この芝居を見せろっ!!

 と、叫んでおきます。ええ。
 たしかわたし、『熱帯夜話』を観たときも同じことを叫んでいたよーな気がする。

 今回も叫んでおこう。『熱帯夜話』と同じく藤井大介作『ソウル・オブ・シバ!!』この芝居を見せろ〜〜っ。

 『長崎しぐれ坂』なんか、さくっとカットして40分くらいの舞踊ショーにしちゃっていいから!

 『柴魂』の方を芝居にしちゃおーよー……。遠い目。

 
 今日はkineさんに誘ってもらって、コーナン貸切でした。
 電車に乗ってるときに、kineさんからの留守電を聞いたんだけど。

−−1件の新しいメッセージがあります。最初のメッセージ−−ピーッ!
『座席の抽選しました。で今はキャトレあたりにいます』

 あ、もう抽選してくれたんだー。そいで、席はどこになったんだろ?
 どきどきと留守電の続きを聞くと。

『席は……さばいちゃおうか
−−メッセージ、終わり。このメッセージを消すときは9を、もう一度聞くときは−−

 そうか、席番は、「さばいちゃおうか」か!!

 吹き出しました、電車の中で。

 今朝は星東宝発売日で、朝からチケット取れずにしょぼんな日。それはkineさんも同じだったらしい。お互い、運に見放された日だったんだよね(笑)。

「どうします? 観ます? それともショーだけ観る?」

 会うなり、そんなことを確認するんだものよ。
 ヘコむよねえ、2階S席の隅ってのは微妙すぎて。

 いやいや、わたしは2階席ははじめてだったんで、ありがたく観させていただきました。
「……睡眠取ってましたね?」
 とか、幕間にkineさんに突っ込まれつつ。ごめんごめん、昨日あんまし寝てなくて。
 そーゆーkineさんも、
「ひたすら女の子だけ見てました。あー、かわいー」
 と、現実逃避入ってるし。おーい、卯之助も見てやりなよ……。

 本命はショーだから。
 てゆーかほんと、ショーのためだけにここにいるわけだから。……たしか前の星公演も同じこと言ってたなあ。

 
 ショーはストーリー仕立て。
 芸能の神様だっけかの柴……もとい、シバ神の導きのもと、ダンサーを夢見る若者がチャンスを手にし、一旦はスターになる。あこがれの大女優とも相愛になり、絶頂期! が、その大女優を愛するプロデューサーの嫉妬により、若者はダンスの道を断たれてしまう。
 絶望する若者の前に、シバ神降臨!! 踊れなくなったはずの若者は、なんとダンスの神様になっちゃった! みんな踊れ!!

 えー、藤井くんの藤井くんらしいところで、話は途中からわけわかんなくなってます。収拾つかないまま、なしくずしにhappy ending!
 いつもそうだから、なにをやってもそうだから、藤井大介には、物語を収束させる能力がないんだろう。
 だからそれはもう、あきらめている。

 頼む! 誰か他に脚本協力つけて、もひとり演出家つけて、この話を芝居にしてくれ!
 ありきたりだが、『長崎…』より、はるかにマシだから!!

 なにもかも、途中で投げ出してあって、落ち着かないよ。
 「レークは神様になりました!」で終わりはあり得ない。現実に生きていた彼を、彼の夢を、彼の人生を否定することになるから。
 それは「ソウル・オブ・シバ!!」ではありえないだろ。シバ魂というからには、生身の人間がスピリットを持って生きなければ。それじゃ夢も希望もない。

 主人公の夢見る若者、レーク@ワタルくんはどーなったの? ボコられて「もう踊れない」って絶望して、問題はそのあとよ。どうやって彼が立ち直るのか。ダンサーとしての彼の人生は? 恋は? 神様降臨してもいいから、「現実世界で」彼に新しい一歩を踏み出させて。

 ヒロインのレディ・ダイス@檀ちゃんはどーなったの? レークのこと愛してたんでしょ? 引き離されて終わり?
 デュエットダンスまでが物語のウチなら、トレンチコートとソフト帽でレークの元を去るところまで、描いてくれなきゃだわ。

 プロデューサー・オーキッド@トウコは、あれでなにを手に入れられたの? 嫉妬にかられてレークを追放したところで、レディ・ダイスの心を得られるわけでなし。彼の行動はあまりに浅はかすぎる。

 ダンサー志望の女の子ウィンク@となみちゃんは、どうなったの? やさしくしてくれたレークに恋をして……それで?

 スタン@しいちゃんは、レディ・ダイスを奪われ、面子に泥を塗られ、それで引き下がってしまうの? ギャングのボスなら、それはありえないでしょう。

 ここまでやりっぱなし投げっぱなしでキャラとエピソードを織り込んでいたんだから、収束させてよ。
 レークを愛するふたりの女、レディ・ダイスとウィンク、レディ・ダイスを愛する3人の男、レーク、オーキッド、スタン……彼らの関係を描くだけでも、十分物語になるから。

 てゆーか。

 わたしに、オーキッドの物語を見せろ。

 オーキッドが見たいのー、見たいのー、見たいのー。じたばた。

 だってオーキッド、やってること最低じゃん? レークが自分より下の立場のときは親切面して寛大な態度で、いざ立場が逆転したら突然卑怯にも暴力に訴えて。
 やーん、オーキッドさいてー。小物ー。偽善者ー。萌え〜(笑)。

 つってもオーキッドはべつに悪人ではない。結果として最低な行動に出るけど、それまでえんえんえんえんうだうだ悩んでいたわけだし。
 きっとそのあとも、えんえんえんえんうだうだ悩むんだろう。
 絶対自己嫌悪で自暴自棄とかになったりするだろーし! さらに悪に手を染めたり、もしくは後悔して懺悔して善人街道復帰してみたり!
 とにかくなにかしら、してくれそうだから。

 軽いフリして、じつはめっさ深刻系だから!!

 見たい……苦悩するオーキッド……見ーたーいー。

 つーことで。

 この芝居を見せろっ!!


 作品萌えばかりが先だって、キャストの話をしていなかったなー、と。
 宙バウ『Le Petit Jardin』の話、えーと、その3? 4?

 まず作品ばかりに目がいくのは、わたしが作品重視な人間なのもあるし、出演者にとくにご贔屓がいないこともある。
 それに加わって、この物語があて書き作品ではないこともあると思う。

 続演が前提だからか? 前回の『THE LAST PARTY』といい、景子せんせあて書きしなくなってるよね。
 もちろん誰が演じてもカッコイイ作品を持ってくるのはすごいと思うけど、あて書き作品も見てみたいなぁ。
 この人でなきゃ成り立たない、ってくらいのあて書き。
 景子せんせー作品って、役者への愛より、自作への愛が大きい気がする。まあ、それもアリな作風だと思うけど。これだけいいものを創れる人だから。

 花組、星組と「前半日程キャストへのあて書き」「後半日程の下級生たちはお勉強するがよろし」って感じだったから、景子せんせがあひくんたちのためにあて書きしても、べつにかまわないと思ったもんで。(雪組は上記のパターンかどうか、判断不能。あて書き以前に、別物過ぎ)

 まあなんにせよ、あてがきはせずに作品を書き、そのうえでキャストを当てはめました、みたいな感じ。
 それがうまく機能していたのはやはり、作品の「薄さ」「ありがち設定」の勝利かなと思う(笑)。

 出てくるキャラたちときたら、ものすげーステレオタイプだよね。
 ありがちというか、今まで5万回は見たよーな人たちというか。

 だから、あてはめやすいし、見ている側もわかりやすい。
 感情移入しやすい。

 キャッチーでいいよ。

 このありがち設定で、どうおもしろくするかが作者と役者の腕の見せどころ。
 お約束に充ちているから、安心して見ていられる分、プラスアルファが必要。
 出演者たちは、それをよく演じていたと思う。

 
 主人公アラン@あひくんは、ものすげーかっこいい。
 長身が役柄に映える映える。
 ふたりのヒロインとの身長差なんて、もろ少女マンガだよ。
 テリィとキャンディの身長差にときめいた、あの感じだわ(笑)。
 あひくんの魅力の神髄は濃い系の役柄にあると思うクチだけど、王子様系もイケるのね。
 全体的に薄い役だからこそ、唯一のラヴシーン(手首にキス)が効果的だと思う。

 セシル@まちゃみは、きれーになったなー。「地味」という印象しかない人だったんで、さなぎが蝶になったかのよーなこの美しさにただ感動。
 ピンヒールが萌え。サングラスが萌え。メッシュのボレロが萌え。
 登場した瞬間、顔は見えなくても「美しい人だ」とわかる。
 かたくなさが解けていく姿がいい。

 エリーヌ@アリスちゃんは、姿勝ち? 病弱設定がハマりすぎ。
 でもよく考えれば、「ふつーの生活をしていた女の子が、発病して人生が変わってしまった」というより、生まれたときからずーっと病弱だったよーな風情。夢を断ち切られた、という絶望感を出すには、ほんとはマイナスだったのもしれないね。「子どものころから籠の鳥」って感じだから。
 でもはかなげな姿で歌われると、堪りませんわ〜〜。
 歌っているときと普段喋ってるときが、声というかキャラというか、別人なのは今後の課題? 歌声の方が饒舌だよね(笑)。

 ところでこの作品、2番手男役って、誰?
 老ロワゾー氏は影の主役としても、2番手は誰だ? ナシ?
 ルイス@夢大輝? いい具合にうさんくさかったけど。でも2番手ってほどでもないな。
 個人的に、2番手男役のいない作品は好きじゃないんだが(笑)、これだけ女の子をきちんと書いてくれたら、男たちの影が薄くてもいっか。

 ロワゾー一家を演じた天羽珠紀&純あいらには、ひたすら拍手。
 いちばん楽しいシーンがロワゾー若夫婦の「マトリックス・アクション」(笑)で、いちばん感涙なシーンが老ロワゾー氏のシーンという、徹底ぶり。
 4代にわたって同じ役者が演じ、それをネタにして笑いも取り、という小気味いい演出。

 従業員たちの中で、これでもかっ、というアピール度におどろいたのが、パトリック@ちぎ
 な、ななななんですか? どーしてアナタ、わたしばっかし見るの? わたしにどうしろと? わ、わたしをオトそうっていうの? ホ、ホホホ、ケツの青いガキが生意気ね……ああっ、どうしてこっち見るのよーっ、やめてよー、ど、どうしようっ。
 と、カンチガイしてうろたえまくるくらい、きらきらしやがってました。
 「オレを見ろ!」光線がすごくてね、わたしはなんかびびってあまり彼を見られませんでした……だってなんか、目が合っちゃう感じで……そーするとどうしていいかわかんなくて……どきどき。

 あんなに若くてきれーな男の子に見つめられたら、おばさん、どーしていいかわかんなくなっちゃうよおーっ。

 てなことを言っても、我が友デイジーちゃんは「ふーん」と反応が薄かった。宙担なのに、テンション低い? そりゃまあ、彼女のご贔屓は全ツとバウの後半日程に出演、あひくんバウは観る予定もなかった人だけどさ。(でも宙担だからとりあえず観て、ハマッたらしい・笑)
 ちぎくんを語ったわたしは続けて、「でも、顔が好みなのは蓮水ゆうやの方だけど」と言った。するとデイジーちゃん、一気にテンションが上がる。
「ですよねーっ、蓮水ゆうやの方ですよね!!」
 さすが、わたしと男の好みが同じ女(笑)。
 ちぎくんは興味の範囲外らしい。正当派に美形で、アイドルだもんなぁ。わたしたち的には、もーちょい地味な方が好みよねえ(笑)。

 いやしかし、すごかったよ、ちぎくん。
 おばさん、ときめいちゃった。

 そんなこんなを全部足したところで、いちばん好みの顔は、右京くんなんだがな(笑)。

 そうさ、ハンサム王子様あひくんより、アイドルきらきらちぎくんより、「やっぱうきょーさんはいいぜっ」と思いながら、あの微妙なじじいっぷりを眺めていましたよ。

 なんで右京くんは前半後半キャストのなかで、通し役なのかなぁ。月組の嘉月さんが通し役なのとは、ちがいすぎるでしょ。
 だって右京くん、だいこ……ゲフンゲフン。
 好きだから、出演してくれるのはうれしいんだけど、実力が……ゲフンゲフン。

 どんなに演技がアレでも立ち姿がアレでも、ついでに声がアレでも、いいんだっ、うきょーさんは癒し系だから。
 誰よりも先に(つか、フライング気味?)ジャンプする姿や、目が線になっちゃってる笑顔を見ると、癒されるのだ。
 降りてくる幕の下、しゃがみ込んでいつまでも手を振る姿も、かわいくて大好きだ。

 女の子たちも、みんなかわいかったなー。あー、サチ@鮎瀬美都の肩幅と胸板にも、くらくらきたなー(笑)。

 みんな役にハマって、すてきな舞台になっていた。
 この舞台が好き。この作品、そしてキャストごと。


 いちばん好きなキャラは、セシル@まちゃみだ。

 ……まともな感想を書く前に、うっかりホモ萌え話を書いてしまったがために、今さら書いても説得力ないかもしれないが。
 『Le Petit Jardin』の感想。

 わたしはどうも、孤独な女の子に弱いらしい。
 ものすげー萌えるのだ。
 せつなくなるのだ。

 孤独なだけじゃだめだぞ。

 孤独なのに、精一杯つっぱってる女の子が好きなんだ。

「あたしってこんなに可哀想なの」
 と、最初から言いふらす女は、NG。

 なにも言わずにつっぱってて、かなりきつい女に見えるけど、どこかしら孤独の影が見える。
 同情されるのは大嫌い、弱さを否定し、「バカにされてたまるか」とアゴをつんと上げたよーな女の子。

 セシルは、わたしの好みど真ん中だ。

 「父に愛されなかった」という劣等感を持つ彼女。
 まだ家族が恋しい年齢から、寄宿舎で過ごしたという彼女。……同じ寮生でも、帰る家がある子とは、根本的にチガウよね。どこにも行くところがないから寄宿舎にいる、ってのは、施設に預けられてるのと同じだもの。
 友だちの家に遊びに行ったとき、家族そろってわいわい朝食を取るのを見て以来、「朝食は取らなくなった」と言う彼女。「食事に時間を取りたくない」と言う彼女。……ひとりぼっちの食卓はあまりに孤独で、みじめだから。

 彼女を捨てた父は、シェフだった。
 なのに彼女には、「幸福な食卓」がない。

 家族で囲む、しあわせな食卓を、彼女は持たない。

 「幸福な食卓」を持たない彼女は、大学でレストラン学を専攻する。
 復讐のように、「レストラン(=幸福な食卓)」の勉強をする。
 それを否定することで、それに、すがりついている。

