「オギーは樹里ちゃんに敬意は払っているけど、愛情は感じられない」
 と、kineさんと話していた。

 でもその敬意はたしかなもので、愛情に負けない重さはあったと思う。
 ……なまじちょっと前に、オギーの愛情たっぷりのモノを観ていたんで、その温度差に愕然としただけで。敬意だけだと、こーゆーふーになんのか、と。

 なんにせよ、わたしはレオン@樹里ちゃんが好きだ。

 見たかった男役・樹里咲穂を見せてくれた。

 わたしが樹里ちゃんの演じてきた役で愛してやまないのは、デュシャン@Crossroadだから。
 あの弱くて小狡い、されど愛すべき色男。この男を愛し、共に堕ちていきたいと思った、そんな男。

 レオンは、デュシャン系の男だよね。デュシャンよりかっこいいけど(笑)。

 レオンとして明るく歌い踊る樹里ちゃんを見て、わくわくしたわ。ああ、かっこいー。彼からぱぁあっと明るい光が放たれているのがわかる。アイドルオーラではなくて、魂の力みたいなもの。
 荒野のオアシスとか、草原に立つ枝葉豊かな大木とか。そんなものが放つオーラ。
 うわああ、好きだあ。樹里ちゃん好きー。このきつくない、まぶしくない光が好きなの。安心して手足を伸ばせるよーな、そんな光。
 わくわくと、一緒に踊りたくなるよーな、そんな光。

 悪ぶりだとか葛藤だとか、恋人ファティマ@きほちゃんへの態度とかも、素敵だし。
 明るいそのへんにいそーな庶民的なにーちゃんなのに、エロいんだよね。「いい男」ゆえの傲慢さというか。
 ええあの、「信じるなよ」のくだりですよ。きゃ〜、きゃ〜、きゃ〜。

 
 あとはただ、リュドヴィークが、レオンのことを少しでも愛してくれていれば、文句なかったんだが。

 リュドヴィーク……レオンのこと愛してないよね(泣)。

 せっかく相棒なのに。
 口では「仕方なくコンビを組んでいるだけだ」と言いながら、じつはそこに友情が……とかゆーのが、セオリーでしょー?
 なのにどーして、リュドってばレオンのこと愛してないのよーっ。リュドは誰も愛せない男だから、仕方ないけどさっ。

 レオンはちゃんと、リュドのこと好きなのにな。
 大仕事は、リュドとふたりでやりたいと思っている。リュドよりつきあいの長そうなアリ@さおたより、まずリュドに話をもちかけたりな。
 アリたちがリュドを排除したがっても、レオンががんとしてそれを許さなかったりな。

 リュドがレオンのことを愛していたら、ここまでレオンの存在は「別の話」にならなかったと思う。
 主役は物語の「要」であり、彼を中心にすべてが回るものだから。

 レオンの悲劇も、最期も、リュドと相愛であった方がよりドラマチックに盛り上がるのになー。
 なんで愛がないかなー、リュドヴィークめ。

 おかげで、萌えないってばよ……せっかくせっかく樹里ちゃんで色男なのにっ。オギーめっ。
 リュド×レオンとかで萌えたかったのに!(えっ、レオン受ですか!!)
 アリも容赦なく愛がなさ過ぎて、萌えの付け入る隙間がない……。
 んなことゆってたら、イヴン×ハサンとかで勝手に萌えるわよ?!(えっ、ハサン受ですか!!)

 
 リュドもね、レオンのこと、やっぱ特別だったと思うのよ。
 だってレオンにだけチガウじゃん、態度も喋り方も。自分のこと「俺」って言うの、レオンの前だけじゃん。
 だから余計に惜しい。
 もうちょっとで、おいしくなるのに……。

 警察に追われるレオンが、雑踏でリュドヴィークに会ったとき、あそこで別れずにずっとリュドにくっついてりゃ、別の関係に発展しただろーになぁ。
 共に「パリ」を失ってさ……そして「マラケシュ」にもいられなくなってさ……(なんかいろいろ想像しているらしい)。

 わたしがリュドヴィークだったら、レオンをあのまま行かせたりしないで、匿ってやるのにっ(笑)。
 なりふりかまわず「助けてくれ」って言ってるのよ? あのえーかっこしいの相棒が。
 きゅんとくるじゃない。くるよね? きぃーっ、リュドヴィークのバカっ、朴念仁っ!!

 
 そんなふーに、いろいろ悶々するくらい、レオンが好き。
 樹里ちゃんの、タカラヅカ生活最後の、樹里ちゃんのための役。

 かわいい色男。


「すみれちゃんの役名、ラフレシアじゃないんですか?」
 と、チェリさんに言われてしまった。
 わわわ、ちがいますよ、花組娘役トップスター・春野寿美礼様の役名は、エトワール様ですってば。ラフレシアだなんて、そんな……。

 さて、その深紅のラフレシア、エトワール様は、千秋楽も絶好調でした。サービス精神が行き過ぎていて、オカマ街道まっしぐら。
「アタシ、すみれちゃん。今日は千秋楽よ、笑いなさい」
 てなことを言っているのを聞いて、目からウロコでした。
 ええっ、お笑いシーンだと思ってやってたの、エトワール様?!
 あたしゃ、寿美礼ちゃんのことだから、マジで自分は美女だと思いこんでるんだと、思ってた。わきあがる笑い声は、ファンの歓声だと信じていると……。
 ちゃんとお笑い認定していたのか……おそるべし、はるのすみれ。
 なにがおそるべしかって、あーた、本気でナルシスってるんぢゃないかとファンを不安がらせてしまう、その個性よ。

 本日のカツラはイマイチでしたわ、エトワール様。初日と同じかな? 床に置いたポンポンみたいな、セミロングのカーリー。わたしは3種類エトワール様のカツラを見たけど、金髪のストレートがいちばん美しかったなぁ。

 とてつもなくキュートでガーリーなエトワール様。最後まで、紳士@ゆみこちゃんとラヴラヴでした。
 ゆみこちゃんから手の甲にキスされると「きゃっ(はぁと)」とよろこびの声をあげる。……ちなみに、その次の瞬間、らんとむからも同じよーにキスを受けるんだけど、エトワール様、さくっと無視。……反応してやれよ……せめて目線ぐらい向けてやれよ……。
 銀橋ではひたすら、ゆみこと投げキスの応酬。もうひとりの紳士@らんとむのことなんか、完全に忘却してるな……すげえ。
 いや、オサゆみ大好きなんで、うれしいんですがね。しかし、オサ様の見事なはじっけぷりにちと目眩が……くらくら。

 
 と。
 花組公演は終わってしまったけど、わたしまだ、『エンター・ザ・レビュー』の感想、書いてないんだよね。『マラケシュ』の感想も、自分的にはぜんぜん足りてないんだけど。『睡れる月』と『お笑いの果てに』の感想に熱が入りすぎたために、こんなことに。『睡れる月』はいいのよ、いくら語っても甲斐があったわ。しかし、『お笑いの果てに』ごときに、あそこまでの時間と情熱を費やした自分にとほほだわ……。でも、語らずにはいられないおもしろさやったんや……。

 『エンター・ザ・レビュー』は、ふつーのタカラヅカ・ショー。新しさはどこにもないが、破綻もない。ふつーにたのしいバラエティー・ショー。
 たのむ、某酒井氏、こーやってショーだけ作っていてくれ。世界の平和と人々の幸福のためにも、二度と芝居は書かないでくれ。
 えー、脚本別で演出だけなら、やってもいいかもしんねーけどなー。「物語を構築する能力に、先天的に欠ける人間」は、脚本やっちゃダメだよ。

 あれ、花組ってWトップだっけ? と首を傾げるよーな作りだが、樹里ちゃん退団公演だから、わたしはこれでもヨシ。
 孤高のトップスター春野寿美礼様(娘役トップスターも兼任)と、男役トップ樹里咲穂と娘役トップ遠野あすか。トップスターが3人もいて、めちゃ華やか。

 ところで、このショーの中でいつも首を傾げているのは、サーカスのシーン、「第4場 ラ・ムール」のまがまがしさ。

 このシーンっていったい、なんなんだろう。なんでこんなことになってるんだろう。
 ここだけ観れば「あれ? 演出オギーだっけ?」てな歪んだ美しさがある。

 なんていうかなあ。
 精神の均衡が保たれていないよーな、こわさ。
 あるべきものがあるべきところにない、こわさ。

 ひとことで言うとやはり、「まがまがしい」になるわ。

 一見、なんてことはないふつーの写真。仲良し4人組で遊びに行った先で撮りました、な1枚の写真があったとする。肩を組んだり腕を組んだり、ふざけあってカメラに向かってポーズを取っている。
 たのしそうな明るい写真なんだけど……あれ? なんか変だな。よく見ると、腕の数が多くない? 4人しかいないのに、ええと、腕は……。

 そーゆーこわさだ。

 もしくは、その一見たのしそーな仲良し4人組の写真。ふざけあってポーズを取った、写りも鮮明な陽気なスナップ。なんだけど……顔の部分だけ全員ぐにゃりと歪んでいるみたいな。

 そーゆーこわさだ。

 一見陽気できれいで、たのしいんだけど。
 どこか、おかしい。
 どこか、歪んでいる。
 それは、この世のモノではないなにか。
 含んだ毒、気づく人だけを蝕む恐怖。

 ……いったいなんだって、こんなことになってるの?
 酒井が意識して毒をこめたとは、思えない。そんなセンス、彼にはあり得ない。酒井氏はこのまがまがしいシーンを、「明るく楽しいシーン」と本気で思っていそうだ。

 オギーなら、「ああ、わざと、波長の合う人にだけわかる毒を込めたな」ってことで納得なんだけど。
 よりによって酒井だからな……(笑)。

 目新しさのないふつーのショーだから、他は全部忘れて、このまがまがしさだけおぼえているハメになるかも……あ、あとラフレシア様と(笑)。
 

 わたしは樹里×あすかのカップリングが大好きなので、樹里ちゃんの隣にいつもあすかちゃんがいてうれしかった。
 かわいい樹里ちゃんもかっこいー樹里ちゃんも見られてよかった。
 や、あとはなんといってもあすかちゃんのお尻だけどな。周りのお尻も見たいんだけど(笑)、ついついいつもあすかちゃんばっか見ちゃうよ。エロい尻だなあ……しみじみ。

 あー、なんか底の浅い男×男なシーンがあるが、あれはわたし的にどーでもいー。酒井は男女シーン作ってる方がいいよ、腐女子寄りのものは作ろうと思わなくていいよ。素養ないんだから。

 
 『マラケシュ』があまりに濃すぎるんで、ショーの薄さがかえって気持ちいい。
 いい比重であり、いいカップリング作だと思う。


 花組大劇場公演千秋楽。樹里ちゃんのサヨナラショーのある日。
 芝居が終わったあと、チェリさんはわたしのベソかき顔を見て、言った。
「また泣いたんですか? 樹里ちゃんのことで?」
 んで、わたし。

「いや」

 めっちゃ素で、力強く否定していた。

 あまりにナチュラルに否定しきってしまったんで、あわてたよ。まるで樹里ちゃんの退団を嘆いてないみたいじゃないか。それはあまりに外聞が悪かろう……というか、周囲に樹里ちゃんファンがいたら傷つくんじゃないかとか、小心者のわたしは咄嗟にいろいろ(笑)。
 樹里ちゃんとの別れはかなしいよ。もうあのかわいい色男と会えないのかと思うと泣けてくるよ。

 でも、そのときは、みんな忘れてた。

 これが退団公演だとか、さよならだとか。
 ごめん、わたしほんとに忘れてたんだ。

 ただ、『マラケシュ・紅の墓標』を、夢中になって観ていたの。

 この物語と、お別れなんだと思うと、ことさら思い知らされたんだ。どれほど好きだったか。
 この答えのない、投げっぱなしの美しい絶望に身を浸らせ、じわじわと身体が沈んでいくのをたのしんでいた。
 手足が沈み、身体が沈み、もうじき顔も沈んでしまう。そうしたら、息ができなくなるね。しんじゃうのかな? それもすてきね。
 そんな感覚。

