「ねえ、『えびボクサー』って、どうよ?」

 それはたしか、『呪怨2』を見に行ったときでした。その映画館のロビーには、小さな水槽が置いてあり、「えびボクサー」と手書きポップが添えてあった。中には、ザリガニ?らしき甲殻類が隅っこでうずくまっている。わたしたちが見た『呪怨2』は最終上映。そのあとに控えているのはレイトショーのみ。レイトショーは『えびボクサー』。
 『えびボクサー』って、なんだろう? ポスターは1匹の赤いえびのアップ。赤いボクシンググローブつき。“もう海には帰れない!”
 そのよくわからない映画のために、列ができている。今どきのおしゃれな若者たちが、赤いグローブをつけた赤いえびの写真の型抜きになったパンフレットを持って、たのしそうに並んでいる。
 内容がぜんぜん想像できない。どーゆー映画なんだ? 『えびボクサー』って。
 でもまあ、こんな小さな映画館の、しかもレイトショー限定だし。きっとただのB級映画よね。
 わたしとWHITEちゃんは、なまぬるくスルーした。

 しかし。
 日々は過ぎ、季節は秋になった。
「ねえ、『えびボクサー』って、どうよ?」
 WHITEちゃんが、ふたたび言う。
「まだレイトショーやってんだけど」
 は? まだ、やってる? って、なにそれ。『呪怨2』のときにやってた映画だよね? あの映画館のレイトショーなんて、通常2週間、下手したら1週間で終わるよねえ?
「かれこれ3ヶ月もレイトショーやってんのよ。それってどうよ?」
 さ、3ヶ月? それって、めちゃくちゃ大ヒットじゃん。てことは、おもしろいの?
「さあ……なにしろ、周りに見たって人がひとりもいないからねえ。でも、どうなんだろ、『えびボクサー』」

 『えびボクサー』って、どうなのよ?
 たしかに、一度見たら忘れられないポスターだし、タイトルだけど。

 あの映画館で、3ヶ月のロングラン。
 そんなにおもしろいなら、見るしかないよなあ。

 ということで。
 WHITEちゃんとふたりで行って来ました、レイトショー。

 ……どんな話だと思う?
 『えびボクサー』だよ?

 答え。
 タイトルまんま。
 えびがボクシングをする話。

 監督・脚本マーク・ロック、出演ケヴィン・マクナリー、ペリー・フィッツパトリック、ルイーズ・マーデンボロー。

 若いころはそこそこ活躍したボクサーだったけど、今は人生終わってるデブ中年男ビル@ケヴィン・マクナリーは、何でも屋のアミッド@マドハヴ・シャルマから儲け話を持ちかけられる。それはなんと、「体長2m10cm」の巨大えびに人間相手にボクシングをさせる、というものだった。
 全財産をつぎこんで、その巨大えびを買ったビルは、後輩のアマチュア・ボクサー、スティーブ@ペリー・フィッツパトリックと、スティーブの恋人シャズ@ルイーズ・マーデンボローの3人で、いざロンドンへ!!
 テレビ局に企画を売り込むのだけど、相手にされない。色仕掛けに奇襲、なんでもござれ。ついにあるプロデューサーに認められ……。

 なんというか。

 映画って、すごいなあ。

 視覚のおもしろさっていうのは、理屈じゃないんだよね。
 安ホテルのベッドに、イケてない中年男と、もっさりした表情の若者が、だるそーに横たわっている。
 彼らの間には、えぴ。
 1匹の、えび。
 体長2m10cmの、巨大なえび。

 安ホテルと男たちという「日常」のなかに、あったりまえの顔して巨大えびがいる! てゆーか、テレビ見てる!

 それが、おかしい。
 スクリーンの中ではそれがふつうで、なんの疑問もツッコミもなく流れていくんだけど、見ているこっちはそれだけで爆笑。

 視覚のおもしろさ。
 文章だといろいろ解説しなきゃいけないけど、映像だと、なんの解説もなく、観客を突き放したまま妙ちくりんな世界がすすんでいく。
 それが、おかしい。
 あー、映像っていいなあ。このおかしさは、文章では表現できないもんなあ。

 この『えびボクサー』には、ほんとに巨大えびが出てくるんだよね。
 それがもう、怪獣映画のノリ。今どき、実にうそくさいロボット以前のような人形を使って撮影している。その巨大えびのうさんくささが、余計に画面をおかしくしているのね。

 巨大えびという、変な小道具を使っているが、プロットとしては平凡。5万回は見たような話。
 人生終わってる、あきらめてひねくれている中年男が、「もう一度、夢を見たいんだ」と一念発起。夢のために滑稽な努力をし、そうすることで人間として成長し、新たな生き方を見つけていく。
 巨大えびというシュールなネタと構図を使いながらも、それを取り巻き右往左往する人間たちは、とことん平凡で常識的。えびのうそっぽさと、人間たちのリアルさが、このよくあるプロットを、よくあるからこそ魅力的なものにしている。
 よくあるってのは、5万回見たってのは、それがそれだけ支持を受けているってこと。みんなが大好きで、みんなが「見たい!」と思う物語だってこと。

 はじめはたしかに、金儲けだとか有名になりたいだとか、そーゆー野心のためにがんばっていたオヤジたち。
 しかし、夢中になって努力しているうちに、なにかチガウものに、到達する。

 プロモーションを行う会場として、廃倉庫を手作りでリメイクするビルとその仲間。
 そりゃ金は欲しいよ。成功したいよ。だけど。

 いちばん欲しかったモノは、今この瞬間じゃないのか?

 なにもかも捨てて、夢のために仲間たちとひとつになって、ひとつのものを創り上げる。
 夢中な自分自身。
 負け犬な自分やうまくいかない世の中を嘆き、すねて田舎の隅で愚痴だけをこぼしていた、あのころ。
 本当に欲しかったのは。
 夢中な自分自身。

 自分を、好きになりたかった。

 いやあ、5万回は見たプロット。
 だからこそ、こんなにきらきらしている。

 それにしても、あの作り物丸出しのえびはいいキャラだなあ。
 その破壊力は鉄球付きのクレーン並み。壁なんかぶち破るし、殴られた人間は宙を飛ぶ。
 つくりものめいているぶん、ちょっと動くだけでものすごーく、おかしい。動くわけない人形が動くあぶなっかしさがある(笑)。
 走る姿なんてもお。

 ついにテレビ局が動き、えぴボクサーVS人間の試合がオンエアされたとき……あのえびの動きってば!!
 コロシアムを走るえびに、爆笑!!
 走ってるよ、走ってるよえび!!
 つーか、走れるんだ?!
 うひゃひゃひゃひゃ。

 わたしとWHITEちゃんは、大ウケ。
 ふたりして腹を抱えて笑った。

 そして、感動のクライマックスへ。

 欲しかったモノは、金や成功じゃないんだよね。
 それは、あくまでも副産物。

 自分自身に、胸を張りたかったんだよ。
 一瞬でもいいからさ。

 いやあ、数年ぶりに洋画のパンフレット買っちゃったぁ。
 赤いグローブをはめた赤いえぴの、型抜きになったパンフレット。見ているだけでかわいい。かわい……。
「げっ」
 買ったあとで、裏を見ておどろく。
 表紙はその、かわいいえび。たしかに、えび。
 裏表紙は……その、裏側だった。
 えびの、裏側。
 つまり、腹と足。
 うぎゃぎゃぎゃぎゃ。
「気色悪い〜〜っ」
「裏までリアルにしなくていいのにー!!」
 ちなみに、わたしもWHITEちゃんも、えびがキライです(食べられません)。

 姿がかわいいだけで、まったく使えねえパンフだしな。中は一色刷でわずか6ページ、キャストの顔写真すらない。
 肝心のテキストは、HPと一言…

殺ヤモリ事件。

2003年10月23日 家族
 ヤモリが死んでました……。

 とのさんとかねすきさんと、「ヤモリは‘家守’という意味もあって、家の守り神として殺しちゃいけない」という話をしていた矢先。

 死んでましたがな、うちのヤモリ。

「親の家に連れて行け!」
 と鳴く猫を抱いて、玄関のドアを開けると。

 そこには、ぺしゃんこになったヤモリ様が。

 どうやら、ドアに挟まれて圧死した様子。
 ドアの桟のカタチに段状になってつぶれてます。

 だだだ誰よっ、ヤモリをドアでつぶしたヤツ!

 わたしは猫を肩に乗せて、わたわたと親の家に逃げ込む。
 だって、こわいじゃない、桟のカタチにつぶれたイキモノなんて!
 ドアを閉めたら、しっぽだけが外から見えている状態なのよ?!

「ヤモリがつぶれてる〜〜っ!!」
 誰が犯人?
 殺ヤモリ犯。いや、殺意はなかったはずだから、過失致死?
「あたしじゃないわっ」
 母は無実を主張する。
「ヤモリがいたら、わかるはずだもの」
「あたしだって気づくよ」
 わたしたちは、共に無実を主張、互いを認め合う。
 では、犯人は他の誰かだ。

 つーか、明るいときならドアを開閉する際、5cm以上もあるイキモノに気づくだろう。

 夜になってから、このドアを開閉した者といえば……。

 弟だ!
 ヤツは暗闇の中、うちの玄関ドアを開けた!

「あいつだわ!」
「そうよ、あの子なら気づかずにヤモリを殺すわ。動作が大雑把だから!」
「あの身長だから、足下なんかろくに見えないしねっ」

 つーことで、殺ヤモリ犯は弟に決定。
 本人の自供は無効。それ以前に決定。

 で。
 ヤモリの死体は誰が片付けるのよ?
 わたしはいやよ、こわくて直視もできないんだから!

「男どもにやらせましょう」
「そうね、男どもの仕事よね」

 こんなときだけ、母と娘は仲がいい。
 無実のはずのふたり。何故だか、漂うのは共犯者のかほり……。

 
 本日は宙組新人公演。
 1日雨だったけど、ムラに着いたときは傘がいらないくらいの小降り。このままやむんだと期待したのに、結局夜まで降ってたねえ。

 作品がカスな場合、新人公演はとてもつらい。
 その公演は出演者の魅力と実力だけで持っているわけだから、それがつたなくなると、「見れたもんぢゃねえ(泣)」ということになる。
 わたしが新公を好きな理由のひとつは、そこにもある。
 本役以下の力しか持たない人が演じてなお、「物語」としてどう見えるか。
 作品についてあーだこーだ考えるのが好きな理屈屋としては、はずせないわけだな。

 『白昼の稲妻』は、作品としてのレベルはふつうだ。
 破綻しているわけでもないし、センスが悪いわけでもない。
 筋を追うだけを「物語」とするなら、なんの問題もない。

 とゆーことを、再確認しました。

 ただ。
 問題は、オギーだ(笑)。

 演出家荻田浩一氏の美意識は、本役の華と技術を想定して構成されているので、新公で再現するといわゆる「オギーらしい」部分に支障が発生(笑)。
 はっきり言うなら、劇中劇『オセロー』。
 えらいことになってました(笑)。

 わたしはこの公演、1回しか観ていないし、金がないためあと1回行く予定だったのを断念したところなんで、もう観る機会はないんだが。
 そのたった1回で、「納得」したクチなので、まさか新公で「?」になるとは思わなかった。

 劇中劇『オセロー』。
 それまでの柴田芝居をぶっとばし、オギー全開になるこのシーン。
 いちばんの盛り上がり、クライマックスここにあり!のシーン。

 ミステリ調にすすんできた芝居なだけに、探偵役が犯人を名指しするシーンはいちぱん重要、『水戸黄門』なら助さんが「ひかえ、ひかえ〜い!」と叫ぶシーンだ。
 ランブルーズの悪事を暴き、ヤツめを「ははぁ〜〜っ!」と平伏ささねばならん場面だ。
 いちばんわかりやすく、快刀乱麻してしかるべき場面なんだ。

 なのにオギーったら。
 このいちばんのクライマックスを、いちばんわけわかんなくしちゃうんだもの(笑)。

 それまでふつーに筋を追って観ていた後頭部を、ハンマーですかーんっと殴られた感じ。
 うわっ、全部吹っ飛んだ。事件だとか、真相だとか、芝居で犯人を告発するだとか。
 理屈が一掃され、そこにあるのはただただ、感性のみ。

