こんなところで、思いがけず敗北。@ブエノスアイレスの風
2008年11月21日 タカラヅカ す、すみません。
わたし的にものすごーくびっくりな終わり方でした。
『虹のナターシャ』初日と同じくらい、びっくりした終わり方だったかもしれません。
正塚晴彦作『ブエノスアイレスの風』にて。
えええ、天下の正塚作品なのに、植爺作の超珍作と同列に並べちゃうって、どーしたんだわたし、ダメだろわたし!
つまり、「ここで終わり」とは思わずに観ていて、一拍遅れて「えっ、終わってたの? アレで終わり? え? え? 続きはっ?!」となったのでした……ほほほ。
えー、初演・再演共に観ていません。リカちゃんが苦手だったのと、バウ公演ではなかったため。バウならせめて、再演の方を観ていたのに。
ストーリーはシンプルでわかりやすい。とゆーか、いつか観たハリー芝居のエッセンスがいっぱいなので、取っつきやすい。とゆーか……『マリポーサの花』と同時期に上演していい話じゃないだろコレ。
『マリポーサの花』と『ブエノスアイレスの風』はもちろん別の話なんだが、なんだか本公演と新人公演を同時に別のハコで上演しているような感じが、……ええっと、その場合どうしても新公の方が割を食ってしまうというか、ええっと。
政治犯として投獄されていたニコラス@れおんは、政変による特赦で出所した。
彼が倒そうとしていた軍事政権はすでになく、今は民主政治となっている……わけだから、ニコラスはもう革命家でいる必要はない。とりあえず新しい生活を、と彼は酒場で働き出すわけだが、そこでダンスの才能を見出され、イサベラ@ねねちゃんと組んでダンスのオーディションを受けることになった。
が、そこへトラブルメーカー襲来。過去の生き甲斐が忘れられないリカルド@和は、妹のリリアナ@千秋ちゃんと共にニコラスへ、「なんでもいいから革命やろうぜ!」と持ちかける。
ニコラスは断ったが、リカルドはめげずに銀行襲撃を計画、リリアナを武器商人へ人質として差し出したり、めちゃくちゃやりまくり。放っておけないニコラスは大切なオーディションをすっぽかして……。
へ、変だ……革命とか政治とか、生きるとか生命とか、重いものを基盤にしたテーマが垣間見えるんだが、なんだかそこへわたしがたどり着けない。
なんかすごく、「軽い」物語に見えた。
7年前だっけ?かに、ニコラスたちが革命を目指していたとは、思えないんだ。
それによって人間がほんとうに「死んだ」というのが、ぴんと来ない。
革命ごっこで、オモチャのピストル持ってただけじゃないの? ってゆーか……。
ニコラス単体なら、まだ「過去があるんだな」と思えたんだけど、そこにリカルドがやって来ると、説得力が一気に下降するというか。
彼ら自身がまだ、学生に見えるせいだろうか。
今21で、7年前っつったら中学生じゃん? 中学生の夢見た「革命」って、ごっこだよね?的な。
リカルドの過去へのこだわり方が、ただの拾った石ころを「本物の宝石だ、大人にはわかんないんだ!」と言っているようで……彼を哀れだと思うけれど、それよりも「はた迷惑なヤツだな」と嘆息してしまって、こまる。
耳に入る情報と、目に映るモノがちがいすぎるのが、混乱の原因かもしれない。
台詞では、彼らが「大人」であり、「重い過去」があるように聞こえる。だけど実際に目に映っているのは、世間知らずの学生さんが「大人はみんな汚いっ、うわーーんっ!!」と言っている姿。
リカルドを諭しているニコラスは、学級委員みたいだし。
ニコラスに敵対するビセンテ@ベニーも、刑事だと言ってるけど、刑事に見えないってゆーか、ええっとその着こなせていないスーツはなんだ、ヒゲをつけてりゃ大人に見えるってわけじゃないぞ?!な、謎なビジュアルの人だし。
なのに彼の愛する女教師エバ@まりもは、ひどく大人の女性だし。
なんか、大変なことになっているような……。
本来これは、どーゆー話だったんだろう、と、初演を観ていないことを、今さら悔やむ(笑)。
んで、リカルドの後始末をしたところでフィナーレ突入して、マジでおどろいた。
ええっ、これで終わり?! ニコラスの人生、ナニもはじまってないじゃん?! つか、イサベラってナニ?!
リカルドが強烈すぎて、ニコラスが見えなかったのか、わたし?
ニコラスが誰を好きで、ナニを胸に抱いて生きているのか、わかんなかったっす。
新しくはじめる過渡期であることはわかるが、それにしても彼の思いがどこにあるのか、今現在目の前に起こっていることだけしか見えなくて、しかもソレはニコラス自身のコトではなく他人の騒動で、その出来事が終わったら物語終了って、じゃあニコラスの物語はドコ?! ……と。
完全に置いていかれてしまった……。敗北感。
いやその、観ている間はたのしいの。
れおんかっこよくて、いい男になったなあ、と思えるし。和くん美しいし。ねねちゃんあでやかにきれいだし、千秋ちゃんかわいくていじらしいし。
なまじたのしく観ているから、突然終わってびっくりした。
突然のゲームオーバー。コントローラ握ったまま、あぜん。えーと、わたしなんかヘタ打った? 即死するとは思わなかった。
わーん、リトライさせてよ、コンティニュー無し?!
「名作」との誉れ高き作品だと聞き及んでいるので、クライマックスになっていたことや、エンディングになっていたことに気づかず終わってしまったのは、わたしが悪いのだろう。
どう考えたって、『虹のナターシャ』とは作品の格がチガウわ! なのに同じように「えっ、終わってたの?!」と愕然とするなんて、正塚と作品に失礼だわ。
だから謝る、すみません。
もう一度観れば、違って見えたのだと思うけれど、チケットもないし不思議なほどチケ難だし、たぶんわたしには向いていなかった、縁がなかったとあきらめるべきだろう。
人間、向き不向きはどーしてもあるんだし。
ううう、なんかしょぼんだわ。
わたし的にものすごーくびっくりな終わり方でした。
『虹のナターシャ』初日と同じくらい、びっくりした終わり方だったかもしれません。
正塚晴彦作『ブエノスアイレスの風』にて。
えええ、天下の正塚作品なのに、植爺作の超珍作と同列に並べちゃうって、どーしたんだわたし、ダメだろわたし!
つまり、「ここで終わり」とは思わずに観ていて、一拍遅れて「えっ、終わってたの? アレで終わり? え? え? 続きはっ?!」となったのでした……ほほほ。
えー、初演・再演共に観ていません。リカちゃんが苦手だったのと、バウ公演ではなかったため。バウならせめて、再演の方を観ていたのに。
ストーリーはシンプルでわかりやすい。とゆーか、いつか観たハリー芝居のエッセンスがいっぱいなので、取っつきやすい。とゆーか……『マリポーサの花』と同時期に上演していい話じゃないだろコレ。
『マリポーサの花』と『ブエノスアイレスの風』はもちろん別の話なんだが、なんだか本公演と新人公演を同時に別のハコで上演しているような感じが、……ええっと、その場合どうしても新公の方が割を食ってしまうというか、ええっと。
政治犯として投獄されていたニコラス@れおんは、政変による特赦で出所した。
彼が倒そうとしていた軍事政権はすでになく、今は民主政治となっている……わけだから、ニコラスはもう革命家でいる必要はない。とりあえず新しい生活を、と彼は酒場で働き出すわけだが、そこでダンスの才能を見出され、イサベラ@ねねちゃんと組んでダンスのオーディションを受けることになった。
が、そこへトラブルメーカー襲来。過去の生き甲斐が忘れられないリカルド@和は、妹のリリアナ@千秋ちゃんと共にニコラスへ、「なんでもいいから革命やろうぜ!」と持ちかける。
ニコラスは断ったが、リカルドはめげずに銀行襲撃を計画、リリアナを武器商人へ人質として差し出したり、めちゃくちゃやりまくり。放っておけないニコラスは大切なオーディションをすっぽかして……。
へ、変だ……革命とか政治とか、生きるとか生命とか、重いものを基盤にしたテーマが垣間見えるんだが、なんだかそこへわたしがたどり着けない。
なんかすごく、「軽い」物語に見えた。
7年前だっけ?かに、ニコラスたちが革命を目指していたとは、思えないんだ。
それによって人間がほんとうに「死んだ」というのが、ぴんと来ない。
革命ごっこで、オモチャのピストル持ってただけじゃないの? ってゆーか……。
ニコラス単体なら、まだ「過去があるんだな」と思えたんだけど、そこにリカルドがやって来ると、説得力が一気に下降するというか。
彼ら自身がまだ、学生に見えるせいだろうか。
今21で、7年前っつったら中学生じゃん? 中学生の夢見た「革命」って、ごっこだよね?的な。
リカルドの過去へのこだわり方が、ただの拾った石ころを「本物の宝石だ、大人にはわかんないんだ!」と言っているようで……彼を哀れだと思うけれど、それよりも「はた迷惑なヤツだな」と嘆息してしまって、こまる。
耳に入る情報と、目に映るモノがちがいすぎるのが、混乱の原因かもしれない。
台詞では、彼らが「大人」であり、「重い過去」があるように聞こえる。だけど実際に目に映っているのは、世間知らずの学生さんが「大人はみんな汚いっ、うわーーんっ!!」と言っている姿。
リカルドを諭しているニコラスは、学級委員みたいだし。
ニコラスに敵対するビセンテ@ベニーも、刑事だと言ってるけど、刑事に見えないってゆーか、ええっとその着こなせていないスーツはなんだ、ヒゲをつけてりゃ大人に見えるってわけじゃないぞ?!な、謎なビジュアルの人だし。
なのに彼の愛する女教師エバ@まりもは、ひどく大人の女性だし。
なんか、大変なことになっているような……。
本来これは、どーゆー話だったんだろう、と、初演を観ていないことを、今さら悔やむ(笑)。
んで、リカルドの後始末をしたところでフィナーレ突入して、マジでおどろいた。
ええっ、これで終わり?! ニコラスの人生、ナニもはじまってないじゃん?! つか、イサベラってナニ?!
リカルドが強烈すぎて、ニコラスが見えなかったのか、わたし?
ニコラスが誰を好きで、ナニを胸に抱いて生きているのか、わかんなかったっす。
新しくはじめる過渡期であることはわかるが、それにしても彼の思いがどこにあるのか、今現在目の前に起こっていることだけしか見えなくて、しかもソレはニコラス自身のコトではなく他人の騒動で、その出来事が終わったら物語終了って、じゃあニコラスの物語はドコ?! ……と。
完全に置いていかれてしまった……。敗北感。
いやその、観ている間はたのしいの。
れおんかっこよくて、いい男になったなあ、と思えるし。和くん美しいし。ねねちゃんあでやかにきれいだし、千秋ちゃんかわいくていじらしいし。
なまじたのしく観ているから、突然終わってびっくりした。
突然のゲームオーバー。コントローラ握ったまま、あぜん。えーと、わたしなんかヘタ打った? 即死するとは思わなかった。
わーん、リトライさせてよ、コンティニュー無し?!
「名作」との誉れ高き作品だと聞き及んでいるので、クライマックスになっていたことや、エンディングになっていたことに気づかず終わってしまったのは、わたしが悪いのだろう。
どう考えたって、『虹のナターシャ』とは作品の格がチガウわ! なのに同じように「えっ、終わってたの?!」と愕然とするなんて、正塚と作品に失礼だわ。
だから謝る、すみません。
もう一度観れば、違って見えたのだと思うけれど、チケットもないし不思議なほどチケ難だし、たぶんわたしには向いていなかった、縁がなかったとあきらめるべきだろう。
人間、向き不向きはどーしてもあるんだし。
ううう、なんかしょぼんだわ。
彼よりも、彼の周りが。@ブエノスアイレスの風
2008年11月22日 タカラヅカ 敗北がかなしいが、気を取り直して『ブエノスアイレスの風』キャスト感想。
ニコラス@れおんは大人になったなあと思う。ショーヴランが素敵だった記憶があるだけに、無意識に底上げされているかもしれないが、ゆっくり地道に力をつけている。
しかし、正塚芝居に合わないんだろうか。
たんに正塚芝居をしているときに、わたしと合わないんだろうか。
『愛するには短すぎる』のときのフランク役で「結局ナニをしたかったのかわからないキャラだ」と思った、あのときから変わっていない気がする。
そのときそのときはちゃんと動いているし、イイ声で男臭く、かっこいい野郎なんだけども。
全体として俯瞰したとき、ふと我に返ると「……で?」になってしまうというか。
正塚作品以外ではそんなことは感じないので、鬼門はココだけだと思う。
さて、ある意味愉快なリカルド@和。
街の不良少年が成人してちんぴらになった、という、正しい成長ぶりの男の子。……え? そーゆー役だよね?
一昔前の暴走族とか、不良グループって、すごくいろいろ「掟」があったりするんだよね。
チームを抜けるときは制裁を受ける、とかさ。
自分に自信がなくて、ひとりではいられないので、とにかく群れる。でも、自分も他人も信じられないから、「掟」で縛る。
暴力によって、恐怖によって、はじめて安心するの。ひとりじゃないって。アイツはオレを裏切らないって。
「敵」の存在もそう。
「敵」を作ることで、「味方」でいられる。闘うべき「敵」がいるから、結束し、「仲間」でいられる。ひとりじゃなくなる。
ひとりでは、いられない。
こわくてこわくて、仕方がない。
暴力でも掟でも、メールでも掲示板でもなんでもいいから、誰かとつながっていないと、不安で生きていられない。
えーと、そーゆー男の子だよね、リカルドくんって?
だから、暴走族で同じような格好して「オレたちは仲間だ、裏切りはゆるさねぇ」とか言って、敵チームとか警察とか大人とかと闘っているときは、イキイキしていられたんだよね?
でももう未成年じゃないし、仲間たちはみんな大人になって就職して、「ゾク? ハタチ過ぎてまでやるこっちゃないっしょ(笑)」って言われて、がーーんってなるのね?
