映画祭で5本映画を見たことはいい。
 IMPホールは椅子が悪いからお尻が痛くなるほかは、1日中見ていたって問題はない。

 つらかったのは、「同じモノを5回見せられた」こと。

 毎回、映画の前にICOCAの同じCMが入り、同じ司会者が現れ、ICOCAの同じ解説をえんえん語る。
 そして、同じ予告編が同じ数だけ流れる。

 あきる……。

 また、昨今の予告編って、長いんだよね。
 本編を見る必要がないくらい、予告で起承転結全部見せてくれるんだわ。
 おかげで、『コール』も『MUSA』も『タイムライン』も『しあわせな孤独』も『スティール』も、本編を見たわけじゃないのにおなかいっぱい全部見たよーな気になった。
 唯一、お金を出して本編を見に行ってもいいかなと思ったのは、デンマーク映画の『しあわせな孤独』のみ。

 24日は、ツイてない日でねえ。
 チケ取りもうまくいかず、ふたりにひとりは当たるだろうICOCAのトートバッグでさえ、わたしもWHITEちゃんも2回連続はずれた。
 なんで? ふたりにひとりの確率なら、わたしかWHITEちゃんどっちかは当たるべきでしょう? でもって、それが2回続くってどういうこと? それって確率的にかなり低くない?

 3回目でよーやくふたりとも当たり、胸をなで下ろした。
 もちろん、トートバッグが欲しかったわけじゃない。前にも書いたとおり、いらねえ、使えねえ。
 ただ、あまりにハズレ続きで、かえって不安になっちゃったのよ。
 こんなどーでもいい抽選にまではずれるようじゃあ、あまりにもお先真っ暗って気がして。

 さて、映画祭最後の1本、フランスのアクション映画『スティール』。監督ジェラール・ピレス、出演スティーヴン・ドーフ、ナターシャ・ヘンストリッジ、スティーブン・バーコフ。

 なにしろ、それまでえんえん予告を見せられていたからなあ。見ても見なくてもどーでもいいくらい、気分は萎えていたんだが。

 ふつーにアクションで、ふつーにたのしかった。
 だからこそ、お金を出してまでは見る必要がない。試写会でなきゃ、絶対見てない作品だわ。

 さて、予告編をえんえん見せられていたわけだが、本編の内容は予告編とは微妙に?ちがっていた。

 予告編で強調されていたのは、「ゲーム感覚」。
 今どきの若者たちが、ゲーム感覚で銀行強盗を繰り返す。
 とてつもなくクールでかっこいい。
 彼らが欲しいモノは、スリル。お金はその副産物。
 彼らを追うのは、知的な美人刑事。
 銀行強盗チームと美人刑事の、ゲーム的な駆け引き。
 そのうちのひとつとして、銀行強盗チームのリーダーと、美人刑事はゲーム感覚でセックスを愉しむ。
 リーダーは、「婦警とセックスしたのははじめてだ」とおどけて見せ、美人刑事は「刺激的でしょ?」と不敵に笑う。
「わたしがいちばん興奮するのは、追いつめられた銀行強盗の顔よ」と、美人刑事。
 なるほど、追う側も追われる側も、すべてがゲームなんだな。だからこうやって、「快感」を得るために犯罪も犯すし、刑事と犯人が寝ちゃったりもするんだ。
 まー、新感覚っていうの? ひたすらカッコイイことにこだわってるんでしょうね。
 実際、これでもかと映る銀行強盗チームのインラインスケート・アクションはカッコイイもの。パトカーなんてなんぼのもの、彼らはスケートで街を自在に走り抜けるのよ。あー、若いっていいわねー。こーゆー新世代の犯罪に、頭の古いおやぢ警官たちはついていけずにパトカーで右往左往してるのねー。

 と、わたしは予告を読み解いていた。

 しかし、実際は。
 ……微妙に、チガウ。

 あれほど繰り返されていた「彼らが求めているモノは、刺激!」という、ゲーム感覚は、ほとんどなかった。
 たしかに最初はそうだった。
 主人公のスリム@スティーヴン・ドーフと3人の仲間たちは、ゲーム感覚で銀行強盗をする。予告編で映っていた、スケートを使ったアクション、追走劇。
 若い彼らは、「セックスより刺激的!」とか、「もっと大きなことをやろうよ!」などとたのしそーに話している。
 だが、すぐに物語はチガウ方向へ流れ出す。
 彼らが犯罪者だということを知る何者かが、脅迫してきたんだ。
「私の命令通りに銀行強盗をしろ。でないとお前たちが強盗チームだということを警察に通報する」
 ゲーム感覚は、最初の1回だけで終わり。
 次からは全部、脅迫されて仕方なく行う、悲壮な銀行強盗ばかり。
 あ、あれ?
 「彼らが求めているモノは、刺激!」じゃなかったの? 予告ではさんざんそう繰り返してたじゃない。
 彼らはちっとも刺激をたのしんでませんよ? 見えない敵に脅迫され、ぴりぴりしながらアクションしてます。イライラしたりべそかいたりしながら、強盗してますが……。仲間もひとり死ぬし。
 予告で意味ありげに流れていた、美人刑事とのゲームのようなセックスも、お互い刑事と犯罪者だとは知らず、偶然出会って寝ただけだし。

 なんか、誇大広告を見せられたよーな……。

 ファッショナブルかつ、ゲーム感覚でクールなアクション映画とちがったんかい。

 現代の日本でウケる方向へ、テーマをスライドさせた予告編だったのね。
 新世代の若者による、ゲーム感覚の犯罪。
 そう謳った方が、日本ではウケると判断したんだろう。

 べつに、新しくもなんともない、ふつーのアクション映画だったわ。
 敵を見つけ、罠にかけ、美人刑事も出し抜き、最後は逃げ切ってハッピーエンド。
 気をつけて描いているのはアクションのみ。ひとの心なんてものは、描く気まったくなし。

 脅迫されていやいややった強盗で、仲間のひとりが殺された。
 死んだのはチームの紅一点のアレックス@カレン・クリシェ。主人公スリムとはどうやら恋人同士らしい。もっとも、スリムの方は浮気性らしく、美人刑事カレン@ナターシャ・ヘンストリッジの方に傾いている。
 にしても、死んだのはてめえの女だろ? なんでなにも感じないんだ、スリム?
 死んだときだけは泣くけれど、その次の瞬間もう、忘却してるだろ?
 他の仲間たちは「アレックスが殺されたんだ、仇を討たなきゃ!」と言うけれど、スリムは言わない。考えがあって心に秘めているのではなく、ただなんとも思っていないっぽい。
 映画の最後、アレックスを死に至らしめた脅迫者を罠にかけて破滅させるときには、スリムも仲間たちもアレックスのことなんかきれいに忘れているし。
 自分たちがひどい目にあったから、復讐しているだけで、アレックスが殺された敵討ちではないらしい。
 カレン刑事とも、べつに恋でもなんでもなかったようだし。

 ひとの心なんか、どーでもいいんだねー。
 カーチェイスだの銃撃戦だのを描くのに忙しいんだねー。
 予告ではスケートしか映ってなかったから、彼らはいつもスケートで戦うんだと思ってたけど、そうじゃなかったし。ふつーに車とか銃じゃ、他のアクション映画と変わらないじゃん。インラインスケートだからかっこよかったのに。

 ひとの心は存在していなかったが、とりあえずアクション(物理的な出来事)は起承転結、追いつめられたあとにあざやかにひっくり返してハッピーエンド、だからまあ、「ふつーのアクション映画」になってるよ。

 見終わったあとの感想は、
「アレックス可哀想……」
 だけだった。

「『やさしい孤独』って映画は、見てもいいかなって気がした」
 と、WHITEちゃんも言う。
「うん、じつはわたし、あの眼鏡の旦那、けっこー好みなんだけど」
「あたしもあたしも。あの旦那はいいよねっ。泣いてるし」
 24日の映画2本目が、『きょうのできごと』。
 監督・行定勲、出演・田中麗奈、妻夫木聡、伊藤歩。

 5本見た試写会のなかで、いちばん客席が埋まっていたのが、このタイトル。
 田中麗奈だから? 妻夫木聡だから? 『GO』の監督だから?

 軸になるのは、ひと組の仲間たち。
 京都に引っ越した仲間のひとりの、お祝いに集まった6人の大学生たち。
 彼らのなんてことのない日常と、テレビニュースになっているクジラの座礁事件と、壁の間に落ちた男の物語がリンクしていく。

 いやあ、最初、登場人物たちの「サムい関西弁」に盛大に引いたよ。
 うわ、さぶっ。
 なんやのそのイントネーション。ありえないくらい、大袈裟になまっている。何十年前だ? テレビの普及する前か?ってくらい。
 今どき、「買って」のことを「こうて」と言う若い女がいるのか? 良くも悪くも21世紀。関西弁と標準語のちがいは、イントネーションと「だ」→「や」の変換程度。(例・そうだ→そうや) 言葉自体がチガウことは、それほどない。
 自分のことを「ワイ」という若い男がいないように、「ウチ」という女の子はまずいない。んなもん、テレビの中だけだ。アニメキャラが区別のために現実ではあり得ない色の髪(ピンクとか緑とか)になってるのと同じ、キャラを立たせるためにありえない関西弁を喋らせているだけ。
 そんな違和感だな。

 それもまあ、見ているウチに慣れた。

 引越祝いでのどたばたと、その帰りの麗奈&妻夫木カップル+伊藤歩のドライブ、クジラの座礁とそれを見守る女子高生、壁の間にはさまった大倉孝二と、4つの物語が時系列めちゃくちゃにオムニバスのよーにぽんぽんと流れていく。
 最初はなんのつながりもなく、「なんやこれ?」なのが、最後にはきれーにリンクし、収束していくのが気持ちいい。

 なにかものすごい事件が起こるわけではなく、特異なわけでもない、ほんとにただの「日常」。
 テレビに映っているクジラと壁男はそりゃ、ちょっと特異かもしれないけど、軸になる学生たちは、ほんとに「ふつー」。
 彼らのなんてことのない「日常」が、おかしくて、せつない。

 なんの解説もないまま、青年たちの日常を切り取ってあるだけなんだが、のほほんとしている彼らが、彼らなりに悩みや飢えを抱え、切実に誠実に生きていることがわかる。
 そりゃ、飢餓やら戦争やらで苦しんでいる地球上の人々の苦しみの前では吹っ飛んでしまうよーな苦しみだけど。でもソレ、比べるもんでもないしな。

