まっつバウ、『インフィニティ』について。

 正直、贔屓が「ショーのバウホール公演で主演する」という意味が、よくわからなかった。
 いや、言葉上の意味はわかるよ? きゃー、ショーでバウ主演だって、うれしい!と。
 でもさ、実際のとこ、どうなの?
 ショーでバウ、って、ぶっちゃけ、ナニやんの?

 あんまり前例がナイために、予想できない。
 まっつといえばエエ声と歌の人、そして今度のバウも「声」がテーマだという。
 ふつーに考えると、まっつが歌いまくりのコンサートになるってことか?
 ちょうど1年前のそのかバウ『Dancing Heroes』で、そのかが踊りまくっていたように?
 そのかバウはほんとにそのかが八面六臂の活躍をしていた印象。アレの歌版?

 よくわかんないので、ナニも考えなかった。
 どんなふーになるのか。

 だって、2時間あるんだよ? ディナーショーだって1時間なのに、2時間えんえん歌メインって、想像つかないよ。
 そんならひょっとして、ショーと謳いながらも1幕は芝居っぽいやつで、2幕はふつーにショーとか、よくあるパターンかなと思ってみたり。

 前もってナニも考えない。
 まっつ主演ってだけでうれしいから、それ以上は思考が働かない。

 そして、『インフィニティ』の幕が上がり。

 ナニも考えていなかった、とはいえ、無意識レベルで思っていたものと、大きくちがった。

 ひとつは、「コンサート」ではまったくないこと。加えて、「歌」のショーですらない。
 もうひとつは、「まっつのワンマンショー」でもないということ。

 歌ウマまっつ主演で「声」がテーマのショー、というからには「ショー」というくくりであっても、「コンサート」寄りかなとはなんとなく思うし、コンサートと言えば主演さん歌いまくりのワンマンショーが基本。
 そうであってほしいと思っていたわけではなく、ほんとに、そーゆーもんなんだろうか?と疑問形で、無意識に思っていたらしい。

 『インフィニティ』は、コンサートでもなければ、まっつワンマンショーでもない。

 では、ナニか。

 「タカラヅカ」だ。

 そこにあるのは、基本忠実の、初心に返ったかのような、由緒正しい「タカラヅカ」だった。

 トップスターを中心とした、美しいピラミッド。
 2番手がいて、3番手がいて、新人スターがいて。
 唯一トップ娘役が固定されていないが、いろんな女の子たちを適所に使うことで解消。

 稲葉先生は、まっつ主演バウ公演で、「タカラヅカ」を作ってくれた。

 これは、思ってもみないことだった。
 古今のタカラヅカの名曲を使い、これでもかと「タカラヅカ」を作る。
 なんの事情かピラミッドが崩れ、各組のスターの番手が不明確にされ、「タカラヅカ」のルールが揺らいだショーがいろいろ作られている昨今に。
 古き良き、タカラヅカ。
 タカラヅカがもっともタカラヅカな、構成。

 だってこのショー、大劇場のショー公演と同じ方程式で作られてますがな。

 演出が大劇場。
 銀橋や、セリや盆、花道を想定している(笑)。
 もちろん、バウサイズに直してはあるんだけど、方程式は大劇場と変わらず。
 だから人の位置や出入りが、いろいろと苦しい。あー、ここ、ホントならセンター登場だな、とか、セリで登場だな、とか、大階段想定だな、とか、ありまくり(笑)。
 それらの装置がないために、かなり苦心してまとめてある。

 いなばっちが大劇場ロジックしか持たない演出家なのかもしれないけど、この演出・構成にはおどろいた。

 この公演が『“R”ising!!』や『REON!!』とかのような、主演の名前を冠したワンマンショーではなく、あくまでも『インフィニティ』というショー作品であること。
 まっつは「主演」なのであって、作品名は『インフィニティ』なんだ。
 つまり、『インフィニティ』を作るパーツのひとつが、まっつなんだ。

 ってそれは、まっつをないがしろにしているわけではなくて。

 大劇と同じ方程式で作られている……つまり、まっつをトップスターと想定し、ひとつのショー作品が、作られているの。

 ふつーの方程式だから、トップ中心場面がえんえん続くわけじゃない。
 2番手の場面、3番手の場面、若手の場面、と万遍なくある。
 ワンマンショーに比べ、トップの出番は少ない。しかし、トップスターは揺るがなく、トップスターだ。

 いやはや。
 ぽかーん、ですよ。
 まさか、こーゆー構成で来るとは思ってなくて。

 まっつをトップスターだと言っているわけではなくて、構成・演出の話。主演がまっつでなくても、稲葉せんせは同じようにこのロジックでバウのショーを作るのかもしれない。やってみたかっただけかもしれない。
 たまたま今回まっつだった、というだけで。

 ヒロインが決まっていないから、大階段前のデュエットダンスがないのが残念なくらい、真っ向勝負にふつーの「タカラヅカ」。

 ふつーの方程式で作られているわけだから、本公演ショーに当たりはずれがあるのと同じように、演出に不満を持つ人もいるだろうなと思ってみたり(笑)。
 あまりに、いつものショー作品だから。

 ただ、大劇場ショーと違い、時間が倍ある。
 おかげで、中詰めやって、シリアスなテーマ場面やって、ほんとならロケットになってフィナーレに入るところなんだけど、そのシリアス場面で一旦幕。
 2幕はまた仕切り直しで最初からスタートって感じ(笑)。

 稲葉先生は、ほんとーに「タカラヅカ」が好きなんだ。
 それが、ひしひしと伝わる。
 古き良きタカラヅカ。
 なにしろ100年近い歴史がある劇団だから、その時代ごとに定石や方程式はちがったろうけど、たぶん、稲葉先生の馴染みのある時代のもっともタカラヅカらしいショーを、作ったんだ。
 ルール通りに。
 トップがいて、2番手がいて、3番手がいて。きれいなピラミッドで。

 そしてまた、まっつは、頑ななまでに、「タカラヅカ」だ。

 小柄で華奢な女性が、磨き抜かれた技術でもって「男役芸」を極める。
 ソフト帽にスーツ。
 ぴたりと立つ、それだけで、匂い立つような「男役」だ。

 これほどまでに「タカラヅカ」を極めた男役を頂点に置き、「タカラヅカ」でしかないショーを作る。

 まっつは美声と歌唱力のみが注目されがちだけど、ダンスの人でもある。
 「ザ・男役」というダンスを踊る人だ。身のこなしの人だ。

 彼がこの14年間培ってきたモノを、そりゃーもー惜しみなく披露している。
 美しさに息をのむダンス、激しく踊りまくり、汗が光になって飛ぶ、その次の瞬間、馥郁たる美声で歌い出す。
 芝居要素のあるダンス場面もこなす。
 三拍子揃うっちゅーのは、こーゆーことか。
 実力的にアレレなものがナイおかげで、なんでもどんと来い、与えられた重責をこなしまくってくれてます。

 そりゃあ、所詮はバウサイズだ。
 大劇場を統べる「トップスター」という才能とは、別のところの話だ。
 だけど今、同じルールで『インフィニティ』を作って、まっつに与えてくれた稲葉先生に、心から感謝する。

 『インフィニティ』が名作かどうかではなく、大劇場と同じ方程式で作ってくれたことが、うれしい。
 今この場限定であっても、まっつは間違いなく「主演」なんだ。
 「主演」することなんかありえないんだと、劇団はさせてくれないんだとうなだれていたこの6年。
 今、この作品に出会えたことがうれしい。

 今のまっつと、そして、今の雪組の仲間たちと。

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