 知識を収め、資格を取り、理論で武装して彼女は父の遺したレストランへ乗り込む。
 「Le Petit Jardin」……父が、家族を捨ててまで守ろうとしていた店。
 彼女から父を、そして「幸福な食卓」を奪った、「レストラン(=幸福な食卓)」。

 父が愛したもの、こだわったもの、守ろうとしたもの、すべてを否定し、彼女は自分の得た知識と理論で戦おうとする。
 従業員すべてを敵に回して。眠る時間もなく、努力を続けて。

「勝ちたいのよ!」……こぼした言葉。
 なにに? 父に。

 彼女を不幸にしたものに。
 彼女を愛してくれなかったものに。

 勝つことでしか、彼女は救われない。

 そう信じて、孤独な戦いを続ける。

 
 セシルの孤独が、すげー好み。
 きつい言動をとっているけど、ほんとうはいい子なのが、あちこちでわかる。
 キッズランチのあと、ロワゾー家の子どもたちにお礼を言われたときとか、なにも知らずにエリーヌを傷つけてしまったときとか。
 ほんとうはいい子なのに、わざとそれを押し殺して「悪役」に徹する。
 そのくせ従業員たちから「悪」呼ばわりされると、内心傷ついている。

 本来の姿を曲げてまで、戦い続ける姿が痛々しい。
 そうしなければ生きていけないほど、傷だらけの心がせつない。

 セシルの敵は父であり、父の遺した「Le Petit Jardin」であり……父の意志を継ぐ男アラン@あひである。

 最初からセシルは、アランに父の姿を重ねて見ていると思う。
 アランの愛情がどこにあるのか(エリーヌとの関係)を、はじめの方から気にしているから。もちろん、アランが長身でハンサムだっちゅーのも、関係してると思うけども(笑)。

 アラン(=父)に勝つことが、セシルの目的のひとつになった。
 
 でも。 
 セシルがほんとうに欲しいモノは、父に勝利することでも、父の価値観を破壊して嘲笑することでもない。
 彼女はかたくなにそう信じているけれど。

 セシルが欲しかったのは、「幸福な食卓」だ。家族が微笑みあい、たのしく食べるおいしい食事だ。

 アランを否定したい気持ちと、彼に惹かれていく気持ちが、波のように揺れ動く。

 幸運なことにアランは聡明な大人の男で、セシルのそーゆー部分を見抜いていた。
 従業員たちがとてもわかりやすく「セシルは敵!」「セシルは悪!」と認識しているにも関わらず、彼ひとりが本当の意味でセシルを糾弾することはしない。
 セシルの虚勢の向こうにある孤独を、武装した奥でずっと上げ続けている悲鳴を、ちゃんと受け止めていた。
 だから彼は、一貫して「セシルのしあわせ」を考える。

 そりゃ、惚れるって。
 セシルがアランを愛するよーになるのは、あたりまえのことだ。

 セシルがアランを愛していることを認め、彼に愛されてはじめて、彼女は長い長い呪縛から解き放たれる。

 「父に愛されなかった」という呪縛。

 父が彼女を捨てたことは事実だろう。
 家族よりも料理と自分の店を選んだのも事実だろう。

 だけど、昔。
 たしかに、愛はあった。

 父は愛する娘のために料理を作った。
 野菜嫌いのセシルのために、野菜をおいしく食べられる料理を工夫した。
 誕生日には、特別なソーセージも作った。
 彼女の幸福のために、父はその腕をふるった。

 幸福な食卓があった。
 セシルがそれを忘れていただけ。
 否定していただけ。

 すれちがってしまったけど、別の道を歩むようになってしまったけど、父はたしかに、セシルを愛していた。

 だからこそ、「Le Petit Jardin」をセシルに遺した。
 「幸福な食卓」を、娘に遺した。

 
 セシルの孤独と、押し殺していたそれが徐々に顕わになり、アランによって救われていくところが、ものすごくときめく。

 しあわせになってほしい。
 そう思うのよ。
 この娘に、しあわせになってほしい、って。

 彼女の孤独が痛い分。

 
 もうひとりのヒロイン、エリーヌの孤独と絶望もいいんだけどね。
 彼女の場合、みんなからかわい子ちゃんキャラとして愛されてる分、わたし的に好みから外れちゃうのよねー(笑)。

 セシルとエリーヌ、愛されなくて孤独な女と、愛されていても孤独な少女、で両手に花だよ、まったく。

 アランもまた、心に傷を持っている分、いい男だしね。

 アランがエリーヌでなくセシルに惹かれるのもよくわかるし。
 セシルがアランを最初から「仮想敵」に想定していたのと同じ理由だと思う。
 アランとセシルの間には、最初からずっと「ミシェル・シャンティ」の存在がある。

 セシルにとってアランは、父ミシェルの意志を継ぐ者、すなわち現在の血肉を持った「敵」。
 アランにとってセシルは、敬愛するミシェルの娘、すなわちもうひとりの「愛すべき人」。

 ミシェルの娘がミシェルを否定し、全身針だらけになって虚勢を張って、孤独を押し殺しているのを見たら、そりゃほっとけないでしょ。
 なんとかしあわせになって欲しいと思うでしょうよ。
 しかも、名前が「セシル」、自分が不幸にしてしまった妻と同じ名前。Wパンチだよ。
 なんとかしたいと思うでしょうよ。心から。
 最初はそれだけの想いだったのが、気がついたらそれを超えて恋してたり、するでしょうよ。

 ああ、大好きだ、この展開。
 ヲトメ・ハート全開でときめくわ。

 演じているまちゃみがまた、きれーだし、うまいし。
 セシルの孤独が突き刺さるかのよーだよ。
 わーん、セシル大好き。
 出来過ぎた感のあるアランより、ずっと好き(笑)。


 いちばん期待していたのは、鈴木圭にだった。

 新人公演『長崎しぐれ坂』において。

 主演のれおんでもなければ、初ヒロインのせあらちゃんでもなく、いよいよ2番手役のしゅんくんにでもない。
 わたしがもっとも期待していたのは、演出家の鈴木圭せんせーだった。

 ラストシーンを変え、作品自体を別物にしてしまったあの震撼の『ファントム』、さりげなくカラーを変えてこれまた別作品にしてしまった『青い鳥を捜して』の演出家。
 彼ならば、この壊れきった芝居をなんとかしてくれるんじゃないかと、期待していたのよ。

 期待はずれでした。

 しょぼん。
 多少の変更はあったものの、概ね本公通り。

 壊れた話は、壊れたまま。

 なんでよ? 鈴木圭ならやってくれると思ったのに。
 やっぱ植爺がこわいの? 植爺の権力に媚びて、こんな作品になっちゃったのおーっ?!

 と、理不尽な落胆にうちひしがれてました。
 わかってるのよ、わたしが勝手に期待して、裏切られただけだってことは。鈴木せんせが悪いわけじゃない。

 悪いのは、植田紳爾だ。もちろん。

 
 さて、実際に新公を観て、自分が誰を観たかったのかがよーっくわかりました。
 オペラグラスを使うのは、南海まりと陽月華のみでした。
 そ、そうかわたし、みなみちゃんとウメちゃん見にきたんだ。野郎どもに興味ないんだ……。
 びっくり。

 とくにみなみちゃんのことは、ほぼ全編オペラでセンターに捉えてました。
 おかげで、わたしにとってのヒロインは、みなみちゃんですよ……。
 なにしろプロローグの舞踊会でも、真ん中で踊ってるし。
 みなみちゃん、新公主演おめでとー! な気持ちで見てました(チガウって!)。

 
 本公を観ているときに気になって仕方ないのが、卯之助の気持ち悪さ。
 わたしは卯之助というキャラクタが「中途半端」で「こうもり(卑怯)」で、「女っぽくて」気持ち悪かった。
 伊佐次はよくある無神経キャラなんで、腹は立つがまだあきらめることができる。
 しかし卯之助はあまりヅカのヒーローにはいないタイプで、どーにもおさまりが悪い。
 つーかわたしは、卯之助とぼらって同じタイプの男だと思うんだけど……。卑怯で卑屈で女っぽくて。
 卯之助があれほど気持ち悪い男でなければ、ここまで『長崎しぐれ坂』を気持ち悪いと思うこともなかったろう。ただ、「駄作」「嫌い」なだけで、「気持ち悪い」まではいかないんじゃないかなー。

 ところが新公は、卯之助が気持ち悪くなかった。うざい男なのは変わらないが、許せるのね。

 それは、演じているしゅくんが、あまりにも幼いからだろう。

 考え足らずの風紀委員が、不良グループのボスになってしまった幼なじみをかばおうとがんばってる、ように見えたから。
 大人の目から見ると、風紀委員のやってることは支離滅裂で、「嘘つくなら、もっとちゃんとつけよ……(溜息)」ってくらい浅はかなんだけど、本人は「完璧に大人たちを騙している! この調子で伊佐さんを守るんだ!」と腕まくりしてる。
 あー、こいつバカだけど、かわいー。
 子どもだから、世間を知らないから、こんなことを一生懸命やっちゃって、かわいいよなあ。バレバレだけど、まあ、見守ってやるか。

 突然伊佐次にコクるのも、伊佐次を捕まえようとする役人たちにわけのわかんないこと言ってみるのも、それこそ最後に「卑怯な!」と「オマエが言うか!」的台詞を叫んでも、ぜんぜんOK。
 だってこの子、もともとアタマよくないし。子どもだし。
 物事が自分の思ったように運ばなくなって、パニック起こして、逆ギレしてるだけでしょ?
 ベソかきながら走り回る姿見たら、もうなにも言えないよ。

 そっかー、いっぱいいっぱいなんだねえ。
 青春の過ちだ、少年はそうやって失敗をいっぱいして大人になるんだよ。恥をいっぱいかいて大人になるんだよ。

 バカだとは思うけど、愛しい愚かさだよ。

 ……てことで、伊佐次が気持ち悪くなかった。

 卯之助が幼くてかわいいので、無神経キャラの伊佐次@れおんもそれに引き上げられた感じ。
 素直になれない不良少年。無神経なのも、言動が分裂症なのも、若いから。まだ少年だから、わがままでも人間出来てなくてもOKだ。
 「唐人屋敷から出てはいけない」「わかっているけど、出たい」というあたりも、10代の少年の「理由なき反抗」っぽかったよ。
 してはいけないことだとわかってる。ルールを守らなくてはならないことを知っている。だけどどーにも、押さえられない青春の衝動がある。みたいな。
 おしまのことも、ちゃんと愛してるように見えたし。(本役は、愛があるよーには見えん)

 そしてこの若い伊佐治と卯之助に絡む、おしま@せあらちゃんが、なんとも妙なことになっていた。

 檀ちゃんの完全コピー。

 模写することが目的です、みたいな演技。台詞回しまでまったく一緒。檀ちゃんが声だけあててるのか?てくらい、まったく同じ演技をしてくれた。

 もちろん、模写したからって、檀ちゃんのもつ魅力やキャリアとせあらちゃん個人の持ち味はチガウ。
 模倣すればするほど、せあらちゃん自身と乖離していく「おしま」というキャラクタ。

 新公伊佐次と卯之助は本公とは別人だっただけに、おしまだけ本公の劣化コピーで、とっても不協和音(笑)。

 なんだってこんな、ものすごいことになってたんだろー?
 救いは、おしまの出番が少なく、新公では完全ただの脇役だったことかな。
 出番も演出も本公まんまだが、役者のちがいで脇役感大幅UP!

 せあらちゃんは学年とキャリアを考えれば、べつに不思議でもなんでもないことで、今回はお勉強に徹したのかもしれない。まずは型から入ろう、模倣以外考えなくてヨシ、みたいな。
 
 李花@みなみちゃんもまた、若かった。キャラ的には本役さんと同じ。でも、コピーではなく、同じキャラが若くなってる。ので、若い伊佐次には合っていたな。顔はぷくっと丸いが、スタイル最高。

 らしゃ@天緒圭花って子は、それまでわたし、まったく知りませんでした……。
 なんか、ぼーっとしたらしゃだったなぁ。合体ロボットものなら3号機、っていうか。らしゃが繊細な男の子に見えたのは、本役の持ち味だったのか。

 らしゃが華やかさに欠ける分、持っていったのがさそり@夢乃聖夏。正しいんじゃないかと。

 役の少ない芝居なんだということを再確認した新公でしたわ。
 他にもいろいろ思うところ、注目したところはあったが、文字数ないから、もういいや。

 
 出番は日舞だけのウメちゃんの美しさとかっこよさを堪能し(精霊流しでハケるときに、ひとり拍手もらってるし・笑)、あとは変キャラ爆走してる紅ゆずるを愛でて終わりました。


 全国の嶺恵斗ファンへ。

 『長崎しぐれ坂』鈴木同心は、独身だそうですよ。真面目で、女とか結婚とかに縁がないそうです。
 つーことで、客席からラヴ光線発しても、不倫にはなりませんよ。

 いや、最後の役が既婚かどうかはポイントかな、と。

 
 kineさんに連れられて、行ってきました、嶺恵斗お茶会
 お茶会参加もはじめてなら、素顔の嶺恵斗をナマで見ること自体はじめてでした。

 そんな恵斗くんファン初心者のわたし。
 なにもかもはじめてなのに、これが最後だなんてかなしすぎる……。

 そして、その恵斗くんと生まれてはじめてかわした会話が「さだまさし」だなんて、かなしすぎる……。

 わたし「さだまさし!」
 恵斗氏「さだまさし?」
 わたし「さだまさし!」

 …………これが最初の会話って………っ!!!

 はじめて見るナマの恵斗くんは、そりゃーもー、べっぴんさんでした。
 なんなんだ、あの人間離れしたスタイルは。
 信じられない小顔、長すぎる手足、内臓が入ってるとは思えない薄い身体……。
 ものすげースタイル美人。
 そのスタイルで、丸い愛くるしい顔をしている。
 舞台での彼をとくに美形だと思ったことがなかっただけに(こらこら)、美しい人だということにおどろきました。

 その美しい人が、クイズのとき1問だけわたしたちのテーブルに来てくれました。
 恵斗くんの出演した舞台ゆかりの問題を、一緒に考える、という趣向。
 わーいわーい、同じテーブル〜〜、しかも、わたしの横の席〜〜。
 浮かれるわたし。

 そのときの質問が、舞台についてのものではなく、『長崎しぐれ坂』→精霊流し→「精霊流し」という歌がある、という流れで、

Q.「精霊流し」の作曲者は誰?