 とにかく、性格のチガウ男の子が5人も出てくるからさー。
「あなたは、どの子がいちばん好き?」
 と、聞きたくなる感じ。

 裏表なく天真爛漫、ちと口は悪いが好青年、の妻夫木。田中麗奈とは天下無敵のバカップル状態。大学でも平気でカノジョのことをノロケている。
 気の弱い美青年、松尾敏伸。とにかく顔がいいもんだから、女の子には一方的に迫られ、だけどあまりに不器用なので結局フラれるヘタレ男。顔のいいことが、すべてマイナスにしか働かない負け犬人生。どっかで見た顔だが、誰だっけ? と思っていたら、WHITEちゃんが「種彦さんだよ!」と耳打ちしてくれた。そうか、種彦さん@真珠夫人か!!(笑)
 料理ができてやさしくて、気配り完璧、だけど外見はイケてないです、眼鏡にどてらに中途半端な髪型、外見だけならコミケにいそうなオタク男、の柏原収史。
 大きな身体とワイルド系の風貌、つーかはっきり言ってむさくるしいだろ、のモテないくん。名前チェックしそこねた、誰だ? お笑いの人かな?
 いちばん出番の少なかったシニカルなツッコミ役の眼鏡くん。この子も名前知らないや。お笑いの人かな。

 わたしは柏原収史演じるマサミチくんが、いちばん好きだったなあ。見た目かなりイケてないけど。つーかどーしたんだ柏原くん、あんなに汚くなっちゃって。兄はあんなに美形のままなのに。
 縁の下の力持ちというか、いちばん報われない役割を、気負うことなく淡々とこなしているのが、いい。キレたモテないくんをなだめるシーンとか、うわ、この子やさしい! と感動。いちばんいい男なんじゃないの?
 でも、女の子からは一切恋愛対象にはされていないっぽい。外見アレだし。そしてマサミチ自身も、そんなことを気にしていない風。
 好きな女の子はたったひとり、たとえ片思いでもちゃんといるから、他の女の子にちやほやされることが一切なくても気にしないんだねえ。

 性格を解説するようよな台詞はまったくないのに、脇役にまでしっかりキャラが書き込まれているのが、うまいと思ったのよね。
 誰かひとりの行動に対するリアクションで、キャラの性格が全部わかるようになっている。
 あー、これはうまいなー。見習いたい。

 てゆーか、キャラの描き方に自信がなかったら、できないタイプの作品だよね。
 大きな事件が矢継ぎ早に起こって、わけがわかんないまま転がっていくタイプの話じゃないから。キャラの味だけで持っていくわけだから。

 なんにせよ、おもしろかった。
 今回の映画祭で見た5作の中で、いちばん。

 この計算されたプロットが、好みなんだよねえ。
 べつべつの物語がリンクしていく気持ちよさ。
 ひとつひとつは地味な「ふつー」の「日常」を、時系列を壊してリンクさせることで、なんと効果的に再構成してあることか。
 こーゆーの、好きー。

「泣いてない、ヘタレじゃない妻夫木をひさしぶりに見たよ」
 と、WHITEちゃん。
 まったくだ(笑)。
 妻夫木くんは、ほんとに等身大の「ふつー」の男の子でした。あー、こんな子いるなー、こんな子好きだなー、と思えるような。

 ラブラブモードの妻夫木くんを見たい人には、おすすめかな。

「そして、北村一輝……。出てたね……」

 わたしとWHITEちゃんの、注目の俳優、北村一輝。
 なにが注目かって、その「濃さ」によ。
 売れているのか、しょっちゅードラマに出てくるが、出るなり雰囲気を破壊するその異様な濃さ。嘘くさい存在感。
 たのむから、わたしの好きなドラマには出ないでくれ、ドラマが壊れる。
 ……という注目(笑)。
 ヅカでいうなら、月組のマチオさんみたいな感じ。見る気はないのに、いつも視界に入ってくる、一度見たら最後、気になって気になってしょーがない、という奇妙なキャラクター。
 いやあ、北村一輝はいいよなあ。無視できない力を持っているよ。わたしとWHITEちゃんはしょっちゅー北村一輝の話をしているよ。ま、ありていに言えばファンなんでしょう。……ただ、好きなドラマには出て欲しくない。オカマだとかサイコだとか犯罪者だとかの役以外では。
 ふつーの役は、存在が嘘くさくて見てられないのよ……。

「でもさ、なんか北村一輝、薄くなかった?」
「薄かったよ、北村一輝なのに!」
「薄かったよねえ? まるで、ふつーの俳優みたいだった!」
「はじめ、北村一輝だって信じられなかったもん! あの舌っ足らずな外国人みたいな声も、気にならなかったし」
「テレビだとなにをやっても嘘くさい変な人になるのに、映画だとふつーの人もできるんだ?」
「テレビではおさまりきらない人だったのね!」
「スクリーン俳優ってやつ?」

 そうなのか、北村一輝?
 テレビではおさまりきらないスクリーン俳優って、なんかかっこいい響きだぞ、北村一輝。
 あの滑舌の悪さでよく俳優業をやっているな、北村一輝。
 やっぱり注目の人だぞ、北村一輝。

 つーことで、「濃すぎない北村一輝」を拝むためにもおすすめの作品(笑)。

 
 「よみうりテレビ開局45年記念 ICOCAスペシャル CINEMA DAISUKI 映画祭2003」……という、やたらめったら長いタイトルのイベントに行って来ました。
 よーするに、映画がいっぱい見られるのだ。3日間で21本上映。つっても、全部見るのは時間的に不可能。いくつかの会場で一気に上映しているからな。
 希望者は前もってネットやハガキで応募しておく。抽選で招待券をGETして、さあ会場へ。

 ……もちろん、応募したのはわたしじゃない。わたしにそんなマメさはない。
 マメさNo.1のWHITEちゃんが応募していたのだ。
 全部で何タイトル当たったのかな? アニメとかは当たっても行く気はなく、そのまま招待券捨ててたもんなあ。
 とりあえず、わたしが「一緒に行こうね」と誘われたのが、5タイトル。

 22日 『アカルイミライ』『ラスト・ライフ・イン・ザ・ユニバース』
 24日 『私立探偵濱マイク』『きょうのできごと』『スティール』

 間の23日は宙東宝の発売日だし(笑)、24日は星青年館の発売日だし(笑)、と、とっても多忙な3連休。

 ICOCAが協賛だとかなんだとかで、会場にICOCAカードを持っていくとプレゼントに応募できるというので、わたしもまず最寄り駅でICOCAカードを買いました。ICOCAデビウっすよ。ICOCAはなんの割引もないから、回数券愛用者のわたしは、あまり使うことがないんだが。

 あー、ICOCAというのは、東京で言うところのSuicaカードのことです。チャージすることによっていつまでも使える、改札機にタッチするだけで通れるICカード。

 ICOCAを持って、いざ会場へ。

 1本目の映画。
 『アカルイミライ〜カンヌ映画祭バージョン〜』
 監督、脚本、編集・黒沢清、出演・オダギリジョー、浅野忠信、藤竜也。

 日本劇場公開は、2002年だから、去年ですな。
 それを23分短縮して字幕をつけた、カンヌ国際映画祭正式出品作品、だそうだ。

 わたしはその日本公開バージョンを見てません。
 今回が初見。

 イライラ青年オダギリジョーと、彼を見守る穏やかな大人青年浅野忠信。すぐにキレてなにもかもぶちこわすイライラ青年のことを、大人青年がとてもやさしく見守っている。
 が。
 実際に殺人犯になったのは、やさしく穏やかで大人っぽかった青年の方だった。
 判決を待たずに自殺した大人青年から譲り受けたクラゲを飼うイライラ青年は、大人青年の父、藤竜也と出会う。
 超えられない壁を有したままも、イライラ青年と死んだ青年の父は共に生活をはじめるが……。

 こーゆー純文学作家の頭の中ってのは、わたしとはいろいろチガウんだろうなあ、というのが正直なところ。

 考える、というより、感じるための映画。
 答えを出すのではなく、聞くのではなく、ひとりずつが自分の中で「感じ」ればそれでいいのだと思う。

 それは、いい。
 いいんだが、わたしはこの映画を見ながら、とってももどかしくなったんだ。
 この映画に限らず、このテの純文系作品を見るたびに、いつも感じること。

 わたしなら、もっとおもしろくするのに。

 とりあえず、映画館の半数が爆睡するよーな映画は作らない(笑)。

 ミニシアター系の作品なんだから、客を選ぶのが前提。客が映画を選ぶのではなく、映画が客を選ぶ。
 わかる人だけわかればいい。わからない人はイラナイ、見なくていいよ。
 そういうスタンスで作られた映画。
 だからこそ、「わかる」人にはとてつもなくウレシイ作品。

 そーゆージャンルであり、スタンスであるのはわかる。
 わかるけど、わたしならそーゆーモノは創らない。
 誰が見てもふつーにおもしろくて、なにも知らずにタダだからって試写会にやってきたおじさんおばさんにもある程度たのしく見られて、だけどなおかつ、「わかる人にだけはわかる」サインもちりばめる。
 力不足でどれかが欠けたとしても、目標はそこに置く。

 まず、ふつーの人たちをたのしませたい。
 「わかる」一部の人たちだけを、たのしませるのではなくて。

 エンタメが好きなんだよなあ。

 純文を低く考えるのではなくて、純文で扱うようなテーマも、エンタメのなかで表現したいと思うんだ。
 ただ、自分がその方が好きだから。

 だから、もどかしい。
 ふつーの意味で「おもしろくする」なんて、この映画がはじめから目指していないことは承知の上で。
 純文系だからこそのせつなさや美しさがあることを承知で。
 それでも、もっとおもしろくする可能性を、はじめから捨てていることが、もどかしい。

 いやあ、寒い会場でした。
 もともと人が少ない上に(そりゃそーだ。このタイトルじゃ、タダでも人は集まらないよ)、みなさん気持ちよく爆睡(そりゃそーだ。この内容じゃ、タダだから、ってやってきた人たちの多くにはつまんないよ)。

 でもとりあえず、浅野くんファンのわたしには、とってもたのしかったっす。
 いーよなー、浅野くん。
 こういう役、ハマりすぎ。彼ならではの透明感がツボ。

 わたしは腐女子ですが、このいかにも「ホモ萌えしてください」と差し出された男3人の愛情物語にはいっさい萌えていません(笑)。
 せつないものが好きだから。
 恋愛より、このカタチや名前のない関係や距離が、なおいっそうせつないから。
 ホモになんかしませんとも(笑)。

 海でしか生きられないはずのクラゲたち。
 少しずつ真水に慣れて、下水や川で、それでも生きて。
 それでも、生きて。
 すべての川は、海に続いている。

「日本公開バージョンは、もっと浅野くんとオダジョーがいちゃいちゃしてたのに」
 と、WHITEちゃん。
 カットされていたシーンの多くは、ふたりのデートシーン(笑)だとかだったらしい。
 あと、血まみれ惨殺現場とか。
 いい男ふたりのいちゃいちゃシーンは見たかった気もするが、本質に関係ないなら別にいいや。
 ことさらに残虐なシーンも見たくないし。

「クラゲって、ほんとに刺すもんなの?」
 と、WHITEちゃん。
「刺すよ。つーか、刺されたことあるし」
 お盆を過ぎた海で泳ぐと、刺される可能性大。
「海なんか行かないから知らない」
「あたし、クラゲさわったことある、子どものとき。網ですくったの」
「ええ、どうよソレ?」
「気持ちいいもんでも、かわいいものでもなかったなあ。こう、べしゃっと平たいゴミ袋みたいになってて……」
 お昼ごはん食べながら、何故かクラゲ談義(笑)。