 この『オセロー』を「わからない。あの芝居のどこが告発になるの?」「原作とあてはめると変よね?」「台詞が聞こえないからわからない」とか言っている人たちは、たぶんハンマーの威力が小さかった人たちでしょう(笑)。
 つーか、台詞はアレ、わざと聞こえないようにしてるんだよねえ?
 言葉は「音」、ときおり耳に残る「単語」が余韻を落とす程度、「音楽」の一種。
 わざと、それまでの「台詞」「筋書き」とは別の次元にしている。
 確信犯。
 ハンマーでぶん殴り、別次元へ強引にご招待。

 わたしは単純なのか、ハンマー効果で一瞬にしてオギーワールドへ着地。
 真っ白な頭になだれ込む、オギー尽くしに息も絶え絶え。
 わたしは「文字」をあやつることを商売にしていたいと思っている人間だから、この「言葉」を脇役に押しやった構成には、憧れと嫉妬を感じるわ。文字書きには表現不可能なことをやりやがって。
 理屈ではなく、感性だけで、理解する世界。
 台詞を聞くことで理解しようとしてたりしたら、そりゃ取り残されるよー。

 ちゃんと劇中劇が終わったあと、舞台上の観客が「ランブルーズって言ってましたわね」とわざわざ「台詞で」説明してくれてるじゃん。巨匠作品じゃあるまいし、劇中劇で言ったことを、わざわざもう一度台詞で言うのは、劇中劇の方は「聞き取れなくてもいい」ってことでしょう、ふつー。
 いや実際、わたしはこのわざわざな台詞で、現実に戻ってきたよ。
 ああそうそう、そーいやそんなことを言うための劇中劇だったっけ。

 てな、とっても気持ちよくトリップさせてくれる、だけどとても心臓に悪いシーン。
 オギーは客を消耗させるよなー。

 さて、このシーンは、新公だとどうなる?

 結果。
 トリップできませんでした。
 ハンマー、効果極少。

 正気のままこのシーンを観ると、「えーらいこっちゃ」でした。
 うわー、音楽すげえなあ、台詞すげえなあ、へー、ほー、ひゃー。

 トリップできなかったいちばんの要因は、「歌」。
 そうか、あのシーンには「ガイチの歌」が必要不可欠なんだ!!
 ふつーの歌い手さんでも、苦しい。最低限ガイチのレベルが必要なんだ。
 個人的に、ガイチはオギーワールドには合わない人だと思っている。だから本公演のこのシーンでも、ガイチはあまり目に入ってなかった。
 しかし、彼の歌声は必須です! 思い知ったわ。
 そして、センターに立つふたりの男女には、問答無用の「美しさ」が必要だということも、痛感した。
 現実感のない、少女マンガのよーな美しさを持つふたり。彼らが愛憎に堕ちる姿が、これまたカタルシスなんだ。
 たかちゃんの無機質な美しさが嫉妬に「汚れる」瞬間に、あの波は観客を飲み込んでしまうんだ。
 そして、水くんとかなみちゃんは、合ってましたなー、オギーワールド。いちばん似つかわしかったのではないかと。

 てなことを、咄嗟にいろいろ考えてしまうくらい、トリップしそこない、取り残されたわたし。

 1度だけ観た本公演で「納得」していただけに、新公で観て「わけわかんねえ、このシーン」と思ってしまった……そうか、あの日トイレの行列で「わからないわー」「台詞聞こえないしー」とか言っていたおばさま方、こーゆー気持ちだったのねっ。

 舞台では、若者たちが「必死で」オギーワールドと格闘している。
 あー……そんなに青筋たてられてもなあ……技術的なこともそうだけど、なんかこう、チガウんだよなあ。

 舞台が大騒ぎ、って感じだった。劇中劇『オセロー』。

 あとの芝居の部分は、ふつうに「新人公演」だったよ。

 『白昼の稲妻』、作品としてのレベルはふつー。
 しかし……やっぱりオギーがオギーだったのは、マイナスなんじゃあ……?
 いや、わたしは大好きだし、本公演の『オセロー』ならもう一度観たいと心から思うけど。
 新公のレベルなら、もういいです……(笑)。

 WHITEちゃんとふたり、
「わたしら、ヒゲフェチ?」
 と、話し合っていた。
 というのも、水しぇん@ランブルーズのヒゲ姿にきゃーきゃー言ったあとなのに、さらに今回、七帆ひかるくん@ランブルーズにきゃあきゃあ言ってるから(笑)。
「ヒゲか? ヒゲがいいのか、あたしら??」
「ああでも、あのヒゲがいいのよー、かっこいいよーっ」
「顎ヒゲがまた、いいのよねっ」
「そう、ヒゲは顎まであってこそよ!」

 あとWHITEちゃんは早霧せいなちゃん@サバティエを気に入っていた模様。うむ、美人さんだったねえ。
 さらに、やはり目について仕方なかった「暁郷」のことをたのしそーに語る。WHITEちゃん、君もうGOくんのファンなんじゃ……?

 わたしはあと、和音ちゃん@ジルダがきれいでかわいくて、目が離せなかったよー。
 凪七瑠海ちゃんもさすがにかわいいしねえ。その他の男の役でも、スタイルで目立ってるし。
 しかし、身長170cmで「少年」役だもんなあ……おそるべし宙組巨人集団。
 まあたかこもその昔雪組で、「丁稚少年」役をやってたけどな……(笑)。

 
 さて、問題です。

 あなたは生涯の伴侶になにを求めますか?
 これだけははずせない、という「理想」を3つだけ答えてください。

 2週間ぶりに会った第九トリオで、練習を早引きして入ったレストランにて、こんな話が出ました。

 まー、よくある心理テストらしい。
 出題者はあらっち。わたしときんどーさんは、笑いながらも考える。
 3つ? 3つねえ。

 わたしはとりあえず、「癒されること。ほっとできること」「外見」「話が合うこと」を上げた。
 きんどーさんは「やさしいこと」「外見」「声」。ここで声が入るあたり、フェチねえ(笑)。
 あらっちはなんと言ったかなー。忘れてしまった。
 だがとにかく「金」と言うヤツはひとりもいなかった。みんなこのトシまで独身で、理想が高いのか低いのか。夢を見ているのか現実的なのか。まあ、このトシまで独身なら、金は自分で稼いでるだろうから相手に求めないのかな。

 そこでさらに、問題です。

 あなたが先ほど上げた「理想」まんまの人が「2人」現れました。2人の差異はまったくありません。
 この同じ2人から、どちらかを選ぶ場合、「あとひとつ」なにがある方を選びますか。

 はあ? わかりにくいなあ。
 まったく同じ外見で、同じだけわたしと性格的にぴったり合っていて、一緒にいるとたのしくて話もはずみ、またほっとくつろげる人がふたりいるってこと?
 ここでわたしの頭の中には、ケロちゃんの顔をした背の高い男性が浮かびます。寿美礼ちゃんの顔とどっちにするか悩んだけど、今日はケロちゃん誕生日だし(はっぴーばーすでー、だーりん)、と、よくわかんない理由で決定。いや、純粋に顔だけでいうなら、男の子の顔としては、寿美礼ちゃんの顔がめちゃくちゃ好きなんだが……(女の顔としてはべつに好みじゃないけど、男としたら好きさ)。他に具体的な好みの顔も浮かばないし、ケロでイメージトレーニング。
 涼やかな笑顔を浮かべる、背の高いケロがふたり。どっちも「あいらびゅーん、こあら」と言っている。
 多少、頭痛のする光景だが……まあ、それは置くとして。
 このクローン人間ふたりのうち、どちらかを選ぶ場合、どういう付加価値があれば、どちらかに決めるかってことね?

「ちなみにあたしは、『家を建てられる人』って答えた」
 と、あらっち。
 おお、それはすばらしい答えだ。
「他にもいろいろ答える人がいたよ。ずはり『金』とか、『長男でないこと』とか、『笑いのツボ』とか」
 なるほど、3つの理想を全部満たした上での「あとひとつ」なら、みんな現実的なことになりますなー。

「んー、なんていうか、すいよせられるっていうか、そばにいたらこう、すうっとわかるっていうか」
 きんどーさんは、なにやらわけのわからないことを言っている。
 きんどーさんの「あとひとつ」はかなり感覚的だ。

 解答です。

 問題の「3つの理想」はこの際関係ありません。
 最後に加えた「あとひとつ」こそが、あなたが生涯の伴侶にほんとうの意味で求めていることなのです。

「これを言うとね、みんな大抵納得するよ」
 と、あらっち。いろんな人に質問して回ったようだ。
「あたしの『家を建てられる人』っていうのは、建ててもらうんじゃなくて、あたしもずっと働いていくつもりだし、一緒に力を合わせて家をつくっていくって意味だから」
 答えを聞いたとき、納得したんだって。
「そっかー、なるほどなー。そうだよね、わかる、うん。当たってるよ」
 きんどーさんはひとりで納得している。どうにも感覚的だ。

 さて、わたしの答えた「あとひとつ」は。

 目の前には、ふたりの背の高いケロが「あらびゅーん、こあら」と言って微笑んでいる。
 さあ、どちらのケロを選ぶ?

 わたしが、理想の彼に求める「あとひとつ」。
 それは、

「わたしを愛していること」

 だった。
 わたしのことを、より愛している方を選ぶ、と。

 あら、まあああ。
 答えを聞いてびっくり。
 わたしが「生涯の伴侶に求めるモノ」は、

 愛

 だったのですわーっ。
 ロマンチストぉぉおお!!

 答えを聞いて、爆笑してしまいました。
 求めるモノは、愛。
 いいねえ、緑野こあら、愛を求める人、だよ。外聞が非常によろしい(笑)。

 そして、一見美しい答えだが、その実利己的なことも、とてもツボに入った。

 そう、「愛」といってもだね。
 わたし「が」愛していること、ではなく、わたし「を」愛していること、なあたりが、べりぃなぁいす!!
 そのきれいごとっぷりが、実にわたしらしいです。

 さて、みなさんはいかがですか?

 
 大忙し、ミナミで『キル・ビル』を見たあとは、ムラでお茶会だっ。

 名前を言っても「誰ソレ?」と真顔で返される某タカラジェンヌのお茶会に行って来ました。
 いいんだ、人気も知名度もなくったって。わたしは好きなんだからっ。

 お茶会に行くことがほとんどないこのわたし、路線外中堅?まだ若手か?男役のお茶会というものがどんなもんか、さっぱりわからないまま行きました。
 ……アットホームですね……。
 たのしかったです。
 つーか、距離が近すぎて落ち着かないとゆーかね……彼の黒いコートに猫の毛がついていたら、それはわたしのせいです。(注・わたしが語る際、男役の三人称はすべて「彼」です)

 積極的参加のわたしとデイジーちゃん、そして欠員の穴埋めで動員されたWHITEちゃんの3人で出席。3人とも同じテーブルでした。

 ちなみに、この日のわたしのこだわりは、
「ヒールのある靴を履かない」
 でした。

 だってさ、その日のダーリンより背が高かったらイヤじゃん。ヲトメゴコロが傷つくじゃん。

「大丈夫ですよ、彼の公称身長は170cmですから」
 と、同じテーブルのお嬢さん。
 わたしの公称身長は168cmだから、ヒールを履いたらやばかったな。わたしは溜息。
「公称? というと、実際は?」
 お嬢さんにそう返されたが、ノーコメントだ、そんなもん。
 とにかく、ペタンコ靴を履いてきてよかった。

「初恋の男の子より背が高かったというトラウマのある身では、いろいろと気になるものなのさ」
 というわたしの台詞で、どーして吹き出したの、WHITEちゃん。ねえ、君、なにか言いたいことがあったのかい?

