ポストペットの受信箱がオールクリア、データをLostしました……。

 聞いてはいたのよ。
 以前WHITEちゃんが、
「ポスペのメールが、削除できない。黒ヤギさんに食べさせようとすると、砂時計になったまま動かなくなる」
 と言っていた。
 そしてついに、
「受信箱が全部消えた……」
 と、ぼーぜんと言っていた。

 でもそのときは「ふーん、そんなこともあるのね。災難ね」で済ませていた。

 まさか自分が、同じことになるなんて。

 容量オーバーすると、自動的に落ちるのかしら。
 わたし、99年から今まで、データ全部大事に抱え込んでたの。
 昔のメールを読み返すとも思えないけど、もともと「手紙」を捨てられないタチなもんで。
 全部そのまま、受信箱に残していた。

 それが全部、消えた……。

 ショック。
 容量オーバーだってのなら、なにかメッセージ出してよ。自動的に全消去なんて、あんまりだわ。

 てゆーか。
 現実問題として、受信箱が消えると、アドレスも消えちゃったんですが。

 ペットで配達してくれた人は、アドレス帳自動登録だからいいけど、その他の人はユーザーが「自分で」登録しないといけないのよね。
 でもってわたし、いただいたメールの「返信」としてしかメールを書かない場合が多いので、わざわざアドレス帳に登録していないことも多いのよ。

 ははは。
 どれくらいの人のアドレスを失ったのかしら。
 見当もつかないわ。

 なにより、チケット交換のやりとりをしている真っ最中の人のメールが消えたのが、いちばんこわかったかな。
 わたしがメールしてから丸1日経ってますぜ、なんで返事くれないの? あなたからくれないと、わたしからは連絡できないのよー! 泣。……という状態に(笑)。あ、無事に連絡もらえ、発送もすませました。

 そしてさらにこまったことに、ポスペを新たに立ち上げるたびに、データが消えておるのです。
 受信箱Lostしたあとに受け取ったメールも、わたしが出したメールも、全部消えてる。
 立つ鳥跡を濁さずってか? もらったメールも送ったメールもそのときだけのもの、次の瞬間には跡形もなく消える。ああ、なんてはかないの。

 てか、明らかに壊れてるだろ、ポスペ!!
 どーしてくれよう……。

 再インストールか?
 ねこもどき三世(ポスペの名前)は、天寿を全うする前に消去される運命なのか?
 一世も二世も、そうやって消えてしまったのよ?
 こんなに長い間ポスペ使ってきて、一度もペットの最後を見たことがないのよ。いつもいつも、エラーで再インストールしてるから。
 今度もまたインストールし直しで、ねこもどき四世としてやり直すべきなのか??

 いっそ、新しいバージョン、買おうか……。
 周りが誰も買ってないから、さみしいだけなんだけどな。

 あー……。

          ☆

 そうそう、『巖流』の千秋楽のとき、とのさんからショックなひとことを聞きました。

 幕間にわたしの席まで来てくれた彼女は、
「ねえねえ、出雲の阿国ってどうよ?」
 と聞いてきたのです。

 わたしはもちろん、
「好きよ。かわいいもん」
 と答えました。

「それがさあ、なんかあの阿国役の子、どっかで見たことがあるというか、知ってる気がしてしょうがないのよね」
 と、とのさん。
 そして彼女は、重大な真実を告げたのです。

「それでさっき気づいたのよ。あの阿国役の子、デイジーに似てる」

 …………。

 デイジーとは、友人のデイジーちゃんのことです。
 たかちゃんアルフォンソに惚れてヅカにハマり、ゆうひプルミタスに惚れて人生なにか捨てたよーに迷走し、現在寿美礼ちゃん命、我が人生に悔いなし!の潔さで爆走している、アツさいちばん並ぶモノなしの我らが友、デイジーちゃん!!

「に、似てる……」

「似てるっしょー? つか、そっくり!」
「うそーっ、似てるよー!!」
 じたばた。

 そう。
 似てるのです。
 出雲の阿国役の華美ゆうかちゃんと、デイジーちゃんは。

 顔立ちも、表情も、笑顔も、話し方も、ついでにあのとんでもないテンションまで!! 空回り体質なところまで!!
 ちょっとおおぉぉぉお。そんなにそんなにそっくりなんて、ちょっと待ってよおおお。

 わたしが阿国を好きなのは、かわいくてかわいくてしょーがないのは、デイジーちゃんに似てるからか??
 だってデイジーちゃんって、マジかわいいのよ!

 あー……せっかく舞台で好みの女の子を見つけたのに……友だちとクリソツなんて……なんか、複雑だー。
 はじめから「似てるから」って理由で好きになるのはいいのよ。
 でも、知らずに好きになった子が、友だちとそっくりだってのは……なんか、いやん(笑)。
 芸能人は手が届かない方が無責任にファンしていられるってもんよ。だから、気づきたくなかったわ。阿国がデイジーちゃんクリソツだなんて。

 緑野の乙女心は揺れ動いております(笑)。

  
 わたしとWHITEちゃんには、「見なければならない」俳優が何人かいる。
 椎名桔平がそうだし、渡辺謙がそうだ。
 そしてもうひとり、「田辺誠一」がいる。

 わたしとWHITEちゃんは、田辺誠一を「王子」と呼んでいる。
 そりゃ、及川光博や藤木直人も「王子」と呼んでるけれど、それとはまったく別の意味で田辺誠一は「王子」なのだ。

 だって、ファンなんだもん(笑)。

 田辺誠一は、好きだから「王子様」なの。
 ミッチー王子はミッチー王子、藤木直人は(笑)付きで王子なの。
 ただひとり、田辺誠一だけは、心から「王子様」なのよ。
 反論はいらないわ。趣味の問題だから。田辺誠一は、わたしの大好きな王子様キャラなのー(目に星)。
 だってだって、マンガのキャラをまんま演じることのできる人よ?
 『ガラスの仮面』の真澄様よ? 紫の薔薇の人よ? 毎回笑いに悶絶しながら見たわよ。
 『月下の棋士』の滝川さんよ? この眼鏡クール総受男のコスプレだけで、このドラマの価値が天までのぼったわ。
 田辺誠一は、ヅカのフリルブラウスを素で着られる希有なリアル男性(しかも三十路)よ。

 てことで、わたしは田辺誠一ファン。
 今はまた二枚目キャラが定着してきたけど、一時期は佐野史郎系一直線だったもんなあ。脇役として出てきても、「あ、こいつ絶対犯人(もしくは変質者)」とわかってしまう系俳優(笑)。

 とまあ、前置きが長いが、仕方がない。
 WHITEちゃんが、
「田辺誠一の映画、見に行く?」
 ってメールしてきたのがはじまりなんだもの。

 映画『半落ち』。
 監督・佐々部清。出演・寺尾聡、柴田恭兵、原田美枝子。

 現役の警部が殺人を犯した。
 「妻を殺した」と自首してきた梶@寺尾聡に、県警は震撼する。とんでもないスキャンダルだ。取り調べに当たった刑事の志木@柴田恭兵は上からの命令で、梶の供述をねつ造するための誘導尋問をする。アルツハイマーの妻から乞われた嘱託殺人、お涙頂戴系に持っていって、市民の不信をかわそうというたくらみ。
 県警と検察の慣れ合い、体面を最重要視する警察に葬り去られようとする梶の真実とはなにか? 「守ろうとするもの」とはなにか? 一度は死を決意した男が思いとどまったのは何故か。
 志木の他に、検事の佐瀬@伊原剛志、新聞記者の中尾@鶴田真由、弁護士の植村@國村隼はそれぞれの立場で、沈黙を守る梶の真実を追いはじめる。

 田辺誠一、端役です。つーか、田辺誠一でなくてもいいし、いなくてもいいような役だったよーな。
 むさくるしい画面だから、お花が必要だったってこと?(笑) きれい系の男は彼ひとりだもんよ。
 てか、主演が寺尾聡って段階で、キャストの美しさなんか求めていない作品だってことがわかるよな。
 しかし。

 大泣きしました。

 こーゆー作品に弱いのよ。
 生きる痛みに充ちた物語。
 梶を中心に、彼の真実を探す人々の心の傷が浮かび上がってくるの。
 誰もが痛いものを心に秘めている。誰もが生きるかなしみや、つらさを知っている。そして、よろこびや愛しさを知っている。
 だからみんな、痛い痛いとつぶやきながら、涙をこぼしながら、懸命に生きている。

 彼は何故、最愛の妻を殺したのか?

 その謎をめぐるミステリ。
 アルツハイマーを嘆く妻に「殺して」と懇願されたから、殺した。
 事実はたしかに、その通り。
 誠実な梶は、嘘をつけない。真実のみを口にする。
 それでは、妻を殺し自首するまでの間、2日間もどこでなにをしていたのか。
 梶は口をつぐむ。沈黙する。
 嘘のつけない男は、ただ黙る。
 その2日間の謎を解くことで、梶の人生と事件の真実が浮かび上がってくる……。

「あなたは、わたしが殺してって頼んだら、殺してくれる?」
 記者の中尾は恋人に問う。恋人(田辺誠一だ)は一笑に付して、取り合わない。

 わたしには、わたしを殺してくれる人がいるだろうか?

 わたしのために、殺人犯になってくれる人が、いるだろうか?

「わたしを殺してください」
 と言うのは、「わたしと死んでください」と言うことと同じだ。
 殺人を犯せば、社会的に未来を失う。ある意味一度死ぬようなもの。
 あるいは、責任を取って自殺するか。
 どちらにせよそれは、心中だ。
 愛のために死ねるのか。
 そーゆーことだろう?

 壊れていく愛する者を、ただ見守るしかできない者たち。その慟哭。
 妻を殺した梶に、妻の姉@樹木希林は泣きながら叫ぶ。
「わたしは妹を殺してやることができなかった」
 と。「ごめんなさい」と。
 愛していたのに、殺してやれなかった。

 そして、彼女をいちばん愛していた梶が、彼女の望みを叶えた。
 彼女を、殺した。

「私は、妻を殺しました」

 梶の言葉は、とてつもない愛の言葉だ。
 愛の告白だ。

 もちろんそれは、殺人だ。罪だ。
 病気だからって、本人の望みだからって、人間が人間の命を奪うのは傲慢だ。
 まちがってるさ。
 神様じゃ、ないんだから。

 でもさ。
 神様じゃないからこそ、人間はこんなに美しいんだよね?

 文字数足りないので、次の欄につづく。

           
 わたしとWHITEちゃんには、「見なければならない」俳優が何人かいる。
 椎名桔平がそうだし、渡辺謙がそうだ。
 そしてもうひとり、「田辺誠一」がいる。

 わたしとWHITEちゃんは、田辺誠一を「王子」と呼んでいる。
 そりゃ、及川光博や藤木直人も「王子」と呼んでるけれど、それとはまったく別の意味で田辺誠一は「王子」なのだ。

 だって、ファンなんだもん(笑)。

 田辺誠一は、好きだから「王子様」なの。
 ミッチー王子はミッチー王子、藤木直人は(笑)付きで王子なの。
 ただひとり、田辺誠一だけは、心から「王子様」なのよ。
 反論はいらないわ。趣味の問題だから。田辺誠一は、わたしの大好きな王子様キャラなのー(目に星)。
 だってだって、マンガのキャラをまんま演じることのできる人よ?
 『ガラスの仮面』の真澄様よ? 紫の薔薇の人よ? 毎回笑いに悶絶しながら見たわよ。
 『月下の棋士』の滝川さんよ? この眼鏡クール総受男のコスプレだけで、このドラマの価値が天までのぼったわ。
 田辺誠一は、ヅカのフリルブラウスを素で着られる希有なリアル男性(しかも三十路)よ。

 てことで、わたしは田辺誠一ファン。
 今はまた二枚目キャラが定着してきたけど、一時期は佐野史郎系一直線だったもんなあ。脇役として出てきても、「あ、こいつ絶対犯人(もしくは変質者)」とわかってしまう系俳優(笑)。

 とまあ、前置きが長いが、仕方がない。
 WHITEちゃんが、
「田辺誠一の映画、見に行く?」
 ってメールしてきたのがはじまりなんだもの。

 映画『半落ち』。
 監督・佐々部清。出演・寺尾聡、柴田恭兵、原田美枝子。

 現役の警部が殺人を犯した。
 「妻を殺した」と自首してきた梶@寺尾聡に、県警は震撼する。とんでもないスキャンダルだ。取り調べに当たった刑事の志木@柴田恭兵は上からの命令で、梶の供述をねつ造するための誘導尋問をする。アルツハイマーの妻から乞われた嘱託殺人、お涙頂戴系に持っていって、市民の不信をかわそうというたくらみ。
 県警と検察の慣れ合い、体面を最重要視する警察に葬り去られようとする梶の真実とはなにか? 「守ろうとするもの」とはなにか? 一度は死を決意した男が思いとどまったのは何故か。
 志木の他に、検事の佐瀬@伊原剛志、新聞記者の中尾@鶴田真由、弁護士の植村@國村隼はそれぞれの立場で、沈黙を守る梶の真実を追いはじめる。

 田辺誠一、端役です。つーか、田辺誠一でなくてもいいし、いなくてもいいような役だったよーな。
 むさくるしい画面だから、お花が必要だったってこと?(笑) きれい系の男は彼ひとりだもんよ。
 てか、主演が寺尾聡って段階で、キャストの美しさなんか求めていない作品だってことがわかるよな。
 しかし。

 大泣きしました。

 こーゆー作品に弱いのよ。
 生きる痛みに充ちた物語。
 梶を中心に、彼の真実を探す人々の心の傷が浮かび上がってくるの。
 誰もが痛いものを心に秘めている。誰もが生きるかなしみや、つらさを知っている。そして、よろこびや愛しさを知っている。
 だからみんな、痛い痛いとつぶやきながら、涙をこぼしながら、懸命に生きている。

 彼は何故、最愛の妻を殺したのか?

 その謎をめぐるミステリ。
 アルツハイマーを嘆く妻に「殺して」と懇願されたから、殺した。
 事実はたしかに、その通り。
 誠実な梶は、嘘をつけない。真実のみを口にする。
 それでは、妻を殺し自首するまでの間、2日間もどこでなにをしていたのか。
 梶は口をつぐむ。沈黙する。
 嘘のつけない男は、ただ黙る。
 その2日間の謎を解くことで、梶の人生と事件の真実が浮かび上がってくる……。

「あなたは、わたしが殺してって頼んだら、殺してくれる?」
 記者の中尾は恋人に問う。恋人(田辺誠一だ)は一笑に付して、取り合わない。

 わたしには、わたしを殺してくれる人がいるだろうか?

 わたしのために、殺人犯になってくれる人が、いるだろうか?

「わたしを殺してください」
 と言うのは、「わたしと死んでください」と言うことと同じだ。
 殺人を犯せば、社会的に未来を失う。ある意味一度死ぬようなもの。
 あるいは、責任を取って自殺するか。
 どちらにせよそれは、心中だ。
 愛のために死ねるのか。
 そーゆーことだろう?

