青春時代は必要だよね?@あかねさす紫の花
2006年10月3日 タカラヅカ 10年ぶりに『あかねさす紫の花』を観て。
つくづく思うんだよなあ。
大海人と額田の、恋人時代〜結婚式までを1場面入れてくれと。
のーみそ幼児、としか思えないハイティーン時代に出会って、次の瞬間子持ちですよ。いくらなんでもそりゃないだろ。
好きな話なんだけど、センスのちがいにより引っかかりがあちこち大きくて、ソレが気になるなあ。
物語は大海人の独白からはじまり、額田と大海人が歌を交わしたとゆー有名な蒲生野の場面につづくのだが。
伝えなくてはならない情報量が膨大だから仕方ないとはいえ、なんつーか滑りが悪いんだよなあ。最初の蒲生野の場面であまりに人が多く出過ぎるから、「さっきの独白の人」がどの人か、観客が見失いそうなのもまた、気になるし。
きちんと、「主役」を主役として盛り立ててほしいのよ。どんな大勢の場面であろうと、まず大海人をきちんと目立たせ、そのうえで額田と中大兄を目立たせて欲しい。状況説明はそのあと。とりあえず、「この人たちに注目していればいいのね」ということだけ、わからせて欲しい。
ぶっちゃけ、人間の心理さえ追うことができれば、歴史的背景なんかわかんなくても、「なんとなく?」でも、観客は物語についてゆけるのだから。
蒲生野の、やたらめったらゆーーったり喋りは、ムード作りのためなんだろうけど、やりすぎに思えるし。全編そのテンポならともかく、最初だけ特にのろいし、ものすげー時代錯誤感が強い。現代でこのテンポはないだろ的、初心者が「なんか場違いなところへ来てしまった?!」とドン引きしそうな昭和ムード。
なのに、時をさかのぼってふたりの出会いたる額田の郷の場面になると、いきなり幼児的お遊戯喋りになるし。
いくらなんでも、ここまでのーみそ後退させなくてもいいだろうに。いくら古代だからって十代後半の若者が幼児喋りをするのって、純粋に変だよ。史実にこだわるつもりはないが、中大兄と大海人って、幼児と大人、ほどは年齢離れてないよね? 兄弟前後逆疑惑があるくらいなんだからさー。
この子ども時代をもう少しマシにするだけで、「時代遅れ」感はずいぶん減ると思うんだけどな。
せっかくいい話なのに、わざと「ついて来られる者だけついて来な。この昭和ムードを受け入れられない者は観なくていい」と言っていそうな作りがもったいない。
で、最初の話題に戻るが、この直後にいきなり子持ちだし。
間延び歌舞伎調喋り→幼児喋り→子持ちでラヴラヴふつーの喋り。……ふたりの代わりっぷりに、一般人はついていけないんぢゃないのか? 観客すべてが役者の顔と名前もわかっていて、どんなに衣装や喋り方、性格まで変わっていても「同一人物」とわかるわけじゃないんだよ?
ふたりが恋をして結婚するまで、台詞ふたつみっつと掛け合いデュエット1曲でいいから入れてくれよ。青春時代希望。
そうやって、「ふつーの恋愛結婚」だということを印象づけるからこそ、さらに中大兄の横恋慕が活きるんじゃん。
あとはどーしてもラストが蛇足に思える。
95年の雪組を記憶のスタートにしてしまった者には、花組版のラストの蛇足っぷりにアゴが落ちたのね。
テーマやストーリーを、ラストでとってつけたよーな台詞やナレーションで解説、なんていちばんかっこわるいと思っている。(類似・『愛するには短すぎる』)
大海人が玉座の前で大暴れして高笑い、中大兄が「大海人、狂ったか?!」の一言のみで幕が下りる雪組版が最良だ。
そーゆー終わり方が「わかりにくい」と言う人は、どれだけ言葉で説明したってわからない人なんだから放っておけばいい。のちの歴史なんか知らなくても、『あかねさす』のこれまでの物語を、大海人と額田の立場や気持ちをロールプレイングしていたならば、何故あのシーンで、大海人の狂ったような高笑いで幕が下りるのか、わかるはずだ。わからん人は物語をちゃんと理解してないってことだから、どんなに説明したって無意味。
今回の『あかねさす』でも、やはり蛇足説明はだらだらあるわ、「狂ったか!」「狂いました!」とコントのよーなやりとりがあって、一気に萎えました(笑)。いやあ、ダサいわー。かっこわるいわー。
ここまでテーマを口で説明しないと、観客には伝わらないと思ってるんだね。「観客はバカばっかり」と思っているか、もしくは「演出に自信ないんだ、ごめんね」ってことだろうか。
やれやれ。
まあ、センスがチガウってことなんだろうなあ。
ツボにハマる演出で一度観てみたいなあ。
ラストで涙が引っ込むんだけど(笑)、その前の場面まではダダ泣きでした。
最後の蒲生野のシーンはいいよねええ。額田の独白から大海人登場「来てしまった……!」、十市ののーみそ足りなさ具合もベタで萎える寸前なんだが(笑)泣かせるし。