 つーこで、1本目終了。
 わずか1時間おいて、2本目の試写会に参加したわけなんだが。

 しかし、行数が足りないので明日へつづく。

 
 コメディだとは、知りませんでした……。

 月組公演『薔薇の封印』初日観劇。
 ちょっとついでがあったもんで、ふらりと劇場へ行ってみた。さばきは適度にあった模様。めんどーなのでとっとと立ち見券を買って、いつもの定位置を取る。人数多くないから、楽な立ち見だった。
 いつもと同じで、予備知識はなんもナシ。知っていたのは、ヴァンパイアものであることと、いくつかの時代にまたがるオムニバス形式らしいということぐらい。

 いやあ……まさか、コメディだとは。
 お笑いだとは思わなかった。
 あのポスターでこの内容は、かなり詐欺ちっくだなー。

 ひとことで言うと、『LUNA』の焼き直し、でした。

 開いた口がふさがらなくて、苦労しちゃったよ(苦笑)。
 『LUNA』は1回こっきりだから、笑って観ることができた。このレベルの作品なら、何年も経ってから別キャストで「過去の名作を再び!」なんて言って再演されることはまずないだろうから、今回限りの駄作ってことでスルーできるわ、と。キャラは合ってたし、役者への愛だけでなんとか観られるわ、と。
 それに『LUNA』は1時間半で終わったしな。そのあとにショーがあったしな。
 ……まさか、もう一度『LUNA』を観せられるとは。
 しかも、1本モノですよ!
 あの『LUNA』が装いも新たに、2時間半の大作となって復活ですよ!
 誰が想像したでしょう。まーさーかー、もう一度あの駄作を、水増しして観せられるなんて!!

 ヴァンパイア一族の長の娘リディア@エミクラを愛したふたりの人間の男の物語。
 ひとりはリディアにも愛され、彼女の父にも認められ、ヴァンパイア一族の後継者として選ばれた美青年フランシス@リカちゃん。もうひとりが、リディアに歯牙にもかけられなかったふられ男のミハイル@さえこ。
 リディアにふられたミハイルは逆ギレ、「薔薇の封印」を自ら破り、悪しきヴァンパイアに変身。
 封印を元に戻さないと、悪のヴァンパイアが野放しになるってことなんですかね。リディアの遺言が、封印を元に戻せってことだったんで、彼女の意志を継いだ正義のヴァンパイア、フランシスは封印の薔薇を探して1000年ほど彷徨うのでした。
 さまざまな時代、さまざまな場所で、封印の薔薇を探し、正義のフランシスと悪のミハイルは出会い、戦うのでした。はー、やれやれ。

 なにがおどろいたって、『薔薇の封印』ってタイトル、まんまだったんだねええ。もっと抽象的なものかと思ってた。精神的なものを象徴する、とかさ。
 ゲームのステージクリア・アイテムみたいに、集めるものだったのよ。マンガで言うなら、ドラゴンボールみたいな。

 それにしても、軽い。
 あまりにも軽い物語なので、歌いそうになっちゃった。「かるい〜、かるい〜」って、『野風の笛』の爆笑ソングを。
 永遠の命だの愛だのをネタにしながら、この軽さはなんだ?
 あまりにも、「痛み」のない物語。
 愛する女を失い、永遠を生きる主人公フランシスにも、愛する女に拒絶され、永遠を生きる敵役ミハイルにも、生きる「痛み」がまったく感じられない。
 なんてうすっぺらな人たち。
 そりゃあんたたち、「永遠」を生きるのなんか簡単でしょうよ。だって情緒に著しく欠けていそうだものね。

 重いテーマを軽妙に表現した、というよりは、たんに軽薄なだけに思えた。
 コメディだからじゃない。笑いに走ったって、「重さ」は表現できる。
 テーマの重さなんかはじめから眼中になく、ただお手軽にドタバタやった結果、という気がする。

 そもそも、主役ふたりの動機が弱いんだよなあ。
 フランシスがリディアを愛する心の動きが納得できない。恋に落ちる宿命感を演出できないなら、はじめから「ぼくたち宿命の恋人同士です!」と力一杯ラブラブにしておいてくれよ。くちばしをはさめないくらいの「前提」として掲げておいてくれよ。
 結局のところ、フランシスは大してリディアを愛しているようには見えなかったし、だからこそなにをしたいのかさっぱりわからなかった。
 ヒロインが3人(全部エミクラだから、同じ顔)にわかれた分だけ、愛情も薄くなり、主人公の誠実さが薄れ、作品が軽くなる。

 もうひとりの主役、悪の男ミハイルの描き方は、最悪の部類。ふられて逆ギレときたもんだ。しかもふられる理由が、「弱くてダメダメな人だから」。
 あのー、敵役ってのはね、強くかっこよくないと、意味がないのよ。敵役がいい男でないと、それと対峙する主役の価値も下がるのよ。
 「弱くてダメダメな人」に勝つ主役より、「強くてカッコイイ人」に勝つ主役の方が、さらにカッコイイでしょう? 「弱くてダメダメな人」に勝てなくて1000年彷徨う主人公なんて、かっこ悪すぎる……(でも、いかにもかっこよさげに描いている。それがまた、かっこわるい)。
 弱いダメ男だから、ってふられて、逆ギレするよーな最悪な男が悪のヴァンパイアに変身しても、ちっともありがたみないよなあ。かっこわるいだけだよなあ(でも、いかにもかっこよさげに描いている。それがまた、かっこわるい)。
 で、このかっこわるい人は、結局なにがしたかったの? 世界征服? 女にふられたから?
 そのあとで悪の組織のボスにおさまったとしても、最初の動機が「『アンタなんかおよびじゃないのよ!』ってふられちゃったよー、え〜ん(泣)」だと、情けなさ過ぎる……。
 最初に烙印されるように、「弱いダメ男」とするなら、最後まで同じ扱いをしてくれよ。なんでそんな理由でスタートした男が、「超絶美形敵役」として描かれるの? ダメ男が成長したというなら、その過程を描いてくれなくちゃ。
 うすっぺらなんだよねえ、なにもかも。

 でもってこの作品で退団するリカちゃん。
 トップになってからは白い正当派の王子様キャラばっかだったのが、今回よーやくヴァンパイアってことで黒い役だー、と本人も言っていたし、ファンもわたしもよろこんでいたはずだが。

 このフランシス役ってさ、白い正当派の王子様キャラですがな。

 ただ、髪が黒くてダーク系の衣装を着ているってだけで。
 それとも、黒い衣装を着ていることを、「黒い役」って言うの?
 黒い役ってのは本来、ウラノスネットのブライアン社長……あ、ちがった、エヴァーライフ社のミハイル社長みたいな役のことを言うんじゃないの?

 あまりの潔い駄作っぷりに、わたしは口が開いたままだったんですが、リカちゃんファンのキティちゃんが
「感動して泣いたわ」
 と言っていたので、これでいいのかもしれません。
 ファンにはファンのツボがあるからな。
 ツボにさえはまれば、作品のクオリティなんかどーでもいいのがタカラヅカ。

 ただわたしには、この作品にはどこにもツボがないので、もう観ないと思います。
 せめて1幕もので、ショーと2本立てならよかったのに。1本立てにする意味はどこにもなかったよ。4話構成なんかにせず、ひとつの時代だけを描けばよかったのに。そうすれば、主人公があそこまでうすっぺらにならなかったろうに。

 「痛み」のない物語は、好きじゃないんだ。
 たんに、好みの問題。

 
 母が鼻息荒く、わたしの部屋に現れた。
 国土地理院のHPで、地形図閲覧がしたいと言うのだ。
 ……まったく、早く母のパソコンでもインターネットできるようになればいいのに。

 母のパソは数年前、弟が笑えるくらい安くどこかから購入してきたモノで、ほとんどただの「箱」状態だった。なんにも入ってない。なにもかもひとつひとつ、インストールしていくしかない、という。
 ワープロソフトと住所録ソフト、デジカメの補助ソフトと、何故かPhotoShop EL。入ってるのは、これだけ。なんてシンプル。
 シンプルでないと、母には使いこなせないだろう、という配慮のもとに購入されたパソだ。
 シンプルすぎるもんで、とーぜんネットができる環境はなかった。
 母も、ネットに興味を持ってなかったし。

 しかし最近、余計な知恵がついてきたというか、母はどこからか、見たいHPのアドレスを手に入れ、鼻息荒くわたしの部屋にやってくる。
 突然現れ、こちらの都合もお構いなしにわめきたてられるのも迷惑だが、母のパソでネットができるようになったらなったで、いちいちわたしが呼び出されて操作するハメになるんだろうから、迷惑さは同じかなあ。

 とにかく、山オタクの母のために、国土地理院で地図を検索して。
 母の意味不明な要求を、忍耐力を総動員して叶えるべく努力して。
 彼女の気の済むように、納得するように、できるだけのことをして。

 しかし。

 母の登場で、わたしの部屋は雪崩が起きる。

「なによこの部屋。なんでこんなに雪崩が起きるの」

 踏まないで、って、最初から注意してるでしょう? ああそこ、その本の山には気をつけて。

「アタシのせいじゃないわ。アタシは触ってないもの」

 じゃあなんで、本の山が崩れるのよ?

「こんなに積んであるからよ」

 積んであっても、わたしひとりが生活する分には、雪崩なんて起きないわ。
 母があちこちぶつかりまくるからでしょう?

「失礼ね、ぶつかってなんかないわ。勝手に崩れるのよ」

 だから、触りもしないのに勝手に崩れることはないって。
 どーして素直に落ち度を認めないかな。

「積んであるから悪いの!」

 だったらこの部屋に入るなっつーの。ぶつからずに歩けないなら。
 ちなみに、弟は毎日のよーにこの部屋に入ってくるけど、どこにもぶつからないよ? てきとーにそのへんで坐ってるよ?

