?」
「クリスは……美しい、というのとはチガウけど……クリスも変わってないか? あんなに二枚目だったっけか?」
クリスといえば、マッチョなタフガイ。いかにもなアメリカ人。
なのにクリスってば、マッチョでなくなってるのよーっ。
すらりとした男前になってるのよーっ。
「なんか、アメリカ人というより、日本男児って感じになってたね……」
「そう、それだ。日本製のゲームにありがちな、日本人のヒーローになってた」
「順番で行くと、ウェスカー、スティーブ、アレクシア、クリス……?」
「その、いちばんのウェスカーだけどな、なんか若返ってなかったか?」
「若返ってた! たしか中年だったはずなのに、やたら若くなってておどろいたっ」
「……どこぞの組織で改造人間になって、ついでに美青年になって戻ってきたのか……ウェスカー……」
ハズさない。どこまでもハズさないヤツだっ、ウェスカー。
しかしこのゲームにおいて、ウェスカーへの気合いの入った書き込み方は、すばらしいものがあるぞ。
なんせ彼は美しいのだ。
『バイオハザード1』において、チンケな小悪党であったはずのウェスカーが、シリーズを重ねるごとに美しく大物悪役になっていく。
「しかしクリス、間抜けだよなー。登場シーンから腹抱えて笑ったぞ」
「あー、崖を這い登ってたね……たったひとりで。なんでひとりで来るんだ、部隊率いてくれば、こんなに苦労しないのに」
「ウェスカーにアレクシアの始末を押しつけられるし。これだから、脳みそまで筋肉の男は」
「クリスがまぬけなのに加えて、ウェスカーの調子が良すぎるんだと思う……」
『王家に捧ぐ歌』にどっぷりなわたしは、クリスがラダメスとかぶるよ。どっちもマッチョでのーみそまで筋肉でできたナイスガイ。
最強の戦士であるにもかかわらず、巻き込まれ型の災難体質。
星組でやるなら、クリスはワタルくんだよなあ。んでクレアがトウコ(えっ、また女役っ?!)、絶世の美女アレクシアは檀ちゃん。んでもって、双子のアルフレッドも檀ちゃんで見たいなー。檀ちゃん初の男役。軍服姿が見たいぞー。んで、クレアに恋する少年スティーブはまとぶんで。
しかし……ウェスカー俳優がいない……。ケロ? オヤジなウェスカーならイメージだけど、今作のウェスカーは美しすぎるから、ケロじゃないよーな(ケロファンの台詞?!)。
「それにしてもクレアさあ、変わり身早すぎない? あれだけ武器持ってぼこばこ敵を皆殺しにしてきた最強の女が、クリスに出会うなり豹変」
「いきなりか弱い女の子になってたな。思わずつっこんだぞ、なにが『きゃっ』だ、って」
「クレアってさ……ひょっとして、ブラコン?」
『バイオ』シリーズは男女コンビで事件にのぞむのがお約束。
男が主人公なら女の子が相棒になるし、女の子が主人公なら男がナイトに現れる。
そして、大抵の場合、この男女はいい感じになるのだ。
「『バイオ』はいっつも“吊り橋恋愛”ばっかだよね」
正確にはなんといったっけ? はらはらどきどきしているときに、男女は恋に落ちやすいんだよね?
「でもクレアは、そうだっけ……?」
「『バイオ2』では、レオンとゆー美青年と知り合うけど……クレア、レオンのことなーーんとも、カケラも、思ってなかったよね」
「ひたすら、クリスのことばっか考えてた」
「でもって今回は、美少年スティーブがこの“吊り橋恋愛”にどっぷりハマって、何故かクレアに恋。……しかしクレア、まったく心動かず」
「クリスのことばっか」
「そして、あれほど強く戦いまくっていたくせに、クリスに会うなり豹変、突如か弱くかわいい女の子になる」
「ぶりまくってたよな……クリスと再会してからは、クレアはまったく戦わず、守られてやんの。下手したらクリスより強いくせに」
「いるんだ、そーゆー女。好きな男の前に出ると、人格変わるの」
「クリス、絶対だまされてるよな……クレアのこと、か弱い女の子だと思ってる……」
「か弱い女の子が悪の秘密基地奇襲するかっての」
クリア後のご褒美イラスト?は、クリスとデートするクレアの図でした。クリスの私服のダサさ加減がもう……。
そっかクレアはおにーちゃん大好きバカ娘か……。
悪の秘密基地に武装して突入するのも、おにーちゃんに会いたさゆえ、か。
そして、そこまでやっておきながら、おにーちゃんの前ではギャルゲーのやうな「妹キャラ」に変身か。
すげえや。
「それにしても、ウェスカーは最後まで笑わせてくれるよなあ」
「ほんとにねえ」
と、弟とたのしく会話してはいるんだけど。
弟には言えない。
言えないけど、このゲームでいちばんたのしかったことは。
ウェスカーの爆裂片思いっぷりよおおおっ(笑)。
そうかウェスカー、そんなにそんなに、クリスが好きか。
別の任務で来たはずなのに、「クリスに会えたから、そっちはもうどーでもいい」とか言っちゃいますか。
クレアをいぢめるのも、「お前が死ねば、クリスが悲しむだろうな」だし、「お前を助けに、クリスがやってくるはずだ」なのね。
クリスのことストーカーして、プレゼント贈って気を引いて(これがまた、ろんなもんぢゃねえ・笑)、ついには告白しちゃいますか。
「お前が憎い」ってのは、「あいらびゅーん」と同じ言葉だよね、旦那?!(笑)
せっかく捕まえたクレアのことも、クリスが「クレアを離せ。お前の目的は俺のハズだ」と言ったら、「そうだな」ってあっさり解放しちゃうし。ほんとに、クリスのことしかアタマにないのね。
わざわざクリスにもう一度会うために、改造人間?になって、10歳くらい若返って、そのうえ美形になって戻ってきたアルバート・ウェスカー。
笑えるくらいの爆裂片思いぶり。
のーみそまで筋肉のクリスは、まーーったく気づいちゃいねえ。
ああそしてわたしは。
わたしは……。
どうしよう、ウェスカーさんが「受」に見えます〜〜っっ。
シリーズ1作目から、ウェスカー×クリスだったのに。ウェスカーは鬼畜攻だったのに。
今では、空回り受に見えます……。
なまじウェスカー、美人になっちゃったし。クリスもすっきりとした男前になっちゃったし(なんなのよ、あの長い脚は)。
当初の「狡猾そうな中年男」の鬼畜攻と、「のーみそまで筋肉のマッチョ青年」受、という構図が崩れたからねえ。
マッチョじゃないクリスなんか、受にしてもたのしくないわ(をい)。
クリスなんかひと思いに殺せるだろうに(それくらい強くなってるのよ、メカ・ウェスカーは。スタッフの愛が彼には詰まってる)、何故かそうはしないウェスカー。
じわじわいたぶりたかったのに、途中でやめる。
この、やめる理由がすごい。
ウェスカーの美しい顔が、突発事故で炎に焼かれちゃったの。彼は人間じゃないから、顔が焼けても平気らしーんだが。
「こんな醜い顔で、クリスの前にいられない!」
ってことでしょうな。突然、「次に会うときは必ず地獄に送ってやる!」とか言い出すの。次の約束かよっ?!
まだまだ戦えるのに、顔が焼けたからって退却ですか。……ヲトメ……。
最初から最後まで、なにひとつハズすことなく、爆笑させてくれました、ウェスカーさん。
すばらしい。
ああでも、このいちばんのお笑いのツボを、弟に話せないなんて〜〜。つらいわー(笑)。
と、言ってみたら、
「たしかにな」
と、弟も同意した。
『バイオハザード CODE:Veronica』。
まず弟がクリアし、ついでわたしも無事クリアした。
『ベロニカ』をプレイしていちばんおどろいたことは、ヒロイン・クレアのかわいくなさだ。
どーしたんだクレア?
ヒロインなんだぞ?
プレイヤーの分身なんだぞ?
なんでそんなに、かわいくないんだ?
「クレアがおばさんに見える」
先にプレイした弟が、首を傾げてそう言ったんだ。
おばさん?
『バイオ』シリーズの中で最年少ヒロインをつかまえて、おばさんはないだろ。
そう思ってはみたものの。
たしかに……おばさんだわ、こりゃ。
「ジル(バイオハザード3)はきれいだったし、レベッカ(バイオハザード0)はかわいかったよね?」
「ああ、レベッカなんか、すごくかわいかった」
「なのになんで、クレアはこんなにぶさいくなの?」
「どこが女子大生なんだ、こんな老けた女子大生アリか」
髪型がイカンのか? いかにもおばさんめいた、真ん中分け。
「てゆーかさ、クレアってあんまし、制作者に愛されてない? ふつー、ヒロインはもっと気を遣ってかわいく描くよねえ? 髪の毛とか一本一本揺れていたりさー。なのにクレアの髪、べたっとしたまま、のりで貼ってあるみたいに一切揺れないよ」
「表情も乏しいしな」
「それに比べて、悲劇キャラのスティーブの美しいこと。彼はすごく気を遣って描かれてるよね」
「あとはまあ、アレクシアか。美女っていう設定だからな」
「美しい順番で行けば、ウェスカー、スティーブ、アレクシア?」
「クリスは……美しい、というのとはチガウけど……クリスも変わってないか? あんなに二枚目だったっけか?」
クリスといえば、マッチョなタフガイ。いかにもなアメリカ人。
なのにクリスってば、マッチョでなくなってるのよーっ。
すらりとした男前になってるのよーっ。
「なんか、アメリカ人というより、日本男児って感じになってたね……」
「そう、それだ。日本製のゲームにありがちな、日本人のヒーローになってた」
「順番で行くと、ウェスカー、スティーブ、アレクシア、クリス……?」
「その、いちばんのウェスカーだけどな、なんか若返ってなかったか?」
「若返ってた! たしか中年だったはずなのに、やたら若くなってておどろいたっ」
「……どこぞの組織で改造人間になって、ついでに美青年になって戻ってきたのか……ウェスカー……」
ハズさない。どこまでもハズさないヤツだっ、ウェスカー。
しかしこのゲームにおいて、ウェスカーへの気合いの入った書き込み方は、すばらしいものがあるぞ。
なんせ彼は美しいのだ。
『バイオハザード1』において、チンケな小悪党であったはずのウェスカーが、シリーズを重ねるごとに美しく大物悪役になっていく。
「しかしクリス、間抜けだよなー。登場シーンから腹抱えて笑ったぞ」
「あー、崖を這い登ってたね……たったひとりで。なんでひとりで来るんだ、部隊率いてくれば、こんなに苦労しないのに」
「ウェスカーにアレクシアの始末を押しつけられるし。これだから、脳みそまで筋肉の男は」
「クリスがまぬけなのに加えて、ウェスカーの調子が良すぎるんだと思う……」
『王家に捧ぐ歌』にどっぷりなわたしは、クリスがラダメスとかぶるよ。どっちもマッチョでのーみそまで筋肉でできたナイスガイ。
最強の戦士であるにもかかわらず、巻き込まれ型の災難体質。
星組でやるなら、クリスはワタルくんだよなあ。んでクレアがトウコ(えっ、また女役っ?!)、絶世の美女アレクシアは檀ちゃん。んでもって、双子のアルフレッドも檀ちゃんで見たいなー。檀ちゃん初の男役。軍服姿が見たいぞー。んで、クレアに恋する少年スティーブはまとぶんで。
しかし……ウェスカー俳優がいない……。ケロ? オヤジなウェスカーならイメージだけど、今作のウェスカーは美しすぎるから、ケロじゃないよーな(ケロファンの台詞?!)。
「それにしてもクレアさあ、変わり身早すぎない? あれだけ武器持ってぼこばこ敵を皆殺しにしてきた最強の女が、クリスに出会うなり豹変」
「いきなりか弱い女の子になってたな。思わずつっこんだぞ、なにが『きゃっ』だ、って」
「クレアってさ……ひょっとして、ブラコン?」
『バイオ』シリーズは男女コンビで事件にのぞむのがお約束。
男が主人公なら女の子が相棒になるし、女の子が主人公なら男がナイトに現れる。
そして、大抵の場合、この男女はいい感じになるのだ。
「『バイオ』はいっつも“吊り橋恋愛”ばっかだよね」
正確にはなんといったっけ? はらはらどきどきしているときに、男女は恋に落ちやすいんだよね?
「でもクレアは、そうだっけ……?」
「『バイオ2』では、レオンとゆー美青年と知り合うけど……クレア、レオンのことなーーんとも、カケラも、思ってなかったよね」
「ひたすら、クリスのことばっか考えてた」
「でもって今回は、美少年スティーブがこの“吊り橋恋愛”にどっぷりハマって、何故かクレアに恋。……しかしクレア、まったく心動かず」
「クリスのことばっか」
「そして、あれほど強く戦いまくっていたくせに、クリスに会うなり豹変、突如か弱くかわいい女の子になる」
「ぶりまくってたよな……クリスと再会してからは、クレアはまったく戦わず、守られてやんの。下手したらクリスより強いくせに」
「いるんだ、そーゆー女。好きな男の前に出ると、人格変わるの」
「クリス、絶対だまされてるよな……クレアのこと、か弱い女の子だと思ってる……」
「か弱い女の子が悪の秘密基地奇襲するかっての」
クリア後のご褒美イラスト?は、クリスとデートするクレアの図でした。クリスの私服のダサさ加減がもう……。
そっかクレアはおにーちゃん大好きバカ娘か……。
悪の秘密基地に武装して突入するのも、おにーちゃんに会いたさゆえ、か。
そして、そこまでやっておきながら、おにーちゃんの前ではギャルゲーのやうな「妹キャラ」に変身か。
すげえや。
「それにしても、ウェスカーは最後まで笑わせてくれるよなあ」
「ほんとにねえ」
と、弟とたのしく会話してはいるんだけど。
弟には言えない。
言えないけど、このゲームでいちばんたのしかったことは。
ウェスカーの爆裂片思いっぷりよおおおっ(笑)。
そうかウェスカー、そんなにそんなに、クリスが好きか。
別の任務で来たはずなのに、「クリスに会えたから、そっちはもうどーでもいい」とか言っちゃいますか。
クレアをいぢめるのも、「お前が死ねば、クリスが悲しむだろうな」だし、「お前を助けに、クリスがやってくるはずだ」なのね。
クリスのことストーカーして、プレゼント贈って気を引いて(これがまた、ろんなもんぢゃねえ・笑)、ついには告白しちゃいますか。
「お前が憎い」ってのは、「あいらびゅーん」と同じ言葉だよね、旦那?!(笑)
せっかく捕まえたクレアのことも、クリスが「クレアを離せ。お前の目的は俺のハズだ」と言ったら、「そうだな」ってあっさり解放しちゃうし。ほんとに、クリスのことしかアタマにないのね。
わざわざクリスにもう一度会うために、改造人間?になって、10歳くらい若返って、そのうえ美形になって戻ってきたアルバート・ウェスカー。
笑えるくらいの爆裂片思いぶり。
のーみそまで筋肉のクリスは、まーーったく気づいちゃいねえ。
ああそしてわたしは。
わたしは……。
どうしよう、ウェスカーさんが「受」に見えます〜〜っっ。
シリーズ1作目から、ウェスカー×クリスだったのに。ウェスカーは鬼畜攻だったのに。
今では、空回り受に見えます……。
なまじウェスカー、美人になっちゃったし。クリスもすっきりとした男前になっちゃったし(なんなのよ、あの長い脚は)。
当初の「狡猾そうな中年男」の鬼畜攻と、「のーみそまで筋肉のマッチョ青年」受、という構図が崩れたからねえ。
マッチョじゃないクリスなんか、受にしてもたのしくないわ(をい)。
クリスなんかひと思いに殺せるだろうに(それくらい強くなってるのよ、メカ・ウェスカーは。スタッフの愛が彼には詰まってる)、何故かそうはしないウェスカー。
じわじわいたぶりたかったのに、途中でやめる。
この、やめる理由がすごい。
ウェスカーの美しい顔が、突発事故で炎に焼かれちゃったの。彼は人間じゃないから、顔が焼けても平気らしーんだが。
「こんな醜い顔で、クリスの前にいられない!」
ってことでしょうな。突然、「次に会うときは必ず地獄に送ってやる!」とか言い出すの。次の約束かよっ?!
まだまだ戦えるのに、顔が焼けたからって退却ですか。……ヲトメ……。
最初から最後まで、なにひとつハズすことなく、爆笑させてくれました、ウェスカーさん。
すばらしい。
ああでも、このいちばんのお笑いのツボを、弟に話せないなんて〜〜。つらいわー(笑)。
タイムスリップ1986@コミケカタログとわたし。
2003年9月2日 オタク話いろいろ。 同人誌の整理をしていたら、昔のコミケカタログが出てきたよ……。
コミック・マーケット30。1986年夏。表紙・乙田基。
コミケカタログを保存する趣味はないんだが、これだけは取ってあったんだ。
はじめて行ったコミケだったから。
それに、当時大好きだった乙田基の表紙だし。
愉快だったので、思わず全ページ読んでしまったわ、カタログ。
広告あわせて、160ページしかないんだもん。
場所は今は亡き晴海。そして、使用しているのは西館と新館のみ、サークル数4000、一般参加者3万人だそうだ。
17年、という歳月の重みを感じる。
というのも、カルチャー・ショックに満ちているからだ。
サークルカットのページの最初、なんだと思う?
「創作漫画」なのよ?
ええっ?!
オリジナルですか。
しかもオリジナルが、えんえんえんえん続きます。
違和感を押さえきれず、ジャンル配分のチェックをしたら、なんと、オリジナル・サークルの方がパロディ・サークルより多いのよ。
オリジがパロより上?! うわー、こんな時代があったんだ。いや、大昔はそうだろうけど、きゃぷ翼全盛期の86年でさえ、オリジナルが上だったのか。
そして、読んでいるとわからない概念がそこかしこにある。
「マンガ」ってなに?
「アニメ」ってなに?
どうやらジャンルのことなんだけど、サークルはほぼこのふたつに分類できるらしい。
読み進むウチに、理解したよ。
「マンガ」ってのは、「創作系」「オリジナル系」のことらしい。
「アニメ」ってのは「パロディ」のことらしい。
オリジナル小説サークルも、「マンガ」なの。
小説のパロディ・サークルも「アニメ」なの。
「オリジナル」と「パロディ」という言葉や概念が確立される前だったのね。
「学生サークル」「社会人サークル」というジャンル分けも存在するらしいし。
職業で配置が変わるの?? すごいなー。
あと、目に付く「特集」「会員募集中」「会誌」の文字。
どうやらサークルとは正しくサークルで、同好の志が集まり、年に何回か会誌を発行しているらしい。会誌には特集ページがあり、執筆会員や購読会員がいる。
オリジナルだけならまだわかるが、アニパロでもそうなんだよなあ。
巻末のアンケート・ページに「サークルの形態」という集計結果がある。
そこにある項目がすごい。
「会員制」「編集制」「個人誌」「学校・大学」だよ。
「マンガ」のほとんどは「会員制」で、「アニメ」にしたって「編集制」がいちばんで、僅差で「会員制」だよ。
今、会員制のアニパロ・サークルなんて、どれくらいあるのかなあ。
当時の同人誌は、10人以上で原稿を持ち寄って作るのが常識だったからなー。ひとり4ページぐらいでさ。執筆者が多いほど「豪華な同人誌」だったよ……今と感覚が逆。
たったひとりの好きな作家の2ページだの4ページだののマンガが欲しくて、何十人もの人が書いている本を、高い金を出して買うのが普通だった。
サークルカットのページを見ていると、その画力の低さにも感心するし。
今の人たちってほんと、絵うまくなってるよね。
現在のサークルカットで「うわ、下手やな」と思うレベルが、86年では「ふつう?」くらいの感覚。とくに「マンガ」系はものすげーや。
そしてその下手絵たちのなかで、やたら目に付く「ペロリと舌を出したかわいこちゃん」の絵。
かわいいキャラのかわいい表情、ってのはコレが定番なんですか? 現実問題、舌を出した顔ってのはみっともないものであって、かわいくもなんともないのに。大昔の少女マンガでは、たしかに定番だったけど、この時代でもまだ通用していたの? 70年代の感覚じゃないのか、ソレって。
言葉の感覚のちがいで大きいのが、もうひとつ。
ジャンル分けに「ロリコン」が存在すること。
ブロックのジャンル分けページに、堂々と「新館2Fロリコン系」と書いてあるのよ。
現在では、「男性向き」とか微妙な表現になってるよね。それが正々堂々と「ロリコン」。
このままの感覚で発展していけば、いずれ「ホモ」というジャンル表記もアリになったかも? あ、「JUNE」があるか、女性向きには。
ちなみに86年夏の時点では「JUNE」というジャンル表記は存在せず、「マンガ>少女漫画>特に耽美系中心」というブロック配置ナリ。
この「ロリコン」サークルカットのページも、全部眺めたんだけど、「巨乳」がほとんどないのよ!