 さて、そのお茶会のトークで。

「思い込んだら一直線なんです」
 と、彼は言う。

 どっかで聞いたなあ、そんな性格。
 と、わたしは隣に坐る人を振り返る。

「どーしてそこで、わたしを見るんですか」
 と、デイジーちゃんは言う。

「ひとつのことに夢中になったら、その前に好きだったものなんて忘れます」
 と、彼は言う。

 いたよなあ、そんな人。
 と、わたしは隣に坐る人を振り返る。

「どーしてそこで、わたしを見るんですか」
 と、デイジーちゃんは言う。

 彼の語る彼自身の性格やマイブームでは、わたしはデイジーちゃんを振り返りまくりでした。

「だから緑野さん、どーしてわたしを見るんですかっ」
 だってさ、彼の言うこと、いちいちデイジーちゃんそのまんまなんだもん。
「そうですね、わたしと似てますね……って、そんなことないですよっ」

 デイジーちゃんはいつでもまっしぐら。
 うらやましいくらい、恋してる。

 わたしはなあ、へんに理性が邪魔して、舞い上がるのがヘタなんだよなあ。つまんないよな、そーゆーの。
 ああでも、ムラにいる間だけは、すべて忘れて夢の世界にいたいもんだ。

 てことで、今だけ彼がマイダーリン。時間限定の夢。嘘の世界。本命様は今東宝で妹偏愛テロリストやってるけど(笑)、それも棚上げして、今は彼にどきどき(笑)。
 とりあえず腕組ませてもらいましたが、身長は……公称170cm……うーん、そんなもんかなあ。詐称はしてなさそうだな。

 とにかく愉快なにーちゃんで、好みの顔を間近で見られてしあわせでした。

 男役だから三人称は「彼」だし、ねーちゃんではなく「にーちゃん」なのだ。嘘の世界は揺るがないのだ。たとえ彼がナチュラルに女言葉使ってたって、揺るぐことはないのだ(笑)。
 わたしの頭には、自動変換装置がついているのだ。萌え。

 
 一足先に、『KILL BILL VOL.1』を見てきました。

 監督・脚本クエンティン・タランティーノ、出演ユマ・サーマン、デビット・キャラダイン、ダリル・ハンナ、ルーシー・リュー。

 わっはっはっ。

 コレ、ギャグ映画だよね? マジにやってないよね?
 ……という内容でした。

 予告編を見たときから、それらしきニオイはあったけれど。
 いやあ、見事なまでのバカ映画でした。

 ひとことでいうと、復讐モノ。
 つーか、ひとことで言い終わるだけの内容しかない。
 タイトルまんまだ、「ビルを殺せ!!」。

 毒ヘビ暗殺団の女刺客、暗号名ザ・ブライド@ユマ・サーマンは、結婚式の日に元ボスのビルとその手下たちに襲われ、夫もおなかの子どもも殺された。そして、自分も大ケガをして4年間昏睡状態となった。
 目覚めた彼女は、復讐の旅に出る。
 
 ……旅に出た先が、すばらしい。
 日本の沖縄。
 そこでザ・ブライドは、服部半蔵@千葉真一に出会い、人間100人斬れるカナ?のすばらしい銘刀と、「サムライの心得」を伝授される。
 彼女が狙うのは、ヤクザの女親分となった毒ヘビ暗殺団のオーレン・イシイ@ルーシー・リュー。

 いやあ、言語センスがいちいちすばらしいんだよ。「毒ヘビ暗殺段」だよ(記憶ちがってたらすまん。だが、こんな字面のこんな名前だった)。なんて悪そうな組織なんだっ。
 そして、服部半蔵だよ。なんてサムライらしい名前なんだっ。
 ボス・タナカとかボス・マツモトだよ。なんて脇役らしいヤクザの名前なんだっ。
 そして、女親分オーレン・イシイの部下、女子高校生殺し屋・GOGO夕張@栗山千明だよ……。
 GOGO夕張にはほんと、ノックアウトされた。この言語センスには脱帽。真似できないよ。
 しかもこのGOGO夕張、女子高校生の制服姿で、「鉄球」で戦うし……。

 固有名詞が出てくるたび、客席から失笑がもれる。
 たしかに史上類を見ない作品だ。

 まったくもって、ストーリーはないに等しい。
 えんえんえんえん、チャンバラ。
 戦う戦う戦う、飛び散る手足、身体の一部、頭も飛ぶし、デコも飛ぶ。血は飛び散るというより、吹き出してますっていうか濁流ですな。スクリーンで見る数年分の血を一気に見た感じ。

 なるほど、どーして舞台がわざわざ日本なのかわかったよ。
 他の国だったら、銃でばきゅんばきゅんやっておしまいだもんな。
 日本だから、チャンバラができるんだわ。銃文化のない国だから。
 ……でも、刀文化もすでに消滅しているハズなんだけど……ま、そこはそれ。
 チャンバラがやりたかったんだなあ。よーーーーっく、わかったよ。

 チャプター仕立てなので、いちいちタイトルが出るんだけど、最後の「ナントカ屋の死闘」(固有名詞忘れちゃった)を見た瞬間、「池田屋」を連想したわたし。チャンバラで「死闘」とかゆーと、つい、な。
 そしたらやっぱり出ましたよ、階段。タカラヅカと言えば大階段、池田屋と言えば階段落ちですよねえ?
 いや、池田屋とはなんの関係もないんだと思うけどな。チャンバラのお約束なのかしらね、料亭の階段ってのは。
 それにしても長かったなあ、この「死闘」。

 わたしは映画ファンを名乗れるほど古今の名作を見ていないし、深作欣二監督作品なんか、『バトロワ』しかまともに見たことがない。冒頭から「深作欣二に捧ぐ」とやられたって、はあそーなんすか、としか思えない。
 だから、この映画がどの映画のどのパロディをやっているのかなんて、さっぱりわからないよ。
 さすがに、GOGO夕張が『バトロワ』パロらしいのはわかったけど。
 もっと知識のあるひとなら、ウエットにとんだたのしみ方ができるのかもしれない。
 が、わたしには無理だ。
 この映画は、とてつもないギャグ映画。

 そんな看護婦いねーよっ。
 そんな寿司屋はいやだっ。
 刀持って飛行機乗るなっ。
 そのアニメはどうよっ。
 ロリコンかよっ。
 そんでもって11歳でセーラー服ってのは、ボスの趣味なのかよっ。
 どーゆー店だよ、それはっ。
 そのコスチュームはどうよっ。
 なんで仮面してんのよっ。
 演歌かよっ。

 と、つっこみだけ羅列。解説ナシ。

 謎なのは、ルーシー・リューだわ。
 日本のヤクザの大親分になるわけよ。
 そして司会のおねーさんは試写の前に語ったわ。ルーシー・リューがどれほど努力をして、流暢な日本語を喋れるようになったかを。
 そうよね、日本のヤクザの親分なら、日本語喋れなきゃダメよね。ルーシー・リュー、顔だけ見たら日本人だけど、ガイジンさんだから、日本語は努力して会得しなきゃなんないのよね。

 映画を見て愕然。

 どこが流暢なのよ、どこをもって流暢っていうのよ、司会のおねーさん!

 てゆーか、なんでルーシー・リューなの?
 オーレン・イシイは、台詞はほとんど日本語なのよ。日本語を喋れないガイジンさんを使う理由はどこ?
 ヘタレ感を増すのが狙い?

 教師のすすめる学習時間の何倍もの訓練をしてなお、この発音なのかルーシー・リュー……。会話をするわけじゃなく、決まった台詞を言うだけなのに、ここまでヘタなままなのか……。

 そして、主役のユマ・サーマンもあちこちで日本語なんだよね。
 ルーシーと、ガイジンふたりでものすげえ下手な日本語で会話するのよ……いちばんの「決めシーン」で。
 あんたらアメリカ人なんやから、ふたりで話すときは英語でええやん。なんでわざわざ喋れもしない日本語で話す必要があるのよ?

 これはアレかな。
 日本の作品でもあるよね。
 日本人のヒーローが、決め台詞をわざわざかっこつけて英語で言ったりするヤツ。
 アレをやっているわけか。
 アメリカ人は日本語なんてわからないから、日本刀でチャンバラするふたりの美女が、日本語で決め台詞を言うのを見て「COOL!!」とか思うわけか。

 ああ……。
 とにかく、期待を裏切らないすごさ。
 どこをとってもヘボ満載。脱力系の笑いがちりばめられている。

 タランティーノ監督、どこまでマジなのかなあ……。

 『北斗の拳』をたのしめる人なら、たのしめると思うよ。
 血の量も人間の細切れぶりも、アクションのとんでもなさとかっこつけぶりも、いちばん近いと思う。ヘタレが笑えるところもな。

 あー、おもしろかった。
 後編ですか? ええ、見に行くと思いますよ(笑)。

 あ、スタッフロールになっても席を立たずにいましょうね。
 最後にすごい歌が聴けるぞっ。

 
 水曜日に見た映画。
 『マッチスティック・メン』。監督リドリー・スコット、出演ニコラス・ケイジ、サム・ロックウェル、アリソン・ローマン。

 またしてもニコラス・ケイジ?!

 わたし、この人苦手なんだってば。
 中井貴一が主役だと見に行く気がそがれるのと同じで、ニコラス・ケイジが主役だと見に行く気がそがれるのよー。

 ああだけど、わたしの好きそうな映画にばっか出るんだもんよー。
 うまい俳優だってことは知ってるのよー。ただ、理屈ではなく顔が苦手なのよー。

 えーと、詐欺師映画。
 騙し騙されモノ、って、好きなのよ。プロット緻密だから。アクションより、心理戦の方が好き。

 映画館で予告編を見たWHITEちゃんが、怒ってたの。
「あの予告編、ひどい。本編の内容を全部映してる」
 彼女はすでに試写会で見たそうな。
 だからこそ、映画館で流れている予告編のひどさがわかる、と。

 たしかに最近の映画の予告編はひどい。

「ここまで見せてくれるんだったら、もう映画本編を見る必要ないな」ってとこまで、長々だらだらと予告編で見せてくれる。
 起承転結まで全部、見せてくれるの、解説付きで。ある意味、本編より親切。

 たとえばコメディタッチの恋愛映画ならば、ラストがハッピーエンドだってのはわかったうえで、ふたりのやりとりや恋がどうやって盛り上がっていくかをたのしみで見るよね。
 なのに、そのいちばんのおたのしみ部分を、ハイライトで解説までつけて、予告編で全部流してしまう。あとは「ハッピーエンドでおしまい」の一瞬前まで。
 バカじゃないんだから、そのシーンのあとはハッピーエンドだってわかるよ……みたいな。

 世の中の人はそこまでやられても起承転結が理解できないバカなのか、それとも宣伝をする人がバカなのか、あるいは世間の人をバカだと思っているのか。
 予告編ではなく「本編のダイジェスト版」を作って映画館で流して、映画を見る気をなくさせている。
 やれやれ。

 この『マッチスティック・メン』の予告編も、そりゃーもー、やたらめったら長い。
 しかも親切丁寧。
 とりあえず予告を見た人は、映画本編で騙されることはないだろう。
 ……せっかくの、最後で大どんでん返しのある映画なのに。

 WHITEちゃんが怒る通り、たしかにあの予告編はひどいわ。
 作品のいちばんキモになるオチを、先に教えてしまうよーなものだもの。
 読む前のミステリ本の帯に、犯人の名前が書いてあるよーなものさ。

 予告を見てから本編を見たわたしは、はじめにトリックがわかってしまいました……。わーん。
 騙されたかったのにー。
 どんでん返しですかっとしたかったのにー。

 詐欺師ロイ@ニコラス・ケイジは潔癖性。症状がひどくなると、社会生活が送れなくなるほど重傷。相棒のフランク@サム・ロックウェルの紹介で、精神科医にみてもらうことにした。
 診察を受けるうちにロイは、会ったことのない我が子のことが気になりだした。離婚した妻は、彼の子どもを妊娠していた……もしもあの子が生まれていれば、今は14歳になるはずだ。
 ロイは医者を通して前妻に連絡を取った。それがはじまり。やがてひとりの少女が、ロイの前に現れる。娘のアンジェラ@アリソン・ローマンだ。そりゃたしかに子どものことは気になったけど、いきなり14歳の娘の父親なんかやれるわけないって!
 双方とまどいながらも、新米の父と娘は生活をはじめる。だがある日、アンジェラがロイの仕事を知ってしまい……。