仲間さえいれば、居場所を見つけられた。仲間であるためには、集う理由が、闘う理由が必要だった。だから敵を脳内設定していた。いつもいつも、見えない敵と戦い続けた。敵さえいれば、「仲間」が在る、はずだったから。
闘う理由もないのに闘おうとして、その戦いの資金のために銀行襲撃を考えて、銀行襲撃する武器を手に入れるため、妹を犠牲にして。
欲しかったのは、居場所。生きる意味。存在価値。
いわゆる中二病。
……というキャラクタは、大変愉快です。
あまりにバカでかわいい。はた迷惑で、人生ナメきってるとことかデコピンしたくて仕方がない。
不細工ならゆるせんが、なにしろ絶世の美形なので、すべて許せる(笑)。人生なんてそんなもん。
てゆーかさ、こんだけ美貌があって、どうして自己肯定できないのか。妹という自分の分身以外をなにも持っていないと思い込むのか。
その屈折ぶりを思うと、興味深いです。
誰か、身内以外の人が教えてあげるべきだったんだよ。「キミは自分に価値を見つけられないかもしれないけど、客観的に見てその美貌には価値が生じるよ」と。
人格とか才能とかは置いておいて(笑)、とにかくわかりやすいところで、「美貌」。
わかりやすいとこでないと、お馬鹿なリコくんは理解できないでしょ? まず、美貌を認めて、あとはそっから自分探しするがヨシ。
しかし、彼の周りには妹しかいなかったんだよなあ。妹は彼の一部分だから、ナニ言っても意味ないし。
ニコラスが言えば…………あああ、あの男はそんなこと死んでも言わねえ。てゆーか、男の顔の美醜なんか、絶対区別ついてねえ(笑)。
まあ、ともかく。
リカルドは興味深いです。
つか、和くんでなんか、ややこしい役とか、じっくり見てみたいなー。
イサベラ@ねねちゃんは、やっぱ「華」なんだなと。
ヒロインがちっとも特別扱いされない正塚芝居において、自力で輝かなければならないところを、ちゃんと「わたしはヒロインよ」と華やかさで自己発信してるんだもの。
単独ヒロインではないのかもしれないが、とにかくヒロイン級の役だとわかる。華美な衣装やファンファーレ、ライトがなくても。
長身に小顔、長い手足とまあ、シンプルなドレス姿が、栄える栄える。
ダンスがうまいかどうかより、彼女単体の美しさで説得力になる。
イサベラの抱え込んだ人生の重みは、脚本には多少描かれていたと思うし、彼女の自宅の場面などその場のインパクトはあるんだけど……なんだろう、それによって彼女がどう生きているのかは、あまり伝わってこなかったような。
キャラクタがよくわかったというか、うまい!と思ったのは、エバ@まりもちゃん。
彼女はちゃんと脚本通りの演技をしていると思う。耳から入る情報と、目の前の光景に齟齬がなかった。
たしかに7年前は大学生で、今は社会人だわ。
となると、他のキャラクタとのバランスがおかしくなる……こまった。
エバがほんとに地に足つけて自分の人生を生きている、等身大の女の子だったので……すまん、27歳くらい?だと、わたしからすりゃ「女の子」だ、つきあっている男がアレでいいのかと首をひねったよ。
ニコラスはいいの。
エバと対峙していると、違和感はあるんだけど、まあそんなこともあるかな、元法科のインテリ学生革命家だったのかな、と想像できないこともない。
ただ、ビセンテ@ベニーがなー……。
なにしろキャリアがない(路線として扱ってもらって来ていない)ため、技術が乏しいことはわかっていたが、本気でやばかった(笑)。
正塚芝居は新公がひどいことになる、というお手本のように、役というか、立ち居振る舞い着こなしから、全部に手こずっていた模様。
元軍人で現刑事には、見えない。てゆーか、大人に見えない。
いっそエバの家庭教師時代の生徒、とかゆー設定だったらよかったのに。今24歳くらいで、今年よーやく憧れの刑事になりました!みたいな。元軍人設定はナシで、戦争で家族亡くしたからゲリラを憎んでる、とかでいいじゃん。
設定とベニーがまったく合ってないので、エバがなんでこんな男にプロポーズされていろいろ思い悩むのかわからん……。
とまあ、辛口ではあるが。
ここまでなんにもできてないのに、ベニーは、負けていない。
できていないことを本人わかっているのかいないのか、自由に舞台の上にいるよね(笑)。
動くときに、まず心を動かそうとしているのがわかる。……技術が足りてないから空回りしているけど、彼が「なにかしよう」と思ってソコにいることは、わかるの。
やっぱおもしろいなあ、ベニー。
この子に技術がつけば、どんなに愉快なスターになるだろう。今後がたのしみだー。
ニコラス@れおんは大人になったなあと思う。ショーヴランが素敵だった記憶があるだけに、無意識に底上げされているかもしれないが、ゆっくり地道に力をつけている。
しかし、正塚芝居に合わないんだろうか。
たんに正塚芝居をしているときに、わたしと合わないんだろうか。
『愛するには短すぎる』のときのフランク役で「結局ナニをしたかったのかわからないキャラだ」と思った、あのときから変わっていない気がする。
そのときそのときはちゃんと動いているし、イイ声で男臭く、かっこいい野郎なんだけども。
全体として俯瞰したとき、ふと我に返ると「……で?」になってしまうというか。
正塚作品以外ではそんなことは感じないので、鬼門はココだけだと思う。
さて、ある意味愉快なリカルド@和。
街の不良少年が成人してちんぴらになった、という、正しい成長ぶりの男の子。……え? そーゆー役だよね?
一昔前の暴走族とか、不良グループって、すごくいろいろ「掟」があったりするんだよね。
チームを抜けるときは制裁を受ける、とかさ。
自分に自信がなくて、ひとりではいられないので、とにかく群れる。でも、自分も他人も信じられないから、「掟」で縛る。
暴力によって、恐怖によって、はじめて安心するの。ひとりじゃないって。アイツはオレを裏切らないって。
「敵」の存在もそう。
「敵」を作ることで、「味方」でいられる。闘うべき「敵」がいるから、結束し、「仲間」でいられる。ひとりじゃなくなる。
ひとりでは、いられない。
こわくてこわくて、仕方がない。
暴力でも掟でも、メールでも掲示板でもなんでもいいから、誰かとつながっていないと、不安で生きていられない。
えーと、そーゆー男の子だよね、リカルドくんって?
だから、暴走族で同じような格好して「オレたちは仲間だ、裏切りはゆるさねぇ」とか言って、敵チームとか警察とか大人とかと闘っているときは、イキイキしていられたんだよね?
でももう未成年じゃないし、仲間たちはみんな大人になって就職して、「ゾク? ハタチ過ぎてまでやるこっちゃないっしょ(笑)」って言われて、がーーんってなるのね?
仲間さえいれば、居場所を見つけられた。仲間であるためには、集う理由が、闘う理由が必要だった。だから敵を脳内設定していた。いつもいつも、見えない敵と戦い続けた。敵さえいれば、「仲間」が在る、はずだったから。
闘う理由もないのに闘おうとして、その戦いの資金のために銀行襲撃を考えて、銀行襲撃する武器を手に入れるため、妹を犠牲にして。
欲しかったのは、居場所。生きる意味。存在価値。
いわゆる中二病。
……というキャラクタは、大変愉快です。
あまりにバカでかわいい。はた迷惑で、人生ナメきってるとことかデコピンしたくて仕方がない。
不細工ならゆるせんが、なにしろ絶世の美形なので、すべて許せる(笑)。人生なんてそんなもん。
てゆーかさ、こんだけ美貌があって、どうして自己肯定できないのか。妹という自分の分身以外をなにも持っていないと思い込むのか。
その屈折ぶりを思うと、興味深いです。
誰か、身内以外の人が教えてあげるべきだったんだよ。「キミは自分に価値を見つけられないかもしれないけど、客観的に見てその美貌には価値が生じるよ」と。
人格とか才能とかは置いておいて(笑)、とにかくわかりやすいところで、「美貌」。
わかりやすいとこでないと、お馬鹿なリコくんは理解できないでしょ? まず、美貌を認めて、あとはそっから自分探しするがヨシ。
しかし、彼の周りには妹しかいなかったんだよなあ。妹は彼の一部分だから、ナニ言っても意味ないし。
ニコラスが言えば…………あああ、あの男はそんなこと死んでも言わねえ。てゆーか、男の顔の美醜なんか、絶対区別ついてねえ(笑)。
まあ、ともかく。
リカルドは興味深いです。
つか、和くんでなんか、ややこしい役とか、じっくり見てみたいなー。
イサベラ@ねねちゃんは、やっぱ「華」なんだなと。
ヒロインがちっとも特別扱いされない正塚芝居において、自力で輝かなければならないところを、ちゃんと「わたしはヒロインよ」と華やかさで自己発信してるんだもの。
単独ヒロインではないのかもしれないが、とにかくヒロイン級の役だとわかる。華美な衣装やファンファーレ、ライトがなくても。
長身に小顔、長い手足とまあ、シンプルなドレス姿が、栄える栄える。
ダンスがうまいかどうかより、彼女単体の美しさで説得力になる。
イサベラの抱え込んだ人生の重みは、脚本には多少描かれていたと思うし、彼女の自宅の場面などその場のインパクトはあるんだけど……なんだろう、それによって彼女がどう生きているのかは、あまり伝わってこなかったような。
キャラクタがよくわかったというか、うまい!と思ったのは、エバ@まりもちゃん。
彼女はちゃんと脚本通りの演技をしていると思う。耳から入る情報と、目の前の光景に齟齬がなかった。
たしかに7年前は大学生で、今は社会人だわ。
となると、他のキャラクタとのバランスがおかしくなる……こまった。
エバがほんとに地に足つけて自分の人生を生きている、等身大の女の子だったので……すまん、27歳くらい?だと、わたしからすりゃ「女の子」だ、つきあっている男がアレでいいのかと首をひねったよ。
ニコラスはいいの。
エバと対峙していると、違和感はあるんだけど、まあそんなこともあるかな、元法科のインテリ学生革命家だったのかな、と想像できないこともない。
ただ、ビセンテ@ベニーがなー……。
なにしろキャリアがない(路線として扱ってもらって来ていない)ため、技術が乏しいことはわかっていたが、本気でやばかった(笑)。
正塚芝居は新公がひどいことになる、というお手本のように、役というか、立ち居振る舞い着こなしから、全部に手こずっていた模様。
元軍人で現刑事には、見えない。てゆーか、大人に見えない。
いっそエバの家庭教師時代の生徒、とかゆー設定だったらよかったのに。今24歳くらいで、今年よーやく憧れの刑事になりました!みたいな。元軍人設定はナシで、戦争で家族亡くしたからゲリラを憎んでる、とかでいいじゃん。
設定とベニーがまったく合ってないので、エバがなんでこんな男にプロポーズされていろいろ思い悩むのかわからん……。
とまあ、辛口ではあるが。
ここまでなんにもできてないのに、ベニーは、負けていない。
できていないことを本人わかっているのかいないのか、自由に舞台の上にいるよね(笑)。
動くときに、まず心を動かそうとしているのがわかる。……技術が足りてないから空回りしているけど、彼が「なにかしよう」と思ってソコにいることは、わかるの。
やっぱおもしろいなあ、ベニー。
この子に技術がつけば、どんなに愉快なスターになるだろう。今後がたのしみだー。
暗い舞台の上で。@ブエノスアイレスの風
2008年11月23日 タカラヅカ 昔、わたしが正塚晴彦にハマって間もない頃、「正塚作品は嫌い!」と言う人と話して、実感がわかなかったことがある。
どうしてキライかと尋ねると、「暗いからキライ」と言う。
暗いって……まあ、明るい話ではないわな。重いっていうか、タカラヅカらしいキラキラした、王子様とお姫様の夢物語ではないよね。
王子様が出てくる、華やかなドレスに舞踏会もいいけど、それだけじゃなくてもいいじゃん、正塚みたく、現代と陸続きのとこで政治だの革命だのやってる作家がいても。
や、チガウんだ。誰も作品内容の話なんかしていない。
「正塚作品は、舞台が暗いから、キライ」
……照明の問題、だと言うんだ。
はあ??
心から、びっくりした。
照明は演出手段、表現手段でしょ? 暗いったって、ちゃんと出演者の顔は見えるし、つか見えなかったら芝居になんないし。ナニをわけのわかんないことを……。
たしか大劇場では、『二人だけが悪』をやっていたと思う。
わたしはこの作品が大好きで、機嫌良く劇場に通っていた。ブエノスアイレス、タンゴ、元CIAの男、と、いつもの正塚炸裂。この「元」が正塚よねー。元革命家、元軍人、元殺し屋……とにかく「元」なのよ、現在じゃないの。男のロマンよねー(そして、男のロマンとは女にとってしばしば笑えるモノだったりもする・笑)。
「正塚作品がキライ」と言う人は、もちろんこの『二人だけが悪』もひどく嫌っていた。
「舞台が暗い、つまらない!!」
暗い中に浮かび上がったセットがきれいじゃん、場面転換がきれいじゃん、ナニ言ってんの?
うん。
わたしは当時星組ファンではまったくなかったし、贔屓組だって組子全員の顔と名前おぼえて舞台上で点呼したり、下級生の成長を楽しみにしていたりは、しなかった。
あくまでも「物語を観ている」わけだから、筋に絡む主要人物以外は観ていないもの。で、主要人物はちゃんとライトを浴びているから問題ない。
「暗いからキライ」というのは、ただ純粋に、単純に、脇の下級生の顔が見えないって怒ってたんだよね。ご贔屓や、気に入っている子たちの、顔すらまともに見えないから「つまらない」って言ってるんだよね。
わかってなかったよ。当時はほんと、真ん中さえちゃんと見えれば、芝居さえちゃんと演出してあれば、それでいいと思っていた。
や、それでいいと思うけど、なにしろココはヅカなので。
主役たちのドラマの背景で、ライトの外で目深に帽子を被って踊る姿を「演出」として使用するのも粋だと思っちゃいるが、たしかに贔屓の出番がソレばっかじゃあ、「キライ」という人がいても無理はないか……。
という話を思い出した。
『ブエノスアイレスの風』キャスト感想つれづれに行きます。
誰が出ているのか、いつものよーになにも知らずに行ったので。
幕間にポスターに記載されている名前を見て、そうそうたるメンバーが出演していることに、びっくりした。や、プログラムは買ってないので、出演者一覧はポスターしか資料がないのよ。
1幕では、マジで知らなかった。
ふつーに「物語」を見ていたので。主人公のニコラス@れおんを見、彼の目線の先しか見ていない。彼と直接に関わる人しか見てないし、関わりの度合いによって注意もチガウ。
通行人や店の客、ライトの外で帽子被って踊る人たちが誰かとか、さっぱりわかってなかった。
誰が出ているか、アタマに入れてからなら「あ、あそこにいる」といちいち探すことが出来たけど……うわー、組ファン以外わかんないよコレ、いわゆる「路線」以外の顔と名前の一致している人しか、「顔」すら舞台上で確認できない……。
タカラヅカはリピート観劇が基本だから、最初は「物語」を見ていても、次からは背景芝居やモブのひとりずつに気を配って点呼していったりするのかもしれないが……初見1回限りの組ファン以外観劇では、きついなこりゃ。
で、今さらながらに『二人だけが悪』も、ひどい演出だったなそーゆー意味で、てなことを思い出してしみじみした……同じ星組つながりで(笑)。
もちろん、モブはモブ、真ん中だけ物語だけちゃんとできてりゃ、それでいいんだけどね……ヅカってとこは因果なとこだよなあ。
とりあえず、武器商人@水輝涼は、アレでいいんでしょうか?
二枚目なのかそーでないのか、ただひたすらクドくて、よくわかんないです。
本人は二枚目に作っているよーな気がしますが、役割的にはチガウんじゃないかなとか、見ていて落ち着きが悪かったです。
お化粧もすごく濃くて……気合い?
いやその、かっこいいんですが。
クドくて彼だけなんか空気がちがっているところも、愉快だとは思いますが。
うーん……。
みやるりは台詞ひとつ……というか、一場面だけ?
その声が良くて、「おっ」と着目したら、みやるりだった。いたんだ?!(がーん)
存在を認識してからは、暗がりでもわかる美貌……。
他、れんた、キトリ、ミッキー等、2幕以降に点呼をはじめる。
研1ちゃんたちも出てたのね、お孫さんは新公に続いて抜擢? 台詞アリだがんばれ。レイラはマジで顔が見えない(笑)。
知ってる顔だ、と思ったらそーだスカフェの子だ、とか。や、目立つね、彼女。
年長組のかつきさん、ゆうかちゃんは探さなくてもわかるけど……またすごい役なんだな……って、役としての出番はアレだけ?