確認したのは、ふたつだけ。
あとは全部、常識内のおっぱいか、貧乳。
そっかー、巨乳は流行だったんだ。普遍的な感覚じゃないのね。
じゃあいつか、萌えキャラのおっぱいが常識の範囲に落ち着く時代や、貧乳の時代もくるのかしら。
いやあ、おもしろいなあ、17年前のコミケカタログ。
この世界に足を踏み入れたばかりだったので、なにもわかってなかったしな、当時は。
だから、たしかに経験してきたはずの多くのことが、「知らない文化」として現在のわたしの目に映る。
もっとちゃんと理解して過ごしていたなら、「ああ、昔はこうで、こんなふうに変化してきたのよね」とか思うんだろうけど。
そーいや巻末のアンケート、「売り上げベスト40」まで表記されてるんですけど。
売れているサークルがひとめでわかるの。
コレ、いいの……?
現在でこんなことやったら、変な競争意識を煽って、えらいことになりそーな……。
のどかな時代だったのかしらね?
裏表紙は味の素フーズの「天空の城ラピュタ」。
ああっ、なつかしい。
大好きでよく飲んでいたわ。
コミケ会場でもあちこちで販売されていて、シトラスミックス味の瓶を片手に大手さんに並んだもんだわ。この時代、まだペットボトルがないんだよね。
なつかしさついでに、乙田基のイラスト集も発掘。
たしかにこの人、当時ではケタ違いの画力とセンスを持っていたよなあ。
しかし、こんなにきれいでオシャレなイラスト集なのに、ポエムの書き間違えた文字を、くちゃくちゃっとペンで塗りつぶしただけ、ってのは、なんなんだろう? ホワイトで修正して上から書けばいいだけなのに。書道家みたいに、1回勝負の芸術だったのかな?
コミック・マーケット30。1986年夏。表紙・乙田基。
コミケカタログを保存する趣味はないんだが、これだけは取ってあったんだ。
はじめて行ったコミケだったから。
それに、当時大好きだった乙田基の表紙だし。
愉快だったので、思わず全ページ読んでしまったわ、カタログ。
広告あわせて、160ページしかないんだもん。
場所は今は亡き晴海。そして、使用しているのは西館と新館のみ、サークル数4000、一般参加者3万人だそうだ。
17年、という歳月の重みを感じる。
というのも、カルチャー・ショックに満ちているからだ。
サークルカットのページの最初、なんだと思う?
「創作漫画」なのよ?
ええっ?!
オリジナルですか。
しかもオリジナルが、えんえんえんえん続きます。
違和感を押さえきれず、ジャンル配分のチェックをしたら、なんと、オリジナル・サークルの方がパロディ・サークルより多いのよ。
オリジがパロより上?! うわー、こんな時代があったんだ。いや、大昔はそうだろうけど、きゃぷ翼全盛期の86年でさえ、オリジナルが上だったのか。
そして、読んでいるとわからない概念がそこかしこにある。
「マンガ」ってなに?
「アニメ」ってなに?
どうやらジャンルのことなんだけど、サークルはほぼこのふたつに分類できるらしい。
読み進むウチに、理解したよ。
「マンガ」ってのは、「創作系」「オリジナル系」のことらしい。
「アニメ」ってのは「パロディ」のことらしい。
オリジナル小説サークルも、「マンガ」なの。
小説のパロディ・サークルも「アニメ」なの。
「オリジナル」と「パロディ」という言葉や概念が確立される前だったのね。
「学生サークル」「社会人サークル」というジャンル分けも存在するらしいし。
職業で配置が変わるの?? すごいなー。
あと、目に付く「特集」「会員募集中」「会誌」の文字。
どうやらサークルとは正しくサークルで、同好の志が集まり、年に何回か会誌を発行しているらしい。会誌には特集ページがあり、執筆会員や購読会員がいる。
オリジナルだけならまだわかるが、アニパロでもそうなんだよなあ。
巻末のアンケート・ページに「サークルの形態」という集計結果がある。
そこにある項目がすごい。
「会員制」「編集制」「個人誌」「学校・大学」だよ。
「マンガ」のほとんどは「会員制」で、「アニメ」にしたって「編集制」がいちばんで、僅差で「会員制」だよ。
今、会員制のアニパロ・サークルなんて、どれくらいあるのかなあ。
当時の同人誌は、10人以上で原稿を持ち寄って作るのが常識だったからなー。ひとり4ページぐらいでさ。執筆者が多いほど「豪華な同人誌」だったよ……今と感覚が逆。
たったひとりの好きな作家の2ページだの4ページだののマンガが欲しくて、何十人もの人が書いている本を、高い金を出して買うのが普通だった。
サークルカットのページを見ていると、その画力の低さにも感心するし。
今の人たちってほんと、絵うまくなってるよね。
現在のサークルカットで「うわ、下手やな」と思うレベルが、86年では「ふつう?」くらいの感覚。とくに「マンガ」系はものすげーや。
そしてその下手絵たちのなかで、やたら目に付く「ペロリと舌を出したかわいこちゃん」の絵。
かわいいキャラのかわいい表情、ってのはコレが定番なんですか? 現実問題、舌を出した顔ってのはみっともないものであって、かわいくもなんともないのに。大昔の少女マンガでは、たしかに定番だったけど、この時代でもまだ通用していたの? 70年代の感覚じゃないのか、ソレって。
言葉の感覚のちがいで大きいのが、もうひとつ。
ジャンル分けに「ロリコン」が存在すること。
ブロックのジャンル分けページに、堂々と「新館2Fロリコン系」と書いてあるのよ。
現在では、「男性向き」とか微妙な表現になってるよね。それが正々堂々と「ロリコン」。
このままの感覚で発展していけば、いずれ「ホモ」というジャンル表記もアリになったかも? あ、「JUNE」があるか、女性向きには。
ちなみに86年夏の時点では「JUNE」というジャンル表記は存在せず、「マンガ>少女漫画>特に耽美系中心」というブロック配置ナリ。
この「ロリコン」サークルカットのページも、全部眺めたんだけど、「巨乳」がほとんどないのよ!
確認したのは、ふたつだけ。
あとは全部、常識内のおっぱいか、貧乳。
そっかー、巨乳は流行だったんだ。普遍的な感覚じゃないのね。
じゃあいつか、萌えキャラのおっぱいが常識の範囲に落ち着く時代や、貧乳の時代もくるのかしら。
いやあ、おもしろいなあ、17年前のコミケカタログ。
この世界に足を踏み入れたばかりだったので、なにもわかってなかったしな、当時は。
だから、たしかに経験してきたはずの多くのことが、「知らない文化」として現在のわたしの目に映る。
もっとちゃんと理解して過ごしていたなら、「ああ、昔はこうで、こんなふうに変化してきたのよね」とか思うんだろうけど。
そーいや巻末のアンケート、「売り上げベスト40」まで表記されてるんですけど。
売れているサークルがひとめでわかるの。
コレ、いいの……?
現在でこんなことやったら、変な競争意識を煽って、えらいことになりそーな……。
のどかな時代だったのかしらね?
裏表紙は味の素フーズの「天空の城ラピュタ」。
ああっ、なつかしい。
大好きでよく飲んでいたわ。
コミケ会場でもあちこちで販売されていて、シトラスミックス味の瓶を片手に大手さんに並んだもんだわ。この時代、まだペットボトルがないんだよね。
なつかしさついでに、乙田基のイラスト集も発掘。
たしかにこの人、当時ではケタ違いの画力とセンスを持っていたよなあ。
しかし、こんなにきれいでオシャレなイラスト集なのに、ポエムの書き間違えた文字を、くちゃくちゃっとペンで塗りつぶしただけ、ってのは、なんなんだろう? ホワイトで修正して上から書けばいいだけなのに。書道家みたいに、1回勝負の芸術だったのかな?
整理整頓はマメにしましょう。
2003年9月1日 オタク話いろいろ。 今、わたしの部屋には高層ビルが林立している。
……本の整理をはじめちゃったんだわ……しかも、主に同人誌の。
大きさ別、ジャンル別におおざっぱに積み重ねてみたんだけど、これがまあ、高層ビル状態。どうしてくれよう。
部屋に収納するのは不可能だから、1階の祖父母の部屋に下ろすかな……。
亡き祖母の和箪笥なんか、すでにわたしの本やビデオ入れと化してるもんなあ。用途を無視した使い方だから(重すぎだっつーの)、引き出しの滑りが悪いのなんのって。
でもなんか、本って捨てられないんだよなあ。
ううう。
ベッドの上まで積み上がってるから、片づけ終わるまで寝られないよ……。
……本の整理をはじめちゃったんだわ……しかも、主に同人誌の。
大きさ別、ジャンル別におおざっぱに積み重ねてみたんだけど、これがまあ、高層ビル状態。どうしてくれよう。
部屋に収納するのは不可能だから、1階の祖父母の部屋に下ろすかな……。
亡き祖母の和箪笥なんか、すでにわたしの本やビデオ入れと化してるもんなあ。用途を無視した使い方だから(重すぎだっつーの)、引き出しの滑りが悪いのなんのって。
でもなんか、本って捨てられないんだよなあ。
ううう。
ベッドの上まで積み上がってるから、片づけ終わるまで寝られないよ……。
肉って、あの肉。マンガ的表現の、アレ。
2003年8月31日 オタク話いろいろ。 わああぁぁぁん。
プチ・ショックなことが。
わたしの今のブームは、前にも書いたと思うが「FROG STYLE」っちゅーカエルのシリーズ。
こいつがちまたでひそかに人気で、次々と新商品が発売されているんだ。
しかし、地域性があるのか、大阪では手に入らないこともしばしば。
7月発売済みのグミなんて、大阪ではまだ一度も売っているところを見たことがないぞ? わたしだけでなく、他の子もそう言っていたぞ。
なのに、東京ではあったりまえに、とっくに売られているんだよねえ。コミケ旅行のときに買ったけどさっ。
そんなふうに、手に入らないことだって、あるわけさ。
そして今、「FROG STYLE」ファンの間で熱く語られているのが、「FROG STYLE CANNED FROG」。
シリーズ最新作、しかも今回はセブンイレブン限定商品ときた。
行動範囲にセブンイレブンかないわたしなんぞは、ネットがなかったら存在を知らないままにいたよ。
製造が追いついていないのか、入荷が遅れているだけなのか、まだまだレアらしい、この「FROG STYLE CANNED FROG」。
公式HPのBBSでも、捜索情報と捕獲報告が錯綜している。
昨日の段階ではまだ、大阪での捕獲報告はなかった。
大阪では未発売? そんなバカな。たしかに、大阪はローソンのお膝元、セブンイレブンはほとんど存在しないが……どこかにはあるはずだ。
つーことでわたしは、「FROG STYLE CANNED FROG」捜索の旅に出た。
まずはセブンイレブンの公式HPで、店舗を検索する。何軒かをチェックし、日が陰ってから(紫外線はばばあの大敵)さあ出発だ!!
「どこへ行くの? 菓子パンを買ってきてちょうだい」
颯爽と自転車にまたがると、ちょーど通りかかった母におつかいを言い渡される。
いいよ、パンだね。コンビニに行くわけだから、ぜんぜんOKさ。
自転車を漕ぎ出すと、親の家の前、玄関ドアを開けて父が顔を出している。
「これを頼む」
父はハガキの束を差し出した。わかったよ、ポストを経由して行くよ。
堤防まで来たときに、電話が鳴った。
「ついでに東急ハンズに行って、封筒を買ってきてちょうだい!!」
……母だった。
「さっきは咄嗟だったから、思いつかなくて。でもせっかくだから、ついでに買ってきてもらおうと思って!!」
ついでってなんだ?
わざわざ用事を作って、わざわざ電話をしてくるわけ?
アンタら、外出する人間にはなにがなんでもおつかいを課せるのねっ?! そーしないと損だと思ってるわねっ?!
仕方がないので、ポストを経由したあと、ハンズに行きました。
……ハンズは、ものすごいことになってました。
そーいや毎年やってるよな、「ハンズ・メッセ」。年に何回か、東急ハンズが社をあげてやるお祭り。イベントやったり、セールをやったりで、人口密度は最高になる日々。
今日はその、お祭りの最終日でした。
……ママ。こんな日に、ふつーの封筒買いに来るバカはわたしだけかも?
人混みをかき分け、封筒売り場にたどり着き、「で、どんなのがいいって?」と、電話でママと話しながら選ぶ。
買い物額、210円。チーン。
人混みに疲れたカラダで、見知らぬ街を自転車で走る。
セブンイレブンはどこ?
RPGじゃないんだからさー、目的地にたどり着くまでに、いろいろ他の用事言いつけられて、回り道して、って、なんだかなあ。
またしても電話が鳴って「あ、ついでに**も買ってきて!」と、用事が増えないことを祈りましたさ。
そして。
2軒目のセブンイレブンで、ついに見つけましたよ、「FROG STYLE CANNED FROG」!!
かわいいー。
白い不透明カプセルにいつものロゴとイラストの付いた帯がつけてある。
大人買いしそうになる自分を、制御する。
コンプリートにこだわっちゃいけない。キリがなくなる。いくつか買えば気は済むんだから、少しだけ買えばいいわ。
と、自制の結果、ふたつだけ買った。
「FROG STYLE CANNED FROG」は全10種類。まだひとつも持っていないわたしは、ダブる心配がないからとても気楽。ママに言いつかった買い物もして、幸福な気分で帰路につく。
頼まれたモノを届けに親の家に行くと、ちょうど弟も帰宅しており、家族がぞろりと茶の間にそろっていた。
よーし、ここでわたしの「FROG STYLE CANNED FROG」を自慢しちゃうぞっ。
簡単に商品説明をしながら、白いカプセルを開ける。
中から出てきたのは、大きな肉をかじっているピンクの王様カエルの絵の付いた、小さな缶。
「MEAT FROGだ!」
現物を見るのははじめてだが、すでに知識だけはあるわたし。
ああ、なんてかわいいのかしら。
うっとりと缶を眺めたあとに、その缶を開ける。
中には、おなかに肉の絵の描いてある、白い骨を片手に持ったピンクのカエルのフィギュアと、葉っぱのカタチのタグ。
ああ、なんてかわいいのかしら〜〜。
この絶妙のライン、色、デザイン。
見ているとしあわせな気持ちになるわ。
そして、しあわせはもうひとつある。
ふたつ買ったんだもの。
次はナニが出るかしら、と、もうひとつのカプセルを開ける。
ええ。
わたしのプチ・ショックは、これよ。
わああぁぁぁん。
またしても、まーたーしてーも、「MEAT FROG」だったのよおおお。
どうして?
10種類もあるのに。
ダブる確率の方が、はてしなく少ないのに。
どーしてダブるのよおおお。
「なんだ、同じモノを買ってどうするんだ」
父にわたしの悲しみは通じない。
「中身がわからないから、同じモノが出る可能性があるんだ」
プチ・ショックなわたしのかわりに、弟が答える。
「どうして中がわからないんだ。返品できないのか」
「……いるんだ、こーゆーことを言うバカな客が」
販売業の弟は溜息をつく。
そう。ガチャガチャを置いている店とかにはよく、手書きで「商品の性質上、同じ商品が出ることや、希望の商品が出ないことがありますが、交換・返品はできません」と書いて貼ってある。
手書きってことは、店員が書いたんだ。
おそらく、そーゆークレームがあったから。
こーゆーカプセル系のおもちゃは、なにが出るかわからない。そーゆールールのゲームなんだ。子どもたちはそれを理解して買い、欲しいものは友だち同士で交換したりして、コミュニケートする。
そうやって彼らは社会を広げ、また学習するわけだ。
だが、大人はそれがわからない。「俺様は客だぞ」とふんぞり返り、クレームを出す。
「ダブったからって、子どもは文句を言ってきたりしない。ルールを知った上でたのしんでいるわけだから。でも、その子の親が勝手に難癖をつけてきたりするんだ。子ども社会を理解する気もなく」
と、弟。
「なにを言ってるんだ? 同じモノを買わされるなんて、変だろう?」
父にはこーゆー文化があることが、理解できない。わたしも弟も、理解できない人に説明する気にならない。もー、いいよ。ダブったやつは、いつか誰かと交換するために保管しておくよ。
わたしはばばあだが、ルールは知っている。この悲しみも、値段のうちさ。それをたのしんでこその娯楽なのさ。
今日のわたしのしあわせと、プチ・ショック。
なんてかわいい「MEAT FROG」。
でも他のカエルも欲しいの。誰か交換してえぇぇ。
プチ・ショックなことが。
わたしの今のブームは、前にも書いたと思うが「FROG STYLE」っちゅーカエルのシリーズ。
こいつがちまたでひそかに人気で、次々と新商品が発売されているんだ。
しかし、地域性があるのか、大阪では手に入らないこともしばしば。
7月発売済みのグミなんて、大阪ではまだ一度も売っているところを見たことがないぞ? わたしだけでなく、他の子もそう言っていたぞ。
なのに、東京ではあったりまえに、とっくに売られているんだよねえ。コミケ旅行のときに買ったけどさっ。
そんなふうに、手に入らないことだって、あるわけさ。
そして今、「FROG STYLE」ファンの間で熱く語られているのが、「FROG STYLE CANNED FROG」。
シリーズ最新作、しかも今回はセブンイレブン限定商品ときた。
行動範囲にセブンイレブンかないわたしなんぞは、ネットがなかったら存在を知らないままにいたよ。
製造が追いついていないのか、入荷が遅れているだけなのか、まだまだレアらしい、この「FROG STYLE CANNED FROG」。
公式HPのBBSでも、捜索情報と捕獲報告が錯綜している。
昨日の段階ではまだ、大阪での捕獲報告はなかった。
大阪では未発売? そんなバカな。たしかに、大阪はローソンのお膝元、セブンイレブンはほとんど存在しないが……どこかにはあるはずだ。
つーことでわたしは、「FROG STYLE CANNED FROG」捜索の旅に出た。
まずはセブンイレブンの公式HPで、店舗を検索する。何軒かをチェックし、日が陰ってから(紫外線はばばあの大敵)さあ出発だ!!
「どこへ行くの? 菓子パンを買ってきてちょうだい」
颯爽と自転車にまたがると、ちょーど通りかかった母におつかいを言い渡される。
いいよ、パンだね。コンビニに行くわけだから、ぜんぜんOKさ。
自転車を漕ぎ出すと、親の家の前、玄関ドアを開けて父が顔を出している。
「これを頼む」
父はハガキの束を差し出した。わかったよ、ポストを経由して行くよ。
堤防まで来たときに、電話が鳴った。
「ついでに東急ハンズに行って、封筒を買ってきてちょうだい!!」
……母だった。
「さっきは咄嗟だったから、思いつかなくて。でもせっかくだから、ついでに買ってきてもらおうと思って!!」
ついでってなんだ?
わざわざ用事を作って、わざわざ電話をしてくるわけ?
アンタら、外出する人間にはなにがなんでもおつかいを課せるのねっ?! そーしないと損だと思ってるわねっ?!
仕方がないので、ポストを経由したあと、ハンズに行きました。
……ハンズは、ものすごいことになってました。
そーいや毎年やってるよな、「ハンズ・メッセ」。年に何回か、東急ハンズが社をあげてやるお祭り。イベントやったり、セールをやったりで、人口密度は最高になる日々。
今日はその、お祭りの最終日でした。
……ママ。こんな日に、ふつーの封筒買いに来るバカはわたしだけかも?
人混みをかき分け、封筒売り場にたどり着き、「で、どんなのがいいって?」と、電話でママと話しながら選ぶ。
買い物額、210円。チーン。
人混みに疲れたカラダで、見知らぬ街を自転車で走る。
セブンイレブンはどこ?
RPGじゃないんだからさー、目的地にたどり着くまでに、いろいろ他の用事言いつけられて、回り道して、って、なんだかなあ。
またしても電話が鳴って「あ、ついでに**も買ってきて!」と、用事が増えないことを祈りましたさ。
そして。
2軒目のセブンイレブンで、ついに見つけましたよ、「FROG STYLE CANNED FROG」!!
かわいいー。
白い不透明カプセルにいつものロゴとイラストの付いた帯がつけてある。
大人買いしそうになる自分を、制御する。
コンプリートにこだわっちゃいけない。キリがなくなる。いくつか買えば気は済むんだから、少しだけ買えばいいわ。
と、自制の結果、ふたつだけ買った。
「FROG STYLE CANNED FROG」は全10種類。まだひとつも持っていないわたしは、ダブる心配がないからとても気楽。ママに言いつかった買い物もして、幸福な気分で帰路につく。
頼まれたモノを届けに親の家に行くと、ちょうど弟も帰宅しており、家族がぞろりと茶の間にそろっていた。
よーし、ここでわたしの「FROG STYLE CANNED FROG」を自慢しちゃうぞっ。
簡単に商品説明をしながら、白いカプセルを開ける。
中から出てきたのは、大きな肉をかじっているピンクの王様カエルの絵の付いた、小さな缶。
「MEAT FROGだ!」
現物を見るのははじめてだが、すでに知識だけはあるわたし。
ああ、なんてかわいいのかしら。
うっとりと缶を眺めたあとに、その缶を開ける。
中には、おなかに肉の絵の描いてある、白い骨を片手に持ったピンクのカエルのフィギュアと、葉っぱのカタチのタグ。
ああ、なんてかわいいのかしら〜〜。
この絶妙のライン、色、デザイン。
見ているとしあわせな気持ちになるわ。
そして、しあわせはもうひとつある。
ふたつ買ったんだもの。
次はナニが出るかしら、と、もうひとつのカプセルを開ける。
ええ。
わたしのプチ・ショックは、これよ。
わああぁぁぁん。
またしても、まーたーしてーも、「MEAT FROG」だったのよおおお。
どうして?
