ギャツビーが美形で、おどろいた(笑)。

 月組日生公演『グレート・ギャツビー』にて。

 や、あさこちゃんだから美しいことはわかっていた。わかっていたけどほら、わたしのギャツビーのイメージは、初演のカリンチョさんなので。
 カリさんはかっこよかったけど、その、ビジュアルが優れていたかとゆーと、そーゆーわけではなかったので。

 あさこちゃんがバラの花束持って、「キミは薔薇より美しい」とか言っちゃうともお、くるくる回っちゃうくらい完璧な画面ですな。
 いやその、ベタが基本のタカラヅカでも、かなりベタな台詞として印象に残っててな、「キミは薔薇より美しい」。
 あのコテコテこゆこゆのカリさんが言っても「うわあぁ」だったが、完璧な美青年あさこ氏に言われても、チガウ意味で「うわぁ、うわぁ」ですな。や、どっちも赤面しちゃいますって。

 美しい、ということは、それだけで説得力だ。
 瀬奈じゅんが美しい、つーだけで、彼がなにをしようと「そういうことなんだ」と思えてしまう。

 デイジー@あいちゃんが、回想シーンにて奥の扉からひとり遅れて登場した瞬間、彼女の美しさに、息を飲むように。

 美しい。それだけが持つ、力。

 くどくどしい説明はいらない。
 美しい。それが理由。
 もちろんその美しさは人形の美しさではなく、生きた、人格のあるがゆえ、魂の魅力をも内包したうえでの美しさだけど。

 
 あさこちゃんのギャツビーは、ひどく痛々しかった。
 もちろん、そういう役であるわけだが。

 本公演以外、組を分けての興行である、ということのゆがみ。
 つまり、あさこと同レベルの存在がいない。

 対等に戦うべき恋敵は同世代にも見えないし若造だし、最後に愛をかけて対峙する運命そのもののような相手は、恋敵の軽さとは反対の意味でチガウ世界でチガウ演技している人だし。
 意外に感覚が合っている気がした隣人は、所詮隣人でしかなく、真に心を寄せているわけでもなく。

 言葉が通じるの、デイジーだけじゃん。
 なのにデイジーとも、言葉の意味は通じるにしろ、結局心が遠く離れてしまう。

 あんまりだ。
 なんて救いがないんだ、ギャツビー。

 と、主要人物にスターがいないことが影響してました。
 あひくんやもりえくんがスターではないという意味ではなく、やっぱりトップスターというのは特別な存在であり、彼と違和感なく芝居で絡むことができるのは、それなりの技術や経験が必要なんだということ。

 トム@もりえは……できる、からキャスティングされたんだと思ったんだけどなあ。期待したんだけどなあ。
 わたしにはデイジーが姉さん女房に見えた……。ギャツビー云々以前に、デイジーより子どもに見えたら、それはトム役としてきついっす。

 もちろん、もりえくん比ではよくやっていると思うんだけど、キャリアのなさが見えてしまった感じ。外見も若々しいしなあ。
 スタイル良くてかっこいいんだけど。

 ニック@あひくんはアクのなさがいい感じでした。視点としてニュートラルで、嫌味がない。
 ジョーダン@ちわわちゃんがこれまたイイ女で、彼女とニックの身長差というか体格差が、すごく素敵。リアル男女カプっぽくてときめき。
 ジョーダンは初演よりちわわちゃんの方が好きだなー。ドライさとコケティッシュさがいかにもフラッパーガールで、あこがれる。

 ウルフシェイム@越リュウは、納得のかっこよさ。
 てゆーか、彼を中心にしたギャング野郎どものダンスがかっこよすぎ。

 越リュウセンターで、その両脇がるうくんと一色瑠加って、なんのサービス?! あたしへのご褒美ですか、釣り餌ですか?! ハァハァ。

 ギャツビーに締め上げられる仲間ギャング役が、一色氏だとは、観るまで知らなくて。
 あのスネた感じのおっさんぶりが、すげーツボっす。(おっさんに見えたけど、実は青年役だったよーな気もする。や、なにしろ一色氏ですから、デフォルトでおっさん!・笑)
 やーん、萌え~~。
 彼のドラマを考えてハァハァしたいわ(笑)。

 ビロクシー@るうくんは、わたし的に物足りなかった。もっと作り込んで欲しかったなー。
 って、まあそれは、わたしが初演ファンであるせいだろう。ご贔屓の役だから、視野が狭くなってるの。

 マートル@ゆりの嬢がうまかった。配役見たときから期待していたけれど、「演技」という意味ではいい仕事をしてくれたと思う。
 ただ、初演でも思ったけど、この役を路線スター系が演じることは、できないのかなあ。
 娘役たちのセンターで歌い踊る以上、華と美貌が欲しいと思ってしまうのは、ゼイタクか。

 タータンが歌っていたレクエルドが、わざわざ役とは別に「歌手」が歌っていたことに、ええっと、初演ファンとして……というより、トドロキファンとして、ちょっと複雑でした(笑)。
 ラウル役が歌わなきゃならないわけじゃ、なかったんだ、あの歌……。

 
 ウィルソン@ソルーナさんが、えらいことになっていて、とまどった。
 だって2幕の書き下ろしの場面、ソルーナさんが若者たちと同世代設定で馴染んでいるんだもの。

 キツいプレイだなこりゃ、と思いもしたし、親子ほど年の違う子たちとツレを演じなければならないって罰ゲームかよって感じなんだけど、その若作りぶりが意外に可愛くてうれしかったりもして、ほんとフクザツ(笑)。

 ソルーナさんがこの役をこの比重でやることには疑問を持っているし、そもそもラストのギャツビーとの対決も芝居のカラーが違って、わたしにはとまどいが大きかったし。
 それでも、作品を成り立たせるためには、必要だったのかな? 月組の組子には任せられないって思ったの、イケコ?

 
 つくづく、大劇場でやってほしいと思った。
 作品的には中劇場でじっくり上演する方がいいのかもしれないが、キャスト的には、組子全員揃っててくれないと、パワーバランスが難しい。
 女の子たちは充実しているけれど、大人の男たちの不在が痛い。
 トップスターひとりよくても、舞台は成り立たないんだよ。

 ギャツビーと対等に芝居で戦うことの出来る、彼と同世代で近いポジション(つまり路線スター)の大人の男が、ふたり必要だったってば。
 トムと、ウィルソン。
 どちらも明らかな路線スターっぽい役ではないが、スターが演じて演じ切れれば、十分オイシイ花形な役だ。

 ひとりぼっちのあさこちゃんを見て、『A-“R”ex』を思い出したよ。
 あのときは周囲の濃く重い芝居から、「スター」であるあさこひとりが浮いて見えたんだけど、今回は反対、周囲のステージ力、宝塚力が足りていないため、ちゃんと「スター」であるあさこひとりが浮いて見える。

 ギャツビー@あさこを孤立させること、が、キャスティングを含めた演出意図だったんだろうか?

 わたしは初演の『華麗なるギャツビー』が好きで、もちろんギャツビー役はカリさんの方が断然好きなんだけど、それは彼ひとりのことではなく、あのクド濃ぃいギャツビーが浮かない世界観を作り上げていた、当時のステージ全体を通して好きだったんだと、改めて思った。

 対等な力の中で発揮される、ギャツビー@あさこちゃんを見てみたかった。

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