 壊れていく愛する者を、ただ見守るしかできない者たち。その慟哭。
 妻を殺した梶に、妻の姉@樹木希林は泣きながら叫ぶ。
「わたしは妹を殺してやることができなかった」
 と。「ごめんなさい」と。
 愛していたのに、殺してやれなかった。

 そして、彼女をいちばん愛していた梶が、彼女の望みを叶えた。
 彼女を、殺した。

「私は、妻を殺しました」

 梶の言葉は、とてつもない愛の言葉だ。
 愛の告白だ。

 もちろんそれは、殺人だ。罪だ。
 病気だからって、本人の望みだからって、人間が人間の命を奪うのは傲慢だ。
 まちがってるさ。
 神様じゃ、ないんだから。

 でもさ。
 神様じゃないからこそ、人間はこんなに美しいんだよね?

 文字数足りないので、次の欄につづく。

           
 星組バウホール公演『巖流』千秋楽。

 作品にはかなり辟易していたので、午前公演のチケットがあちこちのweb上に出ていたのは目にしていたけれど、スルー。もうおなかいっぱい。
 余らせた楽チケ、ほんとーに観たがっていたらしい方に譲れて、よかったっす。深々と頭を下げられて、恐縮したナリ(結果的に余らせてしまうくらい、本気でチケットかき集めたのよ。努力の結果なのよ。空回りなのよ)。

 しかし。

 しかし…………たのしかった。
 千秋楽。

 行ってよかったすよ!
 なんか、久々にものすげーたのしかったっ。

 バウホールという小さなハコにおいての千秋楽ってのは、ふつうの公演とは別物なんだってことが、よくわかった。
 出演者と観客の距離が近い。
 観客もスタッフの一員なんだ。
 舞台を創っているんだ。
 空気のキャッチボールが存在した。

 この熾烈なチケット難を乗り越えて楽に客席にいるのは、程度の差こそあれ出演者のファンであることにまちがいはないだろう。
 その連帯感が出演者にも作用しているのだと思う。千秋楽ならではのアドリブは、それゆえもあるだろうさ。
 観客の期待と、出演者の熱意とある意味甘えと。
 それらが一緒になって、通常公演とは別の空気を創る。

 それが、たのしかった。
 一種異様だから、ファンでもなんでもない、なんかのまちがいで客席にまぎれこんでいた一般人とかなら、引いたかもしれない。だが、そーゆー雰囲気こそが、ファンであるわたしにはたのしかった。

 真ん中が似合う人、というのは存在する。
 それは、持って生まれた「華」だけに限らない。
 トウコちゃんには、タカラヅカのセンターに立つ要素であるところの、きらきらした「華」はないと思う。
 この「華」とは「アイドル性」と置き換えてもいいだろう。
 アイドルってのは、お子サマのことだけを言うんじゃない。天下のキムタク様なんか、いくつになってもアイドルだ。結婚しても父親になっても、彼はアイドルだ。彼はテレビという箱の中で輝く「華」を持つ。
 実力も適性も問わない。問答無用の輝く力。それを「華」とわたしは呼んでいる。
 トウコちゃんには、この「華」がない。
 だが彼女は、まちがいなく真ん中が似合う人だ。

 持って生まれる、なんて、ある意味ズルいよね。
 本人の希望や努力とは無関係に、はじめから持っている。それが才能ってもの。
 天才ってのは生まれるものであって、なるものではない。
 はじめから「そう」生まれなければ、決してなれないものなんだ。
(もちろん、だからこそ、天才ゆえの慟哭は物語のテーマとして魅力的なんだが。本人の希望や努力とは無関係であるからこそ)

 トウコちゃんは、生まれながらにしての「華」は持ち得ない。
 だが、彼女はそれとは別の力で、真ん中に立つ説得力を放つ。
 歌唱力や演技力、姿の美しさも彼女の武器ではあるだろう。
 でもそれ以上に、「精神力」を感じるんだ。

 真ん中であること。
 この場を支配すること。
 人々の「気」を集め、自分の「気」を発散すること。

 楽団の指揮者とかが、近いかもしれない。
 その曲を演奏している間、奏者すべてが指揮者に注目する。もちろん自分の演奏にも心は向いているだろうが、それを超えたところで、指揮者がすべての奏者の心を操っている。
 ついていく。全身全霊をあげて。奏者全員が、指揮者に。
 指揮者もまた、奏者全員をひとつにし、それぞれの力を解放させる。
 それに似た吸引力を感じる。

 きらきらした「華」じゃない。
 だから、脇役をやるときは脇役を演じられる。主役の邪魔をしない。デフォルトであるものではないから、不必要なときは抑えることができる。
 だがひとたびセンターに立つと、「ここが世界の中心」と叫びはじめる。
 惹きつける力。
 存在感。
 すべてを包むこと、背負うことを「上等!」と正面切って受け止める寛さ。

 それがあるから、トウコは真ん中に立つべき人だ。

 いい役者になったねえ。
 若いころはもっと、「華」だとか「若さ」「青さ」、あるいは「強さ」で勝負しようとしていたように見えたからさ。
 雪組で御曹司やってたころは、翳りのないしたたかさを持つ攻キャラだったのに。
 同期で成績もそれまでの扱いも、ずっと下のコムちゃんに負けるカタチで星組に組替えになって。
 なに不自由なく育った攻御曹司が、挫折して負けること知り、鏡のように輝いていた表面にどんどん傷がついていって、翳りのある大人の男になった。
 幼いからきれいだったときとはちがい、汚れているから、ゆがんでいるからこその屈折が、その陰こそが、さらに光を深いものにする。
 ほんとうに、いい男になった。
 まだ卒業学年でもないのに早々に新公を卒業し、『真夜中のゴースト』で大劇場単独3番手をやり、バウ主演をやった。
 結果として、そのまますんなり2番手、トップとならなくて、よかったんだと思うよ。
 あのままだったらきっと、今の輝きはないから。
 陰を含んだ、鈍い光。
 どこかに痛みを隠している輝き。
 それが、今、とてつもなく魅力的だから。

 ……まあ昔は、まさかトウコが「総受」キャラになるとは思いもしなかったけどな(これは成長なのか?)。

 持って生まれた「華」ではなく、実力で真ん中の似合う役者になったことが、一ファンとしてとてもうれしい。

 ということで、小次郎様ラ〜ヴ。
 すてきーーーーっ。
 きゃーっ、きゃーっ。

 作品のつまらなさを覆い隠しくつがえし、小次郎様とバウ組御一行は突き進む。
 そして、あの怒濤のカーテンコールにつながる。

 フィナーレからすでに武蔵ではなくなってニマニマしているどっかの誰かさんとちがって(笑)、小次郎様はどこまでも小次郎様。
 クールに決める決める。
 組長と主演男役の挨拶のあと、もう一度フィナーレ。
 もう一度だよ。
 リプレイ。
 巻き戻してもう一度。
 ただ並んで挨拶して終わり、じゃなくて、フィナーレのラストナンバーが2回あったの。
 しかも、出演者のテンション上がってるし。
 トウコとケロはすれ違いざまにハイタッチするし。
 う・きゃ〜〜っ。

 観客、スタンディングでそれに応える。

 何回幕は上がったかな?
 数えてないのでわからない。
 場の中心として「支配する者」であるトウコちゃんは、指揮者の余裕で観客の熱狂を支配する。そう、見えないタクトを振るように。

 歓声があがる。
 ここはどこのライヴ会場?
 「きゃー」だの「ひゅー」だの、声が満ちるんだよ、マジで。
 タカラヅカの観客って、こんなに声出すんですか?!
 や、わたしもなんか声あげていたよーな気がしますが。おぼえてません。
 前方センター席だったので、立ち上がったが最後、後ろの人の視界を奪ってしまっただろーな、とは思いつつ(当日の身長、ほんの175cmっす。勘弁してください)、熱狂に身を任せました。

 たのしい!
 今、ここにいることができてよかった!!

 芝居は生き物だと思う。
 あんな駄作でも、生きているからその瞬間別物にもなる。
 観客もまた、舞台を創り上げる一員だと思う。

 それを、思い知った。

 たのしかったよー。

 
「おれは出家するよ」
 とおっしゃる吉岡清十郎さん(年齢不詳)。人生お祭りの彼は、美貌と剣の才能にあかせて遊び尽くしたので、仏門に入ることに悔いはないそうです。

 まちがいなく彼はこれから、行く先々の寺で坊主たちを手玉に取り、淫欲の限りを尽くされるのでしょう。
「女とは遊び尽くしたから、次は男にするよ」
 そうおっしゃったのでしょう? 出家ってそーゆー意味でしょ?

 いつもこのシーンは、「清十郎、悪……」と心から思うのでした。

 ところで、清十郎様の出番、増えてるよねえ?
 増えてるというか、のびてるというか。
 祇園でのシーン、清十郎様は台詞が終わった直後に暗転、ピンスポが小次郎とアンナだけを照らしていた……よね?
 そのつもりで見ていたのに、あ、あれ? いつまでたっても清十郎様の美しいお顔が見えてますけど? アンナの「清十郎様はわたしを好きなわけではありません。ただ、そばに置いておきたいだけ」という台詞を、憂いに満ちた瞳でお聞きになってらっしゃいますが。
 ……はい、祇園のシーンはわたし、終始清十郎様にオペラあててたもんで。さあここで暗転、次は小次郎を見るわよ、というタイミングが……なんで? この前はここで暗転だったじゃん! どーしていつまでもわたしのオペラグラスは清十郎様をとらえているの?
 うれしい……。
 たしか彼は、台詞が終わった直後に暗転、スポットを浴びた小次郎とアンナが喋りながら階段を下りているときに、こっそり下手へはけていく、はずだった。
 ところがこのシーン、ライトは落ちず(少し暗くなる程度)下手へはけていく清十郎様が全部見えるようになっていた。
 アンナの「誰も愛せない男」発言を、無表情に立ち止まって聞いているのよ。
 うきゃ〜〜。
 清十郎様、萌え〜。

 アンナと小次郎が似たもの同士だというなら、アンナと清十郎様も似たもの同士だったと思うのよ。
 オランダで生まれ、日本で娼婦をしている天涯孤独のアンナと、世俗を超越した天才剣士清十郎様は、通じるものがあったから惹かれ合ったのでしょう?
 ただ、アンナは清十郎様をおそれた。だから彼の思いを拒絶した。「あの方は誰も愛さない」と。小次郎のすがりつく愛は認め、受け止めたくせに、清十郎様の静止した湖面のような愛は気づかないふりをしてスルーした。
 もちろんそれは、アンナの欲しい愛ではなかったのだろうけど……てゆーか、ふつうの人間の欲しがる類の愛ではないのだけど……でもそんな見事に「愛というもの自体持っていない人」と断言してまで拒絶しなくても。
 おかげで清十郎様、出家しちゃったじゃん! 男に走っちゃったじゃん!(笑)

 白鷺にえんえん芸のないダンスをさせるくらいなら、小次郎、アンナ、清十郎様でねっとり舞ってほしかったわ。
 アンナを取り合う振りをしながら、清十郎様が軽く小次郎に手を出してくれて、ぜんぜんいいのに。

 清十郎様はリバだと思うから、小次郎相手には攻ね。
 相手に合わせて、誘い受てみたり、襲い受してみたり、騙し受カマシてみたり、あるいは悪魔のほほえみで容赦なく攻まくったりするのよー。うっとり。
 攻モードのときは絶対鬼畜よねー。妖艶に微笑みながら、最悪な真似をするのよー。
 武蔵相手だと受よねえ。めちゃくちゃ色っぽく、山猿を手玉にとって欲しいわ。

 どっちにしろ、精神面では「総攻」様でしょ?
 最強キャラだよね?

 と、またしても『巖流』の話です。
 どーせバカみたいに何回も観に行ってるわけだからさ。ストーリーをまともに考えると精神衛生上よくないので、萌えだけに焦点を合わせています。

 ステレオタイプでなんの新しさもないとはいえ、清十郎様は萌えキャラだ。
 てか、ゆかりちゃんきれー。
 齋藤くんのお気に入りなの? 『ヴィンターガルテン』でも、変な使われ方してたよね? 美貌のお稚児さん役。えっ、チガウ? ナチスが異民族の少年を入れるなんて、彼の「顔」が気に入ったからとしか思えなかったんだけど? ストーリー上まったく不必要なキャラとエピソードだったし。
 まーなんにせよ、好きな顔だから役付がいいとうれしいなあ。
 清十郎様は、『巖流』の収穫のひとつだわ。

 そう、『巖流』は、清羅や清十郎様をはじめとして、脇キャラたちが大変オイシイ。
 ふつーなら恥ずかしくて描けないよーな、ベっタベタな超俗的なキャラ造形しかしないんだもん、齋藤くん。
 少年マンガやアニメ、ゲームで5万回は見たようなキャラとシチュエーション、台詞ばっか。
 いろんなとこで見た萌えシーンを、脈絡もなく全部ひとつの作品に詰め込むんだもんなあ。力業だわ。
 だから、脇キャラがオイシイ。つぎはぎでしかないから、キャラの書き込みは薄いの、ぺらっぺら。でも「どこかで見た萌えキャラ」だから、薄くてもOK。借り物だけあって、最初から「立ってる」もの。
 つーことで、本筋以外も美味しくいただきました。

 色男といえば、新免無二斎@みっこちゃん、かっこいー! 渋い、渋いよー。
 みっこちゃんもオヤジ系のヒトだから、学年が上がると加速度つけていい男になるよねえ。最近よーやく芸風に学年が追いついてきた感じ……いや、青年役もいいとは思うけど、真にフェロモン垂れ流しになるのはオヤジ役のときだと思うわ。
 あれ。
 みっこちゃん「も」ってわたし、誰を基準にして語ってるのかしら。ははは。同じ学年で、オヤジ系で、若いときから実年齢より上の役ばっかやって、最近実年齢に学年が追いついてきた人のファンですから(笑)。

 あと、賛否両論の出雲の阿国@華美ゆうか、わたしは大好きです(笑)。
 だって、かわいいんだもん。
 あの笑顔にめろめろ。わーん、かわいいよう。
 声や喋り方、歌い方も好きよ。
 ただ問題は、同じ声や喋り方、歌い方の娘ばかりを集めてしまったことでしょう。
 とくに網タイツの娘ふたり。いらんやろ。
 くのいち@花恋吹雪は3人だから耐えられたのよ。5人もいたらうぜえっての。それにまあ、あの3人は実力もあったからなあ(毬丘さんがあの学年でアレをやってたっつーのがすげえよ)。
 台詞もまともに喋れないよーな子たちに、ナビゲーターはできませんて。
 阿国ひとりをアレ系にして、お菊と三九郎はふつうの芝居ができる人を使うべきだったんじゃあ?
 でもってトリオでよし。齋藤くんには主人公に殉ずる義賊が出なきゃダメらしいから、どーしても5人必要ってのなら、タイツ女ふたりは一切喋らさずにお色気ポーズだけとらしとけ。
 下手くそが5人もそろってがちゃがちゃやるから、場を壊すだけで一利もなかったのよねえ。
 歌い踊ってポーズで暗転、なのに、拍手が一度も起こらないなんて、すごすぎるよ……。
 それでもわたし、阿国だけは好きだったよ。

 七之助@七風宇海くんもかわいかった。あの見せっぷりのいいすねにくらくら(笑)。
 少年時代の小次郎@成花まりんちゃん、うまいー、かわいいー。
 利助@彩海早矢もいい感じでバカキャラやってるよね。武蔵に惚れながらも金づるだと思ってるあたりがいい。小悪党はこんなふうにバカでなくっちゃ! かわいいんだけど……えーと、も少しきれいだったり色気があったりしたら、わたしはいろいろたのしかったのにな、武蔵×利助とか、下克上とか……。

 文字数足りないので、次の欄につづく。

          
「おれは出家するよ」
 とおっしゃる吉岡清十郎さん(年齢不詳)。人生お祭りの彼は、美貌と剣の才能にあかせて遊び尽くしたので、仏門に入ることに悔いはないそうです。

 まちがいなく彼はこれから、行く先々の寺で坊主たちを手玉に取り、淫欲の限りを尽くされるのでしょう。
「女とは遊び尽くしたから、次は男にするよ」
 そうおっしゃったのでしょう? 出家ってそーゆー意味でしょ?