10種類もあるのに。
ダブる確率の方が、はてしなく少ないのに。
どーしてダブるのよおおお。
「なんだ、同じモノを買ってどうするんだ」
父にわたしの悲しみは通じない。
「中身がわからないから、同じモノが出る可能性があるんだ」
プチ・ショックなわたしのかわりに、弟が答える。
「どうして中がわからないんだ。返品できないのか」
「……いるんだ、こーゆーことを言うバカな客が」
販売業の弟は溜息をつく。
そう。ガチャガチャを置いている店とかにはよく、手書きで「商品の性質上、同じ商品が出ることや、希望の商品が出ないことがありますが、交換・返品はできません」と書いて貼ってある。
手書きってことは、店員が書いたんだ。
おそらく、そーゆークレームがあったから。
こーゆーカプセル系のおもちゃは、なにが出るかわからない。そーゆールールのゲームなんだ。子どもたちはそれを理解して買い、欲しいものは友だち同士で交換したりして、コミュニケートする。
そうやって彼らは社会を広げ、また学習するわけだ。
だが、大人はそれがわからない。「俺様は客だぞ」とふんぞり返り、クレームを出す。
「ダブったからって、子どもは文句を言ってきたりしない。ルールを知った上でたのしんでいるわけだから。でも、その子の親が勝手に難癖をつけてきたりするんだ。子ども社会を理解する気もなく」
と、弟。
「なにを言ってるんだ? 同じモノを買わされるなんて、変だろう?」
父にはこーゆー文化があることが、理解できない。わたしも弟も、理解できない人に説明する気にならない。もー、いいよ。ダブったやつは、いつか誰かと交換するために保管しておくよ。
わたしはばばあだが、ルールは知っている。この悲しみも、値段のうちさ。それをたのしんでこその娯楽なのさ。
今日のわたしのしあわせと、プチ・ショック。
なんてかわいい「MEAT FROG」。
でも他のカエルも欲しいの。誰か交換してえぇぇ。
おろしポン酢ソースのロコモコにハマってるのよ……。
2003年8月30日 タカラヅカ 宙組公演チケット発売日。
先週のリカコンは寂しかったが、さすがに宙組は盛況だ。
そして毎週並びに行くわたしたち。すでに並びが「イベント」として好きだったりする(笑)。
仲間たちの中で、いちばん早くに並んでいたデイジーちゃんは悪い番号を引いてしまって、しゅん。そんな彼女に「どんな番号? 見せて?」と抽選券を見せてもらったわたし。
じつはちょっと思惑あり。
そしてなに食わぬ顔で「ありがとう」と券を返し、ちょうど自分が抽選する順番になったので箱の中から抽選券を引く。
けっこーいい番号を引きました。
じつは、デイジーちゃんのはずれ券をチェックして、それゆえにアタリを選んで引くことができたのよ。
「えっ、そんなのわかるんですか?」
「絶対じゃないけど、アタリを引く確率を上げることはできるのよ」
と、ネタを説明。
「デイジーちゃんが先にはずれてくれたおかげで、わたしはアタリを引くことができたってわけよ」
「………………わたし、次からいちばん遅く並びます……………」
ああっ、ごめんごめん!!
このアタリ券で3枚まで買えるから、一緒にデイジーちゃんの欲しいチケットも買うよ、だから機嫌直して。
並んだのはわたしとデイジーちゃんとWHITEちゃんとCANちゃんの4人。
アタリはわたしとWHITEちゃんのふたりでした。
2枚のアタリ券を分け合って、4人分良席GET。
チケットを買うのも重要だけど、並びは「友だちに会う」ことが目的のひとつでもある。
友だちに会って、ごはん食べながらおしゃべりして、だらだらするのがたのしい。
朝食はいつものところ、そしてランチは「ロコモコが食べたい!」わたしにつきあって、某ハワイアン・レストランでした。
来週は花全ツだねえ。
無事に取れるといいねえ。
先週のリカコンは寂しかったが、さすがに宙組は盛況だ。
そして毎週並びに行くわたしたち。すでに並びが「イベント」として好きだったりする(笑)。
仲間たちの中で、いちばん早くに並んでいたデイジーちゃんは悪い番号を引いてしまって、しゅん。そんな彼女に「どんな番号? 見せて?」と抽選券を見せてもらったわたし。
じつはちょっと思惑あり。
そしてなに食わぬ顔で「ありがとう」と券を返し、ちょうど自分が抽選する順番になったので箱の中から抽選券を引く。
けっこーいい番号を引きました。
じつは、デイジーちゃんのはずれ券をチェックして、それゆえにアタリを選んで引くことができたのよ。
「えっ、そんなのわかるんですか?」
「絶対じゃないけど、アタリを引く確率を上げることはできるのよ」
と、ネタを説明。
「デイジーちゃんが先にはずれてくれたおかげで、わたしはアタリを引くことができたってわけよ」
「………………わたし、次からいちばん遅く並びます……………」
ああっ、ごめんごめん!!
このアタリ券で3枚まで買えるから、一緒にデイジーちゃんの欲しいチケットも買うよ、だから機嫌直して。
並んだのはわたしとデイジーちゃんとWHITEちゃんとCANちゃんの4人。
アタリはわたしとWHITEちゃんのふたりでした。
2枚のアタリ券を分け合って、4人分良席GET。
チケットを買うのも重要だけど、並びは「友だちに会う」ことが目的のひとつでもある。
友だちに会って、ごはん食べながらおしゃべりして、だらだらするのがたのしい。
朝食はいつものところ、そしてランチは「ロコモコが食べたい!」わたしにつきあって、某ハワイアン・レストランでした。
来週は花全ツだねえ。
無事に取れるといいねえ。
『静岡』と『生物災害』(笑)。
2003年8月29日 ゲーム さて、今やっているゲームは『バイオハザード CODE:Veronica』だ。
姉弟で『静岡2』をやっていたはずなんだが、弟が『ベロニカ』を買ってくるなり『静岡』は放り出してしまった。
わたしはまだ、『静岡2』は2回クリアしていたからともかく、弟は1回しかクリアしてないのよ? しかもその1回はわたしの1回目と同じく、自殺ENDだったのよ? なのにもう投げ出すの?
「『バイオ』があったら、『静岡』なんかやる気になるわけない」
とのこと。
そうして、またしても姉弟で『バイオ』をやりながら、つらつらと話すんだ。
『静岡』ってのは、システムが『バイオ』と似ているから『バイオ』系だと思ってたけど、ほんとのところは『クーロンズ・ゲート』系だよねえ?
『バイオ』がSFとすれば、『静岡』はホラーなんだよね。
ホラーだからなんでもありなんだよね。
「なんで化物が出てきて、主人公を襲うの?」
「だってホラーだもん! 化物くらい出なきゃ」
「その化物はどうやって生まれたの? そのカタチになった理由は?」
「だってホラーだもん! とにかくこわがらせればいいのよ」
「どうして主人公以外に人間がいないの?」
「だってホラーだもん! 他に人がいたらこわくなくなっちゃうでしょ」
「どうして主人公は、わざわざこんな変なところへやってきたの?」
「だってホラーだもん! そういうことになってるのよ」
「どうして主人公はこういう行動を取るの? 彼の行動は、たとえば膝が逆に曲がるくらい、人間の生理としてはおかしな行動だけど?」
「だってホラーだもん!」
……すばらしい免罪符だな。「だってホラーだもん!」で全部通っちゃうんだ。設定のいい加減さが。
『静岡』のヘボさは、そのいい加減さにつきると思う。
『静岡2』は、主人公たちの悪夢の世界だ。
ジェイムス、アンジェラ、エディー、彼らは全員罪人だ。
罪を犯したからこそ、もうひとつの「サイレントヒル」に迷い込んだ。呼ばれた。
……それはわかる。わかるよ。
だけどな。
「悪夢の世界」だからなんでもアリ、てのはないだろ?
『静岡』ってつまり、そーゆー世界観じゃん。どーせ夢の中なんだから、なにやってもいいじゃん、理由も原因もなくていいじゃん、なところ。
ほんとーの夢ならそれでいいけど、ゲームであり、人間が作ったエンタメである以上、整合性が欲しいよ。ルールがほしいよ。最初からそういったものを放棄しているのって、なんつーかこう、「誠意」がなくていやだ。
そう、誠意だ。わたしが『静岡』に引っかかる最大の難点は、作品に誠意が欠けていることなんだわ……。
たとえば、はじめから日本で売ることは放棄した、外国人に媚びた作りとか。
はじめから詳細な設定なんか作っていなさそうなところとか。
はじめから作品にもキャラにも愛がなさそうなところとか。
愛がないから、手を抜けるところで手を抜くための努力だけはしていそうなところとか。
制作者の誠意の欠如が感じられるから。
だから、いやなんだわ。
だけど、それでもやはり、わたしはこの作品のファンなのだと思う。
制作者に誠意は感じられないにしろ、そのうえシステム的にもゲームとしてのクオリティ的にもかなり難ありだとしても、『静岡』には魅力がある。
やはりそれは、『クーロン』的なダーク感だろう。
悪夢の中での小学校、病院、遊園地。これらの存在感はすばらしい。
いつか見た悪夢、を美術として表現するゲーム。それがあるから、わたしはこのシリーズのファンである。
……にしても、やっぱヘボいよ『静岡』。ムカつくよ『静岡』。
文句言いながらも、これからも買い続けると思うけどな。『3』だって絶対プレイするけどな。
このムカつき加減や、ツッコミ加減がまた、絶妙にわたしたち姉弟のハートを射抜いているのかもしれない。
そして、『バイオハザード』。
このシリーズはほんとうによくできていると思う。
といっても、完全無欠だと思ってるわけじゃないさ。
こちらもツッコミどころ満載。
ただそのツッコミどころが、『静岡』とはレベルがちがうっちゅーだけのことでな。
「笑えるぞ」
弟はにやりと笑いながら、わたしにキューブ本体ごと『ベロニカ』を貸してくれた。
ゲームをプレイしてすぐに、弟の言った意味がわかった。
笑えるわ、こりゃ。
主人公はクレアという「女子大生」。
女子大生だよ? たしかまだ18歳だったはずよね?
アメリカの女子大生だから、銃の撃ち方ぐらいは知っているかもしれない。でも、あくまでも、「ふつーの女子大生」という設定らしい。
だけどこのふつーの女子大生、悪の結社の秘密基地に潜入し、プロの戦闘員たちを相手に華麗な銃撃戦を展開、余裕で勝利している。
何十人もの戦闘員に銃を突きつけられ、両手を挙げて降参、手にしていた銃を捨てる……ふりをし、落下する銃を拾いざまに発砲、敵の後ろのタンクを破壊し、壊滅させる……なんてことを、ふつーの女子大生ができるわけですか。
オープニングから爆笑させてもらった。
すげえなクレア。
なんの訓練もなくここまでできるなら、たぶんアンタは天才を通り越して化物だよ。アンブレラもウイルスの研究なんかしてないで、この娘を研究した方がいいって。
「だいたい、なんだってクレアはあんなところにいたのかねえ?」
「『2』のときは、にーちゃんの住んでいる街にやって来たら、街ごとバイオハザードで化物づくしになっていて、身を守るためにとりあえず戦うしかなかった、てのでわかるけど。今回はいきなり、敵の秘密基地を攻撃してるよね?」
「にーちゃんを探すため、ってのは変だよね。にーちゃんが地球規模の戦いに巻き込まれていることがわかった時点で、ふつーの女子大生は手を引くよね。軍隊や警察、あるいは政府の仕事であって、女子大生の出る幕じゃない。そもそもにーちゃんは特殊部隊の隊員なんだから。彼の任務は国家機密系でしょ? 民間人の妹が、そんな兄を助けに行くなんてこと、ありえない」
「なのに、敵の基地にいるんだよな。しかも、たったひとりで潜入」
「政府の特殊部隊の人間よりも、クレアひとりの方が優秀らしい。彼らにできないことが、クレアには簡単にできる。たったひとりで」
「立派に戦ってる」
「何人殺してるのかな。100人や200人じゃないよね?」
「ふつーの女子大生なのに、大量殺人。『2』のときはゾンビや化物相手だったけど、敵の基地にいる戦闘員たちはふつーの人間。ふつーの人間を相手に、クレアは銃を乱射して戦ってる」
「しかも、勝ってるし(笑)」
「強すぎ。プロの戦闘員の立場ナシ(笑)」
ジルやレベッカは、もともと特殊部隊の隊員。特殊部隊ったってたかが警察機構の一端だから変だよなー、とは思っても、それでもとりあえずは戦闘のプロ。彼女たちが華麗に戦うことに異議はない。
だが、クレアはどうよ?
クレアをヒロインにするの、変だよ。ふつーの女子大生が敵の秘密基地にたったひとりで潜入、って、変すぎだって。
いっそ、女子大生とは仮の姿、どこぞの機関の秘密諜報員だった、とかいうことにしようよ。そうでもしないと、彼女の場合設定自体やばいって。
とまあ、爆笑必至の『ベロニカ』。
「気分はすでに、『北斗の拳』を愛する感じ」
「短編のつもりだったのに、まさかの大人気で連載長期化、後付けの設定だらけで、1話との矛盾が山ほど」
「回想シーンになるほどシンは美形になるし、ユリアは南斗六聖のひとりだし」
「北斗四兄弟はいつの間にか三兄弟だし」
「ジャギの存在は抹殺。つーか、アミバとトキをまちがえるなんてありえねー」
「後付け設定だとわかってて、1話の時点では『そんなのナイナイ(笑)』とわかってて、それでもそのめちゃくちゃな展開を愛する(笑)」
「まさに、そーゆー感じだ、『バイオハザード』(笑)」
そして、『バイオ』シリーズでいちばん人気あるのって、やっぱウェスカーだよね? 『ガンダム』においてのシャア、『北斗の拳』においてのラオウ様だよね?
ツッコミどころの多さにかけて、シリーズ中ウェスカーを超えるキャラはいないよね?
出てくるだけで爆笑だよ。さすがだウェスカー様。
「目ェ光ってたよね?」
「さすが地獄からよみがえってきただけのことはある! メカ・ウェスカーになって再登場とは! なんてはずさない男だ!」
「最初の登場の最後のとこ、足とか背中からロケット噴射して逃げるのかと期待しちゃったよー(笑)」
姉弟そろってウェスカーファン。
……ただし。
腐女子な姉は、弟には言えない意味でもウェスカーのファンなのだ……。
ウェスカー×クリスでよろしく。マッチョ受上等。
クリスに会いたいがために、クレアをいぢめるウェスカーに萌え。いや、妹をいぢめなくても、直接クリスに「会いたい」って連絡取ればいいじゃん。アンタ彼の元上司なんだから、連絡方法ぐらいあるでしょ。クリス、絶対アンタに会いに来るってば。
天然なウェスカーが愛しいです(笑)。
姉弟で『静岡2』をやっていたはずなんだが、弟が『ベロニカ』を買ってくるなり『静岡』は放り出してしまった。
わたしはまだ、『静岡2』は2回クリアしていたからともかく、弟は1回しかクリアしてないのよ? しかもその1回はわたしの1回目と同じく、自殺ENDだったのよ? なのにもう投げ出すの?
「『バイオ』があったら、『静岡』なんかやる気になるわけない」
とのこと。
そうして、またしても姉弟で『バイオ』をやりながら、つらつらと話すんだ。
『静岡』ってのは、システムが『バイオ』と似ているから『バイオ』系だと思ってたけど、ほんとのところは『クーロンズ・ゲート』系だよねえ?
『バイオ』がSFとすれば、『静岡』はホラーなんだよね。
ホラーだからなんでもありなんだよね。
「なんで化物が出てきて、主人公を襲うの?」
「だってホラーだもん! 化物くらい出なきゃ」
「その化物はどうやって生まれたの? そのカタチになった理由は?」
「だってホラーだもん! とにかくこわがらせればいいのよ」
「どうして主人公以外に人間がいないの?」
「だってホラーだもん! 他に人がいたらこわくなくなっちゃうでしょ」
「どうして主人公は、わざわざこんな変なところへやってきたの?」
「だってホラーだもん! そういうことになってるのよ」
「どうして主人公はこういう行動を取るの? 彼の行動は、たとえば膝が逆に曲がるくらい、人間の生理としてはおかしな行動だけど?」
「だってホラーだもん!」
……すばらしい免罪符だな。「だってホラーだもん!」で全部通っちゃうんだ。設定のいい加減さが。
『静岡』のヘボさは、そのいい加減さにつきると思う。
『静岡2』は、主人公たちの悪夢の世界だ。
ジェイムス、アンジェラ、エディー、彼らは全員罪人だ。
罪を犯したからこそ、もうひとつの「サイレントヒル」に迷い込んだ。呼ばれた。
……それはわかる。わかるよ。
だけどな。
「悪夢の世界」だからなんでもアリ、てのはないだろ?
『静岡』ってつまり、そーゆー世界観じゃん。どーせ夢の中なんだから、なにやってもいいじゃん、理由も原因もなくていいじゃん、なところ。
ほんとーの夢ならそれでいいけど、ゲームであり、人間が作ったエンタメである以上、整合性が欲しいよ。ルールがほしいよ。最初からそういったものを放棄しているのって、なんつーかこう、「誠意」がなくていやだ。
そう、誠意だ。わたしが『静岡』に引っかかる最大の難点は、作品に誠意が欠けていることなんだわ……。
たとえば、はじめから日本で売ることは放棄した、外国人に媚びた作りとか。
はじめから詳細な設定なんか作っていなさそうなところとか。
はじめから作品にもキャラにも愛がなさそうなところとか。
愛がないから、手を抜けるところで手を抜くための努力だけはしていそうなところとか。
制作者の誠意の欠如が感じられるから。
だから、いやなんだわ。
だけど、それでもやはり、わたしはこの作品のファンなのだと思う。
制作者に誠意は感じられないにしろ、そのうえシステム的にもゲームとしてのクオリティ的にもかなり難ありだとしても、『静岡』には魅力がある。
やはりそれは、『クーロン』的なダーク感だろう。
悪夢の中での小学校、病院、遊園地。これらの存在感はすばらしい。
いつか見た悪夢、を美術として表現するゲーム。それがあるから、わたしはこのシリーズのファンである。
……にしても、やっぱヘボいよ『静岡』。ムカつくよ『静岡』。
文句言いながらも、これからも買い続けると思うけどな。『3』だって絶対プレイするけどな。
このムカつき加減や、ツッコミ加減がまた、絶妙にわたしたち姉弟のハートを射抜いているのかもしれない。
そして、『バイオハザード』。
このシリーズはほんとうによくできていると思う。
といっても、完全無欠だと思ってるわけじゃないさ。
こちらもツッコミどころ満載。
ただそのツッコミどころが、『静岡』とはレベルがちがうっちゅーだけのことでな。
「笑えるぞ」
弟はにやりと笑いながら、わたしにキューブ本体ごと『ベロニカ』を貸してくれた。
ゲームをプレイしてすぐに、弟の言った意味がわかった。
笑えるわ、こりゃ。
主人公はクレアという「女子大生」。
女子大生だよ? たしかまだ18歳だったはずよね?
アメリカの女子大生だから、銃の撃ち方ぐらいは知っているかもしれない。でも、あくまでも、「ふつーの女子大生」という設定らしい。
だけどこのふつーの女子大生、悪の結社の秘密基地に潜入し、プロの戦闘員たちを相手に華麗な銃撃戦を展開、余裕で勝利している。
何十人もの戦闘員に銃を突きつけられ、両手を挙げて降参、手にしていた銃を捨てる……ふりをし、落下する銃を拾いざまに発砲、敵の後ろのタンクを破壊し、壊滅させる……なんてことを、ふつーの女子大生ができるわけですか。
オープニングから爆笑させてもらった。
すげえなクレア。
なんの訓練もなくここまでできるなら、たぶんアンタは天才を通り越して化物だよ。アンブレラもウイルスの研究なんかしてないで、この娘を研究した方がいいって。
「だいたい、なんだってクレアはあんなところにいたのかねえ?」
「『2』のときは、にーちゃんの住んでいる街にやって来たら、街ごとバイオハザードで化物づくしになっていて、身を守るためにとりあえず戦うしかなかった、てのでわかるけど。今回はいきなり、敵の秘密基地を攻撃してるよね?」
「にーちゃんを探すため、ってのは変だよね。にーちゃんが地球規模の戦いに巻き込まれていることがわかった時点で、ふつーの女子大生は手を引くよね。軍隊や警察、あるいは政府の仕事であって、女子大生の出る幕じゃない。そもそもにーちゃんは特殊部隊の隊員なんだから。彼の任務は国家機密系でしょ? 民間人の妹が、そんな兄を助けに行くなんてこと、ありえない」
「なのに、敵の基地にいるんだよな。しかも、たったひとりで潜入」
「政府の特殊部隊の人間よりも、クレアひとりの方が優秀らしい。彼らにできないことが、クレアには簡単にできる。たったひとりで」
「立派に戦ってる」
「何人殺してるのかな。100人や200人じゃないよね?」
「ふつーの女子大生なのに、大量殺人。『2』のときはゾンビや化物相手だったけど、敵の基地にいる戦闘員たちはふつーの人間。ふつーの人間を相手に、クレアは銃を乱射して戦ってる」
「しかも、勝ってるし(笑)」
「強すぎ。プロの戦闘員の立場ナシ(笑)」
ジルやレベッカは、もともと特殊部隊の隊員。特殊部隊ったってたかが警察機構の一端だから変だよなー、とは思っても、それでもとりあえずは戦闘のプロ。彼女たちが華麗に戦うことに異議はない。
だが、クレアはどうよ?