「この雑誌の山、なんとかならないの? この高さまで積むなんて、信じられない」

 ママがぶつからなきゃ、ぜんぜん平気な高さなんだけどな。
 その雑誌は毎月勝手に送られてくるから、溜まりまくってるのよ。分厚いマンガ雑誌だから、少しの量でもものすごーく嵩張る。
 Be-Puちゃんが「欲しい」って言ってるから、捨てるわけにもいかず、積み上がってるの。そのうち彼女が来たら、持って帰ってもらう予定。Be-Puちゃんはいつも車で来るから。わたしは1ページも読んでないからまっさらなのよ、ママ、崩さないでよ、ちょっと。

 言ってるそばから、雪崩発生。……だからママ、それはBe-Puちゃんにあげる雑誌だから傷めないでって……。

「だから、こんなに積んでる方が悪いのよ!」

 絶対に、なにがあっても、一切合切、母は悪くないのだ。

 母の鼻息は、わたしの部屋を崩壊させる。

 
 ひさしぶりに、おもしろくない映画を見た。

 映画ってのはまあ、大抵ある程度はおもしろいもんなんだが。
 とくに洋画は、わざわざいろんな人の手とお金を使って、輸入されてくるわけだからな。邦画の駄作よりは、いくらかマシだったりする可能性が高い。

 「アンバランスなハートが絡み合う、衝撃のラブ・サスペンス」というコピーのつけられた『ケイティ』という映画を見てきた。
 監督・脚本スティーブン・ギャガン、出演ケイティ・ホルムズ、ベンジャミン・ブラッド、チャーリー・ハナム。

 女子大生ケイティ@ケイティ・ホルムズの恋人エンブリー@チャーリー・ハナムは2年前に失踪した。そのことについて、ハンドラー刑事@ベンジャミン・ブラッドが調査にやってきた。
 それをきっかけにするかのように、ケイティの周りにエンブリーらしき人影がつきまとうようになった。そこへ、新たな失踪事件が起こる。ケイティをずっと愛していた友人が、彼女に愛を告白した日から行方を絶ったのだ。
 エンブリーは果たして生きているのか? 行方不明になった友人は、エンブリーの手にかかったのか?
 緊張の続く毎日のなか、ケイティはいつしか、ハンドラー刑事に惹かれていくが……。

 いやあ、長かった。
 2時間半くらいある?
 ……と思ったら実際は、1時間半くらいしかなかった。

 あまりにつまらなくて、時間の感覚が狂っちゃったよ。

 けっこう早いウチから、オチが読めてしまうのに、いつまでたってもスクリーンの中では同じよーなことをちんたらやっている。
 なんなんだろうなあ、このタルさは。

 ネタ自体はべつに、悪くない。
 オチは読めたが、それでももっとサスペンスらしく盛り上げることはできただろう。
 だからすべては、演出が悪いってことだろうな。
 見ている者を退屈させるよーな演出は、勘弁してくれよ。
 わたしは退屈で退屈で、仕方なかった。
 なまじ青春映画風の繊細物語を意識しているよーな感じだから、サスペンス部分との相性の悪いこと。どっちも中途半端。

 オチが読めすぎてしまうのは、ズルをしていないからなんだろうな。
 ヒロイン・ケイティは、正しくサイコ女だった。……はっ、いかんコレはネタバレか? タイトルにネタバレ注意出しておかなきゃだな。

 エンブリーはハンサムでお金持ちで、しかも天才劇作家ときたもんだ。そんな彼に、才能を見いだされ、愛されたケイティ。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
 ……平凡な女の子があこがれる最高峰。まあ、わたしって実は天才だったんだわ。天才であるわたしは、天才であるうえにハンサムでお金持ちのダーリンに愛されて当然なんだわ。

 そのハンサムな天才が行方不明になり。

 気がつくと、ケイティの周りには、彼女を愛する男たちばかり。
 友人として彼女を見守ってきたやさしい彼、超一流企業の人事権を持つ彼、繊細な彼女のセラピーをする精神科医の彼、心に傷を持ったセクシーな刑事の彼。
 彼女に出会う男たちは、みーんな彼女の虜。

 当然よね、だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。
 この世のすべての男が、わたしを求めて争っても仕方のないことだわ。

 失踪したはずの天才ハンサムのエンブリーが、ストーカーと化してわたしを監視している。わたしに近づく男を許さないと言う。
 ああ、当然だわ! だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。天才のエンブリーは、わたしを独り占めしたがっているんだわ!

 ……えーと。
 これって彼女の、妄想だよね?
 と、オチがわかりきってしまうんだよなあ。

 もちろん、男たちは彼らなりにちゃんとケイティを愛してはいるけど、彼女が思う「だってわたしは天才で……以下略」とはちがっているだろう。いくらでも代わりのきく、ふつーレベルの恋愛感情だろう。
 つまり、ふられたらあきらめられる、ケイティがいなくてもふつーに生きて生活していける、ふつーの好意。
 それが、ケイティ視点になると「わたしを愛するゆえに犯罪者になる」「わたしを愛するゆえに死んでしまう」とかになる。

 ケイティがゆがみまくってるからなあ。
 彼女視点でどんなに「何者かにねらわれているわたし!」をやられても、しらけるだけ。それ、君の妄想でしょ? ちっともこわくないです。

 オチに気づかなければ、おびえるケイティに感情移入して、一緒にこわがることができたのかなあ。

 エンブリーはとっくに死んでいて、その犯人がケイティだった、てのがどうやら最大のどんでん返しらしいのだが、とにかく、早い段階からその「最大のどんでん返し」がバレちゃってるもんだから、そこにたどりつくまでが退屈で退屈で。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
 という、才能と愛と二本立ての欲を満たしていてくれたダーリンが、
「君はダサいだけで才能なんかないし、もちろん愛してもいないよ。もうボクにつきまとわないでくれ!」
 てなことを言って捨ててくれたら、そりゃ逆ギレするしかないよなあ。
 どっちかひとつならまだ、救われたかもしれないが、両方だからな。
 才能と愛、両方を否定されたら、存在意義が崩壊してしまう。
 天才のわたしってすてき! 天才に愛されてるわたしってすてき! と、舞い上がってたんだもんなあ。

 とまあ、ズルなしで、ヒロインのキャラクタ造形も、ストーリー展開も伏線も、正しく造られています。

 しかし。
 いくらズルなしでも、つまらなかったらなんの意味もない。

 という見本のような話。

 いくらフェアでも、犯人も動機もトリックもまるわかりのミステリは、読むに値しない。

 とゆー見本のような話、でしたよ。

 ほんと、これほどつまらない映画は、ある意味見る価値があったかもしれない(矛盾・笑)。

 
 本日は「1万人の第九」通常練習の最終日。
 受付で出席カードにスタンプを押してもらったときに、楽譜を渡された。

 は?
 なんで最終日に、楽譜?

 楽譜は森山直太朗『さくら』の、1万人の合唱バージョン、らしい。
 あ、直太朗は、今年のゲストね。彼が同じステージで『さくら』を歌うのは周知の事実。

「急遽、森山直太朗さんの『さくら』に、1万人でコーラスを入れることになりました。楽譜が刷り上がったのが、つい数時間前です」

 ヲイ。
 なんじゃそりゃあ。

 まあ、最終日に渡されるくらいだから、超簡単な、サルでも歌える類のコーラスなんだろう。

 そして、練習開始。
 …………。

 あ、あれ?
 ものすげー音取りにくいんですが……。

 一通りメロディをなぞったあと、先生が言う。
「……とまあ、こんな音楽になります。無謀ですね」

 はい、無謀です。……って、せんせーが言っちゃうんですか。

「やたら高いし、複雑だし……いきなり歌えといわれて、歌えるわけないんですけど、決まってしまったので、みなさんそれなりにがんばってください」

 歌えなくて当然、てことですか……。
 ははは。

 わたしときんどーさんは、いちいち顔を見合わせる。
「ねえ、歌える、これ?」
「楽譜読めないっつーに」
「気を抜くと直太朗のメロディになっちゃうよ。コーラスのメロディがわかんなくなる」

 去年の平井堅の『大きな古時計』は、楽譜なんかなかったけど、1万人でコーラスを入れた。なんの説明も練習もなくてOKだった。堅ちゃんと同じメロディを勝手に歌ってればよかったんだもの。
 しかし今年の『さくら』は、本気でコーラスアレンジがしてある。
 ソプラノとテナーは、ものすげー高音だ。わたしはアルトだからまだマシだけど、それでもけっこう高いぞ。てか、ソプラノと1音ずつちがうだけとかだと、音感に乏しいわたしははてしなく迷ってしまうんですが。
 まいったなぁ。

 しかし、あとから来たあらっちは言う。
「すっごいきれーなコーラスだったよ? いつから練習してたの?」
 いや、ほんの20分前から。せんせーが1回歌ってくれたのを、みんなでなぞって歌ってただけ。
「そうなの? 遅れて教室に入ったら、知らない曲をすごいきれーにハモって歌ってるから、びっくりしちゃった」
 そうなの? わたしはアルトの音を耳で拾って同じ音を出すことだけに必死になってたから、全体がどんなふうに響いていたかなんて、さっぱりわからないよ。
 そうか、それでもみんな、きれーにハモってたのか。わたし以外の人たちの功績だな。

 コーラスの練習をしながら、わたしが考えていたことは、だ。

 1万人に『さくら』のコーラスを急遽させることなんかにしたら、みんなあわてて練習の参考に、と、CDを買うじゃん。
 1万人が、直太朗のCDを買う。
 ……それって、めちゃおいしいじゃん。
 実際に買うのが半数だとしても、5000人だぞ?
 CDの世界はよくわからないが、出版業界だと1万部の固定客は、大きいぞ? 1万部増刷かかるのが、どれほど大変なことか……!

 わたし、次に機会があったら、「1万人の第九」が深く関係する小説を書く! そして、1万人の固定客を掴むわ!!

 ……なんて、夢見てるヒマがあったら歌の練習しなさいって。

 
 今朝わたしは、某チケ取りのために必死に電話をしていた。
 子機を握りしめ、リダイアルしまくる。

 どれくらい経ったろう。

 電話の調子が、おかしい。
 ボタンに電気がつかない。
 小さくエラー音を出すのみで、どこを押してもなんにもいわない。
 当然、通話可能を表す電子音も聞こえてこない。

 まさか、壊れたっ?!

 リダイアルしまくってたから?
 とくにここ1ヶ月ほどは、やたらとリダイアルの嵐をしていたから?
 無理な使い方が祟ったの?

 ……にしたって、今このタイミングで壊れなくていいだろう!! 友会全滅して、まだ1枚も確保できてないんだから! 一般売りはまだだけど、ぴあで1番取るなりしなきゃ手に入らないのは目に見えてるし、大阪のぴあで1番に並ぶなんてまず無理だし、ああとにかく、今電話に壊れられるとこまるのよーっ。
 携帯は、今この瞬間共にチケ取りに励んでいる友人との緊急連絡用として空けてあるので、家の電話が壊れたら公衆電話に行くしかなくなる!!

 わずかな時間で、わたしの頭の中をいろーんな想いが走り去っていった。

 ああ、何故壊れちゃったの電話、こんな肝心なときに!!