 
 わたし的に、この物語のいちばんの見どころは、回想シーンのパリの、螺旋階段だと思う。

 螺旋階段には、歪んだ人たちが立つ。

 「夢幻のように、パリの夜に羽ばたく白鳥」であり、「野良犬のように、パリの片隅に落ちているしあわせを探す」レヴュー・スター、イヴェット。

「すばらしいわオリガ」と歌う、過去の栄光と価値観だけに凝り固まった亡命貴族、ナターリャ。

 そして。

 渇望と絶望を胸に抱いた青年、リュドヴィーク。

 
 オリガと金の薔薇の物語が展開されている間、リュドヴィークはひとり、螺旋階段にいる。
 放心したようにうずくまっていたり、なにかはかないものを見つめて喉をそらしていたりする。

 その姿は、あまりに幼く、また痛々しい。

 螺旋階段のリュドヴィーク。それが、この「物語」なんじゃないだろうか。

 事件が起こり、それによって人々の運命が変わっても。
 時が流れ、大人、と呼ばれる年齢になっても。
 世慣れて、他人に自分に嘘をつくことに慣れても、あきらめることや誤魔化すことに慣れても。

 リュドヴィークは、変わっていない。
 螺旋階段でうずくまっていた青年。
 彼の魂は、あのときのまま。
 だからこそこの物語は、彼を中心に回る。

 
 そして、ヒロインのイヴェット。螺旋階段のイヴ。
 リュドヴィークとはおそらく、光と影、1枚の羽の裏と表。
 彼女の絶望と渇望が、リュドヴィークの物語に絡み、回りはじめる。

 イヴェットは、変わっていない。
 螺旋階段で荒廃の瞳で歌っていた女。
 彼女の魂は、あのときのまま。
 リュドヴィークと出会い、彼の物語に絡んで回るだけに任せ、彼女の物語はそこで静止する。

 
 オギーは同じモチーフというか、「イメージ」を繰り返し使う人だけど、「螺旋階段」と「イヴ」は、リンクしている気がする。
 『螺旋のオルフェ』の舞台がパリであり、一発の銃声と引き金、過去だけを見つめ続ける「イヴ」、「螺旋階段」は確信犯だろう。
 イヴェットは、「もうひとりのイヴ」であり、『マラケシュ』は「もうひとつの『螺旋のオルフェ』」だろう。

 イヴェットをパリに残し、その罪を背負って逃げたリュドヴィーク。
 イヴ・ブランシェを主役にもう一度物語を書き、彼をふたつのキャラクタに分けたら、イヴェットとリュドヴィークになる。

 ……なんてな(笑)。

 なんせよ、パリのシーンの美しさと痛さは、すばらしいです。

 このシーンのために、この物語があるんだなあ。ここに絡まないから、レオンはやっぱりいなくてもいいキャラクタだったんだなあ。もしくは、もっと出番も重さも少ない扱いでいいキャラクタだったんだよなあ。でも樹里ちゃんのために膨らませたから、このわかりにくい物語は、さらにドツボったんだよなあ。
 樹里ちゃんが退団でなければ、ギュンター的位置の役(あて書き基本だから、役者が変われば役も変わるはず。だから、その位置に来る役)でもよかったろうになあ。
 それでも今のレオンが好きだし、今の『マラケシュ』が好きだから、ぜんぜんかまわないんだけど。
 個人的に、配役というかキャラというか演技というか、失敗してるのはギュンターとオリガだけだと思うし。

 『マラケシュ・紅の墓標』。
 この物語と別れることがかなしくてせつなくて、たまらなかった。
 東宝がある? 博多がある?
 そんなの、別物になるに決まってるじゃん。
 ショーの『ドルチェ・ヴィータ!』でさえ、ムラと東宝では別物だったのに。ムラの『ドルチェ・ヴィータ!』が好きだったわたしは、東宝は不思議なものを見る思いだったよ。同じなのに、同じじゃないから。
 進化してるとか、回を重ねるごとに役者がよくなっているとか、そーゆー問題じゃなくて。
 「今」を愛していたら、未来なんていらなくなるんだよ。
 未来はいずれ、「今」になるとしてもね。

 
 螺旋階段のイヴに会いたい。
 リュドヴィークとイヴェット。

 あの、傷だらけの美しい人たちに、会いたいよ。


 わたしは、おぼえている。
 宙組大劇場公演『ファントム』初日。
 銀橋で抱き合ったふたりの男。
 エリック@たかこと、キャリエール@樹里。
 鳴りやまない拍手。
 芝居の進行が止まり、ただ拍手だけに満たされた瞬間。
 人々の感動が、爆発した瞬間。

 おぼえているさ。
 萌えたからな(笑)。

 なにかで、樹里ちゃんの退団を決めた理由を読んだ。いろいろ語っていたけど、きっかけとしてあげていたのが、この『ファントム』初日の拍手だった。

 ほんとうのことなんて本人にしかわからないし、それがほんとうならあの拍手がなければ樹里は辞めずにいてくれたのかとか、でもすばらしい舞台だった舞台人として最高の瞬間だったろうとか、いろいろ考えはするけど、それら全部置いておいて。

 感動したのは、想いは伝わるんだってこと。

 客席にいるわたしたちの想いだって、舞台に届くんだってこと。

 退団公演っていうのは特別で、客席をも巻き込んだ一体感がある。
 でもあのときの『ファントム』はスターの退団公演じゃなかったし、千秋楽でもなかった。
 タカラヅカの舞台は、スターが出てきてうれしいの拍手や、お約束手拍子と、客席の人間も忙しく参加させられたりするもんだけど、それらともまったく別。
 どこでどんなふうになるかわからないまま、拍手のタイミングすらわからないまま観ている初日。

 そこで、拍手が起こった。

 お約束でもお義理でもなく、自発的な拍手。
 熱い熱い拍手。
 感動した。それを表現する拍手。

 あの音をおぼえている。

 うれしくてしあわせで、そしてどこかせつない音だった。

 感情を表現する楽器となり、手を叩いた。
 芝居は止まり、銀橋で、長い間愛に飢えつづけた青年が、はじめて愛するひとに抱かれていた。
 自分から抱きしめることのできない、愛し方も愛され方も知らないエリックを、キャリエールが強く抱きしめていた。
 鳴り続ける音の中で。

 あの音をおぼえているから。

 そのことを退団を決めたきっかけだと言われれば、うなずくしかない。
 そうか、と。

 だってそれくらい、すばらしい瞬間だった。
 客席にいたわたしは、そのことを伝えたくて拍手をした。みんなみんな、拍手をした。
 伝わるんだ。まっすぐな想いは。

 そして、花組公演千秋楽。
 はっち組長さんが読み上げる樹里ちゃんの経歴の中で、改めて語られた。『ファントム』初日、銀橋のシーンで、芝居が止まるほどの拍手を受けた。そのとき退団を決意したと。

 それは、誇りだね、樹里ちゃん。そして、樹里ちゃんを好きな人たち。役者としてあれほどの拍手を得て、役者として次の道に進むことを決めた人なんだ。それは、誇りだよ。

 サヨナラショーのクライマックスは、その『ファントム』の銀橋シーンだった。
 深い慈愛の歌声、キャリエール。
 彼の愛を受けるのは、あの繊細な少年のような男ではなく、静かな強さを持つ青年だった。オサちゃん演じるエリック。
 劇団を代表する「歌手」ふたりのデュエット。

 春野寿美礼に、『ファントム』を歌って欲しい。それは多くのタカラヅカファンがのぞんでいたことのひとつだろう。彼の声で、あの名曲が聴きたい。
 その願いは今、最良のカタチでかなえられた。

 旅立っていくひとを祝福し、見送る。
 その愛しくもせつない想いをこめて。
 オペラ座の怪人が歌う。愛の歌。響きわたり、包み込む声。

 樹里ちゃんと寿美礼ちゃんの、『ファントム』!!
 ほんとに、ものすげーものを聴かせていただきました。
 鳥肌もの。

 そしてそして、最後の、抱擁シーン。
 エリックはキャリエールの胸にもたれかかり、キャリエールがエリックを抱きしめる、あの抱擁。

 しっかりと、双方が相手の身体に腕を回して、抱きしめあってましたっ。鼻息っ。

 本気で抱き合う、黒燕尾の男たちっ!鼻息っ。

 最高です。いいもの見せてもらいました。
 さらにこいつらときたら、カーテンコールでも愉快にラヴいことをしてくれたんで、ヲタクも大満足な展開っすよ。
 カーテンコールで、樹里ちゃんになにか喋るよーに前へ押し出した寿美礼ちゃん。でも樹里ちゃんは、マイクを持っていない。「持ってないんだ?!」と、めっちゃ素な、そして男の子っぽい声をあげた寿美礼ちゃん、自分のマイクを貸してあげたくても、彼のマイクは頬に装着されているタイプ。手渡すことはできない。
 結果。頬を近づけて、樹里ちゃんに喋ってもらうことに。頬のマイク万歳。このマイクをこれほどすばらしいと思ったことはなかったよ(笑)。
 ショーの「アランフェス」のシーンとかも、ぜんぜん萌えたことないのに、サヨナラショー以降で萌えてどうするよ……もう終わりだよ……。

 ほんとうに、すばらしいサヨナラショーであり、最後のご挨拶だった。
 樹里ちゃんは樹里ちゃんらしくて、最後まであったかく笑わせてくれた。

 チェリさんと一緒だったこともあり、過去の傷がうずくことなく樹里ちゃんを見送れたと、自分では思っていた。
 友だちとお喋りするのがたのしくて、けらけら笑ってばかりの1日だった。そりゃまー、公演観ながらだだ泣きして、今回は何故か涙より鼻水がすごくて鼻の下がひりひりするくらい拭き続けていたけど、それはべつに、あたりまえのことなんで、特にどうということもなく。
 ああ、たのしい1日だった、とご機嫌で帰ったのに。

 何故だ。
 翌日、ぼろぼろ泣いた。いつまでたっても、泣けて泣けて仕方なかった。
 千秋楽当日は、あんなに笑ってたのに。ただせつない幸福感があっただけなのに。

 樹里ちゃんの笑顔は、じわじわとわたしを浸食したらしい。
 忘れられない、あのせつない音と共に。


 エラーで消えてしまった日記の書き直し。
 2度目なんで、簡潔にいきます。

 『さすらいの果てに』なんですが、わたしはいろいろ記憶ちがいをしているよーなんですわ。
 壮くんVer.と、キムVer.は、わたしが思っていた以上に変更がある。
 だから、わたしがよりすんなりと作品に入り込めたのは、その変更の力があったということかもしれない。

 なにしろ、壮くんVer.を観たときいちばん気になった台詞「せっかく追い詰めたのに!」が、キムVer.で「せっかく突きとめたのに!」に変わっていたのに、気づいてないのよ、わたし!