クレアをヒロインにするの、変だよ。ふつーの女子大生が敵の秘密基地にたったひとりで潜入、って、変すぎだって。
いっそ、女子大生とは仮の姿、どこぞの機関の秘密諜報員だった、とかいうことにしようよ。そうでもしないと、彼女の場合設定自体やばいって。
とまあ、爆笑必至の『ベロニカ』。
「気分はすでに、『北斗の拳』を愛する感じ」
「短編のつもりだったのに、まさかの大人気で連載長期化、後付けの設定だらけで、1話との矛盾が山ほど」
「回想シーンになるほどシンは美形になるし、ユリアは南斗六聖のひとりだし」
「北斗四兄弟はいつの間にか三兄弟だし」
「ジャギの存在は抹殺。つーか、アミバとトキをまちがえるなんてありえねー」
「後付け設定だとわかってて、1話の時点では『そんなのナイナイ(笑)』とわかってて、それでもそのめちゃくちゃな展開を愛する(笑)」
「まさに、そーゆー感じだ、『バイオハザード』(笑)」
そして、『バイオ』シリーズでいちばん人気あるのって、やっぱウェスカーだよね? 『ガンダム』においてのシャア、『北斗の拳』においてのラオウ様だよね?
ツッコミどころの多さにかけて、シリーズ中ウェスカーを超えるキャラはいないよね?
出てくるだけで爆笑だよ。さすがだウェスカー様。
「目ェ光ってたよね?」
「さすが地獄からよみがえってきただけのことはある! メカ・ウェスカーになって再登場とは! なんてはずさない男だ!」
「最初の登場の最後のとこ、足とか背中からロケット噴射して逃げるのかと期待しちゃったよー(笑)」
姉弟そろってウェスカーファン。
……ただし。
腐女子な姉は、弟には言えない意味でもウェスカーのファンなのだ……。
ウェスカー×クリスでよろしく。マッチョ受上等。
クリスに会いたいがために、クレアをいぢめるウェスカーに萌え。いや、妹をいぢめなくても、直接クリスに「会いたい」って連絡取ればいいじゃん。アンタ彼の元上司なんだから、連絡方法ぐらいあるでしょ。クリス、絶対アンタに会いに来るってば。
天然なウェスカーが愛しいです(笑)。
ノーチラス号は沈まない。@リーグ・オブ・レジェンド
2003年8月27日 映画 いやー、壮大にばかばかしい映画だなあ。
『リーグ・オブ・レジェンド』監督スティーブン・ノリントン、出演ショーン・コネリー、シェーン・ウエスト、ペータ・ウィルソン。
予告を見た段階で、トンデモ系だとはわかっていたが。
舞台は19世紀末。
世界征服をたくらむ悪の秘密組織と戦うため、正義の超人たちでチームが結成された。それが「超常的紳士同盟」だ。
リーダーは不死身の冒険家アラン・クォーターメイン(『ソロモン王の洞窟』の主人公)@ショーン・コネリー。
他のメンバーは、科学者のネモ船長(『海底2万マイル』のキャラ)、美貌の吸血鬼ミナ(『ドラキュラ』のヒロイン)、永遠の美を生きるドリアン・グレイ(『ドリアン・グレイの肖像』の主人公)、透明人間ロドニー(『透明人間』の主人公)、マッチョ怪人に変身するジキル博士(『ジキルとハイド』の主人公)、そしてアメリカの諜報員ソーヤー青年(『トム・ソーヤーの冒険』の主人公)ときたもんだ。
彼らが白亜の潜水艦「ノーチラス号」に乗って、世界を舞台に大暴れ!!
ぼくらの世界を守れ! 悪の秘密組織を倒せ!!
いやあ、この映画を大真面目に作ってしまうあたりが、アメリカっちゅー国はすげえとこだなあ、と思うよ(笑)。
『ルパン三世』の実写版、というのがいちばん近いと思う。
アメリカの諜報員ソーヤーだもんなあ……トム・ソーヤーがなあ……金髪のかっこいー男の子だよ……成長したんだなあ、トム・ソーヤー。
ネモ船長はめちゃくちゃかっこいいしなー。強いのなんのって。なんでターバン巻いてるのかわかんないけど。
ドリアン・グレイときたら、本気でハンサムだしなー。ヒゲがエロいぞー。
ハイド氏ときたら、まるきり『ハルク』だし。もちろんお金のかかっていない『ハルク』(笑)。ジキル博士のよわよわぶりと、ハイドの化け物ぶりがいい感じ。
女吸血鬼は美人なのかおばさんなのか、きわどいとこだが(笑)、おっかなくてかっこいい。
シーンごとをたのしむものであって、ストーリーとか深いことは考えちゃイカンのでしょう。
ツッコミどころ満載。
つーか、この人たちがなにをしたくて、なにをしているのか、よくわからなかった。
ただ、その潔いバカッパワーを愉しんだ。
ノーチラス号が現れた瞬間に、「もういいよ」と思った。もういい、好きにしてくれ。笑えるからすべて許す、と(笑)。
ノーチラス号がまた、すごいんだわ。
ネモ船長がすっげー自慢そうに、「そーど・おぶ・おーしゃん!!」と宣言するんだが、まったくもってその通りの姿なんだよ。
純白の剣が現れやがんの。
海を切り裂いて進むんだよー。うひゃー。
とにかくあちこち、ツボにはまって笑えてしょーがなかった。
ばかばかしいんだけど、笑えるんだよー。
ベネツィアの水路を進むノーチラス号って、どうよそれ、どうなのよ〜〜。絶対ありえねえって。
あと、意味もなく美術は美しいし。
ビバ19世紀。
ドリアン・グレイの館とか、ノーチラス号の内部とか、悪の要塞(笑)とか、ものすごく美しいんですけど。
彼らの貴族的服装も美しいし。
目に楽しいよなあ。
それと、まあこれはお約束なんで腐女子ポイントも書いておきましょう。
ショーン・コネリーの役とソーヤー青年は、相思相愛です。なにかっちゃー、いちゃついてます。
あと、ネモ船長とジキル&ハイド氏は、たぶんそれだけで物語になるでしょう(笑)。
ミスターMがよりによってドリアン・グレイを選んだのは、つまりはそういうことなんだと思いました。あのベッドで絶対やってるよねえ。そりゃ、彼の現在の恋人・女吸血鬼のミナも怒り狂うさ。
一緒に見に行ったWHITEちゃんは、相当ツボに入ったようで、しばらく帰ってこれないくらい、笑ってました。……クールな彼女にしては破格の反応だ。
ふたりで映画へのツッコミを羅列しながらごはん食べたんだけど、答えが出ないくらい穴だらけの作品だよ。
んで、わたしたちの共通の感想。
「ショーン・コネリー、仕事選べよ(笑)」
☆
昼間にも映画を見ようと思ってたんだけど、ラインナップ発表を待っていたせいで、見られなかったよ(笑)。
某板に早々にすっぱ抜いてくれた人、ありがとう。おかげで安心して試写会に行けたわ。
『リーグ・オブ・レジェンド』監督スティーブン・ノリントン、出演ショーン・コネリー、シェーン・ウエスト、ペータ・ウィルソン。
予告を見た段階で、トンデモ系だとはわかっていたが。
舞台は19世紀末。
世界征服をたくらむ悪の秘密組織と戦うため、正義の超人たちでチームが結成された。それが「超常的紳士同盟」だ。
リーダーは不死身の冒険家アラン・クォーターメイン(『ソロモン王の洞窟』の主人公)@ショーン・コネリー。
他のメンバーは、科学者のネモ船長(『海底2万マイル』のキャラ)、美貌の吸血鬼ミナ(『ドラキュラ』のヒロイン)、永遠の美を生きるドリアン・グレイ(『ドリアン・グレイの肖像』の主人公)、透明人間ロドニー(『透明人間』の主人公)、マッチョ怪人に変身するジキル博士(『ジキルとハイド』の主人公)、そしてアメリカの諜報員ソーヤー青年(『トム・ソーヤーの冒険』の主人公)ときたもんだ。
彼らが白亜の潜水艦「ノーチラス号」に乗って、世界を舞台に大暴れ!!
ぼくらの世界を守れ! 悪の秘密組織を倒せ!!
いやあ、この映画を大真面目に作ってしまうあたりが、アメリカっちゅー国はすげえとこだなあ、と思うよ(笑)。
『ルパン三世』の実写版、というのがいちばん近いと思う。
アメリカの諜報員ソーヤーだもんなあ……トム・ソーヤーがなあ……金髪のかっこいー男の子だよ……成長したんだなあ、トム・ソーヤー。
ネモ船長はめちゃくちゃかっこいいしなー。強いのなんのって。なんでターバン巻いてるのかわかんないけど。
ドリアン・グレイときたら、本気でハンサムだしなー。ヒゲがエロいぞー。
ハイド氏ときたら、まるきり『ハルク』だし。もちろんお金のかかっていない『ハルク』(笑)。ジキル博士のよわよわぶりと、ハイドの化け物ぶりがいい感じ。
女吸血鬼は美人なのかおばさんなのか、きわどいとこだが(笑)、おっかなくてかっこいい。
シーンごとをたのしむものであって、ストーリーとか深いことは考えちゃイカンのでしょう。
ツッコミどころ満載。
つーか、この人たちがなにをしたくて、なにをしているのか、よくわからなかった。
ただ、その潔いバカッパワーを愉しんだ。
ノーチラス号が現れた瞬間に、「もういいよ」と思った。もういい、好きにしてくれ。笑えるからすべて許す、と(笑)。
ノーチラス号がまた、すごいんだわ。
ネモ船長がすっげー自慢そうに、「そーど・おぶ・おーしゃん!!」と宣言するんだが、まったくもってその通りの姿なんだよ。
純白の剣が現れやがんの。
海を切り裂いて進むんだよー。うひゃー。
とにかくあちこち、ツボにはまって笑えてしょーがなかった。
ばかばかしいんだけど、笑えるんだよー。
ベネツィアの水路を進むノーチラス号って、どうよそれ、どうなのよ〜〜。絶対ありえねえって。
あと、意味もなく美術は美しいし。
ビバ19世紀。
ドリアン・グレイの館とか、ノーチラス号の内部とか、悪の要塞(笑)とか、ものすごく美しいんですけど。
彼らの貴族的服装も美しいし。
目に楽しいよなあ。
それと、まあこれはお約束なんで腐女子ポイントも書いておきましょう。
ショーン・コネリーの役とソーヤー青年は、相思相愛です。なにかっちゃー、いちゃついてます。
あと、ネモ船長とジキル&ハイド氏は、たぶんそれだけで物語になるでしょう(笑)。
ミスターMがよりによってドリアン・グレイを選んだのは、つまりはそういうことなんだと思いました。あのベッドで絶対やってるよねえ。そりゃ、彼の現在の恋人・女吸血鬼のミナも怒り狂うさ。
一緒に見に行ったWHITEちゃんは、相当ツボに入ったようで、しばらく帰ってこれないくらい、笑ってました。……クールな彼女にしては破格の反応だ。
ふたりで映画へのツッコミを羅列しながらごはん食べたんだけど、答えが出ないくらい穴だらけの作品だよ。
んで、わたしたちの共通の感想。
「ショーン・コネリー、仕事選べよ(笑)」
☆
昼間にも映画を見ようと思ってたんだけど、ラインナップ発表を待っていたせいで、見られなかったよ(笑)。
某板に早々にすっぱ抜いてくれた人、ありがとう。おかげで安心して試写会に行けたわ。
所詮ヅカファン。@レ・コラージュ
2003年8月26日 タカラヅカ 芝居の話だけで2日終わってしまった……。
かといって、ショーの方はなにも言うことがない。
雪組公演『レ・コラージュ』三木章雄作。
感想をひとことで言うなら。
「悪趣味」
口をぽかーんと開けているウチに終わってしまった。中詰めあったっけ?
最初からなにがおどろいたって、コム姫の女装よ。
こんなとこで使っちゃっていいの?
コム姫の女装はいわば切り札でしょ? もうあとがないってときまで温存しておかないと、ダメなんじゃあ?
それとも今が「がけっぷち」なの?
……まあな。
あの真っ赤な客席を見たら、今こそがけっぷち、温存している場合じゃない、恥も外聞も捨てて客引きせにゃあ、って感じもするか。
かねすきさんたら、幕間に2階席を見に行こう、なんて言うのよ。今日は日曜日よ(だからこれ、24日の日記なんだってば)、いくらなんでもこれは嘘よね、というさみしい2階席でしたわ。
そーだよな、コム姫がんばるしかないよな……わたしはコム姫好きだからあと何回か観に行くけど、芝居もショーも駄作じゃ、一般客はリピートしねえよな……がんばれ雪組。
タカラヅカらしい、バラエティ・ショー。
シーンごとに別モノ。コラージュというより闇鍋? 新しいシーンがはじまるたびに「げっ」とか思う(笑)。
美しいシーンがほとんどないときたもんだよ。
悪趣味さに目眩がするシーンはいくつもあるんだけど。……何回か観たら、慣れるのかな?
今の雪組は、主要人物の美しさだけで言えば全組1じゃないかと思うのよ。
それも全員が白だとか水色だとかの薄い色。白百合の花が咲き誇っているイメージ。
これだけ真っ白に美しいキャストを使って、どーしてこう汚いシーンを作れるのかしら。
唯一きれいだと思ったが、「記憶のコラージュ」というタイトルのついたシーン。あとは……ものすごかった(笑)。
でも、これがタカラヅカなのかもしれない。
わたしが観はじめたころのヅカのショーは、こんなだったのかも。
そうよ、杜けあきが若作りのオカマみたいな格好して「アタシ、長靴下のピッピ!」とか言って、客席を凍らせていたじゃない! 昔のショーはあれくらいものすごかったわ! 思い出すのよ! お茶の水博士とかちょーちんブルマのリボンの騎士とかが出ていて「ここはファミリーランドのお子様向け着ぐるみショー会場だっけ?」と真夏なのに心にブリザードを感じたこともあったじゃない!
そうよ、ヅカのショーは本来、ふつーとは感覚がちがっているものなのよ!
もう21世紀だし、現代的感覚とかがヅカにも求められるよーになってきていたから、忘れていただけで。
これがヅカらしいヅカのショーなのかも。
この感覚を変だと思わずに、共有できてこそ真のヅカファンなのよ!!
てなことを、改めて思ってみたり。
うん、『火の鳥』よりはいいショーだと思うよ。『マンハッタン不夜城』よりは名作だってば。(どっちも草野作)
わたしもあと何回か観に行くうちに、きっと慣れているんだと思う。だってヅカファンだもん(笑)。
三木先生なあ、昔はけっこう好きだったよ。元祖『ミリオン・ドリームス』とかな。
過去形で語らせてもらうけどさ。
コム姫とまーちゃんは、ショーになると美しさを発揮するコンビだと思う。
星組のデュエット・ダンスを観たあとに、コムまーのダンスを観たら、ウロコが落ちるよ(笑)。いやあ、ダンスってのは美しいものなんだねえええ。
いっぽくんととなみちゃんも、美しくてすばらしいです。きれいな人たちだー。眼福眼福。
かっしーは……え、えーと……ガイコツダンスの印象が強すぎて……。なんだってあんな珍妙な姿に……。
あと、耽美なハマコを見て、くらくら。
耽美か……ハマコで耽美か……そ、そーだよな、ヅカだもんな、ハマコだって耽美路線をやることもあるよな。くらくら。
おどろいたのはキムちゃん。
1場面持たせてもらってるんだ……アンタ、どこのスターさんですか。トップ娘役(ものすげー若作りした少女役……)と絡んで、主役張りますか。すげえや。
あれ? そーいや、いっぽくん主役のシーンってあったっけ? おぼえてないけど、たぶんあったよね? キムにあって、いっぽくんにないわけないよね?
次に観に行くとき、ちゃんとチェックしよう。
いっぽくんを真ん中に、ひじりんとかなめくんが銀橋を渡るシーンを観て、「時代は変わったんだなあ」としみじみ思った。
この3人がトリオで銀橋か……。
つーか、いづるん……泣。見せ場は女役だけかい……泣。
ところでわたし、かなめくんの名前が思い出せず、「『アメパイ』でかっしーグランパの元カレだったハンサム! かっしーの気を引きたくていっぽくんと浮気したふりして、結局捨てられちゃったハンサムなカレ!!」と、記憶の引き出しをかき回しましたさ……そーだよ、そーゆーおぼえ方してんだよ、わたしゃ。
そして、ロケットになるまで、せーこちゃんが雪組だということを失念してました。あれ、せーこちゃんがいる……そっか、配属雪組だった!
芝居はどこで出てたのかな。プログラム買ってないからわかんないや。
路線以外の研1生って、舞台で探すの大変だよなあ。
いろいろ文句みたいなこと言ってるけど、愛がなければこんな、莫大な時間をかけて書かないよー。
また観に行くからね。
がんばれ雪組ー。
かといって、ショーの方はなにも言うことがない。
雪組公演『レ・コラージュ』三木章雄作。
感想をひとことで言うなら。
「悪趣味」
口をぽかーんと開けているウチに終わってしまった。中詰めあったっけ?
最初からなにがおどろいたって、コム姫の女装よ。
こんなとこで使っちゃっていいの?
コム姫の女装はいわば切り札でしょ? もうあとがないってときまで温存しておかないと、ダメなんじゃあ?
それとも今が「がけっぷち」なの?
……まあな。
あの真っ赤な客席を見たら、今こそがけっぷち、温存している場合じゃない、恥も外聞も捨てて客引きせにゃあ、って感じもするか。
かねすきさんたら、幕間に2階席を見に行こう、なんて言うのよ。今日は日曜日よ(だからこれ、24日の日記なんだってば)、いくらなんでもこれは嘘よね、というさみしい2階席でしたわ。
そーだよな、コム姫がんばるしかないよな……わたしはコム姫好きだからあと何回か観に行くけど、芝居もショーも駄作じゃ、一般客はリピートしねえよな……がんばれ雪組。
タカラヅカらしい、バラエティ・ショー。
シーンごとに別モノ。コラージュというより闇鍋? 新しいシーンがはじまるたびに「げっ」とか思う(笑)。
美しいシーンがほとんどないときたもんだよ。
悪趣味さに目眩がするシーンはいくつもあるんだけど。……何回か観たら、慣れるのかな?
今の雪組は、主要人物の美しさだけで言えば全組1じゃないかと思うのよ。
それも全員が白だとか水色だとかの薄い色。白百合の花が咲き誇っているイメージ。
これだけ真っ白に美しいキャストを使って、どーしてこう汚いシーンを作れるのかしら。
唯一きれいだと思ったが、「記憶のコラージュ」というタイトルのついたシーン。あとは……ものすごかった(笑)。
でも、これがタカラヅカなのかもしれない。
わたしが観はじめたころのヅカのショーは、こんなだったのかも。
そうよ、杜けあきが若作りのオカマみたいな格好して「アタシ、長靴下のピッピ!」とか言って、客席を凍らせていたじゃない! 昔のショーはあれくらいものすごかったわ! 思い出すのよ! お茶の水博士とかちょーちんブルマのリボンの騎士とかが出ていて「ここはファミリーランドのお子様向け着ぐるみショー会場だっけ?」と真夏なのに心にブリザードを感じたこともあったじゃない!
そうよ、ヅカのショーは本来、ふつーとは感覚がちがっているものなのよ!
もう21世紀だし、現代的感覚とかがヅカにも求められるよーになってきていたから、忘れていただけで。
これがヅカらしいヅカのショーなのかも。
この感覚を変だと思わずに、共有できてこそ真のヅカファンなのよ!!
てなことを、改めて思ってみたり。
うん、『火の鳥』よりはいいショーだと思うよ。『マンハッタン不夜城』よりは名作だってば。(どっちも草野作)
わたしもあと何回か観に行くうちに、きっと慣れているんだと思う。だってヅカファンだもん(笑)。
三木先生なあ、昔はけっこう好きだったよ。元祖『ミリオン・ドリームス』とかな。
過去形で語らせてもらうけどさ。
コム姫とまーちゃんは、ショーになると美しさを発揮するコンビだと思う。
星組のデュエット・ダンスを観たあとに、コムまーのダンスを観たら、ウロコが落ちるよ(笑)。いやあ、ダンスってのは美しいものなんだねえええ。
いっぽくんととなみちゃんも、美しくてすばらしいです。きれいな人たちだー。眼福眼福。
かっしーは……え、えーと……ガイコツダンスの印象が強すぎて……。なんだってあんな珍妙な姿に……。
あと、耽美なハマコを見て、くらくら。
耽美か……ハマコで耽美か……そ、そーだよな、ヅカだもんな、ハマコだって耽美路線をやることもあるよな。くらくら。
おどろいたのはキムちゃん。
1場面持たせてもらってるんだ……アンタ、どこのスターさんですか。トップ娘役(ものすげー若作りした少女役……)と絡んで、主役張りますか。すげえや。
あれ? そーいや、いっぽくん主役のシーンってあったっけ? おぼえてないけど、たぶんあったよね? キムにあって、いっぽくんにないわけないよね?