 オーマイガッ!な気分のそのとき、ふと、小さな音が部屋の中から聞こえた。
 音の方を振り向くと。

 電話の親機の上に、猫が優雅に横になっていた。

 親機の液晶モニタが、点っている。
 つまり、現在「親機使用中」という意味だ。

 使用中、って。

 猫がボタンの上に乗ってるんじゃん!!!
 親機使用中じゃ、そりゃ子機は使えないよっ。

 猫が身じろぎするときに、小さな電子音が鳴る。FAX付きの親機は、猫が寝るのにちょうどいい大きさだ。

「降りろ、この飼い主不孝者がっ」

 ……結局、チケットは取れませんでした。泣。

 
「でーぶいでーってなに?」
 と言っていた母に、『マトリックス』を見せた。いやたんに、手近にあったDVDソフトだったもんで。シリーズ1作目ね。

 ウチの母に、『マトリックス』が理解できるだろうか?
 はなはだアヤしいが、たんにわたしと弟が見たかったので、見ることにした。
 わたしはその昔試写会で1回見ただけだったので、ものすごーくひさしぶり、弟は全編通しで見るのははじめて、母に至っては「映画を見るのってひさしぶり!!」だ。

 『マトリックス』は、なんせ、話題だのブームだのになる前に試写会で見ただけだから。
 もう一度見ると、笑える映画だなあ。
 有名すぎるシーンが、今じゃあちこちでパロディされてるから、そっちを思い出してしまうんだ。

 心配だったのは、母。
 映画はおろかテレビドラマさえ見ない人に、こーゆー映画って理解できるもんなのか?
 つーか、顔の見分けついてる? 固有名詞は理解できてる?
 世話を焼く必要はないのに、つい、解説してしまったりする。
 わたしの解説に、母はちゃんと返事をする。どうやら理解しているらしい。

 時間がなくて、上映会は中断することになった。
 母は古いロボットなので、夜11時になるとスイッチが切れるのだ。タイムリミットがやってきたため、母は、
「もうこんな時間。電池が切れるわ。あんたたちだけで続きは見なさいよ」
 と言って就寝してしまった(眠くて起きていられないことを、母は「電池が切れる」と言う)。

 映画がわからなくて、眠かったのかな?

 ところが今日、屍人どもと必死に戦っているわたしのもとへ、母がやってきた。
「今、忙しい? 昨日のでーぶいでーの続きが見たいんだけど」
 DVDプレーヤーの操作方法がわからないので、教えてくれと言って、リモコンを差し出された。
 自分の家から、リモコンだけ握ってきたんかい。
 リモコンだけで操作方法を説明しても母が理解できないのはわかりきっているので、結局母の家まで行って、昨日母が見ていたところから再生してやった。

 そしてわたしは、再び屍人との戦いに戻る。

「おもしろかったわ!!」

 『マトリックス』を見終わった母は吠える。

「おぼえたわ! でーぶいでーはおもしろいわ! 他になにがあるの、なんでも見るわよ!」

 なんでもって……『踊る大捜査線』全話あるけど見る? BOXで買ったからさ。
 あと、『エリザベート』とか……。

「タダなら見てあげるわよ」

 母、吠える。
 ゴリラのよーに「うほっ、うほっ」と吠える。

「有名洋画なら、たぶんいろいろ持ってるよ? 探そうか?」
 と、弟。持ってるだけで見てないので、なにを持っているかどこにあるのか、わかっていない口調。

「母には『少林サッカー』とか見せたらウケるんじゃないか?」
「あー、たしかに母向きかも」
 こうして、母の「でーぶいでー」ライフははじまるのかしら。

          ☆

 屍人との戦闘日記。
 猟銃じじいのシナリオで、タイムトライアルがあったので、またしても絶望して電源を切った。
 このくそ難しいゲームで、タイムトライアルなんか、わたしにできるもんかっ。なんでEASYモードないのよ、難しすぎるよー。
 ……努力を重ねて、なんとかそのじじいシナリオ、クリア。二度とできないかも。

 ストーリーが錯綜しまくってるので、Excelでリンク表を作ってみました。
 医者と神父、3時間以上もふたりで歓談してたの? 看護婦妹が屍人に襲われたりしてるっちゅーのに?(笑)

 
 『SIREN』難しすぎ……。
 こんなに難しいゲーム、久々だわ……。

 いや、わたしはへたっぴなので、大抵なにやったって難しいんだけどね。アクションは大の苦手だし。
 しかし。
 それにしても、難しいだろ、『SIREN』。

 ケバ女のシナリオで、屍人全滅させろ、というミッションが出たときに、思わず絶望して電源切りました。
 ……できるかっ、そんなこと!!
 一定時間経ったら生き返る敵キャラ相手に、わずかな武器しかなくて、いつも青色吐息でクリアしてるのに、全滅になんかできるもんかーっ。

 それでも、とりあえずそのシナリオもクリアして、現在も鋭意努力中。
 竹内家の墓を見つけるのに数時間かかった……。

 されど。
 されど、わたしはオタク女。腐女子ここにあり。

 ねえねえ、このゲームのあのふたりは、どうなんですか?
 神父と医者ですよ。
 正確には神父じゃなくて求道師という名前なんだけど、見た目はストイックな黒衣の神父。医者は何故かプライベート?なときも白衣着用(何故だ・笑)。職業とコスチュームだけでも萌えですな。
 神父は心優しきヘタレ男。医者はちょいと翳のある強い男。
 しかもこのふたり、生き別れ?の双子の兄弟だとかいうじゃないですか。

 わたしはすでに神父のことを「姫」と呼んでます。
 まだ初日のシナリオをぐるぐる回ってるところなんで、大してストーリーが進んでいるわけじゃないんだが、男キャラの中で唯一「武器を持って戦わない」のが神父。
 女の子キャラと同じ扱い。ただ、逃げる。隠れる。……捕まったら最後、なにもできずに殺されるのみ。
 求道女の膝にすがって泣いてみたり、ゲーム内の悲惨な出来事を前にして、運命に翻弄されるヒロインみたいに絶望してみたり、やることなすことなんてツボなの。

 いちばん萌えたのが、病院でのムービー。
 敵に襲われたとき、神父はただおびえるだけでなにもできない。そんな彼を、あたりまえにかばって戦うのが、医者。
 謝る神父、「仕方ありませんよ、あなたはこーゆーことに慣れてないんだから」てな意味のことをさらりと言って、神父の代わりに戦う医者。……医者だってべつに、戦いに慣れてるわけじゃないと思うんだが。

 姫だ……。
 神父、すでにアンタ、姫だよ。
 女の子キャラよりよっぽど、お姫様してるよ。

 ああ、ケロに演じて欲しいキャラだ……。『血と砂』のフアン再び、てな(笑)。
 となると、医者は誰がいいかなあ。男前な強い人……。

「それにしても……声、ヘタじゃないか、みんな?」
 と、弟が言う。
 ああ、言ってはならんことをっ。
 『SIREN』は役者が実際に演じた姿を元に、キャラの動きや表情を作ってあるらしいんだよね。制作サイドの話なんぞなにも知らないのだが、声はどーゆー人たちがやってるんだ? 役者本人か?

「とくに、学者。アレ、どうよ?」
 と、わたし。
 ああっ、言ってはならんことをっ。
 弟もぶはっと爆笑している。

「学者、いちばん演技ヘタだよなー。アレは正直、すごい。なんであんなにヘタなんだ?」
「いまどき、あんなにヘタだなんてすごいよねえ。大抵の俳優も声優も、そこそこうまいのにねえ」
「学者なんて、いちばん演じやすいキャラだろ。クールでニヒルな男なんだから」
「入り込んで演技しやすいキャラだよね。しかしアレは、意図があってわざと棒読みなの? 滑舌も悪いし。御手洗潔みたいなビジュアルで」
「まだ眼鏡女の方がよっぽどうまいよなあ。『せんせえ、なにしてんですかぁ?』」
「主役?の高校生男子は、演技わりとうまいよね。『その犬、もう死んでるっぽいし』には感心した」

 声の演技は、重要だよなあ。
 わたしたちにはすでにトラウマとなっている、『エコーナイト2』というホラーゲームがあってだな、このゲームの声優が超絶ヘボかったのだわ。
 標準語を話すことができるだけの素人を使ったとしか思えない、完全無欠の棒読みぶり。なまじ、少し感情をこめようとして、「素人ががんばってます」調の、いっそアナウンサーぐらい無感動の方がサムくなくてよかったよ的大失敗をしているのだ。
 あれ以来、ホラーゲームの「声」がどれほど重要かを思い知っているもんでな。『SIREN』の制作にホンモノの役者を使っていると聞いたときから、声の演技力には危惧していたよ。声優ってのは、やっぱり技能職だと思うから。

「なんにせよ、『エコーナイト2』よりマシだから、いいか」
「『エコーナイト2』を越えるヘタ声優は、探す方が大変だろ。つーかアレは、声優全員が『SIREN』の学者レベルだったもんなあ」

 まあ、アニメではなくゲームだから。しかも、画面が実写に近いし。
 多少のヘタ声は、味と言えなくもない。

「それにしても……小野不由美の『屍鬼』に似てるよな。あらゆる意味で」
 と、弟が言う。
 ああ、言ってはならんことをっ。

「あらゆる意味で、やばいくらい似てるよな」
 と、わたし。
 ああ、言ってはならんことをっ。
 『屍鬼』もたしか、宗教家と医者だったよなあ……腐女子の萌えは。宗教家はヘタレで、医者は強かった。

「ところでコレ、『零』の発売日までに終わりそうか?」
「……無理じゃない?」
「シナリオのボリュームだけは、ものすごいしな」
 『零』までのつなぎだったはずなのに。こんなにこんなにプレイしても、まだ初日シナリオだなんて。
 いつ終わるんだ?

 それにしても。
 冬コミの原稿、進まないよ……。

 
 部屋は日に日に狭くなる。

 昔、わたしの部屋は友人たちのたまり場だった。
 ひとつ屋根の下に両親がいない中学生、というのは友人たちにとってものめずらしく、また、気楽だったのだろうと思う。挨拶しなくていいし、学校のことや進路のことや、よその親との世間話に出てきがちなことを、話す必要がはじめからないわけだから。
 わたしの祖父母は1階で過ごしており、わたしの部屋のある2階にはまず関与してこなかった。
 わたしの部屋は、わたしだけの独立した世界だった。
 だからだろう。中学の後半からずーーっと、友人の顔ぶれが変わっても、いつもわたしの部屋がたまり場だった。
「あのころ緑野、プライベートなかったね。ごめんね」
 と、大人になった友人が詫びてくれるくらい、いつも部屋に誰かいた(とくにWHITEちゃんは毎日いたよーな気がする・笑)。

 中学生のころは、わたしのこの部屋に、友人たちが数名泊まることができた。
 3人は床に布団を敷いて寝ていたよな。隣の部屋にも、布団を敷いてさらに何人か寝ていた。

 高校になっても、たぶんまだ、それくらいは大丈夫だった。

 短大になると、えーと……布団を敷くのは無理だからって、こたつの周りに円になって、2、3人が寝ていたよーな? 隣の部屋も改装して、物置を広げちゃったし。足をのばして寝ることは……無理だったような?

 そのあとは……泊まれたっけ??

