豊太郎@みわっちと、黒沢@ちゃー。
 このふたりの関係が、すごく好きだ。

 はい、まだしつこく『舞姫』の話です。

 黒沢は確実に豊太郎に悪意を持っている。豊太郎の前に立ち塞がる障害として現れる。

 「舞台」をおもしろいなと思えるのは、こうやって対立する、異なる意見を、客観的に受け止めることが可能である、ということ。
 小説は文字だけだから、出来事の他に心情まで描写することによって主役寄りの視点を確立する。(神視点の小説はもちろん存在するが、まったくの客観ではないし、そんなもんはたとえあってもおもしろくないだけだろう)
 映画やドラマ、マンガといった視覚を必要とするジャンルでも、そこにはカメラワークという演出が加わる。
 ただ役者ふたりが立って話しているだけ、どちらを見るかは観客次第、受け取り方は、自由。
 オペラグラスを使わなくたって、そのときの舞台の流れと見ている者の感性次第で、登場人物の誰かがアップになっているかのように感じられたり、するもんな。

 わたしは黒沢が豊太郎を嫌うのがよーっくわかる。
 それは豊太郎が、黒沢の出来ないダンスが出来るとかドイツ人マンセーで日本人とのつきあいをないがしろにしているからとか、天方大臣に取り入っているとか、そのくせ黒沢のご機嫌伺いをしない、取り巻きに入らないとか、そーゆーことではなくて。や、もちろんソレもあるだろうけど。

 黒沢がいちばん豊太郎を嫌う理由は。

 豊太郎に帰国を言い渡すときのやりとりの中にある、

「貴様ひとりの力で社会を変えられると思ったのか」

 というひとことにある、と思う。

 うん。
 豊太郎は、思っていたんだよ。

 自分が、世界を変えられるって。

 だから黒沢に言われたとき、言葉に詰まるのね。無意識であろうとなかろうと、図星だから。思い上がりを、叩きのめされるわけだから。

 ベルリンにやってきた豊太郎は、希望に燃えている。与えられた立場以上のものを吸収し、また役立てたいと思っている。
 自分には無限の可能性があり、世界が自分に微笑みかけていると、無邪気に信じている。
 ……若いんだ。ほんとうに。
 ただ闇雲に、「自分には、なにかが出来る」と思い込んでいる。具体的なビジョンがあるわけではなく、ただわくわくしている。
 そして彼の夢はひたすら善意に満ちている。自分になにが出来るか、ではなく、よくわかんないけど世の中のためになにかするぞぉー、と意気をあげている。
 今は貪欲に知識を取り込んでいるところだから無軌道だけど、そのうち明確なビジョンが出来、「みんなの役に立つためには、まず世の中をこう変えなければならない。そのためにはこれをしないければならない」とか、わかってくるんだろう。そのころにはもう少し「現実」というものも見えてくる……かもしれない。
 だけど今の彼は、自分の善意と能力を信じてキラキラしているだけの若者だ。
 善意でしていることだから自分は正しい、となんの疑問もなく思い込んでいる。
 正しいことをしているのだから、といつも正々堂々としている。

 そりゃムカつくだろ、こんなヤツ。

 厨め、半年ROMれ、と言いたくもなるだろう。

 「正しい」と思っているのは豊太郎の価値観の中の話であり、先に存在しているルールの中では、思い上がりのカンチガイ者でしかない。
 そのルールが正しいかどうかではない。ルールはすでにある。そして黒沢はルールの管理者だ。新参者が空気を読まずにルール無視して暴れたら、処分しなければならないだろ。

 豊太郎が粛正されるのは、女関係のスキャンダルが理由ではない。
 「自分は正義だから、先にあるまちがったルールを破ってもかまわない」と心から思っていることだ。

 ルールがまちがっているというなら、まずそのルールを正すべく、外から働きかけなければならない。豊太郎自身そのルールの中で生かされている(国費留学生)のに、自分都合でルールを破って(領域侵犯・命令無視)正義漢を気取っていた。
 「自分は特別だから、世界を変えられる」と信じ、「まちがったルールなんか、気にしなくてもイイ」「私欲ではなく、みんなのためにやっているんだから、清廉潔白」と、したい放題。