あー……たしかに「正塚作品は暗い」わ(笑)。
抜擢続きで猛烈修行中の真風くん、どこまでも水しぇん似な姿。あれだけ顔と声が似ていると、技術も比べられてしまうから大変だよなー。
今は全力で「男役」という難題に向かって行ってる感じ。がんばってほしいなー。
しかし、このマルセーロ@真風の「母」がコロちゃんというのは……。
シビさん役のコロちゃんは、最初と最後のテーマ曲独唱で作品を牽引する重責を負っている。歌声はますます饒舌になり、彼女の芸幅の広さ、成長ぶりが感じられてうれしいのだけど。
でもやっぱり、マルセーロの母親には見えなくて、母子ネタが出てくるたび、「えっ。……ああ、そーだった」と思った。
リリアナ@千秋ちゃんは、かわいい。すごくかわいい。顔だけじゃなく、キャラごとかわいい。
キティお嬢様@『ANNA KARENINA』より、こーゆー現代的な子の方が似合うかな。
ロレンソ@美城れんはあまりにまりえったまんまで、びびった(笑)。
初演を知らないのに、「あ、この役ってまりえっただったんだ」とわかったってば。
これだけよくコピーしたなー。自然なおっさんぶりも素晴らしい。すごいぞ84期(笑)。
バーテンのどいちゃんは、観る前から周囲のどいちゃんファンたちがうるさくて(笑)。
たしかにかわいい。妙な味がある、バーテンなのに身のこなしがきれい。でもわたし的には、『ANNA KARENINA』とかの方が……って、はっ、わたしはもう、彼をおっさん認識しているのか? 素顔はあんなにいとけない美少年なのに?!
正塚は役者の好き嫌いが配役から見えがちな人なんだけど。
今回の『ブエノスアイレスの風』では、どうだったんだろう。
てゆーか、和くんのことどう思ってるのか、聞いてみたいわ。
どうしてキライかと尋ねると、「暗いからキライ」と言う。
暗いって……まあ、明るい話ではないわな。重いっていうか、タカラヅカらしいキラキラした、王子様とお姫様の夢物語ではないよね。
王子様が出てくる、華やかなドレスに舞踏会もいいけど、それだけじゃなくてもいいじゃん、正塚みたく、現代と陸続きのとこで政治だの革命だのやってる作家がいても。
や、チガウんだ。誰も作品内容の話なんかしていない。
「正塚作品は、舞台が暗いから、キライ」
……照明の問題、だと言うんだ。
はあ??
心から、びっくりした。
照明は演出手段、表現手段でしょ? 暗いったって、ちゃんと出演者の顔は見えるし、つか見えなかったら芝居になんないし。ナニをわけのわかんないことを……。
たしか大劇場では、『二人だけが悪』をやっていたと思う。
わたしはこの作品が大好きで、機嫌良く劇場に通っていた。ブエノスアイレス、タンゴ、元CIAの男、と、いつもの正塚炸裂。この「元」が正塚よねー。元革命家、元軍人、元殺し屋……とにかく「元」なのよ、現在じゃないの。男のロマンよねー(そして、男のロマンとは女にとってしばしば笑えるモノだったりもする・笑)。
「正塚作品がキライ」と言う人は、もちろんこの『二人だけが悪』もひどく嫌っていた。
「舞台が暗い、つまらない!!」
暗い中に浮かび上がったセットがきれいじゃん、場面転換がきれいじゃん、ナニ言ってんの?
うん。
わたしは当時星組ファンではまったくなかったし、贔屓組だって組子全員の顔と名前おぼえて舞台上で点呼したり、下級生の成長を楽しみにしていたりは、しなかった。
あくまでも「物語を観ている」わけだから、筋に絡む主要人物以外は観ていないもの。で、主要人物はちゃんとライトを浴びているから問題ない。
「暗いからキライ」というのは、ただ純粋に、単純に、脇の下級生の顔が見えないって怒ってたんだよね。ご贔屓や、気に入っている子たちの、顔すらまともに見えないから「つまらない」って言ってるんだよね。
わかってなかったよ。当時はほんと、真ん中さえちゃんと見えれば、芝居さえちゃんと演出してあれば、それでいいと思っていた。
や、それでいいと思うけど、なにしろココはヅカなので。
主役たちのドラマの背景で、ライトの外で目深に帽子を被って踊る姿を「演出」として使用するのも粋だと思っちゃいるが、たしかに贔屓の出番がソレばっかじゃあ、「キライ」という人がいても無理はないか……。
という話を思い出した。
『ブエノスアイレスの風』キャスト感想つれづれに行きます。
誰が出ているのか、いつものよーになにも知らずに行ったので。
幕間にポスターに記載されている名前を見て、そうそうたるメンバーが出演していることに、びっくりした。や、プログラムは買ってないので、出演者一覧はポスターしか資料がないのよ。
1幕では、マジで知らなかった。
ふつーに「物語」を見ていたので。主人公のニコラス@れおんを見、彼の目線の先しか見ていない。彼と直接に関わる人しか見てないし、関わりの度合いによって注意もチガウ。
通行人や店の客、ライトの外で帽子被って踊る人たちが誰かとか、さっぱりわかってなかった。
誰が出ているか、アタマに入れてからなら「あ、あそこにいる」といちいち探すことが出来たけど……うわー、組ファン以外わかんないよコレ、いわゆる「路線」以外の顔と名前の一致している人しか、「顔」すら舞台上で確認できない……。
タカラヅカはリピート観劇が基本だから、最初は「物語」を見ていても、次からは背景芝居やモブのひとりずつに気を配って点呼していったりするのかもしれないが……初見1回限りの組ファン以外観劇では、きついなこりゃ。
で、今さらながらに『二人だけが悪』も、ひどい演出だったなそーゆー意味で、てなことを思い出してしみじみした……同じ星組つながりで(笑)。
もちろん、モブはモブ、真ん中だけ物語だけちゃんとできてりゃ、それでいいんだけどね……ヅカってとこは因果なとこだよなあ。
とりあえず、武器商人@水輝涼は、アレでいいんでしょうか?
二枚目なのかそーでないのか、ただひたすらクドくて、よくわかんないです。
本人は二枚目に作っているよーな気がしますが、役割的にはチガウんじゃないかなとか、見ていて落ち着きが悪かったです。
お化粧もすごく濃くて……気合い?
いやその、かっこいいんですが。
クドくて彼だけなんか空気がちがっているところも、愉快だとは思いますが。
うーん……。
みやるりは台詞ひとつ……というか、一場面だけ?
その声が良くて、「おっ」と着目したら、みやるりだった。いたんだ?!(がーん)
存在を認識してからは、暗がりでもわかる美貌……。
他、れんた、キトリ、ミッキー等、2幕以降に点呼をはじめる。
研1ちゃんたちも出てたのね、お孫さんは新公に続いて抜擢? 台詞アリだがんばれ。レイラはマジで顔が見えない(笑)。
知ってる顔だ、と思ったらそーだスカフェの子だ、とか。や、目立つね、彼女。
年長組のかつきさん、ゆうかちゃんは探さなくてもわかるけど……またすごい役なんだな……って、役としての出番はアレだけ?
あー……たしかに「正塚作品は暗い」わ(笑)。
抜擢続きで猛烈修行中の真風くん、どこまでも水しぇん似な姿。あれだけ顔と声が似ていると、技術も比べられてしまうから大変だよなー。
今は全力で「男役」という難題に向かって行ってる感じ。がんばってほしいなー。
しかし、このマルセーロ@真風の「母」がコロちゃんというのは……。
シビさん役のコロちゃんは、最初と最後のテーマ曲独唱で作品を牽引する重責を負っている。歌声はますます饒舌になり、彼女の芸幅の広さ、成長ぶりが感じられてうれしいのだけど。
でもやっぱり、マルセーロの母親には見えなくて、母子ネタが出てくるたび、「えっ。……ああ、そーだった」と思った。
リリアナ@千秋ちゃんは、かわいい。すごくかわいい。顔だけじゃなく、キャラごとかわいい。
キティお嬢様@『ANNA KARENINA』より、こーゆー現代的な子の方が似合うかな。
ロレンソ@美城れんはあまりにまりえったまんまで、びびった(笑)。
初演を知らないのに、「あ、この役ってまりえっただったんだ」とわかったってば。
これだけよくコピーしたなー。自然なおっさんぶりも素晴らしい。すごいぞ84期(笑)。
バーテンのどいちゃんは、観る前から周囲のどいちゃんファンたちがうるさくて(笑)。
たしかにかわいい。妙な味がある、バーテンなのに身のこなしがきれい。でもわたし的には、『ANNA KARENINA』とかの方が……って、はっ、わたしはもう、彼をおっさん認識しているのか? 素顔はあんなにいとけない美少年なのに?!
正塚は役者の好き嫌いが配役から見えがちな人なんだけど。
今回の『ブエノスアイレスの風』では、どうだったんだろう。
てゆーか、和くんのことどう思ってるのか、聞いてみたいわ。
君に白い花を送ろう。@マリポーサの花
2008年11月24日 タカラヅカ「とどのつまり、毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ」
……いったい何人に、この台詞を聞かされたことだろう。
『マリポーサの花』のラストシーンのことですよ、ええ。
一緒に生きることもできない、いつ帰れるかもわからない。
そんなときに「待っていろ」と言う男なんて、最低。
毎月、変わらない心の証に花を送る、なんて、最低の上に、最悪。
女の幸せを考えていない。自分の都合、自分本位の価値観。
「よーするに、男目線なんだよね」
はい、その通りです。
正塚晴彦の書く物語は、いつだって完璧に男目線。オンナゴコロなんざぁカケラもわかっちゃいない。
毎回毎回飽きもせず、「男のロマン」を書き続ける。それもちょっと時代遅れの、時代遅れなことすら「かっこいい」と思っている団塊世代あたりのオヤジ価値観。
ツッコミ担当ドリーさんが「あの学生運動コンプレックス、なんとかしてほしいんだけど!」てなことを言い捨てていたのは、的確すぎて、痛快。
正塚的には、「生きている証の花を送り続ける」から、かっこいいんだろう。自分で書いてて「くぅ~~、かっこいいよなっ」と思ってるんだろう(笑)。
でも、観客である女からしてみりゃ、夢も冷める最悪行為という(笑)。
作中のセリア@となみが送られてくる花をよろこぶのはわかる。彼女の立場、状況ならそうだろう。
しかし観客はセリアじゃない。客席で物語を眺めているわけだから、現実問題、「あの状況で、あんなことをする男は嫌だ(笑)」ということになる。
「ま、所詮絵空事だからアレでいいけど(笑)」……女性がそう思うなんてこと、正塚はまったく考えていないんだろう。自分があまりのかっこよさにシビレているネロ@水の行動に、女はとーぜんセリアのようにめろめろになると思って、書いてるんだろう。
「そーゆー男の浅はかさを、かわいいと思えるかどうかだね」
正塚作品を愛せるかどうか。
いやあ、迷惑千万だよねー、ネロみたいな男って。
毎月きちんと送られてくればいいけど、遅れたりしたらセリアはものすごーく気に病むだろうし、来なくなったら「ネロが死んだ? それとももう私のことどーでもよくなった?!」と思い悩むよね、傷つくよね?
かといって、10年20年送り続けられたら、さらにひどいよね。なにもしてくれない男に義理立てして、目の前にどんな幸せがあっても背を向けろってか? セリア自身が心変わりしても毎月の花はすげー重荷だし、なにか事情があってそれ以上待てなくなった場合は毎月断罪の証として届けられるわけだよ?
どれほど無神経なら、こんな仕打ちが平気でできるんだ??
ふつーに現実を見つめる女性たちが「毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ!」と一刀両断するのもとーぜんですよ、正塚せんせ?(笑)
でもわたしは、非現実世界こそを愛して妄想して生きるヲタクとゆーイキモノなので。
もう二度と会えないかもしれない女に、毎月きちんと花を送り続ける……それを「かっこいい」と本気で思っている男を、「かわいい」と思う(笑)。
そして、純粋に萌えだと思う。
この「男の無神経さ」が。
ふつーに「美しい物語」として、正塚が夢想する通りの「生きている証」を毎年受け取ってしあわせに微笑むセリアにも、わくわくする。
また、あるとき花が届かなくなったり、遅れたりして、そのたびに取り乱すセリア、というのにも、すごくわくわくする。
何年も経って、送られてくる花がセリアを縛る鎖となり、日常の中でどれだけ彼女が苦しむかも、想像するとわくわくする。
でもって、いつかセリアがネロを憎むようになったりして。
また、心は変わらずネロのもとにありながら、事情があって他の男と結婚しなければならなくなったセリア、にもわくわくする。それでも彼女は毎月花を受け取るんだよ。心をズタズタにされながら。
あるいは、乾ききってナニも感じず、受け取るなりゴミ箱へ投げ捨てるの。悲しみゆえに心を閉ざしたのもアリだし、ほんとーにもうネロのことなんかどーでもよくなって、「また来たわー、うざ」と思ってるの、心から!てのも、アリっす、わくわくっす!
反対に、ネロに対しても。
セリアのことを愛しながらも、事情があってどうしても花が送れなくなってしまうネロの葛藤、なんてのを想像するとわくわくする。
いつの間にか花を送ることが義務になってしまい、心に澱を溜めていくよどんだネロ、つーのもわくわくです。
さらに義務が鎖になり、いつしかセリアを憎んでしまうネロ、とゆーのも、すげーわくわくですわ。
他に愛する人ができてしまい、「やべ。セリアどーするよ?!」と苦悩するネロなんて、これまた素敵にわくわくっ(笑)。
「もう二度と会えないかもしれない女に、生きる証の花を送り続ける」という、アホなことをするキャラクタだからこそ、悲劇的結末がいくらでも想像できて、楽しい。萌える。
あーもー、ネロってば大好きだ。
『マリポーサの花』はすごくキレイに終わってるけど、現実的に考えれば、待っているのは高確率で悲劇だから(笑)。
しかも、泥沼系、人間の醜さ全開系の不幸てんこ盛りになるって。
や、無事に政変が起こり、ネロが帰国できる未来がすぐに来るかもしれないけど、正塚的美学では、「半年後には、ふたりは無事再会し、幸せに暮らしました」ではないんでしょ?
いつ、と簡単に言えないくらい期間はあり、また、先が見えないことがロマンなんでしょ?
なのに、ネロの行動を「かっこいい」と悦に入っていられるのは、男目線だよなあ。
や、そーゆーとこも含めて、とにかくたのしいです。
わたしは、正塚作品が好きです。
あの恥ずかしい「男のロマンチシズム」も含めて。
……いったい何人に、この台詞を聞かされたことだろう。
『マリポーサの花』のラストシーンのことですよ、ええ。
一緒に生きることもできない、いつ帰れるかもわからない。
そんなときに「待っていろ」と言う男なんて、最低。
毎月、変わらない心の証に花を送る、なんて、最低の上に、最悪。
女の幸せを考えていない。自分の都合、自分本位の価値観。
「よーするに、男目線なんだよね」
はい、その通りです。
正塚晴彦の書く物語は、いつだって完璧に男目線。オンナゴコロなんざぁカケラもわかっちゃいない。
毎回毎回飽きもせず、「男のロマン」を書き続ける。それもちょっと時代遅れの、時代遅れなことすら「かっこいい」と思っている団塊世代あたりのオヤジ価値観。
ツッコミ担当ドリーさんが「あの学生運動コンプレックス、なんとかしてほしいんだけど!」てなことを言い捨てていたのは、的確すぎて、痛快。
正塚的には、「生きている証の花を送り続ける」から、かっこいいんだろう。自分で書いてて「くぅ~~、かっこいいよなっ」と思ってるんだろう(笑)。
でも、観客である女からしてみりゃ、夢も冷める最悪行為という(笑)。
作中のセリア@となみが送られてくる花をよろこぶのはわかる。彼女の立場、状況ならそうだろう。
しかし観客はセリアじゃない。客席で物語を眺めているわけだから、現実問題、「あの状況で、あんなことをする男は嫌だ(笑)」ということになる。
「ま、所詮絵空事だからアレでいいけど(笑)」……女性がそう思うなんてこと、正塚はまったく考えていないんだろう。自分があまりのかっこよさにシビレているネロ@水の行動に、女はとーぜんセリアのようにめろめろになると思って、書いてるんだろう。
「そーゆー男の浅はかさを、かわいいと思えるかどうかだね」
正塚作品を愛せるかどうか。
いやあ、迷惑千万だよねー、ネロみたいな男って。
毎月きちんと送られてくればいいけど、遅れたりしたらセリアはものすごーく気に病むだろうし、来なくなったら「ネロが死んだ? それとももう私のことどーでもよくなった?!」と思い悩むよね、傷つくよね?