 部屋は日に日に狭くなる。

 今現在、わたしの部屋に誰か泊まるなんて、絶対無理!!
 足の踏み場もろくにないってのに。

 中学のころからこっち、モノが増え続けているんだ。
 あのころはこんなに大量の電化製品には囲まれていなかった。
 増え続けた本、増え続けたビデオ、増え続けたゲーム。もちろん、服や鞄だって増殖する一方さ。
 隣の部屋には、業務用コピー機がでーんと置いてあるから、それだけでもういっぱいいっぱい。
 部屋は狭くなる一方!!
 友よ、もうあなたたちを泊められるスペースなんて、まったく残ってないわ! たまり場にはなりようがないわ!
 つーか、誰かの部屋にたまってダベるようなトシじゃなくなっちゃったんだけど。

 と、なにを改めて感嘆しているかというと。

『巌流』のポスターを買ったのよ。
 コレクションのためだけなら、大きい方を買うけれど、生憎わたしは使う気満々だ。つまり、部屋に貼るつもりで小さい方を買ったの。
 だって、『血と砂』も2年間くらい部屋に貼ってあったんだもん。CANちゃんがプレゼントしてくれた車内吊りポスターを機嫌良く、壁に貼って眺めていた。
 『血と砂』を貼ってたんだから、『巌流』も貼るわよー、と、発売日に張り切って買ってきたさ。その日は「買った」という事実に満足して終わったけど、そろそろちゃんと壁に貼りましょう、床に置いていたら猫に上に乗られてつぶされちゃうわ、と、貼る予定の壁を見たら。

 そこに、もう壁はなかった。

 洋服掛けになってるさ……。
 ハンガーがたくさんぶらさがって、壁なんか見えなくなってるさ。

 部屋は日に日に狭くなる。

 どうしよう、ポスター貼るとこがないっ!!

 
 バナさんに会った。
 バナさんは、中学の同級生だ。

 信号待ちをしているとき、隣にいる女の人の顔をなんとなく見た。あれ?
「……バナさん?」
「ええっ? うわっ、ひさしぶり」

 最後に会ったのは、いつ?
 高校のとき?

 中学生だったわたしが、いちばん仲が良かったのがバナさんだ。
 演劇部で、彼女が部長、わたしが副部長。体育会系文化部だから、ジャージ姿で柔軟やら発声練習やらやっていた、相棒だ。
 バナさんはひとことで言うと「優等生」って感じの子だった。成績優秀、容姿端麗。理路整然、勤勉実直。リーダー気質でちょっと融通が利かない、でも天然入ってたりする愛すべきキャラクター。
 彼女が三田村邦彦のファンで、トークショーやらなんやら、ふたりで行ったなあ。この間なつかしく思い出していた、新撰組ドラマの『壬生の恋歌』も、ふたりで毎週たのしく見ていたなあ。

「何年ぶり? 今どうしてるの?」
 車がぶんぶん走る道路の脇で、思い出話に花が咲く。

 他のみんなはどうしてるんだろう。
 当時仲が良かったあの子たち。
 我が家は仲間たちのたまり場だった。わたしの狭い狭い部屋に、折り重なるようにして寝ていたねえ。

「で、あなたは今、第九の練習の帰り?」
 バナさんはさらりと言う。
 いや、わたしはヅカの前売りに並んできた帰りで……へ? なんで第九?

「『1万人の第九』、参加してるんでしょ? わたしも去年から参加してるの」
 たしかに参加してるけど、なんであなたが知ってるの?

「だから去年、プログラムで名前みつけたから」

 みつけた? プログラムで?
 ちょっと待て。

「1万人の寄せ書きのなかから、わたしを見つけたってことっ?!」

「ええ。あなたの字、独特だから。あら、緑野さん参加してるんだわ、ってわかった」

 20年会ってないのに、字でわかったんかい!!
 つーか、1万人だよ?! 1万人が寄せ書きしてる、あの米粒みたいな字で、わたしを見つけたってか!!

 プログラム、買ってるんだ。(わたしは買ったことない)
 寄せ書き、わざわざ読むんだ。(わたしは読んだことない)
 ……というツッコミも、同時にわき上がった。

「だってほら、去年が初参加だから」
 うれしくて、記念に買って、記念に熟読したらしい。
 それにしても……なんでわたしの名前を見つけちゃうのよ? 会場では会えないのに。(1万人だから、会えるわけない。他にも参加していることを知っていて、「会えたらいいね」と言いつつ会えない人が何人もいる)

 わたしの字、そんなに独特ですか?
 たしかに、わたしの本名は画数が極端に少なくて、縮小印刷したらそこだけ白く見えるかもしれないけど。
 20年ぶりに友人にばったり会ったこともびっくりだが、それ以上にびっくりだよ……。

 
 6日に、弟に出したメール。
『SIREN、買うよね?
昨日、阿呆父のせいでいっぱい泣いた、かわいそーな姉のためにも、買ってくるように(笑)。』

 『SIREN』というのは、6日発売のプレステ2のゲームソフトだ。弟は買うかどうか悩んでいる様子だった。
 理由はひとつ。月末に、『零−紅い蝶−』を買う予定だから。忙しい彼は、今新しいソフトを買っても、プレイする時間がない。
 でもでも。わたしはやりたいのよ、『SIREN』が遊びたいの! でもって、びんぼーなわたしは、自分では買えないのよ、それなら弟にねだるしかないでしょう!(笑) 買ってよ買ってよ、そしてわたしにプレイさせてー。

 そしてその昨日、わくわくと弟の帰りを待っていたら。
『いつも行くゲーム屋で、SIREN、売り切れてた』
 と、メールが届いた。
 うっそぉーっ、売り切れ?! つーか、そんなに売れてんの?! 腐ってもソニー・ブランドっ?

「そんなら、別のゲーム屋行きなよ! アンタの職場の近所、ゲーム屋くらいいくらでもあるでしょ」
 あきらめきれないわたしは、帰宅した弟に言いたいことを言っておく。彼は無言で聞いていたが。

 本日、1日遅れで買ってきてくれました、『SIREN』!!
 家庭内でいろいろあり、すっかりぐれていたわたしに、多少同情してくれたのかもしれんな、弟よ。

 ホラーゲーム『SIREN』。
 ドラマ『トリック』の舞台になりそーな山の中の村が舞台。謎の伝承、儀式、迷い込んだ人々と、襲いかかる屍人……「村」と「人間」の描写がリアルでこわそう。
 『ファミ通』の記事を読んで姉弟そろってわくわくしていたソフトだ。腐っても「ソニー・コンピュータ・エンタテインメント」製タイトルだからなっ(いや、ソニー製のタイトルでも、ヘボはいろいろあるが。『レジェンド・オブ・ドラグーン』とか、とか…笑)。『零』と同じ月に発売でさえなければ、弟もなんの躊躇もなく買っていたはず。
 パッケージの写真も、マニュアルもいい感じだ。ああ、この血まみれの老婆なんて、こわくていいよなー。

 ひとしきりパッケージやマニュアルを見ながら、姉弟で喋る。プレイする前にあーだこーだ想像してお喋りするのもたのしいんだよねえ。

「いつもとはチガウ店で買ったわけなんだけど。新発売のタイトルで、いちばん大きくコーナーが作られていたのは『スパロボ』だった」
「そりゃ『スパロボ』でしょ。わたしが店の人でも、『スパロボ』で大々的にコーナー作るよ」
 と言うわたしは元ゲーム屋の店員だ。
「んで、『SIREN』は2番目の扱いだった」
「ほお。それでも2番目なんだ」
「うん、それでその店、『SIREN』に購入特典っつーか、おまけが特別についてたんだ」
 と言って弟は、さらに鞄をがさごそする。

 おまけ? その店独自の? ホラーゲームの「おまけ」なんて、なにがつくのよ? まがまがしいもの?

 出てきたのは、

『零−紅い蝶−』の映像DVDだった。

 爆笑。
 こうきますか!!

「すごいだろ、コレがコレの購入特典だよ? 信じられる?」
「すごいっ、たしかにすごい!!」

 大ウケするわたしたちのそばで、母がぽかんとしている。
「なにがそんなにすごいの?」

 化粧品にたとえて説明しましょう。
 A社の製品を買ったお客さんがいるとします。もしこれにおまけをつけるとしたら、ふつーは、「A社の」試供品だとかノベルティです。資生堂の化粧水買った人に、わざわざカネボウの乳液をおまけであげたりしないってこと。
 メーカーは、自分とこの製品を買ってもらうために、おまけをつけるわけだから。
 『SIREN』はソニー、『零』はTECMOなんだよね。メーカーがチガウの。だから、業界のルールからいうと、おまけにはならない。
 ところが。
 A社の製品を買ったのに、B社の試供品をおまけでもらってしまった。何故か。
 それは、買った製品が、特殊なジャンルだったから。
 A社のダイエット用サプリを買ったら、B社のダイエット用サプリの試供品をおまけでもらってしまった、てな感じです。
 メーカーや商品名を中心に考えて買うのではなく、「ダイエット用サプリ」という特殊な製品を中心に考えた買い物である場合、こーゆーおまけの付け方はアリだよね。
 なにがなんでもダイエットしたい人は、別のダイエット商品だって試してみるだろうから。

 ホラーゲーム『SIREN』を買った人に、ホラーゲーム『零』の宣伝DVDプレゼントか!

「さすが、日本橋のゲーム屋はチガウねえ」
「オタクの街だからなあ。店員がゲームの内容を理解してなきゃ、できない特典だよなー」
「『SIREN』買う人が『零』の映像見たら、そりゃ買うでしょう!」
 ぱちぱち。すばらしいおまけです。

 とゆーわけで、緑野姉弟は本日から『SIREN』のプレイをはじめました。

 まず、最初にやるのは購入者である弟。
 深夜にわたしの部屋にソフトを配達に来た彼は、差し出しながら、
「なかなかいい感じ。……しかし、むずい。アクションがかなりシビア」
 と、言う。
 ア、アクションがシビア? ちょっと待て、アクションゲームなの?
「かなりアクションだな」
 ……あたし、できるかな?
「さあ? 苦労するんじゃない?(にやり)」

 弟が見学している前で、とりあえずプレイしてみる。みる……が。

 スタート1分で死んだ……。

 ななななにこれ。あっ、また死んだ。またやりなおし。ええっ、なにこれえっ。

「どうも、死んでおぼえるゲームらしいな」
 ひええ、マジっすか。
 ゲームオーバー、リトライの連続!!

「まあ、がんばれ」
 死に続けるわたしに、にやにや笑いを遺して、弟は自分の家に帰っていった。

 ホラーゲーム『SIREN』。
 こわいというより、忙しい……。

 
 私は父を愛していた。

 私の父はやさしく寛大な人だった。
 男らしく強い人だった。
 多くの人に慕われ、また彼らの信頼に応えることのできる人だった。
 私は父を尊敬していた。
 ひとり娘の私は、父に愛され、かわいがられて育った。
 父がいるからこそ、私たちの国は平和なのだと、私はずっと誇らしく思っていた。
 父が王だからではない。父がすばらしい人だからこそ、私たちの国は保たれているのだ。
 やさしさと強さは同義語だった。
 父は強いからやさしい。やさしいから強い。
 すべてを許容する、アフリカの大地のように。

 強さとやさしさが同義語ならば。
 そのどちらかを失ったとき、その人はどうなるのだろう?

