「まちかめぐる、大活躍でしたね!」

 『睡れる月』初見の幕間で、わたしともずえさん、白木蓮さんの会話はそんな台詞からはじまったんですけど。
 まちか以外の話もしましたとも。

「ハマコがっ、ハマコがっ!!」
「ハマコだよね〜〜っ」

 とゆー、謎のハマコファン会話や、

「ヒロさんかっこいー」

 とか、

「まーちゃん日本物きれいですよね」

 とか、

「かしげちゃんは烏帽子をかぶって生まれてきたみたいな人ですよね」

 とか、そんな他愛ないことも話していましたよ。

 そしてなにより、

「コムちゃん、素敵〜〜っ!!」

 心の叫び。
 コムちゃんがどれほど美しく、凛々しく、素敵であるかを、口々に並べ立てておりました。

 そのときわたしはつい、言ってしまいました。

「コム姫、かっこいいよねー。ナニもしてないけど」

 そう。
 第1幕が終わってなお。
 主人公の浜松中納言@コムちゃんは、ナニもしていないのですわ。

 通常、「物語」を回すのは主人公の役目。
 彼が動き、物語が進む。彼がナニかすることによって、周囲が変わるの。

 駄作の多くは、この原則が守られてなかったりする。
 主人公はなにもせず、ただ周囲が作者の都合によって動いていく。主体性と人格を持たない主人公は、めりはりのない物語の中に埋没し、観客は感情移入もできないし、カタルシスも味わえない。

 物語を作る基本中の基本として、「主人公が正しく主役であるか」とゆーのがあるわけな。

 『睡れる月』において、主人公の中納言はまったくナニもしない男だ。
 せっかくの戦記物であり、陰謀だのクーデターだの戦争だのとばたこら派手にストーリーが動いているわりに、主役の中納言はそれらの事件にまったく関わってないの。

 ふつーならソレ、ありえないって!
 激動の時代になんにもしない男が主人公だなんて。キャラ立てまちがってるよ!

 しかし。

 中納言の場合は、ナニもしないからこそ、いいんだ。

 ナニもしないことが、彼の「キャラクタ」だからだ。

 
 『睡れる月』、この物語は、美しい扇のようだと思う。
 裏と表、そして端と端ではのせられている色も模様もチガウ。さまざまな立場のさまざまな人間模様が入り交じり、歴史が織られる。

 扇のいちばん大きな模様は式部卿宮であり、いちばん大きな色は「戦争」だろう。
 将軍・足利義教も、日野宗子も強く鮮やかな模様を刻んでいるし、三条家や赤松家、吉野の人々もひっそりと己れの柄を咲かせているだろうし、二宮や大君もはかないながら美しい色を輝かせているだろう。……そして何故か、みょーに存在感ある楠木二郎@ハマコも、周囲の色や柄と微妙に調和せずに、そこにあるだろう(笑)。
 扇はそのときの角度や開き方でさまざまに表情を変え、物語を変える。

 では、主人公・浜松中納言は、その扇の中で、どんな色とカタチをしているのか。

 中納言は、扇の絵ではない。
 彼は、「要」だ。
 扇を支える中心。どんな角度、どんな開き方でも、要は動かない。そこにある。
 あり続ける。

 変わらないこと。
 それは、彼の信念が揺るがないことを示す。

 彼自身は悩みもするし傷つきもするけれど、彼の生き方は変わらない。シンプルに、力強く、彼は「物語」の要であり続ける。

 だからこそ、救いなんだ。
 時代に浮き足立ってその場その場で色を変える、右往左往する、そんな人たちばかりじゃ、つらいよ。
 昨日言っていたことと、今日言うことがチガウ人ばかりじゃ、孤独だよ。

 変わらない男。
 ナニもしない男。

 ただ、そこに「在る」男。
 

 終始一貫変わらないことに感動するなんて、そうそうあることじゃない。物語はキャラクタが「変わる」ことで感動させるものだから。
 変わらない中納言は、変わらないゆえに傷つくことになる。変わり続けることで傷つく式部卿宮と対照的に。
 傷つき、慟哭してなお、決して曲がらない。その、強さ。

 彼が主人公でよかった。

 このかなしい物語のなか、毅然と立つ中納言の美しさが、どれほどせつなく輝いているか。
 闇を照らす月のように。

 強く賢く、また「大人」であるから傷つき続ける、弟の中納言。
 弱く愚かで「子ども」であるからこそ傷つき続ける、兄の式部卿宮。
 ふたりが愛し合っているからこそ、傷はさらに深くなる。

 ふたりの役割が逆ならきっと、別の結末があったんだろうね。
 「弟」である中納言は兄を敬愛し、彼に従う(もしくは意志を尊重する)ことを第一とした。自分が兄より「大人」であることを薄々察しながらも、「弟」の立場を守った。兄への愛ゆえに。
 「兄」である式部卿宮は、己れが矢面に立って弟を守ることに固執した。弟は自分より「弱い」ものと決めつけて、なにもかもひとりで背負った。弟への愛ゆえに。

 やっぱ、このふたりの立ち位置が、好きだなー。

 中納言の、強さと賢さが好きなの!!

 式部卿宮の阿呆さとヘタレ具合が好きなのと同じで(笑)。

 中納言はたぶん、知ってるよね。兄が聖人でも賢人でもないこと。わかっていて、兄のために、気づかないふりをしている。式部卿宮が「見て欲しい」と思っているままの「兄」の姿を見ているんだ、あえて。
 つまりアレだ。ひとりでべそべそやっていたヘタレにーちゃんが、弟が現れるなりはっと涙をぬぐい、格好つけている。弟は、にーちゃんがひとりで泣いてたことを知ってるんだけど、わざとそれには触れず、兄の見え見えの強がりに、「にーちゃんはやっぱり強いなぁ」と感心して見せるよーな。そーゆー間柄だな。
 弟はその強さと賢さで兄の弱さをも愛し、兄はその弱さと愚かさで自分が弱いことにも支えられていることにも気づかずにいた。
 それゆえに、兄は兄であろうとして暴走し、弟をも滅ぼしてしまうのだけど。

 式部卿宮の弱さと愚かさを知りながら、それでもそのままの姿を愛し続ける中納言の姿が、すなわち彼の立ち位置そのものなんだろう。
 つまり、「物語の要」。

 人間たちの弱さ愚かさ、戦いの残酷さ虚しさ、それらすべてをあるがまま受け止める、要。
 ひとりの人間として嘆きながら、迷いながら、傷つきながら。
 それでも、すべての出来事を、かなしみをあやまちを、愛して。

 その静かで強い愛で、「転生」を祈って弓を構える。

 
 コム姫は、どこまでいい男になるんだろう。

 雪組3兄弟の末っ子で、トウコちゃんがたのしそーに世話を焼いていたあの甘え上手の男の子は、どこへいったんだろう。
 こんなに度量のあるいい男になるなんて。しかも、少年っぽい美貌はそのままに。すばらしいわ。

 コムちゃん、LOVE。

          ☆

 んで、私信。

 白木蓮さん、二宮、「きぬぎぬ」って言ってた?
 わたし以外の誰も聞いてなかったのよ。空耳かとしょぼくれてたんだけど。
 確認お願いします。>青年館

 いや、言ってなくてもわたしの萌えは変わらないけどなっ。

 
「生まれ変わっても、絶対会えるって信じてるんです」
 と、ある人が言った。

 今世で出会っている親しい人たちは、前世でも出会っていたのだと。前世で深いつながりがあったからこそ、生まれ変わってもまた、立場や関係が変わってもめぐりあっているのだと。
 前世の恩師が、今世では母になっているかもしれないし、前世の初恋の人は、今世では親友かもしれない。
「こんなに好きなんだから、きっと無関係じゃないと思うんです」
 人と人はつながっている。なにかしら作用している。「好き」だというこの気持ちは、無意味じゃない。未来へもつながっているはずなのだと。

 わたしは生まれ変わりとか輪廻とか、真剣に信じている方じゃないけど。

 ただ、今、わたしが出会っている人たちが、前世でやはり出会っていた人たちなら、うれしいなと思う。
 そっかぁ、わたし、こんなに好きだったのね。そう思う。
 新しく出会ったあなた、あなたのことも「もう一度会いたい」そう思えるくらいに、好きだったのね。だからまた、出会えたのね。
 あなたもまた、そう思ってくれたのかな? だからわたしたち、また会えた?

 そう思うことは、幸福だから。

 そして。
 今この人生で。
 たくさんの人に出会いたいと思う。たくさんの人を、好きになりたいと思う。

 次に生まれてくるときに、たくさんの人に出会いたいから。
 出会えたことをよろこべる、そんな人たちと出会いたいから。

 
 さて。
 「転生」というテーマを内包する物語『睡れる月』
 大野せんせは、『花のいそぎ』に続いて、2作連続転生モノだね。『更に狂わじ』『月の燈影』に続いて3本目の義兄弟ホモでもあるけど(笑)。
 
 学園超能力ラブストーリーだった『花のいそぎ』では、「転生」は絵空事ではなく、ほんとーにありえることだった。
 しかし「エスパー転校生」の出てこないこの『睡れる月』では、登場人物はみんなしがないふつーの人間たち。超能力なんて、誰も持たない。ミラクルな力に頼れるはずもなく、彼らは自分のささやかな力のみを駆使して生きる。
 ささやかな、はかない人生。
 奇跡を起こすことも誰かを救うこともできない。自分の生き方ひとつままならない。
 そんな、あたりまえの人間たちしか出てこない世界での、「転生」。

 「転生」は、ない。
 誰も生まれ変わってなんてこない。
 みんな知ってるよね、そんなこと。

 それでも、中納言たちは願うんだ。

「生まれ変わって再びめぐり会えること」を。

 会いたい。
 ただ、会いたい。
 失ってしまった人、愛しい人に、会いたい。

 かなわないからこそ、願う。切望する。
 月に向かって矢を放ち、祈願するんだ。

 あのひとが、生まれ変わってまたわたしの前に現れますように。

 奇跡なんか起こらない。神様はなにもしてくれない。あるのはこの、ちっぽけな自分の手だけ。

 だからこそ。
 人々の祈りは真摯で、痛い。

 「転生」を謳いながら、誰ひとりそれが叶わない物語。だからこそ、今この生を懸命に生きる人々の物語。

 弓を構える中納言の美しさ。
 愛した人の転生を願う……愛し、傷付いたゆえにこその、美しさと強さ。

 痛みを知らなかったころ、式部卿宮はその儀式になんの心も動かなかったと言う。だが。
 物語の最後で、彼もまた月に向かって弓を構える。
 旅路の果てだからこそ、傷つき、失ったからこそ。
 転生を祈る心がわかる。そうするしかなかった人々のせつなさがわかる。

 弓を構える式部卿宮の美しさ。

 失うことを知っている、愛を知る人の、美しさ。

 
 心に傷を持つ人たちへ。
 その傷ゆえに、さらに美しい人たちへ。

 あなたたちに会いたい。

 心から、そう思うよ。


 「きぬぎぬ」って、言ってなかった……っ!!

 のっけからすみません、わたし的に、かなりショックだったので。
 「きぬぎぬ」は、「後朝」です。愛の一夜のあとの、朝の別れ。

 『睡れる月』、3回目観てきました。
 1回目に観たとき、二宮が「きぬぎぬの云々」って歌ってるよーに聞こえたんですよ、わたし。
 2回目に観たときは、ソレが聞こえなくて。
 ? ってことになっていて、今日3回目、集中して歌詞を拾いまくったんですが。

 言ってません!!

 言ってないよーっ。
 なによなによ、わたしの空耳?
 てゆーか、願望?

 がっくり。

 
 えー、『睡れる月』はほぼ全編好きなんですが、ひとつどーしてももどかしいことが。

 二宮の描き方が、薄いっ!!

 もっともっと、この子のことを時間かけて描いてよー。いい子なんだからさー。

 初見で勝手に「きぬぎぬ」という言葉を聞いた気になっていたわたしは、宴の夜、中納言と二宮は契っていたと思い込んで観ていたんですよ。

 仲間が増えたぞめでてえな、と「ぴょぴょんがぴょん」と宴会をしている吉野のみなさま方。
 我らがヒーロー中納言様@コムちゃんも、ほろ酔い気分で夜の中。
 思い起こすのは、なつかしい恋人、大君@まーちゃんのこと。
 酒が見せた夢なのか、はたまた愛の奇跡か、亡くなったはずの大君が、中納言の前に現れた。
 愛し合うふたりの、美しいデュエットダンス(和モノですが)。
 だがやはり幻だから、大君は中納言に背を向け、中納言はひとり夜の中へ去る。
 残ったのは大君ひとり。
 彼女の切ないソロ。

 おや。てっきり幻の大君だと思っていたけど、ここで視点移動があるということは、この子は幻じゃなく、生きている女の子だわ。つーと、中納言を人知れず想っている二宮@まーちゃん2役の方か。

 兄の影武者として、身代わりとして、男として生きなければならない過酷な運命を背負う少女・二宮。
 宴の夜、女性の装いで恋する男の前にやってきたのか。けなげだねえ。
 日本語ならではの美しい歌詞を聴いていると……今、きぬぎぬって言った?!