 あー、黒沢が管理をしているBBSがあってだな、そこで彼と彼の仲間たちは機嫌良く会話しているんだ。
 そこへ豊太郎がやって来て、BBSのテーマも流れも関係なく「正しい私が考える、みんなのためのすばらしいこと」という熱の入った長文書き込みをはじめる。
 たしかに書いてある内容はすばらしいし、正しいことではある。
 しかしソレを、ココで言われても困る。どんなに正しくても、TPOをわきまえない発言はただのカンチガイでしかない。
 はじめは放置していたが、目に余るほど暴れ続けているので、理由をつけて出て行ってもらうことにした。
 「あなたはBBSの某ルールを破ったので、今後書き込みをしないで下さい」と言うと、「管理人だって某ルールを破っている、他のみんなだって同じことをしている、私だけを責めるのはおかしい」と言い返してきた。
 いや、他人がやっているからといって、君が今ルールを破っているのは事実だし、第一君が嫌われているのは某ルールのことだけじゃないし。
 うるさく反論してくるのを無視して、さくっと書き込み全削除、アクセス禁止処理。ふう、やれやれ。
 不服ならば、自分でサイト立ち上げるなりすればいいのに。それをするスキルがないので、すでにあるBBSにゲストとして書き込んでいるだけの子どものくせに、そのBBSの在り方を正義の名の下に批判するな。自分でなにかできるようになってから言えよ。あー、ムカつく。
 ……てなもんで。

 でも「上からの圧力」というカタチで強制的に黙らせちゃったもんで、豊太郎は自分の過ちに気づかない。

 黒沢が鉄槌を下したのはエリスとのつきあい云々ではなく、黒沢にへつらわなかったからでもない。

 「世界を変えられる」という無邪気な驕りゆえだということが、わからない。

 もちろん黒沢は相応に小物なので、私怨的意味でやっているんだけど。
 でも、無意識であろうと彼は、豊太郎の犯す罪の、真髄を批判しているんだよね。

 その後豊太郎は、エリスを捨てる、という決断を自ら下すことで、自分の驕りを叩き潰されることになる。

 善意だから正義だから、未来が、可能性が……と、美しいものだけでキラキラしていられた若者は、自分ではどうあがいてもどうすることもできない現実に打ちのめされる。
 不当な圧力ゆえに免官になる、という逃げ道のある挫折ではなく、「自分の決断」で愛する人を捨てる、という絶望。

 できないことがある。
 愛とか夢とか、そんな美しいモノだけでは、どうしようもないことがある。

 世界は、変えられない。

 豊太郎は神ではないのだから。
 こんなにも無力な、ただの男だから。

 
 「自分は特別」という驕りを叩き潰されたあとの豊太郎は、黒沢にとって敵ではない。
 日本で再会したときは、ふたりはもう過去の確執を超えたところにいる。

 できることとできないことを知り、過信した正義がどれほどはた迷惑かも知り、己れの限界を知るからこそできることで力を振り絞る。

 「大人」になった豊太郎は、かつての自分に似た国費留学生・青木くん@ネコをまぶしいものを見る目で見つめる……。

 なにを得られるか、どれほど得られるかだけに胸を躍らせ、失うものがあるなんて夢にも思っていない……そんな無邪気な驕りにキラキラ輝く若者に、せつない愛情を向ける。
 いつか壊れることがわかっているガラス細工を愛でるように。

 
 有限の楽園、を愛する者にとって、豊太郎と黒沢の関係は大変好みです。
 豊太郎の純粋な幼さと、そこに立ち塞がる障害としての、黒沢の汚れた大人っぷりが。


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