ある人の話をしよう。

 その人は才能のあるクリエイターで、過去に素晴らしい作品をいくつもこの世に送り出した。
 彼の作品は名作と呼ばれ、多くの人々に愛された。

 ……が。
 時は流れ、彼は健康上の理由から、ひとりでは創作できなくなった。
 パートナーを募り、共同で仕事をする。
 そして。
 彼は駄作しか作れなくなった。新作もひどいものだし、過去の名作をリメイクしても、過去の輝きとは程遠いものしか作れない。

 昔の彼の作品を知っている人々は、口を揃えて言う。
 彼はすばらしいが、パートナーが無能だ。彼の才能を、彼の素晴らしい作品を、パートナーが台無しにしているのだ。

 たしかに彼のパートナーは無能だった。誰が見てもわかるほどに。

 しかし。

 その無能な人間をパートナーにしているのは、彼自身なのだ。

 健康上の理由からひとりでは仕事が出来なくなったときに、彼はいろんな人間と組んでいる。
 それぞれ才能のある人たちだった。彼の助手にならずとも、ひとりでやっていける能力のある人たちだった。
 その人たちと組んで作った作品は、ちゃんと名作だと評価されたり、新しさに注目されたりもしていた。

 だが。
 彼はその人たちをすべて切り、今の無能なパートナーを選んだのだ。
 彼の作品をアレンジしたり、独自の解釈をしたり、時代に合わせようとしたりしない、彼の意のままになる人間を。

 過去に称賛を浴びた古い古い作品を引っ張り出し、その無能なパートナーにリメイクさせる。
 もう新しいものを生み出す力はないので、ひたすら既存作品を持ち出しては、体裁だけ整える。

 たしかに彼が若かった頃は世間に喜ばれた作品だったが、現代ではただの時代遅れの駄作だ。
 今の時代にあったアレンジなど、彼が選んだ無能なパートナーは、しない。できない。する気もない。彼の作品をできるだけ手つかずに、古いものを古いまま差し出す。壊れたところは壊れたまま差し出す。

 彼は今も素晴らしい。
 彼の作品も、今も素晴らしい。
 なのにそれが駄作だとしたら、悪いのはすべて、彼のパートナーのせいだ。

 世間ではそーゆーことになっている。

 
 でも、わたしは。

 才能のあるあの人やあの人を切って、かわりにあの無能な人をパートナーにしている段階で、彼は、クリエイターとして終わったと思う。

 ふたりして時代遅れの駄作を作り続けず、美しく引退して、過去の名声を守って欲しいと、心から思う。

 『赤と黒』初日、ドラマシティにて。


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