 ちょっと待て、オスカルとフェルゼンみたいに、ただ舞踏会で1曲ダンスをしただけじゃないの? ヤッてたのかよ、おめーら。うろたえ。

 ……わたしの耳には、聞こえたんですってぱ。「きぬぎぬ」って。
 だから、びっくりしたのよ。
 愛の一夜にしては、中納言と二宮のダンスがあまりにあっさりしていたから。
 虹人と照葉姫@天の鼓ぐらいのことはやってもらわないと、契ってるってわからないぢゃないのっ!!
 もっと熱烈にからんでよーっ。ラヴシーン見せてよーっ。

 いや、今思うとみんな、わたしの空耳と願望だったわけですけどね。
 でもさあ、わたしゃずっと、「そう」だと思って観ていたわけで。

 はっきり言って、中納言と二宮が、あの夜結ばれていた方が、萌えです。

 中納言は、亡くなった大君を愛している。大君の死から何年か経ったらしいが、彼女との約束の地で、いつか彼女が転生してくれることを願いながらまったりと暮らしている。
 二宮は、男として生きなければならない。彼女が女性であることは、秘密。中納言を愛しているが、もちろん想いを伝えることはできない。たとえ伝えたところで、亡き恋人を想い続ける彼に、受け止めてもらえるはずもない。

 そんな、絶望の中にいる男と少女が、たった一度結ばれた。
 宴の夜。聖と邪、幻と現が混ざり合う夜。
 男にとって、現れた女性は亡くなったはずの恋人。夢かもしれないと思いつつもかき抱き。
 少女にとって、「女性である」自分は「仮の姿」、あってはならない姿。今このいっときだけ、朝には消えなければならない存在。
 叶うはずないふたりの想いが、からだを通してひとつになった。

 …………萌えるんですけど。

 決して愛されることのない男のために、着たことのない華やかな着物に袖を通し、紅を引く二宮の気持ちを思うと。
 兄の「身代わり」として生きてきた少女の、最初で最後の恋が、女として生きられる最初で最後の一夜が、死んだ恋人の「身代わり」として抱かれることだと思うと。
 それでもなお、恋ゆえに装い、男の前に立ったのかと思うと。
 ものごっつー、萌えるんですけど。泣けるんですけど。

 だもんで、わたしの耳と脳は、「きぬぎぬ」という言葉を創りだしていたよーですよ。はい。

 ただ軽くダンスしてはいおしまい、と、他の女の名を呼ばれながら抱かれるのでは、切なさがチガウじゃないですかっ。「身代わり」として生きてきた二宮だからこそ、そのたったひとつの恋までもが「身代わり」である方が、よりかなしいぢゃないですかっ。
 つーことで、わたし的には、あの夜ふたりがヤッちゃてる方がいいです。

 
 まあ、わたし願望はともかくとしても。

 二宮の描き方、もったいなさすぎるよ。
 せっかく「男装の少女」で、「主人公を愛している」、「主人公の死んだ恋人に似ている」のよ。
 もっと盛り上げなきゃ嘘でしょー?

 二宮が女だとわかるところ、なんであんなに省略しました!!って感じの描き方なの?
 ふつー、1シーンつかうよねえ? 戦闘のどたばたのなかで、「そーなんですよ!」で終わらせるなんて、あんまりだ。

 二宮と中納言で、どーんと盛り上げてくれよ。

 中納言に、二宮を愛せと言ってるわけじゃないよ。
 彼は一途に大君を想っていていいんだ。
 ただ、二宮への接し方で、彼の「生き方」がわかるんだからさ。
「わたしが大君の生まれ変わりならよかったのに」
 と言う少女に向かって、
「兄の身代わりでなく、自分自身として生きなければ」
 と返す、中納言なのだから。

 ずっとずっと、「身代わり」として、自分自身を殺してきた少女に。
 「身代わり」でいいから愛が欲しかったと言う少女に。「身代わり」でいいから、愛する人を救いたかったと言う少女に。

 誰かの代わりではなく、彼女自身の価値を肯定する。

 恋人にはなれなくても、二宮の魂は救われた。
 彼女は、生まれてはじめて誰かのイミテーションではなく、彼女自身を肯定されたんだ。
 それも、生まれてはじめて愛した男に。
 いや、そういう男だからこそ、恋したのだろうけれど。

 過酷な運命に翻弄された少女が、死の間際に魂の解放を得る。

 ……そーゆーことっしょ?
 だからこそ、ふたりのシーンはきちんと描いてほしかったのよ。

 式部卿宮@かっしーと重子@ルーシーの愛もなければ色気もないラヴシーン描いてる場合じゃないでしょ。ましてや、式部卿宮少年を義教様@ヒロさんが手込めにするシーンなんて、描いてる場合じゃないでしょ。

 主人公とヒロインのラヴシーンを描こうよ。

 そんなにがんばって兄弟ホモを盛り上げなくても、腐女子は勝手に萌えるから!


 オギー作品を観るときのたのしみのひとつが、「あて書き」だ。
 オギーはその役者からイマジネーションを受けて、役を膨らます。
 それは、その役者「らしい」ものかもしれないし、「この人にこんな部分が?」と驚くよーなものであったりもする。
 それが、たのしい。

 オギーが表現する「役」は、残酷にもその役者本人の「持ち味」や「限界」までも、白日の下にさらす。
 さて、オサ様はじめとする花組のみんなは、どんなふーに料理されちゃうのかしら。

 『マラケシュ・紅の墓標』でいちばん感心したのは、ゆみこちゃんの扱いだ。

 この救いのない物語のなかで、一条の光をともすのが、クリフォード@ゆみこ。ひたむきに愛し、乗り越え、自分の意志で他人の手を握る青年。
 彼の存在がなければ、この作品は「大劇場で上演してはならない」ものになっただろう(笑)。

 クリフォードは、仕事で行った砂漠で、遭難する。生きて戻れる可能性は少ない。彼が想うのは、残してきた妻オリガ@ふーちゃんのこと。
 オリガとは、パリで出会った。雨の夜、泣きながら歩く彼女に一目惚れした。
 かなしみのなかにいる女を愛した。……誰か、自分ではない男が、彼女をかなしませた。つまり、彼女の愛は、あとから出てきた自分にはないということ。
 わかっていてなお、クリフォードは彼女を愛し、結婚した。愛されていないことに、気づきながら。
 死の狭間で、それでも妻を想う。彼女に会うために、生きて帰ろうとする。愛してくれない女を、恋う。
 おそらく彼は、いろーんなことを考えたのだと思う。このまま自分が死んだ方が妻が自由になれていいんじゃないかとか、今ごろどうしてるだろうかとか、泣いてもくれなかったらどうしようとか。それでも愛しているのか、生きて帰ったら、どうしたいか。なにがしあわせなのか、どうすれば愛する女をしあわせにできるのか。
 きっとものすっげーごちゃごちゃ考えて、絶望と希望を行き来して、苦悩の果てに、たどりついたんだと思う。

 もう一度、やりなおすこと。

 僕は、彼女を愛している。
 そこからすべて、やりなおすこと。

 奇跡の生還を遂げたクリフォードの前には、妻オリガがいた。最果ての地マラケシュ。ふつーの覚悟で、上流階級の女が来られる場所じゃない。彼女の顔には、困惑が見える。クリフォードLOVEでここまで来たわけじゃないことはわかる。そう、彼女に愛されていないことは知っていた。
 それでもなお、彼女はここにいる。
 その事実だけで。

 クリフォードは、オリガを抱きしめる。
 ここからはじめよう。愛している、今、このときから。

 なにか言おうとするオリガをさえぎって。なにも聞かない。懺悔も後悔もいらない。必要なのは、未来。彼女にどんな過去があろうと、関係ない。
 クリフォードは、未来へ向かって、愛を選んだ。

 とゆー、愛と希望の男クリフォード役が、ゆみこ。
 絶望の地マラケシュを、絶望の果ての希望の宿る地に変えた男。パンドラの箱の、最後にあったもの。それが、クリフォードだ。

 冒頭で絶望と戦い、タイトルを口にし、キモとなるパリの回想シーンにのみ出演し、あとはラストシーンまで出番なし。
 この潔いキーパーソン。
 すげー、この役をゆみこにやらせますか。
 さすがオギー。

 ゆみこのキャラに、合ってる。

 愛を叫び、希望に向かう、暗い深刻系の持ち味。強さと繊細さ。それがゆみこ。
 少ない出番ながら、見事だ〜〜。

 
 あとあて書きでウケたのは、まっつ。
 地味で真面目で堅苦しい、でも世間ずれしてない弁護士青年。オリガのお目付役その2でしかない、脇役。机の上の勉強は得意だけど、俗世のことはいまいち理解していないおぼっちゃま先生。
 だから柄の悪いマラケシュでは、ろくなことにならない。街に着くなりオリガとははぐれちゃうし、スリには遭うし。自分たちから財布をすった当人レオン@樹里ぴょんに、そんなこととはカケラも疑わずになついてみたり。
 うわー、イケてねえ(笑)。
 そのくせ、誠実な紳士であるもんだから、たまたま出会った女の子ソフィア@彩音ちゃんにあたりまえにやさしくしてみたり。
 なんかこの小物ぶりが、泣けるほどまっつ(笑)。
 そして、最後はソフィアとハッピーエンド!! いよっ、婿養子!!

 いいなあ、ものすげーまっつらしい役だわー。好き〜。

 幕間にデイジーちゃんと話してたんだけど。

「この芝居のポイントってゆーと、主役がヘビ@としこさんで、ヒロインがイヴェット@あすかちゃんってことですかね?」
「見事なトップスターぶりだったね、あすかちゃん」
「オサ様はその相手役ってとこですか」
「それと、わたし的トピックスは、まっつの白燕尾姿が、完璧に衣装に負けていたこと」
「地味でしたねーっ、あすかちゃんが華やかな分、見事に負けちゃって……」
「そのくせ、どさくさにまぎれて、ハッピーエンドになってるし」
「まぎれてましたねー(笑)」

 ああ、ヘタレ男のまっつが愛しい(笑)。大好きだぞ、この小人物。なんでも及第点、破綻はないけど地味で華のない優等生。つくづく好みだ。

 その他の人については、またいずれ。


 その昔。
 宝塚大劇場で、『螺旋のオルフェ』とゆー芝居が上演された。
 演出家のファンだったのと、ダーリンが組替えになったっちゅーんで、わたしはいそいそと初日に観に行った。3列目の下手席だった。

 あのときの空気を、忘れない(笑)。

 幕が下りる。
 しかし、客席はしんとしている。
 幕が下りきった。
 客席には、困惑したささやきがあがりはじめた。
 客電がつき、アナウンスが流れる。
 客席から、ぱらぱらと拍手が起こった。

 芝居が終わったことに、客がだれも気づかないって、どうよ?(笑)

 『螺旋』初日を観て、わたしは内心腹を抱えて笑っていた。やったな、オギー。見事なまでの失敗作。

 『螺旋のオルフェ』は、「駄作」ではない。「失敗作」なんだ。

 駄作と失敗作なら、失敗作の方がすばらしい、という例のような、華麗な失敗作。いろんな意味でおもしろかった。わたしは『螺旋』を好きだし、すばらしいと思っている。
 が、この作品を絶賛しちゃいかんことも、わかっている。だってコレ、失敗作だし。てきとーな作家ならこの程度の失敗でもほめていいけど、オギーはもっといいものを創れる人だから、コレをほめる気にはなれない。失敗は失敗だ。
 にしても、才能ある人の失敗作ってのは、ぼんくら作家のつまんねー及第作より、はるかに心を動かされ、また勉強になるのだなあ、と、そんなことも感心したさ。

 そして時は流れ、昨日3月25日。『螺旋のオルフェ』以来数年ぶりの、荻田浩一・大劇場芝居作品初日。

「緑野さんはまた、失敗作だって吠えてるかと思いました(笑)」
 と、チェリさん。

 いやそんな、吠えないですよ。

 だって、『螺旋のオルフェ』より、マシだもん(笑)。

 幕が降りるときに、とまどいがちとはいえ拍手あったじゃん。『螺旋』初日を観た者からすりゃ、快挙だわ。

 にしてもオギー……。
 本気で、大劇場向け作家やないんやな。

 わたしはエンタメ好きで、大衆向け劇場である宝塚大劇場でこそ実力を発揮できる作家をいちばん評価している。はばひろい年代のいろんな価値観を持つ人たちをたのしませる力。それでいて、マニアックな観客のハートもくすぐることのできる作品。それこそが、真のエンターテイメントだと思っている。
 一部の「高尚な」人たちしかわからない、また興味も持たないよーな作品には、好意を持てない。わずかな人たちだけをよろこばせることなんか、たくさんの人をよろこばせるより簡単じゃん。たとえば、料理の下手な人でも、その人の子どもだけは「ママの料理がいちばんおいしい」って言うよーなもんでさ。誰だってわずかな特定対象だけなら、たのしませることはできるのよ。