 だったのね。
 若い恵斗くんは「作曲者?」と言って首をひねってる

 わたしは即答ですよ。「さだまさし!」
 まださだまさしがソロになる前、デュオ・ユニット「グレープ」のころの歌だけど、たしか作曲はさだまさしだったはず。父が「グレープ」ファンだったおかげで、わたしゃこのへん詳しい。
 つか、「精霊流し」って歌、わたしの親世代のヒット曲だよ……。
 まあ息の長いヒット曲なので、「グレープ」はともかく、さだまさし単体の曲として、ぎりぎりわたしたち世代は知ってるかな。
 わたしと同い年のkineさんも「さだまさし!」って叫んでたし。

 もちろん正解でした。
 しかし。

 たった1問だけ同じテーブルにいてくれる恵斗くん、その貴重な時間、ナマで会話ができるその貴重すぎるときに、かわした会話が「さだまさし」って……!!
 いや、さだ氏に含みはないんだが、なんか、なんか、ヘコむ……。

 つーことで、握手のときに「なにか会話をしよう」と思った。
 ひとこと挨拶して、相手が微笑んで会釈して、とかで終わるよーな単純お義理めいたやりとりでなく、ちゃんと「会話」するんだっ。
 嶺恵斗くんとの最初で最後の会話が「さだまさし」だなんて、かなしすぎるっ!!

 もちろん、他の人たちが会釈だけで握手を終わらせているなら、それに従うけど、見ればみんな、けっこー長々と話し込んでいる。
 それなら少しぐらい言葉を行き来させてもいいよね?

 だもんでとりあえず、聞いてみました。

「今回の公演のことで、質問していいですか?」
 と、まず前振りをして、承諾を得たあとで、改めて言ってみました。
「『長崎しぐれ坂』の鈴木さんって、結婚されてるんですか? それとも独身ですか?」

 恵斗氏はきょとんとしたあと、考えながら答えてくれました。

 ……同心が「独身」てのはあまり考えられないんだけどなー……ふつー所帯持ちだろー、というツッコミが脳裏をよぎったが(笑)、会話ができたこと自体にわたしゃすでに大喜び。
 恵斗くんがぁ、わたしのことを見てぇ、わたしの言葉に考えてぇ、わたしのために答えてくれてるぅ〜〜。……とゆー、あったま悪いよろこびで「るるる・ららら♪」な気持ちでした。

 最後の役だからこそ、余計にプライベートな設定を知りたかったのよ。
 恵斗くんのトークでは、「植田せんせーはなにも設定していない」ので、「今まで悪役が多かったから、ふつーの人にしようと思っている」「みなさんが思っているより、大人の役」「まだまだ試行錯誤中」、としかなかったからさ。
 植爺ほんとに、なにも考えずにただの「幕の前に1列に並んで説明台詞を言う役」としか設定してないのね……。やりにくいよね、そりゃ……。

 
 さて、ナマの恵斗くんを見るのがはじめてである以上、彼がどんな人なのか、まーったく知らないでいたんですが。
 娘役のドレスに萌え萌えで、着たくて着たくて仕方ない人だったとか、ショーとかで娘役をしたくてうずうずしている人だったなんて、知りませんでした。
 てか、似合わないだろ。姿とも、芸風とも。
 女装しても似合わない、したらファンが引く、と言われていることに、心から意外な声をあげる恵斗氏。
 
 そしてなによりすごかったのは、最後の「歌のプレゼント」。

 お茶会の最後に、スターさんが歌を歌ってくれるのはよくある趣向ですが、恵斗くんの歌は、すごかった……。

 彼は歌のうまい人ですよね。
 本公演でもソロもらってる人だし。
 ダンスはアレだが(笑)、歌と演技はうまい人。とゆー括り。

 わーいわーい、歌がナマで聴ける〜〜、うれしー。
 と、思ってたんだが。

 …………歌って、くれませんでした。

 いや、歌いはじめてはくれた。
 ただ、最後まで歌ってくれなかった。

 なんなの、あれは〜〜(笑)。

 数年前のエンカレで歌った歌だとかで、機嫌良く歌い出したのだが。
 すぐに、「あれ?」「……あれ?」と、歌詞がとび、わけがわからなくなった。
 で、「もう一度歌っていい?」と、再度はじめから歌い出す。

 が。
 やはり、途中でわけがわからなくなり、歌えなくなった。

「おかしいなー、歌えると思ったんだけど。けっこー、歌詞抜けるのって早いんだー」

 とか言って笑ってますよ、この人!!

 人前で歌うことがわかってるなら、事前に練習しないか? 今日の公演中、お化粧替えのときでもお昼ごはんのときでもいいから、なにかやりながら歌ってみるぐらいのこと、何故しない?
 事前に1回歌うことすらできないほど忙しいというなら何故、あらかじめカンペを用意しない? 歌詞カード見ながら歌ったって、ぜんぜん問題ないのに。

「感動させようと思って、この曲にしたのに」

 とか言ってますよ。
 そんな小細工する気があるなら、お風呂で1回ぐらい歌ってこいよ。なまじ歌える人だから、練習なんかいらないと思ってたんだ?
 感動させるつもりが、爆笑されてますよ。

 こーゆー人だったんだ……。
 て、天然……?

 もちろん、かわいいのでOKです!(鼻息)

 
 わたしとkineさんは、最初から最後まで、「もったいない」と繰り返し続けてました。
 嶺恵斗の旬はこれからだと思うのに。
 辞めてしまうなんて、もったいなさすぎる。


 友人のモリナカ姉妹が、『長崎しぐれ坂』にハマって、機嫌良くリピートしているらしい。

 彼女たちとわたしは、およそ趣味嗜好が乖離していて、同じモノにハマることはまずない。
 それはわかっていたが、さすがにモノが『長崎…』だったので、どのへんがいいのか、真面目に聞いてみた。

「だって、ワタルくんがかわいいんだもの!」

 即答だった。

 え、えーと。
 でも、作品壊れてない?

「植田作品が壊れてるのはあたりまえでしょう? どうせワタルくんしか見ないからかまいません」と、姉。
「えっ、作品壊れてるんですか? 気づきませんでした、だってワタルくんしか見てないし」と、妹。

 グレイト! イッツ・ファン魂!!

 脱帽。完敗です。これ以上の答えはない。

「どういう話なのか、いまひとつわかってないんですけど、とにかくワタルくんがかわいいから」それだけで、妹さんにとっては観る価値があるそうなんだ、『長崎しぐれ坂』。

 ただ、姉は初見では激怒していたらしい。

「どうして、ワタルくんの腕の中で死ぬのがトウコちゃんじゃないの!!」

 なんで轟出てんのよ! と、お怒りだったとか。

 それに対し、温厚な妹は、

「まあまあ姉よ、そんなに怒るな。トド様ではなく、アレをケロちゃんだと思って観てごらん」

 と、諭したそーな。
 すると姉の機嫌は直ったらしい。「そうよ、轟なんて出てないわ。アレはケロちゃんなのよ!」と。

 
 この話を聞いて、ケロファンのわたしは頭を抱えたんだが。

 トドはダメで、ケロならいいのか……。
 ワタルファン、おそるべし。

 それを言うと、同じくワタさんファンのkineさんは苦笑していた。「わかる気がする」と。

 ワタさんファンは、ワタさんの男前ぶりに惚れていることが多い。
 包容力だとか、度量の大きさだとか。
 そしてそれは、男役が相手でも抱擁してしまえるくらいの、男前さとして表される。

 トウコちゃんやケロちゃんなら、ワタさんの「相手役」として抱擁してしまえるのだ。
 ヒロインとして、成立するのだ。

「でも、トド様じゃヒロインになりませんからねぇ。そりゃ嫌でしょうよ」

 と、kineさんは考察する。

 なるほどなー。
 トドはたしかに、ヒロインじゃないもんな。あくまでも「男」としてワタルくんの前に立つ。
 そんな「男」を抱擁しても、ヲトメとしてはときめかないんだ。

 
 とゆー話をしていた矢先、わたしはハイディさんと一緒に2回目の観劇をした。

 
 トド様の演技が、変わっていた。

 脚本が壊れていることは、彼もわかっているのだろう。
 伊佐次を自己中迷惑男にしないために、演技を変えていた。

 植爺ならではの無神経な台詞とかを、初日ほど強く言わない。壊れた部分はやわらかに流し、それ以外の部分を強く打ち出している。
 そして、壊れた男の壊れた物語だということを踏まえ、壊れていても許してもらえるよーに、かわいい演技をするよーになっていた。
 きつい、荒い、かっこいい、ことをいちばん表現していた初日と、チガウ。
 「男のかわいさ」を押し出してますよ……。「憎めない部分」を、アピールしてますよ……。

 ええ、とどのつまり。

 伊佐次@トド様は、ヒロインとして、開眼してました。

 トドロキ、あーた自分をヒロインだってわかって演じてるねっ?!
 初日ではふつーに「俺が主役」「俺がヒーロー」ってやってたくせに。
 ヒーローの座をワタさんに譲り、自分はヒロインとして立場を自覚したね?

 トドロキの受っぷりが段違いに高くなってて、びびりまくりました。
 なにかわいこぶってんだよ、あーた……。
 甘えるな甘えるな、ワタさんに甘えてんじゃないわよーっ、なによその上目遣い〜〜。

 ……すいません、所詮トドファンなので、ヒロインしているトド様が気色悪くもあり、かわいくもあり、うろたえております。

 
 『長崎…』が気持ち悪い壊れた作品だということは変わらないんだが、伊佐次がヒロイン化したことによって、大分観やすくはなってました。

 ははは……もー、どうしたもんかなー、コレ……。

 
 なんにせよ。

 轟理事までヒロインにしてしまう、ワタさんの男ぶりには、感服する所存です。


 初日に観劇し、その無神経さに絶望した作品、『長崎しぐれ坂』

 『天使の季節』とかと同じ駄作っぷりと無神経さなんだが、世の評判はチガウらしい。

 kineさんは、「生きにくい世の中だ」と、悲しげにつぶやく。

 うん。
 価値観はひとぞれぞれなので、『長崎…』が「佳作」だと思い、感動して泣いてくれてぜんぜんかまわないが、ただ、生きにくい世の中だとは思うよ。

 『長崎…』を「よい作品」だと評するのって、テレビドラマとかにもよくあるパターンなんだよね。
 恋愛ドラマで、ヒロインが恋に悩むあまり、会社に遅刻する。嫌味な上司が、ヒロインをねちねちと叱責する。
 ここでドラマは何故か、ヒロインを「善」、上司を「悪」として表現する。悩み傷ついているヒロインに、ひどい態度を取る上司を「思いやりのない、無神経な人」と描く。
 いやあの、なにに悩んでいようと、遅刻したのは事実だから! ルールを破ったのはヒロインだから! それを叱る上司はあたりまえのことをしているだけだから!
 ……とゆー「歪み」。
 価値観、世界観が、歪んでいるの。
 なのにそんなドラマが、高視聴率を取り、「ヒロインの切ない恋愛」に視聴者が号泣していたりする。

 たとえば、「がんばっている」ヒロイン。他人の迷惑おかまいなしで、スタンドプレイしまくったり、妙な人情を振りかざして、周囲の人をかき回す。
 だけどそれはすべてゆるされる。だって彼女は、「がんばっている」んだから。こんなに一生懸命な彼女を、悪く言うなんてどうかしてる。
 「一生懸命」は免罪符。オールマイティ・カード。そんな「歪み」。
 いやその、たしかにがんばってるし、寝る間も惜しんで働いてるのはわかる。でも、はっきり言って迷惑だから。がんばってるのは君の勝手であって、他人に迷惑かけていいわけじゃないから。
 なのに、そんなヒロインのがんばりに、視聴者は涙を流して感動する。

 たとえば、チーム全員で用意してきた企画の大切なお披露目シーンで、「やっぱりこのままじゃいけないわ。この企画には心がこもってないんです! いちばん大切なのは心よ!」とか言い出して、お披露目をぶちこわす。でも、それが正義、それが美談。
 そうよ、心のこもっていない儲け主義の企画なんて罪悪よ。「目が覚めたよ、やっぱり初心に戻って、誠実な企画を立てよう」とかゆー展開になる。
 いやあの、そりゃ正論カマして盛り上がってる君らは気持ちいいかもしれないけど、それに携わってきた多くの人たちの迷惑は考えないの? 自分たちさえ「正義」で「潔癖」なら、他人に迷惑かけてもいいの?
 とゆー「歪み」。
 なのにヒロインの心の美しさに、視聴者は涙を流して感動する。

 なーんて話をすると、「ひとは誰だって過ちを犯す。あなたはただの一度も失敗やミスをしないの? 誰にも迷惑をかけずに生きているの?」とか、よくわかんない切り返しをされたりする。
 あの、論点ずれてます。
 ヒロインが失敗することや、ひとに迷惑をかけることに対して「歪んでいる」と言ってるんじゃなくて、「一生懸命だから、失敗してもいい」「人情的に正しいことを言っているのだから、他人に迷惑をかけてもいい」という価値観を「歪んでいる」と言ってるの。
 「正義だから、なにをしてもいい」ってのが、わたしは生理的にダメ。

 たとえばついうっかりいねむり運転して交通事故を起こしちゃったして、「仕方ないんです、だって彼女はいつもこんなに一生懸命で」と言っても、通らないでしょ? 一生懸命だからって、事故を起こした事実は消えない。
 なのに多くのドラマでは、ヒロインを「正義」として描くために、「一生懸命に生きて、たまたま、仕方なくミスをしただけなのに、それを責める人がいたら、その人が悪」という描き方をする。
 交通事故とかリアルな問題に置き換えて考えたら、ものすげー気持ち悪い歪んだ価値観。
 かんばりすぎてうっかりミスをしてしまうことが悪いんじゃなくて、それを「正義」として描くことが、気持ち悪いの。

 植田作品の多くは、この歪んだ価値観が前面に出ている。
 主人公だけに都合がよく、彼の言動に合わせ、世界が歪んでいる。
 そして大抵、その歪んだ主人公は、美しげなことを言う。「愛」「正義」「人情」など、その概念自体は正しく美しいものだから、観客は誤魔化されてしまう。
 「愛」「正義」「人情」が人間として正しい概念だということは、みんな知ってるから。それを掲げている主人公を「正しい」と錯覚する。
 正しいことをしているのに、不幸になる主人公に涙してみたり、美しいシーンに感動したりする。
 いわば、「愛」とかの概念は「道具」なんだよね。だって登場人物はみんな、「愛」を掲げてはいるけど、客観的に見ればやっていることはまちがったことばかりなんだもの。どこが愛? それってただの、自己愛じゃあ? みたいな。