次に観に行くとき、ちゃんとチェックしよう。
いっぽくんを真ん中に、ひじりんとかなめくんが銀橋を渡るシーンを観て、「時代は変わったんだなあ」としみじみ思った。
この3人がトリオで銀橋か……。
つーか、いづるん……泣。見せ場は女役だけかい……泣。
ところでわたし、かなめくんの名前が思い出せず、「『アメパイ』でかっしーグランパの元カレだったハンサム! かっしーの気を引きたくていっぽくんと浮気したふりして、結局捨てられちゃったハンサムなカレ!!」と、記憶の引き出しをかき回しましたさ……そーだよ、そーゆーおぼえ方してんだよ、わたしゃ。
そして、ロケットになるまで、せーこちゃんが雪組だということを失念してました。あれ、せーこちゃんがいる……そっか、配属雪組だった!
芝居はどこで出てたのかな。プログラム買ってないからわかんないや。
路線以外の研1生って、舞台で探すの大変だよなあ。
いろいろ文句みたいなこと言ってるけど、愛がなければこんな、莫大な時間をかけて書かないよー。
また観に行くからね。
がんばれ雪組ー。
絶望しないために。@Romance de Paris
2003年8月25日 タカラヅカ 物語は、3つのことが同時進行している。
クーデター。
ヴァンサンとナディアの恋
ヴァンサン家のお家騒動
『Romance de Paris』をこの3つの視点でそれぞれ再構築してみる。
正塚的「自分探し」で男のロマンなのは、ヴァンサン家のお家騒動だろうなあ。
父役に専科の実力派の力を借り、ヴァンサン、ディディエ、パトリシアの人間関係をねーっとり描く。
ヴァンサンの出生、異母姉パトリシアとの関係、ディディエとの確執。クラブ経営者と会社社長、立場のちがいとそこに至る問題、葛藤。
もちろん、クーデターとナディアとの恋も絡めるのよ。ディディエが将軍一派に肩入れしていたという筋は変わらないわけだから。
ディディエへの反抗心、亡き父の意志の尊重からナディアを匿うヴァンサン。最初はただのコマとしか考えてなかったナディアに、次第に惹かれていくの。生まれたときから「王女」としての責任を負い、真摯に生きる彼女に自分の人生を省みる。そして彼は成長するのよ。男として、人間として。
この物語が本筋なら、クライマックスはヴァンサンとディディエの対決でかまわない。この一連の事件で成長したからこそ、ディディエと対決することができるよーになったのさ。
じつはいちばん観たかった物語だわ。あ、もちろんディディエはじゅりちゃんでお願い。
これこそ正塚! みたいな物語ができたと思うから。……バウホール向きの作品になったろうけど。
大劇場向きというなら、クーデター中心。
敵の将軍は専科のおじさま。敵側の動きもちゃんと描き、エンタメに徹する。王女だとかクーデターだとか、ふつーに生きている一般市民がぴんとこないような異世界と、それに対峙する、パリの酒場のオーナーでしかないヴァンサン。敵が大きければ大きいほど、エンタメ的には盛り上がるでしょう。
キーパーソンはラシッド。はじめは敵、だけどじつは味方、という筋立ては変わらず。だが本舞台のよーに口先だけで「じつはいい人なんだよ」で終わらせず、彼がなにを考えどう行動するのかを明確にする。
一般人でしかないヴァンサンが巨悪と戦うなんていう「非日常」に足をつっこんでしまったってことで、彼の男の美学や自分探しを表現してください。ネタとしては十分過ぎるだろう。
そこにディディエを軽く絡め、ナディアとはちゃんと恋をすること。
クライマックスはクーデター解決シーン。武装した兵士たちと対峙するくらい派手にやれ。「1日だけのデート」はいらん。
タカラヅカ的に行くなら、ナディアとの恋を中心に描く。
ヴァンサンがクーデターに関わる理由は、ずはり恋。ナディアを愛したから、彼女を匿う。父が死んだとかなんとかはいらん。ディディエ絡みの話は縮小。
恋ゆえにヴァンサンは、しがない酒場のオーナーでしかない身で、巨悪と戦うのさ。その過程で、ふたりの恋がじれったく展開していく。甘あまになる必要はない。正塚だからな。ヴァンサンにはあくまでも「やせ我慢の美学」(ハードボイルドとも言う)を徹してもらおう。障害だらけの恋をすることで、得意の「自分探し」をしてくれよ。
クライマックスはもちろんクーデター解決シーン。ナディアをかばって撃たれるぐらいしろ。もちろん死んじゃダメだぞ、かすり傷だ(笑)。そして「1日だけのデート」をするんだ、ただし短く。
ふたりの恋が段階を踏んで盛り上がっているならば、「別れを前提とした関係」、「1日だけのデート」が短くてもせつなさを盛り上げるはずだ。だらだらやる必要ナシ。
と。
いろいろ考えたよ。
この失敗作をもとに、3つのバージョンで物語が作れるじゃん。
話の流れは全部同じだし、キャラも同じよ?
それでもこれだけチガウものが作れるんじゃん。
つまりそれくらい、中途半端で失敗してるんじゃん。
じれったいなあ。
つらつらと考えちゃったよ。
とりあえず言えることは、「恋を明確にしろ」「クライマックスを作れ」のふたつかな。
この作品が失敗しているのは単純に、「物語としての組み立てが間違っている」せいだから。
1から作り直すのがいちばんいいんだけど、このまま使うとしたらせめて、「恋」と「クライマックス」だけを補強すればまだなんとかなると思うんだ。
ヴァンサンがナディアに恋しているんだということを、描こうよ。危険な事件に自ら関わる理由は「恋」だって明確にしようよ。
一目惚れしろとは言わない。それは正塚の矜持に関わるんだろう。どーゆー矜持かわからんけども。
最初は気づいてなくても、無意識に恋に落ちていることにすればいいじゃん。支配人@ハマコとかに止められるのを振り切ってナディアを匿い、「なんで俺、こんなやっかいなことに関わってるんだ?」とつぶやかせるとか。クールなキャラのままで、できるはずだよ。
とんでもないことなのに、それでもなお、やっているんだと強調するんだ。彼の勇気と頭の良さと、かっこよさと、そして愛の強さを示せ。
そしてあちこちで、ナディアとヴァンサンの気持ちを表現するんだ。見つめ合うでもよし、指が触れてはっとするでもよし、ベタでかまわないから、ふたりの気持ちが近づいていることを表せ。
遊び相手の女たちといるところを目撃され、ナディアを怒らせてしまって、あわててみたり。そして「今まで複数の女たちが鉢合わせをしたって平気だったのに、何故俺は……」てなシーンがあると、個人的には萌えだわ。つーか、こーゆー使い方しないと、最初の遊び相手の女たちの登場シーン、不必要でしょうが。
クーデターが解決したら、わたしたちお別れね、とか、星空をバックにナディアにせつなげにつぶやかせろ。そこでもクール(というか本当の恋をしたことがないからまだ自覚に至っていない)ヴァンサンは、彼女につれない態度を取るのさ。
クライマックスを作ろうよ。盛り上げようよ。それまでが多少タルくても、このシーンのこの感動だけで全部帳消し!なくらいの派手なシーンを一発作ろうよ。
安全なパリのオフィスで、いかにも頭の悪そうなディディエ(いっぽくん……泣)を問いつめて終わり、なんていうアホなシーンがクライマックスなわけないじゃん。
クライマックスといえば、クーデターでしょう。暴力で権力を得ようとする悪者に、正義の鉄槌を下すシーンでしょう。
そのいちばんおいしい、クーデター解決シーンに主役たちを全員絡ませろ。
これはもー、絶対条件。
盛り上がること必至の出来事なのよ? 盛り上がらない方が変、てな出来事よ? なんで使わなかったのかわからん。
舞台がパリでないとイカンというなら、ヴァンサンの店に罠を張ることにして、ナディアを暴力で捕らえに来た将軍一派を、テレビで生中継しちゃえ。そこでナディアに平和の歌でも歌わせて、ついでにその場にいるみんなで合唱しちゃえ。
んで、いちばんいいところは主役が持って行かなきゃイカンから、ヴァンサンが前に出て、将軍一派のこの暴挙を今世界中が見ていることを、かっこよく宣言するのよ。
そして絶妙のタイミングで、テレビ局の人間が叫ぶ。本国の方でもラシッド@じゅりちゃんの活躍により、将軍が捕らえられ、国王が無事解放されたと。ディディエもこのときヴァンサンの店にいて、がっくり膝をつくぐらいやればいい。パトリシアがそれでも彼に寄り添うことで、ふたりの立場も関係もクリアできる。
こうしてハッピーエンド、みんな大喜び。……だけど何故か、主役ふたりだけはせつない……目だけで語り合うふたりは、こっそりと「1日だけのデート」をする。
この「1日だけのデート」は、短くていい。長くするなら、物語に絡ませろ。
将軍一派の残党が襲ってくるぐらいの事件を起こせ。
目の前で彼女が襲われてはじめて、ヴァンサンが自分の気持ちに気づくのでもいいさ。
もちろんナディアは無事で、ふたりは『ローマの休日』のやうな別れを迎える、と。
自分探しもやせ我慢も、男は背中で語る、も、「恋」と「クライマックス」を正しく盛り上げても表現できると思うけどねえ。
なんで物語としての根幹を壊してまで、中途半端にいろいろやって、あげくすべてをぶち壊しているんだ?
もちろん、正塚先生のセンスは好きだ。
ダンスではじまるプロローグ、通行人のひとりひとりまでもが人生を感じさせる群衆のシーン(ワンパターンだけどな・笑)だとかは好きさ。華美にならないけれど美しい服装(ヒロインの服はすでにワンパターンだが・笑)も好きさ。彼の永遠のテーマ「自分探し」も、ナルシシズムだけでできあがったよーなつぶやき系の物語スタンスも好きさ。
しかし、「ストーリーを組み立てる」能力が欠如してきているよね? ここ数年。わざと? ヅカなんか、ヅカファンなんかバカだから、壊れた物語でもスターさえかっこよければ、主役カップルのラヴラヴいちゃいちゃシーンがあれば構成のめちゃくちゃさなんか気づかないだろ、って思ってる? 植田や谷の作品でもまかり通るんだから、自分が本気で仕事しなくてもあのレベルは作れるんだから文句ないだろ、とか?
創作者としての正塚の再起を願う。心から、のぞむ。
結局わたしは、絶望したくないんだよ。
クーデター。
ヴァンサンとナディアの恋
ヴァンサン家のお家騒動
『Romance de Paris』をこの3つの視点でそれぞれ再構築してみる。
正塚的「自分探し」で男のロマンなのは、ヴァンサン家のお家騒動だろうなあ。
父役に専科の実力派の力を借り、ヴァンサン、ディディエ、パトリシアの人間関係をねーっとり描く。
ヴァンサンの出生、異母姉パトリシアとの関係、ディディエとの確執。クラブ経営者と会社社長、立場のちがいとそこに至る問題、葛藤。
もちろん、クーデターとナディアとの恋も絡めるのよ。ディディエが将軍一派に肩入れしていたという筋は変わらないわけだから。
ディディエへの反抗心、亡き父の意志の尊重からナディアを匿うヴァンサン。最初はただのコマとしか考えてなかったナディアに、次第に惹かれていくの。生まれたときから「王女」としての責任を負い、真摯に生きる彼女に自分の人生を省みる。そして彼は成長するのよ。男として、人間として。
この物語が本筋なら、クライマックスはヴァンサンとディディエの対決でかまわない。この一連の事件で成長したからこそ、ディディエと対決することができるよーになったのさ。
じつはいちばん観たかった物語だわ。あ、もちろんディディエはじゅりちゃんでお願い。
これこそ正塚! みたいな物語ができたと思うから。……バウホール向きの作品になったろうけど。
大劇場向きというなら、クーデター中心。
敵の将軍は専科のおじさま。敵側の動きもちゃんと描き、エンタメに徹する。王女だとかクーデターだとか、ふつーに生きている一般市民がぴんとこないような異世界と、それに対峙する、パリの酒場のオーナーでしかないヴァンサン。敵が大きければ大きいほど、エンタメ的には盛り上がるでしょう。
キーパーソンはラシッド。はじめは敵、だけどじつは味方、という筋立ては変わらず。だが本舞台のよーに口先だけで「じつはいい人なんだよ」で終わらせず、彼がなにを考えどう行動するのかを明確にする。
一般人でしかないヴァンサンが巨悪と戦うなんていう「非日常」に足をつっこんでしまったってことで、彼の男の美学や自分探しを表現してください。ネタとしては十分過ぎるだろう。
そこにディディエを軽く絡め、ナディアとはちゃんと恋をすること。
クライマックスはクーデター解決シーン。武装した兵士たちと対峙するくらい派手にやれ。「1日だけのデート」はいらん。
タカラヅカ的に行くなら、ナディアとの恋を中心に描く。
ヴァンサンがクーデターに関わる理由は、ずはり恋。ナディアを愛したから、彼女を匿う。父が死んだとかなんとかはいらん。ディディエ絡みの話は縮小。
恋ゆえにヴァンサンは、しがない酒場のオーナーでしかない身で、巨悪と戦うのさ。その過程で、ふたりの恋がじれったく展開していく。甘あまになる必要はない。正塚だからな。ヴァンサンにはあくまでも「やせ我慢の美学」(ハードボイルドとも言う)を徹してもらおう。障害だらけの恋をすることで、得意の「自分探し」をしてくれよ。
クライマックスはもちろんクーデター解決シーン。ナディアをかばって撃たれるぐらいしろ。もちろん死んじゃダメだぞ、かすり傷だ(笑)。そして「1日だけのデート」をするんだ、ただし短く。
ふたりの恋が段階を踏んで盛り上がっているならば、「別れを前提とした関係」、「1日だけのデート」が短くてもせつなさを盛り上げるはずだ。だらだらやる必要ナシ。
と。
いろいろ考えたよ。
この失敗作をもとに、3つのバージョンで物語が作れるじゃん。
話の流れは全部同じだし、キャラも同じよ?
それでもこれだけチガウものが作れるんじゃん。
つまりそれくらい、中途半端で失敗してるんじゃん。
じれったいなあ。
つらつらと考えちゃったよ。
とりあえず言えることは、「恋を明確にしろ」「クライマックスを作れ」のふたつかな。
この作品が失敗しているのは単純に、「物語としての組み立てが間違っている」せいだから。
1から作り直すのがいちばんいいんだけど、このまま使うとしたらせめて、「恋」と「クライマックス」だけを補強すればまだなんとかなると思うんだ。
ヴァンサンがナディアに恋しているんだということを、描こうよ。危険な事件に自ら関わる理由は「恋」だって明確にしようよ。
一目惚れしろとは言わない。それは正塚の矜持に関わるんだろう。どーゆー矜持かわからんけども。
最初は気づいてなくても、無意識に恋に落ちていることにすればいいじゃん。支配人@ハマコとかに止められるのを振り切ってナディアを匿い、「なんで俺、こんなやっかいなことに関わってるんだ?」とつぶやかせるとか。クールなキャラのままで、できるはずだよ。
とんでもないことなのに、それでもなお、やっているんだと強調するんだ。彼の勇気と頭の良さと、かっこよさと、そして愛の強さを示せ。
そしてあちこちで、ナディアとヴァンサンの気持ちを表現するんだ。見つめ合うでもよし、指が触れてはっとするでもよし、ベタでかまわないから、ふたりの気持ちが近づいていることを表せ。
遊び相手の女たちといるところを目撃され、ナディアを怒らせてしまって、あわててみたり。そして「今まで複数の女たちが鉢合わせをしたって平気だったのに、何故俺は……」てなシーンがあると、個人的には萌えだわ。つーか、こーゆー使い方しないと、最初の遊び相手の女たちの登場シーン、不必要でしょうが。
クーデターが解決したら、わたしたちお別れね、とか、星空をバックにナディアにせつなげにつぶやかせろ。そこでもクール(というか本当の恋をしたことがないからまだ自覚に至っていない)ヴァンサンは、彼女につれない態度を取るのさ。
クライマックスを作ろうよ。盛り上げようよ。それまでが多少タルくても、このシーンのこの感動だけで全部帳消し!なくらいの派手なシーンを一発作ろうよ。
安全なパリのオフィスで、いかにも頭の悪そうなディディエ(いっぽくん……泣)を問いつめて終わり、なんていうアホなシーンがクライマックスなわけないじゃん。
クライマックスといえば、クーデターでしょう。暴力で権力を得ようとする悪者に、正義の鉄槌を下すシーンでしょう。
そのいちばんおいしい、クーデター解決シーンに主役たちを全員絡ませろ。
これはもー、絶対条件。
盛り上がること必至の出来事なのよ? 盛り上がらない方が変、てな出来事よ? なんで使わなかったのかわからん。
舞台がパリでないとイカンというなら、ヴァンサンの店に罠を張ることにして、ナディアを暴力で捕らえに来た将軍一派を、テレビで生中継しちゃえ。そこでナディアに平和の歌でも歌わせて、ついでにその場にいるみんなで合唱しちゃえ。
んで、いちばんいいところは主役が持って行かなきゃイカンから、ヴァンサンが前に出て、将軍一派のこの暴挙を今世界中が見ていることを、かっこよく宣言するのよ。
そして絶妙のタイミングで、テレビ局の人間が叫ぶ。本国の方でもラシッド@じゅりちゃんの活躍により、将軍が捕らえられ、国王が無事解放されたと。ディディエもこのときヴァンサンの店にいて、がっくり膝をつくぐらいやればいい。パトリシアがそれでも彼に寄り添うことで、ふたりの立場も関係もクリアできる。
こうしてハッピーエンド、みんな大喜び。……だけど何故か、主役ふたりだけはせつない……目だけで語り合うふたりは、こっそりと「1日だけのデート」をする。
この「1日だけのデート」は、短くていい。長くするなら、物語に絡ませろ。
将軍一派の残党が襲ってくるぐらいの事件を起こせ。
目の前で彼女が襲われてはじめて、ヴァンサンが自分の気持ちに気づくのでもいいさ。
もちろんナディアは無事で、ふたりは『ローマの休日』のやうな別れを迎える、と。
自分探しもやせ我慢も、男は背中で語る、も、「恋」と「クライマックス」を正しく盛り上げても表現できると思うけどねえ。
なんで物語としての根幹を壊してまで、中途半端にいろいろやって、あげくすべてをぶち壊しているんだ?
もちろん、正塚先生のセンスは好きだ。
ダンスではじまるプロローグ、通行人のひとりひとりまでもが人生を感じさせる群衆のシーン(ワンパターンだけどな・笑)だとかは好きさ。華美にならないけれど美しい服装(ヒロインの服はすでにワンパターンだが・笑)も好きさ。彼の永遠のテーマ「自分探し」も、ナルシシズムだけでできあがったよーなつぶやき系の物語スタンスも好きさ。
しかし、「ストーリーを組み立てる」能力が欠如してきているよね? ここ数年。わざと? ヅカなんか、ヅカファンなんかバカだから、壊れた物語でもスターさえかっこよければ、主役カップルのラヴラヴいちゃいちゃシーンがあれば構成のめちゃくちゃさなんか気づかないだろ、って思ってる? 植田や谷の作品でもまかり通るんだから、自分が本気で仕事しなくてもあのレベルは作れるんだから文句ないだろ、とか?
創作者としての正塚の再起を願う。心から、のぞむ。
結局わたしは、絶望したくないんだよ。
絶望していいですか?@Romance de Paris
2003年8月24日 タカラヅカ正塚晴彦はもうダメなのかもしれない……。
と、暗い気持ちになった、雪組公演観劇。
わたしはずーっと、正塚ファンだったのよね。だから、どんなに駄作を見せられても、「次こそは」と思って気持ちを盛り上げていた。
しかし。
今回ふと、我に返ったよ。
いったいわたし、いつからまともな正塚作品を見ていないんだろう?
正塚作品で「よかった」と思えるモノは99年の『SAY IT AGAIN』までさかのぼらなければならなかった。
00年の『デパートメント・ストア』も好きだけど、アレはショーだからあんな単純な筋立てでなんとかなってたけど、芝居だったら駄作だったかも。
もう4年も「駄作」しか作ってないのか、この人。
もうダメなのかな? 壊れちゃったの? 涙。
というくらい、完全無欠な駄作っぷりを繰り広げてくれた『Romance de Paris』。
タイトルからして、ダメダメ感漂ってるよね……。なんなの、このどーでもいいタイトル。やる気ナシ?
まだ、『Don’t cry princess』というタイトルだったときには、希望もあったんだがな。せっかくの正塚らしいタイトルから、どーでもいいやる気のないタイトルに変更になったときに、危惧はしたよ。やばいんじゃないか、ってな。杞憂に終わって欲しかったんだが……。
ヴァンサン@コム姫の経営するクラブは今大忙し。なんでも某国の将軍様が王女ナディア様@まーちゃん付きでご来店。某国とヴァンサンの父は長いおつきあいとか。
ばたばたしているだけの、散漫な導入部分ののちに、よーやく本編。某国で先日ヴァンサンの店に来ていたあの将軍がクーデターを起こし、国王を脅迫するために王女ナディアを捕獲しようとしている、というのだ。
ヴァンサンはどーゆーわけか、ナディアをかくまうことにした。ほんとに、どーゆーわけか。あの、命がけなんですけど? 政治で戦争で、ふつーの酒場のあんちゃんが「なんとなく」することじゃないですけど……。
パパが死んだから、パパの意志を大切にしたいとかなんとか、たわごとをほざいておりますが、そのわりには肝心の「パパとヴァンサン」の関係はなんにも描かれておりません。
さて、せっかくクーデターという大騒動が起こっているにもかかわらず、この大事件、主役たちとは関係ないところで問題なく解決してしまう。はあ?
