裏切ったのは、自分自身かもしれない。@マリポーサの花
2008年10月26日 タカラヅカ 「残る」台詞っていうのがある。
その物語の中で、ストーリーの山場とは関係なく、とにかくそこだけ独立して心に残る台詞。
『マリポーサの花』で、いちばんわたしのなかに残ってしまっている台詞は、ネロ@水がサルディバル@ハマコに対して言う、
「裏切ったのはお前だ」
という台詞。
なんかねえ、すごく痛いのよ。
「裏切り」という言葉には、前段階があるでしょ。もともと「つながり」がなければ、「裏切り」をしよーと思っても出来ないわけだから。
裏切られた、ということは、その前に信頼があったってこと。
『マリポーサの花』スタート時点で、すでにネロはサルディバルを侮蔑しているけれど、まったく最初からそうではなかったと思う。今の時点ほど軽んじている相手のために人を殺し、国を託すはずがない。
サルディバルを英雄だとか天才だとか夢を見るほど世間知らずではないにしろ、そこそこやってくれるだろうと思っていたはず。
「裏切られた」と思うほどには、心がサルディバルに向かっていたはず。
ネロという人物の誠実さ……いや、「まとも」さというべきかな、を知るほどに、彼が口にする「裏切り」という言葉が重い。
青臭い若者でもないから、自分の期待とチガウとか思うようにいかないとか程度で、こんな言い方はしないだろう。
世の中はそんなもんだと諦観し、俯瞰する大人の部分を持ち合わせ、それでもなお、それらを超えて「感情」を爆発させるに至る。
どれほどの痛みが積もって、この言葉にまで行き着いたのか。
サルディバルを脅す場面はべつにクライマックスではないし、サルディバルもただの脇役だ。そこで吐かれる台詞がテーマであるわけでもない。物語の中のひとつのやりとりでしかない。
それがわかっていても、この台詞に注目するのは、ネロという男の人生が見えるからなんだろうな。
ネロが好きで、ネロを中心に物語に入り込んでいると、彼の人生が見える瞬間に反応してしまう。
直接的にセリア@となみとかエスコバル@ゆみこに「オレ今語り入ってます」と語っているときでなく、なんの意識もなく飛び出してきてしまった台詞だからこそ。
タカラヅカは、ポスターがひとつしかなくて、つまらない。
ゲーム雑誌を愛読している身としては、ひとつのタイトルにつき、いくつも宣伝が打たれるのをあたりまえに目にしてきている。
戦争大作っぽい軍隊中心のイラストに、人間の悲しい業を表現するようなキャッチコピーがつけられているかと思ったら、次は主人公とヒロインのロマンティックなイラストに、愛を語るコピーがついていたり。
ひとつの作品をいろんな角度で宣伝する。メイン・ポスターはひとつだけど、発売日が近づくといろんなパターンのポスターが作られる。
映画でも食べ物や車などの商品でも、CMも車内吊りポスターも何パターンもあるよね?
ヅカが1作品1種類だけ、つーのが、つまらない。
今回の『マリポーサの花』のポスターは、美しい。
ネロとセリアの大人の恋愛を期待できるし、「それは、生きている証」というコピーもいい。
でもさ、ソレだけじゃないだろ? この作品って。
作品を表現する、別の切り口のポスターだって、あっていいんじゃないの?
ネロとエスコバルのポスターだって、あっていいと思うし、主要人物勢揃いポスターもアリだと思う。
映画館へ行くと、そんなのがずらりと並んでいるじゃないか。メイン・ポスターがどーんとあり、あとはバージョン違いが数種、キャラクタひとりずつのクローズアップ・バージョンとか。
まだ脚本も上がっていない段階でとりあえず撮影するメイン・ポスターでしばらくは通すとしても、舞台稽古まで来たら、別バージョンのポスター撮りしてもイイと思うけどなあ。東宝まで数ヶ月は使い回せるんだから。なんならそのあとのDVD販売にも使い回せるし。
「ドラマ」を感じさせること。
世の中趣味嗜好が多種多様になって、ひとつのもので多くの人を動かすことはできなくなった。
ならばできるだけ多面的に働きかけ、多くのモノからナニか少しだけでも興味を引くことを、目指すべきなんじゃあ?