 どれほど、思いこみだけで、嘘の日記書いてるかわかりそーなものねー。とほほ。

 
 この事実によって、気づいたことがあるの。

 どうやらわたしは、台詞の変更も気づかないくらい、夢中で音月桂を見ていたらしい、ということ。

 わたしはどうも、音月桂という役者が相当好きであるらしい。

 ……や、もちろん、ずっと好きだったさ。顔も声も、そしてあの毒も温度も好きだよ。それこそ、花の道沿いのプレハブ仮設店舗『パスタ』の2階でプリクラシールを見たときからずっと好きだよ(って、いつの話だ……)。←注・震災で倒壊したゆえの臨時店舗『パスタ』は、シール貼り放題だった。いろんな場所に千社札とシールが貼ってあったのだ。FC制作のシールやプリクラを探して眺めるのがたのしかった。わたしとキムくんの最初の出会いは、『パスタ』のシールだ。

 好きは好きだったけど。
 それは、ジェンヌとして好きだって意味だった。

 気づいたのは、「役者」として、好きであるということ。

 音月桂が「主役」として「真ん中」に立ち、本気で演じてみせたとき、わたしは魅了される。
 『スサノオ』新人公演がそうだった。
 わたしに勇気と根性があれば、スタオベしたいくらいの勢いで、感動した。
 ……『さすらいの果てに』も、スタオベOKだったよ、あたしゃ。先に壮くんVer.観てるから、作品がどれだけ駄作か知ってるんだもん。それを「とりあえず、商業作品レベルまで力技で持っていく」ことに、めちゃくちゃ感動した。

 演技ってのは、「感性」による部分が大きい。
 「正解」や「点数」が存在しないものだからだ。
 ある人には「この人、すっげー演技うまいっ」と感じられる演技が、ある人には「引っ込め下手くそ!」と感じられてしまうことが、いくらでもある。

 だからキムくんが演技巧者かどうかを論じるつもりはない。同じ役を演じた壮くんを引き合いに出すつもりもない。

 ただわたしは、音月桂という役者と、とても波長が合う。
 彼の演技には、引き込まれるんだ。

 はじめて気づいた。
 わたしは、音月桂という「役者」を、相当好きらしい。

 それこそ、いちばんこだわっていたはずの台詞の変更にも気づかないくらい。

 
 あー、その。
 ここで自分的にかーなーりおどろいているのはさ。

 タカラジェンヌ・キムくんとしてはべつに、とりたててときめいたことがないからなんだわ……。
 好きは好きだけど、「雪組では誰が好き?」と聞かれて10人挙げる中に入っているレベルの好き、とゆーか。確実にハマコよりあとから名前が出そうだとか、下手したら、まちかめぐるよりあとかもしんないとか……。
 や、10人じゃないな。5人の中には入るな。かっしー、コムちゃん、ハマコ、キム……おし、4番目だ(今、あわてて数えた)。
 次から水しぇんが雪組カウントに入るから、5番目だな……。

 なのにたぶんわたし、他の誰より、音月桂が好きなのかもしれない。
 つったら、おどろくよ。
 ヲトメハートなしで、真ん中から目が離せなくなった人なんていないもん。

 ケロとか水しぇんとか寿美礼ちゃんとかは、ヲトメハートで目が離れない人だもん。
 ドキドキしちゃう人だもん。

 音月桂は、それとはまったく別。
 「役者」として、好きなんだ。

 自分的に、この発見はびっくりだ。

 
 いつか音月桂に、「ヲトメ」としてときめくことがあれば、すこーんと恋に落ちそうな気がする。


 ありゃ?

 『Elizabeth Special Box』って、全部が全部、豪華化粧箱入りシリアルナンバー刻印アリなわけ??

 わたしゃてっきり、DVD・5枚組を買った人のみの特典だと思っていたよ。

 特典ディスクのみの人は、「手持ちのDVDを収納してね♪」なプラスチックケースだけだと、思い込んでた。
 だってそれくらい差別化しないと、5枚組セット、べらぼーに高いやん……。すでにいくつかの組の『エリザベート』DVDを持っているかもしれないのに、つーかヅカファンの多くはすでに持っているだろうに、それでも「買え」というからには、なにか「特別感」があるものだとばかり。

 
 とゆーわたしは、特典ディスクのみの購入っす。
 送料がもったいないので、もちろんキャトレへ引き取りに行きましたですよ。

 なんか、ものすげー重いなあ、とは思ってたんだけどね……まさか化粧箱付きだとは思ってなかったからさー。

 だって、DVDセット買ってないのに、「5万円以上出して全エリザを購入したアナタはファンの鑑! その証の豪華化粧箱! 黄金のシリアルナンバー・プレートですよ!」とかされても、「……はあ。すみません」って感じじゃん。
 いくら『エリザベート』という作品が好きでも、全組好きとは限らないし、撮りがひどい組のもあるし。
 今さら、5枚セットは買えない……そんなわたしにも、ファンの証のシリアルナンバー。

 いや、引き取ってはきたけど、未開封のまま放置してあったんで、どんな姿で特典ディスクが入ってるのか知らなかったのよ。
 ひとさまのブログ読んで、びっくりして今、はじめて開けた。

 ビロードですか、この外装は。雪色ですよ、ロマンですわね。
 金色の金具、金色のプレート。

 わたしのシリアルナンバーは、1635でした。

 ふーん、1635……い(1)ろ(6)ごのみ(3)のゴー……色好みの暁郷っ?! とか、つまんねー連想してみたり。

 宝くじやってくんないかな、このナンバーで。

 
 そーいやムラのキャトレ、特別コーナー作ってこのDVD−BOXの受け渡しやってんだけど。
 たぶん、タダでもらっていくことも可能だ……。わたしはうっかり、タダで商品持ち帰りそーになったよ……あわてて戻って、お金払ったけど。チェックゆるいっす。
 ほんとに、バレないな、アレは。予約票さえあれば、混雑時を狙っていけばタダでGETできるぞ(悪のささやき・笑)。

 
 せっかく開封したけれど、特典ディスクは見てません。
 ウチのDVDデッキ、ほぼ24時間稼働中だから(笑)。今も某ドラマをダビング中。……特典ディスク、入れるスキマなし。

 あ。
 今、問題の「豪華化粧箱+シリアルナンバー・プレート付き」を膝の上に載せて、キーを打ってたんだけど。
 猫が後ろ足で立って「豪華化粧箱」に頭突きくらわせてるよ……あー、毛だらけだービロードって、猫の毛には一発でアウトだよな。
 猫は「箱をどけろ」、と言いたかったらしい。「豪華化粧箱」を降ろすと、かわりに自分がいそいそ膝の上に乗ってきた。

 そして、この身を持って知る。

 猫よりも、「豪華化粧箱」の方が、はるかに重い。

 中、DVD1枚しか入ってないのに……5枚分はケースだけなのに……。

 
 『さすらいの果てに』キムくんバージョンを観てきました、感想その2。

 今回改めて考えさせられたのは、「歌唱力の重要性」だ。
 たびたび例に出してアレだが、トンデモお笑い芝居『天の鼓』、アレなんかはものすごい顔ぶれだった。花組を代表する歌手がぞろりそろって出演していたんだ。
 あのしっちゃかめっちゃかな芝居を支えていたモノのひとつは、まちがいなく「歌」だ。
 どんなに破綻していても世のことわりに反していても、歌に聴き惚れていたら、誤魔化されてしまう。作品のめちゃくちゃさと歌のすばらしさは別だからだ。
 今回の『さすらいの果てに』も同じことがいえる。歌に聴き入っていると、他のアラに気が回らなくなる。うん、聴いている間はね。芝居パートになって、まためちゃくちゃなことをされると、「あちゃー」と思うけど。すぐまた歌になって、誤魔化される。その繰り返し。
 歌唱力ってのは、ここまで「力」になるのか。
 主題歌その他、けっこーいろんなアレンジでリプライズしていたんだ。はじめて気づいた。いつも全部同じ、じゃなかったんだ。そのときのジェフリーの立場や心情にリンクした歌だったんだ。知らなかった。
 ふつーに台詞を喋っていた芝居パートから、歌になる。この流れが自然だったことも大きい。芝居と歌がぶつ切れでなく、芝居の延長として、感情の表現として歌があることを、きちんと見せてくれた。

 だからなーんか誤魔化されちゃって、笑えなかったんだよなあ。お笑い作品認定だったのに。ジェフリーの感情がなめらかに表現されていたので、キ*ガイに見えなかった……。
 台詞の変更は大きかったよ。恋人に「必ず帰るよ」と約束したくせに、そんなことはきれーに忘却、死んでもいいんだボクなんか、とわけわかんねーことをほざいて格好つけていた、ひどい台詞がなくなっていた。恋人のもとへ帰るためにも、今をがんばるんだ、つー、とりあえず筋の通った会話になっていた。
 この変更により、ジェフリーとエレノアのラヴストーリーとしてきちんと成立した感がある。

 でもお笑い芝居にならなかったのは、この変更だけのことじゃないよなあ。だって、大きな変更はそれだけだったもん。

 わたしを震撼させた台詞「せっかく追いつめたのに!」はそのままだった。追いつめたって、なにソレ。なにも追いつめてない、なにもしてない、ただ偶然ばったり会っただけじゃん!! てゆーか、そもそも犯人だという証拠もなにもないんだから! あんたの思いこみにすぎないでしょう?! とゆー、最低最悪の台詞。脳内で事実を都合よく歪曲する、とても気持ち悪い行動。
 この台詞は、変更なし。
 なのに。
 べつに、気持ち悪くなかった。
 せっかく追いつめた、というのは、たまたま偶然会ったことを言ってるわけじゃないんだ。会って、上官立ち会いの元で質問をする、このやりとりのことを言ってるんだ。
 びっくりだ……ジェフリーが精神異常者に見えない……。ふつーの青年に見える……。

 たしかに、脚本は悪いよ。最悪さ。
 でも、脚本だけの問題じゃなかったんだ。

 ラストのヒロインとの再会も、笑いが起きなかった。
 台詞も演出も変わってないはずなのに。ドリフのコントみたいに、観客が笑うシーンだと思っていたのに。
 ふ、ふつーの恋愛モノみたいになってる……コントじゃない……。

 笑う気満々で行ったのに、笑えなくてうろたえた。
 同じ脚本でここまで別物ですか……すげえや。
 いいもん観ました。純粋に、「あの駄作をここまで!」という感動と、「板に載ってしまえば、芝居は役者のモノ」という言葉を実感できたことに意味があると思いました。
 完全に別カテゴリの別作品だったから、ちがうタイトルの作品を観た、というお得感があるよ。『お笑いの果てに』と『さすらいの果てに』と、ふたつの作品を観たんだ、わたし。
 両方観られてよかった。

 
 さて、主役のキムくん。
 幕開きから、あの微妙な赤い軍服着てひとりで立っているわけだけど。
 小さっ!! と、おどろいてしまったよ。雪組は小柄な組とはいえ、同じ衣装を着た壮くんを見たあとでは、きついわなぁ。
 うわー、ちっちぇなー、ちっちぇなー、と思って見ていたんだけど。
 途中から、気にならなくなった。
 相当バランスのいいスタイルをしてるんだねえ。他のキャストと比べても、ミニマムながらのスタイルのよさはよーっくわかった。これであともう少しでも身長があれば、なんの問題もないのにねー。惜しいねえ。まだキムくん若いんだから、これから身長伸びないかなあ。わたしは20代の間はずっとじわじわ伸びていたぞ。こんな奴もいるんだから、キムくんだって伸びるかも……無理かなあ。
 まあ、キムくんの場合、小さいけどオトコマエってのがかっこいいんだけどね。
 歌は快感なほどうまいし、演技にしろ余裕。なにより、熱があるのがいい。ほらわたし、半端な温度の人、好きじゃないから。熱いか冷たいかどっちか極めてくれる方が好き。
 キムは明るい太陽キャラ。それでいて、熱い。毒すら含む、熱さ。
 このまま驀進してくれ。

 『お笑いの果てに』では、ヒロインはエドウィン@かなめだったけど、『さすらいの果てに』では、エレノア@かおりちゃんだった。
 なにより歌声のすばらしさ。
 歌えるヒロインっていいなあ。キムとふたりでハモっちゃうと至福の空間になるよ。
 押し出しのいい美人さんなので、これからもたのしみだ。
 …………願わくば、もー少しやせてくれるとなお美しいだろう。フィナーレ・ドレスの二の腕見て、親近感をおぼえてしまったよ……。

 ヒロインではなく、あくまでも上官+友人の位置に落ち着いたエドウィン@コマくん。同じくらい小柄だから、キムくんの横にいるとバランスが苦しく見えちゃったけど、まあそこはソレ。
 かわいこちゃんキャラとしてしか知らなかったので、まっとーに濃い男をやっているのが新鮮。底力があるよねえ。
 なんかコマくん見ててさ、しみじみ思ったよー。

 あさこ、コマ、きりやんと並べて、グラデーションを作ってみたい。

 おもしろいと思うけどなー、この3人が並んでくるくる踊ってたら。

 刑事@そらくんを見て、隣のkineさんが肩をふるわせてました。正直な奴(笑)。
 やりすぎで変なキャラになってたけど、美しいから説得力になっていたと思うよ。
 へんだなあ、刑事さんはふつーに仕事しているだけの人なのに、どーしてこの作品では「悪」として描かれてるんだろー。ま、超駄作になに言っても無駄だけどさ。

 クレイトン@宙輝れいか、とにかく潔い姿で目についたんだわ、芝居では。中年悪役を演じるための役作りで肉布団着込んでふくれあがり、ライバルは汝鳥伶!てなスタイルになってまで、役を追及するのか、すげえや。と、思ってたのよ。
 だからフィナーレのフリルおブラウス姿を見て、顎が落ちた。
 役作りのための肉布団やなくて、本物のお肉やったんかいっ!

