極彩色の毒に酔って。−導く者の歌声が聞こえる−@タランテラ!
2006年10月13日 タカラヅカ 『タランテラ!』の配役が発表になったとき。
キムの役が「パイド・パイパー」だと聞き、わたしは無邪気に聞き返したさ。
「パイド・パイパーって、なに?」
kineさんだっけかが、簡潔に答えてくれた。
「『ハーメルンの笛吹男』」
……震撼した。
色とりどりの衣装を着、笛を吹く男。彼のあとにはネズミの群。一列になって、死へ向かう。
そして。
罪を犯したハーメルンの街。2度目に現れた笛吹男のあとに続くのは、子どもたち。
子どもたちは還らない。
ソレが、キムですか。
しかも、オープニングですか。
『タランテラ!』のオープニングは、やたら明るいお祭りからはじまる。
正気とは思えないカラフルな衣装を着た人々が、「ビビデバビデブー」を彷彿とさせるよーな、バカみたいに陽気な曲で歌い踊る。
中心にいるのは、キム。
笑顔で、無邪気な少年の声で歌う。
「♪老いも若きも踊り狂う 蜘蛛の毒にのたうちまわる♪」
陽気に。にぎやかに。たのしく。
毒を歌う。
導くモノは、パイド・パイパー、笛吹男。
たどりつく場所は何処?
破滅へ向かう一列の道。
誰も気づかない。
陽気に。にぎやかに。たのしく。
無言で見据えるのは、ジプシーたち。流れる者たち。
苦悶の声を前景に、タランテラ@コムが現れる。
彼は闇を歌い、罠を歌う。
繰り返されるモチーフ。
蜘蛛の糸。編まれた巣。毒と傷と罪。
囚われるモノ。踊らされるモノ。
踊る踊る踊る。踊り続ける。
病のように。
このショーは、タカラヅカの「いつものショー」ではない。
お約束を全部スルーしている。
ヅカのショーは構成が決まっている。
オープニング−前半−中詰め−メイン−ロケット−デュエットダンス−フィナーレ・パレード
多少変化があろうと個性的であろうと、この骨組みは変わらない。
ところが『タランテラ!』ときたら。
シーンごとの区切りはないに等しいわ、構成無視だわ、ロケットないわ、大階段前でのまともなデュエットダンスないわ、パレード変則的だわで、めちゃくちゃ。
大きく分けると、「タランテラの物語」である前半、「サヨナラ公演」である後半と、すぱーんと真っ二つになっている。
60分あるのかな、このショーって?
「タランテラの物語」は30分で終わり、エピローグを兼ねた空気を変える中詰めが10分ほどあり、あとは全部まるっと純粋なショー作品である「サヨナラ公演」がはじまる。コムひとりが黒燕尾で踊り出すアレね。そっからノンストップさ。や、もちろん「サヨナラ公演」部分だって『タランテラ!』の一部ではあるんだけどね。
「タランテラの物語」がぶっ飛ばしすぎだから、「サヨナラ公演」でバランスを取っているんだと思う。ただ、両方合わせて「タカラヅカのショーの構成テンプレ」を無視しきってるから混乱するだけで(笑)。
コム姫は通し役、タランテラ。
他者を傷つけ喰らい、そうやって存在しつづける者。
愛する者すら喰らう浅ましき業を持つ者。
しかしタランテラ自身の温度は低い。
どこかこの世のものではないような、達観したよーな異邦人感をまとわりつかせながら、そこにある。
そこ……舞台の中心。
タランテラはスペインではマタドールに、南米ラ・プラタ河を経てブエノスアイレスから港町アムステルダムではどこのマフィアよ?みたいなスーツの男になり。
大西洋でついに、息絶える。……や、そのあとも熱帯植物になって出てくるけど(笑)。
囚われる者は誰? 踊らされる者は誰?
その問いかけではじまった物語は、タランテラの最期でいちおー答えを得る。
繰り返されるモチーフ。
蜘蛛の糸。編まれた巣。毒と傷と罪。
囚われるモノ。踊らされるモノ。
いつかの蝶であり、今は海の女として現れたまーちゃんと、タランテラの絶望的なデュエットダンス。
捕食者と被食者の逆転。
天使のように聖女のように微笑むまーちゃんが、死ぬほどこわい。
聖なる邪。
闇を内包する光。
そしてさらに。
がらりと雰囲気を変える中詰め。極彩色のアマゾンでこれまた明るくのーてんきに生の饗宴を踊り狂う。
死のあとに、絶望のあとに、「生きてるってすばらしい!」だもんなあ。
タランテラが登場し、彼の物語をなぞりながら、さらに進んで「物語の集大成」ってな大地の息吹を感じさせる大合唱へ。
でもって、エピローグ。
もー、どーしよーかってゆーよーな、のほほん壮一帆のひとり舞台。てか、ひとり銀橋。
ここでもまた、逆転の構図。
タランテラが最初に現れた場面での「被食者」が彼だったのな。なのにラストで彼は「追いかける者」としてあっけらかーんと恋を歌う。
「♪捕まえたいと願う僕こそ 捕らえられてるキミに♪」
えーっと。
冷たい熱と絶望に彩られた「タランテラの物語」を、壮一帆がクソ明るく罪なく語尾にハートマークつけながら、要約しやがったぞっ?!!