かといって、10年20年送り続けられたら、さらにひどいよね。なにもしてくれない男に義理立てして、目の前にどんな幸せがあっても背を向けろってか? セリア自身が心変わりしても毎月の花はすげー重荷だし、なにか事情があってそれ以上待てなくなった場合は毎月断罪の証として届けられるわけだよ?
どれほど無神経なら、こんな仕打ちが平気でできるんだ??
ふつーに現実を見つめる女性たちが「毎月花を送ってくる男なんて、ウザ過ぎ!」と一刀両断するのもとーぜんですよ、正塚せんせ?(笑)
でもわたしは、非現実世界こそを愛して妄想して生きるヲタクとゆーイキモノなので。
もう二度と会えないかもしれない女に、毎月きちんと花を送り続ける……それを「かっこいい」と本気で思っている男を、「かわいい」と思う(笑)。
そして、純粋に萌えだと思う。
この「男の無神経さ」が。
ふつーに「美しい物語」として、正塚が夢想する通りの「生きている証」を毎年受け取ってしあわせに微笑むセリアにも、わくわくする。
また、あるとき花が届かなくなったり、遅れたりして、そのたびに取り乱すセリア、というのにも、すごくわくわくする。
何年も経って、送られてくる花がセリアを縛る鎖となり、日常の中でどれだけ彼女が苦しむかも、想像するとわくわくする。
でもって、いつかセリアがネロを憎むようになったりして。
また、心は変わらずネロのもとにありながら、事情があって他の男と結婚しなければならなくなったセリア、にもわくわくする。それでも彼女は毎月花を受け取るんだよ。心をズタズタにされながら。
あるいは、乾ききってナニも感じず、受け取るなりゴミ箱へ投げ捨てるの。悲しみゆえに心を閉ざしたのもアリだし、ほんとーにもうネロのことなんかどーでもよくなって、「また来たわー、うざ」と思ってるの、心から!てのも、アリっす、わくわくっす!
反対に、ネロに対しても。
セリアのことを愛しながらも、事情があってどうしても花が送れなくなってしまうネロの葛藤、なんてのを想像するとわくわくする。
いつの間にか花を送ることが義務になってしまい、心に澱を溜めていくよどんだネロ、つーのもわくわくです。
さらに義務が鎖になり、いつしかセリアを憎んでしまうネロ、とゆーのも、すげーわくわくですわ。
他に愛する人ができてしまい、「やべ。セリアどーするよ?!」と苦悩するネロなんて、これまた素敵にわくわくっ(笑)。
「もう二度と会えないかもしれない女に、生きる証の花を送り続ける」という、アホなことをするキャラクタだからこそ、悲劇的結末がいくらでも想像できて、楽しい。萌える。
あーもー、ネロってば大好きだ。
『マリポーサの花』はすごくキレイに終わってるけど、現実的に考えれば、待っているのは高確率で悲劇だから(笑)。
しかも、泥沼系、人間の醜さ全開系の不幸てんこ盛りになるって。
や、無事に政変が起こり、ネロが帰国できる未来がすぐに来るかもしれないけど、正塚的美学では、「半年後には、ふたりは無事再会し、幸せに暮らしました」ではないんでしょ?
いつ、と簡単に言えないくらい期間はあり、また、先が見えないことがロマンなんでしょ?
なのに、ネロの行動を「かっこいい」と悦に入っていられるのは、男目線だよなあ。
や、そーゆーとこも含めて、とにかくたのしいです。
わたしは、正塚作品が好きです。
あの恥ずかしい「男のロマンチシズム」も含めて。
声に出して、ファンタスティックなゆうべ・その1。@トークショー『カラマーゾフの兄弟』
2008年11月25日 タカラヅカ えー、ヅカファンつーのは「ル・サンク」の脚本を朗読して「ひとりタカラヅカ」やるのがふつーなんですか?
あるいは仲間内でお芝居の台詞言い合ったりして遊ぶのが?
贔屓の歌のパートを知るために、公演の歌を自分で納得いくまで実際に歌ったり、曲を覚えるために『エリザベート』全部ひとりで歌ったり台詞言ったりするのが、ふつーなんですか?
本日、わたしはかなり久しぶりに小説を「朗読」しました。
たぶん教育実習以来です。
ひとりではなく、大勢の人たちと一緒に、小説を読み上げました。
朗読は得意分野だし大昔は演劇部だったし、教育実習のとき教材の小説をまるまる芝居調に朗読して生徒から授業中に拍手もらったりとかそーいやあったなー、とか思い出したり、てなわけで朗読自体はどーってことはないことなんですが、そのあと友人たちとごはん食べてるときに、
「みんな朗読うまいよね」「みんなふつーに声出してたよね。声を出せって言われても、誰もナニも言わないことだってあるだろうに、みんな物怖じしないし」「ヅカファンだからね」……という話の流れで、ヅカファン=脚本を朗読して遊ぶのが日常、みたいなことになり、びっくりしたのだわ。
わたしは、ヅカごっこをしたことは一度もありません。
台詞も言わないし、歌も歌わない。
「ル・サンク」に目は通しても、音読なんかしたことないよー。
教育実習以来の「朗読」。
ええ。
声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」。
はい、行ってきました、『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、なつかしの中之島中央公会堂。
なんでなつかしいかってそりゃ、昔、中之島中央公会堂では毎週同人誌即売会が開催され……ゲフンゲフン。
第1部が『カラマーゾフの兄弟』ポスター掲載の7人+サイトーくんによる、「『カラマーゾフの兄弟』を公演するにあたっての雑談(笑)」、第2部が『ドストエフスキーの人間力』の作者・斎藤孝先生による『カラマーゾフの兄弟』講座。
この第2部で、『カラマーゾフの兄弟』原作の朗読コーナーがあったんだ。
入場時に配られたパンフレットに、“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”というリーフがあり、nanaタンとふたりして「誰がこの台詞のチョイスをしたの?!」と、首をひねってました。
本日出演のキャスト7名のキャラクタの原作の台詞(亀山訳の文庫からまんまコピーしたもの)なんだけど、ちょっとというか、かなりまずいのだわ……その、ネタバレ的に。他にも台詞はあるだろう、なんでよりによってコレ?!
さらに、斎藤孝先生著作から引用された「登場人物とキーワード」というリーフには、さらに決定的にネタバレ……つーか、オチの部分まで丁寧に解説してある。
「やっぱ大学教授呼んでやる講演会だから、『カラマーゾフの兄弟』を読破していることが前提条件なんだよ」
「ストーリーもなにもかも知っている人、核心に触れても構わないっていうことなんだねー」
と、話していたんだが……第1部でキャラ紹介と役に対する意気込みや感想を語る水しぇんたちが、「事件」とか「真犯人」とか「もうひとりの兄弟」について話しそうになると、サイトーくんが横から割って入り、「ソコはミステリってことで」とか、「見てのおたのしみで」とか言って、語らせなかった。
物語がどうなるのかは、いちおー秘密らしい。
あのー……。
サイトーくんが「秘密」と言ったこと、みんなパンフレットに書いてありますが……。
そもそも朗読用の台詞集にアレが……ゲフンゲフン。
とゆーことがあったので、台詞を選んだのが斎藤孝先生だとわかった。事前に打ち合わせはしていないらしい……。していたら、サイトーくんが孝せんせにネタバレ禁止をお願いしていたと思う。
孝せんせーは、『カラマーゾフの兄弟』を読破した人がほとんどいない客席に、肩を落としていた。ふつーなら、読者を想定して講演している人なんだろーになあ。
ここに集まっているのは、ドストエフスキーファンでも、『カラマーゾフの兄弟』ファンでもなく、ただのタカラヅカファンで、雪組のファンなわけだから。
あ、わたしも原作は読破してません。今よーやく3巻で、よーやくおもしろくなってきた、ってとこ。2巻の「大審問官」で難破しそうになったよ……(笑)。
韓流長編ドラマを見るより、ドストエフスキーを読む方が敷居が低い、というのがわたしの現実。
読み切ってはいなくても、ストーリーはなんとなく知っているので、ネタバレしてもまあいいっちゃいいんだが。サイトーくんが必死にネタバレ回避していたのに、意味なかったことに「あーあ」と思う(笑)。
てゆーか、出演者も、誰も原作読んでないから(笑)。
「マンガで読んだ」とか「自分の役が出てないとこはトバした」とかだから。
彼らにとって『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキー作ではなく、斎藤吉正作だから。……原作読破より先に脚本読んで、役作りしてるわけだから。
そんな状態の出演者と、客席を相手に、孝せんせーはめげずに「声に出して読む日本語講座」をするわけだ(笑)。
台詞集がパンフレットに入っているのを知ったとき、わたしとnanaタンは「出演者が原作の台詞を読んでくれるってこと?!」ときゃーきゃーよろこんだんだが、まさか自分たちも読まされるとは思わなかった(笑)。
孝せんせがまず朗読し、それにわたしたちが続き、それらが終わったあとで真打ち登場、ジェンヌが「役になりきって」同じ台詞を朗読する。
最初はカラマーゾフ家の父親、フョードル@ハマコ。
なにしろそれまでが「斎藤孝せんせの講座」なわけで、「私の講義ではいつもこんなですよっ」という、彼のペースで進んでいるなか、突然タカラジェンヌがタカラヅカとしての芸を披露するわけですよ。
舞台上のジェンヌ席から舞台中央に出てきたハマコは、「恥ずかしいですね(笑)」と照れ笑いしたあとに。
「おれの信念でいうとだな……」
と、めちゃめちゃイイ声で、朗々と語り出した!!
原作のパパの台詞。ええ、かなり最初に出てくる台詞だな、わたしが知ってるわけだから(笑)。
通る声、滑舌の良さ、浮かび上がる「キャラクタ」……。
ハマコ、すげえ。
「恥ずかしいですね(笑)」と笑った次の瞬間、別人になってますよ!
かっこいいっ。ハマコかっこいいっ。
純粋に、「この人すごい。この人うまい」と思った。
そして、誇らしかった。
ヅカファンとして。
タカラヅカを知らないわけじゃなくても、あくまでも「知らないワケじゃない」程度のエライせんせーの前で、芝居の台詞ではなく原作の朗読で、ここまでやってしまえる人がタカラジェンヌだということ、こんな人があたりまえにいるところが宝塚歌劇団なのだということが。
ハマコ・タイフーン。
最初にどーんとぶちかましてくれたので。
誇らしい反面、そのあとで朗読する人たち……とくに下級生たちが、気の毒になった。
最初がコレだったわけだから。このレベルが求められるんだよ? が、がんばれー!!
文字数ないんで、続く。
あるいは仲間内でお芝居の台詞言い合ったりして遊ぶのが?
贔屓の歌のパートを知るために、公演の歌を自分で納得いくまで実際に歌ったり、曲を覚えるために『エリザベート』全部ひとりで歌ったり台詞言ったりするのが、ふつーなんですか?
本日、わたしはかなり久しぶりに小説を「朗読」しました。
たぶん教育実習以来です。
ひとりではなく、大勢の人たちと一緒に、小説を読み上げました。
朗読は得意分野だし大昔は演劇部だったし、教育実習のとき教材の小説をまるまる芝居調に朗読して生徒から授業中に拍手もらったりとかそーいやあったなー、とか思い出したり、てなわけで朗読自体はどーってことはないことなんですが、そのあと友人たちとごはん食べてるときに、
「みんな朗読うまいよね」「みんなふつーに声出してたよね。声を出せって言われても、誰もナニも言わないことだってあるだろうに、みんな物怖じしないし」「ヅカファンだからね」……という話の流れで、ヅカファン=脚本を朗読して遊ぶのが日常、みたいなことになり、びっくりしたのだわ。
わたしは、ヅカごっこをしたことは一度もありません。
台詞も言わないし、歌も歌わない。
「ル・サンク」に目は通しても、音読なんかしたことないよー。
教育実習以来の「朗読」。
ええ。
声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」。
はい、行ってきました、『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、なつかしの中之島中央公会堂。
なんでなつかしいかってそりゃ、昔、中之島中央公会堂では毎週同人誌即売会が開催され……ゲフンゲフン。
第1部が『カラマーゾフの兄弟』ポスター掲載の7人+サイトーくんによる、「『カラマーゾフの兄弟』を公演するにあたっての雑談(笑)」、第2部が『ドストエフスキーの人間力』の作者・斎藤孝先生による『カラマーゾフの兄弟』講座。
この第2部で、『カラマーゾフの兄弟』原作の朗読コーナーがあったんだ。
入場時に配られたパンフレットに、“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”というリーフがあり、nanaタンとふたりして「誰がこの台詞のチョイスをしたの?!」と、首をひねってました。
本日出演のキャスト7名のキャラクタの原作の台詞(亀山訳の文庫からまんまコピーしたもの)なんだけど、ちょっとというか、かなりまずいのだわ……その、ネタバレ的に。他にも台詞はあるだろう、なんでよりによってコレ?!