 そらくんがクレイトンでもよかったんでは……?

 
 それにしても、今日一日主題歌がアタマの中を回ってたよ。歌は偉大だなー。


 トップスターの条件とは、なんですか?

 華? 美貌? 歌唱力? 演技力? ダンス? スタイルとか?

 その答えを、思い知りました。

 どーしよーもない駄作を、無理矢理どーにかしてしまう、力技。

 お笑いコント芝居『さすらいの果てに』、音月桂バージョンを観てきました。
 壮一帆バージョンを観て、腹を抱えて笑った超駄作。壊れきっていたキ*ガイ作品。
 さて、それをキムくんはどう料理するか。
 多少台詞の変更はあるそうだから、少しはマシになっているとはいえ、その程度じゃどーしよーもない超駄作。爆笑するしかない壊れっぷり。そいつが役替わりして、さらにキャストが下級生ばかりになったキム主役バージョンは、いかがなものか。

 おどろいたことは。

 …………駄作だということが、誤魔化されてしまった。

 だ、駄作だよね、これ。壊れきってるよ、ね?
 なのに、それほど気にならない。
「書斎から出てきただけで犯人決定かよ!」とか、「いきなり復讐かいっ?!」とか、ツッコミどころはいろいろあるんだが、全体として超駄作とは思わなかった。もちろん脚本ダメダメのしょーもない話なんだが、まだいちおーふつーの範疇?

 それが、音月桂の力だ。

 びびびびっくりだー。同じ作品なのに。脚本は壊れきってるのに。
 壊れていることが、気にならなくなる。

 だって、歌声があまりに心地よくて。
 熱く細やかな芝居が、饒舌で。

 その歌声に、演技に魅入っていたら、駄作だってことを、忘れてしまう。
 なんかよくわかんないけど、いいもん観たなー。という気になってしまう……。

 おろおろ。
 びびびびっくりだー。予想だにしていなかった現実にうろたえる(笑)。

 駄作なのに、キ*ガイ作品なのに、誤魔化されてしまった。力技で。

 そうか、そうなんだ。
 タカラヅカのスターに必要なのは、美貌でも技術力でもないんだ。そりゃ、それらはあった方がいいに決まってるけど、それより大切なことがある。
 それを目の当たりにした。

 どーしよーもない駄作を、無理矢理どーにかしてしまう、力技。

 だってさ、ヅカの作品なんてもの、7割が駄作でしょう? んで2割がふつー、1割がよい作品、ぐらい?
 つまり、駄作であたりまえなのよ。
 少ないトップ任期作品、限られた主演作品で、アタリを引く確率なんて10分の1程度よ。7割は駄作なんだから。
 問題は、その駄作をどう料理するかよ。

 駄作はあたりまえ、だからこそその駄作を力技で「金を取ってもいいレベルに立て直す」のが、トップスターの仕事。

 どんなに華があろうと、技術があろうと、駄作を駄作のまま見せられるのはたまらない……。
 駄作をなんとか料理してしまう力を持つのが、トップスターの条件なんだわ!!

 
 てなことを、心底思い知りました。

 音月桂、おそるべし!!

 
 うまい人だとは思っていたよ。知っていたよ。
 歌唱力も美貌も、はじめからわかっていたことさ。
 しかし、ここまでとは思わなかった。
 だって今まで、「かわいこちゃん」だと思ってたんだもん。小さくても攻キャラだし、性格悪いんだろうな(笑)と勝手に思ってしまうはね返りぶりとかを、愛でてきたんだもん。
 若くてかわいい、男の子。なまじ実力があるから不遜さもある、ジャニーズ系美少年。

 だったのに。

 かっこいい……っ!

 はぢめて思いました、キムを見て。
 すまん、はじめてだ。「かわいい」はあっても、「かっこいい」はなかったんだよ、今まで。

 えーとえーと、ジェフリー少尉、キャラちがってますがな。
 あの熱さと、ふてぶてしさはなんなの?

 恋人と踊るとき、抱くとき、ときおりにやり、と黒い笑いを浮かべるのはナニ?
 敵と戦うとき、殺すとき、ときおりにやり、と黒い笑いを浮かべるのはナニ?

 あの分厚い唇を歪める、イヤラシイ微笑はなんなの?!

 くらくら。
 ジャニーズ系美少年なのに。小柄なかわいこちゃんなはずなのに。
 かわいい容姿を武器にした、ものごっつ世慣れた大人の男がいますよ!!

 壮くんジェフリーを見たときは、「こいつ、絶対ドーテー」と思ったのに、キムジェフリーは、「女ともふつーにつきあった経験ありますね、そーですね」と思えた。でないと、幼なじみの恋人とのデュエットダンスであんな笑い方しないわっ。

 そして、客席へのアピール力にもびっくり。芝居なのよ? ショーじゃないのよ?
 恋人とデュエットダンスしていても、戦闘シーンだ乱戦だとやっていても、そしてもちろんフィナーレでも、客席に目線来る来る、流し目と片頬ゆがめるあの笑い、そしてウインク、と、アピールしまくる。
 なんなんですか。どこの大スターですか。
 新公卒業したばっかの小僧っこのしていいことですか。

 あたしゃ、脇の下級生見る気満々で行ったのよ。キムのことはもう知ってるから、新しい発見を求めて、下級生チェックする気だったのに。
 なのに、どーゆーこと。

 真ん中の、キムから視線が剥がれない。

 いったんキムのアピールに捕まってしまうと、そのまま目を離せなくなる。
 わ、脇が見たいのに。なんであたし、キムだけ見てるのっ?!

 えーと。
 口元を歪める黒い笑いは、キム独特のものだ。「ジェフリー」という役だからそんな笑い方をしているわけじゃない。
 つまり、そこにいるのは「ジェフリー」ではなく「キム」なんだよね。
 だから、役作りが正しいかどうかはわからない。「ジェフリー」は発展途上の若者の役だから、若い「キム」まんまでもおかしいわけじゃないから。
 だけど「ジェフリー」として作っている真面目さやまっすぐさの上に、「キム」という「持ち味」を載せて「作品」を自分ひとりの色で染め上げる力に、感動した。

 タカラヅカの主役って、こーゆーもんだろ?

 ピラミッドの頂点に立つ、トップスターってやつは。
 作品も舞台も設定も、すべてがトップスターを中心に形成される。
 トップスターは、「タカラヅカ」という虚構の世界の全能神でなければならない。
 たとえ作品が壊れていても、役が薄くておいしくなくても、力技で「オレ様が世界の中心」とねじ伏せてくれなくちゃだわ。

 そうさ。
 見渡す限り観客が爆睡していた芝居でも、クライマックスで楊貴妃の死を嘆きながら、銀橋を渡る某皇帝陛下の姿を見たら、よくわかんねーけど感情移入してもらい泣きし、「なんかいい芝居観たかも?」と思わせてしまう……それが、トップスターの仕事だよな?

 キムくん見て、思い知りました。
 すげえや。

 
 あー、でも。
 キムのおかげで、なんか作品がふつーに見えて、ちっとも爆笑できなかったっすよ。
 壮くんのときの、笑える芝居も好きだったのにな。


 越リュウ様ラヴのもずえさんは、凰稀かなめくんをとても気に入ったご様子。
 いや実際、エドウィン@さすらいの果てに、は、すばらしかったからねええ。

 そーいやわたし、エドウィン見てて、なーんか思ったことがあったのよ。
 もずえさんと話していて、思い出したよ。なにを思ったのか。

 凰稀かなめって、「越リュウを美形にしました」って感じだよね?

 いやその、越リュウが美形でないとゆー意味では……ある、けど……えーとえーと。
 越リュウは美形というよりは、「色男」だからさー。
 なまじきらきらした美形でないぶん、さらにかっこいーとゆーか、色気があるとゆーか。
 そーゆー人だもん。
(ちなみに、わたしが越リュウに惚れたのは『シンデレラ・ロック』のオカマさん役でです……本公演1回観たっきり、ビデオも見てないんで、当時の記憶のみで語るが、すげーうまくて本物の男性が演じるオカマさんのよーだった。誉め言葉。んでうれしがって『おとめ』見て、顎が落ちた……うわ、ケロと同じパターン)
 越リュウ大好きです。美形でないからこそ、さらに好き。大人の男はかくあるべし、てな素敵さ加減。ひゅーひゅー。

 とはいえ、今まで見てきたかなめくんは微妙に女の子っぽいから、越リュウ発展系に見えたのは、エドウィン限定かもしれないが。

 なんにせよ、越リュウ系の男役は超絶貴重なんで、かなめくんの成長を心から応援したいと思う。

 てゆーか、やっぱすげえよ、越リュウに美貌だよ? 天下取れるよ、そんな最終兵器!


 『TCAスペシャル2005』の話、その3。

「ひとつだけ言わせてください。綺華れいと凰稀かなめの、チャイナドレス!!」

 予備知識はいやん、なにも言わないで、と言ったわたしに、先に観ていたkineさんは言った。

 そ、そうか。
 これだけは言わないといかんわけか。さすがだkineさん。

 そして「水かな命」のデイジーちゃんは、

「一徳先生が今目の前にいたら、抱きしめているかもしれません」(真顔)

 え、えーと。
 今まで「中村B」呼ばわりだったのに、「一徳先生」になってるよ、呼び方……。
 一徳せんせー、残念だったねえ。デイジーちゃんはマジで相当な美人さん(しかも巨乳)なんで、抱きつかれたら至福だったと思うよ……。

 
 そんなこんなで、あとはわたしの感想羅列。ふつーの歌謡ショーだったんで、まとまった文章にするのもめんどー。
 

 トウコちゃんが懐かしい。
 だってアイーダちゃんは別枠だもの、「男役」のトウコちゃんに飢えている。トウコ〜〜、トウコ〜〜、トウコ〜〜。
 会えてうれしい。
 でもやっぱりトウコちゃん、軍服似合わないね……(笑)。

 ところでトウコって、あんなに胸元開ける人だっけ? 銀橋歩いてたとき、いつもより露出高い気がしてうろたえた。
 女役でどれほど露出していてもなんとも思わないが、男役では少しの露出でどきどきするものだなあ(笑)。

 檀ちゃんオトコマエ。
 立っていてもオトコマエ。喋ってなおオトコマエ。それでこそ星娘。

 ウメちゃんオトコマエ。
 立っていてもオトコマエ。スカートさばき、オトコマエ。太腿もパンツも見たけりゃ見なッ!てな勢い。それでこそ星娘。

 しいちゃん、笑顔きらきら。
 うわわわ、しいちゃんだー。わーいわーいわーい。
 太陽の笑顔。
 そして。
 太陽のように、まんまる……。
 ふ、太ったね……人生最大のまるまるぶりでわ……?