 だから、オギーの「大衆向けではない」持ち味は、なんとも微妙だ。

 彼はわざとやっているのだろーか。それとも天然なんだろーか。
 「観客に理解できるかどうか」というラインを、わかっていながら「わかる奴だけついてこい」と思ってぶっちぎっているのか、あるいは本当になにもわかっていないのか。

 モノを書いていると、時折不安になる。
 はたして、この文章は正しく機能しているだろうか。ストーリーは伝わっているだろうか。なにをやっているのか、なにを言っているのかわからない、なんてことにはなっていないだろうか。
 ……小説を書いたときなんかは、まずソレがいちばん気になる。で、他人に読んでもらって、評価をあおぐ。ねえねえ、意味わかる? 話、つながってるかなあ?
 数学的な、組み立て。情緒的なこと以前の構成。それは「技術」のみで構築できる部分だ。テーマだとか萌えだとか、あるいは叫びたいメッセージ、高尚な想いなんかも、その基本的なものを正しく作り上げた上ではじめて必要になってくる。骨組みが正しくできていないのに、そこにどれだけ美しい化粧をしても、一歩動いたら全部ぐちゃぐちゃに崩壊しちゃうよ。
 他人の目は、必要だ。仕事で書く文章など、自分では何十回と読み返すので、読んでいるうちになにがなんだかわからなくなる。自分は先の先まで何十回も読んでいるし知っているので、「はじめて読む人の目線」を失ってしまう。それがこわい。
 もちろん、「**ちゃんになったつもりで読んでみよう」とか、具体的な友だちのことを考えて、その人の「架空の目線」を想像して読んだりして、自分で補っているつもりだが。

 オギーの大劇場作品で気になるのは、この「他人の目線」。
 他人なんかどーでもいー、やりたいことをやるだけだ。わかる人だけわかればいい。
 そう思っているのか。
 もちろん、大劇場作品であるという「譲歩」は見えるので、完全に自己陶酔世界に入っているのでないことは、わかるんだ。彼なりに、「タカラヅカらしい」「わかりやすい作品」を作ろうとしている。
 ただ、その「譲歩」が、ひどく中途半端だ。
 彼本来の精神世界からすれば、わかりやすい大衆向けのモノを創っている。でも、足りてない。一般大衆、しかも2500人も収容できる巨大劇場を相手にした作品じゃない。
 それは、わざとなのか?
 これだけ譲歩したんだから、あとは知らない。最低限の仕事はしたから、あとは好きにさせてもらう。クリエイターとしての矜持は譲れない。
 そう思っているのか。

 ほんとのとこなんか、知らない。
 知らないけどな。

 誰か、第三者が監修してやれよ。

 と、心から思うんだ。

 せっかく、すばらしいものを創ってるんだよ。美しく、高度なものを創っているの。
 なのに、「他人の目」がないために、スベってるの。
 阿呆で怠惰な一般大衆にこびるのなんかごめんだと思っているのかもしれないが、もったいないよ。オギーに最低限の「わかりやすさ」が加われば、天下無敵になるのに。

 作品のレベルをあげるためだ。本人が嫌がっても、誰か監修者をつけろ。
 「わかりやすくする」ことは、一概に作品レベルを下げることじゃないんだ。真に能力のある人なら、「わかりやすく」かつ「高尚なモノ」も創れるはずだよ。

 もったいない……もったいないよぅ。
 才能のある人が、大衆性を否定してコアでディープな小さな世界にハマっていくのを見るのは、かなしいのよ。世界は小さければ小さいほど、心地よいものだから。崇拝者と理解者だけで固めて、否定者のことは軽蔑して排除して、自分たちだけで「高尚なモノ」に酔う。
 才能があるだけに、陥りやすい罠。

 オギーがそんなふうになってしまわないことを、心から祈る。

 いらん心配までしてしまうほど、今回の大劇場作品『マラケシュ・紅の墓標』は、オギーらしい、わかりにくい話だった(笑)。

 ものすごい、うまいんだけどなあ。
 粗はいろいろあるものの、あちこち「すげー」の連続だった。
 なのにどーしてこう、一般大衆を置き去りにするのか。
 わたしは夢中で観ていたので、周囲の反応はよくわからないんだが、チェリさん曰く、爆睡者続出だったらしいぞ、初日なのに。2階の隅で観ていたわたしとちがい、チェリさんは1階の真ん中あたりにいたのに。舞台へ集中しやすいところにいたはずなのに。なのに、みんな退屈して寝ちゃうんだ。

 かなしいことだ。


 えー、わたしの友人のチェリさんつーのは、この「ブログとは名ばかり」の日記サイト、DiaryNoteで日記書いてる「み」さんのことです。左のブックマーク参照のこと。
 彼女はわたしのことを日記で「師匠」と呼び、なんかやたらと持ち上げた書き方をしております。
 わたしの方が若輩だっつーに、敬語を忘れない真面目かつ礼儀を大切にされる方です。

 だがな。

 実際のチェリさんには、よく蹴りを入れられてます。

 蹴るんですよ。マジで(笑)。
 ふつー、蹴りますか、大人の女性が、大人の女性を。んな、ケロちゃんを蹴るゆーひくんじゃあるまいし。←どーゆー例ですか。

 師匠とかいってたのしそーに持ち上げてるけど、実際の関係はそんなもんです。
 気易く蹴りの入る間柄(笑)。

 そう。

 今日もまた、チェリさんにばしばし叩かれました(笑顔)。

 
 この日記、まだ『睡れる月』の話が、思い切り途中なんですが……。
 今日は花組初日で、しかも檀ちゃんのミュージック・サロンの日ですよ!
 バイト最終日なのに、「休みたいんですけど」と言ったら総務のおねーさんが困惑してたよ。まさか最終日に休むヤツなんているわけないと思ったんだな。そして、「最終日の打ち上げの予定なんですけど」と自作のチラシを配っていたバイト仲間には「えっ、休むんですかっ?!」と絶句されたし。最終日、さよなら打ち上げが、一次二次と企画されてたんだよね……まさか最終日に休むヤツなんているわけないと思って企画したんだよね。
 すまん! 休むだけでなく、打ち上げの一次も二次も不参加だ!! やっぱりわたし、社会人できないみたい!(←反省しなさい)

 つーことで、社会生活放棄して行ってきました、花組初日と檀ちゃんMS。

 日記に書くべきことが多すぎて、なにから書けばいいのやら。
 花組の話はまた欄を改めるとして、今のところは、檀れいミュージック・サロン『DAN-ke schon!』の話いっときます。
 

 チェリさんに、ばしばし叩かれました。

 つーのもだ。

 ルドルフ@嶺恵斗と、マリー@我らが檀れい様が、『うたかたの恋』をデュエットだぞっ?!

 笑うよな?

 わたしゃツボ直撃で、口元押さえて、声を出さずに爆笑してましたですよ。

 そしたらもー、後ろからバシバシやられちゃいました。

「両隣は笑ってるし、しかも笑っている人を後ろからバシバシ叩いている人はいるしで、余計おかしかったです」

 と、わたしとサトリちゃんの間に坐っていたkineさんは言うし。
 ええ、サトリちゃん、kineさん、わたし、チェリさんとゆー星担メンバーでのMS参加ですよ。
 なんか……ハタから見るとコントな4人組じゃないか、わしら? チェリさんひとりツッコミか?
 

 檀れい様は、ひたすらオトコマエでした。
 ああ、なんて美しいんだ……。『Night and Day』は男役で歌っちゃいますか。たのしそーなビューティフル・タイフーン檀れい様。

 にしても、共演者が微妙だった。
 モモカさんはいいんだ、キャラ勝ちしてるから。いっちゃん下級生の音花ゆりちゃんも、かわいこちゃんポジだから、あれでいい。

 しかし、男役ふたり。嶺恵斗と綺華れい。
 …………こーゆー祭りイベントに出ていいキャラじゃない。どっちも「太陽と月」なら、「月」カラーの子たちだ。しかも路線スターの扱いを受けていないので、自分のパワーで場を埋める訓練を受けていない。
 ので、ステージの空間に負けている。
 はっきり言っちゃうと、檀ちゃんのパワーについて行けてないのだ。
 置き去り感を漂わせてるの。
 それがもー、愉快で(笑)。

 かわいいなあ、恵斗くんとゆかりちゃん。

 ノリについて行けないまま、それでもはじけようと「努力して」いる。その努力が見えるのが、ツボ。

 やっぱトップ娘役檀れいを相手にするには、もう少し経験と年齢が必要だな。
 見ていてちと、痛々しい。

 そしてそれがツボ。

 それが全開だったのが、『うたかたの恋』。

 恵斗くんは体格と学年から、「相手役」が回ってくるだろーと予想はしていたよ。
 していたけど……よりによって『うたかたの恋』かいっ。

 大人の男と、可憐な少女の恋、だよ?

 なのに。

 そこには、ものすげーものが繰り広げられてました。

 貫禄あふれるいなせな年増美女が、少年っぽさの残る細っこい青年に、ノリノリで迫っていました。

 しかも、美女は「可憐な少女」の風情を出しています。楊貴妃様の貫禄を持ちながら!!
 青年は、必死でソレに負けまいと踏ん張っています。が、腰が引けています!

 ………コレを見て、笑わずにいられましょうか。
 もー、ツボです。
 檀ちゃん素敵! なんてオトコマエなのっ!!
 恵斗くん素敵! なんてヘタレなのっ!!

 んで、ずーーっと笑っていて。

 チェリさんに、叩かれまくりました。

 
 そーいやチェリさんは、かしげが目の前にいたのに、マジで気づかなかったそうです。
 えええっ?! わしら、ふたりでかしちゃん見てたじゃん! チェリさんがかしちゃんのことを口にしないのは、たんに興味がないからだと思ってたよ……目にも入ってなかったのか……。

 そう、同期で、檀ちゃんと共に新公主役をやったかしげちゃんが、客席にきてました。
 ええ、あのかしちゃんですよ。今、ドラマシティで最高に素敵なヘタレ貴公子を演じている、わたしの大好きなかしちゃん(はぁと)。

 かしちゃんが、そこにいるとゆーのに。

 MCコーナーで、モモカさんは言うのよ。

「娘役は大変なんです。娘役を何年も続けていると、どんどんおでこが広がってしまって」

 娘役は髪の毛をすべて、引っ張ってぴったりとまとめるから、という意味らしい。

 この話を聞いて、わたしゃ盛大に突っ込んだね。

 いやソレ、娘役だけじゃないから!! 現に今、この会場に男役だけど年々ハゲている人が来てるから!!

 かしげの前で、なにを言うんだ、モモカさん!! ああ緑野こあら、魂のツッコミ!!

 
 たのしいMSでした。
 くわしい感想はまたいずれ〜〜。


 えーと、早花まこちゃんはこの4月で研4、23歳くらい? そんな若いお嬢さんが、すけべ野獣モード全開のヒロさんに、後ろから抱きしめられて無理矢理チューされたりして、大丈夫なんだろうか……。人生変わっちゃったりしないだろうか。
 と、オバチャンは余計な心配しちゃいますよ。

 『睡れる月』の話です。

 少年時代の式部卿宮役は、早花まこちゃん。式部卿宮の少年時代っちゅーたらホレ、鬼畜将軍@一樹千尋様がご無体なことをなさってるアレですよ。最初に観たときもアゴが落ちたが、2回目に観たときさらに、落ちたアゴが長くぽかーんとしましたね。
 嫌がる少年を手込めにするシーン。なにもそんなシーン、なくてもいいのに、わざわざ演じてくれるシーン。足の甲にキスをさせたり、抱き寄せたり、つーだけでもびっくらこいてたのに、暗転する前、将軍様ってばチューしてますよ!! 暗転の間際、見えるか見えないかのタイミングで! 力尽くですよ!! キャーっ。

 野獣モードの一樹千尋様……どきどきどきどき。ときめきときめき。

 そのトンデモシーンの前景では、立派な美青年となった式部卿宮@かしげが、無駄に艶っぽく悶えてるんですけどね。

 かしちゃんにやほひ的お色気シーンをやられると、みょーに笑えてしまうのは、たぶん彼のセンスが古いためでしょう(笑)。

 かしちゃん的耽美表現って、ジルベール@風と木の詩のかほりがするんだよね。
 昭和時代の、「耽美」。
 現在の感覚でいえば、「お笑い」。
 もう平成になって20年近く経つわけだよ。つーかもう、21世紀なわけだよ。なのにかしちゃんてば、大真面目にジルベールやりだすんだよねえ。恥ずかしいねえ。