さらに、斎藤孝先生著作から引用された「登場人物とキーワード」というリーフには、さらに決定的にネタバレ……つーか、オチの部分まで丁寧に解説してある。
「やっぱ大学教授呼んでやる講演会だから、『カラマーゾフの兄弟』を読破していることが前提条件なんだよ」
「ストーリーもなにもかも知っている人、核心に触れても構わないっていうことなんだねー」
と、話していたんだが……第1部でキャラ紹介と役に対する意気込みや感想を語る水しぇんたちが、「事件」とか「真犯人」とか「もうひとりの兄弟」について話しそうになると、サイトーくんが横から割って入り、「ソコはミステリってことで」とか、「見てのおたのしみで」とか言って、語らせなかった。
物語がどうなるのかは、いちおー秘密らしい。
あのー……。
サイトーくんが「秘密」と言ったこと、みんなパンフレットに書いてありますが……。
そもそも朗読用の台詞集にアレが……ゲフンゲフン。
とゆーことがあったので、台詞を選んだのが斎藤孝先生だとわかった。事前に打ち合わせはしていないらしい……。していたら、サイトーくんが孝せんせにネタバレ禁止をお願いしていたと思う。
孝せんせーは、『カラマーゾフの兄弟』を読破した人がほとんどいない客席に、肩を落としていた。ふつーなら、読者を想定して講演している人なんだろーになあ。
ここに集まっているのは、ドストエフスキーファンでも、『カラマーゾフの兄弟』ファンでもなく、ただのタカラヅカファンで、雪組のファンなわけだから。
あ、わたしも原作は読破してません。今よーやく3巻で、よーやくおもしろくなってきた、ってとこ。2巻の「大審問官」で難破しそうになったよ……(笑)。
韓流長編ドラマを見るより、ドストエフスキーを読む方が敷居が低い、というのがわたしの現実。
読み切ってはいなくても、ストーリーはなんとなく知っているので、ネタバレしてもまあいいっちゃいいんだが。サイトーくんが必死にネタバレ回避していたのに、意味なかったことに「あーあ」と思う(笑)。
てゆーか、出演者も、誰も原作読んでないから(笑)。
「マンガで読んだ」とか「自分の役が出てないとこはトバした」とかだから。
彼らにとって『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキー作ではなく、斎藤吉正作だから。……原作読破より先に脚本読んで、役作りしてるわけだから。
そんな状態の出演者と、客席を相手に、孝せんせーはめげずに「声に出して読む日本語講座」をするわけだ(笑)。
台詞集がパンフレットに入っているのを知ったとき、わたしとnanaタンは「出演者が原作の台詞を読んでくれるってこと?!」ときゃーきゃーよろこんだんだが、まさか自分たちも読まされるとは思わなかった(笑)。
孝せんせがまず朗読し、それにわたしたちが続き、それらが終わったあとで真打ち登場、ジェンヌが「役になりきって」同じ台詞を朗読する。
最初はカラマーゾフ家の父親、フョードル@ハマコ。
なにしろそれまでが「斎藤孝せんせの講座」なわけで、「私の講義ではいつもこんなですよっ」という、彼のペースで進んでいるなか、突然タカラジェンヌがタカラヅカとしての芸を披露するわけですよ。
舞台上のジェンヌ席から舞台中央に出てきたハマコは、「恥ずかしいですね(笑)」と照れ笑いしたあとに。
「おれの信念でいうとだな……」
と、めちゃめちゃイイ声で、朗々と語り出した!!
原作のパパの台詞。ええ、かなり最初に出てくる台詞だな、わたしが知ってるわけだから(笑)。
通る声、滑舌の良さ、浮かび上がる「キャラクタ」……。
ハマコ、すげえ。
「恥ずかしいですね(笑)」と笑った次の瞬間、別人になってますよ!
かっこいいっ。ハマコかっこいいっ。
純粋に、「この人すごい。この人うまい」と思った。
そして、誇らしかった。
ヅカファンとして。
タカラヅカを知らないわけじゃなくても、あくまでも「知らないワケじゃない」程度のエライせんせーの前で、芝居の台詞ではなく原作の朗読で、ここまでやってしまえる人がタカラジェンヌだということ、こんな人があたりまえにいるところが宝塚歌劇団なのだということが。
ハマコ・タイフーン。
最初にどーんとぶちかましてくれたので。
誇らしい反面、そのあとで朗読する人たち……とくに下級生たちが、気の毒になった。
最初がコレだったわけだから。このレベルが求められるんだよ? が、がんばれー!!
文字数ないんで、続く。
声に出して、ファンタスティックなゆうべ・その2。@トークショー『カラマーゾフの兄弟』
2008年11月26日 タカラヅカ さて、「声に出して読む『カラマーゾフの兄弟』」。
『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、において、斎藤孝先生の指揮の下、客席も舞台もみんな原作の台詞を朗読させられるはめになったわけだが。
ものごっつー「イイ声」でフョードル・パパの台詞をハマコ大先生が朗読したあとは、お待ちかね、主役のドミートリー@水先輩の出番です。
「なぜって、おれはカラマーゾフだからね」
孝せんせが言うところの、ドミートリーの「キーワード」を含んだ台詞。
かっ……かっこいい……!!
それまでの、若干オネエ風味(笑)の水しぇんが、一気に「男役トップスター」になる。
「声」が。
舞台で聴く、「水夏希」の声なの。
素顔なのに。
素のままの姿で、一気に舞台上の顔になるの。
うわーうわーうわー。
見たかった。
あたしコレ、見たかったっ。
来て良かった。
なんなのこのトークショー、たのしすぎるっ。
素顔の水しぇんが、素顔のまま「男役」として空気を動かしてくれるの。
一般人が到底見ることの出来ない、稽古場とかでなきゃありえない、ヅカメイクというファンタジーアイテム抜きでの、剥き出しの演技。
そりゃただの「朗読」であって、実際に芝居をしているワケじゃないけれど。
でも、ドミートリーとして語る彼は、「ちかちゃん」ではなく、「男役・水夏希」であり、彼が演じる「ドミートリー」という人物なのよ。
フロックコートを意識したようなラインのジャケットに細身のパンツ、黒尽くめの姿にアクセントとしてでかいコサージュつけて、かっこいけけどとても謎なファッションをした水先輩が、そのうわーな姿ごとその場を別空間にする。
原作の会話文の特徴のひとつに、( )による補足文挿入がある。
「 」で括られた会話本文の中に( )で今語られている内容の補足・蛇足がぐだぐだ加えられているの。
ドミートリーの台詞で言うと、
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
の中の(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)のことね。
わたしは会話文中にそんな補足を入れるのはアンフェアだと思っているし、自分では絶対やりたくない。補足を入れた方がわかりやすくなるのはたしかだけど、人間の会話には実際( )なんてありえないじゃん? 会話のニュアンスを通常のテキストだけで伝えることにこだわりがあるので、こーゆー手法は小説における顔文字や絵文字と同じくらい好きじゃない。ずるい、と思う。
どーしてもここでこのセルフツッコミを入れさせたいというなら、地の文に開いて、フェアなカタチで挿入するね、わたしなら。
でもまあ、ドスエフスキー大先生のやることだから、わたしがどうこういってもはじまらない。
この、現実の会話には存在しない( )を、水しぇんはとてもナチュラルに表現した。
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき……フッ……おれに起こるのはそんなことぐらいさ……、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
この、「フッ」ですよ、「フッ」。
孝先生も絶賛していたけど。
自嘲の溜息を入れることで、補足文で解説されていたドミートリーのセルフツッコミ、このときの心情を表現する( )を本文中に融合させたの!!
この自嘲の「フッ」によって、ドミートリーの人となりがさらに明確に浮かび上がってきたわけよ。
うわああん、水しぇんかっこいー。
わくわくわくっ、このドミートリーに会いたい、早く会いたいっ。
あー、ドミートリー@水しぇんでテンション上がりまくったわ。
次は次男のイワン@ゆみこ。
「この生きたいっていう願望を……」
前もって配られていた“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”に目を通して、自分でも実際に朗読してみて、途中だけどまあ、原作も読んでいるところで、ゆみこの朗読する「イワン」は、少しイメージがちがった。
わりとふつー、だな。
と、思った。
芝居の中でこの台詞を言うならこのテンションでいいんだろうけれど、今ここで、「そのキャラクタを代表する台詞」としてチョイスされたらしいキーワード的な原作台詞を朗読する場合、ちょっとぐらい大袈裟に表現してもいいんじゃないかな、と。
2時間の芝居を通して表現するのではなく、今、この10行程度の台詞で「イワンってこんな人」ということをアピールするのに……なんかゆみこ、地味だ、と、思った。
ゆみこはふつうに「長い作品の中の台詞のひとつ」として読んだんだろうなあ。
「この台詞だけで、客席の人間すべてにオレを見せつけてやる!」ではなく。
他の人たちがどこまでの意識で朗読をしていたかはわからないが、他のキャラたちの台詞はどれも強烈だったので(笑)、そこだけ抜き出されていても、キャラ紹介としてわかりやすいのね。イワンはその点割を食っているので……て、コレはのちの歌部分でも感じたんだが……「ふつう」っぽくまとまっちゃったのが、残念だなあ、と。
や、ゆみこにはつい「もっと!」を求めてしまう(笑)。できる人だと思っているから。
別の台詞ならよかったのに……って、イワン、喋り出すととにかく長いからなー、長い分、短くぴりっとコレ!という抜粋がしにくいのかなー。や、不勉強なわたしが言ってもとんちんかんなだけだと思いますが。
で、ここまではとても孝せんせーのペースで進んでいたんだけど、時間がなくなっちゃって。
なにしろわたしたち観客も、いちいち立ったり坐ったり、体操させられたりしてたので、時間が押してしまったのな。
ひとりずつのキャラをいろいろ語ったり、ジェンヌの朗読に感想を述べたりはもう、できなくなってしまった。
つーことで、あとはもう、巻きに巻いて。
水しぇんよりさらにフロックコートまんまなスーツ姿で、三男アリョーシャ@コマは、
「ぼくはこの二、三日のうちに……」
と、彼もまたキーワードである「ぼくだってカラマーゾフなんですからね!」という言葉を含んだ台詞を朗読。
アリョーシャは清涼剤。濃ぃい人たちの中、ほっとするかわいらしさ。
孝せんせー曰く、「カラマーゾフ家のペット」。
あー、わかるわかる、それぞれひどい言葉で罵り合っている家族でも、ペットのわんちゃんには目尻下げて赤ちゃん言葉で話しかけちゃったりしてね。
みんな大好きなんだよね。
コマがうまかったかどうかはよくわからないが、「タカラヅカの男役」として真っ当に表現していいのが、アリョーシャというキャラの持ち味であり、抜粋されていた部分の台詞だったので、問題なく耳に入ってきた。
文字数ないんで、続く。
『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、において、斎藤孝先生の指揮の下、客席も舞台もみんな原作の台詞を朗読させられるはめになったわけだが。
ものごっつー「イイ声」でフョードル・パパの台詞をハマコ大先生が朗読したあとは、お待ちかね、主役のドミートリー@水先輩の出番です。
「なぜって、おれはカラマーゾフだからね」
孝せんせが言うところの、ドミートリーの「キーワード」を含んだ台詞。
かっ……かっこいい……!!
それまでの、若干オネエ風味(笑)の水しぇんが、一気に「男役トップスター」になる。
「声」が。
舞台で聴く、「水夏希」の声なの。
素顔なのに。
素のままの姿で、一気に舞台上の顔になるの。
うわーうわーうわー。
見たかった。
あたしコレ、見たかったっ。
来て良かった。
なんなのこのトークショー、たのしすぎるっ。
素顔の水しぇんが、素顔のまま「男役」として空気を動かしてくれるの。
一般人が到底見ることの出来ない、稽古場とかでなきゃありえない、ヅカメイクというファンタジーアイテム抜きでの、剥き出しの演技。
そりゃただの「朗読」であって、実際に芝居をしているワケじゃないけれど。
でも、ドミートリーとして語る彼は、「ちかちゃん」ではなく、「男役・水夏希」であり、彼が演じる「ドミートリー」という人物なのよ。
フロックコートを意識したようなラインのジャケットに細身のパンツ、黒尽くめの姿にアクセントとしてでかいコサージュつけて、かっこいけけどとても謎なファッションをした水先輩が、そのうわーな姿ごとその場を別空間にする。
原作の会話文の特徴のひとつに、( )による補足文挿入がある。
「 」で括られた会話本文の中に( )で今語られている内容の補足・蛇足がぐだぐだ加えられているの。
ドミートリーの台詞で言うと、
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
の中の(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)のことね。
わたしは会話文中にそんな補足を入れるのはアンフェアだと思っているし、自分では絶対やりたくない。補足を入れた方がわかりやすくなるのはたしかだけど、人間の会話には実際( )なんてありえないじゃん? 会話のニュアンスを通常のテキストだけで伝えることにこだわりがあるので、こーゆー手法は小説における顔文字や絵文字と同じくらい好きじゃない。ずるい、と思う。
どーしてもここでこのセルフツッコミを入れさせたいというなら、地の文に開いて、フェアなカタチで挿入するね、わたしなら。
でもまあ、ドスエフスキー大先生のやることだから、わたしがどうこういってもはじまらない。
この、現実の会話には存在しない( )を、水しぇんはとてもナチュラルに表現した。
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき……フッ……おれに起こるのはそんなことぐらいさ……、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
この、「フッ」ですよ、「フッ」。
孝先生も絶賛していたけど。
自嘲の溜息を入れることで、補足文で解説されていたドミートリーのセルフツッコミ、このときの心情を表現する( )を本文中に融合させたの!!
この自嘲の「フッ」によって、ドミートリーの人となりがさらに明確に浮かび上がってきたわけよ。
うわああん、水しぇんかっこいー。
わくわくわくっ、このドミートリーに会いたい、早く会いたいっ。
あー、ドミートリー@水しぇんでテンション上がりまくったわ。
次は次男のイワン@ゆみこ。
「この生きたいっていう願望を……」
前もって配られていた“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”に目を通して、自分でも実際に朗読してみて、途中だけどまあ、原作も読んでいるところで、ゆみこの朗読する「イワン」は、少しイメージがちがった。
わりとふつー、だな。
と、思った。
芝居の中でこの台詞を言うならこのテンションでいいんだろうけれど、今ここで、「そのキャラクタを代表する台詞」としてチョイスされたらしいキーワード的な原作台詞を朗読する場合、ちょっとぐらい大袈裟に表現してもいいんじゃないかな、と。
2時間の芝居を通して表現するのではなく、今、この10行程度の台詞で「イワンってこんな人」ということをアピールするのに……なんかゆみこ、地味だ、と、思った。
ゆみこはふつうに「長い作品の中の台詞のひとつ」として読んだんだろうなあ。
「この台詞だけで、客席の人間すべてにオレを見せつけてやる!」ではなく。
他の人たちがどこまでの意識で朗読をしていたかはわからないが、他のキャラたちの台詞はどれも強烈だったので(笑)、そこだけ抜き出されていても、キャラ紹介としてわかりやすいのね。イワンはその点割を食っているので……て、コレはのちの歌部分でも感じたんだが……「ふつう」っぽくまとまっちゃったのが、残念だなあ、と。
や、ゆみこにはつい「もっと!」を求めてしまう(笑)。できる人だと思っているから。
別の台詞ならよかったのに……って、イワン、喋り出すととにかく長いからなー、長い分、短くぴりっとコレ!という抜粋がしにくいのかなー。や、不勉強なわたしが言ってもとんちんかんなだけだと思いますが。
で、ここまではとても孝せんせーのペースで進んでいたんだけど、時間がなくなっちゃって。
なにしろわたしたち観客も、いちいち立ったり坐ったり、体操させられたりしてたので、時間が押してしまったのな。
ひとりずつのキャラをいろいろ語ったり、ジェンヌの朗読に感想を述べたりはもう、できなくなってしまった。
つーことで、あとはもう、巻きに巻いて。
水しぇんよりさらにフロックコートまんまなスーツ姿で、三男アリョーシャ@コマは、
「ぼくはこの二、三日のうちに……」
と、彼もまたキーワードである「ぼくだってカラマーゾフなんですからね!」という言葉を含んだ台詞を朗読。
アリョーシャは清涼剤。濃ぃい人たちの中、ほっとするかわいらしさ。
孝せんせー曰く、「カラマーゾフ家のペット」。
あー、わかるわかる、それぞれひどい言葉で罵り合っている家族でも、ペットのわんちゃんには目尻下げて赤ちゃん言葉で話しかけちゃったりしてね。
みんな大好きなんだよね。
コマがうまかったかどうかはよくわからないが、「タカラヅカの男役」として真っ当に表現していいのが、アリョーシャというキャラの持ち味であり、抜粋されていた部分の台詞だったので、問題なく耳に入ってきた。
文字数ないんで、続く。
声に出して、ファンタスティックなゆうべ・その3。@トークショー『カラマーゾフの兄弟』
2008年11月27日 タカラヅカ 「声に出して読む『カラマーゾフの兄弟』」、すっかり時間が押して、巻き巻き進行、わざわざ立って孝せんせの次に朗読していたわたしたち、坐ったまま孝せんせと一緒に朗読するだけになる。
……それでも、「時間がない」とわかるなりやり方をぱきっと変えた孝せんせの切り替えの速さはすごいなと。ほんとにソレで時間内にほぼ収めたもんなー。
『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、巻き進行になったあとのジェンヌの朗読は、孝せんせのツッコミや解説が少なくて寂しいです。
つーことで、次はスメルジャコフ@ひろみ。台詞はよりによって、
「もしもあなたが、どうもお見受けしたところ……」
からはじまる、「何故よりによってコレ?!」という台詞なんだが(笑)、ネタバレ的にはやさしくないが、スメルジャコフというキャラクタを表現するには、これ以上ない台詞だったと思う。
と、いうのも。
ひろみ、すげえ。
慇懃さとその奥の狂気、悪意……何層にも展開する感情。この複雑さが見えるキャラクタ、すげえ魅力的。
この男をもっと知りたいと思う。
ひろみちゃんがこのキャラクタをどう演じるのか、知りたいと思う。見たいと思う。
すごくすごく魅力的に……的確に演じていたと思う。……が。
噛みまくっていた。
センスはあっても、技術は低い……。新公『エリザベート』を思い出したよ……ルキーニ、すごくよかったけど、健闘していたけど、噛みまくったり台詞忘れて棒立ちしたり、自爆していたね……。
あちゃーなとこも含め(笑)、わくわくする子だ、スメルジャコフ@ひろみ。
そして、最初に“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”を見たときから、いちばんのお楽しみだったのが、トリを飾るヒロイン・グルーシェニカ@となみちゃんとカテリーナ@さゆちゃんの会話。
時間がなくて巻き進行、になったとき、「ええっ、最後のとなみ&さゆの会話は絶対やってよおっ?!」ともっとも危惧したくらい、楽しみだったってば。
なにしろ、彼女たちのキーワードは「虎同士の戦い」ですから。
美しい女性ふたりの、罵り合いです、戦いです。原作1巻の最後の方、グルーシェニカ初登場にしてものすげーインパクトの台詞の応酬。
カテリーナ 「出てって!淫売」
グルーシェニカ 「ええ、淫売でもなんでも結構よ。でもそういうあなただって、生娘のくせに、お金目当てで若い男の家に、闇にまぎれて忍んでったじゃないですか。ご自分の美しさをエサにね」
スミレコード的にどうなんですか?な単語を使って、なりふりかまわず火花を散らす美女ふたり。
これは見たいだろう、絶対!! ふつーに舞台の上で、ヅカメイクしてドレス着てやりあうんじゃないのよ? 素顔の、ナマの姿でやるのよ?