いちばんのクライマックスになるだろう、クーデター解決シーンはなく、平和なパリでヴァンサンが、将軍のスポンサーになっていた義兄のディディエ@いっぽくんをやりこめて、事件解決。はあ?
ディディエとの対決がいちばん重要だというなら、何故それまでろくにディディエという人物について書き込みがないんだ? 「ヴァンサンとディディエ」の関係が描かれてないんだ?
主役の動機が薄いまま、そしてメリハリもないまま終わったクーデター事件。
すっかり忘れていたヒロイン・ナディアとヴァンサンはとってつけたようなデートをする。
このデートが、長い長い。
なんの事件もなく、ストーリーに関係もないシーンがだらだら続く。
そして突然、ヴァンサンはナディアにキスをする。はあ?
ヴァンサンはべつに、ナディアのことなんとも思ってなかったよねえ? クーデターの間中、それらしいシーンはなかったよねえ? 台詞もなかったよねえ?
なのに何故、こんなストーリーが終わった後に、とってつけたようなラブシーンなの?
そしてふたりは、どっかで見たような別れのシーンを迎える。END。
とにかくえんえんえんえんえんえん、つづくモノローグ。
モノローグで「解説」しないとなにも表現できないらしい。
舞台として演劇としては、表現できないらしい。
舞台で演劇なのに。
ねえ。絶望していいですか? 作家、正塚晴彦に。
『Love Insurance』『Practical Joke』『カナリア』『追憶のバルセロナ』と、すべてに言えることは「ストーリーの組み立てが間違っている」ということだ。
物語を作り慣れていない人とかがよくやる失敗。
主人公と物語が乖離している。
主人公というのは、物語を回す人。動かす人。主人公が動かなければ、物語も動かない。
作者の「言いたいこと」は、物語とは「別」なの。「言いたいこと」さえ言えばそれが「物語」になるわけじゃないの。
「言いたいこと」は「物語」が正しく回ってはじめて、表現できるものなの。
この作品、なにがしたかったの?
王女ナディアとの恋愛?
家族と自分?
「自分探し」は正塚永遠のテーマだろうから、それはもう度外視するとして。
上のふたつのテーマが中途半端に存在し、かつ、ストーリーで手を抜いたとしか思えない仕上がりになっている。
どうしてこの物語、「クライマックス」がないの?
盛り上がるシーンがないんですけど。
同じテンションでだらだらと流れ、終わる。
「出来事」の盛り上がりもなければ、「感情」の盛り上がりもない。
クライマックスがない、ての、『追憶のバルセロナ』のときも書いたな(あのころはまだわたし、日記を書きはじめたところだから、とっても歯に衣着せて書いていたわねえ・笑)。
『Practical Joke』もクライマックスがなかったな。『カナリア』は途中で物語が別の方向に行って、戻ってこなくなってたっけ。
「クライマックスを書けない」っての、作家として致命的な欠陥じゃないか?
もちろん、「モノローグでなにもかも説明する」ってのも、物語を作り慣れていない人とかがよくやる失敗。
いちばん簡単だからだ。
言葉にして解説するの。
そりゃー、自分で言ってしまったらなんでもできるさ、その通りさ。でもそれじゃあ、なんのために「作品」なのよ?
たとえばだ、「死にたいくらい絶望した」ことを表現するのに、直接的なことはなにも言わせずに会話やシーンで表現してみせるのが醍醐味ってもんだろ? それをただふつーに立っているだけの主人公に、「そのとき俺は死にたいくらい絶望した」ってモノローグのテープを流して終わり、かい。素人の書く小説みたいだよ、それは。
プロの作品とは思えないよ……。
駄作かあ。壊れてしまったのかあ。
まあ、駄作ったって、壊れたっつったって、植田・谷ほどではないからマシ? せいぜい、ケイコ先生レベルの駄作? って、今さら新人作家と並列されるのって、どうよ。
植田作品なんかだと、どーあがいてもただの駄作だけど、正塚作品はとりあえず、「ここをこうすれば、なんとかなるのに」って思えるあたりが、歯がゆいなあ。
物語は、3つのことが同時進行している。
クーデター。
ヴァンサンとナディアの恋
ヴァンサン家のお家騒動
このうえにさらに、いつもの「自分探し」が加わっているわけだ。
複数の物語を同時進行する能力がないのなら、ひとつにしぼれよ……。
3つの物語を全部やろうとして、全滅。……なんて悲しい現実。
3つの物語のうち、どれかひとつを大筋に据える。
次に、キャラを立てる。
そして、その大筋とキャラに、残りのふたつを適度に薄めて絡める。主流と傍流のはきちがえがないように、適度に。
もちろん、今回の失敗の理由のひとつに、キャストの力不足もあったと思うさ……。
いちばんの失敗は、いっぽくんだと思うけどね……ディディエという複雑で大人の演技が必要な役に、きらきらしてるけど明らかに実力不足な若手を配したことは、作品のレベルを大きく下げているよ。
主役のコム姫も、正塚的「男の美学」を表現するにはまったく足りていなかったし。
反対に、じゅりちゃんは完璧に役不足。なんというもったいない使い方をするんだ。ディディエは何故彼ではいけなかったんだ? もっとも、じゅりちゃんのやっていたラシッドという役も、他の人がやっていたらさらにとんでもなくわけわからん役に成り下がっていたかもしれんが。
いろいろ考えちゃったよ。
3つの物語のうち、どれを本筋にしたらどうなるか。
つーことで、文字数が足りないので以下翌日欄。
と、暗い気持ちになった、雪組公演観劇。
わたしはずーっと、正塚ファンだったのよね。だから、どんなに駄作を見せられても、「次こそは」と思って気持ちを盛り上げていた。
しかし。
今回ふと、我に返ったよ。
いったいわたし、いつからまともな正塚作品を見ていないんだろう?
正塚作品で「よかった」と思えるモノは99年の『SAY IT AGAIN』までさかのぼらなければならなかった。
00年の『デパートメント・ストア』も好きだけど、アレはショーだからあんな単純な筋立てでなんとかなってたけど、芝居だったら駄作だったかも。
もう4年も「駄作」しか作ってないのか、この人。
もうダメなのかな? 壊れちゃったの? 涙。
というくらい、完全無欠な駄作っぷりを繰り広げてくれた『Romance de Paris』。
タイトルからして、ダメダメ感漂ってるよね……。なんなの、このどーでもいいタイトル。やる気ナシ?
まだ、『Don’t cry princess』というタイトルだったときには、希望もあったんだがな。せっかくの正塚らしいタイトルから、どーでもいいやる気のないタイトルに変更になったときに、危惧はしたよ。やばいんじゃないか、ってな。杞憂に終わって欲しかったんだが……。
ヴァンサン@コム姫の経営するクラブは今大忙し。なんでも某国の将軍様が王女ナディア様@まーちゃん付きでご来店。某国とヴァンサンの父は長いおつきあいとか。
ばたばたしているだけの、散漫な導入部分ののちに、よーやく本編。某国で先日ヴァンサンの店に来ていたあの将軍がクーデターを起こし、国王を脅迫するために王女ナディアを捕獲しようとしている、というのだ。
ヴァンサンはどーゆーわけか、ナディアをかくまうことにした。ほんとに、どーゆーわけか。あの、命がけなんですけど? 政治で戦争で、ふつーの酒場のあんちゃんが「なんとなく」することじゃないですけど……。
パパが死んだから、パパの意志を大切にしたいとかなんとか、たわごとをほざいておりますが、そのわりには肝心の「パパとヴァンサン」の関係はなんにも描かれておりません。
さて、せっかくクーデターという大騒動が起こっているにもかかわらず、この大事件、主役たちとは関係ないところで問題なく解決してしまう。はあ?
いちばんのクライマックスになるだろう、クーデター解決シーンはなく、平和なパリでヴァンサンが、将軍のスポンサーになっていた義兄のディディエ@いっぽくんをやりこめて、事件解決。はあ?
ディディエとの対決がいちばん重要だというなら、何故それまでろくにディディエという人物について書き込みがないんだ? 「ヴァンサンとディディエ」の関係が描かれてないんだ?
主役の動機が薄いまま、そしてメリハリもないまま終わったクーデター事件。
すっかり忘れていたヒロイン・ナディアとヴァンサンはとってつけたようなデートをする。
このデートが、長い長い。
なんの事件もなく、ストーリーに関係もないシーンがだらだら続く。
そして突然、ヴァンサンはナディアにキスをする。はあ?
ヴァンサンはべつに、ナディアのことなんとも思ってなかったよねえ? クーデターの間中、それらしいシーンはなかったよねえ? 台詞もなかったよねえ?
なのに何故、こんなストーリーが終わった後に、とってつけたようなラブシーンなの?
そしてふたりは、どっかで見たような別れのシーンを迎える。END。
とにかくえんえんえんえんえんえん、つづくモノローグ。
モノローグで「解説」しないとなにも表現できないらしい。
舞台として演劇としては、表現できないらしい。
舞台で演劇なのに。
ねえ。絶望していいですか? 作家、正塚晴彦に。
『Love Insurance』『Practical Joke』『カナリア』『追憶のバルセロナ』と、すべてに言えることは「ストーリーの組み立てが間違っている」ということだ。
物語を作り慣れていない人とかがよくやる失敗。
主人公と物語が乖離している。
主人公というのは、物語を回す人。動かす人。主人公が動かなければ、物語も動かない。
作者の「言いたいこと」は、物語とは「別」なの。「言いたいこと」さえ言えばそれが「物語」になるわけじゃないの。
「言いたいこと」は「物語」が正しく回ってはじめて、表現できるものなの。
この作品、なにがしたかったの?
王女ナディアとの恋愛?
家族と自分?
「自分探し」は正塚永遠のテーマだろうから、それはもう度外視するとして。
上のふたつのテーマが中途半端に存在し、かつ、ストーリーで手を抜いたとしか思えない仕上がりになっている。
どうしてこの物語、「クライマックス」がないの?
盛り上がるシーンがないんですけど。
同じテンションでだらだらと流れ、終わる。
「出来事」の盛り上がりもなければ、「感情」の盛り上がりもない。
クライマックスがない、ての、『追憶のバルセロナ』のときも書いたな(あのころはまだわたし、日記を書きはじめたところだから、とっても歯に衣着せて書いていたわねえ・笑)。
『Practical Joke』もクライマックスがなかったな。『カナリア』は途中で物語が別の方向に行って、戻ってこなくなってたっけ。
「クライマックスを書けない」っての、作家として致命的な欠陥じゃないか?
もちろん、「モノローグでなにもかも説明する」ってのも、物語を作り慣れていない人とかがよくやる失敗。
いちばん簡単だからだ。
言葉にして解説するの。
そりゃー、自分で言ってしまったらなんでもできるさ、その通りさ。でもそれじゃあ、なんのために「作品」なのよ?
たとえばだ、「死にたいくらい絶望した」ことを表現するのに、直接的なことはなにも言わせずに会話やシーンで表現してみせるのが醍醐味ってもんだろ? それをただふつーに立っているだけの主人公に、「そのとき俺は死にたいくらい絶望した」ってモノローグのテープを流して終わり、かい。素人の書く小説みたいだよ、それは。
プロの作品とは思えないよ……。
駄作かあ。壊れてしまったのかあ。
まあ、駄作ったって、壊れたっつったって、植田・谷ほどではないからマシ? せいぜい、ケイコ先生レベルの駄作? って、今さら新人作家と並列されるのって、どうよ。
植田作品なんかだと、どーあがいてもただの駄作だけど、正塚作品はとりあえず、「ここをこうすれば、なんとかなるのに」って思えるあたりが、歯がゆいなあ。
物語は、3つのことが同時進行している。
クーデター。
ヴァンサンとナディアの恋
ヴァンサン家のお家騒動
このうえにさらに、いつもの「自分探し」が加わっているわけだ。
複数の物語を同時進行する能力がないのなら、ひとつにしぼれよ……。
3つの物語を全部やろうとして、全滅。……なんて悲しい現実。
3つの物語のうち、どれかひとつを大筋に据える。
次に、キャラを立てる。
そして、その大筋とキャラに、残りのふたつを適度に薄めて絡める。主流と傍流のはきちがえがないように、適度に。
もちろん、今回の失敗の理由のひとつに、キャストの力不足もあったと思うさ……。
いちばんの失敗は、いっぽくんだと思うけどね……ディディエという複雑で大人の演技が必要な役に、きらきらしてるけど明らかに実力不足な若手を配したことは、作品のレベルを大きく下げているよ。
主役のコム姫も、正塚的「男の美学」を表現するにはまったく足りていなかったし。
反対に、じゅりちゃんは完璧に役不足。なんというもったいない使い方をするんだ。ディディエは何故彼ではいけなかったんだ? もっとも、じゅりちゃんのやっていたラシッドという役も、他の人がやっていたらさらにとんでもなくわけわからん役に成り下がっていたかもしれんが。
いろいろ考えちゃったよ。
3つの物語のうち、どれを本筋にしたらどうなるか。
つーことで、文字数が足りないので以下翌日欄。
書き込みはできないし、そもそもつながらないし、カウンターも変だし、ろくなことがないな、このサイト。
友人のオレンジから、報告がありました。
彼女とは昨日、一緒に買い物をしたの。
明日のインテのために帰阪しているオレンジは、穴の開いた財布を長年使っていたそうだ。不便だし縁起悪いし、新しいものに買い換えたい。でも、財布なんてもの、そうそう買い換えたりする? と言われ「しょっちゅう買い換えるけど?」と答えたわたし。
財布って、好きなのよ。
わたしはたぶん、服よりも鞄と財布と帽子が好き。鞄と帽子はシーズンごとになにかしら買っているよーな気がする。この夏は帽子ばかり3つも買ったしなあ。
財布もよく買い換えていた。
ただし今は、「これこそ生涯の伴侶!」てな財布に出会ってしまったため、当分買い換えるつもりはない。
それでも、見るのは好きよ。
てなことで、彼女の財布購入におつきあいしました。
いやあ、いろいろ見たよー、財布。
ああ、たのしい。
不景気ってのはいいねえ。全体的に安くなってる。このブランドが平時でこの値段かよ、バブル時代には考えられん!てな。
すべてにおいてそうだと思うけど、ファッション性と機能性は反比例するよね。
かわいい財布は、使い勝手が悪い。機能的な財布は、かわいくない。
ポイントは、かわいさと使いやすさの妥協を、どのへんにするか。
オレンジが長年使っていたのは、ゴルチエの黒にシルバーがアクセントの財布。オタクってほんと、ゴルチエ好きだよね。わたしもオタクだからわかるわ(笑)。
新しい財布も、オレンジはやはり、ゴルチエっぽいものに惹かれていた。……が。
悩んだあげく、オレンジが選んだのは。
とてつもなくかわいい、赤いがま口だった。
とにかく、かわいい。
それまでけっこう冷静に選んでいたのに、そのシリーズのコーナーにたどり着くなり、ふたりそろってきゃーきゃーハート。
「かわいいっ」
「かわいいよこれ、なんでこんなにかわいいのっ」
「えー、こっちもかわいいよ、ラインがすごい」
「これもかわいい。うそっ、これもかわいい」
語彙少なすぎ。
ふたりそろって「かわいい」しか言えなくなる。
他のブランドとちがい、そこだけは和風。伝統工芸の漆塗りがどーのと解説文があった。老舗の12代目のだれそれさんが作っているとかいう、工芸品ブランドらしい。
はっきりいって、使い勝手はものすげー悪そう。
でも、見た目がかわいい。群を抜いて、かわいい。女の子ハートがきゅんきゅん言う感じ(笑)。
柄もカタチも和風。
トンボだとか花だとか。
着物のような生地に、特殊プリントで漆が使われているらしい。
大人のかっこいい女性が、ハンドバッグからこの財布を出したら、さぞやかっこいいだろうなあ。よくある海外ブランドの財布じゃなくて、この日本の美しさを見せつけてくれるお財布だったら。そんな女性、わたしなら好きだぞ。
悩みまくった末に、オレンジはこの和風の財布を買いました。
「在庫はありますか?」
と聞くと、財布フロアの販売員さんは、
「全種類、ひとつずつしか入荷してません。だからこのデザインはこれひとつです。これが売れてしまったら、また別のデザインを陳列します」
と答えた。デザイン多すぎて、全部陳列できていない現状。しかしどれもみんな、かわいい。
わたしだって、「生涯の伴侶」とまで思っている今の財布がなければ、この日本美人に浮気していたかも……(笑)。
それが昨日のこと。
オレンジの買い物につきあったあと、WHITEちゃんとCANちゃんと映画に行ったの。
そして今日、昨日買った財布の使い心地を、オレンジは電話で報告してくれました。
「めっちゃくちゃ、使いにくい!!」
嘆く。力一杯嘆く。
「でも、めちゃくちゃかわいいんだよ……。眺めていると、しあわせになるんだよ……」
実用品を買ったんじゃなく、装飾品を買ったんだよ。そう思おうよ。アクセサリってのは、そーゆーもんだよ……。
あまりに使いにくいので、そのうちまた、新しい財布を求めて彷徨うかもしれんそうだ。
ふりだしに戻る。
友人のオレンジから、報告がありました。
彼女とは昨日、一緒に買い物をしたの。
明日のインテのために帰阪しているオレンジは、穴の開いた財布を長年使っていたそうだ。不便だし縁起悪いし、新しいものに買い換えたい。でも、財布なんてもの、そうそう買い換えたりする? と言われ「しょっちゅう買い換えるけど?」と答えたわたし。
財布って、好きなのよ。
わたしはたぶん、服よりも鞄と財布と帽子が好き。鞄と帽子はシーズンごとになにかしら買っているよーな気がする。この夏は帽子ばかり3つも買ったしなあ。
財布もよく買い換えていた。
ただし今は、「これこそ生涯の伴侶!」てな財布に出会ってしまったため、当分買い換えるつもりはない。
それでも、見るのは好きよ。
てなことで、彼女の財布購入におつきあいしました。
いやあ、いろいろ見たよー、財布。
ああ、たのしい。
不景気ってのはいいねえ。全体的に安くなってる。このブランドが平時でこの値段かよ、バブル時代には考えられん!てな。
すべてにおいてそうだと思うけど、ファッション性と機能性は反比例するよね。
かわいい財布は、使い勝手が悪い。機能的な財布は、かわいくない。
ポイントは、かわいさと使いやすさの妥協を、どのへんにするか。
オレンジが長年使っていたのは、ゴルチエの黒にシルバーがアクセントの財布。オタクってほんと、ゴルチエ好きだよね。わたしもオタクだからわかるわ(笑)。
新しい財布も、オレンジはやはり、ゴルチエっぽいものに惹かれていた。……が。
悩んだあげく、オレンジが選んだのは。
とてつもなくかわいい、赤いがま口だった。
とにかく、かわいい。
それまでけっこう冷静に選んでいたのに、そのシリーズのコーナーにたどり着くなり、ふたりそろってきゃーきゃーハート。
「かわいいっ」
「かわいいよこれ、なんでこんなにかわいいのっ」
「えー、こっちもかわいいよ、ラインがすごい」
「これもかわいい。うそっ、これもかわいい」
語彙少なすぎ。
ふたりそろって「かわいい」しか言えなくなる。
他のブランドとちがい、そこだけは和風。伝統工芸の漆塗りがどーのと解説文があった。老舗の12代目のだれそれさんが作っているとかいう、工芸品ブランドらしい。
はっきりいって、使い勝手はものすげー悪そう。
でも、見た目がかわいい。群を抜いて、かわいい。女の子ハートがきゅんきゅん言う感じ(笑)。
柄もカタチも和風。
トンボだとか花だとか。
着物のような生地に、特殊プリントで漆が使われているらしい。
大人のかっこいい女性が、ハンドバッグからこの財布を出したら、さぞやかっこいいだろうなあ。よくある海外ブランドの財布じゃなくて、この日本の美しさを見せつけてくれるお財布だったら。そんな女性、わたしなら好きだぞ。
悩みまくった末に、オレンジはこの和風の財布を買いました。
「在庫はありますか?」
と聞くと、財布フロアの販売員さんは、
「全種類、ひとつずつしか入荷してません。だからこのデザインはこれひとつです。これが売れてしまったら、また別のデザインを陳列します」
と答えた。デザイン多すぎて、全部陳列できていない現状。しかしどれもみんな、かわいい。
わたしだって、「生涯の伴侶」とまで思っている今の財布がなければ、この日本美人に浮気していたかも……(笑)。
それが昨日のこと。
オレンジの買い物につきあったあと、WHITEちゃんとCANちゃんと映画に行ったの。
そして今日、昨日買った財布の使い心地を、オレンジは電話で報告してくれました。
「めっちゃくちゃ、使いにくい!!」
嘆く。力一杯嘆く。
「でも、めちゃくちゃかわいいんだよ……。眺めていると、しあわせになるんだよ……」
実用品を買ったんじゃなく、装飾品を買ったんだよ。そう思おうよ。アクセサリってのは、そーゆーもんだよ……。
あまりに使いにくいので、そのうちまた、新しい財布を求めて彷徨うかもしれんそうだ。
ふりだしに戻る。
ひねくれてる?@ザ・ビッグ・ワン
2003年8月20日 映画 マイケル・ムーア監督の日本未公開ドキュメンタリー『ザ・ビッグ・ワン』の試写会に行って来ました。
アタマのよくないわたしは、アカデミー賞受賞作『ボウリング・フォー・コロンバイン』も世間での評価ほど、たのしめなかったクチなんですけど。
なんせわたし、アメリカ人じゃないんで。立ち位置がチガウもんで、完全理解や感情移入にはいろいろハードルがあってねー。努力してハードルを越えたいとも思わなかったし。
だからまあ、単なる興味本位。俗な人間だから、こーゆータイプの映画を「見た」と言うと、ちょっとアタマよさげに聞こえるかしら、なんてな。
まー、俗物ぅ(笑)。
んで、『ザ・ビッグ・ワン』。
ひとことで言うと、巨大企業告発ドキュメンタリー。
利潤だけを追求し、社員は使い捨て。弱い人々は泣き寝入り。そーゆー悪の大企業に恒例のアポなし取材で突撃。最大の見所は、VSナイキ社。
監督・脚本・主演マイケル・ムーア。
たのしく見ました。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』とちがって、企業モノだから、ちゃんと見ることができましたよ。
自分に関係ないことでも、自分の生きてきた社会にある価値観をベースにした問題なら、理解できる。
好みかどうかは別として。
たのしませるドキュメンタリー、というスタンスはすごい。
このテンポのよさと、緻密に計算された構成。
社会問題のドキュメンタリーなんか、ふつーおもしろくないから、見る気にもならないもんだが、そーゆー人たちをもたのしませて、「オレの懐に取り込んでやるぜ!」な気合いをばんばん感じる。
才能のある人なんだなあ、と思う。
自分の言いたいことを、自分の顔と名前で堂々と叫び、さらにそれをネタにして、「作品」として昇華する。なんと複合的な才能かしら。
自分の主義主張を声に出す、ってだけでも、希有な才能のひとつだと思うんだけどな。
ただ主張するだけでなく、それで他人の共感を呼び、しかもたのしませる。という、エンターテイナーとしての才能。
そのライヴを映像に治め、編集し、さらに主張をクリアに、エンタメとしての魅力を加え「作品」にする才能。
これだけ複数の才能を、すべて持っているわけだねえ。
才能ってのは、正しい場所にたどり着くもんなんだな、とわたしはよく感心する。
その最たるものが、荻田浩一。
よくぞこの人、タカラヅカの演出家になったなあ、と。
無数にあるカルチャーの中で、よりによってヅカの演出家になるなんて。
ヅカは彼の才能をもっとも発揮できるジャンルのひとつであると思うが、ふつーの青年はここにはたどり着かないだろう。もっとメジャーで、ふつーの若者が知っているジャンルに行くんじゃないか?
