東京まではるばる『トークスペシャル in 東京』を観に行って、なんか『トクスペ』の内容とは関係ない、あゆみちゃんの芝居について、つらつら語る。考える(笑)。


 『ドン・カルロス』にて、あゆみちゃんは「悲しいイサベル」を演じるために、ほんとうにあゆみちゃん自身が「悲しい」キモチになる。
 仮面舞踏会で泣きそうになっているイサベルは、芝居でそう演じているのではなく、沙月愛奈ちゃん自身が悲しくて泣きそうになっているんだ。

 もちろん芝居に心は必要で、役のキモチになるのは前提。
 でもあゆみちゃんは主客逆転している気がする。

 それって、ショーでのタカラジェンヌだよね。
 タカラヅカは芝居とショーの2本立てが基本。芝居では役を演じるが、ショーではタカラヅカ・スターを演じる。役名があったとしても、芝居とは違い、芸名を演じるというか、そのスターとしての魅力で勝負する。
 あゆみちゃんはダンサーでショースター、芝居の人ではない。
 そんなところにも、根っこがあるのかもしれない。

 すっかりイサベルになり、フェリペ二世との心のすれ違いに、出番でないところも袖から舞台を見て泣いていたりする。新公でも泣いてしまう。
 イサベルという役を演じるために、表現する技術を磨くのではなく、あゆみちゃんは「イサベルと同化」しようとしたんだ。
 「悲しみ」を表現する技術ではなく、「ほんとうに自分が悲しい」ことによって、悲しい姿や表情を作ることができるから。

 タカラヅカは技術よりも心優先っていうか、心があればそれでいい的なところはたしかにあって、音程ぐたぐたのものすごい歌でも、泣きながら歌えばそれだけで観客号泣、てなことも多分にある。正しい音程で歌うより、そっちの方が感動的と捉えられたりなー。
 わたしもそれは否定しないし、ぶっちゃけキライぢゃない。
 だから本気で泣いてるあゆみちゃんのイサベラに感情移入するし、一緒に切なくなったり悲しくなったりしている。

 だけどあゆみちゃんはなんつーか、終始、ソレだけで、プロの役者的じゃなかった。
 もう少し技術の部分、役者としての部分も見せてくれないと、ナマの表情・感情だけ見せられても、そんなの困るっていうか。
 そこでキミが磨くべきなのは技術であって、役になりきって泣くことぢゃないんだよというか。

 役者として、圧倒的に経験が足りないんだなあ。
 なまじ、舞台に立ってきた年数はそれなりにあって、経験も実力もあるもんだから、いろんなモノが混在して混乱するというか。

 きっとそれは、もっと下級生時代に経験することだったんじゃないかな。
 なんかあゆみちゃんは、演技なんかしたことないダンサーが女優として抜擢されて、舞台上で五里霧中、七転八倒しているような感じがする。


 芝居をする、演技をする、ということがいまいちわかっていないよーな気はしたけれど、それでも公演が進むにつれイサベルは変わっていった。
 理屈ではなく、舞台上で学ぶことがあるんだろう。

 あゆみちゃんの演じるイサベルが好き。

 足りていない、もどかしいところはある。
 最後まであった。

 でも、それを含めても、やっぱり好き。
 出逢えて良かった。
 あゆみちゃんで良かった。


 『トクスペ』から感じる沙月愛奈ちゃんは、すごく、気が強そうだった。
 タカラヅカらしさの否定、我が道を行く姿勢。
 「タカラヅカが好きで入ったんだよね?」と改めて聞かれてしまうくらい、周りをぎょっとさせることをさらりと言っちゃうし。

 いやあ、しみじみ、あゆみちゃん、好きだわ。

 なんかいろいろいびつで、でもすごくコアで固いモノを持った女の子。
 でもスカイナビゲーターズなどの対外的なところでは、端正で慎み深い姿を見せる、バランス感覚と頭の良さ。
 ダンスの実力と美貌、脚線美。←重要(笑)。

 わたしがタカラヅカで重要視するのは、芝居>歌>ダンス。芝居が出来ない人がいちばん苦手。
 あゆみちゃんはとりあえず、芝居も破綻はない。娘役としての立ち居も出来ている。ただ、重要な役になると足りていない部分が目立つ。……だって、芝居の人として育っていないから。
 芝居はまだ、経験不足。
 だからこそ、まだこれから、変わるのかもしれない。
 イサベルがどんどん変わっていったように。

 なんだかますます楽しみだ。
 これからももっともっと、長くタカラヅカにいて欲しい。
 「最初から女役になりたかった。ようやく年齢と学年が追いついてきた」と言うからには、活躍はこれから、だよね。
 いい女として、ダンスだけではなく、芝居でも花開いて欲しい。

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