 いつもこのシーンは、「清十郎、悪……」と心から思うのでした。

 ところで、清十郎様の出番、増えてるよねえ?
 増えてるというか、のびてるというか。
 祇園でのシーン、清十郎様は台詞が終わった直後に暗転、ピンスポが小次郎とアンナだけを照らしていた……よね?
 そのつもりで見ていたのに、あ、あれ? いつまでたっても清十郎様の美しいお顔が見えてますけど? アンナの「清十郎様はわたしを好きなわけではありません。ただ、そばに置いておきたいだけ」という台詞を、憂いに満ちた瞳でお聞きになってらっしゃいますが。
 ……はい、祇園のシーンはわたし、終始清十郎様にオペラあててたもんで。さあここで暗転、次は小次郎を見るわよ、というタイミングが……なんで? この前はここで暗転だったじゃん! どーしていつまでもわたしのオペラグラスは清十郎様をとらえているの?
 うれしい……。
 たしか彼は、台詞が終わった直後に暗転、スポットを浴びた小次郎とアンナが喋りながら階段を下りているときに、こっそり下手へはけていく、はずだった。
 ところがこのシーン、ライトは落ちず(少し暗くなる程度)下手へはけていく清十郎様が全部見えるようになっていた。
 アンナの「誰も愛せない男」発言を、無表情に立ち止まって聞いているのよ。
 うきゃ〜〜。
 清十郎様、萌え〜。

 アンナと小次郎が似たもの同士だというなら、アンナと清十郎様も似たもの同士だったと思うのよ。
 オランダで生まれ、日本で娼婦をしている天涯孤独のアンナと、世俗を超越した天才剣士清十郎様は、通じるものがあったから惹かれ合ったのでしょう?
 ただ、アンナは清十郎様をおそれた。だから彼の思いを拒絶した。「あの方は誰も愛さない」と。小次郎のすがりつく愛は認め、受け止めたくせに、清十郎様の静止した湖面のような愛は気づかないふりをしてスルーした。
 もちろんそれは、アンナの欲しい愛ではなかったのだろうけど……てゆーか、ふつうの人間の欲しがる類の愛ではないのだけど……でもそんな見事に「愛というもの自体持っていない人」と断言してまで拒絶しなくても。
 おかげで清十郎様、出家しちゃったじゃん! 男に走っちゃったじゃん!(笑)

 白鷺にえんえん芸のないダンスをさせるくらいなら、小次郎、アンナ、清十郎様でねっとり舞ってほしかったわ。
 アンナを取り合う振りをしながら、清十郎様が軽く小次郎に手を出してくれて、ぜんぜんいいのに。

 清十郎様はリバだと思うから、小次郎相手には攻ね。
 相手に合わせて、誘い受てみたり、襲い受してみたり、騙し受カマシてみたり、あるいは悪魔のほほえみで容赦なく攻まくったりするのよー。うっとり。
 攻モードのときは絶対鬼畜よねー。妖艶に微笑みながら、最悪な真似をするのよー。
 武蔵相手だと受よねえ。めちゃくちゃ色っぽく、山猿を手玉にとって欲しいわ。

 どっちにしろ、精神面では「総攻」様でしょ?
 最強キャラだよね?

 と、またしても『巖流』の話です。
 どーせバカみたいに何回も観に行ってるわけだからさ。ストーリーをまともに考えると精神衛生上よくないので、萌えだけに焦点を合わせています。

 ステレオタイプでなんの新しさもないとはいえ、清十郎様は萌えキャラだ。
 てか、ゆかりちゃんきれー。
 齋藤くんのお気に入りなの? 『ヴィンターガルテン』でも、変な使われ方してたよね? 美貌のお稚児さん役。えっ、チガウ? ナチスが異民族の少年を入れるなんて、彼の「顔」が気に入ったからとしか思えなかったんだけど? ストーリー上まったく不必要なキャラとエピソードだったし。
 まーなんにせよ、好きな顔だから役付がいいとうれしいなあ。
 清十郎様は、『巖流』の収穫のひとつだわ。

 そう、『巖流』は、清羅や清十郎様をはじめとして、脇キャラたちが大変オイシイ。
 ふつーなら恥ずかしくて描けないよーな、ベっタベタな超俗的なキャラ造形しかしないんだもん、齋藤くん。
 少年マンガやアニメ、ゲームで5万回は見たようなキャラとシチュエーション、台詞ばっか。
 いろんなとこで見た萌えシーンを、脈絡もなく全部ひとつの作品に詰め込むんだもんなあ。力業だわ。
 だから、脇キャラがオイシイ。つぎはぎでしかないから、キャラの書き込みは薄いの、ぺらっぺら。でも「どこかで見た萌えキャラ」だから、薄くてもOK。借り物だけあって、最初から「立ってる」もの。
 つーことで、本筋以外も美味しくいただきました。

 色男といえば、新免無二斎@みっこちゃん、かっこいー! 渋い、渋いよー。
 みっこちゃんもオヤジ系のヒトだから、学年が上がると加速度つけていい男になるよねえ。最近よーやく芸風に学年が追いついてきた感じ……いや、青年役もいいとは思うけど、真にフェロモン垂れ流しになるのはオヤジ役のときだと思うわ。
 あれ。
 みっこちゃん「も」ってわたし、誰を基準にして語ってるのかしら。ははは。同じ学年で、オヤジ系で、若いときから実年齢より上の役ばっかやって、最近実年齢に学年が追いついてきた人のファンですから(笑)。

 あと、賛否両論の出雲の阿国@華美ゆうか、わたしは大好きです(笑)。
 だって、かわいいんだもん。
 あの笑顔にめろめろ。わーん、かわいいよう。
 声や喋り方、歌い方も好きよ。
 ただ問題は、同じ声や喋り方、歌い方の娘ばかりを集めてしまったことでしょう。
 とくに網タイツの娘ふたり。いらんやろ。
 くのいち@花恋吹雪は3人だから耐えられたのよ。5人もいたらうぜえっての。それにまあ、あの3人は実力もあったからなあ(毬丘さんがあの学年でアレをやってたっつーのがすげえよ)。
 台詞もまともに喋れないよーな子たちに、ナビゲーターはできませんて。
 阿国ひとりをアレ系にして、お菊と三九郎はふつうの芝居ができる人を使うべきだったんじゃあ?
 でもってトリオでよし。齋藤くんには主人公に殉ずる義賊が出なきゃダメらしいから、どーしても5人必要ってのなら、タイツ女ふたりは一切喋らさずにお色気ポーズだけとらしとけ。
 下手くそが5人もそろってがちゃがちゃやるから、場を壊すだけで一利もなかったのよねえ。
 歌い踊ってポーズで暗転、なのに、拍手が一度も起こらないなんて、すごすぎるよ……。
 それでもわたし、阿国だけは好きだったよ。

 七之助@七風宇海くんもかわいかった。あの見せっぷりのいいすねにくらくら(笑)。
 少年時代の小次郎@成花まりんちゃん、うまいー、かわいいー。
 利助@彩海早矢もいい感じでバカキャラやってるよね。武蔵に惚れながらも金づるだと思ってるあたりがいい。小悪党はこんなふうにバカでなくっちゃ! かわいいんだけど……えーと、も少しきれいだったり色気があったりしたら、わたしはいろいろたのしかったのにな、武蔵×利助とか、下克上とか……。

 文字数足りないので、次の欄につづく。

          
「緑野さん……ほんとにコレ、8回も観に行くんですか……」
 かねすきさんは生暖かい目でそう言う。
 コレ、とは星バウ公演『巌流』のこと。
 行きません。余った分、だぶった分は全部手放しました。結局わたしが行くのは5回です。
「コレを5回……ほんとーにファンなんですねえええ」
 ごめんねええ、ファンでえぇぇ。そーよ、かっこいいケロと美しいトウコを見るためだけに、バウで5回観るのよ! 青年館だって行くのよ! かねすきさんだって、ものすんげえ駄作でも愛するえりりんが出ていたらびっくりするよーな回数観るじゃん! 作品を観るんじゃないの、人を見るのよ。それがタカラヅカよ。泣。
 大劇も駄作、バウも駄作。遠路はるばる来ても、楽しみが少ないね、という地方組の友人たちに会うためだけに、ムラへ。
 週末のムラはヅカファンの聖地。会う予定のなかった友人たちも次々にGET。友だちの友だちもみんな友だち状態、誰が誰なの、紹介もないまま入り乱れて喋って時間は流れる。
 結局いちばん長く一緒にいたのはかねすきさんと、デイジーちゃん。
「なんでブーツなのよ、なんでズボンなのよ。不満だわ」
 と、かねすきさん。
「わたしはなにも、太股を見せろと言ってるんじゃないのよ、すねを見せろと言ってるのよ」
 熱弁。トウコとケロの肌露出の少なさにお怒り。
「小次郎はまだいいの、出し惜しみしても。でも、武蔵は見せるべきでしょおっ?!」
 ……えーと。
 ここにも、「汐美真帆はふんどしであるべき」信者が(笑)。
「だって男でしょう、あの人? ケロさんを女だと思っている人が、この世にいるんですか?」
 と、真剣に論じるブラボーかねすきさん。
 わたしの日記を読んだチェリさんからは「ふんどしは勘弁してください、ケロちゃんは女の子なんです(泣)」というメールが届いております、かねすきさん。ケロを女の子だと思っている人がいるんですよ。
 わたしですか? わたしはドリーマー、タカラヅカはファンタジー、男役は男だと思ってますんで、ケロは男でFAです。ふんどしが見たいかどうかは置くとして。あ、でも『巌流』でやほひ小説書いたら、武蔵についてはまちがいなくふんどしの描写をするだろうな(をい)。

 6時間ほど喋っていたわりに、話題をよくおほえてないんですが。
 ゆみこちゃん、また今度ゆっくりお喋りしよーねー。かねすきさん、お仕事がんばって、次は兄貴のお茶会で会いましょうよ。B’zのライヴのために早々に帰っていったWHITEちゃんからは、穴の開いたタイツを写した写メールが来たわ。はじけすぎたそうな。
 なんやかんやでわたしは結局、CANちゃんとふたりで帰りました。長い1日だった……。

          ☆

 ところで今朝、家を出るときのこと。
 今日は月東宝の並びの日。
 寒さと戦うためにもこもこに着ぶくれたわたしの足下で、猫が鳴く。「どこへ行くんだ、おれも連れて行け」
 仕方ないなあ、親の家に預けておくか。
 いつものように猫を抱き上げようとしたら。

 猫は、あたりまえの顔で、わたしの頭の上にのぼった。

 頭の上?
 頭の上ってっ……!!

 いつも猫は、外出するときはわたしの肩の上に乗ります。わたしに抱っこされるより、自分の足で肩に乗る方が安全だと思ってやがる失礼な猫です。
 通行人に「まあ、肩の上に乗るなんて、おりこうね」とか言われますが、ちがいます。わたしが肩に乗れと命令しているわけじゃないですから、ちっとも利口じゃないっす。
 わたしは抱っこの方がいいの。やわらかい体を抱っこして毛並みをたのしんで、かわいい顔を間近で見たいのです。
 肩の上に乗られると、視界をしっぽがふるふる邪魔してくるし、顔に当たるし、爪は痛いし猫の顔は見えないし、お尻とタマタマがわたしの頬の真横で、はっきりいってあまりたのしくないっす。
 されどわたしの感想がどうあれ、「大きな猫を肩に乗せて歩いている女」はめずらしいらしく、いろんな人に声をかけられたりもします。

 いつものよーに、肩に乗るんだと思っていたのに……何故、頭に。

 今日わたしは、例の帽子をかぶっていました。11/1の日記参照の、うちの猫の大好きなあの帽子です。
 猫はあったりまえの顔して、その帽子をかぶったわたしの頭の上に乗ったのです!!

 猫よ! そんなにこの帽子が好きか!!

 猫を飼うようになって、早20年。いろんな猫がおりました。
 しかし、頭の上に乗られたのははぢめてだっ。

 よたよた。
 お、重い……。

 よくマンガやアニメの萌えキャラなんかが、頭の上に猫を乗せてるよねえ?
 しかし現実に乗せてる奴なんか、見たことないよ。
 子猫じゃないんだよ? 成猫だよ? 丸くなってもわたしの頭くらいの大きさはあるのよ? そんなもん、頭の上に乗るなんて、ありか?
 まさか自分がやるはめになるとわ。
 てゆーか、無理だ、こんなの。重くて重くて、顎が首にめりこみそう。
 うちの猫、4kgありますだよ……。

 それでもそのまま、親の家を目指して道を歩きました。
 なんせ頭は肩とちがって丸いから。猫も安定が悪いらしく、もぞもぞ動くし。
 わたしの身長がヒール分も入れて175cmとして、頭に猫を乗せていると……今のわたしは体長2mの怪人?!
 うっきゃ〜〜っ。
 鍵を開けて親の家に入るとき、どの程度頭を下げればいいのか悩む。鴨居にぶつけちゃうよ、猫……。鍵穴に鍵を差し込むためにしゃがむのも、至難の業。重いよ、重いよ、下を向けないよー。
 苦労して親の家に到着。
 早朝の家族は冷たいまなざし。
「あほやな」
 と、弟はすっぱり。
 うるさいっ、あんまりおもしろいから、誰かに見せたかったんだいっ。
 …てゆーか、わたしが見たかったよ……頭に猫乗せた人間〜〜。そんな阿呆な光景、よそでは見られないじゃないかー!

 今、わたしの肩がものすごーく凝っているのは、このせいじゃないかと思うんだがな、猫よ。

 
 リンコさんが友だちを連れてくる。

 忘年会の日、わたしは改めてメールを読み直した。
 場所は音ちゃんの新居。長年のマスオさん同棲にピリオドを打ち、籍を入れふたりで居を構えた音ちゃん夫妻のマンションで、鍋パーティ。
 シンくん夫妻は6時半頃到着予定。
 でもってリンコさんは友だちと一緒に6時くらいに到着予定。
 んじゃわたしも6時くらいに着くように行くわ、とメールを返してはいたけれど。

 リンコさんは、友だちと一緒……?

 その1文を、きれーに読み飛ばしていた。
 友だち?
 わたしたちの集まりに、わざわざ連れてくる友だち?