美男美女が寄り添い合うロマンティックなポスターではなにも思わない人も、戦闘服姿の美形ふたりが銃を構えている姿に興味を持つかもしれない。
政治とか革命とかのキーワードに反応する人がいるかもしれない。
スタジオ撮りしたポーズ写真には興味ない人でも、舞台で熱演している群衆場面を使った画に足を止めるかもしれない。
いろいろやってみればいいのに。
阪急、阪神電車とその周辺のグループ企業内だけでも、掲示してみればいいのに。
……と、うだうだ述べたところで、最初の話題に戻る。
いくつもポスターを作るなら、わたしが作っていいなら、そのポスターの中の1枚に、「裏切ったのはお前だ」を入れるな。
ネロ&セリアのメイン・ポスター、コピーは「それは、生きている証」。
ネロ&エスコバルの友情ポスター、できるだけハードな画面でふたりの絆を感じられる、ひとめで親友だとわかるよーにして、コピーはずばり、「生きろ、俺のために」。
ネロ、セリア、エスコバル、リナレス、ロジャーの主要人物集合ポスター、アニメのOPラスト静止画のノリで、それぞれキャラクタを表す衣装とポーズで寄り添うこと、コピーは主題歌の一部。「悲しみは 耐えられる/痛みにも 慣れていく/命さえあるのなら」とか、文字の配列を印象的に。
余力アリなら、映画みたいにキャラひとりずつポスター作りたいよなー。
それぞれのキメ顔に、キャラ解説とキャッチコピー。
さらにそれらが1枚に配置されたポスターも。
地下街の柱1本ずつに、ひとりずつのポスターが貼られるの。歩くたびに次のキャラが見えるの。うっとり。
で、そのキャラ単品ポスターとはまったく別に、主役であるネロはひとり写りポスター有り。
戦闘服と自動小銃、汚れメイクに影の強い画面で臨戦態勢。コピーが、「裏切ったのはお前だ」。
見た人が「お前って誰?」「ナニと闘ってるの?」と疑問を持てるよーに、答えの出ない作りにする。
「裏切った」ってことは、過去形? すでに罪は犯されたってこと? 取り返しがつかないことなのか?
「お前」というのが誰か他の人のことなのか、それとも自分自身のことなのか。現在に対しての言葉なのか、あるいは過去に向かってなのか。
わたしにとっての「残る」言葉であるだけ、だけど。
「裏切り」という強い言葉は、商業的に利用することもできると思うんだ。
『マリポーサの花』だけでも、いくらでもイメージわくもんなあ。
これに『ソロモンの指輪』を加えたら、どんだけたのしくデザインできるやら。
オレが歌劇団のエライヒトならなぁ。見てみたいなあ、「商業広告」としての作品表現。
その物語の中で、ストーリーの山場とは関係なく、とにかくそこだけ独立して心に残る台詞。
『マリポーサの花』で、いちばんわたしのなかに残ってしまっている台詞は、ネロ@水がサルディバル@ハマコに対して言う、
「裏切ったのはお前だ」
という台詞。
なんかねえ、すごく痛いのよ。
「裏切り」という言葉には、前段階があるでしょ。もともと「つながり」がなければ、「裏切り」をしよーと思っても出来ないわけだから。
裏切られた、ということは、その前に信頼があったってこと。
『マリポーサの花』スタート時点で、すでにネロはサルディバルを侮蔑しているけれど、まったく最初からそうではなかったと思う。今の時点ほど軽んじている相手のために人を殺し、国を託すはずがない。
サルディバルを英雄だとか天才だとか夢を見るほど世間知らずではないにしろ、そこそこやってくれるだろうと思っていたはず。
「裏切られた」と思うほどには、心がサルディバルに向かっていたはず。
ネロという人物の誠実さ……いや、「まとも」さというべきかな、を知るほどに、彼が口にする「裏切り」という言葉が重い。
青臭い若者でもないから、自分の期待とチガウとか思うようにいかないとか程度で、こんな言い方はしないだろう。
世の中はそんなもんだと諦観し、俯瞰する大人の部分を持ち合わせ、それでもなお、それらを超えて「感情」を爆発させるに至る。
どれほどの痛みが積もって、この言葉にまで行き着いたのか。
サルディバルを脅す場面はべつにクライマックスではないし、サルディバルもただの脇役だ。そこで吐かれる台詞がテーマであるわけでもない。物語の中のひとつのやりとりでしかない。
それがわかっていても、この台詞に注目するのは、ネロという男の人生が見えるからなんだろうな。
ネロが好きで、ネロを中心に物語に入り込んでいると、彼の人生が見える瞬間に反応してしまう。
直接的にセリア@となみとかエスコバル@ゆみこに「オレ今語り入ってます」と語っているときでなく、なんの意識もなく飛び出してきてしまった台詞だからこそ。
タカラヅカは、ポスターがひとつしかなくて、つまらない。
ゲーム雑誌を愛読している身としては、ひとつのタイトルにつき、いくつも宣伝が打たれるのをあたりまえに目にしてきている。
戦争大作っぽい軍隊中心のイラストに、人間の悲しい業を表現するようなキャッチコピーがつけられているかと思ったら、次は主人公とヒロインのロマンティックなイラストに、愛を語るコピーがついていたり。
ひとつの作品をいろんな角度で宣伝する。メイン・ポスターはひとつだけど、発売日が近づくといろんなパターンのポスターが作られる。
映画でも食べ物や車などの商品でも、CMも車内吊りポスターも何パターンもあるよね?