 父と娘は、ある意味プラトニックな恋人同士なんだよね。
 ……と思わせる、かわいい親子ぶり。
 ちくしょー、予告編もこのあたりをメインに作れよー。
 ロイとアンジェラの親子ぶりは、とてもハート・ウォーミング。重度の潔癖症が、アンジェラと暮らすことで治っていくさまや、詐欺師を廃業しようかと考えるに至るあたりも、お約束ですが見ていて気持ちいい。
 アンジェラがまた、かわいいからなあ。リアルな女子中学生。シングル・ママのもと、生意気に利口に孤独に育った女の子。……てのが、よくわかる。

 最後の大仕事に、なしくずしにアンジェラを巻き込んでしまい、悲劇がはじまる……。

 最初からひっかかっていたから、騙されることはなかったのだけど。
 うーん、騙されていたら、この映画はどんなふうに心に残ったのかしら。

 ところで、ふたり組の詐欺師、ロイとフランク。
 こいつらって、ホモ?
 ……アメリカ人ってば、日本人と感覚チガウからなあ。
 なにかっちゃー「愛してるよ」と言い合う男ふたりは、日本ではまちがいなくホモです。
 ボーイズラブのなかの男たち以外では、恋人に言うようなことを言わないし、それらしきことを匂わせてたのしんだりしません。

 なんだよ、こいつらホモかようざってーなー、と思って見ていたので、見終わったあとに「結局ホモの痴話ゲンカかい」とか思ってしまったのです……。
 いや、チガウことはわかってるんだけどね。

 ニコラス・ケイジはうまい俳優です。
 役者とは、イメージ通りに肉体を動かすことができる人間のこと、というのをどっかで聞いた。
 ニコラス・ケイジを見ていると、ほんとーにその通りだと思う。
 自分の肉体(表情などもすべて含めて)を、自在に操ることができる人だと思う。
 だからこそ、わたしの好きなタイプの作品に出るのでしょう。

 惜しむらくは、わたしが彼の「顔」が苦手なことだよ……ほんと……。

 
 なんか、なつかしい歌をいろいろ検索してみました。

 拒否権のない子どものころに、教師から命令されて歌っていた歌。

 いちばんひどかったのが、中学時代。
 わたしは中学のとき、音楽教育を受けさせてもらえなかった。
 わたしだけでなく、わたしの学年全部。

 もちろん科目に「音楽」はあった。
 あったけど、あれは授業じゃなかった。

 3年間ずーっと、音楽教師の子どもの話を聞かされてたんだよね(教師は持ち上がりだったから、3年間同じ人)。

 楽器も習わなかったし、楽譜の読み方も習わなかったし、レコード鑑賞もなかった。音楽史も作曲家の名前も知らない。
 ただひたすら、来る日も来る日も、せんせーの赤ちゃんの話を聞いていた。

 おかげで、高校に入ってから苦労したよ。
 中学生のときに習っていて当然のことを、なにも知らなかったから。
 中学で購入しているはずの楽器も、クラスでわたしひとりだけ持ってなかったし、触ったこともなかった。
 高校の音楽の先生に、「あなた中学3年間なにやってたの?」と真顔で質問されて、こまったよ。

 同じ中学出身の他の高校に行った友だちに愚痴ったら、
「音楽を選択するからいけないのよ。うちの中学出身の人は、音楽を選択しないものよ」
 と言われてさらにびっくりさ。
 そっか、うちの中学出身者は、高校の選択科目の枠が他の中学の人より少ないのか……当然だよな、教育受けてないもんな。
 ってしかし、うちの高校、音楽は選択じゃなくて必須科目だったんだよ。泣。

 中学時代の音楽の授業では、教科書を開くこともなかった。
 だから教科書に載っている歌はまったく知らない。

 中学3年間の音楽の授業でひたすら歌った歌は、

 『バラライカ』

 だった。

 おかげで、時折ものすごーくこの歌が聴きたくなる。歌いたくなる(笑)。

 ビバ、インターネット。
 ブラボー、インターネット。

 聞くことができたわ、『バラライカ』。ああ、なつかしい。

 暗い暗い曲調で、生きる苦しみを歌う歌。
 4番まであるけど、3番まではただただ苦しみ。ひたすら苦しみ。とにかく苦しみ。
 呪うような感じで、「バラライカ」と繰り返す。
 4番でようやく、苦しみを乗り越えて生きよう、と歌う。しかし曲調は暗い呪い歌のまま。

 「苦しい仕事に疲れ果てて 帰って寝るだけ」だとか「着た切りすずめの貧乏暮らし 優しい言葉に いつも飢えている」とか、そんな歌だよ?
 これ、中学生に歌わせる意味があるのか?

 3年間、毎時間2回以上歌わされたんだけど?
 授業開始に1回、終わりに1回。声が小さいと、やりなおし。
 歌わされていない間はずーっと、せんせーの赤ちゃんが立ったの坐ったの喋ったのって話。

 今も、ノブヨ先生の呪うよーな暗い歌声が耳に残っているよ……。
 バラライカ、バラライカ……。

 あと忘れられないのが、『ポーリシュカ・ポーレ』。
 教科書に載っている『ポーリシュカ・ポーレ』は日本人が勝手に詩をつけただけの嘘の歌で、ほんとうの歌詞はチガウんだ、と言って、プリントが配られた。
 貧しい民衆が立ち上がって戦う歌だと教えられ、みんなで歌いました……。
 たしか教育実習生が指揮を執っていたと思うけど、その後ろでうなずいていたのが、ノブヨ先生。

 たしかに、教科書に載っていた美しい言葉ばかりの歌詞とはまったくちがい、血なまぐさい戦いを連想させる勇ましい歌だったよ。
 少し前に、アイドルドラマで『ポーリシュカ・ポーレ』が使われていることがあった。友人が「なんでロシア民謡が主題歌なのかしら」と言っていたので、「さあ? 戦いの歌だからじゃないの?」と答えておいたんだが、この認識は世界的に正しいのだろうか?

 なんにせよ、強烈に印象に残っている想い出の1曲であることには、ちがいない。

 ビバ、インターネット。
 ブラボー、インターネット。

 聞くことができたわ、『ポーリシュカ・ポーレ』。ああ、なつかしい。

 生きる苦しみの歌を毎時間歌い、戦う民衆の歌を熱唱する中学生たち。

 ……あー……なんであんなに偏った歌しか歌わせてもらえなかったんだ……。

 でもやっぱり、歌いたいなあ、『バラライカ』。
 カラオケに入ってないかなあ。
 世の中を呪うよーな暗い声で歌うのよー。もの悲しくされど力強く大きな声で歌うのよー。
 ストレス解消にいいかもしれない(笑)。

 
 「ろくまいそー」の謎は、あっけなく解けました。

 と、弟に報告したら、おどろかれたよ。
 わたし、昨日レストランで、弟に聞かせるために実際に歌ったんだけどな。
 そこでまったく謎だったのに、翌日には解けるなんて!

「すごいな、自分で調べたのか?」
 と言う弟に、

「いや、日記に書いたら教えてくれる人がいたの」

 と答えたら、ものすごーく怪訝なカオをされた。

「日記……? そんなとこに書いて、答えが?」

 そうよ。見知らぬ人がわざわざ、メールで教えてくれたのよ。
 弟には、わたしがwebで日記を書いている事実だけを教えてある。URLはもちろん教えてない。こんなにひんぱんに自分が登場しているなんて、夢にも思ってないだろう(笑)。

「ねーちゃんが日記を書いてるのはわかるけど、なんでそんな日記を知らない人が読んでるんだ?」

 有名人の日記とかならわかるけど、ただのその他大勢、一般人の日記を、友人知人以外が読むなんて、時間の無駄だだろう。
 ……と、弟は言う。

 あー、なんでもわたしの日記は、ヅカ関係の単語で検索に引っかかりまくるらしいのよ。
 そのせいじゃないかな。同じ趣味の人の日記なら、わたしだって読むし。

 と説明したら、弟も納得していた。
「これだからヅカファンは……」
 ってナニ? ナニか言いたいことがあるの、弟よ?

 検索といえば、殿さんに、
「ケロ トウコ 受 で検索したら、緑野さんの日記がいちばん上に出てきたのよ、反省しなさい(笑)」
 てな意味のことを言われたよ。
 そんなもんで検索する方もする方だと思うが。
 実際にやってみたら、ほんとにこの日記がいちばん上に来て、のけぞったね……。苦。

 それにしても、ここで日記書いてなかったら、一生抱えていたかもしれない謎が、とーっても簡単に解けてしまったわ……。

 『Rock my soul』、作詞者不詳の黒人霊歌。
 相反する概念が同時に存在する謎かけのような部分は、神様のことでした。
 あー、やはりキリスト様でしたか……。どーりで学校の友だちには通じなかったわけだ……。
 うちの小中学校では、レクリエーションで歌うことのない曲でした。

 Rock my soul in the bosom of Abraham,
 Oh, rock-a my soul
 主よ、我が魂を慰めたまえ
 おぉ、我が魂を

 だそーで。
 意味も元ネタも知らされないまま、口伝だったので、歌詞も踊り方も微妙にチガウ。ま、わたしの記憶がアヤしくなっているせいもあるし。

「中学校のキャンプとか林間学習とか、ひたすら山の歌、歌わされなかったか?」
「歌わされたよ。山男の歌ばっか、何曲も何曲も。あれ、ウメダ先生の趣味だよねえ」
「山を変質的に愛しているヤツが学年主任だったからな……迷惑な」
 3つちがいの姉弟は、当たった教師がほぼ同じだという不幸を抱えている(笑)。
 『雪山に消えたあいつ』とか、中学生が歌ってどうするんだ?

 と、そのまま子どものころレクリエーションで強制的に歌わされた歌、の話になってみたりな(笑)。

 ねえねえ、『雪山に消えたあいつ』って、全国津々浦々、どこの中学生でもキャンプで歌ったの?
 と、聞いてみたりする(笑)。答えは返るかしら?

 ここは広い広い世界の中の、小さな小さな場所。わたしのささやかな箱庭。
 こんな小さなわたしの囲った腕の中の世界で、大きな世界の人々から、答えがもらえたりするんだわ。
 ああ、なんてありがたいのかしら。
 それだけ「ろくまいそー」が有名だったってこと?
 たくさんの人が知っているから、わたしの日記にたどり着く確率が高かったってこと?

 ……つまり。

 ヅカホモ仲間募集中、という呼びかけに、ぜんぜん反応ないのは。

 それだけ、人口が少ないってことなのね……しょぼん。

 
 子どものころ、ガールスカウトに入っていた。
 なんで入っていたか、入っていてどうだったかは置くとして。

 あれからずっと、謎として抱えていることがある。

 今はどうだか知らないが、当時のわたしがいたガールスカウトでは、すべてが「口伝」だった。
 教科書なんてないし、紙に書いてあるものもなかった。
 規則も方法もちょっとしたことも、なにもかも、先輩から耳で聞いておぼえるのだ。
 もしくは、「見て覚えろ」てなもんで、みんながやっているのを見て、聞いて、自発的に自分で学ぶのだ。誰も先に教えてなんかくれない。「先輩から盗め」てなもんだ。
 昔の職人さんとか丁稚奉公とか、そんな感じ? わりと封建社会だった。規律とかいろいろ厳しかったしな。

 そして謎は、「口伝」ゆえに生まれた。

 ガールスカウトはキリスト教が根っこにある。
 わたしが聖書を読んだのも賛美歌を歌ったのも教会に入ったのも、みんなガールスカウトになってからだ。
 神と国家、なんて、八百万の神と同居している日本人の小学生が考えたこともない概念と向き合わさせられたりもした。
 今でも「約束」(誓いの言葉だな。活動のとき必ず声に出して宣誓するんだわ)を空で言えるけど、そこで「神と国」という言葉があることが、当時も理解できずにいたが、根っこにある宗教がちがったせいなんだよなー。

 さて、その異世界文化を根底に持つ団体において、子どもだったわたしはいろんな「歌」を習った。
 賛美歌も多かった。とーぜん、歌詞は現代語ではない。文語体だし、敬いまくった言い回しだから、なにを言っているのかさっぱりわからない。
 それらは「口伝」であったがゆえに、さらに呪文めいてくる。
 文字で書いてあってもきっと、なんのことかわからないだろうに、それを耳で聞いて覚えるんだ。
 さーっぱりだ。
 でもまあ、賛美歌はメロディが美しかったので、わけのわからない呪文を音だけなぞって、なんとなくいい気分にはなっていたっけ。

 賛美歌はすでに「呪文」の域にまで達していた。ので、謎にはならない。だってそもそも全部、わけがわからなかったもの。
 問題は、レクリエーションのときに歌う歌だ。
 これが、中途半端にわからないんだ。

 誰か、『ろくまいそー』という歌を知りませんか?