いやあ……素晴らしかった。
となみ姫は、迫力の赤いワンピース姿。グルーシェニカのイメージにも合う、いかにも大人の「高嶺の花」、半端な男じゃ声もかけられないよーな美女っぷり。
その美しい女が、声音に皮肉と侮蔑を込めて、世間知らずのお嬢様を手のひらで転がし、嘲笑するの!
こわいっ!!(笑)
対するさゆちゃんは……まず、衣装選びをまちがえていたと思う。近くで見ればかわいらしい服なのかもしれないが、遠い客席から見るとパーカー(普段着)を着ているように見えて、ひとり場違い。このへんは経験の差なんだろうな、舞台で栄える服、どんくさく見える服がわかっていない模様。
また、その「娘役として清楚でかわいらしい服(なんだと思う、一見パーカーだが)」は、娘役・大月さゆには相応しいかもしれないけれど、カテリーナとしてはどうもイメージがちがった。他の人たちがみんな、役のイメージから遠くない服装をしていただけに、ここでもまた失敗なんじゃないかと……。
問題は「朗読」であって、外見なんぞ関係ないかもしれないが。
グルーシェニカの強烈さ、また、となみちゃんの圧倒的な華に太刀打ちするためには、外見も武器にするべきだったんじゃないかなと思った。
てゆーかほんと、グルーシェニカ圧勝。原作がそうだから、それで正しいっちゃ正しいし、そもそも台詞の量からしてカテリーナは分が悪いんだが……さゆちゃん、大変だったなあ。
他の人たちが単体での朗読だったのに、会話として掛け合いをしなければならないグルーシェニカとカテリーナは大変だったと思う。
とくに、会話の主導権がグルーシェニカであり、合いの手を入れるだけになってしまったカテリーナは、ものすごく割を食った。
つか、新公学年の子が、トップスターと掛け合いして、勝てるわけないやん……。さゆちゃん、ドンマイ。
とまあ、あまりに実力差がどーんと出てしまい、びびった感はあったんだが、それにしてもたのしかった、「虎同士の戦い」。
となみちゃん、かっこいー。
でもって次が期待の「歌唱披露」ですよ、プログラムにもそう書いてあります……って、あれえ? プログラム的には第2部は「対談:『カラマーゾフの兄弟』の魅力に迫る」「歌唱披露:ミュージカル『カラマーゾフの兄弟』より」になってるんだけど、「対談」してたっけ……? 体操したり、朗読したりはしてたけどな?(笑)
とにかく、孝せんせーも客席に着席してのお歌コーナーです。
続く。
……それでも、「時間がない」とわかるなりやり方をぱきっと変えた孝せんせの切り替えの速さはすごいなと。ほんとにソレで時間内にほぼ収めたもんなー。
『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、巻き進行になったあとのジェンヌの朗読は、孝せんせのツッコミや解説が少なくて寂しいです。
つーことで、次はスメルジャコフ@ひろみ。台詞はよりによって、
「もしもあなたが、どうもお見受けしたところ……」
からはじまる、「何故よりによってコレ?!」という台詞なんだが(笑)、ネタバレ的にはやさしくないが、スメルジャコフというキャラクタを表現するには、これ以上ない台詞だったと思う。
と、いうのも。
ひろみ、すげえ。
慇懃さとその奥の狂気、悪意……何層にも展開する感情。この複雑さが見えるキャラクタ、すげえ魅力的。
この男をもっと知りたいと思う。
ひろみちゃんがこのキャラクタをどう演じるのか、知りたいと思う。見たいと思う。
すごくすごく魅力的に……的確に演じていたと思う。……が。
噛みまくっていた。
センスはあっても、技術は低い……。新公『エリザベート』を思い出したよ……ルキーニ、すごくよかったけど、健闘していたけど、噛みまくったり台詞忘れて棒立ちしたり、自爆していたね……。
あちゃーなとこも含め(笑)、わくわくする子だ、スメルジャコフ@ひろみ。
そして、最初に“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”を見たときから、いちばんのお楽しみだったのが、トリを飾るヒロイン・グルーシェニカ@となみちゃんとカテリーナ@さゆちゃんの会話。
時間がなくて巻き進行、になったとき、「ええっ、最後のとなみ&さゆの会話は絶対やってよおっ?!」ともっとも危惧したくらい、楽しみだったってば。
なにしろ、彼女たちのキーワードは「虎同士の戦い」ですから。
美しい女性ふたりの、罵り合いです、戦いです。原作1巻の最後の方、グルーシェニカ初登場にしてものすげーインパクトの台詞の応酬。
カテリーナ 「出てって!淫売」
グルーシェニカ 「ええ、淫売でもなんでも結構よ。でもそういうあなただって、生娘のくせに、お金目当てで若い男の家に、闇にまぎれて忍んでったじゃないですか。ご自分の美しさをエサにね」
スミレコード的にどうなんですか?な単語を使って、なりふりかまわず火花を散らす美女ふたり。
これは見たいだろう、絶対!! ふつーに舞台の上で、ヅカメイクしてドレス着てやりあうんじゃないのよ? 素顔の、ナマの姿でやるのよ?
いやあ……素晴らしかった。
となみ姫は、迫力の赤いワンピース姿。グルーシェニカのイメージにも合う、いかにも大人の「高嶺の花」、半端な男じゃ声もかけられないよーな美女っぷり。
その美しい女が、声音に皮肉と侮蔑を込めて、世間知らずのお嬢様を手のひらで転がし、嘲笑するの!
こわいっ!!(笑)
対するさゆちゃんは……まず、衣装選びをまちがえていたと思う。近くで見ればかわいらしい服なのかもしれないが、遠い客席から見るとパーカー(普段着)を着ているように見えて、ひとり場違い。このへんは経験の差なんだろうな、舞台で栄える服、どんくさく見える服がわかっていない模様。
また、その「娘役として清楚でかわいらしい服(なんだと思う、一見パーカーだが)」は、娘役・大月さゆには相応しいかもしれないけれど、カテリーナとしてはどうもイメージがちがった。他の人たちがみんな、役のイメージから遠くない服装をしていただけに、ここでもまた失敗なんじゃないかと……。
問題は「朗読」であって、外見なんぞ関係ないかもしれないが。
グルーシェニカの強烈さ、また、となみちゃんの圧倒的な華に太刀打ちするためには、外見も武器にするべきだったんじゃないかなと思った。
てゆーかほんと、グルーシェニカ圧勝。原作がそうだから、それで正しいっちゃ正しいし、そもそも台詞の量からしてカテリーナは分が悪いんだが……さゆちゃん、大変だったなあ。
他の人たちが単体での朗読だったのに、会話として掛け合いをしなければならないグルーシェニカとカテリーナは大変だったと思う。
とくに、会話の主導権がグルーシェニカであり、合いの手を入れるだけになってしまったカテリーナは、ものすごく割を食った。
つか、新公学年の子が、トップスターと掛け合いして、勝てるわけないやん……。さゆちゃん、ドンマイ。
とまあ、あまりに実力差がどーんと出てしまい、びびった感はあったんだが、それにしてもたのしかった、「虎同士の戦い」。
となみちゃん、かっこいー。
でもって次が期待の「歌唱披露」ですよ、プログラムにもそう書いてあります……って、あれえ? プログラム的には第2部は「対談:『カラマーゾフの兄弟』の魅力に迫る」「歌唱披露:ミュージカル『カラマーゾフの兄弟』より」になってるんだけど、「対談」してたっけ……? 体操したり、朗読したりはしてたけどな?(笑)
とにかく、孝せんせーも客席に着席してのお歌コーナーです。
続く。
声に出して、ファンタスティックなゆうべ・その4。@トークショー『カラマーゾフの兄弟』
2008年11月28日 タカラヅカ 『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、最後は「歌唱披露」です。公演の曲を、一足先に聴けちゃうわけですねっ。
最初に登場するのは、もちろんドミートリー@水しぇん!
はい、背景スクリーンが真っ赤になりました。
来ました、アニメソング!!
サイトーくんですから! アニメでとーぜん、燃えてとーぜん!(笑)
サイトーくん的にこの作品のテーマは「衝動」だそーです。だもんでドミートリーも「衝動♪衝動♪」と歌ってました……たしか。あんまし歌詞がよく聴き取れないんだが。
続いてイワン@ゆみこ……と、カテリーナ@さゆちゃんのラヴソング。
ふたりの声はきれいで、さわやかにしあわせな歌声なんだが。
朗読がキャラひとりずつの「見せ場」であり「個性披露」であっただけに、歌もそれぞれのキャラクタ・ソングだと思ったわけよ、わたしは勝手に。アニメやゲームのキャラCDが発売になる、あのノリで。
だから「これぞイワン!」な彼個人のためのテーマソングを聴けると思っていたから、ちょっと拍子抜け。
女の子とラヴラヴ・デュエットだと、イワンというキャラクタが伝わりにくい……。ふつーに、タカラヅカ的二枚目に収まってしまうというか。
大変なのは、グルーシェニカ@となみちゃんのソロ。
なんかものすげー高音。てゆーか声、出てない……。が、がんばれー。
しかしほんと華やかに美しい人だなー。素顔で私服で歌っているのに、なんの問題もないぞ。
次に登場したのが、たしかハマコ。
ここまでキャラソングが続いたんだから、ハマコもそうだと思うじゃん。
明るいというか、愉快な曲調……おちゃらけているフョードルの歌ってことかなあ、と思ったら。
なんか、チガウ?
そこへコマ登場。同じ曲を続けて歌う。さらにひろみ登場。こちらも同じ曲。
ハマコのソロパートはほんのわずかで、結局3人のコーラスに。
しかも歌っているのが、「だいしんもんかん、だいしんもんかん♪」って……えええ、この愉快なマーチがあの「大審問官」なんですかっ?!
フョードルたちには固有の歌はないのかな。それで別の人がコーラスすることになっている曲を、とりあえず3人で歌った、とか?
いやあ、ハマコが2役で(フョードル役とは別に)「大審問官」やってくれるのはぜんぜんかまわないんですが……。
フョードル、アリョーシャ、スメルジャコフ、だと思って聴いている身には、この展開は衝撃でした(笑)。
終演後、「あの『だいしんもんかんっ』の歌のとこはきっと、舞台後ろに大審問官がいて歌ったりなんだりしていて、その前方のテーブル席でイワンとアリョーシャが話してるんだよ、きっと」と同行のゆみこファンに言ったら、「そんなの見たくない」と言われました。
「大審問官」はイワン・パートの話だからなー。ドミートリー@水先輩なんか、絶対さくっととばして読んでない部分だろーしなー(笑)。
「だいしんもんかんっ♪」の衝撃さめやらぬうちに、再度水しぇん登場、青春がどーたらこーたら歌っていたような……そしてとにゃみとのデュエットで完。
歌い終わった後も舞台は完全な暗転はせず、ふたりがキメを解いたけど素にも戻れない、どーしたもんかなー、と半端な感じでいつまでも立っていたことが、印象深いっす(笑)。
照明がちゃんとついて、司会者が出てきて、よーやく素に戻ってた。仕切りが悪いと大変だな(笑)。
いやはや、すげーたのしかったっす。
このイベントが発表になったときは、実は水しぇんたちよりヨシマサ目当てだったりしたんだが(笑)、こんなに本気な内容だとは思ってなかった。
トップスター様たちのイベントは、今までもこれからも、多々あるだろうから、それより普段あまり表に出てこない演出家に興味があったの、わたし的には。
水しぇんとサイトーくんが出演する、以外はほんとナニも考えていなかった。や、友人のゆみこファンたちが色めき立っていたから、ゆみこも出ることはわかっていたが。(それにしても、相変わらずわたしの周りにはゆみこファンしかいないっす。水ファンはいずこに?!)
あとになって、ポスターメンバー全員出演って、こりゃマジですごいお得だなと思った。
これだけの面子のトークなんて……!
斎藤孝先生は大変ユニークで、彼の講義はたのしかった。それはたしか。
『カラマーゾフの兄弟』朗読も、立ったり坐ったりもわたしは苦にならなかったし。(妊婦さんにアレはどーかと思ったが……大学で講義してるわけじゃないのになー)
孝せんせのキャラは愉快です、ほんと。
しかし、ソレでほとんどの時間を費やし、結局のところ公演の話もヨシマサの話もほとんど聞けなかったのは残念っす。
今回のトークショーに参加するにあたって、「サイトーくんの萌えがどこにあるのかを推理する」という命題があったんだが、そんなとこにたどりつけないくらい、サイトーくんの出番はなかった。舞台にはいるけど、喋らせてもらえない。
原作未読の出演者たちに、ポスター撮影時にキャラクタになりきるための台詞をそれぞれ与えたそうだが、となみ、さゆ、コマぐらいしか話題に出なかったし。
司会者、ソコでつっこめよ、全員の台詞を聞かせてくれよ!と、じれじれ。どんな台詞をイメージしたかで、サイトーくんの萌えどころがわかったかもしんないのにー。
あ、わかった台詞は、パクちゃんのとなみ茶報告で既知のグルーシェニカ「やめてよ、私そんな女じゃない」……って、そーいやこのポスター撮り時のヨシマサ台詞の話振ったのとなみだっけ? となみちゃんこの話題気に入ってる?(笑)
んで、カテリーナ「あなたには私がいなければダメなの! ダメなの! ダメなの!!」、アリョーシャ「神よ、お救い下さい」だっけ。微妙にチガウかも?