 父は、強さを失った。
 私たちの国は敗北し、父も私も敵国の囚われ人となった。
 殺されることはない。将軍の執り成しにより、わたしたち一家は処刑される代わりに、敵国で人質として暮らすことになった。
 もう、父にはなんの権力もない。
 強さを失った父は、やさしさも寛大さも失っていた。

「人は、自分のためになることしか、決して行わないものだ」
 父は言う。
 父があんなにやさしかったのは、男らしく魅力的だったのは、強かったからなのか。自分に余裕があったから、他人にもやさしくできただけのことなのか。

 なにもかも失ったら。
 持って生まれた権力も、成し得てきた業績も、本来の能力も全部奪われ禁じられてしまったら、人は変わってしまうのか。
 魂のかたちが、剥き出しになるのか。

 私は?
 私もまた、そうなのだろうか。
 なにもかも失い、自分の真の姿を見せつけられるときが来るのだろうか。

 そして、あの人も?

「私を愛するなら、あなたはエジプトを捨てなければならない」
 私は、私の恋人に言う。私の父にとって祖国とその王であることがすべてであるように、男性にとって国と地位は、私たち女性以上に重要なものであるはずだ。
 できるはずがない。
 私の父が、そうであるように。
 権力を失い、やさしさを失った父。本来の魂のかたちが剥き出しになった父。
 自分が幸福でないと、他人にやさしくできないひと。

 王という立場が安泰なときには、父は偉大な人だった。
 では、私の恋人は?
 強国の将軍であり、王位を継ぐのも夢ではない地位にいる彼は?
 彼がこれまであたりまえに持っていたものを、彼の価値観世界観をすべて失ったら、どんな姿になる?
 ……いやだ、そんなものは見たくない。
 自分が幸福なら、他人にやさしくすることは可能だ。
 自分が血を流し、死にかけているときに、他人を救うために立ち上がれるはずがないのと同じ。まず自分が自分の足で立っていなければ、いいことも悪いこともできはしない。
 私の父は今、血を流し死にかけているのと同じだ。他人のことまで考えられない。自分が生き残ることだけを考えている。それがどうして責められるだろう。
 私は責めたくはない。
 だから恋人よ、あなたも私をあきらめて。あなたのあさましい姿を私に見せないで。
 その勇ましく美しい姿だけを、私に焼き付けていて。

「あなたは私を見くびっているのか」
 恋人は言う。
 立場の変化で、想いが変わるはずがないと、彼は言う。
 なにもかも失うことで、本来の魂のかたちが剥き出しになるとしても。
 私たちが愛し求めたのは、魂そのものではなかったのか。

 私たちには、いろんなものがたくさん取り巻いている。
 国だとか立場だとか、人とのつながりだとか。
 それらが、私たち個人を創り上げている。
 そして、それらすべてを捨てたときに、本来の魂が浮かび上がる。

 その、魂を求め合えるなら。
 愛し合えるなら。

 これほど、幸福なことはない。

 もちろんそれは、ただの夢かもしれない。
 恋ゆえに錯覚しているだけかもしれない。
 ふたりで手に手を取って駆け落ちし、いざ見知らぬ土地で生活をはじめたら、後悔だけが満ちるのかもしれない。
 私の恋人も私自身も、あさましく変わり果てるのかもしれない。
 わたしの父のように。

 だけど、信じたい。
 魂のゆがみなど、相手への想いがあれば越えられるのだと。

「聞き出したか」
 父は私に言う。失った権力を取り戻すために、父は娘の私を利用しようというのだ。私に、私の恋人から情報を聞き出せと。
「聞き出したわ」
 私は言う。

 恋人は、私を愛しているからすべてを捨てると言ったわ。
 私も、恋人を愛しているからすべてを捨てると言ったわ。
 ではお父様、あなたは?

 私は、父を愛していた。
 父は、私を愛していた。

 信じさせて。
 魂のゆがみなど、相手への想いがあれば越えられるのだと。

 つづく
   
 それは、『王家に捧う歌』の楽前公演のときだった。
 変だなー、なんか顔がむずむずするなー、と思ったら。

 顔が、血だらけでした。

 折しも、舞台ではフィナーレたけなわ。
 ワタルくんと檀ちゃんのデュエットダンス。

 緑野、パニック。

 なんなの? なにが起こったの?

 真っ暗なので、自分の手も見えない。
 しかし、手が血まみれなのはニオイとベタつきでわかった。

 緑野こあら、『王家に捧ぐ歌』を観て、鼻血を出すの図。

 夢中で舞台を観ていたので、気づかなかったんだ。いったいいつ、鼻血を出したのか。
 おかげで、パニック。
 気がついたときには、血まみれ。
 わたしになにが起こったの?

 最初に考えたのは、服のことだ。
 服は汚れてないか?! 血は落ちにくいし、ここは東京、旅先で血まみれの服なんてどーすりゃいいのよ?!
 次に、どうやって手や顔を拭くかを考えた。
 ベタついているということは、ハンカチやティッシュじゃ落ちない状態ってことよね。そうだ、鞄の内ポケットにウエットティッシュがあったはず。
 ごそごそ。ぱりっ(ウエットティッシュの包装を破る音)、しゅっ(それを1枚引き出す音)。……ああ、どーしても音がしてしまう。周りの人ごめんなさい。
 手を拭いているうちにも、新しい血がたれてくる。うわーん。顔、顔も拭かないと! 口の周りがぱりぱりしてるのは、血が乾いてこびりついてるってことよね?

 ああっ、舞台ではトウコ姫が登場だ、トウコちゃんのエトワールは見なければっ、オペラグラス装着!!
 ああでも、血がっ、血がたれる〜〜。

 パレード開始だ、手拍子だ、拍手だ、ああでも、血がっ、血がたれる〜〜。

 しいちゃんとケロはずっとオペラで見ていたいのにー、血が〜〜っ。

 オペラグラスのぞいて、拍手して、手拍子しながら、鼻血吹いて、押さえて、またオペラのぞいて、手拍子して……。

 わたし、なにやってんのっ?!

「大丈夫?」
 横から、WHITEちゃんが不審そうに声をかけてくる。
 だ、大丈夫。たぶん。

 幕が下りたときには、消耗しきったわたし。

 握りしめたティッシュはもちろん血まみれ。
「なに、鼻血?」
 明るくなってはじめて、事態を知ったWHITEちゃん。
「なにをひとりでごそごそしてるのかと思ったら……」
 あきれた顔。

「なにも、鼻血吹くほど興奮しなくても……」

 ち、ちがわいっ。
 『王家』で興奮しすぎたわけじゃないやい。もともと鼻の粘膜が弱いんだい。
 そりゃ、鼻血に気づかなかったのは、『王家』のせいだけども!

 しばらくは、客席から動けない。
 だってさ。

「鼻にティッシュ詰めて、日比谷を歩きたくないよ、女として!!」
 断言。

「そ、そりゃそーよね……」
 うなずくWHITEちゃん。
 そうなのよ、嫌なのよ、女として!
 血が止まるまで、動けないよ〜〜。

 ぜえぜえ。

 なんとか、客席をあとにして。
 トイレへ駆け込んだ。
 顔と手を洗って、ついでに喉にからんだ血のかたまりを吐く。
 『王家』を見て吐血する女。
 …………泣。

 血の飲み過ぎで胸はむかむかするし、ついでに貧血併発するし、どこまで罪作りなんだ『王家』!!
 どこまで罪作りなんだウバルド!!(えっ、ウバにーちゃんのせいっ?! 笑)

 人生、なにか起こるかわからんよな……。

 

旅立ち。

2003年11月2日 タカラヅカ
 またしても、東京へと旅立ちます。
 ……なにをやってるんだろうねえ。先日、行ってきたところなのにねえ。
 こんなにハマることは、長いヅカ人生の中でもそうそうあることではないので、「今だけ!」と開き直っております。

 わたしも大概だけどさ、WHITEちゃんも何気に謎よ?
 当初の予定では、2日と3日が東京、のはずだったの。祝日だから、OLのWHITEちゃんもOKな日程。
 でも、ちょっとわたしの予定が狂って、3日と4日に行くことになった。
「ごめんね、WHITEちゃん。わたしのことは気にせず、ひとりで2日と3日の予定で行ってちょうだい。東宝で会おうね」
 と、言ったのに。
「じゃあアタシも3日と4日の予定にする」
 ええっ? だってあーた、会社は? 4日は連休明けの平日よ? ふつーなら休めないでしょ?
「休む」
 ……いいの? 大丈夫なの?

 休むと豪語したWHITEちゃん。結局、
「休めなかった……なにがなんでも出勤しなきゃ……」
 ということに。
 もう2日のチケットは手放したあとだったから、今さらどーしよーもない。
 仕方ないね、んじゃ、3日だけの日帰りか、そもそも行くこと自体あきらめるか……。

 しかし彼女には、そんな選択肢はなかった。
「緑野と一緒に3日は泊まって、4日の早朝に新幹線で帰る」
 で、その足で仕事へ?

 WHITEちゃん……その情熱はどこから?

 それほど『王家』にハマっているそぶりはなかったと思うんだが……。
「美しい檀ちゃんと、しいちゃんを観なければ!」
 檀ちゃんファンなのは前からだけど、どのあたりからそんなにも、しいちゃんファンになっているのかしら……。つーか、ケロは? ワタルは?

 実は3日の朝、必然的に生徒さんたちの入りを眺めることができたのだけど、WHITEちゃんが口にしたのは、
「檀ちゃんは? 檀ちゃんはいつ来るの?」
 と、
「しいちゃんは?」
 だけでした……。

 檀ちゃんの入りは見られなかったけれど、生しいちゃん(こう書くと、生しいたけみたいだな)を見られてうれしそーだった、WHITEちゃん。
「きれいじゃん!!」
 を、連発していた。
 うん、わたしもしいちゃんはべっぴんさんだと思うよ。カエル顔で大きな口。わたしの好みにぴったり合った顔だからな。背が高いのもポイントだー。わたしより背の高い人は大好きだー(笑)。

 あ、入りのときのワタルくんはほんと、男前でした。つーかありゃほんとに男だろ……。

 2日の日記のハズが、3日の話になってるな(笑)。

 

猫と帽子。

2003年11月1日
 帽子を買いました。

 もともとかぶりものが好きで、今年の夏は3つも買ってしまったので、秋冬は去年のモノで我慢しようと思っていたのに……また、買ってしまった。

 それかぶってわくわくと東宝『王家』観に行ったんだよね。

 んで、帰ってきて。

 忘れた携帯を取りに行ったりなんだりでばたばたしたあと、ふと、その帽子を見れば。

 猫が、恍惚としていた……。

 帽子にアタマをつっこんで、くねくねあうあう、恍惚状態。
 ……なにやってんのよ……。
 見た目は愉快だからしばらくは笑ってたんだけど、いつまでたってもやめないので不安なった。
 猫を払い落とし、帽子を取り返す。

 すると。
 なんてことなの!
 わたしの買ったばかりの帽子!

 内側がぐっしょり濡れている!!

 まさかおしっこ?! と恐怖しながらニオイをかいだら、チガウ。ニオイらしいニオイはない。
 てことはコレ……。

 よだれっ?!