 キャンプなどで必ず歌ったのだけど、最後まで意味がわからなかった歌。
 そもそも、「ろくまいそー」って、ナニ?

 口伝だから、どんな字を書くのかわからない。
 ひとが歌っているのを聞いて、自分もまねて歌う。
 さすがに「ろくまいそー」と歌われる部分の意味がわからなくて、先輩に聞いたのだが、
「なにって、『ろくまいそー』は『ろくまいそー』よ。そう歌えばいいの」
 としか答えてくれなかった。先輩もたぶん、知らなかったのだ。先輩ったって、同じ小学生さ。理屈なんかなくても生きていける世代。
 なんせ口伝。耳で覚えて、後輩に伝えていく文化。
 元ネタなんか、わかるはずがない。

 『ろくまいそー』は三重奏で、主旋律パートが、

 高くてのぼれない 低くてくぐれない
 広くて泳げない 狭くてすすめない
 おお ろくまいそー

 と、歌う。細部はチガウかもしれんが、とにかく反対の概念が同時に存在するのが「ろくまいそー」というものらしい。
 主旋律を歌うグループは、振り付けがあるので踊らなければならない。

 第2のパートは、

 ろーくまーいそー
 ろーくまーいそー

 と、スローテンポで最初から最後まで同じ歌詞を歌う。

 第3のパートは、

 ろっくまいそっ、ろっくまいそっ

 と、アップテンポで最初から最後まで同じ歌詞を歌う。

 3つのメロディが重なり合ってはじめて、『ろくまいそー』という歌なのだ。

 ……なんなんですか、コレ?

 「ろくまいそー」部分は、もともとは英語かなんかじゃなかったのかな、と、今になって思うんだが。
 だけど口伝だし小学生なので、意味も発音も関係なく「ろくまいそー」と伝えられていった。

 ああ、謎だ。
 なまじ、他の部分がわかるだけに、肝心要の「ろくまいそー」だけわからないのが、気持ち悪いのよ、引っかかるのよ。

 あと、「しらかば林」ではじまる歌。
 これも中途半端に覚えていて、半端に謎で、気持ち悪いの。

 しらかば林ウーラのすみか
 大鹿の群 彷徨う
 (途中失念)……いつか
 うんばらいーやだ うんぱっぱ
 うんばらいーやだ うんぱっぱ

 ウーラってナニ?
 でもって、最後の「うんぱらいーやだ うんぱっぱ」ってナニ?!

 当時、誰に聞いても正しい歌詞なんかわからず、音だけで「うんばらいーやだ うんぱっぱ」って歌えって言われてたんだもん。

 謎。
 ずーっと、謎。
 ガールスカウト活動当時も、そして退団したのちもずーっと謎のまま。

 わたしが一生抱えていく謎なのかしら。

 同時期にボーイスカウト(正確にはカブスカウト)に属していた弟に聞いたんだが、彼もまったく知らないと言う。
 ボーイとガールでは、まったく活動内容がちがったしなあ。当時は子どもの数が多かったからか、ボーイとガールはまったくの別組織別活動だったし。今たまに、男女入り交じっているボーイスカウトらしき人々とか目にして、違和感持つくらいに。

「カブスカウトのおかげで、当時キリスト教にはものすごい苦手意識を植え付けられたよ」
 と、弟は苦笑しつつ言う。
 なんの予備知識もない、神も仏もごった煮感覚のふつーのガキに、突然キリスト様はきつかったらしい。
 公立の小学校に入学したつもりが、実はそこはばりばりのミッション・スクールで、朝から教会で礼拝しなければならない世界だった、てなカルチャーショック。周囲には洗礼名を持った人たちがごろごろ。
 わたしも、アレにはおどろいた……宗教なんてそれまで意識したことなかったからなあ(笑)。

 よっぽど肌に合わなかったのか、弟はすぐに退団してしまったんだ。
 わたしはなんとなーく、ずるずると数年いたけど(洗礼は受けなかったっす)。

 制服はよりによってワンピースにベレー帽でねえ……。
 成長のいいわたしは、制服がすぐに小さくなって大変だったよ。ワンピースはお直ししにくいんだってば。
 膝丈が規則なのに、折り返し部分を全部出してなお、パンツがぎりぎり見えないくらいの超ミニになってしまった制服で、活動してたなー、わたし。

 またしても弟と近所のレストランでメシ食ってたんですが。
 どっからそうなったのか、本日の話題はガールスカウト時代のことだったりしました。

 ああ……。
 「ろくまいそー」って、ナニ〜〜っ?!

  

フルムーン旅行。

2003年10月13日 家族
 両親は旅行に出発しました。

 足が不自由な父はともかく、やたら元気な母は月に1回旅行に出かける。
 いったい何ヶ月連続で旅行してるかなー。おぼえてないや。
 今回は、父と母は一緒。10月10日が結婚記念日なので、フルムーン旅行だとか言っていた。いや、アンタら旅行しまくってるから、フルムーンもなにもただの言い訳にしか聞こえませんがな……。

 いつもいちいち日程やら旅先を聞かないのでよく知らないんだが、今回はたまたま話題に上った。

「新幹線に乗れる」
 と、父がはしゃいでいたからだ。
 父は鉄道ファン。電車に乗ることが生き甲斐。
 わたしが仕事で東京に呼びつけられ、必然的に新幹線に乗ったときも「いいなあ! 新幹線に乗れて!」とうらやましがるような感性の持ち主だ。

 ふーん、新幹線か。どこへ行くの?

「青森」

 は?
 青森って、青森ですか? 東北の?
 新幹線で?!

 ……あの、ここ、大阪なんですけどっ?!

 横から母が苦笑まじりに口を出す。
「早朝に出発して、青森には夕方に着くの」

 ぽかーーーーん……。

 父はご機嫌。
「10時間も新幹線に乗れるんだぞ!!」

 ぽかーーーーん……。

「2種類の新幹線に乗れるんだぞ!!」

 ぽかーーーーん……。

「どーだ、すごいだろう!!」

 ぽかーーーーん……。

「他の誰もつきあってくれないそうだから、アタシとふたりで行くの。アタシはまあ、仕方ないからつきあうわ」
 母はなまぬるく笑っている。日本地図を広げながら。
 日本地図だよ?
 新幹線の路線を確認するのに、日本地図!! ふつー一部分が載っている地図でいいはずだろう。それが、全体図……。

「それにしても、途方もない距離よねえ……」
 日本地図を見ながら、溜息をつく母。

 途方もないよ。
 10時間もあったら、地球を相当距離移動できるよ。
 つーか、あんたら何泊の予定でなにしに行くのよ?
 飛行機で行くより、高いんじゃないの??

「新幹線に乗るのが目的だから、そんなことはどうでもいいんだ」
 って父、あんた変。
 そんな旅行、わたしなら絶対イヤだーーっ!!

 つーことで、両親は旅行中です。
 いつ帰ってくるのか知りません。

 
 「太陽の塔内部公開」に行けなかった……。
 ものすごーく、引きずってます。
 特別に思い入れがあるもので。

 ので、かなしく花組全ツ2日目に行ってきました。
 太陽の塔に行ければ、こっちはさばくつもりだったんだが……。

 と、昨日と同じイントロで失礼。
 でもこれがほんとのとこだもん……。

 さて、寿美礼ちゃん素敵〜〜、萌え〜〜、だけではなんなので、他の話。

 柴田侑宏作、正塚晴彦演出『琥珀色の雨にぬれて』。
 純真青年クロード@オサは、美女シャロン@ふーちゃんに一目惚れ。シャロンは大金持ちのおっさんたちを手玉に取る魔性の女。誰のモノにもならない、高嶺の花。それでもクロードはめげずに恋一直線。シャロンを狙うジゴロのルイ@蘭とむとライバル宣言をしてみたり、とってもフェア。シャロンもそんなクロードの好青年ぶりにぐらりときたみたいだけど、彼にはフィアンセのフランソワーズ@あすかがいて……。
 四角関係恋愛ドラマ。

 この作品ってさ……。
 ストーリーではなく、キャラものだと思うの。

 ストーリー展開なんかどーでもいいのよ、キャラが魅力的ならば!
 という、マンガやライトノベルのノリの作品だと思うの。

 柴田作品というと「大人」で、シックで洗練されていて、ガキが観てもわかんないのよ!的なイメージがあるけどさ。
 『琥珀…』はキャラものでしょ?

 主人公クロード。
 この男が、すべてのはじまり。つーか、全部。

 だってこのクロードってさ、早い話が登場人物全員に「一目で愛される」キャラなのよ。
 そこにいるだけで、すべて許されてしまう存在。
 誰もが、出会った瞬間から彼に好意を持ち、彼を受け入れる。
 彼がなにをしようと関係ない。
 クロードが世界から愛される、それがこの物語。

 これは、前提。
 絶対条件。
 舞台上だけでなく、観客に対してもそうでなければならない。
 出てきた瞬間に客席全部を虜にして、自分に感情移入させてしまわなければならない。

 だからこの役は、正しくトップスターの役だと思う。
 世界から愛される。
 彼の目線で、世界が動く。
 観客はすべて、彼の味方。
 彼が物語の中で取る行動はけっこうひどいんだが(二股、浮気、裏切り)、それを一切不問にして彼に同調させるだけの「魅力」を第一に求められるわけ。
 台詞で「純真だ」てなことを解説されるだけで、彼がすばらしい人だというエピソードは特にないのに、「すばらしい人」だと最初から思わせなければならない。

 この極端な主人公が、これまた極端な「美女」に一目惚れをする。
 クロードがここまで「特別」な存在だから、そんな彼に一目で愛される女は、さらに特別でなければならない。

 ヒロイン、シャロン。
 絵のモデルやマヌカンをやっている、とはいっても、やっぱりイメージ的には高級娼婦。パトロン持ちの魔性の美女。
 誰もが彼女に夢中にならざるを得ないほどの、魅力の持ち主。
 ……これもまた、役者の力を測られてしまう役。出てきた瞬間に万人を魅了する「華」がなくては成り立たない。

 清純な青年と、魔性の女の恋。

 ふたりはあまりにもチガウから、惹かれ合ったのだと、説明はつく。
 つくけど、ストーリーよりはキャラ重視の展開。このキャラならば、こうでしょう!的。

 物語はなにもかも、キャラのお約束だけで終始する。
 純真青年主人公ならこう、魔性の女ならこう、清純な令嬢ならばこう、伊達男ならこう、といった形通りの行動とオチ。

 キャラだけで、ストーリーは言い訳程度だからさー。
 ベストキャスティングで観たいよ。
 つーかそうでないと、退屈なだけだよ、この芝居。

 最初にムラで観たときは、ほんとによくわからなかった。
 主人公クロードという人物が。
 ストーリーが言い訳程度だから、キャラがわからないと、マジでわけわかんなくなるんだよね。
 何故この人はここでこう言うんだろう、ここでこう行動するんだろう?
 ?マークだらけ。

 理解したのは、新公でだ。

 ……チャー様のクロードは、わたしには理解不能だったんだよ。きれいだったけど。

 新人公演は、正直期待してなかった。
 だって当時蘭とむくんといえば、どすこい健康優良児、イケてない実力派。
 うまいのはわかってるけど、タイプってものがあるじゃん。あの体育会系の元気な男の子が、どーやってこんな悲恋モノの貴公子を演じるんだ……と、危惧していた。
 しかし。
 フタを開けてみれば、全部杞憂。
 わたしにとって、クロード役は蘭とむの方が合っていた。つーか、はじめて理解できた。
 そっか、こーゆー人だったんだ……。
 理解できなかった台詞も行動も、はじめて意味がわかったよ……。

 クロードの真面目さや不器用さ、誠実さが、ストレートに伝わってきたんだ。

 この男ならたしかに、あーゆーことになるか……納得。

 見た目はもちろん、チャー様の方がよかったんだけどね。神経質な美青年で。
 蘭とむくんは正直見た目はちょっと……ごつすぎ。でもその体育会系なところが、真っ正直さを後押ししていた気もする。

 難しい役だ、クロード。
 一見、ただの二枚目だけどね。
 世界から愛される人間、なんて、究極の難役だと思う。
 谷作品みたいに、全員が主役万歳して彼のために死んでいく、みたいな話にでもしないと、わからないって(谷作品はそれでもわからないが)。

 今回のオサのクロードを観て、さらに難しさを再確認した。
 あたりまえだが、チャー様とも蘭とむくんとも別人のクロードがそこにいた。

 オサクロードは純真さより真面目さより、「華」だけで勝負している気がしたよ。
 こんな男、好きでしょ?
 ほーら純真だよ、かわいいよ、きれいだよ、どう?
 「俺を好きになれ!」と、全開で言われている気がした……。
 え、えーと……。
 わたしはもともとアナタが好きだからいいけど、そーでない場合はどうなんでしょ?
 その潔い「華」勝負っぷりは。
 クロードの純真さもかわいさも真面目さも誠実さも、全部「華」のあとからついてくる、てか?
 その役作りは、正しいのか? タカラヅカのトップスターとしては、正解ど真ん中か?