 音ちゃん、リンコさん、シンくんは、10年来の遊び友だち。イベント好きでマメなシンくんの采配のもと、若いころはよく遊びに行っていた。
 週に一度のテニス(カケラも上達しなかったよ、あたしゃ)、そのあとの飲み会。何ヶ月かに一度は20人からの人数でのボーリング大会、何台もの車に別れての遠出の行楽、なんかやたらと行っていたゲーセン、カラオケ……etc. 夏には恒例の花火大会。数万円分の打ち上げ花火を、淀川で打ち上げた(あーゆー花火が個人で買えるモノだとはそれまで知らなかった)。

 わたしたちのイベントには、暗黙のルールがあった。
 それは「パートナーがいる場合は連れてくる」である。
 イベントはあくまでも仲間内のもの。そこに第三者を参加させる場合は、パートナーに限る。
 つまり、彼氏や彼女は連れてきていいってこった。

 だから、シンくんの奥さんと最初に会ったのは、何年も前のボーリング大会や花火大会でだ。音ちゃんの旦那に最初に会ったのは……いつだっけ? とにかく、パートナーができたら、速やかに報告せよ。てなもん。

 仲間たちはひとりまたひとりと結婚したりなんだりで縁遠くなり、今つきあいがあるのは音ちゃん、リンコさん、シンくん、Be-Puちゃん、クリスティーナさんぐらいのもの。
 なかでももっとも男らしい外見と性格を持つリンコちゃん(注・女性です)。身長175cmは伊達じゃありません、かっこいいです。本人は「アタシの身長は170cmよ!」とフカシこいてますが、アンタが170だったらアタシは160cmでも通るわよ、ってことで、わたしの友人の中でいちばんでかい女はこのリンコちゃんです。
 そのかっこいいリンコさんが、わたしらのパーティに友だちを連れてくる……?

 ってソレ、彼氏ってこと?
 リンコさんついに、お嫁に行っちゃうの?! 嫁をもらうんじゃなくて?!
 ケータイもパソコンも持たない、メールなんてちゃらちゃらしたもんは許せない、未だにハガキで連絡を取ったりする漢らしいリンコさん。ひとり暮らしのアパートにはテレビだってないぞ、あんなもん見る奴は腑抜けてるのさ、の漢らしいリンコさん。
 明治時代の漢のよーな、頑固で凛々しいリンコさん。
 嫁をもらうことはあっても、嫁に行くことなどないと信じていたのに!!

 仲間たちがそれぞれ恋人を連れてイベントに参加するなか、わたしとリンコさんはいつだってシングル参加、ともに我が道を驀進していた同志じゃないの!!
 わたしを置き去りにして、自分だけカップル参加する気?

 てゆーか、カップル3組のなかに、あたしひとりってこと?!
 ちょっと待て、なんだそりゃ。

 ひとりぼっちは、いーやーだー。

 アタマを抱えたよ。
 いや、どーしよーもないので、さっさと出かけましたが。リンコさんの彼氏なら、なにがなんでも顔を拝みたいし(笑)。

 待ち合わせ場所に迎えに来てくれた音ちゃんに、わたしはなにより先に訊ねたさ。
「ねえねえ、リンコさんが連れてくる人って、カレシ?」
 音ちゃん、威勢良く爆笑。
「それがねえ、その彼……じゃなくてお友だち、急な体調不良で、欠席なんだってー。リンコさんひとり参加だよ」
「お友だち? カレシじゃなくて?」
「カレシならあたしがメールに大々的に書いてるよ。リンコさんがカレシ連れてくる! 必見!って」
 あ、そうなの?

 ほっとする前に、「やっぱりな」と思うわたしをゆるして、リンコちゃん。
 あーたがカレシを連れてくるはずがないと、どうも本気で思っているらしいわたしを許して。

 音ちゃんちにのっそり現れたリンコさんは、相変わらず漢らしい姿で、
「ねえねえリンコさぁん。今日カレシ、来れなくなったんだって?」
 とわたしが聞くと、とてもめんどくさそうに、
「そう、今日カレシは来れなくなって……って、なんでやねん。女の子や、今日一緒に来る予定やったんは」
 と答えてくれた。南大阪出身の彼女は、とってもべったべたな大阪弁を話す。

 ああ、リンコさん。君はいつまでも君のままでいてくれ。
 そのぶっきらぼうな性格も、容赦のない喋り方も、どうかそのままで。
 ついでにその食欲も、そのままで。
「緑野さん遅いから、緑野さんのお茶全部飲んじゃったよ。ポテチ食べながら」
 ってアンタ、これから鍋パーティなのに! ポテチ食ってる場合ですか?!
 プレゼント交換用のプレゼントを忘れたわたしが自宅まで取りに行ってる間に、音ちゃんがわたしのためにわたしのリクエストで用意してくれたお茶は全部リンコさんの腹の中。わあああん。

 そしてもちろん、鍋パーティでいちばん食べたのは、ほかならぬリンコさんです。

 文字数足りないので、次の欄へつづく。

          
 リンコさんが友だちを連れてくる。

 忘年会の日、わたしは改めてメールを読み直した。
 場所は音ちゃんの新居。長年のマスオさん同棲にピリオドを打ち、籍を入れふたりで居を構えた音ちゃん夫妻のマンションで、鍋パーティ。
 シンくん夫妻は6時半頃到着予定。
 でもってリンコさんは友だちと一緒に6時くらいに到着予定。
 んじゃわたしも6時くらいに着くように行くわ、とメールを返してはいたけれど。

 リンコさんは、友だちと一緒……?

 その1文を、きれーに読み飛ばしていた。
 友だち?
 わたしたちの集まりに、わざわざ連れてくる友だち?

 音ちゃん、リンコさん、シンくんは、10年来の遊び友だち。イベント好きでマメなシンくんの采配のもと、若いころはよく遊びに行っていた。
 週に一度のテニス(カケラも上達しなかったよ、あたしゃ)、そのあとの飲み会。何ヶ月かに一度は20人からの人数でのボーリング大会、何台もの車に別れての遠出の行楽、なんかやたらと行っていたゲーセン、カラオケ……etc. 夏には恒例の花火大会。数万円分の打ち上げ花火を、淀川で打ち上げた(あーゆー花火が個人で買えるモノだとはそれまで知らなかった)。

 わたしたちのイベントには、暗黙のルールがあった。
 それは「パートナーがいる場合は連れてくる」である。
 イベントはあくまでも仲間内のもの。そこに第三者を参加させる場合は、パートナーに限る。
 つまり、彼氏や彼女は連れてきていいってこった。

 だから、シンくんの奥さんと最初に会ったのは、何年も前のボーリング大会や花火大会でだ。音ちゃんの旦那に最初に会ったのは……いつだっけ? とにかく、パートナーができたら、速やかに報告せよ。てなもん。

 仲間たちはひとりまたひとりと結婚したりなんだりで縁遠くなり、今つきあいがあるのは音ちゃん、リンコさん、シンくん、Be-Puちゃん、クリスティーナさんぐらいのもの。
 なかでももっとも男らしい外見と性格を持つリンコちゃん(注・女性です)。身長175cmは伊達じゃありません、かっこいいです。本人は「アタシの身長は170cmよ!」とフカシこいてますが、アンタが170だったらアタシは160cmでも通るわよ、ってことで、わたしの友人の中でいちばんでかい女はこのリンコちゃんです。
 そのかっこいいリンコさんが、わたしらのパーティに友だちを連れてくる……?

 ってソレ、彼氏ってこと?
 リンコさんついに、お嫁に行っちゃうの?! 嫁をもらうんじゃなくて?!
 ケータイもパソコンも持たない、メールなんてちゃらちゃらしたもんは許せない、未だにハガキで連絡を取ったりする漢らしいリンコさん。ひとり暮らしのアパートにはテレビだってないぞ、あんなもん見る奴は腑抜けてるのさ、の漢らしいリンコさん。
 明治時代の漢のよーな、頑固で凛々しいリンコさん。
 嫁をもらうことはあっても、嫁に行くことなどないと信じていたのに!!

 仲間たちがそれぞれ恋人を連れてイベントに参加するなか、わたしとリンコさんはいつだってシングル参加、ともに我が道を驀進していた同志じゃないの!!
 わたしを置き去りにして、自分だけカップル参加する気?

 てゆーか、カップル3組のなかに、あたしひとりってこと?!
 ちょっと待て、なんだそりゃ。

 ひとりぼっちは、いーやーだー。

 アタマを抱えたよ。
 いや、どーしよーもないので、さっさと出かけましたが。リンコさんの彼氏なら、なにがなんでも顔を拝みたいし(笑)。

 待ち合わせ場所に迎えに来てくれた音ちゃんに、わたしはなにより先に訊ねたさ。
「ねえねえ、リンコさんが連れてくる人って、カレシ?」
 音ちゃん、威勢良く爆笑。
「それがねえ、その彼……じゃなくてお友だち、急な体調不良で、欠席なんだってー。リンコさんひとり参加だよ」
「お友だち? カレシじゃなくて?」
「カレシならあたしがメールに大々的に書いてるよ。リンコさんがカレシ連れてくる! 必見!って」
 あ、そうなの?

 ほっとする前に、「やっぱりな」と思うわたしをゆるして、リンコちゃん。
 あーたがカレシを連れてくるはずがないと、どうも本気で思っているらしいわたしを許して。

 音ちゃんちにのっそり現れたリンコさんは、相変わらず漢らしい姿で、
「ねえねえリンコさぁん。今日カレシ、来れなくなったんだって?」
 とわたしが聞くと、とてもめんどくさそうに、
「そう、今日カレシは来れなくなって……って、なんでやねん。女の子や、今日一緒に来る予定やったんは」
 と答えてくれた。南大阪出身の彼女は、とってもべったべたな大阪弁を話す。

 ああ、リンコさん。君はいつまでも君のままでいてくれ。
 そのぶっきらぼうな性格も、容赦のない喋り方も、どうかそのままで。
 ついでにその食欲も、そのままで。
「緑野さん遅いから、緑野さんのお茶全部飲んじゃったよ。ポテチ食べながら」
 ってアンタ、これから鍋パーティなのに! ポテチ食ってる場合ですか?!
 プレゼント交換用のプレゼントを忘れたわたしが自宅まで取りに行ってる間に、音ちゃんがわたしのためにわたしのリクエストで用意してくれたお茶は全部リンコさんの腹の中。わあああん。

 そしてもちろん、鍋パーティでいちばん食べたのは、ほかならぬリンコさんです。

 文字数足りないので、次の欄へつづく。

          
 母が言った。
「アタシは今まで、かわいいとかきれいとか言われたことが一度もないわ」
 かなしいことを、胸を張っての断言。
「でもおかげで、嘆くことがなにもないわ」
 はい?
「他のおばさんたちはみんな、『昔は美人だったのに』『若いころは**に自信があったのに』って、嘆いてばかりよ。『今はこんなに衰えてしまった』って。その点アタシは、若いころから容姿に恵まれてなかったから、トシをとっても堂々としたものよ」
 …………。
 いろいろつっこみたいことはあるが、あえて黙す。
 そして母は、さらに言う。

「だからアンタも、大丈夫よ。アタシと同じで、おばさんになってから嘆かずにすむわ」

 そう来ますか!!
 わるかったわね、ブスで!!

          ☆

 ところで、『零〜赤い蝶〜』めちゃくちゃこわいです。
 たいていのホラーじゃ動じないわたしが、震えまくってます。
 つーか、もう真夜中にはやらない。こわすぎ。
 桐生家ではマジ悲鳴あげた……。

 『SIREN』とちがって『零』は易しいゲーム。誰でもプレイできる。アクションは易しいし、謎も決して難解じゃない。ヒントをくれるシステムもあるし、つまづいて先へ進めない、なんてことがないように作られている。ゲームとしてはとても間口が広い。心霊写真のコンプリートなど、クリア後のやりこみ要素は別にちゃんとあるし、広く深く遊べるゲームだ。
 『SIREN』は「1ヶ月かけても終わらないかも」と絶望したけど、『零』は「その気になれば、一晩でクリアできるかも」と思える。
 やろと思えば、とっととクリアできそうなんだ。1プレイにかかる時間なんて、きっと大したことない。
 物理的には。

 精神的に、すごく大変なんだわ……。
 プレイしていると、ゲーム内のキャラクタではなく、わたし自身のHPがじわじわ減っていく気がする。
 ほんの1時間ほどプレイするだけで、ものすごーく消耗する。
 も、いいや。今日はこれぐらいにしておこう。と、スイッチを切ってしまう。

 ああ、こわいー。
 桐生家を歩いてるときなんかね、もーやめたくてやめたくてしょうがなかった。もういやだ、早くここから出たい、安全なところに行きたい。そればっか考えてたよ。
 日本人形、こわすぎ……。振り返るとそこに、女の子の日本人形が無言で立っている……。小さな子どもの霊が笑いながら走り去る。誰もいない部屋に「ころさないで」のすすり泣き。どこかから聞こえる足音、ふすまの閉まる音。人形だらけの部屋、そしてその人形たちは全部一点を凝視している……。「首吊り人形の間」なんて、こわくてこわくて、二度と入りたくなかったよ。中ボスとのバトルフィールドだったから、否応なく再度入るはめになったが。

 今は立花家。押入の中にいる泣いてる女の子の霊とえんえん戦ってる……。押入や戸棚から出てくるなよー。こわいじゃんかよー。高床座敷の鈴の音と女の子の泣き声はこわかったよ。この下に誰かいる、って、誰だよ。畳だよ、ふつーの部屋だよ、下にいるって言ったら霊しかないじゃん。納戸もこわかったよ。「たすけて」「たすけて」って、女の子のすすり泣きが聞こえて、入ってみても誰もいない。なにごともない。で、カメラのファインダーをのぞくと。壁一面に「タスケテ」の文字がびっしり! ここここわいってばーっ。

 『零』は易しいゲーム。ゲームが苦手な人も初心者も、誰でもクリアできる難易度。
 しかし。
 このゲームの真の難易度は、ゲームとはべつのところにある。
 これだけこわかったら、人を選びまくるよなあ。

 でも、『零』は美しいよ。
 真におそろしいものは、美しいものでもあるのだと思う。
 一面の死体なかで、狂気の哄笑に身をよじる血まみれの白い着物の少女だとか。
 血ぬられた儀式に集まる顔を隠した神官たち、オブジェのように吊られた生贄だとか。
 それは、凄惨な美しさ。

 わたしは『零』が大好きだけど……萌えはないんだよなあ。
 萌えたのは、『SIREN』の方。
 未だに弟と『SIREN』の話ばっかりしてる。赤い水とはなんだったのか、キャラたちの語られていない背景の謎、どこがどーしてどうなって……話題は尽きない。
 『SIREN』はパロ小説とかやりたい媒体だよなあ。穴がいっぱいあいてるから、そこを自己流に補完したい。キャラもみんないいしなあ。
 宮田くん(無敵のダークヒーロー、汚れ役上等の青年医師27歳)が好きだけど、その双子の兄、牧野(呼び捨てだ、こんな奴。ゲーム中最弱のヘタレ男、求導師27歳)も好きさ。
 普段のかっこよさと最後のギャップが素敵な竹内教授(ニヒルな民俗学者、何故か拳銃標準装備の34歳)も好き。ツッコミ最高の眼鏡っ娘・依子(竹内先生の金魚のフン。先生ラヴでどこまでも。金属バットはこの娘のためにある、小うるさい女子大生22歳)も愛しい。
 須田少年(ふつーの高校生。いちおー主人公16歳)も、クライマックスの盛り上がりがすごかったしな。志村(猟銃じじい。しぶいぞかっこいいぞ、わけわかんないぞ。走る姿がプリチーな70歳)もいいキャラだー。