 ワタさん……ははは、ほんとに歌、すごいや(笑)。
 なんか、「ああ、ワタさんだわー」とほっこりした。
 ラダメスのときはあまり感じないけど、アリスティドをやられると破壊力にくらくらするんだわー。ほんまに歌下手や〜〜(笑)。
 でも、ワタさんだからいいの(はぁと)。

 ワタさんとコムちゃんが並んでると、なんかわくわくする。

 たかことワタさんが並んでいても、なんかわくわくする。

 ふーちゃんのバックで踊る男たち。そのか、オヅキ、そして七十。
 野郎系ばっかかよ。どーゆー人選なんだ。
 男臭い野郎どもの中で、七帆くんひとりがすっきり二枚目さん。ま、負けるな七帆!
 そしてこの、ふんどし系野郎ども(七帆くんはふんどし不可)のあのフェアリ〜な衣装はなんなんですか。体育大学空手部の余興みたいですよ。

 一転、お花様は、みつる、りせ、しゅん、和と美少年をはべらせている。
 この差はいったい……。
 そして、七帆くんは何故、野郎系分類なんだ……?

 てゆーか、花ちゃん、いろんな意味ですごいよな。

 トウコ、ゆみこ、かなみちゃんの歌声に癒される。あー……。

 『バロック千一夜』の主題歌は、やはりとんでもないと思う。
 あ、関係ないけど、ここで豆知識!
 『バロック千一夜』ムラ楽、トド様がアドリブでたかちゃんにKISSしてました。ブチュ〜〜っと。んで、「あー、おいしかった♪」と言ってました。
 場内爆笑だった……ええ、あのころの理事様は研11、やんちゃな男の子だったからなー。

 寿美礼ちゃんがなんか全開で笑顔なのが、ちとこわかった……そのテンションはなんなの……全編笑ってる……?
 そのくせ、持ち歌『世界の終わりの夜に』になると、一転してナルシス全開。
 すばらしい歌声……うっとり。わたしやっぱり寿美礼ちゃんの歌声好き。大好き。

 『大上海』、ひさしぶりに聴いた……こんな歌だっけねえ。しかし、せっかくのチャイナ服たかこを堪能することも出来ず、後ろのゆかり&かなめに釘付け。
 うおお、かなめくんの脚に触ってみてえ……。

 んで、このチャイナドレスの美女ふたりと、たかこの絡みを期待したんですが。
 なんで絡まないのっ?!

 水くんが雪組にいる……。えーと、えーと。

 なんかやたらと水×かなみん。なにがどうと思うより、デイジーちゃん、よかったね。としか思えないあたり……。

 あああ、いづるん……去年のTCAは男役だったのにー。一昨年のTCAではパロディ芝居にも出演していたのにー。

 ところでタニちゃんは大丈夫なんですか?
 なんかマジで心配になって、帰りの電車で友人とそのことばっか話してたんですけど。
 劇団はタニをどうしたいんだ……てゆーか、潰す気ですか? なんかもう、笑ってられなくなった。見ていてこわい。

 ビバ82期。らんとむ、すずみんは濃い。壮くんがんばれ。そしてあひくん……なんでそんなに薄いんだ……。
 さららんが恋しい……今ここに、さららんがいればッ!
 てか、すずみんとさららんを並べて見てみたい。双方手加減ナシでキザりまくってくれッ!!

 すずみん見てると、ほっとする。
 正しく「星組」って感じの彼。なんてたのしそうに舞台に立っているんだろう。

 かっしー、髪型変ー(笑)。でもかっしーだから平気〜〜(笑)。

 となみちゃん、あすかちゃん、華やか。でもとなみちゃん、お化粧変(笑)。

 気がつくと、まっつとそのかを探している。Myブームらしい。

 宙の巨人族がぱらぱらと目につく。目につくだけで、やはりインパクトに欠ける。

 樹里ちゃん。あああ、樹里ちゃ〜〜ん。

 トド様の声が好きだ。
 彼にはやはり、ずーんと低音で、迫力のある時代がかった歌を歌って欲しい。染色体XYの誇りをこめて!(えっ?)
 てゆーか何故『パッサージュ』? トド様の持ち歌なら、他にいくらでもありそうなのに。いや、『パッサージュ』が聴けてうれしいんだけど。

 『心の翼』はすばらしかった。
 この歌は、ヅカの財産だよね。

 
 とまあ、こんなところで。
 またなんか思い出したら、ひそかに追記していることでしょー。


 参加することに意義がある、『TCAスペシャル2005』

 毎年毎年書いていることだけど、ほんと『TCA』というのは、参加することに意義がある、つーもので、内容自体に期待してはイカンのだ。
 練習時間もなければ、セットにお金も掛けていないイベントだよ。通常公演のショーの方がレベル高いに決まってるって。

 今年わたしは、ひょっとしたらはじめて、自力でチケ取り成功しました。
 えーと、毎年観に行ってるよーな気がするが、考えてみれば、はじめてか……自力で取れたのって。チケ運ないからなぁ。
 ええ、はじめての自力で、「立ち見」ですよ。なんてわたしらしーギリギリなチケ運。
 友会は入力するのをすっかり忘れていたので、一般発売で取りました。
 たしか2分とか3分とかでつながったんだと思う。くわしい数字は忘れたが。
 つながるとは思ってなかったんで、「席種コードを入力してください」とか言われて、「はあ???」だったわ……てきとーに「3」ぐらいから順番に入力してみた。「6」でよーやく、「ご用意できました」、で、「立ち見」だったわけな。

 でもほんと、『TCA』は立ち見で十分だと思うよ。だって高いんだもん。そして、おもしろいかどうか、かなり微妙な催しなんだから。
 去年はA席で観たけど、デイジーちゃんとふたりですっげー怒って帰ったしな……(笑)。

 今までの経験から、『TCA』って当たりはずれが1年おきな気がする。
 アタリの年の翌年は、ハズレ。ハズレなくだらないイベントを高い金だして観たわけだから、その翌年はテンション下がったまま惰性で観劇し、「ええっ、おもしろいじゃん」と見直す……の、繰り返し。

 最近では、2002年のムラ版がハズレ、2003年は大アタリ、2004年はハズレ。
 だから順番からいって今年はアタリなハズ。

 ええ。
 アタリでした、わたし的に。
 すっげーたのしかった。

 
 タカラヅカの催しでなにがいちばんキライって言ったら、なんつってもサムいコントだからなー。
 『TCA』はこのサムいコント率が高いので危険(笑)。
 でも今年の『TCA』は正攻法に歌のショーで、つまんねーコントやMCがなかった。
 あああ、これはポイント高いよーっ。
 なつかしの『TMP音楽祭』のノリっていうか。この方がいいよ……サムいコントカマされるくらいなら。
 あとキライなのが、時代錯誤な自己満足臭ぷんぷんの芝居の1シーン再現。
 最近のものを別の組や人たちで再演、とかなら役替わりの意味もあって観ている方もたのしいだろーけど、わたしみたいなババアでさえ「生まれてません」な超絶古いものを1シーンだけやられても、心は冷えるばかり。
 だってどう考えても「現代」から観たら悪趣味でサムいもん。
 そんなものを観てよろこぶのは、その当時を知っている人だけでしょう? それも、その作品がよかったというより、そのころ過ごした自分の青春時代を思い出してよろこぶだけでしょう?
 そーゆー偏った自己愛が見えるものは、キライ。
 ……タカラヅカって基本的に、そーゆー自己愛で成り立ってるとこだけどさー。

 
 ふつーにコンサートなのがうれしかったよ。
 いろんなスターを一斉に眺められるコンサート!!
 トップから若手まで、ずらり並ぶと壮観。これがタカラヅカ90年の力。
 各組ではセンター付近で踊っている若手たちが、ここでは両脇の花道にまで押しやられてしまう、その現実。
 そうなんだよ、タカラヅカはこれだけ人材がいるのさ。一堂に集めてしまえば、今をときめくスターだって下っ端扱い。真ん中に立てるのは、トップのみ。
 そうやって、ピラミッドを築いてきたんだ。
 どんなトップスターも、そうやってひとつずつ階段を上り、真ん中までやってきたんだ。
 それを改めて知ることの出来る瞬間。
 シンプルで、スタンダードな構成に拍手。

 だからこそ、『TCA』はナマで観ることにこだわったんだよなー。どんなに内容のハズレ率高くても、そのくせチケット代が高くても、駆けずり回ってチケ取りするのは、ナマで観ないと、好きな人が見られないから。
 若手はただのバックダンサー扱いだもんよー。そこそこのスターでも芯に立つ場面は少ないんだもんよー。
 テレビカメラはアテに出来ない。ナマで、この目で観なければっ。
 たとえただのバックダンサーであっても、出番が限られていても、光る子は光る。
 井の中の蛙状態の組の中でなく、他の組の同じよーな立場の子たちと共にステージに立ち、自分の組のファン以外の目をどれだけ惹きつけられるか。「あの子誰?」と思ってもらえるか。それが、このイベントに出る若手たちの醍醐味でしょう。
 組を超えることではじめて、その子のほんとーの魅力や実力、そして華が見えたりする。
 それが、たのしい。
 わくわくする。
 そーやって、毎年毎年、ナマで観ることにこだわってきた。

 いやあ、アホな再演芝居やコントで時間取られなかった分、このシンプルな「タカラヅカ」という構造が堪能できてよかったよー。
 そーゆーシーンに出られるのは、トップさんとわずかなスターだけだしさー。
 それよりふつーに「タカラヅカ」を観られて、たのしかった。

 
 つーことで。

 きゃー、まっつ、小さいっ!! まっつ小さ〜い、小さ〜い、きゃ〜、埋もれてる〜〜、かわい−−!! ←盲目的ファン反応。

 きゃー、そのか、小さいっ!! そのか小さ〜い、小さ〜い、きゃ〜、でもぜんぜん負けてない〜、ごつい−−!! ←盲目的ファン反応。

 
 最近わたし、小男好きに拍車がかかってるかもしれん……。若いころは、自分より背の低い男の子に興味なかったはずなのに……。
 トシ取ったってことかしらねー(笑)。


 コム姫、ひょっとしてわたしを見ているっ?!

 と、幸福なカンチガイに浸ってどきどきしました。

 『TCAスペシャル2005』!!

 カンチガイだと思うよ。思うけど。
 でもなんか、あのひとはわたしを見ていたような気がするの!!

 ははは。
 わたし、立ち見でした。

 立ち見なのに、目線もらえたなんて、カンチガイも甚だしい! と、お思いでしょう。
 わたしもさー、なにしろ立ち見だから、めっさ油断してぼーっと見ていたのよ。
 でも、2幕の後半、それぞれが持ち歌を歌いながら銀橋を渡るトップスターさんのシーンでさ。
 首を傾げたのよ。
 あれ? なんか変。って。
 まずワタさんが歌いながら歩いていった。わたしも、ぜんぜんふつーに見ていた。
 なのに。
 次のコムちゃん。
 あれ? なんか変。
 なんか……コムちゃん、こっち見てる。こっち……てゆーか、目が、合ってる??
 コム姫が、わたしを見ている?!
 おろおろおろ。な、なんでこんな?

 カンチガイにしても、華々しすぎるよね?
 立ち見だよ?
 あの巨大な劇場のいちばん端っこで、なんでこんなカンチガイを?