 ま、ファンの目は曇っているだろーから、あくまでもわたしの感想にすぎませんがな。

    
 「太陽の塔内部公開」に行けなかった……。
 ものすごーく、引きずってます。
 特別に思い入れがあるもので。

 ので、かなしく花組全ツ初日に行ってきました。
 太陽の塔に行ければ、こっちはさばくつもりだったんだが……。

 デイジーちゃん、華麗なる復活!!

 わたしの友人ズのなかで、もっとも高いテンションを誇るデイジーちゃん。暴走するとぶつかっても止まらないデイジーちゃん。
 最近おとなしかった彼女が、花全ツ初日を観終わるなり、完全復活しました。

 こわいよ、なにか出てるよ!(笑)

 彼女の周りに、ピンクのお花が飛んでいるのが見えます。

「たのしかった! 全ツの回数、増やします!!」

 花組東宝が終わってから、ひと月ほどですか?
 オサ命の彼女は禁断症状が出ていた模様。ナマの寿美礼サマをその目にして、エンジンがかかったようです。てゆーか、走り出した瞬間にトップスピードにのってます。
 おーい、デイジーちゃん、大丈夫かぁ? 舞い上がった足が、地面についてないよー?

 とまあ、デイジーちゃんは極端だけど、たのしい舞台でした。ショーは。

 芝居?
 芝居は……わたしには、わりときつかったっす。
 「人材不足」という文字が、アタマを占領して離れなかったよ。
 まず、ヒロイン。
 これが絶世の美女か……溜息。誰もを虜にする魅力を持つ女か……溜息。
 それから、伊達男。
 これが百戦錬磨のジゴロか……溜息。誰をも虜にする魅力を持つ男か……溜息。

 寿美礼ちゃんひとりが必死になって「主役」をやっていたよーな。
 舞台をたったひとりで埋めようとしていたよーな。

 ヒロインと2番手が力不足だと、あーゆーことになるのか、と、全国ツアーの穴を目の当たりにした気分。

 いや、蘭とむはなー、そもそも4番手なんだから仕方ないっちゃー仕方ないんだが。4番手の坊やにいきなり2番手やらせる方が悪いのかもしれん。
 それに蘭とむ、芸風変わっちゃったからねえ。『エンタの神様』以降アイドル化しちゃって、昔の「イケてないけど実力派」だった頃とは別人だからねえ。昔のままなら、もっとチガウ役を作れたんじゃないかと思う。『マノン』のころはよかったよ……遠い目。

 小僧でしかない蘭とむは置いておいて、ヒロインはどうよ?
 仮にもトップ娘役サマなのになー。
 これからあか抜けていくのかしら。

 そして、ショー『Cocktail』。
 わたしはコレ、チャー様Ver.しか知らないんだよねー。
 ムラで観たとき、寿美礼ちゃんの短パン姿に目眩がしたこととか(なんて格好させんのよ! 怒)、チャー様の歌うすさまじいJ-POPに椅子から落ちそうになったことぐらいしか、記憶にないのだわ。あ、あとオカマが絡み合うシーンがあったっけ?

 よくおぼえていないことが幸いしたのかどうか、とにかくやたらたのしかった。

 『Cocktail』ってこんなショーだっけ? 印象がぜんぜんチガウ。
 つーか、すごくたのしかった。

 めちゃかっこいいんですけど、みなさん!!

 たぶん、新しいシーンだと思うんだけど、あの振り付けは癖になる〜。
 ショーが終わったあと、トイレの列に並んでるとき、見知らぬおばさまがその振り付けで踊っていらっしゃいました……。
 一緒になって笑っちゃったけど、わかる、気持ちはわかるよ! アレは踊りたくなるよねえ?
 デイジーちゃんに「コレを踊ってる人を見たよ」と実際にわたしもやってみたら、彼女も「ああ!」って納得してるし。

 プログラム買ってないんで、どこのシーンと名指しはできません……。昔なんかのショーであったんですか? 紳士と淑女の群舞。ひたすらかっこいい……。

 寿美礼ちゃんのファンは、心からたのしめますわ……ああ、うっとり。
 黒燕尾が美しい人ですね、ほんとに。
 たったひとり立つことで、舞台の空間を埋められる人。
 そしてなんといっても、あの歌声。
 声が好きなんだよなー。とくに、ドスのきいた低い声は最高に好き。
 にこにこ笑っているときは「腹の底まで真っ白です!」という善良な青年に見えるし、ほんのちょっと表情をゆがめるだけで「魂の底まで邪悪です」って男に見える。
 それがオサ様の魅力。
 ショーでは両方をたのしめるからいいんだよなー。
 ほらあの、オカマが絡み合うシーン。ここは健在なのね。
 チャー様のときはオカマに見えてしまったんだが(チャー様が女性っぽく演じていたからだと思う)、寿美礼ちゃんだとトート様に見えて、
「あら、トート様が新公ルドルフ@みわっちを誘惑しているわ」
 と、素直に愉しんでしまった……。邪悪なカオが似合うよなー、寿美礼ちゃん。あ、でもみわっちは受々しすぎていて、わたし的にはNG(笑)。

 このショーを観ながらつくづく思ったのは、

「歌えるってことは、強みだ」

 ということ。
 だって……。

 まっつ!!

 まっつが、すごかったよー。
 アンタ、どこのスター様ですか!
 ひょっとしてショーでは2番手ですか? ってくらい、歌のシーンになると場をかっさらっていくんですが。
 おどろいたわ。
 ムラ公演のとき、ちはる兄貴が歌っていた曲を、歌っちゃうなんて。つーかあのキー出しちゃうんですか、小僧っ子のくせに! カオなんかガキ丸出しなのに。
 歌えるってのは、強いなあ。
 若手の路線系で歌うまい子ってのは、貴重だもんな。このまま育ってくれえ。
 お化粧から立ち居振る舞いからキザり方から、オサ様のコピーみたいな彼は、これからどんな大人の男になるのでしょう。たのしみです。
 そーいやわたしが彼を個別認識したのが、ムラの『琥珀…』でしたっけなあ。月日の経つのは早いなあ。

 歌手であるオサ様とまっつの間に挟まれて、とっても割を食っていたのが蘭とむ……。
 普段は、あそこまで彼の歌を「ひどい」とは思わないんだがな。
 今回は、彼が歌うたびに「あちゃ」と思った……。
 へんだなあ、蘭とむは十分歌うまいと思ってるんだけど……つーかヘタだなんて一度も思ったことないんだけど……今回はソロの多さも災いして、「あちゃ」の連続だった。わたし的に。

 最近、ショー作品でたのしい思いをしたことがなかっただけに、意外なほどたのしかった。
 人手不足だから、いろんな人が意外な衣装でスターみたいなカオで踊ってるけど、内容はよかったよ。本公演の規模とキャストで観たいくらいだ。

 芝居のときは冷静だったのに、ショーが終わるなり、わたしとデイジーちゃんは大喜びさ。

 デイジーちゃんは、結局夕方の公演も、さばきで観ることにしていたし。
 あ、さばきは適度にありました。本気になればいくらでも良席を探せたと思うよ。デイジーちゃんはF席センターGETして踊りながら劇場に入っていったもん(笑)。

 つづく

       
 血相を変えて、母がわたしの部屋にやってきた。

「虫に刺されたの! アンタ、なにか薬持ってたわよね?!」

 虫って、なんの虫?

「わからない、朝起きたらこんなことになってたの!」

 母の首筋やら腕の内側は赤い斑点でいっぱい。
 それ、虫さされっていうより、じんましんかなんかじゃない?

「近所の皮膚科ってどこよ? アンタ、インターネットで探してよ!!」

 ママはプチ・パニック中。
 聞けば、父も同じ症状らしい。
 それって、なにか食べ物にあたったんじゃないの? 同じ家で暮らしている夫婦がそろって同じ症状ってことは。

 とりあえず、皮膚科を探して、そこへ父を送り出した。
 症状が同じなら、ふたりそろって行く必要はない。なんせ父は障害者手帳のおかげで医療費がタダなのだ。まずは父が行って、タダで診察してもらうよろし。

 父を待つ間、なんとなく母の話し相手をつとめる。
 笑えたのは、母が父の友人から借りた本。
 お手製のブックカバーがかかっていたんだが、そのカバーは、「父が出した手紙」の封筒だった。
 表紙を見るためにカバーをはずしたら、そこには父の名前が。
 エコロジーだわ、使用済み封筒の裏を使ってブックカバーにするなんて。ステッカーを貼って、おしゃれにリメイクしてあったし。
 しかしまさか、手紙の差出人の奥さんに、本を貸してしまうことになるとは、思ってなかったんだろうなあ。

 そうこうしているうちに、父が帰ってきた。

 病院に行くなり、待合室で知人にばったり会ったらしい。
 そんなところで会うとは思わない相手だから、
「どーしたんですか?」
 という話になる。

「いやあ、なにやら湿疹ができましてね」
「わたしもですよ、首の後ろとか腕とかに湿疹ができてしまって……」
「え、それ、同じですよ、ほら」
「ああっ、同じだ」

 オヤジふたり、カラダを見せ合って声を上げるの図。

「わたしは今、診察を受けて出てきたところなんです。緑野さん、ソレ、わたしと同じ、山茶花のせいですよ!!」

 山茶花? さざんか。「さざんか さざんか 咲いた道 たき火だ たき火だ 落ち葉たき」の、あの山茶花。

「ええっ、山茶花? ウチにもあります、山茶花!! 庭に2本もあります!」

 父、驚愕。庭の山茶花のせいで、湿疹が?

「正確には、山茶花にわいた毛虫のせいです」
「ああっ、そーいえば毛虫がわいたって妻が言ってましたっ」

 でも、毛虫がどーやって人間に湿疹を?