才能は、正しい場所にたどり着く。
あるべきものは、あるべき場所へ。
それこそが才能、天から授かった能力なんだと思うよ。
そーゆーことを思った。
マイケル・ムーア作品を見ながら。
しかし、わたしはやはり、ドキュメンタリーは苦手だなあ。
「真実」の部分と、それを「作品」にするうえでの「演出」の部分を、必死に分析して見ている。……だから、疲れる。
たくさんある「真実」のうちの、ほんの「一部分」だけを「演出」を加えて見せられているわけだから、それをそのまま信じることができない。
裏の部分を考える。
切り捨てられたモノはなにか、作者の思惑はなにか、計算はなにか、騙されないぞ騙されないぞ、そんな気持ちで見てしまう。
……ひねくれモノっすか、わたし?
『プロジェクトX』を泣きながら見るけれど、その反面「で、真実はどうなのよ?」とか思ってるしな。
「敵」として「悪」として描かれる側の「言い分」を考えてしまう。
わたしは「絶対悪」を信じられない。
虐げられる善人たちに涙する反面、加害者たちのそうせざるを得ない事情などに、想像の翼をはばたかせてしまう。
素直に、悪と戦うマイケル・ムーアに同調できない。
マイケル・ムーアにシンクロできたら、最高に痛快なんだろうけどなあ。
どこに行っても人気者で、サイン会やって講演会やって、ファンにきゃーきゃー言われて、そして弱い人たちのために巨悪と戦って、その戦う姿を映画にしてさらに富と名誉を得るわけだからなー(ついでに敵も多く作ってるんだろーけど、それは映画には出てこない)。
彼を「MY ヒーロー」だと思って見られたら、たのしいだろうなあ。
おもしろい作品だと思うけど。
やっぱり苦手だ。
でも、無視できない。
苦手だと言いながら、またなにかあったら見てるよーな気がする。
やっぱ才能あるひとの作品ってのは、好みを超えて惹きつける力があるからなー。
☆
映画のあと、ごはんを食べながらWHITEちゃんとトシの話をしていた。
いや、うちの父はもう少し若いころ、一回りトシをごまかしていたんだよ。
一回りだよ? 12歳ごまかして生きていたの。
もちろん、女たちにちやほやされたくて。
自分より年下の女たちに「年下の男」として甘やかされるのがたのしかったらしい。……女好きめ。
父に言わせると、3つとか5つとか半端にごまかすと、干支の話題でボロが出るからよくないんだって。それならいっそ一回りごまかしちゃえば、問題なしってことで。
そして父は、一回りごまかしてもばれない男だった……。
んで、うちの弟。
某店に1日だけ助っ人として借り出されたらしい。その店は社員もネクタイ禁止、カジュアルな服装で接客がルール。
とゆーことで弟はジーンズにシャツという、まったくの普段着で出勤した。
その話を、深夜のファミレスでパフェを食いながら(甘いモノが苦手なわたしが何故。……半分は甘党の弟の腹に収まった)聞いたのさ、昨夜。
「……ひょっとして、学生バイトにまちがえられたんじゃないの、アンタ」
わたしがそう言うと、弟はそれには答えずニヤリと笑い、
「トシを言ったら、店にいた全員に叫ばれた」
とだけ答えた。
……やはり、学生にまちがえられたな、こいつ。今年で33だとは、誰も思うまいよ。
弟もまちがいなく、一回りトシをごまかして生きていけるヤツだ。父のDNAは正しく受け継がれている。
「あたしもこの間、高校生にまちがえられたけどな」
と、WHITEちゃん。
そう、彼女もまた一回りごまかして生きていける女。
わたしの周りには、年齢不詳の連中が多い。
わたしが年相応に見える分、彼らの「若さ」とのギャップが痛いぞ(笑)。
「ところでWHITEちゃん」
わたしはさらに、トシの話をする。
「ケロがまだ20代だって知ってた?」
「え?!」
固まるWHITEちゃん。
彼女はぼーぜんとつぶやく。
「あたしより年上だと思ってた……」
年齢ミラクル(笑)。
アタマのよくないわたしは、アカデミー賞受賞作『ボウリング・フォー・コロンバイン』も世間での評価ほど、たのしめなかったクチなんですけど。
なんせわたし、アメリカ人じゃないんで。立ち位置がチガウもんで、完全理解や感情移入にはいろいろハードルがあってねー。努力してハードルを越えたいとも思わなかったし。
だからまあ、単なる興味本位。俗な人間だから、こーゆータイプの映画を「見た」と言うと、ちょっとアタマよさげに聞こえるかしら、なんてな。
まー、俗物ぅ(笑)。
んで、『ザ・ビッグ・ワン』。
ひとことで言うと、巨大企業告発ドキュメンタリー。
利潤だけを追求し、社員は使い捨て。弱い人々は泣き寝入り。そーゆー悪の大企業に恒例のアポなし取材で突撃。最大の見所は、VSナイキ社。
監督・脚本・主演マイケル・ムーア。
たのしく見ました。
『ボウリング・フォー・コロンバイン』とちがって、企業モノだから、ちゃんと見ることができましたよ。
自分に関係ないことでも、自分の生きてきた社会にある価値観をベースにした問題なら、理解できる。
好みかどうかは別として。
たのしませるドキュメンタリー、というスタンスはすごい。
このテンポのよさと、緻密に計算された構成。
社会問題のドキュメンタリーなんか、ふつーおもしろくないから、見る気にもならないもんだが、そーゆー人たちをもたのしませて、「オレの懐に取り込んでやるぜ!」な気合いをばんばん感じる。
才能のある人なんだなあ、と思う。
自分の言いたいことを、自分の顔と名前で堂々と叫び、さらにそれをネタにして、「作品」として昇華する。なんと複合的な才能かしら。
自分の主義主張を声に出す、ってだけでも、希有な才能のひとつだと思うんだけどな。
ただ主張するだけでなく、それで他人の共感を呼び、しかもたのしませる。という、エンターテイナーとしての才能。
そのライヴを映像に治め、編集し、さらに主張をクリアに、エンタメとしての魅力を加え「作品」にする才能。
これだけ複数の才能を、すべて持っているわけだねえ。
才能ってのは、正しい場所にたどり着くもんなんだな、とわたしはよく感心する。
その最たるものが、荻田浩一。
よくぞこの人、タカラヅカの演出家になったなあ、と。
無数にあるカルチャーの中で、よりによってヅカの演出家になるなんて。
ヅカは彼の才能をもっとも発揮できるジャンルのひとつであると思うが、ふつーの青年はここにはたどり着かないだろう。もっとメジャーで、ふつーの若者が知っているジャンルに行くんじゃないか?
才能は、正しい場所にたどり着く。
あるべきものは、あるべき場所へ。
それこそが才能、天から授かった能力なんだと思うよ。
そーゆーことを思った。
マイケル・ムーア作品を見ながら。
しかし、わたしはやはり、ドキュメンタリーは苦手だなあ。
「真実」の部分と、それを「作品」にするうえでの「演出」の部分を、必死に分析して見ている。……だから、疲れる。
たくさんある「真実」のうちの、ほんの「一部分」だけを「演出」を加えて見せられているわけだから、それをそのまま信じることができない。
裏の部分を考える。
切り捨てられたモノはなにか、作者の思惑はなにか、計算はなにか、騙されないぞ騙されないぞ、そんな気持ちで見てしまう。
……ひねくれモノっすか、わたし?
『プロジェクトX』を泣きながら見るけれど、その反面「で、真実はどうなのよ?」とか思ってるしな。
「敵」として「悪」として描かれる側の「言い分」を考えてしまう。
わたしは「絶対悪」を信じられない。
虐げられる善人たちに涙する反面、加害者たちのそうせざるを得ない事情などに、想像の翼をはばたかせてしまう。
素直に、悪と戦うマイケル・ムーアに同調できない。
マイケル・ムーアにシンクロできたら、最高に痛快なんだろうけどなあ。
どこに行っても人気者で、サイン会やって講演会やって、ファンにきゃーきゃー言われて、そして弱い人たちのために巨悪と戦って、その戦う姿を映画にしてさらに富と名誉を得るわけだからなー(ついでに敵も多く作ってるんだろーけど、それは映画には出てこない)。
彼を「MY ヒーロー」だと思って見られたら、たのしいだろうなあ。
おもしろい作品だと思うけど。
やっぱり苦手だ。
でも、無視できない。
苦手だと言いながら、またなにかあったら見てるよーな気がする。
やっぱ才能あるひとの作品ってのは、好みを超えて惹きつける力があるからなー。
☆
映画のあと、ごはんを食べながらWHITEちゃんとトシの話をしていた。
いや、うちの父はもう少し若いころ、一回りトシをごまかしていたんだよ。
一回りだよ? 12歳ごまかして生きていたの。
もちろん、女たちにちやほやされたくて。
自分より年下の女たちに「年下の男」として甘やかされるのがたのしかったらしい。……女好きめ。
父に言わせると、3つとか5つとか半端にごまかすと、干支の話題でボロが出るからよくないんだって。それならいっそ一回りごまかしちゃえば、問題なしってことで。
そして父は、一回りごまかしてもばれない男だった……。
んで、うちの弟。
某店に1日だけ助っ人として借り出されたらしい。その店は社員もネクタイ禁止、カジュアルな服装で接客がルール。
とゆーことで弟はジーンズにシャツという、まったくの普段着で出勤した。
その話を、深夜のファミレスでパフェを食いながら(甘いモノが苦手なわたしが何故。……半分は甘党の弟の腹に収まった)聞いたのさ、昨夜。
「……ひょっとして、学生バイトにまちがえられたんじゃないの、アンタ」
わたしがそう言うと、弟はそれには答えずニヤリと笑い、
「トシを言ったら、店にいた全員に叫ばれた」
とだけ答えた。
……やはり、学生にまちがえられたな、こいつ。今年で33だとは、誰も思うまいよ。
弟もまちがいなく、一回りトシをごまかして生きていけるヤツだ。父のDNAは正しく受け継がれている。
「あたしもこの間、高校生にまちがえられたけどな」
と、WHITEちゃん。
そう、彼女もまた一回りごまかして生きていける女。
わたしの周りには、年齢不詳の連中が多い。
わたしが年相応に見える分、彼らの「若さ」とのギャップが痛いぞ(笑)。
「ところでWHITEちゃん」
わたしはさらに、トシの話をする。
「ケロがまだ20代だって知ってた?」
「え?!」
固まるWHITEちゃん。
彼女はぼーぜんとつぶやく。
「あたしより年上だと思ってた……」
年齢ミラクル(笑)。
彼と彼女の罪。@王家に捧ぐ歌
2003年8月19日 タカラヅカ さて、『王家に捧ぐ歌』語りのつづきだー。
やほひ話するぞー。うおー。
萌えキャラのサウフェのことはもう語ったから、第2の萌えキャラ、ラダメスのことな。
ラダメス萌え。
マッチョな体育会系のくせに、受男萌え。
とりあえずファラオ×ラダメスで、本命はケペル×ラダメス。あ、もちろんラダメスが愛しているのはアイーダただひとりだけどなっ。
この物語で、ラダメスをいちばん愛しているのはファラオだよね?
彼のラダメスを見る目ときたら……。こっちが恥ずかしくなるよーな「愛っ!」であふれかえっている。
娘の婿にしたかったのも、ファラオ自身がラダメスを欲していたからだよねええ。
コーラス「3度目の銅鑼が鳴るとき」
ファラオ「愛しい人は私のもとに!」
てなもんよね?
王族だけが入る石室にラダメスも連れ込んで、ナニをする気だったんだ。
コーラス「3度目の銅鑼が鳴るとき、貞操は危機にさらされる!」
てか?
ファラオとアムネリス、攻属性父娘と共に密室にこもったりしたらラダメス、ヤられちゃうよ!!(笑)
よかったねえ、ウバルドたちが乱入してきて。
もしあのままだったら、ラダメスの貞操は奪われてたねええ。それはそれで愉快だったけどなあ。
さて、ラダメスの親友、ケペルとメレルカ。
体育会系筋肉トリオ、とわたしと仲間たちが呼んでいるアタマの上にお日様マークのついた3人組。
ケペルとメレルカのふたりが、ラダメスを大好きなのは見ていてわかる。
そのなかでも、ケペルの方がよりやばく見えるのは、しいちゃんがえらくねちこく演じているからでしょうか?
メレルカもいいんだけど、やっぱり彼は若いんだわ。若々しさが災いして(ってナニ)暗い情念の世界へ思考がはばたかない。
一方ケペルは適度に大人びている。年齢設定は3人とも同じくらいなんだろうけど、ケペルだけは女房子どもがいそうだ、とわたしは勝手に思ってる。なんせのーみそまで筋肉だから。結婚も早そうだな、と。で、子ども作るのも早そうだな、と(笑)。
家族への愛とは別に、ラダメスを本気で愛していそうだなー、と。
でもって、『王家…』ののちの話なんだけど。
アムネリスの夫となるのは、ケペルである可能性って、わりとあるよね。
将軍ラダメスを夫にしようとしたわけだから、そのラダメスを失ったあと、次点繰り上げをするとしたら、ケペルかメレルカでしょう。
で、メレルカは若いから、年長のケペルに白羽の矢が立つ可能性は高いと思うのよ。彼に妻子がいたって、この場合関係ないからね。
ケペルならファラオにはならず、ファラオの父になるかもな。アムネリスがファラオとして君臨し、ふたりの間に息子が生まれたときに、王位をその息子に譲りアムネリスとケペルのふたりでその補佐をする、と。ケペルはファラオの器ではないと思うから、これがいちばんしっくりくるか。
ポスト・ラダメスになりえる位置にいる男。
てことで、ケペルはポイント高いんだわ。
アムネリスとケペル。ラダメスを愛し、その愛を得ることができず、彼の求めるものを与えることができないまま、彼を処刑した攻同士。
命令を下したのはアムネリス。
刑を処したのはケペル。
処刑されるラダメスの名を泣きながら叫ぶアムネリスを、抱きとめたのはケペル。
愛を葬った共犯者である、男と女。
も、萌え……。
そしてラダメスはもちろん、誰からの愛もほんとうのところは気づいていない。
どれほど愛されても、求められても、それこそカラダをつないでも、彼に愛は届かない。
彼は今いるこの世界では、決して幸福になりえないんだ。アイーダという新しい世界に出会うまで、孤独の中にいる。
のーみそまで筋肉だから、自分が不幸だとか満たされていないとか、まったく気づいてないんだけどな。
才能ある異質な魂と、彼を愛してしまった攻たちのせつない愛の物語……。
あー……いいよなあ、『王家に捧ぐ歌』は。
萌えがいっぱいだ。
千秋楽の帰りはBe-Puちゃんの車だった。車で来ているときは、いつも家まで送ってくれるのさ。ありがとうBe-Puちゃん。小さいけれど男前。
だがBe-Puちゃんときたら……。
チェリさんが見せてくれた日刊スポーツのケロを表現する「ジャニーズ系少年」とかゆー1文を見てマジに「ぶっ」と吹き出しやがった。……わたしだって「どこを見てケロにそんな表現をするんだ、目がおかしいんじゃねーの?!」とは思ったけど、かろうじて吹き出しはしなかったぞ?!
失礼なヤツだわっ(笑)。
そして、その帰りの車のBGMはもちろん『王家…』の実況テープだった(隠し録りはいけません)。
毎日聞いているというBe-Puちゃん。車がスタートしたときには、ちょーど「3度目の銅鑼が鳴る」ところだった。
ところが、録音に失敗しているそうで、突然音は途切れ、ノイズだけがしばらく響く。
次に舞台の音が聞こえたときには……そこは「エチオピア」だった。
をい。
「ケロは? ウバルドにーちゃんの見せ場は?!」
「ごめん、テープひっくり返すの忘れてたのー」
今どきカセットテープで録音するなよ。
「ウバルド、もう死んでるじゃん! 出て来ないじゃん!」
「だからごめんってばー(笑)」
こうして、ケロの少ない登場シーンは闇に葬られたのです……。
わたしは隠し録りとか一切しない人間なんで(向いてない)、他人様の労力のかかったものに文句を言える立場ではないが。
にしても、よりによってケロの登場シーンで失敗しますか、Be-Puちゃん。
わたしへの愛が足りないってことね?
やほひ話するぞー。うおー。
萌えキャラのサウフェのことはもう語ったから、第2の萌えキャラ、ラダメスのことな。
ラダメス萌え。
マッチョな体育会系のくせに、受男萌え。
とりあえずファラオ×ラダメスで、本命はケペル×ラダメス。あ、もちろんラダメスが愛しているのはアイーダただひとりだけどなっ。
この物語で、ラダメスをいちばん愛しているのはファラオだよね?
彼のラダメスを見る目ときたら……。こっちが恥ずかしくなるよーな「愛っ!」であふれかえっている。
娘の婿にしたかったのも、ファラオ自身がラダメスを欲していたからだよねええ。
コーラス「3度目の銅鑼が鳴るとき」
ファラオ「愛しい人は私のもとに!」
てなもんよね?
王族だけが入る石室にラダメスも連れ込んで、ナニをする気だったんだ。
コーラス「3度目の銅鑼が鳴るとき、貞操は危機にさらされる!」
てか?
ファラオとアムネリス、攻属性父娘と共に密室にこもったりしたらラダメス、ヤられちゃうよ!!(笑)
よかったねえ、ウバルドたちが乱入してきて。
もしあのままだったら、ラダメスの貞操は奪われてたねええ。それはそれで愉快だったけどなあ。
さて、ラダメスの親友、ケペルとメレルカ。
体育会系筋肉トリオ、とわたしと仲間たちが呼んでいるアタマの上にお日様マークのついた3人組。
ケペルとメレルカのふたりが、ラダメスを大好きなのは見ていてわかる。
そのなかでも、ケペルの方がよりやばく見えるのは、しいちゃんがえらくねちこく演じているからでしょうか?