 ええ。
 わたし、立ち見のなかではたぶん、最高峰の場所にいました。

 立ち見ゾーンのなかの最もセンター、そして、左右に人なし、ひとりで悠々。
 わたしの数多い立ち見人生の中でも、最高の環境でしたわ。

 
 ムラでは、立ち見チケットの発売数が半分以下、3分の1近くまで減らされたのね。
 だから立ち見は1列が基本、センター寄りだけ2列って感じになっている。

 ムラの立ち見ゾーンは自由競争、取り合い奪い合い、弱肉強食。
 みんな手すりを求めて飽くなき戦いを繰り広げる。
 わたしは手すりに興味ないんでいつも、のんきに構えていた。だってさ、手すりって低すぎるから、かえって疲れるんだもん。あと20センチ高かったら、楽に立ち見できるんだがなー。

 立ち見ゾーンに、「センター」はない。
 ロープを張って、入れなくしてある。
 立っていいのは、サブセンとサイドだけ。
 だからみんな、サブセンの手すりを求めて戦う。

 わたしはサブセンの壁寄り、通路の真正面が定位置。
 壁にもたれて観劇、目の前は通路だから障害物なし。
 たまに通路に人が立っても(通路に立つのは反則。でもルールを守らない人も多い)、まあ、わたしの身長ならそれほど苦にならない。前へ前へとルール違反してまでやってくる人は、やっぱそれなりに小柄で、そうでもしないと見えない人が多いから、「仕方ないな」とあきらめる。

 さらに楽や初日・新公などを含むイベント時には、センター端にテレビカメラが設置されているので、わたしの定位置からはカメラのモニタが見えてお得。スターさんのアップがオペラグラスを使わなくても、そこに映ってるんだもん。

 本日ももちろん、この定位置を目指して行きました。
 そしたら。

 あれ?
 テレビカメラが、ない。

 カメラはいつものセンター端ではなく、A席を6列ほどつぶして、客席の中に設置されていた。あとは、サブセンター後ろにロープを張って、1台。
 おいおい、そんなことしたら立ち見ゾーンが狭くなってるじゃん……座席だって60席以上潰しているわけだし。
 もったいないことするなあ。

 でも、ふと見れば。

 センターブロックの手すりが、ひとりぶんだけ空いている……。

 通常のイベント公演なら、テレビカメラのいる位置。
 カメラがない今日は、ぽつんと空いてる。

 つーことで、わたしは戦う相手もないまま、あっさりセンターブロックにある唯一の手すりをGETしました。あ、左右対称だから、唯一っていっても、下手上手両方にあるけどさ。

 なんせひとりぶんの空間。
 左右には、誰も立たない。
 わたしひとり。
 センターブロックは立ち入り禁止でロープが張ってあるから誰もいないし、反対側は通路だから立ってはいけないことになってるし。そして今日は、誰もルール違反ナシで立たなかったし。
 立ち見の人数が昔通り200人とかだったら、このひとりぶんスペースにも無理矢理3人とか立つんだけど(カメラのない公演で何度も見たよ、そんな光景)、今はもうそれもないし。

 ものす・げー、快適。
 障害物ナシ、センター、観劇しながらじりじり隣の人と場所のせめぎ合いをしないでイイし、肩も当たらない、肘も当たらない。
 うわー、カメラがなければ、この位置が左右2カ所だけ空くんだー。ラッキィ。

 あんまり快適なんで、オペラグラスもあまり使わず、ほぼナマ目で観劇。
 後ろの下級生見るときだけ使用。
 スターさんはどーせ、テレビカメラがアップで映してくれるからね。オペラグラスで視界を切り取ってしまうより、全体を楽しもう。

 そーやって、のんきにしていたわけだ。

 んで、トップさんのひとりずつ銀橋渡り。
 ふと周囲を見ると、うっわー、立ち見ゾーンほぼ全員がオペラあげてるよ。壮観だー。
 と、ひとりオペラを使わず眺めてみたりして。

 薄暗い中、オペラグラスのレンズがこうずらっと並んでいると(座席とちがって立ち見は肩幅単位でびっしり並んでるわけだから、すごいよ)、『装甲騎兵ボトムズ』のキリコたちみたいやなー、とか、ヲタクな感想を持ちつつ。
 ふと銀橋を渡るコムちゃんに集中すると。

 目が、合う……?

 わわわわわ。うろたえ。

 コム姫、わたしを見てる?!
 とゆー、幸福なカンチガイ。

 立ち見で唯一、ひとりだけで、離れてセンターブロックに立っている。
 そして、オペラグラスなしでのんき。
 しかもセンターブロックの後ろ壁にはスタッフルームの窓が大きく開いていて、そこだけ明るいんだよな。そこに立ってるわたしのシルエットは、舞台からでも見えるんじゃないの……?

 コムちゃんに集中してないって思われた? 今からでもオペラグラスあげるべき??
 なんかいろいろ、考えすぎてぐるぐるする。

 
 ええ。
 カンチガイだと、わかってますよ。

 コムちゃんはたぶん、テレビカメラを見ていたんだと思うわ。センターブロック後方にあるカメラを。

 もしくは、演出家等のスタッフ席を見ていたんだと思う。
 わたしの立っているところ、もろスタッフ席の真後ろだったもん。開演前も後も、中村Bと目ェ合いまくりさ。

 でも、とっさにそこまで気が回らないからさ。

 コム姫が銀橋にいる間中、カンチガイしまくってましたよ!!

 うっきゃ〜〜っ、コムちゃんが、コムちゃんがわたしを見てる〜〜っ。
 どどどどーしよー。て、手を振ってみよーかな……いや、そんなおこがましいっ。どーしよーどーしよー、きゃ〜〜〜っっ。

 …………ア ホ で す が な 。

 
 それにしても、こちらに目線をくれたのはこのときのコム姫だけで、それ以外はありませんでした。
 続くオサ様は見事に陶酔しきってるし。どこ見てんだ、オサちゃん……ああ、自分自身か。

 いやはや、快適だったけど、不思議なトコでテンション上げきって疲れました(笑)。
 他の感想はまたのちほど。


 えー、まだ『マラケシュ・紅の墓標』の話。

 『マラケシュ』を、名作か失敗作かと聞かれれば、「失敗作」だと答える。
 『マラケシュ』を、好きか嫌いかと聞かれれば、「大好き」だと答える。

 『マラケシュ』を、名作か駄作かと聞かれれば、「名作」だと答える。

 ……まあ、そーゆーことだ。

 
 えー、仕方ないんで、プログラムを買ってみました。ふつーは買わないんだけど。
 「プログラムの解説に、舞台にないシーンが存在している」というなら、買うしかないでしょう。

 ほんとーに、舞台にないシーンばかりが「あるもの」として解説してあった。

 この解説にあるよーに、舞台が進行していたなら、この物語はここまで「わけわかんなーい、ねむたーい」と言われる作品にはならなかったろう。
 ちゃんと「事件」が起こって、それによって登場人物が次の行動を起こすからだ。

 時間の関係でCUTされたという噂だが。

 笑えるのは、わざわざCUTしてあるのが、物語を動かすいわば「あらすじ」部分であるということ。

 物語には、ふたつのパートがある。
 ストーリーの主軸、「物理的な出来事」のパートと、それを盛り上げるための「精神的な展開」のパートと。
 どんなに長い物語でも、「物理的な出来事」だけを要約すれば、短く「あらすじ」としてまとめることができる。
 最低限、「あらすじ」さえ書ける物語は、物語としてのスタートラインに立つことができる。
 なにがどうなってこうなって、どこで誰がなにしてこうなる、とゆーのがあらすじだから。物理的に、目に見える、誰が解説しても同じ、というのが「あらすじ」。方程式と同じ。

 だが、その「あらすじ」には描けない部分こそが、ほんとうの「物語の魅力」ってやつだ。
 主人公がヒロインをどんなふうに愛しているかだとか、どんなふうに宿命に苦悩しているだとかは、「あらすじ」には出てこない。そんなメンタルなものでなくても、たとえば主人公がどんなにかっこいーアクションをし、決め台詞を言うかとかも、「あらすじ」にはないよ。
 見た人の数だけ解釈がある、そんなシーン。

 「あらすじ」ですべて説明できてしまっていたら、本編が必要ないってことだからな。
 「物理的な出来事」、なにがどーした以外の部分が重要。それこそがいわゆる「オイシイ」部分。

 とはいえ。
 「物理的な出来事」がきちんと描かれないままに、オイシイ「精神的な展開」だけ描いても意味がない。
 なんで戦ってるのか、どういう関係なのかもわからない戦場で、主人公がどれだけ格好つけていても、「はぁ? それで?」てなもんだし、時代背景も価値観もわからない場所で「今の政治はまちがってる!」と叫ばれても「アンタ誰?」でしかない。突然ひとりで愛に悩まれても、なんで悩んでいるのかわかんない。
 地味でもめんどーでも、きちんと順を追って「物理的な出来事」を説明しなきゃ。背景がわかんなきゃ、感情移入しようがないんだから。

 「物理的な出来事」で物語が進む、というのは基本中の基本。なにも起こらない、一日家でごろごろ寝ていただけの主人公が、突然世界愛に目覚めたり、強くなったりしたらキモいでしょう? 宇宙からの電波を受信したとしか思えないでしょう?

 だからふつー、時間がないとき、物語を短くまとめなきゃならないとき、端折るのは「精神的な展開」の方だ。
 かっこいーアクションや決めポーズが少なくなっていたって、「物理的な出来事」さえ最低限描いておけば、話は通じる。主人公が恋人とラヴラヴしているシーンを削っても、彼らがどこの誰でなにがあったのかを描いておけば、少なくとも話はつながる。

 なのにオギー。
 『マラケシュ』は、「物理的な出来事」を削って、「精神的な展開」だけつないであるよ。
 これじゃ、わけわかんないって。

 『ベルサイユのばら』でいうなら、突然オスカルがドレス着てフェルゼンと踊って、次のシーンではアンドレとラヴシーンしてるよーなもん。なにがあったの、その間に。プログラムを読んだら、その間にオスカルになにがあったか事細かに書いてあるけど、舞台の上ではたんなるラヴシーン2連発。ふたつのシーンの間は、なにやら幻想的なダンスシーンがありました。って、わけわかんねえ。
 ……みたいな。

 こまったもんだなあ。やっぱまちがいなく失敗作だよなあ(笑)。
 でも駄作かと言われれば、力一杯否定しちゃうなあ(笑)。

 今痛切に思うことは、「完璧版の上演希望」ってことかな。
 バウホールで、たっぷり2時間かけて、少人数で再演するの。
 あー、バウがダメならドラマシティでもいいから。小・中劇場でじっくり作り直してくれ。

 主演はオサ様で。
 てゆーか、主要キャストはみんなそのままで。ゆみこちゃんもはっちさんもまっつもみわっちも、そのかも、そのままでなきゃいやー。樹里ちゃんは……あうう、樹里ちゃんにもいてほしーんだが、無理なんだろーなぁ。

 ぶっちゃけ、ヒロインがふーちゃんでなければ、誰でもいいんですが。(すまん。リピートするたびに、ふーちゃんオリガがダメになっていく……)

          ☆

 ところで、4月29日。
 ……死肉の日なんですか、かねすきさん……。
 いや、その、お誕生日おめでとうございます。日記書くの遅れちゃったんで、微妙に日付チガウけど、この日記の日付は4月29日なんで。

 そして、わたしの誕生日は9月29日、苦肉の日……。
 ええっと。
 「おそろい」なんですか、かねすきさん。
 そんなおそろいって……(笑)。


 あれは、2回目に観たときのこと。
 ええ、ギリギリ感漂うわたしのチケット運、SS席のいちばん後ろ、5列目センター定価、後ろの席はS席ですよ、びんぼー人には微妙な席ですよ、な、2回目観劇のとき。

 『マラケシュ・紅の墓標』、オペラグラスなし、ナマ目で広く全体を観ていた、あの日。

 なんか、ものすげー油断していたところで、クリティカルくらってマットに沈みました。

 そのかが、ケロに見える……。

 や、有名な話だよ、そのかがケロに似てるとゆーのは。ケロファンが、ケロなきあとにそのかに流れるってのも、よく聞く話さ。

 わたしだって、そのかはケロに似ていると思っていたし、最初にそのかラヴになって、Be-Puちゃんに「この子好きー」と、『おとめ』を見せたとき、「緑野さんの好きそうな顔(苦笑)」って言われたし!! 素顔のそのか見て、「好きそーな顔(笑い)」ってなんですか友よ! そのかの素顔写真って素敵にアレで、そこがケロと共通しているとでも……ッ?! ケロちゃんの最後の方の『おとめ』写真はものすげー美人さんだったじゃないのーっ。(話がどんどんズレている)

 と、とにかく。
 知っていたのよ、そのかがケロに似てるって。
 てゆーか、わたしの好きな顔という共通項に入ってる人だって。

 でもさ。

 『マラケシュ』のそのかは、マジでケロに似てる……。

 てゆーか。
 腕まくりのダークスーツで踊られた日にゃあ……ッ!!