「毛虫の出す毒が、風で洗濯物についたりするんですよ。それで湿疹が出るんです。山茶花のそばに洗濯物を干してないですか」
「干してます、山茶花のそばで!」

 言いながら父、思い当たる。

「ああっ、そーいえば、数日前にテーブルに毛虫がいて、大騒ぎになりました。家の中にどーして毛虫がいるのか不思議だったけど……そうか、洗濯物についてきたんだ!」

 お医者さんに診察してもらう前に、原因発覚。
 そのあと、実際に診察してもらったけれど、答えは同じだったらしい。

 山茶花に異常発生した毛虫のせい。
 アレルギーですな。

 毛虫自体は、数日前に母が大虐殺をし、今では一匹も残っていないらしいが、当時の洗濯物が今ごろ肌に害を及ぼした模様。

 今年は特に、毛虫が異常発生してるんだって、あちこちで。
 そうなの?
「自分ちの庭ぐらい、ちゃんと眺めなさいよ。家の前の花壇、パンジーを植え直したのよ、ちゃんと見た?」
 ママは言うけど、知らねーよ、そんなこと。

 わたしが季節を感じるのは、わたしの猫が膝の上やベッドにあがってくるよーになったことぐらいさ(夏の間は寄りつかない)。

 
 貧血を起こしたリカコンののち。
 すぐさま電車に乗るのは気分的に不可能だったので、へたりこむこと1時間。
 胃袋に入れられるだけ入れて、体力回復につとめた。

 へんだなあ、わたしちゃんと、食事してから出かけたのよ?
 なのに、幕間にかねすきさんに菓子パンもらって、終演後にお菓子もらって、別れたのちにひとりでごはん食べて。
 これだけ栄養取ってなお、どーして貧血なのよ。
 やっぱ心因性かな……。

 とにかく、貧血は時間さえ経てば治ります。
 いつものことなので、本人は慣れている。治るまでの時間と症状の重さは、そのときでないとわかんないから不安だけど。

 ま、とにかく。
 明るいところでへたるのもかっこ悪いので、そののち映画館へ逃げ込んだ。
 映画館なら、背もたれにどてーっともたれていても、変じゃないから(喫茶店などでそんな坐り方はできないもんよー)。

 ということで、『陰陽師2』。

 監督・滝田洋二郎、出演・野村萬斎、伊藤英明、中井貴一。

 鬼が出る。鬼が都の貴人を食らう。人々は戦々恐々。……ひとつめの要因。
 貴族社会とは別に、市井の人々の間で「神」とあがめられている男、幻角@中井貴一。彼は貧しい人々に「奇跡」を起こして見せていた。……ふたつめの要因。
 右大臣の一人娘、日美子@深田恭子は、鬼の襲来と呼応するように夢遊病になっていた。……みっつめの要因。
 都の宝物、聖剣アメノムラクモに異変が起こる。安倍晴明@野村萬斎はそれについて調べはじめる。……よっつめの要因。
 笛の名手、源博雅@伊藤英明はある夜、彼好みの琵琶を奏でる少年、須佐@市原隼人に出会い、口説く。……いつつめの要因。
 とまあ、とっかかりはこんなもんかな。これらの出来事が、全部ひとつの物語に結びついていく。
 壮大な、神話の戦い。スサノオとヤマタノオロチですよ、アマテラスですよ。コム姫、来年コレやるんだなあ、と関係ないこと考えながら見ちゃったよ。

 よーするに、晴明と博雅のふたりが「あいらびゅ〜ん」「じゅて〜むん」といちゃくらしているついでに、日本を救う話。
 ラヴストーリーとしては、前回ほど派手じゃない。やっぱり恋愛は最初の1回が盛り上がるもんね。「出会い→反発→惹かれ合う→告白→障害→結ばれる」のセオリーは、第1作ならではよねえ。
 2作目だと、「両思い→事件(当て馬登場)→両思い」と、盛り上がりに欠けるんだよなあ。
 そのぶん、女装してみたりなんだりと、変化をつけてるけど。
 こういう恋愛モノって、第1作ですべてやり尽くしていて、続編は全部ただの蛇足と同じことの繰り返しなんだよねえ。

 と、恋愛モノとして語ってみました。
 あながちまちがいでもないしな(笑)。
 晴明と博雅は相変わらずラヴラヴバカップル状態。互いに好き好きオーラ出しまくり。
 だけどそれを自覚していないバカ博雅が、他の人間にふらついたので、晴明が本腰入れて事件に介入って感じ?
 博雅は自分では日美子にのぼせあがっているつもりらしいが、これはほんとにただの一過性の風邪みたいなもんなんだろう。晴明も重くは受け止めず、からかいのネタにしたりしている。
 問題は、須佐の方。日美子のことは笑って流している晴明なのに、博雅と須佐には反応がチガウのね。そっかー、男の子の方に反応するのか……奥さん、大変だなあ、気の多い旦那だと。
 でも、それはあくまで表面的なことで、夫が自分にべた惚れなのをちゃんと理解している奥さんは、余裕で事件を解決していく。ああ、奥さん男前。

 やはりこの映画は、主役ふたりのキャラをたのしんでナンボだと思うのよ。
 奥さんに惚れきってる旦那、奥さんを崇拝の目で見る旦那、を、かわいいと思わなきゃ、やってらんないよねえ。
 崇拝だよ、崇拝。
 自分より高見にいて、自分のことをいつもからかって笑う相手に、惚れきってんだよ。女王様と下僕だよ。
 そんな関係をなんの疑問もなく、屈託なく受け入れてひょうひょうとしているのよ、旦那。晴れ渡った空のようにバカな男だよ。
 そのくせ、このバカ旦那は奥さんの生きる支えであり、その実奥さんの方がより深く旦那に惚れてるのよ。
 この微妙な力関係が、いいよねー。
 そして、野村萬斎と伊藤英明は、ソレを見事に表現しているよねえ。

 晴明を野村萬斎にやらせた段階で、「勝ち」は決定だと思った。
 夢枕獏の安倍晴明は、顔だけのアイドル俳優なんかではできない役だから。
 姿が美しく、存在感のある人でなきゃならないのよねえ。
 あの恥ずかしい夢枕おぢさんが、萬斎晴明を絶賛しているのが、よくわかるよ。いやあ、そりゃアンタ、好きでしょうよ、こーゆー男!(笑)
 『陰陽師』のエンドロールの野村萬斎の舞を見て、「もっと踊ってほしい」というところから『陰陽師2』のストーリーができたってあたり……恥ずかしい……。そこで自然に「女装」に行きつくところも……。そーだよなー、夢枕おぢさん、そーゆーの好きだったよなー。
 夢枕が小説で描いてきた「耽美な美青年」の現実版が、野村萬斎なんだよね。
 わかるわかる(笑)。
 彼は顔だけ見るとべつに美形ではないし、女装したって気持ち悪いだけだ。
 しかし、ときおりゾクッとするような妖艶な顔をする。これがすごい。
 この映画の最後、目覚めるときの晴明の表情にはくらくらきた。顔の作りとは関係なく、彼は美貌の男だと思う。耽美っちゅーのは彼のためにある言葉だと思う。

 一方、いとーちゃん。
 最初、このキャスティングは不満だったんだよねえ。
 原作ファン(マンガは読んでないんで、あくまでも原作)としては、イメージがちがいすぎたから。
 もっとごつくて不細工な、横幅のある岩のような男を想像していたんだわ。武人だから。武骨な男だから。無邪気な男だから。そのくせ、笛の名手で繊細な心を持つところが、ツボだったのよ。
 まだ、NHK制作の駄ドラマの杉本哲太の方が、イメージに合っていた。
 いとーちゃんじゃ、優男過ぎる。二枚目過ぎる。若過ぎる。
 とまあ、不安材料だらけ。
 それでもフタを開けてみれば、許容範囲だった。いとーちゃんが二枚目に作ってないのが、いい感じ。
 そして彼は、この間の『ぼくの魔法使い』で名をあげたからねえ。ただの二枚目俳優でしかなかっただけに、あの「みったん」役は、見直させてもらったよ。
 今回の映画では、その点安心して見たよー。二枚目俳優の看板は下ろしっぱなしの潔いバカ男ぶり。いとーちゃん、いい役者ぶりだー。

 と。
 主役ふたりのことしか、語る気はなし。
 映画の内容?
 それはねー、ははは。
 やっぱ日本映画はショボいですなっ。の、ひとことで終わってしまいます。
 CGや特殊メイクの貧相さ。ああ、お金かかってないのねー。セットのちゃちさ。ああ、お金かかってないのねー。
 ストーリーは、他のメディアでならもっと盛り上げることができた内容だと思う。だが、日本映画でやるには悪い面ばかり目立った感じ。
 小説やマンガ、アニメでやったら、きっとすごかったろうなあ。もしくは、ハリウッド映画なら。
 日本映画は、コレが限界か……。
 都のショボさ、人口の少なさは、『HERO』を見たばかりだとキビシイわ……当時の人口はどんなもんだったの? 史実なんか無視して壮大にした方が盛り上がったんじゃないの?
 宮廷と個人の屋敷の差が、ほとんどなかったよ……あれが帝都だなんて、かなしすぎる。
 背景のちゃちさを、役者が必死に埋めている感じ。

 その昔、NHKで『壬生の恋歌』という新撰組の連続ドラマがあってな。
 最終回で主役の三田村邦彦が、「ど…
 思い出したことがある。
 わたし、リカちゃんダメだったんだ。

 長い間、紫吹淳が苦手だった。
 大劇ならともかく、リカちゃんが主演しているバウその他の公演は、スルーしていた。

 いやあ、忘れてたよ。
 わたし、リカちゃんダメだったんだー。

 と、突然観に行ったリカコンで思い出したの。今回のコンサートは、なつかしい曲とかも使っているから。
 そーいやわたし、昔はリカちゃん苦手だったんだ。この曲のときとか、この曲のときとか! ああ、記憶がよみがえる。
 かねすきさんが観に来るっていうから、それならわたしもかねすきさんに会いがてら観に行くかな、と、突然行くことにした『Lica−Rika/L.R』。
 前にあったリカコンで、2列目センター席でいたたまれない思いをしたのを思い出して、後方席をGET。バウホールは6列目まで段差なしだからねえ。スタンディングのとき、後ろの席の人に恨まれたと思うんだよなー。だってわたし、周囲の人(男性含む)よりアタマひとつでかかったから。
 実際、今回後方席から客席を眺め、自分の判断にまちがいがなかったことを実感したよ。
 前方席の人たちのノリの、真似はできませんわたし……。ばばあだからさ……。1列目を早々に手放しておいてよかった。やっぱ最前列はファンのための席だ〜。

 わたしが紫吹淳を個別認識したのは、『ベイシティ・ブルース』のときだ。
 出番は少なかったが、印象は強烈だった。うわーっ、かっこいー、きれいー、かわいー。
 それ以降花組を観るときは、リカちゃんを探すようになった。

 が。
 いつのころからか、苦手な人に。
 あんなにきれいだったのに……何故。
 リカちゃんってほんと、時期によって顔がぜんぜん変わっちゃう人だったよねえ?
 わたしにとって、苦手な顔と芸風になってしまわれたのだ……涙。

 苦手だから、近寄らないようにしていたのに。
 でもでも、無視できない人だった。
 苦手〜、でも気になる〜〜。
 てなことをやってるうちに、やっぱり「気になる」が勝ち、「やっぱり好き〜」に着地した。

 複雑だわ。

 「リカちゃんだから観ない」だったはずなのに、いつの間にやら「リカちゃんだから観とくか」になった。
 紫吹淳の勝ち、緑野の負け。

 でも、こーゆーことって、けっこうある。
 苦手だった人が、いつの間にか好きな人に。
 あら、ハーレクインの定番?
 カリンチョさんもミユさんもゆうこ姫も、みんな最初はダメだったんだ。なのにあとになって大好きになった。
 苦手、てのはそれだけ影響力があるってこと。わたしのセンサーに引っかかるってこと。目にも入らない、記憶にも残らない人より、ずっとずっと、すごい人。
 だから、おもしろいんだよね。
 ダメだった人を好きになる、それって人生の醍醐味、お得感。

 てなわけで、昔ダメだったことなんか、すっかり忘却していたリカちゃんのコンサート。
 たのしんできました。

 スライド上映がないって、いいなあ(笑)。

 前回のコンサートがさあ、内輪受けのスライド上映会つきだったからさー。アレ、またやられたらつらいなと思ってたんだ。なくてよかったよ。
 コンサートというより、ふつーにショーの2本立て(休憩はさんでるから)。
 人数が少ないだけの、いつものヅカのショー。男役トップスターがいて、娘役トップスターがいて。
 ふつーにたのしく、ふつーに終わった。
 特別なことは、ナニもナシ。
 前のリカコンの方が、冒険的でファンサービス的だった気は、大いにする。バウホールとドラマシティの差かな。内輪受けで終始していいハコと、ある程度外に開かれたハコの差? それとも大きさの差?
 トップ娘役がいたことも、大きいかな。「相手役」がきちんといるので、さらに「いつも感」が増した。
 前のコンサートは、トップ娘役もリカちゃんがひとりでつとめていた印象だからなあ(笑)。

 ところで、かねすきさん。
 娘役さんたちのナマ腹に、いたく感動していたようですが。
 エミクラちゃんの「くらり〜ん、フラッシュ!!」に言及しておりましたが。

「だって、演出斎藤くんだもん」
 とわたしが言うと、
「そうか、斎藤か。斎藤ならわかるわ」
 って、すんなり納得。
 ええっ、それだけで納得しちゃうんですか?! 斎藤くんって?!