ちなみに、95年雪組の『あかねさす』の主人公は額田女王@お花様でした。男ふたりは脇役ですよ、もちろん(笑)。
蒲生野で独白をはじめた瞬間の吸引力。舞台が、世界が、彼女を中心に回っていることがわかるの。
今回の月組『あかねさす』はそこまで額田が強くは思えなかった。かといって大海人の存在感がそれほどあったとも思えないので、結果大海人、額田、中大兄3人のパワーバランスがちょうどよくなったんだろうな。
3人主役の『あかねさす』も、正しい姿だと思うよ。
さて、主役3人以外ではやはり、鎌足@嘉月さんのうまさが印象に残る。鎌足は重要な役、雪組では4番手のタータンが演じていたはず。てっきり歌を聴けるものだと期待していたのに、ソロはカットなのね。
天比古@まさきは、正直ちょっとチガウ気がした。ソレ、天比古ぢゃないだろう! みたいな(笑)。
気合い入りすぎだから。そこまでアツくトバしすぎると、作品壊すからもー少し抑えてくれや。
と思いつつ、小月@れみちゃんとの映りがいい。無駄にアツいダメ男に惚れて尽くし続ける、押しの強い健気美女って、なんて素敵カップル(笑)。
誰が出ているのか、いつものことだが知りもしないで観に行って、マギーの濃さと存在感に振り回される(笑)。いやあ、どこにいてもわかる、つい目が行く。
マギーを無意識に見てしまうせいか、気を取られるせいか、いつも一緒にいるあひくんに、気づかなかった。
途中から、そーいやマギーと一緒にいる男の子は誰だろう、わたしの知らない若手かな? と思ってよく見ると、あひくんだった。
そうか、あひくん月組に戻って来てたんだった!!
よく見るとたしかに大きくて、きれいな顔で、顎が立派で、あひくんなんだ。
……でも、目立たなくてびっくりしたっす……。マギーが無駄に濃いだけかな。
あと雉の歌手の歌声に癒される。誰かわかんないまま見てたんだけど。
席はそこそこだったんで、オペラグラス使わずに、ほぼナマ目で観劇。プログラムもとーぜん買ってないので、誰が誰やら、どの場面がなんて名前やら(笑)。
心残りは、ゆーひくんのブックマークが売り切れで、買えなかったことでしょうか。(ソコか!)
つくづく思うんだよなあ。
大海人と額田の、恋人時代〜結婚式までを1場面入れてくれと。
のーみそ幼児、としか思えないハイティーン時代に出会って、次の瞬間子持ちですよ。いくらなんでもそりゃないだろ。
好きな話なんだけど、センスのちがいにより引っかかりがあちこち大きくて、ソレが気になるなあ。
物語は大海人の独白からはじまり、額田と大海人が歌を交わしたとゆー有名な蒲生野の場面につづくのだが。
伝えなくてはならない情報量が膨大だから仕方ないとはいえ、なんつーか滑りが悪いんだよなあ。最初の蒲生野の場面であまりに人が多く出過ぎるから、「さっきの独白の人」がどの人か、観客が見失いそうなのもまた、気になるし。
きちんと、「主役」を主役として盛り立ててほしいのよ。どんな大勢の場面であろうと、まず大海人をきちんと目立たせ、そのうえで額田と中大兄を目立たせて欲しい。状況説明はそのあと。とりあえず、「この人たちに注目していればいいのね」ということだけ、わからせて欲しい。
ぶっちゃけ、人間の心理さえ追うことができれば、歴史的背景なんかわかんなくても、「なんとなく?」でも、観客は物語についてゆけるのだから。
蒲生野の、やたらめったらゆーーったり喋りは、ムード作りのためなんだろうけど、やりすぎに思えるし。全編そのテンポならともかく、最初だけ特にのろいし、ものすげー時代錯誤感が強い。現代でこのテンポはないだろ的、初心者が「なんか場違いなところへ来てしまった?!」とドン引きしそうな昭和ムード。
なのに、時をさかのぼってふたりの出会いたる額田の郷の場面になると、いきなり幼児的お遊戯喋りになるし。
いくらなんでも、ここまでのーみそ後退させなくてもいいだろうに。いくら古代だからって十代後半の若者が幼児喋りをするのって、純粋に変だよ。史実にこだわるつもりはないが、中大兄と大海人って、幼児と大人、ほどは年齢離れてないよね? 兄弟前後逆疑惑があるくらいなんだからさー。
この子ども時代をもう少しマシにするだけで、「時代遅れ」感はずいぶん減ると思うんだけどな。
せっかくいい話なのに、わざと「ついて来られる者だけついて来な。この昭和ムードを受け入れられない者は観なくていい」と言っていそうな作りがもったいない。
で、最初の話題に戻るが、この直後にいきなり子持ちだし。
間延び歌舞伎調喋り→幼児喋り→子持ちでラヴラヴふつーの喋り。……ふたりの代わりっぷりに、一般人はついていけないんぢゃないのか? 観客すべてが役者の顔と名前もわかっていて、どんなに衣装や喋り方、性格まで変わっていても「同一人物」とわかるわけじゃないんだよ?
