舞台挨拶と芝居の台詞って、どうチガウんだろ?
 挨拶だってフリートークじゃない、あらかじめ台本作ってあって、それを喋っているだけでしょう? 芝居の台詞と同じじゃん?

 なのになんで、芝居の台詞は噛まずに言えて、挨拶はカミカミになるんだろう?
 純粋に、不思議だ。

 不思議だけど、そーゆーもんなんだ、と、改めて思いました。
 『インフィニティ』の、まっつ挨拶にて。

 挨拶って、噛むもんなんだ……。
 まっつでも噛むんだから、噛むものなんだわ。

 まっつを基準に世の中を考える(笑)。

 いやしかし、まっつは今まで別に、挨拶を噛む人ではなかった。
 つってもまあ、挨拶する機会なんてほとんどなかったわけだけど。
 新人公演や、巴里祭を生で観てきてますが、別に彼はとりたてて噛んでなかった。ふつーに挨拶していた。
 「泣きながら挨拶」が「ふつー」になっている新公でも、他の人が感極まって泣きながら挨拶している図も多々見かける「初めてのDS千秋楽」でも、まつださんは通常営業な挨拶しかしていなかった。
 泣かないし、噛まないし。
 はじめてのバウ主演の初日だって、泣かないし、噛まなかった。

 そつがないというか、プロというか、大人というか。
 よその劇団ならそれが当たり前なんだろうけど、タカラヅカにおいてはちょっと物足りない(笑)くらい、「実力派」「クール」の呼び名に違わぬ人だった。

 そんな人が、公演途中から、噛みだした(笑)。

 初日にあんなに流暢に挨拶していた人が……!
 一旦噛み出すと癖になるのか、続けて噛む。

 なんというか。

 ほっとした。

 ほんとに今まで、「台本通りの挨拶」的な人だったからなああ。
 挨拶までが舞台の一貫、台詞の延長として、そつない面白味のない言葉を連ねているだけだったから。
 顕著な例が『宝塚巴里祭2009』ですよ、わたし全公演観劇しましたが、まっつ個人の素の言葉というより、「言うのが当たり前のことだけを連ねた挨拶」でしたよ。もちろん、「お約束だから口にしているだけで心にもない」挨拶ではなく、本人の心にも沿っているのだろーけど、端正だけどそつなさ過ぎて、新たな発見はないという。
 台詞のような挨拶しか、がんとしてしないところに本人らしさを見て、ファンがによによしていたくらい(笑)、隙を見せない人だった。

 おかげさまで、挨拶にはなんの期待もしていない。
 なにかおもしろいことを言ってくれるとか、それこそ素の顔で泣き出してくれるとか(笑)。
 アドリブでウケを取ろうをしないのと同じで、挨拶も決まり切った定例句だけでまとめて終了だろうと。
 ウケを狙わない、そんなところで客席におもねらない。舞台の質だけで勝負する。……ついでに、不要な労力も使わないエコロジスト(笑)、てなイメージ。

 だったので。
 ごく当たり前のことしか言う気がなさそうなのが見えるところに、「噛み」が発生し、オイシイことに。

 彼が語る言葉は、ごく当たり前のこと。
 これまでのバウホール挨拶で主演の人が5万回くり返してきたこと。ウケも狙わない、美辞麗句で飾らない、とてもシンプルにスタンダードなこと。
 それを語るはずが、不用意に、噛んでしまう。

 スタンダードを語るスタンダードなまっつ、通常営業のまっつ、が、噛んでしまうことによって、「他では見られないまっつ」になる。
 失敗に対する反応、フォローの仕方に、本人のキャラが出る。
 はい、自己ツッコミ入ります。
 ひとり漫才状態。さすがまっつ……噛むとセルフツッコミ入れちゃうんだー。
 笑いだすヒメに振り返ってツッコミ入れたり、すぱっ、すぱっと。
 圧倒的に舞台を勤め上げた主演さんが、生身の人間としてのかわいらしさを見せる……わけですよ、これをオイシイと言わずにどうしろと(笑)。

 また、まっつが挨拶を噛むことによって、共演している下級生たちの反応も変わってくる。
 最初のうちは「まっつさんは挨拶も完璧にして当たり前」って感じで、そこに意識を置いてなかった。でも、まっつがカミカミぶりを披露するようになってからは、下級生たちもそれぞれ「個」を見せて、まっつに注目する。
 一緒になってうなずいているきんぐや、かーちゃんみたいな目で見守っているコマはもちろんのこと、両翼端にいる超下級生たちまでもが、すごいオーラを飛ばしてまっつを見守っている。

 あー、いいカンパニーだ。
 共演者たちの信頼、愛情が見える。
 そう思って、胸が熱くなった。

 そして。

 そんな状態が続いていた、ある日。


 ハンパに続く(笑)。

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