このオチに、両手を大地について突っ伏したいほど、感動しました(笑)。
ど、どーしてくれよう……(笑)。
で、ステキ壮一帆の力技で物語は終わり、後半「サヨナラ公演」突入。
黒燕尾で端正に踊るコム、まーちゃん、水と絡み、水とふたりで腕まくり+開襟で野郎ダンス、いい女たち(五峰姐さんをあったりまえに含む。アータ、ゲストぢゃなくレギュラー、雪組子ですねっ?!・笑)をバックに踊りまくり、まーちゃんが大階段を男たち率いて降りて来、総踊りへ。
「見てみたい」と思うだろうダンスシーンをこれでもかと投入。退団者サービスもてんこ盛り。
変則パレードでは、「コムを継ぐ者」であるキムの歌を背景にコムが大階段を上って退場、「雪組を継ぐ者」水とすれ違い、歌詞にコムの名前の入った「コムさんへの愛の歌(笑)」を水が歌う。
その水を筆頭にパレード開始。
潮騒のようにいくつもの声が重なり合うパレードの歌声は、追う者と追われる者、蜘蛛と獲物のように追いかけ合う。
たしかに「タカラヅカのお約束」からすれば変則的だけど、充分「サヨナラ公演」のショーとしては正しい姿を見せつけてくれるわけだ。
そーやって「サヨナラ公演」で終わるのかと思いきや。
最後の最後に、戻るんだ。
この作品の最初、オープニングの、パイド・パイパーの歌に。
「ビビデバビデブー」を彷彿とさせるよーな、バカみたいに陽気な曲。その曲に乗ってタランテラたちは銀橋を渡り、本舞台に戻って歌い踊る。
踊り狂うままに、幕。
魔法を見せられた。
正気に返ったのか? それとも幻惑されたのか?
オープニングの極彩色のカーニバル、笛吹男のあとをついていったのは、ネズミ? 子どもたち?
それとも、わたし?
夢は続く。
極彩色の悪夢。紙一重の悦楽。
毒が回る。
タランテラの毒。
もう戻れない。
ハーメルンの笛吹男が、異世界へと導いている。
キムの役が「パイド・パイパー」だと聞き、わたしは無邪気に聞き返したさ。
「パイド・パイパーって、なに?」
kineさんだっけかが、簡潔に答えてくれた。
「『ハーメルンの笛吹男』」
……震撼した。
色とりどりの衣装を着、笛を吹く男。彼のあとにはネズミの群。一列になって、死へ向かう。
そして。
罪を犯したハーメルンの街。2度目に現れた笛吹男のあとに続くのは、子どもたち。
子どもたちは還らない。
ソレが、キムですか。
しかも、オープニングですか。
『タランテラ!』のオープニングは、やたら明るいお祭りからはじまる。
正気とは思えないカラフルな衣装を着た人々が、「ビビデバビデブー」を彷彿とさせるよーな、バカみたいに陽気な曲で歌い踊る。
中心にいるのは、キム。
笑顔で、無邪気な少年の声で歌う。
「♪老いも若きも踊り狂う 蜘蛛の毒にのたうちまわる♪」
陽気に。にぎやかに。たのしく。
毒を歌う。
導くモノは、パイド・パイパー、笛吹男。
たどりつく場所は何処?
破滅へ向かう一列の道。
誰も気づかない。
陽気に。にぎやかに。たのしく。
無言で見据えるのは、ジプシーたち。流れる者たち。
苦悶の声を前景に、タランテラ@コムが現れる。
彼は闇を歌い、罠を歌う。
繰り返されるモチーフ。
蜘蛛の糸。編まれた巣。毒と傷と罪。
囚われるモノ。踊らされるモノ。
踊る踊る踊る。踊り続ける。
病のように。
このショーは、タカラヅカの「いつものショー」ではない。
お約束を全部スルーしている。
ヅカのショーは構成が決まっている。
オープニング−前半−中詰め−メイン−ロケット−デュエットダンス−フィナーレ・パレード
多少変化があろうと個性的であろうと、この骨組みは変わらない。
ところが『タランテラ!』ときたら。
シーンごとの区切りはないに等しいわ、構成無視だわ、ロケットないわ、大階段前でのまともなデュエットダンスないわ、パレード変則的だわで、めちゃくちゃ。
大きく分けると、「タランテラの物語」である前半、「サヨナラ公演」である後半と、すぱーんと真っ二つになっている。
60分あるのかな、このショーって?