 まちがったことをしているのに、それが正しいことに変換されている世界観が、気持ち悪い。

 『長崎しぐれ坂』も、そりゃーもー、この気持ち悪さ全開で、遠い目をしてしまったよ。

 まちがったことを、「まちがっている」とわかって描いてくれれば、それで問題はないんだ。
 まちがっていることはわかっている、それでもなお、そうせずにはいられない人間の姿を描いてくれれば。

 しかし植爺の脳内世界では、「正義だから、なにをしてもいい」んだろーなー。
 正義の名の下に行うことは全部「正しい」から、まちがっていることなんて存在しないの。

 卯之助の腕の中で伊佐次が死んで、せつなく盛り上がってるからそれで全部OKなんだよなー。
 「愛」「友情」「人情」、そーゆー美しいものさえあれば、それだけで全部OKなんだよなー。

 ほんと、生理的にダメだ。

 そして、この歪んだ地平で展開される物語を「感動的な物語」と評する世間に、つらいものを感じるんだわ。

 
 もちろん、それが愛しくもある。
 「愛」「友情」「人情」、「努力」「夢」、そんな美しげなものを連呼してさえいれば、それだけで感動してしまう「人間」というものが。

 『長崎…』を観て泣いている人たちはきっと、いい人たちなんだろうなあ。
 純粋で、言葉の裏ととか考えたりしない、ふつうにいい人たちなんだろう。

 でも、わたしの周囲がそんな純粋な人ばかりだったら、つらかったろうなと思う。

 kineさんとふたりして、初日の幕間に絶望していた。
 この気持ち悪い芝居、大好きな星組で上演されて、これからどうしよう? これに通うのか? と、悲しんだ。

 でもさ、不幸中の幸いだったよね。
 お互い、この作品に絶望出来る者同士で。
 これで片方が感動して泣いてたら、なにも言えずに全部腹の中に押し込むしかなくて、ストレス溜まっただろう。
「タカラヅカらしくないから、ちょっと苦手かな」
 とか、さしさわりのないことを言って、お茶を濁しただろう。
 ヅカらしくなくたって、歪んだ地平でさえなけりゃ、そしておもしろければ、ぜんぜんアリだと思っているけど、そこを理由に挙げるしかないわな。

 そしてわたしが、ホモならなんでもヨシ!ぢゃなくて、よかったね(笑)。
 ホモは好きだが、野郎ふたりでもさぶでも許容範囲だが、歪んだ地平のうえで抱きあう野郎ふたりは、×なのよ。

 絶望を語れる相手がいて、よかったよね。


 宙組バウホール公演、『Le Petit Jardin−幸せの庭−』真面目な感想を書くつもりだったんだけど。

 この物語について、ショックなことがあったので、先にそちらを書く。

 実は今日は31日で、星新公に行っていたりしたのだけど。

 新公を観たあと、デイジーちゃん、kineさん、nanakoさんという、前回の花新公のときと同じメンバーで食事をしていたのね。

 んで、『Le Petit Jardin』の話になって。
 わたしはごくあったりまえに、いつものように、ほんとにふつーの気持ちで、言ったのよ。

「いい作品だったよね、ホモ萌えもあったし」

 なのに、反応がおかしいの。

「ホモ萌え? あの作品のどこに?」
「ありえないでしょ?」

 なんつー返事しかないの。

 へ?
 なんでなんで?
 わたし、ふつーに萌えて観てたんですが?
 みんなうっかりさんだなあ、あんなにわかりやすい萌えに気づかないなんて。
 んじゃ、教えてあげるわ。きっとみんなも、「ああ、たしかにアレはホモよねっ」と同意してくれるにちがいないわ。

「まず、あひちゃんは受よね?」

 あ、あれ? 基本的な確認事項だったのに、なんで同意が返らないんだ?

「でもって、ミシェル・シャンティとデキてたのよね?」

 あ、あれ? 基本的な確認事項なのに以下同文。

「『Le Petit Jardin』って早い話が、“未亡人奮戦記”よね? 未亡人、つーかミシェルの愛人だったアランが、亡き夫の意志を継いでその店を守っていた。がそこへ、正妻の娘セシルが現れてなにもかもめちゃくちゃにしようとする。セシルは愛人にかまけて家庭を顧みなかった父のせいで心を閉ざしていて云々、とゆー」

 同意が返るはず、と、意気揚々と語ったのに。

 何故なの? どーしてみんな、テーブルに突っ伏してピクピクしてるの?!

「屍累々ですよ」
 と、kineさんだっけかに冷静に言われてしまう。

 しかばね……って、そんな。

 なんで倒れるのよ? ものすげー理にかなった話をしたはずだったのに?!

「あの美しい話を観て、そんなヨゴレたことを考えてたんですか!」
「思いませんよ、ふつー」

 喧々囂々。
 盛大に却下される。

 えええっ?! 誰もが納得するホモ話だと思ってたのに?!

 ここに同志かねすき嬢がいたら、きっと同意してくれたはずだわ……そうよね、かねすきさん。
 わたしだけじゃないよね?

 おどろきました。
 いや、マジで。

 みんな、アレ観てミシェル×アランとか思わないんだー。
 アランはことあるごとに、ミシェルへの愛を語ってたじゃん。妻を失ってボロボロのときに、ミシェルに救われて、そのまま恋に落ちちゃったんでしょ?
 セシルだって、ミシェルの娘だからって、最初から特別視してんじゃん。死んだ妻と同じ名前、なんて理由より説得力あると思うけどなー。

 知らなかった……気づかずに観ていたにしろ、説明さえすれば「たしかにそうね!」ってみんな同意してくれると、本気で思い込んでたよ……。遠い目。

 
 さて、ミシェル役は誰がいいかなー、専科のオジサマよね。
 ヒロさんかソルーナさんあたりだといいなあ。
 宙組内でなら、なんといってもまりえった。
 うっとり。

 
 いや、もちろん、真面目に観てるし、感動してるのよ、ホモ以外でも。
 わたしにはいろんなチャンネルがあるから、ホモ萌えチャンネル以外では、ふつーに男女モノとして、ヘテロ作品として、たのしんでますから。

 真面目な感想を先に書くはずだったんだが。
 あまりにびっくりしたんで、ホモ話が先になってしまった……。


 まだ書いてない日記ばかりだが、先にこちらを書く。

 宙組バウホール公演『Le Petit Jardin−幸せの庭−』を観に行こう運動だ!!

 良くも悪くも、ものすげー植田景子ッ!って感じの作品。
 お洒落、きれい、ハートフル、繊細で精密。
 そして、薄い。
 きれいな線で描かれた少女マンガみたいな世界。

 今までの景子せんせ作品が好きな人は絶対観るべし!!

 なにしろわたし、プログラム買っちゃったもんよ……。
 ふつー、そんなもん買わないのに。ゆーひバウをのぞけば(ゆうひくんに関してはなんでも買うのでノーカウント)、、バウプロ買ったの、『NAKED CITY』以来だよ。

 今ちと時間がないので詳しい感想は書けないが、みんな、是非是非宙バウを観よう!
 平日がおすすめだ! てゆーか、平日行こうよ。みんな、平日はバウに行くんだ。

 …………マジで客席半分、赤かった…………。

 び、びっくりした。
 時間が出来たので、ふらりとムラまで行き、「バウの当日券ください」ってカウンターで言ったらね、すごい座席表が出てきたのよ。空いている席だけ色が塗ってある、あの座席表な。
 チケット買ったあとも、何度も何度も、振り返って見ちゃったよ。我が目を疑ってな。

 ありえねー、と思いつつ、客席に行くとだ。
 ほんとーに、人がいなかったよ……はじめて見た、あんなの。

 『聖者の横顔』(主演・彩輝直)を超えた。

 『聖者』のときもね、信じられなかったんだけど、客席真っ赤で。バウであんなに席が空いてるの、見たことなかったからうろたえたんだけど。
 わたしの長いヅカヲタ人生最大の不入り作だったんだけど。

 それ以上だったよ、『Le Petit Jardin』。
 
 『聖者』もね、作品よかったんだよ……わたしゃリピートしたさ。
 『ラ・プチ』も、作品いいんだよ……なのに、何故。

 
 主役のあひくんはめーっちゃかっこいいし、ヒロインまちゃみはきれーだし、もうひとりのヒロインありすちゃんもかわいいぞっ。
 フィナーレもあるし、客席降りもあるから、みんなで行こう、宙バウ。

 わたしは大好きな右京くんが、客席降りのときたーっぷりとわたしの真横でわたしだけに微笑みかけてくれたので、舞い上がりました。
 うきょーくんだけじゃなく、みんな横に来るとわたしだけ見てくれるのっ。

 だってわたしのいた列、客はわたしひとりだったんだもん!! とーぜん後ろは誰もいないやね。

 ははは……は、は……(遠い目)。

 はなはなさん、うらやましーでしょー、うきょーさんが、わたしだけに笑いかけてるのよー、ほほほ。(と、話をいきなり振ってみる)

 
 とってもしあわせな作品でした、『Le Petit Jardin』。
 おすすめ。

 くわしくはまたいずれ!
 萌えもあるんだ、萌えも!!(笑)


 出勤するなり、

「昨日は、聖地巡礼しに行ってたんですか?」

 と、言われた。

 わたしはどこでも平気でカミングアウトしていて、「タカラヅカファンです、チケットあったらよろしく、どっかにツテあったらよろしく!」と触れ回ってます(笑)。
 今のバイト先でも、早々に「ヅカファンですんで! 来週ヅカ観に行くために休みます、すんません」と言っていた。

 そしてなんでかなあ、ムラに行くことを「聖地巡礼」という表現をするようになったのだよ。

 わたしが言い出したおぼえはないんだが。
 バイト仲間の誰かが言ったのかな。

 おかげで、
「緑野さん、明日、飲み会なんだけど」
「ごめん、明日は聖地巡礼なんで無理」
 てな会話が、ふつーに成立している。

 で、火曜日に出勤して。
 月曜定休、週4日勤務のバイト仲間がわたしの顔を見るなり「昨日は、聖地巡礼しに行ってたんですか?」と聞いてきた。

 は? 昨日の月曜日はわたしふつーに、ここで働いてましたよ?

「昨日の新聞に、なんとかいう人が退団したって出てたから。緑野さん、行ってたのかなと思って」

 あー……なるほど。

 月曜日の新聞に退団記事が載っているわけだから、退団したのはその前日の日曜日ですよ。
 だから、「昨日、聖地巡礼」てのはおかしい。
 それにその記事の場所は、東京宝塚劇場であって、ムラではない。

 ヅカになんの興味もない一般人は、新聞記事ひとつでこれだけぽーんと誤認するんだなー。

 と、新鮮でした。

 
 「なんとかいう人@バイト仲間の表現」が退団した。

 そう、彩輝直、さえちゃん。
 もう会えないんだなあ、と、しみじみ思う。

 結局退団公演はろくに観ることが出来なかった。
 とても残念だ。
 ナマモノの常で、公演はあとになればなるほどヒートアップし、レベルアップしていっていただろうから。

 だけどわたしは精神的に余裕がなくて、故意に『エリザベート』を避けていた。

 わたしにとっての『エリザベート』は、ムラ初日のままだ。

 あの緊張感。
 そして、手の届きそうな目の前を、厚みのあるリアルな身体で歩いていった、トート閣下。

 がけっぷちのギリギリ感で異様な空気に包まれていた、あの「生まれたばかりのトート」が、わたしにとってのさえちゃんトートだ。

 ムラでは大楽も観たけれど、それよりやはり、最前列で観た初日の方が印象が強い。

 それでいいのかもなと思ってる。

 わたしにはわたしの思い出と、見送り方があっていいだろう。

 あの緊張感は、心に封印するにふさわしいものだった。

 ありがとう、さえちゃん。

 
「退団したなんとかさんは、彩輝直っていって、とてもきれいな人だったのよ」

 新聞記事を見て、わたしのことを思い出してくれたバイト仲間に、わたしは説明する。
 もちろん彼女は興味がないので「ふーん」と言って聞き流しておしまいでしたが。


 わかりやすく悪役お嬢様キャラに成り下がっていたアリソン@音乃いづみ。
 この女が相手じゃそりゃあ、心変わりは仕方ないや。
 と、ウィリアムの不実ぶりが気にならなくなる。

 そんな素敵な全ツ版『ホテル ステラマリス』

 格が下がったのは彼女だけではありません。
 もうひとりいる。

 アレン@タニ。
 小物感漂う彼は、ステイシーの幼なじみの婚約者。ステイシーの気持ちを察し、自分から身を引くのだが、こちらもなんかわっかりやすく安い男になっている。
 ステイシーを愛しているのはたしかだろうが、ぜんぜん彼女に釣り合ってない。気持ちはわかるけど君、親の力で婚約してもしあわせにはなれないよ、やめておきな、と肩を叩きたくなるような男の子だ。
 この子が相手じゃそりゃ、ウィリアムに恋しても仕方ないよな、ステイシー。
 と、納得させてくれる。

 大劇版では、アリソンとアレンが共に「いい女」「いい男」であったために、ウィリアムとステイシーがくっつくのがわかりにくかった。
 4人の男女が対等であったがために、複雑で、そのくせ人間模様を突っ込んで描写しない、おさまりの悪い物語になってたんだ。

 全ツ版では「恋敵」の位置にいるアリソンとアレンの格を下げることで、物語をわかりやすく整理した。

 この変更は、感心したよ、素直に。
 脚本をなにひとついじらなくても、アリソンをきつくするだけで、そしてアレンをタニちゃんにするだけで、こんなに変わるんだ。(なにげにタニに失礼な言い方。だがそれがタニちゃんの個性だと思ってるのよ)
 タニちゃん、わりとふつーになっていて、ほっとした。TCAのときは、痛々しくて見てられなかったからなー。少しは落ち着いたのかな?

 
 いづみちゃんのアリソンが、とにかくこわくて(笑)。
 わたしが震撼していると、「初日は、もっと怖かったですよ(にっこり)」と、デイジーちゃん。
 あれよりなおこわかったって、どんなんや、音乃いづみ。

 おたのしみのガイ@七帆くんは、とっても地味でした。
 ははは、お笑いトンデモキャラというよりは、ぜんぜんふつーの範疇。七帆くんが地味に小さく演じているもんで、役の大きさが逆転してました。すなわち、リンドン>ガイ。
 銀橋がないのも大きいな。ひとりで歌いながら銀橋を歩けば、嫌でも「特別な人が演じている、特別な役」だとわかるけど、全ツはソレがないから。
 ガイよりリンドンの方が、番手が上の役に見えたよ。
 がんばれ七帆!