 好きだけどな、そーゆーどんくさい持ち味(笑)。

 美貌の使い道がわかってないところが、かっしーのかっしーらしさ。誰かこの人に、正しい美貌の使い方を教えてあげてくださいよ。耽美の演じ方教えてあげてくださいよ。ここまで素材と才能が乖離している人もめずらしい。

 かしちゃんが耽美を演じられるよーになったら無敵だと思うけど、今はまだ、ただの薄い人(いや、髪の毛のことじゃなくて!)。人気のなさが、彼の色気のなさを物語っている、もどかしい人。

 カンチガイ耽美で、腐女子を萎えさせてくれたり、吹き出させてくれたりする、愉快な人。……大好きだ、かっしー(笑)。

 大野せんせーはたぶん、くどくてコテコテの耽美が好きなんだろうな。デコラティブなビロードやレェスの世界ではなくて、螺鈿や蒔絵の世界。そこにはあたりまえに男色も存在しているんだろー。なにしろコテコテだから。
 かっしーは黙って立っている場合だとか、変なことは考えずに真っ正直に演じているときは、姿の美しさゆえに耽美に見えんこともない。だから某タニちゃんよりは、大野世界にハマってると思うよ(笑)。タニちゃんは景気良くぶちこわしていたけど、かっしーは邪魔にはなってないもん。

 さて。
 実際のところ式部卿宮は、かしげ以外の人がやるべきだったんじゃないかと思う。かしげでは、この役を演じきれない。色気と人物の深さが必要だからだ。薄い人にはつとまらんわな。
 スタークラスでいうと、トウコが演じたら、おそろしーことになっていたと思う。想像しただけでも鼻血吹きそうだ……。あとは、水、あさこ、ゆうひ、ゆみこあたりもいい仕事するだろーなー。
 絶対向かないのが、タニちゃん(笑)。できればきりやんもやめておこう(笑)。いや、きりやんはやればやれると思うけど。

 慟哭芝居がハマる人に、ねっとりいやらしく、フェロモン全開で演じてほしかったなぁ。
 役者さえよければ、『血と砂』系の話だよね、『睡れる月』って。

 ところが。
 肝心の汚れ役、式部卿宮が薄く美しいかしげ。
 おかげでねっとりこってり慟哭系にはならず、妙に透明な風が吹いている。
 ああ、きれーだなー。かっしーの周りだけ、クリスタルな光があふれてるよ。変だなあ、闇と金銀の蒔絵の世界だったはずなのに。かしちゃんだけブリリアント。

 本来の色とはちがう芝居になっている、と、わたしは思う。

 それを、惜しいと思うんだ。わたしは暗いもの、痛いものが大好きだから。
 闇の部分を刺激するエロスが好きだから。

 式部卿宮の役者がちがったら、『睡れる月』はどれほどわたし的名作になっただろう……!!
 惜しい。惜しいぞっ。
 真の耽美は、闇と泥の中にこそあるんだ。人間の心の毒の中にあるんだ。
 式部卿宮が、かしげでなければ……っ。

 と。
 ここまで言っておきながら、ここで叫ばせてください。

 式部卿宮@かしげが、好きだぁぁぁあっ!!

 作品の可能性や、本来の姿をぶちこわしているのはかしげだと思う。
 思うけど、そんなかっしーが愛しい。

 わたしが魂から求める、そんな物語になったかもしれない、その片鱗が見える『睡れる月』は、かしげによって別のモノにされてしまってるんだが、その「別のモノ」っぷりもね、なんか好きなの。
 コレはコレでいっか。
 脚本段階、作者のイメージの中での『睡れる月』は別物だったかもしれないけど、今、ここでこうして板に乗っている『睡れる月』も、それはそれで味のある物語だと思うの。

 好きだから、いいや。
 おもしろいから、いいや。

 かしげの演じる式部卿宮も、アリだと思う。
 みょーな悶え方されて見ている方が恥ずかしくなったりもするけど、いいや(笑)。

 なんつっても、式部卿宮ってば、ヘタレ男好きには、堪りませんよ!!

 そしてかしげってば、ヘタレ男を演じるとなんとも奇妙な味を出してくれる、タカラヅカ一の「美貌のヘタレ男達人」!! ヘタレを演じれば右に出るものナシ!!
 ヘタレ・オブ・ヘタレ!

 そんな究極のヘタレ・マスターの演じる、究極のヘタレ美形悪役が式部卿宮ですよ?

 惚れないわけがないじゃないですか!!

 うおおお、式部卿宮@かっしーが好きだー。だー。だー。

 この男を泣かせたくて泣かせたくて、うずうずしてます。
 ヘタレ男なんざ、泣いてナンボっすよ!!
 這いつくばって泣き濡れるといいんだわっ。

 おかげで、最初に観たときからアタマの中に、義教様@ヒロさんと式部卿宮@かっしーで、あーんなことやこーんなことが、駆けめぐってます。
 やばいっす。
 なにしろ式部卿宮は、「将軍家(義教@ヒロさん)のおもちゃ」だそうですから。実際に舞台でそう表現されてますから。
 おもちゃか……おもちゃなー……大変だなー……モヤモヤモヤモヤ。

 清純派腐女子(って、どんなんや)のはずのこのわたしが、エロ街道に堕ちそうな勢いで、式部卿宮が愛しいです。

 
 ああそして、鼻息荒く書いてたら、もう文字数がない……。


 ケロちゃんの写真をいただいた。

 主に楽屋出のときのお写真、どーんとたくさん。
 すごい、アップばっかしだ〜〜。

 銀色のサンタさんも、最後の入りの白いベール姿も、そして袴姿もある……。

 ふつーの写真だから、日付が入ってるの。
 ’04 12 23
 ’04 12 25
 ’04 12 26 ……。

 だからなに、じゃないんだけど。

 あれは夢ではなかったんだな。
 あれは、もう二度と還らないんだ。

 そんな、反するキモチが同時に湧き上がってきてね。

 たしかにあった、大切な物が、もうなくなってしまったんだ、という喪失感、絶望感、それと、それだからこそ、美しく大切な宝物であるのだという、充足感、幸福感。

 なんだかなあ。
 涙腺弱いからさぁ。

 たかが写真の日付スタンプ見て、泣けて泣けて仕方ないよ。

 日付スタンプのついた「ふつーの写真」であることがまた、いっそう「リアル」でさ。

 
 ありがとうございます、シマシさん。
 大切にします。

 あ、『睡れる月』は名作ですよ、ぜひごらんになってください。おすすめ! ヲトメゴコロも、腐女子はぁとも、萌え萌えです(笑)。

 
 あと、個人的にとてもウケてしまったこと。
 ケロちゃん尽くしの写真のなか。

 何故か1枚だけ、ワタさんの写真が。

 なんでだろー、すごいたのしい。すごい笑った。

 なんか、ほっこり救われた。

 ありがとう。


 CSの、『汐美真帆トークショー』見ました。

 よし。
 今だから、言える。

 あの質問したときのケロちゃんは、わたしだけのものよおぉ〜〜っっ!!

 わたしの質問はテレビ放映されなかったので、もうどこにも残っていません。
 あのとき、あの空間で、わたしが手を挙げて質問し、ケロちゃんはわたしを見つめながら答えてくれた。
 それは、わたしだけのものなのっ。

 ふふふふふ。

 
 いやー、実際のトコ、放送されたらどーしよーっておびえていたので(笑)、スルーされてよかったっす。そりゃま、ちと残念な気もしますが、結果としてこれでいいのだ。

 普遍的な、ひろい意味での質問でなく、マニアックな質問だったせいなんでしょーか、スルーされた原因は。千秋楽を見た人でないと意味わかんないこと聞いちゃったし?
 おかしいな、スカステはケロトウだと思ってたのに(笑)。

 なんにせよ、テレビカメラが入っていても、そしてそこで少々阿呆な質問をしても、必ずしも全国放送されちゃうわけじゃないと知ることができて、安心しました。
 みなさんも、どうかテレビカメラを恐れず、本能のままに質問してみてくださいね。

 
 一応、さえちゃんの入り待ちをしようと思った。前夜、わたわた日記書いて、翌日の起床時間を考えてちゃんと睡眠をとった。朝、ふつーに起きた。
 でも。
 やっぱり、入りに行くのはやめようと思った。
 もう一度、猫を抱いて布団に戻った。
 さえちゃんの夢を見た。

 うん。
 よーするにまだ、傷口がふさがっていないのだ。
 退団の入り待ちをするのがこわいのだ。

 あれから、何ヶ月経ったんだっけ? もう時間の感覚がない。
 花の道、白い衣装の人々、公演最後の入り待ち。

 さよならの空気に飲まれるのがこわい。

 まだわたし、完全復帰してないんです、だから神様、もう誰も辞めさせないでください。お願いします。

 数日前、『エリザベート』を観に行こうとして、やっぱりやめた。
 初日に観て、あんなによろこんで、たのしくて、わくわくしていたのに、結局二度と行かなかった。
 わたしはやはり、観たくなかったんだろう。行きたくなかったんだろう。
 ムラに行くのをやめて、かわりに日記を書いていた。
 やめないでさえちゃん。『エリザベート』で辞めないで。そんなことを、つらつら書いていた。
 結局、書くだけ書いて、その文章をUPするのはやめた。不適切だと思ったから。

 距離を取って、現実との折り合いをつけよう。
 急に走ると転ぶから、リハビリは慎重に。

 ねえ、ケロちゃん。
 わたしはずっと、タカラヅカが好きだから。

 結局、『エリザベート』を観たのは、初日と新人公演と、千秋楽だけだ。わたしは『エリザベート』という作品が好きだし、ご贔屓のいた月組が好きだし、ご贔屓の「弟」ゆうひくんが好きだし、さえちゃんが好きだよ。
 現在の月組が上演する、この『エリザベート』に、なんの不満があったわけでもない。劇団の思惑だとかやり方だとかへの不満や不信は、「作品」重視のわたしには関係ない。おもしろければ、すべてゆるせる。そして『エリザベート』はおもしろい作品なのだから、なんの問題もない。
 さえちゃんの退団公演でさえなければ、もっと気軽に何度も観に行ったと思う。
 退団公演だから、観に行けなかったんだ。
 そして、『エリザベート』でない、さえちゃんのための退団作品だったら、きっと心ゆくまで通ったと思う。

 『エリザベート』で、退団公演だから、ダメだった。わたしには。

 きっと悔いが残ると思うよ。
 あとになって、なんでもっとちゃんと観ておかなかったんだ、って、悔やむと思う。
 でも今は、これが精一杯。
 リハビリ中の者に、『エリザ』と退団のコンポはきつい。

 『エリザベート』じゃない、さえちゃんのためのサヨナラショーは、心底たのしんだ。アゴだけ登場の水兄貴に心ふるえたしな。
 豪華でたのしいサヨナラショーだったよ。
 てゆーか、サヨナラショーで笑ったのははじめてだ。
 誰のアイディアだ? 「さえちゃんのオスカルとアンドレひとりフィルム上映」なんてのは。笑わせてどーするんだ?? いや、まあ、ファンならうれしいのかな、アレ……。わたしにはコメント不可。

 「退団公演」に通うことのできなかったわたしは、ひさしぶりに会えたいろんなさえちゃんにわくわくして、袴姿を見るまでかなしさをどこかへすっとばしていたよ。
 ただ、会いたかったんだなぁ。

 ちずさんの感動的な挨拶のあとの、さえちゃんのとってもシンプルな挨拶。そして、鳴りやまない拍手。
 拍手は、美しい音だと思う。
 人間が、自分の身体だけで出す、もっとも原始的な音。

 波の音のように聞こえるね。
 地球の音のように聞こえるね。

 だからこんなに、美しい音なんだろう。

 しつこく最後まで拍手していたよ。カーテンコールの手拍子。もっともっと、さえちゃんに会いたくて。
 もう上げてはくれないだろう緞帳の横から、さえちゃんがひょこっと出てきてくれたときはうれしかった。

 パレードの場所取り競争に参加する気はハナからなかったので、ゆっくりトイレに行って、ミスドで腹ごしらえして、そのうえこの日記を書いていたりして。
 そのあとでよっこらしょ、と劇場前へ戻った。遠くからでも、ちらりとでも、見送ることができたら満足だから。花の道のベンチで、また日記を書きながらパレードがはじまるのを待つ。
 もずえさんは、いい場所を取れたみたい。今メールがあった。よかった。

 今日はものすっげーいい天気で、夕方になってなお、空が青いよ。飛行機雲も見える。
 よかったな。
 よかったね。

 ちずさんを見送り、さえちゃんを見送った。
 周囲で「きれい」「かわいい」の声があがるのが小気味いいよね。やっぱりきれいだ。

 さえちゃんの乗ったオープンカーが、花の道横の道路を、遠く消えて行くまで見送った。テールランプが黄昏に消えるまで、しつこく見送ったよ。

 ガイチはすてきな笑顔で手を振ってくれて。あさこちゃんは横顔だけ。振り向いてくれなかった分、わたしの周りではガイチの株がにょきにょき上がっていたぞ(笑)。「ガイチさん、いい人だねー!」「ずっと手を振ってくれてたよ」花の道を歩いていると、そんな会話が耳につく。疲れてたんだろーなぁ、あさこちゃん。