 星組で配役するなら(星組かいっ・笑)、宮田くん主役に書き直して、宮田@ワタル、八尾@檀ちゃんで見たいなあ。

 宮田司郎@ワタル…白衣萌え。「さすが双子だな、死に顔も同じだ」(双子姉妹を顔色ひとつ変えずに殺害)とか、「しつこい女だな」(自分が殺した女が屍人として復活してきたのに対して)とかの超クール台詞を言って欲しい……。
 八尾比沙子@檀ちゃん…永遠の時を生きる暗黒の聖女。慈愛の微笑みが美しくもおそろしい……。
 須田恭也@トウコ…ふつーの少年だが、美耶子を守るために戦い、成長していく様をセンシティヴに演じて欲しい。最後の「三十三人殺し事件再現」なんかはもー、超かっこいいでしょう。
 竹内多聞@ケロ…フェロモン中年といえば、コレしかないかと(笑)。ニヒルにかっこよく。でも最後は思い切りヘタレに(笑)。
 牧野慶@しいちゃん…ワタルと双子の役といえば、体格的にこの人しか……。心優しきヘタレ男萌え。
 神代美耶子@うめちゃん…謎の盲目の美少女。華奢ではかなげな外見と反対に、命令形で話す超強気な女の子。少女と少年の中間のような魅力を是非。
 安野依子@……かのちか……? 現代っ子だから、かのちかでもできるか。無神経で押しつけがましい、一見うざい女。でもその明るさは救い。おばかにかわいらしく演じてもらえれば、それでいいかと。

 牧野はケロで見たい気もするが、それだと最後宮田と牧野が「入れ替わる」のは不可能だしな。
 竹内と須田少年は接点があるから、ケロ×トウコ的にもおいしいし。中年ケロと少年トウコ……萌え(笑)。

 あー、妄想配役はたのしいなあ。
 誰にも邪魔されない、自分だけの世界(笑)。

 冬コミ、『SIREN』本あるかなあ(いや、ヅカじゃなくて)。

         
 そうそう、月組新人公演、行ってきました。

 新公主役から受ける印象ってのは、本役さんの持ち味によってこうも左右されるモノなのか、と感慨深いほっくん主演。

 その昔、轟サマが新公をやっていたころ。
 あのころはまだ、天下のカリンチョさんが三枚目一直線のときじゃった。
 主役がドタバタ系の三枚目。
 物語はもちろんコメディ。
 ……なんとも痛々しい新人公演だった。
 三枚目ってのはね、コメディってのはね、真に実力がなければスベるものなのよ。
 コメディに向いている役者ならともかく、アンドロイドのよーな美貌の持ち主だったトド様がドタコメをやるのは……いやはや。
 トド様、がんばってたよ。
 表情の乏しい彫刻のよーなお顔を盛大に変化させ、テンション上げきって三枚目に徹していた。
 もともと引き出しも狭いわ、演技も歌もまだまだだわ、な若手時代に、実力派のカリンチョさんの、しかも三枚目役ばっかやってたんだもんなあ。
 トド様の演じる三枚目は、「美形がやるからこそおかしい」キャラになっており、カリンチョさんのよーな、正当派のかっこいい三枚目には到底届いてなかった。
 本公演(とくにショー)でアンドロイド張りのクールビューティー・トド様を見ているだけに、新公のギャップは凄まじかった……。
 かわいかったけどね。粉骨砕身、体当たりのコメディ。
 それでも、最後の新公で真の二枚目役、『華麗なるギャツビー』のギャツビー役が回ってきたときは心底よろこんだもの……ああ、はじめて二枚目の役が見られる、と。

 カリンチョさんはそのあと、重厚なシリアス路線まっしぐらになったので、トド様のあとに新公主役を務めたタータンはカラーぴったり、ギャップに苦しむことはなかったと思う。

 そのタータンがトップ時代に新公を演じたすずみんは、これまたカラーがぴったり、違和感なし。
 むしろ、本役より若い分だけさわやかに映ったなあ。
 すずみんの新公主役ぶりがハマっていたのは、本役がタータンだった、というのも大きいだろう。

 ほっくんもね、本役がタータンだったら、きっとこんなに違和感ないよね。

 よりによって、リカちゃんだもんなあ……本役。
 耽美いちばんの華奢でスタイルよくってお人形さんみたいな人の役を……やらなきゃいけないんだもん。
 気の毒だよね?
 あまりにも、持ち味がちがいすぎて。

 と、前回の新公に引き続き実感しました。

 ビジュアル、きっつー……。

 オムニバス形式の物語だったため、「人」ではなく「役」で新公配役が割り振られていたので、これまたいろんな味を楽しめました。
 たとえば、きりやんが演じていたルイ14世とクリフォードをべつべつの子が演じる、というふうに。本公演で一人二役をたのしんだものを、今度はまったく別の役としてたのしめる。
 なかなかお得な公演。

 全シーンではなく抜粋なので、突然舞台中央で眠っているジェニファー@あいちゃんを囲み、影たちのダンス、そしてフランシス@ほっくん登場。

 うわ、歌からなんだ。

 新鮮なおどろき。
 フランシスの独唱からはじまるんだ、この舞台。

 ……うまいし。
 さすがほっくん、歌うまいー。
 ビジュアルの苦しさを吹っ飛ばしてくれる歌唱力。
 そうか、こーゆー歌だったのか……(笑)。
 リカちゃん、歌はアレだからなあ。声が好きだから、歌唱力なんかあまり気にしてないんだけど。
 歌からはじまるのは、ポイント高いよね、ほっくん。

 とまあ、あちこち新公ならではの発見と感動を味わいつつ。

 わたしはやはり、美しい人を見たいなあ、と、思っていた……。

 これはもう、趣味の問題だから。
 センターには美形がいてほしい。
 きらきらした華のある人がいてほしい。
 これぞタカラヅカのスター!! てな人が欲しい。

 とはいえ。
 花組の新公観て、「きれいで華があってきらきらしているのはいいけど、やっぱ実力もある程度は欲しいよな」と心底思ったよな……みつるくん。
 去年の雪組の新公でも思ったよな、壮くん。

 美しければいいってもんじゃないよなあ。
 このさじ加減が難しいよなあ。
 てゆーか、どうして両方兼ね備えた人は少ないのよー。

 ほっくんが王子様みたいな美貌の持ち主なら、なにも言うことはないのに!!

 うまっかったよ、ほっくん。歌もダンスも演技も。
 リカちゃんの役でなければ、きっともっと完璧だったんだろうなあ。役のカラーで、割を食ってるんだろうなあ。

 わたし的にはほっくんって、このままいいオヤジ俳優に育って欲しい人なんだけど。うまいんだからさー。
 フリルのブラウスの美青年役は、やめた方がいいと思うんだ……。

 それにしても、主要男役キャラが地味な人たちで固められた新公じゃった。
 コスチュームプレイと軍服とスーツものの3本立てだったのに、全体に漂う地味さは、本公演とまったく別の芝居を見ているかのよう。
 華やかで目を惹く人たちは脇役。……こうやって下積みを経て、うまくなっていくってことかな。

 地味だけど堅実に、小さくまとまって終演。

 えーっと……こーゆーのを、「新公らしい新公」って言うのかなあ?
 なんつーか……小さくまとまりすぎていて、つまんない新公だったというか。ゲフンゲフン。

 収穫は、るいちゃんの大人の女役。
 本役まゆみ姐さんの男爵夫人を演じたるいちゃんは、セクシーでかっこよかった。
 なんだ、大人の女役できるんじゃん! てゆーか、アニメ声以外も出るんじゃん!
 彼女もまた、本役の割を食ってきた人だよなあ。今までずーっと、くららちゃんの役だったんだもんなあ。大人の女の役をやらせてもらえていれば、きっとまたちがったイメージや評価を得られたんだろうに。

 真咲くんの美しさ、ひろみちゃんとみりおくんのかわいらしさを堪能しました。
 しかしみりおくん、役付いいよねえ。歌は手に汗握っちゃったけど(笑)。

 娘役さんたちはきれいで、見ていてたのしかったっす。
 あいちゃん、スタイルいいなー。
 たまこちゃん、おときっちゃん、『血と砂』娘たちが華やかなのはうれしいなあ。
 あと、モデル役の夢咲ねねちゃんがボンバーですごかった……。WHITEちゃんは「あの子、男役?」って真顔で聞いてくるし(笑)。

 来年の新公は、どうなってるのかな。

 
 星組バウホール公演『巌流』観劇。
 作・演出・齋藤吉正、主演・安蘭けい。

 いつもならなにがなんでも初日にこだわるのだが、第九の本番だったのでスルー。
 てなわけで、2日目にいそいそ行ってきました。

 チケ取り、がんばったなあ。
 ここ数年でいちばんがんばったよ。ここまでがんばったのって、『血と砂』以来かなあ。

 観終わったあと印象的だったのが、友人のチェリさんの言葉。
「さばきが出てたら買おうと思って」
 とわたしが言ったら、彼女は真顔で、
「さばきを探すんですか? コレを? 緑野さん、『ヴィンターガルテン』は観たあとにチケットさばいたんですよね?」
 と、言った。

 ……すみません。『ヴィンターガルテン』はたしかに、観終わったあと速攻チケットさばきました。
「こんなもん、もう観たくねえよっ」
 と。

 『ヴィンターガルテン』はさばいたけど、『巌流』はさばきを探しました。
 す、すみません。たしかに言動が一致してないっすね。
 『ヴィンターガルテン』ほどじゃないにしろ、『巌流』もレベル低い作品です。
「ふざけんな、こんな作品のチケットなんて、もういらねーよっ」
 と、わたしが言ったとしてもおかしくないです。チェリさんが指摘したのはそのことだと思う。Aを駄作と言った人間が、Aと似たりよったりの作品を駄作と言わないことに、おどろいたのでせう。

 わたしの採点が甘甘なのはひとえに、出演者への愛ゆえです……(笑)。

 もっとも、いくら出演者を愛していても、『ヴィンターガルテン』だったらやはり、チケットをさばいていたと思うけど。

 『ヴィンターガルテン』のように嫌悪感を持つほどひどくはないです、『巌流』。

 しかし……誉めることもできやしねえ……。こまった……。

 『巌流−散りゆきし花の舞−』はタイトル通り、佐々木小次郎を主人公にした物語。
 悲劇の天才剣士の物語。愛に傷つき、孤独を背負い、剣に生き剣に死んだ男の物語。

 この作品の感想をひとことで言うなら、

「つまらない作品」

 です。
 残念ながら。
 主演ふたりを好きでないなら、べつに無理して観なくてもいいと思う。チケットがあるなら1回観る分にはいいと思う。でも、リピートする必要はないでしょう。てなレベル。

 わたしがいちばんおどろいたのは、この作品が「ただ、つまらない」こと。
 だって作者、齋藤くんだよ? あの斎藤くんが、ふつーの作家みたいに「つまらないだけの作品」を書くなんて。

 斎藤吉正というクリエイターは、「つまらないだけの作品」は書かないのです。

 彼の失敗作は「ぶっ壊れきってて作品としての体裁すらない」くらいものすごいもんなのです。
 そのかわり、「つまらなくはない」の。
 ある意味おもしろいの。萌えがあるの。

 おもしろいけど、壊れてて不愉快。
 萌えるけど、失敗作。

 そーゆー、希有な才能を持った作家なんだ。

 世の中にいる作家の多くは、「そこそこの出来のものを創るけれど、おもしろくない」だとか、「破綻はないけど、萌えもない」てな作品をなんとなーく産出している。
 いつもいつも平均点。悪くないからいいよね? みたいな。

 斎藤くんのような、「壊れきってるけど魅力的」な作品を書く作家はめずらしいんだ。

 ふつーは、「壊れきってる」「物語として成立しないくらいめちゃくちゃ」な段階で、プロデビューできてないだろーしな(笑)。

 そんな斎藤くんが、世の中のふつーの作家みたいに、「壊れてないけど、たんにつまらない」モノを創るなんてっ。
 そんなの、斎藤くんじゃないわーっ(笑)。

 たしかに『ヴィンターガルテン』はひどかったさ。ここまで壊れていて、おかしいと自分で思わないのか? 客観性皆無なのか? 筋を組み立てる能力がないのか? などと失礼なことをいろいろ考えたよ。
 だけど……。
 壊れてなきゃいいってもんでも、ないよなあ。
 しみじみ。
 『ヴィンターガルテン』ほど壊れるのは勘弁だけど、『花恋吹雪』くらいは壊れてくれてもよかったのに。
 おもしろければ。

 そう。
 おもしろかったら、OKだったのよ。
 『花恋』も『血と砂』も、壊れてたけどおもしろかった。萌えがあった。

 壊れてない代わりにつまらなくなるくらいなら、壊れててもおもしろいものが観たかったよ。

 わたしは、焼き直し作家は嫌いだけど、ひとつのものしか描けない作家、はべつにキライじゃないんだ。
 ひとつのテーマだけをライフワークとして描き続ける。
 そーゆーのはアリだと思う。

 斎藤くんは、ひとつのものしか描けない作家、だよね?

 今のところ彼は、同じ話しか描いていない。
 彼のリビドーは実に明快に、ひとつの方向だけを示している。
 ソレを描くためだけに、彼はクリエイターになったのだろう。

 繊細な主人公は、生身の女との愛に傷つく。そして、聖母に抱かれ癒される。だが聖母との愛は、現実の恋愛でも性愛でもない。
 主人公は才能豊かで、誰からも愛されるのに、心に孤独を秘めている。
 主人公は親の愛に飢えている。
 主人公には、彼を愛し同じ熱さで憎む男がいる。
 主人公は悲劇的な最期を、これ以上なく美しく迎える。

 とまあ、設定は同じであっても、チガウ話を描くことは可能だ。同じ設定でチガウ話を、一生書き続けることも可能だ。
 『水戸黄門』が同じテーマで4桁ものストーリーがあるようにな。

 だから斎藤くんは斎藤くんのままでいい。
 ひとつのテーマを追求しつづけてくれ。
 それが好きな人は何度でも同じ話を新作としてたのしむだろうし、嫌な人は二度と観ないだけだから。

 わたしは彼の描くテーマが好きなので、何度でも観たいクチだ。
 そーいや夢枕貘の作品も、テーマは全部同じだけど、そのテーマが好きで好きでしょーがないから、どの作品もがーがー泣きながら読んでたなあ。
 そんなふうに、惹きつけられるモノって、あるよ。

 そう割り切っているので、『巌流』が過去の齋藤作品の焼き直しであったとしても、わたしのマイナス評価対象にはならない。
 わかってるよ、斎藤くんがソレしか描けないことは。だからソレはどーでもいい。

 問題は、彼のライフワーク、彼のリビドーが正しく表現されていなかったこと。

 なんでこんなことになっちゃったの?