メレルカもいいんだけど、やっぱり彼は若いんだわ。若々しさが災いして(ってナニ)暗い情念の世界へ思考がはばたかない。
一方ケペルは適度に大人びている。年齢設定は3人とも同じくらいなんだろうけど、ケペルだけは女房子どもがいそうだ、とわたしは勝手に思ってる。なんせのーみそまで筋肉だから。結婚も早そうだな、と。で、子ども作るのも早そうだな、と(笑)。
家族への愛とは別に、ラダメスを本気で愛していそうだなー、と。
でもって、『王家…』ののちの話なんだけど。
アムネリスの夫となるのは、ケペルである可能性って、わりとあるよね。
将軍ラダメスを夫にしようとしたわけだから、そのラダメスを失ったあと、次点繰り上げをするとしたら、ケペルかメレルカでしょう。
で、メレルカは若いから、年長のケペルに白羽の矢が立つ可能性は高いと思うのよ。彼に妻子がいたって、この場合関係ないからね。
ケペルならファラオにはならず、ファラオの父になるかもな。アムネリスがファラオとして君臨し、ふたりの間に息子が生まれたときに、王位をその息子に譲りアムネリスとケペルのふたりでその補佐をする、と。ケペルはファラオの器ではないと思うから、これがいちばんしっくりくるか。
ポスト・ラダメスになりえる位置にいる男。
てことで、ケペルはポイント高いんだわ。
アムネリスとケペル。ラダメスを愛し、その愛を得ることができず、彼の求めるものを与えることができないまま、彼を処刑した攻同士。
命令を下したのはアムネリス。
刑を処したのはケペル。
処刑されるラダメスの名を泣きながら叫ぶアムネリスを、抱きとめたのはケペル。
愛を葬った共犯者である、男と女。
も、萌え……。
そしてラダメスはもちろん、誰からの愛もほんとうのところは気づいていない。
どれほど愛されても、求められても、それこそカラダをつないでも、彼に愛は届かない。
彼は今いるこの世界では、決して幸福になりえないんだ。アイーダという新しい世界に出会うまで、孤独の中にいる。
のーみそまで筋肉だから、自分が不幸だとか満たされていないとか、まったく気づいてないんだけどな。
才能ある異質な魂と、彼を愛してしまった攻たちのせつない愛の物語……。
あー……いいよなあ、『王家に捧ぐ歌』は。
萌えがいっぱいだ。
千秋楽の帰りはBe-Puちゃんの車だった。車で来ているときは、いつも家まで送ってくれるのさ。ありがとうBe-Puちゃん。小さいけれど男前。
だがBe-Puちゃんときたら……。
チェリさんが見せてくれた日刊スポーツのケロを表現する「ジャニーズ系少年」とかゆー1文を見てマジに「ぶっ」と吹き出しやがった。……わたしだって「どこを見てケロにそんな表現をするんだ、目がおかしいんじゃねーの?!」とは思ったけど、かろうじて吹き出しはしなかったぞ?!
失礼なヤツだわっ(笑)。
そして、その帰りの車のBGMはもちろん『王家…』の実況テープだった(隠し録りはいけません)。
毎日聞いているというBe-Puちゃん。車がスタートしたときには、ちょーど「3度目の銅鑼が鳴る」ところだった。
ところが、録音に失敗しているそうで、突然音は途切れ、ノイズだけがしばらく響く。
次に舞台の音が聞こえたときには……そこは「エチオピア」だった。
をい。
「ケロは? ウバルドにーちゃんの見せ場は?!」
「ごめん、テープひっくり返すの忘れてたのー」
今どきカセットテープで録音するなよ。
「ウバルド、もう死んでるじゃん! 出て来ないじゃん!」
「だからごめんってばー(笑)」
こうして、ケロの少ない登場シーンは闇に葬られたのです……。
わたしは隠し録りとか一切しない人間なんで(向いてない)、他人様の労力のかかったものに文句を言える立場ではないが。
にしても、よりによってケロの登場シーンで失敗しますか、Be-Puちゃん。
わたしへの愛が足りないってことね?
彼が救われるための物語。@王家に捧ぐ歌
2003年8月18日 タカラヅカ 星組大劇場公演『王家に捧ぐ歌』千秋楽。
初日が開く前は1枚もチケットを持っていなかったわたしだが、無事に楽日まで通うことができた。ありがとうインターネット。ありがとう掲示板。
本日は13列目サブセンター。前列にはキムシンが……。スキンヘッドが目に痛い(笑)。
千秋楽、行ってよかったよ。
みんなテンション高いよー。ワタルくんはずーっとテンパッてるし。
ケロは「恋の逆ギレ男」から少し「狂信的テロリスト」に戻ってた(笑)。さすがに最後だから、自重したの?
10日に観たとき、2幕最初の「騙されるな」のシーンでケロちゃん、前を向いたまま後ろの壁を叩くシーンで、手が壁に届かず「かっくん」ってなってたんだよねえ。めちゃシリアスなシーンで、たたら踏んでくれるから、ツボに入ってたまらなかった。
だもんで今回も「立ち位置まちがってない? ちゃんと手は届く?」と心配しちゃったよ(笑)。
トウコちゃんは今まででいちばんきれいに見えた。
檀ちゃんの歌には終始はらはらさせられっぱなしだったが、場を破壊するほど致命的なハズし方は、今回はしなかった。
早朝に夜行バスで大阪に着いたんだけどねえ。1時にはムラにいますか、わたしたち。
わたしは座席あるからいいけど、WHITEちゃんなんか、立ち見だよ? 根性だわ。
小柄なBe-Puちゃんは、発泡スチロール(踏み台にするらしい)と厚底サンダル持参で立ち見。「これだけやって、よーやく緑野さんと同じ身長なのよっ」と吠える。
CANちゃんもチェリさんもいた。お喋りするのが大変な幕間。
ラストは気持ちよくスタンディング・オベーション。
みんな、ワタルを泣かせたいのか? てな感じ。いやあ、泣かせたい男だけどなあ(笑)。
ほんとに、いい千秋楽だった。
作品と、自分たちに誇りを持っている舞台人の姿が、まぶしかった。
さて。
そろそろ、萌えを話してもいいかしら。
えっ、今までも萌えの話しかしてなかったって? してたのはケロ萌えでしょ? そーじゃなくて、キャラ萌えの話。
『王家…』の登場人物たちは、誰もが魅力的だ。
ひとりずつを主役にして、SSぐらいならいつでも書けそうなくらい。
そのなかで、わたしがいちばん萌えていたのは……じつは……サウフェだった。
役として、キャラとして、これほどわたし好みの男はいない。
ほらわたし、「弱い男」が好きだから。「ヘタレ男」が好きで好きでしょーがないのよー。「泣き男」とか好きなのよー。
サウフェはいつも泣いている。
地面に這いつくばって、ベソをかいている。
泣いてなくても、大抵傷ついている。悲しみに、痛みに、顔をゆがめている。
一緒にいるウバルドやカマンテにある猛々しさが、彼にはない。
だけど、やっていることはあの暴力的な狂人たちと同じなのだ。
泣きながら、口にすることは復讐であり、憎しみである。
泣く、という弱さの象徴なよーな態度を取りながらも、彼はひとりの戦士であり、テロリストであるのだ。
いいキャラだよなあ。
他のふたりが怒りに我を忘れそうなときに、サウフェだけは泣きそうな顔するんだよ。
傷つけられたとき、怒りよりも悲しみに身を焼く男。
平時ならばきっと、やさしい穏やかな青年なのだろうと思う。それが祖国を踏みにじられ、復讐に狂っていく。
もともと狂人体質のウバルドやカマンテより、サウフェの持つ狂気に惹かれる。内面を掘り下げるのがたのしそうだ。
とりあえず受だと思うけど、攻は誰よ?
ウバルドとカマンテとは関係ありそーだが、そこに愛はカケラもなさそうだ……。
いちお、ウバルドのことは王子として立ててるよね? 彼をかばおうとしてみたり。ウバルドも、すぐ泣きの入るサウフェをあやすよーに腕を叩いてみたり、してるよねえ。
カマンテは冷酷で鬼畜なだけに見えるしなー。サウフェのことなんか、バカにしてそう(それはそれで萌えだが)。
どっちかってーと、ウバルド×サウフェかなあ。
……なんでサウフェ、すずみんなの? あの顔でケロと絡む妄想はしにくいっちゅーかな。あの顔はゆーひだけでいいんだってば。いっそゆーひなら、めちゃ萌えまくってたと思うけど……でも、ゆーひはすずみんほど演技力ないよね……(ゆーひを相当大根だと思っているな、わたし)。
あとやっぱり萌えなのは、なんといっても主人公ラダメス。
こいつ、受だよね?
どっから見てもなにやっても、受だよねええ?
「のーみそまで筋肉」の体育会系男。のーみそにシワが少ないため、自分の悲しみや苦しみが理解できない。
『王家…』の物語自体は、アイーダさえいなかったら悲劇はなにも起こらず、みんなしあわせに「ものごとはいつでも、あるべき道をたどります」てなもんで落ち着くところに落ち着いていただろう。
ラダメスはアムネリスと結婚し、エジプトのファラオとなる。
エチオピアはエジプトの植民地のひとつとして、人々は労働力として生かされ、皆殺しになることだけはなく歴史を重ねる。
エチオピア王とその息子はエジプトを恨み、戦いを仕掛けたかもしれないけど、返り討ちにあっておしまい、歴史にもエジプトにも影響ナシ、てなもんだろう(ウバルドはアイーダの愛さえあれば、祖国再興なんぞ忘れて、ふたりでしあわせに暮らしたかもしれないが・笑)。
エジプト人もエチオピア人も、誰もが予想できる範囲の、あたりまえの日々を得ていただろう。
だけどラダメスは、きっと不幸だったと思う。
『王家…』は、ラダメスの魂の救済物語だと思うんだ。
そのままでも幸福なはずの、若く美しい将軍。能力があり、未来があり、手に入らないモノはないであろう、恵まれた青年は、それでも不幸だった。
根本的な、魂の飢え。
砂漠のような乾き。
彼は欲していたんだ。オアシスを。
それは、アイーダという女のカタチで現れた。
アイーダという女が、それほどすばらしい人物であったかどうかは、関係ない。
飢えて、乾いて、倒れる寸前だったラダメスには、彼女が必要だったんだ。
強国エジプト、戦いによって富と権力を得、弱者を支配する……その図式のなかで幸福になれなかったラダメスは、それ以外の思想に自分の幸福の可能性を見いだす。
アイーダは歌う。
「戦いは新たな戦いを生むだけ」
エジプトと、ラダメスの生きている社会理念と正反対の考え方。
戦いこそが幸福を得る手段だという価値観で育った男に、その価値観の中で花開く才能を持ちながらも、不幸だった男に。
新しい風が吹く。
ラダメスがアイーダを愛したのは、必然だった。
それまでの世界では、ラダメスを救えなかったんだ。誰も。
それこそ彼は、誰からも愛され、求められていたけれど。
それでも、誰も彼を救えなかった。
アイーダという新しい世界で、ラダメスははじめて幸福とはなにかを知る。
自分が求めていたものが、なにかを知る。
この世界で感じていた違和感が、なにかを知る。
だから彼は歌う。
「この世に平和を! 戦いに終わりを!」
アイーダに言われたからじゃない。アイーダの気を引くために彼女の国を開放したいのでもない。
それがラダメスの魂が、もともと求めているものだったんだよ。
戦士として生まれ育った彼が、知らなかった思想。戦士としての自分の存在意義を否定する思想。
皮肉だね。おのれの才能を活かせる社会では、彼は幸福になれないんだ。おのれの才能を否定した世界でしか、幸福を得られない。
才能の否定。
存在意義の否定。
それでもなお、ラダメスは平和を求める。
最後、地下牢でアイーダを抱きしめながら、ほんとうの意味で彼は幸福になったのだと思う。
彼の魂は、救われたのだと思う。
将軍としての破滅も、死刑も、すべて必要なことだった。
ラダメスの魂が救われるために。
死んだから不幸なんじゃない。可哀想なんじゃない。
彼は、ようやく幸福を手に入れたんだ。
アイーダに抱かれながら。
アイーダは攻だよねえ? トウコちゃんてば、あんなにかわいらしい女の子を演じてくれているのに、女役であるからこそよけいに攻っぷりが際だっている。……男役のときは受のくせにー(笑)。
アイーダ×ラダメス。
アイーダがラダメスの髪を撫でるのが、すごく好き。
彼女が「抱かれている」のではなく、「抱いている」のだということが、とてもよくわかる。
与えられるだけではなく、彼女こそが「与えて」いるのだと、わかる。
地下牢のシーンの「愛しているから」と歌う彼女は、聖母のようだ。
ラダメスを救うために、彼を抱きしめ慰撫するために、女の肉体を持って地上に降り立った天使のようだ。
よかったね、ラダメス。
……心から、そう思う。
ふたりが互いの愛だけでなく、「この世に平和を」と歌い出すのも、わかる。
戦いが正義のこの時代で、異なる価値観を持った一対の魂。
彼らが世界に求めるもので、幕が下りるのは、必然だ。
彼らの願いがアムネリスに届き、エジプト兵たちが剣を置き、長い時間をかけて現代にも、狂信者ウバルドたちにも届く。
そーゆー物語なんだなと、わたしは思った。
初日が開く前は1枚もチケットを持っていなかったわたしだが、無事に楽日まで通うことができた。ありがとうインターネット。ありがとう掲示板。
本日は13列目サブセンター。前列にはキムシンが……。スキンヘッドが目に痛い(笑)。
千秋楽、行ってよかったよ。
みんなテンション高いよー。ワタルくんはずーっとテンパッてるし。
ケロは「恋の逆ギレ男」から少し「狂信的テロリスト」に戻ってた(笑)。さすがに最後だから、自重したの?
10日に観たとき、2幕最初の「騙されるな」のシーンでケロちゃん、前を向いたまま後ろの壁を叩くシーンで、手が壁に届かず「かっくん」ってなってたんだよねえ。めちゃシリアスなシーンで、たたら踏んでくれるから、ツボに入ってたまらなかった。
だもんで今回も「立ち位置まちがってない? ちゃんと手は届く?」と心配しちゃったよ(笑)。
トウコちゃんは今まででいちばんきれいに見えた。
檀ちゃんの歌には終始はらはらさせられっぱなしだったが、場を破壊するほど致命的なハズし方は、今回はしなかった。
早朝に夜行バスで大阪に着いたんだけどねえ。1時にはムラにいますか、わたしたち。
わたしは座席あるからいいけど、WHITEちゃんなんか、立ち見だよ? 根性だわ。
小柄なBe-Puちゃんは、発泡スチロール(踏み台にするらしい)と厚底サンダル持参で立ち見。「これだけやって、よーやく緑野さんと同じ身長なのよっ」と吠える。
CANちゃんもチェリさんもいた。お喋りするのが大変な幕間。
ラストは気持ちよくスタンディング・オベーション。
みんな、ワタルを泣かせたいのか? てな感じ。いやあ、泣かせたい男だけどなあ(笑)。
ほんとに、いい千秋楽だった。
作品と、自分たちに誇りを持っている舞台人の姿が、まぶしかった。
さて。
そろそろ、萌えを話してもいいかしら。
えっ、今までも萌えの話しかしてなかったって? してたのはケロ萌えでしょ? そーじゃなくて、キャラ萌えの話。
『王家…』の登場人物たちは、誰もが魅力的だ。
ひとりずつを主役にして、SSぐらいならいつでも書けそうなくらい。
そのなかで、わたしがいちばん萌えていたのは……じつは……サウフェだった。
役として、キャラとして、これほどわたし好みの男はいない。
ほらわたし、「弱い男」が好きだから。「ヘタレ男」が好きで好きでしょーがないのよー。「泣き男」とか好きなのよー。
サウフェはいつも泣いている。
地面に這いつくばって、ベソをかいている。
泣いてなくても、大抵傷ついている。悲しみに、痛みに、顔をゆがめている。
一緒にいるウバルドやカマンテにある猛々しさが、彼にはない。
だけど、やっていることはあの暴力的な狂人たちと同じなのだ。
泣きながら、口にすることは復讐であり、憎しみである。
泣く、という弱さの象徴なよーな態度を取りながらも、彼はひとりの戦士であり、テロリストであるのだ。
いいキャラだよなあ。
他のふたりが怒りに我を忘れそうなときに、サウフェだけは泣きそうな顔するんだよ。
傷つけられたとき、怒りよりも悲しみに身を焼く男。
平時ならばきっと、やさしい穏やかな青年なのだろうと思う。それが祖国を踏みにじられ、復讐に狂っていく。
もともと狂人体質のウバルドやカマンテより、サウフェの持つ狂気に惹かれる。内面を掘り下げるのがたのしそうだ。
とりあえず受だと思うけど、攻は誰よ?
ウバルドとカマンテとは関係ありそーだが、そこに愛はカケラもなさそうだ……。
いちお、ウバルドのことは王子として立ててるよね? 彼をかばおうとしてみたり。ウバルドも、すぐ泣きの入るサウフェをあやすよーに腕を叩いてみたり、してるよねえ。
カマンテは冷酷で鬼畜なだけに見えるしなー。サウフェのことなんか、バカにしてそう(それはそれで萌えだが)。
どっちかってーと、ウバルド×サウフェかなあ。
……なんでサウフェ、すずみんなの? あの顔でケロと絡む妄想はしにくいっちゅーかな。あの顔はゆーひだけでいいんだってば。いっそゆーひなら、めちゃ萌えまくってたと思うけど……でも、ゆーひはすずみんほど演技力ないよね……(ゆーひを相当大根だと思っているな、わたし)。
あとやっぱり萌えなのは、なんといっても主人公ラダメス。
こいつ、受だよね?
どっから見てもなにやっても、受だよねええ?
「のーみそまで筋肉」の体育会系男。のーみそにシワが少ないため、自分の悲しみや苦しみが理解できない。
『王家…』の物語自体は、アイーダさえいなかったら悲劇はなにも起こらず、みんなしあわせに「ものごとはいつでも、あるべき道をたどります」てなもんで落ち着くところに落ち着いていただろう。
ラダメスはアムネリスと結婚し、エジプトのファラオとなる。
エチオピアはエジプトの植民地のひとつとして、人々は労働力として生かされ、皆殺しになることだけはなく歴史を重ねる。
エチオピア王とその息子はエジプトを恨み、戦いを仕掛けたかもしれないけど、返り討ちにあっておしまい、歴史にもエジプトにも影響ナシ、てなもんだろう(ウバルドはアイーダの愛さえあれば、祖国再興なんぞ忘れて、ふたりでしあわせに暮らしたかもしれないが・笑)。
エジプト人もエチオピア人も、誰もが予想できる範囲の、あたりまえの日々を得ていただろう。
だけどラダメスは、きっと不幸だったと思う。
『王家…』は、ラダメスの魂の救済物語だと思うんだ。
そのままでも幸福なはずの、若く美しい将軍。能力があり、未来があり、手に入らないモノはないであろう、恵まれた青年は、それでも不幸だった。
根本的な、魂の飢え。
砂漠のような乾き。
彼は欲していたんだ。オアシスを。
それは、アイーダという女のカタチで現れた。
アイーダという女が、それほどすばらしい人物であったかどうかは、関係ない。
飢えて、乾いて、倒れる寸前だったラダメスには、彼女が必要だったんだ。
強国エジプト、戦いによって富と権力を得、弱者を支配する……その図式のなかで幸福になれなかったラダメスは、それ以外の思想に自分の幸福の可能性を見いだす。
アイーダは歌う。
「戦いは新たな戦いを生むだけ」
エジプトと、ラダメスの生きている社会理念と正反対の考え方。
戦いこそが幸福を得る手段だという価値観で育った男に、その価値観の中で花開く才能を持ちながらも、不幸だった男に。
新しい風が吹く。
ラダメスがアイーダを愛したのは、必然だった。
それまでの世界では、ラダメスを救えなかったんだ。誰も。
それこそ彼は、誰からも愛され、求められていたけれど。
それでも、誰も彼を救えなかった。
アイーダという新しい世界で、ラダメスははじめて幸福とはなにかを知る。
自分が求めていたものが、なにかを知る。
この世界で感じていた違和感が、なにかを知る。
だから彼は歌う。
「この世に平和を! 戦いに終わりを!」
アイーダに言われたからじゃない。アイーダの気を引くために彼女の国を開放したいのでもない。
それがラダメスの魂が、もともと求めているものだったんだよ。
戦士として生まれ育った彼が、知らなかった思想。戦士としての自分の存在意義を否定する思想。
皮肉だね。おのれの才能を活かせる社会では、彼は幸福になれないんだ。おのれの才能を否定した世界でしか、幸福を得られない。
才能の否定。
存在意義の否定。
それでもなお、ラダメスは平和を求める。
最後、地下牢でアイーダを抱きしめながら、ほんとうの意味で彼は幸福になったのだと思う。
彼の魂は、救われたのだと思う。
将軍としての破滅も、死刑も、すべて必要なことだった。
ラダメスの魂が救われるために。
死んだから不幸なんじゃない。可哀想なんじゃない。
彼は、ようやく幸福を手に入れたんだ。
アイーダに抱かれながら。
アイーダは攻だよねえ? トウコちゃんてば、あんなにかわいらしい女の子を演じてくれているのに、女役であるからこそよけいに攻っぷりが際だっている。……男役のときは受のくせにー(笑)。
アイーダ×ラダメス。
アイーダがラダメスの髪を撫でるのが、すごく好き。
彼女が「抱かれている」のではなく、「抱いている」のだということが、とてもよくわかる。
与えられるだけではなく、彼女こそが「与えて」いるのだと、わかる。
地下牢のシーンの「愛しているから」と歌う彼女は、聖母のようだ。
ラダメスを救うために、彼を抱きしめ慰撫するために、女の肉体を持って地上に降り立った天使のようだ。
よかったね、ラダメス。
……心から、そう思う。
ふたりが互いの愛だけでなく、「この世に平和を」と歌い出すのも、わかる。
戦いが正義のこの時代で、異なる価値観を持った一対の魂。
彼らが世界に求めるもので、幕が下りるのは、必然だ。
彼らの願いがアムネリスに届き、エジプト兵たちが剣を置き、長い時間をかけて現代にも、狂信者ウバルドたちにも届く。
そーゆー物語なんだなと、わたしは思った。