 トップスターのサヨナラパレードは正門。だからわたしは安心して眺めていられた。
 楽屋口だと、つらくて逃げ帰っていたかもしれない。……だからまだ、リハビリ中。

 チェリさんは今日、息子さんの体調ゆえに楽を観るのあきらめちゃったの。
 わたしはチェリさんに会いたかった。
 チェリさんと一緒なら、入り待ちもできたかな。

 退団者FCの人たちの、白い服を、チェリさんと眺めたかった。
 チェリさん、檀ちゃんのMSは万難を排して一緒に行こうね。

 
 帰りに何気なく入った店で、わたしはアタマの中で歌を歌っていることに気がついた。
「夜は危険なジャングル 早く子どもはお帰り
 男は腹を空かせて ぎらつく狼」
 あれ? なに歌ってんだわたし?
 アタマの中にあるのは、帽子をかぶって大暴れしているワタル兄貴。
 そして。

 長い手を回して、踊っているケロ。

 その店のBGMが、あの曲だった。
 原曲は知らない。そもそも原曲があるのかどうかすら、知らない。
 だけどあの曲。
 『ドルチェ・ヴィータ』、夜の花市場、逃げる少女とコーザノストラ。銀橋のワタル兄貴。

 あの、青いせつない空間。

 BGMはただの有線放送みたいで、すぐに次の音楽に変わってしまった。
 だけどわたしは、あの空間にトリップしたままで。

 まったく、なんてこったい。わたしはまだ、リハビリ中だってのに。
 あの空間から、帰ってこられなくなるよ。それはそれで幸福だけど、かなしいよ。泣けてこまるよ、そんな、なんでもない店の中で。

 今日は、退団公演の千秋楽。
 退団者とそのファンが、やすらかでありますように。その心が、ゆたかに満たされますように。救われますように。
 別れの悲しさとはべつに、この特別な日が、やさしいものになりますように。


 デジャヴ。

 その昔、わたしはバウホールで『更に狂わじ』とゆー芝居を観た。
 チケットを持ってなかったので、朝からムラへ行き、早々にサバキで午前午後と1枚ずつチケットをGET。午前公演の席はそこそこ、午後公演の席はけっこー良席。先に全体を観て、あとからいい席でじっくり観られるわ、たのしみたのしみ。
 が。
 観た人には解説不要だと思うが、『更に狂わじ』は、ものごっつー重い作品だったのだわ。いろんな意味で。
 1回観ただけでアタマはくらくら、おなかいっぱい。なんかみょーに疲れてしまった。
 ……おもしろかったよ。佳作だと思ってる。主役のひとりというか、建前は主役だけど実は「脇役?(首傾げ)」なきれーさんが、ほんとにきれーでなにもできなくて、盛大に「作品」の足を引っ張っていたのもご愛嬌(笑)。彼は華担当だから、それで十分仕事はしていたと思ってるけど(笑)。
 とてもいい、おもしろい作品だったけど、リピートはきついわ……ダブルヘッダーは勘弁、胸やけする。

 つーことで、午後のチケットはさばきました。

 そこそこチケット難だったので、バウホール下はさばき待ちの人ばかり。てきとーな方に声を掛けて、こっそりと譲った。
「ええっ、いいんですか! ありがとうございます!!」
 と、良席だったもんで、すげーよろこばれたよ。
 いいんです、どうかたのしんできてください。2回観ようと思ってチケットを取ったんですけど、わたしゃ、疲れたんで帰ります。

 
 ああ、デジャヴ。
 

 星バウ『それでも船は行く』れおん主演バージョンを観たあと、わたしとkineさんは、もずえさん他と合流した。
 みんな月組の前楽をごらんになるんだってさ。
 えーっ、チケットないの、わたしだけ? 前楽観られないの、わたしだけですか?!

 しょぼーん。
 ひとりさみしく帰路につきましたさ。

 このまま帰るのも、かといってれおんバウをもう一度観るのも嫌だ。
 つったらもう、ドラマシティへ行くしかないでしょう!!
 うるわしき兄弟ホモでも観て帰るべ!
 もともと、昨日観た時点で「絶対もう一度観る!」って決めてたし。2日連続観てもいいじゃん。

 どーせ『睡れる月』はチケットレート低空飛行。補助席も出ていない、サバキの嵐公演。ふらりと行っても絶対観られる。

 で、ふらりと。

 サバキは絶好調、すごい数ですよ、お客さん。いろんな席がいろんな値段、いろんな日程でウリに出ている。
 つっても、さすがに良席はないんだよなあ。昨日9列目センターを定価以下で買った身としては、それ以下の席では観たくないなあ。定価を出すなら、8列目センターより前、それが無理なら後方を安く買うか。
 あ、20列目以降の相場は3000円くらいでした、情報として書いておきます。

 しかし、作品がめちゃ好みなんで、ふつーに窓口で売れ残ってるチケットを定価で買ってもいいか、という気もしている。ファンの心意気として。(つーか、あまりに売れ残っていて哀しい)

 どーしたもんかな、と思っているときに。

「チケットを探してらっしゃいますか?」
 と、品のいいおばさまに声を掛けられた。

 こそこそ通路奥へ移動して、譲ってもらったチケットは、2列目センター。

「ええっ、いいんですか! ありがとうございます!!」
 小躍りするわたし。

「いいんです、どうかたのしんできてください。2回観ようと思ってチケットを取ったんですけど、午前公演を観たら疲れたんで、帰ります」
 
 ああ、デジャヴ。
 その台詞、どこかで聞きました。
 てゆーか、わたしが言いました。

 あの日、『更に狂わじ』を観たときに。

 ああ、そして今回。『睡れる月』。

 たしかにコレ、疲れるわ。
 とてもいい、おもしろい作品だったけど、リピートはきついわ……ダブルヘッダーは勘弁、胸やけする。
 大好きだけどね。

 『更に狂わじ』、そして『睡れる月』。
 同じシリーズ、同じ作者。同じ兄弟ホモ(笑)。

 すばらしいぞ、大野拓史!!

 思わぬ良席で、心おきなくだーだー泣いてきました。1幕の中納言と大君の藤の花のシーンで、すでに大泣きしてコンタクトがずれて大変だったよ(笑)。

 この話、大好き。
 重くて痛くて、かなしくて美しい物語。

 たとえ、まちかめぐるが大活躍していても、ハマコがハマコで大暴れしていても、愛耀子が歌いまくっていても(笑)。

 萌えが山ほど詰まってる。

 ああ、それにしてもヘタレ貴公子かしげLOVE!!

 大好き。
 出会えてよかった、この物語。

 
 後方席がマジで赤かったんで、どうかみんな、観に行ってくださいよ。
 おもしろいから!!
 泣けるから!!
 美しいから!!

 ちゃんと主人公とヒロインの恋愛で泣けるから。
 ヒロインはふたりいるから、1幕で泣けて、2幕でまた泣けるから。

 オスカルがフェルゼンとの思い出を作るために、ドレスを着て舞踏会へ行く、あのシチュエーションにときめく人になら、めちゃ美味しいから!!

 …………そして、そのヒロインとの恋愛で泣いたことをうっかり忘却してしまうほど、ラストの兄弟愛ぶっちぎりぶりは、すごいから(笑)。

 ふつーの男女恋愛モノ好きな人にも、美青年ホモ話好きにも、おすすめっす!(はぁと)

 でも。
 2日連続で観ると、やっぱ疲れるな、この話。


 えー、あるところに、ヘタレでケンカが弱くて、あまり利口でもなくて、でもカオだけはとびきりいいおにーちゃんがいました。
 おにーちゃんはヘタレなんだけど、義弟のことをとっても愛し、なんとか世間の荒波から義弟を守りたいと思っていました。
 だもんでおにーちゃんは、「こうすれば弟を守れるはず!」と思いつきでいろんなことをしでかします。
 はっきり言って、とんでもないことばっか、やらかします。
 ちょっと待て兄、ソレやったらシャレにならないから!! てなことを本人必死にやっちゃいます。

 そしてそのしわ寄せは、全部弟にやってくるのです。

 えー、あるところに、めちゃケンカが強くて美形で、たぶんアタマもいいんだろー、そのくせ控えめで情愛にあふれた、出来過ぎの弟くんがいました。
 そんな弟くんは義兄を敬愛してきました。いつか兄を支え、守りたいと思ってきました。
 しかしおにーちゃんはなにしろヘタレ。ろくでもないことばかりやらかします。それでも弟くんは、兄のやるとんでもねー失敗に振り回され、ぼろぼろになってもなお、「だっておにーちゃんは『弟のため!』だと思ってやってくれたんだから……」どんなにありがた迷惑だから!なことをされても、健気に耐えるのです。

 阿呆な兄と、それに振り回されるよくできた義弟。

 ちょっと待て。そんな話、たしかどっかで観なかったか? たしか、大劇場でバカ兄が「青い鳥」を探して右往左往して、弟を巻き込んでなかったか?

 
 雪組ドラマシティ公演『睡れる月』を観てきました。

 カオがいいだけの阿呆な兄が、ろくでもないことをして、血のつながらない弟を引っかき回す。

 なんか、この間の大劇場公演と同じなんですけど。

 コムちゃんてばまた、阿呆な兄に迷惑かけられる弟の役?!

 でも、同じ阿呆にかけられる迷惑でも、トド兄はムカついたけど、かしげ兄にはムカつかないわ!!(笑)

 てゆーか。

 ものすげー、たのしかったです。

 
 テーマは「兄弟愛」ですか?
 それとも。
 ずばり、「ホモ」ですか?

 
 いやあ、なんかどえらいもん観ちゃったよ。

 ホモをここまで美しく演じられるのはタカラヅカだけだよなあ、と、しみじみした。

 式部卿宮@かしげは、時の将軍・足利義教@ヒロさんのお稚児さんとして、飼われていた。家と家族を守るために、その身をさしだしたわけね。
 自分ひとり、義教のペットになっていれば、家族……とりわけ、愛する義弟・浜松中納言@コム姫を守ることができると。

 ところが。
 好色な義教は、美しい青年に成長した中納言を見初めてしまった。
 式部にーちゃんピンチ! 弟だけは、スケベ中年義教のおもちゃにされてなるものか!
 にーちゃんは、義教暗殺のクーデターに参加する。

 にーちゃんはいつもいつも、弟のために。
 弟は、にーちゃんが家族を守るために好きでもない男に抱かれているのを知っているから、なんとかにーちゃんの力になりたいと思っている。
 クーデターなんてやめてほしい。静かに暮らすのがいちばん、権力なんていらないのに。
 でも、事が起これば弟は兄を助けに武器を握る。
 だってにーちゃん、ケンカはめちゃ弱なんだもの。ボクが守ってあげなくちゃ!!

 クーデターの中心であり、実行犯だっつーのに、要領の悪いヘタレ兄は、その後の政界でも見事に席取り合戦に敗れ、結局最下層の虫けら人生。
 どこまで役立たずなんだ、兄。
 貧乏くじ引いただけかよ。苦労して愛人の男をその手に掛けて、手を汚して心を汚して、そのあおりで妹・大君@まーちゃんまで殺されてるっちゅーに、なにも得るモノはないという、のーなしっぷり。

 そうまでして守りたかった最愛の弟は、大君を失った傷心を抱いて、吉野に行ってしまったまま帰ってこない。
 どーやったらまた、家族一緒に暮らせる? 権力がないとだめだ。どーすればいい?
 ヘタレにーちゃんは、権力を得るためにまた、ろくでもない政治的謀略に荷担する……。

 
 このバカ兄、誰かなんとかしろ(笑)。

 野放しにするなこんなぶっそーなバカ。
 クーデターだの戦争だの、ろくでもないことしかしでかさない。

 にしても、濃かった。

 義教はほんとーに、式部卿宮を飼っていたらしい。
 はしばしにそれが出てくる。
 そして次は、その弟の浜松中納言に目をつけたんだ……「男でも女でも、美しいものが好き」なんだそーだ。
 この義教@ヒロさんの、スケベぷりっときたら!!

 鬼畜絶対君主ですよ!! ひざまずく美青年のアゴを、閉じた扇でくいっと持ち上げちゃいますよ!!

 うわー……トバしてんなあ、と、感心して観てたんだが。

 
 2幕になると、もっとすごいよ。

 わざわざ、幼い式部卿宮が、義教に**されるシーンが、回想シーンで再現されます。

 着物は着てるけど。
 布団も出てこないけど。
 ひざまずき、義教の足に接吻させられる式部卿宮(まだ少年)。
 いやがるのを、後ろから抱きすくめられる式部卿宮(まだ少年)。
 
 びびった。

 な、何故、このシーンが必要なの?!

 そこまで描かなくても、十分わかるから!
 てか、描かれてもこまるから!