 なに考えてんのよ、猫!
 わたしの帽子になんてことすんのっ。

 払い落としても、油断するとまた、いつの間にか帽子に顔をつっこんであうあうやっている。
 置き場所を替えても、そこから持ち出して、あうあう。
 …………どうしたものか。

 今も、猫は帽子にアタマをつっこむようにして、しあわせそうに丸くなって寝ている。

 かわいい……(猫バカ)。

 
 携帯電話を落としました……。

 落とした場所はわかってるの。だから心配はない。
 落とした、と気付いた瞬間青ざめたのは。

 待受画面、オサアサですがな……!

 しかも、スワンレイクよ?! ちゅーしてんのよ?!

 うっきゃ〜〜っ、恥ずかしい〜〜っ!!

 朝9時になるのを待ちかねて営業所にTEL。思った通り、バスの中で落としていたらしい。JRバスの営業所に届いていた。
「営業所まで、取りに来ていただけますか?」
「はい、もちろん行きます」
「それじゃあ、ユニバーサルスタジオはご存じですよね? その駅の……」
「えっ、ちょっと待ってください。中津じゃないんですか?」
 そう。実は、忘れ物するのはじめてではないのだ。
「前は中津でしたよね?」
「はい、移転しました」
 なんてこったい。USJだと? 中津より遠いじゃないか。
 わたしは仕方なく、ひとりでJRのユニバーサルシティ駅を目指した。

 ぽつん。

 気分は、ぽつん。
 もっと時間を考えればよかった……。
 なまじ、午前中だったりしたから。
 USJに向かう電車は、たのしそーな人たちでいっぱい! これから遊びに行くんだーっ。たのしむぞーっ、おーっ!! てな雰囲気に充ち満ちている。
 ガキどもはきゃーきゃー、カップルどもはいちゃいちゃ。
 そんななかで、わたしはぽつん。

 わたしがオサアサがチューしてる待受画面なんぞを使ってる女です、とこのツラ下げて携帯を受け取りに行くのよ。
 わーん。

 いや、あの営業所におやぢしかいないのは知っている。若い職員はまったくおらず、ごま塩アタマのおやぢばかりが働いているところだった。
 だから、オサアサのチューを見ても、なんのことだかわからない可能性が高い。
 ああだけど、わかるわからないは関係ないのよ、知らない人に見られるのが恥ずかしいのよーっ。

 行楽客でいっぱいのユニバーサルシティ駅で降り、駅員というよりコンパニオン?てな制服のおねーさんに、地図をもらう。関連会社だから、専用の地図が用意されてるのね。
 ふむふむ、この地図によると……。

 USJの入口まで、行くんですか……。

 行楽客と一緒。家族連れとカップルとグループと一緒。たのしそーな人たちと一緒。

 つーか、ひとりで歩いてるの、あたしだけじゃん!!

 この先にはUSJしかありませんよ、てなテーマパークの一部のような歩道橋を渡り、ゲートの前まで行く。
 ここでよーやく、方向転換。下の道路に降りる。
 ああ、孤独だったわ。たくさんの人のなか、わたしだけが孤独。

 下を走るだだっ広い道路は……交通量が笑えるほど少なかったっす。
 孤独です……誰もいない広すぎる道……孤独ですう。泣。

 そして、歩いても歩いても目印が見えてこない。
 変だな、ともらった地図の小さな注意書きを読むと。

 「徒歩約15分」とあった。

 15分?
 15分てソレ、2km弱ってこと?
 このなにもない寂しい道路を、えんえん15分も歩けと?

 疲れた……。
 とても疲れました。

 帰りの電車はなかなか来ないし。
 そうよね、今はUSJに向かう人たちでごった返している時間で、帰る奴なんてほとんどいないもんな。そんな無駄なタイムテーブル組んでないよな。

 とりあえず無事に我が手に戻った携帯電話で、USJ専用車の恥ずかしいペイントを撮影してみました。何度見ても、趣味の悪い電車だわ(笑)。

 それにしても、いったい何人のおやぢに見られたんだろう。
 わたしのオサアサチュー。
 ああ、ブルウ。

 帰りの電車では、手持ち無沙汰なのでメールを打って時間をつぶしていたのだが。

 そのときはっと気づいた。
 営業所で携帯を受け取ったとき、小モニタに未読メールのマークがあったのでさっそく携帯本体を開いた。
 すると、大モニタは「メール送信選択」画面だった。
 あれ? 変だな? と思って確認したら、前日WHITEちゃんに宛てたメールが、送信できずにいたようだ。そーいや「送信中」のメッセージは見たけど、「送信完了」のメッセージを確認する前に、閉じてしまったっけ。電波状況がよくなかったかなんかで、送信できずに終わってたんだわ。
 どーりで、WHITEちゃんから返事が来ないと思った。
 今さら送るのもなんだから、昨日書いたメールは削除。
『矢吹翔様素敵っっ!!』
 なんて内容、花青年館を出た直後だから書いて送る意味があるので、翌日に送るのはまぬけだー。

 べつの友だちから届いていたメールを読み、それでそのことはもう忘れていたけど。

 待てよ。
 開いたとき、「メール送信選択」画面だったってことは……。
 わたしが最後に携帯を操作したときのままの画面ってことよね。
 JRの職員が、わざわざ落とし物の携帯電話をいじりまくってなにかしたとも思えないし。ふつーの乗り合いバスじゃなく、全席指定の夜行バスだから、携帯を見つけたのは他の客じゃなく、清掃の職員のはずだし。
 つーことは、だ。

 待受画面は、誰にも見られていない……!!

 ああ。
 九死に一生を得ました!!

 
 家族そろって『プロジェクトX』鑑賞。
 なんでかっつーと、「大阪万博 史上最大の警備作戦」だからだ。
 緑野家の面々は、70年万博にただならぬ思い入れがある。

 当時は健在だった祖父母と、2歳半だったわたしを連れて、両親は何度も万博へ行った。
「おばあちゃんが止めなかったら、もっと行ったのに」
 と言う母は、弟を妊娠中だった。大きなおなかをかかえて、それでもけっこうな回数通ったらしい。

 テレビでは、史上最大の万国博覧会を警備する人たちの汗と涙の物語が、トモロヲの感動ナレーションでつづられている。いつものことながら、すごいわ、『プロジェクトX』。
 番組も半分を過ぎ、どうやら最大のクライマックスに近づいている模様。
「9月5日の話は出るかな」
「そりゃ出るでしょう」
 緑野家、わくわく。

 1970年9月5日。
 万博の最多入場者を記録した日。
 あまりに人間が多すぎて、帰ることができず、多数の人々が会場で野宿したという、未曾有の出来事のあった日。
 ちなみに、弟の誕生日。

 『プロジェクトX』のクライマックスは、この9月5日だった。

 入場者数、83万人。島根県の人口を超えていたそうな。1日で、この数字。
 他のどんなイベントからも想像できないこの人数。
 こうやって21世紀の現代から見れば、正気とは思えない。こいつら狂ってる。
 たかが博覧会に、そこまでしなくても。

 だけど、そこまでしてしまったのが、「時代」なんだと思う。

 70年万博が他のどの万博ともちがうのは、この「時代」というノスタルジーを持つからだろう。

 日本がいちばん夢を見ていた時代。
 人類が月に一歩を踏み出した時代。
 誰もが「なにかできる」と信じていた時代。

 そーゆー目に見えないモノを、カタチにしたのが「人類の進歩と調和」というテーマを掲げた万国博覧会だったのだと思う。

 わたしは当時ガキ過ぎて、真の意味でこの祭りに参加していない。
 70年に人間としての人格や記憶を持ち得た人々が、うらやましいよ。
 この目でこの心で、感じたかったんだ。
 手の届かないものに、今痛切に憧憬を抱いている。

 さて、運命の9月5日。
 正気とは思えない入場者数。
 わたしの弟が生まれた日。

「おばあちゃんが止めなかったら、もっと行ったのに」
 母は繰り返す。

 よくぞ止めてくれたよね、おばーちゃん。
 母のことだ、「大丈夫、予定日まであと少しあるし!」と言って、問題の9月5日に行っていたら……。

「今ごろ、『プロジェクトX』に出てるな」

 万博会場で突然産気づき、交通機関マヒゆえ病院に運べず、前代未聞の万博出産!!

 弟、予定日より早く出てきたんだよね。予定外の日にちだったんだよね。

 弟は苦く笑って聞いている。
 よかったね、万博出産なんておそろしいことにならなくて!
 もしそんなことになってたら、アンタの名前はまちがいなく「博(ひろし)」だったよ(笑)。

 それにしても、こーゆー人数大変大行列モノを見ると、コミケを思い出すよ……。
 スタッフも参加者も、よくできてるよね、コミケ。
 そーゆーことに関しては、一般人の方がルールなしで非常識だからなあ。

 
 今日はチェリさんちでケロ尽くし!!

 チェリさんはわたしの、唯一無二のケロファン友だち。わたしにはいわゆる「ヅカ友」がいなくて、それまでの友だちをヅカに引きずり込んだんだよね。そのため全員、ひいきは別。それぞれ勝手に好きな人を応援している。
 だから、同じ人を好きな友だちははじめてなの!
 わーいわーいわーい。
「ケロちゃんのビデオを見ながら、おしゃべりしませんか? うちには猫もいますよ。それから、ごはんも食べていってくださいね」
 ……ケロと猫とごはん?! マジっすか?! それってもお、猫にマタタビ状態よ。緑野、気分は天国。
 浮かれきってでかけました。

 ふふふ。

 くわしいことはないしょです。
 ときおりわたしが「受が、攻が」ととばしすぎたことを口にすると、大人なチェリさんは「それはよくわからないですけど(笑)」とたしなめてくれます(笑)。
 テレビの画面にはいつもケロちゃん、話題もケロちゃん、ごはんはおいしいし、チェリ・ジュニアもかわいいし……ハレルヤ。
 猫は……猫も、かわいかったんですけど……。
 おびえて、出てきませんでした。
 1匹は布団の中に隠れて、出てこない。布団をめくって追いかけたけど、ダメ。最後は吠えられちゃった……くすん。
 もう1匹はどこにいったのか、まったく影も形もない……と思ったら。
 バスタブの中に隠れてました。
 バスタブだとう?! 水が大嫌いなくせに、そんなところに隠れるくらい、わたしのことがキライなのっ?
「ねえ、写真撮ってもいい?」
 バスタブの中の猫! かっ、かわいい!!(猫バカ)
「いいですよ! てゆーか、わたしも撮ろうっと」
 チェリさん、ふたつ返事。(猫バカ)
 そして、ふたりしてバスタブの中でおびえている猫を写真におさめました……ああ、かわいいっ。
 きらわれててもいいんだ、猫は見ているだけで癒される。

 とってもごきげんな1日。
 チェリさん、お世話になりました! めちゃくつろがせていただきました。ああ、しあわせ。
 チェリさんは、この日記を読んでメールをくれた人なの! こんな日記でも、書いていてよかったと実感。おかげでチェリさんと知り合えました。

 ただ。
 帰りの電車の、阪神ファンがこわかったっす……。
 わたしらがケロ三昧してるうちに、阪神負けたのね。

 
 

< 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 >

 

日記内を検索