ひとりずつになにかしら言って、あのドラマティックなポスターが出来上がったなら、ますます知りたいわー。
午後7時開始で9時終演、途中休憩有りの2部構成って、マジ本気のイベント。抽選会が1部2部とそれぞれあり、そこでもちょっと時間を費やしていたので、実際は1時間半程度のイベントだったわけだが。(賞品は出演者のサインとか、公演チケットとか。孝せんせ著作とか。……もちろんナニも当たらず・笑)
歌唱披露もそりゃうれしかったけど、やっぱいちばんの収穫は原作台詞朗読ですわ。
トップスターだけでなく、副組長ハマコや、下級生のコマ、さゆまで実際に聴けたことは、ものすごい貴重な体験だ。
すっごいたのしかった。
最初に登場するのは、もちろんドミートリー@水しぇん!
はい、背景スクリーンが真っ赤になりました。
来ました、アニメソング!!
サイトーくんですから! アニメでとーぜん、燃えてとーぜん!(笑)
サイトーくん的にこの作品のテーマは「衝動」だそーです。だもんでドミートリーも「衝動♪衝動♪」と歌ってました……たしか。あんまし歌詞がよく聴き取れないんだが。
続いてイワン@ゆみこ……と、カテリーナ@さゆちゃんのラヴソング。
ふたりの声はきれいで、さわやかにしあわせな歌声なんだが。
朗読がキャラひとりずつの「見せ場」であり「個性披露」であっただけに、歌もそれぞれのキャラクタ・ソングだと思ったわけよ、わたしは勝手に。アニメやゲームのキャラCDが発売になる、あのノリで。
だから「これぞイワン!」な彼個人のためのテーマソングを聴けると思っていたから、ちょっと拍子抜け。
女の子とラヴラヴ・デュエットだと、イワンというキャラクタが伝わりにくい……。ふつーに、タカラヅカ的二枚目に収まってしまうというか。
大変なのは、グルーシェニカ@となみちゃんのソロ。
なんかものすげー高音。てゆーか声、出てない……。が、がんばれー。
しかしほんと華やかに美しい人だなー。素顔で私服で歌っているのに、なんの問題もないぞ。
次に登場したのが、たしかハマコ。
ここまでキャラソングが続いたんだから、ハマコもそうだと思うじゃん。
明るいというか、愉快な曲調……おちゃらけているフョードルの歌ってことかなあ、と思ったら。
なんか、チガウ?
そこへコマ登場。同じ曲を続けて歌う。さらにひろみ登場。こちらも同じ曲。
ハマコのソロパートはほんのわずかで、結局3人のコーラスに。
しかも歌っているのが、「だいしんもんかん、だいしんもんかん♪」って……えええ、この愉快なマーチがあの「大審問官」なんですかっ?!
フョードルたちには固有の歌はないのかな。それで別の人がコーラスすることになっている曲を、とりあえず3人で歌った、とか?
いやあ、ハマコが2役で(フョードル役とは別に)「大審問官」やってくれるのはぜんぜんかまわないんですが……。
フョードル、アリョーシャ、スメルジャコフ、だと思って聴いている身には、この展開は衝撃でした(笑)。
終演後、「あの『だいしんもんかんっ』の歌のとこはきっと、舞台後ろに大審問官がいて歌ったりなんだりしていて、その前方のテーブル席でイワンとアリョーシャが話してるんだよ、きっと」と同行のゆみこファンに言ったら、「そんなの見たくない」と言われました。
「大審問官」はイワン・パートの話だからなー。ドミートリー@水先輩なんか、絶対さくっととばして読んでない部分だろーしなー(笑)。
「だいしんもんかんっ♪」の衝撃さめやらぬうちに、再度水しぇん登場、青春がどーたらこーたら歌っていたような……そしてとにゃみとのデュエットで完。
歌い終わった後も舞台は完全な暗転はせず、ふたりがキメを解いたけど素にも戻れない、どーしたもんかなー、と半端な感じでいつまでも立っていたことが、印象深いっす(笑)。
照明がちゃんとついて、司会者が出てきて、よーやく素に戻ってた。仕切りが悪いと大変だな(笑)。
いやはや、すげーたのしかったっす。
このイベントが発表になったときは、実は水しぇんたちよりヨシマサ目当てだったりしたんだが(笑)、こんなに本気な内容だとは思ってなかった。
トップスター様たちのイベントは、今までもこれからも、多々あるだろうから、それより普段あまり表に出てこない演出家に興味があったの、わたし的には。
水しぇんとサイトーくんが出演する、以外はほんとナニも考えていなかった。や、友人のゆみこファンたちが色めき立っていたから、ゆみこも出ることはわかっていたが。(それにしても、相変わらずわたしの周りにはゆみこファンしかいないっす。水ファンはいずこに?!)
あとになって、ポスターメンバー全員出演って、こりゃマジですごいお得だなと思った。
これだけの面子のトークなんて……!
斎藤孝先生は大変ユニークで、彼の講義はたのしかった。それはたしか。
『カラマーゾフの兄弟』朗読も、立ったり坐ったりもわたしは苦にならなかったし。(妊婦さんにアレはどーかと思ったが……大学で講義してるわけじゃないのになー)
孝せんせのキャラは愉快です、ほんと。
しかし、ソレでほとんどの時間を費やし、結局のところ公演の話もヨシマサの話もほとんど聞けなかったのは残念っす。
今回のトークショーに参加するにあたって、「サイトーくんの萌えがどこにあるのかを推理する」という命題があったんだが、そんなとこにたどりつけないくらい、サイトーくんの出番はなかった。舞台にはいるけど、喋らせてもらえない。
原作未読の出演者たちに、ポスター撮影時にキャラクタになりきるための台詞をそれぞれ与えたそうだが、となみ、さゆ、コマぐらいしか話題に出なかったし。
司会者、ソコでつっこめよ、全員の台詞を聞かせてくれよ!と、じれじれ。どんな台詞をイメージしたかで、サイトーくんの萌えどころがわかったかもしんないのにー。
あ、わかった台詞は、パクちゃんのとなみ茶報告で既知のグルーシェニカ「やめてよ、私そんな女じゃない」……って、そーいやこのポスター撮り時のヨシマサ台詞の話振ったのとなみだっけ? となみちゃんこの話題気に入ってる?(笑)
んで、カテリーナ「あなたには私がいなければダメなの! ダメなの! ダメなの!!」、アリョーシャ「神よ、お救い下さい」だっけ。微妙にチガウかも?
ひとりずつになにかしら言って、あのドラマティックなポスターが出来上がったなら、ますます知りたいわー。
午後7時開始で9時終演、途中休憩有りの2部構成って、マジ本気のイベント。抽選会が1部2部とそれぞれあり、そこでもちょっと時間を費やしていたので、実際は1時間半程度のイベントだったわけだが。(賞品は出演者のサインとか、公演チケットとか。孝せんせ著作とか。……もちろんナニも当たらず・笑)
歌唱披露もそりゃうれしかったけど、やっぱいちばんの収穫は原作台詞朗読ですわ。
トップスターだけでなく、副組長ハマコや、下級生のコマ、さゆまで実際に聴けたことは、ものすごい貴重な体験だ。
すっごいたのしかった。
びんぼーがみと踊る。
2008年11月29日 タカラヅカ 花組大劇場公演『太王四神記』発売日です。
ヅカにハマって以来10数年、ずーっと梅田に並びに行っていたんで、贔屓組の発売日に家にいるなんて、変な感じ。
もちろん、パソコンの前に坐り、片手にマウス、片手に携帯でチケ取り参戦しました。
千秋楽とか初日とか新公とか、高望みはしてません。
今まで梅田に並んで取れていた席、平日昼間のタケノコ席が欲しいのよー。
だから入力するのはなんでもないふつーの平日、つながれ!と祈りを込めてクリック。
チケぴにわりとサクッとつながり、奥へ入れたときは、まだSS席があった。
大劇場公演のSSの取り扱いがあるのは、今回がはじめてよね? 今までSSは一般発売無しの謎の席種だったよね?
とりあえずSS1枚入力。購入画面へ。
提示された席は、1階7列目21番だった。
……すすすすみません、びびって「戻る」を押しちゃいました。
7列目21番って、SSとはいっても、今までS席だったとこじゃん。
でもって、隣はS席、後ろもS席という、SSの最果て位置じゃん。
今現在7500円の席に、11000円払うの?!
びんぼー人のびんぼー根性ゆえ、とても購入できませんでした……。
これが6列目21番なら買えたかなー……現在10000円の席なら、11000円でもあきらめもつくってゆーか。
あわててSで入力してみたけど、もう18列とかしかなかったし、他日もすげー後方しか出てこなかった。あ、それでも2階席は出なかったな。
結局、1枚も買えませんでした。うわあああん、まっつ~~!!
端っこでもイイから、前で観たいのよおおお。
どーせ何回も観るんだから、どーせいつも2階の隅っこなんだから、1回くらいは前で観たいっす。
さあこれから、チケット探しの長い旅がはじまるのだわー(笑)。
「買えなかったんなら、ちょうどいい、観るのやめれば」
と、弟。
今わたしは、弟からWiiを買えと催促されているのだ。
とゆーのも、Wiiソフト『街へいこうよ どうぶつの森』のために。
Wii版の『どうぶつの森』新作は、ニンテンドーDSの『おいでよ どうぶつの森』の続編と言うより、キューブ版『どうぶつの森』の続編だった。
プレイヤー個人で「ひとつの村」を所有するのではなく、「ひとつの村」の中に何人ものプレイヤーがいる。
わたしも弟もキューブ版からのプレイヤーだが、DS版に慣れてしまった今は、もうキューブ版には戻れない。
ひとり暮らしの快適さを知った今、不自由な共同生活なんかできるかぁ~~!!
とゆー感じです。
携帯電話の便利さを知ってしまった今、家族で1台の固定電話生活には戻れないってこってす。
DSは携帯機だから、ひとり1台基本。しかしWiiは家庭用据え置き機だから、「1家庭に1台」がふつー。
我が家にも1台しかない。
がっ。
『街へいこうよ どうぶつの森』で「自分ひとりの村」を持ちたかったら、Wii本体と、ソフト1枚が新たに必要なのです。
両方で25000円ほど。
我が家のWiiは弟の持ち物だし、『街森』ソフトも弟のモノなので、わたしは彼の村に間借りしている状態。
「魚を寄贈しに行ったら、なに渡しても『すでにこあらったさんから寄贈済』って言われたっ、このヲタク、何時間やってんだ?!」
「そっちこそなんできのこの家具ひとりで全部拾っちゃうのよ?! あたしにも譲ってよ!」
「たぬきちの店行ったら、みんなsold-outになっててヘコんだ」
「早くプレイヤー変わってよ、たぬきちの店が閉まっちゃうでしょー、売りたいモノがあるのにっ」
……このままだと、いい大人がマジで姉弟ゲンカに発展しそうです……。
「早くWii本体買えば? タカラヅカやめればいつでも買えるだろ」
トド様DS1回より安いんだけどな……DS行ったあとだから、言っても仕方ない……(笑)。
今のわたしに、余分ににまんごせんえんあれば、まっつのため……いやその、花組公演のために全部ぱーーっと使いますとも、ええ。
しかしこのまま、弟の村に居候するのも居心地が悪い……どーしたもんか。
と思いつつ、溜まった日にちのブログをちんたら更新していたところ。
愛用のミニパソが、臨終した。
オーマイガッ。
再インストールし直そうとどーしよーと、起動しないっ。
今年の中日劇場で床に落っことしてATOKが死んで以来、だましだまし使ってきた半死状態のPCだったんだが……ついに。
贔屓公演を目前に、なんでこんなことになってんだ??
てゆーか、ミニパソ死んだら、泣きながら書きなぐった、渾身の『夢の浮橋』感想がっ!! アレ、もっぺん書くの?! つか、書けるの?!
かみさま。
おかねください。
ヅカにハマって以来10数年、ずーっと梅田に並びに行っていたんで、贔屓組の発売日に家にいるなんて、変な感じ。
もちろん、パソコンの前に坐り、片手にマウス、片手に携帯でチケ取り参戦しました。
千秋楽とか初日とか新公とか、高望みはしてません。
今まで梅田に並んで取れていた席、平日昼間のタケノコ席が欲しいのよー。
だから入力するのはなんでもないふつーの平日、つながれ!と祈りを込めてクリック。
チケぴにわりとサクッとつながり、奥へ入れたときは、まだSS席があった。
大劇場公演のSSの取り扱いがあるのは、今回がはじめてよね? 今までSSは一般発売無しの謎の席種だったよね?
とりあえずSS1枚入力。購入画面へ。
提示された席は、1階7列目21番だった。
……すすすすみません、びびって「戻る」を押しちゃいました。
7列目21番って、SSとはいっても、今までS席だったとこじゃん。
でもって、隣はS席、後ろもS席という、SSの最果て位置じゃん。
今現在7500円の席に、11000円払うの?!
びんぼー人のびんぼー根性ゆえ、とても購入できませんでした……。
これが6列目21番なら買えたかなー……現在10000円の席なら、11000円でもあきらめもつくってゆーか。
あわててSで入力してみたけど、もう18列とかしかなかったし、他日もすげー後方しか出てこなかった。あ、それでも2階席は出なかったな。
結局、1枚も買えませんでした。うわあああん、まっつ~~!!
端っこでもイイから、前で観たいのよおおお。
どーせ何回も観るんだから、どーせいつも2階の隅っこなんだから、1回くらいは前で観たいっす。
さあこれから、チケット探しの長い旅がはじまるのだわー(笑)。
「買えなかったんなら、ちょうどいい、観るのやめれば」
と、弟。
今わたしは、弟からWiiを買えと催促されているのだ。
とゆーのも、Wiiソフト『街へいこうよ どうぶつの森』のために。
Wii版の『どうぶつの森』新作は、ニンテンドーDSの『おいでよ どうぶつの森』の続編と言うより、キューブ版『どうぶつの森』の続編だった。
プレイヤー個人で「ひとつの村」を所有するのではなく、「ひとつの村」の中に何人ものプレイヤーがいる。
わたしも弟もキューブ版からのプレイヤーだが、DS版に慣れてしまった今は、もうキューブ版には戻れない。
ひとり暮らしの快適さを知った今、不自由な共同生活なんかできるかぁ~~!!