ふたりが恋をして結婚するまで、台詞ふたつみっつと掛け合いデュエット1曲でいいから入れてくれよ。青春時代希望。
そうやって、「ふつーの恋愛結婚」だということを印象づけるからこそ、さらに中大兄の横恋慕が活きるんじゃん。
あとはどーしてもラストが蛇足に思える。
95年の雪組を記憶のスタートにしてしまった者には、花組版のラストの蛇足っぷりにアゴが落ちたのね。
テーマやストーリーを、ラストでとってつけたよーな台詞やナレーションで解説、なんていちばんかっこわるいと思っている。(類似・『愛するには短すぎる』)
大海人が玉座の前で大暴れして高笑い、中大兄が「大海人、狂ったか?!」の一言のみで幕が下りる雪組版が最良だ。
そーゆー終わり方が「わかりにくい」と言う人は、どれだけ言葉で説明したってわからない人なんだから放っておけばいい。のちの歴史なんか知らなくても、『あかねさす』のこれまでの物語を、大海人と額田の立場や気持ちをロールプレイングしていたならば、何故あのシーンで、大海人の狂ったような高笑いで幕が下りるのか、わかるはずだ。わからん人は物語をちゃんと理解してないってことだから、どんなに説明したって無意味。
今回の『あかねさす』でも、やはり蛇足説明はだらだらあるわ、「狂ったか!」「狂いました!」とコントのよーなやりとりがあって、一気に萎えました(笑)。いやあ、ダサいわー。かっこわるいわー。
ここまでテーマを口で説明しないと、観客には伝わらないと思ってるんだね。「観客はバカばっかり」と思っているか、もしくは「演出に自信ないんだ、ごめんね」ってことだろうか。
やれやれ。
まあ、センスがチガウってことなんだろうなあ。
ツボにハマる演出で一度観てみたいなあ。
ラストで涙が引っ込むんだけど(笑)、その前の場面まではダダ泣きでした。
最後の蒲生野のシーンはいいよねええ。額田の独白から大海人登場「来てしまった……!」、十市ののーみそ足りなさ具合もベタで萎える寸前なんだが(笑)泣かせるし。
ちなみに、95年雪組の『あかねさす』の主人公は額田女王@お花様でした。男ふたりは脇役ですよ、もちろん(笑)。
蒲生野で独白をはじめた瞬間の吸引力。舞台が、世界が、彼女を中心に回っていることがわかるの。
今回の月組『あかねさす』はそこまで額田が強くは思えなかった。かといって大海人の存在感がそれほどあったとも思えないので、結果大海人、額田、中大兄3人のパワーバランスがちょうどよくなったんだろうな。
3人主役の『あかねさす』も、正しい姿だと思うよ。
さて、主役3人以外ではやはり、鎌足@嘉月さんのうまさが印象に残る。鎌足は重要な役、雪組では4番手のタータンが演じていたはず。てっきり歌を聴けるものだと期待していたのに、ソロはカットなのね。
天比古@まさきは、正直ちょっとチガウ気がした。ソレ、天比古ぢゃないだろう! みたいな(笑)。
気合い入りすぎだから。そこまでアツくトバしすぎると、作品壊すからもー少し抑えてくれや。
と思いつつ、小月@れみちゃんとの映りがいい。無駄にアツいダメ男に惚れて尽くし続ける、押しの強い健気美女って、なんて素敵カップル(笑)。
誰が出ているのか、いつものことだが知りもしないで観に行って、マギーの濃さと存在感に振り回される(笑)。いやあ、どこにいてもわかる、つい目が行く。
マギーを無意識に見てしまうせいか、気を取られるせいか、いつも一緒にいるあひくんに、気づかなかった。
途中から、そーいやマギーと一緒にいる男の子は誰だろう、わたしの知らない若手かな? と思ってよく見ると、あひくんだった。
そうか、あひくん月組に戻って来てたんだった!!
よく見るとたしかに大きくて、きれいな顔で、顎が立派で、あひくんなんだ。
……でも、目立たなくてびっくりしたっす……。マギーが無駄に濃いだけかな。
あと雉の歌手の歌声に癒される。誰かわかんないまま見てたんだけど。
席はそこそこだったんで、オペラグラス使わずに、ほぼナマ目で観劇。プログラムもとーぜん買ってないので、誰が誰やら、どの場面がなんて名前やら(笑)。
心残りは、ゆーひくんのブックマークが売り切れで、買えなかったことでしょうか。(ソコか!)