 しかも。
 この回想シーン、式部卿宮(大人)が、少年の日の性的虐待の日々を思い出して、カオを歪めておるのですよ、同じ舞台の上で!!

 な、なんでー??
 なんでここまで、そんな。

 少年時代の**シーンだけでも、こまるのに。

 大人になった式部卿宮に、苦悶の表情されちゃっても、なおこまるんですけどっ。

 
 あー……タカラヅカでよかったー。
 コレ、ヒゲすね毛ばっちり、どんなにきれいでもカオでかいです、足短いです、の本物の男ふたりでやられたら、キツかったなあ(笑)。

 タカラヅカだから、本気のホモを舞台の上でやっても、少女マンガかボーイズラブ・マンガみたいにきれーだから、救われるわ。

 
 あまりに真正面からホモで(時代的に、そーゆーもん、てのもあるんだろーけどさー。にしてもあまりに題材にし過ぎだよなー・笑)、びっくらこいて笑いが止まらなくて、わたし的にはいちばんのトピックスだったのに。

 幕間に、後ろの席で観ているもずえさん・白木蓮さんコンビのところに感想を話したくていそいそ駆けつけたら。

 もずえさんたちの第一声は。

「まちかめぐる、大活躍ですね」

 ソコへ行きますか!!
 この耽美極まる舞台を観て、何故に何故に、第一声がまちかなの?!

「そーなのよ、プロローグからまちかに釘付けさ!!」

 わたしも何故、まちかを語っているの? WHY?!


 えーと。
 日付がズレてますが、星組バウホール公演『それでも船は行く』れおんバージョンを観てきました。

 なんといいますか。

 みきちぐが恋しかったです……(笑)。

 主役のジョニー@れおんが、上から2番目の上級生ってのは、すごすぎる公演ですよ。ありえないっすよ。

 男爵@立さんはいてくれるし、新公でそこそこ役の付いている伯爵夫人@華美ゆうかちゃんは手堅くやってくれてるんだけど。

 あとの子たちは、もう……。

 ひたすら、学芸会テイスト。
 せめてヘンリー役は、みきちぐあたりの上級生がやらないと、作品自体がヤバくなるんだってことが、よくわかった。つーか、なんでみきちぐ、続演してくんないんだよー。

 それでもヒロインのスーザン@蒼乃夕妃ちゃんは、ぎりぎりこなしていたかなぁ。

 
 出演者の実力ががくんと落ちたために、際立つのは脚本のヤバさ。

 安普請の建物が、嵐で揺らぐかのよーに。
 土台で手抜きしてあるもんだから、ちょっとしたことで倒れるのね。

 主人公のジョニーは、あっちフラフラこっちフラフラのお気楽おぼっちゃまだそーだけど、いったいどのへんが?
 何故そんな設定なの?
 スーザンに一途な好青年に見えますが?

 ヒロインのスーザンは、氷の花だそーだけど、いったいどのへんが?
 何故そんな設定なの?
 めちゃくちゃ元気で暑苦しい女の子に見えますが?

 ジョニーがいい加減な男だっつーなら、そーゆー演出をしなよ。それらしきエピソードはひとつもなく、恋に不器用な、言葉と心が裏腹なまっすぐ青年としか描いてないじゃん。
 ヨットのよーに回り道する生き方も、いい加減さではなく、彼の青年らしい信念にしか見えませんが。

 スーザンが氷の花だっつーなら、なんで彼女はいつも感情的にきーきー怒鳴り散らしてるんだ? 感情見せまくり、つーかヒステリー女だろ? どのへんが氷?
 とびきり人間らしい、正直すぎて疲れるタイプのお嬢様ですが。

 すずみんがお気楽トンボに見えなかったのと、せあらちゃんが氷の花に見えなかったことで、「役者の持ち味かしら?」と好意的に考えたけど、続演のれおんと蒼乃夕妃ちゃんもまた、「設定」通りのキャラにまったく見えなかったので、これはもう、演出の方に問題アリだと確信。
 計算式がまちがってるから、正しい答えが出ないんだ。
 出演者も大変だ。

 まあ、駄作だってことはわかってたけど。
 出演者が下級生ばかりになって、さらに駄作なのがはっきりした、と。

 
 作者のいいかげんな設定は置いておいて。

 真面目な主人公ジョニーは、その真面目さゆえにいい加減なことが言えず口論となり、婚約者のスーザンとケンカ別れしてしまった。
 スーザンというのも、ジョニーに似合いの真面目で融通の利かない、気の強い女の子。しかも癇癪持ち。
 似たもの同士のふたりは、悪ノリするタイミングも同じで、つまらないゲームを考え出す。船旅の隣人が、元婚約者と同姓同名の他人だったことから、親友と入れ替わる遊びを思いついたのだった……。

 てゆー話だよなー。

 この物語をすっきりさせるポイントは、

1・ジョニーとスーザンのケンカ別れの理由をはっきりさせる。
2・ジョニーとスーザンの、性格の「いいところ」をちゃんと表現する。
3・ジョニーとスーザンが、親友をどう思っているのかを描く。

 かな、とりあえず。
 真面目に考察するのもめんどーなので、かなり大雑把だが。

 性格設定とエピソードと演出が噛み合ってないもんだから、ふたりのケンカ別れが「物語」として機能してないんだわ。
 ふたりが「愛し合っている」「お似合い」だという前提で、たまたま「歯車がずれて大喧嘩」してしまった。
 観客は、「仲直りしてハッピーエンド」を期待して観る。
 これがこの話の骨組みであるハズなんだ。
 そこに入れ替わりネタだとか詐欺師登場だとか、太田せんせの大好きなエスプリの利いた台詞の応酬だとかが、肉付けとして存在するわけだ。
 骨組みがいーかげんで、ちゃんと作ってないもんだから、全部ぐだぐだになってるのな。

 ジョニーとスーザンの性格設定をきちんとして、それゆえのケンカ別れをさせ、それゆえの彼らの性格の「美点」を描き、それゆえに親友たちとの「関係」を描く。
 今のままじゃ、ふたりとも性格悪すぎ。自分勝手で、友だちのことなんてなにも考えてない最低人間じゃん。ただ親友を利用しているだけじゃん。
 てゆーか、なんで彼らみたいなセレブに、マイクやジュリアみたいなびんぼー人の親友がいるの。知り合った事実があっても、とても友情が展開したとは思えない。
 男爵と伯爵夫人に作者のひとりよがりな「人生の深淵」を語らせたり、主人公たちに「オシャレ」な意味のない長台詞を言わせているヒマがあったら、親友とのエピソードを入れろ。
 どーして「友だち」なのかを、表現しろ。
 背景を解説するんじゃないぞ。ジョニーがマイクを、スーザンがジュリアを「何故好きなのか」を、描くんだ。
 身分が違い、生きる世界が違ってなお、わざわざ友だちでいるくらい、好意と尊敬があるはずなんだ。ソレなしにつきあっていたら、そりゃ金持ちの気まぐれとか、利用しているだけだと見えても仕方ないって。

 まだジョニーとマイクはたのしげに女のネタで盛り上がってたりするから、マシなんだけどな。
 「同じ一等客室で」と誘うジョニーに、誇りを持って断るマイク、それに対しジョニーがひとこと、「そーゆーとこが好きなんだ」と言うだけでも、ぜんぜんちがうのにな。一瞬マジに、でもすぐふざけあって、わざと皮肉を言ってみたり。
 男同士の気の置けない関係、ってやつで。

 スーザンとジュリアは、この際、最初からがんがん口喧嘩させろ。「このわがまま娘!」「言いたいこと言えずに溜め込むよりましでしょ!」「言い過ぎなのよ!」とか、ふたりともヒステリックに叫び合って、そのくせ次の瞬間「聞いてよ!」とすばらしい息の合い方で、ひとつのことを言ってみたり。真剣に怒鳴り合っていたのに、あっちゅー間に笑い合って、食べ物の話をしていたり。
 ああ、いつもこーやって飾りなく罵り合う、相手のことを知り尽くしたかけがえのない相棒同士なんだなってことを、表しておけよ。ここまで正直になれるのは、お互いだけ。自分はあの子を悪く言うけど、他の人があの子を悪く言うのは許せない。そんな、とってもきっつい女の友情。
 とにかく、今のままの、「満ち足りたときはやさしいけど、つらいときは相手を罵ってヨシ、相手の気持ちなんか関係ナシ」っていう状態は、ひどいよ。あんなの友だちじゃない。

 ストーリーはべつに壊れてないから、主役の性格設定と演出だな。
 細部の手抜きが、全体を壊している。やれやれ。

 ありきたりな話じゃないよ、コレ。しょーもない話、つーの。
 しょーもない話だから、出演者に力量が必要。
 力量のないことがわかっている下級生たちに、わざわざやらせるあたり、ほんとに独りよがりだ。
 
 がんばれ、出演者。
 脚本のマズさを、カバーできる実力をつけるのだ。
 そーゆー意味でのお勉強作。


 『エリザベート』と、さえちゃん退団について、ごちょごちょぐたぐた書いた。
 そして、なんかヘコんで消した。

 その話はやめよう。うん。
 かわりにわたしらしい、バカ話を。

 
 わたしらしいといえば、コレ。

 『エリザベート』でのカップリングは、ルドルフ×エルマーです。

 ええっ、ルドルフが攻?! そんなの聞いたことないよ?!

 でも攻なんだもん(笑)。
 てゆーか、エルマーがぶっちぎりで受ってことで。

 てな話をするとkineさんは大真面目に、

「ひざまずいてプロポーズしてますしね」

 とか言ってくれるし。

 そうそう、そうなんだよ!!
 てゆーかkineさん、いつもさりげなくかっとんだ台詞を言ってくれるよね(笑)。

 あのクソ熱いエルマー@さららんが、熱烈にルドルフ@ゆーひを口説いてるよね。
 カフェでの密会(笑)で、蜂起を躊躇するルドルフに、ぐわばっとひざまずいて「ハンガリーの王冠が待つ」って口説くの。

 そうか、ルドルフ(ダーリン)を連れて祖国へ凱旋する気か!!(笑)

 スケール大きいよな。
 プロポーズが「王冠」だぜえ?(笑)
 エルマーなにもん? ハンガリー王座を語れる立場なのか!

「僕の愛を受け入れてくれたなら、君にあの空に浮かぶ月をプレゼントするよ!!」
 てな感じの、ロマンチック・プロポーズですか。ははは。
 ひざまずく、あのポーズがたまりませんな。ホストクラブでバイトできそーだぜ。
 
 あまりのアツさに、ルドルフもつい、ほだされちゃいそーだよね。わけがわかんないうちに、気がついたら朝同じベッドにエルマーがいて、責任問題に発展してそーな。
 エルマー、泣きの演技得意だから! てゆーか、絶対本気で慟哭するから! 眉間にシワ寄せて「苦苦苦……」とかやられたら、そりゃ皇太子も「わかった、責任は取る! ドナウ連邦は任せとけ!」てなもんでしょう。

 えーと。
 エルマーがやる気満々でウィーンにやってきたときに、ルドルフが生まれたんだよね……年の差、いくつだ(笑)。親子だな。

 でも、じじいの方が受(笑)。

 ついでに、よりアツいのも、じじいの方。がんばれエルマー。血管切らさないよーにな。
 ルドくんは「愛に飢えた子ども」だから、「父親世代」のエルマーがアツく口説けばオチるって。

 ふつーなら、「父親世代」の方が攻で、「愛に飢えた子ども」は受になるもんだけど。

 なにしろ、さららんエルマーだから! 「誘惑=女役」、「革命のためにこの身を喜んで犠牲にしよう!」、とか、愉快なカンチガイと思いこみで突っ走りそうだから!!

 ……おもしろいと思うんだけど、本気で苦悩しながら「女役」の立場に甘んじるエルマー。
 アンタにんなことしろなんて、誰も頼んでないのに、ひとりでテンパッて、耐えていそーなとこが。

 あれ?
 ひょっとしてわたし、笑いたくてエルマー受を唱えている??

 いやいやいやっ、本気で見たいですよ、ルド×エル。SSぐらいは書けそうな勢いで、萌えてますとも!!
 小説より、4コママンガで笑い取った方がよさそーなネタだが……。
 はっ。だ、だからべつに、笑いたいわけでわ……っ!!