ヅカが1作品1種類だけ、つーのが、つまらない。
今回の『マリポーサの花』のポスターは、美しい。
ネロとセリアの大人の恋愛を期待できるし、「それは、生きている証」というコピーもいい。
でもさ、ソレだけじゃないだろ? この作品って。
作品を表現する、別の切り口のポスターだって、あっていいんじゃないの?
ネロとエスコバルのポスターだって、あっていいと思うし、主要人物勢揃いポスターもアリだと思う。
映画館へ行くと、そんなのがずらりと並んでいるじゃないか。メイン・ポスターがどーんとあり、あとはバージョン違いが数種、キャラクタひとりずつのクローズアップ・バージョンとか。
まだ脚本も上がっていない段階でとりあえず撮影するメイン・ポスターでしばらくは通すとしても、舞台稽古まで来たら、別バージョンのポスター撮りしてもイイと思うけどなあ。東宝まで数ヶ月は使い回せるんだから。なんならそのあとのDVD販売にも使い回せるし。
「ドラマ」を感じさせること。
世の中趣味嗜好が多種多様になって、ひとつのもので多くの人を動かすことはできなくなった。
ならばできるだけ多面的に働きかけ、多くのモノからナニか少しだけでも興味を引くことを、目指すべきなんじゃあ?
美男美女が寄り添い合うロマンティックなポスターではなにも思わない人も、戦闘服姿の美形ふたりが銃を構えている姿に興味を持つかもしれない。
政治とか革命とかのキーワードに反応する人がいるかもしれない。
スタジオ撮りしたポーズ写真には興味ない人でも、舞台で熱演している群衆場面を使った画に足を止めるかもしれない。
いろいろやってみればいいのに。
阪急、阪神電車とその周辺のグループ企業内だけでも、掲示してみればいいのに。
……と、うだうだ述べたところで、最初の話題に戻る。
いくつもポスターを作るなら、わたしが作っていいなら、そのポスターの中の1枚に、「裏切ったのはお前だ」を入れるな。
ネロ&セリアのメイン・ポスター、コピーは「それは、生きている証」。
ネロ&エスコバルの友情ポスター、できるだけハードな画面でふたりの絆を感じられる、ひとめで親友だとわかるよーにして、コピーはずばり、「生きろ、俺のために」。
ネロ、セリア、エスコバル、リナレス、ロジャーの主要人物集合ポスター、アニメのOPラスト静止画のノリで、それぞれキャラクタを表す衣装とポーズで寄り添うこと、コピーは主題歌の一部。「悲しみは 耐えられる/痛みにも 慣れていく/命さえあるのなら」とか、文字の配列を印象的に。
余力アリなら、映画みたいにキャラひとりずつポスター作りたいよなー。
それぞれのキメ顔に、キャラ解説とキャッチコピー。
さらにそれらが1枚に配置されたポスターも。
地下街の柱1本ずつに、ひとりずつのポスターが貼られるの。歩くたびに次のキャラが見えるの。うっとり。
で、そのキャラ単品ポスターとはまったく別に、主役であるネロはひとり写りポスター有り。
戦闘服と自動小銃、汚れメイクに影の強い画面で臨戦態勢。コピーが、「裏切ったのはお前だ」。
見た人が「お前って誰?」「ナニと闘ってるの?」と疑問を持てるよーに、答えの出ない作りにする。
「裏切った」ってことは、過去形? すでに罪は犯されたってこと? 取り返しがつかないことなのか?
「お前」というのが誰か他の人のことなのか、それとも自分自身のことなのか。現在に対しての言葉なのか、あるいは過去に向かってなのか。
わたしにとっての「残る」言葉であるだけ、だけど。
「裏切り」という強い言葉は、商業的に利用することもできると思うんだ。
『マリポーサの花』だけでも、いくらでもイメージわくもんなあ。
これに『ソロモンの指輪』を加えたら、どんだけたのしくデザインできるやら。
オレが歌劇団のエライヒトならなぁ。見てみたいなあ、「商業広告」としての作品表現。