 ご、ごれつめせんたーだったのに……。

 銀橋のオサ様とじゅりぴょん見られなかったよ……後ろで踊ってるそのか見て、だーだー泣いてた。

 油断してたから。
 初日に観て、「そのかってやっぱりケロに似てるー」って仲間内で言い合うくらいに、ふつーに事実として、すでに知っていたことだったから。

 でも、「知っている」ことと、「感じる」ことは別だから。

 容赦なかった。
 記憶の奔流。
 似ている、という凶器。

 あのひとににている……それを目の当たりにすることは、こんなにこんなに破壊力あることだったの……?

 若くて、青い男。
 下っ端感の漂う男。
 ……あれは、ケロじゃない。
 良くも悪くもケロは、下っ端には見えなかった。「悪」や「ダークサイド」の似合う男だったけど、ケロは「ボス」だとか「No.2」「幹部」の似合う男だったんだよなあ。権力と別位置にいるなら「ヒットマン」とか、さらに無機質に。やばい方に。
 若造では、なかったから。

 だからあれはケロじゃない。
 ほんとーに若いころのケロちゃんは、「いい人」「包容力」をキーワードにしていたしな。

 若くて青くて、だから危険な小悪党ってのは、ケロじゃないよ。
 そこにいるのは、そのかだ。

 ケロじゃない。

 ケロじゃないのに、ケロに似てる。

 それが、痛くて。

 
 そのかが好きだよ。
 この日記、探してもらえればわかるよ。ずーっと花組若手のなかでは、そのかラ〜ヴって書き続けてきたよ。

 でもそれとは別に、新たに、そのかが愛しくて、大好きで、そして、痛い。

 ……そのかのしあわせを祈る。
 なにゆってんだかわかんないけど、てゆーか余計なお世話だろーけど、なんか、「そのか、しあわせになってくれ」って、泣きながら思ってた。

 
 さて。
 2回目の観劇がそんなふーになってたからさあ。
 3回目に観に行ったときは、「できるだけそのかは見ない」って決めてたの。だって破壊力ありすぎ(笑)、冷静でいられなくなるから。

 若手っちゅーか、ええっと、年度変わったからすでに「中堅」って言うべき? のなかでは、愛しのまっつがいるもん。まっつを見るの、まっつを!(はぁと)

 そう思って、寿美礼サマの他はまっつを意識して見ていたんだけどさ。

 
 そのかが、目に入ってくる……ッ!!

 3回目は最前列下手。
 『エンター・ザ・レビュー』にて、深紅のラフレシア、エトワール@寿美礼姫を間近で見るための席と言っても過言ではありません……!
 至近距離で微笑まれて、腰抜けるかと思ったよ……怖すぎ!! す、すばらしすぎ! ふるふる。

 いやあ、いっちゃん前の席ってのは、なんつってもショーのとき値打ちがあるよねええ。
 いつものことだがわたしゃ、舞い上がりまくってたよ。
 たのしーたのしーたのしー。

 わーん、オサちゃーん、ゆみこちゃーん、まっつー。間近がうれしいよー。微笑んでくれー、ウインクしてくれー、その視線ひとつでわたしを殺してぇええ。

 はじまるなり、朝夏まなとくんは真横だし。てゆーか、なにかと真横率高いし。いっつも近くにいるし。うひょー。だからわたし、カエル顔が好みなんですってば。
 まなとくん、ほんとに見事なカエル顔だよなー。

 
 そーやって、そのかはスルーする気満々だったのに。

 え、えーと。

 でかい目に、食われそうでした。

 何故なんだそのか。
 銀橋出てくるたびに、どーして目をくわッ! と見開くの?
 でかい口に食われそう、てのはよくあることだけど、でかい目に食われそうってのは、なんなんだ。
 とにかくやたら目をくわッとされてね……そのたび白目がぎらんっ!て光ってね……。

 し、心臓が……っ。

 どきどきどき。

 
 ものすげーたのしかったです、3回目の観劇。
 心臓負担かかりまくり。心拍数上がりまくり、体温上昇しまくり。

 ああ、大好きだ、花組。そして、今回の公演。


 つぶやき。

 『マラケシュ・紅の墓標』って、博多座でもやるんだよね……? で、博多座はキャストが減るから、主要キャラも役替わりアリだよねえ?

 イヴェット役、ゆみこちゃんやってくんないかなー……。

 す、すみません、すみません。
 ただ、ゆみこちゃん相手なら、寿美礼ちゃんも「自分以外の人を愛している演技」ができるんぢゃないか、なんて……ッ!!

 『エンター・ザ・レビュー』での、ノリノリのバカップル状態のエトワール様と紳士を見ていて、ふと……。
 でもって、テレビで寿美礼ちゃんが『冬物語』の話をするとき、ごくあたりまえに「相手役の彩吹真央が、ほんとに尽くしてくれまして(笑)」とか言っているのを聞いてしまうとっ!!
 相手役……相手役ですか、寿美礼サマ! ゆみこちゃん相手役なんだー、はー。いや、たしかにそうだったけど、あの話では。

 たのしーと思うけどなぁ、愛憎もつれるオサゆみ……。ねえ、nanakoさん(と、話題を振って終わってみる・笑)。

 追記。
 えー、nanakoさんがわたしの振った話題に応えてくれているので、つづけてどーぞ。
 http://7ch.jugem.cc/
 ↑4月28日の分です。
 ……って、まともなトラックバックのできないサイトゆえに、こんな書き方っすよ……DiaryNoteへぼいって……。

 でもって。

 リュド×イヴェット@ゆみこ、だと、男女カップリングだから、腐女子ネタではない、と……?
 やー、それはノープロブレム!!
 エトワール様×紳士萌えと同じハートで、おいしくいただきます!!

 てゆーかマジでゆみこちゃん、イヴェットやってくんないかな……ここいらで一発ブレイク狙ってさ……。
(最近のスターはみんな、芝居でマジに女役をしている気がする……トップへの登竜門?!)


 お気遣い、ありがとうございます。

 本日のJR事故の件で、いろんな方から安否確認のメールや電話をいただきました。
 この通り、元気にやっています。

 檀ちゃんMSの日が最終だったはずのアルバイトが、どーゆーわけか「契約延長しません?」と持ちかけられ、スキルの低いワシなんぞ雇い続けてどーすんだ? と思いつつも「ま、いっか」と承諾、今も毎日労働しております。
 だもんで、平日はふつーにOLしてます。
 ムラには通っておりません。

 わたしは何事もなく過ごしてますが、事故に遭われた方の心身の回復と、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

 
 …………しかし、親戚から「こあらちゃんは大丈夫なのっ?!」って親宛に電話があったとか聞くと、ヘコむなー。

 ワシのヅカ狂いは、親戚中が知ることなのか……。


 すみません……『マラケシュ・紅の墓標』、で、

 ムッシュ・コルベット × リュドヴィーク に、死ぬほど萌えてきました……っ。

 
 『マラケシュ』の3回目を観てきました。
 ほほほ、最前列ですわよ。
 いつものタケノコ、でもまぎれもなく最前列、目の前に美しい人たちがっ。すぐ横の人がSS料金なのに、S料金で最前列! コストパフォーマンス最高のお席。

 そこでオペラグラス握りしめながら観劇して、すこーん、と、ムッシュ・コルベット@はっちさんとリュドヴィーク@寿美礼ちゃんの関係に堕ちてきました……うわーうわーうわー。

 もちろん、初日に観たときから、コルベットは総攻、リュドには手をつけてるだろーなー、とは思ってたよ。
 でもそんなの、ただの事実として受け止めただけで、萌えはなかったのね。

 イズメル@みわっちとのカップリングの方が、そこに救いがないから萌えだったのね。
 イズメルはリュドを愛撫してやることは出来ても、愛してやることはできそーにないから。
 超越したところにいるからね、イズメル。
 同じ次元に立っていないふたり。
 それをわかったうえで一時あたためあうよーな関係に、萌えていたのね。
 てゆーかイズメルかっこいー。なんつーかね、子どものころに大好きだったセレムさん@エイリアン通りの「初期」のイメージを彷彿とさせてくれるのよね(笑)。

 ところがどっこい。

 イズメル×リュドと平行して、コルベット×リュド萌え。

 マラケシュの話じゃないよ。パリ時代さ。

 
 リュドヴィークはしがない掃除夫。田舎から出てきたびんぼー青年。
 そんな彼が、レヴュースターのイヴェット@あすかちゃんに恋をした。

 イヴェットには何人もパトロンがいる。
 そのなかでも超有力なのが、マフィアのコルベット。

 コルベットは、イヴェットのために高価な金の薔薇を手に入れる。彼にとってイヴェットは愛人とかゆー前に、とても特別な存在。どういう事情かは知らないが、名乗れぬ父からの愛の証でしょ、金の薔薇。
 そんな大切な薔薇を、なんでリュドに託すの? コルベットとリュドに、どんなつながりがあるというの?
 劇場の下働きの小僧のことなんて、ふつー知らないでしょう?

 魂の飢えに荒むイヴェットが、純粋な崇拝者としてのリュドを愛する気持ちはわかる。
 真実か錯覚かは置くとして、イヴェットはあるときたしかに、リュドを愛していたんだろう。

 それを知ったコルベットが、娘のためにリュドに近づいた、ということは考えられる。
 どんな男なのか知りたかったろーし、ほんとうにイヴェットをしあわせにできるなら、協力してやるぐらいの気持ちがあったのかもしれない。

 さて。
 はたしてコルベットは、リュドヴィークという青年を、どう思ったのか。
 
 ふたりの間になにがあって、「金の薔薇」を託すよーな関係になったのか。
 そして、「事件」のあと、コルベットはリュドを手元に置くよーになったのか。

 
 リュドヴィークという男。

 高嶺の花である美女と相愛になり、その腕に抱いていても、ちっともしあわせそうじゃないのよね。
 よろこびよりも、くるしさの勝った表情をしている。

 たぶん彼は、あの「事件」がなくても、幸福にはなれなかったろうし、イヴェットを幸福にすることもできなかったろう。

 不幸にして別れてしまったのではなく、いずれ来る別れがたまたま最悪のカタチで来てしまっただけだろうと思う。
 リュドの恋は、苦しむためのもの。
 彼の生は、渇望の中にあるんだろー。イヴェットと同じように。

 イヴェットと同じ飢えを魂に宿した、イヴェットの恋人。
 その男を、コルベットはどんな想いで見つめていた?

 リュドとでは、イヴェットは幸福にはなれない。
 その男を、コルベットはどんな想いで見つめていた?