 ガイというキャラのはじけっぶりは、タニ>ちぎ>七帆ですな。
 タニちゃんはやりすぎて銀河系飛び越してたし、七帆くんは地味すぎ。
 新公のちぎくんがいちばんよかった気がする。タカラヅカの二枚目男役の範疇で、愉快キザりキャラだったから。

 ガイがあまりにふつーの人なんで、リンドン@和とのやりとりが、ふつーにヒューマンドラマ化していて、別世界でした。
 いやべつにわたしは、ガイがうっかりリンドンに惚れちゃったために、彼の味方になったでも、ぜんぜんかまわんのですが。
 ガイ×リンドン、あくまでも七帆と和で! 萌え〜〜。
 
 全ツ版『ステラマリス』はいい感じに、こじんまりまとまっていたよ。
 

 で、ショーの『レヴュー伝説』ですが。
 なんやかんやいってわたし、このショー好きやねんなあ(笑)と、思ってみたり。
 たかおさん好きだし、花ちゃん好きだから、それだけでたのしいんだわ。

「オーレリアン様の出番、増えてますよ(笑)」
 と、デイジーちゃんが笑っていた、客席いじりするオーレリアン様も素敵。いいなあ、いじられたいわー。
 

 わたしが愛する「タカラヅカ」というもののシンプルなカタチが、タカハナにはあるの。

 王子様なトップスター、それに寄り添う可憐な娘役トップスター、トップコンビを中心にした完全なるピラミッド。
 タカラヅカはタカラヅカである以上、絶対に美しくなきゃダメだ。
 夢を見せてくれなきゃダメだ。

 タカハナは、ほんとうに美しく、夢を見せてくれるトップコンビだ。

 ジジ@花ちゃんが、ほんとーにかわいくてねえ。オーレリアン様@たかこがほんとーに素敵でねえ。
 ふたりの物語を素直にたのしんだ。

 泣いちゃったよ、ジジが死ぬところ。

 レヴュー星人とやらのオーレリアンは、ものすげー上の部分から「可哀想な地球人の女の子に夢を見せてあげよう」な立場にいたのにね。
 気がついたら本気で恋して、「可哀想」「してあげよう」なんてふうに見下していた女の子の死を、悲しんでいる。
 慟哭するでなく、取り乱すでなく、運命を受け入れながらもたしかに変わったオーレリアンに、泣けたよ。
 もちろん、ジジがあまりにいたいけだからこそ、そこまで感情移入できたわけだけど。

 だからこそ、そのあとふたりのデュエットダンスの美しさを、「よかったねぇえ」という気持ちとともに、感涙しながら観ましたさ。

 
 でもさ、デュエットダンス、多すぎ。

 水くんがいなくなることで、水くんの役自体がなくなっていたことに、トホホな気持ち。

 そっか……いなくてもいい役だったんだね、トト隊長。

 なんで、役替わりじゃダメだったの?
 トトを七帆くんにやらせるわけにはいかなかったの? べつに和くんでもいいけどさ。
 トトとゆーキャラをなくし、トトのいた場所、役割を、すっしーと七帆で分けるって、なんで?
 タニちゃんはしょーがないよ。水しぇんの役割を担うのは当然。
 しかし。

 何故そこで、すっしーなんだ……。

 すっしーは好きだし、大切にして欲しい大人の色男だと思ってるけど。

 たのむよ宙組、若手に出番をやってくれよ。

 タカハナと心中するつもりですか、宙組。タカラヅカ90年の伝統、5つめのもっとも新しい組。
 若手を売り出さず、上級生だけで回していく組、その上級生たちが辞めたあとは、いったいどうするつもりなんですか……。

 全ツでスターが少なくなっていてさえ、若手には出番をろくにやらないんだ……。すげえや。

 ほんのわずかに七帆や和が使われているのを見て、よろこぶけど……それにしても、ふつー以下の扱われ方なんだもんなー……それでもよろこんでしまうくらい、出番ないんだもんなー、宙組って。

 わたしはタカハナ好きだけど、そしてタカラヅカはトップスター中心主義であるべきだと思っているけど、宙組はバランス悪すぎるよ。
 トップスターを中心に、若手の台頭をたのしむのがタカラヅカなのに。

 
 あとは、暁郷のオカマのミンキーモモを堪能。やっぱGOを見なくちゃね!!


 宙組全国ツアー公演『ホテル ステラマリス』、あなたは観に行きますか?

 あー、『ステマリ』なぁ、もうムラで何回か観たからなぁ。十分堪能したから、べつに観なくてもいっかぁ。

「役替わりがありますよ?」

 タニちゃんでしょ? いいよ、べつに……。

「アレンは、たぶんタニでしょう。問題は、ガイが誰かってことです」

 えーと、誰になるんだ? てゆーかわたしゃ、誰が出るかも知らないし。

「候補は順当に行けば、七帆、和あたりですね」

 あー、七・和出るんだー。それはいいねえ。
 順番で行けば七かな?

「でも、全ツにははっちゃんも出ますから。宙組には初嶺マジックというのがあります。ドラマシティの『箱男』、全ツの『風共』で、何故か今さら路線でもない上級生が、2番手娘役をやったりする、謎の配役。はっちゃんがいる限り、他劇場公演で若手男役に役が付く日はこないかもしれません」

 若手を売り出さなくてはならない時期に、何故か大事にされまくる上級生……。
 もちろん、上級生は大切にされるべきだけど、若手路線の見せ場を奪うのはまちがってる……。

「あと主立った役は、リンドンぐらいですね。ガイとリンドンを、七・和で分けるのが正しい配役だとは思いますが……リンドンが似合うのは七の方ですね。性格的にもキャラ的にも、ガイはきついでしょうから」

 ガイとゆーと、あのナチュラル・ボーン・ハンター、トンデモお笑いキャラだよね。
 たしかにそれを七帆くんにやれというのは、酷な気もする……。

 そしてリンドンは、シリアスな大人の男。七帆くんはハマりそうだ。

 てな会話を、宙担のデイジーちゃんとうだうだやったあと。

 わたしの結論。

 ガイが七帆だったら、観る。

「だから、七はキャラ的にガイよりリンドンなんですってば」

 だから、ガイが見たいんだよーん。七帆のリンドンなんか、見る前から想像つくよ。

「じゃあ、リンドンは和でいいんですね」

 それも想像の範囲内で、つまんないなあ。

「誰ならいいんですか?」

 リンドンが暁郷だったら、見る。

「GOですかっ!!」

 リンドンの暁郷。
 想像するだけで愉快じゃないか。
 絶対ものすげえ、濃いぞぉ。顔ゆがめまくって、苦悩しまくるぞぉ。

「ありえないと思いますが……暁郷の配役次第で、観るかどうかを決める人がいるなんて!!」

 いや、そんなに愕然としなくても。
 七帆くんがガイなら、観るってば〜〜。あの表情少ないぼーっとした男の子が、あのトンデモキャラをやるなんて、ものすげー愉快だから。

 
 つーことで、観に行きました、『ステマリ』全ツ版。
 目当ては、ガイ@七帆。

 GOは残念ながら、十の役でしたね。その役は、新公でやったからもういいんやってば……。
 イロモノとしてじゃなく、美形役を見たかったのよ、GOで(笑←笑うのか)。

 
 正塚作品の再演を他劇場で観るときいつも思うことだが、人数も劇場の大きさも、とっても適正。
 中劇場と半分のキャストで十分な話なんだよなー、正塚作品って。

 小さな劇場で観れば、この意味もストーリーもろくになく、ただみんなで歌い踊りまくる作品は、けっこーたのしいんじゃないかな。
 後ろの席からでは、ただのモブシーンの連続にしか見えないからつらいのよ。
 前方席&小さな劇場なら、ひとりずつのキャラや小芝居がわかってたのしくなると思う。
 まあそれでも、ストーリーなさすぎなんだけど。
 
 
 それにしても。
 いやあ、いい感じに変化がありましたねっ。

 ストーリーも展開も同じなんだけど。
 アレンとアリソンが別人なんで、いい感じに、主役のオダネルさんとステイシーの恋愛が際立ってました。

 大劇版のウィリアム・オダネル氏の、もっとも引っかかる部分は、「婚約者への不誠実さ」だった。
 てめえで惚れてプロポーズした女のことを、簡単プーに捨ててしまえるいい加減さが、理解できなかった。そこのところをちゃんと描いてなかったからさ。
 アリソン嬢は可哀想に、なんの落ち度もないまま、プライドずたずたにされて衆目の元捨てられるのだ。

 ところが、この全ツ版のアリソン@音乃いづみ。
 めっちゃわかりやすく、嫌な女なのっ!(笑)
 すげえよ。
 キツイのなんのって。
 回想シーンからして、イタタなまでのいぢわる系お嬢様爆裂。そりゃまあ、このテの女がかわいい男もいるだろーけどさ。こんなきっつい女が、自分に惚れてると思えば、いい気分にもなれるかもしれんし。
 にしても、アリソンの第一印象は、こわっ!!だった。

 なによりすごかったのは、ステイシーとウィリアムが抱きあっているのを目撃したあとのシーン。

 ホテル売却でショックを受けて、ふらふらなステイシー。そんな彼女がけなげにも、「ホテルを潰す敵」であるアリソンに対し、
「ようこそ、ステラマリスへ」
 と言う。
 ステイシーという女の子の性格、ホテルへの愛と誇り、そーゆーものが表現されている台詞で、ムラ版で観たときはとても感動した。ここでアリソンに「ようこそ」と言って微笑むことができるステイシーに。

 なのに、全ツ版アリソンってば。

 このけなげな「ようこそ、ステラマリスへ」の台詞の途中で、プイッと視線はずして、ウィリアムに話しかけるのよ!!

 う・わー……。

 痛い。
 これは、痛い。
 倒れるくらい精神的にまいってるステイシーが、それでも愛と誇りをこめて言った台詞を、無視かい。

 死にかけた人間に、とどめさすくらい、すげー攻撃だ。

 このときのステイシーの傷ついた顔がまた、絶品でねえ。

 そしてこのいぢわるアリソン、これみよがしにウィリアムにいちゃつくのだわ。

 ホテル閉鎖、それでも持っていた誇りすら踏みにじられ、そのうえ、ひそかに愛していた男も持って行かれ……ステイシー、ボロボロ。

 も、萌え。
 これでもかと傷つけられ、踏みにじられるステイシー、萌え。

 そして、そんなステイシーを黙って見つめるオダネルさんに、萌え。

 立場上、あそこでステイシーに手を差しのべられないのよね。それがつらくて、すっげー無表情なんだよね。
 わりとやわらかな性格だってことがわかっているから、ステイシーがいちばん傷ついているところで、オダネルさんが無表情で淡々としているのが、ヲトメ心を刺激するのよ。

 わたし、ヒロインや受が精神的に追いつめられる話、好きだからさー。痛い系の話、好みだから。
 この展開は、すげーうれしい。

 アリソンがわかりやすくキツイ女だから、オダネルさんが彼女ではなくステイシーを愛してしまう気持ちが、わかるのよ。
 エリート志向でバリバリやっていたときは、アリソンみたいな女を征服するのがたのしーだろーけど、それ以外の生き方を考えたときには、とてもじゃないが、あの女とは一緒に歩けないだろう。

 ムラ版アリソン@かなみちゃんは、名実共に「いい女」だったから、なんにも悪くない彼女が捨てられるのがわからなかったし、オダネルさんはただの不実な二股男に見えた。

 いいぞ、全ツ・アリソン!

 続く。


 しいちゃんの写真を買った。
 お茶会の、会販売の舞台写真だ。
 『花舞う長安/ドルチェ・ヴィータ!』5枚セット。

 グッズはキリがないから手を出すまいと決めているのに、つい買ってしまった。

 理由はひとつ、コーザノストラがあったからだ。

 わたしもkineさんもサトリちゃんも、もちろんそれがどのシーンの写真なのかわかった。
 コーザノストラのなかの、どの一瞬であるかを。

 ダークブルーのスーツ、袖を肘までまくり上げた手は、ズボンのポケット。
 横顔。
 ひとりだけで写っている、端正かつある意味ストイックな姿。

 知ってるよ。
 わかってる。
 この写真には写ってないけど、知ってるの。

 この後ろには、あのひとがいる。

 もうひとりのコーザノストラ。

 この次の瞬間、もうひとりのコーザノストラが彼の元に寄り、後ろから腕や肩を掴むのよ。

 そして彼は、そんなもうひとりを振り返り、目で会話したあと、さらに前へ行くのよ。

 知ってる。
 写ってないけど、知ってるの。

 彼の後ろに、あのひとがいることを。

 青い世界、青い服。青いネクタイ。
 あの美しい悪夢。

 無造作に袖をまくった、ポケットに入れた、この腕を、あの人が掴むのよ。
 身体の内側から掴むのが好き。

 ムラ千秋楽で見せた、大人の笑い。
 コーザノストラしいは、コーザノストラケロを振り返って、にやりと笑って見せた。
 知らなかったしいちゃん、そんな顔も出来るんだ。大人の男の色気に、ぞくぞくした。

 そんな、コーザノストラの写真。
 しいがひとりで立ち、後ろからケロが追ってくる、わずかな間を捉えたショット。

 そりゃ、買うでしょ。

 なんせ横顔ですから。しいちゃんの素敵モミアゲも堪能できますよ。

 
 てな感じで、行ってきました、立樹遥お茶会

 いやあ、たのしかったっすよ。
 しいちゃん、なんかテンション高くてねー。喋る喋る。
 わたしはしいちゃんのお茶会がはじめてだったので、ちとおどろいたことが。
 なんかしいちゃん、喋り方がちはる兄貴に似ていた。
 全部が全部ってわけじゃないけど。あちこち。

 わたしは終始ミーハーファンモードで、日本語の話せない人になってました。

 いついかなるときも、ジェンヌさんとお話できる機会があれば(お茶会の握手とか、ステージトークの帰り際とか)、なにかしらつまらないことを言ってみたりしてるんですが、ナマしいちゃん相手には幼児になってました。

 握手のときには「わーいわーいわーい」と言っていたよーな気がする……。
 サインをしてもらってるときには、「うれしいーうれしいーうれしいー」と言っていたよーな。
 ……大人の言動じゃない……。

 イタリア人のkineさんなんか、またしてもさりげなく口説き文句を口にしていたとゆーに。

 ええ、kineさんてほんと、握手のときとかものすげーあったりまえに口説き文句言う人なのよねー。男前よねー。

「kineさんと話してたんですよ。緑野さんはきっと、ファンモード全開でコワレてるあたしとkineさんのことを、一歩引いて眺めてるんだろーな、って。……ちがいましたね」
 と、サトリちゃん。