 
 えー……。
 まあ、なんにせよ。

 さららんルドルフが好きです(笑)。
 ゆーひくんはもっと好きです(真顔)。

 そしてぢつは、シュテファン@ほっくん×エルマー@さららんでもいいなあ、とか、ひそかに思ってたりもします……。
 あ、ジュラ@めおちんは聖域で!!(笑)

          ☆
 
 6月29日、追記。
 コメント欄からご指摘をいただきました。

 わたしってば、

> さららんルドルフが好きです(笑)。
> ゆーひくんはもっと好きです(真顔)。

 って、なんの疑問も持たずに書いてるわ〜〜。
 まちがいです、まちがい。

 さららんは、エルマーですってば!(笑)

 さららんエルマーが好き、が正しい記述です。

 いやはや、お恥ずかしい。
 教えていただいて、助かりました。ありがと〜〜。
 
 
 そりゃ、さららんのルドルフも見てみたいけどな……おそろしいものになりそーだよな……(笑)。


 スカステの『JURIのそれどう』、変身写真館で素顔メイクでコスプレした、樹里ちゃん、しいちゃん、まとぶん。
 樹里ちゃんはオスカルの衣装に、負けていました。仕方ないよね、素顔でコスプレしても、負けちゃって当然だよね。
 ところがおそろしいことにまとぶんは、マリー・アントワネットの赤いドレスをカツラ付きで着ているとゆーのに、ふつーに可愛かった。似合ってどうするよ……負けてふつーなのに、対等に張り合ってるよ。さすがジェンヌさん。
 そして、マリー・アントワネットの青いドレスをカツラ付きで着た、我らがしいちゃんは。

 余裕で勝ってました、衣装に。

 素顔なのに……っ。
 素顔であんなとんでもねーコスプレして、どーして勝っちゃうかなっ。

 ロココ衣装をモノともしない、派手な顔。金髪縦ロールをモノともしない、大きな目、大きな口。
 舞台役者だね……すごいね……。しいちゃんはきっと、ヅカメイクなしで宝塚大劇場の舞台に立っても、B席から顔が見えるんだろうな。

 さて。
 まとぶんやしいちゃんは例外、ふつーの人は変身写真館でコスプレする場合はヅカメイクが必要。
 気合い十分のサトリちゃんは、パウダーコーナーを独占してMy化粧品をひろげ、メイク開始。
 やるからにはとことん。毒をくらわば皿まで。なにしろサトリちゃんが「お手本」として出したのは檀れい様のブロマイドですよ。そうよね、目指すなら檀れい様よね。天下の美女、タン・リー様よね。

 しいちゃんの写真じゃないんだ……そっか、しいちゃんは男役だから、メイクのお手本にはならないんだ。サトリちゃんなら男役も似合うだろーけど、そっか、今回は青マリーが目的だから、娘役なんだ。
 などなど。しょーもないことを考えつつ、わたしはサトリちゃんのメイク過程を眺めてました。

 てゆーか、写真館、わたしたちの貸切だし。
 それを狙って、わざわざ『エリザベート』の3時公演がはじまるのを待って、受付したんだもの。

 
 ここで「変身写真館」利用のポイント。
 お店のおねーさんたちはプロなので、着付けも撮影もあっちゅー間に終わらせてくれます。ひとり10分ぐらいの流れ作業で、幕間だけでも何人ものお客をさばいたりします。あまりに早業で、感動している暇がありません。ドレスを着ている時間なんて、ほんの数分ですよ。
 少しでも多く深く堪能したい場合は、大劇場の開演時間中を狙っていきましょう。
 開演前、幕間はものすげー混んでます。ベルトコンベアのデコレーション・ケーキ並のスピードで、次々衣装を着て撮影することになっちゃいますよ。

 公演を観るのを1回あきらめて、変身写真館を利用する。
 これがいちばん、たのしめます。

 
 開演中の劇場ロビーはとても静か。そしてもちろん、変身写真館も。
 すでにそこは、わたしたちのサロン状態。のんきに坐ってくっちゃべってる。
 あんまりくつろいでいたもんだから、実際にサトリちゃんが衣装を着に奥へ入ったのは、『エリザベート』の2幕がはじまってしばらくしたころだ(笑)。
 変だな、開演を待って入ったはずの店なのに。もう2幕も半ば? 2時間近くも、なにしてたの?(笑)

 さて、こっから先がサトリちゃんオンステージ。
 とゆーのもだ。
 サトリちゃんはつづけて4着、コスプレしてくれたんだわ。
 4着よ? すごかろ?(笑)
 しいちゃんの着ていた青マリーGO! GO!
 なんといってもタカラヅカ、羽背負ってGO! GO! レビュー記念日だかTCAだかの羽付き衣装GO! GO!
 樹里ちゃんの着ていたオスカルGO! GO!
 ここまできたら、もひとつGO! GO! まとぶの着ていた赤マリーGO! GO!

 背の高いサトリちゃんは、やっぱりドレスの中で足を開いて短足にならねばならなかった。そう、衣装の丈が足りないのだ。
「気の毒に。わたしと同じね」
 とわたしは苦く笑う。ふふふ、実際より短足にさせられる変身写真よ、ひどいわよね、ふふふ。←黒い笑い。
 さらにばらすと、オスカル衣装のスターブーツはファスナーが上がらず、後ろをガムテープで留められていた。
「気の毒に。わたしと同じね」
 とわたしは苦く笑う。サトリちゃんはぜんぜん太ってないし、スタイルのいいお嬢さんなんだが、それでもブーツは細くて入らないんだ。ふふふ、閉まらないファスナーのかわりに、ガムテで容赦なく留められたのは、わたしだけではないんだわっ、ふふふ。←黒い笑い。

 変身を終えたサトリちゃんは、「紙のメイク落としなんかじゃ落ちないんで、顔を洗ってきます」とジェンヌのよーに帽子を目深にかぶり、店の外の化粧室へ消えていった。ヅカメイクの長身の女が、突然飛び込んできたら、トイレにいた人はびっくりしたろーな(笑)。

 
 できあがった4枚の写真を並べてみんなで見たけど。
 感想は、「ふつう?」だった。
 とゆーのも、ヅカメイクをしてヅカ衣装を着たサトリちゃんは、なんかとってもふつーだったのだ。

「この人、ふつーにどっかの組にいそう」

 ジェンヌさんに、いそうだぞ。
 うーむ。
 ネタにならないヤツだな、サトリちゃん!(ヲイ) ふつーになってどうするよ。

 結果として。
 ヅカメイクをしたサトリちゃんは、ヅカ衣装に負けなかったのだ。拍手!

 ……にしても、重ね重ね、素顔でヅカ衣装に勝ってしまうしいちゃんって……っ!!

 
 次はぜひもずえさんも、ドレス着てね〜〜。
 サトリちゃん、次は男役メイクで、黒燕尾着てくれえ。

 わたしも、サトリちゃんにメイクしてもらえるなら、なにか着ようかな……。


 サトリちゃん、グッジョブ!!

 この言葉の意味を、今明かしましょう。

 あの日サトリちゃんは、とある写真をメールしてくれたんです。
 自力でヅカメイクをした自分の写真を!!

 わたしとkineさんとサトリちゃんは、じつはすずみんファンでもあります。サトリちゃんははるばる夜行に乗って、すずみんバウを観にやってきました。
 この時期にタカラヅカのためにムラまでやってきて一泊して、『エリザベート』を1回も観ないという潔さ。いよっ、星担!
 その後宿泊予定を延ばしたよーなので、結局『エリザ』は観られたのかな? でも当初の予定では、星バウだけだったんだよね(笑)。

 そんなサトリちゃんの目的のひとつは、変身写真館にもあったりします。
 青いマリー・アントワネットの衣装を着るためにっ!!

 なんでアントワネットかって?
 『ベルばら』はこの際関係ありません。

 しいちゃんが着た衣装ですから!

 変身写真館……宝塚大劇場ロビーにある、「舞台衣装を着ることができる」写真館です。エリザベートやトート、オスカルやアンドレの衣装もありますよ。
 あこがれの舞台の、愛するあの人の衣装を、着ることができるのです!(金さえ出せばな)

 と、言っても。
 もちろん、本物じゃありません。全部レプリカです。

 いくらトートの衣装を着たって、「すみれちゃんの肌のぬくもりが……ぽっ」なんて妄想も許されません。ジェンヌさんは、その衣装を着てないんですから。(さえちゃんトートは現在上演中、衣装ちがいますから、あえて例からはずしました)

 ただ、よく似たニセモノを着て、その気になる。そーゆー場所なわけですよ。

 しかーし!

 唯一、というか、3着だけ、例外があります。
 マリー・アントワネットのドレス色違い2着と、オスカルの衣装。
 これだけは、実際にジェンヌさんが、袖を通しました。

 そう。CSのオリジナル番組である『JURIの“それってどうなの!?”』の企画で、ホストの樹里ちゃんと、ゲストのしいちゃん&まとぶんが、着ているんですよ。機会があったら、当の変身写真館でエンドレスでビデオが流れてますから、見てみてください。
 あれって、ほんとに着てるんですよ。
 変身写真館で、ふつーに使われている衣装なんです。カツラも小物も。実際にあの場所で、あの店のスタッフのおねーさんたちの手で着付けてもらったそうです。

 それを知ったからには、着なくてはならないでしょう!

 しいちゃんが着ていた、マりー・アントワネットの青いドレス(通称・青マりー)を!!

 さて。
 『それどう』を見ればわかりますが、素顔化粧でお衣装レプリカを着た現役スターの3人。残念ながら樹里ちゃんは、お衣装に負けてしまっています。なにしろ素顔ですから。ヅカの衣装なんて、素顔で着るもんじゃありません。(素顔化粧はおろか、すっぴんで着たことのあるわたしは、かなしく地面を見る)
 たぶん、ふつーの人がふつーのメイクでオスカルの扮装をしても、同じように衣装やカツラに負けて、沈んだ顔になってしまうでしょう。いやもちろん、ふつーの人より樹里ちゃんは着こなしていますが。

 樹里ちゃんですら、素顔メイクだと衣装に負けてしまう!
 変身写真館で青マリーをやるならば、顔もばっちり作って行かなければ!!

 現在、変身写真館ではメイク・サービス(もちろん有料)をやっていますが、これは平日のみの完全予約制、しかも予約はすでにいっぱい状態。不便というか、敷居が高いというか。利用しにくいサービスですな。

 だもんでサトリちゃん、がんばった。

 自分でヅカメイクに挑戦だ!!

 ええ。
 送ってきてくれたんですよ、セルフヅカメイクの顔写真を。

 んなもん見た日にゃ、叫ぶでしょう、

「サトリちゃん、グッジョブ!!」

 と。

 その潔さと気合いに、ハラ抱えて笑いました。
 悪い意味での笑いじゃないぞ。
 わたしゃ、サトリちゃんがますます好きになった! とゆープラスの感情の爆発ですだ。

 ああ、たのしみだ、サトリちゃん。
 このヅカメイクを間近で見られるのね〜〜、うっとり。

 前夜になって星バウのチケットも手に入れたし、機嫌良くムラへ向かいましたとも!!

 偶然にも、サトリちゃんと席も近かったしな。席番を言ったら、お友だちと『エリザ』を観るためにムラ入りしていたkineさんには、「またそんな席……」って言われちゃうし!
 ええ、わたしはたしか、kineさんと並んで最前列センターで初日を観劇したあと、「次は後方席で全体を観たいわ」なんてうそぶいておったんですよ。
 なのにまた、前と同じ席ですよ。全体を観たいんちがったんかい。真の舞台好きならそうするだろ? なのにまたかい。首イタイってば。全体なんか見えないってば。
 ……ジェンヌを前で見たいだけのミーハーだもん、わたしっ。それがナニか?!

 
 そーしてサトリちゃんと一緒に星バウを観て、そのあとキャトルレーヴにすっかり忘れていた、かしげPBの引き取りに行き。

 …………引き取りに行くのを忘れていただけじゃなくてね。

 予約票も、紛失してました。

 ははははは。潔いな、わたしも! 毒を食らわば皿までね。忘却するときは全部なのね!!

 たとえ発売日から日にちが経過していよーと、予約票を持っていなくても、なんの問題もなくかしちゃんPBを手に入れることができました。ハラショー。
 予約特典のポストカード、さすがかしちゃん、美人です。

 PBの中身ですか?
 そりゃきれいですよ。きれいにきまってるじゃないですか、かしちゃんだもん! まだ袋を開けていないなんて、そんなことは……ゴニョゴニョ。

 なんか最近定番と化している「フルール」でごはんを食べているときに、『エリザベート』午前公演観劇組の友人知人たちと合流、ものすっげーにぎやか。

 窓の外も静かににぎやか、大雪です。

 すごいなー、さすが山国宝塚。田舎に来た気分を盛り上げてくれるよ。

 そうさ、お天気までもがサトリちゃんの変身を盛り上げてくれているのさ!