とゆー感じです。
携帯電話の便利さを知ってしまった今、家族で1台の固定電話生活には戻れないってこってす。
DSは携帯機だから、ひとり1台基本。しかしWiiは家庭用据え置き機だから、「1家庭に1台」がふつー。
我が家にも1台しかない。
がっ。
『街へいこうよ どうぶつの森』で「自分ひとりの村」を持ちたかったら、Wii本体と、ソフト1枚が新たに必要なのです。
両方で25000円ほど。
我が家のWiiは弟の持ち物だし、『街森』ソフトも弟のモノなので、わたしは彼の村に間借りしている状態。
「魚を寄贈しに行ったら、なに渡しても『すでにこあらったさんから寄贈済』って言われたっ、このヲタク、何時間やってんだ?!」
「そっちこそなんできのこの家具ひとりで全部拾っちゃうのよ?! あたしにも譲ってよ!」
「たぬきちの店行ったら、みんなsold-outになっててヘコんだ」
「早くプレイヤー変わってよ、たぬきちの店が閉まっちゃうでしょー、売りたいモノがあるのにっ」
……このままだと、いい大人がマジで姉弟ゲンカに発展しそうです……。
「早くWii本体買えば? タカラヅカやめればいつでも買えるだろ」
トド様DS1回より安いんだけどな……DS行ったあとだから、言っても仕方ない……(笑)。
今のわたしに、余分ににまんごせんえんあれば、まっつのため……いやその、花組公演のために全部ぱーーっと使いますとも、ええ。
しかしこのまま、弟の村に居候するのも居心地が悪い……どーしたもんか。
と思いつつ、溜まった日にちのブログをちんたら更新していたところ。
愛用のミニパソが、臨終した。
オーマイガッ。
再インストールし直そうとどーしよーと、起動しないっ。
今年の中日劇場で床に落っことしてATOKが死んで以来、だましだまし使ってきた半死状態のPCだったんだが……ついに。
贔屓公演を目前に、なんでこんなことになってんだ??
てゆーか、ミニパソ死んだら、泣きながら書きなぐった、渾身の『夢の浮橋』感想がっ!! アレ、もっぺん書くの?! つか、書けるの?!
かみさま。
おかねください。
彼がわたしに還る物語を・その1。@夢の浮橋
2008年11月30日 タカラヅカ 順を追って書けば良かった。
忙しさにかまけて整理するヒマもなくきちんとブログにUPすることもなく、本能のままに書きなぐっていたテキストも、モバイル用のミニパソコンの臨終と共に消失した。
つーことでもう、「最初」の感想には戻れない。
「最初」の感想を書き記すことなく、「次」の感想になってしまう。
『夢の浮橋』のこと。
初見ではとーぜん、主人公である匂宮@あさこを中心とした視界で観ていた。彼の物語として、観ていた。
準主役である薫@きりやんは、よくわかんなかった。なんであんなにきれいじゃないんだろう、なんであんなに棒読みなんだろう、なんかくすんで見える、と思っていた。
それが、だ。
次に観たときは、薫の恐ろしさに、震撼していた。
こわい。こわいんですけど、この人っ。
罪と聖の物語であると同時に、狂と正の物語でもあるのか、これは?
薫ってさ、アレ、狂ってるよね?
正常の範囲には踏み止まっているけど。内側では、壊れてるよね、すでに。
それを感じているからこそ、匂宮はなにかと薫を気にしているんだと思う。
匂宮、薫、女一の宮の少年(少女)時代から、物語ははじまる。
彼らの前に立つのは、光源氏@萬ケイ様。
幼い彼らが愛してやまない偉大な人。
されどその光る君はもう、この世の人ではない。
心は壊れ、人形のような姿になっている。
そして。
己の罪ゆえに、愛ゆえに、壊れてしまった美しい人形は、ひとりの少年を選んで連れて行く。階段を、上っていく。
「罪の子よ」……薫を。
匂宮は、取り残される。
彼も願ったのに。一緒に行きたいと。
……時は流れ、子どもたちは大人になる。
罪に対しての聖として、無垢な輝きを放っていた子どもたち……少女・女一の宮の姿に、「大人」である女一の宮@あーちゃんの姿が二重写しになる。
「私たちも、罪を犯す年頃となりました」
無垢だったものも、罪に汚れる。
匂宮はずっと、取り残されたまま。
薫に対抗し、薫を追いかけて、薫をかまって、現在に至るのに。
薫は、ここにいない。
宮中の宴に薫がいないと舞を止める匂宮は、たぶんそーやってずっと、薫を追い続けている。
あの少年の日、階段を上がっていく薫を見送った……あのときのまま。
幼なじみの3人。
女一の宮を語り手に、匂宮を視点に物語は進み、薫はそれらの軸となる。
匂宮は視点だから、物語という異世界を、観客であるわたしたちにつながなければならない。
世界説明やらキャラクタ解説やらで、愛人ちゃんたちと愉快に歌い踊ったりして、まず彼は地ならしをする。
「源氏物語」といったって、「宇治十帖」といったって、そんな特別なモノではなく、現代のわたしたちと変わらない世界なんだよ、と。だって主人公の匂宮は、こんなに「ふつう」の人だろう? と、見せつける。
そこまではずっと、承前。
物語がはじまるのは、薫が登場する瞬間からだ。
紅葉の、暗い赤。
乾いた血糊のような、禍々しい赤。
その暗い情熱の中に、薫が立つ。
薫は、今は亡き愛する人を想って歌う。彼の傍らには、大君の幻。
えーっと、薫と大君ってべつに、両想いのラヴラヴ・カップルじゃなかったよね? たしか、振られてたよね?
原作読んだのなんか大昔過ぎて忘却の彼方、しかも宇治まで行くともう飽きててトバしてたんでさっぱりわかんねえ(笑)。
一度も愛されていない、つまりはいい思いもしていない、プラトニックというかストーカー的思い込みによる一方的な盛り上がりだよな?
自分のものではなかった女、だからこそ彼の想い……歪みが、大きいのかもしれない。
生身の女としての欠点だとか問題だとかは、実際につきあうから見えてくるもので、心だけで勝手に愛している分には最強、良いところしか見えない。
存在しない幻の女じゃん、そんなの。
バーチャル彼女じゃん。
この世にないものを、ひとり愛し続ける薫。
幻の女の袿を抱きしめて。
壊れている。この男の心はどこか、この世とはべつのところにある。
その姿は、冒頭の光源氏の姿にも似て。
人形の、ように。
その薫に、幻の女の代わりとして囲われた女、浮舟@しずく。
今は亡き女の袿を羽織らされ、弾けもしない琴を与えられた女。
匂宮は浮舟に興味を持つ。
彼が知りたいのは薫だから。近づきたいのは薫だから。薫が大切に隠している女に、近づく。
薫が狂気の世界にいるのに対し、匂宮はあまりにも真っ当で、ふつうの青年だ。
だからこそなお、匂宮は薫に惹かれるのだろう。
わたしたちの視点である匂宮には、わたしたちが理解しやすい「状況の変化」が起こる。
兄・二の宮@あひの失脚だ。このことにより、匂宮が東宮候補になる。
皇族と生まれた重責は兄が背負い、弟宮の気楽さで(それが処世術であったにしろ)粋な好男子として、自在に振る舞ってきたのに。まさかの展開。
匂宮は、ただの軽薄お気楽トンボではない。女好きを装い、恵まれた才能を無駄に過ごしているのは、兄を思ってのことだろうさ。
二の宮の背負ってきたモノの重さを知っているからこそ、彼の気持ちを知っているからこそ、あえて浮き名を流していた面もあるのだろうさ。
資質がどうあれ、遊び人の弟より真面目な兄がこの国の王として相応しいのだと、内外に示すために。
垣間見える、兄と弟の関係。
凡才を努力で補おうとする兄と、兄を想うゆえに非才さを隠す弟。
そんな弟に鬱屈したものを抱きつつ、その公正な人格から、なおも弟を愛している兄と。そんな兄だからこそ、愛している弟と。
どれほど長い間、この兄弟は才能と立場の不相応さを誤魔化して生きてきたのだろう。
ただ、愛ゆえに。
二の宮から上宮太子の剣を渡された匂宮。上宮太子だよ、英雄だよ、改革者だよ、1万円札だよ。
二の宮が人生を懸けて欲していたことを知っているのに……兄はそれを自ら手放すしかなかった、自分がそれを受け取ることになった、これは最悪の結末。
二の宮と匂宮の関係は、どこか匂宮と薫の関係に似ていたかもしれない。
匂宮がいるのは「こちら側」、わたしたちのいる側だ。
現実、正気、常人の感覚、凡人の罪。
わたしたちが理解できる範囲で彼はあがき、悩む。
それが、ここではじめて彼は「日常」から外へ出て行く。
彼にとっての「世界」とは貴族社会、宮中のみだ。そこから出るということは、「現実」の外へ足を踏み入れるということ。
小宰相の君@あいあいにいざなわれ、彼は聖と闇が混ざり合う傀儡たちの祭りに参加する。
純から濁へ、正気から狂気へ。
渡ってはいけない川を渡る。
見てはならないものを見る。
あの少年の日、彼は置き去りにされた。
光る君に手を引かれ、薫は階段を上っていった。
あの階段の先にあったものを……匂宮は、垣間見る。
続く。
忙しさにかまけて整理するヒマもなくきちんとブログにUPすることもなく、本能のままに書きなぐっていたテキストも、モバイル用のミニパソコンの臨終と共に消失した。
つーことでもう、「最初」の感想には戻れない。
「最初」の感想を書き記すことなく、「次」の感想になってしまう。
『夢の浮橋』のこと。
初見ではとーぜん、主人公である匂宮@あさこを中心とした視界で観ていた。彼の物語として、観ていた。
準主役である薫@きりやんは、よくわかんなかった。なんであんなにきれいじゃないんだろう、なんであんなに棒読みなんだろう、なんかくすんで見える、と思っていた。
それが、だ。
次に観たときは、薫の恐ろしさに、震撼していた。
こわい。こわいんですけど、この人っ。
罪と聖の物語であると同時に、狂と正の物語でもあるのか、これは?
薫ってさ、アレ、狂ってるよね?
正常の範囲には踏み止まっているけど。内側では、壊れてるよね、すでに。
それを感じているからこそ、匂宮はなにかと薫を気にしているんだと思う。
匂宮、薫、女一の宮の少年(少女)時代から、物語ははじまる。
彼らの前に立つのは、光源氏@萬ケイ様。
幼い彼らが愛してやまない偉大な人。
されどその光る君はもう、この世の人ではない。
心は壊れ、人形のような姿になっている。
そして。
己の罪ゆえに、愛ゆえに、壊れてしまった美しい人形は、ひとりの少年を選んで連れて行く。階段を、上っていく。
「罪の子よ」……薫を。
匂宮は、取り残される。
彼も願ったのに。一緒に行きたいと。
……時は流れ、子どもたちは大人になる。
罪に対しての聖として、無垢な輝きを放っていた子どもたち……少女・女一の宮の姿に、「大人」である女一の宮@あーちゃんの姿が二重写しになる。
「私たちも、罪を犯す年頃となりました」
無垢だったものも、罪に汚れる。
匂宮はずっと、取り残されたまま。
薫に対抗し、薫を追いかけて、薫をかまって、現在に至るのに。
薫は、ここにいない。
宮中の宴に薫がいないと舞を止める匂宮は、たぶんそーやってずっと、薫を追い続けている。
あの少年の日、階段を上がっていく薫を見送った……あのときのまま。
幼なじみの3人。
女一の宮を語り手に、匂宮を視点に物語は進み、薫はそれらの軸となる。
匂宮は視点だから、物語という異世界を、観客であるわたしたちにつながなければならない。
世界説明やらキャラクタ解説やらで、愛人ちゃんたちと愉快に歌い踊ったりして、まず彼は地ならしをする。
「源氏物語」といったって、「宇治十帖」といったって、そんな特別なモノではなく、現代のわたしたちと変わらない世界なんだよ、と。だって主人公の匂宮は、こんなに「ふつう」の人だろう? と、見せつける。
そこまではずっと、承前。
物語がはじまるのは、薫が登場する瞬間からだ。
紅葉の、暗い赤。
乾いた血糊のような、禍々しい赤。
その暗い情熱の中に、薫が立つ。
薫は、今は亡き愛する人を想って歌う。彼の傍らには、大君の幻。
えーっと、薫と大君ってべつに、両想いのラヴラヴ・カップルじゃなかったよね? たしか、振られてたよね?
原作読んだのなんか大昔過ぎて忘却の彼方、しかも宇治まで行くともう飽きててトバしてたんでさっぱりわかんねえ(笑)。
一度も愛されていない、つまりはいい思いもしていない、プラトニックというかストーカー的思い込みによる一方的な盛り上がりだよな?
自分のものではなかった女、だからこそ彼の想い……歪みが、大きいのかもしれない。
生身の女としての欠点だとか問題だとかは、実際につきあうから見えてくるもので、心だけで勝手に愛している分には最強、良いところしか見えない。
存在しない幻の女じゃん、そんなの。
バーチャル彼女じゃん。
この世にないものを、ひとり愛し続ける薫。
幻の女の袿を抱きしめて。
壊れている。この男の心はどこか、この世とはべつのところにある。
その姿は、冒頭の光源氏の姿にも似て。
人形の、ように。
その薫に、幻の女の代わりとして囲われた女、浮舟@しずく。
今は亡き女の袿を羽織らされ、弾けもしない琴を与えられた女。
匂宮は浮舟に興味を持つ。
彼が知りたいのは薫だから。近づきたいのは薫だから。薫が大切に隠している女に、近づく。
薫が狂気の世界にいるのに対し、匂宮はあまりにも真っ当で、ふつうの青年だ。
だからこそなお、匂宮は薫に惹かれるのだろう。
わたしたちの視点である匂宮には、わたしたちが理解しやすい「状況の変化」が起こる。
兄・二の宮@あひの失脚だ。このことにより、匂宮が東宮候補になる。
皇族と生まれた重責は兄が背負い、弟宮の気楽さで(それが処世術であったにしろ)粋な好男子として、自在に振る舞ってきたのに。まさかの展開。
匂宮は、ただの軽薄お気楽トンボではない。女好きを装い、恵まれた才能を無駄に過ごしているのは、兄を思ってのことだろうさ。
二の宮の背負ってきたモノの重さを知っているからこそ、彼の気持ちを知っているからこそ、あえて浮き名を流していた面もあるのだろうさ。
資質がどうあれ、遊び人の弟より真面目な兄がこの国の王として相応しいのだと、内外に示すために。
垣間見える、兄と弟の関係。
凡才を努力で補おうとする兄と、兄を想うゆえに非才さを隠す弟。
そんな弟に鬱屈したものを抱きつつ、その公正な人格から、なおも弟を愛している兄と。そんな兄だからこそ、愛している弟と。
どれほど長い間、この兄弟は才能と立場の不相応さを誤魔化して生きてきたのだろう。
ただ、愛ゆえに。
二の宮から上宮太子の剣を渡された匂宮。上宮太子だよ、英雄だよ、改革者だよ、1万円札だよ。
二の宮が人生を懸けて欲していたことを知っているのに……兄はそれを自ら手放すしかなかった、自分がそれを受け取ることになった、これは最悪の結末。
二の宮と匂宮の関係は、どこか匂宮と薫の関係に似ていたかもしれない。
匂宮がいるのは「こちら側」、わたしたちのいる側だ。
現実、正気、常人の感覚、凡人の罪。
わたしたちが理解できる範囲で彼はあがき、悩む。
それが、ここではじめて彼は「日常」から外へ出て行く。
彼にとっての「世界」とは貴族社会、宮中のみだ。そこから出るということは、「現実」の外へ足を踏み入れるということ。
小宰相の君@あいあいにいざなわれ、彼は聖と闇が混ざり合う傀儡たちの祭りに参加する。
純から濁へ、正気から狂気へ。
渡ってはいけない川を渡る。
見てはならないものを見る。
あの少年の日、彼は置き去りにされた。
光る君に手を引かれ、薫は階段を上っていった。
あの階段の先にあったものを……匂宮は、垣間見る。
続く。
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