 言われて気づいた、そうか、そーゆーたのしみ方もあったんだっ。

 あたし自身、ファンモード全開できゃーきゃーになってたから、周りを気にしている余裕なかったよ……。

 つーか、サトリちゃんやkineさん見てるヒマがあったら、しいちゃんを見ていたいし(笑)。

 
 しいちゃんは白いパンツスーツ姿で、ものすげーかっくいーおねーさんでした。
 中に着ていた黒いレーシーなインナーに萌えてたんですが……わたしだけのようでした、そーゆー萌えは。同行者に同意を求めたが、却下される。
 あのインナー、どうなってんのかなあ、キャミかタンクトップだよねえ、ジャケット脱いでくんないかなあ、つーか、触りたいなあなんてぼーっと考えていたわたしは、やばい人でしょうか……。

 『長崎しぐれ坂』の館岡役は、見たまんまの役らしい。
 ええ、今回はしいちゃんの役作りと、観客の見ているものがイコールだったわ(笑)。
 あの無駄にやる気にあふれた、ひとりテンションの高いお役人はしいちゃんのキャラに合っている。
 ハチマキとたすきがプリティ。
 大好きだ(笑)。

 わたしはイベントの最初に紙に書く「質問」てのが苦手で、イベントがはじまって、本人の話を実際に聞いたあとでないとなにも思いつかないのだわ。
 今回も、あとになってから、「館岡さんは奥さんいるのかしら」という、「聞きたい聞きたいっ、これってすげー聞きたいっ」な疑問がわいてきて、でも聞くことができなくてしょぼんでした。
 最後の方に質問受け付けてくれたらいいのにー。挙手するやつ。

 既婚がいいです、館岡さん。
 kineさんとかとも話して、勝手に盛り上がってたんだけど。
 上司の娘とかと、見合い結婚してるの。
 で、奥さんは今江戸にいるのよ。
 早く手柄を立てたいのも、奥さんのいる江戸に帰りたいから!(笑)
 帰るときは、長崎土産を持って、ね。
 奥さんのために、南蛮渡来のアクセサリとか買っちゃうのかしら……どの面さげて(笑)。それを買うために悩んでいるとことか、同心仲間に見られてあたふたしているところや、それをどーやって奥さんに渡すのかとか……考えれば考えるほど、萌えだ。

 
 帰宅してから、わざわざ親の家に行き、しいちゃんの写真やらサインやらを母親に見せました。
 ……自慢したかったのっ。誰かに見せたかったのよ。

 サインをもらったしいちゃんのスチールは、今公演のもので……つまり最大限に太ってるんですけど。まるい……まるいよ、しいちゃん……。

 で、でもいいのっ。
 宝物だい。

 
 そして。
 後ろにあの人のいる、コーザノストラの写真は、パソコンの横に飾った。


 サトリちゃんから、メールが来た。

「エリザBOXの雪新公のお稽古映像見ました?!
 すごいですよ。ケロしいですよ!

 サトリちゃんといえば、わたしの唯一の公式ケロしい仲間。(って、非公式があるんですかっ?)

 ケロ×しいで萌えられる貴重なお嬢さん。

 しかし、なにをゆってるんだ?
 雪新公って言えば大抵いつもケロトウぢゃん。ケロしいなんて、聞いたことないわ……と、仕事抱え込んで忙しい最中、しまい込んだまま一度も再生していない『Elizabeth Special Box』の、特典映像DVDを引っ張り出す。

 他を見ている時間も気持ちの余裕もないので、とっとと雪新公をチョイス。

 雪組新人公演『エリザベート』1996年。
 主演トート役のトウコちゃんは大劇時で研5、東宝時で研6。このときすでに、男役として完成している。すげえや。
 だもんでトウコちゃんは、基本的にあまり変わっていない。そりゃまあ、さすがに若いけど。

 にしても、いろんな人たちが映ってるなあ。

 おおっ、はっちゃんだ、かわいー、つか、変わってねえ。
 ゆみこちゃんかわいー、すっしい濃いわ、みやたん変わってねぇ、ちー坊でかいけど薄い、ねったんこのときは路線ぢゃなかったんだよな、てな感想を全部吹っ飛ばす、ハマコの迫力。

 こ、こわ……っ。
 ハマコさん、こわいです。
 ゾフィー役になりきってますがな……化粧濃いし、唇赤いし、目ェ吊り上がってるし。

 そしてわたしは、こんなときでもまちかめぐるを見つけてしまうし。
 まちか、東宝時で組配属されたばっかの研2ぢゃん……そんな最下級生なのに、まちかはまちか、どこにいてもわかるよ……。

 
 てなふーに、平和に眺めていたわたしの目に。

 突然、迫力の「MAHO SHIOMI」の文字がっ。

 カメラ前を赤いものが横切ったのですよ。
 突然大映しになる、あざやかな朱色に白抜きの「MAHO SHIOMI」の文字。

 はい〜〜っ?!

 Tシャツのバックプリントでした。
 どこぞの人が、恥ずかしげもなく「MAHO SHIOMI」とゆー名前のプリントされた、ケロ会の会服を着ていたんだわ。
 いや、ジェンヌさんはよくそーゆーことするのは聞いてるけど。
 なにも、カメラの入ってる日に、いそいそ「ケロファンの服」を着なくてもいいじゃないか。どうせ着るなら、主役のトウコちゃんの服を着ろよ?

 誰だよ、「MAHO SHIOMI CLUB」なんつー恥ずかしい看板ぶら下げてるジェンヌは。

 と、思ったら。

 ええ、それがしいちゃんでした。

 なるほど……たしかに、ケロしいやわ……。

 ただのお稽古映像なので、インタビューがあるわけでなく、なんのフォローもないまま終わる。

 「ケロさんLOVE」とゆー意味の朱色のシャツを着て、きらきら笑顔のしいちゃんに、腰が砕けました……。

 しいちゃん……すてき……。

 東宝ではしいちゃんがジュラ@本役ケロをやっていた関係だとは思うけど。
 わかっていても、破壊力のある映像だったわ……。

 
 もひとり、ケロ会のシャツを着ている娘役さんがいたけど、こちらは誰かわからず。

 ケロはフランツ・ヨーゼフ役。
 このときケロちゃんまだ、22歳だったんだよね。若いよねえぇ。

 あ、つーことはしいちゃんも22だ。若い若い。つーかしいちゃんの方がさらに若く見えるよな(笑)。

 
 若いといえば、かしげも若かった。
 若いウチからデコは広かったが、まだ「デコ」の範囲内。
 時の流れは残酷ね……「デコ」から「ハゲ」になったのね……。

 や、かしちゃんのことはあのおデコごと大好きですとも!

 
 なんにせよ、ケロLOVEなしいちゃんには笑わせてもらった。

 しい→ケロかぁ、いいなあ。

 
 そして、エリザ特典DVDが発売されてずいぶん経つのに、誰もこのことで盛り上がってないなんて。

 世の中の人は、「ケロしい」になんの興味も萌えもないんやね……。
 検索もこないしな……ふふ……ふ……。

 こんなことで盛り上がっているのは、しい担のサトリちゃんとkineさん、そしてわたしぐらいのものなのかしら。

 kineさんちにお泊まり中のサトリちゃんと、「うきゃ〜うきゃ〜」なメールががんがん飛び交う(笑)。

 そんな夜。@しいちゃんお茶会イブ。


 ところで、今のわたしのPCの壁紙は、越リュウ様です。

 素顔です。
 男前です。

 パソコン立ち上げるたびに、どきどきしてます。
 あうあう、くぅわぁっこい〜〜っ。
 なんて素敵なの、リュウ様。

 
 そーいやわたし、今まで壁紙にしたことがある人(個人限定。素顔写真)って、トド様たかちゃんだけだったのよね。
 越リュウで3人目だわ!!

 ……ケロは画像を持っていなかったので、壁紙にしよーがありませんでした。
 公式販売物がない人は、どーしよーもないもん、わたしみたいなパンピーにゃ。

 越リュウ様の画像ですか?
 チェリさんにいただきました。ふふ。
 ありがとーありがとー。
 緑野はしあわせです。

 
 あ、もちろん今からでも、ケロちゃんの画像はいつでも歓迎です。
 なにかデータをお持ちの方、お裾分けしていただけたら歓喜します。メルアドは「HOME」のプロフィールにあります(笑)。


 ケロがいないことを、特に意識することはなかった。
 芝居は相当アレなんで、出てなくても心の平穏があるというか……なまじ出られてたら、リピートしなきゃいけなくてつらかったろうな、とか(笑)。
 ケロの不在については、『王家に捧ぐ歌』ですでに経験済みだったので、免疫ができていたんだろう。けっこーふつーに観ていた。

 せつなかったのは、ショーになってからだ。

 「男役」のトウコちゃんが舞台にいるのを見て、なんか突然、ものすごくせつなくなった。
 『王家』ではトウコは女の子だったし、『長崎』は日本物、しかもタカラヅカとゆーよりどこぞの演芸場ムードだったんでノーカウント、ショー『ソウル・オブ・シバ!!』になってはじめて、「男役」のトウコちゃんと再会した気持ちだった。

 ケロが、抱きしめていた人だよなあ、と(笑)。

 ケロを抱きしめ、泣いていた人だよなあ、と。

 『ドルチェ・ヴィータ!』以来の再会のように。それ以外でもイベントとかで見ているのに、こうして星組公演の舞台に立っているトウコちゃんこそが、ほんとうの再会のような気がして。
 ただ、せつなかった。

 
 ところで、ショーのトウコちゃん、めさカッコよくないっすか?
 うわわ、なんなのその長髪。キムタクですか? 背が低くて髪がボリュームあって……って、なんかまんまキムタク系とゆーか。
 トウコの方が、絶対カッコいいけどっ。

 ストーリーのあるショー、トウコ演じるうさんくさいプロデューサーが最高です。

 いちばんの萌えは、トウコの足元にひざまずいて靴を磨くワタルなんですがっ。

 金も地位もあります、成り上がりです、てなトウコちゃんのゴーマンぶりが、気持ちいい。
 夢があります、未来があります、てなワタルくんのきらきらしたびんぼー青年ぶりが、気持ちいい。

 そしてこのふたりの力関係が逆転したとき、小物ぶりを露呈するトウコが、ふるえるほど好き(笑)。

 いーなー、小物でヘタレなトウコって。新鮮だわ。いつもいつも、「強い人」だとか「繊細な人」だとか、とにかく観客の愛や同情を得られるキャラを演じてるもんねえ。わたしは人間できてないヘタレ男大好物だから、ショーのトウコちゃんはど真ん中です。うはうは。

 
 今回の公演でわたしは、思い出したの。

 わたしがトウコにズキュンとオチたときのことを。

 わたしはずーっと雪担で、トウコのことも昔から見ていた。首席入団は伊達じゃない、いろいろ目立つ人だったんで、自然と目についてはいた。
 注目したのは史上稀な娘役単独主演新人公演『風と共に去りぬ』(主演・花總まり)のとき。フランク・ケネディ役のトウコを見て、「この子、すごい」と瞠目した。

 が、とりたててどうこう思いはしなかった。好きか嫌いかと聞かれれば「好き」と答えるが、ファンかと聞かれれば「べつに」と答える。そんな程度。

 なにしろ若くして抜擢され、順風満帆に育ってきた男の子。「なに考えてんだ歌劇団」と首を傾げたり腹を立てたりする抜擢ではなく、実力と美貌に裏打ちされた正しい抜擢だ。なんでもできる優等生。どれだけ大役を与えられても、なんの心配も破綻もない。「ああ、トウコならやるでしょ」と思った通りにずんずん進む。
 興味なかった、そんな人。

 脇役、ヘタレ男の好きなわたしに、自信満々の若様なんか興味あるわけないって。

 トウコちゃんに惚れたのは、彼女の時代が陰ったあと。
 同期で成績下のコムちゃんに押し出されるカタチで組替えが決まってから。

 あれほど抜擢され、ぶいぶい言わせまくっていた強引自信満々優等生が、エリートコースからはずれた?!
 あのころは、トウコの組替えは「左遷」だとか「オトコの穴埋め」だとか、さんざん言われたよなあ。

 「オトコちゃんが退団しなかったら、主演はオトコちゃんだったのに!」と、オトコちゃんファンに文句垂れられながらのバウ主演。
 運命の『花吹雪恋吹雪』で、わたしはトウコ演じる五右衛門様にオチた。そりゃーもー華々しく、ずきゅんと胸を射抜かれた。
 あんなに長く見てきた、知っていた子に、今さらめろめろになるとは……、と戸惑うほどに。

 五右衛門様は素敵だった。
 強くて美しくて、はかなくて壊れていて、彼のすべてが「美しい」人だった。
 ああ、実力のある人はいいねえ。なんてすばらしい歌声、着こなし、所作、そしてハッタリ。齋藤吉正最高峰作品、話はぶっこわれているが痛快なエンターテイメント。

 「なんで今ごろトウコに……」とうろたえるわたしは、はじめて知るのさ。
 五右衛門を演じるトウコを見て。
 クライマックス、五右衛門は舞台に裸足で立つシーンがある。

 その踵が、ずっと浮いていることを。

 トウコは小柄だ。
 もし彼女に平均レベルの身長があれば、人生変わっていただろー、という人。
 背が低い……本人の努力ではどーにもならない部分でのハンデを持つ人。
 それでも首席入団し、若くしてスターの地位にたどりついた人。

 その意味を、目の当たりにした、気がした。

 
 踵が、浮いている。
 ずっとずっと、あったりまえにトウコちゃんは、爪先立っているんだ。
 なにごともないように演技をしながら、その足は、不安定に半分浮かせたまま。
 客席からバレバレにならないよーに、わずかだけど、踵を浮かしたまま演技している。
 少しでも大きく、かっこよく見せるために。
 努力している。

 優雅に泳ぎながら、水面下で激しく足掻いている白鳥のように!