 
 つーことで、サトリちゃんの変身話は翌日欄へ続く〜〜。


 日曜日は、とても濃い1日でした。
 午前中に『それでも船は行く』を観て、午後は友人たちとデート。
 一時は「フルール」のテーブルに坐りきれないくらい友人知人があふれかえっていて大変! てな盛況ぶりでした(笑)。

 とってもとってもたのしかった。
 みんな、ありがとー。

 
 で。
 サトリちゃん、サトリちゃんのグッジョブ話は書いちゃっていいのかしら?
 本人が書きたいのに、先に書いちゃまずいよね。ネタにしちゃったらまずいよね?(笑)←ネタだと思っていることを白状している。

 
 つーことで、日曜日の大騒ぎについてはいったん筆を置くとして。

 油断しているウチに、月組バウのあらすじが発表になってましたねー。
 わたしゃそーゆーの興味ないんで、いつもはスルーしてるんだけど(予備知識ナシで観るのが好き)、何故かふと眺めてしまったんだ。


バウ・ロマン
『バーボンストリート ブルース』

作・演出 正塚晴彦

 ジャズ、ブルースを主体にした音楽、エネルギッシュなダンスナンバーを盛り込んだレトロな味わいを持つ、恋ありサスペンスありの冒険活劇。ニューオリンズを舞台に、一人の不良少年が、挫折と悲哀の末、やがて生きる上での真実、希望を見出すまでを描いた青春物。

■ 出演者:
7月4日〜7月22日 (月組)月船さらら
7月29日〜8月7日 (月組)北翔海莉



 …………ご、ごめん。
 大爆笑してしまった。

 さららんとほくしょーで、「不良少年の挫折と悲哀」?! 「恋ありサスペンスありの冒険活劇」?!

 あのさららんと、ほくしょーで?!!

 
 
 −−−−(しばらく笑い転げている)−−−−
 
 
 い、いや、失礼。
 ツボに直撃したもんでな。

 今、わたしはさららんがとても好きだ。
 愉快な生き物として、彼を大変愛でている。

 TPOを無視した熱演を繰り広げる人、って、好きなんだよ。人生手加減ナシな人、がんばりすぎてナニカまちがった人、スベって転んで自爆している人って、大好き。
 保身前提でなにもしない人より、ずっと好き。愛しい。

 さららんはいつの間にか、大変美味しいキャラになっていた。

「ハマコと暁郷とさららんを共演させてみたいですねっ!」

 と、デイジーちゃんと ネタにして 話しているよーに、アツい、クドい、うるさいが芸風の男たちに、ハートがキュンキュンしてるの〜〜。

 「薄い二枚目」「没個性」「トリオでドン!」的な役どころでしかないエルマー@エリザベートを、「スポットライトはオレ様に! 苦悩するセクスィスタァ〜〜ッ!!」な、トンデモキャラに作りかえてしまったさららんですよ!
 今ノリにノッてるさららんが、「不良少年の挫折と悲哀」ですよ。

 そ、想像するだけで悶絶しそうです。

 絶対絶対、眉間に縦じわ刻みまくって、深刻絶叫芝居をカマシてくれるんだわっ!
 わくわくわくっ。

 タイトルがいいじゃないですか、『バーボンストリート ブルース』
ですよ、『バーボンストリート ブルース』!!

 『バーボンストリート ブルース』主演・月船さらら

 ……って、文字だけでもすでに心奮えるわ。
 「バーボン」だもの、「ブルース」だもの! 「やせ我慢の美学」「男は背中で」「ダンディズム」……そんな言葉を連想するじゃないですか!
 さららんで、「やせ我慢の美学」よ? 「男は背中で」よ?
 ああっ、たまらないわー。

 たかが公演のあらすじごときで、こんなに期待に胸が震えるのは、ヅカファン歴17年、はぢめての経験です。
 どーせ正塚だから、あらすじなんてアテにならないのはわかってるのにさー(笑)。

 ああ、たのむよ正塚せんせー。
 話なんかぶっ壊れてていいから(最近の正塚せんせに対しての言葉)、思い切りクサくて「男の美学」全開の正塚作品にしてくれよー。

 さららんとはまた趣がちがうけど、ほくしょーくんもまた、「TPO無視」を芸風として持つ男の子。
 場の空気を顧みず、スタンドプレイやっちゃう系だからなー。こーゆー子は主役向きだし、一度本気でかっこつけた役を見てみたいと思っていた。
 ほっくんは、さららんとちがって(失礼)実力はあるから、あとは美貌と「真ん中に相応しい華」を身につけてくれー。そしたら、ほんとに将来がたのしみな子になる。持ち味のクドさやカンチガイ系なのも含めて(そーゆーの好き・笑)。

 
 最後に、告白しておこう。
 月組『エリザベート』でのカップリングはルドルフ×エルマーです、わたしは。
 ははははは。


 ひとりのパーフェクトマンがいる。
 大金持ちのボンボンで、文武両道成績はいつでもトップ、知的な美貌を有し、おだやかで上品でやさしいという、完全無欠のスーパー高校生。まさにパーフェクトマン。
 しかし彼には、秘密があった。
 やさしくていい人、なんて大嘘。じつは外面がいいだけの邪悪で姑息な性格破綻者だった。
 パーフェクトマンの仮面をかぶり、人々に崇拝されて生きていく予定の彼の秘密を知る者は、たったひとり。
 幼なじみの少女だけだ。
 その少女の父は、パーフェクトマンの父の会社の社員。つまり、家族そろってパーフェクトマン一家に頭が上がらない。それをいいことに、パーフェクトマンは少女を奴隷として扱った。子どものころから、ずっと。
 彼の秘密を知るのは、少女ひとり。真実の顔を知るのは、彼女ひとり。
 秘密をばらされたくない彼は、少女を「恐怖」でもって支配する。父親をクビにされてもいいのか? 一家で路頭に迷いたいか? もっと直接的に、暴力をふるわれたいか? オレがお前になにをしても、お前が世間になにを訴えても、世間はオレを信じ、お前を疑うだろう。だから、あきらめて沈黙するがいい。秘密は一生胸の内に。お前は、オレの奴隷として生きろ。

 ……まあ、よくある話っつったら、よくある話ですわな。BLではテンプレ的お約束設定。
 ただし、この設定が赦されるのは、ふたりの間に「愛」がある場合のみだ。
 男がほんとうは少女のことを愛しており、彼女を独占していたいがために、まちがった方向に暴走している、という。欲しいのは隷属ではなく、「愛」。しかし仮面をかぶって生きてきた男は、それに気づくことができず、少女を追いつめ傷つけることしかできない……。
 少女の方も、男に反発し、憎んだり逃げようとしたりしながらも、ほんとうは彼を愛している……。
 とゆー、心の設定までが、「お約束」だ。
 不器用な暴君とその囚われびとが、すれちがい傷つけあいながら愛を探す、そーゆー物語は定番だ。

 だが、まだ若かったわたしが出会ったとあるマンガは、定番設定のお約束物語でありながら、主人公の少女と、彼女を理不尽に支配する男の間に、「愛」がなかった。

 いやあ、不愉快な物語だったね。
 ヒロインはふつーにいい子なのに、ひどいめにばかりあって。性格破綻者のパーフェクトマンが、彼女のささやかなしあわせをひとつひとつ嘲笑しながらつぶしていって。なのに世間はみんなパーフェクトマンの味方で。

 お約束定番設定だなんて、そのころは知らなかったしな。
 生まれてはじめて読んだ「奴隷モノ」が、ふたりの間に「愛」がなかったのよ。「愛」もないままに恐怖で支配される女の子の話なんて、読んでてつらいだけじゃない。彼女が不幸になるさまを笑うことなんて、できなかったわ。

 そう。
 コメディだったんだわ。
 軽妙なタッチでヒロインの不幸を描いてあったの。
 でもわたしには笑えなかった。ひとがひどいめに遭うのを見て、笑える感性は持ってなくてな。

 まだ若かったわたしは、不幸なヒロインがどうやら一生不幸で終わりそうなラストを持つこのマンガを読んで、とてもいやな気持ちになったもんだったよ。

 雑誌で読み捨てる分には、それで終わりだったんだけど。
 そののちわたしは、あるコミックスを買った。その当時、けっこう好きになっていたマンガ家の初単行本が出たんで、いそいそ買いに行ったんだよ。短編集だった。表題作とあと何本かは読んだことのある作品。残りの何本かははじめて読む作品だ、たのしみだなあ、と。
 そのコミックスのなかに、前述の「愛のない奴隷モノ」コメディが収録されていた。

 このマンガ家の作品だったのか!
 ぜんぜん、気づいてなかった。
 なにしろ新人マンガ家なので、絵が落ち着いてなくて、作品ごとにけっこーころころ変わってたんだな。
 好きな作家ならともかく、どーでもいー作家の名前なんかいちいちチェックしないから、奴隷モノの作家名は記憶になかったし。てゆーか、そのときにはもう、そんな作品を読んだことさえ忘れていたよ。
 コミックスを読んで、「このマンガ、知ってる……!」とおどろいたくらいさ。

 なにしろ好きな作家の本なので、何回かは読み返す。
 雑誌で読んだときにはいやな印象しかなかったその作品も、何度か読むうちに感想が変わってきた。

 たしかに、ふつーの意味での「愛」はないだろう。いわゆる恋愛は存在しないし、その他の愛も存在していない。それでも、この作品世界なら、それもアリなのかもしれない。独特の、ほのぼのとしたゆるい世界だからだ。

 愛のない暴君なんて、迷惑なだけだ。愛を言い訳にした物語も嫌いだけど、愛すらなかったらもっと嫌だ。
 だけどもう、いいかもしれない。

 そのマンガのラストのコマ。
 性格破綻者のパーフェクトマンが、唯一「笑っている」。ヒロインは「エクソシスト!」と戦うポーズを取っているが(ヒロインにとって、この迷惑なパーフェクトマンは悪魔そのものの存在なので、こーゆーポーズになる)、パーフェクトマンは笑っているのだ。とてもたのしそうに、さわやかに。
 ……彼は彼なりに、ヒロインを愛しているのかもしれない。だから、こんな笑顔になるのだろう。
 その「愛」は、わたし好みの愛じゃないし、たぶん世の中の人が大好きな「強引攻の愛」ともチガウだろーけど。
 これもまた、アリかもな。

 四の五のいろいろ文句をつけてきたけれど、結局のところ、このマンガはけっこー好きかもしれない。「暴君と囚われ人」のラヴストーリーはヲトメの定番。「ありふれた」ネタとしては好きだけど、料理の仕方が嫌。
 ツボがあるのが見えているのに、それをはずされてばかりでストレス。
 キャラクタだってもっと魅力的にできるのに、どーしてソレをしないのかしら。
 なにもかも、ハズしてばかり。
 ここをこうすれば、あそこでこの台詞があれば、ものすごく好みの作品になるのに……!!

 でも、ラストの笑顔はいいんだよなー、パーフェクトマン。最悪な男だけど、ラストの笑顔で全部帳消しにしてしまうとゆーか……。
 ぶつぶつ。

 
 と、長々語ってますが。

 『それでも船は行く』の2回目を観てきましたのよ。
 『エリザベート』は1回しか観てないくせに、『それでも…』は2回行くのか(笑)。わざわざチケット探し回ってまで。

 もう一度、改めて観て、つくづく思いましたのよ。
 この話、あの「愛のない暴君と囚われ人」のマンガみたいだわ、と。
 ツボな設定とストーリーなハズなのに、ことごとハズされて、ストレスばかり蓄積していく。
 登場人物の性格は、最悪。他人を思いやれる奴なんか、いやしない。とくに主人公とヒロインは凶悪。

 ああ、なのに。

 ジョニー@すずみんの笑顔で、全部帳消しになってしまうあたりまでもが、あのマンガみたいだわ……!

 ラストのキスシーンはなんですかありゃ。
 かっこいいぞ、ジョニー。


 だが、メールではなく、ここで叫びたい。

 サトリちゃん、グッジョブ!!(笑)

 カンドーしたっ。
 日曜日がたのしみだっ。

 んじゃわたしもバウ観ることにするね。さあ、チケットあるかなー。


 わたしはヲタク属性の腐女子なので、モノを集めたがる傾向があります。
 物欲のカタマリ。
 本とビデオとDVDの重さで、我が家の耐久寿命が減っていってますとも。

 新聞や雑誌の切り抜きも、大事に取っておく人ですよ。ヅカ記事の切り抜きもらってもよろこびますよ。

 今のわたしの癒しは、誠さんにもらった水しぇんのピンナップ。@宝塚GRAPH。
 切れ長の瞳に見つめられて、ほわほわしてます。

 床の上には、未整理のヅカ関連記事の切り抜きが積み上げてあります。そのうち整理する予定……そのうち……たぶん……いつかは……。

 と、てきとーに積み上げるままにしておいたら。

 ええ。
 ついさっき、猫が1枚の切り抜きの上にダイビングしました。
 たまたま脱いだ服の上に置いてあったもんだから。

 うわあぁぁん、くしゃくしゃになっちゃったよう。

 その切り抜きは、某新聞のかしげちゃんの記事@もちろんカラーでした。

 かしげの笑顔が、しわくちゃ……うわああん。

 そこで思い出す。

 あたし、かしげパーソナルブックの引き取り、行ってないっ!!

 発売、いつだっけ?
 今まで予約していたトウコのときも水しぇんのときもゆーひくんのときも、いそいそと出かけていったのに。

 ……すっかり、忘れてました……。

 予約って、いつまで有効なのかしら……。


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