 いやあ、なんといってもゆらさんのナマ腹ですよ……。
 わたしと同い年なのに……あの筋肉質なカラダはなにごと?! 自分のたるみきった腹がかなしいです。
 だけど、腹の筋肉でいえば、その昔見た星奈優里ちゃんの腹にかなうものはありません。シックス・ブロックがびしっと刻まれた腹だった……顔はお姫様なのに……腹には少年ジャンプのよーな筋肉……。

 たのしむ気満々で行ったのに、またしても体調不良ゆえ、2部でスタンディングできなかったのが残念ナリ。貧血起こして座席に埋まってた……。通路際だったから、坐っててもセンターは見えたんで助かったけど。
 かねすきさん、お菓子ありがとー。おかげで一時的にだけど血糖値を上げて、自分で歩くことができたよ。

 かねすきさんはその足で、神戸の樹里コンに旅立ちました。コンサート2本立て……。いいなあ、樹里コンも行きたかったよ。でも、樹里コンは高いから、今のわたしにはちょっとな……(って、リカコンがいくらだったかはないしょ・笑)。
 まあ、今日は体力的に無理だったけどな。

 たのしかったけどリカコン……「いつものショー」ではなく、どっぷりダークで耽美で妖しいマニアックなショーを見てみたかった気がする……。せっかくリカちゃんなんだから……。

 
 ヘコんでおります。

 『太陽の塔特別公開』の抽選に、はずれました……。

 しばらくは引きずって、後ろ向きでいると思います。
 心の底から求めていたって、望んでいたって、世の中は思い通りになんかならないのです。
 ついでに金もないので、運を金で買うこともできないのです。
 無力な自分がすべて悪いのです。

 と、ひねくれて星をにらんでおります。

 花全ツをあきらめて、太陽の塔を観に行く予定だったのに。
 全ツに行けってこと?!

 
 友人諸氏にWHITEちゃんの捜し方を教えよう。

 昨日の伊藤園貸切のとき、座席抽選をするためにWHITEちゃんは一足先に列に並んでいた。
 なんで早くからひとりで並んでいたかというと、朝からムラにいたせい。午前公演のチケットをさばいていたんだって。

 わたしは座席抽選開始時刻の30分前にはムラに到着したんだけど、そのときすでに長蛇の列ができていた。

 長蛇の列で、ひとを捜すのは大変だ。
 しかも、列の人たちはみんな前を向いて並んでいる。最後尾のあるエントランスから入ると、並んでいる人たちの後ろ姿ばかりがつらなっているわけだな。
 このなかからひとりを捜すのは、大変だよね?

 しかもWHITEちゃん、小さいし。
 いつも、人混みに埋没してる。

 わたしなんかはひとよりでかいため、とても見つけやすいらしい。
 梅田の並びのときなんか、Be-Puちゃんは、
「緑野さんを待ち合わせ“場所”にしよう」
 などと失礼なことを真顔で言ってくれたよ。
 わたしは電信柱か? 看板か?

 わたしのことはともかく、小さなWHITEちゃんの捜し方。

 鞄を探そう。

 WHITEちゃんはいつも必ず、同じ鞄を持っている。

 気に入ったモノはとことん使う性格なんだろう。
 一度鞄を買うと、次の鞄を買うまでずーーーーっと、同じ鞄しか使わないのだ。
 もう1年以上、彼女はいついかなるときも同じ鞄しか持っていない。
 どこへ行くときも、なにをするときも同じ鞄だ。
 どんな服でもどんな靴でも、夏でも冬でも、同じ鞄だ。
 旅行のときですら、巨大な旅行鞄とは別に、いつもの鞄を持っていた。
 TPOなど、彼女には存在しない。いつも、同じ鞄だ。

 今の鞄を買う前も、やはりひとつの鞄をなにがなんでも使い続けていた。目的に合わせて替えるということはしない。
 ひとつの鞄が古くなって使いづらくなるなりしてから、新しいモノに買い換える。そして、そのたったひとつを使い続ける。別の鞄を買うまで、替えられることはない。

 だから、鞄を探そう。
 いつもWHITEちゃんが肩からかけている、あの鞄。
 どんなにたくさん人が並んでいても、背中しか見えなくても、関係ない。
 あの大きな鞄を探せばいいのさ。

 最近はコレで、小さなWHITEちゃんもばっちり捜せるよ。
 後ろからでも声をかけられるよ。

 WHITEちゃんの捜し方。
 これで、次の月組の並びでも、簡単にWHITEちゃんが捜せるぞっ。

 でも、わたしが日記で書いていたことは秘密にしてね(笑)。

  
 宙組公演『白昼の稲妻』『テンプテーション』観劇。

 恒例になり果てている伊藤園貸切。司会のにーちゃんのテンションも健在、つーかこの人、毎年レベルアップしてるよね?
 今後の資料のために書いておこう、今年の手みやげは、「250ml紙パックのお〜いお茶」「250ml紙パック任意のお茶(人によってチガウ。わたしは金の烏龍茶だった)」「新製品・サロンドカフェ、デミタス・ブレンド・カフェオレの3本セット(缶なのでめちゃ重い)」だった。
 やっぱ最初の年の「贈答用・箱入りティーバッグセット」にかなうモノはないな。
 応募は6万通ほどあったそうで、わたしは8通送って1つ当たった。

 わたしが体調不良で死んでいる間にWHITEちゃんが抽選、見事3列目センター近くを当ててくれた。ありがとうありがとう。
 おかげで、次は後方席から全体を見たいな、と思うくらい堪能させてもらった。

 柴田侑宏作、荻田浩一演出、『白昼の稲妻』。
 タイトルだけ見ると「なんじゃそりゃ?」と引いてしまうが、19世紀前半のパリが舞台の恋愛サスペンスだ。タイトルからはとても内容が想像できない。『ガラスの風景』もそうだったから、柴田先生のブームかもしれない。

 アルベール@たかこはパリで、昔好きだった女の子、ヴィヴィアンヌ@お花様に再会した。8年前(だったっけ?)彼女は身内の不幸&政変のごたごたで、外国へ亡命してしまっていたんだ。
 やったぜ、あきらめていた恋よ、もう一度! アルベールはひとりで盛り上がるが、ヴィヴィアンヌは今ひとつ煮え切らない。彼女もアルベールに気がありそうなんだけど、「それどころじゃないの!」とこれまたひとりでテンパっている。
 ヴィヴィアンヌにはなにか、秘密があるようだ。恋する男はストーキングで秘密を探る。
 なんと、ヴィヴィアンヌは8年前に死んだ家族の仇を捜していたのだ。彼女の家族の立て続けの死は、政敵ランブルーズ侯爵@水しぇんの陰謀だったのだ! そりゃー、のんきにたかこ……ぢゃねえ、アルベールと恋愛なんかしてらんないわ。
 アルベールは彼女に協力を申し出る。つーか、ちゃっかり愛を告白する。君の敵はボクの敵、ふたりで悪党をやっつけよう! それも、殺人なんて手段は使わない。アルベールは詩人で劇作家だ、自分たちの劇団で告発劇を上演するんだ、これは正義の聖戦だ!
 しかし、侯爵側がアルベールたちの動きに気づいた模様。重ねられる妨害工作。
 さあ、舞台の幕は無事に上がるのか?

 おどろいたこと。
 1・お花様の年齢。……10代? ものすっげー若い役作り。柴田先生、この期に及んでお花様に少女役をやらせますか……びっくりだ。
 2・水くんのヒゲ。……かっこいい。かっこいいよー。うきゃ〜〜っ。
 3・柴田作品と荻田演出の乖離感。……ここまで別モノでいいの?

 えーっと、前半はかなり眠いです。
 どうしたもんかね、これは。仕方ないことなんだけど、状況説明のためにかなりの時間を割いてある。
 物語が動き出すのは、ヴィヴィアンヌの敵がわかってからだ。
 そっから先は小気味よく展開するんだけどなあ。ダメな人は、前半で爆睡してるかも。

 後半が何故盛り上がるのか。ストーリーが動くから、というのはたしかにある。だがそれ以上に。

 オギーが全開になるんだ。

 ルネ@アリスちゃんがどうこう(一応伏せてみる)、てなシーンあたりから、オギー、エンジンかかってます。
 そして、劇中劇『オセロー』。

 これ、すごい。

 オギー全開。

 ここはすでに柴田作品じゃない。
 荻田浩一作品。

 やばいよやばいよ、大劇でやっていいの? 表現していいの?
 嫉妬、憎悪、破壊。
 オギー版『オセロー』。
 愛、怒り、慟哭。
 美しくも恐ろしい精神世界がそこに。

 とりあえず。
 オギーファンは、この劇中劇のためだけに、行け。
 その目でその魂で、見ておけ。
 あとは寝ていてもいいから。

 てなシーンです。はい。

 あまりに劇中劇がものすごかったので、そのあとのシーンのしょぼさに盛大に拍子抜けしたよ。
 へ?
 終わり?
 ハッピーエンドですか、へー、そーなんだー。頭ぽりぽり。

 幕が下りたときには、すでになにを観に来たのか、わからなかった。
 えっとぉ、オギーのショーを観たんだっけか。あっ、チガウ、柴田原作の芝居を観たんだった、忘れてた。でも、どんな話だったっけ??

 オギーと波長の合う人には、やばいくらい劇中劇と、他のストーリー部分が乖離してます。
 まったく別物。浮きまくり。

 ねえコレ、いいの?
 オギーやりすぎなんじゃない? わたしはたのしかったからいいけど、1本の作品としてはバランス悪すぎるよ?

 トイレの列に並んでいるときの、周囲の人たちの会話。
「ねえ、今のお芝居わかった?」
「さあぁ? なんか、難しかったわねえ」
「前の雪組の方がよかったわ、『Romance de Paris』。『ローマの休日』みたいで」
「あたしはアレの方がよかったわ。『望郷は海を越えて』」
 体調が悪いことも相まって、膝が砕けそうになったよ。『望郷』以下だってさ、そりゃすげえや。

 ミステリでいうならば、名探偵が皆を集めて謎解きする、いちばんの盛り上がり部分を、「オギー全開のショー」で表現しちゃったんだもん。
 わかんない人には、本気でわかんないと思うぞ?
 いいのか、それ?
 バウならともかく、大劇だぞ?

 ふつうに「タカラヅカ」である柴田部分と、感性暴走のオギー部分。ひとつの作品が、ここまでぱっきり分かれているってのは、どうよ?
 いっそのこと、バウでオギー単独作品として、『オセロー』原作のオリジナルを上演してくれ。
 まな板に載る素材のひとつは「嫉妬」。
 …………想像しただけで背筋が凍るよーな作品が、できるはずだ。

     
 発見したことがある。
 昨日、電車の女性専用車に乗っていたときのことだ。

 わたしは、つり革につかまって立っていた。
 なにをするでもなく、車内を見回した。

 そのときに、ひらめいたのだ。

 世の中の女性の大半は、つり革に頭をぶつけることがない!!

 がーーーーーん。

 ショックだった。

 その日のわたしにとって、つり革は「顔の横で持つモノ」だった。
 しかし女性専用車では、誰ひとり顔の横でつり革を持っている人間がいなかったのだ!
 みんなみんな、頭の上で持っている!

 頭の上ってことはナニ、みんな、つり革に頭ぶつけないの?!
 あの痛みを知らないの?!

 ジーザス!
 神様、わたしだけなんですか、今この瞬間、つり革が凶器になり得る女は。

 この大発見を、今日弟に話した。

「知ってる? ふつーの女の人はね、つり革に頭をぶつけることがないのよ?」
「つり革は、ぶつかるだろう、ふつう」
「ぶつかるよねえ? 額にクリーンヒットしたときの激痛と、快音。ぶつかったら、目から火花出るよねえ?」
「つり革は危険だ。常識だ」

 弟もあったりまえにつり革の危険性と痛みを知っていた。
 つーか、すべての大人は知っていて当然だと思ってたんだもの。昨日発見をするまで。

 電車によってつり革の高さはチガウから、いつかどこかで、みんな味わっている……よね?

 みんな、つり革の痛みを知ってる?
 
 

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