 もしも彼女にふつーレベルの身長があれば。いや、いっそ長身なら。
 必要のない苦労だ。
 他の、ふつー以上の身長がある人はそんなことしない。そんな疲れることする必要ないもんよ。

 余裕すら感じられる堂々たるスターぶりを見せながら、踵は浮いているの。
 優等生で実力派で、破綻なく発見もない、そんな人だと思っていたのに、踵を浮かせているの。

 そうやって、闘ってきた人なんだ。

 優雅に泳ぐ姿しか知らなかったから、水面下でそんなに足掻いているなんて知らなかったから。

 ずきゅんとオチたさ、五右衛門様。
 優雅な姿と、懸命に浮かした踵。

 
 そのことを、思い出したよ。

 らしゃ@トウコはまたしても、裸足だもんよ。
 花道横に坐っていたわたしの目の前を、らしゃが通る。
 男らしい歩き方には足音が必要だから、歩くときはわざと踵を鳴らすんだけど、止まるときは必ず踵を浮かせる。
 少しでも大きく、かっこよく見せるために。

 あたりまえに、踵を浮かせるんだ。
 涼しい顔で。

 ああ、トウコちゃん。
 大好きだ。

 ヘタレ好きのこのわたし。
 トウコちゃんの強さと美しさ、そして、欠けた部分を埋めようとするそのひたむきさに、ぞくぞくする。
 天真爛漫前途洋々だった雪組御曹司時代はまったくときめかなかったのに。

 完璧じゃないから、陰があるからこそ、大好きだ。


「でも、『長崎』と『青い鳥』だと、どっちがマシですか?」

 星組初日。芝居が終わってヘコんでいたわたしとkineさん。わたしがトドの役のめちゃくちゃさに憤慨していると、kineさんが上記の質問をした。

「う。……な、『長崎』の方がマシ……」

 そこまで『青い鳥を捜して』が嫌いだったのか、わたし。

 ひどいわkineさん、『長崎』と『青い鳥』なんて、駄作ばかりを選択肢にするなんて。
 てなことをわたしが言うと、

「じゃあ『花供養』」

 と、さらに駄作で追い打ちをかけてくれる。

 ひ、ひどいわ。『長崎』に『青い鳥』に『花供養』って、ヅカ史上でもワーストランキングに輝くだろう作品ばかり並べなくても……。

「最近のトド様の主演作を並べただけですが」

 トド様ほんと、駄作にしか出てないよな……。

 植田前理事長に気に入られるってことは、駄作出演率限りなくUPってことだもんな……。
 わたしは長くトドファンをやっているが、トド様主演ビデオはほとんど持っていない。だって彼、ろくな作品に主演してないもの……。作品に惚れなきゃソフトは買えないよ。
 トド様主演で名作ってあったっけか……『凱旋門』ぐらい? そ、それだけなのか? あんなに長く主演ばっかやってきて、たった1本? 思えば不幸なジェンヌだな……。
 2番手以下時代なら、名作にも出演してるんだけど。『エリザベート』とか『ふたりだけの戦場』とか。

「主役がわがままで、周りをかき回すって話ばっかりですね」
 『長崎』『青い鳥』『花供養』の共通点を、kineさんは容赦なく指摘する。

 ちょっと待ってよ、最近のトド様主演作で、名作がちゃんとあるわっ。

「『ドリキン』はよかったもん!」

 近年のトド作品の最高峰は、『ドリーム・キングダム』よ。ごめんよコムちゃん、とりあえず主役カウントさせてね、だってそーでないとあまりにもトド作品てば……ゲフンゲフン。

 『青い鳥』『花供養』など、名だたる駄作と肩を並べる『長崎しぐれ坂』
 それでも、ヴィジュアル的に他ふたつよりなんぼかマシ。幕開きから20分はノーカウントで。

 
 『長崎』の駄作感をすばらしく盛り上げているのが、しょぼくて気が遠くなるほど長いプロローグですわ。
 ミエコ大先生の発表会をやらなければならなかったらしく、芝居としての意味も意義もない、ただどーでもいー日舞シーンがだらだら続く。
 そのなかに、言い訳のよーな子役シーンが入り、背景を神輿の絵がゴのつく生き物のよーに、ちょろちょろと動く。
 ……最悪ですとも。

 このシーンのたのしみは、めーっちゃたのしそうな玉持ちのすずみんを見ることぐらいっすよ。
 あー、癒やされるわ、あの笑顔……。

 
 わたしはこの物語の、「無神経さ」がなにより気持ち悪いと思っている。
 植爺とはきっと、魂の根幹部分でわかりあえないんだわ。
 彼が「正」と思うものが、いちいちわたしには「誤」に思えるんだもの。

 彼の持つ「ゆがみ」は、時代ゆえかもしれない、とは思う。
 母親は大好きだけど、女は嫌い、なことだとか、暴力や権力の捉え方、美しいものとそうでないものの感覚とか。
 昭和ヒト桁生まれゆえかもしれん。大日本帝国万歳の教育を受けた人だからなぁ。感覚がチガウのは不可抗力かもしんない。

 まあ、植爺と生涯わかりあえなくても、べつにかまわないけどさ。 

 
 このまちがった感覚の物語を、どうやったら立て直すことができるのか。
 とりあえず、細部の無神経さをひとつずつなんとかすれば、マシな話にすることは可能だと思う。
 大筋は変えないで、檀ちゃんの出番もないまま、せんどーさんの役もないまま。……いちばんいいのは全部1から書き直すことだけど、わたしはいつも、「最小限の手直し」を考えるから。今のままの作品を、どーやったらマシにできるか、を考えるのが醍醐味だから。

 伊佐次の台詞を変える。無神経な壊れた台詞を、他人を思いやる台詞に変更する。それと、意味もなく女を殴るのをやめる。
 主人公である伊佐次が「いい男」でないと、そんな男に惚れている卯之助がただのバカになるし、振り回される周囲の人々も全員アタマがおかしく見えてしまう。
 無法者だが、義に厚い、心意気のある男だと描写する。

 おしまが身を引く理由を明確にする。自分の身を守るためだけにとっとと安全なところへ逃げていったとも取れる今の薄〜い書き方ではなく、愛する男のために泣く泣く身を引いたのだと、台詞だけでいいから、これでもかと強調する。
 おしまがしょーもない女だと、そんな女に惚れている伊佐次の値打ちが下がる。伊佐次至上主義というコンセプトで成立している世界なので、とにかく伊佐次を「いい男」に描くことを最優先しなければならない。

 台詞を変える。ただそれだけ、これっぽっちの変更でも、印象はぜんぜん変わると思うんだけど。

 これが「最小限の手直し」。いちばん簡単、明日からでもできますわよ! な即席手直し法。それこそ、『お笑いの果てに』の台詞が途中で変更になった・変更できた、ように。(『お笑いの果てに』も、物語の壊れっぷりはどうしよーもないけど、とりあえず主人公ジェフリーがキ*ガイでなくなれば、マシになるという意味で、彼の台詞が急遽変更になったわけっしょ?)

 このうえさらに手を加えるなら、他のキャラの使い方、無駄な演出の修正などになっていくわけな。
 まあ、それはもういいや。
 語るのもめんどくせー。

 それでも、「物語」として『花舞う長安』よりはマシなんだよなあ。
 なにしろ『長安』は、「物語」として成立以前だったんで、「最小限の手直し」など存在しなかった。「1から全部書き直す以外に、救済処置ナシ」という、ありえないほどあっぱれな作品だったからなー。ははは。

 でも、『長安』と『長崎』だったら、どっちがマシかな……? どっちも同じくらい「嫌い」だけどな(笑)。

 
「この芝居、誰がよろこぶんだろう……」

 と、芝居が終わった段階で、わたしとkineさんは首をひねっていた。
 わたしは「物語のルール」に則った話が好きなので、このあちこちセンスがめちゃくちゃな芝居にはとまどいしかなかったし、最後には笑えて笑えて仕方なくなってたんだけど。

 主題歌をはじめとする、音楽のものすごさにも、笑いを通り越した感動があったしな。
 もともとヅカの曲は時代錯誤にダサいものが多いんだけど、この『長崎しぐれ坂』の主題歌は素晴らしかった。
 あー、なんだろこのメロディ……なんか聴いたことある……はっ、そうだ。うちのとーちゃん(70代)が毎日よろこんで聴いてる、昭和歌謡曲ってやつだ!!
 昭和初期から中期、30年代とかに流行った音楽。このわたしですら生まれてねぇよ、な音楽。

「この芝居って、杉良太郎とか松平健とかが、他の劇場でやってそうな芝居ですよね」
 と、kineさん。なんか具体的に、関東圏の劇場名をあげていたよーな?

 そーなんだよなー。本物の男が演じてサマになるネタだよなー。そして、トド様もワタさんも、忠実に「男」を演じてるんだよなー。
 わたしたちは「男」ではなく、「男役」を観にきてるんだけどな。

 いろいろ話して、冒頭の疑問に対して出た結論。

 植田(70代の男)が、自分の観たい芝居を作ったんだ。

 だから、センスとか世界観とか、ものすげーズレてんだ……。

 まあ、タカラヅカは年配の方もたくさん観に来られるんで、それはそれでいいのかもしれない。
 少子化、趣味・価値観の多様化、不景気。
 つまり、若者の数は少ない、タカラヅカでなくてもたのしいものは世の中いくらでもある、それに生の舞台は高すぎて、たくさんチケットを買えない。
 そんな若者なんか見限って、金と時間をもてあましている中高年層にターゲットを絞るのも、ひとつの戦略かもしれない。
 だからこの21世紀に『長崎しぐれ坂』で『ベルサイユのばら』なんだろう。時代錯誤もなんのその。

 わたしも十分中年だし、時代劇は大好き、単純な筋立てのクサい話は大好きなんだが。
 やっぱり植田芝居は「まちがっている」としか言いようがないわ……。

 
 植爺の作品で、いつも疑問に思うことがある。
 なんでこの人は、いつもわざわざ、いちばん無神経な言葉を選んで使うんだろう?

 結果としてひどい行動でも、言葉で飾ることはできるんだよ。
「このままでは娘の命が危ないから、守るためにあえて、娘を出家させることにした」
 というエピソードがあったとする。
 娘の意思を無視して有無を言わさず出家をさせてしまうのはむごいことだけど、我が子の命を守るため、それも親の愛情。
 行動はひどいけど、「仕方ないな」と思わせる原理だよね。
 なのにそれをわざわざ、
「娘の意思なんて必要ない。親がその人生を決めることこそが正義」
 という表現の仕方をするのよ。何故?
 わざと悪ぶってるわけじゃないの。とってもナチュラルに、まちがった感覚で話が進むの。
 ……これは『長崎しぐれ坂』のエピソードじゃないけどさ。

 これと同じよーな「感覚のズレ」があちこちにある。

 たとえば伊佐次は「男の中の男」。男たちが惚れ込み、女が恋い焦がれる男だ。

 しかしこの男、言動が、変。

 それまでどんな男だったのか知らないが、初恋の相手おしまと再会してからは、確実に最低男になり下がっている。

 かわいがっていたはずの弟分らしゃが死んだすぐあとに歌うのは、おしま(と、卯之助)のことを歌った、主題歌。でもこの歌、よーするに自分のことをいちばん大切にしてるよーな歌なんだよなあ……過去を懐かしむ歌、つーのはつまり、「そのころの自分」をなつかしがってるわけで……自己憐憫陶酔ソング……弟分が死んだすぐあとで。

 そして、恋人・らしゃの死を嘆く少女芳蓮のことを、飲んだくれて怒鳴りつける。
 これはひどい行動だよね。
 でも、「らしゃのことを思って荒れているんだな」と、ちゃんと他のキャラによって説明が入るんだ。ほお、それなら荒れていてもわかるよ。自分が黙って耐えている横でびーびー泣く芳蓮に、つい怒鳴ってしまう気持ちもわかるよ。

 なのに、わざわざ台詞でこれを打ち消すんだよな。
 おしまのことを思って、荒れてるらしーのだわ……。

 なんで? 伊佐次は「男の中の男」なんでしょう? なんで弟分が無惨な死に方をしても、ぜんぜん気にしないで女のことばっか考えてんの?
 てか、らしゃのために荒れている、でいいじゃない。それで芳蓮にひどい態度を取った、でいいじゃん。
 なんでわざわざ、最低な方に持っていくの?

 伊佐次に愛想を尽かし、さそりが唐人屋敷を飛び出していく。外に出れば、さそりの命はない。
 伊佐次もまた、外へ出ようとする。さそりのことが心配だから、と。
 これならわかる。手下を心配して、命を危険にさらすのは「男の中の男」の行動だ。

 なのに、わざわざ台詞でこれを打ち消すんだよな。
 さそりを心配しているのはただの口実、ほんとはおしまのことを思って、外へ行こうとしているのだわ……。

 なんで? 伊佐次は「男の中の男」なんでしょう? 今現在、手下の命が危険だっちゅーに、それを「口実」にできるわけ?

 やっていることが、めちゃくちゃなのよ。
 伊佐次のどこが、「男の中の男」なのかわからない。
 ただの色ボケ自己中男やん……。

 ここまで自分と、自分の女のことしか考えられない男を描きながら、「男の友情もの」としてラストを迎えるから、わたしはとまどったのよ。

 おしまのことしかのーみそにないんだから、クライマックスでは当然おしまが出てくると思ったのよ。

 
 わたしは原作を知らないが、ストーリーとキャラの表面的な行動は原作通りなんじゃないかと思う。とりあえず骨組みは出来ているようだから。
 でもあちこち、変なの。
 まるで、日本語で描かれたマンガを、日本語を読めない人が翻訳したみたいに。
 マンガだから、絵だけでもストーリーはわかるじゃん。あ、ここで戦うんだ、ここで死ぬんだ、ここでラブシーンか。でも、台詞が読めないから、そのシーンが何故そういうことになっているのかは、わからない。
 絵だけを見て、想像で台詞を埋めていく。
 本当なら主人公は敵の事情を理解し、苦渋の選択で戦うことを選んだのに、戦っている絵だけを見て勝手に台詞をつけたから、主人公が嬉々として憎い敵と戦っていることになっている。
 そんな「まちがい」を感じるのよ、植爺の作品には。

 伊佐次の行動だけを写して、その心情は理解できていない。
 だから、おかしな台詞を連発してしまう。

 「男の友情」で、卯之助の腕の中で伊佐次が死んでもべつにかまわないのよ。
 それまでを、「正しく」描いていれば。

 そうじゃないから、この芝居はどこに行くんだと、わたしはうろたえたのよ……。
 

 自分が観たいモノを描くのは勝手だが、やっぱどこか変だよ、植爺。
 役者たちが力技で泣かせる芝居に昇華してるからって、作品のおかしさはどうしようもないから。


「オイラ、リヤル(現実)がとんとワからねえ」……って、髷を噛み噛みしそーな雰囲気がイヤです、ワタ×トド。
 「リヤル」については『真夜中の弥次さん喜多さん』見に行ってください。あ、もう公開終わっちゃったのかな? 4月公開の映画だっけ?(時間の感覚がすでにボケいる) 最近ほんとあたしゃ、映画の感想書いてないなぁ。