「タランテラの物語」は30分で終わり、エピローグを兼ねた空気を変える中詰めが10分ほどあり、あとは全部まるっと純粋なショー作品である「サヨナラ公演」がはじまる。コムひとりが黒燕尾で踊り出すアレね。そっからノンストップさ。や、もちろん「サヨナラ公演」部分だって『タランテラ!』の一部ではあるんだけどね。
「タランテラの物語」がぶっ飛ばしすぎだから、「サヨナラ公演」でバランスを取っているんだと思う。ただ、両方合わせて「タカラヅカのショーの構成テンプレ」を無視しきってるから混乱するだけで(笑)。
コム姫は通し役、タランテラ。
他者を傷つけ喰らい、そうやって存在しつづける者。
愛する者すら喰らう浅ましき業を持つ者。
しかしタランテラ自身の温度は低い。
どこかこの世のものではないような、達観したよーな異邦人感をまとわりつかせながら、そこにある。
そこ……舞台の中心。
タランテラはスペインではマタドールに、南米ラ・プラタ河を経てブエノスアイレスから港町アムステルダムではどこのマフィアよ?みたいなスーツの男になり。
大西洋でついに、息絶える。……や、そのあとも熱帯植物になって出てくるけど(笑)。
囚われる者は誰? 踊らされる者は誰?
その問いかけではじまった物語は、タランテラの最期でいちおー答えを得る。
繰り返されるモチーフ。
蜘蛛の糸。編まれた巣。毒と傷と罪。
囚われるモノ。踊らされるモノ。
いつかの蝶であり、今は海の女として現れたまーちゃんと、タランテラの絶望的なデュエットダンス。
捕食者と被食者の逆転。
天使のように聖女のように微笑むまーちゃんが、死ぬほどこわい。
聖なる邪。
闇を内包する光。
そしてさらに。
がらりと雰囲気を変える中詰め。極彩色のアマゾンでこれまた明るくのーてんきに生の饗宴を踊り狂う。
死のあとに、絶望のあとに、「生きてるってすばらしい!」だもんなあ。
タランテラが登場し、彼の物語をなぞりながら、さらに進んで「物語の集大成」ってな大地の息吹を感じさせる大合唱へ。
でもって、エピローグ。
もー、どーしよーかってゆーよーな、のほほん壮一帆のひとり舞台。てか、ひとり銀橋。
ここでもまた、逆転の構図。
タランテラが最初に現れた場面での「被食者」が彼だったのな。なのにラストで彼は「追いかける者」としてあっけらかーんと恋を歌う。
「♪捕まえたいと願う僕こそ 捕らえられてるキミに♪」
えーっと。
冷たい熱と絶望に彩られた「タランテラの物語」を、壮一帆がクソ明るく罪なく語尾にハートマークつけながら、要約しやがったぞっ?!!
このオチに、両手を大地について突っ伏したいほど、感動しました(笑)。
ど、どーしてくれよう……(笑)。
で、ステキ壮一帆の力技で物語は終わり、後半「サヨナラ公演」突入。
黒燕尾で端正に踊るコム、まーちゃん、水と絡み、水とふたりで腕まくり+開襟で野郎ダンス、いい女たち(五峰姐さんをあったりまえに含む。アータ、ゲストぢゃなくレギュラー、雪組子ですねっ?!・笑)をバックに踊りまくり、まーちゃんが大階段を男たち率いて降りて来、総踊りへ。
「見てみたい」と思うだろうダンスシーンをこれでもかと投入。退団者サービスもてんこ盛り。
変則パレードでは、「コムを継ぐ者」であるキムの歌を背景にコムが大階段を上って退場、「雪組を継ぐ者」水とすれ違い、歌詞にコムの名前の入った「コムさんへの愛の歌(笑)」を水が歌う。
その水を筆頭にパレード開始。
潮騒のようにいくつもの声が重なり合うパレードの歌声は、追う者と追われる者、蜘蛛と獲物のように追いかけ合う。
たしかに「タカラヅカのお約束」からすれば変則的だけど、充分「サヨナラ公演」のショーとしては正しい姿を見せつけてくれるわけだ。
そーやって「サヨナラ公演」で終わるのかと思いきや。
最後の最後に、戻るんだ。
この作品の最初、オープニングの、パイド・パイパーの歌に。
「ビビデバビデブー」を彷彿とさせるよーな、バカみたいに陽気な曲。その曲に乗ってタランテラたちは銀橋を渡り、本舞台に戻って歌い踊る。
踊り狂うままに、幕。
魔法を見せられた。
正気に返ったのか? それとも幻惑されたのか?
オープニングの極彩色のカーニバル、笛吹男のあとをついていったのは、ネズミ? 子どもたち?
それとも、わたし?
夢は続く。
極彩色の悪夢。紙一重の悦楽。
毒が回る。
タランテラの毒。
もう戻れない。
ハーメルンの笛吹男が、異世界へと導いている。