 いちばんの敗因は、「W主演作ではなかった」ってことだと思う。

 齋藤作品の主人公は、女との愛に傷つき、最終的に男との愛を選ばなければならない。
 男との愛、てのはべつに、恋愛とは限らない。
 日常や生活と結びつかない愛、であればそれでいいわけだから。
 生身の女との愛に破れ、行きつくところなわけだから。
 同性にそこまで愛される(同義語「憎まれる」)ことが、主人公のすばらしさを表現しているのであり、作者の萌えポイントなんだろう。

 『巌流』では、生身の女との愛に破れ、聖母に癒される……までは描いてある。
 ただ、物語のオチの部分、収束部分であるところの「最終的に男との愛を選ぶ」を描き切れていないんだ。

 よーするに、主人公・小次郎の運命の相手、武蔵を描きそこなったってことだ。

 文字数足りないので、次の欄へつづく。

        
 星組バウホール公演『巌流』観劇。
 作・演出・齋藤吉正、主演・安蘭けい。

 いつもならなにがなんでも初日にこだわるのだが、第九の本番だったのでスルー。
 てなわけで、2日目にいそいそ行ってきました。

 チケ取り、がんばったなあ。
 ここ数年でいちばんがんばったよ。ここまでがんばったのって、『血と砂』以来かなあ。

 観終わったあと印象的だったのが、友人のチェリさんの言葉。
「さばきが出てたら買おうと思って」
 とわたしが言ったら、彼女は真顔で、
「さばきを探すんですか? コレを? 緑野さん、『ヴィンターガルテン』は観たあとにチケットさばいたんですよね?」
 と、言った。

 ……すみません。『ヴィンターガルテン』はたしかに、観終わったあと速攻チケットさばきました。
「こんなもん、もう観たくねえよっ」
 と。

 『ヴィンターガルテン』はさばいたけど、『巌流』はさばきを探しました。
 す、すみません。たしかに言動が一致してないっすね。
 『ヴィンターガルテン』ほどじゃないにしろ、『巌流』もレベル低い作品です。
「ふざけんな、こんな作品のチケットなんて、もういらねーよっ」
 と、わたしが言ったとしてもおかしくないです。チェリさんが指摘したのはそのことだと思う。Aを駄作と言った人間が、Aと似たりよったりの作品を駄作と言わないことに、おどろいたのでせう。

 わたしの採点が甘甘なのはひとえに、出演者への愛ゆえです……(笑)。

 もっとも、いくら出演者を愛していても、『ヴィンターガルテン』だったらやはり、チケットをさばいていたと思うけど。

 『ヴィンターガルテン』のように嫌悪感を持つほどひどくはないです、『巌流』。

 しかし……誉めることもできやしねえ……。こまった……。

 『巌流−散りゆきし花の舞−』はタイトル通り、佐々木小次郎を主人公にした物語。
 悲劇の天才剣士の物語。愛に傷つき、孤独を背負い、剣に生き剣に死んだ男の物語。

 この作品の感想をひとことで言うなら、

「つまらない作品」

 です。
 残念ながら。
 主演ふたりを好きでないなら、べつに無理して観なくてもいいと思う。チケットがあるなら1回観る分にはいいと思う。でも、リピートする必要はないでしょう。てなレベル。

 わたしがいちばんおどろいたのは、この作品が「ただ、つまらない」こと。
 だって作者、齋藤くんだよ? あの斎藤くんが、ふつーの作家みたいに「つまらないだけの作品」を書くなんて。

 斎藤吉正というクリエイターは、「つまらないだけの作品」は書かないのです。

 彼の失敗作は「ぶっ壊れきってて作品としての体裁すらない」くらいものすごいもんなのです。
 そのかわり、「つまらなくはない」の。
 ある意味おもしろいの。萌えがあるの。

 おもしろいけど、壊れてて不愉快。
 萌えるけど、失敗作。

 そーゆー、希有な才能を持った作家なんだ。

 世の中にいる作家の多くは、「そこそこの出来のものを創るけれど、おもしろくない」だとか、「破綻はないけど、萌えもない」てな作品をなんとなーく産出している。
 いつもいつも平均点。悪くないからいいよね? みたいな。

 斎藤くんのような、「壊れきってるけど魅力的」な作品を書く作家はめずらしいんだ。

 ふつーは、「壊れきってる」「物語として成立しないくらいめちゃくちゃ」な段階で、プロデビューできてないだろーしな(笑)。

 そんな斎藤くんが、世の中のふつーの作家みたいに、「壊れてないけど、たんにつまらない」モノを創るなんてっ。
 そんなの、斎藤くんじゃないわーっ(笑)。

 たしかに『ヴィンターガルテン』はひどかったさ。ここまで壊れていて、おかしいと自分で思わないのか? 客観性皆無なのか? 筋を組み立てる能力がないのか? などと失礼なことをいろいろ考えたよ。
 だけど……。
 壊れてなきゃいいってもんでも、ないよなあ。
 しみじみ。
 『ヴィンターガルテン』ほど壊れるのは勘弁だけど、『花恋吹雪』くらいは壊れてくれてもよかったのに。
 おもしろければ。

 そう。
 おもしろかったら、OKだったのよ。
 『花恋』も『血と砂』も、壊れてたけどおもしろかった。萌えがあった。

 壊れてない代わりにつまらなくなるくらいなら、壊れててもおもしろいものが観たかったよ。

 わたしは、焼き直し作家は嫌いだけど、ひとつのものしか描けない作家、はべつにキライじゃないんだ。
 ひとつのテーマだけをライフワークとして描き続ける。
 そーゆーのはアリだと思う。

 斎藤くんは、ひとつのものしか描けない作家、だよね?

 今のところ彼は、同じ話しか描いていない。
 彼のリビドーは実に明快に、ひとつの方向だけを示している。
 ソレを描くためだけに、彼はクリエイターになったのだろう。

 繊細な主人公は、生身の女との愛に傷つく。そして、聖母に抱かれ癒される。だが聖母との愛は、現実の恋愛でも性愛でもない。
 主人公は才能豊かで、誰からも愛されるのに、心に孤独を秘めている。
 主人公は親の愛に飢えている。
 主人公には、彼を愛し同じ熱さで憎む男がいる。
 主人公は悲劇的な最期を、これ以上なく美しく迎える。

 とまあ、設定は同じであっても、チガウ話を描くことは可能だ。同じ設定でチガウ話を、一生書き続けることも可能だ。
 『水戸黄門』が同じテーマで4桁ものストーリーがあるようにな。

 だから斎藤くんは斎藤くんのままでいい。
 ひとつのテーマを追求しつづけてくれ。
 それが好きな人は何度でも同じ話を新作としてたのしむだろうし、嫌な人は二度と観ないだけだから。

 わたしは彼の描くテーマが好きなので、何度でも観たいクチだ。
 そーいや夢枕貘の作品も、テーマは全部同じだけど、そのテーマが好きで好きでしょーがないから、どの作品もがーがー泣きながら読んでたなあ。
 そんなふうに、惹きつけられるモノって、あるよ。

 そう割り切っているので、『巌流』が過去の齋藤作品の焼き直しであったとしても、わたしのマイナス評価対象にはならない。
 わかってるよ、斎藤くんがソレしか描けないことは。だからソレはどーでもいい。

 問題は、彼のライフワーク、彼のリビドーが正しく表現されていなかったこと。

 なんでこんなことになっちゃったの?

 いちばんの敗因は、「W主演作ではなかった」ってことだと思う。

 齋藤作品の主人公は、女との愛に傷つき、最終的に男との愛を選ばなければならない。
 男との愛、てのはべつに、恋愛とは限らない。
 日常や生活と結びつかない愛、であればそれでいいわけだから。
 生身の女との愛に破れ、行きつくところなわけだから。
 同性にそこまで愛される(同義語「憎まれる」)ことが、主人公のすばらしさを表現しているのであり、作者の萌えポイントなんだろう。

 『巌流』では、生身の女との愛に破れ、聖母に癒される……までは描いてある。
 ただ、物語のオチの部分、収束部分であるところの「最終的に男との愛を選ぶ」を描き切れていないんだ。

 よーするに、主人公・小次郎の運命の相手、武蔵を描きそこなったってことだ。

 文字数足りないので、次の欄へつづく。

        
 前日からの続き。

 ジュンに続いて、ユウジまでもが「人魚」……水死体になった。

 愛するユウジを失い、ツグミの狂気はひどくなっていく。

 こんなはずじゃなかった。
 ジュンを失い、ユウジを失い……ツグミにはもう、カツヤしかいない。ツグミはカツヤを愛するしかないんだ。
 なのにツグミは過去を見つめる。もうひとつの人格ジュンになり、ユウジを愛し続ける。
 絶望したカツヤは、さらに決意する。

 ジュンを、殺すことを。

 高校の卒業式の夜。
 ツグミ(ジュン)とカツヤはユウジの分の卒業証書を持って、ある廃校へやってきた。
 ツグミとジュンの通った小学校だ。小さな分校だったのだが、ついに廃校になってしまった。ユウジの卒業式をする、という名目だった。

 そこでカツヤは、ジュンを殺した。
 崖下の磯へ突き落とした。

 ジュン……すなわち、ツグミを。

 愛が欲しかった。
 はじめて会ったときから、ずっと。
 ただただ、彼は彼女の心を求めた。

 人魚姫を信じていた、美しい少女に恋をした。

 求めたのは心なのに、まず躰を蹂躙した。
 それは少年が、大人になろうとしているまさにそのときだったから。

 遺体はあがらなかった。
 ツグミは今も海にいる。

 カツヤは漁師になった。
 ツグミが眠る海で網を投げる。

 人魚を、いつか見つける日が来るかもしれないから。

 廃校となった小学校で、いかにもふつうの美人OLに見えるツグミが『人魚姫』の絵本を眺めている。
 昔好きだった絵本。恋した挿絵の王子様。
 今日は同窓会。
 高校卒業以来会っていない友だちに会うの。
 幼なじみの親友、ジュンちゃん。いつも一緒だったわ。小学校の卒業式の日、一緒におぼれたっけ。あのときあたしたち、人魚に会ったのよね。
 高校のときは、同じ男の子を好きになっちゃって、大変だったわ。
 高校の同級生、ユウジ。ジュンちゃんの片思いの相手。軽薄でおしゃべり、でもかっこいいの。どうしてあの日あたし、彼としちゃったのかなあ。いけないことだって、わかってたのに。
 元カレのカッちゃん。武骨で無口で、でもとびきりやさしい人。やさしすぎるから、それにあたしが甘えて、ダメになっちゃったんだよね……。

 テレビドラマで何度となく目にしたような、そんな関係、シチュエーション。
 ふつうの女の子がふつうに成長して、進学して就職して、経験するふつうの人生。
 ツグミは微笑みながら、回想する。
 自分が決して、得られなかった人生を。回想……想像する。
 たのしかった中学時代、初恋の想い出、友だちがいっぱいいた高校時代、都会でのひとり暮らし、会社と恋とおしゃれと海外旅行、それから、大切な想い出。
「そうね、昔はたのしかったわよねえ。今はだめよお、トシとっちゃったもん。高校卒業して何年? あー、変わっちゃったよねー、あたしもー」
 なつかしい場所で、なつかしい人に再会し、
「変わってないな」
「変わったよ」
 なんて笑って話す。

 彼女がついに一度も、得られなかったもの。

 その日、10年ぶりに遺体があがった。
 「人魚」として、漁船に発見された。

 海で死んだ4人の罪びとたちが、再会した。
 カツヤもまた、ツグミの遺体を探す人生のなかで命を落としていた。

 子どものまま死んだジュンは、汚れを知らぬまま高校生の少女の姿をしている。
 無邪気にやさしく寛大に、慈悲にあふれた笑顔でツグミを抱く。
 ツグミが求めたままの姿。
 「少女」という永遠。
 大人の姿をした、汚れたツグミを抱きしめる。

 卒業式の日、人魚を求めた4人の少年少女たち。
 子どもの時間の終わり。
 有限の楽園をあとにし、性を持たない聖なる生き物から、汚濁を背負った大人へ。

 人魚に会いたかった。
 人魚に会いたかった。
 人魚になりたかった。

 破り捨てた最後のページ。
 泡になって消えていく人魚姫。

 いま、にんぎょたちがひかりのなかへかえってゆく。

          ☆

 てな。
 長々と自分のための私感『人魚姫』。
 解釈が正しいかどうかなんぞ、知りません。わたしはこう思いたいから思っておくのだ。

 芝居としては、

1.同窓会。大人になったツグミ、ジュン、ユウジ、カツヤが廃校に集まる。
2.一見仲良しグループ。しかしほんとは、恋愛関係でドロドロしていたことが明らかになる。
3.ジュンがもう死んでいることが発覚。(でも舞台上にはちゃんといる=つまり幽霊)
4.ジュンは高校の卒業式の夜、この廃校で死んだ。殺したのはツグミ?
5.ユウジがもう死んでいることが発覚。(でも舞台上にはちゃんといる=つまり幽霊)
6.ユウジの死が、ジュンの自殺の原因?
7.ジュンは小学校の卒業式の日に死んでいた。殺したのはツグミ?
8.高校時代のエピソードは全部ツグミの妄想。
9.狂っていた高校時代のツグミを、それでもカツヤは愛していた。
10.だがツグミはユウジを愛した。ジュンという別人格を借りて。
11.カツヤ、ユウジ殺害を自供。ツグミへの愛ゆえに。
12.カツヤ、ツグミ殺害を自供。“4”はそのままツグミのこと。
13.ツグミ、カツヤともに死亡を自覚。(舞台上にいるのは幽霊)
14.カツヤの自供により、4人が高校以前に出会っていたことがわかる。
15.カツヤは小学校の卒業式の日に、ツグミをレイプしていた。
16.すべては、人魚のミイラを見に行った12歳のあの日に起因しているのだとわかる。
17.ずっとなくなっていた、『人魚姫』の絵本の最後のページがツグミの手に戻る。
18.ジュン、ユウジ、カツヤの順に昇天していく。
19.光の中で、ツグミが微笑む。

 という流れだから。
 時系列、めちゃくちゃ。
 わざと事実を伏せて、ミスリードさせて、ミステリにしてあるんだよねえ。
 アンフェアぎりぎりの叙述トリック。地の文に嘘がある。なんつっても、ツグミの一人称みたいなもんだから。

 なんとも救いがなく、痛い物語。
 ラストは美しいんだけど……そこにたどりつくまでが、痛い痛い痛い。
 こころの奥にあるやわらかいものを、ぐさぐさと傷つけられる感じ。

 オギーはヅカ以外だと露骨に「セックス」を題材に持ってくるね。『左目の恋』もそうだったけど。
 すみれコードゆえに描けないモノを、こうやって描いてくれるのはありがたい。
 女の子が主役ってのも、ヅカではできないことだしね。

 オギーの現代物を見たのは、はじめてだ。考えてみれば。
 ……ちょっと、笑った。
 だってさ、ものすごーく言葉遣い、がんばってるんだもの。
 「現代の若者っぽい言葉遣い」にしようと、そりゃーもー、ものすげーがんばってる。
 でもさ、やりすぎ(笑)。
 かえって嘘くさいってゆーか、耳障り。
 「みたく」とか「てゆーか」とか、全員が連呼するのよせ。軽薄なユウジとか、ふつうの女の子っぽいことにこだわっているツグミとかならまだいいけど、武骨なあんちゃんのカツヤだとか、子どものままのジュンにまで言わせるのはよせ。
 クドカンをめざす必要はないんだからさー。舞台上でさえ「現代らしく」あれば、いつものオギーらしい日本語でもいいと思うんだけどなあ。

 いやいや。
 オギーの現代日本物。オギーのストレートプレイ。
 ヅカでは見られないだけに、いいもん見ました。

 文字数足りないので、次の欄につづく。

       
「桔平を見に行こう」
 というのが、わたしとWHITEちゃんの合い言葉だった。
 映画『g@me』。
 監督・井坂聡、出演・藤木直人、仲間由紀恵。

 なんでも予告編で、ちらりと椎名桔平の顔を見たんだって。
 でも、どの宣伝を見ても桔平の名はない。桔平クラスの俳優なら、出演していれば名前は出て当然だろうに、何故どこにも載ってない?
 先に見たというWHITEちゃんの友人は言った。「まあ、見てみるといいわ」と。
 桔平ファンなら見てもいいような役だってこと? なのに名前も出てこないと? 
 その謎を解くためにも、わたしとWHITEちゃんは映画館に向かった。