 弥次喜多はともかく、『長崎しぐれ坂』の感想、その2。

 伊佐次@トドは、男の中の男。
 悪人で、柄が悪くて、気性が荒いうえに手も早い。
 しかし手下には慕われ、女にはモテる。
 そーゆー「男の中の男」。

 伊佐次には、かわいがってる手下が4人いる。らしゃ@トウコ、さそり@まとぶ、らっこ@すずみん、あんぺ@れおん。

 なんか意味もなく色気垂れ流し状態のらしゃは、伊佐次の愛人でもあるらしい。
 らしゃがまだほんの子どものときから、どーやら伊佐次がいろいろイロイロ教えて、ずっとそばに置いてきたよーだ。
 しかしらしゃも思春期・反抗期。伊佐次兄貴になんとなく逆らってみたいお年頃のようだ。のーみそがスニ@グイン・サーガ程度しかなさそうだが、芳蓮@となみというカノジョもできたことだし、かっこつけたいんだよなー。
 つーことで、不良少年らしゃは暴走して自爆してしまう。

 もうひとり、こちらはらしゃよりさらにワイルドな魅力、さそり。伊佐次の愛人その2で、ひょっとしたららしゃとも多少はナニかあったかもしれない不良少年。
 伊佐次兄貴は飲んだくれてるし、らしゃは死んでしまうしで、なんかいきなりぷっつんして暴走開始。
 このいきなりぶりが、ほんとーにいきなりすぎて、「あー、痴話ゲンカってやつぁよー」って感じ。いろいろ溜まってたんだなぁ。

 さらに唐人の美女、李花@ユズ長がずっぽり伊佐次に惚れている。殴られても浮気されても、「悪いところがあったら言って、アタシ、直すから!!」とすがって泣いて、いつも大騒ぎ。テンション高いぜ。愛人はパッション必須か。

 てなふーに、伊佐次の周りは花盛り。なにしろ男の中の男だから。美少年も美女も彼の腕の中。

 あ。
 らっことあんぺですか?
 大丈夫、伊佐次もあいつらには手を出してません。とくに、らっこはあり得ません。絶対(笑)。見ればわかります。

 そしてこの男の中の男が、真摯に惚れている相手が、幼なじみのおしま@檀ちゃん。今は金持ち親父の妾で芸者。
 おしまももちろん、色っぺーいい女だ。

 と、これでもかっ、と、伊佐次の愛人関係を表現手段として「男の中の男」ぶりが描写されるわけだ。
 あー、男臭い男だー。野郎が好きそうなタイプの男なわけね。任侠映画に出てくるタイプ。

 そう思って見ていただけに。

 見た目だけなら伊佐次より男臭い卯之助@ワタルが、突然愛の告白をしたありたから、混乱が生じる。

 ええっと? 伊佐次って、らしゃやさそりってゆー若いきれーな男の子たちを愛人にしていたくらい、ふつーに「攻」だよねえ?
 んじゃ卯之助って「受」なの? あのガタイとカオで、「伊佐さんに抱かれたいの(はぁと)」ってこと?
 バトラー@トド×アシュレ@ワタルはOKだったわたしも、ちとつらいカップリングやな、伊佐次×卯之助は。と、とまどっていると。

 最後の最後で、まさかの逆転劇。

 卯之助×伊佐次でした……。

 ワタ×トドかいっ?!

 あれほどあれほど「男の中の男」として、「総攻」として描いてきた伊佐次が、卯之助の腕の中、ですよ。
 総攻男が、いきなり受化ですよ。

 ディープすぎるぜ、お前らの関係……ッッ!!

 
 いやその。
 卯之助が伊佐次に惚れてるのはいいのよ。ワタさんはちゃんと演技してるから、最初からコウモリ臭くて、「あー。ほんとはこいつ、伊佐次が欲しいんだろうな」ってわかってた。
 でもそれは、あくまでも「男の友情」の範囲内だと思って見ていたのよ。一線は越えない、踏みとどまり、やせ我慢するのが男ってもんだよな、と。
 それが美学、ホモ恋愛モノ以外の、ふつーの「物語」のセオリー。

 だから期待して観ていた。

 クライマックスに、ヒロインが登場するのを!

 破滅覚悟で唐人屋敷を出た伊佐次。追う卯之助。捕まっても獄門、それならばいっそ……ッてな切羽詰まったなかに。
 ヒロインおしま登場。
 堺へ帰る船に乗ったんじゃなかったのか?!
「約束したじゃない、一緒に江戸に行くって」
 江戸になんか行けるはずがない。帰りたいのは時間であって、場所ではない。
 共に死ぬために、おしまは戻ってきた。ふたりの江戸は、お互いのなかにあるのだ。

 てゆー展開を、期待していたのよっ?!
 でないと最低でしょ、おしま。出番も少なけりゃ、存在意義もないままだよ。
 そしておしまがしょーもない女だと、そんな女に惚れている伊佐次もみっともなくなるんだってば。

 旦那も安定した生活もなにもかも捨てて、愛のためだけにやってきた女、おしま。
 安全な唐人屋敷を出て、「ふたりの江戸」を目指す伊佐次。
 そして、伊佐次を愛しながらも、彼を守るために、盾となる卯之助。

 期待したのよ、それをっっ。

 伊佐次とおしまを逃がすために、壮絶な最期を迎える卯之助。
 それこそ、虫の息で歌ってくれていいから!

 そこで子役トリオの登場だ。
 無邪気に3人で遊ぶ姿。
「男は泣いちゃいけない」……幼い伊佐次の言葉を受けて、「もう泣かねぇよ……なァ?」とかゆって、絶命してくれていいから!

 つーか、派手な立ち回り希望。
 わけのわからん精霊流し盆踊りしかも激長はいらんからっ。
 やる気満々お役人@しいちゃんの出番もくれよ(笑)。
 しいちゃんVSワタさんで、しいちゃんがワタさん殺してくれ。見たいぞ、ソレ(笑)。

 伊佐次とおしまは、例の小舟でスモークの海にGOGOだ。
 ふたり無事でもいいさ。
 よりそいあうふたりの姿と、絶命する卯之助を同時にやれば盛り上がるぞ。
 だって無事に小舟に乗れたとして、ふたりに明日がないことはわかってるからな。
 ふたりが求める「江戸」はもうないんだから。

 おしまが伊佐次をかばって撃たれてもよし。小舟の中で、伊佐次の腕に抱かれて死んでいくもよし。

 伊佐次、卯之助、おしま。幼なじみでそれぞれ別の道を生き、この長崎でめぐり会った彼らの、数奇な運命の終焉。
「神田囃子が聞こえる……」
 で、せつなく終わっていいじゃん。パターン上等、ありきたり上等。だってもともと、ものすっげーテンプレ的な話じゃん、コレって。なのにラストだけ歪んでるのは何故?

 ヒロインは途中でいなくなって、流れをぶった切るタルい盆踊りがえんえんえんえんあって、大捕り物をしているはずなのに誰もいなくて、銃声一発でお茶濁して、野郎ふたりで愛の小舟なのは何故なんだ。

 男の友情を描きたかったなら、それを主題にしなきゃダメだよ。中途半端なのと、脚本があちこち無神経なのが致命的。

 根っこのストーリーは別に壊れてないから(原作アリだからですか?)、やっぱ植田の脚本(言葉のセンスと世界観最悪)と演出(古い。あと、独りよがり)が悪いんだと思う。

 やれやれ。


 この芝居は、なにをどうやって、どこを狙ったものなんだろう……。
 観ていて、うろたえた。
 いたたまれなくて、どーしようかと思った。

 星組公演『長崎しぐれ坂』初日観劇。

 相変わらず、予備知識なんぞありません。原作があることすら、よくわかってなかった。
 ので、なにも知らずに観て、客席でひとりひそかに悶絶した。

 どんな話かって?

 ワタル兄貴、漢の純愛一本勝負! 漢の世界に女はいらねえ、フンドシ芝居ここに極まれりっ!!

 ……て感じかしら。

 ねえこれ、檀ちゃん退団公演だよね? 檀れい様の最後の芝居だよね?
 だから当然、ヒロインは檀ちゃんだと思ってたし、男ふたりに女ひとりの物語だから、トドとワタルが檀ちゃんを取り合う話だと思ってたの!

 まさか、ワタルと檀ちゃんが、トドを取り合う話だとはっ!

 なに考えてんだ、植田紳爾!!
 阿鼻叫喚、まさかの ワタ × トド !!

 オスカルとアンドレのガラスの馬車のよーな、はたまたトートとシシィの昇天シーンのよーな、幻想的スモークがんがん流した小舟の上で、野郎ふたりでENDマークって、正気ですか?!

 なんでトドがワタルの腕の中で死ぬんですか。腕の中で、虫の息で歌っちゃいますか。
 つーか、その抱き方はなんですか。
 ワタルの開いた脚の間に、トドがいるんですか。

 ワタル兄貴……漢前過ぎです……。

 こまった。こまったよ、ほんと。
 わし、腐女子じゃけん、男ふたりラヴシーンなら、かじりつきで見るんだけどな。
 このラストシーンは、思わずオペラグラスおろしちゃったよ。
 居心地悪すぎて。
 チガウ……チガウんだよ、植爺。腐女子が見たいホモはこんなんぢゃないのっ。耽美やボーイズラブは見たいけど、さぶは見たくないのっ(滝涙)。

 あたしゃおやぢ受OKな人間だから、トドだからワタさんだからどうじゃない。描き方がひでーっつー話よ。
 野郎ふたりでフンドシ愛やるならやるで、描き方考えようよ……。

 とにかく、バランスの悪い芝居で、あちこちまちがいまくってるので、予断が許されないの。
 テキ(植爺)は、我々の想像の斜め上を行くって感じ。
 細部の脚本と演出がめちゃくちゃだから、次にどうなるのかわからない。てゆーかこの芝居、どこに行くの……?

 つか、誰かわたしに、ヒロインおしま@檀れいの存在意義を教えてください。

 檀ちゃんコレで退団なんだよ? 最後なんだよ? なんで野郎二人のラヴ芝居で、当て馬やってんのよーっ(涙)。

 えー、ストーリーは。

 伊佐次@トド、卯之助@ワタル、おしま@檀ちゃんは、江戸で育った幼なじみの仲良し3人組。
 しかし時は流れ、彼らは長崎の唐人屋敷で再会した。
 伊佐次は大悪党のお尋ね者、治外法権の唐人屋敷内でしか生きられない男。
 卯之助は長崎奉行所の下っ端十手持ち。
 おしまは堺商人の妾で、芸者。

 伊佐次とおしまは子どものころから想い合っていたそーな。しぐれ坂で再会するなりラヴ一直線。びっくりだ。

 ふたりを会わせたのは、卯之助。この男、奉行所仲間には「伊佐次を捕まえるのはこの俺。誰にも手は出させない」と言い、そのくせ伊佐次の前では気のいい幼なじみ。なんか素敵にコウモリ野郎。
 伊佐次とおしまの恋の取り持ち役をしたりと、一見いいヤツなんだが、とにかく随所に感じられる、落ち着きの悪いコウモリ気質。

 伊佐次とおしまの恋が、外野と観客置き去りで、
「あなたといると、パリに戻った気がするんです。もうやり直せない……」
「パリという名の、夢の名残に」
 ーーいちゃいちゃ。
「いま、なんて」
「パリに行こう」
「無理よ」
「無理じゃない。やり直すんだ、パリで」
 ーーいちゃいちゃ。
と、さんざん盛り上がってくると。(注・パリを「江戸」に変換して読んでください。つい数日前までやっていた芝居と同じことゆーてます)

 それまで伊佐次とおしまの味方だったはずの卯之助、突然ふたりを引き裂きにかかる。

 おしまのパトロンの旦那@立さんに、チクリやがんの。「あんたのお妾さん、浮気してまっせ」と。
 旦那にバレてしまったおしまは、泣く泣く伊佐次を捨てて、堺へ帰ることに。ええっ、帰っちゃうの?!
 もちろん、旦那と安定した生活を捨てて、破滅しか待っていないだろう伊佐次との愛に生きるという選択肢はあったんだが。彼女はそれを選ばなかった。

 おしまに惚れきっていた伊佐次は、彼女に会えないことに飲んだくれる。ふたりでパリ江戸を夢見、失った美しい日々を夢見ていたのに。もうマラケシュ唐人屋敷で死んだも同然の日々を過ごすのは限界だ、外へ出よう! おしまに会いに行くぞぉー、たとえそれが破滅を意味しても……てな展開だったところへ。
 卯之助登場、おしまが伊佐次を捨ててパトロンと行ってしまったことをチクッたうえで、怒濤の愛の告白。
「子どものころから、お前が好きだったんだっ。奉行所の手先をやっているのも全部、お前を守りたいからだっっ」
 なんですかそりゃ。トド様……ぢゃねえ、伊佐次(32歳)ぼーぜん。恋人おしま(28歳)には裏切られるわ、親友卯之助(32歳)にはコクられるわ……どーしろっつーんだ。

 混乱した伊佐次、自殺行為だとわかっていながら唐人屋敷を出る。まあ大変。

 外に出てしまえば、伊佐次は殺してOKの極悪人、捕まっても死刑確実。卯之助はなんとか伊佐次を助けよーとするし、助けられなかったら、俺がこの手で殺してやるとか、コウモリ気質全開。てめーがおしまを追い払うから、そのうえ弱くなったところにここぞとばかりつけ込んでコクったりするから、伊佐次パニクッてんぢゃん!
 卯之助がおしまを説得し、ふたりで唐人屋敷で暮らすことができりゃ問題なかったし、おしまが去ったにしろ、伊佐次のために身を引いたとか言いくるめりゃよかったものを。

 んでどーすんだ、もう破滅しか残ってないぞ。
「パリへなんか、行けるわけがないじゃないか……」
「冗談じゃない。俺は、こんなことで終わりになるもんか!」
「砂漠へ逃げるんだ!」
 台詞めちゃくちゃだが、こんな感じで、伊佐次は卯之助に守られながら小舟へ。そこにまさかの銃声。

 どさくさにまぎれて卯之助も小舟に乗り込み、伊佐次と愛の逃避行。

 船はどこへ行くんですか?
 撃たれた伊佐次は、卯之助の腕の中で息を引き取る。
 ああ怒濤の、野郎愛芝居。

 
 あの。
 ヒロインおしまの立場は? てめえの保身大事でバックレて終わりっすか? しかも、「卯之助はアタシに対して横恋慕している」と勘違いしたまま。
 ただのバカですがな……。てか、出番少なすぎ。

 
 どうしよう、この芝居。

 

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