 
 てなことで、妄想炸裂。

 リュドは、ただ「きれい」なままでイヴェットを愛したわけじゃない。
 最初はたしかに「田舎者の純粋青年」だったかもしれない。でも、イヴェットと共に踊るときには、「かなしい大人の顔」をしている。
 イヴェットの手を取れるよーになるまでに、都会の闇に身を沈めたんじゃなかろーか。
 自ら、すすんで。
 そしてその「都会の闇」というのは、マフィア・コルベットのことぢゃあ……?

 わくわくわくっ。

 
 マラケシュ時代には、ふたりにはもうそんな関係はなく、ふつーにボスとお気に入りの部下みたいな関係に落ち着いている。
 女をしあわせにできない男だとわかっていながら、「娘ソフィアの婿にしてもいいかも。いやいや、断じてならん」なんて、コルベットが心の隅で思っている程度には、愛のある間柄。

 昔、どろどろに愛し合った(傷つけ合った)ことがあるだけに、淡々とした大人の関係に落ち着いているふたり。

 コルベットはもう、若くないし。
 リュドもまた、小僧ではなくなっているし。

 
 なんて思って観ていると、……鼻血ものの色っぽさです、この物語。

 
 まあ、寿美礼ちゃんが無駄に色気垂れ流してるのが悪いんですけどね。
 そしてやっぱり、イヴェットのことは愛していたかもしれないけど、やっぱなんかチガウなー、ふつーの恋愛ぢゃないなーと思えてしまったり、そもそもオリガのことはカケラも愛してないなってのが、問題なんだと思いますけど。
 どの女のことも心底愛しているよーには見えないのに、色気だだ漏れで苦悩しているリュドヴィークが悪いんだと思いますよ。ええ。

 わたしがケガレてるからぢゃ、ないです。


 nanakoさんから、メールをもらいました。

 わたくし、緑野こあらの日記において。

 ゆみこちゃんは、「ちゃん」づけ。
 でも、そのかは、そのか。呼び捨て。

 この差は、なんなんでしょうか?

 はーい、深い意味はありません。
 ゆみこちゃんの名前があまりにふつーに「女名」まんまなんで、呼び捨てがはばかられるだけです(笑)。
 も少し硬い名前ならよかったんだけど。かわいいじゃないですか、「ゆみこ」って。いかにも女の子って感じで。
 男の子のあだ名とは思えない……。

 愛称だとひとめでわかる名前は、呼び捨てにする確率高いっす。

 あー、でもそのかの場合はそのかだから呼び捨てなのかも……。
 だって、そのかだし!(アタマ悪い表現)

 
 でもって、nanakoさんのメールで思い出したんだけど。

 オサ様ってその昔、大真面目に娘役やってたね!

 あのトンデモ作『冬物語』で!!

 忘れてたよ……。
 いや、『冬物語』は本公演1回観たっきりで、再演は辟易して行かなかったけど、てゆーか見終わったあとの感想が「麻園みき総攻!」とかゆーひとことに集約されていたとか、なんともゲフンゲフンな作品だったんだけど。ついでに、駄作認定きっぱり、だから、ビデオとかでも一切見てない、記憶の彼方にある作品なんだけど。

 そーだった。

 あれが、オサ×ゆみこ、最初のなれそめだ!!

 1997年の『嵐が丘』で見初めて以来、ゆみこちゃんファンのわたしとBe-Puちゃんは、花組にもらわれていってしまったゆみこちゃんの扱いに気をもみつつも、観に行ったのだよ、『冬物語』。

 オサ様二役の花魁・十六夜の駆け落ち相手がゆみこだと知り、戦慄したもんなあ(笑)。そんなカップルって!! と。

 当時研8と研5、片や花組の若手スター春野寿美礼サマ、片や雪組からやって来たばかりの名もなき下級生、てことで、いらぬ心配をしました(笑)。

 あの顔の長い花魁相手に、本気で生きるの死ぬのの恋愛してたっけ、ゆみこちゃん!!

 三つ子の魂百までも。

 その昔、雪組に組替えになってはじめて組んだ相手役が、たかこだった、とゆー、お花様。
 あそこで相手役がたかちゃんでなかったら、今の宙組はないんだなー、とか。

 「ファーストキスの相手は轟さん♪」と、いつまでもしつこく繰り返していたたかちゃん。

 はぢめての相手って、そんなに後を引くモノですか?(問題アリな表記)

 ゆみこちゃんにとって寿美礼ちゃんって……!!
 ひょっとしたら、寿美礼ちゃんにとってもゆみこちゃんって……!!

 そ、そうか……。
 ふつーに「恋人同士」だったことのあるふたりなんだ……そりゃ、いつでも恋愛関係カモォ〜ン!な関係になるわな……。ふわー。

 
 あ、わたしもいつでも恋愛関係カモォ〜ン!です、オサ様とゆみこちゃん!!
 この際、リュドヴィークとクリフォードで愛が芽生えても、ぜんぜんOK、歓迎します!!(やめなさい)

 トップ娘役エトワール様と、彼女にかしずく紳士のラヴラヴバカップルぶりに、心躍ってます!!

 明日観に行くんだもーんっ。わくわくっ。


「『エリザベート』以来ですね、花組で美しい娘役トップスターが見られるのは」

 と、にっこり笑って言った、デイジーちゃんの姿が忘れられません……。

 花組公演『エンター・ザ・レビュー』を観る前のことっす。

 わたしは予備知識ナシで観るのが好きなんだが、友人のデイジーちゃんは逆。いつも下調べばっちりな人。
 この日もまた、花組トップスター春野寿美礼サマが、ショーで女装することを幕が開く前から知っていた。

 そ、そうか、娘役トップスターか……春野寿美礼サマが……。

「だって、花組には娘役のトップスターはいないでしょ? 今回よーやく男役トップスターが、娘役トップも兼任というカタチで、登場するそうですよ」

 デイジーちゃん、笑って言ってるけど、目が本気です。

 ははは。
 なるほどなー。
 兼任かぁ。こりゃ一本取られちまったなぁ。

 と、笑って聞いていたんだが。

 実際に公演を観て。

 笑い事ぢゃねえ、と思いました。

 
 トップスターの女装は、よくあることだ。
 中性的な美しさをウリとするコム姫やさえちゃんは本気でさせられるし、トド様や他の野郎トップはお笑いとして、ショーでさせられることが多々ある。

 しかし。

 今回のオサちゃん、アレはいいのか?

 寿美礼ちゃん自身が美しいか女になっているか、カマってないか、たのしそーにやってるか、とか、そんなことはどーでもいー。

 なんで、女装したトップ男役の横に、トップ娘役がいるの?

 トップ男役の女装は、今までいくらでもあった。
 定番のひとつだ。

 だがそれは、シリアスであれお笑いであれ、トップ娘役と一緒に出しちゃイカンやろう!!

 トップ男役の女装と、トップ娘役ってのは、あくまでも別次元だ。
 娘役ってのは、男役を支える存在。娘役が娘役としての技術をもって寄り添うことで、「男役」というイリュージョンが完成する。
 タカラヅカの基本だ。お約束だ。ルールだ。

 男役トップスターだってもとは女だから、女のカラダを持っている。
 ミュージカルスターだから、みんなそれぞれすばらしいスタイルをしているわけさ。
 いつもはきっちり着込んだ男の服の下に、こんなに美しい女性のカラダが! 女性としての魅力が!
 とかゆー新鮮な感動。
 たとえ露出の少ない衣装であったとしても、「女性」であることを顕すことで、感動させるわけだな。

 それは、「タカラヅカの男役」という幻想を逆手に取った演出。楽屋落ち的でもある。
 幻想を逆手に取っているわけだから、そこに順手なものを混ぜてはいけない。
 それは、反則だ。逆手は、逆手だけで構成しなければ。

 なのに、女装したオサ様の隣に、ふーちゃんがいた。

 トップスターでありながら、同時に「女性」でもあるオサの隣に、本来の「女性」のトップスターであるべきふーちゃんがいた。

 こ、これはイカンやろ。
 ちとうろたえたぞ。

 娘役トップスターの存在意義を危うくする演出だ。

 「タカラヅカ」というファンタジーが壊れる。

 おろおろ。

 
 てゆーか。
 純粋にひどいよね……。

 精一杯着飾った妻がパーティに出てきたのに、女装した夫の方がきれいで、男たちにちやほやされている図てのは。
 女として、これほどつらいことはないんぢゃ……?

 オサ様がきれーかどうかは置くとして、演出としてね。

 
 わたしは、プリンセス・オサ、きれーだと思ってるよ。

 もー、あのうれしそーな笑顔見たら、きらきら光線にヤラレちゃうしかないって!!

 ノリノリですがな、オサ様。
 腰振って、いや、振るだけぢゃなく回して(ソレってどうよ?!)、ウインクとばして、絶好調ですがな!!

 紳士@ゆみこちゃんとラヴラヴなのも、見ていて微笑ましいっちゅーかいたたまれないというか(笑)。

 それにしても、またしても オサ × ゆみこ なのか!!
 何作連続ですか、このカップル。劇団公認なんですか……?

 たのしいから好きだけど(笑)。

 ゆみこちゃんがまた、ノリノリでねえ……。
 まさか、エトワール@オサ様に、ウインクとばすとは思わなかったよ、ゆみこちゃん……おかーさんはそんな子に育てたおぼえは……っ、ゲフンゲフン。

 
 演出として、娘役トップスターの扱いとして、疑問てんこ盛りなんだが(ここにふーちゃんを出す意味がわからない。単純にひどいと思う)。

 はじけきってるオサ様(笑)を見られるから、このシーンは好きだ。

 
 ところで、エトワール@オサ様、カツラいくつかあるんだね? わたしが2度目に見たときは、金髪のストレートだったよ?
 と、デイジーちゃんに報告すれば。

「あんなに不評だったゼウスのカツラは一度も変えなかったくせに、女役だと変えるんですかっ」

 金髪ストレート見たい〜〜! と、吠えるデイジーちゃん。

 そ、そうか、ゼウス様か……たしかにカツラは一度も変えてなかったな……。

 
 春野寿美礼サマ、独走状態ですな。>娘役トップ兼任。

 
 ポケット・カレンダー、買い逃しました……。

 物欲の人なのに。
 物欲の人なのに……っ。

 なんで発売日ずらすのよー。
 最初の発売日には、翌日ぐらいだっけかに、いそいそkineさんとふたりで買いに行ったのよ。

 第1弾は、トップスター+理事。

 不特定多数を愛しているわたしは、機嫌良く数枚買いましたよ。
 ワタさん一途なkineさんは、もちろんダーリン1枚を購入。

 周囲の人から、
「え? 水さんの買ってないんですか?」
 とか、
「ゆーひくん、なんで買ってないの?」
 とか、かしちゃんとか檀ちゃんとかトウコちゃんとか、いろいろ名前を挙げられたけどっ。

 買ってないよ、だってまだ売ってないんだもん!
 第1弾は、トップスター+理事のだけなんだってば。
 第2弾以降の発売日を待ってちゃんと買うよ〜〜。

 
 ……買えませんでした。がっくり。

 
 せっかくの日曜日、買い物のついでに梅田のキャトレに行きましょう、そーいやなんか、忘れているよーな気が……?

 と、気軽に行ったのがえーと、17日。(パソコンの上に飾ってあるポケカレ@オサ様で確認)

 売り切れてました……全種類。

 がっくり。
 いかん……すっかり忘れてた、第2弾以降の発売日。
 てゆーか、こんなにあっけなく売り切れるとは思ってなかったから、新公の日とかスルーしてたよ。パソカレくらいには売り続けるもんだと思ってた。

 わーんわーんわーん。
 まだ3枚しか持ってないのよう。
 ゆーひくんと水しぇんだけはどんな写真でも、カレンダー(とか写真集とか)と名の付くモノは絶対買うはずだったのにぃ。
 檀ちゃんもドルチェ・ヴィータの写真だったから、買うつもりだったのにぃ。

 しくしく。

 

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