 桔平はたしかに出ていました。
 なんと、椎名桔平役で。

 まあ、それはさておき。
 映画『g@me』。
 見終わるなり、わたしはWHITEちゃんに聞きました。

「藤木直人と石橋凌、どっちが受?」

 WHITEちゃんは少し考えたあと、

「石橋凌?」

 と、答えました。
 やっぱり? やっぱり石橋凌が受だよね?(笑)

 なにがおどろいたって。
 この映画が、藤木直人と石橋凌のラブストーリーだったことよ(笑)。

 凄腕クリエイターの佐久間@藤木直人は、クライアントの葛城@石橋凌のために突然仕事から降ろされた。プライドを傷つけられた佐久間は復讐を企てる。家出してきた葛城の娘・樹理@仲間由紀恵と共謀して、狂言誘拐をでっちあげ、3億円を奪ったのだ。
 金を山分けし、なにもかもうまくいったはずなのに、樹理の他殺死体が発見され、警察は誘拐殺人事件として捜査をはじめた……。
 騙し騙され、物語はどこへ行くのか。

 いちおー表向きは、共犯関係にある佐久間と樹理が恋に落ちることになっている。ラブ・サスペンスってとこ?
 しかし……。

 佐久間、樹理を愛しているよーにはかけらも見えなかったぞ??
 藤木直人の問題なのかもしれんが。とりあえず、佐久間が樹理を愛しているとは思えなかった。

 樹理を愛していないのに、彼女を愛しているような言動をとっているとすれば、他に理由があると考えるしかないだろう。
 つまり、彼女の父親、葛城。

 そもそもこの物語は、佐久間と葛城が出会うことからはじまる。
 ふたりの男が運命の出会いをし、戦うことを目的としている。
 相手に勝ち、自分の力を認めさせる。それが男たちの原動力だ。
 佐久間は、葛城に自分の能力を否定された。それがゆるせなかった。葛城をぎゃふんと言わせたかった。
 金が欲しかったわけじゃない。彼が欲しかったのは、あくまでも葛城なんだ。
 その証拠に、せっかく手に入れた3億円は、使う気もなく樹理にくれやっている。樹理に興味を持ったのも、彼女を抱いたのも、葛城の娘だからでしょ? ただの小娘なら、なんの興味もなかったよねえ?
 葛城も、負けていない。完全勝利を目指すしかないゲームの「コマ」として、佐久間を選んだ。佐久間が優秀な男であること、しかし自分が御せることを前提として選んだ。他の誰でもなく、佐久間を。わざわざ会いに来たりして。

 仲間由紀恵の存在は、ほんと言い訳でしかないねえ。
 この女がまた、うざいバカ女だったりするからさあ。
 いい男ふたりの戦いの真ん中で「わたしのために争わないでぇ♪」と勘違いして歌っているバカ女。
 男たちが戦っているのは、自分たちのためだってば。戦うことで、愛情を確かめあってるんだってば。あんたのためじゃないよ。

 石橋凌のねっとりとしたいやらしさと、藤木王子(わたしとWHITEちゃんはこう呼んでいる)の焦点のあっていないかのよーな白痴美がいい感じですな。王子は王子たるゆえんで、なにをやってもアタマよさそうには見えないんだけど、まあそこはそれ、気にしないで見ました(笑)。
 あまりにヒロインの仲間由紀恵を無視して男ふたりでラブラブだから、あせっちゃったよ。いやあ、えらい映画でした。
 王子×石橋でもOKな強者は、ぜひごらんあれ。

 仲間由紀恵は……とりあえず、服のセンスがものすごいです。
 似合わねえ……。
 やっぱジャージとかカーディガンにロンスカとかの方が似合うよなあ。
 広末がやっていたらハマっただろうな、というよーな、エキセントリックな美少女役。男が描く物語に5万回くらい出てくるタイプの女。

 最後に、椎名桔平。
 椎名桔平役の椎名桔平。
 たぶんこれ、「隠しキャラ」ってやつよね。桔平の名をわざと宣伝に使っていないわけだから。
 狂言誘拐のシミュレーションをするとき、「警視庁から誘拐専門の凄腕の捜査官が派遣される……たとえば、椎名桔平みたいな」ということで、椎名桔平が登場するのさ。いかにも「切れ者!」って感じで。
 あくまでも、佐久間と樹理の想像の中だけの役。
 だから、これでもかッ、とかっこいいのだ、椎名桔平(笑)。いやあ、いい感じだー。
 しかしWHITEちゃん、よくぞこんなちょい役の特別出演を見つけたねえ。さすがファンはちがうわ。

 
 彼の耳には、どう聞こえているのだろうか。

 「1万人の第九」練習もクライマックス。
 佐渡裕先生の特別レッスン日なり。
 なつかしの中之島中央公会堂で、1000人規模で練習をする。

 なんでなつかしかというと、中央公会堂にはその昔、毎週通っていたからだ。
 同人誌即売会があったの。毎週(笑)。
 若いころはすごい情熱で早朝から並んでたなあ。
 今ではもう、地方の小さなイベントには行かなくなった。コミケに遊びに行くだけ。

 改築された中央公会堂は、たたずまいは昔のまま、とても新しくきれいになってました。これは正しい改築だね。大正時代に建てられたというこの美しい西洋建築は、保護するべきだよ。
 地下の喫茶店も、めちゃお洒落になってたし。あの雰囲気で、おいしいケーキセットが税込み700円ですよ。すばらしい。

 そんなこんなで、合同練習。
 第九の練習は好きだし、他の先生もたのしいのだけど、やっぱり佐渡先生はまた少し、ちがうんだ。
 存在にパワーのある人だ。

 ここ数日で、1000人単位の練習会を何回もつづけてやっているはず。
 登場してきたときすでに、彼は疲労の色が濃かった。

 彼の耳には、どう聞こえているのだろう。

 わたしたち素人の歌声は。

 彼は一流のオーケストラや合唱団と仕事をしているはずだ。天才たちと同じ舞台に立つ、彼自身が豊かな才能を持つ人だ。
 そんな人の耳に、わたしたちの歌はどう響いているのだろう。

 たとえばわたしは、文章の下手な人が苦手だ。
 基本からしてできていない、読めない文章を見ると、イライラする。うまい下手とは別に、センスのない文章を見ても、辟易する。
 自分の実力はさておき、他人の粗は気になるんだ。

 佐渡先生から見れば、わたしたちの歌なんて、「てにをは」の使い方もわかっていない読めない文章みたいなもんなんだろうなと思う。
 疲労の濃い彼は、イライラと腕を振る。
 だめだめ、やり直し。そこはそうじゃない。

 何度やったところで、彼が満足するレベルになんか、到達するはずがない。それがわかっているから彼も、不満そうなままレッスンをすすめていく。

 不満なら、素人となんか組まなければいい。
 いくらもらえるのか知らないけど、そんなに必死になって指導なんかしなければいい。仕事なんか、いくらでも選べる立場でしょう?

 わたしは、佐渡先生が「1万人の第九」に初参加した年から、参加している。
 だから最初の年の佐渡先生が、どれほどきらきらしていたかを知っている。
 最初佐渡先生は、期待にきらきらしていた。「1万人で第九を歌う。なんてすばらしいんだ」と。
 やる気も満々。「おれはやるぜ。おれが変えてやるぜ」と意欲に燃えていた。
 2年目までは、まだそんな感じだった。
 しかし、3年目になると。
 佐渡先生は明らかに、落胆していた。
 たぶん、自分が思っていたほどすばらしい世界でもなかったんだろう。「1万人で第九を歌う」ってことは。
 素人合唱団なんてタカがしれているし、そんな連中が1万人も集まったら、収拾がつかなくなるだけだ。へたっぴがよけいへたっぴになるだけだ。
 なげやりだった3年目。1万人の素人になんか目もくれず、自分の友だちをステージに呼んで、自分たちだけたのしそうに演奏していた。
 少し持ち直したのが、4年目。
 1万人の素人には、やはりアマチュアの楽団を。
 関西を中心とした学生たちを集めて、オーケストラを結成した。そして、世界トップクラスの演奏者たちを助っ人として召喚。
 野球で言ったら、高校球児がメジャーリーグの大選手と練習試合をさせてもらうようなもん? 学生たちにとっては、またとない機会だろう。このアイディアはすばらしい。
 1万人の素人合唱団に対しても、前年より力を入れて指導していた。オケがアマだからかな? と思っていたら、音大卒のキティちゃんは言い捨てる。
「助っ人の演奏者たちに対しての面子でしょ」
 なるほど。あまりにレベルが低すぎると、佐渡先生の面子が立たないのか。
 まあなんにせよ、まだマシだったのが4年目。

 そして、今年。
 今年もまた、学生たちと海外からの助っ人でオーケストラを結成するらしい。最初は新しいことにこだわっていたはずの佐渡先生だが、同じことの繰り返しに甘んじている。仕方ないのかもしれない。
 3年目のときの、佐渡先生のやる気のなさを目の当たりにしているので、わたしと友人たちは「来年も佐渡先生かな?」と毎回不安に思っている。いつ指揮者が交代しても、不思議じゃないからな。
 どれだけやっても、所詮わたしたちは素人。音楽で食べていく人じゃない。佐渡先生の納得する合唱ができるはずがない。
 だからこそ、考える。
 彼の耳には、どう聞こえているのだう。
 うんざりしているのかな。どんなに自分が熱意を持って指導しても、箸にも棒にも掛からない出来だから。

 疲労も濃いし、熱意にも欠ける。
 そんな感じではじまった、合同練習。

 それでも。

 それでも、佐渡先生は熱くなる。
 わたしたちになんか期待していないだろうに、指導しているうちに必死になっていく。
 ベートーベンはすばらしいんだ。第九はすばらしいんだ。汗をかき、つばを飛ばしながら熱弁する。指導する。

 ほんとに、好きなんだなあ。

 好きだからこそ、わたしたちの低レベルさがゆるせないし、好きだからこそ、わたしたちにもそれのすばらしさを知ってほしいんだ。
 仕事だというだけなら、お金というだけなら、たぶんもっと、他にやるべきことがあるよね。
 苛立ちながらも「1万人の第九」の指揮をするのは、やっぱり「なにか」あるんだろうな。物理的な損得だけじゃない、なにか。
 それゆえに彼は、熱くなる。

 それゆえにわたしは、やっぱり佐渡裕という人が好きだ。

 苛立ちや不満が、けっこー丸わかりなあたり、アーティストであってふつーの社会人じゃないっぽいところとか、それでもなお、好きなものを好きなままあがいているところとか。
 彼の強いオーラが、伝わってくる。
 たったひとりで、1000人の人を相手にこれだけオーラを出し続けて、1日に何度もこの人数のレッスンをして。
 その並大抵じゃない強さに惹かれる。

 すごい人だよ。

 それに、なんだかんだいっておもしろいしね。佐渡先生のレッスン。
 恒例の肩組み(マーチの部分を歌うとき、男たちは全員で肩を組んで左右に揺れながら歌うんだ。佐渡先生名物)をする姿を眺めながら、ああ1年経ったんだなあ、と実感した。
 
 『マトリックス』に縁がない……。

 じつは、『マト・リロ』は見てないんだよね。
 わたしは映画は映画館で見たものしかカウントしないので、家でテレビだのビデオだので見たものは「映画を見た」とは思っていない。だもんで『マトリックス』の2本目、『マトリックス・リローデッド』は「見た」うちに入れてない。
 2本目はうっかり見そびれちゃったけど、気を取り直して3本目は見に行こうかと思っていたのに。

 またしても、行けなかった。

 朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
 あまりの、気分の悪さに。

 わたしは頭痛持ちなので、頭痛自体はめずらしくない。鎮痛剤片手にのんきに生きている。
 だが時折、理性を失いそうになるほどの激痛に見舞われることがある。寝転がってのたうち回る系のやつね。
 朝起きたら、ひさびさにソレ系だったんだわ。
 いちばんひどいレベルじゃなかったから、まだ正気で、メールを打つことができたのが幸い。ドタキャンです、許してWHITEちゃん。
 胃袋が空だろうととにかく薬。服用基準無視して薬浸けになって、なんとか午後から復活。
 あー、消耗した。

 もちろん、母には叱られまくりましたよ。
「ドタキャンなんて最低なことをしたの? アンタの友だちに同情するわ」
 親の家に行ったのは、だいぶ回復してからだったので、まだマシ。なにを言われても耐えられる。ドタキャンが最低なのは事実だしな。

 いつだったか、あまりの痛みに理性を失い、親の家に逃げ込んだことがあった。やはり早朝だった。ふつーに眠っていたのに、頭痛で目を覚ましたんだ。どうも、寝ているうちに発病するらしいな。
 ひとりで耐えるのが限界で、不安で、家族に助けを求めたんだ。
 うめきながらのたうち回るわたしを見おろして、パジャマ姿の母は言った。
「それでアンタは、どうして欲しいの? 救急車を呼べば満足なの? アタシは今日、友だちと遊びに行く約束してるのに」
 えーと。
「アタシは医者じゃないから、わざわざうちに来て苦しがられてもこまるわ」
 そ、その通りなんですが……。
 そのときから、心に誓っている。どれだけ苦しくても、親の家には行かない、と。治ってからでないと、説教されるのは堪える。
「アンタのせいで、友だちと遊びに行けなくなったわ。ドタキャンするはめになったわ。えらい迷惑よ」
 と、その日1日、責められつづけたしな。べつに遊びに行ってくれてもよかったし、母はそのつもりだったらしいのだが、その友人がわたしを心配して「娘さんについていてあげて」と身を引いてくれたらしい。
 ほんと、母についていてもらっても、あまり意味はないしな。医者じゃないもんな。説教される分、消耗するしな。
 もうどんな激痛に神経がまいっても、親にだけは頼るまい。友だちに電話した方が、助けてくれそうだ。そーいやあのとき薬を買ってきてくれたのは弟で、母は説教するだけでなにもしてはくれなかったしなぁ。
 うちのママはべつに冷たい人ではないんだが、「病気は本人の悪徳が原因」だと信じているし、自分は何十年病気になっていないので、病人に冷たいのだ。くわばらくわばら。ママの前では元気なふりをしていなければ。

 それにしても『マトリックス』。
 運命の神様に「見るな」って言われてるのかしら。
 
 最近、めっきりツキに見放されている。
 今年最後の三番街の並びに参加したんだが、これがまたすごかった。

 並んだのが1200人ほど。
 当たりが1040番台まで。

 そしてわたしが引いた番号が、1031番。

 いやあ、見るなり笑っちゃったよ。
 4ケタだよ?
 4ケタ引くなんて、2ケタ引くより難しいっての。

 購入時間は、午後4時40分。朝7時から並んで、4時40分。9時間40分待てと?

 わたしたちのなかで最悪にくじ運がないといえば、デイジーちゃん。少し前までゆーひくん命、現在はスプリング・フィールド氏命の彼女は、いつもいちばん先に張り切って並んでくじを引き、いつも落ち込んでいる。
 今回も、華々しく900番台を引き、盛大に落ち込んでいた。てゆーか、本気でべそかいていた。オトナの女性が泣き出すわけだから、周囲の人もびっくりして、何人かの人にそこそこの当たりくじをもらったらしい。
 そ、そうか、泣いたのかデイジーちゃん。やっぱり君は強者だ。

 わたしは泣く以前に笑ってしまったよ。あまりの運のなさに。
「デイジーちゃんより運がないなんて!」
 と、すでにネタ扱い。

 トド様が出演している以上、そこそこのチケットが欲しかったんだがなあ。
 1列目の端っこ以外は欲しいものはないよ。
 まっつファンとして、新公チケットが欲しかったんだがなあ。1031番じゃあ、なにも買えまい。

「あたしは花組が観たいだけなのに! なんで特出なんかするのよ!!」
 初日なんかいつも楽勝なのに、この公演だけは初日がいちばん人気。今じゃすっかり花組ファンのデイジーちゃんはお怒り。
 期間限定っぽいリカちゃんファンのキティちゃんは月組特出日を狙っているし、コム姫ファンのココちゃんは雪組特出日以外興味ない。ワタルファンのCANちゃんはもちろん星組特出日。
 みんなそれぞれだねえ。
 相対的にあまりいい番号は引いてないので、仲間うちで分け合ってなんとか希望日を購入。

 でも、1列目と新公以外欲しくないわたしは、買うものがない……。特出もべつに、興味ないしなあ。

 1列目と新公が欲しかったら、200番より前の数字を引いてなきゃだめよね。1031じゃ、話にもならないわね。

 ところが……。
 1031番でも、買えました。新公。

 てゆーか、翌日でもまだ、売り切れてなかったらしいよ、新公。WHITEちゃんが確認しに行った。
 売り切れない新人公演なんて、ひさびさに見たぞ。
 演目のせいなの?
 主演のせいなの?
 ちなみに、星組のレオンくんは200番台でも買えなかったんですが。

 ラッキー、なのか?
 まっつに人気がなくて?
 ……ちと複雑なり。
 そしてわたし。
 9時間40分も待ってたんだね……。
 
 『SIREN』の医者と神父の話。

 萌えポイントだった、ひたすらクールでダークなかっこいい医者と、ヘタレでどーしよーもない神父。何故かこのふたりは双子なのだ。しかも、別の家で別の環境で育った「光と影」の双子なのだ。
 このふたりの最大の萌えは、「互いを名字にさん付けで呼ぶ」ことなんだわ……。
 「牧野さん」「宮田さん」って、名前にさん付けで呼ぶのよ。双子なのに。同じ顔なのに。ですます調で、他人行儀に話すのよー。双子の兄弟だってことは、お互い知ってるくせに。

 プレイヤー・キャラがどんどん死んでいく物語だから、医者にしろ神父にしろ、死ぬ運命にあることは予想が付く。
 問題は、その死に方だ。
 とくに医者は、絶対に死ぬはずだ。生きて幸福を掴むよーなキャラじゃない。ここまで悪を臆面なく実行できる強い男は、それに相応しい壮絶な最期を遂げてもらわなければ。
 神父の方は、生き残っても死んでも、どっちでもいいし、どっちでもアリだろうと思うけどな。

 最後までプレイして、彼らの最期を確かめた。姉弟で意見交換もさんざんしたし、ネットでの意見や事実も多少は読んだ。

 そのうえで、思うんだよね。
 医者と神父の最大のトリック、アレ、「なかったこと」にしていいよね? と。
 発売からひとつき経つからもう書いちゃうけど、医者と神父、「入れ替わった」ことが「真相」として「事実」として、語られてるよね。
 たしかにそれは事実なのかもしれないが、やっぱりそれは、わたし的には「認めたくない」のだわ。
 理由はひとつ。
 「意味がない」から。

 入れ替わる意味が、わからないんだもの。
 入れ替わらなくても、医者は医者のままやればよかったじゃない、なにもかも。神父の身ぐるみ剥いで変装する必要性が理解できない。変装して、誰を騙したかったんだ?
 制作側のトリックとしか思えない。
 「ほーら、入れ替わってるんだぞー、気づかなかっただろ? 引っかかっただろ?」てな。

 医者はいいんだ。はじめからめちゃくちゃ強い男だから。
 問題は、神父。
 とことんヘタレな、心優しき男。めそめそおどおど、無力で後ろ向き。
 この男が、なにもしないまま死ぬのは、物語として納得できないの。
 いちばん肝心の場面で、医者と入れ替わっていたんじゃあ、神父というキャラの存在意義は「医者と同じ顔をしている」だけになってしまう。
 神父は、変わらなければならない。
 なにもできないから、とあきらめるのではなく、「できること」をやらなければならない。
 神父が物語を通して「成長」しなければ、意味がないと思うんだ。
 それが「物語のルール」ってもんだ。

 実際、ふたりが入れ替わったという事実さえなければ、すっきりするんだけどな。

 医者は、屍人の巣で、自殺した。
 「俺の役目は終わった」と。
 人道からはずれようがどうしようが、この世界を「救う」ために力の限りを尽くした強い男が、自決した。
 彼の最期の言葉は、「兄さん」。
 それまで「牧野さん」と名字で呼んでいた双子の兄を、はじめてそう呼んだ。
 兄の目の前で、自殺した。

 神父は、自覚した。
 双子の弟が「俺の役目は終わった」と目の前で自殺した。
 そのことによって、自覚したんだ。己の「役目」を。自分にしかできないことがある。自分にしか、責任を取れないことがある。と。
 「化け物の役はごめんだ」と言っていた弟の死体を焼き、屍人として復活しないようにしてやる。
 弟の遺した武器を握り、戦う。それまで一度も戦おうとしなかった男が、戦いはじめる。
 神父は、死んだ医者の意志と魂を受け継いだ。おそらくは、その罪をも。自分がヘタレていた間、たったひとりで手を汚し、戦い続けた医者の業をも、神父は背負う。
 神父の前に、屍人となった看護士姉妹が現れる。医者がその手で殺した美しい姉妹。屍人姉妹は、神父に「せんせい」と呼びかける。医者をそう呼んでいたように。
 かつて、医者がそうしたように、神父もまた、姉妹をその手で殺す。
 そののちに、神父は最終武器「宇理炎」を使って己の役目を果たす。自分の命と引き替えに、迷える人々を救う。その昔、彼の父が儀式の失敗をその命で償ったように。
 死にゆく神父を迎えにきたのは、あの看護士姉妹だ。生前の美しい姿で、「せんせい」を迎えにやってきた。
 そう、彼女たちを殺すときに医者は言った。
「さすが双子だな。死に顔も同じだ」
 その言葉通りに、神父の死に顔もまた、双子の弟・医者と同じはずなのだ……。

 てな。
 医者が神父を殺して入れ替わる、意味がわからないんだもんよ。
 ふつーに、素直に、医者は自殺、それによってヘタレ神父が成長、雄々しく戦って散る、でいいじゃん。
 看護士姉妹が神父を「せんせい」と呼ぶのは、医者の「さすが双子だな。死に顔も同じだ」の決め台詞(実際、この台詞には腰が抜けた。かっこよすぎー)を受けているのよー。
 それなら、伏線全部拾った気持ちいい物語になるじゃん。
 医者と神父の入れ替わりネタは、制作者のあざといトリックにしか思えない。入れ替わりに気づかない方が、話がちゃんと通るんだもの。

 また、腐女子的にもな。
 医者と神父、おいしすぎるっつの。
 最期の台詞が「兄さん」って……神父が兄だったのか!!(笑)

 とにかく、医者がかっこよすぎ。
 実際、操作してても強いしさ。打撃系武器での最強キャラだ。

 かっこいいというと、学者も一瞬だけかっこよかったな。
 屍人の巣の水鏡ですか、あそこに生存キャラ全員集まるときの、ムービー。
「遅かったか!!」
 と、叫びながらの登場。えっ、アンタ生きてたの? もっと先の話で神父がアンタの武器持ってたから、てっきりアンタも医者みたいに死んで、武器を神父に託したんだと思ってたよ。
 しかも「遅かったか!!」ってことは、なにもかも知っていて、この場所を目指していたってことよね? 求道女の野望を阻止するために。
 この一瞬だけは、かっこよかったなあ。
 そのあとも、あたりまえにリーダー面して、高校生少年に命令していたし。ヘタレてる神父のことはあっさり見捨てるし(笑)。

 なのに、オチがアレだもんな……。
 学者の最期は語りません。愉快だから、あえて伏せる。
 一瞬とはいえ、主人公のように見えたあとだったから、すごいギャップだったよ、おじさん。

 結局、主人公は高校生少年だったんだなあ。
 彼の「バトロワ?」的ラストは、かっこよかったよ。

 それにしても、ダークな物語。
 13人もプレイヤー・キャラがいて、生き残ったのはたった1人、生死不明が3人、残り全員悲惨としか言えない最期って……なんちゅー暗いゲームだ。

 ホラーとしては、ほとんどこわくありませんでした。
 アクションゲームとして、スリルは山ほど味わったけど。

 舞台が昭和の香りのする日本だったのが、いちばんの勝因だなー。
 やっぱ日本はいいよ。
 建物とか、こわいからさー。
 屍人の巣なんて、マップ見るなりわくわくしちゃった。いちばんたのしかったな。

 これからも、日本を舞台にしたゲームが発売されて欲しい。

 つーことで、なんといっても『零』。
 腐女子萌えはできそーにないゲームだが(笑)、ホラーとしてはやっぱNO.1でしょう。
 日本が舞台って、それだけでも恐怖感UP。

 こわいよー。
 こわいよー。

 まだ最初しかやってないけど、めちゃくちゃこわいよー。

 この演出力は、見習いたいわ。
 そうか、ひとはこんなふうに怖がらせられるのか…
 11月27日といえば、なんの日?

 『零〜紅い蝶〜』の発売日だ!!

 昼過ぎには、弟からメールが入った。
「零とトロのメモリーカード買った」と。

 ホラーゲーム『零〜紅い蝶〜』と、トロ。
 トロというのは、『どこでもいっしょ』のあのトロだ。表情豊か・感情豊かでちとウザい、白い猫。
 そのトロの「顔」がデザインされたメモリーカードが、やはり27日発売なのだ。
 写真で見ただけで、あまりのかわいさに、緑野姉弟大騒ぎ(笑)。絶対買うぞー、と。

「しかし、『零』とトロを一緒に買うなんて……ものすごいミスマッチ」
 と、弟。
 いいじゃん(笑)。

 そして、帰宅した弟から受け取ったトロのメモリーカードは、ほんとにほんとに激カワ。超プリティ。
 メモリーカード自体が、トロの「顔」になってるんだよー。ケースもかわいいしー。

「ほんとに、かわいいよなー」
 と、弟も目尻下げてる。
 ええもちろん、弟は自分のもしっかり買ってます。姉弟でそれぞれひとつずつ買いましたとも。
「このかわいいメモリーカードに、まさか『零』の幽霊写真がセーブされてるなんて、誰も思わないだろうな(笑)」
 『零』専用にする気か、弟よ。

 ということで、発売日の夜から、緑野姉弟念願の『零〜紅い蝶〜』プレイ開始!!

 えっ、この間までやっていたホラーゲーム、『SIREN』ですか?
 数日前に、無事に終了しました。

 ツッコミどころははてしなくあるが、『SIREN』はおもしろいゲームだった。
 ホラーゲームとしては、もちろん『零』に遠く及ばない。
 ただし、「アクションゲーム」としての出来は、すばらしいぞ(笑)。

 あの、絶妙の難易度設定。
 わたしのようなヘボゲーマーでは、ふつーにプレイしているだけじゃあ、絶対にクリアできない。
 だが、同じマップを1時間以上、忍耐と努力で練習しつづければ、かろうじてクリアすることができるのだ。
 うちの弟のような、ふつーレベルのゲーマーでも、何度も死んで自分の腕を上げることによって、なんとかクリアできるというレベル。
 努力しない者は、クリアできない。しかし、努力すれば、かろうじてできる。
 ……てソレ、アクションゲームじゃん。ボタンをうまく押すとかレバー操作の熟練度を上げるとか、アクションゲームに必要なことじゃん。ホラーゲームちがうやん。

 まあなんにせよ、「あと1回。あと1回再チャレンジすれば、勝てるかも」と思わせる難易度設定はすごいと思う。
 アクションゲームなんて、簡単すぎてもおもしろくないし、敵が強すぎても絶望してやる気にならないからねえ。

 一通り終わった、というだけで、真のエンディングとやらは見ていません。
 もう一度やるには、アクションの難易度が高すぎるのよー。アーカイブ・コンプはやる気になんないよー。数時間の努力の末にやっと勝てる、なんて数十個のミッションを、もう一度全部やり直すなんて、ごめんだわ。
 たぶんわたし、総プレイ時間は100時間ほどかかってると思う。
 100時間って……どんな壮大なゲームよ? 『FF7』か?
 とりあえず、記録にあるだけでも40時間を超えてるわけだから。その倍の時間は確実に、死んでたわ。

 救いのない物語も、たのしんだ。
 とにかく、「プレイヤー・キャラ」がどんどん死んでいくからねえ。死ぬだけならいいけど、屍人になっていくからねえ。
 ふつー、プレイヤーである「わたし」が操作するキャラクターは、死なないよね? わたしがヘボだからすぐ殺されてゲームオーバーになるけど、そのときはまたリトライ、1からプレイし直すから、ゲームの物語上では「死んでいない」のがふつう。
 だけどこの『SIREN』ってば、わたしが操作しているキャラクターが、どんどん「物語上で」死んでいく。自殺したり、殺されたり。
 そして、「屍人」というゾンビになって現れる。
 わたしは、さっきまでわたしが操作していたキャラを、今操作しているキャラで「殺さなければならない」。
 この、ブラックさ。
 後味の悪さ。

 とくに、それまで必死に守っていたキャラを殺すのは、なんともダークな展開ですなあ。

 たとえば、クールいちばんの医者がいる。27歳の青年医師だ。彼は、看護士の姉を訪ねてきた美しい女(妹、とわたしたちは呼んでいる。『SIREN』で「妹」と言えば、この看護士を姉に持つ女のことだ)と知り合う。
 村は今、屍人という化け物でいっぱい。まともなのは、医者とその女……妹だけ。
 医者は妹を守り、屍人と戦う。
 そりゃーもー、大変な戦いだ。へたっぴのわたしは、何度も屍人に殺されたし、守らなきゃいけない無防備な連れの妹を殺され、ゲームオーバーになったさ。
 そうやって苦労して、妹を守りながら自分も無事に敵陣を突破して。ああよかった、これで安全なところへ来たんだわ、と思えば。

 妹、屍人になるし。

 医者、めちゃクールに妹を殺すし。

 あんた、今の今まで、必死になって守ってきたんじゃん、その子を!
 物語部分はムービーなので、プレイヤーであるわたしは、ただ見ているだけさ。あんまりな展開に、口が開く。
 それにしても医者、かっこいい……。
 身を盾にして守ってきたか弱い女を、「敵」と認識するなり薄ら笑いのもと惨殺しちゃうんだもんなー。
「さすが双子だな。死に顔も同じだ」
 って、やっぱり彼女の姉を殺したのもアンタなのね?! 自分が殺した看護士と瓜二つの顔をした妹を、なに食わぬ顔で守って戦ってたのね? ソレって人として壊れまくってますがな。クールにもほどがある。
 そして、そうやって守ってきた妹を、こんなに簡単になんの感慨もなく殺しちゃうのね? 壊れまくり。クールにもほどがあるってば。
 ああ、かっこいいぞ、医者……。

 つーことで、『SIREN』の医者の話をしたいんだが、文字数が足りないので翌日欄へ。
 ネタバレで行きます。

 

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